パターン:言語化ニンジャ
サマリー
- ASD 部下は言語化ニンジャ――チームやプロジェクトやイベントに乗り込み、見聞きしたことを持ち帰ってきて言語化する役割が適している可能性がある
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背景とアプローチ
- ASD 部下はプロジェクトワークやクライアントワークには向いていない
- これらに要求されるのが「暗黙的で複雑なコミュニケーション」と「すでに定められた働き方と過ごし方への適応」であり、ASD 部下がまさに苦手とするものだからである
- どちらでもない第三の仕事や役割を開拓できることが重要
アプローチ詳細
- 言語化ニンジャとは:
- 敵地に乗り込み、観察や調査をして帰還し、言語化して共有する役割
- 敵地とは:
- PECT(プロジェクト、イベント、コミュニティ、チーム)など入退場や参画を伴うもの
- ウェブサイト、ポータル、重厚なドキュメントなど一日では追いきれない情報の海
- ニンジャとは:
- 誰とも絡まず、交流せず、単独での探索、メモ取り、深い思考などに専念する者
- とはいえ敵地を出入りしたり、中で無難に過ごしたりする程度の社交は行う
- レポートとは:
- 言語化ニンジャへの依頼フロー
- 0: ニンジャが敵地に乗り込むための各種準備やお膳立て(ニンジャ自身で行えるのなら任せてもよい)
- 1: ニンジャに文脈を渡す
- 乗り込む敵地に関する情報
- 期待する調査観点
- チームやマネージャーの現状(言語化できないなら言語化ニンジャ側に任せてもよい)
- レポートの様式(分量やフォーマット)
- レポートの提出期限
- (ニンジャが敵地から返ってくる)
- 2: ニンジャからの言語化結果を受け取り、レビューを行う
- レビューとは結果に対するフィードバックや議論
- 細かいやり方は問わないが、フィードバックを反映してもらうサイクルを一回は回した方が良い(成果を自分好みに寄せられる)
- 言語化ニンジャの責務
- 1: 依頼された潜入に応えること
- 2: 依頼主との対話や議論による、言語化ニンジャの運用の改善
- 3: 言語化や潜入に関する日々の鍛錬
- 4: 言語化ニンジャ自体の体系の整備と、(必要なら)啓蒙や運用拡大に関する提言
ポイント
- レポートの様式は、ビジュアルよりも中身を重視する
- 少なくとも「言語による記述」はメインになるはずである
- このドキュメントもそうだが、構造化 + 箇条書きが使いやすい
- 場合によっては写真や動画を大量に撮ることもある
- 🐰読みやすさや視覚的見応えよりも情報の量、幅(扱う話題の広さ)、深さを重視してください。言語化ニンジャの責務は「キャッチアップや読解の努力を放棄した要介護者」の介護ではなく、その気がある飼い主(通常はチーム自体やマネージャーになるでしょう)に濃い情報を提供することです
- 潜入中は干渉しない
- よくあるアンチパターンが「潜入中のニンジャと細かくコミュニケーションを取る」こと
- 🐰言語化ニンジャは、単独での潜入に集中するからこそ、他では出せない言語化のクオリティを出せます。むしろ、他者とのコミュニケーションを削いででもそうする意図があります。定型発達には難しい仕事ですが、ASD ならば可能であることが多いです
- 言語化ニンジャ自身の見解をどこまで入れるか、は認識を合わせておく
- Lv0: 一切入れない。敵地で見聞きした事実のみ記録する
- Lv1: Lv0と同義だが、どの情報を記録するかは言語化ニンジャの裁量に任せる
- Lv2: 事実を記録しつつ、その解釈も残す
- Lv3: 事実は記録してもいいし、記録せずいきなり解釈を残してもいい
- 🐰Lv0 は推奨しません。Lv0 は、(ASD 部下側がよほど記憶と記録に優れていない限りは)全面的に録音と録画に頼ることになりますが、結局「膨大な録画・録音データ」を扱いきれないので形骸化します。ただし、現在では生成AIが使えるため、再考の余地があります
- 🐰Lv3 は、ASD 部下がデフォルトでやろうとする振る舞いだと思います。ですので、解釈ではなく事実を優先したい場合は、明示的に Lv1 や Lv2 にしてほしい旨を伝えてください
- レポートが芳しくない場合、言語化ニンジャへの依頼の仕方が悪い と考える
- 関数、機械、生成AIなどと同様、使い方次第でピンキリになるものと考えた方が上手くいく
ASD が言語化ニンジャに向いている理由
Ans: ASD には ビジュアルや社交ではなく「情報」に集中できる力がある(ことが多い) から。
逆に定型発達は、コミュニケーションと場の適応に最適化されており、PECT においても情報そのものよりも、場の雰囲気を味わったり人と社交したりを重視しがちである(というよりそうすることしかできない)。
それはそれで重要だが、それだけでなく、そこを廃してでも、純粋に情報とその解釈を追求する過ごし方もできると有益だろう。しかし定型発達にできることではないし、できないからこそ、言語化ニンジャなる概念も未だに普及していない。
幸いにも、ASD という比較的できそうで、かつ既存のプロジェクト・クライアントワークに馴染めない人材がいるのだから、生かしてみれば良い。組織次第だが、現代であれば新しい情報のキャッチアップ――そのために未知の PECT に飛び込むことは重要だろう。もってこいのはずだ。