=== 第一部 プロローグ

天界

「やっと自殺した俺に、今度は異世界に行けと?」

「はい。決定事項です」


 目の前で正座する天使がずずっと茶を飲んだ。ぷはぁと一息ついてやがる。


「ふざけるな」


 ちなみに俺はふざけてなどいない。

 俺と彼女は和室にいて、正座で向かい合っているが、ここは天界である。

 そして彼女は天使であり、俺という魂の担当なんだそうな。見た目は絶世の美女だが、頭上に自己主張の激しい蛍光灯みたいなものが浮いている。


 彼女はもう一度息を吐く。見せつけるかのようなため息だ。


「それはこちらの台詞ですよ。私だって忙しいんです。テストも佳境だというのに、転生者なんか寄越しやがって……しかもバグを引き当てやがるし……」

「普通に聞こえてんだが。バグがなんだって?」

「いいえ? なんでもありませんよ?」


 天使が作り笑いを浮かべる。お粗末な態度なのに破壊力が抜群だった。

 美人は得をするというが、そうだろうなと思う。死ぬことしか頭になかった俺でも、くらっとしそうになる。まあコイツは人ですらないが。

 一方で、聞き捨てならないワードも確かに聞こえた。


 不具合《バグ》――。


「まるで世界がゲームであるかのような言い方だな」

「そうですよ。わかりやすく言えば、世界とはゲームです」

「……」

「天界とは言わば天使というゲームプログラマーの世界なのです。世界というゲームをつくり、動かし、披露し合うことで競い合っています。あなたが元いた世界ですが、ビビル・ゲイルという神様がつくりました。その功績で、彼は神となったのです。私もそれに続きたい。彼に追いつきたい。ああ、ビビル様――」


 天使は自らを抱き、正座したまま腰をくねくねとひねっている。湯飲みは宙に浮いていた。前いた世界の物理法則ではありえないことだ。


 ……だよな。わかってる。これが夢じゃないことはとうにわかってる。

 かれこれ数時間以上粘っているが、足掻きにもなるまい。いいかげん現実と向き合うべきだ。


 考えてみれば単純なことだしな。


「茶番は終わりだ。さっさと転生してくれ」

「やっとその気になっていただけましたか」

「ああ」


 天界のことはよくわからないが、転生を開始するには俺自身の意志が必要らしい。だったら転生をやめたいんだが、やめる権利はないそうで。


 なら、自らやめてしまえばいい。


「向こうでもすぐに死んでやるぜ」


 あえて挑むように呟いてみせたが。


「……それでは、いってらっしゃいませ」


 聞こえなかったのか、スルーされたのか。

 その声を最後に、目映い光が辺りを満たした。

転生

第1話 転生

 直立している。足の裏がひんやりするなと思ったら、全身を冷たい風が撫でた。

 震えることはなかったが、不思議と震えるほどの冷たさだとわかった。違和感を覚えつつも、身体に視線を落としてみる。


「……いや何でだよ」


 俺は裸だった。こういうのって普通は服着せるでしょ。


 にしても、自分の身体をまじまじと見たのは久しぶりだ。筋骨隆々な筋肉は何食わぬ顔をしている。


「肉体は前いた世界と同じようだな。身体能力も」


 その場で歩いてみたり跳んでみたりしたが、まるで違和感が無い。

 いや、無いことはなかった。なんというか、神経は鈍っているのに頭は冴えている。転生されて興奮しているのだろうか。自覚としては極めて平静なんだが。


 周囲を見渡す。

 地面も、天井も、壁もまがまがしい色合いをしていた。いわゆる洞窟であり、別の言い方をすればダンジョンなのだろう。少なくとも『始まりの村』感や『金持ちの商人が通りがかる』感は少しもない。


 ついでに言えば生物の気配もまるで無いし、そもそも音がなかった。鼓動の音すら明確に聞こえるほどの無音。


「……むしろ好都合だな。さっさと殺してもらおう」


 俺は瞬時に死の計画を立てた。


 ここが理不尽なスタート地点であるなら、理不尽に殺されてしまえばいいだけだ。俺は――死にたいだけなんだから。


 無論、死ぬ前に苦しむのはごめんである。ごめんであるが、心配はしていない。

 モンスターにそんな知能は無いだろうし、美少女ならさておき、こんな醜いアラサーを辱める趣味もあるまい。瞬殺されると考えていい。


 可能なら脳を一瞬で潰していただきたいところではある。

 痛覚を司るのは脳だ。ゆえに脳を一瞬で破壊できれば安楽死できる。


「実際、新幹線に頭を轢《ひ》いてもらったときも痛みは無かったしな」


 新幹線で頭を瞬時に潰す――


 それが当時俺の出した最適解だった。

 安楽死の模索にはずいぶんと苦労した。体もこんなに鍛えちゃったし。おかげで高い身体能力と精神力が手に入り、自殺活動――通称『自活』が加速したのだが。


 今、妙に落ち着いているのもその名残だろうか。


「……待てよ。何かおかしい」


 何だこの違和感は。

 天使と会話したことを引っ張り出す。



 ――貴方がさっきいた世界で言えば、異世界ファンタジーです。


 ――RPGのようなシステムも搭載していますよ。



 これじゃない。



 ――魂とは世界《ゲーム》に投入される|追加データ《パッチ》でしかないのです。



 残酷な理だと思ったのをよく覚えている。その前は何と言っていたか。



 ――転生すると、前いた世界の記憶は失われます。



「……これだ。俺は記憶を失っていない」


 これがバグなのか。これもバグなのか。


「まぁどうでもいいか」


 さっさと自殺して今度こそ人生終了させてやる。


 ぺたぺたと裸足でダンジョンを闊歩する俺。

 相変わらずの静寂だった。まるであらゆる生物が絶滅したかのような。

 現在地もわからなければ、出口もわからない。ただ、理不尽に広いことだけはわかった。


 数十分か、数時間か、あるいはそれ以上か。

 時間の感覚さえも溶けて、ただただ歩きながら、地面の突起で頭を貫こうかなどと考えていたときだった。


 理不尽の本体と邂逅《かいこう》した。

第2話 理不尽

 全身が危険を訴えている。


 何かがいた。人間のようだが威圧感が凄まじい。

 それはぴくりとも動かなかったが、寝ているわけではなさそうだ。全神経を集中させてこちらの動静をうかがっている――そう確信できるほどの圧があった。


 と、そこに空間の揺らぎが生じる。

 瞬きした後にはもう一人いた。女性だ。

 目をひく容姿をしている。あえて言うなら、細身巨乳で美人な実力派女優が悪魔を演じているような。


「どうして応答しないのよ魔王」


 ずいぶんと砕けた口調だった。

 異世界のはずなのに言葉もわかる。そういう仕様なのか、あるいはこれもバグか。どっちでもいいが俺には好都合だ。


「……」

「ねぇ、聞いてるの?」


 依然として動かない魔王に対し、細身巨乳はこちらを向くことなく問い詰めていたが、やがて小さく嘆息すると。


「どうせ新しい戦術でも考えてるんでしょうけど。アンタにダメージ与えられる存在もいないでしょうけど。その身勝手さはもう少しなんとかならないのかしら。まったくもう……」


 彼女が空間の揺らぎとともに消え失せ、辺りに無音が再来。


 ……状況が読めない。しかし眼前の魔王とやらの圧が凄まじくて、身動きを取る気が起きない。

 少しでも動けば最後、いや最期になってしまう気がする。

 俺は死にたいはずだ。動いてしまえばいい。それなのに、動けない。口内に溜まる唾すら飲み込めないくらいで――あ、やべっ、引っかかった。


 ゲホッ、ゲホッ、と思わず反応してしまい、空咳が虚しくこだました。


「……」


 魔王は相変わらず固まったままだった。


 ……いや、何なの?


 明らかに強そうだし、さっさと殺してくれませんかね。

 俺はしては死ねばそれで終わりなんで。できれば痛みも感じないくらい瞬殺してくれるとありがたい。脳を一瞬で潰してくれるのが理想だ。

 いたぶる趣味も暇もなさそうだし。さあ早く殺――


「テメエは何者だ?」


 おおぅびびった!? 全身がびくっと反応しそうになる。よく堪えたな俺。

 直後、顔が火照りそうな感覚も来る。間もなく死のうという人間が、今さら羞恥を感じるなど滑稽にも程があるよな。


「……」


 魔王はというと、こちらを向くこともなく沈黙を維持していた。身じろぎ一つしない。

 だから何なの。


 それから数十秒くらい経ったところで、


「テメエからはまるでオーラを感じねえ。あのサーヴァも――|実力検知器《オーラビジュアライザー》の異名を持つアイツも無視していた。っつーことは、アイツにもテメエはただの雑魚に見えてたってことだ」


 なんか独り言ちてきた。

 わからない単語が多い。あの巨乳細身はサーヴァというのか。オーラビジュアライザーってなんだ?


「そんな雑魚がここ、地下1113階に来れるはずもねえ。テレポートもワープも使えねえし、透明化《インビジブル》や隠密《ステルス》で接近してきたとしてもオレにはわかる。だが実際はどうだ? 全く気付けなかった。それほどの実力があればオーラが出る。オレはともかく、サーヴァに見抜けないはずがねえんだよ。……何なんだテメエは?」


 何なんだって? 俺が知りてえよ……などと胸中でぶつくさ行っていると、魔王がフッと消えた。


 いや、目の前に来ていた。

 何が起きたかはわからなかったが――何か攻撃されたことだけはわかった。


 移動している。

 真下だろうか。新幹線でもこんなに速くはない、と確信できるスピードで景色がめまぐるしく変わっていく。十数階層分は軽くぶち抜いている。

 やはりダンジョン――それも相当の深層のようだ。内装は意外と色とりどりで、赤橙黄緑青藍紫たぶん全部あった。


「爆音すぎて耳が千切れそうだ……って自分の声も聞こえないなこれ」


 風圧もそうだが、もう一つ、凄まじいのが音である。

 ダンジョンを破壊しながら降下しているからだろう。爆発のような、風音のような、何とも言えない破壊音が、頭を潰す大音量で俺に注がれ続けている。


 これが止んだのは、さらに十数秒経ってからのことだった。


「うぐっ」


 背中に鋭利な感触がある。鉄柵の先端のような太い棘で支えられているような格好になっていると思われる。

 頭上には薄暗い鍾乳洞のような天井があり、俺が落ちてきたであろう部分だけぽっかりと空いていた。ぱらぱらと砂粒が振ってきて、俺の目にも入ってきたが、不思議と何ともない。


 しばらく見ていると、何かが降ってきた。

 魔王だった。


「【強制貫通《フォース・ペネトレート》】」


 俺の腹に槍のようなものが突き刺さ――ることはなかったが、全力で殺しにきているのは肌でわかった。

 今度はダンジョンを突き破ることなく、衝撃波が出ることもなく、辺りはすぐにしんとした。


「こんな硬い生物は見たことねえ……何者なんだテメエ!?」


 俺にのしかかる魔王の手から槍が消える。同時に魔王が少し宙に浮き、俺の腹からも重さが消えた。

 どうも一トンを軽く超える負荷がかかっていたようだ。


 そんなものに軽々と耐えている俺。

 そんな負荷を瞬時に、感覚的に把握できている俺。

 というか見なかったことにしたかったけど、さっきなら脳内に数字が流れ込んできてるんだよな……。


 もはや疑いようがない。

 これだ。あのクソ天使が言っていたバグとは、これのことだ。


 世界《ゲーム》のバランスを壊しかねない不具合《バグ》。


「はあぁ……」


 長いため息が漏れた。

 HPか、防御力か。少なくとも耐久に絡むステータスが異常だ。

 要らない。マジで要らねえよ。


 俺はさっさと死にたいだけなのに。

 未来永劫、生という面倒から解放されたいだけなのに。

 よりにもよって、なんで俺なんだよ? 俺が何かしたか?


「意味深なため息だなオイ。無詠唱を誤魔化す戦術ってか? オレには通じねえぜ」


 違います。ただのため息です。


「さあどう来るよ? この魔王をどう攻め立てる!?」


 魔王が俺を急かしてくる件。どうすればいいんですかね。

第3話 理不尽2

「さあどう来るよ? この魔王をどう攻め立てる!?」


 魔王のテンションが高い件。

 押し倒されているような格好だ。顔が近い。圧が強い。暑苦しい。


 とりあえず身体を傾けてみると、案の定、俺は突起に支えられていたようで、落下した――って結構高いな。数秒の後、どんと頭から激突。痛みは無かった。

 起き上がると、魔王も地面に降り立っていたようで、改めて目が合う。


 一見すると人間の範疇には収まっている。正直魔王という名前には負けていて、せいぜい筋トレガチ勢の高身長イケメン俳優か、イケメンすぎる格闘家とかいった人間にしか見えない。地味にイケメンなんだよなぁ。

 格好も黒の半袖半パンで、なんていうかジム行ってました感が満載だし。


 しかしながら、これが魔王だと確信できる何かが嫌というほどに伝わってくる。

 威圧感? 殺意? 魔王の言葉を借りるならオーラというやつだろうか?


「その人間のような緩慢な動き。オレを油断させる芝居か? カウンターを狙ってんのか?」


 狙ってないですし、ただの人間です。たぶん。


「あの。さっさと殺してくれませんかね」


 業を煮やした俺は、とりあえず懇願してみる。


「……」

「俺、死にたいだけなんで」


 魔王はしばし無表情だったが、間もなくニィと表情を歪めた。


「それほどの実力がありながら遠回しの命乞いか。全く意味がわからねえが、なるほどな。あえて意味が分からない振る舞いを行うことで揺さぶろうって魂胆か。新しいぜ」


 違いますってー……。


「残念ながらオレに心理戦は通じねえ。心理戦っつーのはな、同格の相手を出し抜くための小細工なんだよ」

「だから、あの……」

「オレとテメエが同格? 笑わせるな。オレは魔王――アレに次いで強い存在だ」


 瞬間、魔王が俺の目前に出現する。

 ゲート、テレポート、ワープ――そういう魔法だかスキルだかがこの異世界にもあるのだろう。さっきコイツも少し話してた――いや違う!? 速すぎて見えなかっただけだ。


 周囲が《《地面を含めて吹き飛んでいた》》。

 それほどの衝撃波が発生した――つまりはそれだけのスピードで距離を詰めてきたということだ。


 地面を失った俺が落ちることはなかった。がっしりと魔王に頭を掴まれている。

 既に何十トンという握力が込められているようだった。相変わらず何ともないが。ただただ脳内に負荷の情報が数字として流れ込んでいる。


「我が奥義を食らうがいい。竜人王《りゅうじんおう》の牙さえも砕く握力――【グラスプ・メガトン】」


 直後、視界が真っ赤に染まるとともに、頭に流れ込んでくる数値が激増した。

 桁も一桁二桁どころじゃない増え方をしている。そこらのゲームだと二等分してもカンストしそうな長さだ。


 メガトン――百万を意味するメガに、千キログラムを意味するトン。

 単純計算で十億キログラムである。たしか核兵器の威力を表す単位だったよな。


 視界が回復して、……は?


 は?


 思わず口が開いた。傍から見るとあんぐりと開いていることだろう。


 消えている。何もかもが。


 壁も、地面も、粉塵も。

 おそらくは空気中の分子さえも。


 だからなのだろう、俺が発した声は、俺の耳に届いていない――真空というやつか。知らんけど。


 とりあえず何をされたかはわかった。


 俺は頭を握り潰されたのだ。

 推定十億キログラムで。


(なあ魔王さんとやら。これで終わりなのか?)


 挑発が口をついて出た。声は出なかったけども。


 恐怖心? そんなものは微塵もない。

 あるのは絶望だけだった。


 この異世界における魔王の強さは折り紙付きだろう。そんな存在が奥義なるものを繰り出してきた。

 それも十億キログラムとかいう人外めいた必殺。たぶん地上はえらいことになってんぞ。


 それでも俺は死ななかった。


 こんなことがあるだろうか? こんな仕打ちがあるだろうか?

 こんなものはチートなんかじゃない。呪いだ。

 世界《ゲーム》自体の不具合《バグ》という、どうしようもない絶望。


 なんでだよ。俺が何をしたってんだよ。

 俺はただ死にたいだけなんだぜ?


「くくくっ……ハハハハッ! いいねぇ、こんな屈辱は久々だ! いいだろう、見せてやる」


 そんな俺に構わず、魔王は嬉々として俺を振り回している。

 文字通りに。タオルを回すかのごとく。

 声が聞こえるのはなぜだ、などと思っていると、ぴたりと急停止した。がくんと全身が揺れたのもつかの間、「【テレポート】」視界が一瞬で切り替わった。


 拓かれた景色だった。

 空は青く、周りも青々としている。水平線が見えそうな大草原だ。

 ダンジョンの外に瞬間移動したのだろうか。


 魔王はというと、相変わらず俺の頭を掴んだままで、何やら振りかぶっている様子。


「燃え尽きるか、綿人《コットンマン》の餌食になるか。消し飛ぶが良い――【ロケットスロー】」


 瞬間、俺は射出された。


 衛星写真をズームアウトさせるかのように地面が遠のいていく。風圧がすごい。

 いくつかの都市と大自然が見えている。風圧がすごい。

 雲に入ったのかあたりが真っ白になった。風圧がすごい。


 このまま宇宙にまで吹き飛ぶのだろうか。

 そもそもこの異世界に宇宙は存在するのだろうか。


 答えは得られなかった。

第4話 理不尽3

 この異世界に宇宙は存在するか。


 答えは得られなかった。代わりに停止を得た。

 何かにぶつかったのではない。銃弾が磁力でピタリと止められたかのような、そんな止まり方だ。

 当然ながら慣性は残る。マッハをはるかに超えるスピード――冗談抜きでマッハ10くらいは出てたと思う――からの急停止だ。無事であるはずがない。


「無事なんだよなぁ」


 発生する衝撃波。爆音。


 どうやら雲海をすべて吹き飛ばしたようで、鮮やかな青色が視界一面に広がった。

 下界を見てみると、大陸と海が見える。もはや地図だ。建物はおろか、街の判別さえつかない。


 そんな俺だが、なぜだか浮いている。


「ほむ。これはなんだほむ?」


 背後から声がした。

 体は動くので振り向いてみると、何かが二人――なのか二匹なのか、とにかく二体ほどいた。


「人間のようだもく」

「二人がかりでようやくだったほむ。信じられないスピードだほむ。まともに受け止めたら死んでいたほむ」

「もくもく、どうするもく?」


 羊を擬人化したらこうなるのだろうか。

 その全身は白くもこもことした毛――というより綿のようなもので覆われている。顔面はずいぶんと童顔で、そこだけ切り取れば子供のようだ。

 身体は大きく、二メートルくらいはありそうだが、とても軽いらしい。ぷかぷかとクラゲのように浮いていた。


「イレギュラーすぎて見当もつかないほむ」

「長老にバレたら事だもく」

「殺すほむ」

「意義無しもく」


 何やら物騒な話をしているが、願ったり叶ったりである。あのスピードを容易く止めたのだから、相当な力量のはず。

 魔王が言っていたコットンマンとやらは、十中八九こいつらのことだろう。


「最期の言葉はあるかほむ?」


 もこもこ星人ことコットンマンの一人が構えた手から、バリバリと電気が迸《ほどばし》る。

 それにしてもコットンマン、ねぇ……。コットンというと綿か。まんまだな。


「ないほむね。消し炭になるほむ――【サンダーボルト】」


 直後、一瞬で失明するであろう眩しさの暴力を浴びたかと思うと、全身がびりびりと痺れた。電気風呂みたいな気持ち良さだ。

 雷だろうか。脳内に響いてきた数字はやはり桁外れだったが、魔王の時とは別の数字が特に大きい。

 魔王の攻撃がニュートン的な力だとしたら、こちらは電力といったところか。


「む、無傷……ほむ?」

「も、もも、ももも、これは長老案件だもく!」


 コットンマン達が顔面蒼白になっている。俺が片手を挙げてみると、びくっと震えた。


「なあ。ちょっと訊いていいか」

「油断するなもく。精神干渉魔法かもしれないもく」

「ぼくたちには効かないほむ」

「油断するなもく! これほどの人間、見たことがないもく! サンダーボルトは万物を消し炭にする秘技。イレギュラーにも程があるもく!」

「あの、ちょっと……」


 俺はもう自分の能力を疑っていない。


 だからといってホッと一息つくわけにもいかないのだが。

 俺は死にたいのである。死ねないのなら、死ぬ方法を探さねばならない。


 幸いにも強そうな生物が目の前にいる。

 まずはできる限りの情報を引き出し、あわよくば他の攻撃も打ち込んでもらいたい。


「ちょっとだけ話を……」

「もう一度ぶちこむほむ?」

「ダメだもく。ダメージの痕跡がないもく。ゼロに何を掛けてもゼロだもく」

「なら撤退するほむ?」

「もくもく、そうするしかないもく」


 ほむだのもくだの無視しないでくれ。いいから話を聞いてくれま――


「撤退だもく!」

「ほむ!」


 せんかね……という俺の声は虚しく、もくもくズは煙のように消え失せていた。


「瞬間移動の使い手多すぎないか? いや高速移動かもしれんが……」


 耐久力は神懸かっている俺も、どうやら他のステータスは人並のようだ。

 もっと言うと動体視力とか、あと魔力とかか? 魔王もそうだったが、奴らの動きがちっとも見えない。


「なるほど興味深いのぅ」

「うぉっ!?」


 急に耳元から声がして、俺は思わずのけぞった。

 振り返ると、さきほどとは別のもこもこ星人。


「今度はだいぶ顔が老けてるな」

「失敬な。落とすぞぃ?」


 大財閥を牛耳ってそうな粛然とした顔つきが睨みを利かせてきた。コットンマンは童顔、というわけでもないのか。


「どうぞ落としてください。これ以上ないくらいに全力を込めて攻撃していただけると幸いなんですが」

「……ふん。無駄な鉄砲は撃たんよ」

「それよりこれ、どうやって浮かせてるんです? 魔法?」


 この老人コットンマンはたぶん長老と呼ばれる存在だろう。話が通じそうなので、少しでも情報を引き出したいところだ。


「磁力じゃよ。生物にはマグネという磁力成分が含まれておる。個体ごとに固有のな。おぬしら人間も例外ではない。そして我らは電気に長けた種族であり、任意のマグネを発生させることができる。ゆえに万物を引き寄せ、また引き離すことができるのだ」


 俺が知っている理科の知識とはだいぶ違うが、気にしないことにした。

 どうせすぐ死ぬ。知的好奇心など二の次だ。


「――なるほど。あんたらの移動は高速移動か」

「左様」


 と言いつつ、答え合わせをしてしまう俺。

 飛んできた俺を止めるくらいだから、さぞかし強力な電磁力を発生させられるのだろう。それこそ地上の生物を狙い撃ちして、ここまで引き寄せるくらいのことはやってのけるに違いない。

 これを応用すれば、俺というマグネから瞬時に距離を置くこともできるはずだ。たぶん。


 ……ああ、いかんな、あれこれ考えてしまう。

 好奇心。知りたいという欲求。考えたいという意欲――

 こいつらは強敵だった。前いた世界でも、俺の自殺を幾度となく阻んできた。

 こっちでも厄介になりそうだな。心を鬼にするべきだろうか。


 長老は顎髭《あごひげ》――というより顎のもこもこをしきりに揉みほぐしながら、俺を胡散臭そうな目で見ていた。目つきはなおも鋭い。


「それほどの力がありながらそんなことも知らんとは。どこぞの引きこもりを思い出すわ」

「引きこもりじゃねえよジジイ」


 長老の真横にパッと何かが現れた。俺を投げ捨てた魔王本人だ。

 姿が現れる前に声が聞こえてきた気がするが、それも魔法なのだろうか。やはり知らないことが多すぎる。


「やはり貴様の仕業であったか」

「んなこたぁどうでもいいんだよ。コイツ、何者なんだよ?」

「ワシが知るわけなかろう。部下にでも調べさせい」

「部下なんていねえよ。魔人族にヒエラルキーはねえっつってんだろうが」

「貴様の組織論など知らぬわ」


 宙に浮かされたまま放置される俺。


「何者かはどうでも良い。さっさと始末すれば良かろう」

「それができねえから丸投げしたんじゃねえか」


 やっぱり丸投げしてたのか。「いいだろう、見せてやる」とか言ってたくせに。


「貴様でも殺せない存在をどうしろというんじゃ? こやつはサンダーボルトも効かんのじゃぞ」

「マジかよ……」


 もこもこ長老と魔王は顔を見合わせ、揃って俺を見てきた。

 俺に怯えているわけでもなければ、怖れているわけでもない。困惑の色だ。


「竜人に頼んでドラゴンファイアを浴びせてみるか?」

「馬鹿者が。このような存在、あやつらに知れたら事じゃぞ」

「だろうなぁ」


 俺は成り行きを見守ることしかできなかった。

 にしても知らない単語が多い。どこかで勉強する必要があるだろう。


 おそらく俺は簡単には死ねない。もっとこの世界の情報を知るべきだ。

 パッと思いつくのは図書館か。あると良いんだが。


 その後も二人は俺を無視して色々と話し込み、やがて――


「――それで良いな?」

「ああ。やむを得ねぇ」


 魔王の手が伸びてきて、俺の手首を掴んだ。

 ちなみに会話内容はわからなかった。魔法なのか明らかに遮断されていた。

 角度的に読唇術も無理だった。そもそもそんな心得ないしな。


「テメエは見なかったことにする。縁があったらまた会うだろうぜ。会いたくねえが」

「おぬしが世界に災いをもたらさぬことを祈っておる。どうか慎ましく生きてくれ。何ならダンジョンに潜るといい」

「ふざけんなよジジイ。こんな怪物、死んでも願い下げだぜ」


 訳も分からぬまま、俺は下界へと投げ飛ばされるのだった。

アルフレッド王国

第5話 生き地獄

 魔王はずいぶんと手加減してくれたらしい。

 おそらく高度一万メートルは超えているであろう上空から投げ飛ばされた俺は、墜落地点にそびえ立つ大木が見える頃にはすっかり減速していた。


 体を淡い光が包んでいる。何らかの魔法が施されているのだろう。

 それでも速度はかなりのもので、いわゆる終端速度――時速二百キロメートルは出ている気がする。


 大木がみるみる近づいてきて……ってでかいな。タワーマンションくらいはあるぞこれ。

 容赦なく突っ込んだ。視界が暗くなり、ガサガサバキバキと耳障りな音に襲われる。

 間もなく、ずどんと地面を抉った。砂塵が舞う。


 すぐに起き上がり、視界不明瞭の中、自らつくったクレーターを手探り足探りで登っていく。

 途中、数回くらい転げ落ちて頭を打ったが、もちろん痛みなど無い。


「さてと、どうするかな」


 思い切り息を吸って砂塵を取り込んでも何ともないな、などと思いつつ大木を探り当て、もたれながら待つことしばし。

 景色が拓けてきた。


「……ああ、そうだった」


 俺はまだ裸だ。


「どうすんだこれ。追いはぎでもすればいいのか」


 平然と犯罪的な思考に走ったのは見なかったことにして、とりあえず辺りを見下ろす。ここは丘のてっぺんになっているらしく、遠くまで見渡せた。

 ……城壁っぽいのがあるな。あれだ、三国志のフィクションに出てくるようなバカでかい壁。

 他に目印もないし、行ってみるか? でも捕まって牢屋にぶち込まれるのも嫌だよなぁ。退屈は敵である。


 かといってここで待っていても進展はないだろうし、人が通りがかる気配もない。


「いや、何か来てる」


 しばらく待ってみると、いかにも大貴族ですと言わんばかりの馬車群だとわかった。中央の馬車は一際高く、遊園地のパレードを想起させる。

 華やかなドレスに身を包む金髪の女性が優雅に座っていて、その手にはティーカップが握られていた。

 よく見ると椅子は人間だ。四つん這いをした男の背中に、彼女が座っている。


 見つかったら面倒くさそうだ、とクレーターに隠れようとしたところで、


「頭が高い。平伏したまえ」


 そんな声が頭に響いてきた。渋い声だ。

 同時に数字が流れ込んでくる。何か負荷をかけたのだろう。魔法だろうか。周囲には誰もいないが……。


 改めて馬車群の方をうかがうと、こちらに向かって何かが飛んできていた。

 よく見るとそれは人だった。

 もっと言うと白髪、白髭、タキシードのおっさん。


 おっさんは勢いを落とさないままくるりと回り、天に足を伸ばしてピンと張る。


「ああ、かかと落と――」


 正解らしく、お手本のようなかかと落としが俺の脳天に直撃。

 意外と威力は抑えられているらしく、数字の増加も軽微だった。たぶん鈍器で殴られたくらい。


 それでも俺を地に伏すには十分で、「ぶっ」顔面から地面に突っ込んだ。汚ねえな。いや今さらか。


「無礼者には制裁を」


 首根っこを掴まれ、ぐいと引き上げられた。というか体ごと持ち上げられた。ずいぶんと力持ちなことで。


 改めて見ると、やはりおっさんだったが、ボディビルダー顔負けの肉体なのが服越しでもわかる。格好は大金持ちの側近という感じの執事だ。顔はいかつく、傷跡も多い。軍曹とか似合ってそうだな。

 そんな執事は俺を睨むと、


「【|ゴルゴンの眼《ゴルゴンズ・アイ》】」


 カッと目を光らせた。今度は何を……ってあれ、体が動か、ない……?

 腕はおろか、指先や目蓋《まぶた》さえも動かせなかった。気のせいか音も遮断されているような。


 おっさんはというと、顔色一つ変えず、こちらを見向きもせずに飛び去っていく。おい待て、置いていくな。


 ……マジで動かないんだが。

 聴覚も気のせいではなく、耳にセメントを流し込まれたかのようだ。

 せめて自分の体を見ることができれば、何が起きたかわかりそうだが――うん、まあ、想像はつく。


 石化だろうな。


 俺のバグも万能ではなかったということか。普通、防御系のチートなら状態異常にも耐性をつけるだろうに。まあ普通と言うなら、石化すれば心臓や脳もそうなるわけで、意識など保てるはずもないのだが。

 むしろそうしてほしかった。これじゃ生き地獄じゃねえか。


 ……いやいや、まさか、な?

 このままずっと放置、なんてことはないよな?

 冗談にしても面白くないぞ。


 そうか、わかった。この状態で誰かが俺を砕いてくれればいいんだな?

 このバグが中途半端なものであるなら、石化により無敵効果が消えてもおかしくはない。うん、そうに違いない。モンスターでも通りがかってくれたら、すぐに壊してくれるだろう。よし、万事順調――。


 などと現実逃避した俺だったが、そう甘くはなかった。






 放置は五日以上も続いた。

第6話 シニ・タイヨウ

(112323、112324、112325――)


 石化した俺はただただ秒を数えていた。

 こうでもしなければ正気など保っていられなかった……というのは嘘で、単に検証を兼ねて暇を潰しているだけである。


 人の往来は日に数回程度。小丘の上で石化した俺に気付くはずもなく、助かる望みが無いのは明らかだった。


 退屈は人を殺す。

 ただひたすら穴を掘り、それを埋める作業を繰り返させる拷問もあるくらいに、人は無意味な過ごし方に耐えられないようにできている。好んで死のうとする俺ならなおのこと。


 にもかかわず、俺は平静を維持できていた。

 どころか頭が疲れる様子さえなく、一睡せずに国語辞典を読み切れる気さえしてくる。実際できるのだろう。

 少なくとも今、俺は全く寝ていないし、


(112340、112341――)


 こうして三十時間以上、秒を数え続けることもできている。


 ……はぁ、さっさと死にてえんだがな。


 生き地獄が現実になりやがった。


 あの時、クレーターから這い上がらずにやり過ごしていたら、あのおっさん執事に気付かれることもなかったんだろうな。失敗した。

 と、たらればの一つも言いたくなる。

 いや既に十回は言ってるけども。もちろん胸中でだ。口も喉も相変わらず一ミリも動かせやしない。


 いいかげん飽きたので、数えるのは112350秒でやめた。

 その時だった。


 ぬっと何かが視界を覆った。

 ぼた、ぼたと垂れているのはよだれか。酸性が強いのか、垂れた先の地面から煙が噴いている。

 口と舌は大きく、青白くて、人など一息に丸呑みできるだろう。


 ヘビだった。

 太さだけでも二メートルはあり、長さはよく見えないが、間もなく視界のすべてが鱗で覆われた。うねうねしてて気持ち悪い。

 そいつは俺を飲み込むわけでも締め殺すわけでもなく、舌でつっついたり舐め回したりしてきた。


 べろりと目を舐められる。

 角膜に唾液を塗りたくられたような、そんな不快感――がある気がする。石化していてわからない。

 その石化だが、解除される兆しはまるでない。地面さえ溶かす酸の強さも無意味のようだ。コイツもそんな物珍しさを楽しんでいるのかもしれない。だから目を舐めるのはやめろ。


 そうしてしばらく好き放題に――主に目ばかり舐められていると、進展があった。

 ヘビが俺から離れたと思うと、急に暴れ出す。そのパワーは大地が揺るがすほどで、俺も吹き飛んでいた。空や雲の見え方からして、百メートルは飛んだか。


 落ちた先は道だった。

 馬車も通っていたところで、砂粒が見えている。そばには馬だかなんだかが出したと思しき糞――。無論、目を閉じることはできない。

 ……え? これなんてイジメ?

 日が経っているのか、乾燥しているのが幸いだった。


 諦めて馬糞らしきものを鑑賞している間も、しばしば地面が揺れた。

 あのヘビは何をしている? モンスターの心理などわかるはずもないが。


 たっぷり二十分くらいは鑑賞しただろうか。

 思わぬ形で答えが示された。






「お怪我はありませんか?」


 ただの女声なのに妙に優しく聞こえた。

 いつの間にか石化が解除されている。俺は汚物から目を逸らし、身体を起こしつつ顔を上げると。

 魔法使いだろうなという格好のボブカットな女性が、俺を心配そうに覗き込んでいた。その視線がちらりと下にずれる。すいません、裸なんですよ。


「ご無事のようですね。良かった」


 大人な対応で助かる。少し顔を赤らめているのが可愛らしい。よく見ると童顔だ。二十歳も行ってなさそうだ。

 あとピンク色の髪って初めて見たぞ。フィクションではよく見るが、現実で見るとチャラさ百倍。相殺してプラマイゼロといったところか。


「本当に大丈夫かい? 無傷なのが正直信じられないんだけど」


 彼女の横から出てきたのは……剣士だろうか。

 背中に大きな剣を二本背負っている。金髪で、有り体に言ってイケメン。好青年というか優等生な雰囲気が眩しい。


 手を差し出されたので、素直に取ってみると、ぐいっと一息で起こしてくれた。


「君はどうしてここに? 裸なのも何か理由があるのかい?」


 天界から転生してきました、とは言えないよなあ。

 まだこの世界のことはわからない。迂闊なことは喋らない方が良い。


「……その、助けていただいて、ありがとうございました」


 まずは感謝だ。頭も下げておく。さすがに通じるよな。


「ふふっ。どういたしまして」

「当然のことをしたまでさ。……言語機能に問題は無さそうだね」


 魔法使いの方はなんというかおっとりしているが、金髪剣士は俺を訝しんでいるようだ。


「行き先は王都かい? 良かったら送るよ?」

「はい。お願いします」


 しれっと嘘をついてしまった。他に行き先もないし、仕方ない。


「せっかくだから歩こうか」

「そうですね。たまには歩きましょ」


 二人揃って歩き出す。方角は王都――遠目に見てもわかる城壁の方だ。

 ……え、歩くの? 軽く十キロメートルはありそうですけど。


 慌ててその背中を追いかける。


「君の名前は?」


 クロスソードな背中が尋ねてくる。向こうから名乗る様子はなく、それがさも当然のような雰囲気があった。

 礼儀を欠いた人柄でもないだろうに、と考えて、ピンと来る。


「あの、すいませんが、お二人のお名前からうかがっても?」

「……なるほど。記憶喪失か」

「そうかなぁ? 記憶喪失って自分の名前や過去の出来事を忘れるものだと思うけど」


 二人があーだこーだ推測している。俺の出生については有耶無耶にすませたいところだが。


「――まあいい。こんな経験も久しぶりだしね」

「ですね」


 二人が立ち止まり、くるりとこちらを向く。


「僕はラウル。剣士《ソードマン》で、第一級冒険者を務めている」

「アウラと申します。攻撃魔法師《アタックウィザード》で、私も第一級です。よろしくね」


 第一級というと最高ランクだろうか。実力者なのは間違いあるまい。それこそ知らない人がいないくらいの。

 ……さて、あまり時間稼ぎできなかったな。どう名乗ろうかしら。


「それで、君の名前は?」


 金髪イケメン剣士、もといラウルが早速急かしてくる。


「……シニタイヨウ。俺はシニ・タイヨウという者です。タイヨウと呼んでください」


 クソみたいな名前になってしまった。太陽とか完全に名前負けである。

 ちなみに『死にたいよう』から取った。一応アクセントも変えてあるが、願望だだ漏れすぎて恥ずかしい。

 そうです。思いつきの行動は黒歴史を生みます。


「タイヨウさんですね」

「シニ、タイヨウ……? 聞き慣れない名前だな」

「あ、はは……」


 何とか愛想笑いで誤魔化しきることができ――俺は二人とともに王都に向かうこととなった。

第7話 道中

「とりあえず服を着ないか」

「と言われましても……」


 アウラをうかがってみたが、すっと目を逸らされた。

 俺も感覚が麻痺している。裸のまま女の子に救いを求めるなど変態にも程があった。


「ゲートで取り出せばいいだろう?」

「ゲート? テレポートのことですか?」

「……本当に君は何も知らないのか。どうなっている?」

「まあまあラウル。落ち着きましょう」


 ラウルの横顔が険しくなったが、アウラがなだめたことにより柔らかくなる。


「ごめんなさい。あんなことがあったから、ちょっと気が立っているんです。【ゲート】」


 アウラがそう唱えると、目の前の空間に黒い板のようなものが出てきた。間もなくそれは異なる景色を映し出す。衣装部屋のように見えた。

 上体を突っ込んでがさごそしているアウラだったが、何かを引っ張り出した。


「とりあえずこれを羽織っていただけると嬉しいです」


 人を裸族みたいに言うな。好き好んで裸でいるわけじゃねえよ。「ありがとうございます」表面上は丁寧に受け取る。

 紺色のコート――というよりローブだった。ってあれ、どうやって着るんだこれ。前が開いてないんですけども。


 手こずっていると、隣から再びため息。次いでくすくすとアウラ。

 目で助けを求めると、「面白い人ですね」なぜか面白がられた。


「それはマジックローブ。魔力を込めて開閉するんだ……て、まさか、魔力も無いとか言わないよね」

「無いというか、魔力って何ですかというか……」

「何なんだ本当に……」

「ぷっ、くくっ……待って、だめ、おかしい、ふふふ……」


 イケメンの隠す気のない嘆息と、美少女の隠し切れていない含み笑いのコラボレーション。中々絵になっている。


 とりあえず魔力を拝借してマジックローブを装着した。

 ようやく裸族卒業である。これで堂々と歩けるな。


「それにしてもテレポートって凄いですね。初めて見ました」

「テレポートとゲートは違う」

「そうなんですか。無知ですいません」

「テレポートは自分自身や触れた相手を瞬間移動させる。対してゲートは空間と空間を一瞬で行き来できる道をつくる」


 ラウルはなんだかんだ面倒見が良さそうだ。適当なことを言ってみたが、すぐに訂正してくれる。先生に向いてるぞアンタ。

 この際だから出来るだけ聞き出してしまおうと決心した俺だった。


 しかし、アウラがニコニコしながらこちらを見てくるのがやりづらいというか、むずがゆいというか。


「えっと、ゲートをつくっただけで服が出てくる? というのはどういう理屈なんでしょうか」

「ああ、あれは倉庫に繋いでいる。――【ゲート】」


 ラウルもゲートを発動させ、その口に手を突っ込む。何を取り出したかと思えば、硬貨だ。


「僕の金庫と繋いでいる。第一級冒険者にもなると金も腐るほどあるからね」


 ゲートの先を見ると、たしかに金貨やら宝石やらが山のようになっていた。百回は一生遊んで暮らせそうだ。


「盗まれたりしないんですか?」

「心配無いよ。それなりのところを借りている。さっきのヘビが襲来しても耐えられるだろう」


 倉庫を借りておいてゲートで繋ぐという発想だけでなく、金庫の貸し借りが成立するほどの体制も整っているとは。この世界の人達もやるなぁ。


「そういえばあのヘビ、どうなったんです?」

「倒したよ。彼女のおかげだ」

「褒めても何も出ませんよ」


 アウラはまんざらでもなさそうで、ふんと胸を張った。

 あ、意外と大きいのをお持ちでいらっしゃる。かさのあるローブ越しにもわかるとなれば、相当だろう。この金髪はどう思っているんだろうな。

 などと下衆《げす》なことを考えていると。


「【ウルトラ・ファイア・スピア】」


 アウラの掲げた杖から火炎放射器みたいな火炎が放出された。ボリュームがやばい。音量もやばくて、常人ならたぶん鼓膜破れてる。

 よく見ると炎は槍《スピア》の形をしていた。それが向かう先には、根元からぽっきり折れた大木。二人が戦っている時に折れたのだろう。


 その大木、というか巨大な倒木は間もなく炎に包まれ、ほぼ一瞬で炭の塊になった。炎も消えた。

 おかしいな、タワーマンションくらいのサイズはあったはずだが。


「……すごい」


 異世界ラノベを読んで想像では知っているつもりだったが、いざ魔法の現物を見ると、なんかこう感慨深いものがある。


 ここは異世界なのだと。前いた世界とは違うのだと、改めて自覚する。


「ふふっ。そうでしょう? どうですかラウル?」

「調子に乗るな。あの程度ならウルトラは要らない――【ハイパー・ウインド・マシンガン】」


 人差し指を構えたラウルがそう唱えると、指先から風の刃が何百何千と連射された。

 まだ道を塞いでいた炭の塊が細かく切り刻まれ、ものの数秒で微塵となる。


「……二人とも、ずいぶんとおモテになられるのでは?」


 思わず口をついて出た。


 常日頃|自殺という逃避《フェードアウト》を考えていた俺にとって、この二人はあまりにも眩しすぎる。

 今さら嫉妬も羨望も無いと思っていたが、さすがは人間、感情は変わらない。


「今度は何だい? モテるけども」

「そうですね。第一級冒険者ですから、それなりにはモテます」


 どこか疑心暗鬼なラウルと、天真爛漫なアウラ。二人は対照的で、お似合いのようにも見える。

 俺を詮索されても困るし、憂さ晴らしというと癪《しゃく》だが、少しいじらせてもらおう。


「ご結婚とか考えないんですか? たとえばお二人とか、よく似合っていると思いますけど」


 馴れ馴れしすぎたかなと思ったが、


「それはない」

「普通に嫌です」


 見事にハモった。


「アウラのことは信頼しているけど、ちょっとノロマだし頭の回転も鈍くて、正直イライラする」


 先制を仕掛けたのはラウルだ。


「ラウルは頼れるけど、好青年の皮を被ったオレサマだから不快です」


 対してアウラも負けていない。へー、本性はそっちなんですねラウルさん。


「アウラ? 今何て言った?」

「ほらほら、タイヨウさん。ラウルってばすぐ怒るんですよ」


 きゃーこわいという棒読みが聞こえてきそうな態度でアウラが俺にひっついてくる。あ、良い匂いがする。


「……はぁ。本当に君はよくわからないな」


 アウラを引き剥がしながらそう返すラウル。

 彼の興味は、やはり俺のようだ。アウラのことなど眼中にない。美少女で隠れ巨乳なのに、ちら見する素振りさえなかった。大したものだ。


「真面目に訊きたいんだが、君は一体何者なんだ?」


 どころか、どうやら俺は墓穴を掘ってしまったようで。

 うーん、言い逃れできない空気。


「……と、言いますと?」

「あのヘビ――災害蛇《ディザスネーク》は第一級モンスターだ。僕たち第一級冒険者でなければ仕留められない。放っておくと都市の一つや二つは平気で滅ぼす厄災だよ」


 そんなに厄介なヤツだったのか。石化した俺の目ばかり舐めてたけど。


「厄介なことに、あれはテレポートを使いこなす」


 あの巨体でテレポートか。そりゃ厄介なことで。


「魔力は乏しいようで、一日一回くらいしか唱えないのが不幸中の幸いだったけどね。ともあれ、いつも決着がつく前に逃げられていた。何度逃したことか。念願だったんだ」

「はぁ、そうですか」

「にもかかわらずだ。あの時、災害蛇《ディザスネーク》はあの場から一向に離れようとしなかった。何かを守っているかのようだった」

「……」

「石化した君だよ」


 いや、君だよと言われても知らないんだが……。

 困ったときのアウラさん、ということでアイコンタクトを送ってみたが、ふるふるされた。


「そう言われても、俺も全くわからないんですよね」


 ここは正直に答えるしかない。起きたことだけを答えよう。嘘さえつかなければ不自然は生まれない。


「あの大木が生えてた場所――あの小丘で休んでたら、豪華な馬車が通りがかって、そこから執事のおっさんが出てきて石化されたんです」

「ゴルゴンズ・アイか」

「ええ。それで目を執拗に舐められ――たような気がするんですよね。まあ気付けばお二人がいたんですけど」


 危ない危ない。石化中に意識がある、という事実はイレギュラーなはずだ。

 早速嘘をついてしまったが、これは仕方ない。


「目か。なるほどな……」


 なぜか得心するラウル。首を傾げてみせると、アウラが補足してくれた。


「災害蛇《ディザスネーク》は生物の目玉が大好物なんです。石化したタイヨウさんの目を、何とかして食べようとしていたのかもしれませんね」

「そういうものか……まあ、モンスターの考えなどわかるはずもない」


 よくわからんが、追及は終わりそうだ。


「タイヨウさんの目って美味しいんですか?」

「いや、俺に言われても」

「ちょっと試してみても? 知り合いの回復魔法師《ヒールウィザード》にも協力させますので」

「普通に嫌ですけど」

「ふふっ、冗談ですよ」


 一瞬ヤバい子なのだと疑ったが、ラウルの嫌疑を逸らすための一芝居らしかった。その証拠に、ラウルから見えないようにウインクしてきた。可愛い。

 俺の遅すぎる青春が始まったかもしれない。


 ……などと浮かれるほど単細胞なら良かったのだが。

 あいにく俺はそうじゃない。


 俺の目的はあくまで死ぬことだ。

 意識が続いているという無意味な惰性を、少しでも早く終わらせることだ。

 それも永遠に。つまりは永眠したい。


 それだけなのに、状況は現時点で絶望的である。

 少なくとも魔王レベルでさえ歯が立たないことがわかっている……。


 もちろん諦めるつもりはない。

 この世界の知識を増やせば、自殺できる方法も見えてくるはずだ。

 もしかしたら方法など無いのかもしれないが、行動しなければ確率はゼロ。やるしかない。


「王都に帰ったら表彰ですね。面倒くさいなぁ……」

「気持ちはわかるけど、必要なことだ」

「この際だから、タイヨウさんを代理に立てちゃいます?」

「王の顔に泥を塗ることになるよ」

「実行犯をラウルにすれば問題ありません」

「ふざけるな」


 前を歩く第一級冒険者二人の背中は、非常に頼もしく見える。この二人に同伴してもらえることはこの上なく幸運なのだろう。

 だからといって、無闇に頼るのも考え物だよな。


 だって俺は。

 この世界ではありえない存在――無敵《バグ》持ちなのだから。

 いや、まだ無敵かどうかはわからないし、そうだとも思いたくないのだが。


 ともあれ、こんな性質を知られるわけにはいかない。


 不死身の末路など決まっている。

 封印されるか、実験台《モルモット》にされるか――


 いずれにせよ生き地獄が待っているのだ。無論、どちらもお断りである。

 特に前者。石化されたときのような退屈を延々と味わうってことだからな。それだけは勘弁願いたい。マジで。


 俺は詮索されないよう気を張りながら、王都への道中を過ごした。

第8話 道中2

 アウラとラウルから王都について聞いていた。

 これから向かうのは王都『リンゴ』。三大国家の一つ『アルフレッド』の首都にあたる都市だそうだ。


 アルフレッドは大陸中央に位置する君主制――より実情に即して言えば、立憲君主制のような国だ。

 国は王家たるアルフレッド家の支配下にあり、階級社会が敷かれている。

 階級は四段階。王族が最上位の王族階級に位置し、その下に上位階級、中位階級、下位階級と続く。


 君主というと、ただ一人の絶対者を思い浮かべるが、アルフレッドにはいない。冒険者ギルドとの協定により、王族の全員が等しい階級を持ち役割を分担している。

 ゆえに覇権争いは生じないが、王族は少数であるため、国政の大半は上位階級が担っている。


 協定を憲法と捉えれば、日本やアメリカなど現代的な国家体系にも通ずるところがある。もう少したとえるなら、社長の椅子が王族の数だけあるような感じか。


「意外とよくできてますね」

「その上から目線が謎だけど、褒められたものじゃないよ」


 この階級社会だが、階級間の格差が強いとラウルは強調する。


 一言で言えば目上への服従は絶対で、法のレベルで逆らえないようになっている。

 階級間の扱いも顕著なもので、たとえば中位階級同士で殴り合いをしてもせいぜい両者が投獄されるだけなのに対し、中位階級と上位階級の場合だと中位の方だけ死刑になるのもざらなんだとか。


 もっと顕著なのが王族階級であり、


「たとえば王族が通るときは平伏しなければならない」


 ラウルが忌々しげに呟いた。

 金髪イケメンの横顔はそれでも映える。人生イージーモードなんだろうなあ。


「平伏しないとどうなるんです?」

「その場で処刑だね」


 何それ、羨ましい。贅沢は望まないから、斬首あたりでさっさと殺していただきたいものだ。

 まあ俺の首、何やってもちぎれないと思いますけども。


「あるいは見せしめにされる。捕らえられた後、公開処刑されることもあるし、貴族が狩っているペットの餌にされたり、親衛隊用の実験台にされたり。あとは石化とかね」

「俺もそのケースですか」

「ああ」

「大変なんですね」


 俺が他人事のように呟くと、「そこはまだいいんです」アウラも同じ声調《トーン》で同調した。


「国政は滞りないですし、国もかれこれ百年は衰えていません。深刻なのは地方の下位階級なんです」


 下位階級には一部の農民、町民、冒険者などが属する。

 貧しいながらも幸せに暮らせている者がいる一方、家畜以下の扱いをされている者も少なくない。奴隷も非公式にはまかり通っているとアウラは言う。


「一応、権力が暴走しないように、騎兵隊や冒険者ギルドといった勢力はあるんですが、大陸の隅々には行き届いていません。八つ当たりで殺されたり、女性は強姦殺人されたり、なんてことが日常茶飯事な地域もあります。王都は平和ですけどね」

「……」


 前いた世界でも人類史上、そういうことは当たり前にあったはずだが、現代に生きていた俺には実感など無かった。しかしこうして発展途上な異世界に転生し、当事者から話を聞いてみると、嫌でも湧いてくるものだ。

 今後そういう場面を目撃したり、何なら巻き込まれたりするんだろうか。既に石化はされたけども。


 退屈なのも嫌だが、胸くそ悪いことや痛々しいことはもっと嫌である。そうなる前にさっさと死にたいものだ。


「お二人は大丈夫なんですか? 平伏とかします?」

「私達は大丈夫だよー。国が有する兵器みたいなものだから」

「むしろ引き留めようと必死だよ。少なくとも金には困らない」


 ラウルのゲート越しに見えた財宝の数々――あそこにもそういうものが含まれているのだろうか。


「それにしては嬉しくなさそうですね」


 どころか親でも殺されたかのような顔つきで正直怖いんですけど。


「……だが、仕方のないことだ。僕達は所詮冒険者だし、少なくともアレには敵わない」


 答えになっていなかったが、何やら地雷っぽいので追及は避けておこう。


 とりあえずもっともらしいことを相談しておく。


「そういえば俺って王都をうろついても大丈夫なんですかね?」

「そのローブがあれば不審者には見えませんよ、タイヨウさん」


 だから不審者扱いすな。

 視線で抗議すると、微笑で返された。アラサーの変態男に笑顔をくれるとは、よくできたお嬢さんだ。さすがに勘違いするほど子供ではない。


「石化されたはずの俺がうろついているのって、問題な気がするんですが」

「ああ、それなら心配無いさ」


 ラウルはふんっと鼻で笑ってから、


「彼らは虫けらの動静などいちいち見ちゃいやしない」

「なるほど。ならいいか」


 俺が納得していると、ラウルはなぜかがくっと拍子抜けしていた。その隣でアウラがくすくす笑っている。


「いやいや、否定しなよ。虫けらと言ったんだけど?」

「ただの比喩でしょ? それに俺が虫けらなのは事実なので」


 そりゃもう第一級冒険者様と比べたら、俺なんて虫けら以下のゴミですよ。

 この人達はこの域に至るまで努力に努力を重ねたはずだし、修羅場もくぐり抜けてきたに違いない。


 一方で俺は、その対極を行っていた。

 なんたって「生きるのが面倒くさい」という理由で自殺活動――自活を始めたんだからな。それも会社も、両親も、すべてをほっぽり出して。

 虫けらどころかクズの極みだ。


「……卑屈なんだな君は。友達もいないだろ」


 平然とそういうこと言うなよ。それ、効く人にはマジで効くから。

 俺? 全然平気です。むしろ友達という言葉を聞いて、なんだっけそれと一瞬迷ったレベル。


「友達ならいますよ」

「嘘だね」

「嘘なんかじゃないです。たった今、あなた達と友達になった」


 友達の定義はよくわからないが、これだけ喋ったんだから、もう友達だよな。


 二人の顔をうかがうと、二人ともぽかんとしていた。

 間抜けな表情のはずなのに、それでもラウルはイケメンで、アウラは美少女で……ってさっきから容姿ばっか見てるな俺。別にコンプレックスってわけじゃないんだが。

 まあコンプレックスって案外自覚できないものらしいけど。


 ぷふっと吹き出したのはアウラ。

 その横で、ラウルは見せつけるように嘆息した。


「ふふっ……すいません、タイヨウさんが面白くて、その……」


 何か面白いこと言ったかな俺。


「タイヨウさんだけじゃありません。ラウルもまた、友達がいないんですよ」

「そうなんですか?」

「馴れ合わないと言ってくれ」


 ラウルは即答だったが、顔を背けながら言っても説得力はない。少し親近感が湧いた。


「君は本当によくわからないな……」


 気のせいか、ラウルの表情は少しだけ緩んでいるように見えた。


「うふふ。ありがとうございます。友達と言ってもらえて嬉しいです」


 対してアウラは本当に嬉しそうだ。人を勘違いさせるような笑顔を向けてくる。サークルクラッシャーになるタイプかもしれん。


「私達は第一級冒険者なこともあって、こうしてざっくばらんにお話いただけるのは本当に久しぶりなんです」

「そんなもんですかね。同じ人間なのに」



 ――目上には敬意を払わんか。私は役員で、君は平社員だぞ?



 嫌なことを思い出した。ヒエラルキーというクソみたいなシステムや価値観はどこにでもある。

 そんなことを考えていると、「ちょっと失礼します」その声とともに、アウラがラウルをどけて俺の隣にやってきて。


 ぎゅっと俺の腕に抱きついてきた。


 女の子の匂いだ。人工的なシャンプーや香水といった類ではなく、もっと生理的というかフェロモンというか、そういうやつ。鼻腔をくすぐり、下半身をうずうずさせる匂いとでもいうか。


「気を抜きすぎだアウラ。そういえば君はチャームが強いんだったな。そんなに接触しては彼が……って平気みたいだね」


 アウラを引きはがそうとするラウルだったが、その手を止め、ジロリと俺を睨んでくる。


「いえ、だいぶ危ないです」


 適当に誤魔化しながらも、俺は自分のバグを掴めないでいた。


 HPだか防御力だか知らないが桁違いであり、不死身どころか無敵であろうことは間違いない。

 認めたくない。断じて認めたくはないけども、無敵(仮)だとか仮無敵とかいった言葉をつくるのもかえって思考を阻む。

 言葉上は無敵だとみなすことにしよう。


 閑話休題。そんな無敵な俺だが、一方で状態異常は通る。少なくとも石化は通った。

 しかし精神系の作用は通らない気がする。石化中も普通に意識あったしな。


 そもそも、ここに来てから緊張や恐怖といった概念とは無縁だった。今も明らかに性の《《たが》》が外れそうだと頭ではわかっているのに、腑に落ちないというか降りてこないというか。

 どれだけ媚薬を盛られても理性が飛ぶことはないだろう。そう確信できる。不思議な感覚だ。


「ふふっ。タイヨウさんなら大丈夫だと思います。私だってたまには甘えたいのです」


 ずいぶんと気に入られたようだ。助けられたのは俺なんだがな。


 それからもしばらく、というか一時間くらいは歩き続けて、ようやく王都に到着した。

 城壁は尋常じゃない規模であり、幅は数キロメートル、高さも百メートルはありそうだった。「魔法でつくるんだ」とラウル。


 検問を顔パスで通過すると、レンガ造りの町並みが広がっていた。

第9話 王都

 三国志顔負けの城壁と、何に備えているんだという体制の検問――魔法使い、剣士、タンクと思われる屈強な体格から、獣人とでも言えばいいのか亜人らしき存在まで五十人はいた――を越えた先には、レンガ造りの町並みが広がっていた。


 道はきれいに舗装され、建物も陳列物のようにビシッと決まっている。

 一見さんお断りというか、貴族専用のショップエリアというか、そういう雰囲気。生活感はかけらもなかった。

 平民が来る場所ではなさそうだが、はてさて。


 俺は検問時に発行してもらった銀色のメダルを覗き込む。俺の顔が刻印されたもので、中位階級を保証するものらしい。

 最初は腕に刻印しようとしてきたが成功せず、警備が首を傾げていたところ、ラウルの一存でメダルにしてもらった。


「それじゃこれで」

「え、ちょっと……」


 ラウルが立ち去ろうとする。王都まで連れてきてくれたのはありがたいが、見ず知らずの街で、しかもこんなエリアに放置されても困るんだが。


「災害蛇《ディザスネーク》討伐後の表彰が待っているんです。実はあまり時間がありません」


 のんびり歩いたからね。おかげで色々とわかりましたありがとうございました。


「王都に用があったんだろう?」

「あー、その、用はあるんですが、このあたりじゃなくて、もっと庶民的な――あ、そう。ギルド! 冒険者ギルドに用があるんです」


 そういえばそういうことになってたんだった。俺が適当に思いつきを口にすると、


「ギルド本部のことかな? だったらちょうど反対側だ。ここは西門で、ギルドエリアは東門側」

「ごめんなさいタイヨウさん。私達、急いでいるので」


 その場で足踏みするアウラが可愛い。


「くれぐれも王族には気を付けてくださいね」

「アウラ、早く!」

「はーい」


 二人は電車みたいなスピードで駆けていった。


「……さてと、どうすっかね」


 とりあえずギルドエリアとやらへ向かうしかなさそうか。

 と、ふと視線を感じたので、振り返ってみる。門のあたりで、強そうな人達が俺を見ていた。


 腕を組んでいる者。顎に手を当て首を傾げている者。何やら話し合っている者――俺という異分子に注目しているのか。

 たぶん第一級冒険者が懇意にしていたからだろう。あの二人の立場と名声は相当に雲の上と思われる。「何者なのよアイツ!?」という風に見られてもおかしくはない。


 目立っても困るので、ダッシュでその場を後にした。






「おお、商店街だ」


 王都の東部はファンタジーでよく見る光景そのものだった。


 がやがやと喧騒がやかましい。レンガ造りなのは変わらないが、おしゃれなオープンカフェから野菜売りや串焼きの露店、武器屋と思しきショーウィンドウまで雑多に混ざっている。

 顔を上げると、二階や三階に洗濯物が干されていたり、よくわからない植物があったりした。下着、というか肌着っぽいのも吊されている。

 ちょうど女の子が取り込み始めたところだ。しばらく見ていると、目が合った。慌てて隠された後、キッと睨まれる。他意はないです。


 しばし歩き回ってみたが、よそ者だと警戒されたり、何かに絡まれたりする様子は無さそうでほっとする。

 この辺は中位階級――平民エリアのようだ。よほど貧しい格好か、煌びやかな格好でもなければ浮くこともない。


 武装している人を適当に追っていると、遠目にも見えていた白い塔へと向かっていく。

 案の定、ギルド本部だった。


 早速入ってみる。


 内部は区役所を想起させた。

 内装を木製ベースで古くして、広さを十倍くらいにしたら、ちょうどこんな感じになるだろう。とにかく広い。でかい。

 そして人が多かった。フードコートのように四人がけのテーブルが何十と配置され、老若男女、冒険者パーティーが白熱していたりくつろいでいたり。


「今夜は宴だっ!」

「イエー!」


 陽気な声とともに、重そうな袋を抱えた一団がそばを横切る。十人くらいか。皆、肩を組んでいたり、顔や手足がうきうきしている。人生楽しそうだな。


 受付はすぐに見つかった。

 カウンターがずらりと並び、見てくれの良い女性が座っている。半数くらいは既に埋まっていた。

 早速声をかける……前に、まずは情報収集と行こうか。掲示板とか。

 ほら、そういうのって先に一通り目を通さない? ちなみに最初に読んで備えようとするのが陰キャ気質で、最初に人に聞きに行こうとするのが陽キャ気質らしい。


 掲示板は、大学のそれみたいに横に長かった。

 左側は某ブックなんたらの立ち読みを思い出させる混み具合だが、右に行くほど掲示物の数が減るとともに人口密度も減ってくる。右側はがらんとしている。


 興味本位で一番右の掲示物を見てみた。


『サンダーボルトに耐えうる防御手段の開発』


 ハングルやアラビア語以上に見慣れない書体だったが、普通に字も読めるみたいだ。転生時の融通か、それともこれもバグか。どっちでもいいが、翻訳や言葉の勉強を考えないで済むのは助かる。


「冷やかしはお断りですよ」


 声の方を見ると、職員の制服に身を包んだ女性が立っていた。その手には掲示物。

 それをぺたぺたと貼っていく。画鋲やテープは使っていない。磁石のようにひっついている。


「サンダーボルトってなんですか?」

「……あなた、新人?」

「はい」


 彼女は丁寧に解説してくれた。


 サンダーボルトとは時折、空から降ってくる厄災なんだそう。言うなれば筒状の雷であり、落下地点周辺を丸ごと包んで、一瞬ですべてを消してしまう。

 直径がせいぜい十数メートルなのは不幸中の幸いだが、降った範囲には骨一本と残らず、地面も何百メートルもえぐれるんだとか。


 これを防ぐ手段は皆無とされており、第一級冒険者でさえも跡形もなく消え去る。実際、過去に死亡した事故もあったそうだ。


「なるほど、それで破格の金額なんですね」


 いつ、どこに降るかもわからず、しかし人生で何度か目撃する程度には降っている理不尽。

 どんな強者だろうと、どんな権力者だろうと、食らえば全てが終わる――

 そりゃ備えたくもなるわな。


「誰もできるとは思っていません。これは見せしめです。このあたりの掲示物は、それほどの難易度を要するということなんです。もっとも滅多に掲示はありませんし、あってもこなせる人は限られています。第一級冒険者くらいですね」


 サンダーボルトって、アレだよな。もくもくとかほむほむとか言ってたもこもこ星人――コットンマンとやらの攻撃。

 魔王が俺の処理を奴らに丸投げしたことからも、これで間違いなさそうだ。そんなに凄い技だったのか。てかあいつら何してんだよ。こんなの落とすとか迷惑にも程がある。


「……」

「びっくりされましたか? 無理もありません。上には上がいるものです」


 普通に平気でした、とは口が裂けても言えないな。「ありがとうございました」お姉さんに礼を言って別れる。


「さて、どうすっかな」


 テーブルエリアの一画に腰を下ろし、休憩時間のぼっちみたく机に突っ伏してみる。

 あ、この感覚懐かしいな。中高生の時はよくやっていた。これすると思考に没頭しやすくなるんだよな。


 よし、整理しようか。


 まず俺の目的は何だ?

 死ぬことだ。


 じゃあ死ねばいい。なぜ死ねない?

 俺が無敵だからだ。


 じゃあ無敵に抗えばいい。無敵を消す方法を探すか、あるいは無敵の死角を突くことはできるか?

 わからない。


 じゃあどうすればわかりそうか。

 この世界の知識を得てみる、くらいしか思いつかない。


 じゃあどうすれば知識が得られるか。

 人に訊くか、調べるかだ。陰キャ気質の俺は断然後者だな。


 じゃあどうやれば調べられるか。

 鉄板は図書館だろう――


 そんな風に思考を重ねていった。他の選択肢も考えたが、図書館に勝る案は思いつかない。


 よし、図書館を探そう。

森の少女

第10話 冒険者ギルド

 詰んだ。


 結論から言うと、俺は図書館を使えない。

 図書館は上位階級以上にしか解放されておらず、中位階級――平民の俺には資格がないとわかったのである。


「それでギルド登録はどうされますか?」


 俺は受付にて職員のお姉さんと話し込んでいた。

 ギルド登録をするかどうか迷っている初心者、という設定で悩むふりをしつつ、この世界のこと――特に知識が得られそうな手段をひたすら引き出している。

 仕事熱心なのだろう、次から次へと丁寧に教えてくれるから助かる。


 図書館が使えないのは残念だったが、他にも色んな手段があるとわかった。


 曰く、情報屋から高い金を出して情報を買う。

 ここで聞き耳を立てたり会話に加わったりする。

 酒場で冒険者と仲良くなる。

 店主と仲良くなって世話話をする。

 店主が欲しがっているものを手に入れて売りつける――。


 人と喋る系ばかりじゃねえか。

 今してるような接客の応対や質疑応答――つまりは形式的なコミュニケーションなら問題はないんだが、雑談と言えば良いのか、仲良くなる系はてんで苦手な俺である。


「んー、そうですね……」


 俺はその気もないのに悩むふりをしながら、他に聞き出せることがないか頭を絞る。

 そんな俺を見て、受付のお姉さんはなぜか憐憫の目を向けてきた。


「差し支えなければ、おすすめの行動についてご提案いたしますが」

「え、あ、はい。では、お願いします」


 急に何を言い出す? なんか買わされたりするんじゃないだろうな。悪いが一文無しだぞ。


「まず冒険者の基本的な心得として、ソロプレイヤーは推奨しません。一人でできることには限りがありますし、外聞も悪いです」

「……外聞、と言うと?」

「仲間の一人さえもいないほど何らかの欠陥がある――そういう風にとられます」


 それはお厳しいことで。



 ――結婚していない奴が何がわかる。いや、君は人と付き合ったことさえ無かったんだったな?


 ――だから君はいつまでも平社員《ヒラ》なんだ。



 嫌なことを思い出したが、そんなもんか。前いた世界の、それも大企業さえそうだったのだから、この世界がぼっちに厳しくてもおかしくはない。


「そこでおすすめしたいのが就労です」

「働くということですか?」

「はい。ギルドが仲介となって、お店と労働契約を交わしていただきます。そこで働けば収入が得られますし、従業員やお客様との関係も深まります」


 嘘つくんじゃねえよ。俺は騙されねえぞ。

 だったらなんで小中高大と共学に通ってアルバイト先にも何十人といて就職も男女比半々な大企業に入って趣味コミュニティやIT勉強会もたくさん通って街コン合コン婚活も色々やってみた俺がぼっちなんだ? え?


 場に飛び込めば誰でも人間構築を構築できる、なんてことはない。断じてない。

 そんなの陽キャの暴論なんだよ。パソコン持ってたら誰でもプログラミングできるようになるよ、とは言わないだろ? そのレベルの暴論なんだぜ? いやマジで。


 俺もさすがに文句を言うほどガキではない。ネットだったらたぶん書いてたけど。


「冒険ではないので身の危険もありません。おひとりさまの方にはおすすめです」


 お姉さんの説明自体は嘘じゃないようだ。おひとりさま、というキーワードで隣の冒険者カップルが反応した。

 ちらりとうかがうと、指差してひそひそしていらっしゃる。


「要するにぼっちはダメだと、そういうことですね」

「ぼっち?」


 そんな気はしていたが、ぼっちという言葉は通じないか。概念自体も無いだろう。

 ……はぁ、この異世界、生きづらそうだ。


 俺はガタッと立ち上がり、ぶっきらぼうな会釈と声音を繰り出す。


「ありがとうございました」

「え、あの!? お客様!?」


 ただでさえ非推奨なソロプレイヤーに、初心者だもんな。ギルド職員として心配したくなるのもわかる。

 でも杞憂なんだよ。


 俺は死なないし、もし死ねるとしたら喜んですぐに死ぬ。はい問題なし。


「夕方から講習会があるんです! 初心者向けの講習会です! おひとりでもご参加いただけます!」


 お姉さんの大声が館内に響いた。


 え? リテラシー死んでるの?

 人の欠点を第三者に聞かれるように喋るの、普通にハラスメントなんだが。






 俺がギルド登録しないのには理由がある。ステータスがギルドに知られてしまうからだ。

 HPか、防御力か。はたまたレアスキルの類か。ともあれ、何か異常な付与がされている可能性が無いとは言えない。


 何度も言うように、不死身の末路は決まっている。絶対に目立ってはいけないのだ。

 用心しすぎてもばちは当たらない。俺は可能性の目から摘み取っていく。


「ステータスか……」


 お姉さんが言うには、ステータスを知る手段は二つ。ハイレベルな専用魔法を使うか、ギルドに登録するかだ。

 前者はそう習得できるものでもなく、選択肢は実質後者だけだそうで。


 しかし、ギルド登録とは契約である。

 契約書を読ませてもらったが、冒険者のステータスがギルドに知られてしまうのはもちろん、ステータスに応じた任務《ミッション》が割り当てられることもある、とあった。


 断るとペナルティになる。

 ペナルティは二つ――ステータス閲覧の禁止とブラックリストボードへの掲載だ。

 特に厄介なのが後者で、ブラックリストボードとはペナルティを犯した冒険者を顔と名前つきで晒すものだ。全世界のギルドセンターに掲示されるらしい。

 これが相当不名誉なことらしく、掲載された冒険者は宿に泊まることさえままらなくなる、とお姉さんが意気揚々に語っていた。不安を煽る商売テクニック。仕事熱心なことだ。


「普通にエグいことしてるんだよなぁ」


 ギルドも慈善団体ではない、ということか。にしてもブラックリストはやりすぎだと思うが。


 不幸中の幸いと言えば、レベルアップによるステータス更新自体は自動で行われることだろう。ギルド登録しなくても強くはなれる。ただステータスが数字としてわからないだけで。


「あの人もこどもなのー?」

「シッ! 見ちゃいけません」


 ……現実逃避していたが、そろそろ戻ろうか。


 俺は今、ギルド主催の初心者向け冒険者講習会に参加していた。

 いわゆる青空教室で、椅子のような岩が格子《グリッド》状に並んだところの一画に腰を下ろし、前方でお姉さんの紙芝居を聞いている。


 件《くだん》の問題は参加者にあった。親子連れが圧倒的に多い。

 というか大人でぼっちなのは俺だけだった。あぁ、地元のゲーセンで子どもに混じって洗濯機型の音ゲーをやっていた頃を思い出す。受けた白い目を売るだけで大儲けできるくらいやりこんだな。全国ランクに乗ったこともあったっけ。


 にしても、ギルドも賢いものだ。

 一見すると無料ゆえに慈善事業に思えるが、そうではない。この中から稼いでくれる冒険者が出てくれたらしめたものである。


 子供の潜在能力を舐めちゃいけない。子供は、欠陥さえなければ何にだってなれるポテンシャルを持っている。

 必要なのは環境と動機づけ。前者はギルドが持っているだろうから、こうして後者の機会を拡充しているのだろう。


 ギルドはよくわかっている。


「あのおじさん、きたない」


 幼女に指を差されて言われたんですけど。まだおじさんって年齢じゃねえよ。

 アラサーはおじさんじゃないです。異論は認める。俺もよく自虐するし。


 幼女としっかり目が合わせてみたら、びええんと泣き出してくれた。母親が「なんですかあなたは!?」みたいな目で睨んでくる。知らねえよ。

 そうでもなくとも子供達はさっきから俺のせいで気が散っているらしく、紙芝居のお姉さんが眉をぴくぴくさせながら俺を見ていた。笑顔だが目が笑ってない。俺は何もしてないです。


 それからも紙芝居は続いた。


 よく出来ている。

 前半は企業の採用ページにある「社員の一日」みたいなテイストで、冒険者の一日を噛み砕いて説明していた。

 それでありながら内容も端的で、大人の初心者にも適している。


 後半は地図を用いた解説で、俺にはこちらがありがたかった。

 特に王都内のどこに何があるかがわかったのが大きかった。武器屋、宿屋、酒場、商店街、住宅街など一通り理解した。

 一方でギルドはちゃっかりしていて、親御さん向けにお店の紹介までしていたが。


 冒険の舞台もわかった。東門の先だ。

 草原、森、川、ダンジョンなどモンスターの生息地が程よく散らばっており、この豊富な自然こそがギルドの、ひいては王都の貴重な財源になっているんだとか。

 当面は俺もお世話になるだろう。


 夕日が沈み始めたところで、講習会は終わった。

 さてと、早速次の行動を「汚いおじさんはせいばいだ!」ゴツッと側頭部に何が当たる。

 隣を見ると、ガキの手には小石。というか石。間違っても人に投げちゃいけない、指でつまむのではなく手で握るサイズの凶器だ。


「食らえ!」

「くたばれー」

「やっつけろっ!」


 え、待って、なんで。節分みたいに投げられてるんですけど。普通に頭にクリーンヒットしてますけど。ちょっと教育がなってないんじゃないですかねぇ。

 親も親で、我が子を叱るどころか、俺に哀れみの目を向けてくる始末。職員も同様だった。

 アレだ、リテラシー皆無のお姉さんが向けてきたのと同じ色。大人のぼっちってそんなにダメかいね? というかこの世界、倫理観がクソすぎないか? 王都はマシじゃなかったのかアウラさん。


 とりあえず誤魔化さねば。初心者が頭に石を食らっても平気なのは少し怪しいだろう。

 せっかくだから乗ってやるよ。


「ひぃぃっ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ!」


 俺は尻餅をつき、頭を押さえて痛がりつつも身体を震えさせて、あたふたと焦り逃げ惑う演技をする。

 見よ、子供達よ。これが情けなくも賢い大人というものだ。


 これで万が一にも怪しまれることはあるまい。

 我ながら迫真の演技だったと思う。羞恥心なんてものは捨ててしまえばいい。


 おじさんをやっつけて満足そうにはしゃぐ子供達の声を背に、俺はその場を去った。

第11話 森

 王都の東門もまたべらぼうに大きかった。凱旋門さえ可愛く見えるレベル。


 警備は皆無らしく、事実上ただの道として機能している。日は沈もうとしているが、賑わった駅前のように人通りが多かった。

 ソロでも特に目立つ様子は無さそうだ。


 俺にとって無敵は気休めにもならない。早く死にたいだけだからな。

 だが、がむしゃらに試しても歯が立つとは思えない。腰を据えて考えるためにも、まずは不自由なく生活できる基盤を整えるべきだ――そう俺は考えた。


 目の前に広がる大草原を眺めながら、直近の行き先を検討する。


「とりあえずレベルと金か」


 とにもかくにもレベルアップである。

 どうやらこの世界も、RPGのように経験値を溜めることで成長していくシステムらしい。そういえばクソ天使も言っていたな。


 レベルアップするにはモンスターを狩る必要がある。

 少なくとも俺のしょぼい攻撃力で殺せるのは必須《マスト》。できれば金になりそうなアイテムをドロップしてくれるヤツがいい。


 そうなのだ。アイテムは金になる。

 店に持ち運んで売ればいいだけだから、ぼっちの俺にもできるのだ。


「あと人目は無い方が助かるよな……」


 少なくとも草原は論外だろう。まあモンスターはほとんど出ないらしく、実質ただの広い道のようだが。今もポツポツと人影が見えている。


 人影以外に目立つのが、点在している大岩だった。何でも地下ダンジョンの入口になっていて、観光地のように整備されているらしい。初心者に最適だそうだ。

 人多そうだから却下だな。


 南側はアルフレッドの港町の一つらしく、大海原が見えている。

 距離はだいぶ遠い。数十キロメートルはあるだろう。モンスターは出ないから却下。


 正面――東側は地平線しか見えない。

 あの先に大峡谷《キャニオン》があり、ハイレベルなモンスターがうようよいるらしい。まだ早すぎるし遠すぎるからこれもナシ。


 西は王都だし、西門の先――俺がラウル達と歩いてきたエリアは、あの様子だと本来俺のような平民初心者が入れない場所だろう。除外。


「とすると北か」


 北側には水平線も地平線も無かったが、アルプスのような高い山々と、富士樹海のような鬱蒼《うっそう》とした森が広がっている。山は中級者向けで、森は危険すぎて立入禁止だったな。


「……森だな」


 視界の悪さや人気《ひとけ》の無さを考えたら森一択だろう。何気に近いし。数キロメートルもなさそう。


「俺でも倒せるモンスターだといいんだが」


 考えすぎても仕方ない。俺は森に向けて走り出した。


 ちなみに体力も底を尽きないようで、常に全力で走れるのは地味に嬉しい。前いた世界ではおおよそ百メートル十二秒だったから、単純計算で時速三十キロメートルで移動できる。悪くない。






 森の中は意外と明るかった。

 空が見えるか怪しいほど茂っていて、夕陽も届かないというのに、普通に本が読めそうだ。街灯、というか木灯とでも言えばいいのだろうか、光る葉をつけた木々が点在している。


 奇妙と言えば、生物の鳴き声がまるで聞こえてこないことか。下校時間を過ぎた教室のようにしんと静まり返っている。

 無音ではないが、誰か一人くらいは残っていそうな、あのむずがゆい感じ。


 とりあえず奥へ奥へと進む。

 なんかデジャブだな。また魔王みたいなのが出てくるのか、などと思っていると、


「ぐっ!?」


 首に強烈な衝撃が走り、俺は真横に吹き飛んだ。十メートルは飛んだか。

 頭に流れ込んでくる数字から察するに、常人なら首が吹き飛んでいる。


「何なんだ一体……」


 元いた場所を向いても何もない。誰もいない。

 なのに「うぐっ」またもや首筋。今度は宙に浮いた。わあ高い。ビルの三階くらいかしら。……眼下にはやはり何もない。


 俺が不器用に着地したところで、もう一度首への一撃が来る。今度は手で止めようとしたが、相手の方が何倍も速いようで、俺が腕を動かす前にはもう吹き飛ばされていた。


 ごろごろと地面を転がる。途中で石らしきものとぶつかって唇が切れ――てはないな。うん、わかってた。


 完全に止まったところで、俺は寝転んだまま頭の後ろで手を組んだ。くつろぎモードだが仕方ない。これだけスピードに差があると歯が立たん。


「どうしたもんか」


 一方的フルボッコを覚悟したが、見えない何かの攻撃は止んでくれた。

 見られている気はするが、どこにいるかはわからない。マジで何の気配もない。俺が弱すぎるのか、それとも森のモンスター――かどうかさえわからんが、それが強すぎるのか。


 相変わらずわからないことだらけだ。


「……ん? なんだこの臭い?」


 臭いというより匂い。甘ったるい蜜のようで、トーストと相性が良さそうだ。

 同時に頭にも数字が流れ込んできた。これまでの力や電気といった指標とは別物のもよう。それが1、2、4、8、16……と増えていく。


「きっかり一秒ペースだな」


 どうせ死なないだろうから無視。首を狙ってくる何かも来ないみたいだし、ちょうどいい。

 俺は寝転んだまま、直近の行動についてしばらく考えることにした――


 とは言ったものの、見えない何かに太刀打ちできるはずもなく。

 せめて姿が見えればと思うも、どうすればいいかも見当がつかず。


 結局、今のうちに森から出るしかないという安直な結論しか出なかった。


「初心者として地道に頑張った方が近道かもなぁ」


 全く疲れていない体を起こしたところで、俺は異変に気付く。

 脳内の数字がえらいことになっていた。



 1208925819614629174706176



「いや増えすぎでしょ」


 秒ごとの倍々は続いているようで、今なお増え続けている。

 これ、いくらだ? 億、兆、京《けい》、垓《がい》――忘れた。

 一番でかいのなら覚えてるぞ。無量大数だよな。たしか0が68個続くんだったか。そのうち行きかねないぞこれ。


「……もしかして俺、死ねる?」


 もしこの数字がダメージの一種だとするなら。

 バグで死ねない俺も、そのうち死ぬのではないだろうか。たとえば単にHPがべらぼうに高いだけだとしたら、いつかは枯渇する。たとえ無量大数であっても、一日とかからない。


 あまり期待せずに待つことにした。






 とりあえず無量大数は超えた。頭に流れ込む数字は、もはや認識する気も失せるほど長かった。

 それでも俺の身体に変化はなく、見えない首筋キラーが襲ってくることもなく。


 ただ、進展が無かったかというと、そんなことはなくて。


「……」


 俺は目の前の、というより周囲の光景を二度見、三度見、四度見して。

 さらに五度見で、ようやく現実を受け入れる。


「何がどうなってんだよこれ?」


 俺は囲まれていた。


 カタツムリに。

 クモに。

 サソリに。ヘビに。


 その数、軽く数百は超えている。というより埋め尽くしている。

 人の頭サイズのそれらは一匹だけでも卒倒モノなのに、まるで軍隊のように整列し、敬礼していた。

 カタツムリ達は触覚を器用に曲げているし、ヘビに至っては長い舌を手のように立ててやがる。


 そんな集団に混じっているのが、見るからに強そうな骸骨《ガイコツ》の戦士達。首ばっか狙ってたのはこいつらだろう。


「俺にどうしろっつんだよ」


 とりあえず歩いてみると、どぞどぞと言わんばかりに道を開けてくれる。マジで何なの。


「ちょっと聞いてもいいか?」


 目の前のサソリが尻尾で頷いた。通じているとみなしていいのか? とりあえずみなそうか。


「お前らは何がしたい?」


 そう尋ねると、サソリは改まって平伏してきた。


「……」


 いや何か喋ってくれよ。あるいは喋れないのか。

 そんなサソリの尻尾だが、先端がまがまがしく尖っている。見るからにヤバそうだが、とりあえず指先で触ってみた。次いで、皮膚を破るように押し込んでみる――うん、びくともしない。俺の皮膚も強すぎる件。


「ちょいと失礼」


 俺は人の頭部ほどあるサソリを抱き上げ、尻尾の先端を掴むと。


 自らの眼球に差し込んでみた。


 ガッ、と眼球にそぐわない音が虚しく響く。

 それだけだった。痛くもないし、痒くもない。


 何度か試してみるが結果は変わらず。


「まるで原理がわからん。どうなってんだこれ……」


 どう考えても眼球の硬さではない。しかし常に硬いかというとそうでもなく、ちょっと触れた時の感触は目玉相応の柔らかさだった。

 ただ、そこから力を加えていくと、加えた力に応じて硬くなっていく。加え方をどう工夫しても、決して傷が入ることはない。

 目から伝わる触感も同様で、せいぜい触っていることがわかる程度までしか伝わってこない。痛みと感じる量は決して降りてこなかった。


「……まだだ。毒、出るんだろ?」


 サソリの尻尾をもみもみしてみると、黄色い液体が出てきた。それを舐めてみたり、眼球や鼻腔に塗ってみたりする。

 ……うん、効果ナシ。


 俺はサソリをその場に置いて立ち上がり、「なあ」周囲を埋め尽くすモンスター達に問いかけた。


「この中に俺を殺せるヤツはいないか? 何をしてもいい。俺を殺してくれ」


 瞬間、モンスター達は首やら触手やらを横に振り始めた。「滅相もない」という台詞が聞こえてきそうだ。


「まるで状況が読めないんだが。俺はこいつらの王にでもなったのか?」


 幸いにも言葉は通じるようだし、イエスノーで答えられる質問をぶつければ情報収集は可能だろう。

 早速尋ねようとしたときだった。


 少し離れた茂みから何かが飛び出してきた。

 女の子だった。

第12話 森の少女

 突然茂みから出てきたのは、一人の少女。

 見た目はティーンで、その黒髪はショートボブのレベルで短く、耳も丸見えだ。服装は白のシャツに茶色のワイドパンツで、農民を思わせる。


 彼女は手刀をつくると、目にも留まらぬ速さで一閃した。

 それは虚空を割いただけのはずだったが、直後、真っ二つになったサソリが出現し、体液をまき散らしながら地面に落ちた。

 体液は彼女にも飛び散ったが、見えない膜か何かに弾かれる。白一色は一滴も汚されていない。


「あ、あのっ」


 声をかけられ、彼女と目が合う。その間も彼女は一人で格闘しており、その度にモンスターが出現しては体液をまき散らす。

 六、七体ほど死体が散らかったところで、いったん止んだ。


「き、急に、モンスターが引いたから……その、何事かと思って……」


 俯きつつ、指をちょんちょんしながら言う彼女。人見知りなんだろうか。戦闘にはずいぶんと場慣れしてそ「えいっ!」今度は片足で一突き。倒したのは骸骨戦士らしく、硬そうな骨が四方八方に散った。

 そのうちの一つがこっちに飛んできて、俺の腹にクリーンヒット。常人なら吐いてるぞ。


「えっと、その、あなたは一体……」


 ドガッ、バキッ、シュゴッ、ズザザッ、と人間離れした動きを繰り広げる彼女が、なおもおどおどしながら話しかけてくる。

 その間も死骸の山が築かれていく。


「……まずは落ち着かないか」

「そ、そう言われましても、モンスターが、と、途切れないので……」


 とりあえずモンスターのカラクリはわかった。

 魔法なのか何なのか知らないが、姿を見えなくする力をまとっている。死ぬとそれが解けて、見えるようになるわけだ。

 その力は体液にも適用されるらしく、いきなり出現するからびっくりする。というか俺にも結構飛び散ってるんだよなぁ……


「あ、あなたが便宜を……は、図って、いただけると……」


 彼女は少しずつ俺の方へと近づいてきていた。

 俺を囲むモンスター達も臨戦体勢を取る。その一部が姿を消す。彼女と戦う気か。


「台詞を返すようだが、そう言われてもな。なんで俺がこいつらに一目置かれてんのか、俺もわからないんだ。最初は普通に攻撃されてたんだが」

「その話、く、詳しく……お願い、します……」


 すいません、モンスターを蹴る殴る引き裂く音で聞こえづらいです。


「俺はただ為すがままにされてただけだ。それで数字が……いや」


 脳内に数字が流れ込む話は伏せるべきだろう。


「あれだ、しばらくしたら、急に目の前にカタツムリが出てきた」


 人頭サイズのカタツムリが数匹ほど姿を表したかと思うと、俺を取り囲むようにどんどんモンスターが増えてきて――それで今に至る。

 俺も自分で何言ってるかわからんが、実際そうだったんだから仕方ない。


「隠密蝸牛《ステルスネイル》ですね」

「ステル、スネイル?」

「これです」


 彼女はちょうどカタツムリを殺したらしく、頭部をチョンパした死骸を寄越してきた。え、待って、重そうな殻がドッジボールみたいな速度で飛んでくるんですけど。

 当然受けきれるはずもなく、「ぶっ」無様に胸と顔面で受けつつ尻餅をつく俺。


「で、これがどうした?」


 そばに落ちた死骸は重すぎてびくともしなかった。ので、ぺしぺしと叩いて示す。

 彼女はというと、なおも戦闘中。


 あーもう、落ち着いて話もできやしねえ。

 俺は立ち上がり、


「全員待機」


 指揮官みたく片手を挙げて指示してみた。

 効果はあったらしく、モンスター達はピタリと動きを止める。

 彼女への道が開いた。


「彼女には手を出すな。あと姿を見せろ」


 言った瞬間、何も無かった彼女の周辺にモンスターの姿が現れ始めた。何十と群がっている。姿隠して袋だたきとか中々にエグいな。平然と耐えてる彼女も相当だが。

 ともあれ、落ち着いてくれて何よりだ。


 彼女のそばまで近寄る。

 何を言おうか迷っていると、もじもじしていた彼女が開口一番、おかしなことを言ってきた。


「わ、わわ、私と! 恋人になってくださいっ!」

「……は?」

「モンスターにも家族という概念が存在しますあなたは彼らから一目置かれているようなのであなたと私が親しいところを見せればつまり私があなたのパートナーであることを見せればモンスターもたぶん攻撃をやめましゅ」


 顔を紅潮させながら早口でまくしたてる彼女。最後噛んだのはスルーしておこう。


「もう攻撃は止んでいる。話はできるぞ」

「あ、あなたがいなくなったら、その……また、攻撃されます……」

「いいんじゃないか。アンタ、強いし」

「不便なんですよぅ……」


 否定はしないのな。アウラとどっちが強いんだろう。

 よくよく見ると、アウラと同様、彼女もかなりの美人だった。童顔ではあるが、どことなく育ちの良さを感じさせる気品がある。わかりづらいが、胸部もかなりのものをお持ちだ。


「じゃあ聞いてみるか――なあ。俺がいなくなったら、またコイツを襲うか?」


 モンスター達は首やら触手やらを縦に振った。


「俺とコイツは友達になったんだが、それでも襲うか?」


 肯定の反応は変わらない。


「じゃあ俺の恋人なら見逃してくれるか?」


 ここで意見が分かれた。

 尻尾で頷くサソリ、首というか頭部を傾げるカタツムリ、首を横に振ったり顎に手を当てたりしている骸骨戦士に、クモに至っては器用に後ろ足で立って前足でバッテンをつくったりしている。ちょっと可愛く見えてきたぞ。


「じゃあ俺の婚約者なら?」

「婚約者ッ!?」

「アンタは黙っててくれ」

「は、はい……」


 しゅんとした彼女はおいといて。さて反応は――見るまでもないな。全匹一致。


「どうやったら婚約者の証になる? 口づけか? よし」


 一応最後の確認して、再度満場一致が取れたところで。


 俺は彼女を引き寄せて――マウストゥーマウスのキスをした。

 一秒、二秒――たっぷりと、十秒ほど。


 その間、俺は突き飛ばされることもなく、自分から唇を離すことができた。


「あ……え……?」

「名前は? 俺はシニ・タイヨウだ」


 やっぱりダサいよなぁ、この名前。変えたいけど、もう第一級冒険者様に名乗っちゃったしな。


「あ、その、私はハル――じゃなくて!? そうです、ルナ! ルナとお呼びくださいまし……」


 だよなぁ、とっさに名前考えてもろくなの出てこないよな。俺の|死にたいよう《シニ・タイヨウ》よりは百倍マシだと思うが。

 この人も訳ありそうだし、詮索しないでおこう。


「さてと、これで彼女――ルナは俺の婚約者だ。もう攻撃はしないな?」


 俺がそう宣言すると、モンスター達の平伏が今度はルナにも向けられた。


「これでアンタの不便を解消したぞ」

「は、はへぇ……」

「間抜けな顔してないで話を聞いてくれ。次は俺の頼みだ」


 急展開すぎて正直頭が追いつかないが、情報源が手に入ったのはラッキーだった。

 さて、何から聞こうか。

第13話 森の少女2

「婚約者……キス……。私、男の人と、はじめて……」


 モンスター達を解散させ、森には静寂が戻っている。


 街灯ならぬ木灯に照らされた俺達は、向かい合って地べたに座っていた。

 俺はあぐらで、ルナは正座だが、目の焦点が合ってくれない。ルナは唇に手を当てたまま呆けていらっしゃる。


「なあ、現実に戻ってこないか。便宜図ってくれと言ったのはアンタだぞ。たかがキスがなんだってんだ」

「……野蛮人」

「アンタに言われたくはない。バッタバタ殺してたくせに」

「うぅ……」

「別に舌を入れたわけじゃない。表面的に唇と唇を触れさせただけだ。唾液だって一滴もついてない。そうだったろ?」


 どさくさに紛れて舌を入れようと思ったのは内緒だが、不思議と性欲は湧かなかった。

 これもバグの影響なのだろう。


 俺は経験豊富だから知っているが、唇は万人共通の性感帯である。特に相手が可愛い子なら、精神的に余裕がない限りは間違いなく滾《たぎ》るはずなのだ。

 そういうのも鈍化なのか無効化なのか知らないが感じないとなると、嬉しいやら悲しいやら。


「まあいいか。散々遊んだし」

「さ、散々っ!?」

「あー、いや、何でもない」

「もしかして、わ、私とも、あ、あそ、遊び……?」


 つい独り言が出てしまったが、前いた世界のものさしで考えちゃいけないな。


 俺はこれまで百人以上の女性と、数百万円以上をかけて遊んできた。

 今の時代、本番行為はともかくキスとお触り程度であれば、ずいぶんとカジュアルに楽しめるようになっている。


 といっても、いわゆる性的サービスの類だが。

 そう言うと借金で無理強いとか性病リスク満載とかいった話が出てくるが、もはや昔話である。ちゃんと店さえ選べば、今や素人と遊ぶよりもはるかに安全で、時間的に安上がりで、かつ割り切って遊ぶことができる。


 これは就労側も例外ではなく、賢くて割り切れる女性があえて働くケースも少なくない。

 何せ費用対効果が圧倒的だ。時給五千円、一万円も珍しくない。週一、二の労働で小遣いから学費までまかなうことができ、貴重な時間をもっと大切なことに使うことができる。

 まあ彼女達曰く、その割り切りとやらが一番難しくて、実質適性や才能のレベルで人を選ぶようだが。


 ともかく、今やキスなんてものは少々高額な性商品の一つでしかない。

 実際ただの粘膜接触だしな。


 ……みたいな持論を伝えようと思ったが、さすがに前衛的すぎるか。

 自慢がキモい? わかってる。性体験でマウントを取りたがるのはこじらせた童貞の性だ。


「とにかく、アンタの頼みを聞いたのは事実だ。次は俺の頼みを聞いてもらいたいんだが」

「うー……」


 まだまだ戻ってきそうにないので、強引に話を進めることにした。


「ステルス、ネイルだったか? さっきは何を言おうとした?」

「……隠密蝸牛《ステルスネイル》、です」


 ルナは唇を両手で覆ったまま、渋々といった様子で話してくれた。


 曰く、この森には隠密《ステルス》能力――姿も気配も一切探知させてくれないモンスターが生息する。


 素早く地を這い、弾丸のように飛び、麻痺毒で動きを止めてくる隠密蛇《ステルスネーク》。

 何百種類もの病原菌を注入してくる隠密蠍《ステルスコーピオン》。

 糸による獲物の足止めと、鋭い牙による破壊を得意とする隠密蜘蛛《ステルスパイダー》。

 一度に大ダメージを与えない限り決して死ぬことのない不死の兵隊、隠密骸骨《ステルスカル》。


「そ、それと、最も厄介なのが……隠密蝸牛《ステルスネイル》、です」

「蝸牛《カタツムリ》か」

「はい。隠密蝸牛《ステルスネイル》は、倍々毒気《ばいばいどくけ》という、ど、毒性の呼気を、吐きます……」


 一秒ごとにダメージが二倍ずつ増えていく猛毒の霧。匂いこそ強いものの視認はできず、魔法での検出も不可能だそうで。


「逃げる猶予はある、のですが、麻痺や糸で足止めを食らうと、その……死にます……」


 この森、過酷すぎないか。立入禁止なのも頷ける。

 ルナもよく生きてられんな。


「そもそも、この森には……結界、が張られています。とても強い結界でして――」

「その喋り方」

「……え?」


 さっきからイライラする。申し訳ないが指摘させてもらう。


「そのおどおどした喋り方だよ。うっとうしいからやめてくれ」

「で、でも……」

「遠慮する必要はないだろ。そんなに強いんだし」

「あ、でも、私……」


 思わず遮ってあれこれ言いたくなるが、ここで無闇に遮るのは良くない。遮り続けると相手の方が折れてしまい、関係修復が不可能になる。


 喋るのが下手な人間だっている。それはわかっている。俺だってそうだった。

 ただし大半は、単に遠慮やら気後れやらしているだけだ。現に親しい友達や家族とは普通に喋ってたりするしな。

 つまりは精神的な問題にすぎない。大丈夫なんだと安心させてやればいい。


 本当にしどろもどろにしか喋れない奴なんて、そうはいない。

 まあ現代の日本はともかく、この世界は知らないが。


「ひ、久しぶり、なんです……。その、人と喋るのが。い、いつも一人だから……」

「なら慣れよう。とりあえず、この森について詳しく説明してくれ」

「あ、はい……。そ、それ、では……」


 ルナの説明が始まったが、一向に壁を取っ払ってくれる気配は無さそうだった。

 業を煮やした俺は立ち上がり。


 服を脱ぐ。


 といってもアウラからもらったローブ一枚だ。魔力をかけないと着脱できないブツだったが、先の攻撃でぼろぼろになっており、物理的に剥がせた。

 俺はすっぽんぽんになった。


「ひ」

「ひ?」

「ひ、ひ……ひぃぃ……」

「悲鳴がか弱すぎる……」


 絶命寸前の老人みたいな声を出しながら顔を両手で塞ぎ、耳まで真っ赤になるルナ。

 信じられるか? これがモンスターを手刀で切り裂くんだぜ?


「よく見ろ」

「無理です」

「いいから見ろ」

「恥ずかしい……」

「恥ずかしいのは俺だ!」


 柄にもなく叫ぶ俺。

 ルナは全身をビクッとさせた後、指の隙間から覗いてきた。


「俺は今、裸だ。とても恥ずかしい。なのにルナと来たらどうだ? 喋るのが恥ずかしい? 甘えてんじゃねえよ。俺はどうなるんだよ?」

「……」

「友達は? 家族は? 仲間は? 想像上のペットとかでもいい。スラスラ喋れる相手がいるはずだ。だったら喋れないってことはない。遠慮しないでくれ。俺達、婚約した仲じゃないか」


 ルナの綺麗な指先がぱたんと閉じる。そのまま身じろぎ一つしなくなった。


 ……かなりの荒療治だが、どうだろうか。冷静に考えたら理屈もクソもない、ただの変態だが、冷静でないなら対抗心や競争心に火がつくはず。


 数十秒ほどで、ルナの顔を覆っていた両手が下ろされた。

 まだ表情は固かったが、清々しさがある。本来はもっと快活なタイプなのだろう。今の方がはるかにお似合いだ。可愛いぞ。


「こほん。それでは改めまして。この森はですね――」


 別人のような解説が始まった。

第14話 森の少女3

 みっちり数時間ほどルナに話してもらった。この森に限らず、この世界についておおよそ知ることができた。


「ふぅ。生き返りますね。こんなにお喋りしたのは初めてです」


 やはり根は明るい子だった。ひぃぃ……とか言ってたおどおど少女の影はもう無い。


「タイヨウさんもいかがですか?」


 ルナが頭蓋骨をくりぬいてつくられた杯《さかずき》をこちらに寄越してくる。喉を潤したいから、と近くの水場から汲んできたそうだ。


「俺は要らん」

「綺麗なお水ですよ。毒は入っていません」

「そういう問題じゃない」


 この髑髏杯《どくろはい》はルナが自らつくったものである。隠密骸骨《ステルスカル》の死骸からつくったんだそうで。中々ぶっ飛んでいらっしゃる。


「にしても、たくましいよなルナは。ここって魔法が使えないんだろ? 状態異常系のモンスターもうじゃうじゃいる。どう考えても一人で生存できる場所じゃない」

「ご心配には及びません。先ほども申しましたとおり、私にはレアスキル『耐状態異常《アンチアブノーマル》』があります」

「それは都合が良いことで」

「はい。お師匠さま曰く、世界で私しか身に付けていないそうです」


 そうかと思えば、さらりとレアスキルをカミングアウトしたりもする。


「その戦闘力も、お師匠さんの直伝だっけか」

「そうなんです!」


 ルナが目をキラキラさせながら、ずいっと顔を近付けてくる。


「スキルや魔法に溺れると死ぬ――お師匠さまが仰られていたことです。鍛錬は厳しくて、何度も死にかけましたが、おかげで強くなりました」


 俺も詮索されたくないからあまり詮索はしていないが、ルナもただならぬ事情を抱えていそうだった。

 端的にまとめると、こうなる。


 元の暮らしが嫌で嫌で仕方がなく、加えて身の危険もあったため家出を決行。それが子供の時。

 行くあてもなく、この森に逃げ込んだところ、後の師匠となる人と出会った――


 それから十年以上、ルナはこの森でひっそりと暮らしている。

 日々の鍛錬、アイテムや食料の調達、水浴びなどはここを始めとする狩り場で行い、それ以外の売却やら買い物やら宿やらは王都リンゴに繰り出している。行き来にはゲート――離れた二点を繋いで瞬間移動する魔法を使う。


 ちなみにゲートを始め、森の内部で魔法が使えるエリアは限られている。森自体に強力な結界が張られているためだ。魔法を一切使用できないのはもちろん、外部からの干渉も不可能。

 唯一使うことができるのは、最深部にある半径数十メートルほどのエリア――|結界の穴《ホールオブバリア》のみ。


 だからこそ誰も立ち入ることができない。

 第一級冒険者でさえも早急に命を落とすという。生存可能なのは、それこそ耐状態異常《アンチアブノーマル》を持つルナか、バグってる俺くらいだろう。

 あとはルナのお師匠さんとやらか。


「……待てよ。瞬間移動系の魔法を使えば、|結界の穴《ホールオブバリア》に外から侵入できるんじゃないか? ルナもゲートで外と行き来してるんだろ?」


 俺は些細な疑問を口にしてみた。


「そうですね。一部の魔法は、条件が揃えば可能です」

「条件?」


 ルナは髑髏杯を地面に置き、こちらに寄ってきた。

 俺の真隣にまで来て、こてんと頭を肩に乗せてくる。水浴びも済ませたとか言ってたな。お風呂上がりの女の子の匂いがする。


 ……いきなり懐きすぎなんだよなぁ。

 別に俺、大したことはしてないんだが。ただ辛抱強く話を聞いていただけで。

 むしろ最初、火をつけるところが強引というか猥褻《わいせつ》なやり方だったので、嫌われて当然なまである。


「まずゲートですが、繋げられる場所に条件があります。術者自らが足を運び、かつ視界に入れた空間だけです」

「なるほど。そもそも|結界の穴《ホールオブバリア》に足を運ばないとダメってことか」

「はい。ワープも同様です」


 話を戻そう。


 ゲートとワープの違いだが、少々ややこしい。

 どちらも空間Aと空間Bを繋ぐのは同じで、繋ぎ方が違う。


 ゲートの場合、自分が今いる空間Aに門《ゲート》を張り、行きたい場所Bは念じることで指定する。

 ルナが言っているのは、このBの条件だ。


 一方、ワープとは、空間にあらかじめ『ワープポイント』なるものを設置しておき、このワープポイント間を瞬間移動する。

 設置や解除の手間はかかるが、念じるのが苦手な人でも使いやすい。

 ワープポイントの数は通常二個か三個。先天的に決まっているらしく、恵まれていれば四個以上もありえるらしい。ルナは適性がないらしくゼロだ。


 ちなみに残る一つ――テレポートは、自分がいる空間Aでゲートを張る必要さえない。行きたい場所Bを念じるだけで飛ぶことができる。

 ただし場所を念じるのが非常に難しく、ゲートとは比較にならないほど精細な想像力を必要とするそうだ。魔力の消費も桁違いなんだとか。


「最後にテレポートですが、そもそもテレポートは魔子《まし》を媒介とした瞬間移動だと考えられています。魔子の無い空間を越えることはできません。一方で、結界とは魔子の無い空間に他なりません。ああ、素敵」


 ルナは楽しそうに語りながら、愛おしそうに俺の腹筋を撫でている。

 いちいち話の腰を折るのもテンポが悪いので、俺は為すがままにされていた。


「魔子、か。この世界を満たしてるんだよな」


 説明を聞いた限りでは、原子のようなものだと理解した。それも酸素のように、ありふれて存在している。


 あらゆる魔法は魔子を媒介とする。魔子の密度が高ければ効果も強いし、逆もしかりだ。

 当然ながら魔子が存在しなければ、魔法も作用しない。


 テレポートも例外ではない、というわけか。


「それにしても、こんなにすぐに理解していただけるとは思っていませんでした。タイヨウさん《《も》》上位階級の出身なんですか?」

「……俺も平民だよ。ほら」


 ラウルに発行してもらったメダルを見せる。


「詮索はやめよう。過去を気にしても仕方がない」

「そうですね」


 ルナの出自は気になるが、本人は隠したがっている。幸いなことに俺もそうだ。天界とかバグとかな。

 だから、これでいい。


「どこ触ってんだよ」


 しれっと下半身に手を伸ばしているルナ。その手を制する俺。


「……ダメ、ですか?」


 不自然に身体を押しつけられている。柔らかい双球の感触も懐かしい。

 この匂いだって、水浴びの時に特殊なアイテムだか魔法だかで補強したものだろう。単に水浴びしただけではこうはならないし、石鹸だけでもこうはならない。


 世間知らずそうなルナでも、こういうことはわかっているのな。明らかに誘っていらっしゃる。

 というか何で? チョロインさんなの? それとも俺をはめようとしている?

 アラサーぼっちを舐めんなよ。少々スペックが高くとも、相手から声がかかることはまずない。あるとしたら、それは十中八九トラップだ。宗教勧誘とかな。


「ダメだ」

「即答……」


 仮に彼女がチョロインで、本当に俺に惚れていたのだとしても。

 悪いが俺には応えられない。そもそも長く付き合うつもりもなければ、関係を深める気も無いのだ。

 だって俺は――死にたいだけなのだから。


 ただ、バグのせいで簡単には死ねない。

 じっくり腰を据えて死に方を探る必要があるだろう。そのために、まずは生活を整えるのが先決。

 ルナはその役に立つ。


 逆を言えば、整うまでの関係でしかない。

 整った後は邪魔でしかないし、目的を達成した暁にはルナを悲しませることになるだろう。


 だから俺はぼっちでいるんだよ。

 前の世界でもストイックにぼっちで居続けた。金で性的に遊んだ経験は豊富だが、彼女いない歴イコール年齢のアラサーだった。どころか友達いない歴イコール年齢まであった。

 惨めでも構わなかった。誰も悲しませないためには致し方ないのだ。


 ……と言えば聞こえはいいが、本音は単純で、色々と面倒なだけだ。


 考えることが。

 感じることが。

 こうして生きる意味や人生の意義を意識することが。


 もっと言えばそう。

 生きることそのものが、とてつもなく面倒くさかった。

 終わらせるにはどうすれば……あ、死ねばいいじゃん。でも痛いのは嫌だしな。そうだな、安楽死でも模索してみるか――


 それだけだ。至ってシンプル。


「今日はもう寝よう。ルナも宿に戻れ」

「一緒に寝ます」


 ルナは地べたで大の字になった。さすがはサバイバル女子歴十年以上、屋外で寝ることなど造作もないのだろう。


「寝込みをモンスターに襲われたらどうする?」


 そんなルナも、さすがにここで睡眠を取れるほどの力は持っていないはずだ。だからこそ宿を外にキープしているんだろうし。


「私はタイヨウさんの婚約者ですよ? もう襲われる心配はありません」

「襲われない保証はない。ルナが俺の婚約者だと知らないモンスターがいるかもしれないじゃないか」


 ルナなら身の危険には敏感なはず。可能性があるとわかれば引き下がってくれるに違いない。

 ところが、「ふふっ」なぜか微笑んできた。


「あまり見くびらないであげてください。モンスターは私達が思っている以上に賢いのです。このようなニュースは、とうに知れ渡っています」


 そんなことも知らないの、という上から目線がほのかに感じられて、俺は思わず口を開く。


「違えよ。遠回しに断っただけだ」

「ふふふっ、タイヨウさんは奥手なのですね」

「喋るのさえ恥ずかしがっていたのはどこのどいつだ? 裸見ただけで硬直したのはどこの誰だ? 今でも覚えてるぞ。ひぃぃ……ってな。あの悲鳴は傑作だった」


 俺がニヤニヤしながら演じてみせると、ルナは両手で顔を覆った。


「忘れてください……」

「忘れてやるから。さっさと寝ようぜ」


 とりあえずルナの弱みを一つ握った。当面は凌げるだろう。


 ルナから数メートルほど離れて、俺も地面に寝転んだ。

 反対側を向いて、目を閉じる。


 バグっている俺はどうせ眠れない。辛い辛い退屈タイムの始まりだ。

 ルナについて考える――のはナシだな。どうせもやもやするだけだ。対人関係に関する思索ほど無駄なことはない。


 ……今日手に入れた知識でも整理しておくか。

第15話 レベルアップ

 翌日。俺はルナに協力してもらい、経験値稼ぎをしていた。


 森の隠密《ステルス》系モンスターを殺すのはさすがに忍びなかったので、ゲートをくぐって外へ。行き先はアルフレッド王都『リンゴ』のはるか東、|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》。

 数時間ほど試行錯誤しており、ようやくチャンスが巡ってきたところだった。


「タイヨウさん! 今です!」


 ルナが瀕死の巨体――体長三メートルを超える筋骨隆々のモンスターを寄越してきた。おい待て受け止められねえって。

 慌てて横転すると、直後、元いた場所にモンスターの角が突き刺さった。容赦ねえなおい。


「目を突いてください。あと少しのショックで絶命するはずです」


 大斧と牛頭を持つ人型の怪物『ミノタウロス』。それが全身をズタボロにしながら、虫の息で俺を見ている。意外とつぶらな瞳だ。


 その手から大斧が落ちた。ずしんと地面が揺れるのを錯覚する。

 そんな凶器を小枝のように振り回すのだから恐ろしい。そんな怪物を鼻歌交じりで瀕死にするルナはもっと恐ろしい。


「悪いな」


 ミノタウロスの頭部に近づく。何の労力も残っていないらしく、吹き飛ばされる心配は無さそうだ。


 俺はナイフをかざし、つぶらな瞳に突き刺した。

 妙にリアルな悲鳴とともに鮮血。おびただしい量である。下手な俺はもろに返り血を浴びた。服来てなくて良かったな。

 もう片方の眼にも同様に突き刺し、トドメとばかりにぐりぐりとかき乱す。そういう趣味はないが、攻撃力がゴミの俺にはこれしか手段がない。


 間もなくミノタウロスが絶命した。


「いかがですか」

「……ああ、そうだな。何となくだが、強くなった気がする」

「タイヨウさんのレベルはご存じありませんが、低レベルだとしたら一気に10ほど上がってもおかしくありません。それだけ上がれば、体感も違うと思います」


 効率的にレベルアップしたい。

 そう頼んだ俺に対し、ルナは一つの提案を出した。



 ――てっとり早いのはフィニッシュ・バイ・ビギナーです。



 |初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》。

 初心者にとって格上のモンスターを《《別の実力者》》が瀕死にした後、トドメを初心者が刺すことで、その経験値を初心者がいただくというテクニックである。

 短期間で強くなれるのがメリットだが、色々と調整が難しいらしく、実質非現実的なテクニックとされている。


 まあそうだろうな。初心者の能力値だと攻撃が通らないし、一方でモンスターにとっては紙切れみたいな防御力だから一瞬で身体を引きちぎられるし。

 現に俺もナイフをいくら突き立ててもミノタウロスの肌に傷一つつけられなかったし、頭部に近づいた時には、その呼吸だけで身体ごと吹き飛ばされた。


 それでもこうして成功したのは俺がバグっている――無敵であることと、何よりルナの助力が大きい。

 瀕死ギリギリに微調整したり、介入と判定されないよう即座に距離を取ったりする立ち回りはもちろん、ミノタウロスが柔《やわ》い眼を持つといった博識さも持ち合わせている。


「お体は大丈夫ですか?」


 ルナがひとっ飛びで俺のそばに来た。

 俺と違って、その白いシャツにも茶色のワイドパンツにも赤い血は一滴たりともついていない。どうも身体に膜を張っているらしかったので尋ねてみたのだが、曰く「高速で全身を振動させることで風圧を出します」。できるか、んなもん。


「問題ない」

「首は? 本当に大丈夫なんです?」

「大丈夫だ」


 俺が首にミノタウロスの大斧を食らっても無傷だったのには、さすがのルナも驚いたようだ。目が飛び出るほど仰天してたな。


「ちょっと試してみても?」


 ルナが目を輝かせながら手刀をつくる。普通に怖いからやめてくれ。

 とっさに首を隠すと、「冗談ですよ」おかしそうに笑う。


「何度も言うが、俺の全身耐久《ボディーアーマー》にも限界がある。回復にも時間がかかるしな。絶対に試したりするなよ」

「わかっています」

「だから過信もしないでくれ。俺のことは遠慮なく助けるんだ」

「正直言いますけど、情けないです」

「仕方ないだろ。レベル低いんだから」


 結局、俺の無敵バグは――全部はさておき、ある程度はバラすしかなかった。

 初心者向けダンジョンでちまちまやれば隠すこともできたのだろうが、俺にスローライフを満喫する気はない。

 一番の近道であろうフィニッシュ・バイ・ビギナーを行うなら、どう考えても露呈は避けられない。そこで『全身耐久《ボディーアーマー》』というレアスキルをでっちあげたのだ。


「食事に致しましょう――【スーパー・ファイア】」


 ルナの手元から火炎が放射され、ミノタウロスの死骸が丸ごと包まれた。

 じゅうじゅうと肉を焼く音が断末魔のように響く。香りは香ばしかった。


「意外と美味しいんです。肉が硬いので、一時間くらい待つ必要がありますけど」

「ハイパーファイアとかウルトラファイアとか使えばいいのでは?」


 アウラさんという人はウルトラを使っていたぞ。


「むー。だったらタイヨウさんが一から火をおこしますか?」

「すいませんでした火をおこしていただきありがとうございます」

「はい。よろしいっ」


 なんかカップルみたいな甘ったるい生活してんなぁ。いや知らんけど。

 俺は色んな体験を貪ってきたつもりだが、恋人という概念を楽しんだことはない。

 ないと言えば、こんなに懐かれた経験もそうか。


 そもそも懐かれる前に拒絶するのが常だった。あえて変人ぶってみたり、空気を読まずに我を通したり、不潔になってみたり――

 おかげで俺は対人関係に煩わされることなく、ただただ自分の過ごしたいように過ごせた。


 自殺活動、通称『自活』には鉄則がある。

 ぼっちで居続けることだ。

 理想の死に方は自分一人でしか追求できない。他人はその邪魔になる。

 特に親しい相手は論外で、必ずと言っていいほど妨害に走る。「あなたのために一緒に死に方を探すわ」とはならないし、「それがお前の生き方ならそれでもいいんじゃね?」ともならない。絶対に。

 ぼっちイズマスト。


 ……とは言うものの、ぼっちが快適かつ自由に過ごすのも簡単ではない。相応の実力と知識が必要だ。

 今の俺は両方とも持ち合わせていないし、この異世界は一人でそうなれるほど甘くもないだろう。


 当面はルナに頼ることが一番の近道だ。焦っちゃいけない。

 別に不快ではないしな。


「タイヨウさん。お話しましょ」


 ルナはミノタウロスのキャンプファイアーに石みたいなもの――魔石と呼ばれるもので魔力の維持に役立つそうだ――を放り込むと、弾むような足取りで戻ってきた。

第16話 レベルアップ2

 ルナは俺の真横を陣取り、体重を預けてくる。


「なあ。服が欲しいんだが」


 油断してるとすぐに失念してしまうが、こっちに来てから俺は裸族まっしぐらだ。決してそういう趣味を持っているわけではない。


「このあたりは誰も通りません」

「そういう問題じゃない」

「おかしなことを言いますね。タイヨウさん、裸族なのでしょう?」

「違えよ」

「仕方ないですね。【ゲート】」


 目の前に小さなゲートが出現する。俺の手が入るかも怪しいレベル。

 意外と魔力を消耗するらしく、最小限の大きさで使うのがセオリーなんだとか。アウラのはもっと大きかったけどなぁ。第一級冒険者だから余裕があるのだろうか。


 ルナがゲートに手を突っ込む。すっぽりと入っていた。


「……」


 改めて見ると、ルナは小柄だ。俺がちょうど180センチメートルだから、たぶん150くらい。

 体も柔らかいし、仕草の一つ一つにも可愛らしさが覗く。なんていうか、女の子なんだなと再認識する。


 んしょんしょ言いながら引っ張り出された衣服を手渡された。

 白いシャツに、茶色のワイドパンツ。


「どうぞ。差し上げます」

「ペアルックか……」

「ぺ、ぺあるっく?」

「何でもない。この服がお気に入りなのか?」

「はい。農民用の衣服なのですが、安い、動きやすい、頑丈と三拍子揃っていて素晴らしいんです。あと百着はありますよ」

「用意が良いことで」


 ルナと肩を並べて、ごうごうと燃えるミノタウロスの肉を見る。まだ昼なこともあり、ムードもへったくれもないが、スローライフとしては悪くないだろう。

 惜しむらくは俺が全くスローライフを望んでいないことだが。むしろライフさえ望んでいないまである。


「そういえばタイヨウさん。魔法やスキルは何かありましたか?」


 さっきのレベルアップで何か習得したか、という意味だろう。


「いや、何もない、と思う。よくわからん。仮にあったとしたら、どういう兆候が出るんだ?」

「何と言いましょうか、魔法やスキルの名前と効果が頭に流れ込んでくる感じです」


 知っている。

 さっきミノタウロスを倒した時、実は一つだけスキルを獲得した。


 その名も『チャージ』。

 曰く、「チャージ」と唱えるとチャージ状態となり、受けたダメージがそのまま蓄積されるようになる。別の魔法を唱えるか、何か回復が走ると自動的に解除され、蓄積分もすべてなくなるそうだが――


 で、それで? という話である。


 溜めたダメージをどうすればいいかがわからない。頭に流れ込んできた説明は注意深く捉えたが、溜めた分をどう活用するかは一切触れられていなかった。

 ただのゴミスキルか。あるいは別のスキルや魔法と組み合わせて使うのか。

 そもそもバグってる俺には意味ない気もするが。


 そう、俺がバグっていることは確かだ。

 そしてこのバグが、魔法やスキルに及んでいたとしても不思議ではない。下手な話、チャージというスキルさえバグったものかもしれないのである。


 迂闊なことを喋れば、異端であることがバレるかもしれない。

 ルナを信用していないわけではないが、俺だって遊びじゃない。用心という名の自衛にはしっかりと費やす。


「……たぶん無かったと思う。ぼーっとしてたから見逃した可能性はあるけどな」

「あとでステータスを確認しにいきましょう」

「そうだな」


 ステータスはギルド本部で見れるんだったか。


「……いやダメだ。俺、ギルドには登録してないんだよ」


 ステータスを数字として見るためには、ギルドへの冒険者登録が必要である。しかし登録すれば最後、ステータスをギルドに知られてしまう。

 俺のHPや防御力は、おそらくえらいことになっているはず。目立たないためにも、知られるわけにはいかない。


「なぜです? 私でもしているのに」

「あの契約を交わしたくない。俺は何にも属したくないんだよ。むしろルナこそよく登録したな? 無くても生きていけるだろうに」


 不自然に思われないよう質問で返す。


「何かと便利ですからねー。ギルドはちゃんとした組織なので心配要りませんよ。任務《ミッション》も滅多に起きないですし」

「そんなもんか。しかしステータスが見れないのは不便だな」


 ルナの口ぶりから察するに、あえて登録しないという選択肢は珍しそうだ。ここは誤魔化しきった方が良いか。


「そういえばステータスを見る魔法があると聞いたことがある。使えないのか?」

「使えませんよ」


 ふとルナが前方に手のひらを掲げた。ファイアが唱えられ、ミノタウロスが加熱される。「火加減が大事なんです」とルナ。


「そもそもそのような魔法が存在するかどうかもよくわかりません。ただ、ステータスを見る手段をギルドが独占していることだけは確かです」

「それって盗めたりはしないのか? ギルドのスタッフもそんなに強くはないだろ。お尋ね者にはなるかもしれんが」


 火加減調整中のルナがこちらを向いた。


「タイヨウさん、平然とそういうこと考えるんですね……」

「考えているだけだ。行動に移さなければ罪にはならない」

「考えるだけでも罪になるケースがありますよ。民の心を読んで、王に否定的な考えを抱いていたらその場で処刑する――なんて国もありましたし」


 中々えげつないことをする。……でもそんなもんか。

 思想の自由という概念は相当に近代的な発明だ。この異世界の文明水準にあるとは思えない。


「ちなみに盗むどうこうという話でもないですよ。どうも一部のスタッフに力が与えられているそうです」

「ステータスを見る能力を他者に付与できる何かがいる、と」

「はい」

「付与されたスタッフを懐柔すればいけそうだな」

「ギルドスタッフは優秀ですから無理だと思います」

「なら付与してる奴から付与してもらおうか」

「どうやってですか。たぶん相当厚いですよ」

「厚い?」


 ギルドについて詳しく説明してもらった。


 結論から言えば、ギルドとは国以上の大組織である。


 元々は各地の冒険者組合あるいはそのような集まりをギルドと呼び、地域の秩序維持装置として機能していたらしい。

 それが少しずつ併合、洗練されていき、今では大陸全土にまたがる一つの組織として君臨している。


 ギルドは大陸全土の冒険者を一元的に管理することに成功した。

 冒険者のサポートや連携もスムーズに行えるようになり、経済も治安も目に見えて発展したのがここ数十年の話。


 今やギルドは何百万という冒険者を持ち、大陸全土に何百という本部や支部を置き、一人で都市を滅ぼせるとされる第一級冒険者達の手綱さえ握るほどの力を持っている。

 冒険者管理の域をとうに越えており、もはや各国の経済や治安の維持に欠かせない存在だ。


 加えて、ギルド自身が腐敗しないための体制も整備されているという徹底ぶり。


「数年前でしょうか。このラビリンス・キャニオンで、一人の第一級冒険者が公開処刑されました。彼は裏で残虐の限りを尽くしていたそうです。当時最も強い冒険者とされていましたが、瞬殺でした」

「……見てきたように言うのな」

「全世界に中継されましたから。青空画面《スカイ・スクリーン》という特殊魔法を使って、空に映すんです」


 そんな大組織が独占している手段を拝借するというのは、どう考えても現実的ではない――ということか。


「素直に登録したらいかがです? 怖くないですよ」

「信念を曲げるつもりはない」

「そんなタイヨウさんも素敵です」


 股間をさわさわしてきたのでガードする。


「こういうのやめてくんない?」

「私達、婚約者ですよ?」

「ルナの便宜を図っただけだろ。もう森で攻撃される心配はなくなった。ここは森じゃない。夫婦を演じる必要はない」

「私、これでもタイヨウさんのこと、好いているんですけど?」


 微笑しつつ、首を傾げつつ、上目遣いを向けて小声の美声を浴びせてくる。それでありながらあざとさが感じられない。

 こういうのを訓練されたバックグラウンドがあるのか。それとも天然か。


 気にならないと言えば嘘になるが、詮索はしないと決めた。

 詮索すれば、詮索される。


「俺はそうでもないけどな」


 淡白に返すだけに留めておいた。

第17話 プレイヤー

 ルナの力を借りてミノタウロス狩りを続け、俺はたんまりレベルアップした。

 まだまだ一人では狩れないが、自力でミノタウロスの皮膚にナイフを通せるようになったし、拳でその辺の石や岩を砕くこともできれば、ルナの繰り出す攻撃も見えるようになった。


 夜が訪れる。曇りらしく、月明かりも期待できないとわかったところで森に帰還。

 サソリカタツムリヘビクモ骸骨の群れに出迎えられたが、柄ではない。お出迎えはやめろと命令しておいた。


 川で行水した後、俺は力試ししたかったのだが、ルナが疲労困憊らしく、もう寝ようということに。

 隠密蛇《ステルスネーク》の敷かれたベッド――姿を消してくれているので気持ち悪さはない――に、二人並んで横たわる。

 枕派の俺は隠密蜘蛛《ステルスパイダー》のぷにぷにボディに頭を預け、抱き枕派のルナは隠密蛇《ステルスネーク》を抱く。


 ルナは本当に疲れているようで、分と経たずに熟睡した。


「……」


 すう、すうとルナが穏やかな吐息を立てている。

 ティーン相応のあどけなさが残っていて、とてもこの過酷であろう異世界で一人で生きているようには見えない。


 彼女について知りたいと考える。

 明日は彼女と何をしようかと胸が膨らむ。

 そのうち彼女と夜の営みをするのだろうかといやらしい想像が頭をよぎる。

 そして、そんな自分を見なかったことにする。


 仰向けに寝転び直した。

 夜空は見えない。代わりに、この森を照らす木灯が、その光る葉が、保安球のように淡く灯されていた。


 静かで居心地が良い。

 こんな生活なら悪くない、とそう思えてしまい、直後、そんな感想さえも見なかったことにしたくなる……そうだな。俺は正しい。そうしなきゃいけない。


 忘れてはならない。俺の目的は何だ?

 死ぬことだろう?


 快適は長くは続かない。

 そもそも人間はネガティブな生き物である。生存本能と高度な知能が共存した結果、非常にデリケートな精神構造となってしまった、憐れな生物だ。

 生きているだけで嫌なことがある。面倒なことがある。それらは避けられない。絶対に。

 だからこそ死ぬのだ。


 死ねば、終わるから。

 死ねば、無になるから。

 プラマイとか、山と谷とか、費用対効果とか、そういったことも考えずに済むから。


 もう一度、ルナの寝顔を覗いた。

 俺は異常者でもなければ鈍感でもない。死ぬことに迷わないために、性的サービスも含めてあらゆる体験を一通り味わってきた変わり種ではあるものの、根はぼっちをこじらせた凡人でしかない。

 ルナは可愛いし、素敵だし、好かれていることもまんざらではない。


 でも、飲まれてはならない。

 溺れてはならない。

 屈してはならない――


 何度でも言おう。

 俺は、死にたいのだ。






 バグのせいで眠れない俺は、小一時間ほどルナの寝顔を見ながら思索に耽っていたのだが。


「……ん?」


 規則的に微動していた寝顔がピタリと止まった。

 ルナだけじゃない。クモも、ヘビも、周囲の草木も、すべてが石化したかのように停止している。


「ようやく繋がりました」


 突然、背後から声が。

 振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。黒縁のメガネがクイっと上げられる。


「……あなたは?」

「天界から来た天使です」

「天使、だと……?」


 思わず起き上がる俺。

 視線を上に向けて、なるほどと納得する。彼の頭上には、眩しすぎる蛍光灯のようなものが浮いていた。


「時空は停止させていただいています。今、ここでのやりとりは誰にも漏れません。天界にも」


 俺はヘビのベッドから降りて、メガネスーツ天使と向かい合う。


「単刀直入に言いますが、あなたはプレイヤーです」

「プレイヤー?」

「天界での記憶を保ったまま転生した魂のことです」


 俺を担当したクソ天使の言葉を思い出す。



 ――天界とは言わば天使というゲームプログラマーの世界なのです。


 ――魂とは世界《ゲーム》に投入される|追加データ《パッチ》でしかないのです。


 ――転生すると、前いた世界の記憶は失われます。



「一つ教えてくれ。あのクソ天使から不具合《バグ》という不穏な言葉が聞こえた。俺が今、記憶を保っているのもそのせいなのか?」

「クソ天使、ですか。ずいぶんな言われようですね。わかります。彼女はクソです。私もこんなプロジェクトでもなければ彼女と組むことなどありえません」


 拳を握ってぷるぷると震えるメガネスーツ。


「いや、あんたらの事情はどうでもいいんだが。質問に答えてくれ」


 本音を言えば天界の話も興味があるが、優先順位は付けねばならない。今はこのメガネスーツがやってきた理由を知るべきだ。


「そのとおりです。この世界には、転生してくる魂の記憶が維持されたまま、なおかつステータスもおかしなことになってしまうことがあるというバグがあります。確率的には滅多に起こらず、事実上無視できるものでしたが、あなたが引き当ててしまった」

「いや知らんがな」

「クソ天使からうかがっているかもしれませんが、この世界は我々の威信をかけた一大プロジェクトなのです」


 メガネスーツが人差し指を立てた。


「百年。あと百年、この世界が回ってくれたら、審査に合格します。私は神に昇格できるでしょう」


 クソ天使もそんなことを言ってたっけな。



 ――あなたが元いた世界ですが、ビビル・ゲイルという神様がつくりました。その功績で、彼は神となったのです。



「状況は分かった。で、わざわざ俺の前に出てきた理由は?」

「単刀直入に言いましょう」


 メガネスーツがメガネを外す。意外と、いや男の俺でも惚れてしまいそうな端整な顔立ちだった。

 クソ天使といい、天使の容姿は反則らしい。思わず目を逸らしてしまう。


「この世界を救ってください」

「……は?」


 容姿とか一瞬でどうでも良くなる。非常に嫌な予感がする……。


「この世界は近いうちに崩壊します。といっても数十年のスパンですけどね。二十年後かもしれないし、四十年後、あるいは八十年後かもしれない。今すぐ崩壊するわけではありませんが、しかし百年以内に訪れることは確実にわかっています」

「……」

「崩壊しないよう、食い止めていただきたいのです」


 急に話がでかくなったなおい。


「ちょっと待った。崩壊って何だ。何が起きる? 天体衝突? 環境汚染? 核兵器の暴発? 封印されし悪魔の復活?」

「わかりません」

「確実に訪れるのにか?」

「プログラムの話になるので詳しくは割愛します」

「俺は前いた世界ではソフトウェアエンジニアだった。チョットはデキルぞ」


 大企業でぼっち放任が許される程度の実力はあったんだがな。

 プライベートでは『ビジネス書作家になろう』という、某小説投稿サイトのビジネス書版みたいなサイトをつくってバズったこともある。

 まあバカな利用者が権利関係で出版社大手を巻き込んでしまい、炎上したあげくに閉鎖せざるを得なくなってしまったが。


「天界の技術水準を舐めないでください。あなたが前いた世界そのものをプログラミングしているのですよ?」

「……半端ねえな」


 そうだった。天使という存在は人知を超越している。


「とにかく、原因は特定できていませんが、崩壊が起きることは確実です。まあ特定できたところで、干渉することもできないのですが。今、こうして割り込めているのだって、三十年以上立ててきた計画によるものなのです」

「それはお疲れ様だな」

「この世界を崩壊を止めるためには、この世界の生物が何とかして止めるしかない」


 原因不明なのが気持ち悪いが、天使なる存在でもわからないとなると、どうしようもないか。


「偶然、誰かか何かが止めてくれるってことはありえないのか?」

「ありえません。そういう結果が来ないこともまた確定しています」

「……」

「幸いにも、あなたというバグったプレイヤーがいる。あなたが頼みなのです」


 とりあえず事情も理解した。


 ただ、理解したからといって、はいそうですかとはならない。

 俺にだってやりたいことはある。


「断る」


 メガネスーツは表情を崩さず、ただただ目で続きを促してきた。


「俺はただ死にたいだけだ。正直言えば、こんな世界なんてポシャればいい。そうしたら俺も死ねるだろ」

「君は死ねない」


 バキバキと音が鳴る。見ると、メガネスーツの握っていたメガネが握り潰されていた。芸が細かいな。

 しかし、思い上がるなという攻撃性は肌で感じられる。


「君の魂は非常に優秀でね。あと三千回は転生することになる」

「……は? 三千?」


 何を言っているかピンと来なかったが、とんでもない理不尽が横たわっている気配がした。


「……輪廻転生という言葉は知っていますか?」

「言葉だけなら」


 メガネスーツの講釈が始まった。


 曰く、世界の中で生きている生物には魂が宿っている。

 この時、魂には天界で過ごした記憶はない。あくまでその世界のその生物としての役割を全うするというわけだ。


 しかし、その生物が死ぬと、魂は天界に戻ってくる。

 この時、記憶は戻っている。どころか、さっきいた世界で過ごしていた記憶も全て蓄積されている。


 この言わば『世界の記憶が蓄積されていくこと』が、どうも重要らしい。


「ある世界で生物が死ぬと、その魂は天界に戻ってきます。そういう魂は何億、何兆、何京、いやそれ以上とあるのですが、その中から有能な魂が選別され、別の世界に投入されます。つまりは転生されるのです」


 選別ねぇ……。っておい、まさか。そんなことが……。


「再投入された魂も、死ねばまた戻ってきます。そんな第二段階の魂もまた天文学的な数が存在します。その中から選別されて、また投入されて、戻ってきて、選別されて――その繰り返しで、魂はどんどん選りすぐられていきます。目的は一つです。世界で過ごした記憶を多数、いえ無数に積み重ねた、強い魂を誕生させるため」

「冗談、だよな……?」


 最悪の運命を直感する。

 しかしメガネスーツもとい眉目秀麗な天使は、無慈悲に問うてくる。


「神とは何だと思いますか?」


 直感が、本能が、対話を拒絶する。

 俺は思わず耳を塞いだ。


「神とは、天界で最も強い魂のことです」


 耳を塞いでも声が流れ込んでくる。

 やめろ。それ以上言うな……。


 俺を変なことに巻き込まないでくれ。


「そして神は、特に印象的だった世界の記憶を尊重します。その世界をつくった天使を優遇し、同じ立場に引き上げてくれるのです」

「……」

「我々天使は永遠の時を生きていますが、何でもできるわけではない。限界はある。それを超えるのが神であり、強い魂なのです。強い魂は、何億年と生きる天使でも決して辿り着けない何かを知っている! 導き出せる! 生み出せるっ! 心惹かれないはずがないでしょう!? ――っと、失礼」


 どこか機械的だった天使が興奮している。大望を抱くのは人間と同じか。あるいは、人間がこのような天使の挙動を参考にしてつくられたプログラムなのかもしれないが。


「ちょっと深呼吸させてくれ」


 バグのおかげで相変わらず平静な俺だが、それでもしたかった。

 というより、逃げたかったのかもしれない。


 しょぼい時間稼ぎだ。足掻きにもならない。たかが魂に抗えるはずもないだろうに。


「……」


 なんとなくだが、全体像のイメージは湧いた。

 たとえるなら天使が人間で、魂が人工知能――AIみたいなものだろう。魂を転生させまくることは、AIに学習をさせまくるようなものだ。

 AI自体は人間が制御するものだが、学習を重ねたAIは人間を超える。チェスや将棋のように。


 同様に、転生させまくった魂もまた、天使を超えるのだろう。


「――わかった。受け入れる」


 数分ほど足掻いたところで、俺は顔を上げた。

 腹をくくった。くくるしかなかった。


「で、それと俺のバグはどういう関係にあるんだ?」

「と言いますと?」

「言い方を変える。なぜ世界の滅亡を食い止める? 滅亡しても魂は残るんじゃないのか?」

「魂は残りますが、その記憶は消えてしまうのです。仮に一億回以上転生させて、一億以上の世界の記憶を積み重ねていたとしても、全部消えてしまいます」


 そりゃ発狂どころじゃねえな。


 ……いや、待て。

 魂は消えないが、記憶は消える――?

 だとしたら、いけるんじゃないか。


 死ねるかもしれない。


 運命に抗う術を思いついた俺は、天使に反撃を仕掛ける。

第18話 プレイヤー2

 整理しよう。


 世界とは天使がつくったゲームである。

 世界には数多の魂が転生しており、それらは生を全うすると天界に戻ってくる。そのうち、ごく一部が別の世界に投入――つまりは再度転生させられる。

 そうやって魂の転生を繰り返すことで、魂に記憶を蓄積させていく。天使達はそうやって魂を鍛え続けている。


 ここで重要なのが、俺という魂が選別されてしまったことだ。

 天使が言うには、三千回は転生させられるらしい。


 冗談じゃない。俺は生を終わらせるために自殺するんだ。

 自殺しても異世界に飛ばされる? それじゃ意味がねえんだよ。


「この世界には滅亡バグがあって、今後百年以内に滅亡するんだったな」

「はい」

「天使の皆さんは、この世界に賭けている。滅亡という失敗は避けたい」

「はい」

「しかしバグの原因も解決方法もわからず、アンタらもこれ以上この世界に干渉できない」

「はい」

「残った唯一の光明が俺か」

「そのとおりです」

「俺はこうして天使と対話して滅亡バグを知ることのできた、唯一の人間。幸いなことに無敵バグもついている。俺ならこの世界の滅亡バグを突き止め、滅亡を止められるかもしれない。そうすれば天使達は万々歳――そうだな?」

「はい。お見事でございます」

「断る」


 眉目秀麗な男性天使が眉をピクッと動かした。


 その明らかに人知を超えた容姿には、同性であろうと手を伸ばしたくなる。

 幸いなのは、彼の頭にリング――というか眩しい蛍光灯にしか見えないものが浮いていることだろう。どこか滑稽で浮世離れしたそれが、俺を現実に引き戻してくれる。


「……言ったはずだ。俺は死にたいのだと。幸いにも俺はバグってるおかげで無敵だ。あと百年くらい適当に寝て過ごせば、世界が勝手に滅亡してくれる。そうすれば俺も死ぬ」

「だから言ったではありませんか。ここで死んでも、魂は天界に戻るのです。あなたの魂は死にません」


 ここまでは予定調和だ。


 輪廻転生の理に基づき、魂が死ぬことはない。

 だから素直に滅亡を食い止めよ、と。ご褒美がなくともそれくらいの精神は持っているだろ、と。

 天使はそうほのめかしている。


 でもな、あいにく俺はそんな精神など持ち合わせてはいないし、そもそも魂が死なないってのも間違いだ。


「天使さんよ、アンタが言ったんだぜ? 世界が滅亡した時、そこにいた魂は死なないが、魂に蓄積された記憶は消えると」

「ええ、そうですが」

「死とは何だ? 天使と哲学的問答をするつもりはないが、死とは自我の喪失だ」

「話が見えませんね」


 俺の作戦を食らうがいい。

 淡々とした、その表情を歪ませてやるよ。


「早い話、俺という記憶がなくなれば、俺は死んだことになる。俺の魂という器は残るが知ったことじゃない。俺の本体は、今こうして意識を保ち、思考している、この自我なんだよ」


 これが俺の、起死回生の作戦だった。


 俺が死にたいのは、生を終わらせるため。

 そして生とは自我に他ならない。別の言い方をすると、たとえ俺と全く同じクローンが生きていたとしても、俺が生きていることにはならない。

 俺が今現在持っている、この記憶が、この自意識がすべて失われば、それは死に等しい。


「……くくっ、くくく」


 天使がわざとらしく笑った。


「そういえば教えていませんでしたね。魂にはベースとなる記憶があるんです。最初にインプットされる記憶と言い換えることもできます」

「……ベース、だと?」

「ベースは消えません」


 ぶわりと身の毛がよだつ。いやバグってるから精神は至って平静なのだが、致命的な失念に気付いたときの心境だ。


「あなたの場合、前いた世界での記憶がベースです」

「ちょっと待て。そんな仕様は聞いてねえぞ」


 何だよそれ。ベースは消えない?

 俺のベースは前いた世界、つまりは地球で過ごしたときの記憶? それが消えない? この異世界が滅亡しても?

 魂の器と同様、絶対に、消えない……?


 すとん、と。

 地に膝をつけたのは俺だ。


 たとえ精神的に安定していても、論理的に絶望すると力が抜けるものなんだな。


「今のあなたの自我は、あなたが前いた世界のものです。つまりはベースなのですよ。たとえこの世界が滅亡したとしても、魂と同様、消えることはない」


 死ぬことはできませんよ――


 天使がそう結論付ける。


「……」


 俺の作戦は失敗に終わった。

 マジで何だよ。何なんだよそれ。そんなことがあるか?


 輪廻転生。

 天使と天界。

 壊れることのない魂に、消えることのない|最初の記憶《ベース》――。


 現実はこんなにも残酷なのか?

 俺はただ、生から解放されたいだけなのに。


「お願いします。この世界の滅亡バグを食い止めてください」

「だから嫌だっつってんだろ。面倒くせえ」

「バグってる今こそがチャンスですよ?」

「……たしかに、そうだが」


 そうなのだ。俺は今、バグってるおかげで無敵状態にある。

 こんなチート、どんな世界においてもありえないだろう。滅亡を食い止めるなどという大きな事を成し遂げるには、またとないチャンスだ。

 でも。


「理由がない。仮にこの世界を救えたとしても、俺は生き続けるんだろ? 仮に死ねたとしても、また天界に戻って、また異世界に転生させられる……。八方塞がりじゃねえか。やる気出るわけねえだろ」


 もはや愚痴をこぼすことしかできなかった。


「わかりました。それでは約束致します。もしあなたがこの世界を救い、この世界で死んで天界に戻ってこられたのなら、選別対象からは除外します」

「……何?」

「もう二度と別の世界に行くことはない。それを保証すると言っています」

「足りないな。天界でも殺してくれ」

「もちろんです。成仏と呼ばれる、とても面倒な手続きがあるのですが、その程度の労力は払いましょう。あなたを成仏させます。そうすれば、あなたは天界からも完全に消え失せる」


 それなら俺の望みが叶う。

 異世界で生を過ごすこともなければ、天界で魂として過ごすこともない。正真正銘の死であり、無であり、終だ。


「信用していいのか? アンタが約束を守る保証がどこにある?」

「悪魔の証明ですね。証明は可能ですが、あなたの知能では理解できません。そこは信じていただくしか」

「……」


 天使と心理戦をしたところで敵うはずもない。

 信じていいのだろうか? もし本当に成仏してくれたとしたら最高なんだが、してくれなかったとしたら……とりあえず殴るか。


「わかった。信じよう」

「おや。あっさりしていますね」

「人知を超えてる存在とやりあっても仕方がない。それに、何となくだが、天使はそんなにケチくさくない気がする」

「さすが我々が見込んだ魂だけのことはありますね」


 メガネスーツ天使が眩しい笑顔を向けてくる。メガネ越しでも一瞬見惚《みと》れてしまったので、やはり天使の容姿は反則だ。

 っていつの間にメガネをつけやがった?


 俺が疑問を抱いていると、メガネスーツは偉そうに人差し指を立ててきた。


「ご褒美として、一つだけ教えて差し上げましょう。我々天使に信用だとか嘘だとかいった概念は存在しません。いえ、存在こそしますが、そんな古典的すぎる概念を使う必要性はそもそもないのですよ」

「……」

「哲学のおかずにでもしてください」


 天使は再度、魅惑の微笑みを浮かべると、背を見せてきた。


「おい、待て」

「時間切れです。交渉成立ですね」


 すっと片手が挙げられた。手を振るのかと思いきや、パチンと指が鳴らされる。

 ぐにゃりと周囲の空間が歪み始めた。


「シニ・タイヨウさん。どうか、この世界を滅亡からお救いください」


 そこで俺の意識は暗転した。






「……ルナ」


 変わらない寝顔が、安らかな吐息を立てていた。


「夢だよな。夢に違いない」



 ――どうか、この世界を滅亡からお救いください。



 天使の容姿が、声が、|何度も脳内再生《リフレイン》される。ついさっき見聞きしたばかりのように新鮮だ。

 ……うん、夢じゃないな、わかってた。


 こういう時、眠ることができれば少しは現実逃避できるのだろうが、俺のバグが許してくれない。

 逃避してもどうにもならないが、今日くらいは羽目を外したくなった。


 視線を少しずらす。

 抱き枕になっている隠密蛇《ステルスネーク》が邪魔だが、ルナの、意外と豊かな胸部が目に入る。


「……」


 見なかったことにして、俺はそっと起き上がる。

 枕にしていた隠密蠍《ステルスコーピオン》――ぷよぷよボディのサソリを起こしてしまったらしく、こちらをうかがってきたが、ぽんぽんとなだめておいた。


 数分ほど散歩して、ルナが来ないことを確認した後。

 俺は自慰行為を始めた。


 一応、検証も兼ねている。本当は筋トレがベストなのだが、この身体は疲労さえも許してくれない。

 では、疲労は疲労でも性的なものなら?

 まだ試してはいなかった。自殺に繋がるヒントだって得られるかもしれない。


 俺は期待に胸を膨らませて、行為に励んだのだが。


「――ダメか」


 二時間ほど粘ったが、俺のジュニアはほんの一ミリも反応してくれなかった。前いた世界では、物理的刺激を工夫して必ず一分以内にフィニッシュできていたのだが。

 まるで鉄扉《てっぴ》にたんぽぽが体当たりしているかのような手応えの無さだった。


「はぁ……」


 アホらしくなってきた。数時間も股間をいじり続けるアラサー。今時、中高生でもそこまではしないだろう。

 そして、こういった黒歴史もまた、寝て忘れることができないのである。

 この無敵バグ、ホントクソだよな……。


「……そういえばおかずをもらったっけな。哲学の」


 信用や嘘といった概念を必要としない世界。それらを古典的と評することができるほどの|ものの見方《パラダイム》――

 哲学者なら泣いて喜びそうなおかずだな。別に哲学は好きじゃないんだが。


 俺は水場で両手と下半身を洗った後、寝床に戻り。

 ルナが起きる朝まで思索に耽った。

王女ナツナ

第19話 デート

「タイヨウさん、デートしましょう」


 広すぎる自宅と化した森で隠密骸骨《ステルスカル》と稽古していたところ、ルナがそんなことを言い出した。

 ルナも自身の鍛錬――模擬試合を終えたらしい。十数メートル離れた場所から花のような笑顔を向けてくる彼女の足元には、何十体もの骸骨が倒れている。


「大丈夫なのかそれ。死んでないだろうな……」


 彼らモンスターは今や俺達の家族である。レベルアップだからといって殺すわけにはいかず、こうして稽古に協力してもらっている。


「手加減はしています」

「なあみんな。ルナはこう言っているが、正直、力加減下手だよな?」


 倒れた骸骨達はかくかくと首を縦に振った。もう見慣れたけど、かなりシュールな光景。


「え? もっと稽古してほしいって?」


 ルナがそう言うと、今度はぷるぷると首を横に振る骸骨達。喋れない分、身振り手振りで反応してくれるんだけど、これが案外可愛いものだ。


「やめてさしあげろ。それより、なんだって?」

「デートです」

「デエト? なんかの魔法か?」

「デートです! とぼけないでください!」

「そんな概念は知らんな」

「概念って……いいから。行きましょう」


 ルナがシュバッと高速移動で間合いを詰めてきて、俺の腕を取る。

 どころか自身の腕を絡めて、ちゃっかり胸まで当ててくる始末。やっぱりでかいんだよなぁ。


 ずるずると引っ張られるが、情けないことに全く抗えなかった。

 何かと理由をつけて断ってきた俺だが、とうとう今日は強行に出たようだ。参ったな。尻に敷かれるパターン。


 この世界に来てから二週間が過ぎた。

 いや厳密にはわからんが、日の出入りを少なくとも十五回は数えている。


 俺はまだまだルナの足元にも及ばない。

 にもかかわらず、早速伸びが遅くなっていることは体感的にわかっている。ミノタウロスで|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》していた時は、明らかに強くなっている実感があったのに、今は一晩中鍛錬をしても実感が湧かない。


 ルナ曰く、モンスターを倒さずとも、高度な訓練をすれば経験値は上がる。実際、俺は隠密骸骨《ステルスカル》にこてんぱんにされながらも、少しずつ戦い方を身に付けてきている。

 それでも実感が湧かないのだ。もっとこう、さっさと、メキメキとパワーアップしていきたいんだが。


「気にすることはありませんよ。要領が良くても第五級を抜けるのに一年、第四級は五年、第三級は二十年かかるといわれます」

「気が遠くなるな」


 別に第一級を目指したいわけではないのだが、ストレスフリーに生きるためには相応の強さが必要だ。

 せめて生活に困らないと言われる第三級くらいは。


 というよりルナに追いつきたい。くだらないプライドかもしれないが、俺を慕ってくれている女の子よりも弱いというのは地味に気になる。


「ちなみに第二級は百年です」

「普通に寿命迎えないかそれ」


 老化もあるだろうし。


「はい。ですから工夫や才能が必要になるんです――さあ、行きましょう」


 ルナがゲートを唱える。見慣れた時空の門が出現し、ぽっかりと口を開けた。


 馬小屋のような内部が見える。ルナがキープしている宿らしい。

 場所は以前訪れたアルフレッドの王都『リンゴ』の北西だ。中央や西の貴族街でも、東のギルドエリアでも、北の平民エリアでもなく、最も不便な地理に押し込められたそこは貧民エリア――下位階級が住む地域。


 ゲートをくぐり、意外とふさふさした藁《わら》を踏んで外へ。「離れになっているんです」そう言うルナの隣に並び、馬やら鶏やらの臭いと鳴き声の充満した庭を抜けていく。

 間もなく関所のような屋根つきの出入口に着いた。


「おはようございます。もう一月ほど延長したいです」


 ルナが懐から銀貨を三枚取り出し、受付の机に置く。がたいは良いが優しい顔つきの中年男性が、笑顔でそれを受け取った。


「まいど。助かってるよルナちゃん」

「いえいえー」


 通貨の価値だが、前いた世界で言えば次のようになっているらしかった。


 銅貨一枚で五十円。

 銀貨一枚で千円。

 金貨一枚で一万円。

 平民に縁は無いが、白金貨一枚で百万円に、ミスリルコイン一枚で一億円。

 そして、ルナも見たことないらしいが、オリハルコン製のオリハルコインなるものがあるらしく、聞いた限りでは百億円の価値。半端ねえな。


 この宿だが、一泊百円ということか。安いのか高いのか。この世界の金銭感覚がいまいちわからない。

 そもそも俺、まだ一度も買い物したことがないんだよな。無敵バグで平気なのもあるが、ルナの自給自足スキルが高すぎるおかげだ。


 二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていると、ふと視線を感じた。


「君は? 彼氏?」

「婚約者です」

「そうかい。ルナちゃんを泣かせちゃいけないよ」


 反応に乏しいおじさんだが、その目は我が子を見るように優しかった。


「もちろんですとも」

「やる気無いねぇ……」


 棒読みと愛想笑いが見事に見破られている。


「まあルナちゃんは強いから大丈夫か。君もしっかりね」


 ルナがえっへんと胸を張る。思わず目が行くボリューム。おじさんはちら見さえしなかった。まともな大人だ。


 宿を出て、貧民エリアと呼ばれる町並みを歩く。


 町というよりは村だった。

 住宅は木造か、それ以下の簡素なものだ。道は整備されていないが、畑が多く、川も流れていて、緑が豊富な小さな丘や森も見られる。

 人口密度はかなり高いようで、どこを見ても人がいた。誰もが働いており、子供でさえも汗水流しながら畑仕事をしていたり、何かを運んでいたりする。


「王都とは思えないな」

「国の趣味ですよ。格差を表現するんです。王都内の貧民は全員、この地域に押し込められています」


 アルフレッドという国にはそういうところがある。貧富を意識させ、競争を煽るために、一つの町に上位階級と下位階級を混在させるのだ。


「治安は良さそうだが」

「何もないですし、汚いところですから。貴族はおろか盗賊も来ません。それにギルドがあるので、過激なこともできないですしね」

「格差を表現するんじゃないのか? 手ぬるいというか、住民にはまるで効いてなさそうだぞ?」


 大変そうではあるが、雑談や笑顔があちこちに散見される。


「外からせせら笑うだけですよ」


 なるほどな。貴族街から眺めてバカにするわけか。

 たしかに、南側にはやたら高くて豪勢な館やら塔やらがちらほらある。


「なんか虚しいな」

「そういう生き物なんです。――ほらっ、行きますよ」


 だから引っ張るなって。服が伸びるぞ。


「そういえば服。これでいいのか?」

「え? 何かおかしいですか?」


 白のシャツに茶色のワイドパンツ。いつもの服装だ。農民用の、機能性重視な安物。

 間違ってもデートで町に繰り出すような装いではない。


「いや、何でもない」


 無頓着なのは良いことだ。俺もそうだし。気が合うな。

 ルナの場合、目立たないためにあえて貧相を装っているきらいもある。用心なのも良いことだ。ますます気が合う。結婚してもいいレベル。もうしたことになってるんだよなぁ……。


 るんるんなルナの背中を見ながら思う。


 俺が死んだら、彼女はきっと悲しむのだろう。

 俺だって悪魔じゃない。罪悪感はある。


 どこかで円満に別れたいところだ。






 アルフレッド王都『リンゴ』の東部、ギルドエリアに着く。

 相変わらず商店街エリアは賑やかで、行き交う人々の容姿、装い、容態から様相まで多種多様だった。

 てか血まみれの冒険者が運ばれているが、大丈夫なのかアレ。誰も見向きもせず、完全に風景の一部として溶け込んでいる。そういうものか。


 程なくして目的の店に到着。ルナに続いて入室する。


「やはり人混みは辛いな」

「私もです」


 店内には武器や防具が並んでいる。

 所狭し、ではなくアパレルショップのように陳列されている感じで、空間にもゆとりがあった。なんていうか、大きなショッピングモール内の某ユニなんとかを思い出す。下着の品質が良いんだよなぁ、あそこ。


 そういえばこっちに来てから下着を穿いたことがない。

 ルナは着用しているようで、前いた世界ほどの品質とデザインではなかったものの無地のパンツとバンドだった。見せてもらったが、パンツはショーツと呼べるほど精細ではなかったし、胸についてもブラジャーなるものは存在せずバンド――というか太いベルトのようなもので巻いて締めるのが一般的らしかった。ベルトブラと呼ぶんだそうな。

 俺も薦められたが、もちろん却下した。


「タイヨウさん。武器はどうされます?」


 ルナは槍のコーナーを物色していた。防具について聞いてこないのは、俺の耐久力を知ってのことだ。


「要らない」

「は?」


 常識を疑われているような顔されたんだが。

 ルナの奴、どんどん遠慮がなくなってきてるんだよなぁ。


「俺も素手が良いんだよ。持ち物は少なくしたい。というか手ぶらがいい」


 前いた世界ではミニマリストだった。わずかな大型家電を除けば、スーツケースだけで引っ越しができるレベル。

 物と付き合う時間がごっそりと減ってQoLが爆上がりするから、特に一人暮らしの人達にはぜひオススメしたい。


「タイヨウさん……」


 やれやれとルナがおどけてみせる。雑魚が何言ってんだと言わんばかりの「雑魚が何言ってるんですか」言いやがった。


「まずは剣を一通り極めてからです。私も元々は剣士《ソードマン》だったんですよ?」


 剣士《ソードマン》。たしかラウルがそうだったな。背中に二本ほど大剣を引っかけていたか。


「地道に鍛錬するしかないか。面倒くさいな」

「結局それが一番の近道なんです。つべこべ言わずに頑張りましょう」

「そうだな。それじゃ早速帰って鍛錬するか」

「そうですね――ってちょい待ち!」


 テンション高いっすねルナさん。


「今はデートですよ?」

「デエト?」

「そのネタはもういいから」


 地味に敬語取れてるし。


「冗談だ。それより、ルナは槍に興味があるのか?」

「ああ、これですか? そういうわけでは」


 ルナは手に持った槍でビュッ、ビュッ、と突きの素振りをする。その方面の知識がゼロな俺でもわかる。様になっていた。


「レベルアップのためです」

「槍が? 鍛錬にでも使うのか?」


 ルナ曰く、レベルが上がれば上がるほど、多用な経験がレベルアップの条件になるという経験則があるらしい。リーチの長い武器は未経験のため、条件の打破に繋がる可能性が高いんだとか。

 ちなみに条件は人によって異なり、またステータス確認時にもわからないため、完全に手探りなんだそうな。それでも肌感覚で何となくわかるらしい。

 俺には全くピンと来ない話だったが。


「……熱心なんだな」


 なおも武器を物色するルナの背中に、俺は聞こえないように呟いた。

第20話 デート2

 ルナは槍やら鞭《むち》やらモーニングスターやら色んな武器を買っていた。俺は素手派を押し通して購入ゼロ。

 荷物持ちをやらされつつ、人気《ひとけ》の無い路地裏に入り、「【ゲート】」ルナがお馴染みの魔法を詠唱。武器を全部放り込む。


「用心だな」


 ゲートは第二級相当の魔法らしい。第二級の意味合いにはピンと来ないが、どの地域や国でも一目置かれるほど凄いんだそう。

 ルナが褒めて褒めてとうるさいので、頭をくしゃくしゃしてやった。


「能ある鷹は爪を隠す、ですよ。タイヨウさん」

「鋭い人にはバレると思うぞ。あ、あの人達、さっきまでたくさん荷物持ってたのに、どうしたんだろ? って」

「そうですか? この辺に家があって置いてきたんだ、とでも思いますよ」

「この貧民寄りの身なりでか?」


 ここギルドエリアは平民の町。冒険者にせよ店主にせよ、初心者はともかくそれなりに豊かだ。そしてアルフレッドの思惑通り、外面や体裁を気にする価値観が多数派でもある。


「……タイヨウさんこそ用心ですね。素敵です」

「そりゃどうも」

「半分は遊びですよ。一応、命を賭ける商売ですから」

「言わば用心の鍛錬、を兼ねているわけか」

「はい」


 正直面倒くさいと思わないでもないし、ルナならよほどのことがない限り、死ぬこともあるまい。

 が、この真面目な姿勢はルナの長所の一つだ。冒険者のあるべき姿と言ってもいい。初心者の俺に偉そうなことは言えないけども。


 武器を転送し終えたルナが歩き出す。表ではなく路地裏を進むルートだ。

 ルナと肩を並べて歩く。幸いにも人が通りがかる気配はない。


 このあたりの路地裏はファンタジーのイメージと違わず、迷宮のようだった。

 石造りの建物が壁になっている。三階建て以上も多く、日中だというのに薄暗い箇所も少なくない。

 道幅は人が二、三人並べる程度だが、たまに一人で通るのさえ怪しいほどの隙間もある。あと坂道や階段が多い。


「人の気配がしないな……」

「ほとんど空き屋ですよ。昔は冒険者の住まいとして賑わっていたようですが、大半は帰らぬ人となりました。今は表通りの宿が使われています」


 金がない初心者は大草原で野宿したり、北西の貧民エリアで宿を取るという。表通りの宿はそこそこ高価であり、もっぱら脱初心者した冒険者用だ。

 そこからさらにのし上がると、北の平民用住宅街に家を持つことができるらしい。


「適当に拝借してもバレないんじゃないか、これ」

「またそういうことを言う……。ギルドの巡回が入るからバレます」


 ギルドも熱心なことだ。初心者向け講習会なんてのもやってたし、思っている以上にしっかりした組織っぽいな。

 ここ王都『リンゴ』も、階級社会こそ息苦しいが治安は悪くない。中々良い町ではなかろうか。


「しかし歩くのは正直面倒くさいよなぁ」


 前いた世界では散歩とか嫌いじゃなかったが、今の俺は無敵バグのせいで疲労という概念がない。散歩特有の気分転換というか、気分が紛れるというか、あの感じがまるでないのだ。

 たとえるなら常に好調がキープされているようなものだが、その好調にも慣れてしまった。

 変化がないからか、気怠く感じる。


「俺もゲートを使いたいんだが……」


 ちらりとルナに懇願してみると、「無理ですね」即答だった。


「なぜそう言い切れる?」

「タイヨウさんはここまで相当レベルアップしているはずです。なのにまだ一つも魔法と出会っていないのでしょう?」

「スキルもな」


 実は『チャージ』なるスキルを得ているが、念のため秘密にしている。


「才能が無いんですよ」

「どういう意味だ?」

「あれだけミノタウロスを倒しましたからね、おそらくレベル16は行ってると思います」


 ルナ曰く、レベルの体系は次のようになっている。


 レベル1からレベル16が初心者と呼ばれる第五級冒険者。

 レベル17からレベル32までがいっぱしの冒険者を名乗れる第四級。

 レベル33からレベル64までが生活にはまず困らない第三級。

 レベル65からレベル128までが、個人差はあるものの軍隊に匹敵するらしい第二級。

 そしてそれ以上、レベル129超えが、都市も容易に滅ぼせるといわれる第一級冒険者である。


 俺を石化から助けてくれたアウラとラウルも第一級だったな。

 ってことは、あの二人、やはり相当強いのか。都市滅ぼせるってもう兵器じゃねえか。アウラの発言は大げさではなかったのか。


「レベル16なら、いえ、レベル10くらいでも複数の魔法を手に入れるのが当たり前です。適性がある人は、それはもう何十と手に入れます」

「一つも手に入らない人は?」

「センスゼロです。魔法でもハイレベルな部類のゲートはもちろん、冒険者も諦めた方が良いですね」


 それでもこうして続けているのは、俺が無敵だからだ。

 といってもルナにも全部は喋っていない。『全身耐久《ボディーアーマー》』というレアなスキルがあって、かなりタフでいられる、と誤魔化している。


 ルナは賢い子だ。迂闊に「タイヨウさんには全身耐久《ボディーアーマー》がありますしね」などとは言わない。

 魔法やスキル――特にレアスキルは個人情報である。迂闊に公の場で喋る者は殴られても文句を言えない、とはルナの弁。

 俺もそう思う。リテラシー死んでたギルドのお姉さんも見習ってほしい。


 しかし、そうか……センスゼロか……。


「本当に何も持っていらっしゃらないのですか? ほ・ん・と・う・に?」


 ずずいと顔を近付けてくるルナ。婚約者を疑うのは良くないぞう?


「そのはずだ。俺はルナと違って鈍くはない。気付かないってことはないはずだが」

「ぶー。敏捷は私の足元にも及ばないくせに」

「それは言ってくれるな」


 俺はふと気になり、小声でルナに耳打ちしてみた。


「ところでルナって、いくらくらいだ?」


 もちろんレベルの話である。


「……第三級冒険者です」


 はぐらかされたが、生活には困らないレベルか。まあレアスキル持ちとはいえ、あの過酷な森で普通に生きてたから、そんなもんか。


「そっか。頼りがいがあって助かる助かる」

「タイヨウさんにはプライドがないんですか……」

「そんなものはあっても邪魔なだけだぞ」


 と言いつつ、対抗心を燃やしてるのは内緒だ。






 迷宮めいた路地裏をしばらく散策――ルナの言い方をすればデートをしたところで、表通りに出た。

 俺一人だと一生出られない気さえしていたが、ルナは方向感覚にも長けていた。「森に比べたらクソみたいなものです」とのこと。汚い言葉を使うんじゃありません。


「ん? お祭りでもあるのか?」


 ここは商店街の一本隣の大通りだが、直進できない程度には人が多い。それらの視線がすべて一方に向いている。


 巨大な檻が列を成していた。

 見るからに堅牢そうな檻の中に、見るからに凶暴そうなモンスターが収まっている。目は覚めているが、抵抗の意志は無さそうだ。

 それが見世物のように何個も、いや何十個も並んで行進している。車輪のようなものはない。檻は地面から少し浮いたまま自律的に進んでいる。


「モンスターワゴン……」


 ルナは珍しく恨めしそうに呟きつつも、道を開ける。平伏するかのように片膝をついて、正面を向く。


「ルナ?」

「タイヨウさんも。この後、王女が来ます」


 マジかよ、と口から出かかるのをギリギリで抑えた。

 アルフレッドでは王族のルールは絶対だ。その一つに、街中で見かけた時は平伏しなければならないというものがあり、やらないとその場で処罰されてしまう。実際、俺は石化された。

 あのいかつい執事もいるのだろうか。生き地獄は勘弁だぞマジで。


 王女の姿はまだ見えない。会話する余裕はあるようで、周囲の人々は平伏に備えて屈みつつもひそひそと話し込んでいる。


 檻のパレードが近づいてきた。サーカスの舞台裏が可愛く見えるほど、モンスター達は迫力に満ちていた。

 しかし、その獰猛な瞳が俺達に向けられることはなく、ただ正面を向いているのみ。


「これ、どうするんだ?」

「訓練用ですね」


 他の人に倣い、俺も平伏一歩手前の体勢を取ってルナに尋ねる。


「調教師《テイマー》用か?」

「いいえ、殺すだけです。ダンジョンに足を運ぶのが面倒くさいので、ああやって運ばせるんですよ」

「なるほど。合理的なんだな」

「違います。本当の目的は、これです」


 ルナが視線を左右に飛ばす。誰もが平伏に備えているものの、焦燥や恐怖は見られず、小声の会話も止めていない。

 完全に日常の一部と化していた。


「……顕示するためか」

「ですです」


 ですですって頷き方、久しぶりに聞いたぞ。


「何ですかニヤニヤして――しっ。来ます」


 ルナが一足早く、額を地につけた。

 それを見た人達も平伏し始め、ドミノ倒しのように波及していく。


「タイヨウさんも。ここからは無言と不動を貫いてください。何があっても」

「ああ」


 ルナのマジトーン。これは洒落にならないやつだ。

 俺もすぐに平伏――というとどうもイメージしづらいので、土下座をするつもりで身を丸めて待機することしばし。


 大通りは嘘のように静まり返っていた。

 ふー、ふー、と荒くて重い吐息はモンスターのものか。

 ごくりとつばを飲み込む音も。そばにいる住民らしかった。さっきまで普通に話してたのにな。慣れた住民でも緊張するってことか。


 地鳴りの音がして、次第に大きくなってくる。ぱかぱかと蹄《ひづめ》の音も明確に聞こえてきて。


「――そう。罰を与えなきゃね」


 そうだとわかる高貴な声がした。

第21話 王女

「どうして脱税なんてするのかしら? 忠誠心が無いんじゃないの? ゴルゴはどう思う?」

「……下々の気持ちなどわかるはずもありませぬ」

「残念ね。では適当に拷問して吐かせましょう。アタシは王女ですもの。民の意見は聞かないと。ねっ、ゴルゴ?」

「はい」


 蹄《ひづめ》が石畳を打つ音に混じって、傍若無人を体現したような女声が耳をつんざく。応答しているのは渋くも高齢な声で、俺を石化したあの執事で間違いない。

 ちょうど俺達の目の前を通り過ぎようとしている。ラウルは大丈夫だと言っていたが、バレたりしないよな。


 その時だった。


「サリアッ!」


 母が娘に叫ぶといった調子の声だと思ったが、「おうじょさまー」その幼気な声を聞くに、どうやら当たっているっぽい。

 そして、その声は道の隅ではなく、明らかに内側から聞こえてきた。


「ユーリさん! ダメです!」

「でもサリアが!?」

「ゴルゴ」

「はっ」


 ずん、と重たい何かが降り立つ。


「【|ゴルゴンの眼《ゴルゴンズ・アイ》】」


 それは処罰の執行だ。

 直後、ほぼ同時に何かが地面に倒れた。二つ分。


 無機物の音だった。


「きれい……」


 サリアと呼ばれた娘はまだ王女を見上げているようだったが、間もなく。

 ゴトッ、と再度重たく鈍い音がした。


「往来の邪魔ね――【ウインド】」


 風魔法。倒れたそれを吹き飛ばしたようだ。窓ガラスでも巻き込んだのか、激しい粉砕音を立てる。


「そういえばゴルゴ。石化の対抗術を研究している不埒者がいたわよね。首尾は?」

「はっ。疑わしき対象は全て特定し、監視しております」

「殺しなさい」


 まるで蚊を潰したかのような扱いだった。いや、蚊だとしても、もう少しくらい言及はするだろう。


「……対象には貴族も含まれておりますが」

「大貴族ではないんでしょ? 殺しなさい。今すぐよ」

「護衛が手薄になりますが、よろしいので?」

「近衛一号がいるから大丈夫よ。行きなさい」

「では」


 重圧な気配が一つ消えただけだ。王女を乗せた馬車の、蹄を打つ音は、一時も止まっていない。

 そのまま何事も無かったかのように遠ざかっていこうとするも――


 事態はそこで終わらなかった。


「ちょうど下僕を補充しておきたかったのよね。うるさいゴルゴもいなくなったことだし――」


 何をする気だ、と呑気に思っていると、突然腕を掴まれた。

 俺が認識した頃には、既に引っ張られている。かろうじて見えたのは、それがルナだったことだ。


 強引なフルスロットルで、俺はそばの路地裏に連れ込まれた。高く積まれた木箱や樽があって、その裏に回り込んでいる。

 弾丸みたいなスピードにもかかわらず、風圧や衝撃波は全く生じていない。

 たしか『衝撃圧縮《インパクト・コンプレッション》』だったか。何発と使えない、尋常なく疲れる魔法だと言ってたな。


 ふぅ、とルナの吐息が俺に当たる。俺を正面から抱きかかえる格好だったが、その時。



「【|魅惑の歌《チャーミングソング》】」



 表からそんな詠唱が聞こえてきた。かなりの大声にもかかわらず、不思議と荒さや粗さを感じさせない。

 間髪入れずに、甘美な歌声が届いてくる。


「しまっ!?」


 相も変わらずマイペースな俺とは対照的に、ルナは何やら想定外だったらしく、切羽詰まった顔で俺を睨む。

 両耳を塞がれた。またもや俺には反応できない速度だ。頭に流れてきた数字を見るに、岩とか普通に粉砕する威力なんですが……。


 視線で意図を問うと、器用に小声をぶつけてくる。


「いいからっ! 聞かないでください!」

「歌のことか? 普通に聞こえたけど」

「……」


 どん、とルナが俺を押す。わたたっ、と声には出さず、俺が一歩、二歩とつまづいたのもつかの間、ルナが後ろから抱きついてきて――何やら締めてきた。

 これは知っているぞ。羽交い締めだ。


「……いや何してんの?」

「行かせません。この程度なら数分くらいで収まるはず――」


 その独り言のような発言で、ようやく合点が行った。


「そういうことか。俺がチャームにかかったと思ってるんだな?」

「え? 違うんですか? というか、なんで喋れて……え……?」


 緩んだ拘束を無理矢理解く。


「俺を舐めるな」


 俺というか俺のバグな。


 どうもこのバグは単に無敵というだけじゃなくて、徹底的に平常平静を保てるように出来ている。

 たとえば飲み食いしなくても平気だし、寝なくても平気だし、というか寝れないし、実は排泄だってしていない。そもそも尿意や便意が来ない。


 のみならず精神的にもまるで隙がなく、俺はこっちに来てから恐怖とも安心とも絶望とも希望とも無縁だった。何というか、知識や理屈はわかるが、感情として降りてこない。


「肉声によるチャームは効果も範囲も持続時間も小さく普段は使わないはず。それでも使ったのは全員を逃がさないため。あの場には強い冒険者もいた。意外と目敏《めざと》く周到ですね――」


 ルナが何やらブツブツ呟いていらっしゃる。


 それにしてもチャームなるものが実在したとはな……。

 フィクションの知識に基づくなら、あの王女にメロメロになってしまうとか、理性を失うとか、そういう効果の魔法だろう。あるいはスキルか。いやレアスキルかもしれない。


 いずれにせよ、俺には関係無いか。

 この無慈悲で理不尽なバグが、そんな抜け道を許してくれるはずがない。


「タイヨウさん……素敵です」


 ちゅっと頬に口づけを寄越してきたルナ。いつの間に接近してきた? いつの間にそんな結論になった?


「そんなに私への想いがお強いのですね? 私もです。大好きですよ。んちゅー」

「やめろ離れろ暑苦しい」

「ぐえー」


 ルナの目がいつもより熱っぽい気がするが、見なかったことにする。


「にしても、えげつない能力だな」


 出来ればスルーしたかったが、そうもいくまい。お祭りのような喧騒、というか嬌声がはっきりと聞こえてきている。

 ナツナ様ナツナ様ナツナ様――と、我を失ったナツナコールの嵐だ。


「チャームは彼女固有のレアスキルです。あれでも程度が軽い方なんですよ? その気になれば同性さえも虜にしたり、近づいてきただけで虜にしたりとかできます」

「チートじゃねえか」


 俺は大丈夫だろうが、場合によってはルナも危ないってことか。「ちーと?」首を傾げるルナが可愛い。


「防ぐ術はないのか?」

「血が繋がっていると効かない、とは聞いたことがあります」

「第一級冒険者とか強い奴はどうなんだ?」

「普通に効きますね。強さは関係がありません」


 チートじゃねえか(二回目)。

 バグってる俺が言うのもおかしな話だが、チートにも程がある。


「わかってるとは思うが、ルナも気を付けろよ」

「私は大丈夫です」


 他人事のように言うルナ。まあ俺よりも何倍も博識だし、動きも素早いし、心配は要らないか。






 それからもしばらくその場でやり過ごした。

 十数分ほどで理性無き叫びが途絶え、代わりに嗚咽が届いてくる。励ます声もある。「仕方ねえよ」とか「運が悪かった」とかいった諦念の色が強い。


「――なあルナ。ギルドはどうしたんだ?」

「ギルドは国政にまでは介入しません」

「国政? あんなクソみたいなパフォーマンスが?」

「そうです」


 ルナは淡々と言う。


「ギルドが考えているのは冒険者全体の発展――もっと言えば、そこからもたらされる利益です。よほど冒険者やその卵が蔑ろにされない限り、てこ入れはされません」

「……なら後半のアレは? チャームで連れ去られた人の中には冒険者もいたんだろ?」

「ある程度は黙認されていると思います。たぶん、王女ナツナを敵に回さないために」


 薄々わかっていたが、平和は幻想だったようだ。あのような理不尽が放置され、黙認されている。


 俺は凡人だ。そういうことがある度に、いちいち苛ついてしまう。

 そして、そういうことさえも面倒だと感じて、余計に死にたくなるんだ。


 これからこういうことを何度も、何度も、味わうことになるのだろうか。なるんだろうな。とんだクソゲーである。

 バグってて精神的に狂わないのが不幸中の幸いか。いや、むしろ狂って自己を喪失でもした方が楽なんだろうが。


「あれは殺せないのか? ギルドも手を焼いてるなら暗殺すればいいのにな」

「残念ながら、彼女は鉄壁です」


 がたがたと木箱が揺れる。何かと思えば、ルナが身を震わせていた。

 俯いた表情から覗く双眸は、普段の緩さが信じられないくらいに鋭い。


「……鉄壁とは?」

「まず彼女自身が第三級冒険者です。それも第二級に近いといわれています。加えてチャームがあります。チャームには色んな発動形態があるのですが、視覚、嗅覚、触覚と全てカバーしていますね。早い話、接近しただけでアウトです」


 チートじゃねえか(三回目)。


「そうすると遠距離攻撃を、という発想になるのですが、それも叶いません。アルフレッド家には近衛《このえ》と呼ばれるガーディアンがいます」


 この近衛とやらが曲者で、詳細は不明らしいが、防御と逃走に特化した親衛だという。常時、隠密《ステルス》を発揮して王女のそばに居続け、不意打ちや高火力に備えている。

 いざとなれば第一級冒険者の攻撃さえも軽々凌ぐという。


「極めつけに、あの執事か」

「はい。ゴルゴキスタ――彼も詳細はわかりませんが、第二級だと噂されています。レアスキル『|ゴルゴンの眼《ゴルゴンズ・アイ》』もありますし」

「……」


 たしかに鉄壁だ。初心者冒険者の俺には成す術もない。いや別に暗殺してやろうだなんて意識高いことは考えてないけども。


「……戻りましょうか」

「そうだな」


 デートはお開きにして、俺達は森に帰った。


 夜は王女ナツナの暗殺方法で盛り上がり、俺は色んな攻撃手段をルナから学ぶことになる。

 そういうことを思いつくルナは、やはりただ者でない。王女についても妙に詳しいみたいだし。


 何にせよ、頼もしくも楽しいひとときではあった。

第22話 ボングレー

 王都の市民がどうなろうと、俺の知ったことではない。

 俺にはやりたいことがある。そのために、そのためだけに、ひたすら前進するのみだ。


 俺は直近の目標を図書館と定めることにした。

 死ぬためにはこの異世界の知識が必要だが、まだまだ足りない。ルナのおかげでだいぶ知れてはいるものの、どうにも実践的で偏っている。体系的ではないし網羅的でもない。


 そもそも俺はルナを完全に信用していない。というより、依存したくない。

 一方で、居心地をおぼえる俺がいる。安寧をおぼえる俺もいる……。


 俺はずっとぼっちで生きてきた。

 他人というのは不条理だ。不確定で、不安定で、不合理な、どうしようもない存在。たしかに成功すれば一気に道が拓けるし、良い思いもできるが、ぶっちゃけ博打である。適性もあるしな。

 何より莫大な手間を必要とする。つまりは面倒くさい。


 ただ、それでも。

 頼れる時には頼るべきなのだ。


 ぼっちだからこそ、一人の限界もわかっている。

 プライドなんてくだらない、と言ったのはどこの誰だったか。

 ……俺だ。はっはっは。これがいわゆるブーメラン。


 ともあれ、行動の正当化ができたので、戻ってきたルナに早速ぶつける。


「というわけで相談なんだが、アルフレッド以外の国に図書館はないのか?」

「どういうわけかよくわかりませんが、乗りますよ。どうぞ」

「ありがとう」


 ルナから髑髏杯《どくろはい》を受け取る。中には牛乳のような白い液体。

 飲んでみると、「牛乳だ」思わず声が出た。前いた世界でも好きだったんだ。


「ぎゅうにゅう?」

「何でもない。なんだっけこれ」

「ミルクリの汁です。この森では豊富に採れますよ」


 ああ、思い出した。ルナが乱獲していたやつか。

 見た目は栗そのもので、大きさは手のひらに数個乗っけられるくらい。中に入っている液体を煮沸させるとミルクになる、とか言ってたか。


 ルナが俺の隣に腰を下ろす。地べたに正座だ。

 ちなみに俺はあぐらを組んでいた。バグってて疲れないから座り方などどうでも良いのだが、前いた世界の名残だろう、あぐらが一番しっくり来る。


「タイヨウさんは図書館で本を読みたいのですか? 上位階級じゃないと読めないことはご存じで?」

「ああ。少なくともアルフレッドはそうなんだろ? ならそれ以外の国ならどうかと思ってな」


 上位階級――つまりは貴族を目指すという手も考えられるが、非現実的である。平民や冒険者である中位階級に、成り上がるルートは用意されていない。

 ただ、何事にも例外はある。たとえば大商人や第一級冒険者にもなると、特例で貴族以上の権限が与えられる、なんて例もあるそうだが。同様に現実的ではない。


「どの国も同じだと思います。知識は貴重ですから」


 この世界の支配者達はよくわかってやがる。知識という武器の恐ろしさを。


「どうしたもんか」


 侵入や窃盗といった選択肢もあるが、知識のインプットは落ち着いて、浴びるように行うべきだ。

 多少本を盗んだだけでは意味がない。暇つぶしではないのだ。


「……そうだ。ボングレーはいかがでしょう?」

「ボングレー?」

「はい。アルフレッドから自治権を認められた山村《さんそん》です」


 ルナから詳しい話を聞いた。


 王都『リンゴ』のはるか北西に位置する山村『ボングレー』には、アイテムの開発に長けた職人が住んでいる。

 本来ならアルフレッドの支配下に置かれるはずだが、彼らはあまりにもプライドが高く、かといって彼らの技術は無視できない。


 そういうわけで国は自治権を認め、代わりに少なくない税を納めさせることで決着したそうだ。


「さすがに図書館には敵わないでしょうが、そのような資料があってもおかしくはありません」


 どう味わっても牛乳そのものなミルクリの汁を堪能しつつ、俺は考える。


 職人というと、技術は確かだが伝承は下手だというイメージがある。やるにしても弟子入りするとか、仲良くなって聞き出すとか、そのレベル。

 そうじゃないんだよなぁ。それが面倒だから、誰でも読めるように記された書物を欲しているわけでして。

 しかし本当に書物やら何やらが無いとも言い切れない。


 うだうだ考えるだけ時間の無駄だ。


「……そうだな。うん、良いと思う。行ってみるか」


 しかし、ルナの反応は「え?」だった。


「二ヶ月くらいかかりますけど」

「何とかならない?」

「冗談です。近くには行ったことがあるので、ゲートが使えます。一時間もあればつきますよ」

「助かる」


 そうと決まれば早速だ。

 俺はミルクリの汁をごくごくと飲み干した。地面に髑髏杯を置くと、隠密蛇《ステルスネーク》が持っていってくれた。


 ルナはというと、のんびりと味わっていらっしゃる。綺麗な喉がこくこくと前後していた。

 それが収まるのを待ってから、


「行くぞ」

「え-、もうですか? もうちょっとくつろぎましょうよ」

「今度埋め合わせするから」

「行きましょう!」


 やり取りがかったるいので埋め合わせで逃げてみたが。

 お手柔らかに頼むぞ……。






 木漏れ日をちらちら受けつつ山登りすること小一時間。

 拓けた景色が飛び込んできた。


「巨大なコロシアムみたいだな」


 皿の内側のような地形だ。広さは東京ドームの数倍を軽く超えている。

 周囲は階段とスロープから構成されており、所々にプレハブのような建物や屋外ガレージとでも呼べそうな作業空間があった。


 見下ろすと、中心部に広場がある。これもまた広い。プロ野球とプロサッカーを並べてできそうだ。

 子供達が走り回っていて、少し離れたところには女性陣。子供達に注視つつも、話に花を咲かせているようだ。うん、公園でよく見るやつ。


「どうされますか?」

「よそ者を拒む様子も無さそうだし、とりあえず歩くか」


 腕まくりをした筋肉質な男達がじろじろと視線のジャブを放ってくる。ルナと一緒に愛想笑いを浮かべながら会釈で応戦しつつ、ぶらぶらする。


「タイヨウさんも腕まくりしないと」


 そういうノリは要らないと思いつつ、一応やってみると、男達が「おぉ」とか「中々やりおる」とか表情で語ってきた。


「意外と筋肉ありますよね。見かけ倒しですが」

「ほっとけ」


 前いた世界の身体が引き継がれているだけだ。これでも見かけ倒しじゃなくて、ちゃんと機能的に鍛えたんだぞ。パルクールっつーんだけど。


「ルナ。パルクールって知ってる?」

「ぱ、ぱる? なんですか?」

「何でもない」


 まあそうだよな。「教えてくださいよぅ」とゆさゆさしてくるルナをスルーしつつ、ここで何をどうやって得ようかと思案する。


 しばし歩いていたときだった。


「できると思うんだがのー……」

「諦めるだ。何百回と試したオラが言うんだ。間違いねえ」

「ゴロリに言われてもな」

「オラの体力をバカにするだ?」

「体力の問題じゃなか」


 地面の落書きに男が群がっている。いや、ここを模した地図か。ぽつぽつ置かれた石は、屋外ガレージを示しているようだ。

 男達は木の棒を持っており、石から石へと滑らせている。まるで全ての石を経由させるかのように。


「何をやっているんでしょうか、あれ」

「一筆書《ひとふでが》きだ」

「ヒトフデガキ? 美味しそうですね」

「良かったらルナも。結構面白いんだよこれ」


 はぁと首を傾げるルナを連れて集団に紛れ込む。


「あんた誰だ?」

「ここは嬢ちゃんが来ることじゃねえだ」

「それの答え、俺は知ってますよ。同じ道を二度通らずに、すべての石を通りたいんですよね?」


 顔を見合わせ当惑する男達。


「グラフ理論を使います」

「グラフリロン?」


 俺は男の一人に手を差し出し、棒を要求。疑わしい視線とともにそれを受け取り、「重っ!?」ガクンと落としそうになる。

 え? 見た目ただの木の棒なのに、これ何十キロあんの?


「だははっ! ひ弱だな兄ちゃん」

「そんなんで嬢ちゃんを養えるのか?」


 養ってもらってますが何か。「私が養っているんですよ」ルナも言わなくていい。お前らもゲラゲラするな。

 まあ和んでくれたから良しとする。


 俺は地図の隣に描画スペースを確保し、地図を見ながらグラフを描く。

 グラフといっても円グラフ棒グラフのグラフじゃない。点を線で結んだ、ネットワーク構造みたいな図のことだ。


「何してんだ?」

「あんたらがやってるのは一筆書きと言ってだな、全部辿れるかどうかを判定する手法が既に確立されている」

「にいちゃん、適当なこと言ったらいかんぞ」

「べっぴんの嬢ちゃんに良いとこ見せたいだ? オラもわかるど」

「まあ聞いてくれ」


 十八世紀の数学者レオンハルト・オイラーもこんな感じで講釈したのだろうか。


「地図をこのような単純な図に帰着させる。これが頂点で、これを辺という。頂点に繋がった辺の数は次数と呼ぶ。で、結論から言うが、これら頂点の次数次第で、一筆書きできるかどうかが決まってくる」


 反応をうかがいながら、俺は説明を加えていく。


 皆、見た目に反して好奇心は旺盛らしい。

 何より賢かった。新しい用語を次々導入しているのに普通についてくるし、わからないこともすぐに質問してくる。

 ルナは無表情でフリーズしていたが。


「――なるほど」

「にいちゃん、天才か?」


 俺じゃなくてオイラーさんがな。というよりグラフ理論をつくってきた先人達か。

 三十分くらいかかったが、証明も含めて何とか通じたくれた。


 それから俺達は村人総出で歓迎された。


 俺はむさ苦しい男達にモテモテで、前いた時代の知識をあれこれ披露する羽目に。最終的にはなぜかマインスイーパを教えていた。

 ルナはと言うと、こいつらの家族であろう母親や子供と駄弁っていた。


 あっという間に夕方となり、なぜかルナ主導で腕相撲大会が開催されることに。

 俺も参加させられた。


 ルナは準決勝まで勝ち進んだ。

 ルナも凄いが、ルナを打ち破った奴も凄いだろう。第二級冒険者と言っても信じるぞ。


 俺? 一回戦で秒殺されました。

第23話 ボングレー2

 日が落ちると大宴会が催された。俺は先生、ルナは軟弱な先生を尻に敷く嫁として紹介された。


 俺は男達と学問に関する話ばかりしていた。ルナは拗ねてどこかに行った。

 途中、税が高いだの貴族は学《がく》がないだの国に関する愚痴大会になっていたが、非生産的な行為は嫌いだ。時には半ば強引に軌道修正して、とにかく俺達は語り合い、教え合った。


 知的な会話は楽しいものだ。あっという間に数時間が経つ。

 就寝する家族がぼちぼち出始めたため、お開きになった。


「にいちゃん、飲むか?」


 男達の中でも取り分け《《がたい》》の良い男が、木製のカップを両手に持っている。名をゴロアという。

 ここボングレーの村長格の一人で、頭の良さもおそらく随一。


「夜酒は体に良くないぞ」


 と言いつつ受け取る俺。並んで階段に腰を下ろす。


 今日は本当に喋った。喋り通した。こんなに喋ったのは人生で初めてかもしれない。バグってるおかげで全然疲れないから便利なものだ。

 いただいた酒を飲んでみる。当然だが酔うことはない。

 俺の舌には合わないようだ。前いた世界でもそうだった。酒もそうだしワインもそうだが、ああいうものを好んで飲む奴の気が知れない。俺が子供舌なんだろうか。


「明日には発《た》つんやろ?」

「……そう見えるか?」

「にいちゃんはな。向こうの嬢ちゃんは居座る気満々そうだが」


 視線を追う。広場ではキャンプファイアーが炊かれ、丸太のベンチに腰掛けた女性陣が談笑している。中心にいるのはルナだ。


「何か目的があって来たんやろ? 先生の頼みだ。頼りにしてええぞ」

「そうか。それじゃ遠慮無く」


 当初の目的は図書館、あるいはそれに類するものの確認だったが、俺は違うことを訊く。


「チャージというスキルがあるんだが、どうやって生かすか知ってるか?」


 ルナが離れている今だからこそ訊けることだ。


 知識も重要だが、それ以前に俺自身の強さが最重要である。

 しかし俺は魔法の才が壊滅的だし、冒険者としても至って平凡。第三級であろうルナの水準に至るのでさえ、あと何年かかるんだという話である。

 正直待っていられない。


 一方で、俺にはただ一つだけスキルがあった。ルナにも秘匿しているスキル――『チャージ』である。

 何やらダメージを溜めるスキルのようだが、使い道がさっぱりわからずにいた。


「そんなことも知らないのか? 解放《リリース》だよ」

「リリース?」

「にいちゃん、人間爆弾でもつくる気か?」

「人間爆弾? 悪いが俺は籠もりっぱなしだったんでな、一般常識には疎いんだ」

「……」


 ゴロアの訝しむような視線を横顔でスルーする。


「まあいい。チャージだが、単体では役に立たないスキルだといわれている。リリースとセットで使うんだ。チャージで溜めたダメージを、リリースで放出する――」


 名前から想像はできたが、やはりか。


「実用例は?」

「ほとんどねえんだよ。チャージの制約がカスすぎんだ」


 チャージで溜めた分の維持は難しい。なんたって他の魔法を使うか、回復を受けるかしただけで消えてしまう。

 たしかに使いづらい、というか溜めづらいよな。

 《《難なく溜め続けられるのは俺くらいだろう》》。


 そう、実は俺、既にチャージを発動しているのである。


 チャージを手に入れた日の夜、ルナが水浴びに行った隙を突いて発動した。以来、一度も解除していない。

 蓄積したダメージだが、俺の脳内に数字として流れ込んできている。どうも日常生活で生じる軽微な負担もすべて溜めるらしく、常時数字が流れてくる状態ではあるのだが、もう慣れた。


 俺は他の魔法を持たないから、この蓄積が消えることはない。

 回復についても、以前ルナから魔法を受けたり、もらったアイテムを使ってみたりしたが、消えなかった。


 どこまでバグが絡んでくるかは不明だが、今のところ、都合の良い方向に働いてくれている。

 このチャージを、ひ弱な俺の武器にしたいんだ。頼むぞゴロア。


「唯一の例が人間爆弾さ」

「物騒な響きだな」


 ゴロアが言うには、チャージもリリースもアイテムで簡単に習得できるそうだ。といっても既存の魔法やスキル一つを潰す形になるそうだが。

 通常、こんなゴミスキルをあえて習得する物好きはいないが、人間爆弾となると話は別。


 人間爆弾とは、頑丈な人間にチャージとリリースだけを習得させ、チャージを発動させてダメージを溜めておくことだ。

 溜めたダメージはリリースすることで放出できる。

 人間爆弾に人権は無い。ただダメージを蓄え放出するだけの、文字どおりの爆弾――武器として扱われる。


「えげつねえな……」

「もっと胸くそ悪い話をするぜ。今は人間爆弾なんてほとんど使われちゃいねえ。普通に実力者を雇ったり、武器や道具を使った方がてっとり早いからな」

「ならなぜ」

「遊びさ。奴隷や囚人に習得させるんだよ。リリースは言わば希望になる。ダメージを溜めたら脱出できるかもしれねえ、倒せるかもしれねえ――そう思わせるんだ。それで必死に痛みに耐えたり、殴り合いをしたりするそいつらを見て楽しむわけさ。他にも拷問として使われるケースもある」


 酒を飲みながらする話でもないな。いや二度としたくない。

 しかし、こういうことを肴《さかな》にするクズは存在する。前いた世界でもそうだった。部下をいじめることに生き甲斐を見出す奴とかな。


「暗い話はこのくらいにしよう。単刀直入に言うが、俺はリリースが欲しい」

「……理由を訊いても?」

「……」


 嘘をつくのは上手じゃない。俺が黙秘を決め込んでいると、


「マインスイーパ」

「は?」

「もう一問つくってくれねえか? とびきり難しいやつだ」


 ゴロアもいたく気に入ったようだ。


 詰めマイン。俺が村人に教えた遊び方である。

 マインスイーパの盤面をつくり、解ける程度にマスをオープンにした状態にしておく。これを問題と呼び、他の人に解かせるのだ。

 詰めマインであればアナログな道具でも遊べる。村人は早速数字の入った板をつくって遊んでいた。


「板は余ってんのか?」

「ぼちぼち寝る奴も増えてくる」

「わかった。つくろう」

「交渉成立やな」

「ああ。ありがとう」


 無闇に踏み込んでこない心遣いがありがたかった。






 プレハブの一つに案内され、トランプのような薄いカードを渡された。


 スキルカード。

 カードに書かれたスキルを『交換』によって習得するものだ。つまり、習得済のスキルを一つ潰すことで、カードが記すスキルを手に入れる。

 ダメじゃねえか、と思わずツッコミを入れると、「三個までは交換無しで習得できる」的なことを返された。憐憫の眼差しつきで。


 カードに口づけをすることしばし。

 チャージを手に入れたときと同様、頭の中に説明が流れ込んできた。


 リリース。

 チャージによって蓄積したダメージを指定割合だけ放出するスキル――。


 詠唱が少し煩雑だった。

 整理すると、二段階を踏むことになる。


 まず第一段階では『リリース』で始まり、割合を指定する。

 指定方法は分母である。たとえば一パーセントなら『100』、五十パーセントなら『2』という風に、何分の一の何にあたる数字を言えばいい。

 ちなみに省略した場合は『1』――つまりはフル放出だ。


 ともあれ、これで放出量が設定される。

 第二段階では『オープン』と唱えるのみだ。唱えたら、設定した分の割合で放出される。

 初期状態《デフォルト》では人差し指から放出するようだが、訓練次第でコントロールできるらしい。


 訓練と言えば、詠唱自体もそうか。

 ルナの講釈を思い出す。



 ――技には魔法とスキルがあるんです。


 ――どちらも詠唱という手続きによって発動できます。


 ――魔法は口頭詠唱と言って、原則として口ずさまないと発生しません。スペルを間違ったり発音が不明瞭だと失敗します。


 ――スキルは詠唱方法が様々で、無詠唱、受動発動、口頭詠唱など色々あります。



 理想は無詠唱だが、はてさて。


 他にも『キャンセル』で第一段階からやり直す、『チェック』で現在の放出割合を確認する、などが使えるようである。


 至れり尽くせりで助かると俺は思ったが、ゴロア曰く、煩雑すぎて話にならないとのこと。

 通常、規模の指定は人が手を伸ばしたりパンチの加減を調整するように感覚的に行えるべきであって、このように形式的な手順も踏むものは総じて発動速度が遅い。訓練すれば速くもできるが、感覚的手順のものと比べると割に合わないそうだ。


 ゴロアの懸念は追々対処するとして。

 これで火力が手に入ったな。


「にいちゃん。明日朝までに頼むぞ」

「……ああ。吠え面かかせてやるよ」


 ゴロアはカードを行使する俺をしっかりと見届け、俺の質問にも丁寧に答えてくれた後、自分の寝床――ここはゴロアの事務所らしい――に戻っていった。


 乱雑な机の一画を見る。1とか2とかXなどが描かれた手の甲サイズの板が散らばっている。


「さあて。やりますか」


 バグってる俺の集中力を思い知るがいい。

第24話 ボングレー3

 窓ガラスから朝日が差し込む。外からもぽつぽつと足音や会話が漏れてきた。


「タイヨウさん……おはようございます」


 そばで寝ていたルナがむくりと起き上がる。

 昨日、というか今日の深夜だったか。ここに来て、そのまま地べたにバタンキューしてたな。バタンキューって死語だっけか。


 ルナは朝に強くない。今も寝ぼけ眼を手でこすっている。それ目に良くないぞ。


「早いな。顔でも洗ってこいよ」


 俺は自作した詰めマイン――縦横二十マスの大作を最終チェックしている。

 こういうとアレだが、邪魔されたくないのでどっか行っててほしい。


「いえ、ここで洗います。――【|風の部屋《ウインド・ルーム》】、【ウォーター】」


 ルナは上半身を包むように風魔法を展開した後、その中で水魔法を発動。水は周囲に散らばることもなければ地面に落ちることもなく、風の檻によって宙をふよふよしていた。


「便利だなそれ」

「水浴びも可能ですよ。すっぽりと包めます。今度一緒にいかがです?」

「遠慮しとく」


 裸のルナと一緒にか?

 ……水浴びくらい一人でさせてくれ。


「で、終わった後の水はどうするんだ?」

「え? 蒸発させるだけですけど――【スーパー・ファイア】」


 ごぅっと中華料理みたいな火が出たかと思えば、もう水が蒸発しきっていた。


「なんですか、その何か言いたそうな顔は」

「別に。器用だなって思っただけだ」

「私知ってますからね。タイヨウさんがちょいちょい私をじろじろ見てること。私、そんなに可愛いですか?」

「ああ。よくみとれてるよ」

「嘘ばっかり言って――ん?」


 あながち嘘ではないんだがなぁと思っていると。

 ルナの小悪魔フェイスが解除され、真顔が現れた。


「どうした?」

「いえ、外の様子が何かおかしい気が……」


 その時だった。

 突如、ピンク色の膜のようなものが部屋に入ってきて俺達に接触――それはそのまま通過していった。

 壁も物も、すべてを貫通しているようだ。


「タイヨウさん、何ともないですか?」

「ああ。強いて言えば掴まれてるとこが痛い」

「あっ、ごめんなさい」


 ルナはとっさに回避しようと俺の腕を掴んでいた。が、高速移動には風圧が伴う。このプレハブが壊れることを躊躇って、結局やめたのだろう。


「今のは? なんかの魔法か?」

「何でしょうね。それよりあの色合い、どこかで――まさかっ!?」


 ルナが慌てた様子で窓ガラスに近寄った時、


「ナツナ様!」

「ナツナさま!」

「ナツナさまっ!」


 散々聞き慣れた村人達の、全く聞き慣れない大嬌声――


「おい、これって……」

「シッ。こっちに来て下さい――【ゲート】」


 俺が動くより前にルナが高速移動を発揮。腕を掴まれ引っ張られた。

 風圧で俺の大作詰めマインが大破する。……それどころじゃないよな。わかってる。


 ルナは窓ガラスからこっそり外をうかがい、俺はその隣で待機。腕はしっかりと握られており、ゲートも展開中だ。

 言うまでもなく、すぐに逃げるために。


「……なんてことを」


 ルナが忌々しそうに呟いた。


 腕を掴む力が緩む。


「……」


 俺は少し迷った後、腕を振り切り、しゃがんで窓の反対側に回り込んだ。ルナ同様、覗き込もうとするが叱責は無い。俺の能力でもバレずに覗けるということだ。


 覗き込んでみる。ちょうど広場を見下ろせる角度だが――


「なんでアイツが……」


 凄惨。その一言に尽きた。


 ナツナ・ジーク・アルフレッド。

 昨日目撃したばかりの、アルフレッド第二王女。遠目でも彼女だとわかる金髪と高貴なドレスに身を包み、体格の良い男を二人ほど椅子とテーブルにしている。気のせいか、少しぐったりしているように見えた。


 彼女を中心に数メートルの空間が確保され、四辺に一人ずつ配置されているのは騎士だ。分厚い鎧と剣がギラリと反射した。


 それに向かって村人が殺到している。「ナツナ様!」「ナツナさまっ!」明らかに理性がない。

 そんな村人達を、騎士が片っ端から切り裂いていた。

 既に血と死体の海が広がっているというのに、村人達は止まらない。ただただ王女に向かって盲進している。


 村人の一人が騎士を抜けた。俺よりも格上の移動力だ。

 表彰されていたから覚えている。ゴロオ、だったか。村でも随一の戦闘力を持つ用心棒。

 ゴロオは一瞬で服を脱ぎ、王女に迫る。王女は見向きもせず、ティーカップをすすっていたが、直後――。


 ゴロオが見えない壁によって弾かれた。


「近衛ですね。直接触れてはいないので魔法でしょう。|空気の壁《エアウォール》でしょうか」

「見えるのか?」

「……いいえ? 想像です。私ほどになると、たとえ姿が見えなくてもおおよその動き方をイメージできます」

「そういうもんか」

「はい。タイヨウさんもそのうちわかります」


 棒読みで返してくるルナ。現実から逃避するために口を動かしているという感じだ。


 ルナも俺もバカではない。この状況で突っ込んでいっても無駄死にするだけだ。

 幸いにも気付かれてはいないが、相手は今後脅威になりかねない存在でもある。情報収集はしておきたい。


 結論として、すぐ逃げられるようにしつつ可能な限り観察に徹する、というのが当然の行動だった。


「ル……いや、何でもない」


 俺は尋ねようとして、言葉を飲み込む。


 状況自体は一目瞭然だ。

 王女ナツナがチャームを発動したんだろう。それも本人がぐったりするほど大それたものを。さっきのピンク色の膜も、おそらく空間を包む系の視覚作用《エフェクト》と思われる。

 それはこの村全域を包み込み、村人を余すことなく虜にした。見るまでもない。血の海には女性や子供も浮かんでいるのだから。


「……」


 今回のチャームは女性にも効く。ならルナにも効いているはずだが、なぜ平静でいられる?


 そういえばルナって、あの森で隠密《ステルス》なモンスター達と渡り合っていたんだよな。第一級冒険者でさえも歯が立たない、立入禁止区域で。


 ……何か隠してるよなぁ。

 レアスキルか? 耐状態異常《アンチアブノーマル》の他に耐隠密《アンチステルス》なんてものがあるとか? それともチャームも状態異常の一種だから防げるという感じか?

 それだけじゃない。他にも――


「あっ」


 ルナが思わず声を上げた。

 見ると、ゴロオが騎士達に囲まれ、串刺しになっている。剣が肌を通らなかったところを見ると、防御力も相当らしい。


 それで喉を狙われる。今度は通った。

 喉への集中砲火。大量出血――。間もなくゴロオも絶命した。その時だった。


 王女がぐるんとこちらを向いた。

 かろうじて目で追えたが、そのスピードだけでわかる。少なくとも俺よりは格上だ。無論ルナが気付かないはずもなく、相変わらずの高速移動で俺に近づき腕を取――


「拘束」


 頭上に何かが出現していた。王女ナツナと同じく金髪だが、裸の少女だ。体の起伏も表情も乏しい。

 それが手刀を構え、俺を掴むルナの腕に振り下ろす。

 神速。俺は認識するので手一杯だったが、


「ッ!?」


 ルナは腕を引いて回避した。その勢いで反転しつつ、蹴りを繰り出す。

 少女はそれを片腕で受け止めた。まるで効いていない。どころか食らった勢いを乗せて、もう一度俺に手刀。


「ぐっ」


 側頭部にクリーンヒットした。

 残念ながら頭が吹き飛ぶことはない。プレハブの壁を暖簾《のれん》のように突き破り――って、待て待て、こっちは広場の方角では。


 何かに受け止められた。


「確保」


 さっきの少女だ。テレポートだろうか。にしても詠唱が早すぎる。

 それと背中に何か当たっている。微かに実っている果実とその先端。


「タイヨウさん! 必ず助け出します!」


 そう叫ぶルナは「【テレポート】」早口だが正確に詠唱して、間もなく消えた。……さすがルナ。潔い。つーかテレポート使えたっけ?


「相変わらず冷静ね。可愛げがないわ」


 なおもマイペースにくつろぐ王女の声が降ってきた。

第25話 王宮

 俺は背後から裸の少女に抱き抱えられていた。

 微かに膨らんだ胸がダイレクトに接触しているが、彼女に気にする様子は無い。どころか呼吸も心音も聞こえてこず、油断すると存在さえ忘れる。


 これが近衛か。今も偉そうにティーカップでお楽しみになられている王女ナツナのガーディアン。


「そこの貧民。アタシのチャームが効かないのはなぜかしら?」


 王女は一瞥さえ寄越さずにそう言った。


「貧民じゃねえよ。平民だ」

「近衛」


 近衛が左手をかざす。俺の左目の目の前に。

 親指を突き立ててきた。えっと、それをどうす――ぶっ刺してきやがった。


「……」

「何してるのよ近衛」


 背中の華奢な少女は何やら戸惑っているようだ。だよなー、どう考えてもおかしいよなこの眼球。隠密骸骨《ステルスカル》に一時間与えて刺しまくってもらっても無傷なんだぜ?


 眼球だけじゃない。

 鼻腔とか舌とか爪の間とか肛門とか性器とか、思いつく限りを恥ずかしい箇所も含め全部試したが、まるで歯が立たなかった。


「……」


 近衛が真顔で俺を見てくる。近い。無表情で何を考えているか読めない。

 美人、というか美人になるであろう可愛らしさなのは間違いなかった。この世界、何気に容姿レベル高いんだよなぁ。こんな時にそんなこと考えてしまう俺も俺だが。


「王女様。この人、固い。かなり。おそらく私達と同じ。あの女の?」

「近衛というわけね。それにしては未練たっぷりって感じだったけど」


 全然違うし、むしろルナが俺のガーディアンまである。が、これなら理不尽な無敵が露呈せずに済みそうだ。


「村人は全員死んじゃったし、ちょうどいいわ。コイツを拷問する。今夜早速遊ぶから、拷問部屋は第一級のものを用意しておきなさい」

「肯定」

「撤収よ」


 近衛がゲートを唱えると、扉サイズの門が出現した。

 騎士達がくぐっていき、最後に王女と近衛。俺は近衛に髪の毛を掴まれて引きずられた。ちなみに髪の毛も決して抜けないから頭皮の心配も無用だ。


 ……さて、これからどうすっかな。


 と悩むふりをしてみるが、答えは決まっている。

 少なくともルナの件は後回しだ。俺の能力ではどうすることもできない。


 じゃあ何をするか。決まってる。


 拷問に活路を見出すんだ。


 会話から察するに、王女は拷問にも慣れている。俺が思いつかないようなダメージの与え方も試してくれるだろう。

 もしその中に、俺に苦痛を与えてくれるものがあるとしたら――俺は全力でそこにすがる!


 拷問を執行するのは王女自身だろう。なら、相応の教養と自意識は期待していい。

 悪口、批判や非難、気持ち悪さの演出――挑発は容易いはずだ。そして挑発すれば、すぐにでも殺してくれるはず。


 問題は、そんな苦痛があったとして、俺が耐えられるかってことだよな。

 下手に苦しんでしまえば、王女に付け込まれてしまう。延命させられながら延々と苦しむことになるだろう。

 俺は凡人だ。耐えられるはずがない。そもそも痛いのは人一倍嫌なんだから。だからこそ安易に飛び降り自殺にせず、安楽死を長々と模索してきたのだ。


 もし苦痛と出会ってしまっても、堪えて悟らせない。

 その上で、なるべく速やかに挑発をして、すぐに殺してもらう。

 ……難しそうだが、これしかない。ルナの件など諸々は、この件が失敗した後から考え――



 ――もしあなたがこの世界を救い、この世界で死んで天界に戻ってこられたのなら、選別対象からは除外します。



 ふと天使に言われたことを思い出した。


 そうだった。この異世界に巣くう危機――滅亡バグから世界を救えば、俺は輪廻転生から解放されるんだったな。

 逆に滅亡バグを潰せなければ、たとえ俺自身が死ねたとしても、また別の世界に転生させられるのみ。根本的な解決にはならない。


 でもなぁ、世界を救うと言われても、ねぇ……。

 何をどうすればいいんだよ。皆目見当もつきやしない。

 死に方だけでも難問なのに、世界も救うとかマジで勘弁してほしい。はぁ。


 などと消沈してても事態は改善しないのだが。


 ……方針を変えるか。


 ナツナを挑発して殺してもらうのはやめる。

 代わりに、ダメージが通りそうな兆候との出会いを待つ。拷問手段が豊富なナツナなら期待できるはずだ。


 もし出会うことができたら、俺は平気なふりをしつつ、そのやり方や感じ方を全力で記憶する。

 間違っても顔に出してはいけない。痛いのは嫌なんだ。


 その後は……何とかして脱出しないとなぁ。

 さてどうしたものか。一応手段はあるんだが。






 ゲートの先は王宮らしかった。

 世界遺産にでもなりそうな大宮殿に、必要性がまるでわからないだだっ広い空間、それに素人目で見ても綺麗だとわかる植木あたりは一瞬で目につく。

 そばにいた庭師の一人が王女ナツナに挨拶をする。軽い会釈だ。

 王女は見向きもしなかった。


 歩き方まで優雅なナツナだったが、行き先は正面玄関ではないらしい。ぐるりと宮殿の裏側を回る。

 その間、俺は近衛に引きずられっぱなしだったが、近衛は隠密《ステルス》で姿を消している。さぞかし滑稽に映ることだろう。

 にもかかわらず、すれ違う庭師や騎士やメイド――サービス精神ゼロのロング丈で暑苦しそうだ――は眉一つ動かさない。ナツナに挨拶をし、俺という存在をスルーする。ナツナもまた彼ら彼女らの挨拶をスルーする。


 ちょうど裏側にまで回り込んだところで、ぬっと大きな影が行く手を阻んだ。


「帰ったかナツナ。どこ行っとったんじゃ?」

「頑丈な奴隷を手に入れたわ。今夜拷問するの」

「まだそんなことやっとるのか。困った娘じゃわ」


 荘厳な顔つきにワイルドな顎髭《あごひげ》を携えた大男が俺を睨む。

 若々しいが寄る年波は隠せていない。老人と呼べる範疇だろう。


「パパこそ。いいかげん冒険者なんてやめて、さっさと隠居しなさいよ」


 シキ・ジーク・アルフレッド。

 この国、アルフレッドの現国王であるとともに、自らも第一級冒険者である。剛腕のシキと呼ばれ、王都リンゴでその名を知らぬ者はいない。

 今も冒険の帰りなのか、モンスターの生首を複数本ぶら下げている。


「だったら早よ結婚せい」

「嫌よ。可愛い娘が誰かに取られてもいいの?」

「そんな些細な話ではない。ワシは親である前に国王。跡継ぎがなきゃ話にならん。その気がないなら見合いさせるぞ」


 しっかし、こうも空気扱いされるとさすがにイラッとするな。

 こんな内情を誰かに聞かせるはずがない。俺は人としてすらカウントされていないのだ。


 もっと言うなら、俺が逃げ出す可能性も考慮されていない。ナツナにこうして捕まったが最後、いや最期ということなのだろう。


「アタシが女王になるから問題ないでしょ」

「女に務まるわけがなかろう。ましてお前は論外じゃ。ハルナならまだしもな――ああ、ハルナ。どこ行ったんじゃろうか。帰ってきてほしいのう」


 ナツナはため息で返した後、歩き始めた。


 向かった先は宮殿ではなかった。

 地下鉄のように地下へと伸びる広い階段を進み、分厚そうな扉も越えて引きずられることしばし。


 ちぐはぐな空間が広がっていた。


 廊下は広く長いが絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。

 なのに血生臭い。腐敗臭もした。


 原因は嫌でもわかる。

 左右だ。左右には壁でも部屋でもなく鉄格子がはめられ、その先に高価な宿のような内装があり、人が軟禁されていた。

 いや、軟禁と呼べるのだろうか。たしかに拘束はされていないが、服が無く、体は傷だらけだ。


「アタシのプライベートルームよ。素敵でしょ」


 豪華な牢の前を素通りしていく。


 牢にいたのは人間だが、屈強な男だけではなかった。老若男女と揃っている。

 傷の具合も様々で、全身を赤く腫らせた者もいれば、体の一部が欠落した者、中には剣が刺さったままの者もいた。


 彼らは皆一様に、露骨な反応を示す。

 震えている。自らをかき抱いている。失禁した者もいた。


「どうかしら。感想を述べなさい」


 これは俺が前いた世界――豊かで恵まれた現代日本では一生縁の無い光景だ。カルチャーショックどころの話ではない。

 こんなのを見せられて正気でいられるほど俺は図太くないはずだが、幸いなことに、この世界の俺はバグっている。退屈なアニメを見ているかのように、淡々とした気持ちだった。


「……」

「冷静なのね。その顔がどう歪むか、かえって楽しみだわ」


 とすとすと絨毯を踏む音を聞きながら、俺は考える。


 とりあえず平然とし続けるのは不味そうだ。というのも、牢の中に石化された者や凍らされた者がいたからだ。

 ダメージが通じないとわかれば、あのように封印されかねない。

 無敵であろう俺だが、石化など一部の状態異常には耐性がない。そのくせ意識は保持されやがる。石化は生き地獄だった。二度と味わいたくない。


 いっそここで《《王女を殺してしまうか》》?


 だが近衛が邪魔だ。今も姿は見えないが、俺を引きずり続けている。

 第一級冒険者でさえ破れないコイツを俺が破るのは難しいだろう。いや試してないからわからんけども。


 俺はなおも奥へ奥へと引きずられ――ダンジョンの大部屋のような場所にまで連れてこられた。

 見るからにそうだとわかる拷問器具が配置されている。|鉄の処女《アイアンメイデン》らしきものもあるんですが……。


 ここの管理者だろうか。メガネをかけた、神経質そうな男が近寄ってきて平伏してきた。


「こいつを判定しなさい」

「はっ」


 男は顔を上げると俺を睨み、目を見開いて「【実力検知《ビジュアライズ・オーラ》】」聞き覚えがあるような、ないような詠唱をした。


「レベルは17でございます。魔法も持ち合わせておりません。第四級になりたての凡愚でございましょう」


 ステータスの把握はギルドの専売特許じゃなかったのか。ルナもそういう魔法があるかどうかわからないと言っていたが、あるみたいだな。


「防御系も?」

「《《はい》》」

「ふうん。としたらスキルかしらね」


 俺はその発言を見逃さなかった。

 どういうことだ? てっきりHPか防御力が∞にでもなっているのかと思ったが。


「ナツナ様。こちらは第一級用の拷問部屋でございますが……」

「いいのよ。これは耐久に特化したスキルを持っているようだから。今夜、また来るから置いといて頂戴」

「かしこまりました。【氷結拘束《アイス・バインド》】」


 俺の膝から下が氷で固められる。一ミリも動かせなかった。


「うっかり殺すんじゃないわよ。低温に耐えるかどうかはまだ試してないわ」

「ご心配には及びません」


 言いながら部屋を後にするナツナに、男は平伏で応えた。


 凍傷しないよう温度調整したということか。たしかに、脳内に流れ込んでくる温度らしき数値も軽微……な気がする。よくわからん。

 温度系はまだ試してないんだよな。近いうちに試さねば。


 こだまするナツナの足音が完全に聞こえなくなったところで、男は平伏を解除。

 魔法なのか宙に固定されている本を読み始めた。俺の存在など意にも介さない。


 それから俺は数時間放置された。

第26話 王宮2

「あが、あががっ……」


 俺は柱にくくりつけられ、メガネ男の手によって口を押し広げられていた。

 歯の全てがペンチのようなもので挟まれており、それはワイヤーを通じて円柱のような装置に伸びている。


 装置が回転を再開する――俺の歯を引っ張る方向へと。


「ひはい、ひはいです……、はへへ、ふははひ……」

「ウフフ……最高ねアンタ」

「ほへはいははあ、はへへ……」


 お願いだから、やめて――。


 そんな俺の悲鳴にならない懇願が届くことはない。装置は無慈悲に動き続け、王女ナツナは恍惚の笑みを浮かべる。

 何がそんなに気持ち良いのか、身体を震えさせていた。ネグリジェの薄い生地越しに、豊満なバストがぷるんと揺れる。


「壊しても壊しても壊れない。でも痛みは感じる――なんておもちゃなのかしら」


 この程度で歯が抜けるはずもない。俺のバグはそんなに甘くないのだ。鼻毛や眉毛だって抜けないくらいだしな。

 もちろん痛みもゼロだが、平気を装えば生き地獄まっしぐらである。


 そこで俺は、痛覚は感じるというレアスキルをでっちあげた。

 これならしばらくはお気に召してくれるだろう。演技の心得は無いが、ぼっちとして演じる機会は多かったから抵抗はない。見破られないか心配だったが杞憂のようだ。


「これもいまいちね。少し趣向を変えましょうか。――あなたはもういいわ。明後日のダンジョン遠征の準備をなさい」

「はっ」


 メガネの男は乱暴に俺の拘束を解き、王女に会釈した後、足早に立ち去っていった。


「【ドレスアップ】――バトルモード」


 そう唱えたネグリジェ姿のナツナは光り輝き、一瞬だけ裸になる。王女にふさわしい美しさで、芸術品のようなバランスときめ細やかさだった。

 直後、眩しいもやが彼女の体を覆ったかと思うと、別の衣装になっていた。


 上下ともグレーで統一されている。

 上はスポブラ――スポーツブラジャーのようなもので胸部を覆っているだけで、へそは丸出し。覆われた部分のボリュームは暴力的で、控えめに言っても目に毒だ。

 下はレギンスのようなもので、太ももを半分くらいまで隠しているのみ。こちらも自己主張の激しい肉感とつやを放っている。


「どう? 欲情するでしょう?」


 ナツナは目の前にまで顔を近付けてきて、舌なめずりをした。

 その後、一歩後ろに下がると、ジャンプしながらくるりと回転。ああ、これはアレか、後ろ回し蹴「そいやっ!」蹴りが脇腹に直撃。吹っ飛ばされた。


 そいや! ってまたずいぶんな掛け声だな、などと思いながらも、硬質な地面の上をバウンドする俺。

 たぶん何十メートルと飛んでいる。相当な実力者だなこりゃ。少なくとも隠密骸骨《ステルスカル》よりは強い。


「うぐ、ぐ……」


 脇腹を押さえて呻《うめ》くふりをしつつ、元いた場所を見やると、ナツナが矢のように飛んできた。憎たらしいくらい楽しそうな顔をしてやがる。

 それは俺の手前でピタリと止まり、風圧もやまぬ間に、その隅々まで綺麗な素足を掲げて――顔を踏みつけてきた。


「ぶぐっ!?」

「王女のこんな姿なんて一生見れないわよ? せいぜい興奮しなさいさ」


 マジで容赦が無いな。地面が陥没してやがる。

 こういう格好をするのも、相手の興奮を引き出して延命と反応を楽しむためだろう。楽しむために妥協せず。熱心なことだ。

 その労力を少しでも一般常識と国政に向けていただけるとありがたいと思うぞ。


「最近鈍ってたから助かるわ」


 素足の連打を浴びた後、口の中に手をねじ込まれた。

 雑草のように引き上げられる。


「体内に電気を流したらどうなるかしらね? 【ハイパー・サンダー】」


 バリバリとけたたましい電流が全身を駆け巡る。俺が着ている服も消し炭となった。


 うーん、ありきたりだな。体内に流し込むというアイデアは悪くないが、威力、というより電力だろうか、がしょぼすぎる。もこもこ星人のサンダーボルトと比べると、頭に流れてくる数字の長さは足元にも及ばない。

 ……っと、そうだった、演技せねば。喋るのは不自然だろうから、それっぽく震えておく。


「……これでも平気とは。驚いたわね。ますます遊び甲斐があるじゃない」


 ナツナの顔がいやらしく歪む。


「とりあえずパンクさせてみましょうか。【ウォーター】」


 ちょろちょろと俺の喉に水が流し込まれていく。


「うふふ……どこから破裂するかしらね? その前に溺死しちゃうかしら?」


 破裂はしないし、溺死もしないぞ。

 既に川の水を限界まで飲んで試している。単に俺の体という入れ物から水が溢れる挙動になるだけだ。

 消化こそ永遠にできるようだが、ペースは至って平凡。


 ちなみに胃から溢れた分は腸や膀胱にも溜まってくれるので、尿意は来る。尿成分ゼロパーセントで、入れたものがそのまま出てくる感じだ。我慢も可能なので、水筒代わりにできなくもない。


「おぼ、おぼぼぼっ、お……」


 苦しむ演技はしておく。溺れるの先頭二文字で「おぼ」。安直すぎたか。

 これは発見なんだが、悲鳴の演技――特に台詞を考えるのも中々大変なのである。おかげでAV女優の演技も大変なんだろうなぁと再認識できた。あれは悲鳴というよりは嬌声だが。


 ナツナの水攻撃は十数分ほど続けられた。

 辺り一面がびしょびしょだ。ナツナもずぶ濡れで、純文学作家が数ページくらいは描写できそうな、扇情的な雰囲気がムンムンと出ていた。


「もがく顔を見るのは好きだけど、こうも見続けると飽きるわね……」


 ナツナに飽きられ封印されることだけが怖かったが、探究心は旺盛であられる。助かるぜ。


 俺はそれからも多種多様な攻撃を受け続けることになった。






 頭の体操がてら秒数も数えていた。

 七千秒に迫ろうかというところで、俺は|鉄の少女《アイアンメイデン》――棘つきの箱に入れて串刺しにするやつから引き出され、地べたに放り投げられる。


「意外とつまらないわね。血も出ないし、何より死ぬかどうかのギリギリを探る面白さがないわ。これじゃサンドバッグと変わりない。うるさいサンドバッグよ」


 直球なニックネームをいただきました。ルナに名乗ったらどう反応するだろうか。


 ……ルナの奴、どうしてんだろうな。

 俺は大丈夫だから放っておいてほしいんだが、たぶんこのままじゃ済まないよなぁ。このクソ王女とも因縁あるみたいだし。


「精神的苦痛に切り替えようかしら? でも廊下を見ても平然としていたから効果は薄そうね。なら親しい人間を目の前でいたぶる? 探すのが面倒なのよね――」


 俺を足蹴《あしげ》にしながら独り言ちるナツナ。


「まあいいわ。――近衛一号」


 隠密《ステルス》で姿を消していた近衛が出現する。


「このサンドバッグから今日以上の悲鳴を引き出す物理的方法を考えなさい。明日夜、また来るわ。ダメだったらお仕置きするから、そのつもりでね」

「……承知」

「二号を呼びなさい」

「【ゲート】」


 近衛のゲートから出てきたのは、術者とよく似た容姿の少女だった。

 鮮やかな金髪も、十代前半であろう幼い体躯も、能面のような無表情も。双子と呼べそうなくらいに全てが酷似している。

 唯一、前髪に髑髏《どくろ》のピンがついている点が違うか。


「交代するわ。行くわよ」

「承知」


 声は少々違うようだが、歩き方は瓜二つだった。


 二人の背中をしばらく追っていると、近衛二号の方が姿を消す。やはり隠密《ステルス》も健在か。

 ……ふむ。近衛は一人じゃない、と。


 間もなくナツナが何かを唱えると、出入口に分厚い壁が下りてきた。閉じ込められたか。


 しんと静まる大部屋。


 転生したばかりのダンジョンを思い出す。物音はおろか、生物の気配さえ感じられなかった絶対的無音。

 非常に快適である。こういうところで暮らしたいよな。前いた世界――現代社会の都会ではまず体験できない静かさだ。


「……」


 近衛一号と見つめ合う。相変わらずの無表情で、何を考えているかはさっぱりわからない。

 それでも一つだけはわかった。


「おしおきとやらが怖いのか?」


 彼女の瞳が微かに揺れた。


 ……行けるかもしれない。

 どうやらナツナでも俺は殺せないようだし、かといってこのままでは逃げることも叶わない。

 コイツで起死回生を狙うとしよう。


「せっかく出会ったんだ。お喋りしないか?」

第27話 王宮3

「お喋りしないか?」


 俺の真正面でしゃがみ込んでいるのは近衛一号。

 見た目は全裸で無表情な金髪少女、というより幼女だが、王女ナツナのガーディアンである。


 コイツは鉄壁で機械のような印象だったが、ちゃんと人間をしているらしい。ナツナの「お仕置き」というワードに反応したことがその証拠だ。

 まあ羞恥心は無いようで、普通にモロ見えなんですけども。


「……」

「しばらく王女は来ないし、王女以外の誰かがここに来ることもない。そうだな?」

「……その根拠を所望」


 釣れてくれたな。内心でガッツポーズを決める俺だった。


「アンタだよ。テレポートやゲートが使えるのはアンタだけなんだろ?」


 ポカしないように慎重に言葉を紡ぐ。といってもバグってて集中力は常に高いから心配は無い。


「王女の様子を見ればわかる。こんな便利な能力を使い惜しみする理由なんてない。なのにあえて常にそばに置かないのは、アンタを回復させるためだ」


 ルナとの何気ないやりとりを思い出す。



 ――なあルナ。いちいち寝るのって面倒くさくないか? 回復魔法を使えば不眠不休で済むと思うんだが。


 ――鋭い着眼点、と言いたいところですが、廃人になっちゃいますよ?



 どんな実力者であっても、モンスターであっても、必ず睡眠は取る。そうしなければ判断力や集中力が回復しないからだ。


 そうだよな。知っている。

 判断力や注意力を示すパラメーターとして、現代では注意資源という心理学用語が使われている。体力や精神とは独立したパラメーターであり、睡眠しない限り回復しない。

 よく同じ服しか着ない系の有名人がいるが、それも注意資源を節約するためだ。


 とまあ、現代のうんちくはともかく。

 ルナの言葉を借りるなら、注意資源を枯渇した状態を廃人と呼ぶのだろう。冒険者が陥りやすい罠なんだとか。


 近衛とて例外ではない。

 だからこそ近衛を複数人用意し、ローテーションを回しているのだろう。ナツナは近衛を道具扱いしているようだが、回復させないほどバカではないってことだ。


「誰かが来る可能性。ある」

「無いな。閉じ込められている」

「開く。外からなら、誰でも」


 その真偽を確かめる術は俺にはないが、論点はそこじゃない。


「それでも無いさ」

「……続きを所望」

「王宮にいた人達の様子、それからシキ王とのやりとりを見るに、王女ナツナは相当な問題児だ。しかも誰も彼女を抑えられない。チャームもそうだが、徹底的な階級社会を敷いたのはシキ王自身だからな」

「……」


 アルフレッドという国も、この時代にしてはよくやっていると思うが、重大な弱点が一つある。


 王族の立場が強すぎるのだ。


 アルフレッドでは王一人が絶対権力者なのではなく、王族そのものをその位置に据えている。

 だから王族より下をどうにかできても、王族が王族をどうにかすることはできない。抑止する仕組みがないのだ。

 さすがに行き過ぎればギルドが介入してくるだろうし、処刑くらいするだろうが、ナツナはまだそれほどではないのだろう。


 おそらくシキ王自身も、今のナツナはギルドに働きかけるほどではないと考えている。

 あるいは王子を手に入れるまでは失いたくないのか。


 いや、単にシキ王も人の親ということなのかもしれない。

 ゴルゴキスタと言ったか。あのいかつい執事も、シキ王がつけたお目付役だと考えればしっくり来る。ナツナ本人は煙たがっている感じだったしな。


「問題児の、それも王女の遊び場にわざわざ忍び込む物好きはいない。ナツナ自身も見たところ飽き性で、すぐにはここには来ないはずだ。仮に来るにしても瞬間移動は使えないし、あの壁が開く。だったら気付ける」

「……なるほど」


 しっかりしろよ。王女のガーディアンなんだろ。まあ命令違反を幇助《ほうじょ》しているのは俺だが。

 ともあれ、聞く耳を持ってくれて助かった。


 口をつぐみ俺の言葉を待っている近衛一号に、俺は持ちかける。


「しばらくは二人きりだ。ゆっくりしようぜ」


 ついでに頭を撫でてみた。

 吹っ飛ばされることも覚悟したが――


「……うん」


 近衛一号は甘えるように頬ずりしてきた。






 近衛一号はユズと名乗った。


 ユズもそうだが、近衛には一般常識が欠落している。その分をも度外視して、ただただ王族を守るための訓練に従事させられるそうだ。

 逃げ出せばいいじゃないかと言うと、友達が傷つくからできないという。

 詳しく尋ねると、中々に狡猾な楔《くさび》を打たれていた。


 ユズは物心がつく頃までは幸せに過ごしていた――それこそ多数の友達と家族のように暮らしていたそうだが、その大切な人達が今は人質となっている。


 つまり、まず最初に幸せに過ごさせることで守る者を背負わせているのだ。

 そうすれば、それを人質《ダシ》にして、いくらでも脅迫できる――


「俺ならユズを解放できる。ユズの大切な人達も救えるかもしれない」

「どうやって」


 ユズはあぐらを組む俺の上に座っていた。

 すっぽりと収まるほど小さな体だが、肉付きは妙にリアルというか女のそれだ。なんかぽかぽかしてるし。


 そんな親子や兄妹のような打ち解けたムード――まあ見た目はお互い裸であり犯罪臭しかしないが、ともかく、そんな和やかな雰囲気で、俺は物騒な行動を口にする。


「王女ナツナを殺す」

「……」


 ぴくっと震えるユズ。もう一度頭を撫でてやった。


「その上でシキ王に申し立てる」

「……何を」

「ユズの働き方だ。人質を解放してもらい、脅迫関係をなくす」

「許されない。ガーディアンは王族の生命線。近衛の事情など二の次」

「違う。違うぞユズ。そういう考え方こそ二の次だ」


 恐怖という動機付けは、現代で言えばとうに時代遅れの遺物である。

 恐怖は危機回避に役立つ本能ではあるが、長続きはしない。長期になりがちな就業の動機としては不適切だ。


「いいか、近衛とは王族の安全を担保する非常に重要な役割。それなりの対価を支払うべきだ」

「対価? 忠誠、のこと?」

「それが理想だが厳しいだろう」


 アルフレッドの人材事情は知らないが、近衛は第一級冒険者であるシキ王のガーディアンさえ務める。第一級以上の守備力を持つ逸材中の逸材と言える。

 それほどの逸材は才能の塊か、あるいは極度の詰め込みでしか生まれない……ように思う。いずれにしても、忠誠という概念とは程遠いと俺は考える。


「そうじゃなくて、契約させるんだよ」

「契約……」

「これこれの条件であなたを守ります。対価としてこれこれのお金と休みをくださいってな」

「無茶」

「押し通すさ。シキ王もバカじゃない、通じるはずだ。資本主義っつーんだけどな」


 厳密には違うし、俺に経済学を語れるほどの知識は無いが、己が努力と経済力でのし上がれるというコンセプトは既に取り入れられている。まあ経済だけでなく武力競争も強いし、何より階級社会が足引っ張ってるけど。


「ユズとしてもやる気が出るだろ? たとえばそうだな……二日に一回、丸一日近衛を務めれば金貨が十枚もらえる。空いた一日は友達とでも過ごせばいい――そういう条件だとしたらどうだ? やる気湧いてこないか?」

「……くる」


 人間が持てる強力な動機は限られている。承認や顕示、貢献や奉仕、そして幸福の維持――この三つだけだ。

 ユズは三番目のタイプだろう。


「よし。それで、本題はここからなんだが」


 俺はユズをだっこし、こっちを向かせる。

 無垢な瞳で俺を上目遣いしてきた。不安の色を隠せていない。


 その華奢な両肩に両手を置き、しっかりと目を合わせてから、俺は。


「寝返ってくれないか」


 王女暗殺の作戦を話した。


 といっても話はシンプルで、明日以降、ユズが近衛一号としてナツナの護衛を務めているタイミングを狙うだけだ。

 他の近衛だと俺の攻撃を防がれる恐れがあるが、ユズが護衛なら、ユズが職務を放棄するだけでいい。


「むしろユズはユズ自身をしっかり守ってくれ。怪我じゃ済まないかもしれない」

「大丈夫。ユズは頑丈」

「お仕置き怖がってたじゃねえか」

「……ばか」


 俺の太ももをドゴドゴと叩くユズ。ポカポカじゃないぞ、ドゴドゴだ。地面が割れるくらいの威力。


「わかったわかった、もう言わない。もう言わないから」


 ユズが小指を出してくる。


「約束」


 俺も「ああ」小指を出して絡ませると、体が浮くほど激しく揺らされた。いちいちパワーがお強い。


「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」


 淡々と喋るから怖えよ。てかそのフレーズ、この異世界にもあるのな。


 それからも俺達は詳細を煮詰め――。

 早ければ明日、早速決行することとなった。


 ユズが「力を見せて」とうるさかったので、検証も兼ねて少しだけ出した。

 出し惜しんだつもりなのに、予想外に高火力だったのには俺も苦笑い。ナツナ自慢であろう器具をいくつか破壊してしまった。目につかないように奥の方へと移動させておいた。


 一通り検証を終え、ユズにも俺の火力に納得してもらった後はというと。

 もう一度ユズに頼んで、今度はひたすらサンドバッグにしてもらった。


 目を突いてきたり、指を折ろうとしたり、急所を潰してきたりとエグい攻撃も多かった。デリケートな部位だとダメージ量も多いらしく、同じ指突きでも腹と目とでは数十倍もの違いがあった。

 何なら延々と目だけ突いてほしいまである。提案してみたが、つまらないからと却下された。


 俺のアレを噛み砕こうとしてきた時は、さすがに止《と》めた。

波乱

第28話 お師匠さま

「私のせいでタイヨウさんが……」


 鬱蒼とした森の、大きな木の株の上で、ルナは大の字になっていた。


「自由が欲しくて家出した私ですが――正直飽きていました。そんな時、タイヨウさんと出会った」


 誰に話すともなく独り言ちる。

 強いて言えば、周囲のモンスター達に語りかけているのだろう。隠密《ステルス》を生業とする彼らは姿はおろか気配さえもわかりようがないが、ルナにはもう一つのレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』がある。

 たとえ姿が見えずとも、こうもりのエコーロケーションのように生物の存在を察知できる。近距離であるほど精度が高くなり、視覚に頼らない格闘戦もお手の物だ。


「タイヨウさんには皆さんを従わせるほどの何かがある。私もそんな気がします。現に私もタイヨウさんに救っていただきました。人と喋るのが苦手だった私を、あんなにも真摯に受け止め、見守ってくれた。裸になって、恥ずかしい思いをしてまで……」


 皆さんと言われて、周囲のモンスターが姿を見せる。

 ルナはタイヨウの婚約者と認識されている。言うなれば絶対者のパートナー。命令があれば、聞かねばならない。


 一方、ルナは人目も憚《はばか》らず、その身をくねくねとよじらせる。


「何気に良い体してるんですよね。いつになったらやらせてくれるんでしょうか……じゃなくてっ! 今はタイヨウさんの救出が先です!」


 バッと起き上がり、モンスター達に見られていることを自覚して顔を赤くする。「こほん」と無かったことにして、


「タイヨウさんなら大丈夫でしょうが、私が許せないんです」


 ルナは正座で座り直し、自分を囲むモンスター達に尋ねた。


「皆さんも協力してくれますね?」


 モンスター達の反応は微妙なものだった。

 一目でわかる。過半数には遠く及ばない。

 無理もない話だった。


 この森のモンスター達は強い。ただし、それはこの森の結界――魔法が一切使えないという制約に守られているからこそだ。

 魔法を使われなければ隠密《ステルス》は見破られないし、状態異常を防御されたり回復されたりすることもない。だからこそ第一級冒険者さえ寄せ付けない、難所中の難所として君臨できている。

 森の外に出れば、この恩恵は受けられなくなる。


「そうですか……」


 ルナは思う。

 モンスターだって生きている。知能があり、知恵があり、感情があるのだと。

 しかし、モンスターが人と分かり合うことはまずない。ルナ自身もつい最近までは彼らを殺す側の一人だった。


「タイヨウさん……」


 そんなモンスター達を従わせた彼のことが気になって仕方がない。面倒くさがりながらも、しっかりと付き合ってくれる人柄にも惹かれ始めている――


 と、ルナが物思いやら説得やらで忙しくしていると、急にモンスター達がざわつきはじめた。

 数秒と経たずに全匹がルナを無視して、ある一方向に平伏し始めるが。


「そういうのは要らねえっつってんだろ。オレ達は家族だ」


 そのたった一声で、厳粛なムードが嘘のように解除された。


 モンスターにとっては神のような存在であり。

 ルナにとっては自分の大部分を支えてきた恩人であり、恩師でもある彼は。


「……さま」


 唯一、ルナだけが空気を読まずに立ち上がり、「お師匠さま!」それに飛びつく。


「ご無沙汰してますお師匠さま! お久しぶりです! どうしたんですか? 私強くなったんですよ手合わせお願いできまぶへっ」

「ひっつくんじゃねえ、鬱陶しい」

「えへへ……」


 げんこつを食らったルナは嬉しそうに破顔していた。


「おいルナ。こいつらに何をした? なんでテメエが対話できてやがる? 魔素は感じねえぞ」


 魔素とはモンスターのみが漂わせる圧《オーラ》の一種だと考えられている。

 魔素は人に生理的嫌悪感をもたらし、モンスターと人が相容れない要因の一つとされる。


 この魔素だが、人でありながら漂わせる種族が唯一存在する。


 魔人族である。


 彼らはあらゆる種族から忌み嫌われ、モンスター同様、人権を尊重されることはない。代わりに彼らはモンスターと対話できるのだが、その調教師《テイマー》顔負けの能力がさらに魔人族への嫌悪を助長している。


「私は何もしていませんよ。何かをした人の婚約者になっただけです」

「ソイツの話を訊かせろ――いや、やっぱいい。テメエは喋るの下手だからこいつらに訊く」

「相変わらず容赦ないですねー。頭もまだひりひりしますし」

「……何かおかしいと思えば。テメエ、いつからそんなに喋れるようになった?」

「ようやく気付きましたか。この件もダーリンのおかげです」


 ルナがえっへんと胸を張る。

 スタイルの良さは密かな自慢だが、彼は見向きもしない。ちら見するダーリンとやらとは大違いだ。


「ますます興味が出てきた。訊かせろ」






 ルナが一通り説明し終えると、彼は頭を抱えた。


「……」

「お師匠さま? どうかされたんですか?」

「異常な耐久力……どう考えてもアレじゃねえか。ここに吹き飛ばしたのは間違いだったか」

「心当たりがおありで?」

「何でもねえよ。おい、隠密蝸牛《ステルスネイル》! ちょっと付き合え。全員だ」


 彼が叫び、立ち上がると同時に、何百という人頭サイズのカタツムリが集結する。

 見かけによらず素早い隠密蝸牛《ステルスネイル》は、倍々毒気《ばいばいどくけ》――一秒ごとに受けるダメージが倍々になる毒の霧を吐くことで知られている。散々戦闘を重ね、回避にも慣れきったルナでさえも、思わず背筋が凍る光景だった。


「わ、私も行きます!」

「邪魔だからすっこんでろ。そうだな、隠密骸骨《ステルスカル》と白兵戦だ。十対百。テメエは十の方な。体力が底をつくまでしごいてやれ」

「嫌です! 久しぶりのお師匠様なんですからもっと一緒に居ま――あ、ちょっとガイコツさん!? 離してくださいっ! 私はタイヨウさんの婚約者ですよ? 嫌ですお師匠さまああ……」


 ルナを物理的に引き離したところで、彼は自分を取り囲むカタツムリ達に問う。


「さてと。気になって鍛錬どころじゃねえから先に尋ねるぞ。魔人でもないのにテメエらがソイツと対話し始めたのはなぜだ?」


 彼もまた魔人族である。モンスターと対話することができる。


(タイヨウサンハ、ワレラノ、バイバイドクケニ、タエタ……)

(イップンイジョウ、タエタ……)

(シンジラレヌ……)

「確かに信じられねえ話だぜ。オレでも耐えられねえっつーのに……が、サンダーボルトも平気だったアレならありうるか」


 綿人《コットンマン》の長老がたしかに言っていた。あれは冗談を言うタイプではない。


 サンダーボルトに耐えられる生物は、綿人自身を除き存在しない。

 彼とて例外ではなかった。長老と殺《や》り合った際は、常に無詠唱のテレポート、ゲート、ワープを駆使する羽目になったのだ。


(シンジラレヌカラコソ、ワレラハ、ココロウタレタ)

(マオウサマ。アナタデモ、カナワナイ)

「んなことぁわかってんだよ。アレをどうこうしようとは思ってねえ。あと様付けはやめろ」


 モンスターが魔人以外に心を開くことはない。天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。

 それをあの男は可能にした。倍々毒気というサンダーボルトと同様の、いやそれ以上の必殺――桁違いのダメージにさえ耐えることによって。


 信じられないという言葉さえ生ぬるい。もはや理を無視している。彼は神を信じないが、そのような超常的な存在を信じずにはいられない。

 それほどのイレギュラーであった。


(カシコマリマシタ)

(シテ、マオウサマ……イエ、マオウサン。ナニヨウデ?)


 ともあれ疑問が解消された彼――魔王は、早速本題を提示する。


「倍々毒気で実験したい。耐えられかもしれねえ魔法の組み方を思いついたんだ」


 たとえ万物の必殺であろうと、抗ってみたくなるのが彼の――魔王と呼ばれるほどにまでのしあがった男の性分であった。


(カマイマセンガ……シナナイヨウニ、キヲツケテクダサイネ?)

「オレを誰だと思ってる?」

(カイフクヤクガ、イラッシャイマセンガ……)

「だからオレを誰だと思ってる? よほどのレア以外《《全部使える》》」

(サスガデス)

(マオウ、ハンパネエ)

(オイ、クチノキキカタニ、キヲツケロ)

「それくらいでいいんだよ。家族なんだからよ。フラットに行こうぜ」


 魔王の飽くなき探求が始まった。

第29話 お師匠さま2

 白兵戦の鍛錬を終えたルナは、殿《しんがり》から帰還した兵士のようにぼろぼろだった。

 隠密骸骨《ステルスカル》達と同様、地面でのびている。


「レベルアップしちゃいました。さすがはお師匠さま……私に足りない経験を見抜いて、提案してくださったのですね」


 骸骨達と感想戦を行っていると、魔王が戻ってきた。


「済んだか」

「ヘトヘトですけどね……」

「当たり前だ」


 魔王はルナの頭を無造作に掴み、引き上げる。


「テメエのレアスキルについても検証したいことが山ほどある。付き合ってくれるよな?」


 魔王がルナを懇意にしている理由はここにあった。


 この森は魔王が私物化した場所の一つであり、近辺を訪れる際に使うテレポートスポットとして機能している。

 結界も魔王自身が張ったものだ。


 当時ここに逃げ込んできた一人の少女がいた。

 本来なら気にも留めなかった魔王だが、彼女は見えないはずの隠密蛇《ステルスネーク》に反応し、麻痺毒にも耐えていた。魔法の行使は見えなかったし、そもそも使えるはずもなかったというのに。


 魔王は飢えている。

 魔人族を統率し、数多のダンジョンとモンスターを束ね、世界最強と恐怖される実力を身に付けてもなお、飢えが満たされることはない。

 そんな魔王が執着して止まないものの一つが、特殊魔法やレアスキルといった稀少な技の数々であった。


 目の前の少女は、それを持っている。

 気にかける理由には十分すぎた――


「え、冗談ですよね……私、本当にヘトヘトなんですけど……」

「出会って初期の頃はもっとヒイヒイ言ってただろうが」

「普通に吐いてましたが……」

「上達するとたるみがちになる。最近吐いたことねえだろテメエ? オレは《《今でも吐くほど鍛えてる》》っつーのによ」

「お師匠さまと一緒にされても――って、え、ちょっ、本当にやるんですか!? わかりました、休憩! せめて五分だけ!」


 ルナは持てる全力で――それこそ殺すつもりで抵抗したが、魔王の前には赤子も同然だった。






 大量の質問と実験に付き合わされたルナは、嘔吐するほど追い込められた。


 それでもルナに師匠を恨む気持ちは微塵もない。鍛錬のために、あえてそうしてくれたからだ。

 追い込むからこそ手に入るものもある。自分で自分を追い込むのが苦手なルナにとっては感謝の念さえあった。

 そもそも強くなりたい、容赦しなくていいと懇願したのはルナ自身だ。


「もう無理……二度とやりたくないぃ……」

「百回は聞いた台詞だぜ。いいかげん割り切れよ」

「すいません言い返す気力もないです……」

「仕方ねえな」


 魔王は無詠唱でゲートを発動し、ポーションのような瓶を取り出す。いや、取り出していた。

 ルナは感心する暇もなく、中身の液体を飲まされる。液体はまるで生物のように、自らルナの口内に入ってきた。

 魔王の魔法によるものだろう。そこそこ強くなったはずのルナでも、原理がさっぱりわからない。そもそも早すぎて視認がやっとだし、平然と無詠唱を使いこなすところも規格外である。


 しかし加減は絶妙で、喉を詰まらせることなくゴクゴクと飲めた。


「ふう。ありがとう、ございます……でもこれ、寝ないと回復しないやつなんですが――ってあれ? 回復してるっ!?」


 睡眠しない限り回復することのない判断力や集中力――タイヨウが注意資源と呼んだそれらは、ルナも体感的に知っている。魔王からも散々教えられた。


「エリクサーも知らねえのか。寝たくない時に使う基本中の基本だろうが」

「そんなアイテム初耳なんですが」

「相談があるんだろ。話せ」

「お師匠さま……」


 いつもどおりきっちり鍛錬と助言をさせて本調子を戻させ、回復も万全に済ませる――。

 その配慮にルナは震えた。期待感も膨らむ。


 何より魔王だ。アルフレッドという国など取るに足らない。

 腰を上げてくれれば、勝ったも同然である。


 ルナは端的に事情を話した、のだが。


「――言ったはずだ。オレは関わらねえ」

「どうしてですか!?」

「世界がオレのものじゃねえからだよ」


 魔王のさも当然のような台詞に疑問をはさむ余地などない。

 こうして付き合ってみれば、彼の実力は嫌というほどわかる。少なくとも同次元を生きる生物ではない。


 雲泥の、天地の。いやそれ以上の、越えがたい差がある。


「……別に世界を支配しろとは言ってません。私の婚約者を助けてほしいだけです」

「この世に何かしてほしいヤツはごまんといるぜ。そいつら全員をオレが助けるってのか? オレは便利屋か何かか?」

「わかりました。ではこの森の皆さんを連れて行きます」

「最初からそっちが狙いだろテメエ」


 大きな要求を出して断らせた後、本当に通したい小さな要求を出す――現代ではドア・イン・ザ・フェイスと呼ばれる、心理学の常套テクニックだ。


「家族を危険な目に遭わせるわけにはいかねえな」

「だったら今すぐにでも世界中のダンジョンを飛び回ればいいじゃないですか! 今も冒険者にやられている子だっていますよ?」

「事実だが話を逸らすな。オレ達は今こいつらの話をしてんだぜ?」


 無論、そんな小細工が通じる相手ではないが、ルナも簡単にはひけない。

 棚に上げていた事実にさえも手をかける。


「この子達だってそうですよ! 今までも散々殺してきましたよ私!?」

「だからそれはコイツらが選択したことだっつってんだろうが」


 ルナはこの森で何度も魔王から手ほどきを受けている。

 そんな魔王がモンスター達を家族のように扱っていることも知っている。


 それでもルナはモンスター達を殺してきた。モンスターとは分かり合えない。そうするしかなかったのだ。

 そんなルナを魔王は咎めることもなく、止めることもせずに、当たり前の自然現象として受け流していた。


 一度だけ漏らされたことがある。



 ――地上の空気は美味《うめ》えんだよ。



 すべてを救おうとしない魔王に、モンスターや魔人の価値観。

 ルナもまた、わからないことだらけだった。


「……」


 師匠に頼ればタイヨウを助け出せる――

 そんな甘い期待も早々に打ち砕かれる。


 ここまで面倒を見てくれたのだ。魔王が優しいことはわかっている。

 一方で、誰よりも厳しいことも。


「三回だ。この件について、三回まで質問に答えてやる。三十分後にまた来るから、それまでに考えておけ。隠密蝸牛《ステルスネイル》!」


 魔王は再びカタツムリの群れを引き連れていった。

 質問タイム――ルナが心の中でそう呼んでいる、魔王の指導方法が来るとは運が良い。


 与えられたチャンスを生かそうと、ルナはブツブツと呟きながら質問を考え始めた。


 そして三十分後。

 戻ってきた魔王を正座で出迎えたルナは、質問をぶつけた。


「シニ・タイヨウさんはご無事でいられるでしょうか」

「問題ねえよ。オレが保証する」


 内心で一息つくルナ。


 タイヨウの耐久力を疑っているわけではないが、世界には多種多様なアイテム、生物、魔法、スキルが存在する。無事の保証は案外難しい。

 魔王は生き字引でもある。そんな傑物が保証するというのなら、間違いはない。


「王女ナツナ・ジーク・アルフレッドがタイヨウさんをどこに連れて行ったのか、もしわかれば教えてください。わからなければ調査方法を教えてほしいです」

「王都リンゴの王宮中庭に地下施設があるぜ。開閉は本人しかできないようだがな」

「地下施設……」


 ルナは《《中庭の地形を思い浮かべた》》が、直後、頭《かぶり》を振って打ち消す。

 後で考えれば済むことだ。下手に独り言を言って、質問と取られてしまったら悔やんでも悔やみきれない。


「とらわれているタイヨウさんに、他の人には聞かれないように伝言を伝える方法があれば教えてください」


 最後の一問には大いに悩んだが、直近の目的をタイヨウの救出と定めたルナは、コミュニケーション手段を整備するべきだと考えた。

 ただ、いきなり双方向のやりとりを要求すると、不可能だと一蹴される恐れがあったため、まずはルナからタイヨウに伝える方向のみに絞ったのだ。


「てっとり早いのは、ソイツとテメエにしかわからない言葉を青空画面《スカイ・スクリーン》で映すことだ。ソイツが青空を見れるのが条件だがな。他には、場所のあたりがついていて、かつ地下にいるっつーんだから、振動によるコミュニケーションもできるだろうぜ。これも信号体系の共有が条件だ」


 無茶な話だった。

 まず全世界に同時中継を行える青空画面《スカイ・スクリーン》は、第一級魔法よりも高難度な特級魔法だ。人間には不可能だといわれているし、世界会議や公開処刑中継など数少ない事例でも行使者は例外無く竜人《りゅうじん》である。


 後者の振動については、何を言っているのかさえ理解できなかった。

 振動はともかく、信号体系については、タイヨウであればモールス信号等を思い浮かべるところだが。


「……」


 魔王のことだから、他にも多数の方法を思い浮かべていることだろう。だが、それは豊富な知識と魔法、そして要員を持つ彼だからこそできることだ。


 早い話、ルナに提示された回答はほんの一部でしかない。それもルナにもできそうだと判断された、簡単なもの。

 にもかかわらず、その簡単なものでさえも、ルナにとっては非現実的に思える。


 スケールの違いを、難易度の高さを再認識する。

 ルナ一人では為す術がないことの証左でもあった。


 粘りたくて、少しでもヒントが欲しくて。

 しかしこれ以上の質問は許されなくて。


 ルナはただただ無言で時間を稼いでいたが、


「命は無駄にすんじゃねえ」


 魔王直々からの駄目押し。


「……はい。ありがとうございました」

第30話 1/2

 ユズの膝蹴りが俺の鳩尾《みぞおち》を撃ち抜く。俺はペットボトルロケットのように宙を舞ったが、それより速く跳躍したユズが今度は手刀を一閃。

 地面に叩きつけられた俺は、スーパーボール顔負けのバウンドで高く跳ぶ。


「【空中足場《エア・ステップ》】」


 ユズは宙に足場をつくりながら俺の軌道を先回りする。腕を引いてしっかりと溜めてから――掌底《しょうてい》を放った。


「おおっ」


 思わず感心が漏れた。普段の攻撃よりダメージの桁が一つ大きい。ユズにもこれほどの火力があったのか。

 俺は百メートルはあろう大部屋の端まで吹き飛び、頑丈な壁――ミスリルと呼ばれる非常に高価で非常に硬い金属らしい――からの反作用を食らって反発する。

 跳ね返りの勢いも激しくて、ほとんどユズのそばにまで戻ってきた。


 間もなくユズが近づいてきて、「くる」ぽつりと呟く。


 ……来たか。

 王女ナツナが来たことを告げる合図だ。


 ユズは俺をミスリルじゃない地面まで引きずった後、俺の足首を踏みつけ地面にめり込ませる。ほぼ同時に、分厚い出入口の壁が耳障りな音を立てて上がった。


「首尾はどうかしら」

「収穫は二つ――視覚を塞がない。長時間与え続ける」


 ユズも中々の役者だ。俺の顔を乱暴に掴み、近づいてくるナツナの方を向かせる。「ひ、ヒィィ……」当然ながら俺も怖がる演技をする。

 ナツナは昨日と同様、ドレス姿だった。


「視覚は塞いだ方が恐怖を増幅させやすいものだけれど……サンドバッグだからそうでもないのかしらね。何時間痛めつけたの?」

「九時間」

「ちゃんと休んだのよね? テレポート使えないなんてほざいたらお仕置きよ?」

「……無問題。体調は、万全」

「上出来じゃない。お仕置きは勘弁してあげる。近衛二号」


 王女のそばで隠密《ステルス》していた二号が姿を表す。彼女はユズの出したゲートの先へと消えていった。

 ガーディアンをユズに交代したということだ。


「今日はたっぷりと時間を取ったの。朝まで楽しみましょう」

「う、あ……」


 俺が絶望の表情をつくりつつ、今は夜なのかぁなどと考えていると、


「【ドレスアップ】――ネイクド」


 ナツナがそう唱えた。燦然《さんぜん》とした光が発された後、美しい裸体が出てきて、それから別の服に……ってあれ? 変わらないんだが。


「運が良いわねあなた」


 気のせいではないらしい……ああ、裸《ネイクド》か。


 ナツナは一切の羞恥を浮かべることなく、嗜虐的に舌なめずりをしながら俺の顎を掴む。

 舐め回すように俺の顔、それから裸体を見る。


 その視線は、ある一点で止まった。


「知っているかしら? 気持ち良さと痛みは表裏一体なの。絶頂した時の快楽を、そのまま痛みに変換することもできる――ショック死する人も多いのよ?」


 ナツナの手がその一点――俺の股間部に伸びてくる。


 マゾ気質な男なら期待するのだろうか。否、そんなはずない。

 目の前の王女は、たしかに絶世の容姿ではある。しかしその顔は、その眼は、同じ人間のものとは思えなかった。


「一号。その拘束はぬるいわ。《《吹き飛ばないように》》押さえなさい」

「承知」


 ユズが真後ろに回り込み、俺を引き抜いた上でホールド。がばっと開脚させてきた。


「搾り取ってあげる」


 やっぱり気のせいじゃなかったか。俺を性的に攻める気だ。


 正直言えば、受けてみたい。

 性的な負担についても既にひとりエッチ程度は試しているが、まるで歯が立っていないのだ。しかし性の対象自らの協力があったらどうか。

 まだ試してはいないし、簡単に試せるものでもない。

 そのうち歓楽街にでも行くつもりだったが、チャンスが早速転がり込んできたと言える。


 だが、優先順位は大切だ。見誤ってはいけない。


「……もったいないが、仕方ないな」


 詠唱を間違えてしまわないように、俺は独り言をもって発声を試す。問題なし。


「んー、なあに? そんなに欲しいのかしら?」


 平然と独り言を発した俺を見過ごすとは。

 王女もずいぶんと油断しているようだな。


「アタシ、これでも上手なのよ?」


 ナツナが俺のそれを優しく揉みしだく。

 前いた世界では散々楽しんだ俺だが、控えめに言っても《《わかっている》》手つきだった。そして上手い。

 こういうジャンルでも相当遊んできたのだろう。


 彼女らしいなと思った。

 普通の女であれば、まして王女ともなれば、こんな汚らしい遊びなどするはずがない。上の人間は潔癖だ。裸体を晒すのはおろか、自らの手で下々の民の、それも秘部に触れるなど考えもすまい。

 そんな常識さえも彼女は越えてくる。

 ただただ己を満たすために。


 だよな。そうだよな。それでこそナツナだ。

 ボングレーの村人達も呼吸のように殺してみせた、手段を選ばぬ化け物。


 国が自治権を認めるほどの村だったのに。

 知的な会話についてこれる奴らだったのに。

 ちょっとがさつだが良い奴らだったのに――


 ここが潮時だ。


「あ、あ……だめ……」


 死にたくなるような情けない声を上げてみせる俺。


「なあに? 何がダメなのかしらね? ふふっ――」


 王女は呑気に俺のナニをいじっている。


 残念だが、俺は引き金に手をかけているぞ。「だめ」は「間もなく攻撃する」の合図だ。

 もっと言うと、ユズへの警告だった。



 ――さっきの何十倍という火力を出す。耐えられるか?


 ――わからない。でも、遠慮は要らない。



 ユズでさえ死ぬかもしれない。にもかかわらず受け入れてくれた。王女を確実に倒すために。


 悪いが耐えてほしい。無事の保証はこれっぽっちもできない。俺自身、試したことがないんだ。

 しかし王女は確実に仕留めたいし、チャンスも一度しかない。

 となれば、出し惜しみせず撃ってみるしかあるまい。


 俺の唯一の武器――《《今までチャージし続けたダメージ》》の解放《リリース》を。



 ――リリース、2。



 昨日のうちに、俺はこの前半の詠唱を発音している。

 二分の一、五十パーセントの解放だ。


 一見するとしょぼい割合だが、俺はここまでユズの攻撃を受けまくっているし、それ以前のダメージも全部溜まっている。

 頭に表示されている数字は、さすがに魔王の核兵器級には及ばないものの、ユズやナツナが出せる範囲を凌駕していた。半分でも十分すぎる。

 自分で言うのもなんだが、規模が違う。


 加えて、昨日の検証により、この第一段階のセッティングに期限がないこと、そしてセッティング後のダメージも反映されることがわかっている。


 つまり、直近まで受けてきたダメージの全てがインプットとなる。ここまでユズに浴びせてもらったダメージも例外ではない。


「うぁ、これ……やば……あっ」


 俺はナツナの手つきに悶えるふりをしながら、引き金に力を込める。


「うふっ、さすがのサンドバッグもここは弱いようね。とりあえず一発、出しなさい。変換してあげる」


 ああ、出してやるよ。

 どんな女でも木っ端微塵になるであろう、俺のエネジーを。


「オープン」


 後半の詠唱を、俺は口にした。






 綺麗な夜空だった。

 数え切れないほどの光の粒が、思い思いに存在感を放っている。

 よく見ると、前いた世界の星空とはだいぶ違う。天体観測が趣味だったら発狂するレベルだな。


 俺は体を起こし、周囲を見回した。


「……月《つき》かっての」


 月面のクレーターを中から見ると、たぶんこんな感じなんだろう。まあ天体衝突と比喩するには可愛い規模だが。


「にしても強すぎたか」


 それでも人一人を攻撃する手段としてはあまりにも過剰だった。


 王女ナツナ自慢のプライベート空間は、今や見る影も無い。

 大部屋にあった拷問器具、照明、壁はもちろん、ここに来るまでに通ったはずの空間にも檻の形跡が一切見当たらない。そこにいたはずも人達も。


 単純計算で百人以上を葬ったことになる。


 罪悪感など欠片も湧かなかった。

 俺は、目撃しただけの人間全員に思いを寄せるような偽善者ではない。


「あの銀色の巨大ブロックは――ミスリルか」


 稀少で、高価で、非常に硬い金属だったか。硬貨としても使われており、ミスリルコインは一枚でおおよそ一億円に相当する。

 そんな金属から成るブロックだけはいくつも転がっていた。第一級用の部屋にふさわしい硬さだ。さすがに無傷とはいかないようで、かなりぼこぼこしているが。


「……ユズは。ユズはいないのか」


 それに王女ナツナの死体はどこだ。木っ端微塵になったんだろうか。

 現物確認しておきたいところだが、周囲にはミスリルのブロックくらいしかない。


 と、その時。頭上から微かに喧騒が届いてきた。


「まずいな」


 地下が深かったのが幸いしたのか、地上の王宮は無事らしい。彼らから見れば突然地下が大爆発したようなものだ。騒ぎにならないはずがない。


 とりあえず俺はミスリルのブロックの一つに身を隠し、この後どうするか考えることに。そもそもユズ抜きでは次の行動が取れない。


 地上に耳を傾けつつ思案していると、「タイヨウ」突然目の前に裸の金髪幼女が現れた。


「無事だったかユズ。急に出てくると心臓に悪いぞ」

「無事じゃなかった」

「その割にはケロッとしてるように見えるが」

「全身打撲。全身骨折。両手が吹き飛んだ。両目も潰れた。テレポートで避難して、ゲートを使った。秘蔵のエリクサーで、回復。――危なかった」


 出たよエリクサー。回復アイテムの頂点としてしばしば登場するやつだ。

 クソ天使も言っていたが、この異世界は割と前いた世界の異世界ファンタジーやRPGを踏襲してくれているから助かる。


「悪かったな」

「お礼は要求する。後で、たっぷり」

「そりゃ怖い……と言いたいところだが、まだ終わってないぞ。むしろ本題はここからだ」


 ユズに手を差し出すと、「痛かった」仕返しとばかりに握ってきた。

 手のひらの柔らかさは女子相応だったが、普通の人間ならぺちゃんこになりそうなレベルの力が加えられている。

 幸いにも、すぐに止んでくれた。切り替えが早いのは素敵なことだ。


「どこに行く?」

「予定通りだ」

「承知」


 この後の手筈も相談済である。


 シキ王と直々に話し合い、ユズを解放してもらうのは必須《マスト》。それができたら、あわよくば俺の便宜も図ってもらう。図書館とかな。

 本当はナツナの首を手土産にしたかったが、死体どころか肉片すら見当たらない。探す時間も無い。


「【ゲート】」


 ユズは鍵穴のような小さなゲートを開き、覗き込むことをしばし繰り返す。テレポート先の状況を確認するためだ。


「いけそう」

「頼んだ」

「【テレポート】」


 次の瞬間には、豪華な内装の小部屋――といっても何十畳あるんだって話だが――に飛んでいた。

 王宮内、王の間のそばにある控え室である。王族、近衛、その他ごく一部の限られた貴族しか入室できない空間であり、だからこそ選んだ。


「ここでシキ王を待つ。あと何か服をくれ」


 さすがに裸で会うわけにはいかない。

第31話 波及

「号外! 号外っ! 王女ナツナが暗殺された!」


 夜間にもかかわらず、王都リンゴはかつてない緊張と高揚に包まれていた。


 いくつもの人影が街を低空飛行している。老舗の情報屋職員である。

 彼らは二グループに分かれている。発光部隊が聖魔法【ライトボール】で夜の街を照らし、配布部隊が号外の旨を強調しながら大量の紙をばらまく。


 ひらりと舞ったその紙には、王宮中庭の空撮がプリントされていた。

 モノクロで見辛いが、爆心地のような痛々しいクレーターが存在感を放っている。王女暗殺と題した仰々しい書体もまた読者の心を揺さぶった。


「おいおい何がどうなってんだよ」

「情報屋のでっち上げじゃねえだろうな」

「なわけねえだろ。こんなこと書いたら即処刑だぜ」

「彼らの仕事は確かよ。おそらくさっきの轟音を見に行って、その後、博物館の|生命の灯火《ライフ・ランプ》を見たんでしょう」

「あの憎たらしいくらい燃え盛っていたランプが消えたってのか?」

「今憎たらしいっつったわね。処刑されるわよ?」

「それどころじゃねえだろこれ」

「王女が? 嘘だろ? 第一級冒険者でも歯が立たないはずじゃ……」


 一目で実力者とわかる冒険者パーティが顔色を変えている。そのような光景が至るところで見られた。

 普段は静まり返っている商店街や大通りでも、店主とその家族が外に出ている。眠たそうに目を擦る子供も一人や二人ではない。


 そんな光景を屋上から眺める、二つの影があった。

 どちらも無個性の黒スーツを着用している。【ライトボール】の明かりがなければ完全に闇夜に溶け込んでいることだろう。


「貴重な紙をタダで配布するとは、気前がよろしいようで」

「逆ですよ。我々の技術力と行動力を示すことで覚えてもらうのです。今後は平民達も買ってくれますよ」


 情報屋ガートン。

 ギルドから独立を認められた数少ない組織であり、レアアイテム情報からゴシップまで幅広く扱っている老舗の情報屋である。料金は高額で、ほぼ上位階級以上のみをターゲットにしている。


「平民のお財布事情を舐めているようで。紙一枚に金貨を差し出せる者はそうはいないようで」

「ご心配無く。平民の市場は調べ終えたところです。まさかデビューが今日だとは夢にも思いませんでしたがね」

「……」

「どうしました?」


 棒読みのような声音だが女らしい体型を持つ方は、群衆ではなく王宮の方角を向いていた。


「誰が、何のために、どうやって第二王女を殺したのか――自分には見当すらつかないようで」

「私もですよ。だからこそ面白いのではないですか」


 他方の男――スレンダーだが芯の強さと密度の濃さを感じさせる方が、さぞ愉快そうに口角を歪める。


「どなたか存じ上げませんが、その正体――我々ガートンが白日の下に晒して差し上げましょう。そして祭り上げるのです。これは売れる。売れるのですよ……」

「相変わらずお金がお好きなようで」






 同時刻頃。王都西部のとある高級酒場、そのカウンター席には二人の冒険者が並んでいた。


「アウラ。君はどう見る?」


 タイヨウがイケメンと評する金髪の剣士ラウルが、テーブルに広げた紙をとんとんと指す。


「王都は荒れるでしょうね」

「王都だけじゃない。国が変わるぞ」

「どうぞ」


 ラウルは「どうも」店主が置いたワイングラスを手に取ると、ぐっと飲み干す。

 味は確かだが、店主でさえも顔をしかめるほどリスキーなワインであり、ヘブンズゲートという大層な名前がついている。


「……明日から遠征ですよ?」

「どうせ序盤は出番無しさ」

「機嫌悪い?」

「当たり前だ。まさかあれを暗殺できる者がいるなんて……」


 アルフレッド家の鉄壁ぶりは有名だ。まず魔法は通らない。

 加えてナツナにはチャームという反則級のレアスキルもある。近づくだけでアウトであることをラウルは思い知っていた。


 どんっとワイングラスが置かれる。


「ラウル……」


 ラウルは悔しそうに歯噛みしていた。



 ――王女ナツナには近づくな。好奇心も矜持《プライド》もかなぐり捨てて逃げろ。



 王都に通う有力冒険者なら誰もが知っている格言だ。これを信用せず、ナツナの手に落ちてしまった第二級以上の冒険者は一人や二人ではない。

 ラウルもその類だったが、ギリギリのところでアウラに助けられたのだ。


 以来、ラウルはナツナに用心し、飲まれそうな時は外聞を捨てて距離を取っていたのだが。

 当時、いや今でもラウルは大陸有数の剣士だからこそ、そんな羞恥には耐えられない。遭遇した日は、こうして愚痴を垂れることが多い。


「暗殺にしてはずいぶんと派手ですよね、これ」

「魔法かスキルだろうな。心当たりはないのかアウラ」

「うーん……無い、かな。こんな火力、魔法では出せないと思う」

「アルティメットでもか?」


 アウラは深く頷いた。


「……」


 通常魔法には五段階の規模がある。

 ノーマル、スーパー、ハイパー、ウルトラ、アルティメット――。

 最も強いのがアルティメットであり、人間には到達できない領域だといわれている。実際、第一級の攻撃魔法師《アタックウィザード》であるアウラでさえもウルトラまでだ。


「私の見解はラウルとは逆。これは魔法やスキルというよりも、圧倒的な力を出力させたように見える……かなぁ」

「シキ王のようなパワータイプ?」

「おそらくは。でも彼よりはるかに強いのは間違いない」

「はるかに、か」

「そう。はるかに」


 アウラは紙に映された惨状の一画を指す。


「この大きな塊。ぼこぼこにへこんでるけど、見覚えない?」

「ただの岩では? にしては不自然か。これは――」


 間もなくラウルは立ち上がり、「ミスリルか!?」アウラに詰め寄る。

 アウラが咳き込んでみせると「すまない」店主にも苦笑で詫びつつ腰を下ろした。


「ミスリルは私達の武器として使えるほどの硬い金属。ましてこの大きさのものをこんな風にへこませるだなんて、まず聞いたことないです」

「とすると魚人の仕業かい? いやここは地上だから違うか。とすると――」


 ぶつぶつと独り言ちるラウル。

 その隙《すき》に店主がグラスをもう一つ置いてきた。ラウルではなくアウラに。中身はワインではなく果実水だ。


「例の果実から絞ったものです。ご要望の通り、純度百パーセントでございます」


 独り言がヒートアップするラウルの隣で、こくりと堪能するアウラ。


「美味しい。気に入りました」

「喉は大丈夫で?」


 果実水――果実から絞った果汁は濃度が濃すぎるため、水で割るのが普通だ。


「第一級は喉も強いんです」

「はぁ、そういうものですか」


 おかわりを告げるアウラ。

 店主は果実水を注ぎ終えた後、紙を見ながら尋ねる。


「魚人と仰いましたな。ミスリルと関係があるのですか?」

「はい。ミスリルの加工は、魚人の専売特許なんです。海溝《かいこう》ってご存じですか?」

「海の、特に深い部分を指す言葉でしたか」

「ええ。その海溝ですが、圧力が物凄いと聞きます。ミスリルさえ柔らかくなるんだとか」


 がたん、と隣から音がする。ラウルが突っ伏していた。

 反動でワイングラスが落下していたが、アウラの魔法により事なきを得る。

 そのまま店主の手元まで誘導。受け取った店主が頭を下げた。


「そっとしておいてあげてください。私もしばらく考え事をします」

「かしこまりました。おかわりはこちらをご利用ください」

「ありがとう」


 傍若無人で鉄壁な第二王女の死――。

 情報屋として名高いガートンのことだ。既に王都外には広めているだろうし、間もなく国外にまで波及するだろう。


 王女ナツナは防波堤の役割も兼ねていた。それがいなくなったとなると、ラウルの言う通り、ただでは済まない。

 もっとも一冒険者でしかないアウラには詳しい動静など予想できないし、またその気も無かった。


 こくこくと果実水を味わいながら、考える。


 王女ナツナを殺したという事実は、冒険者には刺激的な題材だ。

 ましてアウラは第一級冒険者。相応の探究心もあれば競争心も持っている。

 燃えないはずがなかった。


「【|風の画布《ウインド・キャンバス》】。【|砂の筆記具《サンド・ペン》】」


 風魔法で生成した見えないキャンバスに、土魔法による砂を垂らす。

 指先をペンのように動かすと、そのとおりに文字が書かれていく。図が描かれていく。


 アウラは考察に没頭した。

第32話 邂逅

 王の控え室で待ち伏せることになった俺達。

 とりあえず俺はユズのゲート――ナツナの衣装部屋に繋いでもらった――を物色したが、女物しかなかった。


「これでいいか」


 ネグリジェの一つを適当に選んで着用。腕回りと足回りがかなりキツいが仕方ない。裸よりはマシだ。


 いったん手持ち無沙汰になった俺は直立で待機していたが、ユズは「一度味わってみたかった」という言葉を最後に、ソファーに身を沈めて動かなくなった。


「ユズでもそんな顔するんだな」


 表情筋は10グラムしか無さそうだが、微かに緩んでいる。かと思えば、すうっと姿ごと消えた。恥ずかしくて隠れたな。


 改めて確信する。

 近衛として非人道的に訓練されたとはいえ、ユズは普通の女の子なのだと。


「にしても、王族とは言ったもんだよなぁ」


 家具や調度品の一つ一つから高級な臭いがぷんぷんする。これでくつろげるんだろうか。

 そうだな、俺だったらここをこうして――などとレイアウトを妄想していると、外がにわかに騒がしくなってくる。


 何やら王の間に人が集まっているようだ。


「タイヨウ。たぶん、もう知られてる」

「何がだ?」


 再び姿を表したユズは、頭頂部から額のあたりまでソファーに埋まっていた。ヘッドスピンでもすんのかってくらいに綺麗な一点倒立だ。裸だけど。色々と丸見えだけど。


「ナツナ様の死」

「死体も無いのに?」

「教会に行けばわかる」

「教会? どういう意――」

「くる」


 ユズはマンガみたいなスピードで頭を引っこ抜き、俺のそばにまで戻ってきた。部屋内がぐちゃぐちゃになりそうな風圧を予感したが、テーブルクロスの一枚さえも揺れていない。

 視線を戻すと、ユズはもう隠密《ステルス》に入っていた。


 直後、重そうな白のドアがゆっくりと開く。


 三人いる。大男が二人と、少女が一人。


 大男の方は見間違うはずもない。

 白髪と白髭を携え、黒のタキシードに身を包んだ執事――石化の眼を持つゴルゴキスタと。

 その隣には彼以上の大柄な男。なぜか上半身を裸にして、岩のような肉体を晒している現国王シキ・ジーク・アルフレッド。


 さらに隣には、人間のようだが腕以上の存在感を示す羽と、前腕と下腿の鳥足が妙に生々しい少女が「【|記憶の瞬間保存《スナップショット》】」カメラフラッシュのような光を焚《た》いてきた。

 瞬きせずに見ていたが、彼女は来た道を猛スピードで飛んでいった。速い。ルナやユズの機動力に負けてないかも。


 残った二人は何事も無かったかのように入室し、平然と会話を交わす。


「よろしいので?」

「ガートンが騒いでおる、今さらじゃ。それより王宮の損傷具合は?」

「問題ありません。発生源は地下のようです」


 シキ王がどかっと腰を下ろす一方、ゴルゴキスタはドアを閉める。どうやら三重らしかった。

 閉めた後、ドアが丸ごと石になる。物にも使えるのかよそれ。


「ナツナを殺したのは《《お前ら》》か。用件を言え」


 シキ王は直立した俺を咎めることもなく、似合わないであろうネグリジェに反応することもなく、しかし王にふさわしい高圧的な眼力をもって俺を、いや俺達を射竦《いすく》めてきた。


 ユズも隠密《ステルス》を解除する。俺の真下で体育座りしていた。マイペースな奴だな、何して――いや、これは……震えているのか。


「……話がしたい。三人でだ」


 俺がそう提案すると、シキ王は人差し指で何やら合図。ゴルゴキスタが頭を下げる。


「近衛。ルーム14にテレポート」


 そう言いながらこちらに近づき、手を差し出してくるシキ王。ユズもすぐに立ち上がり、「承知」俺の手も掴んでから、お馴染みの瞬間移動を唱えた。


 景色ががらりと変わる。


 一目でダンジョンとわかる現在地は、氷の世界だった。地面も、壁も、そして天井も分厚い氷で出来ている。

 温度もずいぶんと低い。脳内の数字と体感から察するに、氷点下何十度というレベルだろう。


「とあるダンジョンの深部じゃ。地崩れにより出入口はない。もっぱら鍛錬用じゃったが、お前らとなら密談もできるじゃろう」


 文字通りの裸の王様は、皮膚の接触も気にせず寝そべった。


「お気遣いどうも。早速本題に入らせてもらう」


 俺もそばに腰を下ろし、ガッチガチに緊張しているユズも一緒に座らせた。あぐらをかいて、その中に誘導。すっぽりと収まった。ぽかぽかしていて気持ち良い。

 ユズの頭を撫でながら、俺はシキ王に尋ねる。


「近衛を解放してくれませんか?」


 肩書きは王でも、この人の本質は冒険者らしい。ここまですんなり会話できるとは正直思わなかった。

 だからこそ手強いとも言える。


 王様と冒険者を両立しているこの英傑に対し、俺は相応の説明をし、価値を示さなければならない。


「ダメじゃ。誰が王族を守る?」

「近衛です」

「ふざけておるのか」

「近衛を脅迫で動かすのではなく、正当な労働者として働いてもらうんです」

「正気か貴様」


 たしかに正気ではないだろうな。この世界の、この国の文明レベルでは。

 かといって正攻法でも勝ち目はない。駆け出しのアラサーぼっちに王と舌戦できる知恵や機微などあるはずもない。


 だから俺は、未来の力を借りる。


「正気ですよ。たとえば彼女――ユズの場合、こんな条件だと頑張れます」


 丸一日はガーディアンとして働き、次の一日は完全な非番とする、このサイクルを繰り返すこと。

 非番のユズが友達に会いに行くことを許可すること。

 金貨十枚など正当な報酬を支払うこと――


 ユズにも話した労働条件を、細かい調整はさておき端的に伝える。

 同時に現代の心理学や働き方にも言及しておいた。シキ王の反応から察するに、懐疑と関心が半々といったところか。悪くない。


「こういう働き方だとユズも頑張れます。なっ?」

「……うん」


 ユズの方はまだぎこちなさが残るものの、自分からすりすりしてくる程度には緊張が解けてきたようだ。


「ぬるいわ。労働者に命は張れぬ」

「張れますよ。ユズにもガーディアンとしての矜持がある。むしろ命を張らなければ大切な人達に顔向けできない。そうだな」

「肯定」


 今度はしっかりと頷いてみせると、恐る恐るではあるがシキ王と目を合わせた。


「……」


 意味深に睨み返すシキ。ユズにとっては二重の意味で逆らえない絶対者だ。緊張しないわけがない。

 それでもユズは逃げることなく、身体の震えも自ら止めて、しっかりと見据え続けた。


「そもそもですが、御身を誰かに託すという考え方そのものがどうかと思いますよ」

「それはワシの近衛制をけなしておるのかな?」

「批判しているだけです。人は絶対ではありません。どんなに脅迫し、服従させたとしても、付け入る余地はある」

「そのようだな」


 実際、俺はこうしてユズを懐柔……というと言葉が悪いが、アルフレッドの手から引き離した。


 もっともこれは俺の力ではなくバグのおかげなんだが。

 俺も平凡である。この無敵バグがなければ、とうにナツナの手に堕ちていたはずだ。

 いや、それ以前にとうに死んでるよな。うん、死んでた。本当ならモンスターにでもあっさり殺してもらう予定だったんだよなぁ。


 なんでこんな子守みたいなことを――と思いかけて、頭の片隅に追いやる。まずは目前の物事に集中すべきだ。


「そういう本質を理解しているからこそ、あなたも冒険者をしている――俺はそう考えています」

「……ふっ。ただ者ではないな」


 シキ王は臆病者だ。


 だからこそ、自己の鍛錬を最優先して第一級冒険者という強さを得ている。

 だからこそ、王族同士で争わないよう頂点の椅子を廃止し、王族全体をヒエラルキーの最上位にした。

 加えて上位組織であるギルドを利用し、協定を結ぶ形でシステムの秩序維持を組み上げている他、近衛などという手の込んだガーディアンも実現している。


 それだけじゃない。この上裸のおっさんは、王に違わぬ賢さと柔軟性も備えている。

 市民には恐怖と競争心を植え付け、自律的な発展を促しているし、俺のような無礼者を一蹴することもない――


 ただ者じゃないのはどっちだよ。


「……よかろう。近衛はガーディアンとして正式に雇う形態とする。ユズ以外の全員には後で伝えよう」

「ありがとうございます。良かったなユズ」


 ユズは目を丸くしていたが、頭をぽんぽんしてみると我に返り、慌てて俺のあぐらから降りると、平伏を繰り返し始めた。

 ドゴドゴと氷の地面にヒビを入れるのを見て、俺は思わず苦笑。シキ王も同様で、優しげな顔を浮かべていた。


 俺が目を合わせても、全く誤魔化す様子がない。


「さて。次はワシの番じゃな」


 そんな人だからこそ、見逃してくれるはずもない。


「この落とし前、どうつけてくれる?」

第33話 邂逅2

「この落とし前、どうつけるんじゃ?」


 無論、第二王女ナツナを殺したことについてであるが、正直言ってノープランだ。

 にしてもシキ王の威圧感が見るからに増したのには感心した。上に立つ者は、表情だけでこうも感情の圧力を変えられるのか。


「どうすればいいですかね?」

「……何も考えとらんのか?」

「はい。わからないことはわからないんで」

「おかしな御仁よ」


 シキ王はふっと微笑み、大きな身体を起こす。

 俺と同様、あぐらを組むと。


 誰よりも尊く、また強いであろうその頭《こうべ》を垂れてきた。


「我が娘ナツナを粛正していただき感謝する」

「どういたしまして」


 どん、と脇腹に衝撃が走った。ユズが肘鉄を食らわせたようだ。なんだよ、素直に応対するのが誠意だろ。


「ガハハハッ! 王が頭を下げたのじゃぞ? 普通は狼狽《うろた》えるところじゃろうが」


 シキ王は豪快に笑っていたが、ふと悲しそうな顔を覗かせて、


「あれでも可愛い娘でな」

「……お子さんは、他に何人いらっしゃるんです?」

「ナツナを除いて三人じゃ。アキナ、フユナ、それから失踪中じゃがハルナもおる」


 ルナから聞いていた情報とも一致するが、王家にしては少なすぎる。全員女だし。

 ここで無闇に子供を増やそうとしないところがシキ王らしいなとは思う。


「ナツナは不幸な子じゃ。王族でありながらチャームという規格外の才を持ってしまったがゆえな」

「チャーム――老若男女も問わず、第一級冒険者さえも飲み込むと聞きました」

「決して誰も逆らえぬ」

「さぞ意のままに振る舞えたでしょうね」

「そうじゃな……」


 ナツナの犠牲になった人は少なくあるまい。俺が知り合ったボングレーの人達も余すことなく殺されてしまった。


「……」


 まともな神経なら、生みの親であるシキ王にも憎悪を向けたくなるのだろうが。

 幸か不幸か、俺にそんな感情は湧かなかった。

 元々そういう性分だし、何より今の俺はバグってる。


 これからも湧くことはないのだろう。

 そんな俺は不幸なのだろうか。それとも幸せなのだろうか。俺にはわからない。


「あれを野放しにしておけば、そのうち世界は大いに乱れることになる。じゃからワシはナツナを甘やかせた。国内に留まってもらうために」

「国民が犠牲になっても、ですか」

「そうじゃ」

「そういうものか……」


 俺も人のことは言えない。

 ナツナと一緒に、牢にとらわれていた人達を跡形もなく消してしまった。単純計算で、百人以上――


 俺は考えることをやめた。


 ユズの頭を撫でていると、ふとシキ王が口を開く。


「おぬし、名はなんという?」


 ああ、そういえば名乗ってなかったな。


「タイヨウです。シニ・タイヨウ」

「変わった名じゃのう」


 何せ「死にたいよう」という願望から来ているもので。


「タイヨウ殿。ワシはのう、国王たるもの自国だけを見てはいかんと思うのじゃ。そんな意識だから戦争が起きる」


 またずいぶんとでっかい話になったな。


「ナツナはアルフレッドの血筋に漏れず、いやそれ以上に魔法や戦闘の才もあった。そしてチャームは実力に比例する。あと数年も経てば、血の繋がったワシさえも危うかったじゃろう」


 シキ王は立ち上がると、そばの壁際に寄った。己を映した氷の壁に手を伸ばし、愛おしそうに撫でる。


「嬉しくもあったのじゃ。娘がどんどん強くなり、ワシに追いついてくる――。この気持ちがわかるか?」


 慈愛と憐憫の混ざったような声音だ。

 ……アンタもそういうこと言いやがるのか。


 わかるわけがねえだろ。俺はぼっちだ。

 それも彼女いない歴=年齢どころか、友達いない歴=年齢の希少種。


 なんでだろうな。俺がそういう人間であることは、どうもすぐに伝わってしまう。

 そしてそういう評価を下されるんだ。


 気に入らない。

 育児がそんなに偉いことなのか?

 んなもん誰でもできるだろうが。俺はあえて手を出さなかっただけだ。


 多趣味を謳歌した俺も、さすがに育児には手を出さなかった。

 社会のせいである。

 育児はハイリスクな趣味だ。途中でやめることができない。引き継ぎを担ってくれる組織や仕組みがあればいいものの、そんなものはない。

 現状やめようと思えば、離婚にせよ、育児放棄にせよ、多大なコストがかかってしまう。


 俺は優しくも賢いと自負している。

 パートナーや生まれてくる子に罪はないから、最初から戦略的に撤退してるんだよ。

 適性も考慮せず盲目的に、あるいは常識にとらわれたまま出会いを求めて、恋愛して、結婚して、子供を生んでる思考停止のクズ共とは違う。


 失うのが怖いなら、最初から持つんじゃねえ。

 想像力が無いのなら、本でも読んで勉強しやがれ。


 この気持ちがわかるかだと?

 わからねえし、わかりたくもねえ。


「たぶんワシにナツナは殺せんかったじゃろう。しかしナツナは、ワシをも取り込んでおったろうな」


 感傷に浸っていたシキ王と氷の反射越しに目が合う。

 王ゆえに人を見る目も養われているのだろう。俺の内心さえも見透かされているようで居心地が悪い。


「タイヨウ殿には感謝している。本当はタコ殴りにしたいところじゃがの」


 強靱にしか見えない拳がぶるぶると、しかしわざとらしく握りこまれている。


「タイヨウは強い。サンドバッグとしても優秀」

「ほう?」

「ちょっとユズさん!? シキ王も真に受けないでくださいね?」

「ふっ。ウダウダ話はこれくらいにして、落とし前の話に戻ろうかの」


 もう一度、シキ王は俺の目の前であぐらをかく。


「……結局、俺はどうなるので?」

「記録されとったの。もう表は出歩けんじゃろうな」


 スナップショット、だったか。


 名前から察するに、今見ている光景だか思い浮かべた情景やらを記録するのだろう。

 明らかに俺に向いてたから、対象が俺の素顔であることは間違いあるまい。

 似顔絵でもつくるのか? だとしても印刷技術が必要のはず。この異世界にはまだなさそうだが。あるいは魔法で複製だか高速描画やらができるのかもしれないが。


「体裁もあるからのう。悪いが処刑は免れぬ」


 その点はそんな気がしていた。

 いくらシキ王が賢くとも、王であり国である以上、体裁は必要不可欠だ。


「それも大々的な公開処刑じゃな」

「でしょうね」

「処刑中に逃げられるのも、それはそれで外聞が悪い」

「でしょうね……」

「何か良い案は無いかの?」


 処刑で済むなら済ませてほしいが、もう期待はしない。

 このままでは逃走はおろか「アイツ、全然死なねえぞ!?」なんて騒ぎになるのが目に見えている。目立ちすぎる。


「処刑にこだわる必要はないのでは? 普通に犯人逃走中で良いかと」


 安直な思いつきだったが、シキ王が「お前はアホか」みたいな顔を寄越してくる。


「大陸全土に渡る指名手配は避けられんぞ? 生きていけるか?」


 生きていけるかと言われたらイエスだが、不便なのは勘弁願いたい。


 俺が死ぬためには、もっと知識が必要だ。そして知識とは人が持つもの。

 人間社会に溶け込む……までは行かずとも、せめてその文明や成果を享受できるポジションは譲れない。


「他に方法も思いつかないので、それでいいです。指名手配で」


 指名手配といっても、鍵となるのは人相だろう。そんなものいくらでも誤魔化せる。かなり不便な生活は強いられるだろうが。


「ワシとしてはぜひ直々に刑を執行したいところじゃが」

「公開処刑でですか? 恥をかくだけですよ」

「大した自信じゃのう。力比べするか? ん?」


 シキ王が握手を要求してきた。「遠慮しておきます」もちろん断る。能力を無駄に披露する必要はない。


「タイヨウは固い。ユズ達よりも、断然」


 さっきから何なのユズさん?

 口を塞ごうとしたら逃げられた。今回は少し粘って、しばし攻防を繰り広げてみたが――ダメだ。まるで歯が立たねえ。

 耐久力以外はまだまだひよっこの俺だった。


「……なるほどの。じゃからナツナもはしゃいでおったのか」


 どうもこんにちは、うるさいサンドバッグです。

 胸中で自虐していると、ふとユズが「結婚」ぽつりと呟いた。


「血痕?」

「血痕?」


 俺とシキ王がオウム返しをする。血が突然どうかしたのか。


「そっちじゃない。婚姻の方」


 ああ、結婚の方ね……って、おい。まさか。


「ユズ、ちょっとお話しようか」

「タイヨウでは、捕まえられない」

「もう頭なでなでしてやらないぞ?」

「それは困る」

「隙あり」


 捉えたと思ったが、俺の全力は虚しく空を切った。

 悲しいかな、俺のトップスピードでもユズの初速にさえ遠く及ばない。


「タイヨウが王女と結婚する。それでめでたし」

「言うと思った……。めでたしじゃねえよ。次女殺してんだぞ」

「アリかもしれんの」


 遠慮なく事実を強調してみせたが、父親も乗り気のようだ。


「いやいやナシでしょ。アンタの娘を殺したんだぞ俺は」

「おぬしはナツナの暗殺者を倒した英雄じゃ。ナツナこそ守れなんだが、王宮の敷地が大破するほどの壮絶な戦いを経て、見事危機を救った――筋書きは如何様にもなるわい」

「そんなバカな……」

「フユナはまだ幼いからダメじゃの。アキナは、いやアレは……。やはりハルナじゃな。ハルナが帰ってきたら間違いなく結婚させるんじゃが」

「指名手配でお願いします」


 冗談じゃない。国なんか背負いたくねえよ。

 俺は死にたいだけだ。そのために知識を欲していて、今は図書館を目指していて……そうだった。


「シキ王。俺、図書館を使いたいんですけど、何とかなりませんかね」

「なんじゃい? 平民なのか?」


 ラウルからもらったメダルを見せようとするも、とうになくしてたんだった。


「上位階級を証明するメダルを渡せば済む、と言いたいところじゃが、指名手配じゃからの」

「ですよねー」


 かといって公開処刑で「あれ? こいつ死ななくね?」となって目立つのも論外だし、何より国の顔に泥を塗ってしまう。

 衆人環視だから、死んだように見せかけるってのも難しいだろう。からくりがバレたら、泥どころか不信に繋がりかねない。


「結婚しかない」

「なんでユズは乗り気なの」

「タイヨウが王になる。ユズは愛人になる」

「いやだからなんで」

「ユズはタイヨウを気に入った。そばに居させてほしい。友達にも紹介したい」


 恋なのか刷り込み現象なのか知らんが、そういうのも勘弁してほしい。

 何度でも言うぞ。俺は死にたいだけだ。何も背負いたくはない。


「ワシも賛成じゃ。いびってやるから覚悟せい」

「絶対行きたくねえ」

「ところでタイヨウ。連れの女はどうする?」

「連れ? ルナのことか?」


 迂闊に答えた瞬間、しまったと思ったが時既に遅し。


「ハルナじゃと!?」

「タイヨウの女。ただならぬ仲」


 胸倉を捕まられる俺。顔が近いです。ユズはユズでそろそろ自重してほしい。


「人違いですよシキ王。ただの知り合いです」

「でもナツナ様はお姉様だと漏らしていた」

「ユズッ!?」


 いや、薄々わかっていたけどさ……。

 ルナの正体がハルナ・ジーク・アルフレッド――この国の第一王女であることは。

 血が繋がっていたからこそ、ナツナのチャームも効かなかったんだ。


 いつの間にかシキ王は俺の両肩を掴んでいた。暑苦しい顔をなおも近付けてきて「ハルナか! ハルナなんじゃな!? 無事なのか!」などと言ってくる。

 普通につばが散ってるんですけど。しかも温度低いせいで俺の肌に触れた瞬間に凍るんですけど。


「落ち着いてください」

「会わせよ。話はそれからじゃ」

第34話 邂逅3

 森ではルナが作戦会議を立てていた。

 木灯により日中のように明るいエリアに足を運び、高い木の上から土魔法を発動――周辺の地面に砂を重ねる。そこに風魔法で表面を削ることで、点や線を描いていく。


 描いたのは地図、それに見取り図だった。王都周辺、王都内、王宮周辺から敷地内まで、思い出せる限りを並べた。

 それらを見下ろしながら、ルナはうんうん頭を悩ませていたが。


「何も思いつきませんね」


 はぁと深くため息をつき、木から落ちるルナ。数十メートルの高さから落下したが、ルナにとってはベッドから落ちるようなものだ。


「放っておくしかないんでしょうか……」


 しばし大の字で呆けていたが、起き上がると「【ウインド】」服についた汚れを風魔法で落とす。

 歩き出そうとすると、かくんと膝が曲がった。


 疲れが溜まっている。

 先日、師匠から無謀だと釘を差されて以来、ルナは反抗するかのように鍛錬と一人作戦会議に没頭していた。負担も蓄積されているし、睡眠時間も少ない。


 そのまま倒れようとしたが、何かに受け止められる――ふっと姿を現したのは、装甲のように硬い尻尾。

 先端だけはぷにぷにとしており、これがルナの顔面をキャッチしていた。針は刺さらないよう折りたたまれている。


「サソリ、さん? どうしたんですか?」


 隠密蠍《ステルスコーピオン》だった。ルナを優しく弾いて直立姿勢に戻すと、尻尾で一方向を示す。


「私についてこい、と?」


 尻尾で頷くサソリ。


「……珍しいですね。わかりました」


 モンスターの方から何かを頼んでくることは滅多にない。

 タイヨウや師匠であればこんな反応はしない。侵入者だろうか。しかし、おいそれとここまで立ち入れる者がいるとも思えない。


「……」


 ルナは疲労困憊だった。呼吸のように発揮できるレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』の精度さえも怪しく、このサソリの接近にさえ気付けなかったほどに。

 最後の気力を絞り、戦闘時の気迫を漂わせながら、サソリのあとをついていく。


 明るいエリアから離れていき、鬱蒼とした森本来の暗闇が幾分か混ざってくる。


「……あれ? サソリさん?」


 いつの間にか、サソリはいなくなって――いや違う。単に隠密《ステルス》を発動しただけだ。まだすぐそばで控えている。

 発動したということは、油断ならない相手がいるということ。やはり侵入者――などとルナが混濁していると、


「ルナ。無事だったか」

「え……この声……」

「いや、だいぶしんどそうだが、大丈夫なのかそれ?」

「タ、イヨウ、さん……?」


 膝に両手をついて堪え、顔を上げる。

 面倒くさそうな表情を浮かべた、ネグリジェ姿の彼がいた。


「タイヨウさん!」


 左右に二人ほど何かがいたが、構わなかった。ルナは弾丸のように飛びつこうとして、「ハルナかっ!?」馴染みのない肉体に阻まれた。というより包まれた。


「ハルナじゃな!? 大きくなったのう!」


 一瞬で暑苦しいとわかる老人だったが、不思議と嫌な感じがしない。


「ほれっ。エリクサーを固めたものじゃ。飲め飲め」


 口を広げられ、水魔法とともに小石のようなものを流し込まれる。

 強引にもかかわらず、苦しさを感じない。優しい手つきだった。


 間もなく全身から血の気が引いていくかのような感触。


 ぶるっと震えた後には、すべての疲労が回復していた。


「ハルナッ! ワシじゃ、覚えとるか!? パパじゃ!」


 改めて見ると、老人の顔が目と鼻の先にあった。比喩ではなく文字通りに。荒々しくも生々しい吐息がこれでもかとかかってくる。


「だ、だだだ誰ですかあなたはっ!? 離れてください! 気持ち悪――って、え?」

「引っ込み思案なところは治っとるの。口は悪うなっとるが」


 暑苦しい顔が少し離れ、にかっと笑顔を浮かべる。


「お父、様……? なんでタイヨウさんと? それに……えっ、近衛っ!?」


 臨戦態勢を取ろうとするルナだったが、目の前の老人によって瞬時に封殺された。そのやりとりだけで実力の開きを思い知る。


「敵じゃないから安心してくれ。早速だが話を聞いてほしい」


 タイヨウは何食わぬ顔で腰を下ろし、何をするかと思えば、組んだあぐらの中に近衛を収めた。

 近衛は近衛で、愛おしそうにタイヨウにもたれかかっている。しかも裸のままだ。


「た、タイヨウ、さん……?」


 情報量が多すぎてまともに追いつかないまま、話が始まった。






「――こんなもんですかね」

「上出来じゃ。意外とやるのうタイヨウ殿。おぬしならアキナも何とかできるじゃろう」

「タイヨウさん」

「俺、王子になるつもりはないですよ」

「アキナじゃ不服か? まさかおぬし、フユナが良いとか言うまいな? おぬしはアレか? ロリコンというやつじゃな?」

「違いますしそもそも興味ないですしなんでその言葉がこの世界にあるんだよ」

「タイヨウさん」

「何を訳わからんことを……ユズとイチャイチャしておるではないか」

「一方的に懐かれてるだけです」

「違う。これは求愛。ユズはタイヨウを愛している」

「ほれ見んか」

「だあああもうっ! タイヨウさんのバカっ!」


 ルナが突然お怒りになられた。


「どうしたルナ? 眠たいのか?」

「どうしたもこうしたもないですよ! どういう状況なんですかこれ!?」

「どうって……感動の再開と直近の作戦を並行してるとこだろ?」


 俺とシキ王は向かい合っていた。

 俺はあぐらの中にユズを収めて。シキ王もまた娘であるルナ――アルフレッド第一王女ことハルナ・ジーク・アルフレッドを収めて。


 一刻も早く平穏を取り戻したい俺は、半ば強引に二人をここに連れてきた。

 ルナの扱いをシキ王に任せることで、シキ王の希望――長らく会ってなかった娘との再開を満たすと同時に、俺では押さえられないルナの封じ込めにも成功。


 間もなく上機嫌になったシキ王と、早速話を詰め始めたのが一時間ほど前のこと。

 今はちょうど一通り落ち着いたところだった。


「理解はしましたけど、その、なんというか、情報量が多すぎて……」

「それは俺もだ。言ってくれるな」

「ああもうお父様うっとうしい暑苦しい髭が邪魔筋肉硬すぎて気持ち悪い!」

「ハルナぁ……」

「久しぶりなんだから親孝行してやれよ。な、ユズ」

「うん。親孝行は大事。ユズに親はいない。羨ましい」

「一番気に入らないのがそれなんですけど。ずいぶん仲良くなられたのですね?」

「うん。相思相愛」

「ねつ造はやめようなユズ」


 口には出さないが、うんざりしてるのは俺もだからな?


 それでもここまで話し合えたことは大きい。結果オーライと言えるだろう。


 まず俺ことシニ・タイヨウの処遇だが、指名手配で確定となった。

 王女ナツナを殺してしまった上、魔法だかなんだかで顔も撮られてしまったのだから仕方ない。この後、シキ王もそのつもりで会見を行う。


 当初の予定だった近衛の件――脅迫ではなく正当な労働者として雇う形態にシフトする件は、きちんと対応することで合意。

 会見の後にでもすぐやるそうだ。

 その近衛だが、ユズの他に四人いるらしい。ユズが先導して話し合うそうだ。


 ここでは良い。良かったんだが……。


「正直言って週に一度でもだるいんだよなぁ。というかアルフレッドという国がどうなろうが知ったこっちゃないし」

「タイヨウさん。さすがにぶっちゃけすぎです」


 あろうことか、国政にも関わることになってしまった。ルナと一緒に。

 もちろん最初は断固拒否したのだが、ルナが「タイヨウさんと一緒じゃなきゃ嫌ですっ!」などと駄々をこねシキ王を味方に。なぜかユズもそちら側について三対一となり断れず。


 だったらいっそと、俺は持てる知識を総動員して、今後の関わり方を提案した。


 一つ、ルナは公式には行方不明のままとする。

 一つ、ルナと俺は表舞台には出ない。

 一つ、ルナと俺は今後も冒険者を続ける。

 一つ、ルナと俺は国政顧問となり、アドバイザーという形でシキ王に助言する。

 一つ、シキ王との面会は週に一度、この森で行う。

 一つ、面会では顧問の役割と親孝行を二つとも行う。時間配分は都度相談する――


 と、要するに現状維持しつつ、顧問として国政に関わるという、ただそれだけの話だったのだが。顧問など目新しい概念が多かったようで、納得してもらうまでが長かった。


「私と一緒にお父様を支えましょう。近いうちに、タイヨウさんには相応のポジションを用意しますから。ね、お父様?」

「そうじゃな。二人に引き継いでワシは隠居する」

「いや国王になるとは言ってねえよ」


 魅力的な提案ではある。

 そんなポジションであれば図書館はもちろん、豊富な資金や人材が手に入る。自殺するためのヒントを効率良く集められるはずだ。

 だからといってホイホイと乗るほど俺は甘くもない。


 何事にも相性というものがある。陰キャ気質の俺に、そういう仕事は無理だ。


「にしてもルナ、ずいぶんとやる気になったよな。家出《いえで》したんだろ?」

「束縛されるのは嫌ですが、王女ハルナはもういません。ナツナも」


 余談だが、家出する前の幼少期時点でナツナはああだったらしい。彼女は王宮の大人達をたらし込み、多対一でルナをいじめていたのだそう。

 それもシキ王にバレないよう巧妙に。話を聞いたシキ王はショックを隠しきれない様子だった。


「本音を言えばこのままでいたかったんですが――私は踏み出したいんです。強くなりたい。お師匠さまのように。タイヨウさんのように」


 ルナの目も節穴だったか。俺は誰かに目標とされる人間じゃねえんだがな。

 お前の妹も含めて既に百人以上と殺しているし、近いうちに俺自身も殺す。お師匠さまとやらはともかく、後者の目標は撤回した方が良い。


「必ずタイヨウさんを迎え入れます。今までどおり、いっぱいイチャイチャしましょうね」

「そんなにしてねえっての」

「何じゃと!? ワシの娘とあんなことやこんなことを四六時中しとるじゃと?」

「アンタの耳は腐ってんのか。あと第一級の拳はシャレにならないんでやめてくださいマジで」

「大丈夫。ユズが捌く」

「ほう?」

「挑発しなくていいから」


 俺としては一人でのんびり死に方を模索したいところが、指名手配が確定した今では叶わぬ夢だ。

 かといって、こそこそ生きながら試行錯誤できるほど器用でもないしな。そもそも能力だってしょぼい。レベル17のひよっこ第四級とのことだが、こいつらに比べたらゴミ同然だろう。


 だったら開き直った方が早い。


 こいつらに協力してアルフレッドを支える。汚名を晴らしてもらう。

 何なら顧問として俺自ら策を考えてもいい。


「どうしたんですかタイヨウさん。浮かない顔して」

「何でもない。面倒くせえってうんざりしてるだけだ」

「またそういうこと言う……」


 でもなぁ、王女殺しの汚名をひっくり返すってどうやるよ? 無理ゲーじゃね?

 それこそ俺が帝王となって、アルフレッドを帝国にでもしない限りは――いや、やめよう。そういうのは肌に合わん。


 それからも俺達は団欒を楽しんだ。いや俺は楽しんでないけども。

 というかシキ王さん、飽きずにスキンシップされてますけど、会見はどうした……。

第35話 契機

 天空を貫くようにそびえ立つ大木の数々。

 否、大木という言葉すら生ぬるい。何せ直径は数十メートル数百メートルに達し、高さに至っては海底から雲にまで突き抜けているのだから。

 そんな奇跡のような木々は『ジャースピラー』と呼ばれ、とある種族の住処となっている。


「王様。緊急事態でございます。このようなものが」

「なんだい? ボクはバサバサで忙しいんだけどなー」


 バサバサとはその種族において性交を指す言葉だ。


 王様と呼ばれた男は、後ろから女に抱きついていた。

 女は巨木に両脚でしがみつき、一見でそうだとわかる表情を浮かべて喘いでいる。彼女の両腕には羽がついており、それらもまた自らの快楽を示すようにバサバサと上下する。


「申し訳ございません。さきほど、このようなものが飛んできました」


 王様に報告している女もまた両腕に羽を生やしている。

 片腕で羽ばたいて滞空を維持しつつ、空いた手を差し出す。そのかぎ爪は一体の死体を掴んでいた。


「……死体? 流れ弾にしては珍しいな。貸したまえ」


 彼は性交中の女を突き飛ばし、報告者の手からも死体を乱暴に、しかし傷付けないようにかっさらう。

 しばし、まじまじと眺めていたが。


「――しい」

「……ご指示でしょうか? 失礼ですがもう一度――」

「美しいぃ!」


 常人なら鼓膜が破れるであろう音量だった。


「……その死体が、ですか」

「見て分からないのかい!? この美しさっ!」

「は、はぁ」

「この死体――人間にしては壊れ方が奇跡なのだよ!」


 男は愛おしそうに死体に頬ずりをする。


「下界の下等種にもボクレベルの火力を持つ奴はいる。誰かがこの子にそのレベルの攻撃を放ったんだろうね。この子単体なら間違いなく跡形もなかった。見たところ、レベル100にも至らない雑魚だ」

「……」


 報告に来た女の眼差しから軽蔑の色が薄れていく。

 この王様はだらしないが、それ以上に強い。レベル100――第二級冒険者の上位さえも雑魚と称せるほどに。


「ところが、別の誰かが彼女をかばったんだ。魔法やスキルでは防げにくい火力だからね、体を張ったんだろう。しかしカバーしきれなかった――でも! それが奇跡を生んだ!」


 男は興奮した子供のように語る。


 もし防御が深すぎたら、この人間はここまで飛ばなかっただろう。

 逆にもし防御が浅すぎたら、この人間はここに飛んでくる前に骨一本残さず散っていたことだろう。


「わかるかい? これは奇跡なんだよっ! ボクのような強者だからこそわかる。この程度の雑魚をここまで飛ばしてくる塩梅が、奇跡的に絶妙なんだ! わかるかい!? 海岸から一つの小石を見つけるようなものさ!」

「……」


 女は黙して傾聴していた。

 王は興奮している。下手に反応して機嫌を損ねてしまえば、首など一瞬で吹き飛んでしまう。


「これは運命とさえ言える! 神はボクに何を望んでいるんだい? うはっ、うはははっ! どうしようか!? どうしてくれようかっ! とりあえず犯してみよう!」


 王の高揚と屍姦《しかん》は小一時間続いた。




      ◆  ◆  ◆




「我らの偉大なる神『サクリ』様が、悪しきアルフレッドの悪女を葬ってくださった。今こそアルフレッドに進出し、教義を布教する好機! これは啓示です。サクリ様が与えてくださった啓示なのです!」


 三大国の一つ『オーブルー法国』の中央教区大聖堂内には、何万という教徒が詰め寄っていた。

 堂内は球場のような広さを誇り、段々状に配置された長椅子に教徒が腰をかけ、両手を合わせている。

 教徒の正装は青色のローブだ。ゆえに堂内は青一色に染まっている。


 教徒の海に声を届けているのは、堂内中央に浮かんでいる一人の人間。

 いや、性別はおろか人間かどうかさえもわからない。赤のローブに身を包んだそれは顔さえも判別がつかず、声もどこか中性的で機械的だ。


 ただ、それの声は絶対だった。

 赤が許されているのはただ一人――教皇だけである。


 赤きローブの声により、青色の集合体はまるでひとつの生命体のようにうごめいていた。


「いいねぇ、ワクワクしてきたよアタイ」

「私も行きたかったです」


 そんな様子を講堂の隅から見ている影が二つ。二人とも緑のローブを着ている。


「教皇様に口出しするのかいアナバ? 言ってたじゃないか。王都リンゴの地下には|衝撃吸収システム《ショック・アブソーバー》が搭載されてる。アンタとは相性が悪い」

「地上で砂嵐を起こせばいいです」

「それじゃ目立たないだろ? なぜ教皇様がアタイに任せてくれたかって話さ」


 上機嫌の方が自らのフードをはぎ取る。長い赤髪と、一目で好戦的とわかる女豹のような顔立ちが表れた。


「いいかい。今回の侵攻はほんの小手調べなんだよ。同時にパフォーマンスでもある。想像してみな――火の海に包まれる王都を」

「アングリは野蛮です」


 アングリと呼ばれた赤毛の女は、手のひらに出した燃えさかる炎を見ながら口角を歪める。


「リンゴにはアウラもいるしねぇ。楽しみだよ……」


 間もなく教皇の演説が締められ、堂内は爆弾のような盛況に包まれた。




      ◆  ◆  ◆




 とある屋外大浴場は休日夜のスーパー銭湯のごとく繁盛していた。

 その中でも一際目立っていたのが、大浴槽の中央あたりに陣取る集団だ。


「なあブーガさん。もうちっと何とかならねえか? オレは人一倍働いてるっつーのに、給金が他の奴らと同じじゃやる気が出ねえよ。なあ?」

「そのとおりよ」

「良いこと言った!」


 男の一人が湯に浮かんだ盆《ぼん》から盃《さかずき》と徳利《とっくり》を掴む。

 自ら注いで一息で飲んだ後、盃をブーガと呼ばれる男に渡すも、「私は飲まぬ」彼は首を横に振った。


「相変わらず堅え御仁だなぁ」

「もうちょっと頭を柔らかくして考えてみようや」

「何ならワシらを政府で雇ってもええで? やる気が出る策を考えてやるよ」


 男達が酒気混じりにワイワイする横で、ブーガは何食わぬ顔で湯に浸かっていた。


 皇帝ブーガ。

 『ダグリン共和国』を治める英傑である。

 その肩書がわからずとも、その姿を見ただけで人は自然と畏怖を抱くに違いない。体格こそ冒険者としては珍しくないサイズではあるものの、身にまとう雰囲気は覇者のそれであった。


 実際、それがわかる者は、たとえ皇帝が平民であっても無闇には近づかない。否、近づけない。

 こうして別け隔てなく接することができるのは、そういったことに無頓着な職業《ジョブ》の者だけだ。ブーガ自身もまた、自分のそばでくつろいでいる者達が農民であることを即座に把握していた。


「皇帝さんもたまには自分を労ってあげーや。ほれ、飲みなって」


 ブーガはもう一度首を横に振ると、重たそうな口を開いた。


「やる気は金で買うものではない」

「じゃあ何で買うんだ?」

「ワシらのような不満はごまんとあるぜ? 真面目に考えてほしいんだよ皇帝さん」

「いいから飲んでみなって。この銭湯の酒、美味――」

「職業《ジョブ》は絶対だ」


 ブーガの有無を言わせない語り方に、思わず全員が押し黙る。


「同時に義務でもある。果たせぬ者は罰するまで。獄中で暮らしたいか?」

「ちょ、ちょっと待った、そういうんじゃないですって」

「やだなぁ皇帝さん。ワシら、ちゃんと働いてますって」

「それで良い。各自、与えられた任を全うすればそれで良いのだ。不満はあれど、生活はできておろう?」

「たしかにそうですけど」

「でもなぁ……」


 不満を口には出さないが顔には出している男達。ブーガは彼らを一瞥した後、ざぶんと立ち上がる。

 一流の戦士として完成された肉体には、同性の目も惹きつける魅力があった。


「不満があるなら職業変更試験《ジョブチェンジ》を受けよ。政治を変えたくば、役人に就くが良い」

「役人って……」

「そんな無茶な」


 そう言い捨てたブーガは大浴槽を横切り、ふちを跨《また》ぐと、ばっと両手を広げた。


「不満を持つ諸君らに朗報がある。我らダグリン共和国は、近いうちにアルフレッド王国を攻める。ゆえに臨時の職業変更試験《ジョブチェンジ》を開催する予定だ。変えたい者は、己が行動で示せ」


 皇帝の唐突な爆弾発言に、浴場内が瞬時にヒートアップする。

 思わずブーガに詰め寄ろうとする者もいたが、本能的な恐怖で近寄れなかった。実力者であれば、それが圧《オーラ》によるものであるとわかっただろう。


 かけ湯をするブーガの元に、一人の男が近づく。


「契機は第二王女の件ですか?」

「そうだ」

「あ、私、軍人として勤務している者です」

「良い。こうして近寄れるだけでも大したものだ。引き続き励むが良い」

「ありがたきお言葉。――にしても、意外ですね」

「意外?」


 身体を拭く用に積まれた布を取り、二人並んで水分を拭き取る。


「ええ。ブーガさんは国を乗っ取りたいとか戦い続けたいとかいった狂人ではないでしょう?」

「そうだな」

「だったらどうして」


 惚れ惚れするような早業であっという間に拭き終えたブーガは、既に歩き出している。

 横顔だけ向けて、彼の問いに答えた。


「この国が、長くは保《も》たないからだ」

エピローグ

地獄

「なあユズ。石化を防ぐ方法って知ってるか?」


 俺は瀕死のミノタウロスの、つぶらな瞳に手を突き刺し、かき回す。

 最後の抵抗に吹き飛ばされないよう目蓋《まぶた》を掴んで堪《こら》えるその隣で、ユズは別のミノタウロスを圧倒。手刀で首ごと切り落としていた。


「知ってる。一つだけ」

「教えてくれ」

「経験値稼ぎは?」

「いったんこれでおしまいだ」


 第二王女ナツナの暗殺騒動から五日が過ぎた。


 俺達は|迷宮の大峡谷《ラビリング・キャニオン》――アルフレッド王都『リンゴ』のはるか東部に位置する大峡谷に来ている。

 無論、俺の足で来れるはずもなく、ユズのテレポートに頼った。


 俺はミノタウロスから飛び降り、周囲を見回す。

 午後の晴天が果てしない峡谷を映していた。グランドキャニオンはこんな感じなんだろうか。永遠に散歩したくなるような壮大な光景だ。


「洗う?」


 ちょうど背面から聞こえる声に振り返ると、ユズが両手を横に広げていた。

 金髪な幼女体型の素っ裸に返り血。その後方にはミノタウロスの死骸が一、十、百――。


「そのままでいい」


 俺が腰を下ろすと、ユズがとててと駆け寄ってきた。

 あぐらの中にすっぽりと収まり、もたれてくる。さらさらの髪が少しこそばゆい。ちなみに俺も裸だ。


 原始人でさえ何か巻き付けているだろうに。俺の感覚はとうに麻痺しているのかもしれない。

 もっともバグってるせいで常時平静でいられるのもあるのだろうが。

 死体の海と血の臭いをバックに会話するとか相当なんだよなぁ。


 相当と言えばユズもそうである。一体どんな鍛錬を積まさせれば、こんな少女が生まれるのか。


「石化を防ぐ方法。ユズは知っている」

「ああ。教えてほしい」

「ご褒美を所望」

「……聞こうか」


 ユズはとんとんと自らの腹を示した。


「なでなでしてほしい」

「ほらよ」


 頭を撫でてやると「とぼけるの、ダメ」肘鉄が飛んできた。粉塵が巻き上がるレベルの一撃。


「お腹を撫でるのか?」

「うん」

「なんで?」

「うん」

「いや理由を……」

「うん」

「……」


 先日のルナとシキ王を見たからか、ユズは妙に甘えてくるようになった。


 ユズは便利だが、正直あまり依存されたくはない。

 俺は|死にたいよう《シニ・タイヨウ》。ただの自殺志願者なのだから。

 だからこそ、あえて道具のように扱い、やんわりと拒絶をアピっているつもりなのだが……どうにも効き目がない。


 結局、俺が根負けして、ユズのお腹をさすさす。


 代わりにユズの講釈を授かった。


「――なるほど。レベル差か」


 ユズ曰く、石化スキルの行使者よりも高レベルであれば石化は効かないようだ。

 これは石化というレアスキルに限らず、一般的にも当てはまる。つまり状態異常系の魔法やスキル全般は、行使者と同等以下のレベルを持つ相手にしか効かない。


「仮にゴルゴキスタの『|ゴルゴンの目《ゴルゴンズ・アイ》』に耐えたいなら、奴のレベルを越えないといけないのか」


 ルナ曰くゴルゴキスタは第二級冒険者だそうだ。ということは少なくともレベル65以上。第一級が129からだから、下手をすれば128……ずいぶんと広いな。そして遠い。


「ちなみにユズのレベルはどのくらいだ?」


 かく言うユズは、近衛だけあってゴルゴキスタの石化にも耐えるそうだが。


「まだ教えない」

「……そうか。良い心がけだ」


 付き合いの長さを期待する含意《ニュアンス》は聞かなかったことにして、適当な感想をぶっこく。


 しばし一緒に空を見ていたが、「そろそろ」ユズが名残惜しそうに立ち上がった。


「帰るのか」

「うん」


 ユズは一日ごとに出勤と非番を繰り返している。

 仕事ではルナやシキ王の警護を行い、非番ではこうして俺と過ごしたり故郷の友達に会いに行ったりしている。


「格好はそのままでいいのか?」

「先に洗う」

「服は?」


 自分の平らな体躯を見下ろすユズ。


「……このままでいい?」

「いいわけねえだろ」


 裸族にしか見えない俺が言っても説得力皆無だが、そろそろ人並の常識は覚えてほしい。


「じゃあ着替える」

「ゆっくりしてこい。無理して俺に付き合う必要もないからな」

「……タイヨウのばか」

「え? なんだって?」

「ばかと言った」


 鈍感主人公の決め台詞を使ってみたんだが、ダメじゃねえか。


「わかったわかった、悪かったから手刀構えるなって――ユズ?」

「タイヨウ」


 急に深刻な表情をつくるユズ。といっても表情が乏しすぎてかろうじてわかるという程度だが、気のせいではない。

 怒るでも、別れを惜しむでもなく、もっと別の何かだ。


「……ううん。なんでもない」

「そうか? 遠慮は要らないぞ。何でも相談してくれ」

「うん」


 社交辞令は期待どおりに機能してくれたようだ。

 間もなくユズはテレポートを唱え、死体の山を残して消え去った。


「……どうするんだこれは。放置してていいんだよな?」


 少なくともアンデッド化といった事態は起きない。

 ユズが言うには、死体はそのうち勝手になくなるらしい。メカニズムこそ明らかにされてはいないものの、『ジャース』では誰もが知る自然現象なんだとか。


 ちなみにジャースってのはこの異世界の名前だ。

 世界そのものを指すのか、それとも天体なのかは怪しいところだが。

 そもそもここは地球のような天体なんだろうか。

 夜空には星が見えていたから天体だとは思うが、ここは異世界。前いた世界の常識が通じるとも限らない。


 一昨日、それとなくユズに聞いてみたが、そもそも天体や宇宙という概念を持ち合わせてないようだった。

 一方で星や大陸は通じた。よくわからん。まあ追々調べることにしよう。


「……帰るか」


 ユズとの合流地点として使っている洞窟があり、俺はそこを寝床にしている。

 人もいないし、モンスターも来ないし、と良い場所だ。


 唯一、ギロチンワニというモンスターが生息しているものの、バグってる俺にはお構いなし。むしろガジガジしてくれてダメージが溜まるからありがたいまである。

 口が殺人的に臭いのが難点だが、慣れればどうということはない。そもそも不快に感じる手前で遮断されるしな。嗅覚まで無敵とか本当にチートだよな。嬉しくねえ。


 ミノタウロスの屍を横目に、俺はその場を立ち去った。






 百メートル走のペースで走り続けること二十分、寝床の洞窟に着く。

 観光地として入場料を取れるくらいに綺麗な鍾乳洞と、透き通った青い地底湖が目に入るが、早速奥の方から何かがゆらゆらと。

 ざぶんと上がってきて、大きな口を開けてきたそれは――この洞窟の主こと、ギロチンワニ。


 歯がギロチンのようになっており、俺の全力でもヒビ一つ入らない岩石を豆腐のように断つほどの力を持っている。

 体躯も大きく、全長九メートルはあるだろう。かなり頑丈らしく、ユズでも切断できないほどだ。


「へいへい、きれいな歯ですね。というか刃か」


 俺が頭を差し出すと、容赦無く閉じてきた。的確に首を噛みちぎろうとしている。熱心なことだ。


 こうなってしまっては抜け出せない。情けないことに、俺の攻撃力と素早さでは逃げ切れないのである。

 コイツが飽きてくれるか、ユズが来るまでは為すがままにされるしかない。


「さてと」


 隙を突いて両手をねじ込み、頭の後ろに組む。

 見飽きたワニの口内を眺めながら、俺は頭の中を整理する。


 ようやく平穏が戻ってきた……と言いたいところだが、つかの間にすぎない。


 俺はめでたく王女殺しの大罪人となり、ジャース全土に渡って指名手配されることとなった。

 賞金首のランクは第一級。これは第一級冒険者――つまりは都市を滅ぼせるレベルの戦力でなければ務まらないことを意味している。


 先日、ダグリンという北国の、辺境の村に連れて行ってもらった。

 普通にうろついてみたが、村人達には一瞬で気付かれてしまった。泡を吹いて卒倒した者もいたか。

 俺はフードやお面で顔を隠すつもりだったのだが、ユズ曰く「論外。タイヨウは常識がなってない」だそうで。お前にだけは言われたくねえよ。


 ともかく、この異世界『ジャース』では、素顔をあえて隠すことに対する不信感が強い。

 街中で無闇に顔を隠すことは、自らを犯罪者と公言するに等しい愚行だ。


 そういうことは先に言ってほしかったんだよなぁ。

 大陸全土に第一級で指名手配された俺はどうなんの? 人権なんてねえじゃんよ。あー、だからシキ王もあんな反応をしたのか。


「……まだまだ|知識と経験《インプット》が足りねえなぁ」


 だからこそ図書館を狙っていたのだが、先は遠そうだ。


 ルナ、ユズ、そしてシキ王――俺が使えそうな手札はこれくらいか。

 三人とも一級品の人生を生きている。俺の知らないことなど山ほど知っているだろう。もっと付き合えばいい。過ごせばいい。上手く引き出せばいい。

 わかってはいるのだが。


「メンドくせえんだよなー……」


 人間は書物でもなければコンピュータでもない。当たり前の話だが、このことが俺は非常に腹立たしい。


 やりたいときに、やりたいだけやる――。


 人間が相手ではそんなことさえ許されない。

 やれ雑談だの、やれ機嫌だの、やれ言葉遣いだの日程調整だの、面倒くさいことが多すぎる。知識を引き出すために、我慢を差し出す世界だ。


 そういうことも悪いことじゃないし、そういう寄り道こそ喜怒哀楽や幸福に繋がることも知っている。

 でもな、俺はそういうのは求めてねえんだよ。


 いや違うな。

 そういうのも含めて《《とうに飽きてるんだ》》。人生に。


 性体験は風俗で。

 養育欲求やペットの飼育で。

 育成は塾講師のバイトで。

 創造はプログラミングで。

 知的好奇心は数学で。

 対戦は|オンラインゲーム《ネトゲ》で。

 貢献欲求はボランティアで。

 名声はパルクールで。

 スリルは盗撮で。

 罪悪感は痴漢で――


 挙げればきりがないが、俺は誰よりも多種多様な体験を網羅した自信がある。

 便利な時代になったものだ。今やそこそこの知識と金さえあれば、たとえ平凡な社会人でも、ぼっちであっても、あらゆる欲求を手にすることができるのだから。


「ああ、あとは一線を越える覚悟も必要か。理性や倫理を一時的に外す勇気と言ってもいい。……結局最後まで慣れなかったよな俺は。サイコパスだと簡単なんだろうが」


 そこまでしても。その境地に至れても。

 結局意味なんて無かった。


 欲求を満たしても、一時的に満たされるだけだ。

 またすぐ同じものが、あるいは別のものが目の前に立ちはだかる。慣れと飽きを連れて。


 人生は、終わりのないもぐら叩きでしかない。


 そもそも意味という概念だって、人間がつくりだした哲学《まぼろし》にすぎないわけで。


「あー、死にてえなー」


 俺はどこまでも陰鬱に沈んでみせる一方で、明日の定例会――国政顧問としてのシキ王との会議ネタを考えていたりする。


 疲れない頭に、壊れることのない精神――

 こう言えば聞こえはいいが、俺にとっては地獄である。



 このバグは、消耗という逃避さえ許してくれない。

=== 第二部 初仕事

第36話 国政顧問

「そうじゃな。まずはタイヨウ殿の意見を聞こうかの。我がアルフレッド王国はどこをどうするべきだと考える?」


 外は真夜中だったが、ここは木灯のおかげで日中のように明るい。


 すっかり住まいと化した森――いいかげん名前が無くて不便なので『白夜の森』と名付けた――で、俺達は顔を突き合わせていた。

 今日はシキ王から引き受けた国政顧問の打ち合わせ初日である。


「……」

「なんじゃい。物珍しそうな顔して」

「いえ、いきなり聞いてくるのが意外だなと思いまして」


 前いた世界では、聞いてもいないのにべらべらと喋る老害が多かった。やはり目の前の王は違う。相変わらず上裸だが。


「ハルナぁ。そろそろこっちに来んか?」

「嫌です。お父様はちょっと臭うので」


 シキ王は俺を無視して娘に懇願したが、見ているこちらが気の毒に思えるほどの一蹴ぶりだった。

 そんな娘ことルナは、俺の右腕に抱きついている。ぎゅっと拘束を強めてきて、豊かな膨らみを強調してくる。

 一方で、左腕には控えめな、しかし服越しではない直の感触が再来。


「二人とも。暑苦しいから離れてくれ」

「ユズは大丈夫。暑苦しいのは豚だけ」

「誰が豚ですか。お子様にタイヨウさんには十年早いんですよ。あといいかげん服を来たらどうですか露出狂」

「大丈夫。タイヨウは裸の子供が好き」

「そんなことは知ってます。だからこそ矯正が必要なんです」


 俺の性癖がねつ造されている件。


 二人はなおもくだらない応酬を繰り広げる。

 あぐらをかく俺の左膝にユズが、右膝にルナが腰を下ろしている格好だ。重さも違えば感触も違っていて、天秤《てんびん》はこんな心境なのかと適当なことでも考えて現実逃避したくなる。


 が、逃げたところでクソの足しにもなりやしない。

 モテ期来てるな俺、などとはしゃぐほど単純でもない。


 俺は死ねないが、死にたいのだ。


 とにもかくにも、とりあえずでも、前に進むしかない。


「シキ王。その前に一つ、約束してくれませんか?」

「言うてみい」

「俺が成果を出せたら、図書館をください。あるいは必要に応じて貸し切りできる権利でもいい」


 無論、第二王女ナツナ暗殺の罪で指名手配中の俺が堂々と使うことなどできやしないが、俺にはユズがいる。

 図書館を閉鎖した後、ゲートやテレポートで出入りすればいい。


「良かろう。ワシが感心できたら合格じゃ。王都の図書館を手配してやる」

「ありがとうございます。それで早速なんですが、まずはシキ王の思いを聞きたいと思いまして」


 無駄話は好きじゃない。俺は両方向からすりすりされたり引っ張られたりするのをスルーしつつ、本題に入った。

 シキ王もまた、その顔を即座に父親から国王へと変える。


「俺は国政顧問です。前提として、国王である貴方の意思を知っておくべきだ。その上で、俺は俺に出来る範囲で意見を出そうと思ってます」

「目先ではなく大局を意識する――良い心がけじゃ」


 シキ王の話をしばし聞いた。


 彼の思いは、一言で言うなら世界平和だった。

 どうも昔は血で血を洗うほどの戦国時代だったらしく、まがいなりにも落ち着いてきたのが先代国王の時代。今の三国とギルドもその頃から急速に発展してきたようだ。


「位置関係がわかりづらいな。『ジャース』の世界地図ってあります?」


 国名を連呼されても正直ピンと来ないところがある。

 どうせすぐ死ぬとあえて興味を持たないでいたが、顧問も始めた以上、そうもいくまい。


「のうハルナ。タイヨウ殿はいつもこんな感じなのか?」

「そうですよ。この常識や教養がちぐはぐな感じもまた魅力なんです。放っておけないんですよね」

「肯定」


 正直放っておいてほしいが、ちぐはぐなのは認める。

 この異世界『ジャース』から見れば、異世界人は俺だ。変に勘ぐられないよう気を付けねばならない。

 かといって何も言わなければ情報も得られないので、こうして聞くしかないわけだが。


「顧問は間違いじゃったか……」

「なら解任していいですよ」


 これ幸いと重荷を下ろそうとする俺をシキ王は華麗にスルーして、「地図を」何やら命令する。


「「【ゲート】」」


 ユズとルナの詠唱が重なった。


 俺の両隣に時空の出入口が出現する。ユズのゲートは人もくぐれるほどに大きいが、ルナの方は顔がすっぽり入る程度だ。

 両者ともにどこか競うような雰囲気でがさごそとし始めるが、「タイヨウ」数秒ほどでユズから手渡される。


「ありがとう」


 ユズの圧勝だ。やはり近衛――アルフレッド王族の護衛を務めるだけのことはある。

 ルナも実力者だが、素人目でも熟練の差は明らかだった。


「褒めてほしい」

「よくやったな」

「頭を撫でてほしい」

「へいへい」


 ユズの金髪を撫でつつ、「ぶー」などとつっついてくるルナもなだめつつ、両手の塞がった俺は、あぐらに乗せた地図に目を落として――


「え、これ、日本じゃねえか」


 思わず口に出てしまった。


 こんな異世界人丸出しの言動など軽率も甚だしいが、これは仕方ない。


「シキ王。これは本当にジャースの地図なんです? 品質は信用できますか?」

「問題はあるまい。竜人《りゅうじん》公認じゃからの。測量方法は知らんが、竜人警護の下、鳥人《ハーピィ》が飛び回っとるらしい」

「なら間違いないか……」


 竜人だのハーピィだの好奇心を煽ってくる返しだったが、ひとまず我慢。というかそれどころじゃない。


 俺はもう一度、まじまじと、食い入るように目を落とす。


 何度見ても変わらなかった。

 地図に示された大陸は、どう見ても日本列島と同じ形をしている。


 俺は両脇の拘束を無理矢理剥がし、地図もあぐらから下ろしてシキ王の前に置いた。


「この赤色の部分が、アルフレッド王国」

「そうじゃな」

「こっちの青色がオーブルー法国で、緑色の部分がダグリン共和国。これがいわゆる三国ですよね」


 日本という言葉について追及されないよう、あえて指差しと確認を挿入する。

 乱暴な振る舞いと併せて功を奏してくれたようで、「にほん?」などと訝しんでいた女子二人の視線も、今は地図に落ちている。


「で、この黄色の領土がギルドか。ギルドは国ではないんですよね? なのに領土がある?」

「便宜上ギルドが管理しているだけじゃ。モンスターの密度と強さが桁違いじゃからのう。人は住めぬ」

「危なそうですね。モンスターに侵攻される危険性は?」

「無いの。ギルドの総本山が設置されておる」

「なるほど」


 ここ異世界『ジャース』は、地球でたとえるなら次のような感じだ。


 すべての大陸をがっちゃんこする。

 日本列島の形に再構成する。

 地図の中央に再配置する――


 そうすればジャースの世界地図になる。

 広大な海に、巨大な日本列島だけが浮かんでいるという……。何ともシュールな地図だ。まだまだ見慣れそうにない。


 ともあれ、三国とギルドの領地はわかった。日本の地域とも割ときれいに対応していてわかりやすい。


 俺は確認のため、目を閉じてから思い出してみる。


 まずアルフレッド王国は、関東地方と東北地方にまたがっている。中部地方の東側にも及んでいるか。

 対するがオーブルー法国で、こちらは本州の反対側、中国地方と関西地方にまたがる。中部地方の西側にも及ぶ。

 この二国をはさむのがダグリン共和国で、北海道と九州を領土としている。

 最後にギルドだが、四国地方が丸ごと黄色く塗られていた。四国は島自体が危険地帯ということなのだろう。


 目を開く。寸分違わず正解だ。まあこのくらいは簡単だろう。

 ここに地名が絡んでくると一気に難易度が上がる。覚えるのは苦手だ。47都道府県を覚えたのだって結局高校生になってからだし……などと思っていると、視界から地図が消えた。


「タイヨウ殿。勉強は追々で良い。そもそも期待もしとらん」

「それだと顧問にならないのでは?」


 いつの間にか折りたたまれていた地図を渡される俺。

 持ち運ぶのも面倒なので、ユズに返しておく。


「ワシが期待しておるのは、おぬしならではの意見じゃ。思ったことを率直に言えば良い」


 ……まあそう来るか。

 王女を殺された国王がその犯人に国政をやらせているなど、スキャンダルどころの騒ぎではない。誰にも知られるわけにはいかない。

 そんな俺に教育的便宜を手配するのは自殺行為だ。たとえ信頼できる配下であろうと、秘密を共有すれば漏れやすくなる。


 かといってシキ王自身が俺にいちいち教育するわけにもいかない。国王はそんなに暇ではない。

 まあ、この人見てると案外そうでもないのかなと思っちゃうけど。

 有能なんだろうな。有能な人は暇そうに見えるものだ。


「時間は大丈夫です?」

「あと一時間くらいはの」

「充分だ」


 俺は先日から温めていた持論を展開する。

第37話 国政顧問2

「貧民を救うべきだと考える」


 まさか異世界に来て一月も経たないうちに、国王に政策を説くことになるとは。

 人生わからないものだ。


 さすがに空気を読んだようで、ルナは俺から下りてくれた。

 ユズはどさくさに紛れて俺のあぐらへと移動。相変わらずすっぽりと収まるフィット感、それと下着さえない生のお尻の感触。

 どけようとしたが、ユズは動かない。一方で、シキ王は威圧をもって続きを促している。


 ……はいはい、ユズの勝ちだよ。

 こんな空気でもねじ込んでくるとは、大したものだ。それだけシキ王のことがわかっている、つまりは付き合いが長いってことなんだろう。


 真面目にユズって何歳なんだろうな。ロリ寄りなのは間違いなさそうだが――っといかんな。仕事せねば。


「王都は豊かだが、地方の貧民は悲惨だと聞いている。理不尽な税を課されるのみならず、平気で殺されたり犯されたりも日常茶飯事だとか。本当なのか?」


 シキ王はあっさりと頷いた。

 後者はアウラから聞いていたが、前者は当てずっぽうだ。当たったということは、それなりに腐敗していると言えそうか。


「これは俺の持論なんだが、明日の命さえ危ないほどの生活は平和とは言えない。冒険者でなくても毎日安全に暮らせること――この水準を国内全土に渡って維持すべきだ」

「ほう。じゃが物理的に危険な地域もある。それも安全に整備された地域よりもはるかに多い。まさか全ての民を移住させよとでも?」

「そうじゃない」


 俺は少し補足を加えた。


 民には民の生活――いわば馴染み、慣れ親しんだ生活様式《ライフスタイル》がある。無闇に移住させれば、すぐに壊れてしまうだろう。

 生活様式の変更は不幸に直結する。

 変化とストレスに慣れた現代人でもなければ、それこそウサギのように死んでしまいかねない。

 そもそも国は税によって成り立っているのだ。その土地でしか取れない特産品もあるだろう。


 生活様式は、なるべく尊重した方がいい。


「生命を脅かす脅威を、国が取り除く」

「モンスターに備える警備を雇うってことですか?」


 ルナが首を傾げながら尋ねてくる。

 俺は先走りすぎないよう、ルナとユズの反応を確かめながら話していた。シキ王はルナの様子を注視している。教育も兼ねているのだろう。


「それもあるが、主な脅威はモンスターじゃない。人間だ」


 アルフレッドの人材規模は定かではないが、少なくとも地方に手が回せるほどの余裕はない。

 一方で、冒険者という存在は、王国の人材よりはありふれている。その癖、普通の人間より何倍も強い。無論、人間であるから欲もあるし、生物として嗜虐的な側面も持っている。


 治安維持装置がなければどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。


「力にものを言わせて好き勝手|蹂躙《じゅうりん》する連中がいる。そいつらを罰する組織を置く」

「騎兵隊?」


 ユズが上目遣いを寄越しながら問うてくる。「ああ」俺は癖になる金の髪を撫でながら、


「アルフレッドには騎兵隊がいて治安を維持してるよな。んで国にはギルドがいるから、国も腐ることができない。で、ギルドの上には、えっと」

「竜人です。竜人族が、この世界の頂点に君臨しています」

「そうだったな。補足ありがとう」


 竜人族。全種族の中で最も稀少かつ強力な種族とされている。

 ただただ世界の治安を維持するためだけに存在する彼らは、圧倒的な武力をもって生物界の頂点に立つ。

 もし彼らが人並の欲望を持ったとすれば、人類など容易く滅ぶという。


 死にたい俺としては非常に気になる存在だが、今は置いておこう。


「要するに、より上位の存在を介入させれば、治安は維持できる」

「そうじゃな。それで?」

「地方も含め、すべての村に騎兵隊を置くのはどうだろうか」

「そんな人員はないんじゃが」


 シキ王は切実な表情と声調をつくってみせる。


「別に騎兵隊ほど鍛える必要はない。悪い村人を抑止し、部外者を制圧できる程度に強ければいい。そうだな、こういう治安維持組織を便宜上『警察』とでも呼ぼうか」

「ケイサツ? おかしな言葉を使いますね」

「言葉をつくるのが好きなんだ。気にしないでくれ」

「悪くないと思います」

「同意」


 二票ほど得られたが、「甘いのう」現国王の否定はよく響いた。


「そのケイサツとやらが不正するに決まっておろうが。選りすぐりの騎兵隊にすら、そういう輩はおるというのに」

「そういう輩は処罰すればいい。処罰するための上位組織もつくる」

「ケイサツのケイサツをか? 存在だけで抑止力になると思ったら大間違いじゃぞ」

「わかってる。だから監視する仕組みも必要だ。ユズ、何か書くものはないか?」

「ある」

「なんで私じゃないんですか」

「忙しいからまた後でな」


 むー、と頬を膨らませるルナをあしらう暇もなく、羽のついた万年筆と、巻物のようなものを渡される。

 広げてみると、服のような肌触りの、少しごわごわした生地。紙代わりか。


 地面に広げて試し書きしてみると、想像以上に書きやすかった。学生時代のノートがこれでもギリ耐えられるレベル。


「村には村人と村長がいる。税を徴収する役人がやってきて、税を巻き上げる――だいぶ単純化しているが、概ねこのような理解で合っているか?」


 丸と矢印で図を書いていく俺。

 文字はまだ検証していないからあえて使わないでおく。


「表現に悪意を感じるが、そうなるの」

「この現状では色々と問題がある」


 役人が不正を働く。

 村長が不正を働く。

 役人が村長や村人をいじめる。

 村長が村人をいじめる。

 村人が村人をいじめる。

 外部の何かが村に介入する――


 俺はとんとんと図中を指しながら具体例を上げていく。


「こういった事態を防ぐために警察を設ける」


 続いて警察官を示す三角を何個か書き、矢印を伸ばす。伸ばす先は村人、村長、役人、部外者とすべてだ。


「ただ、これだと警察自身の不正を防げない。そこで、警察を監視する機関も設ける」


 今度は星をいくつか書いて、矢印を三角まで伸ばした。


「この言わば『警察の警察』は、騎兵隊が務めればいい。人が足りないなら、多少金を出してでも、ちゃんとした冒険者を雇いたいところだ」

「ケイサツのケイサツは不正を働かない――そういう前提に立つんじゃな?」

「ああ。不正をゼロにするのは難しい」


 ちらりとルナとユズの反応をうかがう。どうにかついてきているようだ。いや微妙かも。


「それで監視の方法は? 当然じゃが人は嘘をつく」

「あ、ああ。方法はある。少なくとも複数の仕組みが必要だ」


 俺はいくつか例を挙げた。


 条例。

 村人全員が守るべき決まりをつくり、条項にしたもの。

 これを破ったら連帯責任で罰を加えるようにする。

 条項の中身は、村人の生命と安全を担保したものにする。例として犯罪防止や時間の尊重――睡眠時間や自由時間の確保など、現代で言うところの|生活の質《QoL》の観点も挙げておいた。


 重刑。

 特に警察や村長といった立場の人間について、刑罰を重くすること。

 死刑もやぶさかではないが、冤罪を防ぐため、重刑を執行するまでの猶予は持たせねばならない。

 刑務所とかどうするんだろうな。頭が痛い。


 不定期巡回《ランダム・パトロール》。

 警察や警察の警察の見回り周期を定めないこと。

 逆を言えば、いつ訪れるかをわからなくする。そうすれば監視される側は常に気を張るしかなく、巡回日だけ取り繕うことができなくなる――


「タイヨウ殿は過激じゃのう」


 おー怖い、などと自らを抱くシキ王。どういたしまして。


「らんだむぱとろーる……魔法みたいですね。ランダム・パトロール!」


 手のひらを向けてくるルナ。調子こいたネーミングにした俺も俺だが、恥ずかしいので連呼しないでもらえます?


「タイヨウの条例もつくってほしい。その一、ユズを愛人にする」


 どちらも絶対につくりません。


 まったく、どいつもこいつも言いたい放題言いやがってからに……。


 とりあえずシキ王には通じたので良しとする。むしろこの世界の文明水準でありながら法規《ルール》や規定集《ガイドライン》、QoLといった概念が通じたのが怖いくらいだ。

 ルナとユズ? 知らん。たぶん理解できてない。


「細かい調整は必要だろうが、様子を見ながら試せばいい」

「試す? ずいぶん簡単に言ってくれるのう」


 そんなに難しいことか? ……ああ、そっちか。


「小さく始めるって話だよ。とりあえずどこかの村で運用してみるんだ。その際、重要となるのが感想で、たとえば一ヶ月ごとに村人に訊く。もらった意見はちゃんと反映する。もちろん国視点じゃなくて民視点でだ」


 死ねない俺は声帯も疲弊しないし、肺活量も無限と言っていい。その気になればいくらでも喋れるから、つい早口になってしまう。自制しないとな。

 こほん、とあえて間を置いてみる。「こほん?」などとルナが首を傾げているが、ただの|擬音語や擬声語《オノマトペ》だから気にしないように。


 それからも俺は説明を続けて、


「――そうやって一つの村に絞って、どんどん改良していく。半年、いや遅くとも一年あれば、かなり整うだろう。そうなったら、他の村にも適用していけばいい。人員や金で悩むのはその時だ。とにかく、まずは一つの村だけで検証に集中する」

「ほう。新しいのう」

「定期的に民から意見を吸い上げるというのも斬新ですね」

「投入の後回し。タイヨウは、大胆な思考の持ち主」


 別に褒められるほどのことでもないんだがなぁ。

 小さく始めて、関係者の意見も訊いて、それでいけそうだとわかったら拡大していく――

 こんなの現代人なら誰でも使っている思考だ。

 こっちの人だって使ってるだろう。ダンジョン探索とかもそうじゃないのか。


 ただ、国政という対象には適用しづらいってのはあるだろうな。

 そもそも適用できるという発想がない。


 俺が前いた大企業でもそうだった。

 せっかく盛り上がってきた働き方改革にあやかろうと、俺も多数の提案や提唱をしてきたが、まるで通じなかった。意見も歓迎と言っておきながら、その実、遠回しの一蹴ばかりだった。


 ようやくわかったのは、あいつらが自分達の働き方を自分達で変えるという発想を持っていないこと、そして持とうともしないことだった。

 自分達はそんな器じゃない。自分達は凡人だ。今も大して困ってない――

 自意識過剰な言い訳が聞こえてくるようだった。


 そんなことはないのに。


 誰だって、いつだって、何だって。

 変えようと思えば変えられるんだよ。変えていいんだよ。

 むしろ変えていけなきゃいけないんだ。時代は|VUCA《ブーカ》なんだから。


 そう思えるのは、俺がぼっちだからだろうか。

 何一つ信じず、背負わず、その分をも勉学と創造に費やし、ただただ|己の円滑と快適《ストレスフリー》を追い求めた、俺のようなフットワーク軽き独り者の特権なのだろうか。


「……」


 興奮して話を盛り上げている三人を前に、俺の内心は冷めていた。


 国政顧問というおもちゃは面白い。間違いなく面白い。

 サラリーマン時代にできなかった「持論の適用と検証」を、会社ではなく国という単位で行えるのだ。こんな面白いシミュレーションゲームがあるだろうか。


 にもかかわらず、バグっている俺には喜怒哀楽が下りてこない。

 俺の死にたがりな性分も、相変わらず変わることがない。


 変えればいい?

 無茶を言うな。変えられないものだってある。

 |仕組み《システム》は変えられる。

 |知識と経験《インプット》も変えられる。

 だが|志向と指向《スペック》は、こいつだけは、変えられないのだ。


 インプットすれば変わる?

 そんなの努力不足だろうが。

 単にインプットが浅くてスペックが見えてないだけだ。


 私は変えた? 僕は変わった?

 そんなの欺瞞《ぎまん》だろうが。

 自分を誤魔化して演じているだけだ。


 人を愛せばいい?

 そんなの逃避《チキン》だろうが。

 自分に無いスペックを鑑賞して感傷に浸っているだけだ。


「はぁ……」

「タイヨウ殿。もう疲れたのか?」

「ええまあ、色々と」


 ここまでひねくれてみせてもなお、俺の精神が乱れることはない。

 秒と待たずに、俺は思考を切り替えることができてしまう。

 相変わらず無慈悲なバグである。今すぐ殺したい。


 まあ殺意も湧かないし、このバグの突破口だってまだ一ミリも見えてないんだがな。

 それでも殺したいんだよ。さっさと死にてえんだ。はぁ。


 そんなこんなで、打ち合わせは終盤に差し掛かる。

第38話 国政顧問3

 深夜にもかかわらず発光してみせる『白夜の森』にて、俺は顧問としての初仕事を終えようとしていた。


「想像以上に革新的じゃったの」


 シキ王が大層な評価で締めくくる。


「俺はシキ王こそ凄いと思うんですけど。ここまで耳を傾けられるって相当な器ですよ。いや本当に」

「異分子を傾聴するのは当然よ」


 異分子、ねぇ……。

 一見すると暑苦しいおっさんだが、この内心を見透かしてくるような余裕っぷりがどうも苦手だ。


「さすがですねおとうさまー」

「棒読みはやめんかハルナ」

「さすがタイヨウさん! 大好きですっ! すりすり」


 高速移動でひっついてくるルナこと第一王女ハルナ。


「好意と胸を押しつけてくるな。あとシキ王も拳引っ込めてください」

「いつか一発殴る。――ユズ。タイヨウ殿の説明は理解したな?」

「肯定」


 ユズも地味に優秀なんだよな。少なくともルナよりは確実に。言わないけど。


「あとでゴルゴに伝えよ。タイヨウ殿、この絵はもらっても?」

「どうぞ」


 ユズがくるくると巻いた後、ゲートを唱えて放り込む。


「タイヨウ殿。おぬしの政策には期待する。これからも協力してもらうぞ。そうじゃな、実験の結果が有益とわかった時点で、望みどおり図書館を提供しよう」

「ありがとうございます」

「まあ当面はそれどころじゃないんじゃが……」


 似つかわしくない歯切れの悪さが出てきた。どことなくわざとらしいし。


「それじゃ俺は帰ります」


 ルナを強引に引っぺがして、立ち上がろうと「ユズ」「承知」一瞬で拘束された。

 いつの間にか俺の真正面に回ったユズが、俺の両肩を押さえている。綺麗なおへそが丸見えだ。視線をちょっと落とすと、前世なら確実にお縄になるであろう景色が。


「それどころじゃないんじゃが……」


 シキ王もシキ王でしつこい。ちらちら見るのもやめろ。


「で、それどころじゃないとは?」

「戦争が起きるかもしれん」

「……聞かなかったことにしてもいいですか?」

「これも顧問の仕事のうちよ」


 想像以上に想像以上だった。そして詐欺にも程がある。

 そういうのは軍師にでも任せろよ。


 ふと二人の様子をうかがってみたが、ユズにもルナにも驚いている様子は無い。

 代わりに微かな憂いが見て取れた。


「戦争……どうしてまたそんな」

「おぬしがナツナを殺したからじゃよ」

「たかが王女一人でしょ」


 ユズの拘束が緩む。今度は俺に懐くこともなく、シキ王のそばで控えた。

 ルナもルナで、張り合う様子は無さそうだ。


 シキ王はともかく、二人ともタフなんだよなぁ。疲労の様子がまるで見えない。

 この森は常に明るいが、外は深夜である。現代だったら確実にブラックと呼べる労働時間なんだがな。


「ナツナは抑止力になっておった。ギルドでさえ目をつぶるほどのな」

「……」


 第一級冒険者さえ無条件に籠絡するチャームに、彼らの攻撃すら平然と捌いてみせる近衛《このえ》という名の防御力――

 言われてみれば確かに、抑止力と呼ぶのも大げさではない。


 そんな王女を俺は殺《や》ってしまったというわけか。

 だからこそ第一級の指名手配になってんだよな。ははは、面倒くせえ。


「ただでさえギルドは魔人討伐により手薄じゃった。そんな時にアルフレッドに風穴が空いたとなれば、そりゃ黙っとらん。オーブルーのボケナスも、ダグリンのあほんだらも、我が強いからの。何より欲している」

「お知り合いなんです?」

「まずは小手調べじゃろうが、均衡が崩れた今、仕掛けてくるのは間違いあるまいよ」


 シキ王には答えるつもりもなければ、寄り道する気もないらしい。

 しかし、俺を巻き込む気はお持ちのようで、鋭い眼光を向けていらっしゃる。


「国は大丈夫なのか? 遠征もまだ終わってないんだろ?」

「なぜおぬしが遠征を知っておる?」

「ナツナが喋ってたが」

「そうか……」


 一瞬だけ父親の顔を見せるシキ王。もちろん知ったことじゃない。


「それで次は俺にどうしろと? 悪いが軍事《そっち》方面はからっきしだ」

「知っておる。じゃから勉強してもらおうと思っての」

「勉強は追々するんじゃなかったのか。期待もしてないんじゃねえのか」

「おぬしはどうも淡白じゃ。現実を見てもらわねばならん」


 都合の悪い時だけ無視しやがって。バグってんだから何を見ても変わらねえよ……と言うわけにもいかず。

 にしても、長期間付き合わせる気マンマンだよな、これ。


 俺としては、ただ知識が欲しいだけなんだがな。

 死ぬのに役立ちそうな知識を広く賢く集めたい。それも人を相手にした会話ではなく、物という無生物を相手にした、ストレスフリーなやり方でだ。

 そのために図書館が最適だと踏んだ。


 俺は王女ナツナを殺してしまい、第一級の指名手配犯となっている。そんな俺が立ち回るためには、こうして王の庇護下に入るしかない――

 わかっている。わかっているが、だからといって面倒くさすぎることに巻き込まれていい理由にはならない。

 週一の国政顧問ならまだしも、戦争だと? ふざけるな。


 場合によっては逃走も考えるべきだろう。

 無論、シキ王はそんなに甘くない。俺という脅威を放置するくらいなら封印する、なんてこともありえる。少なくともゴルゴキスタの石化があるからな。

 生き地獄だけはマジで勘弁願いたい。


「ユズ」

「承知」


 ユズはゲートを出すと、シキ王|共々《ともども》くぐっていった。


 白夜の森に静寂が戻る。

 解散と受け取ったのか、隠密《ステルス》中のモンスター達も姿を表した。「タイヨウさん」いきなりルナが抱きついてくる。


「最近、距離が近すぎないか?」

「少しだけ。少しだけですから」


 妙にシリアスなトーンでねだってくるルナ。


「……きな臭くなってきたよな」

「タイヨウさんのせいですけどね」

「なんでだよ。いくらなんでも一国の王女一人が戦争の引き金になるっておかしいだろ」

「主因なのは間違いありません。【ドレスアップ】――ネイクド」


 ……ん?


 恐る恐る横目で見る。気のせいじゃなかった。


「ルナさん? なんで裸?」

「【|風の部屋《ウインドルーム》】、【ウォーター】」

「水浴びする気か?」


 ボングレーで見せてもらった魔法のコンボだ。

 四方八方を風に囲まれている。風力は強めで、俺の体は少し浮いていた。

 その間もどぼどぼとウォーターが出されている。


 程なくして、俺達は半身ほど浸かることとなった。


「もう夜も遅いですから」

「ですから、じゃねえよ。服がびしょびしょじゃねえか」

「生タイヨウさんだと抑えられそうにないので」

「ルナこそ何か着ろよ。いくら何でも無防備すぎる」


 ルナの裸体は惜しげもなく晒されていた。

 デリヘルで体を洗ってもらうシーンを思い出したが、比較にならない。冗談抜きでルナは綺麗だった。前いた世界で見た、どの女の子よりも。


 ……まあナツナには敵わないな、とか言ったら怒るだろうか「へぶっ」水圧が飛んできた。


「何しやがる」

「変なこと考えてません?」

「ナツナの方がスタイル良かったなって」


 瞬間、俺の顔面が水の球に包まれる。溺死するぞおい。

 ルナはぷいと顔を背けやがったし、手でかき回しても取れやしない。


 数十秒ほどで解放された俺は、文句の一つでも言ってやろうとルナの顔を無理矢理向かせた、のだが。

 ……なんて悲しそうな顔をしてやがる。


「タイヨウさんは悪くないですよ。遅かれ早かれ、こうなっていたんです」

第39話 国政顧問4

「遅かれ早かれ、こうなっていたんです」


 ルナの魔法でつくられた簡易銭湯に浸かる俺達。

 てっきりいちゃらぶが始まるのかと覚悟していたが、ルナの面持ちは悲しみに満ちていた。


「……他の主因について聞かせてくれ」

「他国のことは詳しくはわかりません」

「ギルドの魔人討伐とか言ってたな。それも主因か?」

「むしろそこが一番です」


 シキ王から唐突に語られた戦争の気配。

 引き金を引いたのは俺――もっと言えばナツナの死が諸国に伝わったことだが、魔人討伐という名の導火線は元々横たわっていたのだとルナは言う。


「なぜ魔人討伐が戦争に繋がる?」

「ギルドの全勢力が費やされるからですよ」


 ルナは自らに水の針を刺している。

 石鹸は高級品だ。水圧で汚れを取ろうという寸法だろう。無論、俺には出来ない芸当である。


 俺は原始的な洗濯よろしく、全身をこする。


「三国を統括するギルドが手薄になるわけか」

「はい。その間に他国を支配してしまえば、咎められません」

「よくわからんな。手薄どうこう以前に、侵略行為は許されないだろ」

「興味ないんです」


 ルナの指先には水の塊が浮いていた。洗浄に使った水だ。

 ファイアが唱えられ、指先から炎が弾ける。間もなく熱が消えたかと思えば、水の塊も蒸発しきっていた。


「ギルドにとって国自体はどうでもいいんですよ。体裁上、普段は食い止めますけど、魔人討伐という最優先ミッションの最中に起きた出来事は見なかったことにするでしょうね」

「すまん。全然意味がわからないんだが」

「前にも仰いましたが、ギルドが目指すのは冒険者全体の益です。そして冒険者の益とは、ほぼ少数の強者による貢献から成ります。その強者ですが、元々国がどうなろうと生きていけるんですよ。ちょっと失礼しますね」


 俺に向けて風魔法が放たれた。

 アラサーの濁った水が空中の一箇所に集められ、ごうっと蒸発させられる。


 繊細な制御と正確な高火力。こんな業を難なくこなしてしまうルナは、その強者とやらの範疇なのだろうか。


「ですが、そんな弱肉強食の世の中はあんまりだということで、いわゆる戦国時代は収束に導かれました」


 その結果生まれたのがアルフレッド王国を含む三国と、その上位組織である|冒険者組合の集合体《ギルド》だったな。


「早い話、国とは弱者を救済するための仕組みにすぎません。アルフレッド、オーブルー、ダグリン――やり方は違えど、今の三国はどこも機能しています」

「……おいおい。まさかその《《配分》》がどうなろうと知ったこっちゃねえ、とは言わねえだろうな」

「さすがタイヨウさん。言い得て妙です」

「マジかよ……」


 さすがの俺も言葉を失った。


 仮に現在の比率がアルフレッド40パーセント、オーブルーが30、ダグリンが30だとして、たとえばこれがオーブルー100パーセントになったとしても問題無い、と。そうギルドは考えてるってことだ。

 なぜなら国であることに違いはないから。

 弱者救済の仕組みであるなら、それがなんであろうと、どう変わろうと関係がないから。

 そんなはずねえだろ。


 狂ってる。


 そう感じるのは、俺が現代から来たからだろうか。


 もしかしてクソ天使の言っていた滅亡バグはこれか?

 弱肉強食が推進されすぎるせいで、人という種が先細り滅んでしまうとか……いや、ないか。

 天使曰く、この世界が滅亡するのは直近百年以内。たった百年で人という種が絶滅するはずもない。


「魔人ってのはそんなに目の敵にされてるのか? 多少性質が違うってだけで、同じ人じゃねえか」

「タイヨウさんは優しいんですね」


 そんな目で見ないでくれ。

 俺は偽善者ですらない、ただの死にたがりにすぎない。魔人族についても知識として知っているだけだ。それもお前から教えてもらったんだが。


「魔人族がどう扱われているか、まだ詳しくお話していませんでしたね」


 ショートボブほどの髪を丁寧に洗いながら、ルナはゆっくりと語ってくれた。


 魔人族はモンスターと同様、『魔素《まそ》』を放出してしまう。

 この魔素が人を生理的に著しく不快にする。ゆえに魔人が他種族と相容れることはまずない。


 加えて魔人族はモンスターと対話することもできた。

 調教師《テイマー》など比べるべくもない。それこそモンスターの軍隊を作り上げることも不可能ではないし、実例も一つや二つでは済まないという。


「――人と同等の知能を持つモンスター。それが魔人に対する一般的な認識です」

「魔人族という脅威の根絶は、三国間の戦争よりもはるかに重要ということか」

「そうなんでしょうね」


 他人事のように呟くルナ。


「ギルドはいつもそうなのか? 話から察するに、今が攻め時のように聞こえるが」

「先日、魔人の住処が発見されたんですよ。南ダグリンの南方に群島があるのですが、そこがダンジョンという名の大集落になっているようです。ギルドは『要塞《フォートレス》』と呼び、かつてないほどの戦力を投入しています」


 ジャースの世界地図――日本列島そっくりな大陸を思い浮かべる。

 南ダグリンというと日本列島で九州の部分だ。その南方の島々と言えば、沖縄を思い浮かべるのだが。


 かつてないほどの戦力とは、また物騒な話である。その群島は一体どんな光景になっているやら。

 貧弱な想像力で想像していると、ふと水位が上がっていることに気付く。

 足先から肩までどっぷりと水に浸かっている。


 ルナが体を預けてきた。

 ちゃぷんと軽快な水音と奏でられるとともに、ぷるんとした瑞々しい裸体が直に触れてくる。といっても水中だから何の感慨もない。

 それに女の子の感触は、ユズでずいぶんと慣れてしまった。言わないけど。


 いや、あえて言うことでおちゃらけるのもアリだろうか。あるいはユズにはない果実の感触を指摘するとか。


 ルナの気分はだいぶ回復している。

 たぶん、俺から踏み込んでやれば、いつもの調子に戻せるだろう。


「頂点に立ってる竜人達はどうしてる?」


 それでも俺は脱線しなかった。

 貴重な情報収集だからな。出来るだけ付き合ってもらう。


 俺は|死にたいよう《シニ・タイヨウ》なのだから。

 こういう機会は自らへし折るに限る。


 ……こんなことしてるからぼっちなんだよなぁ。

 知っている。自覚があるからこそ、ひねくれることができる。ひねくれ者は確信犯である。


「タイヨウさん……」

「討伐には参加しているのか?」

「……いえ。竜人族は干渉しません。基本的に表舞台に出てくることはないんです」

「別格の存在ってわけか――ああ、じゃあアレは?」

「あれ?」

「魔王だよ。モンスターを束ねてんだろ? こうも攻め込まれちゃ、さすがに黙ってないはずだ」


 転生早々、俺に絶望を与えてくれたあの人なら、いくらギルドでも歯が立たないんじゃないか。

 いや別に魔人族に肩入れするつもりはないが。


「魔王をご存じで?」

「ジャースで最も強い奴だと聞いたぞ」

「常識知らずのタイヨウさんが?」

「いや、ルナが話しただろ」

「話してませんよ?」


 ……そうだったかも。まずったか。

 用心のためルナには色々隠し事をしているが、魔王を知っている件もその一つに含むべきだった。


 ルナのジト目を無視して、俺は意味もなく顔を洗う。

 ばしゃばしゃしていると、ルナの方から再開してくれた。


「仰るとおり、魔王はこの世で最も強い生物だといわれていますが、竜人と同様、表に出てくることはありません」

「同胞が狩られようとしてるのに、か?」

「そうです」

「ずいぶんと冷たいんだな。いちいち気にしちゃいないってか」


 意外と慈悲深いというか、温かみを感じる人柄には見えたけどな。


「そんなんじゃないです」


 ぽつりと。しかしどこか拗《す》ねたような呟きだった。


「ルナ?」

「――いえ。そんな単純な理由ではないと思いますよ。世界の頂点に立つ《《人》》ですからね、《《彼》》の考え方や行動もまた謎めいているんです」

「ふうん。そういうもんか」

「……やっぱり。何とも思わないんですね」


 ルナのジト目(二度目)。


「私は先ほど魔王は人であり、男であると言いました」

「それが?」

「おかしいと思わないんですか? 普通はモンスターを想像するんですけど」

「そうか?」


 先に見てしまったことをさておいても、俺は魔王と聞くと人を思い浮かべる。

 前いた世界のラノベでも、魔王と言えば人間が就くポジションだった。転生者が魔王になるとかな。

 しかし辞書で調べると、「災いをもたらす魔物」的な解説が出る。最近のラノベ以外のフィクションで言えば、むしろこっちの歴史が深い。


 ああ、そういえば俺も異世界ラノベを書いたことがあったっけ。

 結局、設定に凝りすぎて管理できなくなってしまい|更新停止して《エタって》しまったが……。


「じー」

「そのジト目はなんですかねルナさん」

「じとめ」

「……その訝しむような視線はなんですかねって言ってんだよ」

「タイヨウさん。何か隠してません?」

「いきなり何だ」

「さっきのケイサツもそうですけど、私達が知らない言葉をたまに使いますよね。常識知らずの度合いもどこかおかしいですし、なんていうか見ている世界が違うんですよね」


 正直舐めてた。いや俺も気を緩めすぎか。


「そりゃそうだろ。引きこもってれば感性も価値観も偏る。自分で言葉をつくることだってあるはずだ」

「タイヨウさん。出身はどこですか?」

「詮索はやめよう」

「私の素性はとうに割れています。あとはタイヨウさんだけです」


 分が悪いな、これは。


 どう誤魔化そうか考えようとしたところで、前方に見覚えのある時空の扉が。ユズとシキ王だ。

 シリアスモード百パーセントのようだが、だからこそ助かる。


「水浴びは終わりだ。乾かしてくれ」


 ルナも理解しているのだろう。潔く|風の部屋《ウインド・ルーム》を解除した後、俺にドライな風を当ててく「【スーパー・ファイア】」おい。


「人に向ける火力じゃねえだろそれ」


 全身ずぶ濡れだったのに服が燃え尽きてしまった。お前の農民服だけど文句言うなよ。


「タイヨウ殿」


 シキ王の、有無を言わせない一声が響く。


「ユズとルーム37へ迎え。ハルナとはここでお別れじゃ」

「お父様。私も行きたいです」

「王女を死地に晒すわけにはいかん」


 そこからは早かった。「ユズ!」と叫ぶルナが既にユズを掴んでいて、ユズもまた俺の手を取っており。


 気付いた時には、視界から見慣れた森の景色が消えていた。

第40話 ルーム37

 ルナがゲートからいつもの下着と農民服を取り出し、着替え終えたところで俺は声をかけた。


「よく止められなかったな。シキ王って敏捷性は大したことないのか」

「まさか。お父様は第一級冒険者です。足元にも及びませんよ」


 テレポート先、ルーム37と呼ばれる場所は武器庫のようだ。

 部屋は細長い長方形型で、壁際に隙間なく並んだ棚に装備品が置かれている。置き方は乱雑で、棚から剣の刃先が出ていたりする。


 天井はかなり高く、身長の数倍はあった。洞窟の内部なのか、硬そうな表面が露出している。

 発光の作用を持つらしく、本が読める程度には明るい。


「当分会えないだろうから、最後にお話してこいってことだと思います」

「それだよそれ。なんでお別れムードになってんだ。白夜の森でいつでも会えるだろ」

「そうもいきませんよ。未来のアルフレッドを担う者として、もう以前のような生活はできません」

「……」


 だよなぁ。きな臭くなってきたからな。ルナもこれまで通りというわけにはいかないのだろう。


 ルナだけでなく俺もだ。

 この武器庫に連れてきて何をやらせるつもりなのやら。


「私は必ず女王になります。タイヨウさんも迎え入れます」

「後者は余計だな」

「いいえ、絶対に諦めません」

「ユズも賛成。愛人になる」


 ぴとっとひっついてくるユズ。服燃やされて裸だし、ユズも当然のように裸だし、微かな膨らみも当たってるし、というか当ててきてるし。


「妙に愛人にこだわるよなユズは……」

「愛人は可愛がってもらえる。おしおきもしてくれる」

「偏った知識だと思うぞ」

「タイヨウに出された時は、気持ち良かった」


 言い方……。


「タイヨウさん?」

「さあな。寝ぼけてんだろ」

「もう一度欲しい。でも、もうちょっと、優しくしてほしい」


 ユズが無表情の棒読みでしおらしく照れてみせる。

 一方でルナは陳列された剣を取り、俺のジュニアに向けてくる。タマヒュンするからやめろ。まあならないけど。さすが無敵バグ。嬉しくない。


「タ・イ・ヨ・ウさん?」

「誤解だ」


 チャージしたダメージを解放《リリース》しただけだ――と言うわけにもいかず。


 ユズはともかく、ルナにはスキルの存在も秘匿している。

 いくら俺を慕う女の子だからといって、おいそれと教えるつもりはない。


「それでユズ。ここに来た目的は?」

「タイヨウは目立つ。被れば、目立たない」


 ユズがとててと離れることしばし。両手に何かをぶら下げて戻ってきた。

 その間、ルナは俺のジュニアを鑑賞なさっていた。何してんの?


「タイヨウ。被ってみて」


 放り投げられたそれ――兜を受け取る。片手で難なく掴めた、というか指でつまめてしまった。

 俺もなんだかんだレベル17である。第四級の入口にすぎず、二人には遠く及ばないが、前いた世界でいう人間の水準は超えている。


 早速被ってみたが、


「視界が悪いな」

「重さは?」

「問題ない。で、なんで兜が必要なんだ?」


 兜を《《空中に置いていく》》ユズに尋ねる。


「戦場に出る。素顔だと、気付かれる」

「は?」

「素顔だと、気付かれる」

「そっちじゃねえよ。え、何? 俺も戦争に参加させられんの?」

「肯定」

「いや肯定じゃなくてさ」



 ――おぬしはどうも淡白じゃ。現実を見てもらわねばならん。



 あのじいさん。現実って戦場のことかよ。

 俺が死ぬとか考えないのか。……いや、ナツナを殺してユズを懐柔したくらいだ。心配はしていないのだろう。

 それにこの感じだと、護衛としてユズがつくみたいだしな。


「これは決定事項。ユズが監視役」

「ご苦労なことで」

「いいなぁタイヨウさん。私なんて王立学園ですよ? 束縛は嫌いなのに」


 ストレスをぶつけるように剣を振り回すルナ。それでも様になっているのだから大したものだ。


「……機嫌。だいぶ治ったみたいだな」

「え?」

「女王になるんだろ。俺なんかが言えた義理じゃないが、これから大変だぞ思う。しっかりな」


 かしゃんと剣を落とすルナ。

 俺が柄にもなく笑顔を向けてみると、破顔し返してきた。目がちょっと潤んでいて色っぽい。


「タイヨウさん!」


 社交辞令として一言添えただけなのに、ずいぶんと大げさな奴だ。


「俺のことは忘れてもらえるとありがたい」

「またそういうこと言う……。忘れませんし、忘れさせませんよ」

「心配するな。俺は物忘れには定評があ――」


 何をされたか認識するのに数秒を要した。


 俺の口が物理的に塞がれていた。

 柔らかさがあって、なんか良い匂いもして、熱もあって。


「いいえ。忘れさせません」

「……ずいぶんと軽い女だな」

「ふふっ。照れ隠しが可愛いです。仕返しができました」

「……」


 無敵バグのおかげで平静ではあるものの、びっくりしたことは確かだ。

 いや、びっくりという言葉のチョイスもかえって恥ずかしいか。


 素直に言えば、俺はどきっとしてしまった。


 仕方ない。これは仕方ない。

 俺は彼女いない歴=年齢のアラサーだし、感情面で障害を持っているわけじゃない。ルナは客観的にも可愛いし、俺にとっては愛着もある。未経験者の男なら誰だってこうなるさ。


 そんな言い訳が胸中でべらべら浮かんできて、なおも恥ずかしくなる。

 次いで出てきたのが悔しさ。

 しかし、悪い気はしなくて、むしろ心地良いまである。そのことが余計に悔しく恥ずかしい。


 無言で居続けるのも負けたようで嫌だし、結局俺は。


「ったく……」


 頭をガリガリとかきながら嘆息することしかできなかった。


「タイヨウさんって、こういうのに慣れてそうで慣れてないですよね」

「ほっとけ」


 ちなみに現代用語では素人童貞と言います。

 まあ厳密に言うと、俺は万一も考えて本番は避けてたから童貞なんだけども。


 不幸中の幸いと言えば、ユズが空気を読んで防具選びに戻してくれたことだろうか。「あとでユズも」とか不吉なこと呟いてたけど。


 そんなこんなで防具を見繕ってもらった後、俺達は白夜の森に戻る。

 隠密《ステルス》モンスター達に話しかけていたシキ王――意思疎通は全くできてないようだったが――と合流し、解散した。


 シキ王のおかげで、別れは淡白かつ迅速に済んだ。

 ルナとユズは惜しんでいたが、俺にはありがたかった。

第41話 ルナの猜疑心

 第一王女ハルナではなく、冒険者ルナとして王立学園に通うことになった私。

 お父様に内密に準備してもらった王都内の平屋で、ようやく日常生活の準備が整ったところだった。


 煮沸していたミルクリの汁を髑髏杯《どくろはい》に注ぎ、一息つく。


「ふぅ……」


 油断していると、すぐ彼のことが思い浮かんでしまう。



 シニ・タイヨウ。



 彼は一体何者なんだろう?


 不器用で口下手だった私に、あんなにも辛抱強く接してくれたのだ。

 素敵な人であることは間違いない。でも、何かを隠していることもまた間違いなかった。


 少なくとも彼はお師匠さまを――魔王を知っている。



 ――異常な耐久力。どう考えてもアレじゃねえか。


 ――ここに吹き飛ばしたのは間違いだったか。



 お師匠さまの言葉は貴重だ。私は常に集中して聞くようにしている。

 あの呟きは、タイヨウさんを指していたのではないか。


 確かにタイヨウさんの耐久力には目を見張るものがある。

 直接見たわけではないけれど、彼は白夜の森のモンスター達を従え、妹ナツナのチャームも受け流し、彼女を――近衛に護衛されている鉄壁の王女を葬った。

 そこいらの冒険者なら命が万個あっても足りない。第一級冒険者を超えているとさえ言える。ひょっとしたらお父様も。


 しかしタイヨウさんは確かに弱者だった。レベルもおそらく1だったはず。

 それでありながらギルドに冒険者登録しないという無謀なスタンスも見せている。



 ――|全身耐久《ボディーアーマー》。



 タイヨウさんは自らをそう称した。レアスキルだそうだ。


「そんなはずがないんですよねー……」


 お父様も、お師匠さまも、スキルに溺れることの危険性を説いている。

 裏を返せば、低すぎるステータスを補えるほどのスキルなど無いということだろう。レアスキルを二つ持つ私だってそう思う。


 にもかかわらず、タイヨウさんは補えているように見える。


「そもそもお師匠さまが見逃すはずもない」


 お師匠さまはレアスキルに飢えている。

 私をそうしたように、タイヨウさんも指導下に置くはず。


 けれど実際はそうしていない。あるいはお師匠さまをもってしてもできなかったのか。

 吹き飛ばした、という言葉の真意は図りかねるけど、少なくとも生徒と教師ではないだろう。二人の関係はわからない。


 けど、これだけは間違いない。


 お師匠さまはタイヨウさんを知っていて。

 タイヨウさんもまた、お師匠さまを知っている。


 だからこそ、彼は私の発言――魔王が一人の人間であるという前提を疑いもしなかったのだ。

 それはすなわち、魔王という一人の魔人族をその目で見たからに他ならない。


「タイヨウさんを探ってもいいんですが、正直気が引けるんですよね……」


 私もバカではない。

 タイヨウさんが私に心を許していないことくらいわかっているし、彼が何よりも優先したい何かを抱えているだろうことも何となくわかる。


 知りたいと思う。

 力になりたいと思う。

 贅沢を言うなら、そんなことよりも私を見て欲しいと思う。


「……色仕掛けとか」


 自分で呟いておいて照れちゃう私。「【アイス・ウォール】」氷の鏡をつくってみると、案の上、顔を赤くした私がいた。


 しっかりと鍛錬し手入れも施してきた自慢の身体に触れる。

 お師匠さま曰く、女の武器も武器であると。テメエのそれは人間にしては悪くねえとも。


 男性の性質と、そこを突く言動の仕方も教えてもらった。

 タイヨウさんで実践してみたら、若干だったけど効果があった。


 場所とタイミングを違えなければ、たぶん……。


「何してんだろ私」


 下腹部に伸びていた手を止めて、もう一度自分を見返す。


「私はお父様を引き継ぐ者。もう遊んではいられない」


 氷の壁に拳を打ち込む。

 激しい音とともに粉々に崩れたが、粒度はばらばらだった。威力も足りなければコントロールも足りない。

 お師匠さまはおろか、第二級もまだまだ遠い。


「でも。諦める理由にはなりません」


 お父様に見つかってしまったのは災難だったけど、タイヨウさんも拘束してくれたのは幸運だった。

 冒険者の私では、タイヨウさんを引き留められなかっただろうから。


「私は強くなります。賢くなります。そしてタイヨウさんも迎え入れて――振り向かせてみせる」

第42話 追跡者たち

「妙ですね」

「納得されていないようで」


 アルフレッド王都リンゴの真上――高度千メートル付近に、二つの人影があった。

 どちらも没個性的な黒スーツに身を包んでいるが、その起伏を見れば片方は男、他方は女だとわかる。


「粗暴な冒険者も、物覚えは良いものです。手配書の人相と即座に結びつける者がいてもおかしくはない」


 男は魔法を発動し、眼下の都市と重なるように小石を配置する。

 彼らが聞き込みを行った位置をプロットしているのだ。


「暗殺者ゆえに普段は身を隠しているようで?」

「だとしたら話が進まないので、その線はいったん考えません。それに暗殺者であれば、あのような派手なやり方はしないでしょう」


 いくつかの小石が微妙にスライドする。女の魔法による微修正だ。


「相変わらず細かいですねスキャーナ」

「お金の話になったファインディさんには及ばないようで」


 彼らはジャースでも最大手の情報屋『ガートン』の職員である。

 アルフレッド王国第二王女ことナツナ・ジーク・アルフレッド暗殺の犯人を求め、王都で調査にあたっていた。


「暗殺者でないなら、単に影が薄いようで」

「いえ。影というよりは顔でしょう」

「顔……? 自分には理解しかねるようで」

「人間は、見慣れない系統の顔つきは覚えづらいものです」


 スキャーナと呼ばれる彼女はまだ理解に及ばないらしく、顎に手を当てて考え込む。スーツ越しでもわかる膨らみが形を変えた。

 目敏い男ならチラ見してもおかしくないが、この男――ファインディがそんな可愛い人間でないことはよく知られている。


 スキャーナはゲートを唱え、一枚の紙を取り出す。

 既に全土に広まっているであろう手配書だ。指名手配犯の顔面がそこそこ鮮明に描かれている。身体は上半身含めて描かれていない。


「……犯人は人間以外の種族なようで?」

「それもありません。魔人ならば目立ちますし、それ以外の種族なら身体的特徴があります。ですが、そういった話はうかがっていません。犯人は人間でしょう。この顔立ちは、たしかに覚えづらい。顔に絞ったスナップショッターは良い仕事をしました」

「覚えづらい……? 自分にはそうにも思えないようで」

「まだまだ未熟ですねスキャーナ」


 ファインディは空中に描いた図を見つめたまま静止した。

 その脳内はめまぐるしく働いているに違いない。


 スキャーナは眼下の、格差の著しい景色をぼうっと眺めながらしばし待つ。


「――やはりこっち方面で攻めてみましょう」


 考え事は終了と言わんばかりに魔法が唱えられ、小石が一箇所に集められた。次いで圧縮が走り、小石一つ分のサイズにまで縮小される。

 ファインディはそれを掴み、自らの手で再度握り潰した後、王都の東側に投擲《とうてき》――

 軌道はレーザービームのように伸びていく。


「災害蛇《ディザスネーク》討伐後にメダルを発行してもらった平民ですよ。イレギュラーはイレギュラーから発生するといいます。第一級冒険者に懇意にされていたその平民が、実は犯人だった――面白そうじゃないですか」

「西門を警護していた冒険者達は、手配書の顔とは違うと言っていたようで」

「魔法で人相を誤魔化していたとしたら? アウラほどの魔法師なら不可能ではありませんし、面倒見の良いラウルなら一時的に人相を変えさせて悪目立ちを防ぐくらいの配慮をしてもおかしくはないでしょう」

「……ずいぶんと詳しいようで」


 ファインディは既に飛び立っていた。並の飛行モンスターでも追いつかないほどに速い。

 スキャーナも慌てて後を追いかける。


 隣にまで追いつくと、スキャーナは身体が触れ合うほど距離を詰めた。

 口元を、彼の耳元に近付ける。


「その第一級冒険者――アウラとラウルを尋ねるようで?」

「彼らは現在ダンジョン遠征中です。深層ですからね、私達も準備せねば届きません」


 かなりのスピードが出ている。風圧によりまともな会話などできやしない。

 ゆえにスキャーナはこうして口を耳に近付けているのだが、ファインディの声は支障無く届いていた。

 魔法である。おそらく風魔法で大気を制御しているのだろうが、スキャーナには出来ない芸当であった。


 そんな人物が準備を要するほどの場所に行くというのだ。


「自分、急に体調が悪くなってきたようで」

「もちろんあなたも行きますよ」

「……」


 ファインディは上司でもある。断れるはずもなかった。




      ◆  ◆  ◆




 王都リンゴの南西部分は上位階級――貴族エリアとなっている。

 王宮もこの中にあるが、面積の比率は決して小さくない。現代で言えば東京都千代田区における皇居にも等しい。


 違うと言えば敷居の高さだ。

 王宮では観光はおろか、平民以下が近づくことすら許されていない。そもそも貴族エリアの警備が厳重であるため、並の冒険者なら命がいくつあっても足りない。


 そんな王宮裏庭の一画、クレーターのような巨大な窪みの中に彼はいた。


「これは私でもただでは済まぬな」


 貧しい剣士《ソードマン》としてはさして珍しくもない風体である。鞘に納めたロングソートを地に立て、両手を置いている。

 あえて特徴を挙げるなら二つ。この時代の男性にしては珍しく腰にまで伸びている青色の長髪と、その異様なまでの落ち着きぶりだろう。


「――駆けつけてきたか。優秀ではないか」


 男がそう呟くと同時に、周囲に数人の人影が着地する。

 分厚い鎧に身を包んだ騎士――王国の親衛隊である。


「皆の者、気を付けよ。言うまでもないがこの侵入者、ただ者ではない」

「わかっています」

「いかがいたしましょう?」


 兵士達は冷静に侵入者の処刑方法を打ち合わせ始める。

 その間も男への注視を忘れず、瞬き一つさえ渋るかのような気迫をぎらつかせている。


 しかし、それ以上に、囲まれた男は冷静――いや平静だった。


「接触第一《コンタクト・ファースト》か。それに私の名前を呟くこともなければ、怯えを見せることもない。よく訓練されている」


 侵入者の名はブーガ。

 ダグリン共和国を治める皇帝であり、断じてこのような場所にいていい人物ではなかった。


「捕らえよ。相手が誰であれ、ここは王国である」

「はっ」


 兵士らは早速行動に移そうとしたが、既にブーガの姿はなく。

 彼らは当惑の一文字を漏らす間もなく地に膝を着き――どさっ、どさっと地面に伏していった。


 それらは等間隔に、横一列に並べられる。

 死んでもいないし、外傷もない。微かだが規則的な吐息を立てている。


 ブーガはと言うと、既にクレーターの隅にまで移動し、壁に手を当てていた。


「やはり甚大な出力だ。制御というよりは乱雑。加減というよりは過剰。第二王女を、その護衛も含めて確実に仕留めるために、あえてこれほどの出力を放ったのだと考えられる」


 ブーガが反対側の壁に移動する。距離は優に百メートルを超えていたが、一瞬の出来事だった。

 よほどの者でなければ、瞬間移動と勘違いするに違いない。

 仮に視認できるほどの実力者だったとしても、目を疑うに違いなかった。衝撃波が無いだけでなく、彼の長髪は少しもなびいていない。


「この者の攻防手段が気になるところだが、後で吐かせれば良い。まずは居場所だ」


 クレーターの中央を陣取り、仁王立ちするブーガ。

 目を閉じると、銅像のように身じろぎ一つしなくなった。


 数分の後、見開かれる。


「――いる。この者は、ここ王都内にいるはずだ」


 ブーガは一瞬で兵士達に睡眠魔法《スリープ》をかけ直した後、確認を兼ねた独り言を続ける。


「規模に見合わぬ乱雑な痕跡――これは新参者が突発的に強大な力を得てしまったと解釈すれば筋が通る。力の行使にまだ慣れておらぬのだ」


「新参者に第一級指名手配から逃れる器量はない。あったとするなら、こんな騒ぎなど起こすはずがないのだからな。にもかかわらず、この者は未だに捕まっていない」


「匿う第三者がいる? 否、いないと考えるべきだろう。この出力はレアスキルでも説明がつかぬ。犯人が迂闊に共有するとは思えぬ」


「どこかに身を潜めているやもしれぬな。少なくともこの出力に耐えるなら、餓死とは無縁のレベルにあろう。私でも一年は耐えられるのだ。この者も同等以上は耐えられると見て良いだろう」


 ブーガほどの実力者になると、人体の神秘にも詳しい。


 人はレベル――もっと言えばステータスが上がれば上がるほど、身体のつくりも人外じみていく。

 あまり知られていないが、たとえば防御力は飢えや毒性への耐性とも相関がある。


「だが人は退屈には耐えられぬ。この者は目立つことを嫌う性分であろう。それでも退屈には勝てぬ。必ずここを脱するはずだ。いつ脱する? どこから脱する?」


 スリープの掛け方が甘かったらしい。兵士の一人がわずかに動いた。

 もちろん、見逃すブーガではない。


 いつの間にか兵士は数十メートル先に隔離され、切り落とされた首から血を吹き出していた。


 ブーガは殺戮を好まない。そして倹約家でもある。

 あえてスリープで寝かせたのもその一環であり、鍛錬の延長でもあった。

 無論、失敗したとなれば速やかに対処する。敵に慈悲を与えることはない。


「――今、この時であろう。もうじきここは侵攻される。戦闘となれば、装備による素顔の隠蔽も正当化されよう。この者にとっても、手配で知られた顔を不自然なく隠す好機となる」


 大胆な直感と推測を整理し終えたブーガは、口角をわずかに上げた。


「逃がしはせぬぞ」

戦乱

第43話 戦場

 俺とユズは王都西門から十数キロほど離れた平原に出向き、生い茂った巨木の中に身を潜めていた。

 気温も熱すぎず寒すぎなくて、木漏れ日も心地良い。太い枝の上で昼寝したくなるくらいだ。


 ……草木の隙間から覗く惨状が無ければ、の話だが。


「まさに地獄だな……」


 かつてラウルやアウラと歩いた時ののどかさは見る影もない。


 西方、攻めてきているのは青色のフード付きローブを着た集団。

 東方、王都の守備に当たるのは統一感の無い冒険者の軍団。

 双方を合わせれば万人は超えているだろう。そんな規模の両者が、正面衝突している。


 炎に包まれ、撃ち抜かれる。

 水に押し潰され、沈められる。

 風に吹き飛ばされ、切り裂かれ。

 砂に削られ、岩を叩きつけられる。

 凍らされて砕かれて。凍らされて溶かされて。

 雷撃に撃たれて痺れて、ただれて、そして焦げ尽きる――


 何十何百という詠唱が絶え間なく響き、カラフルに形作られた殺意が四方八方に飛び交っている。


「で、俺はどうしろっつんだよ」


 俺が自分でも聞き取れるかわからないほどの小声でささやくと、「おべんきょう」ユズの耳打ちが帰ってきた。


 ユズは今、隠密《ステルス》状態で俺の上半身に抱きついている。

 控えめな身体がするすると感触を主張し、幼さの残る吐息が耳をくすぐる。


「タイヨウは対人戦闘を知らない。戦争も知らない」

「別に知りたくもねえんだが」

「否定。国王様の命でもある」

「……わかった。じゃあ、もう少し見たら帰るか」

「拒否。たっぷり叩き込め、と言われてる」

「さいですか」


 逃げるのはもちろん、手を抜くのも無理そうか。


 どうもシキ王は、俺に経験を積ませたいらしい。

 どう考えても週一の国政顧問だけでは済まないよなこれ。ルナもやる気だったし、ずるずる行くと王子――というより王女の夫ポジションになりかねない。ひょっとしたらその先も。


 しかし、見方を変えれば、王の庇護下で活動できるとも言える。

 いずれこいつらとは距離を置くにしても、今はその時じゃない。

 どのみち俺には何もかもが圧倒的に足りないのだ。自分の殺し方もわからないし、何より滅亡バグ――この異世界ジャースを滅ぼす要因もまるで見当がついていない。


 情けないことだが、当面は素直に従うのが無難だろう。


「本当に危なくなった時は頼むな」

「承知」


 俺はそれからも観察に徹した。


 攻防の激しさの割には、まるで途絶える様子がない。

 何ていうか皆、かなり頑丈というか、重傷を負ったはずの者達が再び突撃していたりして既視感を覚える。


「……そうか。回復か」


 よく見ると前衛、中衛、後衛と三層に分かれている。兵法はよくわからないが、相応とも同じ構造をしているから鉄板の戦術なのだろう。

 どの層も魔法による攻撃がメインで、やたらちかちかしている。バグってる俺でもなければ目を痛めそうだ。


 そんな魔法だが、所々味方に向けられて発射されていた。


「回復って確か聖魔法だったよな。ヒールとかリカバーとかキュアーじゃなくて」

「りかばー? きゅあ?」

「何でもない。ユズも回復魔法は使えるのか?」

「使える」


 突如、目の前にユズの人差し指が出現。指だけ浮いていてちょっと気持ち悪い。隠密《ステルス》ってそういう使い方もできるのね。

 俺が感心していると、「【セイント・ニードル】」ユズの詠唱とともに、白く輝く針のようなものが出てきて俺を刺した――気がした。

 何ともないし、頭にも数字は流れてこない。


「……そうだった。聖魔法による攻撃が回復になるんだったな」


 以前ルナから受けた時もしっくり来なかったことを覚えている。


 この世界における回復魔法とは聖魔法である。

 炎の針を発射させるファイア・ニードル、氷の針を発射させるアイス・ニードルなど、通常魔法は基本的にダメージを与えるものだが、聖魔法だけは違う。

 針《ニードル》だろうと、槍《スピア》だろうと、聖《セイント》をまとわせれば、回復が作用するのだ。


「聖魔法は貴重。種族の中でも人間しか使えない」

「つまり回復魔法は人間にしか使えないってことだよな?」

「肯定」

「で、今はその人間同士の戦いだから、回復が多用されて長期化していると」


 ユズの人差し指がちょこんと首肯した。愛らしい指先で、つい触ってしまう。


「あっ」

「あってなんだよ。可愛い声を出すのな」


 というより妙に色っぽかった。耳元越しだからだろうか。


「タイヨウのばか」


 何か詠唱したらしく、俺の全身にダメージが発生する。あの、常人を十人くらいは殺せる数字なんですがそれは……。


「集中する」

「分かった分かった、俺が悪かったって」


 いかんな。バグってるせいでどうにも緊張感に欠ける。


 改めて観察を再開。

 時折ユズと喋りながら己が無知を補強していく。


 ふと素朴な疑問が湧いた。


「なあユズ。見たところ、極端に強い奴が見当たらないようだが、気のせいか?」


 物量には気圧《けお》されるが、一つ一つは大したことがない。第四級か、せいぜい第三級といったところだろう。

 少なくともルナであれば無双できそうだし、以前見たアウラの火力――ウルトラファイアだったか、あのレベルの魔法は一度も発されていない。


 質問の意図がわからないのか、ユズの吐息には疑問符が滲《にじ》んでいた。

 俺は補足を加える。


「こういうのってさ、強い奴一人が突っ込んだ方が合理的じゃないか? それこそ青い方――オーブルーだってお抱えの第一級くらいいるだろ。そいつで一気に突破した方がてっとり早い」


 軍事には無知な俺だが、前々から疑問だったことがある。


 どうして強者自ら手を下さないのか。

 万の弱者より一の強者が強いとしたら、強者がさっさと片付けた方がてっとり早いに決まっている。


 フィクションならばストーリーの都合上、仕方ないのだろうが、ここは現実。

 ドラマは要らないはずだ。


「戦争の目的は――民《たみ》。なるべく尊重する。小さく攻めていくのは、暗黙の了解」

「……なるほどな」


 荒野だけ手に入れても仕方がないってことか。


「ってことは、オーブルーさんは別にアルフレッドを滅ぼしたいわけじゃないと?」

「わからない」

「わからないのか」

「オーブルーの思惑は、教皇にしかわからない」


 オーブルー法国は『サクリ教』を信仰する宗教国家である。

 その頂点には教皇が君臨し、教徒という数の暴力を自在にコントロールできるという。


 宗教というと良いイメージは浮かばないが、遠目で見た青いローブ達からは特に狂気を感じない。むしろモンスターの群れに遭遇した理知的な魔法使いの集団、とでも形容した方がしっくり来る。

 まあ青一色で統一されていることがいびつと言えばそうだが。


 何にせよ、彼らの意図を推し量ることはできそうにない。


「ペナルティも、ある」

「ペナルティ?」

「暴れすぎると、粛正される。竜人が、見ている」

「……今も? 方法は?」

「わからない」

「ただのはったりという線は無いのか――いや、無いんだろうな」



 ――一人の第一級冒険者が公開処刑されました。


 ――当時最も強い冒険者とされていましたが、瞬殺でした。



 ルナはそう言っていた。青空画面《スカイ・スクリーン》なる規格外の魔法が存在することも。


「ペナルティの基準もわからない?」

「肯定」


 竜人族のイメージがだいぶ湧いた気がする。

 人という種族の一種ではあるが、同じ範疇でくくってはいけない。

 人類を見守る神とか天使とか精霊とか、そういう次元の違う別物と捉えた方が良いだろう。


 だからこそ、この程度の侵略にもいちいち干渉しない。

 しかし、ペナルティという形で干渉することがあるのもまた事実。その基準は明らかにされていないが、無視できるものではない。

 現に強者でさえあっさり処刑されている。


 これには弱者のみならず強者も――いや、強者だからこそ、恐れるしかない。


「パラーバランスがおかしいんだよなぁ」


 竜人もそうだが、魔王には見えない魔王とか、もこもこ星人こと綿人《コットンマン》のサンダーボルトとか。


 まあ一番おかしいのは俺か。

 何せそんなおかしい奴らの攻撃でも死なないんだもんな。


 無敵バグを突ける手段なんて最初から無いんじゃないか、と諦めたくもなる。

 精神がバグってなければ、俺はとうに禿げてるし、胃に穴も空いているだろう。


「ユズ、もう一つ教えてくれ。そのペナルティとやらは、内密に行使されるのか?」

「場合による」


 最も派手なケースだと青空画面《スカイ・スクリーン》による公開処刑になるが、地味なケースでは、関係各所にのみ事後報告されるそうだ。

 その際、証拠の死体も添えられるんだとか。


「ガートンにも、よく送られる」

「ガートン?」

「ジャース最大の情報屋。情報を売っている。貴族が対象」


 どっかで聞いた単語だが、どこだったか。

 印象から察するに、上流階級限定の新聞屋みたいなものか。俺の手配書から見ても、そういう媒体を発行する手段はあるみた「くる」ユズがなんか言った。


 直後、俺達は朱色の渦に包まれて……って火属性の魔法っぽいな。

 脳内に数字が流れ込んでくる。力でもなければ電気でもない。温度変化を司るであろう数字は、気温のそれを超越している。


「タイヨウ。頑張って」

「おい待てユズ。どうすればいい?」

「じっせんれんしゅう」


 主に頭部に集中していた人肌の感触が消える。と同時に、いつの間にか二枚のバンダナが俺の頭部と口元を包んでいた。

 先日、ユズが選んでくれたものだ。防御力は大したことないが、バンダナ自体の耐久性が高く、顔を隠すのに向いている。たしかに炎でもびくともしていない。


 そんな器用な真似するくらいなら助けてくれませんかね。


「偵察員《ウォッチャー》だ! 逃すなっ!」


 ウォッチャーってなんかカッコいいな。ただの鑑賞者《ギャラリー》なんですけど。


 ともあれ、見つかったのは明らかだった。

第44話 戦場2

「逃がすなっ!」


 巨木に潜む人っ子一人をよくもまあ見つけてくれたものだ。

 杖を携えた青色ローブという装いは、軽く目に入っただけでも五人ほど。もっといるだろう。たぶん囲まれている。別働隊だろうか。


 とりあえず炎の渦から脱出しつつ枝葉をかき分け、奥へと逃げる。


「取り囲め!」


 下から届く声に焦りつつも、俺は難なく動けていた。

 無敵バグによる平静とレベル17の身体能力もあるのだろうが、それ以上に前世の経験が生きている。


 もっと言うと、パルクールだ。


 周囲にどんな障害物が、足場があるのか。

 どれくらいの力なら壊すことなく着地できるか。

 どの点からどの点を経由するのが最も近いか――

 そういったことが手に取るようにわかる。


 前世でも十五年以上鍛え続けてたんだ。アクション俳優相手でも軽く巻けるぜ? ってくらいの移動力と何より『眼』を持っているつもりだったし、実際パルクール界隈も席巻してきた。


 だが、今の体感はそんなもんじゃない。

 前世だったら確実に世界の頂点を独占できるほどの処理能力であった。


 第四級の入口でさえこうなのだから、この先は一体どんな景色が見えるのやら。


「……凄い」

「お世辞は良いから助けてほしいんだが」

「否定」


 どこにいるのか知らないが、即答された。講師ユズは中々厳しい。


「もっと見たい」


 いきなりどうした。俺は褒めて伸びるタイプではないぞ。

 むしろ裏の本心を勘ぐるまである。空中に足場をつくって駆け抜けるユズと比べたら、俺なんてミジンコ以下だろう。


「……突き当たったか」


 巨木とはいえ、動ける範囲は限られている。十秒もしないうちに幹にぶち当たってしまった。

 さてどうするか。

 上に逃げるべきか下に逃げるべ「全方位せよ!」そんな指令が真上から届く。


 ……うん、詰んだな。


 難なく巨木の頂上に移動するほどの敵に、肉弾戦で勝てるはずもない。無論、逃げることもできまい。

 かといって俺には魔法もないし、ユズも当面は助けてくれない。

 実践練習にしては厳しすぎませんかね。


 俺が死ぬことはないだろうが、無敵であることは極力伏せたい。

 ましてここは戦場だ。一度目立ってしまったら、加速度的に知れ渡ってしまう。そうなると石化など封印の手段を持つ者も出てきかねない。


「攻撃に転じるしかなさそうだな……【キャンセル】」


 俺は唯一のスキル『リリース』の出力調整に入ることにした。

 まずはキャンセルで出力率をいったん消して、


「【リリース】、100」


 とりあえず百分の一、一パーセントの威力で様子を見る。


 俺は幹を伝ってするすると登っていき、てっぺんに居座っている奴に近づく。

 その間、どうもサンダーを撃ち込まれたようで、身体がびりびりした。もちろんダメージはない。


 頂上より五、六メートルほど離れたところで枝に移り、天に向けて指先を構える。生い茂った枝葉からチラリとターゲット――飛行している青ローブが見えた。

 そいつはきょろきょろしていたが、勘が良いのか、俺と目が合う。遅い。


「【オープン】」


 唯一の攻撃手段、スキル【リリース】を発動すると、光線のようなものが出た。

 太さは指と同じくらいで、やはりビームやフォトンという言葉がよく似合う。男心をくすぐってくれる。


 と、呑気な感想を抱いてみたが、現実はグロい。

 ターゲットに着弾すると同時に爆発が起き、彼だか彼女だか知らないが、四肢が散らばったのが見えた。


「距離を取れ! 地面から離れろ!」

「敵は頂上だ! 集中砲火を浴びせよ!」

「射線を定めさせるな! 常に動きながら撃ち込めっ!」


 敵が戦陣変形《フォーメーション》を始める。

 とりあえず近接されるリスクは避けられたか。今のうちに打開策を見つけねば。


「ユズ。この実践練習のゴールは何だ? ゴールが無いとやりようがない」

「一時間以上耐えること。十人以上殺すこと。学んだことを後で百個報告すること」

「シビアすぎない?」


 しれっと人殺しも課してるし。今さら何とも思わないけどな。


 ユズの淀みの無さから察するに、あらかじめ決められていたのだろう。だったら最初から提示してくれよ。

 文句の一つでも言いたくなるが、ここは堪えるしかない。


 俺は巨木の頂にまで登り、全身を晒して立ち上がる。


 眩しい陽光が目に入った。

 凄惨な戦場が視界に飛び込んできた。

 間もなく詠唱と悲鳴が耳に届き、血の臭いと焦げた臭いが鼻をつく。


 周囲をさっと見回すと、青ローブ達が距離を取っているのがわかる。ふわりと浮いている奴もいた。

 よく見るとローブが激しくはためいている。自らに風魔法をかけているのか? ……いや今は好奇心は抑えねば。


 俺は手のひらを向け、「【オープン】」再度リリースを発動。

 今度は手のひらサイズの光弾だ。俺の目論みは幸いして、浮上しかけた敵の右足にかろうじてヒットしてくれた。

 着弾と同時に爆発が生じ、敵の体はボウリングピンのように弾けた。


「検証しておいて正解だったな」


 ナツナを殺す前日、ユズと一通り試していたのが生きている。


 リリースは身体の任意の部分を銃口にできる。指先、手のひら、上腕から全身まで可能だ。

 銃口からは、銃口とみなした部分と同じ面積の視覚作用《エフェクト》――レーザーのような何かが発射される。俺は便宜上『エナジー』と呼んでいる。


 この面積に調整の余地がある。

 銃口を小さくすればエナジーは細く長くなり、速度も飛距離も伸びる。見た目はビーム状になる。

 対して銃口を大きくするとエナジーは太く短くなり、速度も飛距離も落ちる。見た目は砲弾状に近づいていく。


 いずれの場合も威力に差はなく、着弾した時点で爆発が生じる。

 そうなると重要なのはエナジーの命中率だが、あいにく俺に射撃の心得は無い。


 そこで俺は銃口を広くして、エナジーを太くしてみたのだが。


「相手の焦った顔が見えたんだよなぁ」


 相手が焦るほどの余地があったということだ。

 もう少し強い相手ならまず交わすだろうし、今爆散した相手も、浮上直後という隙の最中でもなければ回避できていただろう。


「弾は残り98発……」


 余裕があるとは言えない。威力はもう少し落としても良いだろう。


「【キャンセル】」


「【リリース】、200」


 さっきの二分の一、総チャージ量の0.5パーセントにまで薄めておく。

 これで敵を蹴散らせるか、もう一度試そうと――くっ、敵の陣形が整いやがった。


 慌てて巨木の中に飛び込む。その最中、燃えさかる矢が空に放たれたのが見えた。

 それは弧を描いて、正確に巨木の頭頂部に降り注ぐ。さっき俺がいた場所はごうごうと燃え始め、火の海として広がっていく。


 上だけじゃない。側方からも燃やされ始めているようだ。


「燃やし尽くす気か……」


 長くは保つまい。このままでは姿が晒されて的になってしまう。


 俺は猿のように炎を避けつつ、葉と葉の隙間を縫って「リリース」飛び回る敵にビームを撃ち込むが。


「リリース」


 当たらん。


「リリース、リリース」


 全然当たらねえ。

 動き回りながら撃つのがそもそも不安定だし、たぶん相手は十メートルくらいは離れているし、まったく止まってくれやしない。まあ静止していても当たる気がしないけど。

 気分はバッティングセンター初心者である。そもそもバットの振り方すらおぼつかない感じ。


「くそっ、どうすれば……」


 こうしている間にも炎が巨木に噛みつき、水流がそれを洗い流していく。

 てっとり早く巨木を禿げさせるためだろう。これでは火中に身を潜めるというチートも使えない。


 禿げるペースは速い。生い茂っていた視界に日光が差し込み、俺の姿を照らした。


「いたぞ!」

「追い込め!」


 俺は水浸しになりながら、残された緑の中へ中へと潜り込んでいく。


「間もなく補給隊が到着する! 惜しみなく撃ち尽くせ!」


 このままじゃジリ貧だ。どうすればいい?


 高火力を使うか? 五十パーセント、いや四十パーセントくらいで足りるだろう。

 幹に向けて放てばいい。俺を取り囲む奴らを丸ごと巻き込めるはずだ。


 ……いやダメだ。目立ちすぎる。

 本隊を刺激したくはない。ユズだって無事ではいられない。


 何より、おいそれと切り札を使うつもりは毛頭無かった。

 たっぷりとチャージしたダメージは俺の保険なのだ。すべて放てば、ユズさえ打ち破れるほどの火力になる。こんなところで使えるかよ。


 かといって丸腰では攻撃手段がないし、逃げ出せるほどの敏捷性もない。どうすれば。

 久しぶりに会いましたね、堂々巡りさん。


「……いや待て」


 バグってる俺は、こんな時でも冷静に頭をフル回転できるらしい。クーラーをガンガン効かせるかのごとく働いているのがわかる。

 もう少しで何かが思いつきそうだった。


 逃げ続けた俺は、とうとう地面に到達する。

 青空は丸見えだが、まだ緑はあった。この巨木は根元までびっしり枝葉を生やすタイプのようだ。

 といっても焼け石に水。あと十数秒と保つまい。


 しかし、それだけで充分だった。


 俺は両の手のひらをべったりと腹につけ、覆い被さるような体勢を取る。

 そして――


「リリース、10――オープン」


 自らにエナジーを放った。

第45話 戦場3

 どの方向に飛んでいるのかもわからなければ、どれくらい高く飛んだのかもわからない。

 唯一わかるのは、俺がギュルギュルと高速で回転しながら、どこかに飛んでいるであろうことのみ。


「タイヨウは臆病」


 ユズの拗ねた声とともに、耳にがじがじとした感触。


「そんな性癖はないぞ」


 風圧で聞こえるか怪しかったが、ちゃんと聞こえていたようで「ちょっと痛かった」率直な感想が返ってきた。


「悪かったよ。打ち合わせるべきだったな」


 あの場から逃げるため、俺は自らにリリースを打ち込んだ。

 俺は無敵である。吹き飛ぶほどの威力をぶつければ、そのまま逃走手段として使える。


「今すぐ戻る」

「やめて。マジでやめてくれ」

「練習にならない」

「戦略的一時的撤退と言ってくれよ」

「離れすぎ。タイヨウは加減が下手」

「仕方ねえだろ。まだ慣れてない」


 しばらくして回転が止むと同時に、軌道も緩やかになってくる。

 首をひねって見下ろしてみると、同じ平原だが、見覚えのないのどかな光景が広がっていた。


「だいぶ離れたな」


 遠目に王都の城壁が見えている。広大なド田舎に高層ビルが並んでいるような光景で、こんなに遠くても存在感が凄まじい。

 その少し手前では、魔法合戦の戦線がちかちかと光っている。


 間もなく、慣性を失った俺の身体が重力に引っ張られた。

 妙に風通しが良くて、そこで初めて服を丸々失っていたのだと気付く。


「あ、バンダナもねえな」


 服はともかく、バンダナは特に頑丈だと聞いていたが。いや、10パーセントの解放が強すぎたのか。

 これでも少ないと思っていたくらいなので、いやはやユズの言う通りである。加減調整は真面目に練習せねば。


 数百メートルはあろう高度から地面に墜落した俺は、やはり無傷。難なく起き上がり、早速ユズにバンダナと服を催促する。

 応答は返ってこない。隠密《ステルス》で見えないが、突き刺さるような視線を感じる。

 高価だったんだよな。ごめんて……。


「……ユズ?」


 そう何十秒と無反応を貫かれても困るんだが。


 俺は王女殺しの指名手配犯だ。戦場で顔を晒せば秒でバレてしまう。だからわざわざ武器庫に連れてってくれたんだろ。早くしてほしいんだが。

 それにその攻撃的な視線? もそろそろやめてもらえませんかね。妙に居心地が悪い。


 その時だった。


「うぉっ!?」


 俺の目と鼻の先で衝撃波が炸裂していた。


 自分でも何言ってるかわからないが、秒が経って状況がわかってくる。


 目の前には、小さな手のひらが構えられていた。ユズのものだ。俺の顔面を守ってくれたのだろう。

 その先には剣の鞘。刀身は一メートルくらいはありそうで、いわゆるロングソードと思われる。


「なぜ王族の護衛がこんなところに。ふむ」


 俺に視線を察知する能力はないが、間違いない。


 こいつだ。こいつが俺に、いや俺とユズに向けていたのだろう。

 詳しいことはわからないが、殺意だとかオーラだとかそういう何かがあるはず。


 俺は不思議とそう確信できた。

 いや、目の前の男がそうさせるのだろう。


 おにいさんと呼ぶには老いているが、おじいさんと呼ぶには若すぎる。

 傷もシミも見当たらない、端整な顔立ちには青色の長髪がついている。後ろが長く、ポニーテールと言えばいいのだろうか、首のあたりで結われていた。

 服装は平凡な町民、あるいはさほど稼げていない冒険者といった感じで、一見すると、どこにいても溶け込みそうな気がしてくるが、そんなことはないと断言できる。


 覇者。あるいは覇王か。

 覇という字がこれほど似合う男もそうはいないだろう。

 初対面のはずなのに、そう思えてしまう雰囲気があった。


「すでに取り込んでいたとはな」


 男の鞘が動く。


 いや、気付いた時には動き終わっていて、ユズが再度受け止めていた。

 直後、思い出したかのように衝撃波が発生し、爆音が全身を潰す。


 地面が放射状に撫でられていくのを見ながら、俺は直感する――


 次元が違う。


「シキがあえて抱えるほどの人材となれば、ますます欲しくなる」

「渡さない。絶対に」

「ならば奪い取るまで」


 鞘を隔てて睨み合う両者。

 ユズはというと、とうに隠密《ステルス》を解除しており、幼女体型の裸体を晒している。というか俺の上半身に抱きついたままだ。


 そんなツッコミどころ満載の俺達を前にしても、男は眉一つ動かさない。

 どう見てもただ者じゃないよな。たぶん第一級冒険者のレベルだろう。

 さっきから不吉な独り言を寄越してきているのも気になる。嫌な予感しかしない。


「……」


 静かすぎてむずむずする。


 二人とも一向に動く様子がなかった。

 時が止まったのかと錯覚するほどだ。


 そうかと思えば、いつの間にかコマ送りが起きていて、二人の位置取りが微妙に変化している。その度に衝撃波も発生して、俺に少なくないダメージがチャージされる。


 ……うん、全くついていけない。そもそも動きからして見えないしな。


 逆にユズはよくついていけてるよなぁ。

 防御力は一級品だが、攻撃力や敏捷性はそうでもない――それこそルナと同等か、ちょっと上くらいのはず。対して相手の威力とスピードは桁違いで、これが第一級の世界なのかと思い知らさせる。

 耐えることはできても、反応できるはずがないのだ。レアスキルでもあるのか?






 その後も膠着は続き、十数分が経過していた。

 衝撃波に撫でられすぎた地面も、硬そうな土をむき出しにしている。


「持久戦でも私は構わぬ」

「同様。捌いてみせる」


 久方ぶりに感じられる台詞はどちらも涼しそうだが、表情までそうなのは男だけだ。

 ユズの横顔には珍しく焦燥感が漂っている。


 ……潮時のようだな。


「おっさん。少し話さないか」

「タイヨウ!?」

「ユズは引き続き守ってくれ」


 ユズの切羽詰まった声を不覚にも可愛いと思ってしまったのは内緒だ。普段が無表情で無愛想なだけに、こういうギャップはたまらない。

 ……さて、真面目に帰路に立っているわけだが、どうするか。


「俺はシニ・タイヨウ。冒険者をしている」

「ブーガ・バスタード。ダグリン共和国を治める皇帝である」

「想像以上に大物だった」

「その割に冷静であるな」

「どういたしまして。それで、皇帝さんが――です?」


 一介の冒険者に何の用です、と言ったのだが、轟音にかき消された。

 会話にも応じてみせるブーガと、表情が歪み始めているユズ。やはり分が悪いな。


「単刀直入に言おう。私は力を欲している。圧倒的な実力を持つ個の力だ」

「戦争でも押っ始めると?」

「見方によってはそうとも言える」


 とりあえず時間稼ぎをしつつ、なるべく情報を引き出しつつ、この状況を打開する策も考えたい。バグっている俺の集中力なら不可能ではない。


「詳しい経緯を訊いても?」

「《《今は》》断ろう。残念ながら猶予は与えぬが」


 時間稼ぎは見破られているか。

 それに、その言い方はまずい。


「……参ったな」


 偽りない本音が出てしまった。


 ブーガの強さもそうだが、何より新たな選択肢が提示されたという事実が、俺を誘惑する。


 俺はただ死にたいだけだ。

 そのために必要なのは二つ――無敵バグを突破する手段の解明と、この世界に存在する滅亡バグの解消。

 後者にてこの世界《プログラム》を救い、前者にて俺自身が自殺すれば、俺という魂《データ》を天使《プログラマー》が成仏《デリート》してくれる。輪廻転生《データの使いまわし》から解放され、永遠の死に至ることができる。


 そんな俺がシキ王についているのは、現状それが最も無難だからだと言える。

 言い方を変えれば、シキ王自体に固執する必要性はない。


 恩義? 期待? 好意? そんなものはくそくらえだ。

 そんなのにとらわれていたら、いつまで経っても死ねやしない。


 俺は異常者ではない。

 恩義には報いたいと思うし、期待されたら嬉しいし、好意をもらったらもっと嬉しい。

 ごく普通の感情回路を持つ凡人だ。


 だからこそ。だからこそ冷静に取捨選択せねばならないし、無慈悲に抗わねばならない。


 目の前のブーガは何と言っている?

 言葉足らずではあるが、俺には。



 ――私についてこい。



 そう聞こえるのだ。


「タイヨウ! 撃って!」


 ユズが声を荒げる。リリースで蹴散らせと言っているのだろう。

 そうだな。俺の高火力をもってすれば、たぶんブーガも退けられる。ユズも無事では済まないだろうが、防御力には自信があるのだろう。


「早く!」


 ユズも長くは保《も》ちそうにない。息は切れていないが、ブーガの攻撃を捌くので精一杯といった様子だ。


 仮に。もし仮に、ブーガについていったとしたら、俺はどうなるのだろう?


 この人は力が欲しいと言った。戦いに身を置くことになるのは間違いない。

 俺の人権はどこまで尊重される? 俺には誰がつく? 皇帝の右腕ポジションだと楽《らく》そうではあるが。


 そうだ。ブーガという居場所は、楽そうなのだ。

 俺の幼い精神性や内心をも見透かしているかのような食えない国王もいなければ、好意をぶつけてくる家出王女もいない。やたらひっついてくる金髪幼女体型も。


 俺は逃げたいだけなのかもしれない。

 いいじゃないか。逃げて何が悪い? ストレスフリーは大事だ。不快を美徳にする奴はマゾである。俺はマゾじゃない。


 この人ならそんなことはない。不思議とそんな気がするのだ。

 俺に温もりは要らない。必要なのは便宜のみ――


 ……はぁ。何やってんだか。


「ユズ。作戦を思い付いた」


 ぼっちのくせに他人をあてにしやがって。バカか俺は。

 他人に頼ってどうにかなるなら、ぼっちなんてなっちゃいねえよ。前世で何を学んだんだ。しっかりしろ。


 俺はそこで思考を放棄して、思いつきの策を口にする。


「ブーガには耐えられず、でもユズには耐えられる程度の攻撃がしたい。どのくらいか見積もってくれないか?」

第46話 巣

 ブーガの猛打に耐えきったユズが、「六割」答えを口にする。


「王女様の時の、六割くらい」

「わかった」


 ユズの見立てでは、そのくらいの出力でブーガを打ち破れるそうだ。無論、ユズも無事ではないだろうが、耐えられると判断したのだろう。

 あるいは、耐えられないのかもしれないが、俺の知ったことではない。


 ナツナを殺した時の出力値は覚えている。

 暗算の勘も既に取り戻している。計算は一秒あれば足りた。


「キャンセル、リリース――72」


 これで当時の六割くらいの出力値になる。現状86パーセントほど残っている総ダメージ量の大半が失われてしまうが、仕方ない。


「避けられたら厄介だ。ユズ、ブーガを固定できるか」

「一秒だけなら」

「頼んだ。合図だが、『今だ』の一言にしてくれ。次にユズがその一言を発した瞬間、俺はブーガに放つ」

「承知」


 俺達が堂々と打ち合わせる間も、ブーガは淡々と攻撃を繰り出す。相変わらずコマ送りにしか見えないし、まして何を考えているかなんて読めるはずもな「今だ」早速かよ。

 無論、取りこぼすほど間抜けではない。


 「リリース」


 俺はクレーターを生み出すであろう超火力を放った。


 常識外れの火力は、何度食らっても慣れないものだ。


 まず視界が閃光に包まれ、感想を抱く間もなく脳内に数字が流れてくる。数字の大きさを自覚した時には、身体が空へと投げ出されている――これがゼロコンマ秒と経たないうちに起こるのだ。

 次いで、ようやく視覚が追いついてきて、猛スピードでスクロールする景色が見え始める。


 間もなく急停止が入った。何かにぶつかったことだけはかろうじてわかる。

 ダメージの量も一際えげつない。たぶん強烈なGと、衝撃からの反作用が加わったのだろう。

 その衝撃波は粉塵の存在さえも許さない。周囲の景色はすぐに見えた。


 これは、てっぺんが見えないほどの、壁……?


「王都じゃねえか!?」


 がばっと起き上がると、やはり王都西門だった。

 どうやら西門から数百メートルほど北に逸れた部分の城壁に衝突したらしい。どこまで飛んでんだよ。

 その割には城壁は無傷だが、一方で、周辺の地面は尋常じゃないえぐれ方をしている。爆弾の方がまだ優しい。


「ユズ!? ユズは無事かっ?」

「無事」


 右手に温かい感触があった。ユズのものだ。

 その細い腕を辿ると、ぼろぼろの裸体が目に入る。口元には血の跡も。


「大丈夫なのかよそれ――」

「素晴らしい」


 爆音とともに地面と、今度は城壁もえぐれた。


 見ると、ブーガが突きを放っていた。

 先ほどと同様、ロングソードの鞘である。

 俺には届いていない。いつの間にかユズが割って入り、空いた手で受け止めている。


「何ともでたらな火力ではないか。長期戦が前提となる我々の戦い方が、根本から覆るやもしれぬ」

「……タイヨウ。これは、勝てない」

「消沈するでない。私相手に防戦しつつ、護衛対象が吹き飛ばぬよう制御しきったその立ち回りは感嘆に値する」


 荘厳の二文字が似合うブーガは、何とも嬉しそうだ。俺を貫くその双眸にはどこか童心が宿っている。

 対照的に、ユズは戦意を折られているのが伝わってきた。


「無詠唱でそれだけ使えれば、さぞ便利であろう。誰も風魔法だとは思わぬ」


 俺が吹き飛ばなかったのは、そういうことだったのか。

 俺が容易に吹っ飛ばされるほどの風圧を、俺が気付かないほど繊細なコントロールをもって殺す――それがどれだけ高度なことなのか、魔法適性ゼロの俺には想像すらつかない。


「タイヨウ。次の策を所望」

「悪いが何もねえ。お手上げだ」


 そんなユズさえも軽くあしらってみせたブーガ。

 彼の損傷具合は目に見えて小さかった。所々服が破けて、想像に違わぬ強そうな肉体を覗かせている程度だ。


「……なあブーガさんとやら。アンタの服はどうして無事なんだ?」

「私の側につくのなら教えてやる。リリースの使い方も、弱点もな」

「そうか」

「タイヨウッ!?」


 ぎゅっと握られたのは俺の手だ。

 ……か弱すぎる。いつもの馬鹿力はどうしたんだよ。


 そして、ぐらっと揺れたのは――俺の心か。


「勇敢な護衛よ。三十秒くれてやる。ここで死ぬか、シニ・タイヨウを捨て置くか――選ぶが良い」

「ッ……!」


 辛そうに食いしばるユズ。

 追い打ちをかけるかのように、南から集団――おそらく門番の冒険者達が駆けつけてくる足音が聞こえてくる。まあそうなるよな。城壁に不発弾のミサイルを撃たれたようなものだろうし。


 顔を見られないよう一応北の方を向きつつも、俺は事態を静観しようと思った。そうするしかなかった。

 だって、ねぇ……こんなのどうしろと? 無理ゲーでしょ。


 そんな諦念はユズにも瞬時に伝わったらしく、「タイヨウッ!」柄にもなく叫んできた。

 それでもブーガから目を離さないのはさすがだ。


「ユズは逃げろ」

「却下」

「勝てないんだろ?」

「却下!」

「お前を待ってる友達が悲しむぞ?」

「う……」


 俺は会社の同僚や家族を無視して自殺したが、胸を張れる生き方じゃない。


 ユズは良い子だ。俺なんか気にせず幸せに生きて欲しいし、もし幸せの必要条件に俺が入っているのなら、ここで断ち切るべきだ。

 こんなクズを含めちゃいけない。


 任務失敗でも構わねえよ。ブーガが相手なら、シキ王だって許してくれるさ。


「――時間切れだ」


 ブーガが容赦無く動き出そうとした、次の瞬間。


 俺は、薄暗いダンジョンの中にいた。




      ◆  ◆  ◆




 もし『何度経験しても慣れないことランキング』があるとしたら、俺は確実にテレポートを挙げたい。

 たぶん、人の脳はテレポートに適応できるようにつくられていない。五感で捉えていたものが一瞬でがらりと切り替わる様は、バグっている俺ですら気持ち悪く感じる。テレポート症候群《シンドローム》とかありそうだ。


 まあユズには無縁な話なんだろうけども。


「……最初から使えば良かっただろ」


 ユズなら無詠唱で発動できてもおかしくはない。

 むしろなんで今まで使わなかったか不思議なくらいだ。任務の手前、すぐに逃げるわけにはいかなかったのだろうが。


 俺はユズの方を向きつつ、


「いったん帰るか、ユ――」


 言葉を失う、とは何とも上手い表現だと思った。

 たしかにそのとおりで、一瞬頭が真っ白になるというか、何の言葉も思い浮かばなくなる。それでもあえて言うなら、この一文字だろう。


「は?」


 なぜアンタがここにいる?


 ユズの手のひらは、鞘ではなく拳を受け止めていた。

 誰の? ブーガ・バスタード本人の、である。


「……」

「……」


 微動だにせず睨み合う両者。

 ブーガは拳を繰り出したままの姿勢で静止している。ロングソードは見当たらない。

 ユズも同様に、ブーガの拳を受けたまま、ぴたりと動きを止めていた。違うと言えば、俺の手からユズの感触が消えていることだろう。


「ふむ。護衛にしておくには惜しい機転だ」


 ブーガがぽつりと呟いたところで、俺は気付く。


 青白い壁に囲まれていた。


 よく見ると、筋肉だ。

 金属よりもはるかに硬そうで、それでありながらしなやかさも見て取れる。

 どういう仕組みなのか淡く発光しており、不気味さを引き立てている。

 体長は五メートルくらいだろうか。

 筋骨隆々の肉体に、漆黒の大きな翼。

 まがまがしい角に、水晶玉のようなライトグリーンの瞳。

 両手両足についている鋭利な爪と、噛み砕き噛みちぎることに特化しているであろう牙――


 それがブーガの後方と、俺達の左右にいる。おそらく背後にも。


「|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》。まだ人類未到達――いや、今回の遠征で到達予定だと聞いていたが」


 理解が追いつかない。


 ユズがここにテレポートしてきたのは間違いないと思う。

 だとして、なぜこんな場所を選んだ? この悪魔達も今テレポートでやってきたよな?

 ブーガが一緒に来ているのもなぜだ? この人も使えたりするのか?

 テレポートってそんな簡単な魔法なのか? 違うよな。俺一人だけ場違いすぎない?


「噂に聞くグレーターデーモンか……。これは私にも対処しかねる」


 ブーガの言葉が静かに響いた後、耳鳴りが聞こえるほどの無音が訪れる。


 気持ち悪い。気持ち悪すぎる。

 この異様なまでの静けさは何なんだ。

 目を閉じたら、いや閉じていなくても、何もいないのではないかと勘違いしそうになる。

 見るからにして獰猛なモンスターで、姿も見えているのに。

 なのに、まるで気配がないのだ。


 もし俺がバグってなければ、俺の脳はとうにバグっているだろう。


 いや自分でも何言ってるかわからないけども。

 とりあえずこれだけは言える。


 こいつらはガチでやばい。


「タイヨウ。耐えて」

「ユズ、意味を説――」


 説明してくれ、という俺の声が虚しくこだました。


 目の前のブーガが消えていた。

 ユズもいなくなっている。


「……なるほど。そういうことか」


 俺はようやくユズの真意を理解する。

第47話 巣2

 ユズのテレポートにより、|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》に連れてこられた俺。

 直後、ユズはテレポートにて自分だけ逃走する。

 ブーガもなぜかいなくなっていた――


 傍から見ると意味不明な展開だが、俺はユズの真意を理解した。


「俺を渡さないために、か」


 俺をブーガに渡さないために、ユズはあえてここに来たのだ。


 ここはブーガですら手に負えないほどのダンジョン深層なのだろう。

 一方、ブーガはおそらく瞬間移動を使えない。ゆえに一人では生存できない。


 さすがのブーガも御身は大事なはずだ。

 となると、彼に取れる選択肢は一つで、ユズに触れるしかない。

 テレポートを行使するユズに触れて、一緒に逃げるしかないのである。


 無論、そのためには、無詠唱テレポートを発動しきる前のユズに触れる必要があるが、ブーガなら可能なのだろう。

 ホント敏捷性どうなってんだよ。カンストしてんじゃね。


「で、取り残された俺は頑張って耐えてください、と」


 見なかったことにしたいが、そうもいかない。

 俺は青白い悪魔――グレーターデーモンに取り囲まれている。計六体が六角形《ペンタゴン》を組んでいて、中央に俺がいるという位置取りだ。


 ライトグリーンの瞳が、俺を見下ろしている。


「えっと……どうも、こんにちは?」


 とりあえず挨拶してみたが、反応は無い。

 様子見だろうか。魔王もそうだったが、強い奴ほど慎重なのかもしれない。


 無言のまま待っていると、正面から俺を見下ろすデーモンの口がわずかに動いた。

 ブゥンと古いRPGの呪文みたいな音が鳴り、火球らしきものが俺の股間に命中。

 速すぎて見えん。そしてなぜ股間。


 燃えさかるジュニアを見ればファイアを唱えたのだとわかるが、【ファイア】という発音は聞こえてこなかった。

 モンスターにはモンスターの言語があるのだろうか。

 無論、そんな寄り道を思考している場合ではない。


 俺が立ち回りを考えようとすると、ブゥン、ブゥンと再度唱えられる。

 今度は後方からだ。一体何を唱えたんだと意識を寄せたところで――



 大合唱が始まった。



 ブゥン、ブゥン、ブゥンブゥンと詠唱が幾重にも重なる。

 火、氷、風、土、雷、水、それから黒い物質みたいなものは闇か。それら七色の魔法が、色んな形を伴って俺に襲いかかる――俺を殴り、叩《はた》き、突き刺し、潰し、まとわりついては包んできたり、穴という穴から入り込んできたりする。

 まるでカラフルな獣に群がられているみたいだ。


 しかも非常に精密な食い方をしてくれる。

 何せ左小指が凍っているその隣で、薬指が水の球に包まれていたりするのだ。器用にも程がある。ちゃっかり足元も氷結拘束《アイス・バインド》で固定してやがるし。


 そんな部位単位への攻撃はめまぐるしく流動し、俺の全身はカメレオンのように色を変えていた。

 無論、俺のスキル『チャージ』は有効である。ユズに溜めてもらった頃とは比較にならないスピードで、脳内に数字が流れ込んでいる。


 しばらくして魔法の嵐が止んだ。

 しかし、詠唱の大合唱は止んでいない。


「今度は何だ……」


 間もなく粉塵が晴れると、何とも珍しい光景が広がっていた。


 魔法を掛け合っている。

 悪魔が自らに。そして自分の仲間達に。


 微かに見える魔子線《ましせん》――魔法の軌道は均等に配分されており、比で言えば自分自身に向かうものが1、他の五体の悪魔に向かうものが5。

 しかも六体全員がそうしているのだ。


「おいおい、賢すぎだろそれ……」


 六体全員への重ね掛けを最短で終わらせるために、全員が全員に対して均等に掛けている。

 何を? おそらく強化魔法だろう。

 この異世界ジャースは、前世の異世界ファンタジーやRPGゲームとよく似ている。俺の直感はあてにしていい。


「そして強化しすぎなんだよなぁ」


 二重、三重どころの話ではない。既に何十回と重ね掛けされているし、デーモン達の肉体からは黒いガスのようなものが出ていた。

 最初は赤だったり青だったりした。それがどんどん混ざっていって黒になっていた。


 適当に想像するに、赤が攻撃力アップで、青が防御力アップだろうか?

 だとしたら、一体どれだけ重ねたんだって話になる。


「キャンセル、リリース――1」


 とりあえず俺は一分の一、百パーセントの最高出力をセットしておく。


 こいつらは強すぎる上に、賢すぎる。出し惜しみしていい相手ではない。

 幸いにもすぐダメージはすぐ溜まるようだし、攻撃手段には事欠かないだろう。


 問題は、いつ仕掛けるかである。


 封印系の魔法が来たらゲームオーバーだ。

 もし俺が一度のリリースで仕留めきれなかったらどうなるか。警戒されるに違いない。おそらく二度目以降は当たらなくなる。

 その間もグレーターデーモン達は試行を続け、やがて封印という手段に辿り着くだろう。


 そう、こいつらは試行錯誤しているのだ。

 どうやったら俺を倒せるのか――その答えを、圧倒的なトライアルアンドエラーをもって探そうとしている。


 グレーターデーモンというよりクレバーデーモンだな。

 偏見かもしれないが、モンスターの知能じゃないだろこれ。


「……」


 チャンスは一発だ。

 一発で、六体全員をまとめて消し飛ばす。これしかない。


 そのために必要なダメージは?

 いつ撃つ?

 どの銃口――どの部位から撃つ?

 こいつらのどこに撃つ?


 青白い巨体の掛け合い合戦を見ながら、俺は頭を働かせる。


 ナツナを殺した時くらいの威力を1としたら、2くらいあればいけるか? 3? それとも5? 10?

 現状は既に1.2くらい溜まっているが、正直心許ない。

 皇帝ブーガに敵わないと言わしめた相手である。ユズより硬くともおかしくはない。


 ここは堪えて、溜めるか?

 だが、これ以上こいつらがダメージを溜めるチャンスをくれるとも限らない。


 俺は既にリリースの前半を詠唱している。

 こいつらは賢い。既に聞かれていると考えるべきだし、後半の詠唱が来ることも警戒していると考えるべきだ。


 ……そもそも当たるのか?

 もしブーガ並に素早いとしたら、放出したエナジーは躱《かわ》される可能性が高い。

 いや、だったら。


 俺は右手で左腕を掴んだ。これなら避けることはできまい。

 右指からエナジーを放出し、俺の左腕に当てる――つまりは自爆だ。いくらこいつらが強かろうと、爆発より速く逃れることはできやしない。


 残る問題は後半の詠唱タイミング、いつ『オープン』と発音するかだが――


「タイムリミットか……」


 重ね掛けを終えた悪魔達が、同時に振り向いてくる。

 さてどうす「ぐっ!?」急に身体が動かなくなった。


 ゼロコンマ秒の後、悪魔の一体に後ろから拘束されたのだとわかる。当然のようにテレポートか。

 加えてこの握力。既にユズやルナの破壊力を超えている。


 何の感想を抱く暇もなく、目の前に別の一体が来ていた。またもやテレポート。

 そいつが拳を握る。


 間違いない。重い一撃が来る。

 受けるべきか。それとも反撃してみるか。思わず詠唱しようとしたその時。


 俺は自らの過ちを悟った。


(ン、ンンッ!?)


 声が出ない。


 首筋に太い指が当てられている。

 それは俺の顎と喉を同時に、的確に、しかし強烈な力で押し潰している。


 俺の口を開かせないためだ。

 俺の喉を動かさせないためだ。


 もっと言えば――俺に詠唱をさせないため。


 ……そんなのアリかよ。


「グアアアアアアァッ!」


 怪物らしい気合いとともに、俺の顔面よりも大きな拳が振り下ろされた。

第48話 巣3

 戦闘機のようなパンチが一発、また一発と俺の顔面に撃ち込まれる。

 その威力は皇帝ブーガの比ではなく、当然のように風圧だけで周辺を掘削する。


 ……それでも何ともないんだよなぁ。わかってはいたが。


 そして魔王にはまだ遠く及ばない。

 あの人は一発で地面ごと吹き飛ばしていたけどな。真面目に核兵器級の破壊力だったと思われる。


(ンンッ! ンンンッ!?)


 相変わらず声は出てくれない。声帯がぴくりとも動かないのだ。これでは詠唱もえの字も無い。

 無詠唱を覚えていれば話は違ったのだろうが、俺には見当もつかない。ユズに訊いておくべきだったか。


 そんなことを考えている、グレーターデーモン達が配置を変えてきた。

 俺の背後にいた一体は変わらず俺を固定する役のようだが、今度は胴体だけを掴んでくる。

 残る四体もそばにやって来て、俺の四肢をがっしりとホールド。


 最後の一体はというと、ゲートと思しき時空の狭間から、何やら槍のようなものを取り出していた。

 あ、それ見たことあるぞ。魔王も使っていたやつだ。

 なんだっけな。たしか『フォース・ペネトレレーション』みたいな名前だったはず。

 ああ、|強制的に《フォース》|貫通《ペネトレーション》させるんですね、と思ったことを覚えている。察するに、万物を貫く魔法かスキルだろう。

 というよりアイテムなのかもしれない。


 それが早速、俺の首に突き立てられた。


 無論、通るはずがない。


 悪魔が槍を落とす。表情は全くわからないが、槍と俺を二度見したのがちょっと面白い。

 ライトグリーンの瞳と改めて眼が合う。綺麗ですね。


 挑発と受け取ったのか、重たい拳が再度飛んできた。

 同時に、掴まれていた四肢からも甚大なダメージが発生する。人体の構造を熟知しているようで、曲がらない方向へと的確に折りにきているようだ。急所なのか、予想以上にダメージ量が多い。

 頭にとめどなく数字が流れ込んでくる。冗談抜きでユズ百人分、いやそれ以上かもしれない。

 グレーターデーモンさん半端ねえな。


 ……感心はさておき。どうすんだよこれ。

 ダメージは既にナツナ殺害時の五倍くらいは溜まっている。発射できれば、そして当てることができれば、たぶんこいつらも死ぬ。


 でもなぁ。まさか詠唱を封じられるとは思わなんだ。


(ンッ、ンンッ、ン)


 喉の圧迫が強すぎる。バグってるから潰れることはないが、どうも声帯の揺れも許さないほど限界まで押し込まれているようだ。

 舌は動く。試しに口内でちろちろと動かしてみるが、まあこれで発音できたら苦労はしないわな。


 俺が胸中で苦戦している間も、悪魔達のフルボッコは続く。ダメージもうなぎ登りに溜まっていく。

 厄介なのは、その間も攻撃のパターンが少しずつ変化してきていることだ。

 最初は力に任せた殴打だったものが、特定部位への集中攻撃に変わってきている。眼球から性器に至るまで、モンスターとは思えない丁寧な仕事をする。

 ダメージが溜めるボーナスだと楽観している暇はない。こいつらは、今も実験を重ねている。


 そうこうしているうちに、攻撃が止みやがった。

 いつの間にかグレーターデーモン達の黒い瘴気も消えている。ステータス強化の効果が切れたのだろう。


 まずいな……。

 思わず呟いてしまう。喋れないから胸中で、だが。


 ここまでこいつらは何を試した?


 一、通常魔法の連発。

 二、ステータス強化からの物理。


 この二つである。


 では、次に来るのは?


 これほどの怪物なら、他の魔法に精通していてもおかしくはない。

 最悪なのは封印系の魔法だ。あるいはスキルかもしれないが、ともかく、石化のようなものだけは避けねば。


 そんなことを検討している最中、ふと喉の圧迫が緩んだことに気付く。

 疑う暇などなかった。


「オープン!」


 一ミリ秒でも早く言い切りたいと思ったのは初めてだ。


 言ったぞ! 確かに言い切れた!

 既に五倍はおろか、十倍は溜まっている。こいつらはおろか、このダンジョンさえも一掃しかねない威力だろう。地上も無事じゃないかもしれないが、知ったことか。

 俺は勝利を確信し――


 直後、撤回することになる。


「……嘘、だろ?」


 悪魔の数が五体になっている。残る一体は、肉片の一つも見当たらない。

 地形は損傷していなかった。ナツナの時の十倍だぞ? そんなはずない。


 そこまでの状況把握を、俺は《《瞬時に行えていた》》。


 何が起こったのかはわかっている。

 俺は、レベルアップしたのだ。


 俺がリリースを放ったのは間違いない。それでグレーターデーモンを一体殺した。

 経験値が莫大だったのだろう。瞑想とドーピングを何十回も重ねたかのような、自分とは思えないエネルギーを感じる。

 五感も。空間認識も。判断力も反射神経も思考力も。

 何から何までグレードアップしている。


 唯一わからないのは、損傷が悪魔一体だけで済んでいる点だ。

 想像はつく。たぶん、ダメージを自分に集約させる類の何かだろう。それを試してみた、といったところか。


 試してみた?


 そうか。俺はまんまと嵌《は》められたのか。

 こいつらは怜悧な上に無慈悲である。俺に詠唱させる隙を与えるはずがない。

 隙があるように見えたのは、故意につくられたトラップだったのだ。

 そうとも知らず、俺はあっさりと切り札を切ってしまった。結果、こいつらは仲間一人の命と引き換えに、俺の攻撃手段を知ることができた。


 ブゥンとすっかり聞き慣れた詠唱音が響く。

 見慣れたゲートが現れ、見慣れた青白い悪魔が姿を表した。一体、二体、三体――。


「オープ」


 オープンと言い終える前に、顎と喉を塞がれる。

 一応、反応はできたつもりで、首をかばうように手を動かしたのだが、全く間に合っていない。

 これでもだいぶレベルアップしているはずだ。さっきまでの俺は認識すらできなかったのだから。


「……」


 だらんと俺の腕が力なく落ちる。


 たった一体殺したところでどうだというのだ?


 グレーターデーモンの数は十二体にまで増えていた。

 俺がエネジーのタンクを開く隙は、もうない。


 万策尽きたか……。


 ここで初めて思考が止まってしまう俺。

 それを読んだのように、ブゥンブゥンと詠唱の嵐が走り――


 程なくして、俺は石化した。

第49話 巣4

 石化した俺は、囲まれていた。


 あぐらをかいたグレーターデーモン達が顔を見合わせ、身振り手振りも交えながら何やら議論している。

 何を言っているのかは聞こえない。石化時はあらゆる音も遮断される。


 モンスターが意外と賢いと言ったのはルナだったか。

 なるほど、たしかにそのとおりだ。さっきまでの戦い方もそうだし、こうして俺を無力化した上で話し合いをするなど、もはや人レベルの知能である。


 今回の遠征でここが踏破されると言ったのはブーガだったか。

 自殺行為ではないだろうか。この青白い巨体は、人間が敵う相手じゃない。だからこそユズも連れてきたのだし、ブーガも即座に諦めた。


 というかユズの奴、どうしてこんなおっかない場所にテレポートできんだよ?

 人類未踏破なんだろ? テレポートできるってことは、足を運んだことがあるってことだよな?

 金髪幼女体型の謎は深まるばかりだ。


 そんなことを考えていると、デーモンの一体がぽんっと手を打つ。中々お茶目な仕草をしてくれる。

 そいつは俺のそばにまで近づいてくると――あれ、


「喋れ、る……?」


 喉が動く。手足も動くぞ。

 思わず手のひらを覗き込んでしまった。え? 解除された?


 見上げると、デーモン達が俺を観察している。


「……えっと。もしかして、言葉とか通じる?」


 白夜の森で起きたことが再来したのかと思ったが、返事はない。

 ライトグリーンの瞳にも一切の情が映っていない。まるで科学者がフラスコを眺めているかのような、ただ観察してますという風の視線。


 ……こいつらの実験はまだ続いている。

 だったらやることは一つだ。「オープ」詠唱できたかと思ったが、塞がれていた。

 いつの間にか俺の喉が押し潰されている。わざわざ俺が詠唱したタイミングからの封じ込め。やはり実力差は歴然か。


 ブゥンと詠唱が走る。途端、一切の音が遮断された。

 見るまでもない。再び石化を食らったのだ。こいつは何がしたいんだ?


 そうかと思えば解除され、また石化させられ、また石化させられて――


 そんなループが何百回と繰り返された。


 その間、俺はリリースをぶち込むことだけを考えて、ひたすら【オープン】と発音することに努めた。

 たぶん千回は試行しただろう。一度も通ることはなかったが。


 それでも体力だけは無限だ。

 何時間でも、何ヶ月でもやってやろうじゃねえかと。


 そう俺が意気込み始めたところで、悪魔達の手が止まる。


 どうやら実験終了らしい。

 身体は動く。瞬きはできるし、音も聞こえれば手足も動いた。

 ただ、口と喉だけが動かない。


「……」


 何をされたのか、触ってみてわかった。


 石化しているのだ。

 口だけが。喉だけが。


 そうか、こいつらは……。部位の石化を試していたのか。

 こいつらは、この悪魔達は、俺という一言呟くだけでオーバーキルできる理不尽を完璧に封じながらも、着実に要領を掴んでいた。


 デーモン達は楽しそうにお喋りしている。コツを掴んだ一体が、どうやら他の個体に共有しているらしい。

 その様は、下手な人間よりも人間らしく見えた。


 その後、俺はひたすら石化の実験台となり、一時間くらいだろうか、十二体全員が部分石化をマスターするまで付き合わされた。

 何がしたかったのか、ようやくわかったよ。

 全身石化だと何かと実験しづらいもんな。


 案の定、声だけ封じられた俺は、再び悪魔らのサンドバッグと化した。






 ガアアとかグアアとか理解不能な怪物語が飛び交っている。ゲーセンのようにうるさい。

 騒音の犯人こと五メートル超えの青白い悪魔達だが、頭を抱えていらっしゃった。


 万策尽きたのは俺だけじゃなかったようだ。

 かれこれ数時間は色んな攻撃を食らっていた俺だが、それでもダメージには至らず。だよな、この身体マジでおかしいよな。俺だって頭抱えてえよ。


「……」


 それはそうと、いいかげん解放してほしんだが。


 俺は壁にもたれながら、悪魔達の苦悩を眺めていた。

 石化されているのは口と喉だけだ。ゆえに喋れないが、音は聞こえるし動くこともできる。

 何ならその辺をうろつくこともできたし、こいつらの体をつんつんしてみることもできた。まあ硬すぎて実際はコンコンだったが。


 いわゆる軟禁というやつである。

 一見すると手錠よりも甘い拘束に思えるが、さすがに逃げられるとは思っていない。


 こいつらは強い。そして賢い。

 今も俺の一挙手一投足を監視しているはずだ。

 どうせ逃げたところで、テレポートで距離詰められてからのパンチで戻されるに決まってる。


 ならいっそ、と開き直って、こうしてくつろいでいるのだが、悪魔の観察は意外と面白い。

 前世では動画サイトで昆虫や動物が流行っていたが、悪魔も流行るに違いない。むしろバズる。これだけで食っていけるのでは。

 まあ動画投稿者って作家の動画版みたいなもので、ワークライフバランスはクソらしいけど。


 ……くだらないことを考えてても仕方ないな。

 ためになることでもするか。


 勉強である。もっと言うと復習だ。

 こいつらは俺に何百という魔法を使い、何千という攻撃パターンをぶつけてきた。俺にとっても学べるヒントは多いはず。

 早速、俺は記憶の海にダイブし――、ようとしたところでデーモンがやってきた。

 はい、何でしょう。


 答えはグシャッ。


 頭を鷲掴みされた。握力が十トンを超えていて容赦がない。


 無造作にぶん投げられ、再びグレーター達に囲まれたところで、悪魔の一体がブゥンと詠唱音を鳴らす。

 ゲートが出現し、そいつはその中に消えていった。


 しばらくすると、ぞろぞろとモンスターを引き連れて戻ってきた。


 うわぁ……。

 感情がバグってても、そう漏らしたくなる光景だった。


 全身が腐敗しており腐卵臭を放つゾンビ。

 食虫植物のような見た目をした、歩く植物。

 深海魚みたく不細工な、しかし獰猛な牙を持つ魚。ぴちぴち地面を跳ねてて苦しそうだが大丈夫か。

 他にもハリネズミを十倍くらいでかくして、百倍くらい凶暴にしたようなやつに。

 全身が大きな口になってて、地面を溶かすよだれをボトボトこぼしてるヤバそうなものまで。


 よりどりみどりというか、統一感がないというか。あえて言うなら見た目がキモい率が高い。

 そんな気持ち悪い怪物達が、俺をチラ見したりガン見したり、近づいてぺちぺちしてきたりぺろぺろしてきたりと多彩な反応を見せる。舐めるのはやめろ。


 グレーターデーモンが何やら仕切り始めた。

 一列に整列させたかと思うと、先頭の一匹を俺に向かわせてくる。

 ああ、モンスターの特技を順にぶつけてみるわけですね。賢すぎん?


「……」


 ふと、忘れかけていた大望を思い出す。


 無敵バグと滅亡バグ――

 俺はこの二つのバグを潰すためだけに生きている。


 今の状況は、この役に大いに立っているのではないだろうか。


 滅亡バグの発見はともかく、無敵バグの突破については、正直こいつらの方が効率が良い。

 現に何千という攻撃パターンを試してるわけだし。俺一人だったら一年あってもここまでは試せていない。

 まあ当たりが一つも出てないどころか、かすりもしてないみたいだが、それでも。

 ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。


 俺は為すがままにされつつも、些細な兆候も見逃さないよう神経を尖らせた。






 俺の集中力は、ある匂いによって乱された。


 甘い匂いである。

 悪臭続きだったからか、つい大げさに嗅いでしまった。


 有害な感じではない。というかわからん。

 俺は鼻にも死角がないのである。シュールストレミングに囲まれたって平然と生きていける。


 臭いという観点でも自傷を一通り試しておきたいなぁ、などと思っていると、ふと異変に気付く。


 頭に数字が流れ込んでいる。

 32、64、128、256、512――。


 この規則的な、というより累乗的な増加ペースって……隠密蝸牛《ステルスネイル》か!?


 思わず周囲を確認する。

 いるのはキモンスター達と青白ムキムキ悪魔だけだ。人頭サイズのカタツムリは見当たらない。隠密《ステルス》状態で潜んでいるのか。

 白夜の森から連れてきた? だとしたら俺を攻撃するはずはないんだが。

 ……いや無いか。グレーターデーモンが森を行き来できてるとしたら、以前から森に通っていたルナはとうに死んでいるだろう。

 じゃあどこから連れてきた?


 俺が疑問を抱いている間も、脳内のダメージは倍々に増えていく。

 きっかり一秒ペース。うん、間違いない。


 隠密蝸牛《ステルスネイル》の倍々毒気《ばいばいどくけ》である。


 ……ん? 待てよ。ってことは、また同じ展開になるのか?

 俺が白夜の森でモンスター達に平伏され始めたのは、たしか倍々毒気に耐えた後だったが。






 数分後、俺の想像は的中することになる。


「すげえデジャブ……」


 平伏したモンスター達に囲まれている。

 例外は無いらしく、俺は初めてグレーターデーモンの頭《こうべ》を見た。

第50話 ユズvsブーガ

 タイヨウが|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》に放られた頃。

 ジャース大陸の各地、何十カ所で青髪長髪と金髪少女の激しい戦闘が目撃されることとなる。


 北ダグリンの南端に位置する都市『アクアス』。

 水の都とも呼ばれ、人工的かつ立体的に整備された水路が街中に巡らされている。池や滝、噴水などのオブジェクトも多く、現地の家族やカップルはもちろん、観光者にも人気が高い。

 一方で、周辺にダンジョンはなく、ダグリンらしく治安維持にも厳しいため、冒険者があえて訪れる場所ではない。


 そんなアクアスの中心部、中央広場に設置された人工池『ステージ』は、既に水深の半分以上が削られていた。


「いいかげんにして。街が、壊れてる」

「構わぬよ。直せば良い」


 ユズとブーガである。

 ユズの片腕をブーガが拘束しており、両者とも空いた手で攻防を繰り広げている最中だ。


 ブーガがユズを引き寄せ、膝蹴りを放つ。第一級レベルでなければ捌けない速度と重さだが、ユズは難なくガード。

 瞬間、甚大な衝撃波が発生して、ステージの水をどぱっと散らす。


 広場は既に半壊しており、辺り一面は水浸しである。


「人も死んでいる。すでに、何人も」

「犠牲はつきものだ」

「あなたは、皇帝失格」

「護衛に何がわかる? 国のために必要なことだ」


 至近距離で睨み合いながら言葉を交わす両者に、近付ける者などいない。

 市民と観光客は既に避難しているし、逃げ遅れた者はとうに死んでいる。瓦礫が目立つ広場には所々死体や肉片も転がっていた。


「護衛よ、諦めよ。貴殿の火力では私を振りほどけぬ」


 ブーガが巧みにフェイントを入れる。それだけでも常人を物理的に破壊するほどの風圧が生じた。

 無論、視認できる動きでもないため、見応えもない。ゆえに野次馬が生じることもない。

 普段は日中喧騒が止むことのない広場だが、今は深夜よりも静かだった。


「貴殿の体力でも私は出し抜けぬし、ご自慢の防御力でも私には及べぬ」


 流暢で手数も多いブーガに比べて、ユズは防戦一方だ。

 というより、攻撃する術がない。


「冒険者たるもの、手札は隠しておくものだ。私は大陸随一のスピードで知られているが、本質ではない。私の本質は防御である。貴殿と同じだ」

「……」

「なれど、本質を支える手段に違いがあるらしい。私は敏捷と攻撃であるが、貴殿は何であろうか」


 ブーガの手が動く。タイヨウの目でもコマ送りにしか見えないスピード――それをユズは軽々と捌く。


「――『反応』であろう?」

「ッ!?」


 彼の言葉に、半ば戦闘マシーンを化していたユズが動揺を見せる。

 ブーガはおかしそうに笑った。


「狼狽えることはない。いわゆる《《隠しステータス》》の存在は、何もアルフレッドの機密ではないのだ。『反応』は、防御力と同等水準の反射神経を司るものだと私は見ている。ゆえにこそ、せいぜい第二級程度の火力と敏捷しか持たぬ貴殿でも、私のスピードに追いつける」


 アルフレッドの機密が。最高機密が。

 たった一度|殺《や》り合うだけで、こうも簡単に漏れてしまうとは。


「王族専用護衛《ガーディアン》『近衛《このえ》』のからくりが一つ見えたな」

「……」

「何を黙っておる。つまらぬではないか。これほどの相手もそうはおるまい? 私は既に貴殿を戦友とみなした。貴殿もそうであろう? 友よ、楽しもうではないか」


 ユズは追い詰められていた。

 タイヨウという枷《かせ》を引き離せたは良いものの、ブーガは依然として強く、一瞬たりとも振りほどくことができないでいる。


 言われた通り、ユズがブーガ相手でも対応できるのは隠しステータス『反応』のおかげだった。近衛はそういう風に鍛えられている。

 逆を言えば、攻撃力や敏捷性は第一級水準に遠く及ばない。撃つだけ無駄である。


 それでもユズは知恵は絞り、テレポートを多用して世界各地を巡ってきた。


 常人なら分と経たずに蒸発してしまう火口。

 常人なら秒と経たずに押し潰れてしまう深海。

 呼吸すらままならない上空に、気候にも生物にも毒が充満している沼地――


 しかし、そのことごとくが通用しなかった。



 ――ご自慢の防御力でも私には及べぬ。



 これもブーガの言うとおりであった。地形効果など何の足しにもなりはしない。

 ユズに通じないものは、ブーガにも通じない。


「あなたの望みは、何」

「その問いは三度目だ。何度でも言おう。私は貴殿の身体を欲している。解剖して、解明するのだ」

「……狂ってる」


 ブーガに見逃す意思がないのも明らかだった。


 彼は本気だ。

 タイヨウが手に入らなくなった今、ユズという近衛のサンプルに鞍替えしている。



 ――私は力を欲している。圧倒的な実力を持つ個の力だ。



 その言葉が何を意味しているのかはわからないし、解剖で何がわかるのかもわからないが、そんなことはどうでも良かった。


 まだまだ体力は保つが、ジリ貧である。

 ブーガもまたそのことがわかっている。そもそも自国の民を平気で巻き込むほどだ。身体のみならず、精神的にも隙は無い。


 それでも、逃げなければ。

 早くタイヨウを救わなければ。

 国王に相談して、暴走し始めたこの皇帝を止めなければ。


 タイヨウのおかげで手に入れた今も。

 ようやく明るさが差し込んできた未来も。


 どちらも、失うわけにはいかない。


 ユズはただひたすら粘り、活路を見出そうと頭を働かせた。

第51話 王宮防衛戦

 アルフレッド王立学園は、王都リンゴの高地に建てられた教育機関である。


 授業中にもかかわらず、バルコニーの一画には高貴な制服に身を包んだ生徒が集まっていた。その視線はすべて王宮の辺りを向いており、その色は不安一色だ。


「あの辺りも王宮だよな」

「鳥人《ハーピィ》ではないかしら。人間の動きではないわね」


 空には翼を携えた影が複数あった。目にも留まらぬ速さで動きながら降下している。

 王宮からは、魔法による砲撃が連射されている。視覚的にも音量的にも迎撃の度を超えているが、当たる様子は無い。


 近づかれないよう牽制はできているものの、高度の差は少しずつ縮まっているようだった。


「戦争の噂は本当だったのか。つーか鳥人? なんだ、人間と鳥人で殺《や》り合うってか?」

「そんな情報はないわ。オーブルーが雇ったのでしょう。お代わり」

「あいよ」


 間もなく教員が登場し、生徒達は校内に戻ることになった。


 人気《ひとけ》が無くなり、花火のような発光と轟音が鮮明に響く。

 唯一スルーされていた二人組に、教員が声を掛けた。


「さすがはシャーロット様。冷静で助かります」

「可愛げねえけどな」

「従者は黙りなさい」

「へーへー」

「まだしばらくは生徒の混乱が予想されます。適宜統率していただきますと幸いです。では」


 教員も退散した後、従者と呼ばれた男が口を開く。


「でもよー、いきなり王宮を攻めるなんてバカじゃね?」

「バカは貴方よ。他国についてもっと勉強しなさい」

「んじゃあ解説してくれよ、シャーロット先生」


 お代わりを消化したシャーロットのカップを回収する。ため息とセットで渡されたのを、男は笑顔で受け取った。


「この戦争はね、トップの首を取り合う戦いなの。アルフレッド、オーブルー、ダグリン――どの国も国民を増やしたいと考えている。さっさとトップを殺して、敵国を丸々自国に取り込んじゃうのが合理的だわ」

「んなことしても、反発されてそれどころじゃねえのでは?」

「弱者の反発なんて取るに足らないわ。それにギルドもあっさり承認してくれるはずよ。ギルドにしても、全然癖の違う国が三国存在するより、二国や一国しかない方が都合が良いもの」

「都合?」

「御《ぎょ》しやすいということよ。もっと言うと、冒険者の教育と管理を統一的に行える。長い目で見て、圧倒的にコストが抑えられるのよ」

「よくわかんね」

「このバカ」


 シャーロットは土魔法で生成した小石を撃つが、男は難なく受け止め粉砕した。


「そういうのはシャーロット先生に任せるぜ」

「いつ貴方の先生になったのよ。次そう呼んだら殴――」

「オレはアンタを守る。何があっても」

「……ふんっ。せいぜい身を粉にして働くがいいわ」


 シャーロットは赤面を隠すように王宮側に向き直る。


 降下中の影は既に絶えており、迎撃も止んでいた。

 侵入を許したのである。間もなく激しい戦闘が始まることだろう。


「私達も戻るわよ」




      ◆  ◆  ◆




 鳥人によって運ばれた侵入者が王宮に降り立った。

 人数は三人で、いずれも緑色一色のフード付きローブを着用している。多少博識な者であれば、それがオーブルー法国の幹部に相当する色であるとわかるだろう。


 そんな三人を、秒と待たずに王族親衛隊――第二級クラスもごろごろと在籍する選りすぐりの衛兵が取り囲むと、間もなく静寂が訪れた。


 強者の戦闘時初期には珍しくない観察フェーズである。

 特に親衛隊は優秀であり、非常時であっても平静を欠くことはない。


「あとは頼んだぞ小娘ども」

「誰が小娘だ! 第二級のジジイは黙ってろ」

「アングリは野蛮です」

「アナバも手ェ出すんじゃねえぞ」


 幹部の一人、女豹を彷彿とさせる赤毛の女アングリが不敵にほくそえむ。


「【ウルトラ・ファイア・トルネード】」


 瞬間、紅蓮の竜巻が周囲を飲み込んだ。

 半径数百メートルにも及んだそれは、周辺の庭園はもちろん、館や宮殿をも焼き尽くすに違いなかったが――そうはならなかった。


 火のついたマッチ棒に風を当てたのように、一瞬で消火させられたからである。

 どころか焦げた跡さえも見当たらず、植木の葉一枚の単位ですら無傷であった。


「……はぁ? んだよ、その魔力とコントロールはよぉ」


 炎をものともしない親衛隊兵士達の剣を交わしつつ、アングリは舌打ちをする。ついでに唾も吐いた。


「噂の近衛とやらか。用心せい」

「ジジイはてめえの心配でもしてろよ。アタイはアウラを探すぜ」


 そう言い残すと、アングリは衛兵を置いてけぼりにする速度で走り去っていった。

 魔法師とはいえ第一級の実力者である。親衛隊クラスとはいえ、衛兵に反応できるはずもない。


「少しは落ち着かんか馬鹿者が……」

「プロテス。私達はどうするです?」


 衛兵による斬撃の嵐が残る二人に集中していたが、強力な岩の網によって完全に防がれていた。

 その中には腰を曲げて杖をつく老人と、彼の背中をさする緑髪の少女。


「王女と国王を探せ。見つけ次第共有せよ」

「私も暴れたいです」

「魔力馬鹿でもなければセーブしたまえ。これは長期戦ぞ」


 呑気に会話する二人に、雷の針が連射される。

 並の冒険者なら既に張った網で防げると考えるだろうが、針は正確に網目《あみめ》を通ってきた。そして速い。視認してから避けるのは難しい。


 しかし二人は並ではなかった。即座に岩の網を解除し、飛び退いている。

 それは行動を予知したかのような素早さであり、「くっ」衛兵の一人は思わず歯噛みした。

 明らかに戦い慣れている。どころか慣れすぎているとさえ言えた。


「私も暴れるです」


 目をらんらんと輝かせる少女アナバを前に、「馬鹿者が」プロテスと呼ばれた老人は頭をかいた。

 間もなくアナバもその場から離れ、親衛隊の一部がそれを追いかけていった。早速激しい戦闘音が届いてくる。


 その間、プロテスにも容赦なく魔法が飛んでくるが、彼はろくに見向きもせずに捌いた。

 火を撃たれれば水で消し、水を撃たれれば火で蒸発させる。そうかと思えば火に火をぶつけて軌道を逸らし、水に水をぶつけて押し返しもする。


 多彩な方法で無力化してみせる様は、攻撃者の心を折るには十分である。

 しかし、相手は親衛隊。富や権力ではなく忠誠をもって王族を守護する精鋭だ。折れることはない。


「これは相当しんどいの」


 プロテスは腰をとんとんと叩きながらも、ひたすら防御に徹する。


 彼に攻撃の意思はない。

 彼の役割はテレポーターであり、他の戦力をここに連れてくる他に、アングリやアナバの最終逃走手段としても機能する。

 一方、テレポートは魔力を多大に消費する魔法でもあり、加えて王宮周辺には結界が張られていた。


 プロテス自身も幹部に違わぬ魔力を保有してはいるものの、決して余裕があるとは言えない。

 今回の作戦――王族の一掃を考えても、いたずらに攻撃魔法で魔力を浪費するのは愚策中の愚策だった。


「アングリは気の毒だが、アウラとラウルがいないのがせめてもの救いか。さて、他の幹部はいつ呼ぼうか」


 オーブルー法国幹部による王族狩りが幕を開けた。




      ◆  ◆  ◆




「人間もおっかないのねぇ。王様ほどじゃないけどぉ」


 眼下の交戦を眺めている女性の一人が口を開いた。

 その手足は鳥足となっており、先端にはかぎ爪がある。腕には大きな翼がついており、それを羽ばたかせることで高度を維持している。


「男を食っちゃいけないのって、こいつらお偉いさんのせいでしょ?」

「やりづらい世の中になったよねぇ。滅ぼしちゃえばいいのにねぇ」


 鳥人《ハーピィ》は女人族であり、男性鳥人は滅多にいない。併せて言えば、他種族よりも性欲が強かった。

 そのため性的に飢えた鳥人は地上を物色し、気に入った男を拉致してから味わう。通称『物色』と呼ばれている。


 この『物色』だが、その昔社会問題として取り上げられ、今では種族間協定で禁止されている。


「そうもいかないわよ。竜人様も絡んでるからね」


 そして種族間協定は竜人が統括する法規の一つであり、全種族全生物にとって絶対であった。


「王様でも勝てないのぉ?」

「無理に決まってるでしょ。竜人よ?」

「上には上がいるのねぇ……」


 眼下で繰り広げられる戦闘は、おおよそ人間のものとは思えなかった。


 飛行において鳥人の右に出る者はいないとされているが、一方で鳥人顔負けの飛行を魔法や物理で実現する猛者もいると聞く。

 にわかには信じられない話だったが、この光景を見れば納得もいく。


 そして、そのような実力者さえ瞬殺できてしまうのが、竜人という存在だ。


「気にしても病むだけよ。物色スポットは教えてもらったんだし、さっさとずらかりましょう」

第52話 アルフレッド遠征隊

 全身を吸盤のようなもので覆った楕円形の怪物が、黄金の霧が吐き出す。

 充満のスピードは音速よりも速い。閉鎖されたダンジョン大部屋内で防げるほどの実力者は少なく、巻き込まれた冒険者達がばたばたと倒れていく。

 吐血する者、眩《くら》む者、痺れている者、震えている者から全身が石と化した者まで、症状は様々だ。


 そんな中、石像に成り果てた冒険者が地面に倒れようとしていて――それを一人の剣士《ソードマン》が受け止めた。


「石化以外は捨て置け! とにかく着弾の数を増やせ!」


 彼は叫びつつも、音速以上のスピードで動く。

 トレードマークの金髪と二本の大剣が微かな残像となって見えていた。


 第一級冒険者である彼――ラウルが攻撃に転じないのは訳がある。


「『ランダマイザー』はあらゆるダメージを1にする! 威力にはこだわるな! とにかく当てる数を増やすんだ!」


 ランダマイザー。

 ダンジョン深部に出現するボス格のモンスターであり、触れた者をランダムで状態異常にする霧『ランダマイズ』を吐くことで知られている。

 単体で登場するのがせめてもの救いだが、ラウルが言うような初見殺しも持っており、攻め方を工夫しなければ全滅は必至とされている。


 ラウルによって難なく保護された複数の石像が、間もなく本来の色と質感を取り戻した。

 正気を取り戻した冒険者達は、再びランダマイザーに突っ込んでいく。


 ラウルは視線を反対側に向ける。


「……何とか大丈夫そうだな」


 安堵のため息をついた。

 少し離れた地点では、アウラを含めた魔法師チームがひたすら回復にあたっている。回復ペースは追いついており、アウラの表情にも余裕が戻っている。


 これは対ランダマイザー用の、れっきとした戦術であった。


 ランダマイザーは非常に硬い。数十人の冒険者で攻撃を浴びせ続けても、倒すのに数十分はかかる。

 一方で、ランダマイズには状態異常耐性を剥がす効果もあるため、耐性がある、または付与したからといって迂闊には攻められない。


 そこで採用するのが『チャージアンドダブルフォロー』と呼ばれる、この戦い方である。

 チャージと呼ばれる突撃役、状態異常に陥ったチャージを治す回復役、そして唯一破損という名の即死に繋がる石化のフォローに専念する保護役――この三役に分かれた上で、ひたすら突撃《チャージ》するのである。

 ラウルは保護役であった。


「にしても、閉鎖部屋《シャットルーム》の主としてランダマイザーが出てくるとは、ついてないな……」


 ランダマイザーに遭遇しても通常なら逃走一択であるが、閉鎖部屋は主を倒さない限り出られない。

 それでも優れた第二級冒険者以上であれば霧の無力化が可能なため、こんな大層な戦術を取る必要などないのだが、今は事情が違っていた。


 アルフレッド遠征部隊。

 主に深層ダンジョンを精査するために結成されるチームである。

 メンバーは主に冒険者や王族騎兵隊、またギルドからも支援が入ることもあるが、ラウルのような第一級冒険者が投入されることも多い。一方で、マッパーや学者など戦力として足を引っ張るメンバーもいる。


 ダンジョン探索は重要だ。

 ジャースに住まう万人の探究心を満たすためにも必要だが、それ以上に国益に直結するのが大きい。

 モンスターを倒せばレベルアップできるし、アイテムも豊富に手に入る。前者で兵力を、後者で財源を潤せるのだ。


 そしてアルフレッドの戦略は、徹底的な精査であった。

 ゆえに、あまり戦力にならないマッパーや学者も惜しみなく連れて行き、それを強力な冒険者が守備するという体勢を取らせる。そうなると滞在も長期になりがちで、それだけ多くのアイテムや回復役も必要になる。当然ながら戦略にも違いが出る。


 ちなみにパーティーの規模は中々で、少なくとも数十人、時には百人を超えることもあった。


「僕達が押している! この調子で行くぞ!」


 それからも遠征隊とランダマイザーの戦いは続いた。






 ダンジョン『デーモンズシェルター』の奥底には悪魔の巣があるとされ、新たな狩り場の最有力候補として三国が注目していた。

 その独占的探索権を勝ち取ったのがアルフレッドである。

 以来、国の最優先事業として探索が繰り返されてきたが、今回の遠征は特に力が入っていた。


 無事ランダマイザーを倒した遠征隊は次階――第88階層に足を踏み入れ、夜営を張っていた。

 フロアは足元すらおぼつかないほどの暗闇であったが、中央で燃えさかる巨大な火炎球のおかげで不自由はない。そもそもメンバーの大半は第二級以上の冒険者であり、視覚に頼らずとも戦える力がある。


 火炎球はもっぱら学者など|要人待遇者《VIP》向けの明かりであり、同時にモンスターの肉を加熱するコンロでもあった。

 タイヨウが見ればキャンプファイアーを思い浮かべたことだろう。

 百名に迫るパーティーは炎を取り囲み、仕留めたばかりのダンジョンワームに舌鼓を打っていた。


 そんな中、一段と離れた壁際で腰を下ろしている人物が二名。

 アルフレッドが誇る第一級冒険者、ラウルとアウラである。


「わざわざチャージアンドダブルフォローなんてしなくても……」

「経験を積ませるためだよ。第一級に至るのに必要な称号として、『プリズムモンスターへの攻撃』がある」


 あらゆるダメージを固定ダメージに変換する機構をプリズムと呼ぶ。

 ごく一部のモンスターのみが備えているが非常に珍しく、狙って出会えるものではない。ともすれば一生出会えないことさえある。


「それは初耳だけど、余計なお世話かもね」

「後進育成は大事だよ。僕らにだって限度がある。強い人が増えてくれたら、それだけ行動範囲が広がるんだ。未来への投資と言い換えてもいい」

「真面目さんだねぇ……」


 ラウルが火炎球をぼんやり眺める横で、アウラは顔を洗っていた。

 水魔法で丸ごと包んで洗浄した後、風魔法で乾かし、それから氷魔法でつくった鏡を覗き込む。年不相応な童顔が優しく微笑み、ピンクのボブカットがゆわりと揺れた。


「君はもう少し厳しくした方が良い。遊びじゃないんだ。笑顔は要らない」

「そんなこと言ってるから女の子が離れていくんですよ」


 いつもならラウルの口撃が返ってくるところだが、どうにもキレが悪い。


「……ラウル? 何を考えてる?」


 直後、アウラは遮音フィールドの展開を察知する。|防音障壁《サウンドバリア》とも呼ばれるそれは、風魔法の応用により音を含む空気振動を遮断する。

 無論、かけたのはラウルである。


「彼のことだ」


 ともに死線をくぐってきた遠征隊メンバーにさえ聞かれたくない話題であるということ。

 そして彼という男性の代名詞――


 何を指しているか、アウラもすぐにわかった。


「顔を変えておいたのは正解だったかな?」

「そうだね。アウラにしては上出来だ」


 シニ・タイヨウを王都に案内する際、アウラはこっそりと彼に魔法を施し、人相を変えていた。

 といっても一時的なもので、西門を警備する冒険者達に素顔を見られないようにしたのである。無知な新人を悪目立ちさせないための配慮であった。


「色々思うところがあるんでしょうけど……ラウルはどうしたいの?」

「逆に問いたいんだけど、アウラ。君はどうしたい?」

「私はあなたに尋ねているのだけど」

「僕のことはどうでもいい。あの王女に報復する機会が消えて落ち込んでるだけだ」


 そう答えるラウルの表情は端整で、自信とプライドに満ち溢れている。

 第二王女ナツナへの恐れと怒りはもう無い。


「やけに素直で気持ち悪いんですけど……」

「気持ち悪いは僕の台詞だよ。君は淑やかさをウリにしてるんだろう? 今回の遠征中、あまり隠せてなかったぞ」

「え? 私を観察してました? 普通に気持ち悪いんですけど。だから女の子が離れていくのよ」

「いいから答えるんだ。どうにかしようとしているのは君だろアウラ?」

「……敵わないわね」


 二人とも愛好会《ファンクラブ》が存在するほどの人気を誇るが、ラウルはストイックで、堅物で、鈍感なところがある。距離を詰めた女性の大半は嫌気が差して離れていく。


 一方、アウラは応対もしっかりこなしており、愛好会とも自ら交流している。当然ながらモテモテで、メンバーの貴族から求婚されたことも一度や二度ではない。

 それでも、彼女の内面にリーチできる人はいなかった。


「そんなの決まってるじゃない」


 アウラは立ち上がり、わざわざラウルの前にまで来てしゃがむ。

 他のメンバーに背を向けたのだ。本性を見せないために。


「とっちめて、吐かせるのよ」


 会員が見れば卒倒しそうな声音と表情だったが、ラウルは今さら驚きはしない。

 アウラは一見すると温厚で淑やかだが、その裏に隠された好奇心と競争心は相当なものである。


 そもそも第一級冒険者とはそういう人種なのだ。


「どうやって探す? 僕は正直、人捜しはお手上げだ」

「彼の体外気流《エアー・オーラ》がヒントかな。よーく思い出してみると、相当変わったオーラだったから」

「体外気流か……」


 身体周辺の大気の流れ方は生物ごとに癖があり、体外気流《エアー・オーラ》と呼ばれる。高度な魔法師――特に風魔法に長けた者にもなると、顔と同レベルの識別要素として使えるらしい。


「というより珍しい流れ方だった、かな。体の動かし方が独特というか、無駄がないというか」

「そういう感覚はよくわからないな。それで、どうやって見つける?」

「体外気流感知《エアウェアネス》を使うわ」


 アウラがラウルの隣に戻る。

 ギラついた素顔は既に無く、分厚い外面が張られている。


「かなりの精度が求められそうだが」

「ラウルには無理でしょうけど、私には余裕です」


 ふふんと胸を張るアウラ。

 軽いジャブでもあった。スタイルの良さは彼女の自慢の一つであり、こうすればチラ見する男も多い。実際、離れたところから複数の視線が刺さっている。


 しかし、隣の金髪は「彼はまだ王都にいるだろうか」「無知な上に不器用そうだったからな」見向きもせず独り言ちていた。


「これでもチャームの気質があるんだけどなー……」


 アウラは嘆息した後、ラウルを放置してキャンプファイアーの集団に混ざった。

侵攻

第53話 情報収集

 |悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》と呼ばれるダンジョンの奥底で、俺は平伏されたモンスター達に囲まれていた。

 白夜の森に続き、二回目である。さすがに慣れるし、原因にも見当がつく。


 頭を垂れている青白い悪魔の一体に尋ねてみた。


「言葉は通じるか?」


 顔を上げた悪魔――グレーターデーモンがこくこくと頷く。肉付きも顔つきも獰猛なのに、ライトグリーンの瞳だけは磨かれた宝石のように綺麗で無垢だ。いや悪魔なんだけどな。


「お前らが俺を崇め始めたのは、俺がコイツの倍々毒気《ばいばいどくけ》に耐えたからだよな?」


 傍らの人頭サイズカタツムリをぺちぺちと叩きながら言うと、へへーとでも言わんばかりに頭を下げてきた。

 ぶわっと強めの風圧が生じる。グレーターさんはパワーもいちいちグレーターである。レベルアップしてなかったら吹き飛んでたぞ。


「……さて、どうしたものか」


 とりあえずは助かったが、このままここに居座るつもりはない。

 かといって地上に出るのも気が進まない。


 俺はこのままシキ王のもとで働き続けていいのだろうか?


 ブーガの言葉が頭をよぎる。

 ユズの献身を無駄にしてでも、彼につくべきだろうか。


 青ローブ集団との戦闘を思い出す。

 オーブルーは宗教国家だと聞いている。いっそのこと教徒にでもなっちまうか?


「なんかぬめっとするな……っておい、離れろ」


 懐いたのか、隠密蝸牛《ステルスネイル》が俺の身体をよじ登っていた。要は殻を被った巨大ナメクジである。普通に気持ち悪い。感触は悪くないが。

 殻を掴んで離すと、あっさりと剥がせた。しゅんとするな。


「なあ。お前は寄生虫に寄生されたりするのか?」


 ふと尋ねてみたが、思い当たりはないらしく、触覚は左右に振られた。


「いやカタツムリの体を乗っ取る寄生虫っつーのがいるんだけどな」


 そのカタツムリ専用寄生虫――ロイコクロリディウムは、カタツムリの触覚を膨らませカラフルに彩らせる。同時に宿主の行動をも支配し、目立つ場所まで誘導する。

 鳥に啄《ついば》んでもらうためである。目立つ餌を演出するというわけだ。


 その様子は以前動画サイトで見たことがあったが、グロテスクだった。苦手な人は見ない方が良い。


「……っと、そんなことはどうでもいいんだよ」


 モンスターの生態は興味深いが、どうでもいい。むしろ害悪ですらある。


 俺は死にたいだけだ。

 そんな俺の行く手には二つの分厚き壁――無敵バグと滅亡バグが阻んでいる。

 寄り道なんてしてたら時間がいくらあっても足りない。


 そもそも滅亡バグは今後百年以内に起こるのだ。

 起こったが最後、俺はこの世界で死に、俺の魂は天界に戻されてしまう。

 クソ天使曰く、俺の魂は選ばれた。何千回と転生させられるらしい。滅亡で死んでも意味はないのだ。


 この輪廻転生という名の呪いを解くためには、滅亡バグを潰すしかない。

 見事潰すことができたら魂を浄化してやる、と。天使はそう確約してくれた。


 遊んでる暇なんてないんだよ。


「でも、努力は正しく行わないと意味がない」


 がむしゃらや自暴自棄は努力ではない。

 思考停止の精神論や根性論は価値を生まない。


 一方、現状の俺はというと、努力できる下地さえ整っていない。


 幸いなことに、時間はある。

 従順な悪魔も手に入った。


「……グレーターデーモンに問う。ちょっと前にここに来た金髪の少女を覚えているか?」


 即行でこくこくと頷いてくれた。記憶力も悪くなさそうだ。


「彼女がテレポートできる範囲を教えてくれ」


 これもまた回答はすぐに示された。

 デーモンの一体がブゥンとお馴染みの詠唱音を出したかと思えば、保安球のような明かりが差し込んできた。

 見ると、底無しの暗闇に淡い炎が浮かんでいる。該当する空間を囲んでくれたようだが……離れてるな。たぶん数百メートルどころではない。


「連れてってくれ」


 軽率に言ってみると、デーモンは俺の肩に指を置き「うぉっ」俺は炎の中にいた。

 無詠唱のテレポートか。やはりこれは何度やられても慣れない。


 炎はドーム状に展開されており、広さは大学の講堂くらいだ。

 よく見ると、端っこの地面に穴が空いている。


 俺はそこまで歩いた後、質問を重ねた。


「ここから上の階層に繋がっている?」


「金髪少女はこの穴を通じてここに足を踏み入れた?」


「テレポートが使える者なら、一度ここに足を踏み入れただけで、後からここに来れるようになるよな?」


「地上からここに飛んでくるのに必要な魔力はどのくらいだ? 第一級って言葉がわかるか? わかるか、だったら第一級冒険者の魔法師クラスくらいか?」


 デーモンはこくこく、こくこくと漏れなく肯定してきた。

 博識すぎてもはやドクターデーモンである。仕草も何気に可愛らしいし。まあ体長は五メートル超えてるけど。


 ともあれ、知りたいことはわかった。


「一つ頼みたい。さっきの金髪少女がまた来るかもしれないから、ここで警備してくれないか? 《《絶対に俺に近付けるな》》」


 あっさりと肯定するデーモンを前に、「よし」小さくガッツポーズを決める俺。

 これで邪魔されることはなくなった。


「追加で条件を出す。金髪少女とその連れは殺すな。身体の一部を欠落させることも禁止する。そうだな、テレポートが使えるんだから、上の階に飛ばすのが良いだろう。上の階は行けるか? もし行けないなら、今のうちに足を運んで行けるようにしておけ」


 命令したことだけが命令したとおりに実行される――。

 まるでプログラミングでもしているようだ。


 コンピュータの融通の利かなさは知っている。前世ではソフトウェアエンジニアだったからな。

 だからこそ、どういう風に命令すればいいかもわかる。


「それ以外の侵入者は従来どおりに扱えばいい」


「言うまでもないことだが、この命令はこのフロアにいる全てのグレーターデーモンに共有しろ。今後新たに来た奴も全てだ」


 俺はさらに命令を重ねた後、さっきの場所まで戻してもらった。

 悪魔に召喚されたモンスターはまだ居座っていた。というかくつろいでやがる。グレーターデーモンの体に乗って遊んでるゾンビとか、岩をはさんで咀嚼してる食虫植物みたいなのとか。


「グレーターデーモン以外は解散してくれ……といってもゲートで連れてこられたんだよな。誰か、帰してやってくれないか」


 デーモンの一体が豪邸の出入口顔負けのでかいゲートを開き、他のモンスター達がその中へと消えていく。

 たまに手を振ってくる奴がいたので、振り返しておいた。ゾンビに至ってはむき出しの内蔵がぷるぷる震えていて、控えめに言ってキモい。

 ああ、感覚もバグってて乱れないせいで、キモさとグロさの境界性もずいぶんと曖昧になってきたなぁ――などと他人事に思いつつ、しばしモンスターのパレードを見送った。


 そうして再びグレーターデーモンだけが残ったところで。


「それじゃ始めるか」


 俺は情報収集《インプット》を開始する。

第54話 情報収集2

 モンスターが俺を崇める現象を『|崇拝《ワーシップ》』と呼ぶことにした。


 ワーシップの発動条件だが、モンスターに規格外の力量差を見せれば良いようだ。

 俺の場合、倍々毒気《ばいばいどくけ》に耐えたことがその証明となった。


 ワーシップが適用される範囲は二通りある。モンスターが直接目撃した場合と、目撃者が目撃者と同じ波長を持つモンスターに共有した場合だ。

 波長というのは俺の造語だが、どうもモンスターは固有の周波数のようなものを持っており、これが同ダンジョンの同フロア単位で同じになるらしい。


 これで今までの説明がつく。

 白夜の森は、森そのものが一つの単位になっているのだろう。だから目撃したモンスターはごく一部でも、隠密《ステルス》モンスターの全てが俺を崇めた。

 また、先の戦闘では、その場にいたグレーターデーモンと、奴らが呼び出したモンスター達が俺を目撃している。同様に、奴らは例外なく俺を崇めている。


「逆を言えば、この階層以外のモンスターには通じないし、お前らが説得しても通じないってことだよな」


 グレーターデーモン達が《《俺をタコ殴りにしながら》》こくこくと頷く。


 俺はコイツらからひたすら情報を引き出していた。

 これもワーシップの性質なのだが、モンスターから俺に意思疎通することはできない。ただ、イエスノーで答えられる質問に答えることはできるようだ。


 ゆえに情報収集とは、いかにしてイエスノーで引き出せる質問を組み立てるかに等しい……のだが、これが案外難しい。

 現に俺は、ワーシップという現象を特定するだけでも一時間はかかった。投げた質問数も軽く百を超える。


「ざっとこんなもんか。もう何日続けてるかもわからんが」


 このダンジョンでワーシップが発動して以来、俺は鬼のようにひたすら質問を浴びせている。

 体力もバグっているのだ。休む必要などない。

 グレーター達もまた、この程度で疲労するほどやわでもなかった。


 予想外と言えば、こいつらが見返りを要求してきたことである。

 俺は自らの体を差し出し、問答を続けられる状態を維持できるなら何しても良いとした。


 その結果、俺は引き続き様々な攻撃を食らうことになり――溜まったエナジーはえらいことになっている。

 ナツナ暗殺時を1とすると、200くらいか。スケールが違いすぎてにやけてしまうレベル。


 別の言い方をすると、以前食らった魔王の核兵器級も射程範囲であった。

 取り扱い注意にも程がある。うっかり|全開放《リリース1》からの発射《オープン》でもしようものなら、王都くらい軽く消し飛んでしまいかねない。


「魔王はどんだけ規格外なんだよって話だよな。そうだ、お前らは魔王を知っているか?」


 拳圧が凄すぎて自分の声さえも届かない有様なのだが、どういう原理なのか、悪魔達には届いている。

 知っているそうだ。


「そうか……」


 魔王のことも。俺の声を拾う原理も。

 気になることが次から次へと湧いてきて、正直言ってきりがない。


 しかも引き出すのに骨が折れるときたもんだ。

 イエスノー質問で引き出せるよう工夫して聞かないといけないし、そもそも俺に知識がないから、まず仮説を立てて前提を引き出していく必要さえある。いくら俺が疲れないとはいえ、気の遠くなるような作業なのである。


 こいつらもこいつらで、次第に言うことを聞かなくなってきてるしなぁ……。

 グレーターデーモンの知能はどうやらモンスターの中でも指折りらしい。俺もそう思う。少なくとも下手な人間よりよほど賢いし、何より贅沢でわがままだ。

 こうして差し出している無敵ボディも、半ば飽きられている。


 もうしばらく為すがままにされた後、俺は情報収集の終わりを告げた。






「また会おうな」


 俺は折り畳んだ敷布団サイズのダンゴムシ型モンスターを抱えつつ、グレーターデーモン達と別れた。

 彼らは持ち場へ。俺は次の階層へ。


 デーモン曰く、次が最終階層である。行き止まりに宝箱――いわゆるトレジャーアイテムがあるそうだ。

 中身も判明しており、人間サイズの肌着だという。魔王の失敗作であり、デーモン達の猛攻で破けてしまう程度のガラクタなんだとか。


「全然ガラクタじゃねえんだよな」


 何かと裸になりがちな俺だが、そんな肌着があるなら大助かりだ。


「にしても生物の気配がない」


 ここ最終階層はいわゆる迷路になっており、幅も高さも七メートルくらいの通路が延々と続いている。分岐や曲がり角も多く、|マッピング担当《マッパー》はうんざりするに違いない。


 元々は多種多様な悪魔がひしめき、日夜殺し合うというコロシアムの様相を呈していたそうだ。

 文字どおりの、悪魔の巣というわけか。

 グレーターデーモンもまた長らく居座っていたそうだが、彼らは強くなりすぎた、というよりはしゃぎすぎたせいで、いつの間にか他の悪魔達が滅んでしまったという。


 今では魔王が時々訪れるスポットとなっており、実験をしたり世間話をしたりするんだとか。仲良いのかよ。

 ちなみに前回は37年前らしい。魔王には色々話したいことがあるんだが、さすがに待てない。まあそのうち会えるだろう。


「にしても迷路とはまた面倒くさいものを……」


 迷路はプログラミングの題材としても優れている。

 つくり方、解き方ともに色んな解法《アルゴリズム》が知られており、初中級者の暇つぶしや鍛錬にはもってこいである。


 が、コンピュータでもない俺にそういったやり方を適用できるはずもなく。


「ここはゴリ押しするか」


 幸いにも、この迷路はスタートとゴールがともに迷路の外辺にあり、かつどちらも一つしかないことがわかっている――

 こういうこともあろうかと、グレーター達から聞き出しておいたのだ。


 だったらアレが使える。

 コンピュータがなくてもこなせる、シンプルなアルゴリズムを。


「その名も右手法。いや左手でも同じだが」


 右手法というアルゴリズムがある。

 壁に右手をつき、そのまま手をついた壁をなぞり続ければ、いずれゴールに辿り着くというものだ。

 原理は単純で、要するに迷路の外辺を全部辿っているだけだ。もしスタートとゴールがともに一つだけ外辺上に存在する場合、スタート地点から外辺を辿っていけば、そのうちゴールにたどり着く。それだけの話だ。


「ん、どうしたどうした」


 抱えていたダンゴムシ型モンスターがじたばた暴れ始めた。


「もう待てないって?」


 そいつの腹部を見ながら尋ねてみると、肯定するかのように何十という短い節足がうじゅうじゅと動いた。

 必要とはいえ、これを被るのはちょっと勇気が要るな……。


「ゴールに着いてからだ。それまでは俺の腕でも食ってろ」


 何とかなだめつつ、迷路を走り始めた俺は「ぐっ」壁に激突してしまった。


「加減がムズイなこれ」


 時速百キロメートルくらいは出てたと思う。グレーターデーモンを一体倒したおかげで、ステータスの伸びが著しい。

 以前の身体感覚と違いすぎて、夢でも見ているようだった。


 さりげなく頭部を包もうとしてくるダンゴムシを押し止めつつ、俺は右手法の実行を続ける。

 全く新しいスポーツで遊んでいるような面白さがあったが、俺は怠け者ではない。並行して頭も働かせ、グレーターデーモンから聞き出した情報の咀嚼と整理にも努めた。


 いくら走っても疲れることのない身体に、マルチタスクも平然とこなし続けられる無限の集中力。

 チートにも程がある。現代ならば確実に歴史に名を残していただろう。

 もちろんそんな妄想に意味などないし、死にたい俺にそんな欲求もないわけだが。


 それでも、楽しいものは楽しいのだ。

 戦略的運動《スポーツ》にせよ、知的活動にせよ、人間にだけ許された特権であり、最上の娯楽であり、至福の報酬でもある。

 これらを知らない者は人生退屈だといい、これらを知る者は人生いくら時間があっても足りないという。


 俺は後者の人間だった。

 後者になるために努力を重ねたはずだった。


「いつから死にたがりになったんだろうなぁ」


 そんなくだらないことも考えつつ、時折暴れるダンゴムシをなだめつつ。

 俺は迷路を疾走し続けた。






 おそらく数十時間くらいは要しただろうが、ゴールに辿り着いた。


「なんか質素だな」


 迷路と同じ材質の壁に囲まれた小部屋だ。六畳一間くらいで、中央にちょこんと宝箱が置いてある。

 ダンゴムシを下ろした後、蓋に力を加えてみるとあっさり開いた。


 中には、丁寧に畳まれた肌着があった。


 手に取り、閉じた宝箱の上に広げてみる。

 上下とも黒の肌着だ。現代で言えばTシャツにトランクスといったところか。魔王の服装も黒だったし、黒が好きなのだろうか。


「ぶよぶよしてんだが……」


 手触りがやたら生々しい。どことなく覚えのある感触ではある。

 思い至れば、何てことはない。人体の皮膚や筋肉と同じ感触なのだ。

 いや何てことあるだろ。どんな服だよ。


 とりあえず着用してみると、想像以上に想像以上――肌に馴染むというレベルではない着心地が俺を包んだ。


「これで欠陥かよ。とんでもない値がつきそうな気がするんだが……。おい、ちょっと噛んでみてくれ」


 正直着心地はどうでもいい。肝心なのは耐久性である。

 俺は宝箱を食ってたダンゴムシに声を掛けたのだが、普通にスルーされた。

 宝箱は既に蓋部分が丸々なくなっている。そんなに美味しいのかそれ?


 強引に引きはがし、腹にくっつけてみた。期待どおり噛みついてくれたが、破れる様子はなさそうだ。


「よし」


 これで肌着も手に入った。

 強化された身体にも慣れたし、知識も整理できた。


「あとはお前だけだ。頼んだぞ」


 俺はダンゴムシを両手で抱え、肉食獣の口にも見える節足に頭を差し出した。

第55話 情報収集3

 グレーターデーモン達とのイエスノー合戦中、俺が最も粘った話題が一つある。



 ――顔を変えたい。できれば声や臭いも。



 別人になるための手段である。


 俺は王女ナツナ殺しにより指名手配となった。それも第一級の超危険人物であり、人権も平穏も無いに等しい。

 だからこそシキ王に匿われているのだが、あっちはあっちでやれ国政だの教育だのと面倒が過ぎる。何より、



 ――忘れませんし、忘れさせませんよ。



 ルナのお手本のような|不意打ち《キス》を思い出す。その感触、匂い、そして彼女から伝わってくる熱も。



 ――却下!



 ユズには似つかわしくない叫びが耳に残っている。機微には無知で鈍感な俺でさえ、慕われているのだと確信できる力強さ。


「……要らねえんだよ、そういうのは」


 人生山あり谷ありという。

 たしかにその通りだ。生には死があるし、得たものは失うし、信じたものは裏切られるし、物だって人だって変化していく。

 要するに波があるのだ。

 波と言えば物理学でも欠かせない概念。世の中はきっと、波に支配されているのだろう。


 だからこそ、人生に嫌気が指すのである。

 俺は山を登る苦しさなんか望んじゃいない。谷を下る心地のために苦痛を受け入れられるほど脳天気でもなければ、マゾでもないんだよ。

 プラスとマイナスを両方味わうくらいなら、ずっとゼロでいい。平坦でいい。


 そして平坦の渇望、その先にあるものが――死という名の無であると。俺はそう思うのだ。


 彼女いない歴=友達いない歴=年齢のアラサー。

 そんな俺が、少なくとも二人の美人から言い寄られている。悪い気などしないに決まってる。


 でも、ちょっと遅すぎたな。

 俺はひねくれすぎた。


 味に抗えるのは、味を知らない者だけだ。


 俺はまだ知らない。

 だからこそ、こうして持論を並べ立てることで、抗うことができる。

 こじらせた童貞を舐めんな。


「申し訳ないが、金輪際お別れだ。まあ今さら後戻りはできないけどな」


 確認も兼ねて、俺はあえて独り言を発している。

 耳に届く声は、全く聞き慣れないものだ。


「どうやら成功してくれたな」


 質問に対するグレーターデーモンの解がコイツ――俺の顔を覆っているダンゴムシ型モンスターである。

 見た目はダンゴムシだが、スライムの一種らしい。


 一言で言えば、人の体液を好む寄生虫である。


 コイツは中々に面白い寄生の仕方をする。

 いわゆる外部寄生なのだが、まず人の頭に張り付き、無数の節足――ストロー状の口で頭部の皮膚や粘膜を吸う。この行為を通じて宿主の性能と実力を推し量る。

 問題ないとわかれば、次はスライムよろしく自らを引き伸ばして、宿主の全身を覆っていく。全身から吸うためだ。

 これだけでも驚きだが、特筆すべきはそこじゃない。


 コイツは宿主を操れるのだ。


 ロイコクロリディウムは宿主のカタツムリを内から操るが、コイツは宿主の人間を外から操る。

 自らのパワーで、宿主の身体を無理矢理動かす。


「おい、勝手に動かすな」


 以前のレベル17程度の俺なら抗えなかっただろう。かなりのパワーがある。

 試しに身を任せてみると、俺の左手が鼻に突っ込まれた。一方、右手は下腹部に伸び、俺のジュニアを弄り始める。何してんだよ。


「……まさか鼻水と精液が欲しいとか言わないだろうな」


 後頭部にこつっとデコピンのような感触。肯定の意味である。

 食い意地張りすぎて普通にひくんだが……。

 ともあれ、なるほどな。正直言って半信半疑だったが、グレーターデーモンから聞き出した情報は誇張ではなさそうだ。


 曰く、コイツに寄生された人間は淫らになる。


 容姿と声が異性にモテるように改変され、肉体的にも異性に迫るよう操られるからだ。いわば外面と積極性を手に入れたようなものである。

 結果として異性へのアプローチが激増し、性行為へと至る頻度も増えていく。


 寄生者はキスなど舐める行為によって他者の体液を摂取でき。

 宿主もまた、性行為という快楽を味わうことができる――

 いわばウィンウィンの関係を築いてしまうのである。


 ちなみに血液は嫌いらしく、無闇に襲って血をすする真似はしないそうだ。


「体液が欲しいなら唾液か胃液を飲め」


 俺がそう言うと、口内の粘膜が何やら吸引され始めた。その延長で、何かがにゅるにゅると食道の奥へと侵入していく。間もなく腹部の内側からも吸引の感触。


 スライムにそぐわない、固めの異物感もある。

 どうも吸うのに口を必要らしい。つまり、あのうじゅうじゅした短い足が俺の体内を動き回っているわけだ。


「俺の体液は尽きることがない。お前にとっても天国なはずだ。俺の言うことを聞いてくれるよな? ……おい。頼むから応答してくれ」


 何度か催促すると、ようやく気怠そうに後頭部を叩かれた。生意気なんだよなぁコイツ。

 だが朗報でもあった。


 崇拝《ワーシップ》状態でありながら俺を盲信しないということは、それだけ知能が高いことを意味する。

 さすがは人間を操る寄生生物だけある。俺としてもその方がありがたいし、むしろそうでなくてはならない。


 お前は俺の仮面――シニ・タイヨウという人物を隠すための外皮であり、れっきとした運命共同体なんだからな。


「あとは容姿をどうするかだな。イケメンでモテても仕方ないし、ブサメンでいいか」


 あえてブサメンを選ぼうとする自分に苦笑する。

 やたら劣等を好むのは、ひねくれ者にありがちな心理だと思う。その方が悲劇のヒロインを演出しやすく、周囲への牽制《けんせい》と歪んだ承認欲求の充足を行いやすいからだろう。


「鏡はグレーターデーモンに用意してもらうか」


 容姿をいじるにも客観的に確認できなければやりようがない。氷魔法で難なくつくれるはずだ。

 できれば声も確認しておきたいが、さすがに無理だろう。この世界に録音機構があるとは思えない。一応頼んではみるが。


「おい、不便だから名前も決めておくぞ。お前の名前はダンゴだ」


 ダンゴムシだからダンゴ。

 安直だが、俺にとってはわかりやすいし呼びやすい。


 それにダンゴという呼称なら、万一誰かに聞かれても問題はない。まさか俺がスライムの一種に寄生してもらって容姿を変えているなどとは夢にも思わないだろう。

 せいぜい独り言が多い変人だと扱われるだけだ。問題無い。中二病という形で既に経験済である。


「ダンゴ。わかったら返事をしろ」


 やや遅れて後頭部が打撃される。

 それは打撃と言えるダメージだった。そうだな、常人なら脳震盪《のうしんとう》が起こるくらい。

 人のことは言えないが、コイツも結構ひねくれている。


「いったん戻るぞ」


 それからも俺はダンゴとのコミュニケーションに苦戦しながら、迷路を逆走した。

第56話 鉄壁

 王宮の一画は炎のドームに包まれていた。

 その表面は数千度に至り、親衛隊であっても突破は容易ではない。彼らは剣や槍、杖やオーブを構えつつ外側から包囲するしかなかった。


「冗談じゃねえぞ! どうしてガキ一匹殺せねえ!?」


 ドームの内側で赤毛の女――オーブルー随一の第一級|攻撃魔法師《アタックウィザード》といわれるアングリが咆哮《ほうこう》を上げる。

 そんな彼女の殺意と高温を一手に引き受け、捌いているのが近衛――金髪の裸少女であった。


 彼女のそばにはアルフレッドの要人が二人も控えている。

 軍人のような体格と人相を持つ白髪白髭の執事ゴルゴキスタと。彼の肩に乗っかり、きゃっきゃと耳や頬を引っ張ってはしゃいでいる幼子――第四王女ことフユナ・ジーク・アルフレッド。


「【ウルトラ・ファイア・ストリング】」


 フユナに向けられたアングリの指から、|糸状の火炎《ファイアストリング》が射出される。その速度は容易く音速を超えていたが、近衛に難なくキャッチされた。


「クソがっ!」


 アングリはすかさず両指を広げ、四方八方に飛ばす。

 それらは彼方に飛ぶことなく、反射した光のように軌道を変えてフユナを襲うも、届くことはない。ストリングの全てが、見えない壁によって弾かれた。


「もう出し惜しみはしねえ。【ウルトラ・ファイア・ハンマー】」


 アングリの頭から空高く炎が噴出されたかと思うと、直径十メートル以上の大槌が出来上がっていた。

 既にフユナめがけて振り下ろされている。一連の動作は高速で、「王女様!」「フユナ様っ!」ドーム外側の親衛隊が思わず叫んだ頃には、もう破裂していた。


 ドーム内部が真っ赤に染まっている。

 自然ではまず目にしない光景を前に、親衛隊が言葉を失う。


 しかし数秒ほどで景色が晴れ、絶句したアングリが姿を表した。全身を震わせる女豹の、視線の先には――執事の顔をよじ登っているフユナ。愛くるしく笑っている。


「ここのガキはどうなってんだよオイ……」


 アングリは右足を炎に包み、地面を踏み潰す。

 過剰な威力と温度である。ただの地面なら確実に割れるし、何なら溶けるところだが、びくともしない。


「……」


 原因はわかっている。


 保護されているのだ。

 王女のそばで顔色一つ変えずに突っ立っている、|裸で幼い《ふざけた》少女に。「チッ」アングリは舌打ちとともに、周囲を囲っていたドームを解除する。


 敷地内の損傷は皆無に等しかった。荒野さえも残らないといわれるアングリの猛攻が、まるで通じていない。

 それでありながら王女も完璧に守っている。しかも無詠唱でピンポイントに相殺するという馬鹿げたパフォーマンスでだ。


「範囲も正確性も魔力量も、何もかもがえげつねえ。どうやったらこんなバケモンに育つんだ? ああ?」


 幾分か落ち着きを取り戻したアングリの背後に、突如人影が出現した。

 幹部の一人、プロテスである。曲がった腰を杖でとんとんと叩きながら、


「アングリ。他の幹部は呼べそうか?」

「要らねえよジジイ。このクソバケモンは五人いんだろ? 幹部一人で突破できなきゃ勝ち目はねえ」

「アナバも全く通じとらんかったぞ。まさかこれほどとはな」

「感心してんじゃねえよ! 魔法がダメなら物理で殴る」


 その台詞がプロテスの耳に届く前に、アングリはフユナに接近していた。無論、突破できるほど甘くはない。近衛が軽々と受け止める。

 思い出したかのように衝撃波が発生する中、アングリの連打が始まった。


「その気概はどこから生まれるのやら。老体にはわからん」


 他人事のように呟くプロテスに、親衛隊の集中砲火が降り注ぐ。

 テレポーター要員である彼に反撃の意思はない。その事は親衛隊にも気付かれており、ゆえに攻撃には一切の遠慮がない。魔法の射撃のみならず、至近距離からも打撃斬撃刺突と物理のオンパレードが叩き込まれた。


 それらの全てを軽々と捌いてみせるプロテスは、間近の兵士達に問う。


「面白いかね?」


 激しい戦闘音の発生源である。会話など聞こえるはずがない。

 それでも騎士達には届いた。プロテスがわざわざ魔法を使ったからだが、言い方を変えれば、まだそれほどの余裕があるとも言えた。


「どうして諦めぬ? 実力の差は歴然ではないか」


 プロテスは第二級冒険者であり、ステータスで言えばアングリの足元にも及ばない。オーブルー幹部でも最下位だ。

 それでも並の冒険者達の倍以上の人生を積んだ老練であり、こと守備に関しては、アングリでさえ破れない。テレポートが使えることもあり、幹部ナンバーワンの呼び声も高い。


 にもかかわらず、彼の姿は弱々しいものだった。まるで強さのオーラがない。見た目だけで言えば、街中を歩く老人と大差が無い。


「私はな、とうに諦めたよ」


 すたすたと歩き始めるプロテス。衛兵達も道を譲るつもりはなかったが、腰の曲がった老人を止めることができない。


「クソバケモン、か……。アングリの言葉も、たまには的を射ている――【リリース】」


 瞬間、兵士の一人が不自然に吹き飛んだ。射線上の魔法師も一人巻き込み、数百メートル先で派手に粉塵を上げる。

 プロテスを囲んでいた残りの親衛隊は、一斉に距離を取った。


「リリース、だと……?」

「なんだあの威力は?」

「気を付けろ。さっきまでの攻撃も全部チャージされている可能性がある」


 動揺を見せる親衛隊に対し、プロテスは嘆息する。


「君達はまだまだだな。さっきのは君達の攻撃を受け流せるとわかったから受け流しただけ――言わば偶然の産物にすぎない。リリースはフェイクだ。第一、リリースとは爆発が伴うものだろう? マイナーなゴミスキルだからと学習を怠るから、こうなるのだ」


 様子見に移行した親衛隊の殺意をものともせず、プロテスは先生のように講釈を続ける。


「だがそれでいいのかもしれぬな。博識だからといって、てっぺんを取れるわけではない。持たざる者があがいたところで、たかが知れておる。せいぜい身を守れるだけよ」


 プロテスは土魔法で岩の椅子をつくり、呑気に腰を下ろすと、杖を掲げて、ある一方向――最も戦闘の激しいエリアを指した。

 親衛隊は行動の意図が読めず、傍観をキープする。間違っても視線を逸らす隙は見せない。


「あれこそが持つ者の世界よ。君達も覚えておくといい。強さとは、レベルである」

「……知れたことを」


 親衛隊の一人は忌々しそうに呟き、


「遠距離一斉射撃《バスター》、始め」


 攻撃を再開した。






 ゴルゴキスタのそばでは、近衛三号が忙しなく守備に当たっていた。高温はおろか、爆音や閃光が漏れてくることもない。

 間違っても自分の出る幕は無いだろう。


「ごーちゃ」


 ぺたぺたと顔を触られる。頬をつつくだけなら可愛い方で、唇や髭も容赦無く引っ張ってくるから困ったものである。

 当の本人、第四王女ことフユナは、彼の肩にまたがっている。飽きる様子はしばらく無さそうだ。


「フユナ様。どのおもちゃで遊ばれますか?」

「ごーちゃがいい」

「あのお姉ちゃんが遊ぼうと言っております」


 ゴルゴキスタはフユナの目の前で太い指を立て、モンスターさえチビらせそうな迫力の赤毛女を指す。


「ごーちゃがいいっ!」


 離されると思ったのだろう、フユナは振り向くこともなく駄々をこねる。落ちそうになるのをゴルゴキスタは優しく支えた。


「……」


 なおももみくちゃにされながらも、ゴルゴキスタは思う。

 |オーブルーの最高戦力《アングリ》にさえも、この第四王女は反応しないのだと。


 アルフレッド家の血筋は凄まじい。

 元々長きに渡った戦国時代の頂きに君臨し続けていた家系の一つである。|子の潜在能力《ポテンシャル》は親のステータスに比例する。ゆえにアルフレッドの血を継ぐ者は例外なく強者たりえた。


 例外が無いと言えばもう一つ――ギフトの存在もある。

 必ず一つ以上のレアスキルを授かるのである。第三王女アキナや第二王女ナツナはもちろん、《《今は別人として生きている第一王女ハルナもそうだった》》。

 特にナツナのチャームはわかりやすく危険であり、父親自らが葛藤しているほどであったが、彼の見解は少し違う。


(まだ終わってはいない。むしろ始まってすらもいない)


 フユナの髪にそっと触れる。澄み切った空のように明るく淡い青髪だが、微かに金色の毛が混じっている。


「フユナ様はどなたが好きですか?」

「ごーちゃ!」

「……私の他には?」

「いちごー、さんごー、よんごー。あとはねー、ごごー、にごー」

「お父様は?」

「かろうじてー!」

「かろうじて、でございますか」


 言葉の意味まではわかっていないのだろうが、父親が聞けば落胆するに違いない。ゴルゴキスタは苦笑する。


「私でも成せないでしょうが、まだ時間があるのが救いです」

「ごーちゃ?」

「失礼致します」


 ゴルゴキスタの手が一瞬、残像を発する。

 ごつく大きな手のひらが開かれると、数本の金毛が。間もなく微細な炎魔法が無詠唱されると、跡形もなくなった。


「そろそろお暇しましょう。もうじきお父様も帰られます」


 ゴルゴキスタはフユナを抱えたまま歩き始める。これに近衛も合わせ、さらにアングリの炎が続く。


「三号。手筈とおりに」

「承知」


 僅かなダメージももらわないまま、二人は宮殿に入った。

第57話 鉄壁2

 ダグリンが誇る水の都『アクアス』の中央広場は全壊していた。人口池や水路の水は吹き飛び、地面には亀裂が走り、家屋は倒壊している。

 未だに止まない衝撃波を前に、住民はおろか兵士でさえも近付けないでいたが――ようやく轟音が止まる。


 しかし遠目から見た、中心部の人影――長髪の男と小柄の裸少女は健在だ。動いているようには見えないが、単に速すぎて見えないだけだと群衆は理解している。

 いつ再開するかもわからない中、あえて近づこうとする自殺志願者はいなかった。


 そんな周囲の注目も構わず、渦中の一人――ブーガは「ふむ」呑気に呟くと、殺意を解いた。

 かれこれ一時間以上掴んで離さなかったユズの腕も離す。


「やはり火力が足らぬな」

「……」


 ユズにとってはテレポートで逃げるチャンスだったが、迂闊な真似はできない。

 反応や敏捷性でも相手に分がある。ここまでのやりとりから察するに、おおよそ十メートル。この程度は離れていないと、無詠唱テレポートを発動したとしても、発動しきる前に触られてしまう。


「というより貴殿の体力が無尽蔵だ。まるで不死のアンデッド、いや――永久機関というべきか」


 独り言ちるブーガを前に、冷静であろうとするユズだったが。


「体内回復しておるな?」

「……どうして」


 またもや見破られてしまい、思わず聞かずにはいられなかった。


「ずっと貴殿に触れていた。その小さな体の働きもよく伝わってきたよ」

「……」

「ただ、その中に若干――本当にほんの僅かだが、自己修復作用が感じられた」


 自己修復――肉体の急速な再生は、一部のモンスターが備えている。当然ながら人間には、いや全種族誰であっても真似できることではない。

 しかし種族のうち、唯一人間だけは、ある魔法により同等のことができる。


「無詠唱の聖魔法。それを体内に撃ち込むことで修復しておったのであろう? それも他者に気づかれないよう、絶妙の加減でだ」


 ブーガの不躾な視線がユズの裸体に刺さる。


「……変態」

「貴殿に触れ続けた私だからこそわかったことだ。ここまで暴かれたのは初めてであろう?」

「気持ち悪い。皇帝は、悪趣味」


 ユズは普段の無表情無愛想をあえて殺してまで、嫌悪と侮蔑を込める。

 一瞬だけブーガの気が逸れたのがわかった。見逃すユズではない。無詠唱テレポートを発動し――


 広場にはブーガだけが残った。


「ふむ。精神攻撃なら大した機転だ。ますます護衛には惜しい」


 取り逃がしたにもかかわらず、彼は愉快そうに含み笑いをする。


「普段からは想像もつかない表情の変化に、少女に似つかわしくない色香、そしてシンプルな暴言――よく鍛えられている。たしかに並の相手なら隙もできよう。私には効かぬがな。さて」


 ブーガの影が消える。

 それは広場の隅に出現し、一呼吸置いて「うわぁ!?」「こ、皇帝様!?」そばにいた傍観者達が気づく。


「戦闘は終わった。復興に当たるが良い」


 ブーガはその場から消えると、少し離れた地点に出現。兵士に声を掛けていくことを繰り返す。高速移動によるものだが、今度は風圧を生じさせなかった。


 一通り終えたところで、ブーガは広場の最も高い瓦礫の上に移動する。

 あぐらをかき、早速作業を始める兵士達を見下ろしながら、独り言ちる。


「王族専用護衛《ガーディアン》『近衛』――残念だが、あれは参考にならぬな」


 彼は先の戦闘に通じて、近衛のからくりにおおよそのあたりをつけていた。


「体内回復による永久機関を実現している。自然回復量が凄まじいのだろう」


 自然回復とは時間経過に伴う回復を指す。体力と魔力が対象であり、おおよそ一定時間ごとに最大値のXパーセントずつ回復する。

 Xの値は明らかにされていないが、小さな値である。また個体ごとに微差はあるものの、大差はない。


「私でも切り崩せないほどの回復量となると、考えられるのは二つか。最大体力が圧倒的であること。あるいは最大魔力が圧倒的で、聖魔法による回復を無限に行えること。シニ・タイヨウのリリースで傷付いたことを見れば、体力はたかが知れている。後者だ」


 ブーガは手を頭の後ろに回し、ぶちっと髪留めを外した。青い長髪が広がるかと思えば、その形は留められたままを保っている。


「私も魔力量にはひけを取らないつもりだったが、あれは異常だな。何より人生が浅すぎる。少女が到達できる境地では断じてない」


 直後、ブーガの青髪が重力に従って広がった。同時に、鎧のようになびかなかった衣服もなびき始める。

 広場には爽やかな潮風が流れ込んでいる。建物が無い分、潮の香りを強く感じる。


 ブーガは袖をつまみ、引っ張った。いとも簡単に千切れた。自身の発する衝撃波にも耐えていた服が、まるでただの布のような耐久性にまで低下している。

 これが本来の性能である。ブーガの服自体は、下級冒険者が着るような粗末なものでしかない。


「――混合種《こんごうしゅ》であろうな」


 ブーガは己の見解を呟いた後、空を仰ぎ見る。

 数秒の後、ふぅと諦念を宿した吐息を吐いた。


「私も復興を手伝うとしよう」


 引きちぎった切れ端で即席の髪留めをつくると、ブーガは瓦礫から飛び降り、兵士達に加わった。


 死者を多数出すほどの暴挙について問われたブーガは、国益のためと答えた。

 元々自ら平民として過ごしていることもあり、信頼は厚い。直接被害のない兵士達はすぐに気を許した。

 一方で、被害に遭った遺族や関係者は黙っていない。


 ブーガは幾度となく頭を下げ、彼らの暴力もすべて受け入れた。




      ◆  ◆  ◆




 ユズは念のため数カ所を経由した後、ようやく王宮地下――王族の私生活空間に帰還した。

 ログハウスのような内装に迎えられる。天井と壁には丸太が、床には芸術的な模様をした木目の板が敷かれている。貴族でも中々手に入らない稀少な木で造られていると聞く。


 在室は二名だけだった。

 動きやすそうなドレスを着た第四王女フユナ・ジーク・アルフレッドと、彼女によじ登られている筆頭執事ゴルゴキスタ。


「帰還」

「ご苦労。早速だが《《ルナ殿》》をお連れせよ」

「承知」


 勤務中の近衛に原則休みはない。ユズは早速テレポートしようとするが、「いちごー!」フユナに声を掛けられてしまう。


「ごくろー? いちごー? ……いちろー?」

「……」


 無垢な瞳を向けられるユズ。慣れていないこともあり、どうしていいかわからない。無表情のまま固まることとなった。


 まだ言葉足らずなフユナだが、紛れもなく王族である。しかもシキ王がべったべたに懇意にしていると来た。無下にはできないのはもちろん、下手なことをして機嫌を損ねるわけにもいかない。

 タイヨウのおかげで近衛の扱いは劇的に解消されたが、それでも王と従者である。

 俄然として体裁は存在し、粗相があれば罰されるのだ。


 それも罰は地味にいやらしいもので、労働時間の増加だったり第三王女の世話だったりする。後者が特に深刻である。


 困ったユズはゴルゴキスタを見る。

 彼は首を横に振った。そんな彼の顔に「ごーちゃ」小さな手がぺたりと割り込む。


「はい。どうしましたか」

「いちごーとあそぶの」

「……だそうだ。どうされる? ちなみにその件は王命であるぞ」


 この時点でユズの命運は決定した。シキの命令には逆らえない。かといってここで逃げ出せば、フユナは泣くだろう。

 そうなれば罰として、また第三王女を押しつけられるに違いない。


「本件を、優先」


 もっとも今はそれどころではない。ブーガの件、そしてタイヨウの件も報告せねばならないのだ。

 ユズはすぐに意識を切り替え、ゲートを唱えた。


 数分もしないうちに、ルナを連れて戻ってくる。

 時空の門から足を踏み入れたルナが状況を認識する前に、ゴルゴキスタが声をかけた。


「ルナ殿、お呼び立てして申し訳ない」


 ゴルゴキスタとは既に第一王女として顔合わせ済のルナだったが、その応対から状況を理解する。


「……執事様。こちらこそ、このような格好をお許しください」


 軽く会釈するルナは簡素な白シャツに茶色のワイドパンツ、といつもの農民服だった。

 一度頭を上げた後、今度は彼に抱かれた幼女を向いて、深く頭を下げる。


「お初にお目にかかります、フユナお嬢様。ルナと申します」


 フユナは見向きもしなかったが、ゴルゴキスタは小さな王女に悟られないよう器用に、しかし満足気に頷いてみせる。


 ここは他人行儀を通さねばならない場面だった。

 第一王女ハルナは行方不明扱いとなっており、ルナがそうであることはトップシークレットである。

 現状知っているのはシキ王、ゴルゴキスタ、そして五人の近衛のみ。他の関係者はもちろん、妹であるフユナとアキナにも知らされていない。


「ルナ殿。表を上げてください。もうじき国王様が来られる。それまではしばし、おくつろぎを」

「ありがとうございます」


 再度一礼した後、ルナは少し離れた所のテーブルから椅子を引く。椅子の足が地面にぶつかり、こんっと小気味良い音が響く。高級な木材特有の音だ。

 ルナが腰を下ろすと、ユズもその隣に着いた。


 手慣れたゴルゴキスタのあやしを見ながら、


「屈辱?」

「別に何とも思いませんよ。私が家出した後に生まれたわけですから」


 大して興味もなさそうなユズは、ゲートを複数唱えてキッチンと接続。遠隔で何やら準備し始めた。

 並の冒険者が見れば度肝を抜く器用さだが、ユズはルナの護衛でもある。近衛の凄さにいちいち驚いていたらきりがない。


「予想以上に愛おしくてびっくりはしましたけどね。抱っこしてみたいです」

「隠密《ステルス》使う?」

「泣いちゃいますよ」


 見えない人間に抱きかかえられるなど、幼児には恐怖でしかないだろう。


 会話は早くも途切れた。

 ルナがぼーっと眺めている隣で、ユズはてきぱきと準備を進める。王都の酒場で見るような大衆的な飲料と食器が並べられていく。


「……タイヨウさんはご無事ですか?」


 ユズの口が動いたのは、数秒の後だった。


「後で共有。国王様が来てから」

「わかりました」


 少なくとも肯定的な結果ではないのだろう。ルナはネガティブな思考を抑えるのに苦労した。


 程なくして「来た」ユズがシキ王の接近を察知したのか、テレポートでいなくなる。


「……」


 ルナは現実から逃げるように、その検出の仕組みに思いを馳せた。


 事前にシキ王とユズとで合図を決めておく。

 合図として、シキ王が所定の場所で所定の動作をする。

 それをユズが察知する――


 ユズ側が常時極小のゲートを張って監視しておく必要はあるが、これでシキ王側のアクションを検出できる。

 もっとも常時張るなど魔力的にも精神的にも信じられないことだが、そんなことをやってみせるのが近衛という存在だ。


 仮にこれを実現できれば、離れた相手との連絡手段としても重宝するに違いない。


 父親が来るまでの間、ルナはタイヨウとのやりとりを妄想するなどして過ごした。

第58話 鉄壁3

 王都の西で発生した戦線はオーブルーが優勢だった。

 元々|魔法師《ウィザード》の多い国である。対して防衛側、アルフレッドは多様な冒険者から招集されており、戦闘様式《タイプ》にばらつきがある。


「魔法で押せば勝てる――教皇様の仰るとおりだったな」

「王宮も司祭様が攻めてるし、アルフレッドの終わりも近いなこりゃ。【スーパー・ファイア・アロー】」


 灼熱の矢がアルフレッドの冒険者を貫く。内臓が焼かれる痛みは筆舌に尽くし難い。彼は絶叫の後に絶命した。


 人数比で言えばアルフレッド側の冒険者一人に対し、オーブルー側は七人。

 最初は死に物狂いだった魔法師達も、今は会話しながら戦えるほどに余裕があった。もはやなぶり殺しに近い。


「王都に行けたら自由に蹂躙していいんだろ? 人の虐殺って一度やってみたかったんだ」


 一人、また一人と蹴散らしていく。大地が赤く染まるペースもどんどん早くなっていく。


「あたしは男漁りかなー。小さい子は中々味わえないのよ」

「ぎゃはははっ、おっかねえな女だぜ」

「男っつーかガキだろ。何が楽しいんだよ? オレ達とやろうぜ」

「節操ねえなおまえら。娼館《しょうかん》行く金もねえのか?」

「うっせー、入れれば同じだろが」

「ぎゃはははは」


 青のフード付きローブで統一した集団の、そんな会話は恐怖でしかない。

 アルフレッド側は窮地そのものだったが、それでも歯を食いしばり、感情を押し殺して応戦した。そうするしかなかった。

 それが任務《ミッション》――この戦線に参加する際の条件だったからだ。


 逃げれば極刑または死罪と定められている。目前の相手よりも格上の機関が追ってくるのだ。まず逃げられない。

 たとえ高額な報酬につられた己を呪おうとも、冒険者達は戦うしかない。


「次はあたしにやらせなよ――【スーパー・サンダー・ボール】」


 嗜虐的な笑みを覗かせる女が雷の弾を放ち、当てた相手を一撃で感電死させる。それはこの戦線の戦力にしてはよく出来た魔法で、「おっかねえ」仲間の一人が思わず漏らすほどだったが。


「……え」


 格闘家《ファイター》らしき黒焦げ死体のそばに、いつの間にか上裸の大男がいた。


「なんだオッサン」

「肉体凄くね?」

「見かけ倒しに決まってるだろ」


 ローブの男達が舐めた態度を取る中、「あ、え……」雷弾を放った彼女はかたかたと全身を震わせる。間もなく、「ヒ……ヒイィィッ!?」悲鳴を上げながら後ずさった。


「なんだなんだ?」

「好みから外れすぎてんだろ」

「ぎゃはははっ」


 この中では実力的に強い立場であるはずの彼女は、そんな戯言など耳も貸さずに、ただひたすらに逃げている。

 後続の隊列もお構いなしにかき分け、取れたフードを被る余裕さえない。その表情は、命乞いをする弱者のように歪んでいた。


 そんな様子を見て、ようやく男達も異常事態を自覚し始める。

 一方、大男は呑気に嘆息しながら呟いた。


「こちらの戦力が少なすぎるのう。あのバカモン、ケチりおったか。ケチに戦は務まらん」


 言い終えると同時に、大男は拳を前に突き出した。

 いや、突き出していた。


 その場にいた者は誰一人として、目で追うことができなかった。

 理由は二つはある。一つは純粋にそのスピードに追いつけなかったこと。そしてもう一つは、凄まじい拳圧に潰されて即死してしまったこと。


 彼のパンチ一つで、少なくとも数百人の血が散らばった。


「う、うわああああっ!?」

「これはやばい! やばいやばい!」


 態度を変えて慌てふためき逃げ出すオーブルーの軍勢。

 平原に絶叫が響き渡り、戦陣も瞬く間に崩れていく。


「何してんだ早くどけよ!」

「あん? 何慌ててんだよ」

「バケモンがいるんだって!」


 彼らもまた冒険者である。はっきりと示された実力差を疑うほど愚かではない。

 眼前を立ち塞がる大男は、明らかに数で敵う相手ではなかった。


 もっともそれがわかるのは陣形の前衛だけだ。中衛はみっともなく逃げてくる前衛を鼻で笑っていたが、間もなく表情が凍り付く。


「あの男、見覚えあるぞ……」

「国王シキ――」

「剛腕のシキか!?」

「なんで出てきてんだよ!? 強者には竜人のペナルティがあるんじゃねえのかよ!」


 弱者の集団に強者が投入されない理由の一つがそれ――ペナルティであった。


「この前もダグリンの街を滅ぼした司祭様が粛正されたばかりだろ!? 種族の大量殺害はペナルティに接触する!」

「じゃあオレ達は安全ってことだろ?」

「何寝ぼけたこと言ってんだよ! じゃあなんで殺されてんだよ!?」

「竜人にも勝てるとか……」

「んなわけねえだろ! 教皇様も勝てねえ相手だぞ」


 青いローブの魔法師達は二極化していた。

 ペナルティがあるからと落ち着きを見せる者と、青ざめ震えている者。特徴と言えば、そのどちらもが酔ったかのように、あるいは何かを見て見ぬふりをするかのように言葉を交わしているところだろう。

 少なくとも正常でない様子は容易に見て取れた。


「この程度で取り乱すとは、まだまだじゃの」






 オーブルーの軍勢、おおよそ一万の兵力は《《わずか数分で》》沈黙した。


 その後、シキは生き残ったアルフレッドサイドの冒険者達に後始末の指示を出した後、王都に向けて疾走する。


「久しぶりのレベルアップじゃな。やはり人間を大量に殺す必要があったか。こんな機会、そうは訪れんからのう……」


 音さえも追い抜くシキの視界の先には、王都の高き外壁。そんな外壁よりも高くそびえる白い巨塔と、高い丘の上には大貴族達の邸宅や学園の校舎――


「ギルド本部も貴族も生徒も無事、というか手つかずじゃの。やはり直に来たか」


 よく見ると、ある一画から時折火の粉や炎の柱が出ている。


「あの嬢ちゃんか。あやつが来る前に手合わせしておくかの」


 西門に到着したシキは、警備に見えるよう少しだけ静止してから――百メートルはあろう城壁をひとっ飛びで越えた。


「【空中足場《エア・ステップ》】」


 王都内には降り立たず、空中を足場にしながら目的地へと向かう。シキは風圧を制御できるほど器用ではない。


 間もなく王宮の広大の敷地が見えてきて。

 宮殿を攻撃する緑ローブの少女も目に入った。


「おーおー、暴れとるの」


 シキは彼女に近寄れないでいる親衛隊のそばに着地する。自由落下に身を任せるほどお人好しではない。空中足場を蹴って加速をつけてからの着地だ。

 今度は風圧など気にしなかった。親衛隊はこの程度で吹き飛ぶほどやわではない。


「首尾は?」


 親衛隊は驚くことも無駄口の一つも叩くことなく、端的に状況を伝える。


「――ご苦労。親衛隊は全員この場から引き上げよ。うち半分は西の後始末を手伝え」

「はっ」


 早速親衛隊が散らばっていく中、灼熱を絶やさない緑ローブの後ろ姿から殺意が飛んでくる。


「ギラついとるのう。乙女が台無しじゃぞ」

「うるせえよ筋肉ジジ――」


 シキが拳を放つ。

 先の戦線でも使用した攻撃だ。それも拳圧ではなくダイレクトの打撃――当たれば無事では済まない。近衛はともかく、魔法師の人間が受けきれる威力ではなかった。


 しかし、アングリは後ろ手で受け止めていた。

 のみならず握力を加え、シキを拳ごと拘束する。そのパワーは魔法師の域を超えており、シキは動けない。


 逃げ場を失ったパンチの感性が地面に拡散し、陥没する中、シキの身体に高熱が流れ込んできた。


「ほう。体内で発熱しておるのか」


 シキは第一級冒険者の格闘家《ファイター》である。同格の魔法師ごときに力比べで負けるはずもなかったが、今はまったく振り解けそうにない。


「防御は第一級じゃから妥当なところか。異常なのはこの握力――さてはアタックアップをかけておるな。ワシが来ることも予期しておったのかな?」

「備えるのは当然だろうが。ほらほら、焼け焦げるぜ国王サンよ?」

「我慢比べか。よかろう」


 シキ王は握られた拳ごとアングリを引き寄せ、抱きしめる。相手を圧死させる殺人ハグだったが、空を切った。


「――お盛んだなオイ」

「見かけに反して慎重じゃのう」


 アングリはギリギリのところで回避していた。攻撃力は一時的に分があるとはいえ、防御はその限りではない。


 両者の距離差、おおよそ七メートル。

 アングリはわざわざフードを剥ぎ、にたりと嗜虐的な笑みを浮かべてみせる。


「焼け焦げるのが怖いんだろ? 所詮はただの馬鹿力、ただの捨て身だ」

「否定はせんが、ワシは自分が焦げきる前におぬしを殺せるぞ」

「チッ」


 心理戦は通用しないとアングリは悟り、無詠唱の炎魔法を連発し始める。対してシキは真っ向からの突撃を選択。

 アングリは距離を取らざるを得ない。回避優先で高火力の魔法を放ちつつ、


「【火炎空間《ファイアエリア》】」


 高熱の空間を設置していく。範囲は狭いが、その分高温だ。設置数を増やせば範囲もカバーできる。

 蒸し焼きのようにじりじりと追い詰めるつもりだったが、


「……クソが」


 高熱キューブが次々と消火されていく。近衛の無詠唱水魔法である。


「我がアルフレッドの護衛は優秀じゃろう?」

「ジジイが。男なら一人で勝負しやが――」

「戦争に男もクソもないわ!」


 ここでシキが全力という切り札を切る。


 声も乗るほど露骨な気合いの入った一撃が、アングリを襲う。

 跳躍の隙を突いた、絶妙のタイミングだった。


 回避できないと反応したアングリは、とっさに体内発熱の中心《コア》を両腕に移動させ、顔を防ぐ形でクロスさせる。これが彼女が繰り出せる最速の防御だった。


 予想に違わず、本日一番の衝撃波が発生する。

 その一部は空へと拡散され――王都内に轟音を轟かせることになる。

 敷地内は無事だ。近衛が惜しみなく魔法を投じ、地面や建物の表面すべてを保護したからである。それはアングリにさえもできない芸当であったが、近衛は既にアングリの攻撃すべてを同様に対処している。今さら驚くことではない。


「……う、そ、だろ?」


 にもかかわらず、アングリは言葉を失った。

 じんじんと痛む両腕も気にならないほどに。


 近衛さえ霞むほどの存在が、目の前にいた。


 身の丈2メートルほどの、人型の何か。

 全身は緑色の皮膚なのか、鱗なのかで覆われており、明らかに人間ではないが、そんなことはどうでも良かった。


「な、何を……しやがった……?」


 吹き飛ぶはずだったアングリが、何事もなかったかのように直立している。いや、瞬時にそうさせられたのだ。

 動きがほとんど見えなかった。接近に気付くことさえもできなかった。


 第一級冒険者として無双していた彼女は、いや、強者たる彼女だからこそ、即座に意識を切り替える。

 これには敵わないと。逆らってはいけないと。


 対して、向かいの大男は至って冷静だった。

 拳を引っ込めつつ、答え合わせを口にする。


「竜人が何の用じゃ」

第59話 鉄壁4

 第一級冒険者の戦闘に割り込んだ何か――シキに竜人と呼ばれた者が口を開く。


「即刻停戦せよ。従わぬ者には制裁を加える」

「……チッ」


 アングリは精一杯の虚勢として舌打ちをしつつ、その場にどかっと座り込んだ。

 無骨に仲裁人を見上げる。

 竜人の頭に髪の毛はなく、岩よりも固そうな頭皮が露出している。

 顔つきは人間と大差ないが、全身は緑色のぎざぎざした皮膚だか鱗だかに覆われていた。爬虫類のような不快感は不思議とない。


 不思議と言えば、全裸なのに胸の先端や股間部などデリケートな部分が見えないことだろう。まるでそういう器官が無いかのように平らだ。

 胸筋の付き方から男とわかるが、人間の性質が当てはまるとも限らない。


 アングリにそれ以上はわからなかった。


「それで、竜人が何の用じゃ」


 シキの質問にも応じず、竜人はしばし周囲を観察していた。

 その視線がほんの一瞬、ゼロコンマ秒よりもはるかに短い時間ではあったが、とある一点――近衛で止まったのをアングリは見逃さなかった。もっとも何を思ったかまではわかるはずもないが。


 じろりと竜人がシキを見る。シキに取り乱した様子は全くない。

 自分ならそうもいかなかっただろう。さすがは人生経験の長いジジイだけある、などとアングリは他愛ないことを考えていた。


 もはや戦意も憤怒も失せている。

 この竜人は、それほどの圧倒的な力を見せつけてきたのだ。


「詳細は後日伝えるが、新たな人間間《にんげんかん》協定を設けることにした」


 協定とは、世界の秩序を維持するために竜人族が設けた法規である。

 協定は多岐に渡り、種族間協定、種族内協定、国家間協定、国家内協定に分類される。人間間協定は種族内協定に属する。その名のとおり、人間という種族に限定した協定である。


「停戦という含意《ニュアンス》から察しはつくが、こっちは興ざめを食らっておる。説明義務くらいあろう」

「いいだろう」


 竜人はシキに対して話を続ける。アングリや近衛を向く素振りは一向にない。


「端的に言えば、四大国家――三国とギルド間における侵略および戦争行為の一切を禁止する」

「規模感はどうなんじゃ? たとえばオーブルーのとち狂った冒険者が我が国の村一つ――数十人の村落を壊滅させた場合も当てはまるのか?」

「詳細は後日質問していただきたい」

「ならこれだけは答えよ。ギルドは国家ではないにもかかわらず、おぬしは四大国家と述べた。ギルドも国家として扱うと考えて良いのか?」

「相違はない」


 アングリはその説明の意味を理解していた。

 元々ギルドは国家ではない。三国でも敵わないほど巨大な冒険者組合、つまりは大組織という位置づけだ。

 このような非国家主体は異世界ジャースにおいては珍しくはない。人間はともかく、他種族ではむしろ国家という形態の方が珍しいこともある。


 そのギルドが国家に認定される――。


 それはすなわち、ギルドも国家協定の適用対象になってしまうことを意味していた。もっと言えば、三国を凌ぐギルドでさえも従わせる力を竜人族は持っている、とも。


「……」


 なぜこのタイミングなのか。

 アングリは疑問を抱かずにはいられない。


 戦争といってもまだ初期段階である。オーブルーがやったことと言えば、陽動として王都リンゴを西から一万の部隊で攻めたこと、そして自分含む幹部が直接王宮に乗り込んだことのみ。


 彼らは人間の些細な営みなど気にしない。世界が目に見えて変わるほどの被害が想定されない限り、動かないはずだ。

 あるいは今後そうなると考えているのか。


「アングリ・オストワルド」


 突如、名を呼ばれたアングリ。どう返していいかわからず、緑の背中に視線だけを刺した。


「停戦の旨、自国に伝えよ」


 その言葉を最後に、竜人は姿を消した。


「当然のように無詠唱テレポート。半端ねえな……」


 アングリが放心気味に呟く中、シキは早速親衛隊を呼び寄せ共有しているようだった。

 その後、すぐに近衛とともに宮殿に入る。その背中に警戒の二文字はない。隙だらけであったが、さすがのアングリもここで手を出すほど愚かではない。


「わあったよ。すぐ消えるっつーの」


 集まってきた親衛隊の視線を払うかのように手で扇《あお》いだ後、「プロテス!」テレポーター役の幹部を呼ぶ。

 近くにいたようで、プロテスは秒で現れた。

 アナバもセットでついている。近衛を突破できなかったからだろう、ふて腐れている。


「竜人が廃戦協定を出すってよ。帰るぞ」


 こうしてオーブル-幹部による王族狩りは幕を下ろした。


 近衛の貢献は非常に大きく、親衛隊はともかく敷地内の損傷は皆無に等しかった。




      ◆  ◆  ◆




 王宮地下に設けられた王族私生活空間の一つ、ログハウス風の部屋には高貴な顔ぶれが揃っていた。


 高級木材でつくられたテーブルの片側には現国王シキ。その膝上ではフユナがよしよしされているが、本人は少し嫌そうである。

 向かい合って座るのはルナだ。その左右にはユズとゴルゴキスタが直立している。

 明らかにルナを第一王女ハルナとして扱った配置だった。シキ自らがフユナに隠す必要はないとしたためである。


「――タイヨウさん。大丈夫でしょうか」


 ユズの説明を受けて、ルナが目を落とす。


「心配あるまい。あやつなら生きとるじゃろ」

「皇帝ブーガが一目見て諦めるほどのモンスターですよ!?」


 淡々と言ってのける父親を前に、ルナは思わず立ち上がったが、それでも温度差は変わらない。


「どのみちワシらが干渉できる場所ではない。ユズを捨て駒にしたいのなら別じゃがな」

「それは……」


 自分達に為す術が無いことくらいわかっている。

 国王にふさわしい落ち着きぶりを前に、ルナの沸騰も急速に冷めていく。どかっと乱暴に腰を下ろす辺り、まだまだ子供だが、シキは咎めなかった。


「幸いにも|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》――第90階層は、遠征隊の目標階層でもある。帰還を待つんじゃ。ゲートさえ繋がるようになれば、どうとでもなる」


 閉口するルナの前に、ゴルゴキスタが木製のカップを置く。とくとくと注がれるのはミルクリの汁だ。

 純白の液体と美味しそうな湯気がルナの視界を潤し、濃い味を連想させる匂いが鼻腔を刺激する。


「ありがとう」


 ルナはじっくりと味わいながら、しばし傾聴に回ることにした。


 タイヨウの話題はあっさりと終わり、シキ王の興味はユズの対戦相手に移っていた。


「ダグリンのあほんだらはどうじゃった? 速かったろう?」

「完敗。振り切れたのも、運が良かっただけ」

「仮に護衛対象がフユナだとしたらどうじゃ? 守れたか?」

「……否定」

「じゃろうな。いずれ対応が必要とは思うとったが……そういう意味では、最初がタイヨウ殿で良かったのかしれん」


 規格外の守備力を誇り、無詠唱テレポートさえ使いこなしてみせる近衛でも敵わないほどの相手――

 ルナにはまるで想像がつかなかった。


「この件は後日、改めて共有してもらう。ゴルゴと一緒に資料化しておけ。事実と考察、ともに盛り込むように」

「承知」

「国王様。この後はどうされるおつもりで?」


 ゴルゴキスタが声を掛けると、シキは嫌がるフユナを抱えて立ち上がる。


「戦争は終わりじゃ。竜人が介入してきおった」


 しれっと爆弾発言を落とすシキ。

 ルナは思わず手に持ったカップを落としたが、ユズがすかさず魔法でキャッチし、事なきを得る。「ありがとうございます」「無問題」二人が気さくにやりとりする間も、シキは迅速に指揮を取る。


「本件はおぬしに一任する。その気になっとる貴族もおるじゃろうから、広く伝えてしまうのが良いじゃろうな」

「かしこまりました。して国王様は?」

「野暮用がある。ユズ、五号《ライム》を呼べ」

「承知」


 ユズがテレポートで消えた後、シキは父親の顔を浮かべて四女との交流をはかる。


「ごーちゃがいいっ!」

「フユナぁ……」


 爽快な一蹴であった。

 そんな気の毒な父親を眺めつつ、ルナはゴルゴキスタから説明を受けていた。


 曰く、国家間の戦争を禁止する協定が新たに設けられるだろうとのこと。


 言い方を変えれば、戦争という特殊な状況は完全に潰える。協定は竜人によるものだ。何人も逆らえやしない。

 これはアルフレッドの貴族も例外ではなかった。既に水面下で策謀を練り、行動しているであろう彼らの思惑も、早々に打ち砕かれることを意味していた。


 余計な混乱と損害を防ぐため、王命という名の厳命をもって一切の活動を停止させておけ、と。

 父親はそう命令したのだとルナはようやく理解が追いついた。


「ゴルゴさん。色んなことが起きすぎて頭がついていけないんですけど……」

「良い鍛錬になりましょう」


 ルナがゆくゆくはアルフレッドを牽引するであろうことは彼にも共有されている。ルナにとってゴルゴキスタは、執事であるとともに教師でもあった。


「他人事だと思って……。ていうかゴルゴさん、フユナに懐かれてません?」


 シキの手に収まるフユナは、父親のことなど見向きもせずこちらに手を伸ばしている。「ごーちゃ! ごーちゃっ!」かなり熱烈だ。


「もったいないことです」

「どうやってあやしてるんですか? ちょっと見せてください」

「お断り致します」

「王女の命令です」

「命令に従うかどうかは私が決めます」


 ゴルゴキスタは唯一の筆頭執事である。

 筆頭執事の表面的な階級は上位階級――貴族と同等であるが、実際は違う。極秘事項ではあるが、筆頭執事は最上位階級つまりは王族と同等であった。


「けち」

「けちで結構」

「お父様に言いつけますよ?」

「ご自由にどうぞ。それでハルナ様の気が晴れるなら、私としても実に喜ばしいことです」


 そんな風にルナが執事で気を紛らわせていると、ユズが帰ってきた。


 近衛五号――ライムを引き連れている。

 金髪で、少女にしては小さな体躯で、相変わらず無表情無愛想。そして一切の服を着ていない。

 容姿はユズと見分けがつかないが、前髪に髑髏のピンが四つほどついていた。ちなみに一号であるユズが無印で、二号からは一つずつピンが増えていく。


「ハルナ以外はワシについてこい」

「お父様? それってどういう」

「ユズ。『デーモンズシェルター』へ迎え。ライムは現地に着き次第、全員を隠密《ステルス》にせよ」

「承知」

「承知」


 ユズ、ライムと続けて聞くと微妙に声音が違うのがよくわかる、などと思ったルナだったが、すぐに頭を振って、


「私だけ置いてけぼりってどういうことですか?」

「ユズもすぐに返す。予定どおりハルナは入学の準備をせい」

「デーモンズシェルターって遠征先のダンジョンですよね。一体何を――」


 消失をもって一蹴されるルナだった。


「ああもうっ、またのけ者!」


 ルナの叫びと地団駄が部屋内に響いた。


 彼女は地味にストレスを溜めていた。

 王女としての教育は既に進行中だが、父親も筆頭執事も多忙の身。意味もわからず中断や放置を食らうことが多かった。

 加えてタイヨウとも会えていないどころか、ダンジョンの奥底に放置されたと聞かされたばかりだ。黙っていられるわけがない。


 しかし彼女は無力である。どうすることもできやしない。


「……だからこそ、私は私にできることを」


 ルナは深呼吸して自らを落ち着かせつつ、ミルクリの汁をお代わりする。

第60話 鉄壁5

 ダンジョン『デーモンズシェルター』はジャース大陸中央部の北、日本で言えば富山県と新潟県の境界あたりに位置する。


 このあたりは草一つ見当たらない荒れ地であり、ひび割れた地面と所々に点在している丘のような岩くらいしかない。

アルフレッドの領地ではあるものの、村はおろか人さえもろくに通らない地域であった。


 唯一の例外は、一カ所だけぽっかりと大穴が空いたエリアだ。

 この穴はデーモンズシェルターの入口であり、直径は三十メートル、深さは五メートルほど。

 モンスターが出てくる心配はないため、周囲にはテントや露店が並ぶ。


 ここはアルフレッドが独占的に探索できるダンジョンであった。

 中層まではマッピングも完了しており、経験値、アイテムともに格好の狩り場だと言える。王都にも負けない賑わいが昼夜続く場所でもあった。


「まだ遠征隊は帰っとらんの」


 シキ達は隠密《ステルス》をまとったまま、《《大穴を見下ろすように浮いていた》》。

 近衛五号――ラウムの風魔法による見えない足場である。同行しているゴルゴキスタとフユナも抵抗感無く受け入れている。ちなみにユズは既に退散済だ。


「第88階層は突破しております」

「あと2階か……まあええじゃろ。これから何をするか説明する」


 シキはおもちゃにされていたライムからフユナを剥がし、自らの胸に収める。フユナは暴れて抵抗していたが、父親の雰囲気を悟ったのかおとなしくなった。


「フユナの出番じゃ」

「……誰かをお捜しで?」

「左様」


 老練で聡明なゴルゴキスタはともかく、ライムはピンと来ないようで首を傾げた。


「本件は特級機密とする」

「承知」


 他の近衛や王族にも共有禁止である旨をライムは理解し、深く頷いた。


「ユズが|あほんだら《ブーガ》から逃がしたタイヨウ殿は、ここの第90階層におる。あやつのことじゃ、まず間違いなく生きておる。そのうちここから出てくるじゃろう」


 シキ達の眼下では、検問エリアの騎兵隊が慌ただしく働いていた。

 入口と出口、二種類の領域が設けられ、入口エリアでは身分確認を、出口エリアでは税《アイテム》の徴収を行っている。

 ちょうど大規模なパーティーが帰還した直後のようで、戦利品がずらずらと地面に並べられ、鎧を来た兵士らが確認にあたっていた。


「タイヨウ殿はハルナの糧となる男であると同時に、第一級指名手配に恥じない力も持っておる。手放すわけにはいかん」


 シキの声量は遠慮のないものであったが、他者に漏れることはない。ライムによって遮音フィールドが張られているからだ。


「ところがじゃ、タイヨウ殿はこれ幸いとワシらを裏切るじゃろう」

「……意外ですな」

「あくまでワシの見解じゃがな。ゴル、おぬしはどう見る?」

「私の印象では、力を持て余した少年――といったところでしょうか」


 タイヨウは実年齢も見た目もアラサー水準であったが、二人から見ればまだまだ若輩者の域である。


「第一級指名手配という重荷に真正面から刃向かうほどの気概があるとは思えません。彼の内心ははかりかねますが、当面は我らの庇護下に甘んじるしかないと考えます」

「その気概を身に付けるやもしれぬ」

「第90階層で、ですか」

「おそらくの」


 ゴルゴキスタもライムも、大穴を見下ろしていた。

 否、その先――第90階層に思いを馳せているのだろう。ダンジョンに対する好奇心は、冒険者はもちろん、強者であれば例外なく抱く欲求である。


「タイヨウ殿は賢い。ワシらの介入を見越して、ここを出る際に何らかの小細工をかける可能性はある」

「そうでしょうか。検閲があるゆえ、身分詐称や荷物への紛れ込みは難しいでしょう。かといってゲートを行使するほどの魔力は無いと聞きますし、そもそもこの辺りには結界を張っております」


 冒険者に脱税されないよう、アルフレッドはダンジョン浅層に結界を張っている。これを超えてゲートが行えるのはユズクラスだけであり、事実上完璧に機能していると言って良い。

 無論、そんな結界の維持には膨大なコストを要するが、それでも余裕で元は取れている。数多の冒険者を相手にした脱税対策には、それほどの価値があった。


「ならばどうする?」

「強行突破するのが自然かと」

「そうじゃな。タイヨウ殿が独特の思考を持っておるとはいえ、ワシの買いかぶりかもしれん」


 何の捻りもないゴルゴキスタの見解に、シキも渋々納得してみせた。


「が、強行突破はそれはそれで厄介じゃ。タイヨウ殿の底は正直見えとらん」

「我らでも止められない、と?」

「《《おぬしはともかく》》、ワシには無理じゃろうて」


 傍観していたライムが思わず目を見張る。

 直後、失態だったと自覚して真顔に戻った。当然第一級に気づかれないはずがなく、シキはおかしそうに苦笑する。対して、ゴルゴキスタは何の反応も示さなかった。


「もし強行突破だとしたら、力のぶつかり合いになる。対処はその時に考えるしかない。問題は、ワシの買いかぶりが正しかった場合――つまり強行以外の手段でここを突破される場合よ。そのためにフユナがおる」


 シキはフユナを両手で持ち、優しく眼下に向けた。


「フユナよ。凄い奴がおったら、遠慮なく言うんじゃぞ?」

「ごごー? ごーちゃ?」

「五号《ごごー》よりも|ゴルゴキスタ《ごーちゃ》よりも凄い奴じゃ」

「……納得」


 ライムもようやくシキの意図を理解する。


「ライム。回答してみい」


 タイヨウに近衛制の改善を打診されて以来、シキは近衛を――体裁上問題がないシチュエーションに限るが――友人のように扱っている。

 名前で呼ぶのもそうだし、ハルナと同様、こうして勉強の機会を与えることも少なくなかった。


「フユナ様は、実力察知《オーラ・センシング》の持ち主。タイヨウ様の外見がどうであれ、接近されたら気付く」

「そうじゃ。では、ユズではなくおぬしを選んだ理由は?」

「ユズは、タイヨウ様に肩入れしすぎている。論外」

「もう一つあるぞい」

「タイヨウ様は、いつここから出てくるかわからない。フユナ様が寝ている時は盲点。これを潰すのが自分」

「正解じゃ」


 シキはライムにフユナを渡した。途端、フユナは顔を綻ばせライムに抱きつく。

 その変わり身はあまりに露骨で、受け取ったライムが思わず主の顔色をうかがうほどだった。


「良いかライム。ウェイクフルネスはフユナとおぬし自身にだけ使え」


 ウェイクフルネスとは注意資源――判断力や注意力を回復させる魔法である。

 アルフレッドではライムにしか使えない、レア中のレア魔法でもあった。


 注意資源は睡眠でしか回復させることができない。それでありながら、どんなに強い人間でも数日程度で枯渇し、万一枯渇してしまえば『廃人』と呼ばれる植物状態に陥ってしまうという厄介な性質を持つ。

 ゆえに睡眠の確保は冒険者にとって死活問題であり、タイヨウなどソロ活動が推奨されない理由もここにあった。


 ウェイクフルネスがあれば、この制約を無視できてしまう。

 早い話、何日も眠らずに活動し続けることができるのだ。


 もっとも回復したいだけなら『エリクサー』など超稀少回復アイテムを使う手段もあるが、王族でさえ滅多に手に入らないブツである。おいそれとは使えない。


「……承知」


 幼い愛娘を寝かせることなく働かせる――。

 ライムはフユナをあやしつつ、この任務の重要性を改めて噛みしめた。

第61話 イレギュラー

 アルフレッド遠征隊はダンジョン『デーモンズシェルター』の第89階層を踏破しつつあった。


 フロアの壁や天井には鋭利な水晶が敷き詰められている。

 この水晶は硬度も尋常ではなく、吹き飛ばされでもしたら怪我では済まないが、パーティーは全員無事でいた。

 無論、無傷で乗り切れるほど甘い階層でもない。出血量で換算すれば、既に銭湯の大浴槽を容易く埋められる程度には出ている。


「ミライアさん。回復魔法師《ヒールウィザード》の調子は?」

「問題ありません」


 先頭を《《走る》》ラウルが状況を問い、隣を並走する神経質そうなメガネの男――ミライアが答える。


「|要人待遇者《VIP》の精神状態は?」

「モンスター学者、アイテム学者、マッパーともに一名ずつが使い物にならなくなっています。水晶に貫かれた時の痛みに恐怖しているようです」

「そうか」

「フォロー致しますか?」

「しなくていいよ。本番も近い」


 二人の応対は実に淡々としていた。

 冒険者は苦痛に慣れている。回復魔法で速やかに治せるからだ。特に遠征隊ほどのメンツにもなると、身体を貫通されたり切断されたりといった経験を有する者も多い。

 そして、この遠征では、そういうことも起こりうると事前に説明されている。


「……行き止まりだ」


 走っていたラウルとミライアが停止する。

 壁には直径十メートルほどの大穴が空いていた。その先には水晶の光が届かず、闇が広がっている。


「マッパーを呼んでくれ。階段かもしれない」

「……穴に見えますが」

「僕の脳内マップを俯瞰してみた限りだと、ここが怪しい」


 二人が話している間も、後続を走っていたメンバーが次々と歩みを止める。中には要人待遇者を運んでいる者もいたが、息は切らしていない。


「かしこまりました」


 ミライアは後方へと飛んでいき、程なくしてマッパー全員を風魔法で運びながら戻ってきた。


 ラウルは早速マッパー達に議論を行わせ、この穴が下階への通じる階段との結論を得ると、すぐにパーティー全員を召集した。

 大穴から少し離れた地点で夜営――ちなみにダンジョン内での陣営は常に夜営と呼ばれる――を張り、ラウルとアウラを中心とした円陣を組む。


「皆、よく頑張ってくれた。おかげで無事スタートラインに立つことができた」


 背中に二本の大剣を携えたラウルが、リーダーらしい立ち姿と声量で話す。これを取り囲む冒険者も半数以上が腰を下ろしており、会話するほどの余裕が見られる。


 一方、回復役としても大活躍したアウラはぐったりしており、ラウルの足にもたれかかっていた。


「ここから先が本番――第90階層だ。|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》と呼ばれている。噂をどこまで信じていいかは怪しいけど、これまでとは違うと聞く。実際そうに違いないと僕は今確信した。あれを見てくれ」


 ラウルがオーバーなジェスチャーで大穴を示す。


「あのような穴が階段として機能していることから、異質さがうかがえる」


 ダンジョンの階層間を繋ぐ通路は階段と呼ばれ、文字通り段と段から成る階段で構成されている。階段を見るだけで、上階または下階に繋がっているとわかるのだ。

 これは冒険者にとっては自然法則レベルの真理であり、当たり前すぎて疑うことすらしないことだった。


 そんな常識が通じないケースが、例外が、目の前にある――

 そうラウルは強調している。


「というわけで万全を期すよ。ここから先は第一級だけで望み、それ以外の者には帰ってもらう。エリー、多段ゲートはどうだい?」

「はーい、問題ありません」


 ツインテールの快活そうな少女が手を挙げながら答えた。


 多段ゲートとは、ダンジョンに設置した中継ポイントを経由するゲート手法である。


 ゲートはA地点とB地点と行き来する門をつくる魔法だが、ダンジョン深層など深すぎる場所には届かない。

 地上であれば大陸の端から端まで移動できる瞬間移動魔法も、ダンジョンなど地下には弱いのだ。これは地下には魔子《まし》の薄い層があるからだと考えられている。


 さて、多段ゲートであるが、これは言うなれば地上と地下89階をダイレクトに繋ぐのではなく、地上と50階、50階と70階、70階と89階という風に、多段で行き来するやり方を指す。


 その際、重要となるのが『中継ポイント』だ。

 ゲートでは現地点Aから目標Bに移動する際、B地点の風景をある程度鮮明に思い出せねばならない。

 一方、ダンジョンは山中のように似た景色が多くて区別が付きにくい。また家や職場のように何度も足を運ぶ場所でもない。ゆえに覚えづらく、ゲートをつくりにくい。

 加えてダンジョン自身が微妙に変形したり、モンスター等が暴れて地形が変わったりすることもある。


 そこで中継ポイントとして、思い出しやすく地形変化もしづらい場所を確保するのである。単に探して見つかる場合もあれば、魔法などで壁や地面を掘削したり、冒険者を数人ほど残して監視させることもある。


 アルフレッド遠征隊も今回の遠征中、要所要所で中継ポイントをつくってきた。その総括を努めるのがエリーであった。


「ラウルさーん。スナップショットはどうします? できれば撮っておきたいんですけどー」


 続いて手を、というより翼を挙げたのは小柄な鳥人の少女だ。


「ハイネさん。悪いけど諦めてほしい」

「ほんの入口だけでいいんですけどねー」


 ハイネが鉤爪《かぎつめ》のついた指で丸をつくり、ラウルを覗き込む。

 彼女は現代でたとえるとカメラマンであり、タイヨウの顔を撮った張本人でもある。この功績が買われて、今回遠征隊に参加していた。


「死んでもいいなら構わないよ。君まで守る余裕はないかもしれない」

「そんなもんですかねぇ……」


 呑気に首を傾げるハイネに、いくつかの冷たい視線が刺さる。


 ハイネは情報屋ガートンの所属である。

 そこそこ強者であることは証明できているが、この先はラウルの言うように異質である可能性が高い。もしかすると第一級未満が一瞬でやられるほどの理不尽が横たわっているかもしれないのである。

 常に最悪を考えるべき冒険者なら身を引いて当然だが、本業が情報屋の彼女はピンと来ないのだろう。

 その意識の差が、冒険者サイドには腹立たしいのである。


「わっかりました。おとなしく帰りまーす」


 ハイネがびしっと敬礼してみせた、その時だった。


 大穴の向こう側から何かが浮き上がる。ずし、ずしと重そうな足音とともに、それが近づいてくる。


「アウラ」

「わかっています」


 ラウルの足にもたれていたアウラも、その場にいた冒険者も、全員が即座に臨戦体勢に入った。

 異質な穴から何かが接近している――ただ事でないことは明らかだ。


 間もなく姿を表したそれは、五メートル以上の体躯を持つ青白いモンスターだった。

第62話 イレギュラー2

 下階へと続く大穴から出てきたのは、一体の怪物だった。

 体長五メートルほどの青白い肉体が微かに発光している。背中には漆黒の翼を生やし、頭には見るからに硬そうな角を構え、口には冒険者など一瞬で両断できそうな牙がむき出しになっている。


 ダンジョンを冠した単語から考えても、これが悪魔であることは一目瞭然だった。


「防御最優先《ディフェンス・ファースト》で行くよ。ミライアさん。ハイネも」


 ミライアはメガネの奥の細目をカッと見開き、「【実力検知《ビジュアライズ・オーラ》】」ステータスを見る魔法を唱えた。

 同時に、モンスターの正面に飛行する影が一つ。鳥人少女のハイネである。


「【|記憶の瞬間保存《スナップショット》】!」


 彼女の詠唱とともに、カメラのようなフラッシュが焚《た》かれた。


「ステータスは?」


 いつの間にか背中の大剣を抜いていたラウルが問う。


 ミライアの応答は少し遅かった。


「……まずいですね。カンストしています」

「やはりか」


 冒険者達の顔に動揺が表れる。


 カウンターストップ――通称カンストとは、何らかの手段で数値化したステータスが見えないことを意味する。

 人類はまだステータスの仕様を解明しきれていないが、現在のところ見えない原因は一つしかない。


 実力差である。


「だ、第一級クラスってことか……」

「89階だぞ? 出てもおかしくはなくね?」

「そうじゃねえだろ! ラウルとアウラより上ってことじゃねえかっ!?」


 実力差とはレベル差――もっというとランクの差であり、カンストはおおよそ行使者より2以上ハイランクの相手に生じることが知られている。

 ミライアは第三級冒険者であるが、第一級のラウルとアウラのステータスは何度も見ている。にもかかわらず、このモンスターのステータスは見えないのだ。


「皆、落ち着くんだ。何かがおかしい」


 彼らは平然と会話を交わしているが、決して油断しているわけではない。

 戦闘中の意思疎通も会話で行うしかないため、冒険者には会話しながら戦うというマルチタスクが求められる。遠征隊ほどのメンバーにとっては、それこそ呼吸のようなものであり、集中力には何ら影響しない。


 そんな中、当のモンスターはというと、ずしずしと重たい音を立てて歩いていた。太い両手両足による四足歩行である。

 冒険者達は目に入っていないのか、一瞥する素振りさえない。


「アウラはどう見る?」

「たぶん90階のモンスターじゃないかな。ここでエンカウントしていいはずがないんだけど」


 ダンジョンもまた謎に包まれた存在だが、難易度は階層に応じて段階的に上がることがよく知られている。

 またモンスターが階層を超えて移動してくることも基本的にない。


 異常事態《イレギュラー》は、ありえないとされている。

 仮に起こったように見えても、冒険者が引き起こした事故であることが多い。

 たとえば初見殺しなど単なる知識不足、撤退パーティーに群がる|モンスター行列《パレード》、著しい地形破壊による階層間の導通――


 ここは未踏破階層であり、別の冒険者はいないはずである。

 実際はユズに連れてこられたタイヨウがいるわけだが、彼らに知る由はない。


 ともあれ、そんな異常事態が実際に起きているのだ、とアウラは言っているに等しかった。

 ここまでラウルとともに最も活躍した第一級魔法師の言葉だ。冒険者達に更なる緊張が走り、少しだけ身を固くした者もいて「落ち着くんだ」ラウルがすかさずフォローを入れる。


「ミライアさんは?」

「交戦の意思は無いと思われます」


 戦闘力は高くないが聡明で何かと役立つミライアは、瞬きもせずにモンスターを凝視している。


「僕も同感だ。皆、このモンスターに道を開けるんだ。絶対に刺激してはいけない」


 ゴリラのように、あるいはゾウのようにのんびり歩く青白い巨体。依然として周囲の敵を気にする素振りさえ見せない。


「プライドが傷つくのもわかっている。でも、絶対に手を出しちゃダメだ」


 モンスターは排他的であり好戦的であるはずなのに。

 この青白い巨体は、目前の侵入者達を無視している。敵とさえ認識していないのである。


 優れた冒険者なら、いや優れているからこそ堪える反応だった。


「……」


 誰もが悪魔に目を奪われる中、ミライアの視線はラウルに向いていた。

 大剣を握る手は、微かに震えている。


 ミライアは長らく王女ナツナの側近を務めていた。

 ラウルとナツナの戦闘も目撃している。ラウルはナツナの挑発に乗り、あっけなくチャームの餌食となった。それを助けたのがアウラだったが、彼の有様はとても大陸随一の剣士らしからぬものだった。


(ラウル様は精神的にもずいぶんと成長なされた)


 一見すると好青年のラウルだが、その本質はプライドの高いナルシストである。冒険者にはおおよそ向いていない資質であり、第一級どころか第二級に至ることさえ絶望的なハンディキャップと言えた。

 にもかかわらず彼は、変えることのできない弱点を抱えたまま、こうして耐えている。隠している。


(相手が悪いと言えば、ナツナ様を倒した彼も気になる)


 シニ・タイヨウ。

 王女ナツナのおもちゃになってしまった憐れな男。レベル17程度のしがない第四級冒険者。


(あの圧倒的な耐久力は近衛にも通じるが、問題はそこじゃない)


 近衛という実例がある以上、並外れた耐久力があっても何ら不思議ではない。

 この世は秘密の工夫に満ちている。ミライアは中毒ともいうべき読書家であるが、だからといって全てのからくりがわかるはずもない。


(ナツナ様のプライベートルームを消し去り、近衛も突破し、王宮から逃げ切った――ラウル様でもできまい)


 シニ・タイヨウは一体どんな工夫をもって第一級指名手配犯と化したのか。


 通常ならミライアも思索を働かせるところだが、その気にはなれなかった。

 彼はシニ・タイヨウを間近で見ている。実力検知を通して、レベルがたったの17であることも知っている。

 だからこそ、こう評するしかない。


 工夫の次元を超えている、と。


「現実は小説《フィクション》よりも奇怪なのかもしれませんね」

「あん? なんか言ったかメガネ?」

「いえ。独り言です」


 粗暴なメンバーからの声で、ミライアは意識を切り替えた。


 それからもパーティーは悪魔の闊歩を見送り、姿が見えなくなってからも様子見を続けた。

 十数分ほど置いて問題無しとわかったところで、ラウルの言う通り解散となった。






 討伐隊解散後、場に残った冒険者は二人だけだった。


「久々に大暴れできそうだね」


 そのうちの一人、ラウルが大剣を小枝のように振る。風圧だけで正面の壁が深くえぐれた。


「さっきの怒りが嘘のようね」

「君こそ僕の足にもたれるほど疲れたんじゃなかったのかい?」


 アウラが土魔法を唱えると、えぐれた壁がみるみる修復されていく。修復の精度もスピードも、魔法師が見れば目玉が飛び出るほどのクオリティである。


「ラウルが酷使するからでしょ」


 そんな彼女の横顔に疲労の二文字はない。余裕さえ見て取れた。


「仕方ないよ。回復魔法で押し通すのが基本にして無難だからね」

「人を魔力タンクみたいに……」

「鬱憤なら今から晴らせばいいさ」


 第一級冒険者である二人はあえて演技をしていた。十分な余力を残しながらも、それなりに苦戦する風を装ったのである。

 理由は単純で、強さを顕示してもろくなことにならないからだ。


 今はまだアルフレッド王国に腕を買ってもらっている程度だが、度が過ぎれば脅威とみなされかねない。


 今はまだ人間という脆弱な種族の範疇だが、度が過ぎれば他種族の強者に目を付けられかねない。


 出すぎた杭は打たれる――

 冒険者の、言わばスター街道を突っ走ってきた二人だからこそ、身に染みていることだった。


「それで剣士さん。カンストに対して、勝算はあるのかしら?」


 早速大穴へと飛び込むラウルの背中を、アウラが追いかける。


「あれはカンストじゃないよ。フェイクだ」

「フェイク?」

「まだ知られてはいないだろうけど、ステータスの数値化を防ぐ魔法の存在が確認されている」

「初耳なんですけど……」


 人並の足音を立てながら暗闇を歩く二人。第一級レベルにもなれば、もはや視力など付属品にすぎない。


「あの悪魔は通り過ぎる時、一瞬だけ僕と君の方を向いてきた。見えてたよね?」

「……」

「魔力ばっか鍛えてると足元救われるよ?」

「さりげなくマウント取ってくるのやめてもらえる?」


 暗くて見えないが、アウラは微かに歯噛みしていた。

 攻撃と防御はともかく、動体視力にも通じる敏捷性についてはラウルのひけを取らない自信があった。にもかかわらず、いつの間にか差がついている。

 それにフェイクなどという魔法も聞いたことがない。


「……ラウルの言いたいことは理解しました。ステータスに大差はない、そういうことですね」

「ああ」


 話題を仕事に変えつつも、杖を握る手に力がこもるアウラだった。


「……長そうだな。走るか」

「そうね」

「ついてこれるかい?」

「いちいちイラッとする物言いね」


 直後、二人は新幹線顔負けの速度で闇を駆けていった。


 大穴は無駄に長く、まるで入口側の89階層と距離を取っているかのような設計思想が感じられた。

 ダンジョンは不思議に満ちている。この長い通路にはどんな意図が秘められているのか――

 ラウルとアウラはしばし己の想像を楽しんだ。


 程なくして終点に辿り着く。

 若干の明かりが差し込んだ、半径三メートルほどの小部屋だった。天井はべらぼうに高く、数十メートルはある。


 よく見ると、さらに空間が続いているようだ。


「この上が第90階層だろうね」


 ラウルとアウラは迷うことなく跳躍し、ひとっ飛びで越える。

 着地先は何の変哲もない洞窟の内装であったが、そこにパッと何かが出現した。

 先ほどの青白い肉体が、計四体――


「……やばくね?」

「口調が崩れてるわよ」


 ラウルを指摘しつつ、アウラも思わず冷や汗を流す光景だった。

 この悪魔はたった一体のボス格という認識でいたが、偏見だったと自覚せざるを得ない。


「アウラも見たよね? 平然とテレポートで来たよね?」

「テレポートなら私も使える。さして珍しくはないわ」

「いやいや」


 テレポートは第一級相当の高度な魔法であり、第一級の魔法師でも習得できるかどうかわからないほどの難度を誇る。

 余計な注目を防ぐためアウラも普段は隠しており、彼女が行使できることはラウルなどごく一部しか知らない。


「魔法面でも相手に不足なしとわかったわね」

「笑い事じゃないんだけど。とりあえず回避優先で様子を見よう」

「別に笑ってないんですけど」


 既に両者は睨み合っている。

 強者特有の観察戦である。フィクションのように数を打ってぶつけ合うことは稀であり、たいていの勝負は一瞬の数回で決まる。

 そんな必殺のやりとりを会話しながらこなしてみせるのは、第一級冒険者だからこそだろう。


 数分の後、悪魔の拳によってゴングが鳴らされた。

第63話 イレギュラー3

「災害蛇《ディザスネーク》が可愛く見えるわね……」

「あんなの反則じゃないか。アウラが四人いるようなものだよ」

「私というより私の上位互換だと思うけど」

「そこは否定して欲しかった」


 数時間後、ラウルとアウラは第90階層入口の小部屋で腰を下ろしていた。


 既に数回ほどチャレンジしているが、一体を倒すことさえままならない有様だ。


「単純計算で一人二体。分が悪すぎる。せめて第一級クラスがもう一人いたら」

「シキさんを呼ぶしかないんじゃない?」

「こんなリスキーな冒険、あの人はしないと思うよ」


 アルフレッドの現国王シキ・ジーク・アルフレッドもまた第一級冒険者であり、二人にとっては貴重な先輩でもある。

 体裁上、人の目があるときは形式的にしか付き合わないが、プライベートではタメ口で喋るほどの仲だ。


「それに今はそれどころじゃない」


 今回の遠征では元々シキ王も参加予定だったが、王女ナツナの暗殺により急きょキャンセルしたのだ。

 無論、ナツナという防波堤の損壊に備えるためである。今頃は老体にむち打って忙しなく働いていることだろう。


「王国は大丈夫でしょうか」

「問題無いよ。親衛隊は束になれば僕達よりも強いし、何より近衛がいる。そんなことより今はこっちだ。作戦を練ろう」


 ラウルの表情は生き生きとしている。久しぶりに全力をぶつけられるおもちゃが見つかって楽しいのだろう。

 大人ぶった好青年でありながら、その実、こうした童心をよく見せる。


「その差、なのかもしれないわね」


 対してアウラは童顔であり庇護欲をそそるタイプだが、精神は大人びている。

 年齢もまだ若いが、若者特有の熱意や狂気もない。有り体に言えば、冷めていた。


「パワーもそうだが、それ以上に魔力量が尋常じゃない。枯渇を狙うのは無謀だろう。それにテレポートだ。離れたら距離を詰められ、逆に近づいたら離される。こちらの先読みに適応してくる知能もある――」


 ブツブツと呟くラウル。アウラがわざとらしく発した台詞にも気付いていない。あるいは、気付いた上で無視しているのか。

 そういうところもまた、アウラを微妙な気持ちにさせる。


「……誰だ?」


 突如ラウルが虚空に呼びかけた。間もなくアウラも「隠密《ステルス》ですね」それの接近に気付く。

 二人の視線の先がぐにゃりと歪み、出現したのは――没個性的なスーツを着た男女。


「ラウル様。アウラ様。久しゅうございます」


 平凡な顔立ちだが、芯の強さを感じさせる壮年の男が笑顔を向ける。その隣では、女性のそれとわかる起伏と柔らかさを持つ者が会釈だけ寄越した。


「ファインディさん。なぜここに」

「ラウル様。剣はしまってください」


 神速で抜刀したラウルを前にしても、ファインディは眉一つ動かさない。

 その隣のスキャーナは目を見開いていたが、誰も彼女には注目していなかった。脅威ではないと即座に見抜かれたからであり、スキャーナ自身も蚊帳の外に置かれたことを理解していた。


「ここはアルフレッドの管轄です。ガートンといえど許可は出ないはずだ」

「仰るとおりです。ですから少数精鋭で侵入したのではないですか」


 ラウルとアウラの視線が初めてスキャーナに向く。

 第一級冒険者、それも臨戦体勢中の凄みは相当なものだ。自分にそんな力はない。

 スキャーナは泣きたくなったが、今さらだった。


「精鋭と言っても私一人でございます。彼女はスキャーナ。私がひいきにしている部下です。以後お見知りおきを」

「勘弁してほしいようで……」


 薄々勘付いてはいたが、まさかひいきにされていたとは。ぽつりと漏れた呟きは、スキャーナの偽らざる本音だった。


 そんな彼女を見て、アウラがくすくすと笑う。

 二人のそばに近づき、両手を後ろに回しつつ上目遣いで覗き込む。


「スキャーナちゃん、だいぶ参っているようですけど」

「少々死地を乗り越えさせましたからね。彼女にはもっと強くなってもらいたいのですよ」

「外傷が見当たらないところを見ると、回復魔法にも長けていらっしゃる?」


 色気を乗せた、渾身の笑顔がファインディに向けられる。


「アウラ様。詮索はご遠慮願いします。色仕掛けも」


 ラウルはため息をつかんばかりにアウラの後ろ姿を見ている。その視線にも呆れが宿っていた。

 一方、スキャーナは、ラウルの反応まで見てようやく「なるほど……」などと呟く始末だった。


「……やはりただ者ではないようね」


 アウラは美人でありながらチャーム体質を持つ。ナツナほど極端ではないが、異性の大半は気を許し、気を抜き、下手をすれば骨抜きになる。

 この言わば女の武器を彼女は日常的に使用しており、初対面の異性に対してこっそり放つことも少なくない。


 さきほどの絡みも第一撃であった。スキャーナに絡むと見せかけて、ファインディに絡んだのである。

 体型《スタイル》の見せ方も、笑顔も、声も匂いも。五感に訴える不意打ちは成功したはずだったのに。


「アウラ。この人はそういう次元じゃない。見てわかるだろ」

「そのようね。で、わざわざ私達に何の用かしら?」

「そちらの方が魅力的ですよアウラ様。愛好会《ファンクラブ》の方々はショックを受けるかもしれませんが」

「ニュースにしたら、ぶちのめすから」


 ファインディが属する情報屋ガートンでは、紙一枚の情報誌『情報紙』を発行している。一枚で金貨一枚――タイヨウ試算で一万円を要する贅沢品だが、裕福な層には根強い人気があった。


 そんな情報紙だが、冒険者のゴシップも扱っている。

 敏腕職員のファインディなら『第一級冒険者アウラの素顔』といった見出しで書くくらいはやりかねない。


「そんな些細なネタはどうでもいいのですよ」

「それはそれで腹立つのだけれど……」

「私が目下探しているのは指名手配犯――第二王女暗殺者『シニ・タイヨウ』の情報です。《《元の容姿》》がわかりませんので、苦戦しているのです」

「……どうしてそれを」

「アウラ」


 思わず動揺を口をしたアウラをラウルが叱るが、直後「今さらか」ラウル自ら訂正した。


 三国がごたつき始めている中、わざわざ単身でここまで乗り込んできたのだ。相当なところまで調べられているに違いない。


「彼の情報を売れと?」

「仰る通りです。見返りと言っては何ですが、手をお貸ししますよ。苦戦しているのでしょう?」

「そう来たか……」


 第90階層の攻略に苦戦していることまで見抜かれている。

 だからといって第一級パーティーを手伝うなど自殺行為だが、ファインディにそれほどの実力があることは想像に難くない。


「アウラはどうする?」

「売るに決まってるじゃない」

「即答だな……」

「当たり前よ。私達はあの悪魔と渡り合える。シニ・タイヨウの正体はガートンが突き止めてくれる。ウィンウィンじゃないの」

「そうだな。冒険者を売る真似はしたくないんだけど、僕も気持ちはアウラ側に傾いてる」


 ファインディの取引は暴力的なまでに魅力的だった。


 通常、第一級クラスの仲間を集めるのは困難を極める。癖が強いため金で動くとは限らないし、動いたとしても全幅の信頼を寄せられるかという問題もあった。

 ゆえに信頼関係を醸成するために、わざわざ鍛錬や冒険の時間を削いでまで関係を築き、深めようとする者も珍しくない。


 ラウルとアウラだが、現状はシキ王くらいしか選択肢が無かった。

 そこにファインディという強力なカードが提示されたのだ。


 ファインディは情報屋の鬼である。信用はできないが、信頼には足る。

 部下を抱えてここに来るほどの実力もある。


「ただ、彼のことを思うとね……」


 しかしシニ・タイヨウというカードもまた貴重であった。


 王女ナツナを殺してみせるという実力。

 その一方で、初心者以下の知識や常識しか持ち合わせていないところもあるというアンバランスさ――

 冒険者としての本能が、直感が、イレギュラーだと伝えている。


 触らぬ神に祟りなし。


 ゆえにこそラウルとアウラは阿吽の呼吸で彼を放置すると決め、また無闇なトラブルを起こさないよう容姿も変えておいたのだ。


「ファインディさんは彼をどうするつもりです?」

「祭り上げるだけですよ」


 そんな小細工をあざ笑うかのように、ファインディは世間に晒す気マンマンである。


 彼は、いや彼らは、対象が何であろうと、それこそ神であろうと触りに行くことを辞さない。

 オーブルー法国の教徒も恐ろしいが、情報屋ガートンもまた狂気の集団であることをラウルは理解していた。


「……仕方ないね。どのみち、僕らに選択権は無い」


 ラウルはあっさりと手を差し出す。それをファインディが握った。


「交渉成立だ」


 その後、すぐに行動が始まる。


 ラウルとアウラは、ファインディも含めた作戦会議を先導し。

 ファインディとスキャーナは、第一級冒険者二人からシニ・タイヨウについて聞き出した。

第64話 イレギュラー4

 ファインディを迎えた新パーティーの初挑戦《ファーストトライ》は、わずか数秒で撤退となった。

 スキャーナの出る幕が無いと判明したためである。

 ファインディは彼女にシニ・タイヨウの情報をまとめておくよう指示した後、アウラに頼みこみ、《《ダンジョン中層まで》》おくらせた。


 スキャーナにしてみれば地味に面倒な事態であった。

 ヒアリングした内容を整理しつつ、中層から地上まで脱出しなければならないのだ。一日では帰れないだろう。無論、上司から課された教育であり拒否権はない。

 幸いなことに、今はアウラと二人きりだ。早速スキャーナは頼み込もうとしたが――アウラの姿は既に無く。

 スキャーナは泣く泣くダンジョンを疾走した。


 そんなスキャーナなど欠片も意識することなく、三人は第90階層への挑戦を繰り返した。


 そしてファインディ加入から数時間以上が経過し――

 第90階層入口の小部屋では、何度と知れない作戦会議が開かれている。


「撤退しよう」


 愛用の大剣を眺めながらラウルが言う。


 周囲には今し方倒したばかりのミスリルゴーレムが散らばっていた。


 ミスリルは稀少な金属だ。

 第一級冒険者用の装備品として通用する強度を誇り、これでつくられた硬貨『ミスリルコイン』はタイヨウ試算で一枚一億円の価値を持つ。

 つまりは残骸の一つ一つが貴重なドロップアイテムであり、選りすぐりの遠征隊メンバーでさえ目の色を変える光景のはずだが、ラウル達は見向きもしない。どころか椅子として遠慮無く尻を乗せてさえいた。


「僕達が挑めば挑むほど、奴らは強くなっている」

「そうかなぁ。そう見せかけるための演技《パフォーマンス》をしている――私はそう見えたけど」


 アウラの発言とともに、鋭い風圧が鳴る。彼女の頭上では、魔法によって操られたミスリルの破片が虫のように飛び回っていた。


「無駄だよアウラ。ファインディさんの投擲《とうてき》でさえ難なくキャッチされてただろ」

「これはミスリルよ? 尖ったものを使えば、おそらく貫通できる」

「当たればね」

「当てるわよ」

「敏捷でも魔力でも勝てない相手に?」


 アウラの視線がラウルの後方に飛んだ。同時にミスリルの破片も放たれる。ラウルのすぐそばを通過し、彼の頬に傷を入れたそれは、間もなく轟音とモンスターの悲鳴を引き出した。


「……ファインディさんの意見も聞かせてもらえる?」

「アウラ。落ち着くんだ」

「落ち着いてますよーだ」

「どこがだよ……」


 ラウルはため息をついてみせた後、傍らのファインディを見る。彼は腕を組んで直立し、考え事をしているようだった。


「そうですね。ラウル様との対話を収録しましょうか」

「僕が? 何の話です?」

「情報紙に載せる内容ですよ。あの悪魔で特集を組みます」


 ファインディが親指、人差し指、中指の三本をこすり合わせる。どことなくいやらしい動きだが、異世界ジェースではよく知られたジェスチャーでもある。


「別にお金は要らないんですが……そうですね、それで良いと思います」


 情報紙で悪魔の特集を組み、広く読者に読んでもらう――

 そうすれば読者から有益な情報が集まるかもしれない。有力な冒険者が攻略に応じてくれる可能性もある。賢い戦略と言えた。

 もっともファインディは単に悪魔ネタで儲けたいだけなのだろうが。


 話は終わりとばかりに、ラウルは大剣を背中に収める。

 一方、アウラはミスリルの破片を乱暴に弄びながら、ファインディに噛みついた。


「ファインディさんも諦めると仰ってます?」


 社交辞令の笑顔がすっかり取っ払われているのを見たファインディは、逆ににこにこと相好を崩す。


「アウラ様。美人が台無しですよ」

「質問に答えて下さい」


 そんな二人の様子を見て、ラウルはもう一度嘆息した。


(アウラはあの悪魔をはき違えている)


 悪魔と対峙してみてラウルが感じたのは、師匠との手合わせだった。

 一見優勢に思えて、その実、手のひらで転がされている。戦略や攻撃の全てを引き出され、防がれ、その上でじりじりと追い詰められて、己の無知と不出来を悟らされる――


 このような指導は、剣士《ソードマン》など肉体派の戦闘様式《タイプ》にはお馴染であった。

 体を張る者は、体で覚えるしかないのだ。


 一方、アウラは魔法師《ウィザード》である。


 爪を隠した強者に転がされる感覚は、おそらく持っていない。


「アウラ。帰ろう」


 ラウルは立ち上がり、黒スーツに詰め寄っているボブカットをぽふぽふと叩く。


「……そうね。屈辱だけれど、仕方ない」

「あれ? やけに物わかりが良いね」

「説得致しました」

「さすがは情報屋」


 まだむすっとしているアウラはゲートを唱えると、さっさと入っていった。二人を通す気はないらしく、門もすぐに消える。


「ファインディさん。あの短時間でよくなだめられましたね」

「矛先をシニ・タイヨウに変えさせていただきました」


 ラウルは「ああ……」と気の毒そうに納得する。


「彼を売った貴方様には同情されたくないと思いますよ」

「だろうね」


 ラウルもまたゲートを唱え、ファインディを連れてくぐった。

 あらかじめ組んでいた多段ゲート――第73階層に着く。さらにゲートを生成して、もう一度くぐると、今度は第55階層。


「剣士にあるまじきゲートですな」


 第二級以上の魔法師なら当たり前に使ってみせるゲートだが、高度な魔法であることに違いはない。第一級とはいえ、剣士であるラウルが使えるのは珍しかった。


「便利ですからね。かなり練習しました」

「そのネタでも一本書けそうです。表題は、そうですね――『大陸随一の剣士が語る、剣士でありながらゲートを習得した6の理由』」

「何でもネタにするのはやめてもらえないか……」


 その後も二人は何度かゲートを経由し、終点の第1階層に着くと、周囲を乱さない程度の速さで走り始めた。

 通りがかりにぎょっとする他の冒険者を無視しながら走ること数分――夕陽が差し込むとともに、聞き慣れた喧騒が届いてくる。


 出口の検問はかなり混雑していたが、ラウルは顔パスでスルーする。第一級冒険者であり、税の徴収は免除されている。


 一方、ファインディはそうもいかず、捕まっていた。

 もう彼に用は無い。ラウルは軽く手を挙げて別れた。


「何か食べて帰るか……」


 屋台エリアをのんびりと歩く。


 その間、ちらほらと視線を向けられたり、声を掛けられたりした。

 容姿端麗の金髪で、背中にクロスソードをぶら下げたラウルだが、冒険者としてはさして目立つ風貌でもない。そうされるのは、有名だからに他ならなかった。

 ラウル自身も慣れたもので、気まぐれにスルーしたり一言だけ交わしたりしつつ、屋台を物色していった。


 しばし歩いて、目に留まったのは――ミノタウロスの串肉を売る店。

 ミノタウロスの肉は美味いが高い。生息地も限られ、そこそこ強く、何より加熱に時間がかかる。


「……奢らないぞ」


 ラウルの独り言に、店主が首を傾げる。

 それが独り言でないことは間もなく示された。


「おじさん。これください」

「……あ、あいよ」


 突如姿を表し、天真爛漫な微笑みを向ける第一級魔法師。店主は驚きつつも、人頭ほどもある串肉を手渡す。

 アウラは小さなゲートから金貨を二枚取り出し、串肉と交換した。

 金貨二枚――タイヨウの換算ではおおよそ二万円だ。決して安くはないが、第一級クラスにもなれば端金である。


「毎度あり」

「僕もお願いします。二本で」


 ラウルは手早く会計を済ませ、早速頬張りながら先を行くアウラを追いかける。

 主に男の視線を集めている彼女の隣に並び、


「よく見つけたね」

「体外気流感知《エアウェアネス》の練習です」

「ああ、そう」


 はふはふと可愛く食べてみせるアウラを見て、ラウルは微妙な表情を浮かべた。


「私の顔に何かついてます?」

「正直気持ち悪いなと」

「もう、ラウルってば」


 悪魔に散々遊ばれたばかりだというのに、普段と変わらぬ見事な外面であった。

 見事と言えばもう一つ。この中からラウルを特定してみせたスキルもそうだ。


「遠征の報告を済ませたら、さっさと調べちゃいます」

「……本当にやるつもりかい? 王都もそれどころじゃないだろうに」


 アウラ曰く、シニ・タイヨウの体外気流《エアー・オーラ》には特徴がある。

 広範囲から特定の体外気流を探すスキル――体外気流感知《エアウェアネス》を使えば、一気に探し出せるのだとか。


「聞いてないんですか? その件はもう終結したそうです。何でも竜人が新たな協定をつくるとか。国家間の戦争行為を禁止するそうです」


 アウラが何でもないことのように言う。ラウルも同じ捉え方であり、特に驚きはしなかった。

 強者であり、独り身でもある彼らにとって、戦争は大した出来事ではない。


「誰から?」

「王宮の親衛隊さん。愛好会の方なんです」

「あーそう……」


 ラウル達が帰ってくる前の間に、ゲートで行き来したのだろう。かなり慌ただしく動いたことは想像に難くない。

 アウラの内はそれほど燃えているということだ。


「もし見つけたとしたら、どうする気だい?」

「え? 言ったじゃないですか。――とっちめて吐かせます」

「おっかないね。でも悪くない。協力しよう」


 二人とも悪魔の手のひらで踊らされたばかりである。

 そうでなくともファインディという同等クラスの強敵と共闘しており、一言では言い表せない刺激をもらっているのだ。このままおとなしく過ごせるはずがない。

 遠慮なくぶつかることのできる何かが必要だった。


 彼ならば。

 シニ・タイヨウならば、応えてくれるに違いない――


 ラウルはがぶっと串肉に食いつき、豪快に引きちぎった。

収束

第65話 ジーサ・ツシタ・イーゼ

「またな。みんなにもよろしく」


 俺が手を振った先には、一体のグレーターデーモン。翼をぱたぱたと動かしている。

 その周囲には数百以上のモンスターが殺意、というか食欲をぎらつかせているが、見えない壁によって足止めされていた。

 何の魔法を使っているかは知らないが、助かった。


「これからは頼むぞ、ダンゴ」


 俺を物理的に覆いきり、別人の容姿を作り上げている相棒にも声をかける。

 後頭部ノックが返ってきたところで、いざ。


 俺は目前の穴に飛び込んだ。


 味気ない壁が重力に従ってスクロールしていく。かなり高いらしく、数十メートルどころではない。

 見上げてみると、逆戻りを防ぐかのように何枚もの壁が生じている。ダンジョンによる幻影らしい。冒険者など侵入者の逆走を防ぐそうだ。


 七、八秒くらいだろうか、どぱんと派手な音を立てて湖に落ちた。単純計算で二百メートル以上。……いや高くね?

 底にも難なくぶつかり、どころか反発するまである。


 そのまま水面を目指して、間もなく顔を出す俺。


「地底湖か。綺麗だな」


 天井や壁は灰色一色であり、鍾乳石や石筍《せきじゅん》――石状のつららや突起物が目立つ。俺が浮いている湖は狭いが、透き通った水色をしており底も見えた。


「……」


 もう一度天井を見てみたが、穴は開いていない。あまりに違和感が無くて、さっきのは夢だったのかと思ってしまう。幻影のクオリティやべえな。

 また一つ賢くなった。モンスターはこうやって『ストック』から下りてくるわけか。


 ストックもとい『モンスターストック』とは俺の造語だが、ダンジョンに補充されるモンスターの待機場所を指す。

 俺が今落ちてきた所のように大量のモンスターがおり、モンスターはこうして俺みたいに落ちてくることで補充されるのだ。出入口は幻影による一方通行となっているため、ダンジョンからストックに入ることはできない――


 これもグレーターデーモンとのイエスノー問答を経て知ったことだった。


「よく出来てるよな」


 最奥で魔王の黒下着を手に入れた俺は、グレーター達に脱出方法について相談した。

 最初はリリースでゴリ押しすれば良いかと思ったが、ダンゴが耐えられないらしく没に。かといって地上にショートカットできる経路も無し。


 しつこく粘ったところ、俺はグレーター達がゲートでモンスターを連れてきたことを思い出す。

 その観点で質問攻めを繰り返した結果、このダンジョンにモンスターストックなる存在があるとわかった。加えて、その一室――浅層のストックにゲートを繋げる奴がいることも発覚。


 そいつに頼み込んで、連れてきてもらったのが先ほどの場所だ。

 無論、ストックにはモンスターが大量生息しており、俺の崇拝《ワーシップ》も届いていない。戦っても良かったが、グレーター達と同じダンジョンに住む仲間を殺すのもどうかと思い、足止めしてもらうことにしたのだ。


「さてと」


 ざぶんと湖から上がり、水面がおとなしくなるのを待ってから覗き込む。


 坊主頭にゲジゲジ眉と無精髭を生やした、不細工な青年が映っていた。

 その割に血色は健康的で、吹き出物やシワもない。

 ……これでもかなり微調整した。コンセプトは『ヘルシーな不潔』。


 服装も至ってシンプルで、白のTシャツに黒の長ズボン。薄汚れており、所々破れてもいる。上着はない。

 体型は中肉中背だ。俺は元々の筋肉質――服から隆起が見える程度を所望したが、ダンゴ曰く維持するのがキツいらしくて断られた。


「うん。悪くない」


 俺とは似ても似つかない容姿である。細部も見事なものであり、髭や服、果ては汚れのクオリティまで本物にしか見えない。ダンゴは良い仕事をする。

 たとえユズやルナであっても俺だとはわかるまい。


「……あと一つ決めないとな」


 俺はもう一度、湖に潜った。

 念のためである。周囲に誰がいないとも限らないからな。


(名前を決めたいと思う。俺の新しい名前だ。ダンゴ、俺の声は聞こえてるな?)


 水中でモガモガと喋ってみると、後頭部にとんっと肯定の感触。

 やはりな。ダンゴは俺と密着しているから、この程度は聞き取れる。


(元々俺はシニ・タイヨウと名乗ってて、皆にはタイヨウと呼ばせていた)


(ちなみに『死にたいよう』から取った。どうだ? 面白いだろ?)


 ダンゴからの応答は無かった。こいつ結構辛辣なんだよな。


(……まあいい。地味に気に入ってる名前なんだが、訳あって捨てる。次の名前はこうだ)



 ジーサ・ツシタ・イーゼ。



 俺はそう発音した。


(ちなみに『自殺したいぜ』から取ったんだが、どうよ? ――いや反応してくれよ)


 これでもかなり捻ったんだぜ?

 シニ・タイヨウという響きを少しも出さず、しかし死ぬことを唯一の目的と定めた俺として「死にたい」的な意味を盛り込むことも譲れない。


 何気にミドルネームが入ってしまったのが微妙だが、ツシタイーゼとすると不自然すぎる気がする。

 いや、ジーサもツシタもイーゼも不自然かもしれないが。まあそこは俺の感覚を信じるということで。


(当面は貧民か、貧民寄りの冒険者として過ごす。普段はジーサとだけ名乗るつもりだ)


 ここ異世界ジャースの名前の流儀はよくわからない。平民以下はミドルネームを持てるのだろうか。


 おそらくだが、名前は名か名姓が基本のはず。ミドルネームは上位階級以上限定な気がするんだよなぁ。俺が見たことあるのもシキ王――シキ・ジーク・アルフレッドという王家だけだし。


(これで準備完了だ。ダンジョンから出よう)


 最後の設定も共有し終えた俺は湖から離れて、ずぶ濡れのままダンジョンを走り始めた。


 浅層だったのは本当らしく、出現モンスターはワンパンで殺せた。

 受けるダメージ量も小さくて、ナツナ時の200倍溜まっている現状では誤差でしかない。ああ、そうだ、出力量を調整しておかないと。


「リリース、2000。チェック」


 問題なく2000――0.05パーセントがセットされていることを確認する。

 これで2000発撃てる。当面弾数の心配は要らないだろう。


 ちなみに一発の威力だが、ナツナを消し飛ばした時の一割である。

 これを0.1ナッツと呼ぶ。無論、俺がつくった単位であり、ダンゴとも共有済である。本当は『ナツナ』にしたかったが、誰に聞かれるとも限らない。少しぼかして『ナッツ』とした。


「ああ、撃ったらダンゴが死ぬか」


 グレーター達のせいで感覚が麻痺しているが、0.1ナッツでも火力はエグい。ユズにも普通にダメージが通るレベルだし、さほど強くないダンゴは近距離で食らえば即死である。

 ダンゴ自身もわかっているらしく、ごつっと強めのノックを後頭部に寄越してきた。


「わかってるよ。対策考えないとな。さすがに撃てないってのはキツい。お前も無限に体液が湧く俺を失いたくはないだろ?」


 俺は足は止めず、時折ダンゴと話しながら道中を過ごした。






「ガッチガチの検問じゃねえか……」


 甘かった。王都東門みたいに自由に出入りできるかと思えば、そんなことはない。

 税関の数倍は厳しそうな体制が敷かれている。


 どうもここがダンジョン入口らしい。

 直径は三十メートル、深さは五メートルくらいだろうか。天面が取っ払われた円柱みたいな地形になっており、俺や検問はその底面に立っている構図だ。

 周辺はキャンプで盛り上がっているのだろう。天に広がるのは夜空にもかかわらず、わいわいと暑苦しい喧騒が既に聞こえているし、大穴の端に座って駄弁っている奴もちらほら。


 肝心の検問はいうと、どうも入口と出口とで分かれているようだ。

 巨大な矢印のオブジェクトが二つある。どちらも石で出来ており、片方は上向き、他方は下向きだ。


 上向きの矢印像の周辺は入口のようだ。冒険者パーティーが一組だけいて、顔を覗き込まれたり何か尋ねられたりしている。

 職員と思しき、鎧に身を包んだ兵士はゲートの先――見覚えのある制服を来た女性と話している。ああ、ギルドの人だ。身分確認でもしているのだろうか。


 対して、下向きの矢印像の周辺では、数組のパーティーが並んでいた。

 先頭パーティーは持ち物を床に並べており、強そうなおっさんがそのいくつかを指差している。兵士達はそれを抱え、少し離れた所に浮いているゲートへと運んでいた。


「……並ぶしかなさそうか」


 何をされるかはわからないが、他に選択肢がない。強行突破は目立ちすぎるし、リリースを放てばダンゴが死んでしまう。


 シニ・タイヨウ改めジーサ・ツシタ・イーゼ。

 俺は生まれ変わったんだ。もう誰にも振り回されはしない。


 ユズ? ルナ? シキ王? 知ったことか。

 もう決めたことだ。


 思えば、最初からこうすれば良かったんだ。


「……」


 最後尾に並びながら、ルナとの出会い――白夜の森での邂逅《かいこう》を思い出す。


 あの時、俺が彼女を無視していたらどうなっていたのだろうか。

 ルナはサバイバル女子として生き続け、俺もまた一人で細々と生きていたのだろう。今ほど成長することもなかっただろうな。


 でも、それでも、上手くやってたさ。俺を舐めちゃいけない。たとえ一人でも、それなりに上手くはやれるんだ。


 そうだよ。そうだったじゃないか。

 俺はずっと一人だった。

 自らぼっちを選び、最後は自殺も選ぶことになったが――後悔はない。

 なぜなら俺は、全てを自分の頭で決めてきたからだ。この手足を動かし続けてきたからだ。


 一人でできることなどたかが知れてる?

 だったら、たかが知れてる範囲に留めればいいだけのこと。

 自制すればいい。発想を転換すればいい。広すぎて手に負えないのなら、深く潜ればいい。

 やり方も、考え方も、生き方も。そんなもんはどうとでもなる。

 結局のところ、好きにすりゃそれでいいんだよ。


 久しぶりに愉快な気分だった。思わず「くくっ」ニヤけてしまう。

 前の冒険者達に気味悪がられたが気にすることはない。その中に、太ももを露出した犬の獣人らしき女性もいたが、そういうのを眺める気分でもない。

 俺は上機嫌のまま、検問を抜ける策を考え始めた。


 程なくして、俺の番が回ってきた。

第66話 ジーサ・ツシタ・イーゼ2

 ダンジョン出口の検問で待つことしばし。

 俺の番が来た。


「持ち物を全てご提示ください」

「ありません」


 俺がそう返すと、鎧を来た兵士達が顔を見合わせる。


「……身分確認をさせていただきます」

「ギルドには登録してないんですけど」

「連行しろ」


 いきなりだなおい。

 左右から両腕を拘束された。手つきも乱暴だ。


「そんなことよりも先に、やることがあるんじゃないのか?」


 俺が意味深に言うと、兵士達は動きを止める。

 聞き分けがあるのは助かった。視線はだいぶ鋭いが。


「俺は荷物としてこのダンジョンに連れてこられた。荷物持ちじゃないぞ? 荷物としてだ。そして放置された」

「嘘をつくな」

「だったらなぜギルドにも登録してない、しがないソロプレイヤーがこうして潜り込めてんだよ? 入口の検問がお粗末だったのか?」


 兵士達はもう一度顔を見合わせ、ぶつぶつと何やら相談し始めた。

 間もなくリーダー格の渋い奴が「失礼しました」形ばかりの謝罪をしてきた。


「申し訳ありませんが、身分確認だけさせてもらえないでしょうか。ギルドに登録されていないなら、それはそれで結構ですので」

「わかった。くたびれてるんだから、早くしてくれ」


 俺は上向き矢印像の方へと誘導され、ゲート越しにステータス確認をしてもらうことになった。

 冒険者登録はしていない。当然、結果が出るはずもない。


 俺はあっさりと解放された。帰り際に「運が良かったな奴隷め」などと兵士の一人に毒づかれたが、期待通りに捉えてくれて助かった。


 俺は悪趣味な貴族の奴隷であり、主人の残忍な娯楽として連れてこられた――

 そんな体を通してみたのである。割と賭けだったが、俺の勝ちだな。


「……で、これを飛び越える、と」


 あとは穴から出るだけだが、見たところ五メートルの段差を上るための階段やら坂道やら装置やらは見当たらない。バリアフリーのバの字もねえな。

 あまりきょろきょろしてても怪しいので、さっさと上りたいのだが……ちょうどいい。ボディコントロールの実践と行くか。


 俺は壁の微細な突起に指を置き、足先を引っかけ、ロッククライミングよろしくのろのろと登り始める。


 本来ならひとっ飛びするべきところを、みっともなく登るのである。早速俺は囃《はや》し立てられたが、苦戦する演技も忘れず、たっぷり一分くらいかけて登りきった。


「ぐぅ……やっと、登れたぞ……」


 冷たい視線と嘲笑が飛び交い、何なら酒の肴にもされたようだが、俺は満足感に満ちあふれていた。


 懐かしい。前世でパルクールしていた頃を思い出す。

 さっきの俺は、完璧に当時と同じ身体感覚を再現できていた。


 人間は弱い。壁に張り付くことさえできないほどに脆弱な身体しか持てない。

 しかし僅かな突起《ヒント》さえあれば、筋肉と技術と機転を駆使することで、登っていくことができる。もっとも本職のクライマーには敵わないが、この面白さと達成感はまがいなりにもわかっているつもりだ。


 こっちに来てからの俺は、やれ無敵バグだのレベルアップだの、明らかに人間を卒業していた。

 これでは運動など楽しめたものじゃない。

 肝心なのは弱さだ。前世の人間という脆弱な制約で、いかにチャレンジするか。苦痛とともに、いかにして乗り越え、強くなっていくか――

 その過程こそが楽しいのである。


 ……いいなぁこれ。今後も時々遊ぶことにしよう。

 どうせ俺の目的は簡単には成せない。たまにも気分転換も大事だ。


「おーおー、兄ちゃん。もう一回やってくれや」

「今の動きなあに? ダサくない?」

「つーか飛ぶよな、普通」

「飛べないんじゃね? なんか訳ありみたいだったし」

「飛べないってどれだけ雑魚なんだよ」

「弱すぎるだろ」

「ぎゃははは」


 よほど珍しい光景だったのか、外野は未だに止まない。

 せっかくの余韻が台無しだ。


 俺は足早に距離を取った。


「……寄り道はいいか」


 大穴の周辺には露店やテントが並び、多くの人や声が行き交っている。

 祭りのような場所は嫌いじゃない。だが俺には金がなかった。何か拾っておくべきだったか。ミスリルとか。


「……」


 グレーター達が巣くう第90階の入口に散らばっていた金属だか鉱石だか。

 あれは見覚えもあったし、触り心地にもピンと来るものがあった。ナツナを殺した時も原形を留めていたほどの物だったんだ。よく覚えている。


 ミスリル。


 間違いない、あれは確かにミスリルだった。

 最初は持ち帰ろうとしたんだが、怪しまれるビジョンしか浮かばなかったため、やめておいたのだ。

 検問の様子だと、破片の一つくらいならバレなかっただろう。ダンゴに紛れ込ませることもできただろうし。失敗したな。


 俺は大穴の喧騒から離れ、星々が照らす荒れ地を走った。

 ひびわれた大地はじとじとしており少々走りにくいが、体力無限の俺には関係がない。

 問題は視界か。星の明かりはたかが知れており、広大な荒れ地を進むには頼りない。迷子になっても困るし、朝まで待った方が良いだろう。


「……あれでいいか」


 エアーズロックの子供みたいな岩を見つけたので、近寄ってみる。

 周囲をぐるっと回り、ついでに上にも登ってみて問題がないかをチェック。ただの岩みたいだ。


 てっぺんを少し掘削し、直径数メートル程度のお椀みたいな穴をつくる。レベル17の俺には出来ない力仕事だ。

 真面目に今の俺、いくらくらいだろうな。レベル33――生活に困らないといわれる第三級くらいあると助かるんだが。いやあると思うけど。


(ダンゴ。ここで朝まで休むぞ)


 俺は穴の中で寝転がりつつ、口を開けずにもごもごと喋ってみた。

 とっさの実験だったが、ちゃんと通じたようで、後頭部を叩かれた。


(そういえばダンゴって睡眠とか取るのか?)


 直近考えることはたくさんあるが、最も優先すべきはダンゴというパートナーとの連携だろう。

 俺はダンゴへのイエスノー問答で暇を潰そうとして――


(……わかってる)


 俺が口内で呟くと同時に、ダンゴも後頭部をトリプルクリックしてきた。

 事前に打ち合わせ済の、警告の合図。


「……」


 俺の目前、つまりは仰向けで見上げている俺の先で、何かが浮いている。

 何も見えないが、何かがいるのは間違いない。なんていうか、風の流れが若干変わった――というより遮られたのがわかったのだ。

 レベルアップして感覚が鋭敏になっているのだろうか。


「すいませんが、姿を見せてもらえませんか」


 他の魔法が使われている可能性もあるが、俺が知っているのは一つのみ。白夜の森で散々見てきた隠密《ステルス》だけだ。


「ずいぶんと逞しくなったのう」


 聞き覚えのある声だったが、聞かなかったことにした。

 しかしそれで相手が退くはずもなく、たたんっと穴のふちに三人ほどが着地する。


 星々の弱々しい明かりでもわかる上裸の大男。

 同様に、見間違うことのない白髪白髭のタキシード男。

 それから少女、いやどちらかと言えば幼女に近いほど小柄で、これまたトレードマークの金髪と全裸を携えた女――って頭にピンみたいなのが四つ付いてるな。そんな彼女だが、自分よりさらに小さい女の子を抱いていて、


「たいよーっ!」


 なんかこっちに飛び込んできた。


 まさか殺すわけにもいかず、このメンツから考えてこれが誰であるかも悟った俺は、おとなしく仕方なく、しかし丁寧に受け取る。


 現代で言えば幼稚園児といったところか。

 髪は青いのに、不思議と似合っている。乳児の愛らしさがこれでもかと詰め込まれていると同時に、将来美人になるであろう色気のつぼみも膨らみ始めていた。

 体型はまだ丸っこい。胸も平らだ。どこ見てんだって話だよな。男の性です。ロリは関係ない。断じて。


「たいよー?」


 なんかこっちに手を伸ばしてくる。上裸のパパに返そうとすると、「泣かしたら死刑じゃからの」凄みとともに一蹴された。


「たいよー?」

「違いますよ。人違いです」


 なんか俺の顔をぺたぺた触ってくる。いや、今はダンゴの細胞か。俺にも触覚が伝わってくるのだから不思議だ。

 しかし力が強い。常人のお母さんなら顔面傷だらけになると思う。


「ふゆなはねー、たいよーのこと、すき」


 出会って数十秒で告白された件。


「あの、この子は?」


 もうバレている。悪あがきしても仕方ない。俺はシキ王に尋ねた。


「四女フユナじゃ」

「へー、この子が」

「可愛いじゃろ」

「小さい子はそんなもんでしょ」

「殺すぞ?」

「親バカか」

「たいよー!」


 なんか抱きついてきたんだが。


「このフユナさんとやら、何とかしてほしいんですけど」


 俺は上体を起こし、半ば強引にフユナをシキ王に返そうとするが、「ライム」シキは俺を無視してそう言うと、明らかに周囲を何かに囲まれた気配がした。

 たぶん、岩全体が丸々囲まれている。何をしたんだ。


 俺がユズのクリソツを凝視していると、「ユズの彼氏?」彼女は俺を指してきた。声音がユズとは若干違う。


「違えよ。アイツは何を吹き込んでんだ……はぁ……」


 なんだか和やかだが、ため息の一つでもつきたくなる。


 ジーサ・ツシタ・イーゼ。

 誕生して一日と経たずにバレてしまった件。

第67話 ジーサ・ツシタ・イーゼ3

「――実力察知《オーラ・センシング》。それがフユナのレアスキルじゃ」


 王女のレアスキルが易々とカミングアウトされている。シキ王に俺を逃がす気がないのは明らかだ。


「おぬしはダンジョンの奥底で死ぬほどやわではない。必ず帰還すると踏んでおった。良い機会じゃから、フユナの眼を通してみようと思ったのじゃ」

「俺、レベルはたかが知れてますけど」

「レベルはの」

「どういう意味ですか」


 俺は頭部にしがみつくフユナを適当にあしらいつつ、シキ王を見上げる。

 彼は穴のふちで片肘をつき、寝っ転がった体勢でこちらを見下ろしている。妙に様になっているのはこの人が王だからか、それとも左右に控えている執事と護衛によるものか。


「フユナは対象の実力を総合的に算定する。その結果が好意の因子になっておる。早い話、フユナは強い奴に惹かれる」

「俺、別に強くないんですけど」

「誤魔化しても無駄じゃぞ。フユナの様子から見て、おぬしは桁違いじゃ。ワシら総掛かりでも勝てまい」

「……」


 この子には何が見えているのだろうか。


 俺のステータス自体は平凡なはずだ。以前、ナツナお付きの神経質そうなメガネはレベル17――第四級冒険者の入口ラインだと言った。

 この無敵バグは魔法でもなければスキルでもない。だからなのだろう、おそらく外部から検出する手段は無いと俺は見ている。


 だとしたら、フユナが見ているのは俺の表面的なステータスのはずだ。

 今の俺はグレーターデーモンを倒した分、かなり上がっていると思うが、それでもたかが知れている。まして第一級冒険者――レベル129以上を誇るシキ王よりも上、なんてことはありえないだろう。


「この子は何を見てるんです?」

「ふゆな」

「ワシにもわからん」

「ふゆなっ!」

「ただ、算定が正確であることは事実よ。現にワシよりもゴルゴや近衛を気に入っておるしな」

「ふゆなはふゆななのっ!」

「ちょ、暴れるなって」


 落下しそうになるフユナをキャッチし、真正面に持ってきて向かい合う。


「フユナ。今大事な話をしてるんだ。ちょっと静かにしててくれないか?」

「いいよー。ちゅー」


 どこで覚えたのか、口をすぼめてくるフユナ。可愛いお口ですね。


「ああ、頭を撫でてほしいんだな」


 フユナをあぐらの上に下ろし、頭を撫でてやる。

 秒でじたばたされた。


「ちがうの! ふゆなはたいよーがすき! ちゅーする」

「チューはパパとしような」


 抱っこしてシキ王に渡そうとすると、「パパはいやっ!」可愛い足の強烈な蹴りが父親の頬に炸裂した。不憫すぎる。


「ハルナに続きフユナもか……タイヨウ殿。わかっておろうな?」

「八つ当たりはやめてもらえませんか。あと涙拭いて下さい」


 マジで不憫すぎる。隣で突っ立ってる執事も気の毒そうな顔してるぞ。

 そんな執事ことゴルゴキスタは、ちらりと意味深な視線を俺に向けた後、


「ライム。フユナ様のお願いを叶えて差し上げよ」


 そんな命令をすると、ユズのそっくりさんがこくんと頷いた。今度は何を――って、え、ちょっと待て。


 俺の体が勝手に動き、フユナと見つめ合う格好になる。

 フユナを抱いた腕が手前に寄り、俺の顔がフユナへと近付けられて……え、何これ、全然抵抗できないんですけど。空気が生物となって俺を操っているとでも言えばいいのか。たぶん風魔法だろう。


 そうこうしているうちに、鼻と鼻がひっつく近さにフユナの顔が。

 間もなく、俺と幼女王女の唇が重なった。


「なあああああっ!?」


 シキ王が体を起こして叫んでいる。叫びたいのは俺なんだが……。

 思わずライムを睨むと、ぱちぱちと拍手を寄越された。

 次いでゴルゴキスタを見る。執事らしい上品な拍手をくれた。何なの。


「えへへ、りょうおもいー」


 意外と語彙が豊富な第四王女様は、満面の笑みを浮かべていらっしゃった。

 可愛らしいのは認めるが、さすがにこれに打たれるほど歪んではいない。すげえ柔らかかったけど。


「ゴルッ! おぬしは何ということを!」

「話を進めねばなりません。どのみちフユナ様はもうタイヨウ様にぞっこんです」


 シキ王はゴルゴキスタに掴みかかっていた。何発かパンチも飛んでいる。風圧は無いが、俺でも視認がやっとのレベルだった。

 それをゴルゴキスタは笑いながら軽くあしらう。


「それはそうじゃが……フユナはまだ幼いんじゃぞ?」

「タイヨウ様を次期国王にすれば済むこと」

「そうじゃな」


 あっさり納得してんじゃねえよ。


 ……にしても、この石化人間。ただの執事じゃなさそうだ。

 フユナがシキ王よりも気に入ってるってことは、第一級冒険者である剛腕のシキよりも強いってことだよな。見た感じ、ただの主従関係でもなさそうだし。

 ルナは第二級らしいとか言ってたが、間違いのようだぞ。


「タイヨウ殿。わかっておると思うが、おぬしを逃がすつもりはない」

「そのようですね」


 ここまで機密を見せられ、幼気な王女の唇も奪ったんだ。いや俺は断じて無罪なんだが、ともかく相手は本気。


 だったら俺も、本気を見せねばなるまい。


 俺はジーサ・ツシタ・イーゼとして第二の人生を歩み、ぼっちらしく一人で滅亡バグと無敵バグを探すつもりだ。

 もう誰とも関わりたくない。こいつらは邪魔だ。


「申し訳ないですが、お引き取り願えませんか。でないと実力行使に出るかもしれません」

「それは困るの。さっきも言うたが、ワシらではタイヨウ殿には勝てん」

「ならなぜ?」

「だからこそよ」


 シキ王は穴の中に下りてくると、俺の真正面であぐらを組んだ。

 親バカの緩んだ表情はもう無い。その威圧的な双眸は、さっきから俺の頬をすりすりしているフユナを一切映していない。


「おぬしのような存在を野放しにするわけにはいかんのじゃ。万が一、敵にでも回ったら事じゃからの」

「それで俺を取り込もうと?」

「そうじゃ。やり方は変えよう。もう国王を継げとか教育を積めなどとは言わん」


 どうだろうな。次期国王がどうとか言ってたじゃねえか。


「おぬしも何やら大望を抱いておろう? 我がアルフレッドを活用すれば良い。ソロプレイヤーよりもはるかに便利じゃぞ」

「でしょうね」


 悪い話ではない。むしろ願ってもない好機だろう。


「図書館も使わせてもらえるんでしょうね?」

「もちろん」

「ルナやユズに会わせる、なんてこともないですよね?」

「そのつもりじゃ。まったく、容姿や声まで変えおってからに」

「そのことなんですが」


 俺はシニ・タイヨウではなく、ジーサ・ツシタ・イーゼという別人として生きることを端的に話した。


 ついでにこの世界の名前の流儀についても尋ねたが、どうも姓やミドルネームは家系を示す記号として機能しているらしい。

 独り者は基本的に名だけを有し、家族を持って一員の区別が必要になると姓を導入、さらに規模が大きくなり姓だけでは不便になってくるとミドルネームも追加で導入する――と、そんな風に使われているそうで。


 とすると、俺はソロだからジーサで十分ということになる。


 もっとも、先の時代――戦乱まみれだった戦国時代の影響で、家系の大半が潰えていることも珍しくなく、貧民にミドルネームがあってもおかしくはないそうだ。

 そういう意味では、要らぬ誤解を与えないよう、ツシタ・イーゼも名乗った方が良さそうか。


 つまり、それなりに歴史を積んできた貧民の一族という印象を与えるのである。

 俺は異世界人だからな。その方が無難だろう。貴族ならさておき、貧民なら家系を疑われることもないだろうしな。


「――お返しします」


 いつの間にかフユナが眠っていたので、シキ王に返す。

 彼はいったん受け取ると、すぐにライムに手渡した。国王の雰囲気はまだ外されていない。


「おぬしの活動は詮索せん。アルフレッドに害を成すわけではあるまい?」

「ええ」


 今のところは、な。


「じゃが完全に放置というわけにもいかん」

「わかってます」


 シキ王はどんな条件を提示してくるやら。

 俺に自棄を起こさせないためにも、あまり面倒な要求はしてこないはずだ。

 かといって何もしないということもまずない。この暑苦しいおっさんは甘くない。


 俺がアルフレッドを敵視せず、かつ逃亡することもない――

 そんなギリギリのラインを突いてくるはずだ。


「シニ・タイヨウ、いやジーサ・ツシタ・イーゼ殿」


 覚悟を決めた俺だったが、シキ王の回答はさらに斜め上を行くものだった。


「王立学園に入学してもらう」

第68話 廃戦協定

 ジャース大陸中央部の南――日本地図でいうところの富士山の位置に、竜山《りゅうざん》と呼ばれる山がある。

 外観はとんがり帽子のように細長く、標高は一万メートルにも及ぶ。山頂付近は赤黒く染まっている。


 そんな竜山の九千メートル地帯に二人の竜人がいた。


「山《マザー》の調子はどうだ?」

「まだご機嫌ナナメですねー。表出周期への対処にマスタークラスの手が必要なのも相変わらずです」


 急斜面のあちこちが剥げており、ぐつぐつとマグマが煮えたぎっている。

 周辺の気温は優に二千度を超えており、生物が生存できる場所ではないが、彼らは平然としていた。


「そうか。貴重な戦力は惜しいが、手を抜くわけにもいかないからな……」


 竜山は非常に活発な火山であり、日中絶えることなくマグマを表出している。これを食い止めなければ、周辺地域は容易く飲まれてしまう。

 加えて噴火――竜人の用語でいうところの『噴出』も多い。噴出の規模は凄まじく、たった一回でジャース大陸の人類が滅びうるともいわれている。


 この暴力的な活火山を食い止めているのが竜人族であった。


「真面目すぎません? 噴出はともかく、表出なら周辺地域が消えるだけじゃないですか。見捨てちゃいましょうよー」

「アルフレッドやオーブルーの民が相当犠牲になる。五十万人は死ぬだろう」

「そもそも危険地域に住んでる方がおかしいんですよ。弱小種族のくせに」

「我らに住まいを縛る権利はないし、持つべきでもない。どうやら教育が足らんようだな、リューネ」


 リューネと呼ばれた竜人の少女に、目にも留まらぬ速さのチョップが振り下ろされる。

 彼女は難なく交わしたが、その攻撃により地面にはクレーターができあがり、周辺のマグマも爆弾のように飛び散った。


「ちょっ、リューガさん!? 容赦無さすぎません?」

「これを回避するほどだ。戦闘力に問題はあるまい。――リューネよ。もっと勉学に励まないか。早くマスターになれ」

「そ、それより演説するって聞いてますけど。わたしも聴講したいなー、なんて」

「……まったく」


 リューガが跳躍するのを見て、リューネも追いかける。二人はひとっ飛びで竜山から千メートル以上も離れ、灼熱とは無縁の澄み切った上空に着いた。

 間もなくリューガが無詠唱でゲートを発動し、大型スクリーン顔負けの大画面が表示される。「おぉー」リューネは小さな声と拍手で感嘆を漏らした。


 ゲートの先には、宙に浮いた一人の竜人――その頭頂部が映っている。

 真上から見下ろしているアングルである。あえてこの位置に繋いだ理由は一つしかない。


『――つまり戦争のみならず、四国《よんごく》間の大規模な武力行使が全面的に禁止となる。ペナルティは重く設定させていただいた。具体的に言えば、死罪である。実行あるいは画策した者には例外なく消えてもらう』


 ゲートの先には彼一人しかいないが、その姿は全種族の目に届いている。

 ゲートから届く声量はただの大声だが、その声は全世界の耳に届いている。


 竜人が誇る大規模魔法――青空画面《スカイ・スクリーン》が行使されている最中であった。

 その邪魔にならず、また映り込むのを防ぐには、こうして真上から繋ぐしかない。


『無論、ある国が違反したからといって、その国のトップを無条件に処罰するつもりはない。あくまで実際に行動に起こした者のみを処罰する。これに対応するべく、我々は各国の主要人物に対する監視も強化することにした』


 演説は鋭意進行中であり、学のないリューネには文脈がちっともわからなかった。


 代わりに、胸中で隣を一瞥する。

 リューガは腕を組んだまま、真剣に見ているようだ。視覚に頼らずともその程度はわかる。むしろ、振り向いてしまえば、集中が足りないとどやされるに違いなかった。


「……」


 先ほどのゲートを思い出し、半端ないな、とリューネは感想を抱く。


 空へのゲートは非常に難しい。景色に差が無く、移動先のイメージを思い浮かべることができないからだ。

 実際、青空画面を使える竜人でさえ、張れないことも珍しくない。青空画面さえ使えないリューネには雲の上のような話である。

 そんな中、隣の男はというと、いとも容易く張ってみせた。


 このリューガでさえも、竜人族では中の上だという。

 ならば、現在演説している竜人――マスタークラスと呼ばれる上位者は、一体どれほどの力を持つのか。

 同じ竜人であるはずのリューネにさえ想像がつかない。


「レシピか――」

「……リューガさん?」

「今回の演説は、平たく言えば人間族の四国――ギルド、オーブルー、アルフレッド、ダグリン間の戦闘行為を禁止する協定について説明したものだ」


 どうやらリューガが講釈してくれるらしい。

 リューネは胸中で嘆息するに留め、「あざまーす」外面のテンションは高めに反応した。無論、声は小さめのままだ。


「にしても、おかしくないですか?」

「何がだ」

「ずいぶん細かいというか、《《たかがそんなことで》》というか……」


 竜人族は世界の保全を使命にしている。

 彼らの価値観にしてみれば、一種族の営みなど些細なものでしかない。


 もっとも、それでは世界秩序を維持しづらいため、種族の保全を目的とした協定が設けられている。

 たとえば種族内協定なるものがあり、この中に人間間《にんげんかん》協定も含まれる。


 今回の禁止行為は、この人間間協定にルールを追加するという形で制定されたものだ。


「良い着眼点だ。本件は人間の話にすぎない。わざわざ青空画面で世界に知らせるほどではない」


 たかが人間に閉じた話は、人間にだけ展開すれば良い。

 実際、これまでは各国のトップにのみ説明されるのが常だった。


「人間が脅威ってわけでもないですよねー? たぶんわたし一人でも勝てるでしょうし」


 リューネがシュッシュッと口に出しながらシャドーボクシングのような素振りをする。


「……」


 リューガはその問いには応えず、


「この協定だが、実はある人間が我らに持ちかけたものだ」

「え? 人間がですかっ!? 誰です?」

「アルフレッド王国の現国王シキ・ジーク・アルフレッド」

「……誰です?」


 リューガは無言でげんこつをお見舞いし、リューネはしばらくうずくまることとなった。無論、空中に浮いたままであり、演説者に風圧や轟音が及ばないよう配慮もしてある。竜人には造作もないことだ。


「よく人間の言葉に耳を貸しましたね」

「対価が魅力的だったのだ。人間離れした人間を育てる秘術で、こう呼ばれている」


 |近衛の製造法《レシピ》――


 リューガはそう口にした。


「れしぴ? なんか美味しそうですねー」

「……」


 頭頂部をさすりつつ他人事のように首を傾げるリューネの横で、リューガは黙ったまま演説の様子を眺めていた。

第69話 廃戦協定2

 ダンジョン『デーモンズシェルター』から帰還したスキャーナを待っていたのは、青空に映された演説だった。


 唖然として見上げているのは彼女だけではない。

 周辺でキャンプを張る冒険者達も、露店の店主も、出入口で検問をしている衛兵も、場にいた全てが己の喧騒を空に差し出している。


「ご苦労様でした」


 そんな中、ファインディがしれっと彼女の隣に現れた。


「ファインディさん。これは忙しくなりそうで?」

「そうでもありませんよ。こんなしょうもないネタは、他の部署に任せておけば良いのです」


 スキャーナは隣の上司に流し目を送る。

 さっきもダンジョンに放置されたばかりだ。この上司は人畜無害そうな顔をしているくせに過激である。その上、何を考えているかわからない。


 竜人の演説をしばし見上げていた二人だったが、


「スキャーナ。今日をもって任を解きます。アルフレッド王立学園に行きなさい」


 ファインディが何でもないことのように言う。

 あまりに突拍子すぎて、スキャーナは理解に数秒を要した。


「これはまた唐突なようで」

「|第一級コンビ《アウラウル》の話も踏まえると、ターゲットは学園にいる可能性が高い」


 口調から考えて業務命令である。とすると、既に学園への入学手続きが進んでいるはずだ。

 無論、ファインディ一人で扱える問題ではない。既に本社に足を運び、やりとりを終えた後なのだろう。


「……」


 ここから本社までは相当遠い。よほどの移動力と体力がなければ間に合わない。

 ファインディはゲートを使えないはずだ。だからこそ、スキャーナのようなゲート要員を引き連れているのである。


 スキャーナは上司の力を改めて痛感するとともに、ふと純粋な好奇心が頭をよぎる。


 第90階層の攻略はどうだったのか。


「スキャーナ、聞いていますか?」

「……すみません」


 食えない上司の表情からは何も読み取れそうになかった。

 自分を蚊帳の外にしたくらいだから、聞いたところで教えてくれるはずもない。代わりに、自分の処遇について質問した。


「ターゲットは王立学園にいるとのことですが、私にはその根拠がわかりかねるようで」

「尻尾が掴めないからですよ」


 ファインディはもう空を見上げていなかった。

 どころか歩き始め、そばの露店に風魔法を発動。大きなおにぎりを四個ほどかっさらう。呆《ほう》ける店主とやりとりするのも面倒ならしく、銀貨を放置していた。


 二個のおにぎりが、崩れない程度の速度で飛んでくる。スキャーナはいったん両手で受け止めた後、「ごちそうさまです」頬張る。


「ターゲットは第二王女を派手に暗殺する前、石化状態でありながら災害蛇《ディザスネーク》から生き長らえたという不可思議な経験をしています。しかし、冒険者とは思えないほど無知だったそうです」


 塩味の効いたおむすびをむしゃむしゃ食べるスキャーナの頭には、引きこもりという概念が浮かんでいた。


 引きこもりとは、何らかの理由で自宅や自室に長期間こもること。あるいはそのような者を指す。

 スキャーナは以前、仕事で引きこもりを取材したことがあったが、その実態は貴族の箱入りか変態学者である。

 前者はしっかりと教育されていたし、後者は人並以上に博識であった。いずれにせよ、第一級冒険者が揃って無知と評するような人間にはならないはずだ。


「国もやわではない――まず尻尾は掴みます。ターゲットが無知ならばなおのことです。にもかかわらず、掴めていないのですよ。これが何を意味するか、わかりますか?」


 スキャーナは思考の脱線をやめ、ファインディの問いを考える。


 ひらめきは唐突なものだった。


「――既に掴んでいて、その上で隠している。つまり国が絡んでいる、ようで?」

「そうです。間違いありません」


 ファインディは手を使うことなく、器用におにぎりを食べていた。おにぎりはまるで手で掴んでいるかのような浮き方をしている。

 職業柄か、食べるペースも速く、ほぼ飲み物の域であった。


「国王には尋ねないようで?」

「シキ様はそんなに甘い相手ではありません。ただ、彼の志向ならある程度はわかっているつもりです」


 シキ・ジーク・アルフレッド。

 スキャーナには上裸で気さくな暑苦しい男、くらいのイメージしか浮かばない。当然だ。一国の王である。拝謁はおろか、お目にかかるのも容易くはない。


「彼は潜在的な脅威に見て見ぬふりをするほど小心者ではない。かといって一か八かで敵対するほど好戦的でもない。なら、どうすると思いますか?」

「……交渉するようで?」

「まあ及第点でしょう」


 もうおにぎりを食べ終えたファインディは人差し指を構え、口の中に入れた。

 奇怪に映るが、冒険者にはよく知られた仕草である。水魔法を発動し、飲料水として飲むのである。「ふぅ」ファインディは満足そうに口元を拭って、


「シニ・タイヨウを上手く抱え込んだ上で、教育を施そうとするでしょう。無知のまま放置するわけにもいきませんからね。無論、彼は暇ではないし、机と書物だけを与えるほど愚かでもなければ、漠然と冒険者をやらせるほど無計画でもありません。監視しやすい状態を維持しつつ、総合的、いえ実践的な場に投入するでしょう――つまりは王立学園です」


 ざっと土を踏む音が鳴る。ファインディが立ち止まったのだ。


「スキャーナ。ターゲットの正体を掴みなさい。掴んだらできるだけの情報を集めなさい。あわよくば仲良くなりなさい。もしターゲットがいないのなら、その事を証明するに足る根拠を揃えなさい。それができるまでは学生です」

「が、学生……勘弁してほしいようで……」

「社長の勅令でもあります」

「……入学できるかどうか、わからないようで」


 悪あがきであったが、スキャーナにとって学生とはそれほどに嫌な境遇であった。


「お金で解決します。相当な金額が動いています。それだけスキャーナに期待しているのですよ。私も会社も」


 ちなみに三国に属さず、ギルドからも独立した組織は『会社』と呼ばれる。タイヨウが聞けば天使の趣向を疑うに違いない。


「自分、荷が重すぎて胃が重すぎるようで」

「期待していますよ」

「む、向いてない、ようで……」

「良い機会です。友達や伴侶の一人でも見つけなさい」

「うぐっ……」


 無論、部下の性格を知らないファインディではない。

 むしろ、わかっていて、あえてねじ込んだのだろう。


 スキャーナは人付き合いが苦手である。

 だからこそ裕福な家の出でありながら社交界に入ることもなく、冒険者になることもなく、ソロでも活躍できるガートンへと行き着いたのだ。


「本任務はただいまをもって開始とします。まずはリンゴ支社に立ち寄ってください。検討を祈ります」


 スキャーナが一礼したことを確認すると、ファインディはにこりと微笑み、鳥のように飛び去っていった。


「私が、学生……」


 間もなく青空画面が閉幕し、辺り一帯がどっと湧いた。


 そんな中、彼女は空を見上げて、あーだのうーだのと悶えていた。

第70話 廃戦協定3

 空から廃戦協定が発表されるより少し前のこと。


「どんな怪物が通ったらこうなるのよ……」

「さあな。第一級冒険者でも出たんじゃねえか」


 王都リンゴの西部では、文字どおり血の海が広がっていた。

 赤黒く染まった物体は杖の破片か、ローブの切れ端か、それとも肉片や骨か。


「死体が消えるまでにさっさとやるぞ」


 彼らもまた青のローブを身に付けている。体型はおろか顔さえもフードで隠れていて見えないが、声音だけははっきり性別を分けていた。


「降霊術《ネクロマンス》――【記憶回収《メモリーコレクション》】」


 男はしゃがみこみ、そばにあった頭部に指を添える。「この辺じゃないな」すぐに立ち上がり、凄惨な現場をものともせず歩いて行く。


「【記憶回収】」


 もう一人の女も同様に、仲間のなれの果てを探しては指を当てていく。


 二人は爆心地を特定するかのように、少しずつ一方向へと進んでいった。やがて「見つけたぞ!」男が叫ぶ。

 女もすぐに駆け寄り、頭蓋骨と思しき物体に触れて「【記憶回収】」詠唱する。


「これがアルフレッドの現国王……あなたの言う通りみたい」

「バカモンって誰だよ?」

「部下か何かでしょ。バカモンというより化け物ね、これは」

「調査は終わりだ。おい、容器を頼む」


 女が土魔法を唱える。茶碗のような容器が出来上がった。

 そこに男は指をかざし、「【ウォーター】」「【ファイア】」続けて詠唱を行う。程なくして熱湯が生成された。ぐつぐつと泡を吹き、湯気が立ちこめている。

 そんな湯面に二人は指をつっこみ、数秒ほど耐えた。


 オーブルー国民が入信している『サクリ教徒』には、『儀《ぎ》』と呼ばれる作法が多数存在する。死体を漁った後の熱湯消毒もまた、その一つであった。


「帰って助祭様に報告す――」

「可愛い子見っけ」


 第三者の声だった。それも上から届いている。

 二人はその場から横っ飛びしつつ、上方に指を構えた。


「――鳥人《ハーピィ》だと?」


 地上から十数メートルのところで、鳥人が一人羽ばたいている。

 豊かな胸は揺れているが、羽音もなければ風も生じていない。そのことに気付いた二人に緊張が走る。


「男の方は私がもらっちゃおうかしら」


 言いながら、鳥人の女が片腕を一閃――男の首が飛んだ。


「え……」


 残った女が強張った顔を浮かべて固まる中、鳥人はもう一度腕を振る。

 女のフードがばさっと取り除かれ、平凡な女性の容姿が現れた。


「いいわね。王様が好みそう」


 サクリ教徒には冒険者が多い。彼女もそうである。

 ゆえに実力の算定はある程度行える。


 目の前の鳥人は、明らかに格上だった。

 見たところ、命乞いや交渉が通じる相手でもない。


 自分はここまでなのだと、冷静な頭が悟る。そこに本能的な恐怖も被さり――


「あ……」


 彼女は腰が抜けていた。

 同時に股間部分に湿った感触が広がる。失禁したのだ。


「あーんもう、汚しちゃってー。王様はそういうの好みじゃないのよ」


 鳥人の存在は知っていたが、日常で目にすることはまずなかった。それがなぜこんなところに。

 これほどの実力者である。まず助かることはない。自分はこれから一体どうなるのだろう。

 せめて楽に殺してほしい――


 鳥人のかぎ爪が迫ってくるのを見ながら、彼女はそんなことを考えた。

 それが彼女の最後の意識だった。

 そして鳥人もまた、そんな彼女の諦念を感じ取っていた。


「――ん?」


 かぎ爪をぴたっと止める鳥人。


 その先の、生を放棄したはずの人間が起き上がっていたからだ。

 諦めた人間に身体を動かす気力などない。加えて、そのスピードは、鳥人の算定――この人間の身体性能を超越するものだった。


「なあに? 実力を隠してたの?」


 鳥人は己のかぎ爪を構えたまま、失禁したばかりの人間に問いかける。


「……んー? なにかしら? 命乞い?」


 股を湿らせた彼女は、無表情のまま直立していた。恐怖という概念も消え失せている。とても失禁した者と同一人物とは思えない。

 まるで中身が入れ替わったかのような印象さえ受けた。


 鳥人はしばらく回答を待ったが、彼女の口から出たのは声ではない。

 閉ざされた唇から、糸のような血が垂れ始める。


 やがて顎が赤く染まったところで、彼女は――どさっと倒れた。


「怖くなって舌を噛んだ? 人間ってそんなにやわだったかしら……」


 鳥人はかぎ爪を下ろし、嘆息する。


「収穫ゼロじゃないの。また私が王様の相手になっちゃうわねー……」


 鳥人はげんなりしていたが、「まあ帳消しね」首無しの死体を掴むと、空高く羽ばたいた。

 高度を上げながら、死体に雷魔法を施す。下腹部がテント状に膨張する。


 鳥人はそれを使って、しばし愉しんだ。


「ふぅ……」


 鳥人は満足そうに舌なめずりをした後、かぎ爪を開く。降下する死体には目もくれない。


「少々遊びすぎたわね。急がないと」


 鳥人は王様の元へと向かった。






 海底から空にまで伸び、直径も数十メートルに達する大木『ジャースピラー』。ジャース大陸内で見かけることはないが、ひとたび陸を離れ、海に出れば、ごくありふれた存在であった。


 そんなジャースピラーが群生するエリアは何カ所もあるが、その一つは鳥人王《ハーピィキング》の別荘として知られている。


「自害しただぁ?」


 そう返す王は、太い枝の上で仰向けに寝転んでいた。その頭はお付きなのか、鳥人女性の太ももによって支えられている。

 彼女の容姿はお世辞にも褒められたものではない。火傷の痕もあった。

 太ももに目を付けられたのだろうとマーシィは考えた。


「はい。彼女は熱心なサクリ教徒でした。我らの手に渡るくらいなら、と自ら死を選んだのでしょう」

「人間の考えることはよくわからないね」

「ごもっともです」


 マーシィは立ったまま王を見下ろす形で謁見していた。

 無礼ではない。むしろこうしなければならない。その証拠に、王はマーシィの身体を舐めるように見ている。


「オーブルーの女の子で遊べる貴重な機会だったのになぁ」

「申し訳ございません」

「それで、全裸待機していたボクはどうすればいいの?」

「ど、どうと申されますと……?」


 寝転ぶ王の下半身は丸出しであった。


「マーシィ。キミを使わせてくれるのかと言っている」

「……はい。喜んで」

「でもねぇ、キミはあまり気持ちよくないんだよね」

「ご要望をいただければ善処致しますが……」


 その気はなくとも、リップサービスくらいせねばならない。それが王に目を付けられた鳥人の処世術だ。


「ボクが好きなのは二つだ。低レベルの柔らかいやつと、高レベルの硬いやつ。キミは中途半端なんだよね。もうちょっとレベルが上がったら引き締まるのかな?」

「……」


 一般的にレベルが上がるほどステータスが上がり、身体も物理的に硬くなる。

 といっても常時金属のような硬さになるというより、硬さの限界が深くなると表現した方が正しい。

 レベル1も、レベル100も、触れた時の感触は変わらない。しかし硬さの限界は違っており、前者は刃物を押しつけただけで貫通してしまうが、後者は逆に刃物の方が折れてしまう。

 この性質は性器も例外ではない。


 つまり王は彼女に期待しているのだ。

 実力者の女性が持つであろう《《硬い女性器》》を。


 マーシィは鳥人の中でも優れた実力者である。少なくともそう自負しているし、王にも名前を覚えられている。

 当然ながら相応の自意識やプライドも持っており、性の道具とみなされるなど屈辱も良いところであったが。


 それでもマーシィは堪《こら》えた。


 王に逆らえば命はない。

 実力者たるマーシィだからこそ、王との差を理解している。


「いいや。今のは忘れて。キミには無理だろうし」

「……え?」


 その発言を受けて、マーシィは目眩がした。

 思わず枝に膝をつく。「す、すみません」口では謝るものの、身体に力が入らない。



 ――キミには無理だろうし。



 王は確かにそう言った。


 だらしない王だが、どういうわけか人を見る目がある。特にその実力や伸びしろの算定は秀逸だ。

 助言も的確であり、一年間レベルアップできなかった鳥人が王の一言で打開できてしまうことも珍しくない。


 そんな王が無理だろうと言ったのだ。

 早い話、これ以上は成長できないという現実を突き付けられたに等しい。


 マーシィは冒険者でもある。到底耐えられることではなかった。


「……そ、そ、それはそうと、王様」

「なんだい? やる気なくなったからもういいよ」


 王様は膝枕している太ももをぺろぺろと舐めている。完全にマーシィから興味が逸れてしまっている。


 それだけじゃない。このままでは今後も相手にされなくなるだろう。

 王との性行為には吐き気さえ催すが、それ以上の価値がある。ここで見捨てられるわけにはいかなかった。


 何とかして繋ごうと、マーシィは口を回す。


「さ、先ほどの自害した女性ですが、興味深いことがありました」


 王は舌を止め、じろりとマーシィを睨む。


「――モテる王様はつらいね。そこまでしてボクを引き留めたいのかい?」


 いやらしい笑みを浮かべる王。

 王の自惚れなど今に始まったことではない。いちいち苛ついていたら身が保たない。


「……彼女と、もう一人男がいたのですが、どうも死体を調べているようでした」


 彼女が博識ならば、降霊術《ネクロマンス》という言葉で説明できただろう。


 降霊術《ネクロマンス》。

 死体から|情報や資源《リソース》を吸い出す特殊魔法である。その存在は知っている方が珍しく、魔法大国でもあるオーブルーでさえもあまり知られていない。


「犯していたのかい?」

「いいえ、死体に手を触れることで何かを感じ取っているようでした」


 王が最近、下界から飛んできた死体に執心していることは知っている。行為時にわざわざ持参されて不気味極まりなかった、とはマーシィの友人の弁だ。


 だからこそ刺さるかもしれない、とマーシィはわらにもすがる思いだった。


「死体から、感じ、取る……」


 がばっと王が上体を起こす。「王様?」膝枕役が声を掛けるが、全く届いていない。


 王は十数秒ほど固まっていたが、突然立ち上がった。


「気が変わったよ。キミを使ってあげよう」

「ありがたき幸せ」


 マーシィは一礼で応えた。


「キミはその話をできるだけ詳しく喋るだけでいい。その間にボクはキミで楽しむよ。さあ、早く広げたまえ」


 誤算と言えば、せっかく回避できた王との行為が再発してしまったことだろう。

 しかも王の興味はマーシィの話に向いている。性行為の方はおまけでしかない。屈辱も良いところだ。


 何より、危険だった。

 普段は加減上手な王だが、話に集中しすぎるあまり加減を誤るかもしれない。実力差を考えれば、マーシィが死ぬことも十分あり得る。


「……はい」


 無論、その気になった王の意思を覆すことなどできやしない。


 マーシィは腹をくくって、自らの恥部を晒した。

第71話 廃戦協定4

 オーブルー法国中央教区には空飛ぶ教会がある。


 高度数百メートルに浮かぶ教会の入口は開いており、ローブを来た者が四人ほど立っていた。

 その視線は先ほどまで空を向いていた。廃戦協定の演説を見終えたばかりである。


 赤いローブの者が堂内に引き返すと、残る三人――緑のローブ達もそれに続いた。

 見るからに重そうな扉が閉まり、無音にも等しい静寂が訪れる。


「若造が小癪な真似を」


 当国において唯一赤をまとえる者――教皇ラーモが忌々しそうに呟く。

 普段ならフードの先にあるはずの顔は視認できず、声も改変されているが、今は老人のそれであった。


「ラーモ様」


 彼の背後に付き従う三人のうち、一人が主の名を呼ぶ。

 付き合いは長い。説明を求めているのだとラーモにはわかった。


 振り返ると、三人が恭しく頭を垂れる。

 彼らには、傍目から見ても崇拝や盲信を確信できるほどの凄みがあった。


 教皇補佐部隊『カーディナル』。

 教皇に絶対の忠誠を誓う者達である。ローブの色は幹部と同じ緑色を許されている。


「戦線に降霊術士《ネクロマンサー》を見に行かせた。嬉しそうに我が教徒を全滅させる男が映っていたよ。上裸のな」


 まるで見てきたかのように言うラーモ。

 それは彼の成せる技であり、オーブルーにおける最高機密の一つでもあったが、彼らが今さら疑問を抱くことはない。


「……現国王シキ・ジーク・アルフレッド、でしょうか?」


 カーディナルの一人が、答え合わせと同時に疑問を投げかけた。


 彼らは竜人の協定を細かく把握している。

 第一級冒険者の大半は行動に制限を加えられ、迂闊に暴れることができない。戦線で大量の弱者を蹂躙するなどもっての他だ。

 破ればペナルティが待っている。ペナルティは絶対だ。竜人に抗える者などいない。


 アルフレッド国王と言えど例外ではない。

 死にたいわけでもないだろうになぜ、と問うているのだ。


「此度の廃戦協定を仕組んだのはそやつよ」

「ッ!?」


 カーディナル達は驚きを示した。御前でありながら、お互いに顔を見合わせるほどだった。


 竜人族は生物界の頂点に君臨する、別格の存在である。

 人間ごときが関われるはずがない。


「竜人が欲する何かを差し出したのだろう。ついでに少々の火遊びも見逃すよう交渉しておるはずだ」

「何を差し出したのですか?」

「何のために火遊びを……」


 ラーモは「レベルアップだろう」後者の問いにだけ答えた。


「そなたらに縁があるかは微妙だが、第一級のレベルアップ条件にはしばしば殺戮が挙がるのだ。同種族のな」


 レベルアップには様々な経験を必要とするが、レベルが高くなればなるほど、より広く、より深い経験が求められる傾向にある。


「その壁は余の前にも現れたよ。当時は良くも悪くも自由でな、数万の虐殺くらい容易かった。今はそうもいかんがな。忌々しき竜人どもめ」


 協定により実力者の蹂躙や暴走は禁じられている。破れば容赦なくペナルティ――制裁が加えられる。

 行使者としての竜人に慈悲はない。ペナルティは死に等しい。


 加えてラーモは、彼専用の協定も課されていた。

 彼は自国領から出ることができない。


「ラーモ様……」

「これでアルフレッドやダグリンの侵略は叶わなくなった。今後はギルド統括の下、魔人族の討伐が進むだろう」


 基本的に竜人は全種族を等しく尊重するが、魔人族はその庇護下に含まれていない。


「案ずるでない。余は止まらんよ。布教はこれまでどおり水面下で行いつつ、機会を待つ。そなたらにも引き続き頼ることになるだろう。刃は常に研いでおけ」


 カーディナル達は片膝を地に着き、祈りの構えをする。


「イエス、マイゴッド」




      ◆  ◆  ◆




 開放的な青空に、暴力的なまでに濃い色をした海。どこを見ても果てしなく、水平線が見えている。


 そんな大海原に、小さな群島が浮かんでいた。

 島は数十ほどに散らばっており、どれも海抜は数メートル、外周も高々数百メートル程度の小さなものだ。

 生物の姿は無く、草木や砂浜さえも見当たらない。群島というより大規模な岩礁地帯と呼ぶのが適切だろう。


 そんな大自然一帯は、人工に覆われていた。

 一目で破壊用途、侵略用途だとわかる大小様々な物品が配置されている。海中で狩ったと思しきモンスターの死体と、それを切り刻んだり加熱したりする光景も見られる。

 人の数も多く、何千という冒険者が島に、水面に、空にキャンプを張っていた。


 ここはジャース大陸南端からだいぶ南に離れた場所であり、つい最近ギルドによって発見された魔人族の大集落である。

 地下にはダンジョンが広がり、千を超える魔人族の生息が確認されている。


 ギルドはこれの掃討を決定し、大規模な討伐隊を結成――侵攻を開始したのが一月以上も前のこと。

 しかし未だ打破には至っておらず、捕らえた魔人の数もゼロであった。


 この堅牢性から、ギルドは『要塞《フォートレス》』と名付けている。


「これは吉報です」


 空を見上げたまま、一人の男が言った。

 丸眼鏡をかけた優男といった風貌である。強そうには見えないが、ギルドにおいて彼に逆らえる者はそうはいない。


 それを象徴するかのように、彼の周囲は快適に整備されている。屋外でありながら、ホテルのスイートルームのような空間が広がっていた。


「廃戦協定――竜人もたまには良い仕事をしますね」


 青空画面《スカイ・スクリーン》は既に消えている。

 彼は顔を下げ、テーブル上のカップを手に取ると、茶色の液体を一口含んだ。こくりと喉を鳴らした後、「あなたもいかがですか?」隣の青髪長髪に差し出す。


「結構。高級な嗜好品は口にせぬと決めている」

「相変わらずお堅い御仁ですね。一国の皇帝ともあろうお方が」

「ウルモス殿。国を担う者だからこそ、民の目線に合わせねばならぬのだ」

「真面目ですね」


 断られた彼はもう一度口に含んだ後、そばの椅子に腰を下ろした。


「それでご用件は? まさか我々に協力してくださるわけでもありますまい?」


 青髪の男――ブーガはウルモスの問いには答えず、黙って佇んでいた。


「大方、自国の脅威にならないか見定めに来たのでしょうが、杞憂に終わりましたね。晴れて我々《ギルド》も国となりました」


 ウルモスは周囲を見渡す。

 ギルドにも屈しない大陸随一の実力者が来ているというのに、注目は些細なものだった。偶然こちらを見て気付いた者だけが驚いている程度だ。


 群島は普段以上の賑やかさに包まれている。竜人の演説は、それほどにインパクトのある内容だった。


「四国《よんごく》の矛先はダンジョンと魔人族に向かうでしょう。討伐隊の戦力増強も期待できそうです」


 |三国間の《くだらない》争いがなくなれば、その分ギルドへの依頼が減る。

 そうすれば本来の仕事――未知への冒険や大いなる脅威の排除に専念できる。

 言わば己が実力を発揮できる機会が増えるのだ。冒険者の本分に費やせると言っても良い。

 ゆえにこそ、一同は歓喜と高揚に身を震わせている。


 一方で、ウルモスは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。

 カップが割れる。茶色の液体がぼたぼたと垂れた。


「だからどうしたという話なんですよ。雑魚が集まったところで烏合の衆でしかない。それで済む場所は既に攻略し尽くしている。今の我々に必要なのは火力――すなわち強者です」

「ウルモス殿。貴殿も焦っておられるのか」

「ええ。あなたと同様、《《老いた強者の悩み》》というやつですよ。いえ、あなただけじゃない。国王様や教皇様も同じでしょう」


 ウルモスは探るような笑みを浮かべるが、ブーガは「ふっ」一蹴した後、


「貴殿らと一緒にするでない。私はまだやれる」

「頼もしいことです。どうです? 討伐に参加してみませんか? やり甲斐は保証します」

「自国に目を向けたらどうかね」


 ブーガはそれだけ言い放つと、容赦ない加速で飛び去っていった。

 風圧や衝撃波は生じない。それほどの魔力を発揮できるということだ。


「さすがは近所をうろつく感覚でこんな場所にまで来るだけのことはありますね」


 ウルモスは露骨に感心した後、もう一度周囲を見渡し、嘆息する。


 ギルドの精鋭が揃っているにもかかわらず、彼を捕捉できたものはいなかった。

エピローグ

入学準備

 ――王立学園に入学してもらう。


 予想のはるか上を行く指示に、目眩《めまい》の一つでもおぼえたくなる。


 そんな俺にも構わず、シキ王は打ち合わせを続けた。

 どうもここでお別れするらしく、必要事項を全て叩き込むらしい。次に会えるのは入学後だそうだ。


「ジーサ殿。レベルはどうするんじゃ?」


 打ち合わせ、というか半ば一方的な説明はかれこれ数時間以上続いている。数えてはいないが、夜空が明けかけているのだから間違いない。

 しれっと廃戦協定なる話までぶちこまれたしな。


 いいかげん解放してほしかった。一人で頭を整理する時間が欲しい。

 が、駄々をこねるわけにもいかず、素直に応対する。


「レベルって?」

「身分証明が必要なんじゃが、おぬしはギルドに登録しておらん。好きなレベルで登録してやるから言ってみい」


 俺とシキ王は窪みの中で、あぐらを組んで向かい合っていた。

 穴のふちでは、相変わらずゴルゴキスタとライムが直立不動の姿勢で待機している。フユナはライムに抱きかかえられており、憎たらしいほど安らかな吐息を立てている。


「そう言われましても……どうしたらいいですかね?」


 シキ王から詳しい話を聞く。


 王立学園では入学時にステータスの開示を求められる。ギルドから発行してもらったステータスプレートを見せるか、その場で実力検知《ビジュアライズ・オーラ》を受ける必要があるそうだ。

 ここで開示したステータスのうち、レベルについては学園内に公開される――

 言わば自分の顔になるというわけか。


「開示してもらうのは入学時の一度きりじゃ。元々は半期に一度しておったんじゃが、貴族らがうるそうてのう……」


 ステータスはレベルも含めてプライベート情報である。いくら王族とはいえ、おいそれと教えるわけにはいかない。意識高いな貴族達。


「それでステータスがわからなくなると、今度は|引き抜き《スカウト》や勧誘がしづらいと文句が出てのう……」

「苦労してるんですね」


 シキ王もシキ王で意外だった。

 もっと絶対的な存在をイメージしていたが、話からはちょいちょい気苦労が漏れ出ている。

 王族として権力は有しているものの、無闇に乱用はしないし、下の意見を無視するほど傲慢でもない。良い国王なんだよな。


 俺はそんなのに目を付けられてしまったわけだが。


「じゃから大会や表彰といった機会を増やしたり、ステータスルーム――ステータスを確認できる部屋も設けたりした。今では生徒のほぼ全員が自発的にステータスを開示しおる」


 なるほどなぁ。承認欲求の刺激と、ギルド本部でしか確認できないステータスがすぐにわかるという便宜のダブルコンボといったところか。


「それで話を戻すんじゃが、おぬしの場合は正規とは異なった形での入学となる。開示手順もスキップさせてもらう」


 だから好きなレベルで登録しておいてやる、と。


「一つ質問なんですが、もし申告したレベルと俺の実際のレベルが著しく違ってたらどうなるんです?」

「気付かれたら、いや勘付かれただけでも要らん喧嘩やちょっかいを吹っかけられるじゃろうな」

「まあそうか。面倒だな……」


 仮に俺のレベルが50だとする。

 レベル10だと低く申告して、そうではないとバレた場合はどうなるか。

 逆にレベル100だと高く申告して、同様にバレた場合はどうなるか。


 そもそも低く申告した場合の日常と、高く申告した場合の日常には大きな違いがあるだろう。前者は肩身が狭そうだし、後者も目を付けられて鬱陶しそうだ。


「面倒くせえ」


 二回続けて呟いてしまった。ここまで累計五回は出ているが仕方ない。

 そもそも俺は生きることからして面倒くさいのである。シキ王も慣れたのか普通にスルーしてくれる。


「それにステータスを偽装したとして、学園内で大問題になるじゃろうな」

「ダメじゃねえか」

「ワシとしては生徒や学園がどう対応するか見てみたいの。無論、ワシは何も関与しとらんことにする。お主は、この王立学園の開示手続きを巧みにくぐり抜けた、史上初の問題児となるわけじゃ」

「普通に勘弁してほしいんですけど……」

「もう決めたことじゃ。ほれ、申告せんか。答えなければレベル100じゃからの」


 ふざけるな。詐欺もいいところである。


 ……それはそうと、今の俺ってレベルいくつだ?

 グレーターデーモンを一体倒した。動体視力や身体能力の伸びも体感的に段違いだった。

 ナツナを殺した時が17で、ギリ第四級だったが。


 少なくとも第三級の入口である33は超えていると思う。ルナやユズの背中も見えている気がする。

 第二級のラインである65は――さすがに無いか。


「10で」

「10じゃの」

「はい」


 シキ王からのファイナルアンサーに、俺は迷うことなく頷いた。


 俺は当面の間、貧民として目立たず生きていくつもりだ。

 幸いにも王立学園は貴族から貧民まで幅広く門戸を構えており、ヒエラルキーはあれど、秩序は整っているらしい。図書館も自由に使えるそうだ。

 シキ王にも貧民として入学する旨を既に伝えている。


 だったら貧民らしく実力も低く見せておくべきだろう。

 俺がポカをしなければ、バレることはない。身体の感覚と制御はだいぶ掴んでいる。加減は可能だ。

 それにダンゴに協力してもらえば、よりリアルな演技だって可能になる。


 演技は心強い。たとえ絡まれたとしても、いじめられたとしても、凌げるようになる。

 もっとも評判や自尊心はぼろぼろになってしまうが、そんなものはクソの役にも立たない。使ってナンボだ。


「これで一通り終わったかの」


 シキ王は偉そうに寝っ転がり、頭の後ろで手を組んだ。

 ずいぶんとくつろいでおられるが、良いのだろうか。俺にとってはどうでもいいが、廃戦協定ってだいぶセンセーショナルなニュースだと思うんですけど。


「後は頼んだぞゴル。わかっているとは思うが、誰を使ってもならん」

「御意」

「ライム。今日でジーサ殿とはお別れじゃ。以降は偶然出会ったとしても赤の他人として接してもらう」

「承知」


 ライムはなぜか俺を見下ろしてきた。その後、フユナをゴルゴキスタに預けたかと思うと――

 なぜか俺の方に飛び込んできた。デジャブ。

 一応受け止めておく。


「軽っ」


 フユナよりはずっしりくるが、まだ軽いし小さい。


 そもそもレベルが上がってて常人の感覚がさっぱりわからん。

 試しに人差し指だけで支えてみたら、普通に平気だった。レベルアップすげえな。体感的にビーチボールより軽い。


 俺がバランスを取って遊ぼうとすると、ライムがふわりと浮く。

 無表情のまま抱きついてきた。


「それで何の用ですかねライムさん」

「ライム。さんは要らない」

「赤の他人だからな。敬称はつけないと」

「ユズはライバル。負けたくない。ライムもあなたを落とす」


 恋に落とすとでも言いたいんだろうか。どこからツッコめばいいのやら。


「というか本当にそっくりなんだな」


 間近で見るライムの顔は、全体像もパーツも、どこをどう見てもユズと一緒だった。双子ではなくクローンというレベル。

 しかし表情の動かし方がちょっと違うし、前髪に髑髏のピンも四つついている。


「やっぱり可愛いよな。お母さん似か?」


 大胆に金髪を撫でつつ、さりげなく探りを入れたつもりだったが、ライムはあっさり俺から離れた。

 デフォルト無表情なロリフェイスも変化の気配無し。


「帰るとするかの」


 今度はライム、ゴルゴキスタ、そして寝そべったシキ王の身体が浮く。風魔法なのか疑わしく思えるほど滑らかだ。

 ライムはさらに俺の目の前にゲートをつくる。見覚えのある峡谷が映っていた。


「|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》か……」


 ミノタウロス狩りでお世話になったところだ。


「王都からはちと遠いが、堪忍せい。国がまだ緊張しておるからの、あまり近くには運べんのじゃ」

「辿り着ける自信がないんですけど」

「草原の方を進めば良い。周辺地理は頭に入っとるじゃろ」

「ああ」


 俺は素っ気なく答えつつ起き上がり、手渡されていた地図を拾う。


 ライムのゲートをくぐり、大峡谷の大地に足を踏み入れた。

 くぐり終えた後、振り返ると――もうゲートは閉じていた。


 地平線から朝日が差し込まんとしている。

 あれは太陽なのだろうか。それとも他の恒星? そもそも恒星なのかさえわからない。


 この異世界の天体事情も追々調べていきたい。俺を殺せるヒントもあるかもしれないからな。ブラックホールとか?


「っと、そういうのは後だ」


 地図を広げる。

 日本列島と同じ形をした大陸のみが浮かんでいるというシュールな世界地図だが、いいかげん慣れた。むしろ前世の知識が使える分、ありがたいまである。クソ天使に感謝しないとな。


 いや、この元凶もあいつらだったな。

 前言撤回。天使も天界も全部死ねばいい。


「ダンゴ。話は聞いてたな? これから家探しに行くぞ」


 王都リンゴは群馬県の高崎あたりだろうか。対して大峡谷は茨城県の全域を覆うレベルで広い。

 こういうと近そうに聞こえるが、面積はだいぶ違うっぽいんだよなぁ。


 前世の日本列島だと、東京大阪間でも直線距離でほんの400キロメートルである。単純計算で時速100キロを4時間。

 今の俺なら出せるスピードだし、体力はバグってるから考慮の必要すらない。現実的に移動できる距離なのだ。


 しかし、このジャース大陸、ありがたいことにサイズがでかいのである。

 直感だが五倍はある。十倍もあるかもしれない。たかが群馬茨城間、と侮ることはできない。


「まずは王都に戻る。それからちょっと金を稼いで、貧民エリアの宿をどこか借りよう」


 お金は力仕事で適当に稼げば良い。レベルアップした今の俺なら余裕だ。


「入学については、また向こうから接触してくるらしい。王都内であればどこにいてもわかるんだと。怖えよな」


 俺達はエアーズロックもどきを出発し、大峡谷を疾走した。


 二輪に乗ったことはないが、こんな感じなんだろうか。風が気持ち良い。

 景色が広すぎて速さはわかりづらいが、地面のスクロール具合を見れば人力を超越していることがわかる。

 なのに、細かい石や砂粒などがはっきりと見えた。俺の動体視力も人間卒業したようだな。たぶん新幹線から線路の枕木一本一本も見えると思う。いやマジで。


 しばしドライブを味わった後、俺は今後について考えることにした。

 普段なら頭の中で完結させればいいが、今はダンゴがいる。共有も兼ねて、あえて呟き続けた。

 ダンゴは特に反応を返すことなく、俺の唾液を貪っていた。


 体外体内で寄生生物を飼って体液を吸わせ、時速100キロメートル以上で走りながら独り言ちている男――。


 こんな奇想天外な人間は、ジャース広しと言えど俺だけだろう。

=== 第三部 1章

第72話 入学前日

 なぎ払われた大斧が胴体に直撃――

 俺は吐血とともに吹き飛び、地面を転がった。切られた脇腹からの出血も忘れていない。


(ダンゴ、血液の生成は問題無いな? いつでも即座に出せるよな?)


 俺が口を閉じたまま口内で喋ると、後頭部をゴツッと叩かれた。

 肯定の意である。


 そうしている間に、ミノタウロスがどすどすと迫ってきた。すぐに斧を振り下ろしてくるが、自分でもびっくりするくらい鮮明に見える。

 何と言えばいいのか、刹那における時間の感じ方が伸びている。少し集中するだけで、ゼロコンマ一秒が数秒にも十秒にも感じられる。

 そして、それに見合ったスピードで体を動かせる。


 斧が地面に届く前に、俺はその軌道の外に出る。ミノタウロスの足元にまで移動し、両足を切断した。手刀で一発である。

 続いて、倒れた巨体の牛頭を切り離す。


 かつて刃物でもダメージを通せなかったモンスターなんだが……。

 これがレベルアップの力か。


(ダンゴ。くれぐれもレベル10の冒険者として不自然がないように頼むぞ。もう一度確認するが、お前は体液の生成と放出、それから容姿の維持にだけ集中してくれ。吹き飛ぶ演技も含め、体の演技は俺がやる)


 俺とダンゴは演技の練習をするべく、早朝から|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》に来ていたのだった。


 明日から学園生活――アルフレッド王立学園への入学が控えている。

 目立たぬようシキ王にはレベル10を申告しているが、一方で実際のレベルはもっと高い。何たってグレーターデーモンを倒したんだからな。

 そこで怪しまれないよう、|第五級冒険者の中堅《レベル10》として振る舞える演技が必要と考えたのだ。


 習熟には苦労すると思われたが、ダンゴのおかげで助かった。

 特に血液や汗を生成できるのが大きい。さすが俺の体液を貪り続ける寄生モンスターだけのことはある。


(……ダンゴ。もしかして涙もいけるか?)


 リクエストした直後、目に久しい感触が。


「すげえな」


 目尻を指で拭い、舐めてみる。少ししょっぱい……っと、もう一体来やがったな。


 筋肉質な牛頭が近づくのを待つ。

 そいつは俺か、はたまたそばの死体かに気付くと、猛ダッシュで駆けてきた。その勢いのままに斧を振り下ろしてくる。

 いったんサイドステップで回避し、続く横薙《よこな》ぎの一振りはあえて受ける。

 吹っ飛ぶことはなく、俺はカーリングのように地面をスライドしていった。


 今の俺はレベルアップしている。

 吹き飛ばずに耐えられる程度の防御力はあるのだ。しかし、体重は成人男性のそれでしかなく、地面を掴めなければ吹き飛んでしまう。


「だいぶコツがわかってきた」


 足裏で地面を握ることにより、宙に浮くのを防げるようだ。

 それでも地面が柔らかい場合は、こうしてズレてしまうが。


「ユズとかどうやって耐えてたんだろうか」


 ブーガの攻撃はこれの十数倍は強かった。

 まともに食らえばゴルフボール顔負けの吹き飛び方をするはずだが、ユズは俺ごとその場で踏み留まれていた。


「やはり風魔法、なんだろうか」


 風、というより空気の壁をつくることで支えていた、と考えれば筋は通る。現にユズは空中に足場をつくっていたし、



 ――さぞ便利であろう。誰も風魔法だとは思わぬ。



 ブーガもそう絶賛していたっけな。


「魔法か……」


 こうしてミノタウロスと向かい合ってみてわかる。俺のレベルはかなり高い。

 少なくともレベル33――第三級は超えているし、たぶん第二級の入口たるレベル65にも至っているだろう。


 ミノタウロスが再び迫ってきて、斧を振ってきた。俺は軽々と受け止め、斧を弾き飛ばすとともに、その丸太のような手首を掴む。

 力の差は歴然だ。ミノタウロスには振り解けない。


 小指をピンと立て、突き刺してみた。見るからに分厚い筋肉だが、小指は根元まで埋まった。

 あれほど硬かった筋肉が、粘土のように柔らかい。間違いない。


 今の俺は、ルナよりも強い。まあ魔法面では足元にも及べないが。


 コイツに用は無い。

 首を落として絶命させた後、俺はダンゴに問う。


(なあ、ダンゴって魔法を使えたりしないのか?)


 ゴゴッと後頭部を連打された。否定の意である。


(未だに一つの魔法も覚えてないんだよ。俺って才能ねえのかな)


 今度はゴッと単発の殴打。

 気持ち良いまでに即行で、そして強打である。


(賢いダンゴがそう言うなら、そうなんだろうな。……帰るか)


 大峡谷を走る。駆ける。


 相変わらず景色は壮観の一言に尽きた。地形があちこちで隆起しており、その高さや深さはいちいち何十メートル、時には何百メートルという規模を見せてくる。

 当然ながら人工的に整備されているはずもなく、人力でその崖を突破できる必要があるのだが、今の俺には障害物にもならない。


「昔遊んでた某配管工おじさんを思い出すな」


 その作品は、64という名を冠した家庭用ゲーム機とともに発売され、三次元アクションの世界観を世に知らしめた。

 俺もすっかり夢中になり、スターを120枚集めるだけでは飽き足らず、意味もなくあちこちを飛び回っていたものだ。


 今の俺は、そのおじさん――マのつく世界一有名なおじさんよりもはるかに強い。


「イヤッフー……なんてな」


 ひとっ飛びで数十メートル以上の幅跳びが出来てしまう。

 野球の球みたいなものか。放物線状に飛べば100メートル以上進めるし、直線的に走れば時速150キロメートル以上だって出せる。


(ダンゴ、方角はこっちで合ってるか?)


 ここから王都までは相当遠く、軽く一時間はかかる。

 景色の果ても全方位地平線であるため、情けないが俺一人では帰れない。


(じゃあこっちか?)


 俺はダンゴから肯定をもらうまで方向を調整した後、改めて加速した。






 王都「リンゴ』の北西部――貧民エリアは自然豊かである。

 あえて言えば現代日本の田舎に近い。ただし山はなく、せいぜい小さな丘や林が見られる程度で、ほぼ平地と川から成る。


 標高は低く、南には貴族エリアの豪勢な館や塔が並ぶ。標高差は五十、いや百メートルを越えている場所もありそうだ。

 いずれにせよ、完全にこちらを見下ろす格好になっている。


 目線を東にずらしていくと、白い巨塔が天に伸びているのがわかる。

 王都の中央辺りに建つギルド本部だ。あれを目印にすれば、王都内ではまず迷わない。


 あの塔を境に、いったん標高は下がり、ちょうと東の方角を向いたあたりから再び少しずつ高くなっていく。

 貴族エリアほどではないが一軒家が並び、北東へ向かうほど家のグレードも上がっていくというヒエラルキーが如実に反映されているそこは、平民エリアの住宅街。


「なんかニュータウンみたいだな」


 何千、いや何万という冒険者が家族とともに住んでいるのだろう。のどかな光景が目に浮かぶ。


「のどかと言えば、こっちもそうか」


 わーわーと子供達が走り回り、川の水をばしゃばしゃと飛ばし合っている。おい、少し飛び散ったぞ。

 謝るどころか気付く素振りもない。


「賑やかなだけか」


 あえて言うなら、小学校放課後のグラウンドみたいな喧騒。それが至るところにあり、夜になるまで耐えることはない。

 静かに過ごしたい俺としては溜まったもんじゃない。

 もっとも俺の無敵バグに死角はないらしく、騒音によるストレスが生じることもないわけで、正直どうでもいいのだが。


 それでも、つい意識してしまう。

 要は気に食わないのだろう。

 前世では何度隣人にクレームを出したかわからない。時には理論武装、時には変人演技、はたまた筋肉をちらつかせた脅迫から警官を巻き込んでの大騒動まで、俺は全ての騒音源を封殺してきた。

 孤独をこじらせたぼっちは音にも敏感である。怒らせない方がいい。死ぬぞ。


 ……と胸中でイキってみるが、俺も子供じゃない。

 異世界に来てまで、しかもガキ相手にどうこうするほど暇ではないのだ。


(いよいよ明日だな、ダンゴ)


 腹話術のように口を閉じたまま喋る俺。

 周囲にさえ聞こえないほどの小声だが、それでもダンゴには届く。


(何度も練習してきたが、俺はレベル10のジーサ・ツシタ・イーゼだ。ちゃんと演じてくれよ。勝手に暴走するなよ。人の体液が欲しいからって、舐めたりキスしたりするなよ)


 ゴツッと後頭部を叩かれる。肯定の意だが、叩き方が「しつこいんだよ」と言わんばかりの乱暴さであった。


 俺が『ダンゴ』と名付けたコイツはスライムの一種であり、俺に寄生している。

 体外寄生としては俺の体を丸々覆い尽くし、坊主頭でゲジ眉なブサメン中肉中背男の貧民を見事に表現している。

 シニ・タイヨウの面影はもはや無い。


 体内寄生としては、俺の唾液や胃液を好んですすっている。

 一日何リットル飲んでいるかわからないほどの大食らいだが、バグってる俺は体液も無限。何ら問題はない。

 むしろ安いくらいだ。この優秀なモンスターには、それだけの価値がある。


「……だいぶ早いが、もう帰るか」


 空を見上げるまでもなく、直射日光が眩しい。

 明日までまだ長い。どうせ眠れないし、疲れてもいないが、ここ最近何かと忙しかったのだ。

 今日くらいゆっくりしてもいいだろう。


 北西に向かってのんびり歩くこと二十分。


 岩場のような河原に到着した。

 このあたりは足場が滑りやすい上に鋭利であり、水深も非常に深い。一般人《レベル1》なら転んだだけで死にかねないし、溺れ死んだ例も一度や二度ではないらしい。と、見知らぬおじいさんが言っていた。

 彼は家を探しているという俺に長屋を勧めてくれたが、即行で断った。

 家は一人で過ごすものだ。


 そして、そんな俺に打って付けの住まいが、ここにある。


 俺は服を脱ぎ、濡れないように、しかし外から見えないよう隠して置く。

 下着は脱がない。先日|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》から回収したこの黒下着は貴重品である。手放すわけにはいかなかった。

 そもそも完全防水、というか全く濡れないので問題もないしな。


 川に入り、どんどん潜っていく。当然ながら溺死することもない。ダンゴもスライムだからか呼吸に問題はないそうだ。


 数十メートルほど潜り、川底に着地すると、俺はそのまま寝転んだ。


「ここは静かでいい」


 昔読んだ超能力マンガの主人公も同じことをしていたが、確かにこれは良い。

 水という圧倒的な厚みが、俺の嫌う人工的騒音の一切を遮断してくれる。地上では決して味わえない安寧がここにある。


「……王立学園か。アラサー後半なんだけどな俺」


 学園というと高校生くらいのイメージがある。俺の二分の一しか歳を取ってないガキと一緒に過ごすことになるのだろうか。


「シキ王も何も教えてくれないんだよな」


 ここまで必要最小限の説明を受け、便宜も図ってもらったが、学園生活については当日のお楽しみだと一蹴されている。

 一体何が待っているやら。シキ王は何を企んでいるのやら。


「……」


 ふとルナとユズが頭をよぎったが、無理矢理はねのける。

 未練――というほど深い付き合いでもないが、忘れるべきだ。


 何かに期待するのも、何かを求めるのも、何かを背負うのも。

 どれにも手を出しちゃいけないし、出すべきではない。


 俺は|自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》なのだから。

第73話 入学当日

 深淵とも言うべき川底の真っ暗闇が、ほんの少しだけ明るくなってきた。

 もう少しだけ待って、泳いでいる魚が肉眼で見えるかどうかといったところで、俺は狩りを開始する。


 適当に数匹ほど捕まえた。

 人間が水中で魚を捕まえるなど不可能だが、今の俺には朝飯前である。

 というか水中でも軽く時速40キロメートルくらいは出せるんだよな。レベルアップ半端ねえ。


 ちゃぷんとこっそり水面から出て、大きな岩の陰に陣取った後、俺は捕った魚を《《そのまま食す》》。

 人間が生の魚を食べるなど不可能だが、今の俺にはやはり問題無い。

 骨が喉に刺さることもなければ、肝で腹を下すこともないし、寄生虫にやられることもない。無敵バグは、そんなにやわではない。


 しかも不快感さえシャットアウトしてくれるおまけつきと来た。

 俺が感じる生臭さや不味さは非常に小さいのである。仮に一日中ずっと続いたとしても普通にスルーできるだろう。むしろ意識しなければ気付かないくらいだ。

 惜しむらくは、これがあらゆる刺激と感情の変化にも適用されることか。つまり俺は喜怒哀楽をまともに感じることができない。無敵バグさんは本当に容赦が無い。


「美味いか?」


 相棒に尋ねると、後頭部をダダッとダブルクリックされた。否定の意。美味くねえのかよ。


 この食事はダンゴのためであった。

 ダンゴが俺以外の体液も味わいたいとうるさいから、こうしてたまに他の生物を食らうことで満たしてやっている。本当は他人の体液を欲しているようだが、さすがにできかねる。


 食事が終わったら、服を着る。

 黄土色の作業着である。所々に穴や切れ目があり、全身ダメージジーンズ状態になっている。安い割に着心地も悪くないから買った。


「さて今は何時だ……って無いか。不便だよなぁ」


 前世の癖が抜けてないのか時計を探す俺だが、あるはずもない。空を見ると、朝日が差したばかりといったところで、かろうじて本が読める明るさ。

 歩行には問題無いので、出歩くことにする。


 王立学園は王都リンゴの中央からやや南西に位置する。俺の川底邸宅からだと、ひたすら南東に向かえばいい。

 まあ迷うことはない。学園は標高が高く、ここからもばっちり見えている。

 立地のみならず見た目も上位階級――貴族のそれで、俺みたいな貧民が入れるのか心配になってくるほどだ。


 貧民の朝は早いらしい。既に農作業やら料理やらの光景がちらほらある。

 中には子供もいて、眠たい目をこすっていた。


「時間というか、そもそも暦《こよみ》がわからん。ダンゴはわかるか?」


 ゴッと後頭部を叩かれる。肯定、か。


 しかし、コイツから細かい知識を引き出すのは非常に面倒くさい。何せイエスノーで答えられる質問しかぶつけられないのだ。

 何回も、何十回も、仮説を定義しながら質問を組み立てることになるわけだが、朝っぱらからそんなことはしたくない。


「ダンゴ、秒という概念はわかるか?」


「分は?」


「時は? 秒、分、時という単位は相互に変換できるか?」


 と言いつつ、どうせ暇なので、俺はしばしダンゴを質問攻めにした。


 結果、秒分時と週、それから年の概念はあるが、月の概念は無いとわかった。まあ月は明らかに無さそうだもんな。

 それにしては前世の体系と一致する部分が多く、クソ天使の趣味をうかがわせる。真似するなら月も含めて完全再現してもらえるとわかりやすいんだが。


 ともあれ、この世界ではどんな暦が採用されているのやら。

 そんなことを考えながらぷらぷらしていると、視界が急に黄ばみ始めた。


「……は?」


 空が黄色くなっている。

 タイルが敷き詰められていくように、黄色い領域がどんどん増えていき、十秒と経たずに全面が黄色一色。


 と、同時に周囲も騒がしくなり、そばにいた老人は「ニューイヤーだの」などと呟いている。


「すいません。あの、ニューイヤーって?」


 老人がじろりと俺を睨む。

 周囲を見る限り、この大規模な現象を知らないのはまず考えられない。俺を怪しんでいるのだ。


「引きこもりだったもので、色々と疎いんです」

「学者さんが何の用か……」


 俺は自らの無知を隠すべく引きこもりを自称しているが、ジャースには本当に引きこもりがいる。

 その実態は箱入りか学者なのだという。



 ――そうじゃな。おぬしはボングレーの引きこもりを名乗ると良い。



 とはシキ王の提案だ。

 異世界人として無知すぎる俺にはありがたかったが、本当の素性についてシキ王から怪しまれたのは言うまでもない。


「お詳しいのですね」

「だてに年は食っとらんよ」


 雑談が発生しそうだったので、俺は露骨に空を見上げることで説明を促した。


「これは新しい年を知らせる。竜人様が毎年こうやって知らせてくださるのだ」


 空の全域に干渉する魔法、だろうか。あるいは、まだ見たことはないが、青空画面《スカイ・スクリーン》とやらの応用かもしれない。

 いずれにせよ竜人は別格か。


「ちなみに一年って何日です? 365日?」

「そんなことも知らんのか……300日だ」

「それは毎年同じですか? 数年に一回、301日になったりしませんか?」

「変わりはせんよ。変わったらおかしかろう」

「それもそうですね」


 閏年のようなシステムがあるかと思ったが、そうでもないのか。

 もうちょっと尋ねたかったが、「もうええか」相手も用事があるらしい。


「はい。ありがとうございました」


 一礼して老人と別れた、が。


「……中途半端だな」


 どうせすぐ死ぬからと暦など気にしなかったが、時間がわからないってのはやはり不便だ。

 しばしきょろきょろして、俺は別の老人――工事現場で見かける|手押しの一輪車《ねこ車》のようなものを押しているおばあさんを発見。声を掛け、運搬を手伝いながら話をすることに。


 二十分は食ってしまったが、ジャースの暦は理解できたから良しとする。






 王都の南西部分は貴族エリアであり、平民以下は立ち入りを禁じられている。姿は見えないが警備も厳重であり、侵入しようものなら容赦なく処罰されるという。

 しかし王立学園と、そこに至るまでの坂道だけは例外である。


「大丈夫なんだろうな、これ」


 俺は『学園丘』と呼ばれる大きな丘を見上げながら呟いた。

 目前には広い坂道――通称『学園坂』が広がっている。この坂が丘をぐるりと囲んでおり、上りきったところに校舎がある。


 どことなく地方の運動公園を彷彿とさせるが、誰でも立ち入れる気軽さは無い。地面が大理石のようなタイルで出来ていて高級感がある。

 傍らには大きな看板があったが、何と書いてあるのか読めなかった。

 ハングルやアラビア語よりも見慣れない。古代文字とでも言えばいいのか、よく分からない書体だ。


「……まあ、大丈夫だろう」


 目的地はここなんだし、詳しい時刻が分からない以上、早入りするのが礼儀というものだ。


 早速上ろうとしたところで、後方からど派手な転倒音が聞こえた。

 詳しい状況は読み取れない。レベルアップにより感覚も鋭くなったという認識だったが、勘違いかもしれない。

 気配がわかる的な能力はステータスには含まれないのだろうか。あるいはまだ俺がまともな水準に至ってないだけか。うん、わからん。


 とりあえず無視を決め込み、二歩ほど歩いたところで、


「ちょっとそこの平民! 手伝いなさいっ」


 今度はよくわかった。相手は明らかに俺に言っている。

 といっても周囲には俺しかいないわけだが、ともかく相手に捉えられたのが不思議とわかった。


(ダンゴ、これっていわゆるオーラってやつか?)


 後頭部には肯定の打撃。おお、マジかよ。謎だったオーラの正体とやらも解明できるチャンスでは。

 しかし相手は容赦無いらしく、詠唱らしき小声の発音とともに、俺の足首から下がパキンと凍った。


 首だけで振り返ると、案の定、荷物が散らばっている。

 ボリュームは一人暮らしの引っ越しレベルか。衣服と調度品のようだが、見慣れない小道具なのか日用品なのかが多い。色合いは女の子らしい。


 そして当の本人は一目でキツかった。

 下僕を飼ってそうな顔つきの金髪美人が、真紅のドレスに身を包んでいる。肩はむき出しで、胸も谷間がくっきり。


「無視してんじゃないわよ」


 氷結拘束《アイス・バインド》か……。俺ならすぐにでも壊せそうだが、体感的にレベル10の力では壊せない。


「手伝いなさいと言ってるでしょ」

「……離してくれないか。俺みたいな雑魚に手伝えることはない」

「なら良いじゃない。雑魚は暇でしょ?」


 良くねえよ。それにとんでもない偏見である。

 第一、暇とは本人の主観で測るべきものだ。他人の基準を押しつけてくる奴は総じてクズ。

 独身だから暇だって? 友達いないから暇だって? ふざけるな。殴るぞ。


 レベルアップしたからか、イキりたくなりそうになるのを堪えて、俺は足元を大げさに指してみせる。


「こんな魔法が使えるくらいだ。荷物を何とかする力くらいあるんじゃないか?」

「あるけど何? 文句ある?」


 文句しかないんですけど。


 ……これ、関わっちゃいけないタイプだよな。よく見ると散らばり方にも作為を感じるし。

 俺を狙い撃ちして絡んできた?


 どうするべきか考えている間、彼女は俺に近寄ってきた。

 わざわざ俺の真正面にまで来て腕を組み、ずずいと顔を近付けてくる。形の良い鼻が間近でくんくんと動き、


「あなた、臭いわね」

「……そりゃどうも」


 俺ことジーサ・ツシタ・イーゼの体臭だが、ダンゴの影響で少々臭う。

 ダンゴ曰く、俺の体液を摂取しすぎたことで不養生になっているのだとか。


「褒めてないわよ。あなたも新入生でしょ? え? まさかこのまま学園に向かうつもり? 服もぼろぼろじゃない」


 その台詞はそのまま返したい。

 まあコイツの場合、ぼろぼろというより胸がぷるぷるしてるけど。あと|肩出し《オブショルダー》ってなんでずり落ちないんだろうな。お兄さん、童貞だからわからないよ。


「……あなた何者?」

「何って、ただの貧民だが」

「その割には落ち着いてるわね。これでも私、チャーム体質よ?」

「気のせいじゃないか?」


 俺が知っているチャームはもっと極端のはずだ。

 ナツナという王女様なんですけど。もう俺が殺しちゃったけど。


 そもそも俺には効かなかったけど、ナツナは正直エロかった。あれを超える体型《スタイル》はもう二度とお目にかかれないかもしれない。


「ふざけないで頂戴。私は男を籠絡しちゃうの。そういう体質なんだから」


 たしかにスタイルは悪くない。

 前世でもグラビアアイドルやAV女優として十分やっていけるレベルだろう。


 そうなんだよな。このジャースという異世界、かなり容姿水準が高い。

 貧民エリアの人達も、薄汚れてこそいるものの、女性とか普通に抱けるレベルだったし、何なら抱きたいレベルばかりだった。

 平均で言えば、前世の現代日本を軽く超えてる。文明水準ははるかに劣っているのにな。人類の素材が良いのだろうか。クソ天使の趣味だったりするのだろうか。


 ……と、思考に溺れてる場合ではないな。


「そりゃまあ、それだけ魅力的な体してるんだから、男はそうなると思うが」

「どうしてあなたは何ともないのよ?」

「どうって。俺が好きなのは竜人だけだし」

「……は?」

「むしろ逆に問いたいね。なぜ人間ごときに欲情しなきゃいけない? 竜人の女の子は見たことあるか? 桁違いにそそるぞ?」


 とっさのでまかせだが、悪くない案だと自負する。

 ルナ、ユズと続いてコイツである。今後も女に言い寄らせる可能性は考慮しておくべきだ、とたった今思った。


 そこで竜人を使わせてもらった。


 竜人は滅多にお目にかかれないという。女性ならなおさらだろう。

 いや知らんけど。そもそも女という性別があるかもわからないし、性別という概念があるかさえも不明だ。

 だが、珍しいことだけは確かだろう。ゆえにこそ利用しやすい。どうでも脚色できる。


「え、気持ちわる」

「どうとでも言ってくれ。それよりこれ、早く解いてほしいんだが」


 氷結拘束はすぐに解除された。

 俺もすぐに歩みを再開するが、しきりに後方から「え」とか「気持ちわる」とか聞こえてきた。どういたしまして。

第74話 入学当日2

「これがデイゼブラと呼ばれるモンスターです」


 大学のような広い敷地の北部にて、俺はミライアという教員から説明を受けていた。


「現在時刻は6時と、おおよそ30分だとわかります」


 目前、柵に囲まれたエリアには、シマウマみたいな生物が二匹ほど。雑草をむしゃむしゃと食べている。

 その体はちょうど24等分されており、白黒のストライプとなっていた。


 特徴的なのは、|赤くて細い線《ライン》が走っていることだろう。

 このラインが時刻に対応している。実際、ラインの位置は二匹とも第六縞と第七縞のちょうど間である。言わば秒針というわけだ。


「デイゼブラは北ダグリンのエルフ領に生息する希少種で、ジャースにおいて最も正確な時刻がわかる手段となっています」

「あれは使えないんですか?」


 俺は朝日を指差す。


「良い着眼点ですね。残念ながら天灯《スカイライト》の運動は不安定です。数十分以上の誤差が生じる上、軌道も等速ではありません」


 俺の知っている天体事情とだいぶ違う件。


 そもそも太陽という概念すら無いらしく、朝日として見えているアレは大規模な光源という認識が一般的のようである。

 原理は解明されていないが、竜人説と別の生物説の二大説が主流らしい。


「それはそうと、ジーサさん。あなたは面白い」

「は、はぁ」

「新入生の説明は10時からなので、まだまだ時間はたっぷりあります。どうです? 語り合いませんか?」


 このミライアという神経質そうなメガネ男は、読書好きで知的好奇心も旺盛らしく、俺という知識の偏りに早くも興味を示している。

 無論、静かに活動したい俺としては、近寄らせる道理はない。


 何より、この人は危険だ。

 忘れるはずもない。ナツナの拷問部屋にいた男だ。つまりはシニ・タイヨウと接触した、数少ない人物と言える。


 それだけじゃない。



 ――レベルは17でございます。


 ――防御系も?


 ――はい。



 この人はシニ・タイヨウのステータスを判定した張本人でもあり、シニ・タイヨウがレベル17に見合わない耐久力を持っていることを――直接目撃したわけではないが、ナツナとの会話により知っている。


 まだ俺の擬態に気付いた様子はないが、親しくすればバレる率が上がるのは自明。

 そもそも実力検知《ビジュアライズ・オーラ》を食らっただけでアウトだ。


「すいません、ちょっと頭の整理とか心の準備とかしたくて……どこか一人で落ち着けるところってありますか?」

「そうですね、8時になれば南東の一般食堂が開きます。ただ、寮の学生がこぞって朝食を食べに来ますから、どこに座るかは要工夫でしょう」

「もうちょっと静かなところが良いです」


 もう少しだけ粘ったが、良さそうな場所は無さそうだった。

 結局、このデイゼブラゾーン周辺が一番落ち着くっぽい。まあ学園のおおよその地理もわかったし、良しとしよう。


「ありがとうございました」


 ミライアの方から立ち去ってくれた。「ではまた」とか言ってたし、顔に似合わず微笑も浮かべてたから、こりゃ相当気に入られたかも。

 早く来すぎたな。もう少し遅ければ声を掛けられることもなかったのに。今さら何を言っても遅いが。


 俺はデイゼブラを眺めながら、ここまで聞いたことを整理することに。


 ジャースの暦だが、微妙に紛らわしい体系をしていらっしゃった。


 まず秒、分、時に相違はない。

 秒の間隔もおそらく一致している。


 次に日。これも違いはなく、1日24時間だ。

 ただし太陽なんてものはなく、目の前のシマウマみたいな生物に走る|赤い線の位置《ライン》が基準となっている。詳しい原理はさっぱりわからん。


 厄介なのが週以降の単位である。

 単位としては週と年のみが存在し、1週は10日、1年は300日。閏年のようなズレはない。

 これ以外の単位はなく、月もない。そもそも空には月らしき天体がないし、ジャースに宇宙空間や天体といった概念が通用するかさえ不明だ……と、この辺は壮大なのでいったん置いておく。


 最も面倒なのが時刻だった。

 何と言っても時計という器械が無い。不便すぎる。

 学園にいる間は適宜知らされるようだが、ひとたび外に出れば、もうヒントは天灯《スカイライト》――太陽みたいな光源しかない。

 天灯の位置からおおよそ把握するしかなさそうか。目視でいけるだろうか。あるいは角度を測る器械か何かをつくる必要があるかも。いやでも不安定っつってたし、ダメかもな。


 ちなみに日の出は5時、日の入は19時と固定である。

 最悪、これだけでも生活できないことはない。


「中途半端なんだよな……」


 暦の体系が微妙に前世に似ているのは、あのクソ天使の趣味だろうか。完全に模倣してくれた方が楽なんだが、と既に何十回もぼやいている俺。

 まあ何もかもが違うよりはマシか。


(これからは勉学にも励むかもしれない。ダンゴ、お前にも協力してもらうぞ)


 直感だが、俺が潰さないといけない二つのバグ――無敵バグと滅亡バグは、この世界のことをよく知らないと歯が立たない気がする。


 グレーターデーモンでも、綿人《コットンマン》でも、魔王でさえ、俺はびくともしなかった。

 たぶん、この世界《プログラム》の生物《データ》を超越した見方、つまりは天使《プログラマー》側の視点や発想が必要になる、のではないか。


 幸いなことに、俺は前世ではソフトウェアエンジニアだった。

 自分で言うのも何だが、メシを食うには全く困らないほど強かった。知見は持っているつもりだ。


 ゆえにジャースの知識さえ集まれば、俺なりにプログラマー視点で考察を加えることができる。

 仮説を立て、実験していくこともできるはずだ。


「長い道のりになりそうだが」


 むしゃむしゃと呑気に草を食うデイゼブラが羨ましく、妬ましかった。






 その後もしばしくつろぎ、時計《デイゼブラ》が9時半を示したところで、俺は立ち上がる。

 敷地内中央で存在感を示す、巨大な箱形の校舎へと向かった。


 校舎の構造は中々に前衛的だ。

 上空から見た場合、正方形から中央をくりぬいた『ロ』型の校舎が五重に包まれている格好になる。

 中央に小さな箱型の校舎があり、その周囲を、少し大きな『ロ』が囲む。この二番目の『ロ』の周囲を、さらに大きな『ロ』が囲み――と、これが五回ほど繰り返されている。


 そんな校舎の割り当てだが、成績が悪いほど内側に行く。

 ちなみに俺は、というより新入生は全員Fクラス――最下位のクラスであり、最も内側、五層にも囲まれたFクラス校舎に入ることになっていた。


(ダンゴ、頼むから勝手に襲ったりするなよ)


 トンネルのような通路を歩く。

 周囲には俺の他にも生徒がぞろぞろと歩いている。前世の登下校風景と大差無い、懐かしい感じだ。


 違うと言えば、服装か。

 男性は黒と白を基調とした、いかにも格式高そうな制服をしている。

 女性も同様だが、色として赤も混ざり、下もズボンではなく赤のチェック柄スカートになるようだ。


(おい、なんかうずいてんだが……)


 ここでいきなり生徒を襲ったらシャレにならないぞ。いやマジで。

 もっとも今の俺ならダンゴの力にも抵抗できるし、無敵バグのせいで疲労も眠気もないから隙もない。

 が、ダンゴの興奮が振動や摩擦といった形で俺にも伝わってきている。口でたとえるならよだれがぼとぼと垂れてるレベルだし、性器でたとえるならギンギンしているレベル。

 ともかく、欲求の強さがこれでもかと伝わってくる自己主張だった。


(気を抜いて容姿を崩したりするなよ。ここにいられなくなったら、生活も慌ただしくなる。お前も快適に過ごせなくなるんだ。わかってるよな?)


 応答が無いダンゴに対し、さらに何度か催促して、ようやく肯定の打撃をもらった。


 コイツだってバカじゃない。むしろモンスターにしては賢すぎるまである。

 冗談だと信じたいが、警戒は怠るべきではないだろう。


 そうこうしていると、Fクラス校舎が見えてきた、のだが。


「エグいな……」


 思わず声が漏れてしまった。

 Fクラス校舎は、二階建ての巨大ガレージみたいな外観をしているが、壁と天井の全てが水槽のように透明だった。つまりは丸見えである。


「集中できんのかよこれで……」


 視線が自然と上へ向いてしまう。

 周囲はEクラスの校舎によって囲まれている。不自然に高く、Eクラス校舎の部屋は四階や五階といった高さで揃っている。


「Eクラスの生徒はいつでも俺達を見下ろせるわけか」


 悪質な設計思想しか感じられない。

 一応、俺達から見上げることも可能だが、どうも廊下になっているらしく、通路と壁しか見えない。こちらからEクラスの教室を覗くことは叶わないわけか。


 この一方的丸見えの構造は、Dクラス校舎以降も続いている。

 俺達を見下ろせるEクラス校舎は、同様にDクラス校舎に囲まれ見下ろされる。Dクラス校舎もまたCクラス校舎に囲まれ――と、これがAクラス校舎まで続く。


 結果として、ここFクラス校舎はE、D、C、B、Aと上位すべての校舎から丸見えであった。

 無論、高位クラスの校舎は相当な高さであり、Aクラス校舎の廊下に至っては百メートルくらいはありそうだ。この距離だとパンチラも期待できない。


 パンチラはともかく、俺の感性はまともだったようで、周囲の新入生達も戸惑いを隠しきれていない様子だ。

 一方で、Eクラス校舎以上から覗いてくる目はどれも冷静だ。明らかに俺達を品定めしている。


 その手の生徒はAクラス校舎にもいた。遠目だが、立ち振る舞いからして迫力がある。

 女子もいたが、やはりパンツは見えない。もっと視力が良ければ違っていたんだろうか(両目とも0.9)。俺は何をしているんだろうか。


「新入生は校舎に入れ」


 不思議と耳に響く声だった。魔法によるものだろう。

 他の生徒も理解しているらしく、間もなく透明な巨大ガレージへの流れが出来上がった。

 生徒との距離が近くなり、ダンゴの興奮が目に見えて増えたのを横目に、俺も校舎へと続いた。

第75話 入学当日3

 教室は講堂ともいうべき広さだった。

 中央の教壇を囲むように通路と座席が設置され、外側に向かって段々状に高くなっている。


「――つまり二時間の授業と一時間の休憩を、三セットほど繰り返すことになる」


 俺達新入生はレベル順に内側から座らされ、教壇に立つ教員の説明を受けているところだ。


「食事については、休憩中に各自取るように。平民と貧民は南東の一般食堂を、貴族はAクラス校舎にある貴族食堂を使え。貴族は一般食堂を使っても構わないが、平民貧民が貴族食堂を使うことは禁じられている」


 かれこれ三十分は続いているが、板書もなければプリントもない。

 どうも口頭説明がメインらしく、必要に応じて頭上に魔法で絵やら何やらを描くようだ。今は校内の見取り図――をだいぶ単純かつ雑に描いたものが浮かんでいる。というか回転している。


「新入生向けの説明はここまでだ。何か質問はあるか?」


 アーノルドと名乗った教員が、棍棒をぱしぱししながら言う。スキンヘッドのガチムチおじさんといった容姿であり、なぜか上裸であった。

 それでも実力の程はうかがい知れ、舐めた態度を取る生徒はいない。


「無さそうだな。では、自己紹介と行こう」


 瞬間、教室内の熱が高まったのがわかった。

 こうして集められて、いきなり長々と説明が来たわけだからな。どいつもこいつも他のクラスメイトが気になって仕方がないだろう。


 俺? 目立ちたくないので目を伏せて陰キャと化してますけど。


「外側から一人ずつ喋ってもらう。名前、出身、レベル、それから何か一言言え。進行を妨げるから他者の質問は禁止する。ちなみにこの自己紹介だが、他のクラスにも聞こえているからそのつもりで」


 にしても、いちいち趣味悪いよな、この学園。

 現在進行でEクラス以上の校舎から何百という視線が降ってきているし、俺達の席順だってそうだ。レベルが低い者ほど内側、つまり外から一方的に見られる構図になっている。


 いや、学園というよりは国なのだろう。

 王都の貧民エリアは、標高の高い貴族エリアから見下ろされている。そうなるように王都自体が設計されているのだ。


 ルナも言っていたが、こうやって階級を意識させ奮い立たせるのがアルフレッド流というわけか。


「最初は君から行こう」


 アーノルド先生が棍棒を投げる。それは最も外側の、唯一両隣が埋まっていない男子の上でピタリと静止した。


「あ、えっと……」


 小柄で中性的な顔立ちをした、気弱そうな少年がおどおどと立ち上がる。


「ぼ、ぼくはスキャーノと言います。出身はここ王都リンゴで、レベルは、その……88です」

「88!?」

「高っ!」

「第二級じゃん!?」


 少なくないどよめきが生じた。早速の私語だが、アーノルド先生も仕方ないという顔つきを浮かべている。


「よ、よろしくお願いします……」


 スキャーノが一礼し、着席してもなお私語は途絶えない。レベル88ってそんなに高いのか。俺よりは高いだろうが、ブーガ以上を見てきたからか感覚が麻痺している。


 見上げてみると、高く離れたAクラス校舎の面々も何やら話し込んでいた。これは大注目待ったなしか。

 本人はというと、もじもじとやりづらそうにしていた。女々しすぎる。戦闘になると性格が豹変するタイプなんだろうか。


 ほとぼりが少し冷めたところで、浮いていた棍棒が一つ隣にずれた。


 ……俺の出番はまだまだだし、流していいか。

 どうせレベル10の貧民底辺にはまともな人脈などできまい。俺としても、そんなものに頼るつもりは毛頭無かった。


 俺はただシキ王に従い、仮初めの学生生活をおくるだけだ。



 ――おぬしの活動は詮索せん。アルフレッドの害を成すわけではあるまい?


 ――じゃが完全に放置というわけにもいかん。



 シキ王は何を考えているのだろうか。

 食えない国王である。このまま安穏とした生活を保証し続けてくれるほど甘くはないだろう。

 やはり次期国王として俺を鍛え、追い込んで、その気にさせるつもりだろうか。


 俺の強さは見抜かれている。ナツナを殺し、ユズを懐柔し、デーモンズシェルターの第90階層から帰還したわけだからな。疑い様がない。

 しかし一方で、強さに見合わない無知さや、年齢に見合わない精神的な幼さといった内面にも気付かれているだろう。

 そのあたりを突かれたら正直痛い。


 なぜ俺を学園に入れたのか。

 この学園生活で、俺の意識を変えようとしている?

 それとも俺の入学は単なる時間稼ぎで、今も俺の対処に頭を悩ませている?


(……なあ、ダンゴはどう思う? あのおっさんは何がしたいんだろうな?)


 俺は口を閉じたまま、相棒に問いかける。

 無論、答えが返ってくることはない。崇拝《ワーシップ》状態になったモンスターは、イエスノーでしか答えられない。


(俺はこのまま学生でいるべきか?)


 後頭部をゴッと殴られた。ダンゴによる、肯定の意である。

 気持ちがいいほどの即答で、そしていいかげんだった。


(真剣に尋ねてんだが。どうせお前のことだ、美味しそうな体液がたくさんいるからいるべきだって言いたいんだろ?)


 またもやゴッ。清々しすぎんだよ。

 こいつは本当に俺を崇拝しているのだろうか。崇拝というネーミングは的確じゃなかったかもしれない。


 そんなことを考えつつ、さらにダンゴと問答しようとした、その時。


「ガーナ・オードリーです」


 聞き覚えのある声がした。


 思わず視線を向けると、ばっちり相手と目が合った。俺に氷結拘束《アイス・バインド》をかましやがった金髪美女だ。

 肩丸出しのドレスはさすがに着ていないが、制服でも色気を抑えきれていない。なんか俺をガン見してんだけど。


「言うまでもないけれど、わたくしはオードリー家の長女で、次期後継者よ」


 普通に知らないんだが、教室内外の様子から一目置かれていることはわかる。相当な家柄なんだろう。


「レベルは51で、娼者《プロスター》を目指しているわ。お母様のような強く美しい娼者になります。この学園でもびしばし練習したいから、特に男性諸君はよろしく頼むわね」


 ぱちっと器用なウインクで締めた後、ガーナが腰を下ろすと、「おお」とか「すげえ」とか「でけえ」とか、主に男子の反応がうるさくなった。


 プロスターとは。あとガーナは俺を見るな。目立つだろうが。

 早速ガーナの視線を追いかけた何人かが俺にありつきやがった。気のせいです。ただの雑魚ですよ。知らんふり知らんふり。


 棍棒が次に移ったので、俺も誤魔化すようにそっちを見ようとして、


「ルナと申します。王都リンゴの出身です」


 どういう手品《おめかし》か知らないが、普段以上に地味な農民の出といった雰囲気が漂っている。

 それでも聞き間違えるはずなどないし、見間違えるはずもなかった。


「レベルは47です。冒険者としてもっと強くなりたいですし、皆さんとも仲良くしたいです。よろしくお願いします」


 へえ、ルナってレベル47だったのか、などと感心している場合ではない。


 シキ王さん、こんなの聞いてねえんだが。

 しかもハルナじゃなくてルナと来た。詐称じゃねえか。まあ裏口入学している俺が言えた義理じゃないが。


「……」


 落ち着け俺。


 第一王女だぞ。単身で乗り込ませるはずがない。

 いる。絶対にいる。


 ユズか、はたまた別の奴かは知らないが――彼女のそばには、隠密《ステルス》状態の近衛《このえ》が控えているはずだ。


 バグってる俺は平静を失わない。

 しかし、完全なポーカーフェイスを貫けるほど鉄壁でもない。


 ルナを見過ぎるな。

 逆に逸らしすぎるのもダメだ。

 視線を彷徨わせて隠密《ステルス》の本体を探そうとするのもやめろ。


 不自然になってはいけない。

 相手は近衛――第一級クラスの守護神である。些細な言動からシニ・タイヨウを見抜く可能性は、十二分にある。


 特に最悪なのがユズだ。ユズとは少なくない時間を一緒に、それも密着して過ごしてきた。

 俺のことが知られすぎている……。


(いや、今さらか……)


 顔も、体型も、声も。俺はダンゴによって完璧に擬態できているはず。

 もしユズにこれを見破るほどの力があるとしたら、とうにバレている。だったら、どう足掻いても同じことだ。


(ダンゴ。一番美味そうな奴を教えてくれ)


 割り切れたというか、吹っ切れてしまった。


 どうせならとことんやってやる。

 もしこの後、誰からも何も疑われなかったとしたら、俺のこの会話方法は盤石だと言えよう。今後、どこででも使うことができるはずだ。


(今から一人ずつ挙げていくから、ダンゴは美味いかどうかを答えてくれ。もし前の奴の方が美味ければノー、今の奴の方が美味ければイエスだ。そうやって全員を辿っていけば、最終的に一番美味い奴がわかる。やり方は理解したな?)


 ゴッと後頭部を叩かれる。さすが賢すぎるモンスター。


(俺の番まで時間がない。ペース早めで行くぞ。一番外側のアイツは?)


(次のアイツは?)


 俺はしばしダンゴと遊んだ。

 不自然なく全員に視線を送れるか心配だったが、自己紹介の回り方に恵まれ、俺の番が来るまでに終えることができた。


 ちなみに、一番美味しそうなのはガーナ・オードリーだそうだ。


(無理だろ。たぶん相当な貴族だぜ?)


 ゴゴッと素早く二発を見舞われる。何を否定しているのかは知らないが、俺にその気はないからな。


 そんなことをして遊んでいると、ようやく俺の番が回ってきた。


「ジーサ・ツシタ・イーゼです。出身はボングレーで、最近こちらに引っ越してきました。レベルは10です。よろしくどうぞ」


 俺はただただアーノルド先生の筋肉だけを見ていた。

 ボングレーと言えばルナにとってもゆかりの地だ。連想的にシニ・タイヨウを思い出す。そこから俺に結びつけることは……無いと思いたいが、ともかく反応が気になる。


 それでも見ちゃいけない。眼球は多くの情報を与える。

 ジーサとルナには何の面識もないんだ。ここで俺がルナを一瞥さえしなくても、何の不思議もない――


 程なくして全員の自己紹介が終了した。


 新入生は全員で46人。

 最高レベルはスキャーノの88で、唯一の第二級冒険者である。ガーナとルナはどちらもベストテンに入っている。

 一方、俺は下から3番目だった。下の二人は最初からナレッジャー――が何かは知らないが、頭脳労働系の何かだろう――を目指すと公言しており、実力は度外視っぽかったから、実質俺が底辺だろう。


「休憩に入る前に、ペアを発表しよう」


 先生が不吉なことを言い出す。

 ぼっちという人種はアレルギー反応を起こしそうなワードだが……。


「今日一日はペア――つまりは二人組を組んでもらい、一緒に行動してもらう。冒険者に限らず、誰かと組むシチュエーションは多い。学園としても積極的に練習させるから、そのつもりでいるように」


 やっぱりそうだった。

 しかも発表しようって言ったな。もう決まってるってことじゃねえか。いや、自由意志で決めなさいというクソみたいな放任よりはマシか。


 無慈悲なペア発表が始まった。

 俺の相手は――。

第76話 入学当日4

「よ、よろしくね、ジーサ君」

「ああ」


 握手を交わす。彼の手のひらは、レベルに反して柔らかかった。


「な、なんか、注目されてるようで……」

「レベル88だからな。当然じゃないか?」


 休憩時間に入った教室内では、至る所でペア同士の交流が始まっていた。

 外に出る者もいなければ、実力者や美人に群がるといった光景もない。アーノルド先生が休憩中に親睦を深めよと言ったからだろう。


 強い者には逆らわないし、舐めた態度すら取らない――

 それがジャースにおける処世術なのだろう。あるいは単に学生の民度が高いのか。……いやそれは無いか。


 視線が刺さっている。

 探るようなものや、好奇に満ちたもの。哀れんでいるものや、嫌悪しているもの。前者は目の前の新入生最強――スキャーノに向けられ、後者は俺に向けられている。


「俺なんかがペアで悪かったな」

「え? どうして?」

「雑魚で、不細工で、体臭もキツい。殴りたいだろ?」

「そ、そこまでじゃないよ」

「その言い方だと、ある程度は肯定してるってことだよな」

「え、ちがっ……」


 あたふたとするスキャーノを横目に、俺は確かな感触を得ていた。


 ダンゴの擬態は完璧だし、ペアにも恵まれた。

 コイツはクラスで一番の強者であり、小柄で中性的で女々しいが眉目秀麗とも来ている。俺を貶《おとし》める引き立て役として重宝する。

 性格も鬱陶しくなさそうだし、こちらから距離をつくってしまえば、すぐにでも淡白な関係を築けるだろう。


 スキャーノは何やら当惑している。俺に話しかけてくる勇気は無さそうだ。

 第二級でありながら、どうしてこうなよなよしているのか。かえって気になってしまうが、対人への興味は面倒の元。


 俺は無愛想なまま俯くことで、その場をやり過ごした。


 しばらくして交流タイムが終了。

 次は小休止の後、学園を見学していくらしい。誰とつるんでも構わない、ということで教室内がガヤガヤし始める。


 俺はすぐにアーノルド先生を捕まえ、トイレの所在を聞く。


「あ、ジーサ君……」

「ねえねえ、スキャーノって何の魔法が得意なの?」

「もしかしてゲートとかできる?」

「昼メシ一緒に食わねえ?」


 人気者のスキャーノには気付かないふりをして、足早に教室を出た。


 といっても、廊下からでもお互い見えるわけだが。何せ壁も地面も天井も、全てが透明なのである。

 スキャーノはまだ俺を気にしている。心優しい奴なのかもしれない。もう一押しして嫌われた方が良いかもしれない。


 トイレに向かう途中、周囲の校舎を見上げてみたが、生徒は引けていた。授業が始まったのだろうか。


「これがトイレか」


 トイレは角部屋らしい。中に入るまでもなく、ロッカー四つ分くらいの不透明な個室が三行三列、計九室ほど並んでいる。

 さすがにこれも丸見えにするほど鬼ではないらしい。


 俺は部屋を進み、一番奥の個室に入る。扉を閉じて鍵を閉めた。

 途端、喧騒がピタリと止んだ。壁を触ってみた限りでは金属っぽい。厚みもある。こりゃ落ち着くぞ。川底を知らなければ、一つ欲しいくらいだ。


「……これが実力者のトイレか」


 天井からは発光する石がぶら下がっており、地面の中央に小さな穴がある。

 それだけだった。便器も、トイレットペーパーも、水道さえも見当たらない。外にも無かったよな。


 悟らざるを得ない。

 これは魔法が使える者を前提としたトイレなのだ。

 もっと言うと、排泄物は火魔法で処分し、洗浄も各自の水魔法で行うのだろう。


「この穴に出せばいいのか?」


 バグってる俺に排泄欲は無い。それでも膀胱に溜まった分はたまに出す必要があったが、今はダンゴが食べてくれる。

 だからといって、何もせずここから立ち去るのは愚策だろう。


 俺がトイレに入るところは目撃されている。

 この後、授業やら演習やらで俺に魔法適性が無いことも露呈する。


 そうなると、魔法が使えないのにどうやって汚物を処理したのだ、という話になる。自意識過剰かもしれないが、興味を持たれる契機になりうる。


(ダンゴ。尿と糞を生成して膀胱に置いてくれ。量は成人女性くらいでいい。いけるか?)


 ジャースに『うんこ』という言葉はない。また、ダンゴの寄生歴では、大人の女性が最も多い。

 ゆえにこのような命令になる。決して俺が変態というわけではない。


 後頭部に単発の打撃が走った。案の定、肯定である。


(おっ、早えな)


 三十秒としないうちに便意がやってきたので、俺はさっさと用を足す。

 中々豪快な音が出た。


(どうだダンゴ。面白い音だろ?)


 後頭部をゴゴッと叩かれた。相変わらず辛辣だ。おならの音は万人を笑わせる奇跡の音だろうが。


 と、ふざけるのもこのくらいにして。

 俺はあえて拭かないまま服を着て、個室を出た。


 ふざけてはいない。これも立派な演技である。

 魔法すら使えない者がここでトイレをすれば、必然こうなる。頑張ればダンゴに体液を出してもらい、拭うこともできるだろうが、かえって怪しい。


 ウンコマンのあだ名がもらえる日も近いか。

 いや、ウンコって言葉はないんだよな。じゃあなんだろ。糞男? ひねりがなくてつまらん。

 やはりウンコやうんちといった言葉は偉大なのだと再認識する。

 語感というか、響きが良いよな。こういうことを言い合ってゲラゲラできる友達が欲しい人生だった。


(なあダンゴ。うんちって知ってるか? 知らないよな。だったら教えてやる)


 せっかくだからダンゴに講釈しておいた。






 学内を一通り見学した後は自由時間だった。

 必ずペアと過ごすように、とは先生のお達しである。俺はスキャーノと行動せざるを得なかった。


「日時同期者《デイトシンカー》って大変そうだな……」


 俺達はゼイゼブラが飼われているエリアに来ていた。

 二人並んで柵の外側に腰を下ろし、空を見上げている。数百メートルほどの高さだろうか、1.11.32という白い数字が浮かんでいる。

 読み方だが、新年から1日目の11時32分、となる。


「給金は良いみたいだよ。日当で金貨二十枚とか」


 時刻を周知させる方法は場所によりけりだが、王立学園ではああやって人力で投影させるらしい。

 現に柵の中には気怠そうなお兄さんがいて、空に片手をかざしている。

 空いた手には本。視線はかなり忙しく、デイゼブラと手元、それから空を行ったり来たりしている。


 忙しないと言えば、コイツもそうか。

 今はだいぶおとなしいが、見学の最中はやたらきょろきょろしていた。探しものでもあるのだろうか。


「……」


 気にならないと言えばウソになるが、俺から踏み込むつもりはない。

 無論、向こうから踏み込ませるつもりもない。


 踏み込まなければ関係は深まらない。

 俺は誰かと深めるつもりなどないのだから、それでいい。

 むしろ、もう少しぎすぎすしても良いくらいだろう。さてどうしようかなどと考えつつ、その中性的な横顔を横目で見ていると、


「ぼ、ぼくは……人を探してるんだ」


 微かに息を吸ったのが見えた。なんか語りだしそうだな。


「へえ。そうなのか。見つかるといいな」

「うん」


 なけなしの勇気を、淡白な感想で殺す俺。露骨に空も見上げてみせる。

 無論、わざとである。

 ここまではっきりと拒絶したんだ。さらに語るのは勇気が要る。人見知りそうなスキャーノには難しいはずだ。


 案の定、数秒経っても反応は無かった。

 これで良し――と胸中で思っていると、


「……ふふ」

「……」

「ふふ、ふふふっ……」

「……えっと、何?」


 耐えられず横を向くと、スキャーノはいつの間か俺を見ていた。

 くりっとした目で凝視してくる。小動物を思わせる可愛らしさだ。よく見ると肌も綺麗だし、コイツ、男の娘みたいな容姿をしている。

 下半身にも視線が伸びそうになったが、癪《しゃく》なので耐えた。


「ううん。ジーサ君、変わってるなって」


 なんか微笑を浮かべてきたが。

 とりあえず首を傾げることで流してみる。ついでに視線もデイゼブラへと戻す。

 人と目を合わせるのは嫌いだ。見透かされる感じが腹立つ。


「そういうところも、変わってるようで」

「……何も言ってないんだが」

「何も言ってないところが、だよ」


 鈍感な俺でもわかる。コイツは俺に興味をお持ちだ。

 どうやら戦略を間違えたようだな。どこで間違えた?


「よくわからんな。説明を頼む」


 スキャーノはなおも俺を直視している。


「ジーサ君は――他の人とは違う。ぼくが見てきた人は、たくさん語りたがる人ばかりだった。ぼくが言葉を考えて口にする前に、すぐ喋ってくる。そういうの、苦手だったんだ」


 悔しいが、わかる。よくわかるぞ。

 何をどう喋るか考えるのは意外としんどいし、時間がかかるものだ。そして会話相手の大半は、そこまで待ってくれない。


 口下手じゃない奴にはわからないだろう。

 いいかげんな奴にもわからないだろう。

 考えもなしにテキトーな言葉を外に出すというずぼらで能天気な所業は、誰にでもできることではない。


 俺は大げさに頷くことで同調してみせた。


「でも、ジーサ君は待ってくれた。レベル88のぼくに対して、言いたいこともたくさんあるだろうに」


 人見知りか、口下手か、それともぼっちか。

 いずれにせよ、ジャースに来て初めて親近感が湧いた気がする。スキャーノ。お前とは良い友達になれるかもしれない。


 だが、レベル88はあまりに目立ちすぎる。


 何より俺は現役のぼっちだ。意地ってモンがある。

 俺は既に友達いない歴=年齢のアラサーなんだ。せっかくここまで来たんだから、いけるところまで詰めてみたいじゃないか。

 なんでだろうな。命はどうでもいいくせに、こういうところにはこだわってしまう。


 もっともこんなこと、主張できるはずもない。


 黙って過ごしていると、スキャーノは「よいしょっと」などと言いながら距離を詰めてきた。

 至近距離で覗き込んでくる。


 次はどんなことを言うんだろう。何か言うまで退かないぞ――

 そんな意地がひしひしと、びりびりと伝わってくる。


 ……ん? びりびり?

 ダンゴの仕業だった。美味しそうな体液がそばにきて興奮しているらしい。


「頼むからおとなしくしててくれ」

「……?」

「あ、いや、何でもない。独り言だ独り言」


 しょーもないミスをしちゃったじゃねえか。

 この印象を引っ張らせてはいけない。俺はすぐに話を戻す。


「俺に何を見ているのかは知らんが、買いかぶりすぎだ。別に狙って黙ってたわけじゃない。俺は学もないし、交友関係もなければ実力もない。何もなくて、何も言えないから、黙り込むことしかできなかった。それだけだ。レベルもたった10だしな」

「ボングレーなのに?」


 よく聞いてやがるな。このニュアンスだと、ボングレーの知識水準も知っていると思われる。


「……出身は関係ない。どこにも落ちこぼれはいる」


 居心地が悪い。俺はたまらず距離を取った。


「ふふっ」

「笑う意味がわからん」

「ジーサ君といると、安心する」

「安心されても困るんだが」


 すっと手が差し出された。

 男のものとは思えない、ハンドモデルみたいな手だった。


「握手はさっきした」

「改めてしたいんだけど、ダメかな」

「ダメだ」


 俺が断った瞬間、スキャーノの手が放たれる――


 そう、それは放射と呼ぶべき速さだった。レベル88の本領発揮と言われても、納得できそうなスピードだった。

 無論、レベル10であるはずの俺が回避するのはおかしいし、反応できることさえおかしい。


 俺は為すがままにされるしかなかった。


「よろしくね。びっくりした?」

「……ああ。全く見えなかった」


 嘘だった。

 はっきりと見えていた。どころか回避する余裕もあったし、風圧を抑止する風魔法の兆候も確かに感じた。


 スキャーノはレベル88だぞ? 手加減をしている?

 それとも俺のレベルが高いのか――


 いったん考えることをやめた。握手越しに当惑が伝わったらまずい。


 幸いにも、手はすぐに離れてくれた。

第77話 入学当日5

「これが第一級……」

「可愛い……」

「貫禄もあるよな」


 昼休憩をはさんだ後は職業説明、というわけで新入生は再び教室に戻っていた。


 席は自由である。俺は開始時刻ぎりぎりに教室入りすることで一人を勝ち取った。

 外側に座っているのは、俺を除けばたった一人。三席ほど離れたところに、机に突っ伏してる女がいるだけだ。


 それ以外は皆、内側の席に殺到している。

 スキャーノも例外ではない。最も内側で、最も多くのクラスメイトに囲まれていて、すっかり人気者だ。

 愛想笑いで忙しそうだったが、友達の一人でもつくってくれると助かる。頼むぞみんな。


「闘者《バトラー》は戦闘を生業とした職業です。多いのは冒険者ですが、騎兵隊やギルドに入る人もいます」


 中央の壇上に立つのは、魔法使いの格好をした女性。

 庇護欲をそそられるほど童顔なのに、不思議と様になっていた。

 貫禄があると聞こえたが、俺もそう思える。


 彼女はアウラと名乗った。

 知らないはずもない。アルフレッド有数の攻撃魔法師《アタックウィザード》であり、第一級冒険者でもある超有名人。

 加えて、シニ・タイヨウを王都まで送り届けた人物でもある。お久しぶりです。


「闘者《バトラー》を目指す人の動機は、主に二種類あると思っています。一つは、私のように自由を愛しているから。そしてもう一つは、王国に尽くしたいから。前者の場合、命を賭ける覚悟が必要です。後者の場合は、命を預ける忠誠が求められます」


 さして面白くもない講釈だろうに、誰もが固唾を呑んで聴き入っている。

 この場で浮きたくないのなら、俺も目を輝かせて彼女を見るべきだろう。だが、その気にはなれなかった。


 俺は目を伏せつつ、たまにローブ越しの膨らみをチラ見して過ごしながら、直近訪れるであろう職業選択について考えることに。


 アルフレッドには『職業』と呼ばれる五つの業種がある。

 学園の生徒は必ずどれか一つを選び、修練を積まねばならない。この成果は卒業試験でもテストされる。

 前世でたとえると、理系と文系みたいなものだろう。


 この五つの職業だが、中々にユニークだった。


 闘者《バトラー》。

 戦闘を生業とする職業である。冒険者や王国騎兵隊などがここにあたる。

 例年、生徒の八割以上はこれを選ぶそうだ。


 賢者《ナレッジャー》。

 学者など頭脳労働を生業とする職業である。

 唯一、戦闘訓練を免除されているが、要求される知識水準は非常に高い。なれるかどうかは家柄など先天的なファクターによるところが大きいらしい。


 執者《バルター》。

 執事など高貴な者に仕える系の職業である。主な就職先は貴族や王家になるそう。


 商者《バイヤー》。

 いわゆる商人である。お金と人脈が必要そうってのはわかった。


 娼者《プロスター》。

 個人的に最も興味深い職業で、言うなれば娼婦である。

 性産業はジャースを支える産業の一つであり、冒険者を始めとする実力者のはけ口として機能する。加えて、鳥人《ハーピィ》など性欲旺盛な多種族と繋がる手段にもなっているという。

 この娼者だが、女性だけではない。女性を相手にする男性娼者、同性専門の娼者、男性も女性も両方扱える娼者も珍しくないとのこと。


(ダンゴ。俺はどの職業に就くべきだろうか?)


 一つずつ問うてみると、娼者で肯定を返された。ふざけるな。

 理由を尋ねてみると、やはり体液目当てだった。


「だ、第一級になるためには、何が一番大切でしょうかっ!?」


 いつの間にやら質問タイムに入っている。

 ミーハーな女子生徒の質問に、アウラは「んー」と指を顎に当てる仕草をした。あざとい気がしないでもないが、破壊力は抜群らしい。

 クラスメイトの男子達が、吸い寄せられるように露骨な視線を刺している。


「私が思うに、気持ちですね」


 精神論に興味は無い。俺は即座は聞き流すことを決定しつつ、目で様子だけうかがっていると。


 前席の一人が、バッとこちらを向いてきた。

 ガーナ・オードリー。

 学園坂で俺に絡んできた金髪美女で、娼者を目指しているらしいクラスメイト。スキャーノにご執心じゃなかったのか。


 つられたらしく、隣のスキャーノも振り返ってきた。場の雰囲気を乱さない、器用な振り向き方である。

 そのまま笑顔で手を振ってくる。目立つからやめてほしい。


「中には才能次第という意見もありま――」


 つられたのはスキャーノだけではなかったらしい。

 アウラ本人も言葉を止め、俺を射竦《いすく》めてきた。


「――ありますが、才能がありながら第二級にも至らない人も多々います。逆に、才能がなくても第一級にまで上り詰めた人も知っています」


 ……射竦める? 表情も双眸も優しいし、童貞をイチコロにしそうな笑顔だし、やっぱり胸も大きいし、とまるで天使なのに?


 時間で言えば秒も無かった。しかし、妙な鋭さがあった気がした。


「……」


 深く考えるのはよそう。

 近衛と同様、相手は桁違いの第一級だ。バレる時はバレる。

 杞憂であることを祈るしかない。


「ねぇ」


 その小声は、空席であるはずの右隣から聞こえてきた。

 一応、三席ほど離れたところに一人座っていて、何なら目も合ったが「ねぇ」気のせいじゃなかった。


 ああもう、さっきから何なんだよ。絡まれてばっかなんですけど。


「ささやけば届くわ」

「……こうか?」


 他の選択肢も浮かばないし、試しにヒソヒソ話のボリュームで呟いてみると、「上出来よ」返事が返ってきた。相手も口が動いている。


(なんだてめえ、死ねよ)


 良い機会なので、すっかり慣れた口内話術――口を閉じたまま口内にだけ振動を響かせる話し方で喋ってみた。

 間髪入れずに後頭部をダブルクリックされる。


(ダンゴ、お前じゃない。この対話方法が相手に届くか確かめただけだ)


「ねぇ。一つ訊きたいのだけれど」


 相手は構わず話を進めている。届いた様子は無さそうだ。

 ということは、やはりこの対話方法は密かに使えるってことか。


 もう少し検証したいが、後だな。


「あなたは何のために生きてるの?」

「は?」

「だから、何のために生きてるのと聞いている」


 今度は一体何なんだろうか。


 三席離れた先には、ぼっちオーラ全開の女――徹夜明けのキャリアウーマンみたいな美人が肘をついていた。

 腰にまで伸びたライトグリーンの髪が目を引く。しかし、手入れしていないのかぼさぼさしている。

 体型は貧乳のスレンダーといったところだ。つか態度でかいな。足を組んでいらっしゃる。


「何|見惚《みと》れてんのよ。答えなさい」


 いちいちいらっとする物言いだ。もっともバグってる俺には苛立ちも降ってこないわけだが。


「そんなの、死にたくないからに決まってるだろ」

「じゃあ廃人にでもなればいいじゃない」

「いきなり何なんだよ、アンタ」

「つまらない回答をする方が悪いのよ」


 理不尽だが、気に入られる事態は回避できたようだ。

 俺から打ち切るまでもなく、彼女はそっぽを向いてくれた。


 ……廃人、か。

 注意資源――という言葉はジャースにはないが、要するに集中力や判断力を使いすぎたらそうなる、とルナが言ってたよな。


 注意資源が切れたところで、前世では単なる疲労にしかならないが、こっちではどうなんだろう。もっと深刻な状態に陥ったりするのだろうか。

 だとしたら、俺が死ねるヒント……にはならないか。


 そうだよな。このバグに死角は無い。俺は頭脳面でもバグっている。

 頭が疲れることもなければ、心が乱れることもないのだ。


「ねぇ」


 気のせいだろう。空耳に違いない。


「無視するなんて良い度胸ね」

「……今度は何だよ」

「わざとでしょ」

「何が?」

「私が鬱陶しいからって、わざと適当なことを言った」


 口をぱくぱくしているようにしか見えないが、こうもはっきり声が届くというのは中々に新鮮だった。むしろ、耳元でささやかれている感じがして、こそばゆいまである。


「この会話、どういう原理なんだ? 魔法か何かか?」

「話を逸らさないで」


 よく分かってるじゃねえか、と言うと火に油を注ぎそうだし、黙っててもたぶん収まらないだろうし、ここは逸らすしかない。

 幸いなことに、俺は会話を中断させる必殺技を知っている。


「勘違いするなよ。主導権は俺にある」


 溢れんばかりの傲慢と自意識を見せてやろう。


「話しかけてきたのはアンタだ。俺の問いに答えなければ、俺はここで会話は終了させる。つまり、俺と会話したいというアンタの望みも叶わなくなるんだぜ?」

「自惚れすぎよ」


 瞬間、耳の中を抉《えぐ》らえた。

 耳かきで無慈悲に引っかき回されたような痛みだ。俺がレベル10を演じていることを考えると、そうだな、やせ我慢の表情をつくりつつ、


「……耳がおかしくなったらどうする?」

「そんな失敗はしないわよ。レベル10の落ちこぼれさん」


 よし、演技に問題は無さそうだ。ダンゴと散々練習したからな。


 ともあれ、これで俺に嫌悪感を抱いたはずである。これ以上の会話は起きない。はい、終「これは風魔法よ」終了とはならなかった。なぜなのか。

 おかしいな。前世だと、これですぐに孤立できたものだが……。


「あなたの耳をかき回したのも、こうして声を届けているのも。あなたの小声を拾っているのもそうね」

「器用なんだな。アンタ、レベルは?」

「……」


 不自然な間だった。目が合うと、なぜか睨まれた。


「自己紹介を聞いてなかったの?」

「いちいち聞かないだろ。仲良くなるわけでもあるまいし」

「私とは仲良くなりたいってこと?」

「どうしてそうなる。面白い頭してんのな。自惚れすぎてるのはお前じゃねえか」

「言ってくれるわね」


 疲れ切った表情の口パクから出てくる、感情豊かな台詞の数々。人形が喋っているみたいで、軽くホラーである。


「ヤンデよ。レベルは62。あなたの六倍」


 意外と高かった。そういえば前半にこんな奴がいたような、いなかったような。


「次アンタ呼ばわりしたら、その耳、めちゃくちゃにするから」

「そりゃ怖い」

「あの人達ほどじゃないわ。大した耳ね」

「は?」


 ヤンデがくいっと顎で一方向を示す。中央、教壇の方だ。


 アウラの講釈はまだ続いていた。

 周囲の熱も未だ収まっておらず、群がる男子生徒はどこか惚けているし、女子達も誰一人として一言も聞き漏らすまいと熱心な傾聴っぷりを見せている。

 狂信的、とまでは行かないが、ちょっと過剰な反応に見えるのは気のせいだろうか。第一級のネームバリューはそれほどに大きいのだろうか。


 いや、そんなことよりも。


「この会話、もしかして聞かれてんの?」

「ピンク童顔と女男《おんなおとこ》――見たところ、この二人は《《あなたが発する声の振動》》をキャッチしているわね」


 アウラとスキャーノに対して、ずいぶんなネーミングである。

 いや、そんなこともどうでもよくて。


 え? これ、聞かれてんの?


 俺は試しに、こんなことを言ってみる。


「スキャーノ。もし聞こえていたら、俺の左目に風を当ててみてくれ。アウラさん。同様に、もし聞こえていたら、俺の右目に当ててみてくれませんか」


 間もなく俺の両目はドライアイと化するのだった。

第78話 体外気流

 王都リンゴ南西部、貴族エリアの高級酒場には、常連の二人がいつものカウンター席に並んで腰掛けていた。

 他に客はいない。出入口には貸切の札が掛けてある。


「今年の新入生はどうだった?」

「んー、そうだねぇ……私の話を聞かずに振動交流《バイブケーション》してる生徒がいたかな」


 振動交流《バイブケーション》とは、風魔法による微細な空気振動――特に発話に関する音の振動を用いた対話である。

 スピーキングは空気振動を特定の対象にだけ飛ばすことで行い、リスニングは逆に対象から発されている微かな振動を読み取ることで行う。

 これにより、周囲に気付かれない音量での会話が可能となる。


「なんだい? 君の悪口でも言っていたとか?」

「ピンク童顔ですって」


 ピンク色のボブカットのふわりと揺れる。

 微かに香水の匂いも漂った。香水は並の貴族でも日用品化が難しい高級品だが、第一級冒険者の懐なら痒くもない。


「直球だね」

「マスターはどう思います? 私ってピンク童顔ですか?」

「……お代わりをどうぞ」


 苦笑いを浮かべながら果実水を補充する店主。アウラがいじる間もなく「それで」ラウルが割り込む。


「彼は見つかったのかい?」

「いませんでした」

「そうか」


 本題に対し、アウラは淡々と返した。

 果実水を一口含み、こくりと味わった後、


「でも、学園にいるのは間違いなさそう。彼女がいたから」

「彼女?」

「スキャーナちゃん」

「ああ、ファインディさんの。新入生の取材?」


 アウラは首を横に振り、「新入生だった」と答える。


「……潜入か」


 情報屋大手ガートンの職員ファインディはシニ・タイヨウを追っている。

 部下を生徒として潜り込ませたとなれば、その意図するところは一つしかない。


「にしても、よくわかったね。変装してなかったのかい?」

「男装して美男子になってた。ラウルが好きそう」

「僕がいつ男色家になった? それで、アウラはどうやって見抜いた?」


 アウラはもう一度果実水に口をつけた。

 進捗を聞きたいだけのラウルはため息をつく。店主がジェスチャーで飲み物を勧めるが、「お気遣いなく」長居の意思は無いと表明する。


「偶然の副産物だけど、スキャーナちゃんの体外気流《エアー・オーラ》を覚えてたの。そのオーラが今日、スキャーノと呼ばれる男子新入生のものと一致した」

「……わかってたけど、恐ろしい精度だ」


 ラウルとアウラもまたシニ・タイヨウを探しており、直近ではアウラの体外気流感知《エアウェアネス》が頼みだった。


 アウラ曰く、シニ・タイヨウの体外気流《エアー・オーラ》――身体周辺の大気の流れには特徴があり、もう一度出会えればわかるという。

 そういうわけで、アウラは王都内で体外気流感知を繰り返していた。


 今日もわざわざ新入生向けの説明を請け負うことで、学園内での行使を終えたばかりだった。

 その結果、シニ・タイヨウのオーラは見つからなかったが、副産物として以前知っていたスキャーナの方がヒットしたというわけである。


 こんな芸当は簡単に行えるものではない。

 アウラと同様、第一級冒険者であり、長年パートナーを務めるラウルでさえも、表情からしてひいているほどだった。


「その反応。傷つくんですけど」

「気のせいだ。それで、シニ・タイヨウの方が見つからなかったのはなぜだと思う?」


 会話を楽しむ気のないラウルに、アウラは抗議の眼差しを送りつつ、もう一度果実水を味わった。

 ラウルはもうアウラを気にしておらず、「体外気流が変わったのは間違いない――」お馴染みの独り言モードに入っていた。


「……体質に頼りすぎかしら」


 ぽつりと呟くアウラ。


 ナツナには遠く及ばないが、彼女もまたチャームの体質を持っている。

 鈍っているはずはない。現に今日も新入生達には効いていた。


 効くといっても微細なもので、嫌悪を持たれない、好意を持たれやすい、性的に意識されるといった程度だが、それでも男性相手であればほぼ通じた。

 隣の相棒やスキャーノの上司のように、効かないケースは非常に珍しい。


「……」


 アウラの脳裏に二人の新入生がよぎる。


 自分に夢中になっているふりをしていた生徒と。

 そんな素振りさえも見せず、自分の話も聞かずに、振動交流《バイブケーション》で女子といちゃついていた生徒。


「……ううん、そんなことはない」


 アウラは頭を振って、自らを戒めた。


 チャーム体質は紛れもなくアウラの武器である。

 好意をもたれた方が何かと都合が良いのはもちろん、これが効かないかどうかは一種のバロメーターになる。

 効かない相手は、十中八九ただ者でない――

 いわば危険を察知できる嗅覚であり、今はさておき、第二級以前の時代には重宝していた。


「気に入らないのよね。我ながら小さい人間だと思うけど。ねっ、マスター」


 木製のグラスを拭いていた店主から苦笑と会釈が返ってきた。とばっちりも良いところである。


「ラーウル」

「……アウラ。酔っているのか?」


 片腕に抱きつかれたラウルが店主に視線を送る。店主は首を左右に振った。

 彼女の酒癖が悪いことを二人はよく知っている。「失礼」無礼な疑いをラウルは詫びた。


「体外気流だけど、変えるのは難しいと思うな」

「そうなのか? ならシニ・タイヨウはどうやって変えた?」


 あのファインディが部下を潜入させているのである。二人はもはやシニ・タイヨウが学園にいることを疑っていない。


「もしかすると、変えたんじゃなくて変わったのかも」

「どういう意味だ?」


 ラウルが強引にアウラを引きはがす。そこに遠慮の二文字はなく、むしろ下手な暴力よりもパワーが込められていた。


 アウラもからかう気が失せ、真面目な顔つきをつくる。


「いくらレベルが上がっても、|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》はレベル1と変わらないでしょう?」


 ラウルが「ああ」と頷く。


 レベルによる強化は、言わば限界の引き上げである。

 第一級冒険者は音速以上で動けるが、常にそのスピードで動いているわけではない。普段の動作は一般人――レベル1の人間と大差がないのだ。


 この常人のラインを|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》と呼ぶ。


「要するに、体外気流はデフォルト・パフォーマンスから生まれる大気の流れを指している。そういうことかい?」

「そういうこと」

「学園にシニ・タイヨウがいるとして、彼の体外気流が見つからなかったとなると、言えることは一つか。彼のデフォルト・パフォーマンスが変化した」

「正解。変わり方は色々あるけど、たとえば片足を失って義足になったらだいぶ変わる」

「義足か」

「そういう生徒はいなかったけどねー」


 アウラが疑問に先手を打つと、ラウルは「だろうね」満足そうに頷いた。


「彼ほどの者が身体を欠損させるとも思えない」


 顔を突き合わせる二人を見て、店主は既にカウンターを離れている。間もなく、裏庭から作業音が届いてきた。

 酒場の雰囲気を台無しにする音量だったが、二人には届いていない。カウンターの周辺に遮音フィールドが張られているためだ。


「アウラ。デフォルト・パフォーマンスを一切発揮しないってのはどうだい? たとえば常に常人の三倍のスピードで行動するとか、逆に二分の一のスピードで動くとか」

「できると思う?」

「思わないよ。言ってみただけだ。もしかしたら何か知っているかなと思ってね」


 たとえ実力者であろうと、普段はデフォルト・パフォーマンスで過ごすのが原則と言える。

 これはデフォルト以上を発揮するのに意識を要するからだ。


 そして意識するとは、タイヨウが言うところの注意資源の消費に他ならない。


 注意資源には限界がある。個体差もほとんど無く、誰であろうと数日と保たない。

 不足すると正常な判断が効かなくなり、仮に使い切ってしまった場合は『廃人』と呼ばれる植物状態に陥ってしまう。

 その上、注意資源は睡眠でしか回復できないという厄介な性質も併せ持つ。


 ジャースには『一徹厳禁《いってつげんきん》』という格言がある。

 一般的に一日でも徹夜してしまうと、日常生活はさておき、戦闘に要する瞬発的判断や詠唱はままならなくなるといわれている。日中、酷使すれば一日さえ保たない。


 ゆえにこそ実力者でも、いや実力者だからこそ、普段はデフォルト・パフォーマンスを心がける。


 注意資源とは、金銭以上に倹約するべき資源であった。


「案外できたりするのかも。ねえラウル。今から丸一日、デフォルトの二倍くらいで過ごしてみない?」

「バカ言うんじゃない、一日と保たないよ。ミスリルコインを十枚積まれても断る」

「私も同感かな」


 実力者なら注意資源の枯渇という弱点はまず晒さない。シニ・タイヨウも同様だよね、とアウラは言外に告げたのだ。

 ラウルも首肯を返し、これをもって本題が終了する。


 アウラが果実水の残りを飲み干すと、ラウルは席を立った。


「ラウル。私ね、王立学園に入ろうと思うの」


 突拍子もない話を前に、ラウルは渋い顔を向けたが、直後「いいかもね」もう一度アウラの隣に座り直した。


「どうせギルドにこき使われるだけだもの。だったらシキさんの庇護下に入った方が楽だわ」

「アウラにしては良い案だ」

「私だって色々と考えてるんですー」


 竜人による廃戦協定は記憶に新しい。


 ギルドを含む四国《よんごく》間の争いが事実上禁止された結果、その矛先はどこかに向かわねばならない。

 向かう先は一つ――現在進行でギルドが本腰を入れている魔人討伐しか考えられない。


「僕も行き詰まってるし、ちょうど良い。羽を伸ばさせてもらおうかな」

「あれ? ラウルさんも先生になると仰ってます?」

「君よりは上手くやれるよ」

「遠征隊とは違うんですよ? 生徒はデリケートなんです。びしばし行けば良いってものじゃないんですよ?」

「僕を追い出そうとしても無駄だよ。仮にシキさんが一人だけ認めてくれるとしたら、チャーム体質で男子を惑わす君は選ばないと思う」

「むぅ……」


 王立学園の教員になるというアウラの意図を、ラウルも理解していた。


 国王シキとは第一級冒険者仲間であり、先輩後輩関係でもある。多少の融通は利く。

 そうしてアルフレッドの庇護下に入ってしまえば、ギルドからの半ば強引で強制的な勧誘にも耐えられる。アルフレッド王国に仲介してもらえるからだ。


 元々ギルドは頭一つ飛び抜けた存在であったが、廃戦協定により三国と等しく国となった。

 冒険者個人ならともかく、他国に対する強制力は落ちていると言って良い。しかし、それでも個人が敵う相手ではない。


 ゆえにこそ、あえて国に属してしまうのは現実的な手と言えた。融通が利くシキの王国となればなおさらである。


「アウラ。君も十分強いんだし、いいかげん体質に頼るのはやめたらどうだい?」

「体質だから取れないんですー」

「地味な格好をするとか、わざと醜い容姿にするとか、色々あるだろ」

「それが女の子に言う台詞ですか? 信じられないです。だからモテないんですよ」


 教員という休息を取ると決めたからだろう。

 二人の顔は晴れやかだった。

2章

第79話 慈悲枠

 文無し、宿無しな俺の朝は早い。


 ジャースでは朝5時に日――太陽ではなく天灯《スカイライト》と呼ばれる光源らしい――が昇る。ぼちぼち川底の真っ暗闇が薄らいでくるのを合図に、俺は浮上。

 魚を捕まえ、生のまま食しつつ、ダンゴとしばし会話する。


 ダンゴは賢いモンスターだ。ちゃんと俺の言葉を理解しているし、ある程度なら命令も聞いてくれる。

 まあ応答はイエスノーでしか返してくれないし、崇拝《ワーシップ》状態の割には何でも聞いてくれるわけでもないのだが、大事な相棒である。

 日頃から俺の知識や考えをインプットしておくことは重要だ。


 ダンゴへの供給が落ち着いたところで、俺は昨日の反省を行いつつ今日の予定を立てる。

 そんな内省タイムが終われば、もう出発だ。空はまだ明け切ってないが、河原を後にする。


 向かう先はもちろん王立学園。


 学園坂を登りきると関所のような出入口があり、ここで私服から制服に着替える。

 制服がレンタル制であることと、あとは出欠を兼ねているらしい。ちなみに更衣室はないため、魔法で隠さなければプライバシーはない。つまり、魔法を使えない俺にプライバシーはない。


「……まだ日時同期者《デイトシンカー》は来てないか」


 時間がわからないと不便で仕方ない。


 人気《ひとけ》のない、広い敷地を歩いて北部に立ち寄る。

 デイゼブラを見てみると、赤い線は六番目の縞から三分の一ほど進んだあたりに走っている――6時20分くらいか。


 学園の開園――食堂などが開いて賑やかになってくるのが8時で、授業は10時から。まだまだ時間はあった。


 俺は学内を探索し、おおよその地理を掴んだ。


 そして校舎地下の図書室へと来ているのだが。


(バカだよな俺)


 思わずダンゴに呟いてしまうほどの失念を犯したことに気付く。


 字が読めないのである。


 おそらく閉館中と書いてあるであろう立て札の文字さえ解読できない。

 思えばジャースに転生して以来、字とはまるで無縁だった。会話は出来てたから疑うこともなかったが、こんなところで躓くとは。

 何のために図書館にこだわってきたのか。


 ……いや待て。ギルド本部では読めてたよな?

 サンダーボルトの対処法を開発する的な依頼書を確かに読んだはずだ。ギルドのお姉さんに冷やかしかとも言われて、ああ、もこもこ星人のことは絶対に言わないでおこうと思ったのもよく覚えている。


(なあダンゴ。俺は字を読めないんだが、ギルド本部では読めたんだ。これって気のせいだと思うか?)


 ゴゴッと後頭部を殴打される。否定の意、つまりは気のせいじゃないと。


(……もしかして、文字を読めない人間に対して、読めるようにする魔法が存在する?)


 今度はゴッと単発の殴打。


(それは一時的なものか?)


(指定した空間に張ることができるものか?)


 しばらく博識なダンゴ先生に質問を繰り返して、俺は確証を得る。


 すぐさま学園を出て、ギルド本部――白い巨塔に向かった。

 朝っぱらだというのにそこそこ賑わっており、職員のお姉さん達もはきはきと応対していた。掲示物をチラ見して、字が読めることを確認しつつ、空いている受付に腰を下ろす。


 からくりについて聞いてみると、正解だった。

 字の読めない冒険者は多いらしく、機会損失になるとのことで、高度な魔法を展開しているそうだ。仕組みなど詳細は機密とのこと。


「そろそろギルドに登録する決心はつきましたか?」


 お姉さんがそんなことを言ってきた。

 面識は無いはずだが……あー、アンタか。俺のぼっちを声高《こわだか》に漏らしたリテラシー皆無の人。


「つくわけねえだろ。アンタのせいだ」


 いきなりキツイ言葉が来たからだろう、お姉さんは表情からしてショックを受けた様子だが、知ったことじゃない。

 ぼっちはな、根に持つんだよ。

 コミュニケーションの絶対数が圧倒的に少ない分、一つ一つのやりとりに対する印象が深く残り続ける。よく覚えておくといい。


 それから俺は駆け足で学園に戻った。

 時刻は既に浮かんでおり、2.8.47と表示されている。ニューイヤーから2日目の8時47分。


 図書室も既に開館していた。

 市立や区立に相当する広さだが、利用者は数えるほど。出入口に槍を持った強面の男が立っているのが印象的だ。やはり本は貴重ということか。

 貧民の俺が呼び止められることはなかった。生徒なら自由に何でも読めそうだが、


(読めねえ……)


 やはり字は読めない。一文字さえ解読できない有様だった。


 これではインプットもクソもない。

 俺が字を学ぶか、ギルド本部で使われている魔法を習得――は適性ゼロだから無理として、使える奴に協力してもらうかしかないだろう。

 あるいは、そういう教員が融通してくれると助かるのだが。


 それからも俺は図書室で粘り、どこにどんな本があるかを把握し続けた。


 フィクションとノンフィクションの区別は何となくわかった気がする。

 目下、俺が知りたいのは社会、地理、魔法、モンスター、あとはステータスなど人間の性質といったところか。物語はどうでもいいから、その手の棚はすっ飛ばせばいい。


 出入口そばの時計を見る。

 10分間隔で更新されるそれは9時40分を示していたが、間もなく強面の男が何かに気付き、時計に向けて手のひらをかざす――表示が9時50分になった。

 図書室の日付同期者《デイトシンカー》も兼ねているってことか。


「そろそろ行くか……」


 授業は10時開始だから、ここがタイムリミットだ。

 俺は教室へと向かった。






「――これらの魔法は二種類に大別できる。こちらを通常魔法、こっちを特殊魔法と呼ぶ」


 教室中央では筋骨隆々のスキンヘッド上裸先生が、頭上に文字の羅列を書いていた。

 制御は風魔法、描画は土魔法だと思われる。周囲を囲む生徒全員に見えるように、親切にも回転のギミックつき。


 こんなステージみたいな配置にしなくてもなぁ。普通に黒板のような一方向じゃダメなんだろうか。


「通常魔法は全部で八種類。このとおり属性ごとに対応している」


 このとおりと指されても困る。相変わらず字はさっぱりだ。

 まあさっき口頭でも言ってたし、以前からルナに教えてもらってたから内容はわかるけど。


 火、水、雷、風、氷、土の六属性が基本で、珍しいのが聖と闇。

 で、聖魔法は実質回復魔法であり、人間にしか使えないんだったな。闇はよくわからん。


 当のルナだが、向かって右側の外側に座っている。目線をずらさないとよく見えないレベル。

 静かに授業を受けているようだが、バレるのが怖くてろくに焦点さえ合わせられない。


「一方、特殊魔法には属性が無い。総数は数百とも数千ともいわれていて、未だに新しい魔法が発見されることもある」


 今のところは理解に問題ないが、今後も常に口頭が入るとは限らない。

 問題は先送りにしない方が良い。


「すいません」


 俺が堂々と手を挙げる、というか立ってみせたと同時に、アーノルド先生は俺を向いてきた。


「俺、読めないんですけど」

「……読めないとは?」

「字です」


 露骨な私語の起きない真面目な室内がざわざわし出す。


「全く読めないのか?」

「はい。むしろみんなは読めてるんですか?」


 さて、どうなることやら。

 ぽつぽつ漏れてくる俺への感想に聞き耳を立てていると、「ジーサ君」先生は俺に近寄ることもなく座学中の声量を維持したまま、


「悪いが字は読めて当たり前だ」

「そうなんですか」

「前例がないわけではないが、生徒として受け持ったのは初めてだ。ちょっと相談してくるから、待っていてくれ。全員自習とする」


 空中板書を消去した先生が、駆け足で教室を出て行った。

 ほぼ同時に、「慈悲枠《ジャンク》」ぼそっと左席から何か聞こえた。ジャンク? がらくたってことか?

 無視していると、


「これだから慈悲枠《ジャンク》は。まったく」


 わざとらしいな。どうやら俺に用があるらしい。


「俺に言ってるのか?」


 左隣に目を向けると、前髪が邪魔そうな痩せこけた男が。

 レベルは8だったか。自己紹介では賢者《ナレッジャー》志望と言っていた。


「他に誰がいる? どおりで臭いわけだ」

「勝手に納得されても困るんだが」

「国王様の慈悲は感嘆に値する。だがしかし、それとこれとは話は別だ。まずはその臭いを何とかしたまえ」


 いきなり何だよ。スメルハラスメントって知ってる?

 というのは冗談で、臭いについてはご指摘のとおりであった。


 これ、ダンゴの体臭なんだよなぁ……。俺の無限体液を食いまくってるせいで不養生なんだそうで。言えるはずもないけど。


「申し訳ない。体質なんだ。これでも毎日水浴びはしている」

「水浴び? 動物でもあるまいし。石鹸はどうした? まさか使ってないのか?」

「貧民に使えるわけねえだろ。そんなことも知らねえのか?」


 さりげなく露悪に走り、挑発も交える俺である。

 良い機会だ。クラスメイトと距離をつくってしまおう。


「この貧民が……。私を誰と心得るか!」


 ばんっと机を叩きながら立ち上がる誰かさん。


「えっと、ホゲホゲ・フガフガさん?」

「字も読めなければ物覚えも悪いようだな……。私はアーサー・フランクリン。名家フランクリン家の長男だ」

「はあ、どうも。ジーサ・ツシタ・イーゼです」


 俺は頭をかきながら立ち上がり、かいた手を差し出して「握手します?」なんてほざいてみた。


「舐めた態度を取るでないっ!」


 態度の尊大さで言えばアーサーもずいぶん残念だと思うが、その割に室内の空気は冷え切っていた。

 腫れ物には触らず、我関《われかん》せずといった感じで、俺もすぐに悟らざるをえない。


 フランクリン家、ガチの名家と思われる。


「……学園にヒエラルキーは無いと思ってたんだが」

「貧民は頭も残念らしいな。階級の緩和はあくまで授業の便宜を図るための措置にすぎん。貧民ごときが我ら貴族に気安い口を聞いていい理由にはならない」

「そうですか。じゃあ口をつぐみます。お疲れ様でした」


 火に油を注いでそうだし、俺は撤退を選んだ。

 そう遠くないうちに先生は戻ってくるし、俺は別室行きだろう。この場からは逃げ切れる。


 一方で、既に俺はアーサーに目を付けられた。

 未だに誰も口をはさんでこないほどの貴族である。こんな俺に関わろうとする奴もいまい。


 これで俺のぼっち生活も安泰だろう。

 あとはアーサーからの報復やら何やらに備えればいいだけだ、などと考えていると。


「……ぷっ、くく」


 必死に抑えているのだろうが、静寂な室内ではよく響いた。

 その押し殺した声は俺のちょうど正面外側、ずっと突っ伏していたライトグリーンの頭から聞こえてくる。


「くっ、ふふっ……」

「そこっ! 何を笑っている!?」

「ぷ、くっ……何でも、ない、わ……くくっ……」

「誰かと思えば、もう一人の慈悲枠《ジャンク》じゃないか」


 鬱憤を晴らす対象を見つけたからか、アーサーのイントネーションが露骨にテンションを上げた。

 あえてたとえるなら「ジャンクじゃないですかぁ~♪」みたいな感じの悪さだ。


「父が言っていたぞ。森人《エルフ》みたいな髪をした出来損ないの臭いゴミがいたとな」


 色々と気になるワードが飛び出しているが、容赦のない口撃であることはわかる。

 当の本人、ヤンデは顔をいったん上げて、


「私も貧民だからつぐむわね。お疲れ様でした」


 ごんっと鈍い音が響く。彼女が机に伏せたのだ。

 |一般人《レベル1》でもなければ額を痛めることはない。痛まないのだからわざわざ加減する必要もないというわけだ。


 それはそうとコイツ、昨日も第一級冒険者《アウラ》そっちのけで魔法で私語していたし、中々肝が据わった奴だよな。


「揃いも揃って舐めおって……。あまりフランクリン家を怒らせない方がいいぞ」


 リアクションに迷っていたところ、アーノルド先生が帰ってきた。

 途端、アーサーも着席して背を正す――なるほど、学園では生徒の家柄よりも教員が上ってことか。


「ジーサ君。もうじき迎えが来るまでは、ここにいてくれ」

「はい」


 何事も無かったのように授業が再開した。

第80話 慈悲枠2

 字が読めない俺は吹っ切れて、机に伏せていた。

 といっても暇を許すほどお人好しでもない。一応、耳では聞いている。


「――つまり通常魔法の詠唱は魔法規模、属性、メタファの順で口ずさむことになる。たとえば魔法規模をスーパー、属性を火、メタファを剣とすると、詠唱はこうなる――【スーパー・ファイア・ソード】」


 おお、と何人かの生徒から感嘆が漏れるとともに、ストーブのような熱が俺に届いた。燃えさかる剣を出しているのだろう。


 薄々そんな気はしていたが、やはり通常魔法は三要素に分かれていたか。授業はためになるな。

 特にメタファという言葉は初耳だった。

 前世の知識で考えるなら、具体的な形にするための|たとえ《メタファー》。もっと言うと|物体の具現化《イメージ》といったところか。


 であれば、前世の物や概念を豊富に知っている俺は、その手の想像力が高いと言える。魔法の才能があるのでは?

 ……まあ未だに一つも覚えてねえけど。


「そのままの姿勢で聞きなさい」


 なんかささやき声が聞こえてきたんだが。


「わかったらそのまま小声で話しなさい」


 とりあえず無視す「無視すると抉《えぐ》るわよ」早えよ。

 昨日と同様、風魔法による会話というやつか。


「……えっと、なんで絡んでくんの?」

「あなた、本当にバカなのね。フランクリン家を知らないのかしら?」


 質問に応える気はゼロのようだ。

 にしても、俺は耳元でしか聞こえない声量で呟いてるのに、普通に届くとは。改めて思うけど、盗聴し放題じゃないですかね。


「ああ。偉いのか?」

「実質ナンバーツーよ。間違っても逆らっていい相手ではないわね」

「昨日はそんな様子でもなかった気がするが……」

「学問バカだから放っておけば無害なのよ。あなたの体臭が逆鱗に触れたようだけれど」


 お前のことだぞ、ダンゴ。

 といっても治す気はさらさら無いのだが。むしろ治したくないまである。臭ければ人は寄ってこない。


「あなたもなのね……」

「なんか言ったか?」


 鈍感主人公ではなく、マジで聞こえなかった。が、声調《トーン》から予想はつく。


「そういえばアンタも臭いって言われてたな。そうなのか?」

「アンタじゃない。ヤンデと呼びなさい」


 呼ぶまで返事しないわよ、という主張なのだろう。

 ならちょうどいい。永遠に主張しないでもらえると助かる。


「いじくり回すわね」

「事後報告はやめろ」

「事後じゃないわ。昨日も言ったし、さっきも言った」


 風魔法なのだろうが、耳の中をぐりぐりされた。


「……ヤンデも臭いって言われてたよな。そうなのか?」

「よろしい。けど呆れるわね。あなたは鈍すぎる」


 デリカシーの無さを怒られたわけではなさそうだが。

 俺は頭を起こし、空中板書を見上げるふりをしつつ、真正面外側――ヤンデの席をチラ見する。


 彼女は既に起き上がっていた。

 両肘を机につき、両手で口元を覆っている。いわゆるゲンドウポーズだ。

 美人だからか意外と様になっているが、相変わらず表情はお疲れの様子。夜更かしでもしてんのか。


「ちらちら鬱陶しいのだけれど。喧嘩なら買うわよ」

「美人に対してはそんなもんだろ」

「もう一度ほじくり回されたい?」

「勘弁してください」


 なるほど、口元を覆っていれば喋っているようには見えない。器用なものだ。


 と、そこでふと気付く。

 ヤンデと隣接するクラスメイト達が、明らかに彼女から距離を取っていることに。

 机の位置を動かせない分、限界まで椅子を離している。顔の向きも気持ち、いやだいぶ逸れてるな。


 体臭に無頓着なタイプでは無さそうだが、などと思っていると、


「ぼ、ぼくも入れてもらっていいかな……」

「なんでレベル首席の優等生が割り込んでくんのよ。さっきみたいにいちゃこらしてればいいじゃない」


 すっかりクラス一の人気者と化したスキャーノである。

 レベル88の実力者だからか、ヤンデと同様、口元の振動を読めるらしい。こうして指向性スピーカーのごとく飛ばすことも。


「よく見てるもんだな」

「目に入るだけよ。正直目障りね」

「二人とも酷い言い草だね……」

「俺は何も言ってないが」

「ぼくは主にジーサ君に言っているんだよ?」

「なんでだよ」

「ぼくの挨拶を無視した」


 勘違いされちゃ困る。

 ぼっちは誰よりも周囲を観察している。挨拶に気付かないなんてことはない。

 無視されたように見えるのは、挨拶に慣れてないぼっちが返すまで待たないからだ。一秒や二秒じゃ足らんぞ。五秒くらいは待てよ。


「気付かなかっただけだ」


 まあ今朝は意図的にスルーしたんだが。


「目が合ったよね?」

「じゃあ嫌ってるってことなんだろ。そろそろ悟った方がいい」

「ぼく、ジーサ君のことは友達だと思ってるから。離れるつもりはないからね」

「だからなんでだよ」


 その熱意はどこから来るのだろうか。俺、何かしたか?


「モテモテじゃない」

「男にモテても嬉しくねえ」

「じゃあ娼者《プロスター》志望者に慰めてもらえば?」

「プロスター?」

「ガーナ・オードリーよ」


 知ってます。わざととぼけました。

 俺も男である。ちらりと見たかったのだ。


 Sっ気がありそうな金髪美人は健在だった。制服を押し上げる膨らみも尊い。

 彼女は真面目にノートだか何だかを取りつつ、隣席――ルナと会話していた。

 貴族だからか、授業風景と調和した気品がある。笑顔も似合ってるな。ルナにも伝搬している。楽しそうだ。


 目が合う前にさっさと逸らす。


「要らねえよ。一人で事足りる。ヤンデもそうだろ?」

「普通に気持ち悪いのだけれど」


 自慰行為《オナニー》という概念はあるみたいだな。


「だよな、気持ち悪いよな。だったらもう絡まないでくれ」

「嫌よ。せっかく見つけた暇つぶしだもの」

「スキャーノが相手してくれるってよ」

「嫌よ」

「嫌だよ」


 見事にハモった。だから何で俺につっかかるの。

 自虐や露悪が全然効かないし、異世界の奴らはマジでわからん。痴漢でもすればいいのか? 前世でも《《何度かやってみたことはある》》が、罪悪感が凄まじくて正直やりたくない。

 が、バグってる今の俺なら問題ないか。


「ジーサ君」

「……え、あ、はい!?」


 アーノルド先生の声だった。ずっとテレパシーみたいな会話してたからか、普通に反応が遅れた。


「迎えが来た。君は特別教室行きだ。先に文字を学んでもらう」

「わかりました」

「せ、先生! ぼくも付き添います」


 がたっと立ち上がったのはスキャーノだ。クラスメイトの視線を一手に引き受けている。


「一般枠《ジェム》の首席が何を言っている……」


 呆れた先生に反して、教室がざわついた。ジェムって何だ? 宝石? みんなが騒いでいるのもなぜ?

 などと疑問を抱いていると、隣のアーサーが「永遠に戻ってくるな貧民」とかぼやいてきた。


 良かったな。俺もそう願っているし、そう掛け合うつもりだ。






「ミライア先生。質問いいですか?」

「どうぞ」


 迎えに来た先生は、よりにもよってミライアだった。

 この神経質そうなメガネ男は、シニ・タイヨウを知る数少ない人物でもある。できるだけ、というか一生かかわりたくないが、避けるのも不自然――というわけで、何食わぬ顔で振る舞うしかない。


「ジャンクとかジェムって何です?」

「……逆に尋ねますが、君は国王様から何も聞かされていないのですか?」

「聞かされてないです」


 なぜシキ王が出てくるのか不明だったが、語りすぎればぼろが出る。

 極力興味は抑えて、最低限で返すべきだ。


「あの方らしいですね。申し訳ありませんが、慣れてください。説明は致します」


 凌げたことにほっとしつつ、ミライアからしばし説明を聞いた。

 曰く、新入生には三種類の入学ルートが存在する。


 主に貴族の子女を特別待遇で迎え入れる『特別枠《ジュエル》』。

 入学金や授業料がエグいらしい。


 誰でも受験でき、相当の実力を示すことで入学を勝ち取る『一般枠《ジェム》』。

 お金の融通はかなり利くが、よほどの結果や個性が無いとまず通らないらしい。


 表立った枠はこの二つだが、さらにもう一つ――国王シキの気まぐれによって拾われ、入学させられる『慈悲枠《ジャンク》』があった。

 イレギュラーとして期待されており、金銭的負担も完全免除されているが、内実は甘くない。しばしば差別や侮蔑の対象になるそうだ。


 これで俺が慈悲枠だと断定されたことにも納得がいく。

 字すら読めず、体臭のキツイ者など論外である。にもかかわらず制服を着ているのだから、噂の慈悲枠に違いない、というわけだ。


 それはそうと、気まぐれに拾う、ねぇ……。


 慈悲枠はシキ王の発案だろう。俺のような例外を、必要に応じて入学させるために設けてあるのだと考えられる。

 それも詮索されにくいよう、わざわざ枠というヒエラルキーの最下層に組み込んでいる。


 無様な貧民という見せ方にすれば階級意識を誘発させ、その本質を見えづらくさせることができる――

 相変わらず趣味が悪いおっさんだ。

 ジーサの皮も待ち伏せで見破られたし、有能すぎるんだよなあ。出し抜ける気がまるでしない。頭痛が痛いぜ。


「ジーサさん? どうかされましたか?」


 落ち着いて考える時間が欲しいが、今はこの人に集中せねば。


「……あの、先生も俺を差別しますか?」

「《《私は》》そんなことは致しません。むしろ優遇したいくらいです」

「優遇は結構です」

「冷たいですね。仲良くなれると思うのですが。……着きましたよ」


 俺達が向かっていたのは校舎地下、図書室である。

 ミライアが直々に字を手ほどきしてくれるそうだ。アンタ暇なのか。バレないよう神経張るのもだるいので、別の先生にしてほしいんだが。

第81話 慈悲枠3

 図書室の出入口には早朝と変わらず、強面の男が突っ立っていた。場違いな槍が迫力を引き立てている。

 ミライアに続き、会釈しながら素通りする。


「おうミライア。なんだそのガキは?」


 槍で示される俺。普通に顔覚えられてんのな。

 俺もよく覚えてるぞ。全振りしてんのかってくらい人相が悪い。マフィアのドンといわれても納得するレベルだ。図書室利用者が少ないの、半分くらいはこの人のせいじゃなかろうか。


「兄さん。真面目に職務しないと怒られますよ?」

「だから声かけてんだよ。そのガキ、字が読めねえくせに本を物色してやがった。本の扱いにも手慣れてやがる」

「へぇ……」


 ミライアが興味深いですねぇと言わんばかりの微笑で俺を見てくる。

 神経質そうな男に笑顔は似合わない。よほどのことなんだろう。


「ミライア先生。字の教育ってどういう風に進めるんです? 早く習得したいなと思ってます」


 本は前世で扱い慣れてますからね、とは言えない。ここは誤魔化すしかない。


「……これから相談しましょう。字を読めない生徒のカリキュラムは無いものですから」

「わかりました。あの、席は目立たない場所が良いです。人見知りなもので」

「わかっていますよ。私もそうですから」


 慣れた様子で奥へと向かうミライアの後ろについていく。


 その間、俺は後方から露骨に威圧されていた。


「……」


 気のせいでは断じてない。

 全身が、というより脳や心臓が握り潰されているような圧迫感だ。


 この感触には覚えがあった。

 最初に思い出したのは、俺がユズと戦場体験をしていた時に受けたブーガのもの。

 次いでピンと来たのが、昨日アウラと目が合った時に感じたもの――


 レベル10の弱者として怯える演技をしても良かったが、今さら遅いだろう。

 俺は割り切ってスルーを決め込んだ。


「あ、そういえば」


 重要なことを思い出した俺は、ミライアの背中に尋ねてみた。


 字を読めないはずの俺でも、なぜかギルドでは読めていたこと。

 あえて字を勉強せずとも、それの習得――魔法だから適性ゼロであろう俺には厳しそうだが――を目指した方が早いのではないかということを。


 ミライアの回答は単純だった。

 曰く、無謀でしょうねと。

 読み書き能力の付与は、ステータスの可視化と同様、ギルドの機密手段である。ミライアも魔法名すらわからず、ギルドに入って上層部にでも行かない限りは知り得ないとのことだ。


 俺は表面上は納得するしかなかったが、本心はそうもいかなかった。

 少なくともこの人は実力検知《ビジュアライズ・オーラ》が使える。つまり俺に嘘をついている。


「さてと、ジーサさん。あなたの選択肢は二つあります」


 館内奥の、六人掛け木製テーブルにて向かい合った。

 とりあえずは字の勉強を頑張るしかなさそうか。


「当面は一時限目を潰して、ここで私と字を学ぶ時間にしますか。それとも放課後に自分で学びますか?」

「放課後の場合、先生はついてくださらないんです?」

「そういうことになります。我々教員も忙しいですかね。あ、私は別ですよ。それこそ夜通しお付き合いできます。どうです?」


 一瞬、仲良くなれば引き出せるのではとも考えたが、そんな甘い考えは捨てるべきだろう。


 この人はシニ・タイヨウを知っている。

 俺はシニ・タイヨウである。


 この人は国に仕える人間である。

 俺は国に追われている罪人である。


 焦ってはいけない。たとえ遠回りになっても、身バレによる破滅は防がなくてはならない。


「結構です」

「おや、残念。一時限目はどうします? 前者に致しますか?」

「……教材ってあります? ちょっと見てみたいです」

「少しお待ちを。いくつか見繕ってきます」


 ミライアは席を立つと、本棚の海に消えていった。


 少しだけ時間を稼げたが、さてどうするか。


 やはりミライアと一緒にいるのは危険だ。一刻も早く離れたい。

 しかし、考えてみれば、こっそり実力検知されないとも限らないんだよなぁ。防ぐ術もないし。

 少なくともレベル10を詐称していることはバレると考えるべきか。


 バレたらどうなるのだろうか。

 シキ王曰く、詐称の件は誰も知らないから揉み消しは期待できない。停学か、退学か、あるいは処罰か。

 楽観的に見れば、ミライアが見て見ぬフリをすることもありそうだが――いや、こんなこと考えても仕方ないな。


 自分自身がコントロールできない事象に悩むことほど無駄なことはない。

 どうせコントロールできないのだから、なるようにしかならない。


「……」


 ミライアはもうこちらに向かってきている。その手には七、八冊ほど本が積み上げられていた。


「お待たせ致しました。実は字を扱った教本は存在しないのですが、教本として使えそうなものをいくつか選んでいます」

「ありがとうございます」


 とん、とん、と机に一冊ずつ置いていくミライアに、俺は希望を口にした。


「ミライアさん。俺は当面、放課後に勉強しようと思います。一人で」

「……そうですか。今はどうします?」


 まだ一時限目の最中である。10時から12時まで、たっぷり2時間もあるのだ。長すぎるんだよなぁ。


「これらが字の教本として使えそうだと考える根拠だけ聞いてもいいですか? あとは一人で勉強したいんですが」

「構いませんが、お一人にこだわるのはなぜです? 私はこれでも教師です。教えるのは得意ですよ」


 対面に座ったミライアが、くいっとメガネを上げる。


「すいません。一人が好きなもので」

「そのようですね。息を吐くように根拠だけ聞いてくるのには驚きました。非常に手慣れているものとお見受け致します」

「……」


 上手い言い分が思いつかず、苦笑で逃げてみたが、悪手だったか。

 ジャースではソロプレイヤーの風当たりが強い。この異世界にしては、俺はソロに慣れすぎているのだろう。


「……良いでしょう。ジーサさんを尊重します。それでは時間も時間ですし、手短にいきますよ」






 ミライアは非常に説明上手だった。

 字の学び方を四つのステップに分け、各ステップでどんな本をどう使えばいいかを端的に教えてくれた。


 ちなみにステップ1は単語暗記。図鑑など、絵に対して名称が書いてある系の本でひたすら単語を覚えるのである。

 暗記は苦手なんだがな。しかも漢字みたいに何千と文字があるっぽいし……。


「10分余りました。少し早いですが、終わりましょう」


 本を片付けてきたミライアがそう言う。

 出入口の表示も見てきたのだろう。逆算すると11時50分。この後は昼休憩だ。


 もっとも俺に昼休憩などあってないようなものなんだが。一緒に食べる友達もいなければ、そもそも食べる必要がない。

 そんなことを考えつつ、俺は席を立ったのだが、


「……ミライア先生?」


 なぜか座り出すミライア。


「ジーサさん。やはり考え直しませんか」

「……放課後に一人で勉強するのを、ですか?」


 これは最後の最後でぶちこんでくるという、心理戦でよく使われるテクニックだろうか。

 あいにく俺は疲れ知らずである。ぼろは出ないぞ。


「言い方を変えましょう。一時限目を潰した方が良いのではと私は考えます。あの教室から離れられる機会ですから」


 慈悲枠《ジャンク》として忌み嫌われている俺を心配しているのか。

 あるいは、俺に思い出させてその気にさせたいのか。


「俺は逃げません」

「であれば、せめて臭いはどうにかされた方がよろしいかと。アーサーさんの機嫌を損ねるのは、正直おすすめしません」


 遠回しに体臭を注意されているのか。それとも本心からアーサーの報復を心配しているのか。

 メガネ越しの眼からは何も読み取れない。


「……学園は安全なんでしょう?」

「そうです。《《学内は》》、安全です」

「先生。さすがに無いとは思いますが、気に触るクラスメイトを殺す、なんてことはありえるでしょうか」

「ありえますね」


 軽はずみに聞いただけだったが、まさかの即答だった。

 ミライアの話術にはめられている気がしないでもないが、俺ももう一度腰を下ろすことで傾聴の姿勢を示す。


「学園の生徒は国の財産――たとえ貧民といえど、並の貴族では手出しできません。しかしフランクリン家ともなれば話は別です。生徒の一人や二人くらいは消せるでしょう」

「物騒ですね」

「アーサーさんは学者としても有望株です。厳しい言い方をしますが、慈悲枠《ジャンク》にすぎないジーサさんとは天秤にかけるまでもない」

「容赦もないんですね」

「考え直していただけましたか?」

「いえ。考えは変わりません」


 俺は立ち上がり、話は終わりとばかりに背を向ける。


「一時限目には出ます。字は休憩時間や放課後で勉強します。一人で」

「……そうですか」

「ご教授ありがとうございました」


 何ら驚きを示さないミライアに軽く会釈した後、俺は図書室を出る。

 間もなく12時を知らせる鐘が鳴った。


(とりあえず定位置に行くか)


 昼休憩の学校は異世界でも変わらないらしい。懐かしい賑やかさが耳に心地良い。

 普通なら南東の食堂に向かうのだろうが、バグってる俺に食事は不要。生徒の流れに逆行して、学内北部のデイゼブラゾーンへと向かう。


 呑気に草をむしゃってるシマウマもどきを眺めながら、


(ダンゴ。暗殺には耐えられるか?)


 相棒からの応答はない。

 ……質問が悪かったか。漠然としすぎていて、イエスノーでは答えられないってことだろう。


(暗殺として打撃、斬撃、または刺突を食らうとする。レベルいくらくらいの攻撃なら耐えられる? 10は? 20は?)


 今度は問題ないらしく、ダンゴは俺の後頭部を叩くことで返事を返す。


 しばし質問を繰り返して、ダンゴの水準を突き止めた。


(40か……。それは無傷で耐えられるということか? それとも損傷込か?)


(仮に磔《はりつけ》にされて、一方的に食らった場合はどうだ? 逃げる余地はあるか? 耐えることはできるか?)


(魔法はどうだ? ファイアは? アイスは? サンダーは?)


(通常規模はどうだ? スーパーは? ハイパーは?)


 さらに俺は質問を細かく練りながら、ひたすらダンゴにぶつけていき――

 相棒のおおよその耐久力を把握する。

 結論を言うと、ダンゴの能力水準はレベル40程度であった。第三級冒険者の下の中といったところだ。|中の下《レベル47》のルナより少々弱いくらい。


(長々と悪かったなダンゴ。図書室で言ったとおり、俺は普通に教室に顔を出す。お前の体臭をどうこうするつもりもない)


 つまりアーサーの隣で授業を受けるということだ。もっと言えば、今後彼からの報復が想定されるとも言える。

 そうでなくとも、ダンゴは無敵ではない。

 どのみち耐久性能は把握しておく必要があった。


 そのことがわかっているからこそ、生意気なダンゴも俺に長々と付き合ってくれたのだ。


(ダンゴ。今の俺達には圧倒的に経験が足りてない。モンスターはともかく、対人戦闘は素人同然だ。名家からの刺客ともなれば、良い勉強になる)


 滅亡バグの期限は長くとも百年以内だが、少なくとも一年、二年の話ではない。

 無敵バグも含めて簡単には潰せないだろうし、じっくりと腰を据えるべきだろう。数年くらいを丸々鍛錬に充ててもばちはあたるまい。


(シキ王に頼るのがてっとり早いんだろうが、あまりあの人に依存する気はない。俺はなるべく一人で解決する道を選ぶ。異論はないな?)


 ゴッと後頭部に一発。物分かりがよくて助かるぜ。

 ここはもう少しご褒美を出しておくか。


(楽しみにしてろよダンゴ。無事刺客の死体が手に入ったら、そいつの体液をプレゼントしてやる)


 瞬間、全身がびりびりとした電気というか振動に包まれる。ダンゴが興奮しているのだ。


 頼れる相棒のためなら、屍姦《しかん》など安いもの。

 元より俺はバグってる。嫌悪感や罪悪感で精神的に参ることもない。


 欲を言えば、死体は異性であってほしいところだ。


(あとは字の読み書きだな……。それにリリースの件も何とかしないと)


 課題は山積みだった。


 俺はそれからも休むことなく対話を続け、というか夢中になりすぎてしまい、13時からの授業に遅刻しそうになった。

第82話 慈悲枠4

 王立学園の時間割はシンプルであり、朝10時から2時間の授業と1時間の休憩を3回ほど繰り返す。

 授業は座学、実技、職練の順で行われ、休憩はそれぞれ昼休憩、夕休憩、夜休憩と呼ばれる。


(長えんだなぁ……)


 最後の夜休憩が実質放課後であることを踏まえても、拘束は8時間。職練が終わった時には18時である。会社かよ。


「ぐぁっ!?」


 学園内、北西の演習エリアの一画にて、俺の情けない悲鳴が響いた。


 木製のボールが俺の肩にヒットしたのだ。

 無論、痛みなど無いが、実技授業の最中である。レベル10の演技は欠かせない。

 俺は肩を押さえ、その場にうずくまるふりをする。


「せんせー、ジーサが痛がる演技をしてまーす」

「おい慈悲枠《ジャンク》! 卑怯な真似してんじゃねえぞ」


 俺が痛がっているというのに、ボールはまだ飛んでくる。

 ドゴッと脇腹や背中をえぐり、ガツンと膝や頭を打つ。オーバーキルなんだよなぁ。


 今日の実技はドッヂボールである。

 名前からしてクソ天使の作為を感じるが、現代人が思い浮かべるもので相違ない。ただ細かい部分が色々違っており、回避訓練としての側面が強い。


 一人の|避ける人《ドッジャー》を、複数人の|投げる人《スローワー》がひたすら攻撃する――

 これだけである。血も涙もない。


 ボールは木製であり、常人が当たれば骨折では済まないが、この点はレベル毎に配慮される。

 俺の場合、レベルは10であるから、レベル10未満の威力でしか攻撃されない。オーバーキルについても、アーノルド先生が目を光らせており心配は要らない……はずなんだが。


(ダンゴ。今の威力はレベル11相当だよな?)


 後頭部にお馴染みの打撃が一発。肯定である。


 博識なダンゴとともに練習を重ねてきた俺は、頭に流れ込んでくる数字の活用もあり、受けたダメージからおおよその水準がわかるまでになっている。

 レベル10を演じるためには、この水準をもとに、「レベル10だとしたらどう感じるか」を考えて行動に示す必要があった。


「痛がっても無駄なんだよ!」

「今のはレベル7、8くらいだぜ。そうですよね先生」

「うむ」


 俺に当たったボールは風魔法によって回収され、再びクラスメイト達から放たれる。

 その威力は大半がレベル10以上であり、中には13相当のものもあった。無論、レベル10の俺が受け止めたり、平気なふりをするのはおかしい。


 俺は「ぐっ」とか「あがっ」とか悲鳴の台詞を考えるのに忙しかった。


「ジーサ君」


 アーノルド先生の一言で、ボールの連打が止まる。


「は、はひぃ……」


 顔を上げると、十メートルほど離れたスローワー達のところに先生が。


「辛いかもしれないが、オーバーキルは起きていない。レベル10の君なら凌げなくてはならない。【セイント・シャワー】」


 俺の頭上から水のようなものが降り注いだ。


(ダンゴ。言うまでもないが、回復したふりも頼むぞ)


 俺は決して傷つかないし、レベル40相当のダンゴもこの程度では無傷だが、今の俺は落ちこぼれの第五級にすぎない。

 既にダンゴによって傷や腫れ、出血までもが再現されている。聖魔法を食らったということは、その分の回復も再現しなくてはならない。


「先生はちゃんと見ているし、大事に至る前に回復させる。だから安心して取り組んでくれ」


 先生はこれしきも疑っていない。さすがはダンゴ、器用なもんだな。


「せんせー、もう続けていいですか?」

「あと三分待ってやれ」


 基本的に教員の指示は絶対である。

 スローワー達は不服そうにしつつも、投げてくる様子はない。


 先生が他のグループに行くのにつられて、俺達もそちらを見た。


 皆の注目を集めるグループが一つあった。ルナのところだ。

 ドッジャーのルナが、秒間十発以上の連射――スキャーノの魔法によって繰り返される攻撃を難なく交わしている。


 胸が全然揺れていないのが惜しい。制服の力もあるのだろうが、ベルトブラも上手く機能しているのだろう。

 ジャースにブラジャーなんてものはない。仮にあったとしても、あの動きだと並の下着では秒でおじゃんになるに違いない。


「悪くないよな、あの子」

「平民だけど品があるよね」

「オレの見立てだと胸も相当だぜ」


 俺をいじめていたクラスメイト達――いちいち覚えてないが貴族の出らしかった――も目を付けていらっしゃる。

 同じ男として同意はできるが、やめといた方がいいぞ。彼女には漏れなく全裸幼女と上裸親父がついてくる。


(……今のうちに聞きたいんだが、なあダンゴ。低レベルの威力やスピードを正確に再現するのってそんなに難しいことか?)


 言った瞬間、これでは通じないなと気付く俺。


(第二級クラスの冒険者が、第五級クラス――たとえばレベル5やレベル7、レベル10や12といったあたりを正確に再現するのは難しいことなのか?)


 ゴツッと後頭部に打撃が走る。肯定の意だ。


 ちなみにダンゴの応答にはレベル20から30くらいの威力が込められることも珍しくない。

 俺としては少しでもチャージしたいし、ダンゴにしても攻撃の練習はやっておきたいらしい。というわけで、周囲にバレない程度に遠慮無く殴っていいとしている。


 おかげでダメージが溜まる溜まる。まあグレーターデーモンに比べれば雀の涙なんだが、塵も積もればなんとやらだ。


(じゃあ第一級だとどうなる? やはり難しいか?)


 今度はゴゴッと素早く二発叩き込まれた。否定か。


(……なるほど。アーノルド先生は第一級クラスじゃないから、あまり正確に算定できてないってわけか)


 クラスメイト達も、先生も、レベル10が痛がるラインを過大評価している。

 彼ら強者には弱者の感覚がわからないのだろうか。あるいは経験が少ないのか。……ありえるな。


 そもそも学園の教員や生徒にとって、第五級冒険者という存在は珍しいのである。

 現に、今年のFクラスの中で第五級なのは俺だけだ。実際は、ワースト3の俺の下には二人いるが、どちらも賢者志望であり戦闘は度外視。この実技にも参加していない。実質俺がビリと言えた。


 で、俺の次に高い奴だが、なんとレベル21――余裕で第四級冒険者ときている。

 これでもかなり低いらしく、その後は20台後半や30台がごろごろ出てくる。

 ベストテンにもなると40台後半以上になってきて、47のルナ、51のガーナ、62のヤンデと関わりたくない女子がみんなセットでついてくる。


 そしてランキングの終着点にはスキャーノ。

 唯一の第二級冒険者であり、レベルは88である。二位とは20以上のも大差をつけているのだから、いかに規格外なのかが俺でもわかる。


(……まあ、俺はレベル10を演じるだけだ)


 くだらない競争心や承認欲求は捨て置け。

 俺は正確にレベル10を演じればそれでいい。


 用心すべきは第一級クラスの教員だろう。

 いるかどうかはわからないし、単身で都市を滅ぼせるほどの人間兵器がわざわざ学園に勤めるとも思えないが、いないとは断言できない。


 もし俺が皆の誤解に従い、実際レベル10超の威力をレベル8程度として処理してしまったらどうなるか。

 俺とダンゴは演技で楽ができるし、先生含めFクラスの誰も異変には気付かないだろうが、第一級の教員は違う。


 本当はレベル10超のボールなのに、なぜレベル10の生徒が平然と耐えているのか――


 そんな風に見えてしまう可能性がある。

 レベルの詐称でも疑われたら厄介だ。


(ダンゴ。俺達はあくまでもレベル10を演じるし、演技には俺達自身の感覚に従う。いいな?)


 散々練習してきたんだ。誰にも見破らせてなるものか。


 俺はこの学園を無難に過ごしてみせる。

 その間にさっさと情報を集めて、二つのバグを特定する。同時にシキ王を始めとする諸々の対処方法も考える。


 卒業まで待ってやるつもりはない。シキ王に取り込まれるつもりもなければ、ルナと結婚したりユズを愛人にしたりするつもりもない。

 俺の目的はあくまでも死ぬことなのだ。

 この学園は、そのための踏み台でしかない。


 戦いはもう始まっている。

 そしてこの戦いは、俺が死ぬまで終わらない。

第83話 慈悲枠5

 ドッヂボールでボコられた俺は教室には帰らず、図書室に直行。

 点呼や連絡は無いと思うし、あったとしてもサボればどうなるかを知るのにちょうど良いだろう。前世では小中高と皆勤賞だった俺も、ずいぶんと不真面目になったものだ。


 さて、15時から1時間設けられた夕休憩だが、俺は字の勉強ということで、ミライアに教えてもらった本を読むのに充てた。

 絵とその名称が載っているだけの図鑑なのだが、やはりジャースの字は漢字のように文字が多い感じだった。洒落ではない。というか洒落にならないほど習得には時間がかかりそうだが。

 一年や二年じゃ済まねえぞこれ……。


 時間ギリギリまで粘ってから教室に戻ると、本日最後の授業、職練である。

 職練とは職業訓練の略であり、闘者《バトラー》や賢者《ナレッジャー》など各生徒が志望する職業に応じた訓練をするそうだ。


「――第一週は見学期間となっている。授業時間中は誰とどこを見て回っても構わない。|第一週十日目《イチ・ジュウ》に各自の職業を決めてもらうから、それまでには結論を出すように。出せない場合は学園側で適当に決めるからそのつもりでな。では解散」


 途端、教室内の喧騒がよみがえり、早速誰と何を見て回ろうか盛り上がっているようである。

 ちらっと見た限りでは、スキャーノやルナは人気者っぽかった。

 ヤンデは……慈悲枠だからか誰も寄り付かないな。「あ、ジーサ君」スキャーノが呼んできた気がするが気のせいだろう気のせいに違いない。


 俺は誰よりも早く教室を出た。


(ダンゴ。『イチ・ジュウ』って第一週目の十日目ってことだよな?)


 一応、不安だった用語を相棒に確認しておく。正解らしい。


 まだジャースの暦には慣れない。

 週は7日ではなく10日であり、30週つまりは300日で1年となる。月はないから何月何日という表現はなく、代わりに|第一週の三日目《イチ・サン》のような言い方をする。

 ちなみに元年――たとえば西暦のような概念はないみたいだ。歴史の言及とかどうするんだろうな。


「さてと、職業はどうっすかな」


 と言いつつも、俺の足は真っ直ぐ図書室に向かうのだった。


 考え事がしたいだけなので本は適当なものを選び、奥の壁際に腰を下ろす。

 まずはダンゴの意見を再確認してみたが、やはり娼者《プロスター》だった。一応、詳しく訊いてみたが、性行為時の舐める行為による体液摂取しか頭にないみたいだった。


(ダンゴ。俺は一番拘束が少なく時間も要さない職業にしたいんだよ)


 娼者は相手ありき、つまりは接客業だから論外だろう。


 闘者《バトラー》はおそらく希望者が殺到するはず。冒険者はほぼこれだからなぁ。例年どおり八割以上はこれを選ぶだろう。

 当然、さっきの実技みたいな集団演習もあるはずだ。雑魚でぼっちの俺には二重の意味で辛い。


(面白そうなのは賢者《ナレッジャー》だが、読み書きすらできない俺には無理だよな)


 アーサーもいるから、やりづらそうだし。


(とすると残りは執者《バルター》と商者《バイヤー》だが……)


 執者は要するに執事やメイド。拘束が長そうだ。

 商者は要するに商人。さっぱりイメージが湧かないが、店を切り売りするのだろうか。それとも商談など心理戦の世界か?


 と、悩むふりをしつつも、俺の心は既に決まっていた。


(ダンゴ。商者《バイヤー》で行くぞ)


 そうと決まれば、字の勉強だ。


 見学は明日から、かつ気が向いたら、で良いだろう。

 商者という選択肢はたぶん変わらない。今日はこの判断を寝かせたいと思う。




      ◆  ◆  ◆ 




 クラス内のグループとカーストがすっかり定着した第一週五日目《イチ・ゴ》。

 その三時限目が開始すると、俺は一直線に外側の席を目指した。


「ジーサ君。良かったら一緒に――」

「すまん、他を当たってくれ」


 俺は振り向きもしないで冷たくあしらった。用があるのはスキャーノの三席隣――机に伏してるライトグリーン頭だ。


 ぼっち慣れした彼女に俺の影が刺す。俺は開口一番、


「ヤンデ。一緒に見学しないか?」


 顔を上げるヤンデ。

 相変わらずの疲労困憊フェイスに、心底嫌そうな表情が上塗りされている。


「娼者《プロスター》の見学? お断りするわ」

「なんで娼者前提なんだよ」


 俺があえてヤンデを誘ったのには訳がある。

 見学でもなければ、無論デートでもない。ただヤンデという慈悲枠《ジャンク》のそばに居ることが重要なのである。


「ジーサ君……」


 スキャーノは親に見捨てられた子みたいな表情で俺を見ていた。手もこっちに伸ばしたままだ。

 だいぶ冷たくしたつもりだが、まだ手ぬるいらしい。いいかげん諦めてほしいんだがな。


 そう、俺はスキャーノから逃れるために、ヤンデを利用しようとしている。


 俺は両手でメガホンをつくるように口元を多い、ヤンデにさえ聞こえない小声で「ちょっと耳貸せ」ささやいた。


「……私の耳を使うの? さては耳で興奮する変態なのかしら」

「人の性癖をねつ造するな。スキャーノに聞かれないためだ」


 内緒話の意図は理解したらしく、ヤンデも両腕で口元を隠している。


「これで俺がヤンデに耳打ちすれば、俺の口元は完全に囲まれる。スキャーノに読み取られることもない」

「たしかに、囲まれた内側の振動を読み取るのは不可能でしょうね」

「ジーサ君、どうして……」


 声音だけでも悲しいとわかるスキャーノの小声が割り込んできたが、無視する。


「防音魔法とか無いのか? そっちの方がてっとり早い」

「あるけど使いたくないわね。学園に睨まれるわよ」

「睨まれるとは?」

「学内の空気は監視されているのよ。防音障壁《サウンドバリア》なんて張ったら一発で気付かれるわね。怪しいことをしていると疑われかねない」

「そんなことまでできるのか……」


 ろくに魔法も使えない俺には想像すらつかない領域だ。


 そもそも魔法の発動ってどういう手順なんだろうか。詠唱しただけで発動する? 念じたりイメージを浮かべたりする必要はない? 通常魔法には|たとえ《メタファ》があるから、たぶんイメージは必要だと思うが。

 俺が持つ|唯一のスキル《リリース》は単純だ。セットとかキャンセルといった命令《コマンド》を発言するでいい。


「防音障壁ならぼくも使えるよ」


 スキャーノの割り込みで俺は我に返る。


「ぼくならいつでもどこでも使ってあげら――あ、ガーナさん? ううん? なんでもないよ。独り言だから、あはは……」


 ちらりと視線を向けると、スキャーノのそばにはガーナとルナ。

 ……そうなんだよな。厄介なことに、あの三人がつるんでグループになっているのである。

 スクールカーストもぶっちぎりのトップで、早くも一目置かれている。絶対につるみたくない。


 それはさておき、ナイスだぞガーナ。

 そのままスキャーノと仲良くしてくれ。何なら娼者の練習相手にして骨抜きにしてくれると助かる。


 まあスキャーノってそういうの効かない気がするけど。俺の前世の感覚からすると、スキャーノはLGBTQだと思う。

 この世界にLGBTQは存在するのだろうか。前世の日本では13人に1人いるとされていたが。


 って、ん? なんかルナさんがずかずかと近づいてくるんですけど。


「ヤンデさん。ジーサさん」


 普段浮かべていた社交辞令はなりを潜め、若干ぷんぷんしていらっしゃる。

 さすがに無視するわけにはいかない。


「……えっと、アンタは?」

「ルナです。よろしければご一緒しませんか?」

「知っている。平民様が何の用だ。俺達は慈悲枠《ジャンク》の貧民なんですけど」


 ルナはミライア以上に近づかせたくない相手だ。敵対してでも親しくなるわけにはいかない。


「そういうのがいけないんですよ」

「は?」

「そうやって自虐的になるから人が寄り付かないんです! どうしてそう卑屈なんですか?」

「アンタと絡むのは初めてのはずだが。何? 俺のこと見てたの? 俺のこと好きなの?」


 言うまでもなく挑発である。


 俺が卑屈であることは、既にクラス中で知られていることだ。

 そのうち七割はアーサーとの絡みであり、残り三割はスキャーノによるもの。いずれにせよ、クラスで一番の存在に絡まれているわけで、どうしても目立っていた。


「な、なんですか、その言い方っ……!」

「暴力は勘弁してくれよ。レベル10は脆いからな」

「あなたは何がしたいんですか?」


 どう返すか一瞬迷ったが、俺は迷わない。迷ってはいけない。


「気付けよ。目障り耳障りだから関わるなっつってんだよブスが」

「なっ……」


 何を張り切っているのか知らないが、ルナ。もう俺には関わるな。

 そして悲しそうな目をしているスキャーノ。これはお前への牽制でもあるんだぞ。


 がたっと激しく椅子を引く音がする。我が物顔で立ち上がったヤンデだった。

 手を差し出している。ルナに向けて。


「私と握手しなさい」

「……」

「どうしたの? 私達と親しくしたいのではないの? 握手すらできない?」

「そ、それは……」


 ルナは俯いたまま震えていた。

 左手が力なく上がったり下がったりしている。間もなく、その手が自棄《やけ》気味に放たれようとして「所詮あなたも同じ」ヤンデが口を開く。


「慈悲枠《ジャンク》じゃない者に理解などできないわ。行きましょう」


 最後は俺に向けた言葉だ。

 ヤンデはもう歩き出している。「ああ」俺もすぐに続く。


 もうスキャーノに呼び止められることもなかった。

第84話 慈悲枠6

「ヤンデ。ルナはなぜ握手を渋ったんだ?」


 俺とヤンデは北部のデイゼブラゾーンに来ていた。


 俺の提案である。この辺りはデイゼブラ用の小さな放牧エリアで見通しは良いが、学内では最もぼっちが落ち着ける場所だ。

 遠目には通行する生徒が何十何百と見えるが、パーソナルスペースを広く確保できるからすっかり気に入っている。


「あなた。あの子が好きなの?」

「なぜそうなる」

「名前。私にはまるで関心が無かったくせに」


 一応婚約者だからな、などと言えるはずもなく。


「……そりゃ覚えるだろ。ルナやガーナみたいな大きな子が好みなんだ」


 体育座りをするヤンデの胸を覗いてみる。

 ジャースの衣服や下着には無知だから何とも言えないが、カップ数で言えばせいぜいB。貧の部類だな。

 あるいはベルトブラで晒しみたくキツく締めているのかもしれないが、このガリ寄りのスレンダー体型で巨乳ってのはさすがにありえない気がする。あったらそそるぞ。


「はい」


 あからさまな俺を気にせず、ヤンデは右手を差し出してきた。


「握りなさい」

「ほらよ」

「……どう?」


 至って普通の、女の子の手だった。

 手のひらも相応に柔らかい。ルナはサバイバル生活が長かったからか鎧みたいに硬かったけどな。


 握手と言えば、災害蛇《ディザスネーク》から救ってもらった時――ラウルに起こされた時もしているが、あの人はそこまで硬くなかった。

 実力と硬さは関係ないってことだろうか。


「何か言いなさいよ」

「……別に何ともないが」


 頭にダメージが流れ込んでくる様子もない。


「やっぱりあなた、おかしいわね」

「事情が見えないな。説明してくれないか」

「嫌よ」


 毒の類ではないはずだ。いくら慈悲枠《ジャンク》――シキ王の独断だからといって、生徒を危険に晒す真似はしないだろう。

 この学園のセキュリティには目を見張るものがある。生徒を大切にしている証拠だ。相変わらず階級には厳しいけど。


 ふと、俺は自分の手を嗅いでみた。

 やはり特に臭わない。


 次にヤンデの髪をすくって、嗅いでみた。


「ひゃっ!?」


 びくっと飛び上がるヤンデ。すげえ乙女な声でしたけども。


「別に臭わないな」

「いきなり触れるのはやめなさい!」


 すげえ早口なのに発音が明瞭なのが面白い。アナウンサーに向いてるレベル。


「何言ってんだよ、俺の六倍なんだろ?」


 レベル10のスピードは逸脱していない。反応できないってことはないはずだ。


「……構わないわ」

「は?」

「私の髪をすいてくれるのでしょう? 特別に許可してあげるわ」


 何考えてるかさっぱり読めないな。

 あたりがきつくて、俺も嫌っている風なのに、こうして触れることを許している。

 コイツの胸中では一体何が起きている?


 とりあえずやってみることにする。

 髪をすくってアレだろ? 女性がよくやっている、くしでいじるやつ。何の意味があるんだろうな。というか手でできるのだろうか。


「下手ね。まんべんなくすきなさい」

「仕方ねえだろ。童貞なんだから」

「どうてい? 何を見極めるのよ? いいから手を止めない」


 同定じゃねえよ。童貞って概念は無さそうだな。あるいは概念はあるが言葉が無いのか。


 ライトグリーンの髪は、ぼさぼさの見た目に反して至高の手触りだった。

 するっするに指が通る。ひっかかることはまずないし、つまむのさえ一筋縄にはいかない。まるでウナギだ。言ったら怒るかな。


「……」


 傍から見るとカップルに見えたりするんだろうか。


 ベテランぼっちとしては甚だ不快だが仕方ない。

 俺と同様、コイツにも慈悲枠《ジャンク》というレッテルがついている。クラスで孤立するのに重宝する。


 俺はコイツと過ごす。それだけで他人は近寄ってこなくなる。スキャーノやらルナやらガーナやらも、もう来ないだろう。

 俺としても、コイツのことだけ考えれば済むようになる。一人に集中できる分、楽だ。


(なあダンゴ。コイツから何か臭ったりするか?)


 俺は思いつきでダンゴに尋ねてみた。

 ヤンデが俺の口内会話を聞き取れないことは確認済だ。不審に思われることはない。


 あのルナがコイツに握手しなかったのは何故だろうか。


 アーサーは臭いだと言っていた。

 隣席の奴らも露骨に離れていた。

 さっきの教室の雰囲気を見るに、これらはクラスメイトの総意だろう。


 しかし特に臭うことはなかった。

 いや、少し嘘で、むしろ女の子の匂いで興奮するくらいだ。バグってなければ、さぞ美味しいおかずになるほどに。


 そんなことを目まぐるしく考えていた俺の後頭部に、ゴツッと打撃が走る。


「肯定か……」


 口にしてしまう俺。またやらかしてしまった。

 どうも考え事に集中しすぎると言動がおざなりになってしまう。バグってても疲れないというだけで、このあたりの器用さは何ら変わらない。俺はいいかげん学ぶべきだ。


 ヤンデがジト目で俺を睨んでくる。

 俺も負けじと見返し、無言で見つめ合う格好になった。


(その臭いは他の生徒や教員からは臭わないものか?)


(俺と過ごしてきた中で、コイツと同じく臭った人間は過去にいたか?)


 美人の相貌を捉えながらも、俺はダンゴに質問を重ねていく。


 相棒とのコミュニケーションは死活問題だ。こういう場面でも使えるかどうかは調べておきたかった。

 ヤンデであれば、仮にバレたとしても誰かに喋ることはあるまい。そもそもそういう人脈もないはず。たぶん。


「……生きてて辛くない?」


 間もなくヤンデは目を逸らし、デイゼブラを眺めながらそんなことを言ってきた。


 やはり俺の会話に気付いた様子はない。

 気付けば指摘してくるだろう。してこなかったということは、気付いていないということだ。


 上出来である。

 腹話術のように口を開かずに、それも外に漏れない声量で喋る俺の努力も自画自賛したいが、何より喉の動きを隠しているダンゴの功績が大きい。

 ダンゴは体外寄生モンスターでもあり、俺の全身を覆うスライムだ。喉の部分は少し厚めにしてあり、ダンゴと話す時は一ミリも動かさないように見せている。


「貧民で、容姿も醜くて、字も読めなくて、レベルも10しかなくて。むしろ10になるまで生きただけでも大したものよ」

「それは褒めてるのか貶《けな》してるのか?」


 ヤンデの回答は返ってこなかった。もしゃもしゃ草を食っているデイゼブラを眺めている。


 コイツとはしばらく過ごすことになりそうだが、俺はどこまで踏み込むべきだろうか。


 そんなの決まっている。踏み込まなくていい。


 |ほぼ第二級《レベル62》なのに貧民で。

 なぜかクラスメイトから露骨に嫌われていて。

 ダンゴ曰く、他の人間が持たない臭いを持っていて。


 そして何より、コイツも慈悲枠《ジャンク》である。

 シキ王個人によって拾われ、匿われている訳ありなのだ。さすがに俺のようなバグは無いだろうが、ただ者じゃないのは明らかだろう。


 距離を詰めてはいけない。

 しかし、ヤンデは少しだけ俺に詰め寄ろうとしている。詰めることを許している――


「どこ行くのよ」


 この場から逃げようと俺が立ち上がると、ヤンデから声がかかった。ご丁寧に体まで向けている。


「トイレだが」

「そういえばあなた、火魔法も水魔法が使えないらしいわね。教室でバカにされていたわよ」


 ははは、既にウンコマンになってしまったか。

 まあ出入りは丸見えだし、俺が使った後に排泄物とその臭いが残ってるんだから仕方ないんだが。

 言わば、俺の次に入った人がとばっちりを食らうわけである。


「気にしていることを言ってくれるな」


 上手く誤魔化せたことに内心ほくそ笑みながら、俺は図書室に向かった。

第85話 放課後

 放課後、一般食堂の一画に三人はいた。


「思い出したら腹が立ちますっ! 何なんですかあの二人は!」


 ルナが手に持つパンを噛みちぎった。

 素早く咀嚼する一方、残ったパンを野菜スープに突き刺し、すくってから、またかぶりつく。高速だが器用かつ丁寧な手つきで、隣のスキャーノが「すごい」と感心するほどだった。


「落ち着きなさいよルナ」


 対面に座るガーナが茶色の液体をすする。左手にティーカップ、右手にはコースター。自ら持参したものだが、見るからに高級品であり、貴族と判断するには十分な存在感があった。

 それをかちゃっと置いたガーナは、


「あなた、見かけによらずワイルドなのね。そういうの好きよ。今晩どうかしら?」

「私にそういう趣味はありません」

「あら? 私はいけるわよ? 娼者《プロスター》たるもの、両食いは基本だもの」

「両食い……」


 免疫が無さそうなスキャーノを見て、ガーナがにたりと笑う。


「スキャーノもどう? そろそろその気になった?」


 ガーナは既にスキャーノを何度も誘惑しているが、当人にその気はなく、もはやいじりネタのようなものであった。


「ぼ、ぼくも、そういうのはいいから……」

「その反応、へこむわね」


 第二級冒険者ほどの男となれば、性体験もとうに済ませているのが一般的だ。その強さとステータスから普通にモテるし、稼ぎも並の貴族に劣らないレベルで可能だから娼館にも手を出せる。

 そうでなくとも、色恋は男性冒険者の足を引っ張る主因。早めに経験して潰しておくのがセオリーだ。


 ゆえに、よほどの障害や信念でもない限りは、ほぼ確実に経験する。


「スキャーノ。あなた、ちんちんはついてるの?」

「ちん!? その、し、下ネタはやめてほしいんだけど……」


 そういう意味では、目の前の小柄な美少年――それも下ネタにさえ慣れてない初心さはレア中のレアと言えた。


「あなたといい、ジーサといい、手強い男が多くて腕が鳴るわ」

「ジーサ君……」


 もじもじしていたスキャーノが動きを止める。豪快な食べっぷりを見せていたルナも、手つきがおとなしくなっていた。

 三人とも実力者である。磨かれた直感にどこか反応するところがあったし、この感覚は言わずとも共有できた。


 ガーナはもう一度液体をゆっくり味わった後、問いかける。


「スキャーノはどうしてジーサにこだわるの?」

「……や、優しかったから」

「どこがですか」


 即行で否定するルナ。

 彼女の手元、数人前以上の皿は既に空になっている。

 まだ食堂に来てから十数分と経っていないが、迅速な食事が求められる冒険者にはさして珍しくない。


「ルナさんは、その、……誤解していると思う」

「何がですか。スキャーノさんも散々言われてますよね? 【霧掃除《ミスト・クリーナー》】」


 ルナが水分を含んだ風を生成し、かすかに残ったソースや飛散物を削り取る。最後に炎を出して蒸発させたが、その手つきは苛立ちを表すように荒い。


「事情があるんだと思う」

「なんとなくわかるわね」

「ガーナさん?」


 不遜な態度を取ったジーサに、スキャーノのみならずガーナもどこか肯定的だ。思わず睨むルナだった。


「アイツと出会ったのは入学日の朝なんだけど、私服の私にちっとも反応してなかった」

「そうですか? 胸をチラ見してくる普通の男子に見えましたけど」

「だからこそおかしいのよ」


 制服越しにもわかるガーナの豊満な胸元に二人の視線が刺さる。

 ガーナにとっては痒くもないことだ。娼者は身体をアピールしてナンボだし、学園に入学してから既に数多の男子の目に晒されている。というより自ら晒している。


「私はチャーム体質なの。嫌でも男を引きつけるし、男に見られているかどうかもわかる。アイツは見ていなかった」


 チャームと言えば故第二王女ナツナが代名詞だが、彼女の特権ではない。単に彼女の出力が例外中の例外なだけであって、そのような体質の存在は確認されているし、先日もアウラという一例を見たばかり。

 ルナもスキャーノもレベルに違わず博識であるため、ガーナの主張に疑問を抱くことはなかった。


「普通に見てましたけどね。何なら普段からもちらちら見てますよ。他の男子よりも多いくらい」

「そうじゃないわ。それが演技《パフォーマンス》だと言っているのよ」

「何のためにですか?」

「知らないわよ」


 あえて女性の身体に流される演技をする意味がわからない。

 ルナはスキャーノに目で尋ねてみたが、スキャーノは首を傾げる。同調とばかりにルナも傾げたのを見て、ガーナがくすっと相好を崩す。


「スキャーノの言う通り、訳ありかもしれないわね。興味がないならスキャーノみたいにほげーっとしてればいいもの」

「え、ぼく、そう見えるの?」


 自らを指して何やらショックを受けてるスキャーノをガーナはスルーして、


「アイツのことはよく見てたけど、外面は普通の男子そのもの……いいえ、ルナの言うとおり平均以上に欲望に忠実だったわ。今までも満たす機会が無かったんでしょうね。不細工だし、貧民だし、弱いし、さぞ悲惨な人生だったに違いないわ。よく今まで生きてきたものね。恥ずかしくないのかし――」

「言い過ぎだよ」


 静かだが威圧感のこもったスキャーノの声音。思わずルナはたじろいだが、それでもガーナは怯まない。

 とんっと両腕をテーブルに乗せ、前のめりになってから。


「と、そう見せたいのかもしれないわね」


 自ら抱いた印象が偽物であると評した。


 一同が押し黙る中、ガーナはさらに続ける。


「そもそも慈悲枠《ジャンク》って何? どうしてそんなのが認められているの? アーサーみたいな貴族の反感を買うのはわかりきったことじゃない」


 ルナが「そうですね」と腕組みをしつつ、


「ヒエラルキーの底辺をつくりたいから、でしょうか? 一般枠《ジェム》の貧民は有望株だから潰したくない。でも階級意識を植え付けるためには、無条件に攻撃されるべき対象が必要――」

「植え付けるって……。あなた、他人事な物言いをするわね」

「あ、いえ、そういうわけでは……」


 それはルナが王族として教育を受けているからであった。無論、第一王女であることはトップシークレットである。


 わたわたと慌てるルナをガーナは半眼で訝しみつつ、背もたれにもたれた。

 うーんと伸びをする。自慢の胸も強調される。

 離れた席の男子生徒達がここぞとばかりに、しかし器用に見ようしているのがよくわかる。


「とりあえず、一緒にお茶したいわね。あの二人と」

「二人……」


 性的な視線に慣れたガーナに対し、ルナは少々居心地の悪さを覚えていたが、そんな意識は秒で消えた。


「私、……彼女の握手を拒否してしまいました」

「気にすることはないわ。あの子も相当な訳ありでしょ? あんな臭いをぶちまけられてるんだもの。私でも触れる気がしないわよ。素材が美味しそうなだけに、もったいないところね」


 ガーナがヤンデの身体的魅力を力説し始めたのを、ルナは苦笑で流した。

 直後、励ましのためにあえて饒舌になったのかもしれないと思い直し、「ありがとうございます」素直に口にする。「お礼として身体をいただくわね」「調子に乗らないでください」二人がいちゃついている中、


「ジーサ君はどうして平気なんだろう……」


 スキャーノがぽつりと呟いた。


「あの二人、接触はしてなかったと思いますけど」

「それでもだよ。ぼくは正直、近づいただけで、なんかこう、耐えがたい衝動に襲われるんだよね。気持ち悪いとか、いらいらするとか、そういうのを超越した何か……あえて言うならモンスターみたいな」

「……魔人、ということかしら?」


 スキャーノが肯定とも否定とも取れない微妙な面持ちを浮かべたところに、「違います」ルナの断言が割り込む。


「魔人の方とは会ったことがありますが、嫌悪感はモンスターのそれでした」

「そう? なら違うわね」


 モンスターと魔人は常に魔素《まそ》――魔人を除く全種族を生理的に著しく不快にする何かを排出している。


 魔素の前に慈悲など存在しない。

 仮にヤンデが魔人であるなら、とうに暴力騒動が起きているだろう。何より入学が許されるはずもない。


「にしても魔人と出会ったなんて興味深いわね。男? 女? |それ以外《アザー》? 美味しそう?」


 ちなみにジャースでは男でも女でもない性をアザーと呼ぶ。娼者絡みか、ある程度の学がない限りは知り得ない概念だが、ルナとスキャーノは問題ない。


「昔の話です。ほとんど覚えていません」


 まさか魔王という魔人族の頂点が師匠だとは言えるはずもない。


「ほとんど覚えていないのに、嫌悪感だけは覚えているのね。興味深いじゃない。私も一目見てみたいし、食べてみたいわ」

「そうですね……」


 気の抜けた応答の裏で、ルナの頭はぐるぐると活性化していた。



 ――魔素は濃厚な殺意の宿った体臭みてえなモンだ。


 ――制御は非常に難しいんだが、どうにもそうは思えねえ。同胞なら誰でも自在に制御できる気がすんだよなぁ……。



 師匠ともあろう方が珍しく苦戦を吐いていたから、よく覚えている。


 間違いない。魔素の放出は制御が効くのだ。

 当時は魔王でもなければできないことだと思っていたが、そうではないことをルナは知っている。


 白夜の森での生活は記憶に新しい。

 ルナにとって、森のモンスター達は家族も同然だ。一緒に鍛錬もしたし、ベッドや抱き枕として一緒に寝たこともある。

 無論、魔素を浴びたまま行えることではない。


 森では魔素が抑止されていたのだろう。

 モンスター達は自ら魔素の放出を抑えた。少なくともルナに対しては、完璧に抑制している。

 そう考えなければ辻褄が合わない。


 そして、モンスター達にそんなことをさせる契機となったのは――彼女が今なお愛している行方不明者。


「私に名案があるわ」


 思案ムードの中、唐突にガーナが口を開いた。

 ルナも我に返る。


「二人を尾行するのよ」

「……いいですね。賛成です」

「ぼくは遠慮しておくよ」


 スキャーノことスキャーナは情報屋ガートンの職員であり、放課後も仕事が残っている。


「そっ。では二人で、二手に分かれましょう」


 理由を問い詰めることはない。

 放課後に時間を取れないのは当たり前である。貴族としての仕事に忙しい者もいれば、冒険や労働で生計を立てている者もいるだろう。事情を尋ねるのは野暮であり、親密でもなければマナー違反だ。


 もっとも尾行などというはるかに行儀の悪いことを企てているわけだが、クラスメイトの謎に夢中な彼女達に、そこまでの自制は働かない。


「私はジーサを追うから、あなたはヤンデをお願いね」

「どうしてですか。ガーナさんの方がお強いので、ガーナさんがヤンデさんに行くべきです」

「うるさいわね。あわよくば襲って食べたいからに決まってるでしょ。察しないよ」

「不埒です。私がジーサさんを尾行します」

「強情ねぇ……。なら石拳《いしけん》で決めるわよ。【ロシャンボ・プリペア】」


 ガーナが唱えると、石、はさみ、紙を土で模したものが生成された。

 石製の箱も一つある。ガーナは天面のふたを開き、三つとも入れてから閉めると「【ロシャンボ・セット】」箱に魔法を重ねた。


 完全に密封された石箱がテーブルに置かれる。


「選びなさい」

「……石で」


 ルナがふたを開ける。


 中にあったのは、はさみを模したものだった。


「私の勝ちです」

「運が良いわね」


 要するにじゃんけんであった。


 ジャースでは石拳として知られており、運に委ねたい場合に使われることがある。

 ただし、レベル差による反射神経の差で公平性が成立しないため、ガーナのように魔法で事前に格納するやり方が好まれる。


「二人とも、無茶は控えてね」


 傍観に徹していたスキャーノが真顔で言う。

 きな臭さが無いとも言えない。


 無論、慢心する二人でもなく、当然の意を示した。

第86話 放課後2

 ルナの自宅は王都北西部の平民エリアにあるが、滞在時間は短い。

 帰宅を検出したユズの出迎えで、王宮地下に行くからだ。


 何の家具もない板張りの部屋に到着すると、ルナは正座で腰を下ろした。

 ユズは直立したまま控えている。


「ご苦労様です。進捗はどうですか?」

「微妙。今日も遊ばれて終わった」


 ユズはダンジョン「デーモンズシェルター」の深層90階層、グレーターデーモンの攻略にあたっている。

 既にゲートやテレポートでの出入りは整備されており、攻略目前と噂されているが、その実、全くの逆で、まるで歯が立っていないのが現状だった。


 しかし当人に気にした様子はない。近衛は育ち方が特殊であり、冒険者が抱きがちな競争心やプライドとは無縁である。


「《《王女様》》。この後の予定を所望」

「今日はもう疲れたし、お友達モードで行きましょう」

「承知」


 ユズは頷き、ルナの隣で体育座りをする。


「ルナの様子を所望。ユズの見立てでは、友達はゼロ」

「失敬な。ちゃんといますーだ」


 二人はしばし友人のように、あるいは姉妹のように団らんする。

 しかし二人とも口数が多い方ではなく、共通の想い人がいる。話題は自然とそちらにシフトしていく。


「――タイヨウさんの進展はありますか?」

「否定」

「そうですよね。お父様の仰るとおり、私達から逃げたんでしょうか……」

「何か飲む?」

「……ミルクリで」

「承知」


 ユズはゲートをつくってグラスとミルクリの実を取り出し、火魔法を行使して、その場で煮沸した。

 とくとくと白くて濃そうな液体がグラスに注がれる。「ありがとう」ルナは湯気の立つミルクリの汁にずずっと口をつけた。


「……」


 シニ・タイヨウは依然として行方不明である。父シキはグレーターデーモンに殺《や》られたと見ているようだが、ルナにはそうは思えなかった。


 白夜の森でモンスター達を従えたように、グレーターデーモン達も従えているのではないか。

 そして今も彼らの庇護下で、何かをしているのではないか――

 そう思えてならない。


 ミルクリの濃厚な香りを受けて、ルナの気分も和らいでいく。

 同時に思考もクリアになっていく。


「……ボングレー」


 ふと呟いた後、ルナは最後の一口を飲み干し、ユズにグラスを手渡す。


「私、タイヨウさんとボングレーでデートしてきたことがあるんです」

「ユズは死地をともにした。タイヨウの体は、隅々まで覚えてる」

「張り合わなくていいですから。そのボングレーですが、ナツナの手によって滅ぼされました」

「知ってる」

「……そうでした、ナツナを守っていたのがユズでしたね」


 ユズはもう後片付けを完了させていた。

 体ごとルナに向き直り、唐突にその話題に触れてきた意図を目で尋ねる。


「クラスメイトに、ボングレー出身の人がいるんです」

「……あやしい」

「ですよね、ユズもそう思いますよね」


 ボングレーが襲撃された日、ナツナはチャームを広域に展開して村人を余すことなく巻き込んだ。

 女性や子供にも効いていたことと、視覚作用《エフェクト》が家屋をすり抜けていたことを考えると、まず全滅で間違いない。



 ――ジーサ・ツシタ・イーゼです。出身はボングレーで、最近こちらに引っ越してきました。



 件《くだん》のクラスメイトはそう自己紹介したが、生き残っているはずがないのである。


 しかし単純に問い詰めることはできなかった。

 ボングレーは存在自体があまり知られていない上、滅亡した件は意図的に伏せられている。ルナという一般枠《ジェム》の生徒が知っているのは不自然だ。


「偶然出かけていた可能性?」

「いえ。ボングレーの人達は引きこもりです。お父様曰く、元々村から出たがらない性分だったようです。それが晴れてアルフレッドから独立を認められたのですから、なおさら出る理由がありません」

「ナツナ様のチャームを、乗り切った?」

「それこそありえないことです。お父様がゴルゴさんをつけていたほどですよ?」


 ゴルゴキスタは表向き筆頭執事だが、裏では王族と同等の権限を持ち、実力も第一級のシキを凌ぐ。この秘密をルナとユズは既に知っている。


「タイヨウさんじゃあるまいし」

「タイヨウ……」


 何気なく呟いた一言だったが、直後、二人は顔を見合わせた。


「その人が、タイヨウ?」

「そ、そそそんなはずは……」


 自分の近くにタイヨウが存在する――


 そう考えただけで、ルナは呂律が乱れた。

 頭《かぶり》を振って落ち着かせる。


「いえ、そんなはずないです。彼は、……彼はタイヨウさんとは別人です」


 容姿も、身体能力も、体臭も、立ち振舞いも――すべてがタイヨウのそれとは違う。

 疑うまでもないことだ。


 しかし、ジーサ・ツシタ・イーゼという慈悲枠《ジャンク》から、無視できない何かを感じるのも事実だった。


「仮に彼が怪しいとしても、もうじきわかります」


 ルナは嬉しそうに破顔し、


「明日から彼を尾行するんです」

「……尾行性癖の持ち主?」

「違いますよ! その納得したような目もやめてください……その、友達と一緒にやってみようって話になったんです。謎めいた慈悲枠《ジャンク》を放課後探ってみようって」


 ルナが友達という概念を経験したのは、これが初めてである。

 照れくさそうに語る横顔からは嬉しさが滲《にじ》み出ていた。


 それも間もなく鳴りを潜める。


「――ユズ。一つお願いできますか?」

「詳細を所望」

「ボングレーについて調べてほしいんです。特にジーサ・ツシタ・イーゼという人物や名前の存在が気になっています」

「疑問。国王様には依頼しない?」

「それが手っ取り早いんでしょうけど、慈悲枠《ジャンク》ですからねー……」

「理解」


 慈悲枠とは国王の独断で入学を許された者である。ある意味、シキ自らがひいきしていると言っても良い。

 依頼したところで、素直に取り合ってもらえるとは限らない。


「でも国王様に嘘はつけない」

「わかってますよ。正直に答えていただいて構いません。こちらはこちらで勝手に調べますよ、ということです」


 王女には国王に内緒で近衛を動かす権限が無い。事後でも良いので必ずシキを通す必要があった。


「明日が楽しみです。ちょっとワクワクしてきました」




      ◆  ◆  ◆




 王都貴族エリアの、とある小さな屋敷の門前にて。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 スレンダーなスーツ姿の執事が、学園から帰宅してきた主を出迎えた。

 お嬢様と呼ばれた男子生徒は、小柄で気弱そうななりをしており、容姿も中性的な妖しさを放っている。


「……気持ち悪いようで」

「スキャーナは正直者ですね」


 執事はファインディであった。

 スキャーナを貴族枠《ジュエル》として入学させるために、小さな貴族という体《てい》をつくっているのである。


「まあそう言わずに。会社としても大金を投じました。失敗は許されないのですよ。私が本件の専任になっていることが何よりの証拠です」


 情報屋大手ガートンの職員は、上に上がるほど忙しい。

 ファインディの地位にもなると、|単一の案件《シングルタスク》だけで済むことはまずなかった。


「白々しいようで」


 ファインディが恭しく門を開け、スキャーナが当たり前のように通過する。会話内容を考えなければ、違和感の無い風景だった。

 その会話についても、盗み聞きの心配はない。第一級たるファインディの防音障壁《サウンドバリア》が既に張られている。


「忙しいファインディさんは、私を利用して専任という暇《いとま》をつくった――私にはそう見えるようで」

「よく出来た子ですね」

「上司の指導が効いているようで」


 日頃の指導が厳しいという皮肉でもあったが、ファインディは笑顔でうんうんと頷いた。


 玄関を越えた後も、スキャーナはつかの間のお嬢様気分を味わい、自分の手を煩わせることなく居間で一服する。

 男の格好も解除しており、ラフなネグリジェを着ている。胸部は豊かに盛り上がっており、艶めかしい鎖骨と谷間が見えていた。


 一服した後は、貴族ごっこの終了である。

 ファインディが執事の雰囲気を取っ払い、スキャーナの対面に腰掛けるのを合図に、定例報告が開始される。


「本日も進展はありません。来週以降の戦略も検討中です」

「わかりました。戦略の目処は立っていますか?」

「……」


 スキャーナの視線がテーブルに落ちた。


 彼女の任務はシニ・タイヨウを突き止め、その情報を集めること。あるいは当人がいないことを示すに足る根拠を揃えることだ。

 第一週のタスクは二つあり、新入生として生活に慣れることと、第二週以降の戦略を決めることである。


「何に迷っているのです? 言語化してください」


 スキャーナの脳裏には一人のクラスメイトが浮かんでおり、これを報告対象に含めるかどうかの脳内会議が激しく盛り上がっていた。

 が、彼女は半ば強引に先延ばしを選ぶ。


「第一週十日目《イチ・ジュウ》の試験をどうするか、に迷っているようで……」

「合格してEクラスに行くか、それともわざと落ちて今のFクラスに残留するか、ということですね?」


 スキャーナは顔を上げ、頷いた。


「そうですねぇ。正攻法で行くなら、貴族で優等生という立場を生かすべきでしょう。Aクラスを目指して、どんどん人脈を広げるのです。情報屋としても良い訓練になります」


 無論、そんなことができれば苦労はしない。

 だからこそ、それなりの出であり実力も十分なはずのスキャーナは情報屋《ガートン》の、それも変人《ファインディ》の下に就いている。


「無能な上司なら強制的にやらせるのでしょうが、私にそうする気はありませんよ」


 人を学園に送り込んだ者が言える台詞ではない、とスキャーナは口から出そうになったが、表情で不満を表すだけに留めた。


「Fクラスに留まるとなれば、人脈は期待できません。代わりに手足で情報を集めることになるでしょう。学内の監視はああ見えて堅固です。おいたが過ぎると判断されれば停学など処分もありえます……が、そんなことは些細。もっと懸念すべきことがあります。何だと思いますか?」

「……ターゲットを匿う者に先手を打たれてしまうこと」

「そうです。私達はシニ・タイヨウが国によって保護されていると見ているのでしたね。であれば、学園にその域がかかっていてもおかしくない。シニ・タイヨウを調べていると気付かれたら、先手を打たれる恐れがあります。この意味、わかりますね?」

「はい」


 第二王女を殺害した大犯罪者を、王国自らが匿っている――

 この事実はスキャンダルでは済まない。露呈させないためなら、個人の命など容易く消すだろう。国とはそういうものだ。


 つまりスキャーナが消される可能性もあるわけだが、当人は淡々としていた。

 そんなことは日常の範疇にすぎない。第二級冒険者の、それもレベル88となれば、命のやりとりなど慣れきっている。


「とはいえ、あなたなら心配は無いでしょう。心配なのは、シニ・タイヨウが隠されてしまうことです」


 アルフレッド王国はシニ・タイヨウの無知を危惧し、教育するために、リスクを承知で学園に通わせている――

 そうファインディは睨んでいる。


 現国王は凡愚ではない。未来と大局を見据えて大胆に行動できる男である。

 無論、バレそうになってまで強行するほど愚かでもあるまい。バレそうになったら、通わせるのをやめさせるだろう。

 そうなってしまえば、一切手が届かなくなる。


「わかっているとは思いますが、スキャーナ。もし自らの手足で稼ぐ戦略を採用するのなら、絶対に学園に気付かれてはいけません。いいですね?」


 スキャーナが頷いたのを見て、ファインディは席を立つ。


「さて、定例報告も終わったところで、久しぶりに鍛錬と行きましょう」

「た、たんっ……もう少し休みたいようで。実は体調が優れないようで」


 スキャーナは全力で机に伏せた。


「何を言っているのですか。私は暇なんですよ? 遊び相手が欲しいのです」

「デーモンズシェルターに行けば良いようで……」


 グレーターデーモンの件は既に記事となり、ジャース全土に配布されている。

 早速、有力な冒険者や学者からの助力が来ており、しばらくはホットなコンテンツとして盛り上がるに違いなかった。


 当然ガートンも力を入れるはずだし、レポーターであるファインディも駆り出されるはずなのだが、


「あんな化け物、私達では勝てませんよ」


 あっけらかんとした物言いを前に、スキャーナは上司の意図を悟った。


「……」


 最初からそのつもりだったのだろう。


 人間では太刀打ちできない怪物を、さもできるかのように祭り上げた。

 レポーターには印税がある。盛り上がれば盛り上がるほど、ファインディの懐も温かくなる。


 加えて彼は、シニ・タイヨウという一大ミッションでも舵を取り、専任という立場を勝ち取っている。

 グレーターデーモンの功績があるのだから、会社からの信用も厚い。彼が専任が必要と言えば会社は認めるし、部下の入学が必要と言えば会社は金を出してくれる。


 しかし、専任に就いた彼がやることと言えば、潜入している部下をフォローする程度。あとは貴族ごっこだけだ。

 会社への報告さえ気を付ければ、手持ち無沙汰になれる。


 言わばガートンという大組織の、非常に忙しい身分でありながら、器用にお金と自由を確保したのである。


「スキャーナ。人にはですね、冷静に己と向き合う時間が必要なのです」

「だったら、一人で好きにすればいいようで」

「比較対象があった方が捗るのですよ」


 ガートンには仕事中毒も多いが、この上司はどこか違う。

 第一級冒険者として確かな実力はあるが、冒険者の価値観もあまり当てはまらない。


 スキャーナは観念して顔を上げ、嘆息する。


「ファインディさんは、相変わらずよくわからないようで……」

第87話 標的

「お呼びでしょうか、ご主人様」


 薄暗い部屋だった。

 部屋は広いが、大半は机と本棚であり、書物と紙が床も巻き込んで散乱している。


 机の一つに向かっているのは、痩せこけた男だった。

 前髪が長く横顔は見えない。もっとも見えたところで、彼が従者に表情をつくることなど、怒り以外はほぼ無いのだが。


「一つ暗殺を頼みたい」


 その男――アーサーはガリガリと筆記する手を止めることなく言う。


「王立学園Fクラスのジーサ・ツシタ・イーゼを殺せ」

「……失礼ですが、新入生でございますか?」

「そうだ」


 大貴族でさえ簡単には許されないであろう学園生徒、それもクラスメイトの暗殺。

 基本的にフランクリン家の暗殺部隊は口答えをしないが、それでも確認を挟んでいるところに、この命令の突拍子さがうかががえた。


 と、そこで部屋の扉が開き、照明が差し込んできた。


「アーサー君。軽率な暗殺は推奨しませんよ」

「父上」


 アーサーはペンを置き、体ごと振り返る。


「あやつは死体のように臭い貧民です。隣の私は集中できたものじゃない。しかも我らフランクリン家に舐めた態度を取るのですよ? 来週にもなれば試験で脱落するでしょうが、あやつが学園に居ることが――」

「忠告はしました。さて本題に入りましょう。君が目下取り組んでいる『魔法力を導出する計算式の確立』、進捗はいかがですか」

「父上……」

「なさそうですね」


 口も、動作も、そして割り込み方にも淀みがない。アーサーの父はもう背を見せている。


「父上、お待ちを。あります。通常魔法の場合ですが、魔法規模への依存が想像以上に大きいと見ております」

「定量的に説明しなさい」

「線形ではなく指数的な増加ではないかと睨んでおります。ちょうどいくつか計算式を見立てているところでした。ご覧になりますか?」


 現代において指数の概念は常識的な教養であるが、ここはジャース。アーサーの言葉を理解できる者は非常に限られていた。

 もちろん彼の父親はその少数派に含まれる。


「なるほど、指数的増加ですか」


 アーサーの父は横顔だけ向けてきたが、それもほんの数秒のこと。すぐに部屋を出て行った。


「アーサー様。暗殺の条件はいかがなさいますか?」

「……」


 暗殺部隊の従者は黙って主の回答を待つ。

 アーサーは回答に迷っているのではない。父親の扱いにショックを受けているのだ。彼に仕える者にとっては日常的光景の一部であり、この場合、下手に刺激せず、立ち直るまでひたすら待つのが最適解である。


 回答が来るのには十数秒を要した。


「放課後以降、できるだけ早くだ。手段は任せるが、当人以外は巻き込むな」

「はっ」




      ◆  ◆  ◆




 北ダグリン――現代日本でいうところの北海道は、おおよそ三つの領地から成る。

 ブーガが統率する人間領、獣人族が占拠する獣人領、そして森人《エルフ》が住んでいるエルフ領である。


「娘は人が多い地域にいるはずです。我らエルフは高潔でありながらも繊細。孤独には人一倍弱いのですから」


 数十メートル以上の木々が地平まで続く大森林地帯の一画、切り株が数百と並ぶ広場には、席を埋め尽くすほどのエルフが集っていた。

 彼女達は例外なく濃い緑色の髪と長く尖った耳を持つ。容姿も抜群に端麗であったが、表情は冷たく、鋭くて、女好きであっても逃げ出したくなるほどだ。


 場の注目は最前列、櫓の上に立つ森人女王《エルフクイーン》に集中していた。


「女王様、ご質問をお許し下さい」

「許します」


 会話が届かない距離にもかかわらず、全員に音声が届いている。無論、魔法によるものだ。


「我らの孤独は、パートナーが一人いれば満たされます。居住地域の人口数は関係がないかと愚行します」


 極端な話、人気《ひとけ》の無い僻地であっても、愛する者と暮らせればそれだけで孤独感は解消されるのでは。

 そんな問いであった。


「そんな男がそうそうおるわけがなかろう。いや、わらわの美貌を受け継いでおるのじゃ。そのようなパートナーの獲得にも苦労しない――つまりわらわは美しいということじゃな?」

「いえ、そこまでは言っておりません」

「辛辣じゃのう」


 ふふっと茶目っ気たっぷりに微笑む女王。

 実年齢も相当若いが、だからこそ親しみやすさを大切にしており、それは聴衆がくすくすと上品に笑う様からも見て取れた。「冗談はさておき」女王が声音を戻す。


「残念ながら、彼女は娘として可愛がれる次元を超えています。あのような危険物を他種族の手に渡すわけにはいかないのです」


 女王が家族思いであることは知られている。

 そんな母親にここまで言わせるのだ。捜索対象の政治的重要性は極めて高い。


「髪の色と臭いに注目しなさい。緑色の髪でありながら無臭でない者――それが娘の特徴です」


 エルフは体臭が薄いか、無臭である。これには普段領内で狩猟し食しているモンスターの影響に加えて、潔癖な価値観から来る洗浄も関係している。


「体臭は相当なものだと考えてください。我らエルフの容姿をもってしても男が寄り付かないほどの、強烈な悪臭だと想定して差し支えありません」


 その後もいくらか女王の説明が続いた後、場は解散した。


 高潔で潔癖な種族は撤収も早い。

 解散から一分後には、がらんとした広場が戻っていた。


「わらわが探すのがてっとり早いんじゃがのー」

「何を仰いますか。今も獣人と睨み合っている最中ではございませぬか」


 そばに控えて音声制御をしていたお付きが半眼を向ける。


「わかっておる。はー、竜人が協定を設けてくれたら楽なのじゃが。獣人は全員即時南ダグリンに移住すべし、とかの」


 女王が広場に向けて腕をびしっと振る。

 その少女のような落ち着きの無さは可愛らしいとの声もあるが、王の威厳は微塵もない。お付きは「はぁ」と慣れたため息をついた。


「現実逃避してないでお仕事を致しましょう。ギルドの方がお待ちです」

「また魔人討伐か。しつこい奴らなのじゃ。追い返せ追い返せ」

「いいかげんにしてください。ギルドを敵に回す余裕はありません。ほら、行きますよ」

「イヤじゃ! 今日はもう寝るのじゃっ!」

「行きますよ。行きますね」


 お付きは風圧が生じるほどの速度で女王の腕を乱暴に掴むと、「ゲート」唱えて生成した門に放り込んだ。

3章

第88話 尾行

 第一週六日目《イチ・ロク》――入学から六日目にして、俺は快適なぼっちライフを手に入れつつあった。


 午前の座学ではアーサーの毒突きを受け流しつつ、空中板書は読めないので耳だけで学ぶ。

 昼休憩になったら図書室に避難し、メシも食わずに字の勉強。

 午後の実技ではクラスメイトから鍛錬という名の過剰暴力を受けるが、レベル10を疑われないよう演技に集中。

 これを切り抜けると晩休憩だが、俺はやはり図書室に向かい、一人で字を勉強する。続く職練の見学もサボって字、字、字……。


 全部終わったら18字、じゃなかった、18時である。

 いったん教室に戻って連絡事項を受けた後、解散だ。


 俺は即行で教室を出て、学園も後にした。

 昨日、教室でルナをキツく拒絶したのが効いたのだろう。今日はルナも、スキャーノも、ガーナも一言も絡んでこなかった。

 唯一、ヤンデだけは接近した時に声を掛けてくるが、少しずつ疎遠にしていけばいい。


「君……魔法は無いのかね?」


 正門で制服からボロい作業着に着替えていると、門番が声を掛けてきた。

 まあ道中で下着姿になっているのだから当たり前か。貧民エリアならともかく、ここ学園は貴族エリア――言わば王都の顔だ。


「無いんですよ。レベル10なんですけどね」

「従者はいないのか?」

「見てわかると思いますが貧民です」

「ローブを着て隠すくらいのことはできよう」

「お金もないんです。慈悲枠《ジャンク》なんで」


 このおっさんとは何度も目を合わせている程度の仲だが、前々から何か言いたそうにしていた。

 貧民の弱者であることは想像できただろうが、さすがに慈悲枠にまでは及べなかったらしく、仏頂面が「マジか」と言っている。


「……友人に借りればよかろう」

「そんなのいませんよ。それともあなたがなります? 俺の友達第一号に」


 今度は露骨に嫌な顔をされた。


「事情はわかった。早く着替えて、さっさと行きなさい」

「どうも」


 前世の癖が抜けてないのか思わず会釈もした後、俺は小走りで学園坂を下る。


(字の勉強も意外と悪くないな)


 バグってて頭も疲労知らずだからか、単純な暗記作業でも集中しやすかった。

 人は作業し始めると集中モードになり、これは作業興奮などと呼ばれるが、この興奮を永遠に続けられる感じである。


(でも飽きたら後が辛いし、今はこのペースでいいだろう。最優先は戦闘訓練だな)


 俺はよくこうして独り言を発する。

 ダンゴ向けの情報共有である。ダンゴは賢い。これだけでも理解してくれる。


(そういえばダンゴって字は読めるのか?)


 時折質問をぶつけることでその叡智に頼ることも忘れない。

 ゴッと後頭部への打撃が来た。肯定の意だ。人の字を読めるモンスターってどれだけ賢いんだよ。


(さすがだな。まあ引き出す手段がないんだが)


 崇拝《ワーシップ》状態のモンスターは、どういうわけかイエスノーしか答えられない。

 たとえダンゴに字を読めても、読んだ意味を俺に伝える手段がない。


 まったく、あのクソ天使も中途半端なことをしてくれる。

 リスニングとスピーキングは問題ないのに、リーディングとライティングができないとはどういうことなのか。

 これもバグの作用なのだろうか。近いうちに考察が必要だな。


 学園坂を下りきったところで、街中らしい喧騒が届いてきた。


(それじゃダンゴ、鍛錬と行くか)


 この後は《《翌日の早朝まで》》ぶっ通しで鍛錬するのが日課である。


 俺は無敵だし、だいぶレベルアップもしているが、まだ万全ではない。石化など封印手段への対処や、ダンゴとの連携など詰めるべき要素は多数ある。

 そういうわけで、ここ最近の俺は、放課後になると王都東門からひたすら東進し、人気《ひとけ》のない|迷宮の大峡谷《ラビリング・キャニオン》に行く。馬鹿みたいに広いエリアだからこそ、遠慮無く何でも試せる。


(良い匂いがするな)


 学園の麓から東に向かって歩いて行くと、冒険者エリアが顔を見せ始める。

 大通りは今日も繁華街のように賑わっている。ジャースの日没は19時、というわけで既に夕陽が見えており、屋台の自己主張の激しさが匂いだけでもわかる。


 無論、小汚い一文無しの俺には無縁だし、そもそも体臭からしてまともに人混みを歩けない。

 必然、路地から抜けていくことになる。


 二階超えの建物が多く、迷路のように入り組んだ路地は既に薄暗い。大半がもぬけの殻であり、何もないため誰も立ち寄らず、しかし騎兵隊の巡回もあるから悪者も居座れない。

 ゴーストタウンのような静けさがすぐに手に入る。


 ここをするすると通過している時間は、地味に至福である、のだが。


(……わかっている)


 ダンゴが後頭部を三連打《トリプルクリック》している。危機が迫っていることの合図だ。

 言われるまでもなく、つけられている気配を感じる。気のせいではない。


 試しにジョギングのふりをしてみたが、途絶えてはくれなかった。

 一応マラソン選手の水準――時速三十キロメートルくらいは出ているのだが、その割には追っ手の足音は微塵も聞こえてこない。

 魔法で抑えられているのだと推測できる。もっと言えば、そこそこの実力者とも。


 レベルで言えば30、いや40くらいあるかもしれない。


(仕掛けてくる様子はない。こちらが気付いていることに気付いた様子もない。ってことは尾行っぽいな。それも走り込みで体力を鍛えるという発想を知っているから、裕福な者だろう)


 ルナの聞きかじりだが、|危険な冒険《レベルアップ》をしたがらない貴族には独自の鍛錬方法があり、その一つとして走り込みもあるそうだ。

 滑稽な光景であることから、人目に触れないよう敷地内でこっそりやるんだとか。


 俺は坂道と階段が豊富な狭い道をジョギングで巡りつつ、息切れも演出しながらも、頭も巡らせた。

 程なくして、一つの結論を得る。


(ダンゴ。これから追っ手を巻く。本来の力を出すからそのつもりで。あと大通りに入るタイミングで臭い消しも頼む)


 ダンゴの体臭だが、その気になれば消せることが判明している。本人曰く、かなり面倒らしくて、常時消してくれという要望は既に一蹴されているが。

 それでも非常時は協力的だから助かる。


 ダンゴへの共有が済んだところで、俺は少しずつ大通りに近づいていくルートに変えていき――


(行くぞ)


 人混みに突っ込んだ。




      ◆  ◆  ◆




「え……」


 尾行者ことルナは面食らった。

 悪臭を自覚し、人気《ひとけ》を避けて走り込みをしていたジーサが、突如路地を出たのである。


「そっちは大通り……そういうことっ!」


 ジーサが自分を振り切ろうと仕掛けてきたのだと気付く。

 偶然ではないのだろう。よくよく思い返してみると、直近のコース取りは少しずつ大通り側に近寄るものだった。

 つまりは早々に気付かれ、しかしルナはそのことに気付かず、まんまとジーサに対策の余地を与えてしまったのである。


「くっ……」


 日没前後の大通りには仕事を終えた人々が集う。人口密度は祭りにも等しい。

 にもかかわらず、日中と比べて視界が悪い。明るさ自体は発光石《はっこうせき》や店主による魔法などで確保はされているものの、それでもたかが知れている。

 視覚では秒と待たずに失ってしまうだろう。


 ルナの脳裏にいくつかの行動案がよぎる。


 今日は諦める案。

 建物の上に飛び移るか、空中足場《エア・ステップ》を出して上から探す案。

 当てずっぽうで左右どちらかに行ってみる案――


 これは尾行である。気付かれてはいけない。上から探す案だと、逆に見られただけでバレてしまうから論外だ。

 かといって当てずっぽうには確実性がない。

 しかし、特定の人間を探知する手段をルナは持たず、他の方法も思いつかない。


「――臭《にお》い。臭いを《《見ます》》!」


 ジーサは悪臭を発している。

 なら、彼が通った方では、悪臭の通過に反応を示した人を多数目撃できるはずである。


 ルナはまず左側へと駆けた。

 低姿勢で人混みを縫いながら、その反応――悪臭に見舞われていそうかを五感で感じ取る。

 相手はレベル10にすぎない。ただでさえ機動力は大したことない上に、この混雑なのだ。方向が合っていれば、すぐに追いつく。


「……見当たらない。外れですね」


 左側をしばし進んで何も見つからなかったとなれば、正解はその逆。

 ジーサは路地を出てから右側に逃げたとしか考えられない。


 ルナは冷静に逆走し始めた。

 既にこの大通りの人混みを縫っていく要領は掴んでいる。ジーサの実力から考えても十分追いつくし、たとえどこかで路地に逸れていたとしても、通行人の反応から彼がどこまで大通りを進んだかもわかる。その反応が途切れたところから路地に入ればいいし、それからでもやはり追いつける。


 ルナはレベル47だ。レベル10など、赤子の手を捻るにも等しい。


「レベル差は暴力ですよね」


 ルナには独り言をはさむ余裕すらあった。


 先ほどから何度も呟いているのは、近衛への報告である。

 ルナは将来的に第一王女ハルナ・ジーク・アルフレッドとして復権する予定であり、現国王シキもそのつもりで教育にあたっている。当然ながら保護も厳重で、ルナには常に近衛がついている。


 しかし、近衛に頼っていては教育にならないため、日中は一切の会話や命令を禁じられていた。

 そこでルナはこうして一方的に状況を報告しておき、帰宅した後で近衛の感想をうかがうという学習スタイルを取っている。


 涼しい顔をした農民服少女の疾走がしばらく続く。

 しかし、彼女の顔は次第に曇っていき――


「……そんな、どうして」


 ついには見失ってしまった。


「通行人の様子に異常はありませんでした。彼の姿も見ていません。一体どこに――あ、すみませんっ!?」


 どんっと何かとぶつかり、地面に倒れる音がした。


「姉ちゃん、こんな突っ立ってると邪魔だぞ」


 ルナよりも一回り大きな体格の男――転倒した壮年の冒険者が、ぎこちない苦笑を浮かべながら言う。

 ルナは慌てて手を差し出し、ぐいっと引き起こした。


「すみませんでした」


 彼は何も言わず去って行った。

 ぶつかって自分だけ倒れたのである。実力差は歴然だ。見た目が農民服の少女だからといって、舐めた真似をすれば痛い目を見かねない。

 しかし、一人の男としては納得できないシチュエーションだろう。表情のぎこちなさと別れ際の冷たさに葛藤が表れていた。


「……あの人、見た感じではレベル20といったところでしょうか」


 あれなら十人、いや百人が相手でも余裕でいなせる。

 ジーサというクラスメイトは、あれよりもはるかに弱いはずのレベル10。そんな相手を見失ってしまった――


 大通りの隅に移動したルナは、しばし放心するのだった。

第89話 遭遇

(何者だったんだろうな。ダンゴ、追っ手は俺が知っている奴だったか?)


 ゴゴッと後頭部を二連打される。否定か。


(ダンゴはどこまで把握している? 追っ手の人数は?)


(性別は?)


(種族は? 姿や格好は? 臭いは? 音は?)


 迷路みたいな路地をぷらぷらしながら、俺はダンゴに質問を重ねた。

 結果、ダンゴの予想外の能力が明らかになる。


(オーラ、か……)


 ダンゴも五感を備えているが、尾行を察知できるほど突出してはいない。

 代わりに優れているのが、オーラを感知する能力らしい。器官なのか魔法なのかは知らないが、モンスターはこの力に優れる傾向があるとのこと。


 このオーラだが、カバーする領域は実に幅広い。

 威圧に通じる気迫、恐怖に通じる殺気はわかりやすいが、チャームに代表されるような色気の他、好奇や興味といった注目も含まれる。

 こう聞くと、オーラというよりフェロモンと考えた方がしっくり来そうだが、フェロモンという言葉はジャースには無いそうだ。


 ともかく、俺を尾行した奴からも、俺に向けて何らかのオーラが発されていたと考えられる。

 それをダンゴがキャッチし、俺に後頭部三連打《トリプルクリック》して伝えてくれたというわけだ。


(どおりで敏感なわけだ。この力は非常に助かるぞ。ありがとなダンゴ)


 全身がびりびりと震えた。ああ、そういえば他人の体液をくれてやると約束したんだっけ。また今度な。

 といっても俺から襲うことはないだろうから、アーサーの刺客待ちになるか。


(さっきの尾行者がアーサーの刺客だったのかもな)


 ダンゴ曰く、殺気の類ではなかったらしいから違うっぽいが、殺気を抑えての情報収集段階だとも考えられなくはない。


 俺は引き続き、尾行者の正体についてダンゴと話し合うことにした。


 長くて細い階段を下っている時だった。


「お遣いをお願いしているだけなのだけれど」

「それが人様に頼む態度かっつってんだよ、貧民風情がよ」

「つかその臭い! 何とかならねぇの?」


 十数メートルくらいか、下った先の踊り場、その壁際に三人いる。

 建物のドアから半身を出している屈強な男が二人。彼らと話しているのは――ロングヘアーのスレンダーな女性。薄暗くてシルエットしかわからない。


「身体で払うわ」

「貧相な体で何言ってやがる。てめえとヤるくらいなら獣人とヤッた方がまだマシだぜ」


 たしかにシルエットも貧相だな。髪が長くなければ性別がわからないレベルだ。


「アンタ見てると、どうもイラっとすんだよなぁ。殺していい?」

「私は構わないわよ」

「やめとけ。これはただ者じゃねえ」

「そうかぁ? 弱そうじゃん」

「何の魔法か知らんが展開してやがる。オレも人生長いんでな、鋭いのよ。しかも詠唱が無かった」

「む、無詠唱……」


 さすがに素通りするわけにはいかないか。もうちょっと路地を探検したかったんだが、仕方ない。

 俺は足音を殺しながら後ずさる。


「だが、暴力だけで押し通せるほど王都は甘くもねえ。だからてめえもこうして裏にいんだろ?」

「……なら、どうしたら私のお願いを聞いてくれるのかしら? 言い値を聞かせて」

「オレから言いたいことは一つだ。今すぐ消えろ」


 一蹴された女性のシルエットが突っ立っている中、バタンと乱暴にドアが閉じられる。

 無音が再来。……だよなぁ、この辺は街とは思えないほど静かすぎる。


 だからといってヘマをする俺ではない。

 レベルアップした身体能力をフル活用すれば、無音で動くことなど造作もなかった。既に検証しており、鳥やモンスターも気付かないほどだし、ダンゴのお墨付きももらっている。バレることはまずな――


「それじゃあなたにするわ。覗き魔さん、付き合いなさい」


 ささやき声が俺の耳元で響いた。

 シルエットの様子を確認するまでもない。この指向性に、声量に、何より声音は記憶に新しい。


「逃げるといったら?」


 俺も小声で応答する。


「私は今、とてもイライラしているのよ。手加減できる保証はないわね」

「おっかねえな」


 ヤンデさんはレベル62である。レベル10ということになっている俺では逆らえない。


「にしてもよく俺に気付いたな」


 会話しつつ、俺は無音のダッシュで遠ざかろうとしたが、間もなく、とんっと肩を叩かれる。

 十数メートルの距離を秒で詰められたのだ。音もなければ風圧もなかった。前言撤回だ。それほどの実力があれば尾行者の対処など朝飯前ですね、はい。


「移動は飛行に限るわね」

「怖えよ」


 仕方ないので振り返る。


 薄暗闇に浮かぶ彼女の表情は、やはり疲労感に溢れていた。

 それでも美人であることは容易に見て取れる。さっきの男達はよく断ったよな。バグってない俺なら、もうちょっと揺らぎそうだが。生粋の巨乳フェチなんだろうか。


「何か失礼なこと考えてない?」

「貧相なスタイルだなって」

「あっそ」


 ここんとこヤンデとは距離が近かったから、あえて嫌われに行ったのだが、普通にスルーされた。


「あなたは平気なの?」

「何が?」


 主語を言わない奴は嫌いだが、目的語を言わない奴も好きじゃない。

 ぼっちはコミュニケーション不足ゆえに記憶力も頭の回転も鈍い。はっきり言ってくれないとわからないです。


「何でもない」

「じゃあ言うなよ」

「そうやって冷たくしても無駄よ。あなたはすぐに人を遠ざけたがる」

「何? 俺に遠ざかってほしくないってこと? 俺のこと好きなの?」

「それ、昨日使った手よ」

「……そうだった」


 ヤンデさんはルナほど甘くはないらしい。


「あなた、意外と語彙力が貧弱よね。さすが読み書きできないだけあるわ」

「うっせ」


 参った。二重の意味で参ったぞこれは。


 コイツに小手先の露悪は通じないし、俺自身も気兼ねなく言葉をぶつけられるコイツに居心地を感じ始めている。

 うっせ、なんて言葉遣い、前世でも言ったことないのに、思わず言ってしまった。


 ヤンデと薄暗い、というか普通に暗い箇所の多い路地裏を並んで歩く。

 家屋の谷から見える夜空に、日没の名残は無い。ダンゴと少し話しすぎたな。

 そのダンゴの夜目により、俺は明かりが無くても一応平気――それでも薄暗い程度であり字は読めない――だが、コイツは大丈夫なのだろうか。


「なあ。明かりを点けてくれないか。街の夜には慣れてない」


 無論、魔法も使えない俺が平然としているのはおかしい。今さらだが誤魔化してみた。


「街じゃなければ慣れてるって言い方ね」

「メシを狩るのが夜だからな。お前は違うのか?」

「ヤンデ」

「うぐぁっ!? ……風魔法で耳を抉るのはやめろ。で、ヤンデは違うのか」


 狩ってるのもでまかせなら、痛がるのも演技である。

 演じてばっかだな俺。


「レベルが低い貧民はさぞ大変なのでしょうね。私は生きるだけなら不自由は無いわね」


 その言葉に偽りはないのだろう。足元が淡く照らされる。「ライトボールよ。朝まで持つわ」無詠唱に、朝まで継続できる魔力量か。やはりクラス四位は半端ない。


 道幅の狭い所に来た。普通に肩と肩がぶつかり合う狭さで、俺は先に進もうと一歩前に出たが、なぜかヤンデも合わせてきた。

 ちょっとわざとらしかったのは気のせいか。

 がっと肩がぶつかる。レベル62とはいえ、感触は女性相応の柔らかさだった。


「……」


 結局俺が先導して狭い道を抜け、再び並んで歩き出す。


 会話が続かない。

 まあ友達でもなければ仲間でもないしな。


 本来なら場の繋ぎ方を考えるまでもない。そもそもぼっちにそんな機会は無かったからだ。

 しかし、このなぜか名前で呼ばせたがるヤンデさんは、俺を気に入っているらしい。距離を置くのも簡単そうじゃないし、実力差も歴然。


「……生きるだけならって言ったな。さっきのやりとりと関係があるのか?」


 癪《しゃく》だが、コイツに踏み込むしかない。

 言わば情報収集だ。コイツのことを知れば、コイツを離すヒントも得られる。


「大ありよ」


 そう言うヤンデの横顔は、さして鋭くない俺でもわかる。微かに綻《ほころ》んでいる。


「服と食べ物を買ってきてほしかったのだけれど、断られたわ」

「金を出せば良かったのでは?」

「出したわよ。金貨十枚」


 俺の大ざっぱな換算では、金貨一枚で一万円。買い物で十万円ってのは明らかに破格だ。


「金持ちには見えなかったけどな」

「あなたも見たでしょう? 私、呪われてるから」


 ヤンデを人から遠ざけている、正体不明の体質――


 クラスメイトや先の男は臭いだと言っていたが、俺には臭わない。

 試しにヤンデの髪をすくって、嗅いでみる。今度は可愛い悲鳴をあげられることもなかった。


「どう?」

「……別に何の臭いもしないが」

「嘘ね。おっ、やっぱりこの匂いかって顔してたわよ」

「してねえよ」

「変態」


 女の勘というやつだろうか。当たってるから恐ろしい。

 ちなみに俺は匂いフェチでも何でもないから勘違いしないように。男は女の体臭に興奮するように出来てる。文句があるなら遺伝子に言え。


「白状しないと耳がおかしくなるわよ」

「勘弁してほしいんだが」


 レベル10の演技を続けるのは骨が折れる。


「別に大したことじゃない。やっぱり女の子の匂いがするなって思っただけだ。貧民の割にはちゃんとしてんのな」


 ヤンデが女の子のリアクションをしそうだったので「俺なんて開き直ってるぜ?」咄嗟に露悪をねじ込む。


「あ、あなたはもう少し何とかしなさいよ……」


 これで話題は俺のヘイトに向く。

 悪いがラブコメに発展させる気はない。


 間違いない。ヤンデにとって俺は特別な存在だ。

 思えば彼女を遠ざける何かが、俺には効かないのである。しかも同じ慈悲枠《ジャンク》と来た。

 運命の王子様ってやつだろう。今後、そういう展開にならないとは言い切れない。


 無論、死にたがりのぼっちである俺が、そんな甘い展開など許すはずもない。

第90話 遭遇2

「で、なんでついてきてんだよ」


 俺はヤンデを巻こうと、冒険者エリアの路地裏をうろついてみたが、一向に別れてくれない。

 ついには貧民エリアにまで来てしまった。


 会話ばかりが積まれていく。


 彼女も中々のサバイバル女子だった。

 ルナがパワフルなら、ヤンデはマジカル。魔法を多用して自分の手を汚すことなくモンスターを狩るスタイルのようだ。

 狩りの場面はまだ見ていないが、割れた地面や小さな用水路をまたぐ時でさえ風魔法で浮いて避けやがる。そのものぐさっぷりが全てを物語っている。


「寂しいのよ」


 足元は、点灯に重宝する聖魔法『ライトボール』により淡く照らされている。

 白光に浮かぶヤンデの横顔はどこか幻想的で、カメラがあったら撮りたいくらいだった。


「ギルドの依頼さえ受けさせてもらえない。依頼主から苦情が殺到したせいで、ブラックリストに入ってしまったのよ。ボードへの掲載は免れたけど、焼け石に水ね」


 ギルドのブラックリストは相当なペナルティになる。

 全国のギルドセンターでサービスを受けられなくなる他、ボードに名前と顔も晒されるため相当な不名誉と被害を被るのだ。

 主にギルドからの命令を無視した冒険者への制裁のはずだが、ヤンデは命令無視したわけではない。前者のみ、つまりは出禁の扱いってことだろう。


「パーティーを組むなんて夢のまた夢」


 こうして話してみると、ヤンデも人を求めていることがわかる。

 同じ穴の狢《むじな》だと思っていたのに、残念だ。


 そんなに人が恋しいか?

 ソロプレイヤーが気軽で良いじゃねえか。実力はあるんだし。


「魔法で何とかならねえのか? 鼻を塞ぐとか」

「そういう提案をする前に一蹴されるわね。会話に持ち込むのも一苦労よ」

「娼館は? 女性向けのサービスもあるんだろ?」

「さあびす?」


 俺も学習しない男である。というか無理なんだよなぁ。染みついた言葉は自然と口に出てしまう。

 いっそのこと開き直った方が楽かもしれない。しないけど。


 俺は顎に手を当て、「そうだな」などと呟きながら悩むふりをする。ここは強引に話を戻すしかない。


「男向けしかないんだっけっか。どっかで女向けもあるって聞いた覚えがあるんだが」

「……無理ね。むしろなんで行けると考えたのかしら?」


 俺を訝しむ目つきがさらに鋭くなった。


 娼館と言えば風俗を浮かべるし、風俗と言えば金さえあれば弱者でも遊べる印象だったが、ジャースでは違うのかもしれない。

 そういえば上位層《貴族》のガーナも、堂々と娼者《プロスター》を誇ってたな。


「深い意味はねえよ。ただの思いつきだ」


 ヤンデの話は興味深く、知識も補強されるが、それ以上に怪しまれるのが怖い。


 早く解散したい。鍛錬がしたい。きっとダンゴも待ちわびて……ないな。むしろ興奮しているまである。

 興奮するのは構わんが、怪しまれるから震えるのはやめてくれよ。


 じっと見つめてくるヤンデの視線が痛い。

 逃げるように半歩先行しつつ、「苦労してんだな」適当な言葉で繋ぐと、


「ねぇ。あなたは何のために生きているの?」


 立ち止まるヤンデ。


 振り返ると、シルエットだけでもわかる貧民エリアの生活感をバックに、彼女が俺を見ていた。

 いや、射竦《いすく》めている。先日のような、生半可な答えは許してくれそうにない。


 何にために生きてるって?


 そんなの決まっている。

 死ぬためだ。


 一瞬、そう答えそうになったが、自活――自殺活動において自殺願望を他者に知らせるのは悪手である。

 善人も悪人も寄ってきて、ろくなことがない。


 何より俺はひねくれたぼっちだ。

 このような内心を誰かと共有することが、この上なくみっともなくて情けない事のように思えてならない。


「……楽しむためだが」

「楽しそうには見えないのだけれど」

「見せる必要がないからな」


 俺が言うと、ヤンデは目を見開いた。「続けて」どうやら触りはお気に召してもらえたようだ。


 全くの嘘だと後が怖いから、持論の一つでも展開するか。


「人には楽しいという感情がある。この楽しさだが、試行錯誤と成長具合からもたらされると俺は思う。冒険が楽しいのは、目標に向かって色々と試すからだ。そしてレベルやお金といった形で成長、つまりは自分の何かが増えるからだ」


 自分の声がよく響く。夜の貧民エリアは人が変わったように静かだ。

 魔法や金を持たない者では暗闇に対抗できない。そして明日も肉体労働が待っている。ボロい小屋も、長屋も、貧民は既に床に就いているのだろう。


「ヤンデは楽しくないのか?」

「否定はしないけれど、もう飽きたわ」

「だったらもっと高めればいい。第二級や第一級を目指すとかな」

「飽きたと言っているでしょう? そもそも必要もない。実力はもうあるから」


 そんな台詞、一度で良いから言ってみたいものだ。

 よほどの自信家なのか。それとも本当に強いのか。案外レベル62も詐称だったりしてな。まさかな。


「なら他の目標を探せばいい。試してみればいい」

「他って何よ。具体例を提示しなさい」

「レアなアイテムを集める、友達を一人つくる、大陸を一周する、ダンジョンの最深部に到達する、金を目標金額まで集める、王都の外周を出来るだけ早く走る、空の果てまで飛行してみる――いくらでも思いつくだろ」

「……」

「ヤンデ?」


 今度は目をぱちぱちさせるヤンデ。

 別に難しいことを言ったつもりはないんだが。


「出来るだけ早く走ると言ったわね。どういうことよ?」

「よく子供が走る速さを競ったりするだろ。あれを一人でやる」

「何のために?」

「何のためでもねえよ。その過程と成長が楽しいから、無意味でもやる」

「馬鹿なのかしら? 子供じゃないのよ?」

「子供を馬鹿にするなよ。子供が楽しそうなのは、何のためでもなく過程と成長を楽しんでるからだ。そんな単純なことを忘れる大人こそ馬鹿だと俺は思ってる」


 かくいう俺も何度も忘れてしまうのだが。


「それは遠回しに私のことを貶しているの?」

「ヤンデを、というよりヤンデも、な」

「何それ」


 ふふっとヤンデが微笑を浮かべる。

 何それ、は俺の台詞だ。常に疲れた表情浮かべてるくせに、そんな女の子らしい仕草してんじゃねえよ。


「俺はこっちだから。じゃあな」


 思わず解散を切り出してしまった。断られたらどうしようもなくなるのだが、「ええ」ヤンデは|足元の魔法《ライトボール》を切り、来た道を引き返していった。


 俺もすぐに歩き出す。

 と、その時。


「おやすみなさい」


 例のささやき声が耳朶を撫でた。


 それは普段の鋭利な印象が信じられないほどに柔らかかった。

第91話 クラス分け

 放課後の尾行者は翌日以降も続いたが、ダンゴと協力して毎回巻いた。


 相手に俺をどうこうするつもりはないらしい。

 自宅でも突き止めたいのか、根負けするまで張り付いてやるという執念をひしひしと感じた。

 人数は一人。姿を晒す気も無いらしく、バンダナで顔を、ローブで全身を隠していた。


 大胆な所業だと言えるだろう。

 ジャースでは顔を隠すのは御法度だ。自らやましいことをしてますと公言するに等しい。

 オーブルー法国ならともかく、ここアルフレッドでは、騎兵隊に見られたら職質相当の拘束は避けられない。

 実力に覚えがあるのだろうか。それとも身元がバレても困らない貧民や平民か。

 どっちでも構わないが、そろそろ何とかしたい。


 何とかしたいと言えばもう一つ、ヤンデである。

 放課後会うことはないが、学園にいる間の会話は増えた。

 というより図書室につきまとわれている。字の勉強でヒーヒー言っている俺の隣で、澄ました顔をして難しそうな本を読んでいた。


 そんなこんなで第一週十日目《イチ・ジュウ》。

 定期試験と職業選択の日である。


 Fクラスの教室内は、咳さえ躊躇われるほどの静寂に包まれている。

 机の上には紙の束。その一枚一枚に、絵本のようなデカい字で問題が書かれている。墨というよりは粒だ。土魔法により何百枚何千枚と複写するらしい。

 だからなのか、紙一枚で文庫本くらいの重さがある。


(ちっとも読めねえ)


 一文を理解することさえ至難だった。一枚に一個、知っている単語があれば良い方であった。


 傍らに置かれた羽根ペンを手に取る。インクは無い。


(書けねえんだよな……)


 チラ見した限りでは、解答の記入には水魔法を使うようだ。

 羽根ペンの頭に小さな穴が空いており、ここに水を入れて貯める。ペン先の少し上を押さえると内部の口が開くらしく、貯めた水が出てくる。つまり水インクといったところだろう。

 無論、魔法の使えない俺には書けない。


 じゃあどうやって試したかというと、ダンゴに頼った。

 ダンゴは体液を出せる。ただ俺が液体を出せるのはおかしいから、ペンの頭を咥えて唾液を使ったという演技をした。

 アーノルド先生は珍妙な物を見るような顔をしていた。


 そうして何もできないまま試験終了。


 一時限目――最初の二時間が終わり、昼休憩が来たということで、室内にいつもの喧騒が戻り始める。

 クラスメイトの話題は試験の出来がメインのようだ。こういうところは古今東西変わらないな、などと思っていると、


「ジーサ君。ちょっと来てくれ」


 室内中央からアーノルド先生の声。生徒全員の紙束を風魔法で浮かせており、姿が見えない。

 近づくと、紙が生き物のように道を開けた。


「字を書けないのはわかるが、これだけは書いてもらわないと困る」


 先生が提示したのは一枚目の紙だった。

 手で掲げたのではない。紙が独りでに動いたのだ。無論、魔法による制御。


 記入もそうだったが、当たり前のように魔法に頼ってんだよな。一方で、貧民エリアではその様子は皆無だった。

 魔法が使えるかどうかは、そのまま格差に繋がるんだなと改めて思う。


「ここに希望する職業を書いてくれ。といっても書けないから、言ってくれ。私が書こう」


 なるほど、職業選択用紙も混ざってたのか。


「まさか決まってないとは言わないよな? 決まってなければ闘者《バトラー》だ」

「決まってます」


 俺は先生に耳打ちを要求し、「商者《バイヤー》です」希望を告げた。


「わかった」


 他者に知られたくないという意図は理解してくれたようで、速やかに記入した後、見えないように伏せてくれた。

 いや、速やかにって言葉すら生ぬるいだろう。何せ字の形をした水の塊が放たれて、一瞬で書かれたのである。タイピングや音声入力よりも速い。


 先生が退室した後、「何を選んだの?」ヤンデの指向性会話が届く。


「……ヤンデ。びっくりするから突然話しかけてくるな」

「私は闘者《バトラー》よ。片方だけ知らないのは不公平よね。教えなさい」


 振り返ると、自席で足を組み片肘をつくヤンデと目が合った。


「図書室ね。私も行く」


 ガタっと椅子を引く音がここまで届いてくる。

 ヤンデの足取りは軽かった。鈍感な俺でもわかる。俺と過ごす時間を楽しみにしていることの現れだ。


「昼食食べてこいよ」

「お断りよ。どうせ逃げる気でしょ」


 口パクで会話する俺達だが、日常会話ならもう口元を隠さなくなった。

 聞き取れるのはスキャーノだけであり、彼も律儀なのか会話内容を他者に漏らさない。ジャースには読心術もないみたいだし、ほぼテレパシーである。


 ヤンデと並んだところで、俺達は教室を出た。






 昼休憩は図書室で字の勉強に励みつつ、次の二時限目――実技では二人組で通常魔法の基礎練習。

 俺は魔法を使えないため見学だったが、なぜかアーノルド先生と今後について話し合っていた。


 一言で言えば、退学を勧められた。

 差別は今後も続くし、授業もさらに厳しくなる。最長在学期間は十年だが、十年では卒業には至れないだろうと。

 要するに実力が圧倒的に足りないのである。


 本心から心配していただけたのが申し訳なかったが、もちろん断った。

 俺は俺なりに知識と戦闘力を得るつもりだ。せっかくの図書室チャンスを逃したくはない。どうせ無敵バグも滅亡バグも手強いだろうから、十年くらいの在籍もやぶさかではない。


 実技が終わったら、またも一時間の夕休憩である。

 日本人の感覚だからか、ここがかったるい。要するに15時からのティータイムが毎日一時間も取られている。長すぎる。


 他にやることもないので、俺は図書室で字の勉強に充てた。

 ヤンデは来ていない。食堂で遅い昼食を食べている。

 食べていない俺は当然怪しまれたが、レベルが低いと消耗も少ないという適当な言い分で誤魔化した。


(この後、早速クラス分けだが、どうなるんだろうな)


 朝の試験結果は実技の間に採点され、次の三時限目で早速発表される。

 0点の俺はFクラス残留になるとして、あと何人残るだろうか。

 俺だけだったら楽なんだがなぁ。ただ一人の晒し者になってはしまうが、外聞などどうでもいい。それよりも先生を独占できることの方が強い。


 先生を独占できれば、そして先生が質疑応答メインの授業を許してくれるのならば、俺は自分が知りたいことを検索サイトみたく引き出すことができる。学習の効率はかなり良いはずだ。

 無論、普通はそんなことは認められないだろうが、俺は字すら読めない慈悲組《ジャンク》。先生側が配慮してくれる可能性はある。


 席替えの結果を待つ時のようなそわそわ感を、俺は久しぶりに味わった。

第92話 クラス分け2

 五重に囲まれたロの字型校舎の最も外側、Aクラスの廊下は、三時限目の最中にも関わらず賑わっていた。

 廊下の窓際に生徒が集まり、見下ろしている。

 数多の視線の先には、小さな建物――壁も天井もすべて透明で丸見えな校舎がある。最も内側に建てられたそれは、全クラスから見下ろされ、晒し者となるFクラスのものだ。


 そんな校舎の、ただ一つの大きな教室には新入生が集められており、中央、教壇に立つ先生の話を聞いている。


「やはりスキャーノが注目株ね」


 同じ制服でありながら、一目で高貴とわかる女子生徒が言う。

 一つ下の校舎も、その下の校舎も、Aクラスからは全ての校舎が覗けるが、どの校舎も生徒の分布は廊下に集中していた。


 全校生徒が、新入生の動向に注目している。


「そりゃレベル88だもんな。アンタよりも高い」

「従者は黙りなさい」

「へーへー」


 彼女の隣に立つのは、ポケットに両手を突っ込んだ男子生徒だ。

 従者にあるまじき態度だが、今さら突っ込むクラスメイトはいない。


 そのクラスメイト達だが、皆一様に二人から距離を取っている。

 身分が違いすぎるためだ。Aクラスの生徒は全員が気さくに雑談できる仲だが、この二人――従者の方はともかく、彼女だけは例外であった。


 シャーロット家現当主の長女――ハナ・シャーロット。

 シャーロット家はフランクリン家と並び、アルフレッド王国の二大貴族を成す名家である。

 国政の大部分を一任されており、陰の支配者という声も少なくない。


「レコンチャン。何人残留するか答えなさい。十秒以内」


 眼下、結果発表の順番はランダムのようで、既に半数ほどが終えていた。


 終えた者は結果に応じた場所で待機している。

 職業は冒険者となる闘者《バトラー》に偏っており、他はアーサー・フランクリンとその学友が賢者《ナレッジャー》、娼館を牛耳るオードリー家の子女ガーナが娼者《プロスター》、という程度だ。


 成績については、Fクラス残留者は座って待機することになっているが、まだ座っている待機者はいない。


「んなことわかんねーよ」

「頭の体操よ。強いだけではモンスターと変わらないって常日頃言っているわよね?」

「そういうのはシャーロット先生に任せるっつってんだろ。オレはアンタを守る。それだけだ」


 ハナが隣を向くと、恥ずかしげもなく全幅の忠誠を誓う双眸があった。若干赤くなった彼女は、「このバカ」視線をFクラス校舎に戻す。


「廃戦協定で時代が変わると言ったわよね。今後、他国や他種族の実力者と渉外する機会は確実に増える。でも手は足りてないから、私も駆り出される」

「頑張れよシャーロット先生」

「護衛の貴方も同席するのよ? 相手は私達を知る貴族連中じゃないの。護衛とはいえ、相応の礼儀作法と教養がなければ相手にされないかもしれない」

「そうかぁ? シキさんとも普通に喋ってるし大丈夫だろ」

「このバカ」


 ハナが無詠唱で風魔法を発動し、従者を吹き飛ばした。

 教室側の壁と激突して派手な音が立つ。


 Aクラスでは日常風景なため、特段注目は集まらない。無論、レコンチャンも無傷であった。


「慈悲深いシキ様が不作法な貴方に合わせてくださっているだけよ。普通ならとうに首が飛んでる――って、え?」


 廊下内もざわざわしだしたのを聞いて、地面に倒れていたレコンチャンは「よっと」ひと息で主の隣に戻った。


「これは予想外ね……」

「みんな何はしゃいでんだ。アーサーが残留でもしたのか?」

「アーサーはもう発表されてるでしょ、このバカ」


 ちなみに二人とアーサーの仲はすこぶる悪かった。


 レコンチャンは視線を走らせるまでもなく騒動の原因を発見すると、「うお」思わず声を出す。


「こりゃ確かに予想外だぜ。頭は|悪《わり》いのか?」

「優等生だと聞いてるわよ。おそらくわざとね」

「Fクラスに? 意味わかんね」


 全校生徒の注意をかっさらったのは、新入生の首席ことスキャーノだった。

 闘者《バトラー》の場所に移動した彼は、地べたに座ったのである。


 廊下の喧騒が収まらず、クラスメイト達の憶測が飛び交う中、発表は淡々と続いていく。

 一人、一人と移動していって、そして――


「あの慈悲枠《ジャンク》――何かあるみたいね」


 全員の発表を終えた時点で、座っている新入生は三人。

 うち一人はスキャーノで、残る二人は慈悲枠《ジャンク》と呼ばれる貧民の生徒だった。


「首席が素で残留したとは考えにくい」


 冒険者には学の無い者も多いが、レベル88なら場数は相当になる。嫌でも知識は身に付く。

 Eクラスへの昇格程度でつまづくことはまずありえない。


 そもそも、それほどの実力者が学園に入学してきたこと自体が不自然だ。

 何か特別な理由を持っていてもおかしくはない。

 たとえばそう、Fクラスという屈辱にあえて居座ることも辞さないほどの何かを――


「美味しそう」


 思索を広げるハナの真後ろから、脳天気な女声が注がれる。


「……ミーシィ。断りもなく飛びつかないで」

「あの子だよ、あ・の・子。不細工な子がいるじゃん」


 ミーシィと呼ばれた鳥人《ハーピィ》の少女が、羽根のついた腕をばさっと眼下にかざす。鳥足となった指先には、よく磨かれたかぎ爪。光沢を放っている。


「話聞きなさいよ……」


 呆れて嘆息するシャーロットを見て、レコンチャンが微笑む。

 おんぶ状態にされた主の横顔には、僅かに嬉しさが滲《にじ》んでいる。


 ハナ・シャーロットの性格は決して悪くはないが、その程度では友人などできやしない。

 シャーロットの名前はそれほどのものだ。


 このミーシィという鳥人は、そんなしがらみを超えてくる例外の一つだった。


「容姿を評するのは好きじゃないけど、客観的に見ればそのとおりね」

「美味しそうでしょ?」


 鳥人女性は性欲旺盛であり、性的な行為や嗜好を食事で形容する。食べるとか美味しいといった言葉こそ多用するが、食人主義《カニマリズム》ではない。


「趣味悪いわよミーシィ。娼者《プロスター》でももう少しマシな男を選ぶでしょう」

「甘いね、シャーロッちん。男は見た目じゃなくて筋肉なんだよ」

「筋肉も見た目よ。あとシャーロッチンって呼び方はやめなさい」

「わたし、バカだからわかんなーい」

「いいから下りなさい」


 名家の令嬢の仲睦まじい様子に、クラスメイトから羨望やら下心やらの視線がちらちら集まる中――「筋肉……」レコンチャンはミーシィの言葉を見逃さなかった。


 Aクラスの男子達に見向きもしない鳥人のお眼鏡に叶ったとなれば、ただ者ではない。

 しかし、彼の目にはただの中肉中背の貧民としか映らなかった。


「第一、貴方はもう少し節度を持って私に接しなさい。シャーロット家の威厳というものがないでしょう? レコンチャン。ミーシィにわからせてさしあげなさい――レコンチャン?」


 彼はあえて二人のじゃれ合いをスルーして観察していたが、結局得られるものはなかった。


「やだよ。こいつ逃げ足速えし、オレが食われるもん」

「レコンチンはもういいよー。たしかに美味しかったけど、あの子の方が絶対に美味しいもん」

「レコンチャン? あなた、まさかこの鳥女に食べられたの?」

「んなわけねえだろ。オレの貞操はシャーロットに捧げるって決めてんだから」

「なっ!? ハッキリ言うなこのバカッ!」


 レコンチャンはもう一度吹き飛ぶこととなった。


「ミーシィ、貴方もさっさと男を見つけなさい。貴方は鳥頭だけど、見てくれは良いんだから、もらい手はいくらでもいるわ」

「そういうのはいらないんだよねー。漁りたい時に漁りたいだけ男を漁る――それが鳥人なんだよシャーロッちん」

「バージンのくせによく言うわね」

「シャーロッちんもでしょ」

「私は大貴族の娘ですから当然です」

「レコンチンに食べてもらうんだよね?」

「た、食べっ!? ――そ、そそういうことを口にするなこのバカッ!」


 レコンチャンに鳥人の体が激突することとなった。


「このバカ、いただきましたー」

「あまりいじめてやんなよ」

「シャーロッちん容赦ないね。かなり痛い」

「頑丈じゃねえと務まんねえよ」


 二人が重なって倒れたまま会話していると、「いつまでそうしてんのよ」風圧が二人の顎にアッパーをきめた。

 ミーシィが嬉しそうに顎を撫でている中、レコンチャンは一息で主のそばに戻る。



 ――きーめたっ。あの子にアタックしよっ。



 離れ際、そんな不吉な小声を聞いたレコンチャンだったが、聞かなかったことにして、当の本人に同情した。

第93話 クラス分け3

「ジーサ君。ヤンデさん。これからよろしくね」

「……」


 スキャーノは悪戯に成功した子供のような笑顔を見せた後、教室を出て行く。

 早速ルナとガーナに挟まれ、質問攻めに遭っていた。


「何を企んでいるのかしらね」


 俺の隣に突っ立っているヤンデが白々しいことを言う。


「お前もだろ」

「何が? あとお前呼びはやめなさい」

「とぼけるなよ。ヤンデの頭なら普通にEクラスだろ」

「居心地悪そうなんだもの。ここだったら、たぶんあなたしかいないだろうし」


 わざわざ俺の方を見てくる、いや見つめてくるヤンデ。どうにもやりづらくて、俺は無意味に教室を見回す。

 まだ半数ほどクラスメイトが残っていたが、露骨な安堵を見せつけてくる者もいた。


 やっと慈悲枠《ジャンク》の臭いから解放される。


 そう言わんばかりに。


「にしても、まさかスキャーノが来るとはな。せっかく一人になれると思ったのに、とんだ災難だ」

「美男美女に挟まれてるのよ。少しは嬉しくしなさい」


 巨乳になら挟まれたいんだが、などと冗談を言う気も起きない。

 コイツに気を許したくはないし、スキャーノが何を企んでいるのかがわからなくて落ち着かない。


「俺は一人が良かった」


 ぽろっと本音を漏らすと、どんっと蹴りを入れられた。


「ぐっ……」


 脛にクリーンヒットである。俺はうずくまる演技をした。頭に流れ込んできたダメージから考えると、レベル10では平静ではいられない威力だ。


「何しやがる……」

「スキャーノもこんな気持ちだったのかしらね。少し勉強になったわ」


 ヤンデは荒めの足音を響かせて教室を出て行った。一体何に怒ってやがるんだ……というボケはさておき、やはり想像以上に想われているなこれは。


 距離を置かねばならない。が、強引が祟って敵に回られても厄介だ。

 もし尾行でもされたら、俺では巻けないだろう。気付くことさえできないかもしれない。


 とりあえず試験で故意に手を抜けないようにしてもらうか。アーノルド先生かミライア先生にでも相談しよう。

 もしこれが実現されたら、次の試験後からは俺だけがFクラスに残れる。

 俺は全く字が読めない。手を抜くまでもなく、当分は自然に残留できる。


 以降の試験は三週間ごと――つまり三十日ごとに行われるから、次の試験も三十日後。

 それまでに間に合わせたいところだ。


「ジーサ君。職練に早く行きなさい」

「あ、はい」


 三時限目はまだ終わっていない。各自の職練こと職業訓練の会場に行って顔合わせすることになっている。

 アーノルド先生に急かされた俺は、駆け足で会場に向かった。


 商者《バイヤー》の会場は学内南西部――貴族門の方面にある。


 南西エリア。暗黙の了解で、平民以下が普段立ち入らない場所だ。

 たしかに通行人を見ると、同じ制服のはずなのに、どこか洗練された佇まいである。冒険者のような荒々しさが薄いとも言えるか。

 育ちは立ち振る舞いに出るんだなぁと感心していると、十人ほど集まっている集団が目についた。

 道具が積まれた屋台のようなものもある。集合場所に違いない。


 小走りで駆け寄った。


「今年は一人だと聞いているが、もしかして君か?」


 ダンディーなおっさんがダンディーなスーツを着ていた。

 商者の講師は外部の大商人が担当すると聞いているから、この人だろう。商人というと愛想の良い小太りを浮かべるが、この人は顔立ちも、体型も、眼光まで鋭い。客に媚びるという発想は一ミリもあるまい。

 鬼教官という言葉が思い浮かんだ。


「はい、そうです」

「自己紹介を」

「ジーサ・ツシタ・イーゼです」

「やる気を感じない。帰れ」


 見た目に違わぬ厳しさだった。まあ事前見学で知ってたけど。


「決めつけないでもらえますか。それにまだ授業中なんですが」

「職練とは全クラス合同の活動である。新入生の都合に合わせるわけにはいかない」


 同調するかのように、既に集まっていた上級生商者らの視線が刺さる。

 鼻をつまんでいる者もいた。ダンゴさんが臭くてすみませんね。


「ではどうすればいいか教えてください」

「その臭いを何とかしろ。身なりもだ。金はあるか? 最低でも金貨百枚が要る」

「聞き間違いですか? 銅貨百枚ですよね」

「何を考えているのかは知らんが、無能にくれてやる時間はない。臭い、身なり、金貨百枚――全部集めてから来い。無理なら他の職業にしろ」


 言い訳のいの字も許さない迫力だった。

 見た目どおりの厳しさだが、想定内である。


 ちらっと行った事前見学によると、商人の職練はとにかく|OJT――現場で覚えろ方式《オン・ザ・ジョブ・トレーニング》であった。

 演習ではない。制服を着たまま、王都で実際に商売するのである。


 その際、俺達は一人一人が学園の顔となる。

 学園としては、間違っても今の俺を立たせるわけにはいかないだろう。


 よって俺は職練には加えられず、問題外の烙印を押されて放置されるか、あるいは無能向けの別メニューを課されるかになる。

 OJT至上主義に別メニューを用意する慈悲は無いだろうから、実質前者しかない。


(よし、直近三週間の三時限目が丸々空いたぞダンゴ)


 これで俺は丸々職練をサボれるようになった。

 もっとも、いつかは教員からのフォローが入るかもしれないが、見たところ職練は担当者に一任されている。

 あのダンディーダンディーが俺を気にするとは思えない。


(ひょっとしたら何週間も放置されたままかもな)


 ともかく、俺は予定どおり三時限目の職練から時間を捻出することに成功した。






「そこの君っ! 死体に使う魔法とやらをご存じかね?」


 図書室に向かっていると、真上から声を掛けられた。え? 真上から?


「君、やっぱりエロいね」


 胸部をたゆんたゆんと揺らしながら、制服を着た鳥人《ハーピィ》が降りてきた。余談だが、鳥人女性は人間女性よりも胸が大きいらしい。


「エロいって何がです?」

「体つき。なんか珍しい感じ。筋肉の付き方が、こう、変?」

「筋肉ある奴なんて腐るほどいると思いますけど」


 引っかかる物言いをしてくれる。

 そういえばルナと、あとユズもだっけか、俺の肉体に反応する節があったな。


「わかってないなー。筋肉には二種類あるのだよ」


 着地した鳥人が俺の肩に手を回してきた。腕にくっついてる羽が柔らかくてちょっと気持ちいい。


「レベルが上がってからついた筋肉と、レベルが上がる前についた筋肉があるの。後者の方が珍しくて、気持ちいいんだよー」


 それは興味深い一言で、思わず彼女の顔を見てしまった。

 無邪気な小学生のように童顔だ。なのに、少し視線を落とすと、豊満な果実が揺れている。

 たしかに気持ちよさそうですね。


「はぁ、そうですか」


 適当な返事をしてみると、彼女はにたりと笑った。舌なめずりが妙にリアルで怖いんだが。


「まあわたしの勘だけどね」

「それより離れてくれません? 面識ないですよね?」

「今日ヒマ? バサバサしようよ」

「バサバサとは」

「あ、そか、これわたしらの言葉だったね。交尾のことだよ」

「なんでだよ!?」


 なるほど、見ず知らずの人から急にセックスを求められるとびっくりするんですね。

 いや俺はバグってて感情は乱れないけど、それでもこれはびっくりした。一つ勉強になりました。まる。


「なんでって鳥人はそういうものだよ? 男の人も大体喜んでくれるけどなー」


 彼女が背中から抱きついてくる。「ぐりぐり」とか言いながら押しつけてくる確信犯っぷり。いと凄まじき弾力かな。

 先端の存在感は蚊のように弱いのは、制服が分厚いからだろう。


「孕《はら》んだらどうするんだよ」

「あげる」


 要らねえ。鳥人のモラルどうなってんだ。


「妊娠すると辛いだろ?」

「んー、別に。産む時にちょっとしんどいだけ。高く売れるからって喜んでくれる人多いけどなー」


 これがカルチャーショックなのだろうか。

 色々と衝撃的すぎて敬語も綺麗さっぱり飛んでしまった。冒頭何か言ってたよなコイツ。


「まあ全部お姉ちゃんの受け売りだけどー」

「にしてはずいぶん偉そうだったが。てことは、アンタは処女?」

「しょじょ?」

「まだ男性と交尾したことないのかって聞いてるんだよ」

「うん。だから美味しそうな君に声をかけたのさ」


 それは光栄なことで。


 正直に言うと、揺れてる。

 男だからな。揺れないわけがない。


 それに、このバグってる体で性体験を試してみたいってのもあった。

 今は亡きナツナ曰く、快感と痛みは表裏一体。だとすれば、性的快感さえ感じることができれば、それを痛みに、もっと言うとダメージに繋げることができる――


 無敵バグを突破する糸口になるかもしれないのだ。


「あー、でもお姉ちゃんがうるさそう……」

「私の可愛い妹に何してんだ?」

「そだねー。控えめに言って殺されると思う」


 ずいぶんと物騒なお姉ちゃんだことで。


「で、アンタは俺が殺されるとわかっていながら俺を誘ったのか」

「うん」

「また今度でいいか。名前教えてくれ」

「え? いいのっ!? たぶん死ぬよ?」

「バレなきゃ平気だろ」

「やったっ。それじゃ約束だからね。破ったら犯すから。まったねー」


 斬新な脅迫文句を残した彼女は飛び去っていった。

 しばらく目で追っていると、最も外側のバカ高い校舎に入っていく。Aクラスの人だったのか。

 まだ職練の時間なんだが、サボっているのだろうか。あと名前、普通にスルーされたな。


(ダンゴ。体液が手に入りそうだぞ)


 興奮して全身を振動させるダンゴによりマッサージチェア状態となりながらも、俺は思案する。


「……」


 軽率な約束だったかもしれない。あまり期待はできないだろう。

 何せあのナツナの身体とテクニックをもってしても、俺の息子は立ち上がらなかったのだ。


 それでもナツナは構わずいじっていたが、裏を返せば、それだけ経験豊富だったってことだ。

 つまり、元気にならない息子でもフィニッシュできるという事実と技術を知っていたことになる。

 男優が存在する時代でもないのにな。恐るべしナツナ。


 ともあれ、そんなナツナでも歯が立たなかったのだから、あの鳥人にどうこうできるとは思えない。

 お姉ちゃんとやらも怖そうだし、断っておくべきだったか。って。


(何してんだよおい。精液は出ねえぞ)


 ダンゴはスライムの一種であり、俺の全身を包んでいるわけだが、性器も例外ではない。それを良いことに、器用にこすり始めやがった。

 興奮しているのはわかるが、もうちょっと落ち着いてほしい。


 レベル40程度のパワーとはいえ、ダンゴに暴走されると面倒だ。一度発散させておく必要があるだろう。

 そういう意味では、性交の約束をした意味はあったと言える。

第94話 ジーサのガチ考察

(そういえばあの鳥人《ハーピィ》、ダンゴの臭いを気にする素振りはなかったよな)


 会話を吹っかけてダンゴを落ち着かせつつ、デイゼブラゾーンへと向かう。

 商者《バイヤー》の職練をサボれた俺には時間がある。前々から考えたかったことに充てることにした。


 俺の言語能力がどこまで補完されているか――

 この件を掘り下げてみることで、バグの突破に繋がるのではと思っている。


 周辺をきょろきょろしてみる。


(お、良い感じの小石があるな)


 近寄って拾い上げる。


 この灰色で固い物体には表記と発音がある。

 日本語で言えば表記は『石』や『いし』、発音は『い』『し』となる。


 では異世界ジャースではどうだろうか。

 発音は『い』『し』で通じる。一方、表記は『石』や『いし』では通じない。ジャースでは古代文字みたいな、全く見慣れない独自の文字――ジャース語が使われている。


 ここから何が言えるだろうか。


 まずリスニングとスピーキングについては、何らかの翻訳機構が働いていると見ていい。

 俺が日本語で喋った言葉は、ジャース語に変換されて相手に届く。逆に、相手が発音したジャース語は、日本語に変換されてから俺に届く。


 この機構はバグだろうか。

 それとも天使がジャースにつくった仕組みか。

 はたまた天界でつくった世界すべてに適用される仕組みか。


 俺にはわからない。

 ただ、バグだと考えるのが自然だと思う。


 なぜって、中途半端だからだ。


 普通、リスニング&スピーキングに翻訳の仕組みを入れるなら、リーディングとライティングにも入れるだろう。後者にだけ入れない、というのは仕事がいいかげんすぎる。

 俺が上司だったら間違いなく怒るし、部下だとしても指摘する。

 無論、リーディング&ライティングにだけ入れなかった理由が何かあるのかもしれないが、所詮俺はただの魂《データ》。天使《プログラマー》の意図などわかるはずもない。


 だが、もしこの中途半端さがバグによるものだとしたら。


(無敵バグを突破するヒントになる、気がするんだよなぁ……)


 仮にこのリーディング&ライティング翻訳機能の欠如を読み書きバグと呼ぶことにして。

 この読み書きバグは、俺が抱えてる無敵バグに通じている可能性がある、という見方もできる。

 つまり、何らかのバグAの作用として、無敵バグと読み書きバグの二つが起きている――そう考えるのだ。


 もしこのAが判明して、なおかつAを潰すことができるとしたら。Aを潰すことで無敵バグをなくせるかもしれない。

 無敵バグをなくせれば、自殺が可能になる。

 そうなれば、後は滅亡バグを潰すだけで俺の目的は達成される。


 つまり、俺の本懐を果たすための全体手順はこうだ。


 無敵バグというチートを抱えたまま滅亡バグを潰し。

 めでたしめでたしとなったところで無敵バグを潰し。

 最後に、いや最期に自殺する――


 そして、この二番目の段階に必要なヒントこそがAなる何かではないか、と俺は見ている。


「どんなAが考えられるか……」


 俺は小石を地面に当てて図を書く。

 アルファベットのAを書き、矢印を二つ伸ばす。片方には『無敵バグ』、もう片方には『読み書きバグ』と書く。


 あらゆるダメージをシャットアウトする無敵バグ。

 リスニング&スピーキングは翻訳されるのに、リーディング&ライティングはされないという読み書きバグ。


「両者を引き起こすものとして、何が考えられる?」


 矢印の先を交互にとんとんとしながら頭を働かせていると、一つのアプローチを思いついた。


 天使曰く、この世界はプログラムである。

 なら、プログラマーの思考を使えば、ある程度見当がつくはずだ。


 まずは無敵バグから見てみよう。


 俺にダメージが走ると、頭の中に数字が流れ込んでくる。

 この数字にはどうも種類があり、ニュートン的な力、電力、温度、物理現象によらないダメージ量などがあると思われる。少なくとも五種類、ひょっとすると十種類以上あるかもしれない。

 ともあれ、数字が流れ込んでくるのだ。


 しかし俺の身体が傷つくことはない。

 触覚はある。ただ、痛いと感じるよりだいぶ手前のところでシャットアウトされてしまう。

 そうだな、たとえるなら割り算の余りみたいなものか。33で割った時の余りは、割られる数がどんなに大きくても0から32の間を取る。32という数字を超えることは決してない。


 もう一つ、身体の働きも無視できないだろう。

 俺は小石を両手で包み、尖った部分を手のひらに当てる。軽く圧迫してみると、手のひらは皮膚のように凹んだ。

 ここから少しずつ力を加えていくと――やがてガッとつっかかるポイントに出会う。


 さらに力を加えても、この硬さを突破できることはない。

 しまいには小石の方にヒビが入った。


 この身体の働きを一般化すると、『段階的な安全装置』とでも言えるだろうか。

 俺の身体は人間らしい柔らかさを持っている。しかし、身体が壊れる程の力が加わると、それに耐えうる程度に硬くなる。


 皮膚だけじゃない。骨も、爪も、髪の毛も、粘膜から内臓に至るまで、あらゆる部分が対象になっている。

 ちゃんと調べたわけじゃないが、この仕様は確かだろう。

 グレーターデーモンの実験は記憶に新しいし、今だってダンゴが体内をうろちょろしているし、そもそもグラスプ・メガトンなどという魔王のふざけた威力にだって耐えた。

 突破できる隙があるとは思えない。


 この『段階的な安全装置』は、おそらくジャースにおける防御力によるものと考えられる。実際、第三級のルナや第一級のユズも、普段の身体は女子相応に柔らかかった。

 安全装置は、この世界の生物が備えるシステムなのだろう。


 だとしたら、俺の並外れた耐久力は、防御力が並外れていると捉えることができる。

 つまりは防御力∞だ。


「整理するか」


 ヒビの入った小石を壊さないよう、地面に要点を書いてみる。

 こういう時はシンプルに箇条書きで良い。


 ・頭に流れ込んでくる数字

 ・割り算の余りのように丸め込まれる痛覚

 ・身体のあらゆる部分に作用する『段階的な安全装置』

 ・俺の安全装置は底が知れない、すなわち防御力∞


「プログラマーの視点で、ここから言えることは……」


 前世で昔つくったプログラム、特にゲーム制作を思い浮かべながら、俺は箇条書きを眺めていた。「あっ」唐突に浮かぶ。



「デバッグ、モード……」



 デバッグモードとは、ゲームの動作確認を円滑に行うための専用モードである。

 どんな機能を内臓させるかはプログラマー次第だが、RPGで言えば本来見えないパラメーターの値を全部表示できるとか、全てのアイテムを好き勝手に増減できるとかいった機能が有名だろう。


 とにかく、このモードは動作確認――特にバグの究明に役立ちそうな便宜を、ゲーム中の機能という形で確保するのである。


「頭に流れてくる数字は、ダメージ量を定量的に知るための機能。痛覚のシャットアウトは、デバッグ時に痛い思いをしないため」


 そう考えると、一応筋が通らなくもない。


 残る二つはどうだ?


 段階的な安全装置は、デバッグ機能というよりは|異世界ジャース《プログラム》の仕様だから考えなくていい。

 考えるべきは、その安全装置とやらが俺の場合、底知れない――おそらくは無限だということ。ジャースの言葉で言えば防御力。これが∞。


 魔王の反応から察するに、防御力∞はありえない事象だ。

 としたら、デバッグ機能の範疇と言えるんじゃないか。


 たとえば『防御力∞フラグ』なるものがあって、これをオンにすると無敵になるとか。

 無敵にしたいなら状態異常も防ぎたいところだが、状態異常だけデバッグしたいという用途もあるだろう。とすると、『状態異常無効化フラグ』なんてものも存在する?


 ともあれ、デバッグ用のチートなフラグがあるとして。

 どういうわけか、俺はこのフラグがオンになってしまっている。そう考えると――


「一応、筋は通るが……」


 しかし、こんな俺でもわかることを、天使がわからないなんて話があるだろうか。

 バグの原因はわからない、と天使は言っていた。

 もしフラグが真実だとすれば、天使はフラグが立っていることに気づけていない、ということになるが……さすがに間抜けすぎる。

 いや、プログラマーが些細な見逃しをするのはよくあることだ。いやいや、でも人間はともかく、天使なる存在がそうであるとは考えにくい。いやいやいや、案外天使も人間みたいにあんぽんたんなのか?


「……それこそ仕方ないな」


 天使のことなんてわかるはずがない。他の可能性も浮かばない以上、このまま考え抜いてみるしかない。


 俺にはデバッグモードが働いている。

 そのせいでダメージ量を理解でき、痛覚も緩く、防御力も∞になっている――

 そうだと仮定する。


 その場合、デバッグモードを切ることができれば、この三つの作用も消えてくれるんじゃないか。


「切る手段はあるだろうか」


 わからない。が、探してみる価値はある。


 通常のプレイヤーがデバッグモードに入る口は用意されていないだろう。まともなプログラマーならそんな脆弱性は残さない。

 しかし、デバッグモードを有効にしたデバッガーが、一時的にデバッグモードをオフにして通常プレイヤーとして動いてみる――なんてシチュエーションはありえる。

 としたら、デバッグモードをオンオフする手段があるのでは?


 あるとして、では、どうやって制御するか。


「……詠唱してみる、とか」


 安直だが、何事も試してみることが大事だ。

 俺は周囲を確認し、誰もいないことを確認した上で、


「デバッグモード」


 発音してみた。


「……」


 デイゼブラが草を頬張ったまま俺を見てくる。ちょっとハズい。

 まあ一発で当たるはずもないよな。


「デバッグモード、オープン」


 瞬間、「やべっ」足元にエナジーが飛んで地面を少し焦がしてしまった。


 なんてことはない。

 俺が持つスキル『リリース』の詠唱にひっかかったのだ。


「気をつけないとな……」


 詠唱に文脈は関係無いらしい。

 とにかくオープンと言ってしまったが最後、発動してしまう。


「……」


 いや、マジで危なかったぞ今のは。


 仮にリリース1とかセットしてたら、とんでもないことになってた。

 これまでチャージしていた200ナッツ――1ナッツがナツナを王宮地下ごと吹き飛ばした時の威力である――が全て放出されてしまい、たぶん王都は跡形もなくなっていただろう。



 ――キャンセル。リリース、《《十兆》》。



 実は以前、誤射防止でそのように十兆分の一をセットしていたのだが、マジで幸いだったな。

 しかしここまで薄めてもなお、地面の一点を焦がす程度のエネルギーになるというのだから恐ろしい。200ナッツを抱えた俺はもはや兵器と言える。

 冗談抜きで気を付けねばならない。


 さて、ヒヤリハットを反省したところで、話を戻そう。

第95話 ジーサのガチ考察2

 思わぬリリースによりヒヤッとしたが、気を取り直してデバッグモードの詠唱フレーズ探しを再開する。


「デバッグモード、オフ」

「デバッグ、オフ」

「デバッガー、シャットダウン」

「デバッグ、クローズ――」


 思いつく限りの単語を総当たりで組み合わせてみたが、反応は無かった。

 パスワードをゼロから探り当てるようなものだ。無謀にも程がある。


「……もしかして、詠唱じゃない?」


 発声ではない、他の発動方法があるのかもしれない。

 デバッグモードにはいつでも入りたいはずだから、いつでも発動できるような方法のはずだ。

 発声じゃないとなると、スイッチ、とか?


「果てしないな……」


 仮に身体のどこかに何かをすることでデバッグモードをオンオフできるとしよう。そのどこかと何かはどうやって特定する?

 パターンなんていくらでも考えられるぞ。


 俺だったら、そうだな、左手親指を十秒間強く握ることでオンオフ解除、とかにするかな。

 これならわかりやすいし、誤発動の心配も無い。


 突然ですが、問題です。

 デバッグモードをオンオフさせるスイッチが身体のどこかにあるとします。では、天使はどこにどんな起動方法を仕込んでいるでしょうか。


 ……わかるわけがねえよ。


「行き詰まったな」


 デバッグモードの発動方法はいったん置いておく。


 続いて、読み書きバグについて考えてみることにした。

 もっというと翻訳機構だ。


 これもデバッグモードの機能として備わっていると考えれば、説明がつく。


 世界の言語と自分の言語とを相互変換するフラグ――言わば自動変換フラグなんてものがあれば良い。

 俺の場合、ジャース語と日本語だ。

 ジャースという世界《プログラム》をテストする天使《プログラマー》の場合は、ジャース語と天使語になるだろう。


 言語体系の相互変換は、プログラミングにおいて頻出する発想である。特に自然言語間の変換は翻訳と呼ばれ、誰もが知るほどの概念になっている。

 それほど当たり前の発想なら、天界で使われていても不思議ではない。


「フラグが何個あるかはわからんが、たぶん四つだな」


 「聞く」に関して、相互変換するかどうか。

 「話す」に関して、相互変換するかどうか。

 あと「読む」と「書く」もある。これで計四つ。


 俺は地面にL、S、R、Wと書いた。

 それぞれリスニング、スピーキング、リーディング、ライティングの略である。


「これで俺のケースを説明できる」


 俺の場合、「聞く」と「話す」だけ自動翻訳がオンになっている。

 LとSを丸で囲む。ぐりぐりと何回もなぞりながら、頭を働かせる。

 人の頭と手先は連動している。考え事は歩きながら、あるいは手先を動かしながら行うのが良い。


 話を戻すとして、なぜLとSだけなのか。

 普通は全部オンにするか、あるいはオフにするかじゃないのか。


「……待てよ」


 異世界転生のロジックはどうなっていた?


 世界《プログラム》に、魂《データ》を投入する――それが転生だった。

 そして転生された魂は、その世界の生物として一から生をやり直すことになる、はずだ。


「俺も一からやり直して……はないよな」


 人間に転生した場合、赤ちゃんからスタートすることになる。

 無論、前世の記憶は無い。天使曰く、魂には過去の世界の記憶すべてが蓄積されているが、それが蘇るのは天界にいる時のみ。

 ゆえにジャースに転生した場合、転生者にはその赤ちゃん自身の意識しかない。


「でも俺にはあった」


 前世の、日本で過ごした記憶のすべてが残っていた。

 というより体のスペックごと引き継がれていた。


「転生というよりは転移だよな、これ」


 本来転生するべきものが、転移となってしまっている――


 これはバグによるものだろうか。

 それとも俺がバグっていたから、融通を効かせて転移にしてくれたのか。

 リスニング&スピーキングだけ自動翻訳がオンになっていることとも関係があるのだろうか。


「……わからん。わからねえよダンゴ」


 さっきから意味不明な独り言を連発していて申し訳ないが、許してくれ。

 考え事は誰かに語るようにした方が捗るからな。


 さっきの原則と組み合わせると、手足を動かしつつ誰かに語るようにブツブツ言いながら考えるのが最強ってことになる。

 不審者にも程があるが、これがバカにならない。

 プログラミング用語として|アヒルのおもちゃに話しかける《ラバーダッキング》とか|くまのぬいぐるみに話しかける《ベアプログラミング》とかいった言葉もあるくらいだ。


「……」


 プログラマー脳な自分に呆れたことも一度や二度ではないが、今回ばかりは別。


 この世界だってプログラムなのだ。

 バグを探すには、プログラマーの見方が役に立つ。とことん突き詰めてやる。


 といっても、天使が書いた世界《プログラム》に俺達人間の水準が当てはまるかどうかはわからないんだけどな。

 まあそんなことを言っても仕方がない。俺は人間だ。人間のポテンシャルでしか物事を考えられない。

 これが通用すると信じて、進むしかない。


 と、そのとき、ダンゴが後頭部をトリプルクリックしてきた。

 三連打は危機の合図。一体何が――


「これは何を書いておりますの?」


 小気味良い着地音とともに、高貴そうな女声が後方から届いてきた。

 振り向くと案の定、貴族枠《ジュエル》らしき雰囲気を放つ上級生が二人。


 両手をポケットに突っ込んだツンツン頭は護衛だろうか。俺をじっと睨んでいる。

 その隣の女はボリューミーな金髪をしていて、メデューサみたいな縦ロールになっている。巻くのに何時間かかるんだそれ。


「……秘密です。すみません」


 上手い言い分が浮かばず、適当なことを言ってしまった。


「秘密なのに、こんな場所で書いていらっしゃる?」

「ふとひらめいたものですから。ひらめいたことは逃したくないんです」

「貴方は賢者《ナレッジャー》でいらして?」

「いえ、新入生です」


 答えになっていなかったが、商者《バトラー》は絶賛サボり中なので言いたくなかった。


「それはわかっていますわ。見てましたもの」

「は、はぁ。どうも」


 どさくさに紛れて地面に書いた字を消そうとすると、護衛の方に腕を掴まれた。

 速い。レベル10のまばたきよりも速かった。風圧を押さえる技量もある。


 無論、俺が平然としているのは不自然なので、一歩遅れてびくっとしておく。


「文字、のように見えますわね。ジャース語ではありませんわ」


 英語と日本語ですわよ、というわけにもいかず。


「よろしければ教えてくださらない?」

「よろしくないので、教えられません」

「まあ。わたくしのお願いを拒否なさる?」

「はい」

「このハナ・シャーロットのお願いですのに?」


 とん、と自らの胸に手を置くハナ。

 その動作一つ取ってみても洗練されていて、相当な貴族なのだと想像できる。胸は大したことないな。


「……字、ですよ。新しい字を考案しているんです」

「ジャース語がありますのに?」


 座学で習ったばかりだが、ここジャースで使われている言語はジャース語ただ一つらしい。

 元は多数の言語が存在していたが、主に種族間での意思疎通が困難とのことで、竜人族が介入――統一が図られたのである。


「関係ありませんよ。やってみたいからやる。そういうもんでしょ?」


 なぜか熱心な研究者キャラ路線になりそうだが、演じやすそうだし、このまま行ってみるか。


「学者肌ですわね。良い心がけですわ」

「ありがとうございます」

「貴方は大望をお持ち?」


 体毛じゃなくて大望だよな。どっちにしても藪から棒だ。


「私にはありますわよ。シキ様の右腕になること。この国をもっと良くすること」


 答えを考えていると、なんか語ってきた。

 字への興味を失ったと悟ったのだろう、ツンツン頭の拘束も解かれる。


「シキ様の采配は素晴らしいですけど、地方にまでは手が回っておりませんの」


 知ってる知ってる。その件、ちょうど国政顧問として対応したばかりだ。

 既にどっかの村が選ばれて実験が始まっているはずだが。


 そういえばシキ王と最近会ってないな。会わなくていいけど。


「そのためには貴族や冒険者の協力が不可欠。彼らの意欲をどうやって担保するかが肝だと私は見ておりますの――あら、失礼。難しすぎたかしら」


 地面に書いた字を消しながら、俺は反論したい衝動に駆られた。


 意欲を担保するのは無理だろう。

 地方の村々を平和に運用する、などという退屈を貴族や冒険者が楽しめるとは思えない。権力や腕力に物を言わせて、村を我が物顔で利用し始めるに決まっている。


 だからこそ俺は二つの概念――警察と、警察の警察を提唱したのだ。


「そうですね。よくわかりませんでした。あの、もう行っていいでしょうか」

「ええ。お邪魔して悪かったわね」

「では」


 軽く会釈だけして、俺はその場を去る。


 ちょうど三時限目の終了と重なったらしく、空から鐘の音が。

 見上げると、日付同期者《デイトシンカー》により更新された白い数字は10.18.0――新年から10日目の、18時を示していた。

 この表記は未だに見慣れない。


 そういえば、数字は普通に読み書きできるんだよな。俺が知っているアラビア数字がそのまま使われている。

 前世のインド人と全く同じ発明にありつくとは思えないから、これはクソ天使の趣味だろう。


 そういえば、と言えばもう一つ。


(さっきの二人も、ダンゴの臭いを気にしてなかったな)


 スキャーノや教師陣もそうだが、実力者は臭いを気にしない傾向が見える。だとしたら、あの二人も相当お強いのかもしれない。

 がっつり会話してしまったし、見てましたとか言ってたけど、これ以上絡まれるのは勘弁願いたいところだ。


(ダンゴ、今日は鍛錬せずに帰るぞ)


 疑問と不安が多すぎて、精神がおかしくなりそうだ。まあ嘘だけど。

 幸いにもバグってるから乱れることはない。もし乱れたとしたら僥倖である。無敵バグの突破に繋がるだろうからな。無論、そんなことはない。俺は乱れない。無敵バグは甘くない。


 それでも、今はかったるかった。考察もまだ途中だが、続ける気にもならない。


 川底に帰ってのんびりしたい気分だった。

第96話 刺客

「ジーサ・ツシタ・イーゼ様ですね」


 学園坂を下り、交差点を抜けて貧民エリアに行こうとしたところで声を掛けられた。


「お話がございます。ご同行いただけないでしょうか」


 飲食店を営んでそうな格好の男が、宗教勧誘してそうな笑顔を張り付けている。接近に気付けなかった俺は、既に一足一刀の間合いに入られている。

 ざっと見渡すと、俺への注視を隠しもしない奴が他に三人ほど。


「断ると言ったら?」


 男が動いた。レベル10では反応できない速度だ。


 何をするかと思えば、握手をさせられた。

 ぎりぎりと力が込められてくる。頭に流れ込んでくる数字から察するに、やせ我慢できる程度の痛みか。


「手足をもいででも運ばせていただきます」


 言うことを聞かないとこれ以上が来るぞ、という脅しでもあるのだろう。

 ヤンデもそうだが、弱者を壊さない程度の力加減が上手である。クラスメイトやアーノルド先生に見せてやりたいくらいだ。


「……わかりました」


 路地裏に誘導されつつ、俺は確信する。


 絶妙な力加減から考えて、コイツらは俺がレベル10であることを知っている。思い当たる点と言えば、アーサーしかない。

 ミライア先生も警告してくれたが、まさか本当に殺しに来るとはなぁ……。


 夕陽が及ばず喧騒も届かない、薄暗くて物静かな通路を歩いていく。


 やがて広場についた。

 何もない石畳の空間だが、デパートを一棟建てられそうな程度には広い。路地エリアにもこんなスペースがあったんだな。


 ちょうど中央まで横切ったところで、


「ぐぁっ!?」


 肘に威力過多な斬撃が走り、俺は思わず悲鳴を口に出した。


「おや。レベル10だとうかがっておりましたが」

「……」


 レベル10、いや20や30でも切断されるほどの威力だった。

 さすがにこの類の被弾は誤魔化せない。前々から懸念していた弱点がついに暴かれたか。


 振り返ると、男は鉈《なた》のような刃物を握っていた。


「防音障壁《サウンドバリア》を張っています。大声は無駄ですよ」

「何が目的です? 殺したいだけなら、既に殺してるでしょ」


 素早い人影が飛んでくる。さっき目についた三人だ。

 広場の真ん中で、四方を取り囲まれる構図となっていた。


「王都の保安体制《セキュリティ》は厄介でしてね。目撃されることも、死体を残すことも避けたいのですよ」


 たしかにこの辺なら巡回以外は誰も来ないし、死体を処理する猶予もあるだろう。

 俺はのこのこ死地に赴いたわけか。でもなぁ、手足を《《もぐ》》と脅されたら仕方なくね。


「アーサーの差し金だよな?」

「これはこれはよくご存じで。おぼっちゃまは貴方の臭いに相当文句を言っておりましたよ?」


 ひょうきん者とでも言えばいいのか。ひょうひょうとしていて、まるで緊張感がない。だが、俺の腕を切断しに来たのは事実だ。

 このギャップが、かえって恐怖を引き立てるのかもしれない。


「主君の動静をペラペラ喋るんだな」

「普段は喋りませんよ。これは言わば楔《くさび》です。知りすぎた貴方を逃すわけにはいかなくなります」


 それは俺というより、俺を囲む者達に聞かせているようだった。


「我らは死に物狂いで貴方を殺すしかないのです」


 そういうことか。


 万が一俺に逃げられて、秘密を漏らされでもしたら、コイツらは処分されてしまう。

 そうなりたくなければ、俺を殺すしかない。


 想定外の事態を前に、自ら背水の陣に追い込んだってわけか。


「喋らずに解散する手もあったのでは?」

「それでは楽しくありません」

「は?」

「この方がぞくぞくするでしょう? 最近、殺すだけでは物足りなくなってきましてねぇ。自分を追い詰めた方が何かと楽しい――いえ、気持ちいいのですよ」


 快楽殺人でもしてそうな物言いである。なんかよだれも垂らしてるしな。

 コイツだけだと思ったら、他の三人も同類らしかった。一人、女もいるな。美人ではないが、清楚な町娘といった雰囲気。これが殺人鬼なんだから、見た目は信用できないものだ。


(ダンゴ。死なないように避難しててくれ)


 ともあれ、コイツらに逃げる気がないのなら、話は早い。

 皆殺しにすればいいだけだ。


 その際、懸念となるのがレベル40相当の強さしか持たないダンゴである。

 コイツらはもっと強いだろう。攻撃を食らえば、ダンゴは損傷する。損傷が過ぎれば死んでしまう。


 そこで俺が前々から考えていたのが『避難』だった。


 ダンゴは全身の大半を損傷しない限り、死ぬことはない。一方で、バグってて壊れることのない俺の体内は、比較的安全である。

 なら、身体の一部を俺の体内に避難させておけばいい。そうすれば、たとえ外に晒している部分がすべて損傷したとしても致死には至らない。


 無論、だからといって、ジーサの容姿を形作る部分まで体内に入ってしまっては論外である。

 俺の素顔――シニ・タイヨウは、第一級の指名手配犯。超がつく有名人だ。絶対に何人にも晒せない。


 幸いにも、ダンゴはジーサの容姿を維持したまま避難できる。


(避難完了に約二秒。もうちょっと早くしたいところだな。また練習しような)


 今はさほど焦るシチュエーションではないが、今後もそうとは限らないしな。


 さて、避難が終了したところで、始めようか。


 目下、心配すべきは、俺のレベルが偽装であると知るコイツらを取り逃がすことだったが、自ら背水の陣を強いてくれたんだ。杞憂だと思いたい。


 俺が早速動こうとする前に、側方、右側の男が動いた。

 秒間に十回は地面を蹴るほどのダッシュ。風よりも速く、地面をへこました足跡が近づいてくる。

 惚れ惚れするような手つきの抜刀を経て、刃が水平に放たれようとしていた。

 太ももの付け根から切断したいらしい。


 よく見える。反応も容易い。

 足で蹴り上げることもできるし、いったん振り上げてから踏みつけることもできそうだ。

 手で掴んでもいいし、その場から動いて回避してもいい。

 何なら食らっても平気である。バグってて無敵なのはもちろん、バグってなかったとしても、今のレベルならへっちゃらだろう。


 俺は相手の一閃を無視し、一歩前進するとともに、やや強引に、首筋目がけて手刀を叩き込む。

 すぱっと豆腐みたいに切れた。

 脳からの制御を失った刃が俺の太ももに届くが、ダメージにもならない。


 間もなく、切断した断面から血しぶきが発生。汚れるのは嫌なので距離を取る。


「これは想像以上ッ!」


 胡散臭い笑みを消した男が、他の二人とともに距離を取る。「【暗闇部屋《ダークルーム》】」その早口な詠唱とともに、辺りが真っ暗になった。

第97話 刺客2

「【暗闇部屋《ダークルーム》】」


 刺客の一人が何やら詠唱すると、辺りが真っ暗になった。

 手元さえ見えない、正真正銘の暗闇だ。


(ダンゴの夜目は……避難中か)


 俺の眼もまたダンゴに覆われており、言わばダンゴの高性能な眼がレンズとなって装備されていた形だったが、この部分は避難させたようである。まあデリケートだしな。


 俺は記憶をたぐり寄せ、そばに落ちていたはずの小石を二つ拾う。一つは家屋があったはずの場所に、もう一つは空に投げた。

 前者が壁に当たるまでの時間は想像どおり。

 後者から音が返ってこないのも予想どおり。


 つまり場所を移されたわけではないし、何かで囲まれたわけでもない。

 単に視覚を誤魔化す類の魔法だと推測できる。


 俺が落ち着いたところで、後方から風圧と足音が肉薄した。

 後ろにいた奴が一直線に向かってきて、背中を突き刺そうとしている。見えないが、そうだとわかる。……やはり俺の方がだいぶ格上らしい。

 剣だか槍だか知らないが背中に届かせる前に、俺は音源に手を差し込んだ。感触からして肩を貫いたっぽい。

 間髪入れずに突きを連打する。


 敵の身体は障子みたいに脆かった。

 しかし、たしかな血生臭さと、ねっとりとした臓器の感触がある。

 鍛錬でモンスターは何度も殺しているが、人間はまるで別物だな。なんていうか、触感の解像度が高い。人体は精巧に出来ているのだと感心する。


「遠距離一斉射撃《バスター》!」


 バスターの意味はわからないが、残る二人がさらに距離を取ろうとしているのは想像に難くない。


 地形の隅々と全員の位置は頭に入っている。

 どっちから殺した方が取りこぼしが少ないか。到達まで何ミリ秒くらいかかるか。一人殺して、切り返してもう一人に至るには――

 そういった見積もりを、俺は瞬時に計算できた。


 元々与えられた空間から最適なルートを素早く探す技術は持っている。

 パルクールで嫌というほど必要だったからだ。


(それにしても速すぎる)


 さっきから喋っていたリーダー格の男を断頭しつつ、俺は頭も働かせる。


 速すぎる判断力はレベルアップの影響だろう。

 脳の回転を司る『知力』のようなパラメーターがあるのだろうか。

 それともパルクールで培った能力を引き継いだ俺だからこそできることなのか。


 何となく後者な気がする。


 グレーターデーモンを倒した後、俺の反射神経は桁違いに向上したが、あらゆる思考が高速になったわけではなかった。

 速く回せるのは、身体動作に直接関する思考――というより反応だけだった。


 しかし今の俺はどうだ。

 空間認識や空間記憶といった領域を、|この速さと深さで《反応として》扱えている――


 この全能感には覚えはある。

 ユズとともに戦場に駆り出され、オーブルーに追い詰められた時のこと。俺が大木の中を縦横無尽に移動していると、



 ――凄い。



 そうユズが漏らした。

 あの無表情無愛想が感嘆を漏らすのは珍しい。だからよく覚えている。


(つまりパルクールが)


 思考と並行しつつ、おそらく逃げようとしていた最後の一人を仕留める。

 背中から心臓に拳を一発、のつもりが少しずれたらしい。とりあえず胸まで貫通させると、男には馴染みのない脂肪の感触があった。あの町娘風か。


(パルクールが、俺のアドバンテージになっている)


 己が手で人を殺しても平静な自分を自覚しつつ、きりのいいところまで仮説を出せたことに満足する。


 直後、もげていた頭が絶命したのか、暗闇が急に晴れた。

 といっても既に日は落ちかけている。間もなく血だまりの色さえわからなくなるだろう。


 俺は手元の女体に目をやった。


「……気のせい、か?」


 この女、俺が突き刺す直前の動きが鈍かった。

 大胆に予想すれば、死んでいた気がする……が、たぶん逃げようとしてたし、逃げようとした奴が自殺するとも思えないから、うん、気のせいだろう。


(ダンゴ。まだ誰かいるか?)


 真っ赤に染まった刺客の紅一点から手を抜きつつ、そう尋ねると、後頭部がゴゴッと叩かれた。

 威力がずいぶんと弱いのは、まだ避難しているからだろう。


(じゃあ誰かいたか?)


 今度は|単発の殴打《イエス》だった。


(それは昨日からの尾行者と同じ奴か? それ以外にはいたか?)


 両方とも肯定が返ってくる。

 ……なるほどな。一応訊いてみて正解だった。


(たぶん尾行者は普通に逃げただろう。で、それとは別に、コイツを殺した奴がいる。援護でもしてくれたのだろうか。何のために)


 仮にそうだとすると、俺に気付かれず立ち回れるほどの実力を有していることになる。

 しかし、オーラを消すほどの手練れ――たとえば近衛《ライム》クラスの化け物ではない。

 それでも敵には回したくはないが、もし敵なら既に攻めてきているだろう。

 もういないというなら、敵ではない。たぶん。


 味方だろうか。考えられそうなのはシキ王だが……いや、ないか。

 |俺の存在《シニ・タイヨウ》はトップシークレットのはず。シキ王とはいえ、動かせる人材を確保するのは難しいはずだ。


「そんなことよりも、これを何とかしないとな」


 俺は両手を広げてみせ、直後、誰かに見せるわけでもないなと思い苦笑する。


 返り血を浴びまくっている。これで表を歩くわけにはいかない。

 いや、冒険者エリアでは瀕死の冒険者が運ばれることもあるし、案外大丈夫か、などと俺が思案していると、ぶるぶると全身が激しく震えだした。

 ダンゴである。なんだかんだ理解のある相棒にしては珍しく、極度の興奮を隠そうともしない。あえて見せつけているかのような。


(ああ、そうだった。ご褒美だったな)


 女の死体に手を掛け、下半身から脱がす。


(一分だけだぞ。騎兵隊が来る前にさっさとやってしまおう)


 下着はボーイズレングス――と言えばいいのか、脚の付け根がちょうど隠れるタイプのもので、デザインはやはり簡素だった。

 ルナもそうだったが、ジャースの下着は色気がなくてつまらない。これではパンチラしてもちっとも興奮できないだろう。下着に興奮するためには、相応のデザインが必要なのかもしれない。


 そんなしょうもないことを考えつつ、パンツも脱がすと、手が茂みの感触を捉えた。


(ダンゴ。どこから吸いたいか選ばせてやる。まず選択肢を言い切るから、当てはまるものがあったら肯定してくれ。頭、目、鼻、口、首筋、腋《わき》――)


 体液を吸えると思しき部位を伝えながら、上半身も脱がせていった。

 中々大きな果実をお持ちのようだった。ジャースの女性って胸も大きいんだよな。たぶんモンスターの肉が主食だからだろう。貧民エリアはそうでもなかった気がするが。


(――っと。そう来るか)


 ダンゴのリクエストは女性器だった。


「……」


 何気に初である。風俗は前世で何度も遊んだが、潔癖だった俺は下の口を味わったことがない。

 本音を言えば今もやりたくないが、相棒が所望しておられるのだから仕方ないか。


 胸の風穴から血の海を形成した女体の、その下の口を、俺は渋々貪った。

第98話 刺客3

 暗闇部屋《ダークルーム》が解除された後の惨状を見て、ルナは思わず両手で口を塞ぐ。


 四対一で、全員が格上のはずなのに、まるで相手になっていない。

 暗闇で何が起きたのかはわからないが、最初の一人を倒す場面は目撃できている。


「……」


 身体能力、反射神経、繰り出す手足の重さ――全てがレベル10を超越していた。

 レベル100といっても信じられるほどに。


 気のせいではなく、小細工でもない。

 これがジーサ・ツシタ・イーゼの実力なのだ。


(こちらの二人も気になります……)


 隠密《ステルス》を発揮してはいるものの、長く尖った耳を持つ者――森人《エルフ》と思しき者が二人ほどいる。

 逃げようとしていた最後の刺客に針らしきものを刺していた。こちらも同様、ルナでは背伸びしても追いつけないほどの速度だった。


 ジーサ・ツシタ・イーゼに、正体不明のエルフが二人。

 もし気付かれでもしたらルナの命も危ういが、その心配はない。


 ルナはレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』を持つ。

 あらゆる生物には常時発されているオーラ――彼女の師匠たる魔王はこれを『生素《せいそ》』と呼んでいる――が存在すると考えられているが、圧反射はこれを感知する。

 性能もレアスキルにふさわしく、まず五感を使うのが馬鹿馬鹿しくなるほど高精度かつ高感度である。加えて、直接的な感知手段がないとされる隠密さえも意味を成さない。


「そんなことよりも、これを何とかしないとな」


 ジーサが何やら両手を広げてみせる。これとは返り血のことだろう。

 一瞬、仲間に話しかけたのかとルナは思ったが、師匠お墨付きの圧反射に例外は無い。彼の周囲には彼しかいない。とすると、ただの独り言だろう。


(ジーサさん、何を――えっ)


 ルナもまた隠密を発動しているため、三人に気付かれることはなかった。

 元々隠密は使えなかったが、近衛五号《ライム》とゴルゴキスタにしごかれたおかげで短期習得できている。まだ消耗が激しく集中も要するため、普段の尾行では使えなかったが、今日ばかりは良い判断だったと言える。


 とはいえ、隠密も完璧ではない。

 隠密が消せるのは姿、臭いやオーラなど直接的な存在感だけであり、足音や風圧など間接的に生じるものは消せない。

 別の魔法なり静音行動なりで消す必要があり、ルナもそうしているのだが、


(え、もしかして、死体を……?)


 クラスメイトの行動を前に、当惑と嫌悪が膨れあがる。

 油断すると声が漏れそうだった。


 あろうことか、ジーサは女性の死体を脱がし始めたのである。手つきにも淀みがない。

 程なくして脱がし終えたジーサは、視線をある一点に注ぐ。


(ジーサさん、まさか、それは)


 第一王女とはいえ、ルナは長らく冒険者として生きてきた。

 男の欲望も、そういう歪んだ性癖も想像できる。


(あ、え……顔?)


 ジャースの性的知識には大きな格差がある。

 一般的に性器は汚いものとみなされており、いわゆる本番行為以外は行われない。上の口で下を弄ぶといったバリエーションは知られていないし、知ったところでやろうともしない。


 しかし一方で、娼館ではそのような行為が広く開発されており、客の常識をじっくりと溶かしていく。

 また、一部の乱暴な冒険者や貴族も、興味の果てや偶然によって知ることがある。


(性的発散ではない? 何かのスキルでしょうか……)


 ルナは一般人の側だった。

 下手な冒険者よりも戦闘狂だからか、特殊なスキルでもあるのかと疑う。


 ジーサは一分ほどで死体の股から顔を離した。

 夕闇でもわかる不細工な横顔が、ちろりと唇を舐める。


 彼は立ち上がると、何の名残も未練も残さず走り去っていった。


(……わからない)


 冷静に考えれば、死体の股間に顔を突っ込む必要のあるスキル、なんてものがあるとは思えない。

 なら、なぜそんなことをしたのかという話になるが、女の直感に従えば、歪んだ性癖だろう。しかし、性的な執着があるようには見えない。

 あるなら既に男のそれを挿《い》れているはずだし、そうでなくても膨張しているはず。ジーサのそれは全く膨らんでいなかった。


(そもそもどうしてこの人達に狙われているのでしょうか)


 暗闇部屋《ダークルーム》は指定空間内の視覚を遮断するスキルであり、一部の貴族が飼っている暗殺者の家系で伝承されていると習ったことがある。

 よほどのことがない限り、縁などないはずだ。


(いえ、そんなことよりも――)


 なぜジーサ・ツシタ・イーゼはレベル10だと《《偽っている》》のか。

 また偽れているのか。


 王立学園入学時にはステータスを提出する必要がある。ステータスの可視化はギルドの専売特許であり、個人にねつ造できるとは思えない。

 それに学園を――優秀な教員達と、何より父親を誤魔化せるとも思えなかった。


 仮にくぐり抜けたとしても、二時限目には実技が待っている。

 第二級は確実であろう、あれほどの実力者に、レベル10の演技などできるはずがない。


(でもジーサさんは実技で傷つき、先生の回復魔法で治癒されていた)


 ジーサは実技でいじめられがちだが、クラスメイト達が放つ攻撃はレベル16以下――第五級の範疇を出ないものだった。

 レベル10にはいささか辛いが、第二級の防御力なら傷一つつかないはずだし、まして出血するはずもない。


 どうにもきな臭い、と考えて、ルナは頭《かぶり》を振る。


(いいえ、おそらくは――慈悲枠《ジャンク》)


 貴族枠《ジュエル》でも一般枠《ジェム》でもない、第三の入学枠『慈悲枠《ジャンク》』。

 昔から存在していた枠で、対象者は試験や入学金、果ては授業料まで完全免除されるという。いつ誰を選ぶかは国王のみぞ知るところである。


(お父様……)


 国王の慈悲により救済された、幸運な生徒。

 しかしその実、底辺として差別され続ける――

 そんな慈悲枠の実態が、本質を隠すためのギミックであることは想像に難くない。


 王宮の主要施設が華やかで広大な地上ではなく地下に集中していること。

 第一級相当で実力も現国王超えの筆頭執事が、ステータス上は第二級であること。

 計略や国政を得意としながらも、上裸のパワフルな冒険者というキャラクターを押し出していること――


 父親が息を吐くように表面を取り繕い、偽装する人間であることはよくわかっている。

 しかし、まだまだわからないことの方が多い。


 ジーサ・ツシタ・イーゼをさらに追求するか。

 父親に追及してみるか。

 それとも、見なかったことにするべきか。


 冒険者として磨かれた直感が警笛を鳴らす。

 一方で、王女として養われつつある好奇が、突き詰めよと背中を押す。


 ルナの脳内では大規模な会議が開催されていた。

 それは完全に日が暮れるまで続いた。

第99話 刺客4

 王都東部冒険者エリア、商店街通りの、とある酒場にて。


 屋外に八ほど設置された樽テーブルは全て埋まっていた。

 その一つを彼女達は挟んでいる。


「援護の必要は無さそうでしたね」

「そうでもありませんよ」


 店頭に吊された発光石が、二人の容姿を微かに照らす。

 髪の鮮やかな緑色は見えずとも、長く尖った耳はよく目立った。容姿も森人《エルフ》に違わず、場違いに整っていることが見て取れる。


 入店してから既に二十分が経過しており、テーブル上の食器とグラスは空になっていた。

 その間、注文をうかがった店員を除き、話しかけた者はいない。


 彼女達は厳かな直立と表情を崩さないまま黙々と食し、防音障壁《サウンドバリア》も張っている。傍から見ると、一切の音が聞こえてこないのである。

 そんな気難しそうな実力者にあえて絡む愚か者など、いるはずもなかった。


「最後の彼女は、光線狼煙《ビーム・シグナル》を放とうとしていました。あなたが仕留めなければ、彼が背中を貫く前に放っていたでしょう」


 光線狼煙とは、聖魔法による直線的な光を空高く打ち上げるものである。


「五秒――でしたよね。親衛隊が駆けつけてくる時間」

「そうです。彼女は最後の力を振り絞り、彼を道連れにしようとしたのでしょう。彼は王女様の、おそらく唯一のご学友でしょうから、大切にするべきです」

「もう一人の方はどうしましょうか」

「放置で構いません」


 双方とも姿勢を崩すことなく終始真顔でいるため、声は聞こえずとも異様に映っていた。

 しかし慣れは早いもので、店員も客も、もはや二人を気にしていない。


「彼との関係性が気になりますね」

「彼を慕うクラスメイト、といったところでしょう。王女様がお慕いになるほどですから、魅力的なお方なのでしょうね」

「他人事ですね」


 直後、他人事と言われた方から凄まじい殺気《オーラ》が表出する。びくっと肩を震わせたのは一人や二人ではない。ゴトッと食器の落ちる音も。


「私は男が嫌いです。あんなはしたない真似は見るに堪えません。死ねばいいのに」

「落ち着いてください。ここはエルフ領ではありませんよ」


 我々のオーラを無視できない人間も多数いるのだ、と警告する。


「王女様のご友人でなければ、あの場で殺してます。今夜は飲みたい気分です」

「絶対にやめてください」




      ◆  ◆  ◆




 同日深夜。


 散乱した研究部屋で紙を見比べていたアーサーの耳に、鐘の音が響いた。

 日時同期者《デイトシンカー》によるものである。アーサーが住む屋敷では、朝一時から五時を除いて一時間おきに鳴らしている。


「0時……快殺部隊《プレイヤーズ》が全滅したか」


 アーサーはがばっと頭を抱えた。


 ジーサ暗殺の決行日が昨日、第一週十日目《イチ・ゴ》であった。

 当日中の帰還にせよ、万一撤退できない場合の道連れにせよ、迅速な報告手段は整えてある。どちらも音沙汰がないとなれば、全員拘束されたか、あるいは既に殺されたとしか考えられない。


「あの不細工悪臭貧民がっ!」


 アーサーの拳を受けた机がVの字に割れ、紙と書物が滑り落ちていく。

 賢者《ナレッジャー》を志す彼に戦闘力を高める気はないし、骸骨の如く痩せた見た目に違わず筋肉もなければ武術の心得もない。

 しかしそれでもレベルは8。|普通の人間《レベル1》の水準とはだいぶ離れている。


「レベル10で勝てるはずがない。スキャーノか? あのエルフもどきか? 卑怯な真似をっ!」


 暗殺部隊に頼っている自分は棚上げである。明らかに平静を失っている。

仮に召し使いや執事が声を掛けようものなら、とばっちりを受けてしまうだろう。

 もっとも、誰もがわかっていることであった。たとえ研究部屋から荒ぶる声が漏れていようと、近づく者はいない。

 ただ一人の例外を除いて。


 部屋の扉が音を立てて開き、


「忠告はしたはずですよ。アーサー君」

「……父上」


 彼の父ランドウルス・フランクリンは紙の束を抱えていた。耳には水ペン――学園の昇格試験でも使われたペンが乗っている。


「ジーサ・ツシタ・イーゼはこちらで引き取ります」

「父上が!? 一体何を……」

「デミトト将軍にお任せすることになりました」

「将軍に、ですか」


 将軍とは、ダグリン共和国における職業《ジョブ》である。階級が存在しない当国において、皇帝ブーガに次ぐ裁量と資源を与えられている。


 ダグリンは良くも悪くも社会主義だ。

 力を持たぬ弱者からは絶大的な支持を得ている一方、力を持つ者からは不服を抱かれている。

 ブーガによる厳格な体制と制裁のもと、表立って反抗する者こそいないが、将軍も含めて不穏因子は多い。


 デミトトもその一人だった。

 国盗りなど野心こそないものの、私利私欲のために裏で相当暴れている。事実、フランクリン家とも決して浅くない繋がりがあり、これまでも少なくない悪事に加担し、また加担してもらっていた。


「君には早く賢者になってもらいたい。貧民ごときに怒りを抱くのは時間の無駄です」

「しかし父上……」


 父に従順なアーサーも、これには反発したくなった。


 ランドウルスは自分の知識水準についてこれる仲間を欲しており、その期待は息子たるアーサーにも向けられている。父親としての愛情などない。

 そんなことはわかっていたが、ジーサは自分の発散対象である。

 悪臭で教室の居心地に水を差され、フランクリンの名で屈させることもできず、暗殺も失敗に終わっている――

 プライドの高いアーサーは、この手で殺さねば気が済まなかった。


「既にデミトト将軍には共有済です。嫌なら君が交渉しなさい」

「父上……」


 デミトトは言わば裏社会の大物。自国はもちろん、他国や他種族とも繋がる傑物でもある。

 それは《《アルフレッド王国の転覆を目論む》》ランドウルスと組む胆力からも明らかだ。


 たかが貴族の子供にすぎないアーサーに、対面する度胸などあるはずもなかった。


「……わかりました」

「対象について情報を集めます。付き合いなさい」


 それからアーサーは十数分ほど、父親からの質疑に応えた。


 一通り終えた後、ランドウルスは一言の雑談もなく帰っていく。

 ばたんと扉が閉まり、部屋に薄暗さが再来した。


「……」


 自らの手で殺せないのは不服だったが、考え方を変えれば、自分以上に確実に始末できるとも言える。

 そう考えると、アーサーは愉快な気分になった。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。貴様は終わりだ」

4章

第100話 赴任

 第二週一日目《ニ・イチ》の9時50分。

 Fクラスの全面透明な校舎を見ると、先客が二名ほど。講堂のように広い教室の中央に、ぽつんと並んで座っている。


 ここからでも目立つライトグリーンの髪――ヤンデは相変わらず態度が悪く、脚を組みながらも、頬を机にべったりつけていた。

 その隣には小柄な美少年スキャーノ。何やら口を動かしている。笑顔が出ていて楽しそうだ。

 いつの間に仲良くなったのやら。


 そしてその様子は、軽く百を超える数の眼によって見下ろされていた。周囲を囲む別校舎の廊下には、間もなく授業だというのに生徒がうようよと。

 一番手前、Eクラス校舎の廊下には元クラスメイトがちらほら。

 ルナとガーナもいた。ルナと目が合ったが、すぐに逸らされた。


(アーサーはいないな)


 暗殺に失敗したとすれば、様子を見に来てもおかしくなさそうだが。


 視線を上げていくと、Aクラス校舎の廊下にも見覚えの人物が。

 離れていてもよくわかる金髪縦ロールことハナ・シャーロットと、その隣にはツンツン頭の護衛。

 二人の視線は、最初から俺を捉えているようだった。


 いや、アイツらだけじゃない。

 校舎に注がれていた視線の半分以上が、入ってきた俺に向けられている。


 ……予想以上に目立ってやがるな。


(ダンゴ。昨日も話したが、スキャーノにも警戒してくれ)


 それもこれもスキャーノのせいだろう。

 レベル88の首席が昇格試験に落ちるはずもない。それは首席が故意にそうするほどの何かがFクラスに――もっと言うと、字を読めず残留するしかない俺にあることを示唆する。


 玄関から校舎に入り、階段を上り、廊下を歩いて教室へ。


「ジーサ君、おはよう」

「ハロー」


 あえて英語で返してみたが、普通に通じるようだ。

 やはりリスニングとスピーキングについては自動翻訳が効いている。前世の他の言語でも通じるってことだろう。


 相変わらず疲れた顔を浮かべたヤンデが何か言いたそうにしているが、無視して、俺は二人の対面に座る。

 席は最も内側なら自由である。だったら当然離れるに決まってる。


「どこに座っているのよ。こっちに来なさい」


 ヤンデがわざわざ土魔法で下向き矢印の物体をつくり、隣の机をコンコンと叩く。


「なんでだよ」

「ぼくの隣でもいいよ」

「どっちも嫌だから」

「そう。では、こうしましょう。私とスキャーノの間に座る」


 言いながら、ヤンデが一つ隣の席にずれる。自分の身体を動かすのではなく、浮かせることで移動するヤンデ。前から思ってたけど、運動神経悪そうだよなコイツ。


「スキャーノ。ジーサを座らせなさい」

「うん」

「いや、うんじゃなくて」


 急に体が言うことを効かなくなった。

 風魔法だろう。以前、近衛《ライム》にやられたのと同様、強力な風、というか大気の制御で俺を操っている。

 パワーで言えば、レベル15くらいか。レベル10であるはずの俺では抗えない。

 おとなしく従うしかなかった。


 すとんと二人の間に腰を下ろさせられる俺。

 さすがに魔法で操られるのは予想外だ。これを許すと不自由極まりない。あとで先生に相談してやる。


「二人とも、いつの間に仲良くなったんだ?」

「今朝仲良くなったばかりなんだ」


 左席のスキャーノが嬉しそうに破顔するのを見て、俺は早速反撃を試みる。


「なあスキャーノ。コイツのこと臭くねえの?」

「ダメだよジーサ君。女の子にそんなこと言ったら」

「事実だろ。なあ?」


 指で右席をぞんざいに示すジェスチャーもつけてみたが、ヤンデは怒るというよりも呆れた様子だった。


「見なさいスキャーノ。これが彼のやり方よ。わざと悪口を言って孤立しようとする」

「うん、ぼくも何となくわかってきた」

「……」

「図星みたいね」

「前も言ったと思うけど、ぼく、ジーサ君から離れるつもりはないからね」

「お前ら……」


 ヤンデの言うとおりだ。

 とっさに言い返せないほど図星だし、むしろこれで孤立できるとたかをくくっていたまである。


 そうだな。いいかげん認めよう。

 コイツらには、もはやこういうやり方は通じない。


「これは真面目な話なんだが、二人ともなぜそこまで俺を気にする?」


 正直なところ、こんなにも気に入られている理由がわからない。

 ただの興味や好奇と言われればそれまでだが、どうにも執着、というか、俺の自惚れでなければ――好意を感じる。少なくともヤンデはそうだろう。


「恋愛の話はそこまでにしてね」


 突如、中央の教壇からそんな声が。

 ゲートで来たのだと理解しつつも、俺はレベル10の雑魚だから「うぉっ」驚くふりをしておく。

 そんな俺の隣で、ヤンデは「ピンク童顔」などと呟いていた。


「ヤンデさん。その呼び方はちょっと傷付いちゃうかな」

「あ、アウラ、さん……?」

「スキャーノちゃん、そんなに怯えなくてもいいと思うなー」

「そ、その、ちゃん呼びは、やめてほしいようで……」


 二人の言うとおり、第一級冒険者の攻撃魔法師《アタックウィザード》アウラがなぜか立っていた。


「あなた、これと知り合いなの?」

「知り合いというか、初日の職業説明の時にね、振動交流《バイブケーション》でちょっと話したんだ」

「私達の会話を盗み聞きしながら? レベル88は器用ね」


 俺を挟んで会話する二人。

 解釈すると、ヤンデがたまに仕掛けてくる指向性の会話――あれをバイブケーションと呼ぶのだろう。


 振動交流、ねぇ……。

 俺が聞いたのは『バイブケーション』だったが、ほぼ同時に『振動交流』という漢字が頭に浮かんできたのである。


 良い機会だから、考察しておこう。


 これもリスニングの自動翻訳によるものだろう。

 娼者《プロスター》の時もそうだった。ガーナの自己紹介を聞いた時は『プロスター』だけだったが、その後、娼館で働く娼婦だとわかった途端に『娼者』という漢字が浮かんだのだ。

 そんな経験は過去、何度もあった。


 自動翻訳は、おそらく俺の知識水準や思考傾向にも配慮してくれる。

 漢字とルビの組になることや、読み方として英単語が多いのは、俺がラノベを読んでいたり英語しか知らなかったりすることに起因する――そう考えればしっくり来る。

 いや、単にクソ天使の趣向かもしれないが。


 いずれにせよ、自動翻訳――少なくともリスニングのそれには、二種類の契機《トリガー》があると見て間違いない。


 一つは、単純にジャース語の発音が俺の耳に入ってきた場合。

 そしてもう一つは、その発音が示す概念を、俺がある程度理解した場合。


 重要なのは二つ目だ。

 これは自動翻訳という機能が《《俺の脳内に直接干渉している》》ことを意味する。


 飛躍かもしれないが、だったら逆に、俺から干渉することはできないだろうか。

 そうでなくとも、せめて自動翻訳が俺の脳を書き換える動作に、俺自身が気付くことはできないだろうか。


 要するに、このジャースという世界《プログラム》に|ある種の超常的な作用をもたらす機構《デバッグモード》があるとして、そっち側に、こちらからアプローチできるのではないか。

 そうでなくともヒントを、たとえばそっち側の存在を観測できるのではないか――


 ここで思考を中断させられた。

 アウラが俺を凝視していることに気付く。いや、気付かされた。


(……ダンゴ。今、オーラを飛ばされなかったか?)


 後頭部への殴打は一回《イエス》だった。

 目が合うと、にっこりと微笑まれる。童顔だが、どこか艶めかしさもあって、小悪魔という言葉が浮かんだ。


 良い機会なので、俺は一つ仕掛けてみた。


(アウラ先生、もしかしてこれも聞こえてます?)


 口を閉じたまま声帯だけ動かすという、対ダンゴ向けの会話術である。

 以前はわずかに音を出していたが、今は完全なる無音。いわば声帯によるジェスチャーである。

 それでも喉は若干動いてしまうが、ダンゴが喉周りを少し厚くしてくれており隠蔽できている。


 アウラからは何の反応も無かった。

 見つめ合っている格好だ。男子生徒を虜にした相手に対し、レベル10の貧民が平気というのもおかしいだろう。

 今さら感もあるが、一応照れて目を逸らす演技をした。


「――そろそろ時間ですし、始めましょう」


 |上裸の先生《アーノルド》が来る様子はない。

 薄々そんな気はしていたが、彼女がFクラスの担当教員なのだろう。


「あなた、教師だったの?」

「つい先日、ここの教員になったんです」

「なったって……」

「第一級にもなると融通が利くんですよ」

「何を企んでいるのかしらね」


 肘をついて足を組んだままタメ口で話しかけるヤンデも大したものだが、最後の台詞には共感できた。


 第一級冒険者は国から優遇されるほどの立場だと聞く。一国の学校にあえて赴任してくる意味がわからない。

 少なくとも強制ではないだろう。自分の意思だ。

 アウラは自らの意思を持って、ここに来た。


 だとして、わざわざ最底辺のFクラスに来るか?

 来ないよな。この点も含めてアウラの意思に違いない。

 目的は首席のスキャーノか? 振動交流《バイブケーション》を使ってみせるヤンデか? それとも俺……。


 嫌な予感がする。気のせいだと思いたい。

 が、偶然や気晴らしと片付けるには出来過ぎている。


「そうですねー、何を学びたいか聞いちゃおうかな」

「アウラ先生、カリキュラムは……」


 スキャーノが手を挙げながら不服を示す。


「カリキュラムは無視します。目を通してみたけど、面白くなかったから」

「そういう問題では……」

「スキャーノちゃんは真面目ですね」

「普通です。あと、ちゃん呼びはやめてもらえ――」

「ステータスの強化戦略について聞きたいわ」


 ヤンデはヤンデで、アウラの提案にマジらしい。「そうね」とか「いやあれも」などとブツブツ言いながら要望をポンポンと挙げている。


 そんなこんなで鐘が鳴る。

第101話 赴任2

「せっかくだから、グレーターデーモンについて聞かせてほしいわね」


 その一言が決定打となり、授業という名の雑談が始まっていた。


 たぶんアウラ含めて俺が一番詳しいだろうが、正直に話すわけにもいかない。

 黙ったままなのも不自然だし、劣等生のキャラを通すことにする。


「なあ。グレーターデーモンってモンスターだよな。聞いたことないんだが」


 三人の会話が止まる。俺の席はちょうどT字の交差部分みたく囲まれており、居心地が悪い。

 右隣から「情報紙《じょうほうし》も見てないの?」とヤンデの刺すような声。


「どうせ読めないからな」

「読めない?」


 前方の新任教師、ザ・魔法使いという格好をしたアウラが首をちょこんと傾げる。この人、なんかあざとさがあるんだよなぁ。


「彼、字が読めないのよ」

「ここの生徒なのに?」

「慈悲枠《ジャンク》ですから」

「私も慈悲枠だけど。一緒にしないでくれる?」


 俺が自虐してみると、ヤンデがすかさず噛みついてきた。

 仲間じゃねえかとふざけてみても良かったが、字が読めないという境遇は俺が思っている以上に珍しい。


「知らねえよ。国王様に聞いてくれ」


 とりあえず国王に投げておく。


「正直、俺もどうして国王様に見出されたのかがわからん」

「そうね……」


 ヤンデもまた慈悲枠。シキ王によって選ばれ、入学させられた経緯があるはずだ。

 その経緯か、あるいは選ばれるまでの人生か、どちらかは知らないが、どうやら好ましくない思い出らしい。彼女の横顔には、どこか他人事のような、何かを投げ出したかのような色があった。


 やっぱ美人だよなぁと眺めていると、こちらを向いてくる。

 笑顔こそないが、入学初日の刺々しさはない。俺を探っているかのような、あるいは何かを期待しているかのような。

 ……まだ嫌われている方がマシだな。


「そ、それでアウラ先生。グレーターデーモンってどんな風体なんですか?」


 空気が重くなったと解釈したのか、スキャーノが少し慌てて軌道修正をする。


「大きいですよ。体長で言えば五メートルくらい。ミノタウロスよりも一回り大きい」

「ジーサ君。ミノタウロスは知ってる?」


 そういえばメートルという単位も通じるんだよなと思いつつ、首を横に振って否定しておく。


「牛頭の人型モンスターよ。体長は三メートルくらいあるわ。きりがないから、あとで勉強しなさい――それで先生。グレーターデーモンの脅威は何だと考えているの?」


 情報紙には何が書かれているのだろうか。


 アルフレッドの遠征隊が攻めたという話は聞いている。詳しい考察か、その要旨でもまとめているだろうか。

 いや、ユズとその仲間については殺さず押し戻せと命令してあるから、もし遠征隊にユズが含まれていれば、そのモンスターにあるまじき行動に着目して考察を加えているかもしれない。


 いずれにせよ、グレーター達が負けるとは思えないが。


 フルボッコにされたからわかる。あれは人類が敵う相手ではない。事実、あのブーガでさえも早々に戦意をなくしていたからな。

 そんな悪魔達にどうやって立ち向かおうとしているのかちょっと、いやだいぶ興味がある。


「まるで隙がないことかな」


 アウラはそのように評した。

 言い得て妙だな。彼女も散々遊ばれたのだろう。むしろよく無事で帰ってきたものである。


「私だったら――」


 ヤンデは自分だったらこうします的な戦術の話をし始めた。

 マニアックすぎて俺にはついていけなかったが、そのことごとくをアウラは一言二言で否定する。


 しばらくして、ヤンデは「手強いわね」腕を組む。何故か片目をつぶってウインクみたいになっているのは癖なのだろうか。様になっている。

 こういう女はどんな風に喘ぐんだろうな、とゲスなことを考えてしまった。


「観点を変えてみるのはどうかな。先生、災害蛇《ディザスネーク》と比較したら、何が言えますか?」


 続きはスキャーノが引き取ったらしい。

 他のモンスターとの比較から論じてみるってことか。


「スキャーノちゃんは物知りね。二人は知ってる?」


 俺はヤンデと同様、首を横に振ろうとして――ギリギリで留まった。

 コイツの首振りだが、何気にレベル10では視認が追いつかないスピードだった。同調するのは不自然だ。


「ジーサさんは?」

「俺は知らないですけど。ヤンデは知ってんのか?」

「知らないって言ってるでしょ」

「いや言ってねえだろ」

「ああ、レベル10には見えないわね」

「何の話だよ」


 非日常的なスピードを出したという自覚はあるのな。

 ということは、やはり警戒して損はない。


「災害蛇はですね――」


 アウラの補足を聞き流しながら思い出す。

 忘れるはずもない。視界に映る光景を鱗で埋め尽くすほど巨大で、なぜか石化した俺の眼を執拗に舐めてたからなぁ。


「――テレポートを除けば、災害蛇はただのパワータイプです。体も硬くて、ラウルの剣も通りません」

「ラウル?」

「まさかあなた、知らないの?」

「有名なのか?」


 ジーサ・ツシタ・イーゼは無知だから知らないふりをしてみたが、やりすぎただろうか。


「ジャースで二番目に強い剣士《ソードマン》、と言えば間違いはないですよ」

「はぁ、そこは二番なんですね」

「その上に化け物がいますからねー……」


 アウラがなんだか遠い目をする。第一級冒険者をしてそう言わしめる者がいるとは。上には上がいるものだ。


「皇帝ブーガよね?」

「ええ。ラウルの師匠でもあります」


 そういう関係だったのか。アウラの口ぶりから見るに、有名な師弟関係なのだろう。


 ブーガか……。あの人、今何してるんだろうな。

 ユズの機転で運良く逃げられたが、あれは本当に強かったし速かった。

 今はユズもいないし、次に出会ったら確実にゲームオーバーだろう。ジーサの面《つら》があるし、アウラにもバレてないから大丈夫だと信じたいが。


「あなた、さすがにブーガは知っているわよね?」

「ああ。皇帝だろ?」

「舐めてるの?」

「はいはい、二人ともいちゃいちゃしない」


 俺の「してません」という声はスルーされて、アウラは説明を再開する。というかヤンデも否定しろよ。


「グレーターデーモンの防御力ですが、これがまた厄介で、災害蛇を超えてます」

「は? 嘘でしょ……」

「……」


 珍しく唖然とするヤンデ。反対側、左席のスキャーノも言葉を失っていた。

 二人とのギャップがおかしいのか、アウラがくすっと笑う。


「あの、説明してもらえませんか」

「ああ、ごめんなさい」


 アウラがこほんと立て直す。可愛いけど、やっぱりどこかわざとらしいというか目につくな。可愛いけど。


「情報紙にもありましたが、グレーターデーモンは人並の知能と、尽きることのない魔力を持っています。加えて第一級モンスター以上の硬度を誇るわけですから、死角がありません」

「それで死角がないと評される理由がよくわからないんですが」

「たとえるなら一流の賢者《ナレッジャー》、第一級の魔法師《ウィザード》、第一級の剣士《ソードマン》が合体したようなものよ。総合力が人類を超越している」


 わかりやすい説明が割り込んできた。

 ヤンデさん、地味に上手なんだよな。態度はともかく、教師に向いてるかもしれん。


 俺なりに解釈すると。

 要するに、部分じゃなくて全部が第一級クラスってのが厄介ってことか。


「でも遠征隊にも第一級冒険者は多数いるんだろ? 同じようなもんじゃねえか」

「そういう問題じゃないのよ。パーティも所詮は連携でしかない。どうしても会話コストが発生する。一方、グレーターデーモンは全ての能力を自分一人の頭脳で制御できる――機転の速さと深さが段違いってことよ」

「あー、つまり、第一級クラスにもなると、会話コストがボトルネックになるってことか。思考や反応の速さには勝てないもんな」


 『コミュニケーション』が通じないことはわかっているが、『ボトルネック』という言葉も通じるか怪しい。

 が、押し通してしまった。


「ポンコツにしては理解が早いじゃない」

「ポンコツは余計だ」


 今回は通じたみたいだが、いちいち通じるかどうか考えるの面倒くさいよな。

 それもこれもクソ天使が中途半端に前世に似せたせいである。まあ何もかも通じないよりはマシなんだが。


「とりあえずグレーターデーモンが強いってのはわかりました。倒し方とかないんですか?」


 アウラが頬を膨らませて拗ねているので、ボールを戻してやる。

 どこかいやらしい微笑を浮かべていたので嫌な予感がしたが、ヤンデもスキャーノも真剣なのが雰囲気だけでわかる。

 空気は読めるようで、アウラは先生の顔に戻してくれた。


「正直に言えば、万策尽きつつあります」


 誰にもアウラを責めることはできない。

 ヤンデも少し悔しそうに、口を閉ざしている。さっき持論を散々蹴散らされてたもんな。


「ですけど、実は一つだけ心当たりがあるんです」

「……」


 アウラとスキャーノが意味深に目を合わせるのを見て、「興味深いわね」ヤンデも意味深に呟く。


 確かに興味深い。あの悪魔を倒せる手段があるのなら、ぜひ知りたいところだ。

 俺を殺せるヒントに繋がるかもしれないからな。


 いくら魔王の攻撃やデーモン達のリンチでもへっちゃらだったとはいえ、俺はまだあらゆる攻撃パターンを食らったわけではない。案外、ダメージが通る手段があっさり見つかるかもしれない。

 とにかく、知れることは知り、試せることは試すことだ。


 と、そんな呑気なことを考えていたわけだが。


 まだ危機感が薄かったのだろう。

 アウラの一言で、俺は事態の重さを再認識することになる。


「シニ・タイヨウです」

第102話 赴任3

 ――シニ・タイヨウです。



 打倒グレーターデーモンの光明として、アウラの口から俺の名が出た。

 何を考えているのか知らないが、冗談じゃねえぞ。さすがに第一級冒険者から逃げ切れるとは思っていない。


「第二王女を殺害した第一級指名手配犯……」


 ヤンデが記憶を辿るように呟く。

 スキャーノは既に知っていたようで、特に驚いた様子もない。


「解説頼む」

「さっきからイライラさせてくれるわね。無知にも程があるわよ」

「貧民だし普通だろ。むしろヤンデはなんで知ってんだよ」

「情報紙見てないの? ギルドの掲示板見てないの? あ、読めないんだったわね。失礼」


 なんでお前がギルドの掲示板読めてんだよ。出禁食らってんじゃなかったのか。

 コイツのことだから魔法を駆使してこっそり出入りしているのかもしれないが。


「ん? なんだスキャーノ」


 スキャーノが訝しそうに俺を見つめてくる。いや、少しひいているのか。


「王都にいるなら耳に入ってくると思うんだけど……」

「金もないし、頼ってる人もいないからなぁ」

「ジーサ君、普段はどうやって――」

「あなた、生きてて楽しい? 何のために生きてるの?」


 刺々しさを残しながらも、人をおちょくるような色が混ざった、何とも器用な声音だった。

 ナイス割り込みだぞヤンデ。

 生活の話はしたくない。川底で何も飲まず食わず一睡もせず、なんてこと言えるはずもないし、適当に誤魔化したらぼろが出そうで怖い。


 俺は逃げるように、しかし逃げていると悟られないように自然に、ヤンデを向く。

 いつものくたびれた美人顔が待っているかと思えば、俺を探るような双眸が待ち受けていた。


「……前にも言っただろ。死なないために生きてる。それだけだ」

「あっそう」


 前と同じ回答である。

 厳密には一回目と同じ答え。二回目――路地裏を散歩したときは、子供を馬鹿にするな的な話をした。


 というか、この質問、三回目なんだよな。

 俺から何かを引き出そうとしても無駄だぞ。


 そもそも彼女はなぜそんなことを聞きたがるのか。

 死にたいのだろうか。その常に疲労感の漂う顔と関係があるのか? まあどうでもいいし、むしろ死にたいのは俺なんだが。


 苛立ちを表したヤンデに向けて、「いいから解説してくれ」俺はあくまでも鈍感な体《てい》を装う。


「私が話します」


 ようやくアウラが割り込んできた。遅い。「ありがとうございます」一応お礼は言っておく。


 しばしアウラの解説が続いた。


 シニ・タイヨウが危険視される点は二点あるそうだ。

 曰く、近づいただけで魅惑されてしまうチャームと、近衛という絶対的な防御力、この|二重の壁《ダブルガード》を容易く打ち破る火力を持っていること。

 そして指名手配犯として顔が割れていながらも、未だに尻尾さえ掴ませないほど逃走に長けていること――


 からくりは大したものじゃないけどな。

 前者はただチャージしたダメージをリリースしただけだし、後者はダンゴで容姿を丸ごと変えたのと、国王直々に保護してもらってるだけだ。


 どれも与えられたものであり、俺の能力や努力によるものではない。

 そう考えると虚しくなってくるな。


「――彼を味方にできれば、非常に頼もしいです」

「危険じゃないですかね。失礼ですけど、先生でも危ないのでは」

「彼はそんな人じゃないと思うんです。第二王女を殺したのも、単に監禁から逃げ出したかっただけではないかと」


 ナツナの悪質な所業は有名らしく、シニ・タイヨウが監禁されたという見解に異を唱える者はいなかった。

 裏を返せば、ナツナという王女が、誰かを監禁するという行動も含めて有名だったってことか。まあいちいち平伏させてたし、逆らったら即処刑だし、さしずめ王都民の常識といったところなのだろう。


「実際、他の騒動は聞いていません。もし彼に野望の一つでもあるなら、既に大事が起こっているはずですから」


 しかし、あれだな、自分の正体を探られているのを間近で聞くって、なんかこうむずむずする。

 パトカーや警官とすれ違う時のような緊張感に似ている。


「そんな人じゃないと言ったわね。シニ・タイヨウを見たことがあるのかしら」

「会ったことがあります」

「なっ」


 ヤンデが目を見開き、直後、恥ずかしそうに俯いた。その横顔には少しだけ赤みが差している。


「駆け出しの冒険者といった雰囲気でしたが、底知れない何かを感じました」

「ますます怪しいわね、シニ・タイヨウ」


 優しいアウラさんはいじることなくスルーし、ヤンデもわざとらしく呟いてみせることで無かったことにしたようだ。

 俺の脳内SSDにはしっかり保存したから安心してくれ。


「怪しいといっても、そんな化け物、どうしようもなくないか?」


 俺は至極まともなことを言ってみる。

 スキャーノに視線を送ってみたが、そうだねと返ってくる様子はない。何か言いにくそうにしている。


「ヒソヒソ話はやめてもらえる?」

「は?」

「先生とスキャーノ、振動交流《バイブケーション》していたわ」


 いきなり何だと思ったら、「さすがヤンデちゃんね」正解らしい。

 俺には全く聞こえなかったし、そんな素振りも見えなかったが。


「スキャーノちゃん、どうする? 私は悪くないと思うけどなー」

「その、アウラ先生、ちゃん呼びはやめてください……」

「だって可愛いんだもん。私、可愛い男の子は好きだよ」

「からかわないでください」


 先輩後輩のようなやりとりがしばし続いた後、二人は改めて俺達に向き直った。

 全く話が見えないが、秘密の旨を強調されたので、とりあえず面倒くさそうってのは想像できる。


「私は冒険者稼業を休むためにここに来たのですが、もう一つ、シニ・タイヨウを探すという目的もあります」

「ぼくも同じかな。実はガートンの職員なんだ」

「ガートン?」

「あなたは黙ってなさい」


 ジーサの無知っぷりを演技しつつ、これはヤバいと俺の直感と理性がアラームを鳴らしている。


 情報屋ガートンってことは、シニ・タイヨウを芸能人や政治家みたく取り上げるってことだよな、たぶん。

 アウラもアウラで、わざわざ教師になるくらいだから、ただならぬ執着がありそうだし。


 シニ・タイヨウさん、大人気じゃねえか。勘弁してくれ。


「それで、私達に何をしろと?」

「しれっと俺を入れるなよ。俺はやらんぞ」

「まだ何も言ってないけれど?」

「いや明らかにシニ・タイヨウを探すって流れだよな? 国でも捕まえられない化け物なんて敵うはずない。死ぬに決まってる。当然だが俺は死にたくはない」


 どの口が言っているのだろうか。自分に苦笑したくなる。

 さりげなくヤンデの反応を探るつもりでもいたが、死にたがっているかどうかはさっぱりわからなかった。


「って待てよ、この学園にいるってことだよな?」

「私達はそう見ています」

「……」


 俺は絶句するふりをしつつ、内心では舌を巻いた。


 どうやってここまで特定した?

 ナツナを殺した後の、俺の行動範囲は限られている。白夜の森と、人気《ひとけ》のない|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》、あとは戦場体験で王都西部でオーブルーの部隊と戦ったくらいだ。移動もユズによるテレポートだったし、誰にも目撃されてはいない。

 そしてユズやルナと別れた後は、ジーサ・ツシタ・イーゼに生まれ変わった。これ以降はシニ・タイヨウの痕跡自体残らない。


 わざわざ学園に乗り込んでくる――つまりはシニ・タイヨウが学園にいるってところまで絞り込めるヒントなど、残らないはずなんだが。

 何か見落としがあったか?


 ……わからない。わかるはずがない。

 自分のミスには、自分では気付けない。


「情けないわね」

「命の心配は、ひとまず杞憂だと思いますよ」

「……シニ・タイヨウも事を荒立てたくないから、ですよね?」


 ヤンデの小言はスルーして、俺は至極全うなレベル10の貧民を演じ続ける。


「そうです」

「あたりはついてるんですか? 教員とか、生徒とか、それ以外の人物なのか」

「新入生でしょうね」


 答えたのはヤンデだった。


 動揺してはいけない。バグってて平静を保てるとはいえ、変に力んだり裏を読んでしまっては墓穴を掘りかけない。


 俺はジーサ・ツシタ・イーゼ。

 レベル10で、貧民で、無知な慈悲枠《ジャンク》――

 それ以上でもそれ以下でもない。


 この役割を演じることだけ考えろ。


「それはないだろ。一番強いのがスキャーノのレベル88。だがシニ・タイヨウはそれどころじゃないよな? アウラ先生より上なんだろ?」

「そうなの?」

「彼のレベルはまだ判明していませんよ」

「だそうよ」

「格上なんだから超えてるだろ。で、ヤンデはなぜ新入生だと考える?」


 俺のレベルは100もないだろうが、こう言っておけばシニ・タイヨウはハイレベルだと思わせることができる。

 印象操作は大事だ。


「なぜって、一番紛れ込みやすいからに決まってるでしょ。試験に受かりさえすればいいもの」

「紛れ込みやすさは関係ないと思うが。シニ・タイヨウはどう考えても第一級以上のレベルだろう。で、生徒はステータスを誤魔化せない。今年の最高《トップ》は88だ。はい論破」

「お見事ね。お詫びに耳掃除してあげるわね」


 煽り耐性はあまり無いらしく、額をピクピクさせながら俺の耳をえぐってきやがった。お馴染みの風魔法である。「あぐっ!?」レベル10が普通に痛がる威力なので悲鳴をあげておいた。


「うーん、そうなのかなぁ……」

「と、言いますと?」


 何やら納得がいかないアウラ。俺が耳を押さえながら尋ねてみると、


「グレーターデーモンは、どうもステータスを偽装する術を持っているようなんです。同じ術をシニ・タイヨウも使えるとしたら――」

「ないわね」


 ヤンデの断言はよく響いた。

 偽装という話は初耳だが、虚偽申告している俺としては、話をそっちに持っていきたくない。ここはヤンデの勢いに便乗させてもらう。


「いや、ないというよりはどうでもいい、だろ。授業には実技がある。仮にレベルを偽れたとしても、実力までは偽れない」


 たしかに、とスキャーノとアウラの声が重なった。


「いちいちつっかってくるわね」

「わかったからもう耳を抉るのはやめろ。かなり痛いんだからなそれ」

「痛くしているのだから当然じゃない。血は出ないから大丈夫よ」

「大丈夫じゃねえよ……」


 しっかりジーサを演じつつ、俺は内心でほくそ笑む。

 もう一つの印象操作にも成功した。


 先日『段階的な安全装置』という言葉で考察したが、ジャースにおける防御力とは、レベルに応じた耐久性である。アウラを超えるレベルなら、実技程度で身体が傷つくことなどありえない。

 逆を言えば、実技で傷がつく――たとえば出血することができれば、それだけで容疑者から逃れることができる。


 つまりは実技の壁だ。


 実技が存在する限り。

 そして俺がレベル10の防御力を演じる限り、俺が容疑者に挙がることはない。


「ジーサさん、賢いんですね」

「それは貧民のくせに、という意味ですか?」

「うん」

「肯定してきたよこの人……」


 それからもシニ・タイヨウ談義は続き、結局一時限目が丸々消費されたのだった。

第103話 赴任4

 鐘の音が空から降ってくる。王立学園ではお馴染みの、言わばチャイムであった。

 一時限目の次は昼休憩だが、無論コイツらと一緒に過ごす気などない。


 俺は早々に教室を出ようとして、時空の門に通せんぼされる。


「ジーサさん、ご一緒しませんか?」

「あの、普通に怖いんですけど」


 アウラがゲートにて一瞬で距離を詰めてきたのである。

 手を後ろに組み、ちょっと屈んで上目遣い。なんか良い匂い、というかエロい匂いもするし、中学生の俺だったら確実に落ちていただろう。


「どうです? 親睦を深めましょうよ」

「普通に嫌ですけど」

「おかしいなー。第一級冒険者と過ごせるチャンスなのに……」


 俺が半ば強引に歩き出すのも気にせず、アウラもぴったりとついてくる。


 見上げてみると、周囲を囲む校舎の廊下からはたくさんの視線。

 よく見ると、俺じゃなくてアウラに向いているな。当たり前か。第一級冒険者だもんな。

 レベルで言えば最低でも129。首席の|レベル88《スキャーノ》さえも赤子になるという天上人なのだ。


「その、照れくさいんですよ。先生、妙に生々しいというか、襲っちゃいそうです」

「構いませんよ? やわではありません」

「誰も先生の心配はしてません。俺が困るんですよ。先生のことを忘れられなくなって、夜な夜なオ――自慰行為に耽ってしまう」


 俺が嫌悪感与えて離れてもらうぜ作戦を展開していると、後ろから「最低」だの「不潔だよ」だの聞こえてきた。


「見境ないわねあなた……先生も食べる気?」

「えっ? 私も召し上がるつもりなんですか?」


 アウラがさっと胸を隠す。ローブを内から盛り上げているであろう体積までは隠しきれておらず、むしろ強調されている。この人、あざといところがあるし、これも狙ってんじゃねえかな。


「意味不明なこと言ってんじゃねえよヤンデ。あと先生、俺は別に誰も食べてません」

「ジーサ君。そういう不潔なのはいいかげんやめた方が良いと思うよ」


 スキャーノはスキャーノで、あえて嫌われてに行くという俺の悪癖を冷静に指摘してきやがる。

 だよな、もう通じないよな。わかってるんだけど、他の慣れた手段がないからついつい使ってしまう。


「嫌なら俺のことは構わなくていいぞ」


 男のくせにむーとか拗ねてんじゃねえよ。女々しいからちゃん付けされんだよ。

 いや男かどうかも怪しいが。


 個人的にはスキャーノはLGBTQだと思ってる。

 女性の身体をチラ見さえしないというのは、男としてありえない。そういう男がいないとも言い切れないだろうが、前世で何百何千と接してきた俺の観測範囲ではいなかった。

 程度や頻度の差はあれど、男なら見る。あの人は違うとかぬかす女もいるが、観察眼が腐ってるだけだ。器用な男は、女の想像以上にずっと巧みに、狡猾にチラ見する。

 全くしないというのはマジでありえないんだよ。


 いるにしても、例外なくLGBTQだった。

 なぜわかるかって、趣味の一環でストーキングしていたからだ。

 彼らは外面こそ厚いが、家の中では開放的。内装にせよ、自宅での打ち解けた人間関係にせよ、見れば一発でそうだとわかるほどに特徴がある。


 にしても、懐かしいな、ストーキング。

 地味な作業の多さと罪悪感が苦痛だったが、あのスリルと達成感は何事にも代えがたい。


 と、スキャーノの全く盛り上がっていない股間を見ながら、現実逃避気味にそんなことを思い出していたが、当然ながら現実は待ってくれない。


「私は構いませんよ? 何なら見せてもらえませんか? ちょっと手伝いますから」

「先生も冗談はやめてください」


 そうこうしているうちに、しれっと四人グループで南西――食堂側に向かう流れになっている。


 やはりアウラの知名度は凄まじく、気分は芸能人だ。

 第一級だと畏怖されているのか、誰も近づいてこないのがせめてもの幸いだが、どのみち目立ちすぎている。


 冗談じゃない。Fクラスにヤンデとスキャーノが残ってるだけでも厄介なのに、この馴れ馴れしい童貞殺し魔法使いが教師?

 それもシニ・タイヨウを探していると来たもんだ。


 一応、印象操作はしてあるし、ダンゴとの演技をしくじる気もないが、それでも口数を減らすに越したことはない。

 俺はまだまだジャースに来てから浅い。墓穴を掘る可能性は大いにあった。


 なら、俺のやるべきことは、授業以外の機会を極力断つことだろう。


 俺は校舎の方向に――無論レベル10の範囲で――全力疾走した。

 休憩時間は自由時間である。

 衆目もあるから俺を追いかけようともしないだろうし、まして拘束する真似もすまい。そう思ったのだが、「ぐっ」席に着く時にもやられた拘束を食らう俺。


「……おい、スキャーノ」


 出力が前回と同じくらいだからスキャーノだと決めつけたが、その不満気な顔を見れば正解だとわかる。


「ジーサ君。交流は大事だと思う」

「魔法で拘束してんじゃねえよ。イジメだぞこれ」

「え、いや、そんなつもり、じゃ……ぼ、ぼくは、ただジーサ君と仲良くなりたくて……」


 悪気はないのだろう。小動物みたいなスキャーノを見ているとちくりと胸が痛まないこともないが、俺もなりふり構っていられない。


「だから仲良くする気はないと言った。いいかげんにしてくれ。《《アウラさん》》、アンタもだぞ」


 あえて先生呼びをやめることで、俺の嫌悪感を強調させる。

 アウラは第一級だし、美人だし、たぶん演技だが人当たりも良い。さぞちらほらされてきただろう。面と向かって拒絶される感覚は乏しいはず。


 だからこそ効く。「ジーサさん……」現にそう呟くアウラには少しだけ当惑が浮かんでいる。


「馬鹿馬鹿しい」

「……何が?」


 最後の一人、ヤンデが汚物を見るような目を向けてくる。


「あなた、そんな気なんて最初からないでしょう?」

「そんな気って何だよ」


 仲良くする気がない、という気がないってことか? 紛らわしい物言いだな。


「全部よ。あなたはこの童顔のチャームにやられるほど弱くもないし、そもそも好かれたいとか距離を置きたいとかいったことさえ考えてない。他人への興味がまるでないのよ」


 よくわかってるじゃねえか。そりゃそうだろ。

 死にたいだけなんだから。


「ヤンデちゃん、そうなの?」

「ええ。だからしょうもない誘惑はやめた方が良いわね。惨めなだけだから」

「手厳しいねヤンデちゃん」


 ひそひそ声が俺の鼓膜を撫でる。

 ヤンデが振動交流《バイブケーション》を始めたのだ。周囲には生徒が多い。無闇に聞かせないための、ヤンデの配慮だろう。


 そんなヤンデがなぜか俺をジト目で睨む。


「それに困るのよ。《《ジーサ》》は胸の大きい女性を愛する変態だから、あなた《《達》》がうっかり射止めてしまうかもしれない」

「変態じゃねえよ普通だ。あと見境がないみたいな言い方もやめろ」


 俺だって鈍感じゃない。


 ヤンデが初めて俺の名を呼んだ――

 その事実は、意味は、無視できることじゃない。


 もう一つ、何か違和感があった気がしたが、そんなことはどうでも良かった。


 この場を収める糸口をひねりださねば。

 コイツの熱を鎮める立ち回りを考えなくては。


「ヤンデさん、もしかして?」

「もしかしなくてもそうよ」


 俺とヤンデを慌てて何度も見比べてるスキャーノと、「あらま」などと呑気に漏らすアウラを置いて、ヤンデが一歩前に出てくる。

 その改まった動きで、やはりかと悟らざるをえない。


「私はジーサのことが好き――そう言っているのよ」


 一見すると告白というよりも決闘が似合っているような、好戦的な眼差しである。

 だが、気難しい疲労美人の、鋭利な表情にも喜怒哀楽はある。

 そうだと知ってしまうほどに、俺はコイツと過ごしてしまったってことだろう。


 歴戦のぼっちが聞いて呆れる。

 俺は早速悪い気はしないとか、セックスできんじゃねとか、コイツどんな声を出すんだろとか、そういうことを考えてしまっている。


 そうだ。俺は非凡でもなければ特別でもない、ただの凡人。

 今でこそバグってはいるものの、感性も至って凡愚な男のそれだ。


 女の子からの告白一つで、こうもあれこれ考えてしまう自分が情けない。

 人間の身体は明らかに弱いが、精神もそうなのだと自覚する。死にたくなるよな。


 これが前世だったら、たぶん一万文字くらいの日記を書いているところだが、あいにくそんな場合ではない。


「そいつはどうも」

「まるで効いてないわね」


 ヤンデも何らかの効果を期待したわけではなさそうだ。

 その軽快な返しのおかげで、俺の思考も軌道修正できた。


「効くわけねえだろ。自分の臭いを消してから言え」

「そうやって嫌われにいこうとするのよね。もう飽きたわ」

「さっきのって告白だよな? じゃあ返事しないとな。ごめんなさい。俺には好きな人がいるんで」


 一瞬、告白という日本独自の文化を前提にしていいか迷ったが、既に告白っぽい行動をされている。大丈夫だろう。

 これもクソ天使の趣味なんだろうな。


「ふざけないで。好きな人? 誰よ? 交友関係の乏しいあなたにそんな人いるわけないでしょう?」

「私、第一級なのに、チャーム持ちなのに、置いてけぼり……」

「あ、アウラ先生。お気を確かに」

「スキャーノちゃんはどう? 私、そんなに魅力ない?」

「いや、あの、ぼくは……」


 この二人、だいぶ仲良いよな。スキャーノが人と接するのが上手いんだろうか。ルナやガーナともつるんでたし。


「聞いているのジーサ? 私は今、あなたと話しているのだけれど?」

「せっかく遠回しに答えてやったのによ。いいかげん気付けよ。お前なんてこれっぽっちも好きじゃない。気持ち悪いんだよ」

「はいはい。言ってなさい」


 だいぶ酷い言葉遣いをしたつもりだが、まるで効きやしない。

 やりにくいったらありゃしないな。


 ……が、こうなってしまった以上は仕方ない。


「とりあえずメシだ。ヤンデ、二人で食べないか? デイゼブラのところでいいよな」

「いいけど、あなた食事は? ゲートも使えないでしょ?」


 本当は要らないところだが、この王立学園でも一時間の休憩が三回あるように、ジャースでは一日四食以上が当たり前だ。

 何も食べない、というのは想像以上に悪目立ちする可能性が高い。


「お前のをもらう」

「ヤンデ」

「ヤンデさんのをいただきます」

「よろしい」


 上機嫌だなコイツ。そんなノリするキャラじゃねえだろ。


「というわけでスキャーノ。邪魔するんじゃねえぞ」

「ジーサ君……」


 スキャーノが思わずといった様子で手を伸ばすが、それをアウラががしっと掴み、自身の胸へと引き寄せている。柔らかそうだ。ていうか先生何してんの。


 それに引き替え、ヤンデのまな板と来たら「ぐっ!?」眼球に水がかかった。


「変態」

「だから男なら普通だっつってんだろ」


 ヤンデは俺を風魔法でひきずりつつ、ぽんぽんと自分の胸に両手を当てていた。だからそういうキャラじゃねえだろって。


 ともかく、こうなってしまった以上は仕方ない。

 あえてこの状況を利用してやる。


 ヤンデとの親密を演出して他の二人を遠ざければ、俺はヤンデ一人に集中できる。

 元々一番厄介だったのがコイツだったんだ。先に対処できると考えれば、案外これで良かったのかもしれない。

第104話 川底

 午後の実技はレベル毎に再編成され、俺は第四級のクラスに割り当てられた。

 本来なら|第五級のクラス《レベル16未満》があって然るべきだが、王立学園は弱者を想定していない。最低でも第四級からとなる。


 俺はここでも力加減の下手な生徒達にいじめられることとなった。

 無論、ダンゴと連携した演技で難なく捌く。


 その後、三時限目の職練は丸々サボって字の勉強。

 予想以上に強敵の襲来が早く、俺のやる気は挫《くじ》かれつつあった。

 強敵とは、すなわち飽きのことだ。……うん、ぶっちゃけ飽きた。最初は新鮮な勉強体験だったが、暗記は暗記。所詮は作業でしかない。

 決して疲れないのが幸いだろう。俺は機械的に暗記作業を行うマシーンと化していた。


 そうして一日が終わり、尾行に注意しつつ遠回りもして誰もいないことを確認。

 ようやく自宅と化した河原に到着した。


(長い一日だったな、ダンゴ)


 特に午前の密度がエグかった。


 昇格試験後のFクラス。

 俺一人の楽園かと思いきや、故意に手を抜いたと思しきヤンデとスキャーノ。

 担当教員はまさかの第一級冒険者アウラで。

 スキャーノも情報屋大手ガートンの職員で。

 そんな状況なのにシニ・タイヨウの話題になって。

 極めつけはヤンデの告白――


 てっきり遅すぎるラブコメが始まるかと思いきや、「これで少しは周囲も静かになるでしょ」とヤンデ。

 彼女曰く、何かといじられて騒がしい俺の周囲を黙らせるために、あえてこの汚れ役を買って出たのだという。


 実際、二人きりの昼食は雰囲気など微塵も無く、ぼっちが二人いるような静かな時間だったし、帰る前の教室ではアウラやスキャーノからの絡みも少なかった。


(しっかし、尾行を気にする生活はストレスが溜まる)


 既に天灯《スカイライト》――日は落ちつつある。

 落ちるのが19時ジャストで、学園の終わりが18時だから、1時間近くぶらついたことになるか。最短なら15分とかからないし、レベル10のダッシュでコース取りも最短にすれば8分とかからないから、寄り道が過ぎる。


 そもそも本来なら王都西門から|迷宮の大峡谷《ラビリング・キャニオン》に出かけて、夜通し鍛錬しているところななんだがな。


(ダンゴはストレス溜まるか? ストレスってわかるか?)


 後頭部をゴゴッとどつかれる。知らないのか。


(ストレスってのは苛立ちや辛みのことだ。特に身体に反応が出るほどの強烈なヤツな。ほら、イライラしたり辛いなと思ったりしたら、肌が荒れたり胸が苦しくなったりするだろ? しない?)


 この辺りは岩場であり、身の丈を超える大きな岩と、一般人《レベル1》が転べば死ぬであろう鋭利な足場から成っている。

 川は川で水深が深いこともあり、地元の貧民が立ち寄ることはまずない。


 俺はダンゴと雑談しながら、いつものように岩の陰で服――ボロい作業着を脱ぐ。

 それを畳んで置き、下着姿のまま川に入ろうとして。


「川底だったのね」


 その一言が聞こえた後、ヤンデの姿が現れた。


「……ヤンデ」


 頭には白いキャップが乗っている。

 髪も後ろに流してまとめているようで、普段のライトグリーンな長髪は鳴りを潜めていた。


 服はシュミーズ――と言えばいいのか、ワンピースみたいな肌着の上にコルセットを付け、さらにエプロンを着用。「良いところね」とか「ふうん」とか言いながら辺りを物色する彼女の姿に色気はない。

 何気に私服は初めてだが、別段珍しくもない、貧民や平民の女性にありがちな量産型だった。


「隠密《ステルス》。ヤンデも使えるんだな」


 これを観念と呼ぶのだろう。


 何せダンゴも含め、全く気付けなかった。

 コイツに興味を持たれた時点で詰んでいたというわけだ。


 にもかかわらず、不思議と気分は悪くない。


 嬉しいのだろう。自分の事を共有できるという事実が。

 無論、ぼっちで在ろうとする俺にそんなことは許されない。許されないが、今は理由がある。

 俺達はヤンデから逃げられない。だから、共有することになっても仕方がない――

 そう正当化できてしまう。


 やっぱりそうだよな。俺はぼっちで在りたがるくせに、感性は平凡そのものなのである。

 要領も悪ければ経験も乏しいし、その上、意固地でひねくれているから、今さら素直に従うこともできやしない。


 この矛盾が、現実が、俺をずたぼろにする。


 死ねば逃げられるのに、バグってる俺にはそれさえも叶わない。

 ただただ冷静に自らの心情を、その正当化の過程を観察している。


「……っておい。何してんだよ」


 ヤンデはなぜか脱衣し始めた。エプロンやコルセットを丁寧に畳んで、俺の作業着の隣にわざわざ置く。


「この下があなたのお家よね? 服を濡らすわけにはいかないじゃない」

「裸で入るのか?」

「ええ。そういうレアアイテムは持ってないもの」

「……」


 この下着のポテンシャルまで見抜かれている。


 薄々そんな気はしていたが、やはりただ者ではなさそうだ。少なくともただのレベル62ではない。

 慈悲枠だから、シキ王が目を付けるほどの何かがあるんだろうが。


 俺の不躾な視線も気にせず、ヤンデは脱衣を続けて――その裸体を晒した。


「綺麗だな」


 思わず呟いてしまった。


 ルナのように起伏に富んだプロポーションではないから色気はない。

 ナツナのような高貴さや気品――いわゆる芸術っぽさも薄い。


 ただただ綺麗というか、ノイズが無いというか、スーパー銭湯でたまに見る幼女の穢れなき裸体というか。


「は、早く案内しなさい」

「へいへい」


 ぷいっとそっぽを向くヤンデは最後にキャップを外し、ふぁさっと長い髪を解放させた。

 平気そうにしているが、少しは羞恥心があるみたいだな。あるいは相手が俺だからこその照れか。なんかむず痒いな。

 それにしても、女性の髪をいじる仕草には妙な色気がある。その吸引力に抵抗して、俺は川に入った。


(ダンゴ。俺が良いというまで避難してろ)


 ダンゴへの避難指示を忘れず行いつつ、普段通りレベル10を超越した遊泳力で暗き川を突っ切る。川底に到着。

 見上げていると、間もなくヤンデもやってきた。

 微かに発光している彼女には、泳ぎのおの字もない。すーっと動いている。遊泳というよりは飛行のイメージなのだろう。


「やっぱり暗いわね――【ライトボール】」


 水中で普通に会話しつつ、淡い光球をいくつか設置してみせるヤンデ。

 川底が照らされ、肢体が際立った。


「魔法って便利なんだな」

「これくらい普通よ」


 俺のブクブク声も普通に通じるみたいだ。普通とは。


「それで用件は?」

「あなたと一緒に暮らすわ」

「なんでだよ」

「好きだからよ」

「だからそれもなんでだよ。俺、なんかしたか?」


 鈍感主人公みたいな物言いだが、マジで心当たりがない。「意外と気持ちいいわね」ヤンデはうつ伏せに寝そべり、手を組んで顎を乗せる。

 足は子供みたいにばたばたさせている。水中なのに地上にいるかのような滑らかさだ。

 その分、パワーはかかっているようで、砂煙が舞っている。


「私の体質を無視できる、おそらく唯一の男性。そんな人と一緒に過ごしてきた――好きにならない方がおかしいでしょう?」

「俺の容姿を見てから言えよ」

「人は見た目じゃないわ。あなたは違うかもしれないけれど」


 せっかく醜い容姿をつくりあげたわけだが、コイツには意味なかったってことか。

 どおりで小手先の露悪が通じないわけだ。

 いや、ヤンデだけじゃない。ルナやユズもそうだったな。


 生理的嫌悪感を演出して人を遠ざけるのは俺の十八番だが、これには容姿的な醜さ――不細工が必須である。

 見た目のキモさと、言動のキモさ。

 この二つを一気にぶつけることで、修復不可能な第一印象を相手に与えることができる。


 人は見た目じゃないというが、そんなことはない。

 少なくとも現代人は、よほど感性が麻痺してない限りは容姿に敏感であり、見るに堪えないとか同じ空気も吸いたくないというような、言わば絶望的な不細工とも言うべき概念が確かに存在する。

 俺はそこを突くことで、清潔で真面目で有能でありながらも、労せずに孤立を手に入れることができていた。


 ジャースではそうもいかないということか。

 たぶんジャースの女性の容姿観は、俺が思っている以上に違うのだろう。気付くのが遅すぎたな。


「あなたはわからないと思うけれど、私の体質は相当なのよ」


 ヤンデの足バタが止まる。

 水流がこちらに向いているせいか、舞っていた砂煙が徐々に俺を包み始める。何も見えん。


「みたいだな。俺が体臭で嫌われてるのとはまた方向性が違う。なんだろうな、毒とか?」


 砂煙があっても問題無く疎通できるらしい。「毒の方がマシね」とヤンデが言う。


 参ったな。この流れだと、俺の核心も語ることになるだろう。


 ……致し方ない、か。

 ルナ、ユズ、シキ王やブーガのように、俺の頑丈さをある程度知る者がまた一人増えるだけだ。


 俺は砂煙の中で言い分を考えながら、ヤンデの真情を聞いていた。

第105話 川底2

 砂煙が収まる間に、ヤンデの体質について一通り聞かされた。

 曰く、チャーム体質の逆なのだと。


 そもそもチャームが魔法でもスキルでもなく体質であることが初耳だ。

 どうも他人から好意を抱かれやすい、という体質があるみたいだ。アウラやナツナがその類だが、さして珍しくはないそうで。


 ちなみにナツナの理不尽なチャームはレアスキルによるもので、おそらく唯一無二とのこと。



 ――嫌悪や殺意を抱かれやすい体質だと考えれば筋が通るわ。


 ――解明はされていないのでしょうね。だから国王に目を付けられた。



 そう語るヤンデの横顔には、苦労の歴史が滲《にじ》んでいた。


 たとえるならモンスターが人の社会で生活するようなものだろう。あるいは、魔素を絶えず放つ魔人族と同じ境遇なのかもしれない。

 いずれにせよ、まともな社会生活など営めるはずがないし、冒険者としての強さがなければとうに死んでいるはずだ。


 実は魔人なのかと俺は尋ねたが、ヤンデはモンスターとの意思疎通はできないという。なら違うか。

 第一、魔人という既知の種族であれば、|あの人《シキ王》がわざわざ目を付けることもないだろう。


「スキャーノとアウラ――あの二人も内心ではほっとしているでしょうね」

「平然としているように見えたが。実力者なら平気じゃないのか?」

「そう見せているだけよ」


 俺の目には全く違和感が無かったけどな。普通に会話してたし、スキャーノとは今朝仲良くしてたじゃねえか。

 己の節穴を自覚しつつ、俺は思いついた悪あがきを試みる。


「よくわかってるじゃねえか。俺もそうなんだよ。お前の体質が効かないってのは幻想だ。正直言うと、今でも吐きそうなのを我慢してる」


 ヤンデが「はぁ」と露骨なため息をつく。

 ごぼっと大きな泡が吐き出されていて、コイツがどうやって呼吸しているのかさっぱりわからない。

 そんなことを思っていると、ヤンデが手を振り上げるのが見えて――直後、砂煙が俺を包んだ。「おい」人間ならとうに窒息してるぞ。


「私は敏感なのよ。二人からも微弱だけど攻撃的なオーラが出ていたし、国王もワシでも抑えられんのと言っていたわね。私のこれは第一級冒険者でも誤魔化せない。なのに、あなたからは一切出ていない。第一、これは吐き気を催すものではないから、その時点で嘘とわかる」

「ご丁寧にどうも」

「往生際が悪いのよ。私達は今日から付き合う。これは確定事項よ」


 川底で、砂煙に覆われた状態で、人生初の恋人(強制)ができるなど、誰が予想するだろうか。


「私達が付き合えば、あの二人としても私と距離を置ける理由になる。言っている意味はわかる?」

「仲睦まじいカップルを邪魔しない、という建前でお前とつるまなくても済む――そういうことか」

「ええ。あなたにとっても都合が良いでしょう?」

「その代わり、お前との時間が増えちまうけどな」

「あなたはいつもそうなの? こうして女の子が言い寄ってきているのに」


 ヤンデのいる方向から何かが放たれる音がして、俺の胸にどんっとぶつかる。

 ヤンデだった。控えめだが、男にはない脂肪の感触と、先端の突起物――


「いや、今物理的に寄ってこなくてもいいから」

「恋人でしょう? このくらいはするわよ」


 俺の背中に両手を回し、ぎゅっと抱きしめ、首元から上目遣いをしてくるヤンデ。


「お前が何がしたいのか、さっぱりわからないんだが……」

「ヤンデ」


 お前呼びはやめろってことだろう、お馴染みの風魔法で耳の中を抉ってきたが、今さら演じる必要などない。

 ヤンデも気にした様子はなかった。


「たぶん飢えてるのよ」


 抱きしめる力が強まり、頭に流れ込んでくる数字が|t《トン》を叩き出す。

 さっきの砂煙といい、ヤンデはもはや俺の頑丈さを疑っていない。


「人の温もりが欲しい。多くの人がそうしているように、私も誰かを感じたい――ずっとそう思ってた。でも、私には叶わないことだから、ひたすら強さを求めることで誤魔化してきたのよ」

「レベル62にもなるわけだ」

「満たされることはなかった。そんな時のことね、国王と出会ったのは。それで王立学園を勧められて、入学して、あなたがいた」


 そんな体質である。苦難は想像に難くない。

 だからといって、同情してやるほど俺はお人好しでもない。


「そりゃ満たされないだろうよ。努力不足だ」


 力づくでヤンデを引きはがす。「あなた……」俺にここまでの力があるとは思わなかったのだろう、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「温もりが欲しいなら、無理矢理にでも試せばいい。その辺の弱者を捕まえて、服を剥いで、抱きついてみればいい」

「変態じゃない」

「変態だろうが犯罪者だろうが関係がない。欲しいもののためなら何だってするべきだ。それができないなら諦めるしかない」


 ヤンデは「ふうん」とか「そう」とか意味深に呟きながら、もう一度抱きついてきて、俺の胸板にぐりぐり頬ずりをしてくる。

 根は甘えたがりなのかもしれない。


「あなたもそうするの?」

「破滅しない範囲でな」


 盗撮、不法侵入、ストーキング、痴漢、不正アクセス――

 さすがに殺人や強姦はしなかったが、前世でも犯罪行為は何度としてきた。

 バレたら社会的に死ぬのはもちろん、罪悪感で自滅することにも神経を尖らせる必要があり、非常にデリケートで刺激的な趣味だったと振り返る。


 まあ罪悪感は次第に麻痺してくるわけだが。

 取り返しがつかなくなると考えた俺は、それ以上は踏み込まなかった。


「……そうか」


 今の俺に足りなかったのは、そういう発想なのかもしれない。

 つまり、たがを外すということだ。


 俺にはまだ良心がある。遠慮がある。

 たとえばヤンデを殺すという選択肢に見て見ぬふりをしている。

 学園に入った時だって、もう少し厳しい立ち回り――たとえば会話を一切しないなど、まともにコミュニケーションを行わないキャラをストイックに演じていたら、誰一人寄せ付けることはなかっただろう。


 バグってる俺に死角があるとすれば、そういう甘さではないの「ぐっ」両の頬をプレスされた。

 目の前にヤンデのジト目がある。


「さあ、あなたのことも洗いざらい喋ってもらうわよ」

「……」


 ここでリリースを放てば、ヤンデと言えども死ぬだろう。

 だが、そんな短絡的なことをしても俺は解放されない。相変わらず学園の生徒で、シキ王の監督下だ。


 そうなのだ。シキ王というハードルが俺にはある。

 制御できないとみなされれば、あの石化執事が出てくるだろう。封印という名の生き地獄だけは避けなくては。


 いまいち思考が加速してくれない。

 裸の女子に言い寄られて、間近で触れられているシチュエーションを無視できていないのだ。バグっていて常に平坦で在れるにもかかわらず。


 人間が、男というものがそういう仕様なのだろうか。

 それとも単に俺というぼっちがちょろくて、弱いだけなのだろうか。


 後者だとは思いたくない。

 俺は友達いない歴=年齢の、真性のぼっちだ。その辺の奴らよりもはるかに稀少で、困難を歩んできた。

 そんな猛者として、俺はどうするべきだ?


 ……わからない。

 というより、そんな展開などこれっぽっちも想定していなかった。しようとも考えなかった。

 人間関係が本質的に魅力的で、同時に面倒くさいことは知っている。だから俺は最初から手を出さなかったんだ。


 周囲の砂煙が完全に引いた。


 俺はヤンデを引き剥がし、川底に寝そべる。

 彼女も隣にやって来ると、俺を抱き枕みたく拘束してきた。いちいち抱きついてくるなと視線で抗議したが、その眼力に一蹴される。


 岩を容易く砕くほどのホールドが、次の台詞を急かしている。


「何を訊きたいんだ?」


 確たる策もなく、俺は流されることしかできない。


 そんな自分が情けなくて、歯がゆくて。

 でも死ぬこともできなくて。


「単調直入に行かせてもらうわ。ジーサ、あなたがシニ・タイヨウよね?」


 俺を焦らせるその質問が、かえってありがたかった。

第106話 川底3

 ――あなたがシニ・タイヨウよね?


 ヤンデの声音は確信に満ちていた。


「……ああ。どうしてわかった?」

「入学初日。あなたはアウラのチャームにまるで動じていなかった」

「それくらい隠せるだろ。スキャーノもそうだったし、他にもいたはずだが」

「ええ。でもあなたには私の体質も効かなかった。オーラでわかる。これは誤魔化せない」


 ヤンデは少し名残惜しそうに俺の腕を解放すると、同じように仰向けになった。「綺麗ね」その呟きに異論はない。

 川底に並んで寝そべる俺達の視界には、ライトボールに淡く照らされた水流が映っている。

 穏やかな流れの中で砂粒がきらめき、まるで天の川を眺めているかのようだった。


 生物や風の音色はない。空気ではなく水に包まれた、心地良い無音が全身を包む。

 この川底の居心地は語るまでもないが、まさかこんな幻想的な光景が光源だけで手に入るとはな。ライトボールを習得したくなる。


「ヤンデの体質が効かなかったとして、そんなに注目することか? ただのレアスキルかもしれないだろ」

「レアスキルにも傾向があるのよ。私の感覚だけれど、私の体質を無視できるという性質は、レアスキルの範疇を超えている」

「よくわからん感覚だな……」


 しかし、レアスキルに傾向があるというのは興味深い。


 傾向がわかれば、この世界の制約《からくり》が見えてくるかもしれない。

 制約がわかれば、俺が仮説しているデバッグモードにも繋がるだろう。たとえば制約の脆弱性を探して突くとか。


「そんな超常的な存在として思い当たるのは、私には一つだった」

「巷を賑わせてる第一級指名手配犯ってわけか」


 他人事のように言う俺にツボったのだろう。ヤンデがふふっと笑った。


 にしても、まさか初日から詰んでたとはなぁ。

 ヤンデから見れば、俺は嫌悪体質の効かない非常にレアな存在だ。

 仮に俺がコイツとの接触を回避するか、あるいは接触後に強く拒んでいたしても、向こうからアプローチしてきたに違いない。


「で、どうする? 俺を国に突き出すか?」

「愛するパートナーにそんなことするはずがないでしょう?」

「なぁ……。そのノリ、まだ続けるのか?」

「ノリじゃないわ。私は本気だと言ってるじゃない。あなたもさっさと腹をくくりなさい。諦めて受け入れて、私を愛しなさい」

「どんな命令だよ」


 距離の詰め方がわからないのだろう。しかし、そんな様子を恥じる様子はない。

 裸でこうして寝転んでいるのもそうだし、コイツはとうに吹っ切れている。


「じゃあ性交でもするか」

「私は娼者《プロスター》じゃない。そういうのは、お互いが十分に距離を縮めてから自然に営まれるものよ」

「そこは強引じゃないんだな。てっきり襲われるかと思ったが」

「そんなことより、今後について話し合いましょう」


 セックスのお誘いをそんなこと扱いしたヤンデは上体を起こすと、同時に俺の体も魔法で起き上がらせようとしてきた。

 寝そべってないで真面目に話そうってことなのだろうが、あえて抗ってみると、全身に加わる水流の力も強くなってきた。

 ゴボゴボと泡に包まれつつ、しばらくいたちごっこが続いたが、全力抵抗も虚しく、俺の上体はよく溜めたデコピンのように弾かれた。


 衝撃波が川底内で炸裂――かと思いきや、砂煙は舞っていない。別の魔法で衝撃を吸収したのだろう。

 たぶん、風魔法か水魔法で膜をつくって俺の周囲を取り囲んだか。

 無論、ちょっとやそっとの実力者にできることではない。


「その魔力……前々から思ってたが、レベル62じゃねえよな」

「あなたこそレベル10は嘘よね? 身体能力は、そうね――スキャーノくらいはあるんじゃない?」


 レベル88、か。正直わからん。

 グレーターデーモンを倒して以来、まだ測っていないし、そもそも測れる手段が皆無に等しい。

 ありえるとすればミライア――神経質そうなメガネの先生だが、シニ・タイヨウを知るあの人とは極力接したくない。第一、レベル10のねつ造がバレてしまう。


「それより今後の話だったよな。何か計画はあるのか?」

「……」


 露骨にはぐらかせた俺を睨むヤンデだったが、「あるわ」渋々了承したようだ。


「あなたがビジョンを示すのよ」


 ビジョンって。企業じゃあるまいし。


「私は惰性で生きているだけだった。そこにあなたという光が現れたのよ。あなたには私を満たし、導く義務がある」

「好意どころか人生の押し売りだった件」


 俺の脳内では膨大な選択肢が浮かんでは消えた。


 ヤンデは強い。特に魔法の多彩さと深さには底が知れないところがある。

 公式にはレベル62――第二級の一歩手前とのことだが、もっとあるだろう。それこそ、第一級と言っても信じられる。

 そんな奴が仲間になるというのだから、頼もしいことこの上ない。


 まず|この異世界《ジャース》を知る手段として使える。実力者に違わず知識も豊富そうだし、知的な会話も嫌いじゃなさそうだから、俺が字をマスターして本を読むよりも手っ取り早いに違いない。

 移動手段としても優秀だ。ゲートも使えることは大きい。

 魔法も多彩だから、訓練の体《てい》で色んな攻撃パターンを試せる――

 何とも便利なパートナーじゃないか。


 気を付けるべきは、俺の自殺願望を悟らせないことか。



 ――惰性で生きているだけだった。



 それがヤンデの意思であり、意志である。

 死んで終わらせるつもりはないのだろう。あるいは発想や概念がないのかもしれないが。


 いずれにせよ、俺の自殺を受け入れてくれるとは思えない。

 そもそも光を失うことになるしな。


「あなたのビジョンを聞かせなさい。言っておくけれど、誤魔化すのはナシよ。あなたのことはよく見てたから。とても惰性で生きているようには見えなかった。なんていうのかしら、ブレることのない芯を絶えず携えている――そんな風に見えたのよ」

「気のせいだろ」


 ヤンデはうんともすんとも言わず、俺を睨んでいる。

 何度目だよ、この展開。


 一回目は「死なないために生きている」と適当なことを言った。

 二回目は「楽しむために生きている」と持論の一つを述べた。

 三回目も、一回目と同様、適当に誤魔化した。


 今のコイツは、どれを繰り返したところで納得しないだろう。いや、現在進行で納得していないのだ。

 だからこそ、お互いに素を晒したこのタイミングで、改めて俺の真意を――|生きる意味《ビジョン》を引き出そうとしている。



 死ぬために生きてる。



 これが回答だが、素直に言えるはずもない。

 かといって、ここで長考してしまえば、それだけで怪しまれる。


 とりあえず、もっともらしいキーワードを連想させた俺は、その中から一つを拾った。


「スローライフだ」

「……生き物を投げるの?」

「違えよ。ゆっくりな人生をおくるってことだ」


 よし。これならスローライフとはなんぞやという説明から入れるな。

 スローライフはラノベの定番ネタだったが、俺が自ら開拓してきた概念ということにしよう。


 と、そんな時だった。


「ん? なんか冷たくないか?」


 川底の水温が急激に低下し始めていた。

第107話 川底4

「なんか冷たくないか?」


 どうも水温が急激に低下し始めている。頭に流れ込んでくる数字も、温度のものが明らかに低い。


「意外と鋭いじゃない」

「ぐっ!?」


 俺はヤンデに抱き寄せられ、というか吸い寄せられて、包ましい胸元に押しつけられる。


「おそらく、ウルトラ・アイスね」

「ウルトラって……」


 ちょうど良い。授業で習ったばかりの知識で整理しよう。


 ウルトラ・アイスは通常魔法の一つだ。


 属性は氷《アイス》。

 メタファは無し。

 そして魔法規模はノーマル、スーパー、ハイパー、ウルトラ、アルティメットのうちのウルトラ。たしか五段階目のアルティメットは人間には不可能で、四段階目のウルトラが実質最上位だったか。


「ええ。第一級クラスでしょうね。この川を丸ごと凍らせようと――」


 ヤンデが喋っている途中、ぱきぱきと鳴る冷気が俺達を包んできた。

 直感で即座に悟る。凍ってジエンドかと思われた……が、何ともない。


 わかったと言えば、急にぱきぱき音の音質が変化したことくらいか。


「私の氷《アイス》で囲んだのよ。透明度を高くしたから、外の様子も見えるわ」

「外っつっても真っ暗だけどな」


 敵に気付かせないためだろう、ライトボールは既になくなっていた。


 暗闇と静寂の中、ヤンデの起伏に乏しい感触と、意外と温かい息づかいだけが届いてくる。

 少し足を伸ばすと、硬い何か――俺達を包んでいる氷だろう――にぶつかった。


「もう少し広く囲めなかったのか」


 ロッカーの中で密着すると、こんな感じなんだろうか。

 まあ今は川の水が充満していて、ロッカーというよりは水槽だろうが。


「さすがにそこまで器用ではないわね」

「器用?」


 ひっかかる言い方だなと思っていると、川面《かわも》から懐中電灯のような光のビームが差し込んできた。

 軌道を見る限り、探し物をしているようだ。「私達がお目当てのようね」やはりか。


「やり方が中途半端だな。一気に照らした方が早くないか?」

「騎兵隊に見つかるでしょ」

「ということは、相手はやましいことしてる連中だな」

「心当たりはないの?」


 ヤンデが川面を見上げながら言う。

 抱えられた俺は、そんな彼女を下から覗き込む格好になっている。一般的には不細工に見えるアングルだが、それでもコイツの美人っぷりは揺らがなかった。


 やはり相当な美人、というか、どこか人間離れした雰囲気があるのは気のせいか。

 コイツも貧民だが、どことなく高貴な雰囲気もあるし。


「アーサーくらいか。この前、刺客を退けたばかりだ」


 ついでに興味本位で鼻の穴も覗き込もうとしたが、明るさが足りなかった。


「よほど嫌われているのね。無理もないけれど。わざとなんでしょうけど、相当臭いわよあなた?」

「みたいだな」


 俺を見ていると公言しただけあって、中々の観察力である。

 そういう結論に至った理由を聞いてみたいところだが、そういう場合でもない。「その線は無いと思うわ」ヤンデもあっさりと話題を戻してきた。


「二度目の刺客に容赦は無いはずだけれど、私達は今、生け捕りにされようとしている」

「いや、丸ごと凍らせるって殺す気マンマンじゃないか」

「短時間なら凍っても死なないわ。ゲートで運んで解凍すれば、事実上どこへでも連れて行ける」

「そんなもんか」

「そんなものよ」


 呑気に会話している俺達だが、俺は少なくともここからどう打開すればいいか見当もつかない。

 割とピンチだと思うんですけど、どうしてヤンデさんはそんなに落ち着いているんですかね……。


「相手の狙いは私でしょうね。最近、森人《エルフ》に嗅ぎまわられていたから」

「とばっちりじゃねえか俺」

「パートナーは助け合うものよ」

「迷惑しか被ってないんですけど……」


 その後もしばらく待機が続く。


 ヤンデにも余裕があったので、俺は周囲を囲う氷について尋ねてみた。


「氷の張り方を工夫しているのよ。向こう側が明るくて、こちら側が暗い場合、向こう側からこちら側は見えないわ」


 なるほど。ビームスプリッター――いわゆるマジックミラーの原理か。


 ビームスプリッターとは、入射した光の一部を反射し、一部を透過する装置である。

 この仕組みを応用したのがマジックミラーだ。


 明るい側から暗い側を見る時は、明るい側の反射が強いため鏡になる。

 つまりは暗い側が見えない。

 一方、暗い側から明るい側を見る時は、暗い側の反射よりも、明るい側から差し込んでくる光量の方が良い。

 ゆえに鏡にはならず、普通に明るい側が見える。


 前世では日常的に――それこそAVでも一大ジャンルとして使われているほどのありふれた技術だが、まさかジャースにもあったとは。

 いや、ヤンデの口ぶりから察するに、彼女自らが発見したのかもしれない。

 魔法が使えるとはいえ、氷の張り方でビームスプリッターを実現するとは……とんだ才人である。

 異世界人の自分は棚に上げるが、コイツ、マジで何者なんだ?






 それからも、戦闘や魔法に関する雑談をして時間を潰していると。

 ふと、何本も伸びていた光線がフッと消えたかと思えば、振動が届き始めた。


「――地上は騒々しそうね」


 激しい戦闘が行われているのだろう。騎兵隊に見つかったのだと思われる。


「どうするんだこれ」

「様子を見るわ。おそらく私目当ての何者かが、駆けつけてきた王宮の部隊とぶつかっている。彼らが部隊に勝とうが、負けようが、凍った私達を回収する余裕はない。いったん撤退するはずよ。そうなると、残るのは王宮の人間。川を解凍した後、不審者の探し物を探そうとする」


 俺に理解できるよう、あえて呟いてくれているのだろう。

 大ピンチだと思うんだが、屁でもないという様子だ。さすがに慣れすぎじゃなかろうか。ルナの生い立ちも中々だったが、コイツはそれ以上かもしれない。

 今度はどんなことに巻き込まれるんだろうな俺。


「――ここは逃げた方が良さそうね。あなたも川底で平然と過ごせることは知られたくないでしょう?」

「まあな。レベル10だし」

「低く申告しすぎよ。あなた、そういうところがあるわよね。そうやって自分を低く弱く見せるところ、私は好きじゃない」

「そいつはどうも」


 適当にあしらいつつ、何か言いたそうに睨んでくる視線もスルーしつつ。ヤンデも俺と同じように、シキ王とレベル申告のやり取りをしたのかなぁと想像してしまう。

 それでふと気付いた。


 あのおっさん、もしかして最初からこうするつもりだった?


 ヤンデに俺をぶつけるつもりだったのか。

 はたまた俺にヤンデをぶつけるつもりだったのか。

 あるいは両方かもしれないが。


「――終わったようね」


 振動は既に途絶えており、川底本来の静寂が再来した。


「で、どうやって逃げるんだ?」


 俺達は今、ヤンデが展開した氷のシェルターに保護されている。

 シェルターはロッカーのような直方体で、ちょうど直立したまま浮いているような格好である。

 内部は狭いが、川水で満たされている。なんで凍らないのかが不思議だが、いちいち突っ込んでいてはきりがない。


 さて、このシェルターだが、外もまた凍っていると来た。

 ヤンデ曰く、ウルトラ・アイスによって川ごと瞬間冷凍されたとのこと。相手もただ者ではない。


 少なくとも俺はリリースで自爆するくらいしか思いつかないが。


「地中から迂回するわ」


 ライトボールを無詠唱したのだろう、保安球のような小さな明かりが生じた。

 何をするのか全く想像がつかない俺を尻目に、ヤンデは体操座りの体勢でくるりと身体を回転――川底側に頭を持っていく。

 体勢を解除し、逆立ちのような格好で、指先から何かを出していた。炎と水、あとは氷か。


 どうも俺達を囲うシェルターの底面を加工をして、川底側に広げていくっぽい。


「慎重なんだな」

「振動で探知されないとも限らないのよ。地上の相手には、おそらくそれだけの力がある」

「この会話は大丈夫なのか?」

「ええ。大声くらいなら吸収しきるわ」

「高性能な壁だな」


 そんな話をしつつも、俺の意識は間近にある彼女の下半身に向いていた。

 まあロッカーみたいな狭さの中で上下を入れ替えたんだからこうなるわな。いわゆるシックスナ「襲ったら殺すわよ」しねえよ。

 ダンゴさんはちょっとウズウズしているが。たぶん先日の屍姦《しかん》で味をしめたのだろう。


 ダンゴの暴走に警戒しつつ、手持ち無沙汰な俺は――凝視してみることにした。


 大人と呼べる年齢のはずなのに、完全に無毛であった。

 ユズので見慣れた感があるが、どうもベクトルが違うのは気のせいだろうか。

 何と言えばいいのか、幼子の性器みたく無垢で小ぶりでありながらも犯罪臭がせず、現実味も感じられず、どこか浮き世離れした造形美がある「うぉっ!?」急に目映い閃光に包まれた。


 視界一面が真っ白で、何も見えない。

 油断すると方向感覚も失いそうだ。


「訂正するわ。素直に姿を晒しましょう」


 常人の目ならとうに潰れているであろう光量にもかかわらず、ヤンデはなおも落ち着いてた。


「この光――上からか?」

「ええ。完全にバレてるわね。おそらく王族護衛のクラス」

「王族護衛……」


 近衛じゃねえか。


「【ウルトラ・ファイア・ポール】」


 ヤンデが川面《かわも》に向かって炎の柱を伸ばす。

 しれっとウルトラを使ってるのはまあ良いとして……あの、頭に流れ込んでくる数値がエグいんだけど。温度で言えば、たぶん千度は超えている。


 次の瞬間には、もう夜空が見えていた。間もなく上昇するヤンデも映る。

 俺も慌てて追いかける。といっても飛行はできないので、焼け焦げた氷の断面をカベキックしながら登っていき――無事、縦穴から外に出た。


 凍った水面に着地すると、


「ジーサ・ツシタ・イーゼだな」


 男の声に出迎えられる。

 暗くてシルエットしか見えないが、四人ほどいた。


 スレンダーで気難しそうな美人を思わせる女が二人。

 鎧のシルエットをした男が一人。声の主はコイツだろう。

 そして鎧の頭上には、近衛と思しきサイズの小さな体が浮いている。時が止まったかのような停止っぷりで、不思議とライムだとわかった。


「王宮までご同行いただきたい。国王様の命である」


 何かが飛んできたので、受け止めると、畳んで置いてた作業着だった。


 着るのは後回しにしてヤンデを探す。

 少し離れたところで直立していた。腕を組み、すらりと伸びた足を崩した彼女はライムだけを見据えていたが、俺に気付いたのか、こっちを向く。

 シルエットから見て、既に服は着ているみたいだ。いつの間に。


 ヤンデは、やれやれと言わんばかりに首を振ってきた。


「わかった」


 素直に応じるしかなさそうだ。

第108話 王宮にて

 俺達は王宮の一室、食堂と思しき場所に連れてこられた。

 奥行きのある部屋で、百人単位の立食パーティーができそうなくらいに広い。中央に長テーブルが配置され、部屋の奥まで伸びている。

 最奥には豪華絢爛な誕生日席が鎮座しているが、空席だった。


「ジーサ。ヤンデ。こっちじゃ」


 久しぶりに聞いたが、相変わらず豪快な声をしている。

 シキ王は誕生日席の一つ手前、左席に腰を下ろしている。相変わらずと言えば上裸もだ。


 その向かい側には、濃い緑色の髪をさらりと流した女性。髪から突き出た耳が森人《エルフ》だと主張している。

 その席次とドレッシーな装いから、女王クラスの人物と見て間違いないだろう。威厳はあるが、ずいぶんと若い。アラサー後半の俺よりも年下だろう。


 俺達は絨毯を歩いてシキ王の側へ。俺、ヤンデの順で座る。

 鎧の男とライムは後ろで控えた。ライムはやはり幼い肢体を余すことなく晒しているが、そんなことを気にする者などこの場にはいなかった。

 残る二人の女性――同じく緑の髪と長い耳を携えたエルフ達は、女王の背後に。


「国王。この人達は誰かしら?」


 着席後、ヤンデがそんなことを言い出す。

 お前、普段からそんな感じなのかよ。ここはどう見てもかしこまる場だろう。ぼっちの俺でもわかるぞ。


 てっきり鎧の男から無礼を戒《いまし》める怒声が出るかと思ったが、眉一つ動かない。「よそ見するでない」俺だけ怒られた件。


「さて、揃ったな。あとは任せたぞい」

「相変わらず適当なじいさんじゃのー」


 女王は頬杖をついてシキ王に半眼を向けた後、俺達を見る。

 探るような、舐め回すような、品定めの視線――

 それを終わらせると改めて背筋を伸ばし、女王の雰囲気を一瞬でまとった。


「ヤンデさん、ジーサさん、はじめまして。サリアと申します。エルフ族の女王です」

「はじめまして。ジーサです」

「エルフの女王が何の用よ?」


 会釈する俺の隣で、ヤンデはなおもマイペースでいらっしゃった。


「元気に育ってるわねぇ……」

「どういたしまして」


 ヤンデのぶっきらぼうな返事をサリアは笑顔で受け止める。

 同時に、片手を《《挙げていた》》。


 おそらく無礼だからだろう、お付きのエルフ二人の殺気と初動が露骨なのは俺にもわかった。

 それを確実に止めるために、サリアが高速で手を挙げたといったところか。

 集中していなかった俺に視認できないほどのスピードとなると、相当である。衝撃波が生じてもおかしくはないはずだが、そよ風一つ起きていない。


 物理的な戦闘力に加えて、魔法の力量も尋常ではないことが窺《うかが》える。


「任務続きの貴方達に知らせるのを忘れていましたね。彼女は私の娘――つまりは王女です」


 優秀であろう部下達の顔が僅かに引きつる。

 数秒後には持ち直し、恭しい礼をヤンデに向けてくる。


 一方で、ヤンデとシキ王は微動だにしなかった。「驚かないのね」ヤンデに至っては俺に話しかけてくる始末。


「それは俺の台詞なんだが……」

「国王がわざわざ目をかけてくれているのよ? 私に相応の事情があったとしても驚きはしないわ。ということは、あなたも――」

「女王様の話を聞こうぜ」


 姿勢を正して無理矢理はぐらかす俺。

 サリアに目で続きを懇願し「出会っていきなり母親面されても困惑すると思うけど」してみるまでもなかった。

 俺のことなど眼中にない。存在を意識する必要さえないと判断されたのだとわかった。


 この感覚には覚えがある。

 魔王と初めて会った時にいた女の態度と同じだ。


「ヤンデ。貴方は私達と領地に帰ります。王女としての生を歩むのです」

「別に困惑はしていないわ。図々しくて鬱陶しいだけね」


 場を緊張させる佇まいと喋り方をするサリアに対して、ヤンデは足を組み、肘をついて、ぶすっとしながら応対する。


「言い方が悪かったですね。貴方に選択権はありません」

「娘との感動の再開なのに、血も涙もないのね」

「そんな次元の話ではないのです」


 ヤンデは嘆息してみせると、「国王。先に謝っておくわね」などと物騒なことを言う。態度の悪さもそうだが、闘争心もはち切れんばかりだ。


「じゃじゃ馬じゃのう。似た者親子じゃな」

「は?」

「あ?」


 ヤンデとサリアがシキ王を睨む。息ぴったりでちょっと面白い。


 いやそんな場合ではないんだが。さっきから二人とも殺気のオーラを全開にしているっぽくて、俺の理性が全力で危険を訴えている。

 ヤンデのは大したことないが、サリアのは相当キツい。ブーガやアウラ、あとは図書室の強面さんから受けたのと思い出す。

 ちらりと後ろを向くと、寡黙な鎧男も冷や汗を流していた。


「じゃがヤンデ。やめておけ。おぬしでは勝てん」

「そうかしら。確かに強そうだけれど、ありふれた第一級って感じじゃない」


 第一級ってありふれているのだろうか。会話の次元が違いすぎる。


「サリア殿。おぬしの秘密を喋っても?」


 シキ王に慌てた様子は皆無だが、やや早口になっている。内心は焦っているのかもしれない。貴重なシーンだ。


「構いませんよ。こんなところで娘と戦闘するなど、恥も良いところです」

「今さら無理矢理娘を連れ去ろうとする時点で恥も何もないと思うけれど」

「威勢が良いのですね。期待できます」

「……」


 ヤンデの勢いが続かない。

 見ると、相変わらず美人――対面のエルフ達にもひけをとらない端麗な横顔が、微かに歪んでいる。


「け、っかい……」


 何やら片言を漏らすヤンデ。けっかい? ああ。


「結界のことか? あらゆる魔法を無効にするんだっけか」


 空気も悪いので、独り言をはさんでみるテスト。


 結界と言えば、白夜の森を思い出す。

 あの森は魔王が丸ごと覆っているんだったな。



 ――テレポートは魔子《まし》を媒介とした瞬間移動だと考えられています。魔子の無い空間を越えることはできません。


 ――結界とは魔子の無い空間に他なりません。



 ルナの講釈も想起された。


 ジャースには魔子という粒子――かどうかはわからんが、そういうものがある。

 酸素が無ければ火が燃えないように、魔子がなければ魔法の効果も出ない。


 だとして、結界はどうやってつくるんだろうな。

 魔子を動かす魔法なるものがあるのだろうか。あるいはスキルかもしれないが。


「まだまだですねヤンデ。手の内を明かさないために無駄な魔法を撃たないタイプなのでしょうが――甘いと言わざるを得ません。結界など魔法が使えない環境下に置かれている可能性は、日頃から想定するべきです」


 サリア女王様は相変わらず俺をスルーしてくれる。


「ならば壊すまで」

「貴方のレベルでは無理です」

「嘘ね。あなたは私のレベルを知らない」

「だから甘いと申しているのです。|実力検知《ビジュアライズ・オーラ》の無詠唱は考えないのですか? レベル62のヤンデちゃん」

「ぐっ……」


 コイツのレベル、詐称じゃなかったのか。|第二級一歩手前《レベル62》の魔力には見えないが。


 ともあれ、実力検知とは僥倖である。

 俺はまだ自分のレベルを知らないし、シニ・タイヨウを知るミライア先生に頼むわけにもいかないしな。


「すいません。俺のレベルも見てもらえませんか?」

「……親子の会話に割り込むとは、無骨な方でいらっしゃいますね」


 俺が空気も読まずに再度発言すると、ようやくサリアが反応してきた。

 小さな達成感が俺の心を満たす――などとふざけている場合ではない。


 女王の、目の笑っていない笑顔と他人行儀な口調は静かな迫力に満ちていた。無論、そのつもりでそうしているのだろう。

 それに威圧だろうか、ヤンデに浴びせていたオーラが全部俺に向けられていることもよくわかる。


「貧民ですからね」

「それは貧民に対する冒涜ですよ。貧民は関係ありません。貴方の品性を指摘しているのです」

「はぁ、意外とよく出来た女王様ですね。貧民のことなんて眼中にないのかと思ってました」

「礼儀も弁えていないようですね」

「アンタの娘さんにずいぶんと毒されてしまいましたので」


 俺にぶつけられるオーラがどんどん強くなっていく。バグってなければとうにチビっている――そう確信するほどの圧だ。


 本当はもっと大人の対応をするべきなんだろうが、社交の経験なんてないんだよなあ。

 そもそも俺はぼっちである。幼稚であると言い換えてもいい。

 ひねくれたくもなる。


「……ぷっ」


 その押し殺された含み笑いは、見るまでもなく右隣から来ている。

 サリアが思わずオーラを和らげるのも無理はない。実に楽しそうだと伝わってきて、緊迫しているこっちが馬鹿馬鹿しくなるほどだ。


「何笑ってんだよ。傍観してないでさっさと割り込んでこい。なんで俺が女王と会話してんだ」

「あ、あなた、本当に……面白い、わね……これを目の前にして、よくも、まあ……」


 口角が上げ、目元を拭いながらも、これ呼ばわりでさりげなく攻撃、いや口撃するのがヤンデらしい。

 何がそんなにツボったのかは知らないが、マジでバトンタッチしてほしい。


「ヤンデ。この方にずいぶんと入れ込んでいるようですね」

「ええ。付き合っているわ」


 右腕を抱き寄せられる。相変わらず胸部がお乏しい。


「ほぅ。エルフの王子にでもなる気か?」

「なんでだよ。シキ王も傍観してないで早く助け船出してください」

「すまんの。面白かったからつい。良い経験になったじゃろて」

「勘弁してほしいんですが」

「ヤンデ。あなたの今後は変えられませんが、一人だけ連れてくることを許可します」


 ……ん?

 シキ王と話してて半分くらいしか聞こえなかったけど、サリアさん、今、不穏なこと言いませんでした?


「なら話が早いわ。私は彼を連れていく」

「え、ちょ……」


 気のせいであってほしかった。


「良かったのうジーサ。玉の輿じゃ」


 適当なこと言ってんじゃねえよジジイ。

 あとライムも拍手やめろ。公の場では他人のふりをするって話だろうが。

 つられたのか、鎧の男まで「おめでとうございます」敬語で祝福してきた。いや、だから……。


「シキ王? いや本当に、これは……」


 危険な俺を手元に置いておきたかったんじゃないのかよ。

 このままだとエルフの領地? で王子ルートっぽいんだが。


「良い経験になるじゃろうて」


 何でもかんでも経験で済ませようとする奴にはイラっとするよな。前世の会社でもいたけどな。何なら上司がそうで、やたらウザかった覚えがある。

 経験《エクスペリエンス》ハラスメント、略してエスハラなんて言葉をつくってもバチはあたらない。


「これにて任務完了とします。領地に戻るよう、急ぎ伝達しなさい」

「はっ」


 命令を受けた従者の一人は、「【ゲート】」早速時空の門をつくり、その中に消えていった。


「わらわはしばらく残る。二人を先に連れて行くのじゃ」


 仕事を終えたのか、サリアから女王モードが消える。口調もそうだし、机に顎をつけたそのだらけっぷりは、とても同一人物には思えなかった。


「そこの鎧男。女王が来ておるのじゃ。茶くらい出せ」

「何を仰いますか!」


 怒鳴ったのはもう一人の従者《エルフ》である。

 サリアの長い耳を容赦無く引っ張っており、体ごと浮かせている。マジで容赦ねえな。


「お二人を出迎えてからもやることは山積みです。暇はありません」

「王にも休息は必要じゃー。のう、シキならわかるであろう?」


 耳を掴まれてぶらさがっている女王、という光景は何ともシュールだが、「戯れ言を」シキ王も全く動じていない。

 どころかライムからカップを受け取り、ティータイムを始めやがった。

 この人達、何なの。


「王は国のために在る。常にそう在れぬのなら、そうさせるサポートが必要じゃ。サリアは優秀な臣下を持っておる」

「光栄です」


 サリアの従者は丁重に会釈をしつつ、ゲートを唱え、女王を無理矢理放り込んでいた。門が閉じるとともに、嫌じゃ嫌じゃと駄々をこねる声もピタリと止む。


「なんかすげえな……」


 思わず呟く俺の隣で、ヤンデも頭を抱えていた。母親のあんな姿は見たくなかっただろう。

 気の毒な様子を眺めていると、もう一度門が――今度は俺とヤンデの真後ろに出現。


「行きましょう」


 さっきの従者に手を取られ、俺達は十秒と待たずに王都を去ることとなった。

第109話 王宮にて2

「ライム。シャッフルせい」

「承知」


 森人女王《エルフクイーン》とジーサ達が去った直後、シキがそう命令する。

 彼がカップとコースターを手に取ると、長テーブルや絨毯が宙に浮かんだ。


 ライムの手、というより魔法によって、部屋のインテリアとレイアウトがめまぐるしく変わっていき――

 王室のディナールームが、量産型の丸テーブルと椅子から成る食堂へと早変わりした。


 ライムが行ったのは『シャッフル』――空間の見た目を変える作業である。

 テレポートにせよゲートにせよ、瞬間移動先の空間をイメージする必要があるため、こうして変えてしまえば、もう移動できなくなる。エルフという部外者を招いたのだから当然の処置と言えた。


「よろしかったので?」


 鎧の男は既に退散し、代わりに筆頭執事ゴルゴキスタが来ていた。

 シニ・タイヨウという爆弾をエルフに渡しても良かったのかと問うている。


「タイヨウ殿は放置できんが、不穏分子も無視はできん。タイヨウ殿のお守りはエルフに丸投げして、空いた分で備える」

「先を越された」


 そう呟くのはライムだ。


「あれは正式に婚姻するじゃろうな。ライム、焼けるか?」

「否定。ライムは平気。ユズと王女様が心配」

「そもそも二人はまだ気付いとらんじゃろ」


 エルフの王女が発見され、婿を取ったとなれば、大陸を駆け巡るニュースになるのは間違いない。

 しかし婿となるのはジーサ・ツシタ・イーゼだし、ユズとルナはそもそもジーサがシニ・タイヨウであることを知らない。


「肯定。でも、ジーサには興味を持っている」

「そうじゃな。ユズもルナの命令でボングレーを調べておった。ボングレーの生き残り、という設定は安直じゃったかもしれん」


 がははとシキが笑う。タイヨウが聞けば文句の一つや二つは言っているだろう。


「そのうち辿り着くと愚考。Fクラスでも彼を探していると話題になっていた」


 学園の部外者であるはずのライムが、Fクラスでの会話――アウラやスキャーノがシニ・タイヨウを探している旨を知っているのはおかしなことだが、シキやゴルゴキスタに驚く様子はない。

 近衛の並外れた魔力であれば、振動交流《バイブケーション》もかなりの精度と深度で行える。キロメートル単位の小声を拾う程度はお手の物だ。

 そもそも王族は、この近衛の情報収集能力を日常的に活用している。


「ルナは元気じゃからのう。どう出るか見物《みもの》じゃな。――ゴルゴ」

「はっ」

「今回の刺客、おぬしはどう見る?」

「ダグリンの手のものかと」


 雑談の終了を汲み取り、ライムは立ち去った。

 シキが立ったままカップを口につける横で、ゴルゴキスタもまた泰然と直立したまま答える。


「あのエルフらが手を焼くとなれば、第一級か、限りなく第一級に近い手練れでしょう。種族は人間とのことでした。当国でもなければエルフでもなく、ローブを着ていなかったことからオーブルーでもない。ギルドのやり方でもないので、ダグリンしかありません」

「|あほんだら《ブーガ》ではないの。あやつが誰かに命じるはずもないし、あやつであれば二人はとうに連れ去られておろう。将軍かのう。やはりデミトトじゃろうか」

「フランクリン家と繋がっているとの噂があります」


 ゴルゴキスタは無詠唱でゲートを発動し、取り出した容器を示してみせることで主《あるじ》にお代わりの意思を問う。

 シキはカップとコースターを手渡した。もう結構、の合図である。


「だとしても、探り様がないのう。デミトトも|ゲートが使える者《ゲーター》を持っておる。裏で何を企んでおるか追うことはできん。仮にデミトトが絡んでいるとして、狙いはジーサじゃろう。何のためだと思う?」


 付き合いの長いゴルゴキスタは、シキの機微にも敏感である。

 質問のように聞こえるが、シキの語りはもうしばらく続く。ゆえに黙して傾聴に徹する。


「アーサーのことじゃ、鬱陶しいジーサを亡き者にしようとするじゃろう。ジーサはこれを退けた。アーサーは逆上するじゃろうが、大事にするわけにもいかん。ラウドウルスが止めに入るのは当然のこと。とはいえ、暗殺の失敗を放置するわけにもいかん。息子の愚行を引き取り、デミトトに相談した――」


 ジーサが暗殺されそうになったこと。

 そしてその犯人がフランクリン家の長男アーサーであることを、二人は既に知っていた。


 ライムのおかげである。

 ジーサ・ツシタ・イーゼ――その正体シニ・タイヨウは、アルフレッド王国が抱える最重要案件の一つであり、正体は近衛の中でもライムしか知らない。

 シキは唯一事情を知るライムを惜しみなく活用して、ジーサの様子を監視させていた。


「わからないのはここからじゃ。デミトトはなぜ将軍クラスの人材を寄越してきおったのか。それも川を凍らせるという遠回りな方法を使ってきおる。何がしたいんじゃろうか」

「……小手調べ、かもしれません」

「それは我が王国に対して、ということか?」

「はい。ラウドウルス卿が国家転覆を目論んでおり、デミトト将軍とも手を結んでいるとすれば、将軍を焚き付けるのが正当でしょう」


 デミトトは裏の世界を牛耳る存在として知られており、組織の規模や武力も相当なものといわれている。

 皇帝ブーガという抑止力があるため、表立って警戒する必要はないものの、要人であれば誰もがマークする人物であった。


「廃戦協定の手前、堂々と大戦を仕掛けることは叶いません。今後の政略は暗殺が主流になると考えられますが、将軍から見れば我ら王国の力は不透明。そんな時、国王が目を掛けている慈悲枠《ジャンク》という存在が、ランドウルス卿から転がり込んできました。となれば、お二人――ジーサ殿とヤンデ殿をダシにして、我らがどう出るかを探ると考えても、おかしくはないでしょう」

「なるほどのう。ワシはもう少し気楽に考えておる。デミトトは遊び人じゃ。慈悲枠という面白そうな遊び道具に興味を示しただけではなかろうか」

「いずれにせよ、ラウドウルス卿も含めて不穏分子であることに変わりはない。廃戦協定という前代未聞の事態を前に、各勢力がどう動くかもわかりませんから、我らとしては、今のうちに備えておきたい――そうお考えで?」


 ゴルゴキスタが半ば強引に話を戻すと、「うむ」シキは頷いた。

 二人とも推測の議論に時間を費やすほど愚かではない。ここまでは参考として、相応の見解を共有しただけであった。


「不測に備えるため、近衛に余裕を持たせることを進言致します」


 そもそもシキの目的は、不穏分子に向けて何をどうするかを提案してもらうことであった。

 直接命じたわけではないが、汲み取れないゴルゴキスタではない。二人の付き合いは長い。


「ジーサ殿を監視する必要のなくなった五号《ライム》は、引き続き王都内を監視。それ以外の近衛については、ルナ様の護衛を減らします。具体的には、学園に通っている間は放置できるでしょう。|アウラとラウル《アウラウル》にはそれとなく伝えておいた方がよろしいかと」


 ちょうどアルフレッドが誇る第一級冒険者コンビを教員に就けたばかりである。二人がいればたいていの脅威には対処できる。


「良かろう。貴族達はどうする?」

「国政への助力を課すことで自由時間を削ぎます」

「どの政策じゃ?」

「タイヨウ殿が提案されたものです。あれを加速させる方向で提示します」


 以前、タイヨウは国政顧問として、貧民を救うための村の運用方法を提案した。

 警察、連帯責任の条例、QoL、不定期巡回《ランダムパトロール》――

 様々な概念を持ち出したタイヨウは、実際に一つの村で試してみることを強調。これを受けてシキ王は早速運用を始めていた。


 成果は早くも出つつあり、ちょうど他の村にも拡大するか否かの判断を保留しているところであった。

 ゴルゴキスタは、この策の進行を貴族達に課すことで忙しくさせようと言っているのだ。


「ちゃんと通じるのであろうな?」

「はい。既に体系化は完了しております。先日、ハナ・シャーロットに説明したばかりですが、感嘆していました。彼女のような熱心な大貴族への啓蒙を重視し、賛同者を増やすことも狙っていきます」

「ハナちゃんか。元気にしとるか」

「会いたがっていましたよ」

「そうか……」


 シキが苦笑いを浮かべる。


 王国を支える二大貴族の一つ、シャーロット家の長女ハナは将来有望な才女であるが、シキを崇拝し、過剰に懐いているところがある。

 国を支える右腕が溺愛する愛娘となれば、さすがの国王でも無下にはできない。有り体に言えば、鬱陶しい女の子であった。


 それからも二人は複数の話題を消化し、十数分後には解散した。

第110話 休学

 アウラの赴任。ヤンデによるシニ・タイヨウ露見。森人女王《エルフクイーン》による強制送還――

 怒濤の第二週一日目《ニ・イチ》が明けて、第二週二日目《ニ・ニ》。


 教員のアウラの元に、慈悲枠《ジャンク》の二人がしばらく休学する旨が届く。

 アウラはこの件を、残った唯一のFクラス生徒スキャーノに共有した後、二人きりの授業を実施した。


 勤務終了から少し経過して、18時30分。

 彼女はラウルとともに教員棟の自席に座っていた。


 席は端っこの隣同士で、二人とも机の上も引き出しもすっからかんである。

 他の席が漏れなく山積みだったり散らかっていたりするのと比較すると、窓際族のようでかえって目立っている。

 しかし無能なわけではない。単にゲートで自分の倉庫と接続できるため、収納が不要というだけである。


「ラウルは広く浅く見てください。私は狭く深く見ます」


 当たり前のように防音障壁《サウンドバリア》も張っているが、他の教員もいちいち気にすることはない。


 アウラとラウルはそもそも知らぬ者がいないほどの実力者であり、王族の命令にさえ抗えるほどの天上人でもある。赴任も国王シキの権限によるものだ。

 あえて首を突っ込もうとする酔狂な者は、教員という人種には存在しなかった。


「狭く浅く? 誰を見るんだ?」

「スキャーナちゃんが片思いしている子」


 ウインク付きのアウラの発言を受けて、ラウルは怪訝な表情をした。

 なぜそんな遠回しな言い方をするのかと責めているかのようだ。「はぁ」アウラが見せつけるように呆れてみせる。


「なんだい、そのため息は」

「ちょっとは人の恋愛にも興味を持ったら?」

「そんなの何の役にも立たないだろう?」


 アウラはもう一度嘆息する。さらに小言を言いたくなかったが、ぐっと堪えて、いたずらな笑みを浮かべた。


「私の恋愛事情にも興味がない?」

「無いね」

「気にならない?」

「別に」

「私が誰かと付き合っていたとしたら?」

「どうでもいいよ。仕事さえこなしてくれたら」

「バカラウル」


 ラウルは付き合いの長いパートナーであるが、こういうところも相変わらずブレないのであった。

 普段なら引き下がるアウラだったが、今はジーサとヤンデがいなくなったせいでむしゃくしゃしている。もう少し踏み込みたい気持ちだった。


「もうラウルでいいです。性交しませんか」

「何を言っているんだ……」

「ほら、女の子だってムラムラするんですよ」


 冗談と取られないよう、真剣な声音を乗せてみたが、それでもラウルは動じない。


 一見、チャームに耐える男であっても、性的な話題に持ち込めば微かに乱れる。

 一方、魔法に長けたアウラは敏感であり、体外気流《エアー・オーラ》――周辺大気の微細な変化など、些細な反応も見逃さない。


 それでもこの男には一切動じた様子がなかった。シキ王でさえも微かに変化するというのに。


「君なら相手に困らないだろ」


 加えてデリカシーも皆無であった。


「立場上、そうもいきません。その点、ラウルなら安心です」

「だったらシキさんに頼みなよ。男の子を欲しがってると思うし、君の血なら文句無いだろう。ウィンウィンだ」

「は? 舐めてるの?」


 アウラは手が出そうになった。

 ここまで鈍いと、もう告白したくなる。


 しかし、アウラも別に猛《たけ》るほどラウルが好きというわけではないし、そもそも第一級に上り詰めるほどの冒険者である。ラウル相手なら結婚程度はやぶさかでもないが、恋愛や日常生活にうつつを抜かすつもりはない。


 ただただ気に入らなかった。

 武器の一つが通じないことを認めたくない。通じる余地があると信じたくもなるし、冒険者としてもそうやって何度も何度も粘るのが常だった。

 が、仮に告白したところで、断られるのは目に見えている。

 そうなれば余地もなくなってしまう。それがアウラには怖かった。


「至って真面目だよ。性的な満足感についても、経験のない僕より、経験豊富そうなシキさんの方がはるかに高いと思う」

「あなたねぇ……もう襲っちゃおうかな」


 アウラはさらに大胆な発言をしてしまった。

 不幸中の幸いは、とっさに誰にも聞こえない声量にまで抑えられたことだろう。


「アウラにやられるほど間抜けではない」

「何で聞こえてるのよ! スルーしなさいよ!」

「アウラ、最近どうしたんだい? 何に焦っているのかは知らないけど、冷静になるべきだ」


 ラウルの顔には心配の色も浮かんでいる。

 生真面目で堅物な剣士《ソードマン》は、何においてもこうである。ナルシストだった本来の性分はなりを潜め、第一級にふさわしい器量をすっかり身につけてしまった。


「……そのうち襲うから」


 アウラは冗談まじりにそう言ってみせた。


「バカなこと言ってないで話を戻してくれ。シニ・タイヨウの話だよな? 広く浅くとか狭く深くってどういうことだい?」

「シニ・タイヨウの探し方を分けるという話です。私はジーサとヤンデのどちらかがそうだと仮定して行動するので、ラウルはそれ以外のすべての生徒を疑ってください、ということです」

「そうだね。相手が尻尾を掴ませてくれない以上、とりあえず全員を疑ってみるのもアリだろう。一つだけ言いたいのは、これ、分担が逆だよね?」


 何百という生徒を調査する芸当は、一剣士には難しい。


「いいえ。合ってます。ジーサとヤンデは私が相手します」

「妙に張り切ってるな……」


 魔法でどうとでも応用できるアウラの方が適役だし、ラウルは大量の生徒を調べるなどという作業が好きではない。

 説得を試みたが、アウラの意志が変わることはなかった。




      ◆  ◆  ◆




 同時刻頃、屋敷に戻ったスキャーナは、いつものように衣装室で着替えを始める。


 男物の制服を脱いで下着姿、というより肌着姿になる。

 ショーツとブラジャーはなくシュミーズ――上下一体のワンピースのような肌着であるが、その下、胸部にはベルトブラと呼ばれるベルト状の器具が巻かれていた。

 彼女はスキャーノとして過ごす間、これをきつく締めて《《さらし》》がわりにしているのだった。


「アウラとの協同を張った――そういうことですね?」


 執事役のファインディがいきなり入ってきた。


「あの、ファインディさん……先に着替えたいようで」


 帰宅直後に報告を入れてしまったのがまずかったのだろう。

 ファインディは二日ぶりにこの屋敷に戻ってきたばかりだ。第二週一日目《ニ・イチ》の展開は何一つ知らなかった。


 この上司は、熱が冷めないうちに行動するところがある。


「次に文句を言ったら裸にします」


 スキャーナは泣きたくなったが、上司の性格が変わるのなら苦労はしない。

 この男が性に興味を示さないのがせめてもの救いだが、スキャーナは多少出来が良いだけの女の子であり、恥ずかしいものは恥ずかしいのであった。


 無遠慮に椅子に腰掛ける上司を前に、無意味だとわかりつつも嘆息を見せつけて抗議の意思を示しつつ、報告を続行する。


「結果的に協同を張ることになった、と表現するのが正しいようで」

「詳しく説明してください」


 スキャーナは試験後の出来事――新たなFクラスにジーサとヤンデがいたこと、アウラウルが赴任してきたこと、アウラがFクラスの担任になったこと、そして自らシニ・タイヨウを探していると公言してきたことなどを共有する。


 並行として着替えも行う。

 報告が終わってから再開しても良かったが、既に肌着姿である。さっさと着替えてしまった方がトータルの精神的ダメージは少ない。

 そういうわけで、汗をかいたシュミーズを脱ぎ、きつく締めたベルトブラも緩めて外す。

 水魔法で全身を洗浄し、火魔法で乾かす。ルナよりも要領に長けており、わずか数秒の出来事だ。もっともファインディの目があるから急いだという点は否めないが。


 最後に部屋着様のシュミーズを着て、その上からネグリジェを重ねた。


「――要するに、アウラが先手を打ってきたというわけですか」

「そのようで」

「彼らはシニ・タイヨウにあまり執着がないと思っていましたが……甘く見ていたようですね。学園の教師になったのは国王の口利きでしょう。グレーターデーモンという壁を突き付けられた後です、冒険者家業を一時休業して自分磨きといったところでしょうか。その間の気分転換としてシニ・タイヨウに目を付けた。あるいは、壁を突破するヒントがあると見ているのかもしれません。いずれにせよ、我らガートンを利用して楽をしようとしていますね」

「……」


 下着姿や裸体を見られる羞恥心と上司への不満とで溢れていたスキャーナだったが、そんな気持ちもすぐに消え失せた。


 この上司の、シニ・タイヨウへの執着は間近で見てきている。

 その実力も知っている。


 今後の作戦はどうなってしまうのか。ファインディは部下に無理難題を課すほど愚かではないが、加減を考慮するほど温情でもない。


「スキャーナ」

「はい」

「シニ・タイヨウの正体を掴んだ後、アウラより先に確保できる自信はありますか?」

「……ない、ようで」

「そうですよねぇ。君では背伸びしても勝てない」


 シニ・タイヨウ探しは新たな局面を迎えている。


 当初はガートン側とアウラウル側が別々に探していたが、アウラが仕掛けてきたにより協調体制となった。

 となれば、問題は発見後である。


 シニ・タイヨウは王女を破った第一級指名手配犯であり、第一級冒険者でさえ実力の程が知れないほどの未知――言わば非常に稀少な宝と言える。

 アウラウルに奪取される可能性は、十二分にあった。


「それは、そのとおりですが……」


 実力差を改めて意識させられたことで、スキャーナは平静を取り戻す。

 そもそもの問題を指摘する。


「ですが、そんな話では済まない、気がするようで……」

「と言いますと?」

「ファインディさんはシニ・タイヨウを確保する前提ですが、たぶん、そうはいかないようで」


 突如ファインディが椅子から立ち上がった。

 話がそろそろ終わるという合図である。同時に、またもや試されていて、一応正解できたのだと悟る。


「まあ及第点でしょう。欲を言えば、不安そうな表情を浮かべる前に至ってほしかったところですが。それで、直近はどうしますか?」

「無闇に刺激せず、特定と観察を優先したいようで」

「良い判断です。シニ・タイヨウが社会生活という点で未熟であろうことは、既に考察したとおり。うっかり彼を刺激をして殺されないように、まずは情報収集に徹する――そのとおりです」


 ファインディに講釈される間、スキャーナの脳裏にはある人物がよぎった。


「《《どう仕立て上げるか》》は、それから考えてもおかしくないのですよ」

「……その、ファインディさんは、どうされるおつもりで?」


 一通り報告した彼女だが、休学の旨はまだ伝えていない。

 どういうわけか、伝えるのを渋ってしまった。


「どうって、演出ですよ」


 ファインディは揺るがない。

 嬉々とした様子で己が野望を、欲望を語る。


「どう魅せたら一番面白いか。読者が金を出してくれるか――それだけです。間もなく平民向けの情報紙も始めます。シニ・タイヨウの細かな情報を全土に広めれば、彼はもっとやりにくくなる。どこに逃げようと、ガートンとして追い続けやすくなります」

「追い詰めすぎたら、危ないようで……」

「危ない、とは?」

「たとえばシニ・タイヨウが罪無き住民を人質に取る、とか……」

「構いませんよ」


 情報屋の鬼に罪悪感はない。


「むしろ好都合です。ショッキングな出来事は興味を集めやすい。いいですかスキャーナ。平民向けの情報紙は、金を有り余らせる冒険者や貴族ではなく、冒険すらできない一般人を対象にします。無論、価格は彼らの水準に合わせますが、彼らは忙しい上に知的好奇心も乏しい。半端な内容では手に取ってもらえません――要するに、彼らが手に取らざるを得ないような、刺激的な情報が望ましいのです」

「……」

「どうせ手を掛けるなら、冒険者よりも一般人にしていただきたいところです。一般人は冒険者には同情しない。冒険者がいくら虐殺されたところで、他人事ですから」


 ファインディの熱弁はしばらく続き――

 今日の定例報告が終了した。


(ジーサ君……)


 衣装室で一人、ぽつんと座る彼女が、その名前を《《胸中で》》口にする。

 ファインディも振動交流《バイブケーション》の使い手である。独り言を拾われる可能性は低くない。


 上司の狂気に、仲良くなったばかりのクラスメイト――

 スキャーナの脳内は、複雑に渦巻いていた。

エピローグ

払拭

 森人女王《エルフクイーン》サリアの従者に連れられた俺達は、小屋で一泊させられることに。


 小さな発光石が吊るされた室内は、ろうそくのように淡く照らされている。

 広さは十畳くらいで、全面板張り。出入口の戸と、学園にもあったトイレらしきロッカーのようなブツ、それとふかふかそうなダブルベッドが置いてある他は何もない。


 従者は少しだけ説明――端的に言えば逃げられないことを周知した後、明日から忙しくなるから休んでおくように、と残して去っていった。


 一つ屋根の下で二人きりなんだが、


「結界の檻《おり》ね……」


 はぁと嘆息するヤンデに色恋の緊張や高揚はない。


 愚痴も混じった彼女の説明をしばし聞く。

 どうも小屋の内外に結界が張り巡らされているらしく、魔法が使えないんだそう。

 外には従者の言う通り、レベル100超えのエルフがいるため、物理的な戦闘力で何とかすることもできない。


「とりあえずヤンデが魔法に振り切った雑魚ってのはわかった」

「はっ倒されたいの?」

「身体能力で言えば、たぶん俺の方が上だ――っと。暴れすぎるなよ。小屋壊れたら晒し者だぞ」


 俺は蹴りをかましてきたヤンデの脚を避けつつ、風圧でガタガタと震える小屋を見回す――何とか耐えてくれたようだ。


 サリアにはプライバシーという概念があるらしく、小屋もそのためだろう。

 特別に強く造られているわけでない。レベル62の力で暴れられたら、風圧だけでおじゃんになる。


「服を脱ぎなさい」

「は?」

「いいから」


 意味もわからず脱がそうとしてくるので、仕方なく脱ぐ。

 ヤンデは下着姿の俺をさっと眺めた後、両肩を掴み、そばのベッドに押し倒してきた。


 何をするかと思えば、抱き枕のように横から抱きついてきて、「おやすみなさい」などとほざく。


「……えっと、ヤンデさん?」

「彼女の言う通りよ。今のうちに休んでおきましょう」


 間もなくヤンデからは吐息だけが届くように。

 俺は整った寝顔を鑑賞しながら、このどこか人間離れした造形美はエルフの血だからかと納得する。

 いや、思考停止かもしれない。俺達人間とは違う種族だと考えれば、それだけで何でもスルーできてしまう。


 ともあれ、嫌な予感は的中してくれた。

 |人間の王族《ルナ》の次は、エルフの王族か……。


「……」


 思えばこっちに来てから、俺は流されてばかりだ。

 前世ではぼっちだったが、いや、ぼっちだからこそ自分なりに歩めたものだが、この異世界ジャースでは通用しない。


 今もそうだが、実力者の前には成す術が無いのだ。

 知恵も、技術も、道具も、富も、人の数も。すべてが実力の前では誤差となる。

 レベルと魔法とスキルに依存した、弱肉強食の世界――


「能力格差がエグすぎるんだよなぁ……」


 俺がジャースで自由を勝ち取り、二つのバグ――滅亡バグと無敵バグの解明を再開するためには、この格差社会との付き合い方を再考しなければならない。


 一、俺自身が絶対的な実力者となる。

 ニ、既存の実力者という長いものに巻かれる。

 三、実力者から逃げる。離れる。隠れる。


 現状を踏まえると、二を選ぶしかないだろう。三をするには実力が足りなすぎるし、一は竜人や魔王といった規格外の存在を考えれば非現実的だ。

 俺にできるのは巻かれることのみ。巻かれつつ、隙を見て少しずつ進めていくしかない。

 わかっている。どの世界だって、成功者や強者などほんの一握りだ。よくわかっている。


 なのに、それを許さない自分がいる。


 わかってんだよ。

 これはぼっちの意地であり、プライドだ。自分が主体となって行動することに慣れきった俺は、流されっぱなしの今のような状況を許すことができない。


 許せないと言えばもうひとつ。


「……寝るの早えよ」


 ヤンデは安らかにすやってやがる。

 日頃の疲れ切った表情と、その体質から来る孤独な生活から察するに、慢性的な睡眠不足だと思われるが、今の寝顔にそんな面影はない。

 自惚れているわけではないが、俺のおかげだろう。


 いや、嘘だな。俺は自惚れている。

 それだけじゃない。正直に言えば嬉しくて、心地良くて、今も手が伸びそうになるのを堪えたほどだ。


 誰かに好かれた経験なんてこれっぽっちもなかった。

 そもそも人間は、障害や欠陥でもない限りは、孤独に耐えられるようにはできていない。

 だからといって、素直に認めるのは癪《しゃく》だ。


 今すぐリリースを放って、全てをぶち壊したくなる。


「わかってんだけどな……」


 頭ではわかっている。

 俺はただぼっちで在り続けているという、自分の些細なプライドを守りたいだけだ。

 こういうことに素直に喜んでしまうと、今までぼっちでいた意味がなくなってしまう。ただ現実逃避し続けていただけじゃないか、という結論になってしまう。


 俺という存在が、頭でっかちな臆病者に成り下がってしまう。

 それだけは嫌なんだ。


 俺は歴戦のぼっちで。

 そこいらの奴には決して真似できない高みにいて。

 この景色は、この先は、俺だからこそ追求し続けることができるもので。また追求にも意味と意義があって。


 ぼっちで在り続けることは、俺のアイデンティティなのだ。


「馬鹿だよな」


 そんな風に自意識をこじらせ、正当化でぶくぶく膨れ上がった俺は、ついには耐えられなくなった。

 だから俺は|逃げた《死んだ》んだ。


 一度逃げた身でありながら、今さら何を言っているんだ俺は?


 死ねばすべてが終わる。

 こんな風にうじうじ悩み、苦しみ、正当化する手間からも解放される。

 それだけのこと。


 だったら、死ぬしかないだろう。

 俺はそのために、そのためだけに行動するべきだ。


「わかってなかった」


 わかっているようで、わかっていなかった。

 善悪や道徳を必要に応じて無視するように、ぼっちの意地についてもそうすればいい。

 いや、そうしなければならない。


「ヤンデ。俺、もう我慢できねえ」


 適当な台詞とともに、とりあえず彼女の唇を貪ってみた。


 人間と大差無い感触であることはわかったが、秒以上は続かず。

 一般人なら一瞬で絶命するであろう腹パンを返された。


「……てぇな」


 弧を描いてベッドから転落した俺は、そのまま地べたで大の字になる。


「何に悩んでいるのか知らないけれど、ここは甘くないわよ。今、私達にできる最善の行動は、明日に備えて休むこと――冷静と休息は冒険者の基本でしょう?」

「……知らねえよ。俺は商者《バイヤー》だ」

「職練をサボるために商者に目をつける着眼点はあなたらしいけれど、そういう逃げ癖は直した方が良いわね。あなたはただでさえ無知なんだから」

「ごもっともで」

「あと、その臭いも消しなさい。できるわよね?」


 結界が効いているから魔法でもなく、川底から上がったばかりなのに再発する臭い――

 さすがに、ただの体臭だと通すには無理があるか。おそらくヤンデはスキルによるものと見ているのだろう。


(ダンゴ、今後は一切消してほしいんだが、できるか?)


 後頭部に衝撃が二連打ほど走る。否定の意だ。だよなぁ。

 この臭いはダンゴの不養生――無限に生じる俺の体液を吸いまくっているのが原因らしいから、ダンゴ自身がその贅沢をやめない限り、改善のしようがない。


「善処する」

「それから独り言もやめなさい。鬱陶しいし、痛々しいから」

「注文が多いな。料理店かよ」


 ヤンデからは何も返ってこなかった。


 再び安らかな吐息が聞こえてくる。切り替え早えよ。


(……そうだな。俺にはダンゴもいるんだ)


 俺の意地はモンスターに対しても例外ではなく、隠密《ステルス》モンスターやグレーターデーモンはもちろん、ダンゴにさえもあまり頼りたくない気持ちがあった。

 が、そんなことは言っていられないとの結論に至ったばかり。


(ダンゴ。寝なくても平気か? あと三時間くらい話せるか?)


 肯定の打撃が返ってきたので、ついでに睡眠についても尋ねておく。


 結論から言うと、モンスターに睡眠は必要ないそうだ。

 休息こそ適度にはさむものの、種族のように長時間意識を落とすという無防備な真似はまずしない。

 それでパフォーマンスが低下しないか疑問だったが、しないそうだ。廃人――注意資源が枯渇した現象も起こり得ない。


 俺は素直に、好奇心に従ってダンゴと対話を重ねた。

 睡眠の話題だけで、たぶん数十分くらいは費やしただろう。


(――明日からまた生活がガラリと変わる。対して俺達にはまだまだ戦闘面や逃走面、あるいは演技面での課題がある。良い機会だし、潰していこうぜ)


 モンスターゆえに睡眠の要らないダンゴと。

 バグっているがゆえに眠れない俺。


 憂鬱で退屈だった長い長い夜も、今日は平気だった。

=== 第四部 1章

第111話 入国

 砂漠のように広大な樹海が広がっている。全方位どこを見ても地平線しかない。

 そんな緑の海からは所々|梢《こずえ》が露出していた。どうやら目印になっているらしく、空を飛んだり空で跳んだりしている森人《エルフ》達が出たり入ったりしている。


 見上げてみると、雲一つとない青空の中で太陽もどき――天灯《スカイライト》が自己主張を続けている。


「落ち着きなさい」

「これが落ち着いていられるかよ」


 小屋で一夜を共にした俺達は早朝、女王サリアのお付きによってここに連れてこられた。


 一辺十メートルくらいの板張りの、ちょうど真ん中あたりを陣取っている。屋根無しの神楽殿《かぐらでん》とでも言えばいいのか、何々の間とかいった大層な名がついていそうとでも言えばいいのか、そんな感じの場所だ。

 それが無人島のように、ぽつんと浮いている。


 大自然とはこのことだろう。前世ではまずお目にかかれない眺望だ。


「ヤンデこそ、くつろぎすぎじゃねえか?」


 片肘をついて寝転んでいらっしゃる。せっかくのドレスが台無しだ。

 スリムな全身を包むワインレッドは、ライトグリーンの髪との対比でよく映えている。そんな姿勢でもなお美人なんだから、美人は得とは言ったものだな。


「変態」

「何も言ってないが」

「その格好。何とかならないのかしら」

「他に服が無いんだから仕方ないだろ」

「服くらい魔法で生成しなさい」

「無茶言うな」


 俺には男性エルフ用の服が用意されていた――のだが、ガリガリが着るようなサイズであり、筋肉質な俺にはキツキツだった。


「仮に生成できたとしても、結界の前では裸になるだろ」

「……」


 ヤンデが露骨に顔で不機嫌を示してきた。風魔法による殴打つき。息するように殴られる仲である。嬉しくねえ。


 そっぽを向いたヤンデを無視して、俺は引き続き緑の海を眺める。


(エルフの王女、ねぇ……)


 コイツの正体は、森人女王《エルフクイーン》サリアの娘だった。

 それで半ば無理矢理連行されてきたのが昨日、第一週十日目《イチ・ジュウ》――つまりは俺達が入学してからわずか十日後のこと。

 俺は完全にとばっちりなのだが、娘の気持ちを汲み取ったサリアが一人だけ連れてくることを許可し、ヤンデが俺を指名し、シキ王も快諾し、というわけで今に至る。


 この決定には俺はもちろん、ヤンデも納得していない。黙っているつもりはないが、少なくとも今すぐに覆すことは叶わない。


 どうしたものかと考えていると、背後からすとんと足音が聞こえた。二人分だ。


「王女様。お待たせ致しました」


 振り返ってみると、昨日と同様ドレッシーな装いの緑髪美人――女王サリアと、|ゲートの使い手《ゲーター》でもあるお付きのエルフ。


「申し遅れました。リンダ・エメラ・ガルフロウと申します。リンダとお呼びください」


 そう言いながら左手を腹の前でたたみ、右肘を突き出した状態で頭を下げる。エルフの作法だろうか。

 ヤンデはというと、寝そべったまま無言で見上げていた。


 俺の方を一瞥さえしないリンダが早々にゲートで立ち去る中、サリアが上品に腰を下ろす。

 裾で見えないが、体の動きから見て正座っぽい。


「ヤンデ。これからの処遇をお話しします。しっかり頭に入れなさい」


 やはり俺だけ蚊帳の外なのはともかく。


 この女王サリアこそが最大の障壁だろう。

 第一級の実力者であることに加えて、どういうからくりなのか結界――『魔子』の存在しない空間を操る術を持つ。

 魔子と言えば、魔法の媒介となる物質だ。原子のようなものだと思われるが、とにかく、これで満たされた空間でないと魔法は作用しない。


 一方、ヤンデは魔法でゴリ押しするタイプであり、相性は最悪。早速昨日も思い知らされたばかりだ。


「貴方には私と一緒に行動してもらい、王女としての基礎を身に付けてもらいます。獣人との確執はご存じですね?」


 ヤンデの返事は無く、代わりに破裂音が響いた。

 ワンテンポ遅れて、台風のような風音が耳を通過する。


 何が起きたのか全くわからん。ヤンデが何かを仕掛けたのは間違いなさそうだが。


「諦めなさいヤンデ。初速で私を超えることはできません」


 だんと地面を叩くヤンデ。彼女らしくない、ぽっかりと口を開いた表情が「嘘でしょ」と語っている。

 いや、「嘘でしょ!?」くらいだな。相当なレア顔と見た。


(なあダンゴ。何が起きたかわかったか?)


 後頭部に打撃の二連打が走る。否定か。

 博識な寄生スライム、ダンゴさんでもわからないとなるとお手上げだな。

 まあダンゴはレベルでいえば40程度だし、単に反射神経が追いつかずに観測できなかっただけかもしれんが。


「さすがは女王様です」


 突如、誰もいないはずの隣から声が。バグってる俺が心臓を高鳴らせることはないが、一応「うぉっ」とビビっておく。


 隣に目をやると、時空の門がぐわっと開いた。

 出てきたのは、さっきのお付きことリンダ。


「覗き穴から見ておりました」


 意訳すると、ゲートで開ける空間をドアスコープみたいに小さくして覗いてたってところか。何それ覗き放題じゃん。


「ジーサ様。先ほどは失礼致しました。王女様の婿だとうかがっております」


 勝手に決められただけだけどな。

 昨日以前の俺なら意固地になって否定するところだが、ぼっちの意地もいったんやめようと反省したばかりだ。

 俺は黙認という形でスルーしつつ、少し尊大に構えてみせる。


 ふと気になったことをつっついてみた。


「さっきの敬礼はしないのか?」

「あれは目上に対する挨拶ですが、男性には致しません」


 淀みの無い返しだった。

 薄々そんな気はしていたが、エルフはたぶん女社会だろう。いじめられないといいんだけど。


「男女の人口比は?」

「女性以外の性別は、おおよそ1000人に1人です」

「ハーレムじゃん」

「淫らな輩は容赦なく罰しますのでご注意ください」

「そりゃ怖い」


 冗談混じりに言ってみたが、目が全く笑っていない。この人、女王を実力行使で諫《いさ》めてたからなぁ……。


 王族親子だが、直立したまま向かい合っていた。何やら立ち方の指導をしているらしく、ヤンデは嫌悪感丸出しで渋々付き合っているという様子。

 戦意がないのは、既に折れたからだろうか。


「リンダさん。さっき起きたことを説明してくれないか。俺には何も見えなかった」

「風魔法です」


 彼女の凜とした声がよく届いた。

 届き方でわかる。見るまでもない。俺を凝視しているのだ。


「風魔法?」


 わざとらしくオウム返ししながら、俺もリンダと目を合わせる。

 やはりエルフという種族の美しさは別次元らしい。美人ではないと評する者などいるはずがない、と即答できる程度に整っている。いや整いすぎている。


 それが一点の遠慮もなく、じっと見つめてくるのだから堪ったものじゃない。

 幸いにも雰囲気は鋭利そのもので、好意だと誤認する余地がないから助かる。マゾな性癖なら逆に目覚めてしまいそうだが。


「王女様はこの場から逃走するべく、風魔法による高速移動を選びました。まずスピード優先の無詠唱でチューブをつくりつつ、高威力の詠唱を重ね、チューブの中から一気に打ち上げるという二段階を踏もうとしたのでしょう」


 チューブというより空気の砲身《バレル》をつくったというイメージだろうか。

 それだけでも意味不明だが、まさかそんな駆け引きがしていたとは。寝っ転がってるようにしか見えなかったぞ。


「女王様はそれを許しませんでした。王女様がどう出るかを冷静に観察した後、最小限の力で結界を展開――チューブに干渉しました。先ほどの風圧は、行き場を失った風が流れたものです」

「遠回りじゃないか? 普通に第一級のスピードで押し通した方が速いと思うが」


 それこそ皇帝ブーガみたいに神速で突っ込めば、たいていの相手は為す術もない。


「押し通すとは?」

「普通に走るなり跳ぶなりして接近するってことだよ」

「どうやって?」

「どうやってって、普通に」


 リンダは当惑しているのか目をぱちぱちとさせた後、


「もしかして、戦闘は素人ですか?」


 俺が頷くと、綺麗な双眸が細められた。


「素早く移動するためには頑丈な足場が必要です。ここの床は脆いですし、空中足場《エア・ステップ》を出してから踏み込むくらいなら、風魔法で自分ごと飛ばした方が速い」


 ああ、そういうことか。

 フィクションでは度外視されやすいが、ここは現実。物理的な制約が存在する。いくらパワーが強くても、蹴る先の物体が壊れてしまえば反作用は得られない。

 たしかに、ここの床は脆そうだ。たぶん俺が空に飛び出そうと全力ジャンプしただけで半壊はする。


 感心していると、「常識ですよ」などと小言が飛んできた。

 別に黙っていても良かったが、俺は好奇心に負けて、


「アンタ、女王にも疎ましがられてそうだよな」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「褒めてないんだが」

「シキ様は褒めてくださいました」


 微かに口角が緩んだのを、俺は見逃さなかった。

 それも一瞬のことで、半秒もしないうちに解除される。隙のないお嬢さんだ。いや年上かもしれないけど。

 サリアもそうだが、見た目が若々しくて年齢がマジでわからん。

 ついでに尋ねようとすると、「ぐほっ」右ストレートみたいな打撃が頬に走る。


「浮気は許さないわよ」

「……ただ話してただけだろ」


 痛みはゼロだが、演技の癖でつい頬をさする。


「ジーサさん。これから我らエルフの状況を共有します。貴方も婿になる身ですから、当然知っておかねばなりません」


 上品に口パクするサリアから明瞭な美声が届いてくる。離れた相手に声を届ける振動交流《バイブケーション》だろう。

 この距離なら少し声を張ればいいだろうに。


「座ってください」


 リンダの声がした。音の入り方がサリアと同様、振動交流的だった。

 この感覚にはまだ慣れない。なんというか、細い音の塊がシュルっと入ってくる感じで気持ち悪いんだよな。


 見ると、彼女は既に正座している。これも作法なのだろうか。

 正座と言えば日本発祥というイメージがある。クソ天使の趣味か、それともジャースのエルフ族が偶然辿り着いたものか。俺に知る由はない。


 サリア直々の青空教室が始まった。

第112話 入国2

 空中に北海道そっくりの地図が浮かんでいる。

 アーノルド先生の空中板書とは比較にならないクオリティで、一体何をどうしたら土や水でこんな精巧な地図をつくれるのだろう。


「北ダグリンは四つの領域に分かれています。人間領、軍事境界線、獣人領、そして我らエルフ領です」


 女王サリアの言葉に呼応して、地図の該当部分が淡く燃える。エルフに聖魔法――光を出す魔法は使えないから、火魔法で代替しているのだろう。


 魔法と言えば、この会話もそうか。

 振動交流《バイブケーション》――風魔法の応用による音声伝達によって実現されている。当のサリアは俺達に背中を向けているし、声も発していない。

 代わりに、振動が俺の耳に送り込まれているわけだが、脳内に直接送られているかのような錯覚を覚えなくもなかった。

 テレパシーがあるとしたら、こんな感じなんだろうか。


「この大陸の原住民はエルフですが、今は種族間協定により三つの種族が共存しています」

「協定って廃戦協定のことか?」

「違います」


 俺のぼそっとした呟きも例外なくキャッチされる。口元の振動を読み取っているらしい。


「戦国時代の後に制定されたものです」


 先日、俺がグレーターデーモン達と戯れている間に、ギルドも含めた四国《よんごく》間の戦闘行為を禁止する協定が新たに制定されている。これが廃戦協定だ。

 今後はギルドが主体となって、四国総出で魔人族討伐を加速する流れになるらしい。


 対して戦国時代とは、ギルドのような組織やダグリン、アルフレッドといった国が立ち上がる前の戦乱期を指す。

 シキ王の先代以前の話だから、五十年前とか百年前とかいった遠さだろう。


「まずはエルフと獣人の関係から話しましょうか。一言で言えば、領地を取り合っています」


 軍事境界線は、北ダグリン大陸を南北に分断している。

 前世の言葉で言えば、札幌市の辺りから東に、大陸の東端まで線が伸びている。

 幅も視認できる程度には広い。こっちのスケールはわからないが、仮に前世と同じと仮定すると、十キロメートルくらいはありそうか。


「境界線の北側、広い方がエルフ領で、南側が獣人領です。しかし侵攻は日々行われていて、現状はおおよそこのようになっています」


 空中地図の一部がぼうっと燃えた。

 獣人領を示しているらしい。南側がほぼ隙間なく燃えているのに加え、北側も主に境界線の近くが燃えている。海岸部分もちらほら燃えてるな。


「見てのとおり、獣人族に押されているのです。戦力差はさほど大きくありませんが、我らの不利が覆ることはありません。数年程度は保《も》つでしょうが、時間の問題と言えます」

「協定があるんじゃないのか。なんで争ってる?」

「戦闘は協定の範囲内です」


 サリア曰く、エルフと獣人間の領地争いは最初から協定に含まれている。

 もっと言えば軍事境界線と人間領では戦闘行為はできないが、エルフ領と獣人領であれば、両種族に限り解禁されているとのこと。


「協定なのに戦闘行為を認めるのか? 竜人がはっきり線引きした方がてっとり早くないか?」

「先代に言ってください。我らの先代も、当時の獣人側の代表も、互いに譲らなかったと聞いています」

「続けたいなら勝手にやってろってことか」

「先代の判断は正しかったと考えています。我らは今、人口増加に伴う土地不足に悩まされているのです。獣人領が必要です」

「それで」


 声高に割り込んできたのはヤンデだ。

 振動交流できるだろうに、あえて声に出しているところに反発の意志を感じさせる。


「今さら私を連れてきたのはなぜかしら。兵力にでもするつもり?」

「自覚があって何よりです。ヤンデ、貴方の責務は二つあります。一つは王族としてエルフ族を導くこと。もっともこれは適性もありますし、急ぎでもないので当面は教育に留めます。そんなことよりも重要なのが二つ目、獣人領の奪還です。貴方には主力になってもらいます」


 ヤンデは盛大なため息をついた後、


「正気? 子供を戦争に参加させる親がどこにいるの?」

「私達は王族ですよ」


 サリアが振り返った。

 一目で女王だとわかる装いを抜きにしても、王だとわかる神々しさが放たれている。


「そのような常識にとらわれていい立場ではありません」

「自分の子供さえ大事にできない無能に何ができるのかしら?」

「我が子への愛情は手段であって、前提ではないのですよ。必要なら殺すこともあります」


 二人とも無愛想だが楚々としていて、サリアはともかくヤンデもエルフという人種なのだなぁと改めて思うが、さっきからオーラがビンビンで居心地が悪すぎる。

 肌がピリつくというか、熟睡していたとしても一瞬で目を冷ますほどの圧だ。


「王族としての自覚も教えないといけませんね」

「誰も一言も手伝うとは言ってないけれど?」

「女王は私です。貴方に決定権はありません」

「無理矢理従わせるの? 多忙な御身には苦しいのではないかしら? あなたでなければ私は抑えられない。そこの従者と変態くらいなら捻れるわよ」


 俺を引き合いに出してんじゃねえよ。あと無理だと思うぞ。魔王がさじを投げるくらいだからな。

 それはさておき、話が全然進まねえ。


「なあ。まずは女王の説明を聞こうぜ」


 ぱん、ぱんと大げさな拍手つきで割り込む俺を前に、二人の応酬が止まる。

 ギロリと睨まれる俺。怖い怖い。


「サリアさん。人間領はどういう位置づけなんだ? ダグリン共和国は皇帝ブーガの支配下だと聞いているが、ここはアンタが仕切ってんだよな。どういう体制になっている?」

「ジーサ様。先ほどから目立っていますが、言葉遣いには注意願います」


 リンダがわざわざ横目で俺を刺してきた。

 実力行使しやすくする――つまりは俺に少しでも攻撃を加えやすくするために視界に入れた、と考えるのは考えすぎだろうか。いや、考えすぎじゃないな。ちくちくとした殺気だ。


「そういう設定は後で考えればいい。どうせ防音障壁《サウンドバリア》張ってて外には漏れないんだろ? それに今の俺が、アルフレッド王国現国王と対等に話せる立場ってのは昨日見た通りだ」

「リンダ。彼の言う通りで構いません。続けましょう」


 サリアが認めたところで横目と殺気も引っ込んだ。


「先ほど少し話しましたが、戦闘行為が禁止されているのは軍事境界線と、その西側の領域である人間領です」


 空中地図に魔法が上書きされ、今度は南端の函館市から札幌市のあたりまでが燃え始めた。


「人間領は南ダグリンと同様、皇帝ブーガが統治しています。北ダグリンの都市機能が集中しており、政治や貿易、その他種族間の連携や調整を行います。エルフと獣人はどちらも領地内が他種族禁制ですから、他種族と対面する場合は人間領に足を運ぶことになります」


 よくわからんが首都みたいなものか。


「居住地域もありますが、ダグリンルールに従っているためエルフには使えません」

「ダグリンルールとは?」


 サリアによる解説がしばし続いた。


 ダグリンルールとは、ダグリン共和国に適応される国家形態を指す。

 皇帝ブーガ含め全員が一律平民である、ベーシックインカムのような仕組みがある、国民は与えられた住居に住み、与えられた職務にのみ従事し、規定された生活リズムに従う――

 いわゆる社会主義らしく、何から何まで同列にコントロールする印象を受けた。


 そんなダグリン共和国は南ダグリン――日本地図でいう九州の部分と、空中地図にも浮かんでいる北ダグリンから成っている。

 ダグリンルールが除外されているのは北ダグリンだ。しかし人間領の居住地域は除外されていない。

 要するに、エルフと獣人に限り免除されていると言える。


「居住地域は使えないって言ったな。協定で禁止されているのか?」

「禁止はされていませんよ。種族問わず誰でも使えます。ただ、ダグリンルールに従う必要があるというだけです」

「それができない、と」

「エルフは繊細なのです。この深森林《しんしんりん》で生きていくことしかできない」


 サリアが床の端にまで移動する。

 その視線が樹海の大海原、その先の地平にまで伸びる。


 不躾だが俺も立ち上がり、端まで寄ってその眺望を収めた。


「この自然は壊してほしくねえなぁ」


 |この木何の木の木《モンキーポッド》のような樹冠が、草原と見間違えるほどの密度で並んでいる。

 ただの山なら前世にも腐るほどあるだろうが、山どころか丘レベルの起伏さえ見当たらない。本当に、ただただ平坦な広葉樹林が敷き詰められている。


 この下にはどんな光景が広がっているのだろうか。

 今もたくさんのエルフ達が暮らしているのだろう。想像してみるだけで数時間は過ごせそうだ。


「素晴らしい環境でしょう?」

「ああ。これは人工的に整えているのか?」

「自然ですよ。これらの木々はストロングローブと呼ばれています。非常に硬いので、伐採はできません」

「サリアさんでも?」

「私でもです」


 何が嬉しいのか、サリアがくすっと相好を崩した。

 横顔だけでも息を飲んでしまう美しさで、直視が失礼だと頭ではわかっていてもつい粘ってしまう。


「見境ないわねあなた」

「仕方ねえだろ。エルフは美人すぎる」

「女王様への猥褻《わいせつ》行為は死罪ですが」


 後ろの二人が怖いのでこの辺にしておく。


「それでジーサさん。貴方にはグリーンスクールに転入してもらいますが、希望する肩書きはありますか?」

「……は? 学校に入るの俺?」

「エルフを知らなすぎる貴方を、深森林で放し飼いするわけにはいきません」


 話題が俺の処遇に移るのは良いとして。


 シキ王もそうだったが、なぜ学校に入れたがるのか。

 学園というとフィクションの鉄板だが、俺も前世で言えばアラサー後半。正直ワクワクよりもだるいめんどいしんどいが圧勝する。

 が、そうも言ってられないし、どうせ覆る余地もないだろう。


 俺は希望する処遇を話した。

第113話 入国3

「――もう一度聞きますが、それでよろしいのですか?」

「ああ。それでいい」

「ヤンデ。彼は特殊な性癖の持ち主なのですか?」

「見れば分かるでしょ。筋金入りの変態よ」


 ひとまず母親と停戦協定を結んでくれたのは良しとして、俺がいつ筋金入りの変態になった?


「何よ。言いたいことがあるなら言いなさい。父親の権力を利用してエルフという女の園に入ろうとしているクズと利ける口なんてないけれど」

「ご丁寧に説明どうも」

「私を襲ったことも忘れてないわよ」

「え? 襲った?」


 風圧を生じさせる速さで振り向いてくる女王。目が据わっていてホラーである。

 時間で言えばコンマ秒未満の出来事だが、レベルアップして反射神経も向上している今でははっきりと認識できる。


「恋人なんだから当然だろ。まあヤンデは奥手のようだが」

「喧嘩売ってるの? 買うわよ?」

「喧嘩はいいからその話、詳しく訊かせなさい」


 娘の恋路に興奮するお母さん。

 アンタ、本当は娘のこと大好きなんじゃなかろうか。


 それはともかく、俺達はさっきまで設定をつくっていたところだ。

 エルフ族にはグリーンスクール――アルフレッドでいう王立学園のような学校があって、俺がそこに転入するのは不可避。

 その際、問題となるのが俺の実力と立場だが、これをどうするかを話し合ったのだ。


 まず実力だが、王立学園の時と同様、隠す方向に。

 レベルは現在と変わらず10を申告した。

 ヤンデ、サリア、そしてお付きのリンダまで全員から胡散臭いものを見るような目で見られたが、どうもジャースでは実力を過小申告する類の発想はしないようだ。

 前世ではポピュラーなんだがなぁ。弱者の演技をする強者はよく知られたカタルシスの一つだし、能ある鷹は爪を隠すなんてことわざもある。


 次に立場だが、身分が低いと何かと面倒だと痛感したので、今回は高くした。



 つい先日、エルフは同国との大きな政治的交渉を行った。先方が提示した見返りが『エルフ領の視察』。エルフ側はこれを受諾する。

 視察方法としてグリーンスクールへの転入が組まれることとなったが、その要員として挙がったのが、権力に物を言わせた、ある大貴族の息子だった。

 ジーサ・ツシタ・イーゼ。エルフという女人族にただならぬ興味を持っている男である――



 そんなストーリーをつくったわけだが、その際、俺がことさら強調したのが下心だった。


 無下にはできないほど高貴であり、しかし誰もが軽蔑するほどゲスな客人。

 このような体を強調すれば、良い隠れ蓑になる。


 もう妥協はしないと決めた。

 森でサバイバルしてた元第一王女に声を掛けたり第二王女に脅されていた金髪幼女を助けたりなんてことはもちろん、嫌われ体質のぼっち女子やコミュ障首席シャイと会話したりなんてこともしない。

 とにかく目立たず、騒がず、日陰者の男子生徒として過ごすのだ。


「去勢しておいた方がいいんじゃない?」

「今のところ大丈夫よ。私の方が強い」


 なんか物騒な会話をしているが、それだけはやめてくれ。

 無敵バグが露呈してしまえば、そのうち人類の脅威とみなされて永久封印ルートに至りかねない。魔王と綿人長老は見逃してくれたが、仮に竜人にでも目を付けられたら厄介だ。


 もしバレそうになったら、最悪コイツらごと消し去るしかない。

 200ナッツ以上をチャージした俺なら可能だろう。

 1ナッツで王宮敷地内にクレーターが生成され、近衛《ユズ》が瀕死になるわけだから、連発すればコイツらはおろかエルフ族そのものが半壊する。

 ……いや、ど派手に殺戮すれば、それこそ竜人が出てくるか。


「繰り返しますが、淫らな行いには容赦致しませんのでご注意いただければ」

「リンダさん。俺に何か恨みでもあります?」

「男は嫌いです。生理的に受け付けません」

「知らんがな」

「気を付けた方がいいわよ。ジーサ、意外と力が強いから」


 さっと胸を隠すリンダ。エルフの貧乳に興味はないです。

 それとヤンデさん。マジなのか演技なのか知らんが、呑気に家族団らんしてる場合じゃねえからな。わかってんだろうか。



 ――私はジーサのことが好き。



 ――ジーサ、あなたがシニ・タイヨウよね?



 ――あなたがビジョンを示すのよ。



 俺を好いていて。

 シニ・タイヨウという正体を知っていて。

 俺に|人生の方角《ビジョン》を委ねている女の子。


 レベルは62だが、第一級さえ相手にできるっぽい魔力も持つコイツは絶対に敵に回してはいけない。


 今の俺はヤンデと一心同体だ。

 エルフ族から逃げるにせよ、王女として順応するにせよ、ヤンデの今後次第で俺の立ち回りも変わる。


 一度打ち合わたいところだが、サリアに聞かれるわけにもいかないし、さてどうしたものか。


「リンダ」

「はっ」


 女王の指示語すらない指示で、リンダが「【ゲート】」時空の門から何かを取り出す。

 白一色の腕輪……だろうか。それがふわりとサリアの元に飛んでいく。


「ヤンデ。貴方にはこれを装着してもらいます」


 今のところ女王の命令には抗えない。

 ヤンデはおとなしく受け入れたようで、顎を上げる。音もなく嵌められたのは首輪だった。


 それで終わりかと思いきや、サリアは両手をかざして何やらブツブツ唱え始める。声は全く聞こえてこず、「けちくさいわね」とはヤンデの発言。

 俺なりに推測すると、無詠唱した防音障壁《サウンドバリア》で口元を覆っているのだろう。どの魔法をどう使ったのかを聞かれないために。


「娘をなんだと思っているのかしら」

「ヤンデ。何なんだそれは」

「オリハルコンよ」


 首輪を指でつつくヤンデ。きん、きん、と硬そうな金属の音が響く。


「ミスリルよりも硬い金属だっけか」

「金属かどうかは知らないけれど、ジャースで最も硬い物質らしいわね」

「その通りです。力尽くで壊すことはできませんし、その前に貴方の首が壊れるでしょう」


 首輪というと、外したり離れたりすると爆発する類の装置を思い浮かべるが、そもそも外せないと来たか。

 サリアは「私の自信作ですよ」などと得意気だ。


「その首輪――無魔子首輪《マトムレスチョーカー》は、オリハルコンから魔子を抜いたものです」

「どうやら私の母親は、こういう発想ができるほど残忍らしいわね」


 サリアの意図を理解したようで、ヤンデは軽蔑の眼差しとため息を母親にぶつける。

 サリアもサリアで全く気にした様子がない。


「貴方は当然ゲートが使えるでしょうし、私がかかりっきりになるわけにもいきませんから。封じるのは当然のことです」


 ヤンデは早速首輪をはずそうと力やら魔法やらを加えているが、たしかにびくともしていない。

 そんな様子を見ながら、俺はしばし頭を巡らせて、


「マトムレス……そういうことか」


 ようやく合点が行く。


 直後、俺の脳内に魔子《マトム》と無魔子《マトムレス》という言葉が流れ込んできた。

 デバッグモード仮説を調べるチャンスだ、ということで外からの干渉を意識してみたが、まあ何もわからなかった。そう甘くはないか。


 俺は注意を戻して、答え合わせをする。


「魔子を含まない物体を持っていると、そこがつっかえてゲートを通れない――そういうことだな」

「ご名答です。エルフの機密技術ですから内緒にしてくださいね。シキさんにもですよ」

「善処します」

「機密を漏らしても死刑ですが」


 首に手刀を当てるジェスチャーまでつけてくるリンダさん。さっきから怖いんですけど。


「それで、なんでサリアさんはオリハルコンを着脱できる? 硬くても魔法には弱いとか?」

「大したことじゃないわ」


 答えたのはヤンデだった。

 苛立たしげに首輪をきんきん叩きながら、


「オリハルコンを構成する物質に少なからず魔子が含まれているとしたら、魔子を操作することでオリハルコンそのものの形状を変えることも不可能ではない」

「わかるような、わからんような」


 魔法の媒介となる魔子を、魔法で動かす? そんなことができるのだろうか。

 そもそも魔子とは何者なのか。俺は原子のイメージなんだが、だとすると、サリアは特定の原子を操作できる力を持ってるってことなのか?


 いや、そもそも無魔子《マトムレス》ってことは、そのオリハルコン首輪には魔子は含まれてないってことだよな。操作できなくないか?

 実は無魔子といっても微量は含まれている?

 それともオリハルコンを変形させるときに魔子を流し込み、変形させた後に魔子を取り除いている?


 疑問が色々と浮かんでは消えたが……うん、わからん。

 わからないことを深く考えるのは時間の無駄だ。


「あなた、ゴーレムの倒し方も知らないの?」

「は?」

「土魔法と水魔法で、ゴーレムを構成する泥と同じ成分をつくるのよ。そうしたら干渉できるでしょう? 干渉できたら、あとは霧《ミスト》のメタファで撃つだけ。霧散して終了よ」

「専門用語が多すぎてわからん」


 強いて言えば、メタファくらいか。

 授業で習ったばかりだが、スーパー・ファイア・アローのアローの部分だよな。通常魔法をどういう形状で撃つかという|たとえ《メタファー》。


「そうだったわね。ジーサは落ちこぼれなのよね」


 イライラしているのはわかるが、俺に当たらないでもらえるか。


 ふとサリアの方を見ると、「ほう」とでも言いたそうな表情を浮かべていた。取り繕ってないのか、可愛らしさが同居していて、正直反則級の顔面だ。

 俺がチョロいのか。

 否、エルフが美人すぎる。


「それでは散会しましょうか」


 サリアは俺を気にした様子もなく、解散を口にする。

 俺が見惚《みと》れたのもたぶんわかってるよな。この気恥ずかしさは嫌いだ。


「ジーサさんはリンダに従ってください。ヤンデはついてきなさい」


 間もなくサリアがライナーのように飛んでいった。

 ヤンデも「はぁ」と露骨に嘆息した後、ついていく。


 残ったのは俺とリンダだけだ。

 この人と二人きりか……。普通に嫌なんだが。怖いし。


「ジーサ様。まずは避妊対策をさせていただきます」

「……なんて?」

第114話 入国4

「避妊です。無闇に孕《はら》ませられると困りますので」


 王族親子が立ち去った後、俺の監督役であろうリンダが開口一番、そんなことを言い出した。


 冗談ではないらしい。

 俺の股間部を見ながら、憎悪に歪んだ顔つきを浮かべていらっしゃる。


「【ゲート】」


 鉄門サイズのゲートが展開され、中からエルフが一、二、三四、五人ほど出てきた。

 やはり容姿は例外なく整っているらしい。濃い緑色の長髪と突き出た耳、主張の乏しい胸部、あと冗談が通じそうにない鋭利な雰囲気も共通している。


 衣服は動きやすさと薄い緑基調で統一されているが、露出具合に個性が出ていた。

 ヘソ腋太ももと全部見えてる人から、手首足首くらいしか見えない人までいる。ぴっちりがお好きらしく、浮き出た身体のラインが艶めかしい。


 エルフの一人がリンダに何かを放つ。重力を無視した水平軌道ですーっと飛んでいくそれをリンダは受け取った。


「これを摂取していただきます」

「薬か?」

「スパームイーターと呼ばれるものです」


 リンダがつまんでいるのは、透明な薬莢《やっきょう》とでも言えそうな容器だ。

 中に濁った液体が入っていて……ん? なんかうねっとした細い線が見えたが。


「寄生虫です」

「ふざけるな」

「排尿のタイミングに合わせて、これを逆流させます」


 今、排尿って聞こえたんだが……。


「魔法で強引にねじ込むこともできますが、スパームイーターが傷付いてしまいます。逆流させるのが一番確実です」


 気のせいじゃなかった。

 |食べる人《イーター》だから何か食べるのは間違いなさそうではある。

 無論、無敵バグを煩ってる俺は垢どころか粘膜を1ミリ削ることさえ叶わない。不審がられる展開は避けたいところだ。


「なんでそんなことしなきゃいけない? 俺の体内を貪らせて弱体化させる気か?」

「下を脱いで、排尿してください」


 リンダが容器のふた――コルクのようなものをポンッと抜く。


「避妊対策中は罪になりません。早く出してください」

「いや、心配してるのはそこじゃねえんだが」

「今すぐ出そうにないなら、水をお飲みください」


 無詠唱で発動したのか、宙に水の球が出現。ふわふわと浮かびながら、俺の口元に近づいてくる。


「だからそうじゃなくて」


 バグってる俺は羞恥心なる感情も死んでいるし、ルナ相手にいきなり裸を見せたりもしたが、今はさすが状況が違う。

 開放的な青空と深森林《しんしんりん》のもと、絶世の美女達に凝視されながらのモロ出しである。これに抵抗感を抱かない前世の現代人はそうはいないだろう。


「自分で出すか、無理矢理出されるか、選んでください」

「自分で出します」

「水はお飲みになりますか?」

「要らん」


 逃げられる状況でもないし、観念するしかない。

 半パンを脱いだ後、股引《ももひき》のような下着――男性エルフの下着らしい――も脱いでいく。


(ダンゴ。膀胱に尿をセットしてくれ。できるなら肯定、できないなら否定の応答をしろ)


 ゴツッと後頭部に単発のダメージが。

 念を入れるなら尿の成分も指定するべきだろうが、老若男女で大差はあるまい。


(あとスパームイーターという寄生虫が入るみたいだから、殺さないようにしてくれ。できるか?)


 もう一度単発の殴打が返ってきた。何とか凌げそうだな。


「なあ。そのスパームイーターとやらは、体内のどこに入って何をする?」


 股引の下には黒いトランクス――ダンジョン『デーモンズシェルター』最深部で手に入れたレアアイテムを履いているが、見せるのは憚《はばか》られる。

 股引と一緒に脱ぐことにした。


「精を貪り続けると聞いています。詳しいことは知りません」

「そんな得体の知れないものを寄生させるのか? 俺はアルフレッドの大貴族だぞ?」


 間もなく全部を晒した俺だが、リンダは一切の躊躇も無しに近寄ってきて、そばで屈むと。


 ぶにっと俺の俺を掴んできた。


 指は三本。出入口を押し広げるように、きゅっと押してくる。妙に慣れている手つきだと思いました。まる。


「安全性と効果は保証します。排尿してください」


 カルチャーショックを受けている場合ではない。


(ダンゴ。精とは精子のことだろう。精巣や精嚢《せいのう》に注意してくれ。たぶんスパームイーターが勝手に目指してくるから、邪魔をせず見守るくらいで良いんじゃないか)


 ダンゴは賢いし、寄生経験が長いだけあって人体には俺よりはるかに詳しい。あとはよしなにしてくれる。


 心配する間もなく、下腹部が懐かしい感覚を覚えた。

 普段は全然排泄しないからなぁ。この辺の筋肉の使い方を忘れるまである。


「まだですか?」

「緊張してるんだよ。もう少し待て」


 しんと静まり返った大自然の屋外で、男の排尿を待つエルフ達――

 俺は一体何をしているのだろうか。


 ささやかな報復、と言うと大げさだが、事前予告なしに撃ってみる。

 リンダは表情を変えるこもなく、ジャストタイミングで容器を差し出した。同時に風魔法を無詠唱したのだろう、飛散と接触を完璧に封じている。


 そんな器用な魔法に感心を覚えているうちに、うねっとしたものが俺の俺を捉えた。遠慮無く侵入してくる。


「う、ぐっ……」


 尿道カテーテルを一気に引き抜いたような痛みだと思う。一応苦しむ演技をしつつも、意識は体内に向ける。


 違和感は数秒ほどでなくなった。


(ダンゴ。スパームイーターは中に入ったか?)


 肯定の単打。


(そいつと意思疎通はできそうか? 仲良くできそうか?)


 遊び半分で聞いてみたが、どちらも肯定が返ってきた。マジかよ。


「摂取していただいたので、確認させていただきます」

「……確認?」


 エルフの一人――露出が一番激しい人がこっちに来た。「お願いします」そう言ってリンダは何歩か下がる。


「仰向けに寝てください」

「……は?」

「聞こえなかったのでしょうか。しごきにくいので、仰向けになってください」


 このエルフも真顔で何を言っている?

 俺が視線でリンダに問うと、「精が出ないことを確かめさせていただきます」そんなことを言い出した。


「容姿に偏りがあることはご了承ください。その代わり、テクニックに長けた者を揃えてあります。この五人で確認しきれなかった男性は今までいません」

「……」

「何度も申し上げますが、避妊対策中は罪になりません。これ以降、淫らな行為を行える機会はありませんので、今、この場で、しっかりと発散していただければと思います」

「……」


 本当に唖然とすると、何も言葉が出なくなるものなんだな。

 いや、誤魔化すのはよそう。


 俺は醜い内心と戦っている。

 知識としての羞恥が思い浮かぶ一方で、体験してみたいと期待する俺もいて、そんな俺に幻滅している俺もいる。

 その裏で、無敵バグをどうやって誤魔化そうかとか、ダンゴとスパームイーターは何を話しているのかとか、そんなことも考えている。


「これでも我らは相当に譲歩しています。ジーサ様のような高貴な方でもなければ、切除しているところなのですよ?」


 そんなバカな。宦官《かんがん》じゃあるまいし。


「それとも切除がお望みで?」

「今のままで頼む」


 俺は仰向けになるしかなかった。






「――引きちぎっていいですか?」

「いいわけねえだろ。俺は大貴族の息子だ。種族問題に発展させたいのかアンタ?」


 仰向けに寝て下半身を晒したままの俺は、《《五人目》》のエルフに軽蔑の眼差しを送った。

 ピッチピチの服から浮き出た身体をいやらしく眺めることも忘れない。


「エルフってのは見た目が綺麗なだけか? ん? 何がテクニックだよ? お粗末なのは胸だけにしろっつーの。まだ俺の奴隷達の方が上手だぜ?」


 俺は自分の設定に従い、尊大に構えることを繰り返したが……少々やりすぎたかも。だらしないクズが生まれてしまった。

 仕方ねえっちゃ仕方ねえんだけどなあ。演技は極端な方がやりやすいし、忘れにくい。


「リンダ様。殺してもよろしいでしょうか」

「今は我慢してください。どうせ罪を犯すでしょうから、その時まで待ちましょう」


 リンダが親の仇を取るような恐ろしい形相で見下ろしてくる。気合いの入った演技だな。……演技だよな?


「不能、なのでしょうか」

「とてもそうには見えません。性欲の権化という顔立ちをしています」

「私も同感です。飽きもせずに我らの身体を舐め回すように見ていることがその証拠です」


 少し離れたところで、他のエルフ達が真顔で俺を見下ろしながら好き放題言ってやがる。


 他と言えば、物珍しいのか野次馬もちらほら。

 鳥や猿みたいに空や深森林から次々とやってきて、今は三十人くらい。ちらほらじゃねえ。


「あれは何者なのですか?」

「人間族の大貴族だと仰っていましたよ」

「人間の男は、どうしてこう醜いのでしょうか」


 俺のせいで人間族の皆さんの株が下がっているようだ。申し訳ない。


「わかります。私も以前パーティーを組んでいた時、ダンジョンの深層でメンバーに襲われました。四人パーティーで、襲ってきたのは私を除く三人です」

「どう対処したのです?」

「モンスターの餌にしました。人間は性的に興奮すると判断力が鈍ります。案外何とかなるものですよ」


 その境遇には同情するが、その手の話が出ているのが既に一つや二つじゃないから恐ろしい。

 つーかてめえら、俺をだしにして井戸端会議してんじゃねえよ。


「皆さんは撤収してください」


 リンダがそう言った途端、ピタッと会話が止んだ。

 葉音しか聞こえないほどの静寂が訪れ、この雰囲気を損ねないままエルフ達が解散していく。普通に空を飛んでいるのも一人や二人じゃないが、それでも音は立たないし鳴らなかった。


「……」


 統率統制ってレベルじゃねえぞ。まるで機械だ。


 ひょっとして俺は、厄介な場所に足を踏み入れてしまったのではなかろうか。


「それではジーサ様。私が直々に確認させていただきます」

「え? まだやんの? 不能だっつってんだろ」


 ここまで五人のエルフ達によってしごかれた俺だが、一度も、一瞬も、息子は元気にはならなかった。

 当然だ。無敵バグに死角があるのなら苦労はしていない。

 俺は精液を出せないし、息子を元気にさせることもできなければ、そもそも興奮することさえできない。


「いいえ。ジーサ様はレベル10を申告していますが、実際は相当高いとお見受けします。でしたら、相応の負荷を加えなくてはなりません」


 男性器の勃起に必要な性的興奮は、物理的刺激からもたらすのが手っ取り早い。

 しかし、レベルの増加による身体能力強化は性器とて例外ではない。レベルが高いと、必要なパワーもそれなりに大きい。


「なるほど。事情を知るのがアンタだけだから、アンタがやるしかないってことか」

「……まさか王女様や女王様をご希望ですか? 死罪では済みませんが」

「なんでだよ」

「ここは目立つので場所を変えましょう」


 リンダのゲートにより、俺は薄暗い洞窟に連れていかれて。

 裸になったリンダからひたすら股間部に刺激を与えられたわけだが、無論、反応するはずもなく。


「――申し訳ございませんでした」

「アンタも大変なんだな……」


 汗だく全裸エルフの謝罪に、俺も思わず同情してしまうのだった。

第115話 入学

 樹海の中はジャングルだった。

 しかしスケールが違う。存在する木はわずか一種類――ストロングローブと呼ばれるもので、直径は5メートル、《《川面からの》》高さは50メートルを誇る。


 見上げると、色鮮やかな緑の屋根――樹冠と呼ばれる枝葉部分がぶわっと広がっている。直径は目算でざっと50メートルくらい。でかすぎる。

 これだけ覆われているから暗いかというと、そうでもない。木の葉が不規則に隙間をつくっているおかげで、ビームのような木漏れ日があちこちを差していた。


「がたがた揺れてるんだが、大丈夫なのかこれ?」


 足場は木製で、幹を囲うように設置されている。柵はない。

 他の足場とは橋で繋がっていて、その橋の一つを歩いているわけだが、まあ脆いの何の。メンテを放棄された木製アスレチックと良い勝負だろう。


「橋はあまり保守されていません。飛べば済みますので」


 俺の踏んだ床板がバキッと折れたので、とっさに反射神経で立て直す。破片というか木片が落ちていった。


「俺、飛べないんだけど」

「落ちたら死ぬので注意してください」


 下を見ると、ずいぶんと高いことがわかる。30メートルはありそうだ。


 一応注意して歩きつつ、いったん視線を上げて周囲を見回した。

 視界の果てまでストロングローブが並んでいるわけだが、どの足場も高く設置されているのがわかる。まるで水面が危険だと言わんばかりに。


「モンスターでも潜んでるのか?」

「リバーモンスター――通称『バーモン』が生息しています。攻撃力が高く、第二級以下の冒険者なら即死です」

「足場が高いこととも関係がある?」

「安全高度《セーフハイト》と呼びます。バーモンの攻撃は水面から30メートルまで届くので、それ以上に張れば安全です。逆に、それ未満だと死にます」


 リンダは橋から離れて宙に浮き、水面に指先を構えると「【スーパー・アース・ピストル】」飛礫《つぶて》を飛ばした。

 眼下では鋭い水飛沫が噴き上げていたが、間もなく何かが飛び出してくる。


 羽根のような尾を広げた魚――トビウオのような外観をしたもの。

 それが距離差5メートルの高さまでやってきて、ちょうど失速。ジャンプ力の限界らしい。


「見た目は無害そうだな」


 大きなおめめで俺達をガン見したまま、小さな口をパクパクとさせて風圧を発生させている。橋がぐらぐらと揺れるレベルで中々の強風だ――って、え? 風圧?


「トビウオです。噛まれたらひとたまりもありません」

「その名前は誰がつけた?」


 リンダは首を傾げ、「大昔のご先祖様ではないでしょうか」などという。たぶんクソ天使だな。

 しかし、前世のトビウオとは似ても似つかない。いや、姿とサイズはあんな感じだった気がしないでもないが、少なくともパワーがおかしすぎる。


「バーモンはエルフの主食です。ああやっておびき寄せたところを狩ります。とにかくパワーが強いので、完全に絶命させないといけません」


 だろうなぁ。あの口の動きは、俺の目では正直追うのがやっとだった。

 さっきリンダが撃ったピストルとは比較にならない。


「エルフって魚を食うのか。木の実とか食ってるイメージだが」

「木の実も食べますが、その発言は侮辱ととられるので注意してください」

「おい、待て」


 リンダは何事も無かったかのようにスルーしていく。というか飛んでいく。だから俺は飛べねえんだって。


 その後もリンダと深森林の中を進むこと数十分。

 やたら目映い場所に出てきた。


「おお、文明って感じだな」


 緑の天井が全て拓かれ、青空が見える。

 陽光が照らしているのは、建造物をびっしり生やしたストロングローブだ。

 安全高度より上の幹に、円盤のような足場がついている。その上に木製の家屋やらテラスやらが建っていて、エルフの姿もちらほらと。


 キクラゲみたいだ、というと身も蓋もないが、不思議と気品を感じさせるデザインに思えた。


「ここがグリーンスクールです」


 アルフレッドでいうと王立学園に相当する、森人《エルフ》族唯一の教育機関『グリーンスクール』。

 若くて優秀なエルフが集い、日々切磋琢磨しているという。実力者はほぼ通うことになるのだそうだ。


「なあ。本当に俺を通わせるのか?」

「決定事項です」

「普通に目立たない場所で一対一で教えればよくね?」

「そうすればジーサ様は相手を襲いやすくなるでしょうが、到底容認できません」

「だから俺を何だと思ってんだよ。それに不能だって証明できたろ」

「……すみませんでした」

「下半身を見るな。その気の毒そうな目もやめろ」


 一時はどうなるかと思ったが、何とか誤魔化せて良かった。

 俺の体液は無限に生成される。もし精液もその対象で、かつ外部刺激によって外に出る可能性があったのだとしたら、俺は誰よりも欲深い変態になるところだった。


「では教室に向かいます」


 リンダが飛行を開始する。俺は風魔法をかけられ引っ張られた。

 この人、ちょいちょい強引なんだよな。


(ダンゴ。俺の精液はどうなっている? 見たことはあるか?)


 ふわふわと浮いている間に、仮説の一つを相棒にぶつけてみる。

 後頭部には二連打が返ってきた。見たことはない、か。


(胃液と唾液はある。血液はたぶんあるが、アクセスできない。そうだな?)


 今度は二回分、肯定の単打が返される。アクセスという前世の言葉もちゃんと理解してくれている。


(涙や汗はない。鼻水もないし、尿もない。精液もこっち側ってことか)


 そういえば体液について、真面目に考察したことはなかった。

 まず体液によって存在するものとしないものがある点が意味不明だし、胃液や唾液が無限に生じる現象はもっと意味がわからん。


(……なあダンゴ。精巣や精嚢《せいのう》には侵入できるか?)


 肯定が返ってくる。

 薄々そんな気はしていたが、ダンゴはミリメートル以下の場所にも潜れるみたいだ。しかし血液にはアクセスできないから、大きさにも限度があるのだろう。


(そこに精液が貯まっていたことはない。そうだな?)


 これも肯定だった。


 精液は自然と生成され貯蔵される体液のはず。

 ジャースに異世界転生してきた俺だが、バグのせいで実質転移になっていることを考えると、生殖機能も前世のまま引き継がれていなければおかしい。

 精液は自然にはなくならない。なくなるタイミングと言えば。


(……ああ、そうか。出したわ)


 自殺の遂行が最も捗るのは賢者タイム直後である。

 そういえば新幹線で頭を吹き飛ばす直前、とっておきのおかずと道具で搾り取ったんだった。あの気持ちよさは今でも覚えている。


(賢者タイム後の身体がベースになっているってことか)


 結論。今の俺に生殖機能――というより精子を製造する能力は無い。


 ……別にショックでも何でもないが、最後の自慰行為をふと思い出しただけに、少々名残惜しい気もする。


(いや関係ないか。今の俺はどうやっても気持ちよくはなれない。ナツナでもダメだったんだからな)


 ダンゴに喋っても仕方ないが、俺はもうダンゴを友達のようにも思っている。ついつい喋ってしまう。

 ダンゴもダンゴで、そんな俺のことはわかっているので、いちいち反応はしない。


(ダンゴ。スパームイーターはどうしてる? 俺より面白いか?)


 見せつけるかのような単打を打ち込まれた。

 マジかよ。寄生虫のくせに半端ねえな。崇拝状態《ワーシップ》にして色々聞き出したい気分だ。


(たぶん精液を食べるんだよな。どうしてるんだ? 餓死してないか? もしかして精液もつくれたりするのか?)


 うるさい、と言わんばかりの肯定が届く。ダンゴにしては強い攻撃で「ぐっ」思わず声を漏らしてしまった。

 前を飛ぶリンダは気付いていない。あるいはスルーしているのか。


 そもそもそんな場合でもない。


(――おい待て。それって精液をつくれるってことだよな? それを受精させたらどんな人間が生まれる? まさか生まれてくる個体の性質まで制御できるとは言わないよな?)


 俺に言えた義理ではないが、生命の神秘を超越してやがる。命をつくれるってことだからな。


 ダンゴを問い質した俺だが、応答は返ってこなかった。

 スパームイーターと過ごすのが楽しいらしい。コイツの機嫌を損ねるのも面倒だし、引き下がるしかないか。


「くくっ」


 笑うという感情とも無縁の俺だが、わざとでも吹き出さずにはいられない。

 なんたって人の精液タンクの中で寄生スライムと寄生虫が談話してやがんだからな。一体何をどうしたらそんな展開になるのか。


 そんなこんなで、コテージが見えてくる。

第116話 入学2

 コテージの入口で、リンダが扉に手を掛ける。


「今日から転入生として、こちらのクラスに入っていただきます。粗相のようにお願い致します。なお、何度も申し上げますように、罰則は身分によらず適用されますので素行にも注意願います。どうぞ」


 一息つく暇もなく、リンダが扉を開けた。


(ダンゴ。気を引き締めろよ。何が起こるかわからん)


 広さは前世の中学高校教室くらい。生徒は二十人もおらず、地べたに正座して切り株の机で勉強するというスタイルらしい。

 やはり体型《スタイル》もエルフのもので、後ろ姿だけでも美人だとわかる。もうひとつ、俺の存在を認識されたのもわかった。目は誰とも一切合わないが。


 内装はコテージらしいというか、木の匂いを錯覚する温かさがあるな。

 天井は全面ガラス――なのか氷なのか知らないが一面が半透明で、眩しい光量が半減して注がれているようだ。


 奥に目を向けると、一段高くなった教壇に大きな黒板――いや粘土板が設置されていた。

 今も教員が何かを書いているが、その腕は組まれたままだ。魔法に操られたナイフが忙しく動いている。

 字はジャース語で、相変わらず古代文字的というか、暗号にしか見えなくて、一文字も理解不能。


「なあ、これ――っておい」


 小声でリンダに尋ねようとしたが、もうゲートをくぐりかけている。

 目が合ったのに、向こう側へと消えていった。間もなく閉じる時空の門。……もう少しフォローしてくれてもいいんじゃないかな。


「つまりアンサールートはレベルアップする度に変化する。よって強化魔法に頼る者は、アンサールートを探す時間を生活に組み込んでおく必要がある。人にもよるが一日、できれば二日は確保しておきたい」


 ふと大学という言葉が思い浮かんだ。今の俺は、講義中に遅れて入ってきた大学生という構図なのかもしれない。


 教員が何を言っているかわからないし、突っ立っていても仕方がない。

 とりあえず空いている切り株のうち、最も生徒から離れた席――左端の最後尾に腰を下ろした。


「誰でやんすか。不審者でやんす?」

「うぉっ」


 振動交流《バイブケーション》の声が俺の耳に入ってきた。ヤンデやサリアよりもぬるっとした入り方がちょっと気持ち悪い。

 が、慣れはともかく要領はわかっている。俺も小声で返した。


「今日からグリーンスクールに通うことになった。詳しいことは後で話す。アンタはこの中にいるのか?」

「リンダ様が同伴していたでやんすね。どうでやんすか? 良い匂いだったでやんす?」

「特に匂いは無かったと思うが」


 そういえばリンダやサリア、あと俺を弄んだエルフ達もみんな体臭が無かった気がする。ヤンデはそうでもないが。


「この講義が終わったら一緒に食べようでやんす。男性生徒は珍しいでやんすからね。仲良くしたいでやんす」

「アンタ、男なのか」

「ちゃんとついているでやんすよ。見るでやんすか?」

「やんすってのはなんだ?」


 そのとってつけたような口調。思わずクソ天使の介入を疑う。


「獣人の真似でやんす。語尾を揃えるとカッコいいでやんす」

「そうだろうか」


 講義が終わるまでの間、俺はコイツとの振動交流で時間を潰した。


 エルフは体臭が非常に薄い上に洗浄も念入りなため、匂いはレアだという。もし嗅ぐことができたら、それはもう興奮するんだそうだ。

 とりあえずコイツがゲスだということはわかった。






 どこからともなく鐘が鳴り響いて講義が終了した後。


「ジーサ・ツシタ・イーザだ。よろしく」


 コテージの隅で、俺は二人の男性エルフと向かい合っていた。


「申し訳ないでやんすが、拙者には名前など無いでやんす」

「いいから名乗れよ」

「ですがそれでは不便でやんす。仮初めの名を用意しているでやんす。聞きたいでやんすか?」

「ああ……」


 とりあえずコイツが面倒くさいってことも散々思い知らされている。


「心して聞くが良いでやんす――拙者の名は」


 バサッとマントをたなびかせる。あえてスルーしてたけど、後ろから見てても浮いてたぞその格好。


「シッコク・コクシビョウでやんす!」

「なんか大勢死にそうな名前だな」

「拙者の名に込めた意図に気付くとは、ジーサ卿もやりおるでやんすね」


 貴族という設定を教えた覚えはないんだが、それはともかく。


 漆黒や黒死病という概念がこの世界にあるとは思えない。にもかかわらず、コイツは意図として込めていたという。

 普段の俺ならもう少し考察するところだが、


「なあ、コイツって……」

「シッコクンはいつもこんな調子なんだな」


 もう一人の、低身長で小太りのエルフに話しかける。

 コイツはコイツでずっとピーナッツだか木の実だか知らないがぼりぼり食べている。口にカスがついてんぞ。


「これって病気だよな。中二病だっけか」

「チュウニビョウ? よくわからないけど、シッコクンは妄想をこじらせてるだけなんだな」


 一応たしかめてみたが、中二病という言葉を導入するほどクソ天使はファンキーではないらしい。


「そんなことよりも、ジーサクンはどの子が好み?」


 コイツもシッコクと同レベルで正直な奴なんだろう。室内を出入りするエルフへの視線が露骨すぎる。

 ボリボリ食いながら女子をガン見――中々にキツイものがあるな。


 二人がそういう立ち位置なのは既に知れ渡っているようで、女子達の距離は明らかに遠かった。視線も鋭く冷たくて、背筋をぶるっと震せたくなるレベル。


「……正直わからん」

「エルフは造形が似ているから、人間には区別しづらいかもしれないんだな」

「体型も貧相だしな」

「それ、絶対に言ったらダメなんだな」


 もう王女《ヤンデ》に何度も言ってますが何か。


 ……今頃何してんだろうな。

 サリア曰く、王女として鍛え上げるとのことだが。


「これからじっくりと教えてあげるんだな。僕はグレン・レンゴク。よろしくなんだな」

「ああ、よろしく。なんか熱そうな名前だな」


 手のひらも熱いし、べっとりしてるし。


「僕はシッコクンほどノリは良くないんだな。言ってる意味がわからないんだな」

「気のせいだ。忘れてくれ。ていうか手、拭けよ。汚えぞ」

「ジーサクンは細かいんだな」


 ぺろぺろと舐め始めるグレン。舌で拭く奴は初めて見たが。


「ご飯を食べに行くんだな。ジーサクンも来る?」


 俺が頷くと、グレンはニタァと嬉しさを表明しながらも、ぺろぺろ掃除は止めない。舐め終わってから喋ってくれませんか。


「ジーサ卿。趣味が悪いでやんすよ」

「は?」

「グレンに目をつけているようでありますが、彼も男には興味がないでやんす」

「俺がいつ男色家になった?」

「え? 違うでやんすか? エルフになびいてないから、てっきりそうなのかと疑っているでやんすが」


 割となびいている方だと思うがなぁ。

 既にヤンデで慣れたのと、バグっているのと、あと貧乳なのが大きい。もし胸が大きかったら、俺の視線はもっと忙しなかったことだろう。ただの脂肪の塊なのにな。


 だが、大貴族のクズ息子としては少々おとなしすぎるか。

 もう少し露骨に演じてもいいかもしれない。


「まずは案内してほしいんだが。この学校について、二人とも色々教えてくれよ」

「あいわかった、でやんす」

「骨の髄まで教えてあげるんだな」


 じゅるっと気持ち悪い音を鳴らすグレン。

 それでも嫌悪感が湧かないのが不思議である。……いや、不思議でも何でもないか。


 シッコクもそうだが、エルフの血に違わず容姿が整いすぎている。どことなく中性的だし、服装次第では普通に勘違いしかねない。


「一応訊くが、グレンも男だよな?」


 実は女なんです、みたいなフィクションあるあるは要らねえぞ。


「ジーサクン……シッコクンが言う通り、僕は男には興味無いんだな」

「その報われない者を哀れむような目はやめろ」

第117話 入学3

 中二病シッコクと小太りグレンに案内され、敷地内を歩いたり跳んだりすることしばし。


「ここが食堂プレーンでやんす」


 足場群《プレーン》とは、グリーンスクール敷地内の地面として機能している、このきくらげみたいな土台のことだ。

 地面という概念が無く、安全高度に設置された足場の上で生きている森人《エルフ》族だからこその言葉だろう。


「広いな。青空食堂ってやつか」


 木製の足場がグラウンドのごとく広がっており、切り株型の一人用テーブルがずらりと並んでいる。

 既に食事中のエルフも多いが、はしゃぐことも騒ぐこともなく、正座で行儀良く食べているから威圧感がある。

 足場は吊して支える構造らしい。硬そうなワイヤーがストロングローブから伸びている。


「雨降ったらどうするんだこれ」

「あめ? なんでやんすかそれ」


 一応グレンの顔もうかがったが、ピンと来てない様子。


「天気だよ。雨とか雪とか雷とかあるだろ」

「雪と雷は知っているでやんすが、その、あめ? とやらは初耳でやんすね。何が降るでやんす? 岩でも降るでやんすか?」

「岩が降ったら怖えだろ」


 雪と雷についても、どこか他人事な言及に見える。

 薄々そんな気はしていたが、やはりそうか。ジャースにおける天候は特殊だ。

 というより、日本ではお馴染みの季節がない。たぶん雨天もない。あるいは場所によってはあるのかもしれないが、少なくとも俺が過ごしてきたアルフレッドはそうだった。


「雷ってのはサンダーボルトだよな?」


 異世界人丸出しの喋り方をしてしまったので、話題を逸らしておく。


「そうでやんす。この前も近くに降ったでやんすね。ストロングローブが半分欠けて面白かったでやんす。見に行くでやんすか?」

「あとでな。メシ食おうぜ」


 シッコクとグレンも、そんな俺を気にする様子はない。目線も明らかにエルフ達に向いてるしな。

 気を張らなくていいのは助かるが、その開き直ったガン見はもうちょっと控えるべきではなかろうか。


「ジーサクンは何にする?」

「適当に見繕ってくれ。量はその辺のエルフが食べてるくらいでいい」


 グレンは相変わらずピーナッツみたいなのをポリポリしながら、行列ができている方へと向かっていった。

 俺達は近場の切り株机を陣取り、地べたに腰を下ろす。シッコクが正座なので俺も真似た。


「あれに並ばないといけないのか。辛そうだ」


 濃い緑のロングヘアーで統一された、綺麗すぎる美人がずらりと並んでいる光景は、遠目でも無視できない存在感がある。


「よりどりみどりでやんす」

「そうだな」


 衣服のバリエーションにも飽きが来ない。

 露出しているエルフは言わずもがな、していないエルフもぴっちり気味でスタイルが浮き出ている。自覚があるかは知らないが、逆にエロいと思います。


「ジーサ卿はどういう子が好みでやんす?」

「……」

「ジーサ卿?」

「なあ、気にならねえの?」


 気付かないふりをしていたが、さっきからキッツい視線が刺さってんだよなぁ……。

 汚物や害虫を見るような目と言えよう。俺が前世で女子に露悪した時も、ここまで酷くはなかったが。


「ジーサ卿が珍しいでやんすよ。エルフ以外がここに足を踏み入れることはないでやんすし、そもそもできないでやんすから」

「絡まれたりしなければいいんだがな」

「それは大丈夫でやんす。ジーサ卿のような客人は、決まって外部の重鎮でやんすからね。手を出せば外交問題になるでやんす」

「じゃあ安心だ」

「でも、ここにいるからにはエルフの法規が適用されるでやんす。たとえば淫らな行いをすれば罰せられるでやんす。過去には死刑になった鳥人や魚人もいるでやんすね」


 リンダの言っていた通り、容赦は無さそうだな。

 何気に魚人という種族も興味深い。まだ見たことはなかったはずだ。


「それにしてはお前ら、落ち着きすぎじゃね?」

「慣れでやんすよ、慣れ」

「慣れというより麻痺だろ」


 俺達は行列を見つつ、好みのエルフを物色しつつ、そんな風に会話をしていると――


 何かが吹っ飛ばされたのが見えた。音からして痛そうだ。


「グレンでやんすね。ラッキータッチに失敗したでやんす」

「ラッキータッチ?」

「どさくさに紛れて相手の体を触ることでやんす。グレンはお尻が好きでやんすよ」


 ラッキースケベのことだろうか。いや、ただの痴漢だな。


「罰は受けないのか?」

「軽く触れるだけなら、あの程度で済むでやんす。揉みしだいたりすると危ないでやんすね」

「常習犯なのな……っておい、俺達のメシらしきものが散乱しているように見えるんだが」

「仕方ないでやんす」

「仕方なくねえよ」


 バグってるから正直どうでもいいわけだが、ここは人間らしく飢餓と潔癖を主張しておく。


「行くでやんすよ」


 すっと立ち上がるシッコク。ありふれた動作のはずなのに、二度見したくなるほど洗練されているように見えた。コイツもエルフの端くれということか。


 俺もすぐに立ち上がって、後をついていく。

 グレンは散らばったメシ――魚の切り身のように見える――を拾っては皿に集めていた。

 シッコクがそばで屈む。てっきり手伝うのかと思いきや、ひょいと一切れをつまんでは口に運ぶことを繰り返す。


「ジーサ卿もどうでやんすか」

「いや手伝ってやれよ」


 と言いつつ、俺も先に一口食べてみる。


「弾力が凄いな。魚かこれ?」


 グミにも負けてない。その癖、加工品というテイストが全く感じられず、添加物が嫌いな俺の舌も抵抗感受け入れられる……気がする。

 今の俺にはさっぱりわからん。俺のバグは美味を感じる味覚さえもシャットアウトしやがる。


「トビウオでやんす」

「バーモン、だっけか。さっき見たぞ」

「二人とも手伝ってほしいんだな」


 俺は口を動かしつつ手も動かした。全く手伝わないシッコクを横目で睨みつつ、しばし切り身を拾う。


 皿は山盛りになった。


「もうここでいいでやんす」


 シッコクが正座、ではなく胡座をかいた。グレンも同様らしい。


「……」


 たぶん正座がマナーなんだろうが、俺は少し逡巡して、コイツらの仲間として見られることを選択――胡座をかくことに。


「なあ。メシってこれだけか?」

「バーモンは栄養豊富でやんす。バーモンだけ食べてれば死ぬことはないでやんすね」


 完全栄養食ってやつか。


「ジーサ卿は食べたことないでやんすか? 大貴族なら一度くらいは食べる機会がありそうでやんすが」

「ないなぁ。俺は食にはあまり感心がない」

「食事は大事なんだな」


 したり顔で言う小太りグレン。自分の腹を見てから言え。


「バーモンは経験値も美味しいでやんす」

「深森林はエルフの屋台骨なんだな」


 安全高度から安全に狩ることでレベルアップできるし、美味しい――かどうかは知らないが栄養摂取も容易い。

 少なくとも土地としては非常に美味しいと言える。それこそ戦争の一つや二つが起きてもおかしくはない。サリアは土地不足と言っていたが。


「エルフは獣人族と争ってるらしいが、獣人が狙ってるのもバーモンだったりするのか?」

「ジーサ卿……獣人にも手を出すでやんすか? 節操ないでやんすね」

「僕も呆れたんだな」

「真面目な話なんだが」


 その後も地べたで晒し者になりつつ、会話しつつ、トビウオの切り身を平らげる。


 二人とも獣人との確執についてはまるで興味がなかった。性的対象としても完全にストライクゾーンの外で、体臭からして生理的に受け付けないとのこと。


 結局、話題はほぼ下ネタだった。

 俺もだいぶエルフの好みを絞れた気がする……ってそうじゃねえ。もっと情報収集したかったんだが。

 エルフ達は相手にしてくれないだろうから、俺はこの二人と過ごすしかない。

 しかし、二人には二人の空気がある。下品でゲスだからわかりづらいが、たぶん内に信念の一つや二つも持っているだろう。

 早く情報が欲しいからといって、安易に俺が仕切ろうとすると、二人は離れていく……そんな気がしてならない。


 場に馴染む。空気を読む。無為に慣れる――

 社会的動物として当たり前の、我慢という感覚を久しぶりに思い出した。


 俺の戦いは長いだろうし、こういう耐性をつけていくことも重要か。

 それにコイツらと同類に見られた方が、演技もしやすい。


「ジーサクンは次、どこを受けるの?」


 数十分ほどくつろいだ後、グレンがそんなことを言い出す。

 やはり大学みたいに講義を選ぶ形式なのだろう。


「わからん。まだまともに説明も受けてないしな。お前らについていってもいいか?」

「歓迎でやんす」


 皿も空になったことだし、そろそろ行くかというところで、ぬっと影が差し込んだ。


「ジーサ・ツシタ・イーゼだな。ついてこい」

「……なんだ、アンタはぐっ!?」


 美しいであろう尊顔を拝見する前に、腹に|今の設定基準では強烈な《レベル8くらいの》見えないパンチが叩き込まれた。

 俺は「うぅ……」などとうずくまりつつも、脳内で態勢を整える。


 この力加減から察するに、レベル10という申告を知っている人物に違いない。サリアか、あるいはリンダから直接説明を受けた者――おそらくは王族に近しい者だと考えられる。

 もっとも、そんなことを考えるまでもなく、周囲からの眼差しが熱い。


「モジャモジャ様。どうされたでありますか?」


 シッコクは既に正座をしていて、その辺のエルフと同様、気品をまとっている。やんすはどうした。

 グレンも同様で、ぽろぽろこぼしながら食っていた行儀の悪さが信じられない。口はかすかにもぐもぐ動いてるが。もうちょっと頑張れよ。


「彼は客人だ。丁重にもてなすよう、先ほど王家より命を受けた」


 初対面で風魔法腹パンしてきた奴が何言ってんだ。


 シッコクとグレンは片膝を立てると、左手を胸の前に置き、右腕の肘を突き出してから頭を下げる。リンダがヤンデにしていたポーズだな。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。早く立て。歩け」


 大貴族の息子であるはずの俺にこの仕打ち。どうも別のロジックが働いているらしい。反抗はやめて、おとなしく従うことにした。

第118話 入学4

「詠唱が遅い! 流れるように口ずさめ!」

「手が止まっている! 足元もおざなりだ! 手足と口は並行して動かせ!」


 教員らしきエルフが、生徒二人の攻撃を軽くいなしながらも檄《げき》を飛ばしている。

 周囲を囲んでいるのは数十もの生徒。上品に会話を交わしつつも、目だけは決して離さない。


 俺達はそれを梢《こずえ》――ストロングローブの幹の上から見下ろしていた。


「迷った時はこうして梢に立ってから見渡せ。レベル10でもそれくらいはできるだろう」

「……大して変わらない気がしますが」


 見分けもつかない巨木が延々と並んでいる光景なので、中から見ようが上から見下ろそうが大差ない。この大自然は、人間の方向感覚と空間認識能力で識別できる次元など軽く超えている。


 もっとも今の俺は相当にレベルアップしており、どういうわけかその手の感覚が強い。

 ここまで通った地形も全て覚えているし、迷うことなく行動できる程度の確信も持てているのだが……レベル10の人間としては不自然だろう。


「迷う気しかしないです。ガイドとかいないんですか?」

「いるわけがない。本来はエルフ領に他種族を通すこと自体がイレギュラーなのだ。そもそも自業自得でもある。レベルが高いならいざ知らず、その程度の人間がここに足を運ぼうなどとは無知にも程があると知れ」

「全くそのとおりなんですけど、これ、本当に迷ったらどうするんです?」


 俺はわざわざ彼女の方を向いてから喋っている。

 なぜって、珍しいからだ。


 彼女もエルフに違わず美人である。肌は露出するタイプらしく、上はスポーツブラジャーのように胸部を包んでいるだけで、おへそが丸見え。

 下も二分丈くらいのレギンスっぽいものだけで、太ももの肉付きはもちろん、秘部にもいやらしいスジが浮いている。


 既にガン見がバレて殴られた後なのでもうしないが、かわりに俺の視線は上に吸い寄せられていた。


 胸が大きいのである。


 貧乳しかいない緑の園においては、その膨らみは相対的に魅力的だ。

 無論、ガン見はバレるからチラ見に留めるけども。幸か不幸か、彼女は胸に対するガードは緩いらしく、あまり気にする様子がない。


「どうもしない。貴様は客人ゆえにこうして案内こそするが、ここで過ごす以上は我らの法規に従ってもらう」

「つまりは自己責任だと」

「当たり前だ。死にたくなければゲス共に頼れ」


 シッコクとグレンのことだろう。ずいぶんな言われ様だが、俺も同意する。


「グリーンスクールでは自由に過ごしていいんですよね?」

「そう言っている」

「学校が終わった後はどうするんです? 家とかないんですか?」

「自分で探せ。もしくはゲス共に頼れ」


 エルフの世界、客人に厳しすぎない?

 というより男に厳しいだけかもしれないが。


 モンスターの脅威は川に落ちでもしなければ大丈夫だろう。問題は住民のエルフ達なんだよなぁ。

 シッコクは大丈夫だと言っていたが、通り魔よろしく突然襲われる気がしてならない。


 ともあれ、直近どう過ごすかのイメージは湧いたので良しとする。「案内は以上だ」ちょうど終わってくれたしな。


「質問があれば、この場に限り受け付けよう」

「この場だけですか? この場でなくても、相談しに行っていいですよね?」

「……」


 彼女は眼光とオーラをもって俺を射竦《いすく》めた。

 萎縮させて、提案を取り下げさせるつもりなのだろうが甘いな。その程度の迫力ではダンゴさえびくともしねえぞ。ヤンデやサリアと比べると、むしろ可愛いの範疇ですらある。


「いいんですよね?」

「……ああ」

「普段どこにいるかも教えてもらえませんか?」

「ゲス共に聞け」


 よし、これで情報源を一つキープできた。


 コイツの魂胆には薄々気付いている。

 俺に情報を与えないまま自由に行動させ、罰則や事故を起こさせて処分するつもりだ。


 ここまでしつこく説明されたが、たとえ俺が他種族の大貴族であろうと、エルフのルールは絶対だ。俺は最悪死刑を食らうかもしれないし、バーモンを始めとした外的脅威に晒される危険もある。

 言い方を変えれば、刑と外的脅威でなら俺を処分することができる。


 しかし俺は客人でもあった。それも人間族の大貴族であり、位階で言えばエルフ王家にも匹敵する身分。

 コイツ程度では無下にはできない。俺の頼みには極力対応するしかない。


「もう一つ質問なんですが、お名前を教えてもらえませんか? それとこの学校における位階についても」


 腹パンの後、早速馴れ馴れしい喋り方を禁止されたわけで、こうして敬語を使っているわけだが、まだルールがよくわかっていない。


「一度しか言わないぞ。よく聞け」


 彼女は両腕を組み、俺を見下ろすように睨むと、


「私はモジャモジャ・ローズ・ガルフロウ。グリーンスクールの生徒会長を務めている」

「モジャモジャ……」

「立場を弁えよ」


 無詠唱で生み出された石のムチが、俺の脛を的確に打つ。

 加減が絶妙で、「あぐっ!?」俺はうずくまるふりをしつつも、SMプレイの素質もありそうだなぁなどと思った。


 しかし、それでもなお彼女のインパクトには敵わない。だって、ねぇ……モジャモジャって。


「ここグリーンスクールでは、我ら生徒会は第二位《セカンドランク》と同等の権威を持っている。それ以外の生徒は等しく第三位《サードランク》――シビリアンだ。本来なら私と気安く口を利くことさえ許されない」

「でも、それは学校生活だけの話ですよね?」


 俺は脛をさすさすしつつ、念を押しておく。


「学校の外では、俺は第一位《ファーストランク》です。わかっていますよね?」

「くっ……卑怯な物言いを」


 良くも悪くも、階級意識が高いから助かる。真面目そうだし、少なくともコイツから仕掛けてくることはないだろう。

 同時に、コイツにしても俺に敬意を払うのは嫌だろうから、外では俺とは接触しないはず。ゆえに学校の外でコイツに同伴される恐れもない。


「もう一つ。シビリアンって何ですか?」


 ついでに階級システムについても尋ねておいた。


「――ご説明、ありがとうございました」


 整理すると、エルフのヒエラルキーは第一位《ファーストランク》から第三位《サードランク》まで三段階ある。


 第一位は王族。ヤンデやサリアが当てはまる他、外国の要人や重鎮も含まれることがある。今回は一応、俺も含まれている。

 第二位は王族補佐《アシスター》や冒険者など、言わば高度な職種につくもの。リンダがここに該当する。

 第三位はシビリアンと呼ばれ、一般市民である。


 ただしグリーンスクールは少々特殊で、教育の便宜のために生徒会と教員が第二位、それ以外の生徒は一律で第三位となる。


「くれぐれも風紀を乱さないように。罰則は容赦なく適用するから覚悟しておけ」


 心にも思っていないであろう忠告と本心であろう本音を受けた後、名残のなの字もなく解散する。

 鳥みたいにしゅばっと飛び去ってちょっとかっこ良かった。一瞬、お股が見えたが、モジャモジャなんだろうか。

第119話 入学5

「アタックアップ」

「ディフェンスアップ」

「ディフェンスアップ」

「アジリティアップ――」


 グレンが一つ唱える度に魔子線《ましせん》――魔法の軌道がシッコクへと向かい、その身体が密度の濃そうな霧に包まれる。

 霧には色がついていて、アタックアップは赤、ディフェンスアップは青、アジリティアップは黄色といった具合。


(グレーターデーモンが重ね掛けしてたやつだな。やはりステータス強化だったか)


 グレンは計九回ほどシッコクに重ね合わせた。


「これが拙者の解放されし真の姿でやんす。惚れ惚れするでやんすな? もう拙者は敵無しでやんす」

「借り物の力で何言ってんだ。早くしないと切れるぞ」


 俺達はステータス強化の講義に参加していた。

 今回は重ね掛けの練習なのだが、適性で言えば俺はもちろんシッコクもゼロに等しく、唯一使えるのがグレンのみ。


 そのグレンも、自分は動きたくないからという理由でシッコクを言葉巧みに説得――動機付けした結果、こうなった。


「そうでやんすね。アーニャちゃんのうなじを嗅いでくるでやんす!」


 シッコクは遠く離れたアーニャちゃんとやらをロックオンし、両手をわきわきさせると、砲弾のように吹っ飛んでいった。


 たしかに、だいぶ動きが速くなっているな。時速三百、いや四百キロメートルは出ている。

 |第四級冒険者の中堅《レベル23》には到底出せない速度だ。


 そんなミサイルシッコクが間もなくアーニャちゃんとやらに肉薄――したところで、あらぬ方向に吹っ飛ばされる。

 まばたきする間に、もう樹冠を突き破っていた。四百どころではない。


 今頃は青空でも見ていることだろう。


「大丈夫なのかあれ? 俺の目で追いつかなかったってことは、根本的に速いってことだろ。23で耐えられるとは思えんが……」

「問題ないんだな。ディフェンスアップの重ね掛けは三回。つまり防御力は約三倍なんだな」


 ステータス強化魔法は、一回につき当該ステータスを一定時間だけ1.5倍に増やす魔法である。

 三回重ねたってことは1.5の3乗――つまりは3.3倍ほど。レベル換算すれば69だ。


 どうでもいいけど、69と聞くとアレを想起してしまう。

 俺は潔癖なので女体であろうと下半身を口で弄ぶ趣味はないのだが、美しいエルフなら、また違うかもしれない。さぞかし興奮するだろう。

 いやはや、コイツらのせいで俺もだいぶ毒されているな、と己の醜さを人のせいにする俺。


「アーニャちゃんのレベルは72。手加減できる実力はあるんだな」

「手加減には見えなかったが。つーか、何も見えなかった」

「大丈夫なんだな。僕も見えてないんだな」

「おっかねえだろ。よくもまあちょっかいなんて出せるよな。そのうち死ぬぞ?」

「心配要らないんだな」


 グレンだが、胡座で据わったまま、股間に片手を突っ込んでいらっしゃった。もぞもぞしていて、何をしているのかはすぐにわかる。

 エルフを鑑賞しながら慰めるのが日課なんだそうで。汚れは魔法で処理するから問題ないとも。そういう問題じゃない。


「強い人ほど加減は上手だし、グリーンスクールの罰則ルールでは本人のレベルマイナス2が上限なんだな。たぶん、アーニャちゃんの攻撃もレベル換算で67くらいだと思うんだな」

「そういうルールになってんのな」


 俺の場合、レベル10を申告しているから、マイナス2ほど減らしたレベル8相当が上限ってことになる。モジャモジャさんの腹パンの、あの綺麗に調整された威力もこれに従っていたのだろう。


「もちろん厳密じゃなくて、本人の感覚だから、稀に超えることもあるんだな」

「超えたら?」

「最悪死ぬんだな」

「ダメじゃねえか……っておい、アーニャちゃんとやらがこっち睨んでるんだけど」


 遠目でもわかる迫力、つかオーラ飛ばしてきてないか。「なんか寒気がするし……」俺は震えてみせる。

 レベル10に耐性はないはずなので、面倒でも演技せねば。


「殺意のオーラなんだな。僕らも加担したとみなされているんだな。濡れ衣なんだな」


 どの口が言う。アーニャちゃんの匂いを後で共有するんだな、とか何とか意気揚々にほざいてたじゃねえか。

 つかお前はオーラ平気なのかよ。あるいは麻痺してるのかもしれんが。


 シッコクもそうだが、コイツらが恐怖で震える光景を全くイメージできない。


「うるさいシッコクがいない間に済ませたいんだが、ステータス強化魔法について教えてくれ。重ね掛けにはどういうルールがあるんだ? アンサールートって言葉も関係あるよな?」

「ジーサクンって結構強引なんだな」

「こっちは必死なんだよ。知識がないと明日も生きられん」


 俺がレベル10であることと大貴族の息子であることは既に共有してある。

 それでもこうして気さくに接してくれるのだからありがたい。願わくば、もうちょっと俺の真面目な話に付き合ってほしい。


「仕方ないんだな。エレスちゃんのお尻で手を打つんだな」

「……わかった」


 エレスちゃんとやらのお尻を触って感想を共有しろ、という意味だが、郷に入っては何とやら。

 先に謝っておこう。エレスちゃん、すまん。


「ステータス強化魔法は、人によって何をどの順番で重ね掛けできるかが決まっているんだな」

「シッコクの場合、さっきのアタック、ディフェンス、ディフェンス――という順番が正解ってことか」

「そう。アンサールートと呼ぶんだな」

「それ以外の順番で重ねたらどうなる?」

「それまでかけていた分が全部消えるんだな。しかも、一定時間強化もできなくなるんだな――」


 グレンが物知りなのか、それともこの程度は普通なのか知らないが、中々濃い話が出来たように思う。


 ちなみに何回重ねられるかという深さは先天的に決まるようで、グレンは2、俺はさっき検証してもらったところ、ゼロだった。なんでだよ。

 対してシッコクは驚愕の10。この深さはジャース屈指とのこと。半分くらい分けてほしい。


「シッコクが帰ってこねえな」

「今日はもう帰ってこないと思うんだな。シッコクンはサボるのが得意なんだな」


 もっと知識を引き出したかったが、グレンの真面目モードは閉店していた。

 残り時間はエレスちゃんとやらのお尻を触る作戦を立案させられることに。エレスちゃん、マジで申し訳ない。

第120話 放課後

 グリーンスクール初日が終了したわけだが、行くあてもない俺は引き続きグレンについていくことに。

 ちなみにシッコクはアーニャちゃんとやらに空に飛ばされて以来、まだ帰ってきてない。


 にしても、放課後は王立学園よりもずいぶんと早い。記憶が確かなら、まだ15時だ。

 空も赤みを差すことなく、悩みとは無縁そうな青空がのさばっている。


「早くするんだなー」

「もうちょっと手加減してくれ」


 グレンの大声に俺も声を張って応えた後、軽い助走を経て対岸の足場群《プレーン》に飛び移った。

 距離はざっと15メートル。一般人《レベル1》には不可能なジャンプだが、レベル10なら不自然ではない。


「飛行できないとやっていけないんだな」

「仕方ねえだろ。できれば運んでくれると助かる」

「僕も人を運べるほど強くはないんだな」


 ふよふよ浮いていたグレンが足場に足をつける。

 ヤンデのような無尽蔵魔力というわけにはいかないらしく、器用に省エネを心がけているようだ。


「痩せろ。シッコクを見習えよ」


 こうしてアスレチック顔負けの運動をかましつつ、あちこちから跳んでくる麗人達の冷たい視線をスルーしつつ、俺はグレンと他愛のない話――主に下ネタをする。

 本当はジャースやエルフの知識を引き出したかったが、コイツらは真面目な話を好かない。


「あ、帰ってきたんだな」

「あ?」


 グレンにつられて空を見上げると、鳥人《ハーピィ》にぶら下がっているエルフが一人。シッコク本人のようだ。

 それは真っ直ぐこちらに向かってきて、優しく着地。


 鳥人のかぎ爪が肩から離れると、シッコクはグレンに泣きついた。


「でかかったでやんす……。すっぽりはさまれたでやんす……」

「あとで聞かせるんだな」


 顔が真っ赤でサウナ後みたいなのぼせ方をしてやがる。


(鳥人《ハーピィ》か)


 鳥足な手足に、鋭利な爪がついている。腕には羽がついていて、手触りは気持ちよさそうだが、生活には不便そうだ。

 発育は相変わらずよろしい。ベルトブラで締めていてもなお、膨らみは殺されていない。


 そういえばちょっと前、王立学園で鳥人の上級生と性交の約束をしたっけな。お姉ちゃんが怖いとか何とか。

 当面その気もないし、バグってる俺にはどうせできないだろうから自然風化してくれると助かるんだが。


「ぽふぽふのふわふわだったでやんす……」

「ジーサクンも聞きたがっているんだな」

「ねつ造はやめろ」


 言わないけど、前世ではその遊び方は普通だぞ。

 俺の所感では、正直あまり気持ちよくない。あれは魅惑の双球ではさまれている、というシチュエーションを楽しむものだ。「えっと、何ですか?」魅惑の鳥人と目が合ってしまった。


「いや、鳥人は珍しいなと」

「協定があって無闇には立ち入れないんですよ。今はエルフの送迎扱いですから問題ないんです」


 鳥人はのぼせたシッコクを見てニヤりと不敵な笑みを浮かべた後、俺とグレンを交互に見る。


「よろしければ、お二人も食べさせてもらえませんか?」

「もちろんなん――ジーサクン。どうしたんだな?」

「俺を案内するって話だろうが」


 全力で小突いたおかげで、何とか割り込めた。

 鳥人とのプレイも興味ないわけではないが、バグったこの体なら確実に怪しまれるし、リンダあたりにどう捉えられるかもわからない。


「アンタにはもう用はない。送迎は終わったんだから、さっさと行け」

「強がる男は嫌いです」

「別に強がってないが」

「では試してみましょう?」

「いいから帰れよ」

「ジーサクンは男色家なんだな」

「あ、そうでしたか……」


 面倒くさいので、そういうことにして帰らせた。


「ジーサ卿。おんぶしてくれでやんす……」

「グレンでいいだろ。俺はレベル10だぞ」

「人一人おんぶするのにレベルは関係ないでやんす。一般人《レベル1》でもおんぶはできるでやんす」

「それだけ冷静なら歩けるんじゃないか?」

「お願いでやんす……」


 うるうると瞳を潤ませるシッコク。眉目秀麗すぎて全く気持ち悪くないのが腹立つな。「男色家のジーサ卿にはご褒美でやんすよ?」うるさい。


「ジーサクン……」

「ああもう、わかったわかった」


 二対一で何かといじられがちな俺であった。

 新参者の宿命なんだろうが、ぼっち歴の長かった俺には良いトレーニングかもしれない。






「メシはどこで調達すればいい?」


 俺は飲まず食わずで生きていけるが、これは自然な問いだろう。

 生存に関するネタだからコイツらとしても喋りやすいし、俺としてもここから話題を派生させれば、色んな知識に手広くリーチできるはず。


「自分で狩るか、市場《いちば》で買うんだな。ちょうど近くにあるんだな。行ってみる?」

「頼む」


 足場群《プレーン》を数回ほど飛び移った先には、木の実が色別に積まれた光景が。

 足場はストロングローブをぐるりと囲むように配置され、幹の側に山盛りの木の実が積んであっった。


 客は店主に何かを渡しては、木の実をかっさらっていく。


「物々交換か。お金は?」


 俺の背中でくつろいでいるシッコクに尋ねる。


「深森林では必要ないでやんすね」

「基準がわからんだろ。たとえば木の実一つ手に入れるのに、何を渡せばいい?」

「そのあたりは共通認識があるでやんすね。一年も過ごせばわかるでやんす」


 ずいぶんと原始的だな。


「違う基準を使いたい場合は、ああやって書いておくでやんす」


 山盛りの近くに看板が立ててある。「読めねえよ」ジャース語なのは間違いなさそうだ、などと思っていると、


「冗談はよくないんだな」

「本当に読めないんだって。引きこもりだったんだ。引きこもりってわかるか?」

「変態ってことでやんすね?」

「違えしお前にだけは言われたくねえ」

「レベル10なら読めるはずでやんすが……」


 図々しく俺の肩でくつろぐシッコクが、こてんと首を傾げる。油断していると凝視しそうになる自分を殴りたい。


「どういうことだ?」


 遅れて俺は、一つの可能性に思い当たる。


「――もしかして、ジャース語の読解はスキルなのか?」

「そうでやんす。知らなかったでやんすか?」

「初耳なんだが」


 詳しく訊くと、『ジャースランゲージ』という、まんまなスキルだった。

 どうも竜人族の便宜により、種族問わず誰でも習得できるようになったんだとか。早ければレベル5、遅くともレベル10にもなれば手に入るとのこと。


 当然ながら一般人《レベル1》には縁の無い話で、レベル格差はやはりエグいんだなと再認識する。


「自力で身に付けるのは難しいんだな。学者さんくらいなんだな」


 図書室で頑張ってた俺の苦労は一体……。今さら悔いても仕方ないが、時間が無駄になったとわかるとどうも凹む。


「ジーサクン、生きてて辛くないでやんすか?」

「ああ、辛すぎて死にたくなる」


 魔法適性が無いことは既に共有済である。人間以上に魔法に頼りがちなエルフにとっては、俺みたいなタイプはさぞ気の毒に映ることだろう。


「死にたいなら、ここから飛び込めばいいんだな」


 それだけで死ねるのなら苦労はしない。


「煽ってんじゃねえよ。そういう時は慰めろよ」

「他人のモノなんて触りたくないんだな」

「そうじゃねえ」


 俺もお断りだし、何なら風俗でも断っていたレベル。息子の扱いは親が一番上手いに決まってる。


「それよりも、竜人の便宜ってどういう意味だ? まるでスキルを発明できるかのように聞こえたんだが」

「そんなの知らないでやんす。神と我々は違うでやんすよ」

「神? 竜人が?」

「森人《エルフ》族は竜人を崇めるでやんす」

「ミルクちゃんなんだな」

「は?」


 二人の視線を追うと、ホットパンツのようなボトムスを履いたエルフが。無表情種族には珍しく、顔が生き生きとしている。それでも誤差みたいなものだが。


「ミルクちゃんの太ももを見に行くんだな」

「何言っているでやんすか。あの唇がそそるでやんす。貪りたいでやんす」

「僕はこすりつけたいんだな」


 往来のど真ん中で交わす会話じゃねえ……。


「ジーサ卿! 向かうでやんす!」

「俺を巻き込むのはやめてくんない?」


 さあ、さあと俺の額をぺちぺち叩くシッコク。考えたいこともあるし、俺はおとなしくジーサ号として発進した。


(ホットパンツっつーか、ただのパンツだなこれ)


 ヤンデやルナが来ていた下着よりも現代的なデザインだな、という感想はさておき。


 エルフが神と崇めるほどの存在、竜人――

 その超常性を知れたのは大きい。


 仮に竜人がスキルを発明できるのだとしたら、それはもう|俺達の次元より上の《メタな》存在と言えるんじゃないか。以前出した仮説――デバッグモードにリーチできる手段を持っているかもしれない。

 そうでなくとも、この世界《プログラム》の真理が少なからずわかるはず。


(だが竜人は……)


 転生直後の、魔王ともこもこ長老の会話を思い出せ。



 ――竜人に頼んでドラゴンファイアを浴びせてみるか?


 ――馬鹿者が。このような存在、あやつらに知れたら事じゃぞ。



 有り体に言っても危険すぎる。

 世界の調和を乱す存在として抹消――はできないだろうから、封印しようとするだろう。

 封印と言えば、少なくともゴルゴキスタの石化がある。一介の人間が持つ手段を、竜人が使えないとは思えない。


(なら竜人と仲良くなるか?)


 無敵を悟らせずに情報を引き出す仲になるとか。


(……気が遠くなるよな)


 そういえばダンゴにも、まだ俺のバグについては話していなかった。

 散々俺の体内で過ごしているのだし、薄々気付いているだろうが、そのうち共有が必要だろう。どっかで時間つくらないとな。

第121話 放課後2

 木の実の買い食いにエルフの物色、覗きスポットから自分を慰める道具の作り方まで、コイツらは本当に人生楽しそうだった。

 エルフからの制裁も一度や二度ではなく、俺も三回ほど巻き添えを食らっている。まぶたから少し出血しているが、ダンゴの名演技のおかげで怪しさは欠片も臭わせていない。


 こんな身体でもなければ、俺ももう少しは素直に楽しめていたのだろうか。


「一気に人気《ひとけ》がなくなったな」

「危ないでやんすからね」


 シッコクが自らの顔の横で手提げランプを示す。

 既に辺りは薄暗く、肝試しのようにぼうっとシッコクフェイスが浮かぶ。光の当て方など意にも介さないイケメンっぷりで、何度見ても腹が立つな。


 俺達は今、デンジャーセクションと呼ばれる区画《セクション》に来ていた。


「で、ここで宿を探せと」


 学校区画や繁華街区画と比べると、廃墟のような静けさがある。足場もメンテの形跡が見られず、欠けてる朽ちてる穴空いてるは当たり前。


 上を見ると、樹冠がこれでもかと伸び放題である。空はほぼ見えないし、何十メートルはありそうな長く太い枝が垂れ下がっていたりする。

 下は見るまでもなく、バーモン達の暮らしの音がばしゃばしゃと届いてくる。


「生活区画には住めないでやんす。仕方ないでやんす」

「シッコクかグレンの家に泊めてほし――うぉっ」


 バキッと足場が崩れ、俺はとっさにストロングローブに指を引っかけた。

 レベル10の腕力は前世のクライミング選手を容易く超える。俺が猿のようにしがみつけようとも全く不思議ではない。


 下を見ても闇しか見えないが、木材が高速で潰されたような音がした。あえて擬音語でいうなら「ひゅん」とか「しゅん」みたいな。

 ともすると何が起きたか全くわからないが、ある程度経験を積んだ今の俺ならよくわかる。少なくとも第二級程度のパワーではない。


「器用でやんすね」

「レベル10とは思えないんだな」

「魔法が使えねえからな。むしろ俺はお前らみたいに平然と浮いてる方が信じられん」

「飛行は生命線でやんす。これでも苦労して修練したでやんすよ」


 しなった枝や太すぎる幹――というよりもはや突起の豊富な壁を経由しつつ、二人に食らいついていく。

 直線的に飛ぶ二人に比べ、俺はルートを工夫してあちこち飛ぶ必要があるわけで、なんつか理不尽すぎる。猿でもこんなには動かないと思う。


「おい待て。離れすぎると見えん」


 ランプが離れると何も見えなくなって詰む。本当はダンゴの夜目があるが、魔法も使えない人間に夜目など利くはずもない。

 演技はこういう細かい部分こそが重要なのだ。


 しばらくぴょんぴょんしていたところで、ようやくまともそうな足場群《プレーン》に到着する。


「それじゃまた明日でやんす」

「なんだな」


 当たり前のように散会しようとする二人。


「待て待て。俺の寝床は?」


 逆方向に遠ざかろうとする二つの肩を掴もうとしたが、両方とも空振《からぶ》りに終わる。明らかに避けられたぞ今。

 次の瞬間、シッコクが急加速した。グレンもグレンで、レベル10で出せない踏み込み。


「正直面倒でやんす!」

「学校の方角は、見ればわかるんだな!」


 二人の無慈悲なこだまが終わった頃には、物音一つしなくなっていた。「マジかよ……」本当に置いていくとは。


 学校の方角というのは、地平線のない方角を目指せということだろう。

 グリーンスクールは人間領からかなり近い。地図でたとえるなら、札幌の西端からたぶん十キロメートルと離れてない。


 地平線って何キロまで見えたっけな。

 そもそもジャースの構造がわからないことには何とも言えないか。

 重力があるから球体だとは思うが、前世の科学では説明できない現象も多い。案外平面だったりしてな。


「さて」


 念のためギリギリまで幹に寄ってから、俺は腰を下ろした。


 正直言えば、何も困ってなどいない。

 飲み食いは要らないし、どこをどう通ってきたかという地形や空間の情報も問題なく記憶できている。足場さえあれば、目を閉じても学校まで戻れる気がさえする。

 むしろようやく一人になれて嬉しいまである。

 キャンプでもして大自然の夜を満喫するのもアリだろう。前世の田舎特有の騒音――虫の大合唱がないのは快適だ。


(とりあえずヤンデと接触して今後の立ち回りを相談したいんだが……)


 どこで何をしているやら。


「……」


 当面はヤンデと行動するつもりだし、アイツの魔力にも散々頼るつもりだが、究極的に頼れるのは自分のみ。

 ゆえに、ヤンデがいなくなるか、あるいは敵対するケースも考えておくべきだろう。


 つまりは俺自身が強くなる必要がある。


 では、どうすれば強くなれるか。

 川に入ってバーモン狩りするのがてっとり早そうだが、ダンゴが耐えられない。少なくともジーサの容姿を形作る外皮は無事では済まない。

 それにスパームイーターさんとも仲良くなっておきたい。知恵は多い方がいい。


(ダンゴ。俺の言葉をスパームイーターに伝えることはできるか? スパームイーターからの返事を教えてもらうことは可能か?)


 今夜は二匹の寄生生物との対話に充てることにした。

2章

第122話 スローライフ

(バニラ。俺以外の生物に寄生した経験はあるか?)


 右の睾丸の中からチクっとした感覚が走る。

 バグっている俺に痛みという概念はないが、頭に流れ込んでくるダメージから察するに、一般人《レベル1》の男なら悲鳴があがりそうだ。

 ともかく、返答はノー。ベテランのダンゴとは違って、俺が初めての相手ってことか。


(本来の寿命は何日だ? 十日以下か?)


 今度は|左の睾丸にダメージ《イエス》を返される。セミの成虫以下ってことか。まあセミって本当は一ヶ月近く生きるらしいけど。


(俺の体内には精液がないわけだが、バニラはダンゴによって生かされているという認識で合っているな?)


(何日くらい生きられそうだ? 一年以上は可能か?)


 どちらも左の睾丸に応答が来る。

 ……なるほどな。コイツのことがだいぶわかってきた。


 俺はスパームイーターをバニラと名付けた。

 精液は白い。白いといえば――といういいかげんな着想だが、名前はいいかげんでいい。これなら仮に聞かれたところで、スパームイーターに結びつけられることもないし、着想を経ているから俺としては覚えやすい。


 意思疎通にはダンゴの仲介と、俺の睾丸を使っている。

 まず俺が「バニラ」と呼ぶことで、ダンゴがバニラへの伝達だと解釈する。続く俺の口内発話を、ダンゴは通常どおり自ら解釈しつつ、バニラへと伝達。

 受け取ったバニラは、イエスであれば左の睾丸に、ノーであれば右の睾丸に、応えられないなら両方の睾丸に何かしらダメージを与える――


 即席だが、中々悪くないシステムだと思う。


 本当はバニラにも直接命令できたら良いんだが、バニラは崇拝《ワーシップ》状態ではない。

 崇拝させるためには、倍々毒気《ばいばいどくけ》に耐える、のような魔王もたまげる事実を見せる必要がある。そのうちやりたいが、今は無理だ。


(タイムラグもゼロコンマ秒。伝達スピードにも問題はなさそうだな)


 そんなバニラだが、今はダンゴによって生かされている。体液を自在につくれるから、たぶん精液でもつくっているんだろう。

 しかし本来は十日も生きられないという。ダンゴは一体どんな措置を施しているのやら。


(ダンゴとバニラは何を使って意思疎通しているんだ? ジャース語か?)


 後頭部への二連打と、睾丸への左右同時攻撃が一斉に発生した。

 つまりダンゴは違うと言っていて、バニラはよくわからないと言っている。このとおり、知性はダンゴの方がだいぶ賢い。


(ダンゴ。なるべくバニラに伝わるように、噛み砕いて説明してほしい。たとえばジャース語という言葉がわからなくても、言葉という概念ならわかるはずだ。多少|含意《ニュアンス》が変わってもいいから、バニラとやりとりできることを重視したい)


(今の俺の話、全部理解できたか? 常に実践してくれるか?)


 単発殴打《イエス》、そして二連打《ノー》が来る。想定どおりの返しだ。

 ダンゴは決して俺の言いなりにはならない。そこが頼もしく、また憎らしいところでもある。


(じゃあ時々でいいから、なるべく実践するようにしてくれ)


 質問ではなく命令口調にすることで、俺は話題の終了をそれとなく伝える。


「……ふー。やはり一人はいいな」


 俺が死にたがりでもなければ、学者として容易く大成できることだろう。


 何にも誰にも邪魔されることなく、数時間以上集中できるのは至福と言える。

 特に今の俺はバグってて疲労知らずなわけで、途切れることもなければ体を解《ほぐ》す必要さえない。前世の癖が抜けてないのか、つい「ふー」とか「はぁ」とか言ってしまうのは滑稽だが。


「それは私に言っているのかしら?」

「うぉ!?」

「わざとらしい演技が鼻につくわね」

「……つい癖でな」


 いつの間にか頭上にゲートが開いていた。

 ヤンデとサリアが覗き込んでいる。ヤンデは顔色が悪く、王立学園で初めて出会った時よりも疲労感が濃い。


「大丈夫なのか」

「大丈夫よ。早く来なさい」


 たぶんゲートの先に行くことは禁じられているのだろう。

 無論、無魔子首輪《マトムレスチョーカー》がついているから逃げられないのだが、そうでなくとも風魔法でも使って俺を引っ張ってくるイメージがある。

 その素振りさえもないとなれば――これは相当しごかれたか。


 ゲートをくぐると、濃い褐色の内装に出迎えられた。いかにも高級そうな木材の香りが微かに漂う中、


「ジーサさん。貴方に設けられた逢瀬は、毎日一時間です」

「……ここで愛を育め、と」


 家具や調度品は何もない。ベッドはもちろん、窓やドアさえもなかった。

 広さだけは潤沢らしくて、二十畳くらいはある。


 相変わらず女王の迫力を身にまとうサリアだったが、ふと脱力すると、どかっと腰を下ろしてきた。


「襲ったと言うたが、どんな風にやったのか親として興味がある。見せてみるのじゃ。ほれほれ」

「ほれほれ、じゃねえよ」


 サリアのプライベートモード発動である。散々エルフにあてられたからか、この容姿でそういうがさつ言動をされると違和感しか湧かない。


「リンダもやめろ。これは無礼講だろ?」


 女王に無礼な口を聞いたからだろう。隅で殺気をぎらつかせるリンダが怖い。

 手のひらに浮いているエネルギーボムみたいな物体は何なんですかね……。


「そんなことより、まだ仕事があるんじゃねえのか? この人がこうする時ってサボりたい時だろ」

「そのとおりです!」


 エネルギーボムをひっこめたリンダは両腕を組むと、うんうん言いながらこっちに近寄ってきた。


「少し見直しましたよ、ジーサ様。そうなのです。女王様はすぐにサボろうとするのです。ジーサ様からもぜひ言ってやってください。何なら罵っても構いません。これは無礼講なのですから」

「辛辣な臣下じゃのう」

「だいぶ鬱憤が溜まってるようにお見受けするが」


 リンダの目的はサリアだったようで、女王の耳を容赦なく持ち上げる。「痛いんじゃが」サリアもサリアで気怠げだ。


「ヤンデ様。ジーサ様。私達はこれで」


 嫌じゃのうだるいのうなどと愚痴をこぼすサリアとともに、ゲートの中へと消えていった。


「……油断ならない人」


 ぽつりと呟くヤンデ。体育座りで、自らの顔を両膝ではさんでいる。


「お疲れのところ申し訳ないが、情報共有するぞ。まず、ここは盗聴対策しなくて大丈夫なのか?」

「防音障壁《サウンドバリア》はもう張ったわ」

「結界は?」

「この小屋の外に張り巡らされているわね。逆を言えば、小屋の中なら制限はない」

「そうか」


 何を話そうか考えようとすると、ヤンデが露骨な嘆息を示してきた。


「なんだよ」

「別に?」


 真顔の四つん這いがこっちに向かってきて、どんっとタックルをかましてきた。二人揃って地面に倒れる。


「《《サリア》》は手強いわ。逃げられる気がしない」

「逃げたいのか?」

「当たり前じゃない。種族を背負って種族を滅ぼすのよ? 物好きでもなければやってられないわ」


 エルフ族の統括と、獣人族の殲滅。


 ずいぶんと物騒な話ではある。

 前者はともかく、たかが領地争いごときでそこまでするものなのだろうか。だが前世の歴史もそんなものだし、そんなものか。


「善戦できているとは思うけどな」

「変態」

「……抱きついてきたのはそっちだろ」


 好奇心でお尻に手を伸ばしたら、推定レベル40の握力で握り潰された件。その辺の石でもりんごみたいにクラッシュする強さだ。

 おかげで俺も目が覚めた。


 時間は一時間しかないのだ。

 直近危険が迫っていないからといって、怠けてもいい理由にはならない。


 こういう時に怠けるか、それとも少しでも前に進むか。

 その差の蓄積が、後の人生を決める。


「さっきサリアも疲れてたろ。ヤンデの相手をしてたからじゃないのか? だとしたら、思っている以上に追い詰めている可能性はある。手を緩めない方がいい」

「そうね」

「……なぜ抱きつく?」

「緩めない方がいいんでしょう? これはその練習よ」


 密着されるのは正直好きじゃない。

 男としては歓迎するが、今の俺はジーサ・ツシタ・イーゼ――|寄生スライム《ダンゴ》によってかさ増しされた着ぐるみにすぎない。


 近づかれすぎたら、ダンゴの気配を悟られる恐れがあった。


「……」


 早く直近の計画と戦略を立てたいところだが……傷心の女性相手に、理詰めで推し進めることは悪手だろう。

 さすがの俺もそのくらいはわかる。


 情報共有が始まったのは、十分以上経ってからのことだった。

 お互いの状況を共有し、森人《エルフ》族の束縛から逃げるという方向性についても合意。直近はお互いの生活を頑張りつつ、毎日ここで共有していくことに。


 なんともありきたりな結論だが、焦ってはいけない。


「スローライフ――だったわね。あなたのビジョン、聞かせてもらうわよ」


 ああ、そういえばそんなことも言ったっけな。

第123話 スローライフ2

 成り行きでヤンデに|人生の方向性《ビジョン》を提示することになり、その心はスローライフであると説いたのが先日、川底での出来事。

 改めて問われてしまえば、ちゃんと説明せざるをえない。


 で、ジャースの人間にもわかるように噛み砕いたのだが。


「――それの何が面白いのよ?」

「面白いかどうかは関係ないんだよ」


 ヤンデさんは不服でいらっしゃった。「いいかげん離れろよ」言ったところで全く動いてくれない。

 俺はさっきから抱き枕、というより敷き布団と化している。


「何も抱えずに生きていけることは、本質的には幸せなことなんだよ。退屈かもしれないが、幸福とは退屈なものだ。ストレスフリーともいう」

「死んだ方がマシね。家畜と同義じゃないの」

「何もしないってわけじゃねえよ。さっきも言ったろ、何もしないってのもそれはそれでストレスになる。だから生きていくための作業として農作業とか狩猟とかトレーニングをする」


 ストレスという概念も既に伝えてある。

 面倒くさいので、ボングレーの引きこもりだったという設定も明かした。つまり、俺の知識発想が独特なのは俺が変わり者の集落で引きこもってた変わり者だからだ、という体である。


(今さら隠し立てすることもないけどな……)


 そもそもコイツは俺がシニ・タイヨウだと知っている。隠すべきものはダンゴと無敵バグくらいだ。


「その生きていく作業も、何もしないの範疇に入っている。そう私は言っているのよ」

「魔法で楽《らく》してるならそうだろうな」


 何たって自分の体一つで火も水も風も生み出せるわけだからな。エネルギー源たる魔力も寝れば回復するし。


 だからなのだろう。ヤンデは、というより魔法を使いこなすジャースの人達は、肉体労働や単純労働の根源的喜びを知らない節がある。

 体を動かすことの楽しさというか、気持ち良さというか、そういう感覚が全然通じないのである。


「逆に聞くが、ヤンデが考えるストレスフリーな生活ってどんな生活だ?」

「そうね」


 ヤンデがぴとっと自らの頬を俺の頬に重ねてくる。

 これで俺から手を出そうとすると攻撃してくるんだから、生殺しにも程がある。まあバグってるからムラムラするなんてことも全くないんだが。


「誰にも何にも縛られることなく、好きな時に好きな場所で好きなことができる生活――かしら」

「それは無理なんじゃないか。サリアやシキ王ならまだしも、皇帝ブーガのような化け物もいるわけだし」

「竜人もいるものね」


 あと綿人《コットンマン》や魔王もな。まあ普通に過ごしている限り、出会うことは無さそうだが。


「場所に着眼するのは良いアイデアだな。旅は好きじゃないが、ジャースの全世界を見てみたいってのはある。空の上とか、海の中とかどうなってんだろうな」

「意外と物分かりがいいのね。そういうことなのよ。ダンジョンも踏破したいわね。最近ではデーモンズシェルターに興味があるわ」


 ヤンデの嗜好が少しわかってきたかも。

 なんていうことはない、彼女もまた冒険者ってことだ。


「デーモンズシェルターか……。最下層には何があるんだろうな。今もアルフレッドが攻略中なんだよな?」


 無論、既にグレーターデーモン達と仲良くなりましただの、最下層の宝箱からレアアイテムを入手しましただの、そのアイテム――魔王の失敗作らしい黒の下着上下を今も着てますだのとは言えるはずもない。

 俺が無知っぷりを発揮していると、ヤンデは突如、無詠唱でゲートを唱えた。高難度魔法の無詠唱に感心する俺を余所に、顔サイズの穴から何かを取り出す。

 俺の顔面に叩きつけてきた。なぜ叩きつける。


「これは――情報紙か」


 情報屋ガートンが発行する、言わば新聞である。


「これ、紙か?」

「ええ」


 紙というよりも厚紙だなこりゃ。チラシを厚紙でつくったようなものだ。

 書体とレイアウトは前世の雑誌やブログにも負けてない。普通に読みやすいし、キャッチーな見出しまである。ジャース語で全く読めないが。


「貧民丸出しね」

「仕方ねえだろ。実物を見たのは初めてだ」


 この厚紙一枚の購読には金貨一枚――俺の換算で一万円が必要なわけだが、この時代では紙は貴重っぽいから納得の値段かもしれない。


「まだ一匹も倒せていないそうよ」


 グレーターデーモンのことだろう。先日もアウラ達から聞いたばかりだが、まあそうだろうな。

 アイツらはたぶん人類では無理だぞ。

 たしかステータス強化魔法も二十回は重ねていたよな。随一と言われるシッコクの倍。これだけでも違いは歴然だ。


「ジーサ。次の目的地を決めたわ。デーモンズシェルターにする」

「普通に嫌だが」


 そもそもここから逃げられるかどうかがわからないのだが、無粋な指摘はいったんおいておこう。


「前も嫌がっていたわね。何かいやらしいことでも隠しているのかしら?」

「危ないからに決まってんだろ」

「結界を使うという情報は無いわ。なら問題ないわね」

「話聞けよ。つーか、その自信はどこから出てくるんだ……」


 無論、俺の本音はただ一つで、コイツに崇拝《ワーシップ》状態のモンスターを見せたくないだけだ。

 既に白夜の森にてルナには知られているわけだが、崇拝状態はおそらく超常的なもの。第二王女《ナツナ》を殺したシニ・タイヨウである、とは重みが違う。


 いくらコイツであっても、いや、誰であっても、おいそれと知られるわけにはいかない。


「ヤンデって相当強いよな。幼少期にでも鍛えてもらったのか?」


 自然に踏み込んだつもりだったが。

 わかりづらく緩んでいたヤンデの表情が解除される。いつもの鋭さと、かすかに滲んでいるのは何だろうか。


「鍛えてもらったのではないわ。鍛えたのよ」

「……そうか」


 それ以上踏み込むつもりもなかった。

 そもそもさして興味などない。


 踏み込んでほしくないことがある。


 これを認識させたことの意味は大きい。

 俺はヤンデに踏み込むのをやめた。なら、ヤンデだってやめるのが筋だろう。こういうことが通じるだけの良識は、コイツにはある。


 これで俺も無闇に踏み込まれないし、踏み込まれたとしても拒絶しやすくなった。


 それからは他愛のない話をして過ごした。


 ぴったり一時間後、サリアとリンダがやってきて俺達を回収――俺は元いた危険区画《デンジャーセクション》に戻される。

 寝床を提供してほしいと頼んでみたが、リンダ曰く「頑張ってください」。

 ついでに俺のレベルを見てほしいとも頼んでみたが、サリア曰く「イヤじゃ」。


(……いや、逆にこれで良かったと考えるべきか)


 解散語、どん、とストロングツリーの幹にもたれながら、俺は一つの案を思いつく。


(ダンゴ。バニラ。近々バーモンでレベルアップしたいと思う。『避難』の方法を考えておいてくれ。もちろんバーモンからの攻撃に耐える、という意味だ)


(避難中にジーサの容姿を解除しても構わない。ただし、後から復元できない場合は避難の方法とは認められない)


(二人とも指示は聞いたな?)


 後頭部と睾丸から肯定のダメージが届く。


(言うまでもないだろうが、この世界はレベルが正義だ。俺はまだまだ足りない。この仕事の重要性は理解してくれ)


 これはお願いではなく命令である。

 コイツらの宿主は俺だ。厳しい要求かもしれないが、従ってもらう。


「……寝るか」


 誰が聞いているわけでもないのに、俺はそう呟いて寝転がる。

 幸いにも睡眠は要らない。時間はたっぷりとあった。


 俺はバーモンの狩り方について思索を重ねた。

第124話 教師の画策

 ジーサとヤンデが休学してから二日。

 第二週三日目《ニ・サン》の昼休憩を知らせる鐘が鳴り響く中、王立学園にそびえるAクラス校舎の最上階――国王専用エリアには、部外者が一人侵入していた。


「新米教師のアウラ殿。なぜおぬしがここにおるのかな?」

「だってスキャーナちゃん一人なんだもん。教えることなんてないですよ」


 王座の前で寝転がる半裸の国王シキと。豪華絢爛な椅子に腰掛けるのは、童顔の少女アウラ。

 ピンク色のボブカットと平凡なローブに身を包んだ彼女は、その可憐な容姿に反して第一級の攻撃魔法師《アタックウィザード》である。


「本来なら減俸と鞭打ちじゃの」


 アルフレッドは厳しい階級制を敷いている国であり、学園内も例外ではない。

 ルールに従わぬ者には、厳しい罰を課さねばならない。


「か弱い乙女にそんなことをなさる?」

「ほざけ」


 もっともアウラは第一級冒険者《レベル129以上》の猛者。国の庇護がなくとも生きていける人間兵器であり、むしろアルフレッドからお願いして力を貸してもらう立場であった。

 そもそも防御力も並外れており、そこいらの人間や武器や魔法では刑はおろか、ダメージさえ通せない。


「それで何の用じゃ。王の時間は貴重なんじゃが」

「だらけてるようにしか見えないんですけど」

「休むのも仕事のうちよ」

「ふーん」


 マイペースなアウラを見上げて、シキが嘆息する。

 アウラは多くの男が惚れるであろう、柔らかな笑みを返した。そのまま不躾に王を凝視する。しばし視線が交錯した後、「単刀直入に聞きますね」アウラが仕掛けた。


「慈悲組《ジャンク》の二人はエルフ領に行ったんですよね?」

「目敏い奴じゃな。エルフの目撃者でもおったか」

「ええ」


 いちいち隠し立てもしなければ、どうやって知ったかなどとも問わない。

 第一級にもなれば情報網は豊富な上、アウラは|ゲートが使える者《ゲーター》でもある。少し張り切れば、ジャース全土をしらみつぶしに探せるだろう。


「深森林《しんしんりん》かー……。また行ってみたいな」


 うーんと伸びをしながらアウラが独り言ちる。普段からチャームの気をばらまく少女の、豊かな胸が強調されている。

 冒険者仲間でもある彼女の、こういう習性は知っている。まだまだ健在らしい。

 無論、惑わされるシキではなく、冷め半分呆れ半分で眺めていた。


「シキさんは行ったことありますか? とっても広くて、荘厳で、良いところなんですよ。男もいないし」

「そんな余裕はないのう」

「そろそろ引退は考えないんですか、おじいちゃん」

「冒険者稼業と一緒にするでない」

「そういうわけで、私達もエルフ領に連れて行ってください」


 シキはもう一度ため息をついた。


「唐突にも程があるのう……。アウラ、もう少し工夫して会話できんのか」

「面倒になっちゃって」


 てへっと舌を出すアウラ。


「わかっておるとは思うが、人間の世界とは違うんじゃぞ」


 彼女に美しい礼儀作法や小賢しい心理戦など必要ない。チャームと暴力でゴリ押しできるからだ。

 しかしエルフとなれば話は別。同性が多いためチャームもさほど効かないし、人間の国ほど第一級冒険者は神格化されていない。


「私、考えたんですけど、短期留学はどうでしょう? 教師枠は私。生徒枠は数人程度を考えてます」

「交換留学か? エルフが人間の学校で生きていくのは無理なんじゃが」

「交換はしなくてもいいんです。私達が行きたいだけですから」

「おぬしは国交を何だと思うておる……」


 仰向けに寝転んだまま渋るシキを見て、アウラはふふっと笑う。腰を上げると、ふわりとシキのそばでしゃがんだ。


「まあ、そんなことはどうでもいいんですけどね。本題――ううん、本音はここからです」

「なんじゃい、改まって」

「その、私……今さら言うのも恥ずかしいんですけど、実はシキさんのこと、結構タイプ、なんですよね……」

「小童が」


 顔を赤らめ、もじもじといじらしく言ってみせるアウラを、シキは一瞬で一蹴してみせた。


「……頑固ですね」


 チャームの効力は絶対だ。

 立場も、対人関係も、歴史も、レベルさえも抵抗力にはならない。男の本能は容易く刺激されて、まともな判断を妨害し始める。

 アウラの強さであれば、手が伸びてしまう程度に理性を壊すか、あるいは孫に溺愛するかのごとき甘さを引き出せてもおかしくはなかった。


 しかし、シキという男は、小娘の誘惑ごときにしてやられるほど甘くはない。

 国王であり、第一級冒険者であり、|規格外の次女《ナツナ》とも過ごしていた彼は、紛うことなき自制の怪物――

 目先の欲望にとらわれることは、万に一つもありえない。


「おぬしが好きなのはラウルじゃろがい」

「……それ。誰から聞いたんですか?」


 どころかシキは、目前のおてんばを黙らせるカードを早速切ったのだった。


「聞かずともわかるわ。おぬしのように、こっちを見てくれない相手に惚れる奴はごまんとおる」

「シキさん、ラウルとも話してますよね。普段はどういう話をするんですか? いつどこで話してますか?」


 ずい、ずずいと顔を近付けてくるアウラ。吐息が当たるほどの近さだが、同様にシキが揺らぐことはない。

 既にアウラの脳内からも誘惑の二文字は抜けきっている。


「少なくともおぬしの話題は出とらん」

「バカラウル」

「あれは相当な堅物じゃぞ。押し倒すくらいはせんとのう」

「それができたら苦労はしないんですぅ。第一あの人は――」


 この場にいないのを良いことに、相棒のことをぼろくそ漏らすアウラ。ふて腐れつつも王座に座り、肘掛けをぽんぽんと叩いて当たり散らしている。


 アウラが落ち着く前にシキは起き上がると、その華奢な腕を掴んで、ぶん投げた。

 速度で言えば音速を超えていたが、二人にとってはウォームアップにもならない。アウラは風圧による損壊も漏れなく封殺した上で、王座まで戻ってくる。

 座り心地も極上の椅子には、既にシキが腰を下ろしていた。


「本音を言うと、おぬしの誘惑に乗るのもやぶさかではない」

「普通にイヤなんですけど。私を政治に使わないでください」

「吹っかけてきたのはそっちじゃろう」

「正直全然タイプでもないですし」

「第一級として名高いおぬしであれば、アルフレッドとしても心強い」


 軽口をスルーするシキに、今度はアウラが嘆息する番だった。

 たまに発動する国王モードは長話になりがちだ。アウラが勧誘されたことも一度や二度ではない。


「我がアルフレッドの血と、冒険者として優れたおぬしの血――生まれてくる子が優秀なのも間違いはあるまい」

「そんな子供を道具みたいに……」

「ワシは親である前に王じゃからの」

「フユナちゃんはお元気ですか?」

「相変わらずごーちゃごーちゃ言い寄るわ」


 王としての苛烈さもよく知るアウラだが、親の顔が共存していることも知っている。想定通りの反応に、「ふふっ」アウラは相好を崩した。


「私もこれは本音ですけど、シキさんとゴルさんのどっちがいいかと言われたら、ゴルさんがいいです」

「あやつは純潔じゃぞ」


 しれっと第三者に暴露される筆頭執事であったが、彼が知る由はない。


「私がリードします」

「おぬしもじゃろうが」

「わ、わわ私は経験豊富ですよ? 知らないんですか? 第一級の攻撃魔法師はモテるんです。よりどりみどりで困っちゃうくらい」

「年相応のガキにしか見えんがの」

「むぅ」


 アウラは土魔法を無詠唱し、鋭利な岩の針をシキに刺す。並の冒険者なら風穴コースだが、シキの胴体には傷一つ入っていない。

 密度の濃そうな凶器が地面に落ちて、そうだとわかる鈍い音が室内に響いた。


 これも親しい実力者同士の戯れにすぎない。


「ラウルもまだ若造じゃ。おぬしらはまだまだ人生も長い。寄り添っておれば、そのうちチャンスも巡ってこよう」


 年長者としての声音と表情を前に、アウラは「……ありがとうございます」頭を下げてしまう。


「さて、ワシは戻るかのう。【ゲート】」


 パワータイプの印象が強いシキであるが、実はゲートを唱えられた。

 この事実を知る者は非常に少ない。アウラは数少ない一人に含まれている。


「留学の話。まだ終わってませんけど」

「ちゃっかりしとるのう」


 言いつつも、シキの動きは止まらない。もう半身ほどが門の向こう側だ。


「バカにしないでください。子供扱いもやめてください」

「好きにせい。話は通しておく。もちろん男はダメじゃぞ? あるいは首席くらいならかろうじて及第じゃろうが」

「わかっています」


 間もなくシキが消えた後、アウラは「あー」女の子らしくない声を出した。


「シニ・タイヨウのことを探りたかったんだけどなー……」

第125話 刑

 第二週三日目《ニ・サン》の早朝、朝五時。

 緑の大海原《おおうなばら》から光源――天灯《スカイライト》が昇らんとしている。やはり何回見ても太陽にしか見えねえな……。

 エルフの朝も早いらしい。飛び回っている影は一人や二人じゃなかった。


「空は目立ちそうだし……下から行くか」


 梢《こずえ》に立っていた俺は森に飛び込み、ストロングローブの幹との摩擦で落下速度を落としつつ着地。

 樹冠の屋根に遮られた森の中は、まだ薄暗い。だがダンゴの夜目のおかげで問題なく見える。


「学校で情報収集でもしておこうか」


 じっとしているからといってどうにかなる俺でもないが、それでも考え事ばかりでは気が滅入るというものだ。

 直感ではグリーンスクールまでざっと三十分――さすがに五時半登校は早すぎる。


「……散歩しよう」


 幸いにも、ここは深森林。前世ではお目にかかれない大自然である。

 それを前世ではありえない身体能力で探検できるというのだから、ロマンの一つは二つはあるだろう。

 たまには素直に楽しんでもいい。バグのせいで楽しささえも殺されるわけだが、無粋なことは置いていけ。こういうのは行動に移すことが大事なのだ。


(ダンゴ。バニラ。言うまでもないが、常に不意打ちは想定しておけ)


 相棒達に忠告するふりをして、一応自らを引き締めつつ、俺は散策を開始した。


 相変わらずバリアフリーのバの字もない、高度三十メートル超の足場を歩き、飛び移る。

 歩数と同等か、それ以上にジャンプの回数が多くなりがちだ。配管工のおじさんにでもなった気分。


 エルフの土地感覚が何となくわかってきた。

 区画《セクション》という単位が機能レベルで切られているのは間違いあるまい。

 たとえば木造の小屋が何十何百と点在している区画は住居エリアだろうし、昨日の食堂のように広い足場が吊してある場所は集会として機能するのだろう。


 住居エリアから離れると、朝っぱらだというのに勇ましい美声が届いてくる。

 いかにも強そうなエルフ達が、軍隊のような連携を見せながら川面に向けて魔法を撃っていた。


「【マジックアップ】」

「【マジックアップ】」


 強化魔法か。昨日見た授業よりもスムーズで、これがプロの仕事なのかと横目に感心する。


「【ハイパー・サンダー・ソード】」


 強化されたエルフが雷の剣を振り下ろすと、獲物にヒットしたのか、落雷のような轟音が響いた。一般人《レベル1》なら鼓膜が破れてる、いや死んでいるかもしれない。


「痙攣したぞ! 追撃しろっ!」

「第一撃入れます! 打ち上げました!」


 鯛《たい》みたいな魚が高く打ち上がっていた。


「第二撃、入れ――」

「待て! 痙攣が浅い――【ハイパー・サンダー・ウィップ】」


 当たり前のように空中に飛び出したエルフのそばを、稲妻の鞭が通過する。鞭がヒットした魚はあらぬ方向へと吹っ飛んでいったが、飛び出したエルフは難なく追従していた。

 こんな狩猟の光景が一つや二つじゃないから恐ろしい。


 既に戦果も上がっているようで、あちこちで深海魚顔負けの気持ち悪い魚が山積みになっている。

 それを魔法で手に取り、空中で捌いている人達もいる。


 バーモン――

 あの魚やら何やらの一匹一匹が第一級を砕く力を持っているという。

 これを平然と狩っているエルフ達の強さたるや。俺をスルーするほどお人好しでもないらしくて、なんかちらちら睨んでくるし、威嚇やら威圧やらオーラ放ってくる奴もいるし。


 怖い怖いなどと思っていると、今度は花火のような轟音が聞こえてきた。


「フグの自爆か……」

「数人は死んだでしょうね」

「フグに攻撃しないのは基本中の基本だぞ? どこの素人だ?」

「この区画《セクション》にはいませんよ。誰かが欲張ったのでしょうね。フグは美味しいから」


 人間の手先を超越したスピードで空中解体をしているエルフ達が、そんなことを話している。あの、俺の知っているフグとだいぶ違うんだけど……。

 トビウオといい、バーモンに対するネーミングセンスも気になる。


(身の危険は大丈夫そうだな)


 とりあえずエルフ達から俺に手を出してくる心配はなさそうで、ほっとする。

 俺という高貴な客人の存在は既に知れ渡っているようだ。快く思われていないのは明らかだが、手を出してこなければそれでいい。


 俺は早々に狩猟エリアから離れつつ、住居エリアにも立ち入らず、という具合にぶらぶらを再開した。


 グリーンスクールにだいぶ近づいてきたところで、


「……これは、滝か?」


 前世でも聞き覚えのある水音が。

 絶景を予感した俺は、早速近づいてみることに。「おお」思わず声が漏れる。


「たしかに絶景、だが」


 日本人であれば真っ先に銭湯が思い浮かべる光景だった。

 樹冠が伐採され、青を思い出しつつある空が見えている中、魔法によってつくられた小さな滝がいくつもある。

 そこに入っているのは、裸体のエルフ達だ。

 惚れ惚れするような直立姿勢で、微動だにせず、目を閉じたまま滝に打たれている。

 俺の存在に気付いたエルフもちらほら。


「……」


 いや、そんなに甘くないな。確実に全員が気付いている。むしろ気付いていることを俺に気付かせている。

 わざわざ視線を寄越してきたり威嚇や威圧をぶつけてきたりするのは可愛い方で、しれっと殺意も混じっていたりするから恐ろしいものだ。羞恥心自体はないらしい。


 絹のように繊細な肌が眩しい。

 起伏に乏しくシャープな全身は、これが種族の最適解とでも言わんばかりに均整が取れている。

 濃い緑色の髪はアクセントになっていて、その長さや結い方が個性の余地を与えていた。


 そんな芸術作品のような美人の裸があちこちにあって、興奮さえも置いてけぼりになりそうだ。もちろんバグってる俺には無関係。


(なあダンゴ。エルフって下の毛は生えないのか?)


 誰一人として一本も見えないので、そうなんだろうなあと思いつつ、要らぬ誤解をされても困るので早足で通り過ぎていたのだが。

 ふと、視界の隅が違和感を捉えて、俺は素直に意識とピントを合わせてしまう。


 エルフにそぐわない、大きな膨らみがあった。

 それは一般的に大きければ大きいほど見た目のバランスもシビアになるものだが、目の前のそれは違っていた。


 貧の者でも鞍替えしそうなほどの危うさを放っている。

 まるで服を押し上げている小学生のような。あるいは、ランドセルを背負っている童顔女子高生のような。


「……不埒者が」


 生徒会長モジャモジャ・ローズ・ガルフロウその人だった。

 他のエルフと同様、下半身はモジャモジャのモの字もねえなと思いつつ、発する言葉を探ろうとして、「誰か出合え」彼女が先手を放った。


「か、体が……」


 風魔法による拘束か。スキャーノから受けたのと同じものだと思われる。

 レベル10には抗えないので、素直に応じるしかない。


 どうしたものかと考える間もなく、二人のエルフが左右背後に出現――両腕を拘束してきた。二人とも裸なのがちょっと面白い。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。目上の水浴みを無断で見ることは罪となる」

「俺の方が目上だろうが」

「その発言は見逃してやる。ここはグリーンスクールの敷地内だ」

「……失礼致しました」


 校内では生徒会と教員以外は等しく第三位《サードランク》だ。たとえ俺が大貴族の息子で、外交的には第一位《ファーストランク》――王族と同等の位階であっても関係がない。

 俺は敬語と会釈をもって了承を示した。


「罪点、一点。水飲みの刑」


 水浴みをやめないモジャモジャから、そんな物騒なワードが飛び出す。


「モジャモジャ様。俺は無知なので、地図と法典を要求したいのですが」

「手配しておこう。後で事務局に取りに行け」


 どうせ読めないだろうが、地図くらいは参考にできるだろう。

 いちいち刑を食らうのも面倒なので、敷地の内外は押さえておくべきだよな。もっと早く気付くべきだった。


「来い」


 魅惑の散歩タイムが終了し、百メートルくらいだろうか、生徒会長が完全に見えなくなる位置まで連行された。


「両手を挙げて幹にもたれよ」


 言われたとおり、大の字の格好で硬い大木にもたれる。


「【スーパー・アース・ハンドカフ】」


 直後、俺の両手首両足首に石の手錠が掛けられた。幹に固定された形だ。当たり前だがレベル10の力ではびくともしないので、おとなしくするしかない。


「水飲みの刑を執行する」


 手錠を唱えてない方のエルフが俺に近づいてくる。非の打ち所がない腕がパンチみたいに伸びてきて、顎を掴んできた。

 そのまま強引に開かれ、全裸エルフの、綺麗な指が二本――口内に押し込まれる。


「【ウォーター】」


 なるほど、水を注ぐことで苦しめるというわけか。溺死は苦しいというし、中々エグいことを考えるじゃないか。

 モジャモジャは一点だと言っていたが、たぶん初犯ってことだよな。

 初犯でこれって厳しすぎない?


 間もなく、水の暴力が俺の喉を襲ってきた。


「あがっ、が、苦し……」


 吐息がかかる距離に、エルフの美しい顔がある。

 無表情だが、慈悲の二文字がこれっぽっちも宿っていないことだけはわかる。無敵バグがなければ、トラウマになるだろう。美人の真顔は怖い。


「が、ごぼ……」


 涙の感触をおぼえる俺。

 無論、ダンゴの仕業である。わかってきたじゃねえか。


 ……にしても、退屈だなぁこれは。


「ご、が、ごぉ」


 地味に台詞を考えるのも面倒なのである。

 これが未体験の仕打ちだったらまだ学びもあるが、既にナツナさんによって経験している。ただただ退屈だ。


 しかし、こうして比較してみると、ナツナがいかに上手だったかがわかるな。

 今、水を流し込んでくるコイツは、せいぜい俺が死なないようコントロールしているだけ。対してナツナには、苦しみの中にも飴と鞭があった。

 もうこの世にはいないだろうが、ちょっと惜しい。俺はマゾなのだろうか。


 そもそもSとMって白黒じゃねえよな。

 人間、誰しも嗜虐的な側面もあれば被虐的な側面もあるし、その配分は状況次第で変化すると示した心理学の実験もあったはず。

 結局、どちらも楽しめた方が良いに決まっている。


 エルフの顔面を間近で鑑賞しながら、そんなくだらないことを考えて時間を潰すのだった。

第126話 刑2

「ご褒美なんだな」


 昼休憩。俺達三人は食堂|面《プレーン》で、切り株型の机の一つを囲んでいた。


「どこがだよ。死ぬところだったぞ」

「僕だったら苦しむふりをして、その子の腕、いや手首をすりすりするんだな」


 バーモンの切り身相手に、そのいやらしい手つきを再現するグレン。わざわざ部位を特定してくるあたり、こだわりでもあるのだろう。どうでもいいな。


「もしくは指をぺろぺろするんだな」

「そんな余裕はねえよ」


 余裕というよりは性癖か。

 俺が舐めたいのは唇と胸部だけだ。それ以外を舐めたがる不衛生な男は多いようだが、正直気が知れない。


「グレン。説明してくれて助かったぜ。礼を言う」

「エレスちゃんのお尻。忘れてないよね?」

「ああ。だが今日は勘弁してくれ。まだ気持ち悪い……」


 あの後、水飲みの刑は二十分ほど続いた。

 平然と学校に通うのもどうかと思い、俺は今なお弱っている演技を続けている。


 地図と法典――エルフの法について書かれた書物には既に目を通した。地図はともかく、法典はジャース語でお手上げ。

 そこで二人に説明をお願いしたところ、グレンが授業を一つ潰して、快く引き受けてくれたのだった。


「そうでやんす。生徒会長は拙者がぶっ潰すでやんす」


「拙者の手にかかれば、余裕でやんす」


「そんなもったいことはしないでやんす。生徒会長を屈服させるには屈辱を与えればいいでやんす。拙者のを咥《くわ》えさせるでやんすよ」

「……なあ。コイツはさっきから誰と話してるんだ?」


 中二病シッコクだが、俺達の会話には入らず、黙々とバーモンを食べながら何やら独り言ちていた。

 時折ニヒッとかフヒッとか気持ち悪く微笑むこともあって、傍から見ると不審者だ。


「背伸びしたいお年頃なんだな」

「ああ。そういうことか」


 まあわかっていたけども。

 意味深な会話を誰かとしているという演技は、中二病あるあるの一つだろう。かく言う俺も経験者だ。

 もっとも俺は度胸もなくて、他人に聞こえるか聞こえないかという中途半端なTPOでしかできなかったが、シッコクはかなりの強気。

 声量も大きめで、俺達はおろか周囲のエルフにも聞こえるレベルだった。


「理解が早いんだな」

「理解はしてねえよ。受け流してるだけで」

「冷たいんだな。シッコクンは君が絡んでくるのを待っているんだな」

「なあシッコク。俺も混ぜてくれよ」


 軽いノリで行っていたが、ばしっと手を叩かれた。「ジーサ卿。今良いところでやんす」レベル7くらいの威力で地味に容赦ないし、シッコクはこっちを振り向きもしない。


「それで、その件はどうするでやんすか? なるほど、そうするでやんすか。甘いでやんすね。拙者が思うに、その作戦には落とし穴が二点あるでやんす。まず第一に――」

「ふ、くくっ……」


 俺を焚き付けたグレンは、そっぽを向いて堪えていた。


「ジ、ジーサクンの、叩《はた》かれた時の顔が、おもしろくて……」


 よく見てるなコイツ。


 俺がぼっちを貫いてきた理由の一つが、メンタルの弱さにある。些細な反応にいちいち過剰に反応してしまうのだ。

 告白だなんて真似は一生できる気がしない。もし否定されたらと思うとそれだけで一晩中はあれこれ考えてしまうだろうし、たぶん一ヶ月以上引きずる気もする。

 そんな地獄で生きるくらいなら、最初から諦めた方がマシだ。


 バグっていてもなお、そういう性分は変わらない。俺に感情が反映されることはもはやないが、それでも少しくらいの感想は仕草として表れるってことか。


「はめやがったなグレン」


 気恥ずかしさを紛らわすために、そのだらしない腹をつっつく。予想に違わず、だらしない感触だった。


「この鬱憤はエレスちゃんで晴らすんだな」

「今日は勘弁してくれって言ってんだろ」

「それだけ元気なら大丈夫なんだな」

「元気じゃなくて怒ってんだよ」


 そうなのだ。俺には無敵バグがある。


 頭に流れ込んでくる数字と。

 割り算の余りのように丸め込まれる感覚と。

 身体のあらゆる部分に作用する段階的な安全装置、そして無限であろう防御力――

 だから罰などこれっぽちも痛くないし、怖くもない。


 でも、コイツらは。


「お前らは怖くないのか?」

「怖い? シッコクンが?」

「違えよ。お前らもエルフにちょっかい出してんだから、刑の一つや二つくらい受けてんだろ」

「滅多に受けないんだな」


 グレンはもぐもぐしながらも詳しく話してくれた。


 エルフには罪点という概念があり、同じ刑でも点が高いほど負荷が高くなる。ストッパーはなく、行きすぎると実質死刑だ。

 ゆえに、軽い犯罪であっても軽率に再犯などするものではない。


 そこまでは既にグレンから聞いていたが、初耳はここからだ。


「罪点は中罪から適用されるんだな。軽罪は適用外。――だから第三位《サードランク》をさわさわするだけなら何度でもできるんだな」


 前世の日本で言うなら、中罪が軽犯罪クラスで、軽罪は迷惑行為クラスといったところか。


「なるほど。軽罪であれば、相手からの報復に耐えれば済むというわけか。それも死なないよう加減されているから、万一は起こらない」

「ちゃんと加減できる相手を選ぶのが大切なんだな。たまに加減できずに死ぬケースもあるんだな」

「怖えよ。その場合、仕返しした側はお咎めなしか?」

「中罪以上になるのが普通なんだな」


 猥褻《わいせつ》される側は堪ったものじゃねえな。

 コイツらのような小賢しい変態を裁く法が無いのである。仕返しは可能ではあるものの、加減は必須で、やりすぎたら――たとえば殺してしまえば罪になる。

 レベルという暴力が支配するジャースにおいて、殺さないよう加減することは存外難しい。いや、エルフには簡単なのかもしれない。でなければ、コイツらが未だにぴんぴんしているはずもない。


「ジーサクン。なぜ僕達がグリーンスクールに通っているかわかる?」


 バーモンの切り身をひょいひょい口に運ぶ――ちなみにエルフは手づかみである――一方で、その首と視線はきょろきょろとエルフを物色している。「若い女を物色するためだろ」率直に指摘すると、ため息を返された。


「物色するだけなら、わざわざ時間に縛られる生徒になる必要なんてないんだな」

「生徒にならないと女生徒に近付けないだろ。ここのエルフって深森林全土から優秀なのが集まってんだろ? ――ああ」


 不意にその発想に思い至る俺。

 なるほどなぁ。小賢しいことを考えるものだ。


「ヒエラルキーを逆手に取るのか。ここだと生徒会以外は等しく第三位になるから、普段は第二位の子にも手を出せる」


 第二位《セカンドランク》は、アルフレッドで言えば上位層《きぞく》だろう。庶民には縁がない。

 そんな女の子達が、学校では第三位《へいみん》と同じ身分として扱われる。手を届かせてもいい存在に成り下がる。


「さすがなんだな、ジーサクン。歓迎するんだな。ようこそ、我ら猥褻隊《わいせつたい》へ」


 仰々しく差し出されたグレンの手だったが、「勝手に俺を入れるな」もちろんお断りする。


「それにその名前、もうちょっとひねれよ――って、ん?」


 馬鹿でも無視できない轟音が届いてきた。


「どうしたんだな?」

「……いや、なんでもない」


 聞こえていないはずはない。エルフは人間よりもはるかに耳が良いはず。

 にもかかわらず、誰一人として手や口を止めたり音源の方を向いたりする素振りがなかった。バーモンの狩猟もド派手だったし、日常なんだろう。

第127話 教育

 空には王族親子が舞っていた。


「【ドラゴンブレス】」


 ヤンデの詠唱により、威圧のオーラをまとった大気の壁が出現――四方八方からサリアを押し潰す。

 その急激な圧縮により爆発が生じ、爆音と爆風が眼下の深森林を襲う。


 視界が拓けるのを待たずに、「無駄に固いわね」ヤンデは舌打ちしつつ、炎の膜を張る。

 高速射出されてきた氷の岩がジュッ、ジュッと瞬間蒸発する中、


「【ウルトラ・サンダー・ウォール】」


 並の冒険者が目を疑うほどの巨大な電撃ならぬ電壁を形成して、爆煙に放った。


 拭き掃除よろしく大気が洗われていったが、ぽつんと浮かぶ人影は健在。それが次の瞬間、目の前に迫っていて、蹴りを放っていた。

 ゲートによる接近。そして音速すら可愛く思えるほどの、第一級の蹴り――


 凄まじい衝撃波が拡散し、地上にも降り注ぐ。サリアの配下達が防御していなければ、一般市民など虫のように死んでいくだろう。


「――お見事ですね。今のを交わせるエルフはいません」


 サリアは涼しい顔をしたまま、ピタッと止めた足を下ろす。

 女王として普段はドレッシーに装う彼女も、今は数多のエルフと同様、淡い緑基調の軽装であった。ウェットスーツのようにピチピチだが露出は多めで、太ももや腋もへそも見えている。


「……」


 対してヤンデは裸体を晒していた。羞恥心など欠片もない。

 第一級の戦いにもなれば、服など一瞬で塵と化してしまうからだ。魔法で維持することもできなくはないが、そんなことに費やすのは本質ではない。

 ユズを始めとする近衛や国王のシキ――こちらは半裸だが――がそうであるように、裸で戦うスタイルはありふれている。


「感服しますよ。たとえ第二級直前《レベル62》にすぎなくても、魔法を工夫することでこれほどのパフォーマンスを発揮できるのです、から!」


 サリアが追撃を仕掛ける。

 第二級では視認すら危うい暴力を、ヤンデはすいすいと交わしていく。

 その回避は不自然そのものだ。サリアが体術や格闘術など人の仕様に則った動き方で攻めるのに対し、ヤンデはただただ身体の位置を丸ごとずらすのみ。


「からくりが気になるところです。貴方程度の実力《レベル》では認識も追いつけないはずですし、そもそもその移動速度にも耐えられません」


 つまりは無詠唱でさえも追いつけないはずだし、仮に追いついたとしても、第一級の攻撃を避けるときに繰り出すスピード自体に身体が耐えられない。

 女王の慧眼でさえも、ヤンデの仕組みはてんで見当がつかなかった。


 無論、そんな秘密をおいそれと話すヤンデでもなく、どころかリアクションも一言も発さないので、さっきからサリアの独り言しかない。

 といっても轟音の最中であるため、聞こえているかは怪しかった。しかしサリアは、この娘なら拾っているだろうと確信している。


 不意にサリアの拳が止まった。

 最後の衝撃波が発生し、深森林がさざ波のように撫でられていく。


 サリアは何かを諦めたように嘆息してみせた後、


「【無魔子拡散《マトムレス・スプレッド》】」


 |視覚効果《エフェクト》のない魔法を唱える。

 無魔子空間を展開する魔法であるが、現状ヤンデには為す術がないものだ。実際、彼女は歯噛みしただけだった。


 サリアは改めて拳をつくると、第二級入口の威力で娘の腹部に打ち込んだ。

 嘔吐し、失神したのも気にせず、さらにかかと落としを放つ。森林に斜めから激突する軌道だったが、その直前でふわりと止まった。

 従者の一人が受け止めていた。


「女王様。もう少し加減なされては」


 瀕死の王女を優しく確認しながら、リンダは嘆息した。

 サリアも既に下りていた。第一級にかかれば、数十数百メートルの距離など誤差でしかない。


「これも教育です。今後、死の淵を歩かざるをえなくなる時が来ないとも限りません。この子はまだ痛みを知らないようですから、何度か彷徨《さまよ》ってもらいます」

「それはそうですが、もっと段階と慈悲というものをですね」

「リンダ」


 王女を撫でるリンダの手が止まる。叱責の意が込められた威圧であった。

 リンダは王女を手放し、空中足場にどかっと落ちたのも気にせず「失礼しました」女王に頭を下げる。


「何度も言っていますが、これは娘として可愛がれる次元を《《はるかに》》超えています」

「はるかに、ですか」

「今はまだ私の結界で無力化できますが、今後もそうとは限りません。それに、魔法面で言えば既に私より上です」

「なっ」


 リンダは珍しく狼狽し、足元の王女と、二人が先ほど戦っていた空を見比べることを繰り返した。


「ヤンデの特性を述べます。頭に入れておきなさい。まず純粋な魔力量と魔法の習得数、その応用や機転の要領はすべて私以上。それ以外のステータスはレベル62相当ですが、回避に限り、第一級相当のパフォーマンスを発揮します。どうも刺激の近接に対する反撃《カウンター》としてのみ発動するようです。独自に発現させたスキルなのかもしれませんね」

「……」

「リンダ」

「は、はいっ。問題ありません」

「ふふっ。昔を思い出しますね」


 すっかり優秀な従者に仕上がってしまったリンダの、このような様子は、女王が思わず破顔するほど懐かしいものだった。


「――ありがとうございます。私も認識を改めさせていただきます」

「いいえ、貴方はいつも通りで構いません。これは私が一任するべきものです。貴方はいつも通り、私を世話してください」

「女王様……」


 サリアは女王の雰囲気を取り下げ、気絶中の娘のそばに腰を下ろす。


「ご飯じゃ。リンダもたまには同席せい。ほれほれ」


 ぽんぽんと嬉しそうに隣を叩くサリアだったが、「何を仰いますか!」代わりに耳を引っ張られた。


「間もなくガートンとの会議ではありませんか」

「リンダ、痛いのじゃ」

「それなのに王女様の教育は終わる気配がありませんし、私達では止めることもできませんし」

「耳を引っ張るでない耳元で叫ぶでない」

「いつも通りと仰ってくださいましたよね? シキ様にも褒めていただきましたし、私は改めて思ったのです。サボりがちな女王様を支えるのは、私しかいないと。――ゲート」

「待つのじゃリンダ! そう、着替え! 着替えじゃ! この姿で表に出るわけにはいくまい? のう?」


 次の会議は顔見知りの実力者によるものであり、格好は問われない。たとえ裸であっても眉一つ動かされないだろう。

 そんなことはリンダもわかっていた。


「行きますよ。行きますね」


 待つのじゃ待つのじゃとじたばたする女王をゲートの先に放り込み、いったん閉じた後。


「……王女様」


 気絶したヤンデの身体を優しく抱えて、赤子のように撫で始めた。


「大きくなられましたね。ご無事で本当に何よりでした。お辛いでしょうが、私にはどうすることもできません」


 王女は自分が管理する、と女王自らが仰られたばかりである。無論、命令の一種であり、リンダが干渉することなどもっての他だ。


「――今後もご無事でいられることを願っています」


 教育の一環で会議にも参加させるとの旨を既に聞いている。リンダはもう一度ゲートを発動し、ヤンデの身体を優しく入れるのだった。

第128話 教育2

 北ダグリン人間領の、とある会議室。

 天井高き部屋の円卓には席が四つあり、既に二人が隣り合って腰を下ろしている。


 空席の一つに突如、時空の門が出現した。放り出されたのは|森人女王《エルフクイーン》サリア。

 頭から落ちる格好だったが、彼女はゼロコンマ秒で態勢を整え、どかっと椅子に座った。


「少々取り込んでおったゆえ、こんな格好ですまんのじゃ」


 言わばサリアはバトルスーツ姿であったが、もしタイヨウが見たとしたら水着や下着と評するに違いない露出具合でもあった。


「いえいえ。貴方様の魅力が引き立っていて素敵ですよ」


 没個性的な黒スーツを着た男の発言を「ガートンの犬は黙っておれ」サリアは一蹴しつつ、


「ほれ、どうじゃブーガ殿。おぬしの好みであろう?」


 その向かい側――みすぼらしい身なりの青髪剣士に絡む。地味にクオリティの高い、誘惑の表情つきで、表情に乏しいエルフにしては非常に珍しい。並の男なら反応を抑えるのにも苦労するはずだ。


「……ふむ」


 ブーガは半眼でちらりと見た後、何事も無かったかのように閉じた。鈍感な女でも興味のきの字もないことがわかる淡白っぷりだった。


「つまらん男じゃ」

「ブーガ様はむっつりですからねぇ」

「おぬし……ようそんな口を聞けたものじゃな」


 皇帝ブーガと言えば泣く子も黙る傑物である。

 ジャース最強の剣士であり、鉄壁と称されるアルフレッド王国の屋台骨『近衛』と並んで人間族最強との呼び声も高い。


 そんな彼と同席することは、命綱を握られることにも等しい。

 ジャースは実力がものをいう世界だ。彼が右だと言えば、誰も逆らうことなどできやしない。実際、ダグリン共和国という大国は、彼一人によってコントロールされている。


「ブーガ様はお優しい方です。ガートンも注目しているのですよ」

「一国の主に注目するのは当然じゃ。ブーガ殿、騙されるでないぞ――って待たんか。なぜわらわの時より嬉しそうなのじゃ?」


 その時、最後の空き席に再度ゲートが出現して、ぼろぼろの裸エルフが優しく置かれた。

 瞬間、男二人の眼が食い気味に鋭くなる。


「娘じゃ。わらわとともにエルフを支える柱となる」

「面白い臭いをしていますね。好みかもしれません」

「ふむ。私も手合わせ願いたいものだ」

「おぬしら、好き勝手言いおって……」


 ヤンデの存在は極力隠したいサリアであったが、彼ら実力者には隠し通せるものではない。

 だったら開き直って早々に紹介し、周知してもらうとともに、ヤンデの教育機会にしてしまった方が有意義だ。


「ブーガ殿。娘を回復してやってはくれぬか」

「いいかげん回復役を連れてはいかがか」


 言いながらもブーガは無詠唱で光の針を生成し、ヤンデに撃ち込む。

 聖魔法《かいふく》は人間族の特権であり、森人族《エルフ》を始め他種族には使えない。


「そう言われてものう。他種族の者に王族の従者は務まらんのじゃ」

「武力で従わせればよい。私も多用しているやり方であるし、貴殿も先ほどまでしておったではないか」


 見てきたかのような発言だが、それを疑うサリアではなかった。

 剣士として名高いブーガの、実力の土台。それは意外にも魔力である。聖魔法はもちろん、遠距離の様子を探ることも難しくはないはずだ。


 そうこうしているうちにヤンデが回復し、意識を取り戻す。

 身体は修復されても、脳はまだ追いつかない。表情は寝起きのようにうつろで、よだれも少し垂れていた。


「ヤンデ。これも教育の一環じゃ。そこで見学しておれ」


 ヤンデの頬が左右両方、数回ほど引《ひ》っ叩《ぱた》かれる。サリアによる風魔法で、その辺の岩なら砕けそうなほどの威力だったが、ヤンデはまだぼーっとしていた。

 風ビンタの威力と密度を増えていく中、


「ファインディ殿。揃ったゆえ、本題を」


 王族親子を待たずにブーガが口を開く。「はい」黒スーツの男、ガートン職員のファインディは席から立ち上がると、机に置いてあった紙を浮かせて三人の手元に届けた。


「私達ガートンはこの度、平民向けの情報紙『ニューデリー』を開始する運びとなりました」

「情報紙? にしては薄いのじゃ」


 娘の目に光が戻ってきたところで、サリアは紙を手に取る。


「ペラペラなのじゃ。吐息で破れるぞ。ほれ」


 ふっと息を吹きかけると、紙に風穴が空いた。その子供のような振る舞いは、リンダが見ていれば嘆息するに違いない。

 一方、ブーガは裏返したりして一通り眺めた後、「ふむ」と呟く。


「既にアルフレッドとオーブルーでは配達を始めたとか」

「はい。なけなしのお金をいただいています。民はそれだけ情報に飢えているのです」

「情報? 扇動のようにも見えるが」


 皇帝の猜疑がファインディに刺さるが、壮年の微笑はぴくりとも崩れない。


「従来の厚紙――貴族版と比べて文字が少なすぎる。絵本でも見ているようだ」

「平民は貴族ほど教養がありませぬゆえ」

「いくら取るのだ?」

「交渉次第でございますれば。銅貨二枚から受け付けております。無料でお試しいただくことも可能です」


 銅貨二枚と言えば、タイヨウの独自換算で百円。明日を生きるのも苦しい貧民でもなければ、毎日でも出せる金額だ。


「さすがはガートン。面白いことを考える」


 現代では|無料のお試し《フリートライアル》などありふれたやり方だが、ジャースにおいては先進的なアイデアである。


 ブーガはしげしげと情報紙を眺めた後、プレゼンターを睨む。


「――何を企んでおるのだ? 絵が持つ求心力を知らぬ私ではないぞ」

「ご冗談を。我らはただ稼ぎたいだけでございます」


 その返事に呼応して、ぶわっと皇帝の威圧《オーラ》が室内に充満する。「うっ……」思わず震えたのはヤンデだ。

 オーラは本能を刺激する。大回復直後の倦怠などお構いなしに目を覚まさせた。


 間もなく正気に戻った彼女は認識する。


 第一級にもひけを取らず、女王にもビビらなかった自分でさえ、ブーガのそれは凄まじい。

 これがダグリンを牛耳る怪物なのだ。


「不憫な犬じゃな。稼ぎたいなら冒険者をすれば良い。おぬしなら巨万の富を築けように。ブーガ殿もそう思うであろう?」

「それで、我が民がガートンに付き合う道理がどこにある?」

「ブーガ殿。無視するでない」

「サリア殿。これは真面目な話である。彼は貴殿にも問うておるのだ」

「わかっておるわ」


 要するに、この場はガートンによるダグリン共和国への売り込みだった。

 売り込み先は独裁者たる皇帝ブーガで事足りるが、エルフ領の自治は女王《サリア》に一任されている。ゆえに、この場に呼ばれているのだった。


「少しくらい談話してもよかろうに。相変わらず堅物なのじゃ。のう、ヤンデもそうは思わんか?」

「な、なな、なぜ私に振るのかしら」


 いきなり振られたヤンデは予想以上に呂律が乱れてしまい、顔を赤くする。「気絶の後遺症かしらね……」などと見苦しい言い訳も交えた。


「そんなに恐れなくても良いのじゃ。本気で殺《や》り合えば我らに勝ち目はない。わらわも、ヤンデも、そこの犬もな」

「……」


 その一言でヤンデも悟る。


 一部の賢い強者によって、かろうじて平穏が保たれている――

 ジャースとはそういう世界なのだと。


 サリアにせよ、ブーガにせよ。そして竜人にせよ。

 その気になれば管理下を焦土にすることなど難しくはない。下が束になってかかってきたところで、たかが知れている。


 だからといって軽率に滅ぼしたりはしない。強者には強者なりの理由があるのだろう。

 それが何であるかはヤンデには想像すらつかないが、何にせよ世界は、人類は、今のところ滞りなく在り続けている。


 ゆえに、無闇に恐れることはないし、ただただ受け入れるしかない。

 強者が牙を向けば、何をどうしたところで為す術などないのだから。


「……勘違いも甚だしいわね。別に恐れてなどいない」


 その間、わずか数秒ほど。ヤンデはもう平静を取り戻していた。

 この場の男二人が内心感心するほどであったが、本人に知る由はない。


「ダグリンの生活は安定こそしていますが、人は順応する生き物です。順応は退屈を生み、退屈は心を蝕む――おわかりいただけますかな?」


 王族親子が話している間も、男二人の応酬は続いていた。


「侮るでない。私もまた民の一人である」

「人はその気になれば何だってできるものです。問題となるのは一番最初の動機であり、出会いなのですよ。あえて申し上げますが、ダグリン共和国は巨大な檻に見えます。貴方様が国民という名の愛玩生物を飼うためのね」


 ファインディはつかつかと皇帝のそばにまで歩み寄り、社交辞令としては満点を取れそうな笑みを浮かべてみせる。

 皮肉も混じえた挑戦的な物言いも含めて、とてもセールスマンの態度ではない。


「人には意思があり、意志があります。いえ、それらを持つからこそ人だというものです。安全だからという理由で、軽視するのはいかがなものでしょうか」

「貴殿の言には一理あるが、国政には段階がある」

「国はもう十分安定しているではありませんか。退屈を嘆く国民の声を知らない貴方様ではありますまい」


 ファインディは情報紙を両手で持ち、屈んで目線を合わせる。

 握手を求めるかのように、丁寧に差し出した。


「御国に潤いを与えませんか。未来のためにも」

「採算が合わぬのではないかな。どこぞの教会のように慈悲で動いているわけでもあるまい?」

「これは種まきですよ。名を知らしめることは、目先の利益を得ることよりもはるかに重要なのです」

「ふむ」


 ブーガが立ち上がった、次の瞬間――情報紙が無数の紙くずと化した。

 この場に居座るほどの実力者でなければ、《《引っこ抜いた毛髪で斬った》》ことなど気付けもしないだろう。


 ブーガは紙くずの一つを静電気で引き寄せて指にひっつけ、まじまじと眺めながら、


「よくできておるな。貴殿ら会社というものは、誠に油断ならぬ」

「お褒めにあずかり光栄にございます」


 会社とは国から独立を認められた組織を指す。会社は例外なく諸国でも迂闊に手出しできないほど強大であり、いわば小国にも等しい。

 いくつか存在するが、情報屋ガートンもその一つだった。


「許そう。となると国家機関に見直しが必要であるな」


 ブーガの手元に置いてある情報紙が浮かび、裏返される。そこに砂で図が描かれていく。


「我が国には軍府《ぐんぷ》、政府、第三者機関としてギルド――この三機関が置いてある。ここにガートンが入り込める余地はない」


 無論、国の体制を知らないファインディではない。何も知らないヤンデに対する配慮なのだろう。


 ちなみに空中板書ではなく、あえて情報紙の裏に描いたのは、紙の書き心地を調べるとともに魔力を節約するためだ。

 実力者とて無駄遣いはしない。湯水のごとく消費しまくるヤンデのようなタイプもいるが、少数派である。


「そこでギルドを改め、外府《がいふ》と改名する。これで外府には複数の外部組織を配置できるようになった。外府に置く組織はすべて対等、いや独立しており、身分や上下はない」


 三機関の名前が三角形の配置で描かれていたが、そのうちギルドの部分にバツマークがつけられ、外府と上書きされた。

 ジャース語であるが、読めない者はこの場にはいない。


「外府にはギルドと、今から加えるガートンを置く。情報紙の値段および徴収方法はそちらで決めて良い。国民時刻表《ワールドスケジュール》からの逸脱は認めぬ。ひとまず以上だ」

「……いやはや、これは」


 国の体制をこの場で即座に変更してみせる様に、さすがのファインディも苦笑するのだった。

第129話 発現

 クズ二人――シッコクとグレンは、授業では案外真面目だった。

 何でも教員の授業を軽視することは無礼にあたり、刑に処されることもあるからとのこと。

 一応、バレないように振動交流する要領は持っているようだが、非常に疲れるため普段は使わないそうだ。初日に俺に話しかけてきたのは例外中の例外である。


 俺としてはありがたい話だった。その分、授業に集中できる。

 教員の教え方も上手いし、アーサーのような鬱陶しい生徒もいない。


 面倒と言えば実技だろうか。やたらとペアを組まされるのだが、既に二回中二回とも相手から全力の拒絶反応を頂戴している。



 ――彼はレベル10である。念頭に置くように。



 ある教員はそう周知してみせた。殴る蹴るにしても、うっかり殺してしまわないように加減をしろ、という意味だろう。

 逆を言えば、俺という異分子は、生徒達の手が出てしまうほどの存在らしい。

 実際、エルフ達の態度と反応は非常に冷たくて、バグってなければ涙くらい出てたと思う。


 そんなこんなで放課後になり、二人に付き合って寄り道をする。

 結局エレスちゃんとやらのお尻さわさわ作戦は強行させられた。正直言うと、少しだけ期待していたのだが、敏感なエルフが話題騒然の俺に気付かないはずもなく。

 俺の手のひらが接触することは叶わなかった。


「また明日でやんす」

「またなんだな」

「ああ」


 危険区域《デンジャーセクション》の一つ、その入口で散会する俺達。


 場所としては昨日と同じ区域にあたる。誰も住んでいないし、近づかないため、過ごしやすいとのこと。

 別れる直前、俺は二人の家に行きたいとせがんだが、相手にされなかった。二人とも別々の危険区域に住んでおり、広い土地を満喫しているそうだ。

 まあわからないでもない。自分のテリトリーには誰も入れたくないよな。


 それにコイツらの淡白さは、嫌いじゃなかった。

 ぼっち歴が長いからか知らないが、俺は他者から踏み込まれることが好きじゃない。その点、二人はあっさり受け入れてくれるし、深追いもしてこないから、付き合っていて楽だ。


(それじゃ始めるか)


 昨日と同様、ストロングローブの幹にもたれつつ、俺に住む相棒達を招集する。

 バーモンを用いたレベルアップについて、共有と質問を繰り返した。

 一時間ほどで検討は軒並み終了。


 あとはいつ決行するかが争点だった。


 バーモンがうようよ生息する川に入ったのに平然としている、というのは明らかに行き過ぎたステータスだろう。誰かに目撃されるのは好ましくない。

 できればヤンデやサリアにも知られたくないが、俺は慈悲組《ジャンク》の一人――ある程度規格外でも不自然ではない。最悪決行しても構わない。

 こんなところでうじうじ悩んでも仕方がない。


(一通り片がついたことだし、詠唱の練習と行くか)


「リリース、十兆。チェック」

「リリース、200。チェック」

「リリース、十兆。チェック」

「リリース、十兆。チェック」

「リリース、200。チェック」


 詠唱をただただ繰り返す。


 俺が持つ数少ないスキル『リリース』の一部である。

 『リリース』の後に数字を指定することで放出量の分母を指定し、続く『チェック』で現在の量を確かめる。現在値が脳内に直接流し込まれる感じで、タイムラグはない。


 『オープン』と言わない限りは放出されないし、チェックのおかげで正しくセットされたかどうかもわかる。

 よって、俺はただただ口ずさむだけで、詠唱が成功したかどうかを判断することができる。


 うっかりオープンと言わないように気を付けないといけない。

 リリースの指定は分母であり、200とは二百分の一――総量の0.5パーセントを意味する。今だとちょうどナツナを地下ごと壊滅させた時の威力になる。

 これを1ナッツと呼んでいるわけだが、ともかく、こんなものを放出したら大惨事になりかねない。


「リリース、200。チェック」

「リリース、200。チェック」

「リリース、十兆。チェック」


 俺がひたすら詠唱を繰り返しているのには理由がある。


 詠唱の仕様を調べるためだ。


 どこまで速く口ずさめるのか。

 どこまで曖昧に濁せるのか。

 繰り返すことで、その基準は緩やかになっていくのか――


 リリースは俺の生命線だ。

 少しでも素早く、一度の不発もなく確実に出せるに越したことはない。


 とりあえず分母は二パターンに絞った。下手に数字のレパートリーが多くても混乱するだけだからな。

 十兆分の一は人一人殺せないほど軽微な威力で、いわば試し撃ち。一方、二百分の一は王宮の庭にクレーターをつくりユズを瀕死させる必殺の出力で、いわば切り札だ。

 普段は前者をセットしておき、いざとなれば後者を使う。初心者としては悪くない運用だと思う。


(できれば無詠唱で撃ちたいが……)


 現時点では見当もつかない。

 ヤンデあたりなら教えてくれるだろうが、どのみち現時点では「無理ね」で一蹴されそうな気もする。


 一応頭の片隅には置きつつ、今は目先の練習に集中するか。


「リリース、200。チェック。リリース、200。チェック。リリース、200。チェック――」


 あれこれ考えつつも、決して口は止めない俺。

 傍から見れば変人にしか見えないが、俺自身には意味のある行動だ。今ならシッコクの中二病が少しだけわかる。


 誰にも理解されない、意味深な言動を取る俺。

 無意味ではない。無価値でもない。

 むしろこの行動は、お前らを超越するための儀式なのだ。

 後になって気付いても、もう遅い。

 愚民ども。雑魚ども。虫けらども。よく聞け。暗躍する俺を笑うのも、今のうちだ――


(ああ。懐かしいな、こういうノリ)


 今でこそ鼻で笑ってしまうが、当時の俺にはそんな可愛い一面もあったのだ。

 既にぼっちではあったが、少なくとも死のうなどとは夢にも思わなかった。


 ホント、どこから狂ったんだろうな。

 いや、進みすぎたがゆえの必然だったのかもしれない。

 俺は何の変哲もない凡人だが、人生を多角的に楽しんだという一点においては、そこいらの奴にも負けない自信がある。


 賢すぎる者は幸せにはなれないし、手に入れすぎた者は憧れには浸れない。


 幸か不幸か、俺はその境地に至ってしまったのだろう。


(にしても器用なものだな)


 無限の集中力のおかげで、俺はすっかりマルチタスクを身に付けてしまった。


「リリース、200。チェック。リリース、200。チェック――」


 詠唱を絶やすことなく、オープンと口ずさまないよう注意しつつも、こうしてどっぷり考え事ができている。

 まさにチートと言えよう。


 だからこそ、このチャンスを逃すわけにはいかない。


 俺は必ず無敵バグを突き止め、潰してみせる。

 滅亡バグも探し出して、この世界を救ってみせる。

 輪廻転生という名の生き地獄なんてお断りだ。この二週目の人生できっちり終わらせてやる。


 それからも俺はひたすら詠唱を続けていたのだが、「来たっ!」思わず口に出てしまう。


 突如として、新しい概念が頭に流れ込んできた。

 はっきりと覚えている。ナツナに滅ぼされた山村、ボングレーでリリースを覚えたときの体験と瓜二つだ。


 ナッツ。


 それが新しく獲得したスキルの名前だった。


「1ナッツ」


「2ナッツ」


「10ナッツ」


 俺が口ずさむたびに、チェックまでが走っている。頭に流れ込んでくる現在値の単位に変化はないが、暗算してみると、たしかに俺が定めたナッツと一致している。


 要するに、リリースとチェックを同時に行い、かつ割合の指定としてナッツという単位が使えるようになったもの――

 それがたった今、俺に発現したスキル『ナッツ』である。


「何がどうなってんだ……」


 このスキルは明らかに俺を意識してつくられている。

 事前にプログラムされていたとは思えない。いや、天使の頭脳なら可能かもしれないが、少なくとも前世の人間水準ではありえない芸当だ。


「……《《観測されている》》?」


 人間にすぎない俺の見方では、そう考えることしかできなかった。

 つまり種族のスキルを司る何かが、詠唱の訓練を積み重ねた俺を観測し、ボーナスだか何だか知らないが、ショートカットを与えてくれた――

 飛躍しすぎだろうか。


 しかし、スキルとは突然当人に発現するもので、特に反復練習を繰り返した行為に対する見返りとして付与される傾向が強いらしい。ルナもそんなことを言っていた気がするし、今日の講義でも聞いたばかりだ。


「仮に観測者なる存在がいたとしたら」


 そいつに近づくことで、俺のデバッグモード仮説も調べられるかもしれない。

 そうでなくとも、スキルを付与するなどという超常的な存在であれば、俺のバグを突破する術を持っていてもおかしくはない。


 俺は時間も忘れて、詠唱の練習に没頭した。

 オープンと口ずさむだけで放出されるのはやめたいと考えてみたり、無詠唱で発動したいと願ってみたり、と観測者なる何かにアピールするかのように、色々と試した。


 結果はすべて不発に終わった。

 唯一、ナッツの詠唱スピードと精度だけはみるみる向上して、ゼロコンマ秒すら遅いほどの発動スピードを手に入れることができた。


「――朝か」


 天灯《スカイライト》の光で、俺は一晩を過ぎていたことを知り。

 そういえば今日はヤンデが来なかったなと思った。

3章

第130話 留学

 第二週四日目《ニ・ヨン》のアルフレッド王国王立学園。

 昼休憩を告げる鐘が響く中、北西の演習エリアの一画では三人の女生徒がぶっ倒れていた。


 今朝、選抜されたばかりの彼女達は、新米教師から濃密な戦闘訓練を受けたばかりである。無事であるはずもなく、昼食を食べるのも億劫なほど疲弊しきっている。

 教師はそれを見越していたようで、ゲートから運び込まれたモンスターの肉が三人のそばに転がっている。生身なので調理は必須だ。

 三人は何とか力を振り絞って起き上がり、火魔法で加熱して食した。


 昼休憩が半分以上過ぎたあたりで、ようやく立ち直ってきた。


「エルフって美味しいのかしら?」


 ちょうど肉を食べ終えたガーナが、ぺろりと舌なめずりをする。


「ダメだよガーナさん。ぼく達は代表なんだから、ふさわしく振る舞わないと……」

「何言ってんのよ。舐められたらおしまいじゃない。人間は甘美で淫靡《いんび》だってことを知らしめてやるのよ」


 ふんと胸を張るのは制服を着崩した金髪の女生徒――ガーナ・オードリー。

 娼者《プロスター》を目指すと公言し、自身も色気の演出に余念がない野心的な新入生である。

 既に複数の生徒を《《召し上がった》》らしく、下僕のごとく奉仕する男女をスキャーノは何度か目撃している。その中には上級生も混じっており、彼女の魅力と技術の高さをうかがわせる。


「何よスキャーノ、その目は。ようやくその気になったのかしら。今晩どう? 何なら今からどう? 外でやるのも悪くないわ」


 しなをつくるガーナを「違うから」スキャーノは毅然《きぜん》と拒否する。


「冷たいわね。むっつりのくせに」

「ぼくは本気だからね。襲ってきたら、本当に返り討ちにするから」

「怖いわねぇ……」


 若干ひいている友人を見ても、スキャーノは怯まない。怯まないことにした。


 このガーナという女生徒は、生粋の色欲魔である。

 しかもチャーム持ちと来ている。たとえその気がなくとも、同性であっても、懐を許してしまえば取り込まれる恐れがあった。


「それじゃあこっちにするわ」


 ガーナは残る一人――むしゃむしゃと肉を食らう平民に抱きつく。「いい匂いがするじゃない」くんくんと頭を嗅がれてもなお、平然と食事タイムを続けているのはルナ。


 平民ではあるものの、レベルは47と新入生上位であり、清楚な外見に似合わず野性味が強い。

 気の強さや物言いの遠慮の無さも相当であり、この二人が美人でありながら無闇に言い寄られないのは、ルナによるところが大きかった。


「ルナさんはどう? 緊張してる?」

「そうですねー……緊張半分、期待半分といったところでしょうか」


 スキャーノが話しかけると、ルナはすかさず口内に風魔法を発動――発声に不自由しないよう咀嚼中の食材を浮かせていた。

 器用な芸当で、スキャーノはいちいち感心してしまう。


「とりあえずバーモンは食べてみたいですね。私には一生縁が無いでしょうから」

「バーモンなんて私でも滅多に食えたものじゃないわよ」


 オードリー家は娼館を牛耳る一家として有名だ。

 ガートンと同様、国から独立した組織――つまりは会社ではあるものの、アルフレッドとの親交が深く、上級貴族にも劣らないポジションに居座っている。


「もっと高貴なら――たとえば王族であれば、そうでもないのでしょうか?」

「さあね。エルフに人間の権力は通じないし、無理かもね」

「だったらなおさら、この機会は逃せません。たらふく食べます」

「食い意地張ってるわね」


 ガーナは食事中のルナにまとわりついたまま、髪をすくったり頬をつっついたりしていた。

 その手が胸を掴んだところで、ルナの片腕が動く――ガーナの腹部にクリーンヒットし、十数メートルは吹き飛んだ。

 傍から見たら何事かと思う威力だが、二人のレベルを考えれば一応じゃれ合いの範疇である。


「そんなに美味しいのかなぁ? 肉は肉だと思うんだけど……」


 スキャーノもいちいち気にせず、会話に混ざる。


「おぼっちゃまなスキャーノにはわからないでしょうね」

「おぼっちゃまはやめてよ」

「じゃあ味音痴ですね」

「違うってば。ぼくはただ好き嫌いがないだけで」

「別に問題ないと思いますよ。むしろ好感が持てます。欠点がないと悔しくて堪らないので」

「その闘志というか対抗心も、そろそろ鎮めてもらえると嬉しいようで……」


 首席であるスキャーノは新入生唯一の第二級冒険者であり、レベルも二人から30以上引き離している。

 当然ながら実技でも一方的にこてんぱんにしている。先ほどまでの訓練でもそうだった。


 同期であり友人でもあるルナとしては、何度も悔しい思いをしてきたに違いない。その気持ちはわからないでもない、とスキャーノは同情を抱いたが、


「ガーナといちゃいちゃしたら鎮まると思います」

「イヤだよ」


 秒で撤回した。


 レベルは暴力であり、それだけで人を寄せ付けない。

 にもかかわらずルナも、吹き飛んだ先でスカートの中を解放しているガーナも、普通に接してくれている。

 そんな二人に対して、たとえ内心であろうと軽率に同情するなど失礼だ。


「相変わらず容赦無いわねぇ……」


 ガーナがお腹を押さえながら戻ってくる。制服は汚れ、髪もぼさぼさになっており、言動もどこかがさつだ。

 根は大ざっぱなんだろうなと思うと、スキャーノは思わず顔が緩むのだった。


「何か失礼なこと考えてない?」

「ううん、なんでもないよ。そろそろ午後の準備をしないといけないようで」


 午後も引き続きアウラによる集中講義である。

 エルフについて叩き込まれるとのこと。

 そして早めに帰宅して各自準備し、翌日早朝にはもうエルフ領に向かうことになっている。


 この三人は、エルフ領グリーンスクールへの短期留学に選抜されたメンバーだった。






 仮初《かりそ》めの屋敷に帰宅するスキャーノ。

 執事役の出迎えはない。館内に入っても、上司の気配はまるでなかった。


 衣装室で手早く制服を脱ぎ、水魔法による洗浄と風魔法による折り畳みを並行して済ませつつ部屋を出る。

 居間に行く間に火魔法で全身を乾燥させ、食料庫から果実水とフルーツを適当に見繕《みつくろ》う。居間に着いて、いつものネグリジェを引き寄せて着用した後。

 スキャーノもといスキャーナは、床に飛び込んだ。


 寝転んで大の字になる。

 持ってきたおやつを風魔法で口に運びながら、しばし口と喉を動かした。


「今日は本当に疲れたようで……」


 ラフな格好から漏れ出る肌と膨らみは無防備そのものだ。その行儀も到底褒められたものではない。

 上司に見られたら一発くらい食らわされてもおかしくないが、あの上司はゲートも使えなければこっそり帰宅するなどという真似もしない。


 冒険者らしく手短に平らげた後、スキャーナは顔を九十度上げた。

 上下逆さになった視界には、忙しさを物語る机が見えている。書類や本、それに筆記用具が無造作に散乱しているようだ。


「……」


 スキャーナは引き寄せようと思ったが、ファインディは意外と几帳面だ。勝手に動かしたことがバレて怒られる可能性も低くない。

 仕方なく立ち上がり、微かな風圧も立てないようにそっと近づいて、覗き込む。


(情報紙……?)


 見慣れない紙があった。ずいぶんと薄い上に、紙面の大半を絵が占めている。

 何種類もあるらしく、指名手配でお馴染みのシニ・タイヨウの素顔や、最近情報紙を賑わせているグレーターデーモンの全身姿もあった。


 平民向け情報紙が始まる、という噂を耳にした。下っ端にはまだ下りてきていない情報だが、職員の情報網も侮れない。この上司の入れ込みっぷりから見ても、黒で確定だろう。


(……どうしようかな)


 スキャーナは悩んでいた。

 シニ・タイヨウが休学になったことを、まだ上司に伝えていない。

 加えて、明日から留学することも決定している。もっとも留学は今朝伝えられたばかりであるため仕方ないのだが。


(昨日の今日で留学――あの人はどこまで掴んでいるのだろう)


 それもこれも、教師として引率するアウラの差し金だろう。第一級冒険者なのだから、学園に要望を通すことなど容易いはずだ。


(やっぱりあの二人が怪しいのかな)


 一番最初にちらついたのは、すぐに気持ち悪がられようとする男子だった。

 そこに遠慮無く抱きつく一人の女の子、という構図が脳内に浮かぶ。頭を振って取っ払った。


(仮に二人のどちらかがシニ・タイヨウだとしたら?)


 不思議と違和感はなかった。どちらがそうであろうと、あるいは二人ともそうであったとしても、納得できてしまう。

 あの二人には、そんな底知れ無さがあった。


「慈悲組《ジャンク》……」


 そんな慈悲組二人を抱えているのはアルフレッド王国であり――もっと言えば国王シキである。


 仮に、もし仮に。

 国がシニ・タイヨウを既に知っているとしたら?


(ううん、指名手配はまだ継続しているから、この場合は……国王だけが知っている?)


 だとして、なぜ取り下げないのか。

 いや、王女殺害という大罪を許すわけにはいかない。味方に引き込んで、めでたしとはならないはずだ。

 見せしめは必須である。大々的な公開処刑にすることで、権威を知らしめねばならない。



 ――見た目に騙されてはいけませんよ、スキャーナ。


 ――シキ・ジーク・アルフレッドは、策謀でのし上がった男です。あの野性的なキャラクターも仮面にすぎません。



 上司のアドバイスが想起される。

 ジャースにおいて国王で在り続ける人物なのだから、相応に手強く奥深いのは当然だろう。


「……うん、いいか」


 仮説を考え出せばきりがないし、上司に怒られる心配を今からするのも不毛だ。

 冒険者には切り替えが大事である。優れた冒険者でもあったスキャーナには造作のないことだ。


 昨日も上司はいなかった。

 今日もいないだろうし、当面帰ってくる様子はないと思われる。

 ファインディという男にはそういうところがある。ゲートが使えない分、用事は一気に片付けてくるのだ。


 スキャーナは留学の件だけ置き手紙に書き上げ、もう一度床に寝っ転がると。

 滅多に踏み入れられない秘境に思いを馳せた。

第131話 留学2

 第二週五日目《ニ・ゴ》の朝。グリーンスクールの敷地内でいつものメンツと合流したところで、それが響いた。


『生徒諸君、ごきげんよう。今から重要な話をする。一分待つ』


 この凜々しい声は、聞き間違えるはずもない。「生徒会長でやんすね」シッコクの反応から見ても、珍しい放送のようだ。

 おそらく振動交流《バイブケーション》の一種だろう。ただし、音の振動を器用に他者の耳に差し込む指向性というよりも、広範囲に拡散している風である。

 音質も悪くない。前世でたとえるなら、校内放送や町内放送とも遜色がないクオリティだ。


「ジーサクン。チャンスなんだな」


 グレンがちょいちょいと肘で小突いてくる。周囲には直立したまま天を見上げるエルフ達がわらわらいるわけだが、その一人を指していた。

 エルフには珍しいスカート姿。もっというとタイトであり、形の良い尻がくっきりと浮き出ている。

 中を覗くチャンスとでも言いたいのだろう。下着に興奮するというモダンな性癖を持っているのは興味深いが、「いや真面目に聞けよ」もちろん一蹴する。


「仕方ないんだな」


 グレンが忍び足で近づいていく。決行すんのかよ。

 実力差は歴然のようで、拝む間もなく電撃を撃たれていた。地面にうつ伏せで倒れたままぴくぴくしている。


『では話を始める。唐突だが、今日から留学生を迎えることとなった』


 隣のシッコクが俺を見てくる。周囲のエルフ達からもちらほら。

 覚えなどないので、首を左右に振る。


『留学とは、他の教育機関でしばらく過ごすことだ。異なる文化の者と接することは大きな学びとなろう。留学生は三名いる。一人ずつ自己紹介してもらう。そのまま喋れば良い』


 最後の一言は、生徒会長と一緒にいるであろう留学生に向けたものだろう。


『皆さんはじめまして。ルナと申します』


 ……ん?


『アルフレッド王国王立学園の新入生です。深森林は凄いですね。この広大で荘厳な大自然を前に、私は興奮しっぱなしです。色々とわからないと思いますので、教えていただけますと幸いです。私もアルフレッドや人間族の話ならたくさんできると思います。よろしくお願いします』


 うん、このサバイバル女子全開な雰囲気は記憶に新しい。

 半裸国王が仕組んだのだろうか。ユズが来てないといいけど。「そそる声でやんす」悪いことは言わないからやめとけ。


 にしても、聴衆者のエルフ達も死んだように無言で正直怖い。シッコクのひそひそ声さえノイジーに感じられるほどだ。


『ガーナ・オードリーよ』


 拍手もなければ、進行のリードもなく、もう次に進んでいる。


「娼者《プロスター》を目指しているわ。正直に言わせてもらうけど、私はエルフとの性交に興味があります。無理強いはしないけど、歓迎はしているから、いつでも来て頂戴。もちろん議論や情報交換も歓迎よ。エルフの性生活についても知りたいわね。以上よ」


 潔癖そうなエルフとは相性悪そうだが……いや、好奇心を隠せない者がちらちら見えるな。

 案外美しき百合の世界はそこいらに転がっているのかもしれない。


「拙者も人間の性癖とか性感帯とか知りたいでやんす」

「ちょっと黙ってろ」


 性感帯という概念があるのは地味にびっくりだが、この留学生メンツには嫌な予感しかしない。

 対策を考えたいから、割とマジで静かにしててほしい。いや無視すればいいんだが、下ネタにはつい反応したくなるのが男の性というもの。


『えっと、ぼくは……スキャーノと申します。よ、よろしくお願いします……』


 やはり最後の一人はコイツだったか。

 自己紹介、もうちょっと頑張れよ。俺の時はもっと強気じゃねえか。

 たぶんスキャーノもスパームイーターを入れられたのだろう。そういうの苦手そうだし、ショックを引きずっているのかもしれない。


『留学生の位階だが、第二位《セカンド》と第三位《サード》のデュアルランクとする。一応説明しておくと、第二位でも第三位でも対等に接することができる』


 なるほど、つまり第三位の俺達がセクハラすることもできる……って、いかんな。思考がコイツらに毒されてきている。


「ジーサ卿とは待遇が違うでやんすね」

「ホントな」


 その後も生徒会長による説明が続いた。

 今日は生徒会長と三人の四人組で行動を共にし、明日以降は自由行動になるとのこと。遭遇したくねえなこれは。


 放送が終了すると、敷地内にいつもの控えめな喧騒が戻ってきた。

 一斉に動き出すエルフ達の、スイッチをオンにしたかのようなメリハリはまるで軍隊、いや軍隊顔負けかもしれない。知らんけど。


「シッコクン。どうする?」


 ぷすぷすと焦げたグレンが戻ってきた。どういう素材なのか、服装はびくともしていない。


「もちろん一緒の授業を受けるでやんす」

「は?」

「わかったんだな。後で合流するんだな」


 そう言うと、グレンは俊敏に去って行った。遠足を待ちわびる子供顔負けのテンション。経由する足場や壁の選び方も地味に上手い。

 俺が眺めていると、「回復しにいくでやんすよ」シッコクももう歩き出している。


「初日は客人扱いでやんす。あの姿だと一蹴される可能性が高いでやんすね」

「そんなことより、行くのか?」

「当たり前でやんす。むしろ行かない理由がないでやんす」

「生徒会長怖いんだけど」

「何言ってるでやんすか。厳格で実力も高いモジャモジャ様は、むしろ安全でありご褒美でやんす。行くでやんすよ」


 新入りの俺に決定権はない。まだまだコイツらと仲違いするには早すぎる。

 俺は観念して、わくわくを体現した背中を追う。


 ルナに、ガーナに、スキャーノか。


 第一週目の時点でよくつるんでいた三人だ。

 第二週目の現在、ルナとガーナはEクラスに行き、スキャーノだけはFクラスに留まっている。

 Eはともかく、Fクラスは落ちこぼれだ。クラスを跨いだメンバー構成には、露骨な強引さが感じられる。


(紹介はなかったが、あの人もいるだろうな。第一級の攻撃魔法師《アタックウィザード》アウラ)


 いつものようにダンゴに共有しつつも、俺は備え続ける。


(俺にこっちに来る前までの会話を考えれば、その目的は一目瞭然――シニ・タイヨウを探すためだろう)


 アウラはシニ・タイヨウを探すために学園にやってきたと言った。

 スキャーノもまた、ガートン職員として探していると告白した。

 ルナは何も語っていないが、シニ・タイヨウを好いており、かつ探していることを俺は知っている。


 とはいえ、現状俺が疑われている可能性は無いか、あっても毛ほどのものだろう。

 仮にあったとしても、意味はない。


 実技の壁があるからだ。


 俺はレベル10が傷付く攻撃で傷付いてみせた。

 この事実がある限り、かつダンゴの存在と活躍がバレない限り、壁を越えることはできない。


 しかし、シニ・タイヨウとは無関係だ、と割り切れるほど悠長でもないだろう。

 エルフの世界は明らかに排他的である。そんな場所にわざわざ留学をねじこんできた。主犯は第一級冒険者のアウラだろうが、一体何を考えているのだろうか。

 実力行使してくるほど野蛮だとは思いたくないが……。


 考えたところで、わからないことはわからない。

 それでも一つだけ確実に足りていないものがある。


(ダンゴ。バニラ。レベルアップは今日決行するからそのつもりでいろ)


 シッコクを追いかけつつ、俺は決意を固めた。

第132話 留学3

 シャトルアップダウンとは、地面と天井の間を行き来する回数を競う競技である。

 地面は深森林お馴染みの足場群《プレーン》であり、天井は二十メートルほど上の樹冠。そこに魔法でつくられた水風船が多数吊されており、ゆらゆら揺れている。


 二百人は集まっているであろうエルフ達に囲まれた中では、六本の軌道が激しく上下に動いていた。

 両端の二本が一番速く、俺でも視認はともかく数えるのが危うい。にもかかわらず、足場はおろか水風船の振り子運動も乱れていないのだから大したものだ。


「やりおるでやんすね。あれほど強ければ、やりたい放題でやんす。生徒会長にもいかがわしいことができるに違いないでやんす」

「男にしては美形だったんだな。許容範囲なんだな。咥えてもらいたいんだな」


 ゲス達の品評はさておき。

 向こうで首席だったスキャーノは、こちらでも健在らしい。レベル88はエルフの世界でも優れているということか。

 しかし、生徒会長モジャモジャも負けていない。反対側で同等以上のパフォーマンスを発揮している。


 よく見ると動き方は全然違うな。

 スキャーノは常に足で踏み込むように身体を反転させながら往復しているのに対し、モジャモジャは身体を水平に保ったまま両腕で見えない壁を弾くような動作を繰り返している。


「これって、魔法で風圧を抑えながらってことだよな」


 俺達は現在、空中足場《エア・ステップ》の講義を聴講している。

 本来なら十人もいない、小さな授業の一つだが、実力試しということでモジャモジャがここを選択――加速度的に参加者が増えて、屋外実技となった。


「そうです」


 俺の独り言を拾ったのは先生だった。振動交流《バイブケーション》で俺の声を拾い、風圧を殺しながら近づいてきたのだとわかったが、レベル10で通してる俺には過ぎた察知だ。「うおっ」とりあえずビビっておく。


「空中足場の実現方法は三つあります。無詠唱の通常魔法で空気のブロックをつくる方法、特殊魔法として唱える方法、そしてスキルとして使う方法の三つです」

「すいません。特殊魔法とスキルについて、獲得方法の違いがわからないので教えてほしいんですが」

「そこからですか……良いでしょう」


 能面のようなエルフが、シャトルアップダウンから目を離さず口を動かしている。目だけは上下方向に高速往復しており、そのスピードから中央の四本――ルナやガーナあたりの移動を追いかけていると思われる。


「特殊魔法含め魔法は、条件さえ満たせば誰でも自動的に習得します。これを『解禁』と呼びます。一方、スキルはいつ、誰が、何を身に付けるのかが定まっていません。セオリーとしては、特定の動作を反復練習することです。スキルは、ある時突然身に付きます。頭の中に流れ込んでくる、とでも言えば良いでしょうか。こちらは『エウレカ』と呼びます」


 ちゃんとした解説でありがたい。

 昨日俺が身に付けたスキル『ナッツ』も、エウレカによるものってわけか。俺が馬鹿みたいにリリースだのキャンセルだの唱えていたからだろう。


 整理すると、スキルとは何らかの観測者によるショートカットの付与、とでも言えるだろうか。


 一方、魔法は、おそらくレベルやステータス、あとは習得魔法の数が条件になっている。もっと言うと、初歩的な魔法を覚えた上で、さらに高度な魔法が積み重なっていくイメージだろう。

 であれば、魔法適性ゼロで何一つ覚えられない俺の説明もつく。いや初歩的な魔法さえ覚えられない理由は未だにわからんのだが。


「ありがとうございます先生。ちなみに、空中足場をスキルとして覚えるのは難しいですか?」

「難しいと思います。私はまだ一度も見たことがありません」


 先生曰く、特殊魔法を高速で詠唱するのが多数派だそうだ。

 特殊魔法は通常魔法よりも読みやすく、かつ早口にも追従しやすい。空中足場《エア・ステップ》、の一言で済むわけだからな。ゼロコンマ秒以下の詠唱も珍しくない。


 ちなみに、スキャーノとモジャモジャはさらに上を行っており、通常魔法の無詠唱である。

 通常魔法と言えば規模《スーパー》、属性《ファイア》、|メタファ《アロー》のように三要素を唱える必要があるわけだが、一体何をどうすればこれを無にまで圧縮できるのだろうか。俺は興味本位で尋ねてみたが、先生曰く「時期尚早ですね」あーそうですか。


「――話は変わりますけど、先生。俺に親切しても良いのでしょうか」


 正直ここまで親切に講釈いただけるとは思ってもいなかった。


「侮辱するのはやめてください。私は教師です。ジーサ・ツシタ・イーゼ――貴方も生徒の一人ですよ」

「ありがとうございます」

「無論、罪を犯せば刑を行使することはお忘れなく」


 エルフ先生が半眼で俺を、というより俺達を睨んできた。


「ガーナちゃんとルナちゃんも中々でやんす」

「惜しいんだな。もうちょっと遅ければ乳揺れが見えているんだな」

「どっちが大きかったでやんす?」

「甲乙つけがたいんだな。露出はガーナちゃんだけど、ルナちゃんも侮れないんだな。あとで注視するんだな」


 相変わらず盛り上がりそうな会話してやがる。

 特にグレン。ベルトブラで縛ってるルナの隠れ巨乳に気付くとは、優れた慧眼じゃないか。こんな時でもなければ普通に俺も話に加わりたいところだ。


「コイツらとは一緒にしないでください」

「何言ってるでやんすか。ジーサ卿は我ら猥褻隊《わいせつたい》のメンバーになったでやんすよ」

「なってねえよ。先生も手刀下ろしてください」

「それ以上は第二位《セカンドランク》への侮辱になります」


 すっ、とすかさず頭を下げたのはシッコクとグレンだ。都合の良い時だけ反応してくる小賢しさといい、この変わり身の早さといい、コイツら何なん?

 俺もここで意地を張るほど愚かではないので、すぐに真似をする。


 先生の足音が聞こえはじめたところで、俺達は顔を上げた。


「オルタナ先生でやんす。面倒見は良いでやんすが、柔軟性は無いでやんす。少しでも接触したら、もう手が飛んでくるから注意するでやんすよ」

「ちなみに胸も柔軟性がないんだな。子供みたいに固い乳房なんだな」

「なあ、この会話も聞こえてんじゃね?」


 それはそうとグレンさん、子供にも手を出してるんですかね……。


「振動交流は基本的にマナー違反でやんす。聞こえていること自体がおかしいでやんす」

「なるほどな」


 盗聴みたいなものか。今、コイツらを無礼だと捌くことは、振動交流でこの会話を聞いていたと認めることになる。

 エルフは真面目で礼節を重んじる種族。盗み聞きという真似は認めまい。


 おおっと会場が控えめに湧いた。

 控えめなのはエルフらしいが、普段は湧くことすらない。よほどのことなのだろう。視線を移してみると、シャトルアップダウンが終了したところだった。


 判定員の魔法により、空中にスコアが印字され始める。

 まもなく表示された上位二人のスコア、往復回数は――やはり桁が違う。僅差で勝ったのは……どっちだこれ。名前がジャース語だからわからん。


「おお、珍しいんだな」

「会長が男に手を差し出すとは……」


 やんす口調でないシッコクも珍しい。見るまでもなく、場の雰囲気は留学生スキャーノの勝利を示している。

 遠目でも綺麗な手を、スキャーノは照れくさそうに握り返していた。


「そんなことよりもシッコクン、ジーサクン。あれを見るんだな」

「おっ、でやんす」

「……ああ」


 握手を交わすトップランナーのそばでは、残りの競技者がぶっ倒れている。ぜえはあと肩で息をする彼女達に、体裁を気にする余裕はなさそうだ。

 コイツらの関心は、両手をついて天を仰いでいるガーナだろう。胸が張られる体勢になっていて、目に毒な膨らみが強調されている。

 今気付いたが、普通に学園の制服なのな。スカートから伸びる生足も悪くない。

 ルナはルナは、何となくガードの固さをうかがわせた。あれはまだ余力を残してるな。


「ジーサクンはルナちゃんが好みなんだな?」

「……違えよ」

「怪しい間でやんす」


 コイツら妙に鋭かったりするんだよな。マジで何なん。


「お前らみたいに好みをペラペラ喋れるほど軽率じゃねえんだよ」


 かといって、この言い分だけで見逃してもらえるなら苦労はしないわけで。


「まあ、あの三人で言えば《《ルナちゃん》》が好みだな。お前らは?」


 自分で言ってて気恥ずかしさもあるが、ルナとはシニ・タイヨウとして散々接している。馴れ馴れしさを隠すためにも、ここは迎合するべきだ。


「拙者はガーナちゃんでやんす」

「僕はスキャーノクンなんだな」

「え?」

「え?」


 俺とシッコクの声が重なった。


「新しい性癖に目覚めそうなんだな。前に男エルフで試したことはあるんだけど、今回はいける気がするんだな」

「そんな生々しい話、聞きたくないんだが」

「拙者も勘弁でやんす」


 下品な会話を続けつつも、俺の思考はフル回転していた。

 コイツらは十中八九、留学生にちょっかいを出すだろう。となれば、つるんでいる俺も絡むことになる。あるいは俺がバックレたところで、コイツらがバラすに決まっている。逃げ道はない。


 しかし、留学生達と俺は知り合いだ。アイツらも普通にジーサに接するつもりで接してくるだろう。

 そうなると、コイツらはどう反応するだろうか。鬱陶しいのは想像に難くない。


(……俺は何を心配しているんだろうな)


 鬱陶しいだけなら別に大したことないはずだが、何かが俺の頭にひっかかっている。


(身分を偽っていること、か?)


 俺は大貴族の息子という設定だが、ルナ達は知らない。「何嘘ついてるんですか」とか言われたら、特にモジャモジャ生徒会長あたりの猜疑が険しくなるだろう。


(単純にアウラ先生が怖い?)


 まだ姿を見せていない第一級の新米教師。シニ・タイヨウを探しているという彼女は、俺にとっては脅威でしかない。


(仮にここエルフ領で露呈したとしたら、どうなるんだろうな)


 考えたくない可能性だった。封印ルートだけは避けなくてはならない。

 封印されるくらいならナッツを放ってでも逃げるつもりだが、そういう強行はできれば避けたい。目立ちすぎれば、竜人が登場しかねない。


 いや、むしろ逆にその方がてっとり早いか?

 つまり、あえて暴走を繰り返すことで竜人に目をつけてもらい、交渉に持ち込む。俺の超常性をアピールすれば、抱き込んでもらえるかもしれない。

 こうして世界を維持している以上、竜人族もバカではないはずだ。融通が利かなそうなのが怖いところだが。


 そうこうしているうちに、授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。


「挨拶しに行くでやんす」

「なんだな」


 行動が早くて尊敬するぜ。

 俺は二人とは逆方向にダッシュしようとしたが、グレンにがっしりと肩を掴まれてしまった。グレンはレベル21。対して俺は10。ステータスは何一つ勝てないことになっている。


 低く申告したことを少し後悔しつつ、話題の中心へと引きずり込まれるのだった。

第133話 留学4

「モジャモジャ様。留学生に挨拶させていただきたく」


 シッコクはばさっとマントを広げた後、優雅に片膝をついた。眉目秀麗のエルフに似合った洗練っぷり。お前誰だよ。

 小太りグレンも同じ格好である。エルフお馴染みの、左手を胸に当てて右肘を前に突き出すポーズも様になっていた。

 俺もルナ達と目が合う前に、さっさと倣うことにする。


「拒否する」


 生徒会長モジャモジャの言は、一文字目から猛烈な拒絶感を主張していた。


「スキャーノ殿。ガーナ殿。ルナ殿。この三人には特に注意していただきたい」


 俺も入っているのな。


「左の中肉中背はシッコク・コクシビョウ。レベルは23だ。真ん中の太った男がグレン・レンゴクで、レベルは21。グリーンスクールに在籍する男エルフはこの二人だけだ。刑に至らない程度の猥褻《わいせつ》行為を繰り返してくるから気を付けろ。やられたらやりかえせ。君達なら加減は容易いだろう」

「は、はぁ」

「ふうん」

「あ、はは……」


 三者三様の反応で面白いと思っていたが、視線が俺に集中したのがわかった。

 レベルアップで感覚が鋭くなっている。俺の方に視線を合わせたってことが、空気の振動からわかる。


「右の男は、君達も知っているだろうが人間だ。アルフレッドの大貴族イーゼ家の長男ジーサ・ツシタ・イーゼで、第二週一日目《ニ・イチ》から留学している」


 そういえば家柄の設定は突き詰めてなかったな。イーゼ家と聞くと滑稽に思えるのは気のせいだろうか。まあ|自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》だしな。


「レベルは10だが、二人に負けない変態だから気を付けろ」


 なんでだよ。いや設定上はそうなんだけど。


「知っています」

「そうだね」


 ルナが即行で肯定し、スキャーノも強気の断言――そこで俺は思い至る。どうやら大貴族の変態息子という設定を汲み取ってくれているらしい。

 たぶんサリアから話を聞いたアウラが、コイツら三人に共有したのだろう。


「……」


 怖いと言えばガーナか。

 無言で、微動だにせずただただ俺を見下ろしている。


「よろしければ学内を案内しよう。どうだ?」


 三人が顔を見合わせているのがわかる。「そうさせてもらうわ」先に喋ったのはガーナだ。

 その口調から察するに、三人には第二位とも対等に接する権限が許されているらしい。デュアルランクと言ってたもんな。俺と待遇が違いすぎる件。


 間もなく散会の足音が響き始める。

 俺達はしばし頭を下げたまま待機するわけだが――シッコクが動いた。


 最短距離でルナの足元に飛ぶコース取りだとわかった。好みのガーナではなくルナなのは、位置的に最も近く、かつレベルも最低だからだろう。

 グレンはグレンで、何やら魔法を放っている。風《ウインド》という単語がかろうじて聞こえた。

 ルナのスカートめくるつもりだろう。少しでも下着を見る確率を上げるために。


「ぷぎゃ」


 まずシッコクがルナのおみ足に踏み潰され、「あぶっ」グレンは額に土魔法か風魔法の弾丸らしきものを食らう。

 小太りがぶっ倒れる音と振動を聞きながらも、


(おいおい……)


 俺は放心する勢いで感心してしまった。


 身体能力はともかく、判断から行動開始までのスピードが早すぎる。事前に念入りに打ち合わせたとしても、ここまで上手くはできまい。

 気が遠くなるほどの修練でも経たのかと呆れるほどに人間離れした連携と言える。あうんの呼吸という言葉が浮かんだ。


「悪くない。もう少し威力を上げても良いぞ」


 モジャモジャは冷静にルナの反撃を評しており、「ぐうぅ……」などと呻いているシッコクに追撃の蹴りをぶちこむ。

 容姿も美しければ加減も美しい。ルナの蹴りはレベル17程度だったのに対し、モジャモジャのは21相当だ。俺もレベル毎の加減はダンゴと練習したつもりだが、ひけを取らない。

 なるほど、ここまで正確なら死を怖がる必要もないわけか。安心してちょっかいを出せるというものだ。


 人一人分がごろごろと転がっていく音が止まない間に、彼女達は歩みを再開した。


「み、見えなかったん、だな……」


 額を両手で押さえるグレンは、痛がっているというより悔しそうだ。止まらない鼻血くらい出血してるけど大丈夫か。


「お前はスキャーノ派だろ」

「ジーサクンはわかっていないんだな。まずは小手調べが必要なんだな。レベル47ならいけると思ったんだけど、あれは場慣れしているんだな」


 だろうなぁ。森でサバイバルしてたくらいだし。


「そこでいけると思える思考回路が理解できねえんだが。レベル差、二倍以上あるだろ……」


 ちなみに留学生三人のレベルは既にグリーンスクール内で共有されている。シャトルアップダウンの前に、振動交流で大々的に拡散されていた。


「僕もシッコクンも回復が必要だろうから、次の授業は一人で受けてほしいんだな」

「待て待て。俺もついていく。回復手段を見ておきたい」


 アルフレッド勢とは絡みたくないが、コイツらと一緒にいれば大丈夫だろう。

 ぼとぼと血を垂らしながらも早速飛行で移動し始めるグレンを、俺は下から追いかけた。






 ベリーと呼ばれる木の実で回復を済ませたクズ二人組は、懲りずに留学生への付きまといを繰り返した。といっても意外と冷静で、同じ授業を受けつつ、遠巻きから観察に徹している。


「――よってバーモンを狩る時は、直接触れるのではなく魔法で攻撃する必要がある。またその際、石などの物体を使ってもならない。これは先日の話だが、目にも留まらぬ速さで打ち返されて、頭に風穴を開けた愚か者がいる。彼女はそのまま川に落ちた。そうなってしまえば、骨一本と残らない」


 参加者も多いからか、先生の声もいつもより大きい。

 今は屋外で、というより足場群の先で、川を見下ろしながらの講義が行われている。足場を離れて、宙に浮いている者もちらほら。


「質問いいかしら」


 ガーナが口と挙手を挟む。貴族らしい上品な振る舞いだ。


「構わない」

「海に生息するモンスターはシーモンだと思うんだけど、バーモンとは何が違うのよ?」


 スキャーノとルナも頷いている。俺はシーモンの方が初耳なんだが。


「両者は別物だ。シーモンは海に生息しており、バーモンはこの深森林にのみ生息している」

「バーモンの方が弱いの?」

「遠距離攻撃が無い、という意味ではそのとおりだな」


 話題についていけない俺を察したのか、「遠距離攻撃が使えるバーモンがシーモンでやんす」シッコクがそんなことを言う。

 俺が視線を向けても、目は合わない。シッコクは黙々と手を動かしながら、


「安全高度《セーフハイト》は知っているでやんすね? ここ深森林では30メートルでやんすが、海ではこれが1000メートルになるでやんす」

「桁おかしくない?」

「合ってるんだな」


 俺達はストロングローブの幹に張り付いている。足場群から十メートルくらいは離れていて、授業風景を見下ろす形だ。

 俺は力で樹皮を掴み、二人はたぶん魔法で浮いている。


 浮いていると言えば、その空中に浮かせた大きな紙もそうか。さっきから二人は地図だか見取り図だか知らないが、それに小さな字を書き込んでいる。矢印も見られた。

 ルナ達に猥褻《わいせつ》行為を仕掛けるための作戦を練っているそうだ。字が読めない俺は戦力外である。

 別に疎外感などないし、巻き込まれないでほっとしているまであるが、ガチすぎてただただひく。


「遠距離攻撃って何だ? 魔法が飛んでくるのか?」

「魔法《《も》》飛んでくるらしいでやんす」

「その威力も第一級クラスだと?」

「第二級冒険者が一撃で重傷を負ったという話はたまに聞くでやんすね。好奇心で飛び出す輩がいるでやんすよ」


 俺が知っている海とはずいぶん違うな……。

 しかし、この口ぶりといい、ガーナ達にも既知だったことといい、海の恐ろしさは有名な話ではあるのだろう。

 落ち着いたら足を運んでみたいところだ。|ダメージの貯金《チャージ》もできそうだし。


 気になると言えば、魚人の存在も聞いておきたかったが、あまり情報が多すぎても整理しきれない。

 好奇心は抑えて、俺は素直に授業を聞いた。

第134話 バーモン狩り

 クズ二人組がおとなしかったおかげで、留学生合流後初日は問題無く終わった。

 ルナ達と顔を合わせることもなければ、放課後連れ回されることもなく、日が沈む前には危険区域《デンジャーセクション》の一つ――すっかり俺の住まいとなったエリアに戻ってきた。


 数分もしないうちにゲートが出現するので、くぐる。


 一昨日と同様、濃褐色に包まれた小屋だ。窓もドアもないが、木材の温かみがあるからか閉塞感はない。「では」と礼をしたリンダが、別に開いたゲートで去っていく。

 ゲートが通じるってことは今は結界には囲まれてないはず。ヤンデなら逃げられそうだが……いや、そんなに甘くはないか。

 今逃げ出したところで、逃走劇が幕を開けるだけだ。完全に解放されなければ意味がない。


「お疲れのようだな」

「全く歯が立たなくて泣きそうよ。えーん」


 壁の材質を調べながら話しかけると、棒読みの後にどんっと背中から抱きつかれた。なぜかおんぶする格好になる。


「皇帝ブーガと同席したわ。オーラで恐怖を感じたのは初めてよ」

「……そんなに凄いのか? サリアさんとも違う?」

「比較にならないわね。頭一つ抜けているわ」


 まあ近衛《ユズ》が追い詰められるくらいだしな。


「サリアさん攻略の進捗は? あっ」


 そこで俺は防音障壁を張っているかの確認を忘れていることに気付く。「張っているわ」さすがはヤンデさん。


「ちなみに王族への反逆は、企てるだけでも死罪よ」

「エルフは盗み聞きしないと聞いたが」

「第一位《ファーストランク》と一部の従事者は別なのよ。国の秩序を守るために、むしろ目を尖らせている」

「危険区域もか?」

「そこまでは見ていないでしょうね。対人資源《リソース》が明らかに足りない。おそらく都市部と第二位《セカンドランク》以上だけね。何? 悪さでもする気?」


 ヤンデは無自覚なのか狙っているのか、慎ましい胸を惜しげもなく押しつけながら、綺麗な指先で俺の頬をつっついてくる。


「ただのレベルアップだよ。川に潜って、バーモンを狩りまくろうと思ってる」


 ヤンデの指が止まった。

 深爪なんだな、ということに初めて気付く。高貴な女性は爪は長いイメージだが、機能性を重視するエルフらしいなと思う。


 興味本位で咥えてみたら、「うぐっ!?」喉元まで押し込まれた。一切の手加減がなく、レベル10はおろか、40くらいでも風穴が空く威力だ。

 今さら隠し立てする意味もないので、もう演技もしない。


「深く追及はしないけれど、たしかに、それは見せない方がいいわね」


 一言で俺の非凡さに気付き、かつ深追いもやめてくれるとは話が早くて助かる。

 もっとも俺もさほど心配はしていなかった。

 自分の武器や特質は生命線であり、たとえ親しい相手であってもおいそれと教えるものではない。冒険者なら当たり前のリテラシーだろう。


「今日と明日は迎えに来なくていいぞ。狩りに集中したい」

「わかったわ」

「ちなみに、俺の位置はどうやって特定している? 特定しているのはヤンデか?」

「後者だけ、そうよと言っておくわね」

「お互い様か」


 俺が無敵バグを隠しているように、ヤンデにも色々と隠し球があるのだろう。


「おい。唾液がついた指で頬を撫でるな」

「あなたの唾液よ?」


 今度は鼻に突っ込まれてぐりぐりされる。レベル40でも鼻が取れるパワーで、ダンゴは避難に忙しいだろう。「舐めてもいいぞ」ゴッと側頭部を殴打された。風圧で小屋が少し揺れる。


 しっかし、どうにも本題を避けている節があるな。

 俺は本来の力を発揮してヤンデを引きはがし、


「で、ヤンデはどうだったんだ? 逃げられそうか?」

「それは言わないで。現時点では絶望的だから」


 弱気になられても困るんだが。

 とりあえず喋らせようか。人は傾聴してくれる相手に喋ることで冷静になれる。その際、相手が迷わないように、こちらから尋ねるのがコツだ。

 と、本に書いてあった気がする。


「復習も兼ねて、詳しく聞かせてくれ」


 シリアス100%の雰囲気でゴリ押ししたところ、ヤンデが折れてくれた。なぜか膝枕を強要されたが。


 話を要約すると、まずステータスの差は問題ないらしい。

 レベル62で、一体どうやって倍以上の開きがある相手に追いつけるのか想像もつかないが、ユズもブーガ相手に反応していたし、何かあるのだろう。


 問題は結界――無魔子《マトムレス》系の魔法とスキルである。

 展開速度が非常に速く、ヤンデでも追い越せないという。そして一度展開されてしまえば、もう魔法は使えなくなる。そうなるとヤンデはレベル62――第二級冒険者手前の雑魚でしかない。


(魔法を封じられて追いつけなくなるってことは、魔法で第一級のステータスに追いついてるってことか)


 何をどう応用すればそんな芸当ができるのだろうか。反射神経からして追いつけないから無理だと思うんだが。

 そういえばブーガに応戦したユズも似た状況だったよな。ユズは防御と魔法はともかく、パワーとスピードは第三級程度だった。にもかかわらず、ブーガの速度に追従できていた。


 悔しそうに話すヤンデの髪を撫でながら、俺は自分の秘密と交換したい衝動に駆られるのだった。






 きっかり一時間でリンダが登場し、俺達は別れた。

 ヤンデはこれから睡眠の訓練に勤しむという。王族も大変なものだが、睡眠そのものを犠牲にしない姿勢は評価できる。

 ユズを飼っていたナツナもそうだが、ジャースの冒険者は睡眠を大事にしている節がある。廃人対策だろう。


(眠らなくても平気、という点も隠した方がいいな。さて)


 これで障害は無くなった。心置きなくレベルアップできるというものだ。


(ダンゴ。バニラ。今から川に飛び込む。避難を開始してくれ。終わったらイエスを返せ)


 数秒も経たないうちに、後頭部と両の睾丸に打撃が来る。

 ダンゴによる夜目もなくなり、顔面も覆面を外したかのように軽い。ジーサの容姿を形作る部分も込みで避難させたので、今はシニ・タイヨウ――つまりは俺の素顔が丸出しになっている。


 俺は少し歩いて、普段使っていない薄い足場に着くと、強く踏み込んで崩した。そのままだと落ちるので、ストロングローブの樹皮を掴んでぶら下がる。

 数十メートル下方、川面のあたりから木片の潰れる音が聞こえる。相変わらず音は鋭く、短い。風圧も微かに届いてきている。


 一応、下を向いてみるが、


(まあ見えねえよな)


 夜の森は暗闇に等しい。周囲に発光する植物はないし、川にもそのようなバーモンは見えない。というか川そのものが見えなくて、境界さえもわからない闇が広がっているだけだ。

 つまりは視覚が一切役に立たない。


(川に入るまでの空間は全部覚えたが、問題はその先だよな)


 どういうわけか、俺は空間認識能力の類も著しく向上している。冗談ではなく、今まで過ごした場所なら目を閉じても過ごせるほどだ。

 この性質は異質らしく、たぶん俺がパルクール――前世で人並以上に原始的な体幹と体感を鍛えていたことが関係していると思われる。


(泳ぐのは苦手なんだよなぁ……)


 重力に支配された陸地とは勝手が違いすぎて、適応するのが面倒なんだよな。不器用だと中々上達しないし、体脂肪少ない身体だから浮かなくてだるいし。

 が、そうも言ってられない。


 俺は余計な思考を取っ払い、安全高度《セーフハイト》ぎりぎりまで下がると――

 持てる脚力をすべて発揮して、一気に川に飛び込んだ。


 自分でもびっくりの体感速度だった。

 川面に当たるまでの時間から、音速を容易く超えたことがわかる。まさか自分の力でマッハを超えるとは、前世の俺は夢にも思わなかっただろう。

 ファンタジー顔負けの体験をしているはずだが、暗闇のせいでいまいち興奮に欠ける。バグっててそういう感情も降りてこないしな。


 そもそもそういう場合でもない。

 俺は早速バーモン達の洗礼を浴びていた。


(この数字の桁……懐かしいな)


 水中を凄まじい速度で行ったり来たりしている。

 音の聞こえ方も少し違うようだ。鈍くて重い轟音が絶えず耳の中を、いや全身を押し潰してくる。地上や空中だともっと置いてけぼりというか、ワンテンポ遅れて音が届くのが常だった。

 音速は水中だと四倍以上になるという。聞こえ方も違えば、威力も違うのだろう。体感的に、水中の方が強い。


 何度もぶつかっているのは、ストロングローブの幹だろうか。ミスリルに当たった時よりも感触が固く、さすが第一級冒険者でも折れないだけのことはある。

 一方で、何かを貫いたり抉ったりする感触も微かにあり、こちらはバーモンを巻き込んでいるものと思われる。


(まるでレーザービームだ)


 壊れることのない俺の身体は、何よりも固い物質――凶器にもなりえる。吹き飛んでいる最中の俺に当たったら、ひとたまりもあるまい。

 どうやらバーモンは攻撃力は高いが、防御力は大したことがないらしい。

 まあエルフ達も普通に狩っていたし、そんなものか。


(いや、種類にもよるか)


 たとえば俺の指を丸ごと咥えている何か。

 右手小指に一匹、左足中指と親指に二匹、計三匹分の気持ち悪い感触がある。

 コイツらは俺の身体とストロングローブで下敷きになっても生きてるから、頑丈さは相当なものだろう。

 で、俺の指で何をしているかというと、百を超える微細な歯を突き立てて、どろっとした液体を分泌している。状態異常担当だろうか。冒険者にとっては厄介な存在に違いない。


 ともあれ、レベルアップ作戦の第一段階は予想以上に順調だった。

 一番心配だったのは川の外に吹っ飛ばされることだったが、今のところは問題ない。というより、


(なんか天井があるっぽいんだよな……)


 ここ、川の中だよな? 何がどうなっているのだろうか。

 バーモンは魔法を使わないらしいから、魔法で天井をつくって閉じ込めた、なんてこともないだろう。暗闇だから何もわからない。


「まあいい。そろそろ始めるか」


 好奇心にちょっかいを出すのはそのくらいにして。

 今日の本題はレベルアップである。バーモン達を殺せねば意味がない。


 俺は右手小指に食らいつく何かに、左手人差し指を構えた。アホみたいに重い口と喉を何とか動かして、お馴染みの詠唱を行う。


「0.5ナッツ――オープン」


 瞬間、俺の軌道が変化したのがわかった。一回だけ固い面にぶつかり、続けて三回ほど非常に固い棒を貫き、最後に二層ほど柔らかい何かを通過して――


「これが深森林の夜景か」


 俺は空に飛び出していた。


 ジャースには月もなければ電気もない。屋外でも山中のように真っ暗なわけだが、眼下ではポツポツと光の点が見えていた。

 色合いは赤で、火魔法によるものだとわかる。光の分布に偏りが見られないことから、魔法が使えない貧民はいないのかもしれない。


(呑気に鑑賞してる場合じゃなくて)


 空だと目立ちかねない。うつ伏せ状態なので、俺は背中を撃ち抜くように親指を突き立てて、「オープン」再度0.5ナッツを撃った。

 予想以上の速度と、直後発生するであろう爆音に内心苦笑する間もなく、再度柔らかい二層、いや三層――たぶん足場層《プレーン》も貫通して、もう入水していた。


 このまま川底に激突するかと思ったが、横薙《よこな》ぎを食らう。


(いや、これは……)


 単にぶつかっただけだとわかり、ようやく俺は確信に至った。


「根っこか」


 水中高速移動下での発声に慣れるためにあえて呟いているわけだが、それはともかく。

 体感をヒントに脳内マップを描いてみると、よくわかった。

 ストロングローブの根は、立体的に張り巡らされている。まるで迷路のように。

 どおりでぶつかる回数が多いはずだし、一向に空に出ないわけだ。


 要するに俺は、根っこの迷路の中でバウンドしまくっている。


「バーモン達も狙ってやがるな」


 思い返してみると、バーモン達の攻撃は俺をとにかく叩くのではなく、どこかに弾いているような節があった。俺を川の外に出さないよう、迷路の中へ中へと押し込んでいたのだ。

 迷路の内部はまだよくわからないが、箱のような、あるいはドームのような形状だと思われる。一度入ったが最後、川底から迂回しない限りは浮上できない。


 例外があるとすれば、根ごと吹き飛ばすことだろう。

 たとえば0.5ナッツであれば、細い根なら壊せるし、吹き飛ぶ俺自身で貫通させることもできる。面のような太い根だとさすがに厳しい。


 そこまでわかると、さっき空にまで吹っ飛んだ時の感触にも説明がつく。


 最初の一回が太い根、次の三回は細い根で、最後の二回が川面と樹冠だろう。太い根は貫けないから反発し、細い根以降はそのまま貫通したのだ。


「0.1ナッツ」


 とりあえず0.5は強すぎるので絞っておく。

 さっき空で放ったのは軽率だったな。騒ぎになってないと良いんだが。ともあれ、今はレベルアップだ。


 相変わらず四方八方から殴られ吹き飛ばされながらも、頭に流れ込んでくる数字――ダメージ量を冷静に観察してみる。

 パターンは三つほどあった。衝撃波や水圧など軽微なものを無視すると実質二つ。


 根や幹にぶつかることで生じる反作用。

 そして、バーモンの攻撃。


 なら俺のやることは一つだ。後者の発生源に対してリリースを撃てばいい。


「狩り方が決まったな」


 暗闇の中でお手玉となりながらも、俺はバーモン狩りに着手する。

第135話 バーモン狩り2

 スキル『リリース』はそれまでチャージしていたダメージを放出する。指先から細く出せばビーム、手のひらから太く出せば砲弾となる。細い方が速度は速い。

 放ったエネルギー――俺はエナジーと呼んでいるが、エナジーは何かにぶつかると発散する。


 威力は放出率次第だが、総じて爆発と呼ぶに等しい。

 たとえるなら、エネルギーの詰まった風船を細く長くあるいは太く短くして放ち、何かに当てて破裂させるイメージ。


「オープン」


 詠唱した瞬間、水中爆発が発生するとともに俺自身も吹き飛んだ。

 根っこを壊すほどではないから、すぐにぶつかって軌道が変わる。運が良いと、爆発によって生まれた水流――バブルジェットが俺を撫でる。泡の感触が気持ちいい。


「お、レベルアップしたな」


 そうだとわかる高揚感が訪れた。ようやくか。


 当初、俺は攻撃を仕掛けてくるバーモンにリリースを放つつもりでいたが、愚策にも程があった。

 暗闇ではバーモンと根っこの見分けがつかないし、攻撃を食らったとわかった頃には、もう吹き飛んでいるため間に合わない。

 そもそもエナジーは水中だと即座に反応してしまうらしかった。つまり水中でのリリースは自爆になる……。


 そういうわけで俺は作戦を変えて、自爆に頼ることにした。

 わざとバーモンを集めてから一掃する、ということを繰り返したのだ。


 反発が収まってきた頃には、もう次のバーモンがやってきて、俺を吹き飛ばす。水中のはずなのに、スーパーボール顔負けのバウンド祭りが再来。

 そこに状態異常担当なのか、小さくて妙に頑丈な何かがしれっと張り付いてきて、妙な液体をこすりつけてくる。

 たぶん皮膚を突き破って注入したいんだろうが、どうせ無駄なので、せめてダメージが増える目とか爪の間にしてほしい。


「意外と伸びが悪いな。もう十発は放ってるんだが」


 最適な出力率だが、0.3ナッツだとわかっている。

 0.3未満以下だと死なないバーモンがいたり、巻き込める範囲が狭かったりする。しかし0.4にもなると根っこが壊れ始めてしまう。また空に飛び出す羽目になりかねない。


「倒した数が少ないんだろうか。そんなはずはねえよなぁ……」


 暗闇なので死骸さえも見えないわけだが、バーモンからの攻撃頻度から逆算すると、しっかり集めた後に一発放つだけで三十匹は殺せている。

 それを十回は繰り返しているので、単純計算で三百匹は殺しているはず。


「仮に経験値なる概念があるとしたら、バーモンの経験値は大したことがない?」


 何せその辺のエルフでも狩れるわけだしな。

 だが、身体に張り付いてくる何かのように、明らかに硬いバーモンもいる。もう少し高くてもおかしくはないと思いたいが。


「あるいは別の指標があるとか」


 仮に俺のレベルを80とする。これはグレーターデーモン一体を倒した後のレベルに等しいわけだが、本当にすべてが反映されているのだろうか?

 たとえば、本当は110くらい上がるはずだが、足りない条件があるせいで80に留まっている――なんてことはないだろうか。


 もっとも真相はクソ天使次第である。

 が、ここまでの傾向から察するに、そんなに難しい実装はしていない。前世の異世界ファンタジーで使われるRPGシステムと大差ないはずだ。

 レベルアップに必要な経験値量が、俺の体感よりも多いってことなんだろうか。RPGってそういうもんだよな。レベル上げはとにかく時間がかかる。

 それが嫌で、社会人になってからは全く遊ばなくなったっけな。

 スーパーボール状態を忘れて、しばし回顧する俺だった。


 放ったエナジー分がチャージされたところで、「オープン」もう一度放つ。

 俺も吹き飛ぶわけだが、バーモン達による物理的な横槍は嘘のように止まった。


「止まるってことは、殺せてるってことだよな」


 もう少し明るければ色々とわかるはずだが、夜目担当のダンゴは鋭意避難中。「死んでないといいんだが」思わず心配が口をついて出る。

 バーモン達の攻撃力は想像以上で、たとえ俺自身が無敵であっても、体内に及ぼされる衝撃は相当なものだ。レベル40相当のダンゴに耐えられるとは思えない。


「……」


 見通しが甘かった。体内に避難させるだけでは足らなかったのだ。

 そんな俺を責めるかのように、体内からは一切の応答が来ない。ダメージもやってこない。


(ダンゴ……)


 連絡を取ろうとして、胸中で頭を振る。


 もう始まったことだ。このままいけるところまでいくしかない。

 ダンゴが死んだ後のことは今考えることじゃないし、レベルアップが芳しくない件についても、今はどうしようもない。


 今、俺がやるべきことは、とにかく手を動かすこと。経験値――があるかどうかは知らないが、少しでもレベルアップに繋げることだ。


 この世界はレベルが全てである。

 レベルアップのチャンスは、何よりも尊い。


「……移動するか」


 バーモンの集まってくるペースが少し落ちている。

 どうせ現時点でも俺の寝床からは離れているだろうし、今さら迷子を考えても意味はない。


 俺は手探りで川底――幹以上に硬くて平らだからすぐわかる――を探り当て、海底生物よろしく移動し始めた。


 途中で手に触れたウニ型の何か、ヒトデ型の何か、あるいはタニシのようなものは全部身体にひっつけた。

 というより、勝手に絡みついてきて、針をガトリングよろしく高速で刺してくる。その威力はいちいち桁外れで、ユズやブーガの皮膚も貫くんじゃないかと思えるほど。


 おかげでチャージ量も笑えるくらいにうなぎ登りで、思わず目的を忘れて川底でくつろいでしまった。


「オープン」


 いったん蹴散らした後、もう一度川底を目指す。

 俺までいちいち吹っ飛ぶのが面倒なんだよな。ユズやブーガみたいに、自分が出した衝撃に負けない手段が欲しいところだ。


 程なくして川底を探り当てた俺は、しばし待機。

 同様のバーモン達がうようよ集まってきて、まとわりついてくる。意外と利口らしく、場所を譲り合ったり、時折交換したりしているのが肌で伝わってきた。


 それでも針は絶えず連打されているので、俺はただただ振動している。ランマーに鳴らされてる地面はこんな気持ちなんだろうか。


「こっちの方が効率は良いな」


 集めてはオープンを唱えることをひたすら繰り返す。

 飽きてきたらしばらく放置したままにして、考え事に耽る。その間もダメージがみるみるチャージされていくから美味しすぎる。

 何が楽しいのか、コイツらは一向に飽きる様子もなく刺し続けてくるからありがたい。


 効率で言えば、グレーターデーモンの時よりも良かった。






 レベルアップ作業は夜明け前には引き上げた。

 念のためである。もしダンゴが死んだとなれば、シニ・タイヨウの素顔が晒されることになる。対策を考える時間が必要だ。


 とりあえずヒトデ型バーモンの死骸をお面がわりにしたまま、川を出た。幹をよじ登りつつ、耳を澄ませて、人気《ひとけ》がないことを確認。

 真っ暗だが、しばし跳躍することを繰り返して、空間の把握に努める。


(危険区域《デンジャーセクション》のようだが、覚えのない場所だな)


 とりあえず住居エリアでなかったことにほっとする。足場は見当たらないので、樹冠から垂れ下がっている枝の一つにぶら下がってみる。


 あれから俺は八回ほど高揚感に見舞われた。8レベル上がったと見ていいだろう。一気に2レベル以上上昇した可能性も無きにしもあらずだが、体感的にそこまで劇的な成長は無かったように思う。

 しかし、たしかな手応えはあって、また一歩、いや数歩くらいは人間から遠のいたのはたしかだ。


(ぶらさがったまま眠れるかもしれん)


 俺は今、親指と人差し指だけで枝の表面をつまんでぶら下がっているわけだが、感じる負荷がもはや誤差である。無敵バグで体力無限でなくとも、二十四時間くらいなら耐えられる気がする。

 それでも枝はさすがストロングローブだけあって、まだまだ潰せそうにはないが。


(ダンゴ。バニラ。終わったぞ。生きてるなら返事してくれ)


 さっきから独り言を呟いているものの、やはり全く反応がない。

 いつものダメージも届いてこない。ダンゴもバニラも体内を遠慮無く動くため、ほぼ常にダメージが発生しているのが日常だったのに。


(ダンゴ。……おい。ダンゴ! ダンゴ!)


「……マジかよ」


 自分の判断を責めようと、ネガティブな思考が顔を出してくる。

 それらを無視して、俺は体内に語りかけるように意識を集中させた。


 体内の隅々の、細胞の一つ一つを点検するイメージ――


 だが、どこにも、何も見当たらない。


「……」


 ダンゴは面倒くさい奴だった。

 グレーターデーモン以上に賢くて頼れるが、俺の言うことを素直に聞いてくれなくて、要望を通すのには毎回苦労した。

 それでも物分かりはよくて、渋々付き合ってくれることが多かったように思う。


 そもそも表皮と体液を生成する能力は神懸かっていた。コイツがいなければ、俺はここまでスムーズに立ち回れてはいないだろう。


「……いや、俺が信じないでどうする」


 ダンゴは問題ないと返事した。だったら、問題なんてない。

 もし問題があったら、即行で否定の小突きを入れてきたはずだ。認めたくないが、ダンゴは俺よりもはるかに賢い。


 いっそのこと、俺のすべてを暴露した上で、どうやったら死ねるかを全部任せてしまいたいくらいに……。

 まあダンゴに死ぬ気はないだろうからしないけどな。下手にばらせば、それこそ俺が乗っ取られてしまいかねない。


 俺はダンゴを相棒だと考えているが、全面的に信用しているわけじゃない。

 絶望的な食い違いがあるのなら殺すことも辞さないつもりだった。


 でも――いや、だからこそ頼れる相棒だったのだ。

 誰にも頼りたくない、こじらせたぼっちであるこの俺が、プライドを曲げてでも頼りたい、と。そう思える程度には、ダンゴは凄い奴だったんだよ……。


 俺は手探りで枝を辿り、寝転がれる場所を探す。

 太めで水平な部分を発見できたので、そこに寝そべった。


 明日も学校が待っている。あまり時間はない。体内からの反応も相変わらずゼロに等しい。


 それでも俺は、ギリギリまで待つことにした。

第136話 バーモン狩り3

 待ち始めて三十分ほどだろうか。

 天灯《スカイライト》が顔を出すか、出さないかといったところで、下腹部に微かな反応があった。「ダ――」立ち上がりそうになるのを堪えて、体勢を戻す。


(そういうことだったか)


 根拠のない直感だが。


 ダンゴは自身の足だか細胞だか核だかを小さく分割した上で、俺の体内にばらまいたのではないか――

 その状態ではあまりに小さいため、俺と意思疎通はできない。しかし、ダンゴもバカではないから、元に戻るための契機《トリガー》は何かしら準備していたはず。

 その契機が、俺の体内がおとなしくなることだったのだろう。


 体内の活動――すっかり日常となった全身からの微ダメージが少しずつ盛り上がっていくのを感じながら、俺はこの直感が正しかったことを確信する。


(――器用な奴だな。改めて聞くぞ。ダンゴ。無事なら返事しろ)


 後頭部に単打を返される。一日も経っていないのに懐かしく感じられた。


(バニラは?)


 間髪入れずに同じ返事が来た。睾丸へのダメージも忘れていない。


(上出来だ)


 そして俺が指示する必要もなく、もうジーサの容姿が復元され始めていた。

 何気にお面として使っていたヒトデ型バーモンの体が削れていっている。ジーサの表皮をつくるのに必要なのだろう。


(自分で言うのも何だが、相当な負荷をかけたと思う。二人ともどうやって避難してたんだ?)


 直後、この聞き方では答えが得られないことを思い出し、苦笑しつつも尋ね直す。


 数十ほど質問を繰り返して、正解に辿り着いた。






 結論を言うと、俺の直感は正しかった。


 早い話、ダンゴは微生物の集合体である。あるいは意思を持った細胞か。それが自由に体内を動き回ったり、連結して大きくなったりする。

 最初見たときのダンゴムシ――掛け布団を畳んだ時くらいのサイズは、すべてを連結したときのものだ。


 あのサイズが俺の体内に収まっていることが到底信じられないが、人間の血液の総面積もテニスコート六面分というし、そんなものかもしれない。

 俺の体内、マジでどうなってんだろうな……。

 スキャンする術があるのだとしたら、死ぬ前に一度くらい見てみたいものだ。


 さて、肝心の避難方法だが、どうも俺が平静になることで広がる部分が多数あるらしく、そこに自らを押し込めるんだそうだ。

 俺が少しでも運動を始めると、その部分は収縮する。

 そうなるとダンゴは身動きが一切取れなくなる。言わば俺の肉壁に取り込まれた状態になるわけだ。

 この状態は無敵にも等しい。何せバグった肉壁なのだ。衝撃さえも通すことはない。


 なるほど、さすがはダンゴである。

 ……いや全然理解できてないけどな。その部分とやらが具体的にどの部分なのかもわからないし、そもそも力が伝わらないってのも謎である。

 絶縁体は電気を通さないが、俺のバグった肉壁だか細胞だかは力も通さないってことなんだろうか? 仮に通さないとした場合、俺に加えられた力はどこに行っているのか。謎だ。


 もう少し詳しく引き出しても良かったが、イエスノーしか答えられないダンゴから引き出すのは本当に骨が折れる。

 俺は科学も人体も素人だし、今はダンゴに任せた方がいいだろう。


(しかし、こんなところでゾーンが出てくるとはなぁ……)


 厄介なのは、その平静とやらの条件。


 これが非常にシビアで、何も運動していない状態を維持しなければならない。立っているだけでも座るだけでもダメで、寝る必要がある。

 どうも一般人《レベル1》の目線で、完全に力を抜いた状態でなくてはならないようだ。


 唯一の例外が、俺自身が極度に落ち着くことである。

 前世ではゾーンという大層な名前が一人歩きしているが、要するに極限まで高められたリラックス状態だ。

 一般的に一部のプロアスリートしか入れない状態とされているが、バーモン狩り開始前の俺はなぜか入った。ダンゴはその隙に避難したのだ。


(しかも、そんな俺の性質を見抜いてたってことだよなぁ……)


 先のゾーン入りが仮に偶然によるものだとしたら、そんなものにダンゴが頼るとは思えない。

 俺が始める前に後頭部を連打して、平静の必要性に気付かせようとしたはずだ。


 それをしなかったということは、俺がゾーンに入ることを知っていたことになる。

 俺よりも俺に詳しいダンゴさん。今さらだが、なんかちょっとハズいな。


(ゾーンへの出入りか。使いこなせれば便利そうだ)


 ダンゴが信頼する程度には、俺は既に出入りできているみたいだが、まだ自覚はない。

 考察と練習は追々やるとしよう。


 続いて俺も戦果を共有する。

 レベルは9ほど上がり、総チャージ量は600に至っている。レベルはともかく、ナッツという単位はピンと来ないだろうから、改めて詳しく説明しておいた。


 その間、俺はヒトデ型バーモンを口に入れることを繰り返した。

 ダンゴに食べさせるためである。別に口に入れる必要はないのだが、俺が人間である以上、口以外の部位から摂取するのはおかしい。

 ダンゴは俺の声帯を邪魔しないよう、器用にバーモンを貪ってくれた。音も立てないから行儀がいい。


(にしても、想像以上に気持ち悪いなこれ……)


 欠けた一部を手に取り、目の前に掲げてみる。

 明るみ始めてきたおかげで、ようやく本体がわかったのだが、ヒトデ型バーモンの表皮はグロテスクの一言に尽きた。

 深海魚など軽く置き去りにしている。はらわたと糞便を足して二で割っても、まだまだ勝てない。


「なんか再生してるし……」


 断面がぐじゅぐじゅ言っている。指を当ててみると、わずかに押し上げられる感触がある。再生早すぎない?

 ダンゴもダンゴで、これを狙っているかのような食べ方だしな。


(なあダンゴ。もしかしてそれ、体内で飼う気か?)


 案の定、肯定の返事が返ってくる。

 食事の邪魔をするなと言わんばかりの強打だ。へいへい。


 要するに、再生を上回らないペースで食べれば、再生が持続する限り食べ続けることができるわけだ。抜け目がねえな。

 ……これ、そんなに美味いんだろうか。


 試しに食べてみた。


(うーん……、うん)


 冷凍した果物からシャキシャキ感を取り除いたような食感。

 味はよくわからない。バグってる俺は、美味しいも不味いも感知できない。かろうじて牡蠣《かき》のような濃さがありそうだなってことくらい。

 何度かぱくぱくしていると、ダンゴが舌を捻ってきた。へいへい。


 一通り情報共有を終え、レベルアップした身体の感覚を軽く試したところで、ちょうど良さそうな時間に。


(時計があったら便利なんだがな。ダンゴ、時計って知ってるか?)


 天灯《スカイライト》の運動は不安定なため、空を見ても時間はわからない。

 数字で言えば、真上にあるのに12時だったり10時だったり14時だったりする。馬鹿にしてんのかと思うのは、俺が前世の人間だからだろうか。


(デイゼブラの赤ちゃんを体内で飼えば行けるんじゃね? ダンゴはどう思う? できそうか?)


 まだまだ食事中らしく、俺の雑談にはちっとも乗ってこない。

 そんなダンゴに嘆息しつつ、俺は日課の散策をしながらグリーンスクールへと向かうのだった。


 ちなみに体を洗ったり服を用意したりする必要はない。ダンゴが全部再現してくれるからだ。

 本当に優秀すぎて助かる。失わなくて良かった。

第137話 模擬戦

 第二週六日目《ニ・ロク》の朝は平穏だった。


 シッコクとグレンは講義を適当に流しつつ、休憩になるとエルフにちょっかいを出す。

 まだ留学生には手を出さないようで、どうもトリッキーな近づき方を練習しているらしかった。ちょっかいを出す度に傷まみれ血まみれになっていたが、妙にイキイキしていて気持ち悪い。

 回復のために|木の実《ベリー》をガツガツ食べる光景にも執念を感じた。何がコイツらをそうさせるのか……もはや尊敬を抱くレベルだが、セクハラされる側は堪《たま》ったものじゃないだろう。


 そんなエルフ達の厳しい視線は俺にも向けられた。ただ傍観しているだけなんだがなぁ……。


 改めてわかったのだが、美人の無表情な軽蔑がこれまた乙である。

 ただの無表情とは違った趣があって――などと考えてしまうあたり、俺も毒されているのかもしれない。現実逃避はさておき。


 幸いと言えば、グリーンスクールが広いことか。

 一つの町と呼んでもお釣りが来る広さで、ルナ達と会うこともなかった。


 この調子で留学が終わってくれれば良かったのだが。


「交流も兼ねて模擬戦をしませんか?」


 昼下がり。食堂でメシを食い終えた俺達の進路をルナが塞いできて、そんなことを言い出した。


「やはり前衛的なセンスでやんす」


 ルナは変わらず王立学園生徒の正装を真面目に着ていた。

 黒と白を基調とした、いかにも格式高そうな制服。そこに女性であることを示す赤がアクセントとして混じり、チェック柄のスカートからは眩しい脚が伸びている。


「下から覗きたくなるんだな」

「わかるでやんす! わかるでやんすよ!」


 興奮する中二病マントと小太りを前にしても、ルナは落ち着き払っていた。

 こうして面と向かうのは久しぶりだ。なぜか仁王立ちなのだが、様になっている。相変わらず庶民的な可愛らしさも好みだ。

 それでもエルフと比べると、いささか物足りないというか、ただの人間の美少女でしかないんだなと痛感する。

 容姿観さえ狂わせるエルフ、恐るべし。


「長さ、ボリューム、素材、色遣い――すべてが誘っているようにしか見えないでやんす」


 シッコクが気持ち悪いことを言っているが、気持ちはわからないでもない。

 王立学園の制服は、前世の制服にしても違和感がないほどモダンなデザインをしている。エルフ達の「頑丈な布を巻きました」程度のブツとは雲泥の差があるのだ。


 しかし、これは現代の男が見慣れている造形と価値観であって、ジャースが至っているとは考えにくい。

 そんな偶然があるだろうか。それともクソ天使の趣味か。はたまたコイツらのセンスが突出しているのか。


「シッコクさん。グレンさん。構いませんよね?」

「もちろんでやんす」

「ついでに性交もしたいんだな。する?」

「では、103番広場でお待ちしています」


 ルナは社交辞令色の強い会釈でグレンの誘いをスルーした後、背を向けて歩き出す。

 近くで待っていたエルフ数人と、談笑しながら離れていった。

 グレンは名残惜しそうに眺めていたが、通りがかったエルフを目で追いかけ始める。両手が下半身に行ったかと思うと、もみもみと動き始めた。何気に両刀使いなのね。


「ジーサ卿も行くでやんすか?」

「どうせ拒否権はねえだろ」


 嫌がる俺を強引に連れ出すのはどこのどいつだ。


「何言ってるでやんすか。ルナちゃんはジーサ卿には言及しなかったでやんす。おそらく参加資格がないでやんすよ」

「参加資格?」

「模擬戦は、はぁ、はぁ、生徒会主催で催す臨時授業……はぁ、……なんだな」


 あのグレンさん、解説は嬉しいんですけど、オナるか話すかどっちかにしてほしいんですけど。


「名目は男性エルフとの交流だと思うから、はぁはぁ、ジーサクンは、はぁ……想定されてない気がする、……んだな、はぁ、はぁ……」

「それでも行く」


 普段なら喜んで単独行動を選ぶところだが、今はコイツらと居た方が良い。


 コイツらが一緒なら、シニ・タイヨウに関する話題も出しにくいはずだ。

 この留学は人間族とエルフ族の外交にも絡んでいる。自国で苦戦中の指名手配犯を探してます、とは言えまい。


 いくらダンゴが優秀でも、コミュニケーションの演技には限度があった。シニ・タイヨウの話題は少ないに越したことはないのだ。


(アウラがいないのも気になるしな)


 一人の時に接触されたら分が悪い。


「ルナちゃんが気になるでやんすか?」

「勉強のためだよ。模擬戦ってことは戦うんだろ? 観察するだけでも価値がある。お前らも何気に多彩だしな」

「照れるんだな」


 オナるか照れるかどっちかにしてほしい。


「まだ時間があるでやんす。ベリーの調達、手伝ってほしいでやんす」

「ああ」

「僕も行くんだな。あ、イク」


 果てるグレンは見なかったことにして、俺達も食堂を後にした。


 しばし木の実の採取にこき使われた後、103番広場へと向かう。

 シキ王もそうだったが、場所を番号で呼ぶのはジャース流なのかもしれない。覚えにくいったらありゃしない。


「さすがに多いでやんすね……」

「晒し者じゃねえか」


 周囲より十メートル以上低くなった足場群《プレーン》は、まるでスタジアムのようだった。「スタジアムでやんす」名前も同じか。


 生徒は既に数百人以上いるが、サッカースタジアム並の広さなのでぽつねんとしている。

 座席はなく斜面になっており、エルフ達が器用に正座で座っているのが遠目でもわかる。崩して座っている者は一人もいない。


「これって安全高度《セーフハイト》下回ってね?」


 バーモンの中には川から飛び出してくる種もいたはずだ。


「ここは安全区域《セーフセクション》の一つなんだな。バーモンがいないんだな」

「いないというより、川底に凶暴なバーモンがいて他のバーモンが一切近付けないらしいでやんすね」

「本当かそれ? 不安なんだが。いきなりバーモンに襲われてみなさん急いで避難してください、とかはナシだぞ?」

「何年か前、王族の部隊が調査していたでやんす。一人だけそそるお尻だったでやんすが、さすがに攻めるのはやめたでやんすよ」


 くだらない話をしつつ中へと進み、模擬戦の相手――留学生三人組と合流。

 スタジアムの中央で向かい合った。


 列の先頭、その先には生徒会長モジャモジャと、さらに後方には生徒会メンバーと思しき美人が三名ほど。

 俺は場違いだろうから離れようとしたのだが、


「ジーサさんは参加されないのですか?」


 図ったかのようなタイミングでルナがそう言い、


「……俺はエルフじゃない」

「あなたのような高貴な方と戦える機会はそうはないわ。私としても参加をお願いしたいわね」


 ガーナはガーナで全く似合わない謙遜を寄越してきた。

 俺の設定に配慮してくれるのは嬉しいが、その見下すような目はもうちょっと努力しないか。


「対象は男性エルフと留学生だろ? 俺は違う。ですよね生徒会長」


 腕を組むモジャモジャに話を振ってみる。「そうだな」と何やら思案し始めた。

 その手前、俺のちょうど対角上に位置するスキャーノが何やらこっちを睨んでくる。見過ぎだよと言わんばかりに。

 仕方ねえだろ。エルフなのに胸がでかいんだぜ?


「スキャーノ殿はどう思う? 彼を参戦させても構わないか」

「うん」


 そのやりとりには好敵手《ライバル》のような親しさが滲《にじ》んでいた。男相手でもそういう対応ができるのなら、俺に対してももうちょっと優しくしてほしいんだが。


(まずいな……)


 留学生全員の肯定により、俺の参加が確定してしまった。


 模擬戦として何をするかはこれから説明されるだろうが、名前からして何らかの戦闘になるのは間違いない。

 俺がレベル10であることは周知されている。加減については心配していないが、


「……」


 ルナが何かを企んでいる顔をしているのが気になる。

 真面目で良い子なんだが、外面はまだまだ不器用だ。そんな彼女の双眸は、ある種の決心と確信に満ちている。



 ――おや。レベル10だとうかがっておりましたが。



 ふと、路地裏で暗殺されかけた時の事が頭をよぎった。


(……ダンゴ。レベル10の体が切断されるほどの攻撃を食らった場合、誤魔化すことはできるか?)


 応答はない。

 崇拝《ワーシップ》状態となったモンスターはイエスノーでしか答えられないわけだが、もう一つ、ダンゴのように賢すぎるモンスターには踏み込んだ配慮が必要だ。

 回答がケースバイケースでイエスだったりノーだったりする場合、ダンゴは返してこない。

 この場合、そのケースとやらも指定した質問をし直す必要がある。


(聞き方を変える。ダンゴは誤魔化す手段を知っているか? ダンゴ自身はその手段を使うことができるか? 使えたとして、この場の全員を確実に誤魔化せる保証はあると思うか?)


 ゴッ、ゴゴッゴゴッと後頭部に打撃が走った。イエス、ノー、ノーか。


(つまり知っているけど使えないってことだな。そして仮に使えたとしても、全員を誤魔化せる保証はない、と)


 おそらく魔法かスキルか、何かを工夫することで誤魔化すのだろう。

 俺の想像力では幻影や分身、あるいは光の当て方を変えて見せ方を変えるくらいしか思いつかない。

 いずれにしても、実力者を誤魔化すのは難しそうだ。


 つまり、切断に至るほどの攻撃を食らった時点でアウトになる。

 レベル10だと千切れるはずなのに、なぜ千切れていないんだ――そんな風に怪しまれ、追及されることだろう。


 殺せないと判明すれば、待っているのは封印だ。


(たぶんだが、コイツらは俺を瀕死させる攻撃を仕掛けてくる)


 通常、そのような攻撃を仕掛ける機会などない。

 暴力は処罰の対象だし、王立学園の実技でも過度な攻撃はペナルティだった。そもそもレベル差の開いた相手と練習する機会さえない。


(この模擬戦は、弱者への加減が緩和されている可能性が高い)


 理由は二つある。

 一つは、遠目でも見えている木の実――ベリーの山だ。回復手段を山ほど用意しているとも言い換えられる。


 そしてもう一つが、今も姿が見えないアウラの存在。

 アウラは攻撃魔法師《アタックウィザード》だが第一級であり、レベルで言えば少なくとも129以上の実力者でもある。

 回復魔法の一つや二つはもちろん、人体の修復や蘇生などお手の物だろう。


 仮にコイツらとアウラが結託していたとしたら?


 俺の身体を切断した後、アウラが登場して、ごめんなさいとかほざきながら回復をかけてくる。

 それで俺は元通りだ。何ら問題はない。ただ俺が痛みに苦しむだけで。


 もっとも実際はそうはならず、俺の身体が切断できないと露呈してしまうわけだが。


(考えすぎかもしれない)


 だが、用心に越したことはなかった。


 俺は早速行動を開始する。


「おい、モジャモジャ」


 第二位《セカンドランク》の生徒会長を、不躾に呼び捨てた。

第138話 模擬戦2

 どういう思考を経たのかは知らないが、ルナ達は俺にレベル10超の攻撃を加えようとしている。

 無論、いくらダンゴでも切断の演技などできやしない。俺の身体そのものが無敵で、決して千切れないからだ。

 ゆえに、そのような攻撃を食らった時点でアウトとなる。


 食らわないためには? そんなの一つしかない――すなわち、模擬戦そのものを回避する。


「おい、モジャモジャ」


 第二位《セカンドランク》の生徒会長を、堂々と呼び捨てにする俺。


「さっきからなんだその目は? 俺を誘ってんのか? いいだろう。今夜相手してやる。テクニックはあるんだろうな? 純潔だったらつまらんぞぅ?」


 俺は片手で股間をもみもみしつつ、空いた手をわきわきとさせる。舌なめずりも忘れない。


 当のモジャモジャさんだが、信じられないという顔を浮かべていた。ここまで面と向かって侮辱された経験はないのだろう。

 それはシッコクやグレンがぽかんと口を開けていることからもわかる。つか綺麗な口内してんな。ゲスなくせに外面は完璧だから腹立「ぐっ!?」生徒会メンバーと思しきエルフ達に押し倒された。


 手足を伸ばされ、曲がらない方向に力を加えられている。普通に痛いやつ。何気に首も圧迫してくるほど容赦が無い。

 それでもレベル10の身体に配慮しているのだから見事なものだ。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。ようやく本性を表したか。衆人環視で、留学生もいる状況下であれば私の手もおとなしくなると考えたのだろうが、浅はかだな」


 別にそんな心理戦はしてないんだが、想定どおり反応してくれて良かった。


「モジャモジャさん、違うと思う」

「そうね。あの人の十八番よ」


 スキャーノとガーナがなぜか俺を援護している――いや、目は責めているな。

 わかっている。ガーナの言うとおり、俺お得意の口撃だ。お前らにはもう通じないだろうが、エルフ相手なら話は別。

 余計な邪魔はしないでほしい。俺はただこの模擬戦から逃げたいだけだ。


「君達は黙っていてくれ。誰であろうと例外はない」


 幸いにも杞憂らしく、モジャモジャは聞く耳を持たない様子で近づいてくる。

 動作は洗練されているが、足音は少し荒かった。それでも足場を傷付けない程度には抑えられているのだから面白い。

 あえて言うなら、器用にキレている。新しい概念だ。


「罪点、一点――いや二点だ。外交も絡んだこの場で、あえて人を辱めた罪は重い」


 グレンから習ったばかりだが、罪点の基準は案外曖昧である。

 前世でいうハラスメントみたいなもので、当人がどう感じるか次第で白黒が変わる。


「二点も? 生徒会長ともあろう方が大人気《おとなげ》ねえ。舐めてんのか? その胸は飾り物か? 何なら舐めさせろよ。舐めさせたら許してやるぜ?」


 俺は背筋の姿勢で顔を上げつつ、ニタリと笑いながら舌なめずりする。

 ほぼ真上から見下ろされているので、体勢的にめちゃくちゃしんどい。上目《うわめ》というか、白目になりそうなほど眼球を寄せねばならなかっ「んがっ!?」地面に叩きつけられる俺の顔。

 さっき首を圧迫していた奴である。ここまで躊躇が無いとかえって面白い。一応、俺が言い終えるまで待ってくれたのが律儀なエルフらしくて、さらに面白い。


 あと、これ鼻血が出るパターンだけど、ダンゴは大丈――夫だな。うん、鼻からつーっと垂れてくる感触と匂いは、紛う事なき鼻血のそれだ。


「一理ある。正直に言えば判断に迷う案件だった。しかし、その無礼な物言いも考慮すれば、二点で確定だろう」


 間近で生徒会長の足首を鑑賞しながらも、俺はギャラリーから頷く気配をちらほら感じていた。

 いわゆる肌でわかるというやつ。


(細胞の解像度が上がると言えばいいのか。ダンゴ、解像度ってわかるか?)


 レベルアップで何が向上し、何が向上しないのかはまだまだよくわかっていないが、神経細胞がより細かくなると考えればわりかしピンと来る。


 たとえば一般人《レベル1》は細胞の密度が1しかないため、0.1秒間隔でしか外界を認識できない。

 しかしレベルが上がると、これが10にも100にも1000にも増える。認識できる間隔も0.01、0.001、0.0001と細かくなっていく――とでも言えばいいのか。

 そして、おそらく脳自体も、それに伴う爆発的な情報量を処理できる程度に強化されるのだろう。そもそも物理的にも頑丈になるしな。


 そんな体感が手に入ると、外界には非常に多くの情報が詰まっているのだと思い知らされる。

 周囲を取り巻く空気だけを見ても、どこの何がどのように動けばどの程度の流れがどう変化するのか、といったことが直感かつ一瞬でおおよそわかってしまう。

 人間でも音の強弱と方向くらいはわかるが、あの感覚を何桁もグレードアップさせたイメージだ。


 これが実力者の見ている世界なのか、と感心せずにはいられなかった。


「――鞭打ちの刑に処す」


 その後もモジャモジャさんは何かを言っていたが、全能感と考察に浸る俺はまともに聞いちゃいなかった。


「皆の者、失礼した」


 模擬戦の説明が始まる中、俺は乱暴に引きずられていく。

 シッコクとグレンは俺など一瞥もせず、血走った目で留学生組を見ていた。たぶん無理だろうけど、頑張れよ。






 鞭打ちの刑は退屈を極めた。


 往来で裸にされた俺は、樹冠から長く垂れ下がる枝に両手首を固定され、びしばし打たれた。

 最初はいちいち悲鳴を上げていたのだが、台詞のレパートリーもなくなってきたので、途中で無言に切り替えた。必死に痛みを堪えるふりをしつつ、ダンゴやバニラと駄弁るという器用な芸当も覚えてしまった。


 刑は三十分ほどで終了。

 手首の解放とともに、俺は地面にぶっ倒れた。そばには折りたたまれた下着と服があって、エルフはブレないなぁと思う。


 ブレないと言えばダンゴもか。

 下着はともかく、服はダンゴが模したものである。エルフ達も全く疑ってなかった。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。現在の罪点は三点である。これ以上は生死に関わる故、今一度言動を見直していただきたい」


 そう言い捨ててから立ち去っていく執行官たち。

 どうも風紀委員のような位置づけの組織もあるらしく、刑の執行や罪点の管理はそこが一任しているようだ。


(やっと終わったな。大変だったろダンゴ)


 全身に再現されたミミズ腫れのクオリティはもはや芸術の域だろう。

 さすがに大変だったのか、後頭部には六連打が返ってきた。応答ではないことを強調するためなんだろうが、もうちょっと宿主を労ってほしい。


(そしてバニラはマイペースすぎる……)


 本来精液を食べて生きるはずの寄生虫は、ダンゴとの交流で賢くなったのか、俺の体内で遊ぶようになった。

 睾丸の内部からイレギュラーなダメージが届いてくる。思い切り殴ってきたり、ハムスターみたくぐるぐる走ったり、寄生虫らしく吸引してきたりとやりたい放題。

 刺激が不規則だといちいち意識してしまうからやめてほしいんだが、コイツもコイツで中々言うことを聞いてくれない。


「噂は本当のようですね」

「レベル10なら恐るるに足りません」

「そのうち死ぬのでは」

「想像以上に見苦しいなりをしていますね」


 通りすがるエルフ達に慈悲はなさそうだ。こうして話のネタにされることはあっても、手を差し出されることは皆無に等しい。

 当然っちゃ当然か。厳格なエルフ社会において、犯罪者に人権などない。


(しかし、シッコクとグレンがはしゃぐ理由もわかる気がする)


 全く気付かれないことほどつまらないことはないが、エルフはそうじゃない。


 エルフは気付く。


 持ち前の聴力で聞いているだけのことも多いようだが、とにかく周囲の事物をすべて捕捉する。のみならず、同じ対象であっても、毎回必ず捕捉し直してくる。

 その上で、こうして無視を決め込むのだ。


 これは言い方を変えれば、俺という存在が道行く絶世の美女達に意識されているとも言えた。

 あのエルフも、あっちも、こっちのエルフ達も、みんなが俺を意識している。俺のことを考えている。


 その時間はほんの一瞬かもしれない。

 それでも、こんなに気にしてもらえるとは。

 前世ではまず考えられない。たとえ奇抜な言動で目立ったとしても、表層だけ舐められてレッテルを張られておわりだ。


 レベルアップした今の俺ならわかる。

 エルフという種族は、獲物を狩る時のように、常に真剣に、あらゆる事物を捕捉するのだ。

 対象が俺であっても例外ではない。その鋭さが、真面目さが、真摯さが、俺に流れ込んでくる。

 こいつら俺に惚れたのか、と勘違いしそうになる程に。冗談ではなくて。


 なんて刺激的なのだろう。

 こじらせた者や歪んだ者にとっては、パラダイスではなかろうか。


(いや、アイツらのレベルならここまでは読み取れないはず。……ああ、だからあんな風に振る舞ってるのか)


 下卑た言動をしても、エルフ達は捉えてくれる。

 ちょっかいを出しても、律儀に手加減して制裁してくれる。

 誰であっても。何度でも。


「はっ。まだまだ捨てたものじゃねえな」


 俺の目的は変わらない。

 俺はただただ死ぬためだけに生きている。


 そのはずなのに、少しだけ――本当に、ほんのちょっとだけだが、生を楽しむのも悪くないと。

 そんなことを思ってしまった。

第139話 模擬戦後

 金属よりも硬そうな材質をうかがわせる木造の館は、演習から宿泊まで多目的に使われる施設の一つらしい。

 あえて言うなら道場に近い。実際、訓練で使われる事も少なくはないし、今現在の惨状もその直後なのだと物語っている。


「ゲート」


 広々とした中央で足を崩して座るアウラが、壁画サイズの門を生成する。中には、ダンジョンの壁にもたれる金髪の剣士。


「模擬戦かい?」


 嘆息混じりにラウルが口を開いた。

 疲れているのはシニ・タイヨウ調査のためだろう。ラウルは王立学園の生徒全員を洗う役割を負っている。というよりアウラが負わせた。

 今は気晴らしに手頃なダンジョンに出かけているものと思われる。


「ええ。10対1で戦ってみました」


 淡々と語るアウラの前には、濃緑の髪を携えた瀕死体が十人ほど。

 外傷はなく、服も着替えさせた後だが、精神的に参っている様は素人が見てもわかる。

 表情だけで切り取れば、毒にでもやられたかのような有様だからだ。急激な回復に、まだ脳が追いついていない。


 その中にはリンダにモジャモジャ、それにオルタナと呼ばれた教員も含まれていた。


「平均レベルは?」

「90といったところでしょうけど、あまり鵜呑みにはできないかな」

「どういうことだい?」

「エルフには潤沢な魔力と勘の良さがあります。何より連携が上手い」

「僕達より?」

「比較にならないわ」


 横たわっているエルフ達は誰もが第二級冒険者――外に出ても恥ずかしくない猛者達だ。

 それをアウラは難なくねじ伏せ、先生よろしく鍛えたのだが、ラウルが見る彼女の横顔にいつもの余裕は無い。


「まるで一つの脳を共有しているようだった。正直危ない場面もあったかなぁ」

「想像もつかないな。僕も行きたかった」


 ラウルの感想は、その気が全くないとわかる響きだった。


「去勢すれば可能ですよ。何なら手伝いましょうか?」

「勘弁してくれ」


 たとえ実力者であろうと、男性がエルフ領に立ち入る場合は相応の処置を受ける必要がある。

 さすがにラウルほどの立場にもなれば切除は免除されるだろうが、精を封じる|極小モンスター《ミクモン》、スパームイーターの寄生は免れない。

 彼は寄生を許すほどお人好しではない。


 二人が雑談しているうちに、エルフ達がぼちぼちと正気を取り戻す。

 行動は極めて迅速で、最初にリンダが復帰してから、ものの十数秒で全員が集合。ずらりと正座が並ぶ光景に、アウラも思わず同調して姿勢を整える。

 一方、ゲート越しのラウルは、腕を組んでもたれたままだった。美人の集合を前にしても、眉一つ動かさない。


「モジャちゃん。うちに来ない?」

「ご勘弁を……」


 生徒会長モジャモジャはしゅんとしている。

 グリーンスクール随一の実力者も、アウラの前には赤子も同然だった。深森林という温室で育てられた彼女には新鮮な体験だっただろう。「可愛い」アウラがお茶目におちょくる。


 そしてそんな妹の様子を、リンダがうっとりした表情で眺めていた。

 目が少々危なく、肉親に向けるそれではないが、|第二位位階のエルフ《ハイエルフ》達の間では常識らしく、アウラは既にスルーしている。ラウルも秒で察した。


「アウラ様に連携は不要かと存じます。連携は弱者の武器です」

「オルタナさん。そんなに謙遜しなくてもいいのに」


 そうかと思えば、この教師のような生真面目もいて、エルフとて性格は様々なのだと悟らざるを得ない。

 アウラは早くも彼女達に親近感を覚えている。


「いえ。上には上がいるものだと改めて痛感した次第です。普段は生徒を教えてばかりですので、すっかり腑抜けになっておりました」

「良い心がけです。私も同じですよ」


 たとえ強者であろうと、歩みは止めない――


 その一言に、エルフ達は感嘆を顕わにした。人間を超えた容姿から尊敬の眼差しが飛んでくるのは、同性のアウラでさえ怯むところがある。

 まして異性ならひとたまりもないだろう、とアウラはパートナーを見るが、金髪は呆れるほど平然としていた。


「ラウル。何変な目で見ているのよ」

「誤解だ。素直だし、理解が早くて、鍛えがいがありそうだなと思っただけさ」

「お断りします」


 別のハイエルフがラウルに突っかかってくる。敵意を隠しもせず、生理的な拒絶をこれでもかと詰め込んだ睨みを効かせている。

 潔癖なエルフの中には男を嫌う者も多い。わかってはいたが、第一級冒険者としてはレアな反応であり、「ははは……」ラウルは思わず頬をかく。


 アウラは内心ざまあみろと思いつつ、もう少し仕打ちを期待したが、


「私はぜひご教授頂きたいです」


 オルタナは逆に目を輝かせている。


 沈黙が場を支配する。皆、オルタナに対する返事――もっと言えば指導の可否を待っているわけだが、当の本人に口を開く様子はない。

 社交辞令は終わったと言わんばかりに、ラウルは腕を組んだまま目を閉じている。どうせ馬鹿真面目な事でも考えているのだろう。


 はぁとアウラは嘆息した後、「そうですね」主導権を奪う。


「やめた方がいいですよ。彼、厳しいから」

「そう、なのですか?」


 さきほどのアウラの鍛錬も決して生易しくはなかった。この場のエルフ達は、平均すれば少なくとも一回は風穴が空いたり手足が切断されたりしている。

 モジャモジャに至っては、思い出すだけでも遠い目になっている。それをリンダは目を輝かせてガン見している。


「僕のことはいいから、話を進めてくれ。模擬戦をしたんだろう? うちの生徒はどうだった?」


 答えるべきは生徒会長だろうが、当の本人は放心したままだ。その側頭部めがけて、アウラは杖を振った。

 ゴッと鈍い音がする。レベルで言えば50程度の打撃であり、致死には至らない。

 しかし、可愛い妹を殴ったことに代わりはなく、リンダが反射的に怒りの形相を浮かべる。そこにアウラは威圧《オーラ》をちらつかせた。


「――失礼しました、アウラ様」


 扱いづらいシスコンを押さえ込む様に、「おお」他のエルフ達は感心を漏らした。

 その間に、モジャモジャは自らの両頬を叩く。どんっと衝撃波が生じたが、この中に耐えられない者はいない。


「……私がお答えします」


 きりっとした生徒会長の雰囲気が戻っていた。


「まず全体の傾向ですが、やはり人間族の特徴を強く感じました。空間認識は身体感覚よりも魔法に頼っています。魔力の倹約志向が強く、最初から長期戦を想定している印象がありました。強いと言えば、臨機応変に戦略を変えられる柔軟性でしょうか」

「柔軟性?」

「随意的《アドリブ》じゃない、ということよ」


 ラウルの問いに答えたのはアウラだ。


「エルフはたくさんの戦術を頭に入れておいて、実践でもそれを使い分けるんです。私達人間のように、その場その場で適当に動いたり試したりはしない」


 モジャモジャが頷いたのを確認してから、ラウルも「面白いな」などと納得を示す。

 長年のパートナーなんだからもっと信頼してくれてもいいのに。彼がそういう性格なのはわかっているが、それでもなんだかなぁとアウラは思う。


 本来なら小言やちょっかいの一つでも入れたいところだが、今はエルフ達の先輩として君臨している手前、おとなしくするしかない。「それで?」モジャモジャにバトンを返した。


「それから何と言っても、聖魔法です。戦闘中にじわじわと回復されるのは脅威以外の何者でもありませんでした。長期戦だと分が悪いので、つい焦ってしまい……」


 モジャモジャはスキャーノと対戦したが、まさに焦ったせいで隙をつくってしまい、敗北している。

 相当に悔しいらしく、拳を握ってぷるぷると震えている。


「各個人についてはどう?」


 アウラは機械的に続きを尋ねた。

 冒険者として、その手の悔しさは痛いほどわかる。触れてほしくないところだ。「はい」モジャモジャは会釈で感謝を表明しつつ、続ける。


「スキャーノ殿は、器用の一言に尽きます。ステータスも魔法もすべてが高く、使い方も上手なので隙がありません。あの外見からは想像もつきませんが」

「もっと自信持ってもいいのにねー」


 スキャーノは男だが、嫌われている様子がない。もっとも実際は女――ガートン職員スキャーナなのだが、その変装も全くバレていない。

 将来有望と考えるのはアウラだけではないだろう。「謙虚なのは良いことじゃないか」ラウルがわざわざ褒めるのも珍しい。


「ガーナ殿は、何と言いますか……姉上と似たおぞましさを感じました」


 それはつまり淫らであると言っているようなものだが、当のリンダに気にした様子はない。むしろ気持ち良さそうに顔を緩めていて、それを他のエルフ達が冷めた横目で見ていた。


 リンダ・エメラ・ガルフロウ。

 レベルはおそらくこの中で最も高く、100は超えているものと思われる。

 優秀な|女王補佐《アシスター》らしいが、アウラの目には妹狂いにしか見えない。


「戦闘スタイルは苛烈と言えます。相手を先に倒せれば、自分が少々傷付いても構わない――そんな潔さがありました」

「将来はSね」

「エス?」


 娼者《プロスター》には攻めるのが好きなタイプと攻められたいタイプの二種類があり、客は好きな方を選ぶものだが、生真面目なラウルにそんな知識はない。


「何でもないです。続けて」

「はい。最後にルナ殿ですが、慎重なお方だと思いました。一見すると攻撃的に見えますが、観察と防御を最も優先しているように見えます。それよりも……」


 モジャモジャは言葉に詰まり、俯く。

 しばらくもじもじしていたが、間もなく顔を上げると、


「どこか底知れない雰囲気があった、ように思います」


 格下の相手に萎縮するのが恥ずかしいのだろう。エルフには珍しくないのか、誰も気にした様子はない。リンダは相変わらず目が腐っているが。


 アウラとラウルは顔を見合わせた。機密事項につき声に出すことはないが、アイコンタクトだけでもわかる。


(近衛じゃないかな)


(だと思います)


 ルナが元第一王女ハルナ・ジーク・アルフレッドであることを二人は知っている。現在、王女として教育中であることも。


 そもそもこの留学の打ち合わせ時でも、いざとなればガーナとスキャーノを優先して守れと言われていた。

 近衛がいれば守備に問題はないが、近衛は王族専用の護衛である。非常時にはルナ以外を切り捨てる可能性が高い。


(近衛の気配がわかるのでしょうか?)


(さあね。エルフだから鋭い人もいるんじゃないか)


 アウラウルの付き合いは長い。アイコンタクトと表情だけでも、その程度なら疎通できた。


「わかりますよ。センスがある子ですから。私もあの子には深いものを感じます」


 アウラは適当に流した後、「そういえば」さりげなく本題に切り込む。


「ジーサさんも来ているはずですけど、模擬戦には参加しなかったのですか?」

第140話 模擬戦後2

「ジーサさんも来ているはずですけど、模擬戦には参加しなかったのですか?」

「処罰しました」


 アウラが話題を変えた途端、モジャモジャのオーラが強くなった。

 第三級以下の者が正気を保てない圧だが、実力者が集うこの場では配慮無用だ。


「元々は参加してもらうつもりでしたが、あの者はあろうことか私を侮辱したのです。場を弁えない物言いも含めて、二点を下しました」

「何をしたの?」

「暴言です。特に私を性的に卑しめる発言をしました」

「それってわざとじゃない?」

「……わざと?」

「故意にしたのではないかしら、と言いました」

「いえ、言葉の意味はわかっているのですが」


 アウラはもう一度ラウルと顔を見合わせる。ラウルは迷うことなく頷いた。


「ジーサさんは要人ですので、この話は他言無用でお願いします。サリアさんにも」

「はっ」


 エルフ達は恭しい敬礼で応えた。

 ジーサと同様、アウラも外交上はアルフレッドの代表である。それも女王をさん付けするほどの立場だ。先の扱《しご》きもあって、エルフ達はこれを勅命と同等の厳命だと捉えた。

 もっともアウラもそのつもりで、あえてこの国のトップを気安く呼んでみせたのだ。


「ジーサさんは国家転覆を目論んでいるかもしれない人物です。一見するとただの変態ですが、その行動には不可解な点があります。たとえば彼は、自身への目を逸らすために、わざと嫌われようとします」

「……私に対する暴言も、故意であったと。そう仰っているのですか?」

「そうです」


 モジャモジャ含め、エルフ達が少し固くなっているため、アウラは微笑を浮かべてみせる。


「何のために?」


 早速フランクになってくれたモジャモジャに、アウラはうんうんと満足気に頷きながらも、すぐに表情を引き締める。


「わかりません。ですが、何かを企んでいることだけは確かです」

「一人になりたかった、とか?」

「深森林で何をするのです? 何もないと思いますが」

「めぼしいエルフを食べるのではないでしょうか。変態なのは間違いないようですし」

「もしや獣人達のように征服を考えているやもしれません」

「変態にそこまでの野心はあるでしょうか」

「そもそもそういった一連の変態的行動からして演技なのでは?」

「演技にしては気持ち悪いと思います」

「同感ですね」


 エルフ達がぽつぽつと喋り始めた。


 アウラが狙っていた状況になりつつある。

 彼女の目的はただ一つ――シニ・タイヨウの情報を集めることだ。

 現状ではジーサ・ツシタ・イーゼとヤンデ・エルドラのどちらかが、あるいは両方がシニ・タイヨウ本人であるか、何らかの繋がりを持っていると見ている。


 ヤンデ・エルドラは女王サリアの長女らしく、今も王族として絶賛訓練中。おいそれは近付けない。

 となれば、残った方を調べるしかない。


「変態と言えば、彼はあの二人と行動してますよね」

「あの二人?」


 まずは傍観に徹して喋らせるつもりだったが、アウラは思わず尋ねた。

 ラウルも異議はないようで、「彼はソロプレイヤーなんだ」そう補足を入れることで、集団行動の違和感を指摘する。


「そうでしたか。その二人というのは、グリーンスクールの問題児です」


 そう語るモジャモジャは、またも穏やかでないオーラを発する。落ち着いてと声を掛けようとするアウラだったが、そばの姉が邪魔をするなと目で言っていた。

 内心で苦笑するアウラを他所に、モジャモジャは流暢に語り始める。


「一人はシッコク・コクシビョウ。なぜかマントを羽織っている男なのですが、見境なく手を出してきます。触ることもあれば、覗いてきたり、匂いを嗅いでくることもあります」

「いるんですね、そういう人……」


 ちなみにアウラもよくモテるので、そういう人間とは何度も出会っている。


「もう一人はグレン・レンゴク。エルフとは思えない、だらしない体をした男です。彼の見境の無さも呆れるほどですが、どちらかと言えばじっくりねっとり舐め回すように見てくることが多いでしょうか。見られるだけならこちらも手を出せません。実に卑劣です」

「それで、ジーサさんはその二人とつるんでいる、と?」

「はい。どちらかと言えば巻き込まれているようですが、まんざらでもない様子でした。これだから男は」


 ぎりっと顔を歪めるモジャモジャ。

 エルフの法については既に簡単な説明を受けている。そこから察するに、罪に接触しない範囲での猥褻《わいせつ》行為を繰り返しているのだろう。


「アウラ。どうしたんだい?」

「別に」


 この男に変態のアグレッシブさが少しでもあれば、とアウラは思ったが、口に出すほど幼くはない。


 その後もアウラ達は聞き取りを続け――


「――そういうわけで、ジーサさんとはこれまで通りに接してください。気になったことがあれば覚えておいてほしいですが、自分から探りを入れないように」

「はっ」


 本当は彼女達にも注視してもらいたかったが、危険が及ばないとも限らない。

 彼女達はいずれも|第二位の位階《セカンドランク》であり、ハイエルフとも呼ばれる高貴なエルフだ。下手に危害が及べば、外交問題になりかねない。


 間もなく解散した。エルフらしい俊敏さは健在で、二人きりになるのに十秒とかからなかった。


 アウラは防音障壁《サウンドバリア》を張る。

 見せつけるかのように館内全域を覆った後、さらに二人の周囲だけ張っている。いわば二重化であるが、重ねたところで意味はない。

 倹約志向が強い、と言われたことを気にしているのだろう。

 そういうところがまだ幼いとラウルはため息をついてみせたが、アウラはべーっと舌を出して一蹴した。


「それで、この後はどうするんだい? 君に暇はなさそうだけど」

「そうなんですよね。嵌められたわ」


 アウラはエルフ領の観光を楽しみにしていたが、先方――女王サリアから提示された条件は、明らかに第一級冒険者を使い倒そうとするものだった。

 既にシキ王も了承している。アウラは現在、王立学園の教師という立場にあるため、シキの決定には逆らえない。


「……とりあえず、ラウル側の首尾だけ聞いておきます」

「特に進捗はないよ。ミライアのお兄さんに捕まっちゃって危なかったけど、何とか誤魔化せた」

「あの顔怖い人?」

「そうそう」


 学園地下の図書室を槍一本で警護する強面の男は、ラウル達も一目置くほどの猛者だ。

 数年前までは行動をともにすることもあったが、気難しい性格で、特にアウラとはそりが合わなかった。


「あの蔵書数だし、貴重な資料も多いから人選は打倒だと思うけど、まさかあんなところにいるとは思わないよね普通……」

「喋ってないでしょうね?」


 特に成果もないので、二人はとりとめのない話を少し交わして解散した。


 ゲートを閉じると、しんとした静寂が訪れる。防音障壁も解除すると、図ったかのように一人の女王補佐《アシスター》がやってきた。


「はいはい、行きますよ」


 外には闇夜が広がっていた。

 第二級以下にとって少なからず障害となる夜間だからこそ、調査も探検も捗るというものだが、あいにくサボる暇はない。ふざけた口調の女王によって、既に予定はぱんぱんに敷き詰められている。


 高速で飛んでいくアシスターを追いかけながら、アウラは白い目をするのだった。

第141話 降参

 俺が鞭打ちの刑を受けた次の日、第二週七日目《ニ・ナナ》の夜のことだった。


「もう無理よ」


 貴重な逢瀬タイム開始直後、開口一番でヤンデが投げ出した台詞を吐く。

 身体も投げ出してきていて、抱きついてくるというよりも身体をただこっちに投げてきたという具合。何がしたいんだ。


 とりあえず受け止めつつ、お姫様抱っこ状態になりながらも、全身をさっと眺める。


「外傷は無さそうだが」

「あんなの拷問に等しいわ。ううん、拷問の方がまだマシよ」


 とりあえず傾聴に徹すると、どうもダメージに慣れるための訓練をしたようだ。

 曰く、傷を付けられ、穴を空けられ、切断されては回復してもらうことを繰り返す――

 その苦しみは想像に難くない。


「何でピンク童顔がここにいるのよ? 千切れても直りますよ? 馬鹿じゃないの!? サリアがいなければとうに殺しているところよ!」


 おーおー、珍しく荒れてんな。


「落ち着けって」

「ジーサは無縁そうだけれど、本当に痛いのよ? 苦しいのよ? この気持ちがわかるかしら?」

「……落ち着けって」


 まだしばらく続きそうだったので、思いつきでキスしてみた。石のハンマーで金的を食らったが、おとなしくなったのでよしとする。


「何痛がってんのよ。どうせ平気でしょう?」

「使えなくなったらどうしてくれる」


 あとバニラの家でもあるから優しくしてほしい。


「遠回しに性交に誘っているのかしら? 悪いけどそんな気分じゃない」

「ヤンデが一度としてそういう気分になったことがあるだろうか」

「わざとらしいのよ。別に欲情なんてしていないのでしょう? ピンク童顔相手でも平然としていたものね」

「……ああ」


 厳密に言うなら、性的な興味はあるし、たぶん欲情もしているだろうが、バグのせいで感情が下りてこない。


 既に何度か考察したが、割り算の余りのように丸め込まれる感覚である。

 たとえどんなに大きな数字が来ようとも、たとえば10で割ったら、余りは0から9のいずれかでしかない。

 そして、0だろうと1だろうと、9だろうと、どれも大差なんてない。


 無敵というと聞こえはいいが、ただでさえ無味乾燥な人生はもはや灰色同然だった。


「スローライフ、と言ったかしら」

「ああ」

「私には耐えられそうにないわ」

「そうか」

「何とか言いなさい」

「ぐえ」


 掌底打ちが俺の顎にヒットする。理不尽だ。

 ヤンデは俺から離れると、どんと地面に落ちた。そのままうつ伏せになって、動かなくなる。


「あなたのスローライフは、言わば平穏を続けようって話よね?」


 平穏という言葉の定義をしっかりと組み立てたいところだが、「そうだな」とりあえず流す。


「そんなものが手に入るとは、私には思えない」

「手に入るんじゃなくて、手に入れるものだろ」

「どうやって? 強い人はいくらでもいるのに?」

「弱気になるな。ヤンデが勝てないのは、サリアの結界くらいだろ」

「皇帝ブーガ」


 ヤンデがころんと仰向けになる。仕草は可愛いが、表情はお疲れモード、いや絶望モードだった。


「皇帝ブーガがどうした」

「勝てると思う?」

「……思わないな」


 たぶん10ナッツくらいを放てば跡形もなく消せるだろうが、まだまだまともに勝てる相手ではない。

 さすがに動きくらいは見えるようになったと思いたいが。


「私はエルフの王女よ。そういう世界に位置づけられてしまった」


 ブーガと会ったということは、そういうことだろう。


 サリアは本気でヤンデを次期女王に仕上げようとしている。だからこそ拷問のような訓練さえも厭わないし、皇帝のような傑物との接点もつくる。

 そして、精神安定剤になるという理由で、俺という部外者の男にも相当な自由を与えている。


「もう逃れることはできない。私は人じゃないの。国を支え、発展するためだけの礎になったのよ」

「|ゆったり《スロー》とはかけ離れているな」


 かける言葉が見つからない。

 王族の苦しみなど、一般市民の俺にわかるはずもない。前世の知識と経験こそあれど、ここジャースもれっきとした現実であり、ご都合主義的な馬鹿と無能の溜まり場ではない。知識無双だなんて甘い展開などありはしない。


 ヤンデが黙って俺を見つめてくる。

 その双眸には失望もなければ、期待もなく、どころか色さえなかった。こっちに来てから、いや前世の時点で俺が見ていたものと同じ――現実に見切りをつけた目。


「だったら腹をくくれよ。国を支えるという仕事も、やりがいがあると思うぞ」

「適当なことを言わないで」

「アドバイスは適当なものだろ」

「そもそも私を助けてくれるんじゃなかったの? ビジョンを示して、導いてくれるんじゃなかったの?」


 お前が勝手に押しかけてきたことなんだけどな。あと、エルフみたいな能面でぺらぺら喋ってくるからちょっと怖い。

 お前は無愛想だが、もうちょっと表情豊かだろ。


 その余裕さえもないってことか。


「スローライフは無理なんだろ? 他に手はない」

「私と結婚しなさい。二人なら、少しは楽になる」


 冗談じゃないが、今否定しても火に油を注ぐだけだ。

 代わりに、俺は残酷な現実を口にする。


「楽にはならないと思うぞ」

「どうしてよ?」

「人材が増えたところで、仕事も増えるだけだ」

「だから適当なことを言わないで」

「冒険者だってそうだろ? レベルが上がったからといって楽になるか? 強くはなるし、できることも増えるが、その分やりたいことも仕事も増える一方だ」

「……そうね」


 通じてくれて何より。

 資源《リソース》と仕事量は比例する。前世ではパーキンソンの法則という言葉で説明されているし、そうでなくとも金持ちがさらに富を求めたり、最愛を手に入れた男女が浮気に走ったりなど、人の業に際限など無いことは誰にでもわかる。

 ものはたとえで、冒険者には冒険者のたとえを使えばすんなり通じることが多いから助かる。


 それはともかく、どうしたものか。


 俺は死にたいだけだが、滅亡バグと無敵バグに抗うためには鍛錬が必要だ。

 このヤンデという魔力のお化けは、その役に立つ。


 あたりはキツイが、俺のことを好いてくれている女の子――

 その手の心理などさっぱりだが、よほどのことがない限りはついてきてくれるはずだ。


 だが、ヤンデはエルフ王女として拘束されている。女王サリアに手放す気など無いし、結界という形での実力行使もお手の物。


「サリアさんはヤンデに何を期待しているんだろうな」

「……」

「まさか今後もずっとつきっきりで束縛するわけにはいかないだろ。どこかで放任、いや委任するタイミングがあるはずだ」

「……」


 なんか喋ってくれよ。やりづらい。

 一応まばたきで反応してくれてるっぽいので、構わず続けることにする。


「これは俺の想像だが、王女としての経験を積むことで、ヤンデに自然に自覚が芽生えるのを狙っているんじゃないかと思う」

「芽生えないわよ」

「人間はそういう風にできているものだ。人は権力と争いを欲するものだし、そういう世界に身を置けば染まっていく。そのうち楽しみや喜びを見出すようになる」


 その手の実験は腐るほど例がある。前世の心理学がジャースの種族に当てはまるかは微妙だが、クソ天使の趣味を信用するなら、当てはまると思いたい。


「私はエルフよ? 人間とは違う」


 紛らわしいのだが、『人間』とは人間族を指す言葉であり、森人《エルフ》や獣人といった多種族は含まれない。

 種族すべてを指したい場合は、『人』と言わなければ通じない。


「同じだよ。身体とステータスの傾向、それと過ごしている文化が違うだけで、人としての性質は一緒だ」


 たぶん天使《プログラマー》の視点でも、|ひな形《テンプレート》からバリエーションをつくる方がやりやすい。

 プログラミングでも耳にタコができるほど多用する発想ではある。


「もうちょっと頑張ってみろよ。そのうち王女として生きるのも悪くないって思えるぞ」

「気に入らない」

「は?」

「その他人事のような物言い。気に入らないわ。ねぇ? あなたの本心は何?」


 ヤンデが一瞬、何かを口ずさんだのが見えた。レベル62を超越したスピードで、次の瞬間には彼女の綺麗な顔が目の前にあった。

 思い出したかのように衝撃波が発生し、窓もドアもない小屋を丸ごと吹き飛ばす。


 外で見張っていたのは、レベル100超えのエルフだったか。姿は見ずとも、空気の流れからそうだろうなと思う。

 実力者は身体の動かし方に無駄がなく、正確で、何より速さの段階が多い。ピントを調整するかのように、全身から繰り出すパワーを絶えずコントロールしている。そんな繊細な制御に叩かれた空気は、流れ方が綺麗だからわかる。


「スローライフなんて嘘でしょう? 私はあなたのことがさっぱりわからないの。わからないと言えばその防御――」


 他の人もいるのに俺の秘密を喋ろうとしてんじゃねえよ。


 俺は持てる全力を込めてヤンデを引き寄せ、唇を塞いだ。

第142話 降参2

 コイツが知っている俺の秘密を他者に――この強そうで従順そうな護衛に知られるわけにはいかない。

 残念なことに、我を失ったヤンデは防音障壁《サウンドバリア》を張り忘れていた。だから俺はキスという形で強引に封じることにした。


 俺の肉体はバグっている。何も通すことはない。

 もっと言えば、覆ってしまえば声だろうがなんだろうが外には漏れないのだ。だからこそ俺はダンゴと会話できているわけだし。


「ん、んーっ!」


 ヤンデがじたばたと暴れてくる。今の俺でも剥がされそうなパワーで、いちいち衝撃波が出ている。

 正直、触感とか味とか感想を抱いている暇は一ミリ秒もない。後方、俺のちょうど真正面にいる護衛も、想定外の出力なのか警戒度を上げている。

 とりあえずそのエネルギーボムみたいなのは仕舞ってほしい。リンダも出していたが、エルフの十八番なんだろうか。


 俺はヤンデの唇を強引にこじ開け、口内を導通させる。隙間ができないよう強く押しつけつつ、いつもダンゴにしているように声帯を動かす。


(聞こえるか。聞こえたら返事をしろ)

(……は?)


 意外にも、ヤンデは秒でおとなしくなってくれた。


(とりあえず護衛を止めてくれ。このままだと俺が王女に不埒を働いた大罪人になってしまう)

(既に王女を殺しているくせに、今さらじゃないかしら?)


 ヤンデはシニ・タイヨウとしての俺を責めつつも、片手を掲げる。それだけで護衛は敬礼をして、何事もなかったかのように背を向けた。


(とりあえず俺の秘密を喋るのはやめてくれ。わかったな)

(わかったわ。でも私の追及は終わっていない)


 この喋り方、結構苦労したんだがなぁ。

 一瞬でマスターするヤンデさんを見ると、嫉妬する気さえ起きない。まあバグってるからそういうネガティブな感情も起きないんだけど。


(ちゃんと話す。その前に、この声が漏れてないことを確認してほしい)


 既に王女殺しの話題を出していることから問題ないとは思うが、一応な。


(問題ないわ。ずいぶんと手慣れていて感心するほどよ。何か《《飼っている》》からかしらね?)


 そんな気はしたが、やはりダンゴの存在を悟られてしまったか。


 こうなってしまっては仕方ない。

 俺はもう少しヤンデに情報を開示することを決めた。コイツとの絆がどんどん深まってしまうが、一人で済んでいると捉えればまだマシである。


(時間がない。同居人のことはいったん忘れてくれ。今日は俺の真意を話す)

(嘘つき)

(話すっつってんだろ)

(死なないために生きている? 楽しむために生きている? スローライフ? 次はどんな嘘を吐くのかしらね?)


 ヤンデが舌で器用に攻撃してくる。

 いやらしさのいの字もない。レベルが高ければ、舌さえも立派な凶器になるわけで、拳銃よりも強烈な打撃、いや刺突が俺の口内を襲う。


(ダ――同居人が危ないからやめろ)

(ダ? ダがつくの? 何かしら……ダーリン? やはり男色家だったのかしら?)

(真面目にやれ)


 俺は自分の置かれた状況を端的に話した。



 呪いとも言えるレアスキルのせいで、おそらく死ぬことができないこと。

 色んな死に方を試した結果、痛みに慣れきってしまったこと。

 そして今も死に方を、死に場所を探しているということを――



(――だから俺の言いたいことは一つしかない。ヤンデ。悩んでいるのなら死んでしまえよ)


 ヤンデの舌と吐息が停止する。俺の吐露を咀嚼しているのだろう。


 至近距離には、エルフに違わない美しい双眸があった。

 遠目でも、間近でも、どの角度から見ても、美しくないアングルなど存在しないだろうと。そう確信させられるほどの暴力的な麗しさが俺を見ている。俺だけを見ている。


 俺はバレないようにそっと鼻を動かす。

 何の変哲もない、女の子の匂い。俺の好みで言えば、嫌いではない。むしろ好きな方だ。

 ヤンデの体臭は相当らしいが、やはり俺にはわからなかった。彼女にもまだ秘密があるに違いない。

 聞き出したいところだが、今はそういうムードでもない。


 代わりに、口から伝わる感触を楽しむことにした。まあ性的興奮が下りてくることは万に一つもないわけで、十秒もしないうちにやる気などなくなってしまうのだが。


(……死にたくない)


 ぼつりと呟かれた振動は、絞りきった雑巾から垂れる水滴のように小さい。


(死ねば楽になれるぞ。良いことも、悪いことも、全部がなくなって、ただの無になる。すべてから解放されるんだ)

(そんなことして何になるの? 逃げているだけじゃない……)

(逃げているとか、何になるとか、そんなくだらないことは考えるな。お前はどうしたいんだ? やめたいんだろ? もう解放されたいんだろ?)


 自殺幇助は何気に初体験だが、ジャースでも罪になるのだろうか。

 正直ここでヤンデに「じゃあ死にましょう」と言われても困るのだが、俺は死にたがりだ。つい熱を入れて語ってしまう。


 語り始めてみてもなお、俺の死にたい欲は変わらない。

 むしろそのとおりだと強化されていく。


(ヤンデ。何とか言え。お前は何がしたい?)

(お前じゃないわ)

(いいから言え。ヤンデの本心は何だ?)

(本心……)

(解放されたいんだろ?)


 死への渇望を言語化することは容易ではない。

 俺は散々脳内で考え、並び立てて、正当化しつくしたから死ぬ以外の結論は無いのだが、こういうことはまず他者には通じない。

 かといって、ここで長文をぶつけると熱が削がれる。


 結果、解放という喉越しの良い言葉で半ばゴリ押しする羽目になってしまった。


 まあ何とかなるだろ。

 俺としては、一に「近いうちに一緒に死にましょうね」、二にエルフ領からの脱出、三でコイツから色んな知識を引き出して、四で心中、というマイルストーンにしたい。

 自殺にはリリースを使えば良い。10ナッツくらい使えば、ヤンデと言えど跡形もあるまい。


 ここまで仲良くなったパートナーを手放すのは実に惜しいが、惜しいは自活――自殺活動においては邪魔者でしかない。


 さあヤンデ。イエスと言え。

 一緒に解放されようじゃないか。


(――しい)

(何だって?)


 脳内をぐるぐる走っていたであろうヤンデが、ようやく何かを返す。


(あなたが欲しい)

(は?)

(あなたをものにしたいわ)

(……は?)

(あなたを手に入れたい。あなたのことがもっと知りたい。あなたを振り向かせたい。あなたのすべてを――)

(冗談言ってないで帰ってこい)

(冗談じゃないわ)


 身体を引き寄せられた。狂おしいほどの力が加わっている。しかし、彼女の眼は平静、いや冷静で、どころか好戦的でさえあった。


(今のあなたの反応を見て確信したのよ。私はあなたのことが好き)

(……)

(わかりやすく言うと、困らせたいわね)


 舌で舌をつっつかれている。深いキスは嫌いではないが、素直に従うのは癪で、俺は全力で舌を引っ込めることで抵抗した。


(あなたは死にたいのよね?)

(ああ)

(させないわ。あなたに死なれては困るもの。私はあなたが欲しいのよ。置いておきたいの)

(勘弁してほしいんですけど)

(お断りします)


 俺の企みはあっさり潰えてしまった。

 やはり自殺願望を晒してもろくなことがない。


 が、憔悴しきってポンコツになるよりはマシか。結果だけ見れば悪くない。


(……だったら、目先の問題を解決しないとな)

(そうね)


 むしろコイツとの関係はより堅固となった。多少のことでは揺るがないだろう。

 魔力の化け物が仲間になったと考えれば、これほど頼もしいことはない。


(目標を定めるぞ。ヤンデを王女から解放して、俺と二人で旅できるようにする――これでいいか?)

(構わないけれど、どうやって? サリアは手強いわ。あなたのバックにもアルフレッドがあるわよね?)

(アルフレッドについては、後で考えればいい)


 もっと言えばブーガもいるし、竜人や魔王もいる。俺には無敵バグや滅亡バグだってついてくる。

 上を見ればきりがない。それでも一歩ずつ前に進むしかない。


(ヤンデがここから出られないことには、俺も動き様がねえんだよ。問題を見誤るな)

(で、サリアはどうするの? 殺すの?)


 理解が早いのは助かるが、親への情愛はないらしい。まだないのか、それとも持てない類の側なのか。知ったことではないが。


(というより、殺せるの?)

(どうだかな)


 殺せるか殺せないか言えば、間違いなく殺せる。俺のリリースはスキルであるため、結界は関係がない。

 しかし、リリースという切り札を教えるにはまだ抵抗がある。


(まだ隠していることがありそうね。吐きなさい。吐かせるわよ?)


 体内に鋭い風が侵入してくる。


(風魔法を胃をかきまわすの、やめてくんない?)


 普通に胃液が逆流しているんですけど……。


(あなた、胃液は気持ち悪いのね)

(そりゃそうだろ)


 それにその発言は、別の液体や普段の俺はまんざらでもないと言っているに等しい。反応に困るからやめてほしい。


(サリアをどうするかだが、そもそも殺す必要はないぞ。むしろ願いを叶えてやるつもりだ)

(は?)


 前々からうっすらと考えてはいたが、やはりそうするしかないらしい。


(エルフと獣人の領土争いを解決する)

4章

第143話 現地調査

「ここが軍事境界線か」


 一夜明けて第二週八日目《ニ・ハチ》の早朝。俺は遠出をしていた。もちろん学校はサボる。


 軍事境界線は北ダグリン大陸の南北――南の獣人領と北のエルフ領を区切っている帯だ。

 ただの線ではなく、帯と呼ぶにふさわしい広さがある。サリアが描いた空中地図上でも相応の幅を持っていたが、


「地平線しか見えないんだけど……」


 ざっと十五キロメートルくらいはありそうだ。地形としても草木一つとない荒野が続いているだけなので、油断すると現在地を見失ってしまう。


 既に五キロメートル先が見えることは確認済なので、十キロメートルも進めば何かが見えるはずだ。北側のエルフ領、南側の獣人領、あるいは西端の人間領や東端の海岸のどれかが。

 もし見えなければ、とりあえず九十度方向転換すればいい。


 そうやって俺は周辺地域の把握に努めた。


 移動自体に不自由はない。良い機会なので簡単に測ってみたのだが、俺は百メートルをゼロコンマ秒で通過できてしまった。余裕の音速超えである。

 無論、体力もバグっていて尽きることはない。


 難しいと言えば、地面の蹴り方だろう。この身体を音速に導くためには、相応の反作用をもらわなくてはならないが、ただ蹴るだけでは力の大半が逃げてしまう。

 慣れればどうにかなるレベルではあった。

 たとえるなら、鉄棒の上で走るくらいの制御が必要ってところか。前世でパルクールしていた俺にとって、この程度の制御は無理ゲーではない。


 唯一できなかったのが停止で、雨天時の自転車ブレーキみたいな制動距離になってしまう。あと、いちいち盛大な砂塵が巻き起こって鬱陶しい。

 移動の練習が目的ではないので、程々にしておく。


 移動中に移動距離と方角を意識すれば、道中で迷うこともなかった。

 この手の記憶力はステータスの範疇ではないと思うが、どういうわけか、今の俺は容易くできてしまう。

 この考察も後回しにしてばかりだが、今は放置だ。


「こんなもんか」


 一時間もかからずに把握を終えることができた。


 次はとりあえず境界線の北端、エルフ領を見てみることにしたのだが。


「……こっちは無しだな」


 軍事境界線の先――深森林からは、激しい戦闘だとわかる乱雑な旋律が届いてきている。

 風にせよ、音にせよ、人工的にしか生み出せないものであることが容易に、いや本能的にわかる。


「危険区域《デンジャーセクション》が可愛く見える」


 俺が見上げる先には、足場なるものは一つと見えない。


 見えると言えば二種類の影か。器用に高速で飛び回る麗人と、乱雑にストロングローブ間を跳び跳ねる野蛮人。

 エルフは数人一組のペアで息の合った連携を見せている。魔法を連発していて、ちかちかとした視覚効果《エフェクト》は目に悪そうだ。

 対して獣人は、身体能力にものを言わせるスタイルで、投擲や接近戦を主軸としている模様。空中足場《エア・ステップ》は使えるようで、空中なのに軌道がグングン変わっていた。


「死んだなありゃ」


 獣人が雷魔法をモロに受けた。エルフ達が注視する中、失速した身体が川に落ちていく。

 川面から飛び出してきたのはバーモン――トビウオだ。あの小さな口は、風圧だけでも足場を壊す。部位にもよるが、噛みつかれたら即死だろう。


 噛み損ねたのか、弾かれたのが見えた。

 獣人がこっちに飛んできている。音速は超えているが、見えないことはない。

 別に当たってもいいが、あえて当たることもないだろう、というわけで避けそうとしたのだが、足が滑った。

 あ、などと口に出す暇もなく、獣人と接触――派手に吹き飛んでしまう。


 ざっと百メートルくらいは飛ばされただろうか。


 走る時と似ているが、速く動き出すための踏み込みは意外と難しい。先日リンダから示唆されたばかりだが、相応の反作用が返ってこなければ飛び出すことはできない。

 地面が全部ストロングローブ並に硬ければ楽なんだが、軍事境界線はただの荒野。ただの地面だ。

 ゆえに角度も威力も、工夫しないと空振ってしまう。


「頑丈な人間ねぇ。大丈夫パオ?」


 俺は押し倒される格好になっていた。

 目の前には灰色の肌をした、グラマラスな女がいる。腹筋は割れており、その上には筋肉なのか脂肪なのかわからない、豊かなボールがベルトブラで縛られている。


 体臭は獣のようにキツく、よほどの物好きでもなければ欲情はすまい。

 まあバグってる俺には関係ない話だが。そう思うとちょっと魅力的に思えてきた。


「人間の匂いは久しぶりだわぁ。興奮するパオ。食べていいパオ?」


 肌だけでも獣人なのだとわかるが、もう一つ、露骨な特徴がある。

 鼻だ。どんな鈍器よりも仕事をしてくれそうな、象の長っ鼻が、俺をすんすんとしている。


「とりあえずどいてほしいんだが」


 その気配がないし、鼻で頬をちゅっちゅしてくるのが鬱陶しいので、力づくで引き離す。


「人間がこんなところで何しているパオ?」

「興味本位で覗きに来ただけだ」

「趣味悪いわねぇ。身体は悪くないパオ」

「だから吸うのはやめろ」


 強めに鼻を叩くと、「いやん」などと言いやがる。


「鼻は性感帯なのよぉ」

「さっき防御手段として使ってたのにか?」

「……見えてたの? 悪くない目ね」


 よくよく思い返すと、コイツはトビウオに噛みつかれる寸前、鼻で庇いに行っていた。俺には条件反射というよりも、普段から慣れている動きに思えた。


「トビウオの攻撃を防ぐなんて相当だ。レアスキルか何かか?」

「レアというほどではないわねぇ。一度使ったら、しばらく使い物にならなくなる反動があるわぁ」


 あえて吹き飛ばされることで一時撤退したというわけか。

 軍事境界線上での戦闘行為は禁止されている。竜人による協定の一部であるため、逆らう馬鹿はいない。


「エルフ達がめっちゃ見てるんだが……」

「怖いパオ」


 いちいち抱きつかなくてもいい。胸は意外と柔らかかった。そうだなぁ、若くて健康的な女によくある、筋肉質なやつ。弾力があるともいう。


「問題なさそうだな」

「何がパオ?」


 ここが安全地帯であることは、コイツの態度からも疑っていない。

 もう一つ、懸念があって、既に対策済だったのだが、この様子だと上手くいったようだな。


「何でもない」


 エルフ達は仕留め損ねたコイツを見ているようで、俺のことは気にもしちゃいない。

 無論、俺がジーサの顔のままだったらそうもいかなかっただろうが、今の俺はジーサじゃない。

 ダンゴによって全く別人の容姿を被っている。


 一応、アルフレッドの大貴族だからな。エルフと獣人の争いにそのまま首を突っ込むわけにはいかない。


「それよりアンタ、どうせしばらく動けないんだろ?」

「そうねぇ。性交くらいならできるけど」


 反動とか言ってたが、たしかにご自慢の鼻はへなへなしていて元気がない。

 一時的に防御力を引き上げるスキル、でもあるのだろうか。


「聞きたいことがある」

「報酬は性交でいいパオ」


 俺は誘いをスルーしつつ、象女を強引に持ち上げる。「こっ、殺されるパオ!?」勘が良いらしく何やらビビっているが、この程度では竜人は来ないだろう。

 来たとしたら、それはそれで結構。色々と話をしてみたいからな。

 どうせ遅かれ速かれ避けられない相手なんだし、過度にビビるのはもったいない。いいかげんかもしれないが、割り切りもまた大事である。


 俺はしばし荒野を疾走して、全方位地平線になったところで象女を地面に落とした。終始無言だったからか、性的に茶化されることもなかった。

 代わりに、澄んだ瞳には警戒心が宿っている。


「何のつもりパオ?」

「獣人について色々と教えてもらう」

「強引ねぇ」

「アンタをエルフに差し出してもいいんだが」

「何でもお訊き下さいパオ」


 意のままにできる獣人と出会えたのはラッキーだった。


 俺はエルフと獣人の領土問題を解決しようとしている。

 そもそもサリアがヤンデにこだわるのは、その戦闘力を見込んでのものだ。領土問題で優位に立つための武器として、魔法に長けすぎた娘を使うのである。

 これは見方を変えれば、領土問題さえ解決できればヤンデは要らない――とまではいかないだろうが、拘束を緩められるとも言える。


(共存はたぶん可能だ)


 お互いが歩み寄り、妥協しあえば大抵のことは何とかなるものだ。

 幸いにもジャースには、実力者達には、それを推し進められるだけの力がある。現状を知り、相応に配慮した案さえ出せれば、あとはトップダウンで従わせればいい。


 サリアはエルフの女王だが、エルフほど堅物ではない。好き好んで争いに投じる戦馬鹿でもあるまい。


 この世界の王は有能だと思われる。相応の理屈を提示すれば、余地はあるはずだ。

 シキ王が俺の政策を受諾してくれたように。


(何ならシキ王にも協力を仰げばいい)


 エルフ側の同意が得られれば、あとは獣人側だが、それはその後で考えればいい。


「獣人はどうやって同種を区別している?」

「……なぜそんなことを?」


 象女が突っ込むのも無理はない。


 領土問題解決のためには、とにもかくにも情報収集が必要となる。それは獣人領への侵入も意味しているわけだが、コイツの連れとして入れるほど甘くはあるまい。

 無論、堂々と侵入して騒ぎを起こすのも論外だ。


 獣人はエルフ以上に諸感覚が優れているという。

 ダンゴで容姿を真似ただけではバレるだろう。だからこそ、容姿以外のファクターを知る必要があった。

 もっとも彼女にしてみれば、俺の潜入という意図はバレバレである。


「いいから答えろ。エルフに差し出すぞ」

「脅しには慣れていないようねぇ。そっちの方も素直になればいいのに」


 俺の股間を見ながら、象女がいやらしく微笑む。

 自らの胸を持ち上げ、ゆさゆさとしてきた。揺らし方の見せ方も妙に手慣れていて、童貞には中々刺さる光景だ。

 が、バグっている俺が乱されることはない。


「これから慣れるさ」


 当然ながら情なんてものも機能しない。

 さすがに前世では未経験だったが、今の俺なら脅迫だろうが拷問だろうが何だってできそうだ。


「……危うさもあるわね。わかったわ、何でも訊くパオ」


 通じてくれて何よりだ。

第144話 現地調査2

「――最後に、ずっと気になってたんだが、そのとってつけたような語尾は何だ?」

「獣人の慣習パオ」


 シッコクとグレンも真似しているようだが、まさかの慣習と来た。


「獣人にはアニマルの血が混じっているのよぉ。ベースって呼ぶんだけど、ベースは言わば私達のご先祖様よ。ご先祖様が、私達の中で生きているパオ」

「ベースか……」



 ――壊れることのない魂に、消えることのない|最初の記憶《ベース》。



 天界の鬼畜仕様を思い出すが、これとは別の用語だろう。


「ベースの鳴き声を使うことで敬意を払うの」

「ふざけてるようにしか聞こえないんだが」

「……あなた、どこの生まれ?」


 そうか、こっちでは語尾の統一が不自然じゃないのか。少なくとも獣人には根付いた文化だし、エルフ達も気にする様子がなかった。

 となれば、そんな感想を抱いてしまった俺が異端児だ。


 返答には一瞬迷ったが、仲良くなるつもりはない。「質問しているのは俺だ」強引に一蹴しておく。


「アニマルって何だ?」

「アニマルはアニマルよぉ」

「質問を変える。お前のベースは何だ?」

「象よ」


 その時、俺の脳内に動物《アニマル》という概念が流れ込んできた。

 前世における動物と意味的には同じらしい。しかし、『どうぶつ』という読み方は無さそうだ。


「その象も含めて、アニマルってのはジャースでは現存しているか?」

「してないわねぇ。たまに聞くこともあるけど、基本的にモンスターとの生存競争で絶滅したパオ」


 どおりで獣を見ないわけだな。ジャースでは動物ニアリーイコールモンスターと考えた方が良さそうか。


「デイゼブラは? あれはシマウマか?」


 ふと確認してみると、なぜか象女は目を見開く。子供を見るような上から目線の双眸に、好奇と猜疑の色が混ざった。


「よく知ってるわねぇ……。デイゼブラは、数少ないアニマルの生き残りだと言われているパオ。戦闘力は皆無だけど、時間を正確に投影する術を持っているから人間には重宝されている」


 愛らしさで人間の懐に入る犬や猫みたいなものか。


 それはそうと、その言い方だと獣人には必要ないと聞こえるが、我慢しよう。脱線していたらきりがない。決して時間に余裕があるわけじゃない。


「聞きたいことは以上だ」


 俺はそれだけ言うと、駆け足でその場を去った。


 象女も用事があるのか、地平の先に消える前に移動し始めていた。俺と同様、南下している。ということは自領に帰るのだろうか。

 俺からは距離を取っているようで、砂塵をまき散らす点はすぐに見えなくなった。


 獣人の組織形態は不明だが、彼女が俺のことを報告したら、それはそれで面倒なことになるだろう。

 今ならまだ追いつけそうだが――


(殺した方がいいか? ……いや)


 余計な殺傷は控えたい、と思うのは甘いだろうか。

 別にバグってるから殺人も虐殺も難なくできるのだが、そういう思考は危ないと反射的に割り込んでしまう。

 知識という名の理性といったところか。こういう甘さはたぶん大切にした方が良いんだろうな。人として。


 迷っている間に、軍事境界線の南端に着いた。


「こっちはガッチガチだな」


 南側、獣人領も深森林らしく、ストロングローブがずらりと並んでいる。

 しかし樹冠は見えず、石の壁に阻まれている。壁は万里の長城よろしく隙間無く整備され、高さも安全高度《セーフハイト》三十メートルのあたりから樹冠を覆い隠すところまで広がっている。


 これが境界線の端から端まで続いているのだろうか。一体どれほどの魔力を使ったのか、想像もつかない。


 壁には所々穴が空いていて、見張りと思しき獣人が待機していた。

 しばし探索してみたところ、穴と穴の間隔に規則性は見られないが、数百メートルから数キロメートルほどのようだ。

 俺が見かけたのはウサギ耳、悪魔のような二本角、キリンと思われる長い首を持つ奴と三人。どれも強そうだ。全員が俺に気付いているし、威圧のオーラをぶつけてくるのもいた。


(安全高度の下は空いてるけど、逃げられないよな)


 上には石の壁があるから逃げられない。下からは言うまでもなくバーモンが来るし、奥からは獣人の攻撃も飛んでくるだろう。

 おいそれと突っ切るのは難しそうだ。


(そもそも俺、飛べないしな)


 跳び回るのは容易いが、象女の動きから見ても、獣人はそういう移動に慣れていると思われる。負ける気はしないが、獣人の実力は未知数。不安は拭えない。

 別に川に落ちても構わないのだが、バーモンの攻撃を食らってもへっちゃらという事実はできるだけ見せたくない。


(深森林の上から入るのは……論外か)


 見通しが良い空に飛び出せば、格好の的になる。飛行さえできない俺には過ぎたルートだ。


 さて、どうするかな。

 と言いつつ、大した策を練る時間もないので、行動は自ずと決まってくる。


(とりあえず全部試すか。ダンゴ、バニラ、避難する体勢を整えておけ)


 その一、通してもらう。


 俺は一番弱そうで優しそうなウサギ耳の少女の真下にまで移動。


「すいませーん! 通してもらってもいいですか?」


 飛べないので叫んで声を掛けてみると、


「消えろピョン。殺すぞピョン」


 少女らしからぬ台詞が振動交流《バイブケーション》でねじこまれてきた。ねじ込み方も強引で、脅かす気マンマンだ。


 身長はピンと立った大きな耳を含めても130センチとない。

 白い体毛で皮膚は見えず、服装も腋丸出しの白いワンピース一枚だが、成長を期待させる膨らみが実に危うい。年齢はよくわからないが、顔も小学生並に幼くて、見た目はアウトな絵面だった。


「あ? 文句あるのかピョン?」


 目つきと口調だけはすこぶる悪い。声と語尾は可愛いのにな。


「一緒に性交しませんか?」

「舐めた口聞いてんじゃねえよ人間。気絶させるぞピョ――」


 俺は彼女目がけて跳躍していた。


 作戦その二は、強行突破。


 今日一番、いや人生一番のスタートダッシュが決まったと思う。

 とりあえず地面の蹴り方は把握した。ワンテンポ遅らせるのがコツだ。地面に深く刻まれていくヒビが止まった瞬間に飛び出すイメージ。いや実際に地面にヒビ入ったかはわからんけど。


 俺は一直線に突っ込みつつも、脳内をめまぐるしく回転させる。

 どうやって除けようか、武術やら体術やらは全く知らない、いやでもレベルも高いだろうし、腕を振ればいけるか――

 などといった陳腐な思考が高速で流れていく。


 レベルアップで強化される領域は限られている。何もかも思考できるわけではない。

 なんというか、もやがかかっていて、ほとんど選ぶ余地はない。気合いで次々とかき分けていくパワープレイとでも言えばいいのか。限界まで筋トレで追い込んだ後、さらに追い込もうとする時にも似ている。


 秒の一割にも達しないうちにタイムアップだ。

 接触する間合いまで近づいたので、とりあえず顔面に拳をぶち込もうとして――あっさり回避される。


 彼女は俺の腹に頭突き、というより額突きをかましていた。

 空中で止まれない俺は、刺さるしかない。キュートな頭の耐久性は抜群らしく、俺はうさ耳に触れる間もなく猛烈な反発を食らった。


 ゴルフボール顔負けの飛び方で退場する俺。


 程なくして地面に墜落し、水切り石よろしくチュン、チュンと身体を削っていく。ダンゴは既に避難しているわけだが、服と皮膚の削れ方はどこまで再現できるだろうか。

 あえて止まらずに放置し、やがて失速した俺の身体は、ごろごろと感性に従って転がっていく。


 完全に止まるのに、ざっと十秒は要した。空中を掴めないといちいち時間がかかるから鬱陶しいな。やはり空中足場《エア・ステップ》が欲しい。


(ダンゴ……いや、なんでもない)


 さっと全身を触ってみた限り、新たにこしらえた顔面は崩れていない。

 体については、正面がほぼ全壊で、ある程度かさ増ししていた分は既になかった。シニ・タイヨウつまりは俺自身の体つきが浮き彫りになっている。

 一応、露出は防げているが、黒のトランクスとTシャツはほぼ丸見え。下着姿ともいう。


(顔面に攻撃を食らったらアウトだったな……)


 俺の顔は指名手配されている。獣人が知らないとも限らない。


 何にせよ、門番だけあってそう甘くはないか。

 あのウサちゃんのレベルは不明だが、レベル40のダンゴでは逆立ちしても原型を残せないことだけは今わかった。


 どうしたものか、と俺は自らの身体を眺めたり触ったりしながら思案する。


「――そうか」


 ふとひらめいた俺は、そのアイデアを逃さないよう早速行動に移した。


 獣人領が見えなくなるまで後退した後、下を脱ぐ。誰もいないし問題あるまい。

 脱いだトランクスを、俺は頭から被る。


(ダンゴ、手のひらに鏡をつくることはできるか?)


 思いつきだったが、間もなく手のひらが銀色に変色する。トランクスを被った変態がそこにはいた。

 ……股の部分が邪魔だな。正面がほぼ見えない。


 調整を試みることしばし――


(うん、これなら及第点だ)


 俺は生地の一部を噛むことで、覆面としてトランクスを固定できることに気付いた。

 鏡に映る顔のうち、晒されているのは両目の周囲だけだ。かさの大きな下着だからこそできることだろう。ボクサーやブリーフ、あるいは女物のパンツだったらここまでは隠せていない。


(ダンゴ。鏡はもう仕舞っていい)


 変態丸出しだが、これはでかい。

 頑丈なこの下着なら、多少攻撃を食らってもへっちゃらである。このパンツをはぎ取られない限り、俺の素顔が露呈することはない。


「……あとは下半身か」


 さすがに丸出しでうろつくわけにはいかない。


 少し悩んだ末、Tシャツをパンツ代わりにしてみた。

 腕刳《うでぐ》りから足を出す、という何とも奇妙な格好だが、仕方あるまい。フィット感が悪くないのが幸いだ。


「これでよし」


 素顔の問題は解決したと言える。傍目で見れば下着を上下逆に着ている変態なわけだが、獣人族ならたぶん寛容だろう。寛容だと思いたい。


(ダンゴ。避難を解除してくれ)


 俺はいったんジーサの容姿を纏《まと》い、下着を普通に着た後、ひたすら東進を始めた。


(作戦その三は、獣人への変装だ。ダンゴ。適当な獣人を見繕ってくれ。できるか?)


 即行で後頭部に|単発の殴打《イエス》が返ってくる。

 ダンゴの有能さに惚れてしまいそうだ、とはもう何回思ったか。


(ダンゴって優秀だよな。改めて惚れたぜ。抱きしめていい?)


 これまた即行だが、|二発の連打《ノー》だった。

 ダンゴさんはガードも硬い。

第145話 現地調査3

 数百キロメートル以上東に進んだ俺は、石の要塞に空いた穴の一つから中へ入ろうとしていた。


「名前は?」

「スーサイ・ドッグです」

「私と同じワン。にしては体毛も耳も鼻も薄い。口を開けろワン」


 薄いとは、ベースとしての特徴が薄いという意味である。

 俺は言われたとおり、ザ・犬の獣人という風体の男に向けて口を開く。


 俺の格好は上下の黒下着だけだが、その点は気にされない。獣人族はやはり服装に無頓着らしい。この男も、もふもふした体毛はあるけど、たぶん裸っぽいし。


「たしかに牙はドッグだが、薄いな。アンノウンか?」

「はい。九割以上は」

「なぜ名乗らない?」


 犬男は鼻をくんくんさせながら、俺を訝しんでいる。

 獣人特有の体臭はダンゴによって再現済だ。コイツも疑ってはいない。ただ、犬がベースであるという俺に、その特徴が見られないから怪しんでいるのだ。


「アンノウンなんて名乗りたくないワン」


 俺はそう返した。まさか語尾にワンをつける日が来るとはなぁ……。

 これも潜入のために仕方ないことだが。


「気持ちはわからんでもないが、こういう時くらいは名乗れワン。通ってよし」

「ありがとうございますワン」


 ど硬い石で囲まれた通路をしばし歩くと、見慣れた深森林の光景が飛び込んできた。


 ふぅと胸中で一息つく俺。

 情報不足だったが、上手くいってくれた。


 獣人の名前だが、ファミリーネームとして「ベースとなるアニマル」を名乗るようになっている。

 今回、犬人が最も得意というダンゴに合わせて犬にした。ファーストネームは自殺を意味する英単語スーサイドからスーサイと決めたので、名前はスーサイ・ドッグとなる。


 しかし、これではベースが100%犬だと言っているに等しい。

 ダンゴは獣人への擬態は苦手らしく、100%で通せるかは怪しかった。


 そこで俺はダンゴに質問を重ねて情報収集を行い、マルチベースなるものの存在を突き止める。


 獣人には複数のベースがつくことも珍しくない。その際、名前は濃い順にミドルネームとファミリーネームを充てる。

 たとえばベースとして犬が60%、猫が40%だった場合、名前はスーサイ・ドッグ・キャットとなる。

 逆に猫が60%、犬が40%の場合は、スーサイ・キャット・ドッグだ。

 どちらも50%程度の場合は、キャット・ドッグでもドッグ・キャットでも好きにすればいいらしい。ダンゴ曰く、わりかし適当のようだ。


 もう一つ、獣人にはベースがわからないことがあり、これをとある名称で呼ぶ。

 その名称まではわからなかった。イエスノーでしか答えられないダンゴから特定の名称を引き出すのは無理ゲーだ。


 それでぶっつけ本番で探ってみたのが、ついさっきのことだ。


(アンノウンか。まんまだな)


 つまり俺の名前はスーサイ・アンノウン・ドッグだと言える。

 ドッグの部分は約5%としている。これならダンゴとしても擬態は難しくない。実際、歯回りに少し気合いが入っているだけで、外から見える部分は申し訳程度だ。具体的に言うと、毛深い人間の体毛をクリーム色にすれば、今の俺になる。


(検問は突破したし、あとは大丈夫だろう)


 獣人同士の判別方法だが、ダンゴ曰く、臭いの嗅ぎ分けのみだ。

 さっきは検問だから用心深かっただけだろう。一度入ってしまえば、もう疑われることはなさそうだ。現に獣人達も俺をスルーしている。


 ちなみに、ベースの大半がアンノウンであることもさして珍しくはないから、俺が目立つこともない。


(一応隠しとくか。いや……)


 新しい顔はつくってあるが、戦闘が始まれば壊れかねない。

 最初からトランクス覆面をつけておけば確実だが、


(怪しいよな……)


 俺は下着の上下を入れ替えようとしたが、撤回する。


 代わりに、人目につかない茂み――樹冠に入り、しばし着替えの練習をして、一秒で十回以上交換する要領を身につけておいた。

 言い換えるなら、0.1秒ほどで下に履いてるトランクスを覆面として被れるとも言える。前世基準では十分すぎるほど速いが、第二級冒険者水準ではまだまだ遅い。

 もう少し鍛えようとして、俺は頭を振る。


(そもそも入れ替えが間に合わない状況に陥らないことが肝心だよな)


 トランクス覆面でうろついてやる、という半ば自棄な発想が湧き始めている。


 ぼっちとしての俺の悪い癖だな。

 独りが長くて歪んでいるから、変なことをして目立とうとする。目立てば一応は満たせるし、変なことなら誰でも簡単にできるからな。

 俺レベルのぼっちに至っては、自らの奇行を個性と捉えて正当化するまである。俺は誰にも真似できないことをやっている孤高の戦士だ、てめえらとは違うんだよ、と。

 中二病ともいう。


(そういうのも含めて、ぼっちとしての俺はいったんやめると決断したばかりだろ)


 結局、俺はダンゴに服を見繕ってもらってから散策を開始する。






 東京みたいだ。


 それが俺の第一印象だった。

 エルフが集団生活を重んじるのに対して、獣人はもっぱら個人で過ごすようだ。食事、狩猟、鍛錬にひなたぼっこと思い思いに過ごしている。

 パーソナルスペースが広いのか、間隔は五メートルは空いており、近づくとむっとされることが多い。

 よく観察すると、皆が皆を尊重しながら動いているのもわかる。ぼっちで日本人の俺だからか、早くも居心地の良さを感じた。


 建築物にも獣人らしさが出ている。

 エルフ領では木が使われ、見栄えとゆとりにも配慮されていたが、こっちはほぼ石だ。それもただ足場や箱をつくっただけですと言わんばかりの粗雑さ。

 その分、耐久性に優れていることは見ただけでもわかる。思わず触れてみたが、やはりその辺の岩よりもはるかに硬い。


「にいちゃん。喧嘩なら買うニャン」

「あ、すいません」


 さっと手を放し、そそくさと離れる俺。


(渋い声でニャンと言われてもなぁ……)


 何とも言えない気持ちになる。獣人にとっては当たり前の文化だから、早く慣れないといけない。


「……ん? 珍しいな」


 前方に石畳の小さな広場があり、獣人が十数人ほどひなたぼっこしている。

 葉を食べている者と、バーモンらしき肉――狩ったばかりなのか生肉を食べている者が混在しているが、仲は良さそうで、何やら盛り上がっている。近づいてみると、


「ぼうやも食べるかい?」


 見るからに肉食獣っぽいふさふさしたおばさんが生肉を投げてきたので、キャッチする。「いただきます」とりあえずもらっておく。

 人生初の生肉だが、血と肉汁が多すぎて食感からして気持ち悪い。何より血生臭すぎる。

 バグってなければ既に数回は吐いてるだろうな。


「何してるんです?」

「あれよ、あれ」


 おばさんが爪で指す先には、妙に手足の長い男。いや、そいつが持っている一枚の紙だろうか。


「情報紙ですって。中々面白いのよ。ぼうやも見てくれば?」

「いえ、俺は読めないので」

「絵だから子供でも読めるわ。遠慮しないで見てきな」


 ほらっ、とボールみたいに放り投げられる。


 なぜか熱烈な歓迎を受けた。

 どうもここはおじさんおばさんの集まりらしく、俺はシャイな子供の扱いだ。

 子供扱いは少々癪だったが、勝手にペラペラ喋ってくれるのは楽でいい。俺はあれもこれと押しつけられる葉っぱと生肉を適当に食べながら、ひたすら聞き役に徹した。


「相変わらず皇帝は仕事が早えよ」

「エルフも滅ぼしてくれたらいいのにねえ」


 どうも情報屋ガートンが平民向けの情報紙を始めたらしい。ここ獣人領の他に、エルフ領でも配布を始めたそうだ。

 その際、現行の体制では不可能だからと、肯定ブーガが国の体制を変えてしまったのだという。


(政府、軍部、それに外府《がいぶ》か)


 紙には三権分立のような図が描いてあった。ビフォーアフターで二つ分描いてあるため、どこがどう変わったのかがわかりやすい。

 元々ギルドだった部分が外府となり、ガートンが加わっている。複数の外部機関を置けるようにしたわけだ。


(有能すぎる。いや独裁すぎるのか)


 日本でたとえるなら、国会やら内閣やら裁判所の一つに、有力な民間企業を加えるようなものだろう。


 もう少し聞き役でいようと思ったが、話題はどうでもいい日常に移っていく。

 くつろぐ気はないので、率直に投げることにした。


「あの。俺達ってなんでエルフと争ってるんです?」


 俺が最近こっちに来たという設定は共有している。無知でも全く怪しまれない。


「知らないわよ。ビースターが何考えるかなんて」

「戦いてえだけじゃねえか?」

「若いモンは血気盛んだからなー」

「オレ達、獣人は肩身が狭い。こうやって細々と暮らしてればいいっつー話よ」


 どこか他人事だった。

 獣人の国家体系はどうなっているのだろうか。隣国との争いとなれば、国民を焚き付けるのが常套だとは思うが。


「ぼうやも戦いたいの?」

「いえ、それよりもビースターってなんですか? 聞いたことはあったような気がするんですが」


 さすがに無知が過ぎると怪しまれるかと思ったが、気にしていては先に進めないので、言い訳がましく聞いてみる。「冒険者のことよ」ふさふさおばさんに気にした様子はない。

 ああ、この感じ。老人と接する時のような気楽さが良い。

 というより、エルフの方がピリピリしすぎなんだよな。男として、あるいは変態として嫌われてるのもあるんだろうけど。


 しばしおばさんの説明が続いた。


 冒険者として何らかのグループに属する獣人をビースターと呼ぶ。獣人以外のパーティーに加わるパターンと、獣人のみで編成されたパーティー――ビーストチームに属するパターンがあるようだ。


「――それじゃ俺はこれで。ありがとうございました」


 雑談は案外疲れるものだ。議題や進行といった羅針盤がない分、常に効率能率を求めている俺のようなタイプにはストレスが溜まる。

 バグっていて疲れないはずなのに、程々のところで切り上げてしまった。


「また来るんだよ」

「なよなよしてんなぁ。これ食え」

「これも持ってけ」


 別れたのは良いが、両手一杯分の生肉と葉っぱをもらってしまった。要らねえ。

 堂々と捨てるのも失礼なので、移動中に落としたという体で少しずつ川に落として処分する。


(ビーストチームか)


 ストロングローブ間をビュンビュン跳んで領内見学を進めつつ、俺は脳内の整理も始めた。

第146話 現地調査4

 引き続き深森林を散策したり、獣人達の話を盗み聞きしたり、絡まれて会話したりなどして情報収集に努めた。


 獣人に国家という概念はない。

 生活は動物のように原始的で、のびのびと暮らしている。子供は大人が囲って育て、自立できるようになったら放任――その後の進路は、あの人達みたいに細々と暮らすか、ビースターとしてバリバリ戦うかになる。

 なお若者は子供時代に構われまくった反動で、独りになりがちだという。あるいは若者同士でつるむ。おじさんおばさん達は寂しそうだった。


 これだけだと平和に聞こえるが、これは獣人領に限った話である。

 外での生存はもっとシビアだ。曰く、差別がきつい。


 そんな中、種族をまとめ上げているのがビーストチームである。

 チーム自体は大小様々、名も無き分も含めて何千とあるらしいが、頻出した名前が二つあった。


(『ソルジャーズ』、それに『ガーディアンズ』か)


 どちらも数千以上の団員が存在し、前者は全国各地で冒険者の派遣業を、後者は獣人領の警備を行っている。

 獣人族の統制や教育も行っており、噂話や世間話という形でよくニュースが飛び込んでくるそうだ。


(いまいち全体像が見えないな)


 なぜエルフと獣人は土地を巡って争っているのか。


 エルフ側は既にサリアから聞いた。

 人口増加に伴う土地不足である。繊細なエルフは深森林でしか生きていけない。土地を増やすには、獣人領を奪うしかない。


 しかし獣人も獣人で、深森林に依存していることは想像に難くない。

 彼らは人ではあるものの、暮らしぶりは原始的だ。そこに人間社会のような複雑な秩序はない。

 このような大自然でもなければ、窮屈すぎて生きていけないだろう。


(差別の問題もあるしな)


 モンスターを彷彿とさせる外見と強烈な臭い。

 獣人達も重々承知しているらしく、会話からは時々根深さという名のどうしようもなさが漏れていた。


(にしても、情報が少なすぎる)


 本当は何ヶ月も滞在してじっくりと知るべきなんだろうが、そんな猶予は無い。

 ヤンデが保たないだろうし、そもそも俺も危うい立場にある。留学生組と、何よりアウラは無視できない。


 模擬戦から察するに、アイツらが俺を疑っているのは間違いない。

 特に厄介なのがアウラだ。ヤンデを指導していることから、サリアにこき使われているのだろうが、今後も拘束が続くとは限らない。


(まずはストーリーを決めねば)


 領土問題の解決だが、以前シキ王に示した国策のように、今回もスモールスタートで行こうと思っている。


 現代では小さく始めるのが常識だ。机上では限界がある。動かしてみることで初めてわかることも多い。

 それがわからないバカと、行動に移せないノロマが時代に取り残されていく。

 サリアはそうじゃないと信じたい。


(エルフと獣人を合併して一つにするか、そもそも実は領地を有効活用すれば争いは不要でしたという結論にするか)


 いずれにしても情報が足りなかった。


 考える。足りない。考える。足りない――


 堂々巡りに突中する。考え事ではよくあることだ。

 こういう時はインプットに徹するか、寝かせるしかない。

 もちろん通常ならそうするのだが、今は時間が惜しい。


(くそっ……)


 焦っても意味はない。そんなことはわかっている。

 バグっているのは幸いと言えた。もし前世の俺だったら、気分転換に違うことをしてそのまま数時間はドブに捨てているか、劣等感と自己嫌悪に陥ってウジウジネガティブスパイラルに陥っているところだ。


 俺はまだ無い糸をたぐり寄せるかのように、思考の海で藻掻き続けた。


 並行して深森林を跳び回ることも忘れない。

 獣人達の様子を、生活を、五感でインプットしていく。


 この程度のマルチタスクは、今の俺なら容易かった。何なら一度通った場所を通らないように巡ることさえできた。


 注意力の配分が迂闊だった気付くのは、それから数分後のことである。


(……詰んだな)


 数百メートル先から、何かが近づいてくる。


 オーラもぶつけられているのがわかった。

 威圧や殺意ではない。あえて言うなら、警察官が職務質問するときのような嫌疑。


 発生源は秒と経たず、音よりも先に姿を現した。真上、十メートル先といったところか。

 俺は風圧で吹き飛びそうになるのを、ストロングローブの樹皮を掴んで堪える。


「そこのアンノウン。聞きたいことがあるピョン」


 見上げると、俺と同じように幹を掴んで支える獣人が二人。


 一人は全身に黄色地と黒の斑点が広がっている。俺の記憶が正しければチーターの模様だ。

 スタイルはエルフ並にスレンダーだが、胸とお尻の発育が過剰だ。マンガみたいなスタイルとも言える。

 なぜか何も着ていない。にしては体毛は薄く、デリケートな部分が全部見えてしまっていた。


 凝視が過ぎたのか、彼女が両手で胸と股を隠す。

 その速度は凄まじく、もう一度風圧が俺を撫でた。

 両手を離したら当然落ちるわけだが、彼女はとっさに片足を幹に出しており、足の指だけで樹皮を掴んでいる。

 地面に立っているような、ピタリとした静止だった。重力の仕事を疑う光景だが、レベルが高ければ不自然ではない。ルナでもできるだろう。


「おいピョン。聞いているのかピョン」


 チーター女の頭に、愛くるしいウサギの獣人がぴょんっと乗っかった。

 さっきから喋っているのはコイツだ。乗っかられてるチーター女は、表情から察するに、嫌々付き合わされている模様。付き合いの長さも感じさせる。

 ともあれ、このウサギについては、見間違えるはずもなければ、聞き間違えるはずもなかった。


 俺を頭突き、いや額突きで吹き飛ばした門番である。


「はい。何でしょうかワン」


 ダンゴにより臭いも、姿も、声さえも変えてある。

 案の定、俺に気付く様子はない。


「侵入者を探しているピョン。裸になれピョン」

「……はい?」


 俺はすっとぼけつつも、頭をフル回転させる。


 コイツが俺を疑っているのは間違いない。俺を、というより疑わしい獣人を片っ端から調べているのだろう。

 格好もよく似合っていたワンピースではなく、ビキニアーマーである。少女体躯だから背徳感が凄まじいが、今はそれどころじゃない。


 こちらに裸を求めているのは、黒の下着をつけているかどうかを見るためだと考えられる。

 さっき吹き飛ばした時に見えたのだろう。びくともしなかった耐久性まで見抜かれているに違いない。


(ダンゴ。今の下着の上にダミーの下着をつく――)


 命令を出す前に、ウサギ女が俺に飛び込んできた。無論、逃げるわけにもはねのけるわけにもいかず、そのまま受け入れるしかない。


 無詠唱の風魔法だろう。彼女は俺に触れることなく、しかし俺に覆い被さるように空中で停止する。

 小さな手が弾丸のように伸びてきた。ダンゴ製の服を引っ張られ、あっさりと破られる。

 黒地の下着が堂々と姿を見せた。一瞬、生成中の光景を見られたらマズいと思ったが、ダンゴは既にキャンセルしているようだ。どころか避難の態勢まで完了させてやがる。

 だよなー、俺もそういう展開になると思う。


 彼女と目が合った。


 汚れを知らなそうなつぶらな瞳に、つっつきたくほっぺ。

 啄みたくなるような小さな鼻と口――

 フィクションの擬人化に負けないほどチャーミングな童顔は、庇護欲と性欲を同時にそそられそうだ。


 そんなキュートの詰め合わせが、獰猛な笑みを浮かべた。


(手が早えなおい)


 既にパンチが飛んできている。認識も反応もできるし、思考する余裕もあるが、できる行動は非常に限られていた。

 不思議な感覚だが、早く慣れるべきだろう。


 俺の選択肢は二択で、そのまま受けるか、手で塞ぐかくらいだ。

 後者を選択する。両手をクロスさせてガードしてみる。


 その場で堪えきれる威力ではなかったらしい。

 拳の接触直後、俺は下方、川の方へと一直線に飛び、「ぐっ!?」発音が終わった頃には、もう水中だった。


 ちょうど細い根っこにぶつかったので、いったん掴んで慣性に抗う。

 ギュルギュルと回転しながら、俺は精神を落ち着かせる。根っこを掴んだまま、遠心力で飛ばされないことだけに百パーセントの集中を費やす。


 先のバーモン狩りで学んだばかりだが、俺が|極度のリラックス《ゾーン》に入ると、どうも体内に微細な隙間が出来るらしい。

 ダンゴは自らをそこに押し込むことで、鉄壁の避難を得る。

 名前がないと不便だし、そうだな、『シェルター』とでも名付けておくか。


 シェルターに避難した後であれば、たとえバーモン――第一級冒険者さえ殺す攻撃にボコられようともダンゴが死ぬことはない。


 問題は、俺がとっさにゾーンに入らなければならないことなのだが。


「……普通に入れたな」


 入るのには数秒とかからなかった。

 何てことはない。単純な動作に対して、十割の集中を費やせばいいだけだった。前世ではかなり苦労したのになぁ。


 懐かしい万能感と全能感が俺を包む。

 そう、これだ。明晰夢の最中のような、この居心地こそがゾーンの世界。


 前世では俺はパルクールにより、ゾーンに至る術を手に入れていた。

 何日も前から生活の全てを一時放棄し、体調と負荷を調整することだけ考え続ける。そして当日、本番として|失敗したら死ぬ《リーサルな》状況下で跳び回る――


 言わば、手慣れたルーチンを引き連れて死地へと向かうわけだ。

 そうすることで、俺は何度もゾーンに至ることができていた。せいぜい数分の出来事なのに、あまりに心地良いものだからと、何度も遊んだ覚えがある。それでも飽きるものは飽きるんだけど。


(やっぱりパルクールで培った分がボーナスになっている気がする)


 魔法すら覚えられない俺だが、一部の能力だけは妙に突出している。前世の分がボーナスとして作用しているんじゃないか、という確信めいた直感があった。

 落ち着いたら考察したいところだ。これ何回も言ってるな。


 無事ダンゴの避難も完了したところで、俺はあえて川底へと沈んでいく。

 ここまでバーモンが来なかったのは運が良かったと言えるが、さすがに永遠ではないようで、うじゃうじゃ集まっていらっしゃる。


 日中だし、水も透明だからか、よく見える。いや透明すぎて宙に浮いているのを錯覚するレベルだ。

 その割に、水面を見てももやがかかっていてよく見えない。川底が映ると思うんだが。ただの水ではないのだろうか。


 そんな風に状況把握しつつ、必死で泳いでいたのだが、ウミヘビみたいなバーモンに追いつかれた。

 俺の遊泳速度などたかが知れている。

 ウミヘビの体が《《しなる》》と同時に、速度が急上昇した。


 打たれたのだとわかった。さっきのウサギパンチよりも体感速度が明らかに速い。

 間もなく硬質な感触とぶつかる。川底だ。しかし川底は硬く、俺も無限に硬いため、派手に跳ね返ってしまう。水中のはずなんだけどな。


 入射角度がやや斜めだったためか、全く覚えのない方向に飛んでいるようだ。

 太めの根っこにぶつかり、またもや別の方向に反発して――


 お手玉地獄が再来した。

第147話 現地調査5

「――今回は短かったな」


 お手玉地獄に突入すると思われたが、数分もしないうちに俺は静止を得た。


 ここら辺のバーモンは防御力の弱い個体しかいないらしい。数十体ほどいたようだが、その全てが俺に当たって死んだ。

 その中にはウミヘビも含まれていた。さっき俺を打っただろうに。一時的に魔法で硬くなったとかなんだろうか。

 この水中での吹き飛び方も異常だし、わからないことだらけだ。


 衝撃波により発生したバブルが無くなるのを待つ。程なくして水中の景色が拓けてきても、バーモンが近づいてくる気配は無さそうだ。


「地上……は戻らない方がいいよな」


 今の俺なら軽々しく負ける気はしないが、さっきの二人は強そうだった。

 他にどんな獣人がいるかもわからない。俺の防御力に勘付かれでもしたら、じゃあ封印してしまおうとなりかねない。あの執事以外に石化が使える者がいるとは思えないが、無力化の手段は一つではない。

 生き地獄だけは絶対に避けなくてはならない。


 迷路のように入り組む根っこを避けながら、俺は川底へと進んでいく。


「ダンゴの擬態は完璧だった。気を付けるべきは俺だな」


 このTシャツとトランクスは既に割れている。脱がないといけない。

 裸族は嫌だし、レアアイテムだろうから捨てたくはないんだがなぁ。何か手段を考えねば。胃袋に入れるくらいしか思いつかない。入るだろうか。


 それに俺自身の動き方も気を付けねばなるまい。

 レベル10は謙遜しすぎにしても、もう少し落とした方がいいだろう。今の俺はたぶんレベル80はある。90、いや100も射程範囲か。

 そんなステータスで、俺はほぼ加減せずにバカスカ跳び回っていた。

 音速も普通に超えていた。目立つに決まっている。


「水中で喋るのにもだいぶ慣れてきたな」


 詠唱『オープン』によるリリースは俺の生命線だ。いつ、いかなる時でも発話できるようにしておくべきだろう。

 さっきから独り言を連発しているのは、練習のためでもあった。


 根の迷路を抜け、川底が見えてきた。

 ……きたのだが。


「これは無い」


 先日もレベル上げにチャージにとお世話になった、川底の住人達が俺を待っていた。

 姿を見るのはほぼ初めてだが、どれも想像を凌駕してやがる。


 ウニの形をした何かは、まがまがしい紫色が見るからに毒々しい。

 脳みそみたいな胴体からは硬そうな針がびっしり生えていて、針の一本一本がうねうねしている。黄緑色の液体が出てますけども。


 ヒトデ型の何かは、唯一断片を見たヤツだが、相変わらず表皮はグロテスク。ハエにたかられた糞の方がまだ百倍は可愛い。

 一体何をどう発想すると、あんな気持ち悪い模様と凹凸になるのだろうか。クソ天使の嫌がらせを疑いたくなる。


 ナマコみたいなのもいるが、サイズがメートル級だった。

 細長い寄生虫っぽいのが何千匹と体の内外を行き来している。どんな攻撃をしてくるのか想像もつかないが、たぶん毒担当だろう。


 他にも色々いるわけだが、とにかくキモかった。

 使われる側だったこともあって、俺はキモいという言葉を軽率に使わないようにしているが、それでもこれは使いたくなる。

 この光景、現代人の一割くらいはショック死するのではなかろうか。五割くらいは吐くと思う。猟奇的な死体など比にもならない。

 視覚で殺す、という表現が頭に浮かんだのは初めてのことだ。


 しばらく遠巻きに眺めていたのだが、「ん?」イソギンチャクみたいなのが、俺に向けて口を開いてきた。

 キュイインと聞こえてきそうな穴が見える。何やら水を吸い込んでいるらしい。

 遠距離攻撃だろうか。水流とか?


 奇妙と言えば、そいつの周囲が妙に固められていることもか。まるで守護されているかのようだ。

 気持ち悪い口がぴくっと動いた。瞬間――


「うぉっ!?」


 水の歪みとともに、引きずり込まれる。

 一応、泳いで抵抗してみたが、焼け石に水だ。俺はすっぽり顔面から丸呑みにされてしまった。


 真っ暗で何も見えない。

 舌みたいなものが数百本、俺の皮膚を舐めている。

 同時に数本の針があって、ひんやりとした液体が注がれている。ねとねとした分泌物は唾液だろうか。

 ダメージの量は軽微だが、数字の数が多かった。白夜の森の、見えない奴らを思い出す。


 幸いにも口と喉は動く。リリースでいったん吹き飛ばすべきだろうか。

 足に針がからみついた。さっきのウニだな。いきなり針を連打してきているのは、グロいヒトデさんだろう。

 俺の二物を的確に潰してるヤツもいるな。いやらしい攻撃をしてくれる。

 その分、ダメージも多いからありがたい。


 間もなく俺は高速振動に見舞われた。

 全身に必殺の針が叩き込まれ、硬すぎる川底との反作用も相まって猛烈なダメージが生まれている。

 顔面は顔面で愛でられ続けており、多種多様な毒だか状態異常だかが試行されているようである。


「……もう少し待つか」


 ちょうど良い機会だった。

 下着をどう仕舞うか考えたかったし、サリアにぶつける案も整理したい。


 ……試行?


 当たり前のようにスルーしてしまったが、俺の直感がひっかかりを覚えている。


「このイソギンチャク、俺で《《試している》》……?」


 そうだ、コイツは俺で試している。

 俺がそう感じるほどに、コイツの攻撃パターンはどこか実験的だ。この感覚には覚えがある。


 忘れるはずもない。

 グレーターデーモン達と同じだ。


 ただ、攻撃手段が刺す舐める塗りたくるだからわかりづらいだけで、今改めて集中してみたら、たしかに色んなやり方を試されていらっしゃる。

 目ん玉とか、鼻の穴だとか、眉毛とか、攻撃箇所もいちいち細かい。


 そんな風に注視していたところで、ふと違和感を得た。


「……ちょっと集中してみるか」


 被弾箇所が多すぎて、頭に流れ込んでくるダメージの認識が忙しい。あえてたとえるなら、同時に二十人以上の話を聞いているような感覚。

 俺の直感が無能でないなら、この中にあるはずだ。違和感の答えが。


 声の大きい奴らをかき分けて、一人ずつ確かめていく。


 最後の一人を確かめたときだった。



 16777216――



 その数字はITエンジニアにとっては馴染み深いものだ。

 256の三乗とも言える。前世のコンピュータで表現できる色の数であり、フルカラーとも呼ばれるそれ。


 ここはジャースだ。コンピュータなんてあるわけがない。

 しかし、この手の数字はどこかで見たことがなかったか。


 無論、これも忘れるはずがない。それのおかげで俺は隠密《ステルス》モンスターと、グレーターデーモンと、そしてダンゴと関われるようになったのだから。


「倍々毒気《ばいばいどくけ》か……」


 他のダメージによって巧妙に隠されている。隠密蝸牛《ステルスネイル》が出すような甘い匂いもないし、倍々のペースは秒よりも少し遅い。

 が、紛れもなく倍々に増えていた。


 この後の展開は、疑うまでもあるまい。


 俺はリリースするのをぐっと堪えて、その時を待った。

第148話 捜索

「きゅーちゃん、どうしたの……」

「嫌な予感がするピョン」


 侵入者を吹き飛ばしたウサギの獣人は、片足で樹皮を掴んでぶら下がりつつ、自らの拳を見下ろしていた。


「手応えがあるのに、手応えがないピョン。不思議な感覚だピョン」

「きゅーちゃんでも壊せないくらい硬い人も、いるとは思うよ……」

「そんなことはわかってるピョン! そうじゃないピョン!」


 手振りを交えて主張する様はキュートそのものだが、そんな感想を軽率に口にした者は再起不能にさせられるだろう。


 キューピン・ウサギ。

 己のベースであるウサギを崇拝する、誇り高き戦士である。それは特徴的な語尾の使用率からもうかがえた。


「侵入者は死んだよ。帰ってもいいよね……」


 そんなキューピンを見下ろしながら、ため息交じりに口を開くのは、全身チーター柄の少女チッチ・チーター。

 獣人にしては珍しく内向的であり、視界に入れられる前に逃げる癖がある。彼女はいわゆる裸族であるが、どうせ視界に入れさせないからと屋外でも何も着ないことが多い。今も裸だった。


「まだ死んでないピョン」

「……え?」

「その動体視力を小馬鹿にしたような目はやめろピョン」


 キューピンは体毛を数本抜き取り、氷魔法で硬くしてからチッチに放つ。

 糸のような針はチッチの乳房に突き刺さった。直後、氷が溶けて、空いた隙間から血が垂れる。


「痛いよきゅーちゃん……」

「いいかげんに痩せろピョン」

「当てつけは良くないよ……」


 この小さな旧友は自らの貧相な体躯を気にしているが、それを口にすると痛い目に遭う。


 チッチは刺さった毛を抜き、波面一つとない川面を退屈そうに見下ろした。

 出血など気にしない。獣人は回復が速く、毒や病気にも強い。気にする獣人を探す方が難しい。


「――そうかピョン。無防備だったんだピョン」

「無防備……?」

「チッチ、おめえはここで侵入者を見張れピョン。《《川から出てきたら》》、追跡しろピョン」


 バーモンの脅威は、エルフのみならず獣人にも知れ渡っている。川に入ったが最後、命はない。

 そんなことがわからないキューピンではない。

 かといって冗談を言うタイプでもなかった。


 にわかには信じがたいが、彼女の嗅覚は文字通りの意味でも比喩的な意味でもよく利く。付き合いの長いチッチは、誰よりもその鋭さを知っている。


「任せて」

「研究の最中だったのに悪いなピョン。貸しにしていいピョン」


 そう言うと、キューピンは幹を蹴って遠くへと跳んでいった。

 間もなく姿が見えなくなったところで、チッチは再び視線を落とす。


「強そうには見えなかったけど……」


 口の悪い旧友は追跡と言った。応戦とは言っていない。

 あのパンチで吹き飛ぶ程度の敵など取るに足らないとチッチは考えていたが、そうではないと彼女は直感し、早速実力者を呼びに行っている。


 チッチは言われたとおり、川面に神経を尖らせ始めた。




      ◆  ◆  ◆




 第二週八日目《ニ・ハチ》のお昼時。グリーンスクールの食堂エリアでは、ドーナツ化現象が生じていた。


 切り株が並んだ空間の一画で、四人が向かい合って座っていた。

 本来机として使用される切り株だが、今は椅子と化している。行儀作法にも厳しいエルフの、格式高い学校ともなれば即座に罰されるところだが、そんな無礼は誰にも犯せない。


 一人は王族にのみ許されたパーティードレスを着こなし、残りの三人は王立学園の制服を着ている。

 そばには王女のお付きとわかるエルフと、緑一色なエルフの世界では目立つピンク頭の魔法使いが立っているのみで、半径十メートル以内には人っ子ひとりいなかった。


 しかし、その先には何百というエルフが集まり、というより半ば囲んでおり、静謐《せいひつ》な雑談があちこちで生じている。


「王女だったんですね。その態度の悪さにも納得です」

「喧嘩売ってるの?」


 肘をつき脚を組むヤンデの隣で、ルナが胡散臭そうな目を向ける。


「いーえ? 感想を述べただけですよ」

「もう、ルナったら、ピリピリしないの」


 ガーナはそう言いながら、ルナの太ももに手を伸ばす。ばしっと派手な音とともに払われた。


「元気じゃない。私にぶつけなさいな。ほらっ」

「色欲魔は黙っててください」


 ガーナは制服をひどく着崩しており、谷間の自己主張が激しい。

 どうもエルフと致すことを狙っているらしく、ルナは冷めた目で見ていたものだが、意外にもウケは良いようで、ちらちらと性的な視線が来たことは既に一度や二度ではなかった。


「じゃあスキャーノにするわ」

「ガーナさん、それ以上来たら殴ります」


 唯一、男子の制服を来たスキャーノが真顔で拳を握る。人付き合いが奥手なスキャーノだが、もはやガーナには遠慮しない。

 逆を言えば、そうせざるを得ないほどのセクハラを受けてきたのだとも言える。


「仕方ないわね。ヤンデでいいわ」

「王女様への猥褻《わいせつ》行為は死罪です」


 ヤンデが面倒くさそうに返す前に、淡々とした警告がお付きから発された。殺意のオーラもちらついている。


「リンダさん、と仰ったかしら。あなたでも良いのよ?」


 ガーナは気にする素振りもなく、リンダの全身を視線で舐め回す。


「私には心に決めた人がいますので」

「あら。エルフも隅には置けないわね」


 それが実の妹を指しているとガーナが気付くのは、もう少し後のことだろう。


 今日は王女ヤンデの体験入学だった。

 本来なら引き続き鍛錬のはずだったが、ヤンデの精神的な消耗があまりに激しく、アウラが口をはさんで予定を変えたのだ。


 久しぶりの同級生との会話だからか、ヤンデの顔色には若干生気が戻っている。


(面倒事に巻き込まれないといいけど……)


 生徒達を傍観しつつ、アウラは状況を整理する。


 第二週一日目《ニ・イチ》、慈悲組《ジャンク》の二人が突如休学した。

 シニ・タイヨウを探るために王立学園教師となったアウラは、残る生徒の調査をラウルに押しつけ、二人を追いかけることを決意。

 自慢の人脈でエルフ領での目撃証言を得た後、シキ王から半ば強引に留学を勝ち取ったのが第二週三日目《ニ・サン》のこと。


 そこまでは良かったものの、サリア女王は甘くなく、これ幸いとこき使われてしまった。


 しかし、同情をするなら自分よりもヤンデだろうとアウラは思う。


 アウラは臨時講師として、ヤンデに痛みを与えては、回復させる苦行を繰り返した。

 刺して、貫通させて、抉《えぐ》って、捻《ねじ》って――

 部位の切断も一度や二度ではない。その手の痛みに慣れているアウラから見ても、中々にハードなメニューだった。


 実力者はなまじ強いがゆえに、意外と痛みに慣れていない。そのため、いざ痛みと遭遇してしまったが最後、途端にパニックに陥り、たいていはその窮地を脱せず死に至る。

 そうならないよう、あらかじめ痛みを体験させておくというわけだ。


 わからないでもないが、性急が過ぎる。


(兵力として使う気マンマンよね……)


 エルフと獣人間の領土問題に終止符を打つ――

 サリアはそう考えているのだろう。


 国を牛耳る強者は、自ら攻め入る真似はしない。代わりに駒を――軍を、配下を、民を使う。

 そうでもしなければ、領土などいとも簡単に潰えてしまうからだ。


 第一級冒険者と呼ばれる者には、それほどの力がある。

 まともにぶつかっていては、人類など存続できない。


 何より、たとえ協定で定められていなかったとしても、度が過ぎればペナルティ――竜人による制裁が待っている。

 特に第一級冒険者は、ただでさえ竜人に目をつけられているのだ。アウラがそうであるように、サリアも竜人直々から警告や監視の旨を知らされた経験くらいあるだろう。


 強者は慎重だからこそ至れるものだ。

 基準が曖昧な死のリスクをあえて犯す者などいない。そんな軽率な者は、強者に至る過程でとうに死んでいる。


(あの女王は、代理戦争という暗黙の了解を破ろうとしている)


 アウラは決して外には出さなかったが、ヤンデの魔力からは得体の知れない何か――底知れ無さともいうべき深淵を感じさせた。

 レベルは|第二級一歩手前《62》なのに、実力は第一級クラスで間違いない。


 自分でも気付くくらいだから、人間よりも敏感な森人《エルフ》であるサリアならとうに勘付いているだろう。


(でもヤンデちゃん自身は気付いていない)


 あるいは隠しているのか。

 いずれにせよ、エルフは強力な手札を手に入れたと言える。


 そしてその事を、獣人族はまだ知らない。


(後でラウルに相談してみようかな)


 その名前と顔を浮かべた時、思わず心が弾んだのをアウラは自覚し。

 直後、これではいけないと頭を振る。


「……」


 ゲートの気配を感じたのは、そんな時だった。


 数回のノック――移動先を探る極小のゲートがあったこともアウラは見逃さない。予想どおり、ゲートはリンダのそばで開いた。

 安全のために仲間のそばで開く、というルールでも定めてあるのだろう。

 エルフらしいと感心したアウラだったが、ゲートから出てきた意外な人物、というより種族を前に、そんな感想は吹き飛ぶ。


「あら、可愛いウサギさんね」


 真っ先に口を開いたのはガーナだ。

 娼館で育ったからか、怖いもの知らずなところがある。あるいは見慣れているのかもしれない。ウサギという動物《アニマル》を知っている学も中々のものだ。


 ゲートから出てきたのは二人。一人は|ゲート要員《ゲーター》のエルフだから無視するとして、もう一人は獣人だった。


 130センチメートルにも満たない、小柄のウサギベース。

 硬そうなビキニアーマーに包まれた膨らみから女性だとわかる。

 立ち振る舞いは、雑魚のそれではない。第一印象ではスキャーノと同等以上。


 しかし、そんな情報を置き去りにするインパクトが彼女にはあった。

 まるで愛玩されるために生まれてきたような、暴力的に可愛いらしいビジュアル。もしウサギが現存しているとしたら、さぞ可愛がられているに違いない。


「人間の娘。喧嘩売ってんのかピョン?」


 獣人の年齢や気質が見た目にそぐわないことはよくあることだ。アウラは声を掛けなかった自分を褒めた。


「ごめんなさい。失礼しました」


 とっさに謝罪するガーナも、人として出来ている。「物分かりの良い娘ピョン」ウサギの獣人は、不躾に全員を見回す。

 その視線がアウラでピタリと止まった。


「キューピン。御前ですよ」


 リンダが彼女を呼び捨てにする。知らない仲ではないらしく、目には呆れが宿っていたが、同時に従者としての圧も込められている。

 おそらく冒険者繋がりだろう。パーティーを組んだことでもあるのかもしれない。


「すぐ済むピョン。冒険者アウラ。力を貸してほしいピョン」


 いきさつがさっぱりわからないが、「わかりました」アウラはとりあえず即答を決めた。


「アウラさん、妙に食いつきがよろしいようで……」


 アウラとしては、まずはサリアからこき使われるのを避けたい一心だった。今はそのチャンスに違いない。

 しかし露骨すぎたようで、スキャーノ――時々忘れそうになるが、正体は器用に男装したガートン職員スキャーナである――が非難の視線を寄越している。

 引率者として皆を守る役目を忘れたのか、とでも言いた気だ。


「スキャーノちゃん? どうかしたの? また鍛錬する?」

「なんでも、ないようで……」


 それはアウラは眼力と脅しで封殺する。


「えっと、キューピンさん? 用件をうかがってもいいですか?」

「獣人領に正体不明の侵入者がいるピョン。川の中で身を潜めているピョン」


 特徴的な語尾に反応しないよう注意しながら聞いていると、「聞き間違いでしょうか」リンダが口を挟む。


「妹馬鹿は黙れピョン」

「妹?」

「スキャーノ様。お気になさらず」

「で、でも一瞬、目が血走ったように見えたようで……」


 アウラも見えたが、動体視力に優れるスキャーノにも見えたのだろう。

 リンダの性癖も既に知っている。普段の有能ぶりから到底考えられないような表情や仕草が飛び出すことも珍しくはない。違和感を感じて、あえて口にしたといったところだろうか。

 アウラは関わりたくないので静観を決めた。


「スキャーノ様。我らエルフには記憶を消去する秘術もございますれば」

「き、気のせいだったようで……」


 リンダは冷静に脅しをかけている。

 生徒会長がこの場にいないのも頷ける。二人が居合わせたらどうなるか、もう一度見てみたい気もしたが、そんな場合でもない。


「わかりました。キューピンさん、行きましょう」

「ちょっと! あなたは私達の引率でしょ」

「ごめんねガーナちゃん。リンダちゃんに任せます」


 リンダは従者の能面でこくりと頷いてくれた。


「話が速くて助かるピョン」


 キューピンがアウラの肩に乗る。可憐な魔法少女と小動物のごとき獣人の組み合わせは尊いらしく、二人を見る視線の色が露骨に変わった。「食べたいわ」色ボケ女生徒の発言はスルーする。


「案内するピョン。まずは軍事境界線の南端に行くピョン」

「キューピンさん。もう一人連れて行ってもいい?」


 一人でも構わなかったが、将来有望な者とは積極的に関わっておくものだ。

 アウラは熱烈な視線を送ってみせる。その先、スキャーノは全力で目を伏せていた。


「雑魚は即死するピョン」

「彼なら大丈夫です」


 アウラが無詠唱で氷の弾を放つと、スキャーノは首を振って避けた。

 第三級では追えないスピードを前に、ルナとガーナが感心しているのがわかる。対抗心の強いルナは悔しそうだが。


「人手は欲しいピョン。採用ピョン」

「き、急にお腹が痛くなってきたようで……」

「ではゲートで飛びますね」


 アウラはスキャーノを強引に掴み、「ゲート」出現させたゲートに丸ごと放り込む。

第149話 捜索1.5

 長らく不在だった王女ヤンデ・エルドラの体験入学は、想像に違わず学園中の注目の的となった。


 王家といえば、一般市民《シビリアン》には縁の無い存在である。仮に偶然あったとしても、粗相があれば首が飛ぶ。

 そんなものを試しに放り込んでくるとは、女王の頭もまだまだ硬くはないらしい。


 そんな王女の位階は留学生と同様、|第二位かつ第三位《デュアル》とのこと。

 ゆえに生徒なら誰でも接することが許されるが、その度胸を持つ者は皆無のようである。


「珍しい光景でやんすね」


 食堂の一画は、彼女と留学生達の独壇場《どくだんじょう》となっていた。

 群衆との距離が十メートル以上空いているのは、滑稽以外の何者でもない。

 遠くからひそひそ話すだけで一体何が変わるというのか。興味があるなら混ざれば良い。無礼だと思うなら叱りに行けば良い。


 エルフは誇り高く格式高いと言われるが、聞いて呆れる。


 深森林は箱入り娘の栽培畑にすぎない。いや、箱入り娘に失礼だろう。

 ただ容姿が麗しいだけの、古き慣習と伝統にとらわれた奴隷――それがエルフという憐れな種族だ。


「行かないでやんすか? 小さな子はグレンの好みでやんすよね?」


 シッコクが遠目に映る獣人――ゲートから出てきたウサギベースの女を指差す。

 獣人はもう飽きた。ベースが形成する部位が目新しいだけで、性的興奮には大して寄与しない。それはシッコクもわかっているはずだ。


 もっとも、ここは問題児二人組という役割《ロール》を演じる場面である。


「獣人なんだな」


 グレンは鼻を塞ぐジェスチャーつきでそう答えた。


「仮に臭いがなかったとしたら、どうでやんすか?」

「どうもこうも、あれは体が小さいだけなんだな。僕の好みは、身も心も幼い女の子なんだな」


 無垢な子供こそ、味わうに値する。

 体だけ貧相な女に興味などない。そんなものはとうに見飽きているし、もうじき味わうことになっている。


「シッコクンはどうなの?」

「そうでやんすねぇ、臭い次第でやんす」


 尋ねてみると、シッコクは額に手を当てて覗き始めた。

 視覚に頼らずとも把握できるだろうに、芸が細かい奴だ。おかしく見えるのは、演技だとわかっているからだろうか。


「臭いは無さそうでやんすね」


 獣人はその強烈な体臭ゆえに、外見が魅力的でも性的対象となることはほぼ無い。どころか差別や迫害も珍しくはない。

 しかし、遠目に見た留学生達にその様子はなかった。


 無論、実力者達が単に臭いを我慢しているだけという真実は知っている。ただ、《《盗み聞きしている者達》》は、このシッコクの発言を素直に受け取るだろう。


「近づきすぎたら臭うかもしれないんだな」

「近づきすぎなければいいでやんすよ。風魔法でいじめて、その様子を眺めながらいじりたいでやんす」


 シッコクは自らの股間に手を伸ばして、乱雑に揉み始めた。食い入るように覗いている横顔は、迫真の一言に尽きる。

 誰一人として疑う者はいないし、グレン自身も時々どこまでが本当なのかが怪しくなってくる。


 くだらない話はこのくらいにして、グレンは本題に入ることにした。


「《《シッコク》》。どう思う?」


 下劣な会話の延長に聞こえるが、れっきとした作戦の打ち合わせだ。口調をやめることが開始の合図となる。

 回りくどいが、致し方あるまい。

 この計画は、決して他者に漏らしてはならないのだから。


 そもそも今現在では、小声でも聞き取られてしまう状況にあった。

 というのも、振動交流《バイブケーション》による盗み聞きが二件走っているからだ。


 一人は留学生三人衆のエース、スキャーノと呼ばれる男子生徒。

 そしてもう一人は、三人を引率する教師である第一級の攻撃魔法師《アタックウィザード》アウラ。


 盗み聞き自体は取るに足らなかった。

 グレンとシッコクは閉鎖的なエルフの園において、《《計画》》を進めてきた。誰にも何も悟らせずに外部と連絡を取り、行き来することはもはや生業の一つだった。

 アウラ相手でも出し抜くのは難しくない。防音障壁《サウンドバリア》を張り、ダミーの会話を振動交流で再現すればいいだけだ。

 精度は折り紙つきで、サリアさえ騙し通せる。人間ごときに見抜けるはずがない。


 なのに、あえてそうしないのは、不確定要素――ヤンデ・エルドラがいるからだ。


 行方知らずだった王女を発見し、披露したということは、その素質があったことを意味する。

 サリアと同様、あるいはそれ以上の実力を仮定しても行き過ぎではない。


「アリかナシかで言えば、《《アリだろ》》」


 シッコクがアリとの見解を示してきた。


 保守的な彼らしくはないが、眼下のイベントはそれに勝るということだろう。

 冒険者仲間とはいえ、他種族がおいそれと乱入してくる様はイレギュラー以外の何者でもない。

 ウサギベースは危機探知に優れていると聞く。緊急事態に発展するレベルの出来事であってもおかしくはない。


 なら、備えるべきだ。


「僕も《《同感だ》》」


 グレンも同意見であった。

 ここで齟齬をきたしたら面倒だったが、一致したのなら手っ取り早い。


 これにて打ち合わせは終了。あとは各自、適当に備えればいい。


「それよりジーサ卿はどこでやんすか?」

「サボっていると思うんだな」

「ジーサ卿の性癖も聞きたかったでやんすね」

「そんなことより王女に近づきたいんだな」


 態度の悪いエルフは遠くからでも目立つ。

 王女からはエルフというある種の規格さがこれっぽっちも感じられなかった。本当につい最近発見したばかりなのだろう。

 髪の色素が薄いのも、気にならないと言えば嘘になる。


 もっとも王女などどうでも良かった。この会話もカモフラージュにすぎない。


「死ぬでやんすよ?」

「デュアルだから問題ないんだな」


 シッコクがあえて追加で話題を振ってくるほどに、最も警戒すべき男が一人いた。


 ジーサ・ツシタ・イーゼ。


 アルフレッドの大貴族を《《演じている》》何者かであり、《《擬態の術》》を平然と使いこなしている男。

 王立学園の慈悲組《ジャンク》であり、大貴族のご子息アーサー・フランクリンの怒りを買っているという。


 学園でも同様、擬態し続けてきたのだろう。エルフ領にやってきた真意は不明だが、今日来ていないことは偶然ではあるまい。


 グレンはここまで彼と過ごしてきて、通じ合えるところがあると確信している。

 どういうバックグラウンドを経てきたのかは知らないが、性的な知識と経験は悪くない。

 同じ男だからわかる。女を喜ばす気質ではない。

 あれは、女という道具で自らを慰める気質だ。


 歪んでいると言えば言い過ぎだが、少なくともこじらせてはいる。グレンやシッコクと同じだ。


 だからこそ、わかり合える余地がある。


「一緒にやれば、怖くないんだな」


 あわよくば仲間に引き込みたい――

 そんな意図を込めて、グレンは呟いた。


「拙者は嫌でやんすよ」


 シッコクのまばたきもまた、肯定を意味する合図だった。

第150話 捜索2

「それでは、よろしくお願いします……」

「チッチさん? 姿を見せてもらえませんか」

「恥ずかしいのでお断りします……」


 アウラとチッチは、ストロングローブをはさんで会話していた。

 お互いに背を向けている格好だが、幹の直径は五メートル以上あり、チッチも声が小さいため普通なら成立しない。成立しているのは、アウラが振動交流《バイブケーション》で便宜を図っているからだ。


「どうやって探すんですか?」


 宙に浮かぶスキャーノが興奮気味に話しかけてくる。鍛錬ではなく、純粋に第一級冒険者の仕事を見る機会は非常に珍しい。

 そのどこか脳天気な顔を見ると、いじりたくなるアウラだったが、「早くお願いします……」チッチが急かすので仕方なく我慢する。


「水面を監視します。体外気流感知《エアウェアネス》で」


 体外気流感知は本来、人の体外気流《エアー・オーラ》――身体周辺の大気の流れを感じ取るものだが、この対象を人ではなく水面に向ける。

 そうして水面の乱れ、つまりは何者かが出たことを検出できたら、続いて体外気流を読み取り、人であるかどうかを判断する。


「スキャーノちゃんはバーモンを退けてね」


 アウラは幹から離れると、数十メートルほど降下して川面に近づいた。探知範囲を広げるためだ。

 早速、バーモン――トビウオと呼ばれるモンスターが飛び出してきたので、スキャーノが風魔法で退ける。


「直接触ったらダメよ?」

「わかっています」

「……スキャーノちゃん? なあに?」

「いえ、何でもありません」


 別に一人でも退けられるだろうとスキャーノは思っていたが、アウラの横顔が引き締まるのを見て、認識を改める。


 その分さえも探知に当てるつもりなのだ。

 そして、無防備な自分の守備をスキャーノに一任している。まるで冒険者パーティーのような信頼の預け方だった。


 第一線の冒険者からそのように扱われることは、至極光栄なことでもあった。

 スキャーノは自然と気が引き締まるどころか、逆に頬が緩んでしまう。


「気持ちはわかるけど集中してね」

「は、はい!」


 アウラは怖めの声音で言ってみせることで気持ちを切り替えさせた。


「追跡は任せて……」


 姿を見せないチッチがそう言う。声音も声量も人見知りなのに、絶対の自信を感じさせる重みがあった。


 事実、そうなのだろう。

 純度100パーセントのチーターベースは、ジャースにおいて最も速く走れる素質だといわれている。

 実際に二人はここまで運んでもらったばかりだが、その速さはアウラの敏捷性も軽く凌いでいた。スキャーノに至っては、到着時点で瀕死になるまである。


 アウラは一瞬、連れてきたことを後悔したものだが、スキャーノは回復後すぐに意識を取り戻してくれた。

 そのスピードは先日のリンダよりも早かった。

 痛みへの慣れ方が尋常ではない。上司の教育が良いのだろう。なるほど、これほどの素質であれば、たしかに構いたくもなるとアウラは胸中で感心したものだった。


「チッチさん。空に逃げられたらどうしますか?」


 チッチの独壇場《どくだんじょう》は、深森林だけである。

 決して壊れることのないストロングローブだからこそ、最高の加速を生み出せる脚力を発揮できるのだ。並の地面や障害物、あるいは空中足場《エア・ステップ》ではパフォーマンスの半分も出せまい。


「鳥人がいるから、大丈夫だよ……」

「鳥人?」

「契約しているの……。獣人領の空を守る代わりに、私達は性を供給している……」


 スキャーノはバーモンを退けつつ、顔を赤くしている。ここまで初心な冒険者も珍しい。


 それはともかく、鳥人族は性欲旺盛だ。

 一方で、獣人はそうでもないものの、体力は性的なものも含めて高い。少なくとも人間よりははるかに持続し、一晩中致すことも珍しくないという。


「チッチさんは供給しないんですか?」

「しないです……」


 発言が常に弱々しいため、照れているのかどうかがわからない。アウラは口を尖らせつつも、もちろん感知は緩めない。


「わかりました。空は大丈夫そうですね。あとは、その侵入者が感知範囲の外に出ないことを祈るだけかな」


 さすがに深森林全域の水面を対象にするのは不可能であるが、それでも少なくない範囲はカバーできている。


「川の中を泳いでいけるとは思えません……」


 あまり遠くには行けないはずだと言っているのだろう。

 バーモンはシーモンと比べて防御力や敏捷性こそ劣ってはいるものが、攻撃力は健在だ。アウラでさえ一発で致命傷に陥りかねないほどの威力もありえる。

 そんな生物がうようよいるというのだから、人が生存するのは難しい。

 チッチの見解に、アウラも胸中で同意した。


「泳ぐ以前に、川の中に潜んでいること自体が信じがたいんですけどねー」


 どころか、川に潜んでいることさえ半信半疑なのだが、あのウサギの獣人――キューピンの嗅覚は当てになるとのこと。

 今も他の実力者を呼びに行っている。


 仮に。

 もし仮に、侵入者にそれほどの能力があるとしたら。


(そんな化け物、願い下げだわ)


 アウラもまた人であり、己の命が大事である。

 逃走のシミュレーションも余念無く並行させることにした。


「川の水が見えたら、もっと楽になるようで……」


 スキャーノは独り言ながらも、淡々とバーモンを処理している。

 やはり風魔法に長けていて、見えない巨人を操っているかのように滑らかだ。どう見ても学園で燻《くすぶ》っていい人材ではない。


「私でも見えないかなぁ。チッチさんは何かご存じですか?」

「知らないです……」


 海水にせよ、川水《かわみず》にせよ、海を形成する水は何かと特殊である。

 たとえば深森林のそれは、外から中を一切見ることができなければ、魔法を届かせることもできない。魔子《まし》が薄いか、限りなく無に等しいのだと思われる。

 しかし、中から外は見えるのか、あるいは別の手段で感知しているのか知らないが、バーモンは的確にアウラ達に突っ込んでくる。


「スキャーノちゃん、大丈夫? あと数時間くらい続くと思うけど」

「問題ありません」


 スキャーノでも十分捌ける程度には、バーモンは弱いらしい。というより、バーモンを難なく退けられる程度には強いというべきか。


 何にせよ、魔力と注意を温存できるのは大きかった。

 相手が未知数である以上、少しでも温存できるに越したことはない。最初は遊び相手のつもりだったが、連れてきて正解だったとアウラは改めて感嘆を抱いた。






 アウラが異変を察知したのは、監視を始めて二時間後のことだった。


「チッチさん。川からそっと這い上がってくるバーモンはいますか?」

「聞いたことないです……」

「一体、二体、いや――《《数十体》》ほど上がってきてます。ここから直線距離で七百メートル」

「バーモンですか?」


 アウラは早速|大気の流れ《エアー・オーラ》を読み取る。


「どうだろ。流木が魔法で浮き上がっている感じかな」

「判断は任せます……」


 チッチが潜む辺りから、爆弾のような踏み込み音がした。太い幹の裏側で、樹冠や川面が派手に揺れている。

 スタートダッシュの構えをしたのだろう。アウラの合図一つで、すぐに飛び出してくれる。

 構えだけでそれだけの衝撃波を起こすのだ。やはり実力は申し分ない。アウラは彼女への心配を放棄した。


(探知先では何が起きているの……?)


 生物が動けば、周辺の大気も動く。たとえ微細であっても、それらを読み取り、解釈できる自信がアウラにはあった。

 ただ、物が動かされているとなればお手上げだ。

 体外気流感知《エアウェアネス》は万能ではない。物の材質はおろか、形さえもわからないことが多い。


 どちらにしても、異常事態《イレギュラー》なのは間違いない。


(スキャーナちゃんは……ちょっと厳しそうかな)


 長時間の守備をよく頑張っていると言えるが、未知の事象を考察する仕事と並行できるほどの余裕はなさそうだ。その横顔にも疲労が見える。


「【ハイパー・セイント・ミスト】」


 聖なる霧でスキャーノを丸ごと包む。


「ア、アウラさ――」

「集中!」

「はい」


 スキャーノを回復させている間も、流木らしき何かは次々と川から上がっていた。

 空を浮いているのではなく、ストロングローブの幹を這っているような動きに思われたが、正確にはわからない。


「【電気反射《エレキ・エコー》】」


 アウラは対象に向けて、微弱な雷を放つ。まるで体中の毛が意思を持ったかのように伸びていく無数の糸は、対象との距離を測るのに役立つ。

 水滴や塵に当たっただけでも消えてしまうほど繊細だが、深森林は空気がきれいだし、既に場所も感知済。無事届かせることに成功する。


「やはり流木……いや、これは……根っこ、かしら」

「川の中ではストロングローブが根を張っています……」

「それが千切れたということ?」

「細い根なら不可能ではありません……。太さはわかりますか?」

「うーん……」


 アウラは慎重に遠隔での診断を続けていた。


 ここで自ら飛び出したり、チッチに飛び出させるほど愚かではない。

 不自然な物体の、不自然な動きは、陽動を彷彿とさせる。あるいはその内部や周辺に罠や本体が混じっているのかもしれない。いずれにせよ、突っ込むのは短絡的だ。


 未知への観察を怠った者は死ぬ。

 第一級冒険者であろうと、油断していい理由にはならない。


「統一感は無さそうね。直径は細いもので数センチメートル、太いもので一メートル超えてるくらい」

「一メートル……」


 チッチの方からもう一度轟音が鳴り、凄まじい威圧のオーラも届く。

 命令せずとも飛び出しかねない勢いだ。防戦に当たるスキャーノも一瞬だけびくっとしていた。


「チッチさん?」

「そんな太い枝や根を切断した話は聞いたことがありません」

「バーモンの可――」

「ちょっと見てきます」


 可能性は、とアウラが尋ねる前に、チッチは自らを発射させていた。

 幹に踏み込んだであろう、その威力は、先日のグレーターデーモンを彷彿とさせる。


 とりあえずスキャーノに近接して、触れておくことにする。ゲートで即座に逃げるためだ。

 スキャーノもスキャーノで、いちいち反応などせず、バーモンの退けに専念し続けている。ベテランの風格を感じさせる頼もしさだ。


 チッチは既に目標地点に到達し、辺りを探っているようだ。

 衝撃波も相当なはずだが、周辺地形はほぼ無傷。衝撃圧縮《インパクト・コンプレッション》でも使ったのだろう。負担も相当なはずだが、平然と耐えているあたり、負担を和らげるスキルでもあるのかもしれない。


「……え、指?」


 張り続けていた感知の網が、新たな違和感を捉えた。

 チッチが向かったポイントとはちょうど反対側、一キロメートルほど離れたところで、水面からちょこんと何かが顔を出している。

 それは爪のついた指のような形で、人のものだと判断するには充分すぎるほど精巧な出来で――


 直後、真下からも何かが飛び出した。


(そういうことっ!)


 最初からこの状況を――チッチと自分が離れるタイミングを狙っていたのだとアウラは確信する。


 何かはそばの幹めがけて一直線に飛びながらも、紫色のまがまがしい針をこちらに撃ってくる。当たる道理もないため、アウラはスキャーノごと引っ張って回避した。

 針は空高く飛んでいったが、鳥人用語でいうところの『流れ弾』に至るほどではない。

 別の言い方をするなら、スキャーノ以上、第一級未満の投擲力にすぎない。


「何者ですか?」


 そばのストロングローブに垂直に着地し、張り付いているそれは、何とも評しがたい存在だった。

 人であるのは間違いなさそうだが、装備品が少々、いやだいぶ特殊である。


 頭からは黒の半ズボンを被っており、首元をヘビで縛っている。足刳《あしぐ》りから覗く双眸はアンデッドのように醜いが、確かな視力と理性を感じさせる。

 口元、首、腕や上半身には、星型をした気持ち悪いバーモンが多数張り付いており、スキャーノさえ顔を歪めるほどの視覚的不快感に包まれている。


 下半身には、本来上に着るであろうシャツが。

 こちらも色は黒く、胴体の部分がヘビによって縛られている。


(盤外《ばんがい》戦術かしら)


 元は盤上遊戯《ボードゲーム》の用語で、勝負とは直接関係がない経路から相手を揺さぶることを指す。

 差し詰め、突拍子もない発言や格好で揺さぶろうとしているのだろう。


「回答の機会を与えます。逃走は許しません」


 アウラはあえて殺意をぎらつかせた。

 従わなければ殺す、というシンプルな脅しだ。


 不審者が口を開ける。それが発話ではなく攻撃の動作であることを、アウラは即座に見抜く。

 案の定、先ほどと同様の紫針が飛び出してきた。


「【ウルトラ・アース・シールド】」


 アウラは高速詠唱により土の盾を生成し、針を受け止める。モンスターの生成物と思われたが、見覚えはない。

 盾には毒気が染み込み始めていた。このまま持っていれば自分達も侵食されるだろう。というわけで、


「【アンド・キャノン】」


 盾ごと不審者にお返しする。

 詠唱速度も含めて、音速を軽く超えさせたが、視認されたのがわかった。


 アウラは着弾する前に発進しつつ、スキャーノに向けてハンドサインを出す。

 自分の胸を片手の拳で叩く動作――「私に任せろ」を意味するサインは、スキャーノに対する撤退指示だ。

 スキャーノも即座に理解し、持てる最大の速度で頷いてみせる。


 派手に飛び散る盾を横目に、各位行動を開始した。

第151話 捜索3

 深森林を駆け巡る二つの影があった。

 猿のように飛び回り衝撃波をまき散らす者と、その周囲にぴたりと張り付いて飛行しつつ攻撃を加える者。

 超自然的な移動速度が木々を縫い、岩石の人工物――獣人の土魔法で生成された部屋や設備を揺らしていく。


「さすがは獣人。慣れていて助かるわね」


 アウラは住民や住居も守るつもりでいたが、その必要は無いらしい。

 彼らは音やオーラに敏感なため、見えなくても気付くことができる。もっとも気付いたところで回避動作は追いつかないが、幸いなことに、敵も彼らを避ける程度の慈悲は持っているようだ。


 であれば、あとは迅速な避難と衝撃波に耐えられる程度の防御があれば良い。

 獣人という民にはそれがある。あるいは、持たぬ弱者への配慮――主に子供達へのフォローも完璧だった。


 アウラは気持ちを切り替えて、攻撃の意思を増やす。


「【ハイパー・サンダー・ウィップ】」


 高速詠唱で生成した雷の鞭で敵の足元を打つが、ひょいと交わされてしまった。

 雷とはいえ、魔法によるものであれば速度はたかが知れている。大気への干渉も癖が強いため、鋭い者なら見ずとも検知できてしまうのだ。


「鈍くはないようね。なら――【アンド・マシンガン】」

「【アンド・シャワー】」


 |詠唱等位接続《コーディネーター》はアウラが得意とするスキルの一つであり、直近唱えた通常魔法の規模と属性を再利用する。この場合、ハイパーとサンダーだ。

 詠唱時間を短縮する効果がある。

 ミリ秒よりも細かいアウラの世界にもなれば誤差にも思えるが、この些細な違いがハイレベルな戦いでは勝敗を分かつことも少なくない。


 現に、アウラが敵の進路と周囲に撃った雷撃はヒットしている。

 敵も途中で諦めたらしく、回避行動を一切しなくなった。


 しかし、雷が効いている様子はない。あるいは効かないふりをしているのか。


「氷結拘束《アイス・バインド》」


 今度は一般人《レベル1》でも聞き取れるような、明瞭な発音で唱える。それは魔力を濃く込めたことを意味する。

 超音速の物体や煮えたぎるマグマさえも停止させる氷の拘束は、しかし難なく砕かれた。


「近接タイプのようね」


 アウラは自らの見解を固めつつあった。


 魔法よりも肉弾で戦うタイプなのは間違いない。特殊なスキルでもあるのか、あるいは純粋にステータスが高いのか。

 もし後者だとすれば、第一級に近い水準にも思える。


(近づいて殴るのが手っ取り早いんだけど)


 敵にはバーモンがひっついている。

 特に厄介なのが、首元と胴体に巻き付いているウミヘビだろう。

 あのモンスターのしなりは危険すぎる。直撃すれば、アウラでも危ない。


(獣人かしら。この動き方は尋常じゃない)


 ストロングローブ間を飛び移る速度も目を見張るが、それ以上に《《走っている》》時間が長かった。


(走れる枝を特定して、通り方の組み合わせを洗って、最適なルートを導いている)


 有り体に言えば、処理が速すぎる。そして深すぎる。

 魔法に頼っているわけではなさそうだ。代わりに、頭部がめまぐるしくぐるんぐるんと動いている。何とも原始的な、視覚による処理だ。


 その身体感覚に頼ったパフォーマンスに加えて、バーモンを携えているという事実もある。


(まるで獣人と魔人が混ざっているかのような不可思議。もしかして混合――)


 そこでアウラの思考は途切れた。

 最も警戒するべき大気の揺れ方を感知し、鍛えられた条件反射が発動する。


 ファイア。


 敵がそう唱えたのがわかった。


 高速詠唱が行われると、口元の大気が独特に揺れる。それを読み取ることができれば、たとえ口元が見えなくても、発声が聞こえてこなくても、魔法の発動をキャッチできる。

 この読み取りは振動交流《バイブケーション》とは比べ物にならない難易度だが、アウラは修練に修練を重ね、何と発音したかがわかるまでに至っている。


 敵は確かにファイアと言った。

 ただの火魔法《ファイア》であれば、恐るるに足らない。通常魔法において、規模の指定がない場合はノーマルとなる。

 詠唱の短さから考えても、無視できるエネルギーにしかならない。


 しかし、アウラは本能的にその場から退いていた。


 瞬間、髪の毛のような細い視覚効果《エフェクト》が通過する。それは樹冠の間をすり抜け、空高く飛んでいった。


「ビーム、ですって……?」


 光線《ビーム》自体は知っている。高度だがメタファの一つで、アウラでもウォータービームやサンダービームを撃つくらいのことはできる。


(メタファは発音してなかった……。|詠唱省略時のメタファ《デフォルト・メタファ》がビーム? そんなことができるの?)


 メタファの詠唱を略した場合、たいていは手元で燃えたり発電したりするだけである。敵に向けて飛ばすなどありえない。


 詠唱は神への嘆願である、というのがアウラの持論だ。

 欲しい効果は、無礼にならないように、また粗相のないように、正確にお願いしなければならない。

 実際、正確に発音できなかった詠唱は不発に終わってしまうし、詠唱が正確かつ綺麗であればあるほど、込められる魔力も強くなる。


 通常魔法は規模、属性、メタファをセットで口ずさむものだ。

 うち二つを省いた、ただの【ファイア】など、不作法にも程がある。不発になったっておかしくはない。


 アウラは神など信じないが、詠唱の仕様は嫌というほどわかっていた。

 相変わらず縦横無尽に逃げ回る敵を見下ろしながらも、そのからくりを問い詰めたい気持ちだった。


(……落ち着きなさい)


 アウラはいったん思考を放棄し、追跡に専念する。

 既にキューピンが救援を呼びに行っている。まもなく頼もしい援軍が来るはずだ。援軍をスムーズに、そして確実にぶつけるためにも、今は逃さないことが第一である。


 敵を追いかけながらも、アウラは空に向けて魔法を放ち続けた。

 自らの現在位置を知らせるためだ。

 青空画面《スカイ・スクリーン》の足元にも及ばないが、空に文字を書き絵を描く程度のことはできる。


 しばし追跡に徹していると、電光石火で白い物体が飛来してきた。


「首尾はどうだピョン?」


 合流してきたキューピンである。

 アウラにも問題なくついてくる。チッチほどではないが、獣人の中でも屈指の足を持つ彼女には容易いことなのだろう。


「追跡共有《チェイア》中です」


 チェイス・アンド・シェア――略してチェイアとは、相手に張り付くこととその情報共有を最優先にした行動を指す。

 アウラは空に打ち上げることで共有を行っているが、場所によっては音や振動を使うこともあった。


「遊んでんのかピョン?」


 ねぎらいの一つでも飛んでくるかと思えば、意味不明な返しだった。時折見える表情は、怒っているというよりも戸惑っている。


「……どういうこと?」

「空から見ればわかるピョン」


 どうやらアウラが無自覚のうちに何かをやらかしているらしい。「ちょっと見てきます」断りを入れた上で、空に出た。

 実力はアウラが一段上だが、深森林下での追跡に限ればキューピンに分がある。任せて問題はない。


「これは、……嘘でしょ」


 樹海から百メートルほど上昇したアウラの眼下には、想像と異なる景色が広がっていた。

 先ほどから打ち上げていた目印――キラキラとした粒の分布が過密すぎる。粒の発散具合から経過時間がわかるが、


「深森林を、探索している?」


 そこから読み取れる軌跡は、たしかに遊んでいるととられるものだった。


 もしこの光景を、今は亡きボングレーの村人が見たとすれば、こう呟くに違いない――

 一筆書きだ、と。


 一筆書きという言葉を知らないアウラでも、このような軌道に偶然至るはずなどないことくらいはわかる。

 しばし放心する彼女だったが。


(どうでもいいわ)


 敵の意図も、こんな余裕を与えていたという悔しさも、今は重要ではない。

 そんなものは捕まえた後に発散すれば済むことだ。


 キューピンの目印――空中で砕かれた岩を頼りに、アウラは持ち場に戻る。

 目印だが、土魔法で脆い岩をつくって空に打ち上げているのだろう。ちょうど空中で砕けるように、硬さと速度が調整されている。器用な芸当だ。


「キューピンさん」


 キューピンは追跡に徹していたようだ。彼女も近接戦闘タイプと思われるが、さすがにバーモンを装備した不審者に近付くほど無鉄砲ではないらしい。


「あの変態の意図が読めないピョン」


 平然と会話しているが、音速超えの高速移動は続いている。会話が成立するのは、アウラが振動交流を行使しているためだ。

 キューピンもキューピンで、アウラが拾ってくれることを前提に喋っている。拾わせやすいよう、アウラに近接する時間を最大化するように跳び続けているのはさすがといったところか。


「正体にあたりはつきますか?」

「わからねえピョン。臭いは人間ピョン」

「魔人という可能性は?」

「人間と言ったピョン」

「……すみません」


 魔人はモンスターと同様、魔素《まそ》を放出する。その抗いがたい生理的不快感ゆえに、魔人は他種族と相容れない。

 それを感じなかったのだから、相手は魔人ではない。

 単純なことだが、敵のインパクトを前に誤ってしまったアウラだった。


「しっかりしろピョン。変態の通るルートが雑になってきているピョン」

「わかっています」


 全探索的だった辿り方が崩れている。探索、かどうかは知らないが、第一目的は粗方終えたと解釈できる。

 順当に行けば、第二目的――おそらくは本格的な攻撃か、逃走に着手してくるものと考えられる。


 アウラとキューピンは、それからも敵を追い続けた。


 キューピンに焦る様子はない。むしろ命令された兵士のごとき淡白さで、ただただ敵を見据えている。

 既に獣人の実力者への要請を完了させたのだろう。あとは彼らが何とかしてくれる――そうとも言わんばかりの、自信に満ちた傍観ぶりと言えた。


「中々バテないですねー」


 一向に鈍ることのない敵を見下ろしながら、アウラが呑気に言う。


「人間でも保《も》つ奴は保つピョン。皇帝と鬼ごっこをしたことはあるかピョン?」

「あの人と比べられても……」


 追跡に専念するとなれば楽なものだ。無論、二人とも他愛のない会話でパフォーマンスを落とすほど無能ではない。


「ちなみに皇帝ってどれくらい動けるんですか? チッチさんと同じくらい?」

「チッチの上位互換ピョン」

「じょ、上位……」


 やはりラウルの師匠は尋常ではないと思いつつ、詳しい話を聞こうとしたアウラだったが、「来ますっ!」詠唱の気配を感知し、即座に共有してみせる。

 台詞よりも表情の作り込みに重きを置いた。

 期待通り、キューピンもアウラの表情を視覚的に捉えてくれたようだ。事前に打ち合わせたわけではないが、より早く感知できる者の、より早く伝達される手段に頼るのは緊急時の常套手段である。


(1ナッツ?)


 感知した|大気の流れ《エアー・オーラ》からは、「イチナッツ」と読み取れた。アウラはそれを数字の1と、ナッツという単位だと直感する。


 他の解釈を考えたかったが、思考が追いつかない。

 もう次の詠唱が来ている。


 先ほどと同様、【ファイア】のようだ。


 不可思議なビームを放ってきた謎の詠唱が記憶に新しい。

 さっきと違うと言えば、敵はなぜか、自らの指を自らの腹部に向けていた。


(まさか)


 アウラが無詠唱のゲートを発動するのとほぼ同時に、敵から膨大なエネルギーが放たれる――


 人工的な爆弾では到底出せない爆発。

 アウラにわかったのは、そこまでだった。

第152話 捜索4

 アウラが咄嗟《とっさ》にゲートで繋いだ先は|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》――アルフレッド王都リンゴのはるか東部に位置する峡谷地帯だった。


 自ら用意していた|緊急逃避先《アージェンシー・スポット》の一つである。

 深森林内で吹き飛ばされてしまえば、高確率でストロングローブ――人類では傷付けられない超硬の幹にぶつかってしまう。無事では済まない。

 理想はテレポートだったが、間に合いそうになかった。跳躍や飛行も同様の理由で除外。

 残った選択肢がゲートだったのである。


 せめてもの幸いは、街中や倉庫に繋がなかったことだろう。もし繋いでいたら、大惨事になっていたに違いない。


「う、ぐぅ……」


 久しく受けなかったダメージ、いや大ダメージに顔を歪めつつ、現状を把握する。

 どうやら渓谷の崖にぶつかり、そのまま掘削していったようである。言わば地中に埋まっているような状態だ。


「ウルトラ・ファイア・ルーム」


 周辺を高温で丸ごと溶かした後、アウラは両手を胸に当てた。着ていたローブは跡形もなく、自慢のバストも含めて、正面は火傷と出血で泥のようだった。


 余談だが、第一級の防御力は体内のあらゆる器官や細胞、体液にも作用する。血液とて例外ではない。

 その効力が失われるのは、本体から離れたときだけである。ゆえに皮膚上の血液もそう簡単には蒸発しない。


「ウルトラ・セイント・シャボン」


 アウラはまず聖なる強力な気泡で全身を包みつつ、


「ハイパー・セイント・ニードル」

「アンド・ミスト」

「アンド・ブレスレット」


 傷付いた部位をピンポイントに回復させていった。


 回復は時間との戦いだ。

 時間が経てば経つほど、再生に必要な魔力は著しく増加する。逆に被ダメージ直後であれば、身体の一部が欠けていようが再生できる。


 幸いにも傷は深くなかった。火傷や打撲、出血こそあるものの、骨折や抉《えぐ》れや切断といった重傷はない。

 仮にラウルがこの場にいたら過剰な回復だと呆れられているだろう。普段のアウラなら、自らも羞恥を感じてしまうところだが。


「もしかして、リリース……」


 アウラの脳裏には先の攻撃が何度もちらついていた。


 あの爆発は、瞬間的な火力がありながらも、爆弾が出す熱や圧力とはどこか違っていた。

 まるでダメージの実体が混ざって拡散したかのような、あるいはレベルの高い冒険者の肉体そのものをぶつけられたときのような、《《嫌な》》作用――


 スキル『リリース』自体は知っている。

 何年か前、結婚してくれないと一緒に死ぬと脅してきた冒険者が放ってきた。要するに自爆の巻き添えを食らったのだが、爆弾とは異なる爆発が印象的で、今でもよく覚えている。


 リリースはとうにゴミの烙印を押されたスキルだ。

 チャージというスキルでなければ意味がなく、そのチャージについても、術者が他の魔法を使うか回復を受けるかしただけで貯めた分がリセットされてしまう。正直言って使い物にならない。


「そもそも『オープン』なんて詠唱は無かったはず……」


 あったと言えば、火魔法を思い出させるファイアと、聞いたことのない言葉だけ。


「ナッツ……」


 アウラは国でも御せない第一級冒険者の、それも魔法師《ウィザード》である。

 未知の攻撃手段に瞬殺されたという事実は、二重の意味で堪えるものがあった。


「ナッツ、ナッツ……」


 血泥に塗《まみ》れた裸であることも忘れ、アウラは何度も何度も呟いていた。




      ◆  ◆  ◆




「きゅーちゃん……」


 空高く打ち上げられ、間もなく見えなくなった旧友。


 チッチにはどうすることもできなかった。

 死亡しているかもしれないが、原型は留まっているように見えた。無事である可能性はゼロではない。

 せめて鳥人がキャッチして回復を施してくれることを祈るのみだ。キューピンは鳥人達にも人気があり、あの愛くるしさは鳥人の性癖にも刺さる。望みはある。


「あの雲みたいな煙は……」


 爆心地と思われる場所からは、見慣れない形の気体が生じている。タイヨウなど現代人が見れば、規模こそ小さいもののキノコ雲だとわかるだろう。


 思い出したかのように爆音が届き、風が森を撫でていく。

 爆心地周辺の住民の安否が心配になる規模で、チッチは顔を歪ませるが、それも一瞬のことだ。


 あそこは戦場だ。ここも戦場だ。

 戦士に悩み悲しむ暇などない。そんなものは、何の役にも立ちやしない。


「みんなを助けなきゃ」


 チッチは仲間を助けると即決し、現場に向けて疾走し始めた。


 もう追跡の必要などない。居場所は丸わかりだし、敵も隠れる意思など捨てている。

 自分より強い仲間達が向かっているのだ。任せてしまえば良い。


 程なくして、チッチは爆心地に到着した。


 まず目に入ったのは空だった。

 数多の小さな木漏れ日を差しているはずの樹冠がない。樹冠部分は枝が細いとはいえ、切除は容易ではなく、実力者が時間をかけて負荷をかけ続けることでようやく切れるものだ。

 それを一瞬で丸ごと取っ払った威力となると、並の獣人では跡形もあるまい。想像しただけで寒気がする。


「……バーモン」


 幹のへこみに、バーモンの死骸が突き刺さっていた。川から吹き飛んだのだろう。

 その川を見下ろしてみると、爆風に激しく掬《すく》われたようで、まだ波打っている。川水が蒸発したことで、周辺の水が一気に流れ込んできたのだと思われる。


「あんな爆発、見たことない……」


 爆弾はジャースにも存在する。

 よく燃える粉や粒を絶妙に配合すれば、瞬間的な火力が高まるらしい。あるいは空気中に粉を上手くばらまき、火をつけて反応させるやり方もあるそうだ。

 チッチも詳しくは知らなかった。


 その必要がないからだ。

 冒険者には魔法がある。調達、調合、準備に運搬にと手間のかかる道具をあえて使うのは、弱者のみ。


 そもそもレベルアップした肉体の強度は、自然の物質の使い方を工夫した程度で崩せるものではない。

 さすがに爆発よりも早く反応して動くことはできないが、それだけだ。もろに浴びたところで、ダメージなどたかが知れている。

 そういう意味で、爆発とは多少の飛散物と熱を伴う閃光みたいなものだ。

 光など脅威ではない。ただ避けることができず、眩しくて鬱陶しいだけの撹乱手段にすぎない。


 だからこそ、チッチは言葉を失わざるをえない。

 この爆心地の惨事に、|優れた実力者たち《キューピンとアウラ》を一発で退場させた火力――


 爆発の固定観念をひっくり返すには十分すぎた。


「……生存者」


 チッチのひげが生物の気配を察知する。直線距離にして五十メートル以内。


 即座に木々を縫って急行した。秒とかからない。

 到着後、風や振動で刺激しないよう、スキル『衝撃圧縮《インパクト・コンプレッション》』で外部作用を吸収しておく。


「大丈夫ですか」


 生存者らしき獣人は、枝の付け根でぐったりとしていた。

 全身に白黒の縞《しま》が横に走っているが、今は出血過多で赤く汚れている。胸部と股から女性だとわかる。


「シマウマの方ですね」


 シマウマベースとは珍しい。草食系のベースは深森林では生きづらいはずだ。

 この近さで原型を留めていることからも、相当な実力者だとうかがえる。であれば、多少乱暴に食わせても問題ないだろう。


「ベリーを持ってきます」

「あ、あの……」


 回復手段である木の実を集めようとしたところ、引き留められる。


「こ、これを……」


 ぷるぷると震える手のひらには、黒い生地の切れ端が載っていた。

 敵が身に付けていた下着の一部だろうか。断片とはいえ、物理的に残っているとなると強度は凄まじい。レアアイテムなのは間違いあるまい。


 出所がわかれば、身元もわかるかもしれない。


「ありがとうございます」


 チッチが手を伸ばして、それを取ろうとした、次の瞬間。


「ファ――」


 血まみれの彼女が高速詠唱を走らせようとしたのがわかった。

 無論、この状況下でそんな真似をするのは不自然である。


 チッチは考えるまでもなく、全力で彼女の手首と首を掴み、天へと跳躍していた。

 せめてもの抵抗として、彼女を掲げるように持つ。こうすれば自分は地上に墜落し、運が良ければ川面で助かる。運が悪ければストロンググローブにぶつかって死亡するだろうが。


 一方、彼女は空高く吹き飛び、その扱いは鳥人達に委ねられる。ある程度の時間稼ぎは可能だろう。

 少なくとも深森林の領地外領空外に出すよりはマシだった。


 たとえ自分の身を投じてでも、これは逃がしてはならない――

 冒険者としての、確信に満ちた直感だった。


「――イア」


 チッチの神速を受けてもびくともしない彼女が、淀みなく詠唱を完了させる。直後、先の爆心地を彷彿とさせる閃光に包まれて。


 チッチは身体の節々が千切れそうになる自覚を最後に、意識が暗転した。


「……え?」


 睡眠不足が重なる遠征中のような寝起きの悪さと、不自然な悪寒。


「回復を施した。精神は無事かね?」


 仰向けで宙に浮いている。

 人間の臭いがする。

 目の前で、青い長髪を携えた男が不躾に覗き込んでいる。


 恥ずかしさなど出てこない。出てくるはずがなかった。


「驚かせて申し訳ない。正気に戻すには、恐怖が一番である」

「は、はい……」


 チッチは震える体に無理矢理抗いつつ、状況を把握する。


 運良く皇帝ブーガが受け止めてくれたようだ。

 既に聖魔法も施してくれている。急激な回復には意識が追いつかないが、台詞から考えるに、威圧のオーラで強引に覚醒させたといったところだろう。


「時間が惜しい。貴殿が知っていることを話してもらおう」

「わ、私を運びながらでも、大丈夫、です……」


 皇帝ブーガと行動をともにできるなど、滅多にないことだ。とりあえずチャンスを掴もうと動くのは、冒険者としての性だった。


「庇《かば》えるとは限らぬ。ここで聞く。行くのは私だけだ」

「……わかり、ました」


 戦力外通告に凹んでしまうチッチだが、彼がいなければとうに死んでいただろう。


 第一、ダグリンの頂点たる彼の決定には誰も逆らえない。

 ブーガは有言実行の男だといわれる。下手に反論でもしようものなら、実力行使で黙らされてもおかしくはない。


 チッチは観念して、情報共有に徹した。

第5章

第153話 逃走戦

 トランクス覆面を失い素顔と裸体を晒した俺は、衛星写真のような眺望を大音量の風音BGMつきで見下ろしながら、急いで着地場所を考える。


 空は鳥人のテリトリーだ。長居は危険だろう。

 まあ鳥人のことはほぼ何も知らないわけだが、飛来する人間を無視するほどお人好しではない気がする。

 第一、俺自身が空で立ち回る術を持っていない。俺は不利なフィールドに居座り続けるほどお人好しではない。


 自らに指を構えつつ、軍事境界線から数十キロほど南を見定める。


(いったん川の中に逃げて、ダンゴの回復を待とう)


 既に獣人領での用事は済んでおり、サリアにプレゼンする内容も決まりつつある。

 今はとにかく脱出しなければならない。が、下手に地上に墜落したところで、包囲されるだけだ。


 遠方から高速で接近する点――獲物を捉える猛禽類を思わせる――を認めつつも、俺は早速発火する。


「0.6ナッツ――ファイア」


 リリースされた膨大なエナジーがゼロ距離で弾けた。


(やはり空は空気抵抗が小さい)


 前世とは比較にならない気がする。地上から1ナッツで上昇してきた時よりも体感速度が速い。


 間もなく川にダイブ。幹や太い枝に当たらなかったのが幸いだった。

 着地点周辺の衝撃波と振動が凄まじいと思われるが、獣人なら生きているだろう。正直どうでも良いが。


 最大の懸念は水中でどうバウンドするかだったが、川底の角度が良かった。

 俺は再び空に飛び出すことなく、しばし水中でお手玉と化した後、無事留まることに成功する。


「とりあえず一段落だな」


 第一級の魔法師アウラに、陸上最速が想像に難くないチーター女――

 あの二人を退けたことは大きい。

 この逃走においても。俺自身の自信としても。


 それもこれも、土壇場で身に付けたスキル『ファイア』のおかげだ。


 第一級を出し抜くためには、確実にリリースを当てる必要があった。

 出来るだけ短く、紛らわしい詠唱を、出来るだけ速く唱えること。


 そのために俺はエウレカ――スキルの発現を利用した。

 スキルは特定の意図に基づいた動作を繰り返し行うことで発現する、というのが俺の見解である。実際、オルタナ先生もそんなことを言っていたし、ナッツというリリースの別名《エイリアス》は、先日練習しまくったことで発現したものだ。


 であれば、とダメ元で火魔法を彷彿とする名称の別名を練習してみたのだ。

 ファイアには発火や発射といった意味もある。現代人の俺にはそのイメージが既についているため、勝算は悪くないと思った。


 根拠のない自信だったが、これが功を奏して、俺はスキル『ファイア』を得た。

 川底での、咄嗟《とっさ》の機転にしては上出来だろう。自画自賛してもいい。俺は凄い。俺は強い。俺はかっこいい……ナルシストかよ。ナルシストだな。

 前世ではよく鏡の前で肉体を眺めたり、昔書いた文章やプログラムを見返したりうっとりしたりしていたものだ。

 さすがに自分自身に恋をすることはなかったが。そもそも恋の経験すら覚えがない。どストライクな性癖との邂逅を恋と呼ぶのなら、何回もあるけどなぁ。


「悪いな。巻きこんじまった」


 胸中のおふざけは置いといて、俺は近づいてきたバーモン達に語りかける。


 コイツらは既に俺の支配下にあった。

 イソギンチャクみたいな奴が倍々毒気《ばいばいどくけ》――かどうかはわからないが、お決まりの倍々ダメージを使ってきたおかげで崇拝《ワーシップ》が発動。俺は気持ち悪い平伏を受けることとなり、早速命令を下していた。

 ウミヘビやヒトデを装備し、ウニを口内に潜めることができたのもそのためだ。


 だが、ここまでリリースを連発してしまっている。

 俺についてきてくれた奴らは、もういない。


「これ以上は巻き込めない。俺のことは無視して、俺からはなるべく離れてくれ」


 バーモンは人懐っこいのか、全身と体内を陵辱するかのようにまとわりついてくるのだが、命令にも忠実だ。

 どちらかと言えば前者が強い。現に、従ってくれないバーモンがちらほら。


「俺の顔面を隠す役目としてなら、ついてきてもいいぞ。死ぬ可能性が高いけどな」


 瞬間、俺の顔に触手やら何やらが殺到して、頭部だけ数倍以上の大きさに膨れあがった。さすがに多すぎる。


 厳選してウミヘビで揃えることにした。

 口元と目元以外を、はちまきのように締める。少し角度をずらすことで、なるべく多くの顔面が隠れるようにする。

 人の顔は、パーツの一部だけでは特定できない。これで誰もシニ・タイヨウとは判別できない。


「そんなに落ち込むなって」


 選別に破れたバーモン達がしゅんとしている。どれもがグロテスクと評するであろう外見の生物ばかりなのに、可愛く見えてくるのが不思議である。


(いや、不思議でもなんでもない)


 バグっていても俺は人間。愛玩という概念があるように、自分を慕う生物に対する愛着くらいは湧く。いや、バグってるから湧いてはいないのだが、知識や記憶として知っている。

 一方で、エルフや獣人には何の慈悲も湧かない。

 脱出するために何万と犠牲になろうが、俺は露ほども気にしないだろう。


 そういうものだよな。やれ倫理だの何だの高尚な屁理屈が蔓延っているが、本質は至って単純だ。


 命の価値は、文脈で決まる。


「……移動するか」


 獣人領から出るためには、海か軍事境界線に出る必要がある。

 逆にエルフ領に戻るためには、海か軍事境界線から入る必要がある。

 一応、人間領からも出入りできるが、三種族が行き来するだけあって人気《ひとけ》も人目も多い。出る時はともかく、ここから入るのは無謀だろう。


 となると海か、軍事境界線かだが、海はリスキーだ。シーモン――海のモンスターにも崇拝が効いているかはわからないし、そもそもそんな危険地帯から上陸してくる人間は怪しすぎる。


 軍事境界線しかなさそうか。

 ダンゴで獣人に擬態した上で、人の少ない場所から何食わぬ顔で出る。そのまま人間領まで行って、人目のつかない場所で解除――ジーサに戻り、エルフ領に戻ればいい。


「エルフ領で騒ぎになってないといいが」


 俺にはダンゴがいる。実技の壁も見せつけてある。

 たとえアリバイはなくとも、獣人領のお騒がせ犯に結びつけられることはない。

 学校を休んだ言い訳もたかが知れているし、エルフの刑も演技が面倒なだけで何ら脅威ではなかった。

 問題はない……はずだ。


 俺は川底を高速で這いながら進んでいった。


 水深は数十メートルとあるはずだが、プールのように明るい。

 藻の類は全く見当たらず、あるのはストロングローブの部位――樹皮をそのまま敷いたような川底と、迷路のように入り乱れた根っこのみ。

 その根っこも、川底から数メートルまでの領域にはほぼ侵入していないため、心境として天井の低い浸水ダンジョンである。


 命令の伝達は迅速らしく、道行くバーモン達は即行で俺から離れてくれた。

 懐いているとわかる目や触手を向けてくるのがこそばゆい。


「にしても、なんでこんなに速く進めるんだろうか」


 水中は地上より進みづらいという偏見はとうになくなっていた。

 どうも一定以上の速度になると抵抗力が途端に弱まる感じだ。むしろ加速をアシストされている気さえする。

 淡水や海水にそんな性質はないよな。相変わらずジャースはわからん。まあ前世の科学についてもほとんど無知だから、考察なんて大それたこともできないんだが。


 記憶上の地図や地形と照らし合わせながら、俺は軍事境界線に向かっていく。

 最初は迷子だったが、根っこの向きに規則性があるとわかってからは早かった。


 ストロングローブの根は、海を求めるように海の方を向いている。少し離れて眺めると、磁石に吸い寄せられているような見た目になっているのがわかる。

 軍事境界線は内陸にあるのだから、根が向いてない方を目指せば良い。


 そんなこんなで、見慣れない地層の壁を発見する。


 軍事境界線だ。

 あそこから地上に上がれば、あの広大な荒野が広がっている。


「あとはどうやって外を確認するかだな」


 少なくとも顔を出すのは自殺行為だろう。

 真上には、あの巨大な石壁があるはず。どこに獣人がいるかもわからないし、石自体に侵入者を探知する機能がないとも言えない。

 かといって、俺には水面の向こう側を知る術がない。


「おい、お前ら。外の様子を確認したいんだが」


 アウラに仕掛けた時と同様、バーモン達に頼ることにする。


 今回は、地上に存在する生物の数を正確に数えられるか、という観点で尋ねてみた。


 結果、くらげみたいなふよふよした奴が得意だとわかった。

 視認できないほど細い触手――隠密《ステルス》をまとわせるため文字通り見えなくなる――で生物のオーラを感知できるとのこと。感知範囲はおおよそ半径三百メートル。

 敵に回すと恐ろしいが、味方だと頼もしい限りだな。


 あとは、いわゆる配列から最小値を探す|解き方《アルゴリズム》を使えばいい。

 つまり、最初に千や百など適当な数を設定した上で、くらげによるカウントを行っていく。くらげには、今俺が保持している数よりも小さいどうかを尋ね、イエスが返ってきたら、その数を覚えてもらう。

 これを繰り返せば、最もカウントが小さい場所がわかる。

 懸念はくらげの知能だったが、要求にすべて応えられる程度の知能は持っていた。


 俺は軍事境界線から四百メートルほど離れた後、三百メートル単位で、ざっと百回ほど東に進みながらカウントさせてみた。

 俺自身の記憶力が少々危なかったが、これで三十キロメートルの範囲内で最も生物が少ない地点がわかった。


 さらに俺は質問を加える。


「それは十よりも多いか?」


「五よりも多いか?」


「三よりも多い?」


 正確な数を聞き出す。運が良いことに、答えはゼロだった。

 まあ地上の生物が動き回っている可能性や、生物として人以外の何かが含まれている可能性などもあるわけだが、そこまで考慮するときりがない。


「全員撤退。俺は無視して、普段通りに振る舞え」


(ダンゴ。聞こえるか。出てきていいぞ)


 生物ゼロの地点にまで戻った俺は、避難していた相棒を呼び戻す。

 早速、獣人の外面と臭いをつくってもらう。


 侵入時は申し訳程度に犬人になった。チーター女を騙した時はシマウマ人だった。

 今回は象にしてもらった。

 鼻を長くして、肌をクリーム色にすればいいだろう。

 牙や耳など細かいパーツは無視する。アンノウンで通してしまえばいい。


 器用なダンゴさんは水中でも難なく活動できるようで、宿主は俺だが頭が上がる気がしない。


(念のため、再生できる分は避難しといた方がいいな)


 擬態している状態で第一級の攻撃でも食らってしまえば、ダンゴに命はない。


 幸いにも、ダンゴは非常に小さな微生物の集合体である。ある程度の分量が無事ならば、そこから増殖して元のボリュームにまで戻れる。

 詳しい原理や仕様は不明だが、ダンゴのことはダンゴに任せればいい。


 俺はいったん無心となり、ゾーンに入ることにする。

 数秒ほどで至れると、体内のあちこちから内臓内壁にねじこまれる感触が。


(避難できたな。じゃあ行くぞ)


 返事は期待していなかったが、後頭部を一回叩かれた。俺とやりとりするために、あえて残ってくれたのだろう。

 貴重な御身なんだから全部避難してくれてもいいんだけども、応答がもらえるのはありがたい。あとで失っても文句は言うなよ。


 川面から出た俺は、素早く安全高度《セーフハイト》まで登りつつ、


(ダンゴ。濡れている全身を舐め取ってくれ。俺の体内に貯めても構わん)


 不自然な水分を処理してもらう。

 胃に重さが加わった。意外と水量が多く、たぷたぷする。


 周囲に人の気配がないことに注視しつつ、俺は軍事境界線へと向かった。


 間もなく、宙に浮く巨大な石壁が見えてきた。

 空洞がちらほら目に入る。あの中をくぐった先に門番がいて、上手く誤魔化したら、もう軍事境界線だ。


 脱出は間近だった。

 出るだけならそうは怪しまれない。


 そんな時だった。


(間に合わない)


 明らかに俺を殺すつもりの誰かが高速で飛んできたことだけはわかった。

 音速を雑魚扱いするスピードに先行して届くものなど限られている。光以外には、オーラくらいだ。


 どう立ち回るかを考える暇もなく、そいつは俺に着弾する。


(岩みたいな手だな)


 頭を掴まれたまま一緒に吹き飛んだ後、ストロングローブの幹に激突――

 相手に怯んだ様子はない。自ら生み出した速度に平然と耐える頑丈さを持っている。見せつけるかのような握力も、バーモンに匹敵するダメージ量だった。

 当然ながらダンゴは跡形もなく、応答役の後頭部部分はもちろん、象ベースの擬態も消滅してしまった。


「【《《アルティメット》》・アース・ハンドカフ】」


 両の手首と足首に石の手錠がかかった。

 全力を込めてもびくともしない。刑を執行したエルフ達はおろか、アウラの氷結拘束とも比較にならない強度だ。


「これがアルティメットか……」


 アルティメットと言えば、通常魔法の魔法規模五段階のうち最も高い段階である。

 人間は第四段階《ウルトラ》までしか出せないんじゃなかったか。


 何にせよ、ピンチには違いない。

第154話 逃走戦2

「オイの自慢よ。人間では逃れられん」

「離してもらえませんか」


 俺を睨むのは六つの目――じゃなかった、目は二つで、あとは角だ。

 角が四本もついている。額と鼻、それと両耳。どれも太くて硬そうだが、先端は丸みを帯びている。どのみちコイツのパワーなら誤差だろう。

 目鼻や顔立ちは平凡というより淡白で、角のインパクトの前には毛ほどの存在感しかない。


 全身はさっきまでの俺と同様、クリーム色で、岩肌のようなゴツさがあった。

 この角から考えても、俺には一つ――サイしか思い浮かばない。


「ウヌは何者だ?」

「人間って言いましたよね。人間です」

「これほどタフな人間はそうはおらん。団長としてウヌを排除するのは確定だが、オイはウヌに興味がある」


 聞いちゃいねえな。干ばつした土地みたいな腕がぬっと伸びてきて、俺の太ももを掴む。

 そのままグッと握りこんできた。

 当然のように衝撃波が発生して、心地良い風圧が俺を撫でる。


 無慈悲な握力は移動と稼働を繰り返した。その度に嬉しいダメージがチャージされ、周囲が丸ごと撫でられる。


「あ、そこはやめ――」


 思わず抵抗してしまったが、それで止まるはずもなく。

 性器を握り潰されてしまった。それだけで死ねたら苦しくも楽なんだが、無敵バグは甘くない。


「……ウヌのこれは勃《た》つのか?」

「俺を犯すんですか?」

「人間のフニャチンに興味などない」

「さいですか」


 フニャチンって。この言葉、絶対クソ天使の趣味だろ。

 厳密に言えば、反応した後でも硬くないそれを指す言葉なわけで、反応すらしていない俺には当てはまらないはずだが。


「ウヌの耐久性《タフネス》は常識を超えている。もしや混合種か?」


 どう答えるのが正解なのだろうか。

 混合種という言葉は気になるが、素直に反応して無知を晒すのも抵抗がある。もし混合種とやらでないとしたら、じゃあ何なのかとなって非凡な扱いをされかねない。

 ……いや、今さらか。

 この手錠の強度から考えて、コイツには俺を無力化できるだけの力があるだろう。擬似的な石化か、俺には及びもつかない何らかの手段もあり得る。


 リリースしたい衝動に駆られたが、たぶんコイツの方が速い。

 口元を拘束されでもしたら、それこそ詰んでしまう。


 というわけで、俺はおとなしく会話に応じることに。


「混合種って何です?」

「二種族の血が混じった者のことだ。潜在能力はかけ算だといわれている。レベルに見合わない、規格外の強さに至ることも珍しくない。ウヌのようにな」


 俺は純度100%の人間だと思うんですけど、相手の勘違いはさておき。

 しばらく会話で時間稼ぎしたかったのだが、その気はないらしい。


 サイ人が頭を振りかぶっている。視覚的にも、直感でも、その角を叩き込んでくることは明らか。死刑宣告ともいう。

 別に食らってもどうということはないだろうが、相手の手札が枯渇すればするほど、封印という選択肢も浮上してくるわけで。


 幸いにも、コイツは俺が拘束を解けるとは思っていない。振りかぶりの溜めが大きすぎて、視線も俺から外れている。

 つまり、口元を読み取られない好機と言えた。


「【ファイア】」


 俺は持てる最大の早口で、すかさずリリースを放った。


 威力は、空から戻る時にセットしていた0.6ナッツ。

 放出口は、俺の舌である。高速詠唱しながら舌の角度を調整することで、俺はあたかも口からビームを吐くような操作感を実現できる。


 意表を突かれたのか、振り下ろしたサイ人の顔が一瞬驚いたのが見えた。角が俺に届く前に閃光――ほぼ同時に猛烈なダメージが発生する。

 リリース自体のダメージはチャージされないが、今は背中に幹があった。反作用というダメージはチャージされるようで、これが悪くない数字だ。


 俺だけその場に留まるかと思ったが、アルティメットな手錠にも限度があるらしく、壊れてしまう。秒ほど遅れて、俺も吹き飛んだ。


 またもや川に突っ込み、根にぶち当たって、あちこち跳ね返る。

 手錠のせいでだいぶ勢いは殺されており、俺でも干渉できる速度だ。根を掴んで慣性に抗い、収まったところで、俺はもう一度地上に出た。


 なりふり構ってはいられない。

 このままでは一生獣人領から出られないか、捉えられて封印されてしまう。

 俺が今やるべきことは、一刻も早くここから脱出することだ。

 多少強引でもいい。とにかく、獣人達の包囲網から物理的に距離を取るべきだ。


 俺はストロングローブを全力で登りきり、勢い余って空に飛び出しながらも、周囲の光景と脳内の地図を思い浮かべる。


(現在地は日本地図で言えば、たぶん夕張の辺り。南西に吹き飛べば人間領に行ける)


 良い機会だ。リリースで空を飛ぶ練習と考えよう。


「0.2ナッツ。ファ――」


 サイ人もまた、甘くはないようだ。

 俺の詠唱が終わる前に、ミサイルみたいに飛んできてタックルを食らわせてきた。

 どう考えても並の脚力ではない。チーター女に匹敵するかもしれない。


 もっとも、いくら強かろうと速かろうと、無敵の俺の前では物理攻撃などウザいだけ。

 もう少しあれこれ試してくれると助かるんだが、コイツも馬鹿じゃないらしい。俺の口元を的確に握り潰してきやがった。

 力自体もコイツが格上。もう口は開けない。


 戦闘機はこんな感じなんだろうか、という速度で一緒に空を飛びつつ、対処法を考えていると、


「アルティメット・アース・ステップ」


 そんな高速詠唱の後、直進軌道が急に変化した。

 根に当たったような挙動だ。アルティメットな岩の足場を空中につくって、軌道を変えたといったところか。


(強引すぎる……)


 頭に流れ込んできたダメージから考えても、よほど防御力に自信がなければできないことだ。


 しかし器用でもあった。

 俺達は再びストロングローブに墜落したわけだが、コイツは俺を逃がさないよう握りながらも、空いた片手で樹皮を掴んで堪えてみせた。

 言わば反発を力尽くで止めたわけだ。

 無論、そんな調整をする理由は一つしかない。川に入るのを避けているのだ。おそらく、最初から幹に当たるような角度で空中足場を張ったに違いない。

 俺を川に逃さず、かつストロングローブにぶつけるために。


 判断の速さに、アルティメットなパワーに、繊細なコントロール――

 このサイ人はただ者ではない。


「へひへんはんはっふ。はひは」


 0.3ナッツ。ファイア。


 口と顎を握られている俺だが、改めて詠唱を行った。

 またもや一瞬、コイツが驚いたのが見えたが、もう遅い。俺達はもう一度吹き飛ぶことなった。


 残念だが、口の開閉を封じただけでは、詠唱は封じられない。

 俺の経験則では、詠唱の受理に必要な要素は二つ――声帯を動かすことと、その音量がある程度大きいことだ。

 どういうシステムが働いているのかは知らないが、見えないマイクが常に至る空間に設置されていて、それに音声認識させるイメージだろうか。

 要するに声である必要はなく、音だけで良い。


 そういう意味で、グレーターデーモンは完璧だった。俺の口だけではなく喉も物理的に圧迫して、一切動けなくしやがったからなアイツら。


(くそ、現在地がわからん)


 俺は回転しながら空の方向に飛んでいるようだ。

 バグってるおかげで目が回ることもないが、景色が絶えずスクロールしていて一見ではわけがわからん。


「0.1ナッツ。ファイア」

「ファイア」


 半分感覚、半分勘で二回ほど自分に撃ち込んで回転を止める。

 だいぶ空高く上がっていた。高度千メートルはある。


(だいぶ離れたが、特定できたぞ)


 金銭感覚は麻痺するというが、距離感もそうだと思う。扱っているエネルギーの桁が違うからか、ほぼ一瞬で景色ががらりと変わるのである。

 いくら地上を俯瞰できるとはいえ、集中しないと一瞬で迷子になる。


「0.2ナッツ。ファイア」


 再び南西に向けて、俺は自らを弾く。

 その間も景色は絶えず眺めて、現在地を見失わないように努める。深森林の絶景を楽しむ余裕など無い。


「早速なんか来てるし……」


 石版とでも言えそうな薄い板が行く手を阻んだ。地上から扇状に伸びたそれは、軽く一平方キロメートルくらいの面積はありそうだ。

 薄いとはいえ、それほどの石――つまりは土魔法を高速に展開できるなど馬鹿げている。これ、たぶん第一級冒険者だよな。


 ぶつかっても実害はなさそうだし、今はエネルギーに物を言わせて巻くの最善だろう。「ファイア」俺は再び加速して、突っ切った。


 板は軽石のような触感だった。今の速度なら誤差みたいなものだ。

 こんなもので超音速の人間を止めようなどとは敵も考えちゃいまい。そもそもこの巨大な残骸はどうするのだろうか。地上に降り注いだら迷惑どころの騒ぎではない気がするが。


 などと思っていると、地上から三角飛びしながら近づいてくる影が一つ。

 一切の迷いを見せずに、こっちに向かってきている。バトルマンガかよ。


(そうか、触手みたいなものか)


 センサーとして岩の膜を張り、俺に触れさせたことで正確な位置を掴んだのだろう。

 予想どおり、俺の軌道を先読みする形で足場が出現し、そこにサイ人が突き刺さった。

 彼――か彼女かは知らないが、あれだけあった速度がゼロとなっている。急に止まる術を持たずに飛んでくる俺を討ち取ろうと、もう突きを放っていた。


 よく見ると、指を二本だけ出している。

 チョキの構えだ。目潰しともいう。たしかに、このままだと俺の両目が突き刺さりそうだし、その指が到底俺の力では折れそうにないこともなんとなくわかる。


 瞬時にここまで仕掛けてくるとは、やはり第一級クラスなのは間違いなさそうだな。


 リリースばかり使うのも癪なので、俺も手を出したいところだったが、間に合いそうになかった。

 ミリ秒よりも短い刹那なのに、思考を行える余裕があるのが不思議な感覚だが、やはり何でもできるわけではない。

 俺にできそうな選択肢と言えば、口や目蓋を動かすことくらいだった。


 仕方なく目を閉じることに。


 派手に接触した。

 サイ人が出していた衝撃波に、その指と俺の目蓋が重なったことによる衝撃波が上塗りされる。耳に届く振動は音なのか圧なのか、もはやわからない。


 サイ人は俺と距離を取るのが嫌らしく、吹き飛ぶ俺の足首を掴んできた。

 力の作用が忙しすぎて現状把握が困難な中、器用に俺を引き寄せ、チョップを下ろしてくる。

 狙いは俺の首らしい。急所ばっか狙ってきて意外と狡《こす》いな。


 俺の手も今度は間に合ってくれて、クロスした両手の甲で受け止めることに成功する。甲で良かったんだっけか。バトルマンガだと手首の辺りだよな。

 ともあれ、地上に墜落する角度だ。

 川か、木か、どっちに落ちるかで今後の立ち回りが変わってくるところだが、


(川か)


 水中を認識した頃には、もう川底とぶつかっていて、エグい反作用とともに上昇している。

 間もなく川面から浮上したわけだが。


「――は?」


 直径五メートルくらいだろうか、石製のコップみたいなものが俺を出迎えていた。

 空中で動けない俺はその中にすっぽりと入る。

 瞬間、コップが回転して、一瞬空が見えたかと思うと、ちょうど出入口を塞ぐサイズのブロックが入ってきた。


「空気圧縮か」


 足踏みポンプや空気入れでもお馴染みの原理である。

 密閉した空間に溜まった空気を圧縮することで、急激な高温やパワーを生み出すのだ。俺はあの手の装置の中に入ってしまったわけか。


 そういえば昔、空気を圧縮するおもちゃの中に虫を入れて潰した動画を見たことがあった。虫の末路はたしか爆発して木っ端微塵か、破裂して体液をまき散らすかだったはず。

 あるいは隕石が燃え尽きるのも、これと同じ作用だったよな。断熱圧縮だっけか。


 ……普通にエグくない?

 まあこの程度で死ねば苦労はしないわけで、心配はしてないけど。


 猶予のゆの字もなく、ブロックはもう超速で降下してきた。

第155話 逃走戦3

 巨大な空気圧縮装置に閉じ込められた俺。

 ブロックが早速下りてくる。その速度も当然のように音速をはるかに超えていて、容赦の無さに思わず苦笑が漏れそうになる。いや漏らす余裕さえもないんだが。


 とりあえず殴ってみたが、相当硬く唱えられているようで普通に押し負けてしまい――俺はそのまま底へと一直線に圧縮されていった。


(……意外と快適だ)


 指一つ動かないほどギリギリまで圧縮されているが、空気がクッションになっているのだろう。たぶんエアバッグが作動した時のような気持ちだ。

 もちろん俺が潰れることなどありえない。

 この身体は髪一本でさえ無敵なのだ。このバグに勝たないといけないっつーんだから本当に嫌になるよな。


 頭に流れこんでくるダメージは、高温のそれが目立っている。高温自体は強い攻撃を受ける度に発生するわけだが、こう長時間持続するシチュエーションは珍しい。

 バグっているおかげで、ポカポカに感じられる。


 こうしてみると、俺に備わる『刺激の丸め込み』を痛感せざるをえない。


 小さな数字で割った余りが体感として採用されている、とでも言えばいいのか。

 たとえば13で割った時の余りを採用する場合、温度が14℃だろうと1288℃だろうと、体感上は余りの値である1℃でしかなく、冷たいと感じるわけだ。

 もしそうだとして、実際に採用されている『割る数』はなんだろうな。ポカポカだから13ってことはないよな。50くらい? いや、でも熱い風呂のような体感は今までなかったから、40以下だろう。


 この丸め込みだが、温度だけでなくあらゆる刺激に作用している。

 痛みを感じさせないというよりも、俺を不快にさせないラインと考えるのがしっくりくるか。

 味覚で言えば美味しいや不味いを感じることはないし、性欲についても興奮に至ることがない。


 ……まあ以前考察したとおりだな。

 すなわち、デバッグモード時に痛い思いをしないための『安全装置』だと考えられる。



 ――単刀直入に言いますが、あなたはプレイヤーです。


 ――天界での記憶を保ったまま転生した魂のことです。



 メガネスーツ天使の言葉を思い出す。


 このジャースは世界《プログラム》だ。当然ながらデバッグという動作確認も行うだろう。

 デバッグ時、天使は実際にジャースに転生して、ジャースの生物として過ごしてみるはずだ。その状態をプレイヤーと呼ぶのだろう。

 NPCとは違い、世界を創造する側の記憶を持った高次元の存在というわけだ。純粋な転生では記憶もリセットされてしまうわけで、デバッグどころではないからな。


 しかし、記憶があるだけでは痛い思いをするし、ステータスも弱い。テストプレイならさておき、デバッグ時にいちいち一から過ごすのはだるかろう。

 便宜のために、デバッグモードという形で色々といじれるようにしておくのは不自然ではない――


 それが俺の仮説だ。

 そして無敵バグを煩った俺も、このデバッグモードが何らかの形で作動しているものと考えられる。


(相変わらずデバッグモードを呼び出せる気配はないんだが……)


 そんなことを考えてる間も、ブロックは押し込まれて続けていたが、一分と経たずに勢いがなくなった。

 かと思うと、ガクッと上昇する気配が。


(あまり悠長にはしてられないよな)


 グレーターデーモンみたくたっぷり遊んでくれるわけでもあるまい。封印されてしまっては元も子もない。

 俺は突発的な考察をやめて、脱出を開始する。


「0.01ナッツ。ファイア」


 圧縮された空気にエナジーを放り込むとどうなるか。言うまでもない。


 瞬間、悪くない爆発が発生して、巨大空気圧縮装置が爆散した。

 息つく暇はなかった。サイ人はもう突っ込んできているし、怯んだ様子もなければダメージも無さそうだし、俺を吹き飛ばすのではなく捉えようとしている。

 その構えられた両手を見れば、次こそ俺の詠唱を力尽くで封じてくるだろうことは想像に難くない。


 今の空気圧縮は、コイツの必殺技だったのだろう。

 必殺も効かなかったから、俺の攻撃手段を封じて捕らえようと方針を変えてきた――やべえな、封印ルートだ。


「2ナッツ」


 もう出し惜しみはできない。俺はナツナを殺した時の二倍の火力をぶちまけることを決意して、


「ファイア」


 喉を拘束される前に詠唱できたようだ。

 かろうじてサイ人が上空に飛んでいくのが見えた、気がする。閃光で何もわからん。

 俺は逆に地上に墜落するはずだが――


「……ああ、うん」


 方向感覚を取り戻した頃には、なぜか眼下に深森林の豊かな光景が広がっていた。

 今もみるみる距離が開いていて、一見するともう何が何やら。


「太い枝にでも当たって跳ね返ったか」


 結果だけ見れば上出来だろう。

 目に見える範囲にはサイ人もいなければ、規格外な石の壁もない。高度からして鳥人が出てきそうだが、焦らず対処すればいい。


「……俯瞰できると違うな」


 まだ北海道の輪郭はわからないが、均等に生い茂っている二つの深森林と、それらにはさまれた軍事境界線、そして土地が潤沢な国立大学のようなエリア――人間領は見えている。


 目指すは人間領だ。

 地図上では函館から札幌の辺りまで占めていた。渡島半島のどこかに着陸できればいいだろう。


「どこへ行くのかね」


 それはあまりに自然な声かけで、スルーしてもおかしくないものだった。


 秒ほど遅れて、気配無く接近されたのだと気付く。

 俺が放った2ナッツのリリースを目視し、詰めてくる移動力も含めて、ただ者でないのは明らかだ。

 もっとも、そんな推察をするまでもなく、聞き覚えがある声なのだが。


 振り返ると、青い長髪を一つ結びにした壮年の剣士が立っていた。


「久しいな、シニ・タイヨウ。私は歓喜している」


 服装はみすぼらしく、鞘に収まったロングソードも安物っぽい。そもそもここは空中で、今も吹き飛んでいる最中なのに、たしかに彼は立っていた。

 いや、ただの錯覚で、実際は直立の格好をしたまま飛行しているだけなんだが、それでも大地の上にいるのだと思わせる力強さがあった。


「詠唱はせぬことだ。私は貴殿よりも速い」


 鞘が俺の首元に突き付けられる。


 以前ユズに守られていた時とは違う。その動きは視認できた。

 グレーターデーモンとも違う。アイツらの方が速かった。

 しかし、それでも抵抗はできなかった。視認と動作に乖離があるという生物の仕様は、レベルアップしても変わらないということか。


 ぐっと押し込まれるパワーも桁違いだ。ダンゴやヤンデの比ではない。

 なのに俺の身体は変わらずに吹き飛び続けているし、軌道も乱れなければ衝撃波どころか風音さえもない。これだけのパワーを加えられるコントロールは神業の域だろう。


 そして極めつけに、声帯が動かなくなるポイントを的確に突いている。サイ人のような甘さは皆無に等しい。


 戦意喪失するには十分だった。


「……皇帝ブーガ。何の用だ」

「我が国で発生した天災を放ってはおけまい」


 そこは申し訳ないと思う。たぶん何人か、いや何人も死んでるだろうし。


「単刀直入に言おう。貴殿は私に協力してもらうことにした」

「力が欲しいとか何とか言ってたよな。ユズじゃダメなのか?」

「あの護衛に用はない。やはり貴殿の方が早いとわかった」


 あの時と同じだ。この人は俺を取り込もうとしている。

 あの時はユズがいて、守られる立場だったが、今は違う。もはや選択肢はない。


「……詳しい話を聞きたいところだが、俺もやりたいことがある。協力してほしい」

「内容にもよるが、構わぬ」


 こうなってしまってが最後、なるようにしかならないので、俺も割り切って早速打診してみたのだが、あっさり快諾と来た。


「場所を変えるとしよう」


 ブーガは鞘を一閃――俺を上方向に打つ。何気に打撃の中では今日一番のダメージ量だ。

 高度が露骨に増えていく中、すぐにブーガも並走してきた。


「どうなってるんだそれ。風魔法か?」


 風圧が凄すぎて発声など聞こえるはずもないが、この人も振動交流《バイブケーション》はお手の物らしく、しっかりと届いたのが横顔からわかる。


「風魔法も、空中足場《エア・ステップ》も、己が脚力も、すべてを使っている。貴殿は何も使えないようだな」


 一見すると魔法で浮いてるようにしか見えないが、たしかに時折高速で足を動かしたり、一瞬だけ出現させた見えない壁を蹴ったりしている。


「詠唱していいなら、俺にも手段はあるけどなぁ」

「あの理不尽な爆発か。貴殿の謎はいったん置いておこう」


 俺はユズと一緒に相対した時の口調をそのまま使っているが、ブーガに気に触った様子はない。

 シキやサリアもそうだが、形式にとらわれないのはやりやすくて助かる。


 しばし上昇していた俺達だったが、ブーガの魔法によって停止させられた。

 見えない壁にぶつかるのと同時に、下方から鞘で押しつけられる。反作用を相殺したのだろう。

 ブーガ自身が吹き飛ばないのが不思議だが、さらに魔法を重ねているに違いない。相変わらず衝撃波も出ていないしな。


「鳥人の横槍が心配なんだが」

「杞憂である」

「なぜそう言い切れる?」

「既に威圧を放った。鳥人も獣人と同様、仲間意識が強い。今頃この辺りには近づくなと共有されておろう」


 威圧のオーラを飛ばした、という意味だろう。

 オーラってそんな魔法みたいに制御できるものなんだろうか。


 アウラやサイ人も手強かったが、こうして間近で過ごしてみると、この人はやはり別次元なのだと痛感する。


「それでも近づいてきた鳥人がいたら?」

「切り捨てるまで」

「ペナルティには接触しないのか? アンタでも竜人には勝てないだろ」

「この場合は該当しない」


 こうして普通に話に応じてくれるあたり、信用はされていると思って良さそうか。逃がすつもりがないともいう。


 ……真面目にどうなるんだろうなぁ俺。

 前回もこの人のせいでグレーターデーモンの巣に行く羽目になったわけで、今回も同じような目に遭うんだろうか。


「さて、どこから話したものか――」


 ブーガの説明が始まった。


 予想に反して、話は一時間近くも続いた。

 中身はこれから咀嚼しなければならないが、一言で言えばこの五文字だろう。


 ふざけるな。

第156話 交渉

「――次は俺の番だ。構わないよな?」

「構わぬ。なれど無期限無条件に聞いてやるほどの暇はない」

「わかってる」


 さっきまでの話も含めて、強行と独善が目立つブーガであったが、同時に人格者でもあるようだ。

 一切の私利私欲がなく、人類救済などという馬鹿げた大望を掲げている。


 だからこそ器量も広いのだろう。対等に向き合おうとしてくれる姿勢が嬉しかった。

 シキも、ヤンデも放り出して、この人についていきたい――

 そう思わせてくれる。半分冗談だが、半分本気だ。


 しかし、はいそうですかとホイホイついていけるほど俺は単純ではない。

 一方で、まだまだジャースに疎い俺は言わば初心者なのだから、いっそのこと任せてしまえば良いのではという気もしてくる。初心者が意地を張っても非効率なだけなのだから。


 結局、俺は現状打開のためにブーガに頼る、というスタンスで行くことにした。


「エルフと獣人の領土問題を解決しようと考えている」

「動機は?」


 出来れば隠したかったが、聞かれたのなら答えるしかない。

 この人は内心を打ち明けてくれた。誠意も見せてくれている。狡賢く立ち回る気など微塵も起こらなかった。そもそも通用しないだろうしな。


「王女を解放するためだ」

「ヤンデ・エルドラか――あの少女は強いぞ。手合わせ願いたいくらいにな」

「サリアは実の娘を兵器として使いたいようだが、それでは何ヶ月かかるかわからない」

「かげつ?」

「何週間かかるかわからない」

「ふむ」


 ジャースに月という単位はない。そもそも月がない。

 もう馴染んだと思ったが、とっさだとまだまだ現代の方が出てきやがるな。


 ブーガも内心はさておき、突っ込んでこない様子なので、そのままスルーする。


「そこで俺はエルフと獣人を《《共存させる》》案をぶつけて、この問題を収束させる」

「無理難題に聞こえるな」

「理屈はある。視察してみて、行けそうだという感触も掴んだ」

「先ほどの騒動は、もしやそのためか?」

「ああ」


 にしても、こんな上空で二人きりで会話するのってどうにも落ち着かねえな。


 俺とブーガは透明な足場に腰を下ろし、正座で向かい合っている。

 まずこの時点でシュールだし、鞘に収まったロングソートも浮いてるし、周囲の眺望も現実離れしていた。


 地平線や水平線が三次元に拡張されたとでも言えばいいのか、上下左右、どこを見ても空しかない。

 下を見ても陸地や海は見えないし、上を見ても宇宙を予感させる青の濃さや黒い空間は皆無。雲も無くて、どこまでも青々とした光景が続いているだけだ。


「丸一日だ」


 俺は人差し指を立ててみせる。


「アンタが俺に言ったように、俺も丸一日ほどアンタを好きに使わせてもらう」

「何をやらせるつもりだ? 私には制約が多い。事前の共有を勧める」


 暗に何でも聞くわけではないと強調するブーガ。


 ブーガから頼まれたことは二つあった。

 一つはふざけるなとしか言い様がない事だが、これは今考えても仕方ないので置いておく。

 もう一つは、



 ――貴殿で特訓させていただきたい。



 要するに、丸一日ほどサンドバッグになってくれというお願いだった。もはやこの人に隠す意味もないため、俺も了承せざるをえない。

 その代わりに、俺もこの人を利用させてもらう、というわけで同じ条件である丸一日の拘束を提示してみたわけだ。


「まずはサリア、ヤンデ、獣人の代表、俺の四人が話し合える場を設けてもらう。もちろんアンタも同席だ」

「ふむ」

「そこで俺は持論を話し、双方の了承とヤンデの解放まで漕ぎ着ける。漕ぎ着けられそうにない場合は、半ば力尽くでさせてもらう。アンタの力も借りたい」


 エルフ領、獣人領と区別されてはいるものの、ダグリン共和国の一部である。

 そして目の前の男こそが、ダグリンの頂点に君臨する皇帝であり法規だ。この人が右と言えば、たとえサリアであろうと従うしかない。


 もっとも、ブーガは筋の通らないことを押し通すほど無能でもなければ暴君でもない。

 俺はまずこの人を納得させなければならない。


「俺の持論だが、結論は『やってみなければわからないから試してみよう』になっている。つまり試させるところまで持っていく必要がある」

「あの興味深い村と同じやり方であるか」

「……ああ」


 俺は以前アルフレッドの国政顧問として、地方の貧困を救う村の運用案を出した。

 既に運用中のはずだが、アルフレッドの機密事項でもあるはずだ。当然のように知っているのはなぜなのか。


「既に示したように、私には隠密《ステルス》と|速さ《スピード》がある。国を統べる者として、現実には目を光らせておるのだ」

「……」


 そしてポーカーフェイスをつくっているはずの俺の心まで読み取ってきやがる。いや俺が下手なだけかもだが。


「時間がない。早速行動に移したい。明日の朝、七時に集まってもらう。それで問題ないか?」

「構わぬ。場所の希望は?」

「軍事境界線。人間領の近くでいい」

「貴殿はどうするのだ?」


 ブーガはもうロングソードを手に取り、鞘から抜いて、俺に刀身を見せつけている。今度は何の抑圧もしてないらしく、彼らしい上品な風圧が俺を襲った。

 魔法を使えない俺に堪《こら》える術はなく吹き飛びそうになったが、ブーガが俺の太ももに突き刺すことで押さえてくれた。

 傷一つつかない皮膚を見て、ブーガが「ふむ」片手で顎を撫でる。


 何が言いたいかはわかる。人の気も知らないで、ずいぶんと楽しそうな目を浮かべてやがるな。


「今やっても時間的に中途半端だろ。俺で遊ぶのは後にしてほしい」

「それは残念である」


 ロングソードが目にも留まらぬ速さで鞘に収まり、宙に浮いて静止した。今度は衝撃波も何もない。

 遅れて、キンッと安っぽい収納音が聞こえてきた。


 音が露骨に遅れている感覚。これもまだまだ慣れない。


「ここで時間でも潰すか。色々話がしたい」

「ならばこれを渡そう」


 ブーガが懐から小瓶を二本、取り出した。

 異次元空間とでも言えそうな色調の液体が入っている。どこかで見たような、見なかったような。


「エリクサーである」


 マジかよ。


「貴重じゃねえのかそれ」

「貴殿ほどでない。おそらくこれも要らぬであろう」

「まあそうだが……」


 注意資源の回復には睡眠が必要だが、俺にもブーガにも眠る隙などない。俺は寝床の確保すら怪しいし、この人もさすがに俺を放置したまま眠るほど甘くはないだろう。

 だから今夜は眠らず、注意資源さえも回復させるエリクサーで睡眠をカットしようと言っているわけだ。


「楽しみである」


 ブーガがダンディーな笑みをこぼす。

 俺は一体何をされるのだろうか。この人でも俺の無敵を崩せるとは思えないが、ただただ純粋に怖い。

 頼むから封印ルートはやめてくれよ。


「貴殿は何か飲むか?」

「俺はいい。つか飲み物なんてあるのか? ゲート?」

「水は力業でつくるのだ」

「は?」


 ブーガは両手を重ね合わせると、ぐっと力を込めた。

 手の隙間から水がこぼれ落ちて、見えない皿に留まる。


 それを何度か繰り返し、新鮮で美味そうな小さな水溜まりが宙に出来た。


「上空でつくると特に美味いのだ。手間はかかるがな」


 水溜まりを手で掬って飲むブーガ。水溜まりはともかく、水の絞り出し自体には一切魔法を使っていない。

 圧縮した空気から水をひねり出した、といったところだろうか。


「いや意味わからん」


 塵一つない上空で、俺達は静かな一夜を過ごした。

 いわゆる一晩中語るというやつを、二週目の人生で初めて経験した。

第157話 交渉2

「ブーガ殿。こんな場所に呼び出して、何をされるおつもりで?」


 女王モードのサリアが楚々とした立ち姿で問い詰める。その先、ブーガも一応身だしなみは意識したようで、昨日の小汚い三流剣士風から、食うのには困ってなさそうな二流剣士風にグレードアップしている。


 第二週九日目《ニ・キュウ》の朝七時。

 俺達五人は軍事境界線の荒野――人間領から西に十キロメートルほど離れた場所に集まっていた。

 空は雲一つない快晴で、周囲も全方位地平線。二度寝したくなる開放感だが、まずは仕事を終わらせねば。


「サリア殿。話すのは私ではない」


 ブーガがそう言うと、こちらを一切見向きもしなかったサリアが初めて俺を向いてきた。

 無論、容姿はジーサに擬態してある。


「ジーサさん。皇帝を用心棒に使うとは、どういう了見なのでしょう? いくらアルフレッドの客人といえども、出すぎているのではありませんか?」


 目が笑ってないサリアの微笑は、それでも美人だなどと感想を抱かせる余地を与えない。

 一介の社会人であり童貞に過ぎなかった俺に、高貴な淑女の圧は厳しいものがある。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。オイはウヌを気に入った。再戦したい」


 俺達が睨み合っている中、足元で寝っ転がる獣人がそんなことを言ってくる。

 この四本角で全身クリーム色のサイベースは、昨日俺が2ナッツで吹き飛ばしたばかりだというのに、もうピンピンしてやがる。


 ギガホーン・サイ・バッファロー。

 獣人から構成される大規模パーティー『ソルジャーズ』および『ガーディアンズ』の頭領を務める傑物で、獣人族随一のタフさを持つ。

 なんだか気に入られたようで、さっきから視線が痛い。


 今からコイツらを説得すると考えると、頭痛が痛い気分。


「まずは俺の話を聞いて下さい。いや、聞け」


 俺はあえて不躾に言い放ち、腰を下ろして胡座をかいてみせた。

 瞬間、体操座りでおとなしくしていたヤンデが腕に抱きついてくる。「ふむ」ブーガが何か得心しているがいったんスルー。


「エルフと獣人は双方とも土地不足の問題を抱えている。これを解決するために、現状はお互い争って領土を奪い合っている――この認識は合ってるよな?」


 サリアとギガホーンは二人ともすぐに頷いた。

 変なプライドで逡巡しないのは潔い。あるいはブーガがそれだけ恐ろしい存在なのかもしれないが。


「であれば、土地不足さえ解決できれば、別に争わなくてもいい。これも合ってるな?」

「いいえ。野蛮な獣は掃討するべきです」

「エルフとの戦闘は刺激的だ。取り上げられるのは気が進まぬ」

「あらあら、珍しく獣さんと意見が合いますね」

「サリア・エルドラよ。普段のだらしないなりはどうした? ジーサ・ツシタ・イーゼを誘っているのか?」

「冗談は皮膚だけにしてくださいね。変態に興味はありませんし、好みでもありません」


 一国の女王が私情を語るのはどうかと思う。

 しっかし、エルフの言葉責めも悪くないなと大してマゾでもない俺が思ってしまうくらいには、やっぱりエルフは美人すぎるな。いつになったら慣れるのだろうか。慣れる日は来るのだろうか。


 と、口には出せないことを考えていると、ぐいっと勢いよく引っ張られた。


「何言っているのかしら。これは私のモノよ」


 ヤンデさんも張り合わなくていいから。


「ヤンデ・エルドラよ。彼はオイが先に借りることになっている」


 貸しますなんて一言でも言ってないんですけど。

 マイペースなコイツらのおかげでサリアの冷たさが中和されてるのは助かるが、これでは話が進まない。

 なぜか膝枕させようとするヤンデから逃れつつ、俺が口を開こうとすると、


「ヤンデ殿。ギガホーン殿。申し訳ないが、ジーサ殿は私としばらく付き合うことになっている」

「……」


 ブーガの一言で、場が嘘のように静まり返った。

 威圧オーラバッチバチだったサリアも全て引っ込めており、顔が微かに引きつっている。


「彼は私のものだ」

「……ジ、ジーサ? あなた、そういうのが好み、なのかしら」


 ヤンデも思わずといった様子で俺の頭と腕を離し、顔色がおろおろと青ざめ始める。


「違えよ」

「私はやぶさかでもないのだがな」

「アンタも何言ってんだ」


 ブーガなりに場を収めようとしてくれたのだろうか。あるいは、



 ――心を開いてくれぬ民が多いのだ。


 ――面白いこと言って笑わせればいいんじゃね。



 昨日喋ったことを早速試しているのかもしれない。話してみて色々わかったことはあったが、この人、結構天然なんだよなぁ……。

 ともあれ、このチャンスを生かさない手はない。


「要するに、領土争いは必要悪ってことか」


 俺は無理やり話を戻しつつ、端的に問題を要約してみせる。

 通じるか怪しかったが、通じたようで、サリアは一瞬だけ目を見開いた。「……その通りです」上手く本質を突けたようでほっとする。


「我らエルフには、自らの矜持を維持するために身近な敵が必要です。対して獣人の皆様も、滾《たぎ》りを抑えるための戦闘相手を必要としています」


 ギガホーンも特に楯突くことなく肯定し、ヤンデもおとなしく正座に移った。サリアが言葉遣いを変えたことで、真面目な外交の雰囲気に入ったようだ。


「なるほど。まあ知ったこっちゃねえな」


 もう一度挑発的に返してみたが、今度は何も読み取れない目で続きを促してくるだけだ。


「人と人が争っていい理由なんてない。大多数の弱者の存在も考えれば、争いの無い世の中が最善に決まっている」

「最善と現実は違いますよ」

「だからといって、戦闘を正当化するのは違うだろ。無能のやることだ」

「言ってくれますね」

「身近な敵の確保と滾《たぎ》りの解消は、別の手段を考えればいい。今はいったん置いておく。ブーガ、書くものをくれ」


 俺が皇帝を呼び捨てたからだろう、サリアでさえ「マジか」と言わんばかりの反応を見せてくれたのが少し気持ち良い。

 そんな三者など露ほども気にしていないブーガは、どこからともなく大きな板と筆記道具――赤泥と呼ばれる泥を固めたものでレッドチョークと呼ばれている――を取り出した。


 そういや普段は道具を隠密《ステルス》で包んで運んでるって言ってたな。

 ゲートやテレポートは使わないし、そもそも使えないらしい。曰く、脆弱の主因になるとのことで。


 一辺一メートルくらいの板が地面に置かれる。「北ダグリンと三領土を描いてくれ」さらにお願いすると、数秒後にはもう精巧な北海道の地図が出来ていた。

 ふとレッドチョークの塊を見ると、綺麗な断面が入っている。切り取った欠片が板の上で高速に動いたのは見えたが、まあ一生真似できる気はしないな。


「エルフと獣人の共存を考えている」


 チョークを受け取り、軍事境界線の上下に位置する領域を交互に叩いて示す。


「まずは小さく始める。いきなり深森林全土で共存させるんじゃなくて、範囲を絞って試す。そうだな、たとえばこの辺にこれくらいの領域を確保して、ここで試す」


 ちょうど帯広のあたりを適当に囲ってみた。

 余談だが、レッドチョークの書き心地は抜群である。墨の切れない筆と言っても過言ではない。

 手が汚れる上に少々臭うため高位の者には敬遠されがちだが、ダグリン共和国の庶民の間では重宝しているという。たしかに王立学園でも見たことないな。


「なぜ獣人領なのだ?」

「例は適当だから気にするな」

「試すとは?」


 寝転んだままのギガホーンのそばで、サリアが上品に腰を下ろしてきた。

 威圧も軽蔑もない御尊顔と目が合う。ドレスから覗く御御足《おみあし》も含めガン見したくなるが、ここはグッと堪えて、


「エルフと獣人を募って、実際にここで暮らしてもらう。ちゃんとした褒美を用意すれば、手を挙げる人はいくらでもいるだろ」


 エルフは潔癖で誇り高い種族だが、それ以前に人であり女性だ。退屈を退屈と感じる感性もあれば、欲や好奇心もある。

 獣人も同様で、獣のように理性がなく自制が効かないわけではない。その気になれば我慢くらいできる。

 期間こそ短いが、実際にこの目で見てみて、俺はそうだと確信した。


 種族が違えど、森人《エルフ》も、獣人も、人であることに変わりはない。

 違うのは文化と身体的特徴、あとはステータスの傾向くらいで、人の本質は同じなのだ。


「この中で血が飛び交うのが目に見えますね」

「禁止すればいいさ。竜人が協定でそうしているように、お前らが監視体制を整えればいい。破った者には容赦なく罰を与える。獣人はともかく、エルフは得意だろ?」

「さすが猥褻《わいせつ》行為で二度も罰を受けた者の言うことは違います」


 サリアの皮肉はスルー。「ふむ」などと意味深に頷くブーガも無視だ。「やはり変態ね」ヤンデさんもちょっと黙っててほしい。あと股間見るな。


「募った後、どう過ごしてもらうかだが、基本的には当人達で話し合ってもらう」

「殺し合いの間違いでは?」


 サリアは二種族が同じ場で暮らすイメージが湧かないらしく、顎に手を当てて首を傾げている。


「争ったら死ぬとわかっている以上、お互いに妥協点を探るしかない。既に竜人に縛られてるアンタらならわかるはずだ」


 人類は争いをなくせない程度には未熟だが、滅亡を受け入れてまで争い続けるほど愚かではない。

 たとえ相手がどんなに憎くとも、滅びるくらいなら協調を、妥協を、諦念を選ぶ。

 種の生存と持続は自然の摂理だ。遺伝子のレベルで染み付いている。

 多少こじらせた思考や哲学で脱線しようとも、最終的には、滅びないことを第一とした立ち振る舞いに収束していく――


 この真理が通じるかは怪しかったが、竜人のおかげで助かった。コイツらの沈黙は肯定と受け取って良い。


「無論、ダグリンルールみたいにこちら側から定めることもできなくはないが、エルフや獣人には向いていない。実際に暮らしていくのは民自身だから、あくまでも民主体で考えてもらう」


 てっとり早く鎮めたいなら、エルフ領も獣人領もブーガの手中に収めればいい。

 既に二領地を除くダグリン共和国は、ダグリンルールという社会主義的ルールによってギッチギチに管理されている。そこにエルフと獣人もぶちこめばいいだけだ。


 しかし、今のエルフや獣人の価値観では、ブーガの規律には耐えられない。



 ――まだ踏み切れる段階ではない。



 他ならぬブーガの言葉だった。

 まあこれは逆を言えば、段階が来たら支配するとも取れるわけだが。

 この人はつくづくスケールが違う。


 一瞬、この人がいなくなった後の未来が頭をよぎったが、それは今考えることじゃない。


(そもそも俺も加担することになったし……)


 ブーがの二つ目のお願いは、何度思い出してもふざけるなとしか言い様がないことだが、うん、今考えることではないな。


「大筋は理解しました。民の自主性に任せるということですね」


 サリアは地図から顔を上げると、両手を前で組む。

 お辞儀でも来るのかと思ったら、その宝石のような眼が閉じられた。


「……」


 何を考えているのかはわかるはずもない。わかると言えば、瞑《つむ》った顔も美しいことくらいだ。「いいかげんにしなさい」ヤンデさんにはバレバレのようで、喉パンを食らう俺。喉って。


 もう演技の必要はないが、痛がりながらさすさすしていると、サリアのまぶたがぱちりと開いた。


「ですが、明らかな問題が一つあります」


 女王は俺とギガホーンを交互に見やった後、


「獣人が我らを襲う危険性は無視できません」

第158話 交渉3

「獣人が我らを襲う危険性は無視できません」


 サリアの言わんとしていることはわかった。彼女の向けてきた視線が、胸チラに気付いた女のそれと同じだったからだ。

 思わず胸中で言い訳したくなるが、仕方ないんだよなぁ。いや本当に。


 エルフの容姿は反則である。少なくとも前世のどの女よりも目を奪われる。

 一見すると芸術的な美しさで、性的ないやらしさとは違うと思いがちだ。俺も最初はそうだったが、どうも両者は混ざるらしい。美しさといやらしさは紙一重なのだとさえ思う。

 バグってなければ、俺も手の一つや二つは出ていたかもしれない。


 もっとも、こんな外交の場でそんな正直なことは言えるはずもない。


「……それはこの試みが成功して、本格的に拡大した後の話だよな?」

「そうです」


 実験の初期段階では監視の目を光らせるため、誰も馬鹿な真似はすまい。


 問題はその後だ。

 適用範囲を広げれば、その分監視の密度は浅くなる。一方で、監視の人材も無限ではない。

 少々の犯罪率なら従来の暴力装置でカバーできるが、サリアが言っているのはそうではなくて。


 エルフの美貌の前には、少々どころでは済まないのではと。

 そう指摘している。


「頭領ギガホーン。獣人の代表として、何か言いたいことは?」

「ウヌの仕事をオイに押しつけるでない」


 話を振ってみたが、意外にも冷たい反応。獣人族は淫らだと馬鹿にされてんだから、少しは腹立てろよ。


「話は終わりですか?」


 サリアが急かしてくる。さすがに説明だけで丸く収まるほど甘くはないか。


「ジーサ……」


 ヤンデが親の機嫌をうかがう子供のごとき目で見てくるが、見くびるんじゃねえ。「ふむ」アンタも将棋を観戦してるおっさんみたいな顔してんじゃねえよ。一日券はまだまだ残ってるぞ。この後もしばらくこきつかうからな。


「わかった。じゃあ実際に危険があるかどうかを確かめに行こう」


 俺は板を裏返し、


「まずはダグリンの外で活躍している、冒険者のエルフを一人用意する」


 一人の棒人間を描く。

 次いで少し離したところにさらに五人ほど描き、線で囲ってグルーピングした後、一人の方へと矢印を伸ばす。


「これがエルフで、こっちで獣人達だ。今からこのエルフを連れて、獣人領に行く。行き先はでたらめでいい。目的はコイツら――獣人達に姿を見てもらうことだ。その時、どういう視線を寄越されたのかをこのエルフに教えてもらう。とりあえず数十人から数百人ほどでいいだろ」


 五人の塊をレッドチョークでコツコツ叩くことで強調する。


「私達も付き合えと?」

「当たり前だろ。この目で確かめてもらう」

「移動はどうするのです? そのエルフとはどうやって連絡を?」

「女王サリア。それはアンタの仕事だ。リンダとか使えばいいだろ。いや使え。今すぐに寄越せ」


 サリアは器用で可憐で、しかしこれでもかと嫌悪と拒絶を滲ませたため息を露骨に見せながらも、「アシスター」早速|女王補佐《アシスター》を呼び寄せる。

 言わば皇帝ブーガで脅してるわけだからな。いくらサリアでも抗えない。


 間もなくゲートでやってきたのは、リンダではないエルフだった。

 エルフには珍しいベリーショートで、長い耳の付け根もうなじも丸見え。つい目が吸い寄せられてしまう。

 命令した俺が言うのも何だが、忙しそうに話す女王らを見ていると、


「外のエルフを連れてくるってどういうことよ?」


 ヤンデがこちらを覗き込むように割り込んできた。


「ん、ああ、外で冒険者してるエルフなら性的な視線にも敏感だろ?」


 ジャースでは俺のようなソロプレイヤーは珍しい。

 デリケートなエルフと言えども、冒険がしたいなら誰かと組むのが普通だろう。この世の半分――かどうかは知らないが――は男性だ。パーティーに男がいる可能性は低くない。

 そうでもくとも、冒険者としてあちこちをうろつけば、必然的に男に見られる機会も増える。


「ただでさえ感覚の鋭いエルフだ。性的に見られているかどうかを知ることくらいできてもおかしくはない」

「ねえ。どうしてあなたはそんなに節操がないのかしら?」

「何のことだ」

「あのアシスターにもいやらしい視線を送っているじゃない」

「気のせいだろ」

「……あなた、私への応対が雑になってない?」

「それだけ親しくなったってことだな」

「そ、そう……」


 ヤンデさんが何やらもじもじし始めた。ぼっち歴長い俺にはこそばゆいからやめてほしい。「ちょろいな」ぼそっと呟いて雰囲気を壊そうとしたが、


「勘違いしないで頂戴。あなただけなんだから」


 まさかのカウンター、ツンデレ攻撃で俺を殴ってきやがった。「……ああ」台詞を失った俺の方がちょろい件。


 俺とヤンデが意図せずいちゃつく中、ブーガとギガホーンも何やら話し込んでいた。魔人、ギルド、要塞《フォートレス》――単語から察するに、どうもギルド主体の魔人族討伐絡みの話みたいだ。

 ヤンデを無視して聞き耳を立てていたら、側頭部を殴られた。今どき暴力ヒロインはモテませんよヤンデさん。


 数分くらいでサリア側の調整も終わったようだ。

 見慣れないエルフが一人残っている。彼女はブーガやギガホーンといったメンツに動揺を見せていたが、すぐに立て直すと、


「ルキア・ルチア・マクラスと申します」


 鎖じゃない帷子《かたびら》に身を包み、口元も手ぬぐいで覆っている。鮮やかな緑の髪と艶《あで》やかな長い耳は丸出しだが、忍者の二文字が脳裏に浮かんだ。


「早速だがルキア。別の服に着替えてくれ。市民《シビリアン》が来てるような庶民的なものでいい」

「……わかりました」


 一瞬だけゴミを見る目で睨まれたが、力関係も理解してくれたようで助かる。


 ルキアは早速帷子を脱ぎ始めた。ああ、エルフってこの手の羞恥心が無いんだよな、と思いつつ視線を固定していると、ふっと暗くなる。


「ヤンデ。何をする」

「あなたが見る必要はないわよね?」

「話を聞いてなかったのか。コイツには視線を判定してもらうんだよ。手始めに俺の視線で試す」

「どうせ見たいだけでしょう?」


 まったくもってその通りなので、無言でスルーする。

 ヤンデさんは見逃してくれず、着替え終えるまで俺の視界は封じられたままだった。


「こちらでよろしいでしょうか」


 着替え終えたルキアの格好は、上はビキニとボレロ、下はタイトスカートとシンプルながら露出が多めだ。といってもエルフ領ではさして珍しくもない。色も薄めの緑で統一されている。


「ああ。これからアンタにやってもらうことを説明する」


 獣人から向けられてくる視線が性的かどうかを数えてくれ、といったことを流れも交えて説明した。


 最後に、この中で性的な視線を向けた者がいないか尋ねたところ、ゼロだった。

 性的な視線とは、ここでは「条件が揃えば襲ってくる可能性が高い」と定義している。何百回と襲われたことのあるのルチアは、その手の視線に敏感らしい。

 彼女曰く、ただの性欲や興味とは明らかに異質で、非常に気持ち悪く、殺意の方がマシとのこと。


「遠慮しなくていいのよ。本当のところはどうなのかしら?」


 俺が当てはまらなかったのが不服なのか、ヤンデはしばらく粘っていた。王女に絡まれてやりづらそうだからやめてさしあげろよ。






 エルフが獣人領をうろつけるはずもないので、ストロングローブの調査としてギガホーンがブーガとルキアを同伴する、という体を考えた。


 三人には人通りの多い場所で飛んでもらい、大木を眺めながら何かを喋るという調査風景を演出してもらった。

 防音障壁《サウンドバリア》が張ってあるため、声が届くことはないが、住民達はほぼ例外なく手足を止めてくる。しかし口元はそうではなく、


「エルフって美人だニャ……」

「アタシとどっちが可愛いニャ?」

「邪魔するニャ。お前はいつでも見れるニャ」

「もうっ!」

「キャットの嬢ちゃん、大目に見てやれよ。エルフなんて滅多に見れるもんじゃねえんだ。眼福眼福」

「ドッグのおじさんは黙るニャ。殺すニャ?」


 そんな風に男が取り乱されてる光景が至るところで発生している。


 俺と王族親子は、三人を見下ろす位置から成り行きを見ていた。

 周囲に悟られることはない。ヤンデによる隠密《ステルス》と高精度な振動交流《バイブケーション》が行使されているからだ。

 たしか近衛《ライム》も同じことをしていたが、コイツ本当に何でもできるよな。


「ジーサさん。これでよくおわかりいただけたかと思います」

「……そうだな。エルフは想像以上に目を引くらしい」


 エルフがあらゆる事物を神経質に捉えるのに対して、獣人は気分と好みに従ってマイペースに動く。たとえ有名パーティーのリーダーや自国の皇帝がいようと、これほどの注目を集めることはまずない。

 あるとすれば、ルキアというエルフの存在に他ならなかった。


「早く解放してもらえませんか。私達は暇ではないのです」


 サリアは優雅にティータイムを楽しんでいる。カップもソーサーもポットも全部木製なのがエルフらしい。

 こくりとのんびり喉を鳴らす様は、全く台詞と噛み合っていない。どうせブーガには抗えない、というわけで開き直ってくつろぎ始めたようだ。


「まだだ。後で文句言われても困るからな、数百人分は判定してもらう。あのルキアとやらは、物覚えは大丈夫なんだろうな?」

「彼女は有能です」

「ならいい」


 ルキア達は俺がいいと言うまで続行することになっている。まだ百人にも至っていないため、俺もまだまだ出すつもりはない。


 結局三十分ほど頑張ってもらい、五百人以上の視線を受けてもらうことができた。

 本当はもう少し早く切り上げても良かったが、俺が直近の立ち回りを考えたかったため時間を稼がせてもらった。


「やっと終わったのね」


 ヤンデが呑気に伸びをして薄い胸を張っている。立ち回りってのはお前のことなんですけども。


「……」


 ふと、俺はどうしてコイツのためにここまで頑張っているのだろうか――と考えて、胸中で頭を振る。


 ぼっちの意地を張るのはいったんやめると決めたばかりだ。


 彼女の好意を素直に受け取ればいい。

 男の欲望を正直にぶつければいい。

 バグってるから期待はしてないが、ヤンデとヤレることは楽しみにしておこう。男のモチベーションなんて、そんなものだ。


 俺達はもう一度、軍事境界線に戻り、起伏一つとない平地な荒野の上でルキアの報告を聞く。


「いませんでした」

「他の種族と比べて傾向はありましたか?」

「はい。獣人は、他の種族と比べると視線に遠慮がないようです。しかし、性的なものはありませんでした。どちらかと言えば対抗心が強いように思います。闘志や挑発は何度もぶつけられています」


 最後のぶつけるの下りはオーラのことだろう。


「数字で言うと、どの程度ですか」

「鳥人については、ご存じと思いますが三人は一人は性的な視線をぶつけてきます」


 鳥人の民度、底辺じゃねえか。やはり空をうろつくのは危なそうだ。

 特に意味もなくヤンデの方を見ると、口パクで「あなたもよね」とかぬかしてきた。お前はどうしてそう俺を変態にしたがる。


「人間については、十五人に一人くらいでしょうか」

「それは男が、ってことか?」


 性別がわからないので一応聞いておく。


「人間についてはそうです」


 鳥人についてはそうじゃない、つまりは女がってことか。レズビアンやバイセクシュアルが多いってことなんだろうか。


「獣人について、数字でも言ってください」

「ゼロです」


 さっきから仕切っていたサリアは言葉を失うと、俺を睨んできた。別に何も仕組んでないんだがな。


 獣人は節操がないとか理性が薄いと見られがちだが、むしろ逆だと俺は考えている。そうでなければ単独行動などできやしない。

 第一、差別されがちな彼らが力を振るわず深森林に籠もるのだって、他者を傷つけたくないからだ。対象と距離を置くことで、穏便に済ませようとしている。見習うべき姿勢じゃないか。


 女王のくせに、そんなこともわからなかったのだろうか。


(いや、俺を利用しただけかもしれないな)


 必要悪な戦争を終わらせるために、あえてそれっぽい反発――女王の立場を守りつつも実は解決可能ないちゃもんをつけただけかもしれない。


「これで心配は無いとわかったな。他に疑問はあるか? なければ早速始めてもらうぞ」


 それ以上のツッコミはなかったので、実施計画の検討に移った。

第159話 交渉4

 女王補佐《アシスター》の手によって、軍事境界線の荒野に即席の応接スペースが設けられている。

 地面には板張りが敷かれ、五角形型のテーブルを配置。

 各辺には背もたれのない切り株の椅子を。天板には同様に木製の食器やら容器やらを。


 ここで自然の幸を飲み食いしながら、俺達は優雅に顔を付き合わせていた。


 実に濃密な一時間だったと言える。

 エルフと獣人が共生するエリアは『混合区域《ミクション》』と名付けられ、俺達は一つ目の混合区域を運用するための必要事項を洗い出し、また話し合った。

 印象的だったのは、サリアが女王補佐《アシスター》達に意見を求めていたことだろう。ギガホーンもまた通りがかった獣人を呼び止めては質問をしていた。


「ジーサさん。それでは報告の方、お願いしますね」

「ああ」


 自らの矜持を維持するために、エルフには獣人という敵が必要だった。

 獣人もまた自らの滾《たぎ》りを鎮めるために、エルフという敵が必要だった。


 混合区域で扱えないこの問題を解決するために、俺はアルフレッドを巻き込むことにしたのだ。

 具体的には、三種族合同の道場、競技、学校、パーティー編成――そういった機会を設け、エルフや獣人にはそこで暴れてもらう。この先導をアルフレッド、つまりは既に高度な社会システムで生きている人間達に任せた。


「ジーサ、あなた……」


 無論、王立学園の一生徒にすぎない俺にそんな権限などない。言わば勝手に外交を進めてしまったわけで、ヤンデは本気でひいていた。

 王女なんだからもう少し平静でいろよ。呑気に茶色い液体――何度か見たことあるが未だに何なのか不明だ――を飲んでる母親を見習ってほしいものだ。


 上裸の国王に何を言われるかはわかったものではないが、もう二種族が動き出している。抗うことはできまい。

 ヤンデという他国の王女もいる手前、お咎めも無いだろう。たぶん。


「とりあえず一段落だな」


 俺が言うと、ヤンデは物欲しげな顔を浮かべる。

 わかってる。忘れちゃいねえよ。


「実は本題はここからなんだが」


 解散の雰囲気が漂っていたところに、俺は水を差した。


 サリアがカップとソーサーを持つ手を下ろす。

 かちゃんと鳴ったのを後に、続きを待つ静寂が俺に刺さる。


「ヤンデを解放してもらおう」

「致しかねます」


 きっぱりと拒絶するサリアは、再びカップとソーサーを手に取る。妙に動作が緩慢なのは、俺へのささやかな嫌がらせだろうか。

 一口を味わい終えるの待って、俺は続きをぶつける。


「領地争いは解決した。もうヤンデを拘束する理由がない」

「まだしていませんよ。始まってすらいません」

「時間の問題だ。できそうってことくらい、アンタらもわかってるだろ」


 アジャイル、プロトタイプ、スモールスタート、リーンスタートアップ――

 類似した用語が多数存在するほど、このような小さく始めて反応を計測するやり方は主流である。だが、これらは知っているからそう思えるだけで、ジャースの時代水準では|全く新しい概念《パラダイム》に他ならない。

 俺がやったことと言えば、これら前世の知識を示しただけだ。


 サリアにせよ、ギガホーンにせよ、トップを張っているだけに馬鹿じゃない。相応の想像力は持っている。

 もう俺が居なくたって、コイツらは混合区域《ミクション》をメンテナンスしていけるだろう。


「わかりました。ヤンデを兵器として使うことは、非常時を除いてやめましょう。ですが、王女を他者の手に渡すことはできません」


 当たり前だが、痛いところを突いてきた。

 ヤンデは紛れもなく王族の血を引いているし、サリアも王女の存在を前提とした活動を始めている。正論では逆立ちしても覆せない。


 幸いにも、俺の一日券はまだまだ健在だ。


「ブーガ。アンタからも何とか言ってくれ」

「一体何を……」


 サリアは訝しみながら俺とブーガを交互に見る。女王モードの彼女にしては珍しい、素直なリアクションだ。


(ああ、そうか)


 そこで俺はようやく己の失態に気付く。


 傑物に頼りすぎている。


 そもそもブーガほどの人物に平然と頼み事をしている関係からしておかしい。実力も含めて、どんな裏があるのかと疑われかねない。

 目立ちすぎるのは良くない。

 仮に無敵という超常性がバレてしまえば、どうなるかわからないのだ。つーか、十中八九封印されるだろうからな。


 まあ今さらではあるか。少なくとも俺がシニ・タイヨウであることはブーガにはバレているし、一日サンドバッグ契約も交わして、というより交わされてしまった。

 問題はまだまだ山積みだし、むしろここから本番なまである。


「ふむ。では折衷案を取るとしよう」


 ブーガはマンガ肉みたく巨大なバーモンの身をかじりながら、


「ジーサ殿とヤンデ殿は引き続き王立学園に通う。卒業後、ヤンデ殿は王女として責務を全うする。どうかね?」

「問題ないわ」

「俺も異論はない」


 即答したヤンデに引きずられて、俺も同意してしまった。


「ジーサ殿は食べないのかね」


 マンガ肉の一部――それでも人間の頭部くらいはある身が飛んできたので、とりあえず受け止めて、机に置く。


「それは非常に稀少なバーモンで、イルカと呼ばれている。舌鼓を何度も打つことになろう」

「食事に興味はねえよ」


 全く打たれている様子のないおっさんに言われても説得力は無いな。それに前世のそれを知っている俺としては、食指も動かない。「オイがもらおう」ギガホーンが掃除機顔負けの吸引で奪っていった。


(しかしこの人、どういうつもりだ?)


 一日サンドバッグの他に、もう一つだけ《《ふざけた》》頼み事をもらっている。

 手間暇かかる仕事なのは間違いなくて、王立学園に通う余裕なんてあるはずがねえんだけども。むしろシキ王にも働きかけて便宜を図ってくれてもばちが当たらないレベル。


「いいでしょう。認めます」


 空気の読めるサリアが了承を差し込んできた。

 はい一件落着。本当にブーガ様様だな。俺一人だったら、こうもスムーズには行かなかっただろう。サリア達と事を構える未来もありえた。


「その代わり、週に一日、こちらで王女として過ごしてもらいます。構いませんよね?」

「問題あるまい」


 ブーガが即答を返したが、俺も同じ気持ちだった。

 十日間から成る一週のうち、一割だけを取ってきた。これが二割だとはっきり拒否できるところだが、一割くらいならどうにもやりづらい。抜け目ないな。


「もちろんジーサさんもですよ」

「……は?」

「当たり前じゃない。あなたは私の婚約者なのだから」

「何言ってんだよ。王女やめる機会だぜ? もっと抗えよ」

「せっかくの血だもの。利用させてもらうわ」


 長くはないが、短くもない付き合いだからわかる。小さな木の実をヒョイパクするヤンデの横顔には、安堵が滲み出ていた。


(そうか……)


 王女という立場なら、もう自分の体質に悩まされることもない。


「ふむ、婚約者とは初耳である。おめでとう」


 何がおめでとうだよ。アンタのふざけた頼みを実行するのは俺だろうが……。


 何にせよ、ヤンデの奪還には成功したから良しとする。良しとしたい。

 ……いや、むしろこれ、状況悪くなってね?


 ブーガのふざけた依頼が何度も頭に蘇る。

 その度に、俺は胸中で嘆息するのだった。

第160話 確信

「アウラ。君が誰を思い浮かべているか、当てられると思う」


 第二週九日目《ニ・キュウ》の午後六時半。

 既に放課後に入っており、夕日が沈もうとしている時間帯だ。生徒や教員がプライベートに心を躍らせる時間でもあるのだが、二人の表情は深刻だった。


「シニ・タイヨウ、だね?」

「……ええ」


 王立学園のランドマークとなっているAクラス校舎。その最上階『国王専用エリア』に二人はいた。

 ラウルは窓際から校内を眺めている。対してアウラは、広々とした室内の中央で正座しており、普段の茶目っ気は鳴りを潜めている。


 既に回復は済ませ、心の冷却期間も設けた後だろう。とりあえず無事であることにラウルはほっとした。

 心配は口には出さない。プライドを逆撫でするだけだからだ。

 他ならぬ自分がそうだったからこそ、よくわかる。こういう時は用件を進めてしまうのがベターだ。


「彼はどういう戦い方だった? パワータイプかい?」


 ラウルの脳裏に王宮の中庭――第二王女ナツナごと消し去ったであろう大穴が浮かぶ。


「少し違うけど、身体を張るタイプでした。魔法は使えないみたいだけど、深森林を飛び回る要領はずば抜けていたわね。第一級の獣人と言われても納得する」

「使えないのではなく使わないだけ、という可能性は?」

「ないと思う」


 一流の魔法師であるアウラがそう言うのなら間違いあるまい。


「バーモンを従えていたのも気になるかな。ウミヘビやウニは知ってる?」

「ああ。昔、師匠に教わったよ」


 青髪の師匠との苛烈な鍛錬を思い出す。深森林の川に比べれば、そこいらのダンジョンなどぬるま湯でしかない。

 また行ってみたいところだが、ラウルには深森林に入れる権限がない。かといって師匠にお願いするのも気が引ける。


「従えてると言ったね。それは調教師《テイマー》ってことかい?」

「おそらくは。魔素は感じなかったから」


 モンスターを操る手段は二つしかない。

 まずは魔人だ。生理的嫌悪感の正体とされる魔素をモンスターは放出しているが、魔人も同様、放出する体質を持つ。

 だからなのか、魔人はモンスターと通じ合うことができ、自由に命令を下せるといわれている。その脅威はギルドも認識しており、現在も討伐作戦――ラウル達はアルフレッドに下ることで勧誘を回避した――が進行中だ。


 しかし魔素は感じなかったという。

 魔人ではない。となると、残る手段は一つ――調教《テイム》しかない。


「体にウミヘビを巻き付けていたから近付けなかった。口の中にウニを潜ませていて、針を飛ばしてきた……」

「……」


 今なお唖然とした物言いをしてみせるアウラを誰が責められようか。


 調教はモンスターを脅すようなものであり、高度な命令などできやしない。体に巻きつけるのはもちろん、口内に潜ませるなど前代未聞だ。


「魔素を隠せるという可能性は?」

「考えたくないわね」

「……そうだな」


 仮に魔人が魔素を隠せるとしたら、完全に人間社会に溶け込めてしまう。

 モンスターを操るなどという反則級の特性があることを考えれば、国家の転覆や支配も難しくはない。


「敵の攻撃手段は? 君のことだから接近はしてないんだろ?」

「――ナッツ」

「は?」

「敵はイチナッツと唱えて何かを設定した後、ファイアと唱えて《《自爆した》》」


 何を言っているかわからず、ラウルは振り返る。

 中央で正座するアウラは目を合わせてこなかった。地面を、いや空《くう》を見つめながら、どこか他人事のように吐き出している。


「見たことのない爆発だった。もう少し近づいていたら、死んでいたでしょうね」

「僕はリリースを思い浮かべたんだが」

「私もそうだと思う。|設置と開始《セットアンドスタート》型であること、ビーム状にして飛ばしてきたこと、自らに着弾させて自爆させたことから考えれば、他に心当たりがない」

「そのイチナッツとやらも、ファイアという詠唱も謎だね」

「エイリアスかしら」


 スキルには短縮名《エイリアス》と呼ばれる種類がある。

 既存の魔法やスキルを別名の詠唱で呼び出せるようにしたもので、アウラの|詠唱等位接続《コーディネーター》もその一つに含められるだろう。


「何というか、魔法とスキルの身に付け方が異質だよな」

「そうね」


 スキル『リリース』の開始命令『オープン』に対して、『ファイア』というエイリアスが発現《エウレカ》した、ということだろうか。

 だとしたら、二重の意味で珍しい。


 まずファイアと言えば通常魔法の火魔法であり、アウラと渡り合えるほどの実力者なら誰であろうとまず間違いなく習得している。

 習得した名前が指す対象を上書きすることはできない。ファイアと詠唱すれば、通常魔法の火魔法になるはずだ。


 加えて、そもそもエイリアス系のスキルが発現すること自体が珍しかった。


 スキルは、一部の特殊なものやレアなものを除けば、よく使う魔法や行動のパターンに対して発現するものだ。

 ひとたび発現した後は、多数の手続きをスキル名の詠唱一言で呼び出せるようになり、発揮されるパフォーマンスも安定する。

 ラウルも最近『足払い』というスキルを習得し、半径百メートル以内の「生物の形をした物の足首」に斬撃を叩き込めるようになった。

 実際に使われるのは風魔法だったり刃風だったりするが、その時その時で最も効率が良く効果が高いやり方が採用され、自然と体がそう動く。


 つまりエイリアスは、ある程度複雑な行動に対して与えられるものであって、『オープン』のような単純な詠唱動作に与えられるものではない。


「思い出すでしょ? 彼のこと」

「そうだな。彼も異質だった」


 シニ・タイヨウ。


 石化しながらも災害蛇《ディザスネーク》から生き長らえ。

 アウラのチャームも効かず。

 ラウル達を知らないほど無知で。

 第二王女を消し去り、王宮の地下を丸ごと抉《えぐ》り。

 第一級指名手配犯となりながらも、未だに逃げ果せていて。

 王立学園に潜んでいると考えられていて――


「こういう思考回路は安易だけど、やはりそれがシニ・タイヨウだと思う」

「私も同感。こういうのは意外と当たるわ」

「僕の方は進展なしだよ。シニ・タイヨウはそっちにいるとみなしていいかな?」

「ええ」


 直感を無視する者は死ぬ。冒険者にとっては常識だ。

 間違っていることもままあるが、その時は謝ればいいだけ。行動せずに見逃してしまうことこそが、最大のリスクと言える。


「対象はジーサ・ツシタ・イーゼかい?」


 エルフ領に行った慈悲組《ジャンク》は二人いるし、そもそも獣人領での出来事を彼らが起こしたとも限らない。

 それでもラウルは自然とその名を口にしていた。

 アウラもまた首肯する。


「もう一度問うよ。彼をどうしたい?」

「とっちめて、吐かせるわ」

「何を?」

「何もかもよ」


 杖を握るアウラの手がぶるっと震える。異質な存在から学べると思うと、いてもたってもいられないのだろう。

 ラウルも同じだった。


 第一級冒険者は窮屈である。

 富も名声も好奇心も粗方満たして肥えているため、並の事物では満たされない。

 先に進むハードルも極めて高く、レベルを一つ上げるだけでも途方もない手間と、多くの場合、命を担保にした挑戦が必要になる。

 加えて竜人による監視や介入も強化されていたり、他の実力者に目を付けられていたりして、行動一つ誤っただけで殺されてしまうリスクも少なくなかった。


 そんな一流の、行き着く先は多くない。

 師匠やシキのように人を束ねる立場になるか、図書室を警備するミライアの兄のように細々と生きるか。


「そうだよな。どっちかを選べるほどまだ悟ってもいないし、枯れてもいない」

「ラウル?」

「何でもない。作戦を立てよう」


 グレーターデーモンの時以上に血が騒ぐのをラウルは自覚する。「顔が気持ち悪いわよ」相方がひくほど顔にも出ていたようだ。


 何にせよ、緩んでいたのは確かだった。


 だから気付けなかった。


「参加を希望」


 抑揚のない、幼子の声だった。

 ラウル達に気付かれずここまで来れる者など、非常に限られている。


 隠密《ステルス》が解かれて、現れたのは――

 金髪を携えた、小さな裸体。


「ユズさん……」


 髪留めがついていないことから、ゲート要員《ゲーター》であり魔力にも長けた一号《ユズ》であることがわかる。


「アウラ。防音障壁《サウンドバリア》を厚く張っておくべきだったね」


 近衛の一人、ユズは無表情を浮かべたまま地面に腰を下ろした。

第161話 確信2

 ただただ暗闇が広がっている。現在地はおろか、方向感覚さえも意味を成さない。

 とりあえずわかるのは、ここが部屋でもなければ地上でもなく、空中でも水中でもないことだ。何せ眼球から足の指先まで、全身を侵食するのが気体でもなければ液体でもなく、小さな固体――粒だからだ。


 ジャースの西部には砂漠と呼ばれる場所があった。

 砂漠は非常に特殊な地形であり、構成物は一種類――デルタサンドと呼ばれる三角状の極小な砂粒のみ。

 面積は百平方キロメートル以上、標高差も千メートル以上と中々のスケールを誇るが、その全域が竜人の実験場となっており他種族は出入りを禁止されている。


「相変わらず居心地が最悪でやんす。油断すると砂を飲んじゃうでやんす」

「長居もできないんだな」

「しゃあないやろ。密談は体を張るものや」


 そんな中、三人が居る場所はというと、とある砂丘の中だった。

 比喩抜きで山ほどに堆積したデルタサンドの重みは尋常ではない。ただの砂や水とは密度も重さも違うため、並の者では原型を留めることすらできない。


「毎回言ってるでやんすが、竜人は大丈夫でやんすよね?」

「竜人も人や。あらゆる場所を常に監視することはできへん。体裁上、視認できた侵入者を処罰するくらいや」

「シッコクンは心配性なんだな」

「当たり前でやんす。ここまで来て死ぬなんて御免でやんすよ」

「ええから早よ教えー」


 姿も、臭いも、オーラさえもわからない中、シッコクは本題の報告を始めた。


「決行は明日でやんす」

「性急やな。王女カップルが王立学園に戻った後でええやろ」


 シッコクとグレンの企ては大詰めを迎えている。


 あとは実行するだけだが、タイミングは見定めなくてはならない。いくら《《グリーンスクールの敷地内を丸ごと囲った》》ところで、最初から内部に難敵がいたのでは意味がない。

 それでも女王サリア程度なら問題無く倒せるが、その娘、ヤンデ・エルドラは実力が未知数だった。


 ゆえにヤンデ達が王立学園に戻って落ち着くまで待つべきでは、と彼は言っている。


「ジーサ・ツシタ・イーゼはもう学校には来ないでやんす。エルフは節目を意識するでやんすから、明後日の第三週一日目《サン・イチ》に留学は終わると考えられるでやんす。チャンスは明日しかないでやんすよ」

「王女カップルも巻き込む――そう言うとんのか? あの娘に勝てる確証はあるんやな?」

「将軍。王女はどうでもいいでやんす。用があるのはジーサ卿だけでやんす」

「さっきからもったいぶるのう。要点を言えや」

「デミトトクン。目的を忘れちゃいけないんだな」


 ダグリン共和国の将軍であり、裏社会を牛耳るボスともいわれるデミトトは、物事を楽しむことを第一としている。

 いつもどおりの話し方に文句を言うなど、珍しいことだった。グレンが口を挟むのも無理はない。


「過程も楽しみたいんでしょ?」

「それはそうやが、しゃあないやろ。エルフはワシも楽しみなんや」


 人間と鳥人の女については既に散々楽しんだようだが、エルフとなるとそうもいかない。

 エルフは仲間の傷を許さない。陵辱となればなおさらだ。

 彼女らが本腰を入れれば、第一級冒険者でさえも生存できなくなる。実際に欲をかきすぎて殺された実力者も一人や二人じゃない。


 別に難しい話ではない。人であれば睡眠が必要なわけで、要は眠る暇さえ与えずに攻め続ければいい。

 エルフ達には、それができるだけの魔力、チームワーク、人材すべてが揃っている。


 自身もそれなりの実力者だろうに、よくもまあ自制できているものだ。さすがは裏社会に君臨し続けるだけのことはある。

 シッコクは何度抱いたかわからない感心を自覚する。


「明日決行する理由を聞くまで眠れんぞ」


 そんなデミトトも、そろそろ我慢の限界らしい。今も下腹部を盛り上げている。歳の割には大きくて堅い一物《いちもつ》で、彼の相手をする女は大変そうだ。


「仕方ないでやんすね。グレン」

「ジーサクンをこちらに引き入れる。彼は僕達側の人間だから、望みはあるんだな」


 グレンは小言一つ言わず、早口気味に説明を買って出てくれた。ここから早く出たいのだろう。


「正気か? アウラやギガホーンを退ける奴やぞ?」

「でも善人ではないんだな」

「偽善者ですらないでやんすよ」


 ジーサ・ツシタ・イーゼの情報は共有済である。


 皇帝ブーガが上空に飛ばした後は追えていないが、それ以前の逃走戦はほぼ観察できていた。

 その様子と、グリーンスクールで過ごした分とを考慮すれば、ジーサの人物像は見えてくる。


「……せやな。要するに利害が合えば引きこめるっちゅーことか。勝算はあるんやな?」

「わからないんだな」

「なんでや。あかんやろ」

「それでも僕達の行動が邪魔されることはないんだな。最悪、デミトトクンへの土産が一つ増えるだけなんだな」

「土産か……。エルフを持ってくる他に、ジーサに関する情報も持ってくる、と。そういうことやな?」

「そのとおり。知っていて損はないはずなんだな」


 邪魔されない、という下りについて説明を求められたら面倒であったが、デミトトは頭も柔らかい。すんなり理解してくれて助かる。

 お堅いエルフ共とは大違いだ。

 彼についてきて良かったと、シッコクはつくづく思う。


「ジーサを消すという選択肢は?」

「そんなリスクを負うつもりはないんだな」

「どの口がほざくんや。グリーンスクールでエルフを食べまくった後、第二位《セカンドランク》や女王《サリア》も食べるんやろ? だったら死ぬ前にジーサも殺してくれえや。正直アレを飼い慣らせる気はせえへんぞ」


 前言撤回。あまりわかっていないらしい。


 生命の長さに価値を置かず、何かを成すためならば命を捧げられる――そういう者は空気でわかる。

 ジーサ・ツシタ・イーゼは紛れもなくこちら側の人間だった。


 たとえ目の前でエルフ達が犯されようとも、手を差し伸べることはない。

 どころか、こちらが相応のメリットを提示すれば、犯す側に鞍替えするだろう。


 彼の、女に対する捉え方は中々に歪んでいる。

 人と親密なやりとりをせず、異性をただ性的な嗜好品として見てきた者の典型だ。そういう者はこじらせる。たとえ取り繕う要領と手段があろうとも、本心では女を道具としてしか見ていない。

 他ならぬシッコクとグレンがそうであるからこそ、手に取るようにわかった。


「将軍ともあろうお方が、情けないでやんすね」


 結局シッコクは胸中で説明する羽目になってしまった。文句の一つも言わねば収まらない、というわけで安易に挑発してみせる。


「ワシはまだまだ楽しみたいんや。人生、長生きしてナンボやろ」

「相変わらず往生際が悪いでやんす。長生きしても退屈になる一方でやんすよ」

「お前らも相変わらずやな。まだまだ若いやろ」

「人生は密度でやんす。長さには何の価値もねえんだよ」


 思わず口調が崩れてしまったが、長さに執着し始めたら終わりだとシッコクは思う。

 無為な生を求める姿ほど醜いものはない。世話になったデミトトでもなければ、とうに殺しているところだ。


「あーわかったわかった。これ以上は不毛や。それでええ」


 デミトトもそんなシッコクの主義思想は理解している。シッコクまたも、デミトトがこういう話題に興味がないことをよく知っていた。


「送ってくるんだな」


 グレンが即座にゲーターを買って出ることで仲介に入り、間もなく人二人分の気配が消える。


「――デミトト将軍。興奮していたでやんすね」


 下腹部の膨張による砂粒の動きを、シッコクは察知している。

 今度はそれを自身の下腹部から感じた。


「わかる。わかるぜ。……ふふ、ふひひっ。明日が楽しみだ」

第162話 確信3

「――サリア殿。共有、感謝する」


 アウラウルとユズが国王専用エリアで顔を合わせている頃、シキは村の視察に来ていた。


 糸のように細いゲートで森人女王《エルフクイーン》サリアと繋がっている。お互いに姿や居場所を見せる必要はなく、声だけでやりとりするためだ。

 つい先ほどまで、混合区域《ミクション》という挑戦的な政策を中心に、刺激的なニュースが共有されたばかりであった。


 取り急ぎの用件はこれで終わりだろう。

 向こうから解散するのを待ちつつも、シキは視線をゲートから外し、今立っている丘から眼下を見下ろした。


 人口は百人、家屋も三十かそこら程度の小さな村である。

 中央広場を取り囲むように、屋根無しの粗雑な家が並んでいる。既に日が落ちているため、本来なら家のシルエットすら見えないところだが、中央に設置した巨大な発光石のおかげで、薄暗いながらも村全体を見渡せた。


 発光石のそばでは、シャーロット家の長女ハナ・シャーロットが年老いた村長にあれこれ質問を重ねている。


 ここはシニ・タイヨウに提唱してもらった運用を試すための実験的な村の一つ――ビレッジ6である。

 ここ六番目の実験場では、村長役を元々の村長にやらせてみることを目的としているが、年老いた貧民に諸概念を伝えるのは難しいらしく、有能なハナでも一筋縄にはいかないらしい。


 二人のそばには生首が一つ転がっている。

 あれは警察――村の治安維持役として採用した冒険者であったが、村娘への強姦が発覚したため処刑した。

 間もなく後任が到着する。見せしめとして、生首はしばらく晒すことになっている。


「のう、シキよ」

「……なんじゃい」


 女王モードを解いたサリアの、真面目な声調《トーン》。

 ろくでもないことを言ってくるのは間違いなさそうだが、無視するわけにもいかない。むしろここからが本題なのだろう。


「ジーサ・ツシタ・イーゼとは何者なのじゃ?」


 猜疑のオーラもセットで届いてきている。

 オーラとは言わば本心であり、通常は――特に王なる者の立場であれば抑えるものだ。この場合、言うまでもなく、強い猜疑を抱いていることを主張している。

 回答次第では、森人《エルフ》族との国交が傾くことが想像に難くない。


「逆に問うが、おぬしは何者だと考える?」

「それが掴めぬから聞いておるんじゃが……」

「よくわかっておるの。そのとおりじゃ。あやつもワシが拾って、育ててきた原石の一人じゃが、おぬしの娘ほどわかりやすくはない」


 シキは言外に恩を売った。

 貧民として暮らしていたヤンデを見逃し、見守り、王立学園に入学させたのはシキ自身だ。その気になれば処分もできたし、逆に配下として抱えることもできた。


「どこで拾ってきたのじゃ?」

「言うわけがなかろう」

「じゃろうな」


 原石の入手方法や研磨方法は国家秘密の一つである。無論、そんなことはサリアも知っている。

 あえて聞いてきたのは、揺さぶりをかけたいからだろう。


 自身も第一級であるから、センスよりも努力が重要なことなど痛いほどわかっているはずだ。実際、機密度が高いのも、研磨方法の方である。

 以前、竜人に提供した|近衛の製造法《レシピ》は、その最たる例と言えよう。

 そのおかげで、シキは廃戦協定を敷いてもらうことができ、かつ自身のレベルアップに必要な大量虐殺も見逃してもらえた。

 いかにして鍛えるかという秘伝は、竜人に交換条件を持ち込めるほど価値があることなのだ。


 しかし、サリアは入手方法にだけ言及してきた。


 つまり、こう問いたいのだろう。


 原石ではなく宝石ではないのか、と。

 どうやって振り向かせたのか、と。


「安心せい。王女ヤンデの意思は尊重する。サリア殿――ワシはの、エルフともっと仲良うしたいんじゃよ」

「ぬけぬけと言いおるのじゃ」

「お互い忙しかろう。切るぞい」


 サリアの無言一秒を肯定と受け取り、シキはゲート穴を握り潰した。


「さすがはユズの彼氏」


 隠密《ステルス》状態のまま、無機質に呟くのは近衛五号《ライム》である。


「明日からはヤンデの婚約者じゃがな」

「修羅場?」

「かもしれんの」


 愛娘《ハルナ》と近衛一号《ユズ》がシニ・タイヨウについて調べていることは知っているし、二人が彼に惚れていることもわかっている。

 少なくとも嫌疑は持っているようだし、ジーサ・ツシタ・イーゼが彼であることに気付くのも時間の問題だろう。


「……国王様は休むべき」


 しかめっ面が出てしまっていたことは自覚していたが、まさか近衛から労りの台詞が出てくるとは。


 近衛は元々、道具として扱っていた。それが今では雑談を交わすほどの関係になっている。

 思えば、これもシニ・タイヨウの功績である。


「そういうわけにもいかん」


 ライムの強みはウェイクフルネス――注意資源を回復させる魔法を行使できることだ。忙しいシキはこれに頼り、文字通り不眠不休で老体に鞭打っていた。


 先日の廃戦協定により、ギルドを含む四国間の諍いは封殺されたが、平和にはまだまだ程遠い。

 魔人族討伐に意気込むギルドは今のところ温厚で、アルフレッドとしても実力者の勧誘を断れているが、今後協定に違反しない程度の強攻策に出てくるとも限らない。


 魔人族も黙ってはいまい。

 規模も実力も未知数だが、ギルドが未だに攻め落とせない程度には強いのだ。下手に刺激すれば、ジャース全土が戦乱に陥ってしまう可能性もある。

 しかし、だからといってモンスターを自在に操れる種族は放置できない。


 ダグリン共和国についても、先日仕掛けてきたと思われるデミトト将軍の動きは無視できなかった。当国の大貴族フランクリン家とも結託しているから厄介だ。

 そうかと思えば、皇帝ブーガの単独行動が目立っているとの情報もある。


 オーブルー法国にも引き続き警戒が必要なのは間違いない。

 幹部の王宮襲撃は記憶に新しい。幹部程度ならどうとでもなるが、あの曲者揃いを束ねる教皇ラーモが恐ろしい。

 ラーモは実力で言えばブーガ並の猛者であり、野心で言えば四国元首の中で最も苛烈――それは竜人が個別に協定を制定するほどであった。

 その協定により、彼は自国領に幽閉されてはいるものの、膨大な信者を保有しているのは事実だ。おとなしくしているはずがない。


「もう少し時間を稼いでくれると思うておったが、まさか第二週の間に終わらせてしまうとはのう……」


 もっとも、この程度なら国王の日常にすぎず、大したことはない。


 最大の頭痛の種は、シニ・タイヨウであった。


 若輩の小僧でしかないが、人間を超越した戦闘力を秘めている。思考と精神もどこか風変わりなため、決して油断はできない。

 もし機嫌を著しく損ねてしまえば、国が、あるいは人類が滅んでしまうだろう。


 そんな爆弾は通常、さっさと封印するべきだが、シニ・タイヨウは話が通じない化け物ではない。

 だったら利用し、抱え込みたくなるのが人の性というものだ。


「次はオーブルー? ギルド?」


 ライムが呑気なことを言う。アルフレッド、ダグリンと活躍してきたから、次はオーブルーやギルドだと言いたいのだろう。


「そうもいくまい。あやつは暴れすぎた」


 獣人領で戦闘を行い、少なくともアウラとギガホーンを撃破している。

 最終的にブーガが食い止めたそうだが、獣人の噂は速い。正体不明の侵入者という話題は、数日と待たずに南ダグリンの南端にまで広まるだろう。

 それを第二王女暗殺犯シニ・タイヨウと結びつける人も少なくはあるまい。第一、あのいけすかないガートンの犬が黙っているとも思えない。


「アウラウルも、ユズとハルナも、ガートンの奴らも、皆がシニ・タイヨウを狙っておる。ガートンはともかくとして、ジーサがそうだと疑っておるじゃろ」

「指名手配の撤回を提案」

「今さら遅いわ」


 冒険者達が求めているのは賞金でもなければ名声でもない。

 未知への好奇であり、強者への近道だ。


 第二王女《ナツナ》を倒したシニ・タイヨウには、自分達の知らない何かがあるに違いない――

 そのような憧憬こそが冒険者を、実力者を突き動かす。


「ここをどう切り抜けるかで未来が決まる――そんな気がするんじゃ」

「……」


 国王として誰かに弱音を悟らせることは、通常はまずない。

 あえてそうしたのは、ライムが近衛の中で唯一シニ・タイヨウを知る人物だからだ。


 シニ・タイヨウは違うぞ、と暗にほのめかす。

 そうすることでライムの中でも彼の存在が大きくなり、自分なりに解釈を進めてくれるだろう。

 このような種まきは馬鹿にならない。未知を相手にするには、仕掛けは多ければ多いほど良い。


「国王さまっ!」


 見ると、ぱたぱたと丘を駆け上がってくるハナの姿が。


「国王さま。無事伝えることに成功しました。ケイサツの概念を伝えるのに苦戦しましたが、畑と虫でたとえたところ通じました」

「よくやったのう」

「褒めてくださいまし」


 ハナが豊かな金髪の頭を差し出してくる。

 竜巻のような巻き毛を何本も垂らした髪型は、その昔シキが貴族は第一印象が大事だと話した後に自ら考案してきたものだ。

 当初は奇抜の範疇だったが、今では特に若い貴婦人の間で流行っており、ハナロールと呼ばれている。


「まだ残っとるぞ。あの首を目立つところに晒すんじゃ」


 シキは腕に抱きつかんとするハナを避けて、光源のそばに転がる人頭のシルエットを指すも、ハナは見向きもしない。


「そう言って逃げるおつもりなのはわかっております。先に褒めてくださいまし。久しぶりの国王さまなのですから、優しくしていただかないとお父様に不満を漏らしてしまうかもしれません」

「ハナよ。おぬしも大貴族の娘じゃ。節度を持たんか」

「嫌ですわ。わたくしも頑張っています。ご褒美が欲しいのです」


 アルフレッド王国における王族は絶大な権限を持ち、必要ならば貴族であろうと一言で滅ぼすことができる。

 シキもまた、貴族との距離感には注意しているため、基本的にどの家とも親しくすることはない。


 国を牛耳る王族は恐れられるべき存在だ。

 シキ王も、その先代も、その点は抜かりなくつくりこんできた。

 ゆえにこそ、アルフレッド家は王族らしく絶対者として君臨できているわけだが――

 そこをまたいでこれる数少ない例外が、シャーロット家だった。


 シャーロット家は王国の政治を担う屋台骨であり、ガートンのような会社――国から独立した組織になれるほど洗練されている。

 当代のマグナス・シャーロットとはゴルゴキスタと同様、旧知の仲であり、先輩にあたる。プライベートではむしろシキが敬語を使うほどだ。


 そんなマグナスが溺愛している長女がハナであり、泣かすなとは耳にたこができるほど聞かされている。

 どころか、婚姻さえ画策しているのだから頭が痛い。


「ご褒美はレコンチャンにしてもらえい」

「ど、どうして彼の名が出てくるのです! 今は国王さまの話をしています!」

「甘えられる家臣を持つことは大事じゃぞ。家臣も家臣でやる気が出るからの」

「……」


 そんなハナだが、従者のレコンチャンにはずいぶんと気を許している。二人は幼なじみの関係で、相思相愛なのは明らか。

 おかげで最近はほとんど手間がかからなかったのだが、


「――いいえ。レコンチャンなら問題ありませんわ。わたくし達は既に固い絆で結ばれております。それよりも国王さまです。わたくしはこのような村づくりを知って、いたく感激しました。国王さまにならついていけると、本心からそう思ったのです」


 子供と大差ない、現実を知らない双眸がきらきらと向けられている。

 血も、忠誠も、絆も、所詮は幻想に過ぎない。壊れる時は壊れるものだ。わかっているのだろうか。


 ついでに言えば、この村づくりを発案したのはシキではなくタイヨウである。

 いっそのこと、あやつを巻き込んでしまおうか。と悪戯めいた考えが頭をよぎる。


「ふっ」

「あ、今笑いましたね? たしかにわたくしは若輩者ですが、いずれはお父様のような当主になってみせます」

「そうか、期待しとるぞ」

「ご褒美をくださいまし」


 何にせよ頭を撫でるのはよくない。国王として、他者との距離感は弁えなくてはならない。貴族の娘ならばなおさらだ。


 それからシキは十分《じゅっぷん》を費やしてハナをなだめた。

 無論、そんなことのためだけに時間を費やすほど暇でもない。


 その脳内は、シニ・タイヨウの対処を考えるために。

 その口元は、ハナの隙を突いてライムと振動交流《バイブケーション》するために。


 絶えず、休まず、忙しなくフル回転していた。

エピローグ

制圧

 ――罪点、一点。宙吊りの刑に処す。



 生徒会長モジャモジャの宣告から三時間……。


 俺はストロングローブの樹冠から逆さ吊りにされていた。


 罪状は無断欠席。

 たかが欠席でこの仕打ちとはびっくりだが、エルフの、それもグリーンスクールの学生ともなれば当然の格式なのだろう。

 正当な理由があれば受理されるとのことだったが、まさか獣人領で暴れた後に二種族と会談してましたなんて言えるはずもない。俺はおとなしく受け入れた。


 この刑は身体刑ではなく精神刑だ。精神にダメージを与える類のものらしい。

 二十メートル下の足場群《プレーン》はちょうど演習場になっているため、俺は汗を流す何百ものエルフから見上げられ続ける羽目になっていた。


 今現在はと言うと、見知った顔――留学生組が教師との|一対一の実践訓練《シングルス》を繰り返している。

 ヤンデはいない。たった一日の体験入学で何を学べたのかは知らないが、王女として忙しなく過ごしていることだろう。


「ジーサ卿も懲りないでやんすね」


 順番を待つシッコクが、こんこんと俺を包む石繭を指でつつく。指先までイケメンなのが腹立つよな。


「あと二十分で昼休憩だ」

「何言ってるでやんすか。宙吊りは放課後まで続くでやんすよ」

「嘘だろ」


 表情では辟易する俺だったが。

 内心ではこれでいいと思っている。


 俺とヤンデは明日から王立学園に戻るわけだが、状況は何気に今までで一番ピンチである。

 シキ王にもまだ説明できてないし、アウラ達はまだ俺を疑っているだろうし、俺が吹き飛ばしたウサギベースやチーターベースの獣人も――たぶん死んでるとは思うが、もし生きているとしたら――黙ってはいまい。

 そんな中、俺はブーガのふざけた要求にも応えなければならないわけで。


「ん? どうしたシッコク」


 シッコクがなぜか俺の顔を見つめていた。

 やはりエルフだけあって、黙っていると抜群に眉目秀麗だ。上下が反転していることなど気にもならない。顔全体のバランスも、目鼻のパーツ一つ一つも、どこを見ても美しい。


 そんな芸術品が、醜悪に歪む。


「むふっ、相変わらず役者《《じゃねえか》》」


 突然口調が変わったので、ふざけてきたのかと思った。

 しかし、それにしては妙に様になっている。不思議とこっちが素なんだと確信してしまう程度には、よく似合っていた。


「シッコク、お前……」

「このマントともお別れでやんすね」


 不自然になびくご自慢のマントは、時折風魔法で揺らしているそうだ。


「手癖でやんすよ。拙者レベルにもなると、魔法は使わない方が難しいでやんすが、レベル21では不自然だ。そこでマントさ。こういう物の揺れ方を再現するのは意外と難しい。良い鍛錬になるんだよ」

「性格が壊れてんぞ」

「壊してんだよ。もう必要ないからな」

「シッコク……」


 何と声を掛ければいいかわからず、俺は名前を呟くことしかできない。


「ジーサ。口を開けろ」


 抗う気にもならず、素直に開けた途端、シッコクが自らの口で塞いできた。

 男とキスする趣味はないんだが、などと抵抗する展開だったら良かったんだが、それどころではない。


 このやり口には覚えがあった。


(長年連れ添った相棒なんだ。貴様に託す)


(……寄生スライム持ちだったのか)


 当然のように口内発話もできてやがるし、ぬるっとした何かが流れ込んでくる。

 ダンゴと比べるとノロマのようで、よっこいせとでも聞こえてきそうな、のっそりとした蠕動《ぜんどう》運動だ。食道から胃袋へ、気道から肺へと侵入してくる。気道はやめてくんない?


(でなきゃレベルは誤魔化せねえよ。気付いてなかったのか?)


(ああ、全くわからなかった。だよなダンゴ)


 後頭部に肯定の単打が来る中、間近にあるシッコクの双眸は楽しそうに細められている。

 それが離れていき、シッコクは濡れた唇をぺろりと舐めた。


 女なら、いや男でも吸い寄せられてしまいそうな、妖艶な魅力が醸し出ている。触感もさして特別ではないのに、思わずもう一回、と懇願が口をついて出そうだった。


「見過ぎでやんすよ」

「仕方ねえだろ。エルフは毒だ」


 問題児の男二人がキスしているというのに、こちらを見上げてくる視線にはその手の色がない。


「男同士は、実は珍しくないでやんす。エルフの男は女には困らないでやんすからね。胸焼けするでやんすよ」

「お前らを見る限り、そうは思えないんだが。てか他の男はまだ見たことねえな」

「何度も言うでやんすが、拙者が好きなのは女だけでやんす」

「……だろうな」


 男の下りはぼかされたようだが、まあいい。というより、それどころじゃなさそうだよなこれ。


「ジーサ卿もそうでやんすよね? 食べたくなったら声を掛けてほしいでやんす」


 謎の台詞を残して、シッコクは足場群《プレーン》へと下りていった。


 しごかれて大の字になっているガーナのそばに着地する。

 肩で、というより胸で息をしているのがここからでも見えるが、シッコクは見向きもせず、指南役のオルタナ先生に向かって頭を下げた。


 何やら小言――罪人の俺と軽率に喋るなとでも言われたのだろう――を受けた後、シッコクは距離を取り始め、両者十メートルといったところで構えた。


(……ダンゴ。避難するぞ)


 オルタナ先生は容赦がなく、シングルスでは生徒を限界まで稼働させる。

 当然ながらシッコクごときが敵うはずもなく、ガーナと同様、フルボッコになると誰もが考えるだろうが――


(シッコクに警戒しろ。たぶんヤンデやギガホーンクラスだ)


 オーラもなければ、身体の動かし方も至って平凡。いつもどおりの、レベル20程度の雑魚にしか見えない。

 だからなのだろう。誰も、教員でさえも気付けていない。


 シッコクだけじゃないな。今も別の場所で演習しているであろうグレンもそうなんだろう。

 だとしたら、ルナ――は近衛がついているだろうから大丈夫として、スキャーノやモジャモジャも危ないと思われる。まあ知ったことではないが。


(ダンゴ。その新入りはクロと名付けることにした。問題なさそうなら、一緒に避難してやってくれ。あと肺に行ってる奴は追い出してくれ。うろちょろされると正直鬱陶しい)


 名前に大した意味はない。シッコクから漆黒、黒と連想していっただけだ。


 『シェルター』に避難させるため、俺はいったん無心となってゾーンに入った。


 シッコクから託された寄生スライムも、やはり意思を持つ細胞の集合体といった形態をしている。

 形状はダンゴとは少し異なり、ヤスデとでも言えばいいのか、細長く平べったくて足が多い。ダンゴも足は多いが、サイコロのように角張っているので触感が全然違う。

 角張ったダンゴ細胞が、細長くて遅いクロ細胞を運んでいるのがよくわかった。ダンゴがちょっと焦っているのが面白い。

 間もなく、体内のあちこちの肉壁に異物を押し込まれる感覚が俺を襲った。


 十秒ほどでゾーンを解除する。

 開いた肉壁が閉じる感覚……は特にないが、全身を襲っていたもぞもぞ感が嘘のように鎮まった。


(相変わらず意味わからんな、これ)


 |極度のリラックス《ゾーン》に入ると、俺の全身にはダンゴが入れる程度の隙間ができるらしい。

 そこに自らの細胞を避難させることで、バグった肉壁という無敵のシェルターを得る――ということらしいが、マジで意味がわからない。


「う、ぐぅ!?」


 エルフらしからぬ呻きがここまで届いた。


 オルタナ先生が腹を抱えてうずくまっている。吐瀉物が散っているあたり、腹パンでもしたのだろうか。

 生徒達は即座に臨戦体勢を取ろうとしたが、


「動くなでやんす」


 シッコクの美声が耳の中にねじ込まれた。

 俺だけじゃない。ここから見渡せる何百というエルフ全員に対してだろう。誰一人指示を破る者はいなかったようで、不自然な静寂が訪れている。


 こういう時、それでも動く馬鹿が一人や二人はいそうなものだが、さすがはエルフ。本当に誰一人動こうとしない。

 中途半端な体勢で堪えている者までいる有様だ。


「すげえな……」


 エルフの自制心と統制、一人一人の体幹に、シッコクのヤバさを即座に感じ取って適応してみせる順応力――

 それらも十分に凄いが、俺が言いたいのはそこじゃない。


 さっきの声は明らかに音速を超えていた。

 何度も受けている振動交流《バイブケーション》のはずなのに、異様に速くて、正確で、何より重くて。

 尋常な魔力ではないし、ただの魔力バカでもないことは、魔法適性ゼロの俺にもよくわかった。


 幸か不幸か、俺は特別待遇らしい。

 さっきからぶらぶら揺れたり独り言ちたりしているが、シッコクに気にする様子はない。無論、意味もなく残すはずもないだろうから、後で用事があるんだろう。

 何をさせるつもりなんだか。勘弁してほしい。


「今からここはグリーンスクール改め、女牧場《ガールズファーム》でやんす。貴様らには種付を行うでやんす」


 シッコクがとんでもないことを言い出した。


(……とりあえずアルフレッドへの帰還は遅れそうだな)


 宙吊りになったまま、俺はどうしたものかと思案するのだった。

=== 第五部 婚約とか舐めてんのか? 1章 女牧場

第163話 開宴

 ジャースの暦には月がなく、あるのは年と週だけだ。

 十日で一週となり、三十週で一年となる。つまり三百日で一年――


 俺がジャースに来てから何日経っただろうか。

 いきなり石化を食らって、ラウルとアウラに助けてもらって、王都でぼっちの厳しさを知って、白夜の森でルナと出会って、ナツナの美しき裸体――は置いといて、殺してしまったせいで大事になって。

 アルフレッドの国政顧問をさせられて、戦場視察もさせられて、ブーガと鉢合わせてしまい、ユズの機転で置いてけぼりを食らってグレーターデーモン、そしてダンゴと知り合って。地上に戻れたと思ったら廃戦協定なるものが出来ていた。


 ここまでで何日経ったかは正直覚えちゃいない。俺自身、暦を意識してなかったからな。

 が、三ヶ月は経ってないだろう。一ヶ月、いや二ヶ月くらいじゃないか。ああ、月という単位はないんだったな。訂正。三週間から六週間くらいだ。たぶん。


 話を戻して、帰還した俺に待っていたのは学園生活だ。

 ここで俺はニューイヤー――ジャースにおける新年の始まりを体験する。空の全面が黄色く染まる光景は、忘れる方が難しい。


(ここからは覚えてるぞ)


 俺は指名手配犯シニ・タイヨウではなく、ジーサ・ツシタ・イーゼとして学園生活をおくり始めた。

 物好きどもの好意や興味をかわしつつ、暗殺を退けつつも、ヤンデ――エルフの王女などという厄介な立場のそれは回避しきれず。

 一緒にエルフ領に連れ去られて、ヤンデを助けるためにエルフと獣人の領土問題を解決して、その代償としてアウラを始めとする実力者と戦ったり、皇帝ブーガとふざけた約束を交わすことになったり、と濃すぎる時間を過ごしてきた。


「で、なぜか俺は宙吊りにされていると」

「何を言っているでやんすか」

「何でもねえよ」


 今日は第二週十日目《ニ・ジュウ》。新年からまだ二十日しか経ってないだから驚きだ。

 数年分くらいは働いた気がするんだがなぁ。あいにく無敵バグのせいで疲労知らずなのでどこか実感が湧かない。


 それはそうと、今はこの状況を何とかしないとな。


 今現在、俺は|深森林を構成する巨木《ストロングローブ》の樹冠から宙吊りにされている。宙吊りの刑だ。

 顔を除く全身は石繭で固められており身動きが取れない。罪状は無断欠席であり、二十メートル以上も離れた足場群《プレーン》にいるエルフ達に羞恥を晒す格好となっている。


 この精神刑は終日続くらしかったが、状況は一辺。


「ぐっ、きさ、ま……」


 吐瀉物《としゃぶつ》をまき散らし、腹を抱えてうずくまっているのはオルタナ先生だ。

 先ほどまでエルフの生徒達と留学生――といってもこの場にいるのは娼者《プロスター》志望のガーナ・オードリーだけだ――を容赦なくしごいていた彼女は、出来損ないの問題児シッコクも同様に教育し始めるところだった。


 誰もが他生徒と同じ展開になると考えたはずだが、そうはならなかった。



 ――今からここはグリーンスクール改め、女牧場《ガールズファーム》でやんす。


 ――貴様らには種付を行うでやんす。



 シッコクの宣言が、ねじ込まれた美声が、まだ耳に残っている。

 要するにエルフの学校でテロを実行したわけだ。まあ政治的目的というよりは性的目的っぽいのでテロと言うには怪しいが。


「ジーサ卿。咥《くわ》えてもらったことはあるでやんすか?」


 振動交流《バイブケーション》により、綺麗な男声が俺の耳に入ってくる。

 眼下のシッコクは口を全く動かしていないので、俺にだけこっそり聞こえるようにしているってことだろう。他の生徒達が脅されて身動きを止めている現状を考えると優遇と言えたが、呑気にしている暇はない。

 コイツは俺に何をするつもりなのだろうか。とりあえず犯すのはやめてほしい。封印はもっとやめてほしい。


「咥えるって指をか?」

「指じゃなくてこっちでやんすよ」


 自分自身にも聞こえるか怪しいつぶやきでさえも普通にキャッチされる。そんなシッコクは、平然と自らの下腹部を指差した。


「これは気持ちいいでやんす。知らなかったでやんすか?」


 いや知っているし、前世ではメジャーな前座なんだがな。

 ちなみに俺は好きじゃない。不衛生だからだ。排泄器官としても機能するブツを口に含めるなど、頭が湧いているとしか思えない。


「オルタナ先生。今から五分だけチャンスをくれてやるでやんす」


 シッコクは先生のそばにまで歩み寄ると、おもむろに服を脱ぎ始めた。

 遠目の見下ろしでさえも、所作の一つ一つから目が離せない。彼もまた|見目麗しい種族《エルフ》だからだろうか。それとも実力者として身体の使い方が洗練されているからか。たぶん両方だな。


 その間、オルタナは微かに顔を歪める程度だった。間違っても迂闊に攻撃する真似は犯さない。

 代わりに、殺意のオーラはここまで届いてくるほどだ。並の冒険者なら数回はチビるレベルで、もはや一ミリの慈悲も混ざっていないことがわかる。


 程なくして下半身を開放したシッコクは「その顔、そそるでやんす」などと言いながら、何やら弄《まさぐ》っているようだった。

 角度的にブツは見えないが、ちょっと惜しい気もする……と一瞬でも思った自分を殴りたい。「準備ができたでやんす」早えな。わずか数秒だ。


「オルタナ先生。その御口《おくち》を使って、これに奉仕することを許すでやんす。五分の間に果てさせれば、命と種付は免除するでやんす。もちろん、噛み砕いて拙者を殺すのもアリでやんすが、口以外の部位を使う度に《《生徒を一人》》殺すでやんすから注意するでやんすね」


 やんす、やんすでいまいち頭に入りづらいが、相当エグいことを言ってやがる。

 オルタナとしては乗るしかあるまい。元より実力差と目的は歴然。下手に反抗しなければ、犯されるだけで済む。


「おほぅ」


 シッコクの情けない声を聞くに、オルタナは素直にご奉仕を選択したようだ。

 瞬間、周囲のエルフ達の衣服と緑髪がなびき始め、すっかり聞き慣れた轟音も届いてくる。

 衝撃波が出るほどの咀嚼――彼女もまだ諦めていない。


「あぁ。やっぱりパワーがあると気持ちいいでやんすね。オルタナ先生の顎には、実は前々から注目していたでやんす。その力で圧迫されたい! とずっと思っていたでやんすよ。ジーサ卿もそう思うでやんすよね?」

「勝手に巻き込まないでくれるか」


 しかも声がデカい。振動交流はどうした。

 俺も一味だと思われたのか、眼下からの圧が一段とキツくなってるじゃねえか。殺意も混じってるんですけども。


「ジーサ卿もやってみるでやんす。どの子が好みでやんすか。よりどりみどりでやんよ?」


 脅迫により動きをピタリと止めたエルフ達がひょい、ひょいと挙手をしていく。無論、自発的なものではなく、シッコクが操っているのだろう。

 俺が答えあぐねていると、


「それともオルタナ先生を所望されているでやんすか?」


 先生の、それだけで身体を貫通してしまいそうな殺気が俺にも向けられた。


「お前、わざとやってるだろ」

「なびかないジーサ卿が悪いでやんす。正直になるでやんすよ」


 正直になっていい立場でもないんだよな。ジーサ・ツシタ・イーゼは、ここでは一応アルフレッド王国の大貴族なもので。


「とりあえずそこの倒れたふりをしている痴女で身体を温めるでやんす?」

「誰が痴女よ」


 オルタナとの訓練直後で地面にのびていた――というより下手に巻き込まれたくなくて瀕死のふりをしていたであろうガーナが、すっと起き上がった。「ほう」その潔さにはシッコクも感嘆せずにはいられなかったらしい。


「人間にしておくにはもったいないでやんすが、今は人間を犯す気分ではないでやんす。残念だったでやんすね」

「あなたのようなクズはこちらからお断りするわ」


 両腕を組んで仁王立ちしたガーナは、とても弱者には見えなかった。その声も、学園の制服を押し上げる膨らみも、肉付きは悪くないが意外と細い足にも、一切の震えがない。


「エルフでやんすよ?」


 シッコクが自らの御尊顔を示すように両頬に手を添える。俺だったらたぶん抗えていないが、ガーナはふんっと鼻で笑った後、


「性交は容姿で行うものではないわ。厚意と好意で行うのよ」

「……くふっ。さすがオードリー家の娘は胆力が違うでやんすね。そのうち娼館にもお邪魔するから、よろしく言っておくでやんす」

「ええ。要注意人物として、お母様に周知しておくわ」

「――来たでやんすね」


 シッコクが話題を逸らしたかと思うと、突如地面が揺れた。空にもただならぬ何かが及んだのが振動でわかった。

 思わず見上げる――宙吊りなので実際は見下ろしているわけだが――と、樹冠の隙間から、白い壁が青い領域を侵食し始めているのが見える。


「この展開スピード、相当だぞ……」


 先日ギガホーンが出してきた扇状の石版や、空を黄色に覆い尽くす竜人のニューイヤーが想起される。

 広域に漏れなく迅速に展開しきるという桁違いのパフォーマンスは、少なく見積もっても第一級冒険者のクラスだろう。


 俺が答え合わせをする前に、「グレンでやんすよ」シッコクが喋った。


「もう逃げられないでやんす。誰も入ってこれないでやんす」


 シッコクのそばで、どさっと何かが倒れる。

 オルタナ先生だ。奮戦するも、シッコクのシッコクを噛み砕くには至れなかったらしい。その口元は獣のように赤く染まっている。


「悪くなかったでやんすが、口内で魔法を撃ったのは浅はかだったでやんすね。ここは魔法に頼らず物理で押し切るべきだった。そうすれば拙者はたぶん出てたでやんす」


 シッコクの足元が動く。俺でも視認が危ういほどのスピードで、オルタナに蹴りを入れたようだ。

 彼女がどこに吹き飛んだのかはわからないが、石繭と化した俺をブンブン揺らすほどの風圧は飛んできた。


「スリープ」


 俺がかろうじて聞き取れるほどの高速詠唱だった。

 ガーナが崩れ落ちる。先の威勢は秒は消え失せ――安らかな寝顔が浮かんでいる。


「次は、そうでやんすね――とりあえず一発、君に出すでやんすよ」


 シッコクはそばの生徒を引き寄せ、息するように犯し始めた。


 前世のどの男優よりも眉目秀麗な|男エルフ《シッコク》と、俺が一番好きな女優よりも容姿端麗な女エルフ――

 まるで絵画でも見ているようだった。


 女生徒は無抵抗だが、現在進行で受けている恥辱には耐えられないようで、表情が露骨に歪んでいる。「そそられるでやんす」シッコクもお気に召したらしい。


「男のエルフは性交相手には困らない――というより管理されているでやんすが、半ば作業でやんす。女のこういう顔を引き出す機会は、基本的にないでやんすよ。だからこそ、そそられるのでやんす」


 なんか解説してきたけど、呑気に鑑賞している場合ではないな。


 さてと、どうしたものか。

 俺は宙吊りのまま頭を働かせる。

第164話 開宴2

 シッコクによる制圧が始まった頃――


「いいかげんにしてくださいっ!」


 ルナの回し蹴りがグレンの腹に突き刺さった。

 見た目通りの、だらしのない弾力と不養生な内臓の感触。そして一瞬あらわになった太ももを確かに視認されたという事実が、彼女をなお不機嫌にする。


(タイヨウさんとは大違いです)


 王女たるもの容姿にとらわれてはいけない、とは教育されているものの、それでも無駄に責めたくなる程度にはルナは苛立っていた。

 タイヨウを引き合いに出したのは、せめて冷静であろうとするルナなりの工夫であったが、


(そのタイヨウさんも一向に姿を見せないですし。もうっ!)


 むしろ逆効果になるのであった。


「ルナさん。さすがにやりすぎなようで……」

「ちゃんと寸止めしてますよーだ」

「うむ。私には見えていたぞ。スキャーノ殿といい、王立学園の生徒も侮れないな」


 ボールのように吹っ飛んだグレンには見向きもせず、生徒会長モジャモジャ・ローズ・ガルフロウが満足そうに頷く。


 一方、すっかりエルフ達にも気に入られた新入生首席スキャーノ――器用に男装しているだけで正体は情報屋ガートンの女性職員スキャーナである――は、心配そうに軌道を目で追っていた。


 グレンは数十メートルほど離れた先、ストロングローブの幹に激突して落ちた。うつ伏せのままぴくりとも動かないが、よく観察すると呼吸はある。


 ルナが蹴りを入れたのは、グレンにわいせつ行為をされたからであった。

 既に暴力による撃退は許可されているが、過度な攻撃は逆に罪になる。要はグレンが瀕死以上にならない程度の加減が必要なわけだが、先の蹴りはスキャーノにはそうは見えなかったため、やりすぎではと呟いたのだった。


「ルナさんは、凄いようで」

「嫌味ですか? 嫌味ですよね? もう一戦やります?」

「勘弁してほしいようで……」


 ルナがずずいっとスキャーノに詰め寄る。エルフ達とも対等以上に渡り合える猛者が閉口している様に、「ふっ」モジャモジャも相好を崩した。


「私に言えた義理ではないが、君にはセンスがある。焦らなくても良いだろう」

「別に焦ってなどいませんけど。むしろ抑えてますけど?」

「二重の意味で抑えてほしいようで……」


 両肩を掴まれ、がくがく揺らされるスキャーノの婉曲な要望を「お断りします」ルナは一蹴した。


 スキャーノも相当な修羅場をくぐってきているが、そんな彼女から見てもルナのタフさは異常である。

 既に何度も一緒に鍛錬をして、模擬戦もして、気の毒なくらいに実力差を見せつけているというのに、全く折れない。

 無論、ルナはお師匠様という名の魔王直々にしごかれていたのだから当然と言えば当然だが、スキャーノに知る由はなかった。


「……ルナさん?」


 がくがく運動が突然停止する。「いえ、何でもありません」ルナはスキャーノを解放し、


「ちょっと頭冷やしてきます」


 二人から少し離れようとするも、


「授業中だ」


 モジャモジャが毅然として呼び止めた。既に魔法も発動しており、実力行使も厭わないという姿勢と威圧のオーラがちらついている。「まあまあ」スキャーノはとっさに割って入った。


 これが本来の授業であれば、ルナはサボりである。処分されてもおかしくない。

 しかし――主に王女ヤンデの事情で――明日学園に帰還することが決まったため、今日は自由時間にして良いと通達されている。


「……全く。今日だけだぞ」


 普段の規律は必要ない、とする示唆をモジャモジャは受け入れた。


 そんな二人をスルーして、ルナは足場の端まで行く。

 魔法で氷の枕をつくり、額に押し当てながら、眼下の川を眺める。



 ――あの男エルフ。川に飛び込んだ。



 現在ルナを守護しており、隠密《ステルス》を始めとする高度な振る舞いによって完璧に存在感を消している近衛二号、『キノ』からの耳打ちであった。


(川に、ですか……)


 ルナも察知していることだった。


 レアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』。

 あらゆる生物が常時発するとされる微弱なオーラ――師匠こと魔王は『生素《せいそ》』と呼んでいる――を感知できる。相手が隠密《ステルス》を使っていようと関係がない。魔王が気にかけてくれた動機でもあるほどの、強力なスキルだ。


(キノの報告は無視できません)


 王女としての教育のため、ルナは近衛とのやりとりを原則禁止されている。これは近衛達も承知しており、普段は雑談を一言交わすことさえできない。

 もちろん緊急時は例外ではない。


 逆を言えば、今はキノが緊急と判断するほどの場面なのだ。


(どういうからくりなのでしょうか。生素は感じますが……)


 グレンは今も離れたところで地面に伏しているが、あの姿はダミーなのだろう。

 魔法か、はたまたスキルか。ルナは全く気付けなかったし、見たところ、他に気付けている者もいない。


(蹴った時の感触は、たしかにレベル21相当でした)


 スキャーノやモジャモジャさえも騙せるほどの出来となると、どう考えても第四級冒険者《レベル32以下》ではない。

 だとするならステータスも相応に高いはずで、レベル21相当の感触が返ってくるなどありえないことだ。


 かといって演技をするのも、かえって難しいだろう。少なくともルナには皆目見当もつかない。

 そもそも弱者を演じる意味もわからなかった。


(いやな感じがします)


 現在進行で続いている耳打ちと、器用にしがみついている幼い裸体の温かさをたしかに感じながらも、ルナはしばし聞くことに徹した。

 ルナから何かを発言することはない。

 自分が第一王女ハルナ・ジーク・アルフレッドであり、その立場ゆえにキノという守護神がついていることはトップシークレットである。何かがいる、と存在を悟られることさえ望ましくないからだ。

 キノはともかく、ルナ自身には、この場にいるメンツにバレないようにコミュニケーションを取る要領はなかった。



 ――これは、何……?



 淡白な耳打ちを続けていたキノが、初めて当惑を示す。

 近衛でさえもわからない事象は珍しい。


 何が起きたのか、ルナも間もなく理解する。


「空が……」


 このあたりはちょうど樹冠が伐採されており、ひとたび見上げれば、いや見上げなくても、ジャースお決まりの青々とした光景が広がっている。

 そこに白色の何かが侵食していた。


 既に複数のエルフが平伏に入っている。森人族《エルフ》が神と崇める竜人族によるものと捉えたのだろう。

 見方を変えれば、エルフが竜人を想起するほど強大な視覚効果《エフェクト》だとも言える。


 十秒と経たずに、空が消えた。


 巨大な白いドームに丸ごと包まれたような構図になっている。

 包まれた範囲はどの程度だろう。ドームの高さと角度から見て、ちょうどグリーンスクール敷地内ではないかとルナは予想した。


「ハイパー・アース・ランス!」


 早速モジャモジャが天に向けて遠距離魔法を放っている。

 人百人くらいは貫通しそうな、太く鋭くて重たい岩の槍が着弾するも――白い天井はびくともしていない。

 遅れて届く轟音も、ドームの無慈悲な耐久性を示しているかのよう。

 モジャモジャの隣、スキャーノはというと既に諦めていて、ただ無表情無言で見上げているだけだ。


 ルナはいったん二人のもとに戻った。


 この場のリーダーであろうモジャモジャに、追加の指示を出す様子は無い。ルナは疑問をはさもうとしたが、その前にスキャーノが口を開いた。


「モジャモジャさん。学内への通達はしないようで?」

「問題はない。こういう場合に、というより、どういう場合にどう動くべきかは既に叩き込まれている。それに従えば、これが竜人様によるものではないとも直《じき》に気付ける」


 首を傾げるスキャーノと同様、ルナもいまいちピンと来なかったが。


 空に飛び出すエルフ達が目に入り、「なるほど」合点が行く。

 間もなく、あちこちから魔法が撃たれ始めた。エルフ自身も放たれ始めており、壁に対する本格的な攻撃が開始されたのだとわかる。


 攻撃のパターンは恐ろしい速度で収束していき――やがて数百ものエルフ達による、一点への集中攻撃が始まった。


「恐ろしいようで……」


 珍しくスキャーノが唖然としているが、ルナも同感だった。


 迅速さと統率感が半端ではない。

 人間の集団であれば、良くて議論が始まっているくらいだろう。現にルナも次の行動を決めかねており、とりあえず見上げることしかできていない。


 しかし、そんな麗人達の暴力をもってしても、ドームにはヒビ一つ入らず汚れ一つすらついていない。


「私達はどうしましょうか」

「客人を危険な目に合わせるわけにはいかない。私と一緒にいてもらおう」


 明らかに怪しいグレンについて、どこまで言うべきか――

 既にグレンのダミーは消えているが、二人ともまだ気付いていない。


「グレン・レンゴクを探した方が良い気がします」


 ルナは迷いつつも、ダミーが転がっていた場所へと行こうとして、「待ちたまえ」モジャモジャに肩を掴まれる。


「軽率な行動は危険だ。報告が来るまでは警戒第一で行く」

「……ですね。失礼致しました」


 痛いほど圧迫されて、ようやくルナは落ち着きを取り戻す。


 その間、スキャーノはグレンの姿が無いことを認識し、自分なりの見解を出したようだ。

 彼の視線がルナを捉える。男性のはずなのに不思議と性的ないやらしさのない双眸は、しかし猜疑に溢れている。


「ルナさん。詳しい話を聞いてもいいようで?」


 冒険者にも事情の一つや二つくらいあるものだ。とりあえず今は深追いを自重してくれるらしい。

 代わりに、ルナは礼儀として、今知っていることを話さなくてはならない。


「ええ、わかりました」


 ルナはキノから知り得た事実を共有する。

第165話 親子

「何なのよこれ! びくともしないじゃないっ!」

「落ち着きなさい。はしたない真似もやめなさい」


 ドームの外側、頂点にあたる部分でヤンデは地団駄を踏んでいた。

 魔法をまとわせた踏み込みの巻き込みは尋常ではなく、女王補佐《アシスター》など他のエルフが数十メートル以上距離を取っている有様だ。


「貴方の魔法で壊せないものなどそうはないでしょうが、いざ出会ったからといって狼狽えてはいけませんよ」


 女王だとわかるドレッシーな装いと、楚々とした立ち振る舞いを崩さないサリアが淡々と娘を諫《いさ》め続ける。


 一週間前なら小競り合いの一つでも起きそうなものだが、ヤンデは太ももまで露出させた脚をぴたりと止め、間もなく下ろした。


 ヤンデもエルフの端くれであり、十分すぎるほど美人ではあったが、王族のドレスはまだ板についていない。

 思わず微笑したサリアに対し、「動きにくいったらないわね」などと誤魔化しながら、ばつが悪そうに顔を背ける。その首にはもう首輪――無魔子首輪《マトムレスチョーカー》は装着されていなかった。


「何とかならないの? あなたの得意分野でしょう?」

「あなた?」

「……お母様の得意分野だと愚考するのだけれど」

「ちっとも愚考だと考えておらず、敬意も一滴と感じられない、その自尊心を張り付けた表情はいっそ清々しいわね」


 サリアは上品に嘆息しつつ、何歩か歩いてみせると、遠巻きに待機していた女王補佐達が次々とドームに着地してきた。


「オリハルコンとは成分が違います」

「女王様……」

「そんなことがあるのでしょうか」

「何かの間違いでは……」


 オリハルコンと言えばジャースで最も硬い物質である。

 非常に稀少であり、実物を知る機会など皆無に等しいが、サリアが扱っている関係上、女王補佐クラスのエルフ達には割と身近なものであった。

 だからこそ、その性能――他の追従を許さない硬さを痛感しており、女王の見解を信じることができない。


 不変物質《イミュータ》――。


 サリアは涼しい顔をしたまま、その言葉を口にする。


「というものを聞いたことがあります」


 誰にも覚えはないらしく、ヤンデも母親の視線を受けて首を横に振っている。


「物の硬さや生物の防御力は、実は絶対ではありません。それらを無視できる手段の存在が確認されています。一つは『強制貫通《フォース・ペネトレイト》』――どんなものでも貫通させてしまうものであり、もう一つが、どんなものも決して通さないとされる『不変物質』です」

「それは魔法なの? それともスキル?」

「わかりません。私が強制貫通《フォース・ペネトレイト》と詠唱された何かを見た時は、槍のようなものが使われていました。幼少期の記憶ですからあてにはできませんが、ストロングローブに穴が空いた光景は深く焼きついています」

「サンダーボルトとは関係があるのかしら?」


 ストロングローブは超硬であり、細い枝はともかく、幹にもなると人類でどうにかできるものではない。

 しかし、よく知られた天災『サンダーボルト』であれば丸ごと消し炭にできるし、その跡地は深森林にも何十何百と存在する。


「どうでしょうね。仮に強制貫通を性質だととらえるなら、サンダーボルトとは強制貫通を備えた雷撃だと言えるかもしれません」

「のんびり考察している場合でもないわね」

「そのとおりです」


 サリアがバッと片手を掲げて翻《ひるがえ》し、


「各自対応に移ってください」


 瞬間、女王補佐達は目にも留まらぬ速さで散っていった。

 並の者なら風圧だけで吹き飛び、何なら絶命するだろうが、この王族親子はやわではない。


 サリアがゆっくりと腰を下ろす。

 座り方は正座であるが、いつの間にかバトルスーツに着替えており、主に露出という意味で、先ほどの高貴な淑女は見る影もない。


「ヤンデ。心当たりはありませんか」


 森人族《エルフ》の王女として。また随一の実力者として。

 ヤンデが担う役割は一つだけだ。


 すなわち、この人外にも等しい脅威の対処に他ならない。


「一つだけあるわね」



 ――シッコク。どう思う?


 ――アリかナシかで言えば、アリだろ。



 ヤンデは彼らの会話を盗み聞きしていた。

 直接面識はない。グリーンスクールの問題児であり変態であると聞かされている。実力自体もたかが知れているとも。


「エルフの男二人組が怪しいわ」

「シッコク・コクシビョウとグレン・レンゴクですか?」

「ええ」

「彼らはレベル30にも満たない弱者です」


 女王が一介の生徒の名前を覚えているのは珍しいように思えるが、男性エルフは人口比1000対1、とただでさえ珍しい。

 エルフの出生事情にも深く絡んでいるため、政治に携わる者であれば一通り押さえていたりする。


「雑魚、ねぇ……」


 ヤンデは一人の男を思い浮かべた。

 学校生活でも二人組と行動を共にし、変態行為に加担してきたと聞いている。「変わらないのね」ヤンデは独り言ち、ため息もついてみせてから、己の見解を提示する。


「演技だとしたら?」

「……男というものは、どうしてこう自分を弱く見せたがるのでしょうね。みっともない」


 心当たりがあるのか、サリアも嘆息を返してきた。

 その横顔は、追及が憚られるほど哀愁に満ちている。ヤンデが軽口でもはさもうかとしたところで、


「――彼は。ジーサさんはどんな人ですか?」

「急に気持ち悪いのだけれど」

「しばらくは何もできないわ。いいから答えなさい」


 もう少し口答えしようかと考えたヤンデだったが、目の前の双眸が母親のそれだとわかり、「……そうね」素直に応じることを選ぶ。


 四、五メートルほどの距離を置いて、正座で向かい合った。


「変態で嘘つきだけど、なんだかんだ頼りになるわね」

「泣きつく貴方を救った王子様だものね」

「うるさい」

「ふふっ。母としてはひとまず安心したわ」

「……」


 ヤンデは腕を組みつつそっぽを向いたが、「貴方を殺さずに済む道があって良かった」そんな発言を受ければ、照れなど煙のように消え失せてしまう。


 サリアの表情は穏やかそのもので、愛情とは縁の無かったヤンデでもそれが向けられていると即座にわかった。

 同時に、女王としての苦悩も流れ込んでくる。


「これからも自分を見失わず、ジーサさんを手放すことなく生きていくのですよ」

「言われなくてもわかっているわ」


 防音障壁《サウンドバリア》を張られたことをヤンデは感知する。まだ少し甘かったので、自ら重ねてやると「さすがね」微笑みが返ってきた。


「……」


 なぜ自分はエルフ総出で追われる立場にあったのか。

 幼少期の自分は一体どうやってこの森から逃げ出したのか。

 自分の中に潜むであろう、母親をして殺すと言わしめるほどのものとは何なのか――


「それで、お母様はジーサに何を重ねているのかしら?」


 直接向き合うことが怖くて。


「最愛の人を重ねていました」

「ふうん。全く想像がつかないわね」

「良い機会だから、貴方の出生について話しておきます」

「別に興味もないのだけれど」

「いいえ。貴方は無自覚がすぎますので、しっかりと自覚してもらいます」


 しかし、もう逃げることはできない。


 唯一の王女ヤンデ・エルドラとして。

 ジーサ・ツシタ・イーゼ――シニ・タイヨウと共に歩む者として。


 ヤンデは姿勢を正すことで、その覚悟を決めた。

 サリアはうんと頷き、第一声を発する。


「まず、貴方は混合種です」

第166話 親子2

「貴方は混合種です」


 混合種とは、二種族の血が混じっている者を指す。

 ステータスが規格外に成長するといわれているが、実例を見た者はほとんどいないともいわれており、信じない者も多い。ヤンデも後者だった。


「一般的に――と言えるほどの事例もないのですが、混合種は一部のステータスがレベルの二、三倍の水準に至るそうです。貴方の場合は魔力だけのようですが」

「倍の水準? ってどういうことよ」

「貴方はレベルで言えば60程度ですが、魔力に限っては少なくとも120、多ければ180くらいのポテンシャルがあるということです。私の体感として、120はないわね。そうね、140……いえ、150もあるかも」

「ふうん」

「驚かないのね」

「驚く要素がないわ。数字にしてみれば、たしかにそれくらいだと思うもの」


 サリアが化け物を見るかのような目を寄越してきた。


「……何よその目は」


 普段の、女王という外面の厚さが信じられないほど正直なもので、「へこむわね」ヤンデは続けて呟かずにはいられなかった。


「参考までに共有しておきますが、第一級冒険者の大半は133未満です。いわゆる『133の壁』に阻まれています」


 レベル133に至るためには、同種族の大量殺害などシビアな条件をいくつか満たす必要があることが知られている。

 しかし竜人協定に支配された現在では難しい。成功したところで、死という名のペナルティを食らうのが目に見えている。


 つまり大半は129から132の間に収まっている、ということになる。


 サリアが次々と具体例を――ビッグネームを挙げていく。

 ヤンデは眉一つ動かさない。どころか「そんなにいるのね」と他人事な感想を抱く始末で、サリアは頭を抱えた。


「むしろなぜ今まで気付かなかったのですか? 自分がおかしいとは思わなかったのですか?」

「雑魚ばかりで意外と楽だとは思っていたわね。これでも苦労は重ねてきたつもりだけれど」


 ヤンデはずっと一人で生きていた。

 謎の体臭――というより体質のせいで恵まれた容姿を生かせることもなく、初対面で憎悪や殺意を抱かれるのが常だった。

 そのおかげで実力がつき、ソロプレイヤーとしての立ち回りも身についたが、満たされたことは無かった。


「そうでしょうね。エルフはただでさえ孤独に弱い種族。加えて貴方には放出体質もある。まともに付き合える人などいません」


 この体質の凄まじさは嫌というほどわかっている。

 自制心と忍耐力に長けた実力者でなければ、思わず攻撃してしまう程度には厄介なものだ。

 サリアとて例外ではない。さすがに第一級であり、母親でもあるからか、耐えるのは朝飯前のようだが。


 もっとも、そんなことはどうでも良かった。「……放出体質?」恐る恐る尋ねるヤンデだったが。



 魔素を放出する体質です――



 サリアの無慈悲な美声が響いた。


「……は?」

「あなたにはエルフと魔人の血が混ざっています」

「は? ……え? 魔素? 私、が……?」

「とはいえ、魔人のものとは少し違います。貴方もわかっているでしょうが、モンスターとの意思疎通は図れません」

「私が、魔人……?」


 モンスターは人類共通の敵であるが、魔人もここに含まれている。

 竜人が魔人族を庇護下に含めていないように、あるいはギルド中心で現在も討伐作戦が侵攻しているように、その差別は相当に根強い。


 自分がそんな怪物の側に属しているのだ、という事実は絶望にも等しかった。

 ジャースでは自殺の概念が希薄だが、それでも死のうとする者が出てもおかしくないほどに、到底耐えられないことのはずだった。


「――もう大丈夫よ。さすがにびっくりしたけれど」


 しかし十秒もしないうちに、ヤンデは平静を取り戻す。


「……」

「お母様こそ大丈夫かしら」

「貴方の精神構造はどうなっているの?」

「怪物として扱われ続けてきたからかしらね。私は自分が何者でも構わないのよ。今はわかってくれる人もいる」


 どころか恋する乙女の顔までつくる有様で、「羨ましいわね……」サリアも羨望せずにはいられなかった。


「奪ったら容赦しないわよ」

「なら手綱は握っておきなさいね。彼は私に夢中でしたから。ご存知ですか? 彼は下腿もお好きなようです。それはもう露骨な視線でした」


 サリアは正座を解き、片足をヤンデに向ける。

 すらりと長く伸びた、エルフ水準でも均整の取れた足。指先から下腿の付け根まで、非の打ち所がないとはこのことだろう。

 たとえチャームが無くとも、男なら気を乱されるに違いない――


 同性であり親子であるヤンデさえもそう確信するほどの危うさがあった。


 しかし、これが通じない者達を既に間近で見ている。ジーサもその一人だ。

 そもそもこの程度で気を引けるなら苦労はしないのである。


「節操がないだけよ」

「もう《《した》》のですか?」


 娘いじりに失敗したのが癪なのか、サリアは顔をニヤつかせながらそんなことを聞いてくる。


 エルフにとって性行為は国に管理された義務であり作業だが、冒険者として暮らしてきたヤンデはその限りではない。

 サリアとしては羞恥や動揺を引き出せるとでも思ったのだろうが、あいにく、ヤンデは乙女な性格をしていない。


「まだだけど、何? 文句あるの?」

「既成事実は早めにつくっておくものですよ」

「生々しい話なんて聞きたくないのだけれど」

「やり方は知っていますか? そもそも貴方、経験はあるのですか?」


 サリアはそばにまで寄ってきて、不躾に娘の股間部を見下ろした。


「馬鹿にしないで。やり方くらい知ってるわよ」

「経験はないのね?」

「だから何?」

「奥手なのねぇ。意外と気持ちいいのよ?」

「……」


 直球な感想はさておき、サリアの発言は、王女として致しても良いという許可に他ならない。


 ヤンデは今までそういうことを考えたこともなかったし、体質ゆえに襲われることも皆無だった。

 しかし今はジーサというパートナーがいる――


 それ以上考えると、脳がとろけそうな気がして。

 ヤンデは頭を振った。


「――いいですかヤンデ。世界は危ういバランスの下に成り立っています」


 親子の団らんはおしまいらしい。

 立ち上がったサリアの後ろ姿は、もう何度も見てきた女王のそれだった。


「知っているわ」


 先日の商談で痛感させられたばかりだ。

 強者がその気になれば、世界など容易く滅んでしまう。


「貴方は強すぎる。均衡を崩せる力があります」


 まだ実感は湧いていないが、自分も強者に含まれるらしい。

 少なくとも魔力については133の壁を超えており、水準で言えばダグリンの皇帝ブーガやオーブルーの教皇ラーモ、あるいはアルフレッドの王族専用ガーディアン『近衛』のクラスであるとも。


「世界の均衡維持は、我ら上に立つ者の義務なのです。だから、悪者の手に渡る前に処分すると決めました」

「それにしては遅すぎると思うのだけれど」


 アルフレッド現国王シキ・ジーク・アルフレッドに拾われるまで、優に十年を超える歳月をヤンデは一人で生きてきた。

 その間、エルフから追われたことなどない。


 この種族が本気になれば、当時のヤンデでは為す術など無かっただろう。いや、今でさえ危ういかもしれない。


「貴方の行方を知る、唯一の男に苦戦していたからです」

「……お父さんね」

「覚えているのですか」

「話の流れで、何となくそう思っただけよ」


 この母親が、彼をどう思っていたのかも。

 女王として何をしたのかも。


 ヤンデには想像ができてしまった。


「それで、お父さんはどうなったの?」

「拷問の果てに亡くなったわ」

「そう……」


 迷った上、ヤンデは昔話を求めることにした。


 父親は中々の曲者だったらしく、サリアの強引なアプローチによって契りを結ばせるに至ったらしい。

 王族階級には珍しい恋愛結婚であったが、子供には恵まれず、エルフファーム――つまりは生殖用に管理された男性エルフの利用も視野に入れ始めたところ、念願の第一子が生まれる。それがヤンデだ。


 問題はここからで、どういうわけか父親はヤンデを連れて逃亡してしまう。

 無論、エルフという種族から逃げ続けられるはずもなく拘束――しかしヤンデの姿はなく。


 尋問にて引き出そうとするも、一向に口を割らないため、次第に拷問へとエスカレートしていった。

 どころか、隙あらば自ら死のうとするため、逆に死なないよう食い止めるのに苦労したそうだ。


 そんな甲斐も叶わず、自殺を許してしまったのが二年前のこと。

 その後も調査と考察を続けて、ようやく娘が混合種らしいとわかったのが一年前。


「――馬鹿な人ね」


 当時のエルフには、混合種という火種を囲いきれるほどの余裕がなかった。

 下手をすれば獣人族以外の種族――人間、鳥人、あるいは魚人が敵になる展開さえありえた。

 だからこそサリアは処分を決定し、誰もその決定に異議を唱えなかったのだ。


 なのに、自分の父親と来たら、世界よりも娘を選んでしまった。

 混合種であれば実力は申し分ない。幼くても一人で生きていける可能性はある――というわけで、幼いヤンデを自立させたのだ。


「私達は誰かに託したのだとばかり思っていましたが、してやられたのです。あの人はいつもそう。普段はちゃらんぽらんなくせに、ぶっ飛んだことをするし、頑固な時はとことん頑固だし――」


 エルフ総出の追及など、想像するだけで身震いしてしまう。

 それにも耐えてみせ、何なら自ら絶ってみせたというのだから、もう意味がわからない。


 喜べばいいのだろうか。

 それとも悲しめばいいのだろうか。


 どうすればいいのかわからない。

 どうするべきなのかもわからない。


 今さらそんなこと言われても。


 ヤンデの胸中はぐちゃぐちゃになりそうだった。

 せめてもの意地で平静を取り繕おうとするも、上手くいかず、顔面が、全身が、思うように静まってくれない。「ヤンデ」ふわりと。温かい感触と体温に包まれた。


「ふっ、ぐっ……お母さん……お父さん……」


 もう何年も流していなかったのに。

 すっかり枯れていたと思っていたのに。


 ヤンデは涙が止まらなかった。

第167話 序宴

 大量殺人という言葉はイメージしやすい。何十以上の死体を転がす光景などフィクションではお馴染みだし、現実でも稀にそういう大事件が起きる。そもそも戦争では日常茶飯事だ。


 では大量強姦はどうか。

 時間を置いていいのであれば、一人で何十人と犯した性犯罪者は珍しくない。しかし、同一の時間帯においてそうする例は皆無に等しいと思う。

 理由は単純で、精に限りがあるからだ。

 早い話、一発出したら枯渇するし、賢者タイムと呼ばれる倦怠感も訪れる。よほど元気な奴でもせいぜい数発だろう。


「見られながらの行為も、悪くないでやんすね」


 どさっと、また一人のエルフが地に伏す。鮮やかな緑髪が地面に広がり、艶やかな肢体は汗にまみれている。

 目立った外傷や疲労はないが、よく見ると震えている。寒さでも恐れでもなく、自らを必死に鎮めるための忍耐――。


 一方的に乱暴され、種付されるしかない展開なのだ。誇り高きエルフには恥辱も良いところだろう。

 それでありながら誰一人として無闇に攻撃に、あるいは自殺に走っていないのは筆舌に尽くしがたい。

 実力差も、命の価値も。彼女達はよくわかっている。

 そんな理性を継続するのも、種族レベルでお手の物なのだろう。絶対に敵に回したくねえな。


 美しい瀕死体は既にあちこちに転がっている。

 その数は三十に近い。まだ一時間も経ってないのにこれってどうなのよ。

 ただの前戯だけならまだわかるが、むしろ前戯はほとんどなかった。


 シッコクは、全員に対して精を注いでいる。


「そろそろお口直しがしたいでやんすねー」


 そんな性欲モンスターの眼光が一人の人間――スリープによって無力化されたガーナをとらえる。


「外交問題になるぞ」

「彼女が心配でやんすか?」

「ああ。同級生だからな」

「白々しいでやんすね。同級生のあられもない姿、見たくないでやんすか?」


 俺から話しかけておいて何だが、あまり返答に困る話は振らないでほしい。

 今も数百――ほどではないが、ざっと二百人くらいか、エルフの生徒達が俺達の一挙手一投足に注目している。


 下手に動けばシッコクに殺されるため、誰も動かない。しかしオーラだけは解禁していて、殺意がはち切れんばかりに充満している。

 バグっていて平気なはずなのに、息が詰まりそうだ。

 なんか俺にも向けられてるし。誤解なんだよなぁ。俺は無関係です無罪です。


「とりあえず終わったのは邪魔でやんすね」


 シッコクが何かを詠唱したが、聞こえなかったし見えなかった。たぶん口元の見え方を改変する何らかの魔法を使っている。氷魔法で薄い氷を張って光の反射を上手くコントロールした、とかだろうか。わからん。


 ともかく、その何かによって、既に犯されたエルフ達が一箇所に集められた。

 陳列品のように並べられ、並べ替えられることしばし。「気持ち良かった順でやんす」シッコクの横顔は得意気だ。


 一番のお気に入りはオルタナ先生のようで、頬にキスをかましている。瞬間、彼女の殺意が膨れあがった。

 お前、よく平然としてるよな。場のオーラはほぼ全部、お前に向いてるんだぞ。


「……」


 シッコク・コクシビョウ。

 コイツのことがさっぱりわからない。

 女牧場《ガールズファーム》などとほざいていたが、ひとまず目的や性癖は置いておくとして。


 まずはその生殖能力だ。

 単純計算で、二分に一発は出している。人間を、いや生物の常識を超越しているのではないか。


(寄生スライム、か……?)


 以前ははぐらかされたが、ダンゴはたぶん精子も作り出せるだろう。



 ――ジーサ。口を開けろ。


 ――長年連れ添った相棒なんだ。貴様に託す。



 そしてシッコクも寄生スライムを飼っていた。

 託された俺はソイツをクロと名付け、早速ダンゴとバニラとともに避難させたわけだが。


(まだ寄生スライムを一部残しているのか? いや、そもそも精子をつくれと命令することなんてできるのか?)


 寄生スライムと意思疎通を図れるのは俺だけだ。

 無敵バグを持つ俺は倍々毒気《ばいばいどくけ》という必殺にも耐えてみせた。そんな超常現象を見たモンスターはなぜか俺を崇拝し始め、俺の質問にイエスノーで答えることができる。

 これを崇拝状態《ワーシップ》と呼んでいるわけだが、他に同じことをできる奴がいるとは思えない。


 魔素は感じないから魔人というわけでもあるまい。


(もしかしてステータスか?)


 ジャースでは生殖能力もステータスだったりするのだろうか。

 ……いや、そうじゃないことは体感的にわかる。俺の精はすっからかんだが、この辺りの能力が向上したという自覚は一切ない。


 それに人間サイズの生物に、そんな虫みたいな繁殖性能があること自体もおかしい。まあ天使次第だから、ありえないとは言い切れないんだが。

 と、そんなことを考えていると。


 突如、俺を包んでいた石繭が溶け始めた。


 遅れて、丸ごと火魔法で焼かれているのだと気付く。

 頭に流れ込んでくる数字から判断するに、優に万度を超えているっぽくて「おい」思わずツッコまずにはいられない。


 一万度と言えば太陽の表面温度六千度を凌ぐ。これだけ高温だと周囲も無事ではすまないはずだが、樹冠の葉っぱ一枚さえ燃えていない。

 よく見ると、高熱の立方体が俺の首から下だけを包んでいる。

 ダンゴがつくってる顔面も無傷だし、温度調整どうなってんだよこれ。器用って次元じゃない。


「頑丈《《だなぁ》》。そろそろ選んでもらうぜ」


 石繭は跡形もなくなった。当然ながら服も。

 しかしジーサとしての容姿――俺本来の筋肉質ではなく平凡な中肉中背体型は健在で、シッコクが手加減してくれたのだとわかる。


 ずどんと頭から足場に落下した。

 そんな俺のそばにとん、とん、とエルフの裸体が配置されていく。


 口調の変化から察するに、もう猶予はなさそうだよな。

 さて、どうしたものか……。

第168話 序宴2

 もう猶予はなさそうかと悟りつつ、体を起こした頃には、十六人のエルフに取り囲まれていた。


 その全員がいつの間にか服を剥かれ、裸体を晒している。

 例外なくスレンダーで、筋肉質で、無毛だ。


「エレスはどうだ? 良い尻してるだろ?」


 エレスという名の女生徒が、くるりと背を向け、尻を突き出してきた。無論、シッコクが風魔法で無理矢理動かしているのだろう。

 決して雑魚ではないエルフ達をこうも簡単に操ってしまうのだから、改めて実力差は歴然なのだと思い知る。


「あいにく尻フェチではないんだよな」


 こんな時だというのに、尻も例外なく綺麗なものだから目を逸らせない。


「シリフェチ? それとも尻とフェチか? おかしな言い回しをよく使うよなジーサは」


 俺の目の前で、エレスの尻が撫でられる。


「引きこもりだからな」

「いや、シニ・タイヨウと呼ぶべきかな?」


 美尻がぴくっと反応した。

 彼女だけじゃない。類似の、微かな反応――空気振動があちこちから生じている。おそらく声の届く範囲にいるエルフ全員分。


 指名手配犯シニ・タイヨウの名前はそれほどにセンセーショナルなのか?

 たかが王女一人殺しただけなんだがな。


「ほら。あの時は触れなかったろ? 今は触れるし、犯せるぜ? 好きにしていいんだ」

「いやお前の私物じゃねえだろ」

「私物なんだよ。今日からエルフは全員、オレのものになったんだ」

「全世界のエルフを敵に回したな」

「望むところさ」


 シッコクは悪びれることなく大それたことを言いながら、エレスの尻を舐める。

 醜悪な絵面のはずなのに、コイツもとびっきりのイケメンなものだから様になってやがる。


 俺はとりあえず、思いついたことをエルフに言っておく。


「今言うのもおかしいだろうが、エレス。あの時は悪かったな」


 頭も深々と下げておく。俺は前世で痴漢してみたことがあるようなクズだし、今となっては罪悪感さえ感じることもできないが、俺とて人間。意図しない迷惑行為をしてしまったのなら、素直に詫びたい。

 まあ自己満足なんだろうが。どころか、コイツらに付き合わされたという言い訳しない俺カッケーとまで思っている始末だ。


 エレスはというと、俺の顔を見ようともしないし、少し強張っているまである。

 シニ・タイヨウという名前を聞いた直後からだ。いや何でだよ。目の前の性欲モンスターの方が怖いだろ。


「らしくねえなぁ。何、良い人ぶってんだよシニ・タイヨウ。貴様はそういう人間じゃねえだろ?」

「お前に俺の何がわかる」

「わかるさ。オレもそっち側だからな」


 膝上の飼い猫を可愛がるかのように、シッコクはエレスを愛撫しながら、


「人は支え合う生き物である――そんな摂理に納得してねえよな? 納得してねえから行動もしねえ。行動しても続かねえ。だから支え合うという体験が欠如して、他者を道具としてしか見ることができなくなる。女は玩具《おもちゃ》ってわけよ」

「……なるほど。そうかも、しれないな」


 中々的確な考察じゃないか。

 人は利己的な生き物だが、誰もが利己を貫いてしまえば種として存続できない。それを防ぐために性欲、そして孤独感という制約が遺伝子レベルで課されている。

 慢性的な孤独に生活習慣病以上のリスクがあることは既に証明されているし、人間に孤独感なるパラメーターが備わっていることは俺も体感として確信している。

 ウェルビーイングという言葉には社会的要素が含まれているが、近年人類が成した偉大な仕事と言えるだろう。


 ぼっちの意地などとほざいて孤独に抗うことは、いわば食欲や睡眠欲に抗うようなものだ。

 生物としておかしいのである。こじらせるのも無理はないし、実際、俺は自ら死を選ぶ程度にはこじらせてしまった。


「自分を偽るのはやめろ。楽になっちゃえよ。解放しちゃおうぜ、シニ・タイヨウさんよ」


 ノンケの俺でも手が伸びそうになる中性的な美貌。それが、前世では誰にも理解されなかったぼっちの苦悩を理解してくれている。


 綺麗な手が、俺の目の前に差し出された。


 男の手なのに。ゲスの手なのに。

 これを握りたい。いや、これで握ってもらいたい、触ってもらいたいと一瞬思ってしまう程度には、やはりエルフは反則だ。


 同志《シッコク》が、俺を誘《いざな》っている。


「……俺、お前のことが好きかもしれない。お前とやりたい、と言ったらどうする?」

「そうやってすぐに逃げてしまうところも可愛いもんだ」


 とっさにかました十八番《おはこ》――あえて気持ち悪がられることで避けてもらおうとする演技も、まるで通じやしない。


「巷を賑わせていたシニ・タイヨウも、蓋を開けてみればただの人間ってことだな」


 そのとおりさ。

 俺はただの平凡な人間だった。

 平凡なくせに、無理をして独りで在ろうとした。


 律儀に平凡の感性に従えば良かったのに。

 愚直に孤独感という原始的欲求を満たせば良かったのに。


 気に食わなくて。

 抗って。

 気付かないふりをして――


 その終着点が、自殺という非常口だった。


「だったら素直になれよ。人間として。男として」


 シッコクの視線を追う。

 エレスの、引き締まった二つの小丘が眩しい。


 美しいはずなのに、いやらしい。美しさといやらしさの関係って何なんだろうな。

 それはともかく、シッコクはさっきからこれを撫でていたわけだ。


「素直に、か……」


 この巨大な檻からは、おそらく逃げられない。

 俺がシニ・タイヨウであることも、既に周囲のエルフ達に知られてしまった。


 生かしておくわけにはいかない。

 どうせ殺すんだ。なら、正直になることも兼ねて、素直になることもやぶさかではない――


「……いや、やめておこう」


 仮にコイツらを殺したところで、エルフ虐殺の罪が増えるだけだ。さすがにこの種族は敵に回したくはない。


 かといって、みすみす見逃してしまえば、遅かれ早かれシッコクに何かされてしまうだろう。

 仮にシッコクを倒せたとしても、俺の正体はどのみち広まってしまう。


 結局どちらに転んでもろくな展開にはなりゃしないわけだが。


「癪なんだよ」


 たとえ同志であろうとも、俺というひねくれ者は誰かへの迎合を許さないらしい。


「シッコク。お前の思い通りにはさせねえ」


 今回は俺のひねくれ具合に救われたといったところか。

 危うくコイツの術中にはまるところだった。


 コイツが俺の正体をバラしたのは、俺に自棄《やけ》を起こさせるためだ。


 エルフへの好奇と色欲。

 同志としての共感。

 身バレによる口封じ――


 俺をその気にさせようと、既にあの手この手で攻めていたわけだ。


 バグってて感情に左右されない俺をここまで誘導するとは。

 侮っていたつもりはないんだが、少し侮りすぎていたのかもしれない。良い勉強になったよ。


「……そうで《《やんすか》》」


 俺を囲っていたエルフ達の体勢ががくんと崩れる。風魔法が解除されたのだろう。

 シッコクは既に背を向けていた。てっきり封印でもされるのかと警戒する俺だったが、不思議とそうはならない気もしていた。


 数秒も経てばわかる。コイツは俺を諦めた。


「なあシッコク。何もしないのか?」

「ジーサ卿。拙者の勧誘は失敗したでやんす。なら、もう用は無いでやんす。それとも戦いたいでやんすか?」


 なのに、機微を味わう嗜好のない俺はわざわざ尋ねてしまう。


 どう答えるのが正解なのだろうか。

 二人だけなら確実にノーと言いたいところが、今はエルフ達の目がある。耳がある。俺の応答次第で、この種族が俺をどう評するかが変わる。


 幸いにも、シッコクはすぐに歩き始めて――

 まばたきをはさんだ後には、もういなくなっていた。


 数十メートル先の樹冠が、微かに揺れている。風圧を適当に押さえつつ、高速で飛行したといったところか。


(大胆というか、慎重というか)


 邪魔しない限りは放置してくれる、と解釈して良いだろう。

 シニ・タイヨウを過大評価してくれたのなら嬉しい限りだ。


 だからといって、アイツの用を終えるまで指を咥えて黙っているわけにもいかない。ヤンデやサリアが許してくれるとは思えないしな。


 そもそも俺はブーガからふざけた難題を頂戴しているのだ。

 この程度で逃げていては、どのみち先などない。


 どこかでシッコクと、そしておそらくグレンとも対峙することになるだろう。


「やるしかねえわな」


 振動交流で聞かれている可能性はあるが、俺はあえてそう呟いてみせた。


 シッコク達もおそらくその心づもりでいる。

 俺が攻めてくるまでは目的を果たしつつ対策を錬り、攻めてきたら容赦なく迎撃してくるはずだ。

 あるいは、俺が何もしないことに|賭けている《ベットしている》のかもしれない。


「あ、あなたは……」


 足元から声がした。

 全身を震わせているエレスが、よくわからない色の視線を俺に向けている。


 俺は気付かないふりをして、その場をあとにする。

第169話 序宴3

 由緒正しきエルフの学校『グリーンスクール』は、もはや面影もなかった。


 あちらこちらに転がっているのは小屋や足場の残骸。

 犯された裸体に、あるべき部位のない死体。

 血や肉塊も平然と散らばっていて、さすがのエルフもここまで来ると美しさも何もあったものじゃない。


 ひっきりなしに響く《《一方的な》》戦闘音が場に緊張をもたらす中、それでも隊を組むエルフ達に怯む様子はなさそうだ。

 救護、探索、警備、連絡と各自の役割を機械のように全うしている。

 俺の事など眼中にないらしく、一瞬認識された後に無視されるだけだった。


(……まただ)


 俺はとりあえず動き回って情報を集めている最中で、川辺や樹冠も見て回っているわけだが、どういうわけか眠らされているエルフが見つかる。

 外傷もないし、下腹部を見ても犯された形跡がない。ただ単に眠らされているだけのようである。これで七人目だ。


 これって、睡眠魔法《スリープ》……だよな。

 魔法としての睡眠は状態異常の一種だと思うが、まじまじとは見たことがない。たぶんそれなりに実力差がなければ通じないはずだ。前世のRPGでもそんなもんだし。

 だとすると、シッコクはやはり相当なレベルだと思われる。

 まあ第一級くらいはあるよなぁ。アウラクラスってことだ。やべえな普通に戦いたくねえ。


(明らかに隠してるよなこれ。何を企んでんだ?)


 現在進行で暴れているであろうシッコクは、エルフ達に全くひけを取っていない。どころか余裕さえ見て取れる。

 その場で味わってしまえばいい。魔法で拘束し続ければいい。こんな小細工は要らないし、何より似合わない。


「……いや、今考えるべきはこっちじゃない」


 シッコクの企みは気になるが、時間が惜しい。攻めるべきはボトルネックだ。


 俺は樹冠を飛び出し、梢《こずえ》の上に着地した。

 いつもの青空はない。代わりに、白い壁が広がっている。ドーム状になっていて、グリーンスクールを丸ごと覆っているようだ。何なんだろうなこれ。


 とりあえず太陽――じゃなかった、天灯《スカイライト》の光は透過してくれるようだ。向こう側の空は見えないが。

 いわば巨大な部屋に蛍光灯がついているような状態とでも言える。


 天井はさほど高くない。一番高い部分でもスカイツリーよりは低そうだが、飛べない俺が探るには厳しいものがある。

 仕方ないので、広大な樹海の上を跳びながら敷地の端まで行くことに。


 程なくして、目の前に白い壁が立ち塞がった。


 触ってみる。見た目は《《すり》》ガラスだが、気持ち悪い感触だな。

 試しに殴ってみるも、びくともしない。いや、これは頑丈どうこうというよりも……そうか。


 この気持ち悪さの正体がわかった。

 反作用が返ってこないのだ。


(物理作用を吸収、いや切り捨てているような挙動だ)


 たぶんそういう魔法なのだろう。あるいはスキルか。

 その手の概念がジャースに存在することを、俺はもはや疑っていない。ゲームでも固定ダメージや防御力無視といったものが存在する。そのようなものが、ジャースにもある。


「行使者はグレンだろう。これほどの規模だ。シッコクと分担しているのだろうな。とすると、グレンを叩けばいいのか」


 この白き檻はエルフ達を閉じ込めると同時に、外にいるであろう強者の侵入も防げている。

 アイツらにしてみれば、むしろ後者がメインだろう。さすがに女王サリアのような実力者は相手にしたくないだろうし、ブーガや竜人となればなおさらだ。


 つまり、この壁をぶち破って強者を出入りできるようにした時点で勝ちだ。


「問題は、これを維持してるグレンがどこに潜んでいるかなんだが」


 遠目には今もドームの破壊に勤しむ部隊、というか大部隊が見えている。

 何をリンチしているんだと気の毒に思えるような集中砲火が、絶えることなく続いている。あえてスルーしていたが、轟音と閃光がうるさいし眩しい。

 時間と体力の無駄だろうし、やめさせた方がいいだろう。


(――ダンゴ。クロ。聞こえるか。応答できるなら返事をしろ)


 俺は|超集中状態《ゾーン》に入りながら口内発話してみせることで、『シェルター』の解除を伝える。

 お馴染みの、全身がもぞもぞする感触が返ってきたところでゾーンも切る。ほぼ同時に肯定の返事が返ってきた。

 ダンゴはいつもどおり、後頭部への打撃。

 クロはどうやら心臓を選んだようで、左心室とでも言えばいいのか、左側が露骨にどくんとした。コイツ、はじめましての時も気管に入ってきたし、遠慮がねえよな。飼い主に似たんだろうか。


 さて、直近俺がやるべきことだが、グレンを探し出してドームを解除させることだ。

 手段を問うつもりはない。殺す必要があるのならそうするつもりだ。

 ちょっとだけ名残惜しい気がしないでもないが、俺はバグってて感情も高まらない。こういう時は有難い。


 そうなると、殺すのはともかく、探すのは深森林新入りの俺には分が悪い。

 エルフ達を上手く使い、上手く引き出すことで、出来るだけ早く答えに辿り着くのが良いだろう。

 その際、ジーサ・ツシタ・イーゼというキャラではなおのこと不利である。嫌われまくってるからなあ。今も無視されっぱなしだし。まあそう演じたからってのあるけども。


(俺の容姿を女エルフにしてくれ。長年、外で暗躍してきた女王補佐《アシスター》という体にする。理解できたら返事を)


 後頭部への単打と心臓左への斬撃が――って、何で斬るんだよ。

 クロさんとは後でしっかり話し合う必要がありそうだな。あまりクセが強いのは勘弁してほしいんだが。


(名前は適当にアナスタシアとする。アナスタシアは普段は第二位《ハイエルフ》にも伏せられている極秘部隊の所属で、こういう有事の時のみ出てくる――という設定にしよう。レベルは、そうだなあ。クロも踏まえた上で聞きたい。クロ。お前のレベルはいくらだ?)


 できたてほやほやの設定を共有しつつ、変身の光景を見られないよう死角を探す。

 人気《ひとけ》がない辺りの、茂みの深い樹冠の中に入ることにした。


(50より上か?)


(100より上か?)


(80より上か?)


 イエスノーで答えられるよう二分探索的に絞り込んだ結果、


(――90か。俺より高いかもな。前の宿主が鍛えてくれたのか? それとも鍛えさせられたのか?)


 後者の方で肯定――左心臓への斬撃が返ってきた。シッコクさん、かなりのスパルタだったのね。

 こうして俺みたいに意思疎通はできないはずだが、どうやって鍛えさせたのだろうな。気になるが、今尋ねることじゃない。


(アナスタシアのレベルは90だ。容姿は任せる。頼んだぞ)


 変身は一分と待たずに完了した。


(ダンゴ……いや、クロ。俺の手のひらに鏡をつくってみてくれ)


 手のひらを眺めていると、間もなく銀色の面が出現した。コイツ、ダンゴの倍以上のレベルがあるし、知能もたぶん劣っていない。役立ちそうだな。


 前世の鏡のように鮮明な自画像を映し出す表面には、見慣れないエルフがいた。

 雰囲気は全体的に暗く、重くて、一目で裏の人間だとわかる陰りがある。いや凄みと言った方がいいレベル。百人くらい平気で殺してそうだな。


 少し身体を動かしてみるか、と樹冠を出て足場に着地した俺だったが。


「見ない顔ですね。どちら様ですか?」


 俺が一番接しているであろう、女王のお付きと。


「グリーンスクールは部外者立入禁止だ。話を聞かせてもらおう」


 エルフには似合わない膨らみを携えた生徒会長が行く手を阻んでいた。

第170話 序宴4

 なぜリンダとモジャモジャがここに。


 どうやって俺がここにいることを突き止めた?

 今の俺がジーサから変身した偽物であることにも気付いているのか?

 もしかして変身の過程も見られたか?


 疑問は色々とあったが、ここは返答に詰まった時点でアウトになる場面だ。あれこれ考えている暇はない。


(いや、偶然か)


 微かだが、遠目に高速移動の名残――風圧による足場や草木の揺れが見えている。さしづめ移動中に偶然俺を発見して、こっそり接近してきたといったところか。


「女王補佐《アシスター》、リンダ・エメラ・ガルフロウ」


 俺はとっさに某金髪幼女《ユズ》のキャラクターを拝借することにして、淡々とした語りでリンダを指す。「生徒会長」続けてモジャモジャも指した。


 俺の期待どおり、指差しだけで攻撃を加えてくることはない。

 実力者は反射神経にも優れている。明らかに攻撃の兆候が見られない限りは、様子見をする。

 逆を言えば、それ程度にはコイツらは冷静であり、俺はそんな冷静なエルフ二人を騙し通さなければならないとも言えるわけだが。


「私はアナスタシア。女王直下の特殊部隊『フォース』の一人。本件は他言無用」


 ユズを思い浮かべながら、あの喋り方を模倣する。

 とりあえず片言《かたこと》っぽさと体言止めしときゃいいんだよな。演じやすくて助かる。


 二人のリアクションは対称的だった。

 リンダは無表情無言無反応と完璧なポーカーフェイスだが、モジャモジャは「な、そんな部隊が……」などと言っている。生徒会長さん、もうちょっと頑張れよ。


「狼狽えない」


 とりあえずそんな生徒会長をやんわりと叱りつつ、「現状を所望」リンダと目を合わせて本題に入らせる。

 アナスタシアという特殊部隊員は、今の事態を解決するために行動しているのだという点を強調したかった。

 余計な会話は要らない。合理的なエルフなら、これで通じるはずだ。


「……おかしいですね。各位どう動くかは自明のはずですが」


 端折りすぎただろうか。リンダが何を言っているかはよくわからないが、どうせエルフのことは知らない。

 ここはしらを切るしかない。


「フォースはエルフの文化とは切り離されている。現状を所望」

「そうでしたか。では現状を共有します」


 エルフの中には外で暮らす者もいる。冒険者をしているエルフが好例だろう。

 これは言い方を変えれば、エルフ領で生活する率が少ないとも言える。だったら、その率が極端に低い存在がいてもおかしくはない。


 荒削りな設定だが、上手く通じてくれたようだ。


 もっともクロによる変わり身あってのことである。

 エルフの人間離れした均整と美貌は、そんじょそこいらの技術や魔法では再現できない。仮にできたとしても、敏感なこの種族を騙し通すのは容易ではない。

 容姿改変そのものがチートみたいなものだ。


「――把握」


 リンダの説明は寄り道を一歩も許さないほどさっぱりとしたものだったが、それでも過不足は無かった。


 まず状況だが、シッコクの打破は諦めたようだ。

 代わりにドームの破壊、同胞の救護、シッコクの偵察や色仕掛けと三隊に分かれている。要するに持久戦だ。


 ここまでエルフ達は散々犯され、壊され、殺されている。

 グリーンスクールという一等の教育機関だ。矜持もあろう。にもかかわらず、そんな思い切った判断に倒せているのは見事の一言に尽きる。


 それだけじゃない。


(この種族、マジで恐ろしすぎんだろ……)


 コイツらには司令塔がいない。

 全員が一匹の生物のように意思をリンクさせ、エルフとしてあるべきスタンスへと収束していっている。

 もはや人間じゃないな。いや、森人《エルフ》なんだけどさ。


「続いて私の見解を共有――と、その前に質問」

「何でしょうか」


 そう答えるリンダはモジャモジャから一歩下がった位置取りにいて、彼女をちらちらと見ている。

 あ、ガン見に入りやがった。吹っ切れたのか、目もちょっと血走っている。鼻の穴も膨らんでんぞ。


「何が心配?」


 遠回しに何をしているんだと聞いてみるが、「お気になさらず」声だけは至って平静な一蹴が返ってきた。

 視姦されている当の本人、モジャモジャは全く気にしていない。ずいぶんと懐を許しているのも見て取れる。



 ――よく聞け。私はモジャモジャ・ローズ・ガルフロウ。グリーンスクールの生徒会長を務めている。



 そうか、思い出した。名前が同じだ。コイツら姉妹か。

 リンダがお姉ちゃんで、だいぶシスコンをこじらせているようだが……ってそんなことはどうでもいい。


 あまり詳しく語っても時間が惜しいので、俺は端的に共有することにした――


「――ドームはいかなる攻撃でも破壊不可能。これを展開しているのはグレン・レンゴク。ゆえに彼を叩く」

「破壊不可能の根拠は?」

「根拠はなし。でも、状況から考えれば、自明」

「私もそう思います。攻撃部隊をグレン・レンゴクの捜索隊に切り替えるべきでしょう」


 平然とそう言うリンダだ。現在進行で大騒音を出している大部隊をコントロールするのはキツそうだが、できるのか?

 いや、この人、第二位《ハイエルフ》の中でも特に地位が高いっぽいし、一声で行けるのかもしれない。シスコン丸出しの表情を見る限りでは、とてもそうには思えないんだが……。


「私は異論を唱えます」


 律儀にも挙手してみせるモジャモジャ。


 沈黙が訪れた。……いや、そのまま喋ってくれても大丈夫だぞ。

 俺を目上と捉えた上で、発言の許可を待っているってことだろう。こっちは真面目すぎる。「発言を許可」その旨を伝えると、「はっ」軽い会釈と経て、


「魔法とスキルには副作用がつきものです。これほどの規模にもなると、相当なものだと考えます」


 その点は俺も同感する。

 このジャースという世界《ゲーム》も、それなりにゲームバランスは考慮されているはずだ。まあ魔王とか竜人とかいるけど、あれらは単にレベルが高いだけだと解釈すれば筋は通る。


 グレンもさすがにその域ではあるまい。しかし、この白いドームは第一級冒険者一人で生み出せる規模を超越している。

 相応の代償があるはずなのだ。


「脆弱性はある。必ず」


 モジャモジャも断言するほど自信を持っているようだが、代償がどこに及ぼされているかという解釈が違うな。

 俺は首を振ってみせることで否定を示す。


「惜しい。仮にあの壁を鉄壁と仮定。副作用は壁の強度ではなく、別の要素に働いていると予想できる」

「……と言いますと?」

「グレンが身を隠していることと関係、ある」


 安直だが行使中は無防備になる、とかな。


「なるほど!」


 モジャモジャが両手をブンと振る。豊満なお胸もぷるんと揺れていて目に毒だ。無論、アナスタシアとしてはチラ見さえすべきではない。


「姉上。どうされますか?」


 バッと妹が姉の方を向く。興奮しているのか、並の冒険者が吹き飛ぶほどの風圧が生じたが、リンダはもう無表情をつくりこんでいた。

 無論、最愛の妹を手放す気もないらしく「もーもーは引き続き私とペアで行動します」などと言っている。もーもーって。


 いや、内心ひいている場合ではないけども。

 まだやりたいことがあるんだよ。俺を置いていかれちゃ困る。


「私も同行」

「……なぜです?」


 リンダは空気読めよとしか読み取れない表情を浮かべていらっしゃった。「姉上?」目上を冷たくあしらったことに違和感があったのだろう、妹が姉の様子をうかがうも、神速で無表情に戻しやがる。コイツ何なん。


「留学生への案内を所望。彼女達の保護は任務の一つ」


 また一つ設定をでっちあげてしまったが、「わかりました。案内します」快諾をゲット。

 早速空を飛ぼうとする二人を前に、


(息するように飛びやがるな……)


 俺は飛べないので、さらに設定を重ねざるをえず――


 アナスタシアは飛行魔法さえ使えない脳筋武道派キャラと化したのだった。

第171話 中宴

「川に潜んでいるようで?」

「状況から考えると、その可能性が高いです」


 ルナ曰く、グレン・レンゴクは川に逃げた。

 無論そんなことをすれば嫌でも目につくわけだが、実際は彼女を除いて誰一人気付けていない。


「ぼくには想像もつかないようで……」


 スキャーノ自身はともかく、モジャモジャ含め敏感なエルフ達の網をかいくぐるのは容易ではない。これだけでも十分な実力差を匂わせる。

 しかし、グレン・レンゴクはレベル21にすぎなかった。

 既にスキャーノも何発か攻撃しているし、ついさっきルナも加えたばかり。耐久性はどう見ても第四級以下である。

 仮に自分達を出し抜けるレベルだとするなら、そんな真似などできやしない。レベルによって向上した硬さは誤魔化しようがないのだから。


「川に潜むのってそんなに難しいんですか? 私はともかく、スキャーノやモジャモジャさんならできそうですけど」


 謎と言えば、この同級生ルナもそうである。

 レベルの割には妙に場慣れしているし、格上であるはずの自分をも唸らせる器用な芸当をさらりとこなしたことが一度や二度ではない。


 一方で、川の中で身を潜めることの難しさにピンと来ないほど無知だったりもする。


 体系的かつ実践的な訓練を重ねてきたスキャーノには、どうにもちぐはぐに感じてならない。

 この違和感は、高貴なエルフとして同様の道を歩んだであろうモジャモジャになら通じるだろう。残念なことに別の部隊として駆り出されてしまったが。


 代わりに、この場にはレベル100超えの頼もしいエルフが物静かに佇んでいる。

 指示は聞いてくれるが、会話する気はないらしく、さっきから一言も乗ってこない。ルナも既に彼女の相手は放棄したようで、目線を送ることさえしない。


「ルナさん。バーモンはそんなに甘くはないようで」


 スキャーノは先日の出来事――アウラとともに獣人領の侵入者と戦った時のことを話すことにした。


 侵入者はバーモンの生息地たる川に潜んでいたこと。

 体にウミヘビを巻きつけ、口内に潜ませたウニから毒針を発射させるなどという調教《テイム》顔負けの連携を見せてきたこと。

 第一級の獣人に近い身体能力と移動技術を持っており、自分は逃げる選択肢しか取れなかったこと――。


 話し終えたところで、「……ルナさん?」なぜか寝そべり始めるルナ。


「休めるうちに休んでおきましょう。どうせ私達にできることはありません」

「寝るの?」

「いえ。休むだけです」


 ルナが背を向ける。女の子にはあるまじき、粗雑な寝っ転がり方だが、その実、隙がない。

 それは自分が知っている体勢よりも優れたもので、スキャーノをいちいち唸らせる。


「もう少しだけ、会話したいな……」

「私は結構です。疲れているので」


 どこか投げやりで、余裕のない態度である。

 休憩中でも会話くらいはできるし、むしろ情報の共有と洗練、あるいは絆を深めるためにそうするべきことは冒険者の常識。知らないルナではあるまい。


「ルナさん。何かひっかかっているようで?」

「何でもありませんよ」

「バーモンを体内に飼っていた」


 ルナの背中がぴくっと動く。


「さっきぼくがそう話したあたりで、ルナさんが少し反応したのを覚えているよ」

「気のせいです」


 ここで言い訳を並べ立てないのは潔いと言えた。

 スルーを狙っているのだろうが、スキャーノはもう一歩踏み込むことを決意。


「ぼくには人の嘘を見抜く心得がある。試してみる?」

「お断りします」

「何がひっかかっているようで?」


 友人を脅すようで気が引けるが、スキャーノは威圧のオーラをちらつかせてみせる。


「……スキャーノって最近図太くなってきてますよね」


 レベル差30以上の威圧が効いている様子はないが、観念はしたらしく、嘆息とともにルナは身を起こした。


「ルナさん達のおかげかな」

「そうですかそれはよかったですね」

「うん。ぼくは本当に感謝してるよ」


 元々スキャーノは極度の人見知りだったが、ジーサ、ルナ、ガーナといったクラスメイトのおかげで克服しつつある。


「感謝されるいわれはないです。私だって似たようなものでしたし」

「……ルナさんが?」

「何ですか、その目は」

「何でもないようで。どちらかと言えば、ガーナさんと同じタイプだと思ってた」


 本人に自覚はないようだが、冒険者顔負けの食事っぷりや、男子達をビビらせる率直な言葉選びは学園でもすっかり有名だ。

 とても人見知りには見えないし、非凡な何かによって相当しごかれた背景もどことなく感じられる。


「あの色欲魔と一緒にしないでください。というかスキャーノ、連日の誘惑によく耐えてますよね。《《ある》》んですか?」

「変なところを凝視するのはやめてほしいんだけど……」

「そう言って、実は興味津々なんじゃないですか? あるいは女だったりして?」

「猥褻《わいせつ》するのなら、ルナさんでも殴ります」

「怖っ」


 遠慮なく仕返しするキャラクターをつくっておいて正解だったとスキャーノは思う。

 気弱な男子生徒として通ってはいるが、中身はガートン職員『スキャーナ』であり、女である。

 職員であることは既に共有しているが、性別はまだ偽ったままだ。


(騙すのは気が引けるけど、知られるわけにはいかない)


 男は性欲を持っており、世に存在する人の約半分は男から成る。

 女として目立ってもろくなことがないことは嫌というほど体験しているし、変装はそもそも上司ファインディの勧めでもあった。


「……スキャーノは、好きな人はいますか?」

「急にどうしたようで?」

「私にはいます」


 スキャーノは一瞬、一人の男を思い浮かべたが、見なかったことにしてルナを注視する。

 ばっちりと目が合うが、その双眸はスキャーノを映していない。微かに宿っている憂いは、誰に向いているのだろうか。


「今もその人を探してるんですけど、全く手応えがありません」


 ルナが学園で色恋になびかない理由もわかった。既に想い人がいるからなのだ。

 それも一方的な片思いではないのだろう。

 一緒に過ごしていた時期があって、それが壊されて、諦めるつもりもなくて取り戻そうとしている――


 そんな想いの強さが、重さが流れ込んでくる。

 このような女性に慕われるのは、一体どんな御仁なのか。


「スキャーノが話してくれたその侵入者ですけど、似てるんです。どことなく、彼に」

「……彼とは?」

「モンスターを操れる人なんて、そうはいない」


 ルナが独り言ちる。

 この様子だと、これ以上追及しても無意味だろう。


(モンスターを操る……。まさかルナさんの想い人は、魔人……?)


 まるでフィクションだ。

 人間と他種族の恋物語は王道の一つであり、中でも人間と魔人のストーリーは人気が高い。大半は悲恋なのだが。


 もう少し探りたかったスキャーノだったが、遠距離から急速に迫る轟音がそれを許さない。


「……来たようで」

「わかっています」


 何かが十数個ほど飛んできた。攻撃の意思は無いらしく、彼女達の手前でどさどさと落ちる。


 腕、脚、乳房、尻肉に、胴体――

 切断されたエルフの部位だった。


「大丈夫?」

「馬鹿にしないでください」


 それらは血の付け方など芸が細かかったが、この程度で心を乱されるほどルナは弱くはないようだ。


 二人が睨む先に、間もなく現れたのは――美しき裸体の男。

 鮮やかな緑髪からエルフだとわかる。そうでもなくとも美貌の次元が人間とは違っていて、並の女なら、いや男でも隙を生んでしまうだろう。


「ほほう。留学生は優秀でやんすね」


 シッコク・コクシビョウ。

 グレンと双璧を成す変態で、レベルも23程度と月並みな存在だった男エルフは、下半身が赤黒く染まっていた。


「シッコクさん。あなた、何がしたいんですか?」

「性交がしたいだけでやんす。それは力を込めすぎて破裂した残骸でやんすね」

「にしては切り口が鮮やかです」

「お見通しでやんすか。可愛気《かわいげ》がないでやんすね」


 変態エルフが一歩、また一歩と近づいてくる。


「ルナちゃん、どうでやんすか? エルフに食べられるチャンスは滅多にないでやんす。優しくするでやんすよ?」


 その肉体は標準的なエルフと比べて、著しく筋肉質だった。

 もっとも筋肉量など見かけ倒しにすぎない。ジャースではレベルが、ステータスがものをいう。ステータスが宿る先の肉体の差異など、誤差にもならない。


「ルナさん。見惚《みと》れちゃダメです」

「見惚れてませんよ。誰がこんな奴」

「正直になるでやんす。エルフでやんすよ? この肉体美を見るがよい!」


 シッコクが珍妙なポーズをきめた。

 タイヨウが見ればボディビルを思い浮かべることだろうが、ジャースにそんな文化は無いため、ただただ珍妙である。


 そんなシッコクに対し、スキャーノは密かに必殺を放った。

 それは猛スピードの飛来――音速を数回は周回遅れにさせるほどの一発だったが。


 片手で受け止められた。


「まさか護衛ではなくスキャーノちゃんが攻撃してくるとは。それも残骸で攻撃してくるとは、誰も思わないでやんす」


 くくくっとおかしそうに笑うシッコク。


「投擲のモーションも隠密《ステルス》で隠していたし、速度も悪くない。さすがは生徒会長を負かした猛者だ。面白え《《じゃねえか》》」

「……ルナさん。逃げてください」


 スキャーノは、というよりガートン職員は手の内を無闇に曝け出さない。

 それでも惜しまず、先手必勝で全力をぶつけたつもりだったが、こうもあしらわれてしまうとは。


 シッコクの右手が動く。「ッ!?」ほぼ同時にスキャーノも両手を構え、お返しの砲弾――優秀なエルフのものであろう硬い拳を受け止めた。

 弾が小さくて軽いことが幸いして、ダメージは大したことがなさそうだが、「振動防壁《バイブシールド》!」ルナとスキャーノの高速詠唱が重なった。

 主に衣服を守るための防御系スキルだ。


 着弾による衝撃波で足場が全壊する中、二人はそれぞれ別のストロングローブに飛び移った。

 一方、二人の護衛役を務めているエルフは砂煙の中で浮いたままだった。


「護衛はどうなってるんですか!」

「ルナちゃんよぉ、|その護衛《ゼストちゃん》は真面目に働いてるぜ。叱ったら可哀想じゃねえか」


 シッコクの言うとおり、護衛のゼストは鋭意応戦中である。今もシッコクと気を交わし合っている最中だろうとスキャーノは見ている。


 逆を言えば、自分の必殺はそのついでで止められたのだ。


「ルナさん、逃げよう」

「逃げられる相手じゃないですよね」

「ゼストさんが応戦します」


 ゼストとシッコクがどういうやりとりをしているかなど、スキャーノにはわかるはずもない。


「意味がわかりません!」

「ルナさんには見えてないだけだよ」


 しかし自分とルナがこの場から離れられる隙はある、ということは不思議と確信できた。

 言語化できるものではない。後で振り返られるものでもない。

 それでも、直感よりも刹那の認識として、たしかな手応えがあった。



 ――それは大局観と呼ばれるものです。センスありますよ、スキャーナ。



 珍しく上司に褒められた時の光景を思い出しつつも、スキャーノはルナが動く前に自らを発射させる。

 びっくりするルナに構わず、その手を強引に捕まえた後に再度加速して――

 秒にも満たない時間で退避を完了させた。

第172話 中宴2

 数キロメートルは離れたというのに、激しい戦闘音が届いてくる。

 ドームの影響もあるのだろう。屋外における戦闘とは違った聞こえ方がして、どうにも落ち着かない。


「ゼストさんはエルフでも五本の指に入る精鋭だよ。善戦はできると思う」

「守りに徹するんじゃなかったんですか?」


 エルフの集団が司令塔無しでも機能し、一つの生物のように秩序立って動くことは散々見てきたばかりだ。

 それでもシッコクには敵わない。ゆえにエルフ達は撃破を諦め、少しでも被害を減らし時間を稼ぐ方向へとシフトしていた。

 この状態で、あえて撃破に走るような異分子がいるのはおかしいのではないか、とルナは言っている。


「ゼストさん含め、一部の実力者は独断が許されているんだと思う。たぶん彼女が自分一人で倒せると踏んだんじゃないかな――って何? ぼくの顔に何かついてる?」

「何でもないですよーだ」


 そこまで読み取れなかったのが悔しいのだろう。

 ライバル視は正直鬱陶しいから勘弁してほしいところだが、劣等感で腐るよりは良い。いつもどおりの友人を見て、スキャーノは顔が綻ぶのだった。


 ルナはゲートでティータイムのセットを取り出していた。

 ドームの外には繋げないから、敷地内のどこかに繋いでいるのだろう。学内の物を無断で使っているようにも見えるが、スキャーノはそこまで生真面目ではない。


「モジャモジャさんだったら、たぶん注意されてると思うよ」

「いないから拝借してるんですよ」


 戦闘風景でも見ているかのような手先の早さで準備を整う。

 木製のカップが置かれ、白くて濃い液体がとくとくと注がれる。微かな粘り気と、もんもんと立つ湯気が美味しそうだ。


「飲みます? ミルクリです」

「ぼく、ミルクリは苦手なんだ」

「おぼっちゃまは好き嫌いが多いんですね」

「おぼっちゃまはやめてよ」


 王立学園で無難に過ごすべく、スキャーノは小貴族の令嬢という設定になっている。

 家柄で入る貴族枠《ジュエル》ではなく実力でねじ込む一般枠《ジェム》から入学したため、クラスメイトとの垣根は低い認識だが、ルナ曰く「そういう打算からしてむかつきます」。


 しばらくルナの一服を見ていたが、逆に凝視を受ける。


「どうしたの?」

「驚かないんですね」


 ルナは再びこくこくと喉を鳴らしながら、空いた手でゲートを指す。物色は終えたらしく、間もなく閉じられた。


 たしかに、第三級中堅《レベル47》程度でゲートが使えるのは相当に珍しい。

 学園で披露しようものなら教員達も目の色を変えるだろうし、貴重なゲーターを手に入れんと各国が張り切る可能性も低くはない。


「ルナさんの凄さはもう何度も見てるからね。今さら何されても驚かないよ。たぶん」

「そうしてもらえると助かります」


 まるで居酒屋で酒盛りをしている冒険者だ。彼女の周辺だけ切り取ってみれば、とても格上の敵に追い詰められている絶対絶命の状況下には見えない。


(実力もそうだけど、この達観ぶり――普通じゃない)


 弱者は喜怒哀楽に振り回されるか、詰んでいることにすら気付けず無闇に足掻いて消耗する。

 ましてシッコクという強者と、それによって犯され殺されたエルフ達を目の当たりにしたばかりなのだ。


「……」


 スキャーノは逡巡した後、手を伸ばす。

 ルナの視線が刺さる中、まだ湯気の立っているカップを手に取り、くいっと流し込んだ。

 ミルクリの汁は好き嫌いが分かれる飲み物だが、スキャーノは後者だ。

 たしかに味は天然とは思えないほど濃く、栄養も満点だが、粘性が強くて喉にまとわりつく感じと、何より生臭さが受け付けない。


「おぼっちゃまは舌も弱いんですね」

「ルナさんが強すぎるんだよ」


 口内を冷却するための無詠唱氷魔法も見抜かれている。


「……ルナさんは、誰に鍛えてもらったようで?」


 冒険者のルーツを探るのはマナー違反だが、それでもスキャーノは知りたかった。


「ぼくは上司に鍛えてもらったんだ。何度も死にかけたし、正直殺したいと思ったこともあったけど、おかげで今のぼくがある」

「奇遇ですね。私も似たようなものです。上司ではなくお師匠様ですけど」


 口に白いひげをつけたルナは、空を見上げる時のような表情を浮かべていた。


「……憧れの人とは、別の人のようで」

「そうですね。不思議とお師匠様に恋慕は湧きません。たぶんそうなるようにコントロールされてるんだと思います」

「いいなぁ。ぼくの上司はコントロールされるまでもないから。そういうの絶対に湧きようがない変人だよ」

「上司って女性ですか?」


 ここでスキャーノは己の軽率さを悔いた。

 ファインディは男性であり、そのつもりで話していたが、スキャーナはともかくスキャーノは男である。

 そして熱心で苛烈な指南役は男が担うものだと相場が決まっている。


 このままでは男でありながら男に恋慕を抱く性癖の持ち主になってしまう。

 別に変態というわけではないがそこそこ珍しい性癖であり、少なくとも娼者《プロスター》のクラスメイトは食いついてくるだろう。それだけは絶対に嫌だったので、


「……男みたいな女だよ」


 スキャーノは一つ嘘をつくこととなった。


「貞操は大丈夫?」

「て、貞操って……」

「だってスキャーノ、可愛いもん。なんていうんだろ、いじめたくなる?」

「勘弁してほしいようで」


 うっかりスキャーノは上司から誘われる光景を想像してしまい、吐き気をもよおしそうになるのだった。


 気分を変えようと、水魔法でつくった水をカップに注ぎ、一気に飲み干す。

 その間、一段と激しい戦闘の様相――光と風が届いてきた。


「スキャーノの言うとおり、善戦しているみたいですね」

「……そうだね」


 ここまで届かせるほどの攻撃は尋常ではない。自分達が混ざれば原型さえ残らないかもしれなかった。

 アウラや、それこそファインディでもなければ対抗はできまい。


「私達も、もう少し頑張ってみますか?」


 だというのに、ルナは打開する気でいるらしい。

 無論シッコクに挑むのは無謀だから、|もう一人《グレン》から攻めるつもりだろう。


 しかし、白いひげをつけたままというのはどうにも締まらない。スキャーノは苦笑いしつつ、ちょんちょんと自分の口回りを示す。

 気付いて、慌てて拭き取るルナの様子は、年相応の女の子らしかった。


「それで、どうするのルナさん? 川の中なんて入れたものじゃないよ」

「それでも考えるんです。何かしらの穴はあります。竜人じゃないんだから」

「あったとして、ぼく達の実力で突ける保証はないけどね」

「だとしても、突ける実力者に教えることはできます」


 そうして二人が悪あがきモードに入ったところだった。


「二人ともくつろぎすぎだ」

「……モジャモジャさん」


 生徒会長と、先ほど彼女を半ば強引に連れて行った女王補佐《アシスター》リンダが空から下りてきた。

第173話 中宴3

「もーもーも少しは見習うべきですね」

「もーもー?」


 スキャーノがオウム返しをすると、「はぁ……」モジャモジャが嘆息する。


「彼女は私の姉上です」


 露骨に呆れています感を出しているが、ほんの少し赤面している。普段の高圧的な態度は見る影もない。

 スキャーノはルナと顔を見合わせてくすっとしたが、ルナはすぐに真顔、というより露骨にひいた顔をつくり、


「リンダさん、でしたっけ。あなた、大丈夫なんですか?」

「これはルナ様。と、仰いますと?」

「その欲情の宿った瞳、見覚えがあるんですよね」


 ルナの指摘を受けて、スキャーノも「ああ……」合点がいく。

 何度も襲われかけているからよくわかる。某娼者志望《ガーナ》と同じ色だ。


「ルナ殿。心配は要らない。姉上が執着しているのは私だけだ」

「大丈夫なんですかそれ? 襲われてない?」

「二人きりのときはよく触られるが、場面は弁えるさ――って何を言わせるんだ!」

「ちょっと! 格上エルフの攻撃は洒落にならないから!」

「怒るもーもーも可愛い」


 リンダが妹狂いであることをあえて示したのは、場の緊張を解くためだろう。

 彼女もゼストと同様、独断が許されているほどの立場に見える。こうして帰ってきたということは、何らかのお土産――打開策があるはずだ。


 間もなく、一人のエルフが高速で接近してきた。

 じゃれ合いを瞬時に解除し臨戦態勢を取るスキャーノ達を前に、リンダが手を挙げて制止する。「お二方の保護を遣っている者だそうです」とのこと。

 スキャーノはルナに視線で問うてみたが、覚えはないらしい。


「私はアナスタシア。女王直下の特殊部隊『フォース』の一人。本件は他言無用」


 暗殺者でもしていそうな雰囲気のエルフから、抑揚のない言葉が飛び出す。


(この人も強そうだ……)


 肉体派なのだろう。飛行に頼らない移動といい、この立ち姿といい、優れた獣人を見ているかのような安定感がある。

 その割には肌の露出が少なく、四肢で言えば手首足首くらいだった。


「私の任務は二つ――二人を守ることと、この場から逃がすこと」


 アナスタシアによる状況共有が行われる。


 打開策として、グレン・レンゴクの妨害を考えているらしい。

 曰く、これほどの規模には少なくない副作用があるはずだと。そしてそれはグレンが姿を見せないこととも関係があるはずだと。


「私もそう思います。身動きが取れなくなったり、自分の命を削ったりする魔法やスキルもあると聞きますし」

「ぼくも同感だけど、グレンにはぼく達の目をかいくぐれるほどの実力がある。仮に身動きが取れないとしても、それを悟らせない小細工はお手の物だと思うよ」

「かいくぐる?」


 アナスタシアがちょこんと首を傾げてみせる。ルナは「似てますね……」とよくわからないことを呟いている。


「ルナさん。共有しますか?」

「ええ」


 スキャーノは自分達の持ち札――グレンが自らをカモフラージュした上で川の中に入ったという事実を共有してみせた。


「川の中でやり過ごす……そんなことができるのか?」

「魔力がいくらあっても足りそうにないですね」


 リンダはそんなことを言いながらも、胸の前で両手を組むモジャモジャを凝視している。露骨だが、本人に気にした様子はない。

 場を和ませるのはついでだったのか、とスキャーノは内心苦笑した。


「姉上。バーモンの攻撃は、そもそも魔法で防げるものなのですか?」

「第一級クラスなら、できるのではないですか」


 リンダほどの実力者でも確信は持てないらしい。が、スキャーノには覚えがあった。


「無理だと思う。アウラさんと一緒に狩りをする機会があったけど、あの人は決して川に入ろうとはしなかったからし、ウミヘビにも近づかなかった」


 そんな風に、しばし見解が飛び交わせていたが。


 ふとリンダが口を止め、ルナの方を向いた。

 猜疑のオーラが込められた不躾な視線で、スキャーノを含め場の全員もつられてしまう。


「ルナ様。そもそもグレン・レンゴクが川に入ったのは事実なのでしょうか?」

「嘘をつく理由がありません」

「いえ、そうではなく、川に入ったという観測そのものもカモフラージュによるものではないかと言っています」

「いいえ。川に入ったのは事実です」

「ルナさん……」


 ルナがどうやってグレンを見破ったのかはスキャーノも知らない。

 おそらくレアスキルの類だろう。無論、冒険者としては自身の機密を他者に教えるわけにはいかないが、ここはそうしなければ信用が得られない場面だ。


「私は彼女に同意」


 そんな中、アナスタシアがルナを指してみせた。


 なぜ名前で呼ばなかったのかとスキャーノは考える。

 エルフの作法では、リンダがそうしているようにお客様扱いするはずだ。指差しという動作で注目を集めるためか。それとも名前で呼びたくない別の理由でもあるのか。


(これはまずいようで……)


 自分の中でも疑心が増している。これでは協調などあったものではない。


 格上を相手にしているのだ。優れた冒険者パーティーとまでは行かずとも、一心同体を形成しなくてはならない。

 しかし、スキャーノは場を統率するリーダーシップなど持ち合わせていないし、友人にレアスキルの公表を強いるほど割り切ることもできない――


「グレン・レンゴクは、川の中に潜伏。これは確定」

「説明を要求します」

「時間は貴重。《《無事に生還できたら》》、後で実施」


 特殊部隊のエルフでさえも己の生存を疑っている――

 場の緊張を再来させるには十分な台詞だったが、「わかりました」説明を求めていたリンダは淡々としたものだった。


「では、私達はドームを攻撃している部隊を解体して、川の捜索にあたらせます。構いませんか?」

「肯定」

「姉上……」

「もーもー、行きますよ」


 ルナに何か言いたそうな妹とは裏腹に、姉はさっさと飛び立っていく。間もなくモジャモジャも追いかけて、二人の背中はあっという間に点となった。


「スキャーノ。どうしたんですか?」

「なんでもないようで……」


 並の人間であれば、己の持論に固執する。自分が立場を持っていて、相手が得体の知れない存在であるならなおさらだ。

 にもかかわらず、ころっと了承してしまえるところに、リンダの恐ろしさを感じるスキャーノだった。


「私達も行動を開始、する」


 アナスタシアがそんなことを言いながら距離を詰めてくる。

 暗殺者の雰囲気を少しも崩さないため、かなり怖い。ルナも「普通に怖いんですけど……」などとひいていた。


「二人は私に密着する必要、ある」

「……はい?」


 ルナが顔を見合わせてくるが、スキャーノにもわからない。


「確実に守るため」


 アナスタシアは背を向けると、何かを背負うようなポーズを取った。


「おんぶ、ですか?」

「肯定。どちらかが私に乗る。もう一人がさらに乗る」

「二重のおんぶですか? 意味がわからないんですけど」


 どうやらおんぶを要求しているらしかった。

第174話 中宴4

「私の展開は、強い。でも広さはない。守護対象を近くに置く必要、ある」

「おんぶする意味がわからないんですけど。隣を歩くのではダメなんですか?」

「肯定。それでもまだ広すぎる。私は、とても狭い」

「スキャーノはどう思いますか?」


 守護というと、一般的には魔法を使う。

 相手の攻撃にぶつけて相殺したり、壁をつくって防いだり、中はステータスを一時的に改変したりすることもある。

 身体を張って防ぐやり方もないことはないが、アナスタシアが言うように干渉できる範囲が小さすぎる。極端な話、周辺全域に注ぐ広範囲魔法は、物理的には防ぎようがない。


「近接に自信があるんだと思う」

「私もそうだとは思いますけど、相手はエルフですよ?」


 魔法に長けた種族ゆえに、魔法を防げねば意味がないと言いたいのだろう。


「手の内は明かせない。でも、守る。必ず」

「そんな恐ろしい目で睨まれても説得力ないです」

「……ぼくは、信じてもいいと思う」


 リンダやモジャモジャにも伏せられていたエルフの特殊部隊。それほどの存在が、何の根拠も無しに断定などすまい。

 無論、きちんと説明することもできるのだろうが、その時間さえ惜しいとしてリンダへの説明を省いたのがついさっきのこと。


 膠着していた状況を半ば強引に進めてみせたアナスタシアは、スキャーノには頼もしく映った。

 どうせジリ貧なのだ。だったら、リンダがそうしたように、さっさと協力するのが手っ取り早い。


「冗談ですよね……」


 ルナの婉曲な制止も聞かず、スキャーノはアナスタシアの背中に乗る。


 体躯は細いが、エルフの精鋭らしく筋肉質だ。

 肝も据わっているようで、こうしてゼロ距離で密着されても一切の反応がない。

 体臭も一段と抑えているらしく、鼻が利くスキャーノでも無臭だと評しそうなほどに薄かった。


「死体みたいだよ」

「大丈夫なんですかそれ……」


 強引な進行の甲斐もあって、ルナも渋々乗ろうとしたが、「順番が逆」アナスタシアがスキャーノを《《吹き飛ばした》》。「空中壁《エア・ウォール》」とっさに風魔法による壁をつくって耐えたスキャーノだったが、加えられた力はなくならない。

 衝撃波が辺りを揺らす。

 髪と制服をたなびかせながらも、ルナは表情でため息をついていた。下着まで見えてしまっているが、劣等感の前にはそんな羞恥など無力らしい。


 風圧が収まった後、改めてルナ、スキャーノの順にアナスタシアに乗った。

 つまりアナスタシアがルナをおんぶし、ルナがスキャーノをおんぶしている格好となっている。


「どうせ私は雑魚ですよーだ」


 先の吹き飛ばしから察するに、アナスタシアのレベルはスキャーノと同程度以上と考えられる。仮に同等の88だとしても、ルナの47とは大差。

 弱者のルナをカバーする態勢が必要であり、こうして挟み込むことで対処したというわけだ。


 アナスタシアはルナの両足を掴んでいる。その後方、ルナはスキャーノの両足を掴んではおらず、両手をアナスタシアに回していた。

 そうなるとスキャーノは必然、自分から抱きつくことでしかルナを固定できない。


「ルナさん。良い匂いがするね」

「襲ったら殴りますよ。揉んでも撫でても擦《こす》っても殴ります」

「そんなんじゃないってば」

「何あたふたしてるんですか」


 雰囲気を和らげる意図も込めて、友人のノリでじゃれたつもりだったが、スキャーナはともかくスキャーノという仮面は男である。

 軽率すぎたなと焦るのだった。


「グレンが飛び込んだ地点を所望」


 アナスタシアが早速走り出した。


 景色が音よりも速く流れていく。二人分の重さと体積を感じさせず、乗っているスキャーノにも揺れを感じさせない走り方は、秀逸の一言に尽きた。

 一体どれほど鍛錬すれば、これほど繊細で安定したパフォーマンスを発揮できるのだろうか。


「……ルナさん?」


 正確な地点を知るのは観測者のルナだけだが、答える様子がない。

 会話は振動交流《バイブケーション》で届けている。聞こえていない、なんてこともないはずだ。


「アナスタシアさんは、ぼく達を抱えた状態で動く練習をしてるんだと思う」

「そんなことはわかってます」

「……何か気になるようで?」


 ルナはアナスタシアの後頭部を睨んでやまない。かといって猜疑のオーラをぶつける様子もない。

 まだ外には言えないことで、しかしアナスタシアに関する何かがひっかかっているといったところか。スキャーノにはまるで見当がつかない。


 ルナは「案内します」スキャーノの問いを無視して、誘導し始めた。彼女の横顔が晴れることはなかった。


 程なくして、グレンを見失った地点に到着する。


「再現しますね」


 そう言うと、ルナは土魔法と水魔法を駆使して粘土をつくり、さらに風魔法でこねて人型にした。

 おんぶ状態なのに、器用なものだ。


「私が蹴った後、グレンはこのように倒れていました」


 人型粘土がゴミのように投げられる。頭と首はひしゃげているが、位置と体勢はスキャーノの記憶とも合致する。


「うん。ぼくも覚えてる」

「このグレンは、ダミーでした」

「ダミー……?」

「偽物だという意味ですよ」

「意味は知ってるよ。ちょっと想像がつかなくて。幻影ってこと? エルフを騙せるとは思えないけど」


 幻覚をもたらす手段は色々とあるが、それでも冷静な冒険者を騙せるには至らない。感覚に優れたエルフ相手ならなおのこと。


「このダミーを維持したまま、グレンは川に入りました」


 川に入るまでの過程は粘土では示さないらしい。

 示せば自分の秘密――スキャーノはレアスキルだと見ているが、そのヒントを与えてしまうとルナは考えたのだろうか。


「着水の地点を所望」

「……わかりました」


 アナスタシアは淡々とグレンの痕跡を追っている。表情も声音も全く変わらないから、何を考えているのはわからない。


「あそこです」


 足場の端まで移動した後、ルナは土魔法でつくった石を川面に撃った。


 深森林の川は沼のように不透明で、中の様子をうかがうことはできない。魔素も含まれていないらしく、魔法を通すことも叶わない。

 今は飛び出してこないようだが、バーモンもいる。第一級冒険者の防御力さえも崩す怪物が、それはもうようよといるらしい。


「アナスタシアさん。どうされるようで?」

「アナスタシア? 聞かない名前でやんす」

「ッ!?」


 振動交流だった。

 音声のねじ込み方が群を抜いている。速くて、正確で、何より重い。第二級程度の精度では到底無い。

 まるで耳元でささやかれているかのようで、スキャーノは思わず耳を押さえてしまった。


 直後、後方から隠しもしない豪快な着地音が響く。


(ゼストさんもやられたか……)


「気に入ったでやんす――アナスタシアちゃんとやら。《《ルナちゃん》》から離れて、こっちに来るでやんす」


 |エルフ屈指の実力者《ゼスト》との戦闘に言及する様子はない。

 特に男性は実力を誇示したがるものだが、それほど単純ではないということか。あるいは善戦に見えてその実、弄ばれていたのかもしれない。


 いずれにせよ、シッコクの手強さをまた一つ痛感するしかなかった。


「……否定」

「どうしたでやんすか。人間の二人がお気に入りでやんすか? 外交問題になるでやんすよ? それとその顔、もっと見せるでやんす」


 相変わらず素っ裸のシッコクは、己の下腹部に手を伸ばしていた。「最低……」何をしているのかルナは思い至ったようで、醜いモンスターを見るような嫌悪感を浮かべている。

 アナスタシアも逃げるつもりはないらしく、二人分をおんぶしたまま堂々と向かい合う。


「よく出来ているでやんすね。普通に犯せるでやんすよ」

「……」

「拙者ではそこまでできなかったでやんす。どうやって制御しているか、気になるでやんすね」

「……」


 珍妙な光景だというのに、シッコクは触れてこない。

 どころか会話の節々にどうにも違和感、いや疎外感がある。アナスタシアも余計な雑談はしないタイプで、無言を貫いているが、どことなく押されているようにも見えた。


「犯してみたいところでやんすが、やめておくでやんす。中々賢い立ち回りでやんすね。てっきり《《それ》》に頼らずともやっていけると思っていたでやんすから、意外でやんす。攻撃に特化しているでやんす?」

「さっきから何を……」


 ルナはシッコクが何か答えてくれることを期待して呟いたのだろうが、シッコクにその様子はなさそうだ。

 彼はただただアナスタシアを見ている。まるで警戒しているかのように。


「拙者としてはそれでいいでやんすよ。《《それ》》に頼っている限り、アナスタシアちゃんは安全でやんすが、打開もできないでやんす。こんなところでリスクは犯せないでやんすからね。平和が一番でやんす」


 絶えず右手も動かしているシッコク。何をしているのか、スキャーノもようやく思い至る。


(自慰行為を見せつける変態。いや、これは……)


 盤外戦術だ。

 シッコクは生理的な嫌悪感を示すことで、相手の平静と集中を阻害しようとしているのだろう。



 ――変態への耐性無き女は脆いのです。というわけスキャーナ。娼館で鍛えてみませんか?



 上司の言葉を思い出す。

 もちろんその申し出は即行で断ったが、こういうことを言っていたのかとようやく理解できた。


 同時に、同じような態度を取り続けていたクラスメイトが脳裏に浮かぶ。

 いちいち真に受けていた自分が今となっては恥ずかしいが、もっと冷静に、一歩引いて見ておけば何か気付きがあったのかもしれない。


(ジーサ君、無事なのかな……)


「打開しないことを祈っているでやんす」


 間もなくシッコクが果てる。

 汚れた手指を見せつけてきて、「舐めるでやんすか?」などど言ってくるが、アナスタシアと同様、無反応を決め込む。

 ルナも要領を得ているようで、身体反応も平静そのものだった。


「つまらないでやんすね。まあいいでやんす。そろそろ第二位《ハイエルフ》にも種付していくでやんすよ」


 目にも留まらぬ水魔法で白濁の汚れを消した後、シッコクは飛び去っていった。


「時間がない。行動再開」


 シッコクが見えなくなる前に、アナスタシアはもう動こうとしている。


 猶予がないとする見解は同感である。

 リンダによる作戦変更――ドームを攻撃していた大部隊を川の捜索にあてる件は、既に知られているはず。シッコクはそこに切り込むと考えられる。今まで以上に激しい戦闘が繰り広げられるだろう。


「とりあえず、着水地点の周辺を捜索」

「お願いします。急ぎましょう」


 ルナも異論は無いらしく、高速移動の加重に備えてぎゅっとしがみつく。

 その仕草には、先の平静にはない焦りがほんの少しだけ滲み出ている。小さな違和感だが、見過ごすスキャーノではなかった。


「待ってください。搜索の前にやるべきことがあるようで」


 盤外戦術――余計な情報を無視した先に、何が残るか。


「ルナさん。アナスタシアさん」



 ――てっきり《《それ》》に頼らずともやっていけると思っていたでやんす。



「先ほどシッコクが言っていた『それ』とは何なんですか?」


 自分が抱いていた疎外感の糸口に、スキャーノは手を伸ばす。

第175話 中宴5

「シッコクが言っていた『それ』とは何なんですか?」


 シッコクはなぜ自分達を犯さないのか。


 人間は性欲の対象にはならないからか。そうは思えない。

 人はどの種族であっても、どの種族にも欲情できることが知られている。だからこそ実力者は性の衝動に警戒して早期から対策するのだし、娼館というガートンに並ぶ会社も成立している。


 アルフレッド王国との外交問題を恐れているのか。そうも思えない。

 こんな大事件を起こした時点で、もう世界を敵に回したも同然だ。少なくともエルフは黙っていないし、ドームが解けたら竜人も来るかもしれない。ペナルティだと判断されたら、あとは死あるのみだ。

 今さら人間族の一国を気にする道理などない。


 そう考えると、別の可能性が浮上してくる。


 犯さないのではなく、犯せないのではないか。

 たとえば身の安全を脅かされるような何かを持っているとか。


「とりあえずアナスタシアさんは違いますよね? あなたはせいぜいゼストさんクラスであり、シッコクの脅威にはなりえない」

「根拠を所望」

「もしあなたがシッコクに対抗しうる戦力であるなら、暗躍する立場になどいるはずがないからです」


 情報屋だけあってスキャーノはエルフの事情にも詳しい。

 この種族の弱点として、レベルの高い冒険者の少なさが挙げられる。極端な話、第一級冒険者は女王のサリアしかいない。

 ゆえに、もしシッコクに対抗できるほどの実力者――第一級クラスのエルフがいるならば、王族に近しい中枢に配置するはずである。


「……肯定」


 案の定、アナスタシアは認めるしかない。


(当然ぼくは何も持っていないから、ルナさんしかいない――)


 ルナだ。

 彼女が何かを握っているに違いない。


 アナスタシアはその事に気付いたからこそ、おんぶを提案した。

 自分をルナの近くに居させるために。


 シッコクもまたルナの何かに気付いていたのだろう。

 だからこそ攻めてこなかったのだし、先ほどのアナスタシアとの会話も、ルナの何かに頼り切ったという情けなさを責めていたのだと捉えれば筋が通る。


「ルナさん。どうして黙ってるの?」

「どうしてって……何を言っているのかよくわからないからです」

「ぬけぬけと言うね」

「何がですか。正直言うと、私は平静を保つので精一杯ですよ? 優等生のスキャーノはそうじゃないかもしれないけど」


 これは当たりだとスキャーノは内心で確信した。

 ルナの生体反応は、もう落ち着いている。一般人の平静よりもなお乱れが少ない、生理的に不自然な平静だ。

 いくらコントロールする術に心得があっても、そのバランスが甘ければ意味がない。実戦経験がまだ浅いのだろう。


「ぼくも怒るときは怒るよ」

「さっきから何なんですか? 怒りたいならどうぞ、勝手に怒ってください」

「言っておくけど、ぼくは怒りで自分を見失うほど愚かじゃない」

「そんなことより、早く川の捜索を始めましょう。時間がありません」

「話を逸らさないでよ」

「だから何の話ですか!」


 ルナは上体を捻ると、スキャーノの胸倉を掴んできた。

 アナスタシアから落ちないよう、足はがっつりと絡めている。


「あの変態はまた来ます。さっきはなぜか見逃してくれましたが、リンダさん達が破れたら、次こそ後がありません」


 それまでに打開しなければ犯されるとでも言いたいのだろうか。

 ただでさえ意思の強そうな瞳の中は、わずかに揺らいでいる。


「恐怖でも闘争心でもない、別の動揺が見えるよ。眼は嘘をつけない」


 反射的に逸らすルナ。そのまま上体も戻して、「アナスタシアさん。行動を開始してください」などと言っている。


 アナスタシアは足場から飛び出し、ストロングローブの幹に着地した。

 ちょうど川面と水平になるように幹に立つ。相当な握力が幹に加えられているのをスキャーノは後ろ目で目の当たりにした。

 獣人のように縦横無尽に動く能力はありそうだ。捜索は一任していい。


「ルナさん。こっちを見て」


 ルナの華奢な肩を手を置き、半ば強引に振り向かせる。

 彼女はなおも目を逸らしてくれる。


「そろそろちゃんと話してくれないかな」

「しつこいんですけど。いいかげん、私こそ怒りますよ?」


 冒険者は各々事情を抱えているものだ。

 たとえ友人であろうと、隠し事の一つは二つはある。その事自体はさして問題ではない。スキャーノ自身、性別を偽っているのだから。


(知りたい……。知りたいんだ)


 優等生としてちやほやされてきたスキャーノだが、そんなものには何の価値もなかった。

 上司であるファインディに、第一級の魔法師であるアウラ――あの人達が見ている世界と比べれば、自分など赤子にもなりやしない。


 しかし、格下であるはずのルナは、自分を何度と唸らせてきた。

 今も自分だけが蚊帳の外にされている。


 レベル差を埋めることのできる何かが、ある――。


 情報屋ガートン職員の好奇心が。

 第一級に憧れる冒険者の血が。


 ルナが持っている『何か』を決して逃がすなと。

 そう叫んでいる。


(捜索はアナスタシアさんに任せる。ぼくはルナさんを暴く)


 実力行使も厭わない、とスキャーノが判断した時のことだった。


「――え?」


 アナスタシアが跳んだ。


 その手はルナを掴んでいない。どころか跳躍前に自ら手を解いたのが見えた。

 加速の次元も違う。同乗者の耐久性を無視した、全身全霊の飛び出し――


 喧嘩する二人を放置したのだろうか。

 自分達を守るのが目的なのに? 決して離れるなとおんぶまで求めてきたのに? 律儀なエルフの、それも特殊部隊ほどの人材なのに?


(いや違う!)


 逃げたのだ。


 そもそも幹に移動したのも、逃げるための下準備――しっかりと踏み込みを乗せるためだとしたら?


 アナスタシアは最初から逃げる算段を立てていたことになる。


(怪しすぎる)


 思えばシッコクはアナスタシアの方に一目置いていた。


(ルナさんじゃない。いや、ルナさんのも気になるけど、こっちの方が重大だ!)


 レベル47では、このアナスタシアによる風圧には耐えられまい。実際、川に落ちそうになっていて、助けなければバーモンの餌食になる。

 もっともスキャーノの仮説が正しければ、どうせ生きる。

 それにルナは同級生だ。ここを生きて出られたのなら、その『何か』を探るチャンスはいくらでもある。

 ルナは無視することにして、


「うあああああっ!」


 雄叫びをあげるスキャーノ。


 人は叫ぶことで潜在能力をより引き出すことができる。

 品が無い割には隙が大きいため一生使うつもりはなかったが、もうアナスタシアとの距離差は大きい。全力を出さねば追いつけない。


 王立学園の今年度の首席でもあり、ガートンの敏腕職員でもある実力者《レベル88》の、爆発的なロケットスタートが放たれた。

第176話 包囲

 ストロングローブの幹から幹へ、枝から枝へと経由しながら、俺はとにかく二人から距離を取ることに専念する。


(クロ。このスピードでもアナスタシアの容姿は維持できるか?)


 心臓の左部分がぎゅっと圧迫される。肯定の返事だ。

 今現在、俺はアウラから逃げている時に近い水準を出しており、音速を軽く追い抜く負荷下で生きているわけだが――レベル90のクロには杞憂だったか。


(容姿の維持に全力を費やしてくれ。アナスタシアはエルフじゃなかった、とバレるわけにはいかない)


 クロへの情報共有も兼ねて、もう一度整理しておこう。


 俺はドームを維持しているであろうグレンを叩くと舵を切ったわけだが、情報が足りなかった。

 ジーサのままでは何かとやりづらいためエルフに扮し、ルナとスキャーノに近づいた。留学生なら手厚く保護されるだろうし、情報も集まると考えたためだ。


 実際、グレンが川に入ったという情報が手に入った。


(ルナはアルフレッドの第一王女だ。近衛という護衛が密かについている。グレンの行動を見破ったのも、その近衛から教えてもらったんだろう)


 あえて呟くことでクロへのインプットを行う。新入りのクロは、俺が知っていることの大半を知らないだろうからな。

 説明自体は雑でいいだろう。ダンゴが共有してくれるはずだ。


(アナスタシアとしておんぶを提案したのは、俺自身を守るためだ。近衛はエルフにも存在も悟らせないほどの実力者だが、シッコクなら気付けると考えたんだ)


 シッコクは第一級クラスの強さを持っている。しかし近衛を打ち破れるほど強くはない――

 俺はそう踏んだ。

 いや、願望だったのかもしれない。

 近衛さえ負かすほどの実力者は、それこそブーガみたいな存在に限られる。そんな怪物には最初から勝てやしない。考えるだけ無駄だ。


 幸運にも俺の仮説は当たってくれた。

 シッコクが留学生に手を出さなかったのは、ルナのそばに居座る強者を警戒してのことだ。


 だったら、俺もその中に入ってしまえばいい。


(シッコクは俺を買いかぶってくれてるが、いつ見破られるかはわからなかったんだよ)


 真面目に攻撃されでもしたら、俺に大したステータスがないことなどすぐに露呈する。無敵であることもバレるだろう。

 そうなれば最後、すぐに封印に転じてくるはずだ。


(いつやられてしまうか、俺は気が気じゃなかった)


 近衛という傘に入ればいい、と気付けたのは運が良かった。


 ユズと過ごした時の記憶――あの幼い体躯の体温と生々しさはまだまだ新鮮である。

 接触していれば、ブーガの猛攻さえも防げるのだ。


(しっかし、まさかスキャーノに疑われるとはなぁ。シッコクが余計なこと喋りやがるからだ)


 二人の口喧嘩は正直もっと見たかったが、あのままでは嫌疑がアナスタシアにも向いてしまう。というわけで、強引だが逃げることにしたのだ。


(スキャーノはルナを追及するのに忙しい。リンダ達もしばらくは指揮やら戦闘やら慌ただしい。今がチャンスだ。川に潜るぞ)


 もう情報は集まっている。

 あとは川に入ってグレンを探すのみ。


 俺は深森林を縦横無尽に移動しつつ、誰にも見つからない隙をうかがった。

 そんなに苦労するとは思ってなかったのだが、


「アナスタシアさん。どこに行かれるようで?」


 スキャーノの声が耳に《《差し込まれた》》。

 振動交流だが、ずいぶんと速い。音速より速く届かせているというわけか。


(容姿の維持。頼んだぞクロ)


 速いと言えば、その判断と行動力もか。

 あれだけルナに執着しておきながら、こうしてすぐにアナスタシアに切り替えてくるとは――。


(まずいな。だいぶやりづらいぞこれ……)


 シッコク相手以外で戦闘が始めること自体がそもそも怪しい。怪しんだエルフ達にわらわら集まられては、為す術がなくなってしまう。

 何たって川に入る場面は誰にも見られるわけにはいかないからな。エルフ全員の目をかいくぐるのは不可能だろうし、リリースで皆殺しにするわけにもいかない。


 加えてスキャーノは、獣人領に侵入した俺と対峙している。

 直接戦闘したのはアウラだが、動きの一つや二つは見られているはず。俺の全力な逃走が見られたら、あるいは川に入る場面を見られたら、あの時の侵入者だと結びつけられてしまう恐れがあった。


(エルフ達に気付かせず、スキャーノにも悟らせずに、俺は距離を取らないといけない)


 特に空間認識まわりで非常に忙しい仕事と言えそうだ。

 文字通り全神経を総動員しなければならないだろう。


「なんで逃げるの? やましいことでもあるのかな?」


「ちょっと話そうよ」


「ルナさんのことで、何か知ってるよね?」


 跳びまくり、走りまくっても、スキャーノの声が途絶えることはない。

 ぺらぺら喋り続ける様はヤンデレっぽくて気味が悪いが、コイツの作戦だろう。すべて無視だ。意識すればするだけ身体のパフォーマンスが落ちる。


 しかし、意識だけで意識をシャットアウトすることはできない。

 人間は自動的に刺激に反応するようにできている。これを防ぐのがいわゆる禅とか悟りとか瞑想といった、あの辺のジャンルだが、素人にできることではない。

 第一、逃走しながら行うなどお釈迦様でも不可能だろう。


(クロ。俺の耳を塞げ)


 直後、耳にセメントでも流し込まれたかのような感覚に襲われた。

 石化状態の時と似て……はいないな。呼吸や鼓動はダイレクトに響いてくる。


 一方で、外からの音はスキャーノの声含めて一切聞こえなくなった。

 聴覚という情報源がなくなるのは痛いが、どうせ音は遅くて役に立たない。視覚でカバーすればいい。


(行く、ぞ)


 蹴った分だけ力を返してくれる超硬の幹を蹴る。

 加減はまだしも、角度は一ミリの誤差さえ許されないから厄介だ。

 音速を追い抜く世界にもなると、インプットの微差は馬鹿みたいな大差となってアウトプットされる。

 空を跳べない俺は遠く離れた幹を、枝を、正確に経由していくことでしか高速移動を実現できないわけだが、ミリのずれが幹一本分以上のずれになるのだ。


 ストロングローブは硬い。

 誤った着地の仕方をすれば、たちまちあらぬ方向へと吹き飛んでしまう。空にでも飛び出そうものなら、飛べない俺は慣性に従うしかなくなる。

 一応、全力で腕や脚を振ればある程度は殺せるものの、飛行するエルフ達やスキャーノの機動性には勝てない。


(正確に蹴ればいいだけなんだけどな)


 幸いなことに、俺はそこそこレベルが高いようだ。

 バグっていて集中力も底無しだし、どういうわけかこの手の空間認識と身体制御も理不尽にお手の物。スキャーノの小細工もさっき遮断した。


 幹の凹凸も、空気抵抗も、全部が手に取るようにわかる。

 人間業では到底ないし、前世の機械で制御できる次元でもないが、紛れもなく現実だ。

 これが今の俺のパフォーマンスなのだ。


 負ける気がしなかった。


 現にエルフ達の気配は遠く、スキャーノのそれもなくなっていった。


(クロ。耳は解除しろ。それと川に入るから避難の態勢を整えろ。あと五秒で川に入る。問題はないな?)


 視覚が戻りつつ、肯定も返ってきて、『シェルター』を開くためにさあゾーンに入ろうかと意識を集中し始めた、そのときだった。


「アナスタシア様。お待ちください」


 数人のエルフが空から下りてきた。

 上品な息切れと玉汗の浮かぶ肌が絶妙な艶めかしさを放っている。所作は丁寧なくせに、戦闘の構えを崩していない。


(五秒後の侵入は撤回する。いつ入ってもいいように備えてはおけ)


 クロに指示を出しつつ、考える。


 なぜだ。なぜ俺の元に来る?

 お前らの相手はシッコクだろうが。


「くっ……」


 幹の一本に着地した俺だが、もはや次の跳躍はできない。軌道がすべて封じられている。

 俺のパワーなら突破できそうだったが、エルフを傷付けてしまえばもう弁解の余地はない。実力行使は避けたい。


 俺が迷っている間も、次々とエルフが集まってくる。

 ちょうど樹冠が伐採されたエリアなのが幸いして、空が見えた。


(あれは雷、か……?)


 今の俺をもってしてもコマ送りにしか見えない、電気の線が走っている。


 雷魔法か? いや、そんなはずはない。

 俺の認識では、雷魔法も前世でいう雷ほどの速度は出ない。魔法の仕様なのか、ダメージを込めれば込めるほど重さが生じる。ゆえに遅くなるのだ。

 アウラの魔法でさえそうだったじゃないか。


「留学生の護衛を放棄した件について、スキャーノ殿が説明を求めています」


 とうとう俺は包囲されてしまった。

第177話 包囲2

「第二位《ハイエルフ》のブランチャ・リーフレと申します。軍隊の設計に携わっております。失礼ですが、フォースなる特殊部隊は聞いたことがありません」

「そもそも特殊部隊などという部隊は存在しません」

「私は齢《よわい》八十を超えますが、やはり聞き覚えはありません」


 しれっとおばあちゃんエルフがいやがるけど、声も見た目も他のエルフと大差ないから恐ろしいな。今はそれどころじゃないが。

 とりあえず俺を囲むエルフの数は十、二十、――数えるのは一瞬で諦めた。


 黙っていてもジリ貧だ。この中で一番偉そうなブランチャとかいうポニーテールのエルフを向いて、俺は弁明を続ける。


「フォーカスは女王直下の秘密組織。女王以外には知られていない」

「そんな話は聞いておりません」

「聞かせていないのだから当たり前」

「サリア様は人材の運用に関しては大らかです。隠し事はしないはず」

「それは表面上のこと。元首は幾重にも用心を重ねるもの」

「信用できません。アナスタシア様――あなたはエルフからあまりにも外れすぎている」


 しかし息つく暇もねえな。あっちからこっちから一瞬で返答が返ってきやがる。

 弾劾裁判ってこんな感じなんだろうか。


「当然。フォースはほとんど外部組織。立ち位置はギルドに近い」

「ならばスキャーノ殿にもそのように説明すれば良かったはずです」

「事態は一刻を争っている。正確な説明は難しい」


 とっさだから嘘のキレがしょぼい。

 いや元々ショボい説もありそうだし、たぶんそうだろうが……うん、まあ、俺はこういうの得意じゃねえんだよ。根は陰キャなんだ。


「おかしいですね。ならばなぜ呑気に弁明などしておられるのです? 仮にフォースなる部隊が実在するとなれば、位階は我らより上のはず。命令すれば良いはずです」


 たぶん同じ第二位の中にも序列があるのだろう。

 特殊部隊として立ち回らせるのであれば、当然相応に高くするはずだ。アルフレッドでいう筆頭執事ゴルゴキスタのようなものか。なるほどな、だからコイツらも言葉遣いは丁寧なわけだ。


 そしてそれほど高位であるはずのアナスタシアは、なぜか身分の力を行使せず言葉で説明してばかりである。


 はいはい、そうですね。舌戦は俺の負けだ。


「弁明は以上ですか?」


 ああ、と言いそうになったが、まだ諦めるわけにはいかない。

 俺は本気で|人生を変えたい《死にたい》んだよ。こんなところで道草食ってる場合じゃねえんだ。


「アナスタシアさん。説明してもらうからね」


 一段と強い衝撃波が俺を撫でた。仕掛け人が到着なさったな。

 俺の視線を受けたスキャーノが、「雷魔法で応援を呼んだんだ」などと言う。


(経験値の差だな。冒険者としての)


 エルフが集えば詰むところまではわかっていた。

 だから俺は不自然な戦闘を生み出さないよう、スキャーノから距離を離し続けていたわけだが……それが甘かった。


 スキャーノは最初から俺と戦うつもりなどなかった。

 逃がさない程度に俺を追いつつ、雷魔法――おそらく光に近い速度を出せるような薄い魔法を放つことで注目を集めていたのだ。

 おそらく振動交流による説明も並行している。校内放送の広域アナウンスはモジャモジャでもできていたから、同程度のコイツがこなせてもおかしくはない。


(そういやアウラとウサギ獣人もそんな戦い方だったな)


 戦力の到達を待つための時間稼ぎ――

 そうか、それが未知なる強敵と戦う際の常套手段ってわけか。気付くのが遅すぎだな俺。


「シッコクの脅威は続いている。包囲の撤収を所望」

「まだしばらくは大丈夫だよ」


 コイツらが包囲を解く様子は全くない。

 他のエルフが体を張っているってことか。もっと言えば、体を張る役を引き受けたエルフ達がいるというわけで。


(どうすればいい。俺が今、成すべきことは何だ?)


 川に入るしかないのは確定している。

 川に入る。グレンを探す。倒す。それで白いドームが解除されれば、もう勝ちだ。

 あとはどうとでもなる。バーモンの力を借りて地上の隙をうかがいつつ、適当なエルフを新たにこしらえればいい。


 だが、この衆人環視の中で川に入るわけにはいかない。

 獣人領の侵入者は既にニュースとなっている。そうでなくともジャースは自殺という概念が希薄っぽいし、川の中で生きていける術もないとみなされている。


 エルフに変装できるということに、川の中でやり過ごせるということ。

 これら二枚のカードは俺の生命線だ。

 バレたら対策されてしまう。対策されればアドバンテージとして機能しなくなる。


 俺はバグってこそいるが、このジャースでのうのうと生きていけるほど強くはない。

 死守できなければ、未来はないのだ。


「逃げるのはナシだよ。手加減はできないから」


 スキャーノがファイティングポーズを取る。

 胸を張り両手を広げている格好で、まるで俺に抱きついてこいとでも言わんばかりの滑稽さだが、浮遊時の揺れがピタリと止んでいる。


(強いぞこれは……)


 つーか闘争心のオーラが痛いほどに突き刺さってきてんだよな。周囲のエルフもびくっと震えてるくらい。


 ……そうか。そっちがそのつもりなら、俺も。


 なんてことはない、コイツに便乗するだけだ。


(クロ。わざとやられたふりをして川に吹き飛ぶぞ。不自然さをなくすためには、ある程度戦闘を激化させる必要がある。負傷する演技、できるな?)


 即行で肯定の返事――左心臓部の圧迫が返ってくる。頼もしい限りだ。

 クロもシッコクの相棒として擬態し続けてきたわけで、この手の演技はお手の物だろう。任せるぞ。


 すーっとスキャーノが近づいてくる。

 カーリングの石よりも滑らかな移動は、不気味ですらあった。


(拘束されたらアウトだが、俺のパワーなら大丈夫だろう。肉弾戦に持ち込ませるぞ)


 早い話、物理的にボコられる展開に持っていく。

 その中で吹き飛ばされて川に墜落すれば、死んだと解釈されるだろう……と口で言うは易《やす》し。


(スキャーノは殺すつもりでいく)


 学園の鬱陶しいクラスメイトを消せると思えば悪くはないし、この場ではリーダー格になっているっぽいから、コイツを殺せば場にプレッシャーを与えられる。

 俺は死なない。怖いのは拘束だけだ。


(行くぞ)


 ぐぐっと幹を踏み込む。

 エルフ達が一段を警戒するのを自覚しながらも、俺はスキャーノ目がけて自らを射出した。


 ミリ秒でも捉えられないほどの刹那。

 しかし、俺は確かな認識を得ている。


 景色はぼけている。深森林の緑陰も、エルフの緑髪も、広大な青空も、せいぜい色がわかる程度。

 一方で、目前のターゲット――スキャーノだけは鮮明さを失っていない。


 両手を繰り出そうとしているのがわかる。

 上体を逸らそうとしているのもわかる。


 距離差が詰まって、縮まって、手を伸ばせば届くところまで迫ったところで、こりゃ追いつかれるなとわかった。

 俺は頭突きをしている格好だが、おそらく上方向に流される。

 空に投げ出されてしまえば、跳べない俺は不利だ。


(くそっ)


 何とかしたいのに、身体が動かない。いや、動かせはするが、間に合わないと瞬時にわかる。

 脳内がぎゅるぎゅると稼働しているのもよくわかった。

 計算中のコンピュータか、あるいは局面を読んでいる棋士のような感覚。無意識で動いているっぽくて、自分が自分じゃないみたいだ。


 先に接触したのはスキャーノだった。

 コイツの両の手、その掌底が俺の顔面を打つ。打ち方は器用なもので、野球で言えばホームランでもヒットでもなくファール狙い。


 案の定、俺は軌道を逸らされる形で空に飛び出した。

 ふと鳥人が頭をよぎったが、今は白いドームに包まれている。ぶつかって、弾かれるだろう。


 頭から何かにぶつかった。

 白い面が見えている。ドームの壁で間違いないが、時既に遅し。


(慣性が消えやがった……)


 慣性が瞬時にゼロになったのがわかった。なるほど、力を無視する効果を持つ物体とぶつかるとこうなるのか。

 俺のエネルギーがどこに行ったのかが不思議で仕方ないが、今考えることじゃない。早く逃げなければヤバそうだ、と首を振って壁を頭で打つも、俺は吹き飛ばない。


 浅はかだった。

 力が返ってこないのだから、蹴ったり打ったりしても意味はない。ここは虫みたいに腕を高速で振り続けて空気をかき分けるべきだった。


「ハイパー・アース・ハンドカフ」

「ハイパー・アース・ハンドカフ」


 どうやらこの展開は読まれていたようで、もう追いついてきたエルフ達が魔法を連発してくれる。

 俺はいつの間にか地上から伸びている岩の壁に押しつけられ、手錠《ハンドカフ》の|たとえ《メタファー》を使った拘束系の土魔法によって幾重にも縛られた。

 そうだよな、力を返さないドームの壁でロックすることはできないから、こうしてロックする面は自製するしかない。


 しかしまあ、この短時間でここまでつくりきるとは恐ろしいものだ。

第178話 包囲3

 全力突撃をスキャーノにいなされた俺は白いドームに吹き飛んで。

 力を返さない性質に慣れないでいるうちに、エルフ達から手錠の集中砲火を浴びることになったわけだが――。


(強度が甘い)


 ギガホーンなどアルティメットクラスなら戦意も喪失するが、ハイパー程度の魔法規模なら取るに足らない。

 俺は力を込めて首、手首、手指、胴体、上腿下腿に足首にと何十個何重にもかかっていた錠を全て的確に粉砕した。

 エルフどもが「なんだと」とか「馬鹿なっ!?」などと言っている。どうやら必殺のつもりだったらしい。


 たしかに、これほどの錠を一つずつ破壊するのは骨が折れる仕事だろうが、俺の処理能力ならただの作業だ。


(前々から思っていたが、やっぱりボーナスだよな)


 おそらく前世でパルクールによって鍛えた諸能力――正確で高速な空間認識と身体把握、身体制御あたりがボーナスとして加算されている。

 俺が魔法を一切覚えない件も含めて、いいかげん考察したいんだが、まずはこの場を切り抜けねえとな。


 せっかく岩の壁があるので、俺は今度こそ踏み込んで逃げようとするが、何かが真っ直ぐ飛来してきている。


 スキャーノだ。

 心得の無い俺とは違い、スピードを乗せたパンチを打ってくることがよくわかるフォーム。

 気のせいか、赤と黄色の霧に包まれて……いや、気のせいじゃない。


(ステータス強化か)


 冷静に認識できている俺だが、身体が追いつかない。追いつかないと一瞬でわかってしまった。

 赤はアタックアップで攻撃、黄色はたしかアジリティアップで敏捷だったか。なるほど、俺が追いつける以上の速さをつくったわけか。いつの間に。


 どうすることもできないまま、スキャーノの拳が俺の股間と首に着弾。


「あぐっ!?」


 などと声を漏らしつつ、クロの演技で吐血もしつつも、俺は岩の壁を容易く貫通して、気付けば|気持ち悪い感触《ドーム》を背中に迎えていた。

 空気をかき分けて逃げねばと思うが、もう遅い、追撃が始まった。「ハイパー・ファイア・スピア」炎の槍に、「ハイパー・サンダー・ブレッド」雷の弾丸に、「ハイパー・ウインド・マシンガン」たしかラウルも使ってた風刃の連射――

 他にも何十という詠唱があるみたいだが、さすがに全部は聞き取れない。


 |優しくない規模の《ハイパーな》、高速詠唱の嵐が俺に降り注いだ。


「あああああああっ!」


 安直な悲鳴をあげて苦しむふりをする俺だが、エルフ達は緩めてくれない。

 火、雷、風、それ以外も含めて色んな属性を混ぜてやがる。何が効くかわからないから全部放とうってわけか。

 放つ先もちゃんと区別していて、頭から足まで上手く分散して撃っているのも見て取れる。


(懐かしいな。グレーターデーモンを思い出す)


 物量、密度、威力は比べるべくもなく、悪魔達が100ならコイツらは5、いや2にも満たないだろう。

 まあ感覚が丸め込まれる俺にしてみればどちらも同じようなものだが、新入りの相棒はそうじゃない。


(大丈夫かクロ。容姿の維持は引き続きできそうか? たとえばこのペースであと五分は耐えられるか?)


 心臓の左部分が握り潰される。鉄も圧縮するんじゃねってレベルのパワーで、クロの余裕をうかがわせる。

 頼もしくて助かるぜ。


(しかしどうしたものか……)


 言わば俺は魔法の連射を受けてドームに押しつけられている格好である。俺程度のパワーでは空気をかいても抗えない。

 このまま苦しみ続けるのにも無理があるよな。不死身が露呈すれば、封印されてしまうし……。


 話し合いや投獄に応じるほど、コイツらは甘くはないだろう。


 俺はエルフの怖さ――統率と容赦の無さというものを痛感しつつある。

 司令官に指示されたわけでもなく、皆で話し合うわけでもないのに、まるで一つの意思であるかのように連携してきやがる。

 そこには遊び心もなければ慈悲もない。ただただ効率的に、効果的に目的を果たすために動き続ける機械にも等しい。


 今のコイツらだが、俺を消すと判断しているのだろう。

 シッコクとは別の脅威とみなされているのか。あるいは仲間とみなされているのかもしれない。

 いずれにせよ、生かしておく道理がないわけだ。


 スキャーノも上手く迎合しているようである。

 何気にお前の魔法が一番強いんだよ。やたら股間に撃ってきたりと地味にセコいし。


 ともあれ、このままではジリ貧だな。……仕方ない。前々から試してみたかった戦法を試してみようか。


(クロ。死んだふりをするぞ。死んだふりという言葉の意味はわかるか?)


 ここで心臓の右部分にダメージが。否定の合図である。マジかよ……。


(実際は死んでいないが、あたかも死んでいるように見せることだ。つまりあらゆる部位の活動が停止したように見せかける。理解できたか?)


 秒をおいて心臓の左側に応答があった。


(とりあえず容姿の維持だけ続けて、死んだふりを頼む。心臓など勝手に動く部分も無理矢理止めてくれ。なるべくでいい)


 俺は身体にかけている力の一切を抜いた。ほぼ同時にクロも活動を停止したようで、自分の鼓動も聞こえなくなる。

 さすがに心臓を止めることはできないらしく、無理矢理握り潰すことで頑張っていらっしゃる。悪いな、バグっているもので。

 ああ、あと目は閉じておかないとな。生きている限り、瞳孔の大きさは変わる。


 エルフ達が俺の脱力に気付いた。

 魔法の大半が止み、両手両足の四隅への拘束だけが残る。あれだな、磔《はりつけ》の格好。


 二人ほど近づいてきた。

 見えなくてもわかるのは、大気が振動してくれるおかげだ。

 かなり近い、というか覗き込まれている。俺もレベルアップして鋭敏になった分、こそばゆさが半端ない。反射的に嗅ぎそうにもなるが、一ミリでも動かせばバレるだろう。堪えろ。


 一人が首を縦に振った。

 ジャースでも縦振りが肯定、横振りが否定の意として使われている。俺を殺すという目的があるとして、肯定したのだから、ターゲットの死亡を確認できた、といった意味になるだろう。


(問題はこの後だな。何とかして川に入らねば)


 川に捨てて処分してくれるのが一番ありがたいが、もしそうせずにどこかに運ぼうとしたら抵抗せねばなるまい。

 死体が動いたとなればびっくりされるだろうが、どこに運ばれるかわからない方に賭けるのはリスキーだろう。エルフの文化は知らないが、解剖でもされちゃ堪ったものじゃない。


 絶えることのなかった爆音がぴたりと止んだ。

 体が自由落下を感じる前に、両脇に硬い物を差し込まれた。土魔法でつくったフックといったところか。


 移動が始まる。

 クレーンゲームのように水平移動している。

 複数のエルフが俺の処遇を巡って議論を始めた。処分する声が多い中、「解剖しよう」スキャーノはどうしてもアナスタシアを調べたいらしい。


「シッコクの脅威が迫っております。速やかに捨てるべきです」

「ブランチャさん。リンダさんから作戦は聞いていると思うけど、その作戦の発案者はこの女だよ」

「何と」


 目を閉じていてもわかる、ブランチャ・リーフレのガン見。


「この女は、グレンが川の中に潜伏していると断定したんだ。未踏領域《バージンエリア》であるはずの川の中に」

「リンダはその主張を信じたということですか?」

「そのようで」


 そういうことか。

 リンダは俺のことを伏せた上で、グレンが川の中にいるから捜索せよとの作戦を出したんだ。

 リンダというお偉いさんの発言であれば、エルフ達は動かせる。迅速に動かすために、アナスタシアの存在をあえて伏せたわけだ。


「殺さなければ、もっと情報を引き出せていたよ」

「指示をくだされば対処はできました」

「そうだね。ぼくが生け捕りが強調するべきだった。手強そうだったから最悪殺すつもりで望んでほしくて、あえて言わなかったんだけどね」


 さっきの解剖発言といい、もしかすると一番怖いのはスキャーノなのかもしれない。

 正体は情報屋ガートンの職員だったよな。ただの学生、ただの優等生と侮っていると痛い目を見そうだ。つーか現在進行で見ている件。


「解剖はぼくとブランチャさんでやろう。他の人は引き続き捜索してほしい」

「了解」


 ブランチャが了解した途端、場のエルフ達が飛び去っていく。扇風機のような風が何度か俺を撫でた。

 脇から引っかけられていた岩のフックも取り除かれ、「空中台《エアー・スタンド》」今度は空気の台に載せられる。


 シッコクもまだまだ来ないだろうし、潮時か。


(クロ。そろそろ飛び込むぞ)


 スキャーノか、ブランチャか、どちらかの体を思い切り叩くことで川に向けて反発する――これしかない。


 俺の実力は既に知られている。

 相応の防御力を想定するとしたら、俺を直接掴んで固定した上で切断しようとしてくるはずだが、


「スーパー・ウォーター・カッター」


 スキャーノによる詠唱が走った。

 直後、一般人くらいなら切断できるであろう、ホース幅の水流が喉に当たる。


「死後軟化の進行が遅いですね」

「ステータスが高いのかも。さっきもだいぶ耐えてたようだし」


 死後軟化? 死後硬直ではなくてか?

 その言い方だと死体が急速に柔らかくなっていくと聞こえる。そんなことがあるだろうか。

 ジャースの理次第だろうけど、どうだったっけな。俺も既に何人か殺しているはずだが、内臓の精巧で生々しい感触以外は思い出せない。


 ウォーターカッターは持続したまま、ゆっくりとずれていく。

 衣服の襟に差し掛かったところで、「先に服を脱がそう」スキャーノの手が伸びてきたのがわかった。


(今だ)


 大気の振動から正確な位置を算定して――


 俺は掌底を叩き込んだ。

第179話 包囲4

 伸びてきたスキャーノの手に向けて掌底を打つ――

 言わば防御力の高い部位に全力の打撃を放った格好だ。スキャーノは風魔法で耐えるだろうから反作用はそれなりに期待できるし、空気台の耐久性は誤差みたいなものだろう。


 俺は川への墜落を確信したが、発生したのは衝撃波だけだった。


「やっぱり生きてた」


 両手ともスキャーノに掴まれてしまっている。

 何気に恋人繋ぎだが、加わる力はちっとも可愛くない。思わず全力で振りほどく俺だが、すっぽんのように離れてくれない。


「ブランチャさん。作戦を変えよう――《《これ》》をシッコクにぶつける」

「……悪くない手です」

「伝達を急いで。ここはぼくがやる」


 言葉遣いから一切の敬意が消えている。もうアナスタシアはエルフではない。

 俺は飛び去るブランチャは無視することにして、スキャーノを引き寄せた。そのまま頭突きを見舞ってみるも、空振りに終わる。


(クロ。口の中に石を――)


 高速詠唱の要領で指示を出そうとする前に、スキャーノは器用に俺を空の方へと向け、蹴りを放つ。「ぐっ」あのウサギ獣人を彷彿とさせる威力だ。

 秒と待たずに天井のドームにぶつかり、慣性が吸収されて一気にゼロに。

 そう気付いた頃には、もうスキャーノが飛び込んできていた。


 このままでは拘束ルートまっしぐらだ。

 飛行ができず、コイツよりパワーもない俺は、ドームにはさまれてしまったら為す術がない。


 俺とシッコクをぶつけるだと?

 封印よりはマシだが、マジで勘弁してほしい。格上のシッコクとわざわざ戦うことなんてねえんだよ。

 抵抗しようと両手を構えようとしたところで、


(――でかしたぞクロ!)


 口の中に鋭利な物体が生成された。俺の意図をわかってくれたらしい。位置と向きも完璧で、怖いくらいだ。

 悟らせないために俺は両手はそのまま動かしつつ、スイカの種飛ばしをイメージしてそれを吹いた。


 レベル90の硬さをまとった弾丸だ。ピストル、いやライフルにも等しい。

 スキャーノにはもろに着弾した。顔面にヒットする軌道だったが、腕で防がれている。

 勢いは殺すには至らず――俺達は掴み合った。


 ステータスはともかく、格闘面では俺は素人だ。取っ組み合いでは足元にも及べない。

 幸いにもクロはよくできる子らしく、もう次の弾丸が口内にセットされていたので、これを発射しようとして「んぐっ」口の開閉を封じられてしまった。

 頭と顎を両手で押し潰されている。

 全力を込めて開《ひら》けるかどうかという案配なので、力の差は割と均衡しているらしい。なら体力無限の俺に分があるが、まだまだスキャーノも尽きそうにない。


 体力だけじゃない。コイツは俺を掴んだままドームから離れつつ、俺のパンチやキックに当たらないよう身体を俺の頭上に移動させている。

 馬鹿力のくせに器用で、迅速だ。


「……」


 スキャーノはゴミを見るような目で俺を見下ろしていた。

 軽口を叩く様子もなければ、何かを追及してくる気もないらしい。

 どころか無慈悲な無言と、隠しもしない威圧のオーラでプレッシャーをかけてくるまである。隙がねえなぁ。


 俺は口をこじ開けようと力を加えつつ、スキャーノの両腕を力任せに殴り続けた。「うっ……」声が出る程度にはダメージが通っているようだが、拘束はちっとも緩んでくれない。


 ドームに囲まれた小さな空を、一直線に横切っていく俺達。

 遠目には激戦の模様が見える。点の一つが、残りの何十という点を蹂躙しているのがすぐにわかるほど形勢は相変わらずらしい。


 あそこに放り込まれる前にコイツを何とかしなければ。


(リリースを放つ、か……?)


 獣人領の侵入者と繋げられるリスクこそあるが、シッコクの相手をするよりはマシだろう。

 『ファイア』の詠唱だけならミリ秒も要らない。ほんの一瞬、口に隙間をつくるだけでいい。隙間ならもう何度もつくれている。


(あるいはクロに頼って何かできないか)


 クロは寄生スライムとして非常に優秀だ。エルフ自身を騙せるほど物質を取り繕えるし、さっきも弾丸をつくってくれた。

 この物質生成能力を生かせないか?


 喧騒の音と光が一段と増してきた。

 エルフの悲鳴と嬌声、それにシッコクの雄叫びも聞こえる。振動交流による指令も混ざっていてカオスだな。

 タイムリミットは近い。どうする? どうすればいい?


 などと余裕ぶったり慌ててみたりするが、俺は全く動じなかった。

 前世ではスリルを愉しんだ方だと思うが、今はまるで感じられない。完全に暗記した映画を見ているかのように、無味乾燥としている……。

 何を今さら。


 俺には無敵バグがある。

 段階的な安全装置がある。

 あらゆる感覚は丸め込まれて、喜怒哀楽にも、快にも不快にも至ることがない――


(クロ。最悪1ナッツをぶっ放すからそのつもりで――いや、まだだ)


 半ば諦めて最悪の選択肢を想定した途端、それが俺の脳内に振ってきた。


(そういうもんだよな)


 人に相談し始めたところで急に自己解決できたり。

 肩の力を抜いたところで急に打開策を思いついたり。

 風呂《バス》、|乗り物《バス》、寝室《ベットルーム》――いわゆる3Bでくつろいでる時に限って急にアイデアが出てきたり。


 最初からそうしてくれよと毒突きたくなったのも一度や二度ではない。

 人間はそういう風に出来ている。ある日突然、いきなり出てきやがるんだ。


(面白えよな。笑えるぜ)


 バグっている俺にも、まだそういう人間味が残っている――

 その事がひどくおかしくて、なんだか愛おしかった。


 戦線との距離はもう目と鼻の先だ。一分と待たずに着くだろう。

 スキャーノは変わらず俺を運び、俺も変わらず腕を殴り続けている。


 俺は殴打を続けながらも、クロに提案した。


(スキャーノから逃げる手段が一つある。コイツが掴んでいる部分の髪と肌を切り離すんだ)


 そもそも|クロやダンゴ《寄生スライム》は人の表面を覆いきることで別の容姿を作り出している。

 触覚や皮膚呼吸など諸々の問題をクリアする精巧さはもはや意味不明だが、ともかく、外部からの刺激は全てコイツら寄生スライムが引き受けているわけだ。


(切り離す部分を仮にカットパーツと呼ぶぞ。お前はカットパーツで俺の身体を弾いてくれ。もちろん川に落ちるように、だ)


 つまりスキャーノが触れている部分――|クロの細胞部分《カットパーツ》を、俺の身体から切り離す。


(できるか?)


 クロはすぐに心臓の左部分を握り潰してくれた。自分の細胞を犠牲にすることも厭わないその姿勢は感嘆に値する。惚れるぜ。

 以前ダンゴには拒否されたけど、後で交際を申し込んでみよう。

 と、ふざけるのはあとにして。


(じゃあ頼んだ。クロのタイミングで構わない)


 わずか数秒後、クロによる切り離しが始まった。


 スキャーノが右手で掴んでいる頭部の髪と地肌、同様に左手で掴んでいる顎の皮膚が俺から外される。

 かさぶたが取れるというよりは、細胞レベルで分裂したような挙動っぽい。もっとも、そんな珍しい感触を味わう暇などない。スキャーノの膂力が、カットパーツから外れた俺を《《弾く》》。


「なっ!?」


 スキャーノの驚愕という貴重なシーンを一瞬だけ確認しつつも、俺は想定通り吹き飛ぶことに成功する。


 だが角度がライナーだ。

 これでは川に入る前にドームに当たってしまうし、その前にスキャーノに捕まる。


 ちょうど仰向けなので、俺はそのまま両手を広げて、少し引く。


(クロッ! 次は手のひらを薄く切り離せ!)


「逃がさないっ!」


 追従してくるスキャーノに。


「加勢します!」


 シッコクにやられたのか、ちょうど吹き飛ばされてきたエルフ達による加勢。


 それと鋭意戦闘中のエルフ達から、命中を優先させた光速の雷撃も届いてきてるな。あいにくダメージはたかが知れているが。


 クロはまたもや俺の意向を汲み取ってくれた。

 両の手のひらから強烈な推進力が放たれたので、俺も全力で押し出して反作用を合成する――


 今日一番の加速をもって、俺は川に突入した。


(もういいぞクロ。避難してくれ。ダンゴは誘導を頼む)


 空中を錯覚するほど透明な水中にて、俺は細い根を掴むことでスーパーボール状態を防ぐ。

 根を中心にぎゅるぎゅると回転が始まる中、意識を集中させてゾーンに入った。


 間もなく全身の細胞にねじこまれる感触が。

 これで避難完了だ。クロもダンゴも、俺のバグった肉壁の中にいる。つまりは無敵である。

 もうバーモンだろうが、シッコクだろうが、誰に何をされようともダメージが及ぶことはない。


 代わりに俺もシニ・タイヨウの容姿を晒すことになるわけだが……って、回転が全然止まねえな。ハンドスピナーかよ。


「0.03ナッツ。オープン」

「オープン」


 軽微なリリースを回転方向とは逆方向に何度か放出することで、ようやく止まった。


「3ナッツ」


 用心のために過剰な火力をセットした俺は、


「お前ら。ちょっと来てくれ」


 グレンを探すべく、川に住むバーモン達を呼ぶ。

第180話 不変物質

「ちょっと尋ねたいんだが、さっきエルフが一人ほど川に入ってきたよな?」


 グロテスクという言葉でも生ぬるい、川底のバーモン達が首やら腕やら触覚やらを縦に振る。


(にしても、何回見ても気持ち悪いな……)


 バグってる俺に感情が降りてくることはないが、それでもだ。視界を埋め尽くすうねうねとぐじゅぐじゅを見ていると、色んな意味で酔いそうになる。

 場所は悪くない――抜群の透明度に沈む根の立体迷路って世界観が神秘なのに、コイツら住民が残念すぎるんだよな。「わかったからくっつくな」なぜか人懐っこいし。


「そいつの姿は今、見えるようになっているか?」


 これはノーが返ってきた。

 ということは、グレンは川の中に入った後、何らかの手段で姿を隠している。あるいは包んでいるはずだ。


「どこで見えなくなったのか知っている奴を連れてきてほしい。可能か?」


 またもや肯定してくれた。どこぞのダンゴさんとは違って頼み事にも寛容的だ。

 その割には、どいつもこいつもどこかに行く様子はなさそうだが、すでにやり取りはできているのだろう。

 たぶんモンスター達は電波だか念力だか何らかの手段を持っている。特にバーモンは伝達速度がマジで速い印象だし、信じていいだろう。


 待っている間、俺はウニやらヒトデやらイソギンチャクやら、先日戦ったばかりの奴らとじゃれつつ、他にも色々質問をぶつけて過ごした。

 少し気になって聞いてみたのだが、コイツらでレベルアップしまくった俺のことは全く恨んでないようだ。というより、恨みという感情が無いらしかった。


 数分ほどだろうか。黒いボディに大きなおめめを携えた、ゲンゴロウみたいなバーモンが三匹ほどやってきた。

 奇怪のオンパレードの中では癒やしと言っていい。思わず触ってみたが、「え、硬っ」さっきの戦闘で触れたスキャーノやクロとは比較にならない硬さだった。

 バーモンは第一級でも危ないというが、なるほどたしかに、これで突進されたらヤバそうだ。


 そいつらがミサイルみたいに飛んでいく。


「待て待て。そんなに早くは泳げん。三割くらいのスピードで頼む」


 それでもついていくのはあっぷあっぷだった。

 このゲンゴロウ達は川底を移動することを良しとせず、わざわざ根の迷路を縫って行きやがる。俺もだいぶ遊泳と、根を叩いて反作用でブーストする要領は覚えたつもりだが、足音にも及ばなかった。まだまだだな。


 一分もしないうちに、水中の景色が別の顔を見せてきた。

 色合いとして白が増えている。ドームと同様、力を返してくれない仕様は健在で、当たっただけでスピードがゼロになるから非常に鬱陶しい。


 数分ほどで現場に到着。


「――ここか。海底遺跡みたいだ」


 戦争の後に滅んだ文明をうかがわせる荒廃っぷりで、建物やら柱やら岩やらが散らばっている。しかし、表面はどこも汚れなき白色が占めていた。

 生物の気配はなく、魔法の兆候もないが、馬鹿でもまず近づかないだろうという謎の威圧感がある。


「あれか」


 グレンがどこにいるかは一目瞭然だった。

 直径十メートルくらいの球体が浮かんでいる。無数の白い筋が伸びていて、全ての白い物体があそこから派生しているのがわかる。

 あの中でエネルギーを供給し続けているのだろうか。


 とりあえず近寄ってみて触れたり殴ったりしてみるが、うんともすんとも言わない。

 バーモン達に聞いてみても、ヒビさえ入れられないという。毒や魔法も全く受け付けないそうだ。


「さて、どうしたものか」


 俺は球体のそばで寝そべった。


 バーモン達には既に撤退を指示してある。

 具体的には中のエルフを見かけても手出ししないことと、俺に近づかないことの二つ。たぶんリリースを撃つ展開になるだろうからな。


「……っつっても、待つしかなさそうだな」


 グレンはいつこれを解除するだろうか。

 最悪でシッコクの目的が達成された後だろう。それはおそらく閉じ込められたエルフ達が蹂躙され尽くすことも意味するだろうが、知ったことじゃない。


(スキャーノ達が怪しんだのはアナスタシアという架空の人物。ジーサとは結びつかないはずだ)


 少なくともシッコクと、あるいはグレンと対峙しなければ俺は安全だ。

 そういう意味では、こんな待ち伏せなどせずどこかに隠れた方が良い。何ならバーモンに守ってもらえばいい。


「でもなぁ、見逃さない方が良い気もするんだよな」


 |俺の正体《シニ・タイヨウ》を知り、寄生スライムも知っている人物はシッコクが初めてだ。

 たぶんグレンにも共有されているだろう。


 後々、俺の脅威になるとも限らない。

 特に寄生スライムは、アイツらにとっても隠し玉だろう。長年エルフ達を騙し続けてきた手段だからな。そのからくりを知る俺は脅威であり、排除せんと動く可能性も低くはあるまい。


(いや、でもシッコクはクロを託してきたしな……)


 素直に解釈すればシッコクにはもう寄生スライムを使う気がないと取れるが、こんな便利な手段を手放すだろうか。

 俺みたいに『シェルター』は使えずとも、レベル90のクロなら耐久性も悪くない。常用もできよう。


 そんな風にあーだこーだ考えること三十分くらいか。


 球体に繋がる管の一部が、ぐにゃぐにゃと歪み始めた。

 太くなっている。ちょうど人一人分が流れるくらいの太さだろうか。球体そのものが開く気配はない。


(……たぶんビンゴだ)


 コイツらの目的は二つあると俺は見ている。

 一つはシッコクによる蹂躙祭りであり、もう一つは今グレンがやっているであろうことだ。


(だとすると、隙ができるはず)


 ひたすら観察に徹する俺。

 その間も管の一部は蠕動のような運動を続けている。まるで何かを球体の方へと運んでいるかのように。


 程なくして蠕動が止まると、今度は球体――いや、目に映る白い物質のすべてにヒビが入り始めた。

 崩壊と呼ぶにふさわしい速度で、あっという間に瓦礫の山が形成される。


 球体の中には、見慣れないエルフがいた。

第181話 不変物質2

 白き世界が崩壊した後、現れたのは――見慣れないエルフ。

 身体の筋肉量は少ないが、溝と凹凸が多い。いわゆる細マッチョタイプだ。


 一瞬、男かと思ったが、女かもしれない。

 いわゆる髪ブラ状態になっていて胸は見えないが、膨らみは見て取れた。ただ、それが脂肪なのか、それとも持久力にも長けたしなやかな胸筋なのかはわからない。


 下半身はトランクスのようなゆったりした下着を履いている。もっこり具合は視認できなかった。


 そいつは髪をかき分けてきた。

 女のそれだとわかる、美味しそうな小ぶりのお椀――


「女だったのか」

「ジーサクン。女とは何だと思う?」

「いきなり何だ」


 水中での発話にもかかわらず、地上以上にクリアな声が届いてくる。振動交流など朝飯前ってことか。


 そいつは顔面や体型から声の高さまで、何から何までがグレンとは違っていた。

 しかし、不思議とこれがグレンなのだと確信できた。寄生スライムとも既にお別れしたのだろう。


「僕は身体はこうだけど、女の子が好きなんだな」


 なるほど、性まで偽っていたということか。

 どうでもいいけど、エルフのくせに垂れ目なのがチャーミングだな。……いや、コイツ、半分くらい寝ぼけてないか?


「驚かないんだね」


 グレンは構わず会話を続けてくる。

 別に今すぐ吹き飛ばしてもいいが、せっかくの機会だ。狙いたいこともあるし、ここは素直に応じてみようか。


「別に珍しいことでもねえだろ。性は多様だからな」


 とりあえずグレンの言いたいことはわかる。

 要するにレズだよな。いや、レズとも限らないかもだが。


「たとえば性を決める要素だが、少なくとも四つはあるだろ? 身体に現れる特性、自分がどう捉えているかという自覚、自分が欲情するのはどれかという指向、自分はどう在りたいかという意思。仮にそれぞれ男と女があったとしても、十六通りある」

「――驚いたんだな」


 グレンは一瞬、目を見開いてぱちぱちとまばたきを寄越したが、またすぐに眠そうにとろんとまぶたを下ろす。

 よく見ると、グレンと白い物体はまだ繋がっていて、どうも眠気に比例にして強度が変わっているらしかった。

 能力のからくりに絡んでそうだが、まあ後回しだな。


「ボングレーの引きこもりは博識なんだな」

「こんなの常識だろ」

「ジーサクンほどの見解は僕も聞いたことがないんだな。いいや、僕よりも詳しいかも」


 まあ先人様の知識の結集だからな。


 前世ではそれぞれ身体的性、性自認、性的指向、性表現などという。

 性自認が女で、性的指向も女なのがいわゆるレズビアンだ。


 しかしこのような分類――LGBTもまた不十分と言えた。

 身体的性と性表現が考慮されていないし、性だって男と女の二値であるとも限らない。第三の性とか、どちらかいえば男みたいな濃淡とか、その濃淡が日々変化するなんてこともある。

 そもそもLGBTのTは、性自認ではなく性表現を扱った概念だ。

 そういうわけで、もっと包括に言及できる言葉としてSOGIなんて言葉もあったよなたしか。


 とまあ、とにかくあの辺の領域は奥が深い。

 同時にデリケートでもあるので、下手に知ったかぶりをすると蜂の巣にされる。ソースは俺。

 ブログだったんだけど、ぼうぼうに炎上したなぁ。懐かしい。何個も魚拓取られたので、たぶんまだ見れると思う。


「ジーサクンともっと早く出会えていれば……」

「それなりに苦労したようだな」

「エルフは融通が利かないからね」


 俺の不躾な視線が不快なのか、グレンは髪を魔法で動かして胸元を隠した。知り合いの恥じらいってなんかエロいな。


「僕のような少数派は最初から想定されていないんだな。我慢して耐えるか、自分を偽るか、冒険者として外に出るかしかない」


 シッコクの言葉を思い出す。



 ――男のエルフは性交相手には困らない、というより管理されているでやんすが、半ば作業でやんす。



「管理されてるんだって?」

「男エルフはファームと呼ばれる場所で性の供給を管理されるんだな。彼らは種源《スタリオン》と呼ばれていて、日々決められた女エルフに精を注入する」


 スタリオンって種馬じゃねえか。馬かよ。クソ天使のセンスだろうか。

 それに注入ってまるで工場の作業みたいな響きだな。実際そういう管理をしているってことなんだろうけども。


「難儀なもんだな。要するにお前が素の自分を出した場合、性的関心のない男と性交することになるわけか。それが嫌だからと男を演じれば、女とは性交できるが、今度は管理される立場になる」

「そう。どっちを取ってもまともな性生活にはならないんだな」

「こっそりやればいいじゃねえか。ガーナの様子を見た限りでは、そういう余地はありそうだったが?」

「どうしてこそこそしなきゃいけないの?」


 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。


「ジーサクンはおかしいとは思わないのかな?」


 口調と声音はずいぶんと女っぽくて、ああ、コイツは女なんだなと思わせられる。

 率直に言えばエロいし、やりたい。……などと、あえて正直に感想を言って怒らせることもできるのだろうが。


 俺はもうちょっと話がしたくなった。


「別に思わねえな。つーかどうでもいい。性欲を楽しむ手段なんていくらでもあるだろ。それこそお前なら誰でも襲えるし犯せるよな」

「僕はシッコクンとは違うんだな」

「お前も負けず劣らずの変態に見えたが。エルフにちょっかい出したのは何回も見てるし、日頃の会話からもちょっとやそっとでは出せない気持ち悪さが出てたぞ」

「演技なんだな」


 そうなんだろうなと思う。

 シッコクはともかく、コイツの根はエルフだ。エルフ特有の生真面目さと言えばいいのか、矜持のためなら自分など平気で曲げてみせます、命だって惜しくありませんという圧が感じられる。


 グレン・レンゴク。

 この男――いや女は、とうに己の幸せなど捨てている。


「僕はただ性のあり方を、世の認識を、変えてやりたいだけなんだな」

「それはまた壮大なことで」


 性的少数派《セクシャル・マイノリティ》であるがゆえの苦悩や理不尽をそれなりに味わってきたのだろう。いや知らんけど。

 このジャースという時代水準ではずいぶんと先進的なものの見方ではなかろうか。一生かけても無理なんじゃね?


 所詮は他人事である。

 当事者の気持ちは、当事者にしかわからない。


「そのためにはシッコクンを始め、変態の協力が不可欠だったんだな」

「お前もちゃらんぽらんな変態だと思ってたよ。悪かったな、誤解して」

「悪いと思うなら、おとなしくしていてほしいんだな」


 中々の語りたがりで助かる。コイツの人生について尋ねれば、もう少し会話時間を延長できるだろう。

 が、それは他のネタが尽きてからやればいい。

 今は俺の便宜を優先させてもらう。


「内容による。お前らは何をしようとしている?」


 俺はここで勝負に出ることにした。

 ちょうどブーガを使ってエルフと獣人の領土問題を解決したように、グレンという強者にも利用価値があるかもしれない。


 もっとも、それはグレンとて同じことだ。

 俺は気にしないぜ。利害関係は嫌いじゃない。俺の利を増やすような提案を、ぜひぶつけてくれよ。


「あの二人は女を貪りたいだけなんだな」

「二人?」


 さっきからグレンと見つめ合っている。

 オーラは感じないが、用心していないはずがない。

 俺が何か行動を起こした途端、遠慮無く攻撃が飛んでくるだろう。あるいは逃げられてしまうかもな。


 幸いと言えば、俺がまがいなりにもエルフの容姿に慣れていることか。これが五日くらい前だったら、たぶん集中しきれずに隙を見せていただろうが、今の俺ならいつでも反応できる。


 |かつてないパワー《3ナッツ》を設定してるんだ。

 多少お前が早く離れたところで、逃れることなどできやしない。


「シッコクンは自分を虐げてきたエルフ達で遊びたい。デミトトクン――将軍デミトトは、エルフというおもちゃを手に入れたい。それだけなんだな」

「……そういうことか」


 眠らせていたエルフ達は誘拐するためだったか。


「ゲートでどっかに運ぶのか?」

「正解。眠らせたエルフ達は、もう届けたんだな」


 事後のようだ。さっきの蠕動は、やはりエルフを運ぶものだったんだな。


 にしても、思わぬビッグネームが出てきたな。


 デミトトと言えば、ダグリン共和国の将軍の一人だ。

 位で言えば皇帝ブーガの直下にあたる。会社で言えば役員みたいなものだし、アルフレッドで言えば王女や近衛、あるいはゴルゴキスタのポジションだろう。


 ダグリンの将軍か……。

 この先、俺とも決して無関係ではない人達だが、まあ今は置いておこう。


「それでグレン、お前は何が目的だ?」

「何度も言うように、性の正しいあり方を啓蒙したいだけだよ。今は僕の力がどこまで通用するかを確かめている最中なんだな」

「この白い物体か。みんな苦戦してたぞ。上出来だろ」


 眠たげなグレンを見る限り、おそらく睡眠中にのみ発動するような魔法だかスキルなのだろう。

 俺達の周囲には瓦礫が沈殿しているが、コイツ自身からは太いのが伸びている。ドームもまだ崩れてはいまい。


「でもジーサクンには破られた」

「破ってはいない。というかこれ、どうやっても壊せないよな? だからこそ術者のお前を叩くしかないと判断した」

「川の中なら安全だと思ったんだけど、甘かったんだな。さっきからバーモンも来ないし、ジーサクン――君は一体何者なの?」


 俺は迷った末、


「お前の能力について教えてくれたら、俺も明かしてやるよ」


 欲張ってみることにした。

第182話 不変物質3

「安眠部屋《スリープウェルム》――それが僕のレアスキルなんだな」


 あっさりと白状してくるグレンに、思わず拍子抜けしてしまう。しかしグレンにそんな俺をどうこういじる様子はない。

 あくまでも真剣で、真摯で、何より鋭利だった。


 仮に俺が「嘘でした」などと言おうものなら、いや態度に示すだけでも、コイツは容赦なく行動に移してくるだろう。


「僕も、シッコククンも、不変物質《イミュータ》という特殊な物質を扱える。僕の安眠部屋は、目が覚めていないときだけ制御できるんだな」

「いや普通に起きてるよな?」

「これでも半分くらいは寝ているんだな。レベル上げよりも大変だったんだな」


 不変物質《イミュータ》、か。

 一発で漢字まで俺の脳内に浮かんできたってことは、俺のイメージで間違いはあるまい。

 プログラミングの世界では、変えられない性質のことをイミュータブルなどという。これもクソ天使のネーミングセンスだろうか。


「で、不変物質とやらはあらゆるダメージを吸収する、と?」

「半分正解で半分間違っているんだな。不変物質は二種類あって、ジーサクンがいう吸収作用を持つ物と、純粋に受けたダメージの分を返してくる反射作用を持つ物があるんだな」

「安眠部屋は吸収だけか?」

「自由に制御できるけど、今はドームの内側を吸収面、外側を反射面に設定しているんだな」


 グレンが白い破片を二つほど撃ってきたので、それぞれ片手ずつキャッチする。

 俺のステータスでは何とか追いつける程度だ。左手の方は瞬時に慣性がゼロになったが、右手の方はそのままグレンに跳ね返っていく。

 ちょうど眼に当たる軌道だが、避ける気配がない――かと思うと、まばたきで叩き落としやがった。

 ……やっぱり第一級クラスだな。俺じゃ背伸びしても勝てない。


 左手で受けた破片だが、俺の手を離れて、ふよふよと流れていく。微かな水流に乗っているってことだろうか。吸収するんじゃねえのか。意味わかんね。

 気になるところだが、これにとらわれて警戒が薄まるはまずいので、俺は意識して無視しなければならなかった。


「器用なもんだな。それでシッコクの能力は?」

「戦ってみてのお楽しみなんだな」

「冗談じゃねえぞ」

「僕としてはジーサクンがシッコクンを殺してくれると有難いんだな」


 くすっと微笑むグレンは、エルフだけあってそれはもう可憐なのに暴力的だった。

 可愛さと美しさが強引に共存していて、うん、とにかく反則である。俺の語彙では反則としか言えないから惜しい。

 前世の純文学作家に見せてみてえわ。


「ジーサクン……露骨すぎて気持ち悪いんだな」

「それ、シッコクにも言われたんだが、仕方ねえだろ。エルフなんだから」

「あの変態と一緒にしないでほしいんだな。そんなことより、ジーサクンも教えてくれるんだよね?」

「ああ」


 俺としても、ある程度は開示するしかない。

 別にここでリリースぶっ放して殺してもいいんだが、せっかくここまで歩み寄れたんだ。活用したいじゃないか。


 これは俺が意図していた展開でもあった。


 すなわち、コイツと手を組むべきかどうか。


 味方は多ければ多いほどいいというが、利害関係についても同様である。

 ブーガしかり、コイツしかり、大望を抱く奴は利用しやすい。逆を言えば容赦もないわけで、下手すると俺が呑まれてしまうわけだが。


「俺のレアスキルもお前らと同じ系統だ。全身耐久《ボディーアーマー》という」


 全身耐久とは、俺の防御力を誤魔化すためにルナに使った嘘設定である。こんなところで役に立つとはな。


 俺は左目を見開き、人差し指で示してから、


「攻撃を撃ち込んでみてくれ」

「……」


 グレンは半信半疑だったが、実力者らしく決断も速いようで、一秒を待たずに「擬似貫通《フォルス・ペネトレーション》」なんか炎の糸を刺してきた。


 シッコクの時と同様、温度は万度だ。

 材質も妙に硬くて、たぶん土魔法も混ぜている。レベル90のクロでも風穴が空く威力だろう。

 それでも糸の直径は非常に細くて、ミリメートルもない。温度がなければ、一般人《レベル1》なら貫かれたことにも気付けないんじゃないか。


「吸収でも反射でもないんだな。不変物質?」

「どっちでもない。未知の成分だと思う。何せモンスターが当惑するくらいだからな」

「それでバーモンも近寄ってこないと?」

「たぶんな」

「いいかげんな人間は嫌いなんだな」

「お前の好みなんざ知らねえよ。モンスターに『なんで逃げるんですか?』とか尋ねて答えが返ってくるなら苦労はしない」

「……」


 ここでグレンが押し黙った。

 時折見せていた表情も一切消えている。オーラも全く出していないし、まるで死体だ。目を閉じた途端に見失いそうで怖いな。


(黙る意味はわからないが、他に思いつくこともない。行くしかねえ)


「なあ、ここはいったん保留にしないか?」

「……保留とは?」


 もはや口さえも動かさなくなったグレン。冷酷な女声だけが耳に入ってくる。


「俺にお前を殺す義務はない。むしろ手を組みたいと考えてんだよ」

「信用は行動でのみ示せるんだな。シッコクンを殺したら、僕は信用する」

「そうか」


 できるわけねえだろ。グレンの口ぶりから考えて、コイツでさえも容易には殺せない相手ってことだ。


 唯一、殺せる手段があるとすればリリースだが、確実に他のエルフも巻き込んでしまい、俺はエルフ虐殺の大罪人となるだろう。

 あとスキャーノとガーナも死ぬだろうしな。ルナは、近衛がいるだろうからたぶん大丈夫だろうが。


「ジーサクン。お喋りはおしまいなんだな」

「せっかちだな。別に焦る状況でもないだろ。もうちょっと楽しもうぜ」

「……」

「なあ、グレン」

「……」


 タイムリミットか……。

 川に入る前といい、なんか制限時間ばっかりだな。

 前世でもやたら細かい計画立てて、線表引いて、日ごとにタスク区切って期限迫ってくる無能がいたけど、そういうのは嫌いなんだよ。

 エッセンシャルワーカーじゃないんだから、もっと伸び伸び創造的にやればいい。


「でも、そんなこと言ってられねえよな」


 俺があえて呟いてみせても、グレンは銅像のごとく動かない。


 わかっている。

 既に俺達は必殺のやりとりを交わしているのだ。


 ミリ秒さえも見逃せない。

 おそらく勝負は一瞬で決まるだろう。


(……ああ、そうか)


 コイツは知っているんだ。


 俺が獣人領の侵入者であり、アウラとギガホーンを退けた実力者であると。


 しかし俺は、火力の正体を明かさなかった。

 誠意が足りなかったのだ。

 そんな俺をグレンは見限り、戦闘モードに入った……。


 どうするつもりなのだろうか。

 俺に攻撃してくる? それとも火力に備えて逃げるか? 考えたくはないが、封印に動いてくる可能性もある。


 安眠部屋はどうか。

 おそらく一瞬で自分を覆いきれるほどの量は生成できないと思うが、吸収と反射の作用を持つ物体は厄介だ。生かしてこないとも限らない。


「……」

「……」


 グレンと同様、俺も下手な台詞はやめて、ひたすら集中に徹した。

 眠たげなグレンと睨み合いつつ、コイツが行いそうな行動にあたりをつけるも――正直わかんね。

 スキャーノとの戦いで痛感したが、俺は圧倒的に戦闘経験が不足している。


 睨み合いが続く。

 十秒、一分、十分と、俺達はまばたき一つしないまま過ごし続ける。


 さらに数分経ったところだった。


 突如グレンが動いた。

 俺でも視認が追いつかないほどの高速詠唱、それに踏み込み。

 とりあえず俺から距離を取ろうとしたことと、俺では到底追いつかないことだけはわかった。


 それ以上はわからないし、わかる必要もない。


 元より俺は格下だ。

 渡り合うためには、行動をシンプルにするしかなかった。



 コイツが何かアクションを起こしたら、とりあえず引き金を引く――。



 俺はそうとだけ決めていた。


「オープン」


 ユズを瀕死にさせた1ナッツでも、ギガホーンを退けた2ナッツでもなく。

 それ以上の、正直言って被害範囲も予測できない超火力――3ナッツのエネルギーを、俺は自らに放って自爆する。

第183話 惨事1

 グリーンスクールを丸ごと覆っていた白き大蓋に、ぴしぴしとヒビが入る。

 間もなくあちこちが剥がれ、破片が飛び散っていく。中から漏れ出ているのは、熱風だった。


「ちょっと! まずいんじゃないの!?」


 娘のヤンデが狼狽えている。根は悪くない子だ。民を心配してくれている。

 それは何よりだが、もう少し王女として泰然と構えてほしいものだ。


「ヤンデ。どこへ行くのですか?」

「……負傷者を集めて回復させるのよ」


 しかし行動は迅速で、サリアは全力に近いスピードで腕を掴まねばならなかった。

 レベル62の防御力ではぺしゃんこになる威力でもあるが、杞憂である。サリアの手のひらは人肌ではなく空気の感触を捉えている。


 けたたましい音を立てて白いドームが崩壊していく中、振動交流で娘を戒めることにした。


「いけません。我ら王族の命は何よりも重いのです」


 第一級に勝てるのは第一級だけだ。逆を言えば、最も強い手札を失った時点で敗北が確定してしまう。

 シッコクとグレンは第一級冒険者と見ていいだろう。

 どこに潜んでいるのかわからないし、いつ攻めてくるとも限らない。この崩壊だって彼らが引き起こした行動なのかもしれなかった。


 軽率な行動を取れば、隙を突かれて絶命しかねないのだ。


「私は大丈夫だから離して頂戴。一刻を争うわ」

「連れて行きなさい」


 母親から同伴を請われるとは思わなかったのだろう。ヤンデは「情けないわね」当惑を嘆息で隠しつつも、落ち着きを取り戻す。


 サリアが改めてヤンデの腕を掴んだ途端、急加速が始まった。


「負傷者を一箇所に集めるわ」

「回復はどうするの?」

「動ける人に振動交流で命令する。|木の実《ベリー》の場所はよくわからないけれど」

「エルフなら誰でも知っているから問題ありません。貴方もエルフとして、これからたくさんお勉強してもらうからそのつもりでね」

「今話すことじゃないでしょ」


 サリアでさえ御せないであろうスピードが出ている。先ほどまで戦っていたであろう戦士達は、気付くことすらできていない。


 ヤンデは絶命したエルフは無視して、回復する望みのある者だけを的確に拾っては運んでいた。

 加減も見事なもので、衝撃波はおろか、そよ風さえも起こしていないし、


「ベリーを集めるだけ集めなさい」


「使えそうな足場には岩を置いているわ」


「他の人にも伝えて」


 振動交流《バイブケーション》による指示もお手の物だった。

 無論、ろくに視認されない中で指示を飛ばしても信用されないわけだが、そのために王族は|王族であることを示す空気振動のねじ込み方《ロイヤルバイブ》を使用している。

 先日教えたばかりだというのに、もう使いこなしている。サリアでも習得には数週間を要したことを考えれば、驚異的な要領と言えた。


「伝達指示は余計ですよ。王族命令の現場共有は共通人格《コモンペルソナ》に含まれています」

「知らないわよそんなこと」

「教育が必要ね」

「……」


 ヤンデの手つきが微妙に乱れるのを見て、サリアはふふっと相好を崩す。

 攻撃魔法師《アタックウィザード》アウラとの訓練を思い出しているのだろう。

 身体の切断を含めた、痛みに慣れるための訓練は中々に堪える。「うるさい」などと言い捨てるヤンデは、今のところ中身だけは年相応の女の子だった。


「それにしても、一体何が起きたのでしょうね」

「……知らないわよ」


 漏れてきた熱風が甚大なパワーの拡散を物語っている。それこそ、規格外であるはずの娘でさえ狼狽するほどの。

 そうでなくとも深森林の豊かな緑葉は禿げているし、穏やかな川も濁流と化して波打っている。ドームがなければ、竜人が来てもおかしくはない規模と言えた。


「完了したわ」


 ヤンデは高度三、四百メートルといったあたりで急停止して、隠密《ステルス》を発動した。

 民に緊張を与えないためでもあり、まだ姿を見せぬ大罪人に備えてのこともある。悪くない位置取りだった。


 眼下、いくつかの足場群《プレーン》には、瀕死のエルフ達が所狭しと並べられている。

 総数は千に近い。ヤンデはものの数分でこの規模の救急を整えたのだ。


「威嚇しすぎじゃないかしら」

「何が?」

「こんな芸当を見せられたら、戦う気も失せます」

「別に見せつけたつもりはないのだけれど」


 ヤンデは成り行きが心配らしく、救急の光景を見下ろしている。

 既にベリー調達隊は十分な量を集めたようだ。調理加工や提供も始まりつつあった。


「お友達もご無事のようですね」


 無事と言えば、留学生三人の姿も見える。

 治療部隊に負けず劣らない動きっぷりだ。人間の特権たる回復魔法の視覚効果《エフェクト》が、ここまではっきりと届く。後で表彰するべきだろう。


 ともかく、無事で何よりだった。

 もし何かあれば、隣国の上裸男がうるさかったに違いない。


「ジーサがいないわ」

「……あの人なら大丈夫でしょう」

「そういえばお母様。なぜジーサの心配はしなかったのかしら?」

「必要がないからです。貴方が愛する相手は、そんなにやわなのですか?」


 娘に照れ隠しは無かったが、心配、というよりも不審の色は見えている。この状況下で姿も見せず、一体何をしているのかといったところか。



 ――まずは俺の話を聞いて下さい。いや、聞け。



 先日の唐突な会談は記憶に新しい。

 何をどうしたのかは知らないが、ジーサ・ツシタ・イーゼは皇帝ブーガを利用し、獣人の頭領ギガホーンからも気に入られている。

 そんな『133の壁』を超えた怪物を動かせる要素は一つしかない。


 それほどの実力者なのだ。

 なら、無事に決まっている。


 もう一度、娘の横顔を見る。

 表情こそ乏しいが、恋する乙女のそれを隠しきれていない。


 一方で、ジーサ・ツシタ・イーゼにその気がないことくらいはわかる。

 なりゆきに身を任せるほど怠惰にも見えない。少なくとも領土問題に目をつけ、抜本的に解決してみせるほどの器量を持っている。

 善人でないのは間違いない。しかし、悪人でもない。あるいはたかが知れている。

 なら御せる余地はある。


 現に上裸王《シキ》は彼に目を付け、エルフを利用してまで経験を積ませようとしているではないか。


「遅れてはいられませんね――」

「来るわよ」

「わかっています」


 きりの良いところで、サリアもそれを感知した。


 片手で顔を庇《かば》う。

 瞬間、サリアの手のひらに《《今日一番の》》速度で拳が刺さってきた。


 ヤンデはとうに離れている。救急会場を丸ごと守るつもりらしく、早速発生した衝撃波も漏れなく防いだようだ。


「守ってもらわなくて良いでやんすか?」

「私が直々に処刑します」

「女王に攻めてもらえるでやんすか? 気持ちよさそうでやんす!」


 大罪人が一人、シッコク・コクシビョウが至近距離で醜悪な笑みを浮かべた。

第184話 惨事2

 握られている拳を離そうともせず、追撃を仕掛けてくる様子もない。

 サリアが『リアクショナー』――動く物体に対する反応が速いタイプであることは知られているのだろう。

 女王と言えば最たる脅威である。手の内は調べ尽くされていると考えるべきだ。


 そんなシッコクはにたりと笑い、剥き出しの下腹部を膨らませてきた。


「どうでやんすか。大きいと気持ちがいいでやんすよ?」


 何年も前にファームで視察した時とはサイズも、形も異なっている。

 肉体だってそうだ。こんなに筋肉質なエルフなどいない。


 あえて見せつけてきたのは、性的な不快感と容姿の差異による疑問を抱かせるためだろう。

 前者はともかく、後者は見逃せない謎であったが、これが注意を少しでも逸らすための盤外戦術であるのは自明だ。


「グレン・レンゴクを待っているのですか?」

「意外でやんす。女王様は三人で遊ぶのがお好きなのでやんすね」


 シッコクとの実力差は微差と考えられる。相手から動いてくれれば、リアクショナーであるサリアの方に分がある。だからシッコクは動かない。


 一方で、シッコクが時間稼ぎをしている可能性もゼロではなかった。

 仮にグレン・レンゴクも同等の実力で、今ここにやってきたとするなら、サリアには勝ち目がない。桁外れの娘がいるから心配はしていないが、あれほどのドームを展開した術者なのだ。油断はできない。


「臆病なのですね。であれば、お仲間を待つ前に逃げた方が利口なのでは?」


 サリアがわざとらしくそっぽを向き、広大な空に目をやる。

 もうドームは跡形もない。増援は無限に来るし、気まぐれに皇帝や竜人が来ないとも限らなかった。


「女王ともあろうお方が、小賢しい真似をするでやんすね」

「女王は小賢しくないと務まりません」

「いいでやんす。そんな女王が、どんな声で喘ぐのかぜひ聞きたいでやんすねぇ」


 わざとつくった隙に乗ってくるほど愚かではないらしく、どころか逃げる気も無いようだ。

 もっとも、そんなことはわかっていた。


 これでも男という生物の醜い側面を何度も見てきている。エルフをはけ口の対象としたのなら、その頂点にも目が向くのは自然。

 そして女王なる存在は、このような状況でもなければアプローチさえ叶わない。

 シッコクにしてみれば、今は貴重なチャンスであった。見逃さないはずがない。


「そんなにエルフの女王を味わいたいのですか? 私とてエルフの一人にすぎないのですが」

「わかってないでやんすね。気持ちいいかどうかは文脈でやんすよ。庶民には手の届かない存在を手中に収めて独り占めする――この達成感と背徳感がたまらないのでやんす」


 シッコクが拳ごと腕を引く。

 そのまま握っていては体勢を崩されてしまうため、サリアは素直に離した。


「圧縮空気加速《エアクセル》」


 刹那に等しい高速詠唱により、シッコクの肘のそばに大気の壁が出来上がる。

 引いた勢いのままこれにぶつけて猛烈な反作用――推進力を得ながらも、シッコク自身の腕力も上乗せされた拳が再び飛んでくる。


 詠唱速度の練度から見て、必殺技を繰り出してきたと見ていい。

 幸いにも見抜けないほどではなかった。

 これを交わして、カウンターを撃ち込む攻撃パターンは既に何種類も思い浮かぶし、選択に迷うほどの余裕さえあった。


 サリアは上体を捻って超速の拳を交わしつつ、肘を目がけて掌底を打つ。

 外側から押しつける角度である。耐えきれないなら折れるしかないし、折れないほど防御力が突出しているとも思えない。


 折れれば反応に出る。反応が鈍る。そうでなくとも、この腕のパフォーマンスが落ちる。

 サリアにとって有利に事が運ぶのは違いなかった。

 そうなれば分が悪いシッコクは逃げだそうとするだろう。逃げる者は追いやすい。リアクショナーとしてもやりやすい。


 サリアは瞬時にそこまで読んでいたが――


「な……」


 肘に打ち込んだ掌底の勢いが、嘘のように殺された。

 込めたパワーを一瞬で吸い取られたかのような、不自然な体験だった。


 無論、この状況下ではわずかな隙も許されない。「うっ!?」下腹部に手指の突きを叩き込まれてしまう。


 空高く吹き飛びながらも、サリアは現状理解に努める。

 機能不全と骨折は免れたようだが、激痛と痺れが発生している。装着中のバトルドレスの股布部分は破れており、その先の下着――貞操帯としても機能していたオリハルコン製の防具まで砕かれている。


「力が往復していたわね……」


 相応のパワーを一度にぶつけられた様子ではなかった。

 ほんの一瞬だが、何段も後から重ねてきたような作用があった。


「別に隠しているつもりはないでやんすな」

「……ゲートも使えるのですね」


 上空にもかかわらず、もうシッコクが追いついてきた。

 正確に軌道を読んだ上、難しいとされる空へのゲートを決めてみせるとは、強敵も良いところだ。


 シッコクが連打を繰り出す。

 そうかと思えば、伸ばした腕や足を戻すことなくそのままスライドさせてくる――

 素人でもしないような滑稽な動きだが、当たればさっきの二の舞だろう。サリアは格闘術としての回避ではなく、風魔法で身体ごと動かして避けねばならなかった。


「王女と同じ避け方をしやがるでやんすね」


 娘の避け方を知っている――ということは自分を吹き飛ばした後、戦ったのか。

 ここに来ているということは倒したのか。それとも歯が立たなくて逃げたか。


「揺さぶりは通用しませんよ」

「股間には効いているでやんすな。そんなにうずうずしなくても、すぐに入れてあげるでやんす」


 シッコクがいきり立った男性器を突き出してくる。何気に汁も出ていて芸が細かい。その不快感と、攻撃としての意外性には惑わされそうなものだが、今のシッコクは言わば全身凶器。

 部位を特別視せず、とにかく避けるしかないと既に悟っていたサリアは、的確に避けることができた。


 サリアは飛行魔法を切り、目の前の回避に専念する。

 二人が生み出す|気流や風圧《エアーノイズ》により、上昇の勢いはとうに止んでいる。

 それでも落ちることはない。エアーノイズにより、風に舞う葉のようにたゆたっているからだ。


 この浮き方には癖がある。

 慣れていなければ身を任せることができず、風魔法で強引に御しようとして隙をつくるものだが、シッコクは適応してみせた。

 場数も相当踏んでいると思われる。経験不足は期待できまい。


「……貴方の武器はわかりました。身体の一部を不変物質《イミュータ》化することができるのですね。それも表と裏があるようです」


 そうしている間にシッコクの能力にあたりをつけたサリアは、早速答え合わせをして揺さぶりをかけるも、「吸収《イングレス》と反発《エグレス》でやんす」あっさりと答えが返ってきた。


 吸収面に触れれば、かけていた力がゼロになる。肘への掌底を食い止められたのはこれのせいだ。

 一方、オリハルコンの貞操帯を砕いた時には反発面を使ったのだろう。

 決して壊れない物質は、加えられた力の全てを漏れなく返せる。たとえ最硬のオリハルコンといえども、そんな底無しの硬さをぶつけられてしまっては力負けする。


「そんな大層な能力――竜人が黙っていませんよ」

「そうでやんすね」


 ジャースを御する天上人、竜人の名を出してもシッコクが怯むことはない。

 竜人族が持つ基準にも精通しているのだろう。実際、未だ彼らが様子を見に来る気配はないし、この程度では来ないだろうことはサリアもわかっていた。


「勝ち目がないとわかったでやんすな? おとなしく股を開くでやんす。浮かべる顔は羞恥でやんす? それとも憤――」


 ぷっとサリアが何かを吐いた。


 それは一直線に飛んでいき、シッコクの《《眉間を貫通した》》。

 それの勢いは第一級の肉体を貫いてもなお衰えず、彼方にまで飛んでいき、すぐに見えなくなった。


 オリハルビーム――。


 オリハルコンのかけらを高速で射出するスキルである。サリアの場合、口内から撃つ行為の修練を経て発現《エウレカ》に至っていた。

 使ったのは入れ歯だ。ある程度激しく動き続けたときに緩み始めるようにセットしてあった。


 門外不出の、出来れば一生使いたくない必殺技であったが、虐殺も厭わず竜人の機微をも知る実力者は厄介だ。

 生かしておけば、今後何年何十年とジャースに不幸を注ぐに違いない。


 一人の母親として。

 エルフの女王として。

 そして|覇者の義務《メートル・オブリージュ》――というには若輩者であるが、ジャースを統べる立場の一人として。

 サリアはカードを切ったのだ。


 脳という司令塔を壊されたシッコクの身体が停止する。

 それは間もなく健康的な血を迸《ほとばし》らせながら落下していった。

第185話 惨事3

 力を失ったシッコクが墜落していく間も、サリアは油断しなかった。

 脳を撃ち抜けば基本的に即座に絶命に至ることを知っているし、運悪くそうでなかったにしても、脳が壊れた時点でスキルや魔法が使えなくなることは知られている。

 できることと言えば、がむしゃらな足掻きだけだ。実力の拮抗した相手であれば取るに足らない。

 が、それでもサリアは冒険者の基本として、最後まで気を抜かなかった。


 十秒――。

 これだけ待てば確実に絶命する。

 その後で死体を回収すればいい。この脅威はジャース全土に知らせるべきであるため、まずはブーガに届け出ることになるだろう。


「……行きましょうか」


 十秒経ってもシッコクの反応はない。遠ざかった死体はもはや点だ。

 回収しに行こうと、サリアが下降を始めた時のことだった。「――ト」高速詠唱の末尾とわかる振動を感知する。

 トで終わるスキルか魔法だとわかった頃には、上下逆になったサリアの足元つまりは足の側にシッコクが出現していた。


 既に腰を突き出すモーションになっているのがわかる。

 的確に差し込まれてしまう角度と威力であることも。

 そして、自分の反応速度では避けることも防ぐこともできないであろうことも。


 サリアは恥辱を確信するしかなかった、が――


「おぉっと!?」


 突如として強烈な横薙ぎが割り込み、挿入直前のシッコクが回避に転じる。


「危ねえ《《じゃねえか》》」


 どういうからくりか、ヤンデであった。サリアでも認識が怪しいほどの速さだが、シッコクには見えているようだ。


「殺す」


 ヤンデは有無を言わさず追撃を試みたが、「テレポート」シッコクが瞬時に消え失せたので空を切る。

 爆音と衝撃波が空に拡散する中、


「油断してんじゃないわよ」

「……助かったわヤンデ」


 油断というよりは無知であったが、何にせよ不手際でしかないためサリアは苦笑するしかなかった。


「にしても、よく持ちこたえたわね。お母様より格上に見えたのだけれど」

「不変物質だけではなかったみたいね」

「……と言うと?」


 シッコクの消えた虚空を見つめながら、サリアは見解を整える。


 とりあえずは一件落着だ。実力に長ける者は線引きにも長けている。シッコクほどの者ならばヤンデにあえて挑むリスクは犯すまい。

 そうでなくとも、貫かれた脳を回復させるために奔走しているはずだ。


 もう一人の大罪人――グレン・レンゴクについても、ここまでの状況と振動交流越しに集めた情報から考えれば、死亡済とみて間違いない。


 サリアはヤンデと一緒に降下しながら、


「シッコク・コクシビョウは、我らの目さえもかいくぐるほどの精度で外観を整える能力も持っているようです。回復魔法とは違った身体組織の改変ができるのでしょう」


 さすがに初耳らしく、ヤンデは無言のまま続きを促してくる。


「おそらくですが、そこに不変物質を混ぜることもできるはずです。先ほど貴方の蹴りを避けたのは、そうした後のシッコクなのでしょうね」

「身体の成分をいじることでパワーアップを図った、ということかしら?」

「ええ。おそらくは」


 最初から使わなかったのは、自身にとっても相応のリスクがあるからだろう。

 しかし、ヤンデの攻撃に対しては即座に使ってみせた。切り替えも高速詠唱に勝る無詠唱だったから、今後暗殺するにしても不意打ちはできまい。


「いいかげん服を着てほしいのだけれど。女王の露出狂は洒落にならないわよ」

「……前代未聞すぎて、ちょっと頭が追いついていないのです」

「しっかりしなきゃね」

「本当ですね」


 急降下しつつ、娘に指摘された股間部分の露出も直しつつも、サリアは大きなため息をつく。


 オリハルビームを受けた後、シッコクは死んでいなかったのだ。

 不変物質で即座に破損部位を防ぎつつも、その回復能力で修復させていったのだろう。同時に、怪しまれないよう出血も再現している。

 サリアは微塵も疑うことができなかった。出血がなかったり、量や吹き出し方が不自然であれば気付けただろうに。


「……」


 恐るべき能力、いや練度である。

 一体どれほどの鍛錬を積み重ねてきたというのか。


 それほどの存在が、野に放たれてしまった。


「怖いの?」

「侮辱はやめなさい。ただ恐ろしいだけです」


 王は民のために、種族のために、世界のために在る。

 己の命など惜しまないし、格上に狙われる程度の恐怖心などとうの昔に失せている。


「ヤンデ。貴方も注意しなさいね」

「わかってるわよ」

「悪いけど、この後も働いてもらうわ。状況を教えなさい」

「切り替え早くない? 私は休みたいのだけど」

「貴方が見たものを貴方の言葉で語りなさいと言っています。これは教育でもあるのですよ」

「蹴られたばかりなのに元気なものね。少しは休んだら?」

「労《いたわ》りと見せかけたサボりは許しません」

「はいはい」


 娘の嘆息とげんなりした横顔を見て、サリアは微笑んだ。

第186話 惨事4

「アタシが死にそうなんですけどー。ほら、スキャーノも死んでるじゃない」

「かろうじて生きてるよ……」


 ルナ、ガーナ、スキャーノの留学生三人組はひたすら回復役に徹していた。

 その甲斐もあって負傷した生徒達――優秀で博識なエルフ達を早期に再起させることができ、残りの対応はもうエルフだけで回っている。


 反面、魔力を使い果たした三人は、仰向けの大の字体勢でのびているのだった。


「おかげで負傷者の手当が軌道に乗りました。お疲れ様です」


 ルナは体を起こし、周囲を誇らしそうに眺める。感謝を述べてくるエルフに「いえいえ」などと謙遜していた。


「なんて気持ちよさそうな顔をしてるのよ。わからないでもないけど」


 寝そべったままのガーナが体をくねらせる。

 今は回復役という功労ゆえに寝そべりも許されているわけだが、王立学園の制服を着た人間族代表であることに変わりはない。ちょっとくだけすぎじゃないかとスキャーノは心配していたが、エルフ達の態度はだいぶ柔らかい。

 どころか尊敬と感謝が過剰で、恥ずかしくなるくらいだった。


 回復魔法――人間にしか使えない聖魔法を惜しみなく投じたのは、結果だけ見れば正解だったと言える。

 提案、というより行動したのはルナだったが、スキャーノはそこまで献身的になるつもりはなかった。


「……」


 その意識の差が劣等感をくすぐり、スキャーノは密かに赤面。それを無詠唱の氷魔法で打ち消す。

 魔力も存分にセーブした、器用な行使だった。この間、わずか数秒。


「人助けは悪くないと思っているだけですけど。何感じちゃってるんですか」

「美人から一目置かれて気持ちいいってことでしょ? わかってるわよ」

「色欲魔とわかり合えたことなどありません」

「冗談よ」


 くすくすと笑いながら、ガーナが起き上がる。「でもアタシは体で気持ちよくなる方が好きだわ」早速本気でエルフを誘おうとしていたが、スキャーノにはもう止める気力もない。

 幸いにもルナが足払いをきめてくれて、「ふべっ」ガーナは顔から足場に突っ込んでいる。


「足場と口づけできて良かったですね」

「ったいわねぇ……なんてことするのよ。ほら、乙女の武器、唇から血が出ちゃったじゃないの。罰としてあなたの唇を貸しなさい」


 無論、レベル51のガーナが転んだ程度で傷付くはずもないし、無詠唱の風魔法で自分の唇を切ったのも見えた。


「スキャーノが貸してくれるそうです」

「面倒くさいからってぼくに振らないでよ……」

「んちゅー……んぐぇっ!?」


 スキャーノは唇を尖らせて迫ってくるガーナの後頭部に手刀が叩き込んでおとなしくさせた後、目を閉じた。

 それを合図に、ルナも「ですね」もう一度寝そべる。


 上品な作業音や声音が届いてくる。

 負傷者の救護と現地の復旧はまだ終わっていない。人間であればもっと荒々しくなるだろうが、今はむしろ睡眠のお供にできそうなほど心地が良かった。


 ゆとりができてくると、直近の記憶が顔を出す。



 ――私はアナスタシア。女王直下の特殊部隊『フォース』の一人。



(もしかして、あの獣人領の侵入者と関係がある?)


 スキャーノは成り行きでアナスタシアと戦闘になったが、逃がしてしまった。

 エルフ達は死んだだの身投げしただのと評したが、そうは思えない。


(たぶん最初は自然に川に吹き飛んで死んだように見せたかったんだと思う。それが上手くいかなかったから強引に逃げた)


 そう考えると、一連の動き方にも納得がいく。

 つまり最初から川に入ることを想定しており、もっと言えば川の中で生存できる術を持っていたと考えられる。


 そんな真似は、あのアウラでさえもできない。

 スキャーノが唯一思い当たるのは一つ――先日獣人領で対峙した、あの正体不明の侵入者だけだった。


(ドームが崩れたのは、アナスタシアがグレンを撃破したから)


(それほどの人が、どうしてぼくなんかに苦戦したのだろう? 突出したレアスキルで勝負するタイプなのかな)


(一見するとエルフを救ったように見えるけど、爆発による犠牲も大きい)


 ドームが壊れる直前に起こった大爆発――その爆心地は、川の中だと考えられている。

 スキャーノ達は運が良かったが、近場にいたエルフは跡形もなく死んだ。ひょっとすると死傷者数はシッコクによる被害より多いかもしれなかった。


「そういえば、アイツはどうしてるの?」

「あいつ?」

「ジーサよ」

「ジーサ君……」


 何かと自分を遠ざけようとするクラスメイトが脳裏に浮かんだ。


 王女ヤンデ・エルドラと同じ慈悲組《ジャンク》で、実力は冴えないのにどこか底が知れない不思議な男――。

 そういえば獣人領に駆り出された時は無断欠席していたし、今日も誰も彼の行く末を知らない。

 そもそもシッコクやグレンとも行動していたし、どこか意気投合しているようにも見えていた。


「何か知ってるの?」

「……」


 ガーナの問いは聞こえたが、あえて気付かないふりを決め込む。


「ガーナこそ何か知らないんですか? 一緒に演習してませんでした?」

「してたけど、スリープ食らっちゃったのよ。頑張って意識を保ってたつもりだけど、ほとんど記憶がないわね。ジーサとシッコクが何か喋ってたのは覚えてるわ」

「それで、その後ジーサさんはどこに?」


 ルナは少々食い気味な様子だ。

 ジーサに気でもあるだろうか。気持ちは分からないでもない――


(違う違う)


 スキャーノは頭を振って、その気付きを無かったことにする。


「知らないわよ。食べられたんじゃない?」

「気持ち悪いこと言わないでください」


 シッコクとジーサが愉しむ光景を想像したのだろう、ルナは「うえぇ」などと正直な感想を漏らしている。


「あらルナ、知らないの? 男同士で交わるのも珍しくないのよ」

「知ってますよ。ただ純粋にあの二人が気持ち悪いだけです」

「そう? 私は味わってみたかったわ」

「眠らされただけの人がよく言いますね」


 ルナさんこそ、自分は安全なんだから呑気なものだよね――


 と、思わず口に出かけたスキャーノだった。


 ルナには『何か』がある。

 それはシッコクが無闇に手を出せず、またアナスタシアが自らの身をシッコクから守るために利用したものでもあって。「ル……」もう一度喉まで出かけたが、もう追及するのは無理だろう。

 あの時は勢いでやってしまったが、そもそも冒険者の能力を探るのはマナー違反。


 上手く引き出せそうな言い分も思いつかないし、ルナとて優秀である。あんな大事でもなければ、隙などつくるまい。


「あ、あの……」


 道行くエルフの一人が声をかけてきた。

 エルフは基本的に凜々しいが、何事にも例外はある。二人の目にも珍しく映ったのか、ルナとガーナはもう体ごと向けている。


「私、知ってます……その、ジーサ様のこと」

「様なんてつけなくていいですよ」

「あなた、お尻触ろうとしてきたジーサを殴ってたわよね。エレスさん、だったかしら?」

「はい……」


 エレスはエルフにしては立ち振る舞いが幼く、声の震えから人見知りなのもうかがえた。

 反面、身体の安定感から実力の有無はわかる。ルナとガーナよりは上だろう。

 もっと自信を持てばいいのに、と思いつつ、スキャーノ自身も人見知りだから内心では勝手に親近感を抱くのであった。


「ジーサ……様ですが、シッコクから勧誘されていました」

「勧誘? 拙者と性交するでやんすってこと?」


 妙にリアルな声真似で聞き返したガーナの頭をルナが叩く。エレスは苦笑していたが、少し緊張は解けたようだ。


「いえ、仲間に引き入れようとしていたように思います」

「ジーサさんはどう答えたんですか?」

「断っていました」

「戦闘は起きたの?」

「起きていません。ジーサ様から攻撃を仕掛けた様子も無かったですし、シッコクはジーサ様をどこか買っているようでした」

「アタシもそう感じたわ」


 後頭部をさすりながらガーナが同調する。


「眠っていたのに?」

「眠らされる前からそんな感じがしてたわよ。ねぇエレス?」

「エレスさん、正直に答えていいんですよ。ガーナはただ眠らされただけの役立たずでしたって」


 二人に絡まれて困り顔を浮かべるエレスはさておき。

 二人以上がどちらもそう感じたのなら、そうなのだろう。やはり自分の直感は間違っていない。


 ジーサもまた、ルナと同じく何かを持っているのだ。


 そしてその兆候を、少なくともエレスは見ている。あるいは知っている。


「エレスさん。一つ聞きたいんだけど」


 半ば強引な横槍の後に、スキャーノは切り込む。


「どうしてジーサ君を敬っているの? 彼は君のお尻を触ろうとしたし、シッコクから誘われるほどの変態なのに」

「そ、それは……」

「ダメです」


 突如として振動交流《バイブケーション》の声が降ってきた。

 間もなく着地してきたのは、リンダとモジャモジャ――ガルフロウ姉妹だ。


 全身が汗ばんでおり、あちこちに玉の汗も見られた。

 忙しなく移動を繰り返していたのだろう。防御力は体液にもある程度適用される。高速移動で汗をかいた後、停止すれば、高速移動時の耐久性をまとった汗がしばらく残るのだ。


「リンダさん。ダメとは?」


 スキャーノが問うも、リンダは見向きもしない。エレスを射竦めるように睨んで、


「あの場で見聞きしたことは、絶対に他言してはなりません。これは勅命です」


 エレスとてエルフだ。「はっ」とすぐに敬礼――左手を胸の前に置き、右腕の肘を突き出して頭を下げるというお決まりの姿勢を取っていた。


「大げさね」

「ガーナ様にも了承していただきたい」

「構わないわよ。ほとんど何も覚えてないけど」


 ガーナはともかく、こうなってしまっては拷問でも口を割るまい。

 平然と拷問という言葉が浮かんだことにスキャーノは胸中で苦笑しつつも。


(ジーサ君。だいぶ羽目を外したみたいだね)


 今回の騒動でジーサが何らかの秘密を晒し、それを何人かのエルフが目撃したのは間違いなくて。


(もう少しで繋がりそうなんだけど……)


 獣人領の侵入者、そして今回のルナやアナスタシアも含めて、スキャーノは何かを見出そうとしていた。

第187話 確定

 夜になると、アルフレッド王国王都『リンゴ』は明暗のグラデーションを宿す。

 北西の貧民エリアは塗りつぶしたように暗く、北東の平民エリアも控えめな光源がぽつぽつと生えている程度。対して、中央と南部は、同じ領地とは思えないほど煌《きら》めいている。


 実力と権力の誇示であった。

 中央の白き巨塔――ギルド本部は四六時中稼働する冒険者の礎であり、その光を絶やすことはない。

 南部の貴族エリアでは、まるで競っているかのように色とりどりな光が夜空に自己主張を繰り広げている。


 第二週十日目《ニ・ジュウ》の夜。

 貴族にしては控えめな、とある小さな屋敷にて。


「それでは失礼致します」


 伝達役《メッセンジャー》のガートン職員は形ばかりの礼を寄越した後、ゲートで帰っていった。


 その表情のつくりかたはよく知っている。


 面倒くさい。

 何で私が。

 つーかゲートくらい覚えろよ。

 お前ならできんだろ――


「便利な魔法だからと、安易に飛びつくから二流なのです」


 ファインディは粗末な椅子に腰を下ろし、伝達役が寄越した手紙に目を落とす。


 一見すると手紙には見えない。黒い微細な点が敷き詰められただけの、意味不明な模様でしかない。

 しかし、これは極小の文字が記されたものである。

 視力はステータスに含まれないため人が読むことはできないが、この文字には微かな凹凸がある。視覚的に見えずとも、空間認識に長けておれば識別できるのだ。

 要するに一部の実力者にしか読めないものだった。


 手元のそれは十秒もしないうちに着火し、「決まりですね」彼が呟いた頃には灰と化していた。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ――彼がシニ・タイヨウです」


 ファインディは大胆な結論を下していた。


「この混合区域《ミクション》という施策を、こんな短時間で開始してしまう素早さはブーガ様だからこそ。しかし彼の頭から出てくる発想ではない。状況から考えれば、彼に入れ知恵したのは王女ではなくジーサ・ツシタ・イーゼ」


 ガートンの正装である没個性的な黒スーツを着込んだファインディは、身じろぎ一つせず、まばたきもしない。


「彼は入れ知恵で動く男ではない。少なからずお土産があるはず。むしろお土産こそが本題でしょうな」


 それでありながら、散らかった机に風魔法を適用して整理整頓を始めている。

 元々事務仕事で成り上がった男だ。マルチタスクなどお手の物であった。


「獣人領の侵入者は彼が処分したとのことですが、その実、処分してはいない。彼ほどの男が手こずったのか、あるいはその前に見抜いたのかはわかりませんが、処分すべきでないと判断したのは確実でしょう。そして、彼にそんな判断を下させるほどの実力や話題と言えば、私には一つ――王女ナツナを殺した大罪人しか思い当たらない」


 ファインディの魔法は、もう別の対象に着手している。

 ふわふわと浮かび、洗われ、乾燥されて、畳まれているのは衣類だ。部下の女物も混ざっており、下着の裏地にも魔法を伸ばしているが、デリカシー無きファインディが躊躇することはまずない。


「たとえば私はシニ・タイヨウです、という暴露は何よりのお土産になるでしょう。シニ・タイヨウは無能ではない。自分の価値はわかっている。そしてそれはブーガ様も同じ」


 くくっと不敵に笑うファインディは、傍から見れば変人の部類であろう。

 昔からずっとこうであるため、彼を好意的に思わない職員は多い。

 立場上、はっきりとぶつけられることはほぼないが、さっきのように表情や態度で示されることは日常茶飯事だ。もっとも本人は気にもしていないが。


「二人は繋がっている――と断定するのは乱暴ではありますが、他に見解もないので構わないでしょう。しかし困りましたな。ジーサ・ツシタ・イーゼに直接働きかけるのが難しくなった」


 見方を変えればジーサ・ツシタ・イーゼはブーガの庇護下にあるとも言える。

 アルフレッドが指名手配する大罪人と手を組んだのだから、ブーガの思い入れも相当だろう。下手に邪魔だと判断されれば、消されてもおかしくはない。


 ファインディでは、ブーガには敵わない。


「やはり従来通り、気長に広げていくしかなさそうですね」


 ファインディはコンテンツとしてのシニ・タイヨウに期待している。

 先日、平民向け情報紙《じょうほうし》『ニューデリー』を開始し、人間族はもちろん、エルフ領と獣人領への配布も取りつけた。今後は情報伝達が爆発的に速く、早く、そして広くなることだろう。


 ニューデリーでシニ・タイヨウを祭り上げる。

 そうすれば世界中の民の目が――興味が、好奇が、猜疑が、シニ・タイヨウに刺さることになろう。

 言わばファインディは、タイヨウをゴシップの対象に仕立て上げようとしていた。

 ゴシップと言えばタイヨウのいた前世ではありふれた概念だが、ジャースでは前例がない。前例はないが、流行る確信がファインディにはあった。


「こういうのは焦ってはいけません。じわりじわりと、水面下で広げていくものです。焦ってはいけませんよ。ええ」


 事務作業に家事と一通り終えたファインディは、あえて自分の足で歩き、自分の手で掃除を始めた。


 実力者であろうと人であり、限界があるのだから、魔法は倹約するに越したことはない。

 日頃から|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》を取り入れておけば、倹約の要領も身に付く。

 ファインディという男もまた、隙のない冒険者であった。


 てきぱきと済ませた後、続いて手に取ったのは――部下の書き置き。


「留学……ですか。さらに一皮剥けてくれそうですね。おやっ」


 その部下がちょうど帰ってきたことをファインディは察知し、彼女が察知されたことに気付いたことも察知する。

 間もなくスキャーノ――王立学園の制服姿で男装したスキャーナが入ってきた。


「ファインディさん。報告は後にしてほしいようで」


 大冒険や訓練に劣らないほどの疲労は、見れば分かる。そんな任務は課していないし、自ら首を突っ込む性格でもないため、未知の出来事に巻き込まれたといったところか。


「スキャーナ。今後はジーサ・ツシタ・イーゼに絞って調査してください。彼の休学を黙っていた件は不問にします」

「あっ、ご存知だった、ようで……?」

「不問にすると言っています。くつろいでも構いませんよ。いつものようにだらければ良いでしょう」

「あうっ……」


 スキャーナは上司がいないタイミングでだらけているつもりだったが、普通に見抜かれているのである。

 顔を赤くし、意味がないと知りつつも両手で覆うスキャーナだった。


 が、まだ思考力は尽きていないらしく、羞恥を取り下げてみせる。


「――ファインディさん。それは彼がシニ・タイヨウだと言っているようで?」

「そこまでは言っていません。単に分担をしようという話です」


 元々スキャーナの仕事は、シニ・タイヨウについて探ることだった。

 具体的にどこをどうするかは漠然としていたが、そんな中、ジーサを調べよと命令されれば、会社としてジーサを黒だと評したと考えるのは当然だ。


「シニ・タイヨウは一向に尻尾を見せないので、|広く注意していては《ワイド・サーベイでは》分が悪い。そう判断しました」

「私はジーサく――ジーサに集中すればいいようで。すると、ファインディさんが王女ヤンデを調べるようで?」


 ファインディはジーサがシニ・タイヨウだと仮説したばかりである。ワイド・サーベイをやめるなどという言い分は嘘でしかないが、スキャーナは上司の口車に乗り始めたことに気付けていない。


「いいえ。王女をどうやって探るかは未定です。何しろエルフの王女ですからねぇ。私も王立学園に入学してみましょうか――ってスキャーナ、どうしました?」

「いえ、ファインディさんと学園生活をおくるとなると、ちょっと、その……」

「率直な意見は大事です。遠慮無く言ってしまって良いのですよ」

「気持ち悪いと思いました」

「スキャーナは正直ですね。上司としては嬉しい限りです」


 にこにこする上司を見て、スキャーナは心情を表情でも表現するのだった。

 無論、そう誘導されたことには気付いてもいない。


「私はもう出かけます。しばらくは不在が続くでしょう。何かあれば本部に繋いでください」


 ファインディは屋敷をあとにした。


 数分後、上空を飛びながら、


「それにしても《《ジーサ君》》、ですか」


 並の冒険者では生存すらできないほどの圧のもとで、くくっと相好を崩す。


「あの人見知り娘がずいぶんと変わったものです。シニ・タイヨウは人たらしなのかもしれませんね」


 表情に反して、その声音は淡白としていた。

第188話 確定2

 スキャーノが貴族エリアに帰った頃、平民エリアのとある一軒家では。


「《《ルナ》》。話がある。同行を所望」


 へとへとになって帰宅したルナを待っていたのは、もう一人の金髪裸少女だった。

 髪留めがついていないことから一号のユズだとわかるが、ルナはもう髪留めに頼らずとも判別できるほど馴染んでいる。


「まだ私の番」


 現在ルナを守護する二号こと『キノ』が隠密《ステルス》を解除し、前に出た。

 見た目が瓜二つな少女が向かい合う。いつもは交代時に数秒ほどすれ違って終わるだけなので、意外と珍しい光景だ。


 護衛の交代は原則護衛者――この場合はキノの行動から始まるものだ。他の近衛が勝手にやってくるものではない。

 のみならず、ユズは友人として王女を呼称してきた。不自然に映るだろう。キノが警戒するのも無理はない。


「私が変わる。事情は後で話す」

「否定。まだ私の番」


 キノに譲る様子はなさそうだ。

 近衛の五人は見た目はそっくりでも性格は少々異なっており、ルナの所感ではキノが最も真面目で融通が利かない。


「ユズ。今すぐじゃないとダメですか?」

「肯定」


 ルナ呼びしてきたということは、この行動はユズの独断だろう。

 もっと言えば、王女としてではなく友人として、個人的にルナに何かを話そうとしている。


「王女様。ユズは最近不真面目。相手にしてはいけない」

「ユズはふつう。キノが不器用なだけ」

「王女様。ユズを潰す許可を所望」

「喧嘩しないでください」


 近衛は王族階級と友人になることも許可されているが、キノはそれを良しとせずルナとも一線を引いている。

 一方で、ユズはルナのみならず、国王シキにもフランクな態度を取るほど親しんでいる。そんなユズをキノは目の敵にしている節があった。


 幸いにもルナは王女であり、特に従順なキノにとっては絶対者の一人だ。


「キノ。交代で構いません」


 ルナの一声で、「承知」キノはあっさりと引き下がると、姿を消した。

 既にその場も立ち去り、本件の報告にでも向かっているのだろう。瞬間移動はユズにしか使えないが、近衛にもなれば王都内など秒でうろつける庭でしかない。


「行きましょうか」


 ルナが差し出した手をユズは握り、「テレポート」お馴染みの瞬間移動を行使――

 味気ない板張りの内装が、次の瞬間には硬質な空間になった。


 王女として何度も使っているため、ここがどこかの巨大な岩の内部であることくらいはすぐにわかった。

 細部は毎回異なっているので、毎度使い捨てているのだと思われる。おそらく、このようなテレポートスポットを多数保有しているのだろう。


 ルナが正座で座ると、ユズはその太ももに頭を乗せてきた。いわゆる膝枕だ。

 だいぶ強引な行動をした件や、キノと仲良くしてほしい件など、小言の一つでも言おうとしたが、



「シニ・タイヨウを見つけた」



「……え?」


 その一言を前に、全部が吹き飛んだ。


「ラウルとアウラから聞き出した。直感の域を出ない。でも、探る価値……ある」

「今、タイヨウさんと言いましたか?」

「肯定」

「シニ・タイヨウさん?」

「肯定」


 ルナはしばし固まることとなった。

 ユズが目の前で小さな手を振っても全く気付かず、次の応答が返ってくるには分を要した。


「……とりあえず水浴びしましょう」

「ユズも入る」


 ルナは制服を脱ぎ、下着も脱いで裸になる。近衛相手なら羞恥はない。

 むしろ常に素っ裸の近衛といると感覚が麻痺するので気を付けないといけない。王立学園やエルフ領でも実は何度かやらかしかけている。


 膝から離れたユズは、少しそわそわしているようだった。

 ジャースには湯に浸かる文化がなく、どころか身体の洗浄も魔法ですぐに済んでしまうため入浴という概念さえない。

 しかし、水浴びしながらくつろぐという行動は知られていて、ルナは貧民時代に子供達や親子がそうしているのを何度も見たことがある。

 既にユズとは何度か一緒に入っており、すっかり気に入られているのだった。


「|風の部屋《ウインド・ルーム》」


 水と身体を浮かせるための空間をつくり、「ウォーター」そこに水をたっぷり注ぐと、ユズが先に飛び込んだ。

 そのはしゃっぎぷりは貧民エリアの子供達と大差なく、ルナは微笑ましく思いながらも上品に入室。


「板についてきた」

「そうでしょう?」


 本当は自分もどぼんと飛び込むタイプだが、王女の立ち振る舞いは一朝一夕にあらず。意識的に心がける日々である。


 二人はしばし水遊び――といってもルナのレベル47基準であるため一般人から見れば風穴が空く程の高圧洗浄である――を楽しんだ後。

 ユズが現状を共有し始める。


 獣人領でアウラが戦った敵のこと。

 獣人族に劣らない逃走術、衰える気配のない体力、バーモンを体内に従えるほどの調教《テイム》。

 そしてアウラをも一発で落とした火力と、ファイアと唱えられた謎の詠唱――


「……話を聞く限り、私もタイヨウさんが怪しいと思います。あの王宮の大穴が思い浮かびました」

「ユズは逃走術が気になる。タイヨウは身体の動かし方が上手。おじいちゃんに匹敵」

「どうしてそこで|ゴルゴさん《おじいちゃん》が出てくるんですか?」

「ルナも上手。でも、タイヨウの足元にも及ばない」

「普通に私の圧勝でしたけど」


 ルナはぷくっと頬を膨らませて、直後、王女らしくないと自覚して取り下げる。

 ユズはというと、その一部始終を全部見ていたようだ。


「何ですか?」

「まだまだ子供」

「近衛にだけは言われたくないですねー」


 念願のタイヨウに届こうとしているのだ。ルナは平静でいられず、「ほら。私の方が何倍も大人ですよ」自分の肢体を自慢気に見せつける。

 ユズとじゃれることで気を紛らわせようとしているのだ。


「タイヨウは幼い体が好み」


 そんな主の心持ちをユズも理解し、乗っかった。


「わかってないですねユズ。タイヨウさんは大きな胸が好きなんです。私は満たしてますよ」


 ルナが自慢の胸をユズのそれに押しつける。

 ユズははぁと見せつけるように嘆息して、


「わかってないのはルナ。体の一部で勝負するのは愚か」

「男はその一部に目が行く愚かな生き物なんです」

「否定。男は全体の様式に惹かれる。だからエルフも美しい。美しさではエルフには勝てない。でも、稀少にも価値がある。幼さは珍しさ――」

「私は一体何を説かれているんでしょうか」


 ユズのよくわからない熱弁と罪悪感さえ感じる小さな感触を前に、ルナは別の意味で失っていた平静を取り戻すのだった。

 改めてユズの年齢も気になるところだが、どうせ教えてもらえない。


 落ち着いたところで、二人は議論を再開した。


 三十分もしないうちに一通りの整理が終わる。


「――まとめますね。まず獣人領の侵入者に当てはまる特徴がそのままタイヨウさんにも当てはまってしまうこと。それからその特徴が非常に珍しいもので、他の該当者を考えにくいこと。この二つから、侵入者はタイヨウさんである可能性が高い。ここまでは問題ありませんよね?」

「肯定」

「問題はその侵入者がいつ、どこからやってきたかですが、深森林の閉鎖性と直近の出来事を考えればシッコクとグレン、留学生、ジーサさん、ヤンデさんに絞られます」

「肯定」

「この中で最も怪しいのが、ジーサさん」


 アウラ達は直感でジーサだと決めたようだが、ルナは留学生としてグリーンスクールで過ごしている。

 侵入者が猛威を振るっていた時間帯にジーサがいないことを知っているし、その翌日に無断欠席で処罰されているのも見た。


 加えて、今日の騒動――おそらくグレンを倒したであろう大爆発の時も、ジーサの姿だけ見当たらなかった。

 エレスを始めとする数十人のエルフ達とガーナは何かを知っているようだが、なぜかリンダの口止めが入っている。


「リンダさんの件は無視していいでしょう。口止めされたのなら、もう引き出せないでしょうし」


 アウラ曰く、リンダを指導する機会があったという。

 そこでジーサは要人であると嘘をつき、彼を探らないことと女王含む他者への口止めを徹底させたのだとか。


 要人に関して下手に情報を知れば、それだけで命取りになる。知る者が多い場合、丸ごと滅ぼされる可能性もあるだろう。

 被害を防ごうと、リンダが問答無用で口止めに走ったのは無理もない。


「ジーサ・ツシタ・イーゼが、タイヨウ……」

「そうです」

「ルナ。明日以降、しばらくは私にやらせてほしい」

「お父様に言ってくださいよ」


 ルナにどの近衛がつくかは状況次第である。早い話、手持ち無沙汰の残り物が割り当てられることが多い。


「ルナからも説得を所望」

「嫌です」


 父親であり国王でもあるシキは狡猾なのだ。何かわがままを言えば、その分、何かろくでもない交換条件を出してくるに決まっている。


「ユズのその珍しい、幼い体で頑張ればいいんじゃないですか?」

「国王様がユズを食べる光景?」


 もちろん、ここでいう食べるとは性的な意味である。


「いえ、やっぱりなしで。吐きそうです」

「ルナが水浴びに誘えば、万事解決」

「絶対に嫌です」


 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべつつ、ルナは後片付けを始める。

 十秒とかからない予定であったが、ユズが手を出したことで二秒で終わってしまう。「あー……」あまりの手際の良さ、そして実力差にルナは苦笑したが、これほど頼もしいパートナーもいない。


「今日はもう寝ましょう」


 早速明日も学園生活が待っている。

 ジーサとどう付き合うか。シキにはどう言い訳して何のお願いをぶつけるか――。考えることは山積みだったが、まずは疲労を取らねばならない。


 あえて早寝に倒したルナの慧眼は悪くないもので、


「承知」


 ユズも満足そうに頷くのだった。

2章 女牧場が終わって学園に帰還

第189話 王女《クラスメイト》

 怒濤の第二週が過ぎて、第三週一日目《サン・イチ》。

 俺はレベル10のジーサ・ツシタ・イーゼとして、いつものボロい作業着で学園坂を登る。


 エルフ領と変わらない青空が広がっている。たぶん午前七時くらいだな。

 午前の座学開始までまだ三時間はある。通行人も見るまでもなく皆無だった。


(昨日も話したが、ジーサ・ツシタ・イーゼはレベル10の慈悲組《ジャンク》だ。ダンゴ。クロ。協力して上手くやれよ)


 昨日の夜、王都リンゴのいつもの川底――丸ごと凍らされた川は何事もなく復旧していた――に戻った俺は、もちろん睡眠なんて行わず有意義に過ごした。


 具体的には、クロとの対話に充てた。


 ジーサという仮面はデリケートな演技の上に成り立っている。

 二匹をどう作業分担させるかには頭を悩ませたが、結局コイツらのアドリブに任せるのがベストだと判明した。

 あまり|盲目的な依存は《ブラックボックスには》したくないが、俺の手間が省けると思えば悪くない。


 ちなみにバニラだが、クロが食べてしまったそうだ。

 仲の良かったダンゴは相当怒ったみたいだが、クロの方が格上である。すっかり尻に敷かれているのだとか。俺の体内で何してんだよコイツら。


「君……ずいぶんと早いな」


 坂を登り切ると、門番のおっさんが制服を渡してきた。


「しばらく見なかったから、死んだのかと思ったぞ」

「余計なお世話ですね」


 俺はその場で着替えを済まし、ぼろい作業着を手渡す。


「下着は履いてないのか? あの黒いのはどうした?」


 よく見てるな、このおっさん。

 あの黒下着《レアアイテム》は対アウラ時に自爆でおしゃかになりました、とは言えないので、「貧民ですから」適当に誤魔化す。


「前も言ったが、ローブで隠すくらいはしないか。そのうち絡まれるぞ」

「絡まれませんよ。こんな貧民、絡む価値もありません」

「……ワシはもう長いが、お前のような生徒を見るのは初めてだ」


 背中を向ける俺に何か語りかけてきたが……。


「えっと、俺と話がしたいってことですか?」

「気にするな。ワシの独り言だ」

「逆に気になるんだが……」

「もう一人の慈悲組《ジャンク》は昼から来るそうだ。今のうちに心づもりしておけ」


 それ以上語る気はないらしく、「ほら行け」と追い払う仕草をする。


 ……うん、まあ、そういうことだよな。



 ――引き続き王立学園に通う。卒業後、ヤンデ殿は王女として責務を全うする。どうかね?



 ブーガによる折衷案に乗ったのはヤンデであり俺だ。サリアも了承している。覆ることはあるまい。

 にしても、もう少しくらいゆっくりすればいいのに。


「どうも」


 一応お礼だけ言って、俺は門を抜けた。


 人気《ひとけ》のない広大な敷地――といってもグリーンスクールと比べれば誤差みたいなものだ――を歩き、中央に鎮座する校舎へと向かう。

 五重に囲まれたロの字を抜けると、相変わらず何もかもが透明なFクラス校舎が。


 視点を上げてみると、EクラスからAクラスの校舎に囲まれているのだとわかる。廊下が面していて、向こうからは丸見えだ。

 言わばFクラスは晒し者になっているわけだが、慣れとは恐ろしいもので、俺はもう何とも思わない。


「それどころじゃないしな……」


 教室に入り、腰を下ろした俺は。

 本来の目的――ブーガから持ちかけられた《《ふざけた》》依頼の検討を始める……。


 時間はたっぷりあったにもかかわらず、大した収穫は無かった。

 当たり前だ。情報が不足しすぎている。

 かといって|アルフレッドの国王様《シキ》や|エルフの王女様《ヤンデ》に頼れるものでもないしな。






「スキャーノさんは留学による加点で昇格しています」

「ルナとガーナもですか?」

「はい」


 朝九時半頃にやってきたのは、神経質そうなメガネ男――ミライア先生だった。

 クラス昇格試験は三週間ごとのはずだが、三人はエルフ領グリーンスクールの短期留学生として見事な成果を収めた、ということで加点措置が取られたそうだ。

 これによりスキャーノはEクラスに昇格。ルナとガーナもEからDクラス行きだ。


 これにより、Fクラスは俺とヤンデの二人だけとなった。


「ジーサさんも昇格したかったですか?」

「いえ、このままで良いです」


 俺は静かに過ごしたいし、正直ブーガの依頼で頭がいっぱいだ。


「そもそも昇格できるほどの頭もないですし」

「エルフの王女を射止めるほどのお方が、ご謙遜をなされる」

「……俺はただの慈悲組《ジャンク》です」

「そう思われるのも、朝までですよ」

「先生方にはもう共有されてます、よね?」

「ええ」


 決まりだな。唯一のクラスメイト、ヤンデは現在欠席中だが、鋭意準備中だと思われる。

 昼休憩後くらいに王女としてのお披露目を始めるのだろう。

 そこでおそらく婚約者――俺のことも改めて紹介するはずだ。


 頭が痛い話だが、変えられない未来は受け入れるしかない。

 今は出来ることから潰していこう。


「ミライア先生。一つお願いしたいのですが」

「また一緒に字の勉強がしたい、と?」

「違います」


 もう読み書きはどうでもいい。ジャースランゲージなるスキル次第だとわかったからな。

 おそらく俺に適性はないが、幸いにもヤンデというパートナーを得ている。本に頼らずとも、生きた知識をヤンデから引き出せばいいだけのことだ。


 ミライアがぱらりとページをめくった。

 さっきから読書に熱心である。本の持ち方も、めくり方も、めくるスピードも読書家のそれだ。

 足も組んでおり、とても人と話す時の態度ではないが、むしろ有難かった。下手に謙遜されても鬱陶しいだけだ。


「わざと試験で手を抜いてFクラスに降格させる、ってのをなくしてほしいんですよ」

「……スキャーノさんのことですか?」


 俺は首肯する。


「手を抜いたかどうかを判定するのは難しいのでは?」

「ステータスの判定よりは簡単だと思いますよ」


 俺はあえてステータス判定の話を振ってみた。

 ミライアは実力検知《ビジュアライズ・オーラ》の使い手であり、レベル10を偽る俺としては少々心臓に悪い。

 疑心暗鬼のまま一方的に駆け引きするのもかったるいので、もしミライアが既に俺のステータスを見ているとしたら、本人の口から引き出してしまいたかったが、


「スキルの有無、という意味ではそうでしょうな」


 そう返すミライアの横顔は何一つ変わらなかった。

 グレーターデーモンを一体倒し、バーモンも狩りまくって相当レベルアップした今の俺は、表情が1ミリ変わっただけでも見逃さない。にもかかわらず、全く違和感が無かった。

 ……うん、俺なんかが探れる相手じゃないな。撤収撤収。


「仮に方法があったとしても、一介の教師には権限などありませんよ」

「それは残念ですね。ちなみに方法は特に思いついてないです」

「それは残念です。ジーサさんなら面白い方法を出してくれそうなものですが」


 試験結果を親御さんにも教えるとか、試験を廃止して先生に昇格判定してもらうとか、降格時の最低水準をFではなくEクラスにするとか――

 一応意見は温めているのだが、権限はないと先手を打たれたのだ。もうこの話題は続かない。


 神経質そうな双眸と目が合っている。何から何まで知ってそうな知識人と問答しているようで、どうも居心地が悪い。


「それはそうとジーサさん。羨ましい限りですね」

「……はい?」


 見上げるミライアの視線を追うと、二段目の廊下――Dクラスのエリアに女子生徒が二名ほど。


 腕を組んで仁王立ちしてるガーナと、顎に手を当ててじっとこちらを見つめているのはルナだ。

 談笑ではなく議論の雰囲気なのは見ればわかる。話題が俺であることも露骨で、疑っているのだと表明しているかのよう。


(特にへまはしてないはずだが……)


 ルナとはアナスタシアを介してしか接していないし、シッコクがシニ・タイヨウだとバラした時はガーナがいたが、眠らされていたはず。

 仮に起きていたとしても、ガーナは実技の壁――俺がレベル10程度の防御力であることを目撃している。


 ルナもそうだが、俺をシニ・タイヨウと繋げることはできないはずだ。


(あの場にいたエルフ達から共有された? いや、もしそうならもっと騒ぎになってるか)


 だとして、なぜエルフ達が黙っているかの理由もわからないが。


「私もこの学園に通っていたのですが、女の子とはまるで縁が無かったのですよ」

「俺はそっちの方が羨ましいですね」


 女がいても気が散るだけだからな。

 どうせ踏み出す気のない者や思いやる気のない者には春など訪れない。


 だったら、性欲はコンテンツと風俗で満たすと割り切って、学校や職場は女のいない場所を選べばいい。そうすれば気を散らすことなく本来の目的に集中できるし、性欲も効率的に解消できる。


 この事にもっと早く気付けておれば、俺の人生は変わっていたのだろうか。


「……ミライア先生は、人生楽しいですか?」

「楽しいかどうかはわかりませんが、面白くはありますよ」


 ミライアが愛おしそうに本を撫でる。

 高級な本なのかもしれない。装丁こそないものの、前世の本屋に置かれていても遜色がないほど綺麗だった。


「女性に興味はないんですか? 性欲は? どうやって抗ってます?」


 グレンの事例があった手前、実は男が好きだとか言われると困る俺だったが、「取れば済むことです」ミライアは俺の股間を見ながらそんなことを言った。


「特に賢者《ナレッジャー》の方は珍しくありません」


 賢者というと学者だよな。ジャースの学者さん、ガチすぎない?


「アーサーもそうなんですか?」

「どうでしょうね。聞いてみたらいかがです?」


 俺の暗殺を企てた奴にあそこついてますかとでも尋ねろと? これ以上面倒事は背負いたくねえよ。

 と、なんだかすっかり打ち解けてしまったが、良い機会だ。


 撤収は前言撤回。

 俺はもう一度仕掛けることにした。


「ちなみにですが、性器が無い場合ってチャームは効きますか?」

「残念ながら効きますね。第二王女がご存命だった頃は、効かないと勘違いした猛者達がいとも簡単に狩られました。《《ついてない》》男は可愛い鳴き方をする、とナツナ様ははしゃいでおられました」

「え? ミライアさん、王女と知り合いだったんですか?」


 俺はしらばっくれつつも、ミライアの方から何か仕掛けてくることを期待した。が、


「秘密にしてくださいね。王族の機密は、無闇に漏らすと死刑ですから」

「俺を巻き込まないでくださいよ」


 この人はどこまで知っているのだろうか。

 俺のステータスはもう見ているのか?

 俺がシニ・タイヨウであること――俺達がナツナの拷問部屋で既に会っていることを知っているのか?


 知っているとして、この人は何を企むだろうか。

 上に報告する? 何もしない? それとも何か利用しようとしてくる?


 何もわからなかった。わかると言えば、ミライアが俺にそれなりに興味を持っていることくらいだ。


(これ以上粘っても仕方ないな)


 なんとなくだが、ミライアは脅威にはならないと思う。自己完結しているわけだからな、その必要がない。逆を言えば、協力者にもならないだろうが。


 俺は探るのは諦めて、引き続き雑談をする。

 無理して続けず、自然に沈黙も許容するミライアとの時間は心地良かった。


 程なくして十時となり、座学が始まる。

 俺しかいないということで質疑応答の時間にしてもらい、濃密な時間を過ごせた。ミライアの講釈も、相変わらずわかりやすかった。

第190話 王女《クラスメイト》2

 30.12.58――

 空には日時を示す数字が浮かんでいる。

 新年から30日目つまりは第三週一日目《サン・イチ》の、12時58分だな。


 ぼーっと見上げていると、数字が59に切り替わった。


(いよいよか……)


 学園から号令――重大発表があると知らされたのが今日十二時のこと。

 場所としてここ北西の演習エリアが指定され、今は、というより五分前の時点で全校生徒が一同に集まっている。

 人数は数百を超えて千に近く、小さな街の祭りやライブハウスくらいか。


 前世の全校集会を思い出す。

 社会人となった今では情報共有すれば済むだろと思うが、あれはあれで色んな生徒の存在を感じられるから悪くなかった。

 といっても軽く十年以上前の話だ。美化されているかもしれない。


 違うと言えば、並び順である。

 特に指定がなく自由なのだが、ここは王立学園。円柱型の壇上を囲むようにまず貴族の生徒と実力者が並び、その後に平民がクラス順に並んでいくという位置取りに収まった。

 どうでもいいけど、囲むの好きだよなこの学園。


 一方、教員勢は空に浮いている者が多かった。警備だろうか。


「そういえば俺、慈悲組《ジャンク》で体臭モンスターなんだよな」


 俺はいうと、最も外側に押し出され、かつ周囲も十メートル以上が空洞だった。

 前方、Eクラスの連中がちらちら見てくる。ヤンデやスキャーノがいないからか、いつもより露骨だ。

 女子達のザ・生理的に無理です的な目だけは嫌いじゃない。後ろ姿も嫌いじゃない。


(ダンゴ。クロ。もう体臭は無いんだよな?)


 後頭部の単打と心臓左部分の圧迫が同時にやってきた。肯定の返事だ。

 どうもクロがダンゴの不養生を食い止めているらしく、俺はもう悪臭を発していない。にもかかわらず、この扱いなのだから、慈悲組のレッテルは素晴らしい。


「……時間になった」


 空の表示が59から0に変わる。


 さて、どんな風に登場するのかと思ったら、「普通だな」普通に高速飛来してきた。方向から見て、校舎棟の最上階だな。お偉いさん専用エリアでもあるんだろう。


 やや遠目だが、円柱の周囲には四人ほど緑髪の麗人――エルフが浮いている。貧乳だとわかっていても、つい目が吸い寄せられてしまうな。


「エルフだ!」

「おおっ」

「すげえ……」


 やはり珍しいのか生徒達の色めきがここまで届いてくるが、それらは間もなく当惑と失望に変わっていった。


 円柱の上で堂々と正座しているのは、緑ではなくライトグリーン頭の少女。

 この学園でそんな髪色をしている者は一人しかない。俺以上の悪臭、というか体質を持ち、忌み嫌われているもう一人の慈悲組《ジャンク》ことヤンデだ。


「改めて自己紹介させていだたきます」


 悠然とはこの事を言うのだろう。

 清涼とはあのような顔つきを指すのだろう。


 母親の教育のおかげか、ヤンデは王女として様になっていた。他の女子と同様、制服姿なのにな。大したものだ。


 しかし、それは俺だけのようで、生徒達は早速態度や言葉で不快を顕わにしている。

 慈悲組ってそんなに地に落ちた身分なのだろうか。これがシキ王の狙い通りだとしたら、大した手腕だが。


「私語が止んでないな。ヤンデだけに」

「後で覚えておきなさい」

「うおっ」


 俺が呟いてみると、急に振動交流《バイブケーション》が飛んできた。

 鼓膜の抉り方が特にエグい。レベル10が耐えられる負荷を超越していて、岩くらいならくりぬけそう。たぶんダンゴ細胞も結構死んだ。


 ヤンデさんは壇上からこちらを睨んでいたが、ふふっと微笑んだのが見えた。

 同時に、空を守っている教員の何人かが「おやまあ」みたいな反応をしたのもわかった。


「――おかげで吹っ切れたわ。堅苦しいのはナシよ」


 自分に言い聞かせるようにヤンデが呟いた途端――


 場のざわめきが、はたと消え失せた。

 まるでテレポートのように。あるいは時が止まったかのように。


「おっかねえな」


 止まったのではない。止められたのだ。

 ヤンデが展開した風魔法によって、物理的に。この場にいる者全てが。


 ジャースは良くも悪くも実力社会である。見せつけられたとなっては、さすがの生徒達も黙るしかないらしい。

 舐めた態度を取る者は、もういなかった。


 一方で、空を警備する教員達はアイコンタクトだか何だかですげえとかやべえとか交わし合っているもよう。楽しそうだなアンタら。


「改めて自己紹介するわ。ヤンデ・エルドラと申します。森人族《エルフ》の王女です」


 衝撃のカミングアウトを経ても、場はしーんとしたままだった。

 内側の貴族勢と実力者連中はさすがに肝が据わっているようで、率直な感想を漏らしているようだ。最後尾だからよく見えないけど。


「それと、もう一人だけ紹介しておくわね」


 ヤンデがそう言った瞬間、なぜか俺の身体が浮く。

 おい待てと呟く暇もなく、引っ張られた。速度はたかが知れている。外野が犠牲フライのランナーを指す時のボールくらい。


 ヤンデさんは俺を受け止めることなく、そのまま魔法で俺の頭を自身の太ももに向かわせて。

 俺は膝枕に頭を乗せる格好になった。


 ……え? 何これ? 何て羞恥プレイ?

 前世の俺なら赤面は必至だったろうが、今の俺はバグってる。何も感じないのだから面白い。いや笑えない。


 俺の頭を撫でながら、ヤンデが愛おしそうに言う。


「彼はジーサ・ツシタ・イーゼ。私の婚約者よ」


 これには生徒達も黙れなかったらしい。「えええ!?」とか「うそっ!?」みたいな露骨な反応があちこちから湧いている。

 そんな中、最前列では、


「えー、バサバサの約束してたのにー」

「このバカッ! 御前でしょ!」


 グラマラスな鳥人が縦ロール女に引っぱたかれていた。叩かれた振動でもぶるんぶるん揺れる胸。エルフとは比べるべくもない。

 引っぱたいた女――ハナ・シャーロットだっけか、そいつは恭しくつむじを見せてくる。前会った時と態度が真逆なんだが。

 さらにその隣、護衛と思しきツンツン頭の男はさして興味無さそうな顔をしていて、やはりハナに引っぱたかれていた。


「皆にも警告しておくけれど、この男は変態だから気を付けなさい」


 ヤンデさんも全校生徒の前で何を言ってるんですかね……。


 公開処刑されてる俺に構うことなく、ヤンデは自らの、そしてエルフの意図を話していく。

 一言でまとめると、人間のことをもっと知りたいし仲良くしていきたいとのこと。


 俺を掴《つか》みに利用したことも含め、悪くないスピーチだったが、感触はいまいちに見える。

 たぶんコイツの体質のせいだな。ハナを始め、実力者は堪えられているようだが、特に周囲の貴族達には嫌悪や憤怒を隠さない者も多い。


「――私達は引き続き、慈悲組《ジャンク》として生活します。扱いはこれまでどおりで構わないわ。エルフの護衛が目につくかもしれないけれど、気にしなくて結構よ」


 いや気になるだろ。

 ただでさえアルフレッドは階級社会で、ヤンデは学園にこんな臨時イベントを開かせるほどの天上人だ。


 そんなこんなで、ヤンデ王女のお披露目は無事に――俺の尊厳はさておき、見た限りでは無難に終わったのだった。

第191話 王女《クラスメイト》3

 お披露目が終わった後、俺達はそのまま居残って本来の時間――実技を行うことになった。


「ぐぁっ!?」


 脳天に岩のハンマーがぶつかり、俺は地面をのたうち回る。


「だらしないわね。これくらい避けなさい」

「レベル10で扱えるスピードじゃねえだろ……」


 よろよろしながら起き上がる俺だが、内心は慣れた家事でもするかのようだった。


 ヤンデも中々に役者だ。

 俺の指導役を自ら買って出て、レベル10を前提とした訓練を課している。

 さすがエルフの血を引くだけあって、加減は抜群に上手い。所々レベル12、13くらいの攻撃を混ぜてくるのはウザいけど。


 この様子は同じく訓練中の他の生徒にも見えている。手を止めている者も少なくない、つか二人に一人はちょいちょい止めてるぞ。


「ほらほら、よそ見するな」


 上裸で棍棒を携えたアーノルド先生が生徒達に活を入れている。今の俺ならわかるが、風魔法で肩を叩いているようだ。

 そんな先生に、何人かの生徒が近寄る。というか詰め寄っている。


「先生、いいんですか?」

「何がだ?」

「生徒の指導は先生が行うものです。王女だからといって生徒のはず。優遇は不公平なのでは?」

「オレもそう思うよ先生」


 珍しい光景だな。学園では教員の立場は絶対であり、反抗は許されない。

 慈悲組《ジャンク》の生徒が他種族の王女でした、というイベントはそれほどイレギュラーってことか。


「ヤンデ様の処遇は検討中だ。決定を待ってくれ」

「様って……」

「見損なったぜ先生」

「何を検討するのですか? 一生徒として扱えばいいじゃないですか」

「そうそう、彼女自身も普段通りで良いって言ってたじゃん」


 そういう騒ぎにもかかわらず、ヤンデはハンマーを振り下ろしてくる。

 俺がどこまで演技しきれるのかを試したいらしい。周囲には我関せずといった感じで、童心のこもったきらきらした眼差しをただただ俺に向けている。


「そういうわけにもいかないんだよ。他国、それも他種族の王女様だ。外交問題になったらどうする? 目上の発言を真に受けて下手な行動を取ったら、墓穴を掘りかねないぞ。自分の命程度で済むとも限らない」


 アーノルド先生もやるなぁ。特に貴族は家柄に弱い。家にも迷惑がかかるとわかれば、引き下がるしかない。

 情けないと言えばその通りだが、大事なのはプライドよりも命、そして家だ。


 熱心な説得により、生徒達の反発は次第に和らいでいった。

 その様子を俺はもぐらになりながら見ていた。無論、レベル10を逸脱した観察力だとバレないように。「器用なものね」ヤンデのお墨付きももらえたので、俺の演技は問題あるまい。


 一時間を過ぎた頃には、すっかりいつもの光景が戻ってきた。


「ねぇジーサ」


 ヤンデが手を止める。手元のハンマーがさらさらと砂に還《かえ》る中、防音障壁《サウンドバリア》を張られたのを俺は感じた。


「あなたの演技は、その同居人さんのおかげなのでしょう?」

「……ああ」

「そうとわかっていても見抜けない出来は、大したものだわ。お母様も珍しく驚いていたから」

「そんなこと話していいのかよ。誰かに聞かれたらどうするんだ」


 防音障壁を張ったことに、少なくともアーノルド先生は気付いてたぞ。見逃してくれるようだが。


「私がそんなへまをする女に見えるの?」

「見えるかどうかは知らんが、人は失敗する生き物だからな。絶対は無い――っておい」


 目に雷を撃つのはやめてもらえるか。威力は静電気程度だから、まあ痛がらなくても大丈夫か。


「そこは信じなさい」

「俺は思考停止したり盲信したりするほどお人好しじゃない。お前もあまり俺に依存するなよ」

「そう言って離れようとしても無駄よ。私はもう、あなたを手放す気はない」

「へいへい――ってちょっと待て」


 未来永劫ヤンデと付き合う気はないので、依存しすぎないように立ち回っておく必要はある。優秀なパートナーとの絆が枷になる例は枚挙に暇がないからな。

 それはともかく、聞き捨てならねえことが一つあるな。


「俺、サリアさんに見せた覚えはねえんだが?」


 エルフ領に入国した時に、レベル10という設定で行くという話はした。だが戦闘シーンは見せていないはずだ。


「シッコクよ」


 ヤンデが地べたで正座する。露骨なサボりだが、先生はまたも見逃してくれるようなので大丈夫だろう。


「シッコクはお母様よりも強かった。体つきもエルフらしくなかったわ」

「そうらしいな」


 昨日も一通り教えてもらったが、やはりそれほどの実力者だったか。

 まともにぶつかってたら、俺は今頃封印されていただろう。


「実力と容姿を私達も騙し通せるほどの練度で偽装するのは不可能よ。特別な手段があるとしか考えられない」

「そうだな」

「それがあなたも使っている手段――その同居人よね?」


 サリアはシッコクと戦闘したそうだ。その時に寄生スライムの話でもされたか、何らかの作用でも見たのだろう。


「俺は寄生スライムと呼んでいる」

「モンスターなのかしら」

「ああ」

「魔素は出ないの?」

「わからん。出ないのかもしれないし、出てるけど押さえているのかもしれない」

「どっちよ」

「知らねえよ」

「ジーサって意外と詰めが甘いわよね」


 痛いところを突いてくれるな……。

 自信があったのか、ヤンデもしてやったりな顔をしている。


「……」


 端整だが変化に乏しいエルフ顔なのもそうだし、コイツはデフォで気怠そうな表情をしているから、そういうのを浮かべられると際立つんだよ。

 婚約者なので別にガン見してもいいし、可愛いだの愛しいだのといった気持ちを表明してもいいんだろうけど、癪だと思う俺もいて。


「聞いてみればいいじゃないの」

「意思疎通ができたら苦労はしない」


 さくさくと会話を進めてくるのがかえって有難かった。


「以心伝心に見えるけど?」

「以心伝心?」

「言わずとも気持ちが通じ合っていることよ。詰めが甘い上に、無知ね」


 今に限った話じゃないが、前世の四字熟語が飛び出したから引っかかっただけだ……とは言えず。

 いくらヤンデであっても、さすがに崇拝状態《ワーシップ》まで教える気にはならないので誤魔化さねば。


「信じられないかもしれないが、寄生スライムの知能は凄まじいんだよ。たぶん俺より賢い」

「でしょうね。レベル10にしか見えないもの」


 あっさり信じてくれるな。疑われるよりはマシだが。


「寄生スライムはもういいだろ」


 エルフはこの先何をするつもりなのか。

 俺達は今後どう立ち回るべきなのか――。


 ようやく真面目な話に入ることができた。


 意外なことに両首脳――シキとサリアの接触機会はほとんど増えていない。配下の者達の裁量で色々と交流や連携を図るらしい。

 だからといって暇を持て余しているはずもなく、シッコクを始めとする脅威の対処に注力するのだとか。取り逃がしたシッコクの捜索隊、シッコクとグレンの生い立ちを探る部隊、高精度な容姿偽装の手段を研究する一団など、既に多数の組織を結成しているという。

 動き始めた隊もあるのだとか。行動早えな。


「で、俺達はのんびり学生生活を謳歌してろ、と」


 ちなみにシキ王からも『学生を謳歌していれば良い』と言伝《ことづて》を授かっている。エルフのご機嫌を損ねるな、とも言われたが。


「週一で手伝わされるけどね」

「それ、俺も行かなきゃダメか?」

「当たり前じゃない。お母様も熱望していたわ」

「勘弁してほしいんだが」


 シキ王以上に人付き合い荒らそうだし……。


「いいじゃないの。好きなのよね? お母様の生足が」

「嫌いではない」


 正直に申した瞬間、ビンタが飛んできた。曰く「気持ち悪いわね」。全くもってその通りだと俺も思う。


(しかし参ったな)


 俺にはブーガの頼まれ事がある。



 ――満了されなかった場合、あるいは他言した場合、私は全力で貴殿を封じる。



 ブーガは本気だった。

 皇帝として吐露してはならない本心を漏らした。そんな機密中の機密中を聞いてしまった俺は、言わば運命共同体。

 断ることも、逃げることもできやしない。


 期限こそまだまだ遠いもの、容易く達成できる任務では決してない。

 今からでも熱心に考え始めないといけないだろう。いや、もう今朝考えてみて情報不足だとわかったので、行動していきたいんだが……。


(時間を捻出して現地に足を運ばないとな。もちろん、コイツらにバレちゃいけない……)


 俺は頬をさすりながら、胸中で特大のため息をつくのだった。

第192話 サボり

 ギルドの巨塔ほどではないが、王立学園の校舎群も高くそびえている。

 といっても、外から見えるのは最も外側のAクラス校舎だけだ。


 高貴な特別組《ジェル》用の施設も揃っており、最上階には国王専用エリアも設けられている。それほどの建物は顕示としての機能も持っており、麓からは難攻不落の要塞にしか見えない。

 タイヨウがいた前世の文明水準でさえも、容易には建造できないだろう。


「こんなところで何してるんですか?」


 そんな屋上の端で腰を下ろし、王女ヤンデの演説を聞いているスキャーノ。そこに声をかけたのがルナだ。


「……よく来たね」


 スキャーノが顔を上げる。



 ――ルナさん。アナスタシアさん。シッコクが言っていた『それ』とは何なんですか?



 昨日スキャーノはルナに嫌疑をかけたばかりである。


 ルナが第一王女であり、近衛という人類最強格の護衛をつけていることなど知る由もないが、冒険者として人に言えない秘密を持っているのは確かだと踏んだ。

 ルナにしてみれば、詮索を防ぐために距離を置こうとしても不思議ではない。


「私達は友達じゃないですか」


 ルナは優しく微笑むと、隣に腰を下ろす。

 肩がぶつかりそうな距離だった。横顔は少しぎこちない。その大胆な歩み寄りに「ありがとう」スキャーノは素直に笑顔を表明し、「いえいえ」ルナも改めて破顔した。


「クラスには打ち解けましたか?」


 二人並んで眼下を見下ろす。

 全生徒が一箇所に集まる光景は、たとえ高所からの見下ろしであっても威圧感がある。


「ぼくは話しかけられるから平気だけど、ルナさんは?」

「それがどうも避けられてるみたいで……」

「ルナさん、怖いもんね」

「そうですか?」


 苦笑するスキャーノに対し、ルナは素で首を傾げる。


 特別組《ジュエル》の生徒にも教員にも一切物怖じせず、セクハラする輩――ほぼガーナだが――も容赦なく吹き飛ばすルナは、言わば番長のような位置付けとみなされているのだが、本人はまだ自覚がない。


「あの二人……。いちゃいちゃしてますね。膝枕なんかしちゃって」

「ヤンデさんは完全に吹っ切れたみたいだね……」

「ねー。王女だからって少しは考えてほしいですよね。ああいうの見てると、殴りたくなります」

「殴るって。あはは」


 ルナが拳をつくってビュッ、ビュッと素振りをしてみせる。

 対抗心に飛び火したのか、スキャーノも真似をした。無論、レベル差は40以上もあるため、速さと重さは段違いだ。


「はぁ。自分の弱さが嫌になっちゃいます」

「気持ちはわかるけど、焦ったら終わりだよ。強い人なんていくらでもいるんだから」

「そうですけどー……」


 他愛のない話をしたり、黙して演説を眺めたりする二人だったが、ふと。


「――スキャーノって好きな人とかいるんですか?」

「急に何?」


 ルナはスキャーノを向き、自らの両胸に手を当てる。


「私が知る男性という生き物は、多かれ少なかれ性的な目で見てきます」

「ルナさんは美人だからね。ちょっと怖いけど」

「スキャーノからは一切感じません」


 サバイバル生活が長かったルナは、自らの美貌には無頓着だった。いや、無意識では薄々気付いていたが、悟られないよう振る舞っていた。

 それが王立学園の生徒になり、制服を着るようになって、隠し切れなくなって――オーラにも性的なものがあるのだと初めて知った。

 スキャーノからは、それを一切感じないのだ。


 ルナはスキャーノを引き寄せ、抱きしめる。

 自らの匂いを嗅がせ、胸や脚を中心とした感触も味わわせるような、計算された動作だ。実は師匠こと魔王の直伝でもあるのだが、タイヨウと同様、スキャーノの身体反応は乱れなかった。


「ぼくはガートン職員だからね」

「……そうでしたか」


 ガートンと言えば会社――国に属さず独立を認められた巨大組織である。

 それほどの組織にもなれば、教育も相当苛烈なものだろう。新入生にして桁違いの実力を持っていても頷けるととルナは考えた。


 スキャーノもまた、ガートンの名前にはそれほどの力があるとわかっていた。


「私、消されたりしないですよね?」

「平気だよ。別に隠すものでもないし。むしろ積極的に見せつけて、我々に小細工は通じないぞと表明することもあるくらいだよ」

「スキャーノも大変なんですね」


 スキャーノの横顔から見える、その遠い目は、底知れない苦労をうかがわせるものだった。

 ルナは思わず頭を撫でてしまう。


「こういうの、ダメですか?」

「うーん……人前でなければ、いいかな」


 スキャーノの正体は女――スキャーナであり、こうして接触されることは好ましくないのだが、彼女には隠し通せる自信があった。

 変装は得意分野の一つであり、上司のファインディからも認められているものだ。

 もっとも社交性は芳しくないため、潜入捜査には向かないのだが。


「私、人にこうして触れるのが好きみたいです」

「ガーナさんの相手をしてあげたらいいんじゃないかな」


 スキャーノの目線が少しばかり彷徨い、一箇所で固定された。

 同心円の外側――制服の着崩しと鮮やかな金髪が目立つガーナだ。珍しく誰も侍らせておらず、黙して聞いているようだった。


「嫌ですよ。貞操を捧げる気はありません。スキャーノも気を付けた方がいいですよ」

「大丈夫だよ。格下には負けない」

「その物言いには腹が立ちます」

「あはは」


 演説も後半に入ってきた。

 解散が頭をよぎる頃合いだ。


「……」

「……」


 二人とも呑気に雑談をしている心境などではなかった。


 そもそもこんな場所でサボっていること自体がおかしいのだ。

 号令には全員強制参加の含意《ニュアンス》がなかったため、サボること自体は実は問題ない。現に空を警備する教員からも叱られていない。

 しかし通常、号令にあえて抗う生徒などいない。


 優等生のスキャーノは、あえて抗った。

 そんな自分を隠密《ステルス》で隠しているが、中途半端なクオリティだ。たとえば、ルナのような鋭い者は気付けてしまう。

 実際、ルナは目敏く発見し、また抗いもして、こうしてやってきた。


 誘いを仕掛けた者と、その誘いに乗った者。

 これの意味するところは――。


「ガーナさん。なんだか元気がないね」


 スキャーノが仕掛けた。

 ルナの拘束も半ば強引に解いており、友達モードの終了を告げている。


「リンダさんに口止めされていることが関係しているのだと思います」

「何を言われたんだろうね」

「さあ。《《ジーサ》》に聞いてみればいいんじゃないですか?」

「呼び捨て」


 普段さん付けするルナがジーサを呼び捨てたのは、ジーサはタイヨウであると断定しているがゆえのことだ。

 ルナ自身も気づいてなかった気の緩みを、スキャーノは見逃さない。


「……仮にも二週間、一緒に過ごしたわけですから。友達でなくても、呼び捨てるくらい良いでしょう」

「ぼくが知っているルナさんは、親しくない人とは一線を引く」


 とっさに素が出てしまったルナは誤魔化したわけだが、そんな小細工が通じるスキャーノではなかった。


「知ったように言いますね。私はもっといいかげんな人間です」

「さっきの質問を返すけど、ルナさんは好きな人はいないの? いるって言ってたよね。今も探してるんだよね。でも――見つけたんだよね?」

「……」


 面と向かい合えばわかる。

 ガートン職員として磨かれてきたスキャーノは、ステータス以外もただの学生ではない。


 ルナは舌戦で対抗する気にもなれず、こくんと頷くだけだった。


「ちょっと耳貸して」


 スキャーノは有無を言わさずルナを引き寄せ、耳元に口を近付けてから「防音障壁《サウンドバリア》」盗み聞きの対策を講じる。

 警備中の教員にさえ聞かせられない内容ということだ。


 近衛のおかげで誰よりも安全だというのに、ルナはごくりと喉を鳴らす。


「ぼくはジーサ・ツシタ・イーゼをシニ・タイヨウだと疑っている」

第193話 サボり2

 シニ・タイヨウ。


 その名前がスキャーノ――ガートン職員の口から飛び出した。


「だからといってどうにかするつもりはないよ。基本的には傍観者に徹するつもりだし、同級生としては引き続きジーサ君とつるむつもり」

「……」


 どうにかするつもりはない。

 この発言は、シニ・タイヨウの扱いはルナに委ねると言っているようなものだ。



 ――ルナさんは好きな人はいないの? いるって言ってたよね。


 ――見つけたんだよね?



 見抜かれている。

 シニ・タイヨウを知っていて、好いていることが見破られている。


 優等生の鋭い洞察を前に、ルナは苦笑を浮かべるしかなかった。


「言動にも注意するつもりだよ。アルフレッドの大罪人が、こうして堂々と学生をしているなどあってはならないことだからね」


 シニ・タイヨウが何らかの目的で学園に忍び込んでいる可能性もあるが、王女ナツナを殺せるほどの実力者に限ってはそれはあるまい。

 とすれば、国が意図的に庇護していると考えるのが自然だ。


 もちろん、王女暗殺の大犯罪者を匿っているのはスキャンダルである。

 この件を知ったことを国に知られれば、消される可能性も低くない。

 もっともルナは王女であるため、その心配はないのだが。


 ルナは自らの口元を指した。

 自分にも喋らせろという合図だ。


「うん。いけそうだから、やってみるね」


 スキャーノは防音障壁を張り直し、二人は鼻が接触するゼロ距離で向かい合うこととなった。

 この場には多数の教員がいるし、眼下の壇上には有能なエルフとヤンデもいる。

 盗み聞きを防ぐためには相応の密度と分厚さが必要で、防音範囲はその分狭くなるのだ。


「初めてだけど上手くできたと思う。どう?」


 ルナはレベル47である。

 格上であるレベル88の防音障壁の精度など測れるはずもないが、スキャーノは疑っていない。


 これは儀式だ。


 レベル以上の何かを持ってるよねと。

 こちらもシニ・タイヨウという重大な見解を出したのだから、認めてくれるよねと。


 互いに開示することを了承し合うための、儀式だった。


「そうですね。――問題ないと思います」


 ルナも覚悟を決めて、受け入れた。


「ルナさんも、彼がシニ・タイヨウであることを疑っていないんだよね?」

「はい」

「そう考えた理由は何? ぼくは――」


 スキャーノが己の考察を語る。


 上司には気付かないふりをしていたが、彼女も無能ではない。ガートン職員として、日々発生する出来事を自分なりに収集、整理して考察することくらい朝飯前である。

 その結果、ジーサはタイヨウである可能性が高いとの結論に至っていた。


 王女ナツナ、アウラ、グレンといった第一級クラスの実力者を撃破するほどの爆発。

 爆発が起きた時にジーサに不在であったこと――


 彼女の根拠は、ルナとユズが出したものと同じ方向性だった。

 つまり、断定するのは乱暴だが、偶然で片付けるには出来過ぎているという着眼だ。


「ルナさんはどうするつもり?」

「……」

「ルナさん?」


 ルナは白夜の森にて、タイヨウと一緒に過ごしている。

 彼がどういうからくりなのか、隠密《ステルス》モンスターを従えていることも知っている。

 他ならぬルナ自身、モンスター達とは家族のように過ごしてきた。一緒に鍛錬したり眠ったりしたときの感触――モンスターもまた生きているのだという確かな温もりは、昨日のことのように覚えている。


 モンスターは問答無用で忌避される対象だ。

 親しさを抱くなど信じられないし、ありえない。師匠である魔王も興味を抱いていたほどだ。少なくともルナ自身が持つレアスキル以上の希少性がある。


 そんな離れ業をやってのける者など、二人といまい。


「私は、彼を見失わないようにしたいです」


 恋心は既にバレている。

 ルナは正直に、近衛と自分に言い聞かせるかのように語る。


「ずっと探していました。彼が今、何を抱えているのかはよくわかりませんし、彼に注目する勢力が一つではないこともわかっています」


 アルフレッド王国。


 ガートン。


 今も姿を見せていないアウラとラウルもそうだろう。

 スキャーノ曰く、二人はシニ・タイヨウを探すために教員になったそうだし、アウラは獣人領で大敗を喫したばかりだ。第一級冒険者として燃えているに違いない。


 サリアが取り逃したシッコク・コクシビョウも、おそらくジーサの正体に気付いている。


 ヤンデはどうだろうか。サリアはどうだろうか。

 気付いているとすれば、それはすなわち森人族《エルフ》がシニ・タイヨウに注目していること、あるいはせざるを得ないことを意味する。


「それでも私は彼を――タイヨウさんを、手放したくない」

「……そっか」

「スキャーノは……いえ、ガートンは、私をどうするつもりですか?」


 ルナがスキャーノを睨む。

 仮にタイヨウの件で分かつことがあれば、友達であろうと関係がないという凄みであった。


「どうもしないよ。ガートンは情報屋として、シニ・タイヨウという情報の価値を最大化することしか考えてない。行方をくらまされて困るのはぼく達も一緒だ」

「恋路の邪魔は、しないですよね?」

「……ぼくは男だよ? どうしてそんなことを聞くのかな」

「何となく恋敵《こいがたき》の臭いがするので」


 終始ルナをリードしていたスキャーノだったが、ここに来てぎくりとさせられるのだった。

 無論、態度に出すへまはしない。


「ガートンとして、あるいは冒険者として注目しているだけだよ。気持ち悪い冗談はやめてもらえると嬉しいな。あ、気持ち悪いは言い過ぎたかも……」

「構いませんよ。気持ち悪いのは事実ですし」


 そう吐き捨てるルナの表情には、見たことのない親しさが宿っていた。ジーサを、あるいはシニ・タイヨウをそれなりに知っているのだろう。


「……」


 その事を快く思わないことをスキャーノは一瞬自覚したが、気付かないふりをして。


「ルナさん、改めてよろしくね」

「こちらこそ」

「心配はないと思うけど、踏み込みすぎちゃダメだよ? ルナさんが死んだら、ぼくはきっと悲しむ」

「悲しんでくれて何よりです。私もですよ」


 お互いを曝け出した二人は、改めて握手を交わすのだった。

第194話 ジーサの受難

 十五時前にFクラス校舎に戻ると、見覚えのあるダンディーなおっさんが教室で待っているのが見えた。

 俺はヤンデと顔を見合わせ、とりあえず向かう。


「ヤンデ・エルドラ。ジーサ・ツシタ・イーゼ。待ちわびたぞ」


 がたっと立ち上がったのは、ダンディーなスーツをダンディーに着込んだ男だ。

 やり手の商人といった風体で、体型から眼光まで刃物のようにシャープである。交渉事でもしようものならまず勝てる気がしない。


「私はパイソニー。商者《バイヤー》の職練を統括している」


 俺は何か言おうとしたヤンデを遮り、偉そうな態度で応じてみることに。


「アンタ、俺を門前払いしたよな? わかりやすく手のひらを返そうってか?」

「国王直々の依頼だ。ジーサ・ツシタ・イーゼはサボりの達人で、しかし奇天烈に有能だと聞いている。商者として、しっかり振るわせよとのことだ」


 あの半裸ジジイ、適当なことほざいてんじゃねえぞ……。

 この調子だと、俺が職練の時間を丸々浮かせるためにわざと商者を選んで、かつ無礼な振る舞いをして門前払いを狙ったことは筒抜けだろう。


「パイソニーと言ったかしら。私も今日から商者志望にしたいのだけれど、構わないわよね?」

「構わない。国王の許可は既に得ている」


 ヤンデは闘者《バトラー》志望であり、このままでは俺が孤立してしまうため同じ業種に鞍替えしようということか。

 悪くないが、もう一押し欲しくて「ヤンデ。免除を進言しろ」こっそり耳打ちしてみたが、「早速サボると申すか」パイソニーに一蹴された。


 どうやらエルフ王女の権力であっても、融通はたかが知れているらしい。

 まあそうなるか。学生として経験を積め、がシキとサリアの総意だし、二人とも甘やかしてくれるタイプでは断じてない。


「で、俺達は何をすればいいんだ? 正直言ってやる気も知識もないぞ」

「貧民エリアの経済活性化に取り組んでもらおう――」


 パイソニー曰く、王都リンゴの貧民エリアは自給自足と物々交換の世界だ。

 銭は得ているものの、棲み分け意識が非常に強いため購買行動――をするために平民エリアや冒険者エリアに繰り出すことはほぼないという。


「なるほど。貧民は生活水準を乱すことの危険性を知っているってことだな」

「……ほう。理解が早いな」


 幸福は生活水準という土台に紐付いているものだ。

 土台は意外と脆い上に、一度欲張ると戻しにくい。宝くじが良い例だろう。一億とか、一千万とか、中途半端な金額を当てた者は、長期的に見れば不幸になるケースが多いことが示されている。

 要は計画的かつ自律的に使えない無能が多いというわけだが、ここの貧民はそうじゃないってことだな。「どういうことよ?」ヤンデが首を傾げている。ちょっと愛おしく見えたのは見なかったことにして、


「難しい話だからまた今度な」


 そっけなく一蹴すると、むっとしたヤンデが無言で足払いをきめてくれた。もうちょっとマイルドにしてくれないか。


 俺は痛がる演技を忘れずに、よろよろと起き上がりながら、


「稼いだ金はどうしてる?」

「貯金しかあるまい」


 前世の日本人もびっくりの貯金民族だな。


「家に保管してんのか? 盗まれるだろ」

「相当に無知であるな。騎兵隊による治安維持が機能している。十中八九発覚すると考えて良い」


 処罰も相当に重く、死罪もあり得るのだとか。

 それでも人は追い詰められたら何でもしそうなものだが、ここはジャースでありレベルが物を言う世界。


「割に合わないってわけか」


 竜人もそうだが、|強者による罰則《ペナルティ》はシンプルでありながら強力なんだと痛感させられる。


「で、そんな貧民エリアをどうしろって?」

「活性化に取り組んでもらうと言った」

「ふざけるな」


 定義や目的はまだ問うていないが、一学生が取り組むことじゃねえよな。


「そうだな、商店街で貧民の姿を当たり前に見かけるようになることでも目指してもらおうか」


 パイソニーは俺を無視して、にやっとダンディーな微笑を浮かべる。マダムがとろけそうなハンサムっぷりだが、今はイラッとしかしない。


「勝手に話を進めるな。職練の域を超えてるだろ明らかに」

「ふうん。いいんじゃない?」


 いつの間にか座って脚と組んでおられるヤンデさんが、他人事のように言う。


「良くねえよ。仕事を無闇に背負うのはバカがやることだ」

「ねぇ。やり方は自由でいいのよね? 学園や貧民エリアには自由に出入りできる必要があると思うのだけれど」

「無論だ。王都を出なければ、どこに行っても良い」


 ヤンデの言う通り、裁量があると考えれば悪くないのかもしれないが……。


「成功する保証はねえぞ。それでもいいよな?」

「無論だが、露骨な手抜きが《《観測された》》場合には、てこ入れを行うからそのつもりでな」


 その後も話が進み――。

 俺達は毎日、十六時から二時間ほど続く職練の時間において、この貧民エリア経済活性化計画に取り組むこととなった。


 肝心の目的だが、貧民と平民の融合を図りたいとのこと。

 そのために貧民達の財布の紐を緩ませ、エリアの外に出て消費してもらう必要があるわけだ。

 あえてそんなことをする真意はパイソニーも知らないらしい。シキ王に聞いてみねえとわからねえか。


 裁量は存分に与えられている。何をするかは自由で、定例報告も不要だ。まあ観測するとか言ってたしな。

 どうしても聞きたいことがある場合は、晩休憩中に教室に来るという。


 そういうわけで余計な仕事が増えることになった俺達だった。


「――晩休憩にすまなかったな。学友との交流も大事だ。【ゲート】」


 アンタ、ゲート使えるんだな……。

 俺もマジで欲しくなってきた。ブーガは脆弱の原因だとか言ってたが、瞬間移動ってどう見ても便利だし、男児のロマンでもあるしなぁ。

 そもそも俺、魔法一つさえろくに覚えられないけど。


 パイソニーを飲み込んだ門が消えた後、入れ替わるように入ってきたのは――鳥人の女の子。


「とつげきぃ!」


 とか言いながら、タックルとともに豊かな双球を押しつけてくる。

 レベル10に配慮されているのがわかる。幼い《《なり》》に反して、たぶん強いぞこれ。

 で、ヤンデさんはというと、その様子を止めることもなく、無表情で観察していた。「ふうん?」怖えよ。俺は何も反応してねえぞ。


「ちょっとミーシィ! 御前だって言ってるでしょ!」


 ばたばたと入ってきたのは、特別枠《ジュエル》の雰囲気を隠しきれない金髪縦ロールの女――ハナ・シャーロット。

 アルフレッドで双頭を成す大貴族なんだってな。胸の膨らみは平凡で、胸フェチの俺としては目に優しい。


「ヤンデ様。大変失礼致しました」


 そんな大物の娘がぺこぺこと頭を下げている。


「かしこまらなくてもいいわ」

「そうだよー。同級生なんだからさ。ねー」


 俺の背中に乗っかる格好で馴れ馴れしくほざく鳥人、ミーシィ。

 エグい感触を押しつけられていて、バグってなければまあ俺の俺が反応してただろうなとは思う。先端の微かなアクセントがまたエロいんですわ。


「ミーシィと言ったかしら。人の婚約者で弄ぶのはやめなさい」


 スパァンッ、とクラッカーもびっくりの破裂音が響く。ミーシィの額を魔法で叩いたようだが、本人はけろっとしていて、


「本人公認だよ?」

「……は?」

「だよね、きんにくん?」

「誰が筋肉だ」


 そういやコイツ、俺の筋肉を妙に褒めてたよな。


「バサバサしようねーって約束したもん」

「じ、ジーサ……?」


 バサバサとは鳥人の用語で性交を意味する。ヤンデが眉をぴくぴくさせている横で、ハナはおろおろしていたりミーシィを表情で叱ったりと器用な慌てっぷりを発揮していた。


「してねえよ。気のせいだろ」

「あー、その話はよく覚えてるぜ」


 ハナの背後から声がした。

 ツンツン頭の男である。ハナの護衛だったか。かろうじて見えたが、シュバッと高速移動でやって来たようだ。

 わずかな風圧さえも起こさない技量も含めて、相当強いのは間違いない。たぶんスキャーノ以上。


「ミーシィがずいぶんとべた褒めしてたからなー。こりゃ搾り取られるに違いねえわと思ったのをよく覚えてるぜ」


 ツンツン頭はポケットに両手を突っ込んだまま、そんな追加燃料を投下してきやがった。

 鳥人ってそんなに激しいのか。正直興味あるな……などと妄想している場合ではなくて。


「し、絞り取られてもらう、の?」

「ヤンデ。落ち着け」

「私は? やっぱり胸の大きなアホ女が好きなの?」


 乏しい胸部を押さえるヤンデさん。マジでどうしたんだよ。性交ごときで狼狽えるような女じゃないだろ。

 こういう時に理屈を出しても意味はないので、俺は黙ろうとしたのだが、「答えなさい!」風魔法で俺の口をこじあけ、舌を引っ張ってくるヤンデさんマジ怖い。


「胸の大きさだけじゃねえだろ」

「え? じゃあシャーロッちんくらいのが好きなの?」


 まだ俺の背中に乗ってる鳥女が、かぎ爪でハナを指す。

 ハナはばっと胸を抱いて、「困りますわね」真顔で軽蔑の視線を寄越してくる。あれだけあたふたしてたのに適応早えな。


 それを見てヤンデも落ち着いたのか、


「……ジーサ。今夜はおしおきよ」


 ツンツン頭が「うへぇ」とドン引きするほど底冷えする声だった。

 だのに、心の底で性的に楽しみにしている俺がいて、ああ俺は男なんだなあと呑気に再認識した。現実逃避ともいう。

第195話 ジーサの受難2

「――たしかに、ほとんど出入りが無いわね」


 俺とヤンデは王都北西部、貧民エリアを上空から見下ろしていた。


 これほど貧富の差が激しい光景もそうはあるまい。

 北東は前世でもありそうなしっかりした町並みだし、南に至っては魔法の多用が見てわかるほど豪華かつ堅牢で、前世の建造技術でも再現できないんじゃねってレベル。

 一方、貧民エリアは、戦国モノのフィクションに出てくるような質素な風景で、たぶん台風一つで全部消し飛ぶ。


「そうだな。面白いバランスをしている」


 貧富を分かつのは財力ではなくステータス、もっと言うとレベルだ。

 一般人《レベル1》である限り、身体もたかが知れているし、魔法も使えない。冒険者《レベル2以上》の世界は、同じ人間であっても別次元だ。

 そんな冒険者達は、たいていのことは自分でやった方がはるかに速い。あえて一般人を利用する理由がないのだ。


 無論、いつの時代も弱者をけなし、いたぶる者は存在するが、騎兵隊がそんな横暴を許さない。

 第一、アルフレッドの価値観により既に下位階級はゴミ扱いだし、冒険者にはダンジョンにモンスターにと刺激的な対象が腐るほどある。


 そういうわけで、貧民は絶滅しているわけでもなければ、虐げられているわけでもない――

 意外とよく出来ているんだよなぁ、としみじみ思う。


「私を働かせておいて、呑気なものね。落としてもいいかしら」

「やめてくれ」


 ちなみに俺はヤンデにぶら下げてもらっている。

 風魔法で運べばいいのに、あえて自分の手で運ぼうとはコイツも腑抜けたものだ。


(人のこと言えないか)


 頭上から声がかかるとどうにも落ち着かないが、直接触れられて悪くないと思う俺がいる。もちろん、素直に認めるのは癪なので見なかったことにするが。


「で、どうするのよ?」


 ヤンデの言う通り、貧民達は西部の貧しいエリアから外に出る様子がない。

 逆に、平民や貴族も貧民エリアに足を運ぶことはなくて、目に入るのは騎兵隊と思しき素早い点ばかりだ。


「どうするも何も、まずは貧民と打ち解ける他はないだろ」

「打ち解けてどうするのよ? めぼしい女でも探すのかしら?」

「なんでだよ。行動を変えてもらうためには、どうすれば変わるのかを知る必要があるわけだが、俺達は何も知らない。実際に聞いたり過ごしたりしてみて現状を知っていくしかないだろ」

「言い方もやり方も回りくどいわね。従わせればいいでしょ」

「良くねえよ」

「どうしてよ。全員が相手でも秒で片付くわよ?」


 そうじゃなくて、と言いたいところだが、レベル社会だからこそ命令脳に染まっているのかもしれない。


「行動するのは貧民なんだから、貧民の都合を考慮しなきゃいけねえんだよ。貧民の、貧民による、貧民のためのやり方を用意するのが俺達の仕事だ」

「……よくわからないわね」


 リンカーンの名言をもじってみたのだが、まだピンと来ないか……。

 こりゃ意思疎通には相当苦労するかもしれんなぁ。ヤンデさん、こんなに物分かり悪かったっけ。


(ルナやユズの時はそうでもなかったような……。つか、アイツら、今頃何してるだろうな)


 スキャーノや|一部の先生方《アウラとラウル》もそうだが、演説の時から今まで一切姿を見ていない。

 何かが水面下で動いてそうな気がする。


「いい時間ね」


 ヤンデは理解を諦めたようで、そう口にする。

 俺も学園の敷地を見てみると、30.17.56――あと四分もしないうちに今日が終わるな。


 降下し始める中、俺はふと疑問に思って、口に出してみた。


「なあヤンデ。一般人はなぜレベルを上げない?」

「死にたくないからでしょ」

「レベルを上げない方が危なくないか?」

「ジーサにはわからないでしょうね。レベル上げに挑んだ人のうち、三人に二人は死ぬのよ」


 たしかに無敵の俺にはわからないし、ヤンデも俺が耐久性をウリにしたタイプであることはとうに勘付いてる。

 この言い方だと、俺の耐久性はレベル1時点で存在していたもの――つまりレアなスキルだと見ているっぽい。残念ながら違うけどな。


 もちろんバグなどという事情を話すつもりはない。

 俺はブーガに対しても話さなかった。こんなメタな話、そもそも通じもしないだろうしな。これだけは墓場まで持っていくつもりだ。


 と、考え事に耽っても怪しまれるので、俺も口は止めない。


「|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》は?」

「そんなの成功するわけないじゃない」


 ルナさんはミノタウロス相手に見事成功させたが、そうか、これも結局俺が無敵だからこそできたことだ。


「とすると、貧民にレベルを上げてもらうのは厳しいか」


 ヤンデに無知を怪しまれるのもアレなので表には出さないが、脱・一般人するのがそんなにリスキーだったとはな。いい勉強になった。


 フリーフォール顔負けのグラビティで降下した俺達は、間もなく学園敷地内に着地。

 闘者《バトラー》志望で模擬戦中の生徒達にちらちら見られながら校舎に入る。


(当たり前だが目立つな)


 本来は外に出るのはおろか、無闇な飛行さえ禁じられているのだから、特別待遇も良いところだ。

 ヤンデは全く気にした素振りがなく、「今夜は何を食べようかしら」などと言っている。


 五重の廊下を抜けると、いつもの透明なFクラス校舎が見えてきて。


 違うと言えば、教室に先客がいたことか。


「ルナとスキャーノがいるわね」

「打ち解けてるみたいだな」


 ルナはハナと淑やかに談話しており、スキャーノはツンツン頭から暑苦しそうな会話を吹っかけられているようだ。

 ミライア先生もいて、ぽつんと読書に耽っている。


 ……このまま回れ右したいところだが、帰る前に教室で先生から点呼を取られるのがルールだ。


 教室に入ると、「お疲れ様でした」ミライアはすぐに腰を上げ、会釈とともに出て行く。

 俺も便乗して出ようとしたのだが、全身が石化のようにロックされた。この『擬人化した空気』に拘束されているかのような感覚はよく覚えてる。


「おい、スキャーノ」

「ジーサ君。付き合いも大事だと思うよ」


 何を考えているのかは知らないが、相変わらず鬱陶しい奴だ。

 もう加減する気も起きない。俺はヤンデの力も借りて強引に拒絶しようとして、


「皆様をパーティーにお誘いしたく存じます」


 |金髪縦ロール《ハナ》がそんなことを言い出す。


「このメンバーだけよね? いいんじゃない?」

「おい、ヤンデ」


 何乗り気になってんだよ。


「私はエルフの王女としてここに来ているのよ?」


 知ったことじゃねえよ、と言うわけにもいかず。

 約束は覚えてないのだろうか? 俺と二人で旅しようって言ったじゃねえか。ハナの誘いは何のメリットにもならないし、むしろ正体がバレるリスクが増えてデメリットしかない。


「あなたも私の婚約者なのだから、相応の場数を踏む必要があるわ」

「……お前、サリアさんに影響されすぎじゃね?」

「何とでも言いなさい」


 母親への敵意がまるでなくなっているし、王女の自覚も芽生えてやがる。


「これは惚気られているのでしょうか」

「仕方ねえよ。出来たてはどこもこんなもんだ」


 ルナとツンツン頭もいつの間にか雑談する仲になっているようだが、二人とも目線は俺達を向いたままだ。

 冒険者として一目置いているぞ、注視しているぞという圧を隠しもしない。


 ……嫌な予感しかしないんだが。


 ヤンデと打ち合わせなかった俺のミスだな。

 たぶん今日から一緒に暮らすだろうから、今夜早速話し合わねえと。


「わかったよ。同行させてもらう」


 ごねて俺一人になることも不可能ではなかったが、ヤンデと離れるとかえって危険だろう。

 俺は了承するしかなかった。


「きんにくんも来るの? いいねぃ」


 鳥女がまたもスキンシップしてくる。正面から堂々と胸板に頬ずりしてくる胆力を前に、ヤンデもため息しか出ないようだ。


 早速、一同で教室をあとにする。


「なあ、その呼び方はやめてくれないか。俺にはジーサという名前がある」

「わたし、ミーシィ。よろしくね」

「離れろ」


 歩く俺を阻害しないよう、器用に飛びながら抱きつき続けるミーシィ。レベル10超のパワーなので俺が引き離すのは不自然だ。


「照れてるの?」

「あー、照れてる照れてる。頭がおかしくなりそうだ」


 実力行使すればひいてくれるだろうと思い、隠れ巨乳のルナ以上に大きなミーシィのそれを鷲掴みしてみる。


 うぉ、弾力やべえな……。

 このサイズ――前世で言えばGカップやHカップと呼べるほどのでかさにもなると若くて健康的な女子にありがちな張りは失われていわゆるマシュマロと形容される柔らかさに収束していくはずなんだがグミみたいな弾力をしてやが「ひゃぁ!?」……ひゃあ?


 胸元を見下ろすと、両の羽根で体を抱き、顔を赤くしたミーシィさんが。


「最低ですね」

「最低だね」

「ルナさん? スキャーノさん? 彼は、こういうお人ですの?」


 先行する女性陣からジト目を浴びる俺。

 ルナとスキャーノはさておき、ハナもか。……これは大して効いちゃいねえな。

 女がひく時はもっと露骨に嫌悪か、恐怖か、さもなくば冷淡を示すものだと思うが、コイツらが宿しているのは呆れと疑問だ。


 ちなみに、さっきから無言無表情なヤンデは見なかったことにする。


「騙されちゃいけないよ。ジーサ君は、こういうことをして距離を置きたがるんだ。《《何かやましいこと》》でもあるのかな?」

「ハナさんも気を付けた方が良いと思います」


 含みのある言い方じゃねえかスキャーノ。

 あとルナ、俺はさすがに貴族の令嬢にセクハラするほどバカじゃねえ。


「ジーサさんよ。完全にやらかしたぜ」


 俺達の後方で、頭の後ろで手を組んでるツンツン頭が憐憫の眼差しを向けている。


「レコンチャン、だったか。どういう意味だ?」

「鳥人は惚れやすいんだよ。んで、ミーシィはアンタに惚れてる。惚れてる相手に触ってもらえたんだ。びっくりもするし、嬉しくもなるさ。なっ?」


 目の前のミーシィがこくこくと頷く。

 羽根にかぎ爪というフォルムはまだ慣れないが、それを差し引いてもしおらしくて可愛らしい。……くそ、余計な刺激をもたらしやがって。


「ちょろすぎないか? どうせそうやって色んな男を食ってきたんだろ?」

「ミーシィさん。真に受けちゃダメだよ」


 黙ってろよスキャーノ。とっさに嫌われる作戦が台無しだ。


「ふーん……」


 ルナは何やらわざとらしく納得している。目を合わせると、ぷいと逸らされた。何なん。


(居心地が悪すぎる)


 どいつもこいつも何か考えてるかわからねえし、俺の想定通りに動きやがらねえ。

 人数も多くて情報処理に忙しいっつーか、ああ、だるいなと思ってしまう。


(崇拝状態《ワーシップ》なら楽なんだがな)


 隠密《ステルス》モンスター達が。

 グレーターデータン達が。

 川底のバーモン達が。


 つい最近のことなのに、早くも恋しかった。

第196話 ジーサの受難3

 日も暮れぬうちに俺達はシャーロット家の屋敷にお邪魔することとなった。


 建物は宮殿風で黄色基調だ。黄色はシャーロット家を示す色らしい。サイズは三階建てだが幅が無駄に長く、アーチ窓の数で言えば百を超えている。

 ハナ曰く、自身が所有する別邸の一つでしかないそうで、金持ちはスケールが違うのだと実感する。


 案内された一室は、食堂のようだった。

 存在感を意識させない地味な長テーブルに、庶民では一生買えなそうな椅子がずらりと並んでいる。

 もっともそんなものは誤差でしかなく、俺達は壁に目を奪われた。


「情報紙を内装として使っているのは、はじめて見たようで……」

「見ていて飽きないですね」

「ルナさんは情報紙は読むの?」

「庶民が手を出せるわけじゃないですか。これからスキャーノおぼっちゃまは」

「おぼっちゃまはやめてよ。ルナさんの実力なら普通に稼げるよね」

「ぼくならもっと稼げるよー、とでも言いたいんですか?」

「なんでそうなるの」


 あの二人、ずいぶんと仲良いな。死線を共に過ごしたことで友情でも芽生えたか。

 それはともかく、圧巻な光景だった。


 情報紙――情報屋ガートンが発行する厚紙が天井一面、壁一面にぎっしりと張られているのである。

 以前ヤンデに見せてもらったが、あの厚紙一枚で金貨一枚。俺換算で一万円だ。

 見た感じ、万枚はあるから、少なく見積もっても一億円……といっても、シャーロット家には端金か。


 近づいて眺めてみたが、やはりジャース語で全く読めない。

 獣人領で見た平民向け情報紙は絵がメインだったが、こっちは文字メインなんだよな。図や写真――そういや俺の素顔も撮られたっけか――も無いことは無いが、割合で言えばラノベの挿絵くらいか。


「これ、どうやってひっつけてるんだ?」

「水ですの」


 独り言のつもりだったが、ハナが応えてくれた。

 振り返ると、ハナが壁に向けて手をかざす。情報紙が数枚ほど剥がれ、ふわふわと俺のそばに飛んできた。


「壁と、その裏面に水を付着させるんですわ。配分は少々難しいのですけれど、水には物を拘束する力がありますのよ」


 たしかに水滴がついているな。紙も特殊な素材なのだろう、ふやけたり破れたりする様子は無さそうだ。


「表面張力か」

「ひょうめん……なんですの?」

「それって維持が難しくないか?」

「一日三回、張り替えが必要ですわね」


 異世界人丸出しポカについては半ば諦めた俺だが、ハナは細かいことは気にしない性格っぽいから助かる。


「水魔法の練習としても最適だからな。人員は事欠かねえよ」


 ツンツン頭のレコンチャンが補足を入れてきた。

 優雅な立ち姿で講釈するハナの後ろで、何やら配膳の準備をしている。他の部屋から食器や食材を引き寄せているみたいだ。

 手際がどう見ても素人ではなく、使用人も兼ねているのだろう。丁寧だし、なんか様になってるし、コイツモテそうだな。


「面白いことを考える人もいるんですね」


 ルナがしれっと俺の隣に来ていて、同意を求めてきた。距離感近くないか。「あ、ああ」返しに当惑が乗ってしまった。


「ちなみに、この方式を考案したのはアーサーですの」


 アーサー・フランクリン。

 シャーロット家に負けない大貴族なんだってな。貧民を露骨に見下してたし、軽率に俺を暗殺しようとしてたみたいだから典型的な無能だと思ってたんだが、そうでもないのな。

 そういやミライア先生も将来有望とか言ってたっけ。


「……」


 ルナがなぜか俺を見上げてくるので、気付かないふりをして逃げようとしたら、


「ひょうめんちょうりょく? ってなんですか?」


 せっかくスルーしたのに、わざわざ皆にも聞こえる声で聞いてきやがった。

 何を考えているのかは知らないが、近衛がついててシニ・タイヨウも知ってるお前とは一番絡みたくない。


「馴れ馴れしいな。俺、アンタのことは苦手なんだが」

「私はそうでもないですよ。昨日も助けていただきましたし」


 しれっと探りを入れてきやがるし。


「何の話をしている? 俺はずっと隠れてただけだが」


 アナスタシアとしてスキャーノと戦闘したこと、シニ・タイヨウとして川の中でグレンを撃破したことはバラしちゃいけない。


「シッコクはジーサさんのことを買っていたそうですね」

「気に入られてただけだよ。女の好みが合ってた」


 ルナの胸元を、見ているとわかる程度にこっそり見ながら俺は淡々と言った。

 これで変態の雑魚枠だというくくりで解釈してもらえて会話終了だと思ったが、「ジーサさんはご存知ですか?」まだ終わってくれない。


「男性の誰もが胸を好んでいるわけじゃないんです」

「そうだろうな。俺とシッコクは胸が好きだが、グレンは起伏の乏しい幼い身体が好きだったぞ」

「たとえばユズみたいな?」

「……ゆず? そんなエルフいたか?」


 危なかった。

 バグってなければ、俺は少なからず動揺していただろう。


 ルナは第一王女であることを隠していて、今はただの平民である。

 王族専用護衛《ガーディアン》『近衛』など存在も知らないはずだし、まして一号《ユズ》という名前が出てくるはずなどない。


 まさか自分の口から出してくるとはなぁ……。


「ジーサ? あなたはさっきから私に当てつけているのかしら?」


 思わぬ助け船が来た。


「被害妄想だな。俺はただ自分の性癖を話しているだけだが?」

「先週は大罪人二人と好き放題変態ぶりを発揮していたようだけれど、あなたはもうエルドラ家の婿よ。弁えなさい」

「へいへい」


 ヤンデの絡みに乗じて、俺はルナの元を離れた。

第197話 ジーサの受難4

 準備が整ったところで食事が始まる。

 席次は俺とヤンデが並んで誕生日席で、向かって右側にハナとミーシィ、左側にスキャーノとルナだ。レコンチャンはハナの後ろで控えている。


 食卓は晩餐と呼べるほど豪勢で、バイキングで見るような大皿にはカラフルなサラダや前世の生物では形容できない肉が載っている。

 ボウルのような容器も三つほどあり、それぞれ異なる液体が入っている。うち一つは牛乳にしか見えない白さと濃さで、ルナの食いつきから見てもミルクリの汁だと思われる。


 ちなみに小皿や食器は一切なくて、


「どうやって食うんだ? 届かねえだろこれ」


 俺としてはそう主張する他は無かったのだが、予想通り魔法で食べる作法らしく、恥を晒す形となった。

 無論、テーブルに身を乗り出して掴みに行くわけにもいかず、ヤンデにあーんしてもらうことに。恥の上塗りとはこの事で、ヤンデも苦笑を漏らしていた。

 コイツの苦笑いはレアいのでついガン見してしたら、後頭部を殴られた。ミーシィだけは爆笑していた。


 アルフレッド上流階級のテーブルマナーは複数存在する。

 これはそのうちの一つだという。言わば、魔法の所作を重視している。

 魔法による綺麗で繊細な制御は、貴族としての品格と同時に実力も示せるというわけだ。


 堅苦しそうなイメージを持っていたが、意外とそうでもない。ハナでさえも普通に咀嚼しながら喋っていた。

 それでも一切こぼしていないし、上品に見えるのだから大したものだ。

 執事のように背後で黙って突っ立ってるレコンチャンも、その雰囲気に一役買っているんだろうな。


 話題は至って真面目なもので、学園生活と世間について、直近の状況と予定をざっくばらんに話すというものだった。


 ハナはともかく、ミーシィも博識なのが意外だった。

 知識量で言えばハナとスキャーノが同等で、その下でルナとミーシィが同じくらい。ヤンデは偏りは大きいがハナの側に近い。

 俺はド底辺だし、シニ・タイヨウやグレーターデーモンの話題も出たりしたので、おとなしく黙ることにした。


 一時間ほどだろうか。

 濃厚な会話が続き、食事も一通り平らげられたところで、


「――皆様は大望をお持ちで? ヤンデ様はいかがですか?」


 魔法で口元を拭うハナがヤンデに吹っかける。

 どちらかというとヤンデは聞き役に徹していて、場もそういう雰囲気だったが、既にがらりと変わっている。

 レコンチャンもミーシィの隣に腰を下ろし、場の全員が王女に注目する。


「まだ持ち合わせてはいないわ」

「まあ。王女ですのに?」

「私は長らく貧民として暮らしていたのよ。それがある日突然、エルフにさらわれて、王女でしたと言われたわけ」

「……お気の毒ですわね」


 エルフの王女を探らんとするハナの目論みは潰えたようで、貴族としての圧が露骨に薄れたのがわかった。

 そうでなくとも、レコンチャンが肘をついている。


「もう克服はされたので?」

「そこの変態のおかげでね」

「変態言うな」

「……」


 ハナの視線が俺に移る。

 もうちょっと頑張ってくれよ新米王女さん。つーかハナと喋るのが面倒だからって俺に投げたよな、これ。


「あの、無言で見つめないでもらえます?」


 ほら、大貴族の娘が興味津々じゃねえか。

 好奇心も旺盛なのだろう。上品だが、らんらんとした眼の輝きがゼロではない。


「ジーサさん、いくらアンタでもハナに手え出したら殴るぞ」

「出さねえよ」

「ジーサちん、わたしには出していいからね」

「出さねえって。つかお前、照れてたじゃねえか」

「今度はだいじょうぶ!」


 ミーシィが「むむん」と謎の擬態語とともに胸を張る。

 ルナが「大きいですね……」などと感心する一方、ハナは俺から目を逸らさない。


「ジーサ様。混合区域《ミクション》はご存知で?」


 ああ、知ってるぞ。名前はともかく、発案は俺だからな。

 などと言えるはずもないので、


「ハクション? 大魔王か何かか?」


 などとボケけてみると、「は?」ハナが地声で素の反応を寄越してきた。一応、魔王なる存在について何か得られるかなという期待もあったが、無さそうだ。


「では実験村《テスティング・ビレッジ》は?」


 実験村という漢字が頭に流れ込んできた。たぶん、俺が国政顧問として提案した件の村づくりを指しているのだろう。


「聞いたことないな」

「無学ですわね」

「その割には字を考案してたけどな」


 レコンチャンの呟きに「ですわね」ハナも同調する。

 そういや俺がデバッグモード仮説を考察してたときに見られたんだっけか。「文字を?」ミーシィと水魔法、つか水鉄砲でじゃれてるルナがわざわざ怪しんでるからやめてほしいんだが。つか何してんだお前ら。子供か。


「それで、その混合区域や実験村が何だって?」

「私はこの国をもっと良くしたいと考えています」


 いきなり壮大な話が出てきたが、不思議と茶々を入れる気は起きなかった。

 富貴な淑女が泰然としているからか。それとも微妙に真面目な声音に変えてきた演出がそうさせるのか。


 サリアほどではないが、身分高い人ってこう雰囲気つくるのが上手いよなぁ。


「国王様の右腕となるべく日々励んでいるのですが、ある日、実験村なる取り組みを教えてもらったのです。頭を殴られたかのような衝撃を受けましたわ」


 どうやら俺を探る意図はないらしく、単にメインの王女様が新米すぎて話にならなかったから、その婚約者に話を振ってみただけっぽい。


 ハナはそれはもう熱心に語ってくれた。


 民の声に耳を傾け、また当事者意識を持たせて自律的に動いてもらうこと。

 秩序維持を務める機関については、罰則を厳密かつ厳重にし、監視も不規則にすることで終わりのない緊張と責任感を持たせて腐敗を防ぐこと。

 村の運営や政治に関する策については、机上でこねるよりも現地での検証を繰り返すこと――


 小難しく聞こえるが、前世ではどれも当たり前に行われているものだ。


「そしてつい昨日のことですっ! これも国王さまから教えていただいたのですが、ダグリン共和国でも同様の取り組みがなされて、なんと森人族《エルフ》と獣人族の領土問題を和解に導いたのです!」


 すっかりテンションが高くなってるハナさんだった。

 国王を慕っているのも丸わかりだ。シキ王のことだから、まず相手にしないだろう。毎回頭を抱えながら交わしているのだと思うと、胸がすっとするな。


「世の中には凄い人がいるものね」

「ヤンデ様。その件について何か聞いていませんか? 国王様も教えてくれないのです。思想から見て、同一人物ではないかと私は睨んでおりますの」

「何も聞いてないわね」


 俺がブーガを携えてプレゼンしてたのをその場で聞いてたくせにな。コイツも中々に役者だ。助かる。


「ぼくは会社だと思うよ。アルフレッドとダグリン――両国と公平に接しているように聞こえるから、たぶん依頼を受けて提案したとかじゃないかな」

「ギルドは?」


 スキャーノの見解にルナがギルド説を差し込む。


「ギルドは国の運営には興味ありませんわ。それに今は国に成り下がってて、三国を牛耳る権限はもはやありません」

「だから国政提案という形で他国を取り入っているのではないですか? ハナさんの話は、従来の三国の発想ではないように思います」


 コイツら、さっきから喋り続けてるのによくもまあ疲れないものだな。

 前世のバカ真面目な同僚やマネージャーを思い出す。一、二時間くらい平気で会議しやがるからなぁ。俺は偏屈なキャラを演じて、そもそも会議に呼ばれないように振る舞わねばならなかった。


 こっちでもそんな小細工をしなきゃならなくなるんだろうか。


「冒険者風情にそういう発想はできねえと思うぜ、オレは」

「ではレコンチャンさんはどのような人や組織によるものとお考えで?」

「さあな。オレも冒険者だからわかんね」


 何にせよ、答えを知っている俺は高みの見物状態だったが、ふと。


「――ボングレー」


 呟いたのはスキャーノだった。


「ボングレーはどうかな。アイテムの開発で知られる民族で、王国が自治権を認めるほどの村落だったんだけど」

「あー、第二王女様に滅ぼされたんだよな? 生き残りがいるってことか?」


 意外と博識なツンツン頭である。ボングレーの壊滅って割と機密事項モノだった気がするけども。「なんか美味しそうだね」ミーシィは的外れなことを言っていた。会話に加わる気もないようで、さっきから爪を研いでいる。


「わからないけど、風変わりと聞いて思い浮かんだから……」

「ジーサさんはどう思います?」


 ルナがいきなり話を振ってきやがった。

 この男が何を知っているのかとハナは目で疑問を訴えているが、「ジーサさんはボングレーの出身です」ルナがさらりと補足を加えてきやがる。

 軽率な設定だったから、できれば隠したかったんだがな。


 間が空くと怪しいので、さっさと口を開くしかない。


「わからん、ってのが正直なところだ。俺は引きこもりだったんでね、正直誰が何してたかなんて覚えてない」

「落ちこぼれ、とも言ってたね」


 スキャーノも細かいことをよく覚えてやがる。

 むしろ俺自身がそんなこと喋ったのか怪しいくらいだ。


 なんというか、ここに来て詰めの甘さがじわじわにじり寄ってきてるなぁ……。


「落ちこぼれなのに引きこもりとは、良いご身分ですこと」


 ジャースでは引きこもりと言えばガチ勢の学者か箱入りのお嬢様だと決まっている。相応の価値があるということだ。

 落ちこぼれに許される境遇ではない、とハナは皮肉っているのだろう。


「貴族に言われたくはねえな」

「ジーサ様。自分を卑下するのはおやめになった方がよろしくてよ。貴方は今や私以上のご身分なのです」

「よく言ってくれたわハナ。この男は、決して悪くはないのに必要以上に自分を小さく見せようとするのよ。侮辱にも程があるわよね」

「あー、それ、よくわかる」

「私も思い当たりありますねー」

「へぇ。意外とたらしなんだな、ジーサって」


 なぜか俺が責められる流れになってるんだが。


「なぜそうなる。ヤンデはともかく、コイツらは関係ねえだろ」


 ルナはたぶん|本当の俺《タイヨウ》のことを言ってるんだろうし、スキャーノは誰のことだかさっぱりだ。


「ヤンデ。侮辱ってどういう意味だ。俺は俺を貶《けな》しているだけだが?」

「正直あなたがどうなろうとどうでもいいのだけれど、私はこれでもジーサという男を見込んでいるのよ。惚れてもいるわね」

「そりゃどうも」

「そんな男を貶すのは、たとえ本人であっても許さないわ」


 どっかの物書きみたいなこと言いやがる。作者の分際で作品にけちつけるな、だっけか。


「良い女じゃねえか」


 レコンチャンがへらへら笑う。王女を女呼ばわりしたからだろう、「レコンチャン!」ハナが叫ぶ。


「カリカリすんなって。オレ達はもう友人だよな? 公の場でもなけりゃ、これくらい緩くてもいいだろ」


 さらに怒ろうとするハナだったが、ヤンデが片手を挙げたことで取り下げる。


「ええ、構わないわ。だからハナも、そこまでかしこまらなくてもいいのよ」

「それは、そうですけれど……」


 しばし俯いていたハナだったが、「それでも」上げられた顔は、外面をまとったものだった。


「シャーロット家として、アルフレッドの貴族として。一線は引かせていただきますわ、ヤンデ様」

「……そう」


 表情の乏しい奴だが、ちょっと悲しんでるのがわかる。

 いや、他のエルフよりはだいぶわかりやすいか。


「ジーサ。お口直しに、何か話題を提供しなさい」


 無茶ぶりはやめろ。

 と言いたいところだが、俺はとうに恥を晒しまくってるわけで。いいだろ、開き直ってやる。


 しかし、聞きたいことを準備してたわけじゃないので有益な質問が出てこず、


「そうだな。じゃあ、今さらかもしれないが、お前らって何歳だ?」


 とっさに年齢について口にしてみた。


 瞬間、しんと静まり返る空間。

 ミーシィまでもが言葉を発さず俺を見ている、つかひいているほどだった。俺、何かしたか?


「……それは年齢を聞いてますか?」


 ルナから軽蔑の視線が刺さる。

 中身はともかく、見た目清楚な美人の嫌悪ってそそるよなぁ。普段絶対しないだろうなという期待を良い意味で裏切ってくれる。


 シニ・タイヨウだった時はこれも含めて独占していたんだよな……と、油断すると粘りそうになるので、さっさと逸らす。


「ああ。年齢以外に何がある?」


 あえて全員に問いかけるように疑問のジェスチャーつきで返してみる。

 すぐ複数人が何か言おうとしが、ヤンデが手を挙げることで鎮めた。


「無知で不細工で不器用なジーサのために説明しておくと、人に年齢を聞くのは禁忌《タブー》よ。ジャースは実力社会だけれど、いいえ、実力社会だからこそ、年齢という情報は偏見の温床になる」

「よくわからんが、歳食ってる割にレベルが低いとか、若い割にレベルが高いとか、そういうのか?」

「わかってるじゃないの」

「普通じゃね? 人の有り様は様々なんだから、歳と実力にばらつきがあるのは当然だ」

「そんなことはわかってるわよ。それを隠すのが礼儀だって言ってるでしょ」


 いまいち腹落ちしないのは、俺が前世の日本人だからだろうか。


 ここは年齢関係なく実力が物を言う世界なんだから、年齢情報に意味なんてない。偏見として使う価値すらないだろ、などと思いつつも。

 これ以上ツッコんで異世界人っぽさを出すのもまずいだろうから、ここらで終わっておくか。


「礼儀とは言ってねえだろ。タブーとは言ったが」

「ああ言えばこう言う!」


 お前は俺のお母さんか。

 ああ言えばこう言う、他所は他所うちはうち、いいから言うこと聞きなさい。

 この三大理不尽は割とどの家庭でも共通してると思うんだが、どうだろうか。


 ……お母さん、か。


 顔と体型は覚えているが、声は朧気《おぼろげ》だ。

 電話越しや近所付き合い時など外面の時だけ妙に高くなるのは妙に覚えているんだけどな。


 元気でやっているだろうか。

 バグってない今なら、いくらでも耽ることができる。別段、面白くもないのに、延々とあれこれ思い出してしまいそうで、何とも言えない気持ちになるな。


 俺は元気でやってるぞ。

 今度こそ本当に死ぬために、真剣に生きてるんだ。


「仲いいね」

「本当にね。羨ましいです」


 さっきからルナがタイヨウ時代と想起させる発言をしているのが気になるが、無論バレるわけにはいかないのでスルーを決め込む。


「スキャーノさんやルナさんは、良いお相手はいらっしゃらないんですの?」

「私は心に決めた人がいます」

「ぼくはノーコメントで。そういうハナさんはどうなんですか? 国王様……ううん、レコンチャンさんでしょ?」

「ば、バッ!? そんなわけないでしょ! これはあくまでも護衛で、幼なじみで、それだけというか……」

「わかりやすい主なんだよ」


 なははと笑う当のツンツン頭は、直後「このバカっ!」主《ハナ》の割と容赦無い蹴りで吹っ飛んでいた。

 日常茶飯事らしくて、間に座ってたミーシィは息するように回避しつつもゲラゲラしている。


 ルナとスキャーノはというと、


「え、ちょっと強すぎじゃないですか……」

「ガーナさんなら即死してるね」

「風魔法で衝撃波も押さえてましたよね」

「手慣れてるよね。愛を感じるようで」


 たぶん今日一番のマジひきをしていて、それを見たハナはばつが悪そうに空咳、そしてさらにそんなハナを見たミーシィがプギャー顔負けの指し方でげらげらと笑い始めて、同様に吹き飛ばされていた。


「賑やかでいいわね」

「……そうだな」


 何のんびり浸ってんだよ。

 俺はこのひとときで、もはやなりふり構ってられないことを再認識した。この後、すぐにでもコイツと打ち合わせねばならない。

第198話 ジーサの受難5

 午後八時前に解散した俺達は、夫婦水入らずというわけで簡単に二人になれた。

 人気《ひとけ》が少なく警備の気配と絢爛《けんらん》の主張が強い貴族エリアを出て、まだまだ冒険者で賑わう大通りや商店街も素通り――ひたすら北進していくと、ようやく貧民エリアである。


「ひとっ飛びできたら便利なのにな。免除してもらえないのか?」

「無理でしょうね。アルフレッドは意外とケチよ」


 王都民は無闇な滞空を禁じられており、いちいち許可を得る必要がある。

 緊急時はその限りではないが、目を光らせている騎兵隊がすぐに駆けつけてくるため弁明は必須だ。無論、前世のお巡りさんのように甘くもなく、処罰も当然のようにあるらしい。


「ゲートは?」

「そうしたいところだけど、|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》は大事だと教わったばかりなのよね」

「デフォルト・パフォーマンス?」


 足元すらおぼつかない夜道を、俺達はひそひそしながら歩く。

 ヤンデは聖魔法も出してないのに見えているらしく、動きに淀みがない。俺はというと、空気の流れと感触、あとはヤンデのシルエットの動き方を観察して空間情報を認識しつつ、反射神経でゴリ押ししている。


「いくらレベルが上がっても、身体の下地は一般人《レベル1》と大差ないのよ。ずっと動き続けることはできないし、そもそも睡眠は必要よね?」

「節約ってことか。さっきアイツらも歩いて移動してたが、そういうものか」


 俺はバグってて体力無限だから要らないんだけどな。


「不便よね。私達を創造した何かは、何を考えているのかしら。際限なんてなくせばいいのよ」


 その際限のない人間がここにいますよ、と言うわけにもいかず。

 その何かがクソ天使であり、俺はそいつの尻ぬぐい――滅亡バグの解消に向けて動いているのだとも言えず。


 秘密を隠す関係は未来永劫続くのだろうな、と適当なことを考えながらも、どんどん奥へと進んでいく。


「……あえてツッコまないでいたんだが、お前、どこで寝る気だ?」

「決まってるじゃない。ジーサの家よ」


 ですよねー……。

 俺としてはブーガの件を調べ始めたいし、レベルアップから身体の使い方の練習まで色々やりたいことがある。

 ヤンデとは二次会のノリであれこれ打ち合わせた後に解散ってのがベストだったんだが、


「あの川底よね?」

「……ああ」


 この嬉しさの滲《にじ》み出たシルエットを前にすると、どうにも気が引ける。

 おかしいよな。感情は死んでいるはずなのに。

 俺の理性が、知識が。あるいは前世で積んできた人間としての常識が、そうさせるのだろうか。


 程なくして、俺が私物化している河原に着いた。

 いつものように服――ボロい作業着ではなくハナに恵んでもらった革のジャケットとズボン――を折り畳み、岩陰に隠れるように置こうとして、


「【ゲート・イン】」


 ヤンデの出した時空の狭間に吸い込まれていった。

 ゲートから発現したスキルなのだろう。多彩な奴だ。


「ドレスアップ――ネイクド」


 魔法で一気に裸になったヤンデが、ちゃぽんと上品な仕草で入っていく。

 俺は見惚れそうになるのを誤魔化すのも兼ねて、「らしくねえな」などと呟いてみる。秒で水中に引きずり込まれた。


 抱き枕を抱くように抱きついてきたヤンデとともに、川底にまで沈んでいく。


「やっと二人きりになれた」


 |淡い光球《ライトボール》が俺達の顔を、二人の世界だけを照らしている。


「【シークレット・ルーム】」


 周囲全方位に固そうな氷が張られる。六畳一間のリビングくらいか。

 中の水がほぼ一瞬で消えると同時に、板張りの地面が出現――俺は背中からどすんと落ちる。


「前にもこんなことがあったでしょう?」


 ああ、エルフ領に連れ去られる前の話だよな。川ごと凍らされて包囲されたのを、コイツと一緒にやり過ごした。

 あの時に見たヤンデの美しい恥部は、今でも鮮明に思い出せる。


「また使う機会もあるかと思って、練習していたのよ」

「スキルとして発現したってことか。かんたんにやってのけるのな」

「|スキルの発現《エウレカ》はそんなに難しいことじゃないわ。能なしのジーサは知らないでしょうけど」

「デフォルト・パフォーマンスはどうした? 節約しろよ」


 板張りの上で寝そべっていると、どんとヤンデが落っこちてきた。そのまま馬乗りになって、


「ジーサの顔を解きなさい。あなたの素顔を見せて」

「嫌だと言ったら?」

「その顔を形作っている同居人が死ぬわ」


(だってよダンゴ。おっかねえよな)


 ダンゴに解除をお願いして、俺はシニ・タイヨウ――つまりは前世の俺と同じ容姿を晒す。


「ジーサの顔はずいぶんと不細工につくったのね」

「人を避けるためにな」


 ヤンデがぺたぺたと触ってくる。


 子供のように乱雑に。

 芸術家のように繊細に。

 好意と好奇の錯綜が、俺に絡みついてくる。


 ふと、綺麗な手が止まった。

 見慣れそうで見慣れない、エルフの顔が微笑むと――ゆっくりと近づいてきた。


 愛があれば、こういう行為には自然と至るものなのだろうか。

 俺は風俗の常連だったが、プロの演技はともかく、素人からこうして本心で歩み寄られたことはない。


 バグってるのを抜きにしても、もうちょっと困惑なり意固地なり出てくるかと思ったが……ごく自然に受け入れることができていた。


 この日、俺はエルフの王女と繋がった。






「いいかげん、機嫌直せよ」


 俺は童貞を卒業したと言えるのだろうか。

 ナツナにしごかれた時からもわかるように、無敵バグに死角はない。俺は興奮することもできず、俺の俺を元気にさせることも叶わなくて。


 要するに、元気な俺でお邪魔するという、本来の意味での行為ができなかったのだ。


「どうせジーサは胸が大きくないと興奮しないのよね?」

「否定はしないが、ヤンデは例外だぞ」


 厳密に言えば、ヤンデに限らずエルフ全般が俺の中で人間の上位に位置しているわけだが、まあ黙っておこう。


「何? 私が大きくなればいいの? それとも魔法で大きくすればいいの? 何なら私より大きい女を滅ぼして相対的に私を大きくすればいいのかしら?」


 垂れた頭を抱え、目を見開いたままぶつぶつとつぶやくヤンデさんが怖すぎる件。

 川底を凍らせたり、逆に千度以上に上げたりと落ち着かない様子なので、放置することに。


 数分くらいかかるかと思ったが、三十秒とかからなかった。


「――そういうこと」


 振り向いてきたヤンデに、もう色ボケの熱は無い。


「あなたは硬いのではなく、《《変わらない》》のね」

「ちょっと違う。変わらないんじゃなくて、変われないんだ。前も言ったろ、呪いみたいなものだって」


 表情は冒険者だが、身体にはまだ艶が残っている。俺がコイツの全身を貪ったときの余韻だ。


「とりあえず拭こうぜ」


 お互いに貪り合った、さっきの光景を思い出したのだろう。ヤンデは一瞬だけ目に見えるほど赤面したが、魔法で対処したっぽい。ずるいなそれ。

 まあ一番ずるいのは、無敵バグを持ってて一切変わらない俺だろうが。


「今後も隠し続ける気?」

「無論だ」

「いつまでもは保《も》たないわよ」

「わかってる」


 実力の根幹を追及しないのは冒険者のマナーだが、俺は実績で言えば第一級クラスをも退けている。

 シキも、サリアも、ブーガも、内心では何を考えていることやら。いや、ブーガはエグい本心を教えてくれたけど……。


「安心なさい。私がついてるわ」


 ヤンデが薄い胸をとんと叩く。


「頼もしいな」


 下心もあるのだろうが、彼女が常に俺と一緒に過ごそうと立ち回っているのは、俺を守るためだ。


 シニ・タイヨウを知り、寄生スライムも知る唯一の強者。

 これほど頼もしい味方は、ジャース全土を探してもそうはいまい。そういう意味で、俺は恵まれているのだろう。


「そういうわけで、あなたもさっさもAクラスを目指しなさい」

「どういうわけだよ。字すら読めねえんだぞ俺は」

「勉強すればいいじゃない。時間はたっぷりあるわ」


 それがないんだよなぁ、とは言えず。


 いくら婚約者であっても、ブーガに背負わされた荷を担がせるわけにはいかない。


 これは俺とブーガの約束であり、契約だ。

 破ればブーガが敵になる。

 俺は封印され、ヤンデは殺されるだろう。


「ヤンデ。俺達の当面の目標、忘れてないよな?」



 ――ヤンデを王女から解放して、俺と二人で旅できるようにする。



「もちろんよ。色んな場所を回ってみたいわね」

「王女にそんな時間はねえよな」

「なければつくればいいのよ。それにお母様も言っていたけれど、今後は他種族や他国、会社との交流も深めていくつもりよ。変わりゆく時代に、乗り遅れないために」


 そうじゃない。そうじゃねえんだよヤンデ。

 全然王女から解放されてねえじゃねえか……。


 俺の期待は、お前と二人きりで行動することだった。

 魔法に抜群に長けていて、そこそこに物知りなお前は役に立つ。俺もお前のことは嫌いじゃないし、たぶん好きだろう。


 国とか、種族とか、そういうのにとらわれず、お前を独占したかった。

 もっと濃密に、効率的に、生産的に動きたかったんだ。


「あなたも他人事ではないのよ?」

「だろうな。婚約者だし」

「ハナが絶賛していた手腕、楽しみにしているわ」

「絶対バラすなよ」

「そんなことしないわよ。ジーサの魅力を知っているのは、私だけでいい」


 俺は心を鬼にしなければならない。


 彼女もまた制約であり、脅威の一つなのだ。

 好かれているから、と浸り続けておれば、それこそ手遅れになってしまいかねない。

 だからといって、逃走や排除といった極端な選択肢だけ考えるのもまた愚かである。


 滅亡バグと無敵バグを解明し、潰すためには、いかなる道が最善なのか――


 どれだけ立場が変わろうと。

 いくら慌ただしくなろうとも。

 この本質だけは見誤ってはならない。


 俺は|自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》であり、|死にたいよう《シニ・タイヨウ》なのだから。

第三章 学園生活が激化

第199話 二対二

 空の表示が31.09.55――第三週二日目《サン・ニ》の午前十時前を示している。

 昨日と同じメンツが解散した後、俺とヤンデは並んで最前列に座っていた。


 講堂のような広い教室に二人きりだ。

 相変わらず建物は丸ごと透明で、Eクラス以上の校舎からは何十という視線も注がれているが、喧騒は遠く、まるで水中から外を眺めているかのようだった。


「今日の教師陣は豪華ね」


 つられて外を見ると、魔法使いの格好をしたピンク髪の童顔少女と、二本の大剣を背中に携えた金髪イケメンがこっちに向かってきている。

 先週赴任してきた教員であり、第一級冒険者でもあるアウラとラウルだ。


 程なくして二人が入室してきた。


「おはようございます。ジーサさん。ヤンデさん」


 ジャースではさほど挨拶の文化がない。

 俺は前世の癖が抜けきれておらず会釈を返したが、ヤンデとラウルは無言かつ無反応。

 アウラも特に気にした様子はなさそうだが、すれ違いざまに微笑まれた。大人の色香を持つ童顔ってずるいよな。


「贅沢な光景ね」

「ヤンデさんにそう言ってもらえて光栄です」

「嘘ばっかり。ジーサを先に呼んでいたじゃないの」


 室内中央の教壇に上がったアウラがぴたりと止まった。「他意はありませんよ」くるりと振り返ってきて、


「強いて言えば、一人の女性として個人的に気になっているという内心の現れかもしれません」


 可愛らしい笑顔を可愛らしい角度で放ってくる。仕草もタイミングも、何から何まで男心をくすぐってくる感じで、相変わらずあざとい。

 そんなアウラをぐいっと押し退けるのはラウルだ。


「僕達がこのクラスの講義を引き受けた理由を話しておくよ」

「ちょっとラウル。いきなり始めるのはやめてください」

「君はとろくさいから、僕が仕切る」


 アウラは「むー」とわざわざ頬を膨らませて、握り拳もつくってからぶんと振ってみせる始末。あざとい大賞受賞でいいだろこれ。


「二人ともごめんね。この金髪には遊び心というものがないんですよ」

「今は遊びじゃないだろ」

「ラウルは真面目すぎるんです。お二人もそう思いません?」


 ころころと変わっていくアウラは、演技とわかっていてもなお見たくなる。

 バグってなければチャームも効くんだよなこれ。えげつねぇ。


「いちゃいちゃしてないで、早く始めてもらえるかしら?」


 ヤンデは相変わらず肘をつき、足を組んでいらっしゃる。

 昨日散々貪ったばかりだというのに、制服越しの控えめな膨らみやスカートから覗く生足に目が行きそうになる。どころか首筋や唇にも行きそうになってて、悪化しているまであるな。


 俺が性へのとらわれから解放される日は来るんだろうか。


「ふふふ、そう見えちゃう?」

「僕達が引き受けた理由は二つあるんだ」


 アウラはまんざらでもなさそうだが、ラウルは構わず開始しているのがウケる。

 アウラはラウルを好いていて、ラウルは鈍感で朴念仁――この二人はそんな関係性なのだろうか。


 いや、そんなこと勘ぐってる場合じゃねえな。気は抜けない。

 ヤンデが指摘したとおり、俺に比重を置かれている可能性は高い。この二人の掛け合いも、俺を油断させる演技かもしれないのだ。


「一つ目は牽制だね。ヤンデ・エルドラ――君はエルフの王女で、先の演説でも実力を示してくれたけど、その体質が厄介だ」

「ずかずかと言ってくれるわね」

「それがラウルという男なんです」

「アウラうるさい。で、その体質ゆえに要らぬ反感を買われることが多いと僕達は見ている」


 ヤンデの体質は相当なもので、俺には効かないようだが、どうやらモンスターに対して抱くような強烈な嫌悪感や忌避感を周囲にもよおすらしい。

 それは好き嫌いの次元ではなく、容易に憎悪や殺意が湧くほどとのこと。


 ゆえにこそヤンデは今まで誰とも打ち解けられず、独りで苦しんできた。


「余計なお世話よ。耐えられる人は耐えられるし、そうじゃない人は返り討ちにすればいい」

「君とそのお友達の心配はしていないよ。学園の秩序の問題だ。知っての通り、この学園には数多の貴族――その子息子女が通っている。当人間の喧嘩で済む問題じゃないのさ」


 なるほどな。貴族の生徒Aが暴力でヤンデに絡んできたとして、ヤンデが同様に暴力で軽く退けたところで、Aの家が黙ってないってことか。

 本来ならそもそも暴力が発生しないが、ヤンデの体質だとそうもいかない。相手が王女だから、実力者だからといって我慢できるほど、この体質が放つ負のエネルギーは甘くないってことだろう。


 一体どういう体感なんだろうなぁ。

 どうも臭いとして感知されるようだが、俺も一度は体験してみたいものだ。

 まあ俺が嗅いだところで、ごく普通の、男をむらっとさせる女の匂いしかしないわけだが。


「だから僕達が君を懇意にする。第一級冒険者の名前は、アルフレッドでは非常に強力な抑止力だからね――」


 ラウルはこの国における第一級の立ち位置や、自身の経験――舐めた真似をしてきた貴族を潰した話などをしてくれた。


 要するに、第一級冒険者はただの実力者の域を超えている。

 畏怖の対象、いや王族に近しいほどの絶対的存在となっているようだ。この価値形成もまたシキ王が仕組んだのだとしたら、大した手腕だ。


「それで、二つ目の理由は?」


 咀嚼する暇を置かず、ヤンデがラウルに問う。

 さっきからこの二人ばかりが話しているので、俺はアウラと視線を交わす羽目になっていて居心地が悪い。逸らしたところで、じっと見られているのがわかるのでどうにもむず痒い。


「シニ・タイヨウさ」


 ラウルの口から、ずいぶんとストレートな単語が飛び出してきた。


「僕達がシニ・タイヨウを探すためにここに来たことは、アウラから共有したと思う」


 ラウルが横目を送ると、アウラはなぜかえっへんと偉そうに胸を張っていた。

 俺が目敏く器用にチラ見することなどお見通しなのだろう。隣のヤンデさんは眼力をもって俺を刺している。へいへい。


「しかし難航していてね……。そこで二人にも強力してほしいんだ」


 そう来たか。


 アウラとラウルは、俺達あるいは俺がシニ・タイヨウだと十中八九疑っている。しかし、おいそれと嫌疑をかけてくるほど無謀ではない。

 容疑者自らを協力させて、ぼろを出させようってわけだ。


(何か掴まれているのかもしれない……)


 先週、アウラは赴任初日にもかかわらず、俺達に濃い話を吹っかけてきた。

 曰く、ダンジョン『デーモンズシェルター』の最深部を守るグレーターデーモン攻略の突破口として、非凡な戦闘力を持つであろシニ・タイヨウに目を付けていると。


 あの場には教師としてアウラ、生徒として当時Fクラスだったら俺、ヤンデ、それからスキャーノがいた。



 ――スキャーノちゃん、どうする? 私は悪くないと思うけどなー。


 ――ぼくも同じかな。実はガートンの職員なんだ。



 スキャーノもまたアウラから確認された上で、わざわざガートン職員であることを打ち明けてきた。


 そんな状況下で俺達はエルフ領に行き、俺はそれはもう派手に立ち回ってしまった。

 タイヨウとしてはもちろん、ジーサとしてもぼろは出していない。出していないつもりだが。


(だいぶ大胆に攻められてるんだよな……)


 昨日のスキャーノとルナはだいぶ鬱陶しいかった。特にルナが近衛《ユズ》の名前を出してきたことは決して見逃せない。


 この二人にしても、権力に媚びるタマでもないだろうに、白々しい理由を並べ立てて見かけ上は教師の役目を全うしている。


「悪くないわね。退屈な授業よりは断然良いわ」

「おいヤンデ。俺はやらねえっつったろ」


 無論、無策で望んでいる俺達でもない。

 ヤンデの応答は、演技だとわかっている俺の目から見ても自然なものだった。


「……それは、危ないからですか?」


 アウラがそばにまで来て、俺の机の上に尻を乗せてくる。

 柔らかそうだし、良い匂いにもするし、つか距離感近いし、先生の立ち位置を超えて踏み込んできた感もあって、バグってなければドキッっとしていたのだろうなと他人事のように思う。


「そうです。前にも話しましたけど、シニ・タイヨウってたぶんアウラさん達より強いですよね? そんな化け物に好き好んで近づく奴の気が知れない」

「私が守るから心配無いわ」


 ヤンデが片手を払うように動かすと、アウラが《《吹き飛んだ》》。

 空気の塊、かどうかは知らないが、バスケットボールサイズの何かが高速で射出されたのがかろうじてわかった。

 たぶん前世のライフルは比じゃない。速度はわからんが、威力の桁が違う。音速も朝飯前といった次元で、そうだな、レベル90のクロでも間違いなく即死するってのは肌でわかった。


 しかし、周辺への衝撃波は抑えられているようで、俺の皮膚はそよ風さえも感じなかった。


 そんな攻撃を食らったにもかかわらず、アウラは十メートルほど飛んだだけだ。

 傷もなければ流血や汚れさえなく、慣性も周囲に流れていない。


 じゃれ合いの範疇なんだろうな……。

 到底俺が敵う世界ではない。よく逃げれたよな俺。


「ヤンデちゃん、意外と心が狭いのね」

「何とでも言いなさい。私はね、胸の大きな女が嫌いなのよ」


 アウラがおもちゃを見つけたような目をしている。

 ラウルはこの手の話には全く興味がないようで、「剣士の立場が無いな……」などと苦笑を浮かべている。


「考え直さないかヤンデ。お前が強いのはわかってるつもりだが、シニ・タイヨウがそれ以上に強い可能性も否定できねえぞ」

「そんなことないわよ。私より強い人はそうはいない」

「だからその自信はどこから出てくるんだ……」


 呆れてため息をつく演技をしつつも、俺は内心でほっとする。

 ヤンデは先週と同様、一冒険者としてシニ・タイヨウに興味津々という体を崩していない。役者だ。


 むしろ俺こそボロを出さないようにしないとな。

第200話 二対二2

「別に体を張ってもらうわけじゃないよ。外交問題にもなるしね」


 ラウルは主にヤンデを向いて話しているようだった。

 もしかするとラウルはヤンデ、アウラは俺を注視せよ的な分担を敷いているのかもしれない。


 それはそうと、前世の芸能人に負けてないほどの爽やかイケメンが何食わぬ顔で話してるのを見ると、なんていうか、微妙な気持ちになる……気がするな。

 前世にもいたし、フィクションでもよく登場するが、完璧超人で人当たりのいい眉目秀麗という許すまじ輩はわりかし存在する。


 ラウルはデリカシーの無さという欠点が露骨な分、なお卑怯である。

 どのコミュニティでも愛されるんだろうなってことが容易に想像できてしまう。


 ……って何考えてんだろうな俺は。

 バグってて感情はないはずだし、ヤンデのこともぶっちゃけ道具としてしか見ていないはずなのに。


 男としての格の違いを前に、劣等感でも感じているのだろうか。

 そんなくだらないものはとうに捨ててきたつもりなんだが。でなきゃ自殺なんてできやしない。


「外交問題というなら、シニ・タイヨウの件で巻き込もうとしてくること自体が論外じゃないですかね」


 思わず絡んでしまった。

 口当たりが少しキツくなってしまったのを自覚する。ホント何してんだろうな俺。


「そうも言ってられないんだよ。シニ・タイヨウはエルフ領でも問題を起こしている」

「初耳ですね。ヤンデは知ってるか?」

「心当たりはあるわね」


 幸いにも二人はそんな俺に気付く様子もない。

 それで俺も冷静さを取り戻せた。


(この感覚には覚えがある)


 会社で。趣味のコミュニティで。ITの勉強会やハッカソンで。

 参加者の皆が見てわかるほど今を楽しんでいる一方、俺は心の中でどこか達観し、尽きることのない情欲と劣等感をくすぶらせていた。


 何度参加しても。場に溶け込むように取り繕っても。

 俺が本心から彼らのように楽しめることはただの一度として無かった。


 今の俺でも再認識できるということは、これは感情ではなく知識に、あるいは経験に基づいた現象なのだろうか。


 こういう心の動きは、今後俺の弱点になる。

 潰していくか、少なくともコントロールできねばなるまい。


(はぁ、とでも嘆息したくなるなこれは……)


 バグの考察も再開したいし、ブーガの頼まれ事もあるし、気の休まる暇がないぞマジで。

 もちろん、ここで自棄になって無鉄砲な行動をするほど俺もバカじゃない。

 そのような愚考を助長する感情は、今の俺にはないとわかる。そういう意味では、無敵バグは非常に頼もしい。「怪人」ラウルがぽつりと呟いた。


 ここまで話してきたのは、獣人領で暴れ回った侵入者のことだった。

 一見すると獣人族の頭領ギガホーン・サイ・バッファローさえ退けるほどの実力に目が行きがちだが、最も厄介なのはウニやウミヘビなどバーモンを――すなわちモンスターを従えることにあるのだそう。よくわかってるじゃねえか。


「その侵入者のように、魔人でない者でありながら高精度にモンスターを操れる者を、僕達はそう呼ぶことにしたんだ」


 わざわざ一般化するほどだから、アウラウル以外にも広まる言葉かもしれない。

 バーモンを操る、みたいなことは今後は控えた方が良さそうだな。


「その怪人なら聞いてるぞ。皇帝ブーガが倒したんだってな」


 怪人の正体は言うまでもなく俺である。

 そんな俺はブーガとサシで話し込み、そのせいで厄介なお願いを受けてしまったわけのだが、無論そんなことは言えるはずもない。

 建前上はブーガが成敗したことになっている。


 この事実を知っているのはブーガとヤンデだけだ。

 いや、交渉の場にいたサリアとギガホーンも気付いてるだろうけど。つーかギガホーンが再戦したいってほざいてたからたぶんモロバレ。


「そうね。私もそう聞いているわ」

「倒してないと思うよ」


 知らないはずのラウルは、しかし断言してきた。

 その双眸は確信に満ちている。


「師匠は公益を第一に考えている。公益とは強者が成長する余地だ」


 一際真剣な声音だったが、「もっとわかりやすく言いなさいよ」ヤンデはつまらそうにばっさり切るのだった。


「私もヤンデちゃんに同意かなー。ラウルってば、普段はせっかちなくせに、いざ自分が説明し出すと自分に酔うんですよ」

「君達は……」


 自覚があるのか、ラウルはがしがしと頭をかいた後、どかっと腰を下ろす。意外にもヤンキー座り。

 アウラもその隣に倣った。こちらは綺麗な正座だ。


「ダグリンという国を見れば分かる通り、師匠にとって国の統治とは強者による繊細な独裁に他ならない」

「繊細ってどういうことよ? ダグリンのこと、私はあまり理解していないのだけれど」

「説明しようか?」

「いや、今は結構よ。ラウルと言ったかしら、続けて頂戴」


 プライドの高そうなラウルの眉がぴくっと動くのを見つつも、言い得て妙だと俺は思った。


 ダグリン共和国は|全国民が従う時間割《ワールド・スケジュール》を定めるほどに徹底的に合理的な社会主義だ。

 しかも前世のそれのように、腐敗を断じて許さない。


「誰もが無難に過ごせる社会を維持すること。それが師匠が描いている在り方だ」

「そんなものあるわけないじゃない。黙ってない人も多いでしょうね」

「そもそもラウルのお師匠さんが馬鹿なことを考える可能性もあると思いますけど?」

「……ジーサ・ツシタ・イーゼ。君は?」


 この剣士、語りをちょっと楽しんでやがるな。アウラの言い方をすれば、酔っている。

 俺も割とナルシだった時期があるから、気持ちはよくわかる。全員に疑問を吐かせた上で、ばっさばっさ切っていきたいのだろう。


「聞きたいのは皇帝ブーガの意思でしょ。俺の意見はどうでもいいのでは?」


 残念ながら俺はひねくれているので、そうはさせない。

 そもそもブーガの本心は俺も知っている。下手に喋れば墓穴を掘ってしまうのでなるべく喋りたくない。


「悪くない答えだ。女二人に聞かせてやりたいくらい」

「この金髪、イラッとするわね」

「ヤンデちゃん。わかってるじゃない」

「さっきから馴れ馴れしいのだけれど」

「ツンツンするヤンデちゃんも可愛いわね」


 え、まさかこの二人が仲良くなるルート入ってる? アウラさんは嫌いじゃないけど苦手だから勘弁してほしいんだが。

 それはそうと、ラウルはラウルで俺に何かを感じたらしく、事務的だった眼差しに熱が宿っているのは気のせいか。仲間意識とかやめてくれよ。


「まずアウラの話からだけど、師匠がつまらない欲望にとらわれることはまずないよ」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「でなきゃ、あんなに強くはなれない」

「……」

「君も第一級の端くれならわかるだろ。師匠の精神は人間離れしている。どちらかと言えば竜人に近いよ」


 俺も同感だった。


 あの人は国を、世界を、人類を恒久的に持続させることしか考えていない。

 だからこそ、俺という異分子の活用にも躊躇がなかったし――


 あんなふざけた事も思いつくのだ。


「次にヤンデ・エルドラ、君に対する回答だけど、反抗する者は全て潰せばいいだけだ。そのための実力なんだから」

「だからといって暴政が許されるとも思えないわ。あまりにひどいと、それこそ竜人が出てくるのではないかしら?」

「暴政しなければいいんだよ。師匠ならできるし、現にできている。ダグリンを知らないのなら、今度見に行ってみるといい。実力者には退屈だけど、よく出来ている」

「ですってジーサ。今度行きましょうね」

「ああ。それでラウルさん。その師匠とやらが怪人を倒さなかったと考える理由は?」


 むっとするヤンデは無視しつつ、演技のためにあえて問う。


 ラウルの回答は、予想通りのものだった。


「――殺さずに生かす、か。私にはそんな余裕無かったな」


 2ナッツ浴びせちゃったからな。マジですまん。


「アウラは打たれ弱いからね」

「ラウルうるさい」

「杖で殴るのはやめないか」


 爆発みたいなエグい音が響く。杖の速度も俺では視認できないものだったが、ラウルは軽々止めている。

 一応、レベル10の俺が怪我しない程度には加減してくれてたようで、俺は椅子から浮き上がる程度で済んだ。いやそれでも相当だが。


「師匠と協調関係を結んだのか、単に別れただけなのかはわからないけど、怪人は生きている――これだけは間違いない。この前提で、その怪人がシニ・タイヨウであるとする根拠を話すよ」


 気の抜けない時間が続いた。

 どころか、話を聞くにつれて俺の中では焦りが生まれていった。


 ポイントを一言で表すなら、『希少性』とでも言えるか。


 シニ・タイヨウなるものの存在は、人生経験豊富な彼らから見ても類を見ないものだった。

 そのような例はほとんどないという。

 前世の文明の幅広さと奥深さを知る俺としては信じられないことだが、ここはジャース。実力者なら世の中の大半を理解しきれてもおかしくはない。


 そして怪人もまた、彼らの目にはシニ・タイヨウと同様の異質さに映った。


(つまり異質だから同一人物である、と)


 強引すぎてそんなの根拠にはならねえよ、と言いたいところだが。

 一方で、すとんと腑に落ちている自分もいて。


(甘かった)


 バレなきゃいい、アリバイがあればいい、弱者であることを示せたらいいと楽観していたのだろう。

 それだけじゃ足りなかった。


 この希少性という感覚は、前世の俺には無かったもの。

 そもそも目立ちすぎること自体がNGだったのだ。

第201話 貧民デビュー

 アウラウルとの濃密な時間は昼休憩も続き、俺達は教室から出ることもなくひたすらくっちゃべった。

 おかげでルナ勢やハナ勢に割り込まれることもなかったが、正直この二人を相手する方が疲れる。いや、俺は不労で不老で不死だが、それでも疲れを錯覚するほどに濃かった。


「なあ。これから毎日このペースか?」


 俺が机に伏せて疲れてるふりをしていると、ふわりと身体が浮いた。磁石のようにヤンデのそばまで引き寄せられる。

 あと五分で実技なので、そろそろ北西の演習エリアに移動しなければならない。無理矢理運ぼうってか。


「私は悪くないと思ったわよ。さすがは第一級と呼ばれる人達だけあるわね」


 シニ・タイヨウを探られているピンチだというのに、ヤンデは気分が良さそうだ。とりあえず俺を振り回すのはやめてくれい。


「俺の精神が保《も》たないんだが」

「嘘ばっかり」


 ヤンデの言う通り、勉強という意味では決して悪くなかった。

 言わば一流の三人と同席している。置いてけぼりを食らうことも少なくなかったが、無知な俺に合わせてくれることも多くて、たぶんジャースに来てから一番勉強効率が良い。


「それはそうと、排泄くらいはいいかげん覚えてほしいわね」

「魔法覚えられねえんだから仕方ねえだろ」


 今日一番の恥は、魔法で排泄を処理できない俺に代わってヤンデに処理させたことだろう。

 なんでも優れた冒険者にもなると、排泄物も魔法で取り出して処分――蒸発させてしまうんだそうで。

 んな芸当できるかっての。


「たとえ好きな人であっても、汚物の処理をするのは気が引けるわ」


 俺の排泄物をつくってるのはダンゴだけどな。


「直接触れるわけじゃねえから大丈夫じゃね?」

「は? 逆に聞くけど、あなたは私のを処理できるかしら」

「ああ。逆に興奮するかもしれない」


 ちなみに、あのアウラも魔法でこっそり処理してるのだと思うとちょっとエロいな、などと思ったりもしたが、この感想は墓場まで持っていく。


「変態は死になさい」


 さすがにそういう性癖は理解できないらしい。俺もわからん。

 ぶん投げられるかと思いきや、水の球で顔面を覆われて窒息させられるのだった。演技がだるいからやめてくれい。






 実技では昨日と同様、先生は交えずヤンデと過ごした。


 レベル10をいじめるのに飽きたらしく、ヤンデは俺と雑談しながらも、一人で魔法の空撃ちを試していた。

 空に放たれる視覚効果《エフェクト》が尋常ではなく、鎧を来た兵士がぞろぞろ来て教員達が応対してた光景はちょっと面白かった。

 目立ちすぎではと俺は指摘したが、ヤンデ曰く「威嚇は継続してこそよ」とのこと。


 そうして実技の二時間もあっという間に過ぎると、俺達は学園を出て、空に出る。

 商者《バイヤー》の職練としてなぜか貧民エリアの経済活性化を課されているが、自由行動はありがたい。


「それでジーサ。次は何をやるのかしら?」

「そうだな……」


 と思っていたのだが、意外とやることは少なそうだ。


(というより、やれることが少ない)


 当然だがヤンデも人なので、俺の都合100パーセントで振り回すことはできない。

 今は授業中でもあるから王都の外にも出れないし、ブーガの件やバグ考察などコイツにも晒せない活動もある。


 俺が悩んでいる間、ヤンデは「あの塔、折れるかしら」「おそらく内部に冒険者を配置できる形態ね。とすると……」などと物騒な考察をしていらした。


(持て余してんだろうなぁ……)


 俺が下手を打てば、このエネルギーがすべて俺に向くことになる。婚約者とはいえ安心はできない。


 いっそのこと逆に考えてみるか?

 つまり、すべてを晒して一心同体にしてしまうという案だが。



 ――させないわ。あなたに死なれては困るもの。


 ――私はあなたが欲しいのよ。置いておきたいの。



 だよな、バカか俺は。


 既にヤンデとは相反している。

 死のうとするのはおろか、離れようとすることさえ許してはくれまい。


「――遊ぶか」

「は?」

「昨日も話したが、貧民を変えるためには貧民を知る必要がある。そして知るということは、実際に同じ目線に立って行動することだ」


 結局、今やれることをするしかないってわけだ。


 俺の提案を受けたヤンデは、なぜかため息を一つ。


「ラウルも大概だったけれど、あなたも中々よね」


 語り方がナルシだと言いたいわけね。


「否定はしない。つーか、男はそういうもんだろ」

「そうやって無闇に一般化するの、やめた方がいいわよ。バカに見えるから」

「俺の嫁が容赦ない件」

「容赦もしないし、遠慮もしないわよ」

「おっかねえな」


 バグの解明はさておき、ブーガの件はマジでどうすればいいんだか。

 悩みすぎて悟られても面倒くさいので、「とりあえずあの辺に着地してみるか」まずは目先の仕事をこなそう。






「――食担当の狩猟係。二人ともそれでええか?」

「ああ」


 領主代行のおっさんの問いにまず俺が頷き、ちらりと少し離れたヤンデに目線を送る。「ええ」腕を組みながら渋々といった様子だが首肯してくれた。


「おねえちゃんの髪、きれい」

「ほっそいうでー。これで狩れるのか?」

「ニャーはてごわいんだよー」

「ああもうっ、近寄らないで。髪も触らない!」


 ヤンデは子供達に群がられていた。


 体質は無理矢理抑えてる――負担が大きいから常用はしたくないとのことだが――から心配はないし、身分も明かしてないから恐縮されることもない。

 格好も肌着《シュミーズ》、補正着《コルセット》、エプロン、と平民以下の女性が着ているありふれたものなので特に目立ちはしなかった。


 いや、俺の目には場違いにしか見えないんだが、たぶんエルフの緑基調な軽装に見慣れてすぎたせいだろうな。


「兄ちゃん。何考えてるかは知らんが、ワシらはこれで悪くないと思っとる」


 微笑ましい光景を眺めていたおっさんが、横目で睨みを利かせてくる。

 一般人《レベル1》にもかかわらず、王立学園という権威にビビらない胆力は無視できまい。


 ここに来て早速思い知ったのは、王都の貧民達が想像以上にしたたかだったということだった。


「余計なことはするなってことだろ? わかってる」

「……」


 一応受け入れてもらえはしたが、まだ半信半疑といったところだな。


 小一時間ほどだろうが、さっきまで俺達はあちこち交渉しに回っていたところだ。

 学園の生徒であり、商者《バイヤー》の職練として貧民に金を使わせる取り組みを模索しているとの前提を共有した上で、以下をお願いした。


 一員として住むことを許可してほしいこと。

 毎日午後四時から六時の間ならこき使ってくれていいこと。

 何をするかは追々話し合っていきたいということ――


 門前払いやたらい回しが続く中、受けてくれたのがこのおっさんだった。

 何度か俺を見たことがあり、気になったからだという。


「ランベルトだ」


 おっさんが手を出してきた。

 領主代行は中間管理職のようなポジションみたいだが、手のひらもその辺の若者にも負けてないごつさである。

 そう。貧民の男は基本的にごつくて逞しい。


「ジーサ・ツシタ・イーゼだ。よろしく頼む」


 がっしり握手を交わすと、ヤンデが子供達を振り切り、近づいてきた。自分も改めて挨拶したいってことだろう。


 子供達だが、なぜか近寄ってくる様子はない。

 ランベルトおじさんを怖がっているようだ。

 たしかに強面だもんな。図書館にいた槍のおっさんほどではないが、前世だと黙ってても道を開けられる程度には怖い。どう見てもその筋の人。

 加えて、この人は意図的にとっつきづらさを演出している節がある。立場柄ってことだろう。真面目で優秀な人なんだろうな。


「悪いが、嬢ちゃんの手を握るわけにはいかねえ。ここで暮らしたいなら、エルドラの名も隠した方がええぞ」


 エルフの王女であることが見抜かれている。教養も悪くないらしい。

 ヤンデはと言うと、差し出した左手に右手を重ねてスリスリこすることで「ちょっと冷えるわね」見苦しい誤魔化し方をしていて、ランベルトの微笑を引き出していた。


「おいっ! コイツらをニャーの狩猟に連れてってやれ!」


 切り替えも早い。


「えー、やだよー」

「せっかくのおやすみだもん」


 どかどかと足早に遠ざかる背中は文句を受け付けないまま、小屋の中へと消えていった。


 貧民は基本的に忙しい。それは子供も例外ではない。

 せいぜい小学生くらいのガキに休暇という概念があるのは、中々に考えさせられるところがある。


「この綺麗な緑色の髪をしたお姉ちゃんが遊んでくれるぞ」

「よっしゃあ!」

「わたしもわたしも!」


 緑というよりはライトグリーンだが、この言葉はたぶん通じないので伏せておく。

 早速ヤンデに群がる子供達を前に、「ちょ、ちょっとジーサ!」コイツの慌てっぷりはレアいので今のうちに拝んでおこう。


「それじゃ案内してもらおうか」

「こっちだぞー」

「ほらほら、おねえちゃん動いて!」

「魔法で運んでいいかしら?」

「ダメだっつってんだろ。|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》だ」


 素のヤンデにガキ三人背負うのはキツイみたいだな。

 うち二人を俺は引き取り、両肩に乗せる。


「なんで二人とも女の子なのよ」

「たまたまだ」


 嘘です。最初から女の子狙ってました。ほら、小さな女児と触れ合うって憧れるじゃん。妻帯者なら娘という形で可能だが、独身者にはまずできないことだからな。


「それよりデフォルト・パフォーマンスをしっかり練習しとけ。この後も使うぞ」

「わかってるわよ」

「お兄ちゃんはイヤだ! お姉ちゃんがいい!」

「ぶさいく」

「ちょ、お前ら暴れるな」


 容姿を直球で否定するのは傷つくからやめてほしい。

 中高生ならともかく、容姿観のぬるい女児から飛んでくるのはかなり堪える。ソースは前世の俺。


 結局ヤンデが女の子二人と手を繋ぎ、俺は残る男の子を頭に乗せて。

 さあ、森でニャー狩りだ。

第202話 貧民デビュー2

 貧民エリアは王都リンゴの北西に位置する。エリアというとさして広くないイメージを持つが、そんなことはない。

 異世界ファンタジーの街と言えば、前世でいうニュータウン――住宅街程度の広さを思い浮かべるが、あんなもんじゃない。森、丘、小川といった地形からして一つや二つじゃねえんだからな。


 そのうちの一つ、竹林のような見通しのいい森に案内された。

 俺達は境界で待たされて、


「おねえちゃん、魔法は切って!」


 おかっぱの女の子がそんなことを言いながら、物置が並ぶ一画へと走っていった。走り方が手慣れていて、猪くらい一人で狩れそうな頼もしささえちらつく。


「面倒ね。私が本気で出せば、この森に潜む全生物を壊滅できるのに」

「壊滅させるな」

「おねえちゃん、切ったー?」

「切ったわよー」


 ヤンデも適応が早いみたいで、らしくもないのにでかい声を上げる。


「どうぐ持ってくるから、からだでもほぐしてろよ」

「わたしもいくー」


 お団子ヘアーの女の子と半袖半パンのわんぱく小僧もてててと走っていく。コイツらの動きも妙に玄人じみてやがるな。

 運動不足のそれでは到底ないし、前世のそこいらの大人でもたぶん敵わんぞこれ。


「からだをほぐすって何よ?」

「準備運動ってことだよ」

「ジュンビ運動?」


 そんな歴史の出来事みたいな発音で返されても困る。

 魔法とレベルに頼り切った冒険者には無縁なんだろう。


「身体を本格的に動かす前の準備ってことだよ。とりあえず俺の真似をしろ」


 ヤンデは運動神経がよろしくなさそうなので、念入りにしておくか。


 前世のセオリーどおり、屈伸から始めてみる。

 ぎこちないヤンデさんだったが、俺の補助もあってすぐに慣れてきた。コイツ、センスは悪くないな。むしろ羨ましいくらい。


「ややこしいから、ここまでの要点――特に|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》が必須とされる理由も整理しておくぞ」

「ええ」


 お互いに体を押したり引いたりしながらも、貧民エリアの面倒くさい事情を振り返ることにする。


「まず大前提として、貧民はレベル1であることが要求される。これはデフォルト・パフォーマンスの状態でつくらないといけない作物や、狩らないといけない獲物がいるからだ」

「味が落ちるから、よね?」

「ああ」


 貧民の存在理由は、まさにここにあった。


 作物全般と一部の獲物は、デフォルト・パフォーマンスを超えた状態で干渉すると著しく品質が落ちる。

 これはジャースの理と言えるほど絶対的な現象であり、いくらレベルが高かろうが魔法を使いこなせようが抗うことはできない。


 だからこそ王都では一般人《レベル1》を貧民として囲い込み、主に貴族のための食料を生産させている。


「といっても俺はまだ信じ切れてないんだが……。なあ、ヤンデなら味を落とさずに仕留めることもできると思うんだが、どうだろうか」

「無理よ」


 華奢な体をぐっぐっと伸ばしていると、意外にも即答だった。


「判定を抜けることはできないわ」

「判定?」

「|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》と同じよ。条件を満たさないと効果が生じないか、あるいは低減するものがある。そしてその条件は厳格に監視されていて、かいくぐれる余地は一切ない」

「竜人が介入してんのか?」

「もっと上じゃない?」

「上って何だ? 誰だ?」


 無論、俺は天使というプログラマーと、そいつらが済む天界という世界を知っているわけだが。


「神じゃない? 私は信じないけれど」

「なんか哲学的だな」

「つまらない話はやめなさいよ?」

「まだ何も言ってねえだろ」


 こういう会話は嫌いじゃないのに、ヤンデさんはそうでもないから残念だ。


「レベル1を超えた動きをするのもダメなんだよな」

「そうね」

「俺は慣れてるから平気だが、お前は大丈夫か?」

「……」


 ヤンデが俺を持ち上げるターンなのだが、びくともしてねえぞおい。


「無茶すんなよ。レベル1では耐えられない負荷がかかってもダメなんだからな」

「わかってるわよ。話しかけないで。こんな肉塊、余裕で持ち上げてみせるわ」

「肉塊じゃねえし」

「同居人さんに離れてもらうよう言ってもらえるかしら?」

「誤差だ」


 ダンゴとクロを合わせても数キログラムくらいしかねえぞ。「ふんっ!」おっ、ヤンデさん、ガチる気だ……っておい。

 どしゃっと潰れるのだった。


「今のはセーフよ。ほら見なさい。傷一つついてないわよ?」

「いやアウトだろ」


 前世基準で言うと、か弱い成人女性なら擦り傷は出来てるし、何ら捻挫にもなる力と角度だった。

 しかし、ヤンデは無傷である。レベルで言えば62の防御力なのだから当たり前だ。鉄板に息を吹きかけるような負荷でしかない。


「そういうあなたはどうなのよ?」

「俺はちゃんと受身を取った」


 俺が前世でどれだけパルクールに費やしたと思ってんだ。


「おねえちゃん! おにいちゃん! これつけて」


 とてて、と駆け寄ってきたおかっぱちゃんが、つくしみたいな細長い茎を手渡してくる。


「こうやってまきつけるの」


 ヤンデが手に取った途端、それはベージュから赤色へと変色した。


「なるほど。判定装置ってわけか」


(ダンゴ。クロ。容姿の性能をレベル1相当にしろ)


 俺も一本もらって、手首に巻き付ける。最初は真っ赤になっていたものが、数秒後にはベージュ色に戻った。

 無茶ぶりだと思ったが普通にできるのな。有能すぎて助かる。


「ヤンデ。準備運動の残りもやるぞ。ついでにレベル1の限界も体感しろ」

「望むところよ!」


 結局ヤンデは何度も変色させることになる。






「待ちなさい! このっ……雑魚の分際で、逃げるんじゃ、ない、わよ!」


 ヤンデの運動神経は予想通り、しょぼいものだった。

 レベル62の下地がある分、デフォルト・パフォーマンス基準なら体力無限みたいなものだから無傷で何度でも挑戦できているが、ニャーを捕まえられる兆しは無い。

 息するように転んでは、手首の植物を赤く変色させている。


「おねえちゃん……」

「これだからぼうけんしゃは」


 おかっぱちゃんは憐憫の眼差しを向け、お団子ちゃんはなぜかしたり顔だ。


「オリバは黙ってなさい。ダグネス、あなたは良い度胸してるわね。あとで見せてもらうわよ」


 ちなみにおかっぱちゃんがオリバで、お団子ちゃんがダグネスである。さっきヤンデに名乗っていた。

 俺には教えてくれないそうだ。ダグネス曰く、ぶさいくだから。殴るぞ。


「にいちゃんもこうさんするなら今のうちだぜ?」

「誰が降参するかよ」

「ほらよ」


 半袖半パンのわんぱくボーイことワスケが何かを手渡してくる。

 それは先端にぽんぽんのようなものがつき、長い紐が持ち手まで繋がったもので――ああ、飼い猫と遊ぶアレか。


「要らん」

「ねえちゃんに《《はじ》》さらしても知らねえぞ」

「そんな余裕は無さそうだから大丈夫だろ。それより檻だけ用意しといてくれ。とりあえず三つ」

「三匹も? ねえちゃんがいるからって、みえをはるのはよくないぜ」

「意外とボキャブラリー豊富だなワスケ」

「あ、にいちゃん! 待てよー」


 俺はのんびりするほどノロマでもなければ、空気を読むほどお人好しでもない。


 さっきから遠目でこちらを見ているニャーに近づいていく。

 逃亡されない程度に小走りで近寄り、接近するにつれて速度と足音、体勢を落としていく。


(ニャーという呼称からまさかとは思ったが、そのまさかだ……)


 狩猟の対象、ニャーと呼ばれる獲物だが――どこからどう見ても猫だった。


(動物はモンスターとの生存競争に負けたんじゃなかったか)


 パオパオうるさい象女がそう言ってたはずだが。


 とりあえず前世と同じ猫、それも日本の街中で見かける種を想定する。


 俺は逃げられるギリギリまで接近した後、一気に踏み出した。

 無論、レベル1の加減は崩さない。手元の植物が変色していないからセーフだ。この程度、ダンゴと演技しまくってきた俺には造作もない。


「兄ちゃん……。おいつくわけないじゃん」

「そりゃそうだろうな」


 まず反射神経からして勝てないし、時速五十キロメートルで走る猫には追いつけるはずもないし、何より体格差の違いが絶望的だ。

 小さい生物は小回りが利く上、神経の信号伝達も速い。猫サイズは、人間から見ればチートにも程がある。


(見た感じ、前世の街中の猫とパフォーマンスは大差ない。野良猫くらいか)


 距離を開けてピタリと静止し、こちらをうかがうニャーに、俺は再び近づいていく。

 この接近が実は心理戦である。露骨に追いかければ見失うほど引き離されるし、時間を与えすぎれば回復させてしまう。


 そう。


「ニャーとの戦いは持久戦なんだよ」


 トレーニングの一環で、街中の猫を追いかけていた時期がある。

 パターンが分かれば飽きるのだが、人生で上位に入るほど刺激的な時間を過ごせたと思う。不法侵入や器物損壊もたくさんしたけどな。


 もう手首をチラ見することもない。

 パルクールとは己が身体と向き合う禅なり。

 限界も、加減も、仕様も、すべてが手に取るようにわかる。覚えている。


 まあそれを犯罪込みの遊びに使っていたわけで、禅を語るなどおこがましいのだが。


「にいちゃん……」


 ヤンデと同じに見えるかワスケ。だとしたら節穴だ。

 いいから黙ってみてろよ。動画で撮れないのが惜しいが、猫との戦いはそこいらのスポーツよりも見応えがあるんだぜ。


 と、親密度を稼ぐためにワスケに披露できれば良かったんだが、どんどん離れていきやがる。


 この森は街中と違って障害物が少なく、竹林みたいに密度が乏しくて見通しもいいので悪くない。

 ただ傾斜と凹凸はひどくて、山中と言っても過言ではないレベル。ゆえに純粋な走力ではなく、パルクールによる移動の総合力が要求された。


 反撃しては距離を置かれ、心理戦をしながら近づいて、また反撃しては引き離され――

 いつの間にか、ワスケの声も聞こえなくなった。


(一番注意が必要なのが体力だな。バグってる俺は消耗にも回復にも気付けない)


 実際に発揮した運動量から体力消費を、実際に休んでいる時間と体勢から体力回復を推し量る必要があった。

 少しでもレベル1水準を超えてしまうと判定が入ってしまい、ニャーがマズくなってしまう。


(別に難しくはないけどな)


 パルクールで扱う情報量は他のスポーツとは比較にならない。

 何せ失敗したら大怪我や最悪死にも至るフィールドで動き続けるんだからな。一発勝負のエクストリームスポーツを何度もやるようなものだ。

 人間は生物として運動精度がたかが知れているため、危険を回避するには頭でカバーするしかない。


 これがめちゃくちゃに疲れる。一時間イメトレしただけでも、目に見えて体重が減るほどに消耗するのだ。

 その分、脳の性能はグンと引き出せる。

 体力の擬似再現などという離れ業もできてしまう。


(次で終わり、だ!)


 二十六回目の反撃にて、俺はニャーの確保に成功した。


 首を掴んで持ち上げる。

 力尽くで拘束する必要などない。この戦いを経た後の猫は死体のように鈍い。


(絶命させれば判定はなくなるんだったな)


 デフォルト・パフォーマンスは呼吸面も再現しなくてはならない。

 独り言を発する余裕はないので、俺はひたすら胸中で呟く。ちょっと寂しいな。俺は割と口に出すタイプだ。


(首を、こうするんだったな)


 ニャーの首を潰す勢いで握り、構造を確かめたところで――俺はそれを折った。

 生体反応が完全になくなるのを待つこと二十秒。意外と長い。特に頭部。


「……よし、一匹」


 当たり前だが罪悪感は無く、俺はこの死体の味に思いを馳せるなどする。直後、そういえばバグってて味も丸め込まれるんだったと思い直す。残念。

 元々食に関心は無い方だが、恋しくなるものだな。


 猫関係ねえけど、ジャンクフードとか久々に食いてえわ。

第203話 貧民デビュー3

 地面に並べたニャーの死体五体――結局体力的に俺は一匹しか狩れなかった――を見下ろしながら、


「兄ちゃんは食担当の狩猟係で問題無い。嬢ちゃんは――」

「住担当でいいわ。豪邸を立ててあげるわよ」

「それはいかん。村の均衡が崩れる」

「……冗談よ。ジーサのお守りでもしておくわ」

「働かざる者、住むべからず。悪いが嬢ちゃんでも例外はない」

「ねぇ。ランベルトは私に恨みでもあるの?」


 ヤンデがちょっと涙目なのが面白い。

 結局一匹も狩れなかったショックもあるのだろうが、ランベルトは真面目でひたすら正論で攻めてくるからなぁ。強面だし。


「俺が二人分働く。それで問題ないだろ」

「自惚れるなよ小僧。効率で言えばダグネスにも劣っとる」


 褒めてるつもりなのだろうが、ランベルトおじさんの睨みのような視線を受けたお団子ヘアーは目に見えてびくっとしていた。

 ヤンデの足にしがみついている。ずいぶん懐かれたな。


「それはその通りだが、俺が言ってるのはニャーの狩猟だけじゃない……と言いたいところだが、また後で話したい。そろそろ時間だ」


 空に浮かぶ天灯《スカイライト》はあてにならないが、体感的には良い時間だ。点呼のためにも学園に戻らねば。


 俺はヤンデを女児二人から無理矢理引き離して、いったん教室に戻った。


 ミライアの一秒点呼を経た後、ルナとスキャーノから夕食の誘いを受ける。

 俺は商者《バイヤー》の職練で忙しいと主張し、ヤンデもこれに同調――二人は見かけ上はあっさり引き下がってくれた。


 三十分後には再び貧民エリア『シャーロット家第七領』に戻ってきた。


 余談だが、貧民エリアは王族と貴族によって管轄されている。住所や村名がない代わりに、何々家の第何々領という。

 各領地では領家のための食物を生産している。

 住人は全員労働者であり、衣食住に分かれて働く。

 メインは食担当で、農業、狩猟、料理、保管などの係がある。俺はそのうち狩猟を引き受けることになったわけだ。

 残る衣と住は、領家ではなく領民自身のための仕事である。衣では服や道具の製造とメンテ、住では住居の建造とメンテを担っているそう。

 閑話休題。


「早かったな。続きを聞かせてもらおうか」


 ボロい小屋からランベルトが姿を表す。

 足元からひょこっとワスケも出てきた。「もう帰れ」無駄にどすの聞いた声だが、ワスケはさほどおじさんを恐れてないらしく、「はーい」などと言いながら小走りで駆けていった。


「もう日も暮れる。悪いが中で話を聞こう」


 ランベルトは夕日をチラ見した後、中へ入っていく。俺達も続こうとして……ておい、何してる。


 ヤンデさんはきょろきょろと何かを探していらっしゃった。

 デフォルト・パフォーマンスの訓練も兼ねて魔法を切っているのだろう。魔法が使えないとポンコツだなコイツ。「早く来い」無理矢理引きずって連行した。普段は立場が逆なので気分が良い。


 中は前世の用語で言えば四十平米のワンルームといったところか。

 内装と設備は、フィクションでもよく見る農民の部屋と大した乖離はない。クソ天使の趣味はどれだけ反映されているのだろうか。


 目につくと言えば、生活臭よりも仕事臭がするところだな。


「書類が多いわね」

「領主代行だからの」


 領家との接点になるのが領主代行であり、いわば村長である。

 民という部下を持ちながら、領家というお客さんとも交渉するわけで、中間管理職の方がニュアンスが近いかもしれないな。


「兄ちゃんの身体能力はワスケから飽くほど聞いたぞ」


 どっしりをあぐらをかくランベルトは、俺の企みにも見当がついているようだ。「姉ちゃんのへっぽこぶりもな」ヤンデをいじるユーモアもある。


 下手に交渉しても青二才の俺では勝てまい。

 ヤンデと並んで、向かい合って座った。俺もあぐらで、ヤンデもあぐら。「何よ」行儀悪くねと思ったが、本質ではないのでスルー。


「結論から言う。俺は遊び場をつくることで、村に貢献しようと考えている」

「ガキどもを遊ばせる余裕はねえぞ」

「ああ。だからこれは先行投資と考えてもらいたい」

「どういうことよ?」


 二人分の双眸が続きを促す中、俺は温めていた持論をぶつける。


「身体能力を鍛える遊び場をつくる。身体能力が上がれば、狩猟の幅も広がるよな?」


 ヤンデは何を言っているかわからないという顔だった。

 当然っちゃ当然か。この時代水準ではトレーニングという概念が希薄だろうし、そもそもジャースはレベル社会。身体能力という観点さえ毛ほどの存在感しかない。


「冒険者様にそんなことができるのか?」

「俺ならできる」


 前世で散々取り組んだパルクールは、まさにそのためのものだ。

 スポーツではなくトレーニングメソッドとも運動術とも哲学とも呼ばれる。生身の身体だけで己の身体、そして障害物と向き合う取り組みは、他に類を見ない。


「ワスケは見た感じ、村でも有望株だよな。そんな奴が俺を褒めてるんだ。アンタも俺の実力は疑えない」

「そうだの」

「この貧民エリアにはまだまだ開拓できてない場所があるよな? 獲物がいるよな? そうでなくても、もっと大胆に動けるようになれれば、あるいはもっと長時間動けるようになれれば、狩猟の効率は上がる」

「……」


 俺はその場で逆立ちしてみせる。

 綺麗な倒立と、力づくの雑な逆立ちを使い分けることで、バランスとパワーの双方が備わっていることをアピールした。

 ヤンデは頭でも沸いたのかとでも言いたそうな顔をしていて、「頭でも沸いたの?」口にも出してきたが、ランベルトは無言で感嘆を張り付けていた。


 ついでに逆立ち腕立ても追加し、さらに上水平《プランシェ》――水平に伸ばした身体を腕だけで支える力業も投入。


 俺の手首に巻き付いた植物を見ればわかる。

 このパフォーマンスは、レベル1の水準でこなされている。不正はない。


 一般人《レベル1》として暮らしているおっさんならわかるはずだ。

 この俺の強さに。

 この強さの価値に。


「のう兄ちゃん。もしかして子供以外も想定しているのか?」

「鋭いな。そのとおりだ」


 パルクールは大人でもできる。おっさんおばさんから始める例も少なくはない。といってもまだまだマイナーの域で、全国で万人もいないだろうが。


「……ええだろ。兄ちゃんは遊び場の指南役として仕事を免除してやる。生徒も恒常的に確保できるよう調整しよう。何を企んでるかは知らんが、今は見逃してやる」

「助かる」


 俺が頭を下げると、「用事はこれで終わりか?」味気ない声が降ってきた。


「ああ」

「嬢ちゃんの事もしっかりな」

「……なんかすいませんね」


 ヤンデはすっかりふて腐れていて、大の字で寝転んでいらっしゃった。王女の面影もない。

第204話 貧民デビュー4

 第三週三日目《サン・サン》。


 朝はアウラウルと講義の体を取った討論や相談をひたすら行った。


 昼休憩は上級生組《ハナたち》と同級生組《ルナたち》を交えて、スクールカースト上位みたいな目立ちまくりな食事タイム。

 続く実技はヤンデと二人きりだが、昨日の一件がよほど悔しいのか、俺はつきっきりで指導する羽目に。


 指導は夕休憩にも食い込み、あと一分で職練が始まるというところで、慌てて学園を飛び立った。


「別に慌てなくてもいいでしょうに」

「おっさんとは時間を守って活動しますって言ってある。守るのは当然だ」

「細かすぎるのよ」


 日本人はそんなものだろと思ったが、そうだった、ここはジャースだったな。


「そもそもゲートなら一秒で済むわ」

「|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》が大事だっつってんだろ。本当なら徒歩で行きたいくらいなんだぞ」


 ジャースにはレベル1を超えた作用によって品質を落とすものがある。

 人の手だけで育てている作物全般はそうだし、昨日狩ったニャーを始めとする動物もそう。

 これはジャースの理の次元で『判定』されているらしく、絶対に誤魔化すことはできない。


 ゆえに貴族達は魔法を使えるにもかかわらず、わざわざ貧民に生産させているのである。


 そんな貧民の世界にお邪魔するのだから、俺達もレベル1として振る舞わなければならない。

 俺はダンゴとの演技で慣れてるから良いものの、ヤンデのような魔法に頼りっぱなしの強者にはまず縁がない。日頃から練習しない限り要領は掴めない――ということで、俺は口を酸っぱくして言っているわけである。


「でも――悪くないわね」


 空から降下しながら、ヤンデがぽつりと漏らす。


「そうだな」


 見かけ上は、な。


 愛する婚約者がいて、国さえも一目置く傑物を独占できてて、名高い貴族の令嬢や優秀な同級生ともつるんでいる。

 ぼっち歴の長かった俺もびっくりのリア充ライフだ。


(何とか時間を捻出しなければ……)


 しかし、シニ・タイヨウとして追い詰められつつあるのは間違いない。そうでなくともブーガの頼まれ事があるのだ。

 俺から動いていかなければ、茹《ゆ》でガエルになりかねない。


「来たか兄ちゃん。こっちだ」


 シャーロット家第七領の領主代行、つまりはランベルトの家の前に着地したのだが、おっさんはもう外に出ていた。


 ついていくこと数分。豪邸の一つくらい建てられそうな空き地に着いた。

 中央に小川が流れている。天然の飛び石が豊富で、何人か子供が遊んでいる。おかっぱオリバとお団子ダグネスもいるな。


「ここは自由に使ってええ。持ち主も兄ちゃんだ」


 柵が張られている。この範囲内を使えってことだろう。広さで言えば体育館くらい。

 地形としては傾斜もなく、地面も平らな上に程よく硬かった。悪くないな。


「村人への周知は?」

「見ての通りだ。兄ちゃんの持ち物だから兄ちゃんに従えとも言うとる」

「十分だ」

「怪我はさすなよ」


 そう言い残しながら、おっさんはもう背中を見せていた。「慌ただしいわね」嘆息するヤンデは放置して、俺は早速子供達を呼ぶ。


 さあ、パルクール教室の始まりだ。






「ジーサには子供をいたぶる趣味があったのかしら?」

「ただのトレーニングだよ。それより子供達に手ぬぐいと塩水を頼む」


 地べたには十を超える子供達がぶっ倒れている。


 恥じらいの感覚は乏しいみたいで、半数以上は素っ裸だ。体毛無き幼い肢体の上で汗が光っている。ロリコンには目に毒かもしれない。

 俺はその気はないつもりだが、まじまじ見てると気持ちもわからんでもないと考えそうになる。


「にいちゃん、つよすぎる……」

「むらで一番つよいかも」

「ぶさいくなのに……」


 不細工は関係ねえだろダグネス。またお団子をわしゃわしゃされたいか。


 オリバ、ダグネスにわんぱくワスケも交えたこの三人衆がここら一帯のガキ大将格らしかったので、特に負荷を課してやった。

 俺も同じメニューをこなしているが、ピンピンとしている。手首に巻いた植物が変色していないから不正はない。


 要するに実力差をわからせたとともに、大将格が折れる光景も見せつけたことで、俺はガキ達の舐めた意識をひっくり返した。


「わたし、おにいちゃんとけっこんしたい」

「ぶさいくだよ?」

「お父もお母も言ってたもん。うごける人がいいって。おにいちゃん、お父よりもつよいよ」

「なに言ってんだよオリバ! にいちゃんにはねえちゃんがいるって! オレにしとけよ」

「わかれるかもしれないじゃない」

「よくわかってるじゃないオリバ。ちょうど変態ジーサの身体を真っ二つに分けたかったところよ」


 ヤンデは恐ろしいことを抜かしながらも、子供達に手ぬぐいを渡して拭かせたり、握力も残ってない子には拭いてあげたりしている。

 同時に塩水も飲ませていた。貧民エリアでは主に石や岩から塩が取れるそうで、水に溶かして飲料にする文化が既にある。


 なんだかこき使ってて申し訳ないが、ヤンデはようやく役に立てることが見つかって嬉しいみたいだな。


「見たことない動きばかりだったの」


 こっそり見に来ていたランベルトがそう吐き捨てつつ、俺のそばを素通りする。ヤンデの手から手ぬぐいと瓶をふんだくると、介抱を手伝い始めた。

 子供達は強面の領主代行に世話されてびびりちらかしていたが、手際の良さと温かさを前に、緊張も解けてきた模様。


「やましいことでもなかろ? 何と呼ぶ?」


 追及は終わってないらしい。黙っててもスルーしてくれそうだが、まあいいか。


「……パルクールだ」

「ぱるくーる。不思議な響きだの」


 前世の体系なので出来れば隠したかったが、今さらか。

 傍から見れば何がしたいのか意味もわからないだろうし、ランベルトくらいには教えておいても良いだろう。


「移動をベースとした基本的な身体の動かし方を徹底的に練習して、少しずつならしていくことを目指している。同時に、肉体の破壊と再生を繰り返すことで強化も狙っていく」

「強化? 破壊と再生?」


 手早く子供達をケアするランベルトを待った後、俺達は並んで地べたに腰を下ろす。

 パルクールのコンセプト、人間の身体仕様、発生する症状とその対処など一通り説明をしておいた。


 壊した筋肉は回復するが、このとき、前よりも少し強く補強される――これが超回復と呼ばれるもので、筋トレが頼っている前提でもある。

 用語はさておき、前世では誰もが知っていることだが、ランベルトは知らなかったようだ。


「――特に筋肉痛の件。コイツらの親には適当に説明してやってくれ」


 当然ながら《《本格的な》》筋肉痛にも馴染みはあるまい。怪我や病気と扱われても面倒なので、特に念押ししておいた。

 幸いなのは、重労働である程度体感があったことだろう。すんなり理解してもらえたと思う。


「ねえちゃん、にいちゃんをはなすなよ?」

「おねえちゃん。おにいちゃんとけっこんしてもいーい?」


 懐かれてるなぁヤンデさん。ベタベタされるの嫌いそうなのに、顔が緩んでいらっしゃる。

 などと思っていると、キッと睨んできた。


「構わないけれど、おにいちゃんの身体が分かれるかもしれないわね」

「うんっ。はんぶんこする!」


 しねえし、マジレスするとできねえぞ。俺からは髪の毛一本抜くことさえできやしない。


「にいちゃん! こどもとけっこんしちゃいけないんだぞ!」

「しねえっての……。つか結婚という概念はあるのな」


 ガキの恋路は無視して、おっさんに聞いてみる。


 ランベルト曰く、貧民エリアにおける結婚は生活と性を分かち合う契約に等しい。男は性を求め、女は労働力を求める。

 婚前の性交や幼子との婚姻は認められておらず、厳しく処罰するそうだ。


「子供に手を出したら許さんぞ」

「アンタまで何言ってんだ」

「兄ちゃんからはそういう臭いがするでな。嬢ちゃんを泣かせるなよ」


 どうしてこうジャースの大人達は鋭いのだろうか。


 ロリとの性交体験は前世でも何度も考えたことがあるし、調べ尽くしたことがある。

 それを合法的に許す文化など一つとして存在しなかった。

 人類が出した結論だ。尊重しないわけにはいかない。俺は追求をやめた。


 ジャースがどうかは知らないが、少なくともここ王都では同様の結論を出しているのだろう。

 なら、俺も従うしかない。考えるまでもないことだ。


 と、こういう思考を吐露することさえも許されないのだから不便なものだ。

 俺はただの好奇だから耐えられるが、ロリコンにはしんどかろう。

 以前、前世でロリコンも性的少数派《セクシャル・マイノリティ》の一種だと力説したことがあったが、まあ見事に炎上した。


 この博識なおっさんなら。

 俺の意図を読み取り、パルクールの説明もスムーズに理解してくれたこの人なら。

 常識にとらわれない俺との会話が、議論が、成立するかもしれない――


「なあ、おっさん。ロ――」


 ロリコンについてどう考える?


 喉まで出かかってしまった。

 ……調子に乗りすぎたな。


(俺はシニ・タイヨウだ)


 ぼっちをこじらせた死にたがりにすぎない。

 つまらないプライドにとらわれるつもりはないが、誰かに気を許してはいけないし、まして楽しさや喜びに憧れるなどあってはならない。


 そういったものこそが死を遠ざけるのだから。


「俺の回答だが、誤解だし無論だ」

「……」


 俺が何を言おうとしたか追及もできるだろうに、ランベルトは一瞥《いちべつ》だけ寄越した後、仕事に戻っていった。

第205話 ルナ

 王都中央にそびえる白い巨塔――ギルド本部は最大の象徴にして、最多の利用者を誇る施設でもあった。

 玄関口はターミナル駅のごとく冒険者の出入りが絶えず、露店や勧誘の禁止がもう何十年も前から整備されているほどだ。


 第三週四日目《サン・ヨン》の午後三時と半。


 一人の少女が軽い足取りで外に出てくる。

 白のシャツに茶のワイドパンツ、とどちらかと言えば貧民寄りの格好した外見の彼女が「もっと強くなりたいんですけどね」残念そうに呟いた。


「悪くないペース。無理は禁物」

「わかってますよ」


 ルナであった。

 本来は夕休憩を過ごす時間帯だが、家庭の事情を理由に早引きしていたのである。


「ちなみにユズはレベルいくつなんでしたっけ?」

「黙秘」

「じゃあ私の3倍――150より大きいか小さいかだけでも」

「黙秘」

「けちですね」


 先ほどステータスの申告を終えたばかりであり、ルナのレベルは前回の47から3ほど上がって50となっていた。


 レベルとステータスは条件さえ満たせば自動的に上がるが、それを定量的に知る術はほとんどない。

 数少ない手段の一つが、ギルドに頼ることである。ギルドはステータスを知る手段を有しており、冒険者達は冒険者登録と申告手続きによってこれを利用できる。


「学園には申告する?」

「やめておきます。目立ちたくないですし、ガーナもうるさそうなので」


 話し相手は近衛一号《ユズ》だった。

 周囲に怪しまれることはない。隠密《ステルス》で気配を消し、防音障壁《サウンドバリア》で盗み聞きを防ぐのはもちろんのこと、口元を動かしていることや防音障壁を張っていることさえも悟らせない偽装魔法も駆使しているためだ。


「……我が護衛ながら、寒気がします」


 ユズが行使中の工夫は、第一級|魔法師《ウィザード》のアウラさえもかんたんにはできない。

 そんな芸当さえ朝飯前なのだから、実力差は残酷なものである。


「ローブでも買いに行く?」

「そういうボケは要らないです。それを言うなら、常に裸で浮いてるどこぞの変態こそ、そろそろ服を着るべきじゃないですかね」

「変態。どこに……」


 ユズがきょろきょろとしてしらばっくれる。隠密がなければ、全裸の金髪少女が無表情で白々しく振る舞っているのが見えることだろう。

 しかしルナには視えていた。

 彼女にはレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』がある。近距離であれば、視覚よりもはるかに高精度に生物の位置と形を感知できる。


「全裸で過ごしてる女性なんて貧民にもいませんよ。気持ちはわからなくもないですけど……」

「その貧民エリア。今から行く?」

「行きます」


 学園における早引きは、割に合わない手続きとされる。

 申請すれば誰でも使えるし、非常時は事後報告でも構わないが、罰は中々に重く、早引き一回で卒業が数週間伸びるという。

 具体的にどれだけ伸びるかも定められていないのが、またいやらしい。


 そんな早引きをあえてしたのは、ジーサに探りを入れるためだった。


「ジーサ・ツシタ・イーゼが、シニ・タイヨウ」


 ユズがぽつりと呟く。


「……私に言えたことじゃないですけど、ユズは気付けなかったんですか?」

「肯定。エルフの王女はすぐわかった、でもジーサは第五級《レベル10》にしか見えなかった」


 護衛として気配を消すユズは、ジーサとは一度もつるんでいない。

 しかしルナのそばでその姿を、言動を、何度も目の当たりにしている。


 タイヨウへの思いは同じだ。積もる話もあるだろう。


「あくまで探りですからね」


 既にジーサがタイヨウであるとの疑いは濃厚である。

 今回は意図的に誘わなかったがスキャーノとも同じ見解だったし、ユズ曰くアウラとラウルも断定しているという。


「承知。その後は、どうする?」

「わかりません。でも……」


 ピタッと立ち止まるルナ。

 往来のど真ん中は目立つ。貧しい格好の美少女だからなおさらだが、よほどの無能でもなければそれなりの冒険者だとわかるため、声を掛けられる様子はない。


「でも、私達は……出し抜きたいんです」


 シニ・タイヨウを狙う勢力は多い。

 彼の強さは薄々知っているつもりだが、打ち破られないとも限らない。あるいは逃げられてしまうやも。


 うかうかしていると、永遠に失いかねないのだ。


「国王様には話さない?」

「まだ時期尚早と考えます」


 そしてその勢力にはアルフレッド王国――つまりは父も含まれていると思われる。

 別の言い方をすれば、王女であり娘を殺害した大犯罪人を自ら匿っている。


 ルナはシキ・ジーク・アルフレッドという男の本質をまがいなりにも理解しているつもりだった。

 粗暴で、剛腕のシキと呼ばれるほどのパワータイプで、親バカ――

 そんなものはどれも仮面にすぎない。


 もし仮に、シニ・タイヨウに高き価値があったとするならば。

 それを脅かそうとする因子は取り除くだろう。たとえ実の娘であっても。


「近衛だからといって密告しないでくださいね? 私、ユズに裏切られたら立ち直れません」

「当然。本件は、ルナの友達としてあたっている」

「親友ではないんですね」

「時期尚早」

「ふられました」


 王族専用護衛である近衛と友人付き合いするのも本当はよろしくないのだが、おそらくシキも黙認している。

 ルナはとうに割り切っており、同じ想い人を持つユズを特に懇意にしてきた。


 友達のように会話し、姉妹のようにじゃれ合って緊張を解しながら目的地――北西の貧民エリアに向かう。


「あら、ルナちゃん」


 両肩に荷物を担いだ初老の女性が、汗を滴らせ息を切らしながらも道行くルナに笑顔を向けてきた。

 元々貧民として暮らしてきたルナは、意外と顔が広い。

 特にシャーロット家第七領は生活動線に含まれており、タイヨウと出会う前は二日に一回は通《とお》っていた。


「手伝ってくれるのかい?」

「手伝いませんよ。お子さんは元気ですか?」

「プレイグラウンドに行ってるわよ。あ、プレイグラウンドって知ってる? 昨日できたばかりなんだけどね――」


 おばさんの長話を途中まで聞いた後、「せっかちねぇ」適当な言い分で切り上げる。

 複数人から聞くまでもなく、その情報は妙に具体的かつ整備もされていた。


「聞き慣れない言葉に、この速さと異質感……」

「タイヨウ?」

「ユズもそう思いますか?」


 程なくして会場に到着する。


 小川で区切られた平地の手前側で、二十ほどの子供が地面に這いつくばっていた。


 順番に二人ずつ、片側から反対側へと移動しているようである。

 終点に立っているのは目当ての人物――ジーサ・ツシタ・イーゼ。「腰が浮いてるぞ」とか「体を地面と真っ直ぐにするんだ」などと何やら指導にあたっている。


「これは、何を……しているのでしょうか?」

「経験値稼ぎ。走り込みと一緒」


 走り込みと言えば、|危険な冒険《レベルアップ》をしたがらない貴族が内密に行う鍛錬方法である。

 決してレベルが上がることはないが、やらないよりは幾分かステータスが向上するといわれている。


「それにしては楽しそうですが……」


 動作で言えば、四つん這いの姿勢で進んでいるだけである。

 一般人《レベル1》はすぐに消耗する。子供達の横顔は苦しそうで、倒れている者もいた。


 にもかかわらず、楽しさも嬉しさも滲み出ている。

 もっともあえて見るまでもなく、ワイガヤの雰囲気だけで十分わかることなのだが。現に見に来ている大人も一人や二人じゃなかった。


「てめえら! サボってねえで働け!」


 領主代行のランベルトが大人相手に荒げるのも珍しい。

 ルナも睨まれたので、会釈を返しておく。向こうから話しかけてくることを期待したが、もう背中を見せているので、


「ちょっと、ランベルトさん。ランベルトさん!」

「……おう、ルナ。宿屋が泣いてたぞ」

「そんなことは良いんです。これ、何してるんですか? 全部知ってますよね?」


 領民の様子を見るに、明らかにランベルトによる啓蒙が入っている。


「身体能力を鍛えるんだと」

「ステータスではなくて、ですか?」

「一般人《レベル1》はステータスは上がらんが、身体能力は上がるんだの」


 ランベルトが袖をまくって力こぶを見せる。

 パワーに直結する筋肉をアピールしているわけだが、ここはジャースであり、ルナはレベルの恩恵を受けている側の人間――というわけで首を傾げる。


「超回復といって、壊した肉体は補強されていくんだ」

「何を言っているのかわからないんですけど……」

「だったらおとなしくしておけ。アイツらは本領で正式に雇っていて、見てのとおり忙しい。ひっかきまわすなよ」


 ジーサの他にヤンデの姿もあった。


 エルフの王女だというのに庶民の格好がよく似合っている。あの忌まわしき体質は、子供達を見るに抑えているのだろう。

 態度もずいぶんと柔らかくて、親のような真心でケアする様は普段の学園生活からは信じられない変わりっぷりだ。

 懐かれてもいるようで、見た感じ、数人の男の子が憧れを抱いてしまっている。


 などと観察していると、領主代行の姿が遠のいていく。


「ランベルトさん!」


 これ以上構う気はないらしく、ごつい背中が止まることはなかった。

 ルナが「むぅ……」などとふてくされていると、ふと視線を感じた。


 距離があるため精度は微妙だが、圧反射《レアスキル》による感知がこちらへの振り向きを捉えたのだ。

 不器用な寄越し方だった。白々しさと潔さ、そしてある種の幼さが同居している。

 ルナであれば、いや、ルナでなくても容姿の目立つ女性であれば誰もが飽くほど感じている――男の性的な視線。


 ジーサと目が合った。


 ルナはごく自然に両手を組み、胸元を強調してみせる。彼の挙動は微塵も変わらず、視線は秒で逸れた。

 普段ならチラ見するのに。


「やっぱり警戒されてますね」


 ルナとて鈍くはない。


 ジーサという人間は性にだらしないところがあり、ルナに対する態度も注意も性的対象としてのそれでしかなかった。

 飽きもせずチラ見してくる様は、タイヨウも彷彿とさせる。

 ルナだって人生経験は短くない。そういう男が変わらないことは知っている。


 にもかかわらず、ジーサのそれは第三週に入ってからピタリと止んだ。

 時折思い出したかのように見てくることはあったが、かえってわざとらしかった。


「そして腹が立ちます。私の気も知らないで、他人のふりをしやがって……」

「ルナ。冷静を所望」

「わかってますよーだ」


 ユズのカモフラージュがあるせいで、ルナもだいぶあけすけになっているのだった。


「次の行動を所望」

「ランベルトさんの言う通り、邪魔はできないので静観します。終わったら、隙を見て話しかけましょう」

「何を話す?」

「わかりません」

「そろそろ目標と戦略を立てるべき」

「わかってます」


 シニ・タイヨウをどうしたいのか。どうするべきなのか。

 ルナの中ではまだ答えが出ていない。


「ルナは何がしたい? 何が欲しい?」


 ジーサだけならユズの力を借りれば連行くらい容易いが、今はヤンデがついている。

 そもそもジーサだって正体はシニ・タイヨウであり、本当の実力はわかったものではない。


 仮に反撃でもされようならショックで立ち直れない……ことはないが、考えたくない展開だった。


「わかってますけど……」


 結局ルナは自分が何を欲し何を成すべきなのか結論を出せないまま、ただただジーサ主導の|遊び場《プレイグラウンド》を見学していた。

第206話 ルナ2

「中々空きませんねー……」


 あと三十分で職練の時間が終わる、というところでプレイグラウンドは終了した。

 今は自由時間となっており、子供達は小川で水遊びをしていたが、ジーサの周りには人だかりができている。

 子供達の両親だろう。ざっくばらんに質問に答えつつ、親交も深めているようで、ヤンデとセットで夫婦としていじられているのが遠目でもわかる。


「割り込む?」

「ダメです。貧民の世界を乱すわけにはいきません」


 貧民には貧民の生態がある。

 シニ・タイヨウという文脈を持ち込んで混乱させるわけにはいかない。国を統べる立場としても、尊重しなければならないことだ。


「全員を封じて、二対二に持ち込む作戦――する?」


 状態異常魔法か何かで村人達を封じると言っているのだろう。たとえば眠らせてしまえば、会話も関係も知られずジーサと相対できる。

 そうでもなくとも風魔法で身体ごと拘束し、土魔法で目と耳を塞ぐ程度ならルナでもできた。


「強引すぎると思います。理由がありません」

「宣戦布告?」

「まだ覚悟はないです」


 無論、そんなことをすれば騎兵隊が絡んでくる騒ぎになる。

 ルナの本来の立場であれば封殺も容易いが、この場で平民ルナが王女であると自白するのは軽率だろう。


 第一、王女といえど、そこまでしてジーサにぶつける言葉などそうはない。

 それこそシニ・タイヨウの追及くらいだろう。


「このまま静観?」

「……」


 覚悟もなければ度胸もなく、丹念な作戦も持ち合わせていないルナにできることなどさしてなかった。

 ユズもパートナーとして選択肢を提示するのみ。そもそも彼女は近衛であり、今もルナの友人に過ぎない。立場上、堂々と加担することはできない。


「……現状維持にします。どこかで会話に加わります」


 結局、スキャーノやアウラウルと同様、学園の関係者として接することで観察と警戒にあたるという保守的な行動しか取れない。


「もう知られていることですし、さっさと行きましょう」


 ひとたび決めてしまえば、ルナは行動の早いタイプだった。

 ジーサを一睨みした後、早速歩き出すが、


「――ユズ?」


 姿の見えない気配が追従してこない。振り返ろうとして、しかし傍目には不自然に見えることを思い出し、そのまま進む。


「このオーラ――覚えがある」

「オーラ? 特に不審な存在はいませんけど……」


 ルナの圧反射《レアスキル》は師匠――魔王が目をつけるほどの性能で、生素《せいそ》なるものを感知しているという。

 生素の排出はいかなる手段をもってしても抑えられず、したがってルナの前には何人も存在を隠せない。


「違う。|大気の流れ《エアー・オーラ》」


 ユズはカモフラージュこそ維持しているものの、何を応えず、銅像のように動きを止めていた。

 それは強者と相対した冒険者がよく行う、自分の情報を与えず相手の情報を得ようという臨戦態勢で。


「待ってください。それって、まさか……」


 近衛ほどの実力者がそうせざるをえない相手など限られている。

 そのような傑物は指で数えきることができ、即座に名前を挙げきることもできるが、彼らがこんな場所に来る道理などない。


 唯一ありえそうなのは、ユズ本人から聞かされた、ある青髪の剣士《ソードマン》の話――


「嘘、でしょ……」


 こくりと頷かれたのを、ルナは感知した。


「ユズ。私はもう引き返せません。このままジーサさん達と話します」

「……」

「ユズ!」

「……承知」

「しっかりしてください」

「承知。――平常化、完了」

「さすがです。しっかり守ってくださいね」


 一瞬だけユズから子供のような狼狽を感じたが、さすがに近衛だけあって立ち直りは早い。

 さしづめ克服できていなかったトラウマをこの場で克服しきったといったところだろう。突出しているのはステータスだけではない。


「対象がどの人かを教えてください。可能なら対象の観察をお願いしたいです。何かやりとりをするかもしれませんし」

「どちらも承知。対象は、坊主頭で恰幅《かっぷく》の良い男」

「わかりました。これ以降、会話は切ります」

「承知」


 対象の男は、ちょうどジーサと話しているところだった。

 光沢のある額を自らぺしっと叩くと、笑いが上がった。他の男から肩を叩かれていたりと周囲の馴れ馴れしさから察するに、よそ者ではない。

 ルナは思わず生唾を飲み込んだ。


「ん? どちらさん?」

「なんか見たことあるだ」


 村人達がルナの存在に気付き、その目当てにも勘付く。


 自然と道が開き、沈黙が場を支配した。

 ルナはジーサと向かい合って、


「――んを見せてください」

「なんだって?」

「お手本を見せてください。さっき子供達にやらせていた、あの四つん這いの動きです」

「ああ、モンキーウォークな」


 唐突にして不躾だが、プレイグラウンドの調子を引きずっているのか、ジーサは妙に饒舌だ。

 子供達に向けていた笑顔もつくられたままで、対象の男がいなければ気持ち悪いの軽口でも叩きたくなる。


 小難しい説明を語りつつデモンストレーションもしてみせるジーサだったが、ルナにしては正直興味もなく、また抱ける場面でもなく。

 全く頭に入らないまま空々しい傾聴を続けていると、成り行きでなぜか体験してみることに。


 周囲の大人も巻き込んで、今度は大人編の指導が始まった。






 対象の男と並んでモンキーウォーク――どうも四つん這いの体勢から身体を地面と平行に保ちながら進む動作で、体幹なるものを鍛えるらしいがルナには意味がわからなかった――を行ったときは、生きた心地がしなかった。


 不幸中の幸いは、この男にこの場で何かを成す気がなかったことか。

 あるいは既に何かしたのかもしれないが、あとでユズに聞かねばわからない。


「そうよね! 難しいわよね!?」


 ヤンデが仲間を見つけたような目で顔を近付けてくる。

 学園の時より妙に生き生きしていて、たぶん本人も自覚がなさそうだが、指摘しないだけの優しさは持っているルナだった。


「どうやっても変色しますよね、これ……」


 男にその気がないとわかってから、ルナも素直に場に馴染んでいた。


 ジーサの取り組みは、要するに|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》――魔法もスキルも使わずレベル1相当で体を動かすことだった。

 詳しい理屈はわからないが、一般人は体を動かし続けることで強くなるという。


 にわかには信じれなかったが、そんなことはどうでも良かった。


 ルナは一度としてジーサに勝てなかったのである。

 瞬発力も、持久力も、ちょっと欲張ってみれば、もう手首に巻き付けた植物が変色してしまう。


「ルナも一緒に練習するわよ」

「いや、しませんよ……」


 それでもレベル2とは比べるべくもない。

 農作や狩猟を行うわけでもない冒険者があえて取り組む必要などなかった。


「逃げるのか?」


 ヤンデとの会話に、ごく自然に加わってくるジーサ。

 二人の関係性は明らかに進展していることが嫌でもわかる。


「何ですか? 挑発してます?」

「ああ。レベル47ともあろうお方が逃げ出すとはなぁ」

「これって一般人《レベル1》だからこそできることですよね。どうせジーサさんもその時期が長かったんでしょ」

「まあな」


 ジーサがしれっと答えるのを真に受けるふりをしつつ、内心では猜疑を働かせる。


(そんなはずはない)


 レベル1のシニ・タイヨウと一緒に過ごしたのも。

 ミノタウロスで|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》を成功させたのも。

 そもそも白夜の森で彼の婚約者になったのも、他ならぬルナである。


「ヤンデも。そろそろ切り上げるぞ」

「この後も付き合いなさいよ?」

「気が向いたらな」


 だというのに、当の本人は何食わぬ顔で嘘を吐き、どういうからくりか容姿もつくりかえ、エルフの王女も娶《めと》って、仲むつまじさを見せつけてくる。


「ジーサさん、また遊びに来ますわ」

「ウチはもう勘弁やなぁ」

「代行は仕事を免除する言うてたけど、これはきついわ。ワシは仕事の方がええ」


 村人達も感想を散らしながら帰っていく。

 件の人物――皇帝ブーガが模しているであろう坊主頭の太った男も、相変わらずのいじられっぷりに愛されっぷりだった。


「……」


 とりあえずジーサとヤンデとの距離は縮まったと思いたいが、それにしても。


(わけがわかりません……)


 ジーサは貧民エリアで何故こんなことをしているのか。

 その容姿は何をどうやって実現しているのか。

 王女ヤンデは彼の正体に気付いているのか。


 そして皇帝ブーガである。


 村人との親しさを見るに、潜入は数週間どころの話ではない。はるかに以前から打ち解けているのだとわかる。

 王都の貧民エリアで貧民に模して、一体何を企んでいるのか――


 ルナの内心は混乱しっぱなしだった。

第207話 ルナ3

 午後八時半。ルナとユズは出入口の無い密閉空間の中にいた。

 ユズがストックしている『ルーム』――テレポートスポットの一つである。数日前と同様、巨大な岩か大地の中でもくりぬいているのだと思われる。


 到着早々、ユズは衝撃的な仮説を告げてきた。


 これを受けたルナは、口を開くのに十秒以上を要した。


「――タイヨウさんが皇帝ブーガと繋がって、いる……?」

「肯定。以前、私が防戦している時、タイヨウはブーガに話しかけていた」



 ――ブーガさんとやら。アンタの服はどうして無事なんだ?


 ――私につけば教えてやる。リリースの使い方も、弱点もな。



「まんざらでもなさそうだった」

「服は魔法で固めてるだけですよね。リリースはゴミですけどありふれたスキルなので使い方なんてすぐに調べられます。そんなもののために鞍替えするとは思えませんが……」

「同感。本心はタイヨウにしかわからない」

「でもユズは……そうだと感じたのでしょう?」

「肯定」


 ユズが微笑とともに自身をかき抱く。


「密着していたからわかる。緊迫していたからわかる――あの時のタイヨウは、露骨だった」

「本心が漏れてたってことですね。で、なんで女の顔をしてるんですか?」

「あの時のタイヨウ、可愛かった」

「ぬぅ……羨ましいですね。私ももっとイチャイチャしたかったなー……」


 ルナはユズを引き寄せ、ぬいぐるみのように抱きしめようとしたが逃げられた。

 近衛の抱き心地が良さそうであることは前々から気付いているが、まだ成功したことはない。何でも第三王女アキナに散々やられていてうんざりしているのだとか。


「ルナ。結論を出す」

「……わかってます」


 現実逃避したがるルナとは対称的に、ユズは真面目に仕事をしていた。

 大小様々なゲートをつくっている。いきなり繋げることはせずノック――針のような穴で様子をうかがうほど用心なのも相変わらずだ。


 テレポーター要員であるユズにとって、瞬間移動先のメンテナンスは重要なのだろう。ルナが知らない接続先《スポット》も多数あるに違いない。


 作業風景をぼうっと眺めていたルナだったが、「そうですね」いよいよ重たい腰を上げる。


「タイヨウさんと皇帝ブーガは繋がっていると思います。まずユズが目撃した二人のやりとりから、二人がお互いに興味を持っていたことがうかがえます。それから、アウラさんの話ですね。獣人領侵入者はブーガが退けたとのことですが、これが嘘だと考えれば辻褄が合います」

「二人は密談をしていた」

「そう。その時に何らかの利害関係を結んだのだと思います。混合区域《ミクション》と呼ばれる国策も、タイヨウさんがブーガに提案したに違いないです。今日の|遊び場《プレイグラウンド》見て確信しました――あんな革新的な考えは、タイヨウさんにしかできない」

「だとして、ルナは何を所望?」


 ユズの双眸には射竦めるような厳しさがあった。

 シキとブーガが手を結ぶことは考えにくい。ゆえにタイヨウとブーガが組んでいることを、アルフレッド王国は知らないはずだ。


 底の見えない爆弾に、二国が内密に手をかけている――。


 この件は、取り扱いを誤れば大事になる。


「さっきは静観を決めましたが、そんなことしてても事態は変わらないでしょうし、他の勢力を出し抜ける自信もありません。少しだけ攻めてみようと思います」


 もう作業を終えたらしく、ユズは向き直ってきた。首を傾げて、


「国王様に話す?」

「そうです。ただし、ブーガの件は見なかったことにします。ジーサがタイヨウさんであるという見解だけぶつけてみます」

「……」


 しばし無言の無表情を保った後、ユズは改まって正座を組む。「似合いませんね」ルナは相好を崩してみせるが、伝搬する様子はない。


「何もしなければ、危険もない。それでも、行く?」


 心配してくれているのだとわかった。

 近衛は歴史的に道具として扱われてきた存在だ。ユズもその一人である。そんなユズがこうして歩み寄ってくれているのがルナには嬉しかった。

 この流れをつくったのも、他ならぬタイヨウである。


 内心など決まっていた。

 とうに決まり切っていた。


「行きます」






 王宮内の王族専用エリア――そのごく一部でしかない寝室に、ルナとユズは半ば押し入るように訪れた。


 真っ白としか言い様のない部屋だった。

 天井から吊された発光石が、中央にぽつんと設置された天蓋付ベッドを強調している。そこに潜ろうとしていた上裸の大男、国王シキは予定を変えたらしく、腰だけ下ろす。


「最近ようコソコソしとるよの。人払いは?」

「お願いします。ゴルゴさんと、他の近衛も」


 そばで控えていた白髪白髭の筆頭執事ゴルゴキスタは上品に頷くと、部屋を出て行った。

 近衛は最初からいなかったらしく、ルナの圧反射《オーラ・エコー》でも気配は見当たらない。


「ユズ。防音障壁を張れい」

「承知」

「見てのとおりワシは忙しい。手短に頼む」

「眠ろうとしているようにしか見えませんでしたが」

「休むも仕事よ」


 ふうと肩を落とすシキに、日中の豪快さは感じられない。


「休憩や睡眠不足を突かれるのは、よくあること」

「そうじゃな。たとえばエルフの連中は、物量と連携で昼夜絶えず攻め続けることで、第一級無しに第一級を倒す」


 シキに講釈する程度の余裕はあるらしい。少なくともユズはそうだと読み取ったからこそ口を開いたのだろう。

 ルナにはまだまだわからない機微だった。


「ルナもそろそろ鍛えるべき。国王様の見解を所望」

「同感じゃな。他の近衛にも打診しておこう」

「え、なんで私の教育の話になってるんですか。しかもそれ、辛い感じの内容ですよね……」

「一度や二度くらいは泣くじゃろうて」


 とっくにわかっていたことだが、容赦のない父親である。


「そんなとこに突っ立っとらんで、こっちに来んか。パパと添い寝するか?」

「泣きます」

「相変わらずつれんのう」

「ユズは別。さっきも抱きつこうとしてきた」

「言わなくていいから」

「じゃあユズでええわ」

「え?」


 ぺたぺたと父親に向かっていく小さな裸体を、ルナは思わず止めた。


「ちょ、ちょっと!? えっ? お父様? ……え?」


 ベッドに腰掛ける上裸親父と、手のひらに肩がすっぽり収まるほど小柄な目の前金髪幼女を交互に見るルナ。

 そんな娘の慌てっぷりを見て、シキは「がはは」と豪快に笑う。


「冗談じゃ」

「ルナは頭が固い」

「びっくりさせないでくださいよぅ……」


 直後、緊張していた自分を解《ほぐ》してくれたのだと理解する。「行こう」ユズの後をついて、ベッドに。


「肩でも揉んでもらおうかの」

「必要ないですよね」


 一般人《レベル1》の貧民親子がそうする光景は見たことがあったが、シキは第一級冒険者《レベル129以上》。そんな疲労など無縁のはずだ。


「親子は触れ合いが大事なんじゃ」

「はぁ……わかりました。今日だけですよ」


 ルナは筋骨隆々の肩に手をかけ、乱雑に揉み始める。

 たまらんのうなどとほざく父親を前に、「気持ち悪いです」遠慮無く暴言を吐きながらも、しばし団らんが続く。

 ユズはというと、ベッドで大の字になっていた。曰く「ベッドは貴重」とのこと。


 おかげでルナはリラックスした状態で本題に入れた。


「――聞きたいのは、ジーサ・ツシタ・イーゼの件です」


 シキが手を挙げて、もういいと言外に告げる。

 ベッドに上がり、「どかんか」ユズをどかせて、無造作に寝転んだ。


「彼の正体は、タイヨウさんですよね?」

「よくわかったの」

「……あっさり白状するんですね」

「ここで否定して、おぬしらが暴走する方が面倒じゃからのう」


 ルナは思わず周囲を確認してしまう。

 自分達の反逆を予期して、密かに誰かを配置しているのではと勘ぐったのだ。無論、それは既に警戒を行っているユズの実力を信じきっていないことの表れでもある。


「心外」

「わかってますけど、その……落ち着いて、いられなくて。ユズもですよね?」

「私はもう落ち着いた」

「ルナも見習えい。王族たるもの、いちいち取り乱しちゃいかんぞ」

「ですね……」


 近衛なる最強格の精神と比較されても困るが、王女として必須の能力であることも間違いはない。

 王女という立場と、そこから来る仕事や鍛錬の重さに、ルナは改めて目眩を覚えそうになる。


 それをぐっと堪えて、自然と湧いてくる安堵を素直に吐き出した。


「生きてて良かったです。場所が場所ですから、ひょっとしたらとも思ってて」

「あやつを舐めすぎじゃ」

「お父様はずいぶんとタイヨウさんを買っているんですね」

「買わない方がおかしかろう」


 第二王女ナツナの殺害、ダンジョン|悪魔の巣《デーモンズ・シェルター》に巣くうグレーターデーモンからの脱出、アウラやギガホーンの撃破に、グレン・レンゴクの殺害――。

 シキから語られた出来事は、冷静に見れば見るほど信じられないものばかりだ。


「今後はどうされるんですか? ヤンデさんと結婚しちゃいましたよね」

「卒業までは学園で過ごして、その後はエルフの片腕として働くじゃろうな。あほんだらも交えて、そういう約束になっとるらしい」

「他人事ですね」


 頭の後ろに両手を組んだシキが、じろりと視線を寄越す。


「逆に聞くが、それほどの人物がおとなしくその通りに過ごすと思うかの?」

「……」

「思わない」


 渋るルナに対して、ユズの返答は清々しいものだった。


「ユズさん……」

「タイヨウは、先に進む」


 認めたくない現実を二人は――シキはともかく、ユズも、とうに認めている。


 シニ・タイヨウという人物は、愛する者と一緒に暮らすなどという生活を望む類の人間ではないのだ。


「のうユズ。タイヨウ殿は、何の野望を持っておるのかのう?」

「わからない」

「ルナは?」

「……わかりません」

「じゃろうな。ワシもわからん」


 わからんからこそ、厄介なんじゃ――。


 シキの呟きがこだました。


「……探ります」

「正体を知ってます、とタイヨウ殿に言うつもりか」

「はい」


 現状のタイヨウ――ジーサ・ツシタ・イーゼはエルフの王女ヤンデ・エルドラの婚約者であり、言うなればVIP中のVIPである。

 同級生として垣根はなくとも、平民のルナが会える機会など限られている。


「ヤンデ・エルドラの目をかいくぐれると思うのか?」

「私が思うに、彼女は既に知っています」

「なぜじゃ?」

「男女の仲が進展していたからです」

「タイヨウ殿がエルフの魅力に負けただけかもしれんじゃろ」

「本当にそう思いますか? タイヨウさんは、ナツナのチャームさえ効かない人ですよ?」

「……」


 シキに対してナツナの名を出すことはタブー――とは言わないでも、どこか憚られる雰囲気があったが、それでもルナは出した。

 愛する娘を殺した事実を少しでも思い出させるという小細工だった。


 もっともその程度で一国を支える王が取り乱されることなどない。

 父親の沈黙からは、ルナは何一つとして取り出すことができない。


「――なるほどのう。正体はシニ・タイヨウだという秘密を知る関係に自分も加わりたい、と。そう言いたいんじゃな?」

「はい」


 ジーサに近づけないのなら、向こうから近づいてもらえればいい。

 それがルナの策だった。


「ならん。静観せい」

「なんでですか?」

「均衡が崩れるからじゃ」


 意味がわからず、隣の横顔をうかがうルナ。

 ふるふると首が横に振られる。


「タイヨウ殿にせよジーサ殿にせよ、現状誰にも知られていない関係がある――おぬしじゃろうが」


 太い指で指されたことで、ようやくはっとする。


「……そう、ですね」


 ジーサを疑いタイヨウを狙う勢力からしてみれば、ルナとジーサの接近など棚からぼた餅だ。

 手段は選ばれまい。ルナ程度の実力では、秒で攫《さら》われてしまう。


 無論、近衛がいるから実際は盤石なのだが、そうすると今度は近衛の存在が顕わになる。

 王女であることにも気付かれてしまう。


「新たな王女の出現に加えて、ジーサ殿が二国の王女と二股するろくでなしになるぞい。しかもそやつは片方の妹を殺しておる。そんな奴を、我が国が匿っとるんじゃ」

「不祥事」


 ユズの直球な呟きが寂しく響き、それを上塗りするように「ワシの座も危うくなるのう、がははっ!」寝そべる上裸が笑う。


「全然笑えないんですけど……」

「ルナよ。ユズの専任を許可したのは、おぬしがそれだけ重要だからじゃ。おぬしが堕ちればワシも堕ちる。いや――アルフレッドが堕ちると思え」

「……」

「せきにんじゅうだい」

「ゆ……」

「ゆ?」

「ユズさぁぁん……」


 事の重大性を認識したルナは、半ば本気でユズに泣きつくのだった。

第207.5話 行間

『ユズさぁぁん……』


 近衛の口から、姉の情けない悲鳴が再現されている。


 薄暗い部屋だった。

 何千という本の散らかりっぷりはシルエットでもわかる。それはベッド――天蓋は邪魔なので取っ払われている――にも侵食しており、本人でもなければ寝るスペースの発見も難しい。


 その本人はというと、椅子に腰掛け、分厚い辞典のような本に目を通していた。


「もう結構よぉ」


 盗み聞きの終了を指示しつつ、自身のメガネを外して立ち上がる。

 と、その時だった。


『アキナ。おぬしもじゃぞ』

「うぇっ!?」


 珍しく狼狽してしまい、尻餅をついた。ちょうど本の角に座る格好だったが、一般人《レベル1》からはかけ離れている。痛みはない。


「独り言?」

「違うわねぇ……。前々から気付いていたんだわ」


 尻を叩《はた》くこともせず、第三王女アキナは近衛に近づいていく。


「レモンは無罪」

「知ってるわぁ。お父上は意外と多芸なのよ。レモンちゃんに聞かれているかもしれないからって、念を入れたのねぇ……」


 一号《ユズ》による盗み聞き対策は、近衛の実力に違わず鉄壁とされている。

 それさえも突破してみせるのは、近衛の中でも落ちこぼれとされるレモンの持ち味であったが、アキナのみが知っている秘密だった。


 その事を父親シキは知っている。

 のみならず、知っていることを露呈させてまで警告してきた――


「おとなしくする?」

「するわけないじゃない。そのお父上やナツナ姉様が一目置く男よぉ?」


 アキナは近衛四号『レモン』の小さな体躯を抱き込み、嫌がっているのも構わず頬ずりをする。


「アキナ様は悪い子」

「そうよねぇ。悪い子はお仕置きしなきゃ。ほら、レモンちゃん、私をお仕置きしなさいな。ドレスアップ――ネイクド」

「もう飽きた。また明日」

「性癖に退屈はないのよぉ。早くしないと、また犯すわよ?」


 裸体を晒した王女が、にこりと微笑む。


「……承知」


 レモンは自らの口で王女の身体に触れる。

第208話 お忍び

 第三週五日目《サン・ゴ》の、あと数分で昼休憩になるという時に。

 戦闘に関する高度な話で盛り上がっているアウラウルとヤンデを尻目に、俺は何をしているのだろうと途方に暮れていた。



 ――明日の晩、学園が終わる前に迎えを寄越そう。


 ――サリア殿への周知は私が行っておく。貴殿は素知らぬふりをしていれば良い。



 昨日の|遊び場《プレイグラウンド》活動中、とうとうブーガが接触を図ってきた。会話にはアウラはおろか近衛でも盗み聞きできない練度の魔法を使ったという。

 実際、なぜか遊びに来ていたルナにも、そしてそのそばで潜んでいたであろう近衛にも気付かれた形跡はない。もし気付いていたなら、間違いなくシキ王にも知らせているだろうからな。


 シキ王からのアプローチは無かった。

 ということは、気付かれていなかったということだ。


(ただ死にたいだけなんだけどなぁ。これじゃ社畜じゃねえか……)


 王立学園の生徒に、エルフ王女の婿に、プレイグラウンドの運用責任者――


 どこの仕事人間だよ。

 自殺希望者とは思えないほど眩しい肩書きの数々である。


(結局目の前の仕事を潰していくしかねえんだけどな)


 所詮未来なんてなるようにしかならないのだから今を生きよ、とは言わずと知れた真理である。

 わかってはいるが、それでも道筋が見えていないと気が晴れないものだ。そもそも俺は生きる気さえないのだから当てはまらねえし。


 そんな風に内心だらだらしていると、


「アウラ先生。ラウル先生」

「……ミライア。どうしたんだい?」


 神経質そうなメガネ教師ことミライアが慌てた様子で入ってきた。「急務です」それだけ言って、くいっとメガネの位置を直すと、もう背中を向けて走っていった。


「行くよアウラ」


 特に盛り上がっている女二人から、魔法使いの方が引っこ抜かれる。風圧が遠慮なくて、レベル10の俺は吹き飛ばねばならなかったのでそうする。

 ヤンデが秒で風魔法の壁をつくって止めてくれたが、目は何か言いたげだ。首を傾げてみせると、「良いところだったのに」俺のせいじゃねえよ。


 教師陣がばたばたと走っていくのを透明な校舎越しに見下ろしていると、入れ替わりでいつものメンツが近づいてくる。

 そいつらは|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》のペースで上がってきて、俺達に合流した。


「今日は一緒に食べられるね」


 並んで座る俺達の、ヤンデの隣にスキャーノが腰を下ろす。

 小さなゲートも唱えて、紫蘇みたいな葉っぱでくるんだ拳サイズの肉団子? みたいなものを何個も取り出している。


 ガーナは俺達の目の前、教壇に座ってきた。意外と洗練された所作でスカートの中は見えそうにない。

 行儀は冒険者らしく、風魔法でスキャーノのメシをかっさらっている。


「ジーサさん。あとで勝負しましょう」


 俺の隣に座ってきたルナが、そんなことをほざいてきた。「勝負?」メシの奪取を諦めたスキャーノが視線つきでルナ、つーか俺を見てくる。


「昨日貧民エリアで偶然お二人と出会ったんです。子供達の遊び場を運営してました」

「ジーサ君がそんなことを?」

「商者《バイヤー》の職練だよ」

「あまりジーサを舐めない方がいいわよスキャーノ。この男はこう見えて、子供には真摯なのよ。変態ね」

「一言余計だ」

「オリバの肢体をじっくりねっとり眺めてたじゃない」

「誤解だ」


 将来美味しそうに育つんだろうなとか、ほんのかすかに胸の膨らみが見て取れるなあくらいは思ったけども。


「オリバ?」

「ジーサに惚れてる女の子よ。結婚するとも言ってたわ」


 俺をいじりたがるヤンデさんは、どこから引っ張ってきているのか中華料理フルコースみたいな品揃えを次々と置いていく。


「ジーサ君……」


 ヤンデはともかく、スキャーノの態度にもだいぶ遠慮がなくなってきたな。キモいという言葉が飛び出しそうな程度には露骨だ。

 と、そのとき、「羨ましい……」そんな呟きが隣から聞こえてきた。


「……は?」

「え? 何勘違いしてるんですか? 私は愛する人と過ごす暮らしぶりが羨ましいと言っているだけで、ジーサさんのことは引き続き気持ち悪いと思っています」

「いや、今の流れだと、俺に惚れてるようにしか聞こえなかったが」

「ヤンデさん。殴っていいですか?」


 俺の許可をすっ飛ばすな。


「許可するわ」

「おい」

「じゃあぼくも」

「じゃあの意味がわからん……で、さっきから気になってるんだが」

「はひほ?」


 スキャーノお手製、かどうかは知らんが、よくわからん肉団子をむしゃむしゃ食ってるガーナはさっきから俺にご執心の様子。


「俺に何か言いたいことでもあるのか?」

「……ふうん。意外と優しいじゃない」


 ガーナの口元に小さな水流が走り、食事中とは思えない綺麗な唇がぷるんと光沢を見せる。

 この金髪、よく見ると顔の造形もエロいんだよな。色気ムンムンってやつ。


「さっきからアタシが会話に加われるよう気を遣ってたでしょ」

「んなわけねえだろ。その露骨な谷間が気になってただけだ」

「またそういうこと言う……」

「スキャーノも男ならわかるだろ」


 もはやコイツらには自虐も露悪も効かないが、下手に取り繕ってぼろを出すのも嫌なのでとりあえず続けてみる。

 これで堂々とガン見できると考えれば、悪くない。


「男なら誰でも変態ってわけじゃないからね。ジーサ君だけだよ」

「そうか? スキャーノみたいなおとなしい奴に限って、とんでもない性癖抱えてたりするものなんだぜ?」

「そうなんですか? あ、いただきますね」

「違うようで……」


 俺に向けて嘆息してくるスキャーノ。

 ルナはヤンデのフルコースから一つをつまんでいた。ムカデみたいなモンスター? を揚げたものに見えるが、平然と口に運んでいらっしゃる。


「ジーサ。ヤンデ。アタシと性交しない?」

「……なぁ。しれっととんでもない誘いを受けた気がするんだが」

「性交しないかって言ってるのよ」


 ガーナは立ち上がり、俺の目の前でどんっと片手をついてきた。もう片方では肉団子を持っているので非常に行儀が悪い。


「あなたも懲りないわね。エルフでもしつこかったと聞いているけれど?」

「さすがに王女はマズいんじゃないかな」

「ガーナらしいと言えばそうですけどね」


 三人の感想はスルーして、「訓練のお誘いよ」ガーナが続けてくる。ヤンデではなく俺を睨んでいるのは何なん。


「性交訓練《セクササイズ》という言葉は知っているかしら?」

「知らないわね」

「私も知りません」

「知ってるけど……」


 ガートン職員だからなのか、博識だなスキャーノは。

 とりあえず語感からエロそうってのはわかるが。


「説明してみなさい」

「嫌だよ」

「性交を通じて色んなことを鍛えるのよ。異性に対する免疫や、行為に対する順応。お互いを気持ち良くさせる技術に、興奮させて判断力を鈍らせる技術でしょ、それに――」


 ヤンデの豪華だが得体の知れないメシ達を適当に腹に入れつつ、しばらく傾聴に徹した。


 意外と真面目な話だった。

 そして赤裸々でもあった。刺激が強すぎたのか、スキャーノは顔を赤くしている。コイツから鍛えてやれよ。


「なんつーか奥深いのな」

「あなた達は経験が浅いでしょ? でも立場上、軽率なこともできない。そこでアタシよ」

「あ、浅くはないわよ! むしろ深い方だわ!」

「弁明するとみっともねえぞヤンデ」


 負け犬の遠吠えを自覚できたのか、ヤンデは「ふんっ」となぜか俺にキレながらもメシに逃避した。

 手を使うことすらせず、常に魔法で口元まで運んでいる。デフォルト・パフォーマンスはどうした。


「それで、どうするって?」


 ガーナは手についた油をぺろりと舐め取り、妖艶に微笑んでから。


「オードリー家の一人として、正式にあなた達を導くわ」


 なんか面倒くさそうなことを言ってきた。

第209話 お忍び2

「オードリー家の一人として、正式にアンタ達を導くわ」

「商魂たくましいね……」


 スキャーノの感想を聞いて、俺もピンと来る。


「要するに娼館の商売を押し売りしてんのか? 押し売りは嫌いなんだが」


 俺は訪問販売もダイレクトメールも|チラシ投函《ポスティング》も全部滅びればいいと考えるクチである。


「そうじゃないわ。アタシはまだまだ商者《プロスター》を名乗れない。これは練習よ。あなた達で練習したいの」

「お互いに練習しようってわけね」


 ヤンデが横顔で悪くないと言っている。

 アレだ、内心は買いと決めているのに悩むふりをしている主婦みたいな顔つき。


「それって私も参加していいですか?」

「ル……アンタも何言ってんだ」


 思わず素が出そうになったが、ルナのジト目を見る限り、たぶん怪しまれた。


「誤解されちゃ困るが、俺は性交できねえぞ? エルフ達でも歯が立たなかったんだからな」

「そうだったわね」

「え? どういうことですか?」


 ルナがずずいっと顔を近付けてくる。距離感……。

 お前、やっぱり俺の正体に気付いてないか?


「リンダから聞いているわよ。選りすぐりのエルフ五人でも、ジーサのそれは全く反応しなかったって」


 スパームイーターを入れられた時だな。


「だからジーサ君は変態を演じているの?」

「違うと思いますよ。不能な男は暴力に走るそうですし」

「どっちも違えよ」

「みんなバカね。一つ重要なことを見落としているわよ。ジーサは胸の大きな女が好き。だからエルフでは興奮しなかったのよ」


 前者は否定しないが、因果関係は間違ってるな。

 バグってる俺は、何をどうやっても興奮することはない。


「アタシなら問題ないわね」

「私も行けますよ。ジーサさんはちらちら見てきますしね。最近はそうでもなかったですけど」


 いちいち含みを持たせた言い方を混ぜてきやがる。ガーナはガーナで、さりげなく胸を強調して、これがまたエロい。

 前世の俺だったらとうに鼻の下が伸びてる。


「その話、乗ったわ」

「乗ってんじゃねえよ。俺が他の女と性交してもいいのかよ?」

「行うのが性交訓練で、私も同席するのなら構わないわ。癪ではあるけれど、何事においても訓練と経験は大事だもの」

「限度ってモンがあるだろ。そもそも俺達はエルフの王族階級だ。大問題になる」

「今は生徒にすぎないし、ここは王立学園よ? 娼者《プロスター》も扱っているほど性にも力を入れているわよね?」


 ジャースの女の価値観がまるでわからん。

 いや、ヤンデというサンプルだけから一般化するのは愚の骨頂だし――無闇な一般化は先日も注意されたばかりだな――そもそも俺、前世の女のことも全然わかってないけどな。


「そうなのかスキャーノ?」


 まともそうな優等生に投げてみると、「そうだね」あっさりと肯定が返ってきた。


「明示的に拒否しない限り、卒業までに一回は訓練することになるとは思うよ」


 マジかよ。性に寛容すぎねえか。

 娼者《プロスター》という職業があるくらいだから今さらなのかもしれないが、性は隠すべきものとされた前世の人間からすると違和感が凄い。嫌いじゃないです。


「スキャーノも混ざるか?」

「怒るよ?」


 俺のふざけた問いに対し、なぜか胸元を隠すスキャーノ。

 男が女々しい真似してんじゃねえよ。中性的だから似合ってるけど。男の娘が好きな奴にはたまらないだろう。残念ながら俺は射程外だが。


 性転換《TS》やネカマもそうだが、ノンケのくせに同性の成分を混ぜることだけは未だに理解できん。


「ヤンデの言い方から察するに、二人はもう《《した》》ようね?」

「したんだ……」


 そんなスキャーノが自分を抱く姿勢のまま赤面する。

 ルナはルナでなぜか頬を膨らませているし、ヤンデも「ま、まあね……悪い!?」ともにょもにょから半ギレという情緒不安定っぷりを見せている。王女なんだからもっと堂々としないか。


「――何かしら?」


 ふと、ヤンデが冒険者の表情をつくったかと思えば、正門の方を向いた。


 ここのメンツは全員が実力者だ。秒と待たずに雰囲気が切り替わっている。仮に今、ゲートやテレポートで誰かが攻めてきても難なく対応できるだろう。

 いきなりの緊迫ムードを前に、「どうした?」とりあえず俺が聞いてみると、


「どこのパーティーかしらね。客人のようだけれど」

「さっき先生達が慌ただしく出て行ってたわね。どこかのお偉いさんじゃない?」

「み、見に行ってみよう!」


 スキャーノががたっと立ち上がった。状況はよくわからないが、コイツが下な会話から抜け出したいってのはわかる。


「アタシも行くわ。詳しい段取りはまた話すわね」

「おい、まだやると決めたわけじゃ……」


 思わず挙げた俺の手を、ヤンデがバシっと叩《はた》く。


「王女の私が決めたのよ。あなたは従いなさい」

「何で俺が尻に敷かれにゃならんのだ」


 地味にレベル9相当のパワーなので、俺は痛がる演技をしなきゃならなかった。


「いい気味です。私も参加しますので」


 ルナがあっかんべーつきで何か言ってやがる。この馴れ馴れしさは何かの駆け引きなのだろうか。

 俺は気付かなかったことにして、席を立つ。


(ダンゴ。クロ。ヤンデ以外と性交する展開が来るかもしれん。備えておけ)


 ルナもそうだし、今日になって突然接近してきたガーナにも嫌な予感しかしない。何とか断る口実をつくらねえとなぁ。


 風魔法で浮かせたメシとともに、俺達は正門へと向かうことになった。

第210話 お忍び3

 ジーサが居心地悪き昼休憩を過ごしている間、アウラとラウルを含む教員一同とハナ・シャーロットを始めとする貴族代表は来客の対応に追われていた。


 来客の集団は校舎前で二分した。

 うち片方、一目で戦闘力の高さをうかがわせる者達をハナら貴族勢がAクラス校舎――つまりは高貴人専用エリアへと案内し始める。


 対して、残った側は、一目で貴族とわかる装いだった。

 ついているのはアウラとラウルだけだ。


 特に目立つのが二人――茶髪の三つ編みでメガネをかけた貴婦人と、澄み切った空のように明るい青髪の幼女だ。アウラウルを配置したことの意味を考えれば、この二人こそが最も高貴なのだとわかる。


「らうる! らうるー!」

「頼むから落ち着いてくれないか……」


 幼女を抱えているのはラウルだ。頬をぺしぺし叩かれたり、鼻や耳を引っ張られたりとやりたい放題されている。

 集まった野次馬からの「可愛い~」「ラウル様も骨抜きだね」などどいった声が、彼をむずむずさせる。


「ふーちゃん、私はどうかな?」

「びみょう」

「……」

「アウラ。幼子に真顔を向けるんじゃない」


 客人は表向きギルドということになっている。

 元々ギルドによる視察と会合は組まれており、教員数人が応対する程度の小さな出来事だった。

 それが昨日、突如として緊急案件に昇格したのである。


 第三王女の仕業と思われる。


 アキナ・ジーク・アルフレッド。

 王国の第三王女であり、あまり表には出てこないが、既に政治面で辣腕《らつわん》を振るっている才女だ。

 変態としても知られており、ラウルとしては絶対に関わりたくない人物の一人だったが、今は国に属する教師でしかないため抗えない。


「おかしいなー、私、これでもチャーム持ちなんですけど」

「そういう醜い内心を見抜かれているんじゃないか。子供は意外と鋭い」

「どういう意味ですかラウル」

「どうもなにも、言葉どおりだ」


 ラウルとしては、とにかくなるべく絡まれないように立ち回る他はない。

 アウラと会話しているのもそのためだし、「らうるのおめめ!」目に指を突っ込んできたりもする幼子――第四王女フユナ・ジーク・アルフレッドのお守りを柄にもなく引き受けているのもそうである。


「そうじゃなくてですね、もうちょっとこう、表現を考えてほしいんですけど」

「君相手に遠慮など要らないだろ」


 ラウル達一同は校舎の奥へと進んでいる。どこに向かうかはまだわからない。


「私が一番好き、と」

「好きというか、利便性は高いね」

「殴りますよ?」


 アウラが殺意のオーラをちらつかせる。野次馬の二人に一人はびくっと反応していた。


「ふふふ。相変わらずねぇ、二人とも」

「あーちゃんもそう思います? 思いますよね? ラウルってばとにかく頭が固いし、繊細のかけらもないんですよ」


 アキナは自身のことをあーちゃん、フユナのことをふーちゃんと呼ばせている。

 一応変装と、アウラによる容姿改変の魔法を施しているとはいえ、お忍びにしてはお粗末と言えた。


「……」


 ラウルにはアキナの目的がわからないでいた。


 よからぬことを企んでいるのは間違いない。

 でなければ、こんな急ごしらえな予定などねじこまないし、第一級冒険者二人を決め打ちで指定してくることもあるまい。


 要するに自分達は警備役なのだ。

 この要人二名は、命に替えても守らなくてはならない。


 しかしラウルは冒険者であり、国に忠誠を誓った騎士ではない。そんな気など持たないし、アキナもそれくらいはわかっているはずだ。

 そもそも守備という意味なら既に近衛がついている。


 あえて別の護衛をつけることの意図は一つしかなかった。

 これはアキナの独断であり、いざとなれば国の――たとえば父親からの干渉にも抵抗するつもりなのだ。


「ラウル君? どうしたの?」

「いや、その……」


 人の気も知れず、アキナが顔色をうかがってくる。「照れてるんですよ」などとおちょくってくるアウラはさておき、この御仁を無視するわけにはいかない。


「この子、そろそろ引き取ってもらえないだろうか……」


 とりあえずフユナを差しだそうとしたが、「やっ!」秒で抱きつかれた。


「ふーちゃんに言ってください」

「なあ。そろそろ離れてくれないか? 君も女性に抱かれた方が良いだろう?」


 言われたとおりフユナを説得し始めると、なぜかアキナがくすくすしだす。そんな様子を隠しもしない。

 困っている自分を見て楽しもうという魂胆が丸見えだ。


「らうる、ふゆなのこときらい?」

「ああ。大嫌いだ」

「うわぁ最低です」

「ラウル君。もうちょっと言葉を選ぼうよ」

「そう言われても……」

「ふゆなはすきっ!」


 女三人に男一人。ラウルは分の悪い時間を過ごさねばならなかった。


 そうこうしているうちに、Fクラス校舎までやって来た。

 生徒は誰もいない。さっき野次馬の中に含まれていたのだから当然だ。


 気になると言えば、その中には件の二人組――最近婚約したばかりの慈悲組《ジャンク》カップルが見当たらなかったことか。


「ふーちゃん。どっちに行く?」

「こっち!」


 行き先はフユナに委ねているようだ。

 彼女の小さな指は、地面を――もっと言えば図書室の方向を指している。


「地下には何があるの?」

「図書室ですよ。おっかない人が守ってます」


 番人については同意するラウルだったが、せっかく女二人が会話する流れになっているのを止めたくないので加わりはしない。


 予想どおり、行き先は図書室だった。

 どことなくそわそわしだすフユナをぽんぽんと優しく叩いてなだめていると、ぬっと一人の男が出てきた。


 この場には断じてふさわしくない槍を持っている。

 その顔に張り付いているのは、採用者の正気をうかがうほどの強面。


「小娘。何をたくらんでやがる」


 第一声がこれである。

 自分達と同様、第一級の実力があるとはいえ、王女を小娘呼ばわりする胆力は相変わらずだった。


「ご無沙汰してます。どいてもらえます?」

「用件を言え」


 問答無用で進路を塞ぐあたり、勘の鋭さも衰えていない。

 貴重な知の海を守護する大役を一人で任されているのも頷ける。


「ふーちゃん! デザイアおじさんに突撃よぉ! ――ふーちゃん?」


 幼子を利用せんとするアキナの作戦は、早くも頓挫する。

 フユナはというと、さっきからそわそわしっぱなしだ。ラウルにべたべた触れてくるのも嘘のように止んでいる。


「デザイアさん。通してもらえませんか」

「てめえらまで何言ってやがる」


 アウラもフユナの違和感に気付いたらしく、闘志のオーラをちらつかせている。

 が、デザイアにその気はないらしく、あっさりと道を空けてくれた。「静かにしねえと叩き出すからな」ラウルとアウラは会釈をして通り過ぎた。


 豊富なジェスチャーで急かしてくるフユナに従い、静かに、しかし急ぎ足で奥へと進んでいく。


 本棚の森を越えた先の、机の群島。

 その一画に、二人っきりの世界をつくっている男女がいて。


「たいよー!」


 フユナが今日一番の叫声、あるいは嬌声にも等しい歓喜をあげた。

第211話 お忍び4

「たいよ-!」


 フユナの熱烈な呼びかけは、しかし何やら勉強中の王女カップルには届かない。

 アウラが防音障壁を張ったからだ。おそらくフユナの発した言葉を聞かれると何らかの対策をされてしまうからだろう。


 つまりアウラは、フユナの発言をシニ・タイヨウへの懐きだと捉えており、その事をジーサも知っていると考えている。


(同感だ。けど……)


 ヤンデはそれ以上だった。

 アウラの展開をくぐりぬけて、声の振動をかっさらったのがわかった。

 魔法使いでないラウルの体感でさえ、《《無詠唱の》》詠唱速度は歴然――


 場に緊張が走り、新規戦闘時にはお決まりの静観モードに突入して、「はやくいくのっ!」唯一フユナだけが空気を読まない。

 あれほど懐いていた幼女は、もうジーサしか見ていなかった。


 ラウルは苦笑を漏らしつつも、ゆっくりと近づいていく。


 その間、ジーサとヤンデは向き合ったままアイコンタクトを交わしているようだが、盗み聞きを警戒してか、口元は動かさない。


(黒だな)


 ラウルの中で、ジーサはタイヨウであるとの疑いが改めて確信に変わった。


 ヤンデはアウラよりも格上である。盗み聞きなど警戒する必要がない。

 にもかかわらず警戒しているのは、近衛がいるとわかっているからだ。それはすなわち、この茶髪の少女と青髪の幼女の正体を――少なくともフユナを知っていることに他ならない。


(おそらく会ったことがあるのだろう――シニ・タイヨウとして。しかしそうなると、いよいよシキさんの関与も濃厚だな)


「たいよー! たいよー!」


 フユナのじたばたが一段と激しくなる中、「――は?」ラウルが思わず漏らす。


 なぜかジーサとヤンデがキスをした。

 ジーサが衝撃波を度外視した頭突きのような突撃をして、ヤンデがそれに受け止めつつ相殺も行った、といったところだ。


「あらぁ。お熱いじゃない」


 アキナは呑気に呟きつつ、そばのテーブルから椅子を引いて座る。


「ラウル君。早くふーちゃんを」

「ああ、はい」


 デフォルト・パフォーマンスの駆け足で近寄り、ジーサのそばにフユナを置く。「たいよー!」フユナがタックルの如く飛び込んだのと、二人の口づけが離れたのはほぼ同時だった。


 ジーサが優しい手つきで受け止める。同じくデフォルト・パフォーマンスだったが、ラウルでも再現できないほど無駄の無い動きで、優れた貧民を彷彿とさせた。


「ラウル先生。この子は何です?」

「第四王女フユナ・ジーク・アルフレッドだ」

「……」

「愛くるしいわね」


 反応を停止させたジーサとは反対に、ヤンデが早速指でつんつんしようとしたが、「やっ!」弾かれていた。「なっ」などとエルフにしては豊富な表情も見せている。


「ねえラウル。教育がなってないのではないかしら?」

「僕に言われても困る」


 ラウルが視線をフユナの姉に向けると、「私に言われて困るわねぇ」アキナがふふっと淑女の微笑みを浮かべる。


「そちらのおっぱい女は第三王女のアキナ・ジーク・アルフレッドと考えていいのかしら」

「え、そうなのか?」


 ジーサがフユナの猛攻を封殺しつつ、離れたアキナの方を向く。


 演技が白々しく感じられるのは、シニ・タイヨウだと知っているからだろうか。

 その目線が胸元に行ったように見えたのは、彼が変態だと聞かされているからだろうか。


「見破るとはさすがねぇ」


 ちなみにアキナはアウラ以上に胸が大きく、服装や姿勢程度では到底隠せるものではない。

 運良く目撃できた冒険者の男は、口を揃えて下品な欲望を吐く。ラウルが聞かされたり同意を求められたりしたことも一度や二度ではなかった。


「アウラちゃんの立つ瀬がないわ」

「傷を抉るのはやめてくださいよぅ……」

「ラウル君。パートナーなんだから癒やしてあげないと。キスが効果的よ」

「しませんよ」

「アキナ様。王女命令で行使してください」

「君も何を言ってるんだ……」


 盤外戦術でもあるのだろう、くだらない会話を交わす二人だったが、ジーサ側も今のところ何かを仕掛けてくる様子はない。

 さっきのキスも意味不明だ。あるいは、既に仕掛けた後なのか。


「それで、この小さな王女様はなぜジーサに懐いているのかしら?」

「俺を睨むな」

「僕を睨まれても困る」

「私も何も知りませんよ」


 順に視線を寄越すヤンデ。最後に向かった先からは、「久しぶりにエルフも食べたくなってきたわぁ」素っ頓狂な発言が飛び出す。


「ガーナと同じ臭いがするのだけれど」

「もっと酷いと思うよ……」

「ラウル君? 余計なこと言うと、また食べちゃうよ? それとも食べさせられたい?」

「一度として応じたことはないよね。ねつ造しないでもらえ――」


 ラウルは会話に乗りつつも、決して油断などしていなかったが。



「【マルチテレポート】」



 聞いたことのない、しかし無にも等しい詠唱を前に、ろくに反応することも叶わず――


「なん、だと……」


 気付けば、校舎の外に出ていた。

 通行中の生徒達が驚いている。本来なら教師として守るべき存在だが、ラウルは即座に意識の外に追いやった。


 無論、そんなことをしなくても、ヤンデからは威圧のオーラが濁流のごとく押し寄せている。


「先に振ってきたのはそっちよ」


 エルフの王女は、四つん這いのジーサの上に座っていた。「俺を椅子にするな」「うるさい」そのしょうもない掛け合いも一種の攪乱《かくらん》なのだろうが、とらわれてはいけない。


「やっ! たいよーがいいっ!」

「私が言うのもおかしな話だけど、この男のどこがいいのかしらね」


 フユナはヤンデに抱かれており、オーラも浴びせられている。

 並の冒険者では失禁しているに違いない。にもかかわらず、幼い身体はただただその椅子――ジーサを渇望し続けている。


(アキナもそうだが、王家の血はつくづくでたらめだよな……)


 でたらめと言えば、目の前のエルフもそうだ。


「何を企んでいるのかは知らないし、知るつもりもないけれど、私は誰が相手でも容赦はしない」


 ヤンデ・エルドラは生徒の一人にすぎないし、学園内においてはフランクに接することも許されているが、一族の王女であることに変わりはない。

 当然ながら、教育の領分を越えた干渉など許されることではない。


 わざわざ念を入れるまでもないことだ。

 あるいは、立場というものを改めて知らしめたのかもしれない。


(不自然だ)


 ここ数日、主に座学の時間帯で濃厚に接してきた。

 ラウルから見た彼女は、好奇心が旺盛で責任感も芽生え始めた、よくあるルーキーのそれだった。

 実力があるからといって、こんな露骨な脅しを行使する人柄ではない。


「お返しするわ」


 フユナの身体がふわふわと浮いて、アキナの手元に戻っていく。


 姉の手がばしっと弾かれたとき、ジーサとヤンデは姿を消した。


「……なんて速さだ」


 背中の大剣を抜刀する構えを見せていたラウルが、その手を下ろす。

 大陸随一の剣士《ソードマン》でさえ全身全霊を尽くさなければ追いつけないほどの無詠唱など、滅多にないことだ。


「あーちゃんはいやっ! たいよーがいいのっ!」

「もぅ、暴れないのー」


 じたばたする妹に苦笑を張り付けるアキナ。

 張り付けたのだとわかる淡白さだ。実質何の情報ももたらさないその横顔に、ラウルは問う。


「どういうことか説明してくれないか?」


 ふーちゃん、あーちゃんとの呼ばせ方もアキナの要望である。フユナを使っているところを見るに、明示的に仕込んだものと考えて良い。


「さすがに口にはできないわねぇ」

「ふーちゃん。取り乱してましたね」

「……」


 アウラも話を振ったが、アキナが拾うことはなかった。

第212話 サンドバッグ

 第三週五日目《サン・ゴ》の午後六時。

 俺はリンダのお出迎えによりエルフ領に入り、女王サリアの案内のもと、ブーガとの接触を果たす。


 場所は北ダグリン人間領の、とある会議室らしい。ゲートでばかり移動しているから詳しくはわからん。

 部屋は広いが殺風景で、椅子がぽつんと置かれているだけだ。机すらない。


「おぬしらは何を企んでおるのじゃ?」

「詮索は控えた方が良い。貴殿の身のためにもな」

「わらわを脅すか」

「事実を述べたまで」


 対外的にはジーサがサリアに呼び出されたことになっている。

 他国の女王ともなれば最優先事項だ。国王シキでもなければおいそれとは干渉できないし、内容を秘密にすることも容易い。


 仕組んだのはブーガだった。

 俺との時間をつくるために、サリアをこき使ったのだ。


 まあその反動として、こうして俺達の関係が露呈してしまっているわけだが。


「……なんです?」


 女王のマジ睨みがマジで怖い。絶世の美人なのは間違いないので、なんていうか新しい性癖に目覚めそうだ。


「娘とはもう《《した》》ようじゃの」


 胸中の思いをぶつける気はないらしい。明らかに上辺の話題を振られたのだとわかった。いや、わかるように演じたのだろう。


「子の事情に踏み入るのは大人気《おとなげ》ないと思いますが」

「そのような矮小な問題ではない。わらわを軽く凌ぐヤンデに、巷を賑わせるシニ・タイヨウ――この組み合わせはちと激しすぎるのじゃ」

「……なんで俺の正体を知ってる?」


 ブーガにも目で問うてみるが、そのままサリアにパスされた。何か言えよ。


「シッコク・コクシビョウが暴いたと聞いておるぞ」

「そうか、あの場にいたエルフから聞き出したのか……」


 シッコクは口先だけで俺《ジーサ》をタイヨウと断定したにすぎない。信憑性などさしてない。


 場を攪乱させるためのシッコクの方便だろうが。

 信じてんじゃねえよ――。


 そんな反論しても良かった。

 しかし、女王のすべてを見透かしたような睨みを前にすると、そんな気も失せる。つーかさっき「なんで知ってる」などと喋ってしまったので、もう言い訳も立たない。ポンコツすぎる。


「俺の正体はどうでもいいんですよ」


 とりあえず露骨に逸らしつつ、黙るのも不自然なので前の話題をほじくり返す。


「一つ気になってることがあるんですけど。さっき激しすぎると言いましたが、その割には許可は出してますよね?」


 でなけりゃヤンデから迫ってくることなどない。

 アイツには既に王女としての自覚があった。女王から許可でももらわない限り、貞操を捧げる真似などすまい。


「どうせ孕《はら》むことはないだろうからの。ならば好きに乱れればよい」

「……どういう意味です?」


 思わず尋ねてしまった。


 もし俺に精をつくる能力がないことまでバレているのだとしたら、だいぶ厄介と言える。

 そこまで調べ上げる何らかの情報収集手段を持っているということだし、俺が前例のない性質を持っていると知っていることになる。


「リンダから不能と聞いたぞ」


 俺の下半身を見ながらにやにやするサリアは、つまりはエルフの女王のにやにや顔というわけで非常にレアい。

 それはもう駆け引きを感じさせないほど自然な所作で、俺は諦めてガン見するしかなかった。


「モジャモジャの胸を執拗に見ていたという報告もある。リンダに告げようかの? あやつは相手が王族であっても容赦せぬぞ」

「それは本当にやめてほしいんですけど」

「前者は否定せぬのか」

「事実ですからね」

「大きな胸に欲情する――実にわかりやすい性癖よ。のう、ブーガ殿」


 さっきから含みを持った物言いをしてくれる。全部知っているとでも言いたいのか。

 ブーガはというと、「ふむ」などと一人で納得してやがった。黙ってないで助け船出してくれ……。


 その後もしばらくサリアと雑談する羽目になり、俺はいびられ続けた。

 シッコクの情報――不変物質《イミュータ》など戦闘スタイルの話と、エルフが現在進行形で捜索にあたっているという頼もしい現状を知れたことだけは良しとしよう。






 ブーガに連れられて、上空にやってきた。


 相変わらず不可思議な領域である。

 どの方向を見ても何もなく、塵一つさえ浮いてないと即座にわかるほど澄み切っている。

 時刻は午後七時くらいで、陸上では日が暮れ始めていたのに、ここは妙に明るい。昼とも夜とも取れない、微妙な濃さの青がただただ広がっていた。


「相変わらず意味わかんねえんだよな。なんで均等に明るいんだよ」


 見えない足場の上で手足を放り出しつつ、俺はぼやく。

 異世界人感が出てしまうため前回はあえて伏せていたが、この人とはもはや一心同体。隠す気はもう起きない。


「私の体感であるが、光を発する、非常に小さな物質が空間を満たしているのではないかと思う」

「天灯《スカイライト》は?」

「天灯は夜間は停止されるものである」

「停止される? まるで誰かが御しているような言い方だな」


 ミライア曰く、竜人説と別の生物説が主流らしかったが。


「竜人である」

「マジかよ」

「竜人とて永遠ではない。休息は必要なのだ」


 日没のからくりがまさか人的理由だとは……。

 要するに天灯という名の擬似的な太陽は、竜人によって制御されている。竜人も人なので休憩が必要。というわけで停止する時間帯がある。それが夜というわけだ。


「竜人がいなくなったら、この世は終わるのか?」

「日中の明るさは戻っては来まいが、それだけだ」

「その根拠は?」


 前世では太陽がなければ地球は保たない。いや地球は大丈夫だが生物が大丈夫じゃない。

 ところがジャースでは保つという。

 気にならない方が無理な話だ。


「体感である。我ら生物は絶えず極小の何かを浴びておるが、それを発するは、先も話した非常に小さな物質である――と私は捉えている」

「優れた体感だことで」


 原子のようなものも体感で悟ってたし、この人、マジで何者だよ。

 俺はもっと話をしていたかったが、ブーガはもう立ち上がっている。「そろそろ始めよう」鞘からロングソードを引き抜き、切っ先を俺に向けてきた。


「一応聞くが、他の奴にバレないよう配慮はできてるんだろうな」

「無論である」

「ちょっと待ってくれ――【シェルター】」


 シェルターとは、ちゃっかり昨日発現したばかりのスキルである。

 クロやダンゴには避難と命じていたもので、俺が|極度のリラックス《ゾーン》に入ることで開く『体内の微細な隙間』に入ってもらうというものだ。

 こうすることで、寄生スライム達はバグってる俺の肉壁を、すなわち鉄壁を得ることができる。


 元々手動でも行えていたことだったが、眠れない俺がアホみたいに繰り返していたからか、昨日発現した。


 わざわざゾーンに入らずとも、詠唱一回で即座に避難させられるのは非常に助かる。

 まあクロとダンゴの|移動時間《オーバーヘッド》があるので、事前に行使しておくタイプのスキルにせざるをえないわけだが。


「ふむ。聞き慣れぬ詠唱であるな」

「準備できたぜ。いつでも来い――」


 ブーガも逸《はや》っていたのだろう。シェルターの事は欠片も気にせず、切っ先を動かしてきた。

 俺の喉を目がけているのを視認できたが、身体は追いつかない。せいぜい指をミリ単位で動かすくらいだった。


 突きの構えをしたブーガが一気に遠のいていく。


(桁違いってやつか)


 脳内に流れてくる数字の桁が普段よりも長い。

 スキャーノ程度では比較にならない。バーモンやギガホーンにも勝る。グレーターデーモン達は……時折出してたっけな。


 風音により聴覚が無用の長物と化し、風圧により顔を動かすのにも力を込めねばならない中、視界の隅が点を捉えた。

 言うまでもなくブーガだ。みるみる近づいてくるが、なんかぬるぬるしてて気持ち悪いな。


 足首を掴まれ、急停止させられる。

 衝撃波が目に見えて広がっているのを見つつ、「やべっ」ハナからもらった革製のジャケットとズボンが跡形もないことに気付く。


「目潰し」


 俺の独り言にも構わず、ブーガが指を両目にねじ込んでくる。

 目はデリケートゆえにダメージ量も多い。桁がさらに増えて、チャージとしては美味しすぎる。


「髪抜き」


 俺の短髪を小指にまき付け、引っ張り上げるブーガ。無論、どうやっても抜けるはずなどないし、むしろそっちの指が保たないだろう。


「耳落とし」


 目にも留まらぬ速さで耳の付け根に刃を叩き込まれたようだが、よくわからん。

 衝撃と轟音のせいで、割と何を受けても『なんか強すぎる攻撃』でしかないんだよな。それでも全身への流れ方と、頭に流れ込んでくるダメージ達の配分などから、なんとなく細かい違いはわかるけども。


 その後も「爪剥ぎ」だの「舌捻り」だの、名前だけでも痛そうな技を撃ってきた。

 どれも純粋なパワーに頼った物理攻撃で、どうも部位の切断について|成功事例を出したい《ワンパスを通したい》ようだ。


 不思議と恐怖や不安は無かった。


 いや、何ということはない。見覚えのあるものだ。

 青のポニーテールを揺らす、凜々しい壮年の真剣な表情は、まるでディスプレイとにらめっこするプログラマーのよう。

 ただただ試行し、思考し、楽しんでいる――。


(俺にもそんな時期はあった)


 今はない。

 この人のような立場を手に入れたこともない。


 だのにこの人はすべてを手に入れ、今なお楽しむ感性を持ち。



 ――将軍全員を暗殺していただきたい。



 更なる高みを目指そうとしている。


 ブーガから出された要求は二つだ。

 うち一つは今現在行使中のサンドバック実験であり。


 残る一つが、ダグリン共和国の全将軍の暗殺だった。


(ふざけてるとしか思えねえよな、いや本当に……)


 ブーガ曰く、有能で利他的な独裁者による支配こそが人類のあるべき姿だ。

 しかし実力は従属性に反比例する。特に将軍――皇帝の次位にあたる者達は、国を揺るがせる意思と潜在能力を持つという。


 ブーガ曰く、実力者の一切を摘み取り、自身と同様の資質を持つ者だけを後継者として育てていくことが肝心である。

 後者は追々取り組むとのことで、目下重視されているのは前者だ。

 本当はブーガが直々に殺して回りたいそうだが、竜人という抑止力がそうはさせてくれない。いくらこの人でも、ジャースの支配者には勝てやしない。


 そこでシニ・タイヨウというわけだ。

 竜人にマークされていない俺であれば、ダグリンの将軍全員を殺した程度でも罰《ペナルティ》は受けないという。

 もちろん、途中でマークされないよう立ち回る必要性があることは言うまでもない。



 ――期限は二年。もし果たすことができれば、私は貴殿の手となろう。足となろう。頭となろう。


 ――もし果たせなかった場合、もはや手段は残っておらぬ。私は貴殿を封印し、世に力で訴える強攻策に出る。



 淡々と語るブーガには鬼気迫るものがあった。

 これが国を、世界を変えようとする狂人の狂気なのだと思った。


 同時に、死にたいと願うだけの俺が、とてつもなくちっぽけなものにも思えたのだ。


(一蓮托生だ。もう後には戻れない……が、悪い話ではないんだよな)


 ダグリン共和国皇帝ブーガ・バスタード。


 魔王や竜人、あるいはもこもこ星人達を含めなければ人類最強と言って良いだろう。

 そんな者と組めるのである。

 いや、将軍暗殺ミッションは丸投げされてるんだけども、達成したあかつきにはこの人のすべてをフル活用できる。

 ジャース歴の浅い俺が頑張るよりもはるかに良い。


 この人に限って、裏切るなどということもない。

 そんな表層などとうに剥がれきっている。


 この男はどこまでも誠実で、純粋で、そして本気だった。


 だからこそ、あと二年。

 俺はなんとしてもミッションを果たさねばならない。






 ブーガにフルボッコにされながら、俺は。


 決意というものを何度も、何度も粘土のように固めるのだった。

第213話 アキナ

 勉強、鍛錬、ボランティア、優秀な生徒と先生とのひとときに、愛する婚約者と過ごす夜――


 第三週六日目《サン・ロク》、第三週七日目《サン・ナナ》の二日は実に平凡な、いや、月並みな言葉で言えばリア充な学園生活だったのだろう。


 しかし俺は茹でガエルの心境だった。あるいはだるまさんが転んだ、か。


 少しずつ近づかれている。

 誰も引き金を引こうとはしないが、懐に隠し持ち、指にはひっかけている。

 あと一つだ。何か一つ、決定的な出来事が生じれば、この均衡は脆くも崩れ去る――

 そんな気がしてならなかった。


 そしてそれは存外早くにやってきた。


 第三週八日目《サン・ハチ》の朝十時前。

 俺も、ヤンデも、決して油断しているわけじゃなかった。いつもどおりFクラスの校舎に入ろうとしたところで、


「――は?」


 王宮だとわかる豪華な内装に出迎えられていた。

 書斎だと思われ、壁一面には本がぎっしり詰まっているが、机や椅子は見当たらない。窓もなく、ドアが一つついているだけだ。

 ヤンデはいない。ここに瞬間移動させられたのは俺だけというわけか。


 行動する間もなく、首に何かが巻き付いてきた。

 それは人の腕で、小さくて細くて、おそらく俺が一番馴染んでいるもので。


 しかし、これがユズでないことは、目の前の人物が物語っている。


「はじめまして、シニ君。王国第三王女のアキナ・ジーク・アルフレッドと申します」


 お手本のような礼をしてみせるのは、黒のドレスに身を包んだメガネ女。

 スリットから覗く片足だけでも容姿に対する自信をうかがわせるが、そんなものは誤差でしかなかった。


(でかい)


 かなり。ルナやガーナは超えてて、鳥人のミーシィと同等かそれ以上だ。

 なのにだらしなさが介在していなくて、そのシースルー越しの谷間は名峰と呼んでも過言ではあるまい。


「……第三王女様が何の用でしょうか」

「ワープよぉ」


 メガネを外したことが決定的で、淑女の雰囲気が煙のように消え失せた。


「先日お邪魔したときに仕掛けておいたの。詠唱一つで作動させることができるのよ」


 ワープ――。


 ルナといちゃいちゃしてた頃に聞いたことがある。

 ゲートやテレポートと同じく瞬間移動系の魔法。空間にあらかじめワープポイントなるものを設置しておいて、ポイント間を行き来させるんだよな。


 この言い方から察するに、行使者はこの近衛だろう。

 それも常時発動させるのではなく、スイッチを入れた時だけ発動するよう制御を行える。リモコン式爆弾かよ。スキルとして発現させたものなのかもしれない。


 それはともかく、あえてこんなことを喋ってくる理由は一つだろう。

 コイツらは知っているのだ。


 俺がシニ・タイヨウであることを。

 そして、俺にはフユナのお眼鏡に叶うほどの何かがあるということを。


 もしかすると、俺とフユナに面識があることもバレているかもしれない。そうでなくとも、下手に喋ればボロが出る。


「最初から俺を狙ってたわけか。目的は何だ?」

「ただの興味よぉ。あなたを食べたいだけ。レモン」

「承知」


 レモンと呼ばれる近衛が俺を丸ごと燃やす。学園の制服なんだが……。

 間もなく俺が裸となると、アキナがじゅるりと舌なめずりをする。メガネはぽいっと捨てられた。


「この展開、前もあったな」

「……姉さんのことね」

「ああ」


 ナツナのように死にたいのか、と言外に脅してみる。「シニ君。今のあなたには立場があるわよねぇ?」全然効いてねえな。


「私を殺せば、もうまともな人生は歩めないわ」

「だからといって、アンタの行為を受け入れればまともな人生になるとも限らないよな?」

「そうねぇ。未来永劫担保するのは無茶だけど、今、この時だけ《《いい思い》》に浸ることはできるわよ」

「無理だろ。ナツナでも歯が立たなかったんだぜ」


 アキナは嗜虐と挑発を混ぜた双眸で俺を見下したかと思うと、「ドレスアップ――ネイクド」裸体を晒してきた。


「この身体は、オードリー家をして奇跡と言わしめるもの。あなたはこれを自由に味わえる機会を手にしているのよ」


 たしかに、前世のグラビアアイドルも霞む。

 フィクションの女キャラみたいにスレンダーと豊満が同居したような、規格外なスタイルだった。


 自信過剰だと誰が言えようか。

 ジャースの人間としても珍しい体型に違いない。が、


(いるんだよなぁ)


 前世では別に珍しくない――というほどありふれてはいないが、俺は二人ほど名前を挙げられる。

 しかも彼女達は鍛錬とメンテナンスを惜しまず、裸体と行為も惜しげもなく晒していて、金さえ出せば誰でも見ることができる。

 女優が演技のプロであり、声優が声のプロであるように、彼女達もまた性的魅力のプロである。


 逆を言えば、現代文明でようやく到達できた境地に、このジャースの文明にいながら到達しているのは感嘆に値するか。

 いや、でもなぁ……ジャースって、たぶんレベルとモンスターの肉だけで相当美人になれるっぽいので、単純な比較はできないかも。


 などと偉そうな感想の一つや二つも抱きたくなるが、事態は急を要する。

 何とかして逃げねば。


「で、アンタは俺から何を得ようとしている?」

「食べたいだけと言ってるじゃない。そうねぇ、あえて言わせてもらうと、快感よ」

「王女がそんなことをするのか?」

「王女だからこそ、できるのよぉ」


 アキナ曰く、性的に食べたい者を自由に食べることができるのは権力のメリットの一つだという。


(アレだな、その辺のAV女優にしか見えなくなってきた)


 平凡な少女が頑張って成りきっている、とでも言えばいいのか。玄人の演技か、そこいらのマニアという程度の熱。ありふれている。

 少なくともブーガやナツナのような狂気は感じられない。


「私は舐めたいし、舐められたいの」


 どの部位を指しているのかは、視線からも明らかだった。

 俺としても悪くない。そこは男が舐めたがる、あるいは舐められたがる部位として間違いなくトップスリーには入るだろうし、潔癖な俺が唯一好む部分でもある。


(舐めることに意味でもあるのか?)


 そんなおかしなスキルがあるとは思えないが、スキルとは反復による発現。無いとも言い切れない。

 だとして、俺は舐められることでどうなる? あるいはこの王女の、暴力的なそれを口に含むことで何が起きる?


「ふふっ。まずは舐めさせてもらうわぁ。私のこれは、あとでじっくり味わわせてあげる」


 コイツとの交わりを前世で体験できていれば、相当興奮できていただろうなぁ。

 結局、俺はそんな呑気な感想を抱くことしかできなかった。


 まずレモンの拘束が強い。

 俺が逃げ出すにはリリースを撃つ他はないが、王女を二人も殺すわけにはいかないだろう。ブーガのミッションのためにも、悪名を背負うわけにはいかないのだ。


 アキナの意図は不明だが、どこか滲み出る平凡さを見ても国王シキを超えるとは到底思えない。

 よしなに対処してくれると信じたい。


 というわけで、俺はおとなしく舐められるしかなかった。

 先の全身ファイヤーにより、俺がレベル10でないことも知られている。もはや演技も不要。


 綺麗な舌が触れた直後、アキナが全身をぴくっとさせる。身体は正直ということなのだろう、当惑から怖れまで、色んな感情が瞬時に流れ込んできた気がした。「悪くないわぁ」すぐに上目遣いまで寄越して誤魔化してくるアキナ。


(――まさかな)


 この感覚には覚えがある。


 魔王、崇拝状態《ワーシップ》、フユナ――

 俺はバグっている異世界人だが、その兆候を感じ取れる手段の存在を確認している。


 アキナもその保有者の一人ではないか?

 胸、というか乳首に執着する変態キャラを演じてまで舐めようとするのは、そうすることの多大なメリットがあるからだ。

 いや、スキルを反復の成果と考えるなら、元からこういうのが好きだった変態説の方が納得がいくのだが。


(コイツには何が起きている? 俺は何を起こされている?)


 脳内に流れ込んでくる数値に違和感はない。ダメージの類ではないし、状態異常でもない。

 だからといって、何もされていないと見ることは、もはやできやしない。


 俺はコイツを止めるべきではないのか?

 口元は封じられていない。言葉でどうこうするチャンスはゼロではない。


 が、下手なことを言えば、近衛が動くかもしれない。

 封印でもされれば厄介だし、近衛のスピードを超えて詠唱できる保証はまだない。第一、成功したとしても王女を二人も殺した大罪人になってしまう。

 そう考えると、やはり静観することしかできない。


 意外にもアキナは多芸らしく、俺の俺まで弄ってきた。

 悪くないテクニックだが、ナツナほどではないな。男を喜ばすために練習しただけの、平凡な手つきにすぎない。これもカモフラージュの一環なのだろう。


「不能で無口とは、ずいぶんとつまらないのねぇ……」

「お褒めに預かり光栄です」

「私は好きよぉ。姉さんとは違って、私は物理的な刺激を楽しみたいだもの。黙ってくれた方が捗るのよ」


 キャラ付けまでしているとは、よく出来た娘である。

 もっとも、そんな楽しみ方などありえないので、演技だとわかる。なんたって性欲に塗《まみ》れた男でさえ、物理的な刺激には十分《じゅっぷん》と経たずに飽きるんだからな。

 だからこそ性癖が、雰囲気が、愛着が大事なのだし、そうだと痛感させられた性犯罪者は自らの過ちに後悔する。まあ歪んだ性癖を持ってる奴はその限りじゃないし、悲しいかな、性犯罪者の二人に一人はそういう奴らしいけど。


 歯がゆい時間を過ごした。

 程なくして攻守交代となり、俺がアキナのそれを舐める番となる。


「……いいのか?」

「いいわよ。来て」


 アキナが両腕を広げ、妖艶な微笑みを浮かべる。

 手で支えずとも重力に負けず、ツンと存在感を主張するそれは芸術とも言えそうだが、エルフほど惹かれるものではない。

 俺って実は貧乳属性だったりするんだろうか。自分の性癖って意外と自分ではわからないらしいからな。


 それはともかく。

 変態王女に誘拐されて舐められ、舐めさせられるなどというAVみたいなシチュエーションを、まさか異世界で体感することになるとはなぁ。

 バグっているのが悔やまれる。まあバグってなければ俺などとうに死んでいるわけだが。


 そうなんだよなぁ。俺は死にたいんだよ。

 ああ、死にてえ。死にてえなあ。


 死にさえすれば性欲に脅されることもないのに。

 たかが脂肪の塊に夢中になっていると、時折死にたくなるんだよな。女もそういう男を見て優越や憐憫を抱くというし。

 別に女にどう思われようが知ったことじゃないが、下に見られるのは腹立つと感じる俺がいる。差別はよくないが、男に植え付けられた価値観はかんたんには覆らない。


 そういう自覚や配慮さえも面倒くさくて、死ねば全部終わらせられるのに――と以下無限ループ。

 自殺したいマンにはよくある思考だ。


 拒否してもどうせレモンが強要してくるだろうし……選択肢は実質一つか。


 俺は王女様のそれを口に含み、アキナが絶妙な演技で喘ぐのを聞きながら、適当に転がす。

 と、そのとき。


「発見」

「事後でしたか……」


 テレポートなのだろう。手を固く繋いだユズとルナが出現した。

第214話 アキナ2

「あらぁ。はじめましてかしらね――ハルナ姉さん」

「噂に聞いた変態っぷりですね。タイヨウさんの方がまだマシです」


 ヤンデもそうだが、なんでお前らは俺を変態にしたがるん?

 それはともかく、助かった……のか?


「タイヨウ。あとで話がある」

「……俺は特に無いんだけど」

「ある」


 いや、かえって面倒くさい展開だこれ。

 ルナは自分の正体含めて全部明かしているし、ユズはユズで怒れる無表情を浮かべていらっしゃる。

 つか相変わらず裸だし、胸はおろか下半身も丸見えなんだけど、もう何の違和感もねえわ。慣れって怖い。


「悪いけど、あと五分だけ待ってくださらない?」

「お断りします」

「シニ君の舐め方だけど、女性とまともに付き合ったことがない人のそれなのよぉ。身勝手で、子供のように必死で、可愛らしい。こういう男は久しぶりなのよね」

「おい適当なこと言ってんじゃねえぞ」

「ほらぁ。そうやってむきになるところもまさに」


 ムキにはなってねえし。そもそもバグになっててなれねえし。ただシッコクもそうだったように女をコンテンツとして消費する嗜好がこっちでは珍しいから無闇に漏らすなって意味で不満を述べてるだけだし……やめよう。虚しいだけだ。

 こういう羞恥、本当に嫌いだ。


 ルナもユズも、別段驚きもせず《《ひき》》もせず、ふうん程度で受け取っている。むずむずするんだよなぁ。バグってなければ間違いなく火照ってる。


「タイヨウは舐めるのが好き。だったらユズも頑張る」


 ほとんどない胸を寄せるユズさん。さすがに絵面的にもヤバいのでやめてもらっていいですかね。


「ユズ。今は真面目にしてください」


 今はってどういうことだよルナ。

 そんな掛け合いを前に、アキナはメガネを引き寄せ装着する。「ドレスアップ――ドレス|7《セブン》」スリット入りの黒ドレスが復元された。


「退散よ」

「承知」


 黒ドレスと金髪幼女が部屋の隅へと歩いて行く。近衛にはドクロのピンが三つついていて、四号なのだと気付く。

 俺の正体を知る五号《ライム》ではないとして、ナツナのときに見た二号でもないからはじめましてか。これがあと三人もいるんだから、恐ろしいよな……。


 ゲートが出される気配はなかったが、次の瞬間――二人は綺麗さっぱり消えていた。


「……今の、ワープだよな? 近衛で瞬間移動できるのってユズだけじゃなかったのか?」

「レモンは恥ずかしがり屋。隠したがる」

「なるほどな。アキナが懐柔しているわけか」

「タイヨウさんはユズを懐柔してますけどね」

「……」


 ジーサとして誤魔化せる段階は潰えている。

 どうしていいかわからず目を合わさない俺に、ルナの何か言いたげな視線が刺さっているのを肌で感じる。


 どんっと踏み込まれたのがわかった。

 口も回らず、回避も拒絶も取らない俺にルナが飛び込んでくる。


 バグっていて丸め込まれるはずなのに。

 その感触も、抱きつき方も、匂いも。


「お久しぶりです。――ずっと、お待ちしてました」

「ルナ……」


 その声も、言葉遣いも、俺好みの清楚な容姿に、表情のつくりかたに。


「もう離しませんよ」


 ぎゅっときつく、しつこく締め上げられる。

 レベル10ならとうに絶命しているパワーだ。


「今はエルフの婿なんだが」

「先に結婚したのは私達です」

「……」


 いつものように気持ち悪い言動をすればいい。突き放せばいい。

 なのに、俺はその気を起こさず、あまつさえ抱き締めかえそうと腕を動かすまであった。堪えたけど。


「忘れてませんよね? 忘れてたら怒ります」

「ああ、忘れてねえよ」


 白夜の森で出会った少女――今からは信じれないほどオドオドしていたルナに、俺は半ば無理矢理キスをした。

 それで隠密《ステルス》モンスター達にコイツは婚約者だと紹介して、コイツが攻撃されないよう取り計らった。


 あんなものは異世界の情報を集めるためであり、モンスター達を納得させるパフォーマンスにすぎない。


「今後も忘れないでくださいね。タイヨウさんは私の婚約者であると同時に、アルフレッドを背負う重要人物でもあるんです」


 俺は王女を傷物にしただけでなく、政策にもかかわっているし、要人レベルの情報も知っている。

 既成事実って恐ろしいよな。


(そんなことはわかってる)


 所詮俺も生かされているにすぎないのだ。

 もしあの上裸ジジイに有害だと判断されれば、すぐにでも封印されてしまうだろう。


 このルナの行動は、シキが狙ったものか?

 それともルナとユズの暴走か?

 俺はどうすればいい? といっても、今の立場を振る舞うしかねえよなぁ。


「今はヤンデのパートナーだ」


 ルナ以上に力を込めて、温もりを突き放す。

 そんな悲しそうな顔をされても、俺は惑わされない。


「それにルナだって今は平民だろ? 立場が違う」

「学園の生徒という意味では同じですから、いちゃいちゃはできますよ。ガーナさんの性交訓練《セクササイズ》、楽しみにしてますから」

「なあ、それ。本当にやるのか……」


 ガーナの提案、性交訓練は一昨日と昨日でサクサクと進み、オードリー家に招待される手筈まで整っている。

 ルナにはもうバレたから仕方ないにしても、寄生スライムを抱える身としては、濃厚な身体接触は避けたいんだよなぁ。


「子供のように必死で可愛いんでしたっけ? 私も受けてみたいです」

「掘り返さなくていいから」


 修羅場展開を警戒したが、ルナも分は弁えているようで、当面は平民ルナとして攻めてくるだけっぽい。

 それはそれで鬱陶しいが、ルナバレをここで回収できたのは結果オーライか。「不公平」ずいっと小さな金髪が割り込んできた。


「生還の詳細を所望」


 ユズは俺の身体を風魔法で動かしてあぐらをかかせると、その中に収まった。

 ルナも負けておらず、俺の背中からおんぶしてくる格好に。


「詳細と言われてもな。無理矢理突破したとしか」

「かんたんに言いますねー」


 ルナが他人事のように言う。

 唯一、隠密《ステルス》モンスターの崇拝状態《ワーシップ》を体感しているので、グレーターデーモンについてもそうしたと疑うのは難しくあるまい。

 が、この件はシニ・タイヨウとしてはトップシークレットだ。ルナも理解してくれてるようで、ユズにも漏らしてなさそうだ。助かる。


「タイヨウが攻撃した形跡は無かった」

「デーモン達が直したんだろ」

「モンスターはそんなことしない」

「アイツらは例外じゃないか。たぶんそこいらの冒険者より知能高いぞ。俺も正直ギリギリだった」

「……」


 無垢な瞳で見上げてくるユズ。

 無言をぶつけてくるのは珍しい。何を考えているのかはさっぱりだが、本心から納得しているわけではなさそうだな。


 ユズはレベルが低かった頃の俺を知っている。当時、唯一の攻撃手段だったリリースも自ら体感済だ。

 一方で、ダンジョン『デーモンズシェルター』の探索にも加わっていて、グレーターデーモンとは何度も戦闘してきたはず。

 当時の俺があそこから逃げ帰るビジョンが浮かばないのだろう。


 とりあえずほっぺたをつっついてみると、ぱくっと咥えられた。


「ユズと続き、する?」

「タイヨウさん?」


 ルナがほぼゼロ距離でジト目を向けてくる。胸の押しつけも露骨で、ああこれ、その気になれば三人で楽しめるんじゃねなどと男の妄想が早速走ってしまった。

 胸中で頭を振って、


「しねえから。そろそろ学校に戻ろうぜ」

「いやです」

「承知」

「勝手に承知するな」


 ルナはともかく、ユズの前には赤子も同然。


 それから一時間以上、俺は団らんを続ける羽目になるのだった。

第215話 アキナ3

「アキナ様。結果を所望」

「……」


 王宮内の、とある書斎にて。

 本に目を落としたままのアキナは、かれこれ一分以上静止していた。


「悪癖に対処する」


 近衛四号《レモン》は一息でアキナを全裸にし空中に浮かせた後、普段そうしているように、その大きな膨らみの頂きを口に含んだ。


「……悪いわねぇ。前例がなくて、ちょっと整理していたのよ」

「結果を所望」

「そのまま聞きなさいね。浮遊は解いて頂戴」

「承知」


 アキナは尻から机に着地した後、赤子に乳を与える母のようにレモンを抱える。

 一見すると母と子に見えなくもないが、アキナの表情は慈愛のそれではない。「やっぱりレモンちゃんが一番ねぇ……」何度と味わったかわからない恍惚が漏れる。


 室内にはしばし、じっくりと舐《ねぶ》る音だけが響いた。


 アキナはふぅと満足そうに吐いた後、


「舌分析《タンナライズ》の結果だけど、シニ・タイヨウは第二級よぉ」


 レベルで言えば65から128の間だが、アキナは数字までは言わない。

 この二人にとって、第二級などたかが知れた存在だからだ。

 それでも第一級に近い水準、たとえば120くらいなら数字も挙げるだろうが、アキナは挙げなかった。ということは、大したことがないのである。


「ステータスの中では《《基礎》》が凄まじかったわ」

「隠しステータス……」


 レモンがぽつりと呟く。

 その口はまだまだ奉仕中だ。何十分と続くことも珍しくはない、もはや日課とも呼べる行動である。

 無論、近衛ほどにもなれば、口を使わず喋ることなど造作もない。


「ゴルゴより高かったわぁ。第一級に近いパフォーマンスを出せるのではないかしら」

「レベル10くらいにしか見えなかった」

「演技でしょうね。あれだけ基礎が高ければ、エルフより高精度な加減もお手の物よ。その割に魔力はゴミだったわねぇ……」

「習得魔法も皆無?」

「舌分析ではそこまでわからないわぁ」


 アキナはレモンの髪を梳《す》き、掬《すく》うと、すぅっと嗅いだ。「あぁ」艶めかしい声も漏れるが、いつものことなのでレモンは気にしない。


「可能性は二つね。レモンちゃんの言う通り何も覚えていないか、あるいは覚えているけど使えないか」

「レモンは前者を支持」

「わからないわ。実は凄まじい数の魔法を覚えているかもしれないじゃない。『|持ち腐れ《ウェイスト》』と呼ばれる事例よぉ」


 ここでアキナが講釈を垂れ始める。


 彼女は第三王女であり、王国で言えば王族階級の一人だが、れっきとした賢者《ナレッジャー》でもあった。

 あまり政治や戦闘面では顔を出さないが、学園の教師陣が一目置くほど博識かつ勤勉家として知られている。

 外面は悪くないが、根っからのオタク気質であり、レモンのように親しい相手だと周囲を省みない暴走をしばしば起こす。「やんっ」レモンは甘噛みすることで、主に割り込んだ。


「せっかちねぇ。たまには聞いてくれたっていいじゃない」

「長話は嫌悪。殴打の対象」


 レモンの長話嫌い、うんちく嫌いは今に始まったことではないので、アキナも深追いはしない。


 代わりに、スイッチが入ってしまったのか、その幼い体躯に手を伸ばす。

 弄り方に遠慮がまるでなく、これが日常的な営みであることは初見でもわかる。


「もう一つ、授乳吸収《ラクトロジェクション》の結果も興味深かったわよ。チャージとリリース、それに短縮名《エイリアス》としてファイアがあったわねぇ」

「ファイア……ファイア?」


 レモンが無詠唱で火を放ち、自らを包む。アキナも巻き添えだが、彼女とて第二級冒険者である。この程度ではびくともしない。


「|通常魔法のファイア《そっち》じゃなくて、どうもチャージとリリースの短縮を狙ったものみたい。詳しい仕様はさすがにわからないわね」

「ウェイストではない?」

「そうなるわね」


 ファイアとは要するにノーマル・ファイアであり、通常魔法でも最も規模の小さい『ノーマル』の火魔法《ファイア》だ。遅くとも第四級冒険者《レベル17》になるまでには習得する。

 シニ・タイヨウのレベルで覚えていないことは明らかにおかしかった。

 魔法そのものが何らかの理由で習得できていない――そう捉えなければ辻褄が合わない。


「それと、これが一番謎なんだけど、シェルターというスキルもあったのよ。何もわからなかったわ」

「何も? 少しも?」

「そっ。これっぽっちもわからなかったわぁ」


 授乳吸収《ラクトロジェクション》はアキナのレアスキルの一つであり、自分の乳首を舐めてもらうことで、舐めた人のスキルを取り込むものである。


 一見すると規格外に聞こえるが、取りこんだところで適性がなければ使えないし、あったとしても、ものにするには相当な努力を要する。

 そういうわけでアキナは、この特技を相手のスキルを知るためと割り切って使ってきた。


「そもそもスキルが本質的に個人的なものだから、ある程度わからないのはまあ仕方ないんだけどねぇ……」

「レアスキル?」

「希少性は関係ないわぁ」

「なにゆえ?」

「姉さんのレアスキルは普通に把握できたもの」


 ナツナの暴力的なチャームの性能もまたレアスキルによるものであり、世界で一人しかいないとされていた。だからこそ誰もが恐れたのだし、それを潰したタイヨウは前代未聞だったのだ。

 そんな姉のレアスキル群さえも普通に吸収できたのだから、スキルの希少性は関係がないと言える。


 ちなみに搾乳吸収したということは、つまりは実の姉に舐めてもらったことを意味するが、別段驚くことではない。

 部外者はともかく、近衛であれば、ナツナの逸脱っぷりはよく知っている。

 傍若無人な怪物は、近親相姦も当然のようにこなした。アキナは姉から半ば無理矢理犯され、その過程で搾乳吸収も行えただけである。


「……」

「……回顧?」

「違うわよぉ。姉さんは上手だったけど苛烈だったし、民にも優しくなかった。未練は無いし、殺してくれて良かったとも思っているわ」


 アキナから色欲の気配が消える。長年寄り添うレモンには、学者のモードに入ったのだと秒で分かった。

 奉仕を中断し、無詠唱の水魔法でアキナの全身を瞬時に洗浄――その後の乾燥と服の復元も完璧に済ませてから、頭を下げる。


 間もなく、レモンの姿が消えた。

 隠密《ステルス》である。集中を削がないために、気配の一切を消すことが厳命されている。


「例外を知ると、知りたくなるのよ――」


 学者や作家がたまに浮かべる、傍から見ると不気味でしかない笑顔をアキナもまた浮かべるのだった。

第216話 連行

 第三週十日目《サン・ジュウ》。

 今週も今日で終わりだが、王立学園に日曜日なる概念はない。そもそも休日すらなくて中々にブラックである。


「問8が追跡共有《チェイア》、問9がチャージアンドダブルフォローよ」

「チェイア? チャージなんだって?」

「追跡共有は敵の継続的捕捉を第一とした戦術で、敵を追いながら位置情報をまき散らしていくもの。チャージアンドダブルフォローはパーティーを突撃役、回復役、万一の保護役に三分割した突撃戦術! いいかげん覚えなさいよ」

「そんなほいほい覚えられるわけねえだろ……」


 午前の座学中なわけだが、アウラとラウルは不在につき自習となっている。

 二人っきりの教室と言えば青春っぽいが、真隣のライトグリーン頭にそのムードはない。


 手元に広げられた本の上で、ヤンデの指がとんとんと苛立ちを表明している。


「やる気が感じられないのよ。もっと真摯に向き合いなさい。向き合えば、こんなものすぐに覚えられるわ」

「なあヤンデ。覚える要領は人それぞれなんだよ」

「そうやって屁理屈こねる暇があるのなら読み返しなさい」


 バグってなかったら確実に噛みついてただろうなぁ。


 覚えられる奴に、覚えられない奴の苦労なんてわからねえよ。

 全力を出してもセンター試験で平均点すら取れなかった時の気持ちがわかるか? 必死にタイピングしてメモを取っていかなければばろくに会議にもついていけない虚しさがわかるか?

 第一、なんでもかんでも覚えられるなら東大だって行けんだろうが。

 やる気の問題じゃねえ。才能の問題なんだよこれは。

 才能無き俺が、これをカバーするために一体どれだけ学び、試し、鍛えてきたかわかってんのか――


 これほど傲慢な持論を展開しながらも、心は至ってクリアであった。

 何ならエロい妄想と並行することもできるぞ。灰色に違いはないのだが。


 おとなしくなったヤンデをチラ見する。

 十数冊と積み上げられた本から一つを魔法で取り、魔法でぱらぱらとめくっている。俺のための行動であることは、横顔を見ればわかる。


(勉強は嫌いなんだよなー……)


 来週末、第四週十日目《ヨン・ジュウ》には試験が待っている。

 俺はFクラスに留まり続けたかったが、ヤンデはこれを拒否した。アウラとラウルも体裁上、俺達の相手をし続けるわけにはいかない。

 そういうわけで、Eクラスの試験範囲を詰め込む羽目になっている。


「なあヤンデ。そもそも俺、字が読めねえから意味ねえんだよ」


 字を学ぶ展開になったらだるいから黙っていたが、思い切って切ることにした。


 試験は筆記試験である。字の読めない俺にはできないし、学園も俺だけのために融通を利かせるつもりはない。

 一方で、字――つまりはジャース語は、かんたんに覚えられるものでもない。言語だからな。


 もっともシッコク曰く、ジャース語とは『ジャース・ランゲージ』なるスキルであり、竜人のおかげである程度レベルが上がれば誰でも身に付けられるそうだ。

 まあヤンデ含め一般には知られてないようだし、俺も適正ゼロで未だに覚えてないから黙ってるけど。


 ともあれ、ここまで物覚えの悪さもアピールできているし、当面はFクラスに留まりましょうとの展開を俺は期待していたのだ。が、


「措置を取らせたわ。ミライア先生が音読してくれるそうよ」

「取らせた、か」

「人聞きの悪いこと考えてないでしょうね。ジーサのような生徒への配慮も必要だ、とは先生方が仰っていたことなのよ」

「俺のおかげだな」

「褒めてない」


 表面的な掛け合いをしつつ、余計なことしやがってなどと思う俺。


 わざと手を抜いて試験に落ちたら、怒るだろうか。

 怒るだろうな。というか、キレられそう。コイツ、強引なところがあるし、つきっきりで拘束されでもしたら面倒だ。


「ヤンデは勉強しなくていいのか?」

「Eクラス程度、並の冒険者なら普通に受かるものよ」

「さいですか」


 要するに勉強をする必要はないが、手を抜くつもりもないと。

 そもそも発想からしてなさそうだな。


「……なあ。一つ提案なんだが、わざと手を抜いてFクラスに留まらないか?」


 それでも俺は誘う。

 お前にはわかってほしいし、わかってくれると思いたい。「本気で言っているの?」前言撤回。甘さが微塵もねえ。チョコで言えばカカオ100パーセント。


「性根をたたき直した方がいいかしら」

「まあ聞けよ。Fクラスにいて、融通を利かせてもらった方が何かと便利だろ?」

「何かとは何よ。職練は職練のときにやる。鍛錬は実技のときにやる。放課後はイチャイチャする」

「おう……」


 ヤンデが少しぽっとしたので俺も気まずさを演出したが、内心はほんのり表出しそうになった失望を隠すのに忙しかった。


「スキャーノじゃないけど、真面目に取り組むべきよ。あなたもそうだけれど、私だってまだまだなんだから」


 王女としての自覚と責任感がさらに増えてやがる……。

 第三週五日目《サン・ゴ》のとき――俺がブーガにしごかれている間、コイツも週一の約束でエルフ領に戻っていたそうだが、たぶん相当しごかれたな。あるいはこきつかわれたか。


 何にせよ、コイツはこのままではどんどん真面目になっていく。

 俺も引きずられて、王女の婿として生きるルートにはまって――いや、はめられていくだろう。


(面倒くせえな)


 怠惰の吐露は胸中でもなるべくしない主義だったが、それでも何度か吐きたくなる程度には失望していた。


 もやもやしたまま過ごしていると、もう放課後が来た。

第217話 連行2

「ジーサさん。国王様がお呼びです」


 職練を少し早めに切り上げて勉強にあたっていた俺達の元に、ミライアの声が届く。

 一秒で点呼を終わらせる先生は、どうぞとばかりに案内の姿勢を示していた。


「私は?」

「ヤンデ様はお呼びではありません」

「同席しても良いわよね?」

「ならぬ、と承っております」

「俺を睨むな」


 ようやくか。グッドタイミングだ。

 国王シキとは第三週になってからろくに顔を合わせてなかった。状況も色々変わっているだろうし、改めて今後の方針を決めておきたいところだ。



 ――本件が露見した場合も同様、私は強行に出る。



 ブーガの発言が蘇る。この秘密はさすがにバラせないな。


 俺のやることなど決まっている。

 暗殺ミッションを行うための時間と資源を手に入れることだ。

 期限は二年だが、悠長に過ごしている暇などない。寿命が二年と言っても差し支えないだろう。


 ヤンデに責められるミライアを後ろから眺めながら、Fクラスの透明校舎を出る。

 校庭も横切って、五重に囲む校舎達の屋外廊下を歩いていく。


 いつもは校舎群を出るまで直進あるのみだが、最後の校舎――つまりはAクラスの所で右に逸れた。

 ヤンデはお呼びではないので、ここで解散だ。既にルナ、ガーナ、スキャーノの三人組も集まっていて、合流する形となっている。お出かけでもすんのか。


「行きますよ」

「ああ、すいません」


 行き止まりにしか見えないが、突き当たりまで行くと、上に向かって広がっているのがわかる。

 広くて深い井戸の底から見上げると、こんな感じなのだろうか。

 俺の隣では、平然と飛行し始めるミライア。飛行前提の廊下って何なのよ。


 俺は飛べないので、少し周囲を観察してクライミングを選ぶことに。

 上位階級が利用する設備もあるからか、壁には芸術的な模様が刻まれていた。つまり突起がある。これなら一般人《レベル1》のプロクライマーでも登れるだろう。

 無論、俺はレベル10設定なので、力に任せれば良い。


 せこせこと登る中、通りすがりの生徒達から冷笑をもらったが、直接絡んでくる猛者はいなかった。ヤンデの脅しが利いているな。


 何十メートルどころではない壁を登りきった後も、ミライアに引き続き案内されて。


 最上階――国王専用エリアに着いた。

 広さと高さには十分すぎるゆとりがあって、何とかホールとか何々の間という名前がついてそうだ。


 しかし、がらんどうとしている。


 あると言えば、右側の端に置いてある豪華な王座と、正面――北を一望できる全面ガラス張りのみ。


「あの透明な壁は何と言うんです?」

「スライスと呼びます。透明なスライムを薄く伸ばして、固めることでつくるのです」


 前々から気になっていたことの一つだが、ガラスではないのな。


「難しそうだな」

「主にダグリン共和国で生産されていますが、奥深き世界ですよ。数冊ほど本もありますので、今度お貸しします」

「仲いいのぅ、おぬしら」


 国王シキは王座とは反対側、向かって左側の端っこ、というか隅っこで寝っ転がっていた。

 声の届き方から振動交流《バイブケーション》だとわかる。どうせ近衛がいるのだろう。


「知己でございます」

「違うだろ」

「それでは」


 ミライアは会釈もせずに出て行った。「堅苦しいのは嫌いじゃからの」心を読まれたかのごときタイミングだ。俺がわかりやすいんだろうか。言葉も、顔にも出してないんだがなぁ。


「放置しっぱなしですまんかったの」

「だいぶ忙しそうですね」

「主におぬしのせいでの。サリア殿から事の顛末も聞いとるぞ」

「説明の手間が省けて助かる」


 どこで話を聞くか迷ったが、せっかくなので眺望を眺めることにした。

 離れていても、顔を向けなくても声が届くというのはまだ慣れない。


 眺めは悪くなかった。

 高すぎず、低すぎず。前世で言えば京都タワーくらいか。真下の人間をかろうじて識別でき、王都を高く保護する城壁まで見渡せる。


「混合区域《ミクション》は軽率じゃったの」


 怒るでも呆れるでもなく、諭すかのような言い方だった。有能な上司がよくやるやつだな。


「本人は自覚できんじゃろうが、あのような発想はワシらから出るものではない。だのに、そんな発想に基づいた施策が我が国にもある」

「実験村《テスティング・ビレッジ》か」

「名前が無かったからのう。つけさせてもらったぞい」


 ハナからの又聞きだったが、名付け親はアンタか。


「機密じゃないのか?」

「そりゃそうじゃが、堂々と実行しておるからのう。隠し通せるものでもないわ」


 でしょうねぇ。ブーガも感心しておられたぞ。


「で、何が問題なんだ?」

「我が国とダグリンの深い関与が疑われる――そう言っておるのよ」

「今さらじゃないか? ヤンデと結婚しちまったし」

「ほざけ。おぬしはただの貧民じゃろうが。王族の者が庶民と結ばれる例は少のうない。話の種にしかならぬわ」


 正直ピンと来てなかった俺だが、ティッシュに水が染みこむように、事態の深刻さがわかってきた……気がするような、しないような。

 とりあえず何かヤバそうってのは直感でわかる。


「……深い関与が疑われると、どうなる?」


 無知を晒すようで気が引けたが、わからないふりをするのは良くない。


「ギルドもオーブルーも黙っておらんじゃろうな」

「すまん。全然わからん」

「ギルドは言わば冒険至上主義じゃ。平和で平穏な世界よりもロマンと刺激を求めておる。オーブルーは法国の名のとおり宗教国家よ。全土全人類の支配をまだまだ諦めておらんぞ」

「どちらにとっても都合が悪いわけか」

「左様」


 もう面倒くさいから竜人が全部制御しちゃえよ、というとそうもいかないのだろう。

 それができない、あるいはやるべきではないからこそ、竜人達は超法規と化しつつも、原則各国を放任している。


「なんか面倒くさいな」

「おぬし――人の上に立つ器ではないの」


 ふわぁと年寄りくさいあくびがここまで届いてくる。

 さっきから学園内を見下ろしていたのだが、ヤンデ達と思しき集団も発見した。こうして俯瞰してみるとわかるが、他の生徒から注目されてんなぁ。

 あと男女比が三対一だからか、スキャーノが侍らせているように見える。


「だろうな」


 俺はただの凡人だ。いつまで経っても、あのような光景に嫉妬と羨望、いや幻想を抱くような、ただのこじらせたぼっちにすぎない。


「ついでに言えば、そもそも上に立たねば国を御せないという発想も唯一だとは思わない」

「斬新な着眼点じゃが、ならば上に立たずとも統治できる仕組みはあるのかのう? あったとして、普及させられるのかのう?」

「ないし、無理だろうな」


 プログラムの世界では何でも壊せて何でもつくれるが、現実はそうもいかない。

 昔読んだ本で、新字論に捧げる人の話があった。要は新しい言語をつくるのだが、つくったとして日本語の座を奪うのは明らかに不可能だ。

 まあジャースでは竜人達がやっちゃってるけど……。


「……竜人。竜人を御せれば、割とどうとでもできそうだよな」

「御せればの」

「交渉してみたらどうだ? 仲良くなるとか」

「とうに封じられておるわ。利害の持ち込みには死の制裁が待っておるし、今やこちらから会うことも叶わん」

「やるなぁ竜人」

「感心しとる場合ではないぞい。仕事じゃ」

「いや、俺、話したいことあるんですけど」


 シキはのろのろと起き上がると、俺の方――ではなくスライス張りへと歩いていく。相変わらず上裸で、国王らしく威厳と迫力に満ちているが、老いの兆候は隠せない。

 無論、|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》だろうから、俺に素を見せているということなのだろう。あえて見せてくる意味はよくわからんが。


 俺と同様、景色を見下ろしたところで、その口が開かれた。


「言うたはずじゃ。学園卒業までは学生として修練を積み、その後はヤンデ殿の婿として腕を振るうと」

「その方針を変えるつもりはないのか?」

「ないのう。たまにサボらせるくらいはできるがの」


 やはり大きな融通を利かせてくれる気はないらしかった。

 俺のサボり癖まで見抜かれていて、なんかこう落ち着かないな。見透かされるのは嫌いだ。


「……ああ、それだけでも助かる」

「おぬしに言う必要はなさそうじゃが、休むことも仕事よ。いや、休むことこそが仕事と言っても良い。存在できねば、何事も成せんからの」

「じゃあ今日も免除してくれ」

「そうもいかん。ライム」


 控えてる近衛はやはりライムだったか。


 髑髏のピンを四つつけた金髪全裸幼女は、その小さなおててで俺の両手を握ってきた。何気に恋人繋ぎ。

 シキはというと、ライムの頭を雑に掴んでいる。というか握り潰す勢いだ。


「出発」


 近衛らしい、淡白なボイスの直後――一昨日のサンドバッグ体験を彷彿とさせる速度が始まった。


 秒と経たずに校舎を出て、敷地からも出て、空へと飛び出したもよう。正確性もそうだが、通った空間に一切の被害が出てないのが凄まじい。

 なるほど、このスピードならゲートは要らないだろうなぁ。


 リアル戦闘機のような速度で飛来しながら、詳しい仕事の話を聞く。

 実験村の続き、つまりは国政顧問としての仕事だそうだ。


(このままでいいんだろうか)


 などと悩むふりをしつつも、流されることしかできないのが現状だ。

 無力感に苛まされる――ことはバグってるからないのだが、それでももどかしくて、悔しい気がした。

 何とかしたくて、できなくて。

 やる度胸も持たずに、あーだこーだと考えるばかりで。


 ライムの移動が極めて速くて、気を紛らわしやすかったのがせめてもの救いだった。


 最初の村に着いた。

 俺は国政顧問として、逃げるように仕事に邁進《まいしん》した。

第218話 連行3

 俺が提唱した村づくり――実験村《テスティング・ビレッジ》と名付けられた政策では、70を超えるパターンが運用されていた。

 俺の仕事は単純で、その一つ一つを視察してアドバイスを加えていくだけだった。

 夜通しで、ただひたすらに。


 意外だったのが国王シキで、自らも一睡もせずに俺の話を聞いていた。

 でしゃばってくることもなかったし、この立場であんなに傾聴できるというのは正直怖い。

 眠らなくていいのかと尋ねてみたが、問題ないという。

 バグってるわけでもないし、そんなはずはないのだが、たぶんからくりがあるんだろう。ライムあたりが怪しいと見たが、教えてくれなかった。


 気付けば日が暮れ、日が昇っていた。


 第四週一日目《ヨン・イチ》――。


 何一つ遮蔽物がなく、建物も点になる高さで陽の光をモロに浴びているというのに、いまいち気分が晴れない。

 疲労知らずということは、メリハリもないということだ。

 もう百回は痛感したことだが、無敵すぎるのも辛いものだ。辛さが感覚として降りてこないところがまた辛い。無が過ぎていて、なんというか自己を見失いそうになる。


「タイヨウ殿。お疲れじゃった」

「報酬もらわないと割に合わねえぞ」


 シキはニィっといやらしく微笑み、「くれてやる」などという。豪快な男には似合わなくて不気味だ。


「その笑顔は何なんだ」

「ライム、問題はないのう?」

「肯定」


 なんか会話してるし。


 行きと同じく、ライムのおててと恋人繋ぎした俺はジェット飛行で王都に戻った。

 そのまま校庭にでも下ろされるかと思ったら、行き先はなぜか最上階の国王専用エリア。


「タイヨウさん。お体は大丈夫ですか?」

「……ルナ?」

「私の顔をお忘れですか」

「なんでここにいるのかっつってんだよ。まあいい。俺はFクラスに戻――」


 逃げようとすると、目の前にユズの顔がドアップで映り込む。ふるふると首を振ってきた。近えよ。

 回れ右をされて、ルナと向き合う。


「なあ。アンタの娘は、なんでこんな面倒くさそうな格好をしてんだ?」


 誰だって逃げ出したくなるに決まっている。


 貧民から貴族まで誰もがそうだとわかるようなドレッシーな装い――それが今のルナだ。

 化粧とアクセサリーは皆無に等しく、耳が丸見えなほどの黒髪ショートボブもさしてアレンジされていない。

 素材の良さを生かしたコーディネートであり、高貴の中の高貴な人向けに、プロが全身全霊をかけ、時間もかけて整えているってのが素人の俺でもわかった。


「お披露目じゃ。第一王女ハルナ・ジーク・アルフレッドとの婚姻を発表する」

「お相手は?」

「シニ・タイヨウ殿じゃよ」

「俺じゃねえか」

「おぬし以外に誰がおる?」

「いやいや待て待て」


 冗談ではないのだろう。

 既に関係者が複数人出入りしている。筆頭執事ゴルゴキスタに、鎧を着込んだ頭も身体も固そうなおっさんに、見覚えのある教師も何人か。


「ヤンデと婚約してんだが?」

「婚約はの。なら早い者勝ちよ」


 ああ、そうか。婚約が結婚の約束で、婚姻が結婚することだ。

 ヤンデとはまだ前者しかしていない。後者はまだ何も聞いてないし、エルフが結婚式のようなイベントをするかどうかは知らない。


 それでも、常識的に考えれば二国の王女と結ぶなどありえまい。

 クソジジイのしたり顔を見るに、こっちを切り崩すのは無理だろう。


「ルナ。考え直せ」


 私、綺麗でしょなどと行動で訴えてくるルナに近寄り、両肩を掴んでその回転を止め、俺は腕力と眼力も込めた。


「誰にそそのかされたのかは知らんが、この道は危ねえぞ。平民として安全に修練を積むべきじゃないのか?」

「タイヨウさん。あまり私を見くびらないでくださいね」

「提案してきたのはハルナじゃぞ」


 なんでだよ。先週再会した時点では同級生として無難に過ごすっつってたじゃねえか……いや、言ってないわ。

 少なくとも明言はしていなかった。


「逃がしませんって言いましたよね」


 言ってねえだろうが。


 思えば妙にあっさり引いたなと違和感はあったんだ。

 しっかし、まさかなぁ。シニ・タイヨウとハルナ・ジーク・アルフレッドを同時に暴露しに来るなんて、夢にも思わねえよ。


「シニ・タイヨウの状況分かってて言ってんのか? 死ぬぞ?」

「ユズがいます」

「エルフが敵に回る」

「お父様は大丈夫だと仰ってくださいました」


 まあそうだろうよ。娘の恋路を叶えるためだけに動くような無能では断じてない。


「俺が大丈夫じゃねえんだよ。せっかくやんわり突き放してんだ。これ以上本心を言わせないでくれ」

「何が言いたいんですか?」

「お前のことが嫌いだっつってんだよ、このブスが。もっと早くヤンデと出会ってればな」

「それ、ジーサさんに使い古された手ですね」

「タイヨウは下手」


 くそっ、渾身の演技も通用しやがらねえ……いや、まだだ。


 俺はいきなりルナの顔面を殴りに行った――が、ユズに小指一本で止められて。「タイヨウの手、大きい」拳を開かれたかと思うと、なぜか貧相な生の胸元に誘導された。


「ユズは愛人になる。よろしくお願い」

「……何の真似だ」

「タイヨウさんをしっかり繋ぎ止めるために、ユズにも頑張ってもらいます」

「良かったのうユズ。タイヨウ殿は小さい子が大好きじゃ。可愛がってもらえ」


 俺の思考を逸らすための小細工だろう。実際、俺はあんなことやこんなことをいちいち考えてしまうし、ロリじゃねえよとツッコむタイミングもうかがっている。


 同時に、俺の暴走を抑止する意図もあるはずだ。

 仮にリリースを詠唱しようものなら、ユズのテレポートが発動するだろう。危険人物と判定されてしまえば、面倒くさい拘束や監禁もありえる。


「――わかったよ。受け入れる」


 小ぶりで熱を帯びた控えめな弾力が遠のいた。が、ユズ自身はまだそばにいて、母親にまとわりつく子供のよう。警戒をまだ解いていないのだ。


「好きになってもらえるよう努力します」


 今度はルナに手を取られ、優しく包み込まれた。


「しなくていい。面倒だろ」

「だからタイヨウさんも、私を好きになる努力をしてください」

「俺にはその気もなければ、資質もないぞ」

「そうやって諦めるからいけないんです。目指さなければ、手に入ることもありません」

「お前に俺の何がわかる? 知った口を叩くな」

「でしたら、これから教えてください」

「……」


 ぎゅっと力強く握り込まれる。レベル40のダンゴ細胞が死ぬほどの強さだ。

 純粋な握力だけではなく、彼女の熱も流れ込んできている――そんな錯覚を覚えさせる。このままでいたいような、振りほどきたくなるような、不思議なもどかしさがあった。


 俺は嘆息をもって了承とした。

 そうするしかなかった。


 ルナの手を乱暴に振りほどいたのは、せめてもの反抗か。それとも大人気《おとなげ》なさの露出か。

 見透かされたような微笑みが鬱陶しくて。嬉しくもあって。


 そんな自分に嫌気がさした。

第219話 発表

 第四週一日目《ヨン・イチ》の午前十時。

 本来なら座学の時間であり、Fクラス校舎を高く取り囲む廊下の面々には人っ子一人いないはずなのだが、


(コンサートかよ)


 百や二百では済まない人の目があった。

 ガーナ、スキャーノ、ハナ、レコンチャン、ミーシィ、あとは俺を暗殺しようとしたアーサーに、教師陣ではアウラウルとミライア――。

 さすが勅命にもなると招集率が違えな。ヤンデの時より多いぞこれ。


「結論から話すと、本件は第一王女のお披露目と婚姻発表である」


 俺達は屋上――透明な床の上で、ルナと並んで立っていた。

 そばには死神みたいな衣装と仮面を身につけた近衛が二人ほど待機している。他に警備はいない。


 少し離れたところでは国王シキが、新製品発表会のCEOみたいな立ち振る舞いで喋っている。

 王らしく威厳のある正装で、マントもついているが違和感しかない。近衛もそうだが、普段が裸だからなぁ。


「ジーサさん。よそ見しないでください」

「いや、するだろこれ」


 よく見ると、隅っこにスレンダーな老齢の執事がいて、広域な振動交流《バイブケーション》を制御しているものと思われる。

 俺とルナ用の音声経路も確保してくれているので、一応喋れた。ぼそっとささやくだけでもクリアに届く。


「生徒と教員全員から見下ろされてんだ。目立ちすぎて居心地が悪い」

「情けないジーサさんも好きですよ」

「他人事じゃねえからな。下見てみろ、下」


 足元を視線だけで見下ろすと、講堂並に広い教室には肘をつき脚を組むヤンデさん。

 椅子ではなく机に座っている行儀の悪さである。パンツ見えんぞ。


「私は気にしません。絞られるのはジーサさんだけでしょうし」

「ああそう……」


 生徒は各自の校舎から、教員はEクラス以上のどこかの校舎から聞くことになっており、それはFクラスのヤンデも例外ではないのだが。

 先日婚約を発表したばかりのエルフ王女がぽつんと残る光景は、中々にショッキングだ。つーか見せつけるように超速の指トントンしてるし、表情も怖え。


「――ジーサ・ツシタ・イーゼはイーゼ家の長男である。ナツナによって滅ぼされたボングレーの一族で、国として内密に匿っていたが、誠に有能であると判明した。昨今の世上と第一王女の意思を考慮し、此度は正式に採用することにした」


(バラすつもりはなかったのか)


 シニ・タイヨウとして披露するってのはブラフだったわけだ。


 無論、俺の本心を探るためなのだろう。

 もし俺がバカなことをしていたならば、今頃封印されていたに違いない。陰湿な攻め方をしやがる。


(ブーガの件はバレるわけにはいかねえなこりゃ)


 そんな気は露ほどもないけどな。

 ブーガだけは敵に回したくないし、回しちゃいけない。


 ほぼ全てを晒し合い、サンドバッグにもなったからこそ、あの人のヤバさはよくわかる。

 巷でも人間最強の呼び声が高いそうだが、そんなモンじゃない。どちらかと言えば魔王、竜人、あるいはもこもこ綿人といった規格外の側だろう。桁が違うんだよな。


「こちらはハルナ・ジーク・アルフレッド」


 ルナがおおよそ似つかわしくない、淑女のお辞儀をしてみせる。「似合わねえな」呟いてみると、横顔がピクリが動いた。王女なんだろ、しっかり外面つくれよ。


「ルナという平名《フラットネーム》で、一般枠《ジェム》として通っていたが、その正体は我が長女である」


 平名とはファミリーネームやミドルネームがない名前のことだ。

 アウラ、ラウル、スキャーノもそうだが、家族や家柄を持たない者、あるいは自ら捨てた者はファーストネームしか持たない傾向がある。貧民と冒険者に多い。


「ご存知の方もおろうが、王女としての披露目は着々と進めておった。引き続き一般枠として学園に通わせるから、皆も遠慮することはない。むしろ教育のためにも揉んでいただけると幸いである」

「頑張れよ」

「むぅ……」


 他人事攻撃をお返しすると、ぷくっと頬を膨らませてきた。だから外面。


 ……と、後でどうなるかわからないので、絡みはこの辺にしておく。

 もう一度、下をチラ見すると、ヤンデは両の手でアルミ缶を潰すようなジャスチャーを見せてきた。ひぃ。


「――廃戦協定を経た今、ジャースは新たな局面を迎えている」


 手短な披露を済ませたシキは、国王らしく展望を演説し始めた。


「戦争と戦闘に明け暮れる時代は終わった。新たな豊潤の種を植え、芽吹かせねばならぬ。そのためには国をもっと豊かにし、変化に対応できる体制を敷かねばならぬ。無論、冒険の恩恵と渇望も軽視するべきではない」


 昨日国政顧問としてあちこち見て回った時にも薄々感じていたが、やはりシキは民の自律性と競争心を重視したいらしい。

 それでも今までは貧民など役に立たない層を軽視しているきらいがあったが、既に改めており、俺の実験村《テスティング・ビレッジ》を中心に、底上げを図ろうとしている。


「次世代が健やかに生きていくための基盤を、整えてなくてはならない」


 ブーガとサシで話した内容も加味すると、時代背景がうっすらと見えてくる。


 前世でたとえるなら、まず第二次世界大戦が終わって各国とも再興し始めたのが先代の時代。

 それを引き継いで無難に統治してきたのがアルフレッド王国のシキ、ダグリン共和国のブーガ、オーブルー法国のラーモの三傑だ。

 そしてこれら三国から頭一つ飛び出していたのがギルドなる巨大冒険者連合で、たとえるならアメリカとソ連が融合したような大国だろうか。


 各国には野望と事情があった。それを押し通せる核兵器――第一級冒険者を始めとした戦闘力も所有していた。

 火種もあちこちにあって、割と危ういバランスだったようだが、俺がナツナを殺したことで崩してしまった。


 前世と違うのは、超法規的措置の仕組み――すなわち竜人の存在だろう。

 実際、オーブルーが侵攻してきた直後に、廃戦協定なる措置で戦争の余地そのものを潰している。ギルドを三国と同列の扱いにもした。


 竜人が私利私欲のために暴走することはあるまい。あったとしても、俺達では為す術がない。こちらから干渉できるものでもないし、実質無視していいだろう。

 なら。


(俺も役立てるかもしれない)


 歴史は日本史も世界史も得意ではない、というか得意苦手以前に無関心であったが、それでも少しは知っている。

 戦国時代転生ものほど甘くはないだろうが、異世界人としてのアドバンテージは大きいと信じたい。


(滅亡バグ、か……)


 今後百年以内にジャースは滅びる――

 そう天使は言っていた。


 そうだよな。この滅亡バグを阻止できなければ意味がないのだ。


 単に死にたいだけなら滅亡まで待てばいいのだが、天界には輪廻転生などというふざけた理がある。俺が|第二の世界《ジャース》で死んだところで、また第三の世界に投入されるだけだ。

 俺の魂には見込みがあるらしく、何千回と転生させられるのは確定っぽいから、死にたい俺としては拷問でしかない。転生ごとに記憶がリセットされればまだマシだが、天界に戻ってきたときに全部|蓄積《マージ》される畜生仕様だしなぁ。



 ――成仏と呼ばれる、とても面倒な手続きがあるのですが、その程度の労力は払いましょう。


 ――あなたは天界からも完全に消え失せる。



 逆に見事阻止が叶えば、俺は成仏してもらえることになっている。

 天使に俺を騙すつもりはないらしい。というより嘘という概念のない存在らしいが、真偽と本心はどうあれ、俺はすがるしかない。


(結局、世界を救うつもりで頑張るのが一番近いってことか)


 こういう思考は嫌いだが、今の俺は一人じゃない。

 ヤンデがいる。ルナがいる。いや二股状態だからこの後どうなるかわかんねえんだけど、それでも。


 悪い気はしなかった。






 国王の演説後は、数分もしないうちにいつもの人気《ひとけ》が戻ってきた。

 見上げても知ってる奴が誰もいない。というか人がいない。どいつもこいつも一目散に去っていった。


 去ったと言えば、ヤンデもか。ゲートでも使ったのだろう、いつの間にやら消えていて、教室はがらんどうだ。

 机が何個か派手に割れてるけど、見なかったことにする。


「なあ。どういうことなんだこれ?」

「衝撃的な報告ですから。本家に持ち帰って緊急会議を開いてるんだと思います」

「王女が一人見つかって結婚したってだけだろ?」


 ルナは綺麗な立ち姿勢で両手を広げ、ドレスを脱がしてもらっていた。意外にも老齢のスレンダー執事による手作業である。


「ジーサさんにとっては些細な問題なんでしょうけど、我が国において王族階級の力は絶大です」

「ああ。知っているが」

「そんな絶対者が一人増えたんですよ?」

「政治と社交の前提が変わるのよ」


 シキが端的な回答を寄越しつつ、娘の胸元を覗き込む。「少し大きくなったか?」ルナのマジ殴りが放たれたが、軽々と空を切った。可愛い衝撃波。


 それはともかく、理解した。

 要はパワーバランスが変わるってわけか。近衛の絶対数が変わらないのだから大差ない気もするが、そう単純でもないんだろう。

 ああ、ブーガだのギガホーンだのヤンデだのを見てきてるからか、感覚が麻痺してる感あるな。


「うかうかしてはおれんぞ。まずはエルフとの外交を回復させねばのう。二股ジーサ殿、案を出せい」

「勘弁してほしいんだが……」


 とりあえず、俺の安息がまだまだ先にあることだけは間違いなかった。

最終章 エピローグ

第220話 余波

「どういうことよ。私は何も聞かされていないのだけれど」


 婚姻発表後、ヤンデはいち早くエルフ領に戻り、バトルスーツ姿で会議中の女王補佐《アシスター》達を押し退けて女王を連行――ストロングローブに壁ドンする形で問い詰めていた。


「ジーサさんは、こういう強引な感じが好きなのですか?」

「そうね。ジーサはどちらかと言えば受身よ――って何言わせるのよ」

「緊急時に遠慮しない素早さは評価しますが、少しは落ち着きなさい」


 サリアは娘の手を叩《はた》くと、手頃な太い枝まで移動し、腰を下ろした。

 風魔法で数十メートル下の川を弄《まさぐ》り、バーモンを何匹か引き上げて圧殺する。


「相変わらずでたらめね……」


 ヤンデが思わず漏らす。

 深森林の川は魔子が皆無とされ、魔法による干渉は行えない。その前提を破れる例外がサリアであった。


 圧殺された肉塊に瞬間的な加熱が加わる。

 サリアが豪快にかぶりつき、遅れて香ばしさがヤンデの鼻にも届いてきた。


「行儀悪いと思うのだけれど」

「堅苦しい所作ばかりだと応用が利かなくなりますよ」

「サボりたいだけでしょ」

「正直な話、良いタイミングだったわ。分けてあげるから、リンダには内緒にして頂戴ね」

「要らないから」


 と言いつつ、絶妙な火加減であることも見て取れたので、受け取るヤンデだった。


 冒険者らしくがつがつと食らいながら、件の婚姻発表について共有する。


「――あの爺、やりますね」


 最後の一口を平らげ、ぺろりと指を舐めるサリアの声調《トーン》には複雑な色が混ざっていた。


「お母様も聞かされてないってことは、喧嘩を売っているのかしら? ジーサは? 私よりルナが好きだったってこと? それとも乗り換えたのかしら? なぜ? 胸が大きいから?」

「落ち着きなさい」

「ジーサに吐かせるわ」

「彼は何も知らないでしょう。どちらかと言えば巻き込まれた立場ではないですか」

「わかってるわよ」


 ジーサ個人を超えた力学が働いていることくらい、ヤンデにもわかっている。

 だからこそもどかしくて、落ち着かないのだが、幸いにも親子水入らずの食事のおかげでだいぶ軽減されている。


「貴方との婚約を発表した手前、アルフレッドの暴挙を見過ごすわけにはいきません。エルフの沽券に関わります」

「敵対するのかしら?」

「敵対してもいいし、友好に近付けることもできます。アルフレッドは私達に突き付けているのです――」


 好きな方を選べ、と。


 サリアの美声はよく響いた。

 遅れて、事の重大さもじんわりと染みこんでくる。


「――お母様はどちらを選ぶのよ?」

「貴方はどちらを選ぶべきだと思いますか?」


 母親の顔はもう失せていた。わざわざ教育の機会を与えるところを見るに、少なくとも答えが出ていることはわかる。

 何らかの打開策にもあたりがついているのだろう。


 ヤンデは胸中でほっとしつつも、この雰囲気の女王に容赦がないことも痛感しているので、座り方から改めて、


「その二択なら前者ね」

「なぜです?」

「私がジーサを手放したくないからよ」

「個人的な恋慕は理由になりません」

「なるわ」


 二種族の血を引く危険な娘を殺すために、サリアは最愛のパートナーにも手をかけている。それが国と種族の益を最重視する立場というものだ。

 それでもヤンデは迷わなかった。即答だった。


「私はゆくゆくはエルフを牽引する身だし、実力で言えば既に随一よね。そんな私を支えるのがジーサなのよ。だから理由になるわ」

「悪くない回答ですが、利己が過ぎます。民は納得しませんよ」


 ふふっと微笑する母親を前に、どうにもむずがゆいヤンデだった。


「お母様はどうなのよ?」

「事実上、後者しかありません。敵対などもっての他です」


 いいですかヤンデ、と続く。


「あの男はシニ・タイヨウという爆弾の取り扱いに最も神経を尖らせています。自国――いえ自分だけでは抱えきれないと判断したのでしょうね、貴方を使うことにした。私達エルフにも片棒を担がせるために」

「……」

「驚かないのね」

「驚くというより悔しいわ……。掌《てのひら》の上で踊らされていたってことじゃないの」


 ヤンデが自分の掌を見つめる。


「でも納得もするのよ。あの人がただ者じゃないってことは、拾われた時からわかっていたから」

「人を見る眼は悪くないようね。そんな鋭い貴方から見て、シニ・タイヨウはいかがですか? 我ら国を統べる者がこうして頭を悩ませるほどの存在だと思いますか?」

「愚問ね。当然じゃない」


 見慣れた掌に、綺麗な手が重なった。

 エルフは身体の各部位も美しいが、その中でもさらに洗練されていることが一目でわかる。年齢も感じさせない。


「ヤンデ。ジーサさんを離していけません」

「言われずともそのつもりよ」

「大げさではなく、世界のパワーバランスは彼にかかっています。もっと言えば、彼の手綱を握る貴方の手にもかかっているのです」

「……」


 もう一つ手が添えられて、優しく包み込まれた。


「怖いですか?」

「そうじゃないわ。複雑な気持ちなのよ。ジーサの理解者は私だけでいいのに――って、そんなことはどうでもいい」


 母親の手を振りほどき、改めて向き直る。


「婚姻の件はどうするのよ? 二国の王女を娶《めと》った男なんて体裁も何もあったものじゃないわ」

「ジーサさんに相談しなさい。独創的な彼なら、考えの一つや二つは出してくれるでしょう」

「そういうこと……」


 アルフレッドか、エルフか。

 タイヨウはどちらか一方しか手に入れることができないとヤンデは考えていたが、前提そのものが甘かったわけだ。


 自分を兵器の宿命から解放し、皇帝ブーガを動かしてまで混合区域《ミクション》などという突飛な施策を出すほどの男であれば。

 本件についても妙案を出せるのだろう。


「あの爺もそのつもりで、今回の策を講じたのではないかしら」

「国王らしからぬ大胆さね」

「それがシキ・ジーク・アルフレッドの強みなのです。並の王が一週間悩んでいる間に、あの男は十の行動を起こしてみせる……。貴方も、決して気を許してはいけませんよ」

「女王様」


 ヤンデにも聞き慣れた声だった。

 女王補佐の一人、リンダが涼しい顔で浮いている。ゲートは開いたままで、露出激しき戦闘服も既にない。


「シキ様がお見えになっております」

「すぐ行きます」

「はっ」


 リンダは一礼した後、ゲートに入っていった。間もなく閉じられ、自然の静寂が訪れる。


「行動が早すぎるわね……」

「長くなるでしょうね。所用があれば今のうちに済ませておきなさい」

「お母様は?」

「もう済ませてあります」


 女王の多忙ぶりは間近で見ている。狙って調整しない限り、済んでいたなどということはありえない。

 アルフレッド側がエルフ側の行動を読んでいたことを、サリアもまた読んでいたことになる。


「私も大丈夫よ」


 本当は三十分くらいゆっくりしたかったが、つい対抗してしまうヤンデだった。

第221話 余波2

 王都北東部、小高い平民エリアの最高点には数本の巨木が生えていた。

 人間族の生活様式では生きづらい鳥人が集まる、言わば共同住宅であるが、そこに一つの影が猛スピードで突っ込む。


 その当人ことミーシィは、姉と暮らす自身の部屋に直行してドアを蹴破り、


「おおおおおお姉ちゃんっ! 大変なことになっ――て、何してんの?」

「王様にお呼ばれしたのよ。死体の件で」


 姉のマーシィがちょうど着替えているところだった。

 家では全裸が基本のため、着替えるだけで用事なのだとわかる。


「懲りないねー」

「ねっ。死体を陵辱して何が面白いのって話よ」

「……」

「何よミーシィ。久しぶりにお姉ちゃんと遊ぶ?」


 余談だが、鳥人族では家族間で性的に遊ぶことが珍しくない。どころか教育と親交の手段として奨励されているほどだ。

 マーシィミーシィ姉妹は仲の良い方であった。若干、いやだいぶ姉の片思いが強いのだが。


「いいから早く行きなよー。また王様に見捨てられるよ?」


 姉が遠い目をする。成果が芳しくないのだろう。


 鳥人王《ハーピィキング》が最近流れ弾――下界から飛来してきた死体に執心していることは、世上に疎いミーシィでも知っている。

 逆を言えばそれほど執着が強いとも言え、ミーシィ自身も一時期は聞き込みをして姉マーシィに協力していた。


「王様はキモいし、正直やめたいんだけどね」

「お姉ちゃん、それもう百回は聞いた。|王の助言《フィードバック》が欲しいならキモくても頑張るしかないよ」


 冒険者としてプライドと野心が強く、レベル上げを諦めきれない――

 そんなことはマーシィ自身がよくわかっているのだろう。だから、愚痴を言いつつも準備は怠らない。そのピッチピチの格好も、王の琴線を探るためだ。


「ミーシィ」

「遊ばないからね?」

「大変なことって言ってなかった?」

「あーっ!」


 叫ぶ妹を前に姉は嘆息し、その手を引いて部屋を出た。


 巨木から飛び立ち、みるみる高度を増していく。

 王都では空域も管理されているが、この二人は顔パスで免除されているため行き来に支障はない。

 間もなく、二人は空めがけて急発進した。


 ミーシィは事の顛末――第一王女ハルナのお披露目と、同級生ジーサとの結婚について共有する。


「――人間族の事情なんて知ったこっちゃないけど、巻き添えだけは気を付けるのよ」

「うん」

「……浮かない顔ね。気になる人でもいる?」

「うん」

「は? ……え、え?」

「お姉ちゃん怖い。近い」


 大海原と、そこから生えている大木『ジャースピラー』しかない景色を高速飛行しながら、ミーシィは接触してくる姉を鳥足で拒む。


「ミーシィは私のものでしょ?」


 かぎ爪に掴まれてもなお、ぐぎぎと寄せてくる姉の顔は控えめに言っても相変わらずだった。

 こんな風にじゃれてきながらも、飛行の精度は全く狂っていないのだから頼もしくはあるのだが。


「もーっ、いいかげんわたし離れしてよ!」

「お姉ちゃんにも紹介してね」

「まだそういう段階じゃないってば。性交する約束はしちゃったけど」

「は?」

「でも王女様に割って入る勇気はないなぁ……」

「王女……え、えぇ!? それって」

「うん。ジーサ君!」


 マーシィの過保護は中々のもので、ミーシィの記憶では軽く十人は半殺し、もしくは殺害されている。

 ゆえに想い人の相談には気が引けたが、相手が王位にもなれば迂闊な手出しはできない。というわけで、ミーシィは思い切ったのだった。


 実際、マーシィはすぐに冷静になり、普通の距離が戻ってきた。


「ジーサ・ツシタ・イーゼ。イーゼ家……聞いたことないけど、察するに、人間とエルフに飽き足らず鳥人もってことよね。見境なくない?」

「王様みたいだよね」


 別にジーサからミーシィを求めているわけではないのだが、話の腰を折るのもだるいのでミーシィは訂正を諦めた。


「クズじゃないの。そんな男、やめときな」

「いい筋肉してるんだけどなー」

「出た出た謎のこだわり。男は顔とレベルと性器の形だっつってんでしょ」


 マーシィが土魔法で男性器の模型をつくってみせる。

 毛まで含めて妙にリアルで、「汚いよお姉ちゃん」ミーシィは秒で潰した。


「お姉ちゃんこそ古いよ? 最近は男の身体にも芸術性を求めるし、性格だって重視するの」

「あー、若い子はそうよね。人間に毒されすぎてる。男なんて食べて捨てるくらいがちょうどいいのよ。クズしかいないんだから」

「よしよし」

「ミーシィ……お姉ちゃんと遊ぼ?」

「そんな暇があったら清めなよ。わたしはもう行くね」


 名残惜しそうな姉とは対照的に、ミーシィはあっさり高度を下げて散会した。


「性交訓練《セクササイズ》って言ってたよね、ガーナちん。わたしも混ざれないかなぁ……」


 ジャースピラーを縫うように飛行しながら、ミーシィはジーサに思いを馳せた。




      ◆  ◆  ◆




 謁見しに来たマーシィを待っていたのは小言でも性交ではなく、任務だった。


「ハーピィよ。そなたらの王は何を望む?」


 人とは思えぬ無機質な声がよく響く。

 神聖で静寂な教会の中で、マーシィは膝をつき頭を垂れていた。


「せめて声だけでも届けるのが礼儀ではなかろうか」

「……」


 ただの声に、ただのオーラだというのに、マーシィはびくっと肩を揺らしてしまう。

 冒険者にはあるまじき羞恥だ。私は格下ですと言っているにも等しい。

 もっとも、実力の格差など出会って一秒でわかっていたことだが。


 オーブルー法国元首ラーモ。


 傑物中の傑物中である。サクリ教の教皇でもあり、軽はずみな言動一つで何の地雷を踏むとも限らない。

 マーシィは黙秘を決め込むしかなかった。


「そなたはゲートが使えよう。繋ぎたまえ」


 見せてもいない魔法も見抜かれているが、「致しかねます……」そう言う他はない。


 そもそも鳥人王がマーシィを寄越したのは、捨て駒だからだ。

 王もまた実力者であり、人間族ごときが敵うとも思えないが、だからこそ用心は重ねる。自領に幽閉されている大陸一の魔法使いと接触するなど、リスクが過ぎる。


「まあ良い。申せ」

「はい。王様から、このように言い付かっております」



 ――ボクたちの機動力をお貸ししよう。


 ――代わりに、死体を一つだけ蘇らせてほしい。



 マーシィは言付《ことづ》けを一字一句そのままに共有してみせた。


「世の理を舐めておるのか」

「……」


 ここは敵地も同然だし、実力差も歴然。マーシィは黙ることしかできない。


 これでも男の嘘と見栄を見抜くのは得意な方だが、教皇の発言からは何も読み取れなかった。

 声もそうだが、人間味が皆無に等しい。まるで文字を読んでいるかのようだった。


「その死体で何を成そうとしている? 詳細がわかれば貢献もできよう」

「――愛でております」

「何?」

「死体を、愛でております」


 まさか自分の王の屍姦趣味を、他国の長に暴露することになろうとは。マーシィ自身、夢にも思わないことだった。

 無論、勝手に暴露することなど許されることではないが、マーシィは既に吹っ切れていた。


 自分の命が軽くなる場面というものは、たしかに存在する。そこで行動を迷ってしまえば、高確率で死んでしまう。

 重要なのは迅速に行動することだ。

 運が悪ければどのみち死ぬが、案外生きているのが人生というもの。


 要するにマーシィは、この暴露は必要だと自己判断した。


「ならば貢献できるな。降霊術《ネクロマンス》という魔法がある」


 死体から|情報や資源《リソース》――記憶、魔力、体力、技能《スキル》や魔法等を吸い出す特殊魔法である。

 たとえば記憶を吸い出す魔法は記憶回収《メモリーコレクション》と呼ばれ、以前のアルフレッド侵攻時でも使用されている。


 ラーモ曰く、降霊術の本質は強奪と搾取だという。

 それでも望むかと問われたが、マーシィに断る道理は無かった。


「選ぶが良い。そなたらの王自らが荒らすのか、それとも荒らせる者に荒らしてもらってその収穫を共有してもらうのか」


 降霊術の習得可否は資質に左右される上に、鳥人には特に厳しいとのことだが、ラーモであればほぼ習得に導けるという。


 鳥人王が自ら教皇から降霊術を習得するのか、それとも誰かに習得させるのか――


 要するに二択を迫られていた。

 安全で無難なのは後者だが、王が入手できるのも記憶だけとなる。前者だと王自らが習得できるが、この教皇と直接相対しなければならない。


「……いったん持ち帰って、検討させてもらえませんか」

「ならぬ。ここで、そなたが決めよ」


 あんまりだとマーシィは思った。

 ここで決めなければ死ぬだろうし、決めたとしても判断を誤れば処断される。もっとも、今の不運を嘆いたところで何の役にも立ちはしない。


「しばしの熟考をお許しください」


 マーシィは十数秒ほど黙考した後、「自ら回収することにします」決断を下す。


 あの死体への執着ぶりを考えれば、少しでも前進した方が良い。

 どうやるかは王自身と側近が考えることだし、どうにかできるほどの強者であることもまた間違いないのだから。


 それに、そうして王が死体にのめり込んでくれれば、自分を含め鳥人女性への干渉も減る――

 どうせなら皆が楽できるようにしよう、という下心であった。




      ◆  ◆  ◆




 教皇補佐部隊『カーディナル』の三人が頭を垂れている。

 幹部と同様、緑色のローブを許された猛者である。違うのは忠誠度で、彼らは主のためなら己が命さえ差し出す。


「そなたらには二点ほど共有しておこう。まず、降霊術《ネクロマンス》の秘匿性は本日をもって緩和する」


 降霊術は魔法の一つにすぎないが、習得は難しく、オーブルー法国は意図的にその存在を隠してきた。

 ラーモは、このスタンスをやめると言っている。


「それから降霊術の見返りだが、鳥人である」


 カーディナルの一人が顔を上げた。

 その顔は歓喜と敬意に満ちており、幹部であっても顔をしかめるほどの狂気が滲んでいた。


「ついに……ついに、なされるのですね」


 ラーモが行った取引は単純だ。

 鳥人に降霊術を教える代わりに、鳥人から要員を差し出してもらう――


 傍からは物騒な傭兵調達か異種族間提携にでも見えるだろうが、真意、いや神意はそんなに生ぬるくはない。


「そなたらも心得ておけ。本日より布教を加速させる」

「イエス、マイゴッド」

第222話 余波3

 ジャース大陸の南端よりもはるか南に位置する、とある群島。

 大海原にぽつんと浮かぶこの一帯は魔人族大集落への入口であり、ギルドが要塞《フォートレス》と呼んで鋭意侵攻している場所であった。


「ご苦労様です」


 ギルド長ウルモスが報告を労うと、報告者――王立学園の制服を来た男女は恭しく一礼した。


「ナタリー。彼らを送りなさい」

「かしこまりました」


 美人を期待させる双眸と銀髪のみを晒した、全身プレートメイルの女が報告者二人の肩に手を置く。「テレポート」間もなく消えた。


「アルフレッドとエルフですか。大胆な事をしてくれる……」


 丸眼鏡をかけた優男が、くくっと笑う。

 粗雑なキャンプがあちこちに張られている中、ウルモスがくつろぐ一画だけは王室のように豪勢である。その温和な雰囲気もあって、一見すると心優しき首領に見えるが、中身がそうでないことは皆が知っていた。


 ウルモスはしばし一服時間《ティータイム》を楽しむ。

 余談だが、ジャースにおけるティータイムは茶に限らず、飲料にも限らない。彼が食したのも、ちょうど狩られたばかりのモンスターの目玉だった。


 数分ほどでナタリーが戻ってきたが、メイルから覗く眼は何かを言いたそうにしている。


「構いませんよ」

「ではお言葉に甘えて。――我々はいかが致しましょうか」


 件の報告は第一王女の誕生と婚姻に関するものだった。

 特に重要なのが後者、婿として迎えられたジーサ・ツシタ・イーゼである。


「君ならどうしますか?」

「は、私……ですか?」

「退屈ですからね。ただの雑談です」

「そういうことでしたら。私としましては、ジーサ・ツシタ・イーゼを逃した側をギルドに引き込むべきと考えます」


 ジーサはエルフの王女ヤンデ・エルドラとも婚約している。

 状況を普通に捉えれば、アルフレッドがエルフに対抗したという構図であり、ナタリーもそう主張しているのだが、


「アルフレッドとエルフは対立しませんよ」


 ウルモスはあっさりと否定した。露骨な嘆息もついてきて、「……」雑談とはいえナタリーは口をつぐむことしかできなかった。


「この討伐任務は、まだまだやめられません。四国《よんごく》の手綱を引くためには、魔人討伐という大義名分が必要ですからね」


 ウルモスは肘をつくと、独り言ちるようにぽつぽつと喋り始めた。


「モンスターとダンジョンを守る魔人を討伐できれば、ダンジョンをより蹂躙しやすくなります。そうですねぇ、デーモンズシェルターで甘い汁を啜ってるアルフレッドのような好景気を全土にもたらすことができます。幕が開けるんですよ――大冒険時代のね」

「――おう」

「何です?」

「その、魔王……が出てきたら、どうするの、ですか」


 ジャースを統べる存在は竜人とされているが、魔人族を統べる魔王なるものの存在も一部では噂されている。

 根も葉もない伝説だと笑われることが多いが、一方で、実力者の中にはそのような存在を予感できる者もいた。


「出てきませんよ」


 メイル越しの綺麗な双眸が揺れる。


 ギルド長ほどの人物が認めたのだ。

 のみならず、その行動まで把握している。


「だからこそ、我々はこうして生きているのではないですか」

「……」

「そろそろ本腰を入れましょう」


 ウルモスが立ち上がる。瞬間、数十メートル以上離れた周囲の冒険者達に緊張が漂った。

 ナタリー自身も生唾を飲み込んでしまった。


「国を一つ引き入れます。我らギルドとその一国で計二国。多数決でもイーブンですよね。竜人を動かせるチャンスも出てきます」

「そういうもの、でしょうか」

「信じられませんか?」

「いえ、そういうわけでは……」


 |覇者の義務《メートル・オブリージュ》――。


 ウルモスがその言葉を口にした。


「覇者は覇者らしくあるべき、という意味です。覇者が好き勝手にしていたら世界などすぐに滅びますよね? ゆえに覇者は傍観者でなくてはならない。しかし、世界は滞りなく発展してほしいものです。でないと退屈ですからねぇ」


 ナタリーの硬直が見て取れた。

 たいていの冒険者なら同じ反応をしただろう。壮大な者が、さらに壮大な話をしているのだから。


 それはウルモスもわかっているらしく、失笑とも失望とも取れる微妙な苦笑を浮かべる。 


「そこで覇者は、世界の住人を参考にして、世界に少しだけ手を加えます。あるいは住人の手に負えない危機を潰すのに立ち回ることもあると聞きます」

「協定……」

「そう。竜人協定はまさに、彼らがこの世界に干渉してきた結果です。先日の廃戦協定も良き例ですね」


 ウルモスはテーブルから最後の目玉を引き寄せる。それを口元ではなく手元に運んで――握り潰した。

 汁が拡散し、ナタリーにも飛び散る。


「ウルモス様……」


 ぶるぶると震える拳からは、汁が滴っている。「おやおや、失礼」ウルモスは微笑を取り戻すと、濁流のような風魔法で周囲を掃除した。

 柄に似合わず、ずいぶんと乱雑な行使である。豪勢な空間はすっかり禿げてしまっていた。視界の隅では、不機嫌な長を恐れる冒険者達がこちらの顔色をうかがっている。


「竜人はジャースの秩序維持を担う番人ではありますが、彼らも人です。退屈なんです。ジャースがどう変わろうとしているのか、先手を打って示してあげれば、喜んで手を加えてくるでしょう」

「そう上手くいくものでしょうか」

「少なくとも竜人は神格化するような存在ではありませんよ。考えてもみなさい。なぜ魔人族が協定の庇護下に含まれていないのかを。嫉妬か、敵対か――可愛いじゃないですか」


 ウルモスが歩き出そうとする気配をナタリーは感じ取った。

 付き合いも長い。このままだと話が終わってしまう。


 口数の足らない長に必要十分を喋らせるのは、彼女の仕事の一つだった。


「して、引き入れるのはどこですか?」


 ウルモスは動きを止めることなく、「オーブルー法国」あっさりと告げる。


「消去法です。ブーガ・バスタードは魔人には関わりませんし、シキ・ジーク・アルフレッドは食えない男ゆえに説き伏せられる気がしない。ですがラーモ――あの教皇の皮を被った野心の塊であれば、乗ってくれます」

「ギルドと、オーブルーが……」


 廃戦協定が制定されたことからもわかるように、長らく四国は互いに争う立場にあった。

 それが今や、手を取り合う展開になろうとしている――。


「魔人族討伐という大望を、竜人協定によって掲げさせるということです」


 現状、魔人の討伐はギルドのみが掲げるものだが、ここにオーブルーも加えるとウルモスは言っているのだ。


 そうすれば四国中の二国が討伐に肯定していることになる。世界の半数が向いている方向となれば、竜人としても無視するわけにはいかない。

 元より竜人が魔人を阻害していることは、協定の適用範囲に魔人族が含まれないことからも明らかだ。


「本件、共有範囲はいかがいたしましょうか」

「最高機密でお願いします」


 全身プレートゆえに見えないが、ナタリーの喉がごくりと動く。


 最高機密とは、決して誰にも漏らしてはならないということであり、共有者よりも情報そのものに価値が置かれるものだ。

 漏らしてしまえば命はないし、そもそも冒険者一人の命では済まない事態にもなりかねない。


 だからこそ、ウルモスもわざわざお願いの体を取っている。


 死してでも守れと。

 自分なりに咀嚼して妙案を出してみよと。


 ギルドの重荷を一緒に背負え、と。


「――かしこまりました」


 敬礼と同時に、ウルモスが発進する。


 ナタリーが顔を上げた頃には、もう見えなくなっていた。

第223話 余波4

「きゅーちゃん……」


 裸体のチーターベースが愛くるしいウサギベースに抱きついている。傍から見ると絞め殺さん勢いだ。


「暑苦しいし痛えんだよピョン。加減しろピョン。離れろピョン!」

「無事で良かった」

「聞いてねえし、無事じゃねえピョン……」

「げっそりしてるね」

「半分はおめえのせいだピョン」


 容姿に見合わぬ重たい頭突きが繰り出される――も、チーターベースのチッチは素早さこそがウリ。回避など朝飯前だった。「本当に良かった……」チッチが見せる本心の安堵を前に、ウサギ獣人ことキューピンがガシガシと頭をかく。


 キューピンは自分の体験を赤裸々に語った――。



 獣人領侵入者の必殺をもろに浴びた彼女は、空へと投げ出された。

 かろうじて身体は保てていたが、瀕死であり、彼女自身はとうに死を受け入れていたのだが、幸運なことに鳥人に拾われる。

 さらに運が良いことに、通りすがりの人間――魔人族討伐の人員を集めているギルドの職員もいて、回復魔法を受けることができた。


 一命を取り留めた対価として、兵隊になることを強要される。

 キューピン一人では断れなかったが、それは可哀想だと鳥人達が猛反発。職員は引き下がった。


 代わりに、彼女は鳥人達のおもちゃにされた。され続けた。



「――鳥人の性欲はおかしいピョン。もうお嫁に行けないピョン」

「きゅーちゃん、まだ諦めてないんだね……」

「うるせえピョン。それでどうなったピョン?」


 無論、侵入者の顛末である。


「皇帝が倒したよ……」

「さすがだピョン。皇帝に抱いてほしいピョン……チッチ?」


 自らをかき抱くキューピンだったが、親友は冗談に付き合う様子ではなさそうだ。


「本当に倒したのかな……」

「ピョン?」

「私は皇帝が侵入者を上空に飛ばしている場面しか見ていない」

「空に殺してもらっただけだろピョン」


 空の果てに何があるかを知る者はいない。


 その前に死ぬからだ。


 空は鳥人の領域であり、協定の適用範囲外でもある。踏み行った者は好き勝手に蹂躙されてしまうのがオチだ。

 仮に切り抜けたとしても、雲が待っている。

 雲と言えば、サンダーボルトが代名詞だ。ストロングローブすら削りきる電撃に耐えられる者など存在しない。

 雲の中に何があるかは判明していないが、だからこそ死地であろうことは馬鹿でもわかる。


 絶対に抗えないものが三つあるといわれている。

 寿命、竜人、そしてサンダーボルトだ。


「そうなのかな……」


 キューピンは皇帝ブーガが侵入者を空に飛ばして排除した、という見方を疑っていない。

 しかしチッチには、どうにもそうは思えなかった。


 混合区域《ミクション》。


 小耳に挟んだばかりだが、エルフと獣人が一緒に過ごす区域らしい。これが成功すれば領土争いは根本的に解決してしまう。

 にわかには信じがたいが、既に両種族代表間で締結しているともいう。


「いきなりそんな発想が出てくるはずがないんだよね……」

「何言ってるピョン」

「何でもないよ」


 会談は軍事境界線で行われ、その顔ぶれには皇帝、獣傑《ギガホーン》、女王《サリア》の他にも人間がいたという。

 皇帝と気安い口を訊いていたそうで、一体何者かと獣人の女達は色めき立っている。


 チッチは早速正体の調査にあたっていたが、すぐ不発に終わった。

 おそらく容姿を改変する魔法かスキルでも施されていたのだろう。皇帝なら容易いだろうし、そういう小細工はエルフの十八番でもある。


「あっきーなら何か知ってるかも……」


 チッチがそう呟くと、「うげぇ」キューピンは露骨に顔をしかめた。


「きゅーちゃんも行く?」

「殴るぞピョン」

「フィールドワークもしたいって言ってたし、招待もできるよ……」

「蹴られてえのかピョン」


 パンチやキックの素振りをするキューピン。洗練されたフォームと速度にもかかわらず、愛くるしさが勝っている。

 見慣れた親友から見てもこうなのだから、それはもう鳥人達には大層可愛がられたに違いない。それでも疲労以外何も引きずっていないのだから、やはり冒険者として相当な格である。


「王女に気に入られても損はないと思うよ……」

「体を気に入られても仕方ねえピョン。娼者《プロスター》じゃねえんだぞピョン」

「あっきーなら男も紹介してくれるかも」

「……行かねえピョン」

「少し迷ったね」




      ◆  ◆  ◆




「僕は降りる」

「どうしてよ!」


 アウラの杖が突きとして繰り出される。並の冒険者なら聞いただけでもチビりそうな威力だが、ラウルは片手で止めてみせた。


「わからないか? シニ・タイヨウ――表面上はジーサ・ツシタ・イーゼとなっているあの男は、一冒険者が扱える段階を超えた」

「だからこそ行動が必要だと思うんですけど。今ならまだ出し抜けるわ」

「焦るなよ」


 ラウルが杖の先端を握り潰す。

 第一級冒険者でもおいそれとは手に入らない、稀少なアイテムが秒で使い物にならなくなった。


 ラウルの手――男にしては綺麗で、しかし相応に逞しいそれが少し緩む。粉々になった屑がこぼれ落ちた。


「初心を思い出そう。冒険者たるもの、慢心と無鉄砲は厳禁だ。君も、僕も、第一級になったからと奢っているところがある」

「……いくらしたと思っているの」

「金なんていくらでも手に入るだろ」

「そうですけどー」


 露骨に話を逸らしてきたのは、アウラの照れ隠しである。そこを突っ込むほどラウルも無粋ではない。


「現状の彼は人類屈指の守備力と言える」

「でしょうね。ヤンデちゃんだけでも相当なのに、近衛もつくんだもの」


 ぽいっと乱雑に杖を放るアウラ。からんと堅い音が響いた。

 ここは朽ち果てたダンジョンである。マナーなど露ほどの意義もない。


「何より彼自身が未知数だ」


 ラウルの開いた手のひらは、武者震いのごとく震えていた。

 アウラが見上げると、秀麗な眉目は苦笑を浮かべていた。


「……あーちゃんからも連絡、来てないですしね」

「そうだな」


 ジーサの件については互いに情報を交換していく――

 アウラウルと第三王女アキナはそんな了承をしており、だからこそアキナに協力してジーサと二人きりになれる機会をつくったのだが。


 接触を果たしたはずのアキナからは音沙汰がない。


 代わりとばかりに、国王シキ直々の婚姻発表があったわけだが、アキナという少女はその程度で内密のやりとりをやめるほど淑やかではなかった。


「王女が僕達への連絡をやめるほどの何かが、シニ・タイヨウにはあった」


 アキナのスキルを知る二人ではないが、人を高精度に判定できる何かを持っているであろうことは確定的だ。


「ふーちゃんの反応も気になるかな。異常に執着してましたよね」

「僕にも割と懐いていたね」

「シニ・タイヨウを見つけた途端、見向きもしなくなりましたけどね」

「どういう理屈が働いているんだろう」

「……探ります?」


 探るような上目遣いに、「いや」ラウルは首を横に振る。


「無視した方がいい。あれは撒き餌だ。反乱因子をおびき出すための」


 要人の隙を見せて返り討ちにする策略は、国王シキの御家芸である。

 かくいうラウル自身もそれにハマってナツナを殺そうとし、チャームの暴力に飲まれそうになっている。

 そんな相方を助けたのが他ならぬアウラだ。当時のマヌケっぷりを彼女が表情に載せてみると「うるさい」金髪はそっぽを向いた。


「ラウルはどうするつもりですか? 諦めてはいないんですよね?」

「当然だ」


 二人の目的はシニ・タイヨウを搾り取ることにある。


 第一級冒険者として富も名誉も好奇心も欲しいままにしてきたが、この道に果てはない。

 なのにレベルアップには行き詰まり、グレーターデーモンなどというふざけた障害にも出くわしている。

 かといって国営や後進育成にシフトする気も毛頭ない。そんな余生を過ごすにはまだ若い。若すぎる。


 そんな二人にとって|未知なる異分子《シニ・タイヨウ》は非常に魅力的で、喉から手が出るほど欲しいものであった。


「やり方を変えようと思う」

「ジーサと結婚するんですか?」

「そんな趣味はない」

「冗談だし、趣味以前の問題だと思うんですけど……」

「彼の味方になるんだよ」

「味方、ねぇ」


 ここまでの二人の方針は『力尽く』だった。

 発案はほぼアウラだが、隙を突いて強引に連行・拘束し、何をしてでも全てを引き出すことを辞さない意気込みがあった。


「よく考えてみなよ。アルフレッドも、エルフも、そしておそらくは師匠も――誰一人としてシニ・タイヨウを排除していない。彼に利用価値があるからだ。彼には話が通じるからだ」

「みんな同じやり方をしているってことね」

「ああ。僕達も従おうじゃないか。表立ってはいないけど、これは争奪戦だ」


 シニ・タイヨウを巡る戦いなんだ――。


 ラウルが呟く。

 先の見えない天井を見上げながら、何やら耽っている様子だ。


「……ねぇ。そのキザな言い回し。何とかならないの?」

「今に始まったことじゃないだろ」

「そうね。ラウルは自分に酔うタイプだもんね」

「君には言われたくないけどな。シニ・タイヨウを籠絡するんじゃなかったのか?」

「彼にチャームは効きませんよ。でも諦めてはいないので、ラウルで練習してもいいですか?」

「普通に嫌だし、その」

「その?」

「何でもない。そろそろ出よう」


 ラウルは背を向けて一歩踏み出すが、「言いなさいよ」こだまする相方の催促を受けて立ち止まると。


「気持ち悪いなと思っただけさ」

「……す」

「なんだって?」

「犯す」

「……なんだって?」

「ちょうど体が鈍っていたところなんですよねー。久しぶりに本腰を入れます」


 ごうん、ごうんと爆音が響き、衝撃波がダンジョンの内壁を削る。

 第一級の膂力で素振りしているのだ。


「アウラ。帰ってくるんだ」

「私も正直に言いますけど、前からラウルのことは気に入らなかったんです。私にちっともなびいてくれないですよね。私、チャーム持ちですよ? 私はモテるんです。モテてきたんです。なのに本当に、これっぽっちも見てくれない意識してくれない手を出してこない。本当に男なんですか。ちょうどいい機会です確認してみましょう何なら《《もいで》》みましょうか――」


 相方のかんしゃくは初めてではなかった。

 真面目なラウルは対策済で、一切張り合わず敏捷で逃げ切るのが最適解だと結論付けている。


 剣士に似合わない、脱兎の逃走が発射された。

 それを追いかけるは一人の魔法使いと、空間を埋め尽くす視覚効果《エフェクト》の数々――



 数分の後、ターゲットを見失ったアウラが叫びながらダンジョンを丸ごと破壊することになるのだが、それはまた別の話。

=== 第六部 婚姻とか舐めてんのか? 第1章 ===

第224話 婿

「まずはエルフとの外交を回復させねばのう。二股ジーサ殿、案を出せい」


 第四週一日目《ヨン・イチ》の朝、Fクラス校舎屋上にて。

 上裸国王《シキ》のがさつな笑い声がよく響いた。


 忙しい身だ。さっさと退散するのかと思いきや――どかっと腰を下ろしてくる。


「ほれ。考え事できるのは今のうちじゃぞ」

「なぁ、これからはそんな暇すら無くなると聞こえるんだが気のせいだろうか」

「王族は思っている以上に忙しいですよ?」


 ひょこっと視界の隅からルナが出てくる。既に王女仕様《ドレス》は着替えており、いつもの制服姿と膨らみが目に優しい。

 俺の袖を引いて促してきたので、仕方なく座る。


「ルナぁ。パパのあぐらの上に来んか?」


 ぽんぽんと己の膝を叩く親バカ。先の荘厳な演説は見る影もないが、この一大ニュースを前にすでに生徒全員が出払っているため問題無いのだろう。見上げてもマジで人っ子一人見当たらない。


「ジーサさんが行きたいそうです」

「おぬしは要らんわ」

「俺も嫌なんだが」

「それで、どうするんですか?」


 ルナが真顔の追及を見せながらも、俺の足を勝手に動かしてあぐらを組む。何をするかと思えば、普通に座ってきた。

 いわゆる体操座りなのだが、ちゃっかり下着が父親に見えない角度もキープしていて器用なものである。


 まあ女子ってそういうもんだよな。パンチラはフィクションでこそ定番だが、日常生活ではまずお目にかかれない。

 と、ふざけている場合ではマジでないので、早速質問をぶつける。


「とりあえず確認したかったんだが――なんで二股ってダメなんだ?」


 一夫多妻制という言葉もあるし、男の業とジャースの文化水準を考えればそうなるのが自然だと思う。


「答えてみいルナ」

「国の威信にかかわるからですよね。どちらも王女ですし」

「五十点じゃな。一般論はどうでもよい。ではジーサ殿」


 質問したのは俺だし、そういうクイズも求めてねえんだが、まあいい。改めて整理しておこう。


 まず、今からちょうど一週間前――第三週一日目《サン・イチ》に、俺とヤンデの婚約発表が行われた。

 そのせいで一気に有名人になってしまい、ハナを始めとするAクラス連中に絡まれるわ、貧民の経済活性化を押しつけられるわ、第三王女アキナに襲われるわと散々で。

 その極めつけが、ついさっきの婚姻発表だ。


 目の前であくびこいてるクソジジイからの、プレゼントという名の嫌がらせ――ルナこと第一王女ハルナとの婚姻が大々的に発表されたのである。


「婚約と婚姻の違いか?」


 とりあえず思いついた解を言ってみるも、「本質ではないのう」一蹴を食らう。


「サリア殿はワシほど強引ではないという、それだけの話よ」


 強引な自覚はあるのな。

 ヤンデとの婚約発表は言わば結婚の約束を知らせたにすぎないが、ルナとの婚姻発表は結婚したことの周知に等しい。無論、身に覚えはないが、国王がしたと言うのならしたのだ。ふざけるな。


「お父様もたまには良い仕事をします」

「そうじゃろそうじゃろ?」

「そうだろうか」


 俺がこの異世界ジャースでこうして面倒事に巻き込まれてるのって、半分くらいはシキ王のせいなんだよなぁ。


「しかし先が思いやられるのう。エルフと答えてほしかったのじゃが」


 その偉そうな王様は体勢を変えて、仰向けに寝そべる。


「エルフは誰とも馴れ合わぬ孤高の種族であり、決して容赦もせぬ無慈悲な種族でもある――その排他性と攻撃性が一種の価値になっておるんじゃ」

「だからこそ人々はエルフに恐《おそ》れ戦《おのの》くって?」

「左様。おぬしも嫌というほど思い知ったろう?」

「そんなことより美人揃いだったことの方が印象的だけどな」


 いや、美人という言葉すら生ぬるい。

 何回見ても飽きないというか、次元が違うんだよな。しかしただの芸術ではなくて、ちゃんと血の通った人なものだから、生々しさも同居している。


「容姿も価値の一つよ。それで男どもが躍起になって、強引な手を使うんじゃが、返り討ちにされて拘束――種源《スタリオン》として搾り取られたあげくに処分されるんじゃ」

「なるほど。そうやって他種族の血を取り入れているのですね」

「他種族だけじゃないがの。あやつらは男エルフも同じようにしておる」


 そういえばグレンもそんなこと言ってたっけな。


「そんなおっかない種族の、しかもただ一人の王女の婚約相手が人間に取られたんじゃ。ただで済むと思うか?」

「済むんじゃないか? 廃戦協定があって戦争はできないんだろ?」

「相変わらず無知じゃのう。エルフが得意なのは戦争よりも潜入、戦闘よりも暗殺じゃろうが」

「初耳なんだが……」


 どうせ俺にダメージは通らないだろうから心配はしていないが、それでも不安になるのがエルフの恐ろしいところだ。

 いや、バグってるから別に平常なんだが、こういう苦手意識は良くない。クセになる。ソースは前世の俺。


「最初に狙われるのはおぬしじゃろうな。というより、おぬしだけが狙われるじゃろうな」

「ヤンデが守ってくれる」


 自惚れているわけではないが、ヤンデとの絆は強いつもり、なのだが。

 シキ王はわざわざ嘆息を寄越してくる。


「一生エルフ領から出られなくなるぞ。ヤンデ殿もサリア殿に説得されて敵に回るに決まっておる。一緒にいられるからのう、喜んで協力するじゃろ」

「……」



 ――あなたは死にたいのよね?


 ――させないわ。あなたに死なれては困るもの。私はあなたが欲しいのよ。



 あの時、口づけしながら交わしたヤンデの本心は本物だろう。

 もしエルフが俺を殺すのだとしたら、防波堤になってくれるはずだ。


 しっかしなぁ……。俺を殺すのではなく、エルフの持ち物にしてしまうと来るか。

 既に王女としての自覚も芽生えてるっぽいし、独占欲も強そうだし……うん、シキ王の言う通りかもしれん。


「じゃが、おぬしはエルフ領にとらわれたくはあるまい?」

「あながち悪い気もしないけどな。エルフのハーレムだってつくれそうだし」

「ほざけ」


 ふんっと鼻で笑われた。心にもないことを言うな、とでも言いたいのか。


「おぬしはおぬしのために、エルフを鎮めねばならんというわけじゃ」


 今度はがははと豪快に笑ってくれる。


「愛しの娘を奪った腹いせよ。せいぜい苦しめ」

「他人事じゃねえぞ。俺がエルフ側につくとか考えないのか?」

「戯れ言を。おぬしはこの窮地をどう切り抜けるかを考えれば良い。正直言うが、ワシらも何も考えとらんぞ」

「前々から思ってたが、アンタ、結構いいかげんだよな。国王だろ」


 どこまでもお見通しと言わんばかりに助言してくるのが癪で、俺は不器用に毒突くことしかできなかった。


「いいかげんな人は置いといて、対策を考えましょう」

「頼んだぞジーサ殿」


 寝そべったままひらひらと手を振るシキ王は、次の瞬間――綺麗さっぱり消え失せていた。


「慌ただしいですね」

「今の、ユズのテレポートか?」

「肯定」

「うぉっ」


 いきなり頭上から声が聞こえてきた。

 直後、幼女一体分の重さが頭に加わる。子供みたく体温も相変わらずぽかぽかで、湯たんぽならぬユズたんぽにできるレベル。


「そこに陣取るのはやめてくんない?」


 頭に居座られるのは初めての体験だが、落ち着かない。抱きつかれるよりも近く感じられて、パーソナルスペースなんてあったものじゃない。


「否定」

「否定された件」


 ユズは俺の頭に陣取ったまま、「早く考える」などとぽかぽか急かしてくる。

 距離感が気に食わないのだろう、ルナは何やら頬を膨らませて上目遣いで睨んできたが、すぐに諦めたようだ。切り替えが早くて助かる。


「そうですね。真面目に急いだ方がいいと思います。エルフもたぶん、すぐこっちに来ますよね?」


 後半はユズに向けた台詞だ。さっきシキ王を送ったときに見てきたのだろう、迷うことなく頷いた。


 ああ、本当どうなるのかな俺。

 とりあえずヤンデが時間を稼いでくれることに期待したい。

第225話 婿2

「一つずつ見ていくか。まず俺がエルフ側を蹴って、ルナとの結婚だけを支持したとしたらどうなる?」

「さっきお父様が仰られたとおりですよ。エルフが敵に回ります」


 俺の胸元からルナの声が、


「同感」


 頭上からユズの声が届いてくる。

 近すぎてどうにも落ち着かないので、不意打ち気味に逃げようとしてみるも、全く動けない。ユズさんが魔法で固定しているようだ。

 スキャーノもそうだけど、すぐ魔法で縛ってくるの何なん。


 今後のためにもあまり仲は深めたくないんだが、時間も無さそうだし、コイツらのスキンシップはいったん諦めようか。


「だったら逆に、俺がお前らを蹴って、ヤンデとの婚約だけを支持したとしたらどうなる?」

「させません」

「同感」

「いや、させないじゃなくて、どうなるかを聞いてんだけど」

「私が悲しみます」

「ユズも悲しむ」

「なら問題ないな」

「は?」


 「あ?」とも言えそうな凄みでルナが見上げてきた。王立学園では番長のごとく怖がられているらしいが、なるほど、納得できなくもない。

 サバイバル生活が長かったからか、素が野蛮なんだよなぁ。「冗談だ」本当は本心だが、そんなことは言えないわけで、ルナの肩をぽんぽんしながらおどけておく。


「タイヨウさんが言うと冗談に聞こえません」

「激しく同意」


 母数2だけど満場一致である。信用ねえんだな俺。

 あとタイヨウって呼ぶんじゃねえよ。ユズの防音障壁《サウンドバリア》なら大丈夫だと思うが。


「ユズはタイヨウを愛している。二度と離さない」

「おっ、いきなりどうした」


 とりあえず手を伸ばして頭を撫でようとすると、顔ごと俺の肩まで下ろしてきた。

 さらさらの金髪がちょっとこそばゆい中、撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めてくれた。


「国王様からの命令。タイヨウには常に近衛がつく」

「太っ腹だな」


 貴重な王族専用護衛《ガーディアン》を俺に割くとは。逆を言えば、それほど価値を置かれているのか。あるいは警戒されているのか。

 後者だとは考えたくないが、偉い人間はそういう意図は隠しきる。後者だと考えて立ち回るべきだろう。


「身体の関係を築く許可ももらった」


 触り心地の良い金髪をとらえていた俺の手のひらは、魔力と思しき不自然な力によって別の部位に誘われた。

 ぐにっと。あるんだかないんだかわからない弾力。


 ……なあ、なんでお前はそのまな板に近い胸を触らせたがるん?


「タイヨウさん、興奮してます?」

「ふざけるな」

「でも心なしか、私に向ける視線よりユズに向けるそれの方が熱い気がするんですよね」

「気のせいだろ」


 そりゃそうだろ。成熟した女性と未成熟なロリとでは稀少さが違う。

 後者は前世ではまずお目にかかれねえんだからな。


 たとえロリでなくても、好奇心で見たい触れたい味わいたいと考えるのは男なら当然のことだ。

 もちろん、こんなこと前世で書けば炎上間違いなしだろうし、実際したけど。


「ちなみに私も許可してます。タイヨウさんを繋ぎ止めるためなら、愛人の一人や二人は構いません」

「アルフレッドの王族はずいぶんと懐が深いんだな」

「今度は逃げたりしないですよね?」


 猜疑の雰囲気――オーラのこもった上目遣いが俺に刺さった。


 疑われているのだと肌でわかる。不思議と確信もできた。

 この感覚は、間違いなくオーラと呼ばれるものだろう。


 普段ルナからぶつけられたことはなかったはずだ。


「正直に言わせてもらう。わからん」

「タイヨウさん……」

「だからこそ、お前らのやり方は正しい。俺はひねくれてるから、何かに依存することを良しとしないところがある。引っ張ってもらえるとありがたい」

「情けないタイヨウさんは嫌いです。もっと先導してください。お父様を超えるくらいに」


 俺を信じて止まない双眸がくすぐったい。

 お前までヤンデみたいなこと言うなよ。

 俺は国を背負う気などない。


 国だけじゃねえ。

 お前らも、ヤンデも――そして俺自身も。


 何一つとして背負うつもりはない。


「唇頂戴」


 ぬっと目の前にユズの童顔が現れた。

 無表情のまま唇だけすぼめるからちょっとシュールだ。可愛いけど。

 受けると後が面倒くさそうなので、首を曲げて回避しておく。


「どさくさに紛れて何やってんだ」

「積み重ねが大事。タイヨウを虜にする」


 前半は正面から、後半は頭上から聞こえてきた。頭部のぬくもりももう消えている。


 口元が動いたのも見えなかったから、何気に無詠唱テレポートだな。

 ただじゃれているのか。それとも力の誇示か。

 幼気だが淡白な声からは何もわからない。


「話を戻すぞ」


 ことさら真面目なトーンで喋りつつ、また頭に着地してくるユズとまだ俺から離れないルナを強引に取っ払ってみる。今度は容易く離れてくれた。


 数メートルほど離れて向かい合った。

 二人とも並んで正座だが、やはりルナはガードが固く、太ももが番人と化している。

 ユズは俺の視線に目敏く気付くと、かぱっと広げてきた。俺も中学生じゃねえんだからいちいち反応してんじゃねえ。いや幼女体型だから健全な中学生よりもタチ悪いか。はははは。笑えねえ。


「ここまでで、どちらか片方につくことは許されないとわかった」

「いや自明ですよね」

「ちゃんと確認することは大事だ。ヒントは意外なところに転がってるもんだからな」


 俺は自分に言い聞かせるように、あえて言った。


 そう、手段などどうでもいいのだ。


 俺がやるべきことは死ぬこと。

 そのためには二つのバグ――滅亡バグと無敵バグを潰してから死ぬ必要がある。

 そうすれば天使が直々に俺を、俺の魂を|輪廻転生の理《生死の繰り返し》から解放してくれる。


 ……と口で言うは易し。

 現状どちらも糸口さえ掴めていないし、そんな余裕もない。


 加えて、俺は。



 ――将軍全員を暗殺していただきたい。



 皇帝ブーガから一大ミッションを頂戴している。

 期限は二年。口外も厳禁。達成できねばブーガ直々の封印が待っている。


(この時点で俺に選択権はねえんだよなぁ……)


 なんたってユズさえ凌ぐ傑物なのだから。


 今度は逃げないですよねって?


 んなわけねえだろ。

 むしろ逆で、逃げるしかねえよな。


「振り出しに戻ったが、やはり二股は認めてもらうしかない。エルフ側が問題視する要素は全部明らかにして、全部潰す。それから民にも認めてもらえるよう、それなりの理由もつくる必要があるだろう」


 シキ王が言っていたが、民を特定の国に拘束することはできない。竜人の協定として定められていることだ。

 ゆえに民は、今の国が気に入らなければ他国に行くことができ、これを離国《りこく》と呼ぶ。


 生徒達の反応から見ても、二股というイベントには大層なインパクトがあると言っていいだろう。

 つまりは、民が離国しかないほどの。


「ガートンの説得が先でしょうね」

「ガートン?」

「会社の一つで、大手かつ老舗の情報屋です」

「それは知ってる。なぜガートンが出てく――ああ、そうか。情報紙」

「です」


 ジャースにおける会社とは、国さえも御せないほどの大組織を指す。

 そんな巨人の情報屋さんは、情報紙などという新聞みたいなサービスを提供している。元々貴族や冒険者向けだったが、先日、庶民向けも始めた。


「民が認めてくれるような理由をつくって、それをガートンにばらまいてもらうしかないってわけだな」

「ガートンは後にしてもらうわよ」


 鼓膜が、というより耳の内から顔が破裂しそうな重ための振動交流《バイブケーション》が俺を揺らす。

 遅れて、隠しもしない風圧と着地音。

 ルナのスカートもめくれると思ってチラ見してみたが、既に手で押さえていやがった。


「ジーサの愛人?」

「本妻よ」


 ほ、ん、さ、い、と強調するヤンデの視線は、どう考えても俺の背中に向いている。


「ねぇジーサ。まさかその子供にも手を出したんじゃないでしょうね」

「くだらねえこと言ってねえで、お前も知恵を出せ」


 肩越しに視線を合わせつつ、ごんごんと隣を叩く。

 間もなくヤンデは腰を下ろして、俺の右腕をかっさらう。


「おい」

「改めて挨拶するわね。はじめまして、ハルナ・ジーク・アルフレッドさん。本妻のヤンデ・エルドラよ」


 こっちは気合い入れた格好してんなぁ。いわゆるバトルドレスの類で、露出は激しいのに威圧感しかない。


「それでジーサさん。案はあるのですか?」

「無視するとは良い度胸ね。挨拶も習っていないのかしら?」

「いや、結構効いてるぞヤンデ。微妙に頬がひくついてるだろ?」

「ユズ」

「承知」


 瞬間、俺の左腕から罪悪感満載の感触が。


「愛人のユズ。よろしくお願い」

「下手《したて》に出ても無駄よ。私は愛人を認めるほど寛容ではないわ」

「でもジーサは認めてくれた」

「ジーサ?」


 左腕をぎゅっと包み込むユズと、頭をガシッと握り潰すヤンデさん。


「なあ。真面目にやらないか……。ルナも悪かったって。ほら、このとおり」


 両腕を封じられているのでウインクしてみたら、「は?」だからそのガンつけはやめて。


 役者が揃ったことで、早速アイデア出しを行う俺達だったが――

 そんな都合良く浮かぶはずもなく。


 一時間もしないうちに生徒や教員達もぼちぼち戻り始め、昼休憩前には以降の平常運転がアナウンスされた。

第226話 婿3

「なぁ。こんなことしてないでサボろうぜ」


 エルフの妻により昼休憩を二十分で切り上げられた俺は。

 Fクラス教室内で、いわゆるカンヅメ状態を食らっていた。


 周囲の机にはテキストやら模型やらが並び、空中にはいくつかの板書が浮いている。字の読めない俺向けに図解が多い。


「それはそれ、これはこれよ。勉強も大事にしなさい」

「偉そうだな。お前も一生徒だろ」

「ヤンデ」


 名前で呼べってか。妙に名前呼びにこだわるよなコイツ。誰指してるかが自明なんだからいいじゃねえか。


「次お前呼びしたら椅子にするわ」

「勉強よりはマシだな。椅子にするって? やってみろよ。お前の体重なんて屁でもねえぞ」

「【石化《ペトリファイ》】」


 瞬間、身体がぴくりとも動かなくなった。

 皮のような薄い何かが全身に張り付いている。目と耳だけは開けてくれているが、それ以外は完全に密閉されていて呼吸どころか皮膚呼吸もたぶんできねえぞこれ。


(ダンゴ。クロ。大丈夫か?)


 一応聞いてみたが、後頭部と心臓に肯定の打撃を得た。

 だよな、寄生スライムってたぶん呼吸からして必要なさそうだし。


「君はどこまででたらめなんだ。石化が使える人間は、ゴルゴキスタくらいなものなんだけど……」

「人間と一緒にされても困るわね」

「これ、石化じゃないですよ? 水魔法と土魔法で石化っぽい作用をつくっているだけじゃないかしら」


 残念ながら二人きりではない。

 Fクラスの俺達を担当する教員、ラウルとアウラもまた付き添ってくれている。

 シニ・タイヨウが目当てだと言っていたから、まあ己の休憩時間くらい平気で投げ捨てるよな。

 あとはヤンデへの興味もあるのだろう。今も感心を隠さない。


「ただの魔法では到達できない練度です。スキルとして発現させたのよね?」

「ええ。さすがは|魔法使い《ウィザード》ね。あなたはできるかしら?」

「そうですねー……」


 うーむと顎に手を当て、首を傾げて考え込むアウラ。可愛さが様になっている。あざといともいう。


「一週間いただければ。ラウルは無理ですよね?」

「当たり前だろ。僕は剣士《ソードマン》だ」

「ちなみにヤンデちゃん、この石化ってもうちょっと拘束力強くできない? 個人的に石化したい人がいるんですよ。この堅物剣士なんですけど」

「そうね」


 童貞殺しの異名も稼げるであろう童顔巨乳魔法使いアウラと、比較さえもおこがましいエルフの血を引くヤンデ。

 美女二人に見つめられているというのに、ラウルにはまるで怯む様子が無い。


 そんな金髪剣士と目が合う。

 何やら同情されたようだが、それ以上にお疲れのご様子。目からため息をついたとでも言えそうな、イケメンには似合わない気苦労がにじみ出ている。


 普段は余裕しか見えないのに珍しいな。第一級冒険者でも疲れることがあるのだろうか。いや、第一級だからこそか? 相当難しい任務でもこなしたとか。

 にしては、相方《アウラ》の方は元気いっぱいだけど。


「私でも厳しいわね。あなたには無理じゃない?」

「……」

「僕を睨むな」


 アウラがラウルに絡み始めるが、ヤンデは興味なさそうにスルー。

 真っ直ぐ俺を見つめて、ニタリと微笑む。


「お望みどおりに固めてあげたわよ。気分はどうかしら」

「悪かった。解除してくれ」


 俺のパワーでは全力でも解けそうにない。真面目に第一級クラスじゃないと解除できないんじゃないか、これ。


「ちょうどいいじゃないの。このまま勉強を続けましょう。第一問――海の安全高度《セーフハイト》を答えよ」


 こうなってはどうしようもないので、おとなしく従うしかない。


「えっと、30メートルだっけか?」

「バーモンと混同しているわけね。海に住むのはシーモンよ。安全高度は1000メートル」

「ああ、そういえばシッコクがそんなこと言ってたな」

「シッコク、ねぇ……」


 ヤンデが苦そうな顔を浮かべたのを見て、ようやく気付く。

 軽率だった。シッコク・コクシビョウは今や大犯罪者だ。


「悪い」

「別に構わないわよ。お母様はピリピリしているようだけれど」

「まだ見つかってないのか」

「ええ。エルフだけではかすりもしないようね」


 グレンも直接|殺《や》ろうとはしてなかったし、やはりシッコクは相当の実力者なのだろう。

 俺にクロを託してきたわけだが、どうやって日々を生きているのだろうか。あるいはそっちにもまだクロがいるのか。


 待てよ。


 ダンゴにせよ、コイツら寄生スライムってもしかして――分裂できる?


「やるなアイツ。サリアさんも出し抜いたんだろ?」


 思考に浸かれば疑われる。

 あとで考えることにして、ひとまずヤンデの注意を引いておく。


「私は構わないけれど、それ、他のエルフに聞かれたら殴られるわよ?」

「王女の婿なのにか?」

「一つだけ教えてあげるわ。たとえ私の夫であろうと、男に尊厳はない」

「ひでえなエルフ社会」

「嫌なら変えなさい。あなた自身が」


 別にどうでもいいんだがな。エルフなんて知ったことじゃない。


「男達はあなたに期待しているわよ。正直な話、私も今の女尊男卑は良くないと思っているから積極的に協力するわ」

「それは大層なことで」


 逆パターンの男尊女卑なら既に知っている。

 多少の献身や権力程度では変えられないことも。


 加えて、現代では性的マイノリティの問題もあるし、こっちでも少なくともグレンは主張していた。

 真面目に相手しても病むだけだぞこんなもん。


 もちろん、王女として燃えているコイツを前に、そんな発言はしない。


「そういうわけで、たかがEクラス昇級でつまづいている暇なんてないのよ。第二問。海に生息するモンスター『シーモン』の主要な遠距離攻撃パターンを三つ述べよ」

「突撃、魔法、スキル」

「ふざけてるの?」

「ファイヤー、サンダー、フリーザー」

「適当なこと言ってないで、知らないなら知らないと言いなさい」


 自分で言っといてアレだが、懐かしいな。

 某初代モンスター育成ゲームの伝説モンスター三匹である。俺はサンダーばかり捕まえていたっけな。発電所のマップは今も朧気ながら覚えている。

 あのゲーム、今は何匹くらいいるんだろうな。


 などと懐かしんでいると、「水流射出《カレントル》、壁波《ウォーブ》、ウインド・カッターの三つよ」エグそうな名前が次々飛び出してきた。


「初耳だな。最後のは通常魔法か?」

「アルティメットを撃つ個体もいるらしいわね。私はまだ見たことないけれど」

「怖いな海」


 通常魔法の魔法規模《パワー》にはノーマル、スーパー、ハイパー、ウルトラ、アルティメットの五段階があるが、アルティメットは人間には出せないと言われている。

 それを一介のモンスターが撃ってくるわけか。


「水流射出は、要するに水を撃ってくるのよ。生半可なレベルや装備だと風穴が空くわね」

「怖いってレベルじゃねーな」


 金属を切断するウォーターカッターもあるくらいだから水の威力は疑っていないが、近距離の話である。

 空に向けて、しかも千メートルも維持するって物理法則どうなってんだ。


「そして壁波は、高くて長い海流を発生させて丸ごと飲み込んじゃう大技よ。中にはシーモンがたくさんいるから、巻き込まれたらおしまい」


 俺が知っている海とは全然違う件――とは言えないので、「絶対に近づきたくねえな」適当な感想でも言っておく。


「第三問――」


 息つく暇もない。


 どうやらヤンデは想像以上に真面目で、ガチらしかった。

 今も今週末――つまりは第四週十日目《ヨン・ジュウ》の定期試験に向けて頑張っていらっしゃる。


 昨日も俺はFクラスに留まろうぜとサボりを提案したが、一蹴された。


 コイツにもはやそういう甘さはない。

 自らを律し、鍛え、歩み続けることで王女たらんとしている。


(んだよ。結局一人じゃねえか)


 ルナもそうだ。

 俺のことが好きだと言いつつ、自分の立場から来る義務は譲らない。


(同じなんだよ。会社のクソどもと)


 ワークライフバランス、ワークアズライフ、ワークインライフ、多様性《ダイバーシティ》、包摂《インクルージョン》――

 どいつもこいつも、頭と口では分かった風に言いつつ、その実、行動は何一つ伴っていやしない。

 毎日定時で帰りたいです、誰とも喋らず仕事したいです、その辺の雑魚でもできる作業ではなくてもっと創造的技術的なことがしたいです、という平社員《オレ》の生き方一つにさえ配慮することができないし、その気も持とうとしないのだ。


(俺のことなんざ考えちゃいねえ。自分を満たしたいだけだ)


 親身になるつもりがあるなら、誠意を見せろよ。

 別に永遠でなくていい、一時的でいいんだ。自分を曲げてみせろよ。こちらに歩み寄って見せろよ。


 空気や常識や倫理くらい、破ってみせろよ――


「――べよ」


 たぶん「述べよ」と言ったのだろう。

 聞いてなかったからわからない。時間にして十秒もないが、珍しく思考のリソースを全部回顧に使ってしまった。

 だからなのか、非常に胸くそが悪い。感情として降りてくることはないが、それでも悪い気がする。


 もっとも、ここで大人気なく当たり散らかしたところで意味などない。


「聞いてなかった。なんつか、勉強用の文章って聞き慣れねえよな」


 ヤンデがクイっと指を振る。

 さっきと全く同じ声が俺の耳に響いた。振動交流だろう。おそらく自分の声を魔法で再現している。いわば魔法による録音と再生。


「ラウルさんの気持ちがわかるぞ。本当に何でもできるよなヤンデって」

「感心はいいから、ちゃんと聞きなさい」


 ただただひたむきなヤンデも。

 被害こそ抑えているが、その辺の生徒なら跡形もなくなりそうな速度でじゃれているアウラウルも。

 周囲の高き廊下でくっちゃべってる生徒達に、あと透明な校舎が幸いして見えているが、こっちに来ようとしている|ガーナとスキャーノ|《いつメン》も。


 皆を見ていると、不意に頭をよぎるのだ。



 俺って何なんだろうな。



 が、そんなこと考えても意味はないし、考えた分だけ疲弊するだけだ。バグってるからしないけど。


「わからん。答えを教えてくれ」


 俺は日常に戻った。

第227話 婿4

 二十メートル以上もの長大な、しかし細い丸太をヤンデにつくらせた後、地面にめりこませる。


「この上に立ち続けてみろ。横向きは禁止な。最初に一分間耐えられた奴には褒美をやる。何でも言うことを一つ訊いてやろう――」


 簡単にできそうな見せ方で実演したこともあり、数分とかからず子供達は夢中になってくれた。

 もう夕方というのに、遊園地開場直後のようなテンションが見て取れる。なるほど、これに付き合わされる親はたまったものじゃないな。


 シャーロット家第七領の『プレイグラウンド』――俺達が開始した貧民エリア経済活性化施策は順調に進んでいる。

 といっても、今のところはただのパルクール教室であり、コイツら現地の貧民と親交を重ねているだけだ。

 身体能力が鍛えられることの実益も既に示しており、村長のランベルトも了承済。


 この調子で仲良くなれば、あとはどうとでもなる。


「ヤンデ。しゃがむのもナシだぞ」

「うるさい今話しかけ、な、い……ああもうっ!」


 薄着あるいは裸体の子供達に混ざっていたヤンデは、前後に大きく揺れた後、顔面から地面にダイブした。

 良かったな、ウケてるぞ。


「一分、ですよね。十秒ではなく」

「ああ、一分だ。十秒だとまぐれもありえるからな」

「レベル1ってこんなに不便だったんですね」


 俺達は例のごとくベージュ色の細長い茎を腕に巻き付けている。いわゆる判定装置であり、レベル1を超えたパフォーマンスが発揮されると赤く染まる。

 ヤンデはともかく、ルナもまだまだ慣れないらしく、さっきから真っ赤に染めたままだ。


「こんなのインチキよ。何かからくりがあるはずだわ。もったいぶらずに教えなさいよ」


 今日はなぜかガーナもついてきた。


 ルナもそうだが、職種が闘者《バトラー》なので本当は学園で訓練中のはずだ。なんでも課題を超速で終わらせてきたとか。どうせルナが王族権限でもちらつかせたんだろう。学園は生徒に例外を許すほど甘くはない。

 コイツがここに来た意図はわからん。


「インチキじゃねえよ。ほら、見てみろ」


 俺はお手本を披露してみせる。

 このような細い足場に乗ってバランスを取る動きは、パルクール用語でバランシングと呼ばれる。まんまなネーミングだが、体幹もバランス感覚も足場への順応も要求される基本技だ。


 ガーナは「嘘でしょ」とか言いながら、自分の茎を解き、俺の足に巻き付けてくる。

 それでも茎は変色しない。

 当たり前だ。俺が前世でどれだけ鍛えてきたと思ってる。バランシングは一生モノの奥深い趣味でもある。これだけで白米五杯は食えるし、何なら本当にバランス取りながらメシ食えるぞ。


「まあまあやるじゃないの――なら、これならどうかしら」


 ばさっとオーバーな動作で制服を脱ぐガーナ。

 ガーリーな色合いのキャミソールに、ホットパンツ並の短いズボンだかパンツだが知らないが、夜の部屋着として着てそうな格好が現れる。

 評するまでもなくスタイルは抜群。ルナにもひけを取らないプロポーションでありながら、たぶん娼者《プロスター》の嗜みなのだろう、肌のきめ細かさが人口的なレベルで整いすぎていて、なんか光沢もあるし、要するにエロい。

 そんな女が、バランスを取る俺の目の前で《《しな》》をつくってくる。


「どうかしら」

「ちなみに熟練すると目を閉じても耐えられるぞ」

「ちょっと! ちゃんと見なさいよ!?」

「真面目にやれよ。まだ職練中だし、俺は仕事の最中でもある。ランベルトさん呼ぶぞ」

「くぅ……いつもはちらちら見てくるくせに」


 目を閉じたまま会話も行い、お手本のように下りてみせる俺を前に、ルナとヤンデは感嘆を隠せないようだった。

 いや、対抗心かも。目がぎらついてて怖い。


 雰囲気にあてられたのか、ガーナも二人に混ざって真面目にやり始めた。


 よし、これで手が空いたな。

 このバランシングは俺の手を空けるための小細工でもあった。「おにいちゃん」今のうちに考え事を進めよう。「おにいちゃん」とりあえずこの立場から逃げるための隙を一からブレストしてみるか、あるいは直近の俺の行動を全部リストアップしてからそれを読みながら「おにいちゃんってば!」ああもう。


「オリバか。どうした」


 この辺のガキ大将格の一人、おかっぱの女の子が俺の袖を引っ張っていた。


「あのね、お父とお母にけっこんしたいって言ったら、いいよってくれたよ」


 引っ張り方がちょいちょいからぐいぐいに。


「そりゃ良かったな」

「あとでしょうたいするっ! お父がしょうぶするって」


 ぐいぐいがぶんぶんに。服破れるだろ。あと汗は拭いてくれ。


「悪いけど忙しいんだ。また今度な」

「前もそう言ったもん! 知ってるもん! おとなはそうやってにげる」


 ぶんぶんがガシッになった。本体丸ごと俺の腕に抱きついている。だから汗……。


「よくわかってるじゃねえか」

「おい! にいちゃんにはねえちゃんがいるだろ!」


 残る大将格もつられてやってきた。


「ワスケ。言いたいことは本人に言え」


 オリバの小さくて軽い体を引きはがし、ワスケの前にかざす。


「なに? おにいちゃんとのあいびきでいそがしいんだけど?」


 誰がいつ逢い引きしたって?

 それはともかく、幼い声なのに辛辣なトーンだった。「な、なんでもねえよ! ざーこ!」汲み取れないほど鈍感ではないらしく、ワスケは撤退を選ぶ。


「じゃまものはいなくなった」

「脈無しのようだぞ、ワスケ」


 遠ざかる背中に呟いて現実逃避していると、「うわぁぁ」ゴキブリでも見つけたような声が。

 お団子頭の女の子――ダグネスが、まさにそのような目と表情を俺に向けていた。警戒しているのか肌の露出も少なく、半袖半パンである。あまり身体を張る性格でもないので汗も見せない。


「ぶさいくなのにちからもち。きもちわるい」

「悪口は言うなって教わらなかったか?」


 気持ち悪いというのは、俺がオリバを片手で支えていながらも茎が変色していないからだろう。


「わるくちじゃない。じじつ。ねえオリバ。はやくいこう?」

「いやっ。おにいちゃんといるの」

「ぶさいく」

「人のせいにするなって教わらなかったか」


 コイツら大将格を甘やかすと、子供達全体の秩序にかかわる。

 ランベルトの名前も出して厳しめに対応し、何とか退けた。


 ふぅ、これで次こそは。


「ジーサ。一つ訊いていい?」


 だよな。さっきからこっちうかがってたもんな。


「改まって何だよ。あと肩ひもずれてんぞ」


 ガーナの、剥き出しの肩にかけられた肩ひもがずり落ちそうになっている。豊満なご自慢のバストもこぼれそうだ。


「見せてんのよ。効果無いみたいだけど」

「当たり前だろ。俺を何だと思ってんだ」

「アンタって小さい子供が好きなの?」

「……は?」

「目線よ目線」


 ガーナが片目を広げて、人差し指で指してみせる。

 女優にも負けないくらい自然なウインクというか色気が出ているのはさすがだ。なんだかんだ、しつけられてんだろうなぁ。金持ちの雰囲気ならぬ、娼者《プロスター》の雰囲気みたいなのがあるもんな。


「娼館のお客様でもよくいるけど、小さい子が好きな人って目線が下に行くのよね」

「気のせいだろ」

「胸も色気も肉付きもないから、下腹部に吸い寄せられる」

「……気のせいだろ」

「自覚ないの? そうじゃない人と比べて、明らかに目が行ってる頻度が多かったわよ?」

「……」


 あれだろうか、胸をチラ見してくる男の視線はわかるという。


「ジーサさん? 嘘ですよね?」

「え、ジーサ、……え? は?」

「落ち着けよ。そんなわけねえだろ」


 ヤンデに至っては再び顔面から落ちた後、その体勢のままぎょろりとこっちを睨んでいる。エルフの御尊顔でも、いや、だからこそ人間より五割増しで怖え。


「頻度が多いとしたら、俺が筋肉を見てるからだ。ほら、バランスの姿勢はこうするだろ。こことここ。まさに股間の周辺に力が加わるんだ」


 俺はとっさに丸太に乗ってしゃがみ、自身の股関節を指し示す。

 でたらめだが、どうせコイツらは身体には無頓着だし通じるだろ。


「見苦しいわね」

「真面目な話をしてんだが。だったら触ってみろよ。今から下手なやり方と上手なやり方をする。筋肉がどう変わるかを触って確かめてみろ」

「はいっ! わたしがする!」


 目敏い、というか地獄耳なおかっぱオリバがとててで近づいてきた。


「オリバといったわね。いいわ! 確かめて差し上げなさいっ!」

「いや、子供にやらせるなよ」

「アンタの魂胆はお見通しよ。下品なことを言えば、どうせ誰もやろうとしないぜ、うやむやにできるぜぐへへのへ、と思ったんでしょ?」


 悪意しか感じない言い方はともかく、この痴女、鋭いんだよな……。


「もしオリバが違うと言ったら何をしてくれるのかしら? 楽しみだわ」


 ガーナの言うとおりだ。

 このまま試しても俺のでたらめが露呈するのみ。


「俺の負けだ」

「ジーサ!?」

「何うろたえてんだよヤンデ」


 いいかげん体勢を何とかしろ。せめて起きてくれ。ここでは隠してるけど、お前、エルフの王女だろ。


「うろたえるわよ! 自分の最愛の夫が幼子に欲情する変態だなんて、到底許されることではないわよ?」


 ルナが差し出した手を掴んだことで、ようやく立て直す。

 本当なら魔法で一発だし、何なら宙を浮いて詰め寄ってくるだろうが、デフォルト・パフォーマンスを律儀に守っているようだ。


「お前らも知ってんだろ。俺は胸の大きな女が好きだ」

「わざとらしいんですよね。そういう振る舞いを演じているといいますか」

「わかるわ。わかるわよルナ。ジーサが胸に見境がないのは事実だけれど、それって男の大半は大きい方が好きという傾向でしかないのよね」

「そうなんですよ。なのにジーサさんは、これ幸いとばかりに振り回してるんですよね。見ていて痛々しいです」


 美少女とエルフがお互いに汚れを取り合っている光景の、何と尊いことか。

 なのに、口舌の刃が痛い痛い。


「そこが良いところでもあるのだけれど」

「私もそう思います。何でも完璧だとつまらないですからね」


 そういうのは女子会でやってくれませんかね。本人目の前にいんだけど。


「ヤンデさんはご存知ないと思いますけど、ジーサさんは毎日飽きることなく胸を見てきます。子供みたいですよね」

「それが何? 私はもう《《した》》わよ?」

「はいはい。やったとしても、どうせ勃《た》たないですよね? ジーサさんは、これが無いと勃たないんです」


 ルナが胸の下の押さえて形を強調する。着衣の膨らみってなんでこんなにエッチなんだろうな。


「その点、私は違います。今夜にでも勃たせてみせます」

「無理な相談ね。ジーサはエルフ領で過ごすことになったのよ。あなたの番が来ることは永遠に無い」


 どっちの言い分も初耳だが、呼気からしてヒートアップしているし、そっとしていこう。


(こんなことしている場合じゃないんだよなぁ……)


 一刻も早く抜け出して、将軍暗殺の検討を始めたいところなんだが。

 壁は中々に厚い。


 まずは近衛とヤンデの存在。

 ルナと過ごすときは近衛がいるだろうし、エルフ領で過ごすときはヤンデが直々についてくる。どちらも今の俺では足元にも及べない。

 レベルの暴力は知っている。逃げる隙など万に一つもあるまい。


 だからせめてと腰を据えて考え始めたいところだが、人が多すぎて気が抜けない。

 俺は二国の王女と結ばれた前代未聞の注目人物であり、シニ・タイヨウという爆弾を隠す立場でもある。王族の閉鎖的な居住域以外では、絶対に気を抜いてはならない。つるむ人間も最近増えてきてるしな。

 実質考える余裕なんて無いも同然だったし、今もない。


「アンタも大変そうね」

「わかってくれたか」

「性交訓練《セクササイズ》の件――着々と進めているから楽しみにしておくがいいわ」

「同情の体《てい》を取った報告はやめろ」


 冗談でも思いつきでもないらしく、本当に実行するみたいだな……。

 男としては憧れるけど、ダンゴとクロの件もあるし、精を出せない俺の欠陥にも気付かれたくないからやりたくないんだよな。

 どうせバグってるから興奮できないし。ルナの言葉を借りると勃つこともねえし。


「お母様曰く、国王様と女王様、双方の了解は得たそうよ」

「仕事が早くて勘弁してほしいぜ」

「エルフと合同で開催するつもりだから、楽しみにしておきなさい」


 ガーナ・オードリーを擁するオードリー家は、娼者《プロスター》の会社を維持するほどの権力を持つ。


 口ぶりから考えて、コイツの母親が頭領だろう。

 それもシキとサリアにも顔が利くほどのパイプもある……。

 コイツ自身も俺に物怖じしていないし、エルフ領で過ごしたときもそうだったが、精神的にも実力的にも上に立つ資質を持っていると思う。


 これとこれの家柄とも今度も付き合っていくことになるのだろうか。

 なんつーか、外堀からじわじわと埋められてるよなぁ。


 社交の世界では当たり前なんだろうが、俺にとってはハンデでしかない。

 顔が知られ、関係が築かれれば、それだけ動きづらくなる。逃げづらくなる。目撃されやすくもなる。


(もうリリースぶっ放そうかな……と、冗談はともかく)


 やはり早々に何とかするべきだ。


 アルフレッドからも、エルフからも逃げるために。

 俺には何ができる?

第228話 婿5

 もはや俺にプライベートは無いらしい。

 授業が終わった後、すぐに王宮に連れて行かれることに。

 それもあえての歩きである。テレポートなりゲートなりでさっさと移ればいいのにそうするのは、俺を周知させるためだろう。


 派手な貴族集団、血生臭い冒険者パーティー。その辺の市民からギルド職員まで、ありとあらゆる者が、王都内を通りがかる俺達を――いや、ある一人を見てくる。


(コイツらもいるのにな……)


 前方にはラウル、後方にはアウラが控えている。要人の警備を隠しもしないオーラを前に、声を掛けられる者はいない。

 その間を歩くのがルナとヤンデ、そして二人を両手の花にしている俺だ。


 群衆の関心は第一級冒険者ではなかった。

 自国の王女でもなく、外国の美しきエルフですらなかった。


 俺だったのだ。


 敷地に着いてからはアウラウルと解散し、国王シキが直々に出迎えに来る。

 次こそ瞬間移動かと思ったら、まだ律儀に歩くらしい。

 ヤンデに振動交流《バイブケーション》を張ってもらった上で聞いてみると、「ワシが休むためじゃ」とのこと。

 歩きながら休むってブラックにも程があるだろ。退職したい。


 十数分はかけただろうか。

 居間とも応接室とも取れない、棚の多い部屋に到着。


 ドアを閉めることもなく、シキ王が振り返る。


「エルフへの弁明は三日後に行う」

「……二股を容認してもらえる言い訳をしろ、と?」

「左様」


 意味があるのか、無いのか、シキはウィンドウショッピングのように部屋内をうろつき始めた。


「対外的かつ大々的にやるんだよな?」

「当たり前じゃ」

「なんでだ? 二人で話し合ったんだろ?」

「おぬしの相手はワシらではない」

「だよな」


 |おっかない種族《エルフ》を丸ごと黙らせないといけない。

 その舞台が三日後に整えられたということだ。


「場所はエルフ領だよな。エルフ以外の参加者は?」

「想定してはおらんが、多方面から招待するじゃろうな」


 全世界全人類――はさすがに過言だろうが、そのつもりで望むべきだろう。


「ユズ。ここで構わん」

「承知」


 姿も見えなければ気配もないが、たしかにユズの声だった。「【クリーニング】」間髪入れずに何かが唱えられる。

 無詠唱当たり前の近衛が、あえて唱えた――

 それだけも身構えるには充分。


 便器の洗浄を見ているようだった。


 最後にシュボッと一気に吸い込まれるアレ。

 あれが部屋内のすべての道具にのみ作用して、一瞬で部屋が引っ越し後の景色になりやがった。


 振り返ってみる。

 残念ながらルナとヤンデの衣服は無事のようだ。まあそうか。近衛に限ってそんなミスはしない。髪の毛一本さえ動いてなくて、むしろ実力の誇示すら感じる。


「ふうん。この包み込みが彼女達の真骨頂ってわけ……」


 ヤンデには効果抜群らしい。ポーカーフェイスのポの字もない。せめて唇噛むのくらいは隠そうぜ。


「味方だと頼もしいですよ」

「敵だと鬱陶しそうね」

「そんな物騒なことは言わないでください」

「あなたこそ、心にもないことは言わないことね」

「仲良くしろよお前ら」

「は?」

「は?」


 息ぴったりですね。

 睨む相手が違うんじゃないですかね。悪いのは俺の後ろのおっさんだぜ?


「お義父さん助けてください」

「ユズ。あとは頼んだぞい」


 音速を軽く置き去りにする速度で立ち去りやがる国王。

 衝撃や風圧が皆無なのは、無論ユズのおかげだろう。俺にはまだピンと来ないが、ヤンデはこの正確無比な保護能力を畏《おそ》れたのだろう。一応、「おい待て、逃げるな」呟いてはみたが反応は無かった。


 女二人のご機嫌取りとか、バグってる童貞には荷が重すぎるんですけど。

 思わず手を伸ばしていた俺の前に、「うぉっ」ユズが裸体を、というより可愛いお尻を割り込ませてきた。


 すんでのところで止める俺。

 お尻と指の距離差、数ミリメートル。


「二人とも。平静を所望」


 奇怪な行動には冷や水をぶっかけるほどの効果がある。

 狙ってやったのなら大したものだ。


「護衛は控えなさい」


 ユズはともかく、ヤンデは王女だ。近衛とはいえ、一介の護衛が気安い口を聞いていいものではない。

 ヤンデも立場相応に威圧を込めていたが、


「護衛じゃない。友達」


 その返しを受けて、なぜかきょとんとする。


「と、とも、だち……?」

「なんだヤンデ、友達の概念も知らないのか? 俺でも知っていイテェッ!?」


 別に止める意味もないので、続きとばかりにお尻を撫でようとしたのだが、爪の間に針金みたいな風がねじこまれた。


「ジーサを取り合う仲。ユズも参戦」

「……その口ぶりからすると、お母様からの許可も?」

「肯定」

「面白がる二人の顔が目に浮かぶわ……と言いたいところだけど。あなたのような存在と言葉を交わせるのは、素直に嬉しいことよ」

「よろしくお願い」


 渾身の演技で痛がる俺を完全スルーして握手を交わす幼女とエルフ。

 見た目は微笑ましいが、レベルは微笑ましくないな。


 おそらく今、ここが、皇帝ブーガの次くらいにヤバい場所なんじゃなかろうか。

 付け加えるなら、コイツらを出し抜けない限り、俺に未来はない。


「揃いましたね」


 ルナはわざとらしく手を叩き、間もなく一連の答えを示す。


「では話し合いましょうか」



 ジーサさんは誰と寝るべきか――



 快活な美声がよく響いた。


 この響き方は防音障壁だろう。最近は張ってばかりだよな。

 こういうのが必要な立場なんて早く降りたいものだ。


 ルナの議題も正直どうでも良かった。

 どうせ俺は寝れない。いや、強いて言えば、睡眠時間が長くて、かつ寝相や寝言で邪魔してこない方がいいか。


「ジーサは要人。最も硬いユズと寝るべき」


 どんと薄い胸を叩くユズ。

 気持ちは嬉しいが、俺の方が硬いから心配しなくていいぞ。


「ジーサさんは柔らかい女の子が好きですよね。私を抱き枕にしてください」


 見慣れた膨らみをチラ見した俺に呼応して、くすくすと微笑むルナ。

 魅力的な提案だが、どうせ話しかけてくるんだろ。


「二人ともわかってないわね。ジーサは睡眠を邪魔されるのが嫌いなのよ。一緒にいるだけでいいわ。そうよね?」


 足を交差させて腕も組んで、と偉そうなヤンデ。

 お前が俺の寝顔をガン見しにきてるの、気付いてるからな。


「ジーサは小さい子が好き」

「ジーサさんは胸の大きな女性が好きですよ」

「人間は控えなさい。エルフに勝てるわけがないでしょう?」

「ユズには覚悟がある。めちゃくちゃにされてもいい」

「め、めちゃ……私だって、で、できます!」

「何を赤くなっているのかしらね。私はもう済ませたわよ。ね、ジーサ」

「え、そうなんですか? 強がりだと思ってました」

「無問題。後で済ませる」

「それもそうですね。ジーサさん、今夜やりましょう。この際だから、ユズも一緒に」

「肯定」

「ルナにしては悪くない案ね。私も乗らせてもらうわ。一人よりも三人の方がジーサをひん剥ける。ふふふっ」

「ですよね。いじめちゃいましょう」

「期待」

「いや待て待て」


 静観してたけど、なんで四人プレイになってんだよ。しかもひん剥くって何。いじめるって何。


 性交訓練《セクササイズ》もそうだが、ジャースの性感覚ってちょっとおかしいよな。つーか怖い。






 それからまともに議論するのに三十分を要した。


 問題の本質は、毎夜俺がどちらのサイドで過ごすかという話で。ここに両国公認の第三勢力としてユズが加わっているが、ややこしいだけなので無視。

 俺は色んな案を挙げた。交代制とか、ヤンデとはもうしたからルナからにするとか、ランダムとか、いっそのことどちらも過ごさず一人で過ごすとか――


 本当に色々挙げたんだが、全然取り入ってもらえなかった。

 どちらも一番を譲る気が毛頭、心底、これっぽちも無いのである。


 結局、寝床は両領地に毎日交代でお邪魔することにして、過ごすのは三人一緒にしましょう、となった。

第229話 弁明

 一触即発――。


 それが第一印象だった。


 第四週四日目《ヨン・ヨン》の早朝、北ダグリンのエルフ領にて。


 規則的な樹冠が成す葉色の海に、凱旋門みたいな巨大足場が建っている。

 その屋上で向かい合うは両陣営――アルフレッドとエルフだ。


 左手には国王シキが悠然と立つ。半裸だけど。

 後方には分厚い鎧を着込んでいる精鋭『王族親衛隊』が出そろっている。見た目は暑苦しいのに、存在感は露ほども感じないから不気味だ。

 反対側、シキの前方はすっきりしていて、三人のみ。

 死神衣装で片膝をつく近衛二人と、その間にはルナ。王女の貫禄を頑張って演出している。


 右手には女王サリアがお手本のような直立を見せている。背後には第二位《ハイエルフ》と思しき麗人達。いずれもバトルスーツ姿で露出多めだが、この全身の皮膚が剥がれそうな雰囲気を前に、下心を出せる男などいまい。

 同様に、女王の前には王女ヤンデが一人で突っ立っているが、呑気にあくびをかみ殺していた。


 で、俺はというと、中央の端に立っていて、どちらの隊も丸ごと視界に収まる位置にいる。


 両軍の王が動き、俺を向いた。

 アルフレッド側はシキを合図にしてウェーブのように広がっていく。一方でエルフ側は、全員がゼロコンマ一秒で向き直っている。


 両軍の最強戦力、その視線を一手に引き受ける形だ。


「……」


 黙って空を見上げてみる。


 相変わらず雲一つとない心地良さだが、今は千を超える点が打たれていた。

 人間、獣人や鳥人もいるが、領地だけあって|緑色《エルフ》が多い。


 だからなのか、こういう模様にありがちな気持ち悪さがなかった。

 むしろ星空のようにいつでも見ていられるくらいだから、やはりエルフは別格だな。個にも集団にも細部にも全体にも全く醜さを見い出せない。

 老人になっても美しいままなのだろうか。変顔さえも映えるのだろうか。


「それでは弁明していただきましょうか。前置きは要りません」


 閑話休題。

 サリアの仕切りで、場が完全に静まった。そよ風や葉音までもが不自然に消えている。


(この弁明、俺がしくじったらヤバいよな)


 シキも、サリアも、完全に丸投げをしている。

 だからこそ、この状況――どう転んでもねじ伏せるための備えを今まさにしているというわけだ。


 おそらく俺を取れなかった方が仕掛けるだろう。アルフレッドはわからんが、エルフは間違いない。


 だったらエルフ側に寝返るか?

 バカな。軟禁されてこき使われるに決まっている。

 ヤンデはルナよりも束縛が強いだろうし、サリアはシキほど物分かりも放任性もあるまい。


 ならアルフレッドにつく?

 エルフ達を敵に回してまで? 第一級さえも殺してみせる兵力の群れを?

 それこそバカだろう。


 どっちが勝ってもろくなことにはならない。


(この場を収めるしかない。丸投げされている俺自身が)


「始める前に、一つだけスキルの発動を許してもらう。精神を極限まで落ち着かせるためだ」


 両陣営は沈黙を破らない。

 何かあれば何か来るよな。肯定とみなしていいよな?


「【シェルター】」


 俺は体内の相棒を避難させるスキルを発動した。

 もちろん全細胞が避難しちゃうとシニ・タイヨウの容姿が晒されるため、ジーサの外面《そとづら》分は維持する。

 この配分は昨日、妻二人が寝ている時に打ち合わせたものだ。


 秒とかからず、退避が完了する。

 これで外皮が全部死んでも――たとえばクロのレベル90を超える攻撃を食らっても後で復元できる。

 もちろんシニ・タイヨウが晒される展開自体、避けるに越したことはない。


「……」


 唯一発言しそうなサリアは、眉一つ動かさない。

 進行も含めて俺に任せるわけね。いや丸投げだよなこれも。


 小言を言える雰囲気でもないし、始めるとするか。


 一応温めてはきた。

 通じるかは正直わからないが、やれることもやった。

 あとは賽を投げるのみ――。


 形式も礼儀も度外視して、俺の喋りたいようにやらせてもらうぜ。


「まず俺が掲げる信念について話す。その上で、今回なぜ俺が二国の王女を二股するに至ったかを、その信念と結びつけて話す――この説明をもって、双方とも納得してもらう。意見があれば、全部話した後に受け付けよう」


 リアクションは毛ほどもない。リモート会議じゃねえんだぞ。

 空に浮かんでる奴らも例外ではなかった。クソ真面目なエルフが多いからだろう。固唾を呑んで見守っている様がピリピリと伝わってくる。


「ミックスガバメント――」


 俺は演説を開始した。






 ミックスガバメント――。

 それが俺の掲げる信念だ。


 この言葉の定義は、そうだな……いきなり喋ってもよくわからないだろうから、順を追って話す。


 言うまでもなく、ジャースには様々な種族と民族が生きている。見た目からして違うし、生き方や考え方も違えば、住む場所も違う。

 さて、人は同じものを共有する生き物でもある。違いは争いを生む。これが極端にでかくなったのが、いわゆる戦争だ。


 争いなんてやらないに越したことはない。むしろ多大な犠牲が出るわけだから、絶対になくすべきだ。

 幸いにも廃戦協定が制定されたが、まだまだ無くなるとは言いがたい。

 もっと劇的に無くしていく必要がある。


 そのためには何が必要か――


 違いを認めればいい。

 受け入れればいい。

 共に生きればいいんだよ。


 知ってる奴も多いと思うが、俺は混合区域《ミクション》の立ち上げに関わっている。一応説明しておくと、エルフと獣人が同じ場所で一緒に過ごす試みだ。

 これと同じことをやるんだ。他の種族とも。他の国ともな。


 別の言い方をしよう。ダグリン共和国は良い例だ。

 ダグリンという一つの国がありながらもエルフ、獣人、人間が上手く共存している。もっとも実際はただの住み分けにすぎなかったから、今回|混合区域《ミクション》を実施したわけだが……それはともかく、これを同じことを四国《よんごく》で行い、全種族で行うのがミックスガバメントというわけだ。


 ……できないと思うか?

 気持ちはわかるが、静かにしてくれ。


 定義の話に戻ろう。

 ミックスガバメントとは、すべての国と種族を混ぜて、一つの国をつくるものだ。

 といっても統治するつもりはないし、できやしない。そういうことは竜人に任せればいい。

 ここでやるべきことは一つ――違いの許容だ。

 大事なことだから、もう一度言うぞ。


 違いを認めろ。

 受け入れろ。

 そして、共に生きろ――


 そんな在り方を進めていくのがミックスガバメントなんだよ。


 さて、そのためには、国の中枢を司る者達が変わらないといけない。お手本を示すってことだ。

 そうだな、たとえば二国の王女が手を取り合い、同じ学校で過ごす――これくらいは当たり前だ。何なら人間にエルフの政治をやらせてもいいし、逆もエルフに人間の政治をやらせたっていい。

 冒険者ならわかると思うが、個性は尊重するだろ? 剣士《ソードマン》に|魔法使い《ウィザード》の戦い方を強要はしないし、その逆もしかりだ。しかし、剣士のことや魔法使いのことは漏れなく知ろうとするよな。一緒に過ごして、時には衝突することもある。

 そうやってお互いを知り、認め、受け入れていけば――やがて死線を越えられるパートナーになる。


 要するに、違いを排斥していてはダメだし、違いの許容は大事ですねそうですねと頭で分かった気になってるだけなのもダメだ。

 行動が必要なんだよ。

 少しずつ行動していって、学んでいって、軌道修正していけばいい。

 冒険だってそうだろ?

 政治だってそうだ。というより、人生そのものがそうなんだよ。


 この俺も、まさに行動を始めたところだ。


 ようやく本題に入るが、俺はヤンデ・エルドラと婚約した後、ハルナ・ジーク・アルフレッドと婚約した。

 表層だけ見れば宣戦布告にも等しい行為だが、そうじゃない。まずはアルフレッドとエルフとでミックスガバメントをしてみようという、ただそれだけの話だ。


 俺はヤンデを愛している。ハルナも愛している。

 だが、それ以上に――


 国を。

 民を。

 世界を、愛している。


 他ならぬ彼女達も、いや王族の者達もそうだろう。

 統べる者は、同時に愛さなければならない。

 それが義務であり、存在意義だ。放棄や怠慢など許されない。


 もちろん自国民や自種族だけ見ているのではダメだ。さっきも言ったように、争いは止まない。

 争いをなくすためには、ミックスしながらわかり合っていくしかない。


 長くなったな。最後に改めてまとめよう。


 一つ、俺はミックスガバメントこそが在るべき姿だと信じている。

 一つ、ヤンデともハルナとも結ばれたのはその一環であり、もっと言えば混合区域《ミクション》からの地続きである。

 一つ、別に私利私欲を貪るわけではない。そんなしょうもない話はしてねえんだよ。


 いいか、よく聞け者どもよ。


 争いをなくす世の中のために、俺達は切り拓き続ける。

 理解できないかもしれない。

 戸惑うかもしれない。


 それでも、ついてきてくれ。

 争い無き世を実現するために。


 お前たちが、いや、これから生まれてくる者達も含めて――みんなが笑っていられるように。

第230話 弁明2

 国の在り方を変える発言なのに、喋り終えた後も空気は全く変わらず――無言と不動による静寂が占めていた。

 エルフだからなのだろう。本当に一ミリも動きやがらねえ。

 盛大に滑ったりするとこんな感じなんだろうか。知らんけど。


 指揮権を奪ったのは、やはりサリアだった。

 俺の発言に便乗し、また先日学園で行われたヤンデのスピーチも引用して、あっさりと収拾をつけやがった。


 空を覆うエルフ達の一斉の敬礼、そして迅速な散会――


 バグってなければ確実に息を呑んでた光景だな。


「のう。ワシ、言ったよの?」


 余韻に浸る暇はない。

 王族親衛隊とハイエルフ達が相手国の王女と挨拶しているのを背景に、上裸のシキが詰め寄ってくる。


「我らとダグリンの深き関与が疑われると事じゃと言うたよのう?」


 四国《よんごく》の残り二国であるギルドやオーブルーが黙ってないんだっけか。


「仕方ねえだろ。エルフと争うよりはマシだ」

「ワシは構わんかったぞ。どうせおぬしが攫《さら》われて監禁されるだけじゃからの。エルフに婿を取られたくらいで、アルフレッドは揺らぎはせん」

「よく言うぜ。俺という要人をみすみすエルフに渡すってか?」


 俺はアルフレッドの内情を知りすぎている。

 この見た目に反して狡賢く欲張りな国王が解放してくれるとは到底思えない。


「自覚が無いのですか、ジーサさん」


 娘の様子を遠巻きに見ていたサリアが、ふわりと上品に微笑んでみせる。


「この男は貴方を煙たがっていますよ。だからこうして我らに押しつけようとしているのです」

「煙たがってるのは俺なんだが……」


 食わぬ顔ってのは、こういうのを言うんだろうな。

 この二人の王が何を考えて喋ってんのかがさっぱりわからない。唯一、社交辞令感に塗《まみ》れていることだけはわかる。

 真面目に取り合ってもわけわからんし、下手に喋って足元をすくわれるのも勘弁。


「冷たいのう。ならワシはさっさと退散するとしよう」


 幸か不幸か、シキは近衛にゲートを開かせて、もう文字通り片足を突っ込んでいる。


「おい待て。収拾つけていけよ」

「煙たいんじゃろ?」

「怠ける理由を与えてしまいましたね」


 サリアが演技だとわかる苦笑を寄越す間に、ゲートごと消えやがった。


「せっかくですし、今後の話をしましょうか」


 間髪入れずとはこの事だろう。せめて数秒くらいは置いてほしいんだが。


「俺も帰ります」

「【無魔子薄膜《マトムレス・フィルム》】」


 不自然に高速な詠唱と同時に、料理で使うラップのような薄い膜が周囲に展開された。俺とサリアをすっぽり包んでいて、なんていうか相合い傘感。「【防音障壁《サウンドバリア》】」さらに内側に重ね掛け。

 なるほど。魔法の干渉を受け付けない無魔子の層を張ってから、さらに音漏れを防ぐお馴染みの障壁を張ったわけだ。これで誰も盗み聞きはできないし、魔法でそうしようと膜を壊してもすぐ気付けるのだろう。


「ヤンデは交えなくてもいいのか?」

「二人きりで話したいのです」

「あとで文句言われそうだが」

「構いません。矛先は貴方だけでしょうし、そうでなかったとしても貴方に誘導しますから」


 ふふっと破顔したのが雰囲気でわかる。

 どうせ見惚《みと》れてしまうのであえて見ない。ヤンデも睨みを利かせてやがるし。


 ついでに|もう一人《ルナ》にも視線を移してみたが、やりづらそうにしていた。

 第二位《ハイエルフ》に囲まれてるからなぁ。人外の美貌と迫力は一人だけでもキツイ。俺もバグってなければどんな醜態を晒してるかわからん。

 ルナも気が強い方だが、今は猛獣の檻に放り込まれた子猫みたいでちょっと面白かった。


「それで、ご用件は?」

「貴方の変装術のことです」


 痛いところを突きやがる。


「レアスキルを他人《ひと》に話すとでも?」

「やはりレアスキルでしたか」

「やはり、と言うと、あたりはついてたってことか」

「そうです。聞きたいですか?」


 寄生スライムの件がどこまでバレているかはわからなかったが、幸いなことに、ヤンデはまだ言ってないようだ。

 ならレアスキルということにして誤魔化せる。


「お願いします」

「こちらのお願いを聞いていただけるのでしたら構いません」

「一応聞きましょう」

「私の性交訓練《セクササイズ》に付き合ってください」

「じゃあいいです」


 即行で断りつつも、つい隣をチラ見してしまう俺。

 仕方ねえだろ。訓練とはいえ、エルフの頂点たる女王と致すなんて、たぶん人生を何千回やり直してもそうはない。


「エルフの女王を食べる機会ですよ?」


 サリアはそんな俺の下心にも、俺を眼力で殴ってくる娘にも気付いた上で、なお効果的な笑顔を向けてくる。

 バグってて動揺しないのがせめてもの救いだが、目に毒なのは違いない。エルフの笑顔は反則どころの話ではないので本当にやめてほしい……。

 癪だが、視界の隅にも入らないよう逸らすしかなかった。


「娘さんだけで間に合ってます。そもそもアンタはタイプじゃないし」

「一言余計でしたね」


 俺もそう思う。

 露骨な強がりはダサいし、かえってわかりやすい。まあ俺ごときでは出し抜ける気はしないけど。


「――シッコク・コクシビョウはレベル30にも満たないエルフでした」


 ようやくサリアが真面目に喋ってくれた。

第231話 弁明3

「シッコク・コクシビョウはレベル30にも満たないエルフでした。それが私を出し抜いたのです。133は超えているでしょう」


 133ってのはレベルのことだろう。第一級は129からだから中途半端な数字だが、話の腰を折るわけもいかない。

 シッコクは第一級だと言いたいんだと解釈する。


 やはりアウラやラウルのクラスだったか。会いたくねえなぁ……。

 アイツの考えは正直わからんが、俺の存在を未来永劫気にしないほどお人好しではあるまい。明日いきなり近づいてくる、なんてこともありえる。

 ご自慢の兵力でさっさと始末してほしいものだ。


「戦闘の過程で彼の脳を貫くことはできましたが、絶えることなく行動していました。この時点で、ただの変装術を超越した能力――スキルの中でも相当に稀少なものであると言えます」

「そもそも普通の変装術を知らねえんだが」

「普通は魔法なりスキルなり道具なりで変装するものです。レベルを誤魔化すことはできません」


 そうか、そういえばこの人、レベルを判定する手段を持ってるんだよな。

 俺も既に二回ほどお願いしている。どっちも断られたけど。


「一方で貴方の《《それ》》は、レベルまでは偽装できていません。しかし、私さえも違和感を感じないほどの精緻さは健在です」


 指示語《それ》という言い方だと、知っている俺としては寄生スライムまでバレているのかと勘ぐってしまう。


 だが、サリアはまだ知らないはずだ。

 もっとも知った上で知らないふりをしている可能性もゼロではないが、この二重壁を張ってまで行う意味はないだろう。


 サリアはまだ寄生スライムを知らない。


「《《それ》》はレアスキルであり、非常に繊細な偽装を実現する。たとえば身体の組織を丸ごと改変できる」


 こちらを向いているのだとわかる喋り方をしてきたが、「ノーコメント」俺としては答えるわけにはいかない。


「発現者の全容は不明ですが、少なくともシッコクと貴方には発現しています。そして《《それ》》は制御余地《オプション》が豊富で、たとえばレベルの偽装有無や偽装後の値を自由にコントロールできる――そうですね?」

「ノーコメントで」

「狭量の狭い男」


 ぼそっと呟いた女王がどんな顔をつくったのか見てみたかったが、そんな場合ではない。


(これ、かなり追い詰められてないか……)


 俺達の変装のカラクリ『寄生スライム』が見破られてしまえば、俺が《《今後別人として生きていくことも》》できなくなる。


 俺にはブーガの任務を果たすしか道がない。

 王女の婿という立場では成せないし、第一誰かにバレただけでもダメだと言われているのだ。一人でやらねばならない。

 もう百回は検討し直しているが、やはり何度考えても変わることはない。



 俺はジーサ・ツシタ・イーゼを捨てて逃走するしかないのだ。



(晴れてお尋ね者だな)


 そうするとシニ・タイヨウだけでなく、ジーサ・ツシタ・イーゼも使い物にならなくなるわけだが、その点は問題ない。

 ダンゴとクロさえいれば百人力だ。何たって容姿から体臭まで変幻自在なのだから。獣人もエルフも騙せた。クオリティは疑う余地がない。

 忘れがちなのが身体の動かし方や癖だが、これは俺自身が制御できるし、ジーサの時点で既にやってる。


「シッコク・コクシビョウを逃すわけにはいきません。そのレアスキルを打破する術を、私達は開発しなければならないのです」


 逆に俺としては打破されるわけにはいかねえんだよ。


 極端な話、寄生スライムかどうかを判定する方法が確立されでもしたら終わりだ。

 サリアには少なくとも森人族《エルフ》に周知できる力があるし、そうでなくとも、今やガートンに提供することでジャース全土に広められてしまう。


「俺のレアスキルを吐けと言いたいのか?」

「そうさせたいところですが、貴方はアルフレッドの要人でもあります」

「ルナの婿じゃなかったらどうなってたんだ俺……」

「聞きたいですか?」

「結構です」


 人の実力を探らないのは冒険者のマナーだが、王ほどの立場に通じる保証はない。


(わかっているようで、わかっていなかった)


 もしルナと結婚させられていなかったら、俺は今頃コイツらに捕まっていたかもしれないのだ。

 こういうの、ぞっとするよな。いやバグってるからしないんだけども。


「無茶な真似は致しません。その代わり誠心誠意、可能な限りの協力はしてもらいます」

「教える必要はないが、打破できる程度の情報は与えろってか?」


 矛盾してね?


 俺の無言の疑問を受け取ったサリアが、「珍しいことではありませんよ」さも簡単そうに言う。


「あるレアスキルを持つ人を殺すために、そのスキルを持つ別の人を探して協力をお願いすることはあります」

「自分の首を締めるだけだろ。誰が協力するんだ?」

「そうとも取れますが、自分と同じ切り札を持つ、自分以外の者を始末できる好機とも取れます」

「それで自分の切り札を教えたら本末転倒だ」

「ですから絶妙な方法を模索するのです。自分以外は始末できるが、自分には効かないやり方を」


 相当難しそうだが、サリアの言葉を信じるなら需要があるってことだろう。「断る」無論お断りだ。


「シッコク・コクシビョウは貴方にとっても脅威のはずですよ」

「断る」

「むしろ拒否する理由がありません。何か後ろめたいことでもあるのですか?」

「挑発しても無駄だぜ」


 たしかにシッコクは脅威だが、俺はもはやブーガミッションを遂行するエージェントでしかない。それ以外は受け付けましぇーん。

 と、胸中でおどけてみせても事態は変わらない。


 このまま会話が続くとジリ貧だ。

 俺は無敵で不死身で前世の知識を持つチート持ちだが、しがない凡人にすぎない。駆け引きで勝てるはずもない。


「……あらあら」


 女王の雰囲気が一変――娘を慈しむものになる。

 ずっと正面向いて会話してるから俺にも見えているが、我慢できないヤンデさんがこの二重壁を破ろうとしているところだった。顔怖えな。


 もちろん魔法ゴリ押し勢のヤンデでは無魔子を破れないわけだが、そこはアルフレッドの親衛隊をこき使って何とかするらしい。

 不幸にも目をつけられた男は、女王への攻撃を躊躇っているようだったが、口元だけでもわかる「いいから!」の一言で折れたっぽい。こっちに急接近してきてワンパンならぬワンアッパーをかます。

 速度だけ見てもスキャーノ以上なのは明らかで、親衛隊は名ばかりではない。


 ラップみたいな第一壁は丸ごと吹き飛んだ。

 直後、レーザービームみたいな炎の柱がヤンデから飛んできて、俺とサリアを飲み込む。


(いや割り込んだのはファインプレーだけどさ)


 サリアはどうも水のバリアを張っていたようで、お召し物含めて無傷――

 俺はというと、もう何度晒したかわからない裸体と化する他はなく。


 場に居合わせる全員にフルチンを披露するのだった。

第232話 行間

 王都リンゴ中心部にそびえ立つ白き巨塔――ギルド本部。

 その上層階の、とある一室では、黒スーツに身を包んだ没個性的な者達が顔を付き合わせていた。


 情報屋ガートンの職員である。

 男にしては不自然な膨らみを持つ者も複数在席するが、そんな雑念にとらわれる者などこの場にはいない。

 しかし、そのうちの一人――スキャーナに対する視線は例外だった。


「――以上がジーサ・ツシタ・イーゼ向けインタビューで用いる質問項目になります」


 ここまでの議論を、若手の彼女が代表して報告し終えた。


 スキャーナは今回、インタビュアーとして大抜擢されている。

 王立学園への潜入任務に続いて今回の抜擢と来ており、ガートンの若手としては異例中の異例と言えた。

 これが他の職員には面白くない。傍観に徹する上司がいなければ、ちょっかいの一つや二つはあっただろう。


 とはいえ、この場に集まる者達は私心を自制できないほど愚かでもなかった。

 職員全員の視線が、唯一の上座に集中する。「ありがとうございます」丸眼鏡をかけた優男――ウルモスはにこやかに人差し指を立てると、


「私共《わたくしども》から追加したい質問は一つ。ジーサ様の実力を問うものを一つ用意してください」

「冒険者のマナーを軽んじるわけにはいかないかと」

「おい、スキャーナ」


 職員の一人が軽率な回答を責める。


 ウルモスはギルドの長だ。

 廃戦協定で一国に成り下がったとはいえ、元々三国を御していた組織の頂点に立つ人物であり、早い話、国王シキや皇帝ブーガよりも上位に位置する。

 そんな相手のリクエストを堂々と拒否するなど、真面目な職員には考えられないことだった。


「もちろんそのとおりです。君達の品位を損ねない程度に、ジーサ様を探る質問を何か考えてください――と、そう言っています」

「中々無茶な要求をするようで」

「スキャーナ!」


 声を荒げた者とは別の職員が一人席を立ち、頭を下げる。

 ガートンでは副社長級の大物である。室内はスキャーナを責める空気が一気に充満した。


「申し訳ありませんウルモス様。この女は、有能ですが少々飛んでいるところがありまして」

「ひどい言われようですねスキャーナ」

「黙ってニヤニヤしている上司ほどではありません」


 対してスキャーナとその上司――ファインディは呑気なものだった。


「ようやく口を開きましたねファインディ君」

「……」

「なぜ黙るのです? なぜ目を逸らすのです? 久しぶりにあなたと出会えて、私は心が踊っているのですがね」

「ガートンを腐らせているゴミクズと喋る気はないそうです」

「勘弁してほしいようで……」


 スキャーナの声が二回続いたが、最初はファインディによる振動交流《バイブケーション》であった。

 逆を言えば、他者の声を再現できるほどの実力を持っているとも取れる。


「相変わらずですねあなたも。《《小突きますよ》》?」

「私《わたくし》、スキャーナがお相手致しましょう」

「だから勘弁してほしいようで……」

「仲が良くて羨ましいですね。それでは追加質問の件、よろしくお願いします」

「……善処します」


 すぐに毅然とした態度を再開したスキャーナを見て、ウルモスは満足そうに頷き、


「スキャーナと仰いましたね。どうですか、この後食事でも――」

「お待たせ致しました」


 そんなウルモスの真後ろにゲートが生まれ、プレートメイルに身を包んだ何者かが登場する。


「エルフ……?」

「鋭いですね。ますます気に入りました」


 これが上司相手であれば遠慮なく嫌悪を向けるスキャーナだったが、さすがにウルモス相手にはできない。しかし平静を維持したまま聞かなかったふりをする程度は朝飯前だった。


「ナタリーと申します」


 全身メイル姿の頭部が解除され、鮮やかな緑髪と長い耳が姿を表した。

 わかっていても目が離せない美貌を前に、職員らは一瞬だけ釘付けとなる。全く隙を見せていないのはスキャーナとファインディだけだ。


「それでは報告させていただきます――」


 エルフであるナタリーは、今の今までジーサの演説を聞きに行っていた。

 今回のインタビューを組む上でも外せない内容であり、一同は報告を待っていたところだ。


 ナタリーは演説の内容を一字一句復元する。

 魔法により声の振動を保持し続ければ不可能ではない。この程度の芸当に感心するほど無知な者は、この場にはいなかった。


 報告を終えた後、ウルモスは何も指摘を出さず、解散となる。

 ガートンの仕事は山積みだ。傍観に徹していたファインディもてきぱきと指示を飛ばし始めて、部屋は再び慌ただしくなった。






 同時刻頃――


「あぁ、もふもふしてて気持ち良いわぁ」

「ぺろぺろしたら殺すぞピョン」


 同施設同階の広いロビーでは、ウサギの獣人に顔面を突っ込む第三王女《アキナ》の姿があった。


「ダメだよきゅーちゃん……こう見えても王女だから……」

「王女なら王女らしく振る舞えピョン! 護衛は何してるピョン?」

「あぁん、匂いも好きだわぁ。身体つきも私好みっ――」


 なんだかんだ一線は死守されている。普段は秒でパンチを繰り出すキューピン・ウサギは、拳をぷるぷる震わせる程度で堪えられたようだ。


 たっぷり分単位の満喫を終えて、アキナが顔を上げる。


「チッチちゃんも久しぶり」

「うん。あっきーも変わらず元気だね……」


 普段は裸族のチッチ・チーターだが、ギルド本部となればさすがに服を着る。

 といっても胸部と下腹部をベルトブラで留めているだけである。この王女を刺激することはわかっていたが、だからといって服に費やすほどの凝り性ではない。


「一応聞くけど、舐めてもいい?」

「舐めたら絶好するね」

「待って待って! 冗談! 冗談だからっ」

「触るのも禁止!」


 全身チーター柄の獣人女と、場違いに高貴な黒ドレスを来た王女の組み合わせにもかかわらず、目立った様子は無い。

 あるいは見て見ぬふりをしているのだろう。

 ギルド本部には普段会えない大物が来ることもある。下手に目をつけられないためにも、生存戦略として関わらないのが無難とされている。


「後でしろピョン。早く案内しろピョン」


 キューピンが的確にすねを蹴ってきた。愛くるしい見た目もあって、「やぁん」アキナが嬌声をあげていたが、もう相手にもしていない。


「もう、せっかちねぇ」

「行こう……」

「チッチちゃんも冷たいわぁ」


 チッチは先導して、早足に二人を案内する。


 この会合は彼女からアキナに働きかけたものである。


 チッチは混合区域《ミクション》を――もっと言えば、皇帝ブーガが退けたとされる獣人領侵入者を疑っていた。

 しかし皇帝に尋ねるわけにもいかないし、親友のキューピンも全く疑う様子がない。

 そこで学者仲間であり、立場上色々知っているであろうアキナ・ジーク・アルフレッドに相談してみることにしたのだ。


 広い廊下を歩く。

 縦も、横も、高さも、小さな屋敷が何邸も入るほどに贅沢な空間だ。とても塔の内部とは思えないが、これでもギルド本部内のごく一部でしかないのだから、つくづく規模が違う。

 その分、セキュリティも厳重であり、このフロアの会議室は裕福な貴族や冒険者の御用達となっている。


「おや、これはこれは」


 すれ違おうとしていたガートン職員がわざとらしく立ち止まってきた。「うぇ」アキナが素の反応を示す一方、チッチは瞬時に警戒度を引き上げる。


 王族専用護衛《ガーディアン》を忍ばせたアキナが、声を掛けられた後に相手を認識した――


 遅れを取ることは無いはずだ。演技にも見えないし、そもそもする必要がない。

 ということは、この職員にそれだけの心得があるのだ。


「情報屋が何の用だピョン。どけピョン」

「ウサギベースとは珍しいですねぇ。どうです、特集を組ませてもらえませんか? 報酬は弾みますよ」

「もう一度言うピョン。どけピョン」

「その誇りの高さは、良い読み物になるんですがねぇ……」


 良く言えば人畜無害、悪く言えば胡散臭い顔つきをした壮年の男は、何一つ匂わせることなく道を空けた。


「二人とも。この男とはつるんじゃダメよぉ」

「変態のあなたほどではないと思いますが」

「いい?」


 有無を言わさないアキナを前に、キューピンが顔を見合わせてくる。

 チッチには既にこの男の算定ができていた。わかっていないのはキューピンだけで――直後、彼女は顔を赤くする。ただでさえ可愛らしいウサギベースの照れ顔は、付き合いの古いチッチにも破壊力をもたらすほどだ。


「恥じることはありませんよ。その可愛さですから、舐められないように振る舞うのは自然でしょう。わかっています」


 なのにこの職員には一切の揺らぎがなくて。

 感情が死んでいるのか。あるいは情報屋らしくウサギベースを事前に知っていたのか。何にせよ、何も見えないのは恐ろしい。チッチは一瞬たりとも気が抜けなかった。


 当の本人、キューピンは一呼吸置いた後、静観を決め込む。

 気性は荒いが無能ではない。まだ見えぬ実力差を弁えた上で、ぐっと堪えることを選んだのだ。せめて情報を与えないように。


 この男もその動きを理解したようで、興味の脱線を戻す。


「いつもの賢者《ナレッジャー》としての集い――ではなさそうですね」

「あなたこそ、こんなところで油を売っている暇はあるのかしら。インタビューがあるのでしょう?」

「状況から考えると、話題は混合区域ですか?」

「あなたに与える情報はないわよぉ」


 正確に見抜かれているが、この程度で外面を取り乱すアキナではない。王女として、下々に語る風を崩さない。


「協力致しますよ? インタビューは部下に任せたので手持ち無沙汰なのです」

「一つ良いことを教えてあげる。私、アキナ・ジーク・アルフレッドは、ガートンのファインディとかいういけ好かないおじさんが嫌いなの。記事にしても良いわよぉ」


 アキナが歩みを再開した。

 その背中は以降の対話を拒否している。ファインディの矛先が、チッチに向く。


「きゅーちゃん。行こう」


 無遠慮な視線を無視して、チッチはアキナの後を追った。

 刺すような好奇のオーラは、会議室に入るまで絶えることがなかった。



 この後、アキナ、チッチ、キューピン三名による『怪人調査隊』が発足する。

第2章

第233話 定期試験

 ミックスガバメントの演説から半週が過ぎた。


 ひとまずエルフとの敵対は回避できたが、俺の忙しさは変わらない。

 やってることは勉強だったり仕事だったり鍛錬だったりするが、時間で言えば早朝から深夜までみっちりだ。どう見てもショートスリーパーな社長の密度であり、バグってなければとうに病んでいる。

 そんなこんなで、あっという間に第四週十日目《ヨン・ジュウ》――定期試験が到来。


 Fクラス教室内は閑散としていた。

 生徒は俺とヤンデの二人。教員は上裸のアーノルド先生と、俺を補佐するミライア先生。


 人五人分くらい離れたヤンデをチラ見する。

 肘をつき、足を組んでいる姿は現代風の考える人といったところか。エルフの素材もあって、芸術と呼んでも差し支えない美しさだ。芸術何も知らんけど。

 筆記用具の羽根ペンは生物のように自律している。|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》はどうした。


「戦術『チャージ・アンド・ダブルフォロー』における役割をすべて答えよ」


 ミライア先生の読み上げがよく響く。

 防音障壁《サウンドバリア》が張られているからだろう。いわゆるカンニング防止である。心配せずともヤンデが許さないっての。


 それはともかく、読み書きできない俺には補佐がつくことになっている。

 これもヤンデが図ったもので、その結果、こうして教員が――今回はミライアが読み上げているわけだ。


「えっと、突撃役、回復役、保護役だ」


 宙に浮いた羽根ペンがすらすらと動き、同じく宙に浮いた紙に書き上げていく。相変わらずジャース語の文字は読めん。


「次」

「同戦術における各役割の推奨配分を答えよ」


 は? んなもん教わった記憶がないんですけども……。


「次」

「エルフ領の川および大陸外の海の安全高度《セーフハイト》をそれぞれ答えよ」

「30メートルと1000メートル」


 王立学園の試験って問題の並びが完全にランダムなんだよな。関連する問題が二、三個続くことはあるが、いわゆる大問という概念が無い。


 ミライアの無言が続いたことで、俺はこの補佐の仕組みを思い出す。


「次」


 そう言うと、次の問題が読み上げられる。


 前と言えば一つ前に移れるし、机に置かれた小石を紙に投げれば、そこを読み上げてくれる。

 今のミライアは装置と化しており、余計な雑談は一切しない。

 しかし、相変わらずの本の虫はこじらせていて、目線はずっと手元の本を向いている。めくるスピードも早い。

 ……じゃねえな、俺も集中しなければ。


 ここでサボってFクラスに留まったところで、さして意味はない。

 むしろヤンデと離れることになってしまって危ないだろう。どうせ座学の担当はラウルやアウラだ。あの人達と一対一、あるいは二対一で過ごすとボロが出そうで怖い。


(にしても懐かしいな)


 試験の緊張感と焦燥感――前世の受験と資格で散々体験したな。

 もう縁は無いと思っていたが、人生わからないものだ。早く終わらせたい。


 俺はおとなしく試験に邁進《まいしん》する。






 昼休憩を八割ほど侵食したところで、ようやく試験が終わった。

 元々物量があるため、全部読み上げで解く俺は座学の時間だけでは終われなかったのだ。


 既に終えたヤンデは、少し離れたところで皆と団らんしている。

 ルナ、スキャーノ、ガーナのいつメンに加えて、鳥人巨乳ミーシィ、縦ロール健在のハナとそのお付きのツンツン頭ことレコンチャン――勢揃いだな。さっきから見世物になりっぱなしだ。


「採点が終了しました」

「……早いな」


 ミライアの声はよく響く。

 防音障壁って前世のどの防音設備よりも優れてるんだよな。あらゆる音域を通さない耳栓があったとしても、まだ勝てない。別の言い方をすると、防音障壁しか勝たん。

 ともかく、よく響くからすぐに意識を戻せる。集中には打ってつけだよな、本当に。

 前世で欲しかった。百万円、いや千万円でも買ってたかもしれない。


「結論から言うと、合格です」


 Eクラス昇進か。この晒し者校舎ともおさらばだな。


「正解数は?」

「201問でした」


 今回は300問中180問の正解がボーダーだった。100点満点で言えば、60点ボーダーの65点といったところか。割とギリである。


「あの、先生……本当にちゃんと見てます?」


 俺がそう言ったところで、ミライアはようやく顔を上げた。


「魔法で見ていますよ。もしかして、Fクラスに留まりたかったですか?」

「ただの疑問です。なんていうか、人間の処理能力じゃないと思いますが」

「人間の定義によりますが、本質的にはレベルの力を使っています」


 ミライアが羽根ペンを撃ってきた。

 時速でいうと100キロメートルはあるが、200は無い。一般人《レベル1》では避けきれない猶予だが、今の俺はレベル10なわけで、その感覚で言うとさほど難しくない。

 そうだな、今から落とすよと合図ありで手元から落とした物を足で止めるくらい。


 避けた羽根ペンは教室の端まで飛び、かつんとぶつかった音――は障壁があるので立たない。


「その反応速度も、あなたがレベル10だからこそできることです」

「なるほどな。原始的な認識の速度や密度については、レベルの力に頼れるってことか。たとえば魔法を使って同時に紙に触れれば、その力で同時に認識できる。十枚でも百枚でも」


 問題兼回答用紙は微細な土の粒で印字され、回答は羽根ペンの水インクで記入されている。つまり問題文も回答文も触感が目立つため認識しやすいってことだろうな。

 逆に前世のインクのような、ほとんど凹凸のない仕上がりだと認識しづらいに違いない。


「ご名答です。限界はありますけどね」

「認識した刺激の情報処理が追いつかない?」

「はい」


 極端な話、同時に三つの声が聞こえることと、その全ての意味を理解することは別の話だ。

 レベルで拡張されるのは前者でしかない。「ジーサさん」なんか先生が改まってきたけど。


「今からでも賢者《ナレッジャー》に変えませんか。あなたともっとお話がしたい」


 前世では大した知識ではないが、感心させてしまったらしい。「遠慮しておきます」俺は席を立って、ヤンデ達と合流する。


「あなたの分よ。喜んで受け取りなさい」


 ヤンデが野菜と肉をはさんだパンみたいなものを押しつけてきた。魔法で口元にねじ込むのはやめてくれい。


「合格した? ぼくとルナはしたよ」

「ちょっと! アタシを無かったことにするんじゃないわよ!」

「ああ。割とギリだったけどな。ルナはCクラスで、スキャーノはDだっけか」

「うん。早く来てね」


 なんかスキャーノと話すの、久しぶりだな。

 主に俺のせいで、ガートンとして多忙を極めているそうだが、俺としてはありがたい。何ならこのままフェードアウトしてほしいまである。

 今も、さりげなく席を空けてぽんぽんしてくるし。


 俺は気付かないふりをして、ヤンデの隣に座ると「アンタも無視してんじゃないわよ」さっきからスルーされまくってるお色気ムンムンなガーナさん。


「すまんが面倒くさい」

「その割にちゃんと視線はくれたわよね。そういう優しいところ、好きよ」

「……警戒しているだけだ」


 日本人なら一瞬でも気を配るくらいは当たり前だろう。

 行動に移すかどうかはさておいて。生粋の空気史上主義民族を舐めるな。


 が、妻二人は納得されていないようで、口を動かしながら無言で睨んでくる。


「ヤンデもルナも。いちいち目くじら立てるなって。王女なんだから泰然と構えてろよ」


 あえて見ないようにしているが、Eクラス以上の校舎からは何百という視線が注がれてる。あまり素を出しすぎて情報を与えすぎるのは良くないと思うぜ。


「見当違いも甚だしいわね。私はあなたを信用できないと言っているのよ」


 言ってねえだろ。


「同感です。放っておくと、どっかのエルフさんのように、また嫁を連れてくるかもしれないですからね」

「偉そうにしているところ悪いけど、あなたは私の後よね?」

「対外的にはそうですね」


 ルナもタイヨウ時代の話が喉元まで出かかってんぞ……。


 ここで「なははっ」と他人事な笑い声が。レコンチャンだ。主のお代わりを用意している様は正確かつ優雅で、何とも器用な奴である。「賑やかでいいじゃん」うるさい。

 その主ことハナは、茶色の液体をさも当たり前のように受け取ると、俺には見向きもせず口をつける。


 なんか難しい顔して考え込んでいるが、そうだよ、コイツみたいに無関心でいてくれると静かで助かるんだよ。


 こういう騒がしい日常を好む者も多いようだが、俺は勘弁だ。

 基本的に割り込みゼロで常に100パーセントの集中を発揮できる環境が望ましい。人付き合いは、そこから必要最小限を必要な時に足すくらいがちょうどいい。


(でもこっちの世界じゃ、なぁ……)


 リモートを実現できる技術と価値観のあった前世はともかく、ここジャースでは無理な相談というものだろう。

 まして俺も相当の立場になってしまったし、そもそも俺の孤独を許してくれないパートナーが二人もいやがる。


 早くここから逃げねば。


 そんな焦りにも似た意思だけが、俺を突き動かす。


「ジーサ様。今夜はよろしくお願いしますね」


 カップ片手の縦ロールが、社交辞令の微笑みで何か言ってんな……。


「シャーロット家として正式に挨拶させていただきます。お聞きになってませんの?」

「聞いてねえな」


 ルナを見ると、ふるふるされた。

 首の振り方がユズに似てきてるぞ。


「さすがシキ様ですわね。私がこうして伝えることを見込んでおられたのでしょう」

「いや、単に忘れてるだけだろ」

「あるいは驚かせる魂胆じゃないですか?」

「かもな」

「そこ、イチャイチャしない」

「一言交わしただけだが」

「私とも交わしなさい」

「いつ見てもヤンデは綺麗だグブォッ」


 拳を錯覚するほどの綺麗な左ストレート。その風魔法も含めて、綺麗だと思ったのは本心だけどな。


 十メートルは吹き飛ぶ威力だったが、ふさふさの羽が受け止めてくれていた。


「もう我慢できない」

「は?」


 さっきから妙に黙ってると思ったが、もしかして我慢してただけかなミーシィ氏。

 もう午後の職練だし、去ろうとする俺だったが、かぎ爪にがっしりホールドされ――思い切り抱き締められた。

 あぁ……ルナ程度では出せないボリューミーな心地が俺を包んでいる。


「んんぅっ! これこれ、これだよぅ……この筋肉が良き良きですなぁ」


 羽が良いアクセントになっている。なんていうか、最高級のベッドと布団に包まれながら、人間離れしたグラマラスなお姉さんに抱かれている気分だ。

 断言しよう。人間やエルフでは勝てん。


「ヤンデさん。協力してください」

「もちろんよ」


 直後、俺は十以上の魔法を浴びる羽目になる。

第234話 右腕

 沈みかけた太陽もとい天灯《スカイライト》が、夜へと至るグラデーションを王都に注いでいる。


 ここシャーロット家本邸は、貴族エリアの中でも一際高い場所に位置した。さすがギルド本部――中央の白い巨塔には勝てないが。

 ともあれ、貧民エリアから何度も見上げていた、あの断崖絶壁の館の内部というわけだ。


 意匠も凝らしてあり、地面と壁だけでシュールな空間が表現されている。この世界観は、このアーティスト――という職業があるかどうかは知らんが、この作者にしか表現できまい。そう断言できるほど奇抜で、何とも捉えどころがない。

 眺望よりもこっちを見ていたいくらいだ。


(ダンゴ。クロ。こういう暮らしには憧れるか?)


 手すりのない、剥き出しの崖から数歩ほど下がって腰を下ろす。

 このシュールなテラスをぼんやり眺めていても、後頭部や心臓部には何の打撃も生じない。何か反応してくれよ。


 最近はほぼ就寝時しかコミュニケーションしていないが、コイツらはコイツらで楽しく過ごしているようだ。

 なんつか、体内でわんぱくに動いてるのが伝わってくる。どころか活発に戦闘しているようで、たぶんクロが分裂で自分を増やしてお互いに戦わせているっぽい。

 ダンゴは無理矢理付き合わされてしごかれているようだ。

 おそらくレベルも上がってる。体内を駆け巡る動きが、わずかだが早くなってるからな。


(もっとレベルを上げておきたいところだが……いや、そういう発想が良くないか)


 そもそも高いレベルが要るという前提がおかしいのだ。

 今のままで通用する展開だけで済むことを考えるべきである。最初から欲張らないでどうする。


(でもなぁ……どう考えてもキツイだろ。なぁ?)


 俺は今の立場から逃げるつもりでいる。

 それだけでもかつてないお尋ね者だろうに、ダグリンの将軍を全員殺しに行くんだぜ?


 必殺《リリース》はそうは使えないし、素の能力もせいぜいスキャーノ級――よくてレベル90といったところか。逃走に限って言えばアウラにも通じたし、もうちょっとあると信じたいが。

 そうでなくとも、シニ・タイヨウを覆うコイツらはクロが90で、ダンゴに至っては40でしかない。


 早い話、第一級冒険者の攻撃一発で俺の素顔は晒される。

 素の俺では倒せないし逃げられないから、おとなしく捕まるか、リリースぶっ放して騒動にするかしかできない。


(将軍の一人一人はたぶん第一級クラスだよな。あの人が摘み取ろうとするくらいだし)


 つーかブーガさん、もっと細かい情報や便宜を図ってくれてもいいのにな。

 が、もはや叶わないことだ。

 以前の語らいで、ブーガは丸投げすると言った。何度も強調していたから覆せるはずもない。


 言わば、あの人は俺に|賭けている《ベットしている》。

 俺というイレギュラーな存在を最大限発揮させるために、あえて自分からは一切関わらないようにしているのだ。


(もう賽《さい》は投げられてる。でも、俺は考えることをやめたくはない)


 根性論は嫌いだし、今となっては精神的高揚も全く期待できないが、それでも今が正念場だということはわかる。


 どうせ疲れることもないんだから、粘れるだけ粘ればいい。


「ジーサ様。そろそろお時間ですので、御案内致します」


 数十メートルは離れた出入口から、振動交流《バイブケーション》による使用人の声が届いてくる。

 早すぎず、大きすぎず、鋭すぎない届き方で普通の会話と遜色無い自然さだ。こういうのもたぶん社交の指標になるのだろう。


「ああ。今行く」


 つかの間の休息もおわりだ。


 ハナは正式に挨拶するとか抜かしてたが、どうなることやら。

 国王はこういう休息を差し込んでくれる程度には有能だが、だからこそ、この会合は注意が必要だろう。

 あの人でも断り切れない相手ってことだろうからな。






「君がジーサ・ツシタ・イーゼだな。会いたかったぞ!」


 暑苦しそうなおっさんだった。

 体格は大男のシキ王と比べると平凡だが、貴族らしい品格と権力者らしいアクの強さが同居している。初対面ながら、この人が理性を崩す光景を全く思い浮かべられない。

 格好はかなりラフだ。無地の半袖半パンで、バカンスに来てるベテラン俳優みたいな味。


「シキはなぜか会わせたがらんのよ」

「ジーサ殿はワシの懐刀じゃ。他者に使わせるわけにはいかん」

「何を言う。ワシとお前の仲じゃないか」


 隣に座る国王と強引に肩を組むおっさん。この人こそがマグナス・シャーロット――アルフレッドの双璧を成す大貴族シャーロット家の当主だ。


 シキ王は嘆息しながら、その手をはねのける。

 旧知の仲って感じだな。それでも全く気恥ずかしさを匂わせないあたり、さすがというか、カッコいいというか、ずるいというか。大人である。


「本当はしばらくお借りしたいところだが、国王の命には抗えん。せめてもの足掻きってことで、こうして取り付けたわけよ」


 マグナス曰く、俺が|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》になったことが、正式に顔を合わせるために必要な最後のピースになったそうだ。

 正論を並べて要求されれば、シキとしても認めざるを得ないとのこと。

 まあ細かい部分は知らないし、知りたくもないけどな。そういう社交界の心理戦はどうでもいい。


「こやつは小賢しいからよく覚えておいた方が良いぞい」

「アンタにだけは言われたくないんですが」

「バハハハッ! ずいぶんと親しいじゃないか。羨ましいぞ」


 ちなみに席次の概念は無さそうである。

 簡素な丸テーブルに、背もたれのない木製の椅子で取り囲んでいるだけだ。時計回りにシキ王、マグナス、ハナ、俺、ヤンデ、ルナの計六人。

 無いと言えばもう一つ。テーブル上にも何もない。


「早く始めてもらえないかしら。私達は忙しいのよ」


 ヤンデが肘をついたままコンコンと指でテーブルを打つ。


「おお、これはこれはヤンデ様。申し訳ない」


 コイツ偉そうだなと俺は思ったが、そうだよな、俺が麻痺してるだけで実際偉いんだよな。

 マグナスにも娘のハナにも気分を害する様子がない。いや面の皮が厚いだけかもしれないけど。


「お父様ははしゃいでおりますのよ。美人に目がないから」

「ハナの方が可愛いよ」

「はいはい」


 フレンチキスしようとする父を、ハナがぐいっと押し退ける。

 頬を押し込まれて半面が変顔になっているマグナスが「シキもそう思うだろ?」いやらしい笑顔とともに国王に振る。

 途端、ハナがもじもじしだして、「き、今日は気合いを入れましたの……国王さま、いかが、でしょうか?」などとすっかり乙女である。


「ほら可愛い! ワシの娘が一番ッ! というわけで、さっさと受け取らんかい」

「そ、そんなお父様……私《わたくし》にはまだ早うございます」


 がたっと立ち上がって娘を示すマグナスと、両手を頬を当てて顔を赤らめるハナ。こいつら仲良いな。もう社交の心理戦始まってるのかもしんないけど。


「ヤンデ殿。こやつらの口、封じてもええぞ」

「そうさせてもらうわ」


 たぶん氷魔法だろう、視覚効果《エフェクト》が一瞬見えていたが、


「そうですわね。そろそろ始めましょう」


 ハナの淑女モードを前に、ヤンデは取り下げたようだ。

 コミュ症だからだろうか、俺にはどこまでがネタでどこからがマジなのかわからねえ。


「まずは我がシャーロット家について手短に説明します――」


 ハナによる説明がしばし続いた。


 大まかには既に知っている内容――アルフレッド王国の政治面の大部分を引き受けている家柄という点。

 前世でたとえるなら、郵便と鉄道以外にも政治全般が民営化している感じか。いや政治面に対して使う言葉かどうかは怪しいし、前例もないと思うけど、あくまでたとえとして。


 全体的にビジネスライクなシステムだった。

 たとえば組織構成は本家の下に分家、分家の下に組となっており、機能ごとに分割された職能主義が敷かれているようだった。


 で、こういうのを説明されてどうしろと?


「おぬしにどうこうしてもらうつもりはないが、概要くらいは押さえておけ」


 目で問うだけで答えてくれるシキ王が頼もしいが、だからこそ手強い。


「甘くないですか? ジーサさんは私と一緒に王国を支えるんですよね?」

「人には向き不向きがある。あまり詰めすぎるとパンクするぞい」

「私はもっと詰め込まれてますよね?」

「ハルナは向いておるからの。もうちょっと増やしてもいいくらいじゃ」

「これ以上増やしたら二度と口聞きませんから」


 ルナをあしらうのも上手い。

 俺も見習いたいくらいだ。


「国王さま。でしたら私に詰め込んでくださいまし」


 ぽんとさほどでもない胸を叩くハナ。いや、ドレスの具合から見て、意外とあるかもしれない。どうも盛り具合も変えるタイプっぽくて、いまいちわからねえんだよなぁ。CからEで揺れてる。Fは無いだろう。


「また今度の」

「見ましたかお父様。こうやって子供扱いされますの」

「見たぞ見たぞ。これはイカンなぁ」

「それとジーサ様が胸を見てきました」

「ジーサ?」

「ジーサさん?」


 いや、行けると思ったんだけど、意外と鋭いなコイツも。

 マグナスはというと、何やらニヤニヤしている。なんか企んでるよなこれ。


「まあまあ。本題と行きましょうや。あれを」


 やや強引だが、使用人を呼び寄せたことでリセットできたようだ……ってさっき俺を案内した人か。

 彼女は立ち去る様子がなく、マグナスの後ろで何やらメモの姿勢。


「質問を用意している。楽しもうじゃないの」

第235話 右腕2

「……質問?」

「インタビューの練習にもなるだろう。なあに、弁えはするさ」


 質問? インタビュー?

 いきなり何の話だ、と俺が口を開こうとする前に「何よそれ」ヤンデが突っ込んでくれた。


 ふわわぁとあくびをしていらっしゃる。

 ああ、毎夜ルナとユズも交えてはしゃいでるもんな。大してルナは全く眠気を見せない。白夜の森時代からそんな気はしてたが、たぶんショートスリーパーだ。


「ガートンインタビュー――通称『インタビュー』と呼ばれるイベントがありますの。これは新たな要職者に対して、ガートンが公式に行う質問の場です」

「拒否権は?」


 ありませんと断言する金髪縦ロール。一応、上裸にも目で尋ねてみると、「そういえばそうじゃったの」などととぼけやがる。


「なんで俺だけなんだ? ヤンデとルナも十分ネタになるだろ」

「ガートンにお聞き下さいまし。確かな情報源ですわ」

「インタビューっつったが、そういうのは事前に教えてくれるものでは?」

「前日にお知らせするのが慣例ですわね」

「それじゃ準備できねえだろ」

「準備無しに望んで、率直に答えるのがインタビューなのです。何をそんなに狼狽えているのですか?」

「いや、だって、おかしいだろ。要職者にまともな準備をさせずに晒し者にするってことだろ? アンタらはそれでいいのかよ?」


 今回の例では、俺がアルフレッドの代表として受け答えするってことだぞ。

 それも情報屋ガートンによる、公式のイベントと来た。全土に知れ渡るに違いない。ノー準備で記者会見するようなもんだろ。無理ゲーだ。

 俺は王国のことなんて何も知らないに等しい。いや、そんなことは正直どうでも良くて、異世界人としておかしなことを口にしてしまう可能性が怖い。


 ハナが隣の父と顔を見合わせて、小首を傾《かし》げた。

 父マグナスが今度はシキ王と見合わせて同じことを試みるも、王は表情一つ変えない。


「別に繊細な質問は来んぞ。おぬしのどうでもいい情報を尋ねるだけじゃ」

「練習するのよね? さっさとやるわよ」


 ヤンデが割り込んだことで、全員の視線が俺に集まる。「そうだな」俺も了承するしかない。


 何はともあれ、シキ王が問題視しないなら問題無いんだろう。

 こういう思考停止は嫌いだが、無知な俺には選択肢がない。


「では雰囲気からつくろう。ルナとハナはこっちに来なさい」


 マグナスの指示で二人が父親の後ろに突っ立つ。


「えー、おほんっ――それでは、史上初のダブルロイヤルとなったジーサ・ツシタ・イーゼ様にお聞きしましょう。なお、今回はついでに|森人族側《エルフサイド》の嫁であるヤンデ・エルドラ様にも同席いただいています」

「この私をついで扱いするとは、良い度胸じゃない」

「ワシも興味あるのう。せっかくじゃから付き合ってやれ」

「……仕方ないわね」


 ヤンデさん、やけに素直じゃねえか。いや、俺のためになるというニュアンスを出して庇護欲を刺激したのか。

 有能すぎて怖いんだけど。


「まずは出身をお願いします」


 テーブルに両手を置いてにこにこするマグナス。口調もアナウンサーみたいにかしこまっててノリノリだ。


「ボングレーだ」

「言うまでもないことだけれど、北ダグリンエルフ領よ」

「ボングレー? 聞き慣れない地名ですね。どの辺りですか?」

「お父様? インタビューではそういう深掘りはしないのでは? それにボングレーの名前を公表していいものかどうか……」

「構わぬ」


 シキがバトンを受け取り、やはり両手を置いてから少し身を乗り出す。何これ、圧迫面接?


「ジーサ殿。本番ではただ質問に答えていくだけじゃ。よほど意に沿わない回答でない限り、深掘りされることはない」

「だったらあまり喋りすぎない方がいいな」

「左様。愚か者はここで自分をひけらかして余計なことまで喋るところじゃが、おぬしは問題あるまい。あとは意に沿う回答をするだけじゃが、この練習で雰囲気は掴めよう。いや、一問ごとに批評《レビュー》した方が良いかの」

「そのつもりだったぞ。ハナにやらせるつもりだった」

「初耳ですわ」

「なら良い。続けよ」

「国王さま……不肖ながら、精一杯努めさせていただきます」


 謙遜も恋心もオーバーなハナはさておき。

 肩を並べて喋るおっさんズは、暑苦しいが妙に似合っていた。長年の相棒感が滲み出ているというか。暑苦しいけど。


「それでは年齢を教えて下さい。テンユニットで構いません」


 いきなり答えにくいの来たな。禁忌《タブー》じゃなかったか?

 ここで詰まって怪しまれるのもだるいし、その謎の言葉が例外を適用していることくらいはわかるので、尋ねるしかない。


「テンユニットとは」

「十年単位で良いという意味ですわ」

「四捨五入はどうする?」

「し、ししゃ? なんですの?」


 マジかよ、四捨五入ってこっちには無いのかよ。


「……たとえば14歳だった場合に10にするか20にするかって話だ。ボングレーでは扱い方が複数あって使い分けるんだよ」

「さすが変態の巣窟ですわね。その場合は10――すべて少ない方に倒しますわ」


 時間稼ぎをしつつ、先にヤンデが答える事を期待する俺だったが、どうやら俺の回答を待っているようだ。

 年齢を言えないのはさすがに怪しいし、ここはマナー違反を主張して回避できる場面でもないだろう。


「30」

「20よ」


 誤魔化してもボロが出そうだし、|前世と同じ《アラサー》をそのまま言うことに。

 特にリアクションは無かった。いや、ルナは少し顔に出てるな。一文字で表すなら「え?」あたりか。んだよ、老けてるとでも言いたいのか。

 それはそうと、コイツもヤンデと大差ない気がする。

 たぶんこっちの人も容姿と老化の具合は前世と同じじゃないか。勘だけど。


 だとして、じゃあ王立学園は20代以上が通ってる学校なのかって話になるが、ジャースはそういうものなのかもしれない。

 いや、でも30代の容姿の人間、見た覚えがないけどな。基本的にどいつもこいつも若くてイケメンなんだよな。


「趣味はありますか? ない場合は、何に取り組んでみたいですか?」


 パルクール、ピッキング、プログラミング、ペン回し、ポテトチップス食べ比べ――いわゆる趣味のパピプペポだよ、なんてことは言えるはずもない。そもそも俺の造語だし。


「趣味はないし、特に取り組みたいものもない」

「夫とのんびり過ごすこと」


 おうちデートってやつか。悪くないけど、そういう日常に至ってしまう事態は避けたいところだ。


「ジーサ様は回答をひねり出してください。ガートンに突っ込まれると思いますの。ヤンデ様も、漠然としすぎているのでもう少し詳しくほしいですわね。同様に突っ込まれると思います」

「夫とのんびり食べ合いをすること」


 下ネタじゃねえか。

 ヤンデが「わかってるわよね?」とでも言いたげな睨みを利かせているが、何もわからないのでスルーして、


「商店街で食べ歩きをすること」


 別に商店街にも食べ歩きにも興味はないが適当に答えると、「問題ないと思いますわ」とハナ。

 いや問題あるだろ……。

 俺はともかく、ヤンデのは前世で言えば「のんびりセックスすることです」と言ってるようなものだ。

 なのに誰も何も突っ込んでくれない。ルナはぐぬぬしてるけど、ただのやっかみだろうし。


「魔法でもスキルでも構わないので、好きなものと嫌いなものを一つずつ教えてください」

「好きな魔法は風魔法全般。嫌いなスキルは無魔子《マトムレス》かしらね」

「マトムレス? それは魔子を扱うスキル、ですの?」

「内緒にした方が良いかしら。お母様のスキルなのだけれど」

「……」


 ハナが苦笑を浮かべてシキの背中に視線を落とす。

 博識であろうハナでも知らない、女王の機密をいきなり知らされたとなれば無理もない。

 シキは何も答えないが、無言でもわかるものがあるらしい。


「聞かなかったことに致しますわ。軽率な暴露はおやめくださいまし」

「ただの気晴らしよ」

「気晴らしは大事なことですわね。それでジーサ様は?」

「好きなスキルは振動交流《バイブケーション》。嫌いな魔法は風魔法全般だな」

「喧嘩売ってるの?」

「お前がいっつも殴ってくるからすっかり嫌いになったぜ」

「そう? なら今度からは火魔法に変えてあげるわ。服はこげると思うけど仕方ないわよね」


 早速俺の袖を焦がしにかかるヤンデさん。


「風魔法で頼む」


 それからも俺達はひたすら練習――とは名ばかりの質問攻めを食らった。

第236話 右腕3

 前世のネットには100の質問なるものがあった。

 SNSが登場する以前の、ブログと掲示板でやり取りしていた時代の話だが、100個用意された質問の回答を全部書いて記事にする。

 これを読んだり読ませたりすることで、濃密な自己紹介が出来ていたのだ。


 懐かしいなぁ。古き良きテキストサイト文化だ。

 ……なんてことを考える俺は老害に片足突っ込んでるのだろうか。まだアラサーなんだけど。

 と、それはさておいて。


 マグナスによるインタビュー練習は、100の質問を思い出させるものだった。

 一問ごとにハナが回答の善し悪しを評価してくれたから、だいぶ要領は掴めたはずだ。代わりに、俺の嗜好はだいぶ知られてしまった。

 異世界人を匂わせるような回答はしてないはずだし、多少の変わり者感はボングレーという変わり者の山村――もうナツナに滅ぼされたけど――出身の設定で誤魔化せると思いたい。


「ひょっとしてインタビューって娯楽目的なのか?」

「娯楽以外に何がありますの? ジーサ様は先ほどから頭のおかしなことを仰いますのね――ありがとう」


 ハナが使用人からカップを受け取り、ずずっと上品に口をつける。


「ひょっとして俺、けなされてる?」

「ひょっとしなくてもけなしていますわ」


 ハナの印象などどうでもいいが、やはり娯楽目的か。だったらさほど心配する必要もないだろう。


(芸能人のゴシップみたいなものか)


 俺の存在と嗜好が全土に知られてしまうわけだが、別に何とも思わないのは俺がバグってるからか。ジーサという皮を被っているからか。

 あるいは逃走する決意を固めているからかもな。


「ハナ・シャーロット。私の夫に対して馴れ馴れしさが目立つようだけれど?」

「婿は王族階級ではありませんわよ」

「一線引くって以前言いませんでしたっけ?」


 ルナが視線で同意を求めてくる。ああ、言ってたな。「ヤンデもちょっと悲しそうにしてたよなブァッ」一瞬で口内に泥を充填するのはやめろ。


「撤回させていただきますわ。国王さまのお許しも出たことですし」


 この時間だけで三人はすっかり仲良くなりやがった。俺は散々ダシにされ、ネタにされてたけども。


「マグナス。おぬしの許可は出しておらんから勘違いするでないぞ」

「わかってるさ。今日の回答を聞いて改めて思ったぜ――この者はワシの手には負えん」


 くつろぐハナとは対称的に、マグナスは腰を上げている。

 やれやれ、ようやく終わってくれるか――などと思っていると、ニッと微笑んできた。


「さすが実験村《テスティング・ビレッジ》を考えるだけはある。思考が違いすぎて同じ人間とは思えんわ」


 まあ異世界人ですからね。

 ……って、ちょっと待て。


「――お父様。今、何と」


 ハナの手元からカップが落ちる。本来なら盛大にこぼれているところだが、使用人の魔法が介入して不自然にテーブル着地をきめている。


「頑張らないとついていけんぞ」


 マグナスは娘の頭を優しくぽんぽんした後、使用人と共に出て行った。

 完全に見えなくなるまでハナはずっと俯いていたが、


「どういうことか説明していただけますか国王さま」

「よし、俺達も帰るか」

「レコンチャン」

「あいよ」


 シュンッと背後に出現した何者かが俺の両肩に手を置く。振り向いてみると、まあツンツン頭だよな。

 軌道は見えなかったから、隠密《ステルス》か何かで潜んでいたのだろう。


 ヤンデは特に何をするでもなく「中々やるわね」などと褒めていらっしゃる。

 ルナは露骨にびっくりしているようだが、まあレベル低いからな……って違うよな。お前、白夜の森では普通に隠密モンスター殺してたよな。演技だろうか。俺に言えたことじゃないが。


 頼みの綱ってことでシキ王にアイコンタクトを試みるも、「隠してて悪かったのう」こっちを向いてくれない。


「待ってくれシキ王。俺を晒すのか?」

「今さら何を。ミックスガバメントなどという非常識な方針を打ち出したのはおぬしじゃろうが」


 んなことはわかってんだよ。これ以上面倒を増やしてほしくねえんだけど。


「みっくすがばめんと?」

「実験村と混合区域《ミクション》に続く、ジーサ殿の第三の施策じゃ。詳しくは本人から聞け」

「国王さまが発案されたのではなくて?」

「できるのならとうにやっておるわ」

「……」


 ハナのよく整えられた双眸が俺を捉えて離さない。

 目元ぱちぱち、口元わなわな。内心がかなり忙しいことになっているのがよくわかるな。


「やっぱアンタだったか。ハナをよろしく頼むぜ」

「何言ってんだ。お前らは良いのかよ。相思相愛だろ?」


 もうなりふり構っていられない。この呑気な付き人をターゲットにしてやる。


「良いも何も、さっき当主様が認めたじゃねえか」

「否定しないのな。俺に盗られる形だが?」


 当てずっぽうだがヒットしてくれた。

 ここだ。ここを攻めるしかない。


 レコンチャンの恋心を刺激することで、ハナの意識を逸らす――。

 仮に無かったとしても、ムキになってくれればうやむやにできるはずだ。


「盗られる? もしかしてハナの相手が一人だと思ってるのか?」


 作戦その一、秒で死亡。


「は? 一人じゃねえの?」

「ボングレーは変わってんなー。いわゆる『一途』ってやつだろ、それ」


 そういうことか……。

 ジャースでは一途な色恋は多数派ではないのか。何となくだが、性に関して大らかであることとも繋がった気がする。


「ハナよ。今一度、誰を求めるかを己が胸に問うが良い」

「はい。そうさせていただきますわ――ジーサ様」


 鈍感でもわかるであろう熱のこもった眼差しに、紅潮した頬。


 高貴な装いと精緻に整えられた縦ロールのフィルターを外してみると、なるほど、一人の少女なのだとわかる。

 たぶん年齢もヤンデらと大差ないか、もう少し若い。こんなおっさんは地雷なんだけどなー。


「前から思ってたんだが、俺、お前のこと嫌いなんだよ」

「ふふっ。お二人が仰られた通りですわね。ジーサ様はすぐに照れると」

「いい気味ですね」

「閉口するジーサも見物よね」

「二人ともいいのかよ。嫁が増えるんだぜ?」

「王女でなければ問題ありませんよ」

「うつつを抜かしたら締め上げるけどね」


 机の一部を《《切り取り》》、雑巾のように絞ってみせるヤンデを見ながら、そういうものかと思う。


 たぶんハナは側室のような扱いで、正妻たる二人にとって脅威にはならないってことだろう。

 前世の価値観に染まってる俺にはピンと来ねえ。


「ジーサ様。私《わたくし》はあなたをお慕い申し上げておりました。やはり国王さまではなかった……」

「目を覚ませ。この容姿だぞ?」


 ダメだろうなと思いつつも、とりあえず鼻に指を突っ込んだ後、口でねぶっておく。

 ダンゴの再現は完璧なのでちゃんと垢もあるし、ハナにも見えたはずだ。何なら飛ばしてもいい。


「実験村についてうかがったとき、その先進性と将来性に感銘を受けました。上からの命令で推し進めるのではなく、実験という形で民の自立性を尊重していく――痺れましたわ」

「雷でも食らったんだろ。安静にした方がいいな」

「全然面白くないです」


 さっきからルナが辛辣なんだけど。王女でなければ、とか言ってたけど、絶対気にしてるよなこれ。

 なおハナにもまるで効果がない模様。


「アルフレッド全土を安定させるためには、今の体制では限界がありますの。為政者として数歩先を行かねばなりません。そんなある日、右も左もわからない私は実験村を目の当たりにしたのです。確信しました――この方ならばできると。この方と歩んでいきたいと」

「俺は無知だぞ。ようやくEクラスに昇格したような落ちこぼれだ」

「人には向き不向きがあります。一般常識は私にお任せください」

「俺はヤンデとルナだけを愛している。お前が入る余地はない」

「こじあけて見せますわ」

「股も開いてもらうことになるぞ」

「……構いません」


 一瞬だけ目を見開いたのを俺は見逃さない。


「俺の性欲を満たすだけの奴隷に成り下がるのであれば、認めてやらんこともない」

「そういう遊び方ですわね。娼館では珍しくないと聞いた覚えがあります」


 SMプレイならぬ主人奴隷プレイ、みたいなものがあるのだろうか。どのみちそんな性癖はないが。


「変態《ガーナ》にでも聞いてみればいいんじゃないですか?」

「そうですわね」


 くそっ、全然通じない……。ハナからはもう恥じらいも消えており、淑女の分厚い外面が優雅な微笑を浮かべてやがる。

 仮にここでコイツを出し抜こうにも、俺の自虐癖と露悪壁を知る二人がフォローに入るに違いない。


「ハナは中々にやかましいぞ。父親譲りじゃ」


 シキ王が無駄に苦労を滲ませた演技をする。この人、鬱陶しいけど邪険にできなかった娘をこれ幸いと俺に押しつけただけだよな?


「もう、国王さまったら」


 ハナにも未練は無さそうで、ビフォーの無関心が嘘のようにちらちらちらちら俺を見てくる。

 全く関係無い話だけど、なるほどな、これで視線が落ちたりしたら、たしかに分かるな。

 結論。胸チラはバレる。


「やかましいのは二人で足りてるんだがな」

「ヤンデさんとヤンデさんのことですよね?」

「ルナと小さなお守りさんのことではなくて?」

「あの、ヤンデ様……もしかして王族親衛隊《ガーディアン》を指していらっしゃいますの?」

「軽率だったかしら」

「左様。こやつにも近衛を配備しておる。それだけの人物と共に歩むのだということを今一度噛みしめよ」

「……承知致しました」


 現実逃避気味に全員の胸をチラ見するくらいしかできない。

 だってなぁ、そもそもシキ王がいる時点で負けてるようなもんだろ。


 一介のリーマンが駆け引きで権力者に勝つことなどできやしない。

 だからこそ、こうしてずるずるとハマっているわけで。


「さて、用事も済んだことじゃし。仕事と行こうかの」

「まあ! 早速拝見できますのね」


 そして現在進行形で振り回されるという……。

 これに抗える確かな力を俺はまだ持っていない。


(諦めるつもりはないけどな)


 この点だけは無敵バグに感謝である。

 おかげで俺はいくらでも決意できるし、いつでも機をうかがえる。


 闘争心、いや逃走心を携えた俺は、今日もブラックに働く。

第237話 とある新郎の一日

 第五週一日目《ゴ・イチ》の、夜も空けぬ朝五時。


 王宮敷地内に無数と存在する部屋の一室には、王族にしか縁のない寝心地抜群の巨大ベッドが置いてあった。

 ここで眠るは一人の同僚と二人の王女、そしてなぜかうつ伏せになっている渦中の人物ジーサ・ツシタ・イーゼ。


 そんな聖域の静寂にゲートが割り込む。

 どの種族によるものか瞬時にわかる上品な展開の後、姿を現したのは――第二位位階《ハイエルフ》リンダ・エメラ・ガルフロウ。

 無論、この程度で気付かないほど同僚は甘くない。


「三人とも。起床」


 近衛一号ユズによるモーニングファイアーが三人に炸裂する。

 一般人《レベル1》が火傷する程度の微火力だが、たとえノーダメージでも温度変化が絶妙なら人は瞬時に覚醒できる。一号《ユズ》はこういう小火力の制御が上手い。


 その器用さは生活魔法全般にも及び、既に自身を含む四人分の身体洗浄、乾燥、着替え、朝食の準備からベッドの撤収まで済んでいた。


「なあ、俺の扱い雑すぎね?」


 いくつかの肉を手づかみしたジーサは、耳を引っ張られて連行されていった。






 行き先はエルフ領の僻地――広大な深森林の中でも第二位しか立ち入れない場所である。


「誰も見当たらないが」

「今日は私がお相手致します」

「……」

「その下品な視線はやめてください。またスパームイーターを入れますよ」

「仕方ねえだろ。人間がエルフに見慣れることはない」


 適当な言い訳をしつつ、中途半端な視姦をやめないのはジーサの悪癖だ。気付かれないとでも思っているのだろうか。

 そもそも実力者であれば目で見るよりも魔力やオーラ、あるいは空気の流れを感知した方が正確なのに、なぜいちいち見るのだろうか。

 視覚が映す鮮やかさ――特に色が重要だということか。あるいは相手の反応を楽しんでいるか、欲情しているのかもしれない。

 他のハイレベルな男性冒険者もやはり見る傾向があるから、男とはそういうものなのだろう。


 無駄を嫌うエルフらしく、戦闘は速やかに始まった。


 ジーサが行っているのは戦闘訓練である。

 自身のスキルは使わず、純粋な身体能力による戦闘と回避を鍛えたいらしい。


 対してリンダが行っているのは、ジーサの十八番――変装術の分析である。

 エルフは彼の変装術に目をつけており、大罪人シッコク・コクシビョウを探す手がかりを得ようとしている。一方でジーサとしては、武器の一つをおいそれと教えるわけにはいかない。

 その落としどころがこれなのであろう。


 すなわちエルフは戦闘をもって調査し、ジーサは戦闘をもって成長する――


「格闘はまだまだ素人ですが、逃げっぷりは腹が立つほどお上手ですね。魔法訓練に切り換えていいですか?」

「無茶言うな。俺は何も使えねえんだよ」

「もーもーがあなたの動きを美しいと漏らしていました。許しがたいことです」

「知らねえよ」


 もーもーことモジャモジャ・ローズ・ガルフロウはリンダの妹であり、昨日の鍛錬相手でもあったが、ジーサには役不足だった。

 そのため今日は格上のリンダが対応している。


 わざわざ女王補佐《アシスター》が出る幕でもないだろうに、あえて出ているのは、彼女の本心が妹狂いだからだろう。

 単に妹をこの男に近付けたくないのである。


 それでも割り当てとしては悪くない。妹狂いはともかく、ジーサを調査し、またプレッシャーをかける相手としては申し分ない実力者だ。

 女王サリアもわかっていて、あえて許可したのだろう。


「最近もーもーが冷たいのも、あなたのせいに違いありません。去勢してもいいですか?」

「やめろ」

「着実にパートナーを増やされているようですね。腹いせに私も加わってよろしいでしょうか」

「絶対にやめてくださいお願いします」

「王女様からのお許しは決して出ないでしょうが、女王様にお願いすれば面白がって承認いただけるでしょう」

「リアルに検討するのやめてマジで」

「もーもーを加えると言ったら?」

「……いや、アンタが許さねえよな」

「何を想像したのでしょうか。あのエルフにしては豊満な膨らみに想いを寄せたのでしょうか。私は妹に劣情を催す者を許しません。催していいのは私だけです」

「なるほどな。客観的に見ると気持ち悪いってのがよくわかる」


 縦横無尽な軌道と乱雑な衝撃波が心地良い。

 第一級にすら及ばない可愛い戦闘ではあるものの、二人とも決して下手ではない立ち回りだし、会話する余裕もある。将来性は悪くない。


「ぐっ」


 ジーサの悔しそうな一言とともに、顔面の皮膚が飛び散った。

 その規格外に高性能な変装を構成する外皮である。リンダはすかさずそれを回収し、ひとまず口に含めながらも、訓練は続く。


 せっかくの人材配置《アサイン》ではあるが、おそらくリンダ程度では有用な情報は得られまい。

 だからこそジーサ・ツシタ・イーゼ――否、シニ・タイヨウは手強いのである。


 ちなみに正体がバレるほど外皮を削られることはない。

 詮索はしない、との命《めい》が下っているからだ。このエルフは女王に従わないほど不義ではないし、うっかり削りすぎるほど不器用でもない。






 早朝訓練を終えて帰還したジーサは、書斎でしばし一人の時間を取る。

 国政顧問として腰を据えて思考したいからとのこと。孤独な環境の重要性を知らない国王ではなく、この時間は公式に認められている。


 この間、ジーサはひたすら部屋を歩き回る。

 本は手をつけるどころか、視界に入れることさえしない。読み書きができないそうだが、レベルにしてはおかしい話である。

 そのおかしさのカラクリをこっそり調べるために、おそらく国王はあえてこの場所を与えたのだろう。不審な動きは漏れなく逃すなと。言われずともわかっている。


 ちなみに、この時間はジーサタイムと呼ばれている。王女二名は撤廃を要求しているが、国王は飴と鞭も達者だ。年単位で続くだろう。






 ジーサタイム以降は王立学園一生徒としての日常が始まる。


 朝は座学だ。

 ジーサはEクラスであり、ヤンデ王女と肩を並べて受けている。

 他のクラスメイトとはろくに会話していない。主に王女が畏れられているためだが、二人とも全く気にしていない。


 授業内容は至って基礎的なものだが、ジーサには難しいらしく、王女はしばしば苛立ちを隠さなかった。その度にクラスメイトが萎縮している。二人とも、もう少し周囲に配慮するべきだろう。

 特にジーサが王女を窘《たしな》めなくてはならない。人間族の世界では男が女をリードするものだ。女を御せない男は舐められる。舐められると要らないちょっかいも受けやすい。冒険者ならともかく、貴族や王族としては不利に働くため、今からでも対策が必要だろう。

 当の本人はどうも考え事にご執心のようだが、何を企んでいることやら。






 昼休憩をはさむと実技だ。


 今日は飛行訓練とのことだが、ジーサは飛行の術を持たない。

 複数の女生徒がサポートを買って出たが、勝ち取ったのはミーシィという鳥人の少女だった。

 激しいスキンシップを表面上は拒否しつつも、どこか堪能しているようなジーサを前に、王女の二人とハナ・シャーロットは露骨に悔しがっている。

 しかしここは学園――やんごとなきお方であっても、教育内容には従うしかない。


 各ペアが散会する中、ジーサとミーシィも上空へと飛んでいく。

 両肩を掴まれて宙吊りになったジーサは、心なしか楽しそうに見える。空に慣れていない子供の反応を彷彿とさせた。


「ジーサちんは飛べないから何もできないよねぇ……」

「こうして飛んでるだけでいいだろ。これでも忙しい身でな。休ませてくれると助かる」

「じゃあバサバサする?」

「……しない。休ませてくれ」

「今ちょっと迷ったでしょー? わたしの下乳も見た」

「下乳って……」

「ほらぁ、また見たっ! やりたいんでしょ?」

「よし、じゃあやるか」

「えっ!? ほんとに?」

「なんでお前がびっくりしてんだよ」


 鳥人は性的に獰猛な種族だが、この少女は珍しく初心らしい。

 こういうタイプは過保護な家族がいると生まれやすい。おそらくそう遠くないうちに、ジーサは彼女の家族と対峙することになる。


「気のせいか、鳥人が多くないか? 視界に入って目障りなんだが」


 少しでも印象を下げようと攻撃的な言葉を使うのもジーサの悪癖だ。

 この鳥人には通じないだろうに。あるいは素なのかもしれない。


「最近流行ってる小説で王都が出てきたってお姉ちゃんが言ってた。実物を見に来たんじゃないかなぁ」

「聖地巡礼ってやつか」

「小説って何が面白いんだろうねー。ジーサちんは読む?」

「ライ――読まない。つか読めない」

「らい?」

「何でもない。それよりお姉ちゃんって怖いんじゃなかったか? 今さらだがこんなことしてていいのか?」

「見られなきゃへーきへーき」


 空の開放感とミーシィの人柄が、ジーサの気を緩めているのかもしれない。


 せいちじゅんれい。注目対象の一つであるタイヨウ語――彼が使う独特な言葉は見逃せなかった。

 それに読み書きはできないはずなのに、答え方に詰まったのも怪しい。


「とりあえず落ち方を練習したいんだが、付き合ってもらえるか?」

「よくわからないけど、たたき落とせばいいの?」

「違えよ。手を放して俺を落とした後、お前も並走してきて、俺が良いと言ったところで止めてほしい」


 一応真面目に鍛える気はあるらしく、ジーサの主導でよくわからない練習が始まっていた。






 もはや彼にジーサタイム以外の安息は無い。


 夕休憩には新米教師であるアウラとラウルが同席して、話に花を咲かせていた。

 主な話題はグレーターデーモンの撃破方法について。ジーサから何らかの《《ぼろ》》を出させようと立ち回っているように見える。


 彼の正体がシニ・タイヨウであることにも勘付いているのだろう。

 そうでなければ、第一級冒険者に登り詰めるほどの偏執者がこんな温くて退屈な生活に浸る理由などない。133の壁は突破していないから、シニ・タイヨウに突破の糸口を求めているのかもしれない。

 いずれにせよ、ジーサとしてはやりづらいに違いない。


 せめてもの救いはヤンデ王女の存在だろう。

 彼女の実力ならアウラウルにひけを取ることはまずないし、実際に見事な威嚇もしてみせた。マルチテレポートなどというでたらめな無詠唱は記憶に新しい。


 ジーサもかなり気を許しているように見える。彼女と協調関係を持っているのは間違いなさそうだ。

 ということは、相応の情報開示をしているはずだ。少なくともアルフレッドの者達よりも。


 同じく真近くで過ごしているわけで、そんな《《ひいき》》に気付けないハルナ王女ではあるまい。

 気付かないほど鈍いのか。あるいは気付いた上で、それでも暗い感情を持たないほどの何かを既に持っているのか――。一号《ユズ》曰く、ジーサが最初に出会ったのが当時ソロ冒険者だったルナらしいから、その間に色々とあったのかもしれない。






 職練として行っている『プレイグラウンド』の運営をこなし、迅速に帰宅させられて半ば詰め込む形で食事を取った後は、すぐに国政顧問として各地を飛び回る――

 ジーサ・ツシタ・イーゼは精力的に働いた。


 帰ってきたのは、日をまたいだ後である。


 寝床は交互に使うルールとなっている。

 今日はヤンデ王女の番であり、エルフ領だ。


 火魔法による簡素な明かりに照らされた木製小屋の内部が一瞬見えたが、これ以上は近寄れない。

 女王による無魔子《マトムレス》の膜――

 これは魔法では対処しようがない。

 破るなどもってのほかだ。隠密《ステルス》で侵入している事実を与えてしまうわけにはいかない。


「……」


 可能なら就寝後に《《寝たふりをしている》》ジーサの様子も見ておきたかったが、ここまでだ。


 五号《ライム》は王宮に戻り、シキへの報告を済ませた。

第238話 インタビュー

 人は暇だからこそ悩むのだという真理は古今東西、耳にたこができるほど説かれている。

 逆を言えば、忙しくしている間は悩まない。否、悩めないというべきか。


 俺は好きじゃない。

 そんなものは思考停止の盲信にすぎないからだ。暇を持て余しながら贅沢に悩むのが現代人の特権、いや人権ではなかろうか。

 まあ俺は自殺という形で丸ごと捨ててきたけども。


 それはともかく、忙しいとあっという間に過ぎるものだなと久々に痛感した。

 ダブルロイヤルとしてあくせくしている間に、もう第五週五日目《ゴ・ゴ》の朝十時前――ガートンインタビューが始まろうとしている。


 王都から東へ数キロメートルほどの場所が会場だ。

 普段は冒険者の通り道でしかない、無駄に広い大草原であるが、今は商店街顔負けの人口密度を占めていた。


 遠目には王都を囲む外壁と、ルナと過ごした白夜の森も見えている。隠密《ステルス》モンスター達は元気だろうか。

 と、現実逃避してても仕方ない。ピントを手前に戻そう。


(本当に囲むの好きだよな、ジャースの人達)


 俺は360度、全方位を囲まれている。


 先頭に居座るのは黒スーツをビシッと着こなす集団で、鳥人など種族の違いを除けば見分けがつかないほど均一的だ。

 ガートンの職員である。

 皆、一様に手元で手帳らしきものを浮かせており、記者会見をうかがわせた。既に筆を走らせる者もいやがる。


 後方には雑多な参加者が観客のごとく集まっていた。

 俺を視界に収めるためだろう、後ろに行くほど高く浮いていて、最後尾はたぶん百メートルを超えている。

 顔ぶれは権力者や実力者に限らないし、人間とも限らなかった。特に鳥人が多……


(いや多くね?)


 二割くらいは腕に羽生えてんだけど。

 エルフに負けない女社会も健在で、十人十色、千差万別な膨らみもちらつく。ついでにミーシィに抱きつかれたときの感触を思い出すなどした。


 職員の一人が前に出てきた。

 俺の目の前でしれっと正座する。格好は量産型でも、さすがに顔を見ればわかる。男としても女としてもやっていけそうな、中性的で薄い顔立ち――


「スキャーノじゃねえか」

「私が進行を務めさせていただきます。本日はよろしくお願いします」

「……ああ」


 フォーマルな雰囲気全開のスキャーノだが、よく落ち着いている。

 その双眸は俺を捉えて離さない。いや俺が見惚《みと》れてるわけじゃなくて、コイツが俺の一挙手一投足を見逃さないレベルで注視してるってのが伝わってくる。


「時間になるまで今しばらくお待ちください」


 そう言って口をつぐみ、ひたすら凝視してくるスキャーノ。

 俺としてもやることがないので、とりあえず見つめ返す。


 ……一瞬、いけるかもと思った自分を殴りたい。

 俺にそんな指向はない。

 それもこれもシッコク達のせいだ。認めたくないが、まだ脳裏に焼き付いている。


 途中、思いつきでにらめっこを仕掛けてみたが、お手本のように吹き出してくれた。まあ誤魔化すのが速すぎて、たぶん正味はミリ秒レベルだったが笑顔も悪くないと思った。だからそんな趣味はないっつーの……。


 これ以上はいけない気がしたので、おとなしく待つ。


 程なくして、スキャーノの左右にも職員――うち一人は鳥人だ――が来たところで、


「それでは開始させていただきます」


 とうとう始まった。

 球場のような喧騒も一気に消えて、深夜を錯覚させる静けさが辺りを満たす。


「まずは名前とタイトルを教えてください」

「ジーサ・ツシタ・イーゼだ。タイトルとは?」

「ご自身が抱えている立場のことです」


 いや、これは――振動交流《バイブケーション》と防音障壁《サウンドバリア》の合わせ技か。

 外の雑音をカットしつつ、俺達の会話も拡散しているのだろう。早速隣と喋り始める観衆達のノイズが一切聞こえてない。


 さて、立場と言われてもなぁ。どこまで喋ればいいものか。


「タイトルは特にない」

「あるはずです。なければ、今この場で命名してください」


 なるほど、知らされていた通りだな。

 ガートン側が期待する答えが得られるまで催促されると。


「王立学園の生徒をしている。卒業までは修練に励む所存だ」


 職員らが高速で筆を走らせている。まるで速記者みたいな忙しさだな。

 俺そんなに喋ってねえだろ、などと思っていたら、


「【|記憶の瞬間保存《スナップショット》】」


 隣の鳥人女からカメラのような閃光が。

 スナップショットという響きからも、写真のようなものを撮られたのだと確信できる。

 ……ああ、思い出した。コイツ、シニ・タイヨウだった時の俺を撮った奴だよな。


「現在のレベルを教えてください」

「ノーコメント」

「【スナップショット】」

「ギルドへの冒険者登録をされていませんが、何か理由があるのでしょうか?」


 ステータスがバグってる可能性があるからだが、そんなことは言えない。


「面倒だからだ」

「【スナップショット】」

「今後される予定はありますか?」

「ない」

「【スナップショット】」


 ああもう、さっきからスナップショットスナップショットうるせえな。別は気は散らないが、明るそうな鳥人のお姉さんが真顔で連呼しているのがシュールである。

 思わず睨むと彼女と目が合い、その小ぶりな唇が動いた。


「防音障壁《サウンド・バリア》」


 アナウンサー顔負けの明瞭な声だった。

 空気振動でわかる。彼女の口元まわりに展開されたようだ。たしかに、何かぼやいたようだが全く聞こえないな。

 それでも露骨だからわかったぞ。俺の拙い読心曰く、細かいなぁ。ほっとけ。


「好きな魔法と嫌いな魔法を教えてください」

「好きなのは水魔法。嫌いなのは風魔法だ」

「水魔法を好む理由は?」

「液体の利便性が高いからだ」

「風魔法を嫌う理由は?」

「痛いからだ」


 インタビューは淡々と続いていく。

 スキャーノが能面で喋り、俺が機械的かつ無難に答え、鳥人女がスナップショットを焚きつつ職員達はメモを走らせ、その後ろで大勢の観客が俺を話の種にしている――


 たかが人間一人の、どうでもいい話なのに、誰一人として自らの役割を放棄しない。


(ただの興味、か)


 内心で強がってみせたが、恐ろしいことだ。

 特定個人のプロフィールを楽しむという文化は前世でこそ当たり前だったが、ジャースの文明水準では不自然である。このような嗜好は、十二分に発展して安定した文明――もっと言えば暇を持て余せる時代でなければ根付かない。


 このような娯楽を先見し、実現してみせた何者かがいるということだ。


(それがガートンという会社)


 国でも御せないほどの組織は会社と呼ばれる。

 実際、こうして王族関係者の俺をこんな場に引きずり込むほどの権力を持っている。

 権力――いや、需要なのだろう。

 資本主義社会は富によって支配され、情報社会はデータによって支配される。異世界ジャースは、コイツらガートンによって早くも後者に片足を突っ込んでいる。


 思えば平民向け情報紙が始まったのもつい最近のことだ。

 その何者かが現在進行で暗躍しているのかもしれない。だとして、俺の脅威にならなければいいのだが。


 そんな感心と警戒を抱きながらも、回答し続けていた俺だったが――



「グレーターデーモンの討伐についてはどうお考えですか?」



 不意を突かれたとは、このことだ。

 紛れもなくスキャーノの声だったが、本人も一瞬だけ驚きを顕わにして、カメラ係とは反対に座る男を横目で睨んでいた。

 その男はというと、薄気味悪い微笑を浮かべている。


「どう、とは具体的に何が聞きたい?」


 とりあえず時間稼ぎをしつつ、改めて頭をフル回転させる。


 脈絡も無く思いつくネタではあるまい。

 スキャーノを見るに、事前に打ち合わせていたものでもないのだろう。言わばガートン自身をも欺いた上での、この質問。


 込められた意味は何だ?

 そう自問したところで、思い当たる節など一つしかない。


 |俺の正体《シニ・タイヨウ》に勘付いている?


「王国が――いいえ、人類が苦戦しているモンスターの討伐に本腰を入れるとお聞きしています。貴方様はこの件に絡んでいるのでしょうか?」


 スキャーノの声音のみならず、口元や表情の微細な動かし方まで完璧に再現されていた。

 その魔法の精度と制御の解像度は、どう考えても並大抵のレベルではない。

 シッコクやグレン、サリア、アウラやラウル――いや、それ以上だろう。ヤンデや近衛、あるいは|あの人《ブーガ》のクラスと言われても納得できる。


 それほどの者が、おそらく俺に仕掛けてきている。

 ノーコメントの一言で終わってしまう質問を、あえてぶつけてきている。


 俺に何を期待している?

 俺はどう答えればいい?

 いや、自問の仕方を変えよう――


 俺は、この質問を無視してもいいのか?


「ああ。《《鋭意取り組む》》つもりだ」


 答えは否だ。


 幸か不幸かもわからないし、コイツの手のひらかどうかもわからない。


 ただ、これだけは言えた。


(グレーターデーモンと接触できれば、俺は逃げられる)


 その青白い巨体を想起させる単語を聞いた時点で、俺の天秤は傾ききっていた。


 事実がどうであれ、俺がこの場で答えてしまえば、事実になるだろう。ガートンが支配する情報社会の下では、国としてもそう動かざるを得ないのだから。

 まあシキ王なら容易く軌道修正できるだろうが、それでも、俺がグレーターデーモンと再開できる可能性は明らかに上がる。


 俺はそこまで思い至った上で、悩んだふりをしているだけだったのだ。

 といってもせいぜい数秒以内の出来事であり、要は直感だった。


「――以上で終了となります」


 二度も魔法で操られたというのに、スキャーノは何ら取り乱すことなく進行役を再開していた。


 最後にもう一度、閃光が俺を差す。

 数えてないけど、たぶん五十枚は撮られたな。


「解散先の希望はありますか? なければ王宮に繋ぎます」


 終わりまであっさりとしている。ここで変に質問しても無駄に情報を与えるだけなので、「希望はない」とだけ答えておく。


「こちらへどうぞ」


 背後からの聞き慣れない女声に振り返ると、もうゲートが開いていた。誰によるものなのかはわからない。


 もう一度だけ、最後の質問を仕掛けてきた奴の顔を見てみたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。

 思わず会釈しそうになるのも抑えながら、俺はゲートをくぐった。

第239話 インタビュー後

 ゲートが完全に閉じたとわかったところで、職員の一人――粗暴だが次期幹部候補の確かな実力者でもある――がスキャーナの隣に詰め寄った。


「ふざけるのもいいかげんにしろ」

「どうしました? これから忙しくなります。怒って消耗するのはおすすめしませんね」

「最後の質問は何なんだよ! ギルドにどう説明する!?」


 今にも胸倉を掴まんとする勢いだが、対する上司はひょうひょうとしている。

 薄ら笑いのよく似合う口元が動く。


「ギルドギルドって……あなた達はギルドの下僕ですか?」

「そういう話をしてんじゃねえよ。うちはギルドとの協調で成立してる組織だ。意向には従わなきゃならん」


 ガートンは会社だが、実質ギルドにコントロールされているようなものだった。

 先の廃戦協定によりギルドは三国の統括から四国《よんごく》の一つ――つまりは一国に成り下がったが、それでも人材や組織体系が変わったわけではない。暗黙の主従関係は依然として存在していた。


「最終合意した質問項目を忘れたとは言わせねえぞ。最後のアレは、明らかに狙ってやったよな?」

「ウルモスが一番欲しがっているのは、冒険の起爆剤です」


 そのギルドの頂点を呼び捨てる問題社員――ファインディを前に、激昂しかけた男は挙げかけた手を下ろす。


「未攻略のグレーターデーモンに関する知見は、今話題のダブルロイヤルよりもはるかに価値があることなのです」

「……」


 ファインディに突っかかるこの男も、先日の会合に出席していた。

 ウルモスがこのいけ好かない男を特別視していることも観測している。だからといってどうというわけでもないのだが、ウルモスという名前は、それでも怯んでしまうほどのものだ。


「あの男が価値をもたらすとも限らないのでは?」


 沈黙をあっさりと破ったのは、唯一の部下スキャーナ。


「いいえ。もたらします。少なくとも今の冒険者では出せなかった視点を、何かしら出すことができるはずです。彼がそれほど特異な人物であるということは、これまでの情報からわかるはず。わからないのなら、今すぐ辞めなさい」

「珍しく饒舌なようで」


 この男が資格の有無を説くなど、らしくもない。わざと演じているようにも見えなかった。「私はこれで」去り際も普段と比べれば微かに性急だ。


 スキャーナがかろうじて気付けるほどである。他の職員が気付けるはずもなく、


「饒舌なのはいつものことだろ。調子に乗りやがって」

「部下のお前がしっかり躾《しつ》けておけよ」

「そのいやらしい胸で色仕掛けすればいいんじゃね?」


 矛先が無くなれば、部下に向かうのは自然なことだ。

 今は男装《スキャーノ》だが、正体を知る職員は多い。あの上司の部下であり、高度な変装術が使え、若手の中でも一、二を争う有望株とも評されている。知らない職員を探す方が難しい。


「それ名案!」

「『ファインディさん、お願いを聞いていただけたら、私の自慢の果実をごちそうするようで……』」

「『悪くないですね。実はあなたのそれには前々から注目していたのです。良いでしょう、聞き入れて差し上げます』」

「『や、優しくしてくださいね……』」

「『もちろんです。こう見えても私は娼館の常連なのです。技術はお墨付きですよ。楽しませてあげましょう』」

「ぎゃはははっ」

「似てる似てるっ!」


 スキャーナは困ったような苦笑を浮かべる演技で凌いだ。


 没個性的な格好と振る舞いの強要、身分高き者や不自由無き者が顔をしかめるような地味な仕事の多さ、容赦のない実力主義に流動的な体制――

 ガートン職員にかかる負担は大きい。冒険者ほど命は張らないものの、鬱憤を溜めやすいといわれている。


 もちろん溜まったものは発散すればいいのだが、それも難しかった。

 会社の顔に泥を塗ることは、時として死罪にもなるほどの重罪だからだ。全土に散らばる職員は監視の目としても機能しており、さらに実態さえ不明な隠密社員《ステルフ》もいると聞く。


 外では晴らせない――

 そうなれば必然、内部に向く。


 しかし仕事には協力・協調・協同が重要であった。

 上司ほど尖った力があるならさておき、一人でやっていくには基本、無理がある。人間関係を破綻させない程度のバランスは手放せない。

 スキャーナにとっては、自分から下手《したて》に出ることで発散させてやるのが無難であった。

 大した負担にはならない。この程度でどうにかなるほど柔な過ごし方はしていない。上司の指導や鍛錬、実力者との格差、それにシニ・タイヨウという未知と過ごす恐怖などに比べれば、むしろ休憩の範疇とさえ言えた。


 いじられるルーキーとしての立ち振る舞いを息するように演じながら、スキャーナは先ほどの応酬に目を向ける。


(ファインディさんが少し取り乱したのが気になる。でも、今は……)


 まずファインディが全く予定に無かった質問――グレーターデーモンに関する話題を撃った。


 インタビューは由緒ある恒例行事だ。あんなデリケートな質問が来ることはまずない。アルフレッド側もその前提で対策に望んでいたはず。

 にもかかわらず、ジーサは全く取り乱さずに受け止めて。


(おそらく期待通りの回答をした)


 根拠もなく、言語化もできず、直感であることさえ怪しいような何かがそう訴えている。


 二人は意思疎通を図ったのではないか。

 あるいは結果的にそうなった――いや、そうなるようにファインディが仕向け、ジーサがつられたのではないかと。


(ファインディさんは何がしたいんだろう。ジーサ君が積極の意思を示したのはなぜ?)


(グレーターデーモンが鍵なのは間違いないけど、情報紙以上のことはわからない……)


 どちらもスキャーナ程度が拝める存在ではない。

 ジーサにはまだ望みがあったが、留学実績の加点による昇格でクラスを離れてしまったし、今や彼は|二国の王女に属している《ダブルロイヤル》――直接探りを入れるのは不可能に等しい。


(ファインディさんはシニ・タイヨウを晒し者にしようとしている。ジーサ君がそうだとしたら、ううん、そうだとして、全うにやるなら次はジーサ君を暴くことになると思うけど……)


 観客も含めてぞろぞろと解散する中、スキャーナは突っ立ったまま己に潜ることを選ぶ。


(それを|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》でやろうとしている? でもどうやって? いくらファインディさんでもグレーターを御することはできないと思う。実はできる……? ううん、そんな実力があるならガートンで燻《くすぶ》ってる理由がない)


 視点が上がったことに呼応するように、落としていた視線を上げるスキャーナ。


「燻《くすぶ》ってるんだ……」


 呟いた直後、職員としての自分に向けられる人目を自覚したので、いったん空へ逃げる。

 この格好とこの出来事の直後なら制限には引っかからない。スキャーナは王都上空まで加速した後、がむしゃらに旋回を始めた。脳を揺らすかのように。


 あまり知られていないが、ファインディはジャースでも指折りの冒険者である。間近で見てきたからこそ、スキャーナは肌でわかっている。

 それほどの男が会社の、たかが一社員として安住しているなど異常であった。


 同様に、これも知られていないが、実力者ほど脅威に対して慎重になるという経験則もある。

 特に第一級にもなると病的で、100回中99回成功する程度ではまず手を出さないのが多数派だ。国王シキのように一見すると迅速に動くタイプも、実はそれ以上の勝率を確信していることが多い。


 ましてファインディは、シキなど平凡な第一級よりも頭一つ飛び抜けている。


 何かを窺《うかが》っているに違いないのだ。

 しがない社員であることも霞むほどの何かを。


(ジーサ君もそうだとしたら)


 まだ確証は得られてないが、彼の正体はシニ・タイヨウだろう。

 すなわち、第一級をも凌駕する力を持っている。


 ファインディと同じなのだ。

 彼がガートンをおそらく出し抜けるように、シニ・タイヨウもまたアルフレッドを、あるいはエルフを出し抜ける。

 仮にできるとして、あえてそうしないのは。


 やはり窺《うかが》っているからではないのか。


 何を?


(そういえば、ジーサ君の意志は聞いたことがない)


 誰しもが大望を持ち、多かれ少なかれ主張するか無自覚に漏らすものだ。

 そうしない者も珍しくはないが、


(ぼくのように持たない人だけだよね。珍しくはない。ぼくと同じで、ジーサ君も持っていないんだ――)


 白々しく思考を進めてみせることで、改めて確信する。


「――そんなはずがない」


 ぴたりと旋回が止まると、辺りを衝撃波が満たした。

 多重に通過していく爆音に後押しされながら、まだ底を見せぬ怪物を想う。


「だけど、想像もつかないや……」


 思案顔が脱力し、そのまま自由落下が始まる。


 自然の加速に身を任せながらも、スキャーナは思い返していた。


 ジーサとの出会い。交流。

 打算でもなく、尊敬や尊大でもなく、ただただ自分を傾聴してくれた本質と。

 露骨に自分から逃げようとする下手な露悪と。


 シニ・タイヨウの衝撃。余波。

 それは娘を殺した大罪人を匿わせるほどであり。

 変人で奇人な上司を虜にするほどでもあり。


 そんな意味のわからない人物と、仮初めとはいえ一緒に過ごしていたという事実。

 しかしそれは今や遠のき、彼の両隣には二人の王女が居座っている。

 王家で、冒険者の才能にも溢れていて、容姿も端麗で、なのに、あんなに打ち解けていて――


「ずるい」


 ぽつりと呟いた唇に、思わず手が触れる。

 男装していることも忘れて、はにかんでしまう。


「ううん、違う。ぼくは持たない人なんかじゃなかった――」


 冒険者として何と浅はかなことだろう。


 抗う術は知っている。無視する術も知っている。

 訓練もしてきたし、実践もしてきた。

 今ならまだ間に合う――


 彼女は落下を止めた。


 しかし、手を当てたままの唇に、閉じられる気配はない。

 どころか手の方が離れていって。


「欲しいものができた」


 誰も見ていないのに、まるで見せつけるかのようにスキャーナは微笑んだ。

第240話 インタビュー後2

 真っ先に解散した俺はすぐに王立学園に転送された。


 いつも通り学園生活に励むようにとのことだが、そんな気は起こらない。

 校舎には戻らず、久々に北部のデイゼブラでも見に行くことに。


(やっぱりここが一番落ち着く)


 呑気に草をむしゃってる光景は、この広さもあってのどかである。


 しばらくのんびりしても、誰も来ない。どうやらお咎めは無いみたいだな。

 時間で言えば座学のはずだが、たぶん見逃してもらえている。なら甘えさせてもらおう。


 それで考え事に入ろうとしたが、ふと気になったことがあり、北へ向かうことに。

 限界まで北進して、塀も飛び越えると断崖絶壁――だが数メートルほど幅があった。

 ピクニックしたら映えそうだな。塀のおかげで校舎からも見えないし。


 とりあえず降りてから、眼下を見下ろす。

 商店街、繁華街、ギルド本部、と冒険者で賑わう街は健在だった。

 いつもと違うのは、遠目でもわかる黒スーツを着た者が飛行していることか。何やら紙をばらまいている。

 よほど衝撃的なことが書かれているらしく、血液のように街を流れる点がどんどん止まっていく。


 号外――

 その二文字が思い浮かんだ。


「行動早すぎだろ……」

「だからこそ情報屋は侮れぬ」


 隣に空いた小さな穴からシキの声が聞こえる同時に、ゲート自身がぐわっと広がった。

 閉じるまでに出てきたのは三人。その場であぐらを組むシキ王と、目の前に座ってきた婚約者一人目と近衛一号。

 ルナは制服だが、ユズはやっぱり裸だ。


「何か企んでますよね?」


 開口一番、ルナは正座したまま顔を突き出してくる。私、気になりますとか言いそうな近さと可愛さ。


「また逃げるつもりかのう?」

「そんな気はとうになくなったけどな」

「《《タイヨウさん》》。何を企んでます?」


 どこかでインタビューを聞いていたのだろう。で、最後の回答に不服だと。

 企んでいるのはイエスだし、何ならお前らから金輪際逃げようとしているが、淡々と交わすしかないわな。


「別に企んじゃいねえし、正直あの悪魔には二度と関わりたくもねえ。ただ、あの場では立場上、否定するべきではなかった」

「ノーコメントで良かったじゃないですか」

「|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》の制覇は悲願でもある。現状誰よりも注目を集めている俺が肯定したことに意味があるんだよ。早い話、宣伝と鼓舞だ」


 立場にこき使われたからか、こういう物言いに慣れてきた気がする。


「第一級冒険者でも歯が立たないのに?」

「そう言って無闇にハードルを上げるから盛り下がるんだ」


 我ながら上手く言えているとは思うが、ルナは引き下がってくれなかった。ユズはちょこんと正座して凝視してくるだけだし。


「ワシも同感じゃの」


 ここでシキ王による助け船が来る。

 相変わらずこの人も上裸で、寝っ転がってはいるが、真面目な雰囲気ではある。頼むぞ。


「今は中途半端じゃ。やるからには徹底的にやらねばならん。ちょうどてこ入れを考えておった」


 言うまでもなくダンジョン『デーモンズシェルター』攻略の話である。

 最深部のお宝は既に俺が頂戴してるけどな。何ならアウラを退けたときにおしゃかにしたまである。


「私は認めません。危険すぎます」

「王女様に同感」


 ユズが膝を交互に動かしてちょこちょこ近づいてくる。何それ可愛いな。狙っているのだとしたら大したものだ。

 吐息がかかるところまで近づいてきたかと思えば、俺の膝に頬をすりすりしてきた。


「じゃあユズが守ってくれよ」

「私をスルーしないでください。あとユズは距離近すぎです」


 ルナがユズの首を掴んで引き離す。


「お前じゃ力不足だ」

「無闇に切り捨てるんですか?」

「……それもそうだな」


 じたばたするユズをルナが後ろから抱いて鎮めている。ルナが勝てるはずもないからじゃれ合いだろう。


「ジーサ殿はどう考えておる? 妙案でも持っておるのかの?」


 シキが目で何かを指示した。無論ルナではなくユズに。

 一秒もしないうちに、ちょうど俺達の間に水溜まりみたいなゲートが出てくる。間もなく閉じると、一枚の紙が残っていた。


 号外として配られていた情報紙に違いない。

 ジーサの顔がばっちり映っている。ジャース語は相変わらず読めないが、レイアウトの分け方と個数から見て、たぶんインタビュー内容は全部入ってる。


「特に案は無い。とりあえず現状を聞いた上で、俺込みのパーティーを編成することを考えてる」

「単身では向かわぬのか?」

「そんな無謀は犯せない。最低でもテレポーターは欲しい」

「ユズの出番」


 ふんすと鼻息で自信を表面するユズ。その頭上から、ルナが厳しい目つきで睨んでくる。


「廃戦協定でうやむやになってましたけど、タイヨウさんはどこまで知ってます? そもそもどうやって脱出したんでしたっけ?」


 痛いところを突いてきやがるな。

 ルナはユズと一緒にシニ・タイヨウを探していた時期がある。最深部『|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》』でユズと別れたあたりの話は、本人から既に聞かされているはずだ。

 誤魔化すのは厳しそうだが、それでも。


「まずはそちらの情報をもらってからだ。俺の手札に関わる部分だからな、いくらルナにも教えられない」

「むー……」


 ここで引き下がらなかったらどうしようかと思ったが、白夜の森で過ごした経験が効いている。


 俺はお前がお師匠様とやらに鍛えられていた事実に言及しないし、お前も俺の崇拝状態《ワーシップ》――モンスターを従わせる超常的能力には言及しない。

 言葉にせずとも、それが暗黙の了解となっていた。


「ユズには教えてほしい。一緒に戦うなら、必須」


 ルナの拘束は秒で解かれ、俺は身体を操作されてユズをすっぽりと収めさせられた。

 あぐらの中にユズ。いつものスタイルだ。


 小さな手が俺の太ももに触れる。

 親にすがる子供のように、ぎゅっとつねってきた。


「心配するな。俺は死なねえよ。ユズもいるしな」

「なでなでを所望」

「へいへい」


 不信感が伝わらないよう、俺は務めて平静を心がける。といっても、素直にこの可愛らしさと、あと認めたくないがロリへの性的好奇に甘んじればいいだけだ。


(一番厄介なのがユズなんだよなぁ……)


 俺の正体を知り、身体能力も知り、必殺技《リリース》も複数回目の当たりにしているという意味で、ユズは現状最も俺に近しい人物と言える。


 デーモンズ・ネストで別れた後、俺は王都には戻らなかった。

 言わばユズを裏切った形になる。また同じことをするのではと疑われるのは自然なことだろう。

 俺が耐久力とリリースに頼ったスタイルであることも知っているはずだが、その上で教えてと言ってくる意図は何だろうか。


 まだ切り札を隠し持っているとでも思っているのか。

 それとも俺のスタイルを知っていることを疑わせないために、あえて無知のふりをして尋ねているのか。もしそうなら、すまんが俺の頭の回転がたぶん追いつかない。シキ王を出し抜ける気はそもそもしねえし。


「使えるのは近衛とヤンデ殿くらいじゃな」


 しばらく俺達を眺めていたシキ王だったが、飽きたのかそんなことを言ってくる。あくびつき。睡眠不足なんだろうか。


「どういう意味だ?」

「おぬしがそうしておるように、他の冒険者も能力の開示には警戒しておる。ゆえにパーティーは信頼できる者と組むものじゃ。さて、おぬしはその信頼をどうやって手に入れるのかのう。ラウルやアウラとはどう育《はぐく》む?」

「なるほどな。ソロだから気付かなかった」


 一瞬で結論付けたが、俺は信頼を預け合うほど誰かと馴れ合うことにリソースを使うつもりはない。

 シキもまた、そんな俺の志向を読んでいるだろう。


「人付き合いは苦手だ。ユズとヤンデで行く。近衛と言ったが、他に使える近衛がいるのか?」

「二人も出せるわけがなかろう」


 ルナとの婚約発表の時は招集してたくせにな。

 ということは、グレーター攻略に対してそこまで重要視してないってことだ。あるいは俺を信用していないか。たぶん両方だな。


「出せますよ。私が行きます……ってなんですか?」


 人を小馬鹿にしたような父親の顔に、ルナがジト目で睨み返す。


「さすがに無理ではないかの。近衛の速度だけでバラバラじゃ」

「バラバラルナ」


 ユズがルナそっくりの土人形をつくり、その四肢を爆散させてみせる。

 バグってなければ俺は吹き出してたと思うが、ルナは真剣な調子を崩さない。


「近衛はそんなに不器用ではないはずです。普段の移動でもしっかり保護してくれてますよね」

「グレーターデーモンを舐めるでない。保護の分も加速に充てねばならん相手じゃ」

「そうなんですか?」

「俺に聞くなよ」

「デーモンズ・ネストから逃げてきたタイヨウさんなら、実物も見たはずですよね。速かったですか?」

「速いというか、重いな」

「同感」


 ユズも乗ってくれたが、「答えになってないです」ルナはまだ納得いただけないようだ。


「衝撃も衝撃波も桁が違うってことだよ。そういった圧力と向き合うには、圧倒的な防御力で耐えるか、圧倒的なスピードで交わすかしかない」


 ようやく腑に落ちてくれたようで、しばし熟考の後、


「ありがとうございます」


 ふう、何とか速さについて明言するのは回避できたか。実力を悟られたくない俺としては、無知な領域はあまり口にしたくない。

 防御力については薄々知られているからセーフ。というか、ここさえも隠してしまうとかえって怪しい。


「のうタイヨウ殿。強情な娘をなだめる方法を教えてくれんか」

「俺にそんな経験があるとでも?」


 ルナが同伴を諦めていないのは、その戦士みたいな顔つきを見れば明らかだ。


「タイヨウ、経験する?」


 ちょいちょいと俺の太ももをなでるユズ。なで方が子供じゃないというか、いやらしいのは気のせいか。


「ん? 子供を演じてくれるってことか? 要らねえけど」

「ユズがタイヨウの子供を生む。その子でタイヨウが練習する」

「いきなりぶっ飛んだこと言いやがる」

「ユズは小さいぞ。入るかのう?」

「そういう話題はいいから」


 初潮を迎えてるかも怪しい見た目だが、そういうことはするのだろうか。いや実年齢わかんないんだけども。


「入る。タイヨウのタイヨウは小さい」

「そうじゃった。弁明の時に披露しておったの」


 エルフ嫁の火柱のせいでな。


 ……って、え? 俺のって小さいの?

 タイヨウの、つまり前世の俺と同じサイズでつくってあるんだけど。


「論外です。私の子を使ってください。タイヨウさん、私はいつでも準備できてますから」

「乗らなくていいから」

「今、一瞬だけ胸を見ましたよね?」


 見たらバレるし、バレたら指摘されるとはわかっていたが、それでも制服越しの膨らみには抗いたいものがある。

 幸いにも、ルナが普段のジト目を取り戻してくれたのでよしとしよう。


「男だからな」

「ユズの胸も鑑賞を所望」

「……なあ。乳首を眼球に押しつけてくるのはやめてくれない?」

「真面目な話、考えるべき問題じゃぞ」


 斬新すぎる誘惑と眼球に刺さった生々しい感触を脳裏の外に捨てつつ、良い機会なのでシキに問う。


「人のこと言えるのかよ」


 前世では立場を持ってる男はほぼ例外なく妻を持ち、子を成していた。血縁などという大した実利的価値のない慣習は現代でもまだまだ主流ということだ。本能には抗えないってことだろう。

 しかし、シキにはその気配がない。


「三人いれば充分じゃ」

「そういえば奥さんを見たことないな。隠してるのか、それとも死んだか?」


 あえて不躾に問うてみたが、シキは欠片も取り乱すことなく立ち上がり、


「二人とも。タイヨウ殿と子を成してもええぞ。国王として許可を出す」


 国王の過去なんぞ別に興味ないが、知れないのも癪なので、後でコイツらに聞いてみるか。しかし、また面倒くさい楔を打ち込んできやがったな。


「言いましたね。言いましたよねユズ?」

「肯定。取得もした――『タイヨウ殿と子を成してもええぞ。国王として許可を出す』」


 魔法なのだろうが、録音と遜色のないクオリティで再生されていてエグすぎる。

 この感覚にはついさっき覚えがあった。


(あの男は何者なんだろうか)


 今朝のガートン職員――俺に仕掛けてきた謎の男が頭をよぎる。

 仮にユズと同程度の実力者だとして、かつ俺に注目しているとしたら、厄介なことこの上ない。


(まあ俺のやることは変わらないけどな)


 このままダブルロイヤルで居続けるのは論外だし、他にここから脱出する手段も思い浮かばない。

 男の思惑がわからずとも、俺は先に進むしかないのだ。

第3章

第241話 ユズvsヤンデ

 座学の終了と昼休憩の到来を示す鐘の音が鳴る――と同時に、ヤンデが上から降ってきた。

 曰く、ゲートを使わずとも一瞬で来れるわよ。


 どこで聞き耳立ててたのか、あるいは誰から聞いたのかは知らないが、インタビューの件は既に知っているらしかった。


 ばちんと両頬をホールドされ、目の鼻の先で第一声を食らう。

 曰く、連れて行きなさい。


「場所を変更。王女様はキノと交代」


 言いながら、ユズはもう俺とヤンデに触れている。「私も行――」俺達が消える瞬間、髑髏のピンを一つだけ留めたそっくりさんが見えた。二号《キノ》か。


「ここは――|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》だよな」


 迷路のように入り組んだ峡谷が全方位に広がっている。


 まだ一年も経ってないけど、懐かしいな。

 ルナとミノタウロスを殺したり、ユズとミノタウロスを殺したり、ああ、あとギロチンワニも覚えてるぞ。


「ルナはいいのかしら?」

「無問題。むしろ邪魔」


 辛辣なこと言われてるぞルナ。今頃怒ってるだろうな。

 ユズに無駄話をする気はないらしく、さっきも見た情報紙をヤンデに提示する。


「ジーサは|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》を攻略する。パーティーはこの三人」

「私は二人きりが良いのだけれど」

「ヤンデは幼い女の子が好き」

「あなたじゃないわよ」


 ヤンデが俺の右腕を引き寄せる。


「ユズも同感。ジーサと二人を所望」


 ユズも左腕を引っ張り、負けず嫌いのヤンデも呼応してきて、俺は左右から引き裂かれる格好に。

 最初は膂力だけだったが、次第に魔力が混じってきて、熱とか電気とか風とかやたら視界がカラフルになってきた。

 このままだとクロによる外皮が耐えられないので、「俺で遊ぶな」二人とも引き剥がす。


「それで目的は? ヤンデに用があるんだろ?」

「力比べ。パートナーが雑魚だと足手まとい」

「ジーサを二人でなぶるわけね。面白そうじゃない」

「なんで二対一なんだよ」

「無問題」

「問題しかねえだろ」


 人類最強格二人から一方的にフルボッコにされるって? ダメージをチャージできるのは嬉しいが、内心ではこの防御力を晒したくない自分がいる。


「力加減が難しいのよね。うっかり殺してしまうかもしれないじゃない?」


 俺を壊れないおもちゃか何かだと思っているのだろうか。



 ――あなたは硬いのではなく、変わらないのね。



 何かを悟ったようなヤンデの台詞を思い出す。既に知られているようなものか。

 ユズもユズで、少なくとも俺自身がリリースでもへっちゃらであることは知っているわけだし。

 うん、今さらだな。


「ユズは杞憂。ヤンデの心が先に折れる。心配」

「ずいぶんと舐め腐っているようね? いいわ。先にあなたから思い知らせてあげようじゃないの」

「期待」


 ヤンデが早速どでかい詠唱をし始めたので、「待て待て」とりあえず止めて、それからキスをする。

 空気の読めないバカップルでは断じてない。


(同居人が死ぬだろうが)

(……そうだったわね)


 俺が口内発話と名付けている、寄生スライムとの会話方法である。


(これ、ユズには聞こえてないよな?)

(大丈夫よ。覆いきれてる)


 当のユズはというと、思考の読めない無表情のまま俺達の周囲を飛んだり、俺をツンツンしてきたりしている。

 ……本当に大丈夫だよな? いや俺も既に散々使ってるから大丈夫のはずだが。


(これをユズにも教えるつもりはない。二人だけの秘密だ)

(当たり前じゃない。私をみくびらないことね)


 ひねくれている性分だから認めたくはないが、俺はコイツを信用している。

 というより、コイツにまで裏切られたら為す術がない。ネガティブ思考も過ぎれば毒だ。んなことは考えなくていい。


 コイツは俺に惚れてる。俺もコイツが好き。それでいい。


 ぼっち歴の長い俺は決して認めたくはないし、今も言い訳が何個も浮かんでいるが、それでもだ。少しは信じろ。頼れ。どうせそう長くは続かねえんだから。


(というわけで、離れたところでやってくれ)

(却下よ。間近で見ないとわからないわ)

(じゃあ聞くが、同居人が傷付かない程度の加減で戦闘できるのか?)

(無理ね)


 だろうな。コイツらが強さを検証し合うとなると、第二級程度では骨一本も残るまい。レベル90程度のクロも無事では済まない。


 本音を言えば『シェルター』で避難できるから問題無いんだが、そうなるとシニ・タイヨウの素顔を晒すことになる。周囲にも視界にも生物の気配はないが、屋外で無闇に晒すのは避けたいところだ。

 だったらあとはもう、可能な限りの距離から観察するしかないだろう。


 俺はどさくさに紛れて舌を絡めてくるヤンデの心地に抗い、唇ごと離れる。「ユズも」などと言いながら突進してくるユズは止めて、


「ユズ。俺を空に固定してくれ」

「理由を所望」

「《《ジーサの》》耐久力はさほど高くないから、間近では観察できない。でもなるべく近くで見たいんだ」


 小さな両肩を掴まれたユズは、俺とヤンデを交互に見比べている。

 とりあえず俺の言いたいこと――シニ・タイヨウを誤魔化すジーサにも耐久力があり、かつそれはさほど高くないという点は伝わったようだ。


 まあ盗み聞き対策もぬかりないとは思うが、こういうデリケートなことは直接口にはしたくない。

 なるほど、戦国武将はこういう感じで常時気を張っていたのかもしれないな。


「空で戦う?」


 ユズは空を見上げた後、首を傾げる。口がちょっと開いているのもあって可愛い。


「どっちでもいい。とりあえず俺を空に固定した後、お前らは俺から見える場所で戦ってくれればいい」

「見える範囲も間近の範疇」

「マジかよ」


 わからないでもない。このクラスにもなると音速は軽く凌駕しやがるからなぁ。

 数十数百メートルなんて、あってないようなものだ。


「ああもう! じれったいわね!」


 俺の身体が見えない何かに掴まれた。

 この上品で、しかしとんでもない硬度と密度を感じさせる掴み方は、もう身体が覚えている――ヤンデのものだ。


「こうして、こうよ!」


 俺は瞬時に打ち上げられ、マグネットのごとく宙に固定された。

 高度はざっと500メートル。人間サイズが点になる高さだ。


 首や手足は自由に動くし、身体の向きも変えられる。台詞が最後まで聞こえたところも含めて、なんつーか芸が細かい。「おお」ユズの淡白な感心まで聞こえてくる。


「あれを維持したままやるわよ。まさかできないとは言わないわよね?」

「無問題」


 なるほど、俺を風魔法か何かで保護しつつ、固定しつつ、振動交流《バイブケーション》による実況もつけてくる、と。

 至れり尽くせりだが、ハイレベルすぎて意味がわからん。衝撃波と爆音が無い時点でおかしいんだよな。


 そんな二人がこれからバトルするってんだから、男としてワクワクせずにはいられない。

 ……まあバグってるから気のせいですけども。知ってた。


「先制させてもらうわね」


 プラチナチケットものの第一ラウンドが、間もなく始まる。

第242話 ユズvsヤンデ2

 高度500メートルから見下ろす眼下で、二つの点が対峙している。


「【ウルトラ・ファイア・ボール】」


 ヤンデの口から、|人間が出せる最高段階《ウルトラ》の詠唱が出る。

 ファイアボールは大きくもなければ、多くもなく、ただ小さな一個を生成しただけのようだが、それでも灼熱具合は見て取れた。


 周囲の地面が蒸発して、ぽっかりと大穴が空いたからだ。


「どこまで耐えられるかしらね。危なくなったら、降参しなさいな」


 ファイアボール、ファイアボールと丁寧に重ねていくヤンデ。

 その度に穴が広がり、熱気が立ちこめ、なんかマグマのような溜まりも生まれ始めて――


 数分も経たないうち、火口っぽいのが出現した。


 ちょうど自然災害みたいな煙も押し寄せてきて、視界がグレーアウトする。

 とりあえず俺を包むバリアが球体上になっているのと、音声を中継する空間が風に揺れる紐《ひも》のように細くてひらひらしているのはわかった。


「煙で何を見えないんだが」

「【クリーニング】」


 と思ったら、ユズの拙い音読みたいな詠唱の後に、シュボッと灰色の世界が丸ごと吸い込まれ、秒で視界が回復した。

 あれだけあった噴煙が嘘のようだ。火口からは引き続きもくもく立ち上がろうとしているが、


「【死水槽《デスアリウム》】」


 スコールの密度を千倍にしたような水圧が降ってきた。


 消防車の放水を鼓膜で受けてもここまでうるさくはあるまい。

 外も壁にしか見えないし、音だけでみるみるダメージがチャージされる様はもはや笑えてくる。


「人間も侮れないわね。喋るのも一苦労よ」


 嘘つけ。振動交流のクオリティは何一つ落ちてねえぞ。


「種族は無関係。人間でも強い人は強い。エルフでも弱い人は弱い――【サンダー・ストリーム】」


 視界を余すことなく埋め尽くしていた水壁が、一気に発光する。

 どこにいても感電必至だろうし、何なら必死――文字通り必ず死ぬに違いないと確信させるほどに痺れそうだな。そして眩しすぎるしうるさすぎる。


 俺にも少なくないダメージが発生していて、就寝時はずっと浴びたいくらいだ。無論、こんな規模を王都で放てば壊滅待ったなしだろうけど。


「一つ学んだわ。こうやって媒介で埋め尽くせば雷魔法は楽に維持できるのね」

「試験に出る。暗記推奨」


 こんなのが出てたまるかよ。お前らしか使えねえだろ。


 しっかし、これほどの魔力があるんだったら、ブーガとももっとやれそうなものだけどな。

 あの時、ユズは防戦一方で、こういう魔法攻撃は一切しなかった。


「なあユズ。これくらいの攻撃が出来るんだったら、ブーガやラーモでも倒せるんじゃないか?」

「無理ね」


 現実はそう甘くないのだと、ヤンデの即行な一蹴が物語っている。

 実際そうなんだろう。ヤンデもユズも俺を保護したまま会話してるくらいだからな。なら、|あの人《ブーガ》にも通じまい。


「|高レベルな肉体《ランカーフィジカル》と呼ばれることがあるのだけれど、レベルが高い人の肉体は特別なのよ。基本的に同程度以上の肉体をぶつけないと壊せない」

「魔法で威力を高めればいいだろ。圧力とか温度とか密度とか、やりようはいくらでもある」

「だから特別だと言ってるじゃない」

「レベル1がロングソードを使っても、レベル15の肉体には無傷。でも、レベル5の爪なら食い込ませることが可能」

「すまんユズ。よくわからん」

「説明不足よ。純粋な硬さで言えば、レベル5の爪よりもロングソードの方が硬いわ」

「だったらロングソードでも傷が入るだろ。その一般人《レベル1》がひ弱すぎるんじゃ――いや待てわかった」


 やはり言葉にしてみることは大事だ。思考するだけでは使われない部分が刺激されて促される感覚があるというか。


 ともかく、レベルアップを4回重ねた者の身体は、たとえ爪であってもレベル5のフィジカルなのだ。

 そしてそれは、ただの硬くて鋭い物体よりも冒険者との相性が良い。


(どういうロジックなんだろうな)


 たとえば自分が受けるダメージの計算式に『相手のレベル』という変数が含まれていた場合、《《その他のパラメータを変えずとも》》、相手のレベルが変わるだけでダメージが変わることになる。


 一時期RPGをつくるツールで遊んでいたことがある。ゲームの攻略本や攻略サイトも漁って、こんな計算式になってるのか、へぇ、と感心した覚えも。

 詳しい考察に使えればと少し記憶を辿ってみるも……何も思いつかないな。


 こんなことになるなら、もっと勉強しておけば良かったか。

 いや異世界に来るなんて想定できるはずもないんだけど。


「ちなみに、ロングソードに自分の魔法――たとえば風をまとわせたらどうなる? レベルに則《のっと》った威力に近づいてくれるのか?」

「ジーサにしては珍しくまともな回答ね」

「方針変更」


 たぶん俺のためだろう、ユズが次の攻撃を繰り出すための解除を申告すると。


 景色が余韻を残さず拓かれた。


 澄み切っている。俺を包むベール越しでもわかるほどに。

 前世のどの山も、湖も、あるいは荒天後でも災害後でも比較になるまい。

 都会人が初めて山奥で星空を見た衝撃さえも霞む、この鮮明の暴力――。


 脳裏に浮かぶのは、あの一晩。

 上空でブーガと語り合った、あのときだけだ。


 また上空に行きたくなる。

 もう一度語らいたくなる。


 そんな月並みな欲求を見なかったことして、俺は考察の背中を押す。


(ブーガのフィジカルに寄せたロングソードでも俺は無傷だった。なのに俺のレベルはたかが知れている。天使がバグだと断定したことを考えれば――)


 俺がレベルに見合わない防御力を持っている説。

 俺がブーガも比較にならないレベル、たとえばカンストするくらいのレベルを持っていて、それを観測する手段が|この世界《ジャース》に実装されていない説。


(おそらくこのどちらかのはずだ)


 俺が『段階的な安全装置』と呼ぶ現象は何度も確認している。


 一般人だろうと、ブーガだろうと、根本的な身体は大差ない。

 実際にブーガの身体を触らせてもらったときも、ありふれたアスリートのそれでしかなかった。


 前世と異なるのは、防御力があればあるほど耐久の限界が広がるという点。

 刃物を刺せばそれに耐える程度に硬くなり、超音速で殴ってもそれに耐える程度に硬くなる――

 受ける力に応じた分だけ硬くなるのだ。

 まるで観測した時に状態を決める量子のように。


(この現象は俺にも働いているから、俺の無敵バグは防御力によるものであるはずだ)


 まあ必殺のサンダーボルトや倍々毒気《ばいばいどくけ》も平気だったので、防御力以外にも何かありそうだけど。

 そもそもなぜかリスニングとスピーキングだけはできたりするしな。

 先日デバッグモード仮説を立てたが、やっぱり何らかの機能を有効にする|オンとオフの二値を持つ設定値《フラグ》なるものがある気がする。


 これをどう捉えればいいのか。

 どこまでがフラグで、どこからがバグなんだ?

 あるいはバグによってフラグが意図せず|立っている《オンになっている》とも考えられる。


 相変わらず可能性がありすぎて何とも言えない。

 が、あのクソ天使の嗜好と、この異世界ジャースへの反映具合を考えれば、俺でも辿り着ける程度のロジックである可能性は極めて高い。


「……衝撃がここまで飛んできやがる」


 ユズとヤンデは接近戦に切り換えたようだ。

 ブーガのロングソードと同じ原理だろう。何にまとわせているかは遠すぎて見えないが、二点の動きが明らかに音速を何倍も超えていることだけは見て取れる。

 一応、俺の見える範囲は死守してくれてるようで、時折彼方に吹っ飛ぶ点がブーメランみたいに戻ってくるのが面白い。


 ふと思う。


 俺もまとわせることはできないだろうか。


 もしできるとしたら最強じゃないか?

 自爆よりも使い勝手が良いし、何よりこの無敵であろう防御力を攻撃に乗せることができる。

 指先一本でブーガも倒せるだろう。そうすればふざけた任務を遂行する必要もなくなる。まあ情勢が乱れるだろうからしないけど。


 魔法だとしたら習得はできないが、スキルならワンチャンあるかもしれない。

 実際に俺はファイアやシェルターといった|スキルの発現《エウレカ》を経験している。底無しの体力と集中力でいくらでも反復はできるから、方法さえわかれば手に入ったも同然。


(やっぱり内省は大事だ)


 忙しすぎて疎かになっていたが、一人きりで深く沈んでみることで見えるものがある。そういうものを大事にできるから、独り者は素晴らしい。

 逆に悩みすぎて病む危険もあるが、前世ならさておき、今の俺には関係がない。

 もちろん、今さら一人になりたいなど、もはや叶う立場ではないが、んなこと知らねえよ。


 俺は淡々と行動を重ねるだけだ。


「見なさいジーサ。ユズに雷の鎧を着せたわよ」


 だから何も見えないっての。


「見てジーサ。ヤンデを裸にした」

「綺麗な身体してるだろ」

「微妙。エルフの平均くらい」

「殺す」

「ユズって地味に辛辣だよな」


 エルフに優劣とかあるんだろうか。例外なく人間離れしてる印象だけどな。シッコクとかもそうだし――いや、だから思い出さなくていい。シッコクが脳内から離れてくれない件。


「あなたに言ってるのよジーサ」

「なんでだようぉっ!?」

「驚いたふりがイラッとするわね。ユズッ!」

「承知」


 この高度差を秒の一割を待たずに埋めてきたヤンデと、そもそも差を無視するテレポーターユズ。

 何をするかと思えば、ユズが背後から俺の首と下腹部を鷲掴みしてきた。おいモミモミすんな。

 ヤンデさんはというと、片手に棍棒、もう片手に拳大《こぶしだい》の石というスタイル。原始人ですかね。


「結局単純な暴力が一番強いのよ」


 飽きたのか決着が着かなかったのかは知らないが、第二ラウンドのプレイヤーは俺らしい。

第243話 ジーサvsユズヤンデ

「いちいち保護するのがかったるいわね」

「二人を信用してないわけではないが念のためだ。手は抜くなよ」

「わかってるわよ!」


 ブーガほどではないが、これを表現できる日本語はないだろうというレベルの爆音が俺をつんざく。

 棍棒だけでそれだけの威力を出せるなら大したものだ。やはり俺やスキャーノ程度とは格が違う。


「そうカリカリするな。ヤンデが弱いわけじゃない」

「あなたの評価はどうでもいい。私が納得していないのよ」

「意識が高いことで」


 俺のうんざり口調は通用しないらしく、もう一度棍棒が振り下ろされようとしていたが、ユズが止めてくれた。


 これに伴い、俺はユズの支えを失う。

 宙には浮けないので落ちるしかない。


「遊び足りない。良い案を所望」

「あなたの珍妙な頭ならできるはずよ。早く思いつきなさい」

「無茶言うな。あと落ちてるんだけど」


 丁寧に音声を届ける余裕があったら止めてほしいんですけども。


「ユズが顔面を包むのはどうかしら?」

「陰部をこすりつける?」

「はしたない真似はやめなさい」


 俺としてはパーティー編成や戦術の話がしたいのだが、格下が二対一で迫られている構図である。まだしばらくは御せそうにない。


 にしても、改めて思うが自由落下って意外と速いんだな。


「ヤンデがする?」

「今はしないわ」

「変態王女」

「夫婦とはそういうものよ」


 主にヤンデがくりぬいた火口跡に墜落した俺は、地面に身体ごとめりこませたままそんな会話を聞いていた。「そうよねジーサ?」同意を求めるな。ついでに言っておくと、顔面騎乗は不衛生で好きじゃない。


 力加減を調整しつつ、何とか地上に上がる。

 レベルが高いのか、この大地が脆いのか知らないが、油断すると豆腐の中を這い上がっているかのような感覚になる。


「頑丈な仮面とか無いのか? 装備品とかレアアイテムとかあるだろ」

「無い」

「皆無」


 見事にハモって『ないむ』と聞こえるまである。息ぴったりだな。


「ミスリルは?」

「加工する術が皆無」

「私達も持ち合わせていないわよ」

「魚人に頼む?」

「どこにそんな伝手があ――」


 そこで魚人が出てくる意味がわからず、尋ねようとしたが、超速で目の前に降りてきたヤンデの目――パズルを解いた子供みたいな輝きを見れば、割り込む気もなくなる。


「お母様なら可能だわ!」

「……ああ、無魔子《マトムレス》か」


 当たり前のようにテレポートで背後に回っているユズは、吹き飛びそうになる俺を片手で支えながら小首を傾げていた。


「呼んでくるわね」


 そしてヤンデも当たり前のように無詠唱テレポートで消える……。


 瞬間移動がポンポン飛び出す世界。ここはどこのフィクションなんだろうか。


 否、現実である。

 異世界だし、もっというと|天使がつくった世界《ゲーム》なのだが、れっきとしたリアルなのだ。


「……」


 ユズと二人きりになったわけだが、正直言うとやりづらいんだよな。

 今までは子供をあしらう感覚でいたが、国王が愛人ポジションを公認しやがったし、ユズも乗り気だし、俺もロリへの好奇心が芽生え始めている。


「なあ。失礼を承知で聞くけど、ユズって何歳だ?」

「まだ教えない」

「レベルは?」

「ユズを抱いたら教える」

「じゃあやめとくわ」

「ヤンデが来るまで数分と予想。数分あれば可能」


 さすがに早漏すぎやしないだろうか。あと俺の股間を見るな手を伸ばすな。


「やる?」

「しない。つーか、そういう性的なノリはやめてほしいんだが」

「ユズは焦っている」

「うぉっ、どうした」


 鼻がひっつく距離でドアップしてくるユズ。へぇ、眼球って本当に鏡みたいに映すんだなぁと思いつつも、とりあえず引き離して、


「タイヨウは高貴。タイヨウは多忙。タイヨウは無関心」


 しかし右手で掴まれ、左手でも掴まれ、ひょいっと腹にしがみつかれる。


「ベタベタするのもやめてほしいんだがなぁ。子供じゃないんだし」

「ユズは子供」

「何歳ですか?」

「まだ教えない」

「子供の年齢なら認めてやる。そうじゃないなら大人とみなす。大人は無闇に人に抱きつくものじゃないよな。どっちだ?」

「愛があれば無問題」


 どっかのラノベみたいなフレーズを言いながらも、がっしりと離さないし情報も漏らしてくれないユズさん。


 観念して、俺も尻を落とした。

 尖った石があったようだが、枯れ葉のように砕かれる。もはや何とも気にしなくなった程度には、俺もこっちに馴染んできたということか。


「ところで、ここら一帯の惨状は放置してていいのか?」

「嵐で元通り。話を逸らさない」


 人形みたいに無表情なユズだが、さすがにある程度はわかるようになってきた。

 何かを疑いつつも、すがるようなこの眼差しは、俺への執着を示していて。


 同時に、何かを疑っている。


「何を心配してんだ?」

「……」

「ユズ?」

「……」


 こちらを見透かすような凝視と、ミリメートルさえも振動しない集中度が凄まじい。


 逃げ出すこともできないし、誤魔化せる雰囲気でもない。

 そんなことをすれば、やましい何かがあると確信されてしまう――

 そんな圧があって、俺は平静に見返すことしかできない。


 彼女が何を考えているかはわからないが、見た目に騙されてはいけない。

 王国を支えてきたガーディアンなのだから。


「タイヨウを守る。それがユズの仕事」


 そんな存在が自分《ユズ》自身に、そして俺にも言い聞かせるように宣言している。


「頼もしい限りだ。頼んだぞ」


 感情が高低しないと、本当に微塵も罪悪感を抱かないものなんだな。嘘の一つや二つ、いや百や千でも、無限につける気さえしてくる。


 俺はユズを抱き締め、ぽんぽんと頭を撫でた。






 説得に苦戦したのか、ヤンデのゲートが帰ってくるのに二十分を要した。

 おかげでユズたんぽを満喫できたことは墓場まで持っていく。


「こっちに頭を突っ込みなさい」

「なんでだよ」

「被り物をつくってくださるそうよ」

「まあ、そうなるか」


 手のひらほどのゲートを介して会話する俺達。

 ユズをどかせて、頭を近付けると、パソコンのディスプレイくらいにまで広がってくれた。


 中は真っ暗で何も見えない。

 首ごと突っ込むと、


「【無魔子兜《マトムレス・ヘルメット》】」


 大気の流れ方が変わったのがわかった。

 顔面全体を何かで覆われている。球体で、唱えられたとおりのヘルメットといった感じか。被ったことないからわかんないけど。


「行けそうかしらユズ」

「確認する」


 ぐいっと音速以上で引っ張られる俺。

 視界は全く変わらなかった。つまり真っ暗のままだ。


「無問題」

「待て待て。何も見えん」

「視界なんて要らないわよ」

「お前らと一緒にするな」

「だそうですけど」

「この私をこき使うとは、良い度胸ですねジーサさん」


 当の本人、サリアはなんだか楽しそうだ。

 わかっててやってるよなこの人。


「早く頭を再提出してください」


 字面だけ解釈すると猟奇的な響きだ。「承知」ユズが俺の首を掴んで、同程度の速度で再びぶっこむ。

 さっきよりずいぶんと速く、たぶんヘルメットにもヒビ入ってる。

 ……これだけの重さの物体を超音速で動かすって、冷静に考えておかしいよなぁ。

 外皮担当のクロもかなりキツイみたいで、さっきから俺の心臓を切りまくってる。いや、これ不満にかこつけて遊んでるだろ。

 別にどこで何しても構わないが、もうちょっと静かにしててほしい。

 ここから逃げ出したら、たっぷり構ってやるからさ。


 もう一度、サリアの詠唱が発動し、またユズに引っこ抜かれると、今度は着ぐるみを着たときくらいの視界が戻っていた。

 まだ狭いが、あまり目元も晒したくもないし、これでいいか。


「ありがとうございました」

「貸しじゃぞ」

「勘弁してください」


 どかっと机に顎を乗せるような音が届いている。怠けるモードに入りやがったのがありありと浮かぶ。


「ここにいましたか女王様。そろそろ行きましょう。王女様もお気をつけて」


 助かった。女王補佐《アシスター》、リンダのお出ましだ。


「待つのじゃ。せっかく確保した時間じゃし、王族専用護衛《ガーディアン》殿もおる。もてなすべきであろう」

「最高機密じゃ、待機しておけ、すぐ戻る、二分で済む、と仰られたのは女王様ですが」

「事情は刻々と変わるものじゃ。ほれほれ、もてなす場を整えよ」

「何を仰いますか! 混同区域《ミクション》に関する会議が三件続いていますし、一件目は既に待たせています。獣人の方々もすでにお見えです」

「そんなもの待たせればいいのじゃ」

「行きますよ行きますね」

「離すのじゃ! な、ヤンデ、そなたもわらわを貶めるのか!?」

「お母様のそれ、何とかならないの……」

「残念ながら女王様はこちらが素です」

「本当に残念ね」

「痛い、痛いぞリンダ! ヤンデも! 絞めるのはやめるのじゃっ!?」


 何やら荒々しい風圧が届いてくる。


「はぁ……」


 しばらくして、ヤンデが複雑な表情で戻ってきた。

 リンダを手伝って駄々こね母を対処してきたといったところか。突っ込んでほしくはなさそうなので見なかったことにして、


「オリハルコンではないみたいだな」


 装着してもらったメットだが、コイツにつけられていた首輪みたいな底無しの硬さは感じない。俺でも砕けそうだ。


「さすがにそこまではねだれないわよ」

「すぐ壊れそうなんだが」

「問題ないわ。無魔子は魔力の宿った力を打ち消すのよ。ほんの少しでもね」


 言いながら、ヤンデが指先から弾丸っぽいものを射出する。

 メットに直接撃ったり、かすめたり、俺の肩に打ち込んで衝撃と振動を発生させたりしているが、たしかにびくともしない。


 グリーンスクールでグレンが張った、あの白い壁が思い出される。

 エネルギーが瞬時にゼロになっているかのような超常現象――


「私は魔力で|高レベルに見合った身体の硬さ《ランカーフィジカル》をつくっている。だからお母様には勝てないのよ」


 あるいはプレイグラウンドで使ってる植物――レベル2以上のパフォーマンスが絡むと変色する不思議な作用も思い浮かぶ。


(俺のバグを究明する糸口になりそうな気がするんだが……)


 考察できる場面でもないので、いったん頭の隅に戻す。


「かなりの機密だと思うが、ユズに教えて良かったのか?」

「お互い様よ。ガーディアンが私と同系統であることもわかったもの」

「そういうものか。ちなみにそのランカーフィジカル、俺もやりたいんだが、どういうスキルを使えばいい?」


 だいぶ強引だが、早速聞きたいことをぶっ込む俺だった。


「あなたには無理よ」

「魔法を流し込むだけ。かんたん」

「魔力ではなくて?」

「魔力を流し込むって何よ。適性が無い上に無知。救いようがないわね」

「魔法はユズができる。頼ってほしい。愛してほしい」

「堂々とイチャついてんじゃないわよ」


 地形に深い切り込みを入れるほどの水刃が俺達を引き裂いた。まるで地割れである。

 ユズは避けたようだが、俺にはクリーンヒット。

 あの、クロが結構死んだっぽいんだけど……。


 脳内に流れ込んでくるダメージの量も、さっきまで手加減にすぎなかったのだということを物語っている。

 それでもブーガやグレーターデーモン達のパワーには及ばないが――まあどちらにせよ桁外れなのは違いない。


「さあ、やるわよ」

「競い方を定める必要」

「ジーサに判定してもらうわ。今からあなたをめちゃくちゃにするから、どっちが激しかったか後で評しなさい」


 台詞だけ聞くとエロくも取れるけど、これ、純粋に兵器ぶっぱなしていじめますと言ってるようなものなんだよなぁ。


「カウントダウン」


 ユズが無詠唱で引き寄せた瓦礫を放り投げる。この程度なら見るまでもなく振動でわかる。賽は投げられた、というと大げさだが、間もなくサンドバッグが始まるわけだ。


 俺の心臓が忙しかった。

 一部をヤンデに殺されたクロが明らかにご立腹で、抗議をあげているのだ。心室の内壁を、かんなのような物で削られている感覚がある。お前も大概器用というか多彩だよな。


「【シェルター】」


 俺が相棒を避難させ、間もなく瓦礫が地に落ちたのを合図に。

 眩しい視覚効果《エフェクト》が俺を飲み込んだ。






 二時間ほど続いた二人の攻撃でも、やはり俺は打ち崩れなかった。


 収穫も無かったわけではない。


 バカでもそうだとわかるほどに、彼女達の魔法は広くて。

 それはまるで俺達を睥睨する空のようでもあって。

 コイツらから逃げるのは不可能に等しいのだ、と改めて思い知ることができた。

第244話 下見

「性交訓練《セクササイズ》の日程が決まったわ――五日後よ」

「忙しいからまた後でな」


 第五週六日目《ゴ・ロク》の昼休憩。

 俺達はアウラウルとグレーターデーモンの情報収集にあたっている。

 |グレーターデーモンに関する情報《グレーターインフォ》は公開性が重視されているため隠してはいないし、むしろ積極的な意見も期待されているのだが、それでもこのメンツだ。お前よく声かけてこれるな。

 ガーナの後ろでは、スキャーノでさえやりづらそうにしているってのに。


「面白そうですね。ラウルはどう思いますか?」

「せっかく集めてもらったところ悪いけど、僕達が話した方が早いと思うよ」


 華麗にスルーして、ただただ俺に喋りかけるラウル。

 無視された童顔美人はニコッと目の笑ってない笑顔を浮かべて俺を睨む。なんでだよ。


「アウラ先生も参加するの?」


 ガーナが右隣のルナにもたれる気安さで話しかけている。態度悪いなコイツ。ヤンデと並ぶぞ。

 体重をかけられてる当のルナは考え事モードに入っているらしく、微動だにせず俯いててちょっと怖い。私も力になります! って張り切ってたからなぁ。


「ラウル次第です」

「一応言っておくけど、僕はしないよ」


 ヤンデはというと、珍しく俺から離れて、教室の隅っこでハナとくっちゃべっている。

 両手を前で畳んだ、何とも楚々とした立ち姿勢で、うふふとか聞こえてきそうな淑女の雰囲気である。


「ガーナちゃん、母親の権限で強制参加にしてもらえる?」

「構わないわ。むしろお母様も喜びそう」

「娼館を真っ二つにされたくなければ、くだらない冗談はやめるんだ」


 指を超速で動かしたっぽいな、机上の資料群をみじん切りにするラウルだった。

 せっかく用意したのに何してんだよ。といっても、指示して集めてもらっただけなんだけど。

 それにラウルの言う通り、戦闘に役立ちそうな情報はあまりなく、娯楽としてグレーターの生態や習性を深掘りするものばかりだった。


 どうも形に残る情報源で広く流布するものにはそういう傾向があるらしい。

 一方、冒険者が使うような専門的かつ実用的な情報は、もっと大口の顧客が買う。ギルドとかギルドとかギルドとか。

 アウラウルもまた大口顧客の範疇なのだが、有益な情報は無かったとのこと。


 ルナを見習い、俺もコイツらの雑談は無視して。

 もう一度直近の行動予定を考え……るにはノイジーすぎる環境なので、「ラウルさんお願いします」さっさと本筋に戻ることに。


「細かいのも含めると優に一時間はかかるけど、行けるところまで行こうか」

「ラウルは話下手なので私が話します」


 対面に座るアウラが机に胸を載せつつ、上目遣いで誘ってくる。

 さっきの笑顔からのこれである。「ね?」その小首傾げはさすがにあざとすぎない? この人も懲りない。いちいち内心で眼福する俺も懲りないけど。


 真面目な話、この二人だったら正直アウラが良いのだが、


「いや、もうちょっと手短に知りたいです」


 俺は欲張りに行く。

 なぜか空いてる左隣にスキャーノが座ってきたけど、とりあえず無視して、


「出来るだけ早く潜りたいんですよ。パーティーに守られながら実物を観察した方がはるかに学びになるもので」

「君一人でも十分なのでは?」

「ただのレベル10に無茶言わないでください」


 一応、俺がレベル10の第五級冒険者であることはまだ通っている。

 わかりきったことのはずなのに、この二人はちょいちょいこんな罠を仕掛けてくるのだ。アウラもさっきの茶目っ気はどこへやら、鋭い双眸を向けてきてるし。


 効かないと見切りをつけたのか、再び天真爛漫な笑顔つきで、


「やっぱり不安です。ヤンデちゃんもいるし、そのパーティーを疑うつもりはないんですけど、私達もいた方が心強いと思いますよ?」


 控えめに聞こえるが、連れてけという圧力を感じる。

 たぶんオーラもちょい出ししている。ルナがビクッとして我に返る程度には。


「逆に尋ねますが、アウラさんは俺に命を預けられますか?」

「慎重なのは好感が持てますけど、考えすぎじゃないかなぁ。様子を見にいくだけよね?」

「アウラさんの主義思想はわかりませんが、俺は慎重を重ねるタイプです」

「良い心がけだ」


 ラウルが得意顔でうんうん頷いている。「アウラも学ぶべきだよ」そして余計な一言を言って、杖で殴られている。

 ついでに難なく受け止めていて、さらにアウラを不機嫌にさせていた。

 もっともこういう夫婦漫才も演技かもしれないので油断は禁物だ。


「とりあえず一案を出します。ゲートで第89階層の終点に行った後、俺はヤンデに抱えてもらいます。動くのはヤンデです。彼女は深追いをせず、グレーターにちょっかいをかける程度で仕掛けます。俺は間近で観察するだけです――これでどうですかね」

「囲まれたときが危ないね」

「私以上の魔力ですし、大丈夫だと思いますけど」


 やはりそうか。俺の読み通りだ。


(|グレーターデーモン達《アイツら》は明らかに手加減をしている)


 一体殺してレベルアップした後にフルボッコを食らった俺だからこそわかるが、アイツらが本気を出せば第一級でも追いつけない速さとパワーなど朝飯前だ。

 だとすると、ヤンデやユズはともかく、その下のアウラクラスでは歯が立たないのではないか。


(手を抜いてる理由もわかる)


 暇なんだろうなぁ。


 あの悪魔どもは賢い。かなり賢い。

 強すぎると誰も来なくなるし、かといって弱すぎてもひっきりなしに来てウザい。ちょうどいい塩梅として、第一級冒険者が何とか生存できる程度を設定しているのだ。


「先に下見は済ませた方がいい。テレポートが使えなくても、人が入れる程度のゲートで問題無い」


 何かあったときに逃げれるようにってことだろう。

 ダンジョン『デーモンズシェルター』は魔子の層があるため、一気に地上には出られない。特にユズがそうだが、普段持ってるテレポートスポットが使えないわけだ。

 そうなると移動先として無難なのはグレーター巣くう90階層の一つ上――最も近い89階層になる。

 無論、普段扱ってない場所なので、事前に下見しておく必要はある。


「全員使えるんで問題ないと思いますが」


 そもそもパーティーのメンバーたるヤンデもユズも、俺とは比較にならない魔法のエキスパートだ。言われるまでもあるまい。


「ああ、そうだったね。君もかい?」

「使えたら苦労しませんよ」

「話はついたようね」


 ヤンデの声だ。

 見ると、ハナと手を振り合って散会している。マイペースに歩いてきているが、もはや王女なので誰もが無言で待つだけ「早くしてください」ルナは違っていた。

 瞬間、シュンッと残像がちらつき、俺の両膝に重みが。


「今日の放課後にでも早速行ってみるわよ」

「行動早えな。もうちょっと練ろうぜ」

「臆病なあなたのためでもあるのよ? そういう及び腰は捨てなさい」


 わかってる。わかってるさ。

 わかった上で、あたかも腰が上がらないかのように振る舞っているんだよ俺は。

 本当は今すぐ行きたくてたまらないくらいなんだぜ? 騙されてくれて何よりだ。


「やはり私も行きたいです。立場上、現時点の最強生物を見ておきたいので」

「相談してみたら? 私はジーサしか世話しないわよ」

「ヤンデにしては弱気な発言ですねー。さてはグレーターデーモンが怖いんですか?」

「挑発しても無駄だから。ジーサは私が独り占めするのよ」

「動機が不純すぎませんか……」


 俺もルナの言い分に完全に同意する。

 が、ヤンデかユズかでいうと、ヤンデの方がマシだからこれでいい。ユズはなんていうか、俺を知りすぎている。

 まあヤンデもヤンデで|俺の相棒《ダンゴとクロ》を知っている分、厄介なんだけどな。


(むしろ悪手かもしれん)


 なんたって俺の脱走プランにも欠かせない存在だからな。


「交渉は私からしておきます」

「ああ、頼んだ」


 誰がいつ潜るかは国が管理しているわけだが、ハルナ王女がお願いするわけだ。俺達の都合が負けることはないだろう。


 ルナの離席を皮切りに、解散が始まる。

 元々忙しい奴らばかりなのもあり、ぞろぞろといなくなって――残ったのはガーナとスキャーノ。


「ジーサ君は、ぼくにしてほしいこととかある?」

「いきなりどうした? つか全然存在感なかったぞ」

「なんでもするよ。そ、その……性的なことも……」


 おかしなことを言い出す。

 ガーナもガーナで「いいじゃないの」とかほざきながらルナが座ってたところ、すなわち俺の右隣に腰を下ろしてくる。なぜ舌なめずりをする。

 この金髪には背中を向けて、


「そんな趣味はないんだが」

「でもエルフの男子達とは良い雰囲気だったよね?」

「どこをどう見たらそう見えるんだよ」


 シッコクとはキスしちゃったけど、誰も見てないはずだ。あ、訓練で気絶してたガーナには見られた可能性があるな。


「アタシの出番ね」

「ガーナさんは黙ってて」


 スキャーノがデコピンのジェスチャーをする。

 実際に風か何かを飛ばしたようで、「えうっ」こつんと痛そうな音がした。


「心配要らないわよ。アタシはどっちも行けるし、行けるようにしてあげる心得もあるから。何ならジーサと三人でもいいし、むしろ三人がいいわね」


 俺の手に恋人繋ぎで絡んでくるの、やめてもらえませんかね。これでもダブルロイヤルなんですけども。

 逆に説得力ないか。要は二股だし、ユズとハナにも立候補されてるしな。


「真面目な話、何でも言ってね。ジーサ君のことは絶対に見捨てない」


 対してコイツはというと。

 いつになく真剣で、でもどこか熱っぽくて。先日のインタビュアーと同一人物とは思えない。


 なんとなく女優が思い浮かんだ。さして興味もないので名前と顔は出ない。

 演技は凄いけど普段は抜けてる女みたいなちぐはぐ感というか、作りめいた雰囲気というか。


「なら永遠に放っておいてくれ」

「致しかねます」


 用事は済んだみたいで、立ち上がりながら一蹴してくるスキャーノだったが、危ういバランスの微笑を寄越してくれる。


「……」


 カワイケメンとでも言えばいいのか、いやショタが好きそうなロリイケメンじゃなくて、美人のコスプレイヤーが男装した感じとでも言えばいいのか――そう、男にしては美少年すぎる。


 性欲にだらしない俺だからこそわかる。

 どうにも対象外《おとこ》の臭いじゃないし、女の起伏も無ければ体運びでもないし、俺が覗いてきたマイノリティの連中とも雰囲気が違う。

 性の在り方も多様だし、かなり珍しい嗜好なのかもな。


 と、失礼な品定めを連発しながら適当なリアクションを考えていたが、向こうも期待してないようで、言う暇もなかった。


「二人っきりね」

「……」


 この後、痴女を振り切るのに苦労することになる。

第245話 下見2

 いつものように職練の時間は『プレイグラウンド』でガキ達の指導を済ませた。


 未だに結婚をせがんでくるオリバはしつこいし、俺を目の敵にするダグネスとワスケも鬱陶しかったが、さすがはガキ大将格――他の子供達を仕切れる資質を持っているようで、俺の指導負荷が減る日も近い。


(ここに来ることは二度とないけどな)


 とはいえ子供は些細な変化に敏感である。それでも俺は用心を重ねる。

 悟らせないよう、焦らないよう、いつものようになだめて、あしらって。

 親御さんとは軽く駄弁り、ランベルトさんとも小言を交わし。


 そうしていつも通りに過ごしてから貧民エリアを後にした。


 学園に戻るとすぐにアウラウルそしてユズと合流して、今日のパーティー編成について聞かされる。

 曰く、パーティーは俺とヤンデとユズの三人。アウラとラウルは案内役で、ルナはお留守番だ。

 本当はヤンデと二人っきりが良かったが、ルナのおとなしさを見るに決定事項だろう。あまり抗っても怪しいから俺も受け入れることにした。


 着替えと食事を済ませてから、お馴染みのゲートでダンジョン『デーモンズシェルター』へ。

 一足での到着は叶わないため、何度かくぐることになる。

 各ポイントではスポットキーパーと呼ばれる冒険者達が待機していて、王族にするような仰々しい礼を受けた。ああ、俺もそういう立場なんだよな。


 そして目的地――第89階層を踏む。


「綺麗だな……」


 一言で言えば、宝石の洞窟。

 ファンタジーでも見ないような煌びやかな水晶が、これでもかと壁や天井に敷き詰められている。どれもはかったかのように鋭くて、おそらく硬度も相当だろう。

 光度も悪くなくて、本くらいなら普通に読める。


「急に飛んでくるから気を付けてくださいね」


 先導するアウラがピンクのボブヘアーを揺らしながら振り返る。


「あれ全部ですか?」

「モンスターが擬態していることがあります。人間では判別がつかないので、事実上出たところ勝負です」

「頼んだぞ二人とも」

「承知」


 ユズは俺と背中合わせで浮いているが、何度も来ているからか、水晶には目もくれない。

 対してヤンデは俺と同様、いや俺以上におのぼりさん感丸出しで、さっきから見上げっぱなしだ。「何本か持ち帰りましょう」などと言っている。何なら早速魔法を放って引きちぎっている。


「あなたを刺すのに便利そうね」

「どういう用途だよ」


 近くで見るとカラーコーンより太く、しかし先端は針のように細い。表面には弁がついていて、これはアレだな、侵入者を殺すことしか考えてないやつ。

 ダンジョンにも意思があったりするんだろうか。


「遊んでないで、早く来るんだ」


 アウラのさらに前を行くラウルが、大穴の入口に片足をかけている。「聞いてないわよ」ヤンデが言いつつ水晶を放った。

 俺にはキャッチはおろか、避けるのも怪しい速度だ。


 それはラウルの頬に着弾し、破裂して――全く効いてないな。

 俺には相当硬く見えたが、それでも第一級には傷一つつかないのだろうか。


「君達の戦い方を見る、またとない好機だからね。ダメかな?」

「論外よ。失せなさい」


 向かうのは俺、ヤンデ、ユズの三人だけであり、シニ・タイヨウとして動くことも想定している。

 よって正体を知らないアウラウルの同行は許されない。

 この裏事情はともかく、三人パーティーで行く旨は、さっきも説明されたわけで、わかっているはず。


「足は引っ張らないよ。何なら見捨てたっていい」

「往生際が悪いわね。既に話し――」

「それとも、見られたら困ることでもあるのかな?」

「……ジーサを探りたいのか、私を探りたいのか知らないけれど、結論は覆らないわよ。退きなさい」


 手のひらをかざすヤンデと、背中の大剣に手をかけるラウル。

 アウラは杖を構えていて、ユズは「タイヨウの背中、大きい」今シリアスムードなんですけど。


「仕方ないね」


 金髪剣士は手を下ろし、片足も下ろすと、やれやれと前世でも通じるジェスチャーで戦意の無さを示す。

 まだ殺気を収めないヤンデに、


「君達にはわからないだろうけど、僕達は手詰まりなんだよ。高みに至るヒントがあるなら、とりあえず手を伸ばすさ」

「……」


 俺にはさっぱりなので黙っているが、ヤンデは共感できたらしく、ため息をもって脱力した。


「時と場所は考えなさい」

「次からそうするよ」

「可能なら二度としないで欲しいわね。鬱陶しいから」

「そうだね。行こうかアウラ」

「せっかく来たんだし、ミスリルゴーレムでも狩りましょう」


 ピクニックみたいに言ってら。

 にしても、息するように仕掛けてきたなぁ。今回はヤンデが全部誤魔化してくれたけども。


「ここからが本番。気を引き締める」


 背中のぬくもりが離れて、ユズが前に出る。ふわふわのふの字もない、不自然な滑らかさだ。

 第一級二人に警戒する様子はなく、彼らの悪癖を最初から理解した上でスルーしていたのだと今さらわかる。

 俺とヤンデは顔を見合わせた。その見慣れた唇から何が飛び出すか、まあたぶんユズに当たり散らかすだろうなと思っていたら、なぜか頬をビンタされた。なんでだ。


 大穴は真っ暗闇の一本道だったがそこそこ長く、百キロメートルはくだらなかった。

 ヤンデの希望――何でもダンジョンにしては珍しい地形構造らしい――でたっぷり数分ほどかけた後に、小部屋に着く。それでも数分なんだから、速度や時間の感覚がおかしくなる。


 さて、終点はというと、少しだけ明かりが漏れている。


 見上げてみて、確信した。


(《《いる》》)


 なぜだろうか。アイツらが心待ちにしているのがわかる。


「……どうした?」


 エルフの双眸が俺を覗き込んでいる。内心を推し量られていると感じるのは、俺がよからぬことを企んでいるからだろうか。


「シェルターは使わないの?」

「人のスキルを喋るな。ただの下見には必要ない」

「小さい男ね。減るものでもないわよ」

「俺は手札が少ねえんだよ。そんなわけで、情けない話だが俺を守ってくれ」

「承知」

「当然……って、何ニヤニヤしてんのよ」

「いや、頼もしいなと思っただけだ」


 この二人に守護される俺ほど安全な人物もそうはいまい。

 素直にそう思えた。


 それが伝わったのか、ヤンデも珍しく微笑を寄越す。カメラがあったら収めたいな。

 ユズもユズで、ぽかぽかと可愛い嫉妬を向けてくる。カメラがあったら収めたいぜ。


 と、冗談はさておき。


「行くわよ」


 俺達は第90階層に飛び込んだ。


 手加減抜きの加速、からの急停止。

 クレーターができるんじゃないかという甚大な衝撃波が拡散して、ダンジョンの内壁を抉る……なんてことはなく、むしろ俺達に跳ね返ってきている。


 ブゥン。


 聞き覚えのある詠唱音の後、俺達を潰す圧力が増した。

 見えない鎧に守られている俺だが、視覚だけでも空気が重いのがわかった。|俺の外面《クロ》でもぺしゃんこだろう。


 空気圧縮――ギガホーンからも食らったアレだな、などと思い出す暇もなく、「ファイア」ユズが着火してみせる。

 あえて詠唱したのは俺に知らせるためだろう。そうするほどの余裕がまだある。


 武器庫顔負けの大爆発が起きたはずだ。

 視覚と聴覚が役に立たない中、一応状況判断に努めようとするが、その前に薄暗いダンジョンの風景が現れた。

 言うまでもなくテレポートで、この階層に慣れたユズが別の場所に移ったのだろう。

 だが、それはコイツらも使えるもので、次の瞬間――


 青白い巨体が六体、俺達を取り囲んだ。


 五メートルほどの体長に余すことなく敷き詰められた筋肉が、淡く発光している。

 漆黒の翼。

 邪を体現する二本の角。

 殺戮の設計思想しか感じない爪と牙に、慈悲を映さぬライトグリーンの瞳――


 紛れもなくグレーターデーモンだ。


「やるわね」

「油断禁物」


 私語もそれだけで、すぐに強者の様子見が幕を開けた。


 ほこりさえ動かないほどの膠着が場を支配している。

 遅れて、ダンジョンの崩壊と思しき音が届いてきた。まるで雷だな。それだけの距離を離れたってことだろう。

 もっと言えば、その程度の広さ分はここを開拓できているとも言える。


「……」


 ユズの横顔は俯いている。見ずとも反応できるのだろう。

 ヤンデの後ろ姿はうずうずしている。早く戦いたくて仕方がないのだろう。

 俺達を見下ろすデーモン達は……わかんね。


 それはともかく、既に何度も攻略を試行しているわけでデータは揃っている。

 彼我の実力差は僅差だ。

 だからこそ軽率な行動は行わず、まずは見ることから始まる。相手の観察に全リソースを注ぎ、ミリ秒よりも刹那の隙を探して不意を突くために。あるいは突かれないために。


 もっとも、それは本当に僅差だった場合の話にすぎない。


「タ――」


 たぶんタイヨウと言ったのだろう。

 ユズか、それともヤンデかはわからないほどの、ほんの音の断片であったが、届かせただけでも大したものだ。


 俺には全く視認できない速度だった。

 とりあえず引き剥がされた、いや、剥がしてくれたのはわかった。つっても脳内に流れてる数字で、だけど。


 ともあれ、《《ちゃんと伝わったみたいだな》》。


 四体のグレーターが俺を見下ろしている。

 というか、それぞれ両手両足を引っ張っている。どこの拷問だよ。


「早速遊ぶのはやめろ」


 渋々離れてもらった俺は、改めて地面に立ち、コイツらと向き合う。


「久しぶりだな」


 どこまで離れたかはわからないが。

 金髪幼女の優美な魔法も、すぐ殴ってくるエルフの華美な魔法も。もう見えないし、聞こえないし、感じることさえ無かった。

第246話 下見2.5

 話は第五週五日目《ゴ・ゴ》の深夜に遡る。


 でかいベッドの上で、俺は両腕に抱きつくヤンデとルナを力尽くで引き剥がし、頭にしがみつくユズは敏感なので優しく剥がして、ようやく一人の時間だ。


 グレーターデーモンに活路に得た俺は、思い浮かんだ戦略を慎重に熟考――

 小一時間ほどで確証を得る。


(ダンゴ。クロ。よく聞いてくれ)


 常時賑やかな俺の体内がおとなしくなった。

 乱れ放題だった血流も正しく流れ始めて、独特のじんわり感に包まれる。


(明日か、明後日か。そう遠くない日に、俺は|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》に行くことになる。またとない機会だ)



 グレーター達には、俺の身柄を引き取ってもらう。



 ……と発表しても、コイツらはだんまりしたままだった。

 最後まで傾聴するつもりだろう。良い心がけだ。だいぶ俺の機微を汲み取れるようになってきたな。


 ふと、そばに横たわる無防備な寝姿に目が行きそうになって、思わず堪える。


「……」


 浮かんでくるものの一切合切を無視して、俺は共有を再開した。


(作戦は単純だ。デーモンズ・ネストに来た俺を、グレーター達が全力で攫《さら》えばいい。アイツらが人と遊ぶために手加減していることは想像に難くない。全力を出せば、ヤンデでもユズでも軽く出し抜ける)


(二人を殺す必要はない。殺せば角が立つから、むしろ殺さずあしらってほしいところだ。そうだな……何が起こったかわからないように演出してくれるのが一番いい。最低でも、この崇拝状態《ワーシップ》のからくりは伏せたい)


(ルナには知られているが、ルナもルナで師匠なる人物との繋がりを隠してるわけだし、喋ることはあるまい)


(グレーター達にはもっと面白い遊び道具を用意してやる。代わりに、冒険者と遊ぶのはおしまいにしてもらうつもりだ。――とりあえずここまでは理解できたか?)


 五月雨式に喋る俺だが、ダンゴとクロは賢い。

 案の定、後頭部と心臓部への打撃が肯定の意を示す。


(ここからが本題だが、この俺の意思をグレーター達に伝える必要がある)


 当たり前だが、バカ真面目に声を掛けるわけにはいかない。

 当日、俺は二人によって厳重に守護される。話しかける隙なんてないだろうし、できたにしてもすぐに怪しまれて引き離されてしまう。


(方法は一つしかない。ダンゴ。お前が事前に赴いて、直接伝えるんだ)


 寄生スライムは微生物、というには小さすぎるが、意思を持った細胞の集合体と言えた。

 早い話、自由に分裂できるのだ。


 極限まで小さく分裂したダンゴが、ヤンデにもユズにも気付かれないようにグレーターのもとまで行けば良い。


(おそらく第89階層まで行って、準備をしてから90階層に潜ることになる。その間にダンゴは俺から分裂して、こっそりと90階層に先回りしてくれ)


(もちろん普通に分裂してもバレるだろう。日常的に落ちる髪の毛や垢を演じるのも悪くはないが、その後の動きでバレる可能性がある)


 俺のレベルでさえも、その程度の微細な物体をはっきりと識別できる。近距離であれば、空気振動経由で不自然に動いたのもわかるだろう。

 ましてヤンデとユズである。俺の何倍も鋭敏に違いない。


(一つ考えがある。足元を使うんだ。俺の足裏から地面を削り、分裂したダンゴが潜る。その後、ダンゴの一部が地面を再現して元に戻せばいい。これなら悟られることはない。ダンゴ、このやり方でグレーターの所まで行けるか?)


 もちろん切削のパワーが強すぎれば周辺が揺れてしまい、空気もわずかに揺らしてしまうだろうが、その辺のさじ加減がわからないダンゴではない。

 クロもそうだが、寄生スライムは超一流の職人だ。他ならぬ宿主の俺が保証する。


 ガツンと後頭部への単打《イエス》が返ってきた。

 この打撃からして一切外に漏れてないんだから大したものだ。


(クロの同行は必要か?)


 今度は頭に打撃二発《ノー》で、心臓の左半分には斬撃一閃《イエス》。

 つまりダンゴは嫌がっていて、クロが連れてけと言っている。


(バレないならどっちでもいい。好きにしてくれ)


 俺が言った瞬間、ダンゴが連打を浴びせてきた。

 すまんが耐えてくれ。クロを嫌ってるのはわかるが、俺としてもいざってときに言うことを聞かせたいから、普段はあまり干渉したくないんだよ。

 特にクロはダンゴ以上に聞き分けが悪いから……。

 というわけで放置するしかない。今度何か埋め合わせてやるから。


(さて、チャンスは一度きりだ。グレーター達にはできるだけ早く行動してもらいたい。お前らも出来るだけ早くグレーターへの伝達を済ませてもらいたい)


 そこまで言って、不意に気付く。


(もしかして、第90階に行かずともアイツらとやりとりする術があるか?)


 この問いには両者とも否定してきた。


 ……そう甘くはないか。

 白夜の森の隠密《ステルス》モンスターも、深森林のバーモンも。なんとなく優れた情報共有網を持っているように感じられたんだがな。


(じゃあ90階に行ったらどうだ? 距離を問わず、魔法も使わず、物質も伴わないようなやりとりの術はあるか?)


 一応粘ってみたが、これもノーだった。


(素直に足を運ぶしかなさそうだな。二人とも頼んだぜ)


 もう一度、俺は作戦に欠陥が無いかを確認する。


 たとえ根拠なき自信があっても、退屈な作業であっても、俺がやるしかない。

 コイツらが俺に何かを言ってくることはないからだ。

 崇拝状態《ワーシップ》になったモンスターは、あくまでもイエスかノーかを示すのみ。よって、常に俺が質問を投げかけなければ、情報は何も得られない。


 その後も俺は何度も、何度も繰り返した。

 それはもう小説の新人賞応募時でもここまでしないだろうってくらいにチェックを重ねた。


 そもそも地面は削れるのか。

 ヤンデやユズが地面の中を探っている可能性はないのか。

 俺達より先にグレーターのもとに辿り着けるのか。レベルの高いクロの方が移動力に優れているのではないか。

 辿り着けなかったらどうする?

 辿り着いても、アイツらに断られたら――


 不思議なもので、粘って繰り返してみるとぽろぽろと出てくる。

 最初から全部出れば楽なのに、と考える俺は無粋なのだろう。


 不安定こそが人生を彩らせる。

 この原則を拒絶する者は、ただただ苦しむだけだ。

 安定という名の幻想を求めているうちはまだマシだが、たまに道を外す者がいる。死こそが唯一の安定だ、とかな。

 かく言う俺もその一人なんだけども。


(俺の意思は変わらない)


 気持ちよさそうな吐息も。

 艶めかしい衣擦れも。

 俺を呼ぶ寝言も。


 そんなものはすべて、踏み台でしかないのだ。

第247話 下見3

 魔法やスキルの発動に繋がらない言葉を高速で発声することを擬似詠唱《フェイント》と呼ぶ。

 実力者には通じず、普段の会話で使う機会もないためあえて使われるケースはほぼないが、


「タ――」


 そんなユズの擬似詠唱は、ヤンデにもよく届いた。

 彼女自身は何もできなかったため、反応の速さはユズに分があるということだろう。普段なら悔しがったに違いないが、そんな状況でもなく。


「……」

「タイヨウ……」


 二人は第89階層に転送させられていた。

 階段の周囲ではなく、付近でもない、この広大な迷宮のどこかに。


「一応聞くけれど、さっきのは擬似詠唱ではないわよね?」


 とっさにタイヨウの名前が出ただけ、ということはヤンデもわかっている。

 それでもあえて口にした。しなければならなかった。

 平静を取り戻すために。


「タイ、ヨウ……」

「しっかりしなさい!」


 あえて魔法は撃たず、声だけで殴るヤンデ。


 虚空を見つめたまま宙で微動だにしなかった、その幼い身体は――ゆっくりと地面に降りていいった。

 ぺたっと小さな素足の足音が響き、「復帰」ユズが再び浮く。


「さすがね。むしろ私が危ないわ……」


 震えるヤンデの手を、今度はユズが握りしめる。


「ヤンデに質問。最後に擬似詠唱を使ったのはいつ?」

「……覚えてないし、おそらく使ってもいないわ。必要が無かったもの」

「ヤンデは昔から強かった?」

「そんな自覚は無かったわね。みんな弱すぎるとは思っていたけれど」


 |意識が悲愴と絶望に引きずり込まれる《ダークサイドにおちる》のを防ぐために、他愛のない質問を投げる――

 これができるかどうかは分水嶺であり、パーティーという複数人の在り方が重宝される理由の一つでもある。


「直った?」


 真正面から見つめてくる小さな双眸に、ヤンデは「ええ」微笑を返す。

 その証拠とばかりに、背後から迫る十数メートルもの巨体――ミスリルゴーレムを「【ウルトラ・サンダー・スピア】」片手間の雷槍で撃破する。


「雷が有効……。初耳」

「ようやく近衛を出し抜けたわね」


 秘密の弱点を突かれた『動く財宝』は、もう動かない。そのまま仰向けに倒れて周辺を揺らした。

 まだ轟音が響く中、


「私も大丈夫よ。状況を確認しましょう」


 完全に平静を取り戻した二人は、とりあえず振り出しを目指す。


 実力も桁違いなら、探索もお手の物だ。

 並の遠征隊ではキャンプを張るほどの難易度を、わずか十数分でこなし――再び大穴の前まで来た。


 もっとも同階層であれば魔子の影響も薄く、テレポートが使えただろう。

 あえて使わなかったのは体調の再点検と思考の整理、そしてアウラウルや他の冒険者の存在確認のためだ。


「人は皆無。小細工は不要」


 魔法で一瞬なのに、わざわざ両手をぱんぱんと払うユズを見て、ヤンデは微笑ましさをおぼえる。

 誰の影響なのか。言うまでもない。


 彼女の想い人は、やたら原始的な身体動作にこだわる男だった。

 冒険者として|日常的な動作《デフォルト・パフォーマンス》を心がける気持ちはわからなくもないが、それを考慮しても病的と言える域だ。

 まだまだ疑問と好奇は尽きないが、そんな場合ではない。ヤンデが大穴を睨みつけて、


「……あの悪魔は何をしたのかしらね」


 エルフに違わぬ美声が、暗き大穴に呑まれていく。


 この二人をもってしても反応できない速度など、異次元であった。

 仮にそんな実力があったとするなら、人類が敵う相手ではない。

 なのに攻略は順調だったという。こうして二国合同の少人数パーティも許されるほどに。


「遊ばれていたの?」

「……」

「モンスターにそんな知恵があるというの?」

「……」

「仮にあったとして、このタイミングでそれをやめたのはなぜ?」

「……」


 考えても、考えなくても。

 思い当たる原因は一つしか浮かばない。


 だからこそ、ユズの擬似詠唱もああなったのだ。


「これがジーサの――ううん、シニ・タイヨウの目論みだった」


 物音一つしない水晶迷宮の中、幼い横顔が首肯する。


「何か知ってそうね。吐いてもらうわよ」

「ヤンデの情報も所望」

「もちろん。ただし他言無用にさせてもらうわ。シキにもルナにもよ」

「協力は、しない?」

「しない」

「なぜ?」

「約束だからよ。他人の秘密を漏らすのは、人としてどうかと思うわ」

「ユズにはなぜ?」

「おしおきだからよ。私一人ではおそらくジーサ、いえタイヨウを探し出せない。あなたがいたら百人力なのよ。とっ捕まえて懲らしめてやるわ。あなたの許嫁はそんなに甘くない、何だって一緒に抱えてみせる、だからもう逃げるのはやめなさい、受け入れなさい――ってね」

「頼もしい」

「……調子狂うわね」


 タイヨウも落ち着いた男だったが、それ以上に淡々と漏らすユズを前にすると、どうにもばつが悪い。

 ヤンデはエルフらしさも王女らしさも捨てて、ガリガリと頭をかく。

 そのままどかっと腰を下ろして、「何か無いの?」嗜好品をリクエスト。


「ミスリルならある」

「どんな怪物よ」


 第一級冒険者の武器として使えるほどの超硬物質は、当然ながら食べ物でもないし、噛み砕ける人間などいないだろう。


「実は美味。皇帝ブーガはよく食べている」

「なわけないでしょ」

「ヤンデは博識」

「バカにしてるのかしら?」

「ミネラルウォーターでよければ」

「悪くないわね。私も自信あるわよ」


 ミネラルウォーターとは、水魔法で生成した純度の高い水に、微細な土魔法や雷魔法を加えて味を微調整したものである。

 ジャースでは好事家扱いされる代物だが、魔法の上手さや器用さをはかる遊びとして使えたりもする。


 二人とも手元に簡素な器を生成し、ヤンデはユズの方に、ユズはヤンデの方に小さな水流を注いでいく。


 ヤンデは飛び散りもこぼれもあふれも気にせず器を魔法で浮かせ、宙で傾けてから自らの口に流し込む。

 一方、ユズは一滴も垂らさないまま素手で掴み、貴族がそうするように上品に嗜んでいく。


「嘘でしょ……」


 からんと器を落とすヤンデ。

 そこにコトッと行儀の良い音が重なる。


「ヤンデの水は微妙。有り体に言えば、下手」

「そろそろ話を始めましょうか」


 勝負を無かったことにするヤンデだった。「もう一杯お願いするわ」しかし未だ味わったことのない美味さにも抗えないのだった。


 ユズはおかわりを撃つ――のも面倒と感じたようで、人頭ほどの水球を寄越す。それをヤンデは風魔法ですくって、口元に運ぶ。


 シニ・タイヨウの情報交換会が始まった。






「――どうしても私は魔人が頭をよぎるのだけれど」

「その可能性は皆無。臭いがない」

「隠してるだけかもしれないじゃない」

「ユズはレベルが低かったタイヨウを知っている。最初から臭いはなかった」


 ヤンデは自分が魔人族と森人族《エルフ》の混合種であることも明かしている。人を著しく不快にする体臭、というより作用も、魔人特有の魔素放出体質によるものだ。

 最近は立場上必須なこともあり日中押さえ込んでいるが、これは要領を得たヤンデの高度な魔法と豊富な魔力によるところが大きい。


 冒険者歴が浅く、レベルも低かった初々しきタイヨウにそんな芸当ができるとは思えない。


「同居人さん――タイヨウは寄生スライムと呼んでいたけれど、どう説明するのよ? モンスターが人と共生することはありえないわ」

「調教《テイム》の一種と予想」

「そうね。シッコク・コクシビョウが持っている以上、その線で見るのが妥当よね。まだまだ解明できてないみたいだけれど」

「シッコクを捕まえれば、タイヨウにも繋がる」


 だからシッコクに注力しようと言外に告げる。「そこはお母様に任せておけばいいのよ」それをヤンデは一蹴した。


「私達は、私達にできることをやればいい」


 ヤンデには少人数であたるべきとする直感があった。王家や種族の力には頼らず、二人で探すべきだと。

 無論、このような感覚を伝えるのは難しい。そもそもユズは王国の人間であり、忠誠を誓う護衛でしかない。

 戦略の食い違いが予想されたが――


「承知」


 ユズの反応はあっけなく、そして早かった。


「……何する気?」


 杞憂にほっとする間もなく、ユズは次の行動を起こしている。

 小石を生成し、宙に浮かせていた。


「これがタイヨウの速さ」


 それは一般人《レベル1》でも掴める程度の速度で、ゆっくりと旋回している。


 小石がさらに二つ並んだ。

 どちらも一つ目のものよりは明らかに速い。


「……そうね。そんなものだと思うわ」


 タイヨウ、ヤンデとユズ、そしてグレーターデーモンの速度を相対化しているのだと理解した。

 ヤンデの体感ともさほど乖離していない。


「タイヨウがグレーターデーモンについていくのは不可能」

「でしょうね。認識さえできないのではないかしら」

「でも一度は脱出している。さっきも私達を出し抜いた」

「……」

「仮に調教だとした場合、実力差は相当」

「調教は力で脅すものよね? 他のやり方があるのかしら……」


 あぐらを組み、腕も組んでうんうん唸るヤンデには、もはや王女の威厳も淑女の体裁も無かった。

 自覚もあるが、今この場には叱る者は誰もいない。

 ユズも無粋に指摘するタイプでもなく、むしろ同類らしくて、裸のまま地べたに寝そべっていた。


 美味の水球を見つめるユズに、ヤンデもつられる。

 その球面は本人の実力を示すかのように澄んでいて、吸い込まれそうな錯覚をおぼえてしまう。


 近衛の実力は間近で見てきた。

 一目でわかった格の違いにも偽りは無かった。間違いなくアルフレッド王国の屋台骨となっている。

 そんな存在を出し抜き、懐柔してみせたのが他ならぬシニ・タイヨウだ。


 底無しの防御力と、それを生かして蓄積したダメージの解放《リリース》――


 珍しいバトルスタイルだが、レアスキルの範疇だろう。突出と呼ぶには心許ない。

 ここに独特な思考回路と知識体系も加わるだろうが、やはりまだおぼつかない。


 彼の武器は、切り札は、それだけなのだろうか。


「もう一つ、ある……」


 先にヒントを掴んだのはユズらしい。


「ユズ?」

「モンスターを手懐ける《《第三の》》術の可能性」

「調教の洗練ではなくて?」


 調教《テイム》は廃れた分野だとされているが、シッコクがエルフを騙し通せたことを考えれば見直さざるを得ない。

 裏で独自に開拓している勢力があるかもしれない。もしそうだとすると、シッコク以外にも弱者になりきっている者が各地に潜んでいてもおかしくはない。

 そんな陰謀説まで想像し始めたヤンデだったが、


「違う。白夜の森」


 ユズは身体を起こし、空中に精巧な地図を描く。


「あの森ね。そんな名前だったの」

「タイヨウが名付けた」


 ルナとシキが始めた出会った日――白夜の森で再開を果たした時のことをユズが話し始める。


 あの時、隠密《ステルス》モンスターがシキやユズを襲わなかったのは、実力を恐れてのことだと考えられた。

 モンスターとて無能ではない。実際に強者が並のダンジョンに足を運べば、一匹とも遭遇しないなんてことも起こるのだ。

 だから気付けなかった。


「――タイヨウは《《最初から》》モンスターを手懐ける術を持っていた」

「どんな術よ。レアスキルでも説明がつかないわよ? それに、もしそんなものがあるとしたら」



 世界がひっくり返るわね――。



 ジャースは雲の上の強者が支配している。並の者なら絵空事だと笑うだろう。

 ユズはそうしなかった。しかし、肯定もしなかった。「同感よ」ヤンデも異は唱えない。


「彼にそういう気は無いと思うわ」


 もしあるのなら、とうにグレーターデーモンを地上に放っているに違いない。

 タイヨウは竜人の存在も知っている。ペナルティを課されない程度の制御で暴れさせることもできよう。


「あるとすれば、彼を利用する勢力――」

「無問題。勢力は抑圧すればいいだけ。問題は、タイヨウの気持ち」

「そうね……」

「タイヨウの気持ちは不明」

「そうね」


 忘れもしない、第二週七日目《ニ・ナナ》の夜――


 ヤンデはタイヨウからキスされて。

 口内で発話するという奇抜な会話方法をもって、いくつかの衝撃と邂逅した。


「死にたいって言ってたわ」

「……不明」


 ユズもまるでピンと来ないらしく、顔面から地面に倒れていた。机上や寝床でよくやる動作だ。


「本心を語ってくれたと信じたいけど、どうかしらね」


 その辺の家族や冒険者パーティーほど長い時間を過ごしたわけではない。

 それでも王立学園で。深森林で。何度も語り合い、見つめ合い、触れ合って――。

 濃い時間を過ごしてきたつもりだ。


「死なないために生きてる」

「楽しむために生きてる」

「スローライフしたい」

「死にたい」


 順につぶやいた後、


「……ねぇ、あなたは何がしたいのよ?」


 ヤンデもまた地面に突っ伏すのだった。

第248話 見解

 王都の闇夜に輝くのは、ほぼ貴族エリアである。

 力を誇示せんと様々な趣向の光が魔法によって、あるいはアイテムによって放たれている。その明るさに比べれば、深夜でもほどほどに賑わう冒険者エリアさえ見落としそうになる。

 国王専用エリア――王立学園の校舎最上階からは、嫌でも目に入る夜景であった。


「……なんとなく、そんな気がしてました」


 ルナは全面ガラス張りのような|スライム製の窓《スライス》から眼下を見下ろしていた。

 後方で片膝をつき頭を垂れる近衛《ユズ》と王族親衛隊に向けて、行き場のない心情を吐きそうになるが、堪えて、


「お父様。どうされますか」


 離れた王座に腰掛けて難しい顔をしている国王に丸投げする。

 事態は予断を許さないし、ルナにどうこう言える見識はない。だからこそ、頼れる父の次策を期待したが――


「どうもせぬ」


 匙《さじ》を投げたとわかる、無慈悲な応答だった。


「ジーサ殿は学生を一時休業とし、政務と攻略に専念しておる。良いな?」

「承知しました」


 異を唱えぬ親衛隊隊長ガルフォードとほぼ同時にルナも叫ぼうとしたが、ユズの魔法によって封殺された。じたばたすることさえもできない。


「対外向けの各種手配も必要であろう。マグナスにだけ周知して手配させい」

「承知」


 ユズも淡々と応える。


「以上である」


 その解散の言から、秒と待たずに散会が完了し――親子水入らずになる。


 しばらくしんとしていたが、ルナはぎりぎりと拳を握り締め王座に飛び込んだ。


 父親の顔面に拳を叩き込む。

 無論、当たるはずもないし、当たったところで傷一つつきやしない。びりびりと風圧でスライスが揺れる中、


「タイヨウ殿は近衛をも突破する火力を持っておる。その時点でワシらが敵う相手ではないのだ」


 茶化すこともなく、労ることもない国王の顔つきを見て、ルナは拳を下ろした。


「スキルの詠唱と聞いておる。詠唱できぬよう封じれば無力化はできるじゃろう。じゃが、ワシはあえてそうしなかった。機会に飛び込まぬ者に未来は無いからだ」

「お父様……」

「現にワシが飛び込んだことで我が国――だけではないのう、他国にも少なからぬ好影響をもたらせた。タイヨウ殿の成せる業じゃ」

「知っておられたのですね。タイヨウさんが逃げるって」

「ワシは引き際の機会だと捉えた」

「き、機会って……そんな、人を……物みたいに!」


 万人が束になっても何も及ぼせないとわかりつつも、ルナは気持ちを鎮められない。いや、だからこそ、遠慮無くぶつけることしかできない。


 それがわからないシキではない。

 ルナ会心の回し蹴りは難なく掴まれ――気付けば、地面に叩きつけられていた。


「がっ、はっ……」


 傷には至らないが、むせる程度の攻撃。

 目を覚ませと言っている。王女らしく振る舞えと諭している。


 こんなときでも、いや、どんなときであっても。

 この人は国王として振る舞う。


「ハルナよ。タイヨウ殿をどうにかしたければ、おぬしがやることだ。そのための学生なんじゃからの」

「お父様も協力してください」

「命令を聞いておらんのか」

「お願いします」


 口元も拭わず頭を下げるルナだったが、「命令は撤回せぬ」届くことはない。


「ワシらは国を統べておる。強大な異物にとらわれ続けるわけにはいかぬのよ」

「わかってます……」

「じゃがおぬしは違う」

「ちが、う……?」


 ルナが恐る恐る顔を上げると、シキの指が微かに動き――目元の涙が吹き飛ぶ。


「王立学園は、自立的に見識を広め経験を積む機会であると同時に、つかの間の休息でもある。何度も言うておるが、王家の者に公私は無い。あるのは公だけじゃ」

「……公だけだと精神が保たないんですよね」

「左様」

「今のうちに遊んでおくべきなんですよね」

「そうじゃ」

「タイヨウさんを探してもいいんですよね?」

「無理のない範囲ではの」


 それは公私の私の範囲内ということである。無論、第一王女としての立場は常につきまとうし、それでありながら実質大した権限は持たされまい。

 それでもルナは頷いた。


「充分です」


 水魔法で顔を洗い、立ち上がる。


「私は諦めません」


 肯定も否定もしない父親と向き合う。否、睨み合う。


 と、そこに、はかったかのように一体の気配が出現した。

 自分程度では気付けない精度の隠密《ステルス》であったが、ルナにはレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』がある。

 ゴルゴキスタのものだとすぐにわかった。


「失礼します」


 部屋を出ると、ユズが膝を抱えて浮いていた。


「作戦会議?」

「いえ。今日は寝ます」

「無難」


 長い戦いになるかもしれない。

 だからこそ日々を着実に過ごさねばならない。


 怒りも、呆れも、劣等感も焦燥感も。

 すべてを自覚していながらも、それらを呑み込んで。


 ルナは一歩を踏み出した。




      ◆  ◆  ◆




 こつっと窓際に足音が一つ。

 白髪白髭の筆頭執事は、スライスに映る国王に問う。


「よろしかったので?」

「心を盗られた者など役に立たんわ」


 王座に腰掛けるシキが右の肘置きに肘をつく。


「ならばなぜユズを充てたのです? まだ完全に諦めてはいないようですな」

「当然じゃろうが」


 シキはタイヨウの逃亡を予見していた。というより、いつまでも従順に従ってくれるとは毛頭考えていなかった。

 第一級を凌ぐ火力と体力、革新的な施策、史上初のダブルロイヤル――非常に利用価値の高い男であったが、何事も天秤には載せるべきだ。


 ジーサ・ツシタ・イーゼは急速に目立ってきていた。今後はギルドやオーブルー、ダグリンも絡んでくるに違いない。

 一方で、あの男はそういう混沌を好まない。場数もたかが知れている若造にすぎなかった。


「タイヨウ殿が他勢力に懐柔されること。自棄《やけ》を起こして破壊に回ること――この二つだけは回避せねばならん。しかし、放置しておくには惜しい人材でもある」

「タイヨウ様には気分転換を与えつつ、それを若人に調査させて追いかけるわけですな」

「当分は見つからんだろうがな。変装術はともかく、体捌きも相当じゃぞ。おぬしにも勝るのではないか?」


 変装において最も難しいのは、その人本来の身体の癖である。

 染みついたパターンは容易には変えられず、自覚さえも難しい。無理矢理変えたところで隠しきれないし、むしろ違和感が取り繕う。平凡な冒険者は騙せても、森人族《エルフ》やハイレベルな冒険者には通用しない。


 彼らの鋭敏な感覚をかいくぐるには、通常のステータスを超えた何かが必要になるといわれている。


「隠しステータスがお高いようですな」

「『基礎』か。プレイグラウンドでまさに鍛えておるようだが、無自覚なのかのう?」

「指導者がいなくなりましたが、いかが致しましょう」

「あとはもう子供らだけで続けられるそうじゃ。後任はハルナとヤンデで良い。基礎の存在は悟らせるでないぞ」

「はっ」


 ゴルゴキスタがスライス越しに承知を示すと、シキは重心を左の肘置きに移した。

 会話が終了し、熟考に移ったのだ。


 音も無く執事が消えた後も、まだ音は無く。


 国王シキは、ぽつねんと王座に鎮座していた。

第249話 見解2

 深森林が織り成す豊かな樹海も、夜になれば闇に飲まれる。

 代わりに、エルフ各々が発する魔法光が数多浮かび始めるものの、暗き平野が覆ることはない。


 そんな中、とある一画では、王都リンゴの貴族邸にも負けない輝きが拡散していた。


 女王専用施設『クイーン・スパ』。


 六本のストロングローブに囲まれた内部は滝壺になっており、魔法で構築され維持され続けている循環機関によって、絶えず水流を落としている。

 火口のごとく湯気が出ているため、外から中はうかがえない。

 仮に視界明瞭だとしても、やはり見えなかっただろう。この目映さは雷魔法によるものであり、浸かる者に電気的快楽を与えている。


 音、圧、熱、電気と多角的に身体を解《ほぐ》すための、要は温泉であった。


「はぁ……生き返るわね」


 濁った湯から顔だけを出すヤンデが、ぶくぶくと湯面を揺らしながら目を細める。

 湯気こそあるものの、外とは違い、中は程々に明るく視界も良好な空間に仕上がっている。


「髪は上げなさい」

「そんな規則は無いはずよ」

「ずいぶんと自信のある物言いですね」

「日頃の教育のおかげかしら」


 ライトグリーンの髪は無造作に浸かっている。

 それをサリアは後ろから掬い上げ、無詠唱の火魔法で乾かした後、ゆったりとした動作で纏《まと》めた。

 いわゆるお団子であり、ヤンデはプレイグラウンドの女の子を想起する。撤回させようと口を動かしかけるが、母親の、同じ髪型が視界に入ったので、噤《つぐ》んだ。


「似合う似合わないは品格ですよ」

「何も言ってないけど?」


 ふふっとサリアが笑う。


「……あなた達も入ったら?」


 口元を隠したままのヤンデが振動交流《バイブケーション》を正面に飛ばす――

 その先には露出した木の根があり、第二位《ハイエルフ》達が正座している。「ヤンデ様」口を開いたのは、中央に座る女王補佐《アシスター》リンダ。


「そんなことより本題に入ってください」

「誰も見てないのだから問題ないと思うのだけれど。距離の近い付き合いは大事よ。モジャモジャはそう思うわよね?」

「は、はひっ」


 リンダの隣には妹モジャモジャも控えていたが、まだ王族メンツには慣れないらしくかちこちだ。

 というより、ヤンデに慣れていない。傍から見れば規格外の実力者であり、すぐ手が出るじゃじゃ馬王女なのだから自然な反応ではあった。


「もーもー可愛い」

「あ、姉上はもう少し遠慮というものを……」


 くだけたやりとりを見て少し羨むヤンデだったが、「そうね」いつまでも休んでいるわけにもいかない。


 ジーサ・ツシタ・イーゼの逃亡について、ヤンデの口から共有が行われた。

 彼の正体がかのシニ・タイヨウであることも。


「――な、なんと言いますか、まさか、そんなことが……」

「ジーサを最も罰したのはあなたよね。本当に何も気付かなかったの? 改めて何か気付いたことは?」

「ありません」

「シッコクやグレンとの違いは?」

「わかりません」


 その名が出ると、一段とオーラがキツくなる。

 特に堂々と犯されたオルタナは未だに引きずっているらしく、この実力者メンツだからだろう、殺意がはち切れんばかりだった。


 それもすぐに止む。フラストレーションを一時的に発散しただけだ。

 これは同時に、結束を深めるためでもあった。普段出さないエルフだからこそ、たまには爆発させてぶつけ合うのである。

 決して表に出さないのは女王だけだが、同様に能面を携えたままなのがもう一人いた。リンダだ。


「驚かないのですね」


 ざぶんと湯から上がりつつ、サリアが理由を尋ねる。

 リンダは魔法も使わず、しかし甲斐甲斐しく水分を拭き取りローブを着せた。


 すぐそばの隆起した根に、サリアは椅子のごとく腰を下ろす。

 それを待ってからリンダも戻り、


「元々アウラ様から聞かされていました」

「リンダ様」

「姉上……」


 同僚と妹の当惑は無視して、以前訓練でしごかれた後に聞かされたことが話される。



 ――この話は他言無用でお願いします。サリアさんにも。


 ――ジーサさんは国家転覆を目論んでいるかもしれない人物です。



 当時のアウラウルは外交上アルフレッドの代表であり、王族にも等しい相手であった。そんな相手との約束をこうして破ってしまっている。


 しかし、事態は変わっているのだ。


 リンダという女王補佐は、独断を許された立場でもあった。

 序列で言えば王族に続いてナンバーツーにも等しい。そのリンダがあえて破ったことの意味は、非常に重い。


「鍛錬にも付き合いましたが、やはり異質でした」

「やはり?」


 女王も窘《たしな》めなず、話を進めている。

 事実上承認したも同然であり。ジーサ・ツシタ・イーゼの扱いが傾いた瞬間でもあった。


「入国時にスパームイーターを入れた時から薄々感じていたのです。違和感が無さすぎると」

「わかりますよ。男でも女でも|それ以外《アザー》でもない――まるで性そのものが無いかのような感覚が私にはありました」

「性が無いのもアザーよね?」

「そうではありません」


 女王は立ち上がると、惜しげもなくローブを脱いで全裸を晒す。


「我らエルフという種族は性も種族も問わず人を魅了します。だからこそ、この大自然で閉鎖的に暮らし、また恐怖と畏怖の印象をつくりあげてきたのです」

「よくわからないのだけれど、チャームのことかしら? ピンク童顔も持っていたようだけれど」

「チャームとは違い、性欲や愛欲といった根本的な欲求に訴えるものです。貴方には縁の無いことでしょうが、そういうものだと思いなさい」


 魔人族の血を分かつヤンデは、エルフのようでエルフではなかった。

 出会い頭に殺されそうになった経験は数知れずだが、惚れられた経験などただの一度もない。もっとも最近では抑えているためそうでもないのだが、タイヨウしか見てないため同じことである。


「要するに、人が私達に惹かれるのは真理なのです。ほんの軽微ではありますが、皇帝ブーガでさえそうなのですよ」

「……」

「だからといって色仕掛けが通じる相手では断じてありません」

「わかってるわよ」


 早速戦略に組み込もうとするヤンデの考えなど、母親にはお見通しであった。


「レベルが高ければ高いほど、意識の切り換えも早いのです。早すぎると気付かないか、せいぜい些細な違和感を持つ程度ではありますが、彼――ジーサ・ツシタ・イーゼはそうじゃない。しがない第二級にすぎません」

「いいから服着なさいよ」


 ばつの悪いヤンデはローブを母親に叩きつけることで発散しつつ、「レベルではないというわけね」要約を述べる。


「そうなのよね。性にだらしない素振りもどこかわざとらしいというか、実感がこもっていないというか、見ていて寂しくなる時があるわ。あの異常な頑丈さと関係しているのかしら――」

「探求は終わりです」


 深掘りのスイッチが入ったヤンデだったが、その引き締まった美声に引き戻される。


「我らに対する二度の狼藉は、決して捨て置くわけにはいきません」

「公表はされますか?」

「いいえ。ここにいる私達だけで内密に行います。シッコク捜索の指揮はオルタナに任せます。他の全員はシニ・タイヨウの捜索に注力――いいですね?」

「はっ」

「対象は殺しますか?」

「生け捕りにしてください。おそらくそうするしかないでしょうが」


 その場が会議が始まり、次々と決定されていく様を、ヤンデは湯に浸かったまま眺めていた。


 ものの数分で解散に至った後、「朝までゆっくりなさい」そう言い残してサリアも湯気の中に消えていく。


「……」


 気丈に振る舞っていたヤンデだが、タイヨウに逃げられたショックはまだ引きずっている。

 母親であり女王でもあるサリアの統率感も改めて目の当たりにしたし、最愛の夫に対する辛辣な処遇も確定した。


 ヤンデにできることは、湯に潜ることだけだった。

第250話 見解3

 スキャーナが王都貴族エリアの屋敷に帰宅したのは、第五週七日目《ゴ・ナナ》の0時過ぎ――つまりは日をまたいだ後であった。


「疲れたぁ……」


 衣装室には寄らず、居間に滑り込むように飛び込ぶ。

 床に落ちるまでの数瞬でガートンの制服を脱ぎ、いつものネグリジェを引き寄せて着るという横着っぷりである。どんっと仰向けの大の字になったところで、


「胸元が見えていますよ」

「従う義務はないです」


 上司の声が降ってくる。こんな時間にもかかわらず、机を散乱させて仕事にご執心のようだ。


 既に勤務時間は過ぎている上、深夜は回復と睡眠のため業務が振られることもない。

 もっとも現場ではあまり守られていないが、この上司はしっかりしている。既にこのだらけたプライベートモードがバレていることもあり、スキャーナは開き直っているのだった。


 実際、ファインディからそれ以上の話が続くこともなく、沈黙が続く。


「寝よ……」


 襲われるという発想はスキャーナには無かった。

 この上司は色欲に左右されるほど甘い人間ではないし、部下としてはともかく私生活では一切興味を持ってこないこともわかりきっているし、仮に襲われたとしても為す術がない。

 どうにもできないことに費やす思考を潔く捨てるのは、冒険者の資質の一つである。スキャーナは目を閉じた。


 体裁上は貴族枠《ジュエル》の生徒ということもあり、屋敷のつくりはしっかりしている。外の音は一切届かない。そもそも貴族エリアは普段から静寂なものだ。


 紙がめくられ、羽根ペンを走らせる音だけが部屋を満たす。

 そこに時折、詠唱が加わる。


「……何をしているようで?」


 気になったスキャーナは机を覗き込んだ。

 半分ほどを占有してジャースの地図が構築されている。|国や街や村《パブリックユニット》を示すであろう境界が引かれ、内部には、小さな人型の石が配置されている。


「しばらく多忙が続きます。休みなさい」

「人口、のようで?」

「分布の推移を見ています」


 残り半分に目をやると、大量の書類が隙間無く、しかし無造作に散らばっている。各ユニットの人口情報を示すものだとスキャーナはすぐに気付いた。


「情報紙の配布戦略ですよね。ファインディさんの仕事ではなかったのでは」

「本部は仕事が遅いものですから。それに、これは趣味みたいなものです」

「うわぁ……」


 平民向け情報紙『ニューデリー』が始まったことにより、情報紙の配布先とルートが桁違いに拡大している。

 ガートンとて人材は無限ではなく、ジャース大陸もまた少数の実力者でカバーしきれるほど狭くはない。いつ、どこに、誰がどのように配布するかという配布戦略の策定は急務であった。


 書類を弄《まさぐ》り、石人形を置くことを繰り返すファインディ。

 書類上のデータを地図に落とし込んでいるようにしか見えず、「報告書を読めば良いようで」思わず口に出してしまう。


「……」

「無視は傷つくようで」

「鬱陶しいですね。残業を命じても構いませんよ?」

「寝ます」

「冗談です」


 どこまでも変わらない上司にある種の安心さえ覚える。

 スキャーナは食料庫から果実水とカップを引き寄せ、宙につくったテーブルに置いて、のんびりと味わい始める。上司の一瞥を食らったが気にしない。「ファインディさんも何か飲まれますか?」「……」無視されたが気にしない。


 上司の仕事ぶりを見る機会は意外と無い。

 スキャーナは遠慮無く鑑賞することにしたのだった。


 少し胡散臭いが、穏やかで頼れる壮年の雰囲気がある。手先も早く、精神も厚い。ギルドの受付や後方事務にでもいれば、さぞ重宝するに違いなかった。

 しかし接客にも事務にもも興味がないので、すぐに思考が脱線する。


(わからない)


 彼が唯一抱えるのはシニ・タイヨウ案件であり、その仕事も自分に丸投げしている。言わば手持ち無沙汰の状態を意図的につくっていたはずだ。

 裏で何をしているかは知らないが、昨日インタビュー項目を変えてきたかと思えば、今はこんなつまらない仕事をしている。

 何を企んでいるのか、まるでわからない。


 探れないこともなかった。

 絡んでくるなとのメッセージは出してきているが、突っ込んだ質問をすれば答えてはくれるだろう。

 うぬぼれでなければ信頼もある。思わぬ大役を授かる――あるいは泥沼に巻き込まれると言えるかもしれないが、誘われる可能性も肌で感じている。


(覚悟も出来てる)


 むしろ期待する節すらあった。


 うじうじ悩むのは性分ではない。スキャーナは口を開こうとして――


「お偉い様がいらしたようですね」


 その呑気な呟きとは対照的に、スキャーナは慌てて制服を引き寄せて着るも、間に合わず。


 ぶわっと風圧が室内を満たした。


「でかくなったなぁ、スキャーナ」

「変人上司とよろしくやってんのか」

「『中々の手つきですね。私は好きですよ』」

「ぎゃはははっ」

「――何のようで?」


 下卑《げび》た下っ端が三人と、上司よりも役職の高い二名――五人のガートン職員に取り囲まれている。

 ここまでの接近の仕方から、実力の程は見て取れる。珍しいことではない。学園首席のスキャーナも、会社ではせいぜい平均クラスだ。


(二人はいける。頑張ればもう一人……)


「落ち着きなさい」


 いつも通りの上司の声だった。

 戦闘の気配を感じた部下に勘付き、窘《たしな》めてくれたのだとスキャーナは理解する。


 もっと言えば、その直感が間違っていないことも。


「相変わらずいけ好かない男ね」

「あなたは相変わらず美人ですよ、シーカ」

「手を止めてこっちを見なさい」

「業務時間外ですし、あなたはもう上司ではありません。むしろ深夜に踏み込んでくる方が無礼では?」


 ザンッとすべての椅子が真っ二つになる。

 スキャーノがかろうじて視認できる速度――それでありながら一切の力が漏れておらず、ごとんと倒れた椅子の切断面は不自然に綺麗だった。


 綺麗と言えば、空気椅子を維持するファインディの姿勢もそうである。憎たらしいほどに微動だにせず、仕事だか趣味だか知らないが、手も止めていない。

 ぷつんと髪留めの切れる音がした。

 一つ結びになっていたシーカの黒髪が広がる。「ひぃ」とは下っ端の悲鳴。


 シーカは幹部である。

 八段階から成る役職の第三位にあたり、第六位の部長職であるファインディとは階級が違う。ちなみにスキャーノは主任であり、第七位にすぎない。


「会社の規律を乱す問題社員を罰しろ、とのお達しを受けました」


 怒れるシーカは社内でも有名だ。

 森人族《エルフ》や鳥人族《ハーピィ》とは違い、ガートンは男尊女卑である。のし上がるのは容易ではない。

 彼女が選んだのは無慈悲と暴力であり、そのエピソードは第一位の社長さえもビビらせる。

 しかし、これ以上の存在と向き合ってきたスキャーナには威嚇にもならず、既に発言の考察に入っていた。

 結論もすぐに出る。


(そんなはずがない)


 上層部はこの男を疎んでいるだろうが、手放す、まして敵に回すほど愚かではないはずだ。

 このファインディという男もまた、会社に罰される愚考をしでかす無能ではない。


「ただの私情のようで」

「……スキャーナ? よく聞こえなかったんだけど、もう一度言ってみて?」


 娼館上がりは伊達じゃないらしく、迫力のある微笑がスキャーナを射竦める。


「ファインディさんを舐めすぎです。あなたごときに敵うはずがない」

「【髪剣《ヘアード》】」


 高速で接近され、硬質化した髪を叩きつけてきたのは見えた。

 スキャーナの右腕に斬撃がめり込み、少なくない血が垂れる。


 実力差は分かっている。止めようなどない。

 しかしシーカの性格も知っている。最初から致命傷を与えてくることはない。


「処分の内容を聞きましょう」


 ファインディはようやく手を止めたようで、シーカに向き直った。

 が、直後、「大丈夫ですか」普段はそんなことしないくせに、心底部下を心配したような表情で語りかけてくる。

 それがおかしくて、「大丈夫じゃないです」スキャーナが雑に答えると、「ぐっ」峰打ちのような打撃を腹部に叩き込まれて、飲んだばかりの果実水をすべて戻すこととなった。


「汚いですねぇ……」

「こっちを見て」


 シーカは一瞬でファインディとの間合いを詰め、机に片手を置いて迫る。


「シーカ様。処分の内容をお聞かせください」

「他人行儀な呼び方はやめて」

「私は部長で、あなたは幹部です」

「……」


 娼者《プロスター》時代のシーカを拾い上げたのがファインディだと聞いている。

 どんな経緯があったのかは知らないが、両者の熱意は傍目に見ても明らかだった。


「仕置部屋《しおきべや》で一週間の謹慎よ」

「そうですか」

「監視は私は行うの」

「シーカ様も物好きですね」

「久しぶりにいっぱい話そうね」

「シーカ様。公私は分けませんと」

「その呼び方はやめて!」


 ばんっと机が叩かれ、ファインディお手製の人口模型が割れた。

 吹き飛んだ欠片が、思い出したかのようにかつんと落ちる。


「もう一度だけ言います。公私は分けなさい」


 スキャーナでも気付くことに気付けない男ではない。

 ファインディはこの処遇が正式なものではなく、シーカの職権乱用によるものであることも見抜いている。

 その上で言っているのだ。


 今ならまだ間に合う、見逃してやると。


(まだ利用価値があるようで……)


 もし職権乱用を指摘し、シーカが認めた場合、その発言が証拠になる。この中の誰かに逃げられてもしたら彼女の立場は危うい。

 遠回しに言ったのは、そうさせないためだ。


 無論この男に温情という概念はない。そうしてまで事態を収拾するほどの価値が、まだシーカにあると見ているのだ。


「もう我慢ならないの。あなたの隣でいちゃついてるこの下品な女も、何度殺したくなったことか。ねぇわかる? わかるでしょ? 私が他の男と遊んでてもイラっとするよね?」

「スキャーナは有能ですよ。あなたとは比べ物にならない」

「他の女の話をしないで!」


 今度は書類が木っ端微塵となった。

 塵《ちり》の細かさに確かな狂気と実力を感じさせる。下っ端の一人は腰を抜かして、地面に尻をついている。


 シーカの髪が触覚のようにうねっている。

 それがファインディを向き、近づき、愛おしそうにつついている。


「私はあなたを手に入れるの。会社も何も言わないし言わせない。ねぇ?」

「はっ!」

「は、はいっ!」


 既に買収も済んでいるようだ。

 恐怖だけで継続できるほど暇ではないだろうから、おそらく娼者としてのテクニックも使ったのだろう。おそらくもっと上にも手を出しているはず。

 外で鬱憤を張らせないガートンに、異性の社員という誘惑はあまりに強い。


「スキャーナ。このようになってはいけませんよ」

「だからその名を――」


 片手でシーカの顎を引き、自分の顔を近付けるファインディ。

 そういうことに縁の無いスキャーナでも、そうするのだとわかる妖艶な雰囲気が醸し出ていた。


 唇と唇が重なる。


 シーカの瞳が潤む。

 既に毒牙にかかってるであろう外野が羨む――


 つまり、場が怯んでいる。


「【歯砲弾《トゥース・キャノン》】」


 その詠唱は唇を重ねているのに明瞭で。

 なのにスキャーナでも聞き取りが怪しいほど高速で。


(シーカさんは判断を見誤った)


 魔法やスキルの威力は詠唱の明瞭さに左右される。

 スピード重視の詠唱であれば大したダメージはなかっただろう。キスをしているから大した詠唱は込められない――そう彼女は踏んだはずだ。そもそも疑ってもいなかっただろうが。


 しかしファインディは器用にも、しっかりと発音できる口づけの仕方をしたのだ。

 もちろん不審がられては怪しまれる。元娼者相手ならなおさらだ。

 相当な修練を積み、開発したに違いなかった。


「【爪砲弾《ネイル・キャノン》】」


 あとは散歩にも等しい。


 空いた手から爪を飛ばして、残り四人の脳天を的確に貫いている。

 シーカも同様だ。特にレベルが高く防御も硬い彼女を貫くのは容易ではない。体の中でも比較的柔らかい口内から高火力を撃つ戦法だったのだろう。


 爪はすぐに指先に戻った。

 歯も同様に口元に帰っているに違いない。


 五体の死体はもはや動かない。貫き方を工夫すれば、たとえ小さな風穴でも人は即座に全く動かなくなるというが、スキャーナには出来ない芸当であった。


「見事なようで……」


 制御を失った死体が次々と倒れ、血しぶきをあげる。


「また忙しくなりますね」


 仕事の心配をしているのだろう。早速地図も再構築しているし、呑気なものである。


「さすがにこれはまずいのでは」

「問題ありませんよ。シーカと関係を持っていたどなたかは、この件を無かったことにするでしょうから」


 どういう理屈に基づいているのかは知らないが、ファインディがそう言うのならそうなのだろう。

 さして興味も無いため、追及する気も起きない。


「そろそろ回復をください。お腹がかなり痛いです」

「シーカは容赦無いですからねぇ……」

「ファインディさんにだけは言われたくないようで」


 上司の聖魔法に自分の分も混ぜて速やかに回復した後、スキャーナは寝室へと向かう。

 さすがに今から探る度胸は無かったが、せめて思考は途切れさせたくなくて。


(ジーサ君に関係しているのは間違い、ない、はず……)


 ファインディのシニ・タイヨウに対する執着は忘れがたい。

 一連の行動はすべて繋がっていると考えるべきだ。


 たっぷり考察するつもりだったが、予想以上に疲れていたのだろう。


 ベッドに飛び込んだスキャーナは数分と保《も》たなかった。

エピローグ

1000

「なあ、もうちょっと静かにしてくんない?」


 鍛錬なのか遊びなのか、青白い悪魔がぶつかり合っている。早すぎてほとんど見えないが、轟音と評しても生ぬるい爆音が起きてて会話もままならん。

 それでも俺の声を拾えるのだから大したもので、内耳ごと引っこ抜かれたかのような感覚を覚えた。

 たぶん無詠唱で防音障壁《サウンドバリア》を張ったな。


 薄暗いダンジョンの中で、素顔も肉体も全部晒した俺はグレーターの一体と向かい合っていた。というか、でかいので見上げてる。

 と、そこに、よじよじと登っていく幼い子供が二人。

 ダンゴとクロだ。


 金髪で裸体という見覚えのあるフォルムは、俺に何か言いたいことでもあるのだろうか。ツッコまんぞ俺は。

 まだ一般人《レベル1》の動き方としてはほんの少しぎこちないが、鍛錬も兼ねているのだろう。向上心が高いのは良いことだ。


(認めるつもりはねえけどな)


 人外の子守なんて勘弁だし。

 と、コイツらをいちいち気にしてては埒が明かないので、早速切り出す。


「あまり時間がない。手短に話すぞ」


 話したいこと、聞きたいこと、頼みたいことは山ほどあった。せっかく自由の身になったのだからとことん利用してやる――と言いたいところだが、そうもいかない。


 俺にはブーガから課されたミッションがある。

 そのために|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》を捨ててきたのだ。


 当然アルフレッドもエルフも、あとはガートンもだろう、黙っちゃいない。大規模な捜索や検問が敷かれるくらいは想定するべきだ。

 動きづらくなる前に、潜入を完了させる必要があった。


「事情があって、俺はダグリンに行かなきゃならない。ダンゴとクロの力を借りて、第三の生を歩むつもりだ。そこで、お前らには俺を無難に送り届けてもらいたい」


 グレーターは何も答えない。

 銅像と遜色のない無機質な瞳は、俺を歪めて映しているだけだ。


 視界の端にはダンゴとクロ。角のてっぺんまで登って、何をするかと思えば、下腹部を刺して腰を仰け反らせていた。いや何してんの。


「目障りすぎる」


 俺は飛び上がって二体の幼女を回収し、地面に叩きつける。一般人《レベル1》ならぺしゃんこだが、弱い方のダンゴでもレベル40なので問題はない。ジャース流の加減にもだいぶ慣れてきた。

 二体とも懲りないらしく、今度はお互いに絡み始める。熱心なのは良いことだが、さっきから絵面が洒落にならないんだよなぁ……。


 いちいち気にしてしまうあたり、たぶん俺の性癖を突かれているのだろうが、考えたくないので無視無視。


「話を戻すが、以上が俺の要求だ。続いて褒美だが、こうして俺を攫《さら》ってくれた分も含めて、今から払ってやる。そうだな――」


 短すぎると納得してもらえないし、長すぎて現地入りが遅れるのも困る。


「半日。半日だけ、俺の体を好きにしていい」


 俺のこだまが途絶えた瞬間、悪魔の手が動く。


 頭をつまんできた。

 一瞬で目の前に引き寄せられ、第一級でも一撃で絶命させるであろう太い指がビシビシと俺を弾く。

 激しく振動しているのだろう。視界がモザイクみたいに不明瞭だ。


(さてと)


 交渉は無事成立した。

 実験台か、おもちゃか、それともサンドバッグか。どうでもいいが、この間にコイツらに出す要望を考えるとしよう。


(俺はダグリンの国民になる)


 ブーガとサシで話したときに三国の話を聞いたが、ダグリン共和国が一番過ごしやすいと感じた。

 国民に時間割を課すような、ある種イカれた国だが、だからこそ溶け込みやすい。他国民でも貧民でも誰でも帰化できるし、ちゃんと努力すれば道も開けるようになっている。


 ただの国民として生きつつ将軍の情報を調べ上げ、隙を見て殺す――

 それを二年以内に行う。


 それが俺のブーガミッション攻略プランだった。


(あるいは《《グレーターを使ってブーガを消す》》か)


 が、この悪魔達がどこまで俺に従うかはわからない。

 崇拝状態《ワーシップ》とはいえ盲目的な言いなりにはならないのだ。たぶん知能が高いからなんだろうけど。


(それに竜人の存在も気になる)


 グレーターを竜人に消されるだけならいい。問題はその後、グレーターをけしかけたことがブーガにバレた場合だ。


(確実に俺は終わる)


 静かで美しい夜の上空も。

 本心のすべてを晒した皇帝の凄みも。

 そして何より人類最高の速さと重さも。


 忘れるはずもないが、忘れてはいけない。

 あの人は惚れ惚れするほど本気なのだから。


(そもそもブーガがいなくなることによる均衡の崩壊も怖いよな)


 異世界ジャースの、少なくとも人類の部分は、一部の強者によるデリケートなバランスのもとに成立している。

 ブーガは間違いなくそのピースに含まれる。まあ学者じゃあるまいし、ブーガ無き後の展開なんて予測できるはずもないし、学者だとしても未来なんて大体当たらないけどな。


 それでもブーガ・バスタードなる英傑の欠如は悪手に違いない――


 そう俺の直感が訴えている。

 いや、初めて出来た友人でもあるしな。そう思いたいだけかもしれない。


 変にこじらせそうだったので、これ以上の思考は放棄した。


(とすると、やっぱりダグリンに入るしかないよな。どこに飛ばしてもらえればいいのか。そもそも飛ばせるのか? また検問みたいな出入口を突破するのは御免だぞ……)


 ジーサのときはそれでいきなりバレたわけだからな。

 魔法無き俺には大した小細工も持ち得ない。一方で、俺を探す勢力は近衛やヤンデといった魔法のお化けを有している。

 どう考えても俺では出し抜けない。

 だからこそ、グレーターの力に頼るしかないのだ。


(あとは名前か)


 |死にたいよう《シニ・タイヨウ》。

 |自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》。

 獣人に成りすましたときに|自殺犬《スーサイ・ドッグ》も使ったか。


 自殺のニュアンスは絶対に外せない。覚えやすさもだ。

 ミドルネームやファミリーネームは邪魔だよな。むしろ家柄を詮索されても困る。冒険者や貧民みたいにファーストネームだけでいい。

 死ぬ。自殺。スーサイド。他にこのような意味を持つ単語はあったか――

 しばらくの間、思わず集中してしまった。

 いくつか候補を絞れたところで、


(名前を考えるのは楽しいものだな。……コイツらも楽しんでやがる)


 頭に流れ込んでくるダメージ量がさっきからエグい。

 深森林でバーモンに遊ばれたとき以上の密度と重さであり、俺と再開したときに何をするかってのをコイツらが練っていたことがよくわかる。さっきのじゃれ合いもたぶんウォームアップだろうし。


 ナッツも面白いことになりそうだ。

 ダブルロイヤルになった時が590ナッツくらいだったが、この調子だとたぶん1000を超える。


(核兵器超えてね?)


 いっそのこと、1000ナッツを放った方が楽なんじゃねえかと安直な自棄が頭をよぎる。

 竜人のみならず、大陸を丸ごと滅ぼしてしまえば、もう脅威はないのだから。


 ただ、それはそれで問題である。

 ここジャースはクソ天使がつくった世界《ゲーム》であり、おそらくは絶賛稼働中だろう。



 ――この世界は我々の威信をかけた一大プロジェクトなのです。



 メガネスーツ天使もそう言っていた。

 もし俺が規格外な解放でめちゃくちゃにしてしまえば、プロジェクトが失敗に終わる恐れがあった。

 そうなると成仏――輪廻転生から解放してくれるとの約束もおじゃんになる。俺はまた別の異世界《ゲーム》に飛ばされるだけだ。それじゃ意味がない。

 俺は今の世界で死にたいんじゃなくて、文字通り永遠に死にたいんだからな。


(まだ時間はある。じっくりやってこうぜ)


 自分に言い聞かせてから、再び思考の海に潜ろうとして――


「……は?」


 ダメージの嵐が急に収まった。

 俺の視界にも第90階層の空間が映っている。

 違うと言えば、悪魔達も、ダンゴとクロも平伏していることくらいか。


 俺は何もしていない。

 コイツらが向けているのも俺じゃなくて、俺の正面だ。


 薄暗闇の先は何も見えないし、ダンゴの夜目も無いが、それでもすぐにわかった。

 わからないはずがなかった。


「……」


 全身が何かを訴えている。


 俺はレベルアップしたはずだ。

 ブーガの圧も経験済で、もう慣れた。そもそもバグってる俺にはあらゆる恐怖や威圧が通じない。

 いや別に今も怖いとは恐ろしいとかいった感情は感じないんだが、それを抜きにしても、このオーラは今までとは違う。違いすぎる。

 別の言い方をすれば、当初と全く変わっていない体感だった。


 意外にも、それは人間みたいな足音を響かせながら歩いてくる。


 やがて見えてきたのは、やはり想像通りの男で。


「テメエには会いたくなかったが仕方ねえ。俺の家族をたぶらかせた件、吐いてもらうぜ」


 理不尽の本体――かの魔王と再び邂逅した。

=== 第七部 ディストピアとか舐めてんのか? ===

第一章

第251話 再邂逅

「テメエとは会いたくなかったが仕方ねえ。俺の家族をたぶらかせた件――吐いてもらうぜ」


 ダンジョン『デーモンズシェルター』の最深層にて、なぜか魔王に出くわした。


(見た目は人間なんだけどな)


 年下にも年上にも見えるイケメンが、黒の半袖と半パンを着ている。筋肉の量と付き方はレスラーほど露骨ではないが、格闘家くらいは名乗れそうか。

 まあ容姿なんて何の参考にもならないが。


 人類が束になっても敵わないであろう青白き悪魔も。

 エルフさえ欺く変幻自在のスライムで、今はなぜか某金髪裸族幼女に模しているダンゴとクロも。

 あとは隠密《ステルス》モンスター達もそうだったか。


 モンスター達が揃って頭を垂れる理由がわかる気がする。

 これは重圧か。


 否、概念だ。


 魔王とそれ以外とがあって、後者は前者には絶対に勝てない――

 そんな事実をただ突き付けられているような爽やかさがある。恐怖もなければ畏怖もなく、ただただ横たわっているのを見ていることしかできないというか。

 ただのオーラなのか。その規模がとてつもないのか。それとも別の何かを仕掛けてきているのか。


 わからない。

 わからないが、仕組みを探ることさえおこがましくて、「まるで空だな」よくわからない感想が出てしまった。


「意味わかんねえこと言ってんじゃねえ。テメエらもかしこまるな。オレ達は家族なんだからよ」


 後半の台詞を受けたグレーター達は、人間のように顔を見合わせると、こくりと頷いて。

 次の瞬間――


 音も無く、砂塵さえ一粒と立てずに、仰向けに倒れていた。


(テレポートよりも一瞬だったな……)


 たぶんグレーター達が純粋な物理攻撃で勝負しに行って、それを魔王が手も触れずに捌いたんだと思うが、正直わからん。

 ミリ秒、いやマイクロ秒どころじゃない刹那なのは間違いなさそうだ。実力差バグってない?

 やっぱりコイツが滅亡バグなんじゃねえの? と安易に疑いたくなる。


「37年前より速えな。これ以上増やしても相手がいねえぞ」


 魔王はグレーターの逞しいふくらはぎをポンポンと叩きつつ、両肩にはダンゴとクロを迎えている。

 どこで覚えたのか、剥き出しの恥部を押しつけている俺の相棒達。ホント何してんだお前ら。「こういうのがテメエの趣味か」違います。


 されるがままの魔王は、そのまま俺の側にまで来て腰を下ろす。

 後方ではグレーター達も同じようにあぐらをかいていた。俺のことを太い指で差したり、また顔を見合わせて首を傾げたりしている。


「今さらテメエの謎を明かそうとは思わねえし、明かせるとも思えねえ」

「そりゃ残念だな」

「オレから言いたいことは一つだけだ。――コイツら使って何企んでやがる?」

「とりあえず二人を引き剥がさないか?」


 目の前に幼女のお尻が二つもあっては、真面目な話も何もあったものじゃない。


 魔王は素直に聞いてくれるようで、首根っこを掴んで離した。

 ぷらんと垂れ下がっている家族《モンスター》――どう見ても人間の小学生低学年くらいにしか見えない寄生スライム達を交互に見やる。

 難しい顔をつくっていて、なんていうか普通に人なんだよなぁ。


「寄生スライムにしては異次元の出来だなオイ。オレでも見破れる気がしねえ」

「だそうだ。良かったなダンゴ、クロ」

「……」


 父親のように二人を優しく置く魔王。


「《《二人》》か」

「二匹とでも言った方が良かったか?」

「テメエがぞんざいに扱ってねえことはわかった」

「言葉なんてどうとでもなるし、コイツらと付き合ってるのも利用価値があるからなんだが」

「んなこたぁわかってんだよ。コイツらがそう言ってんだ。なっ?」


 二人の幼女がこくりと頷く。やっぱりユズに似せてやがるなぁ……。そして学習能力もエグいみたいで、もう動き方に不自然さがなくなってきている。


 魔王さえも関心するほどの寄生スライム――。

 確実にアドバンテージだよな。絶対に手放してはいけない。


「テメエの行いに免じて追及は勘弁してやる。代わりに見せてもらうぜ」

「何を?」

「命令できんだろ? どっちでもいい。試しに何か命令してみろ」


 さっきから魔王が何を知りたがっているのかわからないが、脱線できる雰囲気でもない。一応聞いてみようとして、


(……喉が動かん)


「余計な発言は禁止させてもらうぜ。詠唱もだ」

「それだと何も喋れなくなるが」

「どこに向けて何喋るかはわかんだよ。ほら、さっさとやれ」


 心を読まれているかのような錯覚に陥る。

 思いつきで『10ナッツ』と威力を変える詠唱を口ずさもうとしたが喋れない。しかし「10ナット」フェイクはしっかりと喋れた。「遊んでんじゃねえよ」へいへい。

 全くカラクリがわからんが、相手は魔王。俺ごときが張り合うだけ無駄だろう。


 何をデモンストレーションするかしばし考えて。

 せっかくだから、相棒の引き出しを一つ漁ることにした。


「ダンゴ。クロ。俺のレベルを偽装しろ。実力検知《ビジュアライズ・オーラ》でもバレないようにだ」


 これまで俺は誤解していた。寄生スライムでもさすがにレベルは誤魔化せないと思っていたのだ。

 だからこそ切断など防御力がバレる出来事に警戒してきたし、身体能力をフル活用して低レベルのパフォーマンスを演じつつ、コイツらにもわざわざ発汗や出血を再現させてきた。

 が、そもそもそんな必要は無かった。


 シッコクとグレンである。

 あの二人は第一級クラスの実力《レベル》を持ちながらも、無能な生徒として過ごせていた。レベルを測れるサリアでさえ気付けなかったのだから、寄生スライムの秘技という他はない。


 さて、俺の命令だが、ユズそっくりの幼女二人は揃って首を振ってきた。縦ではなく横に。


「言ったよな? 俺はこれからダグリンの国民になる。それも一般人《レベル1》のエリアに行くつもりだが、このままではレベルを偽装できない。わかるよな? レベルを見抜ける追っ手に見られただけで終わるんだよ。俺は捕まって処刑される――まあ殺せはしないだろうから封印だろうけど」


 死にたい俺にとって、いつ終わるかわからない退屈など地獄でしかない。

 もちろんリリースを放てば勝てるが、そうやって騒げばいずれ竜人に行き着く。さすがにジャースを統べる天上人に勝てるとは思っちゃいない。

 おそらくレベルからして違うはずだ。魔王にどれだけ近しいかはわからないが、こうしてカラクリもわからず完璧にピンポイントで封じられる可能性だってある。


「俺ほど面白い宿主は、もう二度と訪れないと思うぞ」


 だよな魔王? と同意を求めようとしたのだが、喉が動いてくれなかった。


 本当にピンポイントで止めやがる。会話の中で魔王を使うことも許さないってことだろうか。警戒しすぎじゃねえか?

 ぶっちゃけバグのヒントを探るための会話を色々したいんだが、この様子だと無理そうだな。


 まあいい。命令自体は心配していない。

 コイツらは生意気で小賢しいが、バカではない。


「もう一度言うぞ。一般人《レベル1》に偽装しろ」


 今度は二人とも頷いてくれた。

 ひとっ飛びで俺に抱きつき、変形するのも一瞬のことで、もう外殻が出来上がる。肌も、皮膚も、爪や指紋から手相に至るまで、すべてが完璧に再現されている。さっきまで使っていたジーサのものだ。


「これでどうだ?」

「何者なんだテメエ……」


 口に手を当て、小首を傾げる魔王さん。

 その人間らしい反応から見るに、偽装は成功したようだ。つまり魔王は俺のレベルを把握しており、それがこうして変わったこと――それも俺の説得によって変わったことを目の当たりにしたわけである。


 にしても、さすがは人類最強だよな。無詠唱のレベル算定くらい息するようにやるってか。


「レベルカモフラージュは相当|辛《つれ》えことだ。脅されねえ限り、誰もやりたがらねえ」


 逆を言えばシッコクとグレンは脅してたってことだな。調教《テイム》もそういうものだと聞くし。


「その二人ならオレの頼みでも聞かないだろうぜ。なのに魔人ですらない人間がその気にさせただと? テメエ、ふざけるのも大概にしろよ……」

「俺に言われてもなぁ」

「何がどうなってやがる……」

「俺が聞きたいくらいだな」

「最初会った時からおかしかったんだよテメエは」


 まあ転生してきたわけだからな。つっても実際はバグってて転移――つまりは生まれ変わりではなく、ただこの世界に移動してきただけみたいな挙動になってるけども。


「オレが積み上げてきた理《ことわり》じゃ説明できねえんだよ。間違ってたというのか? このオレが? そんなハズはねえ。考えたくもねえ」


 何に悩んでいるのかは知らないが、埋没効果《サンクコスト》の罠に陥っている。ここまで費やしてきたものを捨てたくないってやつだ。

 なんていうか、人だなぁ。いや魔人も人なんだけどさ。


「――悩んでも仕方ねえ。やはりテメエは見なかったことにする」

「がっつり絡んできたくせにな」

「魔人でもねえ人種がモンスターをコントロールするってのは放置できない事象なんだよ。現にコイツらもひくほど強く《《なれるようになってやがる》》。テメエの身体を使わせまくったんだろ?」


 紛らわしい言い回しだが、おそらく俺で実験しまくったおかげでレベルアップの糸口を掴んだってことだろう。


 不死身の人間が人体実験されるマンガを昔読んだことがある。

 いくらでも試せる手段はそれ自体がチートだ。それこそ魔王なる人物がこうして感心や当惑を示すほどに。


「アンタも使ってみるか?」


 魔王というチャンスを活かすために。

 交渉の余地をひねり出すために。


 俺は誘惑を提示した。

第252話 再邂逅2

「俺のこの身体――アンタも使ってみるか?」


 いくらでも試せる無敵の身体は、魔王を誘惑できるほどの価値を持つはずだ。


「出会ったときみたいにぶっ放してもいいぞ。なんだっけ、メガトン・グラスプ?」


 俺としても世界最強の人物はぜひとも使いたい。

 つまりウィンウィンが成立する。そう思ったのだが――


「地上で放てるかよ。おい」


 後半はグレーターデーモンへの呼びかけだ。

 もう俺への興味関心が消え失せている。魔王が立ち上がった。


「コイツらは連れて行く。もはや地上にいていい水準じゃねえ」

「待て待て。俺の頼みがまだ終わってねえって」


 グレーター達もすでにゲート開いてるし、何なら面倒くさくて逃げようぜと言わんばかりの態度で背中を向けてきてやがる、つーか見せつけてる。お前らわざとだよな、何なん。


「俺は一般人としてダグリンの国民になりたいんだよ。で、ここからが問題なんだが、俺にここからダグリンに向かえるほどの力はない」

「よく言うぜ」

「二国から追われる立場なんだよ。俺はレベルも魔法も大したことがない。殺すのは簡単だが、逃げることができない」

「誰か相手してやれ」


 ずいっとグレーターの一体が前に出て、そのつぶらな瞳で俺を見下ろす。

 元々そのつもりだったが、コイツもモンスターであるためイエス・ノーしか答えられない。ここからまたやり取りを頑張らなきゃいけない。

 いくら俺が疲れないからといっても、それは面倒なことで。


「……なあ。アンタに頼んでもいいか?」

「見なかったことにすると言ったぜ」


 俺と関わるつもりは一切ないってか。ケチな奴だ。

 あるいは、だからこそ魔王たりえるのかもしれないが。要するに超常現象とは原則関わらないようにしているわけだ。


 そんな律儀な魔王さんは当然のように無詠唱でゲートをつくっている。

 秒と経たずに数十個くらい生成された時空の門。

 それぞれから出てくるのはモンスターで、どれも視覚的に強そうだと一目でわかる。破壊と、そう、殺害――人を殺すことしか想定してないフォルムばかりだ。


 弱者は見ただけで恐怖し、絶望するだろう。

 強者は見ただけで警戒し、問答無用の駆除を即決するだろう。


 生物は生存競争を経て進化していくという。

 モンスター達がまるで人類への対抗に特化しているように見えるのは気のせいではあるまい。それはつまり、人類と競争してきた歴史があるってことなんだろう。

 獣人曰く動物《アニマル》はとうに滅んだというし、人類の主食はモンスターの肉だしな。


 |この世界《ジャース》への興味が湧き上がってきたが。


(死にたい俺には要らないものだ)


 見なかったことにして、


「さてと、どうしたものか」


 整理すると、俺はアルフレッドだのエルフだのに見つからないようダグリンに潜り込む必要がある。


 目的は、同国の将軍全員を殺すため。

 理由は、ブーガとの約束だから。


 別にダグリンに帰化すること自体は必須ではないが、どの国にも所属しない者はすぐに怪しまれる。

 所属先の選択肢は事実上|四国《よんごく》だが、消去法で唯一使えそうなのがダグリンだった。元々いつでも誰でも帰化を受け付けている国でもあるしな。


 さて、この任務には二年以内という期限もついている。

 達成できなかった場合、あるいは途中で誰かに漏れた場合、ブーガは俺を無力化するという。


 対話したからわかるが、あの人はマジだ。


 帝王として、己の為す術の無さを嘆いていた。

 俺を使って打開することに賭けたのだ。そして、それができなかった場合は、もう強行策に出るしかないとも。


(グレーターも没収されたし、魔王も俺と関わる気がない)


 散々痛感しているが、そう都合の良い展開にはならない。俺自身が何とかするしかない。


 俺は二国の網をかいくぐってダグリンに行く。国民になる。

 そして一般人《レベル1》として生活しながら将軍の情報を掴み、殺していく――。


 できるできないの問題じゃない。

 やるしかないんだよ。


「お前には俺をダグリンにまで運んでもらいたい。まず、俺を直接ダグリンの領地にまでテレポートさせることはできるか?」


「じゃあゲートを繋ぐことは?」


「ダグリンの領地内、またはその近くにあるダンジョンの中で、お前が知っているものはあるか?」


「そのうち、行ったことのあるものは?」


「そこにはゲートやテレポートで繋げるか?」


「そこに来る冒険者のランクはどのくらいだ? 第五級? 第四級?」


 いつものように、俺はグレーターに質問を重ねることで情報を引き出していく。


 グレーターなら俺を運び届ける能力くらい持っているだろう。

 だが「運べ」という曖昧な指示では動きようがないし、人とするようなコミュニケーションを取ることもできない。

 できるのは質問することと、イエス・ノーの二値で回答をもらうことだけだ。


 つまり俺自身が質問を工夫して、正解をたぐり寄せなくてはならない。






 結局質問タイムは二時間ほど続いた。


 コイツが知っているダンジョンのレパートリーの中から、なるべく人が少なくランクもしょぼくて、かつダグリンの領地に近いものを特定――そこに送ってもらうことにした。

 これなら不自然なく領地に入れる。

 ダグリンにとって帰化は非常に身近なことであるから、俺も帰化したいですと言えばいい。

 懸念と言えば瞬間移動時に誰かに目撃されることと、あとはダンジョン出入口で入退場管理がされていた場合に「入場してない奴が出てきた」が起きかけないことだが、どちらもクリアできるとわかっている。

 まあそのあたりをクリアするだけで一時間くらいは使ったが。イエス・ノー縛りのヒアリング、マジでムズイ。


「終わったかよ」

「……ああ。アンタが手伝ってくれれば一分で済んだけどな」

「さっさと終わらせろ」


 魔王は飽きもせず俺達を眺めていた。


 その後ろにはグレーター以上の巨体がある。白っぽい銀色で全身を固めた、いかにも固そうなモンスターで、オリハルゴーレムと呼ぶらしい。その名のとおり、最硬の金属オリハルコンから成るゴーレムだ。

 さっきから話が聞こえてたんだが、何でも上階のミスリルゴーレム達をまとめあげる存在として今回抜擢されたようだ。

 同時に、コイツ自身が財宝にもなる。本来の宝である魔王の黒下着は俺が手に入れちゃったからな。そしておしゃかにしちゃってる。魔王は「ざけんなよテメエ」と愚痴ってた。


 グレーターデーモンの太い指が伸びてくる。

 俺の喉を挟み、締め上げた。


 無限のおもちゃを失うのが惜しいのだろう。俺も受けたことのなかったほどのパワーが加わっている。柄にもなくプルプル震えてるしな。

 その人腕よりも太い指の表面を、俺も全力でつっついてみるが――相変わらず硬い。硬すぎてびくともしない。綿の毛でダイヤモンドを突いているようなものか。

 思えば、コイツらが俺に抱いているのも、こういう果てしなさなのだろうか。


 感慨はこれくらいにして。


「元気でな」


 もう二度と会うことはないだろう。

 俺を締めるグレーターは、こくりと頷いてくれた。


 意思疎通ができていて、挨拶にも応えてくれて。


 モンスターを手玉に取れているという優越なのだろうか。あるいは愛着か。

 もはや俺に感情はないが、もしあったとすれば、凄く嬉しいに違いないと思った。


「テメエの心配をしろよ」

「そうだな。アンタも気が向いたらぜひ来てくれ。俺は凄いぞ? コイツらにも聞いてみるといい」

「散々聞いたっつーの。それでもだ――」



 テメエには関わらねえ。



 そんな魔王の断定を聞き終えたところで、風景が切り替わった。




      ◆  ◆  ◆




「いいご身分ね」


 かの人物の見送りが終わったところで、側近でもあり正妻でもあるサーヴァが姿を現す。

 ちなみにどちらも自称であり、魔王本人は一度とて認めたことがない。


「魔王だからな」

「殺していい?」

「テメエにはどっちも無理だ」

「アンタを殺せる化け物なんているわけないでしょ」


 サーヴァも魔人である。

 ゆえにモンスターとは普通に会話できるし、モンスターもまた魔人には同胞のように接してくることが多い。彼女もそれを期待して軽く挨拶しようとしたが、グレーター達はそっぽを向いた。

 どころか、そそそっと巨体に似合わぬ動きで遠ざかっている。


 本人の知る由は無いが、魔王を好いて追い続ける者など恐るべき狂人である。そのうちの一人であり、筆頭でもあるサーヴァとは関わるな、とは常識の一つとされていた。

 ましてその魔王と一緒にいるのだから、何が起きても不思議ではない。

 知能高きグレーターデーモンが、彼女の機嫌を損ねないように逃げるのも当然だった。


 彼女としても、なぜか避けられるのは慣れっこなため気にはしない。


「人間の方よ。そうは見えなかったし、本人もそう思ってるからこそ一般人になって隠れたがるのよね? 隠れてなかったけど」


 そんなサーヴァは実力検知器《オーラ・ビジュアライザー》の異名を持つ。

 その正確性は魔王も認めるほどであり、現に彼にも通用する寄生スライムの偽装さえ無意味だと言っている。


「覚えてねえのかよ。以前も会っただろうが」

「雑魚なんていちいち覚えちゃいないわよ」

「地下1113階の時だぜ?」

「だから覚えてないって――」

「テメエのその眼でも見えなかったことの意味をよく考えろよ」


 サーヴァの妖艶な口元が停止する。


 目の前の愛すべき御仁は魔人族の長であり、世界最強の冒険者だ。それは同時に規格外の身体能力、魔法、スキルを備えているとも言え、必要に応じて習得やアレンジさえも息するようにできるという。出来ないことなどないと言っても過言ではないほどの偉大な傑物である。


 そんな人物が一目置いているという現実。

 それも、唯一認めてくれた彼女の特技さえ差し置かれているのだ。


「絶対に手ぇ出すんじゃねえぞ」

「……」

「考えてねえで受け入れろ。絶対に手出しするな。誰にも言うんじゃねえ」


 魔王にここまで言わしめる者。

 しかし、自分の眼には雑魚にしか見えなかった者。

 意味など考えるまでもない――


 次元が違う。


 思わずサーヴァは毒突こうとしたが、


「もし何かしやがったら、|覇者の義務《メートル・オブリージュ》としてテメエを殺す」

「……」


 釘を刺されては何もできない。

 個よりも種族を、種族よりも世界を選ぶのが王であり、覇者である。


 さっきの雑魚人間は、その立場と責務を持ち出すほどの存在だということか。

 ただの人間のくせに……。


 サーヴァは頭に手を当て、こっそりと呼吸も整えてから、ようやく絞り出す。


「……どのみち竜人《ハゲ》が干渉するでしょ」

「それでもだ。アイツらとオレらとでは役割が違えんだよ。地上はアイツらの管轄だぜ」

「メンドくさいわね。全部アンタが支配すればいいじゃない」

「そういうわけにもいかねえんだよ」


 魔王についてわからないことの一つがこれだ。


 竜人を含め全世界を統べる力を持っているのに、そうしようとしない。

 魔人族という種族の外にさえも出ず、冒険者まがいの鍛錬や冒険を繰り返している。ついさっきグレーターを「相手がいない」と評していたが、自分の棚上げにも程がある。


 全世界全人類が結託しても勝てないだろう。

 そんな人物が、今さら何をしているというのか。

 むしろ覇者だからこそ、制覇するべきではないのか。


 もっとも疑問を抱いたところでどうにもならない。魔王の口を割らすなど不可能だし、しつこく追及すればそれだけで嫌われる。あるいは処罰されかねない。


「あの子、一人でいいから借りてもいい? 誰かさんのせいでむしゃくしゃしてきたから」


 とりあえずサーヴァは気分転換を選んだ。


 彼女の眼はグレーター達の細かい実力差も見抜いている。

 一番強い個体に熱い視線を送ると、当の悪魔はげんなりと肩を落とした。


「オレが相手してやるぜ?」

「アンタだけはイヤ!」


 しかし、おそらくは助け船だろう、魔王が絡んだことで悪魔は救われた。

 代わりにサーヴァ自身の予定も確定してしまったが。


「そう言うなって。オレのこと好きなんだろ? ほら、久々の魔王だぜ?」

「ちょ、ちょちょっと!? いきなり脱ぐなっ!」

「さっさと脱げ」


 刀か銃でも抜けよと言わんばかりの雰囲気だが、ジャース流であった。

 特に彼らほどの訓練にもなれば、耐えられる装備品が存在しない。ゆえに壊したくなければ、事前に全部脱ぐしかない。


「いいかげん男の身体にも慣れろっつーの。オレに惚れてるのはわかってっけどよー、いちいちオドオドしててウゼえ」

「そうやって都合のいい時だけ好意を自覚してくるところもイヤなのよ。第一、私が好きなのは分け隔てなく優しいアンタであって、別に戦闘狂や指導者としてのアンタは――」

「ここじゃ狭《せめ》え。テレポート」


 魔王の鍛錬は魔界――魔人族とモンスターの界隈でも有名で、死んだ方がはるかにマシともいわれる。

 それもそのはずで、魔王自身が人を寄せ付けないために演じているからなのだが、稀にここを超えてくる物好きが存在する。サーヴァもその一人だ。

 それでも好き好んで受けるほどイカれてはいない。


 この後、サーヴァは内臓が飛び出る苛烈さでしごかれ続けることになる。

第253話 帰化

 鍾乳洞の出来損ないみたいな気持ち悪い凹凸が続いている。

 木漏れ日のごとく光が差し込んでいるから、地表からはそう深くないのだろう。


 ついでに言えば、夜も更けている。

 この寝起きを彷彿とさせる明るさは前世と同じだな。早朝くらいか。たぶん朝の六時台。

 暦で言えば、第五週七日目《ゴ・ナナ》。


(学園に行かなくていいだけで、こんなにも気分が晴れやかだとはなぁ)


 退職した時や離婚した時もこんな気持ちなんだろうか。


 さて、生物的障害《モンスター》も物的報酬《アイテム》も存在しない洞窟はケイブと呼ばれる。


(ヤンデのスパルタ教育もなんだかんだ効いてるな)


 まず発音が蘇ってきて、次に態度の悪さと気怠げな表情が浮かんだが、意識の外に追いやった。


 グレーターにテレポートしてもらった先は南ダグリン――日本地図で言うと九州部分の、とあるケイブであった。

 いや、厳密にはそのケイブと通じるダンジョンまでで、俺は歩いてここまで来た。数時間くらいはぶっ続けだが、もちろん何ともない。


 南ダグリンはケイブの多い地方とされる。

 旨みがないため冒険者は寄り付かず、生活するにも不便なため人が住み着くこともない。その上、自然現象によりめまぐるしく変形するためマッピングの楽しさも持てないし、下手に巻き込まれでもしたら死ぬ。

 だからこそ選んだのだとブーガが語ってたっけ。


(実際何の気配もないしな。出口の気配もないけど……)


 天井をぶち破ればすぐにでも出られるが、目立つわけにはいかない。


(わかってると思うが、俺はもう一般人《レベル1》の人間だ。二人とも気を抜くんじゃねえぞ)


 もう落ち着いているが、クロは俺の心臓をフルボッコに痛めつけていた。要は嫌がっているわけだが、今までで一番のダメージだったな。それだけ|レベルの偽装《レベルカモフラージュ》は疲れるってことなんだろう。それでも頑張ってもらうしかない。

 逆にダンゴは手慣れているようで、後頭部へのダメージはまだ来てなかった。


 だるいのはわかるぜ。俺だって一般人の身体能力しか出せないのはもどかしいんだ。

 だってさ、今の俺なら音速で走るくらい容易いんだぜ? 新幹線はおろか航空機の次元だ。徒歩だとトロすぎて気が狂いそうになる。


 ともあれ、暇ならバグの考察でもしたいところだが、そうもいかない。

 今日中に、というか昼までに地上に出たい。で、すぐに手続きをしてもらって、ダグリン国民デビューするのだ。


(気を抜いていい場面じゃない)


 俺の行き先は特区――一般人からなるエリアである。

 一般人はレベル1と非常に脆弱であるが、国民の半数以上がその一般人なのだ。ゆえに手厚く保護されており、特区内には許可された者しか入れない。

 侵入者は容赦無く処罰されるし、



 ――第三級の人間を斬ったのは久しぶりである。



 皇帝もしれっとそんなことを抜かしていた。

 要するにブーガが直々に見回ることもあるほど手厚いわけだ。つーか一般人と一緒に風呂入るとも言ってたしな。


(俺は正体がバレてもいけないし、特区ではレベルがバレてもアウトなわけだ)


 俺の第二の人生、段々シビアになってね?

 ジャースに来てから誤魔化してばかりだしさぁ……。


 のびのびと過ごせる日は来るのだろうか。


(その前に死に――いや、何でもない。シニ・タイヨウ、ジーサ・ツシタ・イーゼに続く名前を考えないとな)


 死にてえんだけどな、と言ってしまいそうだったが堪えた。


 別にコイツらになら喋ってもいいと思うし、なんとなく気付かれている気もするが、それでも言うのは憚られる。


 ダンゴもクロも、宿主の自殺願望には良い顔をすまい。

 それに未来の危機を黙って見ているほど無能でもないだろう。快適な住まいを失わせないために何かしてくるかもしれないし、俺を見限って出て行くかもしれない。どっちも困る。

 そういうわけで、死の意志についてはなるべく言わないし、できることなら一度も言わないようにしようと俺は考えている。


 まあそういうもんだろ。

 親友だろうが家族だろうが相棒だろうが、隠し事の一つや二つくらいあるさ。






 意外にも一時間と経たないうちにケイブの出口に着いた。

 最後の段差に手を引っ掛け、次いで身体を引き寄せて足を引っ掛けて、とクライミングよろしくよじ登って、地面から顔を出す。


 眼前に広がるのは、両にそびえる絶壁。


(アレだな、水を抜いたフィヨルド)


 百メートルどころではない高さに、一キロメートルどころではない長さの巨大な崖がうねうねと伸びている。

 崖と崖の間、つまり俺が立っている谷部分の幅も実に広い。野球を三試合並べてもまだゆとりがある。植物の類が一切見当たらないが、深森林とは違った大自然と言えるだろう。

 と、景色を拝んでいる場合でもない。


 俺は《《疲弊した様子で》》地面から這い上がり、人がいそうなところを見回す。


「……あれ、か?」


 二箇所ほどコンテナみたいな箱の塊が見えた。

 味気ない灰色だが、遠目でも品質はうかがえる。前世の輸送コンテナと遜色のない、ザ・規格という雰囲気だ。

 違うと言えば、並んではいるが積まれてはいないことか。何かの倉庫だろうか。人は見当たら――


 ズドンッと。


 五歩くらい後ろから派手な着地音が聞こえた。


 速度も威力も大したことはない。レベル40のダンゴでもあしらえるだろう。

 何よりわざとらしかった。一般人が吹き飛ばない威力で、しかし十分にビビらせるよう乱雑に着地したってのが手に取るようにわかる。及第点だとは思うが雑だな。俺なら十倍は上手くできる。

 無論、今や俺はそんなことなどわかるはずもない。

 俺はただのレベル1です。


「うわぁっ!?」


 一般人の反応速度と身体性能を逸脱しないよう器用にビクッと驚いてみせる。

 恐る恐る背後を見ると、坊主頭でデカいリングピアスをつけた男が。


 そいつは意外と器用な飛行魔法でギュンっと間を詰めつつ、杖の切っ先を向けてきた。


「何者だ。国民票を出せ」

「ひぃぃっ!? い、命だけは、か、かか勘弁して、ください……」

「何者かと聞いている。国民票を出せと言っている」

「ぼ、ボクは……帰化、したいので、その……持ってません」


 恐怖による震えも演じてみせつつ、結論から言う。

 男はスチャッと無駄に格好良く杖を取り下げ、ふんとほざく。


「見たところレベル1か。運の良い奴だ」


 ケイブは場所次第だが、一般人が一生出てこれない程度には広く深いことがある。変形に巻き込まれて閉じ込められるのもあるあるだそうで。

 よく出てこれたなとでも言いたいのだろう。


「あ、ありがとうございます」

「案内する。ついてこい」


 男はビッと無駄にキザな動作でコンテナの方を差しつつ、歩き始めた。

 ペースは一般人の歩行に合わせるらしい。黙ってその後ろをついていく。


(悪くない滑り出しだ)


 ここで侵入者判定されて攻撃されでもしたらアウトだったが、俺の想定どおり『ケイブから出てきた一般人』は大丈夫だった。


 細かい事情が問われることもない。ダグリン共和国はインナーセキュリティ――国内の管理を重視する社会だからだ。

 逆を言えば、来る者拒まずとも言えるし、ウェルカムでさえある。実際、この男は俺が出てきてからすぐに接近してくる優秀さを見せながらも、帰化にはすぐに応じてくれたし、


「……」

「……」


 詮索もなければ会話もしない。

 手慣れている。


 そして余計な労力を使う気もないのだろう。


(俺としては助かる)


 美容院とかアパレルショップとか、あとは高級なデリヘルもそうだが、会話振ってくるのウザいんだよな。

 ウザいならまだいいが、今はボロを出すわけにもいかないし。このままなるべく会話なしで済ませたいぜ。


 無駄に広いので数分経ってもまだ着かない。と、ここで「あとはわかるな」男が職務を放棄してきた。

 自分であのコンテナ群まで行って帰化を相談しろってことだろう。


「は、はい……」


 落ち着きの無さを少し維持しつつ返事する俺。

 間もなく男は飛び去っていった。

 目で追ってみると、飛行ではなく空中で蹴ることで高さを出す方が得意らしい。

 あっという間に百メートル以上跳んだ後、ライナーのように進んでいった。先に高さを確保してから水平方向に動くタイプだな。


 レベルで言うと30くらいか? 飛行では足元にも及べないが、肉体的には負ける気がしない。

 今の俺から見たら、そうだな、たぶん卵の殻くらいだろう。加減をミスると即行で貫いちゃうレベル。


(一般人はもっとだよな。アホみたいに柔らかい)


 冗談抜きで泡だと比喩してもいいくらいに。


(二人とも加減は誤るなよ。俺も気を付けないとな。……じゃあ行くか)


 その後も新米国民の緊張感を崩さず、俺はコンテナまで歩いていった。

第254話 帰化2

 コンテナの連なる辺りは住宅地でしかなく、俺はさらに小一時間ほど歩かなければならなかった。


 そうして着いたのがギルドセンターだ。

 外も中も年季の入った木造だったが、体育館どころではない広さがあって市役所兼大食堂といった雰囲気である。

 絶えない喧騒がBGMと化している中、俺はカウンターの一つで向かい合っていた。


 既に一通りの説明を受けている。


 ダグリン共和国の国民として生きることの意味――

 それは冒険者とは対極の管理社会に身を置くことだ。

 国民時刻表《ワールドスケジュール》に代表される仕組みが存在し、逸脱すれば容赦なく罰を食らう。その代わり、衣食住や身の安全を始めとした生活保障は完璧に整っており、銭一つ無くとも生きていくことができる。

 まあ労働もある程度は義務になっているっぽくてニートはダメそうだが。


「最終確認させていただきます。帰化を確定する――で、よろしいですね?」

「はい」

「それではこちらに顔面判《フェイスタンプ》をどうぞ」


 スタッフのお姉さんが粘土板のようなものを出す。

 俺はそこに顔面を突っ込み、引き抜いた。要するにサインであり指紋のようなものだろう。お姉さんは「うんっ」と可愛く頷き、板を後方に投げる。


「冒険者登録をさせていただきます。あちらのゲートをご覧下さい」


 お姉さんが横に逸れたことで、オフィスの裏側が丸見え――にはならず、お馴染みの空間的歪みが出来ている。

 中にはひょろくて、でも立ち振る舞いの素早さと無駄の無さから強そうだとわかる男が浮かんでいて、


「実力検知《ビジュアライズ・オーラ》」


 俺のステータスを測る詠唱を唱えてきた。

 同時に空中に浮かせた羽根ペンを走らせており、間もなく完成された用紙《それ》をお姉さんが受け取る。


 なるほどな、全国のギルセン――ギルドセンターがどうやって同期しているのかがわかった。

 中央センターのような場所があるのだろう、そこから各センターにゲートを繋げ、職員とゲーターがやりとりをする。あるいはゲーターは裏方で術の行使だけしてるのかもしれないけど。

 いずれにせよゲーターの負担がエグそうだ。給料とか弾んでそうだな。


「あなたのステータスです。読み上げますか?」

「お願いします」


 一般人には字の読めない者が多い。俺も読めないし読む気もないのでそう答えると、くいくいっと指を引いてきた。色っぽいな。

 耳を近付けて、測られたステータスを聞く。


 攻撃力、防御力、体力、魔力、魔法攻撃力、魔法防御力、敏捷性――

 次々と喋られたが、正直覚えられないしどうでもよかった。

 知りたいパラメーターは一つだけだ。



 ――レベルは1です。



 それだけわかれば十分。

 疑う素振りも無かったし、ひとまず第一関門突破だな。


(二人ともよくやってくれた。感謝する)


「手続きは以上となります。それではアンラー様のコンテナまで案内させていただきます。あちらの係員の指示に従ってください」


 アンラーとはこれから使うことになる俺の名前だ。

 由来は安楽死、アンラクシ、アンラーク・シン、でも家柄は疑われたくないからファミリーネームを削ってアンラーク、ちょっと長いし不自然な気がするので少し削ってアンラー、もっと削ってアン……はやりすぎだからこれでいいか、と何とも雑な過程を経ている。


 振り返ると、別の女性職員が立っていて、明るい笑顔とともに手を挙げてきた。

 俺は、「ありがとうございます」目の前の受付役に口先だけの礼を言いながら席を立つ。反応はいちいち見なかった。あまり日本式の礼儀を見せて丁寧な人だと思われるのも嫌だしな。

 お国柄なのだろう、コイツも事務的に応対するタイプのようで、気にしちゃいない。あるいはそうしろというお達しなのかもしれないが。


 そうだよな。それくらいがちょうど良い。

 サービスを売る店でもなければ、機械みたいに淡々とやればいいんだよ。

 ああ、そういえばこの件も昔ブログを書いて炎上したっけな。店員も人間なんだよふざけんなみたいな感想が多かったが、論点はそこじゃねえんだよなぁ。


 さて、案内役――二つ結びの女性職員だが、終始ニコニコしていて、仕事を楽しんでいるのが伝わってくる。


「手続きお疲れ様でした」

「あ、ありがとうございます」


 なんかお礼言ってばかりだな俺。キャラ付け失敗したか?


「ちょっと遠いですけど案内しますね。住所《アドレス》は覚えてます?」

「アドレス、ですか? 初めて聞きました」

「案内されてませんか? ……もうっ、あの子ったら。手抜きしちゃって」


 え、もしかしてこれ、雑談しながら長時間歩くパターン?

 勘弁してほしいんですけど。


「アンラーさんのアドレスは特区エリア、クラスター4003のノード22です」

「4003の、22ですね」

「覚えましたか?」

「はい、何とか……」


 4、3、2と地続きなのが幸いだ。

 アドレスの体系ももう覚えた。部屋《コンテナ》、家《ポッド》、節《ノード》、郡《クラスター》、そして区《エリア》となっている。前世の日本で言えば特区県4003村22番といったところか。


「レッドチョークなら持ってますよ。手のひらとかに書きます? 書きましょうか?」

「大丈夫です」

「よろしかったら差し上げます。あ、要らないですか? 臭いんですよこれ。臭います?」

「えっと、それじゃ……もらってもいいですか?」


 レッドチョークと言えば、ブーガやサリアの前で混合区域《ミクション》をプレゼンするときに使ったな。

 臭《くさ》いらしいが、書き心地は最高なんだよな。チョークみたいに固いけど柔らかくて、なんつか墨の切れない筆。


「いいですよー」


 何がおかしいか、ふふふと笑いながら手渡してくる。

 それでもダグリンの職員らしさは出ていて、歩く足は全然止まらない。


「遠いのでせっせと行っちゃいましょう。歩けます?」


 俺が横に並ぶと、「おっ、やりますな」とか言ってくる。


「アンラーさんは何か聞きたいことありますか?」

「いえ、特には……」


 ずっと黙っててほしいって言いたい。

 普段の俺なら言ってるけど、アンラーはそういうキャラじゃない。ここはグッと堪える。


「国のことでもいいですし、ノードやクラスターのことでもいいですよ?」

「えっと、大丈夫です」

「私のことでもいいですよ? きゃっ」


 自分で言っておいて、両手で顔を覆うお茶めっぷり。

 普段の俺なら容姿を舐めるように見て想像と評価を下しているが、アンラーはそういうキャラじゃない。「あはは……」困惑の笑みでさりげなく牽制しておく。


「じゃあ私からアンラーさんに聞いてもいいですか?」


 まるで効いてないですね。何なん。

 どうしようかな。自虐、露悪、悪口と相手を黙らせるレパートリーは色々あるけど、アンラーのキャラじゃないしなぁ。やっぱり設定ミスったかしら。


「何を、ですか?」

「そんな身構えなくてもいいですって。ギルドスタッフとしてお客様の事情を探るような真似は致しません」

「その、なんといいますか、慣れてないので……」

「可愛いなぁ」

「おちょくらないでくださいっ! ボクが気にしてることなんですから……」


 自分で言っていてアレだが、誰だコイツ。

 つくづくミスではないかと思いたくなる。


(が、これくらいした方が安全だよな。ジーサの時も正直甘かったし)


 俺の性格――利己的で、何でも自分本位に捉えて、必要なら主張も厭わないという傍迷惑さは前世がベースとなっているが、どうやらこっちでは珍しいようである。

 滲み出るだけでも疑われかねない。最初は微かな違和感であっても、やがて蓄積し膨張していくからだ。

 俺はルナやユズやヤンデやスキャーノやアウラウルなどから既に思い知っている。


 だから、これからは違和感さえも持たせない。


 情けなくてもいい。

 みっともなくてもいい。

 人畜無害の雑魚キャラを演じて、ブーガミッション完遂まで乗り切ってみせる――と、そう決めたのだ。


 その後も彼女はやたら話しかけてきた。

 女性と接するのが苦手だと言ったのに、それでも止《や》まず、最終的に観光ガイドよろしく色々説明してもらうことで落ち着いた。

 彼女自身の話も少し聞くことができた。こうして帰化した人を案内しながら喋るのが趣味とのこと。初っぱなから運が良いのか、悪いのか。


 またもや小一時間ほどかけて到着した。

 さっき俺をたらい回しにしたコンテナ密集地である。ここが4003郡の22番地だったのか。


 と、ぞろぞろと人が集まってくる。「小僧。配属はここか?」おっさんに、「おにいちゃんよろしく」その子供と思しき女の子に、「誰かマスター呼んできな」声のでかいおばちゃんに。


「おい! 新入りが来たぜ!」

「アンタ、名前は何て言うんだい?」

「あ、アンラーです」

「なよっとしてるねぇ。図体は大きいんだから堂々としなっ!」


 おっさんの怒号により村人が集まりつつ、俺は初対面のおばさんに背中を叩かれている。


 ギルドのお姉さんはというと、もう引き返していた。

 勘が良いのか振り向いてきて、ビッと親指を立ててくる。グッドラックのジェスチャー……だよな。こっちでも通じるのな。

 もう何度と思ったが、クソ天使の趣味なのだろうか。このRPGみたいなステータスといい、明らかに前世の日本に肩入れしている。

 いいかげん考察したいんだよな。


 せっかく一国民にまで成り下がれたんだ。絶対に時間つくって、とことんやってやる。

第255話 帰化3

 フィヨルドから水を抜いたような広大な地形の一画には、金属製のコンテナ――前世の船舶コンテナと同じくらいのサイズである――が並んでいた。


 ダグリン共和国特区エリア、クラスター4003のノード22。

 要するに特区県4003村の22番地が、今日から俺が住む場所だ。


「アンラーです。よろしくお願いします」


 俺は村人総出で囲まれていた。包囲と言っていいレベルだ。

 といっても二十人もいない。三割もいないんじゃないか。たぶん働いてる人が多いんだろう。

 ここ22番地のコンテナは長方形状に並べられている。囲まれた内側は大きな中庭となっており、村人達の交流の場になっているっぽい。

 その中央で囲まれているのが今の状況だ。


 つーかジャースってやっぱり囲むの好きだよなぁ。見えない背中側にも人がいて落ち着かないんだよなこれ。


「それでは質問のお時間と行きましょう」


 マスターと呼ばれる生真面目な青年が仕切っている。

 他の村人も含め妙に手慣れていて、帰化した新入りの受け入れがありふれていることを示している。


「何を質問しましょうか」


 俺に聞かれても困るんだが。とりあえず首を傾げておく。


「はい! 好きなおんなのひとはどういうひとですか?」

「勝手に質問してはいけませんよ。きりがないですからね」


 元気よく両手を挙げながら答えた女の子は、マスターの注意を受けてしゅんとする。そこに母親と思しき人がやってきて、げんこつを一発――女の子は涙目になったが、堪えたようだ。


「アレにしよう。アレ」

「ああ、あれか」

「アレじゃわかんねえよ」

「ほら、アレだよアレ」


 アレで通じる村人達。なんつか平和だなぁ。

 他人事じゃないんだけどな。一日でも早く打ち解けて、さっさと将軍の情報を集めねば。打ち解けるの苦手なんだがなぁ。


「ニューデリーでしょ?」

「そうそう」

「使うと思って持ってきたよー」

「さすがカレンちゃん」


 カレンと呼ばれた女性と目が合う。

 歳はルナやガーナと同じくらいか。前世で言うと20代前半だが、ずいぶんと垢抜けている。容姿の自己主張も中々で、ショートヘアとタンクトップが開放する肌が眩しい。チラ見している男も既に二人いる。


「カレンがやるかい?」

「ううん。マスターお願い」


 カレンは紙らしきものをくしゃっと丸めて投げた。

 マスターはそれをキャッチ――し損ねて、「ださっ」とカレン。周囲からあははと笑いが起きる。マスターも全然気にしてないし、和やかそうな村だ。


(ヤバいな。まさかそう来るとは……)


 平民向け情報紙『ニューデリー』と聞いてもしやと思い、チラっと見えた見覚えのある紙面で確信する。


「えーっと、それでは順に行きましょう。――名前とタイトルを教えてください」


 つい先日、ジーサとして受けたばかりのガートンインタビューであると。


(平易な質問ばかりだから詰まったら怪しまれるよなぁ……)


 かといってジーサと同じ回答をするわけにもいかない。

 いっそのこと黙秘するか? そうするとして黙秘する理由は?


「アンラーと言います」

「タイトルは?」

「お仕事はこれから決めます」


 厄介なのがアンラー自身の歴史――帰化するまでの人生をどう語るかである。下手に作り込んでも矛盾が生じそうで怖い。


 幸いにもダグリンは帰化に大らかな国だ。

 事情は人それぞれという点も理解してもらえるはず、と踏んで、俺はほとんど語らないようにすると決めていた。

 それでも追及されれば何かしら答えないといけないわけで、内心身構えていた矢先の、まさかのインタビューネタである。

 さて、どうやって誤魔化そうか、俺の頭の回転で足りるだろうか。

 いっそのことゾーンでも入っちゃうか、と覚悟しようとしたところで、


「ああ、ちょっと待ってください。これは使えないですね」

「使えないって?」

「これ、冒険者向けの質問ですね。魔法の好き嫌い、戦略の好き嫌い、パーティーの経験、情報収集や鍛錬の頻度……」

「いいんじゃない? わかんない人が多そうだけどー」


 マスター自らが質問のそぐわなさを指摘し、カレンも巻き込んで軌道修正を始めている。

 真面目に考えるマスターに対して、カレンのコメントは何とも適当だ。慣れた光景なのかもしれない。村人達はそんな二人をスルーして、


「はいっ! おにいちゃんはひとりですか?」

「仕事ならウチで働かねえか? 兄ちゃん、ガタイは良いから向いてるぞ」

「そうかぁ? ただ体がデカイだけだろ」

「要らねえならワシがもらうぞ」

「何口説いてんだい! アンタたぶん賢いよね? 教育係はどうだい?」

「チビの遊び相手がほしいんだけどさ」


 俺という労働力の取り合いを始める。下手に詮索されるよりはマシか。

 一人だけ小さな詮索者がいるけど、ゲンコツ母さんが止めてくれるだろう。


「あはは……。色々と教えてください」


 飲み会のようなノリで、俺はあちらこちらから揉まれることとなった。


 苦手なんだよなぁ、こういうの。

 一つ一つの話題にきちんと結論を付けもせずにすぐ右へ左へと行きやがる。まるで物を片付けず机や地面に放置したまま過ごすズボラの所業だ。

 人それぞれなのはわかってるし、雑談がそういうものってのも知ってるけど、それでも苦手だし嫌いである。


(だからぼっちなんだろうけど、今はそうも言ってられない)


 俺は久しぶりに社交辞令とし愛想笑いを多用した。






「これがお兄さんのコンテナです」


 俺の住まいはコンテナ三個らしい。|π《パイ》の字、というか鳥居型に繋がれていて、横線の左側が出入口になっている。

 見た感じ、横線が玄関兼廊下コンテナで、縦線がそれぞれ部屋だな。2Kか。中々贅沢じゃないか。都内だと並の社会人でも1Kやワンルームが当たり前だからな。


 立地で言えば、中庭を構成するロの字からは余裕で外れており、端っこである。

 高い崖から結構近いんだが、土砂崩れは大丈夫なんだろうか。コンテナだから耐えられそうな気もするけど。


「ありがとうフレアさん」


 会釈の後、背中を向けることで終了を明示する。

 俺は早速中に入ろうとしたが、「あの」なぜか呼び止められた。


「……はい?」

「まだ終わってないですよ」

「えっと、何かありましたっけ」

「説明ですよ。もしかしてバカなんですか?」


 とりあえず「あはは……」と苦笑してみると、ため息が返ってきた。


 フレアと呼ばれる少女は、前世で言えば中学生くらいか。あどけなさと大人っぽさが同居しているが、精神は大人びているらしい。身体は子供寄りだが、膨らみは若干ある。運動神経も悪くなさそう、いや、だいぶ強そうだ。前世だとオリンピック目指せるレベルだと思う。


 身体はともかく、今も説明を一人で任されているあたり、若者枠なんだろうな。

 というか他に誰も来ねえ。どうも仕事が忙しいようだ。子供は三人ほど遠目から物欲しそうに見ているが、今日は我慢しろと既に絞られている。

 なんていうか、聞き分けが良いんだよな。国民性だろうか。


「後で何度も来られても面倒なので、一通り説明しちゃいますね。失礼します」


 フレアは出入口に突っ立つ俺をひょいと抜けて、我が物顔で入っていった。


 後に続くと、想像通りの無機質な内装に出迎えられる。

 中央には立て看板のようなライトが置かれていて、フレアが早速こんこんと叩いた。


「これが照明です。発光板と呼びます。二枚あるので使い分けてください。明かりは一日も保たないので、昼はなるべく外に置いて補充した方がいいですね。よいしょ」


 王都でも何度も見たが、発光石だよなこれ。これで夜を凌げってことだろう。

 しかし日中でも扉を閉じれば完全に暗くなるよなこれ……ああ、だからどのコンテナも扉が開きっぱなしだったのか。


 しかし、重そうだな。

 板状に薄くつくってあるとはいえ石である。見た感じ、満タンまで水を汲んだバケツくらいか。「ぼさっとしてないで手伝ってください」へいへい。早速補充してくれるのね。

 フレアに続いて外に運んだ。「しっかりしてくださいね」あははと誤魔化してみたが、睨まれた。ごめんて。


「用を足すときはあっちのコンテナを使います」


 女子中学生くらいの子からトイレについて説明されるとは。人によっては刺さりそうなシチュだな。

 俺はそうでもない。そもそもアンラーはそんな変態じゃない。


「早く持ってきてください」

「すいません」


 こっちで使うなら運ばせるなよ、という不満は飲み込んで。発光板と一緒に奥のコンテナに入ると。


 がらんどうの部屋の隅に、茶色の筒が積まれていた。


 フレアはずんずんと奥に進み、その一つを手に取った。また何か言われそうなので、俺もそばを離れないようついていく。


「この筒――茶筒というんですけど、これに入れて、こうして蓋をします。あ、拭くときは、蓋のこの部分を剥《は》いでください」


 剥いでもらった薄い木片を渡される。

 ごわごわというかごつごつしているけど、これで拭けるんだろうか。


「蓋をしたものは毎朝回収場所に置きに行ってください」


 にしても、まさかのおまる式と来たか。

 蓋がついているし、たぶんこの部屋も排泄用って意味だろうから臭《にお》いの心配はなさそうだ。そもそもバグってる俺は平気だし、普通にうんちも食えるけど。フレアのも食べようか? セクハラって次元じゃないぶっ飛びっぷりだ。「何笑ってるんですか」いかんいかん、顔に出てしまった。


 バグってる俺には笑いの感情もないが、その基準《ツボ》は知識や経験として刻まれている。

 社交辞令もそうだが、意識的につくる笑顔は普通に出ちゃうから気をつけないといけない。これ、俺が前世でいかに普段からふざけてたかがよくわかる場面でもあるよなぁ。

 俺は追加で苦笑したくなったが、さすがに堪えた。


「ちゃんと回収場所に置いてくださいね。溜め込むのもナシですよ。排泄まわりのルールはとても厳しいので、サボってるとすぐに隔離されます」

「隔離?」

「|監獄エリア《ジェイル》ですよ。厳しい生活を強いられる地獄の世界です。うちも経験ありますけど、二度と行きたくないですね……」

「溜め込んだことがあるんですか?」

「……」

「ごめんなさい、間違えました」


 はぁとフレアが嘆息する。

 ヤンデあたりなら魔法が十発くらい飛んでくるところだ。よく出来た娘さんじゃないか。


 って、さっきから思考がキモいな俺。

 まだアラサー後半だけどおっさん化が進んでるのだろうか。ここからいわゆる中年の思考回路になるまではかなり早いらしい。不老不死の俺に当てはまるかはわからんが。


「国民時刻表《ワールドスケジュール》は知ってますよね?」

「ギルドセンターで聞きました」

「やることはみんな同じなので、誰かについていけばわかります」

「フレアさんは……」

「うちらにはついてこないでください。気持ち悪――緊張するので」

「あはは……」

「……」


 これは嫌われてしまったようだ。別にいいけど。

 むしろ静かで良い。


 さっさと一人で動ける時間をつくるのが先だ。

 でもそれで目立っては本末転倒だから、慎重に行かないとな。俺はコイツとはどう向き合えばいい?

 つっても、この第一印象をひっくり返す甲斐性はないので、このままでいいか。


「それじゃうちはこれで」

「はい。ありがとうございました」


 フレアの足音がぺたぺたと遠ざかっていった。

 ちなみに村人は裸足である。どういう理屈なのか、コンテナの中でも冷たくはない。フローリングよりもはるかに快適な感触だ。コンテナ職人とかいそうだな。あるいは魔法で大量生産してるのかもしれないけど。


 と、その可愛い足音が途中で止まる。

 廊下コンテナの出入口つまりは玄関の扉の、二歩手前といったところか。まだ何か用があるのか。


 もっとも今の俺は一般人《レベル1》――直接見えてもいないのに、そこまで把握できてるのはおかしい。

 何食わぬ顔をしながら排泄コンテナを出ると、やはりフレアがいて。

 俺が「あれ?」という顔を浮かべてみると、


「お兄さん」

「はい」

「それですよ、それ。やめてもらってもいいです?」

「それ?」

「バカにしてるんですか? してますよね?」

「えっと、何のことです?」

「その丁寧な態度ですよ! 腹が立ちます」


 バカにしてるのかって言いたいのかな。そんなつもりはないんだけど、たしかに距離感は感じるな。正直言えば置きたいけど。


「ごめんごめん。これでいいかな?」

「よろしいです」


 フレアはまだ何か言いたそうだったが、欲張るのは止《よ》したらしい。


「困ったことがあったら聞きに来てください。うちらが一番近いので。それでは」


 社交辞令を最後に、今度こそ可愛い足音は遠ざかっていった。

第256話 帰化4

 もう一つのコンテナには生活用品が置いてあった。


 律儀に畳んであって、なんつーかビジネスホテルを思い出す。

 服は上着が五着で、厚手の半袖と半ズボンが三組に、薄手の半袖と半ズボンが二組。下着はトランクスみたいな短パンが三組。これを使い回せってことなんだろうか。

 ミニマリストでもなければ厳しい水準だし、ミニマリストでも厳しいだろう。なんたって統一感がない上に総じて地味だ。おしゃれもこだわりもあったものじゃない。つか長袖無いのなんで。


 タオルのようなものも五枚ある。触感は雑巾に近い粗さだな。

 布団と思しき大きな布も二枚あって、ふかふかというよりごわごわしていた。前世の俺だったら眠れる気がしない。枕も無いし。


(安いホテルより品揃えが悪い。まあ前世と比べるのも酷か)


 その他には水汲み用と思われる、透明で五リットルくらい入りそうな持ち手つきの筒が五本と、洗面器みたいな木製の桶が二つ置いてあるくらいだった。

 シンプルすぎる。食事や入浴に関する道具が一切無いのが大きいんだろうな。どちらも共用だし。


「さてと、次は何をしようかな」


 アンラーのキャラに慣れるために独り言を差し込みつつ、頭を働かせる。


 ……とりあえずはコンテナの遮断性だな。


(ダンゴ、クロ。これからこの中の音や言動がどれだけ外に漏れるのかを調べるぞ)


 崇拝状態《ワーシップ》の効いたモンスターとのやりとりにもだいぶ慣れてきた。

 イエス・ノーで答えてもらえるよう、とにかくたくさん行動しては聞いてみることだ。あとはご機嫌を取ったり、これしないと宿主の立場が危なくなるぞーと危機感を煽ったりも有効か。


 俺は一度外に出て、こっそりとクロの細胞を配置する。先日の第89階層でも使ったが、第一級クラスにも悟られないよう地面やコンテナの表面を体で囲いきってから移動させた。

 その後、また中に戻ってからは、ひたすら疎通確認を試す。


 オーラはどのくらい漏れているか。

 喋ったときの声はどうか。振動はどうか。

 筆記するときの動作は外からわかるか。一般人を超える速度で動いたときはどうなのか――


 今後の俺にとって生命線にもなる部分だ。それは二人にもわかっているらしく、抗議の攻撃無しに協力してくれた。


 結果、完全に密閉できることが判明。

 もちろん常時密閉だと呼吸できなくて死んでしまうわけだが、コンテナには手のひらほどの呼吸穴が数カ所設けられている。これを全部完全に閉めきれば、晴れて密閉の完成だ。俺の姿も声も漏れることがない。

 ずっと閉めっぱなしだと怪しまれるので適宜換気すれば良い。


(衝撃については、壁を直接殴れば一般人レベルでも外に響く。音速以上で動くのは明らかにヤバい。お前らも気をつけろよ。特にクロ)


 行き場のない風圧が一般人には無縁の轟音を生み出すだろう。

 が、パンチなど限定的な動作なら問題無さそうだ。身体が鈍らないよう定期的な練習は重要だからな。思ったより頑丈なつくりで助かる。


「書くものが欲しいな」


 せっかく一人になれたのだから、もう一度、そして今度こそ、俺は二つのバグを考察するつもりでいる。

 その際、頭だけでは明らかに性能が足りないのだ。


 ノートやメモといった概念は古来から存在し、天才達も使ってきた。脳のしょぼい限界を突破するには、外に書くしかない。


「レッドチョークで書くのはいいとして、何に書けばいいんだろう」


 紙でも板でも何でもいいから欲しい。できればホワイトボードみたいに何度もやり直せるものだと助かる。


「安いといいけど……」


 買い物周りはまだ何もわからないが、商店街区画の存在はわかっている。あとで覗いてみるとし――


 ドンドン、ドンドンッと。


 ノックの音だ。その乱暴な手つきから、この時間帯に扉を閉めていることが珍しいのだとわかる。言い訳が必要そうだなこりゃ。


 扉に近づいたところで、かすかに「アンラーさん、アンラーさーん」とたぶん女声っぽい声が聞こえてきた。

 都内だと近所迷惑になるレベルで叫んでそうだ。やっぱり遮音性すげえな。前世でも普通に欲しかったわこれ。


 ロックを外すと、扉が真っ二つに割れて離れていった。薄暗い空間に枯れ始めの目映さが差し込む。


「なんで閉めてるんですか」


 フレアが露骨なジト目を向けている。ぼろぼろだが手提げのバッグを持っていて、色気のない着替えが少し覗いていた。

 その足元には小さいのがいて、「あんらーさんですか?」とか聞いてくる。自己紹介の時は見なかった顔だが。


「うん。アンラーです。よろしくね」

「くれあなのっ! よろしくなの!」


 しゅたっと手のひらを見せてきたので、俺も手を挙げてみる。


「改めましてフレアです。よろしくお願いしますね、お兄さん」

「うん、よろしく」

「その手は何ですか? おちょくってます?」

「おちょくってないよ」

「アンラーさんですね」


 ドアを開けた本人だろう、接客スタッフのような明瞭な発音が耳朶をくすぐる。

 視線をやると、エプロンの似合うお姉さんが。


「ユレアと申します。騒がしい妹達でごめんね。あ、年下かな? 私は23歳なんだけど」

「年下です。19です」


 年齢はタブーと教わったが、一般人の世界はそうでもないらしい。事前に決めておいた設定を言っておく。


「良かった。年上だったらどうしようと思っちゃった」


 すいません、本当はアラサーです。


「にしては童顔じゃないですか?」

「あはは……」

「ほら、そうやってすぐ笑う! この笑い方、いらつきませんか姉さん」

「そう? 可愛いと思うけど」


 次女フレアにすぐ目を付けられたのは予想外だが、長女ユレアの反応はまさに俺が狙っていたものだ。

 すかさず拾いに行く。


「あの、可愛いとか言わないでください……」


 アンラーは可愛いと言われることがコンプレックスな男なんだよ。

 この設定は重要なので惜しまず出していく。


「姉さんとうちとで態度違いませんか? もしかして姉さん狙ってます?」

「いや、そういうわけでは」

「もしかしてクレアですか? 変態さんですね」


 フレアが三女クレアを抱っこして遠ざける。

 その手つきと身体運びは保母さん顔負けの鮮やかさで、たぶんやんちゃな妹に苦労してんだろうなぁと思わせる。「何じろじろ見てるんですか」何でもないです。


「そろそろ夕食時間です。一緒に行きませんか?」


 年上の余裕を醸《かも》した微笑みが本題を知らせてくる。

 断っちゃダメかな。一人で観察しながら考え事したいんだけど。


(ダンゴ。クロ。ちょっと顔を赤らめろ。年上のお姉さんに緊張していて、一般人目線でよく見るとわかるかどうかって程度でいい)


 早口の口内発話で指示を飛ばしつつ、そっぽを向いて頬をぽりぽりしながら、


「えっと、その……慣れてなくて、ですね」

「慣れてない? 何に?」

「構いませんよ姉さん。慣れさせましょう」

「くれあもきょうりょくするー」

「一応聞きますけどアンラーさん、クレアは大丈夫ですよね?」

「もちろん。でもフレアさ――フレアはちょっと苦手かな」


 何か言いたそうに睨んでたので忘れず訂正した。ヤンデもそうだったけど、いちいち呼び方も指定させたがるの何なん。悪口じゃねえんだから良くね?

 しかしアンラーはしょうもない意地を張るキャラではないので、おとなしく従っておく。


「二人とも仲が良いんだね。それじゃ行こっか」


 うーむ、別れてくれることを期待したんだが……そう上手くはいかないか。

第257話 初日

「えっと、ここで食べるのかな」

「食堂を見るのは初めてですか?」

「うん。外で食べるんだね……」

「コンテナでは食べないでくださいね。見つかると罰されます」


 声を張らないとまともに会話できない。でかいショッピングモールの休日お昼時のフードコートにも等しい賑わいっぷりだ。

 何より広い。千人は集まってんぞこれ。もし配給を取りに行く人と席を確保する人に分かれでもしたら迷子一直線だ。だからなのだろう、俺達四人も全員で配給の列に並んでいる。


 と、そのとき、「うおぉ」俺の身体が勝手にスライドした。


「ふふふっ、勇ましい声を出すね」

「お恥ずかしい限りです……」


 魔法で自分自身が動かされることは想定してなくて、思わず素が出てしまった。

 声の高さ重さは問題ないが口調だけは俺自身の制御である。気を付けねば。アンラーはなよなよした男なのだ。「うおー」真似するクレアが可愛い。動きはガオーだけど。


「そっか。魔法で全部やってくれるんですね」

「この人数だからね」

「だからといってお盆を傾けたりしちゃダメですよ。食事は一度しか配給されませんので」


 長女のユレアは無難に淑やかだが、フレアがとにかくうるさい。んなこと言われんでもわかってまーす。

 もちろんアンラーはそんな反抗をふっかけるような性格じゃないので、おとなしく無難に返す。


「そうなんだ……」

「バカにしたつもりなんですけど。何納得してるんですか」

「そんなことないよ。助言ありがとう」

「……」

「フレア?」


 無言で叩かれた。何でだ。


 間もなく順番が来るので、皆に習ってお盆を水平に構える。

 前の奴らを見てるけど、さすが魔法を使っているだけあって回転率がエグいな。三十人とかの単位で一気にスライドさせて、食事を盆に載せている。ベルトコンベアー顔負けだ。

 その食事もボールみたいに飛んできてるし。


「あああああああっ!」


 何かと思えば、地に向かって絶叫している男がいる。会話に夢中で構え忘れたのか、食事が全部地面ぶちまけられていた。

 なるほど、たしかにやり直しは無さそうだな。


 俺たちの番が来た。

 身体ごと移動させられて、俺のお盆に食べ物が載ってくる。

 ヤンデで見慣れてるからだろう、ずいぶんと粗雑な行使で、おっとっと、盆からバウンドして落っこちそうになるのを止める必要があった。

 ちらりと三姉妹を見ると、クレアも含めて手慣れたご様子。「当たる直前に盆を引くのがコツです」とはフレア。最初から言えよ。


 全員受け取ったので席を探す。


 空き席はすぐに見つかった。

 椅子は無く、こたつサイズの丸テーブルがひたすら並んでいるだけだ。この上下左右に計四人が腰掛けることができる。

 座る位置には印がついており、逸脱は許されない。空から見たら無数の十字が並んでいることだろう。


 三姉妹は躊躇いなく腰を下ろした。

 怪しまれないよう俺もすぐに座ってみたが、前世の土ほど汚れはしないらしい。泥のような粘り気はなく、砂のような乾燥感もなければ、埃のように空気中に浮遊する様子もない。しかしアスファルトやコンクリート、あるいは木材のような硬質な感触でもなくて、土のカテゴリーからは逸脱していない。

 前世では縁のなかった感触だ。異世界人丸出しにならないよう気をつけねば。


「おにいちゃんはたべないの?」

「ん? 食べるし、あげないよ」


 クレアはもう頬張っていた。行儀の悪さを咎める様子はなく、いただきますの合図もない。


「何構えてるんですか?」

「ううん、なんでもないよ」


 前世の習慣は怖いもので、俺は思わず手を合わせそうになってた。いや俺はいきなり食べる派だから知識というべきか。「すきありっ」クレアが手を伸ばしてきたので「おっと」ガードしておく。油断も隙もありゃしねえ。


「……」

「えっと、何?」

「別に」


 フレアは俺を凝視しながらぱくぱく動かしている。手元も見ないで正確に掴んでいるあたり、距離感にも優れてるな。

 やっぱりコイツ、だいぶスポーツマンだな。前世だとスポーツテストオールAとか余裕で取りそう。筋肉もじっくり見てみたいが、たぶんバレるので当面は控えておく。


 さて、食事のラインナップだが、掴んで食えるものばかりだ。

 巨峰みたいな緑の果物が枝つきで三個繋がっているのと、一口サイズでサイコロ状のモンスター肉が六個、あとはサツマイモの形をしたジャガイモみたいなでこぼこした穀物と、赤いソースをジェルに固めたような三角錐のものがある。


「……あの、ユレアさんまで」


 新人だからなんだろうが、じろじろ見られるとやりづらい。

 変な食べ方とか無いよな? 普通に手づかみで適当に食えばいいよな? 一応、視界に映る村人達の食べ方も確認して、それで問題なさそうだとわかったところで、俺も口に運ぶ。


「うべっ」


 また変な声を出してしまったが、緑の巨峰が罠だった。どうやら飲み物枠であるらしく、安易に表面をかじった俺は、お盆を汁塗《しるまみ》れにしてしまう。

 妙に柔らかくて腐ってんのかと思うほどだったが、なるほど、そういうことだったか……。


「おにいちゃん、こうするんだよ」


 クレアはあーんと口を開いて、巨峰を丸ごと入れた。ハムスターみたいに頬を膨らませながらもごもごしている。つっつきたくなるな。


「もしくは、こうしてもいいかな」


 ユレアもお手本を見せてくれる。巨峰を上に掲げて、小指で突いた。それを流し飲みしている格好だ。

 喉がごくごくと動いていて艶めかしい。そうやって飲み続けるの苦手なんだよな俺。大食いの人とかがやるやつじゃん。


 最後にフレアにも期待の眼差しを送ってみたが、「知りませんよ」マイペースに肉を食べていた。


「食べ物って毎日このくらいなの?」


 俺も手掴みで口に運びつつ、フレアに問う。彼女も口にたくさん詰めるタイプらしく、今話しかけてくんなと言わんばかりの睨みを利かせてきた。

 ああ、和むなぁ。エルフと比べると小動物みたいなものだ。お嬢さん可愛いねぇとか言って反応を探りたくなる。

 若い女子に絡むおっさんの気持ちってこういう感じなんだろうか。


「そうね」


 答えたのはユレアだった。

 三角錐のジェルをつまんで口に運んでいる。ぷっくりとした唇が形を変え、ちゅっと控えめな吸引を鳴らした。

 ああ、ジェルになりたいなぁとでも言えば、すぐにでもキモさで距離を置けるだろうに。もどかしいな。


「何が出てくるかはバラバラだけど、組み合わせはほとんどこの四つだよ。肉、地下茎《ちかけい》、果実水、アクセント」

「アクセントってこのぶよぶよしたものですか?」

「そうそう。味がついてて、こうやって食べるの」


 もう一度ちゅっとしてみせるユレア。俺も倣って、ひとつまみして舐めてみる。


(……わかんねぇなこれ)


 不味さと害が無いことはわかるが、どういう方向の味がしてどれくらい美味しいのかがさっぱりわからない。

 何せ頭に流れ込んでくる数字しかヒントがないし、この数字も丸め込まれている。たとえるなら、10で丸め込まれるようなものだ。

 美味しさ8も、88も、8888も、10で割った余りは8なので、全部8になる。8という数字を得たとき、それが本当に8なのか、それとも8888なのかは、俺にはわからない。

 丸め込まれるとは、そういうことなのだ。

 ……まあ今さらだけどな。


 俺は食わずとも生きていけるし、何を食っても死なない。

 そうであるとバレさえしなければどうでもいい。


「なるほど。悪くないですね」

「舌がイカれてるんじゃないですかね」


 フレアは苦そうな顔をしつつ、人差し指に引っかけて「ねー?」とクレアの口元に運んでいる。その顔は妹にちょっかいを出す姉のにやつきだ。


「きらいっ!」


 ぶおんと一般人が当たると痛そうな腕振りが繰り出される。フレアは難なく交わしていた。


「ちょっと苦いからね」


 え、苦いのこれ? 赤くて薄い色合いだからりんごとかイメージするんだけども。

 あまり味音痴すぎても目立ちそうだから、俺は話題を変えに行く。


「栄養や満腹感はどうですか。毎日これだけで足りますかね」

「アンラーさんは真面目だね」

「あはは……」

「正直言うと、足りないかな。物足りない」


 ユレアの微笑に陰りが差したのは気のせいか。


「足りてますよ姉さん」

「くれあもだいじょうぶ!」


 いや気のせいじゃないな。

 何を心配しているのかは知らないが、妹二人のフォローが手慣れすぎている。なんかシリアスだし。もちろんあえてつっつくほど俺は野暮ではない。そこまで仲良くなるつもりもない。


「他に食べ物って売っていたりしますか? 買えばいいかなって思ってるんですけど」

「買えたらいいですね」

「アンラーさんの頑張り次第かな」

「はぁ」


 とりあえず栄養面で問題ないならそれでいい。

 満腹感を気にしないキャラを押し通せば、この配給だけでも不自然なく過ごせる。


「おねえちゃん、このあとくれあとあそぶ?」

「うーん。聞きたい話がいくつかあるんだよなぁ」

「くれあもいく」

「えー……どうせおとなしくしないじゃん」

「ふふふ。頑張ってねフレア」

「それはこっちの言葉ですよ姉さん。たまには休んでください」

「そうねー」


 ちょいちょい貧乏な雰囲気が出てるけど、正直どうでもいいな。

 だが冷たすぎるとアンラーのキャラに差し支えるから、ここは傾聴に徹するくらいが良いか。


 三姉妹の団らんやその先の雑踏を眺めながら、俺は黙々と消化に勤しむ。


(おっ? お前らにはごちそうか)


 俺の胃袋が意思を持ったように暴れている。いや、クロは違うな、ダンゴだけか、テンションがかなりお高いご様子。

 王都の高級なメシよりも、こういう簡素な加工だけ施した素材の味が好きなのかもな。

 喜べよ。今後は毎日食べることになるぞ。

 ただでさえクロの尻に敷かれていて不満そうだったし、これで少しでも機嫌が良くなってくれたら幸いだ。


(……ん、あの子は)


 王都の貧民エリアもそうだったが、やたら逞しくて明るいんだよな。

 だからしょんぼつしてる奴は目立つ。


 四席くらい先に、見覚えのある女――カレンと呼ばれていた美人が一人で座っているのが目に入った。


 ネガティブな様子を見せる性格には見えなかったが。何かあったのだろうか。

 しかし、こうしてここには来ているし、緩慢ながらもちゃんと口に運び、咀嚼し、嚥下している。器用な奴だな。普通、あそこまで落ち込んだ人間は食事なんて喉を通らない。

 もちろん俺には何の関係もない。タンクトップから覗く魔窟も中々に抗いがたいものがあるが、アンラーはそんなキャラじゃないしな。


 チラ見も諦めて、俺はおとなしく黙々と食した。

第258話 初日2

「じゃあお風呂行こっか」

「あ、はい……」


 食事と入浴が問答無用で共用であることは、上空でブーガと過ごした時に聞いている。帰化時の説明でも聞いた。

 それでもどこか信じられないのは、前世の価値観に引っ張られているからか。


 俺はフレアとユレアを交互に見る。キャラではないはずなのに、胸部や下腹部にも視線を走らせてしまった。

 当然ながらバレないはずがなく、


「やっぱりやめませんか。変態さんの臭いがします」

「そう? アンラーさんはそんなことする人じゃないと思うけど。だよね?」


 そう言って微笑を向けてくるユレアお姉さん。十代の俺だったら緊張して赤面してただろうなぁ。

 相棒達はわかってくれている。照れの生理反応を控えめに出してくれた。


「あ、いや、もちろんです……」

「一応言っておきますけど、強引な事したら即処罰されるので気を付けてくださいね。されてもいいですけど。むしろされてください」

「おねいちゃんはくれあがまもる」


 うがーと両手を挙げるクレア。

 ロリを嗜む者からしたらこっちこそ危なそうだけど。いや俺がじゃなくて一般論。ロリの一般論ってなんだ。

 第一、裸なんてユズので見慣れてんだよ。そもそも俺はロリじゃない。

 なんか体内のダンゴとクロが俺を見る目が冷たい気がしないでもないけど、違うぞたぶん? 単に物珍しいだけだぜ。前世じゃまず見れないものだからな。って、言い訳すればするほどそれっぽく見えるな。

 とにかく、要らん疑いをかけらないようにしなければ。


「姉さんはモテるんです」

「アンラーさんに守ってもらおうかしら?」


 話題の半分くらいでおちょくられながら、ぺたぺたと食堂から離れていく。

 といっても大した距離はないし、あの遊牧民のテントみたいなものは遠目にも見えてたけどな。湯気も立ちこめているし、これ、銭湯というやつでは。


 近くまで来てみると、想像通りの大きさだった。

 それなりにレベルアップしている俺だから、もはや距離感も一般人どころではない精度がある。人の感動は|大きさの差異《スケールギャップ》からももたらされるものだが、もはや俺には味わえない。まあどのみちバグってて感動自体がゼロだけど。


「どこにします?」

「あっち!」


 一つ一つがスーパー銭湯の建物並にでかいテント群。そのうち目先ではなく三つ先のものをクレアが指差したことで、一同はそこに向かう。


「違いがあるんですか?」

「居心地が色々とね」

「近い風呂は人が多いんです。うるさいし」

「男は鬱陶しいしね」


 フレアは知らんが、ユレアはそうだろうなと思う。グラマラスと言えるほどではないが、若いのに所帯じみていて、ガキに興味を持たない男が好きそうだ。俺はもうちょっと若い方が好きだけど。

 無論、そんなことは言えないし出せないので「あはは……」アンラースマイルで困惑しておく。


「アンラーさん、バカにしてます? うちが子供体型だからって舐めてますよね?」

「なんでそうなるの。フレアは十分綺麗だと思うけど」

「ばっ、……やっぱりバカにしてますよね?」

「私とどっちが綺麗かな?」

「フレアですね」

「私もそう思う」

「姉さんもふざけないでください」

「ふざけてるのはフレアよね。この肌はなに? エルフ?」


 長女が次女の頬をつっつく。健康的でスポーティーな十代女子はそんなものじゃないか。

 いや、さして裕福でもないダグリンの一般人にしては出来過ぎているレベルか。

 だからこそ俺も綺麗とか言ってしまった。成長したらルナと肩を並べられると思う。まあそれでもエルフの足元にも及ばないけど。


 目的のテントに着いたところで、早速くぐっていく。

 既に男女構わず入っては出て行く光景が見えているわけだが、これ、マジで混浴なんだろうか。案外、中で分かれてたりするのかとも思ったが、


(いや普通に混浴だ……)


 むしろ前世より混浴している。混浴しているってなんだ。


 地面はすのこ状で高さが出ており、両端には下駄箱みたいな窪みが並ぶ。何十という老若男女が忙しなく着脱衣に励んでいるが、くつろぐ光景は一切なくてアレだな、修学旅行の入浴みたいだ。


 正面には半透明のガラス――じゃなくてスライムで出来た『スライス』だったよな、それが一面を塞いでいる。向こう側で肌色が動いているが、人の形すら曖昧なほど朧気だ。


「ドアはどこに?」

「どあ?」


 ドアって言葉、こっちにはないのか。


「どうやって向こうと行き来するんだろうって」

「どうって、運んでもらうんですよ。おかしなことを言いますね」


 運んでもらう。


「魔法で向こう側に運んでもらうのよ」


 魔法で向こう側に運んでもらう。


 カルチャーショックどころの話ではないんだが、って、え、おいおい、ちょっとユレアさん? 上着脱ぎ始めましたけど。

 とりあえず前言撤回しておこう。相当着痩せするタイプであられた。


「クレア。アンラーさんが姉さんをいやらしい目で見てないか監視しようね」

「かんしするー!」


 こっちを見ながら脱衣する妹達。

 監視という意味はわかってないらしく、すっぽんぽんになったクレアはスライスの方へ走っていった。


「はやくっ!」


 端で駆け足するクレアだったが、突如ふわりと浮かび上がる。

 そのままボールのように向こう側へと消えていった。同時に、入浴を終えた人達がこっちに戻ってくる――太ってるおじさんと若いお姉さんの二人。着地時に乳房が揺れていた。おじさんの方はもちろんスルー。


「ちなみに度の過ぎた凝視も処罰の可能性があるので気を付けてくださいね」


 ふわりと良い匂いと思われる数字が流れ込んできたと思ったら、フレアが近づいてきていたのだった。

 既に下着姿だ。下は地味なショーツだが、上はベルトブラなのか。中学生相応の控えな膨らみが目に優しい。「バカにしてます?」してないです。良いと思います。


「二人とも早く来てね」


 ユレアはもう裸で、なるほど、安産型で適度に肉付いている感じがエロい。後ろ姿だけでも二度見を容易に誘う。

 ……と、さっきから欲望丸出しすぎて、思わず苦笑してしまう俺。「痛っ!?」ばちんと背中を叩かれた。


(不思議だよな。実物なんて大したことないのに)


 胸も、尻も、脚も唇も、五分もすれば飽きる代物だ。

 所詮は皮膚と脂肪でしかない。ぬくもりのある物質にすぎない。

 なのに、バグっててもなお俺を掴んで離さない。もはや知識と記憶だけなのにな。


(食べ物や睡眠への執着はないから、単に俺がエロいだけか)


「あはは……」


 さらに苦笑いを重ねる俺。

 頭でも沸いたと思ったのか、フレアは怪訝な顔を寄越しただけで続きを脱いでいく。あっという間に、我が家のように、何の恥じらいもなく脱ぎ終えた彼女は、服を窪みに押し込み、先を行く。

 女子中学生の裸体を見る機会なんてまずない。


 バレるの覚悟で、俺はその後ろ姿を最後まで見ていた。

第259話 初日3

「相変わらず大きいわねぇ……」

「もうちょっと絞らないよダメよ」

「そうよねー。ユレアちゃん、アンタ太る体質だよ」

「今のうちに頑張らないとおばさんみたいになるよ」

「姉さんは意外と緩いですからね。あとで教えてあげます」

「フレアちゃんはもうちょっと食べないとね」

「余計なお世話です!」


 フレアとユレアはおばさん集団と駄弁っていた。男共から身を守る知恵でもあるのだろう、容姿が中和されている。

 中和といえば音量もか。声量が場違いに大きいのだが、滝のようなシャワーの水音があるため、そうでもしないと会話もままならないようである。


 浴場は中々興味深いものだった。

 まず奥は大浴槽が占めていて、浸かれるようになっている。両端には休憩用のベンチがあって、年寄りがくつろいでいる印象だ。

 で、俺達も居座る中央エリアには絶えずシャワーが注がれていて、この水圧で汚れを落とせとのこと。

 子供には痛いらしく、クレアは一人で出たり入ったりを繰り返している。全裸幼女をガン見する不届き者は、俺以外にはいないようだ。


(術者は壁の向こう側か)


 大気の振動から見るに、ずいぶんとくつろいでるな。微かに動きはあるから、本でも読んでいるのかもしれない。


(俺は一般人《レベル1》だ。こういうのも含めて、一般人が知り得ないことを外に出さないよう注意しないとな)


 自分と相棒に言い聞かせつつも、俺は早速シャワーエリアを行き来して振動感知ともいうべき第六感の精度を調べていた。

 奥に入れば入るほどわからなくなるが、境界付近なら問題はない。雨が降った程度ならほとんど支障はなさそうだ。


 そういえば雨、見たことないよなぁ。シッコク曰く、雨そのものが無さそうだし。


(過ごしやすい気候ではある)


 たぶん季節という概念も無い。

 仕様なのか、クソ天使の意図なのかは知らないが、前世の地球より何かと単純化されている気がする。

 解明もしやすいから俺としては有り難いが、逆に前世の常識が通じない点は痛い。


(似せてる部分もあるからややこしいんだよな)


 前世と似ている部分から調べていくべきか。

 それともジャース独自の部分を知っていくべきか。


 二つのバグを究明するためには、どちらが近いのだろうか。


「アンラーさん。アンラーさん!」

「……え、あ、はい」

「何ぼさっとしてるんですか。こっち来て下さい」


 裸の女子中学生相当に腕を引っ張られるというレアいシチュの後、俺はおばさん井戸端会議に放り込まれた。


 年寄りもそうだが、向こうが勝手に話を進めてくれるから楽だよな。相づちメインで済む。

 それに年相応に醜い裸体を見れば、色んな意味で落ち着いてくるというもの。


 わかったことと言えば、第一印象などあてにならないことか。

 人見知りしそうなフレアはペラペラとうるさくて、逆に八方美人が得意そうなユレアは不器用な笑顔でやり過ごしている。根は人見知りなのかもな。

 でも割とそういうもんだよな。一見すると垢抜けてそうな女も、二人に一人くらいはシャイなのだ。

 ソースはデリヘルで遊びまくった俺。あるいは会社のワークショップで接しまくった俺。


「ごめん……ごめんっ!」


 悲鳴のような、懺悔のような叫び声だった。

 シャワーの外だ。見ずともわかる、人二人がもつれ合って倒れこむような空気振動だが、井戸端の皆は気付いていない。

 境界に近い俺は、視覚的にもギリギリ見える――見ないのは不自然だろう。


 というわけで見てみると、長髪の男が華奢の女の子に馬乗りになっていた。

 右手は乳を鷲掴みしつつ、左手で自身の息子を握りながらも、花園の入口を探している模様。

 対して女子はというと、恐怖の涙を流す素振りはなく軽蔑の色が強い。両腕で抵抗していたが、その力も抜けて、ぱたんと落ちた。焦りも見られない。またゴキブリが出たか、はぁ、くらいの雰囲気で、いや落ち着きすぎてない?


 俺はその意味を間もなく知ることになる。


「う、ぐっ……」


 馬乗りになっていた男が喘いだのも数秒のことで、すぐに気絶した。

 首を絞められたからだ。急に上から降ってきた者によって。一般人にはわからないだろうが、風魔法で圧迫しているのがわかったし、雷魔法も少し混ぜてたっぽい。


「監獄《ジェイル》行きだ」


 男はそのまま連れ去られていった。


 野次馬にならない程度に俺は近づき、現場を見る。

 一連の処罰は十秒にも満たず、血などの痕跡も無かった。


「姉ちゃん大丈夫かい?」

「大丈夫です」


 襲われた女子の方はあっさりとしている。

 周囲でも声をかけたのはジジイ一人だけで、注目もほとんど集まっていない。


「懲罰隊ですね」

「……フレア」

「アンラーさんもああならないように気を付けてくださいね。姉さんとかうちとか襲っちゃダメですよ」


 おばさんとの会話で上げたテンションがまだ戻ってないらしい。スレンダーな身体を不器用にくねらせている。


「懲罰隊ってどこにでもいるの? コンテナの中とかだとどうなるんだろう」

「……」


 フレアはなぜか不満気で、矛先を俺の腕に向ける。

 ぐいっと強引に引っ張られて、俺達は大浴槽に浸かることに。


「――コンテナの中は、締め切れば不介入になりますね。開けていれば気付いてもらえます」

「じゃあ締め切ってしまえば、何をしても罰されない?」

「そうでしょうけど、難しいと思いますよ。夜間はそもそも出入りができないですし」


 事前説明でも聞いたが、国民時刻表《ワールドスケジュール》では夜22時以降の外出が禁じられている。

 相応の理由がなければ、すぐにでもジェイルに連れて行かれるそうだ。


「姉さんでも連れ込む気ですか?」

「しないよ。フレアならともかく」


 さっきから俺を変態に仕立て上げようとしやがるので、反撃してみた。


「う、うちですか!?」

「そうそう、うちだよ、うち」


 バシバシと叩かれた。剥き出しの首筋に《《もみじ》》だから結構痛そう。つーか脳内のダメージ量を解釈するし、物理的に危ない威力なんですけども。

 とりあえず痛がっておいた。


「……そ、それはそうと、お姉さんは大丈夫なの?」


 |陰キャ気質《人見知り》にあの井戸端会議はキツイぞ……。


「姉さんですか? たまにはいいと思います。私達ばっか見てちゃダメです」

「厳しいんだね」

「姉さんのためですから」

「姉思いなんだね」


 褒められてむず痒いのだろう、ポーカーフェイスは苦手なようで、「そういうお兄さんこそ」にやりといやらしい笑みを浮かべてくる。


「姉さんのことよく見てますね。なら助けてあげれば良かったじゃないですか。姉さんはああ見えて初心《うぶ》なので、ぐいぐい行けば落とせますよ?」


 ぼっちだから敏感なだけだ。

 それに俺にはそんな暇などない。


「そうだね……」


 適当に流しつつ、身を沈めてくつろぐふりをする。「ふー」と力の抜ける息づかいも追加したが、フレアはまだ何か言いたげだ。

 目も閉じて気付いてませんよアピールをしたところで、ようやく諦めてくれた。


 ……悪い気はしないんだが、正直鬱陶しい。

 どうやって距離を置こうか。


 最初に思いついたのが、いっそのことジェイルに行ってしまう――つまりはフレアを襲ってしまうことだったが、ジェイルの内情がまだわからない。

 直近の目的はあくまでブーガミッションであり、将軍を全員殺すことだ。そのためにもまずは情報収集と検討を行える生活基盤をつくる必要がある。

 牢屋に長時間ぶち込まれでもしたら堪ったもんじゃない。


 と、きりのいいところまで思考が進んだのがせめてもの幸いか。

 明らかに俺をめがけて走ってくる気配があった。空気の揺れ方から見るに、小さな体躯で、わんぱくだ。間もなく、「くれああたっく!」クレアが俺の横に飛び込んできて水飛沫をあげた。


「シャワーに飽きたみたいですね。クレアの世話、よろしくお願いしますね」

「フレアがやりなよ。お姉さんでしょ」

「おにいちゃんがいい」

「アンラーお兄ちゃんが遊んでくれるって。良かったねクレア」

「うん!」


 抗う間もなく子守が確定した。

第260話 初日4

 ダグリンは、というよりダグリンの夜空も見応えがある。

 前世とまるで違う星々の分布と密度にもだいぶ慣れてきた。が、こうしてゆっくり眺めるのは久々な気もする。


(最近は建物の中だったからなぁ)


 王女二人と幼い愛人候補が嫌でも浮かんでくる。

 丸め込まれた数字でしかないはずなのに、鮮明に覚えている。認めたくないが、恋しさが頭をよぎった。


 今何してんだろうな、という想像さえもぶった切って、俺は現実に戻る。

 腰を上げて、目線を下げる。

 ここ4003群22番の周囲は、山中のような静けさに包まれている。

 離れたコンテナも見えないほど暗い。一般人だと足元もおぼつかないだろう。

 呼吸穴を開いてるコンテナからは、淡い光が漏れている。三姉妹の住まいからも漏れていて、心なしか光量が強い。賑やかさを示しているかのようだ。たぶん発光板が多いんだろうな。

 ともかく、彼女達の襲来を警戒していた俺が、自意識過剰だったようだ。良かった良かった。


 外に晒していた発光板を中に運ぶ。

 デスクランプよりちょっと明るいくらいだな。書き物にも支障はない。


 もう一度外に出たところで、空が光った。次いで花火のような轟音が轟く。

 ダグリン流の時報である。


 午後八時五十分――要は十分前を知らせるわけだ。


 といっても国民時刻表《ワールドスケジュール》が定める行動は、残すところ午後十時の就寝のみ。あと一時間は外を出歩いても問題無い。


(目をつけられるだろうけど)


 この暗闇は一般人の感覚器官では厳しい。かといって発光板を担ぎながら、というのも中々にしんどかろう。いや、バケツ満杯くらいの重さだし、アンラーの体格ならいけるか?

 まあ探索は後だな。


 俺は扉を閉め、呼吸用コンテナもすべて閉じていることを確認した後、排泄用じゃない方――寝室コンテナに入った。


「書くものが欲しい。ブレストしたいな」


 隙のない考え事をするにはひとりブレインストーミングに限る。付箋を並べる派が主流だが、俺はキーワードを書き殴る方が好みだ。本当はパソコンのエディタで箇条書き風に書きたいが、さすがに高望みが過ぎる。

 前世でもほとんどしてなかった手書きに頼ることになろう。


 ふと、俺は思いつく。


(なあ二人とも。ペンと紙を演じることはできるか?)


 後頭部と心臓左側に|単打《イエス》の応答。わかってる、お前らならそれくらいできるだろう。問題はその次だよ。


(俺が使いたいって言ったら使わせてくれるか?)


 想像どおり連打が返ってきた。後頭部も心臓右側もまるで容赦がないことから、寄生スライムにとってしんどいことなのだと推測できる。

 威力も特にクロが加減してなくて、レベル40しかないダンゴ細胞が死ぬだろうなと確信するほど。が、当然そんなことにはならず、クロは自身の細胞を上手く立ち回らせることでダンゴへの被害を防ぎつつ、的確に俺の心臓を攻撃している。


(わかったわかった。悪かった。書く手段は自分で頑張るよ)


 よほどやりたくないってことだな。

 まあ既にレベルカモフラージュもしてもらってるからな。あまり負担はかけられん。


(そもそも俺の身体から分離するってことは、半ば死ぬようなものだからな)


 分離させた後、また俺の身体に戻れればいいが、そのまま死を選ばせるシチュも少なくない。

 特にエルフ領では服を演じさせたり、スキャーノから逃げるために切り離したりしたわけだが、その分はまだ戻していなかった。エルフは宿主にはできないだろうし、死んだかもしれない。


 俺は軽率にコイツらを分離させているが、それはつまり自我も持っているであろう細胞に死ねと言っているようなものだ。

 にもかかかわず、ダンゴとクロは聞いてくれている。

 スワンプマンとかあるだろうに。つまり、自分のクローンが生きているからといって自分が死んでいいかというと、そうじゃない。

 俺の命令で死にに行く細胞は、何を思いながら行動しているのだろうか。


 所詮は俺も凡人もすぎない。サイコパスにはなりきれない。

 もしバグってなければ、俺はコイツらに相応の慈愛を抱いていたに違いなかった。判断を鈍らせる場面もあったかもしれない。


(現実はそうじゃないけどな)


 知識と思考で思うことはできても、感情で想うことはもはやできない。

 それは幸せなことか、不幸せなことか。

 ……って前にも考えたなこれ。


 のんびり耽っている暇もない。話を戻して、


「レッドチョークと紙が欲しいな。板でもいい。あとは消しゴム相当のものも。どこで買えばいいかな? 給料は大丈夫かな。別に自作する、でもいいんだけど」


 思考だけだとどうにも集中できない。疲れることのない頭は、すぐにマルチタスクをしたがる。

 こうして独り言にリソースを使うことで、意図的に思考の対象をコントロールする。


「誰かがここに来たときのことも想定するべきだよね」


 口調をアンラーに寄せることも忘れない。さして器用でもない俺は、普段から心がけることで定着させてしまうのが無難だ。


「ボクが書いた文字を見られるわけにはいかない。でも、見られる前にいちいち消すのは面倒だよね。ダミーをたくさん用意しておく? 棚とか荷物とか増やして隠せるようにする? いや案外『ただの落書きだよ』で誤魔化せ――」


 段々と温まってきたところだったのに、ドンドンとノックが鳴りやがった。


 フレアとは全く異なる叩き方だ。

 叩く位置が高い。子供のクレアには無理だろう。

 叩く威力も強い。遠慮のない性格で、かつそれなりに鍛えた手でなければ出せない水準だ。よってユレアでもない。


「誰だろう……」


 やり過ごすのも悪手だろうな。コイツはたぶん通報くらいする。そんな気がする。

 やましいことはしてないはずだが、懲罰隊に出てこられては面倒だ。


 観念して、俺は扉を開けた。

 発光板の淡い光に照らされたのは想定外の人物で。


「やっほ」

「……えっと、カレン、さん?」


 日中と変わらぬショートヘアのタンクトップ女子がそこにいた。






「広いねー。あ、一人暮らしだからか」

「初日だからですけど……」


 自宅に女の子が来るシチュエーションはラブコメの定番イベントだが、異世界の、味気ないコンテナの、それも初日となればムードも何もない。

 ついでに言えば感情もないけどな。


 それでもカレンの艶めかしさに目が行きそうになる。

 ラフな女ってなんであんなにエロいんだろうな。スポブラは偉大な発明だと思います。見た感じ、何も付けてなさそうだが。


「知ってる。アンラーくんはさ、メイトは要るの?」

「メイト? ってなんですか」

「そっか、ダグリンの言葉かも。家族や恋人や親友のことだよ。一緒に暮らしてる人」

「いないです」


 ダンゴとクロが俺の中に住んでますけど何か。


「予定はあるでしょ? ユレアを狙ってる? それとも年下のフレアかな?」

「予定もないですけど、あの、ご用件は?」


 寝室コンテナと排泄コンテナを軽く眺めた後、カレンは出入口に戻ったかと思うと、ガシャンと扉を閉めてきた。


「あの、カレンさん……?」

「泊めて」


 閉め切った夜のコンテナ内はよく響く。聞き間違えようがない。


「ごめんなさい嫌です」

「《《やっても》》いいから。むしろやろうよ」

「何を……ですか?」


 カレンがぐいっと襟《えり》を下げる。

 谷間が少し見えているが、見えすぎてはいない。計算された角度だ。


(明らかに手慣れてやがる)


 初心な年下をからかうような笑顔も浮かべている。下手にとぼけたら、かえって怪しまれそうだ。


「や、やややめてくださいっ!」

「うふっ。可愛いね」

「何なんですか!? 早く帰ってください……」


 背を向けて隅に逃げる俺を、成人女性の足音が追いかけてくる。

 ユレア以上、フレア以下――スポーツガチ勢ほどは鍛えてないが、健康や美容のためにストイックに鍛えてる程度の体捌きといったところか。

 アンラーの身体能力では勝てそうにない。


(ダンゴ。クロ。性行為に至る可能性は想定しておけ)


 足音が一歩手前で止まる。

 俺が向いてる先の壁が、影一色に染まった。


「アンラーくんってさ、自分のこと大好きでしょ」

「からかうのはやめてください……」

「普通は『何があったの?』って聞くんだよ。そこをすっ飛ばして自分の意見を主張してきた。でもいきなり受け入れるほどの剛胆さもない。経験が無くて怖いのかな?」


 俺は的確なアンタが怖いんだけど。

 アンラーは気弱で優しいイメージなんだが、付け焼き刃ではこんなものか。染みついた性格までは誤魔化せない。


「お風呂見てわかったと思うけど、ここは大らかだよ。キミが同意すれば何の問題もない」

「だ、だめですって……」

「何が? 私は良いって言ってるんだよ? キミ、昼も私もこと見てたよね。やりたくないの?」


 背中に人差し指が置かれ、メスのように動いていく。「あっ」などと言いながら、俺はビクッと肩を揺らしておく。


「その、生まれちゃうかもしれないですし」

「ふふふっ、せっかちなんだね。そっちをするつもりはないよ」


 オーラルセックスに留めるってことだろう。

 せっかくなので利用させてもらう。


(ダンゴ。赤面)


 こんな感じで相棒も駆使しながら、今のところ無難に凌いでいるのだが……正直言ってジリ貧だ。


「耳まで赤いよ? 可愛い」


 空気の振動が顔面の接近と口元の構えを教えてくれる。耳をはむはむするパターンだろうな。

 俺もデリヘルでやってもらったことがあるが、耳はかなり効く。純粋に刺激に慣れていない分、割と誰にでも刺さる性感帯なのだ。


 既にアンラーは利己的で奥手な人間だと見抜かれている。

 このまま受け入れてしまえば、もう抗えないだろう。俺は初心な年下男子として、ひたすら感じ続ける演技をしなきゃいけない。だるすぎるな。

 体の関係に至ることで親近感が増えすぎるのもまずい。もちろんこれだけで恋仲になれると考えるほど俺も無知ではないが、それでもある程度は親しくなってしまう。親しくなれば、それだけ絡む機会も増える。

 論外だな。俺は一人になりたいんだよ。


 ……というわけで仕方ない。温めてた設定をここで切る。


「やめてくださいっ!」


 俺は両手をぐるんぐるん回しながら暴れてみた。

 最初は顔に当てようとしたが、この状況で、しかも背面で顔の位置を当てるのは不自然すぎる。結果、子供が駄々をこねるみたいな情けない姿に。


「何もしてないよ?」


 振り返ると、カレンは変わらぬ微笑で俺を見ていた。

 結構でかい声を出したつもりだし、アンラーは体格で言えば平均よりもでかい。何せ元々パルクールガチ勢で筋肉質だった身体を、凹凸がわからないよう寄生スライムで覆っている形だからな。むしろガタイが良いと言えるレベルまである。

 そんな男が反発したというのに、動揺一つさえ見せていない。

 しかも荒事にも対応できるよう一歩、いや二歩ほど距離を取っている。人間の瞬発的な暴力に反応でき、また自ら叩き込むこともできる距離――


 ダグリンの女って逞しすぎないか?

 それともカレンがただ者じゃないのか。


「ボクは皇帝や将軍のような強い人に憧れてるんです! 強い人はこんなみっともないことはしないしさせないっ!」


 表情まで聞き上手な奴だな。要らないことまで喋ってしまいそうな、その何とも温和でつかみ所のない笑顔には勝てる気がしない。

 しかし誘惑は忘れていなくて、女の色も醸し出していて。

 なんかこの器用さ、見覚えがあるな……。


「皇帝はともかく、将軍には遊んでる人もいるよ?」

「そんなこと知りませんよっ。強い人はカッコイイんです! 女のあなたにはわかりません!」

「そうだね。わかんないし、わかるつもりもないかな」


 意味不明なゴリ押しと女だからのステレオタイプ攻撃。前世でも活躍してくれたダブルコンボはここでも有効のようで、カレンはもう近づいてこなかった。

 なんか突っ立ってるけど。


「……」

「……あの、カレンさん?」

「わかんないよ。こうなるってわかってたのに、なんで……」


 突然どうした。俺もわからないんですけど。


「どうすれば良かったのかな。もっと強く言えば良かったのかな。殴ってでも止めれば良かったのかな。私も一緒に行けば良かったのかな」


 次第に涙声になっていき、取り繕った笑顔の崩壊とともに、一滴のしずくが落ちた。

 間もなくカレンも地面に崩れ落ちて――

 しくしくと静かに泣き始める。


 え、どういうことなの……。

第261話 初日5

「ぼ、ボクはもう寝るので、ゆっくりしていってください」


 寝室コンテナを占拠されたと解釈して、俺は隣の排泄コンテナに移ろうとする。


「死んだの」

「……おやすみなさい」


 重そうなつぶやきは聞かなかったことにして寝室を出る。

 廊下コンテナを歩いて、隣の排泄室へ。まだ出してないから問題はないし、そもそも俺は出さないから永久に無問題。

 が、形跡がないと怪しまれるだろうから、定期的に相棒達には糞を生成してもらうとしよう。


「あ、布団持ってくるの忘れた……」


 別に地べたで寝れても不思議ではあるまい。俺は横向きの姿勢で寝そべり、目を閉じた。


 しかし安寧は五分と保《も》たず。「布団無いと眠れないよ?」嗚咽の余韻が張り付いた声の後、でかい布が降ってきた。

 こっちでも布団って言うのな。


 とりあえず寝たふりを決め込む。


「ありがとね。落ち着かせるためにそっとしてくれたんでしょ?」

「……」

「もう寝ちゃった?」

「……」

「無視されるとお姉さん辛いな。襲っちゃうかも」

「……まだ何かご用ですか?」

「冷たいなあ」


 カレンはわざわざ発光板まで運んでいる。重たいからか入口までってところが彼女らしいというか、あまり几帳面ではなさそうというか。

 恥じらいも薄いのか、あぐらをかいた太ももが薄暗い中でも豊かな存在感を放っていた。


「気晴らしさせてよ。今日は眠れそうにない」

「疲れた時こそ寝るべきだと思いますが……」

「じゃあ一緒に寝よう」


 おりゃーとか言いながら俺の布団に潜ってくるカレン。早速不躾に触ってきながら「だらしない体つきだね」などと言ってくる。そりゃ何よりだ。そういうふうにつくってるからな。

 とりあえずお腹揉むのはやめてほしいが。というかパーソナルスペースに入ってくるのもやめてほしい。


「あれれ? ずいぶんと落ち着いてるね?」

「あの、ボクはもう眠いので、本当に……」


 いちいちオーバーリアクションもだるいので方針変更して、すぐ眠くなるキャラを立てることにした。

 ぼっちは寝たふりも眠そうな演技にも慣れている。


「子供か」

「そういう体質なんですよ」

「子守歌歌ってあげようか?」

「ボクは無音じゃないと眠れません」

「じゃあ都合がいいね。聞いてよ、私の話」


 じゃあの意味がわからん。

 カレンはごろごろと俺から離れていき、自分の布団を引き寄せてその場でセッティングした。敷き布団としてのみ使うスタイルらしい。掛け布団派の俺とは対称的だな。


「メイトが一人いるんだけどさ、今日ダンジョンで死んじゃったの」


 一般人《レベル1》が潜れるダンジョンなんてあるのか?

 それともレベルアップ目的か?

 この辺にダンジョンなんてあったか? ケイブしか無いんじゃなかったか?

 俺も行けたりする? そこで金稼いだりできるのか――。


 疑問がぶわっと湧いたし、情報収集という意味ではここで親密になった方が手っ取り早そうではあったが。


「……」


 俺は無反応を選ぶ。

 一応、選択肢は並べたが、それでも迷う余地は無かった。

 性根からして陰キャなのだろうな。だからそっとしておいてほしい。


「私はずっと反対してたんだよ。レベル1でいいじゃん。貧しいけど平穏じゃん。危ないよりは幸せじゃんって」


 話から察するに、レベルアップを目指して死んだってことか。たしか一番最初――レベル1から2になるところがキツイんだったな。


「周りがどんどん冒険者になっていくから焦ってたんだと思う。一人で深入りしすぎて、ゴブリンに囲まれてやられた。なんで見守らなかったのか、すぐ気付いて回復しなかったのかって私は問い詰めたけど、言ったんだって。判定されるから来るなって。鬼気迫る勢いだったんだって」


 前提も共有せずに喋りやがるからわかりづらい。俺との会話に持ち込むための罠なんだろうか。

 だとしても、乗ってやるつもりはない。一応、主に学園で学んだ知識と経験があるから、ある程度は理解できるしな。


 『判定』ってのは超常現象だったな。プレイグラウンドで使ったベージュ色の植物もそうだし、|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》の時にも出てくるものだ。

 要するに、その人は『判定』の作用範囲が広かったのだろう。それこそ、とっさに助けに入れないほどに。


 だからレベルアップしづらくて、一人で頑張るしかなくて、それで無茶をして食われた――。


「みんな他人事だった。人が死んでるんだよ? 私にとってはただ一人のメイトなのに。『そういうものだ』とか言ってきたおじさんもいて、殺意を抱いたのは久しぶりだよ。知ってる。私だってずっとダグリンで生きてるんだから、そんなの当たり前。でも時と場合ってあるよね? メイトの死を目の当たりにしたばかりの私に言うこと? なんでああいうのが冒険者やれてるんだろ。なんでアンジェは才能が無かったんだろ。なんで私は止められなかったんだろ。殺したゴブリンが憎い。今すぐ殺しに行きたい。でも私は冒険なんてしたくない。ほら、そういうところだよね? 私はだらしないんだ。命を賭けることすらできないちっぽけな人間。だからアンジェも私の言うことを聞いてくれなかった。どうすればよかったのかな。アンジェと出会わなければ良かった? そんなの寂しいよ。ねえ、アンジェぇ……」


 情緒不安定ってこういう感じなんだろうか。

 俺だったら全部書き出して、箇条書きにして、ここはこうだったとかここはこうすればいいとか書き込んでいくけど、無粋だろうか。そもそも当人はそれどころじゃないよな。知らんけど。


 ともあれ、カレンも言ったとおり、それが真理だ。

 始まりには終わりがあるし、生物はいつかは死ぬ。


 その悲しみが嫌なら、最初から始めなければいいし生物とも付き合わなければいいのにな。

 なのに、そんなこともわからず、あるいは咀嚼しようともせず、猿みたいにすぐに手を出して、いざ終わったらバカみたいに悲しんで。

 で、それでも後悔はなかったとかそういうのが人生だとかほざくことで自らを正当化しやがる――


(俺は違うぞ。そういうくだらねえ茶番を終わらせるために生きてきたし、今もそのためだけに生きている)


 言いたいことが山ほどあって、うっかり口を滑らせてしまいそうになる。


(ダンゴ。クロ。耳栓という言葉は知っているか?)


(知らないか。今から教えるぞ。耳栓ってのは、伸縮性のある小さな物体――そうだな、人の指でつまめるくらいの物で、細長く潰してから耳に入れるものだ。そうしたら中で膨らんできて中を塞ぐ。音の大部分を遮断することができるんだよ)


 この世界から見たら先進的な道具だろうが、まあいいだろう。

 俺は手早く耳栓の概念を教えた後、適用してもらうことにした。


 しばしの調整を経て、カレンの独り言をモザイクのようにカットする案配を手に入れた。


 これでノイズは薄まった。

 が、いつ絡んでくるかわからない中、思考に集中しすぎるのは危ない。


 結局、俺は耳栓の再現を試しまくることに没頭して。

 カレンの吐息や寝返りが定着した頃に、スキル『耳栓』が発現《エウレカ》した。

 といっても厳密には発現先は俺ではなくダンゴとクロ――ちなみにダンゴが先だった――なわけで、俺は二人に命令することで発動してもらう手筈を整えただけだが。


 にしても耳栓って。まんますぎてダサいな……。

第262話 不在

 第五週七日目《ゴ・ナナ》のお昼時。

 複数存在するCクラス教室の一室、自席にてルナは思案に耽っていた。


 席はランダムに決められ、出入口のそばである。今もクラスメイトがちらっと様子をうかがいながらも、足早に通り抜けていった。

 入れ替わりに、馴染みの気配が出現する。それはルナを見かけると、真っ直ぐ近づいてきた。


「……アンタ、友達いないの?」

「余計なお世話です」


 ルナが顔を上げると、ガーナは「もういいわ」と友達――というより自身が魅了した下僕だろう、彼らを帰らせていた。たしかAクラスの生徒だったはずだ。

 ルナの机に、どんと尻が乗る。


「ジーサはいないの? Eクラスにもいなかったわよ」

「ヤンデと揃って欠席みたいです」

「投げやりね」


 ジーサが逃亡したことはまだ公にはなっていない。


 そのうち退学の報が出るだろうが、エルフ側も当然知っている。

 大々的な弁明会を開いた後の、これである。捉えて幽閉するか、公開処刑するか――苛烈な処置を下すのは間違いあるまい。

 種族としての決定にもなろう。王女でしかないヤンデも従わざるをえない。ひょっとすると、今もその部隊か指揮かに加わっているかもしれなかった。


「なんか慌ただしくない? 王族である前に生徒でしょ。ちゃんと出席しなさいよ」

「学園の考え方が通用するのは自国までです」


 ルナはとりあえずエルフからのけ者にされる状況を演じている。


「アンタが何とかしなさいよ」

「やですよ。私にそんな権限はないので」

「みっともないわねぇ。あんなに気持ちいいのに」


 ガーナは呑気なもので、「あぁん」とやたら妖艶な声をあげ、しなをつくりながら何かに思いを馳せている。


「……前々から気になってたんですけど、あなたは結局エルフを食べたんですか?」

「留学のとき? 食べたわよ」

「やることやってますねー」

「今も食べてるわよ。綺麗すぎて感覚が麻痺しちゃうのよね-。人間の体が生ゴミに見えちゃう。今朝も気分が乗れなくて、お預け食らわせてしまったわ。みっともないのはアタシね」

「いや知りませんよ。気持ち悪い情事を聞かせないでください」

「エルフも虜にするアタシの技、受けてみる?」


 人差し指と中指を立て、ゆっくりと開いてみせるガーナ。

 そのサインの意味するところは不明だが、とりあえずいやらしいことだけは確かだろう。ルナはその手を叩《はた》いて、


「王族への性的暴力は極刑です」

「つれないわね。お昼どう?」


 王族というおっかない存在には近づかないのが普通だ。気分一つで何されるかわかったものじゃないし、下手に仲良くなれば面倒な事態に巻き込まれる。

 そんな中、こうして気さくに接してくれる友人の何とありがたいことか。


「お誘いは嬉しいですが、ちょっと考え事したいので」

「しっかり食べなさいよ」

「ありがとう」


 ガーナはひょいと机から飛び降り、ルナの後方に投げキッスを送る。

 陽気な男子三人のグループ。集団のノリでその気になりやすいのだろう、まんざらでもなさそうな会話をしていて、弾んだ声はここまで届いた。クラスに下僕が生まれる日も近い。


 遠ざかる背中を見ながら、思う。


 ガーナは学園屈指の色欲魔だが、ただの色ボケではない。

 オードリー家――娼館を仕切る会社の次期社長候補として、相当の重圧を背負い始めているはずだ。

 わざわざ留学中にエルフと致したのも、コネクションをつくるため。その行動力は感嘆に値する。


(ガーナにしましょうか。でも……)


 対してルナは王女でこそあれ、ただの元ソロ冒険者でしかない。他の知り合い――たとえばガートンでいっぱしに働くスキャーノや貴族として日々奮闘するハナと比べても、何ら誇れるものがなかった。

 しかし、そんな自分の足りなさは自覚している。

 だからこそ協力者が必要だ。


 ガーナは数少ない候補の一人である。

 しかし、まだ不確定要素は多い。


(オードリー家はどこまで絡んでいるのでしょうか)


 元より会社であり、国にも負けない力を持っている。もしタイヨウに目を付けられ、奪われでもしたら、奪取し返すことはおそらくできない。


(……すっかりタイヨウさんに影響されてしまいました)


 一日三食しっかり食べるという几帳面な過ごし方を思い出す。


 ルナは思案顔のまま席を立ち、南東の一般食堂を目指した。

 校舎エリアを出て、広い敷地を横切ろうとしたところで、「ルナさん」それは最有力候補の美声だった。


「……友達はいいんですか?」

「ルナさんと食べたくて」

「優踏生はお気遣いもお上手ですね」


 スキャーノと並んで歩き出す。

 彼はクラスで言えばDだが、既に学園全土に知られるほどの有名人と化している。その弱そうな雰囲気に、女装も似合いそうな中性的容姿、加えて分け隔てなく応じる柔らかな物腰のおかげで生徒も近づきやすく、話し相手や付き添いにはまず困らない。


「王女が何言ってるの」


 そのくだけた苦笑のつくりかたも完璧で、ルナのようにうっかりぶすっとしてしまうような隙も無かった。


「クラスメイトの女子に話しかけただけで『ヒッ』とビックリされてひきつった笑顔を向けられたときの気持ち、わかります?」

「大変なんだね」

「スキャーノは最初は小心者って感じでしたけど、明らかに変わりましたよね。どうしてですか」

「心境の変化かな」


 それ以上語る気がないとわかる、淡白な一言だった。「ふーん」ルナも深追いはせず受け流す。


 ここで会話が途切れた。


 校内の喧騒と、よく制御された足音だけが鳴っている。


 二人は付き合いの期間こそ浅いものの密度は高く、無言でも気まずくない程度の関係性にはとうに至れていた。「「あの」」見事に被る。


「ルナさんからどうぞ」

「……」


 ルナには不思議と同じ対象を思い浮かべていることがわかった。


「……これは王女ハルナではなく、冒険者ルナとしての、個人的な話です」


 ルナが恋人のようにスキャーノに密着する。それを合図に、優等生による防音障壁《サウンドバリア》が二人を包む。


「僕もだよ。ガートン職員じゃなくて僕個人として話したいことがあるんだけど」


 お互いに保険を交わし合う。

 そうしなければならない話題で、かつ共通しているものなど二つとない。


「私の友達が、人を探してるんです」


 ルナが先制を切った。

第263話 不在2

「私の友達が、人を探してるんです」


 スキャーノは一瞬「友達いたっけ?」とでも言いたげな表情を浮かべてきたが、すぐに引っ込める。「ごめんごめん」と言いたげな表情を差し込むことも忘れていない。余裕が見て取れた。

 何より、なんだか少し柔らかくなったと感じたルナだったが、本筋ではないため口にはしなかった。


「その人ですが、ダンジョンに出かけたっきり、いなくなったんですよ」

「遭難《ロスト》ではなくて?」

「彼に限ってはありえません。とても強い人ですから」


 吐息がかかるほど密着する二人は、一般人《レベル1》が見ればいちゃついてるカップルと誤解するかもしれない。食堂に向かう道すがらであり、時間帯でもあるため目立ちもする。

 が、ここは王立学園。

 王女と優等生の組み合わせということもあり、重要な密談であることは想像に難くない。普段なら飛びついてきそうなミーシィさえも遠慮するほどだ。


 スキャーノが目で詫びを送っているのを、ルナは他人事のように眺めていた。

 間もなくミーシィは諦めて、友達だろうか、鳥人の女子二人と飛び去っていく。


「自分の意思でいなくなったんだと思います」


 ルナはすぐに会話を再開し、


「だとしたら探し様がないんじゃないかな」


 スキャーノももう切り替えている。


 その発言には一理あった。

 ジャース大陸はとてつもなく広い。しらみつぶしに探すなど、気が遠くなるどころの話ではない。


「彼は有名人でもあります。表を歩けば目立ちます」

「ダンジョンに潜んで生活する人もいるよ」

「無いと思います」

「どうして?」

「もし|ダンジョン暮らし《アンダーライフ》ができるなら、最初からそうしてるはずですから。私の友達が彼と知り合うこともなかった」

「うーん、最初からアンダーライフするはずってのがよくわからない。アンダーライフは人付き合いに嫌気の差した人が行うものだよ。その人も嫌気が差したんじゃないかな」

「彼はそういう人じゃありません」

「そんなに良い人なの?」

「そっちじゃなくて、そもそも人付き合いを求めるような人ではないってことです」


 ジャースではソロプレイヤーや独り暮らしが少ない。加えて、彼らも常に一人でいるわけではなく、誰かと接するのが普通だ。

 かく言うルナ自身も、王国から逃げて一人サバイバルに勤しんでいたが、貧民の人達とは付き合っていた。改めて口にするまでもない、人として自然な欲求の一つだ。


 これが固定観念であると気付いたのは、タイヨウと出会ってからだ。


 わかりづらい性質だろう。

 通じるか怪しくて、ルナは思わず横目でうかがうも、優等生の温和な横顔は変わらなかった。


「変わった人だね。その人も、その人の友達も――って、ルナさん?」

「何でもないです。本当にそう思います。でも、それでも友達ですから。このまま放っておくわけにもいかないんです」

「ルナさんは友達思いなんだね」


 ガートンで鍛えあげられたからだろうか、その双眸には王国の老獪な貴族らのような深みがあった。見つめられるのがやりづらくて、「どういたしまして」目を逸らしつつそんな台詞を吐くくらいしかできない。


「話を整理するね――その人は意図的に自分をロストさせた。人付き合いを求めるタイプではないからアンダーライフに移行すると考えられる。でも、ルナさんは外に出てくると考えてるんだよね。なぜ?」

「わかりません。彼がどういう事情を抱えているかは、誰にもわからないです」

「ルナさんの友達も?」

「はい。彼のことが全然わからないってよく愚痴ってきます」

「ふふっ、そうなんだ」

「何笑ってるんですか」

「なんでもないよ」


 誰の話をしているかは間違いなくバレている。

 滑稽なのも頷けるが、立場上認めるわけにはいかなかった。一応、防音障壁は張られているものの、どうせ親衛隊や近衛レベルになると突破されるし、今も聞かれているかもしれない。

 道化は続けなくてはならない。


「スキャーノならどうやって探しますか?」

「うーん、そうだなぁ……」


 そうこう話しているうちに、一般食堂に着いた。


「……」

「……」


 食事を受け取って席を探す。

 その間、スキャーノは口を閉ざしたままで、


「……できれば口にしてもらえると助かります」

「ああ、ごめんね。えっと、彼が単に知り合いのいそうにない場所で暮らしているだけなら、そこに行けば出会えるよね。そうでなくとも、誰かが彼を見つけて、噂が広がって、そのうちその場所が耳に入ってくると思う」


 その辺の冒険者程度なら絶望的だが、有名人ならそうでもない。

 噂という名の伝達網は決して侮れない。


 さて、シニ・タイヨウはどうだろうか。

 間違いなく後者だ。今も王国から指名手配が出ている。


 ジーサ・ツシタ・イーゼはどうか。

 これも後者だ。

 |二国の王女の婿《ダブルロイヤル》は前代未聞であり、既に情報紙にて全土に知れ渡っている。有名の程度で言えばシニ・タイヨウよりも上だろう。

 無論、彼はそんなに単純ではない。


「彼が身元を隠しているとしたら?」

「正攻法で行くなら国や組織の、人の流れを見ることかな」

「出入りってことですか?」

「そう。目的が何であれ、十中八九何らかの国や組織は絡むよ。彼も性分でもないのにわざわざ地上に出てきてるんだよね? 協力者のもとに行く、と考えるのが自然じゃないかな」

「あるいは壊滅させたい対象があって壊滅させに行く、ですかね」


 ルナは直感的に何らかの排除を企んでいると思っているが、スキャーノは違う見解のようだ。

 ジーサの性分がわからないのだろうか。

 あるいは単に一般論を述べただけかもしれない。


「どこだろうね。アルフレッド王国?」

「怖い冗談はやめてください。ガートンかもしれないじゃないですか」

「あはははっ、ないない。会社はそんなにやわじゃないから」

「国もです」


 二人のやりとりはどこか白々しかった。


 同じ人物――シニ・タイヨウを浮かべているのであれば、あながち冗談でもない。が、その事を肯定しにいくと、せっかくぼかして会話できているのが台無しになる。

 なにせ国や会社をどうにかできる存在など、数えるほどしか居ないのだから。


「わかりました。とにかく、彼は近いうちに何らかの国か組織に、何らかの形で接触するってことですね。それを知るために各国各組織の人の出入りに注視して、怪しいものは全部調べてみる――そういうことですか?」

「さすがルナさん」

「そんなことできます? 要は総当りってことですよね?」

「人がたくさんいないとしんどいね」

「ですよね」


 それこそガートンのような会社規模か、国が保有する部隊でもなければ厳しい。


「クエストに出すのはどうかな?」


 冒険者にはお馴染みでありメシの種でもある、ギルド仲介の依頼事業クエスト。

 要するに『こういう人を探してます』という依頼をつくり、掲載料金をたくさん用意して派手に宣伝し、報酬も弾ませるという策であるが――


「そんなお金はありませんし、正直、大事《おおごと》にしたくもないです」


 そんな全土規模の探し物は間違いなく大型案件《ハイパークエスト》扱いになる。もちろん『逃亡したジーサ・ツシタ・イーゼを探します』とは言えるはずもないし、対象をぼかしたまま受理されるはずもない。


「詰んだね」

「そうですね」


 ちょうど二席の空きを見つけたので腰を下ろす。

 ルナ側と隣接した男子は露骨にビクッとしており、スープがこぼれたのも気にせずそそくさと離れていく。逆側、スキャーノの方はじろりとこれまた露骨な視線を受けただけだ。絵に描いたような優秀な下級生が気に入らない、とでも言いたげな、よくある光景。


 いつものスキャーノなら会釈くらいするだろう。ルナにも同情的な苦笑くらい寄越すだろう。

 しかし今は、難しい顔をしたままだ。


「まだ何か言いたそうですね。聞かせてもらえますか?」

「うーん……」


 唸っていたスキャーノだったが、数秒の後、バッと振り向いてくる。


「ルナさん。放課後うちに来ない? もうちょっと詳しく議論したい」

「構いませんけど、いいんですか?」


 スキャーノの自宅――おそらくは職務用の仮の住まいだろうが、そこにはガートン職員の事情が少なからずあるはずだ。

 部外者を、それもクラスメイトとはいえ王女を入れてもいいものか。


「うん、大丈夫。……たぶん」

「……」


 真面目なスキャーノの瞳孔が、嘘下手の子供のように横に逸れていく。


「わかりました。行きます」

「最初に謝っておくけど、何か起きたらごめんね」

「スキャーノがそんなに弱気なのも珍しくないですか? 逆に楽しみになってきました」

「あはは……。楽しんでいただけると幸いです」


 自宅に面倒くさい人物でもいるのだろう。


 疑う気にはなれない。

 最初は優秀なくせに物腰が低くてなんだか嫌な奴だと思っていたルナだったが、ジーサを巡って腹を探り合ったり見せ合ったりしてきたことでわかり合えた。

 口に出すのは照れくさいが、今では親友だと思っている。


 実力も、頭のキレも、ルナよりは上。

 客観的に見ても優秀だし、信用もできる。

 その親友が大丈夫だと言っているのなら、そう信じたい。



 ――誰も信じれぬ支配者は破滅あるのみよ。支配者だからこそ信じよ。


 ――まあ一度でも誤ると破滅するんじゃがの、がはははっ!



 父親の助言は正直よくわからないものばかりだが、その一つについて、ほんの少しだけ分かった気がしたルナだった。

第264話 不在3

「意外と貴族してますね」


 第五週七日目《ゴ・ナナ》の午後六時半頃。

 夕陽に照らされて複雑な陰陽をつくるスキャーノ邸、その鉄門をくぐりながらルナが言う。

 社員のためにあつらえた家屋としては豪勢であり、平民エリアなら頂上付近に匹敵する水準だろう。


「王族や上流貴族とは比べないでね。細々とやってるだけだから」


 ルナはガートンの羽振りの良さを遠回しにからかっただけだが、今はお互いに公の立場と利害を隠す場面である。表向きのキャラを演じるスキャーノに「大変ですね」同情だけ漏らした。


 庭を歩いて屋敷に入り、物静かで装飾も乏しい廊下を突っ切っていく。

 内部は宿屋のようであり小部屋が左右についているが、どこも扉が取っ払われ倉庫と化している。情報屋らしく紙や書籍といった資料の束が多いが、一応食料室や衣装室も確保されているようだ。

 ちらっと服のレパートリーが見えた。


「女物?」


 |上下一体の寝間着や肌着《ネグリジェやシュミーズ》だけでなく、ベルトブラまで目に入った。


「可愛い服を着るんですね」

「着心地が良くて好きなんだ。内緒にしてね」

「そ、そうなんですね」


 さすがにスキャーノ用ではないだろうと安直につっついてみたルナだったが、そのまさかが来た。しかもあっけらかんとしていて、逆にルナの方が幼いのだと突き付けられているようであった。


 ベルトブラにまで目を付けているのは、ある意味では彼らしい。

 安価な割には頑丈で、締め付けも自在に行えるベルトブラは装備品や救急アイテムとしても役に立つ。魔法を流し込めば手頃な武器にもできるだろう。並の男なら女物の下着など見向きもしないだろうが、さすが優等生は目の付け所が違う。

 出来の良さも見せつけられているような気がして、ルナは。


「ガーナに言ったら喜びそうですけど」

「そんなことしたらルナでも殴るから」


 前を行くスキャーノが肩越しに右手をかざし、親指に中指を引っかけて――弾いてきた。

 弾丸のような風圧を、ルナは正確に見切って交わす。といっても首を曲げただけだが、「さすがだね」その声音には感心が乗っていた。


「今の――レベル50でも当たる攻撃だったんだよ?」

「攻撃ッ!? 今、攻撃って言いました?」

「ここだけの話、ルナさんは優秀だから、つい挑んでみたくなる」

「首席が何言ってんですか」


 廊下を抜けて屋敷中心部の大広間に入ったが、ここを右折して、また廊下に入る。どうやら大広間の四方から廊下が伸びる十字型の間取りらしい。


 スキャーノが手前の一室に入った。

 続けてルナも入室する。机も椅子も何もない空き部屋だ。


「我が家に招待した理由だけど、ジャース全土を俯瞰できる資料が揃ってるからなんだ」

「資料?」


 立ったまま話すスキャーノだったが、すぐに魔法で何かを引き寄せる。

 絵画のように壁に張り付けられていくのは、ジャースの地形を描いたものだ。


「地図と、人口図と……この人口図みたいなものは何ですか?」


 地図中の各領域に人口数を書いたものを人口図という。このエリアにはこれくらいの人数が住んでいる、という情報が一目で分かる。ガートンが製造する資料でもあり、王族としての教育を受けているルナも何度か見たことがあった。

 しかし、明らかに人口数とは異なる数字体系の図が混ざっている。


「人口密度図だよ。アルフレッド王都リンゴの平民エリアの人口密度を100とした場合の、各地方の人口密度が示されている」

「ここの48は、密度が平民エリアの半分くらいってことですか?」

「そうそう。あ、人口密度ってわかる? そもそも密度ってわかるかな」

「わかりますよ。嫌いですけど。私は体を動かす方が性に合ってます」

「王女が言う言葉じゃないね……」


 ルナは反対側の壁際に移動し、もたれるように腰を下ろす。


「改めて見ると、広いですよね」


 王都リンゴも小国が成立しそうなくらいには広いが、ジャース大陸はそんなものではない。一応、大陸はすべて四国《よんごく》の管轄下にはあるものの、管理までは行き届いていない。単純に人員が足りなすぎる。

 事実、アルフレッド王国も、五割以上の町は生活水準が低いままだ。そのような町は村と呼ばれ、無法地帯と化しているところも少なくない。


 一方で、ダグリン共和国のように隅々まで監視を届かせる国や、ギルド領のように地上ダンジョンと化したモンスターの巣窟を領土とする世界もある。


「それで、どうするんですか?」

「彼――ルナさんの友達が探してるその人が行きそうなところのあたりをつけるんだよ」


 つまりはジーサあるいはタイヨウが行きそうな場所を、これらを見ながら考えてみるというわけだ。


「はぁ……、まあ、そうですよね」

「最初は泥臭いものじゃないかな。冒険もそうでしょ」

「冒険は体を動かすだけマシですけどね」

「じゃあ模擬戦でもしながら読む?」

「そんなに器用じゃないんですけど」

「私は構わないわよ」


 自然に割り込んできたのは、エルフ王女の美声だった。

 当たり前のように振動交流《バイブケーション》をねじ込んできた後、ビュンッと高速移動のまま入ってくる。

 風圧や衝撃の処理も忘れていない。首席でも捌けない威力が一瞬で相殺されるのを見て、今度はスキャーノが嘆息するのだった。「気持ちはわかります」ルナが同情している間も、ヤンデはずかずかと歩いてきて、壁に並ぶ地図を眺める。


「あの、ヤンデさん……。普通に訪問してくれると嬉しいんだけど」

「どうせ二人しかいないんだから構わないわよ。私も混ぜなさい」

「学園休んで何してたんですか?」

「エルフにはエルフの事情があるのよ。ジーサは今日は来れないわ」


 ルナがすかさず話を振ると、意図どおりヤンデは乗っかってきた。

 ジーサはエルフ側の用事で欠席している――という体である。そう長くは続かないだろうが、直近穏便に済ませるならこれが一番いい。


「今は私の友達の話について、スキャーノと話し合っていたところです」


 続いてルナは建て前も共有した。

 ジーサの処遇はエルフとしても既に下しているはず。おそらく内密に部隊を編成して捜索にあたるだろう。無論、学園の知り合いごときに話していい話題ではない。ガートンの職員ならなおさらだ。

 しかし、ジーサを探したいのはヤンデも同じだろうから、友達の話だと上手くぼかせれば、議論には応じてくれるはず。


「防音障壁」


 しかしヤンデの第一声は詠唱だった。

 彼女ほどの術者なら無詠唱もできるだろうに、わざわざ綺麗に発音するほどの重さを乗せている。


「近衛は大丈夫よね?」

「はい。ユズですから」

「ヤンデは強引。横柄。横暴」


 すうっとユズが姿を現したことで「うわっ」スキャーノが驚きを顕わにする。さらにその裸幼女の双眸がじっと見つめてきたことで、「あの、ルナさん……」睨まれた小動物のようにフリーズしていた。

 王族専用護衛《ガーディアン》相手なら致し方ない。笑う者などいなかった。


「すいませんスキャーノ。もう後には引けないです」


 盗み聞きの可能性を塞ぎ、近衛の存在までカミングアウトしてきたヤンデによって、ここの四人は共犯関係になってしまった。

 特にスキャーノはいきなり巻き込まれた形である。


「私達はこの四人でシニ・タイヨウを探します。もちろん体裁上は内密に、かつ私的に行う必要があります。私とスキャーノは既に合意を取りました」


 だからこそ友達の話をでっちあげて下手な芝居を打っていたわけだが、そこに水を差したのがヤンデだ。


「ヤンデはいかがでしょうか。私は少し警戒しています。たとえば、あなたはエルフの駒として動くことを決めており、ここでは私達を騙して協力するふりもするのではないかとも考えています。つまりタイヨウさんを見つけた途端、私達を裏切って奪い取るのではと」

「かたいわね。友達にそんな真似はしないわよ」


 疑われたのが心外なのか、ヤンデは大きなため息をつく。

 その後、無詠唱で即席のテーブルと椅子をつくり、いつもの偉そうな態度を五割増しさせた肘つき脚組みスタイルで、


「だから堂々と言うわ。私はあなた達に協力する」

「ふぅ……、なら良かったです。ユズ。私とスキャーノの分も」

「承知」


 ひとまず最大の懸念――ヤンデが敵に回る展開は免れた。


 二人がユズ製の座り心地抜群な椅子に腰を下ろしたところで、ヤンデは続ける。


「この件は既にエルフも動いているわ。私の出る幕は無いし、お母様も期待していない。こうして私的に活動することも想定しているはずよ」

「そういうところ、嫌ですよね。しれっと先回りして、何でも分かった顔して」

「わかるわ」

「ぼくもわかるよ。あ、ありがとうございます」


 スキャーノはユズからカップを受け取った。ジャース随一であろうミネラルウォーターを前に「あ、え……美味しすぎる」彼も開いた口がふさがらないようだ。

 苦い思い出でもあるのか、ヤンデは苦そうな顔をして、


「あなたはただの職員でしょ」

「上司が厄介な人でして」

「ガートン、ね」


 ヤンデが壁の地図群を眺める。

 広大な土地と膨大な人口を調べ上げる大組織の成果物は、実力者だからこそ並々ならぬとわかる。


「ガートンと言えば、お母様よりヤバそうな人とは会ったことあるわね。皇帝ブーガに馴れ馴れしくしていたわ」

「たぶんその人のようで……」

「嘘でしょ!?」


 ヤンデレベルになると強者とはそう会えるものではない。そのヒントが目の前に出てきて興奮するのは、冒険者として自然なことだ。

 が、恥ずかしいのか、「そう、水――水よ! ユズのミネラルウォーターはびっくりするほど美味しいのよ」などと《《ため》》までつくって意味不明なことを言っている。

 スルーする程度の優しさを持つルナは、


「スキャーノの根源もその人だったりするのでしょうか。よろしかったらお名前を教えてもらえませんか」

「さすがにまずいかな」

「ファインディと言ってたわ」

「ヤンデさん……」


 本人が伏せた情報を悪びれもなくぶちまけるヤンデは手も動かす素振りもなく、ユズからもらったカップを浮かせていた。

 口への運び方も魔法だ。針金のような細い水流を口元に流し込んでいる。


 そんな様子を見ながら、ルナも既にカップを受け取り、久しぶりの魅惑の水に舌鼓を打ちつつも、その名前を咀嚼する。


「ファインディ――聞いたことないですね」


 まだ公私の区別が抜け切れていないスキャーノも観念したのか、「階級自体は大したことないからね」開示に踏み切ったようだ。


「冒険者で言えば第四級くらいの位置付けだよ」

「気味が悪いわね」


 ルナも頷きで同意した。

 ヤンデの評価から見て、第一級クラスなのは間違いない。それほどの人物が下っ端の範疇に収まっているなど異常とさえ言える。


「だよね。本当に気味が悪くて気持ち悪い上司のようで」

「もう一度会ってみたいわね。むしろここにいたら会えるんじゃないかしらね?」

「どうだろ。ぼくも正直揺さぶってみたいところがあって、それでルナさんを呼んだんだけど」

「え、初耳なんですけど」

「ヤンデさんも来ちゃったし、来ない気がする」

「皇帝に気安く接していたのよ? 私程度にビビるはずないじゃない」


 無茶ぶりをしれっと仕掛けているし、今も自分を差し置いてヤンデと話し込んでいる――


「そんなことより、さっさと本題に入りませんか」


 大人気もなく、荒めの声音でルナは割り込んでしまった。

 二人は特に気づいてないようだが、近衛《ユズ》の見る目が生暖かい。


 もっと精進しなければと自戒するルナだった。

第265話 不在4

「ぼくの上司が最近調べているのが、こういう話題っぽいんだよね」


 壁に所狭しと並んだ地図を見ながらスキャーノが言う。

 どうも全国全土の人口分布を調べ直しているらしい。


「ガートンインタビューでグレーターデーモンの質問をふっかけたのも上司なんだ。その後の、この行動――なんでだと思う?」

「ファインディはシニ・タイヨウに前々から注目していたのよね? だとしたら、どこかに紛れ込むと読んでいたことになるわね」

「その上で、タイヨウさんがどこに行きそうかのあたりをつけていたってことですか?」

「そこまではわからない。ジーサ君に詳しい二人でもわからないことを、上司が知っているとは思えないよ。ヤンデさんや、えっと、近衛さんにバレないように情報を集めるのもさすがに無理だろうし」

「ユズと呼ぶことを所望」

「えっと、ユズさん……」

「よろしい。ユズはスキャーノと呼ぶことを希望」

「うん。それでいいよ。よろしくね」


 まだぎこちないが、スキャーノもだいぶユズに慣れてきたようだ。

 というのも、現在進行でユズが膝の上に乗っているのである。


 アウラウル以上の格上であり、王国の機密でもある存在に間近で触れているとなれば、緊張どころの話ではない。

 それでも間もなく順応しようとしているのだから、つくづく優等生と言えた。ファインディという実力者の上司も、このポテンシャルには気付いているに違いない。


 今はどうだろうか。

 ユズとヤンデという世界随一の鉄壁を前にしてもなお不安が拭えないのは、心配しすぎなのだろうか。

 もっとも彼女達の足元にも及べない自分には、それこそどうしようもないことだ。


 ルナはもう一杯ミネラルウォーターをお代わりして、一気に飲み干すことで気持ちを切り換えた。


「直近考えるべきことは二つね。ジーサがどこに行ったかのあたりをつけること。それと、これはちょっと早すぎるかもしれないけれど、ジーサを見つけたときにどうするか――どこでどのように匿《かくま》うかってことかしらね」

「そっか。そっちもあるんだよね。下手すると二国が敵に回る……」

「普通に話し合いで説得しましょうよ」

「アルフレッドはともかく、エルフは無理ね」


 他人事のように断言するヤンデ。


 エルフの事情は知らないが、王女たる彼女が言うのならそうなのだろう。

 常識的に考えても、エルフは二度顔に泥を塗られたことになるわけで、穏便な対処はすまい。種族のイメージを守るためにも処刑するか、少なくともダブルロイヤルを放棄して自種族にだけ取りこもうとする。


「説得の対象は二国だけじゃありませんよ。タイヨウさんもです」

「……たしかに」

「ルナにしてはやるじゃない」

「一言余計です」


 タイヨウには実験村《テスティング・ビレッジ》と混合区域《ミクション》の実績があるし、つい先日もミックスガバメントを掲げている。

 依存はよろしくないが、今回も上手くしてくれるのではと考えてしまう。


「そもそも最大の脅威はタイヨウさん自身のはずです。タイヨウさんを説得できないと、どのみちダメですよね」

「ユズも同感」

「そうね。骨が折れそうだけれど」


 スキャーノは肯定と否定もせず、なぜかこの顔ぶれを見回している。「手強いなぁ……」などと呟いているし、何を考えているのやら。


「今すぐ出るものでもないし、各自が追々考えていけばいいわよ。そもそも探し出せないと何にもならない」


 ヤンデはあくまでジーサだけを見据えているようだ。「そうですね」ルナも同調することで見逃す、というよりスキャーノがわざと垂らしたであろう釣り針はスルーすることにした。


「長くなりそうだね。三人とも何か食べる?」


 スキャーノも切り替えたようだ。そう言いつつ、果物や乾燥肉を引き寄せてくる。食料室からだろう。


「私も同じものをお願いするわ」

「私もお願いします。ユズもそれでいいですか?」

「肯定」

「え?」

「えって何ですか」

「いや、その、社交辞令のつもりだったんだけど……」


 ヤンデもユズもゲートの使い手だ。自分で用意すると思ったのだろう。しかし、ヤンデに至っては既に勝手に引き寄せているし、何なら乾燥肉をひとかじりしている。


「ユズの水をプレゼント」


 人の体積ほどある氷塊が生成され、地面に置かれた。

 ここでしか味わえないミネラルウォーターの氷だが、スキャーノはあまり好きではないのか、「ああ、うん、ありがとう……」社交辞令丸出しの苦笑で受け取っていた。

 氷塊はすぐに部屋の外へと引っ込んでいく。専用の容器は無さそうだったが、どうやって保持するのだろうか。


「とりあえず国から絞るわよ。ユズ、書くものと場所を用意しなさい」

「承知」

「なんであなたが命令してるんですか」


 部屋の奥に空中板書が置かれ、四国《よんごく》各々を示す四つの言葉が書き込まれた。

 複写《コピー》――魔法で素早く書き込むテクニックである。ユズの手にかかれば、試験の問題用紙一枚、いや十枚を一瞬でつくることもできるだろう。

 比較さえ馬鹿馬鹿しくなる技だが、ヤンデとスキャーノに気にした様子はない。


「とりあえずオーブルーはないわよね。ジーサは魔法が使えないから」

「魔法の有無って問題でしたっけ? |風の部屋《ウインド・ルーム》、ウォーター」


 ルナは風魔法による空中風呂を生成することで気持ちを切り換える。


「もう入る気? スキャーノもいるわよ?」

「構いませんよ。いいですよね?」

「私は構わないわ」


 スキャーノから性的な視線を感じたことはない。誘ったとしても乗ってくることはないだろう、と不思議と確信できる何かがある。

 やや強引だが、確かめたかったのもあった。


「良くないってば。ダグリンじゃないんだし、王女なんだから裸を安売りするものじゃないよ」

「別に安売りはしてませんけど。もしかして照れてます?」

「というより焦っているわね。無理もないんじゃない? 子供と平凡な人間はともかく、エルフがいるものね」

「そういう問題じゃないよね……」

「遊ばない」


 ユズの火魔法が割り込み、空中風呂が瞬時に蒸発する。

 スキャーノはというと、演技には見えない初心っぷりを見せており、今も露骨にほっとしている。「ありがとうユズさん」「無問題」お礼も忘れていない。


「それでルナさんの疑問だけど、サクリ教には儀《ぎ》があって、儀では必ず魔法を使うんだよ。魔法の使えないジーサ君は教徒にはなれないし、紛れ込んでもぼろが出る」


 おまけに自分の疑問にも忘れず答えてくれている。モテるんだろうなと毒突きそうなルナだったが、きりがないのでいいかげん切り換える。

 さっきから切り換えてばかりだが、苦笑も呑み込んだ。


「それは知ってます。儀をサボれる余地があるんじゃないかってことです」

「ないんじゃない? ダグリンより隙がないって聞くわよ」

「ぼくも同意見かな」


 ユズも頷いているため、疑う余地はないのだろう。空中板書の、オーブルーの文字に打ち消し線が引かれた。


「それじゃダグリンですか?」

「ダグリンは門戸は広いけど、規律が厳しいと思う。ジーサ君が耐えられるとは思えない」

「逆じゃない? 好きそうじゃない、そういうの」

「私もそう思います」


 タイヨウは几帳面な性格をしていて、学園でも冒険者パーティーでもないのに息するように規則正しい生活をする。

 まるで身体に染みついているかのように自然で、それはソロの長かったルナよりも深くて。白夜の森で暮らしていた頃は、正直鬱陶しいくらいだった。


 一緒に過ごした時期のあるヤンデも理解しているのだろう。

 が、スキャーノはピンと来ないらしく、ユズを見る。


「二人に同感」


 ダグリンの文字の横に丸が書き込まれた。


「ギルド領はどうかな?」

「ありえるわね。苦戦する実力でもないはずよ」

「モンスターとキャンプしかないですけどね」

「何とも言えないわね。保留かしら」


 三角が付記される。


「あとはアルフレッドですね」

「村や街次第じゃないかしら」

「新入りの有無は一番尋ねやすいと思う」


 アルフレッドは――場所次第なところもあるが――住み着くのはかんたんである。鳥人や獣人も珍しくない。むしろ新人は良い刺激であり、特に小さな村や街では目立つこと請け合いだ。

 そしてアルフレッドの一部であるため、権力者には従順である。王族、あるいは有力な貴族や冒険者のネームバリューを出せば良い。何でも答えてくれる。


「尋ねるって、いくらあると思っているのよ?」


 無論、数の暴力が待っている。

 既にスキャーノとは確認済だが、ジャースはとてつもなく広い。それはアルフレッド王国一国に絞った程度でも変わらない。


「さすがのヤンデさんでも苦しいみたいだね」

「勘違いされると困るのだけれど、移動自体はわけないわよ」

「人に尋ねるの、下手そうですもんね」

「王女だもの。あなたもでしょ?」

「冒険者時代の話ですよ。私は貧民エリアで交流してましたし、今でもお友達はいらっしゃいます。ヤンデはいかがですか? いないですよね?」


 なるほど、エルフにしては表情が豊かだとルナは思った。

 タイヨウがからかって殴られにいく理由も少しわかる。もっとも手加減の薄さも間近で見ているし、このエルフは人間の王女だろうと振るってくるだろうから深追いは禁物だが。


「決めつけはやめなさい。いるわよ? 私がやれと言ったら何でもやってくれる者が何百人といるわ」

「脅してるだけですよねそれ……」

「ヤンデは論外。ルナも王女様ゆえに問題外。残りは一人」


 ユズがじーっとみつめる先は、もちろんスキャーノ。


「ガートンの職員なら聞き込みなんて朝飯前よね」

「公私混同は禁止されているようで……。それと、四国《よんごく》以外にもまだあるよ。空とか海とか」

「それこそ為す術がないですけどねー」


 広さも、そして何より脅威も、ジャース大陸とは比べ物にならない。

 空であれば、ルナは持っていないが鳥人の伝手で辿れないこともない。しかし、海となると完全にお手上げだ。


 大陸よりもはるかに広くて深い海を住処とする魚人――。

 彼らは他種族とはビジネスでしかつるまないし、懐柔が通じる相手でもない。ルナはまだ出会ったことはないが、父がそう言っていた。


「わかってはいたけれど難儀ね……」


 そう呟いたヤンデにつられて、全員の視線が空中板書に集まる。


 とりあえずダグリンとアルフレッドの二択。

 だが、この程度ではまだまだ絞り込めたとは言えない。


(長い夜になりそうです)


 それがもどかしくもあり、楽しくもあったルナだった。

第二章

第266話 案内

 スキル『耳栓』の練習と改良に没頭し続けること数時間、いや何時間経ったのかわからない。

 要領はわかったし、飽きたし、そろそろ終わるかと開放したときのことだった。


 轟音――。


 至近距離で雷が落ちたかのような、けたたましい音が鳴り響いた。


(朝の時報か)


 第五週八日目《ゴ・ハチ》の朝六時半――国民時刻表《ワールドスケジュール》が告げる目覚ましアラームだ。

 時報の域超えてね? 少し離れたところから漏れてた寝息も完全になくなっている。どころか、もう身体を起こしていて、「アンラーくん、起きた?」どうやら朝型のようだな。


「今の音……毎日あるんですか?」

「そうだよ。嫌でも起きるでしょ?」


 カレンはてきぱきしていて、もう布団をたたみ始めている。俺の視線にも目敏く気付き、乱れた着衣も自然に修正してくれた。


「何か急いでます?」

「別に何もないけど、なに? お姉さんにいてほしい?」

「むしろ早く帰っていただけるとありがたいです……」

「まあまあそう言わずに。今日は村を案内してあげるよ」

「は、はぁ」

「気を紛らわせたいの。さすがに何日も泊まるわけにはいかないし、仕事もサボりたいから」


 おはようの挨拶も無く、薄暗いコンテナの中で、即座に片付けながらお喋りをする。ついでに排泄コンテナでトイレも済ます――何とも不思議な感じだ。


 駄弁りながら布団を片付け、目立つからとカレンの分は夜に取りに来てもらうことで合意。


「じゃあ朝ご飯行こっか。あ、茶筒は毎朝持ってこうよ」


 己の糞便は己で処理してほしいところだが、二人並んで茶筒――ダグリンの使い捨ておまるを運ぶ方が恥ずかしいか。というわけで俺はカレンの分も重ねて運ぶことに。

 両手が塞がっているので扉を開いてもらう。と、


「え……カレン、さん?」

「やっほ」


 三姉妹の次女フレアが俺達が交互に見てくる。

 どいつもこいつもきびきびしすぎてね? 前世だと変人扱いされかねない生活リズムなんだが。


「もしかして、もしかするとですか?」

「そうだよ。気持ち良かった」

「な、なな何もしてないってば!」


 バグってる俺はただで淡白になりがちなので、動転した風に叫んでおく。


「わぉ、大きな声でお姉さんびっくり」

「……」


 ちょっとオーバーだったか。なぜかフレアのジト目が刺さっている。


「姉さんには手を出さなかったのに、カレンさんには出すんですね」

「あの、フレア、誤解だから……」

「大丈夫だよフレアちゃん。アンラーくんはフレアちゃん一筋だから」

「えっ!?」

「わぁ、大きい声でお姉さんびっくり」

「ボクもびっくりした」

「……」


 赤面したまま無言で近づいてきて、グーで殴ってくるフレア。今はマジでやめてくんない? 俺とカレンのアレがぶちまけられるよ?


「お取り込み中悪いんだけど、朝ご飯行くよー?」


 ひょこっと顔を出したのはユレアだ。

 その足元にはクレアもいる。


「おねいちゃんだっこ」

「アンラーさんがやってくれるって」

「おにいちゃんだっこ」


 クレアは朝に弱いのか、寝ぼけ眼をこすりながらふらふらしている。が、幼女にしては確かな足腰で、真っ直ぐこっちに向かってきて、「んー」両手を俺に向けてきた。

 あの、だから茶筒持ってるんですけど。


「カレンさんがやってくれるって」

「んっ」


 隣のラフなお姉さんには目もくれないクレア。


「悲しいからお姉さんはおんぶしてもらおうかな」

「勘弁してください」

「おっぱいの感触――味わえちゃうよ?」

「クレアの前で下品なこと言わないでもらえます?」

「下品じゃないよ。フレアちゃんもついてるでしょ」


 そう言ってちょんっとフレアの成長途上おっぱいをつつくカレン。「ひゃぁ!?」フレアの可愛い悲鳴がコンテナ内によく響く。

 間もなく二人は鬼ごっこに移っていった。元気だな。

 ユレアはユレアでもう歩き出しているし、しかも早足だし。


 とりあえず茶筒をさっさと所定の処理場に置いた後、俺はクレアをだっこして皆の後を追う。

 運んで走って、だっこしながらまた走って。朝から慌ただしい。






 朝っぱらだというのに、屋外食堂は昨日と変わらぬ賑わいっぷりだった。

 食堂だけじゃない。風呂施設群も朝風呂やら洗顔やらで大混雑で、俺も早速人混みにあてられた。


 その後、食堂に戻って同じく昨日と代わり映えしないメシを受け取り、四人席の一つを陣取る。

 一席足りないので、俺の膝上にクレアが乗っている。まだ覚醒する兆しはなく、黙々とぱくぱくしていて小動物みたいだ。


「改めて言うけど、昨日のお礼も兼ねてお姉さんが案内するよ。アンラーくんは何が知りたい?」

「仕事サボりたいだけですよね」


 すかさずフレアがツッコミを入れる。


「それはもちろんだけど、アンラーくんと仲良くなりたいんだよね」

「なんでうちを見ながら言うんですか」


 さっきも逃げるカレンを捕まえて痛そうな寝技でしごいてたし、この二人は仲が良いのだろう。

 一方で、ユレアはにこにこと余裕ぶっていて、どちらかというと俺達を見てくる。やりづらい。


 にしてもカレンは、メイトが死んだ翌日だというのに、ずいぶんと平然とできているものだ……いや、頑張ってるだけか。

 一般人《レベル1》を超越した感覚でよく見ると、表情の使い方がほんの少しぎこちない。昨日の元気なカレンを見てたからか、些細な違いがわかる。

 逆を言えば、日頃から注視してなければ、この人間離れした感覚をもってしても気付けない。

 俺は前世でも人の変化に鈍感だったが、結局「興味が無いから」の一言に尽きるのかもしれないな。


 もちろんカレンなどどうでもいいし、誰であってもどうでもいいわけだが。

 俺はただ未来永劫死にたいだけだ。

 この原則だけは絶対に忘れてはならない。現実はインターネット以上に寄り道に溢れているからな。


 カレンとフレアのやりとりを眺めつつ、どう答えるべきか、いやどう断るべきか頭をフル回転させる。

 と思ったら、「お仕事決めないとね」ユレアが話しかけてきた。

 無視するのもキャラじゃないので、「そうですね」熱心に食べているふりをしながら最低限だけ答えることに。


「もう決めたの?」

「まだです」

「今日中に決めないと勝手に決まっちゃうから気を付けてね」


 何それ初耳なんですけど……。

 帰化の時に受けた説明では、一日三本存在する|四時間の枠《スロット》のうち一本分は労働に当てなきゃいけないってことと、仕事は数日以内に決めるようにってことくらいだったぞ。

 会話はしたくないので、「ありがとうございます」お礼だけして流す。


「もう、クレアったら」


 ユレアが手を伸ばしてきたかと思うと、クレアの口元を拭った。

 ティッシュ、ではなくハンカチみたいな布だ。支給品には無かったから購入したものだろう。


「ああ、これ? あると便利だよ」

「あ、いえ……」


 ばっちりと目が合ってしまったので、照れる演技をしておく。相棒も空気読んでくれて、少しだけ顔を赤くしてくれた。


「アンラーさんは丁寧だし要らないかも。お給金は貴重だから、買うものはよく考えてね」


 ユレアはアンラーの初心な側面を気にしないらしい。あるいは、気付いていながらスルーしているのか。

 前者だといいんだが。もし後者だったときに俺が照れる演技をやめた場合、怪しいよなぁ……。

 こういう演技、面倒だから正直やめたい。

 というか人付き合いやめたい。


 むしろ生きるのやめたいし、死にたい。

 ただただ死にたい。

 死にたい死にたい死にたいよぉぉ。地面に寝っ転がって駄々をこねたい気分だぜ。


「案内――私も行こうかな」


 しっかし、ユレアがさっきから俺にばっか話しかけてくるな……。

 うざいですとは言えないので、「あはは……」アンラースマイルで誤魔化しておく。


「ユレアは目立つから普通にイヤだなー」

「あなたの方が目立つと思うわよ。私だったら仕事の延長に見えるし」

「その仕事でユレアを待ってる男がたくさんいるでしょ。応えてあげなきゃ」

「他人事だと思って……」

「だからもっと性格考えろって言ってるのに。にこにこしてるから聖女扱いされるんだよ――で、アンラーくんは何が知りたい?」


 用事は終了とばかりに、カレンは俺だけをしっかりと見据える。

 両肘をついて、顎を乗せて、小首まで傾げて、微笑も完璧で。


 計算された見せ方が鼻につくのは、俺がレベルアップしてて鋭敏だからだろうか。

 にしては、あざとさは感じなくて、この雰囲気は覚えがあるような、ないような。


「……村の案内。お任せにしてもいいですか?」


 既に思いついた言い分を出してみる。

 この言い方なら俺の希望を言わなくて済むだろう。ひいては俺の情報も出さなくて済む。

 アンラーの、帰化する前の設定ってほとんどつくってないからな。追及されたらヤバいんだよ。


「知りたいことをお持ちでないのかな?」

「まずは生活を整えるところかなと思いまして」

「真面目だね」

「おにいちゃんはまじめ」


 良いところでクレアが覚醒してくれた。

 俺はクレアを抱き上げる構えを見せながら、


「あの、いいかげん足が痛いので、誰か交代してほしいんですが……」

「おにいちゃんはふふくですか」

「えっと、難しい言葉を知ってるね?」

「ふふくですか! くれあはちがいますっ!」


 どんっとテーブルを叩くクレア。

 威力が幼児じゃないんだけど。前世で言えばギフテッドとか呼んでもいいレベル。これの面倒を見るのは骨が折れるだろうな。


 だからなのか、姉二人は申し合わせたように静観している。


「クレアちゃんも来るよね? これからお兄ちゃんを案内するんだよ」

「いくっ!」

「良かったわねクレア。お兄ちゃんにたっぷり遊んでもらいなさい」

「ちゃんと面倒見てくださいね」

「なんかボク押しつけられてません?」


 このままだと賑やかな日常一直線である。それともしばらくしたら落ち着くのだろうか。

 何にせよ、無難に演じつつ情報も集めていかねば。


 状況は何一つ好転していないのだから。

第267話 案内2

「ざっくり言えば『ナーメント』かな。私たち特区に住む一般人《レベル1》の仕事は世話系《ナース》、保持系《メンテナンス》、移動系《トランスファー》に大別できるの」


 カレンの提案で、順番に案内してもらうことにした。


 まずは世話系から。

 目の前に広がる畑や林を見れば、農業だとわかる。徒歩三十分をかけただけあって、前世の田舎にも負けないくらいに広い。

 もちろん機械の類はなく、腕まくりや上裸の人間が汗水垂らして忙しなく動いている。魔法の形跡がないのは、王都の貧民エリアと同じ原理だろう。


「自給の面もあるけど、主にお偉いさん用かな。作物は冒険者が近づくだけでも品質が落ちちゃうから、ああやって一般人が頑張るしかないんだよね」

「くれあはすきー。おいしいもん」


 収穫された山積みの根菜――黄土色の芋みたいなものを勝手に手に取ってかじるクレア。

 普通に泥棒じゃないか怒られねえのか、と少し離れたところで皮むき作業に徹する女性陣を見てみるが、おやまぁみたいな笑顔だ。問題ないのか。「言っておくけどクレアちゃんだけよ」いやそこまで食い意地張ってないです。


「大人があんなことしたら殴られちゃう」

「経験したかのように言いますね」

「割と誰でも通る道だからねー。支給品以外の食べ物は高いのさ。クレアちゃん、一口ちょうだい?」

「おにいちゃんにはあげる」


 とててと真っ直ぐ俺に駆け寄ってきて、かじりかけを渡してくれた。一応、女性陣を確認するが、よそ者を警戒する視線はない。

 まあ懲罰隊が監視しているからだろうな。今も数百メートル先の高い木の上で寝転んでるみたいだし。


 とりあえずこれは要らないので、クレアが背中を見せた後でカレンに渡す。


「カレンさん、もしかして嫌われます?」

「アンラーくんに懐いてるんだと思うよ。頑張ってね」


 あっという間に平らげた後、クレアの唾液がついたのだろう、指先を俺の服で拭いてくる。普通にやめてほしい。


 俺の就労先だが、農業はとりあえず保留だな。重労働なのは構わないが、覚えることが多そうでだるそうだ。


「家畜は飼ってますか? 一応見ておきたいんですけど」

「4003群では無いなぁ。特区でもほとんどないと思う。肉なんてモンスターを狩ればいくらでも手に入るから需要がないんだよ」


 家畜の概念はあるが、動物《アニマル》ではなくモンスターが前提になってるな。ということは、やはり動物は滅んでるのか。

 でも貧民エリアにはニャーという名の猫がいたけどなぁ。


 どのみち家畜を世話する道がないなら諦めるしかないか。餌と掃除くらいだろうし、農業よりは楽だと思ったんだが。


「次行こっか。アンラーくんは興味無さそうだけど」


 カレンがラフな背中を見せる。髪を持ち上げて纏め出したことで、綺麗なうなじも露わになった。このタイミングで見せる意味ある?

 クレアも飽きたようで、既についてきている。カレンにすり寄る様子はなく、さっきから俺にべったりで正直うざい。


「クレアはあの人のこと、嫌いなの?」

「きらい。おねえちゃんをいじめるもん」

「聞こえてるぞー」

「さっきはフレアにいじめられてた気がするけど」


 クレアもそうだが、フレアも大概だよな。一般人の中学生相当にしては強すぎる。前世だったらたぶん男子高校生五人相手でも余裕でいなすんじゃないか。

 今も何をしているのやら。働いてんのかな。


 今度は二十分くらい歩いて、前世でも馴染みのある騒音が近づいてきた。


「――ここがナーサリー。赤ちゃんの面倒を見るところ。興味ないでしょ?」

「……」


 水を抜いた入り江みたいな地形だ。

 こけても無傷でいられそうな、ふかふかした地面が広がっており、東屋みたいなパラソルも点在している。


 保育園兼母親社交場といったところか。

 前世でも公園で遊んでる子供達を見ながら談笑する奥さん達、という図は何度も見ているが、あの乳児版だ。

 ゆえにうるさい。屋外なのがせめてもの救いだが、あっちこっちからびゃーびゃーと聞こえてきて、少し声を張らないと会話にならない。

 それで気づいたが、こういう地形に陣取っているのも周囲の高い崖が騒音を空に拡散してくれるからだろう。


 しっかし、食堂もそうだったがダグリンは人を集めて束ねるのが好きだよな。

 病気とか流行ったら一日で壊滅するんじゃないか。


「育児が落ち着いた親御さんには人気だよ。女性の割合も多いから、アンラーくんにはパラダイスでしょ?」

「いや、地獄ですよねこれ……」


 育児など触れたこともない独身ぼっちにはカオスに見える。どうせ言葉も通じないし、リリースをぶっぱなしたくなる。

 なのに、親は強しだからか、てきぱきと動いては赤子をあやしながらお喋りしやがる。ぼっちの母親もちらほら見えるし、目に隈《くま》を浮かべてる者も一人や二人じゃないが、辛そうな様子はない。


(よく平静でいられるよな)


 赤ちゃんなんてすぐ飽きるだろうし、つきっきりになるし睡眠時間も断続的になるし、汚い下の世話もあるし、そのくせに途中で投げ出せないし、いや投げ出せるけど犯罪者になるし……。

 辛くならないんだろうか。可愛いのは認めるが、子猫と大差ないだろ。この狂気を支えるほどの価値があるとは思えない。

 前世からそうだったが、まるで理解できないことの一つである。


 見た感じ、同志がたくさんいて孤独にならないことが大きいんだろうが、それでも職場としては無いな。まず無い。


「ん? クレア?」


 俺の足にしがみついて離れないクレアさん。何なん。


「もしかして怖いの?」

「あかちゃんはきらい。すぐなく」

「あー、クレアちゃん、力加減が下手だから」

「ああ……」


 赤ちゃんを泣かして母親に怒られる構図がありありと浮かぶ。

 ……って、そんなことはどうでもいいんだよ。俺は半ば強引に話を変えにいく。


「カレンさん。できるだけたくさんの仕事を見学したいんですけど、間に合いますかね?」

「ううん。全然」

「どうしたら間に合いますか?」

「えー、せっかくだからのんびりしようよ。何なら休憩してく?」


 カレンが指差した先では、ちょうど授乳している母親がいた。若いし、表情も安らかだし、乳も大きくて見応えがある。

 あれを示す意味とは。もしかして授乳手コキでもしてくれるってこと? ユレアはともかく、カレンだと少し心許なくね? そもそもそんなプレイがジャースにあるとは思えない。いや、娼館が会社として君臨してるくらいだし、あるのか?

 と、ゲスな思考はおいといて、


「ボクの仕事がかかってるんですけど……」

「仕事は職業変更試験《ジョブチェンジ》を受ければ変えられるよ」

「でも受かる必要がありますよね?」


 事前説明で聞いたが、仕事の技能無しに雇ってもらえるのは今日締切の最初の配属だけだ。それ以降、特定の仕事に変えたければ、その仕事の技能をちゃんと身につけた上で試験に合格する必要がある。

 アルバイトや新卒採用みたいな概念はおそらく無い。欧米かよ。


「真面目だね。できなくはないけど、クレアちゃんはどうするの?」

「か――」

「か?」

「か、カレンさんが運べばいいと思うんですが」


 危うく「担ぎます」と言いそうだった。

 俺なら|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》でも余裕だが、今は違う。アンラーはそんなに力持ちじゃない。


「クレアちゃーん、お姉さんがだっこしてあげる。おいで?」

「いやです」

「アンラーくん何笑ってるの?」

「笑ってないですよ」

「おにいちゃんわらったよ? むふってしてた」


 そりゃ幼女の真顔の敬語を見たからね? アンラーのキャラでスルーするわけにもいかないんだよ。


「あとでおしおきねしまーす」

「くれあもする」


 クレアもお姉さん嫌いなら初志貫徹してもらえないだろうか。こういうときだけ結託しないでくれい。


 その後、上手く――かどうかは自信ないが、二人をあしらいながらも、俺は保持系《メンテナンス》と移動系《トランスファー》も見学することができた。

 が、楽そうな仕事は無かったな。


 保持系は要するに掃除と修繕で、職人気質で器用さを求められる肉体労働ワールド。却下だ。

 移動系は物や人を運ぶ仕事で、道中は一人だし、あちこち見て回れるから良さそうだと思ったのだが、


「帰りが遅くなるのが難点かな」


 ダグリンでは必ず22時の就寝時刻までに自分のコンテナに戻らないといけない。屋外や他施設にいるだけで処罰されてしまう。

 カレンがそうしたように人のコンテナに潜るのもアリだが、俺にそんなコミュニケーション能力や魅力はない。


 結果として、特に遠方まで運んだ後の帰宅がしんどくなる。

 いや体力的には問題ないが、貴重な時間が削れるのは痛い。


(音速以上で走ればすぐなんだけどな)


 無論、一般人のアンラーにそんなことはできるはずもなかった。


 徒歩か、せいぜい走るか。

 俺の身体能力ならサブ3ペースでも一般人水準を保っていられるが、それでも遅いものは遅いのだ。そうなんだよなぁ。音速超えを体験してしまったら、一般人なんて亀、いや虫でしかないわけで。蟻とか芋虫とかのレベル。やってられん。


 一通り見て回ったところで昼が来たので、屋外食堂で済ました。

 今朝とは別の場所だが、ダグリン全国どこでもタダで食えるのはありがたいよな。


 とりあえず餓死はしない。


 要はベーシックインカムみたいなものだし、この時代にしては出来過ぎた国ではないだろうか。|あの人《ブーガ》の凄さがよくわかる。

 だからこそ、俺は逃げるわけにはいかない。


「この後はどうしよっか。お姉ちゃんでも見に行く?」

「いく!」


 メシ食って上機嫌なのか、クレアはカレンの膝上ではしゃいでおられた。


「あの、目的忘れてませんか?」

「忘れてないよ。特区の仕事がダメなら、国の仕事しかないでしょ?」

「国の仕事、ですか……」


 一般人《レベル1》が住む特区エリアは、それ以外のエリアとは明確に区別されていて、仕事の大半も特区内で自給自足するためのものだ。

 それらがナーメントと総称されるもので、午前に案内してもらったわけだが……気に入ったのがないとなると、まあ、そうなるよな。


「それで、どこに行くんです?」

「ん? ギルセンだよ。ギルドセンター」

第268話 案内3

 ギルドセンターとは冒険者ギルド――現在は四国《よんごく》の一国でもジャース随一の大組織が運営する拠点のことで、大陸全土に配置されている。



 ――冒険とは|活動的営為《ライフワーク》であり、|糧の入手《ハンティング》であり、事業《ビジネス》である。



 学園で勉強した一文を思い出した。

 冒険はジャースの人類にとって欠かせないものだ。そんな冒険を統括するのがギルドであり、その舞台となっているのがギルドセンター、通称ギルセン。


 俺達は4003群1番のギルセン――帰化の時とは違う場所だな――に来ていた。

 俺の住所が22番地から字面上は近そうだが、小一時間は歩いている。番地一つ分の居住者数は見たところ数百人未満なのに、とにかく土地が広い。

 カレン曰く、群《クラスター》次第だが4003群は無駄に広いとのこと。自転車くらいは欲しくなるな。


 建物は前世でいう木造校舎のような趣だが、触ってみた限りではまるで金属だった。


「圧縮木《あっしゅくぎ》だよ。魔法でつくるの」

「魔法って便利なんですね」

「庶民に縁はないけどね」


 王都のギルド本部ほど広くはないが、人数は百人どころではない。

 十ほど並ぶ受付は全部埋まっているし、掲示板付近はマシだが、待合スペースはどこに座っても隣り合う程度には埋まってる。


「あ、酒場があるんですね」

「アンラーくんは飲むの?」

「飲まないです」

「くれあものみたい」


 疲れたのか飽きたのか、さっきからおとなしかったクレアがらんらんと目を輝かせる。俺を見上げて、繋いでいる手をブンブンと振ってくる。


「それがいいよ。高くて買えないしね」

「くれあものみたい!」

「お金がないからだーめ」

「からだではらう。おにいちゃんにはらう」

「んー、七年早いんじゃないかな」


 カレンのリアルな数字と、体で払うこと自体を否定していない点が生々しい。「とりあえず適当に座――」俺達は急にぐいっと引っ張られた。直後、


「邪魔だ、どけ」


 がちゃがちゃと武具防具を響かせるパーティーが横切っていく。もちろん知ってたけど。


「レベチが来るとこじゃねーよ」

「姉ちゃんは悪くないな。ちょっと付き合えよ? 金は弾むぜ」


 何なら絡んできたが、「間に合ってまーす」カレンは俺の片腕を取った。

 ルナやミーシィのように押しつけるところまではしていないが、豊満の存在を感じさせる程度には触れている。器用だな。

 ナンパした男は舌打ちを鳴らして、歩みを再開していった。


「……あの、レベチって?」

「レベルが1ってこと。一般人は風当たりがキツイんだよ。税も払ってない足手まといだしね」


 レベチというと『レベルが違う』、それも『相手の方が格上』をイメージするんだが。

 こっちでは『相手の方が格下』を意味する侮蔑語なのだろうか。


 こういう差別には慣れているのか、カレンはともかくクレアもけろっとしている。周囲の視線も集まってない。

 が、俺はまだ新人なので、それらしく振る舞っておく。身体を震えさせる演技入り。


「あの、大丈夫……なんでしょうか……」

「おにいちゃん、こわいの?」


 震える俺の手を、クレアがぎゅっと包んでくれる。


「すぐ慣れるよ。懲罰隊はそんなに甘くない」


 てっきり俺を慰めてくれるのかと思いきや、気のせいらしい。あるいは一握りだけで慰めたことにしたのか、小さな温もりが離れていった。

 視線で追いかけると、クレアは一直線に酒場へと走って行き、端っこの一島に陣取った。

 さらにその幼い双眸の先を追うと――ユレアだ。


 ユレアはフロアで接客にあたっているようだった。

 乳袋と言えばいいのか、胸が強調される服装で、町娘とメイドを足して二で割った感じ。嫌いじゃない。むしろ好きだ。童貞なら九分九厘好きだろう。

 ギルドもセンスがいいじゃないか。エルフとは違って男尊女卑なのかもな。


「何かお困りですか? はい、その件でしたら、あちらになります」


「あちらの列にお並び下さい」


「すいません、性的なサービスは受け付けていませんので」


「あ、これはオリシン様。既にご用意できております。ご案内致しますね」


 しばらく立ったまま観察してみたが、忙しそうだな。

 クレアはというと、るんるんと足をぷらぷらさせながらおねいちゃんを見てた。働く姉なんか見てて楽しいか?


「アンラーくんのご希望どおり、ゆっくりしよっか。色々解説するよ」

「お願いします」


 クレアの対面に並んで腰掛ける。

 同じタイミングで裕福そうな客を案内してたユレアが戻ってきたが、すぐに冒険者数名に捕まっている。


「ようユレア。調子はどうだ?」

「ゆっさゆさしてたなぁ? そそられるなぁ?」

「ベルトブラ買ってやろうか。他にも色々買ってやるぜ」

「仕事中ですので結構です」

「オレ達の相手するのが仕事だろー?」

「真面目な話なんだけど、一晩相手してくんね? 金は出す。何ならコンテナも買ってもいい。むしろ一緒に住むか?」

「抜け駆けしてんじゃねえよ」

「……昨晩の冒険はいかがでしたか」

「ああ、それなー。聞いてくれよ――」


 治安のおかげで身体接触は無さそうだが、あの血走りを隠した下卑た顔つきは。


(ユレアが折れるのを狙ってるんだろうな)


 しつこさに負けて折れてしまう女は枚挙に暇が無い。貧乏なり何なりで日頃に鬱屈しているならなおさらだ。

 だからこそナンパは成立する。


 が、ユレアも中々頑張ってるようだ。接客業の辛いところで、明示的なクレーマーでもなければ多少は相手をするしかない。

 前世の俺がそうしたみたいに、客の論破や排除に取りかかるとすぐ大問題からのクビになる。生活もかかってるだろうからな。言うまでもないことだ。

 せめて有意義にしようと、冒険の話を引き出したところか。


 同時に、新しいお客さんが来ないかにも注視していて、たぶん少しでも早く逃げ出すためだ。

 俺達にも気付いているが、頼ってこないあたり巻き込みたくないのかも。良い人じゃん。


「大変そうですね」

「人気のある仕事だけどね」

「そうなんです? 給金が高いとか?」

「んーにゃ、お金は大差ないよ。ちやほやされるからじゃない? あと勤務の融通が利きやすいところ」

「ちやほやされたがる人には見えませんが」

「お姉さん不服だなぁ。ふふくですっ!」


 突然何だ。クレアの真似なんだろうが、美人がかわいこぶっても美人なだけだぞ。


「私には興味持たないのに、ユレアは気になるんだね?」

「そういうつもりはないんですけど……それより解説お願いします。ユレアさんは何の仕事ですか?」

「三大府はわかるよね? 軍府、政府、外府なんだけど」


 名前くらいしかわからないが、頷いておく。


「ユレアのは『接客』と呼ばれる仕事で、お客さんとお店の仲介をするの。所属は政府」

「ギルドですよね。外府では?」

「政府で合ってるよ。政府管轄の人材がギルドを手伝ってるって位置付けだから」

「ややこしいんですね……」

「この国は一に制度、二に制度だから、今からでも慣れてかないと苦しいよー?」


 アドバイスは有益だが、「えいえい」とか言いながら頬を突っついてくるのがウザい。何気に深爪なんだな。


「……ぬめぬめするんだけど」

「顔ですからね」

「まだ昼なのに?」

「き、緊張しているので……」

「そうなの? もっと淡白かと思った」

「カレンさんとは違うので……」

「ふーん」


 皮脂はクロの担当である。

 あまり近寄らせないために脂っこい体質を演じているわけだが、功を奏したか。「……臭いね」なぜ嗅ぐ。

 その後すぐに手持ちの小さな布で拭き取っているカレンだが、さっきから俺を見て離さない。


「軍府は興味ないので、政府の仕事について一通り教えてもらえませんか」

「そうだねー、私もあまり興味ないけど――」


 ここから目に入る職業について、一通り説明してもらうことになった。


「受付の奥にいる人達が『事務』だよ。|読み書き能力《リテラシー》が必須だから難しいかな。リテラシーってわかる?」

「はい。カレンさんも読めないんですか?」

「もちろん。一般人で読める人はほとんどいないと思う」


 だろうなぁ。

 ジャース語は異世界人の俺から見ても重厚な体系だった。日本語や英語どころじゃない。

 前世の日本の義務教育では足りないくらいじゃないか? 貧民エリアでも見たことないしな。


 通常はレベルアップに伴って習得されるものだよな。シッコク曰く、ジャースランゲージなるスキルが正体らしいが。


「あっちの奥で溜まってる人達いるでしょ? あれが『講師』で、色んな知識を教える仕事だよ。私が今やってることも講師と言えなくはないけど、お金を取ってもいいんだよ。野良講師っていうの」

「あれは野良じゃなさそうですね」


 その辺の冒険者よりしっかりした格好をしていて、不自由なく暮らしてそうな上級国民感が出ている。


「そっ。ここで開けるのは政府管轄の正式な講師だけだからねー。相手も冒険者だから付け焼き刃では応えられなくて、かなり勉強しているみたい」

「なんか難しい仕事ばかりじゃないですか」

「野良講師なら22番にもいるよ。ま、お金も全然集まんないんだけどねー」


 タイヨウやジーサの時はあまり意識してなかったが、ここでは金が存外死活問題になりそうな予感がする。


「で、ユレアのがさっきも言ったとおり『接客』。ダグリンではほぼギルセン勤務だから採用数が少ないけど、たまに自前で商売してる人が募集することもあるかな。どっちにしても人気で競争率は激しいよ?」

「接客に就く気はないです」

「そうなの? ユレアと一緒にいて仲良くなりたいんでしょ、このこのー」


 にひひと人と勘違いさせる笑みを浮かべながら、足元からすねを蹴ってくる。

 これは地味に痛いやつだな。痛がる表情が要る。


「違いますって」

「……」


 水面下ならぬ机面下の攻撃がふと止まる。


「……カレンさん?」

「でもユレアは真面目に辛そうだから、誰かが支えてあげないとね」


 器用にも声調《トーン》までシリアスにして、目線を逸らす。


 その横顔に宿るのは、同情。

 何が楽しいのか姉を観察し続けるクレアを眺めている。


 いや、半分くらいは他人事だな。俺が見てもそうだとわかる。わかるように見せているのだろう。


「カレンさんが助ければいいと思います。仲良しですし……」

「別に仲良くはないよ-? それに助けてほしいのは私なんだけど」


 面倒くさいので、俺は「仕事、どうしようかな……」独り言ちることで強引に逃げることにした。


「アンラーくんってやっぱり淡白だよねぇ。内心何とも思ってないでしょ?」

「そ、そんなことはないですよ。どうしたらいいかわからないというか、ボクの扱える範囲を超えてるというか、必死なだけです」

「辛そうだね。んじゃあ私で発散しちゃう?」


 ぐいっとタンクトップを引っ張って胸チラしてくるカレン。手慣れてるのが癪だが、それでも谷間は谷間だ。ちゃんと見ておく。

 ごくっと生唾も飲み込んでおく。


「リードしてあげるよ。私も思いっきり発散したいし、これ、真面目な話だから」


 真摯な表情の差し込み方も、計算だとわかるが違和感はなくて完璧だ。前世の俺なら間違いなく落ちてる。


「……遠慮しておきます」

「ほらね。すぐ逃げる」

「何とでも言ってください」


 そんな感じで俺はカレンにいじられつつ探られつつ、というより踏み込まれながらも仕事の解説を聞くのだった。

第269話 案内4

 カレンによる解説が一通り終わり、あとはどの仕事に就くか考えるだけとなったが。

 この女が内省を許してくれるはずもなく、俺は話に花を咲かせざるをえなかった。


 一方的にべらべら喋る、あるいは喋られるだけなら楽なのに、カレンは歩み寄ってくるから気が抜けない。

 改めて思うが、俺は人と喋りながら深く思考できるほど器用ではないようだ。前世だと書けさえすればどうにでもなかったものだが。ああ、パソコンが恋しい。キーボードが恋しい。


 そんなとき、ふと接客中のユレアと目が合った。

 何を決断したのか、ひとり小さく頷いていらっしゃる。目先の客を捌いた後、受付の奥へと消えていった。


「アンラーくんもさ、体は鍛えた方がいいよ」

「は、はぁ……」

「クレアちゃんを見習いなって。ほらほら」


 クレアは椅子や机に飛び乗り、飛び降り、飛び越えたりして遊んでいた。ユレア含めて職員達は既に微笑ましい傍観を選んでいる。


「真面目にこの子の世話くらいはできないと、この先やっていけないと思う」

「ぼ、ボクは体を動かすタイプではないので……」

「体動かさなくて良くて、アンラーくんが出来そうな仕事、あるんだっけ?」

「えっと、その仕事を決めるために考え事がしたいので、一人になってもいいですか?」

「だーめ。お姉さん寂しいもん。クレアちゃんもお兄ちゃんがいなくなったら嫌だよね?」

「おにいちゃんいなくなるの?」

「……ならないよ」

「諦めるのだよアンラー少年」


 ウザい……。

 周囲の視線を注意深く読み解くと、カレンはそこそこの有名人で、隣の男は誰だ的な好奇がまあまああるんだけど、別に大したことはねえんだよなぁ。おもちゃにされてるだけだ。

 なら他の人にしてほしいものだが、昨夜共に過ごしたのもあるし、しばらくは変わらないだろう。


 どうせならもっと仲良くなって、色々引き出せばいい。

 俺の性格も何となく知られているようだし、まさかどっかの王女みたいに好意を抱かれることもあるまい。身体の使い方を間違えなければ正体がバレることもない。

 前世の新人の頃もそうだったろ。すぐに我を出さず、噛みつかず、無難にやり過ごせばいいだけだ。


 と、ここでユレアが戻ってきた。もう一人、顔も身体もおにぎりみたいな男がいるな。

 二人とも真っ直ぐこちらに来る。嫌な予感しかしない。


「彼がアンラーさんです。登録お願いします」

「えっと、何を……」

「アンラーさんにはこのギルセンの接客として働いてもらいます」

「ちょっと待ってください」

「お願いします」

「ほいさ」


 いや、ほいさじゃなくてさ……。

 接客なんて嫌だオブ嫌だなので、俺は立ち上がり、遠ざかる男を追いかけようとして――


「お願いカレン」

「はいよ」


 隣のカレンが一般人離れした腰の浮かせ方――座った状態からのスタートダッシュを繰り出してくる。

 高度な訓練、かどうかは知らないが、少なくとも素人が思いつきでできるパフォーマンスではない。

 さてどうするか。


(まだキャラは決め切れてない。アンラーはこれに反応できるか? できないか?)


 高速詠唱の要領で脳内音読してみたが、レベルアップしようとも思考速度は変わらない。俺お得意の身体感覚や空間認識の領域でもないので、何も思いついてくれなかった。

 そうこうしているうちに、カレンが一歩踏み込んでいる。迫ってきている。一般人の速度で回避できる猶予も反比例的になくなってきている。

 思考は追いつかない。

 どころかぼーっと立ち尽くしているかのように無力だ。反応自体はこうも余裕があるのにな。


 間もなくタイムアップ――俺は何もできないまま捕まった。

 重心を崩され、「ぐっ!?」その場に倒される。関西弁でいうと、こかされる。どうでもいいけど、初めて聞いたときは固化されると考えてエグいなと思ったものだ。


「ごめんなさい。一人だと正直辛いから。――カレンもありがとね」

「晩ご飯ちょっともらうね」

「うん。アンラーさんも欲しい?」

「いや、いいです……」

「アンラーくんは体で払ってほしいんだよね?」

「そうなんだ……。悪いけど体を売る気はないよ」

「だってさ。残念だったね」

「何も言ってないし、ちょっと容赦なさすぎませんかね……」

「手加減してるでしょ」

「そうですけど」


 大げさに痛がろうとも考えたが、危なかった、カレンはちゃんと手加減していて、これなら運動不足の痩せた女でも平然と立ち上げれるだろう。

 もし俺が痛がっていたら、余計な誤解を生んでいたかもしれない。


 ぬっと逞しい手が差し出される。ユレアと来ていたおにぎり男だ。手に持ってた書類がなくなってるから、渡してきたのだろう。まあ空気振動で何となくわかってたけど。

 ともあれ、俺の仕事も確定した。ふざけるな。


 が、アンラーはそんなことは言わないので、素直に手に取り、引き上げてもらう。


「ヨハスだ。明日からよろしくな」


 顔も体型もおにぎり型でちょっと面白い。格好良く言うと逆三角系だが、イケメンでは出せない愛嬌の良さがある。


「あ、アンラーです」

「時間はどうする? 朝、昼、夜全部か?」

「そうでーす」

「違いますって!」


 四時間のスロットが三本で計十二時間だぞ? どこのブラックだよ。

 悲しいかな、前世でも珍しくなかったんだけどな。俺は気難しいキャラだったから毎日定時退社を勝ち取れてたけど。


「昼だけでお願いします。休日っていつですか?」

「昼だけね、了解。――ん、きゅうじつ、とは?」

「え?」

「ん?」

「きゅうじつ……」


 カレンが噛みしめるように呟き、ユレアと顔を見合わせる。

 おいおいマジかよ、休日の概念ねえのかよ。いや王立学園も無かったけども。「えっと、ダグリンのことはよくわからないんですけど」俺はとっさに誤魔化しの一言を入れて、


「ボクは一日働いたら三日くらい休みたいと思ってるんです。休める日ってありますよね? 休暇する日、で休日です」

「お前、面白いこと考えるな」


 いや面白くねえから。休日がないってクソでしょ。

 王立学園も無かったのに今さら言うのもアレだけど、今は社会人だし、ブーガの任務もあって時間が欲しい。まとまった活動時間のためにも、休日の概念はぜひとも手に入れたい。


「アンラーくんは中々だよ。可愛がってあげてね」

「……カレン。今夜はダメか?」


 おにぎりヨハスが狼の目になっている。どうでもいいけど、息子もでかそうだな。

 初対面の俺でも気付くくらいなので、もう少し隠した方がいいとも思う。


「キミはもうダメって言ったよね」

「だよな。アンラーと《《やる》》のか?」

「うん」

「アンラー」


 急に二人の世界に入ってたヨハスが、ばっとこちらを向いて、俺を引き寄せてきた。カレンほど強くはないが、まあ男なのでパワーはあるな。握力で言えば60、いや70は超えてそう。

 耳元に嬉しくもない生暖かき息がかかって、


「気を付けろよ。この女の味を覚えたら、抜け出すのはかなりキツイ。オレも全財産使っちまった」

「は、はぁ」


 じゃあな、とヨハスは去って行った。

第270話 案内5

 仕事が接客になってしまったのは最悪だが、もう受理されたので仕方がない。

 まだ夕方前、と時間もあったので商店街を案内してもらうことに。


 そうしてやってきたのが11番地――ショップノードと呼ばれる場所だ。


(この言い方にも慣れないといけないな……)


 部屋が『コンテナ』、コンテナを数個以上集めて家にしたのが『ポッド』で、ポッドの集まりが番地の単位にもなる『ノード』。で、ダグリンの建物はギルセンなど一部を除けば、ほぼコンテナだ。

 ゆえに商店街の景観もやはりコンテナベースになる。店を構えてるポッドを集めてノードにしているわけだ。

 といってもコンテナ自体は店主の住居兼倉庫となっていて、販売はもっぱら屋外で行われている。

 フリーマーケットっぽくて嫌いじゃない。


 ここにも懲罰隊の監視はいるらしく、物好きなのか杖を隠しもしないでぶらついてる女が一人いた。

 着ているのもローブだし、魔法使いだろうか。身体の制御は下手だな。時折出ている速度から推し量るに、レベル30――第三級一歩手前といったところか。もちろん一般人では万で徒党を組んでも勝てやしない。


「見たいものあるからさー、いったん分かれよ?」

「いや、そんなだだっ子を説得するような表情で言われましても……」

「寂しくないの? 私は寂しいんだけどな……」

「では後ほど」

「冷たいね」


 ベタベタ鬱陶しい女だったらどうしようかと思ったが、カレンはそういう性格でもないらしい。助かる。

 ちなみにクレアとは既に解散している。

 どこに行ってるからは知らないが、放置にも慣れっこのようだった。どうでもいいけどな。むしろ助かる。


 願わくば、二人とももっと淡白でもいい。前世の都内みたいに隣人に無関心なくらいがちょうど良いんだよ。異論は認めない。

 それはさておき。


(ダンゴ。クロ。筆記用具と筆記用紙になってくれという命令を一日何回もしたいんだが、可能か?)


 秒も立たずに否定の攻撃が返ってきた。


(じゃあ筆記用紙だけってのは?)


(筆記用具だけならどうだ?)


 とっさの造語も理解してくれるのは助かるが、どちらもやはりノーが返ってくる。この一蹴具合だと、ご褒美で釣ってもダメだろう。


(やはり書くものは現地調達か……)


 幸いにもウィンドウショッピングは許されているようだし、どこ見ても人が視界に入る程度には出入りも激しい。

 品数も豊富で、一日くらいは軽く潰せるだろうが、直近欲しいのは筆記用の道具だけだ。


 しばらく巡回したところで、その一つ、というよりコーナーを発見する。

 一般人の間でもり描く行為は身近なようだ。

 ペンに相当するレッドチョークは5本で銅貨1枚。ルナと暮らしていた時の俺の独自換算だが50円といったところか。

 紙は売られていないが、ホームセンターの木材コーナーみたいに板が並んでいる。

 A4くらいの小さいやつは1枚で銅貨5枚。机サイズの大きいものは20枚。


「あの、すいません、ボクは帰化したばかりの者なんですけど、1日働いた後にもらえる金額ってどのくらいですかね」

「ああ、どおりで見ない《《雰囲気》》だと思ったら。|四時間の枠《スロット》1本で4枚くらいだよ」


 安すぎる。4時間200円とか舐めてんのか。


「他に最近帰化した人っていますかね?」

「さあね。私もここに越したきたばかりさ」

「そうなんですね」


 その割に物価も安くない。

 これ、明らかに重要事項のはずなのに、帰化のときは全く説明が無かったよな。

 が、点と点が頭の中で繋がった気がする。


 おそらく意図的な設計に違いない。


「……あの、さっき雰囲気って言いましたけど、どこかおかしいですか?」

「あんだ? 後ろめたいことでもあんのか? 妙なことに巻き込むのは勘弁してくれよ」

「そういうわけではないんですけど、よく何考えてるかわからないとか言われますね。人に馴染めないと言いますか」

「そうそう、それよ。人と馴染むことをまるで考えてない、ソロプレイヤーの雰囲気がある」


 この体毛皆無の男、なんでこんなに鋭いんだろうか。


「考えてないというか、恵まれなかっただけですけどね……」

「余計なお世話かもしれんが、ソロだと退屈で身を滅ぼすよ。あの美人に振り回されてるようだが、大切にした方がいい」


 日が浅い商人にもガッツリ覚えられているカレンさん。


「私みたいに商売するのもいいね。こうして話せると結構潤う」


 なるほど、ぼっちの同志だったか。

 心配無用だ。俺も歴は長い上、色々読んだし考えたし試しもした。それも前世の水準でだ。負ける気はしない。

 そもそもバグってて精神が傷つくこともねえし。


「でもこれ、お金が結構必要ですよね」

「一般人だと厳しいよ。こう見えて私はレベル3だ」


 冒険で稼げるとでも言いたいのだろう。


「レベルアップって命がけですよね……」

「あらら、君は慎重派か。だったらなおさら繋がりを大事にした方がいい」

「助言ありがとうございます」

「何か買ってもらえるともっと嬉しい」

「あいにく持ってません」

「またおいでよ。最初だけ負けてやるから」


 あまり関係は築きたくないが、まさに彼の言うとおり誰ともつるまないのは苦しいだろう。

 良い人で良かったと思うことにする。疑いすぎてもがんじがらめになるだけだしな。


 店員さんと分かれて、俺は再びぶらぶらし始める。


(数日働いて板一枚か……)


 ダグリンの一般人も中々に厳しい。家とメシと風呂がタダでも、人間だからそれだけで生活が成り立つわけじゃない。

 ユレア達も上手くやりくりなり我慢なりしているのだろう。カレンは……どうだろうな、稼ぎ良さそうだが。


(どうでもいい。今は俺のことだ)


 いいかげん、二つのバグについて本格的に考察したいのである。

 そのためには脳だけでは足らず、書くことが絶対に必要だ。

 レッドチョークと板があればまかなえる。


 問題は。


(書かれたものを見られるわけにはいかない)


 そしてこの調子だと、今後も自宅には遊びに入《はい》られるだろう。

 既にアンラーのキャラと身体能力も決まってしまったし、コンテナという単調すぎる空間では板を見られないよう隠し通すのは難しい。物や家具を増やすにも金がない。


(順当に考えるなら板をたくさん買って、ダミーを用意しておくことだが……)


 その板からしてアホみたいに高額である。

 というより一般人の給料が安すぎる。


(絶対狙ってるよなこれ)


 国は一般人のレベルアップを促している。わざと貧乏な世界観を構築することによって。


 晴れてレベル2になれば冒険者の仲間入りだ。以後レベル3、4と増やしていくのは、最初のレベルアップよりは楽だという。

 魔法も使えるし、冒険で稼げもする。最初の関門さえ超えれば、別次元の世界が手に入るのだ。

 国としても、あるいはギルドとしてもその方が何倍もありがたいため、多少姑息な仕組みにしてでも推進はするだろう。


(命がけなんだろうな。カレンのメイトも死んだっぽいし)


 それでも強制にせず、国民の自主性に委ねているのだからマシか。

 なんていうかブーガらしさを感じる。


 もうちょっと考えたかったが、カレンがもう来てるので備える。間もなく、


「何探してるの?」

「……カレンさん。買い物は終わったんですか?」

「ううん。見て回っただけ。今買っても運ぶのだるいしね」


 なるほど。手ぶらだし、レジ袋なんてものもなさそうだしな。単純なことなのになぜか感心してしまう。表には出さないが。


「で、アンラーくんはさっきから何を探してるのかな?」

「特に何が欲しいわけではないです。色々見ておきたくて」

「真面目だね。おすすめ教えよっか?」

「遠慮しておきます。自分の生活なので、自分で考えてみたい」

「遠回りじゃない?」


 俺のお目当てが気になるのか、一歩近づいてきて手元の商品を覗き込むカレン。

 肌が触れるほどに近い。女の匂いがする――ルナやガーナ、いやアウラが特に強かったはずだが、若い女特有のフルーティーで甘くて、それでありながらどこかいやらしくて。男をその気にさせる、反則の匂い。


 今思ったが、こういう系統の臭覚は丸め込まれないのな。

 どうせ性欲がないからなんか損した気分だ。


「アンラーくん?」

「……え、ああ、いや、その、あれです。それでもですよ。せっかくの新しい暮らしですから、楽しみたいじゃないですか」


 バカみたいな考察してどもるとかマジでしっかりしてほしい。幸いにも上目遣いをくれていたので照れやすかった。


「ふーん。そう考えるんだ……」

「お、おかしいですか?」

「別に-。真面目でつまらないなーって」

「あはは……」

「やっぱりさ――今夜、やろうよ?」


 茶目っ気に色気をまとわせるしか能がないかと思えば、こうして真剣な雰囲気もつくってくる。芸達者というか器用だ。

 それはともかく、どうして執拗に俺を誘ってくるのだろうか。


 ヨハスが言っていたとおり、そういう奴だからなのか。それとも遊んでいるだけなのか。


 経験豊富でもない、どころか皆無な俺にはわかるはずもない。

 かといって、真面目にやりとりするのも気が引ける。これ以上親しくなりたくないしな。

 俺は単純接触効果を軽視しない。


 ここで「ね?」とあざとさを切ってくるカレン。

 なるほど、あざとさはここぞで使った方が効果があるわけか。アウラみたいに常に発揮されても胸焼けする。


(アウラか……)


 ラウルもそうだが、今頃何してるんだろうな。

 第一級冒険者は脅威でしかない。諦めてくれるといいんだが。いや、諦めないからこそ第一級たる所以なんだろうけど。

 とりあえず今は目の前の女。


「お断りします」

「じゃあさ、今夜は一緒に入ろう」

「ごめんなさい。一人で入りたいので……」

「真面目だし頑なだねぇ。楽になっちゃいなって」


 あーもう触るな触れるな撫でるな。


「あの、そういうの苦手なので、本当に……」

「だーめ。私もまだまだ傷心中なのだよ?」

「べたべたしないでくださいっ!」


 大げさに拒否してみたが、「わぉ」とか言ってやがるし、ほとんど効いてねえ。

 傷心してるのは知ってるつもりだが、正直知らねえよと言いたい……。






 それからも俺はカレンと過ごし続け、夕食とその後の風呂も一緒に入ることになるわ、おばさんの井戸端会議に放り込まれてマシンガントークを浴びるわ、で散々だった。


 で、ようやく自宅のコンテナに帰還した。

 バグってて一息つかなくていいのは楽でいいな。人間味失ってる気しかしないけど。

 さて、書くものがなくて全部頭で覚えないといけないから面倒だな。体力無限集中力無限なのがせめてもの救いだろう。


 明日から仕事が始まる。

 将軍の情報も欲しい。書く物もなるはやで調達したい。

 金輪際誰とも戦わないなんてこともないだろうから、日々の鍛錬も必要だ。リリースももっともっと練習したい。

 仕事をサボるにはどうしたらいいか――


 どうせやることもないし、俺はいつものように翌朝まで思索に耽《ふけ》った。

第271話 勤務初日

 第五週九日目《ゴ・キュウ》の朝六時半――

 全国民を叩き起こす轟音の時報を、俺は屋外食堂で聞いていた。


 朝食の開始は七時だが、意外なことにスタッフは既に完璧に配備されており稼働もしている。

 まだ薄暗いため苦戦するふりをしつつも、俺はお盆を持って一人並んで朝食を受け取った。席は……そうだな、22番地の連中が来る方角から死角になるとこがいい。


 すぐに見つかったので、早速座って、せっせと食べていると。足音からして《《がさつ》》そうな男が前に座ってきた。


「新入りのくせに早いんだな」

「あはは……。早くから開いてて助かります」

「一昨日からだよな。ってことは今日から仕事か。どこだ?」


 初対面のくせに馴れ馴れしいが、風呂場のおばさん達に比べれば大体マシだ。


「ギルセンで接客です」

「接客ぅ? 男なのにか?」


 軍服のようなきっちりした服を着ている。

 一般人の服装は支給品だが種類はランダムなので、この人みたいなパターンもあれば俺のようなわんぱく坊や風の半袖半パンもある。体感では後者が多い。七割くらいはラフじゃないか。


「成り行きでなっちゃいました。えっと、あなたは?」

「雑用だよ。夜目が利くもんでな、暗闇を好む気難しい嬢ちゃんの世話をしてるんだ。そういやお前、よくここまで来れたな。お前もか?」


 お前も特殊能力があるのかと聞きたいのだろう。


「手探りですよ。地形とか覚えるのは好きなので」


 本当はレベルアップした空間認識能力があるし、ダンゴの夜目もあるが、前世の俺でも可能なラインは死守している。ここまで懲罰隊に絡まれていないのがその証拠だ。

 まして懲罰隊に保証された、平和ボケした一般人から俺を疑う発想が出るはずもなく。

 男は会話を切り上げて、ガツガツと食い始めた。


 俺も便乗してさっさと食う。

 意外と淡白みたいで、会話が控えめなのが有り難かった。書き物について聞くことはできたが、11番地――昨日のショップノード以上の品揃えはないとのこと。だるいな。


 俺は人混みが本格化する前に食堂から離れ、早速情報収集――は現時点ではできることがほぼないので、いったん自宅に戻る。

 全部閉め切ってから、


「0.00000000000000000001ナッツ」


 一垓《いちがい》分の一という極小の威力を設定し、右の人差し指を左手のひらに向けて、「ファイア」短縮された詠唱でエナジーを撃つ。


「……」


 鈍い奴なら当たったことにすら気付けない程度のしょぼさだ。そうだな、蚊が止まったときくらいか。

 視覚効果《エフェクト》に費やすエネルギーもないからか、弾道も見えなかった。


「ファイア」

「オープン」

「オープン」

「ファイア」


 |短縮前の本来の詠唱《オープン》も混ぜて何度か撃ってみるが、見えることはないし、しょぼいのも変わらない。でも脳内に浮かんでるチャージの量はちゃんと減っている。


(リリースは俺の生命線だ。鍛えすぎても損することはない)


 飯時が終わるまで俺は練習に費やした。


「――そろそろ行くか」


 ついでに秒を正確に数えるマルチタスクも兼ねていたが、3600秒を漏らすことなく数えられた。

 不思議と正確なのもわかる。正確なのはレベルアップの影響にしても、これを継続させる集中力が凄まじい。


 集中力∞。


 パワーワードすぎるな。想像以上にチートなんだろうなぁと思うが、どこか他人事なのは、同じバグが感情さえも丸め込むからだろう。いわゆるモチベーションの類が全く湧かないのだ。


 沈むこともないが、浮くこともない。

 氷山の、一角じゃない部分として永遠にたゆたっている――

 それが俺なのだろう。


 とりあえず三姉妹とカレンに捕まらないように、しかし一般人アンラーの能力を超越しないような体捌きで22番地を離れる。


 この水を抜いたフィヨルドみたいな地帯にも慣れてきた。何なら飽きてきた。

 美人は三日で飽きるというが、景観は一日で飽きると思う。


「……あれは、なんだろ」


 人々は基本的に中央寄りを歩くので、崖側に固まっている集団は非常に目立つ。が、通行人は誰も気にしていないから、ありふれた光景なのだろう。

 目当ての野良講師かもしれない。


 迷惑にならないよう静かに近づき、しれっと居座ってみる。


「――いいか。背中を向けて逃げたら死ぬと思え。背中を見せずに面と向き合って、獲物の攻撃を避ける。そうして回避に徹して、余裕が出てきたら反撃に転じる。狙うのは鼻がいい」

「目や顎で良くないですか? 人だと顎で気絶します」


 野良講師の杖つきじいさんが一人と、中高生くらいの男女が四人。

 ナチュラルに怖いこと言ってるのが最前列の紅一点で、後ろ姿の安定感から一目瞭然だがフレアだ。

 空気振動から見るに、表情は普段ほど慌ただしくない。真剣な顔が浮かんでいるはずだ。


「人体とは何もかもが違う。対人の常識はすべて捨てた方がいい」

「よくわからないので実践したいです」

「いいわけなかろう。小僧共も、聞く気がねえなら消えろ」

「クレアに用があんだよー」

「なあ、早く遊びに行こうぜ」


 フレアの後方で並んで座る三人衆は、地元の悪ガキって感じだな。態度もでかいし、体つきも体運びも悪くない。前世だとスポーツテストAくらいは取りそうだ。


「何ならブイエスしてもいいんだぜ?」

「オレらも鍛えてるからよー。そろそろ勝てるだろ」

「おら、来いよ。おら、おら」


 男の一人が小石を投げて挑発している。ぼす、ぼす、と地面にぶつかり転がっていく小石。当てない優しさはあるみたいだな。


「はぁ。うちはオマエらと遊ぶつもりはねえって何度言――」


 フレアが振り向いてきたことで、俺と目が合った。

 なぜか顔を赤くしているが、下手に注目を浴びるのもだるいので、素知らぬふりを決め込んで前進。

 三人衆の視線と浴びつつ、フレアのジト目を無視しつつも、じいさんに話しかける。


「あの、もしかして野良講師ですか? ボクも聞きたいんですが……」

「……」


 じいさんは俺を睨んだ後、眉をしかめた。無言のまま杖から手を放し、からんと倒れるのも気にせずこっちに近づいてくる。

 一足一刀の間合いよりもさらに近いが、攻撃の素振りはない。身体周りの空気振動もずいぶんと綺麗で、こりゃ相当優れた武術者かもな。


(――いや、これはまずい)


 俺の懸念も時既に遅し――

 じいさんがフルスロットルで踏み込んできやがった。

 その老練な手は《《かぎ爪》》のような構えだし、オーラで言えば誤差みたいなものだが殺意もある。ああ、目を潰す気だ。まずったなぁ。


(アンラーの設定だとこれは避けられない)


 かといってまともに受けてしまえば、少なくとも失明はする。

 目はダンゴの担当である。感触から見た目まで上手く演じてくれるだろうが、問題はそこじゃない。

 怪我したらどうなる? たしか監獄《ジェイル》と呼ばれるエリアに隔離されるんだったよな。全く自由がないんだっけか。困る。

 もちろん、なぜか無傷でしたなどという言い訳は通るはずもない。ガキ四人はともかく、このじいさんは誤魔化されまい。


「うわぁっ!?」


 俺はなるべく偶然を装って回避しつつ、転倒もしてみた……が、転倒はともかく、回避はやらかしたな。


 いわゆるマトリックス避けと呼ばれる仰け反りをしてしまった。

 腹筋トレーニングの頂点『ドラゴンフラッグ』を容易くこなせる程度の体幹と、自然で虫や鳥の反撃を交わすことに順応した反射神経が必要になる。前世の俺にとっては容易い動きだが、アンラーには度が過ぎたものだ。


 でも、そうしなければ避けられなかった。

 前方からの攻撃に対し、人が最も速く回避できる方向はたった一つ――体幹と重力を合算できる後方だけなのだから。

 言い方を変えれば、じいさんは、ちょうどそうしなければ避けられないほどの攻撃を撃ってきたことになる。偶然のはずがない。元より、当てるつもりで放ってきたはずだ。


 迫力満点だったからだろう、三人衆は「行こうぜ」頑張って落ち着いた一言を絞り出しつつも、去って行く。


「ライオットさん、今、本気でお兄さんを――」

「途中で止《と》めた。不審者だと思うたのだ。許せ」


 いやちっとも止めてませんでしたけども。

 ああ、そうか、真後ろのフレアからだと俺の身体が死角になって見えない。見えないのを良いことに全力を放ったわけだな。俺の動きも、素人が見ればスリップしたようにしか見えないだろうし。


「不審者がのうのうと歩いてるわけないじゃないですか」


 フレアの呆れた感想を受け流しつつ、じいさんは倒れた俺に手を貸――さずにぽりぽりと頭をかく。せっかく上げた俺の手は行き場を失い、「ぷっ」フレアが絵に描いたような笑い方をする。


「フレアよ。この小僧と遊ぶといい」

「お兄さんと?」


 本日二度目のジト目をいただいた。

 じいさんの意図どおり、フレアにはまだバレてない。体力お化けでも観察眼は大したことないみたいだな。助かる。

 とすると、今は。


「あの、ちょ、ちょちょっといいですか!」


 じいさんに近寄り、年に負けない逞しき腕を引いて、フレアから距離を取る。彼女は三回目のジト目を寄越しつつも追及はしてこないみたいだ。助かる助かる。

 俺は小声で、


「ボクは目立ちたくないし、使えるとも思われたくない。ボクの強さは隠してもらえませんか」

「条件がある」


 やはりバレてるな。自分で自分のことを強いとのたまう若造を微塵も疑っていない。


「お、お手柔らかにお願いします……」

「ワシの話相手になれ。なあに、生徒として通ってくれればええ」

「わかりました。ダグリンのことで知りたいことがあるので、色々教えていただけると嬉しいです」

「構わんよ」


 あちこち野良講師を探すつもりでいたが、このじいさん、知識も豊富そうだし俺の目的は果たせそうだ。「ライオットだ」ひそひそ声を解除したじいさんが、人生の荒波に揉まれてきた手を出す。


「アンラーです」


 握手を交わすと、嫌がらせのような握力とともに、じいさんはニイっと微笑んで、


「ではアンラー。知りたいこととは何かな?」


 わざわざでかい声で尋ねてきやがった。

 当然ながらフレアにも聞こえている。首を傾げた後、こっちに向かってくるのが大気の揺らぎでわかる。間もなく、足音でも自明になった。


「……ボクは皇帝や将軍に憧れているんです」

「なりたくてなれるものじゃないぞ」

「憧れてるだけですよ。だって気になりませんか? 国の頂点に立つ御方がどういう人なのか――フレアも気になるよね?」

「大の大人が目を輝かせるのはみっともないですよ」


 気持ちはわかるが、前世だといっぱいいるぞ? オタクと呼ばれる生物なんですけど。


 さて、少し早いが温めていた設定《カード》を切ってしまった。


 もちろん憧れなど抱いてはいない。

 これは将軍に関する情報を調べるための小細工だ。将軍のファンだと公言すれば、情報も集めやすくなる。むしろファンだから集めて当然だ。

 ミーハーでも何でもいい。どう思われたっていい。


 俺は将軍を殺さなくてはならないのだ。


 殺すためには近づく必要がある。

 近づくためには知る必要がある。

 知るためには聞くしかない。


 幸いにも俺はダグリンの一般市民である。聞くことで得られるものは多いはず。


(ブーガとてバカじゃない。俺でも殺せる余地があるから俺に賭けたんだ……だよな?)


 いや、相棒達に聞いても仕方ないんだけども。


 ともあれ、フレアも参加している野良講師ライオットの講義に俺も通うこととなった。

 このじいさんが何を企んでるかはわからんが、俺も散々利用させてもらうぜ。

第272話 勤務初日2

 何とかフレアから逃げて昼飯を一人で食べた後は、本日のメイン。

 ギルセンの接客業務初日なわけだが。


「これは13番に。こっちは21番!」

「はい」

「10番テーブルがまだだよ!? 何してるの!」

「こぼしたので放置してます……」

「早く掃除しなさい!」

「13番と21番のこれはどうすれば」

「さっさと運びなさいよ!」

「どっちからやればいいですかね」

「いいから早く!」


 いや理不尽……。

 接客者は|軽い移動《ライトランスファー》――つまりは誰でもできそうな伝達や運搬から始めるそうで、俺は酒場でひたすら運ぶマンと化していた。

 酒場が盛り上がるのは夕方以降で、だからこそ初日のトレーニングに最適だと先輩のお姉さんは言っていたのに、


「わはははっ、情けないな兄ちゃん」

「レベル1はこんなもんだろ」

「いやいや、にしてもどんくさいでしょ」

「あの店員さん、タイプかも」

「すいませーん! 注文いいですかねー」

「こっちも酒と果実水が来てねえぞ!」


 人口密度が休日のファミレスなんだが……。


 運が悪いことに、遠征中の大規模パーティー――ダグリン国民から編成されており領内を自由に出歩けるそうだ――が寄り道しに来たのである。

 新人に務まる状況ではない。

 だのに良い経験だからと思考停止して放り込みやがる。「もういいから21番テーブル!」へいへい。


 無能を演じて暇を勝ち取るのは俺の十八番でもある。

 たぶん21番テーブルだけやればいいんだろうが、俺は『21番はもうやらなくていいから』と解釈して、13番に行ってみた。


「なんでこっち来るのよ21番って言ったでしょ!」

「21番はもういいって言いましたよね……」

「あーもう。いいから! もういいから!」

「具体的に何をすればい痛ッ!?」


 信じられないことにつま先を踏み抜かれた。ぎゃははと見世物になりながらも、俺は酒場スペースの端っこに移動。

 横目で中央側――ユレアが動き回る範囲を覗く。


(あっちも大変そうだな……)


 国内のダンジョンは例外なく管理されており、入退場だの戦利品の分配だの作業に忙殺されているようだ。

 見るからに金になりそうなモンスターの死体や豪華な装備品が魔法で運ばれている。ユレアは書類を片手に、誘導を頑張っているようだった。


 しばらくして人員が増えてきた。

 職員が数人ほどヘルプに入った他、ちょうどあっちに見えてる掲示板で今まさにこの状況を支援するクエストが発行されて、お客さんが応じる形で成立――


「なんでお前が働いてんだよ」

「似合わないわね」

「ユレアちゃんに良いとこ見せたいだけじゃね」

「たまにはいいだろ-?」


 冒険者だからこそ、こんな面倒な作業なんて金を出されても割に合わないだろうに、よくやる。


 それにしても、どいつもこいつも楽しそうだな。

 先輩のお姉さんも口は悪いけど時折笑顔が出てるし、愛されてるようだし。よく見るとそばかすがチャームポイントだ。さして美人ではないが、ベッド上でどういう顔をするかというギャップに興味が湧きそうな容姿をしている。

 最低な品定めだ。うん、知ってる。


(しっかし、聖徳太子にはなれそうにないな)


 レベルアップの影響で聴力は悪くない。特に解像度が細かい感じで、30以上の会話が並行しているってのはわかる。

 が、その一つ一つを上手く抽出できない。どことなく脳の処理能力の限界だという体感がある。

 知りたいのは将軍に関する情報だったが、キーワード一つさえ拾えなかった。






 この特需は17時――俺があがる時間になってもまだ続いていた。


「きつく当たったのは謝るよ。ごめん。――でもさ、君はずっと突っ立ってたよね? なんで? 嫌がらせのつもりなのかな?」

「すいません、どうしたらいいかわからなくて……」

「よそ見もしてたし。そんなにユレアが気になる?」

「い、いえ、そういうわけでは」

「君みたいなポンコツには無理だから。ひいきにされてるのも家が近いだけだから、勘違いするなよ」

「あはは……」

「反省してる? 腹立つなぁ」


 そばかす姉さんは足をお踏みになるのがお好きらしい。「イッ!?」渾身の痛がる演技には見向きもせず、フロアの奥へと消えていった。

 彼女は第三スロットも働くらしい。大変でつね。


「……静かだ」


 今からの一時間は国民総出の夕食兼入浴時間であり、ギルセンも一時休業となる。お客さんも追い出すし、職員達も食堂や風呂に向かうため急速にがらんとなるわけだ。

 一応職員である俺は追い出されない。

 だからこそ、この静かなインターバルを楽しめる。


(嫌いじゃない)


 奥からは残った職員達の談笑がかすかに聞こえてくる。


 せっかくなので館内を探検してみることに。

 ずらりと並ぶ受付のテーブルを飛び越え、雑多に散らかった島を抜けていくと廊下がある。

 左右に何個も部屋があって、中ほどの右が談話室なのか食堂なのか職員が集まってるっぽい。なら、その手前側の部屋まで全部見てみるか。


「おぉ……」


 品物豊富な店内に感動する貧乏人をイメージして演じつつも、俺は由緒ある職場が備えてる道具類を眺めていく。半分以上は用途もわからんな。

 雰囲気はオフィスというよりはガレージだ。

 収納はもっぱら吊す派のようで、ゆらゆら揺れている箱や袋も少なくない。


「あ、板だ」


 壁際にDIYを思わせる板の群れが積んである。普通に欲しい。

 近寄って、触ってみて感触や重さをたしかめていると、「何してんだアンラー」もう覚えたからわかるがヨハスだ。


「……あ、ヨハスさん。これ、もらってもいいですかね?」


 相変わらず顔面も体型も逆三角型で面白い。


「さっきのパーティーが使ってた運搬台だな。いいんじゃないか。怒られても知らねえけど」

「ありがとうございます」


 知ってたさ。聖徳太子してて偶然捉えた情報の一つだからな。

 てっきり外にでも運んだのかと思ったが、こっちにあったとは。


 早速、俺は遠慮なく拝借した。

 枚数は八枚で、どれも薄い。面積を全部足せば、そうだな、L字デスク四個分くらいか。大人の男一人では一度に持ち上げることさえ厳しいし、アンラーの設定でも近距離はともかく、自宅までは明らかに無理ゲーだが、


(いける)


 王立学園で散々学んだが、まず冒険者はレベル1の世界観をあまり知らない。

 一方で、よく知っている一般人の連中も、さして身体感覚には精通していない。


 俺は前世でバカみたいにパルクールで鍛えたからこそ、こういう見積もりができるわけだが、普通はできない。

 フレアやライオットなど武術に優れた奴らでもできやしないのだ。なぜってこの能力は、自分の身体だけで移動するという人類史上ありそうでなかった世界に浸かるからこそ会得されるものだからな。


「よくわからない男だなお前」

「あはは……」

「カレンはどうしてる? オレのこと何か言ってたか?」


 なるほど、それが本題か。


「今日は会ってないです。あまり刺激的なのは苦手なので、なるべく避けようと思ってます」

「もったいねえなと言いたいところだが、利口な判断だぜ。ああ、もう一度やりてえなぁ」

「……ヨハスさん、強そうですし、強引に行ってみればいいんじゃないですか?」

「本当によく分からねえなお前。笑顔で人を殺せるタイプか?」

「こ、ここ殺しませんよ! 何言ってるんですか!」


 適当に雑談を交わしつつ、懲罰隊の存在感と、カレンが一般人の中では相当強いことも知ることができた。


 どうもレベルアップを目指さず一般人のまま過ごすことを選ぶ奴――いわゆる『慎重派』のうち、鍛錬に勤しむ者は物好きの範疇になるみたいだ。カレンやフレアはそうなのだろう。

 無論、若い女であろうと、鍛えてもいない奴が襲ったところで勝ち目などない。そもそも乱暴すれば漏れなく懲罰隊に処罰されるしな。


「――じゃあな。無理だと思うけど頑張れよ」

「はい」


 ヨハスは怪訝な顔を引っ込めることなく、談笑室へ戻っていった。

 談笑のネタにするんだろうなぁ。別にいいけど。ぼっちはそういうの慣れっこなんだよ。何なら同僚達のSNSアカウントを特定して徹底的にエゴサーチするまである。


「さてと」


 へこみがあって持ち手になる板を一番下にして、俺は重労働を開始した。

 数十メートルほど進んでは置いて休んで、また担いで進んで――そんな単調作業を繰り返す。

 力が弱く、魔法も使えない一般人は見苦しい。何度か嘲笑や挑発を頂戴したが、アンラーらしく下手《したて》に対処する。


 夕食時間の18時を過ぎ、19時も過ぎて、自宅のコンテナに着いたのは20時近くのことだった。


「やっと着いたぁ……」


 汗だくで、腕をぷるぷると震えさせる俺。


 懲罰隊が俺に注目しているのは肌でわかった。

 だからこそ、いや、そうじゃなくても気は抜けなかった。

 特区はブーガが出動することもあるほどのエリアなのだ。安全な分、異分子は見つかりやすいし、見つかれば容赦もない。絶対に気を抜いてはならない。


 板をすべて運び込み、外に出してた発光板も中に入れる。

 その後、昨日調達しておいた水を今度は外に運んで、軽く水浴びをする。


(水分なんてダンゴ達に任せればどうとでもなるが、不自然な状態はダメだ)


 22番地の懲罰隊員――坊主頭でデカいリングピアスをつけた男は、どうも暇を持て余しているらしい。

 違和感を持たれることさえ禁物だろう。さすがの俺でも、常時注視されてる中で演じ続けるのは骨が折れ……ることは別にないし集中力も∞だが、それでも人間なのでミスもするし気が抜ける時もある。


(身体が汚くても気にしない鈍感不潔になる必要があるな)


 神経質で潔癖な俺には考えられないことだが、背に腹は代えられない。

 というわけで、あえて水浴びは最低限にしておいた。


 この後、遊びに来た三姉妹とカレンは、俺の不潔っぷりと初日の仕事の無能っぷりを早速評価してくれた。

 クレアの懐き具合とカレンのスキンシップが減ったのは収穫と言える。フレアが胡乱《うろん》な目で俺を見てたのは気になるけども。


 そんな演技の甲斐もあってか、かしましい四人は午後九時には退散してくれた。


 悪くない滑り出しではないかと思う。

 まあ二国は今も俺を捜してるだろうが、こればっかりはどうしようもない。俺だってグレーターと寄生スライムをフル活用して、できる限りのことはした。それにもうブーガの任務に向けて動き始めている。


 今からも、明日も、俺はこうして地道に生きていくしかない。


(呼吸穴の仕様を調べないとな……)


 ポッド内は完全に密閉できるし、俺がリリースを練習するときはそうしなければならないが、ずっとはできない。

 別に俺自身は息しなくても生きていけるが、懲罰隊に怪しまれる可能性がある。


(仮に四時間持つとしたら、三時間とか三時間半ごとに換気をすればいい。夜間にそうするのは不自然だから理由が要る。完全に静かじゃないと眠れない性格だから閉め切って寝てる、でも苦しくなって起きて換気する、そうやって四時間単位で寝るのがアンラーのスタイルなのだ――これでいいか)


 やや苦しい設定が、これが通れば深夜もほぼ自由時間に充てられる。

 俺は今夜、早速検証して――


 翌日の早朝、|懲罰隊が何も言ってこない《問題無い》ことが示された。

第273話 前進

 ジャースの地図とにらめっこしながら夜遅くまで粘ったが、広大な候補からタイヨウを捜せる妙案は浮かばず。

 王女なので一泊するわけにもいかず、ルナとヤンデは深夜前にはスキャーノ邸を後にした。


 その後は、いつもどおりヤンデと一夜を過ごした。

 ジーサの逃亡はまだ発表されていない。どころか非公式にもほとんど知られていないため、両家の王族関係者向けのパフォーマンス――三人で寝泊まりするという取り決めの継続はまだ見せる必要があった。


 そして第五週八日目《ゴ・ハチ》。


 ルナは午前中Cクラスの座学を聞き流した後、ヤンデと合流してAクラス校舎の貴族専用食堂へと向かった。

 スキャーノは意図的に外してある。急に防音の会話が続けば、ジーサの不在と結びつけられて要らぬ噂を呼ぶためだ。王女同士ならまだしも、ジーサと比較的仲が良くて優等生でもあるスキャーノが加わっているとなると目立ちすぎる。


 個室に空きは無かったが、そのうちの一室を王女権限で退室させて確保する。

 防音障壁も重ね掛けした上で、昨日と同様、案出しを行ったが――やはり何も出なかった。


 次の実技まであと二十分はありそうだが、無駄に粘っても仕方がない。切り上げることにする。

 他人には見せられないメモもあるため、ヤンデがゲートを開いて丸ごと飲み込んだ。収納し尽くすのも秒とかからないのはさすがという他はない。


 部屋を出て、貴族専用に違わぬ煌びやかな廊下を歩く。


「眠いです……」

「意外ね。生活はしっかりしている方《ほう》だと思っていたのだけれど」

「昨日の楽しさが抜け切れていないんだと思います。ああいうの、初めてでしたから」


 昨日の検討は大いに盛り上がった。

 といっても途中からただの談話と化していたが、友達で集まってくつろぎながらお喋りする機会は楽しいのだとルナは初めて知った。

 その余韻が抜けきれなくて、つい夜更かしをしてしまっている。


「……そうね。わからないでもないわ」


 対するヤンデは熟睡しており、今も眠そうな様子は無い。

 数週間前の気怠げな印象も消え失せていて、王女の神々しさと少女の可憐さが滲み出ている。


「一番はしゃいでましたもんね」

「うるさい」


 今日も引き続きスキャーノ邸で検討する予定だが、放課後までは学生に戻らねばならない。

 素直じゃないヤンデをからかいつつ、解散しようとしたところで、


「ごきげんよう。ジーサ様はいらっしゃいませんの?」


 王女ペアを相手に堂々と声掛けできる者は教員も含めてそうはいない。ハナとレコンチャンだ。


「私が聞きたいくらいよ」

「拗ねてるんですよ。のけ者にされてるから」


 ジーサの不在を違和感無く、また追及されることも無く説明するための言い分は既に打ち合わせてある。

 ジーサはエルフ側に駆り出されているという体《てい》である。


「でしたらお二人でも構いません。今晩お時間よろしいでしょうか?」

「ごめんなさい。私達も立て込んでるんです」

「おかしいわよね。学生の本分は勉学と交友のはずなのだけれど」

「また今度話しましょう」

「はい」


 シャーロット家とは既に正式な顔合わせを済ませており、ハナとの関係も縮まっている。ジーサへの執心はもはや止まらない。

 だからこそ王女の事情を醸し出してでも速やかに一蹴する必要があり、この点も既にヤンデとは共有済だ。


 このまま別れると思われたが、見るまでもなく二人は立ち止まったままで、こちらの背中を見つめたままだ。

 間もなく、


「……難しい仕事を抱えておられるのですね」


 聞こえないふりをしても良かったが、「あなたも他人事じゃないでしょ」ヤンデは拾うことを選んだようだ。


「ジーサの辣腕に頼ってきたと見ているのだけれど」

「ええ。それと愛も育みたいと思いまして」

「育めるといいわね」

「まあ。押しつけはよろしくありませんわね」


 社交界で鍛えられたのだろう、喋り方に乗った挑発の色が何とも濃い。「押しつけ?」案の定、ヤンデの語気が少し強くなった。


「ヤンデ様は不器用ゆえ上手く育まれないとお見受け致しますが、私《わたくし》は違いましてよ」

「その貧相な人間の身体で何ができるのよ?」

「女は外見だけではありませんわ」

「でもジーサは外見にこだわるわよ?」


 ここ最近密に過ごしてわかったが、ヤンデはお喋りが嫌いではない。

 根が寡黙なルナやスキャーノとは違い、よくもまあそんなに思いつくものだと感心する程度には喋るし、昨日もそうだった。


「私《わたくし》はそうは思いませんわ。シャーロット家として鍛えられた私だからこそ、ジーサ様の気を引くこともできると考えておりますし、最近はオードリー家の指南も受けておりますの」

「……ねぇ。相手するの面倒くさいんだけど」

「というより怖気《おじけ》づいてません?」


 ヤンデのノリに会わせているハナだが、その双眸からは貴族特有の鋭さが漏れている。有り体に言えば、本気すぎて引く。


「わかる。今のハナは気持ち悪いくらいジーサ一筋だもんな」


 ハナのお付きが、両手を後頭部で組んだままそんなことを言う。

 髪の毛も相変わらず逆立っているが、原理はよくわからない。


「レコンチャン? 御前ですわよ?」

「いいだろ別に。友達とくっちゃべってるだけじゃねえか。なっ?」

「別に構わないけれど、なんかイラッとするわね」

「お手合わせいきます? 一度エルフと戦ってみたかったんだよ」


 ファイティングポーズを構えるレコンチャンだったが、「このバカッ!」ハナのビンタを受けて、廊下の端まで吹っ飛んでいった。


「加減が絶妙ですよね。彼を一途に愛するのも良いのではないですか?」

「ルナ様。もう決めたことですわ――私にはジーサ様が必要なのです」

「……」


 たった一言にも関わらず、老若男女誰であろうと疑う余地のない気迫を感じさせる。以前のような照れももはや無い。

 ルナは感嘆が漏れそうになるのを堪える必要があった。


「……とりあえずジーサは今度おしおきね」

「そうですね」

「楽しそうで羨ましいですわ。私も混ぜてくださいまし」

「歓迎するわ。機会があればね」


 ヤンデの社交辞令を最後に、ハナらと別れた。


(あと何日|保《も》つのでしょうか……)


 今のところは何とか誤魔化せているが、長く続くはずもない。

 ヤンデ曰く、エルフ側は公表することなく内密に生け捕りするという。


 ならアルフレッドは――父はどうだろうか。


(干渉しないと言ってましたが、このまま隠し通せるはずもないですよね……)


 油断するとあれこれ考え続けてしまうが、頭が回らない。

 さすがに睡眠不足は冒険者として失格だ。


 ヤンデともいったん解散した後、ルナは残りの授業を全力で手を抜くことに決めた。

第274話 前進2

「発想を変えよう」


 同日、夜八時。

 壁にも宙にも四方八方に資料が固定されたスキャーノ邸の一室にて、主が呟いた。


「発想?」

「とりあえず攻撃は中断してもらえるかな」


 行き詰まってる二人は鍛錬に精を出す――というと聞こえはいいが、要はだらけており、今もヤンデの繰り出す無音かつ不可視の針をスキャーノがひたすら避けているところだった。

 何度か被弾しており、辺りには鮮血が散っている。一般人が見れば悲鳴を上げる量で、二人がいかに浮き世離れしているかがよくわかる。


「【スーパー・セイント・フォグ】」


 ルナが気遣う間もなく、自ら回復を行うスキャーノ。


「フォグ? 霧……でしょうか? かなり濃いようですが」

「ミストよりも重たいメタファだよ。ちょっと制御が難しいけど……って、ルナさん?」

「いーえ? さすが優等生ですねと思っただけです」

「フォグはどうでもいいのよ。発想って何かしら?」

「ちょっと待ってね」


 スキャーノが部屋着を外から引き寄せてくる。その間も自らの体を無詠唱の土魔法で包みきっており、着替えは見えない。

 相変わらず器用で、数秒と経たずに女物の可愛らしい格好が姿を現した。元々中性的な容姿だからか、よく似合っている。昨日主にヤンデが散々からかったため、もう口に出す者はいなかった。


「潜伏場所を特定するのはいったんやめて、ジーサ君の気持ちになって考えてみるのはどうかな? 自ずと行き先が見えてくると思う」

「ジーサの気持ちなんてわからないわよ」

「愛情や大望はわからなくても、目先の利害くらいはわかるかもしれない」


 言いつつ、スキャーノはもう資料を片付け始めている。ルナが読んでいた手元の一枚も当たり前のようにひったくられた。

 ルナは全土の情報を片っ端から読むつもりだったが、頑固な優等生はおそらく覆せない。正直なところ退屈なので助かったが、癪なので態度には出さなかった。

 代わりに、飛び散った血を掃除しながら、


「一理あると思います。タイヨウさんは何かと巻き込まれる素質を持ってるようですし」

「私達から逃げたのも何かに巻き込まれたからってこと? 計画的な犯行にしか思えないのだけれど」

「意味も無く二国を敵に回すほど野蛮ではないです。仮に計画的だとしても、そうせざるを得なかった事情が何かしら起きたのだと思います」

「最初から振り返ってみようよ。まずはルナさんとユズさんだよね」


 スキャーノの仕切りで、時系列に振り返ることとなった。


 タイヨウと最初に出会ったのはルナで、去年のことである。

 このメンツにも既に共有済だ。といってもレアスキルや師匠の件もあるため、白夜の森という場所も含め大部分は伏せている。こういうときは王女の立場が役に立つ。

 無論、この場で開示する情報もルナに委ねてもらえる。


「――お父様くらいでしょうか」

「シニ・タイヨウをしれっと抱えるくらいだものね。あの人なら何を企んでいてもおかしくないわ」

「ぼくは何も言えないけど、ルナさんはどう思うの?」



 ――お父様、どうされますか。


 ――どうもせぬ。



 一昨日、国王専用エリアで告げられた無慈悲な一言を思い出す。

 あれが演技だとは思えないが、ルナも所詮は小娘にすぎない。演技だとしてもわかりようがない。


「正直言うと、わかりません」

「ユズなら何か知ってそうね……ってさっきからいないわね」

「近衛には自主性が認められていますから」


 厳密には新米王女のルナにまだ制御権が与えられていないだけだが、仲が良いとはいえ何でも教えるものでもない。


 こういうさりげない嘘を何食わぬ顔でつけるようになった、とルナは内心複雑な気持ちを抱く。それでもそれ以上のコメントは控えた。「まあそうでしょうね」とヤンデ。

 いきなり王女になったのは彼女も同じだ。通じるところがある――それがルナには嬉しかった。


「次よ。ラウルとアウラはどうなのかしら?」

「タイヨウさんとの出会いは知りませんけど、あの二人は私達と同じく探す側の立場だと思います」

「私もそう思うわ。何するつもりなのかは知らないけれど」


 壁には横長の板が木釘で打たれており、シキ、ユズの順で名前が書いてある。魔法に制御されてふわふわと浮いている羽根ペンが、ラウルとアウラの名も続けた。


「ぼくも異論は無いよ。どちらかと言えば、先を越されないための対策が必要じゃないかな」

「私がいるから平気よ」

「頼もしいよね」

「私に同意を求めないでください。――アルフレッドはこれくらいですかね。ではエルフはどうですか?」


 視線が集まるのも気にせず、ヤンデは肘をついたまま静止している。

 何を思い出したのか、人間離れした口元がふふっと崩れた。


「……」


 こうして見ると、やはりエルフなのだと痛感させられる。


 容姿の全体も、個々の細部も、人間を容易に吸い寄せる魅力を持っている。

 当初は彼女の、チャームの逆ともいうべき体質のおかげで惹かれることもなかったし、むしろ憎悪や殺意を抑えるのに苦労するほどだったが、最近は完璧に要領を得たらしく、もはや普通のエルフと変わりない。


 留学して散々触れたルナでさえもこれなのだから、並の冒険者にはさぞ魅惑的に映るだろう。


「とりあえず変態二人組かしら。グレンは死んだと見ていいでしょうね。倒したのもジーサよ。シッコクは今も捜索中だけれど、グレンを倒したことを考えれば利害は無さそうよね」

「シッコクと個別に何かを結んだ可能性は?」

「無いわね。長年実力を隠していたし、グリーンスクールの占拠もよく練られていたわ。あの白いドームも並大抵の鍛錬では手に入らないでしょうね。冒険者パーティー以上に強い絆と意志があったはず」


 シッコクとグレンは一心同体であり、その片方をタイヨウが殺したのだから、シッコクと繋がる余地はない――そう言いたいのだろう。


「そうですか? 性欲をこじらせただけにも見えましたけど」



 ――ルナちゃん、どうでやんすか?


 ――優しくするでやんすよ?



 ルナはシッコクと向かい合ったことがある。

 あの時、第一に感じた危機は、命よりも貞操で。

 近衛もついていたのに、体が震えそうになるほどの気持ち悪さがあった。


「だったらなおさらよね? ジーサは性欲で動く男じゃないわ。私はあなた達と違って交わったことがあるのだけれど、彼、途中で飽きてたのよ。お母様曰く、エルフなら限界まで搾り取れるらしいのだけれど、一滴も出なかったわ」

「性行為の有無で勝ち誇るの、大人気ないのでやめてもらえます?」

「ぼくを含めるのもやめてほしい……」


 挑むようにニヤつくヤンデが実に腹立たしい。言い方から考えても、ジーサの身体ではなく、素の――タイヨウのあの身体と交わったのだろう。

 実に羨ましいことだった。


 同時に、悲しいとも思う。

 タイヨウの根幹に巣くう何か――何にも染まらなさは、近くで見てきたルナもよくわかっている。体を交えたところで、その事実がより鮮明に示されるだけだ。


 こちらに惹かれることがない存在に寄り添い続けることなどできるだろうか。

 あいにく、ルナは誰かを盲信できるほどお人好しではない。そんなものは長いソロ冒険者生活の間にとうにこぼれ落ちた。


 何にせよ、まずはタイヨウを捕まえてからだ。

 ルナは頭を振って雑念を消す――と、そこで不意に頭をよぎったものがあった。


「怪人――」

「ああ、ラウル達がそう呼んでいるわね。獣人領の侵入者のことよ。内緒にしてほしいのだけれど、正体はジーサね」

「え、それって……」


 ばっと立ち上がったのはスキャーノだ。


「それって……アナスタシアさんのこと、だよね?」


 優等生らしからぬ当惑がルナを向いている。「そうです」ルナが肯定しても、その表情は変わらなかった。


「そっか。ルナさんとシッコクはあの時から気付いてたんだね」

「内緒にしてくださいね。公式には、怪人はジーサでもタイヨウでもない別の人物ということになってますから」


 怪人はグレンを殺しているが、同時に多数のエルフも巻き込んでいる。失われた命の数で言えば、シッコクよりもはるかに多い。

 そんな大犯罪者を、さすがにジーサと同一人物にするわけにはいかない。


「それはもちろんとして、一つわからないことがあるんだ。ジーサ君はどうやって変装しているの? 変装はガートンの得意分野で、ぼくも自信があるけど、全く見当がつかない。あれはエルフだったよ。変装という次元じゃなかった……」


 タイヨウの変装のからくりは、ルナも与《あずか》り知らぬところだった。

 どことなくあたりはついている。

 が、漏らしてはならないことだ。


 白夜の森で過ごした日々――魔人でもないのにモンスターと仲良く過ごしたなどという異常事態は、明るみに出していいものではない。


 何より、あの日々は聖域なのだ。父や近衛も知らない、ルナとタイヨウだけの、二人っきりの時間――。

 誰にも踏み込まれたくなかった。


「ルナさんは心当たりある?」

「ないですね。教えてもらえませんでした」

「ヤンデさんは?」

「ルナに同じよ。ジーサは意外と用心深いのよ」


 上手く誤魔化しているが、ヤンデも当然知っているだろう。

 身体の関係を持っているし、実力的にも利用価値が高い。自分よりも知っているかもしれなかった。


「あの時、ラウルは何と言ってたかしら……」

「何の話ですか?」


 ルナには覚えがなく、尋ねたが、ヤンデは無視して唸ったままだ。

 思わずスキャーノと顔を見合わせていると――


 ドンッと。


「皇帝ブーガだわ!」


 ヤンデが床を踏み抜いていた。足首あたりまですっぽり埋まっている。


「あの、ヤンデさん……」

「うるさいわね後で直すわよ。Fクラスでアウラウルと怪人について話し合っていたのね。怪人はアウラと獣傑ギガホーンを退けた後、ブーガに倒されたとされているのだけれど、ラウルは否定していたのよ」



 協調関係を結んだ可能性もあるってね。



 興奮の乗ったヤンデの言葉がこだました。

 もう一度、今度はスキャーノから見合わせようとしてきたが、ルナは顔を動かす気にもなれない。「タイヨウさん……」思わず呟きが漏れる。


 どうして今の今まで、こんな重大な事実を思い出せなかったのだろう。


 タイヨウとブーガの繋がりは既にユズと考察していた。

 それでもどこか確信を持てないでいた。

 ブーガを特別視しすぎていたのかもしれない。あるいは単に信じたくなかったのかもしれない。


 未熟にも程がある。

 幼いにも程がある。


 ……馬鹿げている。


「あは、ははは……はぁ」


 ルナから不器用な苦笑が漏れ、間もなく盛大な嘆息に変わった。


 心配そうに覗き込む二人には首を横に振る。

 深呼吸をして整えてから、


「間違いないと思います――」


 ユズと得た考察を共有する。



 こうしてルナ達はブーガ協力説を支持し、タイヨウの潜伏先をダグリン共和国一国に絞ることとなった。

第274.5話 行間

 《《魚人》》に扮《ふん》した何かは、王都リンゴの上空から地上を見下ろしていた。


 王国の警備魔法が届く範囲は超えており、町そのものよりも大陸を俯瞰する高さである。


「やはりここが落ち着きますねぇ」


 その声を聞けば、たとえばスキャーナなら上司のものであると気付けるだろう。


 彼はシニ・タイヨウの居場所を突き止めようとしていた。

 地図を見ながら考えるのも悪くないが、こうして大陸の実物を見ながら思案するのが好きだった。

 もっとも効率を求めるならてっとり早いやり方がある。《《真下の屋敷で戯れている少女達》》の会話を盗み聞きすればいい。


 しかし、そんなものに頼るほど落ちぶれてはいない。


 情報は己の目で見て、己の手で掴み取るからこそ価値が出る。

 自ら手に入れたのだという自覚、自負、自信――

 それが執着となり、矜持となることで、誰よりもこだわれるようになるのだ。


 既に隠密《ステルス》も施している。存在に気付ける鳥人もそうはいない。

 何時間でも何日でも居座れるし、何なら住むこともできよう。それだけの実力と要領が彼にはあったし、そうするつもりでいた。


 そんな彼の予定は、早くも裏切られた。

 流れ弾――対象に当たらず空にまで飛んでくる攻撃ほどの速度で近づいてきたそれが、彼の半径五十メートルの位置で静止したからだ。


 やたら分厚い鎧に包まれている。

 見るからに重く硬そうで、しかし普段着のように着慣れている様子が見て取れる。まるで肌が拡張されたかのような自然さだ。

 この練度を出せる者はそう多くはない。


 王族親衛隊のものだ。


「……」

「……」


 両者とも言葉を発することはない。

 肉声はもちろん、魔法で加工した声も、魔法でつくった声にも、想像以上に人の癖が宿る。鋭敏な実力者であれば、表情以上に唯一かつ細緻な識別要素として認識できてしまうからだ。


 相手も発さないということは、この原則を知っていることに他ならない。王族親衛隊の格好をしているが、その程度の存在ではあるまい。


 ファインディは背を見せて逃走した。音速にも満たない飛行だ。相手の力量ならば、秒とかからずに何発も魔法を撃てよう。

 しかし、その様子はない。


 警戒しているのだろう。

 下手に攻撃を撃てば、情報を与えてしまうことになる。


 その姿勢は、こちらの変装を見抜いていることを意味する。

 すなわち、魚人を知っており、これほどの精度で変装かつ隠密を行える何かが、何らかの目的で王都の上空に居座っていると。

 事実上、正体不明である。しかし実力者ではある。そんな者に魔法を放っても捉えられはしまい。情報だけ与えて終わってしまう。

 だからこそ、何もせず静観するしかない。


 これはお互いがお互いに強者の存在を匂わせるための情報戦だ。


 彼の狙い通りであった。

 彼にとって弱者など取るに足らない。注視すべきは強者の動向であり、行動の傾向であり、注意の限界である。


 王都には、アルフレッドには。

 今の彼に気付き、こうして情報戦に持ち込んでくるほどの者がいる――


 その事実は彼にとって少なくない収穫だった。

第275話 前進3

「親衛隊か。通してもらえないか」

「お引き取りください」

「僕達が行くと言っている」

「お引き取りください。これは勅命です」


 第五週九日目《ゴ・キュウ》の早朝、ダンジョン『デーモンズシェルター』第89階層にて。

 次階層へと続く大穴には、普段はいないはずの警備が配置されていた。


 ラウルはアウラと顔を見合わせる。「この人達、女性ですよ」アウラによる誘惑作戦は効きそうもない。


「ラウルがやればいいんですよ。ご自慢のご尊顔で」

「君と違って容姿に頼るほど落ちぶれちゃいない」

「喧嘩売ってます?」


 普段のラウルなら嘆息するところだが、あえて真顔を維持する。

 それでアウラも彼の意図に気付き、一芝居乗ることにした――


 一分後、二人は第90階層へと続く長い通路を飛んでいた。


「普通にねじ伏せれば良かったと思いますけど」

「一応、反逆だからね。罪は少しでも軽い方がいい」


 喧嘩のどさくさに紛れて突破するのがラウルの作戦だった。

 面と向かって警備を何とかするよりも反逆性が小さいからだ。たまたま喧嘩して、たまたま警備も巻き込んで、たまたまラウルが劣勢になって、たまたま大穴が空いていたからそっち側に逃げてアウラも追いかけてきた――茶番と言えばその通りだが、故意に警備を退けるよりも体裁上はマシになる。


「どうせシキさんも問い詰めるのに」

「それでもだ。確証が無ければ、あの人は口を割らない。戦いたくはないだろ?」

「……ラウル。本当にやるの?」

「もう後戻りはできない」


 ジーサ・ツシタ・イーゼ欠席の真意にいち早く気付いたのが、この二人だった。

 対外的には|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》として公務に励んでおり、内部的にはエルフ側の用事に駆り出されていることになっているが、ありえないことである。


 国政は若者に任せるほど甘くはない。だからこそ王立学園という猶予期間《モラトリアム》が設けられている。

 シニ・タイヨウという変わり種は例外で、既に色々と手伝っているようだが、それでも猶予をなくしにいくほどシキは無能ではない。

 タイヨウもまた、猶予が不要なほど完成された人物ではないはずだ。

 実際、ラウル達はタイヨウと名乗っていた頃の彼とも出会っている。まるで初心者だった。


 あれからまだ一年も経っていない。猶予はまだまだ必要である。

 にもかかわらず二日も欠席している。

 エルフ側の用事なら王女ヤンデも付き添いそうなものなのに、彼女は来ているし、不満を抱く素振りもない。いや、苛ついてはいるようだが、穿った目で見れば見るほど胡散臭く映った。


 師匠ブーガとの関係が気になることもあり、ラウルはアウラを説得して強攻策――事の発端であろう、最深部『|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》』への潜入に出たのである。

 既に攻略中止のアナウンスが出ていたし、こうして王国による警備も敷かれていた。

 当たりに違いなかった。


「強引なラウルも嫌いじゃないわよ」

「馬鹿なこと言ってないで、ペース上げるぞ」

「結構本気なんだけどなー」


 暗闇に高速移動の爆音がこだまする中、


「わからないかなぁ。――私、ラウルのことが好きなの」


 水滴のような告白が、ラウルの耳朶に垂らされる。


「……とりあえず離れないか。近い」


 直接届けるためにゼロ距離となっているし、ラウルの耳には相方の唇が触れていた。


「それにわざわざ言うことでもないだろ。ずっと前からわかってたよ」

「はぁ? 最近ですけど? 相変わらず自意識が過ぎますよねラウルは」

「耳が千切れる」


 第一級の咀嚼がラウルの耳を襲う。

 皮膚が少し切れて鮮血が滲み出た。それをアウラが舐め取ろうとしたところで、ラウルは自らを加速――アウラを振り落とす。

 無論、アウラも同格である。

 秒を待たずに追いついた彼女は、ふふっと相好を崩していた。


「歯形がついてるじゃないか。どうしてくれるんだ」

「印です。ラウルは私のものだってね」

「歯形を晒すなんて、とんだ痴女だな」

「殴っていい? 殴りますね」

「もう着くぞ」


 アウラの杖振りを避けつつ、ラウルは背中の双剣を抜いた。

 基本的にラウルは戦闘後に必要に応じて抜くスタイルである。最初から抜くことの意味がわからないアウラではなかった。


「死ぬんじゃないわよ」

「ふっ。僕の台詞だ」


 これからの行動には、それほどのリスクがあった。


 だからこそアウラもあんな大胆な告白をしてきたのだ。

 明言された以上、今後はさらに鬱陶しくなるだろう。正直、並の冒険よりも脅威であったが、それもこの後から無事に生還できたらの話である。


 シニ・タイヨウを捕らえて、搾り取る――。


 第一級パーティーの冒険が、今まさに始まろうとしていた。


 二人は最後の縦穴を飛び越えて、第90階層に到着した。

 ラウルは地面に着地し、アウラは宙に浮いたまま辺りの気配を探る。


「……グレーターデーモンがいない?」

「微かな振動がありますね。見たことない揺れ方……向かってみますか?」

「ああ」


 第90階層は相当広いと考えられるが、グレーターデーモン達は探索を許さずテレポートで瞬時に詰めてくるのが常だったはずだ。

 モンスターは基本的に戦略を変えることがない。ダンジョンの定説でもある。

 もっともデーモン達の知能を考えればありえなくはないが、嬉々として戦闘したがるあの悪魔達が、あえて距離を置きにくる戦略を取り入れる意味は無い。


「いや、待て。89階層を歩いてた例もあった。グレーターじゃないという保証はない」

「だから揺れ方が違うって言ったわよ」

「確かなのかい?」

「ええ」

「なら安心した。念のためさ。冷静に本領発揮できてて何よりだ」

「偉そうに。また歯形つけますよ?」

「勘弁してくれ」


 二人は探索を開始した。

 総当たりする体力も温存したいため、アウラの感知術――体外気流感知《エアウェアネス》を頼りに、振動源へと近づいていく。


「しっかり運んでね」

「自分で動けるだろ……」


 感知に集中するアウラを、ラウルはおぶって運ぶこととなった。第二級以下なら振り落とされるか風圧でぺしゃんこだが、同格ゆえに配慮は無用。

 地面と内壁を抉りながら、王都など足元にも及ばないほど広大な迷宮をぐんぐん進んでいく。


「アウラ。押しつけるのはやめるんだ」

「ラウルの体を感じてるだけです」

「……」


 この運搬戦略もどこまで正当か怪しいものだったが、相方の機嫌が良いならと見逃すことにしたラウルだった。


 探索は二十分とかからなかった。

 といっても、半分くらいは|対象に近づくするための観察と隠密接近《ステルスアプローチ》に費やしている。


 そうせざるをえないほどの異形が、この暗闇の先――おおよそ600メートルのあたりにいる。


「さしづめオリハルコンゴーレムといったところだね」

「殴られたら痛そうです」

「痛いで済むといいんだけど。アウラ」


 振動交流《バイブケーション》での会話を絶ちきり、アウラが飛び出す。


「【サンド・ビーム】」


 雷に土の粒を乗せることで威力を上げつつ、しかし速度も落とさせない絶妙のバランスが要求される大技――


 ラウルの目でも追うことができない。

 光を撃たれるようなものだ。避けることなどできやしない。

 それは放った瞬間、対象に着弾しているようなものだった。


 遅れて、超硬金属特有の高音が届いてくる。


「鈍くもないようだね」


 術者を狙った攻撃だろう、高温をまとった岩石が飛んできている。

 すぐにラウルは双剣で受けると、勢いも上乗せして打ち返した。


「二本使う必要あります? 打ち返す必要あります?」

「カッコいいだろ?」

「昔のラウルが出てるわよ」

「君が変なことを言うからだよ。取り繕うのが馬鹿馬鹿しくなった」

「……攻撃するのも馬鹿馬鹿しそうですけど」


 当然ながらお返しした攻撃でもびくともしていない。

 当たり前といえばその通りだ。ジャースの最硬金属『オリハルコン』は、人類のパワーでは壊せない。


「アウラ、ちょっと寄り道しないか? これを報告すれば反逆の罪をチャラにできる」

「報告はラウルがまとめてね」


 敵は巨体に似合わぬ速度で飛び込んできており、直後、暗闇に白銀の巨体が浮かび上がる。

 人の住まいにもできそうなサイズの頭が頭突きを繰り出して――


 二人のいた地面を丸ごと陥没させるとともに、辺り一帯を衝撃波で埋め尽くした。


「さっきみたいに返せばいいのに」

「無茶言うんじゃない。当たると即死だ」


 空中に回避し衝撃波に平然と耐える二人を、白銀の塊が追いかける。高度を出して距離を取れば、「当然のように飛べるか」空中戦が勃発する。


「速度は第二級だけど、重さが異常だ。何を圧縮したらこうなる? そもそもなぜ飛べる? 魔力も高いのか?」

「シニ・タイヨウとどっちが強いかなぁ」

「受けてみたらどうだ?」


 隙を見て敵の表面に触れるラウルに、相方による広範囲の火炎が被せられた。

 周辺の温度が急上昇し、ダンジョンの内壁も溶け始めるが、ラウルの耐久力なら大したダメージではない。これは同時に、味方を巻き込んだ攻撃に対して敵がどう反応するかを見るテストでもあった。


「知能は高くなさそうだね」

「体力は高そうです」

「ダンジョンの再生速度も速いみたいだ」


 破損した内壁が、川に流れる水のごとく再生していく。「見たところ変則ですね」アウラの言うとおり、再生後の地形は以前とはまるで違うものになっている。規則性も見られない。


「出口に辿り着けず延々追いかけ回されて、疲れたところにガツン、かな」

「この深層で初見殺しか……。さすが悪魔と名のつくダンジョンだけあるな」

「いやグレーターデーモンを冠したものよね? ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」

「……いったん入口まで戻って、ダンジョンの再生パターンから調べていこう」

「ラウル待って。早い、早いから!」


 いくらパワーがあれど、当たらなければ問題にはならない。

 また、いくらダンジョンが変わろうとも、第一級の感覚と速度なら逃げるのも容易い。

 実際に二人にはじゃれ合う余裕さえあったが、それでも油断は死の主因である。


 ラウルは早くも全速の移動を発揮しており。

 追いかけるアウラは、彼の照れ隠しをいじるのに向こう十分《じゅっぷん》を要するのだった。

第三章

第276話 光明1

 第五週十日目《ゴ・ジュウ》の朝は、昨日取り付けたとおり野良講師ライオットじいさんによる座学を浴びる――はずだったのだが。


「そいっ」

「うわぁっ!?」


 なぜか俺はフレアに投げられていて、間もなく、どんっと地面に叩きつけられる。

 柔らかい土が敷いてあるため外傷はない。柔道の授業を思い出す。いじめっこ気質の図体でかい野球部が容赦無くて殺したくなったのは今でも覚えている。


「お兄さん、もう少し攻め方を工夫してください」

「そ、そう言われても……いたたっ……」

「しょうがないですねー」


 フレアの手を借りて起き上がる。当の本人は悪びれも無く俺の手を投げ出し、少し離れると「さあ」背中越しに乱暴を迫ってくる。


 俺は今、フレアのトレーニングに付き合わされていた。

 後方から襲ってくる暴漢に備える要領を鍛えるんだとか。それで俺の仕事だが、こっそり近づいて後ろからその控えめな胸を揉むことである。なんでだよ。


 もう十回くらいあしらわれているが、まだ一度も揉んでいない。

 さっきから目についてる可愛いお尻に切り換えてもいいかね。いや、殺されそうだからやめとく。やられる演技はしんどいからな。


「ライオットさーん。お兄さんが役立たずすぎてつまらないです」

「……」


 じいさんはじいさんでそんな俺をなぜか注視している。

 シキもそうだろうが、人生経験に物を言わせた聡《さと》い老人は嫌いだ。俺をフレアにぶつけていること以外は何も企んでなさそうに見えるが、どうだか。


「ボクはライオットさんの話が聞きたいんですが……」

「何サボろうとしてるんですか」

「ごめんフレア!」


 とりあえずダッシュで逃げることに。

 フレアはすぐに追いかけてきたが、俺がライオットの後方に回る方が早い。


 彼女も日頃に世話になってるじいさんには頭が上がらない。ジト目を寄越すだけで諦めた。


「さすがだのう」


 じいさんが意味深なことを呟く。


(バレてるなこりゃ……)


 アンラーとフレアの体勢と身体能力、じいさんまでの距離、地面の質などを考えれば、ぎりぎり間に合うことは自明だった。前世の俺でもわかる、比較的単純な状況だった。

 だから安直に使ってしまったのが、そんな読みをしたことがバレている。


「追いかけるのも得意なので」


 自分を褒められたと勘違いしたフレアがじいさんに微笑んでいて、これ以上いじらないでくれと俺は内心ぼやくしかなかったが、「……まあいい」余計な一言を最後に、じいさんはその場に座った。

 フレアは労るように杖を預かったが、「えいっ」俺を突いてくる。この扱いの差。つか人の杖で遊ぶな。


「小僧。生活には慣れたか?」

「生活は問題ないんですけど、その、人間関係が……」

「なんでうちを見るんですか?」


 すぐに杖を置いて、さっと胸を隠すフレア。ガキの貧乳にはあまり興味ねえよ。


「仕事は何にした? 冒険者か?」

「ギルセンで接客です」

「似合わないな」

「姉さんから聞きましたよ。足手まといになってたって」


 お兄さんらしいですねぇ、とこのクソガキあるいはメスガキと言いたくなるような何とも挑発的な表情を寄越してくれる。


「初日だからそんなものだよ……」

「冒険者なんておこがましいにも程がありますよ?」

「別になるつもりもないんだけど、あれ? 冒険者って一般人でもなれるんでしたっけ?」


 ダグリンには職業としての冒険者がある。

 たまにクエストが振ってくること以外は自由で、税さえ収めればどうとでも過ごせるため人気があるらしい。もちろんレベルも必要なため、俺達特区の民には無縁な仕事だ。


「フレア」

「えー、うちが答えるんですか」

「……」


 ライオットの無言の眼力がフレアを睨む。

 たぶん叱られたこともあるのだろう。おてんば少女の顔が引きつっているのがちょっと面白い。


「……動物《アニマル》って知ってますか?」


 めちゃくちゃ知ってる。前世では知らん奴いないんじゃね?


「一般人でも倒せるモンスターなんですけど」

「モンスターではない」

「……モンスターみたいなものですけど、作物と同じで『劣化』が起こるんです。劣化ってわかります?」


 王都貧民エリアで散々見たからな、とは言わないが、軽く頷いておく。


「劣化を起こさずに狩れるのが、レベル1の冒険者です」

「フレアも目指しておる」

「ちょっとライオットさんっ! しーっ!」

「……何も聞こえてないよ」

「聞こえとるだろ。嘘をつくと目に出る」


 冗談のつもりだったが、じいさんはフレアを黙らせた眼力を俺にも向けてくる。


 目に出るって? バグってる俺には当てはまらないことだ。

 が、瞳孔の開き方や|まばたき間隔《インターバル》の変化といった人間の仕様くらい把握しているだろう。そう見えているのは目の担当ダンゴのおかげなので、ダンゴが一枚上手ということになる。


「何をそんなにうろたえておる?」


 が、冗談の発言なのに嘘つきの生体反応が出るのもおかしな話で、ダンゴさんが墓穴掘った形ですかねこれは……。


「……気のせいです」

「まあええ」


 何度もこうして心理戦を交わせば、さすがにフレアも気付く。ジト目が痛い。可愛いけど。

 幸いにもライオットは話を戻してくれたので、


「それで何が聞きたいのか。皇帝や将軍のことか?」

「あ、はいっ! ぜひ!」


 俺は突然大声で応じることに。

 フレアがしかめっ面で両耳を塞いだが、知ったことか。アンラーは強い奴に憧れるキャラなんだよ。


「皇帝や将軍の何について知りたい?」


 対してライオットはどこまでも冷静で、威圧的で、もしかすると俺がただ者ではない――いや、自分で言うのもアレだが、平穏を乱す爆弾を抱えている何者かであることに勘付いているのかもしれない。それで探りを入れている、と。

 さすがに俺のすべてを知られるわけにはいかないが、変に隠し立てしても仕方がない。


「この目で見てみたいです。何回でも見たい……」

「ならば国の仕事に就いて出世しろ。二十年もあれば側近には至れよう」


 二十年も待てるかよ。「二百年あっても足りないんじゃないです?」フレアはうるさい。「……」じいさんは黙ってないで、もうちょっと否定してくれ。


「皇帝であれば、そのうち会えような」

「あ、うちもお風呂でご一緒したことありますよー。ライオットさんより怖かったです」


 知ってる知ってる。本人から自慢気に聞いたわ。

 ブーガと上空で語り合った当時はよくわからん話も多かったが、こうしてダグリンで暮らし初めてから振り返ってみると、なるほど熱心な皇帝なのだとわかる。


 あの人、普通に特区の食堂や風呂場も使うし、普段の暮らしも質素なんだよな。

 民の目線を忘れないためだと言っていた。どこまでも純粋な男である。


(たぶん俺と出会うことはないだろうけど)


 ブーガは俺という異常事態《イレギュラー》に|賭けた《ベットした》。

 ここまで何のフォローも無かったし、今後も一ミリたりともくちばしを挟むことはあるまい。どうせ観察はしてるだろうけど。ふむ、とか言ってそうだ。


「……お兄さん? 皇帝ですよ。嬉しくないんですか?」

「いや、なんといいますか、いきなり皇帝にあったら、その、失神する……」

「何言ってるんですか、殴られでもしないとしませんよ。体験してみます?」

「だって皇帝だよ? この国の頂点だよっ!?」


 俺はフレアの両肩を掴み、時代が時代なら普通に同性から掘られるであろう美少年フェイスを近付ける。


「近い。お兄さん近い」

「皇帝ってどうやったら会えるかな!?」

「ち、か、い!」


 フレアは顔を赤くしつつも、冷静に何を繰り出すか考えているようで、すぐに仕掛けてくる。


 俺の息子に、というより睾丸につま先が刺さった。


 睾丸だけを、しかし外傷や後遺症がない程度に手加減して打ち込んでいる。ここはちょっとの刺激でもかなり痛いのに、今、頭に流れ込んでるダメージ量は、頑張ればポーカーフェイスを保てる程度の痛みである。的確すぎて怖えよ。

 こういうの教えたのもライオットさんだよな。このじいさん何なん。


 俺はオーバーに悲鳴を上げつつ、ぴょんぴょん飛ぶことを忘れない。


「あれ? 痛かったですか?」

「気にせんでええ」


 フレアの声音は心底心配する優しげなものだったが、じいさんの一言ですぐに取り下げられる。


「そういえば今日は将軍会議だな。見に行ければ良かったが、遠かろうな」

「どこでしたっけ?」

「3909領――フレアの体力なら、今から走れば間に合うだろう」

「あー、あっち方面ですね。山超えるから嫌なんですよねー……」

「フ、フレア、案内してもらっても、いい、かな……」

「……とりあえずそのダサすぎる演技はやめませんか。あとお兄さんの体力では絶対ついてこれないです」

「あ、あはは……」


(将軍会議だと?)


 何だよ、その将軍を殺したい俺の都合にドはまりしそうなイベントは。


「将軍会議ってなんですか? 知りたいです」

「フレア」

「……興奮しないでくださいね」


 腕をクロスにして身をすくめるフレア。さすがに俺も大人の色香が混じり始めて色っぽいなぁなどと脳天気に言えるほど鈍感ではない。これはアレだ、どん引きというやつだな。

 が、演技は大げさな方がやりやすいし印象にも残せる。

 俺がこくこくと頷き、まじまじと見つめてみせると、


「う……」

「う?」

「なんかやりづらいっ!」


 フレアはライオットの背中に隠れてしまった。べったりひっついていて、お互いに心を許しているのだとわかる。


「皇帝は毎週|十日目《ジュウ》に、将軍全員を招集する会議を開かれておる。場所は不定だが、事前告知され観覧自由であることが多い」

「い、意外ですね。そういうのって豪華な建物で行うものかと思ってました」

「それはアルフレッドの価値観だの」


 ぐっ、まずった……。たぶんじいさんに、俺がアルフレッドの出であることがバレた気がする。

 フレアは気にしてなさそうだし、下手に取り繕ってもたぶん勝てないからここはスルー。


「3909領ってどこですか? できれば地図が欲しいんですが」

「地図は高くてワシらには買えんよ」


 俺は困った目でフレアに縋ってみたが、「知りませんよーだ」お冷たい。


「講師なら大体知っておるから、聞いてみれば良かろう。3909領は――フレア。描いてみろ」

「ライオットさん、さっきからうちに押しつけてません?」


 杖を立てて地面に地図を描き始めるクレア。

 南ダグリンの大陸は、やはり前世でいう九州そのものだった。長崎まわりの島々も結構再現されているっぽくて、コイツ記憶力も悪くないのかもな。


 俺達が住む4003領は、位置で言えば熊本県の北側。

 3909領との距離は――正直何もわからんな。市町村数個分くらいは離れてそうだが、山超えるって言ってたし、そう単純でもあるまい。


(だが光明は見えた)


 この将軍会議があるからこそ、あの人は俺に丸投げしたのかもしれない。

 俺の攻撃手段がリリースによる自爆であることも知っているはずで、将軍会議なる全員集結の場と併せて考えれば、一撃で丸ごと葬る戦略に容易に辿り着く。


(ふざけるな)


 そんな出力をかませば、竜人が出てくるだろう。

 俺が竜人に捕まれば、ブーガとしても俺の対処に頭を悩ます必要がなくなるわけで都合がいい。それが狙いか?


(竜人が出しゃばってこない基準も調べる必要があるな……)


 だが俺は知っている。

 ブーガがそういう奴じゃない。あの人は俺を脅威とは考えていない。一蓮托生の駒としてしか見ていない。


 そもそも将軍会議にはブーガ自身も出席する。

 出力がでかすぎれば自分も死ぬのだ。


 そういう意味では、やはりあの人は俺に命を賭けていると言える。


(――そうか)


 そこまで考えて、ようやくわかった。

 なるほど、そういうことか。


 俺の成すべきことは一つ――


 将軍会議の場にて、ブーガだけが生存できる程度の出力を放つことだ。


「お兄さん。お兄さんってば」

「……ああ、ごめん。会えるんじゃないかと思うと、緊張しちゃって」

「だからお兄さんの体力では無理って言ってるじゃないですか」

「あはは、そうなんだけどね」


 コイツらを巻き込みたくない、と一瞬でも思ってしまった俺は甘いのだろうか。

第277話 光明2

 昼前にはフレア達と別れた俺は、ショップノードでレッドチョークを調達。

 これを自宅まで運んだ。


 いちいち遠いのがだるいよな。身体能力や魔法で運んでくれる通称『運び屋』も金が無くて使えないし、一般人の俺が音速超えで走るわけにもいかない。

 が、このままではあまりに不便なので、サブ3――前世のフルマラソンで三時間を切るペースで試しに走ってみた。発汗と疲労の演技も加えたからか、懲罰隊に絡まれることはなかった。

 うん、今後はこれで行動範囲を増やせそうだ。

 一応、身体能力に長けてるカレンやフレアには見られないようにしないとな。


 午後はギルセンで、酒場ゾーンの接客だ。

 昨日の大規模パーティー騒動は嘘のようで、半分くらいは教育役のそばかす姉さんとマンツーマンで過ごしていた。雑談ではなく、ひたすら指導してくるのは会話下手としてありがたかったが、注文をお客さんの膝上にぶちまけたときはガチギレされた。そばかす顔と怒りは意外とそそるのだと初めて知ったぜ。


 二時間ほどぶっ続けた後、休憩をもらえることに。


 ずらりと並ぶ受付の端を通り、事務仕事の連中があくせくしている島も通り過ぎて廊下へ。休憩室に入る。

 四隅に六人掛けくらいのテーブルがあって、右奥の方に先客が二名いた。

 ユレアと――向かい合って座っている男が一人。


 顎ひげを生やし、横顔でも貫禄のある青年だ。貧乏人でも冒険者でも貴族でもなさそうで、しかし高そうな革製の服を着ている。

 レベルもまあまあだな。といっても、まばたきの速度くらいしかわからないが、20、いや30よりは高そうだ。第二級ほどではない。音速で動くことさえもできまい。まあ演技されてたらお手上げだけど、演技できるならまばたき含めて|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》をするだろうから、たぶん中堅。第三級の下の下か下の中くらいだな。


 俺は気付かないふりをして、対向側のテーブルに着き、そして伏せた。

 前世でもそこそこ活用した、寝たふりである。果たしてこの職場で通じるのか――


「もちろん強要はしない。それでも君にとっては悪くない話だと思う」

「……あの、どうして私なのでしょうか? 他にも魅力的な女性はいらっしゃいます」

「君は自分の魅力に自覚がなさすぎる」


 耳は塞いでいないし、小声で喋るほどのデリカシーも無さそうなので普通に聞こえてくる。口説いているのだろうか。


「本音を言えば、私だって君を迎えたい。ギルドマスターの立場でもなければ、求婚していたと思う」

「……」

「君と個人的に親しくなりたいと言ってくるお客さんは多い。もちろん立場上、私は君を守るし、そうしなくても懲罰隊がいるから安心だけど、需要があるという事実は間違いないんだ。それに君達は生活に困窮している」

「困窮しているわけでは」

「一般人が何を言っている。服も満足に買ってやれてないじゃないか」

「それは、そうですけど……」

「冒険者になるのも嫌なのだろう? 幸いにも君は人気がある。性交者が嫌なら、雑用として限定的な奉仕を提供すればいい。契約のつくりかたを工夫すれば、君が嫌う行為もすべて断れる。このあたりはカレンも詳しいから聞いてみるといい。私も契約まわりは日常的にやっている。力になろう」

「……どうして、でしょうか」

「どうしてとは?」

「どうして私にそこまでしていただけるのでしょうか」

「君が好きだからだ」

「そ、そう、ですか……」

「君には幸せになってほしい。わかっていると思うが、貧乏では幸せにはなれない。ここはそういう国だ。だから皆、命懸けでレベル2を目指す。目指さないのは惨めだ。君達のようにね」

「惨めなわけでは、ないんですけ――」

「麻痺しているだけだよ」

「……」

「一般人はみんなそう言う。そう言って妬むんだ」

「……」

「幸いにも君には魅力がある。自分の武器は正しく使うべきじゃないのか」


 ユレアの声音がどんどん萎んでいき、ついには無言となった。

 それが聞くに堪《た》えなくて……なんてことはもちろんないし、むしろどうでもいいし、どころか俺の思考を邪魔するなと思うまであるので、


(耳栓)


 ダンゴとクロに発現したばかりのスキルを命令することで、俺はノイズを遮断した。


 ユレアの事情など知ったことではない。

 むしろトラブルが起きて荒れてほしい。そうすれば三姉妹は俺に構う余裕などなくなるだろう。俺の生活に踏み込んでくる敵が一組減ってくれる。


(正直手放したくないが……って何言ってんだ俺は。そういうのは捨てろ)


 こうしてダンゴとクロに自虐する風に喋ってる時点で、非常にみっともない。


 バグってて感情など感じないのに、惜しいと考える自分がいる。

 知識として、あるいは経験の記憶だからか、そういうものを求めようとする俺がいるのだ。

 それが人間として当然なのは知っている。自明の理だ。


 でも俺は違う。

 ずっとぼっちとして生きてきた。抗ってきた。

 生にさえも抗って前世をおさらばし、今も永遠に死ぬために日々行動している。


 機械のように淡々と行動できると思ったのに、そうでもないらしい。人間とはかくも面倒くさい生き物なのか。

 これつくったのもクソ天使だよな。あの美貌を思い出すのは癪だし、未だに頭に焼き付いているのも気に入らないが、天使になど敵うはずもない。くだらん思考はここで終わりだ。


 俺はただ二つのバグを潰すのみ。


 板は昨日手に入れた。

 レッドチョークもさっき手に入れた。

 今夜こそ考察に費やしてやる。費やして、


(バグ究明のあたりをつけてしまいたい)


 夜が待ち遠しかった。

第278話 光明3

 十日目《ジュウ》は|第二スロットまで《17時で上がる》と決めている。

 ユレアがギルドセンターから出ると、三女を抱えた次女が待っていた。


「お兄さんはご一緒じゃないんですか?」

「アンラーさんはすぐ帰る人だよ」


 館内を覗き込むフレアに話しかけつつ、両手も出してクレアを受け取る。


「おにいちゃんはおねいちゃんがきらい?」

「うーん、そうかもしれないわね。今日も助けてくれなかったし」

「うちがお仕置きしておきましょうか?」


 フレアが冗談では済まないパンチをシュッ、シュッと繰り出していて、そばを通ろうとするカップルがぎょっとしていた。いつもなら叱りつつ、さっと避けるが、


「お仕置き? アンラーさんと学んでるの?」

「そうなんですよねー。ライオットさんが結構気に入ってる? 気がします」

「珍しいわね……あの気難しい人が」

「姉さんは苦手ですもんね。気難しいって言ってたって伝えておきます」

「やめて。本当にやめて」


 ユレアは長女ということもあって、フレアの母親とみなされている。ライオットからも相応の接し方をされ、厳しく叱られることが多かった。

 そもそも馬が合わず、顔を合わせる度に言い争ってしまう。

 フレアがやたら活動的で、男顔負けの鍛錬を積んでいるのも、ライオットのせいなのだ。


 出入口に突っ立つの良くないので、とりあえず歩く。


「何度でも言うけど、そそのかされちゃダメよ?」

「わかってますって。うちはあくまで楽しいからやってるんですぅ」

「本当に気を付けてね」


 平穏に生活できればそれでいい。

 ユレアの望みは決して高くないはずだ。

 なのに。


 職場の上司や客からの勧誘も。

 今も絶えない、隠すのが不器用な、あるいは隠しもしない男達の視線も。

 このダグリンという国が用意しているステップアップ――レベル2への挑戦も。

 すべてが自分を否定しにかかっている。


 一年前からだ。

 ギルドマスターが今の人に変わって以来、4003群周辺の住民の価値観が大きく変わっている気がする。レベル1で在り続ける慎重派を下に見る人達、いわゆる『冒険派』が日に日に増えている。


「知ってます? ブイエスでレベル3の男子にも勝ったことあるんですよ、うち」


 レベルアップには危険が伴う。

 先日もカレンのメイトが亡くなったばかりだし、この手の話は既に何度も、何度も聞いている。

 妹達だけはそうなってほしくない。そのためなら小言くらい何度でも言わせてもらう。


 姉の反応を待たず、上機嫌な様子でスキップするフレア。毎日元気に過ごしているのはせめてもの救いだ。

 ユレアは仕事の疲れを癒やそうと、抱き抱えている妹をぎゅっとする。

 頬ずりもしようとしたが、


「おねいちゃん! はやくっ!」


 じたばた暴れるので、下ろすしかなかった。

 何の冗談か、クレアもまた身体的に恵まれており、幼いとはいえユレアではもう扱いきれないのだ。


「お願いだからクレアは女の子らしく育ってね……」

「そういう考え方が古いんですよ。女の子だって動き回りたいし戦いたいもん。ほら、カレンさんもそうじゃないですか」

「はやくっ! はやくっ!」

「クレア。往来では叫ばないって言ったでしょ?」

「ぎるせんのまえはおうらいじゃない」

「たしかに。これは一本取られましたね姉さ――おっとっ! 姉さんの攻撃に当たるほどおちぶれちゃいませんぜぃ」

「小生意気な妹達……」


 二人の背中が見えた後で、ユレアは嘆息混じりにはにかむのだった。






 いつもどおり姉妹水入らずの食事と入浴を済ませた後、村に戻ると、カレンから酒に誘われた。

 妹二人はまだ遊び足りないらしく、かといってついていく体力もないユレアは一人になっていたため、断る理由もない。

 コンテナに囲まれた中庭に椅子を持ち寄って、向かい合って座った。


 酒には人を酔わせる作用がある。

 それを頼りに日々生きている人も多いが、貧乏人が依存するわけにはいかない。カレンもわかっているので、一人でさっさと飲み始めた。


「もう立ち直ったの?」

「立ち直ってたら誘ってないよー」

「それもそうね」


 今も素肌の大部分を晒しているカレンは、一見すると遊び人だが、少なくともユレア以上には真面目に生きている。

 性交で稼ぐほど器用だし、鍛錬と勉学も欠かさず行う上、交友関係も広い。まるでタイプの違う相手だが、慎重派であるという点では意気投合している。


「はぁ……どうすればいいんだろ」

「まだ悩んでんの? さっさとおいでよ」

「あなたと一緒にしないでね。私は自分の身体を売れるほど器用じゃない」

「器用というより度胸と我慢なんだけどなぁ」


 カレンに相談しても仕方がないが、それでも吐露してしまう程度にはユレアは悩んでいた。


「わかってはいるんだけどね。私がもっと頑張れば、二人はもっと楽できる。年頃なのにはしゃいで遊ぶことしかできないのも、私の稼ぎが少ないだけ」

「フレアちゃんには働いてもらえば?」

「だめよ。こんなくだらないことで貴重な時間を潰したくない。二人には楽しく生きて欲しいの」

「妹思いだね。特別に少しだけ分けてあげよう」


 からんと氷入りのグラスが差し出される。

 濁ったお酒の、濁った香りが鼻腔をくすぐる。


「飲みかけは要らないし、酒は飲まないと言っています」

「真面目だね。アンラーくんと気が合うんじゃない?」

「そうかしら。避けられてるような気がするけど」

「だよね。彼は何かおかしいよ」


 それからしばらくアンラーの話で盛り上がったが、気が晴れないユレアを見てからか、カレンが真剣な雰囲気をつくる。

 グラスはもう空になっていた。


「――男どもを擁護するつもりはないけど、性交の仕事について一度勉強してみたらどうかな。来週ちょうど娼館の子が講師しに来るんだけど、一緒に来る? 私が口添えしたら無料だよ」

「遠慮しておくわ」

「わぉ、即答」

「私はそういうのには一切関わりたくない」

「強情だねぇ」


 性への潔癖は日頃からしつこく主張しているため、カレンもそれ以上はからかわない。代わりに、


「アンラーくんに頼ったら?」


 先の話題を蒸し返してきた。


「今日も寝たふりしていただけの、意気地の無い男の子に?」


 ギルドマスターとの会話は明らかに聞こえていたはず。

 なのに、こちらを気にすることもなく、休憩場所を変えることもせず、ただただ空寝をしていた。


「ユレアってそういうところがあるよね」

「そういうところ?」

「自分に酔ってる」

「酔ってないわよ」

「あははっ、図星じゃん。見てみて、私、不幸でしょ? でもこんなに頑張ってるのー」


 悪意しか感じない身振りと表情を前に、ユレアは思わず、思い切り、足を振り上げてしまう。

 途中で一瞬だけやりすぎたと思ったが、飛び出したつま先は止められない。「イッ!?」らしくない悲鳴に、ユレアはふふっと相好を崩した。


「手加減なさすぎてびっくりだよ」


 鈍い音もしたはずだが、カレンは余裕の笑みを見せている。付き合いの長いユレアの目でも、本当に痛がっているかはもうわからない。

 その演技力をもってすれば、男などさぞかんたんに手玉取れるのだろう。


「カレンが悪い」

「ごめんごめん」

「でもありがと。話してみたら、ちょっと楽になったわ」

「大変なのはわかるけど、抱え込みすぎないようにね」

「……」


 問題はそこじゃない、とユレアはさらに続けたかったが、あまり他人の手を煩わせるものではない。


 他人に首を突っ込みすぎると、あるいは突っ込まれすぎると、決まってお金のやりとりに行き着く。そして首が回らなくなって、|監獄エリア《ジェイル》行きとなる――

 もっともカレンは一般人にしては珍しく貧乏ではないが、彼女が人に深入りしない淡々とした性分であることは知っている。

 下手に頼りすぎれば、貴重な友人を失いかねない。


 ユレアは開けかけた口を閉じて。

 それに気付いた友人もまた、


「ごめんね」


 一言だけ白々しく言うのだった。

第279話 光明4

 第五週十日目《ゴ・ジュウ》の夜六時――。

 夕食を済ませた俺は自宅のコンテナに閉じこもり、日中晒しておいた発光板を寝室コンテナに運んで明かりを確保。さらに呼吸穴も閉め切って完全密閉をつくった。


「誰が来ようと、今から集中する」


 書くものは揃った。誤魔化す方法も思いついている。

 なら惜しむ必要などない。こんなゆっくり過ごせる時間が今後も続くとは限らないのだから、多少怪しまれようとも強行してしまった方が良い。

 できれば誰も――といっても三姉妹とカレンくらいだろうが、来ないことを願おう。怪しまれないに越したことはないのだから。


(まずは迷路を描く)


 俺はデスクワークに足る机ほどの板を片手で、というか指二本で《《つまんで》》手元に置く。

 前世なら握力が150kgは無いとできない芸当だろうが、完全密閉なら外から気付かれることもない。問題ない。


 レッドチョークを鉛筆持ちして、早速迷路を描き始める。


(二人には話しておくぞ。俺はこれから色々文字を書いて考え事を始める。ダンゴは見たと思うが、ジャース語ではない文字だ。これを誰かに見られるのはマズいから、カモフラージュとなる板をつくる。それが迷路だ)


(迷路とは、こんな風に通り道を描いて、開始地点から終了地点までなぞることを目指す遊びだ)


 迷路の描き方は色々あるが、先にゴールまでの道のりを描いた後に寄り道を増やすのがてっとり早い。

 逆にコンピュータだとスタートからにょきにょき生やすようなプログラムを書くことになるが、あいにく俺は人間だし、いくらバグっていようとコンピュータの性能に及ぶことなどできやしない。


(いいか。アンラーは迷路を描くのが趣味だ。描いた迷路を眺めるのも、自分で解くのも好きだ。人に見せることは考えていない。あくまでも自分一人で楽しんでいる――そういう設定にする)


(本当はお前らが筆記用具と筆記用紙になってくれたらいいんだけどな……)


 が、既に拒絶されているので今さら交渉などはしない。

 ダンゴも、クロも、しつこい奴は嫌いだ。これからも付き合う相棒なのだから、俺からも歩み寄らねばならない。


(しっかし、まるで早送りだな)


 今の俺はスキャーノとやり合える程度には強い。

 手先を動かす速度も人間離れしていて、前世時の二倍速や三倍速どころではない。が、日本語の文字だと無理そうってのが明らかにわかるから、こういう単純な描画だけだろう。

 レベルアップにより鍛えられる能力は、極めて限定的なのだ。


(その範囲を見極めるためにも、こうして本来の俺で作業をしてみることは有益だな)


 なるべく独り言ちて相棒達に思考回路を共有しながらも、俺は迷路を六枚ほどつくりあげた。

 どれもあとで更新できるよう中途半端にしておくが、一枚だけ誰が見ても描きかけだとわかる程度に露骨にしておく。直近はこの一枚を仕上げているという体にすればよい。


 板を収めるときは、一番上の六枚をこの迷路達にする。

 その下の、これから日本語を散らす予定の板は、六枚分をどけない限りは目に入らない。六枚もどけるシチュエーションはまず起きないはずだ。


「三十分経過」


 正確に時間を数える術ももう覚えた。


 あと二時間半。

 その間に、いけるところまで行きたい。だが超過は禁物だ。懲罰隊が見ている――かどうかは知らないが、見ていると考えるべきだろう。

 俺は既に三時間という単位の換気で一晩を過ごしている。今後も則った方がいい。


 俺は新しい板を持ってきた。

 チョークはまだまだ余っている。一晩描き続けても保《も》つだろう。


(ようやく本格的な検討ができる……。腕が鳴るぜ)


 ブレインストーミング。


 本来は集団でアイデア出しを行うためのフレームワークだが、ひとりブレストなど今では単なるアイデア出しの意味くらいに用いられている。

 やり方も十人十色で、デジタルツールを含めれば千差万別だ。

 当然ながら俺も自分流を開拓している。


 左上に『無敵バグ』と書き込む。そのすぐ下に『滅亡バグ』と書く。

 さらに一つ下に『デバッグモード』、『防御力∞』、『丸め込まれる感覚』、『読み書きができない』、『崇拝状態《ワーシップ》』――と思いつくキーワードを書いていく。


「……」


 読み書きができない

 崇拝状態

 イエスノーで答えるモンスター

 無限にダメージがチャージされる

 魔王も諦めた

 サンダーボルトも平気

 チャームも平気

 石化は効く

 状態異常は効かない

 病気も効かない

 何でも食える

 体液も無限

 精液は無い

 死ぬ直前に抜いたから?

 死ぬ前の身体状態がベースになっている?

 寄生スライム

 ダンゴ

 クロ

 意思を持った細胞の集まり


「話が逸れてる。まずは俺に関する超常現象に絞ろう」


 レベルアップ

 魔法を覚えない

 スキルは覚えられる

 発現《エウレカ》

 詠唱ファイアにオープンが割り当てられた

 耳栓という前世の概念も使われた

 俺の記憶にアクセスしている?

 身体能力が異常に増えてる気がする

 感覚も鋭敏な気がする

 ボーナス?

 前世の身体能力の高さが?

 パルクールで鍛えてたから?

 ユズも褒めてた


「そうだ、前世で死んだ後からの出来事を振り返りながら拾っていこう――」


 クソ天使

 メガネスーツ天使

 天使《プログラマー》

 魂《データ》

 世界《ゲーム》


 一列分の記載が埋まったら、次の列に向かう。


 輪廻転生

 成仏


(滅亡バグはメガネスーツ天使が言ってたから間違いない。無敵バグは俺が勝手にそう呼んでるだけだが、クソ天使は俺がバグを引いたと言ってたよな――)


 『滅亡バグ』と『メガネスーツ天使』を線で結ぶ。

 他の単語と重なろうが知ったこっちゃない。これが俺のスタイルだ。巷にはフリーライティングだのマインドマップだのKJ法だの、この手の手法が溢れているが、どれも俺には合わなかった。

 必要なのは、とにかくネタを出し切るための網羅性。そしてそのための広い空間。

 ネタとネタの関連はおまけだ。無いよりはあった方が良いという程度でしかない。線で結ぶくらいでいいし、深く考えなくていい。


 もう一つ、『無敵バグ』と『クソ天使』だけ結ぶことにして、俺は洗い出しに戻る。


 転生

 転移

 転生は生まれ変わり

 転移は前世の肉体と記憶の保持

 俺は転移になっている

 本来|世界《ゲーム》に投入された魂に記憶はない

 俺にはある

 転移はバグにより起きている

 無敵バグの一種?

 他にもバグがある?


「……メタなネタに絞ってみよう」


 デバッグモード仮説

 デバッグ時、天使は世界に転移する

 天使は世界の生物になりきる

 天界に戻るための機構

 デバッグモードの終了?

 呼び出し方

 詠唱か

 動作か

 可能性は無限

 モードへのアクセスの仕方は確保するはず


「……」


 列挙した単語の海を眺める。

 流し読みして、精読して、組み合わせて、もう一度読み直して、じっと見つめて、ひらめきを待って、その間に別の単語を目に入れて。


 俺はただただ脳内で暴れ回った。

 死にやしない。疲れることもない。リミッターを外すつもりで、遠慮無くフルスロットルすればいい。

 火事場の馬鹿力の、思考バージョン。できるはずだ。


 そうだ、もう一つあったじゃないか。


 |極度のリラックスによる超集中《ゾーン》。


 前世では何度も使ってきたし、こっちに来てからも何度か使った。深森林のバーモン達が懐かしい。


 バーモン

 崇拝状態に例外はない

 魔人には効かない

 知能が高いと効果が薄い


 書き加えながら、俺はゾーンに入ることができた。


 思考が一気に明瞭になる。

 脳内の視界が晴れて、白という概念さえも壊れて、輝いて、光のごとく神速に、どこまでも広がっていって。

 今なら何でもできそうで。


「――そうか、違う。仮にデバッグモードなるものがあったとしても、クソ天使の言い方から考えてここは本番稼働中のはず。デバッグモードへのアクセスは閉塞されているはずだ。ならなぜ俺は享受できている?」


 閉塞作業が漏れている?

 閉塞が解除される仕込みを入れた?

 ランダムを取り入れている?

 俺に当たったのは偶然か故意か

 クソ天使は言っていたのは俺が転移する前

 つまり俺のバグは確定していた

 わかってるのになぜ直さない

 直せない

 本番稼働中だから


「偶然じゃない。勝手にデバッグモードの一部機能が俺にだけ有効になるなんてあってたまるか。故意だ。故意にそうする仕込みを誰かが入れて、それを俺が引いたんだ」


 推測と仮説を重ねに重ねた思考だ。慎重に行かなければ一瞬でめちゃくちゃになるだろう。

 極度の集中に陥っているからこそ、独り言ちることに意味がある。


「俺である必然性は無いはず――いや待て。あるのか?」


 俺は自殺志願者

 俺は前世のスペックが非常に高い

 滅亡バグは向こう百年以内


「仮にクソ天使達を邪魔する天使Xが存在するとして、そいつが故意に俺という魂《データ》にその仕組みをぶつけたとしたら? 俺にはジャースを壊すことが期待されている。俺は死にたい。でも死ねない。死にたいから壊そうとする。たとえばたくさんチャージしてリリースを放つ。そんな無茶をしそうな者として俺が選ばれたとしたら?」


「でもぶつけられるか? ジャースは本番稼働中だろ? 仕掛けは施せない。転生時にも魂のデータは使えないはず。だから転移にした? 転生を発動させないための何かを、俺の魂に対して施した――」


「たとえば世界《ジャース》に、指定条件で無敵バグと転生防止を付与する仕組みを入れておく。その条件は普段《デフォルト》は無効にしておいて、必要なときに天界から注入すればいい。プログラミングでも、後で変えたい設定は設定ファイルみたいに外に出すし、他の開発者にバレないよう特定のファイルを設定ファイルとみなす細工を入れることだってできる。それと同じようなものだ。天使なら魂も自由に見れるだろうから、天使Xは俺の魂を見て、この魂ならいけそうだとわかってから仕組みの発動を仕組む、つまり転生してきた俺の魂にだけヒットするような条件を注入することだってできるはずだ」


 こうして一つの仮説を喋りながら検証している間も、他の仮説が頭を駆け巡っている。


 俺の不器用な頭だけではできないことだ。

 書いているからだ。

 書いているものを読むからこそ、俺は自由に思考の対象を選ぶことができる。混ぜることができる。思い出して、思い返して、切り換えることができる。


(やはり書いて正解だった)


 もっと早くからやっておくべきだった。ルナと出会う前に、ルナなんか無視して一人でやり過ごして、隠密《ステルス》モンスターと仲良くしながら地面に書きまくれば良かったんだ。

 そうすれば、こんな面倒くさい展開にはならず、もっと上手くバグ潰しの旅ができていただろう。過去を悔やんでも仕方ないが。


 ルナの奴、元気だろうか。今も俺を探してるだろうな。

 それにヤンデも――


「違う。アイツらはどうでもいい」


 が、もう遅かった。

 潰しても潰しても、瞑想が下手な奴の雑念みたいに湧いてきやがる。

 俺が苦手だったことの一つだ。結局身につけることができなかった。瞑想はマジでムズいし意味がわからん。

 もっと粘って身につけなかったことを、生まれて初めて後悔している。


「くそがっ……」


 俺を愛してくれた女達が、俺の脳内で邪魔してきやがる。

 劣等感で蹴落とせれば楽だが、あいにく無敵バグはネガティブ感情も封じてくる。ただただニュートラルに知識として、エピソードとして、手続きとして再生が行われる。前世では決して手に入らなかったものを、俺に見せてくる。


 そうして俺は雑念に妨害されながらも、手と目を動かすことはやめずに仮説の生成と深掘りを続けて――

第280話 光明5

「……ふう」


 途中、二回ほど換気を挟んだ。


 書き込んだ板は四枚に及び、グンタイアリの行軍のような密度で文字が所狭しと並んでいる。まあレッドチョークだから赤いけど。


 それはともかく、めっちゃ臭うらしい。

 俺は平気だが、ダンゴとクロに聞いた限りでは、殺したくなるほどだとか。というわけで既に消臭してもらった――クロが板に何やら加工を施したようである――のだが。


「そういや臭いの対処は考えてなかったな。板を見られたときになんで臭いが無いんだとか言われたら詰む。レッドチョークの臭いは本来いつまで持続する? 一晩くらいで止むのか?」


 もう朝の方が近いし、仮に「臭いは消えません」だとしてもアンラーには対処の術がない。

 実用されてるくらいだから、消えないってことはないだろ。すぐ消えると信じるしかないな。

 さっさと後片付けしてしまおう。


 板は日本語を書いた分から置いて、その上に迷路の分を置く。書きかけの一枚は積まずに、地面に置くことで普段から書いてます感を演出する。

 発光板が二枚ともここ寝室にあるのは不自然なので、一枚は玄関に戻す。

 あとは、トイレが無いのも不自然なので、排泄コンテナに行き、茶筒にダミーの大便小便を入れておく。といっても、膀胱につくってもらった汚物を、普通に排泄行為をして出すだけだ。

 トイレットペーパーはない。

 代わりに、蓋の表面をはぎ取って、肛門を拭く。面白いくらいに絡め取れるのは素晴らしいが、前世基準だと普通に粗くて痛そうだ。不器用だと痔になりそうだな。


(クロ。洗浄を頼む)


 指に少しついた汚物が一瞬でなくなった。やはり寄生スライムは便利すぎる。


「清々しい気分だ。目標がはっきり出来ると違うな」


 二つのバグに対する俺のスタンス――

 ずっと探りたかったことを、ようやく掴むことができたのだ。


 結論。


 無敵バグは諦める。

 その代わり、滅亡バグは潰す。

 そして異世界ジャース――クソ天使どもの一大プロジェクトの成功を待った後、特大のリリースを放って《《ジャースごと壊す》》。


 これでジャースはおしまいだ。世界《ゲーム》は存続できない。

 となれば停止せざるをえないだろう。俺の魂も天界に戻る。


 そのときの俺は破壊者ではなく救世主のはずだ。ジャース自体は成功したわけだからな。

 もちろんそれほどのリリースを放てること自体がバグではあるものの、これは天使Xが故意に仕掛けたものに違いない。なら責任は天使Xに求めれば良い。俺が処分されることはないはずだ。事情聴取みたいなことはされるかもしれないが。


 ともかく、メガネスーツ天使との取り決めどおり、俺は成仏される。

 輪廻転生――魂の再利用などという生の繰り返しから脱出できるのだ。


 まあ天使Xなる仮説が正しいかはわからないが、これが俺という人間の限界である。

 アホみたいに集中した。バカみたいに振り絞った。書くことで頭の限界も超えた。

 やりきったのだ。ゆえに悔いはない。


 改めて、行動指針を定義しよう。


 一、滅亡バグを探して潰すこと。

 二、ジャースを壊せるほどのダメージを貯めること。

 三、一を満たした後、ジャースプロジェクトの成功を待つこと。具体的には百年経過するまで待つこと。

 四、一から三まで全部満たした後、リリースを放つこと――


 ダンゴとクロへの共有は……やめておくか。

 一応、コイツらも完全に味方ってわけじゃない。俺という宿主を失わせないために、何らかの妨害をしてくる可能性が無きしもあらず。

 まあ独り言ちてるし、思考もだだ漏れだったから勘付かれてるだろうけど。

 そういう意味では杞憂かもな。まあ一応な、一応。


「にしても、これだけ集中しても一切疲れてないからやべえよな」


 目標がわかったところで、現実は続く。

 直近はアンラーを演じ続けなければならない。

第281話 一肌

 第六週一日目《ロク・イチ》。

 前世だとティータイムをはさみたくなる時間帯に、珍しい客が来店した。


「しばらく借りますぞ」


 じいさんはどかっと腰を下ろし、どんっと硬貨の入った袋をテーブルに置く。目の色を変えたそばかす先輩が「どうぞどうぞ!」勝手に快諾して、俺の背中を叩いた。

 ダグリンには高額を支払うことで店員を独占する文化がある。店としては願ってもない話だし、店員自身も自分が見出される機会なのでやはり願ってもない。懲罰隊がでしゃばるようなエグい要求でなければまず受理されるそうだ。

 あいにく俺は別に見出されたくはないんだが、拒否する権利はない。


「……ライオットさん。どうしたんですか」


 俺が腰を下ろしたのを見届けた先輩は、「ごゆっくり」俺には一度として向けたことの無い笑顔を寄越していた。


 客はそこそこ多く、三席に一席は埋まっている。

 が、怖そうなじいさんとなよなよ新人店員に興味を示す物好きなどいないからか、俺達はもう溶け込んでいる。


「フレアから姉について相談されてな」


 がやがやとした喧騒の中に、年季の入った地声が差し込まれる。

 相変わらずの眼光に、隠しもしない猜疑――。

 突然やって来て、しかもこんな人混みの中で一体何を企んでいるのか。


「そういえばユレアさんの姿が見当たらないですね」

「休みを取らせたそうだ。今頃、姉妹仲良く遊んでおるよ」

「話の展開が読めないんですが……」

「ユレアはどうするべきだと思う?」

「ボ、ボクに言われても……」


 まるで忘れ去られたように誰も注文を取りに来ない。じいさんは馴染みの客なのだろうか。


 にしても、マジで意図が読めない。

 なぜユレアの話なんだ? こんなところでわざわざ問うのはどうしてだ?


「聞き方を変える。小僧ならどうする?」

「どうすると言われても、何のことだか……」

「今さら遅いわ。背景がわからないのなら最初から聞くだろう」

「……」


 とりあえず嘘が即バレした件。

 そうだな。ユレアの葛藤や三姉妹の事情は何となくわかっているつもりだ。いや、人の事情なんて深いもので、わかったつもりになるのは傲慢にも程があるのだが、どうせわかりきることはないのだから傲慢でいい。

 ああ、知ってる知ってる知り尽くしてるぜ。


 じいさんはお手本のような姿勢を崩さず、テーブルに手を出すこともなく、ただただ俺を睨んでいた。

 出会った時から意味不明だったが、明らかに仕掛けに来てるし、ここで潰せると思えば悪くないのかもな。


「……ボ、ボクは、フレアにも働いてもらえばいいと思います。彼女は優秀で器用だから、どんな仕事でも無難にこなせるはず」


 適当な意見が思いついたので口にしてみたが、「ならんな」一蹴である。


「クレアとフレアにはしっかり生きてもらうと決めておる。働けるのはユレア一人だけだ」

「そう言われても困るんですが……。ライオットさんはボクに何を期待してますか?」

「本心を語ってもらいたい。フレアとの様子を見ていたが、決して無能ではあるまい。少なくとも我らダグリンの民とは異なる価値体系を持っておる。そんな小僧の意見が聞きたいと申しておるだけだ」

「そう、なん、ですね……」


 しどろもどろに応答してみせるが、意味の無い時間稼ぎだ。


 そうだよ。わかってた。

 俺は前世から来た異世界人であり、時代水準で言えばチート級の未来人だが、それでもただの凡人。どころかろくに人と接したことのない愚物でしかない。

 いくらバグってようが、レベルアップしようが、老練な年寄りには敵うはずもない。ああ、わかってたさ。


 前世の会社にのさばってる老人どもそうだった。

 技術も、知識も、言語能力もカスだったが、女みたいに何かと聡くて、言ってることも本質を突いていて。

 俺が数多の記事と本を読んで、思考して、ようやく悟り始めたことをさもかんたんに言い放ち、当ててみせるのだ。

 そしてそれらは、奴らが知る叡智のほんの一部しかなくて。

 妬けたよ。

 何度も妬けて、見て見ぬふりをして。ディスったツイートや記事も何度書いたことか。ぶつけたことか。

 青臭い? うるせえ黙れよ。俺のこの気持ちがわかってたまるか。


 あいにく、今の俺はバグってるからそんなものはない。

 ただただ冷静に過去を回顧し、痛々しいなと冷静に評価しつつも現状を把握し、次はどうするかと脳内をぐるぐる回している。


「これはボクの考え方ですけど、体裁よりも気分を重視すればいいと思ってます」


 便利なライオットはまだ切りたくないし、この人も今すぐ俺をどうこうするつもりはないだろう。

 この意味不明な相談もジャブの一発に違いない。

 ここで逃げたところで事態は良くならない。


 結局、俺は馬鹿正直に――はやりすぎにしても、ある程度は自分を出して応えるしかないのだ。


「見た感じ、あの三姉妹は貧乏な生活にさほど苦しんでいる様子でもないので、ユレアさんが無理して仕事増やしたり変えたりする必要はないかと」

「三姉妹、か」


 偉そうな物言いだとでも言いてえのか。よくわかってるじゃねえか。「別に他意はありませんよ」一応言い訳ははさんでおく。


「では何もしなくて良い、ということかな?」

「いえ、一度妹達と話し合ってみればいいとも思ってます。フレアも姉さんは頑張りすぎみたいなこと言ってましたし、クレアも含めて今の生活に満足してるってことは最近来たばかりのボクが見てもわかります」

「貧乏なのだぞ? ろくに物も買えない。働くこともせず、体を動かして遊んでおるだけだ。周りからはどう見えているのか」


 なんだか挑発されているようで癪だが、乗るしかないよなぁ。


 小声で喋ってくれているのがせめてもの救いか。

 この騒がしさもあるし、隣接した席でもなければ聞かれはすまい。既に二組くらいいるけど。

 それはともかく、裏を返せば、じいさんはこのレベルの配慮もこなせるってことなんだよな。そんな老獪なジジイが大金まで叩《はた》いて、一体俺に何を求めているのか。


「他人の価値観なんて関係ないですよ。体裁を気にするのは貴族の仕事じゃないですかね。ろくに金もらってない貧乏人が気にしても割に合わない」

「よく言う。《《アンラーは》》だいぶ神経を使っているようだがな」

「新人ですからね、あはは……」


 これはだいぶ見抜かれてそうだな……。

 さすがに寄生スライムには気付けないだろうが、性格と身体能力を誤魔化してるあたりはバレてるだろう。


「……小僧が前いた国がどうだったかは知らんが、ダグリンでは世間体も大事だ。他者に避けられては、とても生きていくことはできない」

「生きるの定義にもよりますよ。他人と仲良くしたい人であればたしかにそうでしょうけど、ユレアさんは仲良くする必要なんてないと思ってます。三人いるんだし、カレンさんもいるし、ライオットさんもいる」

「小僧もな」

「ボクは対象外です」

「小僧がフレアを気に入っとるのはわかっておる。懐かれて悪い気はしまい?」

「懐かれて、というか殴られてる気しかしないんですけど……」

「アンラーだとそうなるだろうよ」


 やっぱりバレてるなー……。


「あの、単調直入に聞きますけど――何がしたいんです?」

「また今度話してやる」


 は? じいさん、なんか立ち上がってるんだけど。

 杖の使い方が半端無く上手い。手が三本あるみたいだ。


「用事は済んだ。あとは直接話してやれ」

「……は?」


 ライオットの一つ向こう側に座っていた一組――しがない魔法使いと思しき二つのローブがこちらを向く。


「お兄さんってよく喋るんですねぇ」

「……」


 片手を口に当ててニヤける次女フレアと。口元で両手を合わせている長女ユレア。

 絡まれるのを防ぐためだろう、化粧が施されていて、一瞬誰だかわからなかった。


(なるほどな……)


 コイツらの身体の動かし方と周辺の空気振動の揺れ方は知っていた。近づいてきたら確実にわかる。

 わからなかったのは、俺が出勤する前に居座られていたからだ。

 めちゃくちゃ計画的じゃんか。そういう部分からバレるってところまで知らなければここまでは仕込めない。

 じいさん何者だよ? 一般人《レベル1》の域超えてね?


「こちらへどーぞ?」


 フレアがジト目で俺を睨みつつ、右へとずれた。え、真ん中に座るのかよ。勘弁してほしいんだが。

 腰がわずかに浮いているし、すぐに発進できる体勢にもなっていて逃がす気がないのが見て取れる。入口の方を見ると、じいさんがわざとらしく杖ついてくつろいでやがる。アンラーでは万に一つも勝てまい。へいへい、わかりましたよ。


「じゃ、邪魔じゃないかな……?」

「さっきの偉そうな態度はどうしたんですかお兄さん」

「……」


 えい、えいと肩パンならぬ指パンしてくるフレアがうざい。左方、ユレアもユレアが黙ったままちらちら見てくるの何なん。アンタ年上のお姉さんだろ。


 というわけで、両手に花状態となった俺の拘束はまだまだ続く。

第282話 一肌2

 ギルセンの酒場にて、ユレアとフレアに挟まれる俺。

 ライオットとの会話は全部聞かれている。今さら隠し立てすることがあるだろうか――あるな。普通にある。


 俺はシニ・タイヨウであり、ジーサ・ツシタ・イーゼであり、今はこの国の将軍どもをぶっ殺す任を頂戴している。

 道筋はもう見えてる。アンラーのままで行けるんだよ。こんなところで足止め食ってたまるか。


(ダンゴ。赤面しろ)


「き、緊張するから……」


 偉そうな態度はどうしたんですか? に対する俺の態度は、演技には見えないほどなよなよしたものを心がけた。

 が、フレアのジト目は変わってくれない。


「――姉さん、どう思います?」

「カレンからも聞いたけど、アンラーさん、女慣れしてるんじゃないかって」


 してねえよ。むしろ童貞だし。

 あの女、適当なこと言ってんじゃないだろうな。けらけら笑ってるのが目に浮かぶ。


「お年寄りは緊張しないけど、その、女の子は苦手なんだよね……」

「姉さんはともかく、うちはだいぶ年下ですけど緊張するんですか? 気持ち悪いですね?」


 全国のこじらせ男を敵に回すフレアさん。

 お前は盛大な勘違いをしている。緊張するかどうかはストライクゾーン次第であり、多くの男にとってJKとJCはゾーンの中だ。青春時代の性欲と羨望の対象であり、一方で法による保護の対象でもあるわけで、正直言って生殺しの腫れ物なんだよ。

 むしろ一番緊張するまである。気持ち悪いのは認めるが。


「もしかして、うちと練習してるときも、そのいやらしい目で見てたんですか?」

「そんなことはしないし、むしろ苦痛の時間でしかなかったけど……」

「ライオットさんも言ってましたねぇ。うちを気に入っているそうで、す……ね?」


 上から目線で俺をおちょくっていたフレアだったが、途中で照れたのか尻すぼみになっていき、最後の「ね?」で巻き返したようだった。

 なぜかドヤ顔が張り付いている。じっと見つめていると、また照れ始めてきた。初々しいですねお嬢さん。


(赤面を忘れるよダンゴ。フレアくらいの年齢も性の対象として扱え)


 俺もばつが悪そうに頬をかき、そっぽを向いてみせる。

 紅潮しているのは事実だ。ダンゴのクオリティでもある。フレアは殴ろうとした手を引っ込めて、何ともやりづらそうだった。


 さて、俺は今挟まれているわけで、反対側にはユレアがいる。

 年上でグラマラスな彼女にはもっと緊張しなきゃいけない。

 俺はあたふたしつつ視線を真下に落とすことを選――「ありがとうございました」深々としたお辞儀を感じさせる、透き通った声音だ。


「……」


 空気振動が、頭を下げてきたことを伝えてきている。

 丁寧で慣れているが、誠意がこめられているとわかる動かし方――だてに接客してないな。綺麗だ。


「あ、えっと……」


 当惑しながら振り向くと、安堵を携えたお姉さんの微笑みに出迎えられた。


「アンラーさんは強いんだね。カレンもそう。そうだよね、自分の中で答えは決まってるんだから、堂々とすればいいんだよね。どうしてもっと早く気付かなかったんだろ……」


 はぁと嘆息しながら机に前のめりになるユレア。豊かな脂肪が窮屈そうに圧迫されている。


 付き物が取れたって感じだな。

 休んでいるとはいえ、仮にもここは職場。以前の彼女なら、こんなだらしのない姿勢は取らないだろう。


「姉さんは家ではこんな感じです」

「そ、そうなんだ……」

「幻滅しました?」


 むしろありふれてると思ったが。前世で盗撮や覗きをして遊んでいたときは、十人に九人くらいは見る影もなくだらけてたしな。

 そのギャップがたまらないらしくて、売れば稼げるらしかったのだが、俺はさすがにそこまでは踏み込めなかった。純粋に捕まりやすくなるし、性犯罪者がそうであるように依存症という名の怪物を呼び寄せてしまう。

 イリーガルな趣味は引き際が肝心なのだ。

 と、懐かしいことを思い出したところで現実逃避できるはずもないのだが。


 言われっぱなしで黙る性格でもないらしい。ユレアは顔だけ向けて、


「ちなみにフレアはよく眠る子だよ。クレアと並んで、よだれ垂らして寝てる」

「姉さんっ!」

「これからも仲良くしてあげてね」


 姉の温かな声音でもあるからだろう、フレアはやりづらそうに縮こまっている。さっきから感情表現が豊かで退屈しない奴だな。「……姉さんも」何かもにょっている。反撃を諦めていないのだ。


「ん? なあに?」

「お兄さんと仲良くしたいのは姉さんもですよね? さっきから見たことない顔してます」

「気のせいじゃない?」


 ふわぁと下手なあくびをした後、顔を伏せるユレア。一見するとわからない、その絶妙なぎこちなさは、ぼっちのシンパシーをくすぐってくれる。

 フレアも何となく感じているようで、姉を見る目は暖かいものだった。


「ボク、用事があるから帰るね」


 俺がいなくても回ってるし、太っ腹なじいさんのおかげで今日の売り上げも万々歳だろうからもう帰ってもいいはず。

 で、こっそり素早く離席しようとしたのだが、がしっと腕を掴まれる。


「その、せっかくだし……遊んでいきませんか?」


 俯き具合に呟くフレア。勇気を振り絞ったのが見て取れるが、握力が可愛くない。掴みに来るスピードと反射神経も獣のそれだったぞ。


「用事があるんだけど……」

「そういえばアンラーさんって普段何してるの? 冒険者目指してたりする?」

「冒険者? そういうわけではないんですけど、のんびりしたいんです」

「それ用事って言えます?」

「変わってるわね。妹達に分けてあげたいくらい」


 特に言い分をつくってなかった俺だが、ヤンデにも使ったスローライフを持ち出すことにした。

 迷路の仕込みもあるし、強者に憧れてるというキャラ付けも済ませてある。何とかなるだろう。


「ユレアさんはどうなんですか? 冒険者目指したりはしないんですか?」


 特に意味もなく聞き返しただけだったが、


「ダメよ。絶対にダメ」


 予想外にシリアスな声調《トーン》だった。


「むしろアンラーさんに共感したいくらい。私ものんびりと平和に過ごせたらそれでいいかな」

「……」

「冒険なんて絶対ダメ。命を賭けるなんて間違ってる。アンラーさんもそう思うでしょ?」

「はぁ」

「……こ、ここに居ても退屈ですし、出かけませんか」


 俺が少しひいていると、フレアがことさら明るく話題を変えてきた。

 もう立ち上がって、俺の腕を引いている。力の掛け方が抜群に上手くて、アンラーというレベル1のスペックでは浮き上がらなければならなかった。


「聞いてたフレア? 私はのんびりしたいんだけど」

「お一人でどうぞー。お兄さんはうちが独り占めします。さあ! 行きましょうっ!」

「待って待って! そんなに引っ張ると痛い。痛いって」


 一足先にギルセンを出る俺達。


「――ユレアさんには言ってないんだね」


 俺は気になっていたことを思わず尋ねていた。


「言いませんよ。姉さんも頑固ですからね。雰囲気悪くするのも嫌じゃないですか」


 冒険者になりたい妹と、そんなことはさせたくない姉か。


(どうでもいいな……)


 これ以上俺の時間を奪わないでほしい。

 またライオットに何かされても困る。また今度と言っていたが、なるはやで問い詰めたいものだ。

 むしろ今から向かいたいところだったが、フレアは俺を掴んで離さない。


(突破する、か……?)


 じいさんにはバレてるし、そのうちフレアにもバレるだろう。なら、別に隠す必要などないのではないか。


 だが一方で、フレア以上の身体能力を持つ一般人ってのも珍しい。悪目立ちはしたくない。

 それに俺は既にジーサとして『プレイグラウンド』という大層な名前の施策を始めてしまっている。ジャースでは縁が無さそうな筋トレという概念も、やんわりとだが既に伝わっているはずだ。


 身体能力の高い一般人で、最近ダグリンに帰化したばかりの男――


 この情報だけでも特定に繋がってしまうのではないか。

 そうでなくとも、俺の異物感は思っている以上に目立っている。アウラウルだってそんなことをぬかしてたじゃないか。


 そういうわけで、俺は現状維持を選ぶしかなく。

 間もなく出てきたユレアと合流して、何時間もぶらぶら歩き回ったのだった。

第283話 一肌3

 ダグリンの民は中々強靭な足腰をしている。軽く万歩は歩いているし、歩行スピードもビジネスマンのそれだったが、フレアはともかくユレアでさえ疲れを見せなかった。

 主にウィンドウショッピングを楽しみ、夕方はクレアとカレンとも合流して別の群《クラスター》で食事と風呂を済ませる。


 で、ホームの4003群22番に戻ってきた頃には、夕陽が沈みかけていた。


 ふと空を見上げると、小さな点が見えた。十数個くらいはある。


「あれ、人が浮いてる……?」


 俺が指してみると、「鳥人だねー」とカレン。


「男を漁ってるらしいですよ。お兄さんも気を付けてくださいね」

「あ、漁るっ!? どういうこと……」

「あははっ、そんなに怖がらなくてもいいって」


 カレンがけたけた笑っているので、ややオーバーに恐怖を乗せてみた甲斐があったというものだ。


「ライオットさんが言ってましたけど、鳥人は《《がたい》》の良い男が好みなんだそうです」

「アンラーくんは大丈夫だよ。図体が大きいだけだし」

「がたいと図体って何が違うんですか?」

「んー、筋肉じゃないですか?」

「アンラーくんは無縁だよね。もうちょっと鍛えなって」


 言いながら俺の腹をつまむカレン。


「痛いですって」


 あははと笑うカレンは、「アンラーくんが食べられるところ見てみたいな」などと言っている。

 冗談じゃないし、笑い事ではなさそうだ。


(ミーシィが頭をよぎる……)


 本来の俺は持久も瞬発も行けるオールラウンダー型の高身長筋肉質だったが、ジーサは中肉中背に仕上げていた。

 にもかかわらず、ミーシィは『きんにくん』と名付けてくるほど俺に執心していた――


 ダンゴの擬態だぞ? 見破れるとは思えない。

 それとも俺の身体能力を見て、筋肉の気配を直感的に嗅ぎ取っただけか? まあ既に学園の実技やプレイグラウンドで見せてるから、それなら納得できなくもないんだが。


「あの、ボク、大丈夫……だよね? 急に連れ去られたりしないよね……」

「何言ってるんですか」


 フレアが何言ってんだコイツ? みたいな目で返してくる。

 ……ああ、そうか、懲罰隊がいるんだったな。

 特に外部からの脅威は国外懲罰隊の領分であり、ダグリンのダグリンたらしめる主要素でもある。疑っていること自体がおかしいわけだ。

 でもまあ俺は新参者だし、まだそんなには怪しまれないだろ。まだ。


「接触はあるみたいだよ。それでお互い合意が取れたら、第三者監視の下で食べる」

「第三者監視……」


 なるほど、いかにもダグリンらしい仕組みだ。

 不正なことをさせないために、明示的に監視下に置いてやらせるってわけだな。

 そうだよな、口や書類上の約束なんて当てにならない。無論、監視にはプライバシーなど皆無だが、ダグリンはただでさえ国民時刻表《ワールドスケジュール》を導入してるような思想だ。そんなものは期待する方が間違っている。


 ともかく、接触の可能性はあるってわけだな。

 ミーシィみたいなのがやってこないとも限らない。個人的には応じてみたいが、性行為の演技なんて面倒だし俺は射精もできない。相棒に頼めば生成はできるだろうが、そもそも性行為を演じねばならない場面に陥ること自体が間違っている。

 アンラーとしては、ちゃんと断るしかない。


「それじゃ、また明日ねー」

「え? 明日も来るんですか?」

「そういうフレアちゃんこそ、アンラーくんと過ごす気マンマンだね?」

「お兄さんと? なんでうちが? 殴られたいんですか?」


 なんで俺を見て言う?

 見ていると言えば、さっきからユレアの視線も痛い。眠ってるクレアを抱いてあやしてるふりをしながら、ちらちらちらちら見てきやがる。好意……と自惚れるほど俺もアホではないが、好奇を持たれているのはわかる。

 これも早めに遮断しておきたいところだ。


 間もなく散会して、俺も自宅のコンテナに戻った。


 すぐに扉と呼吸口を全部閉めて、地べたに座る。


(考えることは山積みだ。とりあえずリリースの出力からやるか)


 将軍会議という将軍全員が集まるイベントが週一で存在する。

 開催場所は毎回散らばっているため、アンラーでも通える場所が来る可能性もあるし、なければ何とかして会場まで行けば良い。

 で、リリースをぶっ放せば全員を殺せるわけだが。


(強すぎる出力は論外だよな)


 ブーガも死んでしまえば、俺は完全に後ろ盾を失ってしまう。

 それに竜人も黙ってないだろう。


(弱すぎるのもダメだ)


 一度でもしくじれば、将軍達は確実に警戒するだろう。

 そもそも将軍全員が定期的に集まること自体が異常である。権力者がそうかんたんに集うべきでないことはバカでもわかる。

 そうさせるのはブーガの手腕と、彼らが実力者ゆえに脅かされる危険が無いと自負していること――この二点だろう。


 俺の攻撃は、この前提を崩してしまう。

 危険があるとわかれば、ブーガとはいえ将軍会議を続行させることはできまい。


(じゃあ最適な案配は?)


 1ナッツ。至近距離のユズを瀕死にできた。少し離れたアウラも外傷はわからないが退けることはできた。


 2ナッツ。ギガホーンを退けることができた。後の会談でピンピンしていたが、獣人の中で一番強いらしいし、戦った限りでもたぶん耐久力で勝負するタイプだと感じた。ユズより硬いかもしれない。ブーガは……わからない。

 竜人が出動する出力ではないだろう。俺はまだ一度も出会っていない。いや何発か放てばレッドカードになるかもしれないが。


 3ナッツ。たぶん逃げようとしていたグレンを瞬殺できた。どころか周囲も丸ごと巻き込み、シッコクよりも多数のエルフを殺す羽目になった。

 竜人が来るかどうかは怪しい。これを放ったときはグレンがドームを張っていた。ドームのおかげで竜人に観測されてないだけで、もし何もなければ気付かれていた可能性がある。

 そしてブーガが耐えられる威力かどうかは、やはりわからない。


(検証する……わけにもいかねえしなぁ)


 一瞬、非常に小さな出力をたくさん試して、それらから推定しようとも考えたが、それこそ無茶だ。

 物理の数式なんて知らないし、知ったところでどうせ大ざっぱな値しかわからないし、そもそも前世とジャースの物理法則が同じとも限らない――ここまでの体感ではだいぶ同じっぽいけど――し、目で見て値を把握するなんて人間には不可能。

 うん、無茶。というより無理。


 いちかばちかしかないのか?

 とりあえず3ナッツを放ってみるかって? いやいや。

 最悪そうするしかないが、さすがにそれでいいかと割り切れるほど俺は楽天家ではない。


 板に書くほどではないが、俺はしっかりと考え、詰めることにした。


 一時間ほど粘って、何も思いつかないとわかったところで終了。

 いったん換気したところで、そういえば外に出してたままだった発光板一枚を思い出す。


 扉を開けて、コンテナの外に出た。

 もうすっかり真っ暗だ。生活の喧騒も何も聞こえてこない。離れたコンテナの扉や呼吸口から、淡い光が漏れている。

 単に見慣れないだけだろうが、夜の閑静な住宅街よりも趣があるよな。散歩したくなる。


「……ん?」


 五、六十メートルほど先から不自然な空気振動を感じた。

 巨大崖のちょうど真下に位置するが、コンテナもなければ生活の動線でもない。もう暗いし、あえて足を運ぶ奴がいるとも思えない。


 俺は水に濡らした布を取ってきて、発光板を拭くふりをしながらも、その方向に感覚を寄せる。


 ……二人いる。


 一人はカレンだ。周囲の空気振動が綺麗だからすぐわかる。

 フレアもそうだが、よく鍛えた奴の所作ってその辺の一般人とは全く異なる揺れ方になるんだよな。たとえるなら普通の一般人はバシャバシャとバタフライで泳いでるようなものだが、カレンやフレアはスイスイと平泳ぎしている感じ。無駄のなさというか、静けさが違う。


 もう一人は……懲罰隊の奴だな。

 俺が最初に出会った人物であり、この辺を守護している者でもある。坊主頭とでかいリングピアスが特徴的だったが、初日以降、姿は見ていない。

 普段は地上には表れずひっそり過ごしているはずだ。それがなぜ堂々とあんなところに。


(にしても、この精度はヤバいよな)


 レベルアップに伴う空間認識について、だいぶ理解が進んだと思う。


 まず身体の触感、その解像度が高くなっている。

 どのあたりにある物体がどれくらいの速度でどう動いたらどう大気が揺れるかってのが手に取るようにわかるのだ。

 虫や鳥や魚が持つ能力でもあるが、たぶんそれらより鋭い。


 加えて、その触感が体外に拡張されている感覚もあった。

 野球選手のバットや剣士の剣のように、握っている道具が身体の一部になるレベルで馴染むことを身体拡張というが、まさにそうだろう。俺の場合、数百本の見えない触手が数十メートルまで伸びてうねうねしているとでも言えばいいのか。

 ただ、刺激のすべてを解釈できるかというと、そんなことはなくて、どこを解釈するかは取捨選択せざるをえない。

 俺が認識できるのは、そうだな、全体の1パーセントもない。


 当然ながら普段から常に探れるものでもない。

 今気付いたのも、辺りが静かすぎる割には何か揺れてるなぁという違和感によるものだ。


(何してるかは全くわからん)


 し、あえて首を突っ込むものでもないだろう。

 加えて言えば、主にカレンが発する振動がおとなしくなった。


(気にしない気にしない)


 俺は何も知らぬし存ぜぬ。


 吹き終えた発光板を中に運び、また呼吸口ごと閉めると。

 俺は思考世界第二ラウンドに入った。

第284話 一肌4

 カレンは直立したまま固定されていた。

 両足は開かれ、両手も挙げられてバツの格好になっている。拘束は風魔法による見えない壁と錠のようだが、びくともしない。


 肌を包み隠すものは何もなかった。

 すぐそばには下着ごと無造作に転がっているはずだ。男はそれを手に取り、匂いを嗅いだようである。


「ふひっ……いやらしい匂いだ」


 カレンの目ではほとんど何も見えない。一般人に闇夜に抗う視力などない。

 場所も場所であった。ここはちょうど22番地と23番地の死角となっており、生活の動線からも完全に外れている。

 視覚的にも距離的にも。住民に気付かれることはまずない。


 もっとも本来なら上位の懲罰隊に見つかる恐れがあるため、こんなことは馬鹿でもしない。が、この男は、ここなら見つからないという確信でも得ているのだろう。

 懲罰隊だって人間だ。死角の一つくらいある。


「逃げようとは思わないことだ。叫ぼうとも思わないことだ」

「わかってるから、早くして」

「カレン。カレン、カレンカレン……」


 すぅはぁと過剰な呼吸とともに呟かれていたが、


「あぁ、カレンッ!」


 大多数の興奮した男がそうするように、興奮がはちきれたときの叫びを、しかし声量自体は小さめに発しながら急接近してきた。

 吹き飛ぶほどの風圧を感じさせる速度だ。そのまま衝突すれば即死だが、男も無能ではない。何せ自身が懲罰されてしまわないよう、慎重に犯さなければならないのだ。

 むしろ感心するほど加減に長けていた。


 視覚的には、いきなり男の顔がほぼシルエットで間近に出現した形になるが、カレンは眉一つ動かさない。

 髪も無く、似合わないリングピアスをつけたそれが唇を貪ってきた。


 が、すぐに飽きて、下に移動していく。

 首筋、鎖骨と下手な舌使いを経て、乳房で停滞した。


 カレンに抗う術はない。


 これが一般人相手なら、肌に毒を仕込んでおくことで即効でも遅効でも至らせられるが、この男――ラクター・アドリゲスは4003群の懲罰隊員であり、第三級冒険者でもある。毒など効くはずがない。

 格闘などもっての他である。仮に刃物を使ったとしても、眼球に傷一つつけることさえ敵わない。


「……」


 カレンはただただ淡々と受け入れていた。


 最初は誘惑して孕《はら》ますか、挑発して傷をもらおうかと考えたが、ラクターは思いの外《ほか》慎重である。

 乗ってくることがないとわかり、早々に諦めたのがもう何週間も前のこと。


 ラクターにとってはカレンも守護すべき民の一人であり、そんな女性に傷がついたとなれば自身の不備になる。少なくとも懲罰隊員は増員または変更され、ラクターは二度とこれを味わえなくなる。

 どころか、カレンの立ち回り次第では、暴行の事実まで調査されてしまいかねない。

 懲罰隊員の暴走は厳罰だ。民への暴行となれば確実に死罪だろう。

 ゆえに絶対に気付かれてはならない。


 もちろん並の一般人なら、そもそも恐怖で立ち回りも何もあったものではないため心配など要らないが、カレンはそうではない。

 既に冒険者相手に性を売っているほど強かに生きている。

 ラクターは、そんなカレンの性格まで踏まえた上で、こうして安全に犯している。


 孕ませることはまずない。どころか挿《い》れることさえしないし、どうやら女性の生殖器が苦手なようであった。

 襲い方も実にたどたどしく、もっぱら性癖の乳房に固執する。この時間の半分以上は、こうしてひたすら揉まれ舐め回されることとなる。


 手加減は絶妙だが、絶望的に下手だ。気持ち悪い。

 乳首は性癖に反するようで一切触れてこない。気持ち悪い。

 主に左手で自分の性器をいじっているようだが、その手でたまに乳房に触れてくることもある。気持ち悪い。射精の前段階で分泌される透明な粘液が付着していることもある。気持ち悪い。気持ち悪い――。


 カレンは感想を口に出しても良かったし、思わず出そうになったことも何度もあるが、何か言えばラクターは律儀に反応してくる。

 その分、時間が伸びてしまうため、何も言わないのが一番早かった。


「ふっ、ふっ、はぁはぁ、は、ふっ」


 絶えず舌を動かしながら、不器用な興奮を呼吸に乗せている。

 この男は、ランクで言えば第三級冒険者の下位だったはず。まだ呼吸無しで耐えられる水準ではないということか。

 ならば窒息か、それに近しい状態に持ち込むことで、案外勝てるのではないか――


 ふとした思いつきだったが、この忌々しい時間にしては十分すぎる話題だった。

 考え事は好かないが、カレンはしばし浸かることに決めた。




      ◆  ◆  ◆




「あそびにきたの」

「遊びに来ました」

「遊びに来ちゃった」


 三者三様のノックをスルーするわけにも行かず、出迎えてみるとこれである。「せんにゅう!」クレアが足元を通り抜けていくので、挨拶や立ち話もだるいし、追いかけることで逃げるか。


「ちょ、クレア、待って!」


 クレアは俺の制止も聞かず手前側、寝室コンテナへと入っていった。空気の揺れ方から見て、俺の仕込みに早速反応したらしい。


「おにいちゃんのえ?」

「いじらないでね」

「なにかいてるの? くれあ?」


 書きかけの迷路なんだが、何をどうしたらこれが人に見える?


「クレアじゃないよ」

「おねえちゃん?」

「お姉ちゃんでもないよ――っと」


 地面に置いてる迷路には飽き足らず、積まれた板に向かおうとしたクレアを力尽くで止める。といっても後ろから抱き込んだだけだけど。

 疲れているのか、幼女離れしたパワーは出てこない。知ってる。だからこそ強硬手段を取らせてもらった。


 その場に座ったところで、フレアとユレアも入ってきた。

 ユレアは発光板――俺が使っているものよりもだいぶ小さいので携帯用モデルでもあるんだろう――を一枚持ってきたようで、コンテナ内が明るくなる。地面の板に気付くと、それを置いて駆け寄ってくる。その好奇心に満ちた表情にはあどけなさがあるが、反面、お胸がぷるぷる揺れていらっしゃる……。


「お兄さん?」


 フレアは出入口に突っ立って何見てんだってジト目してるし、半袖薄地のタイトな服を着ていてスレンダーが浮き出ていたが、あと半秒でも粘ればバレそうだったのでスルー。

 とりあえずクレアを撫でておく。なんかうとうとしてるな。

 ついでにこの幼女の服まで見そうになったが、さすがに自分でもどうかと思うので無かったことにして、


「ユレアさん! それ、いじらないでくださいね。書きかけなので」

「なあにこれ?」

「迷路です」

「めいろ?」


 クレアはもう大丈夫そうだな。優しく地面に横たわらせた後、俺はユレアのそばに行き、迷路を指して、


「こうやって開始地点から終了地点まで辿り着くことを目指す遊びです。ボク、迷路をつくるのが好きなんですよね」

「ふうん。ずっとこれ描いてたの? 一昨日は何も描いてなかったと思うけど」


 積まれた板にユレアの視線が刺さる。大丈夫だ。怪しまれて強引に見られる展開にでもならない限り、この量を全部見ようとする物好きはいない。


「そうですね。好きなんです」

「ふうん。変わってるね」

「理解してもらえないことが多いので、見られたくなかったんですけどね……」

「そんなことないよ。ちょっと楽しそうだもん」


 しゃがんだままふふっと微笑んで上目遣いしてくるお姉さん。「そう言ってもらえると嬉しいです……」とりあえず照れておく。


「それ、全部そうなんですか?」

「うん。触らないでね」

「よっぽど好きなんですね。私にはわからないです」

「フレアと一緒にされても、ねぇ……?」


 ユレアが俺に聞いてきたけど、同意を求められてもねぇ……。何が気に入らないのか、フレアは目つき鋭いし。

 ずかずかと俺達の反対側に腰を下ろして、「続き、描かないんですか?」とか言ってくる。臭《にお》いのキツいレッドチョークも躊躇いなく掴んで、こっちに寄越してきた。


「一人じゃないと集中できないから」

「ああ、それで閉め切ってるんですね。アンラーさんの臭いがしてちょっと、いえだいぶ不快です。だいぶ」


 もちろんダンゴとクロの手腕だし、体臭もジーサやタイヨウとは変えてある。


「あはは……」

「そう? 私は悪くないと思うけど」

「ユレアさんまでからかわないでください……」

「からかってないよ? 試しにちょっと嗅がせてもらえる?」

「嫌ですよ!」


 何が楽しいのか、さっきからニコニコしてばかりだなユレアは。

 で、何が不満なのか、フレアはむすっとしている。クレアは――何しに来たんだよ、爆睡してるけど。あとよだれ垂れてる……。


(ひとまず誤魔化せそうだな)


 三人とも積まれた板を気にする素振りはない。

 むしろ俺を気にしているようで、なんだか落ち着かない。いや、単に嫌悪が緩和されただけなんだろうけども。

 こういうのを好意と勘違いして勝手に期待するのは、非モテの習性である。


(……また一人来た。カレンだな)


 相変わらず綺麗な空気振動である。乱れも見られないので、さっき暗闇で何してたか、あるいはされてたのかは知らないが、全く引きずってないらしい。


 足音を響かせないまま玄関をくぐり、間もなく「おやおや」などと言いながらぴょこっと顔を覗かせてきた。


「ずいぶんと侍らせてるねぇ」

「……え、カレンさん?」

「侍らされてまーす」


 にこにこしながら乗ってくるユレアを見て、カレンの動きが止まる。


「……えっと、ユレアが乗ってくるとは思わなかったから、ちょっとびっくりした」

「カレンさん。うちもです」


 で、二人がなぜか俺を向く。

 無論、答えなんか知ってるはずもないので、ユレアに投げてみると、小首を傾げてニコっとしてきた。


「ねぇフレア。何があったのさ?」

「姉さんの悩みをお兄さんが解決しちゃったんですよ。図体がでかいだけのもやしだと思ってましたが、この人、中々やるようでして」

「あー、わかる。アンラーくんは隠してるよ」

「ライオットさんもなぜか妙に気に入ってますしね」


 二人で俺をいじり始めたのはうざいが、カレンにも板を気にする様子は無さそうなので問題ないな。

 あとは。


「……」

「あ、あの、ユレアさん」

「どうしたの?」

「その、ずっと見つめられると、こう、やりづらいんですけど……」


 ユレアに見直されたことで少し好感度が上がっているようなので、いちいち演じるのもだるいし、疎遠にしたいところなんだが。


「今度、二人で出かけない?」


 絶妙な声量とタイミングだった。二人にも聞こえていない。

 つーか寝技の応酬してるけど、人の家で何してんだ。


「いいですね。フレアとクレアも誘って」

「いきなりかもしれないけど、アンラーさんのこと……いいなって思ってるの」


 微笑を絶やさないお姉さんが真顔で俺を、俺だけを見てくる。

 いない歴=年齢の俺でもお世辞ではないとわかる。これが演技だったら人間不信になるな。今もアンラーしてる俺に言えたことじゃないけど。


「もっと一緒に過ごしてみたいんだけど――ダメかな?」

「すいません、迷路描きたいので」

「ここでもいいよ。私はのんびり過ごすのも好きだから」


 この狭いコンテナで二人きりだと? ふざけるのも大概にしてほしい。


「あの、クレアも寝てますし、そろそろ……」


 ユレアはしっかりと後方の、爆睡している小さな妹を見やったが、「じゃあ迷路でも遊ばせてもらおうかな」なんでだよ。


 結局コイツらは|消灯時間《22時》間近まで居座りやがった。

 とりあえず迷路を描くのが趣味という設定を適用できたら良しとしよう。

第285話 外部講師

 第六週一日目《ロク・イチ》の午後二時。

 本来なら晴天の下、学内で血や涙や汗を流している時間帯だが、一同は別の場所にいた。


 シャーロット家本邸のバルコニー。

 地面と壁だけで奇抜な意匠に仕上げられており、手すりと柵もなく崖も剥き出しとなっている空間からは王立学園さえも見下ろせる。今も鍛錬に勤しむ多数の点と派手な視覚効果《エフェクト》が見て取れた。


「紹介するわ。ダグリン共和国将軍のイリーナ様よ」


 貴族の集いにふさわしい華やかな、しかし扇情的な衣装のガーナが隣の少女を示す。

 少女はというと背中を向けており、額に手を当てて「ほぉ」などと言っている。


「シャーロット家にお邪魔できるとはね。いい眺めだ」

「イリーナ様」

「まあまあ。そうかしこまらずに行こうじゃないか」


 少女なのは見た目だけである。

 身長で言えば150センチメートルもないが、ノースリーブでミニ丈のワンピースを着ており、出るところは出ている。髪は短剣によってまとめられ、剥き出しになったうなじが眩しい。

 将軍の肩書きが無くとも、子供扱いにはさせない不思議な圧力があった。


「眺めで言えば、こっちの方がはるかに壮観だがね」


 くすりと向き直ったイリーナの眼前には、豪華な顔ぶれが揃っている。「さすが伝手が広いですね」とルナ。「短剣は安物のようね」とヤンデ。「恐縮でございます」と律儀に礼つきで返事するのはハナだ。お付きのレコンチャンはいない。

 そして、「……」無言を決めているのがアウラとラウルだった。


 椅子やテーブルはないが、ヤンデが真っ先に地べたであぐらをかいたことで既にそういう空気になっている。

 あぐらなのは彼女の他にはラウルだけで、あとは正座であった。


「社交の場ではないから、さっさと本題に入らせてもらおう。オードリー家から性交訓練《セクササイズ》の実施を依頼されている――と言いたいところだが、当の本人がいないから辞退させてもらうよ」

「イリーナ様、それは……」

「心配ないよガーナ君。君の母からはジーサ・ツシタ・イーゼと致してこい、とだけ言われている。本人がいなければやりようがないし、我《われ》も貴重なこの身体を無闇に晒すつもりはない」

「でしたら最初からアタシで良かったじゃない」

「口調が乱れているね」

「かしこまらなくていいんでしょ? いじわるっ!」


 ガーナはぷいっと拗ねてそっぽを向き、地団駄を踏む。


 この性交訓練《セクササイズ》を企画したのは彼女だ。

 アルフレッドとエルフ双方の王にも許可を取り付けたほどの一大イベントで、他ならぬ自分が講師を担当し、ジーサを味わいつつも探る予定だった。

 が、ダブルロイヤルなる史上初の傑物を知る機会を母が見逃すはずがない。まんまと割り込まれたわけである。

 それでもジーサの裸体や性行為を鑑賞できればまだ良かったものの、急きょ参加できないと来た。


 ジーサはもはや単なるクラスメイトではなく、王族レベルの人物だ。

 アウラウルでさえ断れない用事に顔を出さないのも至極当然だが、それでもこの気持ちは収まらない――というわけで発散したのであった。

 もちろん、イリーナの社交ではないという発言を受けてのことである。


「用事がないなら帰るわよ」


 そんなガーナの様子など意にも介さないのがヤンデで、威嚇なのか無詠唱でゲートを開いている。


「落ち着きたまえ。せっかくだから講義をしよう。王女に売っておくのも悪くない」

「堂々と言うことかしらね」

「王女でもなければ、このような小娘どもに時間を割く道理はあるまい?」

「挑発と受け取って構わないわよね?」


 ヤンデが一瞬、離れた学園にも負けない視覚効果《エフェクト》をちらつかせたが、無詠唱ゲートにも動じない者には何をしても通じまい。

 イリーナの見下すような微笑は少しも乱れなかった。


「ヤ、ヤンデ様、もう少し……何でもないわ。下がりなさい」


 ここの持ち主であるハナだけは気が気でない様子で、駆けつけてきた警備もすぐに下がらせているが、やはり誰も気に留めない。

 王女と同様、ダグリンの将軍という存在もまた軽率に会える相手ではないからだ。

 場の注目は二人にのみ集まっている。

 ゆえに、本来ならもっとギラついてもおかしくはなかったが――空気はどこか柔らかかった。


 アウラウルのおかげだろう。

 イリーナとは知り合いらしく、二人とも面倒と言わんばかりの表情を隠していない。

 唯一落ち着いているのがルナで、近衛から出してもらったミネラルウォーターを飲みながら傍観、いや観覧しているかのようなくつろぎっぷりだ。


「ああ、そう取っても構わないさ。王女と出会う機会など滅多にないからね」


 挑発をやめないイリーナを睨むヤンデは、次いでここの主――おろおろしているハナを一瞥し、はぁと露骨なため息をつく。


「……歓迎するわ。性的な話題なのよね?」


 隣の王女に向かって手を伸ばした。

 水をくれと言っているのだ。ルナが頷くと、エルフの美しい手のひらに水が注がれる。当然ながらこぼすはずもなく、水は生物のように口元へと飛んでいく。


「なんだ、来ないのか。つまらないな」

「講義するのよね? 早くなさい」

「シキの娘よ。このエルドラの娘は何をこんなに苛ついているのだ?」

「私に聞かれましても」

「美味そうな水だね。もらってもいいかい?」

「ダメです」

「親に違わずケチだね」

「そうですね」


 ルナは平然と返した。

 ガーナの仲介とはいえ、他国の重鎮と無理に話すことなどない。そもそもイリーナとてルナなど眼中にもないだろう。隠密《ステルス》中の存在も気にする様子がない。


「さて、我の講義、いや講義というほど大それたものでもないが、君達ほどの立場では学びにくい事を教えよう。そうだな――『冒険者を脅かす性』とでも名付けようか」

「それは構わないのだけれど、この場になぜ男が混じっているのよ」


 全員の視線が逆紅一点とも言うべきラウルに集中する。


「僕が聞きたいよ。ちゃんと報告したのにチャラにしないとは、つくづく彼女の言うとおりだ」

「ラウルさんの気苦労はわかりませんが、その点だけは私も同意します」

「堂々と国王の悪口を言うとは、中々愛されているね? ちなみに我もシキは嫌いだ。大嫌いだ」


 王への軽口は大貴族でも易々と行えるものではなく、ハナは思わず冷や汗を流しているが、反面「どうでもいいのだけれど」ヤンデはどこまでもマイペースだった。


「ヤンデ君。人の三大欲求はわかるかい?」

「……食欲、排泄欲に性欲よ」


 結局ラウルが同席している理由は不明だが、深追いするほどの事柄でもない。ヤンデは不満を顔には出しつつも、おとなしく応じた。


 ちなみに三大欲求とは三大入出力欲求とも呼ばれ、体内外への出し入れに関する欲求でまとまっている。睡眠は対象外だ。


「そのうちレベルアップしても減退しないものはどれだと思う?」

「ないわね。どれも減るわ」

「ちなみにヤンデ君の排泄ペースはどのくらいかな?」

「……」

「エルフの睨みほど怖いものはないね」


 イリーナはぶるっと震えてみせる。ついでに胸も揺らしてみせ、ちらりとヤンデの胸元にも視線を走らせた。


「劣等感は減退しないものの一つだが、感覚としてはそういうものだ。いくら身体が強くなっても、魔法とスキルを覚えても、一般人時代と変わらず在り続けるものがあるんだよ。――さて、もう一度聞くけど、どれだと思う?」

「だから全部だと言ってるじゃない」

「ルナ君は?」

「性欲です」

「正解だ」

「……ねぇルナ。なんでアタシを見るのよ」

「別に深い理由はないですよ? この変態は幼い頃からずっとそうだったのかな、と思っていただけです。今も無駄に気合い入った格好ですし」

「し、仕方ないでしょ! ジーサが来ると思ってたんだから」


 ガーナがいじられつつも嬉しそうなのは、ちゃんと見てくれているからだろう。

 そんな二人を微笑ましく見つつ、イリーナはヤンデの認識を改める説明――魔法の才を持つものほど身体感覚に鈍感になり、しかし無意識で器用に制御するため欲求の縮小さえも自覚しづらくなる点をしばし強調した。


「――第五級冒険者は一日何も飲まないだけで瀕死になるし、数日間排泄を我慢するだけでも死ぬ。これが第三級になってくると三日飲まなくても動けるし、排泄物はいくら溜めても死ぬことはない。汚いがね」


 人はレベルアップに伴い、身体そのものが強化されていく。

 それでも睡眠や栄養の必要量は覆らないが、たとえば内臓の強さは見違えるほど向上し、欠乏や充満に伴う痛みや劣化、破損なども起きにくくなる。


「ところが性欲は違う。一般人にも、レベル133にも、等しく存在するものだ。性感だってそうさ。たとえばラウル君でも、その辺の一般女性の膣内《なか》で出すことができる」

「僕でたとえるのはやめてくれないか」

「そうなんですか?」

「だから僕に聞かないでくれるか」

「性器に防御力は適用されないってことかしら?」

「僕の下腹部を見るのはやめてもらえるかな」

「それはちょっと違うな。厳密に言えば、性的興奮や快感を得るために必要な刺激が変わらないってことだよ。だからラウル君の根《こん》は一般女性の力でも大きくなるし、射精に導くこともできるが、引きちぎることは絶対にできない。引きちぎりたいならヤンデ君やアウラ君レベルのパワーが要るだろうね」

「帰りたい……」


 思わず呟くほど早く退散したいラウルだったが、立場上はアルフレッド王国に仕える身であり、正式に課された罰も甘んじて受け入れなければならない。

 それがたとえシキのお茶目な嫌がらせであっても。


 このような不自由は今後も邪魔になるため何とかせねば、というわけでアウラと話したのがつい数時間前のこと。

 だからなのか、アウラは珍しくおとなしい。

 今も脳内を忙しなく働かせているに違いなかった。ラウルとしては不幸中の幸いではある。


「わかるかい? 性欲はレベルに左右されない因子《ファクター》なんだよ。その気になれば一般人が第一級冒険者を手玉に取ることだってできる。娼館という会社もそうやって成り上がってきた」

「……今度は何よルナ」

「いえ、ただの変態の巣窟だと思ってたんですけど、そうでもないんだなと感心しているところです」

「当たり前じゃない。奥だって深いのよ? 何なら職業体験でもしてみる? 気持ち悪い客の相手は堪えるわよぉ」


 ガーナはふへへと笑いながらも、いくつもの魔法を小刻みに唱え、実にリアルな人形をつくりだした。

 それは毛むくじゃらで体も太っており、全身は脂ぎっていてフケも多く、性器は悲しいほどに小さかった。


 そんな汚人形を投げられたルナは普通に受け取り、まじまじとみつめながら、


「この程度で堪えはしないですけど、絶対に嫌です。私は夫に捧げると決めてますので。【スーパー・ファイア】」


 間もなく灰にした。


「私はもうしたけどね」

「一回したくらいで何だっていうんですか。しょうもな」

「負け犬の遠吠えね」


 ヤンデは無詠唱で先ほどの人形を何体もつくり、ルナに押しつけ始めた。

 一体一体の動きも実に人間らしく、というより変質者そのもので気持ち悪くて、ルナは「あーもう!」割と全力で応戦することになった。

 そんなハイレベルなじゃれ合いと、ヤンデの暴力的な器用さ素早さを前に。


「こんな化け物を見たのは二度目だよ……」


 さすがのイリーナも動揺を隠せなかった。

第286話 外部講師2

「こんな化け物を見たのは二度目だよ……」

「一度目は皇帝ブーガよね?」


 動揺を隠さなかったイリーナにヤンデが問う。


「ああ、そうさ、そうだよぉブーガさまはすごいんだ、つよいんだカッコイイんだぁ、あんな男に抱かれたらあたしは死ぬ、抱かれなくても死ぬ、ささやかれただけでもいや匂い嗅いだだけでおかしくなっちゃうぅぅ……はっ」


 紅潮とよだれを隠していないイリーナは、ヤンデがルナいじりを止めて無言になるほどの変わり様だった。

 無論、イリーナもダグリンにおいて将軍に登り詰めるほどの人物であり、軽率に醜態を晒すほど愚かではない。皇帝への想いに非日常的な動揺が混ざり合った結果乱れてしまったものであり、彼女の関係者にとっては実は周知の事実でもあるのだが、本人がしかと自覚するのはもう少し後の話である。


 それはともかく、イリーナの奇行は場の興味を総なめにしていたが、唯一彼女を知るラウルだけは心底どうでもよさそうな視線を寄越していた。


「イ、イリーナ、様?」

「ガーナ君」

「は、はい……」

「君は――いや、君達も何も見ていないし聞いていない。わかったね?」


 さすが実力者だけあって生体反応を誤魔化すのも一瞬だったが、時既に遅し。

 妙な沈黙が流れていたが、


「私はそれ以上の化け物を知っているわよ」

「――ジーサ・ツシタ・イーゼか」

「ええ」


 ヤンデにもスルーする優しさはあるようで、イリーナがすぐに乗っかったことで無かったことになる。


「そのジーサについて相談させてもらうわね。彼はこの私の美貌をもってしても籠絡できなかったのよ。性欲はあるようだけれど、暴発することがないとでも言えばいいのかしら。どういう仕組みか気になって夜も眠れないわ」

「ふむ。やはり興味深いな……」

「やはり?」

「聞くところによると、ジーサ様は君達を侍らせているそうじゃないか。にもかからわず、短期的に劇的な成果を出し続けている。普通は性の魅力に負けて、もう少しただれた生活になるんだよ。そうすれば射精するだろう? ラウル君はよくわかってると思うが、射精による疲労は無視できない。成果が出るペースも落ちるはずなんだ」


 もうだらけた雰囲気は無く、突き合わされているのは冒険者の顔つきだった。

 渦中の人物――ジーサ・ツシタ・イーゼにはそれほどのネームバリューがある。実力者なら、いや実力者だからこそ、前代未聞の謎めいた人物は容易に執着の対象となる。


「負けまくってるようにも見えますけどねー。普段は飽きもせず見てきます」


 ルナの独白と、ヤンデとハナの共感に経て、「ラウル君はどう思う?」イリーナの意味深な問いかけがラウルを刺す。


「どうして僕に聞く……」


 呆れつつもくだけた返しをするラウルだったが、もう誰も乗ってこない。

 考え事に浸かっていた相棒《アウラ》も、冒険時でも滅多に見せないような真剣な表情を浮かべている。


「《《君と同じやり方》》だと思うかい?」

「アウラに聞けよ。ジーサは彼女のチャームでもびくともしていなかった」

「結構手応えあったんですけどねー……」


 ラウルは言及を控えた上でアウラに投げたが、彼女の視線にその気は見られない。

 長年背中を預けた仲だけに、アイコンタクトの精度はかなり的確だ。誰よりも何よりも見慣れた双眸は、ここで晒すと言っている。


「……そうか。別にいいけどね」


 ラウルは独り言ちつつ自分から折れることを合意した後、


「僕と比べてどうだい?」

「全然違いますね。ラウルは性欲そのものを殺しているから、某魔女でもなければ歯が立たないかな」


 魔女とはジャース全土に厄災をもたらしかねないほど強大な女性につけられる異名である。

 その数は片手で数えるほどしかないが、この文脈ではただ一人――元アルフレッド王国第二王女ナツナ・ジーク・アルフレッドに他ならない。

 ナツナのチャームは次元が違う。

 近づいただけで未来永劫魅了され続けてしまうという反則級の性能があり、防ぐ術もなければ、本人以外には解除もできない。

 それが王国屈指の守備力によって守られていたのだ。


 もしテレポートで接近されでもしたら為す術がない。

 だからこそ、彼女だけは刺激せず静観せよとの暗黙の了解すらあった。


「ジーサ・ツシタ・イーゼは、性欲は死んでないけど彼女のチャームにさえ打ち勝つ《《気がします》》。もしくはすぐに平静に戻せる回復の術を確立しているのかもしれないですけど」


 そんな暗黙を無視してナツナを屠《ほふ》ったのがシニ・タイヨウであり、アウラはこれまでの経験と情報から彼にチャームが全く聞かないことを確信しているが、さすがにこの場で共有するわけにはいかなかった。

 アウラウルはジーサとタイヨウが同一人物だと確信しているが、この未公開情報は劇薬がすぎる。


 それでもアウラは。

 さらに情報を引き出すために、最も答えに近いであろう第一王女《ルナ》にわざとらしく視線を送った。アイコンタクトと呼べる程度の仕草では断じてない。猜疑のオーラを第一級の物量と密度で込めたそれは、もはや暴力にも等しい。

 同格でもなければ動揺くらいは誘えるはずだ。


 しかし、ルナは微動だにしなかった。


「二人とも感謝するわ」


 追い打ちをかける間もなく割り込んできたのはヤンデ。


「他に何か言えそうなことはないかしら?」


 感謝はまさに社交辞令で、続く問いは既にイリーナに向かっている。

 ヤンデからは不自然に強大な、威圧のオーラが出ていた。イリーナと近衛以外は気付いてないだろうが、アウラの分は一瞬で上書きされてしまっている。


「あ、ああ、そうだね……」


 突然の威圧にイリーナは当惑しつつも、ジーサの性欲をより詳しく特定していくための行動案を出していく。


 場は完全にヤンデが仕切り始めていた。

 夫《ジーサ》の話題だから張り切ってきたのだとも取れ、


「愛が重たいですわね……」

「夜はアタシ以上に激しそうね」


 ハナとガーナはわざわざ口に出すほどドン引きしていた。




      ◆  ◆  ◆




 同日の夜、ダンジョン『デーモンズ・シェルター』の最深層にはアウラウルの姿があった。


 オリハルゴーレムと名付けられた新・階層主の攻略は鋭意整備中である。

 まだ勝手な侵入は許されていないが、報告を行ったアウラとラウルだけは例外であり、入退室は自由であった。


 既に大陸を一周できる距離を移動している。ダンジョン内の探索を優先し、オリハルゴーレムとの戦闘も意図的に回避してきた結果だ。

 当のゴーレムも機動力は大したことないため、巻くのも容易だった。


「なあアウラ。あの時、明らかに牽制されたよな?」


 何の話かを悟れないアウラではない。「ええ」とすぐに答える。


「怖くて漏らすかと思いました」

「情けない……と言いたいところだけど、同感だ。あれは僕達でも勝てないだろうな」


 無音の暗闇に、二人の声だけが響く。

 姿など見えなくても何ら問題はない。むしろ視覚に頼らない方が高速に把握し反応できるくらいだ。


「君がルナ王女に踏み込んだ時、よくやったと思ったよ。あんな露骨に返されるとは思わなかったけど」

「まず近衛が止めましたよね。ユズですよね?」


 アウラの飛行が止まり、雑な着地音が響く。

 見えないのを良いことに寝そべっているが、この相棒の習性は今に始まったことではないためラウルも何も突っ込まない。

 そもそもそんな場面でもあるまい。


 彼女は休憩がてら、重たい話をしようとしているのだから。


「ああ。ルナ王女程度では平静など保てない」


 ラウルも腰を下ろし、水魔法で水分を補給しつつ、持参した携帯食をかじる。

 無言で催促してくるアウラにも渡して、しばし黙々と食しながらも、ラウルは先ほどのシーンを振り返る――


 オーラに対する反応を他者が誤魔化すのは容易ではない。

 誤魔化すためには対象の、この場合はルナの身体と癖を事細かく把握した上で、微細な魔法を流し込む必要がある。本能として勝手に動く各種反応を、魔法で無理矢理押さえ込むわけだ。


 もちろん露骨に押さえ込むだけならかんたんだが、あの場には将軍イリーナがいた。

 彼女にも怪しまれないほど静かに押さえる必要がある。いくら近衛であろうと易々とできることではない。

 ルナ自身を相当深く把握していなければできないことなのだ。


 それができるのは、五人存在する近衛の中でもただ一人――ルナと最も親しい一号《ユズ》だけだろう。


「ユズでも短時間しか耐えられなかったはずだ」

「それに気付いたヤンデちゃんが、私を上書きしてきた」

「なぜだろうね」

「……」


 ヤンデがルナを止める道理などない。

 世間的には混合区域《ミクション》こそ始まっているもの、アルフレッドとエルフはまだそこまで懇意ではないからだ。


 アウラ達は既にジーサが逃亡したであろうことを知っている。

 もしエルフも知っているとするなら、アルフレッドなど無視して矜持に従うだろう。ヒントが得られようという場面であえて止める必要など無かったし、むしろ同調してきてもおかしくはなかった。


 イリーナがいる中で、あんな強引なことをしてまでアウラの踏み込みを止めてきた、その理由は――。


「ジーサが逃げたことは知ってますよね」

「それだけじゃない。王女達はユズも含めて個人的に手を組んで、捜し出そうとしている」


 これはもちろん戦果《ジーサ》を彼女達が独占すること、つまりはアウラウル含め他勢力に渡すつもりなどないことも意味している。


「それはいいとして、ご両親が許すでしょうか」

「どうせ放任という名の監視をしているさ」

「気付かれていないという可能性は……無さそうね」

「そうでもないだろ。話題が話題なだけに、配下には頼りづらいはずだ」

「近衛や第二位《ハイエルフ》だけでも脅威ですけど」

「むしろ彼女達こそが脅威だ」

「そうね……」


 今は休憩も兼ねている。

 激しい戦闘を経たわけでもないため大した疲労はない、はずだがアウラの口数ははたと止んだ。


 最深層とは思えない静寂が続く。

 オリハルゴーレムの振動もまだ届いてこない。この階層は王都が霞むほどに広く、二人の移動速度も前世の戦闘機も置き去りにするほど速かった。仮眠の時間が取れるくらいは引き離せている。


 次の呟きが漏れたのは、数分以上経ってからのことだった。


「――勝てる気が、しない」

「アウラ……」


 シニ・タイヨウの入手が容易ではないことは既に想定していたが、その困難の一つを先ほどまさに突き付けられたばかりだ。


 ヤンデ・エルドラという壁が、あまりにも厚い。


「気に病むことはないさ」

「病んでないわよ」

「久しぶりだろ? こういうの」


 暗闇で表情が見えずともわかる。

 ラウルは今、柄にもなく昂ぶっている。普段は抑えているオーラも色々と漏れており、これがパーティーでの遠征中ならメンバー達をビビらせていたに違いない。


「こうして攻略に頭を悩ませてるのが一番幸せだよ」

「冒険バカね」


 アウラが天真爛漫に微笑むのを感知して、ラウルも「ふっ」とキザに口角を上げ、


「君もだろ」

「私は平穏な生活も悪くないと思ってるわよ。二人で色んな場所を旅したり、とか」

「女の子だな」

「むむぅ」


 冒険と旅は違う。旅は冒険を諦めた軟弱者の言い訳であり、落ちぶれた女性が陥りがちな生き方だといわれている。

 もっともそれは一部の男による偏見であり、アウラは相方がそれに毒されているのが残念だったが、そんなことはどうでも良かった。


「……とりあえず、オリハルゴーレムをさっさと攻略しない?」

「それもそうだな」


 外面《そとづら》用の仕草で可愛く不服を示し、話題もすぐに逸らさねばならないほどアウラの遺憾は大きかった。



 ――女の子だな。



 それは幼い女の子を前にしたような言い方であり、自分とはまるで違う生物だと切り捨てているような響きでもあって。

 パートナーのアウラにわからないはずがなかった。


 ラウルという冒険者が、そんな陳腐な生き方など微塵も想定していないことに。

第287話 トップバトル

 第六週二日目《ロク・ニ》。

 広大な深森林の、とあるストロングローブの梢《こずえ》に一人の獣人が寝そべっていた。

 頭部に二種類の角を計四本生やし、全身がクリーム色で見るからに固そうな皮膚を持つ彼女は、獣人なら知らぬ者などいない傑物だった。

 同時に人気者でもある。獣人族には身分や遠慮はないため、彼女は比喩抜きでもみくちゃにされるのが常だ。

 ゆえに安息の地は滅多にない。


 この辺りは彼女が安らげるスポットの一つなのだろう。

 サリアは彼女の上方、五メートルという至近距離にまで飛来し、急停止した。

 第一級のパワーは遠慮無く使っており、衝撃波は第二位《ハイエルフ》でも無視できないほどだったが、この程度で怯む相手ではない。


 会話が届くようになるまでたっぷり待った後、


「獣人領を賑わせた侵入者の件――聞かせてもらいますよ」

「サリア・エルドラよ。ウヌにしてはずいぶんと性急だな」


 ギガホーンは寝そべった姿勢を崩さず、あくびを寄越す。


「時間がないのです」


 今年の第二週九日目《ニ・キュウ》は歴史的な出来事に数えられるだろう。

 ブーガ・バスタードを伴ったジーサ・ツシタ・イーゼによる混合区域《ミクション》――エルフと獣人が一緒に暮らす国策が成立した日でもあり、ジーサと愛娘ヤンデの婚約をねじ込んだ日でもある。



 ――ジーサ・ツシタ・イーゼ。オイはウヌを気に入った。再戦したい。



 一連の話が始まる前、ギガホーンは確かにそう言っていたのだ。


 いつ、どこで戦闘を行ったのか。

 獣傑とも呼ばれるギガホーンは戦闘スタイルも派手であり、かつ戦闘そのものが稀少であるが、そう呼べるほどの騒動はサリアの耳には入っていなかった。


 ただ一つ、獣人領侵入者を相手にしたという噂以外は。


「ジーサ・ツシタ・イーゼに逃げられたか」

「獣に似合わず、頭の回転がお早いようですね」


 公にはなっていないが、状況的に獣人領侵入者はジーサである。

 またジーサはエルフの婿でもあり、サリアはそんなジーサをこき使える立場にある。

 にもかかわらず、両者が同一人物であると知る隣領の首領にわざわざ聞きに来たということは、ジーサをこき使えない状況に陥ったことを意味する。今さら隠し立てすることでもない。


 無論、いくら相手が野蛮な種族とはいえ、トップがトップにいきなり尋ねてくるなどあってはならないことで。


「手が出るのも早いぞ」


 ギガホーンが闘志のオーラをちかつかせたが、サリアは淑女の笑みで受け流す。


「ご冗談を。我らは共に生きる仲ではないですか」


 今は混合区域という名目があり、つい先日――第四週四日目《ヨン・ヨン》にもジーサ自ら『ミックスガバメント』なる声明が出されたばかりだ。


 どちらも前代未聞であったが、歴史が縛ってきた区分や不便を壊すにはちょうど良い好機でもあった。特に立場のある者は動きやすくていい。「そうだな」ギガホーンも気の抜けた笑みを浮かべている。

 が、それもすぐに引き締まった。


「ジーサ・ツシタ・イーゼに逃げられたところで、それを市民《シビリアン》が知ることはない。ウヌらの名に傷は付かぬはずだ」

「……」

「真意を言え。でなければ『ソルジャーズ』を討伐に動かす」

「本気ですか?」


 ギガホーンは無駄話を好まず、早速爆弾を提示してきた。

 彼女率いる大部隊を、ジーサの排除に充てると言っているのだ。


 無視できる存在ではない。

 『ソルジャーズ』は万人《まんにん》にも満たない部隊だが、人類の冒険に寄与している実力者集団であり、エルフとは違って地道、忍耐、隠密といった毛色を持たない。

 そんな集団がジーサに殺到する――


 ジャースの秩序に亀裂が入るのは、火を見るよりも明らかだった。


「混合区域は悪くないが、オイも含めハイレベルな獣人は満足しておらん。むしろお預けを食らったようなものだ」


 伝統はかんたんには覆らない。


 森人《エルフ》は矜持を維持するために。

 獣人は闘争本能を満たすために。

 戦いは必要だった。


 ジーサは戦争を否定していたが、そう単純な話ではないのだ。

 たしかに手を取り合ったことで多くの命は救われるが、エルフも、獣人も、のうのうと生きていけるほど気楽な種族ではない。

 かといって人類の矛先である冒険やモンスターに向かうわけにもいかない。向かえるならこれほど楽なことはないが、そこは冒険者ギルドの領分だ。手を出す以上、多かれ少なかれ彼らに隷属せねばならない。が、そんなことができる種族なら苦労はしないのである。


 無論、為政者として民の命を救える道を選ぶのは当然の話だが、ギガホーンも言ったとおり、ここでは実力者の話をしている。

 平穏な命より大事なものは決して少なくない。


「頭が痛い問題です」

「獣人の本能は戦いだからな。オイも含め、楽しみにしている」


 |二国の王女の婿《ダブルロイヤル》なる実力者の討伐とは、実に士気の上がる話だろう。

 要するに、ジーサという名の宝物の争奪戦――新たなる冒険の舞台の取り合いが起ころうとしているわけだが、サリアとしては容認できないことだった。


 エルフとして、種族を統べる者として、王家と結ばれたジーサの狼藉は捨て置けない。

 威信をかけてこれを捕らえ、処罰しなければならない。


「――仕方ないのう。ここだけの話じゃぞ」


 サリアは飛行魔法を切り、ふわりと隣の梢に降りると。

 躊躇いなく寝そべった。


「サリア・エルドラよ。せめて着替えてはどうか」

「まだしばらくも誰も来ん。たまには気分転換も大事なのじゃ」

「……」


 女王専用の高級なドレスを無造作に伸ばし、下敷きにしているが、サリアの知ったことではない。

 衆目が無いのなら無駄な労力は捨てれば良いのである。


 残念ながらギガホーンには通じていないらしく、鎧のような目元から覗く双眸は明らかに引いていた。


「ウヌのその変わりっぷりは何度見てもおかしい」

「うるさいのー。切り換えておるだけじゃ」

「これが男だったらそそるのだがな」

「おぬしも凝りぬ女なのじゃ。まだ食うておるのか?」

「実はジーサも食べたいと思っている」


 ギガホーンは戦闘も激しければ、性行為も激しい。曰く、良い経験値になるそうだが、エルフが射程外なのは不幸中の幸いであった。


「御託は良い。早く述べよ」

「話を振ったのはそっちじゃろうが……まあ良い」


 くつろぎモードのサリアはふぅと一息つき、ドレスアップを唱えて身軽なバトルスーツ姿に着替えた後、あぐらをかいた。


「ジーサ殿は我らエルフが飼い殺しにする」


 ギガホーンも体勢こそ寝っ転がったままだが、「世界のためか」種族の代表にふさわしい雰囲気を既に浮かべていた。


「そうじゃ」

「竜人様に任せた方が良いのではないのか?」

「いたずらに被害を広げたくないのじゃ」


 竜人が来るよう仕向けることは難しくないが、サリアは最初からその選択肢を外している。

 何も知らない者であれば何を馬鹿なと捉えるだろう。が、ギガホーンもジーサと相対した者の一人であり、得体の知れない底の知れなさを体感している。


 ギガホーンはこれ以上の意見を控えることで同意を示し。

 代わりに、その実現性を問う。


「ウヌごときに飼えるのか?」

「あの火力さえ封じればの。そなたも戦ったのならあたりはついておろう」


 ジーサの戦闘スタイルには不明点も多いが、必殺として高火力な爆発を放つことは調査済だ。

 スキル『リリース』との声もあるが、下手に仮説して縛られるのは望ましくないため、サリアは賛同していない。


「今後も通用するとは限らないぞ」


 今はまだ大した詠唱性能ではないが、今後もそうとは限らない。

 第一級レベルの高速詠唱か、あるいは無詠唱を習得されてしまえば、防ぐのは非常に難しくなる。

 それでも喉を物理的に封じれば阻止できるが、よほど接近戦に覚えがなければリスキーだ。ギガホーンをしてこのように言わせるのだから、そんな猛者など皆無に等しい。


「わかっておるからこそ、こんな羽目になっておるのじゃー」

「力が欲しければいつでも言え。生死は保証しないがな」

「保証など要らんのじゃ。どうせ殺せはせ――」

「寄生スライム」

「いきなり何じゃ」


 それは唐突な呟きだったが、ギガホーンは無駄話を好まない。

 サリアのそれなりに豊富な頭にもそんな言葉は無かったが、おおよそどういうものかの想像はついた。


「……そんな情報を今、この場で教えてきたのはどういう道理じゃ。わらわは戦わんぞ」


 ギガホーンから闘志のオーラが漏れ出ている。

 かなり広い。半径一キロメートルは軽く拡散しており、遠慮無く暴れるというメッセージにも等しい。あえて近づいてくる無謀な者はいないし、既に誰もいないことを確認しているが、仮にいた場合は全速力で逃げることだろう。


「ジーサの変装を支えるは魔法でもスキルでもない。モンスターよ」


 一方的な物言いだが、聞いてしまった以上、もうサリアは断れない。はぁともう一度嘆息した後、立ち上がって体を解《ほぐ》す。

 並行して手元で小さな魔法を何百と回すことで調子の確認を始めつつ、会話も続ける。


「調教《テイム》か? 魔人か?」

「手懐ける手段はどうでも良い。寄生スライムという、ウヌらでも見分けのつかぬ精度で《《生物を再現できる》》能力を持つ存在が厄介なのだ」

「言われるまでもないのじゃ」


 シッコク・コクシビョウにグレン・レンゴク――

 しがない男エルフ二名の正体に、誰も、一度も気付くことができなかったのだから。


「寄生スライムについて、オイが知っていることを提供しよう。代わりに一戦しよう」


 ギガホーンはのろのろと立ち上がり、両腕を広げて隙を晒す。


「断るのじゃ。考え直すのじゃ……」

「オイも断る」


 戦闘民族の頭領は歴史的に見ても戦闘狂ばかりである。

 エルフとの戦闘を奪われ、ジーサの討伐もお預けを食らっていながら引き下がるほどお人好しではない。


 要は、女王自ら体で償えと言っているのだ。

 寄生スライムなる稀少情報のおまけまでついている。シッコク討伐も行き詰まっているし、断る道理は全くない。だからこそ既にウォームアップも始めているわけだが、それでも思わず口に出るほど、この獣傑との戦闘は憂鬱であった。


「初手は譲ってやる」

「当たり前じゃ」


 ギガホーン・サイ・バッファローは人類屈指のタフネスを持ち、殺せるのは皇帝ブーガくらいだろうといわれている。サリアの火力ごときで倒せる相手では断じてない。

 ゆえに彼女との戦闘は持久戦、いやジリ貧で一方的にボコられるだけのつまらない時間になる。


 一方で、同格以上との鍛錬機会には心躍るものがあった。

 それこそ第一級冒険者であれば、腐るほど余っている財をすべて投げ打ってでも手に入れたい機会だろう。


 しかし半径一キロメートルでは心許ない。

 地上の民を巻き込まないためにも、取れる手はそう多くはなく。


 サリアは目前の獣人女を上空へと蹴飛ばした。

第288話 トップバトル2

「スーサイ・ドッグ――本当にそう名乗ったんだなピョン?」

「ほ、本当だワン!」


 深森林獣人領のとある広場――五十メートル以上離れたストロングローブ間を繋ぐ、石製の大きな橋の上にて。

 屈強な犬の獣人が、小さなウサギの獣人に詰め寄られている。

 小さな獣人も珍しければウサギベースも珍しい。つまりは非常に珍しい光景なわけで、群衆は数十にものぼっていた。それを、


「見世物じゃねえぞピョン」


 キューピン・ウサギが威圧のオーラつきで蹴散らそうとする。


「おぉ、大したもんだな」

「そそるブー」

「やめとけやめとけ。ありゃすぐ手が出るぞ。おっかねえ女だ」


 それでも獣人は肝が据わっており動じない。が、身の安全は欲しいので、退散の行動だけは素早く、ほぼ駆け足だ。

 とはいえ、どこにでも例外はいるもので、豚ベースの獣人とその友人二人だけは立ち去る気配がない。


「匂いもオレ好みだブー」

「どうせヘタレだろお前。ほら、行ってみろよ」

「冗談キツいブー。勝算のないアプローチはしないブ」


 鼻息の荒い豚人がおどけて見せると、友人の一人がその鼻に指をぶっ刺した。


「お前が一度としてアプローチしたことがあんのかよ」

「痛いブゥ」

「汚えな。掃除しろよ」

「さっきから何してんの二人とも! キューピンさん構えてるから! 早くっ!」


 下品な視線でキューピンを品定めする男二名を、鹿の角を持つ女が無理矢理連行する。「おさわがせしましたっ!」脱兎のごとく退散した。

 それで辺りは完全に静かになる。


「あの鹿《ディア》ベース、見込みがあるピョンね――それで他には何と言ってたピョン? 全部教えろピョン」

「とりあえず手を放せワンッ! 相変わらずアンタは荒い。だからモテねえんだよ」

「なんか言ったかピョン?」


 キューピンも、彼女が詰め寄る犬人も『ガーディアンズ』の所属で、普段は獣人領を警備している。

 担当エリアも近く、冒険に貪欲な点も共通しており、パーティーを組んだこともあったが、そりは合わなかった。普段通り言い争いに発展しそうだったが、


「二人とも。無駄話はいいから」


 同じく一緒に来ていたチッチ・チーターが太い幹めがけて蹴りをかます。

 獣人族随一の移動速度を生み出す脚力は尋常ではなく、並の冒険者には縁の無い衝撃波が辺りを揺らした。


「……そのスーサイとやらは、たしかに獣人だった。アンノウンが強かったが、本人は名乗りたくないと言っていたワン」


 キューピンがチッチに意味深な視線を送る。

 チッチは学者の顔を持っており、ベースの種類にも詳しい。|ベースが不詳《アンノウン》であっても特定できる可能性はある。


「どんな外見?」

「……わからないワン。見た目はわずかに犬《ドッグ》ベースだった」

「具体的には?」

「……耳と鼻と体毛だけだな。遠目なら人間に見えるワン」

「んなわけねえだろピョン。何か特徴があるはずだピョン」

「特徴がないのがアンノウンの特徴だろワン。どこからどう見ても獣人ではあったワン」


 少なくとも獣人特有の匂いに不審点は無かった。鼻の良い犬人ならなおさらである。疑い様が無い。


「んなことはわかってんだよピョン」

「身体の模様は? 毛並みは?」

「……少なくともアンタらのように派手じゃない」


 犬男がチッチの全身をちらちらと眺める。黄色地に黒の斑点が無作為に並んだチーター柄はよく目立つ。

 続いて、隣の小さな兎人を見下ろした。

 見た目だけは愛くるしさに溢れており、何も知らない者なら迂闊に抱き抱えてしまいそうだ。具体的には、柔らかそうな毛がふさふさのふわふわを主張している。


「ドッグベースが薄い。他の身体的特徴も無い。――わからない」


 普段は恥ずかしがり屋で姿を晒さないチッチだが、思考の海に溺れているのかぴくりとも動かない。「……」犬人はさっさと解放してほしかったが、先の衝撃波を見れば迂闊には声を掛けられない。

 代わりに兎を焚き付けようとしたが、その前に、


「学者だろピョン。しっかりしろピョン」


 キューピンはチッチの尻を蹴り上げていた。

 犬人なら悲鳴をあげる威力だが、チッチは眉一つ動かさない。


「なぁ、もういいかワン」

「……」


 応答が無いチッチに代わり、「ちょっと黙ってろピョン」キューピンがぶっきらぼうに言う。


 ベースの種類と数、つまり動物《アニマル》の種類と数は多岐に渡るため、ともするとアンノウンでくくりがちである。

 アンノウンベースは非常に多く、見た目にも表れづらいといわれるが、それは無知な大衆から見た話でしかない。

 この場のメンツは違う。

 優れた冒険者でもあり、領土の守護者でもある。多くの獣人も見てきた。ゆえに些細な特徴も見逃さない。

 気怠げに白けているこの犬人も実力者だ。彼の言うことを疑う道理は無い。だからこそ学者さえも悩ませる。


 実力者の目で見ても視覚的特徴の無い獣人――かなりのレアケースであった。


「第一おめえの過失でもあるぞピョン」

「わかってるワン」


 不覚と言えば、この犬人がスーサイ・ドッグの特徴の無さをスルーしてしまったことである。

 嗅覚に自信があるからこその失態と言える。仮にキューピンであったなら、スーサイが本当にアンノウンなのか調査していたことだろう。


 さて、唯一の学者はまだ微動だにしていない。

 しばらく続くと思われたが、間もなく我に返ってきた。


「きゅーちゃん……」

「あんだピョン?」

「私が見たときがシマウマベースだった」

「シマウマピョン? 珍し――そういうことかピョン!」


 興奮したキューピンが思わず拳を繰り出す。チッチは「なんで叩くの……」と言いつつ、難なく受け止めていた。


「……もういいかワン」


 キューピンとチッチとで目撃した容姿が異なること。

 巷を賑わせた侵入者の存在に、二人がその調査をしていること。

 そして、今も姿こそ見えないが、とんでもなく底の知れない何かがそばに控えていること――


 部外者の犬人にも、スーサイ・ドッグなる人物のヤバさはどことなく伝わってきた。


「この件はまだ他言するなピョン」

「当然だワン」


 キューピン達にも、もう引き留める理由はない。

 犬人は足早にその場を去って行った。


「――やっぱり変幻自在みたいねぇ」

「おめえは黙ってろと言ったピョン」

「だって寂しいんだもん。チッチちゃんも抱きつかせてくれないし」

「チッチ、構ってやれピョン」

「嫌だよ……」


 犬人が察知したとおり、この場にはアルフレッド王国第三王女アキナとその守護神レモンもいた。さすがに姿を見せるわけにはいかないため、小声だけを発している。


「あなた達でも見抜けない、嗅ぎ分けられないほど確かな変装をする。厄介ねぇ」

「変装って生半可なものじゃねーぞピョン」

「モンスターも操る……」

「でも魔人ではないピョン」

「わけがわからないわねぇ」


 アキナは呟くことで、チッチは口数がなくなることで、もどかしさを表現する。


 この三人は獣人領侵入者――通称『怪人』を調査する『怪人調査隊』を結成したばかりだ。

 元々チッチからアキナに持ちかけた話であり、表向きはブーガが始末したとなっているがチッチはいまいち信じていない。反面、キューピンはブーガの強さを疑っておらず、気負っている様子もない。


 この中で最ももどかしいのはアキナだろう。

 まだ二人には伝えていないが、怪人、ジーサ、タイヨウがすべて同一人物であることを知っている。加えて、ジーサとは直に接触しており、ステータスやスキルも一通り把握済。

 よって、わかっていることも多い。


 たとえば変装に関する能力がカバーされていなかったことから、別の手段――この場合はそういうのが得意なモンスターを操っていると考えられる、など新たな知見を容易に得ることができる。

 しかし、彼女達に共有することはない。


 シニ・タイヨウを手に入れるためには、内密に動くしかないのだから。

 既にエルフやアウラウルも動いている。父親《シキ》が黙っているとも思えない。

 取り合いになってしまえば出し抜けないのだ。


 と、そのとき。

 遠方から何かが弾けた気配がした。


「……きゅーちゃん」

「21、22、いや23キロメートルといったところかピョン」

「やるわねぇ。22.6くらいだそうよ」


 他人事のような声音にキューピンが顔をしかめる。

 王国のお忍びは気楽なものだが、キューピン達は違う。領内の異常があれば確認し、対処しなければならない。


「頭領が遊んでんじゃねえかピョン」

「怪人じゃないといいけど……」

「演技でもないこと言うなピョン」


 獣人二人が虚空を見る。

 音ならともかく、この遠距離でも気配を感知させるほどの存在は第一級クラスの恐れがあった。アキナの守護者でも隠密《ステルス》を保てない可能性があり、お忍びが崩れてしまう。「ごゆっくりー」アキナは留守番を選んだようだ。


「腰抜けピョン」

「腰が抜けるほど気持ち良くなるのも好きよ」

「……行くぞピョン」


 王女の軽口を無視して、キューピンとチッチは現場へと向かう。

第289話 トップバトル3

 銀色に輝く槍が大気を引き裂き、音も置き去りにして直進する。

 それは相手の眼をめがけていたが、直前で微動をはさまれ――額にヒットした。


 この一撃は並の存在なら、いや第一級冒険者にさえも風穴を空ける威力だが、その額はびくともせず。

 どころか相手は、受けたパワーを利用して身体を流し、脚を振り上げてきた。


 避けきれない。


 脚はサリアの握っていた槍――無魔子《マトムレス》のスキルで加工したオリハルコン製の『オリハランス』を狙っている。

 サリアにできることは、さっさと手放して衝撃の伝達路を絶つことくらいで。

 間もなく、弾かれる。

 オリハランスが空高く吸い込まれていく。

 同時にサリアが吹き飛ばした相手――ギガホーンもまた吹き飛んでいる。貫けない物体は吹き飛ぶしかないし、この威力を魔法で殺すのも難しい。


 オリハルコンを蹴り上げたことで生じるであろう不自然な金属轟音、それが耳に届く前にサリアは武器の方を選び、回収に向かう。


「全国を飛び回っていた頃を思い出しますね……」


 回顧に浸りつつもしっかりとスピードを乗せるサリア。


 急がねばならない。

 高度が上がりすぎると、魔の領域に入ってしまう。

 濃霧のように雲が立ちこめるその空域は、必殺の天災『サンダーボルト』が流れているという。

 人類がとうに冒険を諦めた場所であり、サリアとて入れば命はない。


 程なくして無事に追いつき、回収に成功した。

 急停止だけでも相当な衝撃波が生じるが、ここは上空だ。何一つ気にする必要はない。

 オリハランスもまたそんなに柔ではないが、服はそうでもなく。防護に充てていた魔法も倹約のために切っているため、バトルスーツは跡形もなくなり素肌を晒すこととなった。


 それを「【ドレスアップ】」即座に復元した後、サリアは元いた地点まで戻った。


「――相変わらず、嫌になるほど頑丈ですね」

「ジーサほどではない」


 吹き飛ばしたはずのギガホーンはもう戻ってきていた。

 岩のベッドを宙に敷いて、呑気に寝っ転がっている。

 額には微かに傷が残っているが、凝視すれば現在進行で回復していっているのがわかる。まるでモンスターのような生命力だ。


「サリア・エルドラよ、もう終わりか?」

「終わりです。貴方を前にしては、連撃は意味を成しません」


 クリアランスの一撃でさえこの程度なのだから、それ以下の攻撃をいくら叩き込んだところで致死量に至れるはずもなかった。


「その槍。もう少し見せてみよ」


 滞空するサリアがパッと手放すと、最硬の槍が落ちる。

 それを風魔法で引き寄せるギガホーンには、ご満悦といった表情が浮かんでいた。まるで遠征を終えた冒険者のように。


 派手に暴れたわけでもなければ、長時間戦ったわけでもない。戦闘時間で言えば数分にも満たない。

 彼女の収穫はオリハルコンだろう。第一級冒険者御用達のミスリルさえも凌ぐ最硬の存在を受けることができ、かつ、それでもへっちゃらだとわかったのだ。


「ウヌのこれとジーサに共通項はあると思うか?」

「無いでしょうね。ジーサ殿はこんなものと同列にできる存在ではありません――【ドレスアップ】」


 滞空を解き、腰を下ろして正座したサリアはいつものドレッシーな装いであった。


「長老には見えない美貌だな」

「誰が長老ですか」


 ドレスアップには一瞬だけ裸になる隙がある。エルフの、それも女王の裸体となれば価値も計り知れないため、通常なら神経質に隠すところだが、サリアはあえてそうしなかった。

 この獣傑には意味がない。

 同性ということもあるが、皇帝や某ガートン職員のように、小細工が効かない次元というものがある。


「そういえばジーサ殿にも効き目がないのですよ」

「オイにはそうは思えん。ブーガといたときは露骨だった」


 混合区域《ミクション》を提案された時のことを言っているのだろう。


「彼が男の性癖を持っているのは間違いないと思います。何と言いましょうか、それが届かないというか、そう――刺さらない」


 女王にしてははっきりしない物言いだが、ギガホーンは「刺さらない、か」自らも復唱するほど反芻する様子を見せる。


「オイを超える頑丈さと関係があるのかもしれぬ」

「もう少し粘ってはどうですか」

「サリア・エルドラよ。わからぬことを考えすぎると老けるぞ」

「エルフは老けません。そんなことより、聞かせてもらいますよ」


 サリアはだらける獣傑の手元から槍を奪い取ると、枕にして自身も寝そべった。


「聞かせてもらうのじゃ」

「ドレスに着替えた意味は?」

「うるさいのう。頑強なそなたとは違って、わらわは《《か弱い》》のじゃ。疲れたのじゃ。女王の顔なんてやっとれんのじゃ」


 女王ただ一人に許されたドレッシーな格好が、子どものようにじたばたとしている。

 さすがのギガホーンも苦笑をはさまずにはいられなかった。


「何じろじろ見ておるのじゃ。早《はよ》う話せ」

「妙に焦っているな」

「配下がうるさくてのー。シッコクとジーサ殿の捜索に費やさせるつもりじゃったが、とうに見破られておる。当然、この外出も警戒されていようが、わらわの策謀は完璧で、あと五時間は過ごせると思うておった。が、さっき戦っておるときに、根回しを一つし忘れたことに気付いたのじゃ。あと一時間もせぬうちに見つか――おぬしの手か?」


 サリアとて人である。相手を多忙にすることで干渉や管理を減らすという上級階級のテクニックも使うし、今もせめて服装面で怒られないようドレスを着用する小賢しさで備えつつも、ここぞとばかりに怠けて愚痴も吐き出して存分にくつろぎ、さらにギガホーンの話も聞き切るつもりでいたが。


 接近する何かがそれを許さない。


 長年の勘から獣人の気配であろうと察しがつき、尋ねたのである。

 ギガホーンは頷き、「優秀な奴らよ」身を起こす。


「頭領。そちらへ行ってもかまわないかピョン?」


 間もなく口調は荒いが万物を油断させそうな可愛い声が上ってきた。

 数百メートルほど下方に二名ほど。深森林の中を移動してきたのだろう。


「構わん」

「まだ何も言っとらんのじゃが……」


 客人たるサリアに配慮しての確認と思われたが、ギガホーンは独断で進めてきた。

 無論、その意味、というより機微を理解できないサリアではない。この話に加えるつもりなのだ。


 飛び上がってきたのは、どちらも獣人であった。

 片方は小柄で愛くるしい毛並みとフォルムを備えており、反面、表情の作り方と身のこなしに野蛮さを感じさせる。

 隣の気弱そうな娘は、間近で姿を見るのは初めてだが、チッチ・チーター――獣人随一の脚力で知られる有名人。


 キューピンはふわりと降りてきた後、どかっと腰を下ろして「キューピン・ウサギピョン」とだけ名乗る。

 語尾の数から見て、相当プライドも高い。間違ってもエルフにかしこまることはあるまい。

 一方、チッチは「きゅーちゃん……」態度の悪さを申し訳程度に諫《いさ》めつつも、隅にちょこんと座った。普段は姿を隠すそうだが、礼儀としてこの場はそうはしない、でも恥ずかしいので距離を開けるといったところだろう。


 元より公の場でもなければ、獣人相手との礼節など無いに等しい。

 サリアもそのつもりで、まだオリハランスを枕にしたままだった。


「休んでおるだけじゃ。気にしなくてもよい」

「二人が戦っていたのかピョン?」


 早速キューピンが本題に入る。


「オイの圧勝よ」

「頭領の実力は否定しねえピョン」

「吹き飛ばされたのはギガホーンさんでは……」

「チッチとやら。鋭いのじゃ」


 サリア達が戦闘した時、吹き飛ばした先も含めて周辺には人はいなかった。そういう場所を選んだのだから当たり前だ。

 一方で、レベルの高い肉体と硬度の高い物体とが衝突すると、不可視の不自然な反応が生じる。これは非常に細かく、察知できるのは高レベルの冒険者だけだ。

 チッチは――いや、おそらくキューピンも察知したのだろう。

 もっと言えば、発生源がギガホーンの肉体とストロングローブの硬さだからこそ生じたものであるとの仮説も立てている。


「そんなことはどうでもいいんだよピョン」

「おぬしも剛胆じゃのー。わらわはこれでもエルフの女王なのじゃが」


 サリアはあえて寝そべったまま胸をとんと叩いてみせたが、「なら軽率なことはしねえピョン」キューピンは何とも淡白なものだった。

 女王ほどの立場だからこそ、些細な体裁にこだわるような無能ではあるまい、と。


「で、|首席同士の戦い《トップバトル》が発生したのはなぜだピョン?」


 そんな優秀な獣人が、こうして異常事態の理由を詰め寄っているのである。

 これを巻くのは難しかろう。階層構造《ヒエラルキー》の無い獣人族ならなおさら。


「なるほどのう」


 ギガホーンが即決に倒した気持ちを理解したサリアであった。

第290話 トップバトル4

「――先日、肉眼では見えない程度の|極小モンスター《ミクモン》を捕らえた。オイはすぐに殺そうとしたが、その前にそれは《《自ら死のうとした》》のだ」


 サリアは開いた口を塞ぐ気にもなれなかった。

 自分の命を自ら絶つ行為は『自殺』と呼ばれるが、ジャースでは非常に珍しい考え方であり、知らない者も多い。現にキューピンも首を傾げている。


「モ、モンスターが自殺する……。何のために?」


 隅で絶句していたチッチが呟きを絞り出す。

 本業が学者ゆえに博識なのだろう。自殺の概念も知っていると思われたが、それでも理由にまでは思い至れないらしい。


 しかし文脈から考えれば明らかだった。


「我ら人類に手がかりを与えないためですね」

「……」


 サリアは淑やかな女王モードに戻り、誰が来ても遜色無い綺麗な正座を見せていたが、その変貌ぶりからか、キューピンの双眸はさっきから冷たい。


「それにしてもギガホーン殿。寄生スライムという言葉をよく知っていましたね」

「偶然よ。懇意にしている子の一人が小説好きでな、オイもたまに読ませてもらっていた」


 言い方から考えて、相手は獣人の幼子であろう。

 ギガホーンほどの人物があえて子供を懇意にする理由などそうはない。獣人は貞操観念も乏しく、強者への憧憬も強いため、両親でさえ手放しで喜ぶはずだ。

 つまりは淫らな関係であると推測できるが、この場では何の価値もない。サリアもいちいち突っ込まない。


「寄生されて苦しむエルフを描いた作品だったが、そこに登場するモンスターの一つが『寄生スライム』と名付けられたものだったのだ」

「二重の意味で趣味が悪いですね」


 美しきエルフは何かと空想の餌食になり、その手の作品だけで悠々自適に暮らす作家もいるほどだ。

 種族のイメージを損なうとしてサリアらは一時期検討に上げたこともあったが、そんなものにいちいち突っかかるのも逆にみすぼらしいということで保留となっている。


 それはともかく、空想の産物を自由に形にするのが主流となっている小説において、あえて現実の事実を混ぜ込んでいる点は無視できない。


「その作家は獣人ですか? もう調べたのですか?」

「行方不明だそうだ」

「やられましたね」


 シッコク・コクシビョウの仕業だろう。


 シッコクとグレンが何人ものエルフを誘拐していることもわかっている。彼らを支える勢力が存在すると見て間違いない。

 貧弱な組織ではなかろう。生き延びたシッコクに繋がる手がかりを消す程度の工作など、造作もないはずだ。


「ですが、良いことを聞きました」


 《《ぼろ》》はそういうところから出るものだ。

 消された手がかりも人である以上、繋がりがあり、生活というものがある。その欠如によって何らかの影響が生じる所が出てくる。

 組織についてもそうだ。いくら実力者であっても少数で出来ることなど限られている。たいていは表の顔も持つだろうからなおさらだ。ゆえに下っ端が必要になる。組織は太る。そして、太れば太るほど統率は難しくなり、というより不可能になり、甘い部分が出てくる。

 あえて言うほどのことでもない。為政者なら誰もが肌で感じている、人という社会的動物の限界である。


 もっともジーサの捜索は機密であるため人海戦術は取れないが、それでもとっかかりさえ掴めなかった現状に比べれば光明と言えた。


「寄生スライムの線から探ってみるとしましょう」


 サリアの脳内では、早くもこの調査を隠すための大義や体裁が次々と浮かび始めている。


「陛下は怪人をどうするつもりだピョン?」


 サリアが立ち上がる前に、キューピンが猜疑のオーラごと寄越してくる。「きゅーちゃん……」チッチはチッチで相変わらず端っこから申し訳程度に諫めるだけであり、一応礼節だから最低限はやりますよという学者特有のやっつけ感がある。生真面目なエルフの園では見られないものであり、サリアは思わず相好を崩した。


「何がおかしいピョン」

「何でもありません。我らの総意は一つです。種族を冒涜した存在を、この手で処分致します」

「処分とは何だピョン」


 ギガホーンには伝えているが、こうなった以上、直接伝えるのが礼儀であろう。「処刑または幽閉です」とサリアは続けた。

 処分の内容を受けたキューピンは怪訝な顔を浮かべて、


「頭領。信用していいのかピョン?」


 既に怪人とジーサが同一人物であり、ジーサが目下逃亡中であることも共有している。言わば極秘事項を知るグループにキューピンとチッチも加わったのだ。

 無論、種族《エルフ》の問題に関わらせるわけにもいかず、また獣人側もその意思がないため、捜索は各自好き勝手に行う――それで合意している。


 その上でキューピンは、エルフでは力不足ではないか、むしろ足を引っ張るのではないかと言っているのだ。


 結果だけ見れば言い訳の余地などない。

 何せ王女の婿として迎えるほどに懐を許してしまっていたのだから。


「ギガホーン殿は良い仲間を持ちましたね」

「オイもそう思う」

「褒めてねえで教えろピョン」


 キューピンは後ろに両手をついてくつろぐギガホーンに詰め寄ると、胸倉を掴んで揺らし始めた。

 硬質なギガホーンの皮膚を掴んでおり、相当な力をうかがわせる。


「陛下もその微笑ましいものを見るような眼はやめろピョン」

「きゅーちゃん……」


 一応|諫《いさ》めるチッチだったが、そんな友人の呟きなど相手にせずキューピンの詰め寄りは苛烈さを増して――。

 間もなくじゃれ合い、というには轟音が過ぎる戦闘が始まった。


 キューピン・ウサギは領土と種族の安泰を第一に考えている。

 怪人は明らかにそれを脅かす。彼女の正義感が見逃すはずはない。

 既に手を組んでいるチッチはともかく、ギガホーンも頭領として無視はできまい。この後、三人は本格的な会議に移るだろう。脅威を完全に潰すための作戦会議を。


 空に何本も描かれている鋭い軌道を見ながら、サリアは今度こそ立ち上がるも。


「……チッチ殿。何か言いたいことがあるようですね」


 あからさまに視線を送ってくるのを無視するわけにもいかず、


「【無魔子薄膜《マトムレス・フィルム》】」

「【防音障壁《サウンドバリア》】」


 サリアはお馴染みの二重防音壁を構築する。

 友人のキューピンにさえ隠す格好となっているが、チッチに否定の素振りはない。


「私はブーガ様と怪人が手を組んでいると考えています。サリア様はいかがでしょうか……」

「何とも言えませんね。というより、わかりません」

「ブーガ様にお伺いすることは……」

「できませんね」

「そんな……」


 どうやら距離を取っていたのは消極的な性格だけでは無かったらしい。

 その見解を強化するために、一歩引いていたのだろう。加えて、こうして個人的に活路を見出すための隙もうかがっていた。


「ご存知でしょうが、皇帝を探ることは罪にあたりますよ」


 だからこそ尋ねてきたのだろうが、サリアにとってもブーガは特別な存在である。

 エルフ領もまたダグリンの一部でしかないのだ。


「ダグリン共和国において皇帝は超法規的存在です。たとえば説明責任《アカウンタビリティ》は一切ありませんし、無理に問い質そうとすればやはり罪になります」

「……」

「そもそもブーガ殿は会いたくて会えるものでもありませんし、面の皮もレベルに違わず厚いのですよ」

「そう、ですよね……」


 皇帝の不義を疑うあたり、よく出来た冒険者と言える。なまじ最速の脚を持つだけに、今まで好奇や猜疑を妨げられた経験も乏しいだろう。要するに勝ち組な人生を歩んできたはずだ。

 通常ならそれで良いし、今後もそのつもりで生きれば良い。


 が、今回は相手が悪すぎる。


「ブーガ殿から探ることは諦めなさい。死にますよ」


 これもまた縁である。

 サリアは一言世話を焼いてから、今度こそ立ち去った。

エピローグ

エピローグ1

 第六週三日目《ロク・サン》。

 4003群1番のギルドセンターでは朝の繁忙を乗り切り、つかの間の閑散が訪れていた。


 空の容器とだらけた駄弁りの目立つ酒場。この平穏な空間が好きで、ユレアは勤務中の合間によく眺める。

 今もしばらくそうしていたが、


「やあユレア。考えてくれたかい?」

「……ギルドマスター」


 下手に暇だとこうして絡まれることが多い。

 必要以上に距離感も近く、抱き寄せられる近さにまでわざわざ詰めてくるが、ユレアは顔には出さない。


 代わりに、自分の雇い主であり、この辺りでは有力な冒険者でもある彼の御尊顔をまじまじと見上げた。

 庶民にも貴族にも受けそうな、無難にハンサムな顔立ち。

 貴族の出だという。若干年上ではあるものの、苦労の跡が一切見えない、恵まれた『お坊ちゃん』だ。


 一体何を悩んでいたのだろうと今さら馬鹿馬鹿しくなって、ふふっと思わず笑ってしまう。

 何も知らないギルマスは「ゆ、ユレア……?」などと興奮気味に顔を近付けようとして、しかし自身の立場を思い出したのか、留まった。

 そうね、この近さだと上目遣いになってしまうと胸中で気づいて。


 ユレアは背筋を伸ばし、一歩下がってから。


「ごめんなさい」


 客にも滅多にしないであろう謝罪を口にする。もちろん表情も相応に真剣につくりこむことを忘れない。


「ユレア……」

「私は私の生きたいように生きます。今まで色々教えていただいて、ありがとうございました」

「ユレア」

「ですが、もう結構です」


 ギルマスは決して鈍くはなく、狡猾ですらある。

 もう届かないことを悟り、その眼に焦燥を宿すも、「では」とユレアが最後の会釈を上げた後にはもう収めている。何も言わず奥へと引っ込んでいった。


 場の空気は凍り付いていた。


 ユレアとて鈍感ではない。自分の置かれた構図は理解している。

 男に人気があり何度も言い寄りを回避してきたとはいえ、たかが小娘だ。一般人の分際で、有力者の顔に泥を塗ってしまったのである。


「やるじゃん」

「……リンリン。仕事さぼっちゃダメよ」


 アンラーの指導役にもなっている同僚だ。

 ちょうど口うるさい客を相手にしていた彼女は、その後釜にアンラーを当て、こうして逃げてきたのだろう。

 一見すると真面目な店員だが、中身はカレン並にズボラであることをユレアは知っている。


 同時に計算高くもあった。

 ギルドマスターの顔を潰した女をこうしてフォローすれば、彼と敵対したくない人達を遠ざけることができる。酒場の席からこちらを見ている客達もその一部だろう。

 リンリンも中々の人気者であり、同じ境遇として日々の辛さはわかっているつもりだ。これを期に、広がりすぎた交友を絞ろうとでもしているのだろう。


「何? 私の顔をじろじろ見て。そりゃユレアに比べたら不細工だし、そばかすもあるけどさー」

「そんなことないよ。可愛いし、チャーミングだと思う」

「誰にでもそう言うじゃん」

「アンラーさんも気にしてるみたい」

「あんな男はどうでもい――って、ユレア?」

「何でもないから」


 身体が震えていた。


 当然だ。生物の格が違うのだから。

 もちろんここはダグリンであり、懲罰隊もいる。ギルマスとてどうこうできるはずもない。

 上司と部下の関係ではあるが、付き合いも長い。あの男に死罪を覚悟してまで何かしてくる度胸はない。


 それでも、身体は正直だった。


 震えが止まらない。

 力を入れても、入れなくても、まるで別の生き物に乗っ取られたかのように、言うことを聞いてくれない。


「大丈夫だって」


 リンリンが優しく手を握ってくれる。

 その視線が周囲に散らばったので、追いかけると――


「見てたよ。ただの美人じゃないんだね」

「冒険者に向いてるぜ。オレらのとこに来ねぇ? つかオレのパートナーにならね?」

「何勧誘してんのよ」

「あ? 口説いてるだけだが」

「開き直るな」

「ユレアちゃんはみんなのものだよなー」

「はいそこ、勝手に神格化しない」


 常連の冒険者の人達に。


「よく言ったよ。あたしもスッキリした」

「困ったらいつでも相談するんだよ」

「私も力になるわ」

「私も」


 同僚の女性達もぞろぞろと集まってきてくれた。

 それでもこの場では少数だけど、一人じゃないとわかって、涙腺が緩くなる。


 でも、やっぱり何かが足りなくて。

 ユレアの視線は、自然と一箇所に吸い寄せられた。


 酒場の新入りで、先輩に丸投げされた接客を応対している男の子。

 間もなく解放されたようで、彼はそそくさと距離を離そうとする。勤務中だ。逃げ場はないし、暇にしていると怒られる。

 それで彼が選んだのは――掃除のようだ。

 テーブルを拭く用途の布を濡らして、空いたテーブルを無駄に丁寧に拭いていっている。

 その間、最も目立つであろうこちらを向くことは一度もない。一度も。


 明らかに不自然で。

 びっくりするほど白々しくて。


「そんなに嫌なんだ」


 ぷふっと。ユレアは柄にもなく吹き出してしまう。


「何? あー、あれがまた何かやらかした?」


 リンリンは彼を快く思っていないようで、軽蔑の視線を隠しもしない。

 アンラーは特に目立つ職員でもないからか、集まった人達は気にする様子さえなかった。どころか、これ幸いと宴に持ち込もうとしていて、リンリンの肩に常連の手が乗る。


「よろしくな」

「え、ちょ、冗談はやめてくださいよ!?」

「ぎゃははは、しっかりもてなせよリンリン」

「勘弁してくださいって! もうすぐ昼時ですよ!?」


 常連のごつい手を乱暴に叩《はた》くリンリンだが、宴を始めんと酒場に戻る彼らの背中は止まらない。


「それじゃユレアちゃんにも手伝ってもらおうか」

「だから口説くなってー」

「ユレアー……、アンラーは使い物にならないからさ。ヘルプお願い」


 目に見えて忙しくなりそうな状況を前にして、涙目のリンリンが縋《すが》ってくる。

 そうでなくとも常連さんの誘いでもあり、いつもなら断れなかっただろう。


 でも、ユレアは。


「お断りします」


 満面の笑みで断ることができた。

 もちろん本当に忙しい時は助けるが、リンリン達は優秀だ。この程度なら間違いなく捌ける。「そんなー」間もなく引きずられていくリンリンを笑顔で見送りながらも。

 ユレアは。彼女の目は。


(アンラーさん……)


 すぐに彼を追いかけてしまう。


 早速リンリンにつま先を踏まれ、大げさに痛がっている。

 布も片付けず、掃除したままの手で接客しようとしていて、もう一度踏まれた。

 どっと客が沸く。ドジな新人とお仕置きする先輩は、既に見世物でもあった。


 痛がりつつ、照れもするアンラー。

 ぼーっと見ている限りでは何一つ不自然なところはない。体が大きいだけの、不器用で情けない男の子で――


(――本当に?)


 一昨日、ライオットに話している時は別人のようだった。

 人生経験豊富で、同時に偏屈でもあって、ギルマスでさえ関わろうとしない老人を物ともしていないというか、対等に話し合っているというか。

 気のせいと片付けるのはかんたんだし、まだ仕事中なのでそうするべきなのに。

 それでも頭から離れてくれない。



 ――生きるの定義にもよりますよ。



 彼はそんなことも言っていた。

 意味はわかる。けれど、そんな言い回しは普通は聞かない。

 定義とは国が定めるようなものなのに、それを自分の、一個人の生き方に当てはめる……? 発想がまるで違う。


 当たり前と言えばそうかもしれない。彼もまた帰化してきた人なのだから。

 国が違えば文化が違う。当たり前のことだ。それに帰化とはしばしば逃亡の意味合いを持つわけで、後ろめたい事情があったっておかしくはない。探るのもマナー違反だ。

 でも。それでも。


「知りたい。って言ったらダメかな」


 ユレアはわざとらしく呟くと、顔を綻ばせた。

エピローグ2

 第六週三日目《ロク・サン》の深夜――


 ガートンの雑務を済ませたスキャーナは、いつものように王都貴族エリアの屋敷を目指す。

 上空を高速飛行することしばし。視界に煌びやかな王都リンゴの片鱗が飛び込んできた。


 空からの夜景は誰もが憧れる景色の一つだが、彼女にとっては日常の一つにすぎない。休憩か考え事を差し込むための、単調な移動時間だ。

 今は後者に充てていた。


(ジーサ君は本当にダグリンにいるのかな……)


 皇帝ブーガが怪人に応戦したという事実。

 いくらブーガであっても怪人――シニ・タイヨウほどの人物を匿い続けるには無理があるという一般論。

 ブーガが国を統べる皇帝としてどこまでも純粋であることと、タイヨウがエルフさえ騙し通せるほどの変装術を持っていること。


 上記から総合すると、ブーガとタイヨウとの間で何らかの取引があり、かつタイヨウはブーガの手引きでダグリンに潜入。得意の変装で別人を装って潜伏している――と考えられる。

 これが先日ルナ、ユズ、ヤンデとの検討会にて出た結論であり、昨日もその前提でダグリン国内をどう探るかの議論が活発に行われたばかりだ。


 しかしスキャーナの内心には異があった。

 もっとも代案もないため、まだ唱えてはいないのだが。


(ジーサ君が脅威すぎて、見て見ぬふりをするしかなかったのかもしれない。逃亡だってグレーターデーモンを利用しただけで、ブーガとは関係がないのかもしれない)


 所詮は推測の域を出ない。

 おそらく十分すぎるヒントが出ており、正解に至れる可能性は高い――不思議とそんな直感がある。しかし、ヒントが出ていることとそこから実際に手繰り寄せられるかどうかは別問題である。レベルや親密度もあまり関係がない。


「……」


 こういう時、スキャーナが最初に思い浮かべるのは決まって上司であった。


 間もなく王都の領空に入ると、いったん冒険者エリアの支部に立ち寄る。

 施設内の個室で王立学園の生徒スキャーノの身なりに着替えた後、ゲートにて屋敷の近所に向かった。

 この小細工には意味がある。

 屋敷は貴族スキャーノとして確保されたものだからだ。ガートンの職員だと怪しまれる。実際は取材やら何やらで出入りすることも多く日中なら黙認されるのだが、深夜だと言い訳がつかない。


 屋敷に入るまでもなく、スキャーナは上司ファインディの在宅を察知した。

 どうやら仕事中らしく、テーブルにかじりついている。応対する気力もないため、正直なところ有り難かった。


 だらしのない私生活も既にバレている。

 スキャーナは衣装室に入ることもせず、廊下を浮遊しながら魔法を乱発して着替えと洗浄を済ませた。

 下着を着替えたところで居間に到着。

 先ほど感知したとおり、上司は大きな机を独占して何やら広げているらしかった。


 スキャーナは構わず地面にダイブし、仰向けに寝そべる。

 今日の仕事は別部署のものであり報告も要らない。なら寝室でさっさと寝ればいいのに、あえてこうして、しかも下着姿のままである。

 普通にはしたないし、並の男なら襲われても文句は言えないなどとほざくだろうが。

 この男は違う。



 ――悪いのは常に加害者であり、その自制心の無さなのですよ。


 ――自分の性別を嘆いても意味はありません。


 ――格好の正否を他者に問う暇があるのなら、暴漢を退けられるだけの力をつけなさい。傍観の目を背かせるだけの迫力を手に入れなさい。



 数々の助言は今でも鮮明に思い出せる。


 スキャーナは仕事に邁進する上司の横顔を見上げた。


(ファインディさん、結構モテるんだよね……)


 先日殺したシーカもその一人である。

 ファインディは問題社員でもあるが、それ以前に何かとモテる。部下として間近に居続けたスキャーナは、その手の話を何度も見てきた。


 シーカの気持ちもわからないでもなかった。

 スキャーナとて、やれ貴族だのやれ社交だのとつまらない境遇から引き出してもらい、長らく鍛えてもらった身でもある。昔は好意を抱いたこともあった。


(ジーサ君と何が違うのだろう)


 今は無い。びっくりするほどに無い。


 相手にその気がないとわかっているからだろうか。

 未だに得体が知れないからだろうか。

 それとも苛烈な教育のせいで、ある種の苦手意識が残っているからだろうか。


 地面に寝転んだまま不躾に上司を凝視するスキャーナ。

 もう少し粘っても良かったが、今はむしろ気持ち悪さが勝つ。仮に口説かれでもしたら、冗談であっても鳥肌が立つ自信さえあった。


 もう寝ても良かったが、そもそもなぜここに来たかを思い出す。


 シニ・タイヨウを二国の王女と一緒に探してます、などと言えるはずもなく。


(ぼくが何がしたいんだろう――あっ)


 そして気付く。


 困ったらとりあえず上司の元に行く――


 そんな情けなさがまだまだ無くなっていないことに。

 以前同僚から「父親離れしていない娘みたいだ」と揶揄されたことがあったのを思い出し、スキャーノは失笑する。

 普段なら胸中で行うが、あえて表情にも乗せてみた。


 が、上司に反応はない。


(都合のいい時だけ絡んでくるからなぁ……)


 間違いなく気付いているだろう。今も仕事をしながら、一挙手一投足を観察しているはずだ。

 ファインディは反射神経も相当だが、だからといって物理的に近い他者を無視するほどお人好しではない。もちろん何時間も観察し続ける集中力やマルチタスクもお手の物。

 実に癪である。


 だからといって、ちょっかいを出すような真似はできやしない。

 付き合いの長いスキャーナにはわかる。

 今のファインディは話しかけていい状態ではない。オーラが漏れているわけではないが、雰囲気でわかる。この状態の上司に割り込もうものなら、お仕置きが待っている……。


(懐かしいな)


 雰囲気を読む訓練として何度もやらされて、何度もしごかれたのが記憶に新しい。


 と、こうして回顧に浸っていても何にもならない。

 父親離れならぬ上司離れを、いいかげんするべきだろう。


(そういえばファインディさん、何してるのかな)


 この距離なら紙面の文字でも識別できる。

 一般的に紙面の識別は不可能とされているが、スキャーナにはできた。広範囲の空間認識が苦手で、諦めた代わりに、狭い範囲の高精度な把握に振り切って練習してきたのだ。


 これは上司にもバレていない特技でもあった。

 だからこそ、ファインディもこうして堂々と仕事しているのだろう。実力者は過剰な備えをしない。話しかけるなモードさえ見せれば、この部下に見られることはない――と、そう考えている。


(久しぶりに出し抜けるかも)


 スキャーナは密かな特技を行使することに決めた。


 テーブル上に広げられているのは、大きな紙だ。ガートンが独占している高級紙であり、第六位部長職程度のファインディには縁のないものだが、どうせ買収なり脅迫なり制圧なりして確保したのだろう。

 さて、その高級紙だが、ジャース語で単語と、単語間には矢印が引いてある。

 中央にシニ・タイヨウの名前があり、そこからたくさん伸びていることから、人物相関図であるとわかる。


 周囲の単語も拾ってみる。

 いくつかグループ化されているようであった。


 ハルナ・ジーク・アルフレッド。

 王族専用護衛《ガーディアン》。

 ヤンデ・エルドラ。


 アキナ・ジーク・アルフレッド。

 チッチ・チーター。


 アウラウル。


 サリア・エルドラ。

 ギガホーン・サイ・バッファロー。


 シッコク・コクシビョウ。


 グレーターデーモン。

 魔王――



「どうしました?」



 上司の声に、寝転がったままのスキャーナは露骨にびくっとしてしまった。

 加減も忘れてしまい、地面を抉ってしまうが、そんなことを気にしている場合ではない。


「い、いえ、何も……」

「下手ですねぇ。もう少し平静を保ちなさい」

「……無茶を言われるようで」

「スキャーナ。あなたはどうしたいのですか?」


 ようやく気付く。


 自分が、いや自分達が私的に調査していることも。

 対象に対して特別な思いを抱いていることも。

 それでありながら、どうしていいかわからないでいることも。


(全部見抜かれてる)


 でなければそんな台詞は出てこないし、そもそもこうして机上の相関図を読ませたことからして罠だったのだ。


 これほどのビッグネームを並べ、そのすべてがシニ・タイヨウに向いていると一瞬でも思わせることで動揺を誘った。

 スキャーナは自分の|変装術と平静術《ポーカーフェイシング》に自信を持っているが、所詮は上司からの教育に過ぎない。

 この人は師匠と言い換えても良い。

 練度も、精度も、癖も、すべてを知られている。知られ尽くしている。

 実際、字を空間認識できるという秘密の特技も。その上でこうして密かに読んでくるという性格も。何から何まで読まれていて。

 元より実力では敵うはずもなく。


 完敗だった。


「……ファインディさんは、どうされるおつもりで?」

「前にも言いましたが、私はシニ・タイヨウを祭り上げるだけです。多かれ少なかれ周辺人物も巻き込むことになるでしょう。あなたも例外ではありませんよ」


 スキャーナが抱く懸念もすべて先回りされている。


 ファインディという男は変わらない。

 対象をシニ・タイヨウと定めたのならば、完遂するか完敗するまで止まることはない。たとえ周辺に部下がいたとしても。

 しかし、自分が懇意にしている部下を蔑ろにするほど愚かでもない。


「考えさせてください」

「私に断る必要などありません。あなたの人生なのですから、あなたが決めれば良いのです」

「ファインディさんを敵に回したくはないようで……」

「別に戦うわけではありませんよ。取材させていただくだけです」

「……」


 白々しい響きだった。


 スキャーナは上司へと見上げていた視線を下ろし、体を起こして座り直す。

 直接向き合う勇気はなく、ファインディもまた仕事を中断する気もないため目が合うことはないのは不幸中の幸いだった。

 会話もこれで終わりだ。


 とりあえず、抉ってしまった地面を魔法で修繕することに。

 通常魔法――特に土と水と火の配分を組み合わせて、地面と大体同じ材質をつくればいいだけだ。得意ではないが、大した仕事ではない。

 スキャーナの頭はもっぱら別の懸念に向かっていた。



 ――そして祭り上げるのです。これは売れる。売れるのですよ。



 シニ・タイヨウを祭り上げる。

 ファインディは確かにそう言った。ここ最近の仕事ぶりを見ても、そのために動いてると見て間違いない。


 戦いに投じたいわけではないのは事実だろう。

 これほどの実力がありながら、あえて一社員に燻《くすぶ》っているのだ。戦いどころか冒険も、金も、名声もさしたる動機ではない。

 社内では守銭奴として通っているところもあるし、本人もそのような発言をたまに行うが、騙されてはいけない。優れた大人は平気でダミーを使う。

 だからといって何もない、ということもあるはずがない。


 祭り上げるとはどういうことか。

 単に|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》の正体はシニ・タイヨウだったと知らしめるだけ? そのつもりで、そのタイミングをうかがっている?

 だとして、成功したところで一体何になるというのだろう。


(わからないなぁ……)


 けれど、上司がこうして自ら対立の可能性を示してきた以上、彼の成そうとしていることは今一度理解しておかねばならない。


(ぼくだってジーサ君が欲しい)


 ジーサ・ツシタ・イーゼを狙う勢力は多い。正体はシニ・タイヨウなので、それを狙う勢力も結果的に加わろう。

 先ほどファインディに見せられた名前がどこまで絡んでいるかは不明だが、全部絡んでいたとしてもおかしくはない。さすがに魔王あたりはファンタジーだろうが。


 ともかく、ジーサを手に入れるとは、それらすべてが敵に回ることをも想定せねばならないことを意味する。


 そんなの命がいくつあっても足りやしなかった。

 なのに、


(ファインディさん……)


 一番気になるのは上司の動向なのだ。

 最近友人になったエルフの王女よりも、この人の方がはるかに怖い。


 家族並に近しく過ごしているのに、まるで底が見えなくて。

 それでも実力は確かで。

 それでありながら、こんなしがない社員で燻《くすぶ》っていて。


(ジーサ君。ぼくはどうすればいいんだろう。今は何してるのかな……)


 ジーサが欲しいとの本心にも嘘はないが、だからといって具体的にしたいことがあるわけでもない。

 いや、あるにはあるが、おそらく人並の欲求なので向き合うのが恥ずかしいだけかもしれない。


 そんな中でも、確かに芽生えるものが一つだけあった。


(会いたい)


 ユズやヤンデと一緒に探している身にもかかわらず。

 スキャーナの思考はそれらの一切を放り出して、ただただ深く潜っていった。

=== 第八部 暗殺とか舐めてんのか? ===

第一章

第291話 姉妹喧嘩

 第六週四日目《ロク・ヨン》のお昼時。4003群1番のギルセン――ギルドセンターはがらんとしていた。国民時刻表《ワールドスケジュール》に例外は無く、スタッフも昼休憩となるためだ。


 そんな中、ユレアとリンリンは酒場の一席で向かい合っていた。

 テーブルには皿が並び、果物と肉が無造作に転がる。冒険者が残した残飯で、見た目もゲテモノだが、一般人《レベル1》には縁の無い食材である。リンリンが個人的に譲ってもらったものを、同僚でもあり友人でもあるユレアにも分けた形だ。

 二人とも手を止めず黙食に励んでいた。


 八割以上平らげたところで、


「……リンリン、さっきからなあに?」


 口に物を入れたままユレアが喋る。器用ではあるが、このギルセンでダントツの人気者としては考えられない所作だ。


「いや、今さらだけどさ、いいのそれ? モテなくなるよ?」


 広い館内には現在二人しかいないが、既に十人くらいは出入りしており、二人のドカ食いも目撃されている。二度見した男性スタッフも数名。


「いいの。もう取り繕わないって決めたから」

「じゃあ控え室で食べた方がいいんじゃない?」

「ギルドマスターがいるから嫌」

「だよねー」


 付き物が取れたように微笑む同僚を見て、しかしリンリンはニヤリと口角を上げ、「アンラーにも幻滅されるかもよ」ジャブを打つ。

 ユレアは「んぐっ」喉を詰まらせたようだ。


「わかりやす」


 リンリンはあははと笑いながらもコップに水を入れ、すっと渡す。酒場の接客担当だけあって早いし、こぼさないし、置く音も静かだ。

 ユレアはすぐに喉のクリアにかかるが、その間、同僚の生暖かい視線に耐えねばならなかった。


「――まったく。いきなり変なこと言わないで」

「ああいうのが好みなの? ちょっと顔が可愛くて図体がでかいだけのゴミじゃない?」

「見た目の問題じゃないんだけどなー」

「不器用だし。頭も回らないし。今日も休みやがるし」


 アンラーは昼からの出勤であり、もう来ないといけない時間だが、昨日朝のヘルプに入ったという理由で今日は休んでいる。彼一人なら即行拒否しているが、ユレアの頼みもあってリンリンは仕方なく受け入れた。

 あの顔と言動を思い出すだけでも腹が立つが、目の前の同僚は違うようで、表情にも出ている。


 これ以上からかう気にもならず、ため息だけついて、


「あまりひいきにするなよー。嫉妬でいじめる奴とかいそう」

「彼なら大丈夫よ」


 いくらダグリンが懲罰隊に守られた国だからといっても、いじめはある。人気者のユレアが夢中になる男で、しかも新参者の一般人ならなおさらだ。

 それがわからないユレアではないはずだが、なぜかにこにこしているまである。


「アンラーさん、今は何してるのかな」

「……」

「今日は暇そうだし、お休みにしちゃおうっと」


 体調が悪くても出勤しようとするほどの勤勉さは面影も無い。

 恋をすると盲目になるのだろうか、とリンリンはもう一度嘆息した。




      ◆  ◆  ◆




(――よし、上出来だな)


 俺は自宅《コンテナ》にこもって、ひたすら修練に励んでいた。具体的にはスキル『リリース』の制御である。

 威力を|一垓《いちがい》分の一ナッツに設定した上で、《《体内に》》放つ練習をしていた。


 別に死にたいわけじゃない。こんなことで死ねたら苦労はしない。

 リリースは俺の生命線だ。方法は多い方が良い。体内にも撃てたら何かと重宝すると思ったのだ。まだ用途は思いつかないし、発動も安定しないが。良くて成功率一割。まだまだ使い物にならない。


「そろそろ換気するか」


 空気振動を拾われて怪しまれないために、俺は換気口を全部閉じることにしている。が、長時間閉じ続けるのは怪しい。一般人は普通に窒息するからな。というわけで、俺は三時間半を目安に換気を行っている。

 ダミーとして迷路を描いた板を床に敷き、レッドチョークも手に取って汚れと臭いをつけることも忘れない。


 ちょうど全部開けたところで、花火のような轟音が届いた。

 十分前を伝える、ダグリンの時報。さっきは午前十時だったから、


「もうお昼かぁ……」


 アンラーの口調と声音を出すことで、俺は意識《キャラ》を切り換える。


(ダンゴ。あくびを起こせ)

(クロ。あくびに合った涙を出せ)


 同時に体内の相棒にも指示を出して、アンラーとしてのリアルな演技を肉付けする。コイツらの働きもまた生命線なので、可能な限り命令をしては、その結果を採点するようにしている。

 ふわぁ、と前世の記憶と違わぬ作用をなぞる。


 目元を雑に拭い、小さな換気口からぼーっと外を覗くふりをしつつ、もう一度おさらいしておく。



 今後どう生きるべきかはもう決めた。


 まず無敵バグの解明と対処は諦める。

 代わりに滅亡バグを探して潰す。並行して、《《ジャースを》》壊せるほどのダメージを貯めておき、クソ天使どものプロジェクトが円満に終えるまで待つ。具体的には百年間。

 つまり俺は百年以内にダメージを貯金しつつ、滅亡バグを解決すれば良い。


 その後は、貯めた分をリリースするだけだ。

 それだけでジャースは滅びる。俺も天界に帰れる。


 まあ円満に終えた後の大崩壊となるわけで、天使達の現場は大惨事だろうが知ったことじゃない。俺の見立てでは、このバグはどこぞの天使Xが故意に仕掛けたものだ。俺は悪くない。

 プロジェクト自体は成功してるんだ。

 約束どおり俺は、俺の魂は、未来永劫解放してもらえるはず――



 ……とはいうものの、直近はそれどころじゃない。

 ブーガのお願い事を叶えなくてはならないからだ。


 具体的には、ダグリンの将軍全員の暗殺――。


 そのために使えそうなのが『将軍会議』なるイベントで、これは週一で開催され、ブーガを含めた全将軍が集まる。

 開催場所は毎回不定だが、国民の観覧が可能となる開催もある。となると、俺のやるべきことは単純だ。

 民として観覧しに行き、特大のリリースをぶっ放して全員殺す。これだけ。

 無論、ブーガごと殺してしまっては意味がない。規模がでかすぎたら竜人が来てアウトだろうし。


 幸いにも、この願いを叶えれば、ブーガは俺の手足になってくれる。

 彼は嘘をつかない。先の上空での対話は、そんな次元などとうに超えていた。

 だからこそ逃げられないわけだが。


 失敗すれば封印されるだろう。

 今の俺ではブーガには勝てないし、逃げることも、隠れることも叶わない。

 この任務は完了させるしかないのだ。


 結論として、


(ブーガだけが生き残れる塩梅で、リリースを放たないといけねえんだよなぁ……)


 正直言って俺の能力はチートだと思うが、現実はそう甘くはない。

 一発放つために一体どれほどの戦略を練り上げねばならないのか。浮気してる夫もこんな感じなのだろうか。


 と、そのとき。

 どん、どん、とノックと呼べるか怪しい乱暴な音が。

 この叩き方は次女だな。まあ換気口経由の空気振動でわかっていたが、一般人《アンラー》にできる芸当ではないため、あくまで素知らぬふりをして迎える。


 ガゴンと扉を開けると、案の定フレアが立っていた。

 タンクトップに半パンという出で立ちで、色気は無いが健康的で眩しい。いつもより胸の膨らみが小さいが、そういう下着でも着てるんだろうか。


「フレア? どうしたの? 鍛錬は夕方からだよね」

「うちが言いたいですね。仕事はどうしたんですか? サボったんですか?」

「昨日は朝も出たから、今日はお休みをもらったんだ」

「仕事を舐めてますねぇ」

「働いてない子供には言われたくないなぁ」

「うちは子供じゃないです!」


 何をムキになっているのかは知らないが、直後、女子中学生相当とは思えぬスピードで踏み込んできた。うん、たしかにその体捌きは子供離れしてるな。

 あっという間に腕を掴まれてしまう。アンラーのキャラだと避けられないから仕方ない。


「さ、行きますよ」

「ちょっと待ってよ! 迷路描きたいんだけど……」

「どうせ朝から描いてたんでしょう?」


 フレアは力尽くで俺の手を引き寄せ、くんくんと嗅ぐ。顔をしかめた。「臭すぎです」レッドチョークのおかげです。


「今日はライオットさんも都合がつくそうです。今から行きましょう」


 るんるんと擬音語がつきそうな後ろ姿を見て、「なんか楽しそうだね」思わず言うと、腕を捻られた。なんでだ。

第292話 姉妹喧嘩2

 野良講師ライオットと合流後、少し遠出をして河原に来た。


 俺はと言うと、二メートル先で構えるフレアに向かって、ひたすら石を投げている。

 一般人《レベル1》のパフォーマンスを害さない程度に、しかし容赦なく片っ端から投げているのだが、全く当たらない。

 顔に投げれば首を曲げ、足首に投げれば足を上げ、胴体に投げれば軸を丸ごとずらして避けてくる。ダッシュやすり足、ジャンプ、ダンスのような回転モーションまで、フレアは多彩な動きを駆使してくれる。地面は砂利なんだが……。

 しかも無駄が無くて、一時間くらいは続けられそうな勢いだ。


「お兄さん、手が止まってますよ」

「屈んで石拾って投げるのも疲れるんだけど……」

「うちはもっと疲れます」


 地面の石が無くなってきたので、数メートルほど場所をずらす。フレアもぴったりとついてきた。


「負荷が足りないので、常に動きながら投げてもらえませんか?」


 機敏な動作でひょこひょこ動きながら石を投げるフレア。滑らかすぎて気持ち悪いまである。「早くしてください。攻守交代しますよ」それは勘弁。


 というわけで、言われたとおり、動きながら石を投げることに。

 フレアは器用なもので、石を全部避けつつも、俺との距離を保ってくる。


 癪なので、俺は少し誘導を試みる。


 トラックみたいな大岩が背になるようにフレアを導くことに成功した。


「お兄さん、やりますねぇ」

「後ろに下がる動きはできなくなるよね。ちょっとは楽しくなるかな?」

「望むところです! さぁ!」


 俺達が汗水流している間、講師はというと、特に指導はせず、持ち込んだ水筒をくぴくぴ嗜みながら、なんか石を何基も積んでやがった。前世でいうロックバランシングってやつか。バランスアートともいう。

 それはともかく、遊んでないで仕事してほしいんだが。


 俺としてはもっと情報を引き出したいんだよな。

 特に将軍会議に関する情報が欲しい。現時点では、今週の会議は観覧できないってことしかわかってない。


 来週以降の、観覧可能かつここから通える会議はいつか。

 あるいはそれをどうやって知ればいいのか。


 焦るものでもないが、ブーガミッションの期限は二年。加えて、今もいくつもの勢力が俺を――シニ・タイヨウやジーサ・ツシタ・イーゼを探しているはず。のんびりはできない。


 まずはフレアを疲れさせねば。

 コイツが疲れて倒れている間に、ライオットと話してしまおう。


「フレアはさ、なんで冒険者になりたいの?」


 会話で頭を使わせれば、より疲れるというもの。


(それに、ちょうど面白い来客もいるみたいだしな)


 ライオットはたぶん気付いている。

 フレアはまだだな。身体能力は素晴らしいが、鈍感なところがある。俺としてはやりやすくて助かるが。


「なんですか急に」

「いつも真剣だからさ。かっこいいなぁと思って」


 さすがに石を避けながらだと、顔は背けられない。照れるフレアをまじまじと見れるのは貴重――ってうぉっ!? 石を蹴るのはやめろ。


「うちの動きを怯ませる魂胆ですよね。その手には乗りませんよ」

「それもあるけど、本心だよ」

「ほ、本心、ですか……」

「ずっと気になってるんだ。フレアのそのやる気はどこから来てるんだろうって」


 うーだのむーだの表情の変化が慌ただしい。

 どう喋るか脳内で整理しているのだろう。


 砂利を踏む音。

 投げた石が背後の大岩に当たる音。

 石が落ちる音。

 川のせせらぎに、心地の良い風音――


 緑こそ皆無ではあるものの、ダグリンの自然も中々味があった。


 フレアの様子が落ち着いたところで、


「レベル1の冒険者を目指してるんだっけ?」


 レベル2以上が干渉すると品質が落ちるものがある。作物も、家畜も、狩猟した肉もそうで、ジャースではよく知られた現象だ。フレアは『劣化』と呼んでいたし、俺も王都の貧民エリアで散々味わってきた。


 プレイグラウンドのガキども、元気かな。もう会うことはないが、アイツらならリードしていけるだろう。

 商者《バイヤー》の職練はヤンデに押しつける形になっている。また会ったらこっぴどく絞られそうだ……と、思わず微笑みそうになるのを、俺は無視する。

 ヤンデも、ルナも、その他どいつもこいつも。

 もう二度と会うつもりはない。


 フレアはまだ言いにくそうにしていたが、ようやく口を開いた。


「――楽させてあげたいんです。姉さんも。クレアも」

「そうなんだ。ならユレアさんにも言えばいいんじゃないかな。あの人が心配してるのって、レベル2が危険だから、だよね?」


 フレアの顔が曇る。

 動きも止まってしまったので、俺も石投げを中断した。

 あれだけザクザクコツコツうるさかった音が止み、俺達の息切れが存在感を主張し始める。


「ごめん、変なこと聞いちゃったね」

「いえ。その……。――りたいんです」


 大岩にもたれて、腰を下ろすフレア。

 俺も隣に座ろうとしたが、距離感が近いのは嫌いだ。その場であぐらをかくだけに留めた。


「うち、本当は冒険者になりたいんです。冒険がしたい。ダンジョンに潜ってみたい。ギルドに登録して、クエストをして、戦果を噛みしめながら、美味しいものを食べるんです」

「……ギルドセンターでよく見る光景だね」

「はい。ずっと憧れてます」


 俯いたまま、罪を告白するように話している。普段の茶目っ気はすっかり鳴りを潜めていた。

 短いパンツから下着がちょっと見えていて無防備だ。俺を信用しているのか、それともそういう意識や文化がないのか。閑話休題。


「挑戦はしないの?」


 フレアは顔を上げて、離れてくつろぐライオットじいさんと見合わせる。横顔がみるみる紅潮していくのがわかる。正気に戻ったらしく、


「う、うちのことはいいんです! お兄さんこそ、どうなんですか?」


 キッと睨んでくる。


「えっと、どうって?」

「貧乏なまま『めいろ』を描く人生で終わるつもりです?」


 んなわけねえだろ、とは言えないので、「うん」迷うことなくそう答える。


「姉さんを娶《めと》るんですよね?」

「め、めとっ!? そんなことしないよ!」

「えー、姉さんはまんざらでもなさそうなのに」


 ニヤニヤとおちょくる気満載の笑顔を寄越してくれる。


「変なこと言わないでよ。練習の続――」


 タイミングをうかがっていたらしく、大岩の裏に潜んでいた人物がそっと姿を現す。

 俺の位置からは丸見えだ。ライオットも気付いてる。


 が、アンラーのキャラで平然としているのはおかしい、というわけで俺はホラー映画を見てて不意に驚かされたときのようにビクッとしてみせる。アンラーはたった今気付いたのです。

 フレアは瞬時に警戒を宿し、振り向いた。切り換えの早さも悪くないな。冒険者には向いてると思う。


 その視線の先には、珍しく真顔を浮かべた人物が。


「……ね、姉、さん?」


 振り返ったフレアは、普段の茶目っ気を発揮できない。それが許されない雰囲気がまとわれている。

 ここにいるはずのない人物――ギルドセンターで働いているはずの姉さんことユレアは目を細め、腕を組んで、


「冒険者はダメよ」

「れ、レベル1ですよ? 動物《アニマル》を劣化させずに狩れたら、もっと暮らしが楽にな――」

「全部聞いてたわよ。あなたの思いも」


 とっさの嘘も通じない。レベル2以上を目指したいという本音も含めて、がっつり聞かれてしまっている。


 ユレアはいわゆる『慎重派』だ。冒険者を目指すフレアとはそりが合わない。フレアもずっと内緒にしていたようだし、昔からの確執なのだろう。

 たぶん決定的に衝突しないよう、なあなあにしていたのだろうが、うん、もう逃れることはできまい。


 ライオットじいさんも完全に傍観に回っている。

 フレアも視線一つ寄越さない。最初からこの問題では頼らないとお互い取り決めていたのだろう。じいさんの立ち回りだろうな。やはり策士だ。


 そんなじいさんだが、俺の方に近づいてきて、一挙手一投足の間合いにまで来やがった。

 逃げるな、と。へいへい。


「冒険者はダメ」

「姉さんに言われる筋合いはありません」

「死にたいの?」

「うちは死にません」


 泰然と叱るユレアに、身振り手振りで感情をあらわにするフレア。姉妹だなぁと他人事に思いつつも、俺は内心ほくそ笑んでいた。


(これでしばらく絡まれることもなくなる)


 仲直りも早そうな二人だが、今回は生死に関わる話題だ。一週間くらいは稼いでほしいところ。


「そんなのわからないじゃない? カレンのメイトも亡くなったわよね?」

「うちはそんなにやわじゃないです。こうして毎日鍛えてて――」

「ライオットさん。レベルアップには運も絡みますよね?」


 じいさんは答えない。事実上の肯定だ。

 まあそうだろうな。俺もルナと|初心者によるトドメ《フィニッシュ・バイ・ビギナー》をしてきたからよくわかる。

 レベル1が、自分の手で倒したと判定されなければ経験値にはならない。サポートしすぎたら無効。しなさすぎると死ぬ。ちょうどいいバランスを探し出すのは、文字通り命を賭けた挑戦になる。


「強いからってできるわけじゃない。参考までに去年の特区の昇格率を言っておくけど、四割よ」


 十人中六人は死ぬの。


 明瞭だが冷酷な声調がフレアを殴った。


「行方不明者は含まれていないから、実際はもっと死んでる」


 姉の突き付けは止まらない。

 師たるライオットを巻き込み、行方不明者の補足も加え、とマジで容赦が無い。


「……やめませんよ」

「なに? はっきり言って」


 顔を険しくするユレア。おっとり姉さんって感じだけど、そんな顔もできんのか。つか聞こえてるだろその反応。


「やめませんよ。冒険者はうちの夢です。絶対にやめません」

「だから危ないって言ってるじゃない!」

「それでもやめません! 冒険に危険はつきものです!」


 ユレアがカッとしたのがわかった。

 つかつかと前進して、妹の両肩を掴む。


「死んでほしくないのよッ! どうしてわからないのっ!?」


 怒気にあてられたフレアも姉に負けない表情で睨んでいたが、すぐに俯き、歯噛みした。

 長く過ごしてきたからこそ、姉の気持ちもわかるのだろう。それを無視して独立できるほど無慈悲でもない。


 ……って俺は何を見せられているんだ?

 正直どうでもいい。が、バグっててもなお気分の良いものではない。どうにかならないかと隣のライオットに視線を送ってみるが、やはり静観を決めるらしく、俺を見向きもしなかった。

 拘束する気ももう無いようだ。まあたしかにここまで聞いたら最後までいるけどさ、そういう内心を見透かされてるのが癪だ。


「のんびり屋な姉さんにはわかりませんよ。うちはもっと動きたいんです」

「だったら働けばいいじゃない」


 挑発は通じない。ユレアは淡々と正論を突き付ける。


「そういうことじゃないです。……もういいです」


 さすが冒険者を目指してるだけあって無闇に喚《わめ》き叫ぶほど豆腐メンタルでは無さそうだが、失望の色は横顔からも滲み出ていた。


 直後、ダンッと。


 一般人の女子とは思えない踏み込みを経て、フレアが走り去っていく。

 失望の強さを見せつけるように、グングン遠ざかる。その背中を、ユレアは黙って見つめていた。


 ……空気がよろしくないので、俺も退散するか。

 あくまでもレベル1を崩さない程度に、そーっと「アンラーさん」ですよね。


「言ってやってもらえませんか。あの子、アンラーさんには懐いているので」

「あ、はい、善処します」


 接客業の所作でこちらを向き、なぜか近づいてくるユレア。


「まさか、そそのかしたりしてないよね?」


 ずいっと真顔のまま迫ってくる。普段淑やかな人がこうも感情をぶつけてくると迫力が凄いな。正直嫌いじゃないです。


「してないです」

「本当に? アンラーさん、優しいからってフレアにも甘い言葉を言ったりしてないでしょうね?」

「言ってないですし、むしろうんざりしてるくらいですが……」

「そうかのう? 良い鍛錬相手にはなっておるようだぞ」


 ジジイは頼むから黙ってて。むしろ助けて。


「アンラーさんも冒険派なんですか?」

「いやいや、違いますって。いい様にこきつかわれてるだけですって」


 ユレアはまだ収まらないらしく、その矛先は全部俺に来て――結局三十分も絞られるのだった。

第293話 セックラス

 フレアもユレアもいなくなったことだし、俺としては結果オーライだ。

 ライオットとは散会せず、早速――はさすがに印象が悪いので、適当に姉妹の話を交えつつ、徐々に将軍会議の話題にシフトさせていった。


 もちろん暗殺者丸出しの聞き込みはよろしくない。

 既に将軍や皇帝のファンであるというキャラはつくっているので、関連する書物やその他イベントの有無も尋ねてファンを演じる。加えて交通手段や遠出時の持ち物、さらには今日も持参している水筒など日常にも話を広げることで、新米感や一般人《レベル1》感も薄まらないよう努めた。

 まあ一介の若造が老練に敵うはずもなく、猜疑の態度が普通に出てたけど。


 別れ際には「仲直りさせてやれ」などと任務を頂戴した。悪いがそっちに費やす気はない。


 続いて俺はギルドセンターに足を運ぶ。といってもホームの4003群だと同僚がうるさいから、近場の4001群だ。


 ホームと比べると、建物のサイズは一割くらい。

 こじんまりしていて、前世でいう役所の出張所を思い出す。カウンターは一つだけ埋まっていて、なんか言い争ってるな。

 掲示板をチェックするふりをしながら少し観察。

 どうも世話好きなおばさん連中がいて、情報収集は楽そうだ。が、噂話を広められるリスクは無視できない。古今東西、井戸端会議のネットワークを舐めちゃいけない。


 幸いにも目的はすぐに見つかった。

 デカい地図が壁一面に掲示されているからだ。ふと、俺は思いついて、


(ダンゴ。クロ。もしかして今見ている景色を記憶することはできるか?)


 エルフすら騙せるほど精巧に外見をつくれるんだから、写真の精度で景色を再現することくらいできるだろう。それをセンチメートル、いやミリメートルレベルの縮尺で保存しておけば、事実上記憶媒体である。

 返答は後頭部への単打《イエス》と、心臓|左部分《イエス》への斬撃。やはり可不可で言えば可なのか。


(この地図を覚えろって言ったら、やってくれるか?)


 これは二連続の殴打と右部分への刺突だった。微妙に攻撃バリエーションで遊んでるのはさておき、否定《ノー》か……。

 だよなぁ、明らかに面倒くさそうだし。


(俺のお礼次第では、やってくれる可能性はあるか?)


 これも二人ともノー。

 なるほどな、クソ面倒くさいから最初から門前払いってわけだ。残念。


 気を取り直して地図を見上げるが……うん、無理だな。こんなの到底覚えられるものではない。


 南ダグリン――日本地図でいうところの九州地方、それも一般人用の特区のみ扱ったものだが、地方単位の密度が桁違いだ。前世の日本の市町村数は1700程度だが、特区は8000群《クラスター》もあるからな。

 もちろん、そんな情報を表示しきれるはずもなく、この地図は10群単位で示しているようだった。それでも800個だ。群の数字がパズルのように敷き詰められた光景は、見ているだけでくらくらしてくる。


(とりあえず地理問題は解決できそうだな)


 これで将軍会議の舞台がどこであろうと調べられる。


 ついでにいくつか問い合わせもしてみた。


 ホーム付近の詳細地図。

 有料だそうだ。もちろん新米一般人に出せる金額ではない。さすがダグリン、一般人への仕打ちは容赦無い。


 将軍会議の日程。

 4003群の方で掲示されているとのこと。字が読めないから無理だな。聞けばここでも教えてくれるそうだが、現時点では来週の日程は来ていないそうで。


 周辺のダンジョン情報。

 一キロ圏内に洞窟が一つあるようだが、劣化すると非常に不味くなるモンスターしかいないらしい。かといって一般人では逆立ちしても勝てない強さと来た。結局誰も立ち寄らず、そのせいで繁殖しまくっているため、たまにお掃除クエストが出るようだ。


 他に客もいないし、もう少し喋りたかったが、おばさん連中がわらわら集まってきたので退散する。リアルに井戸端会議の会場らしい。「ねー聞いてよもう」の第一声からもうワイワイしている。悩みなんて無さそうで眩しいわ。


 歩いて帰ることにする。

 たぶんサブ3くらいのペースなら怪しまれないだろうが、特区の食事水準で日中走ってばかりなのは不自然だ。懲罰隊よりもどちらかと言えば同じ目線を持つ一般人の視線が怖い。


 体内の相棒と雑談を交わしながら、ゆっくり歩くことにした。


(しっかし、鳥人が結構いるな……)


 空を見ると、鳥のような影がいくつかある。自衛隊基地のある町から見た機影の数と同じくらい。鳥ほど多くはないが、無視できる量ではない。

 飛んでいるというより、浮いている感じだな。俺の感覚も総動員してみると、どうも地上の人間を観察――いや物色しているようである。


 というか、ちょいちょい俺もターゲットになってんだよな……。男を漁っているらしいとカレンは言っていたが。がたいの良い男が好きなんだっけか。

 どの程度の鳥人に当てはまるかはわからんが、たしかにアンラーは体格はでかい。180センチ以上あるし、80キロよりも重い。素の俺に寄生スライムを被せているから当然だが、ジャースでも平均超えのスペックである。

 ただし、筋肉の付き方はだいぶだらしなくて、運動不足寄りの中肉中背。よって、ミーシィのような筋肉派は来ないはず。


 そもそも懲罰隊に守られてるから心配は要るまい。もちろん警戒はするが。






 4003群22番地――ホームに帰ってきた頃には、午後六時を過ぎていた。

 夕食と風呂を損ねた形となるが、バグってる俺には関係がない。一日飛ばすくらい許容範囲だろう。まあ日中移動してたせいで汗と砂と泥に塗《まみ》れてるけど。


 遠目に俺のコンテナが見えているが、何やら二人ほどいやがる。大人一人と、小っこいのが一人。

 気付かれないように裏側から近づきながら様子を見るが、普通に待ち伏せしているようで詰んでる。


 仕方なく姿を見せる俺。


「おっ、帰ってきたね」


 カレンは「やぁ」と手を挙げてきたが、もう一人の幼女は両手を真横に伸ばしながらこっちに走ってきた。


「くれああたっく!」


 それ、浴場に飛び込む技じゃなかったか。

 ともかく、もう避けられない間合いに入っているので素直に受ける。

 片足を的確にタックルされたわけだが、助走段階なのに威力があって、アンラーの能力では尻餅をつく必要があった。とりあえず「あはは……」とアンラースマイルを浮かべておく。


「情けないなぁ。もっと鍛えなよ」

「すいません……」


 カレンにぐいっと起こしてもらう。


「入浴してないの? 水は貯めてるからさ、お姉さんが洗ってあげようか?」


 相変わらずタンクトップのよく似合うカレンは、続いて自分の胸元をぐいっと引いた。照れるふりをしながら、「結構です!」強めに断る。


「くれあもあらう!」


 クレアまで真似をしている。加減に長けたカレンとは違って、普通にまな板の胸部が丸見えだ。


「よしっ! それじゃ三人で洗いっこしよっか」

「うん!」

「いや、洗わないです……」

「そんなに汚れてるのに? そのまま寝るわけにはいかないでしょ?」

「だよ?」

「急に真面目になるのはやめてください。クレアもほら、汚いから離れてね」


 お前らとのお別れもそう遠い話ではない。もう下手な馴れ合いなど要らないし、これから調査も鍛錬も本格化したいので正直減らしたいんだよ。


「それで用件は何ですか?」

「アンラーくん、なんか焦ってない?」

「疲れてはいますね……」

「お姉ちゃん達がご機嫌ナナメだったけど、アンラーくんも関係ある?」


 フレアとユレアはまだ仲直りしてないようだ。

 ちらっとクレアを見ると、んふぅって顔をされた。一緒にいたと思うんだが、お気楽そうで羨ましいな。


「ボクは無関係です。ライオットさんも静観してます」

「冒険者の話だよね?」

「はい」


 くそっ、また長引きそうな話題を……。

 さすがにここで強引に用件を尋ねるほど愚かではない。いや、あえて不快にして距離を置いてもらうのもアリだが、たぶん通じないのでやめておく。わざとらしすぎてかえって怪しまれそうだし。


 しかし、カレンは「まあいいか」驚くほど軽く流した後、用件を口にした。


「出張性交教育《セックラス》って知ってる?」

「知らないですが、卑猥な響きを感じます」

「鋭いねぇ」


 下半身を凝視してきたので、とりあえず隠す。


「おにいちゃん、おしっこ?」


 違います。


「くれあもおしっこ!」


 言いながら走り始めている。俺のコンテナの中へと消えていった。


「娼館の友達がいてさ、明日こっちに来るんだよ。無料で性交の講義をしてくれるの。実習もあるよ?」


 竿をしごくジェスチャーをしてみせるカレン。手でつくった輪っかといい、上下に動かす速度といい、妙に生々しい。

 なるほどな。手慣れているのは、その友達のおかげか。


「そうですか。良かったですね」

「アンラーくんも参加ね。性病検査も兼ねてるから、悪いけど強制。村長《マスター》にも言ってあるから」


 いきなりぶっこんできたなぁ……。


「検査が目的なら、別の機会でお願いしたいです」

「私と二人っきりになるけど」

「……」

「アンラーくん相手なら喜んで食べちゃうけど」


 デュヘヘといやらしい笑みを浮かべてみせるカレン。


「参加します……」

「よろしい。明日八時に迎えに来るから、ちゃんと体洗っておいてね。足りなかったら水魔法でしごかれるから、本当にちゃんと洗うことをすすめるよ」


 カレンはひらひらと手を振ると、俺の反応も待たずに去って行く。

 さりげなくクレアを押しつけるな……。

第294話 セックラス2

 第六週五日目《ロク・ゴ》。

 予告どおり俺は朝っぱらからカレンに捕まり、一緒に入浴させられ、アンラーの設定としてつくりこんだカントン包茎の包皮も無理矢理剥がされ、痛い痛いと叫ぶのも無視されて入念に掃除された。


 その後、メシを食べてから他の参加者とも合流し、しばし歩く。

 カントン包茎はここダグリンでも劣悪らしく、カレンは真面目に金貯めて切除してもらうべきなどと抜かしていた。まだからかってくれた方がやりやすい。思わず持論をぶつけそうになったが、何とか堪えた。


 水を抜いた入り江みたいなところに来た。

 高い崖に囲まれ、騒音が空に拡散するようになっている。だからなのかナーサリー――保育園兼母親社交場みたいな場所として使われており、今も朝九時前だというのに赤ちゃんの鳴き声がうるさい。

 音量はまだ休日ショッピングモールのベビーエリアくらいだが、昼にもなれば会話すらままならない戦場と化すだろう。


「カレン。こっちよ」


 と、カレンのリードで連れられてる俺含めた総勢二十人ほどの集団に、一人の女が声をかけてくる。


「わぉ。大胆な格好だねー」


 ダグリンの特区には場違いな高級かつ扇情的なドレスだ。赤基調でよく目立つが、どちらかというとチャイナ服寄りで、自慢のおみ足がスリットから覗いていた。何なら見せつけている。


「当たり前じゃない。娼者《プロスター》は舐められたら終わりなのよ」

「むしろ舐めて舐められるのが本懐じゃない?」

「そうね。あとで相手してもらうわよ」

「女には興味無いって言ってるでしょ」

「だから教えてあげるって言ってるじゃない。カレンならできるわ」

「触るな」

「れろれろ」

「舐めるな」


 二人はいちゃつきながらも、会場となる区画へと向かっていく。俺達もついていく……って、え、マジで? ここでやんの? ど真ん中なんだけど。


 赤ちゃんに乳を飲ませてるママと目が合った。

 泣いてた赤ちゃんが泣き止んで、じーっとこっちを見ている。

 談笑している主婦達が話題を俺達に変えてきている。


(いや、そんなことよりも、どうしてコイツが……)


 気も力も性欲も強そうな金髪美人は意外と稀少だ。そもそもクラスメイトとして見知った顔である。忘れるはずもない。


「皆さま、はじめまして。ガーナ・オードリーと申します。娼者《プロスター》の卵として、アルフレッド王国の学園に通っております。若輩者ですが、本日はよろしくお願いしますわ」


 参加者達がその場に腰を下ろし始めるので、俺も倣って座る。

 ナーサリーだけあって地面の質は良い。ふかふかしている。これなら敷物は要らなそうだな。赤ちゃんも普通に寝かせてるし。


 そして、ダグリンだけあって畏《かしこ》まる様子も無い。私語もちらほら見えてるくらいだ。

 あ、一人なのは俺だけか。ちな男女比は9対1。俺以外の男も一人だけだ。お調子者って感じで、年は|俺と同じくらい《アラサー》だな。妻と一緒に来ているようで、ガーナをガン見しているからか頭を叩《はた》かれていた。


「本日は一般人の皆さま向けに、性交の基本を教えます。レベル1の体は何かと傷付きやすく、魔法で避妊することもできませんが、工夫すれば安全な性生活は手に入ります。そうでなくとも、性欲はレベルにかかわらず存在しますから、知っておくと何かと便利です。たとえば娼館で働くこともできますよ」

「勧誘はやめてねー。私が怒られる」


 あははと笑い声が上がる。

 どうもカレンが国に申請してガーナを引っ張ってきたって感じだな。友人関係なのだろうか。国も身分も違うわけで接点なんて無さそうだが、世間は狭いとはよく言ったものだ。


「なんでそっち座ってるのよ。あなたはこっち」

「うえっ!?」


 みっともない悲鳴を上げたカレンは風魔法で打ち上げられており、二十人――ナーサリーの野次馬を集めたら三倍近くはいる――の注目を集めるガーナの隣に落とされる。

 その辺の一般人だと腰着地で危ないが、上手く捻って受身を取りやがった。カレンが出来る奴なのはそうだが、ガーナもまた、この塩梅なら受身を取れるってことがわかってるわけだ。付き合い長そうだな。


 掴みは上々なようで、陽気な雰囲気に誘われてママさん達も集まってくる。

 赤ちゃんのノイジーな鳴き声も混ざり始め、ちょっとしたお祭りの様相に。


 ガーナとカレンによる性講義が始まった。


 実習ではなく講義のようだが、貴族の皮を外したガーナは、カレンとの絡みもあって普通に面白い。内容は前世の大人なら誰でも知ってそうなもので、妊娠と性病のリスク回避がメインだった。


 話題は次第に娯楽へとシフトしていく。


「――とはいえ、重要なのは食事よりも回数と技術よ。男は一日に二回、頑張って三回くらいしか出せないわ。生活の均衡を考えたら、一日一回以内が良いわね」

「ガーナちゃん、質問いい?」

「いいわよ」

「なんで出す回数に縛られるの? 夫も一回出したくらいですぐ萎えちゃうの」


 すっかり打ち解けていて、ちょっと太ったおばさんが生々しい質問をしている。


「男は射精すると疲れるのよ。性欲も愛情も減るわ。アタシ達に生理があるように、男もそれに悩まされてるの。娼館では事後倦怠《じごけんたい》と呼んでるんだけど、そういうものとして受け入れるしかない。終わったらさっさと片付けた方がいいわよ。下手に無理強いしたら喧嘩になる。生理中に迫られたらイラっとするでしょ?」


 俺は賢者タイムという名前の方が好きだけどなぁ。

 そういえばジャースには賢者とか勇者とかいった者は存在するのだろうか。今のところ聞いたことねえけど。


「やっぱりそうなの。物足りないのよねぇ……」

「娼館に来なさいよ」

「夫一筋だからごめんね」

「あるいは女同士なら回数の心配も要らないわ。何ならこの後どう?」

「えっ……」

「素でひいてるからやめなって」


 カレンがガーナの後頭部を叩《はた》く。小気味良い音が笑いを誘う。


「時間も押してるよね。実習も何かした方がいいんじゃない?」


 と提案しながらも、こちらをチラ見するカレン。笑い事じゃない。


「男は二人、そうね……搾り取り方のレクチャーでもしようかしら。カレンのお友達は大丈夫よね」


 大丈夫じゃないです。


「そっちのあなたは――そう、あなたよ。どう? 実習してもいい?」

「はい!」

「奥さんが怖い顔してるけど……」

「大丈夫です!」


 俺以外の唯一の男は鼻息荒めに張り切っているようだが、直後グーパンで頬を殴られていた。


「それじゃあなただけね。名前は?」

「アンラーでーす」


 勝手に名乗るな。


「ではアンラーさん。こっちに来てください」


 勝手に進めるな。


「え、その、は、恥ずかしい……」


 一応もじもじしながら粘ってみたが、この空気で許してもらえるはずもなく、数秒と待たずに俺の体が浮く。

 お馴染み風魔法だが、細部が雑に感じられる。まあヤンデやスキャーノと比べるのが酷か。


 俺はふわりと二人の目の前で仰向けにさせられて、


「アンラーさんに質問だけど、直近射精したのはいつ?」


 公開処刑顔負けの質問を投げられる。


(まずいな、性生活に関する設定は何もつくってない)


「し、してないです……」

「もしかして純潔?」

「そう、ですけど」

「ならちょうどいいわね。一人で遊ぶと変なやり方になっちゃうから、今から教えることを覚えて帰るといいわ」


 もう遅いと思うぞ。皮オナも床オナも大好きだぜ。膣内射精障害どころかプロの風俗嬢でも無理だったからなぁ。俺の息子は俺でなければ導けない。

 その代わり、俺は一時間耐えることもできるし、一分で出すこともできる。

 結局、自分でコントロールするのが最強なんだよ。


(ダンゴ。勃起と射精の管理は任せるぞ。性的興奮の変化は俺が知らせる。陰茎の力加減をよく見とけよ)


 と言いつつ、早速相棒に頼っちゃってるけど、まあこればかりは仕方ない。

 ナツナの時もエルフの時も一ミリも勃起させなかったが、悪目立ちすることがわかった。普通に演じた方が早いし、ダンゴならできる。もう連携の練習もした。


(精液の品質は手を抜くなよ。ガーナが口に含む可能性があるからな)


 ガーナの手が俺のズボンに伸びる。

 衆人環視の下、俺はフルチンを晒し――


 膣内、口内、掌内と三発も搾り取られるのだった。

第295話 めいろ

 カレンの家《ポッド》は廊下が三コンテナ、部屋が四コンテナと特区民にしては豪勢である。

 真ん中の廊下コンテナの天井には発光石が食い込んである。石の上半分は外に露出しており、日中は自動でチャージされる仕組みだ。お手製であり、要はDIYであった。


 そのおかげで、夜の八時半でも不自由無き明るさが担保されていた。

 中央の座卓に身体を預けるガーナも鮮明に映し出されている。


「――あ、待って。お母様に渡しておいてほしいものがあるの」


 あぐらをかくガーナが股に手を突っ込む。風魔法で束ねられたそれは、白濁した小石サイズの粒だった。

 それをゲート越しに使用人に手渡し、


「アタシはあと数時間くらいこっちにいるわ」


 シュッとゲートが閉じたところで、カレンが寝室コンテナから戻ってくる。


「何を渡したの?」

「精塊《スパームダスト》」


 精液を土と氷で固めたものであるが、カレンにもその程度の知識はある。


「アンラーくんの? 犯罪じゃない?」

「娼館の人間なら問題無いわよ。ブーガ様は懐が深くて助かるわ」


 カレンは空の水筒を掴んでガーナに投げた後、どかっと向かい側に腰を下ろす。「ウォーター」ガーナの魔法によって注がれた水筒を「ありがと」ぱしっと受け取り、ごくごくと喉を鳴らした。


 精液を運んでいる件には言及しない。既に知っているからだ。

 娼者《プロスター》は精液を保存する魔法やスキルに長けている。手に入れた精液を使って多彩な子供をつくり、組織の強化や取引のカードとして使うのである。


「……ふうん」

「なあに?」

「疑問に思わないのね。たかが一般人の精液をわざわざ採取したことについて」

「疑問というより興味が無いかな」

「カレンは淡白よねぇ……。人生楽しい?」

「氷は欲しい」

「はいはい」


 ガーナがかざした指から、ヒュンヒュンと一口サイズの氷が飛ぶ。それをカレンは水筒で受け止めた後、地面に水滴が散ったのも気にせず、からからと振り始めた。

 氷魔法による冷却をねだらないあたり、一線を弁えている。スパームダストの肝は氷魔法の繊細な制御であるが、機密事項でもあるため、制御を要する行動は無闇に晒さない。言われても断られるだけ、ということをよく理解している。


 天井にはめこんだ発光石に、特区では金持ちの部類に入るセブンコンテナ。

 身体能力や体術もお手の物だし、娼者として生きていける程度のスキルと胆力もある――


 そんな友人のお気に入りがアンラーである。だからこそガーナもわざわざスパームダストを採取しておいたのだ。


「ねぇカレン。アンラーってどんな人?」

「んー……」


 先ほどからちびちび飲んでいるが、ようやく納得の温度に至ったのか、ごくごく飲み始めた。

 ぷはぁ、と中年のような反応をした後、


「――掴みどころが無い」

「それだけ?」

「意外と不潔。というか無頓着」

「皮の内側まで綺麗に洗ってあったわよ」

「私が洗ってあげたんだよ」

「したの?」

「してないけど、なんで?」

「そうじゃなくて、こっちよ」


 ガーナが手で竿をしごくジェスチャーをする。


「しないってー。やるなら挿れるでしょ」


 カレンはてっきり遊び方を語り合う流れになるかと思っていたが、返ってきた言葉は全く異なるものだった。


「精液が薄かったから」

「ん? どういうこと? 精子溜まりまくった青少年の濃さに見えたけど」

「見た目はね。味はかなり薄かったわよ」

「口で受けたのは二回目よね? 薄くなるでしょ」

「それを踏まえてもよ」


 ぺろりと舌なめずりをするガーナは、すぐに思案顔を浮かべる。

 もう一度味わうのがてっとり早いだろうが、立場がある。他国の、一介の一般人に入れ込むわけにはいかない。方法を模索しているのだろう。

 カレンはそんな友人の様子を、興味無さそうに眺めながらちびちび飲んでいた。「あ、そういえば」どんっと水筒を置く。


「『めいろ』が好きなんだって」

「……迷路?」

「うん。自分で描いて、自分で遊ぶんだってさ。描くものある?」

「【砂画布《サンド・キャンバス》】」


 ガーナが唱えると、座卓の上に小さな砂場が出来た。

 カレンは中指を突っ込み、無造作に線を引いていく。


「こんな風に道をたくさんつくって、ここからここに行くんだよ」

「迷路は知ってるわよ。ダンジョンも割とこれじゃない。こんな直線的な構造じゃないけど」

「楽しいのかなーこれ。私にはわからん」


 カレンはしばらくなぞっていたが、飽きたのか砂迷路を破壊し始める。


「マッピングを楽しむ冒険者は珍しくないけど、アンラーのそれは迷路の創作ってことよね? しかも自分で遊ぶだけ」

「変わり者だよねー」

「アタシもあまり教養は無いけど、迷路の創作は聞いたことがない」


 ガーナは独り言ちながらも、何となくカレンの所作を眺めていたが、ふとタンクトップの襟ぐりが伸びていることに気付いた。


「どうしたのよそれ」


 風魔法でぐいっと引っ張ってみせる。この友人は自分で伸ばしてしまうほど間抜けではないし、誰かに引っ張られるほど緩い人間でもない。


「あー、これねー……」

「言いたくないなら言わなくていいけど」

「ううん。言っちゃう。私さ、懲罰隊員に犯されてんの。これは我慢できなくなったソイツが無理矢理手を突っ込んだときになったの」

「やるわね」


 ダグリンの社会は監視も懲罰も厳しい。される側はもちろん、する側も例外ではなく、より上位の者によって絶えず見られていると考えて良い。

 その隙を突けているのだから、少なくとも無能ではない。


「大丈夫なの? 加減間違えたらすぐ死ぬわよ?」


 高レベル者が低レベル者に性的暴行を加える最中、力加減を誤って殺してしまうのは珍しくない。

 だからこそどの国も強姦には厳しく、ほぼ死罪である。もちろん加害者が処刑されるからといって、自分も死んでいいかというと、そんなはずはない。


「その辺も上手だから大丈夫だよ。気持ち悪いけど。乳房ばっかり攻めてくるんだよ?」

「あぁ、こじらせた純潔によくあるわよねぇ。男ってなんで胸が好きなのかしら? アタシも嫌いじゃないけど」

「魔法で触るのやめてくんない?」


 カレンが水筒をぶん投げる。まだ水が入っているが、後片付けも含めてガーナにやらせる形だ。下手に殴るよりよっぽど面倒くさくて効く。

 この友人は油断すると本当に襲ってきかねないし、その気にさせるテクニックも持っている。こうして明示的に反撃するくらいがちょうど良い。


 ガーナはこぼれた水を掃除しつつ、おかわりの水も補充しながら、少し声音に心配の色を乗せて、


「そんなことより、対処はしないの?」

「レベル1にはお手上げだよ。ガーナが何とかしてくれるなら助かるけどねー」

「すぐには難しいわね。というより、下手に刺激したらあなたが危ないんじゃない?」

「だよねー。粘着気質があるからさ、激昂したら何するかわかんない」


 前世におけるストーカーの心理も心得ている二人であった。


「格上との鍛錬だと思って生かすくらいしか無さそうね」

「だーよねー」


 強かな二人にとっては、強姦程度のイベントも話の種でしかなかった。




      ◆  ◆  ◆




 就寝時間まで一時間を切っているというのに、アンラーのコンテナには帰宅した形跡が無かった。具体的には、発光板が外に立てかけられたままであり、遠目でも目立っていた。


 フレアは少し開いた扉から暗闇に顔を突っ込み、


「まだ帰ってきてないのかな、お兄さん」


 申し訳程度につぶやいた後、我が家のように扉を開け切ってから発光板を運び込む。

 廊下、寝室、排泄コンテナと覗いた後、廊下で腰を下ろした。いわゆる体操座りで、間もなく頭も伏せる。


「……」


 姉ユレアとの折り合いが悪くて居心地が悪い。クレアもいるし、表面上はいつもどおりに振る舞っているが、明らかに見えない壁があった。

 そのクレアも今日はユレアに懐いており、手持ち無沙汰である。


「何してるのかな……」


 フレアがぼーっと思い浮かべたのは自分や姉妹ではなく、この家の主だった。てっきり『めいろ』を描いているものとばかり思っていたが、なぜか不在。

 お金も大して持ってないだろうし、友達もいなければ体力もたかが知れている。出かける用事など無いはずだ。


「いいもん。居座ってやる」


 消灯時間以降の外出は禁止されている。ここで消灯時間を迎えれば、帰ってきたアンラーと二人で一夜を過ごすことになる。『夜這い』と呼ばれる行為であり不健全だが、フレアにその気はないし、アンラーくらい余裕で退けられる。

 喧嘩した姉と不在のアンラーの双方を攻める妙策だとフレアは自賛し、ふふっと相好を崩した。


 気分が晴れたこともあり、立ち上がる。


 改めて各部屋を物色するも――数分と経たずに終わった。

 寝室コンテナの壁に寄りかかって、暇そうに体を左右に揺らす。


「お兄さんは持たない人なのかな。姉さんも見習ってほしいです」


 フレアの自宅は結構散らかっている。主にユレアのせいであり、フレアが片付けても散らかすし、捨てても増やす。「あとでやる」と「もったいない」が口癖だ。

 そんなだからいつまでも貧乏人なのである。やることとやらないこと、重要なこととそうじゃないことを見極めて、専念するのが世渡りではないのか。アンラーの助言がなければ、ギルドマスターの件も未だに引きずっていたに違いない。


「はぁ……」


 油断するとすぐ姉のことを考えてしまう。

 フレアは頭を振ることで脳内から追い払う。


 それでふと目に入ったのが、地面に置かれた板――


「めいろ……何が楽しいんだろ」


 アンラーに寄り添うためには、この『めいろ』も理解しなくてはいけないのだろうか、と考えると憂鬱になる。

 直後、「な、なんでうちがそんなこと!」慌てて胸中のあれこれは見なかったことに。首もブンブンと振る。何なら両腕も振る。


 次に目についたのが、隅に積み上げられた板だった。


「うちでも楽しめそうな『めいろ』がある、とか……」


 適当な言い訳をつぶやいているが、もう内心は決まっている。ただの好奇心、そしてまだ帰ってこないアンラーに対する一方的な仕返しだった。

 早速、板を一枚ずつ取り始める。


「重いぃ……。よく運びましたよねこれ。運搬屋に頼るお金も無さそうなのに」


 十代前半で年相応の体格でもあるフレアにとっては重労働に思えた。

 しかし、ライオットやアンラーも認めるだけあって、身体センスは抜群に優れている。二枚目の時点で、もう上手い運び方を確立した。


 てきぱきと一枚ずつ地面に並べていく。やがて――


「これは、え……。文字、ですよね……」


 『めいろ』ではなさそうな、しかしジャース語とも異なる何かがびっしりと書き込まれていた。

第296話 仲裁

 国民時刻表《ワールドスケジュール》によると起床時間――つまり外に出歩ける時間は午前七時だが、実は六時にはもう出れる。七時に起きて朝食に向かうと人混みが面倒だが、一時間ずらすだけでああも快適になるのだ。


 第六週六日目《ロク・ロク》。

 今日もあやかろうと、俺は午前六時ジャストに身支度を整え、自宅を「お兄さん」自宅を後にして、静かな朝食を堪能「お兄さん」堪能して、その後すぐに4001群に行って情報収集を「無視すると投げますよ」間合いに入られていて待った無し。


「おはようフレア。早いね」

「お、おは?」

「ああ、ボクが前いた地域だと、朝初めて顔を合わせたときに挨拶するんだ」

「変わってますね」


 未だに慣れないことの一つがこれである。

 どうもジャースには挨拶の文化があまり無い。アルフレッドでは通じたよな。エルフ領でもスルー派が多かったが見たことはある。ここダグリンではほとんど見ない。


「で、どこ行くんですか? うちもご一緒しますよ」

「ご飯食べに行くだけだけど……」


 まだ日も昇っておらず暗いというのに、フレアは俺を的確に捉えている。距離感も狂うだろうに、四歩で接触できる距離を保ってやがる。夜間訓練を重ねた兵士か何かなの?

 一見すると逃げてしまいたくなるが、俺達の身体能力差を考えれば百回やっても百回捕まる。俺が逃げ出すのを誘っているのだろうが、甘いな。

 まあこんな早朝に来るケースは無かったので、何かメンドくさそうな話があるのは確定だろう。


「こそこそする必要あります? 発光板も出さないで、何をそんなに急いでるんですか?」

「早寝早起き派だからね」


 俺は早歩きを始めたが、足音が続かない。「フレア?」立ち止まるシルエットには戦意が無かった。今なら逃げられそうだが。


「少し話しませんか。すぐ済みます」


 そう言うと、フレアは俺の家に勝手に入っていく。


(――ああ、そうか。普通に忘れてたわ)


 ようやく俺は自分の失態に気付く。

 後を追いかけて入り、扉を閉めて、換気口も全部閉じて。


 フレアはというと、やはり寝室コンテナの、積んだ板のところにいた。


「全部見ましたよ。『めいろ』とは違ったものがありましたね」

「あはは……」


 いつもの笑みを浮かべてみるが、フレアは真剣な面持ちを崩さない。

 とりあえず寝室の換気口も閉じれたので良し。


 つか今日のシャツ、サイズが小さすぎてピッチピチだな。へそも出ていて、チャーミングだと思う。中学校にこんな女子がいたら、男子達のオカズになるだろうなぁ。


(バカだよな。バグ考察時に書いたメモを消し忘れるとは……)


 俺が気付けなかったということは、コイツは板を全部見た後、寸分違わず元通りに戻したということだ。重たい板を運ぶ要領はもちろん、記憶力にも優れている。敵に回したくない有能っぷりだ。


「何なんですか? めいろはもしかしてダミーです?」


 さて、どう説明したものか。

 ダグリンに来る前の商売だね、みたいに過去を持ち出せば如何様にでも誤魔化せるが、フレアが他の奴にも喋ったら厄介だ。

 俺が書いていたのは日本語。一方、ジャースでは竜人様のおかげでジャース語なる一つの言語に統一されている。学園でハナに疑われたこともあるし、ジャース語以外の言語が扱えることは誰にも知られたくない。


「秘密にしてもらえると助かる、かな……」


 フレアは俺と板を交互に睨む。「取引をしましょう」考える隙は与えてくれないようだ。


「と、取引……って?」

「うちと姉さんを仲直りさせてください。仲直りできたら見なかったことにします」

「できなかったら?」

「カレンさんに喋ります」


 いやらしい伝え先をよくわかっている。カレンはマジでやめてほしい。ガーナと繋がってやがるからな。

 特に俺を知る王国や王立学園には、一ミリたりとも情報を与えてはならない。別に永遠に逃げ切れるとは思っちゃいないが、せめてブーガミッションを終わらせるまではバレずに済ませたいのだ。


 女子中学生の体躯と対峙する。

 フレアには一切の緊張もなければ警戒もなかった。身体能力はもちろん、精神面についても、下手な大人よりよほど強そうだ。たしかに冒険者には向いてるな。

 コイツを折るのは無理だろう。


 とすると、ユレアに折れてもらうしかないのだろうか。


「……わかった。頑張るよ」

「頼りにしてますね、お兄さん」


 ここで快活な笑顔を見せてくるフレア。タタタッと駆け寄ってきて、俺の腕を引っ張る。


「さあ、食堂に行きましょう」


 喧嘩の仲裁を背負っただけじゃない。

 これでフレアとの距離も縮まってしまった。


 俺には秘密という負い目がある。日が経てばまだしも、今このタイミングでは断りづらい。心理的にもフレアの方が圧倒的に有利な立場だ。

 いっそ殺すか――と、物騒な行動も考えるが、ろくなことにならないのでそれ以上は控えよう。殺したくない、という見解も見なかったことにする。


 とはいえ証拠はさすがに残しておけない。


(クロ。板に書いた日本語を全部消してくれ。消した後は板やチョーク、いやコンテナの壁でも何でもいいが、擬態して待機。できたら貸し一つにしてやる。できるか?)


 寝室コンテナから出る前に、俺は早口の口内発話で命令を下す。

 心臓左部《イエス》の打撃を頂戴するのと同時に、首筋から小さな皮膚片がいくつも飛び出した。板に向かっており、野球のピッチングを凌駕するスピード。間もなく板に着地した。

 風圧も衝撃も抑えられている。さすがレベル90のクロ様だ。頼んだぜ。

第297話 仲裁2

 時報の轟音は騒がしいギルセン内でもよく響く。

 もうすぐ午後五時――夕食の時間だ。空いてるカウンターに休憩中の立て札が置かれていく。


「それじゃ頼んだよ」

「はい。明後日またお越し下さい」


 上客のオリシンが秘書を伴って引き上げていく。ユレアはしばしお辞儀をキープして見送った後、スタッフゾーンに戻ってオリシンに関する連絡事項を伝えた後、雑務の消化に取りかかる。

 といっても字は読めないため、掃除や整理整頓や各種補充といった雑用がメインだ。


「精が出るねユレア」


 一目で裕福な冒険者とわかる出で立ちに、どの国でも通用しそうな《《あく》》の無いハンサムな顔立ち――ギルドマスターだ。

 魔法で浮かせたカップが二個あり、うち一個がひょこっと前に出てくる。「結構です」ユレアは断ったが、ギルドマスターはそばの椅子を引いて腰を下ろしてきた。


「すぐ済む。聞いたよ、妹と喧嘩してるんだってね?」

「そうですね」


 まだ諦めてくれないのは正直言って不快だが、基本的には立場相応の男で、時間も守る。今も誰にも聞かれないよう小声であった。

 ユレアは少し迷って、机にそのまま腰掛けることにした。行儀の悪さとだらしなさで点数を下げる意図だったが、ギルドマスターは微笑。逆に上がってしまったようだ。

 はぁと嘆息することで続きを促すと、


「私が解決しよう」


 どんっと自信あり気に胸を叩いてみせる。

 姉妹喧嘩の原因が慎重派と冒険派の食い違いにあるところまで知っているのだろう。知っていること自体は何ら不思議ではない。特に隠してはいないし、娯楽の少ない特区民にとって噂こそが娯楽。噂はすぐに広まる。


「もし解決できたら、愛人になってくれないか。週に一度で構わない。お金も払う。孕《はら》ますこともしないし、病気にもさせない」


 この国では特殊な立場を除き配偶者は一人しか許されていないが、親しい異性の友人――特に肉体関係を伴う者はいくらでも持つことができる。

 愛人と呼ばれる関係であり、衣食住や金銭面でもサポートされやすいこともあって結構身近なものだ。


「失礼ですが、できるんですか? 妹はかなり強情です」

「仕事柄、冒険者を窘《たしな》めることも多い。今回のケースだと、あえて冒険者向けの訓練をさせて、そこで挫折させるのが良いと思ってる」


 カップを傾け、こくりと喉を鳴らすギルドマスター。その所作は、接客業として目の肥えたユレアから見ても綺麗なものだった。

 漂ってくる風味にも気品があって、贅沢な暮らしを一度はしてみたいという気持ちを起こさせる。


「説得はしないんですか? 冒険者としても名高いギルドマスターのお言葉なら、妹も鵜呑みにすると思います」

「それで済むと良いんだけどね。大体そうはならない。冒険者を目指す人はきまって強情だから、実体験でへし折ってやるのが一番なんだよ。もちろん怪我はさせない。多少痛みは味わってもらうことになるけど」

「ありがとうございます。少し考えさせてください」


 手つかずのカップがふわふわと動き、机に落ち着いた。

 同時にギルドマスターは立ち上がり、「良い返事を待っている」ひらひらと後ろ手を振りながら去って行った。


「……」


 アンラーのおかげで、ユレアは少しだけ強かになっている。

 気持ち悪い提案に反応することもなく淡々と情報だけ引き出し、無難な回答で保留も勝ち取った。美味しそうなカップにも手をつけない。


 早速得られた情報を使って妹を説得する言い方を少し考えてみるも、何も思いつかなかった。


 センターを出ると、渦中の人物が目に入った。

 外壁に背を預けて佇んでいる。笑顔がすっかり消えて久しい。心苦しい。

 それでも姉として、絶対に譲るわけにはいかない。


「どうしたのフレア」

「今日もお疲れ様です。一緒に食べましょう」

「クレアは?」

「アンラーさんが面倒見てます」


 ユレアが歩き出したところで、フレアもぴったりとついてくる。


 ダグリン共和国の国土は広い。

 金を持たない特区民は基本的に歩いてばかりであり、一日五十キロメートル以上歩くことも珍しくない。

 それでも距離は短いに越したことはなく、主要な動線と最短ルートは開拓されきっている。まるで見えない道路や通路があるかのように、民は局所的に集まり、流れていく。

 夕食の時間で、ギルドセンターのそばにもなるとなおさらで、ひどい混雑である。油断すると迷子になりかねない。

 ユレアもフレアの面倒を見ていた頃はよくはぐれていたものだった。


 わいわいする往来を黙ったまま歩いていく。

 この三姉妹の、会話の潤滑油は意外にも三女《クレア》である。長女と次女の二人しかいない時は沈黙も少なくない。

 かといって気まずさが生まれるほど浅い家族でもない。フレアは有り余った体力を持て余すようにきょろきょろうろうろし、ユレアは淑やかにとぼとぼ歩く。体力の無さはとうに知られているので、妹に急かされることもない。


 程なくして、いつもの大食堂――屋外の食堂エリアに到着。

 列に並んで、代わり映えのしない食事を受け取った後、フレアに先導されて少し遠目の席に行く。


「おねいちゃん!」


 テーブルに乗っていたクレアが飛びついてきたので、慌てて受け止める。何歩かよろめいてしまった。

 このままでは食べられないので横にどけて、アンラーの対面に座る。誰かが何かをこぼしたのか、お尻が少し湿った。今日はもう上がりだし、気にするユレアではない。そんなことよりも、と右に座ったフレアを睨む。


「端的に言いますけど、二人の喧嘩を収めたいです」


 口を開いたのはアンラーだった。


「アンラーさん。どうして私を見て言うのかな?」

「これ幸いと姉さんを凝視してるんですよ」

「してないよっ!」


 大げさに照れてみせるアンラーを、ユレアは黙って見ていた。それに気付いたアンラーが、さらにやりづらそうにもじもじしてみせる。


「恥ずかしがることは無いと思うな。アンラーさんなら凝視されてもいいし」

「い、いや、そんな悪いですよ」

「むしろ私が照れちゃうかも」


 両手を頬に当ててきゃっ、とオーバーに振る舞ってみると、妹二人から冷たい視線をもらってしまった。フレアはともかく、「おねいちゃんだいじょうぶ?」クレアの困惑顔が刺さる。

 アンラーにわだかまりを解いてもらってから、ずいぶんと開放的になっていることを自覚する。

 フレアもそんな彼を見込んで、この場に引っ張り出してきたのだろう。


「と、冗談はこのくらいにして」


 あながち冗談でもないが、今はそんな話がしたいのではない。

 妹の将来は何にも増して最優先――自然と顔も引き締まる。


「本題に入ってくれる? 食べる時間も残してくれると嬉しいかな」


 重圧をかけたなと自分でも思うが、アンラーは「すぐ済みます」と何やら自信あり気だ。というより、淡々としている。仕事でよく見かける、腹の内を見せない有能な人達を彷彿とさせた。


「結論から言いますけど、ユレアさんがフレアの冒険者志向を認めるしかないです」

「それでさっきから私に向けて喋ってるんだね。私が悪い、と」


 少しの自虐を入れてみる。

 アンラーならフォローに回ってくると考えたが、その年頃の男にしては可愛らしい表情は崩れない。


「悪いどうこうではなくて、ただの事実ですかね。あとはユレアさんが受け入れるかどうかです」

「事実って何? フレアの冒険派が事実で、私の慎重派は嘘だと言うの?」

「いえ、どちらも事実です。フレアは冒険者を譲れないし、ユレアさんも慎重派を譲らないですよね? だったらもう、お互い受け入れるしかない。フレアはユレアさんやクレアのスタンスには言及してないので、あとはユレアさんが妹への言及をやめるだけです。このまま喧嘩してても時間と気力の無駄なので、早くやめた方がいいと思ってます。感情も絡んでるので、そう簡単にはいかないでしょうけど、それでもです」


 ギルドマスターのように一方的に言われると気持ち悪いが、こう他人事のように言われるのと腹が立つらしい。

 反射的に反応しなかったのは、接客の仕事で耐性がついているからだ。

 あとは「それでもー!」アンラーの真似をするクレアの可愛さ。頭を撫ででやると、嬉しそうに破顔を寄越してくれて、こちらも温かい気持ちになる。


「これがアンラーさんの作戦? 喧嘩が長引くとクレアにも良くない、と」


 フレア一人ならここまで頭は回らない。今もアンラーがどう攻めるか傍観に徹している。その割には手も口も動かしていて、相変わらず忙しない子だ。


「クレアは関係無いです」

「くれあ?」

「ボクは今、ただの正論をユレアさんに突き付けているだけですね。あとはユレアさんが飲み込んでくれるの待ちです」

「おにいちゃんがむしする」

「冒険者の意志が固いことは、ギルセンで働いてるユレアさんもよくわかってると思います」

「国のやり方が汚いだけよね?」


 ダグリン共和国の、特区民《レベル1》の世界は、明らかにレベルアップに誘導するように仕込まれている。

 貧乏な生活もそう。

 レベル1を貶める価値観もそう。


「くれああたっく!」

「んぶっ!? ――ごめんクレア。ちょっとおとなしくしてて」


 アンラーはクレアをあぐらの中に収め、かき抱くようにぎゅっと両腕で拘束した。ぶつかった鼻からつーっと血が出ているが、気にする素振りは無い。

 暴れちゃえ、などと幼い内心を抱いたユレアだったが、期待に反してクレアはおとなしくなる。口元が緩み、んふぅと可愛い吐息が漏れる。


「冒険とは|活動的営為《ライフワーク》であり、|糧の入手《ハンティング》であり、事業《ビジネス》である――」

「ギルドの定義ね」

「この世界と冒険が切っても切り離せないものであることは、ギルドという世界最大の組織が証明しています。レベルアップの危険性があってもなお衰えていません。ダグリンに限らず、どの国も冒険者志向は非常に強いです」


 そんなことは言われるまでもない。

 ユレアとて向上心が無いわけではなく、他国の情報は定期的に目を通しているし、接客を通じて交《か》わしてもいる。


「家族の一人が冒険者志向を持ってしまっても何らおかしくないわけです。もちろん、無鉄砲な行いは止めるべきですが、フレアは違います。最近過ごしてきたボクでもわかります。フレアは誰よりも努力していながら、将来のことも慎重に考えてます。勝手にダンジョンに出かけたりとかもしてないですよね?」


 次女は淡々と食べるふりをしていながらも、案の定、赤面を隠せていない。

 クレアも懐いているようだし、言わばこの人は妹を二人も誑《たぶら》かしているのだ。


 気持ちはわからないでもない。

 図体の割には情けないし不器用だけど、自分の言葉を持っているし、どこか得体の知れなさというか、隠し事をしているというか、謎めいたところがあって気になってしまう。特区しか知らない貧乏人には刺激が強い。まして父親がいないいこともあって、ただでさえ飢えているというのもある。


 わかってた。

 フレアの頑固さも。努力も。家族への思いやりも。

 指摘されるまでもない。姉として、亡き母の代わりとして、誰よりも間近で見たきたからこそ、嫌というほどわかる。


 だからこそ通じないのが歯がゆくて。悔しくて。


 アンラーの言う通りだ。

 これ以上対抗しても仕方がない。

 仕事でもよく見かけるが、感情に支配されて行動してもろくなことにはならない。


 そもそも家族は物ではない。

 自分の思い通りにさせるのではなく、尊重して、いつかは送り出してやるのが筋だろう。


 フレアの人生は、フレアのものなのだから。


「これが子離れ、ううん、妹離れってやつなのかな」


 聞かれるのは恥ずかしいが言わずにはいられなかったため、誰にも聞こえない程度の小声で呟いた。


「ユレアさん?」

「――わかりました。アンラーさんの仰るとおりだと思います。フレア」

「は、はひっ!?」

「早く口の中を片付けなさい」


 フレアが落ち着くのを待った後、改めて、


「納得はしないけど尊重はします。冒険者――頑張ってね」

「い、いいんです……か?」

「良いも何も、変える気なんてないでしょう?」


 あっさりと、そしてばっさりと言ってみると、「そうですね」途端にけろっとしだす。その切り換えの早さは冒険者の資質だろう。


「今後は私にも共有してね。力になれるかわからないけど相談も歓迎します」

「鍛錬は?」

「できるわけないでしょ」

「姉さん、弱いですもんね」


 けたけたと笑うフレアの笑顔が眩しくて、しばらくこれに溺れていたくなるけど。


 もっと強い気持ちがある。

 忘れないうちに行動しておきたかった。


「アンラーさん。ちょっと耳を」

「は、はぁ……」


 鼻血が出たままなのは気になるけど、クレアを抱えていて身動きも取りづらいはずだ。この隙を逃すつもりはない。

 体をねじって前のめりになるアンラー。

 ユレアは片手をつけて耳打ちをするふりをして、ぎりぎりまで引き寄せたところで、もう片方の手も繰り出す。


 アンラーの頭を両手ではさみこみ、少し引き寄せてから――初めての接吻を食らわせた。

第298話 別行動

 第六週七日目《ロク・ナナ》の午後五時過ぎ。

 王立学園北西の演習エリアでは、闘者《バトラー》の職練――対空演習が実施されていた。


 半径五十メートル、高さ百メートルの演習空間内で十七人の生徒が入り乱れている。

 魔法の視覚効果《エフェクト》が四方八方に拡散する中、空《くう》を切り裂くように直線的な軌道が描かれる。空中足場《エア・ステップ》も多用され、軌道の大半はジグザグしている。

 巨大な前衛芸術のような光景が、生き物のように蠢《うごめ》いていた。


 標的役チームは鳥人ミーシィと新入生首席スキャーノの二名。

 一方、攻撃役チームの人数はその五倍であり、第一王女ルナ、二大貴族の一家シャーロット家の息女ハナ、娼館の一人娘ガーナも加わっている。ハナはともかく、ルナやガーナが入っているのは珍しい。

 元々ハナやミーシィを取り巻く関係はAクラスがメイン――つまり学内ヒエラルキーの高い集団であったが、ルナはCクラス、スキャーノに至ってはDクラスでしかない。衝突が予想されたが、目前の実践を見れば、何ら恥じぬ実力を持っていることは自明であり早々に馴染んだ。


「空中足場妨害役《ジャマー》が足りません! あと二人増やしてください!」


 平均以下の生徒では残像にしか見えないルナが指示を飛ばす。


「無理だ! ミーシィに妨害されて照準が定まらねぇ」

「逃げながら定めてください」


 現在行われているのは『撃墜タイムアタック』。格上の標的役をいかに短時間で倒すかを競うものだ。

 とはいえ生身だとそもそも倒せないほど実力差があるため、標的役はダメージスーツと呼ばれる特殊なツナギを着ている。モンスターの表皮をベースにしており、タイヨウが見ればレザースーツを思い浮かべるだろう。

 このスーツが壊れるほどのダメージを累積させれば勝利である。


「無茶言うな!」

「正気保つので精一杯だ」

「私もキツい……」


 人間のスキャーノは風魔法で飛び、空中足場で方向転換をするしかない。ゆえに同系統の風魔法をぶつけて攪乱させれば妨害できる。ジャマーとはまさにその役割である。

 しかし、ミーシィの飛行が妨害を許さない。

 鳥人であるミーシィは膂力で飛行することもでき、急停止や方向転換もしてみせる。標的役の攻撃は禁止されているが、生じる風圧や衝撃波はその限りではない。ミーシィは的確に撃ち、散らすことで逆にジャマーを妨害していた。


「今から挑戦して身につけてくださいよ! 本番だと泣き言なんてありません」

「だから無茶言うな」

「じゃあお前がやれよ!」

「あと少しで掴めそうなんです! お願いします!」


 ルナは先ほどから戦況の俯瞰と指示に徹しつつ、地面上での高速移動をひたすら繰り返していた。


 競技時間は既に二十分に迫っている。

 攻撃役チームの疲労は濃い。加えて、今日初めてルナと組んだAクラスのメンバー達は、その遠慮の無さと無茶ぶりに辟易している。疲労は余裕の無さを奪い、余裕がなくなれば感情的になる。


「何争ってんのよ広域魔法も薄まってる! 犯されたいの!?」


 そこに魔法担当のガーナが指摘と激励――のように見えるがガーナの性格を考えれば脅迫に聞こえなくもない――を加えたところで、ハナが接近してきた。


「サンダー、ファイア、アイス、ウォーター――どれも足りないようですわね」


 周辺の空気が乱れに乱れているため、コミュニケーションは難しい。ルナのように大声で普通に叫ぶか、こうして近接して高速で喋るかしかない。

 もちろん会話は詠唱とは違うため、発話スピードなどたかが知れている。


「土魔法《アース》で視界を奪うのはどう? ミーシィは視覚に頼っている気がす――」


 そんな二人の間をミーシィが分け入った。

 接触こそしていないが、鳥人は風魔法による圧力の上乗せも上手い。失格にならない程度の手加減にも長けている。


「ちょっと通りますぜぃ!」


 ミーシィがそんな一言を喋り切る頃には、二人は場外に吹き飛んでいた。

 場外による失格はないが、ダメージスーツに溜まったダメージは聖魔法で回復できる。人間のスキャーノは回復魔法が使えるし、二人の魔力量とミーシィの特殊魔法『|魔力渡し《パス・マジック》』を考えれば、隙は一秒たりとも与えられない。枯渇も期待できない。


 ガーナはともかく、ハナも淑女の体裁など考えず全力で踏み込み、風魔法も乗せて演習空間へと戻っていく。

 ぶわっと衝撃波が生じて、Eクラスの生徒達に降りかかりそうなのを「視野が狭いわね」ヤンデが無詠唱の土魔法で防御した。

 そばで他グループの指導にあたる上裸教師、アーノルドもそのつもりでいたが、速さも質も上を行かれている。苦笑するしかなかった。


「あとで注意しとくぜ」


 演習空間のすぐ外で腕を組み、足もクロスさせて立っているヤンデの隣には、ツンツン頭の護衛レコンチャンがしゃがみこんでいた。


 この二人は見学である。

 ヤンデはともかく、レコンチャンも下手な教師より強いため職練では不十分であり、自由時間になることが多い。

 今もハナの護衛として控えつつも、観察によって知見を得んとしていた。


「なあ、ヤンデさんよ」

「何?」

「邪魔だからどっか行ってくんね? さすがに機密を喋るわけにもいかねーし」

「話相手がいないのよ」


 暇を持て余したヤンデの、今日の標的はレコンチャンであった。


「そうね、だったらハナとの馴れ初めでも教えなさい」

「主君の話をぺらぺら喋るわけにはいかねーんだわ」


 レコンチャンはこちらを一瞥さえもせず、演習空間内の観察に集中している。

 特に主たるハナ・シャーロットへの注視は一瞬たりとも緩んでいない。既に断られているが、ヤンデも思わず勧誘するほどだった。


「私もあなたもハナも一生徒で、友達でしょう? 貴賤を持ち込まないで頂戴」

「先生呼ぶぞ」

「ぐっ……。卑怯な手を」

「アーノルドせんせー」


 レコンチャンがアーノルドに向けて振動交流《バイブケーション》を飛ばしたので、ヤンデはすぐに打ち落としたが、アーノルドは気付いたらしく「どうした?」すぐに発言が返ってきた。


「何でもないわ」

「本当かレコンチャン?」

「何でもないっす」

「あまり他の生徒を邪魔するなよ」

「どうして私ばかり見るのかしら」


 学園では誰であろうと一生徒であり、教員は生徒よりも上位に位置する。加えて、既に女王《サリア》から一生徒として扱うようお達しも出ている。

 ヤンデとて教師には逆らえず、文句を言いつつ睨み返すことしかできない。


 それでも懲りずに、ヤンデはレコンチャンへの仕返しを決意。

 種族《エルフ》の美貌を生かして、凝視して照れさせる作戦を開始したが――さすが名家の護衛だけあってびくともしなかった。






「まったねー」


 職練が終了した午後六時すぎ。ミーシィが一足先に飛び立つ。

 高度は地面から百メートルくらいで、そこから音速超えの発進が放たれたが、領空の際《きわ》でいったん停止――制服を脱いで丸めたものを、門番に射出していた。

 脱衣の動作は迅速で秒にも満たないが、「隠しなさいよ」そう呟くヤンデにとっては誤差みたいなものだろう。


「ミーシィさん、最近慌ただしいね」


 そんな暇そうなエルフに、スキャーノは声を掛けた。


「あなたは礼儀正しいわよね」


 既にダメージスーツからは着替えている。ミーシィと違って肌を晒すこともなかったし、脱衣と着衣のスピードも段違いに速めたつもりだが、


(たぶん視られた)


 ヤンデの微弱な魔法に撫でられた感触があった。

 上司直伝の|変装術と平静術《ポーカーフェイシング》こそ発揮しているものの、通じるかは怪しい。ひょっとすると女性であることや、体型を隠していることもバレているかもしれない。


「ミーシィにも教えてあげたら?」

「そんな余裕は無さそうだけど……」


 気付かれていないのか。それともスルーしてくれているのか。スキャーノには読み解けない。

 とりあえずミーシィの飛び去った虚空を見上げていると、


「殿方を漁ってるんですってね」


 レコンチャンを連れたハナが、カップ片手にやってきた。

 それをすっと前に差し出す。飲むかと聞いているのだろう。スキャーノはやんわりと遠慮し、ヤンデははっきりと断っていた。


「鳥人はいつまでも純潔じゃいられねえもんなー。よく耐えてるぜ」

「どういうことよ?」


 鳥人の性欲は時間が経てば経つほど強くなっていき、やがて理性も飛んでしまう。

 食事や睡眠はこまめに行わなければ死んでしまうが、鳥人にはそこに性行為も加わっているようなものだ。ちなみに自慰行為でも問題無いが、充足感はやや劣るらしい。


 まだまだ無知なヤンデに代わり、レコンチャンが乱暴な口調で説明していた。

 こういう話題を好かないスキャーノには有り難い。

 ハナは他国の王女相手に無礼だと嘆息をもって示したが、護衛に改める気はない。観念して会話に加わり、


「お姉さんの報復が気の毒だから、誰にも手を出していないんですわ。優しい子だから」

「っつっても限度があるよなー。このままだとたぶんジーサに手ぇ出すぞ」

「なんですって?」

「妙にジーサを気に入ってますよね。私の夫なのに」


 ここでルナも合流してきた。

 さっきまで地べたでクールダウンに励んでいた、その真面目さが眩しい。低レベル時代の習慣を怠けない者は総じて強い。もっとレベルアップしたら、と思うとぞっとする。

 そして今も王族専用護衛《ガーディアン》――おそらくユズがついているはずだ。

 全く気配がわからないのはさすがである。


 ともあれ、話題がジーサにシフトしてきている。

 とばっちりは勘弁なので、スキャーノはこっそりと距離を取り始めた。


「あなたは二番目でしょ」

「最近ジーサ来ねえよな。そんなに忙しいのか?」

「おかげで欲求不満です」

「少しは隠しなさいよ。二番目は弁えなさい」


 ジーサ・ツシタ・イーゼの正体はシニ・タイヨウであり、既にアルフレッドからもエルフからも逃げている。

 公的にはまだ知られておらず、こうして忙しさを演出しているわけだが、いつまで保つやら。

 無論、そのまま指を咥えて見過ごすつもりもなく、鋭意調査中である。今日もこの後、スキャーノ邸で議論を行うことになっている。


 と、ここでさらに面倒臭いオーラが近づいてきたので、スキャーノはひそかに急発進する体勢も整える。


「欲求不満!? 欲求不満って聞こえたわよ!」


 胸元を開きスカートも短いガーナが、無駄に脚力を発揮してルナに接近、その腕を掴――もうとして、すんでの所で止めている。


「アタシの出番ね。誰かしら。ルナ? それともルナかしらね」

「少しでも触れたら吹き飛ばしますよ」

「望むところよ。ミーシィにもスキャーノにも触《さわ》れなくて悶々としているアタシのパワーを見せてあげる」


 ガーナはいったん手を引っ込めた後、「【アジリティ・アップ】」あろうことか強化魔法を詠唱。


「え、冗談ですよね」


 ルナの側頭部に一筋の汗が。こんなことをすれば教師に罰されるのは目に見えている。

 ということは、本気なのだ。


「なはははっ、頑張れ王女様」

「笑ってないで止めてください」

「あなたって結構ルナのこと好きよね」

「当たり前じゃない。王女だからじゃないわ、地道に冒険者として鍛えてきましたって感じの素朴さが好みなのよ」


 少しわかると思ったスキャーノだが、絡まれたくないのでひたすら気配を殺している。


「鳴かせたいわぁ――【アジリティ・アップ】」

「呑気に話してないで止めてください!」


 ルナとガーナはレベル50程度と同格である。止めようとすれば多少の、いやかなりの暴力が必要となり、処分の対象となる。

 本気のガーナを止めるためには、格上の手加減に頼るしかない。


「おーおー、敏捷が重なるアンサールートたぁ羨ましいこった」


 教員の到着はもう少し遅いだろう。止めてくれる人もいない。


(ごめんルナさん)


 ルナから縋《すが》るような視線をもらったが、関わりたくないのでスキャーノは気付かないふりをした。


 ルナも判断は早い。

 正門めがけて全力疾走をきめたようだ。敷地内を出れば一生徒から王女の立場になり、何人たりともちょっかいは出せなくなる。


 しかし、二段重ねたガーナに敵うはずもなかった。

第299話 別行動2

 午後八時過ぎ。

 王都貴族エリア、スキャーノ邸の、作業部屋と化した空き部屋には今日もルナ、ユズ、ヤンデの三人が揃っていた。


「ひどい目に遭いました……」


 部屋の隅に座り込んだルナが、資料の準備を進めるスキャーノ達を眺めながら独り言ちる。「あ、ぼくがやるよ」ヤンデとユズが各々好き勝手に並べているので、それを制止して取りまとめる。

 といっても、ゲートから引っ張ってきた紙の束を配置するだけだ。この程度なら片手間でもできる。


「ガーナさん、泣いてたね」


 職練後のガーナの暴走は、教員が駆けつけてくるまでの間――おおよそ三十秒ほど続いた。抵抗虚しくルナは唇と耳と胸をやられている。

 その後、《《二人は》》アーノルド先生によるすね撃ちの罰を受けていた。スキャーノにはからくりがわからなかったが、痛みを増幅する細工があったらしい。


「なんで私まで……」


 ルナは無罪のはずだが、抵抗の過程で生徒を巻き込んでしまったため、いっしょくたにされたのである。


「見せしめの目的もあったんじゃないかな。王女であろうと生徒には容赦しないってね」

「明日ぶちのめします」

「また怒られるよ?」


 なんだかんだルナは嬉しそうである。

 気持ちはわからないでもない。実力や立場を越えて親しく踏み込んでもらえるのは嬉しいものだ。ガーナは特に物怖じしないため、あれで人気があるのも頷ける。

 正直もうちょっと自制してほしいのが本音ではあるが、とスキャーノは胸中で苦笑する。


「さてと、準備できたよ。始めようか」


 既にシニ・タイヨウはダグリン共和国にて匿われているとの見解は出ている。あとは誰がどこからどのように探すかを考えて分担するのみ。

 用意された資料も、同国に関する情報ばかりだ。


「どうしてスキャーノが仕切っているのかしら?」

「水を所望?」


 ヤンデとユズは空気椅子《エアチェアー》――風魔法を回し続けることでつくられた空気のクッションに並んで座っている。

 ヤンデはともかく、ユズも真似をして足を組んでいるのが新鮮だ。見た目は子供そのもので可愛らしいが、これでも王国随一の戦力である。

 そんなユズが生み出すミネラルウォーターは非常に美味で、今すぐにでも飲みたいが、今は重要な企ての最中。「ぼくは大丈夫」そっちには断りを入れ、ヤンデを向く。


「提案があるんだ。――というより決定事項なんだけど、共有させてね」


 性急だが真剣な表情と雰囲気を押し出すことで、ヤンデも口を閉ざしてくれた。

 ルナもいじけの振る舞いを解除して、てくてくと集まってくる。ユズを抱えて、まず自分が座り、その膝上に彼女を乗せてから、抱き枕のようにぎゅっと抱きついた。ユズは一瞬迷ったが、受け入れたようだ。


「シニ・タイヨウの調査だけど、ただ今をもって別行動にしてほしい。少なくともぼくはもう一緒には動けない」

「ファインディの横槍?」

「うん」


 ユズの質問にしれっと頷いたが嘘である。

 上司はこの件に関して、まだ何も言っていない。ただ、既にバレてはいるし、あなたはどうしたいのかとか好きにすればいいのだとの助言も頂戴している。



 ――ぼくだってジーサ君が欲しい。



 スキャーノの、いやスキャーナの本心。



 ――今は何してるのかな……



 彼女の内から出てきた好奇。



 ――会いたい。



 そして、胸中で呟かずにはいられなかった欲望。


 冒険者として。

 ガートンの職員として。

 一人の女性として。


 シニ・タイヨウに改めて会うために、スキャーナは考えた。考え抜いた。


 既にダグリンまでは絞り込んでいる。

 彼がブーガと何らかの関係を結んでいることも確定的だろう。


 彼を狙う勢力も多い。目の前の化け物二人だけでも敵わないというのに。

 しかしブーガも、シニ・タイヨウも、それ以上の傑物である。話は通じるはずだし、通じるなら付け入る隙もあるはずだ。


 唯一、上司ファインディの動向だけが読めないし、恐ろしいが、そんなこと気にしていては何も始まらない。


 スキャーナは既に覚悟を決めていたのだ。

 一人で出し抜く、と。


 ヤンデとルナは顔を見合わせようとしていたが、「やむを得ない」ユズが間髪入れずに応える。


「ファインディとは《《既に接触済》》。あれは強敵。事を荒げるのは問題」

「初耳なんですけど……」


 ルナは隣のエルフに視線で問うてみるが、応答は無い。既に知っているならそう答えるだろう。

 ということは、ヤンデでさえ感知できなかったということだ。


「悔しいわね」

「ユズは護衛が本職。耳長族など取るに足らず」


 ひどい言い用だが、ヤンデは返す気も起きないらしく、派手にため息をつくほど凹んでいるらしかった。

 その様子を見て落ち着いたのか、ルナが口を開く。


「一応訊きますけど、ガートンや上司さんの、シニ・タイヨウに対する見解ってお聞きしても良いです?」

「良くないね」

「そもそも見解って出てます?」

「ノーコメント」

「拷問して吐かせますよ?」

「訓練もしてるし無駄じゃないかな」


 半ば冗談の応酬である。「ちぇっ」ルナは口をすぼめてみせた後、固まっているエルフの頬を人差し指で突く。

 格上相手なら加減など要らない。風圧が室内を撫でていき、浮かせてあった資料群がぱらぱらと紙の音色を奏でた。


「私達はどうします? もしかしてエルフも何かあったりしますか?」

「……何も無いわよ。今のところは、だけれど」


 もちろんアルフレッドも、エルフも、何もしていないはずなどあるまい。

 既に捜索や討伐の部隊を結成し、動かしていることだろう。


「そうね。それがいいかもしれないわね」


 がたっとヤンデは立ち上がると、惚れ惚れするほど綺麗な手の甲を差し出した。

 手を重ねることで協調の意思を示すものだ。


「ここから先は別行動。各自勝手にタイヨウを探して、手に入れた人が勝者よ」

「何勝手なこと言ってるんですか。二人で探しましょうよ」


 王女の視線がぶつかり合う。ヤンデは手を下げて、


「正直言うわね。あなた達に出し抜かれるリスクを抱えるくらいなら、一人で探すわ。もうだいぶヒントは出てるしね」

「昨日まで協力してたじゃないですか。シニ・タイヨウに、ブーガ・バスタードですよ? 私達が手を組んでも出し抜けるかわかりません。組みましょうよ。組むべきです」


 ルナが無理矢理握手しようとしたので、ヤンデはその手を払った。


「既に|それに匹敵する戦力《ファインディ》に割り込まれてるのよ? 戦局は変わった。諦めなさい」

「そんなぁ……」


 誰だってヤンデは敵に回したくあるまい。が、もう意思は変えられまい。

 ルナも諦めたようで、行き所の無い感情をヤンデの手に向ける。しばしすりすり触ったりまじまじ見つけたりした後、自分の手と比較――もちろん人間がエルフに敵うはずもない。はぁと吐息が漏れる。


「ユズからも言ってやってください」

「いや諦めてないんかい」


 意外としつこいルナに、ヤンデも思わずチョップをかます。

 ユズはというと、能面で黙り込んだままだが、どうも強敵と戦う機会を想像して心を躍らせている模様。スキャーナでもわかるのだから、ルナにわからないはずもなく「冗談じゃないですよー……」今度はユズに泣きついていた。


 ある種微笑ましい光景であり、ひとときでもあるが、それでも。


 スキャーナの意志は変わらなかった。






 客人が帰った後、スキャーナは王都中央の白き巨塔――ギルド本部に立ち寄り、ステータスの更新を行った。

 入学当初88だったレベルは、既に93となっている。

 朧気ながらもレベルアップの道筋は見えており、何をどの順番でどれだけ行えば拓けそうかは手に取るようにわかった。その手間こそ甚大ではあるものの、110、120、いや130くらいまでは順当に達成できそうだというたしかな感触があった。


 『フィーバー』と呼ばれるこの体感は、冒険者が最も大事にするべきレアイベントの一つである。ガートンでも軽視しておらず、フィーバーを申告すれば仕事を休めるという福利厚生さえ存在した。


(まあ後が怖いけど……)


 スキャーナが把握した限りでも、ここ数年のフィーバー明け社員十数人は例外無く仕事に忙殺されている。福利厚生とは名ばかりで、その実態は会社が社員を酷使するための悪魔の契約でしかない。

 それでも迷うことなく申請してしまうほどフィーバーは魅力的であり、スキャーナ自身も並の仕事であればそうしていただろう。


 ギルド本部を出たスキャーナは、その場に突っ立って考え込む。

 顔見知りや横暴な冒険者に絡まれることはない。今のスキャーナは普段の没個性的な黒スーツに身を包んでおり、出るところこそ出ているものの、顔は覆面であった。


 王都で顔を隠すことを許されているのは情報屋ガートンのみ。

 そして、普段隠さない彼らが隠している時は、たいてい厄介な任務が絡んでいる。近寄らないのが作法であり処世術であるとされているほどだ。


(急がないと)


 別行動こそ勝ち取れたものの、シニ・タイヨウの潜伏先はだいぶ絞り込まれている。ここからはおそらくそう長くはない。

 一日たりとも無駄にせず先手を取らなければ、出し抜かれてしまうだろう。

 表向きは学生のため時間も足りない。場合によって学園を休むなり、無断欠勤するなり、休学をもらうなりといった手段も視野に入る。


(怪しすぎるよね……)


 無論、そんなことをすれば、何か掴んでいると他勢力に疑われてしまう。

 ルナにはユズがついているし、ヤンデは単独でも規格外だ。彼女達が自分を監視していない保証などない。


 妙案も浮かばないため、スキャーナは商店街で酒とつまみを買い漁った後、王都内の支部へと向かった。

 序列の高い有象無象からの絡みを社交辞令で受け流し、空いていた個室に入る。


 全面に薄い岩を張り、さらに防音障壁を重ねた。

 地べたに寝そべりながら、包装と紐を風魔法で切り裂いて空間に散らす。

 それを適当に口元に引き寄せて食べつつ、「【ゲート】」倉庫と繋いで資料を取り出し、同様に空間に並べていった。


 ごくごく、ぼりぼり、ぽろぽろとガートンの名を汚す所作であるが、日中の学生生活で疲労困憊だ。取り繕いながら思考するのは面倒くさい。

 そんな時のために家があるわけだが、ユズやヤンデに入られた屋敷はもう使えないし、彼女達の盗み見や盗み聞きを防ぐ力も無い。会社の施設を使うのが理に敵っている。

 スキャーナはろくに手も使わず、首さえ動かさずに、魔法を乱用して飲食と思考に耽《ふけ》り始めた。



 どうやってダグリン共和国からジーサを、怪人を、シニ・タイヨウを捜し出すか――



 情報収集や捜索のやり方などたかが知れている。

 重要なのは切り口であり、切り口をもたらすのはジーサ自身の情報。


 スキャーナは脳内を駆け巡る。


 これまでの学園生活を。

 ジーサと過ごした日々を。

 ジーサの言動に、周囲の言動を――



 ――きんにくんも来るの? いいねぃ。



 ジーサの肉体にやたら執心していた上級生。

 色仕掛けというよりも、身体を味わうようにベタベタしていた人物。

 今日も標的役として苦楽を共にした鳥人ことミーシィ。


 鳥人は固有の特性を多数持っている。

 性欲、膂力《りょりょく》、夜目、風魔法に対する高い適性とまとわせやすい羽、あとはもう廃れたが『ベーサイト』なるスキルもあって――


(……繋がった。繋がったっ!)


 スキャーナは思わず立ち上がりそうになったが、ぎりぎりで堪える。

 ここが安全とはいえ、もういつ監視されていてもおかしくはない段階に入っているのだ。気を引き締めねばならない。再び出会うその日まで安息は無い。


(間違いない。ジーサ君は|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》に《《よく長けている》》。誰にも――それこそ生徒にも先生にも、貧民にも不審を抱かせないほどに)


(でもミーシィさんだけは誤魔化せなかった)


(たぶんミーシィさんはベーサイトが強いんだ)


 判定装置が見つかった。


 ならば次の行動も自明で。


(ミーシィさんを調べよう)

第300話 別行動3

「もうちょっと速度落とそうよミーシィ。お姉ちゃんとバサバサしよ?」

「あああもうっ! 暑苦しいよっ!」


 南ダグリンの夜空に一閃の軌跡が走る。

 一人、いや二人の鳥人であることがわかる。妹ミーシィの背中に、姉マーシィが押しつけるように乗っていた。

 姉が妹の胸元にかぎ爪を伸ばす。当然ながら許す妹ではなく、防戦にあたる。この姉妹にはお馴染みの、触りたい触られたくないの攻防が幕を開けた。


 戦況は拮抗していたが、刃風と高温とでミーシィの薄着はぼろぼろになっていき――間もなく素肌が露出。

 マーシィはミーシィに抱きついて両腕を拘束した後、


「もーらいっ!」


 片腕を離すと同時に、剥き出しの乳房へと伸ばす。純粋なスピードはマーシィが上手《うわて》だ。少なくとも一瞬は触れることができよう。

 しかし、その前にミーシィが高度を急激に落としてきたことに気付いたので、攻撃を止めた。


 もみ合う姉妹が、すんでのところで静止する。


「……本気?」

「うん。うっとうしいお姉ちゃんを懲らしめるためなら、これくらいやるよ」


 ダグリンには領空の概念があり、一メートルでも犯せば違反とみなされ懲罰隊が飛んでくる可能性がある。特に今飛んでいる特区はことさら警備が厳しく、将軍級、下手すれば皇帝ブーガが直々に来ることもありえた。

 ミーシィは言わば捨て身に振り切ったのである。このままいたずらを続けるなら一緒に落ちるぞ、と。

 もちろん、これを狙えるだけの高度制御――すぐ落とし切れる高さにまでひそかに高度を落とすという小細工も行っていたことになる。マーシィとて意識していなかったわけではない。気付けないほど巧妙だったのだ。


 じゃれ合いの範疇を越えたガチの戦略を前に、マーシィは降参。おとなしく接触をやめて並走に移った。


「……」


 明かりが点在する地上を集中して観察する妹。その横顔を眺める。

 男なんてさっさと見つけて襲って食べてしまえばいいのに、まるで装備品を吟味するかのように真剣だ。



 ――お姉ちゃんこそ古いよ? 最近は男の身体にも芸術性を求めるし、性格だって重視するの。



 鳥人の好みに新しい潮流が来つつある。特に十代の若者を中心に台頭してきており、従来の、とにかく漁って貪って使い捨てる価値観を持つマーシィにはついていけない。


 たしかに鳥人にはベーサイト――|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》を生み出す『素《す》の身体能力』を推し量るスキルがある。性交をたくさん行える相手を選ぶために、進化の過程で獲得してきたそうだ。

 しかしジャースはレベル社会。素の身体能力など何の意味もない。今やベーサイトはただのゴミスキルであり、真面目に活用する者など皆無に等しい。まともに使えない鳥人も多く、マーシィもその類に属する。


 不幸なことに、この妹はどういうわけかベーサイトが強かった。

 ただでさえ不器用で弱いくせに、ベーサイトを特別視して鍛えてきた。あるいは、だからこそ固執してきたのかもしれないが。


 ともかく、ゴミスキルが実ることはない。

 そうマーシィは考えていたのだが。


 今年になって、



 ――性交する約束はしちゃったけど。


 ――うん。ジーサ君!



 お眼鏡に叶った人間と出会ってしまった。


 ジーサ・ツシタ・イーゼ。

 学園の後輩であり、話題の|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》でもある人物――


 さすがにそんな傑物に手を出すほど愚かではないし、そもそも出せる実力も度胸も無いだろうが、妹の熱は冷めていない。

 むしろ高まってきており、こうして毎日ダグリンの、それも一般人《レベル1》しかいない特区を漁っている。


 まるで邂逅を求めているかのように。

 ダブルロイヤルがこんなところに来るわけがないのに。


 あるいは、素の身体能力の高い人間を探しているのかもしれないが、仮にいたとしてもレベル1だ。

 そんな脆弱な輩と共に歩むことなどできやしない。鳥人はただでさえ社会不適合的な性分なのだ。


「ミーシィ。考え直しなって」

「お姉ちゃんは黙ってて」

「私ら鳥人の性欲は並外れて強いんだよ。パートナー一人じゃ満たしきれないよ? 探して、食べて、捨てて、また探して食べて捨てて――ご飯を食べるみたいに消費しないとやってられないよ?」

「わたしはお姉ちゃんとは違う。我慢するもん」


 たしかにミーシィの忍耐力には目を見張るものがある。

 普通なら十代に入る前に初体験を済ませてしまうものだが、ミーシィは十代後半にしてまだバージンである。

 どちらかと言えば姉の過保護のせいだし、むしろそのせいなのだが、マーシィは棚に上げている。むしろバージンを嫌う鳥人王《ハーピィキング》の魔の手から逃れるという意味では必要なことだった。


「そう言ってられるのも若いうちだよ? これからもっともっと強くなってくるんだから」

「みだらだよねー……」

「本当にね。とりあえずお姉ちゃんで済ませよ? 爪がいい? 舌がいい? それとも羽?」

「またそれ。お姉ちゃんがやりたいだけでしょ……」

「うん」

「堂々と肯定してきた……」

「何なら興奮してきたけど」

「次は容赦しないからね」


 こちらを一瞥もせず、真顔で地上を睨みながら拒絶してくる妹の横顔には、中々くるものがあった。

 とはいえ、無理強いして絆が壊れたら元も子もないので、マーシィとて一線は弁える。


 代わりに、自分の下腹部へと手を伸ばそうとして――ミーシィが視界から消えた。

 急停止したのだ。


 マーシィもすぐに止まり、妹のところまで戻る。


「……ミーシィ?」

「ちょっと聞いてみよっと」


 あらぬ方向へと飛んでいくミーシィを目で追って、ようやく気付く。

 遠目に同族の集団を発見したらしく、聞き込みに向かったようだ。

 離れているとはいえ、さすがに人前で続けるほど痴女ではない。マーシィはいったん諦めて、付き添いに徹することを即決したが。


「よく見つけたなぁ。私だと見逃してた……」


 あれだけ雑魚だった妹は、今ではいっぱしに成長している。

 先ほどの戦略にも肝が冷えたし、おそらくそう遠くないうちに抜かされるだろう。


「妹離れしないといけないのかな」


 その気が無いとわかる空虚な呟きを漏らしていると、もう一筋の軌道が引かれている。やたら煌びやかなのは視覚効果《エフェクト》によるもの――魔法をかなり上乗せした、本気の加速だ。

 文句を言う暇もない。マーシィは慌てて後を追いかけた。


 数十秒ほど水平に飛行した後、またもミーシィは停止する。

 今度は急停止ではない。地上への影響を考慮した、制動的な減速であった。目的の人間を見つけたのかもしれない。

 マーシィも見下ろしてみる。


 鳥人は夜目も利く。視界自体は日中と大差無い。

 何の変哲も無い荒野が広がっている。地続きで巨大な崖が二本走っており、その間が居住域となっているようだ。コンテナと呼ばれる無骨な塊が点在し、申し訳程度の明かりが漏れている。


「いる……。お姉ちゃん、いるっ!」


 ミーシィは目を見開き、衝撃波も気にせずきょろきょろしている。顔面で斬撃を撃つかのような迫力だ。無意識なのだろう。実際、もう少し速ければ地上にまで届いてしまう。「落ち着きなって」とりあえず力尽くで頭部を押さえこみ、


「どの辺?」

「……この辺」

「着地点からの半径だと?」

「二キロメートルといったところかなぁ」

「広くない?」


 といっても人口密度はたかが知れており、総当たりの調査も可能であろう。おそらく千人もいない。


「お姉ちゃん、これどうやったら降りられるの?」

「どうやっても無理じゃない? 交易区域《コマースゾーン》を探したら?」


 交易区域とは、領空への侵入が緩和されたエリアである。その名の通り他国や他種族との交易が行われるポイントであるが、関係者でなくとも出入りはできる。

 鳥人達が訪れるスポットでもあり、ダグリンの国民を食べたいならそこで接触するのが基本となる。


 とはいえ、わざわざ交易区域に足を運ぶ国民など限られているし、たいてい仕事や立場があるため交渉も成立しない。ほとんど引っかからない釣りのようなものだ。

 特区の民ならなおさらだろう。「そんなの待てないよ」ミーシィにもその気はないらしい。


「もっと絞れないの? オーラとかだったらわかりやすいんだけどねぇ……」

「そろそろ離さないと怒るよ」

「ごめんごめん」


 夢中になった妹は姉の言動を無視しがちだ。今回もそうなると踏んで、可愛く愛しい頭を愛で続けようとしたマーシィだったが、早くも潰えた。

 一方、ミーシィは対象《ターゲット》の特定に夢中である。

 姉の方など見向きもしないし、訓練や喧嘩の時でも向けないような必死の表情――いや形相とも呼べるほどの代物を浮かべている。


 可愛い妹にこんな顔をさせるとは。


 マーシィは歯噛みした。

第二章

第301話 アンラーの受難

 第六週八日目《ロク・ハチ》の朝八時――ギルドセンターの開館と同時に、フレアが猛ダッシュを放つ。

 この4003群に開店突撃を行うような都会人はいない。今も偶然早く着いたらしいパーティーが二組いるだけだ。早歩きでも一番乗りは取れそうだがな。


 それはともかく、フレアの目指す先には、お目当てとなるスタッフが一名。

 離れていてもわかる柔和な微笑みに、ふわふわしてそうな乳袋――なるほど人気が出るのも頷ける。


「すいません。よろしいでしょうか」

「……」


 風船が萎むように笑顔がなくなっていくのがちょっと面白い。


「フレアと申します。冒険者を目指しています。資料の閲覧をお願いしま――て、姉さん。ちゃんと接客してください」

「何のつもり?」


 ユレアがこちらにジト目を寄越してくる。もう営業始まってんぞ、せめて笑顔はつくろうや。

 俺は何も知らないし、巻き込まれたくもないので逃げようとするも、


「お兄さん。わかってますよね?」

「あ、はい」


 情けないがアンラーではフレアには敵わない。逃げたら後日『鍛錬デート』させますよ? などと言われたら、おとなしく従うしかないよなぁ。

 アイツの体力は俺もよくわかってる。アンラー程度の男を一日中振り回すなど容易かろう。


 まったく、朝っぱらからなんでこんなことを。

 胸中でぶつくさ言いながら合流したところで、フレアが一瞥を寄越してきた。ニヤリと不器用に口角も上げてくる。


「姉さんには言ってませんでしたっけ。うちはお兄さんとパーティーを組むつもりです」

「はぁ!?」


 だからもう接客始まってんぞ。あと俺を睨むな俺も初耳だ。「うちとお兄さんの仲ですし」なんか腕を取ってきた。

 やはりぎこちなくて、胸も当たってないし、つか当たらないようにしてるし、まあ演技だと一発で分かるお粗末なものだったが、


「フレア? ちょっとお話しましょう。別室で」

「効果てきめんですね」

「ボクで遊ばないでもらえるかな……」


 カウンターを回り込んで奥へと進むユレアに、フレアもついていく。

 まだ腕を離してくれないので、少し動かして胸に当ててみると「うひゃぁっ!?」耳がキーンとする程の声量。対して胸のボリュームは控えめで、よくフィクションで貧乳の女の子に当てられて興奮するシーンがあるけど押しつけでもしない限りは無理があるんじゃないかと改めて思うなどした。


「あとで覚えておいてください」


 カレンの時もそうだったが、敏感なのかもしれないな。反省してなくて申し訳ないけどお手柔らかに頼む。


 さて、どうやら本当に別室に行くらしく、スタッフしか足を踏み入れない廊下に差し掛かろうとしていると、奥から集団が。

 前世のオフィスでも見たなぁ。移動中にも仕事の会話をしている、見るからに忙しそうで役職も高そうな人達。横に並ぶわ避ける素振りもしねえわでウザいんだよな。

 華やかで目の保養的にマシなのがせめてもの救い。こういう感想、前世だとアウトだよな。


「では八時半からお願いします」

「――いや、九時にしよう。それまで私は席を外す」


 そう言って一人だけ立ち止まる好青年。

 若いのに貫禄も出ていて、高そうな革製も服も着ていて、当たり前のようにイケメンで、まだユレアを諦めてないっぽい男ことギルドマスター。

 同座している女性スタッフ達も事情は察しているようで、すぐに解散する。俺達にも会釈をくれたが、表情はビジネスライクで何もわからない。


「どうしたんだユレア。それに君はたしか」

「妹のフレアです。冒険者の情報を問い合わせてます」

「ああ、冒険者になりたがってるんだってね。良かったら話を聞こうか」


 ギルドマスターが一室を指差す。スタッフの休憩室だ。以前もここでユレアに求愛してたよな。俺は寝たふりしてたけど、相変わらず強引な印象を受ける。


 その休憩室は、今は開館直後だからか誰もいなかった。


「いえ、大丈夫です。一昨日は相談に乗っていただき、ありがとうございました」


 ユレアが社交辞令の笑顔でさらりと言う。前世の俺でもわかりそう、というくらい露骨だったので、コイツにも通じるだろ――て、うおぉ、めっちゃ怖い顔したぞ今。

 それをレベル30以上の力で無理矢理誤魔化してきた。


 ゼロコンマ一秒、いやその半分もない。一般人には見えない速さなので、コイツの顔を見ていたアンラーとしてはリアクションしてはいけない。スルー。


「大丈夫ならいいんだけど、そうなると休憩室を使わせるわけにはいかないな。信用していないわけではないが、部外者だからね」

「……すみません」

「妹思いなのはわかるが、しっかりしてくれよ」


 はははと太陽が輝くような笑みの後、ギルドマスターの足音が遠ざかっていく。


「お兄さん、あと十年であの色気出せます?」

「難しそうだね」


 足音にも乱れがない。さすが立場だけあってよく耐えている。反面、妹思いの一言を受けたフレアは耳がちょっと赤かった。視線には目敏いようで、何ですかと言いたそうな半眼。何でもないっす。つーか、やっぱり姉妹だな。目元とかよく似てる。


「アンラーさん」

「あ、はい」

「こっち見てください」


 見たくないが見てみると、案の定、笑顔の圧力が。

 よくもまあ器用に目だけ笑ってない表情が出来るものだ。さすがにここで視線を落とすほど愚かではない。


「フレアとずいぶん仲が良いんですね? 私ももうちょっと攻めないとダメかな?」

「いえ結構です……」

「お兄さん。次あんなことしたら蹴りますし投げますよ」

「ボクはむしろ被害者だけど……」

「被害者」


 ぽつりと呟くユレアが無駄に怖い。女子中学生相当のガキには興味はねえです。あまり。


「姉さんを軽視しても突きますし締めます」

「どうしろと!?」


 フレアがウザいのは元からとして、ユレアも思ってた以上に面倒くさい。

 もっと年下男子の憧れの的で余裕たっぷりなお姉さんってイメージだったのに、人間味があって萌えるじゃないか。


 そんなこんなでいじられながら接客フロアに戻り、最も手前のカウンターを確保するユレア。

 受付スタッフをアルカイックスマイルゴリ押しで退けた後、自らが着席して。一応ちゃんと応対はしてくれるようだ。


 好奇の視線に晒されながらも、俺達は冒険者情報を問い合わせた。

 もちろん俺はフレアに付き合わされてるだけだ。こんなことしてる場合じゃねえんだけどなぁ。




      ◆  ◆  ◆




 ギルドセンター方向から急上昇する何かを検知――懲罰隊員ラクター・アドリゲスは速やかに対処に向かおうと加速したが、それを視認した途端、速度を落とした。


 予想どおり、それは領空を抜ける前に停止する。

 間もなく近接して、


「――珍しい来客だな」

「ラクターか。今日も勤務お疲れ様」


 特区の領空はおおよそ地上から三百メートルであるが、一般人は空を飛べないため来訪者は皆無に等しい。ほぼ懲罰隊員の私有地ならぬ私有空と化している。


「年中無休のギルドマスター様ほどではない」

「様とか言わないでくれ。私とお前の仲だろう」

「昔組んだことがあるだけだ。成り行きで組んだだけだ」


 4003群ギルド支部の長リック・リード・テーラーと、概ね4000群から4005群を担当する懲罰隊員ラクター・アドリゲスは、かつては全国を渡り歩いた冒険者であった。

 何の偶然か、同座するタイミングが多く、パーティーを組んだ経験も複数回。リックは縁を大事にしており、今の仕事に誘うほどラクターを買っているが、反面ラクターは淡白なものだった。だからこそ退屈な隊員も続いているのだが。


『相変わらず淡白だね』


 突如としてリックが《《ジャース語ではない言語》》で喋る。

 盗み聞き防止であった。特区ではあるものの、言わば上流階級に位置する彼らは内情もわかっている。いつ、どこで、誰が聞いていてもおかしくないのがこの国だ。


『カレンとよろしくやってるくせに』

『あまり思い出させないでくれ。膨らんでしまう』


 懲罰隊員が公の場で勃起するなど職務怠慢を疑われかねない。

 興奮を鎮めるかのように、ラクターは職務に専念する。具体的には地上の観察だ。首を動かす度に、両耳の大きなリングピアスが揺れる。

 滑稽だなどと笑うことはない。

 むしろリックにとっては羨ましいくらいであった。


 監視と罰則の厳しいダグリンにおいて、欲しい人を手に入れることは不可能に近い。

 その隙を見つける観察眼に、実行に移してみせる胆力。

 そして手に入れた果実の味は――想像するだけで垂涎ものである。


『無駄話は好かない。用件を言え』

『ユレアを手に入れたい』

『……親のいない三姉妹の長女だな』

『カレンとも仲が良いよね』

『それで手に入れたいとは、犯したいということか?』


 ギルドマスターにも懲罰隊員にもあるまじき発言だが、二人は誰かに聞かれることを疑っていない。


 ジャースにおける言語は基本的には一つ――竜人が整備したジャース語だけだ。それもスキル『ジャース・ランゲージ』で習得できる、というよりされるようになっているほど行き届いている。

 しかし、整備以前からいくつもの言語が存在しており、ジャース・ランゲージに屈さず死守している者もごく少数だが存在した。リックとラクターもその内であり、しかも同じ言語であった。リックがラクターを気に入る理由の主因でもある。


 つまり盗み聞きされたところで、意味までは把握されないのだ。

 どころか、実力者の盗み聞きはジャース語の発音に伴う空気振動に頼っているだけであり、一方、二人の言語の発音は前者とは異なっている。そもそも捕捉されること自体がほぼ無いと言って良い。


『いや、犯すのは最終手段だ。一度愉しんで終わりにはしたくない』

『割り切るべきではないか? 人の心は手に入らない』

『私はユレアの体が欲しいわけじゃないよ。いや体も欲しいけど、ユレアの全部が欲しいんだ。妻にしたい』


 欲望の赴くままに会話を繰り広げつつも、今この場でユレアやカレンを凝視することはない。少しでも怪しまれないために、旧友同士が空で休憩しているという体を崩さない。


『相談相手が違うと考える』

『そうでもないさ。アンラーは知ってるよな?』

『先週の新人。ケイブから運良く出られた男だ』

『そのアンラーがユレアを誑《たぶら》かしている』


 宙に浮いてはいるものの、二人には親友や家族のようなリラックスしたムードがあった。

 それを微塵も壊さずに、リックが言う。


『アンラーを消したい』

第302話 アンラーの受難2

 |午後一時から五時《第二スロット》の接客業務を終わらせた後、俺は食堂には向かわずホームを飛び出した。


 ――コンテナでは食べないでくださいね。見つかると罰されます。


 以前フレアが言っていたことだが、ここには穴がある。

 国民時刻表《ワールドスケジュール》が食事時間だからといって、食堂や銭湯に行かなければならないわけではない。コンテナに持ち帰って食べるのがダメというだけで、単に行かなかったり食べ歩きしたりすること自体は許されている。あるいは黙認かもしれないが。


 時刻表を鵜呑みにする奴らには出来ない発想だろう。ゆえに出し抜けると思ったのだが――


「お兄さんって意外と体力ありますよね」


 俺と肩を並べて歩くフレアが、訝しみながら言う。

 その視線は俺の手元、巾着袋に移っている。一応持ってきておいて良かった。


「そうかな? おばさんに力比べで負けたりもしたけど」


 もうすっかり馴染んだが、特区民は混浴が当たり前だ。パーソナルスペースも近いし、文字通りの裸の付き合いもよく起きる。といってもラッキースケベはなく、おばさん以上に絡まれるか、幼女以下に遊具にされるだけだが。とりあえずロリコンには厳しい社会だと思う。


「そうじゃなくて、持久力の話です」

「長距離移動ってこと? 体力のうちに入るのかな。みんなもやってるでしょ」


 既に懲罰隊員は欺けているが、俺は一般人《レベル1》のアンラーだ。顔なじみのフレアであろうと、誰であろうとボロを出すわけにはいかない。


「板もたくさん運んだようですしね」


 特にフレアは危ない。日本語をびっしり書いた板も見られてしまっている。

 姉妹喧嘩は解消したので秘密は守ってもらえるようだが、それでも放置していい事態ではない。といっても、消すわけにもいかないので、せめて疑いが深まるのは抑えないと。


「あはは……」


 お馴染みのアンラースマイルでお茶を濁したところで、ちょうど良いところに給水場が。


 石製のウォーターサーバーみたいな装置がある。胸の位置に蛇口がついており、縦に突起が二つ並んでいる。

 まず上の突起だけ引っ張って一回分の水量を貯めた後、元に戻して閉じる。それから蛇口のそばで口を構えてから、下の突起を引っ張ると、貯めた水が落ちてくるという仕組みだ。


 ダグリンには飲み水の蓄えられた設備があちこちにある。よほどの方向音痴でもなければ、長距離の移動であっても水分不足で困ることはない。


「器用な飲み方をしますね」

「はひはほふ」

「褒めてないです」


 俺に続いてフレアも飲むようだが、尻ポケットから液体ムヒみたいな容器を出してきた。

 蓋を開けて容器を蛇口に構える。なるほど小さな水筒ってわけか。……ん?


「あの、フレアさん? 蓋の方に刃物が見えた気がするんだけど」

「ナイフです。結構便利ですよ。護身にも使えます」


 渡されたので見てみると、なるほど、忍者が使う《《くない》》のような凶器が取り付けてあった。

 話の種だな。しばらく稼げると思ったが、


「やっぱり体力――あると思いますよ」


 フレアが口元を拭いながらも、まだそんなことを言う。やはりここで誤魔化しきっておく必要があるな。


「よくあの食事で保ちますね」

「この後、食堂にも寄るよ」


 ちょうど上手い話題が振られたので食いつこう。俺は巾着袋を掲げてみせた。


 そう、これは俺の体力を誤魔化すための小道具だった。

 バグってる俺に食事は要らないが、アンラーはさして体力のない一般人。あまりパフォーマンスは出せない。

 それでもレベル1の限界に疎い冒険者であればどうにでもなった。一キロ三分ペースで一時間走る、を数セット行っても怪しまれない。王立学園の生徒や教師も手加減が下手だったし、冒険者が下手なのは間違いないだろう。


 問題はアンラーと同じ一般人である。

 特にフレアは運動が得意だし、ライオットじいさんにも鍛えられてる。レベル1の限界もよく知っているはず。食べてもないのに長時間歩ける、何なら走れるというレベル1離れを見られるわけにはいかなかった。


「それにボク、燃費が良いみたい」


 一瞬通じるか怪しくて言うべきか迷ったが、通じている。

 上手く変換が働いているのだろう。あるいは、燃料を消費する何かがダグリンにもあるのかもしれない。あったとしても金無くて無理だろうけど。そもそも要らねえけど。


「フレアの周囲にもいない? あまり食べてないのに健康な人」


 いない場合、いわゆる|食べても太らない体質《ハードゲイナー》まわりの話を語って説得力を持たせるつもりだったが、「あー、いますね。羨ましいです」通じてくれて助かった。


「フレアも燃費良い方だと思うけど」

「体が小さいだけです――って今どこ見ました?」


 胸と、全身と、顔と、胸の頂きだけど。透けてないのが残念。女子中学生相当をそんな目で見てる俺はもっと残念。前言撤回しよう、結構興味ありますわ。


「ん? 可愛い服を着てるなって」

「昨日と同じですけど……」

「そうだったっけ?」

「見るなら姉さんにしてください。見応えもあるでしょうし」

「それは知ってる」

「うわ最低です」


 何度も混浴してるし、出張性交教育《セックラス》なんてのもあるからこの辺の観念も緩いかと思いきや、そうでもなかったり。よくわからんな。


「もう日が暮れますけど、どこ行くんです?」

「別に目的はないよ。散策したくて」


 目的は、ある。

 周辺地理の把握だ。


 この先、俺は将軍会議に参加して、リリースぶっ放して全将軍を殺すつもりだが、とにもかくにも参加できなければ話にならない。

 現状を考えれば、直接足を運ぶしかない。当然ながらフレアを始めとする邪魔者は巻く必要があった。


 さすがに全土を巡るのは不可能だが、近隣だけでも辿っておくと違う。

 地形がもたらす情報量は多い。だからこそ小説家も犯罪者も現地を見に行くのだ。


 俺の横顔を見上げるフレアに、大した猜疑心は無さそうである。

 レベルアップは便利だよな。オーラにも空気振動にも鋭敏になっているから、些細な挙動の違いもよくわかる。演技されてたらどうしようもないが、コイツはそこまで器用じゃない。


「うちも好きですよ。たいていクレアの付き添いですけど」

「あはは……、やっぱり元気なんだね」

「ライオットさんも将来超有望って言ってましたからねー。あ、これ、姉さんには内緒ですよ」


 良いんじゃないか? たぶんフレアの上位互換だろうし、絶対冒険派を選ぶだろ。

 そもそもどうでもいい。クレアが成長する前に、俺は将軍全員を殺しておさらばしているさ。


「そういえば『めいろ』はどうしたんですか?」

「ちょっと煮詰まっててねー……」


 しっかし、この散歩しながら雑談という流れは何とかして断ち切りたいところだ。

 貧乏人の暮らしゆえに話題など限られている。どうやっても俺達のプライベートに行き着く。口数がさして多くないのがせめてもの救いか。


 それからはお互い黙ったまま歩き続けた。


 途中で食堂に寄って、水分兼デザートの巨峰だけは先に飲み干してから、残りはフレアの分も含めて巾着袋に詰めた。

 それを食べながら、引き続き歩く。


 かれこれ四十分は歩いたか。

 緑が無いのがイマイチだが、荒野だろうと大自然に変わりはない。|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》のように何十何百メートルという起伏も無いから歩きやすいし、4003群からだいぶ離れたからか崖もない。ただただ広い。

 それでもコンテナやら目印岩《マークロック》やらがあるため、迷うこともない。貧乏すぎるのを差し引いても、良い場所だと思う。空飛んでる鳥人がちょっと気になるけど。


 ふと、数歩ほど先行していたフレアが立ち止まった。


 地平に浮かぶ彼女を、夕陽が照らす。


「姉さんのこと――どうするつもりです?」

「それ、フレアに言う必要ある?」

「ありますよ。うちもお兄さんのこと気になってますし」


 人気者だなアンラー。

 前世の俺だったらもう少し、あるいはかなり動揺していたかもしれないし、たぶん下心的な意味で計算も画策も全力でやろうとしていただろうが、今の俺は嘘のように軽い。何も無い。

 当たり前だ。バグってる俺はダメージや痛覚のみならず、感情も丸め込まれる。


「あー、そう、なんだ……」


 とりあえずアンラーとして照れつつも、フレアの様子をうかがう。


(ダンゴ。目の話だが、夕陽をカットしてくれ。フレアをちゃんと見たい)


 思いつきで試してみたが上手くいった。まるで画像編集ソフトだ。

 フレアは耳だけがほんのり赤らんでいる。


「じゃ、じゃあ……その、付き合っちゃう?」


 俺は思い切って倒すことにした。


 ヤンデの時もそうだったが、こういう時はさっさと誰か一人と結ばれた方が何かと都合がいい。フレアであれば、よく外出する俺の生活スタイルにもマッチするだろう。

 と、まったく疑ってなかったのだが、


「は?」


 女子って器用だよなぁ。嫌悪感を声に乗せるのが上手い。そそられるというマゾな野郎が多いのもわかる気がする。


「もしかしてうちの体が目当てですか? 今日も何回か見てきましたし」

「いや、そうじゃなくて……」


 正直やりたくないやりたいで言えばやりたいけど、古今東西、性欲は身を滅ぼす。

 コイツとヤレるかもしれないという可能性は処分しなければならない。頭の片隅もダメ。捨て置くのも足りない。完全に捨てるのだ。


「その、好き、なんだよね?」

「嫌いではないですけど、付き合いたいとまでは思わないです」


 照れてたじゃん、と言いそうになったが、堪える。逆光なのに見えているのは不自然だ。


「うちは冒険がしたいので。あ、もしかしてパーティの話ですか? お兄さん、弱いからなぁ……」


 ちなみにユレアには俺と組むと話しているが、俺をダシにしているだけである。コイツによわよわアンラーをパートナーにする気など無い。


「振られちゃった」

「なんかチャラくないです? 何か企んでます?」


 まだだ。コイツも初心なところがあるし、強引に押せばいけるはず。ルナを振り向かせた俺の力を見せてやろう。


「ユレアさんには悪いけど、フレアだけなんだよね。こうやって落ち着いて話せるのは」

「年下だからじゃないですか? お兄さん、目上の人が苦手そうですもんね」

「そうだね、あはは……」


 ぐっ、ここぞでシリアスムードをぶつけたつもりだったのに、軽く流されやがった。


「姉さんで練習するといいですよ」


 にししと綺麗な歯列を見せるフレアを見ると、俺の告白もあながち嘘ではないのかもしれない。

 俺はチョロいのだろうか。それともロリコンなのだろうか。

 たぶん両方だな。前世の男尊女卑社会と性的コンテンツの洗礼は凄まじい。バグっていてもなお、知識と記憶だけでここまでの感想を抱かせる。だから捨てろっての。


 ともあれ、作戦は失敗したらしい。

 愛は愛でもライクの方だろうか。友達とか、兄とか、そういうやつ。照れてたのはよくわからんが。

 あ、でも友達相手でも照れることはあるか?


 友達いたことないからわかんね。

第303話 アンラーの受難3

 前世の夕陽と遜色ないクオリティの天灯《スカイライト》が地平に重なる。貧乏人殺しの夜も近い。


「あっちの方、なんか賑やかだね」


 コンテナが十段以上積まれていてビルみたいになってるし、今も人や荷物らしきものが垂直に飛んだり降りたりしているのが遠目からよく見えた。


「交易区域《コマースゾーン》です」

「荷物は空から運び込んでるってこと?」

「ですね。私達も自由に出入りできますよ」


 要するに空港か。魔法の世界だと滑走路も停留所も要らないようで、ただただ屋外倉庫になっている。


「領空はどうなってるの?」

「色々と取り決めがあるようですけど、うちは全く知らないですねー」

「飛べないもんね」

「いやお兄さんもですよね?」


 俺は飛べるぞ? リリースを自分に当てて吹き飛ぶんだよ。飛べると言えるかは怪しいか。


「フレアは冒険者になるんでしょ? 飛行魔法? 風魔法? とか覚えたら飛べるようになるんじゃない?」

「うちは走る方が好きですけどねぇ」


 他愛の無い会話をしつつ、その足を向かわせるフレア。


「え? 行くの?」

「見たことないですよね。せっかくですから見学しましょう」

「ああ、うん……」


 鳥人のシルエットも見えてるから正直行きたくないんだが、ここで断る方が不自然か。仕方無く俺も後を追った。


 交易区域に到着した。

 広さは小中学校敷地の二倍くらいで、人数はざっと五十人。たしかに何も言われないな。視線を食らうことさえない。

 ちょうど書き入れ時らしく、空から運び込まれた物資やら資財やら武器やらがひたすらコンテナへと流れたり、コンテナ自体があっちこっちに動いたりしている。物によっては雑に落とされたり、丁重に置かれたり、どこに入れるか相談している間は宙に浮くなりしていて、フィクションでも見たことがない光景だ。


「もうちょっと入ってみましょうよ」

「いやいや、当たったら怪我するよっ!?」


 臆病なアンラーならいけるだろ、ってことで俺はことさらビビってみせる。同時に、自然に後ずさることも忘れない。

 目的は一つ。交易区域の外に出たい。


 (ダンゴ。クロ。《《鳥人の干渉に備えろ》》)


 早口で注意喚起した後、もう一声上げようとしたが、くそっ、フレアが踏み込んできた。

 アンラーでは捕まるしかない――おとなしく腕を犠牲にする。


 続いてフレアは俺を引っ張ってきて、より内部へと進もうとする。腕力は女子のそれだが、重心の崩し方が上手い。アンラーの身体能力だと「わ、たっ」などとバランスを崩しつつも何とか粘れるくらいか。フレアもそうなることを期待している。人間の、アンラーくらいの身体の挙動を感覚的に理解しているわけだ。

 もちろん抗えないし、油断すると俺の演技でも危ない。


 で、意識の配分をそこに集中しちゃえば、本題の方はおろそかになってしまう。

 妙案をひらめかせることもできず、


「ちょっといいかしらー?」

「すぐ済むからさ」


 巨大な団扇であおられたかのような風――

 二人の鳥人が降りてきた。「鳥人ですか?」フレアは既に臨戦体勢である。格闘家の達人と言われても信じるほど綺麗な佇まいで、くそ、こんなことにそんなモン見せないでほしい。


「妹さんかな? 怖くないよー」

「すぐ済むからさ」


 無論、一般人など痒くもないわけで、鳥人らは意にも介さない。

 フレアのこれが一体どれだけ凄くて美しいことなのかわからないんだろうか。わからないんだろうな。感情が少しでもあれば、おそらく第一声は反論だった。

 って、あぁ、解きやがった。だよな。懲罰隊もいることだし、別に本気で警戒しているわけじゃない。練習のつもりだったんだろう。


「私達と性交しない? 金貨一枚出しちゃうよー」

「すぐ済むからさ」


 胸の谷間からするすると金貨が出てくる。内緒話よりも小さな声で風魔法を唱えたのが見えている。芸が細かい。

 すぐ済むからささんは、ぺろりと舌なめずりだ。無詠唱で自分の胸元に水魔法を撃ったのがわかった。こっちの方が一段上手だな。


 それはともかく、鳥人相応の膨らみがじわりと滲み、その頂きが存在感を増す。

 フレアの半眼も痛いので、すぐに目線を逸らして、


「か、かか勘弁してくださいぃ……」

「じゃあ金貨二枚! いや三枚ならどうかなー?」


 鋭いかぎ爪がピッ、ピッと上げられて二本立ったのが空気振動でわかる。結局どっちだよ。どのみち受ける気など無いが。「すぐ済むからさ」舌をれろれろするのはやめてもらえるか。


「うちのことは気にしなくてもいいですよ。姉さんには内緒に――」

「ヒィ、ほほ本当に勘弁してくださいっ!」


 悪いがフレアの軽口に付き合ってる場合じゃない。


 ヤバいのがいる。


 真上、三百メートルといったところか。

 オーラだ。鈍い一般人でも狙われているとわかるボリュームのオーラが、俺だけに注がれている。


 好奇。好意、あとは好色とでも言えばいいのか。

 この三つを一気に浴びた経験はこれが初めてだと思うが、俺はこのオーラを知っている。


 頭に浮かんだのは、埋《うず》まりたいおっぱいランキング一位の女――。


 早く逃げなければ。


 交易区域の外なら干渉はされない。

 今のアンラーはパニクっている。声を掛けられても聞こえませんでしたで済む。


 だよなぁ。俺が甘かったんだ。もう二度と交易区域には近づかない。いや反省は後でいい。今はここから逃げなければ。

 フレアも見ているが仕方ない。少しだけアンラーの限界を越えて脚力を発――


(くそっ)


 そいつが目の前に降り立ってきた。

 余裕の音速超えに、俺達の衣服さえそよめかさないほどの抑止。もちろん一般人の分解能では捉えられないし、既に走ってるアンラーは止まれない。


 ぽふっと。


 俺の顔面がトップランカーのおっぱいに埋《うず》まった。

 その主は、答え合わせをするかのように口を開く。


「きんにくん?」


(なぜミーシィが)


 偶然にしては出来すぎだ。何が起きている?

 いや、今はそれより、


「ごごごごめんなさいっ!」


 まだフレアが見ている。表情も言動もパニックを演じつつも、なるべく自然な足運びでミーシィを迂回しようとする俺。

 あと三歩で出れるんだが――シュンッとミーシィに回り込まれた。ですよね。

 で、そうなると俺は。


 またもや、ぽふっと。


「……」


 やっぱり柔らけえなぁ。ヤンデやユズでは逆立ちしても出せない世界だ。男なら誰でも一度は憧れる桃源郷だろう。


「お兄さん……」


 いや狙ってねえからマジで。そんな場合じゃねえんだよ。


「あ、これはっ」


 俺はバッと顔を上げて、さらに逃げようとするが、わしっと両の手、というかかぎ爪があるからか掌底で顔ごとはさまれて。


「大丈夫?」


 ミーシィが心配そうに俺を覗き込んでいる。

 童顔は真顔でも童顔なんだな。このロリフェイスがこんな桃源郷を持っているなど一体誰が思うだろうか。閑話休題。もう逃げられない。

 幸いにも、相棒が俺の顔面を真っ赤っかにしてくれたので、これを利用する。


「大丈夫、です……」

「怖がらせちゃったかな。ごめんね」

「いえ……」


 ミーシィはうんっと微笑んだ後、飛び去っていく。

 残る鳥人二人も、空気は読めるのか無言で飛んでいった。

第304話 アンラーの受難4

 彼女の追跡は容易ではない。

 レベルこそ自分の方が高いものの、鳥人は飛行魔法の原理たる風魔法に高い適性を持つ上、その腕力と翼で物理的に加速することも容易い。

 加えて、こちらは尾行を気付かれてはならないハンデもあった。

 もちろん彼女以外の勢力に勘付かれてもいけないが、よほどの実力差がなければゲートで巻けばいいだけだから大した問題ではない。


 彼女は上空を経由して移動するらしかった。

 上空は空気抵抗が小さく、加速が純粋に乗ってくれる世界だ。上手くやれば一時間も待たずにジャース大陸の端から端まで行けよう。

 無論、それだけの速度に耐える耐久性が要るし、加減を誤れば大陸の外――海に出てしまい、天空にまで伸びる大木『ジャースピラー』にぶつかって死んでしまう。

 そもそも上空は各国の法規が通用しない無法地帯だ。

 鳥人に絡まれるだけならまだしも、犯されたり殺されたりすることも珍しくない。やられた社員も一人や二人ではなかった。


 一週間前の自分なら追いつけなかっただろう。

 あるいは隠密《ステルス》への配分がおろそかになって、気付かれていたに違いない。

 そういう意味では、先日の標的訓練は幸運だった。

 優秀な鳥人を閉鎖的な空間で長時間観察できる機会など滅多に無い。王立学園だからこそのメリットだろう。おかげで彼女の一挙手一投足を理解できた。


 たしかに彼女は優秀だ。

 鳥人としても、冒険者としても、ゆくゆくは名を馳せるポテンシャルがあるだろう。


 でも、それだけだ。


 諜報、警備、護衛といったジャンルには縁が無い。

 そもそも鳥人の飽きやすい特性からして向いていない。


 行動パターンも単純だ。

 戦闘中の駆け引きこそ優れているものの、動作自体は至極シンプル。パワーとスピードで押せば勝てるからそれで良いと考えている、あるいは結果的にそういう振る舞いになっている。



 ――殺される危険性にだけ備えるのは二流ですよ。


 ――調べられる危険性にこそ備えるべきです。



 上司の助言が想起される。



 ――そういう時代が来ます。



 この件《くだり》はよくわからないし、実力もまだまだ敵わないが、卑下する必要は無い。淡々と活用し続ければいいのだ。いつか出し抜ける、その日まで。


 それに比べれば、現在の対象など取るに足らなかった。

 それでもギリギリで、スキャーナは所持品装備品をすべて失って裸体を晒している上、髪もぼさぼさで、目は乾燥しすぎて血走っていた。

 隠密に全振りしている。仮に同格以上の脅威と遭遇したら対応できない可能性が高いが、スキャーナはとうに割り切っている。


 対象の行き先はダグリン共和国――南ダグリンの特区だった。

 どうやら特区民を食べたいようだが、明確に特定の人物を探しているらしかった。

 探索にも長けているらしく、情報屋ガートン職員の目から見ても感心するほどセオリーに則っていた。


 調査も佳境なのだろう、彼女は興奮を抑え切れない様子だったが――

 特区3535群にて、それが一瞬爆発する。


 レアアイテムをドロップする稀少モンスターを見つけた時のような、露骨な捕食者の視線――それが、ある一人の男に向けられた。

 高度はおおよそ三百メートル。

 地上を歩く男に気付いた様子はない。隣に連れている少女も同様だ。


 しかし、同じく狩りに来ていた鳥人二名は目敏くて、もう向かっている。スキャーナはすぐに振動交流《バイブケーション》を仕込んだ。


「ちょっといいかしらー?」

「すぐ済むからさ」


 性交の交渉に入っている。目標は男の方らしい。


「か、かか勘弁してくださいぃ……」


 男は一般人《レベル1》のようである。図体は大きいが、童顔で、臆病で奥手な印象を受ける。

 一見すると不自然はないが、当てにはなるまい。


 シニ・タイヨウの変装能力は常識を逸しているのだから。


 その前提で穿って見てみると、途端に本質が見えてきた。


(交易区域から出ようとしている)


 鳥人とてダグリン領内では強引な真似はしまい。そのくらいわかっているはずだ。

 にもかかわらず、器用な演技をしてまで一刻も早く抜けようとしているのは。


(気付いている。ミーシィさんのオーラに)


(|自分を特定する能力《ベーサイト》を持っていることにも)


 交易区域の外に逃げられたら、もう接触は叶わないだろう。

 高度な隠密が使えるスキャーナはともかく、ミーシィには為す術がない。懲罰隊と敵対するリスクを犯してまで不法入国する度胸も無いはずだ。


 ミーシィが動いた。


(くっ!?)


 標的訓練でも見せなかった高速移動だ。移動中は隠密にも気付かれにくいが、静止中は気付かれやすい。距離を開けてはいけない。

 スキャーナも呼応して後を追う。


 ゼロコンマ一秒を待たずに地上に着地。風圧を対処するほどの余裕は無かったが、ミーシィが上手く抑えたようだ。


「きんにくん?」

「ごごごごめんなさいっ!」


 男はなおも器用に演じてみせる。

 どう見てもレベル1にしか見えないが、その実、足運びは最短ルートである。あと三歩ほど許せば交易区域を出てしまう。


 見逃すミーシィではない。サッと回り込むと、その豊満な胸が男を受け止める。


「お兄さん……」


 男をそう呼ぶ、この少女は何者なのだろう。

 恋仲ではなさそうだが、ただの知り合いでもあるまい。鳥人に囲まれてもなお平静を保っているあたり、才はある。


「あ、これはっ」


 男は慌てて顔を上げて、なおも逃げようとするが、ミーシィがそれを許さない。頭をまるごと拘束して、


「大丈夫?」


 心配そうに男の顔を覗き込んでいる。


(いったん持ち帰るみたいだ)


 一瞬放っていたオーラが嘘のようだ。

 子供と接する年上のお姉さんといった優しさが醸し出ていて、保育の従事者を彷彿とさせる。子供と接する機会も多いのかもしれない。


 おそらくミーシィは確証を持った。

 ただ、今すぐどうにかすることはできないから、無害を演じていったんは退くつもりなのだろう。


「大丈夫、です……」

「怖がらせちゃったかな。ごめんね」

「いえ……」


 ミーシィも、鳥人二名も飛び去っていく。

 スキャーナはそれらは追わず、目の前の対象に専念すると即決。


 男は露骨に赤面し、少女は胡乱《うろん》な半眼を向けていた。


(こうやって騙してきたんだね……)


 どういう仕組みかは不明だが、魔法を使えないレベル1が赤面をつくることなど不可能だ。

 本当にそういう性格なのかもしれないが、だとしたらあんな器用に区域外に出ようとはしないだろうし、それを行えるだけの身体能力も身に付かない。


 学園生活が思い返される。


 王女ヤンデと一緒に訓練していたジーサ。

 そのパフォーマンスは明らかに第五級冒険者でしかなくて。


 だからこそ疑えなかった。疑おうとさえ思わなかった。


(怪人の件も踏まえると、おそらくモンスターの力を借りて偽装している)


(魔素は感じない。でも魔素を抑えるモンスターの存在は確認されている――)


 スキャーナは男に近づき、顔を近付ける。


(逃さないよ。絶対に)


 目と鼻の先に、男の横顔がある。

 皮膚がある。

 毛穴も見える。


「……ど、どうしたのフレア?」

「お兄さんってどういう女の人が好みなんですか?」

「ど、どうって……フレアみたいな人?」

「そういうのいいですから」


 体毛も見える。

 小さなできものもいくつか。


(本物にしか見えない。一本抜いたらバレるかな……)


「外見の話です。さっきの人達に動揺していたので、やっぱり大きな人が好みなんですかね?」

「あはは……」


 緊張を伴った汗の臭いがする。


(発汗や臭いもつくれるんだ……)


「姉さんはいかがですか? 大きさも、形も、触り心地も、妹のうちが保証しますよ?」

「そういう話、やめない?」

「その割には入浴のときとか妙に落ち着いてますよね」

「いやクレアに振り回されてるばかりだけど……」

「もしかして幼児体型が好きなんですか?」


(ぼく達は必死で探しているというのに)


(今はこの人達を侍《はべ》らせてるんだ?)


(情報が足りない。三姉妹。三女の名前はクレア。3535群から通える範囲に住んでいる――)


「さっきから急にどうしたの?」

「気に入らないだけです。お兄さんにはもっとしっかりしてほしいんですよ」

「そんなこと言われても……」


(ねぇシニ君。ねぇジーサ君。今は何と名乗っているの? なんでこんなところにいるの?)


(ルナさんは? ヤンデさんは? 捨てたの? 平然と捨てて、そんな風に平然と笑っているの?)


(ぼくはスキャーノと言います)


(ぼくのこと覚えてる? 思い出したことある?)


 今、ここで攻撃したらどうなるのだろう。

 たとえばレベル1の肉体を切断できる斬撃を腕に叩き込んだら? ちぎれて、出血するのだろうか。


(ぼくも回復魔法は使えるよ。首や胴体だと怪しいけど、腕の切断くらいなら治せる)


(腕ってさ、ちぎれると痛いんだよ。ファインディさん、あ、ぼくの上司なんだけどね、鍛えられたからよくわかるんだ)


(でもねジーサ君。身体の痛みはたかが知れてる)


(仲良くしているこの少女を失った方が、ジーサ君には効くのかな?)


(ふふふっ、冗談だよ)


(これはぼくとジーサ君の問題。他人は巻き込んじゃいけない)


(そう。巻き込んじゃいけないんだ。だからジーサ君、ぼくと――)


 吐息が触れる距離で男を見つめながら、スキャーナは己の葛藤と闘っていた。

第305話 迷路

 時は少しさかのぼって、第六週八日目《ロク・ハチ》の午後四時。

 Bクラス校舎の一室では娼者《プロスター》の職練が行われていた。


 『練習台』と名付けられた全裸の男達が間隔を空けて仁王立ちしており、その前で女生徒がしゃがみ込む。ペアは余りなく組まれており、女生徒らは男性器を握ったり口に含めたりしている。


「刺激の与え方がワンパターンになっちゃってますね」


「ここを重点的に攻めた方が良いですよ。万人に当てはまるとは限りませんが」


「私のこれは真性包茎《ヘビーキャップ》と呼ばれるものです。剥くことはできませんし、無理に剥くと痛みを伴って行為どころではありません。不衛生でもあるので一般人ならまず口には含みませんが、あなたのレベルなら大丈夫でしょう。色々と試してみてください――」


 男達は変に仰ぐこともなく、教師口調で淡々とフィードバックする。

 室内の雰囲気は至って和やかであり、女生徒同士の雑談も交わされ笑顔も飛び交うほどだった。


 そんな彼女達の視線が時折中央へと向かう。


「ほらっ、勃たせたわよ」

「今日はもう疲れましたわ。お手本を見せていただいても?」


 二人の金髪が一本の男性器と向き合っている。うち一人はボリューミーな縦ロールを携えたハナ・シャーロットであり、「仕方ないわね」早速咥え始めたもう一人がガーナ・オードリーだ。

 制服は普段とは違って着崩されていない。練習台への刺激を防ぐため今は禁止されている。


 ハナはガーナがテクニカルに攻めている様子をしばし観察する。


「奥深いですわね……」


 自然と感嘆が漏れていた。

 目の前の練習台は重度の遅漏らしく、並の娼者でも発射させられないらしい。たまたま学園に来ていたからと急きょ呼び寄せたのだが、貴族の者として少々慣れただけのハナでは全く歯が立たなかった。


 そのガーナも善戦はしているが、向こう数分でどうにかなる様子は無さそうだ。


「ほふふはひほはははひほほふほ」

「咥えながら喋るのは行儀がよろしくなくてよ」

「……奥深いのはアタシの方よ」


 ガーナは手で攻める作戦に切り換えたようだ。息するように唾液も垂らしており、淫らな雰囲気を欲しいままにしている。

 他の女生徒達の集中力も切れ始めていて、半ば見世物になりつつあったため、ハナはぱんぱんと拍手を一発――

 集まっていた視線が秒で霧散した。


「まさかシャーロット家の長女が来るとは思わなかったわ」


 一生徒でありながら場を引き締められるほどの名家。

 その次期当主が、こんな下劣な職練を受けに来るなど常識では考えられないことだ。


「わたくしが敬愛する御方も娼者として優秀でしたし、このような経験がレベルアップに寄与することも知られています。それに精力的な貴方を見ていると、わたくしももっと頑張らねばと思いましたの」


 ガーナ・オードリーは娼者志望であるが、昨日は闘者《バトラー》の標的訓練に参加している。

 通常、このような職業跨ぎは許可されていないが、学園と交渉したのだろう。脱帽すべき行動力であった。

 ハナもその前例にあやかり、早速ねじこんだのが今日であった。


「行動的な女性は素敵よ」

「貴方とは致しませんけど」

「まだ何も言ってないんだけど?」

「捕食者の目をしておいてよく言いますわね……」


 練習台を丁寧にシゴキながらも会話を行い、さらに眼力で劣情を向けてくるガーナ。器用で、底無しで、冗談だとわかっていても安心できない圧がある。

 それでハナにも火がついた。


「そういえばガーナ様。先日は共和国《ダグリン》にいらっしゃったとか」

「……ただの出張性交教育《セックラス》よ。友達のよしみでね」


 貴族枠《ジュエル》の生徒は生徒である以前に貴族である。代理戦争というと大仰だが、探り合いや化かし合いも少なくない。

 先手を取ったハナだったが、ガーナもノータイムであしらう。その娼者とは思えない純真な微笑みは、知己と呼べる存在を意識させた。「素敵ですわね」高貴な者には中々縁が無い。


「アタシは見習いみたいなものだから気楽なものよ」

「嘆いても仕方ありませんわ」


 フットワークの軽さと権限や責任は反比例する。ガーナは背負うことさえ許されていない。

 一方で、ハナは早くも背負わされている。無闇に動くのは難しいが、その分早期から政治や社交界に関与できるメリットがあった。

 いずれにせよ生まれに起因するものであり、受け入れるしかない。


 隣の芝は青いというが、まさに二人とも同じことを考えたのだろう。顔を見合わせ、ふふっと相好を崩す。


「お友達のお話――聞かせていただいてもよろしくて?」

「慎重派の女の子よ。テクニックも悪くない。貴方よりは上手いわね」

「別に優劣はどうでもいいのですけれど、その子も食べましたの?」

「もう飽きたわよ。娼者のイロハを叩き込んだのはアタシだし」

「……」


 同性の友人であろうと遠慮無く楽しむガーナに。

 今も手で揉まれ撫でられ擦《こす》られ続けているというのに、顔色一つ変えず執事のように佇む練習台。

 そして学園に娼者という職業《ジョブ》を用意させてしまう娼館――。


 会社の一端が垣間見えた気がして、ハナは一瞬言葉に詰まる。悟らせるほど表には出さないが。


「普段はどういう話をされますの?」

「たわいない話よ。利害関係は無いわ」

「家族でも主従関係でもないのですよね?」

「――アンタ、もしかして友達いないの?」


 まったくの偶然だが絶妙のタイミングであり、室内がしんと静まり返った。


「……不躾ではなくて? 交友関係の有無は軽率に尋ねるものではありません」


 規模ではなく有無と答えているあたり、さらに傷口を広げているのだが、ガーナにも黙る程度の優しさはあった。


「悪気は無いわよ。あとビンタのフォームが見えた気がしたんだけど」

「気のせいですわ」

「風圧で練習台が四人くらい倒れてるけど」

「まぁ。きっとお疲れなのでしょう。休憩を打診しましょうか」

「練習台は一般人だけどそんなにやわじゃないわよ」

「具体的にはどういう話をされましたの?」


 ずいっと目の笑ってない笑顔で食い気味に顔を近付けるハナを見て、「あ、ちょっと待って」ガーナは手元の男性器に唾液を落とした後、しばらく口で含んで転がす。

 室内全域に響くほどの卑猥な音を十数秒ほど奏でてから、再び手攻めを再開した。


 この気まずい話題を逸らすためのパフォーマンスだった。

 相変わらず練習台はびくともしておらず、むしろさっきから何度か萎えているほどだが、ともかく場の空気はリセットされ、各自の意識は自分の実習に戻っていく。


「やっぱり娼者の話題が多かったわね。レベル1の生態はすべての基礎だし、アタシもさすがに何度も通うわけにはいかないから勉強になるのよ。シャーロット家はどうしてんの? 飼った方がいいわよ」

「ええ。検討致しますわ」

「あとは、そうねぇ……男の話かしら。友達は淡白な子なんだけど、珍しく興味を持ってたわね」

「恋バナですわね」

「いや、恋ではないけど」

「……」

「……無理して話広げなくてもいいわよ?」

「何事も鍛錬ですわ。続けてくださいまし」


 家柄というレッテルほどあてにならないものもないのかもしれない。ガーナは淫らな手を止めて、思わず笑ってしまった。


「アタシも興味を持ったわね。精子が量の割には薄かったし、趣味も変わってた。迷路を自分で描いて自分で遊ぶのが好きって言ってたけど、面白いのかしら?」

「迷路? マッピングということですの?」

「そうじゃなくて」


 ガーナは先日カレンが描いてみせたものと同じ、直線型の迷路を空中に描く。


「こ、これは――」

「こうやって開始地点と終了地点を設定して、なぞるみたいね」


 ハナは思わず絶句してしまったのだが、立場に鍛えられた演技力により、遊び方がわからないという見せ方にずらした。

 ガーナは気付かずスルーする。


 しばし空中に描いた迷路を話の種としたが、退屈には違いない。分を待たずに終了し、マッピング繋がりでダンジョン、そして冒険の話へとシフトしていった。






 午後五時に職練が終了した後、ハナは淑女たる言動は崩さず、しかし足早にAクラス校舎の一室――ほぼシャーロット家の私物と化している豪華な部屋へと向かう。


 レコンチャンと共に入室後、防音障壁《サウンドバリア》をかけてもらい、鼻がくっつく距離で面する。

 レコンチャンは護衛としては優秀だが、情報防衛《インフォガード》周りはあまり強くない。防音障壁の範囲も狭いため、こうして身を寄せ合う必要があった。


「――どう? 何か思い出さない?」

「ジーサの言語創作だな」

「ええ。直線的な迷路を描くという嗜好は聞いたことがない」

「奇抜な点がジーサに似てるってわけか」


 ガーナから迷路の話を聞いたとき、ハナが思い浮かんだのはジーサとの出会い――地面にジャース語ではない言語を書いていた光景だった。


 大貴族の娘として色々見てきたからこそわかる。

 世の中を、今を生きる人々には傾向というものがあるのだ。便宜も、芸術も、それを尊重してこそ成立する。

 その感性が不意に停止してしまうほどのイレギュラーは滅多に無い。


 護衛も同じ相手を浮かべている。もうハナは疑わなかった。


「ガーナ様のお友達が気に入っているという男の子――彼について詳しく調べなさい。もちろん他言無用かつ日常遵守で」

「……他の勢力もあたりをつけ始めてんじゃねえ?」


 乗り遅れないことを優先するべきではないか、もっと言えば登校や護衛業務をおいてでも調査を優先するべきではないかとほのめかすレコンチャン。

 あえて断言しないのは議論を行うためだが、主君の双眸に迷いは無かった。


「ジーサ様――いえ、シニ・タイヨウ様はわたくしが見込んだ御方。あたりをつけられるほど甘くはないと思います。一方で自らの希少性には無頓着なところがあるとも見受けられる」

「罠という線は? 追っ手を誘って一箇所に集めて一発放って全員瞬殺――それだけの火力はあんだろ?」

「国からあえて逃げるほどですから、目立ちたくない性分と考えます。それにこの調査で死ぬのは貴方だけです」


 レコンチャンもまた冒険者だが、それ以前にハナに仕える身だ。主君の御身や大望のためならば、必要に応じて命も賭ける。

 そして主君のハナも、人材を使い惜しむことはしない。

 たとえ家族のような幼なじみであっても。


 逡巡とも慈愛とも無縁な、主従の視線が交わされて。


「了解」


 レコンチャンは何でもないことのように言った。

第306話 将軍会議

 南ダグリンはひたすら荒野であるが、第六区――第二級冒険者《レベル64》以上のみが居住できるエリアにもなると様相は著しく変わる。

 一人が何万何十万というコンテナを所有し、万年穏やかな気候にもかかわらず氷河、溶岩、クレーターや岩山が点在。

 風も吹かなければ雨も降らないが、魔法やスキルの視覚効果《エフェクト》はよく起きる上、低く設定された領空の内外をしばしば音速超えの飛行が通過する。


 そんな南ダグリン第六区の第十七群にて。

 直径約二百メートルほどのクレーターがあり、最底部には青色の棒が突き刺さっている。ミスリルポールと呼ばれるミスリル製の棒だ。長さは百メートルを超えるが、表出しているのは数メートルほど。


 第六週十日目《ロク・ジュウ》午前七時四十五分。

 ポールの周囲を囲むは、この国の最高戦力達だった。


「相変わらず遅いのう。早よせえや」


 烏帽子《えぼし》、帷子《かたびら》、草履と身なりを全身金色で固めてあぐらをかく男――政府経済統括デミトト。


「君は相変わらずせっかちで下品だね。自重したまえ」


 身長は150にも満たないが、髪を短剣でまとめ、脇も大腿も胸の谷間も露出させている娼者《プロスター》の女――皇帝補佐イリーナ。


「自重すべきはお前やろが。性奴隷のクソガキが」

「我の身体を狙っておいてよく言う。汚い目を向けるな。醜い鼻を伸ばすな」

「低身長も大好物なんや。金はいくらでも出したるから、ほら、可愛がってやるで?」

「御前よ。二人とも弁えなさい」


 薄いピンクと水色基調の着物を身に纏い、楚々とした直立を崩さない女――政府生産開発統括イチノ。


「まだ来とらんがな。イチノちゃん、せっかくの美人なんやからお堅いのはあかんで。堅いのは乳房だけにしときや」

「なあイリーナ。この色ボケジジイに上玉を紹介してやれよ。毎週毎週よくもまあ飽きもせずうるさくて敵わねえ――なあギケーシ?」


 |ポールと同じ材質《ミスリル》製の槍と短いパレオのみを身につけた半裸、いや全裸寄りの男――軍部冒険統括ユナキサに。


「雑魚に興味はない」


 剣士《ソードマン》と魔法師《ウィザード》の複合職『侍』であり、レアアイテム級の杖と剣を腰に携える男――外府ギルド統括ギケーシ。


「戦闘狂のアホどもに助言や。戦闘欲も性欲も根っこは同じ。お前らもワシも同類やぞ」

「その発言は興味深し。今度実験してみるべし」

「おぉゲダンタン殿。良い女は入ったか? あとで行くからおすすめ用意しといてくれや」

「私の箱庭を犯す者には死を与えるべし」

「いやいや|監獄エリア《ジェイル》を私物化する方があかんやろ。先週も串刺しの刑を受けたそうやな。よーやるわ。ワシだったら泣くで」

「箱庭を守るためにも耐えるべし」


 皮膚を一ミリも晒さず、素顔はおろか体格さえもわからない男――軍部監獄統括ゲダンタン。

 そしてそんないつもの顔ぶれを静観するのが、


「……」


 正座して微動だにしない、はげ頭で小太りの男――政府政治統括クトガワと。


「――」


 同じく正座で不動だが、見るからに固そうな着物を着込み、目さえも閉じている女――軍部懲罰隊統括ノウメ。


 総勢八名の将軍全員が集まる定期イベント『将軍会議』である。


 将軍会議は皇帝ブーガが主催するもので、週に一度、十日目《ジュウ》に開かれる。

 場所と時間は毎回ランダムであり、次の開催場所にはミスリルポールが刺されているが、どこであろうと、どんな用事があろうと、決して欠席や遅刻は許されない。


 死罪になるからだ。


 それもブーガが直々に、即行で手を下す。慈悲も猶予も存在しない。

 去年も前軍部冒険統括アラガミが遠征を深追いしすぎて遅刻してしまい、会議の場で一刀両断にされている。


 ともなれば、将軍達は必然的に時間に余裕を持たせることになる。

 前乗りも珍しくなく、特にブーガを心酔するイリーナとノウメはその傾向が強い。一方で、デミトトのように自らゲート手段を持ち胆力も併せ持つ者は、先に開通だけ済ませておいてから時間ギリギリに来る。

 いずれにせよ、十分前には全員集合するのが常だ。


 午前八時――

 ミスリルポールに何かが降り立つ。


 遠慮無く乗せられた速度が、不自然に急停止する。甚大な衝撃波が生まれ、将軍達は衣類装備品の保護に尽力せねばならない。

 不平を言う者や対応できぬ者はいない。この程度もいなせなければ将軍など務まらない。


 周辺の大気も吹き飛んで異様に澄み切ったクレーター内の、その中心部には。

 ポールを握る皇帝ブーガが、みすぼらしい古着とともに立っていた。


 その手がかすかに動く。

 ポールが一瞬で引き抜かれる。

 それをブーガは頭に乗せた後、イリーナを見る。ただただ凝視する。


「は、恥ずかしいよぉぉ……」


 イリーナは両手を頬に当て、もじもじと身をよじる。「たまらんのう」とはデミトトのつぶやき。

 それでブーガの視線がデミトトを向いたが、秒を待たずしてユナキサに逸れる。


 その後もしばし、ブーガによる熟視が続いた。

 合計して一分もないが、将軍達には何倍にも長く感じられただろう。

 強者のオーラは重たいが、ブーガはあえて何も乗せなかった。それゆえ非直感的な事態が生じる。見えているのに、見られているのに、油断すると見失ってしまうのだ。


 見失えば対処のしようがない。

 気配の無さ――存在感の喪失こそ本当に恐ろしいものなのだと将軍達は理解している。だからこそ効く。


「本日の将軍会議を終了する。次回は特区3534群にて午後一時より行う。民の観覧も受け付ける」


 ブーガはそう言い残した後、ポールとともに飛び去っていった。

 その姿が上空の彼方に消える前に、イリーナの口元が神速を見せる。


「【鋼鉄檻《スチール・ケージ》】』


 瞬間、クレーター内が鋼鉄で包まれた。

 天井はドームで覆われ、地面はそのままだが数十センチ奥に漏れなく差し込まれている。全方位どこを見ても空気が通る隙間さえ無いことは、このメンツならば肌でわかった。

 日光も完全に遮られ暗闇と化しているが、この中で視覚にしか頼れぬ者などいない。


 将軍達が何事かと呟く前に、イリーナが答えを示す。


「部外者さ。微《かす》かだが汚いオーラを間近で感じた」

「なんでワシを見るんや?」

「そなたは汚穢《おわい》で醜悪な男の代表例であり典型例だろう?」

「いいから早よ探せや。ワシにはわからんぞ」


 密閉空間下では隠密《ステルス》を始めとする小細工を探しやすくなる。調べる範囲も、力が加わりうる範囲も、すべてが限定されるからだ。

 それでもステルスなど詳細を解明されていないスキルの突破は容易ではないが、そのからくりが空間にただよう魔子であり、広大な空間を潤沢に使って一時的に逃がしているような作用をおこしているであろうことは体感的に知られている。


 ならば、魔法を通さない『結界』と同様、完全に囲んでしまえばその作用も抑止できる。

 もっとも鋼鉄程度では魔子など防げないが、それでも濃度の変化はわかる。つまり何か起きれば検知できる。


 イリーナの異名は『|囲む者《サラウンダー》』。

 彼女の前には、どんな隠密行動も意味を成さない。展開速度も無速度《スピードレス》――つまりはゼロであるため、詠唱前に割り込まれない限り負けることもない。その詠唱速度も将軍随一だ。

 だからこそブーガに買われ、皇帝補佐に就いている。


「――すまない。逃したようだ」


 鋼鉄の檻が無速度で解除され、陽光が差し込む。


「イリーナ殿でも捕捉できない部外者――雑魚ではない。私に任せよ」

「キモい殺気はやめーやギケーシ。どうせ皇帝やろ。イリーナを見つめとったのは、この後仕掛けるでって合図だったんやないんか?」

「そ、そんな、ブーガさまがあたしを? あたしを攻めるだなんて……おかしいよぉ、おかしくなっちゃうよぉぉ……」


 皇帝補佐は皇帝の干渉も厳しく、鍛錬相手にされることもある。

 そんなある意味極刑よりも辛い所業に耐えられる者など限られていた。心酔し、こじらせている狂人だけだ。

 もし彼女がいなければ、皇帝の相棒は残る将軍から選ばれる可能性が高い。


 多少言動がおかしかろうと、誰もイリーナを笑えなかった。

第307話 将軍会議2

 将軍会議の後、デミトトはゲートをいくつか経由し――ジャース西部の砂漠にやってきた。

 といっても地上ではなく、標高千メートル超えの砂丘の内部の内部、奥底である。


 砂漠はデルタサンドと呼ばれる高密度高重量の砂粒で構成され、その重みは水や金属どころではない。第一級冒険者に近しい者でなければ、居座ることすらできない。

 そもそもここは全域が竜人の実験場であり、他種族は出入禁止だ。


 だからこそ密談には適した。


「普通に気付かれとるやないか」

「欲張りすぎたでやんす。あのイリーナとかいう少女の肢体を間近で見たかっただけでやんすが、まさか丸ごと囲むとは思わなかったでやんす。あと少しゲートの解除が遅かったら、ゲートされたと認識されていたでやんすね」

「仮にも将軍や。舐めるのも大概にせえ。それにあれで結構年食っとるぞ。娼館は若作りも得意なんや」

「ぜひお近づきになりたいでやんすね」

「大罪人はおとなしくしてくれや、ホンマに……」


 密談の相手は大罪人のエルフ――シッコク・コクシビョウ。

 グレン・レンゴクの死に伴い、デミトトはいったん提携を解消していたが、エルフからの追跡で何かと不便なシッコクからの要望により、便宜提供の見返りに護衛を請け負う形で改めて契約を結んでいた。


「加減は弁えているでやんす。その証拠に皇帝の横入りも無いでやんす」

「わかっとる。意識の問題や――って何しとんや?」


 言わば砂の中に埋まっているようなものである。一センチメートル先を見ることさえ叶わないが、十メートルほど離れた所からリズミカルな振動が伝わってくる。

 遊び人であり、そういう動きを行う側のデミトトにも馴染みのあるものだ。


 もちろんこの重みの中では動くことすら容易ではない。レベル110を超えるデミトトでさえ、指先一本動かすのも億劫なくらいである。


「追っ手のエルフを一人捕まえて、こうして犯してるのでやすんが、正直飽きたでやんす」

「地上でやれえや。あるいは飽きたならワシにくれ」

「死んでるでやんすよ?」

「死体に興味は無いんやが、お前見て気が変わった。あとで楽しむわ」

「死後軟化はあと二十分といったところでやんす。拙者の体液も残しておくでやんす」

「他に話が無いなら帰るぞ」

「デミトト将軍。将軍会議ってなんでやんすか? 何か話したようには感じなかったでやんすが」


 息の無い女体の気配が消える。しかしそれ以上の密度が変化した様子はない。詠唱も聞こえなかったことから、死体だけを取り除くようゲートを器用に展開したのだとわかる。それも無詠唱で。


「……馬鹿は真似はやめえよ。皇帝はお前でも無理やぞ」

「ただの興味でやんすよ」

「将軍会議に中身は無い。ワシら将軍を拘束し恫喝《どうかつ》する場や」


 普段の連絡や共有はほぼ文書ベースで行われる。あるいは突発的にやってきた皇帝からの質問に答えるだけだ。

 運が良ければ会話や質疑もできるが、相手にされないことも多い。


 ブーガ・バスタードは直談《じきだん》――お互い顔を合わせて直接口頭で話すことを嫌い、そんな彼の志向はダグリンという国の運営面にも反映されている。

 直談に頼らないことで無駄と曖昧さがなくなり、かつ情報も残るため後追いもしやすい。努力すれば誰もが理解できるようになっており、優秀な者も多く、既に将軍も含めて後継者には困らない状態と循環が出来上がっている。


 ダグリン共和国は再現性の高いシステムとも言えた。

 加えてその性質上、会議がなくても、下手をすれば会話がなくとも回る。


 ゆえにこそ厄介なのである。


 どれだけ強かろうと、話し合える余地があればどうとでもなる。人間とはそういうものだ。話が通じるからこそ、転がすこともできる。

 ブーガはその危険性をよく理解している。

 直談を根絶しているのは、他には竜人くらいだろう。


 実力も頭一つ飛び抜けているし、やはり常人のものさしではかることなどできやしない。

 逆らうなどもってのほかだ。


「息苦しいでやんすね。皇帝が女の子でもそんなの嫌でやんす」

「ちゃんと従っておればええもんやぞ。ワシが将軍に居座るのも融通が利くからや。管理されとるとか、規則がうるさいとか、週次の会議が鬱陶しいとか、破ったら処刑されるとか、そういう表面的なもんにとらわれるから本質を見失う。アルフレッドを見てみい。ギルドやオーブルーを見てみい。要職の立場ともなれば、ワシほど好き勝手には遊べんぞ。ランドウルスもそうや」


 アルフレッド王国二大貴族を成すフランクリン家の現当主ランドウルス・フランクリンは、裏でデミトトと手を組み王国転覆を目論んでいる。


「ランドウルス卿――最近音沙汰がないでやんすね。死んだでやんすか?」

「お前のせいや」

「ジーサ君に言ってほしいでやんす」


 廃戦協定に、混合区域《ミクション》に、ミックスガバメント――


 ジャースは現在、王国を中心に激動を向かえつつある。

 その中心に位置する人物が他ならぬジーサ・ツシタ・イーゼ、その正体たるシニ・タイヨウであり。

 そのタイヨウの引き込みまたは殺害に失敗したのがシッコクだった。


 デミトトの《《情報網》》により、既にタイヨウが二国から逃亡したことはわかっている。

 王国としては中枢の実力者を充てざるを得ない。そうすると国は手薄になるが、有力な貴族や冒険者達は野放しにはできない。冒険者は魔人討伐に力を注ぐギルドに抑えてもらうとしても、貴族達はそうもいかないからだ。

 情報網によると、王国は新しい国政の実験と適用も加速している。ならばここに貴族達を投入するのが自然な塩梅であろう。

 無論、大貴族のフランクリン家も例外ではない。


 そもそも国とて馬鹿ではない。この激動の隙を突く輩に備えて監視も監査も強化するだろうし、何ならランドウルスの意図にも薄々気付いていよう。

 高負荷の責務と常時以上の体制を敷かれていたとしても何らおかしくはない。


「ランドウルスは当分動けん。お前も十分気を付けえよ。強者こそ足元掬われやすいんや」

「つまらんでやんす。そうやって警戒しすぎると何も成せないでやんすよ?」

「お前と人生論を語る気はない」


 デミトトは長生きを望むタイプだが、シッコクは高密度を欲するタイプだ。二人の人生観は相容れず、衝突することも少なくないのだが、グレンを失ってからはお互い――特にデミトトの方が回避するようになった。

 シッコクとしても単に退屈だから余計なことを言うだけで、深追いはしない。


「拙者はこの後も一仕事でやんす。少々手強いでやんすから、死んだらすまぬでやんす」

「ワシの護衛であることは忘れるなよ」

「やんす」


 シッコクの気配が消え、空洞となった空間にデルタサンドが流れ込む。デミトトさえも憂鬱にさせる重みが常時加わっているのだ――空洞は瞬時に埋まり、衝撃がデミトトを襲った。

 決して無視できないダメージではあるが、お楽しみの前には些細なこと。


「ここでも原型を留めるほどのエルフ――死後軟化はまだやったな。楽しみや」


 下腹部の熱を覚えながら、デミトトも退散した。

第308話 キューブ

 第六週十日目《ロク・ジュウ》、午前九時十分。

 北ダグリン獣人領の、とある研究棟《ラボラツリー》――天災サンダーボルトによってくりぬかれたストロングローブ内部を研究所として使っている場所に、一人のチーターベースとウサギベースがいた。


「つまんねえピョン。何が楽しいんだピョン」


 見た目だけは愛くるしいキューピン・ウサギが、手に取っていた本を乱雑に投げ捨てた。

 本は数秒の後、底面に落ちる。「きゅーちゃん……」それを拾うのは全身がチーター柄であり、裸族ゆえに今も一糸まとわぬ姿を晒すチッチ・チーター。


 チッチは拾った本をぱんぱんと払ってから跳躍――底面から三十メートルほどの位置にある内樹皮の隙間に差し込んだ。

 このラボラツリーの内部は内樹皮がめちゃくちゃに荒れており不規則な隙間が出来ている。本業学者のチッチは本棚として活用しており、既に何千という書物が差し込まれていた。


「もう思い当たるものが無い。どうしよう……」


 チッチは足指で樹皮を掴んでキープしつつ、頭に両手を置いて仰け反る。見劣りのしない胸部も強調されており、「嫌味かピョン」キューピンは石の飛礫を撃つ。


「痛いよきゅーちゃん……」

「学者なら自分の頭で考えろピョン」

「学者は自分の頭では考えないよ……。情報を集めて、組み合わせて、間引いて、上手くまとめるだけ。情報が無いとお手上げなの……」

「使えねえピョン。もう一度見せてみろピョン」


 今後はキューピン自身が発射され、チッチの胸に着弾した。ぶわっと風圧が樹内に広がる。「ちぎれるよきゅーちゃん……」威力は容赦無くて、チッチは自分の下乳を支えねばならなかった。

 受け止めきった後、その手を下腹部に伸ばす。


 膣内から何かを取り出した。

 一見すると頭の湧いた行いに見えるが、小さな貴重品を膣内に入れて持ち運ぶことは珍しくない。特に女性にとって膣は、最もデリケートでありながら出し入れもしやすく、性交や強姦への備えを考える際にも外せない。防御にも制御にも力を入れることになる部位だ。

 レベルが上がれば身体自体が要塞化するし、食事に会話に詠唱にと多用する口と比べれば、膣の用途などたかが知れている。

 結果として膣は、レベルアップした身体に守られた鉄壁の保管庫として重宝することになる。


 取り出したのは四角い氷だった。



 ――先日、肉眼では見えない程度の|極小モンスター《ミクモン》を捕らえた。


 ――オイはすぐに殺そうとしたが、その前にそれは《《自ら死のうとした》》のだ。



 頭領ギガホーンから直々に託された、寄生スライムの|生きた標本《ライブサンプル》。

 高度な氷魔法によって凍結されており、向こう一年は寿命が維持される。ただし氷自体は溶けてしまうため、チッチ自身が外側を適宜補強していた。


「きゅーちゃんは何か思いつかない……?」

「……」


 キューブにガンを飛ばすキューピンだったが、小動物が庇護欲を誘っているようにしか見えない。

 もう一度深く思考してくれたが「ダメだピョン」何も思いつかなかったようだ。


 二人が苦戦するのには訳があった。


 まず寄生スライムはすぐに自殺する。

 実力も相当であり、ギガホーン曰くレベル80はあるとのこと。調査しようと凍結を解除した途端、死なれてしまうだろう。

 これが並の大きさなら対処は容易だが、ミクモンである。見た目は数センチメートルしかない《《かす》》であり、冒険者には縁の無いサイズだ。出し抜かれる可能性が高い。現にギガホーンでさえギリギリだったという。


 次に文献が無い。

 チッチとしてはこちらから攻めるのが常套であったが、ただの一つも見つけることができなかった。ギガホーン曰く、とある創作物に描かれていたものだそうだが、その著者や読者には辿り着けなかった。

 既にエルフの調査により北ダグリン全域、数十箇所にて、不自然な殺人と周辺地域の破壊が起きたことがわかっている。先手を打たれたのだと考えられる。


「やはり頭領に直々に調べてもらうしかないピョン」


 キューピンはチッチの乳房から降りて、傍らの樹皮をつまむ。


「あるいはもっと上に頼むか……」

「皇帝かピョン?」

「うん。頼みたくて頼める相手じゃないけど……」

「事態が事態だピョン。皇帝も許してくれるはずだピョン」

「そう、だといいんだけど……」


 チッチは自らをかき抱き、両腕をさする。


 皇帝ブーガ。

 シマウマベースに扮していた獣人領侵入者の攻撃で死にかけた命を救ってくれた恩人ではあるが、その者を懇意にしているとの疑いも考えられる傑物。



 ――ブーガ殿から探ることは諦めなさい。死にますよ。



 |森人女王《エルフクイーン》サリアをしてそう言わしめるほどだ。

 竜人の協定により無闇な武力行使ができないはずだが、何の気休めにもなるまい。国政においてはその限りではないのだから。


 チッチは領民であり、ブーガは皇帝である。

 皇帝に対する行動を不義とみなされれば、合法的に処刑されてしまう。ブーガにはその権限がある。既にそういう国として確立され、竜人からも認められている。

 居心地の良い国ではあるが、ダグリン共和国は究極的には独裁国家でしかない。


「他に何も思い浮かないピョン。ゆっくりできる状況でもないピョン、今から行くぞピョン」

「……うん、わかった」


 キューピンが両足を樹皮に乗せて跳ぼうとした、まさにその時。


『やはりこっちだったでやんすか』


 二人の耳に鋭利な振動交流《バイブケーション》が刺しこまれた。

第309話 キューブ2

『やはりこっちだったでやんすか』


 二人の耳に鋭利な振動交流《バイブケーション》が刺しこまれると同時に、樹内の天井部――細い樹皮の先端に降り立つ姿が一つ。


「ギガホーンは耐久力《タフネス》だけでやんす。守るのは苦手でやんす」

「きゅーちゃん逃げて」

「わかってるピョン」


 キューピンはおとなしく従い、即座に底面へと跳ぶ。

 付近に収められた書物への損害も構わず、続けて踏み込んでラボラツリーから脱出――そのまま全力で撤退していった。


 実力差を瞬時に正しく把握するのは重要な資質だ。

 そしてそれは目の前の不審者――シッコク・コクシビョウにも当てはまる。


「そのキューブを渡してもらうでやんす」


 不意打ちをせず、あえて声をかけたのは成功率――つまりはキューブを破壊できる率を上げるためだ。


 冒険者はイレギュラーな緊急事態下で思わぬ力を発揮することが多い。実力者同士というレアなシチュエーションならなおさらだ。これはあまり知られていないが『ブレイクスルー』と呼ばれる。

 いわばシッコクは声をかけることでイレギュラーへの移行を阻止し、ブレイクスルーを防いだのだ。


 攻撃者は攻めて壊すのみ。

 防衛者は逃げて守るのみ。

 単純な構図となってしまった。


 チッチは既に跳躍できる態勢に移っている。シッコクも同様だ。

 できればキューブを膣に戻したかったが、その隙が命取りになりかねない状況下にもう入っている。


 実力もおそらく拮抗していよう。雑魚に構う余裕などない。どうせ雑魚は誤差にすぎないのだから意識するだけ無駄だ。

 だから親友を逃がす余裕があったし、敵も意にも介さない。


 敵の――この大罪人の下品な所業は聞いている。

 可愛さの価値観は万国万種族共通だ。ウサギベースには心が躍らされるだろう。そうでなくとも自分も裸体である。変態であれば、わずかにでも反応するはずなのに。

 この男エルフには微塵の乱れも無かった。

 どころか、その人間離れした美貌と均整の取れた裸体に、チッチの方が心を乱されそうになる。


 オーラも見事に抑えられていて存在感が無い。

 見えているのに、油断すると見失ってしまいそうだ。


 高いレベルに胡座をかいている有象無象とは違う。取捨選択の要領も、盤外戦も――抜群に上手い。


(強い……)


 駆け引きではおそらく勝てまい。


 そう踏んだチッチは単調な逃走戦《チェイス》に帰着させることを即決し、空に飛び出すか底面から逃げるかの二択で揺れ動く。

 どちらでも問題はないが、相手に読まれるのを防ぐという意味では無作為に選んだ方が良い。スキル『無作為選択《ランダムセレクト》』を無詠唱で使えばいいだけだ。造作もないし、詠唱速度で負けるとも思えない。仮にここで負けるとしたら、そもそもそんな相手にはどうやっても勝てない。考えなくていい。


 チッチは早速唱えようとしたが――


(……え?)


 手に持っていたキューブが貫かれている。

 極細の繊維によって。


「凍結中の生物は、少しでも貫かれると死ぬでやんす」


 知っている。凍結して生き長らえている生物――凍結体は非常に繊細だ。少し欠けただけでも死ぬ。

 ゆえに解凍するのも難しく、調査に踏み切れなかった理由の一つだ。


「どうして。兆候は無かったのに……まさか」


 遅れて理解に至る。


 シッコクのレアスキル『不変物質《イミュータ》』を使ったのだと。


 おそらく髪の毛にまとわせたのだろう。

 不変物質はあらゆる力を吸収《ゼロに》する。あるいは反発する。空気であろうと、それを構成する微細な粒――よく知られているのは魔子だが、それ以外にも色々存在するとチッチは体感している――であろうと例外ではない。

 魔法にせよスキルせよ、その兆候もっと言えば気配とは、粒の流れと密度を感じることなのだ。


 ゆえにこそ動けば気付ける。

 しかし不変物質の吸収面を使えば、周囲の大気を壊さずに物体を動かせる――


「意味がわからない……」


 物体を動かした場合、移動先に元々あったものは動く。大気であろうと、粒であろうと。当たり前のことだ。絶対に動くのだ。

 そして動くなら気付ける。つまり絶対に気付ける。

 なのに気付けなかった。


 厳密には気付けなかったわけではないし、消えたわけでもない。


 ただ、気付くのが遅れた。


 一瞬のうちに密度が変わっていたからだ。

 まるでテレポートのように。


 法則を無視した超常現象――レアスキルにありがちな特性である。


「ここでチーターと争うつもりはないでやんす。【テレポート】」


 シッコクの姿が消えた。

 詠唱速度もたかが知れており、おそらく追撃を誘ってきたものと思われる。実際追えないことは無かったが、もう任務は失敗している上、シッコクの討伐は任務外だ。自分も無事では済まない。

 一番大事なのは自分の身である。深追いせずとも罪はない。


 チッチは手元に視線を落とす。

 キューブには髪の毛が刺さっており、もう内部も溶け始めていた。


「強い……」


 小さなゲートを手元につくられ、そこに不変物質をまとった髪の毛を通されて貫かれてしまった。


 チッチの本領、獣人族最高の脚力を発揮する以前の問題だ。

 シッコクは最初から戦う気など無かった――


 初めから負けていたのだ。


 もっとシッコクのスペックと向き合い、対策を講じるべきだったのだろうか。


「無理だよ……」


 レアスキルは、情報が無いからこそレアなのだ。

 事前にサリア女王から聞いてはいたし、一通り想定もしたつもりだが、そんなものは焼け石に水でしかない。極限の世界では実践で得られた知見こそが情報である。

 中にはいきなりものに出来る猛者もいるが、チッチはそうじゃない。

 脚力とフィジカルが強いだけの、しがない学者でしかない。


 そもそも無詠唱の速度が速すぎる。

 仮に不変物質でまとわれてなかったとしても、反応できるかは怪しかった。


 ゲートの精度も高すぎた。

 髪の毛一本をギリギリ通すくらいの、小さなゲート穴など聞いたことがない。ただでさえ小さいのに、瞬間移動という超常のジャンルであるから気付きにくい。特にチッチは学者だから、どうしても現象を科学的にとらえようとしてしまう。


 そして極めつけはレベルの高さだ。

 |高レベルの身体《ランカーフィジカル》とはいえ、髪の毛一本などたかが知れているのに、推定レベル80以上の寄生スライムを貫けている。

 第一級であることは間違いないし、133の壁もおそらく越えていよう。


「ほ、報告しないと……」


 とはいえ、シッコクが手の内を晒してきたのも事実だ。

 そこまでして壊したかったキューブを守れなかったことは誠に遺憾だが、そんな感情は何の役にも立たない。今し方体験したことを情報として、教訓として、余すことなく残し伝えるべきだ。


 チッチはぎりぎりと歯噛みし、ぶるぶると身も震わせて、思わず蹴りを入れたくなるのを何とか堪えてから。

 急ぎ報告へと向かった。

第三章

第310話 フレアの猜疑心

 第六週九日目《ロク・キュウ》。


 毎日七時前に起きていたうちにとって、一時間も前に起きるのはたいへんだ。時報も鳴らないから正確な時間もわからない。

 でも、空を見れば大体ならわかった。


 重要なのは六時以降かどうかだ。

 六時未満に外出したら懲罰隊に罰されてしまう。でも六時台なら見逃してもらえるらしいと昔ライオットさんから聞いたことがある。

 試してみる勇気は無かったけど、第六週六日目《ロク・ロク》のとき偶然お兄さんを捉えてご一緒して以来、確信に変わった。


 姉妹を起こさないように、こっそり扉を空けてから空を仰ぐ。

 今日の夜明け空は、明らかに半時は過ぎたものだった。慌ててお兄さんのコンテナに向かう――


 お兄さんの姿は無かった。






 第六週十日目《ロク・ジュウ》。


 うちもいいかげん学習した。

 どういうわけか、お兄さんは正確に時刻を知ることができるらしい。ライオットさん曰く、空の見方らしいけど、難しすぎて諦めた気がする。

 と、それはともかく。


 わからなければ見ればいい。幸いにも、姉さんの寝室コンテナの換気口からちょうど兄さんの家が見える。

 まだ暗いけど、よく凝らせば出入りも見えるはず。

 二十分ほど待っていたところで――来た。


 微かな、ほんの少しだけ黒の濃い部分が動くのが見えた。どうですか、うちは目も良いんです。

 そんな影の速度は、明らかにダッシュと呼べるものだった。

 うちを警戒しているに違いない。


 絶対に捕まえてやる。


 うちは物音も構わず急いで家を出て、お兄さんの方角を追いかけた。

 ここ4003群は左右に大きな崖があって特に暗い。離れすぎると見失ってしまう。

 お兄さんに攪乱《かくらん》的逃走の心得は無いと思うけど、一応備えよう。体力よりも接近を優先する。

 大丈夫、うちの地理感と体力ならすぐに追いつけ――


「あ、れ……あれっ?」


 見失ってしまった。

 すぐに地面に耳と手のひらを当ててみるも、振動は伝わってこない。たしかにお兄さんは長距離を走るのは上手だったけど、それにしても静かすぎる。読まれているのだろうか。お兄さんが?

 失礼だけど、お兄さんには負ける気がしなかった。もう何度も鍛錬に付き合ってもらっているからよくわかる。なのに、見失った……。


 結局、うちはお兄さんを捉えられなかった。


 その後は普段どおりライオットさんの野良講義。

 時刻の知り方を改めて教わったけど、うちには無理そうだった。微妙な変化を読み取る目は、何年も鍛えないと身に付かないそう。そうだった、果てしなすぎて諦めたんだった。


 講義は昼前に切り上げてクレアと合流。何をしたのか、泥だらけだったので先に大浴場で流した後、お昼を食べてからギルドセンターへ。


 お兄さんは|午後一時からの四時間《第二スロット》だけ働いている。

 うちはクレアの世話をしながら観察に徹した。

 ろくに目線も送っていないからか、姉さんが寂しそうにしていたけど無視した。ごめんなさい、今それどころじゃない。


 お兄さんは相変わらず下手な接客をする。

 最初は微笑ましいと思ったけど、見慣れるといらいらしてくる。

 クレアにくれああたっくをさせたら、うわぁとびっくりしていた。ざまあみろ。


 リンリンさんが声を掛けてきたので、少し話した。

 お兄さんは度がつくほどの不器用で、正直向いていないしクビにしたいと愚痴られた。でも帰化してから最初の就業だから解雇は難しい。本人の意思か、よほどの過失かがなければどうにもできない。

 うちが同情すると、飲み物を奢ってくれた。ありがとうございます。


 午後五時。そそくさと帰ろうとするお兄さんを捕まえた。姉さんも上がりだったけど、いつでも会えるので放置――は冷たいので、クレアだけ押しつけておいた。


 なぜか夕食も入浴も端折って散策に行きたがるお兄さん。

 『めいろ』をつくるための想像力が養われる、とか適当なことを言ってるけど、うちの勘が怪しいと告げている。

 ともかく、露骨に逃げる真似はしないみたい。仮にしたとしても、この距離なら負けないけど。


 お兄さんを連行して浴場に来ると、ちょうど姉さんとクレアもいた。四人で入ることに。

 クレアがまだ姉さんに懐いているおかげで、うちはお兄さんのそばにいられた。服の脱ぎ方、体つきに、洗うときの手つきに足捌き、それから入浴中に何に注視するかをさりげなく観察した。

 てっきり姉さんを見るのかと思っていた。

 妹の目で見ても姉さんは魅力的だと思う。肌も綺麗だし、スタイルも良くて、裸になるとすぐに浮く。うちやおばちゃん達で守らなきゃいけないくらいに、別格の存在なのだ。


 なのに、どうにもお兄さんの食いつきが悪い。

 むしろうちを見てくる。気付かれないように振る舞っているつもりなんだろうけどバレバレだ。



 ――じゃ、じゃあ……その、付き合っちゃう?



 一昨日の、お兄さんの発言。

 どういうつもりなんだろう。先に行動したのは姉さんなのに、お兄さんはまだ答えを出していない。それで妹のうちに告白? うちが相手だと落ち着くからだと言ってたけど。


(嘘だ)


 大浴槽に浸かるお兄さんの隣で、うちは注視を続けている。散々ライオットさんに鍛えられたからわかる。今のお兄さんは落ち着いている。


 カレンさんの誘惑程度に慌てるお兄さん。

 あの姉さんから好意を寄せられたお兄さん。

 うちと鍛錬しているときの、身体的にも精神的にも情けないお兄さん――


 そんなお兄さんが、浴場でこんなに落ち着けるだろうか。

 そもそもお兄さんは反応が極端というか、慌てふためく時と落ち着いている時の落差が激しい気がする。


 そうかと思えば、また露骨に照れだした。

 姉さんが前からじゃぶじゃぶと近づいてくる。立派な胸も揺れていて、男はこういうのがたまらないらしい。


「アンラーさん」


 お兄さんはそっぽを向いて、会釈だけ寄越す。


「余所余所しいのはやめない?」

「未だに慣れなくてですね……。その、ユレアさん、綺麗だから」

「ありがと」


 姉さんはお兄さんの視線の先に回り込み、ざぶんと腰を下ろす。うちと二人でお兄さんをはさむ位置取りだ。


「フレアと何話してたの? 何度も言うけど最近仲良いよね。お姉さんともつるんでほしいな。返事も聞いてないし」

「……」


 お兄さんが無言で立とうとしたので、すかさず腕を掴んで止める。


「なんで逃げるんですか。そろそろはっきりさせないと失礼じゃないです?」

「フレア。いいから」


 急にうちの真剣な声音を受けたからか、なだめる口調だ。

 大丈夫、別に怒ってない。こうしないと、お兄さんはすぐあたふたして場をうやむやにする。


「姉さんも肝心なところで妥協しないでください。お兄さんに言われたばかりですよね」

「そうよね。というわけでアンラーさん、答えを聞いてもいい?」

「答えと言われても、そんなすぐ出せるものじゃないです……」

「それだけ私のことで悩んでくれてる?」

「まだ当分続きそうです」


 嘘だ。

 悩んでいるのは事実だろうけど、その種が姉さんじゃないことだけはわかる。自惚れではないけれど、まだうちの方が手を焼いていると思う。


「その割にはフレアとばっか仲良くしてるよね」

「つきまとってくるんですよ。ユレアさんからも注意しただけるとありがたいんですけど」


 ほら来た。すぐにうちから離れようとする。


「そうなのフレア?」

「そんなに嫌だったら、姉さんと付き合ったらどうです? お二人が恋愛関係なら、うちだって邪魔はしませんよ」

「邪魔してる自覚はあるんだ……。ボクは基本的に一人が好きなんだよね。フレアみたいにぐいぐい来られると、正直しんどいんだ」

「うちと話すと落ち着くって言ってませんでしたっけ?」

「限度があるよ」

「アンラーさん? どういうこと?」

「あ、えっと……」


 言いづらそうにするお兄さん。

 だったらうちから言ってやろうか。お兄さんから告白されたことを――と、喉元まで出かかったけど、止めておく。


 誘導されていると感じたから。


 たぶんだけど、お兄さんはうちらをかき回そうとしている。

 姉さんから告白されたお兄さんがうちに告白した――それが今の状況だけど、これを伝えたら、姉さんはうちに絡んでくるだろう。言わばお兄さんは姉さんの干渉を減らし、それをうちになすりつけるわけだ。


 一人になりたいのは事実なんだと思う。

 だけど、うちは絶対に忘れない。


 『めいろ』に混ざって不思議な言語をびっしり書いていたこと。

 格下のはずなのに、今朝の逃走戦でうちを負かしたこと。

 そして先日、|交易区域《コマースゾーン》に行った時のことに、鳥人の受けが良さそうだということ――


 お兄さんが何か隠しているのは明らかだ。


 うちらを助けてくれたのは感謝している。

 でも、姉さんの好意を利用してまで隠そうとするのなら、黙ってはいられない。


「姉さん。薄々気付いてると思いますけど、お兄さんは誰のことも好きじゃないです」

「フ、フレア、何を……」


 どう振る舞えばいいかわからないとばかりに、うちと姉さんを行き来するお兄さんの視線。姉さんの体に照れなくていいんですか? ざまあみろ。


「でも姉さんはお兄さんのこと、好きなんですよね?」

「うん。好き」


 柔和に微笑む姉さん。妹がでしゃばっているのかもしれないけど、この笑顔は守りたい。


「うちもです」

「え?」

「え?」


 姉さんとお兄さんの応答が重なって、ちょっと面白い。案外息が合っているのかもしれない。


「うちもお兄さんのことが好きなんです」


 笑顔だけの姉さんよりもさらに攻める。うちはお兄さんの腕を取って抱きついてみた。「ふ、ふふフレアッ!?」今さら動揺しても遅いですよお兄さん。


「姉さん。どちらがお兄さんを落とすか、勝負しませんか?」


 姉さんは初心だし、純潔だけど、鈍いわけじゃない。

 どう踏み込んでいいか測っていたんだと思う。だけどそれもおしまい。うちがこうして競技性を持たせたことで、やりやすくなったはず。


 と、二人でやるつもりだったけど、ちょうど良いところに来てくれた。「おねえちゃん?」あたっくを決めようとするクレアの前を阻み、急いで抱えて戻って、お兄さんの前に置く。

 水しぶきを激しくしてしまったけどいいや。ざまあみろ。


「クレアもお兄さんのこと、大好きですよね?」

「うんっ!」

「姉さんもうちもお兄さんのことが好きなんですよ。結婚したいんです」

「くれあもしてもいいの? けっこんはひとりだよ?」

「そうです。一人です。だからこれは勝負なんですよ? 姉さんと、うちと、クレア――誰がお兄さんのお嫁さんになるか」


 クレアはんふーっと鼻息を荒くして、お兄さんに預けるように座る。「あはは……」お兄さんは苦笑とともに受け入れる。


「おしりがへんなの。おにいちゃん?」

「もうちょっと前に座ってくれないかな……」

「やっ」


 そうだ、男性にはお毛毛《けけ》以外にも突起物があるんだ。


「さすがですクレア。おしりでぐりぐりしてください」


 ちょっと恥ずかしいけど、たぶん通じないので実演する。お兄さんが一瞬ガン見してきたことは忘れない。姉さんが物欲しそうに見てたのは忘れよう。


「ぐりぐりー」

「ちょ、フレア!?」

「罪にならないよう我慢してくださいね」

「ぐりぐり、ぐりぐりー」


 ぐりぐりは予想外だったけど、慌てるお兄さんを見るのは面白い。


 それはともかく、どうですか。三姉妹包囲網です。うちも策士ですねぇ。

 これでお兄さんは単独行動しにくくなりますし、家でもお兄さんの話題が増えて情報を集めやすくなります。


 別に好きだからじゃないですよ。

 いえ、嫌いではないですし、好き嫌いで言えば好きな方ですけど、恋愛ではないです。うちは冒険者になりたいわけで、そんな暇も気も無いのです。


 うちはお兄さんを尊敬してるんです。

 ライオットさんが言ってました。冒険者の資質は一般人《レベル1》時代にどれだけ鍛えたかで決まると。うちもそう思います。冒険者は身体能力と魔法で強引に動いているだけで全然美しくない。鍛えてないからです。

 レベルが上がっても、この身体感覚が無駄になるとは思えませんし、生かせるはずです。うち自ら示すつもりです。


 それはともかく、お兄さんです。

 お兄さんも一般人でいらっしゃいます。帰化する前の人生は何も知りませんし、探るのマナー違反でしょうけど、あえてレベル1で在り続けている――

 相応の、いえ相当の矜持と事情があると思うのです。


 うちはもっと強くなりたいんです。色々なことを知りたいんです。

 お兄さんはそれを持っている。

 うちの勘が怪しいと告げています。うちの勘は当たるんです。


 お兄さんの――アンラーさんの、本当の顔。

 絶対に暴いてみせる。

第311話 フレアの猜疑心2

「おねえちゃん、なにしてるの?」


 午後八時五十分の時報が鳴る。

 フレアはアンラーのコンテナに来ていた。あと一時間と少しで就寝時間なのに主は不在だが、今日の用事はそちらではない。


「クレアはそろそろ帰りましょうね」

「こそこそしてるの? よばい?」

「夜這いじゃないですよ。また変なこと教えやがって……」


 夜這いとはダグリンの文化であり、就寝時間直前に異性のコンテナに押し入り、拒否されなければそのまま一夜をともにするものである。主に告白手段として使われるが、明確に嫌でもなければ受け入れられることも多く、夜が明けるまで一緒に過ごすこともあり成功率が高い。性交率も高い。

 こんなことを教えるのはカレンに違いなかった。


 フレアは外側から換気口を開き、非常に細い金属棒を戸先《とさき》の上端と下端に差し込む。

 この棒は言わば非常に小さな突っ張り棒であり、伸縮を変えられた。これを戸先の溝から落ちない程度に伸ばして締め付ける。器用なフレアならお手の物だ。


 換気口の開閉を試し、完全に閉まりきらないことを確認。

 隙間もミリメートルしか無いし、換気口にはロックやストッパーも無い。この狭さなら音も近距離からしか漏れないため、よほど鋭くなければ気付くことはできまい。


 要するにフレアは盗み聞きの仕込みをしているのだった。

 赤の他人相手だと犯罪になるが、アンラーは顔馴染み。コンテナに入ろうが、外で補修をしようが、中を漁ろうが、懲罰隊に咎められることはない。

 といっても監視されていないわけではないし、仮に盗難や損壊などで訴えられれば罰されるが、そのラインを見誤るフレアではない。


 すべての換気口に設置し終えたフレアは、クレアを連れて帰宅。

 少し眠そうな妹を姉ユレアに預け、「どこ行くの?」と制止するのも聞かずに飛び出す。


 計七個の部屋《コンテナ》から成る大きな家《ポッド》――カレンの住まいにお邪魔する。ノックすらない遠慮の無さだ。

 真ん中の廊下コンテナの天井に発光石がはめ込まれており、淡く照らされている。

 カレンはその真下でしゃがんでおり、グラスを片手に、濃そうな酒を飲んでいた。タンクトップの脇から乳房が丸見えで、一見するとだらしないだけだが、フレア姉妹では決して出せない大人の色香があった。


「どったの? 今忙しいんだけど」

「飲んでるようにしか見えないですね」

「考え事してんの」

「ごめんなさい、相談があるんです」

「話聞いてた?」


 フレアは真正面に陣取り、正座で腰を下ろす。

 態度も時間帯もいつもよりかなり強引だが、だからこそ「はぁ」カレンも嘆息一つで受け入れることを決める。


「貸し一つだよ?」

「……良いでしょう」

「やりたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」

「うちにできることなら」


 カレンはグラスをローテーブルに置くと、四つん這いで距離を縮め――フレアの顎を手に取った。くいっと少し引きつつ、舌なめずりをしてみせる。


「性交したいんだよね。女性同士の楽しみ方も練習したくてさ――って、わぉ、鳥肌すごいね」

「い、いいですよ……」


 フレアの太ももに乗った拳が握り締められている。ぶるぶると震える様は、年相応の怯えた少女だ。とても普段カレンを余裕で打ち負かす格闘狂には見えない。

 しかしながら自分が嫌悪する行いを、この年齢で、この瞬間で即決して受け入れている――


 カレンは思わず気圧されそうになったが、「いや冗談だよ」あははと陽気に笑うことで上手くごまかす。


「にしても本気なんだね。そんなにアンラーくんのこと好き?」


 用件を言い当てられ、顔を上げるフレア。


「嫌いではないですけど、恋愛ではないです」

「どうだかねー。自覚無いだけじゃないの? じゃあさ、アンラーくんから抱きつかれるところを想像してみて? 性交でもいいよ」

「うちはお兄さんを尊敬してるんです。素性はわかりませんけど、一般人として長く生きてますよね。接客は下手ですし、気も弱いですけど、芯の強さというか、迷い無き自分を持っているって感じがします。うちの冒険者像とも合ってるんです」

「普通にスルーされるの悲しいんだけど、まあいいや」


 カレンは立ち上がり、グラスを手にすると、どんと壁にもたれた。

 こくりと喉を動かす。特に狙ってはいないし、狙う理由もないはずだが、所作の一つ一つが大人っぽいとフレアは思った。


「せっかくのところ悪いけど、珍しいことじゃないよ。そんな冒険者はいくらでもいる」

「そうかもしれませんが、今、うちのそばにいるのはお兄さんだけです」

「視野狭いんじゃない? もっと見聞を広げようよ。娼館の友達が人手探してたけど、良かったら紹介するよ?」

「お兄さんは何か隠してると思います。姉さんもそうですけど、大人って顔を使い分けますよね。お兄さんも使い分けてますよ」

「フレアってさ、熱中すると周りが見えなくなるよね」

「うちは見てみたいし話してみたいんです。本当のお兄さんと」


 三度もスルーされたが、今に始まったことではないためカレンもいちいち気にしない。どころか、顔がニヤついてしまう。


「にゃるほどねぇ。ライオットさんが気に入るわけだ」


 恋愛にうつつを抜かす少年少女は多い。それをモチベーションに用いる例も少なくないが、長続きはしない。現代のジャースではアンチパターンとされている。

 生活圏の狭いダグリンの貧民でありながらこれを回避できるのは、控えめに言っても才がある。


 娼館の誘いにも飛びつかなかった。

 稼ぎが良いことも、冒険者として近道であることも、なりたくてなれるものでもないこともわかっているはず。性行為は好きではなさそうだが、耐える程度は朝飯前だろう。なのに迷う素振りすら見せない。

 フレアにはフレアなりの信念があるのだろう。


 これは気にかけたくもなる、とカレンは他人事のように思う。

 同時に、これに目をつけられた新米の少年にも本心から同情した。


「うん、いいよ。協力してあげる。貸しもナシにしてあげるよ」

「ありがとうございます」

「それで私は何をするのかな? あ、何か飲む?」

「いえ、すぐ済みますので」


 立ち上がることで帰る意思を示したフレアは、何でもないことのように言う。


「お兄さんに夜這いを仕掛けてほしいんです」

第312話 最終確認

 第七週一日目《ナナ・イチ》の午後。

 俺の勤め先は一見すると閑散としていた。

 十以上並ぶカウンターは二つしか埋まっておらず、スタッフ達が雑談に花を咲かせている。


 なのに、酒場ゾーンだけは満席に近い賑わいっぷりで。


「アンラー君、15番にこれお願い」


 がやがやの擬音がよく似合う、人口密度も酒気も濃い空間を行き来する俺。

 そばかす先輩も要領がわかったのか、一度に一つの命令しか出さないし、一度にお盆一つまでしか運ばせない。


「おいアンラー、注文いいか」

「すいません帽子持ちにお願いします」


 所用についても帽子を被った店員――当然ながら俺は被ってない――に声を掛ける運用に変更されたため、俺の仕事はずいぶんと単調になった。その分、肉体労働の比重は明らかに増えたけど。

 もうちょっと不器用を見せても良かったが、店長曰くクビになるかどうかの瀬戸際っぽかったので控えている。「次はこれを11番! ぼさっとしない!」はいはい。


 で、11番テーブルに果実水を持っていくと、


「ありがとうございます。お兄さん」


 四人掛けテーブルをフレアが一人で占拠している。粗悪な紙とレッドチョークで散らかっており、ファミレスで勉強する学生のよう。

 誰も近寄らないのはレッドチョークが臭いからだろう。


「家で勉強したら?」


 木製のグラスを置くも、フレアに手をつける様子はない。


「ここでやった方が捗るんですよ。椅子と机がありますし、わからないことも訊けますし、それに――」


 相変わらず動作に無駄が無くて、アンラーでは反応もできない。腕を掴まれ、重心を崩されて、思い切り抱き寄せられる。


「お兄さんもいますし」

「その、当たってるんだけど……」


 割とマジで当たってる。JC相当におっぱい押しつけられるって何気に貴重だよな。悲しいくらいに何とも無いんだけど。

 前から思ってたけど、ヤンデより若干でかい。ヤンデがAならフレアはBかな。二人ともスリムだからBとCかもしれん。しかし筋肉質で、普通に筋肉を連想するから夢は無い。まだ運動不足感丸出しで柔らかかったヤンデの方が好みだなぁ。


「その手には乗りませんよ」


 ふふふとニヤけるフレア。俺もアラサーだというのに、油断すると勘違いしそうになる人懐っこさだ。


 ブーガの任務を抱えてなければ、コイツと一線を越える未来があったのだろうか。

 女子中高生との性交は、前世ではまずできなかったことだからなぁ。自殺する前に一回くらいやっておくんだった。ああ、考えるなと決めたのに考えてしまう。


「見てください。姉さんがこっち見てます。頬を膨らませて可愛いですね?」


 ユレアもそんな感じで時折反応してくるが、真面目ゆえに持ち場を離れないのが不幸中の幸いだろう。

 クレアはクレアはわんぱくで、あちこちで食い物飲み物を上手くたかっている。それはいいけど、こぼすのはやめてくれぇ……


(慌ただしくなってきたよな)


 昨日、おそらくはフレアの策略でこの三姉妹の好意を一手に引き受ける羽目になったわけだが。


 実際問題、敵はコイツ一人だろう。

 今日だってこの露骨な演技で俺との接点を増やそうとしているし、勉強する体で俺を観察してばかりだし。


「アンラーくん! 何してるのさっ!?」

「……じゃ、ボクは行くね」


 フレアを振り払って、次のお盆を取りに行くと。

 先輩が両手を腰に当て、そばかす顔をずいっと近付けてきた。


「君さ、何したの? 弱みでも握ったの?」

「ボクにもよくわからないんです」

「帽子持ちの案、店長に出したのも君だよね? それが君の武器? じゃあなんで酒場に来たのさ?」

「ユレアさんに無理矢理推薦されて……」

「ユレアを選ぶんだよね? 子供を選ぶ変態じゃないよね?」


 クレアはともかく、フレアを子供扱いするのは失礼だと思うけどなぁ。もちろん誰も選ばないです。


「ユレアを泣かせたら承知しねーぞ!」

「こんなガキのどこがいいんだぁ?」

「そう? 私はアンラーちゃん、可愛くて好きだけど」


 先輩《リンリン》とも打ち解けてきたし、常連客との距離感もこうして会話に割り込まれるくらいには縮まってきている。三姉妹に好かれているというネタも既に広められていて、俺の名物度はうなぎ登り待ったなし。


「次、21番ですよね。行ってきます」


 とはいえ所詮は雑談。深い意味などない。

 さっさと切り上げてしまえば良いということを、俺は前世から散々学んできた。


「――何を出店する?」

「特区だからなぁ、来訪者を狙った方がいいじゃねえか?」

「読みづらいだろ。午後一時なんだし、メシ抜いて来てる奴も多いからメシを提供すれば無難に儲かる」


 さっきから小耳に入っているのが、この話題――将軍会議だ。


 今週の将軍会議は特区、それもここ4003群のわりかし近所――といっても数時間は歩く距離だ――で開催され、民の観覧もできるそうだ。

 観覧可の会議は毎回お祭り騒ぎになるらしく、仕事を放り出して見に行くほどだという。商売や出会いも捗るため、冒険者達は冒険を差し置いてあれこれ画策をするのである。

 だからカウンターは閑古鳥が鳴いているし、逆に酒場は混んでいて、あちこちで似たような話が湧いている。


「交易区域《コマースゾーン》の隣だし、来訪者は多いだろうなぁ」

「鳥人も来るよな? 逆ナン狙おうかな」


 ナンパって言葉もあるのかよ。相変わらず天使は良い趣味をしている。


 ともあれ、これだけ盛り上がってくれるのなら俺としてもやりやすい。情報収集するまでもなかったか。


(だからといって怠けはしないけどな)


 リリースをぶっ放せばいいだけの任務だが、ブーガだけを生かす程度の威力がまだわかっていない。

 詠唱速度にも不安が残るし、当日はフレアを始めとする邪魔者を振り切る必要もある。

 すでにミーシィにも捕捉されているし、たぶん会議当日にも来るだろうし、他の勢力が来ないとも限らない。仮にヤンデやユズのクラスが来たとしたら、正直出し抜ける気がしない。


 やることは山積みだ。不確定要素も多い。

 だからこそギリギリまであちこちをぶらついて情報を集め、刺激を増やし、思考を発散させておく必要がある。


 少しでもヒントを貯めるために。

 妙案を思いつかせるために。


 散歩中に思考が捗るのと同じだ。

 バグってて疲れない俺は、純粋にその時間を増やせば増やすほどプラスになる。






 第二スロットの勤務を終えた俺は、フレアに連れられて食事と入浴のコース。

 その後は迷路を描きたいからという理由で何とか散会できた。だよな。今日は勝ち取れると思った。


(盗聴装置を仕掛けてるからな)


 換気口の戸先――閉め切った時に最後に触れる縦の桟《さん》に、細い棒が固定されている。残念だが俺のレベルだと見るまでもなく気付けるんだよ。

 こうして隙間が空けば、音が漏れる。

 間隔の狭さを考えると、そうだな、ちょうど外側に居座られれば、会話を聞かれてしまう。一方で、足音を殺して近づけば、内部からは気付けない。


(訓練はできないな)


 詠唱の反復練習やレベル相応の速度で体を動かす練習をしたかったのだが、普通にバレる。


(フレアももう来てるし……)


 一般人《レベル1》の水準ではもはやプロだろう。何分もかけてじりじりと無音で近づいてくる様は、前世の俺だとたぶん気付けなかった。

 仕方ないので俺はおとなしく寝室コンテナに行き、積まれた板の一番上を地面に置いて、迷路の制作に取りかかる――ふりをする。


 時間も無駄にはできないので、並行して考え事に充てるしかない。


(問題は二つある)


(一つ目は、何ナッツで放つべきか)


 ダンゴとクロへのインプットも兼ねて、極力口内発話で独り言ちる。


 俺の任務は将軍を全員殺すこと。

 将軍会議の場でリリースを放てば可能だが、その威力がまだわからない。


 1ナッツ。接着するユズを瀕死にできた。アウラも負傷具合はわからんが倒せた。

 2ナッツ。獣人の最高戦力者であろうギガホーン・サイ・バッファローを退けられた。しかし死んではいなかった。が、彼女は耐久力が持ち味っぽいし、ユズとの差を考えれば例外扱いしていいだろう。

 3ナッツ。逃げようとしたグレンを跡形も残らず殺せた。同時に地上の優秀なエルフ達が何人も、たぶん何百人も死んだ。


(二つ目は、詠唱速度で勝てるか)


 将軍はブーガを含めなければ八人。第一級冒険者も混ざっている。

 詠唱速度が甘いと先手を打たれるだろう。物理的なパワーからして勝てないだろうし、俺の知らない魔法やスキルを使われないとも限らない。


 アウラには撃てた。

 チーターみたいな脚力ヤバそうな女にも――気付かれて空に向けられはしたが、撃てた。

 封じるほどの余裕は無かったということか?


(楽観は良くないよな。失敗は許されない)


(いいかげん無詠唱が欲しいところだが……)


 たぶん俺には適性が無いのだろう。

 どういうわけか魔法が使えないのと同じだ。無詠唱は、おそらく魔法のロジックを使っているんだろう。


 メタファー。

 通常魔法をどういう形状で撃つかという|たとえ《メタファー》。

 前世の異世界ラノベでも、魔法にはイメージが大事といった設定が多かった。クソ天使ならその辺を踏まえてくる可能性は高いし、プログラマ目線で見ても、そういう仕様にするのが自然に思える。

 第一、俺は既に腐るほど詠唱を鍛えているのだ。スキル『ファイア』や『ナッツ』などが発現《エウレカ》する程度には。

 それでも無詠唱なる水準には至れなかった。


 それに無詠唱ができたからといって、詠唱を悟られなくなるわけではない。

 まだ仮説段階だが、たぶん魔子が絡んでいる。俺も既に飽くほど体験しているが、誰かが魔法やスキルを発動したことは何となくわかるのだ。

 魔法とスキルの作用をもたらすのも魔子なわけだから、たとえば原子のように魔子が実際に飛んでいたとしても不思議ではない。

 ついでに言えば、その速度や細かさは、レベルが高いほど増える。


 つまり強い奴ほど、より速く小さくなる――

 相手にも気付かれにくくなるというわけだ。


(そうだよな。仮に詠唱をゼロタイムで出せたとしても、魔子の仕様で限界があるんだ。で、この限界を押し上げるのはレベルだけです、と)


(やっぱりレベル社会だよなぁ)


 仮説とはいえ、ほぼ事実みたいなものだろう。クソ天使のセンスは信用できるし、レベルアップで手に入った鋭敏な感覚と直感はもっと信頼できる。

 原状アンラーではレベル上げなどできるはずもないので、この話題は脇に置く。


(将軍との位置関係も重要だ。近すぎたら先手を打たれやすい。かといって遠すぎたらリリースの爆発が至るのが遅れる。防御ならたぶん破れるが、逃げられたらアウトだ)


 特に瞬間移動系が厄介だ。

 ユズのそれを間近で見てきたからわかるが、俺の全力の高速詠唱よりも速い気がする……レベルアップ前の、ブーガと抗戦した時の記憶だからあてにならないが。


 同等の規格外が他にもいるとは思いたくない。

 それでも将軍と呼ばれるほどの存在だ。少なくとも第一級クラスは想定すべき。


(せめてどれくらいの速さなのか定量的にわかればいいんだが)


 ミリ秒やマイクロ秒どころではない。

 ナノ秒、あるいは|それ以上《ピコ》の刹那の世界になるだろう。


 一メートルも百メートルも誤差みたいなものだ。しかし、その差が命運を分けないとも言えまい。


 当日までにどこまで深掘りできるか。想定できるか。

 本当の戦いはここからだ。

第313話 最終確認2

 昨日のフレアの盗聴は無事乗り切った。


(二時間も粘られるとは思わなかったが)


 途中で持参したご飯も食べてたし、でも一般人《レベル1》水準では無音だったし、で思わず舌を巻いた。女子中学生相当のスペックじゃねえんだよなあ。

 鬱陶しいので、あえて気付いてみせたくなるが、それこそ敵の思う壺。


 たぶんフレアはアンラーの能力だと気付けないとを理解している。気付くのは不自然だ。

 言いくるめることはできるだろうし、フレアも言いくるめられた演技をするだろうが、内心は変えまい。結局疑いを深めるだけになる。

 まあ既に疑い濃厚だろうけど。朝六時のフレアとの逃走戦にはもう何度か勝っているのに、フレアは一切話題にしてこない。知っていて、あえて振ってこないのだ……うん、確実に猜疑心持たれてるわ。俺は何と戦ってるんだ。


 一夜明けて第七週二日目《ナナ・ニ》。


 今日も朝六時ジャストに出発してフレアを振り切った。

 もうこのルーチンが破られることはない。

 一分でもフライングされれば危ないが、懲罰隊はそんなに甘くないだろうし、そもそもフレアに正確な時刻を知る術はない。偶然の一致もそうは起きない。無限の集中力と高レベルの分解能で何万秒でも数え続けられる俺とは違う。


 俺はいつものようにまだ辿ってない地域を辿った後、近所の食堂で食事だけ済ませてから4001群のギルドセンターへ向かう。


「――今週は特区の3534群でやるみたいだね。観覧可だってさ」

「3534ってえと交易区域《コマースゾーン》の近くだな」

「なんだい? 行くのかいアンタ?」

「当たり前だろ。イリーナ様、ノウメ様、イチノ様――|三大美将軍《ジェネラレディ》を拝める機会なんてそうはねえ」


 机の一つを陣取ってくつろぐふりをしつつ、カウンターの一端で交わされている会話を盗み聞きした。


 俺の聴力だけでは聞こえるか怪しい――いや、レベルアップもしてるから振動的にはわかるんだが、意味の理解までは及べなかったため、クロの力を借りて中継している。


 クロには対象から地面を経由して俺にまで繋げるよう指示しておいた。

 レベル90のクロなら地面を隠密的に掘削したり会話程度の音声を拝借、伝達させるくらいは造作も無い。

 もちろん寄生スライムを俺から切り離すのはハイリスクであり、万が一誰かに捕まられでもしたら厄介だ。このからくりを知られるわけにはいかないからな。


 まあクロもダンゴもバレる前に自殺するらしいが、相手が格上ならその前に捉えられる可能性もあるわけで万全とは言えない。

 そもそも自殺は俺の不備であり、コイツらとの信頼関係にもかかわる。人間関係もそうだが信頼は大事だ。


 だからといって何もしないのは論外だろう。

 前世の大企業や政府もそうだったように、リスクを恐れて何もしないことこそリスクである。


(俺はそうじゃない)


 地中が懲罰隊の死角であることは既に調べてある。こういう工夫が当日使えるかもしれないのだ。


(とりあえず確定だな。アンラーの生活も今週で終わりだ)


 ゴールが見えてきた。

 |4003群《ホーム》で聞いていた情報も踏まえると、まず間違いない。



 第七週十日目《ナナ・ジュウ》の午後一時、特区3534群――



 それが次の将軍会議、ぶっつけ本番の場だ。

 民の観覧も可能だから俺も紛れ込める。紛れ込んだ後はリリースを放つのみ。


(大虐殺になるだろうな。いや一瞬で蒸発するだろうから残虐の対極かもしれないが)


 アンラーの由来にもなっている安楽死――これほど素晴らしいものはない。

 人生は山あり谷ありというが、谷が辛いんだよな。最初から何も無い方が良いに決まってる。そんなこと無いとかほざく奴は、人生が始まった後の視点で見てるからそう思えるだけで、始まる前の視点で見れば良質も善悪もない。そもそも視点なんて概念もない。無だ。

 無への回帰。これに尽きる。

 なのに、死ぬためにはかなりの苦痛を伴うんだからクソ仕様だよな。もう遠い話に思えるが、前世で死ぬのは苦労したんだぜホントに。


 と、この辺の語りを相棒達にも聞かせたくなったが、まだ控えておく。

 お前らにはほぼ全幅の信頼を寄せてはいるが、ほぼ、だ。

 自殺活動、通称自活の基本そして鉄則は、自殺願望を漏らさないことにある。


 まあヤンデには言っちゃったし、たぶんダンゴも聞いてるだろうが。

 ひょっとするとクロにも伝えて、俺という宿主を生かす方法を検討しているかもしれん。コイツらの知能は半端無いからなぁ。敵にならないことを祈る。閑話休題。


(殺しすぎれば竜人が干渉してくるかもな)


 だが他に方法が無い。

 ミーシィの到来も考えれば、時間もあるまい。


 ジャースに来てからこればっか言ってるけど、あえて言おう。


 やるしかないのだ。


(ダンゴ。クロ。よく聞け――)


 俺は計画の全容を相棒達に共有した。






 三姉妹の方が用事がある、とのことで夕方はフリーになった。


 嗅ぎつけたカレンとリンリンに誘われたが、もちろん断った。カレンはともかく、リンリンまでいたのは意外だ。てっきり嫌われているのかと思ったが。公私混同ができている。大人だな。

 俺はどちらかと言えば苦手で、一度仕事で根に持った相手は生涯嫌う傾向にある。何ならブログで記事にして批判するくらいだ。

 ああ、あのブログも炎上したっけな。

 元々月二十万PVくらいはあったが、会社を特定されてからが早かった。拡散される前に俺自身の手で消したし、検索サイトの|通信量削減用の複製《キャッシュ》も|検索情報収集ロボット《クローラー》向けの設定を工夫して上書きできたから助かったが、スリリングだったのは覚えている。もう少し遅かったらクビどころか、たぶん捕まってた。婉曲的ではあったが機密情報も漏らしてたし誹謗中傷もしてたからなぁ。ホント何してんだ俺。


 さて、そんな感傷に浸っている暇などないし、スリルも含めて俺がもう二度と味わうこともない。


 俺は最終段階として、当日のルート確認と会場――3535群の下見を済ませることにした。


 相変わらず鳥人は空に何人もいたし、何ならミーシィもいたし、3534群の交易区域《コマースゾーン》にも降りてきていた。下見したかったのだがさすがにやめといた。


 それでも就寝時間のぎりぎりまで粘ると決めた。


 広さと起伏はもちろんのこと、どこにどういうコンテナが建っているか。

 住宅と各種施設はどのように配置されているか。

 懲罰隊員はどこに潜んでいてどういう装備を持っているか、またレベルはどの程度と推定されるか。

 生活の動線はどう敷かれていて、住民達は実際にどう通っているのか。

 特区民以外の出入りはどの程度か。

 一番強い奴はどの程度強そうか。

 遠方から来ている俺はどう見られているか。

 俺を覚えている奴はいるか。

 俺を気にかけている奴はいるか――


 時折|超集中《ゾーン》に入りながら、俺は徹底的に周辺地形を観察し続けた。

第314話 夜這い

 スキル『隠密《ステルス》』は風魔法の集大成と言える。

 下位スキル『不可視《インビジブル》』により姿を消すだけでなく、冒険者の鋭い体感が捉える振動やオーラさえも誤魔化す必要があり、膨大な手続きと微調整を要する。瞬間移動系と同様、才能が多分に絡み、第一級冒険者の魔法師《ウィザード》でも身につけられないことがままある。


 情報屋ガートンの強みは、ステルスのノウハウにあった。

 ステルスは独学では発現《エウレカ》させることも精度を高めることも不可能とされている。それほどに複雑ゆえに、天性の才能でもなければ上位者から教わるしかないのだ。

 ガートンにはファインディも含め、その指導を行える人材が揃っている。他国や他社への流出を防ぐ体制も整っているし、実際離反者は処分されてきた。


 部下の目から見て、ファインディなる上司は確実に最高峰の使い手だろう。

 それでもラウルには気付かれていたが、そんな例外は数えるほどしかいない。ラウル当人と、その師匠ブーガ・バスタードくらいだ。

 そんな優れた上司から、彼女はステルスのほぼすべてを教わり、ものにしている。



 ――スキルの純粋な練度で言えば、もはや私以上です。いいですねぇ、ますます気に入りましたよ。



 ゆえに。


 シニ・タイヨウ程度であれば。

 ラウルや皇帝ブーガに直接近づかれなければ。

 彼女のステルスが気付かれることはない。


 第七週二日目《ナナ・ニ》の午後九時五十九分――。


「え、ちょっ、カレンさんっ!?」


 就寝時間直前、アンラーのコンテナに一人の女性が滑り込む。

 盗み聞きをしていたフレアと呼ばれる少女と同様、一般人にしては優れた立ち回りで、アンラー程度では気付けない塩梅だった。本当は気づけていたとしても、気づけなかった体で受け入れるしかない。


「泊まらせてもらうね」

「本当に帰ってほしいんですけど……」

「もう就寝時間だよ?」

「じゃあさっさと寝てください。ボクも眠いので」


 眠たそうに目を擦るアンラー。あくびも混ざっていて、穿った見方をしても自然な行動にしか見えない。


(呼気も詳しく調べたいけど、今はさすがに厳しいかな……)


 ステルスをまとったスキャーナは平然と《《アンラーのコンテナの中に》》いた。

 もうゲートも含めて行き来の手段も開拓しているため裸体である必要もなく、現地特区民が着るようなレパートリーで適当に回している。今日はへそ出しのTシャツとホットパンツのような短いボトムス。

 サイズは合っておらずピチピチ気味だが、この辺の変装は段階的につくりこむと決めている。最優先は相変わらずステルスの維持であった。


 そのステルスも熟達しており、今も手を伸ばせば届く位置で二人の動静を凝視できている。


 とはいえ片方は傑物級の大物。

 一瞬たりとも気が抜けず、目は自然と見開いた。


 と、ここで寝室コンテナに向かうアンラーの背中にカレンが飛びついた。


「うわぁっ!?」

「眠いならさっさと済ませちゃおっか」


 耳元にふっと息を吹きかけられると、アンラーは恥ずかしそうに、でも気持ちよさそうに震える。


「か、カレン、さん……?」

「可愛い反応だねぇ」


(この女には娼者の心得がある。その目で見ても違和感を感じないほどの演技力ってことだよね――ジーサ君にそこまで人生経験があるとは思えない。そもそも生理的な反応は制御できないし。モンスターの力、だよね)


「別に好みじゃないんだけど、出張性交教育《セックラス》受けたでしょ? それで安全だってわかってるのが大きいんだよね。ほら、私ら一般人は性病が怖いからさ」


(やっぱり持ち帰りたいな。どこかをちぎりたい)


(どこがいいだろう)


「な、何言ってるんですか、その、生まれたら、どうするんです……」


(ジーサ君としては断りたいよね。なら堂々としなよ。なんでこの女の顔を見るの? 胸元を見るの? 脚を見るの? また胸元を見るの? 胸が好きなの? こんな脂肪の何がいいの? ボクの――私のじゃダメなの?)


(性器を切り落とせばいいのかな?)


「大丈夫な日だから大丈夫」

「絶対の保証は無いと思――」

「私が良いって言ってんの!」


 急に真剣な雰囲気をつくってくるカレンは、良く言えば無難、悪く言えば単調な振る舞いだ。

 アンラーには通じているようだが、目を見ればわかる。


(カレンさん。演技で攻めてるって自覚はあるよね? その緊張が瞳孔に表れてるよ。念のため直してあげようか? ちょっと魔法を入れるから痛いけど我慢してね――なんてね)


「ちょっと話そうか」


 カレンがあぐらをかいたのを見て、アンラーもいったんは諦めて同調。

 あぐらをかいた二人が向かい合う。スキャーナはそれを見下ろしている。


「アンラーくん、モテてるよね? この先、ユレアやフレアとそういうこと、するかもしれないんだよ?」

「し、しないです……」

「見栄はいいからさ。さっきから私の体見てるでしょ? 緊張してるでしょ? 断言するよ。する」


(真面目な話、どうなんだろうね。たしかにジーサ君はだらしないけど、負けているようには見えない。チャームも効かないみたいだしね)


(私なんかが誘っても何とも思わないんだろうなぁ)


(誘うなんてはしたないけど……、でも、ジーサ君なら私は別に構わないというか。いや良くはないけど、ダメというわけではないというか……)


 自分の胸を持ち上げたり尻を掴んだりして、すぐに自分で恥ずかしくなって、と独り言ちながら奇行を続けるスキャーナ。

 ステルスの維持に全振りしている関係上、行動の是非はステルスを害さないかどうかだけになっている。今のスキャーナに客観視という概念は希薄だった。


「二人とも純潔なんだからさ、アンラーくんがリードしてあげないと」

「ボクも純潔同然ですけど……」

「何ならまたセックラスする? 講師の人、覚えてるでしょ? 友達だからまた招待できるよ。気持ち良かったよね?」


(ガーナさん、凄かったな。普通に咥えてたし、挿れてたし……)


 自他ともに認める優等生のスキャーナだが、性的な話題は苦手だった。


 ガートンに拾ってもらう前の、遠い昔の話。

 手癖の悪かった両親の、アブノーマルなプレイの数々――

 自分が直接受けなかったのがせめてもの救いだが、金と権力にものを言わせてとっかえひっかえしている様はこの世の何よりも醜く見えた。

 思い出すだけでも吐き気を催す、とは強くなった今となっては比喩でしかないが、それでも幼少期の記憶として深く刻まれている。


 なのに、相手が変われば、こうも違う。


(私もジーサ君とそういうことがしたい、のかな……)


 自慰行為もまともにしないスキャーナだが、手が伸びてしまうのを抑えねばならなかった。

 この程度の行動ならステルスを維持しながらでもできるから、なお始末が悪い。客観視も軽視しているからなおさら。

 もちろんここで本質を見誤るスキャーナではない。意識を介在させ、数秒ほどで精神を落ち着かせた。


 カレンは言葉巧みに攻め続けていた。


 物理的にも少しずつ、少しずつ近寄っていく。

 間もなく、どんっと壁にぶつかったのは――後ずさるアンラーの背中。


 元より身体能力差は歴然。アンラーでは勝てないし、その演技を破ってまで抗う決断はまだしまい。

 照れて目をそらしながら拒否し続けることくらいしかできないようだ。


「う、訴えますよ。無理矢理犯そうとしてきたって」

「別にいいけど、聴取ってわかる? 懲罰隊に詳しく聞き取りされるし、しばらくマークされるから面倒くさいよ? 私も経験したことあるけど、すぐ何をするつもりだとか、それは何だとか、換気口と扉は常に開けておけとか口はさんでくるんだよ? 私はこれでも信頼されてるからねー、モテ始めたアンラーくんに教えようとしたって言えば有罪は免れるだろうし」


 ダグリン居住歴もカレンが上だ。

 仮に嘘を織り交ぜられたとしても、アンラーでは判断はできまい。しかし、やましく演技を続けている身としては懲罰隊の過干渉を避けたいのも事実。


 アンラーの口数がぱたりと止む。


「帰化してきたアンラーくんはまだ慣れてないと思うけど、この国ではさ、性交ってそんなに特別視することじゃないんだよね。私ら一般人は性病に気を付けないといけないけど、それだけ。入浴も混浴でしょ? 赤ちゃんもナーサリーで一括して育てるでしょ? 要らなければ引き取ってもらえる。出産の時も魔法で保護してもらえるから全然痛くない。もちろんお金もかからないし、仕事も休ませてもらえる。良くも悪くも合理的なんだよ。恥じることもないし、身構える必要もない。お互いがいいって言ったら、それでいいの」


 すぅっとアンラーが息を吸い込んだのがわかった。


「さっきから嫌だって言ってるじゃないですかっ!」

「……わぉ。大きな声を出せるんだね」


 触れようとした手をホールドアップしているが、想定範囲だったのだろう、カレンは全くうろたえていない。

 いったん立ち上がり、換気口を全部閉めてまわる。「ん、なにこれ?」フレアが仕込んだ盗み聞き用の細工も発見したようだが、後回しを決めたらしく、でも素通りはしないようで、外に投げ捨てている。


(ジーサ君も気付いてるよね?)


 スキャーナは変わらず、ジーサのそばでガン見を続けている。


(レベルはわからないけど、深森林でアナスタシアさんとして私と戦ったときの感触だと90前後。それだけあれば、この程度は気付けるよね? あの女がいないんだから表情くらい緩めればいいのに、気付いてないふりをしてるんだから本当に策士だよねジーサ君は)


(大した演技力だよ。もうさ、うちに来ない?)


(ファインディさんが何て言うかわからないし、報道対象《ターゲット》だからたぶん許してもらえないけど……私としてはアリだと思う。二人で仲良く仕事に励もうよ)


(ジーサ君となら私――もっと頑張れる)


(ジーサ君はどう? ユズさんもヤンデさんも捨てて、一人で寂しくないの?)


(私はどうかな? うるさいことは言わないし、王女みたいなしがらみもない。ただ一緒に歩みたいだけだから。冒険者としての総合力も負けないよ。現にこうして最初に辿り着いたのも私。私は使えるよ? まだ見せたことないけど、身体だって――)


 スキャーナは《《無詠唱で》》スキル『ドレスアップ』を唱え、大胆にも裸体を晒した。

 服が無くなる分、視界や重心も若干変わる。ステルスにも影響が出るため気は抜けない。そもそもこのタイミングで格好を切り替える意味は無いのだが、余裕のあるのなら話が違う。


 要は鍛錬であった。

 普段は行わない裸体のステルスを、このタイミングでついでに鍛えるためであった。

 もはや無意識に近いが、スキャーナは息するように実践的な鍛錬を差し込むことができた。


 そんな彼女の眼がアンラーを――ジーサだけを向いている。


(胸の大きい人が好きなんだよね? 私も自信あるよ? 私も純潔だよ? アンラー君はともかく、ジーサ君は純潔だよね? シニ・タイヨウも純潔だよね? お互い綺麗だね。冒険者には珍しいことだよ。やっぱり気が合うと思う)


(そういえばシニ・タイヨウの体はまだ見たことがなかったよね。見せてくれる? どんな体つきなのかな? アンラーの皮を剥げば見えるかな?)


(そろそろアンラーはやめてもらえるかな。私はジーサ君に会いに来たんだよ? ううん、ジーサ君もまだ仮面だよね。シニ・タイヨウの顔を見せてよ)


「アンラーくん。頭冷えた?」


 最後の換気口、排泄コンテナの分を閉めた後、廊下に戻ってきたカレン。

 その優しい声音につられたアンラーが顔を上げて――


「……えっ」


 カレンは一糸まとわぬ姿であった。

 相手が並の一般人であれば、頭を殴られたような衝撃《ギャップ》だっただろう。優しさからの性の解放は、スキャーナでさえ知っているほどの常套テクニック。

 もちろんシニ・タイヨウに効くはずもない。相変わらず効いている風の演技が抜群に上手くて、スキャーナは何度でも感心してしまいそうになる。


「正直言うとね、もう我慢の限界」


 カレンがモンスターのように飛びつく。アンラーの頭をぶつけないよう配慮も行き届いていたが、抱えこんだ頭部をそのまま貪る。

 その奇襲は大胆であり、いきなり舌を入れている。


(それは私が言いたいよ……)


「あっ、ふぁ、ぁ……」


 アンラーはなおも抵抗していたが、体術でも歴然の差がある。少しでもアンラー以上の身体能力を出せば、カレンは見逃さないだろう。


 間もなく「か、カレン、さん……」顔を赤らめ、眼に陶酔の色を宿し、下腹部も膨張させ始めてみせる。


 スキャーナに下半身の演技の妥当性は判断しかねるが、カレンは疑っていない。「んん」艶めかしい吐息を漏らしながら、なおも催促する――


 アンラーが堕ちた。


(ねえジーサ君。私はどうすればいい?)


 唇を重ね合いながらも、手でも弄《まさぐ》り合う二人。

 スキャーナはそばでしゃがみこみ、その様子を見つめながら胸中で問い続ける。


(この女を殺せばいいの? ううん、わかってるよ、そんなことしても意味ない。だってジーサ君は何とも思ってないもんね。この女を騙せるほど演じれるんだもん。ガーナさんも騙せてたみたいだし。なんで? 全く興味がないの? それがいいかもしれないね。私もそういうのはあまり好きじゃないから)


(でも興味が無いわけじゃないんだ。初めてはジーサ君がいい。アンラーに騙されるこの女のことなんて気にしないよ。その代わりシニ・タイヨウは取っておいてね)


(あ、もしかしてもう盗られてる? ヤンデさん? それともルナさんかな? いいよ。いいんだよ。その二人は私にとっても大切な友達だから。でもね、私はジーサ君の方が大切なんだ)


(欲しいんだ)


(自分でもよくわからない。わからないからこそ、体を重ねてみたら何か見えてくると思わない? 鍛錬でもいいよ。模擬戦でもいいよ。回復魔法も使えるから、殺し合いでもいいよ。とことんやりあって、その後に交わろうか?)


(大きな声では言えないけど、私、痛いのが好きなんだ。気持ちいいよね? 痛みと快楽って表裏一体だと思うんだ)


(体力にも自信があるから何回でもできちゃうよ。一晩でも、二晩でも。回復したらもっとできるかな。学園? そんなの休んじゃえばいい。私はガートンの職員だからさ、別に退学になってもいいんだ)


 皮膚や粘膜を吸い上げる音に、やがて肉と肉がぶつかる音も混ざり始める――


 淫らな静謐《せいひつ》が支配する、狭いコンテナの中で。

 スキャーナはろくにまばたきもせず、ただただ激しく求め合う二人を見ていた。

第315話 悪事

 第七週三日目《ナナ・サン》。

 カレンは朝七時前にふわぁと起きた後、排泄コンテナの茶筒で用を足してから帰っていった。


 昨日の行為は前世含めて過去一で最高だったと思う。

 もちろんテクニックや魅力は元第二王女ナツナに遠く及ばないし、第三王女アキナの暴力的な胸と痴女性にも劣っていたし、ヤンデの美貌にも敵うはずがないが、カレンとのプレイはイチャラブカップルの愛あるセックスって感じで、なるほど世の男が彼女をつくりたがるわけだと再認識した。

 あれほどバグっていることを惜しんだ日もあるまい。どこまで行っても俺は性欲の猿というわけか、わはは。


 それはともかく、二度とやりたくないな……。

 演じるのがキツすぎるんだよ。セックスはマジで距離が近い。物理的に。


「茶筒は持って帰ってほしいんだけど……」


 前世の女性は排泄事情を徹底的に隠す印象だったが、どうもこっちはそうでもないらしい。そういう性癖がある人なら万々歳なのだろうが、俺はそうじゃない。


 外に出てみると、もう朝食時間が近いことあり、食堂へと向かう集団が目立つ。

 発光板を出し終えたところでユレア達が来た。溜まってた茶筒を一緒に運んでもらった後、食堂へ。


 食事を済ませ、軽く入浴も済ませた後、午前はフレアとライオットの講義もとい実技を受ける。

 何かと聡いライオットとは関わりたくなかったが、行かないのも怪しい。というわけで、アンラーのキャラどおりに将軍ファンガチ勢と迷路趣味をアピールしておいた。


 週末の将軍会議だが、ライオットも参加するようだ。

 というよりライオット、ユレア三姉妹、カレンのメンツになるっぽい。一緒に行くべきだろうか、それとも逃げるべきだろうか。もちろん後者である。


 午後はいつもどおりギルセンで酒場で接客、と思いきや、フロアに出る前にギルドマスターに呼び止められる。

 取り巻きの女性スタッフ達も含めて焦燥感満載で、その視線を一手に受けるのは居心地が悪い。


「急ぎ手に入れたい鉱石があるんだけど、これが『劣化』する代物でね――本群の崖で採掘するのが一番速いから君に頼みたい。報酬は弾もう。銀貨十枚出す」


 前世日本だと一万円相当。アンラーの給与ベースだと五十日分。特区民目線では縁の無い金額なので「じゅ、じゅうまい!?」大げさに驚いておく。

 というより、拒否の選択肢は無いだろう。

 前世でもよくあったよなぁ、お願いの皮を被った強制。日本独自の価値観だと思っていたが、人間社会レベルでよく起きる現象なのかもしれない。


「これをお使いください」


 取り巻きの一人からつるはしみたいなものを渡される。

 現物は見たことないからわからんが、たぶんつるはしだ。想像より数倍はデカいし重い。


「シリウスさんの家の北へ向かってくれ。採掘跡があるからすぐわかるはずだ。鉱石は紫色をしていて光沢が強いからすぐわかる。傷付いても欠けても構わない。拳二個分くらい確保してほしい。確保し終えたらその場に放置して、報告しにきてくれ」


 ずいぶんと遠回りなことをさせてくれるが、劣化するのなら仕方ないな。王都の貧民エリアもそうだったが、ジャースの自然現象には抗えない。

 シリウスさんというと、面識は無いが、あのDINKS夫婦のところか。

 結婚してるのに子供を持たないのは珍しいらしく、住民に興味の無い俺でも印象には残っていた。


「これも持っていけ。第二スロットまでに済ませてもらえると助かる」

「善処します」


 締切は午後五時か。

 ちなみにあくまで業務なのでフレアは手伝えない。むーと頬を膨らませていたのは素か演技か。演技だな。照れるならやるなよ。


 首からぶら下げられる水筒ももらったところで、いざ採掘場所へ。


 ざっと徒歩で二十五分。

 別段遠いと感じないあたり、ダグリンのスケールにも慣れてきたか。田舎ともいう。


 シリアスさん家に着いた。

 コンテナは四個。二人暮らしにしては狭いかもな。

 外には洗濯物から工場《こうば》を思わせる棚まで散らかっており、生活感に溢れている。あまり外に物を置くと怒られるからだろう、密集させているからなおさら汚い。まるで納屋だ。


(ここから北だよな)


 まあ見るまでもなくデカい崖――高さ百メートル超えの立派な断崖絶壁が広がっているわけだが。たしかに、所々採掘した跡があるな。

 崖の真下にまで来た後、一般人を演じるために水筒で水分補給して、さあ採掘するかといったところで、


「アンラーだな。話は聞いている」


 でっかいリングピアスをつけた坊主頭の男――懲罰隊員の男がやってきたかと思うと、くいっと親指を後方に向け、背中も向けて歩き出した。

 劣化するんじゃなかったのか。どういうことだよ。


 ついていくことしばし。

 男の背中がピタリと止まる。一般人《レベル1》では出せない瞬間的な停止だ。いや、だから劣化するのでは。


「カレンと楽しんでいたな。閉め切って楽しんでいたな」


 男は俺の隣にまで来ると、「【ウインド・カラー】」何か唱えてきた。

 直後、首がやんわりと締め付けられる。ああ、首輪《カラー》か。あるいは襟《カラー》かもしれないが。ホワイトカラー、ブルーカラーのカラーもこれだ。

 ああ、俺もホワイトな仕事がしたい。


「カレンは私のものだ」

「あの、苦しっ……」

「カレンに手を出す奴は許さない。叫ぶことも逃げることも許さない」


 ぎりぎりと締め付けが続き、十秒ほどで解放される。

 咳き込むほどではない。遠目に見られてもバレないようにするためだろう。手慣れてやがる。


「ちょ、懲罰隊員が黙ってない、です」

「隊員は私だけだ。ここは死角だ」


 男が横目で俺を睨む。前世でも稀に見ることがあるものだ。

 悪事を何とも思わない類の目。人を人として見ていない、科学者のような冷たい眼――

 控えめに言っても危険だ。


「ギル、ド、マスターが、黙ってないかと……」

「いいかげん気付くが良い。お前ははめられたのだ」


 そこまで言われて察する俺。

 もっとも言うまでもなく教えてくれるようだが。


「ギルドマスター様はユレアが欲しい。私はカレンが欲しい。なのに、どちらもお前が誑《たぶら》かしている」


 将軍会議も近いというのに、面倒くさいな。

 にしても懲罰隊って不正すると裁かれるんじゃないのか。特区は特に厳しくしているとはブーガ自身の発言だったが。

 コイツらは腹をくくったのだろうか。


(いや、ここが《《穴》》なのか。そういう穴がいくつかある)


 全部繋がった。


 上位の懲罰隊にも感知されないスポットがいくつかあるのだろう。以前、カレンとコイツが二人でいることに気付いたが、たぶんあそこもスポットだったのだ。いやらしいことでもしてたのか。

 カレンの場合、金でも弾んで体裁も尊重してやれば普通にやるだろうから、コイツからの一方的な強姦なのかもしれない。


「お前の選択肢は三つある。速やかにダグリンを去れば命は助けてやる。それができないなら死んでもらう。どちらも嫌なら、今ここでこの薬を飲め。時間差で、苦しむことなく安らかに死ねるようになっている」


 懐から錠剤を取り出す男。何それ超欲しい。


「我々の悪事がこれが初めてではない。こうして民に干渉することは《《よくある》》。我々の実力差を理解せず、馬鹿な真似をする馬鹿もいる」

「か、勘弁してください……」

「もちろん生きていることを後悔するほどの苦痛を与えて処分した」

「見逃して、もらえま――」

「指を切られた痛みを想像できるか。目をくりぬかれた絶望を想像できるか。燃える苦しさや、窒息の苦しさに耐えられるか」


 風魔法で小石を真っ二つにしたり、火魔法で小石を燃やしたり、水魔法で包み込んで窒息を想起させたり、と芸が細かい。その小石に何の恨みがある。

 執拗な気質であることは肌でわかった。


「いいい命だけは勘弁してくださいお願いします、お願いします……」


 頭を垂れようとも、コイツの風魔法が許さない。全身を撫でられているかのような感触で、アンラーでは指先一本も動かせなくなった。


「ならぬ。選べ」


 さてどうするか。

 一般人の俺が返り討ちにするのも不自然だし、コイツの機嫌を損ねて攻撃食らったけどへっちゃらでしたーもありえない。こうしてギルドマスターもグルでハイリスクな接触をしてきたあたり、見逃してもらえるはずもない。


 まだ時間はある。


 とりあえず向こう数分、俺は震えてみせた。

 失禁も大の方を込みでしておいたが、コイツが魔法で処理してくれた。

 火魔法で乾かす段階が容赦なくて、たぶん低温やけどくらいはしたぞ。再現しているダンゴとクロは相変わらず神懸かっている。


「――離れる、ではダメでしょうか。特区も広いので、4003群から遠く離れた群に行けば、事実上去ったも同然かと……」

「許さぬ。ダグリンは噂の伝達も早い」

「で、でも急に去れと言われてもあてがないんです。一般人だからやっていけませんし、特区にいたいです……」

「第八週十日目《ハチ・ジュウ》まで待ってやる」


 よし、妥協できるラインが来た。今週末の将軍会議まで居座れるならそれでいい。


「それまでに去ったら見逃してやる。ギルドマスター様には話を通しておくから、後日尋ねるが良い。便宜を図っていただけるだろう。尋ね方には気を付けよ。妙な真似もしないことだ。した瞬間、死ぬと思え。【スーパー・ウインド・ナイフ】」


 見えない刃が喉元に突き付けられている。


「我々も悪魔ではない。本当はすぐにでも殺したいが、温情をかけてやっているのだ」


 なんなら少し切られた。直後、「【セイント・スティック】」光る棒を押しつけられたかと思えば、もう傷跡も出血もなくなっている。


「魔法は怖かろう。傷つけて、回復して、また傷付けて、と繰り返す拷問はよく知られている。そして私は人をいたぶるのが嫌いではない。私に娯楽を提供したいのなら、告げ口でも何でもするが良い」


 あとは遠出を許してもらえるか、だな。

 今の立場だと素直に尋ねるわけにはいかないし、おそらく許してもくれまい。将軍会議の会場に足を運べないのは困る。


 場合分けすると三つか。

 一、見逃してもらえる。遠出もできる。

 二、見逃してもらえる。遠出はできない。

 三、見逃してもらえずアンラーの化けの皮が剥がれる――


 まず三は論外。


 二もできれば避けたい。

 もし二が確定した場合、俺は将軍会議の時間ギリギリまでアンラーを演じて、開始前後で本来の俺をフル解放――会場まで行ってさっさとリリースを放つ、みたいな無茶をする羽目になる。

 要は不審者と認識されてからリリースを撃つまでの時間を最小化するしかなくなってしまう。コイツ程度ならともかく、俺では上位の懲罰隊には勝てないだろうからな。

 まあ勝てたところで、会議中の将軍達に接近できるとは思えないが。


 当たり前だが、一番良いのは一だ。


「はぁ」


 俺は露骨に嘆息してみせた。

 アンラーの演技《キャラ》を止めたこともあり、男が警戒のオーラを発する。へたくそだな。もうちょっと抑えろよ。オーラがもたらす情報は多いらしいぞ。


「まず大前提として、ボクがいようといまいとカレンの心は変わりません」

「……」


 話を聞かないゴミだったらどうしようかと思ったが、ひとまず聞いてくれるようだ。助かる。


「あの人は娼者《プロスター》として欲望のままに遊んでるだけです。身体的に味わいたいなら、普通に関係を迫ってつくればいいのではないですか。お金で釣れると思います。他人にバレないよう体裁さえ整えてあげれば、喜んで受け入れてくれると思います。体裁を整えることが何より重要です。カレンはああ見えてプライドが高いので、懲罰隊員と契約している、みたいな外聞を嫌います。元々色んな仕事をしてて行動範囲は広いので、そうですね、4003群から離れた、人目のつかない場所に性交部屋でもつくってこっそりやればいいと思います。カレンなら通えるくらいの体力はありますし、お金と頻度を工夫すれば最優先の仕事として律儀に通います」


 男は微動だにしない。頷くなりリアクションなりしてほしいんだが。


「ユレアについては、ボクは何とも思ってないので大丈夫です。そのうち突き放すつもりです。傷心すると付け入りやすいですから、ギルドマスターは普段と変わらず親しいポジションをキープするのが良いと思います。もう一つ挙げるとしたら、ボクとギルドマスターが仲良くなることでしょうか。そうすればユレアとの親近感もさらに増します。ボクがギルドマスターの美点をさりげなく話すこともできますし、ギルドマスターを尊敬してますという演出をすれば、ユレアの目も変わっていくはずです」

「……ケイブから来た時も思ったが、お前、何者だ?」

「詮索はルール違反ですよ。学者畑の人間、とだけ言っておきます」


 嘘とはいえ情報は何も与えたくないが、コイツらはやましさを隠し続けている立場だ。俺のことも誰にも言うまい。

 何より二の強攻策や三の身バレルートだけは避けなきゃいけないわけで、そのためなら多少の情報くらいくれてやる。出し惜しみがチャンスを潰すのは、いつの時代も同じだ。


「ボクはダグリンという国の仕組みに興味があるだけなんです。ボクがユレア達を避けて行動しているのは知ってますよね」


 懲罰隊員だからこそ、誰よりも民を見ている――レベル1を超越した実力で監視しているのだ。

 わかる。よくわかるよ。

 俺もいつもお前のことを意識して、欺き続けてきたんだからな。


 ある意味、ダグリンに来てから一番付き合いが深いとも言える。親近感すら感じるよ。


「それがボクです。物珍しいからか、まだモテているように見えますが、そのうち落ち着きます。その間にさっきボクが言ったことをしてもらえれば、お二人ともそれなりの関係を手に入れることができると思いますよ」


 沈黙の肯定。もう一押し。


「必要ならギルドマスターも交えてお話しましょう。どうせボクなんていつでも殺せますよね? でも殺さないに越したことはない。厳格な世界において邪魔者を消したり後処理したりするのが大変っていうのは、ボクもよくわかってますから」

「……」


 自分も同じ穴の狢ですよと臭わせることで親近感を演出して。


「ボクは国を研究できればそれでいい」


 アンラーの本性がドライで学者肌な国マニアとなってしまったが。


「――いいだろう。呑んでやる」


 ふぅ、クリア。

第316話 行間

「はっ、はっ、ふぅっ、じゅる――」


 見えない壁と錠で固定されたカレンは、いつものように裸体を――乳房を貪られている。


 時間的にも場所的にも死角であり、助けが来ることはない。

 今さら期待もしていなかったし、むしろガーナに言われたとおり格上冒険者との鍛錬機会として活用するつもりでいた。


 一心不乱に舐め続ける眼前の男――懲罰隊員ラクター・アドリゲスの頭頂部を見下ろす。

 といっても暗いため、坊主であることがわかる単調なシルエットしか見えない。


「あっ、だめ……」


 全くの無反応だとラクターがうるさいこともあるため喘ぐふりを入れつつも、その脳内は完全に彼方に飛んでいた。


 その対象はアンラーであり、抱いた感想は疑問。


 第七週二日目《さくじつ》、カレンはアンラーに夜這いをかけた。

 フレアからの依頼で、アンラーの素顔を探るためである。


 個人的には目的が二つあった。


 一つはアンラーを知るためだ。性交という欲望丸出しの肉体的コミュニケーションには多くの情報が染み出る。


 そしてもう一つは、ラクターの嫉妬心を煽るため。

 カレンが夜這いを受け入れることはあれど自分から行くことが無いという事実は、他ならぬラクターが知っている。

 自分に対する執着や懲罰隊ゆえのプライドも。

 特区民に出し抜かれて黙っていられない性格も。


 ギルドマスターもグルであることは薄々わかっていた。

 劣化する鉱石の採取を急きょ依頼したそうだが、ラクターが持つ死角に誘導するための口実だろう。


 期待どおりラクターはアンラーと接触した――


 にもかかわらず、アンラーには何も仕掛けられた形跡が無かったし、今もカレンを貪るラクターもそうで音沙汰が見られない。

 この目前の変態はわざわざ隠す真似などしない。アンラーに対して何かしたとするなら、少しは話題に出すはずだ。そうでなくとも下品な物言いの節々からその兆候が出るはずなのに。

 まったくのいつもどおりであった。違和感すら無い。むしろ何かを隠している気さえする。


 一体何が起きたのか。

 あるいはアンラーが起こしたのか。


 それはそれで、しっくりくるものがあった。

 アンラーであれば切り抜けるかもしれない――そんな直感がカレンにはあったからだ。フレアの気持ちもよくわかる。アンラーという新人はどうにも臭う。


「ねぇ」


 ラクターが上目遣いだけ寄越す。舌は止めていない。


「――ちょっと痛いから、もう少し優しく揉んで」


 アンラーの件で探りを入れようと思ったが、危険かもしれないと思い直す。

 元よりカレンは淡白であり、たしかに化けの皮を剥いでみたいとは思うものの、フレアほどの思い入れはない。そういう性分だからこそ、このような境遇も受け入れることができる。そんな自分が嫌いではなかった。


(ごめんねフレア。あとは一人で頑張って)


 他人事のように胸中で漏らすのだった。

第317話 尾行の尾行

 タイヨウが懲罰隊員との心理戦に勤しむ頃――


 ダンジョン『デーモンズシェルター』。

 その最深層第90階層『|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》』は光の届かぬ静寂な空間であるが、今は絶え間なき轟音に包まれていた。


 新階層主オリハルゴーレムの巨体が超音速で跳び回り、飛び回る。

 破壊された壁はすぐにランダムに修復され、記憶した地形構造は意味を成さない。かといって広い部屋にまで行けば、ゴーレム自らが壁という名のセンサーをつくりだしてくる。

 近づいただけで捕捉され、こちらめがけて突っ込んでくる。ゴーレムは地形を無視する。あらゆる壁を破壊しながら一直線に向かってくる。

 当たれば即死の、超硬超重量ボディが飛び込んでくる――。


 丸太以上に太い指がラウルの頭部を狙った。

 首を曲げて交わしつつ、愛用の双剣で表面を突く。火花とともにオリハルコンの光沢が姿を見せる。

 関節を突いたつもりだが特に効き目は無さそうだ。触感も皮膚と大差無い。つまり硬い。


 すぐに横薙ぎが来るので、サイドステップで丸ごと距離を取る。

 直後、「【冷却円柱《クーラーカラム》】」真上からアウラの高速詠唱が入り、冷気の充満した巨大円柱が瞬時に出現――ゴーレムを瞬間冷却する。

 普通にラウルも被っているが、敵の冷却期間を少しでも稼ぐには致し方無い。ラウルは既に第一級の膂力に任せた一振りを繰り出しており、タイミングもばっちりで。


 冷却下での刃風をお見舞いすることに成功した。


 しかし、ゼロコンマ秒後には、もうゴーレムの無詠唱魔法――岩の弾丸が飛んできている。

 下手に避ければ隙になるためそのまま体で受けて、案の定、格闘家《ファイター》顔負けの綺麗なパンチが飛んでくるのを急いで回避。


 飛行していたアウラと合流して、いったん撤退にシフトする。

 入り組んだ道を高速で縫うことしばし、といっても十秒も無いが、轟音が遠のいたところで口を開く。


「びくともしないな」

「先にオリハルコンを調達して実験してみた方が良いかもしれないですね」


 オリハルコンは人類では壊せない超硬物質とされる。

 ゆえにラウルらは状態を変えてから攻撃を加える方向で攻めていたが、先の冷却も含め、まるで効かなかった。


「普通のオリハルコンとあのゴーレムの構成物質が同じオリハルコンである保証もないけどね」

「そろそろ糸口を掴みたいんだけどなー」

「もっと工夫するんだアウラ」

「っさいなぁ、避けてばかりのくせに」

「仕方ないだろ。アレに物理攻撃は効かないし、こっちは一発でも食らったら死ぬ」


 デーモンズ・ネストは出入口付近以外は基本的に暗闇だが、明るい箇所も点在する。発光作用を持つ壁がランダムに出現するのである。

 ちょうど偶然通りかがり、頭の後ろで手を組んで飛んでいるアウラと、剣の手入れをしながら足を動かしているラウルが一瞬だけ映った。


 アウラが急停止する。

 まだダンジョン自体の解明もできていないため、ついでに壁も調べるのだろう。反応できないラウルではない。


 調査はアウラの方が効率が良いため丸投げして、ラウルはその場で腰を下ろした。


「もしかして|倒れない敵《アンディフィート》なのか?」


 自分だけ良い身分だとでも言いたげな視線をアウラは寄越すが、手入れを続けるラウルは気にもしない。


「そんなモンスターはいないってとうに証明されてませんでしたっけ」

「当時確認されているモンスターの中では、ね」

「単に人類の火力不足だった、という結論でしたよね」

「つまりアウラの火力が足りないと」

「自分を棚に上げないでね。凍らせますよ」


 腹いせにアウラが杖越しに氷魔法を撃つ。それをラウルは回避して、超速で剣を仕舞いつつなぜかアウラに突撃。「えっ」肌と肌が触れ合う距離に。

 具体的には二人三脚レベルの距離感で、既に肩を組んでいる勢い。


「ちょ、ちょっとラウル!?」

「攻略は急ぐものでもないし、シニ・タイヨウの捕獲作戦でも考えよう」


 既にオリハルゴーレムが近づいてきている。

 猛音下で肉声を中継する程度は大した手間ではないが、この階層主相手ではそこまでの余裕はない。少しでもセーブしつつ、会話を引き続き行うために、ラウルは一足早くアウラと密着したのだった。

 そんなことがわからないアウラではないのだが。


「……いきなりはびっくりするからやめて」


 アウラは手で壁をくりぬき、ゲートを出して収納した後、移動を開始。


「ああ、すまない。魔法師《ウィザード》にはちょっと速すぎたか」

「そうじゃなくて」


 ラウルは首だけ軽く傾げてみせる。ついでにその風圧で壁を抉って粉塵を巻き起こし、さらに腕を振って風刃を二枚飛ばす。ちょうど粉塵の中で接触する角度であり――いわゆる粉塵爆発が起きる。

 タイミングも完璧で、通りがかるゴーレムともろにぶつかった。


「何ともないか」


 どこまでも鈍感で戦闘狂な相方に、アウラはため息を一つ。

 同時に、移動速度を増やして密着をやめるか、あえて増やさないで続けるかの葛藤に悩んだが、前者を選ぶことに。あまりベタベタすると嫌われてしまう。


「妙案はあるんですかね剣士《ソードマン》さん? まだ潜伏先のあたりもついてませんけど」


 ルナ達はダグリンにいると絞り込んでいるが、アウラウルは少し違う見解を持つ。

 他ならぬラウルが師匠ブーガの実力を知り尽くしており、ジャース全土どこであろうと匿う程度は容易いと見ているからだ。

 ひょっとすると常にそばに控えさせている可能性さえある。


 ただ仮に対等な関係を結んだ場合は、シニ・タイヨウにも相応の裁量を与えるだろう。あの変装能力があればどこでもやっていける。


「君の豊富な人脈とやらで何とかならないのか」

「言い方に棘があるし、さっきから私に丸投げしすぎよね。もうちょっとは働きなさいよ」


 不満をぶつけるアウラだったが、どうにもならないのが現状だった。

 仮にタイヨウに裁量が許されているとして、どこに潜んでいるかなど、わかるはずもない。

 そのためにはタイヨウ自身の情報が要るわけだが、二人はほとんど知らないし、他に知る者もごくわずかだ。


 タイヨウを探す他勢力も王族クラスであり、下手に欲張れば衝突しかねない。

 そうでなくともヤンデ・エルドラからは威嚇もされているし、現時点では二人がかりでもおそらく敵わない。


 ふと、アウラが呟いた。


「横取りするしかなさそうですね」

「それこそ無理じゃないか? 同格以下の誰かだけが見つけてくれたら、の話だ」

「一人だけいるじゃない」


 スキャーナちゃんよ――。


 アウラの美声がラウルの耳朶に注がれる。


「彼、いや彼女が?」

「彼女、やっぱりジーサのことが好きだと思う」

「唐突だな……」

「前にも言ったし、教師として何を見てるのよ」

「彼女は優秀だ。色恋ごときに惑わされるわけがないだろ」


 耳を攻めても何の反応もないし、別に今に始まったことではないため無視すればいいのだが、半眼くらいは向けなければ気が済まないアウラだった。


「相変わらず女の子のことがわかってないわね。年齢もレベルも関係ない。イリーナさんを見ればわかるでしょ」

「ああ……」

「ちなみに私もだから。なあなあにしたくないからあえて言うけど、今でもラウルのことが好きです」


 そしていきなりぶちこんだりもする。

 もうアウラに遠慮の二文字は無かった。


「そういうのはやめてもらえるか。僕達は冒険者としてパートナーだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「だったらなおさらじゃない? ラウルは女の子のことをもっと知るべきなのよ。私が勉強させてあげます」


 とん、と自分の豊満な胸を叩いてみせるアウラ。


「一理ある、と言いたいところだけど、正直興味が無いんだよな」

「清々しいわね。――もうちょっと早く出会ってたらなぁ」


 アウラがラウルと組んでからもう長いが、ラウルは出会った当初から既に性欲まわりの欲求を殺していた。

 だからこそチャーム持ちのアウラは純粋な利害関係を結べたわけだが、彼女がこれを呪った日も一日や二日ではない。実際、ラウルの無欲求を知らないかのような誘惑や絡みも多かった。


 ラウルとしてはそんな茶番を理解できなかった。むしろ相方の頭を心配するほどだった。

 そうではないとわかったのが、ここ最近のことで。


 今の台詞にも、冒険者として無視できないような、ある種の悲願がにじみ出ていて。


「勘弁してくれよ……」


 元ナルシストには珍しい、情けない嘆息が漏れた。対してアウラは楽しそうで、うふふと破顔している。


「戻せないんですか? 荒療治すれば案外行けたり?」

「どこ見て言ってんだ。もう戻ることはないよ。強姦浴《ドラサルト》は一方通行だ」


 強姦浴《ドラサルト》とは、自分の性的指向や性癖に合わない形で強姦を受け続ける苦行である。

 |部位切断の痛みに平然と耐える精神性《ペイン・プルーフ》が備わっている場合、精神が狂う代わりに性癖や指向がねじ曲がり、変化する。変わった後もさらに繰り返すことで何度も変化させていくことができる。このとき、同じ性癖や指向が再び来ることは無く、かつ欲求の強さも落ちていく。

 そうして自分が変わりうるそれらすべて潰したとき――性欲とその周辺の欲求が完全になくなるのだ。


 言うだけならさほど難しくはないが、行動の難度は想像を絶する。

 ペイン・プルーフが無いとすぐに精神が狂ってしまうし、逆にある場合はねじ曲がるほどの負荷が掛からない。どうすれば負荷がかかるかを探すのが非常に難しい。指向はともかく、性癖は人それぞれであるため確かな解もない。


 アウラの知る限り、成功者はラウルだけだ。

 ゆえにラウルは一瞬たりとも乱れることがない。ブーガやシキなど乱れてもすぐに戻すことで平静を装う数多の実力者とは格が違う。そもそも乱れない。


「でも勃つんですよね?」


 アウラは少し思い切って、手を伸ばそうとするが――


「おかしなことをしたら締めるよ」

「それはやめて。本当に」


 殺気オーラつきのマジトーンで返されたので、さすがに止めざるをえなかった。


 殴るでも蹴るでも斬るでもなく締めると言っていることからも本気度が窺える。明示されていないが部位も明らかで、アウラは首が弱い。

 以前「魔法師はそこまで鍛えないか」とマウントを取られたことがあったが、実情は単に性感帯なだけである。


「話を戻そう。スキャーナをどうするって?」


 気まずさを引きずらないのは美点と言えるだろう。

 アウラも気持ちを切り換えることにして、にやりと口角を上げてみせる。


「尾行するのよ。スキャーナちゃんは優秀だし、我も強そうだから、たぶん独り占めしようとする」

「そういえば最近本業が忙しいみたいだね」


 学園ではスキャーノの欠席申請も提出されている。

 登校した日も、学友との交流は行わずにすぐ帰る傾向が見られた。


「本業じゃないとしたら?」

「……もう特定しているのかもしれないな。捕まえて吐かせるのかい?」

「ガートンの職員だし無理じゃない?」


 報酬や拷問は通用しないという意味である。


「だから尾行するのよ。もちろん私がやります」

「大丈夫かい? 隠密《ステルス》も相当の使い手だと思う」

「使うのには慣れていても、見つけるのには慣れていません。たしかに一度入られたら見つけるのは難しいので、入る前に隠密尾行《ステルストーキング》を始めます」


 スキャーナが下校する段階で尾行しようと言っているのだ。

 無論、自身もステルスをまとう必要がなる。剣士《ソードマン》のラウルでは分が悪いし、スキャーナは飛行で移動するだろう。ラウルは飛行も得意ではない。アウラの領分だ。


「それでいこう。実は僕もシキさんから呼び出しを食らってて、たぶん手が離せなくなる。頼んだぜ」

「処罰でも受けるの?」

「そんなわけないだろ。獣人の精鋭部隊『ソルジャーズ』の動きが活発化していて、その対処に充てられるんだ」

「へ-。戦闘バカのラウルにはお似合いですねー」

「だよな。僕も楽しみにしている。オリハルゴーレムのせいで欲求不満なのさ」

「別に褒めてませんけど」


 アウラは相棒の側頭部を杖で小突き。

 ラウルは最近よく手が出る相棒に「ふっ」失笑とも苦笑とも朗笑とも取れる微笑を返して。


 二人は散会した。

第318話 尾行の尾行2

「どうかしら?」

「す、すみません、手が出そうです……」

「あなたは?」

「殺意が膨れあがってきてます」


 第七週四日目《ナナ・ヨン》の午前十一時五十分。

 アルフレッド王立学園Eクラス校舎の、とある教室にて。


 椅子と机は中央の一組を除いてすべてが取っ払われ、その中央ではヤンデが足を組み肘をついて気怠そうにしている。

 これを取り囲むのはクラスメイト達だが、誰もがモンスターに相対したかのような殺気をぎらつかせている。


 そんな様子を、ラウルは教室の隅から傍観していた。

 座学の時間が余ったから、とヤンデに半ば強引に主導権を取られた形だ。最近は問題無く抑えていた体質のテストがしたいらしく、今まさに開放されている。


「じゃあこれは?」


 体質はそのままに、ヤンデが威圧のオーラを上乗せする。それはラウルでも無視できない、第一級クラスの強烈なもので「ひぃぃっ!?」悲鳴をあげる程度なら可愛いが、失神した者もいて、


「やりすぎだ」


 生徒達が地面に倒れる前に自ら支えてやり、「【サンダー】」微弱な電気を流して失神から回復させる。


「良い機会だと思うのだけれど。自分の限界を知っておくことは重要よ」

「教育には段階というものがある。これじゃトラウマになるよ」

「それより今のは何? 雷魔法《サンダー》自体はさして上手くもなかったけれど、気絶から目を覚まさせるってどういうこと?」


 ラウルは立場上、弱者の指導やフォローに回ることも多い。本人に自覚はないが、その手の対処にはめっぽう強かった。


「話を聞いてくれ……」


 幸いにも生徒らに精神が負傷した様子は無い。

 どころか、話題の王女ヤンデ・エルドラとお近づきになれたことで興奮しており、止まない私語を注意するほどだった。


 間もなく座学が終了して昼休憩となる。

 ヤンデはクラスメイト達と食べるのかと思いきや、「ピンク童顔はどうしたのよ?」真剣な雰囲気をつくりながら問うてくる。

 こうなれば誰も割り込めるものではない。


 各自、いつもどおりのグループで散会していき――室内にはラウルとヤンデだけが残った。


「アウラは今忙しいよ。僕もだけど。この後も早速ダンジョンさ、まったく」

「生き生きしてて気持ち悪いのだけど……」


 特に用事など無く雑談だったのだろう。つまり人が鬱陶しかったから雰囲気をつくって退けただけである。


 ヤンデは興味を失ったとばかりに去って行く。意識が高いのか|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》の範疇だが、いつもより少々早足だ。

 現在進行形でシニ・タイヨウを調査しているのだろう。彼女の魔力なら誰にも盗聴されずに堂々と学内で密談ができる。


 同じ獲物を探す者として惹かれるところはあるが、嗅ぎまわっていることを悟られては面倒だ。そもそも大した情報も持つまい。

 それよりも手頃な相手がいる。


(頼んだぞアウラ)


「ラウル先生、今よろしいでしょうか?」


 見るまでもないが、見ずに反応すれば威圧感を与える。アウラに散々言われている表情の乏しさにも注意して、穏やかな微笑を向ける。

 Cクラスの女生徒二人組が緊張の面持ちで立っている。


「……食べながらでもいいかい?」

「ありがとうございます!」


 ラウルは一教師の顔を崩さず、吉報を待つ。




      ◆  ◆  ◆




(来ましたね)


 アウラの体外気流感知《エアウェアネス》が、学園の外に飛び出すスキャーナの体外気流《エアー・オーラ》――身体周辺の大気の流れをキャッチする。


 今日のスキャーナが昼から休むことは把握しており、アウラは用事をでっちあげて先回りしていた。

 既に隠密《ステルス》をまとうアウラは気付かれないように、しかしできるだけ素早く半径数メートルの距離にまで詰める。


 大胆に思えるが、隠密尾行《ステルストーキング》――ステルス状態の相手を尾行する際の常套手段だ。

 一度ステルスに入ると周囲に対して非常に鋭敏になるため、後から接近するのは分が悪い。ステルスに入られる前に、懐に入っておく必要があった。

 もちろん気付かれずに近寄ること自体が至難の業だが、アウラは魔法師《ウィザード》であり、対象とのレベル差は推定40以上。散歩にも等しい。


 スキャーナは自宅の屋敷に戻った後、魔法に頼りきった、何ともだらしのない着替え方でガートンの制服を身につける。

 入浴と食事も端折っているし、かすも水もこぼしていて汚い。普段のアウラなら苦笑の一つでも浮かべるが、尾行中は集中を崩さないのがセオリーだ――というわけで、ひたすら真顔であった。


 最後にスキャーナはフェイスマスク――目元だけがくりぬかれた布を引き寄せ、そのまま被ることで覆面をまとい、「【ゲート】」ギルド本部前と繋いだ門を開いて飛び込んだ。

 追従できないアウラではない。これほどの実力差があれば、スキャーナに続いてくぐることも容易かった。


(ゲートもこなれてる。やはり将来有望ですね)


 並行してスキャーナの言動とオーラにも注視している。第一級冒険者の解像度で観ているため、気付かれたらわかる。

 わからないということは、気付かれていない。


 ゲートの先に出たスキャーナは露骨に高度を上げ始めた。


(上空……、となると遠出をするようね)


 アウラの推測どおり、スキャーナは王都の外観さえも見えなくなるほどの高さにまで来た後、加速し始めた。


(スキャーナちゃんの実力だと危ないはずだけど)


 次の見解は見事に外れることとなる。


 油断すると引き離されてしまう程度には、スキャーナは大胆に速度を乗せていた。

 覆面や服装も度外視であり――


(綺麗な身体)


 しなやかな肢体が揺れている。

 皮膚の薄い部分は風圧に耐えられずに切れており、レベルの乗った血滴《けってき》がアウラを襲う。

 当たっても大したダメージではないが、集中して飛行する今のスキャーナなら血滴のかすかな揺れにさえも気付くだろう。アウラは思わぬ苦戦を強いられた。


 そうして一時間ほど飛行し続けて、到着したのは。


(ダグリン共和国――)


「は、ハッ、ハイパ……【ハイパー・セイント・ニードル】」


 ぼろぼろのスキャーナが自らに強力な聖魔法を撃つ。

 細い針は回復範囲こそ狭いが回復量は多い。それを繰り返し発動して、傷付いた部位に的確に刺していく。

 回復魔法は広範囲にかけがちだが、その実、傷の深い部分だけスポットで治して、あとは自然治癒に任せた方が魔力の節約になる。


(ステルスの持続時間も凄まじいですし、どう見ても生徒の枠を超えてるんですけど……)


 尾行に慣れたアウラには表情も変える余裕もできており、素直に苦笑した。


 一分と待たずに態勢を立て直したスキャーナが何やら巡回を始める。


(ダグリンにいると見ていて、見分ける術も持っている。――総当たり《ブルートフォース》ですね)


 飛行経路を見れば、すべての領地を順に巡ろうとしているのは明らか。

 相当な労力ではあるが、この要領なら現実的に終われるだろう。長くても三週間とかからないし、逆に今週ヒットする可能性もある。


(シニ・タイヨウ――)


 おそらく変装して潜んでいるだろうが、あいまみえる日も遠くはない。

 アウラの内心もまた一層引き締まるのだった。




      ◆  ◆  ◆




(どうやって出し抜こう……)


 ダグリン領土を総当たりで巡回する《《ふりをしながら》》、スキャーナは当日の作戦を検討していた。


 アウラの尾行にはとうに気付いている。

 上司ファインディには見破られてしまったが、スキャーナは紙面の識別もできるほどの解像度で空間を認識できる。範囲こそ狭いが、近接されれば嫌でもわかった――多少の格上がステルスを施していたとしても。

 加えて|変装術と平静術《ポーカーフェイシング》もお手の物であり、たとえアウラがそばにいようとも、緊張を微塵も出さない程度のことは朝飯前だった。


 とはいえ格上であることは確かだ。


 なぜと疑問が湧く。

 あのアウラがわざわざ格下に張り付く理由など無い。


 唯一あるとすれば、シニ・タイヨウを横取りする目的に他ならなかった。


(欠席しすぎたかな。でも仕方ないよね――抑えられなかったんだ)


 まだシニ・タイヨウにどう干渉するかも思いついていない。

 じっくり検討したいところだが、他の勢力が伸びてくるまでの猶予はそうはないだろう。現にアウラがこうして来ているし、あれからは尾行していないがミーシィも変わらず見に来ているようである。


 それでも焦って自滅することだけは避けねばならない。

 レベルで言えばたかが90程度の雑魚でしかないのだ。正攻法では一瞬でやられてしまうし、そもそも普通なら速攻で諦めなきゃいけないシチュエーションである。


 それでも彼女に諦念の発想は無い。

 むしろ逆境は成長機会ですらあって、冒険者としてのモチベーションも高かった。

 ここにある種の執着と恋心まで加わっている。


(ジーサ君――待っててね)

第319話 総当たり

 王都リンゴの貧民エリア、シャーロット家第七領に設けられた遊び場『プレイグラウンド』は今日も盛況だった。


 地面を四つん這いの姿勢で進む者。

 地面に埋め込まれた細い丸太の上でバランスを取る者。

 広場を仕切る小川の中にある天然の飛び石間を、立ち幅跳びのフォームで跳んでいる者――

 子供から大人まで、数十以上の貧民で賑わっている。

 服装は全体的に薄着であり、大人はともかく子供は半数以上が裸だ。


 ジーサが仕込んだパルクール教室は、領主代行ランベルトの手腕によって上手く引き継がれていた。

 本来は商者《バイヤー》としての職練であり、ジーサ無き後はルナとヤンデが引き継ぐものだったが、到底その水準ではないためランベルトが半ば無理やりに引き取り、主導している。


 飛び石間のジャンプに失敗したルナが、ばしゃんと尻餅をつける。


「ちょっと休ませてください……」

「ねえちゃんだらしないぞ」


 子供達のリーダー格ワスケが、ぴょんぴょんと連続で跳んで挑発してみせる。


「ヤンデお姉ちゃんの方がだらしないですよ。ほらほら、一歩も進めてません。教えてあげましょ」


 ルナが濡れた指で指した先には、|四つん這い歩行《モンキーウォーク》で地面を這おうとするヤンデ。ぐぎぎと歯を食いしばっている。

 体質を抑えたヤンデはやはりエルフで、主に大人達の視線を引き寄せる。一方で、童心な子供達はそばに近寄り「がんばれー」「こわいかおしてる」「きれい……」無邪気な感想をぶつけていた。エルフの美貌は純粋無垢な子供さえも惹く。明らかにルナよりも人気者だった。


「……いいよ。ヤンデねえちゃんこわいもん」

「聞こえてるわよワスケ」

「あー! 魔法使ったぁ!」


 振動交流《バイブケーション》と|おかっぱ頭《オリバ》の叫び声が同時に届く。


「これだからえるふは……」

「ダグネス? 何か言ったかしら?」

「えるふはざこ。ルナお姉ちゃんのほうがつよい」

「上等じゃないのっ! ルナッ! こっちへ来なさい勝負ぐぇ」


 お団子髪のダグネスがヤンデに飛び乗ったのを見てオリバも加わり、ヤンデはお馬さん状態となっていた。

 手に巻き付けた茎はまだ真っ赤である。|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》では女の子二人も支えられないほどヤンデは弱い。


「よばれてるぞねえちゃん」

「無視していいです。私の方が強いですから」

「にいちゃんはいねえの? はりあいなくてつまんねー」


 ワスケが退屈そうに言う。眼中にも無いといった態度であり、ルナは一瞬闘志を燃やすが、そうすればあちらの残念王女みたくなってしまう。

 ぐっと堪えて、


「ジーサさんはお仕事で忙しいんですよ」

「聞いたことあるぜ。いっかのだいこくばしら」

「そうですね」


 ルナは立ち上がり、濡れた半パンとシャツをぎゅっと絞る。


「ねえちゃんでいいや。もうひとしょうぶやろうぜ」

「だからちょっと休ませてくださいってー」

「しかたねえなー」


 ワスケが手のひらを差し出す。ルナは首に巻いた茎を外して渡し、集団から距離を取った。


「タイヨウさんの捜索――どうしましょうか」


 既に防音障壁《サウンドバリア》が張られている。現在、隠密《ステルス》にて護衛中のユズにもなれば、発言を受けた上で後出しで張ることも容易い。


「意見は皆無。二人では限界」


 妙案もなければ、そもそも調査能力にも限界がある――そう言いたいのだろう。


「ユズ。口内連結《リップリンク》を」

「承知」


 隠密中に浮遊中のユズは、ルナの目の前に降りてくると。

 さも当然のようにキスをする。


 一般人なら窒息間違いなしの、濃厚で隙間の無い接着ぶりだ。


 ヤンデの盗み聞きを警戒している。スキャーナの提案で既に別行動の段階となっており、聞かれるわけにはいかないためだ。


『タイヨウさんは特区に潜んでいると考えます』

『何故《なにゆえ》を所望』

『なにゆえを所望ってなんですか』


 おかしな言い方にくすっとするルナ。本人に知る由はないが、ヤンデから見れば幼女と深い接吻を交わしながら苦笑する変態である。


『そう考える理由ですが、デフォルト・パフォーマンスが上手だからですよ。タイヨウさんは群を抜いてます。この子達やその両親も騙せるほどですから、懲罰隊にも気付かれることなく過ごせると思います』

『……』


 ユズの呼気が途絶える。呼吸さえも忘れて、思い返しているのだろう。


 生体反応の薄さとレベルには強い相関がある。近衛クラスならそもそも呼吸せずとも生きていけるはずだ。

 ルナら冒険者にとって|一般人の挙動《デフォルト・パフォーマンス》は意識的に行うものだが、ユズにとっては呼吸さえもそうなのだ。


 レベルの差という暴力は、あらゆるタイミングで顔を見せる。

 劣等感《それ》を相手にする前に、ルナは話を続ける。


『一方で特区は最も警備が厳しい――タイヨウさんの言葉で言えば【ランダムパトロール】のような仕組みもあるそうですから安全です。将軍級がいつ来るかわからないとなれば、迂闊に近づこうとする人はいません』


 実力者が処罰されている事例がいくつもあることを、ルナは資料ベースで知っていた。


『タイヨウさんは無知ですが、仮にブーガと手を組んでいるとするなら、その程度の情報はもらうでしょう。その上でどこに潜むか考えようとしたら、自ずと最底辺の特区に行き着く――そう思いませんか?』

『同意。タイヨウは自虐が好き』

『本当にね。もっと堂々とすればいいのに』

『ユズも支持。その線で進めるとして、調べ方を所望』


 最近はともすれば学園の授業よりも熱を入れて読み込んでいたルナ。ダグリンの地形や群《クラスター》の分布は頭に入っている。


 だからといって楽な方法が思いつくわけでもないが。


『……総当たりしかないですよね。私達も一般人《レベル1》目線がだいぶわかってきましたから、たぶんタイヨウさんが演じている一般人が見えたらすぐわかると思います。それが見つかるまで順に巡ります』


 ゼロ距離から見つめてくるルナの目は、明らかに嫌そうであった。


『ルナを運ぶのはユズ』

『そうです』

『探すのもユズ』

『ですね』

『お荷物ルナ』

『仕方じゃないですか。領空の外から人捜しできる要領は無いです』

『レベルが低いだけだと断定』

『もう少し表現を包んでくれませんか――というわけで、今夜からもう動きますよ』

『承知』


 ルナが唇を離す。

 唾液が少し滴《したた》ったが、一般人の目くらいはいくらでも誤魔化せる。まして行使者はユズでであるため、たいていは誤魔化せた。間違ってもルナが一人で唾液を垂らしているようには見えない。


 それでも、ヤンデにはやはり見えていて、


「口元拭きなさいよ変態」


 飛んできた振動交流は友人をからかうものだった。




      ◆  ◆  ◆




 同日の深夜。闇の敷かれた広大な深森林において、激しく輝く一画があった。

 湯気を伴った水流を絶え間なく落とし続ける滝壺スポットであり、一般人なら一瞬で絶命する程度の温度と電気も含まれている。


 女王専用施設『クイーン・スパ』の湯に一人、ヤンデは浸かっていた。


 風魔法で髪を逆立て、一本一本をケアしながらも体は完全に弛緩させており、「ふぅ」並の男なら狂うであろうエルフの吐息を漏らす。

 直後、温泉には似つかわしくない面持ちをつくる。


 シニ・タイヨウの突き止め方がわかった。

 既にルナとユズも気付いているだろう。だからこそ、職練の最中にあんな盗み聞き対策をしてまで話をした。


 タイヨウは特区に潜んでいる――。


 寄生スライムの擬態性能と、持ち前のデフォルト・パフォーマンス。その二つがあれば適応など余裕だ。


 一方で冒険者を侮っているところがある。

 デフォルト・パフォーマンスの範疇であれば、強かろうが弱かろうが気付かれない、などと考えている節があった。

 用心深いジーサにしてはお粗末に見えるが、頷ける話ではある。パートナーとして、レベル10とみなして学園で鍛錬にあたっていた時は誰一人疑う素振りも無かった。真実を知るヤンデでさえ、ともすれば忘れてしまうくらいの精度だったのは間違いない。


(一般人にも幅があるのよね)


 しかし『プレイグラウンド』で貧民と交流し、自らもデフォルト・パフォーマンス下の鍛錬を経験してみることで一皮剥けることができた。


 たとえば一般人は、細い棒の上で直立するのが非常に難しい。

 ジーサは難なくこなせていたが例外的である。一般人にしては別格の性能を持つということだ。


(それを発揮している人を探せばいい)


 特区だけでも相当に広いし、領空の外から探すことになるわけだが、ヤンデの実力なら作業でしかない。

 そもそもバレずに侵入することだってできるだろう。


(……でもあの人は敵に回したくないわね)


 タイヨウは皇帝ブーガと組んでいる可能性がある。

 であるならば、ブーガ直々に警備を敷いているかもしれない。


 同座したことがあるからこそわかる。

 対立していい相手ではない。一方的に負けるとは思えないが、無傷であしらえるとも思えない。まして目的はタイヨウであり、そのタイヨウを捕まえ封印《《し続ける》》労力からして小さくはない。封印しながら皇帝の相手をする、となるとなおさら分が悪かった。

 加えて、他勢力が絡んでこないとも言えない。三つ巴か、それ以上の混戦もありうる。


 端的に勝つためにはただ一つのみ。


 事を荒立てず、一気にかっさらうのだ。


「また忙しくなるわね……」


 何にせよ終わりが見えてきたため、ヤンデは思案顔を緩めた。ケアを終えた髪を団子にまとめてから、さらに体を落とす。顔面まで浸かる。

 ようやく訪れたくつろぎタイムだ。微弱な電気がぴりぴりと気持ち良――


 一枚のゲートが割り込んだ。

 十五メートルほど離れており湯気で見えないが、ヤンデには誤差に等しい。


「――王女様」

「お、王女様っ!?」

「これは失礼致しました」


 よく見知っている第二位《ハイエルフ》三人だ。


「いえ、構いませんよ」

「なぜあなたが仕切るのかしら」


 三人はヤンデの目前にまで来て、礼もなく座った。


「近いのだけれど」

「スパは身分にとらわれずくつろぐ場所です」


 中央で泰然と喋るのはリンダ・エメラ・ガルフロウ。

 エルフであることを除けば外見的な特徴は殺されているが、だからこそ彼女だとわかる。「どこ見てんのよ」「もーもーは可愛いです」ちなみに自他共に認める妹狂いだ。


「あ、姉上……」


 その妹モジャモジャ・ローズ・ガルフロウが、エルフには似つかわしくない立派な双球をさっと隠す。濁った湯で元々見えないわけだが、リンダなら視覚無しでも視覚以上に把握できよう。それを隠して妨害したわけである。

 その割には落ち着きがないが、まだ王女《ヤンデ》に慣れていないのだろう。


 下手に声を掛けても悪いため、ヤンデは反対側に視線を向ける。


「先ほどまで対シッコク・コクシビョウの部隊編成を修正していました」

「ご苦労様。私に話しても良いのかしら?」

「むしろ手伝ってほしいと女王様は申されております」

「見つけてからにしてほしいわね。私は捜索や偵察では役立たないわよ」

「はぁ、そういうものですか」


 ブランチャ・リーフレ。

 大きなポニーテールをぶら下げ、冷涼なうなじが覗いている。その白さは非戦闘員であることを示す。軍隊設計――軍隊の改善や開発を担当する技術者だ。

 性格はがさつなようで、髪は普通に湯につけている。


「シッコクが怖いのですか?」

「怖いのはあなた達でしょ」


 つい先日、レベル110超えの先鋭が連れ去られたとは小耳に挟んでいる。


「悪いけど、あれくらい対処できるようにならないと先はないわよ。で、用件は何?」


 階位の異なる者同士で談話するほどエルフは生易しくない。


「進言致します。王女として種族を裏切る真似だけはなさらぬよう」

「……別に、わかってるわよ」


 とぼけても良かったが、タイヨウを勝手に探していることなどどうせバレている。

 殺せるものでもないし、素直に捕まえて幽閉すればいいだけだ。そういう意味では種族とも利害が一致している。


(ルナやユズには悪いけど、エルフがいただくわ)


 表向きは処刑の体を取るだろうから、もう表に出てくることもない。


 それでいいと思った。

 自分が行うことは、タイヨウを捕まえるところまでだ。


 逃走劇や二人旅に憧れが無いと言えば嘘になる。

 それでもヤンデは王女である。種族を――この世界を統べる側の立場となった。この命はもはや自分のものではない。


 かといってタイヨウを完全に捨てるつもりもないが、幽閉後に向き合える時間はいくらでもあろう。それが楽しみでもあった。


(明日からまた忙しくなるわね)

第320話 ピンポイント

 第七週五日目《ナナ・ゴ》の朝十時すぎ。

 王立学園Aクラス校舎の第二大教室では、調教《テイム》の座学が行われていた。


 教室の一端には教師が一人に、モンスターが一匹。

 誰が見ても醜悪と評する顔に、子供サイズだが筋骨隆々とした体つき――ゴブリンである。道具も服も無く裸体が晒され、ついでに言えば去勢もされている。


 教師が人差し指を立てると、ゴブリンは即座に平伏した。


 その様子を正面から眺めるのはAクラスの生徒達。

 机と椅子は無く、突っ立って見る者や地べたに座る者もいれば、ミーシィのように浮いている者、ハナのように自前のセットでくつろぐ者もいて統一感はない。


「テイムのポイントは長らく飴と鞭といわれてきたが、近年では覆りつつある。モンスターは生への執着が強く、また諦めないことで知られているが、これを利用する。つまり鞭だけで良い。――おい」


 そう呼ぶと、ゴブリンがびくっと全身を揺らした後、顔を上げる。

 教師は続いて人差し指と中指を立て、下に向ける。ゴブリンは両手に地面をつけると、足裏を天に伸ばした。いわゆる逆立ちであった。


「このようにテイムでは指示に対する行動を割り当てていく。上手く行動できなければ痛めつけて罰する。その繰り返しで叩き込む」


 その後も教師は解説しつつ、ゴブリンを動かすことを繰り返していく。


「――調教対象《テイミー》には行動モードと傾聴モードをつくるのが良い。傾聴モードとは調教者《テイマー》の命令を聞けと教えることだ。私は『おい』とオーラつきで声をかけることで行っている。この一声でこれは傾聴の姿勢に入るというわけだ。そうして傾聴モードに入《い》れた後、指示を見せればテイミーは行動をする。これが行動モードだ……ミーシィ。話を聞け」

「ゴブリンがかわいそうだねぇ」

「話を聞け。浮くなとは言わんが、寝転ぶ姿勢はやめろ」

「みだりにモンスターを捕まえて振り回すのって違うと思う」

「淫乱種族が何を言ってる」


 この教師の口の悪さは今に始まったことではない。Aクラスにもなると、その程度で取り乱す生徒はいない。


「鳥人が淫乱であることは周知の事実だが否定はしない。そういう風にできているからだ。同様に我ら人類も、モンスターに対しては憎悪を抱くようにできている。モンスターに慈悲を抱く必要はない。物のように大切に扱う必要もない。いくらでも調達できるから、何も遠慮することはない」

「そうなのかなぁ……」


 呑気に呟くミーシィに数多の視線が刺さる。冷たい方が多数派だ。


「低脳な鳥人間と人魔論《じんまろん》を議論する気はない。馬鹿は置いてくぞ。さて、テイミーとなるモンスターだが、ある程度は休ませなければ消耗してしまう。休憩が必要なわけだが、これも命令にて与えれば良い。休憩モードをつくるテイマーもいるが、私は賢いとは思わない。モンスターに余裕を与えてはダメだ。生存し機能する程度の最低限のラインを見極めて、できるだけ酷使するべきな――」


 がらっと戸が開き、制服を着ておらず教員でもない女が入ってくる。

 Aクラスでは見覚えのある者も多い。シャーロット家の使用人だ。


 彼女はハナの隣でノートを取るレコンチャンに耳打ちをする。

 手で空間ごと覆った上で、さらに微細な振動交流《バイブケーション》を入れるものであり、盗み聞き防止の常套手段だ。

 伝達速度も速く、秒を待たずにレコンチャンが主を向いた。


 ハナは席を立ち、ティーセットは放置したまま「失礼致しますわ」一礼だけして出ていく。

 生徒は学業優先だが、高貴の出にもなると本業の割り込みもありえた。教員もいちいち追及はしない。後日課題や補習が増えるだけだ。


 早速教師の講釈が続くのを背中で聞きながら、レコンチャンが言う。


「直線的迷路が稀少であることの裏が取れた」

「決まりね」


 なお使用人による防音障壁《サウンドバリア》も継続中。


「件《くだん》の男の子も特定できているのよね?」

「ああ。居住群もわかるぜ」

「見に行きましょう」


 使用人がゲートを繋ぎ、ハナは早速遠出の手配をする。


「補習は大丈夫なんかよ。あの先生は陰湿だからなー、追試も出《で》んじゃね?」

「わたくしは大丈夫でしてよ」

「……困った時の卒業生!」


 急に不正行為を振られて困惑した使用人は主《あるじ》に判断を求め、ハナは「このバカ」護衛の側頭部を小突いた。




      ◆  ◆  ◆




 娼館セクセン。

 オードリー家が運営する会社――国から独立を認められた大組織であり、冒険者組合が事実上ギルドであるように、娼館もまたセクセンの独壇場であった。

 店舗も全国各地に存在しており、王都リンゴも例外ではない。


 白き巨塔――ギルド本部から徒歩二分で着いてしまう好立地の店舗に、王立学園の制服を着崩した金髪が入っていく。

 彼女は我が家のようにずかずかと受付を抜け、接客フロアもスルーしてバックオフィスへ。

 刺激的な格好のまま思い思いに過ごす娼者《プロスター》らにも目をくれず、その先の廊下を目指す。


「……気のせいね。気のせい気のせい」


 一瞬だけ嫌な気配を感じたが、ガーナは気付かなかったことに――はできず、ほぼノータイムで肩を掴まれた。

 ぎぎぎ、とぎこちなく振り向くと、案の定、


「げっ、お母さんっ!?」

「第一声がそれかいバカ娘」

「ちょ、ちょちょちょっと待って」


 母親が手を振り上げ、


「それはな――痛っ!?」


 ガーナの尻にビンタが炸裂した。


 バックオフィスは爆笑の渦に包まれるが、ガーナはそれどころではない。


「で、なんで学園の生徒様がこんなところにいるんだい?」


 マカダミア・オードリー。

 ガーナの実母であり、オードリー家の現当主でもある女傑だ。


 高級娼者としても通用する程度には美人でスタイルも悪くないが、若者と呼べる年齢ではとうになく、平均的な男よりも高身長なこともあって、酒場や宿屋の主でも似合ってそうな雰囲気を持つ。

 格好も部屋着でしか見ないような単調な長袖長ズボンであり、一見して娼者と見抜ける者はそうはいない。


「うぅ……休憩中なんだからいいでしょ」

「また下僕かい――三人いるね」


 尻をさするガーナの手が止まる。


 見事に言い当てられている。

 マカダミアはオーラに敏感であり、特に性的興奮のオーラが十八番だ。誰と誰が交わるかつもりかとか、片思いや両思いといった関係性まで当ててしまう。


「そんな暇があるなら学園を開拓しな」

「してるわよ。気分転換だって要るでしょ」


 ガーナは身体の相性が良い下僕を何人も飼っており、冒険者が酒を飲みに行く感覚でよく遊ぶ。

 今日もちょうど遊びに来たところだった。


「ちょうどいいからアンタも聞きな」


 マカダミアの雰囲気が母親から一変――冒険者を牛耳る覇者のものとなる。

 オーラの飛ばし方も抜群に上手くて、娘のガーナが見ても、どのオーラをどういう配分で飛ばしているのか全く見当がつかない。手なんて止まってしまうし、油断すると頭さえ下げたくなってしまう。

 娼者と管理職級の上級社員達がぞろぞろと集まってくる。別室も含めて腰を上げない者も多いが、それでもバックオフィスとその先、休憩室エリアに充満していた音声はぴたりと止んでいた。


「最近うちの社員を誑《たぶ》かしてる男エルフがいる。妙に《《甘い》》野郎がいたら注意しな」



 ――くふっ。さすがオードリー家の娘は胆力が違うでやんすね。そのうち娼館にもお邪魔するから、よろしく言っておくでやんす。


 ――ええ。要注意人物として、お母様に周知しておくわ。



 大罪人シッコク・コクシビョウの件は既に共有しているが、もうちょっかいを出してきているとは。

 自分はすぐに眠らされただけだが、エルフを騙し続ける演技力とその場で蹂躙してみせた戦闘力は凄まじい。ガーナは冷や汗を自覚した。


 男エルフはただでさえ稀少だ。美貌も魅力も桁違いである。

 プロの娼者が備えていても堕ちてしまう可能性も無いとは言えない。

 事態を重く見たマカダミアが直々に気合いを入れに来た、といったところだろう。さっきのビンタもそのアクセントになっている。


「……」


 まだひりひりしている。

 意識すると痛みも再来してきて、ガーナはまた尻をさする。


「些細な情報でもいい。何かあれば報告しな。ただし現時点までの情報を知らせる必要はない」


 それでマカダミアのオーラが解かれ、周囲から喧騒が再開されていく――

 波紋のように広がっていき、間もなく館内が賑やかさを取り戻した。


「さて、アタシもお客を取ろうかね」

「そんな上客いないと思うけど……」


 マカダミア・オードリーの娼者としての価値は群を抜く。一度の逢瀬でミスリルコイン――タイヨウ換算で億が動くこともざらにある。

 より赤裸々な言い方をすれば、骨抜きにされ財産ごと搾り取られるのだ。


「えー、やめてよママ。バランス狂うでしょ」

「そうよ。せっかくララリカの独壇場が整いつつあるのよ?」


 案の定、ここに勤める社員達からはブーイングの嵐。


「上客四人はララリカに惚れてるから大丈夫だよ。たまにはアタシにも羽を伸ばさせておくれよ。ん?」

「じゃあ社員を食べたら?」


 ガーナは母親の進路を塞ぐのみならず、目の前に躍り出て「アタシでもいいけど?」胸元を緩めつつ上目遣いをおくる。

 チャームの体質を持っていることもあり、周囲の娼者達が高揚を得る。「ガーナちゃぁん」籠絡された風の反応を寄越す者も少々。

 そんな中、マカダミアは、


「アンタは十年早い」


 眼中にも無いことがわかる温度感で、ガーナは思わず「はぁ?」ガンを飛ばす勢いになる。むしろ胸ぐらを掴む勢いだった。


「二年くらいでしょ? みくびらないで。もしかして怖いの?」


 要は娘直々に近親相姦の相手をすると言っているわけだが、娼者の世界では珍しくもない。

 元々オードリー家が鳥人の文化から取り入れたものだ。性を生業とするためには、冒険者が冒険に憧れるほどの強い気持ちが求められる。そしてそれは幼少期から触れさせて養うしかない。


 ガーナはかれこれ十年以上、母親としていなかった。

 この母親、マカダミア・オードリーはすべての娼者を対等に扱う。娘だからといって英才教育を続けてくれるほど甘くはない。だからこそ、こうして機会があれば狙いに行くのだが、マカダミアが応じることはまずなかった。


「暇ならアンタも働きな」

「勘弁してよ。だったら下僕と遊ぶわ――て、ちょっと!?」


 どころか、仕事やら雑務やらを押しつけられるの常だ。

 首根っこを掴まれ、接客フロアへと連行されていくガーナ。元より実力差は明らかで、レベルの数字だけ見ても二倍以上の差がある。まず抗えない。


「ママぁ、ちょっといいですかぁ」


 と、そこに緊急と思しき割り込みが入る。「隙ありっ!」ガーナは母親を振り切り、休憩室の奥へと逃げていった。


「相変わらずですねぇガーナちゃん」

「放っときな。シャーロットの娘かい?」

「さすがママぁ」


 マカダミアは一度出会った人物のオーラを覚える記憶力も有しており、よほどの手練れが隠しでもしない限りは近接しただけで判別できる。

 指摘どおり、ハナ・シャーロットとその護衛が姿を見せた。


「突然のご来訪、お許しくださいまし」


 ガーナとは違って制服を綺麗に着こなすハナが、スカートの裾をつまんで高く持ち上げる。

 いわゆるカーテシーと呼ばれるお辞儀だが、ジャースでは敵意の無さを示すものであり両手を塞ぐことと上腿を晒すことに意味がある。頭を下げるのはオプションだ。


「バカ娘はあっちさ。早く行かないとおっ始まっちゃうよ」

「ありがとうございます」


 余計な社交辞令を交わさないのはハナとしても有り難い。

 笑顔さえもつくらず、そそくさと奥へと向かう。


「最近マグさん来てないよねぇ」


 その背中にマカダミアの声が刺さった。


「アタシが心配してたって伝えといてくれるかい?」


 マグナス・シャーロット――アルフレッドの二大貴族シャーロット家当主が娼館に通っているなど外聞が悪い。骨抜きされるほどではないが少なくない額が動いており、力関係や威厳を疑われてしまう。

 最近は抗えているようだが、マカダミアがそれを良しとするはずもなく、要は出すもの出しに来いやと圧をかけているわけだが、父親の情事など知ったことではない。

 ハナは雑に流すと決めており、「善処しますわ」足を止めないまま呟いた。


 ずらりと戸の並ぶ廊下に出る。

 早歩きしながら、というよりほぼ走りながらスキャンしていき、残るは最奥――右の部屋にそれらしき気配が。


 戸を開ける。


 ベッドの上には裸の男女がいて。


「ちょっとぉ、無粋じゃないの――え? ハナ?」


 あと数秒遅ければ一つになっているであろう光景があった。


「オレもいるぞー」


 ひょこっと戸から顔を出すレコンチャン。


「なんでこんなとこにいんのよ?」

「あ、貴方は……何をしております、の?」

「見て分からないの? 刺してもらうところよ。ほら、早く来なさい」

「見せるな広げるな続けるな!」


 ハナの態度が思わず崩れるほど、ガーナは開けっ広げだった。

 娼者としての自慢でもあるのだろう、綺麗に整えられた秘部は「すげ」レコンチャンも思わず唸るほどだ。もちろんハナが許すはずもなく「バカなのっ!?」吹き飛ばされる。

 その先にはガーナのお相手――一目見て《《もの》》が大きいとわかる長身の裸体がいて、ぐしゃっと重なった。


「あぁっ! アタシの下僕になんてことするのよ!?」

「いや問題ねえ。オレが加減したし回復もした――レベル20くらいか? 結構低いんだな」


 さして頑丈でもないベッドや布団類も無傷だし、何気に無詠唱だったが、ガーナの嫉妬対象はその方向ではない。レコンチャンもそんな性格を知っており、すぐに話を振っている。


「アタシは低い方が合うのよ」

「つーかでかくね?」


 外聞上は王族の次くらいに偉い家柄である。ハナに対する恐怖ですっかり縮こまっている男のそれを、「勃ったらどうなるんだよこれ」レコンチャンはニヤニヤしながら指でびしびし弾く。

 一方で、少し離れたハナは拳を握って全身を震えさせていた。


「きっついのも良いわよー」

「女じゃねえからわかんね」

「だったら教えてあげるわよ。男にも穴はあるじゃない」

「良いから服着て! 貴方も普通に会話すな!」


 スパンと小気味良い音が二つ重なった。

第321話 ピンポイント2

 同日十三時十二分。

 ハナ、レコンチャン、ガーナとシャーロット家|上級使用人《ハイサーバント》チウの四人は同家の人脈《パイプ》と資源《ゲーター》に頼り、南ダグリン特区のとある交易区域《コマースゾーン》に来ていた。

 ゲーターと散会後、すぐに高度を五百メートルほど上げてから、水平に発進する。


「妙に手慣れてるわね」


 ガーナはたまに訪れるからわかっているが、五百という高さは特区のどこに行っても領空に接触しない最小高度だ。


「いやアンタは自分で飛べよ」


 音速を数回ほど超えるスピードは、レベル50程度のガーナでは出せない。

 仮に強化魔法を重ねて出せたとしても会話する余裕はないだろう。


「飛行は得意じゃないのよ。お礼に体を貸してあげるわ。どこ? やっぱり胸かしら? ハナは持ってないものね」

「もう少し落ち着かれてはいかがですか、ガーナ様」


 横顔の晴れないハナを見て、「……いやアンタには言われたくないけど」苦笑とともに平静を取り戻す。


「どうしてアタシだけを巻き込んだのよ?」


 ハナ達の推測――先日|出張性交教育《セックラス》を受けた男、迷路を描くのが趣味のアンラーこそがジーサ・ツシタ・イーゼでありシニ・タイヨウであるとの疑いは既に話してある。

 もちろん会社の長女相手とはいえ漏らしていいネタではない。

 要はガーナはハナ達の独断で秘密を知る仲――運命共同体にされてしまったのである。


「貴方はジーサ様と比較的近しいクラスメイトとお見受けします。情報が欲しいんですの。できれば攻略の糸口も――レコンチャン」

「あいよ。【風繭車《ウインドワゴン》】」


 五人並んで腰掛けられる程度の空気椅子ならぬ空気長椅子が二台ほど出現――

 壁、床、天井こそ見えないが、馬車を彷彿とさせる空間が生成された。

 風圧や日光、果ては振動までが快適に押さえられており、ガーナは開いた口が塞がらない。


 ハナはといえば、さも当然のように腰を下ろし、チウからお菓子とお茶を受け取っている。ずずっと美味しそうな音が響いた。


「なるほどね。消去法ってわけ」


 他に親しいと言えばルナ、ヤンデ、スキャーノと曲者揃いである。シャーロット家といえども頼ることはできまい。


「攻略って何? 王国の指名手配でもあり|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》でもある怪物に何ができるっていうのよ? シャーロット家総戦力でも無理じゃない?」


 ガーナはハナの向かい側に座ってあぐらをかき、オーバーに両手を広げてみせる。


「交渉するだけですわ。国をもっと良くために、ジーサ様の頭が必要なのです」

「知恵だけ貸してくれたら悪いようにはしないってことかしら」

「ええ」


 武力による拘束や排除ではなく、対話による協調を目論んでいる。

 たしかにそのやり方ならハナ単独の非公式で内密な活動でも絡める余地はあるだろうし、ガーナも役に立てるだろう。


 ガーナはしばし淑女にふさわしい姿勢でくつろぐ元凶を見つめていたが、ふと見せつけるように口元を歪める。


「見返りが欲しいわね」

「これは国の問題です。貴方も貴族なら御身をお貸しくださいませ」

「わかってるけど、それでもよ。アタシはただでさえ下僕とのお楽しみをお預け食らってんの」

「回復させただろー」

「アンタは黙ってて――ねぇハナ。誠意を見せろって話よ、ぐへへ」

「お嬢様……」


 主を心配するチウの視線を、ハナが片手で遮る。


「仕方ないですわね。レコンチャンでお楽しみくださいませ」

「ざけんな。オレはハナ以外とする気はねえ」

「今どき純愛? つまんないわねぇ。ちなみにアタシはこのツンツン頭よりハナの方が好みよ」


 使用人チウは眼中に無い。この場におけるチウは言わば道具であり、人として絡むのはマナー違反だ。


「見境が無いんですわね……」

「どういたしまして」

「褒めてません」

「いいえ褒め言葉よ」


 ガーナは土魔法で長い針をつくり、ハナのお菓子をいくつか強奪した。「え、おいしっ」ガーナはしばしひょいひょい口に運んで満喫した後、水魔法で口内口元を掃除して。


「――見境無く食べられるのは、それだけアタシの性癖が広くて懐が深いからよ。何年も何年も広げてきたの。深めてきたの。努力が実った結果なのよ。誰が何と思おうと、アタシには最上級の褒め言葉だわ」

「……申し訳ありません。撤回いたしますわね」

「わかればいいのよ」


 ハナは手を止め、そのしるしとばかりにチウに目配せ――すると、チウはガーナにも奉仕を始めた。

 もう一度遠慮無く飲み食いを始めるガーナを見て、ハナはふふっと微笑む。


「それでも正直気持ち悪いとは思いますけれど」

「人それぞれだから否定はしないけど、アタシはいつでも歓迎するわ」

「なぁハナ、やべぇかも」


 ウインドワゴン内が微かに振動している。

 カップの水面に波紋が生じる程度のものだが、レコンチャンにしては珍しい。


「ガーナさんに惚れちまいそうなんだが。チャーム体質だったよな、この人」

「このバカ……」

「悪気は無いわよ。食べながら喋ったけどダメだったかしら」

「……」


 ハナは唖然としかけて、ぎりぎりで堪える。


 見境の無さに対する説明でレコンチャンが堕ちそうになる、と事前にわかっていたということだ。

 シャーロット家の叡智を費やした護衛である。その強さは誰よりも知っている。軽微のチャーム体質なのに、いとも簡単に破られそうになった――


「レコンチャン。こっちを向きなさい」


 チャームが原因で精神を持っていかれそうなときは、別の愛欲や性欲で上書きするのが常套だ。その余地を持っておくために、あらかじめ親密な関係を構築しておくペアは少なくない。


 ハナは護衛に近づき、その顔面を乱暴に挟んだ後、口づけを交わす。


「――悪ぃ、助かった」

「しっかりしなさいよ」

「ふひひ、良い教育になったわねぇ」


 ガーナは下卑た笑みを浮かべながらお菓子を口に入れ、しかも少しこぼしている。

 ハナはチウの視線をもう一度制した後、ぴくぴくするこめかみも何とか押さえて、ふぅと一呼吸して整えるまでしなければならなかった。


「二人とも覚えておきなさい。チャームは初対面よりも知り合った後の方がぶっ刺さるのよ。体質の強さにもよるけど、強く感心する程度でも一気に持っていけることもある」

「そのようですわね。良い勉強になりました」

「アンタらの反応が面白かったから、見返りは無しでいいわ。あぁ、純愛も悪くないわね」

「貴方には無理だと思いますが……」


 そんな風に思わぬ一悶着もあったが。

 一同は落ち着きを取り戻し、情報共有を始めながら目的地を目指す。






「アンラー。性別は男性。年齢は19歳。特区4003群の新人で、4001群ギルドセンターの酒場で接客に従事。趣味は迷路を描くこと。物欲や出世欲には乏しいが、迷路のためのレッドチョークや板を購入する姿は目撃されている。先日|出張性交教育《セックラス》に参加、性病は無し、感度は早漏寄り。目立つ性感帯は無し。胸への執着が若干強い。精液の薄さから頻繁な自慰行為が推測されるが、その割には性器が綺麗で不自然――」

「気になるでしょ?」

「何とも言えませんわね。どこまでが偽物なのか」


 性の部分だけ妙に詳しいのはガーナのユーモアであったが、ハナに取り合う様子は微塵もない。


「精液は誤魔化せないわよ」

「ジーサ様は実力を誤魔化しておりました」

「……」


 わかっているようで、わかっていなかったのかもしれない。

 対象の実力は底が知れない。実力も、精液も、素人相手ならともかく、玄人相手に誤魔化せるものではないのだ。ガーナは頬をかいた。


「異論はありませんわね」

「ええ。アタシが甘かったわ」


 アンラーの調査方針は慎重派のハナと大胆派のガーナとで割れていたが、ここでガーナが取り下げる。


「間もなく4003群に近づきますわね。可能な限り高度を下げなさい」

「あいよ」


 ウインドワゴンが緩やかに高度を下げていく。少しでも地上の観察をしやすくするためだ。


「速度は?」

「クォーターマッハで」


 続いて減速も加わり、音速の四分と一ほどにまで落ちていく。


 ハナの方針は|通りすがりの調査《パスサーベイ》――素知らぬ顔で通り過ぎる間に、一気に高密度な観察を行うというものであった。

 アンラー側に気付かれて先手を打たれたり、懲罰隊員に気付かれて要らぬごたごたが起きたりするするのは避けたい。というわけで、まずは「無いよりマシ」な安全策でつっついてみるのである。


「チウ。|記憶の瞬間保存《スナップショット》の準備を。魔力が尽きる覚悟で連射しなさい。俯瞰するか拡大するかも任せます」

「かしこまりました」

「レコンチャン。髪の毛一本も見逃さないつもりで観察なさい」

「あいよー」

「ガーナ様はアンラー以外の周辺人物と状況に注視」

「わかったわ」


 指示を出しつつも、ハナは優雅なひとときという体を崩さない。今も高級な装丁の施された書物に目を落としている。


 程なくして対象地域に近づき――4003群の上空を通過。

 不自然に蛇行したりはしない。あくまで軌道は直線的で、俯瞰ベースの下見という見せ方を保つ。


 通過終了まで数分とかからないが、観察者らにも頭を整理する時間が要る。

 ハナはしばし読書を楽しんだ。


 おおよそ十分くらいで、ぱたんと本を閉じるハナ。

 見解を聞こうとして――


「少しよろしいでしょうか」


 ウインドワゴン内に振動交流《バイブケーション》が差し込まれる。レコンチャンのものではない。

 直後、透明な天井に降り立つ何かが一つ、いや一人。


 表情も感情も殺した黒長髪の美人だ。

 分厚い着物に身を包み、両手をももの上に置いて楚々と正座している。

 そこそこハイレベルなハナ達から見ても、このウインドワゴンくらいにはブレが無いとわかった。


「ビジネスですわ。帝国の番人には無縁ですわね」


 中に入ってくる様子が無いため、ハナは見上げながら会話を開始する。


「懲罰隊統括のノウメね。はじめまして、ガーナ・オードリーと申します。娼館に興味はあるかしら?」

「ブレませんわね貴方……」

「汚らわしい者達」


 ゴミを見るような目はガーナにのみ向けられた。

 家柄を判断しての行いだとすれば、ノウメは外国の情勢にも詳しいと考えられる。ならば高貴な方に処理してもらおう、というわけでガーナは対面の縦ロールを見る。


「貴方の感想はどうでもよろしくてよ」


 元よりハナはそのつもりだったらしく、ノウメだけを見据えていた。

 見上げる格好のため、前の首元が剥き出しである。高貴中の高貴だけに、このような景色は珍しい。ガーナはガン見を決めた。


「せっかく皇帝様が外府を立ち上げてくださったのですから、生かさない手はありませんの」


 元々ダグリンの三機関は軍府《ぐんぷ》、政府、ギルドであったが、廃戦協定によりギルドが一国に成り下がったことを受けて、皇帝ブーガはギルドを外府《がいふ》と改定――複数の組織を配置できる在り方になった。

 既にガートンも置かれていることから、他組織が絡める余地もあると考えるのは当然だ。娼館セクセンという会社であれば、その説得力も増す。


 つまりシャーロット家とセクセンの提携で外府に入り込むビジネスを始めんとしている、という体裁であった。

 であれば、フランクな人間関係を演出してリアリティをつくりこむのもアリだろう。というわけでガーナも凝視を止めない。


「……誰であろうと懲罰は適用されます。ゆめゆめ忘れませぬよう」


 懲罰隊を取り仕切るノウメに、ハナらの話をどうこうする権限は無い。

 自分の役割に則ったことくらいしか言えない。


「ご忠告痛み入りますわ」


 ハナが返事を言い終えたと同時に、ノウメが浮く。慣性を失った将軍との距離がみるみる離れていく。


 ノウメは宙で正座したまま、こちらを見つめていた。

 完全に見えなくなるまでの間、ハナはガーナを射竦める。普通にバレているのだった。間もなく見えなくなって「はぁ」呆れの嘆息をしてみせたところに、レコンチャンが重ねる。


「懲罰隊のトップか。気配薄すぎて気味悪いな」

「そう? わかりやすかったじゃない。あれは純潔ね。皇帝に片思いでもしてるんでしょ。ああいう潔癖な堅物こそ、快楽を知ったら堕ちるのよ。ふへへぇ……」

「いやらしい手つきはやめなさい。そんなことより、これをどう見るか意見を聞かせてくださいまし」

「鳥人の調査だろ」


 レコンチャンが即答する。


「領空の外から地面を見下ろすように巡回してたぜ。鳥人の目線で俯瞰してみたってことだろ。もし領内の不正を疑うなら、普通に地上で巡回すればいい話だからな」


 ノウメの接近にも、何ならこちらに接近してくる前の行動も見えていたことになるが、護衛であれば当然のことだ。感心するのはガーナだけだった。


「鳥人? どうして鳥人が出てくるのよ」

「ガーナさん、もっと周りを見ようぜ。特区の空を飛ぶ鳥人は明らかに増えてんだろ。つーか下界に来る鳥人が全国的に増えてるって話だぜ」


 鳥人はジャース大陸外の空――特に海底から空にまで伸びる大木『ジャースピラー』を住処としている。大陸は下界と呼ばれ、外国のようなものだ。


「その兆候はわたくしも感じておりますが、今は置いてください。つまり貴方は我々の行動が怪しまれているわけではない、と?」

「ああ。チウも同意見だよな?」


 こくっと頷くチウ。

 拙さを感じさせず、しかし事務的な応対にも見えない、何とも絶妙な動作であり、ガーナは「ふうん」わけもなく感心を漏らした。


「わかりました。では、わたくしの方針はしばし継続致しましょう。ノウメ様の巡回は今後も続くと考えます。この網に引っかからない塩梅を維持し続けねばなりません」


 ハナは間髪入れずに、


「さて本題に入りましょうか。チウ」

「はい。スナップショットの共有をさせていただきます」


 チウは主の意向を全部拾う。この場合、改めてティーセットを用意しながら、自分からパスサーベイの結果を共有するのが正解だ。今のハナは効率も求めている。同時並行という無礼は問題無い。

 並の冒険者パーティーでは出せない連携感だろう。


 ガーナは使用人もいいわねと密かに思うのだった。


 これが後に『セクメイド』――性的奉仕も行う使用人という企画に繋がり、セクセンの一事業として盛り上がることになるのだが、それはまた別の話。

第322話 水面下の包囲網

 王立学園Aクラス校舎には貴族専用の食堂がある。


 地面には湖のような水面が、壁と天井には空にしか見えない特殊なパネル――デザインスライスと呼ばれるスライムからつくられた素材が敷き詰められており、さらには本物の木々や滝まで設置。屋内とは思えないクオリティに仕上がっている。

 机やテーブルは無く、すべて自前で用意しなければならないが、空間のどこを陣取っても良いため立体的な旺盛が生み出される。


 第七週七日目《ナナ・ナナ》のお昼時。

 出入口から最も遠く、堂内も広く見渡せる最上部の隅には、ハナ達四人が居合わせていた。


 レコンチャンが出した岩のテーブルを囲んでおり、ハナは彼の風魔法で、ミーシィは脚力で物理的に、ガーナはテーブルに上体でぶら下がる形で維持している。

 特にガーナは社交的に見れば問題外の行儀だが、ここは王立学園――冒険者としての振る舞いが第一であり、食事中に風変わりな過ごし方で刺激を加えるのはむしろ真面目と言えた。


 テーブルに出されているのは身長二メートルほどで人体とよく似た構造を持ち、果物のような鮮やかな黄色の肌をしたモンスター『フルーティー・サイクロプス』の活け作り。

 毒性が強く、第三級冒険者《レベル33以上》でないと危ないとされるが、『甘い肉』とも呼ばれる高級食材である。

 特に内臓は桁違いに甘く、敬遠する者も多いが、鳥人には好物らしく、既にミーシィによって目玉から膀胱までほぼ平らげられている。


「――そういや最近、鳥人をよく見るんだが、なんか知ってるかミーシィ」


 レコンチャンも執事の顔は引っ込めており、手掴みからの丸かじりで豪快に食べている。


「んー……発情期?」

「発情期は万年だろ」

「アタシと同じね」


 ガーナはニタリと微笑むと、指についた肉汁をぺろりと舐めた。


「変態は黙ってくださいまし」


 小食のハナは既に手を止めており、ガーナを睨むが、当の本人は気にせずミーシィを向く。


「こうして同席するのは初めてよね。アタシのことわかる?」

「うーんと、下僕を侍らせてる人? 近づくなって言われてる」


 レコンチャンがぎゃははと笑い、ハナも「正しいと思いますわ」同調する。


「何よそれ。誰? もしかしてハナ?」

「んーん、お姉ちゃん。娼者《プロスター》に近づいたら食われるぞーって言ってた」

「偏見にも程があるわね」

「でしたらもう少し自重されてはいかがですか? ガーナ様――貴方は娼館の顔としても見られていますわよ」


 ガーナもレコンチャンに負けない食べっぷりだが、テーブルにぶら下がりながらということもあって体裁は皆無に等しい。

 上体は肘をつき胸を押し付けているし、下半身は足をぷらぷら揺らしており、折りまくったスカートからは太ももはおろか下着まで見えてしまっている。周囲の生徒が白い目を向けるほどだった。


「自分に嘘はつけないわね」

「迫られる方はたまったモンじゃねえけどなー。で、話戻すけど、他に思い当たることとかねえか?」

「ちょっと思い出してみるね……ふむむ、ふむ、むぎぎい」


 頭を抱え込み始めるミーシィ。

 その制服をきつく押し上げ揺れ動く胸をガーナが凝視する。手は止めないので、まるで女体をおかずに食べているかのようで、ハナはその清々しさに呆れてものも言えない。

 と、先ほどから遠慮のえの字もないガーナだったが、急に凝視をやめて真顔をつくった。


「――なんか今日、寂しくない?」

「鈍すぎじゃね? 強いのがいねーからだろ。ルナ王女もヤンデ王女もスキャーノもアウラウル先生もいねえ。今年の主力がこうも欠席をきめてるのは今日が初めてだ」

「そういえばそうね。きな臭くない?」

「いつものことだろ」


 首を傾げるガーナに、ハナは説明を追加する。


「王族や第一級冒険者はわたくし達とは別の世界を生きてますわ。そんな方々が学園にいらっしゃることで、その慌ただしさが可視化されているだけだと彼は言ってますわね」

「思い出した! 小説!」


 いきなり叫んで手を挙げるミーシィ。風圧で肉が吹き飛びそうになるのは、レコンチャンが無詠唱で制止。

 脈絡はわからないので、今度は三人で顔を見合わせる。


「だ、か、らぁ、鳥人の間で小説が流行ってるんだよー。現実を舞台にしてるってお姉ちゃんが言ってた」

「つまり?」

「どういうことだってばよ?」

「もー、作品に登場した舞台が現実ではどうなってるかを見に来てるんだよ」


 もっとわかりやすく言いなさいよと言わんばかりのガーナの視線を受けて、ハナはふるふると首を横に振る。ミーシィには過ぎた要求だ。


「全国各地をか? 広すぎじゃね」

「それほど大衆を虜にする作品でしたら、下界に降りてきてもおかしくはないですわよね?」

「わたしはわかんないよ。お姉ちゃんに聞いて」

「やだよ。お前の姉ちゃん、怖えもん」

「アタシも聞いたことないわね。最近出た官能小説なら買ったけど。読む?」


 ハナはシリアスなトーンで真面目な話に引き込もうとしているが、ガーナがこれを叩《はた》き落とす。意味深にチラ見も寄越してくるし、油断すれば気を許してしまいそうになる不思議な親近感がある。

 反応するのも癪なので、ハナはこれをスルー。


「やめとけガーナさん。コイツにちょっかい出したら姉ちゃんが黙ってねえ」

「そんなに怖いの?」

「何人も死んでたな。オレも結構危なかった」

「血まみれだったよねレコンチン」

「とばっちりなのにな」

「……ちなみに、淫らなの?」

「うん。ガーナチンとは気が合うと思う」

「良いことを聞いたわ。今度紹介しなさい!」

「一応もう一度だけ言っとくけど、やめとけ」


 ミーシィ姉の過保護っぷりはハナも知っているが、痛い目を見ればいいと思っているため、あえて護衛の肩も持たないハナだった。


 ミーシィも。

 ハナもレコンチャンも。

 ガーナも。


 ジーサに肉薄していることは少しも臭わせず、いつもどおりの学園生活をおくっていた。

第323話 水面下の包囲網2

 時は少し遡って、第七週七日目《ナナ・ナナ》の朝十時半――。


「首尾は?」

「不発。住民の数や分布も、前回と類似」


 ルナは学園をサボり、ユズの力に全面的に依存して南ダグリン特区の空を高速巡回していた。


「運が悪いのでしょうか」


 ユズのおかげで、広大な特区を一時間で巡回しきれている。既に朝六時、朝八時と二巡しているが、タイヨウらしき身体性能を持つ特区民はまだ見つかっていない。


 その上、屋外に出ている住民の傾向にも大した差が無いと来ている。

 国民時刻表《ワールドスケジュール》に従えば労働時間だし、働かない子供や老人や比較的裕福な者も少数いるものの、無骨なコンテナにこもるとは考えにくい。


「コンテナにこもっている可能性、ある」


 しかし可能性がゼロとも言い切れず、ユズも早速疑っている。


「開いてるコンテナが多いんですよね? 中は調べましたか?」

「この走査速度では困難。落とせば可能。でも一巡の時間が二時間増加」

「うーん……」


 締切があるわけではないが、悠長に構えるほどの余裕もない。

 タイヨウは朝型の人間と考えられる。ならば特定には朝から巡回する必要があるが、学園を何日も休むわけにはいかなかった。


 長くて数日、できれば今日一日で決めたいところだ。


「ユズはまだ動けますか?」

「無問題。あと十回は動ける」

「……」

「無言の嫌悪。ユズは傷付く」


 えーんと目元で両手を動かす仕草をしてみせるユズ。

 そうしている間も二人の背景は超速で流れており、ルナの目では地形構造を捉えることさえ難しかった。


「化け物すぎて引いてるだけです」

「いいかげん慣れるべき。指示を所望」


 この移動速度ではルナは全く役に立たないため、タイヨウを探すのもユズである。

 既にタイヨウと思しき一般人の特徴は共有しており、|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》の強さも通じている。幸いにもユズはそういう機微を理解できる人間だった。

 ならユズ一人で探せば済む話だが、王女を一人にしてはおけないし、この手の見識はまだプレイグラウンドで鍛えたルナの方が深い。そういうわけで、ユズは意思決定をルナに任せるスタンスを取っている。


「わかりました。では、この巡回を終えたら、すぐにコンテナの内部込みの巡回をやりましょう」

「休憩も所望。連続は死ぬ」

「ユズが瀕死になるところ、見てみたい気もします」

「タイヨウには見せた」

「張り合わなくていいですから」


 タイヨウとの再開も近い。

 ルナの口は中々止まらなかった。




      ◆  ◆  ◆




「――2671群、いないわね」


「――2672群。なし」


 同時刻頃、ヤンデもまた特区でタイヨウを捜していた。


 ユズとは違い、一群ごとに隅々までチェックするやり方である。

 特区民に扮している以上、高速な移動はしないはずだから、この原始的なやり方でも取りこぼすことはない。

 となれば、あとはタイヨウの演技力とヤンデの観察眼の戦いに帰着される。


「ジーサが一般人超えの身体性能を出してなければ私の負け……だけれど、手を抜けるところは抜く男よね。スローライフとかほざいていたけれど、きびきび過ごすのが好きよね。だったら、見抜ける者がいないとわかれば、不自然の無い範囲で発揮するはず。普段の移動は走るわよね。露骨に速度は出さないはず。長時間走り続けるという持久力は使うかもしれない。――見つかるはずよ」


 希望的観測ではあるものの、泥臭い調査が必要なのは自明であり、とにかく行動して情報を増やすのが先決である。


「次、2673群」


 独り言ちて思考を回しながらも、探索の手は止めないヤンデであった。




      ◆  ◆  ◆




「お兄さん。お兄さんってば」

「……なに?」

「出かけませんか。鍛錬に付き合えとか言いませんから」


 アンラー家、寝室コンテナでは迷路の描かれた板が散らかっている。

 アンラーが手を止めず迷路を引いている一方、フレアは完成品の一つに指を当てて遊んでいるが、とうに飽きているらしく、指はしばらく止まっていた。


「信用できない」

「うちを何だと思ってるんですか……」


 はぁと言いながらついに指が離れ、腰も浮いた。まだ出る気はないらしく、隅に積み上げられた板を物色する。

 するとアンラーも腰を上げた。フレアが目ざとく反応してみると、


「トイレだよ。あ、一緒に来たい?」

「変態ですか。そういえばカレンさんの夜這い、どうでしたか?」

「唐突だね……。もしかしてフレアが焚き付けたの?」


 ふふんと薄い胸を張るフレアを見て、アンラーもため息をこぼす。だるそうな足取りで出て行った。


(……上手い)


 息するように潜んでいるスキャーナは、アンラーの方を追いかけている。


(この子に気付かれないように換気口を閉めてる)


(気付かれないように寝室を横切って、開閉音の出るドアも無音で閉めてる)


 たかが一般人と受け流すのはかんたんだが、もうそうではないとスキャーナは知っている。


 観察力も、身体の動かし方も、体力も。頭一つ、いや二つくらい飛び抜けている。

 これがレベルを積んだとしたらどうなるのか――

 想像しただけでも恐ろしかった。


 アンラーは最後に排泄コンテナへ入って、同室の換気口も全部閉じた後、用を足し始める。

 スキャーナはそばにしゃがみこみ、至近距離で排泄の様子を眺めた。


(ジーサ君も普通に出すんだね。それともこれもモンスターにつくらせたのかな?)


 《《既に何度か採取している》》が、ただの排泄物の域を出なかったため排出されたばかりの分も欲しい。しかし、コンテナ内は既に閉め切られており、外部からの空間認識もかからないためアンラーもある程度は本来の力を出すだろう。

 迂闊に盗めば、気付かれる恐れがある。


 結局スキャーナは控えた。


 寝室に戻ったアンラーに、「お兄さん」フレアが訝しむような視線を向ける。

 板は全部床に置かれており、フレアはこの件で何か猜疑を抱いているようだ。


(そっか、この会話を外から聞かれないようにするために)


 トイレに行くふりをして、バレないように全部閉めたわけかとスキャーナは再び感心する。

 同時に、何のやりとりをしているのだろうと疑問も膨れ上がる。


「もう処分したよ」

「嘘です。そんな暇は無かったと思います」

「いや、あるよ。あまり働いてないしね」

「何なら聞き込みしてもいいですよ?」

「……見なかったことにしてもらえると助かる、かな」

「じゃあ出かけましょう。何かおごってください」

「お金無いんだけどなー……」


 アンラーは制作中の一枚を除いた全ての板を積み上げ始めた。

 フレアは手伝いもせず、その様子を眺めている。アンラーから見えてないからと表情も取り繕わず、猜疑心丸出しだ。それを、アンラーから見えそうなときは瞬時に隠すのだから器用なものである。


 片付け終えた後、二人はコンテナを出ていく。隠密《ステルス》中のスキャーナも、閉じ込められるわけにはいかないため一緒に出るしかない。


(処分したということは、迷路以外の何を描いていた? それをこの子が以前目撃したけど、さっきは無かったから、いつ処分したんだと問うている)


(何を描いていたの?)


「おにーさんっ」


 アンラーの腕に抱きつくフレア。


「あのさ、こういうのはやめてほしいんだけど……」

「うちもお兄さんが大好きなんですよ。お兄さんも言いましたよね、うちといると落ち着くって。もしかして嘘なんですか? 嘘だったらライオットさんに泣きつきます。カレンさんにも相談します」

「別に嘘じゃないけど、もしかしてボク、やんわりと脅されてない?」


(あえて言わないようにしてたけど、言うね。距離感が近すぎるんじゃないかな。もしかしてこの子ともするのかな? ずっと見てたけど、ちらちら見てるよね。まだ子供だよ? 子供が好きなのかな)


(ユズさんも好きなの? それともユズさんのせいでそうなったのかな?)


(ぼくは負けないよ。力じゃ勝てないけど、それ以外なら)


(勉強もする。練習もする。せっかくだからジーサ君と一緒にやりたいな――)


 アンラーにその気はないだろうし、たぶんフレアも探るためにベタベタしているだけでそういう欲求は持ってないだろうが、それでも、仲睦まじい様子を見続けるのは中々に堪える。


 精神に及んでしまう前に、スキャーナは目先の課題に意識を移した。


(どうやって二人きりになればいいんだろ。全く思いつかないや……)


(今日アウラさんが来てないのも気になる)


 今日は尾行がいないからこそ、こうしてジーサを追えているわけだが、第一級冒険者ほどの人物が理由もなく怠けるとは思えない。

 別の進展があった可能性が高い。


(だったらなおさら時間がないよね。ぼくはどうすればいいんだろう)


(ねぇジーサ君。ぼくはどうしたらいい?)


(どうしてほしい?)


 二人の真横で凝視しながら、スキャーナの頭はフル回転し続けていた。

第324話 水面下の包囲網3

 飛行は大別すると二種類に分けられる。

 自らに風魔法を当てて自らを飛ばすもの。そして地面や壁や大気、あるいは魔法でつくった足場などを蹴ることで反作用を生み出すもの。


 速く動けるのはどっちだと言われれば、ケースバイケースである。

 ラウルの場合は硬い何かを蹴るなり剣で叩くなりするのが一番だし、アウラの場合は自分を飛ばす方が速い。ついでに言えば効率も良い。


「【空中足場蓋《エアステップ・リド》】」


 アウラが無詠唱よりも速い高速詠唱をつむぎ、瞬時に足場をつくりだす。

 同時に、手を繋いだラウルをまるで殺すかのように叩きつける。第一級|剣士《ソードマン》の身体が衝突――そこに自らの脚力も叩き込むことでパワーを増幅させ、甚大な反作用を得る。


 アウラウルの連携に限って言えば、アウラが足場をつくってラウルが蹴るのが最も速かった。


 その速度は他の追従を許さない。

 何せ隠密《ステルス》や衝撃圧縮《インパクト・コンプレッション》といった配慮も度外視で、すべてを充てているからだ。


 無論そんなことをすれば地上は――特に一般人が住む特区は無事では済まない。

 移動中の軌道から生じる分を抑えるのは容易だが、問題は急発進時や急停止時など慣性を破る時である。この時に発生する力は脱慣性衝撃《デイナーシャ・インパクト》とも呼ばれ、時として下位クラスを殺せるほどの威力になる。アウラウルで言えば第二級冒険者以下を殺せるのだ。特区民など塵や埃にも等しい。

 それほどのパワーを抑えるのには、相当の労力を要する。

 一般的にはスキル『衝撃圧縮《インパクト・コンプレッション》』を用いるが、それでも意識と体力を持っていかれた。


 だからこその、アウラのスキルであった。



 空中足場内蓋《エアステップ・リド》。



 アウラが発現《エウレカ》させたばかりのスキルで、ゲートを開き、その蓋として空中足場《エアステップ》を配置するものである。

 厳密には空中足場はゲートの先に入っており、内側から蓋をしている形になる。

 要は衝撃をゲートの先に逃がすシステムであり、何かとネックになりがちな配慮の部分をカットするために以前から開発していたものだった。


 本番での使用は初めてだが、どれだけ強くなろうと成功すれば嬉しい。

 アウラもラウルも若者相応の喜びを表情に出していたが、会話は交わさない。

 全身全霊の集中ゆえに、そんな余裕などないからだ。


 ユズやヤンデの巡回速度も凌駕した、相乗効果《シナジー》ともいうべき劇速がダグリンの空を横断する。

 仮に可視化したなら、地上の一般人からは一瞬で幾重もの線が出現したかのように見えただろう。


 ゲートで繋いだ先――大陸から遠く離れた海上も大変なことになっており、隕石が落ちたかのような陥没があちらこちらで生まれている。

 第一級冒険者さえ殺す海のモンスター『シーモン』の姿も見える。ただし死体であり、鱗やヒレから内臓や体液まで散らばっている光景は、狩猟でも討伐でもなく戦争とも呼べる迫力だ。

 津波の影響も懸念されるが、海は魚人のテリトリー。大陸から離れているならば何ら問題はない。


 そんなアウラウルの渾身の捜索が続くことしばし――


「――見つけました」


 二人が捉えたのは少女と幼女のペアだった。


 ただならぬ速度を前に、見つかった方――ユズは即座に停止するも、アウラがカーテシーを振る舞う。

 彼女のローブは太ももはおろか、臀部が見えるところまで持ち上がった。


「理由を所望」


 ユズの無慈悲な瞳がアウラウルを射竦める。


「端的に言います。シニ・タイヨウ探しですが、私達と協力しませんか」


 思わぬ申し出を前に、ユズが現在の主君たるルナを見る。


「……」

「王女様。応対を」


 ルナ相手にしては強めの雷が撃たれる。地上から見られないよう、光を屈折させる小細工もお手の物だ。


「……あ、すみません、びっくりしてしまって」


 認識の処理能力をはるかに超えた事象と遭遇したとき、生体反応が停滞することがある。通常は威圧のオーラをもって行われるが、物理現象でも起きることがあった。


 ルナが正気に戻るのを待った後、アウラは改めて話を始めた。






「――要求はわかりました。山分けの発想ですね」

「もちろん物理的に分けるって意味じゃないですよ?」

「知ってます。タイヨウさんのことは私が一番知ってますので」

「……なんか私、牽制されてる?」


 ルナからはガルルと吠えるモンスターのような圧がある。

 アウラはラウルの方を向き、自らを指差して小首を傾げてみせる。


「君がからかうからだろ」


 アウラとラウルは目下スキャーナに目をつけていたが、本日王女二人が同時に欠席しているとわかり、急きょ作戦を変更――ダグリン内、それも特区を力尽くで探すに違いないと仮説を立て、フルパワーで巡回して接触を図った。

 といっても獲物を取り合うわけではない。

 むしろいたずらな消耗は控えて、力を合わせて捕まえるべきだとする協調案を提示したのだ。


 その際、早く打ち解けるために、アウラが一芝居を打った。


 具体的にはシニ・タイヨウに気がある素振りで接したのだ。

 これに対する反応が、先のルナの威嚇だった。


「シニ・タイヨウへの強い興味と憧憬はラウルも同じですよね?」

「ああ」

「ルナちゃん、聞いた? ラウルもタイヨウさんが好きですって」

「そんなわけないよね」

「警戒はしてますよ。タイヨウさんは男色かもしれないので」

「いいから話を進めてくれ……」


 ここで先ほどから警戒マックスだったユズが、ようやく種々のオーラを下ろす。落ち着かない様子のルナの懐に行き、すっぽりと収まった。


「ヤンデを呼んだ」


 その一言でアウラウルに緊張が走る。

 ルナから見てもわかるほどで、「もしかして苦手なんですか?」人を小馬鹿にしたような笑みがアウラに向けられた。むぅと可愛く羞恥を乗せるピンク髪の童顔は相変わらずあざとくて、そんな相方をラウルは半眼で見ていた。


「待たせたわね」

「え、早っ」


 ステルスを解いてぬっと姿を現したヤンデを前に、アウラはビクッと肩を揺らして驚いている。ラウルは嘆息をプラスした。


 ヤンデに対する苦手意識が強いらしい。

 空中足場蓋の発現は大したものだが、それとこれとは別だ。後で矯正する必要があるだろうとラウルは密かに決意する。


「仕組みがわからなかったんだけど、何をしたんだい?」

「微弱気《フィブルオーラ》を拡散」


 レベルが高いほど、オーラを細く細かく広く飛ばせるようになる。

 飛ばしたところで同格以下は気付けないし、ともすれば自分自身さえも御せないほど精密なものだが、王国の最高戦力にもなれば平然と行うらしい。現にヤンデはキャッチして、こうしてすぐに来た。

 スキルとして発現させているあたり、既に使いこなしてもいるのだろう。


「これほど頼もしい味方もいないね」

「偉そうにすかしてるところ悪いのだけれど、どういうことかしら?」

「なあユズ。皇帝も気付くと思うけど、大丈夫なのかい?」

「無問題。法を犯しているわけではない」

「私を無視するなんて良い度胸ね」

「なんで君はそんなに怒ってるんだ……」


 シニ・タイヨウと思しき人物が中々見つからないからだろう。地味な仕事をこなすメンタルは弱そうだ、とラウルは失礼な印象を抱きつつも、再度手早く説明した。


「――あなた達は山分けできるのでしょうけど、私《《達》》はおそらく無理よ」


 ヤンデの見解は消極的なものだった。

 山分け、つまりはタイヨウを捕まえた後に皆でじっくりどうにかする、というのは自国だからこそできることだ。ルナ、ユズ、そしてアウラウルはアルフレッド王国に属する。


 しかしヤンデは違う。

 森人族《エルフ》側の人間であり、エルフ自体は威信にかけてタイヨウの処分を決めている。


「戦って勝った方が手に入れる。無問題」

「いやいやいや」


 アウラがオーバーに手を振る。「必死だな」呑気に呟くラウルをキッと一瞥して、


「これと戦うなんて冗談じゃないですよ」

「そう? 私はわくわくするのだけれど」

「僕を見るな。本音を言えば、僕も君とは戦いたくない。それ以外は取るに足らないけどね」

「お母様に言いつけるわよ」

「ご自由に。むしろお手合わせ願えるのは貴重だ」


 強者は精神的にも淡々としており、物騒な話も平気で行う。ルナは気が気じゃなくて、ユズをぎゅうっと抱きしめ、ユズもまた主に応えるようにその手に優しく触れる。


「あの、こういうのはどうでしょう?」


 慣れてきたルナは、一つの案を思いつき、早速口に出す。


「タイヨウさんを捕まえた後、どの国が手に入れるかを決める大会を開催するんです。いきなり戦うのではなくて、外交らしく形式を踏んで、ちゃんと舞台を整える」


 その提案は水滴の落ちた水面のように、じわりと染みていく。

 反対意見はすぐには出ず、


「――悪くないね」


 ラウルの一言が場の総意を示す。


「ごめんなさい、私が言っておいて何ですけど大丈夫なんでしょうか。もたもたしてると逃げられませんか」

「その点は心配無いわ。ジーサを拘束できる人は私含め何人かいるし、手段のあたりもついている」


 ルナを除けば、メンツは第一級冒険者である。


 この仕事はほぼほぼ詠唱の封印に帰着される。

 先手を打たれれば周辺地形ごと葬られてしまうが、潜伏しているタイヨウには難しい。発見できれば、あとは封じるのみ。

 ラウルのように馬鹿力で封じても良いし、ユズやヤンデの魔力でゴリ押しするのも良い。シニ・タイヨウを知るこの二人から異論が無いということは、十分可能だということだ。


 ルナだけは理解できなかったが、だからこそ会話に入っても仕方がない。傍観に徹することに。

 その矛先は手元のユズを向き、その無垢で小さな頬はぐにぐにぷにぷにと為すがままにされた。


「シキさんは了承してくれるだろう。エルフはどうなんだい?」

「知らないわよ。あなた達でお母様を説得することね」

「……シキさんに任せよう」

「国王遣いが荒いわね。羨ましいわ」

「もう一つ。参加するのはアルフレッドとエルフの二勢力だけでいいのかい?」

「……」

「どうした?」


 ヤンデの雑談的な歩み寄りが華麗にスルーされており、その落とし所を探す彼女が隣のアウラを見やる。呆れ顔でふるふると振る様は、長年の苦労を感じさせた。


「別に。そのつもりよ」

「駆け引きをするつもりはない。言いたいことがあるなら言ってくれ」


 ヤンデとアウラの嘆息が重なり、ラウルはさらに首を傾げる。


 そんな様子をルナは黙って見ていたが、ふと、ぶるっと体が震えた。


 シニ・タイヨウを目前にした武者震い――

 主の機微がわからないユズではない。


 自分を抱き締める少女の手を、まるで頭にそうするかのようにぽんぽんと触った。

第四章

第325話 観覧予定

 第七週八日目《ナナ・ハチ》のお昼時――

 4003群1番ギルドセンター館内は嘘のように静まり返っている。

 国民時刻表《ワールドスケジュール》によると今が昼食時間で、食事は屋外の大食堂で食べるもので、これに合わせて業務も中断するためであるが、酒場の一画には見知った顔が集まっている。


「――週末の会議、アンラーさんも行くんだっけ?」

「はいっ!」

「声でかぁ。飛び散ったし」


 ユレア、カレン、そしてアンラーの三人。

 テーブルには常連客からもらった人面花――植物型モンスターの果肉がトレーの上で山盛りになっており、それを手で掴んでボウルの上で食べる。汁が垂れるがゆえの処置だ。一般人は魔法が使えないので、汚さないために道具を使う。


「ユレアさんも来ますか?」


 特区民に食事の作法という概念は無い。

 それでも恥じらいはあって、それなりに親しくなければ、こんな風に肉にがっつきながら喋るだなんて真似はしない。


(ジーサ君って人と仲良くなるのが上手いよね。下手《したて》に出てるからなのかな。取り繕わないように見せてるからなのかな。ぼくも見習いたい)


(どこまでが演技で、どこからが素なんだろう。ずっと見てるけどわからない)


(挙動にも瞳孔にも不自然さはないし、どう見ても人間の眼にしか見えないし……)


 スキャーナも隠密尾行《ステルストーキング》には慣れたもので、アンラーの顔面を目と鼻の距離から覗き込んだりもする。

 もちろん会話の空気振動を乱すわけにもいかないためタイミングは難しいが、一般人《レベル1》相手ならもはや息するようにこなせた。


「アンラーくん、私は?」

「鬱陶しそうなのでいいです」

「カレンも入れてほしいな。クレアの世話係が欲しいから」

「二人とも私の扱いが雑ですねぇ。で、クレアちゃんは?」


 カレンが人面肉の汁を自分の乳房にこぼしたのを、スキャーナは見ることなく認識する。

 今もアンラーの瞳を凝視しているが、それが吸い寄せられるように動いた。自分もなまじスタイルは良いだけに見覚えがある。典型的な、男の習性――


(何してるんだろぼく。アンラーを見てても仕方ないのに)


 スキャーナは焦っていた。

 このアンラー扮するシニ・タイヨウが見つかるのも遠い話ではない。なのに、どうやって二人になれるかが全く思いつかないのだ。とはいえ、いたずらに焦っても意味はないため、平静は維持する。


 結局、ただただアンラーを観察する時間になってしまっている。


「さぁ? 一人で遊んでるんじゃない?」

「あの、前から思ってたんですけど、クレアって一人で何してるんですか? というか放っておいて大丈夫なのかな……」

「薄々感じてると思うけど、あの子は控えめに言っておかしいのよね」

「妹にずいぶんな言い草だねぇ」


 と、その時、スキャーナは館内の外から不自然な大気の揺れを感じた。


「カレンもわかってるでしょ。あのライオットさんが養子にくれって言うほどよ。どうせフレア以上のわんぱくになるんでしょ? 私はいつまで振り回されるんでしょう?」

「アンラーくんと二人なら何とかなるよ」

「それもそうね」

「あ、アンラーくんがユレアのおっぱい見た」

「気のせいです」

「アンラーさんなら許します。責任は取って欲しいかな」

「だってさ、良かったね」

「そういえば二人はもうしたってフレアから聞いたんだけど、本当?」

「唐突ですね……」

「へたくそではあったよ」

「カレンさん」

「図体の割には小さかったね」

「カレンさん」

「緊張してすぐ中折れするし」

「カレンさん! もういいですから!」


(――なんだろう、アウラさんかな?)


 三人の会話やアンラーの演技はもう眼中に無く、スキャーナは壁際にまで寄って全身を押しつけ、振動の余韻を読み取ろうと神経を尖らせていた。


(懲罰隊員に悟られない程度ではあるけど粗末だ。でもあの揺れ方に散らかり方、それにこの振動の残滓――よほど速く動かないと起きない)


 情報屋ガートンとして移動や潜伏が多いからこそ、この手の認識にも敏感だ。

 といってもスキャーナは近距離を高解像度で認識するのが得意なだけだが、それも意識が高い自分の基準に過ぎない。客観的に見れば中距離の認識もハイレベルであり、第一級クラスと言っても差し支えない水準であった。

 この点を見誤ったのは相手の誤算と言えるだろう。


 そもそもスキャーナがこうしてステルスで不法入国していること自体、誰一人知らないのだが。


(昨日アウラさんの尾行は無かった、からのこれ)


 彼女の冒険者としての勘が告げている。


 何か臭う、と。


 勘とは尊重するべき偉大な能力である。自分では歯が立たなかったり全く知らなかったりする未知に対抗できるからだ。

 取れる選択肢は大体逃げる一択だけだが、それでも|何がわからないのかがわからない《アンノウン・アンノウン》ままやられるよりはマシである。


 冒険者とは、特に実力者とはそういう世界でもある。

 逃げ続けた者が勝つ、といった格言も一つや二つではない。


(いったん退く)


 スキャーナは撤退を決意して、出入口付近にまで移動する。

 すぐには出れない。開けたら不自然なため、自然に開くまで待つしかない。別に館内程度ならどこにいようと距離的に誤差だが、撤退と決まれば余計な情報は判断を鈍らせる。

 単に三人の会話が聞こえづらくなるポジションを取ったのだった。


(先回りしよう)


(ジーサ君の演技には意味がある。特区を選んだのはなぜ? 迷路制作という趣味を押し出しているのは? さっきも将軍会議に行きたがっているように見せていた。潜《ひそ》むだけなら余計なことは言わないよね)


(――演じる必要があったんだ)


(もちろん特区にいる以上は一般人を演じる必要がある。演技の大部分はそこに集約される)


(でも違うよね? ジーサ君はここでのんびり暮らしたいと考える人じゃないよね。何考えてるかは二人きりになったときに問い詰めるとして、それでもわかるよ。まがいなりにもぼくも一緒に過ごしてきたから。戦ったこともあるよね。だからわかるんだ)


 館内では気心知れた仲が染み出ているかのような談笑が。

 館外では昼食時間特有の往来と喧騒が。


 それらに挟まれながらも、スキャーナは。


 その場にしゃがみ込み、目を見開き口も少し開けて。

 まるでボードゲームで長考するかのように静止する。


 ここまでの情報と、自ら過ごしたエピソードも振り返りながら、点と点を繋げてみることを繰り返す。


 やがて――


(――そっか。将軍会議だ)


(外から接近するのは不可能。だから国民として近づくんだ)


(何するかはわからないけど。皇帝ブーガの思惑は絡んでるのかな)


 とりあえず第七週十日目《ナナ・ジュウ》の予定が確定した。






 ダグリンを出た後、スキャーナは王立学園に戻って|欠席分の追従《キャッチアップ》に勤しむ。

 素行が投げやりだと怪しまれるため、あくまでも家の用事――体裁上は貴族ということになっている――で一時的に忙しくしており、学業自体には熱心だという体を見せておかねばならない。


「バレてると思うけど……」


 本当はシニ・タイヨウ調査のために潜り込んだガートン職員であるが、家柄はともかく試験は正当にクリアした。

 家柄の詐称を罰する規定もないため、表立った問題はない。なら堂々と演じておれば良い。


「スキャーナ。良いところに来ましたね」


 屋敷に帰宅して、リビングでもある中央部に入ったところで上司の声が。

 別室で作業しているらしく姿は無い。代わりに、テーブルの上に見慣れた書類があった。


 職務通知書――

 仕事の内容が書かれたものだ。


 読んで対応しろということである。

 早速手に取り目を通す……ことはせず、既に書面をスキャンできる特技は知られているので、大気やオーラをそうするように認識を以《もっ》て読む。


「将軍会議の取材……」

「知ってのとおり、ダグリンは三大府の一つ『ギルド』を解体して『外府』を新設しました。そこにはギルドとともに我が社も置かれています」

「男性社員マルクリッドとして、部下を一名引き連れる……」


 別人を演じろという意味である。ガートンでは架空の名前と容姿を演じることがよくある。優秀なスキャーナなら、むしろ演じない仕事の方が珍しい。


「将軍会議は将軍達につけられた枷です。それ以上でもそれ以下でもない。観覧可能な会議であれば観覧者として空から見学もできますが、おっかない人達に自分を晒しに行く酔狂な者はいません」

「領地に入って、将軍達のそばで取材……」

「本件は皇帝が直々に我が社に持ち込んできました。どう報じるかは任せていただけます。要はガートン向けに特等席を用意していただいたわけですね。応えなければなりません」


 実力というよりも胆力が求められる仕事だ。この上司に振られる理由はわかる。

 しかし、こんな誰にでもできる仕事をあえて引き受ける理由が無い。自分に教えるのも前日でいいだろうに、なぜかこのタイミングで振ってきた――


「健闘を祈ります」

「ありがとうございます」


 どこまで見透かされているのだという疑問、好奇心、恐怖といったものが半分。


 そしてもう半分は。


「良かった……」


 ほっと思わず安堵の吐息が漏れる。


(ぼくの見立ては間違ってなかった)


 どころか、会場に近づくためのお膳立てまでしてもらえたのだ。


 当日は何が起こるかわからない。

 死ぬ可能性も十分にあるだろう。

 そんなことはわかっている。冒険者の世界はそういうものだ。当たり前の真理に気を病んでも意味はない。


 スキャーナはただただ怖かったのだ。


 ここでジーサを見失ってしまうことが。

 もう二度と会えなくなることが。


 そこさえ防げるのなら。

 どうにかできるチャンスがあるのなら。


(あとは何とかなる。してみせる)

第326話 観覧予定2

 同日夜八時半の、ある歓楽街。

 どの通りも夜とは思えぬほど明るく賑やかである。


 アルフレッド王国地方都市オベリオ。

 王都リンゴのはるか東に位置する|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》内にひっそりと、しかし絢爛《けんらん》と君臨する歓楽街だ。

 他の街との距離も遠く、まともな城壁も無いためモンスターも普通に立ち入ってくる場所であり、事実上それなりの冒険者しか生存できない。


 そんなオベリオの、娼館の栄えたエリアを歩く一行がいた。

 本来ならひっきりなしに呼び込みの声がかかる場所だが、誰も、一声もかけようとしない。


「一般人《レベル1》のくせに堂々としてるわねアンタ」

「守られてるからねぇ」


 白の半袖Tシャツにベージュの半パン、とラフな格好で並んで歩くのはガーナとカレン。非番の娼者《プロスター》を思わせる格好である。

 その前を歩いているのは、娼者のいやらしさとは無縁のドレスを着こなしたハナだ。

 もう一人、護衛のレコンチャンもそばにいるが、隠密《ステルス》で姿を消している。オーラは散らしているため、同格以上か自殺志願者でもなければ絡もうとする者などいない。


「大貴族がいたら便利よね。アタシ一人だとホントうっさいから」


 オードリー家の長女だけあってガーナは有名人だが、一方で特別扱いされていないことも知られている。それゆえよく声を掛けられ、いじられるのが常だったが、今はハナの圧と見えないオーラがそれを許さない。


「貸し一つですわよ」

「わかってるわよ。未来のサキュバスに任せなさい」


 サキュバスとは元は淫魔とも呼ばれる災害級のモンスターであったが、何百年も前に討伐されている。今は大陸一の娼者におくられる通り名として使われる。

 現在のところ、ガーナの母マカダミア・オードリーだとする声が最も多い。ダグリン将軍イリーナなど他の候補も何人かいるが、マカダミアが圧倒的だ。


 一行が向かったのは、オードリー家が直営する娼館の一つ。


 表向きの目的はシャーロット家と娼館セクセンの業務提携視察、そしてガーナの友人カレンの職場見学だ。

 まずはこれら用事を済ませる。


 小一時間ほどで挨拶と見学が終わった。

 一般人だが素質も技能も高いカレンは、シャーロット家の人間が同座するほどの大仕事にも絡める人材だろうとの見方をされた。


 客間でしばし歓談を楽しむ。

 ここの娼者も交えて賑やかに交流が行われた後、ひととおり落ち着いたところを見計らって、ハナが手を天にかざす。


「――本題に入りましょうか」


 指をパチン、パチパチンと計三回鳴らした。

 王国に通じる作法の一つで、関係者以外速やかに立ち去れの意――ガーナを除く娼者すべてが迅速に退室した。


 ようやくレコンチャンがステルスを解き、


「岩施錠《ロック・ロック》」


 すべてのドアと窓を岩盤で塞いだ後、


「防音障壁《サウンドバリア》」


 お馴染みの防護を張る。

 もう一度空間内外の確認を終えたところで、レコンチャンとハナがアイコンタクト。頷き合う。


「アンラー様に関する情報をお話くださいまし。些細なことでもいいので捻り出してください」

「焦らなくてもいいぜ。のんびりやろうや」


 ツンツン頭はもう執事の格好と応対セットを配備しており、洗練された動作で湯気の立つカップを置いていく。

 部屋中央のローテーブル、その両端にソファがあり片方にカレン、もう片側にハナとガーナが座っている。


 カレンはカップを手に取り、ずずっと味わう。「うまっ」特区民には縁の無い香りとコクがあった。


「それじゃ出会った時から時系列に話すね。質問はどうしよっか。一通り喋った後でいい?」

「構いません」


 公的な場でないなら畏《かしこ》まらなくていいとの合意は取れている。

 元はガーナの軽率な提案だが、それを蹴るほどハナは頑固ではないし、カレンもまた友人のように接していただいて構いませんわよと言われて遠慮するほど堅物でもない。


 カレンの説明は淀みなく進行した。






「――無欲で労働にも購買にも消極的であること。迷路を描くのが好きであること。精液が薄くなるほど頻繁に自慰行為をしていること。皇帝や将軍への強い憧憬があり、明後日の将軍会議にも参加すること。目立ったものはこの四点ですわね」

「隙があるようで、無えよなぁ……」

「何よりダグリンの特区ですわ。不法侵入も難しいでしょうし、公式に訪れるのも不自然」


 カレンの情報を共有し終えた後、ハナとレコンチャンは顔を突き合わせて作戦会議を始めている。

 カレンとガーナは離れたソファに並んで座っており、そんな貴族二人の様子を眺めながらも、体を深く預けてだらけていた。


「何この座り心地……欲しいなぁ」

「アンタも肝が座ってるわ。むしろアタシが動揺してるんだけど」


 カレンは当日|第七週十日目《ナナ・ジュウ》もアンラーと行動をともにする。

 既にアンラーが巷の大犯罪者シニ・タイヨウであることも共有されているわけだが、ハナ達でさえ感心するほど落ち着いていた。


「今さらだけど私、結構鈍感かもしれない。だからなのかな、刺激を求めたがる」

「深追いはしないわよね。恵まれた才能じゃないの」


 死に急がずに済むという意味だ。


「そうは思えないけどねー。親友も死んじゃったし、今も冒険者目指してる可愛い友達がいるんだけど眩しくてね。私って何だろってたまに思うよ」

「娼者の件だけど、特に嫌な理由がないならやってみなさいよ。経験することで見えてくることもあるもの。できればレベルアップしてほしいけど」

「それだけは嫌」


 そうして駄弁っていると、「ガーナ様」ハナから声がかかる。

 音声だけを飛ばす振動交流《バイブケーション》を受けたのは初めてであり、カレンは珍しくびくっと肩を揺らした。ガーナはふふっと相好を崩した後、


「何? 作戦は立ったの?」

「良い機会ですから、ダグリンに近付ける地盤を整えたいんですの。ガーナ様は既に出張性交教育《セックラス》の伝手があります。これを生かして、セクセンとダグリンの提携にまで結びつけていきたいのです」

「ああ、外府ね。今はギルドとガートンだけだけど、セクセンも絡めるといいわね」

「いいわねではなく、ガーナ様のお力もお借りして、わたくし達で開拓していく所存ですわ」

「はぁ? そういう政治的なのは嫌なんだけど――」


 別世界を生きる者達の、別次元の会話。

 貧乏な一般人でしかないカレンには全く縁の無い世界であり、普通は心が躍るなり劣等を抱くなりするのだろうが。

 カレンは目を閉じて、体の力も抜いてソファに身を委ねる。魔法で届けられる音声をBGMにしながら、のんびりとくつろいだ。


 議論はその後、一時間以上も続き――。


 将軍会議を観覧するための準備も進めることが決定した。

第327話 会議当日

 第七週十日目《ナナ・ジュウ》の午前五時五十分。


 一大勝負の日だ。

 最後の換気を終えた俺は、すべての換気口を閉めていく。

 閉めながら思う。前世の受験や本番作業とは比較にならない大仕事のはずなのに、バグってる俺は相変わらず何も乱れないなと。


(恋しくなってくるものだな)


 何事も失って初めて気付くというが、感情もきっとそうなのだろう。

 俺が自殺したいと考える程度には煩わしかった負の感情達も、今となっては懐かしく感じる。また味わってみたくなる。


(ダンゴ。クロ。アンラーの容姿を必要最小限だけ維持して、残りは避難させるぞ)


 維持分の寄生スライム達がいったん俺の身体から離れる。


「【シェルター】」


 スキル『シェルター』は寄生スライムのすべてが俺の体内、バグってる鉄壁の肉壁の隙間に避難するもので、コイツらを一切のダメージから保護できる。俺がリリースで自爆しても大丈夫だ。

 欠点を言えば、アンラーを形成する部分も避難することになるためシニ・タイヨウ――俺の素の容姿が晒されてしまうことか。


 しかし、この後の詠唱数は抑えたいし、リリースを撃てばコイツらは確実に即死するため、避難のタイミングは今しかない。もちろんタイヨウを晒すわけにはいかず、アンラーの容姿は維持せねばならない。


(本当に悪いな)


 細胞一つ一つが意思を持つ寄生スライム。

 そのうち、アンラーの容姿維持を担う奴らは今から俺のために死ぬのである――


 今回の計画における最大の障壁がこれだった。

 もしダンゴかクロの片方に反対されていれば、俺は避難させることなく撃つしかないわけで、コイツらと別れるしかなかったのだが、コイツらも馬鹿じゃない。

 だが、生き残るためとはいえ、自らの命を差し出すなど狂気の沙汰だよな。


 そうでもないんだろうか。

 いわば自分の分身が無数にいるようなもんだよな。スワンプマンといった言葉もあるが、哲学的に言えば自分のクローンがいるからといって自分が死んでいい理由にはならないわけだが……うん、やめよう。


 コイツらも攻撃一つせずに受け入れてくれている。

 もう言葉を交わす段階ではない。作戦は変えられない。


 俺はこの任務を成功させるだけだ。


 切り離していた寄生スライム達が再び俺に飛び込んできて、俺の身体と合流――アンラーの容姿が復元された。


(――よし、行くぞ)


 すっかり定着した正確無比なカウント、事実上の体内時計に従い、俺は朝六時ジャストにコンテナを出る。


 行き先は将軍会議会場の3534群。

 目下の目標はここ4003群を離れること。


 ユレア達と一緒に出かける約束をしていたが知ったことじゃない。当然ながら俺は一人行動をする。アイツらともここでお別――


(マジかよ)


 俺の家から最も近いコンテナ、つまり隣家ともいうべき場所から、なぜかフレアが出てきた。


 見ずともわかる。アイツほど綺麗に空気を揺らす奴はいない。俺が見てきた一般人《レベル1》ではダントツだし、たぶん前世でもいろんな競技でオリンピック金メダルを取れるくらいのポテンシャルはある。


(二十代くらいの夫婦と子供一人が住んでたはずだが……)


 自分の家からだと距離的に追いつかない、というわけで前日のうちに転がり込んでいたわけか。気付かなかった。

 俺を出し抜いたフレアだが、フィクションにありがちな叫び声も出さず、ただただ俺にも見せたことがない水準のスタートダッシュとスプリントで肉薄してくる。冷静にガチすぎて怖え。


 俺はアンラーの能力を逸脱できないわけだが、それでは捕まってしまう。

 というわけで、既に反射神経と初速からして少し破っているのだが、なるほどな。


 逸脱しないと勝てないが、逸脱しすぎても懲罰隊に目をつけられてしまう――


 厄介な逃走戦が幕を開けたわけだ。


(さて)


 いつもなら東に向かうところだが、フレアは南南東の方角から向かってきているので、反発する方向に走る。

 距離はおおよそ49メートル。


 ここ4003群の崖は東西に伸びており、残る方向は西しかないが、西からだと3534群に行けない。


(行けないことはないが、一般人では超えられない崖がある)


 偶然越えることができましたあはは、は通らない。

 いったん巻いた後、改めて西に抜けるのも難しいだろう。ただでさえ見通しが良い場所だし、今はフレア一人かつ夜の暗さもあるからマシなものの、あと一時間、いや三十分もしないうちに全部なくなる。

 タイムリミットは午後一時だし、一般人の足を考えれば午前十一時には出ないと間に合わない。午前の間だけ守りを固めれば済むフレア陣営に、アンラーが勝てる見込みはない。


(強引だが切り抜けるしかない)


 ここまでをほぼ一瞬で判断した俺は、ダッシュを引き続き維持する。


(あとはどこまでアンラーの限界を破れるか)


 とりあえず足音を無音にしつつも、フレアとの距離を空けることを優先する。

 視覚的に俺を見えなくするためだ。

 見えなくできれば勝てる。足音も無いから音から判断することもできない。もちろん地面に耳を当てたりする余裕もない。持久走で勝てないのは思い知ってるだろう。


 どの程度離れればフレアが見えなくなるかもおおよそわかる。


(ざっと40メートル)


 現在の距離差は31メートルくらいか。

 アンラーは100メートル走で言えば15秒後半くらいで、このペースだとすぐ追いつかれてしまうが、仕方ない、少しだけ11秒前半のパフォーマンスを出す。


 前世の陸上部女子でも出せない水準だ。

 そしてジャースの一般人《レベル1》の仕様は前世と同一と考えられる。長年パルクールで徹底的に向き合ってきた俺の体感でも違和感がないからな。クソ天使の嗜好を踏まえても合ってるだろう。


(つまりフレアでも追いつけない)


 距離差を少しずつ引き離していく。


 まだ寝静まっている闇夜の中、響くのはフレアの足音のみ。

 お前は陸上やってんのかと疑いたくなるようなリズミカルで鋭い足音は、天性のセンスを感じさせる。いつまでも聞いていたくなる。


 足音はフレアの分だけだ。

 俺の足音が無いのは人間離れと言えるが、この程度なら冒険者にはわからない。学園の先生でもわからんだろう。懲罰隊員程度ならまずバレない。


(――39、40、41、よし)


 視覚的に見えない距離になった。

 あと数秒走ってたら崖に着いてたから結構ギリギリだが、間に合うことはわかっていた。この処理能力――レベルアップの恩恵は受けてるだろうな。


 恩恵と言えば、こちらは目を閉じてもフレアの位置がわかる。

 ぶっちゃけ近距離なら目で見るよりも正確だし速いんだよなぁ。大気の振動を感じ取るってマジですげえ。


 あの坊主頭の懲罰隊員が崖の上で寝転んでいるのもわかる。ラクターといったか。アイツも視覚を使わず、音と、俺達周辺の大気に注視しているはずだ。


(今のところ警戒はされていない。今も暇だからとりあえず視てるって感じだな)


 ともあれ俺の勝ちだ。


 こちらが見えないフレアと、全部わかってる俺。

 正直言って勝負にならない。


 あとはフレアの半径40メートル以内に入らないようキープしながら、徐々に西に行けば巻ける。


(――ん?)


 フレアがトトトッと何やらブレーキをかける。

 息は切れているが、尽きた様子はない。まぶた周りの振動から戦意もわかる。真剣な顔つきが目に浮かぶようだ。むしろ勝機を見出したかのような高揚さえ感じられるな。


 なぜかフレアは西へと走り始めた。


 とりあえず俺も真似して距離差をキープしているが、何してんだアイツ? 先回りだろうか。

 南北を囲む崖は680メートルくらい先から広くなる。そうなれば持久戦だ。なおさら勝ち目は無い。

 ただその境界がちょっと狭くて、家も二つほどあって――


(先回りか!?)


 その境界部分がまさに曲者で、家つまりはコンテナの塊が二つあるせいで事実上通り道が三つに分かれている。

 ただでさえ30メートルもない幅が三分割――明らかに幅が狭い。フレア相手だと触れずに抜けるのは難しいだろう。


(回られたらヤバい)


 もちろんスピードを出し過ぎてラクターに気付かれるのも問題外だ。あれがどの程度鋭いかはわからない。


 俺の素の全力は10秒後半。

 前世だと陸上ガチ勢の男か、あるいは俺みたいにパルクール等で異常に鍛えてゾーンに入れる奴でもなければ到達できない水準だ。ジャースの一般人で出せる奴はいないだろう。

 出したらバレるだろうか。


 9秒前半くらい出せるなら確実なんだが、さすがにバレる気がする。


 先ほど問題無かった11秒前半が限界だろうか。

 でも、これも出し続けたら怪しいよな。このペースで一分以上走れる人間なんていやしないし、ジャースのレベル2でもできるか怪しい。


(速度は冒険できないし、今は中距離のペースにまで落とさないとな)


 結局|フレアの射程《40メートル》の外をキープして追いかけることになる。

 抜かせるタイミングは境界を出た後だが、フレアに先回りされたら叶わなくなるため、境界に着くと同時に、あるいは着く前に抜かすしかない。


(……無理だ)


 フレアも地形が頭に入っている。寸分も乱れることなく、境界の中央を目指す方向が保持されていて惚れ惚れする。

 暗いのに平衡感覚も乱れてないし、視線の飛ばし方も効率的で上手いし、マジで女子中学生のスペックじゃない。んなもん惚れるわ。結婚しようぜ。


 冗談はさておき、二択だ。


 追いついて、走りながら応戦して抜かすか。

 境界に着いた後、改めて対峙して抜かすか。


 フレアは格闘の方がはるかに強い。

 俺はそっち方面はからっきしだ。回避と移動だけなら格闘家ごときには負けないが、俺は西に抜けなきゃいけない。いわば両方同時にやらなきゃいけないわけで、フレア相手に通じるとは思えない。


 なら走りながらの方がいいだろうか。

 だが、フレアが少しスピードを落として誘っていることから察するに、たぶん俺の方が分《ぶ》が悪い。


(格闘は素人だから加減がわからん。瞬発力だから大気の揺れ方もわかりやすいし……)


 つまりラクターにとっても馴染みがあるということ。

 レベル1超えの速さを出した瞬間にアウトを食らう可能性が高い。


 もたもたしていると境界に着いてしまう……。


 何か無いのか。

 バレるバレないのバクチではない、比較的確実な限界突破の妙策は――


(いやあるっ! 体重差だ)


(ダンゴ。一秒に三キログラムのペースで俺の体重を増やせ。クロはこの体重増加を外からバレないように立ち回れ)


 できるできないを確認する暇は無い。

 一気に増やすと俺の調整と演技が間に合わないし、もう境界も近いから増やし始めないといけない。


 できなければ増えない。できるなら増えるはず。


(早速増えてるな。でかした)


 全身がむずむずする。どうも体内や血液中に土魔法の粒やら泥やらを混ぜて増やしている感じだな。出血したらヤバそうだがクロならどうとでもできる。この体には何してもいいから引き続き頼むぜお前ら。


 俺は表面上は中距離ペースの速度を維持しつつも、足音も、地面にかける負荷も調整し続けた。

 秒間数キログラムの変化程度であれば、俺なら適応できる。

 ゾーンに入れるほど自分と向き合い続けたナルシストを舐めんじゃねえ。


 そうして俺は段階的に体重を増やしていき。


 力士以上の重量をもって、先回りを完了させたフレアと対峙する。


 その小さな体にタックルをぶちかます。


 体重差は絶対だ。技量など関係がない。

 俺の確信を読み取ったのだろう、とっさに首と股間を狙ってきたのは大したものだが、反射神経は男の方が有利だ。まして俺は|パルクール実践者《トレーサー》――つまり人類で最も速い。素人は相手にならないし、人しか相手にしない格闘家やスポーツ選手の類もたかが知れている。

 仮に俺が一般人のままでも、負けることはまずなかった。


 ガードして難なく受け流して。


 俺のタックルは直撃して。


「ウッ」


 ここで初めて声にならない声をあげたフレアが、交通事故のように吹き飛んだ。


 俺は体重増加を除いて|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》しか出してない。

 実際、わざわざ俺達を追いかけてきたラクターも何もしてこない。

 怪我でもすれば話は別だが、フレアは柔じゃない。しっかり受身も取ってやがる。仮にしたとしても、俺達が普段鍛錬しているのは知っている。大怪我でもなければいちいち首を突っ込んでくることはない。


 そして懲罰隊には、前世の警察とは違って通報という概念も無い。

 フレアが訴えたところでラクターは動かない。


(ダンゴ。同じペースで元の体重にまで落としてくれ。クロも継続)


 境界を抜けた俺は、引き続き暗き荒野を走る。


 後方からは地面をどんと叩く振動を観測した。

 打撲くらいはあるだろうに、元気な奴だ。

第328話 会議当日2

「そうだろうか。僕には怪しく見えなかった」

「意外と節穴なのね。どう見てもレベル1の範囲を越えてるじゃないの――って何かしらルナ」


 ルナ、ユズ、ヤンデ、アウラ、ラウル――ラウルが『ユニオン』と名付けたシニ・タイヨウ捕獲チームは、まさにアンラーとフレアの逃走戦を空から観察していた。


「いーえ。私達がそういう目を養えたのもつい最近であって決して威張れるものでもないなと思いながら見ていただけです」

「養えているのは事実よ。マウント取って何が悪いのかしら?」

「強いて言えば性格じゃないですかね」


 ユニオンの一行は隠密《ステルス》を施し、アンラーからおおよそ五百メートルの高度を保って飛行している。

 どちらも苦手なのはルナとラウルで、ルナはユズを肩車、ラウルはアウラの肩を地面にして立っている格好で全面的に相方に任せている。ヤンデだけは一人で寝そべる体勢となっており、王女やエルフの面影は無い。


「レベル1なんて見向きもしなかったけど、そうか――これからはそういう戦い方もありえるんだな」

「何一人でカッコつけて納得してんのよ」

「君達が職練で取り組んでいる活動、『プレイグラウンド』といったかな。今度僕も混ぜてもらえるかい?」

「お断りよ。第一級冒険者が貧民エリアに通っていいわけないでしょ」

「変装すればいいさ。な、アウラ――アウラ?」


 ラウルが見下ろすと、アウラは突き立てた杖に顎を預けており、げんなりとしている。あざとさの演技は欠片もなく、「お疲れ様です本当に」ルナが思わず改めて労うほどだった。


 アンラーを発見できたのはアウラの尽力が大きい。

 タイヨウやジーサの性格から考えれば、朝一で行動を始める可能性が高い――そう考えたルナとヤンデの意見を踏まえて、今日早速特区全土をスキャンしたところ、朝六時から外出する者が十数ほどヒット。

 移動自体はユズとヤンデに任せっきりだったがスキャンしたのはアウラであり、得意技でもある人の体外気流《エアー・オーラ》を読み取る『体外気流感知《エアウェアネス》』を用いたのだが、特区とはいえ全土を短時間で調べきるなど規格外の処理能力であり、ヤンデのマジ引き顔を引き出すほどだった。


 ともあれ対象を絞れれば、あとは個別に見ていくだけだ。ルナとヤンデが直々に観察を行い――

 それで一般人超えのパフォーマンスを出していたのが、眼下の男だったというわけである。


「回復はしただろ。いつまでだらけてる」


 げしげしと肩を踏んだり、側頭部を蹴ったりするラウル。

 もちろんこの程度はダメージにもならないし、付き合いが長くて遠慮も要らないのもわかってはいるが、それでも女性に対する扱い方ではない。

 残る三人は無言で憐憫の視線をおくるのだった。


 地上のアンラーを追いかけるだけの、静かな時間が続く。


 それも数分ほどで破られた。


「ラウル。私達がなぜ静観しているのかを、もう一度教えてもらえないかしら」

「……何が言いたい?」


 相方の覚醒を諦め、背中から抜いた二本の大剣のメンテナンスをするラウルがその手を止める。


「あれを今から攫《さら》った方が早いんじゃないのって言ってるのよ」

「ダメだ」


 即答するラウルに全員の視線が集まる。


「あれは十中八九ジーサよ。今なら無関係の市民を巻き添えにせず攫える」

「そういう問題じゃない。国に気付かれたらどうする」

「皇帝でもなければ出し抜けるわよ。私もいるし、ユズもいるわ」

「その皇帝がいたらどうする? いないと証明できるかい?」


 常識的に考えれば、忙しい皇帝が偶然こんな所にいるとは思えない。

 そしてルナはともかく、ヤンデやユズほどにもなれば、隠密や探索といったもののポテンシャルもわかる。いくらブーガであっても、今この場所で攫われようとする一般人を知ることなどできやしない。

 それくらいラウルもわかるはずなのに。


「竜人協定に縛られている師匠がなぜ巷で恐れられているか。なぜ誰もダグリン共和国に立ち入ろうとしないのか。その理由をよく考えてほしい。わからないなら、今から教えてやるよ」

「偉そうに」

「せっかくですし、聞きましょうよ」

「聞かないとは言ってないわ」


 苦笑してなだめるルナと、腕を組んでふんっと不機嫌丸出しの態度を出すヤンデに対して。

 ラウルはどこまでも真顔で、声音にも真剣味しかなかった。


「ヤンデにはFクラスの時にも話したと思うけど、師匠は国の在り方として、強者による繊細な独裁が理想だと考えている。ダグリン共和国は皇帝ブーガ自らが体現したサンプルと言っていい」

「ブーガがここにいるいないの話なのだけれど、どう繋がるのよ」

「そんな師匠にとって最も厄介な問題は、自分を脅かしうる強者の存在なんだ。独裁は武力で圧倒できないと成立しないからね」

「気に入らない強者を殺すとでも言うのかしら? それこそ竜人が黙ってないわよね」

「だからこその国家さ」



 罪人なら処刑できるだろ?



 その一言で、場が腑に落ちる。


「……たしかに、第一級冒険者が処刑された事例も聞いたことがあるわね」

「あの男を攫うと、不法入国と国民拉致の罪を犯すことになるわけですね。罪はどれくらい重たいのでしょう?」

「投獄、罰金、体罰が基本だけど、ここは師匠の国だからね。皇帝なら何でもできるさ。それこそ死刑も」


 格上に殺されるリスクがあるということ――


 冒険者だからこそ、たとえわずかな可能性であっても見逃せない。

 ヤンデにはもう先の提案を続ける意思は無かった。


「それでもまだ繋がらないわよ」


 そうではないことを願うかのように、か弱めの声で続きを問う。


「師匠は何もダグリンの国民にこだわっているわけじゃない。その対象はあくまでも全人類だ」

「壮大ですね」

「ジャース全土をダグリンのやり方で統治することが師匠の人生目標と言えるだろう」

「……壮大ですね」


 どこか他人事だったルナも冷や汗を流す。

 直接ブーガと面識があるわけではないが、ラウルの雰囲気と、きゅっと細い太ももで首を締めてくるユズの静かな畏怖を受ければ伝染もする。


「そうした場合、師匠にとって厄介な存在とは誰か」

「――私達ね」

「もちろん露骨に消すわけにはいかない。協定もあるし、ただでさえ国も世界も危ういバランスで成り立っているからね。でもやり方が無いわけじゃないんだ」

「罪を犯した相手であれば、皇帝として堂々と処刑できるってわけね……」

「国の範疇だから、竜人協定も及ばず竜人が出てくることもありませんね」


 まるで強者と相対しているかのような緊張感が醸成されていく。

 ルナも、ヤンデも、ユズも。


 たった今理解したからだ。


 もしブーガが自分達の動向を知っていたとしたら。

 処刑できる好機と考え、今も罪を犯すのを待っているのだとしたら――


 無いとは言えない。

 そもそもブーガはジーサと関係を結んでいる可能性が高い。

 ならば護衛のように高頻度で注視していてもおかしくはない。


 ブーガ・バスタードは大陸一の剣士《ソードマン》として知られるが、レベルと魔力量も随一だ。ステルスを含め、あらゆる魔法やスキルに精通しているとされる。


 ひょっとすると、今も近くで潜んでいるかもしれないのだ。


「観察に徹している理由。わかってもらえたかい?」


 話は終わりとばかりに、ラウルは大剣の手入れを再開する。


「……だったら最初からそう言いなさいよ」


 鞘だけが残った背中をヤンデが蹴り上げるも、ラウルは手入れに夢中で相手にしない。横顔も晴れないし、体調の戻ってきたアウラもさっきから一言も茶々を入れてこない。

 まるで師匠との戦闘を想定しているかのような気迫さえあった。

第329話 会議当日3

 第七週十日目《ナナ・ジュウ》十二時三十二分。

 雨どころか曇りすらないジャースの晴天に照らされるここは将軍会議会場、特区3534群。

 本来なら木々や岩さえも見当たらない荒野っぷりで、どこを見ても地平線、時々コンテナ時たま通行人程度の地味な光景を味わえたのだろうが。


(人が多っ)


 この群衆を見て最初に思い浮かべたのはコミケだった。

 人数は千どころではなく万の単位であり、会議の会場であろう場所から同心円状に人混みが広がっている。


 外側は事実上お祭りだった。屋台や露店が多く、酒を飲みながら駄弁ってたり食べ歩きしたりといった光景が至るところにある。

 用は無いのでスルー。


 内側に行くにつれて客席の様相を呈してくる。

 整理は行き届いており、岩製の柵によって客席と通路が交互に区切られている。前世だと木が使われるが、ジャースだと岩が多い。土魔法でつくりやすいからだろうな。

 まるでスタジアムのようだが、そう呼ぶには違和感がある。高低差も無ければ椅子も無い。


「押すなよオイ、こら」

「ここからじゃ見えんぞ! もっと進めぇ!」

「無視すんなこら」


 前世との違いを上げるなら、順番や席という概念がなく現在進行形で取り合いが起きているところか。

 俺も既に前進中だが、まるでスーパーのタイムセールかラッシュ時の満員電車みたいな居心地の悪さで揉みくちゃ必至だ。「ちょっとアンタ大丈夫かい!?」ありがとう、優しいおばさん。大丈夫なんで。たぶん前世で一番慣れてる民族なんで。久しぶりだったからバランス崩しただけだ。


「違反者は拘束だ!」

「そこ! 殴っただろ!」

「凶器は出しただけで連行するぞ!」


 懲罰隊員も出動しており、俺達に聞かせるように大声を上げながらも違反者――暴行や乱暴を働いた者を物理的に浮かび上がらせては連行している。

 どこかで誰かが話していたが、|監獄エリア《ジェイル》の人員を増やす目的もあるんだとか。真偽はわからんし、興味は無いし、近づきたくもないし、それどころじゃねえけど。

 てか凶器って。どの世界にも頭沸いてる奴はいるってことかね。だからそれどころじゃない。


(とりあえず最前席)


 この分布から見て、中心部に将軍全員が集まると見て間違いない。確実にリリースを当てるためにも接近はマストだ。

 上手く人をかき分け、くぐり抜け、邪魔なのは体勢を崩すなどして分け入る。

 分け入っても分け入ってもむさい人――お、後ろ姿美人のお姉さんだ。ワンピースなのに尻がくっきりしている。


 もちろん突破する。

 足払いは二倍の体重差がなければ耐えられない。はい終了。派手に尻餅つかせちゃったが、その尻ならさして痛くはあるまい。

 一応落ちる直前に支えてやったから衝撃もたかが知れてるはず。代わりと言っては何だが、尻の感触はいただいた。


(良さがわからん)


 痴漢で最も触られる部位だというが、視覚的魅力はともかく触覚的に何がそそるのかがわからない。筋肉寄りの感触って男を想像しないか?

 俺だったら胸に行くぜ。


(痴漢はやめような)


 相棒達に一方的に独り言ちながらも、俺はずんずん進んでいった。

 フレアとの逃走戦と比べればぬるま湯だ。ここ会場でも鉢合わせら厄介だと思っていたが、この人混みなら心配無いし、タイムアップも近い。


 程なくして最前列の一つ後ろに来た。

 どこも既に満員だったし、譲ってもらうコミュ力も無いのでここで妥協するか。


 ぐいぐい押し込んでくる奴らには全力で抵抗する。


 感覚的には前世の電車と大差無いな。

 強引なねじ込みとか身体掴んで引っ張るとか、あるいは俺がそうしたようにこかしてくる程度はあるが、露骨な暴力は無い。懲罰隊という暴力装置はかくも優秀である。前世も見習ってほしい。

 もちろん、してやられる俺でもなく、死守を続けて。


 十二時四十五分――


「これ以降は席取りを禁止する!」


「通路にも立ち入るな! 今居る者は速やかに出ろ!」


「将軍線より内側は死罪である!」


 将軍線とは最前列の内側のことだ。

 それはともかく、振動交流《バイブケーション》によるアナウンスである――あれほど騒々しかった押しくらまんじゅうが嘘のように止んだ。


 誰も懲罰隊の世話にはなりたくないのもあるだろうが、振動交流の、こう耳に音がぬるっと入ってくる感じが怖いよな。

 戦意どころか生命を喪失するような、不思議な感覚がある。恐怖よりも先に身体がロックされる。

 シッコクが多用していたのも、効果的に威圧できるからだろうな。


 ……今何してんだろうなアイツ。頼むから俺の前には現れてくれるなよ、と祈るのはかんたんだが、そうもいかないだろうなぁ、絶対しぶといし強いし。まあ利害が衝突しなければ不干渉でいてくれるとは思うが。


「若えの。一人か?」


 前のおっさんが振り向いてきた。


「そうですけど」

「目当ては? オレはイチノ将軍だぜ」


 美将軍《ジェネラレディ》の話は聞いてる。イリーナ、イチノ、ノウメだったか。


「あの、よろしいんですか?」


 おっさんの隣、奥さんと思しき若妻に視線を向けると、「良くねえな」がははと笑いながら肘鉄を食らっていた。

 横腹へのクリティカルヒット。かなり痛そうだが……ああ、涙目になってる。


 それからもしばらく話した。

 若妻の方は皇帝ブーガを一目見たいらしく、将来は政府に就きたいらしい。美人だがスパルタが好きそうな冷たさで、おっさんは付き添いだそうだが完全に尻に敷かれている。

 将軍ファンのアンラーとしてははしゃぐ場面なのだろうが、取り繕う相手もいないため、ひたすら傾聴に徹していた。


 十二時四十九分――

 最初の将軍が到着する。

 事前に下見していたのだろう。ゲートからの来訪だ。自分が行使したというより、配下の者に使わせたという印象。


「イリーナ様だ」

「イリーナ様!」

「イリーナさまっ!」


 ライブハウスのような小規模な熱狂は聞き流すとして、ようやく観察に入れる。


 中央には青と銀が混ざったかのような色合いの棒が刺さっている。見覚えがあるし、周辺大気の異様なブレなさからもわかる――ミスリルだ。

 地面から出ているのは二メートルほどだが、たぶん地中では十倍は長い。


 イリーナと呼ばれた女は、一言で言えばロリ巨乳だった。

 身長は150も無いが、出るところは出ているし、露出も多い。ゲート先の妖しい雰囲気から考えても、娼館サイドの人間だろう。


(深追いはするなよ)


 ダンゴ達、というよりは自分に言い聞かせる。口内発話が聞かれないことのテストも兼ねている。

 ヤンデにもバレなかったから問題無いはずだが一応な。


 どうせ俺程度では将軍級とは渡り合えない。

 ただの一般人として、雲の上の人を崇めるかのように過ごせば良い……いや、この熱気を考えればアイドルとそのファンって感じか。鎮まらないと弾圧される、みたいなヒエラルキーは無い。

 というわけで、無難にガン見しておく。


(空にもヤバいのが一人いるな)


 特区民以外の国民はいないため、いるとすれば領空外三百メートルより先だ。

 てっきり外部の観覧客が多いかと思いきや、十人もいない。俺の認識能力だとあやふやだが、全員鳥人の形状をしていると思う。いや、一人だけ人間がいる。


 問題は、その中にミーシィらしき気配があることだ。

 交易区域《コマースゾーン》で相対したからわかる。鳥人の空気振動は人間よりもはるかに情報量が多くて、スマホの画面とタブレットの画面くらいに違う。

 だからわかる。あれはたぶんミーシィ。前みたいにオーラをぶつけてきてないのがせめてもの救いか。目立つからやめろよ本当に。


(その隣の奴がヤバい)


 気配だけで禍々しさが演出されるのは鳥人だからだろうか。怨敵を探していて、見つけ次第即行で貫いてきそうな、そんな危うい圧がある。

 レベルはよくわからん。

 オーラも撃ってこないし、撃ちまくって探る様子もないが、第一級だと言われても信じるかもしれん。



 ――あー、でもお姉ちゃんがうるさそう……


 ――そだねー。控えめに言って殺されると思う。



 思い出した。そだねーじゃねえよ。ミーシィの姉だ。

 シスコンなのだろうか。エルフのリンダさんとどっちがこじらせてるか。ともかくミーシィさん、頼むから俺に目をつけてることはバレないようにしてくれよ。オーラもそうだが、凝視するのもナシで頼む。


(ノイズにとらわれるな。やるべきことをやれ)


 将軍線の円周がざっと半径十メートルで、イリーナが座ってるのは中心から二メートルほど離れたあたり。

 実力者には誤差の範囲だが、この差が生死を分ける可能性もある。少しでも直感で行動できるよう、この地形を頭に叩き込む。といっても将軍を差し置いてきょろきょろするのも不自然だから、あくまでもイリーナに見惚《みと》れる体は崩さない。


「イリーナさま!」


 男児の声だった。アニメのヒーローに向けるような声音だ。直後、「バジル!」美味そうな名前だが人名だろう。そして母親だろう。

 その子はイリーナに近寄りたいらしく、通路に出た後、中央へと向かっていく。


(懲罰隊が仕事しないな――ああ、そういう)


 想像どおり、男の子が線を一歩越えた途端、ズドンと。

 一般人には過剰な空気砲が打ち込まれて。


 死体は《《四十メートル以上吹き飛んだ》》。


 俺はアンラーの演技として口に手を当て絶句しつつ、「見せしめだな」おっさんの気の毒そうな言葉もスルーしつつ、改めて思う。


(原型を留めたままあそこまで吹き飛ばすのは普通じゃないぞ……)


 一般人の人体に相当慣れてないとできないはずだ。娼者《プロスター》として一般人も相手にしてるから、なのだろうか。

 何にせよ無詠唱だったし、さすがは将軍といったところか。


(このクラスがあと七人――ダメだ、考えるな)


 雑音にとらわれるな。

 俺のやるべきことは一つ――リリースを撃つことのみ。


 グレンさえも殺せるんだぞ。将軍とはいえ為す術はない。放てば勝ちだ。

 そもそもブーガが持ちかけてきたってことは、俺に勝算はあるということ。


 なら案ずることはない。


(本質だけを見ろ。確実に放てる確証を掴め。ブーガだけ生かせる量を導け)


 ちなみに既に4ナッツをセットしている。

 3ナッツとどっちがいいかで迷ってんだよなぁ。

 勘だが、4ナッツだとブーガも死ぬかもしれないし、逆に3ナッツだと将軍を一人くらい取り逃しそうな気がする。

 いやグレンは殺せたわけだが、第一級クラスのタイプにも色々ある。1ナッツで瀕死するアウラもいれば、2ナッツでもケロッとしてるギガホーンみたいなのもいるわけで。

 いずれにせよ至近距離だったわけだが、今はそうじゃない。最も近くて八メートル、最も遠ければ十八メートル近くは空くことになる。


 この距離差がどれほどの影響を及ぼすのか――たとえば反応されてゲートで逃げられたりする余地を与えてしまうのかどうかは正直わからない。

 ただ、3ナッツだと危ない気がするし、4ナッツだと過剰な気がするのだ。


 わからないからこそ、確証が欲しい。

 冒険者も直感が大事らしいが、俺はまだそこまで自信を持てない。


(展開は二通り考えられる。一つ、ブーガがさりげなくヒントをくれるパターン)


(そしてもう一つはノーヒントのパターン)


 グレンの時と同じだ。下手な小細工をかける余裕はない。

 第一級ですらない俺は詠唱することだけに専念するべきだ。


 もしノーヒントだった場合は、このまま4ナッツで行く。

 ブーガも死ぬかもしれんが、もう賽は投げられた。今さらどうしようもない。


(ノーヒントの可能性が高いんだよなぁ)


 ここまでブーガからの干渉は皆無に等しい。

 俺に全てを託している。自分の命さえも。その狂気はあの一晩で話してよくわかったが、


(いやヒントくれよマジで)


 今さらむかついてきた。いやバグってて平静ではあるけれど、それでもだ。

 もし成功したら、リリース耐久実験に付き合ってもらうからな……。


 それからももう一度だけ見せしめの処刑はあったが、続々登場する将軍のインパクトの方が強く。

 客席はすっかりコンサートのような盛り上がりだった。

 反面、将軍線の先はしんとしていて、誰一人何も喋らない。いや一人だけ、デミトトとかいう性欲強そうなおっさんはニヤニヤしながら美将軍を視姦してたけど。


 量産型の黒スーツ男も二人いる。ガートン職員だ。取材だろうか。

 応対しているのはイリーナだが、なんか空に撃ってるな。

 檻というか、網というか、漁を彷彿とさせる広域な視覚効果《エフェクト》で、どうも領空内を囲んでいる模様。たぶん隠れてる奴をあぶり出しているのだろう。用意周到だ。


 そうして全員が出揃い、ガートン職員も含めて舞台が完全に静かになった後。


 午後一時。


 主賓が降り立つ――ことはせず、「ふむ。全員揃っているな」客席最前列から太ったじいさんが線を越えてきた。

 だよな。アンタ、変装も鬼のように得意だよな。


 将軍達は即座に臨戦体勢である。

 ユナキサだっけか、パレオみたいな短い布を腰に巻いてるだけの槍男が、俺にも視認が怪しい速度で一閃――


「……さすが」


 指でつまんで止められたことで、ユナキサはおとなしく、しかし嬉しそうに自席に戻った。

 他の将軍含め、感情の乱れた様子は無い。やっかみくらいありそうなものだが。日常的な営為なのだろう。


 衝撃波の類はイリーナが吸収したと思われる。何か唱えたようだが、声が小さすぎて聞こえなかったし、


(詠唱速度と展開速度速すぎね? 俺の詠唱で先回りできんのかこれ……)


 考えるなと言い聞かせているのに、つい心配が顔を出す。


 じいさんの変装が解除された。

 青髪のポニーテールが姿を見せたが、服装はぼろぼろで尻とか穴空いてるし、ロングソードも錆だらけだった。何考えてるかなんてわかりゃしない。結構な天然だとは思うんだが。


 皇帝ブーガのお出ましだ。

第330話 会議当日4

 ミスリルポールを囲むのは八名のダグリン将軍達――。

 その円陣の三歩外にて、情報屋ガートンの社員二人が並んで直立する。


 うち一人、男性社員マルクリッドの正体はスキャーナである。


(また社内が荒れそうだなぁ……)


 先ほど皇帝補佐イリーナと軽く打ち合わせを実施した。

 曰く、ダグリンは外府ガートンの活用を強化するという。その一環が、この将軍会議の取材および報道である。


 この国は巨大な市場だ。それも独裁者によって棲み分けもなされており、利権が手に入れば事実上の独壇場になる。

 情報屋として選ばれたのはガートンであり、ジャースには競合もいない。

 よって本件を手にした者が丸々成功を手にするに等しい。そうでなくとも将軍とのコネクションを得る好機でもある。


 権力闘争は火を見るより明らかであった。


(にしても危なかったな。ファインディさんに用意してもらえてなければ今頃……)


 まだ担当将軍はいない。外府ギルド統括はギケーシだが、外府ガートン統括は不在で、皇帝補佐が暫定であった。

 そのイリーナの底力を早速見せつけられた形だ。


 システム『檻《ケージ》』。


 イリーナの十八番《おはこ》であり、様々な檻を瞬時に展開できるようだ。

 檻は感覚とリンクしているらしく、内部の状態を高密度に把握する。そうでなくとも空間全体に蓋をすることができ、空間点検にはもってこいの|スキル群《システム》だろう。

 最大の特徴は無速度《スピードレス》の展開速度であり、詠唱速度で上回らない限りは先手を取られてしまう。その詠唱も抜群に速い。


 もし隠密《ステルス》で潜むやり方を選んでおれば、あの時に見つかり、捕縛されていたに違いなかった。


(でも、こんなもんか……)


 今はまだ実力が足らないが、負けるビジョンが浮かばない。


 そうなのだ。

 それなりの冒険者だからこそ、自分のセンスというものもわかる。


(ぼくには天性のセンスがある)


 このまま順調に過ごせば第一級冒険者くらいにはなれるだろう。

 皇帝ブーガや上司ファインディはわからないが、そこに近接する程度の強者にはなれるだろう。

 なりたくてなれるものではない。間違いなく恵まれている。


 だけど。


(そんなの待ってはいられない。今、会いたいんだ)


 視線やオーラを向けることはないが、ちょうど正面の、最前列の一つ後ろにアンラーが――ジーサがいる。

 今も素知らぬ顔で完璧に一般人を演じている。


(何もしないのかな。何かするのかな。ぼくはどうするべき?)


(この状況下では何もできないよ)


(できないことが悔しい。学園の優等生? ガートンの若手筆頭? そんなのはどうでもいい。ぼくは今、欲しい)


(――いや、仕事しなきゃ。ファインディさんの顔に泥を塗ってはいけない。あの人はそんなこと気にしないけど、体裁上処罰はある。お仕置きは嫌だ。どうせ鍛錬に付き合わされるに決まってる……)


 みっともない本心が出たところで、スキャーナは苦笑を乗せる。もちろん内心で、だ。

 表面上は石像のように微動だにしない。

 隣の社員も同様で、私語などもってのほかだが、このレベルの重圧にはまだ慣れてないらしく、かすかに震えている。


「ふむ。全員揃っているな」


 午後一時。客席から皇帝が出てきた。

 軍部冒険統括ユナキサの一突きも難なく受け止め、その衝撃を「【衝撃圧縮檻《インパクト・コンプレッション・ケージ》】」イリーナが吸収する。


(長い詠唱なのに速すぎる)


 スキャーナはイリーナの口元を視認していたが、速度の次元が違うと感じた。


(ろくに見えなかった)


 振動の読み取りには長けているから何と言ったかは後追いでわかるものの、戦闘ならば命取りだろう。

 魔素が飛び散る無詠唱の方がまだ捉えやすい。


「議題を一つ持ってきた。民の意見をこの場で聞き、貴殿らにはこの場で回答してもらう」


 いきなり喋り始めたブーガの音声が、振動交流《バイブケーション》によって会場全体に拡散される。

 一般人相手でも威圧にならないほどに柔らかくて上品な流し方だが、その繊細な制御がかえって恐ろしい。


 レベル1であっても、本能的にわかるのだろう――

 あれだけ賑やかだった音声がぴたりと止んだ。


 少しでも声を漏らした瞬間、殺されるかのような。

 別にそんなルールなど無いのに、客席は息苦しい緊張感に包まれた。


(軍部懲罰隊統括ノウメ)


 分厚い着物を着込み、目を閉じて正座している女性――彼女による中継なのだとスキャーナはかろうじて理解できた。


「民は無作為に選ばせてもらう。観覧する国民の諸君、これより十人ほど選ばせてもらう。選ばれた者は浮遊させて私のそばに置く」


 デモンストレーションとばかりに浮いたのは、常人なら窒息するに違いないほど隙間を潰した装備品づくめの男。


(軍部監獄統括ゲダンタン。これを軽々持ち上げるなんて……)


 |レベルの高い肉体《ランカーフィジカル》を魔法やスキルで持ち上げるには相当のレベルを必要とする。

 無詠唱で軽々持ち上げられるのは格上だけだ。


(ぼくでは到底敵わない将軍を、軽々持ち上げる皇帝……)


 ブーガ・バスタードは別格なのだと思い知らされる。

 毎週将軍会議に参加する将軍達はなおさらだろう。もちろん従わなければ処断される。実際そうなった将軍も何人もいる。


 涼しい顔で佇む彼ら彼女らの胸中は一体どのようであろうか。


「十秒後に開始するゆえ、心の準備をせよ。十、九――」


 ブーガのカウントダウンだけが虚しく響く。

 その秒刻みはスキャーナの体感では極めて正確で、それはブーガがスキャーナ程度の解像度とは無縁の、細かい世界にいることを意味している。この一点だけ見ても、現時点では雲泥の差があることがわかる。


 レベルの暴力は、ありとあらゆるタイミングで顔を出すのだ。

 それでもスキャーナは慣れているから平気なものの、隣の社員に至っては恐怖しながら絶望もしているという、何とも器用な横顔を浮かべている。ぎりぎりだ。あと一つ刺激が加わったら、よろけるだろう。


「――二、一。零。【無作為選択《ランダムセレクト》】」


 客席から十箇所ほど突出する。一般人の身体を傷つけず、びっくりもさせないよう、歩行程度の速度で五メートルほど浮かされた。


(ジーサ君もいる……)


 十人の中にはアンラーも含まれていた。

 アンラーは無難に驚く演技をしている。浮いている状態の慌て方や身体の動かし方もレベル1を脱していない。どこまでも役者だ。


(……偶然じゃない。これを狙ってたんだっ!)


 冒険者の直感が警告を鳴らしている。


 何か仕掛ける気なのだ、と。

 そしてジーサにできることと言えば、一つしかない。


(逃げないと)


(火力は知ってるよ。ぼくは間違いなく死ぬ。客席も。空も。たぶん将軍も)


(でも皇帝補佐《イリーナ》がいる。ジーサ君のレベルがアナスタシア水準だとしたら、先手は取れない)


(仮に放たれた場合、皇帝自身も無事じゃないと思う)


(でも二人は組んでいる可能性が高い。殺す真似はしないよね?)


(杞憂なのかな。単に正式に抜擢にするとか?)


(わからない。何をするつもり、なの……?)


 可能性は多数あれど、直感は無視できない。

 スキャーナの意識は、戦略は、逃走と生存に傾き始める。まるで天秤の片側を押さえつけるかのように。


 それを無理矢理食い止めて、冷静に俯瞰にも努める。本当なら深呼吸でもしたいところだが、この状況では怪しまれるだけだ。

 ただただ生理反応を強引に鎮めながらも、スキャーナは頭を回転させ続けた。


「――貴殿らには国に対する要望や不満を述べてもらう。この順番で行ってもらう」


 ポールに座るブーガの頭上に集められた特区民十人が、一列に並び替えられる。

 混乱させないためだろう、並び替える時に使う『無作為選択《ランダムセレクト》』は無詠唱であった。

 アンラーは三番目だ。


「意見を述べる前には詠唱を言ってもらう。サンダー、ウォーター、ファイア――この通りに発音するが良い。これは侵入者のあぶり出しである。貴殿らは特区民であり、レベル1であるはずだ。もし詠唱の後、魔法の発動が確認された場合は、この場で処刑する」


 十人の民はピンと来ない様子だったが、処刑の一言で露骨に狼狽え始めた。「落ち着くが良い」それをブーガが沈静化させる。

 糸のような微細な視覚効果《エフェクト》をスキャーナは認識した。

 脳に突き刺しているようであった。


(回復魔法で平静を戻した? そんなことができるの? ううん、違う)


 興味深い現象だが、今考えることではない。


「では始めよう。一人目」

「は、はい……」


 十代後半と思しき女性の、汚れなき唇が震えている。

 沈静の回復魔法は何度もは撃たないらしい。人生経験としてあえて積ませるつもりだろう。一般人には酷だろうが、実力者は過酷に倒したがる。


「まずは詠唱をせよ」

「さ、サン、ダー……」

「サンダー、ウォーター、ファイア。全部言わねばならぬ。区切らずに明瞭に言え」

「サンダー……ウォ、ウォーター……ファイア……」


 言い終えた瞬間、がばっと頭を抱え込む女性――

 だが、彼女からは魔法は発動していない。


「ふむ。貴殿は問題無い。続けて意見を述べよ」


 ここで回復魔法の糸が撃たれる。「あ、え、あれ……」精神状態をいじられたようなものだ、困惑しているのだろう。

 それでも恐怖下のまま喋らせるよりは早い。


「私はナーサリーに勤めています。赤ちゃんも子供も大好きで、授かりたいと思っていますが、私は産めない体です――」


 目上に要求なんてしていいのか、と半信半疑の面持ちが見て取れるが、「良い」皇帝が直々に肯定する。


「私が保証する。貴殿に楯突く者があれば、私が処分しよう。お礼の言葉も要らぬ。述べよ」

「――そんな私でも、子供を持てる制度が欲しい」

「クトガワ。答えよ」


 小太りで頭の禿げた男――政府政治統括クトガワが、閉じていた目を開く。


「まず赤子については、ご存知の通り、国が一元的に管理し育てることになっている。子供は国の宝であり、一元的に水準を担保するのが理に叶っているが、赤子はまさにそのスタートラインであり繊細な生物でもある。素人に任せることはできない。次に幼子だが、現状の方針としては――」


 特に時間制限は設けていないらしく、好き勝手に語らせるようだ。ならばある程度時間を稼げる。

 スキャーナは半分以上聞き流しつつも、ここからどう逃げるか、できればアンラーとどう逃げるかの策を錬り始める。


 かんたんではないことはわかっている。おそらく不可能であることもわかっている。

 それでも、諦めたらそこで終わりだ。

 後先や未来を考えている場合でもない。事態は絶体絶命なのだ。


 スキャーナは脳を捻って、絞って、ちぎるつもりで集中に堕ちる決断をした。

第331話 会議当日5

(いやヒントくれんのかよ)


 ひとまず一か八かのギャンブルにならなくて良かったぜ。


 民の意見という名目で、ブーガは俺を選んだ。

 そして三番目に据えてきた。


(なら俺はサインだと受け取る)


 三ナッツで撃て、だ。

 ブーガはナッツ――至近距離の近衛を瀕死にできる威力、という単位を知らない。

 しかし仮に王宮地下やアウラの1ナッツ、ギガホーンの2ナッツ、グレンの3ナッツと全てを観測しているとすれば、そのどれかを基準と見るだろう。


 三番目だから三。

 この数字が意味するのは、この場合は倍数しかあるまい。

 とすると残りは基準値だが、2ナッツだと6ナッツであり、単位がわからずとも明らかに過剰であることはブーガでもわかるだろう。3ナッツに至っては9ナッツ――論外である。正直俺も想像できない規模だ。

 となれば、基準は1ナッツであり、その三倍だから、


(3ナッツだ)


(ダンゴ。クロ。俺は3ナッツを放つ。――もう少しでお別れだな)


 アンラーの容姿を最低限維持してくれている分を丸々殺すことになるが、もう決めたことだし、コイツらも受け入れてくれた。


 それでも俺は人として、せめて謝意は示したかった。

 バグってて感情は無いけどよ、俺はお前ら二人を家族のように思ってるんだ。


 なら口内発話で言えばいいのに、そうしないのは俺がチキンだからである。

 こんなの恥ずかしくて言えねえよ。いやバグってんだけどさ、それでもだ。くだらないプライドかもしれないが、俺だって男。晒したくないこともある。

 ああ、不器用な父親ってこんな感じなのかもしれないな。


 親父、ねぇ……。元気にしてるだろうか。

 典型的な昭和人間だったけど、親ガチャとしては悪くなかった。母さんより引きずってそうだけど、俺はそれなりにやってっから心配要らねえぜ。


(さて、今は4ナッツなわけだが、どうやって3ナッツをセットするか)


 ちなみに口内発話では詠唱は作用しない。

 俺の体感だが、詠唱は外に向けて音声を響かせる必要がある。もちろんここでそんなことをすれば将軍達に捕捉されるだろう。


(だからこそブーガもお膳立てしたんだ)


 サンダー、ウォーター、ファイアを言え、ともっともらしい手続きを設けているが、俺のファイアという詠唱を知っていると見ていい。

 情報収集能力がエグいんだよなぁ。ひょっとして俺のこと何度も見てたんじゃないだろうかとさえ勘ぐってしまう。


 それはともかく、不自然なく発音できるよう整えたってことは、俺では先手を打てないってことだろう。


(ナッツという魔法やスキルは無い。発現者は俺だけのはずだ)


 楽観的に考えるなら、誰も知らないから疑われることもあるまい。第一、一般人《レベル1》であるから警戒もさほどしていないだろう。

 が、あくまで楽観的に見た場合にすぎない。


 当たり前だが失敗は許されない。

 封印ルートは御免だ。それで二年間どうにもできなくなったら――


(それこそブーガが強攻策に出る)


 シニ・タイヨウの人生が終わる。

 ブーガが甘くないことは知っている。胸の内を隅々までぶつけられた。俺達は一心同体であり運命共同体だ。ああ、誰よりもわかってるさ。

 滅亡バグでジャースが滅びるまで、俺は何もできなくなるだろう。


 バグというせっかくのチャンスを不意にして、俺は天界に戻ってしまう。また転生させられて、そっちで生を全うして、また戻ってきて別の世界《ゲーム》に転生させられて――生き地獄だ。冗談じゃない。

 失敗してたまるかよ。


「クトガワ。答えよ」

「まず赤子については、ご存知の通り、国が一元的に管理し育てることになっている――」


 一人目の問答がもう始まっている。時間がない。


 要は『サンナッツ』の五文字が言えればいい。

 スキル『ナッツ』は、俺が発現《エウレカ》させたもので、内部的にはスキル『チャージ』を使うのみ。で、この場合のチャージはリリースの出力率を変えるだけであり、俺自身にのみ作用するもの――ゆえに魔子線といった外部作用は起こらない。

 発動してもバレないはずだ。

 まあ仮にバレるとしても、どのみち発音しないわけにはいかないんだけども。


(俺の発言が許されるのは、三人目の番が来たときだけ)


(かつ手続きの詠唱を発するまでの間だけ)


(ブーガが俺を特別扱いするとは思えない。手続きまでに3ナッツをセットしなきゃいけない――)


「ご苦労であった。では次、二人目」

「サンダー、ウォーター、ファイア」

「問題無い。意見を述べよ」

「オレは強くなりたいです」

「……ふむ。続けよ」


 一人目は前世でも見かけた、若くて美人だけど食事に興味がなくてガリガリ寄りの貧相と化している量産型スレンダーって感じの女だったが、二人目は色黒で芸能人みたいな白い歯をしてて、ネックレスとかつけててサーフィンしてそうな男。


「将来は将軍にまで登り詰めて、この国に貢献したいです。この国ではどうすれば最短でなれるでしょうか。また、もっと最短にできる余地はあるでしょうか。あるなら取り入れてほしいです」

「ふむ。私が答えよう」


 ブーガはあぐらをかくと、刀身剥き出しのロングソードを両膝に乗せる。錆だらけで、一般人でも折れそうなくらいボロい。

 それを愛おしそうに撫でながら、


「まずはレベルと身体感覚である。レベルはお金や人脈、魔法、スキル、健康といった何物よりもはるかに大事であるが、これだけでは足りぬ。レベルがもたらすパワーで動かすのは自分の肉体だ。肉体は最大の道具である。道具は扱い方を心得ねばならぬ。その練習はレベル1でもできることだ。いや、魔法やスキルにとらわれぬレベル1だからこそできることだ」


 ロングノードを愛でてる意味はわからないが、くそ、こんな時に限って俺も聞きたくなるようなこと言いやがる。

 マジで何なの。アンタがもっと協力してくれたら、俺はこんな窮地にはいねえと思うんですけども。


 とはいえ、もしかしたらヒントをくれるかもしれないので傾聴は必至だ。


「我らを目指すというのであれば、まずは特区でゆとりある生活を実現してみせよ。それほどの情熱と要領があるのであれば、冒険者になっても大成するであろう。逆に、その程度もできないようであれば、どの道、我らには届かぬ」


 しっかしまあ、間もなく俺が全部壊すというのに、そんなことはおくびにも出さないでしれっと皇帝やってら。

 今さら何言っても仕方ないし、他の手も無かったわけだが、俺はとんでもない化け物と組んだんだなと思い知らされる。


「もう一人ほど語ってもらおう。貴殿が選ぶが良い」

「オレが、ですか」


 ブーガの上目遣いを受けた男は、しばしの当惑を見せた後、両手でどぞどぞのジェスチャーで一人の美将軍《ジェネラレディ》を示す。


「イリーナ。答えよ」

「はい。私は権威を最大限活用しています。皇帝ブーガ様の補佐を務めさせていただいている傍ら、娼館セクセンにて娼者《プロスター》としても働いております。本国と娼館、二つの権威の下でこの身を捧げ、邁進してまいりました。その結果が今の私をつくっています。結果は求めるものではなく、後から追いついてくるものです」


 長い物には巻かれろってことか。俺は嫌いだけどな。

 巻かれて息できる奴ならそもそも苦労はしねえ。


「では三人目」


(ちょいちょい!? いきなりすぎるだろ!)


 皇帝の上目遣いが俺を向く。いきなりすぎて変な口内発話してしまっただろうが。

 このまま4ナッツ放ってやろうか? ん? 三番目に据えたってことは、4ナッツだとお前も危ないってことだよな。正直瀕死になったアンタも見てみたいし。


(クロ。心臓の血流を詰まらせろ。一般人が死なない程度に、でも苦しんで胸元を押さえてしまう程度に)


 幸いにも策はもう思いついてる。演技のリアリティを持たせるためにあえて命令をしつつ、


「あ、痛っ――すいません、緊張すると、胸が苦しくなって」


 胸を押さえつける俺。指を胸に向けることが重要だ。ここからリリースを放てばゼロ距離で自爆になる。


「良い。まずは詠唱をせよ」

「うぐっ、ううぅ……すみません、誰か薬を……サンナッツという植物でも良い、のですが……」


 よだれも垂れてるし、発音のアクセントも変えたからか、バレていないようだ。


「ふむ。心臓であるか」


 瞬間、クロが意図的に引き起こしていた心臓内の詰まりポイントが、すーっと引き始めた。鼻づまりが引くのに似ている感じだが、体の内側から感じるのは不思議な感覚だ。

 それはともかく、回復魔法を撃ち込んだのか――いや、それを検出したクロが自ら再現しているだけだな。俺は回復効かねえからなぁ。


「え、あれ……あ、ありがとうございます! 嘘みたいに楽です!」

「良い。早く詠唱せよ」

「はい! サンダー、ウォーター、ファイア」


 こんなあっけなくていいのか?


 拍子抜けとはこの事だ。

 いやここまで俺が用心を重ねたからこそだが、それでも本番というものは、無難に行けばつまらないものである。


 あぁ、久しぶりだ。

 決して忘れることのない開放感が俺を包んだ。

第332話 会議当日6

『――貴殿らには国に対する要望や不満を述べてもらう』


 高度三百メートル、領空外には隠密《ステルス》を施したユニオンが勢揃いしていた。


 二本の大剣を抜刀しているラウル。

 既に地上に杖を構えているアウラ。

 相変わらず裸体だが無表情で見つめるユズに、その背中にしがみついているルナと。

 腕だけ組んで静かに佇むヤンデ――


 もう誰も無駄口など叩かない。各自が最高の集中力をもって最善を尽くす、とだけ決めている。


 ただしパーティーとしては三編成で、アウラウル、ルナとユズ、ヤンデと分かれていた。

 場所的にも固まってはおらず、領空外ギリギリにいるのもアウラウルだけで、ルナユズとヤンデはもう少し高度を上げている。


 やむを得なかった。パーティーとは――特に生死を分かつ場合では、信頼関係と阿吽の呼吸が大前提となる。

 この三組にはそれほどの絆は無い。


『意見を述べる前には詠唱を言ってもらう。サンダー、ウォーター、ファイア。この通りに発音するが良い。これは侵入者のあぶり出しである。貴殿らは特区民であり、レベル1であるはずだ――』


「どう思う?」


 アウラの一言に「まずいな」ラウルが即答を重ねた。

 ファイアの詠唱で甚大なダメージを食らったのはアウラ自身であり、その件はもちろんラウルにも共有済。


 つまり皇帝ブーガは知っているのだ。


 ジーサの詠唱『ファイア』を。


 その上で、不自然なく発動できるよう舞台を整えてきた――


「止めないと」

「無理だ」

「全員死ぬわよ」

「止めようとして死ぬのは僕達だ」

「じゃあどうするの?」


 ユズとヤンデにも伝えているはずだが、静観の構えからうんともすんとも言っていない。


『クトガワ。答えよ』

『まず赤子については――』


 眼下の発言はアウラが中継している。このような行事において、領空内の音を拝借するだけなら罪にはならない。

 それで現在将軍クトガワの音声が流れているが、「本質を見誤るな」ラウルが上書きする。


「僕達の目的はシニ・タイヨウだ」


 ラウルの双剣はアウルを向き、それから地上の――三番目に喋るであろう青年に向けられた。


「この様子から考えて、師匠はおそらく死なない」

「どういうことよ?」

「将軍を全員消したいんじゃないか?」



 ――そうした場合、師匠にとって厄介な存在とは誰か。



 ラウルがつい先ほど話したばかりの、皇帝ブーガの本懐。国を支える実力者たる将軍達もまた、その対象なのだろう。

 もうアウラも疑わなかった。


「リリース――かどうかはわからないが、便宜上そうだと仮定しよう。リリースを放ったシニ・タイヨウと合流する可能性が高い」

「ユズさんとヤンデちゃんをぶつけましょう」


 アウラが視線をおくろうとするが、「ダメだ」先にラウルのアイコンタクトが割り込む。

 二人はしばらくお互いを見合わせた後、さっきから全く動かないユズとヤンデを改めて見上げた。


「オーラを交わし合っている?」


 アウラの答え合わせに、「ああ」ラウルも頷く。


 既に皇帝からのオーラが刺さっているのだ。

 ヤンデとユズの二人だけに。

 取るに足らない有象無象以外の強者に――。


「速さでは敵わないだろう。だけど師匠もあの二人しか見ていない」

「……本気?」

「本気だとも」


『では次、二人目』

『サンダー、ウォーター、ファイア』

『問題無い。意見を述べよ』

『オレは強くなりたいです――』


 淡々と進む質疑応答をBGMに、アウラウルが瞳を覗き込み合う。


「僕達が動くことで師匠の意識を向かせることができれば、あの二人にも勝機が出てくるかもしれない。そうなれば師匠としてもそちらに費やさざるをえなくなる。そうなれば僕達はもっと動ける。単純な話、攪乱さ」

「向かせられるだけの貢献ができればの話ですよね」


 二人目の国民が強くなりたいと述べているが、アウラも同じ気持ちだった。

 もちろん弱音など何の意味もなく、そんな気持ちは発見次第、抹殺するしかない。何度でも。


「そう思わないでどうしてやっていける。やるしかない場面なんだ。己を賭けるしかないだろ」


 その差、なのだろうとアウラは思う。


 精神力もまた才能だ。

 ネガティブな思いが生まれる度に潰すのと、最初から生まれないのとでは、時間的にはほぼ誤差だが違う。かなり違う。


 その違いは、第一級の次元に入ってきてからこそ広がってくるのだとアウラは知っている。


「……勝手に賭けるのはやめてくれる? ラウルは私の所有物なんだけど」

「ふっ。酷い言い草だ」


 |三人目の番《タイムリミット》まで刻一刻と近づいている――


「悲観することはないさ。師匠には協定がある」


 ブーガ・バスタードは竜人協定により、自国を含む各国の要人及び第一級冒険者に危害を加えることができない。

 といっても危害の基準は高く、瀕死や拷問水準程度であれば危害とは認められないことが多いのだが、アウラウルにもなればそんなものは抑止力にもならなかった。


「僕達が有利なんだよ。シニ・タイヨウを奪還しさえすれば勝ちなんだからな」

「分担はどうしますか?」

「初手のタイミングと方向はアウラに任せる。僕はただ足場を蹴るだけだ」

「責任重大ね」

「ああ。民にも他の将軍にも目をくれるなよ。シニ・タイヨウと師匠――この二人だけを見るんだ。まずは見失わないのが最優先」


『うぐっ、ううぅ……すみません、誰か薬を……サンナッツという植物でも良い、のですが……』


「出力率の調整ですね。仮に『ナッツ』が単位だとするなら、私が食らった時の三倍……」

「でたらめだな。みんな死ぬぞ」

「まずは見失わないのが最優先。そうでしょ?」

「わかってる」


『え、あれ……あ、ありがとうございます! 嘘みたいに楽です!』

『良い。早く詠唱せよ』


 間もなく火蓋が切られる。




      ◆  ◆  ◆




「ブーガからオーラ。威圧一色」

「え? 私には来てませんけど」


 アウラウルよりもさらに百メートルほど上がったあたりで、ルナとユズは待機していた。

 もちろんステルスをまとっており、ルナを守りやすくするため二人は密着――具体的にはルナのお腹にユズがしがみついている格好であった。元々ルナがユズの背中にひっついていたが、ユズ曰く、自分から守護対象にひっつく方がやりやすい、というわけでこうなっている。


「ルナが受けたら気絶」

「……大丈夫なんですかそれ」

「手出しをしなければ無問題」


 アルフレッド最高戦力と言えど、皇帝ブーガを一手に引き受けるのは分が悪い。が、単に牽制されているだけのようである。

 皇帝として領空外から様子見してくる他国の最高戦力に警戒するのは当然であり、不自然ではない。


 そんなことよりも喫緊な事項な一点あった。


「ユズも聞きましたよね。『ファイア』って――たぶん発動しちゃいますよね」


 ルナはユズの口内に指を突っ込むことで、発動してしまう火魔法を隠す。発火の作用が出たら存在がバレてしまうからだ。もっともユズなら即座に反応して被せるだけの速さがあるのだが。

 ともあれ、そんな行動は当たり前なので「同感」ユズもいちいち気にも留めず、会話が続く。


「絶体絶命じゃないですか……。下手すればここに来てる人達、みんな」

「ルナ。狼狽えない」

「狼狽えてはないです。絶望はしかけてますけど」

「ユズもヤンデも動けない。アウラウルにお任せ」

「相談はできないんですか?」

「できないし、ここから動けない。イリーナに気付かれる」


 ユズに倣ってルナも見下ろしているものの、視力だけでは豆粒であり何が何やら。


「気付かせた方が良くないですか? 騒動にしちゃえば、この場は解散に持ち込めます」

「タイヨウを捕まえるチャンスは、これが最後」


 おそらくブーガとタイヨウは協調している。

 ここで干渉してしまえば、以後警戒は強まり、タイヨウが本格的にブーガの庇護下に入ってしまう恐れがあった。


「このままだとみんな死にます」

「ユズはルナに従う」


 公ではなく私として――友人として尊重してくれている。

 嬉しくもあり、重くもあった。


 もちろん私事だからとって好き勝手に判断していいものではない。

 ルナは冒険者であり、一人の女子でもあるが、それ以前に王女であった。もはや己の人生は己のものにあらず。


「為政者は未来を考えねばなりません」


 未来を考えた上で、何を選択するべきか。


「タイヨウさんの捕獲を最優先にします」


 眼下の大勢の命よりも、シニ・タイヨウを捕まえること――

 後者の方にこそ価値があるのだと、ルナは踏み切った。


 ユズは何も言わなかった。




      ◆  ◆  ◆




 ルナユズペアのさらに二百メートルほど上空をヤンデは陣取っていた。


 ジーサとブーガが瞬間移動を使わないことと、ゲーター含め協力者もいないであろうことを踏まえた上での作戦である。

 接近しすぎれば危ないし、大局も俯瞰できない。その分、離れれば距離差が出るが、そんなものは詰めればいいし詰めるのも難しくはないとヤンデは思っている。

 そもそも高度な相手にもなれば、数百メートルなど誤差でしかない。


「動くなってことね、はいはい」


 ユニオンの他二組と同様、ステルスで気配を消しているヤンデは、ブーガのオーラを受けて気怠そうに両手を挙げた。見るからにやる気が感じられない。


 しかし、パーツ各々でも人間を容易く越えてくるその唇は、いやらしく突き上がる。


「逆を言えば、動けば応戦してもらえるのよね」


 地上のブーガの、その頭頂部、つむじを正確に指してみせるヤンデ。


「……」


 しかし腰までは上がらない。


 仮に勝てる見込みがあれば、とうにやっている。

 それをしないのは、わかっているからだ。


 直感が、本能が、対峙することを避けようとしている――。


「あのファインディとかいう男でさえも勝てるか怪しい印象だった。仮にブーガがそれ以上だとするなら――さすがに賭けはできないわね」


 ジーサの詠唱『ファイア』の可能性も知っているが、そんなものは最初からどうにかできるものではない。

 グレンがつくった巨大なドームの、そのヒビ越しに伝わってきた風圧と熱気――あれはどう見ても人類が出せる威力では無かった。

 なら、そっちは考えるだけ無駄だ。


 ジーサ自体を捉えるのも難しくはない。

 ダメージを与えるのは無理にしても、封じるだけならやり方はいくらでもある。


 そういうわけでヤンデのモチベーションは強者――すなわちブーガとの心理戦であり、その後起こりうるかもしれない戦闘、逃走戦、対話といったものだった。

 ところが、最も信用するべき無意識の部分が、それを拒絶している。


「……はぁ」


 構えた指を下ろす。

 無鉄砲に突っ込むほど馬鹿でもないし、今や王女である。エルフの代弁者としても見られることを考えれば、なおさら無茶はできない。


 静観を決め込むしかなかった。


 他にやることもないため、少しばかりの優しさを見せる。

第333話 会議当日7

 将軍会議の、国外からの観覧者は驚くほどに少ない。


 まず将軍達の前に姿を現して情報を与えるのが論外だし、こんな辺鄙《へんぴ》な場所など瞬間移動先として開拓しているはずもなく、しかし他国から地理的に遠い。

 そのくせ領空だの何だの規則にうるさく、破れば容赦なく懲罰隊が来る。会議の場であれば将軍が直々に来ることも考えられる。

 うまみが無いとは言えないが、リスクもコストも高くつきすぎるのだ。


 それでも見に行こうとする者など限られている。

 今も不躾に将軍や皇帝を品定めしている鳥人《ハーピィ》か、ハイコストハイリスクを負うほどの価値を見出している者だ。


 シャーロット家の執事であり護衛でもあるレコンチャンは後者だった。


 主を連れず、一人で来ている。

 どうせ気付かれるだろうから隠密《ステルス》もかけていない。


「お兄さん、何してるの? 良かったらこの後バサバサしませんか?」

「この人、どこかで見たことあるよ。アルフレッドの人?」

「何? 有名人?」

「学生だった気がする」

「なんで髪の毛、こんなにツンツンしてるの? 入るかなこれ」


 鳥人三人に囲まれているが、相手にはしない。

 いくら鳥人が短絡的であるとはいえ、地上の、将軍会議の圧は無視できない。こうして空で過ごせる程度の実力者なら空気は読める。強引なことまではすまい。


 レコンチャンはただでさえ格下である。

 しかし、できる限りの情報を手に入れ、できればアンラーを――シニ・タイヨウさえも捕まえるのが任務だ。

 ならばせめて、極限まで取捨選択を最適化して望むのみ。


 眼下を注視し、特に皇帝とアンラーを見定める。

 何もわからなくても、見えなくても、とにかく頭を動かして仮説をつくり、脳内で検証し、止めることなく動かし続ける。

 同時に、誰かが潜んでいて、拝借しているであろう振動交流《バイブケーション》もこっそり読み取ることで、消耗無く発言を聞き取る。


 目を見開いてもいい。

 汗をかいてもいい。

 とにかく動き続けるのだ。


 ひらめきという名の奇跡は、行動し続ける者の下にしか降りてこないのだから。


 そんなレコンチャンに、無視できないオーラが突き刺さった。


「……威圧。威嚇? いやこれは」


 オーラにも種類があるものの、単体では豊かな表現はできない。

 それでも複数を上手く混ぜればそれなりには伝えられる。オーラニケーションとも呼ばれ、王国でも研究者が何人かいたはずだ。


「逃げろ、か」


 自分でも無視できず意識を振らねばならないほどのボリュームとなれば、格上であることは自明。

 この含意から考えれば慈悲であろう。そんなものを寄越す相手といえば。


(やっぱ来てるか。オレ達の出る幕はねえよな)


 引き際を見誤ってもいけない。

 レコンチャンは撤退を即決した。


 ついでに友人のよしみで、少し離れたところで観覧している姉妹に近づく。


「んー、レコンチン? どったの?」

「逃げるぞ」


 一言だけ交わしたレコンチャンとミーシィの間に、ばさっと、よく整えられた翼が割り込む。


「どうもマーシィさん」

「また妹にちょっかいを出すの?」


 かぎ爪を構えた無慈悲なひっかきが来たので、少し下がって回避。マーシィはまだ止めず、往復するかのようにもう一振り――一本の羽根を射出。

 避《よ》ければ別の鳥人に当たる角度なので、仕方なく受け止めた。


 この姉の妹狂いは今に始まったことではないため、訂正する気も起きない。

 それに適当な理由をつけて暴力的に絡みたいのは、一冒険者としてはよくわかる。実力的にも悪くない相手であり、レコンチャンの対応は毎度淡々としたものだった。

 羽根を懐にしまいながら、


「もう一度だけ言っておくぞ。ここから離れろ」


 ミーシィだけを一瞥した後、レコンチャンは去って行った。


 姉妹はしばし見送る。

 鳥人の眼で視覚的に見えなくなったところで、


「逃げよっか、お姉ちゃん」

「……」


 もう妹は飛び去っている。姉も黙ってあとを追った。


 ミーシィは上空から帰ろうとしていたが、速度を乗せまくる飛行は何かとだるいためマーシィが拒否。

 妹との水入らずタイムを満喫するという意味でも、高度数千メートル程度の低層をのんびりと飛ぶことに。


 邪魔者はいない。遠慮無くミーシィにベタベタすればいいのだが、


「――あそこには何がいたの? ミーシィの獲物とも関係してるよね?」


 マーシィとて空気は読める。

 先の3534群では、既に一戦が交えられていた。

 レコンチャンはその当事者の一人から慈悲をもらったおかげで気付けたようだが、マーシィは鳥人王《ハーピィキング》に仕えるゴッリゴリの冒険者ということもあり経験が違う。自分では到底敵わないような、ただならぬ気配はわかっていた。


 どう考えても、ただ事ではない。


 現に3534群の方向から《《とてつもないエネルギーの暴発》》を感じる。

 竜人が来てもおかしくないほどの。あるいは情報屋ガートンが大々的に取り上げるほどの。もしくは鳥人王が絡む事態になるかもしれない。


 ただ事どころか大事だが、そんなことはどうでも良かった。

 問題はただ一つのみ。


 そんな状況に、なぜ最愛の妹がいるのか。


「わかんないし、してないよ」

「正直に言わないと、お姉ちゃん怒るかも」

「やだ」

「おしおきしちゃうかも」

「わたしを食べたいだけだよね」

「真面目な話だから」


 おふざけ無しの詰問――昔はこれだけでミーシィを泣かせていたものだが、それでもミーシィにその気はない。

 どころか、いつものじゃれ合いに戻そうとしてくるまである。


 実力行使も可能だが、成果は出まい。

 この様子なら、そんなことをしても口など割らない。鳥人は痛みの耐性も高いし、妹の素質が悪くないということは、幼児の時点でわかっている。

 そもそも実力的には決して油断できないほどになっている。下手に戦って|突然の開花《ブレイクスルー》を起こされても厄介だ。


 マーシィとしては、シリアスな雰囲気を続けるくらいしかできなかった。


「――家族にも隠し事はあるよ。お姉ちゃんだってそうでしょ」

「私には立場があるから当然。ミーシィは違うよね? ただの学生さんだよねぇ?」

「学生でも繋がりはあるよっ! ……シャーロット家に仕官しようかなぁ」


 シャーロット家との付き合いをほのめかしつつ、家を出るという脅迫も織り交ぜるミーシィ。

 意思の有無は定かではないし、どうでも良い。先ほどのレコンチャンの様子を見れば、それを行えるだけの繋がりは確かにある。


 姉の敗北だった。


「やめなさい。そんなことしたらお姉ちゃん壊れちゃう」


 駆け引きは終わりだ。

 マーシィは妹に背中から抱きつき、首筋に頬ずりする。


「お姉ちゃんさぁ、本当に妹離れしなよ……」

「家族のことは大切なのよ。わかるでしょ?」

「何でもそう言えば済むって思ってるでしょ。騙されないからね」

「くそっ、最近賢くなったわよね」

「お姉ちゃん聞こえてる」

「聞かせてるのよ。いいわ、一つ秘密を教えてあげる。私はミーシィのことが狂おしいほど好きよ。ずっと一緒にいたいくらい」

「知ってる。耳の中舐めないで」

「ミーシィぃ」

「耳たぶ噛まないで。胸揉まないで!」

「ミーシィぃぃ……」

「もー……」


 ミーシィは渋々といった様子で抵抗をやめた。

 |獲物《ジーサ》の件はいったん誤魔化せている。ここが落とし所だと判断したのだろう。


 マーシィもまた、そんな妹の機微を理解していた。

第334話 会議当日8

「ふむ。全員揃っているな」


 ふわぁぁぁぁブーガさまの生声だよぉぉ。変装からの登場だよぉ。もちろん想定してたし今週は人多いし使ってくる気もしてたけど相変わらず精巧すぎてわかんないよぉぉぉ。

 正体隠して娼館に遊びに来てほしいな。あたしを指名してほしいな。そしてヘタクソブサイクゴミクズとあたしに罵られてるところで正体を晒してあたしをびっくりさせてほしいな。ブーガさまを攻めるなんて恐れ多いよ責めるなんて無理だよぉぉ、だから責めてほしい攻めてほしい何なら刺しても締めてもちぎっても何してもいいよぉ? 回復はあたしも得意だし最近はご無沙汰だけど鍛錬にも付き合ってるからブーガさまもわかってくださるよぉぉああ最近全然触れてない触れたい触れたい触れたいぃぃ――


 っておおいこらユナキサぁ! あたしの愛しのブーガさまに何槍突きつけてんだてめえその程度が通るわけねえだろ勝手に触れてん「【衝撃圧縮檻《インパクト・コンプレッション・ケージ》】」じゃねえ、つかなんであたしがてめえの汚《きたね》え攻撃を処理しなきゃいけねえんだよ介護かよ育児かよ漏らした汚物かよ舐めんなふざけるな。もちろん国民は大事ですよブーガ様の宝物はあたしの宝物です守ります。


「議題を一つ持ってきた。民の意見をこの場で聞き、貴殿らにはこの場で回答してもらう」


 さすがブーガさまぁぁいつもいつでも止まらない国民のことだけ考えて行動してくださる素敵しゅぎぃしゅきぃぃ。あたしも貧しかったからよくわかる、耳を傾けてもらえるのは嬉しいんだよぉぉブーガさまはあたしを拾ってくれたときも傾けてくれたよぉぉそれだけで思い出すだけで濡れちゃうのぉぉ、また傾けてほしいよぉぉブーガさまのお耳も大好きだよぉ掃除でもいいからやらせてほしいよぉあたし耳掃除も自信あるんだよねマカダミアさんも重視してるんだよ万人の性感帯なんだってだからブーガさまの性感帯でもあるよ大丈夫あたしには隠さなくてもいいあたしが守ってあげるもん。


「民は無作為に選ばせてもらう。観覧する国民の諸君、これより十人ほど選ばせてもらう。選ばれた者は浮遊させて私のそばに置く」


「十秒後に開始するゆえ、心の準備をせよ。十、九――」


 それにしてもブーガさまはどうしてこんなことをするんだろう。

 いつもみたいに特区に出かけて一緒に風呂入って話せばいくらでも情報なんて取れるのに。変装して特区民を演じてもいいのに。隠密《ステルス》で一方的に観察してもいいのに。


 やっぱりあたし達を疑ってるのかな。

 知ってる。話すこともないのに将軍会議を開いてるのは、あたし達将軍を縛り付けるため。

 それだけじゃ足りないのかな。公開の場で喋らせて精神的にプレッシャーかけるつもりなのかなふわぁぁぁぁぁ! 見た! 見たよねっ!? 今、ブーガさまがあたしを見たぁぁぁオーラでも舐めたぁぁふわぁぁぁぁちょっと出ちゃったよぉぉもちろん誤魔化すよぉぉ。


 わかりました落ち着きます。一人の将軍として、しかとお務めさせていただきます。あたしにやましい点はありません何でも答えてみせます。他の将軍は知りませんが、むしろやましいことを露呈させて失脚させてほしいです特にデミトトとかいうクソジジイは気持ち悪いし結構本気であたしを狙ってるので殺してほしいです。裏社会の均衡だかなんだか知りませんが死ねばいいと思います、そこもブーガさまが治めればいいと思います。帝国を広げましょうそうしましょうあたしはどこまでもついていきますぅ――はいわかりました、落ち着きます落ち着きます。


 選ばれた国民の一人目は子供が欲しいと語り、二人目は強くなりたいという。ブーガ様直々の助言を授かっていて、目線も頂戴していて、非常に羨ましかった。


「――もう一人ほど語ってもらおう。貴殿が選ぶが良い」

「オレが、ですか」


 そんなけしからん彼が示したのは、私だった。


「イリーナ。答えよ」

「はい。私は権威を最大限活用しています。皇帝ブーガ様の補佐を務めさせていただいている傍ら、娼館セクセンにて娼者としても働いております。本国と娼館、二つの権威の下でこの身を捧げ、邁進してまいりました。その結果が今の私をつくっています。結果は求めるものではなく、後から追いついてくるものです」

「では三人目」


 具体的な助言を望まれていたのだろう、その様子が無いとわかって切り上げてきた。相変わらずドライだが、そういうところも愛しい。


 三人目も男だったが、いわゆる《《あがり》》と呼ばれる精神性を持つらしく、見ていて気の毒なほどに緊張している。苦しそうだ。


「あ、痛っ――すいません、緊張すると、胸が苦しくなって」

「良い。まずは詠唱をせよ」

「うぐっ、ううぅ……すみません、誰か薬を……サンナッツという植物でも良い、のですが……」


 サンナッツ――聞いたことがない名前だ。

 冒険者としても、娼者としても、そのような植物には馴染みがない。全国ありとあらゆる場所を回り、一般人から第一級冒険者まで老若男女を相手にしてきた私。自分で言うのも憚られるが物知りだ。


「ふむ。心臓であるか」


 だからといって応用できるかと言われればできないのだが、聞いたことがあるかどうかくらいならわかる。マカダミアさんをして「もう少し頭が良ければ学者として名を残せただろうに」と言わしめるほど。

 そんな気は全くないんだけどね。


 私はブーガ様の側にいるんだ。


 生涯、ずっと、居続ける――

 そう決めている。


「え、あれ……あ、ありがとうございます! 嘘みたいに楽です!」


 通常魔法セイント・ワイヤーだろう。貫通する強度を考えればノーマルではなくスーパー。一般人の身体や脳がびっくりしないような塩梅もよくご存知で、さすがはブーガ様だ。


「良い。早く詠唱せよ」

「はい! サンダー、ウォーター、ファイ――」


 走馬燈という言葉を聞いたことがある。

 生死の境界に立たされると、脳が焦って後先考えずにフル稼働するらしい。そのせいで、まるで夢を濃縮してみせたかのようなイメージの濁流が押し寄せてくるそうだ。


 一般人のはずなのに、そのファイアという詠唱の出だしは熟練者のように精密だと感じた。

 侵入者なのだろうか。だとしても多少の火が出て終わりだ。何ら脅威ではない。そもそもブーガ様が許さないだろう。脳を細断、粉砕、もしくは圧縮されて終わりだ。


 だけど、そうはならないという確信が私にはあった。


 確信を探す旅が始まる。

 他にやることや考えることもあるだろうに、こぼした水の染みが広がっていくかのように一方通行だ。走馬燈とはそういうものなのだろう。


 探し物はすぐに見つかった。


 まずブーガ様が民のヒアリングを始めたのは、この詠唱を警戒無く言わせるため。

 ガートンの職員を招いたのは将軍達の意識を外府に誘うためで、その応対を私にやらせたのは私の警戒心に最も警戒していたから。現に私もまんまと誘われた。仕事が増えるよぉブーガ様と過ごせる時間も増えるよぉぉ、とむしろ喜んでしまった。


 実に用意周到だ。

 気付くことはできなかったのだろうか。


 ううん、できた。


 サンダー、ウォーター、ファイアを詠唱させるという手続き。

 たしかに一見すれば、特区民にレベル2以上が混ざってないことの確認になる。どれも基本中の基本となる通常魔法で、レベル2になればどれか一つは覚える。

 だけど絶対ではなく、千人に一人くらいは例外があると思う。

 そもそも特区に冒険者が紛れ込んでいるはずがない。それができない程度には懲罰隊は優秀だからだ。他ならぬブーガ様が練り上げてきた、ダグリン一番の仕組みなのだ。

 だからこそ疑わなければならなかった。

 もっとも、それを言うなら、そもそもブーガ様を疑わねばならなかった。


 いや、逆だ。


 もっと信じなければならなかった。


 ブーガ様の悲願はジャース全土の征服と。

 己が帝国の恒久的な維持――


 それを妨害しうる障害とは何か。


 私達将軍も含まれるはずだ。


 帝国的支配のためには圧倒的な武力が要る。ブーガ様でも決して無視できない第一級クラスはその邪魔になりえる。

 とはいえブーガ様自身は協定に縛られているから、第三者の協力が必要である。

 それが手に入ったということだろう。


 最大の障害は自国の要人、将軍職である。

 それさえ葬れば、あとは他国しか残らない。

 他国であれば、戦争を仕掛けられる。廃戦協定が定まったばかりだが、竜人は決して干渉できない存在ではない。ブーガ様なら戦乱に覆すこともできるだろう。


 もっとブーガ様のおそばにいたかった。

 貴方様の覇道をこの目で見たかった。


 私が甘かったのだ。

 私自身が障害となっていることを自覚し、私はそうではないと働きかけねばならなかった。

 そうすれば、貴方様を独り占めできる未来もあったかもしれないのに。


 もう遅い。

 もう終わる。

 ブーガ様との思い出も数え切れないほど蘇っている。これも終わるんだ。


 ああぁ、一度でいいから寵愛を受けたかった。


 ブーガ様がどう動くかはわかる。頑張れば追いかけることもできる。

 けれど、私は仕事をしなければならない。


 だって私は皇帝補佐だから。

 誰よりも皇帝を邪魔しちゃいけない立場だから。


 私は国民を守ります。


「【不変物質檻《イミュータ・ケージ》】」


 どんなダメージも絶対に通さない超常的な檻、というよりもはや壁。

 これを天面無しでお椀状に展開することで、おそらくこの後発生するであろう莫大なエネルギーを空に逃がす。


 同時に私は頭を抱えこむ。

 私が死ねば檻も無くなるからだ。空に逃がしきるまでは耐えねばならない。

 死とは脳死である。脳が止まるか壊れるかした瞬間に終わる。なら、腕と身体で抱え込めば幾分か稼げる。


 人生で最も短く、しかし長い刹那だった。

 私にできることはもう無い。


 特区民の諸君、どうかご無事で。


 そしてブーガ様――


 ジャースにくまなく帝国をお築きくださることを。

エピローグ

会議後(表題は「エピローグ1」にする)

 俺は3ナッツというエネルギーを過小評価していたらしい。


 それは有り体に言えば、核兵器と呼んでもおかしくない規模で。

 ブーガに運んでもらってるから一瞬しか見えなかったが、3534群――つまり町一つ分くらいは丸々クレーターになるだろうなという熱と閃光、そして爆煙だった。


(キノコ雲ってやつだっけか)


 一瞬でぶわっと広がった光景が目に焼き付いている。

 放射線とか大丈夫なんだろうな。今までそういう話は聞いたことがないし、レベルアップした身体が放射線程度でどうにかなるとも思えないから杞憂なのだろうが。


 最後まで見ていたかったが、ブーガの速度がそれを許さない。

 俺達はもう見覚えのない荒野を眼下に望んでいた。

 高度二千メートルといったところか。速度は正直わからんが、マッハ10、いや20どころでは無さそうだ。


「しかし狭いなこれ……」


 俺は棺桶のような透明な箱に包まれている。うつ伏せ状態だ。

 箱は水平になっていて、足元側の端には取っ手がついており、ブーガが直々に握っている。今も足と口元が忙しなく動いており、水中で浮き輪を引いて泳いでいるかのよう。


 他の将軍を置いてけぼりにしてただ一人生き残るほどの傑物だ。何してるかなんてわかるはずもない。

 そんなことよりも気になるのは。


 なぜ隣に棺桶がもう一つある?

 なぜ自堕落な生活をおくってそうな胸のでかい女が入ってる?


 俺と同様、寝っ転がっているが、肘ついてこっちを見てる格好だ。ガートンの制服を着ている。こんな奴いたか?


「なあ、今話せるか」

「話せぬ」

「話せてるじゃねえか」


 俺も寝返りをして女と同じ体勢になり、俺達を引っ張るアッシーを睨む。

 ブーガの目線は俺に無く、というより視覚の利用をやめているようにも見えるが、全神経を張り巡らしていることだけはわかった。


「アウラウルが追いかけてきている。巻かねばならぬ」


 今度は首を上げて移動元を見てみると、たしかに時折、人と思しき点が見えたり消えたり。


「私の立場も危ういな」

「冗談だろ。これからだろうが」

「私に追いつける人間はいなかった」


 急に自分語りを始めてくるブーガ。

 どうせ俺にできることはないし構わねえけど、隣のコイツには聞こえてるんだろうか。まじまじと交互に見てるし、聞こえてるんだろうな。

 その女はもう当惑を無くして、真面目な顔つきをつくると、


「上空なら可能なようで」

「地上に近い空域の話である」


 中々の実力者らしい。将軍――ではないよな。マジで誰なんだコイツ。寸前まででかかっている気はするんだが。


「待て待て。俺にもわかるように説明してくれ」


 俺が割り込むや否や、女が眉をひそめてきた。


 よく見ると、かなりの美人だ。

 中性的と言えばいいのか、男装も似合いそうで、端麗から秀麗まであらゆる褒め言葉を当てはめられるだろう。

 何に不満抱いてんのかよくわからんが。俺の無知とは違った何かを責めているようだが。


「地上だと色々巻き込んじゃうし、認識もされやすいから抑えないといけないんだ。その労力はほぼレベルに反比例する。人類最高レベルといわれるブーガさんだからこそ、このスピードで動けてる」

「巻き込みすぎると竜人が出てくるってことか?」


 女が首肯した。

 一方、ブーガは相変わらず足をせこせこ動かしていて、なんだか滑稽である。

 目線はあらぬ方向を向いてるし、筋トレで踏ん張ってるように見えなくもない。余裕|綽々《しゃくしゃく》のイメージしかないから貴重な光景かもな。


「じゃあなんでアイツらは追いついてる?」

「どうだろ。ブーガさんは見解ありますか?」

「見たところ、空中足場をゲートの先に置いている。あの娘も侮れぬな」

「にしては詠唱が早すぎませんか」


 皇帝ブーガと平然とお喋りしてる女。ホント何者なんだ。

 ……いや、さすがに俺もあたりはついてきているんだけども、ちょっと現実を見たくない。


 とか考えている間に、海に出たようだ。

 天にまで伸びる大木ジャースピラーも遠目に見えたと思ったら、すぐに通り過ぎてしまう。速すぎる。


「スキルであろう。必要に応じて手繰り寄せられるだけの胆力を、あの者らは持っている」


 要するにアウラウルが追いついてきたってわけか。人間に限って言えばブーガの独壇場だと思っていたが、そうでもないらしい。

 大丈夫なのかよマジで。本番はここからだぜ?


 それからも俺達は逃げ続けて――

 アウラウルを巻けたのは二十分後のことだった。


 とうに大陸の外だし、ジャースピラーの迷路に入ったりもしてたし、海のモンスター『シーモン』からの水鉄砲や魔法もあった気がするし、で世界は広いなと思い知らされる。

 今どこにいるんだろう。たぶん俺一人だとジャース大陸に帰れんぞ。


「で、これからどうするんだ?」

「前回は二人であった。今回は三人である」

「ああ、上空ね」




      ◆  ◆  ◆




「はぁ、はぁ……くそっ!」


 ラウルの剣がジャースピラーを突く。決して刺さることのない硬さは甚大な衝撃波を生み、早速性的に狩りに来ていた鳥人達の威圧に一役買った。


 ジャースの広大な海原《うなばら》の様相は種々様々だが、このあたりは無風地帯である。

 物音はおろか風音もせず、広大な空を何本もの大木が貫いているという壮大な光景でありながらも、不自然なほど静謐《せいひつ》としている。


「追いつけるとわかっただけでも収穫ですよ」

「……そうだな」


 ラウルはモンスターを見るような目をアウラに向けていたが、アウラはもう微笑さえ浮かべている。急激に自分を恥じて取り繕い始めた相方は「ふふっ」相好を崩してしまうほど愛おしかった。

 その流れに任せて、腕を取り抱きつく。

 ラウルも拒まなかった。


 アウラは防音障壁《サウンドバリア》を張って、


「収穫と言えば、シニ・タイヨウの自爆から逃れる方法もですね。まさかあんな手があったなんて」


 タイヨウが自爆を放つ直前、ブーガはタイヨウの背に移動していた。

 決して壊れることはない術者自身の身体を盾にしたのである。


「ギリギリだったけどね」


 無論あの場にいた実力者達に追従を許すほど甘くはない。ブーガが動いたタイミングは、ブーガでなければ間に合わない速度だった。

 それに追い付けたことも含めて、アウラウルの連携――空中足場蓋《エアステップ・リド》をベースとした超高速移動は上出来だったと言えるし、もはや確立と呼べるほどの完成度に至れたと言って良い。

 ラウルは自然と口元を緩め、アウラも嬉しそうに身体を預ける。


「にしても、二人を運びながらであの速度なんだから厄介だよ」

「繊細棺《デリケート・カスケット》――でしたっけ」

「ああ。僕も何度か運んでもらったことがある」


 ラウルが飛行を止めて、少し落ちる。先の追跡でだいぶ体力を使ってしまった。飛行すらもだるいほどに。

 落ちてシーモンの餌食になるわけにもいかないので、大木の表面を掴んで堪える。


 アウラは変わらず、そんなラウルに抱きついたままだ。


「狭かったけど、あれほど快適な乗り物はない。水を張ったグラスも運べるだろうね」

「全くイメージが湧かないんですけど。なぜ棺?」

「師匠の頭の中なんて知るわけないだろ。君も発現《エウレカ》させてみたらどうだい?」


 誰かがスキルを発現させると、その事例がジャースに刻まれ、他の者が獲得しやすくなる。

 この場合、棺のイメージをベースに練習を積めば、少なくともブーガが最初に発現させるよりは小さい労力で手に入りうる。


「できるわけないでしょ。ユニークスキルよね?」


 稀少なスキルにはレアスキルとユニークスキルがある。

 前者は習得可能数がジャースにおいて定められているとされ、基本的に早い者勝ちだ。レベルなどの条件を満たし、ある程度鍛錬すれば割と誰でも入手できる。もっとも生来身につけてしまう例も多く、生まれながらにして勝つかどうかが決まるという意味ではまさに才能の世界とも言える。


 一方、後者のユニークスキルは、ある一個人が特異に追求しすぎた結果として発現したものである。その特異なイメージと鍛錬をなぞらねば辿り着けないため、他人が手に入れるのはほぼ不可能とされる。

 ましてブーガにもなれば、後追いを防ぐためその高いレベルを前提とした鍛錬も混ぜているはずであり、彼より十中八九低いであろう大多数の人類にはどう足掻いても習得しえない。


「ユニークと言えば、イリーナさんも出してたよな」

「客席の国民を守ったように見えました」

「……」


 イリーナとは先日シャーロット家本邸にて顔を合わせたばかりである。

 同じ第一級冒険者として思うところは多い。死んだのは明らかであり、同格の死は久しく無縁だったそれを再認識させる。


「たぶん師匠はイリーナさんが国民を守ることも読んでた」

「ラウルも気を付けてね」

「僕は別に心酔も敬愛も発情もしてないから大丈夫さ。師匠も僕の淡白さは理解していて、生かそうなんてちっとも考えてないと思う――だからこそ今回善戦できたことが嬉しかった。どうだ見たかってね」

「子供」

「童心は大事だ」


 ラウルは剣を背中の鞘にしまう。

 さっきジャースピラーに刺したせいで少々刃こぼれしているが、見なかったことにする。その微妙な表情の変化が相方には面白いらしく、アウラはくすくすと笑った。


 それはともかく、ラウルは両手を離したため自由落下が始まる。

 アウラもいったんラウルの腕を解放して、しばしフリーフォールを楽しんでいる模様。


 海面までの距離や落下スピードなどは感覚でわかる。何一つ焦ることなくのんびりとくつろぎ、安全高度《セーフハイト》でもある高度千メートルの少し上で足を伸ばして、足の指だけでもう一度大木を掴む。

 そこにアウラが被さった。

 ベッドに飛び込むかのような遠慮の無さで、「何してんだ……」呆れ顔をおくるも、返ってきたのは童顔の微笑み。ラウルはさらに嘆息を返す。


「だいぶ疲れましたよね。もうちょっと休みましょうよ」

「僕を寝床にするな」

「ぐー」


 本当ならすぐにでも発進するところだが、今回の功労者はアウラである。

 明らかに寝たふりだし、身体的にも押しつけがましくて正直暑苦しいのだが、


「お疲れ」


 ラウルは相方の、見慣れたピンクのボブヘアーをぽんぽんと撫でた。

会議後2

 王国専用護衛《ガーディアン》『近衛』の真骨頂は守備、そして防衛にある。

 いずれにせよ守りであり受身であるが、だからこそ光る資質があった。



 ――『反応』であろう?



 タイヨウを庇っていた時にブーガに看過された《《隠しステータス》》である。実際ブーガ相手でも遅れを取ることはないし、今回シニ・タイヨウ扮するアンラーの奇襲にも問題無く反応ができた。


 タイヨウを盾に取ろうとしたブーガ。

 それに追従したアウラウル。

 磨かれた直感なのだろう、国民を守るための障壁の展開に走ったイリーナ。

 そして将軍デミトトを救出しようとゲートを開いた大罪人シッコク・コクシビョウ――


 ユズはシッコクの追跡を即決した。


 まず王宮の空に繋いだゲートをつくってルナを放り込んだ後、シッコクの、ギリギリまで小さく絞られたゲートに自らを強引にねじ込む。

 移動先は名も無きダンジョンだったが、さらに別の空間に飛ぼうとしていたシッコクを追いかけ続ける。巻くことはできないのだと思い知らせる。


 何度も各地を転々とした後、最後に辿り着いたのは――海底。


 水深はおおよそ二万メートル。

 天灯《スカイライト》の光など届くはずもないが、海底にも光源はあり周囲は湖のように澄んでいる。


 神殿のなれの果てが無残に散らばっていた。

 海底神殿と呼ばれるもので、かつてオーブルー法国が建造した空中神殿が撃墜され沈没したものである。

 海底も空と同様、瞬間移動先として認識するのが難しい場所だが、残骸があれば話は別だ。言い方を変えれば、こんな場所にまでテレポートスポットを開拓しにくるほどの訳ありとも言えた。


「王国専用護衛やないか。早よ何とかせえ」


 横に倒れた円柱の上であぐらを組むのは将軍デミトト。

 この水圧をものともせず、大音量の発声も平然としてみせるところから実力の程はうかがえる。それでもユズにとっては取るに足らない相手だ。


 問題はその前方で、微塵も揺れることなく停止している件の男エルフ。


「――おい、聞いとんのかシッコク」

「わかってるから黙れ」


 向き合ってみて、改めてわかった。

 少なく見積もって第一級冒険者だろう。


 それも冒険ではなく戦闘と駆け引きに慣れている。

 モンスターよりも人を相手にしてきたということであり、こんなスポットを開拓していることや裏社会を牛耳るデミトトとつるんでいることも踏まえれば、大罪人の名は過言ではない。


「デミトト。しばらく一人で逃げろ。これはお前には用は無い」

「冗談言うなアホッ! ブーガに殺されるだけやぞ!?」

「ここにいても死ぬぞ」


 即座に命のやりとりに踏み切れるシッコクとは対称的に、デミトトの生への執着の、何と情けないことか。命を賭けねばならない場面はある。それを見誤る者こそ早死にする。

 将軍は実力者の集団だというが、怪しいものだった。


 既に他の将軍は壊滅しただろうし、ついでに消しておくのも悪くはない――


「テレポートで逃げようや。速度が自慢やろ」

「この距離でこれ相手だと勝てねえよ。オレはもう言ったぞ。これを撃退するために一切の加減を捨てる」


 しかしシッコクが寄り道を許さない。

 肌でわかる。この大罪人はユズを殺すことも、自分が逃げることも、現在のパートナーであろうデミトトを盾にすることも、あらゆる可能性を探っている。

 ユズを出し抜きうる速度も持っている。


 逃げられる可能性も考えれば、皇帝ブーガよりもたちが悪い。


「……しゃあないのう。死ぬなよ」

「自分の心配をしろよ」

「そうやな――【ゲート】」


 デミトトが消えて、神殿には二人だけが残った。


「……用件は何でやんすか」


 この二人は既に深森林にて居合わせたことがある。当時ユズは隠密《ステルス》で自らを消しており、直接シッコクと話したわけではないが、それでも居合わせたことでわかることは多い。


 近衛ユズに、他国の大罪人を追求する動機は無い。

 シッコクもまた、王国の護衛になど興味は無い。


 それでもあえてユズが追いかけた――それも護衛対象の王女を置いてきてまでそうしてきたのには、明確な意図がある。


「我々の目的はシニ・タイヨウ。知っている情報を洗いざらい教えてもらう。否定すれば戦闘」

「幼子のなりしてえげつない迫力でやんす」


 シッコクは下半身を脱ぐと、性器を露出させて。

 むくりと膨張させる。


「入れたらどんな風に喘ぐでやんすか?」

「これはタイヨウのもの」


 ユズは自らの体をかき抱く。

 隙を見せる姿勢でもあるが、誘いでもあり、ユズにはこの程度の不利をまかなえる自信があった。「くふふっ」シッコクが乗ってくる様子はない。


「厄介な女に目をつけられたな」


 かつてのクラスメイトを思ったのだろう、気の毒そうな苦笑を浮かべるシッコク。


「シニ・タイヨウは隠れ蓑になる。その話、受けてやる」


 ユズの思惑通り、シッコクは乗ってきた。


 タイヨウとシッコクの仲を割いておくだけでも価値はあった。

 無論、この程度で生涯仲違いできるはずもないし、今もお互いに隙を探り合っていて一切油断はできない。

 なのに、シッコクは普段の変態性が疑わしくなるほど表情が豊かで、エルフの美貌も最大限生かしている。耐性や経験がなければ意識をもっていかれてしまう。


「オレが持つ情報はすべて教えてやる。その代わり、オレとデミトトを積極的に追いかけることはやめろ。もし破った場合は、アルフレッドの国民達が陵辱されると思え」

「無問題。無関心。国に害を成さない限りは動かないし、動きようがない」

「だろうな。オレもてめえらを怒らせないよう気を付けてやる。もちろんデミトトにも言っといてやるよ。生きてればの話だけどな」


 ここでデミトトの生死――将軍達の生死や皇帝ブーガの思惑などを考え出すと判断が鈍る。

 シッコクも、それをわかっていて差し込んでくるのだ。


「タイヨウの話を所望」

「ただ話すだけじゃ味気ねえ。股を広げろよ」


 シッコクの隆起したそれがピクピクと動く。果てる前に微量出てくる液まで見えるように出していて芸が細かい。

 性交への耐性がなければ、この生理的嫌悪感で集中を削がれるだろう。あるいは眉目秀麗のそれだと認識して口や手が伸びてしまうだろう。

 チャームとは違ったエルフの魔性。それは超常現象にも近い誘惑の作用と言って良い。この点だけでも厄介である。


「刺したら戦争」

「冗談キツいぜ。幼子のそれはとうに飽きてる。構造は単調だし狭くて浅いだけでつまんねえんだよ――自慰行為するだけさ」


 自らのそれをしごき始め、あふぅと嬌声も発するシッコク。


「想像以上の変態」

「世間知らずだな。女体の本体なんてすぐに飽きんだよ。目で見て、気配を舐めて、オーラでも舐め回して、でもこれを擦《こす》るのは誰よりもわかってる自分の手だ。このスタンスに落ち着く」


 見た目も声もエルフ相応に麗しく、並の女なら、いや男でも一瞬は怯んでしまう危うさが充満している。


「男はそういう風にできている。タイヨウだって例外じゃねえぜ」

「早く話を所望」


 言葉の真意はどうであれ、盤外戦は続いている。

 ユズは言われたとおり性器を見せつつも、秀麗なエルフの醜悪な行為に気を張り続けた。




      ◆  ◆  ◆




 ヤンデは見ていた。


 皇帝ブーガが三番目の男に飛び込むところを。同時にガートン社員を一人引き寄せてから強力な棺状の魔法で保護するところを。男の保護はすぐには行わずタイミングをうかがっていたことを――つまりあの攻撃は男自身による自爆であり、ブーガも最初からわかっていたのだということを。

 対してアウラウルが盾に飛び込むので精一杯だったことや、ユズがなぜかシッコクを追いかけに行ったことも見えていた。


 ヤンデの選択肢は豊富だった。


 アウラウルについていっても良かった。ブーガに追いつけるとは思えないが、逃走戦の戦力の足しにはなれたはずだ。

 ユズを追いかけて二対一でシッコクと渡り合っても良かった。ユズと二人ならたぶん勝てた。

 九人の国民をイリーナの障壁の外に逃がすこともできた。逃がす時の荷重で死ぬ可能性は高かったが、数人くらいなら救えただろう。


 一方で、自分の限界もよくわかった。

 見ていたというのはほとんど比喩である。ヤンデもレベル自体は62しかなく、視力など使い物にならない。頼れるのはもっぱら魔力だ。



 ――貴方はレベルで言えば60程度ですが、魔力に限っては少なくとも120、多ければ180くらいのポテンシャルがあるということです。


 ――私の体感として、120はないわね。そうね、140……いえ、150もあるかも。



 母曰く、自分は混合種――魔人と森人《エルフ》の血が混ざっているのだという。

 この魔力は鍛錬で身につけたものではなく、生来から備わっているものだ。

 非常に感覚的なものであり、呼吸のように無詠唱で数多の魔法を撃ち続けて補うことができる。手足にも、鎧にも、触手にもセンサーにもなる。日常生活でも戦闘でも移動でも困ることはまずなかった。母の無魔子《マトムレス》で魔法ごと封じられない限り、第一級冒険者以上のパフォーマンス程度も難なくつくれた。

 理屈を介在させるのは難しい。だからこそわかる。


 今の自分が、もし他の選択肢を取っていたなら。

 ブーガの挙動は細かく追えなかっただろう。


 ヤンデはそれを是としなかった。

 シニ・タイヨウと皇帝ブーガが協調しているからこそ、ブーガ自身に最も注視するべきだとひらめいたのだ。

 ユニオンの中で最も高い位置に陣取っていたのも功を奏した。そういう意味では、潜在意識では既に注視を決めていたのかもしれない。


「……」


 テレポートしたヤンデが降り立ったのは、北ダグリンエルフ領のグリーンスクール跡地――グレンがやられたと思しき爆心地であった。

 特に深い意味はない。

 さすがに自爆まで観察するわけにはいかなかったし、テレポート先に爆風を持ち込むわけにもいかなかったから、無意識で素早く避難しただけだ。それで選ばれたがここだった。


 学校自体はもう再開されている。

 生徒の鍛錬だろう、拙い魔法の気配があちこちにある。


「とりあえずガートンの方の容姿と気配は覚えたわよ」


 ヤンデの眼が宿す戦意は全く喪失していなかった。

会議後3

 三人目すなわちアンラーの詠唱も不発に終わると誰もが思っただろう。

 最前列から五列目を陣取るフレアもそうだった。


 一瞬にして視界が、空が、白銀の壁に覆われた。

 それは巨大な鉢とも言うべき形状で、皇帝、将軍、アンラー含む十人の代表者が呑み込まれている。同時に、膨大な熱気が空へと膨張していて、昔、遠目に見た自然現象――ライオットの言葉を借りると『噴火』を思い起こした。


 壁はすぐに取っ払われたが、その過程もやはり一瞬で。

 ぶわっと爆音と風圧が生じて、居合わせている特区民達が耳を塞ぎ地に伏せる。フレアは一足早くそうしていた。

 幸いにも一般人でも耐えられる程度の威力ではあったが、体勢が崩れたり耳をやられたりした人も見受けられる。屋台を回っているはずの姉や妹は無事だろうか。


「死傷者は捨て置け!」

「負傷者を一カ所に集めろっ!」

「増援を頼む。レベルは最大でいい」


 思っているほど阿鼻叫喚ではなく、地上にいた懲罰隊達の指示伝達の方がうるさいくらいだ。

 まだ伏せたままの観覧者が多い中、フレアは身を起こす。隣のカレンも特に取り乱すことなく続く。


 と、その時。

 ぼとっ、どすっ、と。


 地面に何かが落ちる音が目立ち始める。


「おい、これって……」

「空にいた人、達……」


 熱気に巻き込まれた外部の観覧者だ。

 損傷具合にはばらつきがあるが、良くても性別や種族もわからないほど焦げている。悪ければ骨寄りの物体だった。


「うそ……死んで、る……」

「将軍達は?」

「イリーナ、さま……」

「皇帝はどうなった?」


 ポールを囲んでいた将軍達も悲惨なもので、原型と肉塊の境界を彷徨っている。吹き飛ぶのではなく焼かれて溶けるのだとフレアは知った。

 装備品の厚い将軍もいたはずだが、それらしきものは見当たらない。


 そんな戦場のような光景を、立ったまま黙って見ていた。

 やがて「くくくっ」フレアはおかしそうに肩を揺らす。


「……なんで笑ってるの?」

「お兄さんの本当の顔――ようやく見えました」

「何も見えなかったけど」


 この悽愴《せいそう》な現場を見ても動じない二人は、やはり普通ではあるまい。

 カレンはガーナという友人の力もあって本格的に鍛えられているため違和感はないのだが、フレアはライオット老師の下で鍛えている程度の少女である。


 元々身体能力や勘も化け物で、これ以上驚くことはないと思っていたカレンだが、取り繕っても顔が引きつってしまう。

 年下に苦手意識はつくりたくなく、見られたくないところだが、幸か不幸か、フレアの視線は目の前を見据えたままで。


「うちの目標が一つ増えました。お兄さんを追いかけたいです」

「いやいや、それどころじゃないよね。国はどうなんのさ?」


 将軍がおそらく全滅していること。

 もしかすると皇帝も死んでいるかもしれないこと。

 そもそもユレアやクレアやライオットの安否も気になるだろう。


 カレンでもわかるのだから、フレアも理解しているはずだ。

 なのに、見慣れた少女の横顔はこれまでになく輝いていて。


「皇帝の姿は見えないので大丈夫だと思います」


 経験があるわけでもないのに、この凄惨な光景からそこまで読み取る観察力に。

 確信をもって断定に至らせている直感――


 そんな怪物少女に火がついた。


「想像以上でびっくりなんだけど」


 カレンは苦笑してみせた後、「私はパスで」興味を失った子供のように投げやりに呟いた。




      ◆  ◆  ◆




 この世界《ジャース》の空は一体どれだけ広いのだろう。

 一口に上空と言っても高度一万メートルと十万メートルは違う。


 ただ、ブーガに連れてこられたここが後者寄りであることや、下界の空とは別世界であることはわかる。二度目だしな。

 相変わらず上下左右どこを見ても青々としていて、陸地も宇宙も見えなくて、重力がなければ方向感覚を失ってしまうだろう。


「すごくかたいねこれ。どれだけ練り込めばこうなるんだろ……」


 ブーガ製の透明な足場を、情報屋ガートンの制服を着た女がドゴドゴと叩いている。風圧エグいんで加減してもらってもいいですかね。

 そんな女を不躾に眺めている俺に、皇帝の視線が刺さる。


「貴殿も飲むか?」


 重ねた両手から絞った水だ。見えない容器に貯まっており、ブーガが自ら掬ってこちらに掲げる。

 上空でつくると美味いんだっけか。味もわからん俺には興味無い。「飲みたいです」お前はもうちょっと遠慮しろよ。


 位置取りとしては、手を伸ばしきればギリギリ握手できるくらいの間隔で三角に向かい合っている。のんびりするつもりもないので、


「とりあえず二つ聞かせてくれ」

「ふむ」


 俺は早速話を進める。「うわっ!? 美味しいよこれ」とかほざきつつ、腰を上げつつ、ばしゃばしゃと掬いまくる女はいったん放置。


「任務成功でいいよな?」

「良かろう。デミトト以外は死んだ」

「死んでねえのかよ。大丈夫なのかそれ」


 ブーガはブーガで透明なストローみたいなのをつくっていて、ちゅるちゅると呑気に吸ってやがるし。

 人類最強といわれる男の喉がこくこくと動いている。


「――問題無い。あれは私欲を満たすだけの俗物で、将軍位や国への執着は持たない。死んだことにしても何の文句も言わぬ」

「裏社会を牛耳る存在でもあるとの認識ですが」


 水を飲む手と喉を止めずに振動交流《バイブケーション》で割り込む女。


「その点も心配は要らぬ。あれで裏社会の秩序を保つ存在でもある。無くすのは惜しい。今回の件で、唯一残った元将軍として名を馳せることとなろう。引き続き君臨させておけばよい」


 現将軍は全員自分を脅かしうる実力者だから漏れなく殺すっつってたよな。

 そんなぬるい対応で良いんだろうか。


「アンタが良いのならそれでいい。約束は忘れてないよな」


 ちなみに俺はぬるくねえぞ。


「無論。私は貴殿の手足となろう。頭にもなろう」

「じゃあ早速リクエストだ」


 俺は親指で隣の女を指し、


「なんでスキャーノを連れてきた? 今すぐ殺してくれ」

# === 第九部 社員とか舐めてんのか? ===

第一章

第335話 盟友

 第七週十日目《ナナ・ジュウ》の午後。

 大陸から遠く離れた海の、そのまた高く離れた上空にて。俺達三人は向かい合っている。


 皇帝ブーガによる透明な足場は頑丈で、俺やコイツではヒビを入れることすらできまい。

 いやリリースぶっ放せば壊せるけど。何ならコイツにだけぶっ放したいけども。


 俺は人差し指でコイツを――隣の女を指す。


「なんでスキャーノを連れてきた? 今すぐ殺してくれ」

「ふむ」


 ブーガの視線が俺の指先を追う。

 皇帝お手製の水を行儀度外視で貪る女がいる。没個性的な黒スーツ――ガートンの制服を着ているが、出るところは出ていてスタイルも引き締まっている。ルナと良い勝負だ。


「今はできぬ」

「なんでだよ」

「貴殿のためでもあるからだ。私は当面の間、ろくに動けぬ」


 将軍全員死んだわけだからな。

 会社で言えば社長以外の重役役員経営層が一気にいなくなるようなものだ。まして国である。本来ならこうして呑気にくっちゃべっていることさえ許されない。


 なのにこうしてくつろげているのは、それだけダグリン共和国というシステムがよく出来ているからだろう。


「貴殿をそばで隠し続ける要領も大して持ち合わせていない。ゆえに我らは別行動となるが、貴殿一人では生き抜けまい。匿う先が必要であった」


 軽くリットルは飲んでるぞコイツ……っていつまで飲んでんだよ。ぱしゃぱしゃうるせえし、飛沫も飛び散ってうぜえ。「ジーサ君も飲む?」要らないです。「飲ませてあげるね」魔法でねじ込んでくんなヤンデかよ。「美味しいよね」味覚も丸め込まれるのでよくわかんねえ。

 そのスキャーノは、ようやく口元を拭うと、振動交流《バイブケーション》ではなく肉声を出して、


「ガートンで匿うってことですよね? 上司に頼れと」

「ふむ。理解が早いな。見込みがある」

「よく言われます」


 お前は馴染みすぎだしくつろぎすぎなんだよ。その胆力は見上げたものだが。ああ、たしかに見込みあるわ。

 それはともかく、


「俺にわかるように説明しろ」

「ジーサ君。ぼくはスキャーノじゃなくてスキャーナといいます。よろしくね」

「よろしくねじゃねえ。ちょっと黙っててくれ。ブーガ、コイツを黙らせてくれ」

「できぬ。説明は二人の方が捗ろう」


 俺とブーガだけの関係かと思いきや、スキャーノいやスキャーナに、その上司に、と少なくともあと二人が関わってしまっている。

 秘密の上限は三人までだ。四人以上になると漏れる可能性が急激に高くなることは、歴史を見ればわかること。


 だがブーガの本心と実力も知っている。

 そのアンタが採用したからにはそれなりの考えがあるんだろう。


 俺はおとなしく傾聴に徹した――


 程なくしてわかったのは、スキャーナの上司ことファインディの恐ろしさだった。


「――なるほどな。ファインディは報道のネタとして俺に注目していた、と」


 平民向け情報紙『ニューデリー』を立ち上げた人物だと聞いている。

 ニューデリーと言えば、俺がアンラーとしてダグリンに転がり込んだ時にも見たもので、普通に普及してたなぁ。

 最近立ち上げたばかりなのに、もう末端の貧民にまで届いている。情報屋ガートンの組織力は凄まじい。

 いや、そんなことは些細で。


(言わば新聞を実現して、そこでシニ・タイヨウというゴシップネタを立ち上げようとしている……)


 前世の現代的価値観と知識は俺の数少ないチートの一つで、実際に実験村《テスティング・ビレッジ》だの混合区域《ミクション》だのミックスガバメントといった程度のことでも革新の扱いだった。

 その程度の時代水準のはずだったのに。


 ジャーナリズムやゴシップといった概念を、ゼロから立ち上げようとしている奴がいるのだ。


「ファインディは会場にも来ていた。誰にも悟られぬようずいぶんと離れてはいたがな」

「……」


 ブーガにしか気付けなかったということか。

 よほどの離れ業なのだろう、部下のスキャーナも言葉を失っている。要は実力も折り紙付きですよと。


 俺も一度だけ会ったことがある。ガートンインタビューの時に、突如グレーターデーモンについて聞いてきた職員だ。

 あの時から思っていたが、前々から目をつけられてたようだな。


「皇帝としての私の無慈悲も、あの御仁はよく理解している。命懸けであったはずだ」

「ファインディさんも一勝負打っていたのですね」

「――つまり、さっきの暗殺劇は、ファインディにとっても一勝負を打つ価値のある場面だったわけか」


 この件は間もなく紙面を大々的に飾るだろう。

 シニ・タイヨウ、ジーサ・ツシタ・イーゼ、アンラー――すべてが同一人物であるという衝撃的事実を添えられた上で。


「で、俺をおもちゃにしようとしてるそいつに保護を求めようとしてるわけだ。なんだ、そいつの言いなりになれってか?」


 灯台もと暗しにも程があるというか、自作自演《マッチポンプ》の臭いがするんだが、「そんなに甘くないよ」スキャーナの声音は至って冷たかった。


「ジーサ君というおもちゃに手を加える真似はしない。でも決して近づいてこないほど融通が利かないわけでもない。匿う対応は淡々としてくれると思う。まずぼくを降格処分にして寮にぶち込む。ジーサ君は新人か、隠密社員《ステルフ》の扱いで、ぼくのルームメイトにでもするのかな。ジーサ君には当然別人を演じさせる。ファインディさんはその別人の応対をしただけ。その正体がジーサ君だったと後で判明しても、知らなかった見抜けなかったで済む。実際ジーサ君の演技は誰にも見破れない――」


 だから俺にもわかるように説明を、と言いたいのだが。

 ガートンの用語が色々出てきて長引きそうだし、この展開も変わらないだろうし、スキャーナもオーラぎらつかせて思案顔だし、なので放置。


 そんな俺の心持ちを悟ったのだろう。

 ブーガと自然に顔を見合わす。


「私は貴殿の手足であり頭である。なれどこの後、当面は時間を取れぬ。密談の形でたまに会う程度となろう」

「この後って具体的に何時間くらい残ってる?」

「ふむ。三時間といったところか」

「長くね? そんなのんびりしてていいのかよ」


 ブーガの片手が動く。

 スキャーナを少し引き寄せて我に返した後、俺も含めて振動交流を放ったようだ。

 あまり読み取れなかったが、「話が終わるまで待っていよ」的なことを一言言ったんだと思う。

 その間、ゼロコンマ一秒。


「そんな伝え方もできるのか」


 音声を何十の一にまで圧縮した上で、音速より速く届けているわけだ。


「長文は厳しいがな。送り手の技術と受け手の処理能力の双方が要求される。彼女は一字一句認識できているぞ」

「処理能力がへぼくて悪かったな」


 遠回しのからかいに俺が苦笑している間に、ブーガは次の魔法を放つ――お馴染みの防音障壁《サウンドバリア》だ。

 魔法が使えない俺でも、そうだなぁ、近衛くらいの練度はありそうだとわかる。

 スキャーナは除け者にされたのを抵抗する気も起きないらしく、俺にだけジト目を向けていた。


「タイヨウ殿――いや、タイヨウよ。まずは何を話す?」


 色々あったけど。

 ようやく。ようやくだ。


 人類最強を使うことができる。

第336話 盟友2

「何を話す、か……」


 目の前の皇帝は、ジャースに来てから初めてできた盟友と言える。

 付き合った時間など関係無い。コイツは俺に全てに見せ、また託してきたのだと不思議とわかった。肌でも、直感でも、理性でも、何一つ疑うことなく確信できた。

 それでも俺は渋ってしまうのだ。


 話したいことなど一つ、いや二つしかない。


 俺の自殺を無慈悲に食い止める無敵バグと。

 天界の輪廻転生――生の繰り返しを絶つかどうかの分かれ目となる滅亡バグ。


 俺はこの二つを潰したいだけだ。

 無敵バグの究明も可能なら行いたいが、いったん諦めている。滅亡バグの原因を探して、潰して、それだから百年待ってからジャースごとリリースで滅ぼせばいい。それだけだと俺は結論付けた。

 そう、やること自体は単純なんだ。協力なり何なり頼めばいいだけなのだが……。


 俺が逡巡している間、ブーガは一言も発さない。

 第一級冒険者にもなればまばたきも要らない。俺を映した瞳は鏡のように無機的に浮いていて、ただただ俺の言葉を待つ。


 人類最強であり、一国の皇帝ほどの人物が、この三時間を、俺のためだけに割いてくれている。


(いや、皇帝だとかどうとかは関係ないな)


 バグっていてもなお、俺に染みついた卑しい色眼鏡はなくなってくれないらしい。思わず苦笑してしまった。


「なあブーガ。俺の本心を完璧に伝えるにはどうしたらいい? お前があの夜、そうしたように」

「コーディアル・オーラであるな」

「オーラなのか」

「言葉では上手く言えぬが、全身全霊をぶつけるつもりで本心を吐露すれば良い。打算も、警戒も、好意も嫌悪も、あらゆる感情を介在させず、誠に全てをぶつける――そうすれば生じさせることができる」


 早速デモしてくれたようで助かる。

 シッコクの振動交流以上に、ぬるっと全身に入ってくるような感覚がある。そうそう、これだよ。気持ち悪いとか、気持ちいいとかそういう次元じゃなくて、ただただコイツの発言は真意なのだとわかる。


「そのコーディアル・オーラとやらは偶発的に起こりえるのか」

「ありえぬ。人は真に打ち明けることができぬ生き物だ。私が発したのも、あの時が初めてなのだ。以前から仮説はしていたが、貴殿相手なら試す価値があると考えたのでな」

「俺も同じだ。お前になら話してもいい。だからこそコーディアル・オーラとして、ちゃんと伝えたい」

「ふむ。私の体感では孤独を深く味わってきたというある種の境地と、レベル110程度の分解能は欲しいところであるが……貴殿ならば可能かもしれぬ」

「やってみるか」


 俺は早速二つのバグについて打ち明け始めた。

 無論、そのためには異世界という概念から説明しなければならない。


 慌てず、焦らず。

 超集中《ゾーン》に入ることも忘れずに。


 常人相手なら気が苦しそうになるほどに、俺は漏れなく隙なく、くどく、ただただひたすらに話し続けた。


 二十分とかからなかったのは相手がブーガだからか、それとも俺がバグってるからか。何にせよ助かった。


「――ふむ」


 さすがのブーガにも思うところがあったらしく、珍しく目を閉じて俯いている。ちらりとスキャーナが見えたが今それどころじゃない。彼女が何をしているかという認識さえ俺はカットした。

 さっきから集中しまくってるからか、意識の配分が思い通りで面白い。

 と思ったら、煙のように消えてしまった。集中を終わらせるのはいつだって意識だよな。


「私と貴殿は敵対することになるな」

「……そうだな」


 やはりそうなるよなぁ。

 俺が本音の吐露を渋っていた最大の理由だ。ブーガがあくまでも恒久的に人類を維持したいのに対し、俺は世界を丸ごと消したい――相容れるはずがない。


「だからこそ私は、貴殿を殺さねばならぬ」

「殺せたら苦労しねえけどなぁ」

「それでも殺さねばならぬ」


 盟友の殺意がコーディアル・オーラとして伝わってくる。バグってなかったらチビるどころでは無かっただろうな……いや、待て。


「ちょっと待て、待て待て。いや、そうか、そういうこと、か?」


 どうしてこんな単純なことに気付けなかった?

 いや気付いたところで本当にできるかはわからないのだが、それでもだ、綺麗な対応にはなる。


「そうだよな。滅亡バグを潰した後、お前に殺されればいいだけなんだ」

「その通りである。貴殿の殺し方など全く思いつかぬが、それでも私は貴殿を殺すしかない」

「半永久的に封印するのが一番楽じゃないか?」

「疲労にとらわれず世界の破壊を狙い続ける貴殿をか? 私とて人間。抱え続けるのは面倒である」


 コイツから面倒という言葉が出るのがおかしくて。はははと声に出して笑っておく。「無理せずとも良い」してねえよ。別に感情が無くたって、記憶と連想はある。ああ、これは俺だと笑うなとわかったら、実質笑ってるようなものだ。


「頑張って殺してくれよ」

「言うまでもない。貴殿も私に任せきりにならず追求せよ」

「もちろんそのつもりだが、現状はお前の方がはるかに強いしジャースの知識も豊富だからなぁ」


 既に異世界はおろか、現代日本や天界といった概念も含めて説明しているが、全く興味を示さないのはコイツらしい。

 通じてはいるんだよ。

 ブーガが意外と創作にも明るいのが良かった。こっちの世界の創作物を舐めすぎてたな。日本はともかく、異世界と天界は難なく通じたので本当に助かっている。

 文明がしょぼくても、人の想像力は凄まじいということか。


 ともかく、俺の人生目標は修正された。


「シニ・タイヨウとブーガ・バスタードの二人で滅亡バグを探して潰す。その後、二人で俺を殺す――」


 コーディアル・オーラを交わし合った俺達には、もはや握手も何も要らなかった。


 と、思ってたより早く終わっちまったな……。

 あと二時間は余っている。空気読み民族出身の俺は皇帝としてのコイツのスケジュールを心配してしまうが、コイツ自身が三時間と言ったんだ。遠慮は要らないし、遠慮する時間さえもったいない。


 というわけで、ダメージのチャージに費やすことに。

 ここまで貯まってたナッツは635だ。


 休憩無しでブーガのサンドバッグにされ続けて――


「685か。意外としょぼいな……」

「グレーターデーモンやバーモンの群れと比べるのは酷であろう」


 当然ながら俺に寄生スライムの相棒がいることや、倍々毒気《ばいばいどくけ》でも死なないどころかモンスターの畏怖を集めて崇拝《ワーシップ》――魔人でもないのにモンスターを従わせる状態になってしまうことなども話してある。


「もうちょっと頑張れよ人類最強」

「彼女がいなければ、加減など要らぬのだがな」


 貴重な皇帝の戦闘シーンを少しでも見ようと目を見開いて血眼になってたスキャーナだったが、ブーガのチラ見を受けて露骨にびくっと全身を揺らした。

 加減も何も無い動作ゆえに衝撃波が起きて、俺を撫でる。

 サンドバッグの後だと誤差でしかない。とはいえ身体が浮いて落ちそうなので、透明足場を掴んで堪える必要はあった。


「殺気を抑え忘れていた。失礼」


 息するように防音障壁を消してるので、もう声も届く。


「い、いえ……、勉強になり、ました……なりました。ありがとうございます」


 コイツもコイツでもう立ち直ってるし、「ふむ」とブーガも満足気に頷いている。

 そうかと思うと、足場を消してそのまま去って行きやがった。俺は浮けないので、とっさにスキャーナの足を掴みつつ。


「いや何か言えよ」


 挨拶の一言も無く。

 もう見えなくなった盟友。


 その虚空を見ながら、俺は苦笑するのだった。

第337話 上司

 上空は鳥人がうようよしていて危ない。ブーガが去ったということは、鳥人避けの威圧も無くなったことを意味する。いつ襲われてもおかしくはない。

 というわけで、俺はすぐにダンゴとクロの力を借りて、ジーサでもアンラーでもない第四の容姿をつくった後、スキャーナが出したゲートをくぐって移動する。


「マンメール?」


 このドアも窓も無い殺風景な空間を踏みながら尋ねた。


 広さは小学校の教室一室分くらいで、前世だと重機を使わないと出せないほど壁も地面も天井も滑らかだ。

 酸素は無いらしく、一般人なら窒息必至だな。


「人を使った手紙みたいなものかな。ここはファインディさんの投函箱で、用事がある人はここに来て所定の動作をする」


 スキャーナは部屋の中央であぐらをかく。

 不自然に美しく見えるのは、姿勢《ポーズ》と相称《シンメトリー》を意図的につくってるからだろう。まるで銅像だ。

 しかし眼だけはしっかりと俺を見ていて、というか、その色のついた視線には何度も覚えがあって、ああ、お前もなのかと思うと頭痛が痛い。


 まだ一線は引いてくれているようだが、この先も一緒に暮らすだろうし、どうなることやら。


「ここはゲートで監視されていて、所定の動作を検出したらファインディさんに伝える仕組みになってるんだ」

「ああ、それでか」


 さっき小さなゲート穴が一瞬生成された気がしたが、気のせいじゃなかったんだな。ポーリングともいうが、いわば一定時間ごと――かどうかは知らんが、こまめにチェックしているわけだ。


「伝えるっつったな。ファインディが直接ゲートを使えばいいんじゃねえのか」

「ファインディさんはゲートは使えないよ」


 ブーガも似たこと言ってたな。もう盗聴されてもおかしくない環境なので口には出さないが。


「あ、来た」


 楕円形のゲートが出現すると、同じく没個性的な黒スーツを着こなした壮年の男が出てきた。


「場所を変えます。連れてきなさい」

「わかりました」


 コイツがファインディで間違いないだろう。

 良くも悪くも平凡な顔立ちと体型で、量産型サラリーマンとして電車に容易に溶け込めそうではあるものの、|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》が上手い。

 一方、ゲート役の女はまばたきをしたり乾燥した唇を舐めたりといった動作に一般人超えの速度が出ている。弱者に鈍いジャースの冒険者としてはこれが普通だよなぁ。


 ファインディの後ろをスキャーナが、そのまた後ろを俺がついていく。

 ゲートをくぐると、周囲は鬱蒼とした森。ここは屋根の無い洋館のようである。廃墟と呼ぶには掃除が行き届いているが、家具や道具は無い。

 他の職員も数十は行き来しており、ゲートの出現や消滅もあちこちに見られた。


 廊下の突き当たりまで歩くと、ファインディがこちらを振り向く。


「今回は私は運びましょう」


 片手ずつ差し出してきたので、部下がそうするように俺も握った。

 瞬間、ふわりと全身が浮いて、某衛星写真サービスのズームアウトのように滑らかに高度が上がっていく。

 風圧の類は完璧に抑えられていて、俺は眼でスキャーナにこれできるか? と聞いてみたが、ふるふるされた。固定してるのか胸は揺れなかった。「そのうちできますよ」とはファインディの言。やっぱ買われてるのなコイツ。


「話が話ですので、着いてから始めましょう」

「ですね」


 その後は一言も無く数分くらい飛んだが、ファインディの雰囲気は不思議と気まずさを生まなかった。


「あれにしましょう」


 大きな崖を見つけたファインディは飛行を維持したまま丸ごとくり抜き、丸ごと運びながら何やら加工している。

 一分を待たずに直径五十メートルほどの岩盤製の球が出来上がった。

 それを綺麗に真っ二つに割った後、中心を長方形型にくり抜いて、俺達ごとそこに移動してから球を閉じた。


 普通に真っ暗だが、窪みが何カ所かあるのが空間認識で分かる。「ファイア・ランプ」スキャーナが火球を配置していくことで、一気に明るくなる。


「防音障壁《サウンドバリア》」


 ファインディによる上品な防護壁が空間内を包む。窪みは含めていないようで、燃えさかる音もシャットアウトされた。


「炎の揺らぎを見ておけば干渉に気付ける」

「用心だな」

「ジーサ君のせいでしょ」


 俺は足を伸ばして手も後ろについて怠けているが、スキャーナはうつ伏せで肘をついて寝っ転がっている。ふわぁとあくびを隠しもしない。口内は芸能人レベルで綺麗なのに、言動はがさつだ。


「着きました。それでは話を始めましょうか」


 ファインディは窪みのそばの壁際にもたれており、座る気は無いらしい。


「自己紹介をしておきましょう。ファインディと申します。そこのだらしがない女の上司で、仕事はシニ・タイヨウを担当しています。そんな私がシニ・タイヨウであり、ジーサ・ツシタ・イーゼであり、アンラーでもある君を匿うことになるとは不思議な縁ですね」

「そうか? 形を変えた取材とも取れるが」

「取材ではありませんよ。私は取材対象《ターゲット》と接触せず、外から観察するのが好きでしてねぇ」


 スキャーナが趣味悪いよねなどと言ってくるが、同意を求められても困る。


「君がシニ・タイヨウだとは知らなかったという体裁になります。この体裁周りについて、詳しくお話しておきましょう」


 ファインディは無詠唱で空中板書ならぬ空中ノートをその場につくりだし、すらすらと写真のように精密な顔写真や施設外観を描き込みながら喋り続ける。


「まずスキャーナは降格処分にして寮に送ります。寮については後で彼女から聞いてください。シニ君、君は新人社員として迎え入れます。新人は寮生活ですが、指導役としてスキャーナをつけます」


 ファインディからスキャーナに伸びていた矢印がなくなり、スキャーナから俺への矢印が追加された。さらに寮からスキャーナにも矢印が伸びているが、俺の顔には来ていない。


「シニ君は隠密社員《ステルフ》の扱いにします。君の存在は私と社長以外には誰にも知られません。社長には上手く伏せますので事実上、君は誰からもコントロールされません。スキャーナに世話される新人として、寮で静かに暮らすことになります」

「これが先輩か……」

「よろしくね。ぼく、聞きたいこともやりたいこともたくさんあるから」


 俺に刺さる矢印にハートマークを上書きするスキャーナ。


「ちゃんと言っておくけど、ぼく、ジーサ君のことが好きだから」

「俺はどう答えればいいんだ? 結婚でもするのか?」

「どうもしないよ。先輩後輩の関係で、単に恋人関係にあるというだけ」

「どうもするだろ面倒くせえ」

「せっかくジーサ君と二人きりになれたんだもん。絶対に逃がさない。絶対に」


 いちいち体を起こして、こちらに前のめりになって、透明な好意と執着を眼にもオーラにも載せてぶつけてくるスキャーナ。


「ファインディさん。あなたの部下が鬱陶しいんですけど、何とかなりませんか」

「なりませんね。これで良い子なので、仲良くしてあげてください」

「面白がってるだろアンタ」

「わかりますか」


 くくくと微笑むファインディを見ていると、気を許してしまいそうになる。天然なのか計算なのかわからないが、身構える気を起こさせてくれない。

 この人はどう見ても崩せないだろう。そもそも決定事項だし。


 あとはこっちとの付き合い方を調整するしかない。


「目立ったら危ないだろ。静かに割り切った関係で付き合うべきだ」

「ぼくも表立ってイチャイチャはしないよ。二人きりのときだけ」

「わかってると思うが、俺は|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》だ。冗談でも後が怖いぜ」


 ルナとかユズとかヤンデとか。特にヤンデはマジで容赦ねえからなぁ。


「構わないよ。冒険者たるもの、命を賭けることだってある」

「俺はダンジョンか何かか?」

「ダンジョン以上に魅力的ですよ」

「アンタも何言ってんだ。なんか和まされてるけど、アンタのやってることが一番鬼畜だからな」

「くれぐれも正体を悟られませぬよう。では――」


 話は終わりとばかりに、ファインディが地面に掌底を叩き込もうとした、まさにその時。


 第四の容姿を形成する俺のマスクがどろっと溶け始めた。

 顔だけじゃない。体内も、全身も、水銀顔負けの濃密な液体が滝汗のように流れていく。


 間もなくそれは一カ所に固まって、人の形になった。


 小学校低学年くらいの幼女体型で、裸で、男の象徴はついていないのに、貧民エリアのガキどもを想起させる筋肉質の蕾が宿っている。胸と尻も女性らしさが出始めている塩梅で、総じて運動神経抜群の早熟な女の子って感じ。

 髪はこっちでは前世以上にありふれてる金髪で、セミロングのぱっつん。


 それはぺたん座りで目をぱちぱちさせていたが、俺と目が合った途端、なぜか顔を紅潮させながら寄ってくる。

 嬉しそうに俺の腕に抱きついた。

 表情がまだぎこちないな。あと服と、それから――


「いやなんでだよ」


 スキャーナは冷静に臨戦体勢取ってるし、あのファインディも目を見開いていらっしゃる。

 もう誤魔化しようが無い。


 相棒が勝手に擬人化しやがった。

第338話 上司2

「これは驚きました。人をここまで完璧に再現できるとは。ちょっと性器を見せてもらってもよろしいですか?」

「ファインディさんっ!?」

「落ち着きなさい。陰紋《オルガンプリント》もあるように、性器は外観の中で最も複雑な部位です」

「いやアンタも落ち着けよ」


 俺もバグってなければ冷静ではいられなかっただろう。

 寄生スライムの存在はシニ・タイヨウに負けず劣らない爆弾であり、俺の変装を実現する屋台骨でもある。ジーサに、アンラーに、と既にだいぶ見せちゃってるけど、情報屋に取り上げられて全国デビューさせるわけにはいかない。


(寄生スライムを見破る方法が生まれやすくなる)


 突拍子の無いヒントや妙案、あるいは見向きもされなかった違和感や事例を出してくるのはいつだってその辺の一般人だ。

 王族だの、実力者だの、そういう上層の集団はそれはそれで偏ってるからそんなに怖くない。何にも染まってない一般人の、数の暴力こそが怖いのだ。

 それを肌で感じているからこそ権力者は民を警戒し、遮断して孤立させる。インターネットを前提としたあり方にも否定的になる。


「アンタの用事は俺だけのはずだ。これも取り上げちゃうと世間の関心がブレるぞ」


 幼女と化した相棒の頭をぽんぽんと撫でながら言うと、「これはこれは」ファインディから無難な微笑が消えた。


「私の企みを見抜いているようですね。さすがミックスガバメントの提唱者は違う。そのような者と同じ時代に同座できたことは、私の人生における最大の宝物と言えるでしょう――」


 ファインディが動く。

 強者なのはわかっている。俺程度ではまだ追い付けない――って狙いはそっちかよ。


 幼女の股ぐらに顔を突っ込むおっさん。

 前世だと余裕で事案になってしまう構図だった。「匂いの再現も完璧ですねぇ」相棒舐めんなよその程度は造作も無い。つかなんでわかんの? 


「すみませんねぇ、彼女に私の指示は届かないようでしたので強行させていただきました」

「満足か?」

「完璧です。これなら人として寮に入れてもいいでしょう」

「え?」

「え?」


 俺とスキャーナの声が重なった。


「これを人のまま過ごさせるつもりはない。ダンゴ、クロ、戻れ」


 幼女はふるふると首を横に振る。さっきスキャーノが見せたのと全く同じ動かし方で、当然ながら気付かないファインディでもない。実力的にも雑魚ではないことを示したわけだ。

 もっと言えば、俺の命令に従う気も無い、と。


「なんで勝手に人になった? チャンスだと思ったからか?」


 こくりと頷くだけで、後頭部や心臓へのダメージは発生しない。ついでに言えば発声も無く、喋るつもりはないらしい。

 まあコイツの追及は後でいい。今は。


「スキャーナ。ファインディさん。俺達の寮生活のお膳立てと、効率的でわかりやすい説明の仕方を考えておいてくれ。俺はちょっとコイツと話す」

「スキャーナの仕事です」


 ファインディはまた壁にもたれた。社交モードの雰囲気もつけておらず、本気で俺達を観察する意気しか感じない。いや帰れよ。

 一方で部下のスキャーナは、頭に片手を当てて俯いている。


「ちょ、ちょっと待ってください。理解が追いつかない……」

「ブーガとも打ち解けてたろ。仕事しろ」

「それとこれとは全然違うよ!」


 あーもうとテンパりながらも早速ブツブツ言いながら考え始める真面目スキャーナ。優等生の慌てっぷりは見ていて気持ちいいよな。俺の性根は気持ち悪い。


「さてと、まずはお前の名前を決めるぞ。『ジンカ』だ。いいな」


 ちなみに深い意味はなく擬人化《ぎじんか》から取った、のだが頷いてくれない。ああ、そうか。


「ジンカとは、お前がその容姿で過ごしている間の名前だ。あるいはクロとダンゴを相称する名前としても使うことにする。理解したか」


 今度は頷いてくれた。


「とりあえず今は、この後の生活上必要なことを固めていくぞ」


 性格とか、知性とか知識水準とか、レベルとかステータスとか、あとは緊急時の対応とか。

 といってもジンカなら大体何にでもなれるだろうから、俺から決めていくのが良い。


 十分《じゅっぷん》ほどで整理できた。

 そうして出来たプロフィールを、目を見開いたまま凝視し続けてくるファインディに伝える。


「――性別は女性。レベルは90。年齢と知識水準は君と同程度。生まれつき声を発することができず、君だけに心を許している。大人になりきれず言動は幼い、ですか」

「他にあった方がいい設定とかあるか?」

「兄妹にしましょう」

「似てねえけど。いや俺の顔を似せればいいだけだが」

「異父母など事情のある方は珍しくありません。あとは、そうですねぇ……そのべったり具合を正当化するために、兄狂いということにしましょう」


 ブラコンってわけね。「それでいいか?」ジンカも問題無いそうだ。

 それはいいんだが、すうっと顔を近付けてきて、そのまま俺の唇を貪ってきた。


「ジーサ君。何してるの?」


 俺は何もしてないけど、ただの体液の摂取だ気にするな。


「なんで無視するの」


 口塞がれてて喋れないからだが。振動交流も使えねえし。


 ジンカのキスはたっぷり二十秒続いた。普通に長いし、唾液の類も自然に再現されている。つまりべとべとだ。

 臭いもリアルで、経験なんてあるはずもないが、これが幼女の唾液の臭いなんだろうか。


「舐めるのが性癖というわけですね」

「……ああ」

「その間は何です?」


 見破られたことにびっくりしてるだけだよ。

 寄生スライムは唾液に限らず血や汗や涙、鼻水から精液まで体液なら何でも好む。何なら細胞から直接吸う。とはいえ対外的には吸うことなどできないから、舐めるのがメインとなる。

 キスを一回見ただけなのに、ファインディはそこまで勘付いているのだ。「吸い方が人の体液を好むモンスターのそれですからねぇ」俺ってそんなにわかりやすいんだろうか。


 そうかと思えば、ジンカを小突こうと振り上げた部下の手をノータイムで封殺している。隙が無いな。


「ジンカさんも隠密社員《ステルフ》にします――スキャーナ。仲良くするように」

「ジーサ君次第かな」

「なんでだよ。ジンカも首筋舐めるのやめろ」


 スキャーナもそうだが、ジンカの舐め癖も面倒くさそうだ。


(気持ちはわからんでもない)


 今までは体内から直接好きなだけ無限に摂取できてたからな。金持ちがいきなり貧乏になるようなものだろう。

 生活水準を落とせないのはモンスターも同じなのかもしれない。


「君の名前と容姿はどうしますか? 社員になるからには必要です。もちろん後で変えることはできません」

「ダンゴ。目立たない顔を適当に見繕ってくれ。体は何もしなくていい」


 大部分がジンカの方に行っているためカバーしきれない。

 俺の素の肉体が晒されることになるが、まあ大丈夫だろ。知ってる奴は限られてるし、寮でも他人の前で裸になる機会は無い。そもそも知ってる奴に接近されただけでアウトだと考えるべきだ。ヤンデとかアウラとかユズとかな。


 一応ファインディにも聞いてみたが杞憂とのこと。

 ただ、体外気流《エアー・オーラ》なるものがあるらしく、要は身体の動かし方の癖が同じだと空からでもバレる可能性があるらしい。

 幸いにも何度か対処してきたから問題は無い。ファインディは「さすがです」などと関心していた。


「クロ。手鏡」


 手のひらに映る人畜無害そうな顔も確認できたところで、あとは、


「名前は正直不安なんで決めてもらっていいですか。家名とかは無しでいいです」

「では『ハンティ』で」

「わかった。俺はハンティだ」

「ハンティ?」


 スキャーナが上司に上目遣いを投げたが、上司は「まとまりましたね。ではこれで」もたれている壁を肘で小突いて空間ごと破壊した後、飛び去っていった。

 衝撃で粉砕された粉塵が俺達に降り注ぐ中、


「なんでハンティなんだろ。ガートンっぽいなとは思うけど」

「俺がわかるかよ。ほらっ」


 俺達も移動するぞ俺の手を引いて飛べ、のつもりで差し出してみたが、「え?」怪訝な声が返ってきた。


「舐めろってこと? いいけど」

「待て待て」


 普通に違うし、舐めようとするな。

 ちょっと力が強くて、振り払うのに二十回くらい振らねばならなかった。俺達のレベルならゼロコンマ秒かからないが。

 それで粉塵が晴れて、口を尖らせるスキャーナが改めて目の前に。


 ここまで慌ただしすぎて全然意識してなかったけど、コイツはコイツで美人なんだよな。

 中性的に妖しい分、妙に様になるから始末に悪い。胸もでかいし。


「ジンカは特殊だから。頼むから感化されないでくれ」

「同格といちゃいちゃするのって楽しいね。訓練にもなる」

「真面目も大概にしてくれ」


 そんなこんなで、今度は情報屋ガートンで暮らすことになった。

第339話 各勢力

 第七週十日目《ナナ・ジュウ》の午後五時十三分。

 北ダグリン人間領の会議棟を、五キロメートル離れた高山から見やる人物がいた。


 特区一般人のようなラフな格好をした老人――デミトトである。

 いつもは全身金色装備を固めて派手にしているが、今は誰にも気付かれたくない、というわけで申し訳程度に外見を諦めている。ピクニックに来ている裕福な集団も点在しているが、ただの老人と見ているのか気にも留められていない。


 デミトトは悩んでいた。


 午後の将軍会議で起きた大規模暗殺に関する緊急会議は、もういつ開催されてもおかしくはない。

 その場で将軍が全員死んだと発表されれば、将軍デミトトの地位は無くなる。便利なステータスシンボルを失ってしまうのだ。

 ならばと自らも出席してしまえば唯一の生き残りとなるが、それをブーガが許すかどうかがわからない。


 ブーガの思想は何となくわかっている。

 武力的に反乱しうる因子を潰したいのだ。


 セキュリティとして機能していた崇拝者《イリーナ》もいないため、今ブーガがこっそり残党を始末することは難しくはない。ここは人目があるから安全だが、棟内の、当該の会議室に行くまでには人目の無い場所も通る。魔子を抜いた層もあるためゲートも使えない。


 安全を優先するならば、将軍位など諦めてさっさと逃げるべきだろう。

 しかし、もしブーガに強い殺意があるならば、デミトトは今後も怯えながら逃げ続けることになる。

 そんなのはまっぴらごめんだった。デミトトは危険に生を見出す冒険狂ではない。


(早よ来いや)


 そんなデミトトが目下目論んでいるのは、会議開催直後に遅れて参加することだ。

 つまり参加者の監視の下、自分の生存を自ら示すことで将軍位を維持できる。ブーガも口頭でデミトトを失脚させる策は持ってないだろうから、参加できれば勝ったにも等しい。


 そのためには会議開催のタイミングを知らねばならず、こうして数時間前から全神経を凝らして注視している。

 幸いにも『情報網』を仕掛けるのは得意であり、この程度の距離なら朝飯前。


 それでも相手はブーガである。

 自分が今ここにいることくらいは悟れるだろうし、自分の作戦も見抜いている可能性もある。どんな妨害を仕掛けてくるかも予想できない。一方で、全くの杞憂であることも考えられる。

 だからといって楽観視していい状況ではなく、デミトトは久しぶりに全力を出し続けることとなった。


 それも唐突に終わりを迎える。


 ピクニックの集団から、一人の老婦がこちらへと向かってきている。

 変装して紛れ込んでいたのだろう。今が誰からも疑われないタイミングであることも理解しており、集団の機微を読み取る時間分は過ごしていたことを意味する。


「用心ではないか」


 腰を曲げ、杖をついてはいるものの、声はブーガそのものであった。


「……降参や。好きにせい」

「私の意図はわかっていよう。将軍デミトトおよび《《その息のかかった勢力》》を根絶やしにしたいのである」

「具体的には?」


 ブーガが挙げた名前は四つだが、いずれも第一級冒険者のポテンシャルを持ち、デミトトを強く支持する実力者だ。

 放置すれば必ず次世代の将軍となる。そして純粋に国を、民を管理し続けたいブーガとは相反した私利私欲や大儀に走るだろう。


 とはいえ思想だけなら大したことはない。問題はこの四人が実力的にもブーガを脅かしうるところにある。

 他ならぬデミトト自身が手塩にかけて育ててきたのだ。

 自分を強くすることよりも、自分に心酔する同格を増やす――これは『クローニング』と呼ばれ、冒険者には珍しい志向だが、オーブルー法国の教皇補佐部隊《カーディナル》が採用している。

 デミトトはその上を行っている自負すらあった。この四人は、現時点で将軍からは離れたポジションであり、他将軍なら存在すら知らなかっただろう。実際悟られないように細心の注意を払ってきたのだ。


 それでもブーガには通じなかった。

 こうして部下の始末にも手を入れられているのは、状況から見てデミトトのみ。全将軍の中で唯一、デミトトだけが抱えているのだと知られていたことになる。

 一年や二年どころではあるまい。何年も、ひょっとすると十数年以上も前から静かな殺意を向けられていたのかもしれない。


(ワシのように見逃してもらえる余地もないんや……)


 デミトト一人であれば裏社会で生きていくと割り切れる。将軍位を捨てて、もう二度と表に、国に顔を見せないことを保証できる。裏社会を牛耳ってきたからこそ、その顔を信用してもらえている。

 しかし、寵愛している四人にはそれが無い。デミトト自身にフルタイムで強要し続けられるだけの力が無いこともわかっていよう。


 ブーガの命令は至ってシンプルだ。



 芽を摘め、と。



 そう言っている。


 だからこそデミトトも命乞いなどせず、即行で摘み方の算段に入る他は無かった。


「ワシがやるんか? お前もついてきて、お前がやるのはどうや?」

「手段は問わぬ。あと五分で完遂させよ」

「無茶言うなや」


 文句を垂れつつも、できねば自分が死ぬだけだ。

 こうして接触してしまった以上、もう出し抜くこともできない。生殺与奪は完全にブーガに握られている。


 自分の価値は、裏社会の手綱を引いておくストッパーでしかない。今日の大事件から生き延びた元将軍となれば、ますます誰も逆らえなくなろう。

 ブーガはそこまで読んだ上で、お前なら見逃してやってもいいと提案してきている。


 生きるためには、やるしかないのだ。

 それがたとえ長年連れ添ってきた可愛い部下達との別れであっても。


(判断を見誤った者は死ぬんや)


 冒険者の資質は何かといわれれば、デミトトは精神だと答える。見誤らないための精神力を。


 この後、デミトトはすぐに彼らを招集し。


 隠密《ステルス》で身を隠すブーガのことは欠片も悟らせず、普段通りに会議を始めようとして――四人全員の脳が細断される。

 苦しみは脳が生み出すものであり、物理的に細かく破壊した時点で終わらせることができる。溶かすか潰すのが常套だが、実力者の硬い頭部では難しい。


 せめて苦しませないようにというデミトトの、最後のお願いであり、ブーガも受け入れたのだった。

第340話 各勢力2

 同日午後五時四十八分――

 北ダグリン人間領緊急会議棟大会議室内には関係者が勢揃いしている。


 暗殺された各将軍の後継者八名に、議事録の作成と管理を行う書記二十名。

 外府の枠であるギルド職員とガートン職員が十名ずつ。

 ここに皇帝ブーガを加えた、総勢約五十名による緊急会議が今まさに進行していた。


 といっても後継者問題は既にプロセスが整っているため議論の余地も無い。皇帝からも一言、通常通り則るとの旨を告げられただけだ。

 この効率的な運用に慣れない職員は、私語厳禁にも関わらず当惑を示している。ガートン職員サーチアの部下にも数名いたため、あとで叱らねばならない。


「――説明はこれで十分であろう。この『爆散』の使い手の目的は不明だが、当面は私自ら対処に当たる。もはや我が国に閉じた問題でもあるまい。他国他種族との協調も視野に入れている」


 話題はもっぱら午後一の将軍会議、その場で起きた大爆発についてであった。


 将軍が漏れなく暗殺されたこと。

 皇帝が直々に追いかけたが巻かれてしまったこと。

 場合によっては皇帝さえ打ち負かす存在であること。


 何よりも件の暗殺者が持つ規格外の火力――皇帝が『爆散』と名付けた攻撃の危険性が強調されてきた。


 不幸中の幸いは、元将軍補佐イリーナの保護により国民と国土の被害が最小限に済んだことだろう。

 イリーナと言えばアルフレッド王国の近衛にも負けず劣らない鉄壁であり、|囲む者《サラウンダー》』の異名も持つ。その彼女でさえ、一度防いだだけで絶命してしまった。


 皇帝の報告は至って淡白で短いが、このネタは世間を揺るがす。ギルド職員らと比べて、ガートン側はサーチアを除く全員が大なり小なり取り乱していた。

 情報屋の人間であれば、血が滾らなければならない。だから気持ちはわからないでもないが、それでも今は公の場だ。

 やはり後できつく叱らねば、とサーチアは胸中で苦笑した。


「要らぬ被害と混乱を出さぬためにも、皆には内密にしていただきたい。調査や掃討も控えていただきたい。私も全力を出すゆえ、巻き込んでも責任は負えぬ」


 いわゆる圧力である。

 破れば、いや、破る前に物理的に首が飛ぶこともあろう。

 親切にも皇帝直々に殺意と威圧をブレンドしたオーラが散布された。これなら後で周知しなくてもいい。これほどのオーラであれば、どんな馬鹿でも本能的に思い知る。


 緊急会議という名の一方的な伝達はわずか五分で終わった。

 あまりに早くて重い高密度な体験を前に、ある職員は呆然と腰を抜かし、別の者は立ったまま気絶している。一方で、ギルド側は誰一人取り乱すことなく、既にゲートを開いて解散を半ば完了させていた。


「サーチアさん」


 今回の、会社のアサインは意図的なものである。

 外府ガートンは今後ますます忙しくなり、このような場も増えよう。対応できる人材を増やさねばならないし、何なら誰でも対応できるようにしたい――それが本社の意向だった。未熟な若手に率先して経験させればノウハウ化もしやすく、要は投資なのだが、それでも異例ではあった。


 情報屋ガートンは体裁を重視しており、乱した社員の殺処分も当たり前に行う。

 そんな組織が、この重要な場をも投資に充てているのである。


(この案件はデカいわよぉ、うふふっ)


 今後の仕事を思うと、サーチアでさえ顔が緩みそうになる。


「サーチアさん。サーチアさん!」

「……あなたは平静を保ててたわね。気に入ったわ。今晩、執務室に来なさい」

「同性を食べる趣味は無いです」

「冷たい子ねぇ」


 サーチアは部下の一物を握り、また自身のも握らせてみせる。「そんなことより」空いた手で殴られて距離を取られつつ、


「次はどうしますか? 帰りますよね?」


 ゲートを出しながら問うてくる。今回はサーチアが総括を務める編成のため、指示を出さねばならない。


「本社にね。今夜は帰れないわよ」

「そんなぁ……」


 ガートン社員には仕事中毒が多いが、若手の中には仕事を早めに切り上げて私生活をゆったりと過ごす者も増えてきている。

 嘆かわしいことだが、口に出すほど老害ではない。

 第一サーチアも若手の部類であり、現在の有望株スキャーナが台頭する前は自分がその扱いだった。


「あたしと寝てくれるなら仕事を肩代わりしてあげてもいいけど」

「絶対に嫌です」


 上司相手でもきっぱりと断る胆力を持つ者も少なくない。おかげでサーチアとしてもずいぶんとやりやすくなった。


 ダグリンだけでなく、会社も変わってきている――


 サーチアはそんな世の中が、未来が楽しみで仕方がない。

 久しぶりに愉快な気持ちで本社に戻ることができた。






 ガートン本社。


 ジャース大陸に多数存在する支部や本部の中で最も大きな施設であり、総本部とも呼ばれる。モンスターが跋扈《ばっこ》し魔人族との諍いも起こるギルド領の、特に危険なエリアに要塞のごとく建造されており、出入りはほぼゲートである。

 この本部に自席を持つのは第三位――幹部以上の役職者のみであり、第四位本部長のサーチア含め下っ端はここを訪れては報告、連絡、相談をしていく。


 サーチアの件は社長案件であり、広場のように広い一階の最奥、社長室を目指すことになる。


「え、エルフ……?」

「苦情ね」


 濃い緑の長髪とそれでも隠しきれない長い耳は遠目でもよく目立つ。それが四人もいる。

 会社のゲートを使う場合は二人までしか帯同できないし、特殊な内装により一度訪れた者がゲートやテレポートを繋ぐのも難しい。


 ということは、普通に訪れてきたのだ。

 この苛烈な地に来れるだけの実力を伴って。


「何事ですか」


 男色家のサーチアにエルフの色香は効かない。やりづらそうにしている警備員は露骨に安堵の表情を見せてきた。

 その瞬間、四人のエルフの双眸が一瞬で、しかし息を呑むほど揃ったタイミングでこちらを向く。


「オルタナと申します」


 代表して口を開いたのは、生真面目と評される第二位《ハイエルフ》。普段はグリーンスクールの教員を務めているが、荒事にもよく顔を出す。

 サーチアとの付き合いも一度や二度ではないのだが、改めてかしこまるのは彼女らしい。


「件の事件は報道しないようにとお伝えしましたが、《《なぜ報道されている》》のです?」

「……は?」


 文脈から考えれば午後一の将軍暗殺の件であるが、サーチアには覚えが無かった。

 エルフからの圧力も。既に報道されていることも。


「将軍会議の件ですよね?」


 オルタナの返答を聞くまでもなく、表情と佇まいから肯定であることを即座に理解したサーチアは「いつ頃、誰に伝えましたか?」間髪入れずに続けた。


「今日の十三時三十五分頃、ロケートス殿です」


 サーチアの顔が微かに歪む。


 この話なら対象は社長のはずだ。不在だとしても、三人存在する副社長のうちロケートス以外のどちらかになる。ロケートスは武力一辺倒な人物であり、政治や管理の面では無能だからだ。彼自身も自覚している。

 それでも受けたということは、そういう状況だった――つまり社長も副社長二人も不在だったのだ。


(圧力を良しとしない誰かが仕組んだのね。間接的にでもトップを動かせる人は限られてるわよぉ)


 エルフ達のクレームは社長に処理させれば良い。まだ不在なので、今しばらく待ってもらうことになるだろう。

 サーチアは警備員に同情しつつ、集められる情報を集めに行く。


「報道と仰られましたが、何のことですか? 情報紙ではまだ取り上げていません」


 情報紙の総括はサーチアである。記載内容は地域により様々だが、件のようなセンシティブなネタなら間違いなく自分のところまで承認が来る。

 当たり前だが、まだ来ていないし、出すつもりもない。


「皇帝の見解もたった今、私がこの目と耳で見聞きしたばかりです。内密に、との通達が出ています」


 サーチアは脳内もフル回転させる。

 皇帝の緊急会議がつい先ほど、午後五時四十五分のこと。一方で、エルフの圧力はその四時間前、暗殺が起きてから半時を待たずに来ている。


(エルフが個別に把握している件はどうでもいいとして、なぜ皇帝のアクションは遅かったの? マイペースな御仁ではあるけれども、やる時はやる男――)


 そこにエルフの美声が差し込まれる。



 |平民向け情報紙《ニューデリー》です、と。



「ニューデリーだとぉ!?」


 サーチアはオルタナの両肩を掴んでいた。直後、はっとして「失礼」咳払いも交えて立て直す。

 さすがに実力者だけあって、もう平静を取り戻している。戦意は無いし、詫びの姿勢も伝わっているためエルフ達もいちいち気にしない。


「今後このようなことが無いよう再発防止に努めます。正式な返答は社長をお待ちください。では」


 一礼を交わし合った後、サーチアは早歩きで出入口のゲートへと向かう。

 無論もっとスピードは出せるが、指示を出すための猶予である。わからない部下ではなく、早速横に並んだ。


「ファインディの仕業よ。おとなしくしてると思ったら、これを狙ってたわけね。相変わらず憎い男。殺したいほど犯したいわ――」

「再発防止と言ってましたが」


 淡白に仕事を進めようとする部下を巻き込むほど無能ではない。


「問題社員は粛正しなくちゃね。今まで上手くやってきたけど、今回は明らかにやりすぎてる。ぼろも出ているはずよ。それでもあの男なら逃れられるでしょうけど、そうねぇ――追及は上層部に任せて、あたし達を手足をもいでおくわ」

「比喩ですよね」


 ファインディの実力は――内実はともかく、とんでもなさそうであるという噂はよく知られている。


「もちろん。彼の駒となっている人材を調べるわよ。とりあえず将軍会議に駆り出されていた三名の偽社員《フォルスタッフ》――マルクリッド、エドガー、あと一人は途中で辞退したようだけど可能なら知りたいわね。それから彼が頼ったスナップショッターもいるはず」

「ファインディさんと言えばスキャーナですが」

「あれは落ちぶれたからいいわ」


 第七週《こんしゅう》の本部長会議にて少し盛り上がったが、スキャーナには降格処分が出ている。既に内示は済んでおり、社内通知への掲載はおそらく明日だ。


(彼の部下としてはもった方だわ)


 むしろ死ななかっただけでも優秀と言える。

 事由が伏せられていたことから考えて、機密度の高い仕事でしくじったのだろう。殺処分されなかったのは、これまでの貢献と若手筆頭のポテンシャルを見込まれているに違いない。

 おそらく今後はロケートスのような武闘派的キャリアを歩むか、隠密社員《ステルフ》として暗躍する。知りすぎているだろうから、退職の選択肢は無い。あるいは既にそれを試みて粛正された後なのかもしれない。


 さて、スキャーナと言えば若手の誰もが羨望し嫉妬するエースでもあり、しかも女性である。男尊女卑のガートン社内には非常に刺さる。

 そんな注目人物の失脚は垂涎のネタで、部下にも高揚が見て取れたが、形式には則らねばならない。


「今日はまだオフレコで頼むわね」


 威圧のオーラも込めることで、サーチアは念を押した。

 びくっと震わせる部下が可愛くて、つい尻を触ってしまう。お返しの拳をあえて受けて、それで気まずさもなくなった。


(スキャーナには悪いけど、良いタイミングだったわ)


 この部下は同僚の不幸を蜜として味わえるタイプである。残業の意思も固めてくれたようで、多忙を極めるサーチアは正直助かったのだった。






 第七週十日目《ナナ・ジュウ》午後六時。


 平民向け情報紙『ニューデリー』の号外がジャース全土に配布された。


 内容は今日午後の将軍暗殺事件であり、件の犯人が特区民アンラーであること、そしてシニ・タイヨウともジーサ・ツシタ・イーゼともエルフ領を襲撃した怪人とも同一人物であることが、鮮明な肖像とともに示された。

第341話 各勢力3

 午後六時二十分。

 どの方角を見ても地平線まで平らな緑一面の深森林には夕陽が差しており、所々を飛び回るエルフ達のシルエットがアクセントとなっている。

 外界では一生に一度は見たい景色だといわれ、一方でエルフには親の顔よりも見飽きた光景であるが、この辺りに限って言えば、そのどちらも容易に吹き飛ばすほどの迫力があった。


 壁も天井も無く、一辺三十メートルほどの板の間が敷かれている。

 集まるのは種族を代表する第二位《ハイエルフ》達、そしてそれを束ねる女王とその娘――


「ジーサ・ツシタ・イーゼの扱いを『怨敵』にします」


 バトルドレス姿の女王サリアは、ふわりと件《くだん》の情報紙を空に打ち上げた後、指先を向けて氷の槍を撃つ。

 槍は肖像の、眉間の間を綺麗に貫通しており、ハイエルフ達でも視認できないほどの速度で、地平の先まで伸びていた。


 それが制御を失い、地図に引いた線のように深森林に落ちていく。

 硬度も温度も相当なものだ。貧弱な民が巻き込まれれば命を失うが、女王のデモンストレーションに対する行動もまた種族レベルで叩き込まれている。対応できぬエルフはいないし、いたとしても周囲が必ずカバーする――それは共通人格《コモンペルソナ》と呼ばれている。


「怨敵はブーガ殿でも手を焼く存在ですが、関係ありません。我々の対面は既に汚されている。払拭するためには元凶を処刑するしかない」


 他種族を虜にする森人族《エルフ》は、自らを守り絶滅を防ぐためにも圧倒的な存在感を保ち続けねばならない。


 ジーサはこれを乱した。

 王女ヤンデと婚姻しながらも逃亡したからだ。


 加えて、今まで伏せられていた同一人物の件も明るみに出てしまっている。グリーンスクール内の大爆発で失った命も少なくはなく、もはや温情や例外措置をかける余地は微塵も無い。


「お母様。アルフレッドとは協力しないのですか?」


 女王の他に唯一、立つことを許されたヤンデが口を挟む。

 サリアと同様のドレスを着ており、周辺一帯にただならぬ緊迫感を漂わせている。


「もはや形式や遠慮を踏む段階ではないのですよヤンデ。森人網《エルフネット》を使います。ブランチャ」

「はい」


 膝をつき頭を垂れるブランチャ・リーフレが立ち上がる。


「構築は既に始めており、明日までには利用できる見込みです」

「利用開始が整ったらすぐに教えなさい。それまではヤンデに読み方を叩き込んでおきましょうか。貴方と同程度の読解スピードに至るまで、いかなる手段を使っても構いません」

「え、ちょっと……」


 エルフネットといえば、ジャース全土のエルフ全員が共通人格《コモンペルソナ》に基づいて単一目的のために情報共有を行う体制を指す。

 要はジーサ処刑のために種族全員が動くわけだが、その情報を読み解くのは自分ら高位の者。しかしヤンデには経験が無いし、戦闘はさておき、そういう頭を使う作業はお世辞にもできる方ではない。


 女王としてのサリアに慈悲は無く。


「では王女様。しばらくは部下として扱わせていただきます――時間は無いぞ。早く来い」

「変わり身早いし、応えるわね……」


 普段鬱陶しいくらいに畏まるのが嘘のようで、ブランチャの双眸は生徒を見る教師のそれだった。


「無駄口を叩くな」


 暴力も普通に入ってくる。股間部への打撃であり容赦も無い。

 実力的には格下だから痒くもないのだが、それでも人間ならぬエルフ不信になりそうなほどのギャップであり、ヤンデは少し涙目になった。


 そんな娘が連行されていくのも気にせず、サリアは会議を続ける。


「状況報告を。リンダ」

「はい。体毛採取と瞬間切断はどちらも順調に進行しています。全パターン試し終えるまで、あと五日といったところでしょうか」


 妹が隣に控えるリンダだが、さすがにシスコンの気は起こしていない。むしろあまりに真面目すぎて妹モジャモジャの方が正気を疑うほどだった。


 リンダが取り組むのは対寄生スライムの対処術である。

 体毛採取は対象に気付かれずに体毛を盗む技術であり、瞬間切断は疑わしき者の体を一部だけ一瞬切断後即座に回復させることで事実上何の被害も出さずに判定を行う手段である。

 どちらも鋭意開発中であり、獣人族との提携、アルフレッド王国からのヘッドハント、さらには娼館セクセンとの交換留学ならぬ交換就業まで行っている。サリアの本気度がうかがえた。


「ヤンデの件は私から報告します。ナナジュウ・インパクトから逃れた者の中にガートン職員が一人いました。ヤンデだからこそ見抜けたことです。それほどの者が本件に関わっている可能性は無視できません。ひとまずエルフネットでカバーします」


 今日の将軍会議暗殺事件は、ニューデリーにて『ナナジュウ事件』と名付けられている。

 大爆発に対する呼び名は無かったが、サリアはジーサのそれを『インパクト』と名付け、便宜上時期と紐付けて呼ぶことにしていた。第七週十日目《ナナ・ジュウ》に起きたインパクトだからナナジュウ・インパクトだ。


 ちなみにヤンデは当時の状況から皇帝ブーガとジーサがグルであると確信しており、サリアにも伝えているが、サリアはこれを誰にも伝えていない。

 皇帝にはどうせ敵わないし、そもそも種族を乱す存在ではない。崇める対象にしてもいいくらいには信用できるし、既に半ばそうなっているところもある。真実に伝えても混乱を招くだけだ。

 いくら皇帝でもジーサを露骨に守る真似まではしないし、立場上できもしない。


 なら無視すれば良い。

 ジーサ本人と、皇帝以外のヒントを攻めれば良い。


「ナタリー。要塞《フォートレス》の首尾は?」


 続いて立ち上がったのは、全身をプレートメイルで包んだ冒険者ナタリー。


 彼女はハイエルフでもあるが、それ以前にギルドの所属であり、エルフよりもギルドに忠誠を誓う身である。

 種族の多様性と利便のため、サリアはこのような立場を少数ながらも認めていた。

 今ナタリーの素顔を見えないのも、そんな特殊な立場を示すためである。無礼にはあたらない。


「今週後半に攻略されたばかりです。内部のモンスターと魔人は掃討済、アイテムは回収済、マッピングも完了済で、あとは隠し扉隠し通路隠し部屋の走査完了を待つのみです」

「ウルモス殿の動向は?」

「……」


 寡黙を決め込むナタリーをサリアが睨む。


 ギルド側の彼女には黙秘の権利がある。それをサリアもわかっているため、敵に向けるような観察を遠慮無く当てて少しでも読み解こうとする。

 しかしプレートメイルの壁は厚い。

 一見すると何の変哲もない量産品だが、身体の揺れを抑え、オーラの出入りもしづらくする精密な加工が入っている。


 ナタリーの不器用さを見抜いたギルド長ウルモスが対処したものだ。

 メイルの装着自体は何年も前のこと。エルフの中でも美しい部類に入るナタリーに遠慮無く被せるというのは、中々できることではない。侮れない男だった。


「わかりました。貴方はもう良いですよ」


 サリアは自種族にだけ目を向けていい立場ではなかった。

 ナナジュウ事件は他国他種族――下手すれば竜人も含めたジャース全世界を動かすだろう。時勢に乗り遅れれば、あるいは読み誤れば、足元をすくわれかねい。


 ナタリーがゲートで去った後も、サリアのファシリテーションは続く。

 王の休まる暇は無い。

第342話 各勢力4

 本来なら多段ゲートにより一分も要さずに戻れるのだが、ナタリーはあえて深森林の空を飛んでいた。


 プレートメイルはとうに脱いでいる。

 もう心理戦も終わったし、故郷なら汚い視線を向けられることもない。ついでに言えば空気も美味しい。


 久しぶりの故郷を満喫したいところだが、脳裏に刻まれたものがちかちかする――




 ジャース大陸南端の、はるか南に位置する群島『フォートレス』。

 魔人族大集落の出入口でもあり、堅牢でもあることから要塞と名付けられ、ギルドの総力を上げて攻略していた。


 特に苦戦していた最深層を突破したのが、他ならぬギルド長ウルモスだ。


 ウルモスは『ゴーレムダンジョン』と名付けた。

 地面、天井、壁の大半がゴーレムから構成されていたからだ。それは魔人のコミュニケーションによって自在に動いた。意思を持つダンジョンにも等しく、ギルド陣営は何度も不意を突かれては生き埋めにされた。


 仕組みのわからなかったウルモスは、既に捉えた魔人族の女や子供あるいはメスのモンスターをわざといたぶり、殺し、時には犯してみせることで相手を挑発した。

 魔人も人である。冷遇された歴史も長く、現在進行でもあるため、同族の絆は非常に強く深い。特にモンスターを殺すならまだしも、犯す例は見たこともあるまい。

 だからこそ乗ってくるとの仮説は見事に的中――激昂した魔人サイドが隙を見せたことで、ウルモスはようやく仕組みを理解した。


 からくりがわかれば、あとは作業である。

 貴重なエリクサーも投入して睡眠も省き、短期決戦で一気に蹂躙した。


 殺した魔人の生首は保存することになっているが、さすがのウルモスでもそんな余裕はなく、また戦闘モードのギルド長についていける者など限られていた。

 生首の回収と加工にあたっていたのが、他ならぬナタリーだ。


「どうしました? 堪えますか」


 ダンジョン内は炭鉱よりも派手にくり抜かれており、所々人間と変わらぬ死体や肉塊、骨や血痕が散らばっている。

 それでも楽々歩ける道や階段が残っているのは、ウルモスの技量の成せる技だ。


「いえ。ただ……」

「二人きりですし、正直に言って構いませんよ――ああ、これは気にしなくても結構。私が厳重に管理します」


 ウルモスの片手には小さな手が繋がれている。

 魔人でありながらも魔素の放出が極めて薄く、ナタリーやウルモスでなければ人間と誤認していたであろう、まだ年端の行かない少女である。目の前で両親と姉を惨殺されているが、立場を理解し、涙も堪えて、ついてきている。


 硬質な地面を、三つの足音が鳴らしている。


「……その、我々はギルドですよね。略奪者ではなく」

「ナタリー。いいかげんに現実を見なさい」


 もう制圧完了の報告は行っており、ここに留まる意味はない。それでも、こうして呑気に歩いているのは仕事をサボるためだ。

 そして、人間扱いされないことが確定したこの少女を落ち着かせるため――


 ウルモスは少し屈むと、少女を持ち上げて肩車をした。

 よしよしと優しく揺れる様は、親子を錯覚するほどに手慣れている。丸眼鏡をつけた容貌も親しみが湧くもので、とてもギルドの長には見えない。


「冒険者とは略奪者ですよ。ダンジョンという名の居住地を襲って、漁って、壊して、アイテムという名の家財を奪うのです」


 この風貌が先の蹂躙を行い、そんな台詞をすらすらを出している。


「そもそも生物からしてそういうものですよ。獲物の住処を突き止め、仕留めて、食らう――そうなるように欲求が組み込まれている。もっとも君の気持ちもわかりますがね。獲物の側に、私達とよく似た生物がいるというのは考えさせられます」

「私は種族よりも冒険を選びました。モンスターを殺すことにも何の違和感も抱いていませんでしたが……しかし、これは」

「死にたいのですか?」


 ウルモスは茶化すでも咎めるでもなく、こちらを向くこともせず、ただただ呆れを宿した声音を乗せている。


「この世は人類とモンスターという単純な構図だと思われましたが、そうではなかった。モンスターの側に一部の人類がついていることが判明しました。彼らはモンスターを操ることができ、その悪用も何度も起きている。人類が滅亡したかけたこともありました。彼ら――魔人の数はその他の人種よりもはるかに少ないのに、です」


 全容はナタリーも把握できていないが、全人類に占める魔人の割合は0.01パーセントもないといわれている。


「そんな存在を放置できますか? できませんよ。現に竜人ですら敵視しています――何百年どころではない昔の話ですがね」


 よく喋るのは上機嫌だからだろう。

 たしかに、この少女であれば、金、地位、名誉と全てを手にしてきたウルモスでさえも目が眩む。


「なぜ未だに魔人族が生き長らえているかわかりますか? なぜ竜人がさっさと滅ぼしてしまわないのか、わかりますか?」

「……魔王」

「そうです。決して空想上の概念ではないのですよ。《《魔王はいます》》。竜人と同様、この世界を保全する側の立場であり、そうですねぇ……竜人が私達人類の手綱を握っているように、魔王は竜人をそうしている、とでも言いましょうか」


 少女が「まおうさま?」と反応しており、ナタリーは顔を向け声を掛けたい衝動に駆られたが何とか踏みとどまった。


 少女の価値は明らかにナタリーを越えている。軽率なことをすれば、今すぐにでも首が飛びかねない。


「|覇者の義務《メートル・オブリージュ》――前にも話しましたが、魔王は下々の世界には干渉してきません。ですが魔王も人であり、決して手の届かない存在というわけではない。冒険と同じですよ。必ず糸口はある。なければこじあければいい」


 少女を一目見た時の、ウルモスの反応は特に覚えている。

 敵地であることも忘れて武器を手から落とし、口をあんぐりと開けていた。ナタリーがカバーしなければ大きなダメージを負っていたほどの、らしくない隙だった。


「この混合種――それも二血《ダブル》ではなく三血《トリプル》のこの子なら、私達のはるか高みに至ることができる」


 いくらレベルが高かろうと、人の知性と精神には差が出ない。上手く懐柔なり洗脳なりできれば、格上を手に入れることだってできるのだ。

 戦闘、探索、雑用くらいしかできないナタリーには縁の無い世界だが、そうやって格上を上手く飼い慣らす者は少なくなかった。


 それでも、これは。

 この少女は。


「ナタリー。一応言っておきますが、本件も最高機密です。死にたくなければ墓場まで持っていきなさい」

「理解しております」


 淡々と答えるナタリーだが、内心はこれまでになくざわついていた。


 本来なら自分も殺されている。

 それだけの価値が、この少女にはある。


 今生かされているのは、少女のもう一人の世話係として期待されているからにすぎない。

 懐柔にせよ、洗脳にせよ、たった一人では骨が折れる。折れなくとも被養育者の感性が偏ってしまう。ウルモスはそこまで考えている。


 何を企んでいるのだろうか。


 阻止した方が良いのではないか。

 たとえば、この少女――今この場ではウルモスを出し抜けないにしても、長い目で見て隙をうかがって殺せばいいのではないか。あるいは魔人に返しに行けばいいのではないか。もっと長い目で見るなら、この子を自分の方に懐かせた上で逃亡するなりウルモスを殺すなりすればいいのではないか。


 冒険者として磨かれた思考と直感が活性化するが。


「……」


 何もできないと思い知る。


 阻止できる実力が伴っていないことも。

 少女に手を掛けるほど無慈悲ではないことも。

 そしておそらく、このまま少女と付き合い続ければ情が移ってしまうことも――すべて見抜かれている。


 ある種の信頼とも言えた。

 ギルドの長ほどの者が、ここまでしてくれているのだ。

 一冒険者として極めて名誉なのはもちろん、人の礼儀としても、エルフの矜持としても無下にはできない。

 自分の意思など些細なことである。応えなくてはならない。


「何なりとお申し付けください」


 ナタリーは覚悟を示した―― 




「はぁ」


 ナタリーは片手でこめかみを摘《つま》む。

 選択の余地など無いのに、何を悩むことがあるのか。


「動揺しているのかもしれませんね……」


 ナナジュウ・インパクトの衝撃も抜け切れていないが、当事者ではないためどこか他人事だった。


 しかし、ウルモスはこれ以上に無く動いている。

 三血の混合種である少女の件もそうだし、四週間前にはオーブルー法国と手を組むとも言っていた。

 最高機密自体が非常に珍しい扱いなのに、既に二つも重なっている――


 ナタリーはそれ以上の思考を放棄し。

 手を下ろし、飛行も解いて、さっさとゲートで帰還した。

第343話 各勢力5

 空に浮かぶ教会はオーブルー法国の名物とでも言えよう。

 高位の者が滞在している証であり、地上の民は仕事中だろうが性交中だろうが即座に中断して祈りを捧げる。強制ではなく、自発的にそうするのである。


 教徒として熱心であればあるほど報われる――


 この国ではよく知られた経験則であり、それなりの冒険者でもなければ超常的な力を、それこそ神を信じている。


「気持ちはわからないでもないですがねぇ」


 午後十九時の、とあるオーブルー法国内の教区にて。

 一足先に夕陽を遮断した教会をウルモスは見上げていた。


「あれだけのアダマンタイトを浮かせられる魔力は、うちが勧誘したいくらいです」


 超重量金属アダマンタイトは、前世でいうメガネケースの体積分を一般人の腹に載せただけで穴が空く。

 その割に硬度や耐久性には乏しく、そもそも鉱石からして採掘や運搬もしづらいため実用的ではないが、オーブルーではこのような誇示のために多用される。


「にしても不用心ですね。居場所を教えているようなものではないですか」


 ウルモスは風魔法で跳躍し、底面を突き破って中に侵入した。

 壊したアダマンタイトはその場で修復している。もちろん地上の民に被害を及ぼすポカもしない。

 第一級冒険者のスピードに職人のような手先が合わさった侵入行為は、瞬間移動さえ錯覚させる。


 無駄に広い空間は、祈りに専念できるよう洗練されていた。金銭的にはアルフレッド王家の施設にもひけを取らないだろう。


「こういうのを神聖と呼ぶのでしょう――かっ!」


 飛んできた電撃を、無詠唱の岩の盾で打ち消す。


 クラフティー・サンダー――電力は大したことないが、人間の身体に不具合を起こさせる塩梅の電撃である。

 食らうと身体感覚が狂い始め、知らぬ者は知らぬうちに不利になっていく。


 狂う想定だったのだろう、テレポートにて間合いを詰めてきた緑ローブ二体が手刀を抜刀している。

 一人は正面と左から。もう一人は背面と右から。つまり四方から迫っており、捌けないのなら上に逃げるしかない。しかし既に残る二体が両手を繋いで特殊魔法|魔力渡し《パス・マジック》を高速詠唱した上で、人間族単体では撃てないアルティメットの詠唱を始めている。


 ウルモスは正面の手刀を受けつつ、もう一人のそれは掴みに行き、自分の射線上に構えた。

 読み通り、味方もろとも撃ち抜くことはできず、


「アルティメット・アース・スピア」


 もはや土魔法と呼べるかも怪しいほど硬そうな槍はウルモスではなく天井に放たれ、夜空の彼方に飛んでいく。

 手付かずの手刀のパワーは受け流していない。ウルモスは教会内の壁に吹き飛び、アダマンタイトの厚さも突き破って、空に放り出される。

 掴んでいたはずの手応えも無い。瞬時に振りほどかれたのをウルモスは理解していた。その者の位置も。


「ゲート」


 盾にしたばかりの緑ローブのそばに繋いで、掴んだばかりの手首をもう一度掴む。二度目であり破壊の要領はもうわかった、というわけで純粋な握力でその手首を折りつつ、まだウルモスに働いている慣性に巻き込んで教会外に連れ出す作戦だったが、「テレポート」相手の高速詠唱が走り、教会の中央に戻されてしまう。


 慣性もはたと止んでいる。

 瞬間移動系の作用が混ざると物理法則に不具合が起きることがある。何をどうすればどうなるかは全く解明されていないが、このタイミングを見るに、この者らは突き止めているのだろう。並の冒険者なら、このイレギュラーな現象に怯むに違いない。


「アルティメット・アース・スピア」


 そうなると踏んでいるらしく、もう一度貫かれそうだったので、もう一度仲間を盾にする。

 術者の照準は直前で逸らされ、槍は天井の穴を綺麗に通過していった。


 ウルモスが握力を少し緩めてみせる。途端、また振り払われて距離を取られ始める。その間にウルモスは自ら浮遊した。空中戦は鳥人、ついで魔法師《ウィザード》に分がある。隙を見せているのだ。

 しかし計五人の緑ローブは反応せず、一カ所に集まったのみ。

 教会内で浮くウルモスを見上げる構図となっている。隙に飛びつくほど愚かではない。


「エルフ並に連携できる第一級冒険者が五体――これは反則ですねぇ」


 楽しそうに口を開くウルモスに対し、教皇補佐部隊『カーディナル』の五人は能面を張り付けているのみ。

 仲間の手首を回復させる素振りは見せない。その隙もつくれないほどの睨み合いであると理解している。


「君達は竜人協定にも含まれていないから戦闘してもペナルティがない。本当に厄介なものです。ここで消しておいても良いのですが、残念ながらそんな場合でもない」


 一方で、ウルモスには会話できる余裕があった。

 そもそも近距離の相手を平然と盾にできるほどだ。その気になれば一人ずつ殺していける。


「肝心の御方がいらっしゃらないようですので、伝言を残します」


 カーディナル達も戦意《オーラ》を取り上げ、一人が一歩だけ前に出る。その間に三人が同時に聖魔法を高速詠唱しており――残る負傷者の骨折が秒と待たずに回復する。


「大冒険時代のために組みましょう、と伝えておいてください。では」


 ウルモスはゲートをつくってその場を去り。

 カーディナルは今後のゲートを阻止するために|内装の変更《シャッフル》を施すのだった。




      ◆  ◆  ◆




 本拠地にて一悶着があった頃、教皇ラーモは別の教区にて客人を迎えていた。


 例の如く空に浮いているが、その高度は地上からは見えないほど高い。

 百人が礼拝できる程度の小さな教会だ。その内部は全くの空洞であり、白の無地に囲まれているだけだった。


 中央には三十ほどの人間の死体が並べられ、これを見下ろす姿が二つ。


「老若男女でも取り出せず。一般人から第二級冒険者まで試したがどれも取り出せず、か」


 顔面を含め赤のローブで包みきった教皇ラーモと。


「第一級の死体を用意したまえ」


 両腕の翼に鳥足にかぎ爪、と種族の身体的特徴を無難に携えながらも女性的な膨らみや丸みは一切無く、顔だけを見れば人生を舐めている若造にしか見えない鳥人の男――鳥人王《ハーピィキング》。


「己の無能を棚に上げるでない」

「あぁ、むしゃくしゃする。おい」


 そばで控えていた鳥人十人の一人に水鉄砲が飛ぶ。

 彼女は王のそばに来ると、躊躇無く召し物を脱がし、ぼろんと出てきた一物を口に含み始めた。


「真面目にやれ。魔力に余裕が無いわけではあるまい」

「ボクはボクのやり方があるのさ――あっ、さすが上手だね。連れてきて良かった。お詫びにボクも舐めてあげよう、さあ」


 いわゆる数字二文字で形容される体勢となり、王の高揚と、女の演技丸出しの嬌声が漏れ始める。


 赤いローブは何の反応も示さない。

 視覚を使っているかどうかさえもわからないし、ローブの頭部にはあるはずの頭の気配もなく、そもそも声からして人間のそれではなかった。なのに不思議と耳障りが良い。

 鳥人は神を信じないが、それでも実際に信じる者も少なくないことをラーモは知っている。今も、というより常に狙っていることでもあるのだが――残念なことにこの場では阻止されていた。


 王の淫らな行いは、幻想から目を覚ますためでもあるらしい。

 精神干渉に対抗する手段としてよく知られているのは愛情であるが、もう一つ、生理的嫌悪感もある。いわば王は自ら嫌われれることで、この者達に後者を授けているのだ。

 偶然などではない。だから十人ともレベルはまちまちだが、冒険者の資質が不自然に高い。


 ここで殺しておかねば将来決して低くない障壁となるだろう――

 ラーモをして数瞬迷うほどだった。


「さすが王として居座れているだけのことはある」

「なんだい? 羨ましいのかい? だったら姿を見せてからにしたまえ。身体が女なら相手にしてあげよう。上に立つ者同士のよしみだ、年齢は問わないであげるよ。もちろん男とアザーはお断りだよ?」

「いや、誤解かな。私が見てきた中でも指折りの色欲魔だよ君は」

「王はそういうものだろう?」


 ラーモはそこで会話をやめる。

 鳥人王も気にする性格ではなく、お楽しみがしばし続く。


 この二人は私的に提携を結んでいた。


 死体から諸々を引き出したい鳥人王が手段を求めてきたのが始まりで、ラーモは降霊術《ネクロマンス》――死体から|情報や資源《リソース》を吸い出す特殊魔法を授けることにした。

 といっても直接渡すことはできず、鳥人王も代わりの術者に任せるつもりはないため、こうして指導する羽目になっている。

 無論ギブにはテイクが必要であり、ラーモは鳥人という名の人的資源を大量に借りることを要求――鳥人王はこれを受諾し、晴れて成立した。


「そうそう、ボクらの機動力はいかがかな?」

「助かっておるよ」

「ずいぶんとたくさん借りてるようだね。総人口の半分くらいは君の指示で動いたんじゃないかな?」


 内密な取引のはずだが、鳥人王の軽い口は止まらない。

 もっともそんなことは最初から期待していない。だからこそ《《計画》》の詳細は話していないし、連れの同伴も許可している。


「何を企んでいるんだい? 全国各地を探らせてるように見えるけど」


 連れの鳥人達に微かに好奇が宿っている。間違いなく噂で広められるだろう。

 後で消すかともう一度一瞬だけ考えるが、この男に疑われかねない。鳥人の長だけあって、実力は一級品だ。興味を持たれるわけにはいかない。


「もしかして探し物かな? 直接言ってもらえれば探しやすいのに。何ならボクが探してもいいよっ! キミと違って幽閉されてはいないからね」

「私のことは良い。君は見たところ、気にかけている死体があるのだろう? それを見せてもらえれば、より的確な指導もできよう」

「絶対にお断りだね。あれを犯していいのはボクだけさっ」


 降霊術では大したリソースなど取れない。

 ラーモも既に見切りをつけており、だからこそこうして交渉のカードにも使ったし、法国において秘術扱いだったのも解禁するとも決めた。まだ補佐部隊《カーディナル》にしか伝えていないが、今もそばで控える女達が聞いている。噂が地上にまで広がるのはそう遠くはない。


「目的は何か。記憶か?」


 ラーモの全神経が鳥人王に集中する。

 些細な動向も見逃さないために。


 死人に口なし、は嘘である。

 降霊術を使えばある程度――少なくとも直近の記憶は引き出せる。この記憶は『霊魂』と呼ばれ、死体とともに朽ち果てるが、死体を新鮮に保てば恒久的な維持も可能となる。


「記憶ぅ? ボクの欲望を舐めてもらっちゃ困るね」


 鳥人王には何の反応も見られない。


「全部だよ。彼女の全部が欲しいんだ。キミにも見せたいくらいの、本当に美しい女性さ」


 秘部を突かれる動揺も。

 虚偽を取り繕う緊張も。

 まるで死者のように、寸分の乱れも無い。


 これほどの安定感を出せる者はほとんどいない。

 ラーモの脳裏に浮かんだのは、みすぼらしい格好を好む青髪の剣士だった。「あっ」嬌声を上げたのは、今現在相手となっている鳥人。どうやら王が死体を思い出したことで性器を一段と膨張させたようである。

 無論、そんなことに気を取られるラーモではない。


 もし記憶が目的なのであれば、この色欲魔があえて取り出そうとするほどの重要な記憶だということになる。

 見逃すわけにはいかないと考えていたラーモだったが、一方で、このやりとりを見ればただの死体嗜好《ネクロフィリア》でもある――


 なれど、断定にはまだ早い。


 この軽率な調子と性欲の駆動も演技かもしれないからだ。

 計略としてそういうことを息するようにする者もいれば、無意識で行えてしまう天然の系統もありえる。


 人生経験の長いラーモは決して油断をしない。

 自らが抱く大望で食らう相手は、何も人間族だけではないのだ。


 カーディナルには伝えてあるが、もう《《侵略》》は進行している。

 慎重に行かねばならない。


「人の美しさなどたかが知れておる」

「それはキミの主観だろう? ボクが美しいと感じたら、ボクにとっては美しいのだよ」


 最後に挑発めいた探りを入れてみたものの、鳥人王はやはり乱れなかった。

第344話 各勢力6

 ジャース大陸中央部の南――日本地図でいうところの富士山の位置に、鋭利にそびえ立つ山がある。

 外観は細長く、標高は一万メートルに達する。

 山頂付近はあちこちが剥がれておりマグマが露出しているが、中腹以下は木々が生い茂っている。


 古今東西、山は人類に真っ先に踏破される対象であるが、この山は例外だ。


 竜山《りゅうざん》。


 竜人の一拠点であり、入れば命の保証は無い。処刑や処理の用途で使うことも禁止されており、竜人協定としても定められている。各国各種族の全人類が従わねばならず、どの国も種族も必ず叩き込むことの一つである。

 地理的には西のオーブルー法国と東のアルフレッド王国の境目に位置する。というより、歴史的にはここを基準として国が区切られた。


 そんな竜山の内部を人類が知る術はないが、巨大な塔と化している。

 地中のマグマを通す巨大なストロングローブ製のパイプ『ヒートピラー』が中央に敷かれ、その外側が居住域となっていた。

 どの空間に何を配置するかは自由であるため、水、氷、岩、火と魔法で生み出せるものは何でも散らばる。家やプライバシーといった概念も無い。


 暮らしているのは見習い達だ。

 人類が認識する『竜人』は全体のごく一部であり、特定の役割を与えられ、そのためだけに動く一流の者達である。これ以外の竜人は見習いであり、ここ竜山で日々教育を受ける。


 第七週十日目《ナナ・ジュウ》の午後八時二十分――

 数分前に届けられたナナジュウ事件の一報が、竜山内部を盛り上げている。


「下界からオリハルコンの流れ弾があったんだとよ」

「誰なの? 森人女王《エルフクイーン》? 鳥人王《ハーピィキング》? 魚人女王《シーマザー》? 綿人長老《スカイルーラ》?」

「攻撃じゃなくて紛失《ロスト》みたいだぜ」

「装備品だって聞いたわよ」

「爆心地はダグリンだから、将軍が身につけてたものか? たしか装備固めまくってる奴がいたろ」

「爆心地ぃ? 爆発なのっ? 爆発ごときじゃ届かないでしょ」

「オレもそう思う。飛ばすか、投げるか、弾くか、引き寄せるかだろ」

「弾く? 弾くってどういうこと?」

「爆発めっちゃ気になる。誰か知らねえのか」


 振動交流《バイブケーション》を息するように使える者も多い。まるでグローバルなタイムラインのように、見習い達の発言があちこちを飛び回る。


「誰か監視係に探りに行けよ」

「ヤダよ」

「誰が行くんだよ」


 外の情報は監視係と呼ばれる竜人によってもたらされるため、直接聞けば話は早い……のだが、監視係はマスタークラスでもあった。


 マスタークラスは竜人族の代表格で、人をやめた存在と言っても良い。

 世界の保全のために、己の任務をただただ全うするだけの生を歩んでいる。実力は当然のこと、精神性も込みで雲の上の生物だ。見習いとは価値も違うため、何かを損ねて殺されても文句は言えない。


「それより爆発だよ。誰か知らねえの?」

「だから爆発のわけないじゃん。誰が言ったの?」

「なんだ、文句あんのか」


 マスターの件はすぐに無かったこととなったが、噂は見習い達の数少ない娯楽である。この話題も向こう数時間は途切れまい。


 そんな中、振動交流には参加せず中央の巨大パイプに張り付いている少女らがいた。三人おり、横に並んで背中や胸を押しつけている。

 いわゆる岩盤浴であるが、高温であるため、じゅうじゅうと熱の音が鳴り続けている。


「案外人間族かもねー」

「人間にそんな強い人はいないでしょ」

「あの人じゃない? なんだっけ、皇帝ブーガ?」


 ちなみに全裸である。


 竜山には服の概念も無い。性交はあるし、性欲もあれば子供もつくれるが、生命は種族レベルで完璧に管理されており無許可の交わりはおろか自慰行為でさえも死罪にあたる。

 稀に暴走または決意して処刑される者もいるが、襲われた側に刑は及ばないし、日々の教育に比べたら強姦など大した負荷ではない。

 よって性的に警戒する者などいなかった。


「皇帝じゃなくて王様だった気がする。最近つくった協定――なんだっけ、人間の戦争をやめさせるやつ。あれも王様の持ちかけから始まったみたいだし」

「え? 人間ごときがマスターと交渉したってこと?」

「したんじゃない?」

「交渉と実力は別物よねぇ」

「やっぱり気になるなー」


 会話を振った少女がヒートピラーから離れる。


「リューガさんに聞いてこよ」

「出た出た、リューネの自慢」

「別に自慢してないから」

「羨ましいよねぇ。機嫌損ねても死なないんだから」

「才能の塊でごめんねぇ」


 リューネは早速ゲートを開き、巻き添えを食いたくない見習い達がこぞって距離を取る中、入っていった。




      ◆  ◆  ◆




 暗闇の中を三人の男が歩いている。

 もし明かりがあれば、大量の書架も映し出されることだろう。いわゆる書庫であったが、明るくなる様子は一向に無く、足音だけが響く。


「――よろしいのですか?」

「国王に振られた仕事で忙しいのです、ということにしておきましょう」


 アルフレッド王国二大貴族の一頭、フランクリン家当主ランドウルスとそのお付きである。

 一人は護衛、一人は執事であり、いつもは執事に明かりを生成させるのだが、今は書物に用事は無いし、この執事にも要領が無い。

 ついでに言えば礼儀作法も乏しく、


「え? 何があったの? 国王の緊急会見のこと?」


 気安い口の利き方に護衛が顔をしかめた。

 ランドウルス本人は気にしていない。この臨時執事の強みはそこではない。


「学園でもゲートで中継してたけど盛り上がってたよ。ハナとかかなり興奮してた」


 当然ながらナナジュウ事件の報はアルフレッド王国にも届いている。

 国王シキはすぐに緊急会見――比較的開放的であり貴族のみならず冒険者ギルドや王立学園にも中継している――を開いて、件の人物についてコメントした。


 ランドウルスは参加しておらず、配下の貴族から要旨を聞いたのみ。

 最近はただでさえ実験村《テスティング・ビレッジ》の仕事が忙しいため、こうして少しでも時間を捻出している。


「にしても驚きだよねー。ジーサ様とシニ様が同一人物で、しかも指名手配から『戦犯』に格上げだなんて。戦犯だよ戦犯。口ぶりから考えて近衛より強いんでしょ? 誰も手出しするなって遠回しに言ってたけど、出すバカなんていないでしょ」


 軽率な口調が護衛に向けられている。

 護衛は自分が下に見られていることを理解しており、この臨時執事の応対も前々から気に入らないでいるが、この会話は会見の内容を知らぬ自分への情報提供でもある。感謝こそすれど不満は抱けない。その折衷案で無表情となったが、当人はあははと笑う。


「でも実験村とミックスガバメントは維持するっつんだから、さすが国王様だよね。貴族達の反発が凄かったけど、勅命扱いにして一瞬で黙らせてたよ。爽快だったなぁ」

「シニ・タイヨウの恐ろしさは実力などではない。国王がそこまでして続けるほどの政策を生み出す発想力であると心得てください」

「そのシニ様の政策に現在進行で振り回されてますもんね」

「シグネ」


 主が声音を切り換えることで、護衛はもちろん、臨時執事も軽薄な雰囲気を改めた。

 とはいえ畏まった態度までは必要無い。ランドウルスは礼儀作法や形式を好まない。


「状況から考えて、シキはシニ・タイヨウを匿っている。今も表向きは戦犯扱いだが内実はわかるまい。今年はここまででも劇的に情勢が変わってきている。シキと言えど取りこぼしはあるはず。あるいはこれから生まれるはずだ」


 ごくりとシグネが喉を鳴らす。

 王国転覆を目論む件は既に共有されている。失敗の許されない任務が、ついに動くのだ。


「シニ・タイヨウを匿っている証拠を掴んで、シキを失脚させます」

「……学園に仕掛けるの?」

「左様」


 シグネ・ヴァン・イーズベスト。

 イーズベルト家の四男であり、タイヨウと同じく王立学園の新入生で、貴族枠《ジュエル》として入学している。

 職練は商者《バイヤー》を選択しており、美的センスに優れたシグネは既に高評価を貪っている。商者としての取引はもちろんのこと、学生でありながらも学園内の装飾にも手を出せる立場になっていた。


「さすがランドウルス様。それで、何を仕掛けるの?」

「盗聴器だ」


 盗聴器とはフランクリン家の機密技術であり、石や金属など空隙《すきま》の無い物体の内部を空洞にしてゲートを繋いだものである。

 空隙が無いため空洞の存在には気付かれないが、振動は通すため音は拾える。物体の厚みや調合を工夫すれば、外からの振動は通すが内からは通さないといった一方通行も可能である。

 このような物体は、芯が無いことから『コアレス』と呼ばれる。

 これも当家の機密であるが、字面から意味を推測される恐れがあるため普段の会話では一部を省略した『コアレ』が使われる。


「コアレを搭載できるような調度品を考えろってことね。設置数は十や二十どころじゃないけど、ゲーターは大丈夫なの?」


 盗聴器はゲート経由で傍受するため、ゲーターの存在が不可欠である。


「近衛にも気付かれないゲートの張り方は確立してある。多段ゲートを使うのだ」

「さっすが。論文書いたらみんな驚きそう」


 声はもちろん顔にも出さないが、これには護衛も目を見張った。

 高貴な世界で荒事を務めているため、王族専用護衛《ガーディアン》近衛の片鱗を見る機会はそこそこある。だからこそ、その桁違いの力量を――レベル差の暴力を理解している。


 実力ではなく理論と工夫で対抗する――

 大したレベルを持たない学者の戦い方だ。


「書くわけがなかろう」

「そういえばさ、アーサー君はどうするの? この件を共有するのは危ない気がするけど」

「共有はしないよ。適当に実験をでっち上げて、盗聴器を携帯させる」

「ゲートできんのそれ?」

「ムーバブルゲートくらい聞いたことあろう。刺激的な取り組みゆえ、ゲーターのモチベーションも高い」

「それはいいけど盗聴の効果は期待できんの?」


 シグネは物分かりが良く、ズケズケと質問してくるためランドウルスとしても壁打ち相手として重宝している。ゆえに見てわかるほどのひいきも出る。

 護衛はもはや空気であった。


「あれで顔は広くて、よくうろつくから、拾える情報も期待できる」

「動く盗聴器ってことだね。やるぅ」


 一人息子アーサーの努力を護衛はこの目で見てきたが、報われることはない。

 ランドウルスにとっては、実の息子もまた手段の一つにすぎなかった。

第二章

第345話 寮暮らし

「ふわぁぁ。二人とも早いんだね」

「もう十時なんだが……」


 第八週一日目《ハチ・ジュウ》。

 今日から第四の人生――ガートンの隠密社員《ステルフ》ハンティとしての生活が始まる。


「まだ九時四十分だよ」


 二十五平方メートルの正方形型の部屋だ。ドアと窓はあるが家具や設備は何もなく、四隅にシングルベッドが置いてあるのみ。

 三つは入り用で、俺とスキャーナとジンカが使っている。残る一つは空いているが、既にスキャーナの荷物で散らかっていた。あとゴミ。


「つーか服。可愛らしいな」

「馬鹿にしてる?」


 寝間着はピンクでフリルつきのネグリジェとやたらガーリーである。胸元が緩くて谷間も見えてるし。


「ジンカも起きろ」


 毛布を剥がすと、金髪幼女体型の背中とお尻がすうすうと微かに、だが規則的に動いている。こっちは服さえ着ていない。日中や外ではさすがに着てくれるが、擬人化モードで何かを身につけるのは嫌いらしくて、すぐこれだ。


 ちょっと感触の出来を確かめたくて、尻をビンタしてみる。

 パチンと良い音が響いた。

 ジンカは特に気にすることなく、寝ぼけ眼をこすりながらもこちらを見据えて――いきなり飛びついてきた。


「うわぁ……」


 思わずスキャーナが顔を歪めるのも無理はない。

 がっつり舌も絡めるキスをしてしまっている。いやキスと呼べるかは怪しくて、掃除機の先端を突っ込まれていると表現した方が近い。ただの体液摂取で、正直このやり方は鬱陶しいのだが、他に良い方法も無いしなぁ。


 ここは情報屋ガートンの寮なのだ。


 この寮では|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》で過ごさなくてはならない。

 長いのでデフォパと略すとして、デフォパはガートン職員に必要な資質――隠密、変装、平静の全てを総合的に鍛えるのに重宝するらしい。ゆえに常に課されており、監視も敷かれている。少しでも破れば罰を受けるという。


 そんな状況下で、ダンゴとクロを体内に取りこんだり切り離したりといったことはできるはずもない。

 ジンカは対外的にはレベル90の人間で、俺を偏愛するブラコン妹だ。体液摂取は、人間として自然な形で行わねばならない。だからといってキスが自然かというと正直微妙だが。


(そういえば喉の動きは伝え忘れていたが、問題無く偽装できてるな)


 摂取時はゴクゴクと飲むわけだが、キス中にそんなに喉が動くのはおかしいと今気付いてしまった。が、もう対処してくれている。


(優秀で助かる。いや本当に優秀ならそもそも擬人化してねえけど……)


 口内発話で愚痴ってみたが、反応は無かった。


「いつまでそうしてるの」


 スキャーナがジンカを引き剥がす。女の子に向ける加減ではなく、ジンカはベッドの外にまで吹っ飛んだ。受身は――大丈夫だな。

 一般人は頭打つだけも危ないから保護の動作が要る。これで平然としてたら、たぶん監視が飛んでくるだろう。


「ご飯食べに行こうよ」


 とか言いつつ、なぜかベッドに腰を下ろして距離を詰めてくるスキャーナ氏。


「そうだな――って、危なっ」


 俺の顔をヘディングすんのかってくらい勢いに溢れていたが、レベル1水準なら対処は容易い。スキャーナはルナやヤンデよりはできるようだが、カレンやフレアと比べれば可愛いもの。


「ちぇっ」

「キスしていいのはジンカだけだ」

「変態だね」

「結構。俺達兄妹の愛に他者が介在する余地はない」


 相棒の擬人化も、こうしてスキャーナに牽制できるという意味では役に立ちそうである。


「トイレ行こうっと」


 情熱的かと思えば、こうしてすぐ諦めてくれるのがせめてもの幸いか。まあ内心は変わってないだろうけど。


(捨て身で俺を追いかけてきたんだもんな)


 普通に気付かなかったが、先週からずっと隠密《ステルス》でストーキングされてたらしいし。カレンとの行為も見られてたんだろうか。怖すぎる。ファインディやブーガが見込むのも頷けるな。


 そんな女がなぜ俺なんかに惚れてるのか。

 未来の異世界人が新鮮なのはわかるが、それだけだ。人としては別に大したことないし、むしろクズの部類だろう。ブーガみたいに、あるいはシキでもいいけど、淡々と俺を使ってくれたらそれでいい。ギブアンドテイクの関係でちょうどいいんだよ。


 今まで求められたことなんてなかったからさ。

 利害を越えた親密を求められると、色々考えさせられてしまう。


(俺はぼっちだからな)


 何年も何十年もこじらせたぼっちに素直の二文字は無い。

 たとえバグっていても、思考だけは止められない。むしろ疲れないし狂わない分だけ無限に考えてしまう。


 面倒くさいんだよ。


 考えるのも。

 悩むのも。

 疑うのも、報われるのも。


 そういう浮き沈みがだるくて、煩わしくて俺は死を選んだというのに。


(いっそのことスキャーナに溺れてみるか?)


 その気のない提案を思い浮かべながら、トイレの方――出入口側とは反対側の、全面張りの窓を見る。


 風景は空しか見えない。

 海に面しているらしいが、|海のモンスター《シーモン》対策で少なくとも高度千メートルの高さはある。寮はキロメートル級の崖の上に建っているわけだ。


 窓の先も数メートルほどの足場しかない。

 屋根もあるし隣も見えないから一応ベランダと言えなくもないのだろうが、実態はトイレである。


 穴が一つだけ空いており、用はそこに落とす。

 トイレットペーパーなるものはない。代わりにホースが二つついた装置があり、片方で水を出して洗浄、もう片方で熱風を出して乾燥させるそうだ。

 もちろん魔法と比べれば非効率であるが、ここはデフォパの世界――魔法を使ってしまえば、排泄中だろうと監視が飛んでくる。


 使用中を示す大きな仕切りで見えないが、今もスキャーナが足していることだろう。

 当たり前のことではあるが、美人でも排泄はする。いやこっちの世界だと魔法でこっそり処理できるけど、この寮では一般人のやり方に則らねばならない。間違いなくスキャーナは出している。


 さすがに見に行くほどゲスではない。

 俺にスから始まる嗜好は無いし、昨日の時点でマナーも叩き込まれたしな。スキャーナは破ったら戦争とまで言っていた。

 冒険者なのにそんなことを気にするのかと挑発したが、人として排泄シーンを他者に見られるのはありえないとのこと。まあそうか。だいぶ麻痺してるよな俺も。


 そんな俺の内心が透けていたのか、ふと目が合ったジンカがお尻を向けてきた。


「お前はもう少し羞恥心を持て」


 と言いつつ、見た目相応のそれを再現してるんだろうなぁとか、その年齢だとそんな感じになるのかーなどと一瞬で目に焼き付けてしまった俺も俺だが。


 認めたくない。

 認めたくないけど、たぶん俺にはロリの気がある。少しだけな。


 思えばそういうもんだろ。

 歴史を見ても、成年に至る前の女の子が性の対象になってきたことは明らかだ。そう、生物として至極普通のことだ。それを人類が理性で抑制して、主に児童の保護という観点から頑強な倫理を構築してきただけで。

 別にペドフィリアってわけじゃないぞ。本質的に見れば、ただ身体が小さい女性も悪くないというだけ。可愛さという属性が濃いし、大人という醜さが薄いからな。単純に魅力的なんだよ。

 そういう男はたくさんいる。アニメ調の絵が二次元を席巻してきたのがその証拠。あれは醜さを消すデフォルメをしているからこそ刺さるんだ。

 うん、俺はおかしくない。


 そんなしょうもない正当化も込みで、ジンカは全てを悟っているのかもしれない。


(ブーガにぶつけた俺の本心もコイツは聞いてるわけだからな……)


 寄生スライムとしては俺を失いたくないはず。たとえば俺を性的に攻めることで延命を狙っている――のだとしても不思議ではない。何なら俺には及ばない戦略を仕掛けている可能性もある。


 とはいえ当面は敵対することもあるまい。

 それでもなんだか癪なので。


 せめてもの抵抗として、俺はジンカから目を逸らした。

第346話 寮暮らし2

 トイレと洗顔を済ませた俺達はガートンの制服――没個性的な黒スーツに着替えて、部屋を出た。

 某サンドボックス採掘ゲームでしか見ないような、長い長い廊下が伸びている。

 内装は赤と紫を混ぜたような色に、微妙にグラデーションがかかった感じ。赤裸々に表現すると、|灼熱の冥土《ネザー》で直線採掘法《ブランチマイニング》してる時の光景みたいだ。


「相変わらずイカれてるよな、このレイアウト……っと」


 ジンカが手を繋いできた。ふへへと言いたそうな笑みも浮かべた上目遣いもついてくる。はいはい可愛い可愛い。


「仲良いね。それじゃ行こうか」


 なんか発言がわざとらしいなと思ったら、案の定、スキャーナも掴もうとしてきたので回避する。「なんで?」こっちの台詞だが。

 バッ、バッと繰り出してくるが、何度も言うようにレベル1水準ならお前は赤子でしかない。百回やっても負けねえぞ。

 通行人の寮生もちらほらいる。あまり目立ちたくない。

 というわけで、もう歩き出すことで強制終了。スキャーナも空気を読んでくれて、ついてくる。むしろ案内のため改めて前に出てくれた。良い子なんだよな本当に。


「ぼくと一緒にいる時点で、もうダメだと思う」

「……だよな」


 俺が人目気にしてることにも気付いてるし。

 忘れそうになるけど、ガートン職員のホープなんだよなぁ。この優秀さが仇にならないといいんだが。


 食堂目指して進む。

 通学路というか、全校イベントで体育館に集まる時の廊下って雰囲気でどこか懐かしい。和気あいあいと雑談してるグループもいれば、親近感を抱かせるぼっちもいる。女子のぼっちはそそる。

 鋭いスキャーナさんの視線がちょっと痛いので、雑談で間を持たせるか。


「何となく想像つくけど、この寮ってどういう構造してんだ?」

「ぼく達がいたような部屋が五階分あって、それが一万ほど並んでるみたい」

「一万と聞こえたが」

「一万だよ。全長五万メートル」


 この廊下は五十キロメートルの長さがあるわけか。

 部屋は四人部屋で、五万部屋あるってことは二十万人。寮に来るような新人と落ちこぼれだけだけでこの規模だ。


「でかい会社なんだな」


 前世の大企業どころじゃない。


「会社はそんなものじゃない?」

「娼館もそうなのか?」

「さあ。聞いてみたら?」


 さりげなく罠を入れてくるな。

 危うくガーナの名前を出しそうになった。


 今の俺は隠密社員《ステルフ》ハンティであり、降格処分を受けて落ちこぼれの烙印を押されたスキャーナの後輩という見え方だ。王国の有力貴族オードリー家長女の名前が出てくるのはおかしい。

 スキャーナもわかっているようで、意地の悪い笑みを浮かべている。

 中性的でボーイッシュに見えることもあるが、この笑顔は乙女だ。幼なじみも落ちるだろう。バグってて良かった。


「あてなんて無いんだが」

「客として通えば? 執拗に舐めるのが好きなんでしょ? 自分で後ろから挿れるのは下手なんだよね? 受身で乗ってもらって動いてもらうのが好きなんだよね?」

「下品な会話はやめろ」


 これが覗き見された時の心境か……。

 間違いない、カレンと交わってた時のことは全部見られてる。


「ジンカさんも気を付けてね。あ、小さいから大丈夫なのかな?」


 そう言いながら自分の胸を持ち上げてみせるスキャーナ。

 当然ながらジンカは無反応だ。コイツはモンスターの理を生きている。崇拝状態《ワーシップ》を起こした俺にしか反応しない。この点は都合がいい。まあそのせいで、俺への依存を強める根拠が必要で、ブラコン設定になってしまったわけだが。

 今はおとなしくしてくれているからいいが、頼むから衆人環視の場でベタベタするのはやめてね。


「ぼくはいつでも歓迎するけど、もうちょっとハンティからも頑張ってほしいなって思った」


 いや過去形……。見ましたって言ってるようなもんだぞそれ。


「純潔は黙ってろ」

「純潔は別に悪いことじゃないよ?」


 ダメだ、この程度ではコイツのメンタルには傷一つつかない。

 むしろ落ちぶれを演出するため、少し声量を上げて周囲に聞かせているまである。早速ひそひそも聞こえてきたし。というか聞かせるボリュームで話してやがるし。


 コイツの悪口を言ってもいいのだと。

 そんな暗黙の了解が平然と醸成されている。


「そんなこと気にしてる暇があったら、もっと鍛えるなり勉強するなりするべきだと思う」


 スキャーナもスキャーナでさらに挑発してやがるし。


「要らん敵はつくらない方がいい」

「これも鍛錬だよ。緊張感に慣れるためには、自分からつくっ――」


(足払いだな)


 立ち止まって話してる連中の一人が不自然に足を出してきた。

 精神的にも技術的にも明らかに慣れている。声と態度もでかかったし、いじめ自体に慣れてるのだろう。この寮はデフォパの強さが正義だ。


「――ていかないといけないんだ」


 スキャーナは息するように交わしている。

 認識だけなら本来の力を出せるからだな。レベルで言えば88だし、身体の動かし方さえ上手くやれば盲目に難聴でも出し抜かれることはない。


「どこまでも真面目なんだな。惚れそう」

「言葉じゃなくて行動で示してほしい。いつでも待ってるから」


 俺でももう少しいじめっ子達の様子を気にするというのに、スキャーナはその素振りが欠片もない。その双眸はただただ俺だけを見つけてみる。前向かないとこけるぞ。


「気長に待っててくれ」

「あんまり長いと、ぼくから行くかも」


 スキャーナは嬉しそうに一歩前を行く。その背中はウキウキしている。


「勘弁してくれ」

「知ってると思うけど、ぼく、忍耐力には自信があるんだ」


 よく見ると、少しだけ耳が赤い。

 こういう性的なアプローチもまた、冒険者としての努力なのだろう。人としてさすがに茶化す気にはなれない。したところで効かないだろうけど。

 ああ、頭痛が痛い。


 頼むブーガ。早く収拾つけて戻ってきてくれ。

 監禁でも軟禁でもいいから俺をどっかに隔離してほしい。そこで集中的に二つのバグについて議論して、必要なら外出してもいいけど、基本カンヅメ状態よろしく詰め込んだ方が効率的じゃないか?

 俺を匿える能力が無いっつってたけど、知恵なら出すぞ。


 五百メートルくらい歩いたか。

 食堂――の出入口に辿り着いた。ゲートが張ってある。


「今思ったんだが、俺達の部屋って遠くね?」

「そうだけど、ぼくは好きだよ。おしゃべりできるし」


 食堂含め共用設備への『ステーション』――ゲート群が設置された中継地点は一キロメートルごとに設置されている。俺達の部屋はそこから最も遠い位置にあるわけだ。シェアハウスどころではない不便さ。


 くぐるまでもなく見えているが、内装は前世のフードコードを想起させる。

 入ってみると、いやこれは社員食堂が近いかもなぁ。高層ビルにあるようなやつ。オフィスビル特有の味気のない、あの感じだ。

 三辺にずらりと透明なケースが並んでいて、食い物や飲み物が入っている。その裏では調理の光景が慌ただしい。ここでもデフォパ制約はあるようで、魔法やスキルの視覚効果《エフェクト》は一切無い。

 席は四人テーブルのみが一定間隔で敷き詰められている。


「席、全員分なくねえか?」

「時間は決まってないし、上手く分散されるよ」

「金はどこで支払う?」

「え? 支払う?」


 しまった。俺の常識で問うてしまった。


「食堂は無料だよ。ずっと空いてるからいつ来てもいい」

「何回食べてもいいのか?」

「そうだけど」


 スキャーナが何言ってんだコイツと言いたげな当惑を見せている。


「さすが限度はあると思う」

「そうなのか。早く食おうぜ」


 別に無理して隠すものでもないが、人もそこそこいるし、変わり者感はあまり知られたくない。というわけで切り上げて、俺は適当なレーンを目指した。

 メニューはシンプルというかダイレクトで、素材の味を丸ごと楽しむ感じ。野菜も肉もほぼ単体だ。そしてトレイはあるが、汁物を除けば皿さえもない。食器も。


「ん? どうしたジンカ――ああ、これか」


 ケースの位置が少し高く、幼女身長のジンカでは届かないので抱っこしてやる。肉をご所望のようだ。

 種類が違うものを計六種類、一切れずつ取ってやった。


「ぼくもそれでいいや」

「じゃあ俺も」


 スキャーナも食にこだわりはないらしい。

 が、トレイに載せる量は運動部男子のそれだった。ジンカのが三百グラムだとしたら、その四倍はある。


「なんで胸元を見るの?」

「いや、よく食うなって」


 ざっと空気振動から周囲を推し量った程度だが、飯の量と胸囲には相関がありそうだ。でかい奴の方が明らかに量が多い。二倍は違う。あと肉も多そう。


「内臓も鍛えたいなら詰め込まないと。これは正直要らないんだけどね。要る?」


 胸を下から抱えてみせるスキャーナ。

 意外とずっしりしている。間違いなく着痩せしている。


「どうしようかな」

「迷うんだ……」


 迷うだろ。

 重要なのは女の外見でありパーツだ。実際にアダルトグッズとして胸や尻だけを模したものも販売されているし、女体化して大きくなった自分のそれを自分で弄ぶ類の作品も少なくない。


「俺はクズだからな」


 席に着く前にセルフサービスの水をカップに汲みながら、


「女性ではなく女体の部位を見てるだけだ。胸とか尻とか膣とか唇とか。部位さえあれば良いんだよ。だが全身あってこそ部位は光るってところもあるから、胸だけあったとして果たして興奮できるかが悩ましい」

「へー。面白い考え方をするね」

「面白いか?」


 こっちの世界だとシッコクでもなければ通じなそうだが。なんかジンカもうんうん頷いてやがる。スキャーナがガン見してるからあまり反応してくれるな。


「でもそれって性癖の一部だよね? ハンティの良いところ、ぼくはたくさん知ってるから」

「もうちょっとひいてほしいんだが」

「やだよ。そうやって気持ち悪がられて人を遠ざけようとするの、ぼくは知ってるからね。よく知ってる」


 わざわざ強調しなくてもいいだろうに。

 いちいち立ち止まってやがるし、まるで俺が俺が貶めているのが許せないとでも言っているかのような怒りを全身に宿している。隣で選んでる奴らがビビってんぞ。


「もっと自分を大事にしてほしい」

「そうだな」


 無理に決まってるだろ。

 俺は|死にたいよう《シニ・タイヨウ》であり、|自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》であり、安楽死《アンラー》なんだぜ?


 手頃な席に着くと、いただきますの掛け声もなく食べ始める。

 一番心配なのがジンカの食事だが、俺の目で見ても違和感の無い食べ方で合格だ。「一口交換しようぜ」少しだけいちゃついておく。


 その間、スキャーナは黙食していたが――

 その視線が急に、ある一点で固定された。


 景色のように流していたコイツにしては珍しくて、俺もつい追ってしまう。


「――エルフ?」


 金輪際見たくなかったが濃い緑髪に、長く尖った耳。

 そして空気振動ではわからないが、視覚的には一目でそうだとわかる、人間離れした美しさ。ホント、この種族は何着ててもすぐわかるよな。


「エルフの職員もいるよ」


 孤立なのか一目置かれてるのかはわからないが、どの方向もテーブル二つ分以上空席になっているのは彼女の周囲だけだ。要は浮いていた。


「他の種族もいたりするのか?」


 もう関わりたくないので、この話もやめにする。


「鳥人、獣人、あと魚人は見たことあるかな」

「他は?」

「他は?」


 なぜかオウム返ししてきた。他にも種族がいるなら引き出せるかなと思ったが、いないのだろうか。


「さすがに魔人はいないよ」

「会社なのに?」

「会社でも無理でしょ」


 もこもこ連中こと綿人の存在は知られてないみたいだな。

 それはともかく、ジンカに半眼を向けるな。


 俺が警戒しすぎか? いやそんなことはないだろう。自分で言うのも何だが、今現在最も巷を賑わせてる自信がある。

 なのにお前、ちょいちょいギリギリを攻めてないか? マゾなんかな。


 とまあ、一応寮生活の出だしは問題無さそうではあるが。


(俺もやることやってかないとな)


 ブーガに丸投げして惰眠を貪るつもりはない。もちろんジンカはともかく、スキャーナに俺の正体や本心を知らせるつもりもない。


 とりあえずブーガと議論するためのネタ集めだな。

 頭の中だけでもやっておくと違う。隙を見つけてやっていこう。

第347話 学園勢

 午後十二時十五分、アルフレッド王立学園の平民向け食堂――

 いつもならどこに座っても隣り合う程度には混雑しているが、ある一画の周囲だけは不自然なほどガラ空きだった。


「お父様は事実上手出しするなと仰ったのだと理解しています」

「雑魚では歯が立たないし、むしろ邪魔だから控えてろってことさ。僕達は違う」


 テーブルをはさんで向かい合うラウルとルナが睨み合う。

 第一級冒険者の剣士《ソードマン》に楯突く第一王女――この部分だけでも物々しくて、離れて取り巻く学生達があちこちで不安の会話をこぼしている。


「僕だけじゃない。エルフもそうだろ?」


 通路にはみ出した椅子を三つ使って立ちテーブルをつくり、肘をついてもたれているヤンデは押し黙ることで肯定した。

 堂内の割と真ん中であり、普通に利用者の邪魔になっているが気にするヤンデではない。


「珍しいな。止めないのかい?」

「あなた達の頑固さは理解しているつもりよ。お好きにどうぞ」


 ヤンデは離れたカウンターから食事を引き寄せる。生徒とはいえエルフの王女である。食堂のスタッフ達は彼女の癖をいち早く理解し、何なら常時担当者がすでにつくってスタンバイさせているほどだ。

 手元に持ってくるのに秒とかからなかった。


 それをテーブルの真ん中に配置する。分量から見れば他の同席者分もあるが、誰も手を付けず見向きもしない。


「シニ・タイヨウの処遇、いや処分はエルフに任せる。だが僕達が捕まえた場合は、まず先に僕達の便宜をすべてはかってもらう」

「だからお母様に正式に言いなさい」

「必要無いさ。頭の堅いエルフでも、その程度の道理は理解できるだろ」

「……」


 女王ではなくエルフと言っている。

 森人族《エルフ》が何をしようとしているのか、ラウルには見当がついているのだろう。ならばその邪魔をせず、重複もしない、別の戦略で探してくれるはずだ。


「お強い先生方はさておき、そちらの皆さんはどうするつもりかしら」


 ヤンデの興味は、反対側の通路にはみ出た椅子に向かう。


 茶目っ気を完全に殺して冒険者の顔で傾聴しているアウラはさておき、残る三人――ハナ、ガーナ、ミーシィはアウラウルほど奔放に振る舞える立場ではない。


「加勢致しますわ。当事者にならなければ、《《タイヨウ様》》には接触できない」


 ハナの一言で堂内がざわつく。

 国王直々に情報を解禁された後であるため盗み聞き対策はしておらず、周囲にもダイレクトに聞こえる状態だ。

 その上で、戦犯となった大犯罪者をそう呼んでいるのである。


 王国の二大貴族を成す者が、聞き間違いの余地など無い声調で。


「先の会見でも仰られましたが、国王さまはタイヨウ様発案の政策を継続します。政策自体は革新的で、非常に役に立つからです。わたくしもそう思いますし、もっと聞きたいこともたくさんあります」

「なら今のうちに聞きたいことを整理しておいた方がいいわね。他にできることも無いでしょう?」


 シャーロット家程度の実力では役に立たない、と皮肉るヤンデ。

 立場の違いからあまり親しくなれておらず、ヤンデなりのコミュニケーションのつもりだったのだが、「ご助言痛み入ります」ハナも声調からしてバッリバリの社交辞令だった。


 気を取り直して、隣の、同じ制服なのに露出の多いクラスメイトに目を向ける。


「アタシも参加するわよ。セクセンもシニ・タイヨウには注目しているわ」

「私達にもなびかなかったから無理だと思うけれど」

「舐めてもらっちゃ困るわね。純粋な戦力と経済力も負けないわよ」


 いつもなら舌をチロチロと出してセクハラの一つでも行うガーナだが、さすがにこの場では真面目だ。


「で、さっきからぼーっとしているあなたは?」

「ん? わたし? ただの見学者だよ」

「ミーシィと言ったかしら。あなた、ジーサを気に入ってた気がするのだけれど」

「さすがに諦めるよ。それよりさ、みんな食べないの? もーらいっ」


 ミーシィがマイペースにむしゃむしゃしたことで、場の空気がいくらか弛緩する。

 ルナも手を伸ばし、ヤンデも風魔法で掴んで食べ始めたことで、食事時間に移った。


 黙食がしばし続く――。


 食べ終えた者が出始めたところで、


「――にしても、学園も呑気なものね」


 ふとヤンデが呟いた。


 欠席者が見当たらない。


 通常ナナジュウ事件のような大事件が起きた場合、特に貴族達は今後の立ち回りを考え直す。大事な跡取りも呑気に学園に通わせている場合ではない。

 結果として欠席が目立つのだ。過去には全生徒の半分以上が欠席したこともある。


「シキさんの采配だろうね。貴族には別に通達を出したみたいだよ」

「ラウル様の言うとおりですわ。このような事態だからこそ泰然と構えよ、と上手く矜持を突いておりました」


 ハナが食器を置き、口元を丁寧に拭う。

 ここでは要らない作法だし、手作業でもあるが、所用で護衛がおらず上品な魔法を使えないための代替行動である。

 加えて節目の提示でもあった。既に食べ終えた者もおり、退席のタイミングをゆるくうかがう空気だったところをハナが率先した形となる。

 しかし、


「そういえば、一つだけ共有しそびれていたわね」


 ヤンデは椅子製の立ちテーブルを解体した後、それの一つをルナの隣に置いて座ると。


「ナナジュウ・インパクトが起きた時、皇帝がガートンの職員を一人連行していたのよ。あなた達は見えてたでしょう?」

「……それがスキャーノだというのかい?」


 スキャーノについては、今朝の時点で掲示板に張り出されている。

 曰く、ガートン職員が扮したスパイであったため《《処分》》したと。


「悔しいけどアレのセンスは本物よ」


 ジーサへの思いも――。


 その一言だけは妙に小さい声量で、しかも無詠唱の防音障壁が即席で張られたものであった。隣のルナにだけ届く塩梅だ。

 そんな確信犯的な呟きを受けたルナは、


「そうですね……」


 難しい顔を隠さない。思うところがあるのだろう。思案か、回顧か。


「かんたんに見捨てるとは思えない。皇帝がヘッドハントしたと言ったとしても、私は納得しちゃうわね」

「無いんじゃない?」


 ピンクのボブカットが揺れて、童顔の双眸が色の薄いエルフを見やる。


「スキャーノちゃんの変装なら見抜ける。あの男性社員は彼じゃなかった」


 当日同座しておらず首を傾げるハナに、ミーシィが説明を試みる。が、要領を得ないので、苦笑したラウルが手短にフォローした。

 アウラはそれを待った後、


「ヤンデちゃんならわかるでしょ。彼の変装の程度は」

「……そうね」


 少し迷ったが、ヤンデは何も言わないでおいた。


 スキャーノの正体が女性であることをヤンデは見抜いている。

 第一級クラスの細かい認識と性別を疑う好奇心があれば可能だろう。アウラが知っていてもおかしくはない。


「だとすると、どうして皇帝はその男性社員をピックアップしたのでしょう?」

「外府ガートンを展開していく上でのキーパーソンだから、と愚考しますわ」


 ルナの問いに対し、ハナが畏まって答える。


「皇帝ブーガに私利私欲はありませんから、外府を確実に運用できる駒を求めているはずです。出世競争の激しいガートンにそういう人材は中々いないと思われますが、お眼鏡に叶ったのがその社員なのでしょう」

「僕もその線だと思う。他の可能性として考えられるのは、そうだな……師匠の回し者なのかもしれない。他組織を内側から侵略するために、長い目で見て弟子を送り込んでいたとか」


 もう初期の緊迫したムードは無く、周囲の空席の範囲も微妙に狭まっている。というより野次馬が出来ている。

 ラウルも食器を片付けながら喋っていて、散会も近い。


「考えすぎじゃない?」

「いや師匠ならやりかねない。イリーナさんみたいな人が他にもいないとも限らない」


 アウラのツッコミに応じるラウルの手が止まる。狙っているのか天然なのか無駄に雰囲気をつくっており、野次馬の一部が嬌声を上げている。

 ヤンデはそんなナルシストの手から食器を奪い取り、魔法を連発して、さっきと同様に秒で片付け終えた。といってもスタッフ達がヤンデ用のスペースを用意しているので、そこに置くだけだ。

 それでも早業の神業には違いなく、周囲から感嘆や畏怖の声が漏れる。嬌声を上げていた者達の反応は薄かったが、頬をピクつかせる程度にしておく。


「少なくとも才を見出す才はあるよ。僕とイリーナさん、少なくとも二人の第一級冒険者を生み出している」

「言ってて恥ずかしくない?」

「何が? ただの事実だろ」


 嬌声再び。

 どうやらアウラも気に入らないようで、相方にだけ聞こえるように舌打ちを打っている。音こそシャットアウトされているが、口元は見えるわけで、くすくすと苦笑しているのはハナだ。


「推測をこねても仕方ありませんわ――ルナ様、ヤンデ様。その社員を探ることはできませんか?」

「ガートンに国の権力は通じないと思います」

「力尽くで、という意味です」

「私はやらないわよ。普通に忙しいから」

「目に隈ができてますもんね。いい気味です」

「ん? 今おかしなことが聞こえた気がするのだけれどルナ?」

「気のせいじゃないですか?」


 この調子だとルナも単独では動くまい。ハナはそれ以上の追求をやめて離席の空気を演出し始める。

 同調したのか、ミーシィもその場に浮いて。


「それじゃーねー」


 一足先に群衆を飛び越えていった。


 ハナも腰を上げて王女達に一礼。

 彼女もまた高貴ゆえにスッと道が空く。大貴族らしい、普段の歩き方で横切っていく。


 ラウルとアウラ、ヤンデとルナは他愛の無い話に戻っていた。

第348話 学園勢2

 王都リンゴの北東部、小高き平民エリアの最高点には巨木が生えている。鳥人用集合住宅として王国が提供するものだ。

 ミーシィの家もここにあり、姉のマーシィと二人暮らしをしている。


 午後十八時八分。

 授業と軽い冒険を終えて帰宅したミーシィは開口一番、


「お姉ちゃん、協力して」

「……いつになく真剣じゃん」


 マーシィはスライス製の姿見に向かってセクシーな仕草を練習中であったが、裸のまま十メートル頭上のベンチに向かう。


 この家は天井が三十メートル近くもある、縦長のワンルームだ。鳥人の住宅としては珍しくない。

 性格なズボラな場合、床がゴミ集積場と化す。掃除するのはミーシィの役割だが、昨日掃除したのにもう衣類や羽毛、今日乱獲したであろう無加工のドロップアイテムが転がっていた。


 いつもなら文句の一つでも言うはずなのに、ミーシィは眉一本動かさない。

 すぐに姉の隣に座ってきた。


「成功したらわたしを食べていいから、協力して」


 ブォンと強烈な刃風が鳴る。


 マーシィが腕を振ったのだ。

 思わず。怒りに任せて。


「まだ諦めてなかったの? シニ・タイヨウの件だよね?」

「会えるかもしれないの」

「号外は見たよね? 学園でも会見あったよね? 見たよね聞いたよね? あれは私らに手を出せる存在じゃない」

「そんなことないもんっ!」


 ミーシィも負けてない。

 むしろ少々加減が甘くて、家が揺れている。隣人にも衝撃波が及んだだろう。あとで謝りに行かねばならない。この住宅はマナーが結構厳しい。


「……会えるってどういうこと? 具体的に教えて」


 姉だからこそわかる。

 これはもう何を言っても聞かないし効かない状態にある。覚悟などとうに決めた冒険者の目でもあった。


 だからこそ、冒険者として冷静に不備を指摘することでやめさせるしかない――

 マーシィもまた覚悟を決めつつ、妹の説明をしばし聴く。


「――そういうわけで、連れのガートンが怪しいとわたしは見た」

「皇帝ブーガと二人がグル、ねぇ。発想が突飛すぎて、お姉ちゃん笑っちゃう」

「突飛じゃないもん!」


 ブーガとタイヨウが組んでいる説は『ユニオン』――ラウルが名付けたルナ、ユズ、ヤンデ、アウラ、ラウルの五人チームの見解であり、今日の昼休憩でも共有はされていない。

 あくまでも世の中の公式見解は『皇帝でも倒せなかった難敵』だ。


「先生とヤンデちんは否定してたけど、あのガートンは絶対にスキャーノだった!」

「絶対?」


 マーシィが顔を極限まで近付ける。

 それでも足らずに、眼球に眼球をぶつける。比喩ではなく本当にぶつけている。


「た、たぶん……」

「適当なこと言ったら、このおめめ、かじっちゃうよ?」

「適当じゃないもん。説明は難しいけど本当なのっ!」


 まるで頭突きのように眼球をぶつけ返すミーシィ。


「ふーん……ならいいけど」


 こういうデリケートな部位の硬さからでも実力は推し量れる。

 久しぶりの妹の眼は予想以上に硬く、マーシィは実は内心で焦りを抱いてしまった。それでも悟らせず離れたのはベテランの成せる業だろう。


「シニ・タイヨウも、そのスキャーノとやらも、私は全然知らない。知らないからミーシィの勘についても何とも言えない」

「難しいこと相談してごめんね」

「優しいねぇ可愛い。前払いでいい?」


 ビュバッと姉の頭突き――唇は尖っていた――が繰り出されるが、捉えたのは残像だった。


「だめ。おんぶならいい」


 ひょこっと背中にもたれてくる妹の重みに、「みーしぃぃ……」マーシィはしばらく謎に体をくねらせるのだった。


「――それで何を相談するの? ガートンにいると見てるってこと?」


 皇帝自身、しばらくはまともに動けまい。

 仮に組んでいるとするならば、シニ・タイヨウの匿い先が要る。巷を賑やかす人物を国で匿うのは自国であっても得策ではない。会社に頼るのは自然だ。

 皇帝であればガートンとの伝手もあるだろう。


 妹曰く、スキャーノという同級生兼社員は非常に優秀でありながらも、タイヨウ扮するジーサにご執心とのこと。

 学園は処分の報を出していたそうだが、それほどの者ならその場で第二の人生――いわゆる『駆け落ち』のような生き方を選ぶ胆力もあるだろう。


「さすがお姉ちゃん」


 妹の吐息が、匂いが間近にある。

 慣れ親しんだ感触が背中を挑発している。以前計測した時よりもほんの少し大きくなってもいる。

 そもそも妹から甘えてくること自体が珍しい。マーシィとしては全力で感じたいところだが。


(知識があるわけでもないのに直感で悟ってる――やっぱりお姉ちゃんでは敵わないなぁ)


 ある種の戦慄と寂寥もおぼえるのだった。

 もちろん表には出さないし、幸いにも言い訳になる返しがすぐに使えた。


「ねぇミーシィ。もしかして探せって言ってる?」


 途端、ミーシィが固まる。

 ぎこちなく目をそらす様は脳裏での再生も余裕だった。


「……頼りにしてるよ、お姉ちゃん」


 ガートンの組織規模は知っている。

 全国全土、支部に本部にその他施設が一体いくつあることか――


 それでも可愛い妹の暴走である。

 止まらないのなら、せめて関わって成功率を上げるしかない。


「探す先のリストアップはお姉ちゃんがやったげる。探すのは自分でしてね」


 会社をこそこそ探ることが危険だという点も、そもそもマーシィが多忙であることも当然ながら知っている。

 ミーシィも同伴まではねだらず、


「ありがと」


 スキンシップつきのお礼で応えた。


 これで姉の理性が少し緩んでしまい。

 ミーシィも前払いを許すほど太っ腹ではなく。

 家の中でやりたいやられたくないバトルが勃発してしまい、ついには隣人からクレームを入れられるのだった。


 被害もそこそこ大きく、国の管理部に持ち込まれでもしたら立ち退きの危機であったが、そこはマーシィが金の力で示談に持ち込んだ。

 ミーシィは非常に感心したが、また姉が調子に乗ると困るので何も言わなかった。

第349話 ステータス判定

 時間捻出が課題だったが、そういえば俺は睡眠が要らないんだった。

 ブーガにぶつけたい議題から今後の立ち回り、ジンカとの付き合い方から直近の鍛錬方法まで、心ゆくまで考えることができた。

 といっても無知にできることなどたかが知れている。やはり早くブーガと会って話したい。


 ベッドから窓の先、地平線を眺める。

 第八週二日目《ハチ・ニ》の午前六時と、そうだな……三十分くらいか。思考に割いてたので秒数カウントはしてない。結構面倒くさいし、空から見た算定はあてにならないので、やっぱり時計も欲しい。


「今日は早いんだな」


 時折がさごそしてたスキャーナに声をかける。


「バンクを整理してたんだ」

「バンク? ゲートを使ってたようだが」


 体を起こしつつ、ひとあくびの演技をしてから振り返ると、スポブラとレギンスみたいな露出多めのスキャーナが。

 その隣ではゲートが開かれていて、銀行の金庫室前みたいな堅牢な光景がある。


「ビッグバンクという会社が提供する倉庫だよ。社員には一つ貸与される。ハンティとジンカさんも今日か明日くらいで来るんじゃないかな」


 どうもゲートで送迎するタイプの貸倉庫らしい。

 特定の時間になると自室の自ベッドにゲートが出てくるのだ。バス停と同じだと思えば違和感はない。


 そこに入った先がロビーで、俺の力でも壊せなさそうな堅牢な白い壁に囲まれている。本人認証を行うと、壁が開いて中に入れる。

 ロビーには太い棒が一本置いてあり、これを倒すとゲートが閉じられる。他者の侵入を防げるわけだ。


「時間内に出ないと閉じ込められちゃうから注意してね」

「自由に開閉してるように見えるが」

「ぼくはゲートが使えるし、お金を払ってフリーにしたから」


 瞬間移動で倉庫にアクセス――なんと甘美な響きだろう。前世でもあと百年は実現できまい。


「この倉庫って安全なのか?」

「噂だけど元竜人が運営しているみたい。破られたという話は聞いたことがない」

「竜人か……。話してみてえ」


 竜人と言えばブーガ以上の強さを持つ超人類だ。

 バグを解明するヒントも見つかりやすくなるかもしれない。本家とは違って融通も利きそうだし。


 だが、うっかり呟いたのがまずかったか、「なんで?」スキャーナが露骨に猜疑の目を向けてくる。整理とやらも終えたのか、まだロビーが少し散らかってたけどゲートも閉じられて。

 改めて座り直してるけど、ひたすら無言。この寮の各室のドアが結構分厚いのもあって、川底のようにしんとしている。

 今気付いたが、ジンカの吐息が小さすぎるな……。スキャーナは気付いてないようだが、どこかで教えねば。


「なんでって竜人だぞ。雲の上の存在だろ。何か聞いてみたいだろ。何も浮かばないが」

「竜人も人だよ」

「同じ人であっても、生物として違うと言っていいほどの違いが出ることはある」

「そういう考え方、ぼくは嫌いだな。優秀な人を化け物扱いするみたいで」

「化け物なのは事実だろ」

「そうやって一線を引いてくるところも嫌だな。変に気後れしないでほしいし、かしこまらないでほしい。劣等感を抱くのは勝手だけど、こっちに押しつけて解消するのは一方的で嫌になる」


 地雷でも踏んだか? よく喋るなあとか、誰もお前のこと言ってねえだろとも言えたし、無防備な胸の膨らみをガン見したりしても良かったが、今嫌われにいくメリットは無い。

 それに認めたくはないが、俺もコイツのことは別に嫌いじゃないし、むしろ性欲抜きで合うとも思っていて、もっと純粋に話してみたくもある。


 でも俺にはブーガがいるし、二人三脚で二つのバグを探しに行くのが最適解だし、で余計な対人関係は一切持ち込みたくない。コイツとの関係も深めたくないのが本音で――


「そうか。大変だったんだな」


 上手い返しが思いつかず、つい無難なことを言ってしまう。


「やっぱり優しいね。初めて会った時からそうだった」

「ただの社交辞令だが?」

「照れ隠しも可愛い」

「照れ隠しじゃねーし」


 くすくす上品に笑うスキャーナ。そんな笑い方もできるのな。

 いやどうでもよくて。分が悪いのでジンカに逃げるか。

 ジンカを半ば強引に起こして、おはようのキスもとい体液摂取をさせて、そういえば顔も洗ってないトイレもしてないなってことでその演技をして、着替えて、朝ご飯へ。

 スキャーナは蒸し返してこないから有り難い。今のところは、だが。


 さて、食堂だが、朝型は少ないらしくがらがらだった。

 昨日も見たエルフもいたし、何ならこっち見てきたけど、関わりたくないので素知らぬふり。


「色んな社員がいるけど、小さな女の子はエルフくらいには珍しいかも」


 とはスキャーナの言。


 食べ終えた後は部屋には戻らず、ステーションからそのまま外へ。飛行やらゲートやらとしばし移動した後、着いたのは小さな無人島だった。


「ステータス登録が今日までだけど、どうするの?」


 百平方メートルも無い小島の中央で身を寄せ合う。

 スキャーナの防音障壁を少しでも厚くするためだ。


 ジンカは俺のあぐらに収まるスタイルだった。体勢や仕草が完全にユズのそれであり、再現度高いなと感心させられる。


「ジンカはギルドでいい。正直に登録させる」

「ハンティは?」

「ギルドは御免だが、嘘のステータスをでっち上げるのもだるい」

「自分のステータス、わからないんだよね?」

「ああ」


 なんだかんだ機会が無かった。

 覚えているのは当日ナツナに仕えてたメガネことミライアと、女王サリアと、あとは変態第三王女アキナも怪しい。

 誰からも何も取り沙汰されてないことから、高すぎるとか低すぎるといったイレギュラーは無いはずだ。


「偏りはあるけど、ぼくと対等な感じだったし、レベルで言えば90前後かなぁとは思う。ね、アナスタシアさん」

「忘れてくれ。それより何か方法は無いのか? ステータスを判定するスキルがあるのは知ってる。それ以外でもいい」


 スキャーナはしばし思案顔を見せたが、


「判定できる人に頼むしかないね。社内にもできる人はいるけど頼れない」

「社外の伝手は?」

「うーん、無いことも無いけど、単純に遠いから休暇取らないと」


 いくら特殊な立場とはいえ、俺達も社員であるため仕事はある。スキャーナと一緒ではあるが、早速今日の午後から始まることとなっている。

 仕事は全て会社に管理、追跡されているためサボることはできない。


「そんなにギルドが嫌?」

「そうだな。詮索はやめてもらえると助かる」


 今の俺は頭部――つまりは顔だけを偽装している。

 予備の寄生スライムも体内のシェルターに退避させてはいるが、大部分はジンカの方に行ってしまっており、頭部をつくってる分との口内発話すらできない。

 だからかレベル判定を騙す処置に回す余裕も無いらしく、ダグリンの時のようには行かない。


「ぼくはどっちでもいいよ」

「じゃあ休暇にしよう。頼めるか」

「了解」


 この後、すぐに支部に向かってから休暇を申請し――


 俺達はしばし空の旅に勤しむことになった。

 といっても俺は飛べないのでおんぶに抱っこになるしかないのだが。


 意外なのがジンカで、スキャーナほどではないが飛べるのだった。まあ賢いし不思議ではないんだが、なんつーかずるい。

 それでも速度はたかが知れていて足手まといには変わりない。俺と同様、スキャーナに引っ張ってもらっている。しかし自分で飛んでいる分、かかる労力が違うとのこと。スキャーナ曰く、助かります。


 風音がゴオゴオうるさい中、


「貸し一つだから」


 嬉しそうなスキャーナの声が耳にねじこまれた。

第350話 ステータス判定2

 仙人とは百五十年以上を生きる者をいう。

 寿命の限界は通常百年未満であり、人間だろうがエルフだろうが魔人だろうが変わらない。

 百年を超える例自体は珍しくないが、それでもせいぜい百二十年くらいだそうだ。

 そんな中、三十年以上を突き放してなお生き続ける個体が現れており、それらを仙人と呼ぶ――


 ゲートでデイゼブラを見たスキャーナ曰く、午前十一時。


 俺達は大海原の空にいた。

 たぶん高度は数千メートル程度だが、海底から伸びる大木ジャースピラーが何本か生えている。

 一本だけ枝――それでも半径五メートルくらいはある――が伸びた部分があり、鳥人が二人ほど向かい合って座っていた。


 少し離れて着地する。

 足を触れた途端、ただでさえ硬いジャースピラーよりもさらに硬いのだと肌でわかった。オリハルコンやブーガどころじゃない。グレーターデーモンの、あの青白くて逞しい筋肉を思い起こす。

 これだけ硬いと無駄に居座りたくなる。何なら暮らしたくなるな。ずっと触れていたくなる不思議な魅力があった。この感覚は前世の人間では絶対に味わえないだろう。たぶん仙人のお気に入りスポットだな。


「あ、珍しい」


 スキャーナが思わず漏らすのも無理はないだろう。

 鳥人は女しかいないと聞いているが、眼前の二人はどちらも男である。セクシャルマイノリティとか中性的な容姿とか、そういうのが思い浮かぶ余地は無い。不思議とそうだとわかった。

 この感覚、どこかで覚えがあるが……まあいいか。深追いする気も起きないし本質でもない。


 一人は自信満々に育ってきた金持ちのボンボンって感じ。アラサーくらいか、少し下かもしれない。

 もう一人は華奢で、老人と評する程度には老けているが、何をしても動じなさそうな重厚感が漂っている。目当てはこっちだな。


 二人ともこちらを向く素振りはおろか、オーラさえもぶつけてこない。


「バルトさんですよね。ステータスの判定をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」


 挨拶も前置きも無く、いきなりだ。

 制服を来た俺達は対外的にはガートンの顔である。それなりの対面を見せなきゃいけないし、乱せば処罰もありえる。仙人相手に失礼だと思うが、まあスキャーナに任せるか。


「今忙しいから後にしたまえ」


 答えたのは若い方だった。

 スキャーナは無言のまま、その場で正座する。俺も倣って、隣に腰を下ろす。ジンカも追従してきた。

 俺達三人が正座で並んで、鳥人二人の背中を見ている格好だ。


「何かアイテムは無いのか? レアでもいい。どこであっても取りに行かせよう。何ならボクが行こうっ!」

「いいかげん落ち着け。降霊術《ネクロマンス》の歴史は浅い。まだアイテムが生成される段階ではない」

「意味がわからないよじい。ボケたのなら死んだ方がいいよ」

「じいではない。いいかげん自覚を持たないか。だから舐められるのだ」


 降霊術などという興味深いキーワードだなと思って聞いてたら、いきなりどキツイオーラが飛んできた。

 覚えのない感触だ。恐怖とも威圧とも好奇とも違う。

 何というか、ロックオンされた感覚。


「捕捉のオーラかな。何の感情や感想も乗せずに、ただ認識しましたって事実だけをぶつける感じ。ぼくもまだできない。上司もできないって言ってた」

「ご丁寧にどうも」


 ファインディでもできないってなると相当じゃないか? 機嫌損ねたら俺達終わらね?

 かといって縮こまるほど可愛くもないので、半ばどうにでもなれ精神で事態をのんびり眺める。

 若い方が先に相談に来てるって場面だな。一人で唸ってて、切実そうだってのは伝わってくる……と思ったら、仙人がきびきびと歩いてきた。


「遠路はるばるご苦労。今は忙しいゆえ、後日に改めるが良い」


 バルト・バース・バーデンランド。

 情報屋ガートンをもってしてもほとんど情報を掴めていないそうだが、わかっていることは三つ。


 仙人であること。

 少なくとも第一級冒険者の水準であること。

 来訪者と喋ったり世話を焼いたりするのが趣味ということ。


「しばらく待ちます。それでいいよね」

「ああ」


 ジンカもこくりと頷く。と、そこで、「なんだぁ?」若い方が振り返ってきた。前髪が長くて片目に降りかかっている。ジンカを見ている。


「まだいたのか。今忙しいんだ。帰りたまえ」


 何となくだが、この鳥人も強そうだな……。

 ジンカの頷き方に違和感をおぼえたということだ。俺でさえ「そうだったか?」と正直わからなかったくらいなので、相当細かい解像度で生きていると言える。


「ステータスを判定したいんです」


 おいスキャーナ。もうちょっと探り探りやろうや。


「ステータスぅ? なんだそんなことか」


 が、今回ばかりは良い判断だったのかもしれない。「ボクがしてあげよう」とか言いながら、男が体ごとこっちを向く。


「そこのちびっ子はレベル90――」


 攻撃力、防御力とゲームのステータスさながらの数値が次々と読み上げられていく。数字がでかすぎてピンと来ないんだよな。ちな六十万とか八十万とかいったスケール。


「――ああっ、そういうことか! 寄生スライムじゃないか。珍しいよっ! ねえじい? 珍しいだろこれ? ちゃんと守ってあげなよキミ達!」

「嘘だろ」


 思わず口をついて出た。


 ジンカの変装が見破られた、だと……? しかもモンスターに対する忌避感も無い。あるいは絶妙に隠せているのかもしれないが。


 そんな俺の当惑もお構いなしに、「次はキミね。レベル93。攻撃力――」スキャーナの判定も始めている。

 って、え、88じゃなくて93?

 入学時からまだ五週間しか経ってねえんだけど。


(ちょっと待って。情報量が多すぎる)


 もちろん俺の混乱などお構いなしに読み上げは続いていき。


「最後はキミだね。男のステータスなんて見たくないけど」


 よくわからない一言をはさまれつつ、もう俺のターンだ。


「レベルは89だね……89ぅ?」


 ザ・二度見しました、みたいなリアクションでちょっと面白い。目線は俺の頭上だが、見ているのは自分の脳内だろう。


「低くないか? 120くらいあるだろ。ねえじい、これ120くらいあるよね? なんで?」


 仙人はあしらい方に慣れているらしく、全く反応していない。この男も気にしていないようだ。ガサツっつーか勢いだけで生きてるタイプだな。コイツの言うこと、信じていいのか?


「全部読み上げてください」

「おっと、93ガール、もっともだ。中途半端な男は嫌われるからね――」


 俺のステータスも読み上げられていくが、やはりピンと来ない。

 数字上はスキャーナやジンカと大差は無い。細かい違いを言えば、ジンカは魔力は低いが敏捷と防御が高いとばらついているが、俺とスキャーナはオールラウンダー。だが俺達は何一つスキャーナの数値を超えてない。

 あ、そういえば俺の魔力ってどうなってんだ? ちょうど読み上げられる頃だ。「魔力ゼロぉ?」やっぱり皆無かー。


「あはは、面白いなキミ。死んだ方がいいよこれ。ねえじい、見てよこれ。ゼロって」


 ダブリューを十個くらいはつけそうな、見事な嘲笑は清々しさすら覚える。


「あ、でもまだあるね。ん? 基礎? ……基礎?」


 ここで仙人の眼光が初めて俺を捉えた。

 寄生スライム相手でも反応しなかった仙人が。


「……どういうこと?」


 いや知らんがな。ジンカも真似して覗き込んでくるな。


「隠しステータスだな」


 答えたのは仙人だった。

 ああ、どう見ても、どう感じても目をつけられてしまった……。


「初期レベルの段階で身体能力を著しく強化すると発現する。その効果は、一部のステータスの実効値を引き上げる。二倍や三倍といった規模でな」

「そっか、レベル89の戦闘力は70万だから、仮に3倍だとする210万――レベル130に近い水準になるね」


 戦闘力ってドラゴンボールかよ。響きからは|ジャースの仕様《ステータス》ではなく人類が定めた式に聞こえるが。勘だけどレベル値の3乗くらいか?


「筋が良いな、93の女」


 良かったなスキャーナ。仙人のお墨付きももらえたぞ。

 少しは嬉しそうに振る舞ってもいいんじゃなかろうか。「どういうこと?」追及がうるさいしつこい、あと近い。さりげなく身体を観察すな。


「強化ってなんだよじい。意味がわからないよ」

「初期の肉体――正確には筋肉だが、肉体を酷使させた後に休ませると、少しだけ肉体そのものが強くなるのだ。ほんの少しだがな」

「だから意味がわからないよ。レベル上げなよ」

「ぼくも同感です」


 そうか、スキャーナは知らないのか。

 王都リンゴのプレイグラウンドには既に導入しているが、筋トレと言ってだな、前世では一般常識の範疇なんだよ。

 厳密には神経の伝達も速くなるとか、もうちょっと色々あるんだが、細かい話はさておき。


 レベルゲーの異世界ジャースでは、実は非常に重い意味を持ってたわけだな。


(謎が解けた)


 レベル130どころではないであろうユズから動き方を褒められたのも。

 レベル89でありながら、深森林の時にアウラから逃げられたのも。


(前世でパルクールしてたからか)


 俺の知る限り、パルクール以上に身体能力を引き上げる術は無い。

 なんたって自分の肉体だけで地形や障害物を直接越える営みだ。球遊びやそこらの芸とはわけが違う。これ以上になくダイレクトに身体も精神も鍛えられるのだ。


 まして俺はガチ勢だった。

 そうして手に入れた自分を使って、失敗したら死ぬ世界で遊び続けてきたのだ。そこいらの現代人では到底到達できないような境地にいたのは間違いない。

 これに匹敵できるのは、それこそ戦争の時代で殺し続けることを許された兵士くらいだろう。シモ・ヘイヘを知った時、妙な親近感を覚えたものだ。


 そんな俺がジャースに転生してきた。

 が、バグってるせいで実態は転移であり、前世の俺の記憶や身体能力はすべてそのまま再現されていた。パルクールで鍛えた諸々も。


(勝機が見えたかもしれない)


 絶対的な実力不足はずっと課題だったが。


 俺には基礎なる隠しステータスがあって、見かけのレベルよりもずっと強いパフォーマンスを出せる。

 今スキャーナ達が話してるのを聞いてる限り、俺ので引き上げられるのは体力と敏捷だけっぽいけど。


(空間認識や反射神経のようなパラメーターも対象になってるはずだ)


 レベルをもっと上げれば、たとえば第一級水準の129まで上げれば、俺は頭一つ飛び出た存在になれるのではないか。

 それでも竜人は怖いが、それだけ強ければもっと自由に動けるというもの。それこそユズやヤンデにも対抗できるだろう。


 ちゃっかり打ち解けてやがるスキャーナ達を見ながら、俺は一人内心でほくそ笑むのだった。

第351話 王女の日常

 第八週二日目《ハチ・ニ》のお昼時。

 いつもなら学友や教師とのランチタイムだが、今日は皇女としての務めがあり王宮に帰ってきている。


 平凡な貴族向け会議室の、正三角形型のテーブルは埋まっている。

 向かい合うのは国王シキ、シャーロット家当主マグナス、フランクリン家当主ランドウルス――王国のスリートップだが、格好だけ見ればとてもそうには見えない。何せ上裸の大男に、大衆食堂が似合ってそうなラフで暑苦しい男に、冒険どころか運動にも慣れてなさそうな痩せぎすで不健康そうな男である。冒険者パーティーと言った方がまだしっくりくる。


「久しぶりのサドンセッションですな」


 サドンセッション。

 国王による唐突な臨時会議である。予告は三時間前に行われ、参加できなければペナルティポイント――一定数溜まると立場を失う負債が課される。

 ダグリンの将軍会議と同じく、配下の動静を抑止するためにあり、主な参加者は二大貴族たるシャーロット家とフランクリン家。

 当主は参加必須だが、次期当主候補も任意で許されている。護衛や使用人は許されていない。


 ルナもその枠で参加しており、シキの背後で楚々と立っている。

 マグナスの後方にはハナがいるが、ランドウルスは子息アーサーを連れてきていないようである。


「形骸化していよう。廃止してはいかがかな?」

「頻度が少ないだけで、形骸化はしておらぬよ。その方が緊張するだろう?」

「我らは忠節を尽くす身。要らぬ気遣いでございます」


 その気が無いとわかるランドウルスの物言いを、シキは鼻で笑った。


「議題は特に無い。話したいことがあるなら構わんが」

「では遠慮なく」


 マグナスをうかがうことなく、ランドウルスが続ける。


「混合区域《ミクション》の進捗はいかがですかな」

「せっかく来ておることだし、お勉強と行こうかの。ルナ。混合区域について説明せよ」

「はい――」


 混合区域《ミクション》とは、以前ジーサが提案したエルフと獣人の共存政策だ。

 両種族間の戦争は元々必要悪であったが、その支柱である戦闘行為と領土問題にそれぞれ別解を提案した。

 前者の戦闘行為については、アルフレッド王国が肩代わり――つまりは鍛錬や憂さ晴らしの相手になった。後者の領土問題については、両種族がともに暮らすエリアを実験的に設け、継続的かつ重点的にフォローしつつ段階的に拡大していくという体制と方針を打ち出して初動をつくった。


 どちらも途上ではあるものの、成功の目処は立っている。

 だからこそ|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》も誕生した――


 公の場ではあるため、くだけた態度はいけない。

 ルナは使用人のように、あるいは辞書のように淡々と応えた。


「実に明快な解説ですな」


 ルナは会釈しそうになったが堪えた。上に立つ者はいちいち反応を示さずとも良い。


「深森林へアクセスするために、ガートンのステーションをお借りしているとか。のみならず政策の啓蒙を加速させる手段としても頼っているのだとか」


 ランドウルスの視線がマグナスに向かう。

 混合区域の統括はシャーロット家だ。


「金の心配なら要らんよ。研究に比べたら可愛い支出さ」

「結構。研究費を削減されては敵わんからな」


 含意《ニュアンス》の持たせ方が豊富だなとルナは思った。

 マグナスは一瞬で悟っているし、ランドウルスも皮肉を拾った上で不満を訴えるテイストに変えている。


「進捗は順調だ。エルフ領と獣人領、双方とも全土への展開は完了している。目下の課題は戦闘相手の調達であったが、発想を変えることで対処した。ハナ、説明しなさい」

「元々戦闘相手は王国とギルドから確保するつもりでしたが、冒険者は冒険には慣れていても対人の戦闘相手、ましてエルフや獣人には慣れておりませんでした。しかし、よく考えてみれば、エルフの相手は獣人、獣人の相手はエルフだったのです。ならその間を取り入って、戦闘相手を上手く提示すれば良いと考えました。マッチングと呼ばれる考え方です」

「お役に立てて何よりです」

「フランクリン家の研究成果には日頃から助けられております」


 ハナの声音と笑顔は、ルナでは到底真似できないような練度だった。


「社交辞令は要らんぞハナ」

「社交辞令ではありませんわ。わたくしは純粋に敬意を抱いておりますし、敬意はお伝えするのが礼儀です」

「よく出来た娘さんだ。マグナスも見習うといい」

「子供から学ぶのは当たり前だ。そういえばアーサー君が来てないな」

「愚息には過ぎた場所だよ。あれはまだ使い物にならぬゆえ」


 ルナが感心している間も、ばちばちと心理戦が続いている。

 マグナスの探りに対し、ランドウルスは子の教育――それも軽視する立場にあるという刺激的なネタを投下した。ルナも言いたいことの一つや二つは芽生えたが、


「それで進捗についてはご理解いただけたかな?」


 マグナスはこれをスルー。

 どころか、これで十分だろうと遠回しに問うことで深掘りをしづらくしている。ここで深掘りすれば、まだ理解できてない無能ということになる。


「それで上手くいくだろうか。人口で言えばエルフの方がだいぶ少ない。また獣人の中にはマッチングのシステムに素直に従えない性分の者もいよう。そもそもハイレベルな冒険者の相手など限られている。戦闘相手をマッチングするだけで上手く捻出できるのか? 机上だけでなく検証はしているのか?」


 ランドウルスはその上を行く。質問にて盲点を突くことで、むしろ深く理解しているのだと主張する。


「もっともなご懸念でございますが、対処できております。そこに王国とギルドの人材を使っております」

「エルフにも獣人にも上には上がいよう。人間ごときで相手になるのかな」


 ハナの顔が一瞬引きつったのを、ルナは見逃さなかった。「心配要らぬよ」引き取ったのはシキだ。


「アウラウル以上と比べれば霞むが、あやつらの基準がそもそもおかしいんじゃ。その下であれば人材は豊富よ」

「ならば国政の人員を強化してほしいところだ。我らの本懐は研究であり、研究には時間と資金と裁量が必要なのだからな」


 国王が相手になった途端、ランドウルスは早速要望を入れている。

 現在すべての貴族は実験村《テスティング・ビレッジ》の政策に駆り出されているが、それが鬱陶しいと言っているのだ。もちろん、ただの不満など通らないから、研究という大儀は取っている。人材が豊富だとの言質を取った上で。


「たとえばそう、シャーロットが専任してはいかがかな?」

「多様なやり方と視点を試すのも実験村において重要じゃ。おぬしら研究者はただでさえ見えづらいからのう」


 ノータイムで切り返す瞬発力こそが重要だ。そのようにルナは考える。

 一方で、自分はこういう戦いができるようになるのかとも。


「おぬしらの意見も反映できれば、研究者にとっても良い国に近づく。そもそもシニ・タイヨウ殿も申したとおり、今後はミックスガバメントに向けて世界が変動していくだろう。時勢に乗り遅れたら研究どころではない。国力の拡大を今からでも整えていかねばならぬ」

「ならば納得です。そのシニ・タイヨウ殿を戦犯扱いにして、手出しするなとの通達まで出したことを除けば」

「……」


 シキは何も答えない。

 答えられないのか、答えたくないのか。ルナは何の情報も悟れかったが、ランドウルスも同様らしい。


 場に沈黙が訪れる。


 話は終わりかとシキが視線で問う。

 終了の空気が形成されていくのを肌で感じる。レベルが低いからだろう、マグナスから微かに退席のモーションが出ている。低レベルだとそういう無意識の反応は隠しきれない。

 そこまで認識したルナは、ランドウルスにそれが無いことに気付く。


「――何もされないので?」


(なるほど、タイヨウさんについて探るのが主目的でしたか)


「なぜおぬしがそのようなことを聞くのかな」

「他意は無いよ。国王様をしてそう言わしめるほどの存在が放置されている現状で、呑気に国政などしておられて良いのかなと言いたかったのだ」

「ありまくりじゃのう。先の通達でも言うたが、おぬしは聞いとらんだろうからもう一度言うておくと、それほどの存在じゃからこそ為す術が無い。ならばせめて国政を滞らせないことじゃ」

「|貴族の義務《ノブレス・オブリージュ》ですな。私は研究者ですが」

「貴族の称号が要らぬのなら剥奪しても良いぞ?」

「ご冗談を」

「良い提案じゃないか」


 マグナスも一言悪ノリしたところで、終了の空気が再来。

 ルナでも明らかに理解できた。もう蒸し返していい段階ではない。ところが、


「国王さま。わたくしはまだ諦めておりません」

「ハナ。控えなさい」


 父親の注意も聞かず、ハナは国王を見据える。


「シニ・タイヨウ《《様》》は王国の、いえジャースの発展に必要な御方です。実は内密に探らせておりました」


 マグナスは嘆息しながら頭を抱えている。残る二人は少しも表情を崩さない。その重圧だけでも相当なものだが、ハナは全く怯んでいない。

 冒険者とは違った場数の違いを痛感するルナだった。


「正式に許可をください。捜索の手は多様であるほど隙がなくなるはずです」

「良い」


 やらなくても良いというニュアンスであり、つまりはやるなということだ。


「エルフが本腰を入れておる。我らの出る幕はない」

「それではエルフに取られてしまいます」

「要らぬと言っている」

「……」


 ハナは眉をしかめながらも粘ろうとしたが、何秒と待てる場面でもない。「失礼致しました」すぐに引き下がった。


「本日のサドンセッションを終了する」


 シキが腕を振り、壁に衝撃波をぶつけた。

 瞬間、ゲートとともに近衛が出てくる。行事の対応をしていたのか死神風の装束を着たままであり、挙動も外面のものだ。慣れたルナにも判別はつかなかったが、髑髏のピンはついていた。一本なので二号《キノ》だ。


「学園に送ろう」

「ありがとうございます」


 シキの厚意を受けたハナとともに、ルナは学園に通じるゲートをくぐった。

第352話 王女の日常2

 多段ゲートを二回ほど経由した先は学園内Aクラス校舎最上階――国王専用エリアだった。

 ハナは初めて入ったらしく、年相応に目を輝かせながら見回している。それでも十秒も無く、また第一王女への期待も無いようで、一礼とともに散会していった。


「ユズを呼んでください」

「承知」


 いつの間にか装束を脱ぎ裸に戻っている二号《キノ》は、相変わらずの早技で秒も待たせずゲートを開く。

 中から一号《ユズ》が飛び出てくるのを見ながら、ルナは考える――今現在の護衛はキノであり、ユズは後の用事に備えて待機となっている。しばらくユズと過ごしたいルナだったが、近衛の中で最も融通が利かないのがキノだ。話は通じない。

 防御面でもキノが随一である。防音障壁の扱いもユズより上手《うわて》だろう。突破されてしまう恐れがあった。


「ユズ。口内連結《リップリンク》を」


 というわけで、二人にしか使えない秘策を行使する。


 濃厚な口づけを交わしているように見える主と同僚を見ても、キノは微動だにしなかった。注視する様子も無く、ただただ護衛としてそこに在る。


『シッコクから得た情報の共有をお願いします。昼休憩中には終わりますよね?』

『無問題』


 ナナジュウ事件以降、ユズは多忙を極めている。近衛の中で唯一瞬間移動が使える汎用性のため、突発的に忙しくなることがままあった。

 そんなユズは当日、シッコクと対峙しており、タイヨウの情報を引き出すことに成功している。

 その共有タイミングを何とか捻出できたのが第八週二日目《ハチ・ニ》の午後十二時半、今この時だ。サドンセッションが長引けばこれも潰れていただろう。


 キノの監視がある中、ユズは一昨日を回想する――






「人に体外寄生することから寄生スライムと名付けられてる。調べても無駄だぜ。出所は全部潰したからな」


 深き海底。海底神殿と呼ばれる残骸が散らばっており、天灯《スカイライト》とは違った光源も点在しているが、甚大な水圧がのしかかる。そんな魚人でもなければ生存すらできない場所で、美しい青年と幼女が向かい合っている。

 ユズは己の性器を拡げて見せている。シッコクはそれを見ながら己の竿を慰めつつも、得意気に語り続ける。


「魔素も消せるし、ステータスも偽装できるし、|高レベルの肉体《ランカーフィジカル》の耐久性を除けばあらゆる物体を再現できる。人類が判別するのは不可能だろうぜ」

「レベルを所望」

「個体次第だ。オレが飼ってたのは90、タイヨウが飼ってたのは半分も無かった――」


 シッコクが無言で果ててみせる。

 勢いよく射出された白濁液は、音速すらも出ていないがユズの口元をめがけている。ただの嫌がらせだろうが、トリッキーな攻撃手段でないとも限らないため回避する。無論、相手がこの隙もうかがっている可能性は捨てず気は抜けない。


「寄生スライムの優れてるところは、人間並の知恵を持ったミクモンの集まりだってことだ。ミリメートルよりも小さいんだぜ?」


 親切に寄生スライムの情報も教えてくれているが、これも絡め手の一つだろう。

 そんな小さなモンスターは、|極小モンスター《ミクモン》にしても珍しい。珍しい情報を提示し、意識をそちらに向かわせるつもりなのだ。


「寄生スライムは一つの共同体を成している。必要に応じて命を投げ捨てることだってできる。捕まったら解明されちまうからな」


 自殺するモンスターなど聞いたことがない。

 そもそも自殺という考え方自体、ジャースでは珍しいものだ。


 さすがのユズでも好奇心を抑えられない――が、おそらくそこまで見抜かれている。


「タイヨウの話を所望」


 ユズは寄生スライムの情報を捨てることを即決した。


「良い判断だ」


 そう言いつつもシッコクから二発目の射出が行われ、先ほどと変わらぬ濃度の汚物がユズに向かう。

 この頻度で二度も射精し、濃度も変わらないなど生理的にありえないことだ。寄生スライムで生成したのだというデモンストレーションであろう。

 好奇心を刺激する誘惑でもあったが、これに意識を向けて注意散漫になるわけにはいかない。たとえわずかであっても。


 目の前のエルフは、近衛をして油断できないほどの猛者なのだから。


 ユズは機械的に最小限で避けるに留めた。


「タイヨウに性的魅力は効かねえ。記憶だけで反応しているきらいがある」


 シッコクはようやく盤外戦を諦めたらしく、膨張させたそれを取り下げる。

 残骸として横たわっている柱の上に寝そべり、独りごち始める。


「しかし性体験は豊富なんだよ。女を性欲処理の道具として扱ってきたってことだ。オレが最も買ってた点なのによ」


「ひねくれてるのは間違いねえ。プライドが高い。誰かに媚びることがない。オレに従うのが気に入らないって理由でオレの誘いを蹴ったんだ」


「レアスキルにも慣れてやがる。あと数人分は見たことあんだろ。あるいは自分が持ってるのかもな――」


 タイヨウを誰よりも深く理解している――そうユズは感じた。

 元々タイヨウには浮き世離れしたところがあるが、なのにシッコクは寄り添えている。付き合いの濃度では言えば一、二を争うであろう自分よりも、はるかに。


 もう少し聞いていたい好奇と、この緊張を終わらせたい保身が天秤を揺らす。

 ここに微かな嫉妬と羨望が吹いてきて、天秤を震えさせる。


「ま、どうでもいいことだけどな」


 ふとシッコクは立ち上がると。


 一気にユズの目の前にまで詰めてきた。

 単純な身体能力によるもので、鼻と鼻がぶつかる距離にある。


 遅れて発生した波が周辺の海底神殿を吹き飛ばす。海面の島々に津波を及ぼすほどではない。なら脅威ではなく、防御やカウンターに動くまでもない。

 逆に、下手に動いておれば、シッコクに判断の余地を与えてしまっていただろう。この男は瞬発的なやりとりにも慣れている。


 これほどの強者は、シッコクとて滅多に体験しないのだろう。楽しそうな表情を隠しもしない。

 エルフゆえに暴力的な美しさだが、ユズもさすがに慣れてきた。この順応を手に入れただけでも、この対峙には価値がある。


「一番厄介なのはモンスターを操れるってことだ。間違いねえよ。寄生スライムと対話してたからな」

「た、対……話……?」

「ダンゴと名付けてたぜ」


 これにはユズも驚きを隠せない。

 魔人が迫害され、竜人の庇護下からも外されているのはなぜか。それほどの力なのである。それを人間であるはずのタイヨウが持っている――


「だがジーサからは魔素を感じなかった。寄生スライムでも宿主の魔素は抑えられない。魔素を抑える手段もジャースには無《ね》え。少なくとも師匠は無えっつってたな。魔人ではないのにモンスターを操れる、という線もないだろう。そんな現象があればとうに発見されている。レアスキルか? 範疇超えてる気がするが、師匠も模索してたし今はわからねえ。案外同門だったりするのか?」


 その通りである。

 魔人は魔素放出体質であり、魔素が出ているから魔人だとわかる。でもタイヨウからは出ていなかった。

 間近で過ごしてきたユズだからこそわかる。タイヨウは魔人ではない。単純に考えれば、魔人の上位互換ということになるが――。


 しかしそれはそれだ。今わからないことにとらわれるのはもったいない。

 ユズは気になったワードを突きに行く。


「師匠。同門。――新たな疑問が浮上」

「その件を教える気はない。教えたところで信じてもらえないだろうけどな。話は以上だ」


 シッコクがゲートを開ける素振りを見せる。「無問題」ユズが答えると、生成と同時にくぐっていった。単純に速いのはもちろん、ゲートを畳むところまでもが洗練されていて、ユズでも指南できる要素が見当たらない。

 仮に師匠なるものが本当で、実在するのであれば、並大抵の人物ではない。少なくとも人間族ではないだろう。


 それはともかく、ゲートの先から一瞬だけ見えたのは空であった。

 移動先として認識するのが難しい空へのテレポートも平然と使いこなす――シッコクはどこまでも強敵だ。


 それほどの者が安易に情報を漏らすとも思えない。

 『師匠』に関する情報を集めたい、といったところだろう。

 仮にユズが国に持ち帰り、伝えたとしたら、それなりの情報網をもって調べられることになる。シッコクほどの実力者なら外から覗き見することは難しくない。自分一人であてもなく探すよりもはるかに効率が良い。


「共有先の慎重な選定が必要」


 近衛は国に仕える立場だが、タイヨウのおかげで見直しが図られ裁量が増えている。

 ユズは本件を国に報告せず、独断で共有先を選ぶことを決めた。






 ――ユズの報告を受けたルナは、逸る気持ちを抑えるのに忙しかった。


 一度口内連結を解除し、まだキノも見ている中で深呼吸をして落ち着かせた後、再び連結。


『共有してくれてありがとうございます。嬉しいです』

『ルナは親友』


 絆も少し深まったところで、ルナは改めて真剣な面持ちをつくる。

 よほど重要な話なのだとキノにも気付かれているだろう。が、近衛ごとに異なる機密を持つのは珍しくない。真面目なキノなら詮索もしないし、父も凡庸な娘の動静を見張らせる命令など出していまい。

 先ほどの会議《セッション》でもエルフに一任しているようだったし、おそらく既に手を打っている。


 なら、自分は自分にできることをするだけだ。


『師匠には思い当たりがあります』

『初耳』

『タイヨウさんには聞きたいことができました』

第353話 ハンティの日常

 第八週三日目《ハチ・サン》の深夜。

 といってもあと一時間もすれば夜が明けてくるが、上空は常に青々としているため視覚はあてにならない。


「無敵バグと滅亡バグを探ろう会議、第一回の開催だ」

「ふむ」


 俺の雑なネーミングにツッコミを入れる男ではない。しばし思案していたブーガだが、ふと透明足場を消してきた。


「ん? どうした?」


 自然落下しながら俺が呟くと、両目に指が突き刺さってくる。俺の反射神経でもかろうじて指だと理解できた程度――つまり容赦無い突き刺しだ。なんでだよ。


 地上に向けて急降下する。もちろん服など瞬時におじゃんだ。

 真下は海だったはずだが、シニ・タイヨウの姿を一瞬でも見せるのはマズいんじゃ……まあ要らぬ心配か。ブーガは先回りした上で、俺の右目に親指を刺す。今度はちょうど真上に反発する角度。

 速度もエグいが精度もバケモンなんだよな。

 その本人も一緒についてきている。


 そうかと思えばまた突いてきて。

 俺を吹き飛ばしつつ、自分も加速して追いついて、また飛ばして――とブーガによる一人キャッチボールが開幕した。


「ダメージは要《かなめ》であろう? 貯めながら話すのだ」

「お前が遊びたいだけだろ」

「壊れないおもちゃは珍しいのでな」


 年甲斐も無くにやりと口角を緩めるブーガ。皇帝のレア顔じゃなかろうか……と、こういう神格化的見方は良くないな。俺達は盟友なのだから。俺の分解能でも顔が見えるあたり、コイツなりに歩み寄ってくれてるんだろうし。

 まあそんなことはどうでもいい。俺達は友達ごっこや家族ごっこをしたいわけじゃない。


「案なり何なり出してくれ。たぶん俺が出してお前が答えるより、お前が出して俺が答えた方が早い」

「その前に備えが必要であろう。シニ・タイヨウ検査と称してリリースの詠唱をお願いされたらどうする? 髪の毛を抜けと言われたらどうする?」

「全部吹き飛ぶし、抜けないな」


 ブーガが俺の陰毛に指を巻き付けて引っ張ってくる。「ふむ」指が鬱血してるけど大丈夫か……ああ、なるほど。俺にも見せてくれてるわけね。俺の身体は武器にもなる、と。


「まずは詠唱対策からだ。出力量は小さく設定するとして、出力先を制御せねばならぬ」

「そこは心配無い。体内に撃てばいい」


 俺は一垓分の一――極小のナッツを設定した上で、「オープン」撃ってみた。


 胃の中で撃っている。

 微妙な突起があるので、そこを指先に見立てて撃つイメージだ。ダンゴ達がよくうろちょろしてくれるおかげで掴めた。

 原理上は口内発話と同じである。無敵バグをまとった鉄壁の肉体は何も漏らさない。


「もう一度撃つが良い」

「ファイア」

「もう一度」

「オープン」

「……十回ほど詠唱するが良い」


 ブーガは攻撃の手を止めて、俺の腹に耳を押し当ててきた。


「負けを認めろ」

「認めぬ。あと百回で手を打とう」

「多いんだよな」


 コイツが負けず嫌いなのも知っているので、仕方なく俺も了承。


 計百回唱えたが、口内発話以外でブーガが感知することはできなかった。

 ということは、そう――口内発話は試したわけだ。

 その手の趣味は無いし、そういう場面でもない。俺がこっちで体験した女達の口内とは違ったものだな、女と男で違うものなんだなぁ、という感想だけ述べておく。


「――採取検査の通過は不可能であろうな。検査する状況になった時点で詰むと考えよ」

「だよなぁ。寄生スライムでまかなえる範囲であることを祈るばかりだ」


 次の採取系検査対策については妙策は出ず。

 毛や爪、表面に傷をつけて出血を見る程度であれば相棒達でどうとでもなるが、擬態してない時に検査されないよう気を付けねば。


「指や腕を切り落とす類の検査は、さすがにあるまい。あったとしても全うではないか、既に嫌疑がかかっている」

「かかってる時点で詰んでるよなぁ。その場で皆殺しにできればいいが、経験上そうもいかないことばかりだ」

「そう考えて良かろう。破壊的解決は長くは保たぬ」

「まとめると、やはり採取にせよ切断にせよ、そういう検査をするシチュに陥らないことが前提だな」


 ブーガは目に飽きたらしく、その膨大な殺意を俺の息子に向け始めた。ついでに言うと剥き始めてもいる。


「ふむ。包皮は剥がれるのであるな」


 細かいことは気にしないようにしよう。


「まずは噛み砕いてみるとしよう」


 ……細かいことは気にしないようにしよう。

 レベルがどうであろうと、咀嚼は人間が最もパワーを込められる動作の一つだしな。


「他になければ本題に入りたいのだが」

「良い。無敵バグは私に任せるが良い。突破できる気はせぬが、貴殿も異状を感じたら即報告せよ」

「頼んだ」


 できる気がしないのは同感だが、それがいいだろう。今噛み砕こうとしているのもそうだが、色んな攻撃パターンを試して何とか活路を見出してくれ。


「滅亡バグについては、何か心当たりはあるか? 直近百年以内に、この世界が滅ぶレベルの災害だと思うんだが」

「人災や天災もありえよう」

「災害、人災、天災の違いは?」

「災害の中に種類がある。天災は自然現象が引き起こす災害。今のところ噴火のみである。二次的には地震や津波も起こりうるが、その程度では人類は滅ばぬ。人災は人類の過失による災害。今のところ我らを統べる竜人の過失と考えてよいが、滅多に起こらぬ。ここ数百年は一度も起こっておらぬ。起こっても同族が許さぬ」

「噴火の被害事例は?」

「二百年ほど前にあったらしいな。噴火は竜人が抑えるものだが、その時は抑えきれず、地上への飛散こそ免れたが、空にいた者が相当数亡くなったようだ。以後、竜人は海底含むすべての火山に調整を行っている。もう起こることはあるまい」

「調整って何だよ。竜人やべえな」


 言語つくってスキルで習得できるようにして人類に普及させたり、青空全面に投影して全人類にニュース伝えたり、と俺達普通の人類とは格が違う。


「あ、待て。サンダーボルトは? 綿人《コットンマン》が引き起こすものだろ」

「……ふむ」


 ここでブーガが全ての動きを止める。俺の滞空維持も含めて。


「おーい、落ちてんぞ」


「なぁ」


「おい」


 既に千メートルは落ちたが、ぬるっと風で掬われて手元にまで戻された。


 透明足場をつくられて、どんっと置かれる俺。

 いや、ドォンだな。何せ加減する必要がないのでいちいち衝撃波がでかい。ただでさえ澄み切ってる周辺空間が真空になる。

 そうなると振動交流も通じないわけだが、ブーガなら粒子をばらまくなり棒つくって俺と繋げるなり如何様にもできる。体験していて飽きない。


「知らないようだな」

「話してくれぬか」


 そういや話してなかったわ。俺がジャースに来た直後の出来事――魔王と綿人に会っていることを。


 今さら隠し事など無いので、改めて打ち明けた。


 ブーガは魔王は知っていたが、綿人は知らなかったようだ。サンダーボルトも天災なのか人災なのか断定しかねていたとのこと。

 俺の情報を踏まえれば人災だとわかる。要は綿人のポカだ。


 そうして超越者達について話していると、自然と結論もそっちに寄っていく。


「――やはりスーパーマンがもたらすものであろうか」


 スーパーマンとはブーガのネーミングで、魔王と竜人族と綿人族を指す。


「どうだろうな。人類滅亡ならありえそうだが、世界だからな。この世界丸ごとの滅亡を引き起こす、となるとスーパーマンよりも高い次元な気がするんだよな」

「そもそも前提は正しいか?」


 実は人類滅亡ではないのかってことだよな。


「正しい。今さら確かめる手段もないけどな」


 メガネスーツ天使ともう会えることはない。


「なら仕方あるまいな。高い次元とは?」

「俺も想像はつかん。丸ごと壊すとなると、それこそ天体衝突くらいだろ」

「てんたい?」


 ここに来て理の違いを再認識することになる。



 ブーガは宇宙を知らなかった。



 言われてみればそういうものか。ユズも知らなかったし。

 どうもジャースには宇宙という概念が無いらしかった。まあ太陽からして竜人が動かしてる天灯《スカイライト》だしなぁ。


 しかし星という概念はあるから謎だ。現に地上からだと星空は見えるし、スターという|メタファー《たとえ》を使った通常魔法もある。上空からだと見えないってのは意味わかんねえけど。

 原理も解明されてないそうだが、星は天灯のような強い光源だと考えられている。天体とは結びついてない。


 肝心なのはここからだ。


 ブーガ曰く、人類では空の果てにも地中の果てにも届かないという。

 前者はサンダーボルトに阻まれる。

 後者には『ジャースクラスト』と呼ばれる超硬の層がある――


「――目指してみる価値はありそうだな」


 幸いにもブーガは理解してくれた。


 今の次元で解けない問題は、高次の情報に頼るのがベターだ。

 科学にせよ、数学や哲学や音楽にせよ、人類はそうやって好奇心を伸ばし続けることで発展してきたのだし、その投資を怠るべきではない。いわゆる研究ってやつ。

 前世の日本にはそれを理解できない無能が多かった。


 それはともかく、まさか俺が開拓の当事者側に立つとは夢にも思ってなかったぞ。


「貴殿といると楽しいものだ」


 ひとまずの進展はあったため第一回会議は終了して。


「何言ってんだか。お前は人類帝国化のためだけに動いてる狂人だろ」

「それ以前に人であり、人ならば物事を楽しむ感性もある」

「本懐は揺らぐか?」

「揺らがぬな。必要なら貴殿を即座に殺すこともできる」

「わかってるけど、顔にやけてんぞ」

「貴殿も乗り気のようだが」


 まさかジャースで宇宙の話をすることになるとはなぁ。言うて俺も素人だが。

 ブーガもこの世界の成り立ちなど、理に寄った話題を教えてくれるらしい。


 比喩抜きで、俺はこっちに来てから一番楽しい時間を過ごした。

第354話 ハンティの日常2

「ジンカさん。なんで何も言わないの?」

「……」

「聞こえてるよね? 言葉もわかるよね?」

「……」

「ぼくの存在は認識してくれてるみたいだけど……」


 午前十時。

 スキャーナはタイヨウのベッドの上で寝転びながら、鏡も無しに延々とおめかしに勤しむジンカに話しかけていた。


 いや、もはや話などではなく壁打ちであろう。かれこれ四十分粘っているが、ジンカは全く反応しない。

 よく観察すると物理的に届いていないのではなく、届いた上で、しかも理解もした上で無視しているのだとわかる。

 寮内につき独り言ちることこそ無いものの、スキャーナの脳内ではモンスターに関する考察がめまぐるしく進んでいた。


 身体的な接触に踏み込むかどうかしばし悩んでいたが、「行っちゃえ」ジンカのベッドに飛び込んだ。

 ギシッと凹んだベッドが傾くも、ジンカの体勢は乱れない。


「あっ」


 しまったと顔を引きつらせるスキャーナだが、監視が飛んでくる様子はない。

 つまりジンカは|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》の範囲内で耐えたということだ。スキャーナには持ち合わせていない体幹だった。


「さすがハンティの妹さんだね。髪型に悩んでるの?」


 ジンカの両手を半ば強引に取って、


「こんなのはどうかな。って、これ、ぼくの髪留めだね」


 余談だがスキャーナのベッドは物で散らかっている。ついでに言えばゴミもお構いなしだ。一応他人の領分には侵食していない――ただし空いているベッドは含まない――ものの、タイヨウにはとうに見切りをつけられた。

 髪留めも、そのタイヨウからの反応をうかがおうと取り出していたものだ。童顔に見えるので結局やめたが。


「うん、可愛い」


 セミロングの金髪を耳より上で二つ結びにする――いわゆるツインテールだ。


 と、ここでタイヨウ扮するハンティが帰ってきた。


「仲いいな」


 容姿に言及する素振りが無さそうなので「それだけ?」冷たい視線と併せて刺す。ハンティは首を傾げたが、


「ああ、可愛いと思うぞ。しかしその髪型、あまり見ないよな」


 女の子の扱い方うんぬんであれこれ言われる前に話を逸らしてくる。が、スキャーナも正直興味がないのであえて乗る。


「ツインテールだよ。ぴょこぴょこして可愛いんだけど、この揺れ方ってモンスターの触覚と結構似てるんだよね。紛らわしいからやめろってギルドが通達を出したこともあるくらい」

「へぇ、面白いな。俺も嫌いじゃないけどな」


 ジンカはというと、抱っこをねだるポーズでキスをねだっている。寄生スライムゆえに体液摂取が必要だから、とのことだが、それにしても多いのではないかとスキャーナは思う。

 ごねても仕方ないのでジンカを解放し、自分は物にぶつからないようマイベッドに飛び込む。


 後頭部に両手を差し込んで、窓から外を眺める。


「……」


 その脳内ではハンティのことを――シニ・タイヨウのことを考える。


 憧れていた彼と一緒になれた。

 上司の協力無しには成し得なかったが、ユズやヤンデ、アウラウルといった強豪な競合達も出し抜くことができている。

 冒険者としての自分のセンスも上々だし、皇帝ブーガからも褒められた。


 ここ数日の体験も、間違いなく貴重なものであろう。


「ねぇハンティ」

「ん?」


 ジンカの口から離れて、タオルで拭っているハンティがスキャーナを見る。特に隠しもせず胸元を見て、足を見て、股を見て、また胸を見た。


「ぼくって何がしたいんだろう」

「性交でもするか?」

「そんなのいつでもできるよ。そうじゃなくて」


 本音を言えば少し、いやかなり照れくさいが、冒険者としての自分が何よりも大事だ。スキャーナなシリアスは雰囲気で押し通る。


 この人を使って何がしたいのか。

 とりあえずもっと知りたいし、もっと学びたいし、もっと鍛えたい――

 シニ・タイヨウにはそれを満たせるだけの何かがある。そんな男を独り占めできているはずなのに。何が不満なのか。


「――ううん、まだできてないや」

「何が」

「独り占め。ぼくも連れてって欲しかったな」

「絶対に断る」


 タイヨウと皇帝ブーガには強固な絆があり、スキャーナが入る余地もない。隙をつける実力もないし、仮にあったとしてもそんなことをすれば殺されるだろう。

 二人が何の話をしているのか、あるいは鍛錬をしているのかはわからない。


 それでも、一つだけは漏れていた。


「だって楽しそうなんだもん。すごく」


 しばし無言だったが、隠す気は無いらしい。


「……まあ、楽しかったからな」


 素直に認めることを恥ずかしがる少年のような、そんな童心が眩しい。


「ぼくってさ、割と何でもできるし楽しめるんだけど、本心からこれだって思えることがないんだよね」

「他人のためなら頑張れるってことか?」

「そういうタイプではないかなぁ」

「じゃあそういうもんだろ。基本的に知れば知るほど、強くなればなるほど、人生はどんどんつまらなくなっていく。こう言うと否定する奴も多いが、無視していい。そういう奴はまだそこまで努力してないだけだ。あるいは努力の途上で愛する者をつくって、幸福という名の停滞に妥協しているだけだ」

「……」


 早速反論しようとしたスキャーナだったが、堪えることにした。調整を間違えてしまい、唾液を消化せなばならない。ごくっと鳴らしてしまう。

 その音をタイヨウが認識したことに気付いた。


 その上で、何も言わず返事を待ってくれている。


 数秒。


 五秒。

 十秒。


 二十秒――


 喋りたがりがあまりに多い中、ここまで待ってくれるのは本当に居心地が良い。合うと感じる。

 スキャーナはふふっと微笑んでしまう。


「ハンティはさ、これまで何人か付き合ってきたよね」

「いきなり何だ」

「気が強かった子と、すぐ手が出てた子と、あとジンカちゃんに似てた子もいたよね」

「あぁ……」


 タイヨウの遍歴と言えばルナとヤンデだろう。ユズも含めていい。当たり前だが名前そのものは出せない。


「そこにぼくも含めてさ。誰と一緒にいるのが一番良い?」

「一人がいいんだが」

「四人から選んで。比較するものじゃない、みたいな逃げは無しだよ」

「ならお前だ。ガサツなところは目に余るが、性格は人それぞれだからな、俺の領分を犯さなければまあいい――ってどうした?」

「何でもないよ」

「あるだろ。顔が少しピクっとしたし、ちょっと赤い」

「びっくりしただけだよ。……ううん、違くて。嬉しいんだ」


 そうだ。この原始的で根源的な気持ちこそが大事なのだ。

 非常に月並であることも、冒険と関係がないこともどうでもいい。

 ただの人間なのだから、純粋に向き合えばいいだけだったのだ。


 ジンカがいるが関係無い。


 行けるところまで行こう、と。


 スキャーナは即決して、体を起こす。

 出来るだけ自然な笑顔をつくる。といっても嬉しいのは本当だし、取り繕う相手でもないので、そのまま出せばいい。


「ってなんで顔背けるの?」

「お前と関係を深めるつもりはない」


 ジンカ一筋だ、の一言があった方がいいのに設定を忘れている。

 ハンティも案外甘いし、ただの人だ。


「そういうところも好き」


 そろそろと近づいても特に逃げる様子がないので、抱きついてみる。

 頭部以外は偽装していないという。なら、これがタイヨウ自身の身体であり感触だ。


 隠しステータス『基礎』が高いのも頷ける。

 常人よりは硬いけど硬すぎず、柔らかすぎず。普通に過ごしているだけでは、あるいは単純に鍛えているだけでは絶対に手に入らないような、特殊な塩梅。


 相変わらず素性は不明だが、もうそんなことはどうだっていい。


「ぼく程度で揺らぐわけないけど、人間味は持ってるよね。ぼくが傷付かないようにしてる」

「関係を深めることと面倒くさくなることは同義なんだよ。習慣で回避に走ってるだけだ」

「なんていうのかな、決して器用とは言えないと思う。頭でじっくり考えてから動くタイプだよね。それでも考えてくれるし、動いてくれる。それが嬉しいのかな。あとは――愛おしい?」

「俺に訊かれてもなぁ。俺にはコイツだけだし」


 設定を思い出したようで、ハンティは強引にスキャーナから逃れると、大の字に寝転ぶジンカを起こしてキスをする。


「それは知ってるけど、限度は弁えてね」

「自分にも言い聞かせろよスキャーナ」

「善処する」

「確約してくれ」

「じゃあ確約する」

「これほど信用できない返事があるだろうか」

「あはは」


 こんな日常がもうしばらく続くといい――

 なればこそ、義務は果たさねばならない。


「そろそろ行こっか。仕事」

「え?」

「言ってなかったっけ」


 さすがのファインディでも特別な待遇で匿うことはできない。ガートンという会社は甘くない。

 隠密社員《ステルフ》であり、他の社員からは追跡できないようにはなっているが、それでも社員。社員には多かれ少なかれ仕事があるし、仕事は追跡されている。


 ゆっくりしすぎたせいで、実は時間も無いのであった。


「早く言えよ」


 慌てて制服に着替える二人を見ながら、スキャーナはあははともう一度笑うのだった。

第355話 ハンティの日常3

「今何時だ?」

「十三時過ぎたね」


 喋っても音が置いてけぼりになる速度で並走している。スキャーナの振動交流《バイブケーション》が無ければ会話もままならない。


 空を見上げる。天灯《スカイライト》が降下を始めている。

 これが厳密なら正午すぎといったところだが、所詮は竜人の手作業。正確性などたかが知れている。

 時差の概念もよくわからねえし。明らかにゲートで何千キロと移動しているのに時刻が変わらなかったりするからな。


「昼休憩という概念も無いみたいだな。なんつーか調子が狂う」


 俺達は大陸中央部の北――前世日本でいう石川県北部、たぶん輪島市のあたりに来ていた。

 分類としてはアルフレッド王国にあたる。あまり整備はされておらず、ダグリンの特区と王都の貧民エリアを足して割ったくらいの貧しさだ。

 珍しいと言えば山が点在していて、集落は平原に集中している。今回は正直助かった。


「上出来だと思うよ。飛べないのにこなせたのは本当に凄い」


 人口調査。

 周辺地域を駆け巡って住民を数えていくという極めて原始的な仕事であるが、世界の人口データはガートンに一任されているのが現状であり、スキャーナ曰く「極めて重要」。

 ジャース大陸は広いため実力者でなければ務まらないが、実力者ほどこのような地道な仕事を嫌う。

 というわけで、俺達のような中の上で、立場の弱い者に回ってくる。


 当然ながら数えるのは大変だし、俺は空も飛べないし風圧衝撃波も抑止できないしでなおさらハンデがあったが、難なく出来た。

 スキャーナは基礎のおかげだねと言ってたが、たぶんバグってる方がでかい。脳内で住民の分布を完全に描き続ける集中力は、どう考えてもチートである。索敵レベルマックスの能力がついたゲームをしている気分だった。


 ちなみにジンカはそつなくこなしていたし、スキャーナはそれ以上、というか俺達が赤子になるほどの開きがあった。

 改めてわかったのは、同じレベル90でもスキャーナは自分の使い方や戦略の立て方が抜群に上手いってことだ。本能的に敵に回したくないと感じた。


「――ついた」


 北に大海原が見える海岸に、ぽつんと鉄塔が立っている。これは目印で、麓で開いてるゲートが本体だ。

 くぐった先は、ガートン社員の最大の福利厚生でもあるステーション『ワールドステーション』。


 ゲートの駅とはよくいったもので、半径一キロの範囲に、大陸全土と繋がるゲートが何千と設置されている。

 映し出す景色も、大きさも、視覚的な歪みや揺れといった視覚効果《エフェクト》も千差万別で、見ているだけでくらくらしてくる。接続先から流れ込んでくる温度も全然違うし。


 俺にはどこがどこと繋がってるかさっぱりだが、スキャーナは覚えているようで、徒歩五分くらいであっさりと寮に帰ってきた。


 部屋に帰るのはまだだ。報告が残っているため、別のゲートをくぐって別のステーションに行き、そこから支部へ。

 俺達の仕事は複数チームが動いており、結果を相互に付き合わせるシステムとなっている。手抜きや不出来はかなりの精度でわかるらしく、お仕置きもキツいそうだが……今回は無事合格。


 寮では魔法も使えないので、戻る前に着替えと洗浄を済ませて。


 ようやく部屋に帰宅した。


「何時?」

「ハンティってよく時間を気にするよね。十三時半だよ」


 スキャーナはゲートでデイゼブラを見れるため、事実上時計を持っているようなものだ。寮内ではあるが、バンクの利用であれば許される。実際、スキャーナはまずバンクの入口に繋いだ後、その中でさらにデイゼブラの住む森へと繋ぐことで回避している。器用なものだ。


「三十分ちょうどか?」

「細かいなぁ。三十二分」


 それでも雑な性格は変わらないが。いや、時間については、俺が前世日本人だからだろうなぁ。鉄道に分単位の正確性を求める民族ですから。


「お腹空いたね」


 気持ち早足で部屋を出て行くスキャーナを追いかける。


 いつもの食堂で、いつもの質素なメニューから適当に肉を選んで、適当に空いた席に座る。

 肉は良い。食べてる動作を長時間行えるから会話量が少なくて済む。

 スキャーナも盛んに喋るタイプではなくて、黙っている時間の方がはるかに多いタイプだ。だよな、食事は黙って食べたいよな。


 没落したエースのレッテルはまだまだ健在のようで、悪目立ちは継続していた。

 クラスに芸能人がいたらこんな感じなんだろうか。スキャーナは全く気にしてないから強い。

 俺はまだ慣れてない。敵地にいるみたいで落ち着かないのだ。なんていうか、全員の位置と体型と挙動を認識するのは造作も無いが、どいつにどれだけの注意を向ければいいかという判断の要領がわからん。職員だけあって個々のレベルも高そうだし。

 まあバグってて疲れないから常に全力で、でもいいんだけども。


「ん? どうしたジンカ?」


 ぶつぶつした麺を黙々と啜っていたジンカが、ふと顔を上げて俺を見上げてくる。

 無垢な瞳は何を言っているかさっぱりだが、相棒からの能動が示す合図は多くない――警告だ。


 少し周囲の気配を走査して、こちらに向かってくるものを一つ捉えた。


「何かしたのハンティ?」


 目を閉じて汁物をすするスキャーナ。姿勢も良いし、ふとしたときに出てくるこの楚々とした様は結構くる。

 ガン見は当然バレるし、話の種にもなってしまうので、


「むしろ気にしないようにしてたくらいだが」


 何とか抗って、大元の方を向く。

 長くて綺麗な緑髪が、軽い会釈によってさらりと流れた。


 この共用エリアで名物だったエルフの職員――俺の隣の空き席に来たかと思うと、「失礼します」いきなり座ってきた。いや上品だし、やっぱり綺麗だしで悪い気は全くしないけど、確認はどうした。と考えちゃうのは、形式上の許可を尋ねるっつー日本人の価値観が抜けてないだけか?


 そいつはとんとトレイを置くと、


「……」


 そのまま黙食を始めた。


「久しぶりだね、セレンさん」


 スキャーナは呑気に挨拶してるし、ジンカに至っては丼を差し出している。お前それ残飯だろ。初対面に何やらせてんだ。


「譲っていただけるのですか?」


 モンスターのジンカは応えることはできないので無応答だが、セレンは気にすることなく会釈を寄越す。

 明らかに食いかけなのも気にせず、いや表に出してないかもしれないが、食していく。音もなく麺をすするの上手いな。


 なんていうか、エルフにしては軽いんだよな。これ、俺も話しかけていいんか? 正直関わりたくないんだが……。


「スキャーナさん。彼はどうして緊張しているのですか?」

「緊張というより警戒してるんじゃない?」


 よくわかってるじゃねえかスキャーナ。

 俺がエルフから逃げてる立場っての忘れてないよな? この種族が人間離れした連携と調和を息するようにこなすのも知ってるよな? エルフを見ると王族親子がどうしてもチラついてしまい、どうにもいけない。


「私に覚えはありませんが……、もしよろしければ誤解を解かせてもらえないでしょうか」

「名前はハンティだよ」

「ハンティさん」

「こっちはジンカちゃん」

「ジンカさん」


 口元ではしっかり反復しているが、その鋭く冷たい双眸に映っているのは俺だけだ。


「誤解を解きたいのは俺の方なんだが、なんか俺に用事でもあるか? 注視されているようで気分が悪い」

「あ、これは失礼致しました」


 あっ、だなんてありきたりなリアクションなのに、エルフが行うだけでこうも反則級になる。これを引き出すためなら、男は百時間でも千時間でも費やせるだろう。くしゃみたすかるどころではない。


「ハンティさんに興味があるのです」

「断る」

「興味を持つのは自由じゃない?」

「接触はその範疇を越えている」

「話しかけるなってこと?」

「そうだ」


 拒絶の意思をたっぷり込めて睨んでみたけど全然効いてねえな。


「ひどいよね」

「ふふっ、そうですね」


 スキャーナもたぶんわかってて俺をいじってやがる。ルナやヤンデもそうだったけどさ、どうしてこう女はおとなしくできねえ。


 セレンというエルフとやらは表情も柔らかいらしく、相好を崩すのにも慣れているようだった。明らかに場の視線が集中してきたけど、気付いてんのか? 迂闊に出していいものじゃないと思うが。

 覆面とか被ればいいのにな。髪と耳くらいならそんなに気にならないだろうし。


「私はエルフの中でも美人の部類に入るらしく、視線とオーラに常に晒されてきました」

「スキャーナはゆっくりしてけよ。行くぞジンカ」


 嫌な予感がするので立ち上がる俺。

 案の定スキャーナが掴もうとしてきたが、寮内であればお前も赤子だ。腰を浮かせる速さも、踏み出すスピードも、そもそも腕や椅子を動かす鋭さも、それ以前に反射神経も全部俺の方が格上。お前ら二人でも余裕で逃げれるぜ――なのだが。


 なぜかセレンが人差し指を俺に向けている。


「ああ、その手があったね」

「……どういうことだ?」

「道連れだよ。魔法撃ってぶつけたら、撃った方も、撃たれた方も処罰される。撃った方がかなり重たい罰になるけど、それでも止めることはできる」


 無茶苦茶だ。


「ありがと。ぼくも機会があったら使ってみるよ」

「絶対にやめてくれ」

「ハンティさん。私は膠着が嫌いです。座っていただけるとありがたいのですが。スーパーサン――」

「わかったわかったっ、座るから!」


 いやいや普通に撃とうとしてきたんだが!? 詠唱速度が一般人《レベル1》並、と遅すぎるのは脅すためだろう。

 俺の感性はおかしくないらしく、周囲がひいている。物理的に距離を置き始めた者も一人や二人じゃないし、何ならケース裏の調理スタッフまで手を止めてる。罰って何されるんだろうな。


 ともかく、席に戻るしかなかった。

第356話 ハンティの日常4

「それでセレンさん。何の用だ?」

「用が無いと話しかけちゃいけないの?」

「お前は黙ってろ」


 何がおかしいのかスキャーナはあははと笑う事も隠さず、腹まで抱えている。要するに俺をいじめて楽しいってことだろ。コイツたぶんSだな。


 セレンはセレンでもじもじしてるし。エルフなんだからしゃきっとしろよ。

 あ、これエルフハラスメントか? そんな概念あるかわかんねーけど。そもそもハラスメントからして無いだろう。

 まあいい、仲良くするつもりもないし、


「アンタもエルフなんだから、もうちょっと泰然としろよ。エルフらしくねえぞ」


 概念の有無は関係ない。エルフが嫌がりそうなことをたっぷりと嫌味ったらしく言ってみた、のだが。


「それが私の持ち味でもあります」


 全然効いてねえし、嬉しそうだ。

 だったら胸でも揉んでやろうか。揉めるほど無さそうだけど。


「初めてなのです。私を前に全く動じない男性は」


 これはまずったな、そういうことか……。


 ある意味ヤンデと同じパターンだ。

 あの時は特殊体質が気にならないクラスメイトの男というポジションだったが、今は超絶美人なのに気にしない同僚の男。

 チャーム体質ではなさそうだが、鋭い感覚を持ってるってのはありえる。言い方からして嘘も通じまい。


「動じてないわけじゃないが、動じにくい男もごまんといる。獣人もそうだろ?」

「ハンティさんは人間族です」

「人間にもたくさんいる。会社でも珍しくないんじゃないか?」

「そうかな? ファインディさんも普通に鼻の下伸ばすけど」


 なぁ。お前は俺の味方なの? 敵なの?

 ファインディも何してんだよ。いやそんなものなんだろうけど。ブーガでさえ抗えないっつってたし。ただレベルが高くて、抗うのも早いから常人では観測できないってだけで。ファインディもスキャーナごときに観測されるほど雑魚ではないはずだが、たぶん親しみを持たせるためにわざと隙を見せたんだろう。大人は汚い。そういう盤外戦を平気で差し込んでくる。閑話休題。


 残念ながら俺は89なのでこの手は使えないし、セレンもたぶん同格に近いし、たぶん俺よりちょっとは強い。誤魔化せないだろう。第一スキャーナが俺の嘘を許してくれまい。


「はぁ。察しろよ。俺はアザーだ」


 苦し紛れだが、男でも女でもない第三の指向であると――つまりはセクシャルマイノリティですよと嘘をついてみる。

 この公の場で俺の特異性が知られるのはマズいんだよ。早く切り上げねば。


「エルフの魅力は性欲とは違ったものです。性癖は関係がありません」

「なるほどな」


 もうダメかと思ったが、とっさに思いついてくれた。この作文に賭ける。


「そこの認識が違ってるわけだ。エルフの魅力には性欲も絡んでるんだよ。むしろ性欲の方が絡んでる。よく思い返してみろよ、注目される総量は女やアザーからよりも男からの方が多いだろ」


 セレンの言うとおり、エルフの魅力は性欲の次元を越えている。バグってる俺でもわかるくらいだからな。万人が吸い寄せられると言っていい。

 それこそ「おっかない種族」というイメージをつくりあげて自衛しなければならなかったほどに。


 ただ、注目をぶつけてくる強さは男の方がはるかに多く、また強い。性欲が強いがゆえに、性欲によるものであると勘違いするからだ。

 セレンが第二級冒険者程度であれば、自分が受けるオーラの解釈、その解像度はそんなに細かくないはず。魅力と性欲を区別できず、男の方が総量が多いと勘違いする可能性は十分にある。


「……たしかに、そうですね」

「その知識をいつ習ったのかは知らんが、知識はアップデートされる。よく覚えておけ」

「偉そうだね」

「実際偉いんだよ。この件について、少なくともコイツよりはな」


 ぞんざいにセレンを親指で指してみせるが、こんな態度程度ではビクともしない。どころか目を輝かせて俺を見ている。

 ついでに言うと、ジンカはひたすらマイペースにもしゃもしゃしてる。幼女の食事シーンって可愛いよな。和む。そうそう、せめてお前はじっとしててくれ。


「やっぱりハンティはそうだったんだね。先生と仲良いもんね」


 ブーガとの密談を皮肉っているのだろう。

 逆を言えば俺の発言を疑っていない。これは誤魔化せたと見て良い。アザーになっちゃったけど。


(一時しのぎ感満載だが何とか誤魔化せな……)


 混合区域《ミクション》のときの調査と、ヤンデと過ごしてきた経験が効いてるな。あとはナツナのチャームか。

 おかげで『魅力』について体感的に悟ることができた。


 本を読まずにその本について語る方法論もあるくらいだ。知識として確立されてないジャンルならなおさらのこと。言語化すれば勝てるんだ。もっとも筋と自信も必要だが、バグってる俺なら問題無い。

 まあシキやライオットを始め老練勢には通じないだろうが。


「その割には、ぼくの胸やお尻や足もよく見てくるけどなぁ」

「アザーの気持ちはアザーにしかわからねえよ。白黒で済む問題じゃない」

「勉強になります」


 俺達の輪にエルフのセレンが加わってしまった。

 逃げるのも排除するのも難しい。こうなってしまったら、あとはボロを出さないようにするしかない。


 セレンから王族親子に通じるとは思えないが、通じないとも言い切れない。

 間近で見てきたからよくわかる。エルフは怖いんだ。


 俺はエルフという種族を決して侮らない。


 セレン。お前は敵だ。






 午後十四時四十分。

 鍛錬狂でもあるスキャーナに連行された俺達は、ダンジョン『蛇巣《スネスト》』に来ていた。


 地下四千メートルほどに巨大な壺のような空間がある。そこいらの塔や豪邸が何棟もすっぽり入る大きさだ。これが縦に連結しているらしく、現在人類が確認できているのは六層まで。


「売れば大儲けできそうだなこれ」

「もうちょっと防御は頑張ろうよハンティ」


 俺とスキャーナは第二層の地面にて背中合わせで連携しており、推定数万匹の蛇からの袋叩きに応戦している。


 真っ暗で何も見えないが、表面は黒と茶色のストライプらしい。サイズは前世で言えばオオアナコンダくらいか。

 牙も退化し、毒も無いが、《《しなり》》で自らを射出する習性があり、拳銃の弾丸よりは速い。もちろん純粋な打撃としても強力であり近距離でも油断はできない。『ボウスネーク』――この巣に唯一、しかし大量に、いや無限に等しいレベルで生息するモンスターだ。


「硬くないのが幸いだな」


 適当に腕振ったり構えたりしてるだけでも千切れていくので気持ちいい。

 血の量も凄まじくて、赤い湖くらいすぐに出来上がりそうだが、どうも水分を吸収する機構があるらしい。血溜まりすら起きない。死臭は相当あるっぽいが。


「普通は窒息したり圧死したりするんだけどね……ハンティ、あっちに移動するよ」

「へいよ」


 肉塊が積み重なって地面が高くなるため、低い方低い方を目指していく。


 スキャーナは今日こそ第三層の様子を見てみたいと言っていた。士気も見るからに高く、表情と動作は雑談さえ憚られるほどに冴えている。


「会話は大丈夫だよ。むしろこれくらいこなせるようにならなきゃ」


 器用だよなぁ。俺を気にする余裕もあるみたいだし。

 視覚は使い物にならないので空間認識しかできないが、コイツはだいぶ忙しく立ち回っている。


 風魔法で防護膜をつくって全方位からの体当たりを防ぎつつ、一方向だけ空けて殴って殺す――


 これをひたすら維持、微調整しながら少しずつ進んでいるわけだが、手数の量と速さが半端無い。秒間で百詠唱くらいはしてるんじゃないか。つーか、サブリミナル効果みたいに会話の間に差し込んでるんだよな。

 もう聞き慣れたが、最初はあまりに滑稽で、バグってなければ腹抱えて笑ってたと思う。


「第三層は行けそうか? さっきから遠のいてるけど」

「自分の課題に集中して」

「ごもっともで」


 圧倒的物量との対峙というものがある。蛇巣はその練習になる。

 スキャーナにもなると基礎はもうあるので、あとはいかに実践を積むかだ。俺はそうじゃないので付き合わされてる意味はわからない。が、何もかも足りないのは自覚しているので、何事も全力で、だ。


「つってもなぁ、ぶっ放すわけにもいかねえし」

「絶対にやめてね」

「死骸を上手く生かせないか……」


 死後軟化といって、肉塊や骨を含む死体がそのレベル相応の硬さを失うまでにラグがある。その時間は生物ごと個体ごとに異なるが、ボアスネークは長い方で、おおよそ一時間。

 つまり殺したボアスネークは動かなくなる、とみなせるわけだ。

 もっと言えば、蛇の物量は変わらないが、千切れば粒度を細かくできるし、殺せば不動の率を増やせるとも言える。


 だからどうしたという話だった。


「何も思いつかねえ。両手だけでどうこうできるモンじゃねえだろこれ」


 深森林の川の中くらいならどうとでもなったが、今はとにかく物量がおかしい。

 閉鎖的な無重力空間でオオアナコンダの形をしたスーパーボールを何万個と放つようなものだ。しかも弾丸の速度。

 スキャーナのように魔法で空間を区切らない限りは、どうしようもないのでは。


「ジンカさんを参考にすれば?」

「できるわけねえだろ」


 ちなみにジンカは第一層でボアスネークとくつろいでると思う。俺達が第二層に落ちていく間、抱き枕にしようとしているのが一瞬だけ見えた。

 俺も崇拝状態《ワーシップ》に持ち込めば不可能ってわけじゃねえが、正直スキャーナには見せたくないし、この蛇達がどうすれば俺を一目置いてくれるかもわからん。倍々毒気《ばいばいどくけ》みたいな必殺は無さそうだし。


「本当に? ジンカさんを手懐けたようにすればいいんじゃないの?」

「俺が手懐けたんじゃなくて、あっちが寄生してきたんだよ。俺のレアスキルとたまたま相性が良かったから長く続いてる」


 この状況下でもびくともしない俺の耐久性は、レアスキル『全身耐久《ボディーアーマー》』によるものだと説明している。

 スキャーナも冒険者なので細かい詮索はしない、はずだが、こうしてちらちら覗こうとしてくることはある。俺を知ることを諦めてねえんだよなぁ。


 もしかしてここに来たのも、俺の力を見るためか……いや、考えすぎだと信じたい。今はパートナーも同然だし、コイツまで疑うと詰む。


「それより集中しろよ。また遠くなってんぞ」

「ボアスネークに意図を悟られたみたい」


 だろうなぁ。今はもう第一層の方が近いほど地面が盛り上がっている。第三層に近付けないように捨て身で妨害したり、死体にぶつかって位置を動かしたりといった作為をうっすらと感じる。


「気のせいじゃないか?」

「ぼくを試さなくてもいいよ。モンスターはある種エルフみたいなものだから」

「さすが優等生だな」


 学園ではモンスターを侮っている奴も多かったが、そうなんだよな、モンスターは本当に賢いし仲間思いで、個よりも全体の利を考えて動ける奴らだ。

 どういう手段か知らんがコミュニケーション手段も速くて、ほぼ一瞬でフロア内全個体間で共有しやがるし。エルフみたいと言ったが、それどころじゃねえんだよなあ。

 だからこそ、そんなモンスターを操れる魔人は脅威なんだろう。


「他のやり方にしようかなぁ」

「あるいは単純に火力不足か」

「ハンティに言われるといらっとする」


 人間だからさすがにミスはある。疲労もあるのだろう、スキャーノの額に蛇の尻尾が刺さる。

 バチィンと面白い音がして、ガクンと首も動いた。スルーしてやるけど「ぶぇ」って言ったのがちょっと面白い。


「他人事だからな」

「試しに撃ってみてよ。ぼくが瀕死にならない程度に」


 今日はもう終わるらしい。防護膜を真上に伸ばし始める。


「断る」

「また隠す」

「マナーは弁えろよ。俺は優等生じゃないんでな、手札が少ないんだ」


 スキャーナは気合いの雄叫びを挟んだ後、天井までの道を繋ぎきる。三十メートルくらいの筒で、あれだけ蛇蛇蛇だった空間ががら空きだ。急激な密度の変化は、認識だけでも心地良い。

 それはいいんだけどさ、


「……」


 なんでそんな無言で全速力で飛行してるんですかね。俺、飛べないんですけど。


 間もなく筒が消えて、空洞が一瞬で蛇で埋まって。

 敵を一人失った蛇達の矛先は当然ながら俺を向く。


「ちょっと待て、ざけんな」


 失って初めて気付く。

 スキャーナの貢献は相当だったらしく、俺一人だと発声するだけでも一苦労だ。いやマジで置いてくなって。


 蛇で生き埋めになった俺は方向感覚もわからず、その後第一層で合流するのに二時間を要するのだった。

第三章

第357話 三人目

 ガートンの寮で暮らし始めて一週間が過ぎた――というのは嘘で、七日が過ぎた。

 ジャースでは一週間は十日だから紛らわしい。いいかげん慣れたけど。むしろ曜日を忘れそうになるまである。木曜日が一瞬出なくて焦った。


 第八週七日目《ハチ・ナナ》の十三時十分。

 俺はスキャーナ達とは別行動で、オーブルー法国領のフーゴ村というところに来ていた。


 何気にオーブルーは初めてだが、辺鄙な村だ。山は無いが、でかい川があって、林も点在していて、車が無いとやってられなそうな広さの平らな土地に石製の建造物が点在している。

 獣人領でも見たが、魔法に頼っているわけだな。実際農耕や畜産の形跡はないし、水道設備さえ見当たらない。


「見張りがいるな」


 隠密《ステルス》で身を隠してる奴が数人。

 ダグリンのような侵入者監視のシステムだろう。|割り当て《アサイン》は動的で、監視担当は日によって、あるいは時間帯かもしれないが、ころころ変える方式に見える。


「わかりますか」


 俺は案内役のフォルテさん――覆面しか見てないので性別さえもわからない――と歩いていた。

 本来なら常にスキャーナと行動するべきだが、ファインディ曰く、不正を勘ぐられないためにやむを得なかったとのこと。

 ただし俺の扱いは隠密社員《ステルフ》のため、より強い隠密社員がつくことになっており、フォルテさんはレベル108とのこと。普段は第四位の本部長が一つ、第五位の支部長が二つと、計三つの顔を使い分けているらしい。


「法国は信者以外入国禁止ですが、我々ガートンは認められています。制服が判断材料ですので失わないように気を付けてください」


 礼拝堂のような施設とその出入りが多い。

 道端で祈りを捧げてる奴もいるが、全員一律のタイミングではないようだ。


 にしても青一色で目がチカチカする。

 住民全員が例外なく青色のローブをつけているためだ。なのに、エルフのような狂気的な統率感は感じず、王都の冒険者エリアのような喧騒が意外と心地良い。


 俺の勉強のため、ゆっくり歩いてもらっていたが、目的地は近かった。


「着きました」


 足元に地割れがあって、体感では深さ百メートルはある。その下はもっと続いてるな。少なく見積もっても十倍は深そうだし広そう……。

 名も無きダンジョンだと聞いている。俺の仕事はマッパーを引き連れてここを走査しきること、つまりはマッピングの足だ。


 担当の|マッピング担当者《マッパー》は二人で、どちらも青のローブを着ている。村の住民ではなくギルドの職員とのこと。


「第十週《ジュウ》初日までに片付けてほしいとのことです。お迎えはいつ頃が良いでしょうか」

「三時間後で頼む」


 フォルテさんと散会し、マッパー二人が残った。

 一人は大柄の男で、もう一人は小柄の女。どちらも四十代くらいか。


 事前の情報共有と調整は済ませてある。

 このダンジョンは世にも珍しい薄魔子空間《シンマトム》であり、魔法が使えない――ことはないが、第一級冒険者が全力を出してもノーマル規模くらいしか出ないほど薄いという。

 その割には広大かつ硬質な立体迷路となっており、迷って帰ってこられなくなった魔法師《ウィザード》も少なくないとか。


 貴重なので破壊せずに探索したいとの命令があり、馬鹿力の実力者に頼るわけにもいかない。

 要は身体能力と迷路探索に長けた足が要る。


「いいご身分だな坊ちゃん。その辺のクエストとは違うぜ」

「知っている。やり方も考えてきた。というわけで、そっちの女。服を全部脱げ」


 女は眉一つ動かさず、黙ったまま続きを促している。


「俺がこの人を担いでダンジョン内を移動する。少しでも処理の負担を減らすために、なるべく小さく軽くする」

「そういうことでしたら」


 女は理解も早いらしく、躊躇無く脱いだ。歳の割には悪くない身体をしていて、肌年齢は若者には勝てないが乳房は垂れていない。十年前の俺なら見向きもしなかったが、ああ、年取ってくるとストライクゾーンが広がるって本当なんだなあと思うなどした。

 ローブと下着一式を手渡された男の方は、何やら困惑している。女の方が先輩みたいで、文句は言えないようだ。


「何とお呼びしましょうか」

「アンタの名前は?」

「ローラと申します」

「じゃあロールと呼んでくれ」


 いいかげんなやりとりを前に、男は何か言いたそうだが、ローラは「ロール様は脱がないので?」実直で助かる。プロフェッショナルはこうでなくては。


「ローラが掴みづらいだろうから俺は服を着る。といってもたぶん振り落とされるだろうから、落ちないよう立ち回ってもらう必要がある。まずはその練習をしたい――乗れ」


 俺が背中を構えると、女はマッピング用の筆記用具と手帳を持った後、すぐに乗ってきてくれた。


「大丈夫なのかよ……」


 男はそばに腰を下ろし、ゴトッと杖も雑に置く。


「二人いないとマッピングはキツいぜ?」

「探索量を増やすことの方が重要だ。これで成果が芳しくないなら別のやり方も考える。アンタもくつろぐのは自由だが、いつでも動けるようにはしといてくれ」

「グラントだ」

「動けるようにはしといてくれグラント」


 そうして俺の仕事が始まった――


 たしかにそれなりに広くて一立方キロメートルどころではない大迷宮、それも立体だし、閉路もあるから右手法《みぎてほう》も使えないし、と手強い地形であったが。


(俺の敵ではないな)


 前世でも鬱蒼とした山中で普通に遊べるほど方向感覚は強かったんだ。それが今はレベルアップがあるし、隠しステータス『基礎』の恩恵もある。


「第九週《キュウ》で間に合いそうだな」


 とりあえず三時間ほど探索した。


 進捗は三割といったところか。

 外周はマッピングしきれたから、あとは早いはずだ。


「信じられません」


 指示以外は一言も喋らず、俺の首元でメモに励んでたプロフェッショナルおばさんだったが、ここにきて脱帽を口にする。もう服着ていいぞ。


「信じられないのは俺の方だが。マッパーは皆、あんな速記ができるのか?」

「マッパーが重宝される理由だ。ローラさんは特に速い」


 マッピングというとゲームでよくある地図表示を思い浮かべるが、あんなものは一つも無かったんだよな。QRコードを線で描いたようなよくわからん記号と数字、あとあちこちのページを何度も何度も行き来してたか。

 とにかく手元の操作が速くて、レベルは俺の方がだいぶ高いはずなのに真似できる気がしなかった。


「ローラさんの速さでこんなに埋めたのか……」


 グラントは唖然と開いた口を隠しもしない。


「私の人生史上で最も充実したプレマッピングでした」

「ローラさんの口から感想が……」


 何歳であろうと、生き生きとした表情を浮かべるのは良いことだ。俺への視線が少し熱を帯びてるのが気になるけど。


「この量……二人だとメインマッピングはできねえぞ? 本部に任せ――」

「やりますよ。私は今、最高に仕事したい気分です」


 グラントはあまり仕事が好きじゃないらしい。残業が確定した定時退社社員みたいな目を俺に向けてくる。


「明日もあるから程々にな」

「お気遣いありがとうございます。グラント」


 仕事熱心上司の意思が覆ることは基本的にない。頑張れグラント。

 早速まだ服を着ないローラに嘆息しつつも着せている。普段から苦労してそうだな。


 俺はしばし遠ざかるローブを見送った。

 本当にマッピングが好きなんだろうなぁと思わせる笑顔だったな。しっかり者にしか見えなかったのに抜けてるし。第一印象はあてにならん。






 十七時頃、部屋に帰宅すると。


「ねーえー、どうしたら心を開いてくれるの?」


「くすぐっちゃうよ、こちょこちょ」


 半裸の金髪幼女に抱きついてあちこちをくすぐる先輩の姿が。なんでお前も上だけ下着姿、つかベルトブラなんだ。緩めてるのか普通に谷間出来てるし。


「普段は変装で潰すことが多いからさ、解放してあげないと形が崩れちゃう」

「お前でもそういうこと気にするんだな」

「役に立つこともあるからね」


 ただの日常会話だが、考えてることがだいぶ読まれてる。ずいぶんと親しくなってしまった。


「色仕掛けでもするのか? で、何してんだ」


 冒険オタクでもあるスキャーナの持論はウザいので切り上げて、ジンカに助け船を出す。


「ジンカさんと友達になりたい」

「諦めろ」


 俺が言ってるそばから「えいっ」とか言いながらキスを仕掛けている。ちょっと動きが鈍いな、疲れてんのか。

 それはともかく、ジンカはデフォルト・パフォーマンスも上手い。難なく回避し、カウンターも打ち込む。スキャーナの頬に小さなおててが刺さった。


「ぼくは本気だよ」


 スタッとベッドから飛び降りたスキャーナは、胸元のベルトブラを締め上げる。すげえな、さらし顔負けの性能だ。その辺の材質じゃレベル90超えの身体なんて潰せないだろうし、お高い代物なんだろうな。

 ジンカはというと、なんかこっちを見てる。たぶん助けを求めてるんだろうが、正直巻き込まれたくないので無視する。逃げよう。

 トイレに用事は無いが、窓の外へ行こうとレバーに手をかける。

 ぐにゅっとくっついた。


 は?

 何だこれ?

 レベル1のパワーではどう頑張っても剥がせないほど強力な粘着力なんだが。


 ああ、よく見るとゲートだこれ。

 元のレバーを外した上で、それとそっくりにつくった粘着トラップをゲート越しに設置してたんだ。バンクに繋ぐ分は不正にあたらないからな。

 もちろん普通にゲートを開いてもバッレバレなので、このダミーレバーだけ見えるように精巧に絞ってある……そうか、ここに費やしてたから動きがショボかったのか。気付かなかった。


 まだジンカとじゃれてたスキャーナが、避けられた反動そのままに俺の方へと突っ込んでくる。事故装ってるけど最初から俺狙いだよなこれ。

 ともかく、まずい。片手片腕くらいハンデにもならないが、その場から動けないってのがキツい。というか無理だ。スキャーナは体術にも精通している。素人の俺に為す術はない。後方に回り込まれた時点で終わる。


 案の定、回り込まれて。

 粘着で無防備になってる右腕を拘束されて、折れる一歩手前まで力を加えられる。


「おい、どういうつも――ん」


 何で俺とキスする?


「見てよジンカさん。ぼくもハンティとは口づけを交わしてる。婚約者なんだ」

「後づけにも程があるな……いや待て」


 まさか、それが狙いか?

 いやいや。それを知っているのはルナだけのはずだ。


「待てジンカ。コイツのはどう見ても一方的――」


 ここでギリギリとさらに力が加えられる。

 マジで折れる五秒前。俺の肘は手羽先じゃねえぞ。


 普通に無慈悲な脅しの雰囲気しか感じないので、おとなしくなるしかない。

 もちろん実際に折れることはないが、レベル1相当で折れる力でも折れないとなればデフォルト・パフォーマンス的にはアウト――『監視』の連中が飛んでくる。


「ジンカさん、どうかな。ぼくの言うことも聞いてくれる?」

「……」


 俺達が見守る中、とうにスキャーナの戦意喪失を見抜いてぺたん座りをしていたジンカは。

 その小さな頭《こうべ》は――。


 こくりと縦に動いた。


「やったね」

「敵に回したくねえなコイツ、いやマジで。どうしてわかった?」

「ジンカさん見てるとさ、接吻という動作に重きを置いてる気がしたんだ。ぼくとハンティの関係なら、いけると思った」


 鋭すぎる……。


 俺が明示的に確かめたのは、白夜の森で当時サバイバル女子だったルナに無理矢理キスして婚約者扱いしたときだけだ。

 モンスターは家族を特別視するのだろう。キスはその証だと隠密《ステルス》モンスター達は言った。ジンカにも当てはまる可能性は高い。

 当時の様子をスキャーナが知るはずはないが、モンスターにキスの文化は無いし、その割にはジンカとのキスの頻度が多かった。体液摂取も、よく考えれば俺の指をしゃぶらせるとか俺がジンカの髪をもぐもぐするとか方法はあったはずだ。


 人間の文化にとらわれないスキャーナの目線が、キスへの偏重に気付いたのだ。


「ジンカさん。実はぼく、ちょっと興奮しちゃったんだけど、ハンティと性交していい?」

「ダメに決まってんだろ」


 こくり再び。なんでだよおい。


「なあジンカ。お前絶対面白がってるだろ。あるいは仕返しか? いや頷いてる場合じゃなくて」


 知ってる。人遣い荒いのは本当に自覚してる。仕返しも別にいい。ただ今は本当にやめてくれぃ。


「ごめんねハンティ。期を逃すと一生来ない気がするから」

「自分で腕折ってもいいんだが」

「『監視』に強姦を訴えると、ジンカさんとのイチャイチャもできなくなるよ。この寮は性交については自由か禁止の二択だから」

「でまかせだな」

「でまかせだと思う?」


 ベルトブラが地面に落ちて。制服のズボンを脱ぐ音も艶めかしくて。

 そうだとわかるストレートな感触が、俺の背中を包む。


 吐息を吹きかけられる。


 振動交流ではない、生の声がささやかれる。


「選択権はハンティにあるよ」

「……俺の負けだ」


 するっとポールダンスのようにスキャーナが前に回り込んでくる。

 もう敗北宣言したので、俺の視線も遠慮無く落とす。

 スキャーナは恥ずかしそうに身を震わせたが、隠しはしない。どころか数秒も経たずに適応してしまい、妖艶な微笑を浮かべながらも、俺の手を自らの胸に誘《いざな》ってきた。


 もう少し抗うこともできたのだが。


 いきなり攻めてくるのが冒険者らしくて。

 たぶん処女なのに、羞恥も抑えてスマートに振る舞おうとしていて。


 なんていうか、スキャーナなんだよな。


「お前らしいな」


 思わず呟いてしまった。

 頭ではここは苦笑するところだとわかっている。なので実際にそうした。本心からそう思っているからか、自然にできたと思う。


 そうなんだよな。


 もう俺は知っている。


 たとえバグってて感情が無かろうとも。

 俺には知識があって、想像力があって。

 それらが色を与えてくれるんだ。鮮明には程遠いけど。


「折れてくれて良かった。『監視』の罰は面倒くさいから」

「俺はお前がメンドくさいよ」


 あ、頭部以外は相棒を使ってないから勃たないなこれ……。

 先に胸中で謝っとくわ。すまん。

第358話 追跡者たち

 第八週七日目《ハチ・ナナ》午後五時五分、北ダグリンエルフ領グリーンスクール。

 敷地の一歩外から、演習エリアの光景を眺める黒スーツのエルフがいた。


 それは振動交流を発動し、三十ほど集まっている中で唯一立っている背中にぶつける。


「久しくご無沙汰しております、先生」

「――セレンか。美人すぎて寄生スライムを疑った」

「万能魔法師《ユニバーサル》オルタナとの応戦は気が引けます。先生こそ似つかわしくない形相をされています」


 二人とも実力者であり、直接見ずとも容姿と表情くらいはわかった。

 ついでに言えばオルタナの表情は乏しく、またセレンの隠密《ステルス》もよく出来たもので、倒れた生徒達は一人も気付けていない。そもそも過半数は気絶している。


「大罪人を逃すわけにはいかないからな」


 オルタナはそのまま生徒らを放置して、敷地の境界をまたぐ。

 とうに授業は終わっている時間帯であり、課外活動と称して付き合ってくれたのだろう。あるいは付き合わせたのかもしれない。「ふふっ」自分もそうだったからよくわかる。同情と懐かしさの混ざった微笑みだった。

 隣に来たオルタナの視線は険しい。


「相変わらずだな。寮に飛ばされた理由をよく考えろ。何しに来た?」

「深森林の空気を吸いたくて。エルフネットを言い訳にして、来てしまいました」


 オルタナはバトルスーツ姿のまま風魔法で浮こうとするが、セレンにその気配は無い。何の魔法も使わず、足場群《プレーン》を歩き始める。

 自分の焦燥を自覚するオルタナは、クールダウンも兼ねて仕方無く合わせることに。


「貴様はガートンに尽くす身だが、エルフでもある。軽率な行動は慎め」

「了解しました」


 人間にはありふれているがエルフには珍しい社交辞令の返事を受けて、オルタナは無言で睨み返した。嘆息のようなみっともない真似はしない。

 問題児のセレンと一緒にいると、必然的に無言不動のリアクションが増える。


 ただでさえ怖いと評判のオルタナである。敷地外とはいえ、器用に距離を置くエルフも少なくない。


「先生も相変わらずですね。もう少し縁を大事にされてはいかがでしょう」

「縁は厳しい指導関係でも育まれる。貴様はよく育ってくれた」

「私以外に顔を見に来てくれる人はいますか?」

「……」


 セレンはあえてへらへらしてみせたが、オルタナは意外と冷静で眉一つ動かさなかった。ここで手を出せば手合わせが発動してしまう。先ほどの鍛錬で疲れているといったところだろう。


「――シッコク・コクシビョウは強い。私でも歯が立たなかったほどに。並の者では戦力にならない」


 万能魔法師《ユニバーサル》。

 それは魔法を得意とする森人族《エルフ》の中でも、最も多種多様に魔法を使いこなす者に送られる異名である。


 オルタナはレベルも高いが、種族全体で見ればそうでもない。それでもシッコクの討伐に加わっているのは、万能魔法師が強いからだ。

 優れた魔法のコンビネーションは、ワンランク高い相手をも打ち崩す。

 実際、第二級冒険者の多いこの種族がこれまで第一級相手を打ち破ってきたのも、オルタナのような者の功績によるところが大きかった。


 そのオルタナが、歯が立たないと言っている。

 生徒との協調を放棄し、自分を鍛えるための手段と割り切って酷使するほどに。


「その大罪人よりも恐ろしいのがシニ・タイヨウですよね」

「エルフネットを使うほどにな」

「実はそのエルフネットを見に来ました。私達の報告がどう処理されているかを見てみたいのです。【刺猟《スティック・ハント》】」


 セレンのスキルにより、足場群の先に大量の槍が出現する。それらは大陸を突き破る勢いで下降し、バーモンの潜む川の中へ。それも一瞬のことで、音が届く前に上昇してきた。

 先端にはバーモンが刺さっている。


「お好きなものをどうぞ。真面目に休まれた方がよろしいかと」

「詰めが甘い」


 捉えたバーモンは全六種類、四十三匹といったところだが、一匹だけ絶命していない。第一級すら一撃で殺すこともある威力を持つため絶命させるのは必須だ。

 オルタナは無詠唱でハイパー規模のサンダーを撃ち込んで殺した後、引き寄せた。

 火を通す手間も省いたのだろう、火魔法でじっくり炙ったかのような加工が既に施されている。要は美味しく見えた。


「さすがです。私も一口よろしいでしょうか」


 かつての師弟はしばし食事を楽しんだ後、エルフネットの中枢へと足を運ぶ――


 明るく温かみのある木製の地面が、どこまでも広がっている。

 それはまるで深森林という名の緑の海に浮かぶ島、否、大陸だ。

 ストロングローブは人類では切り崩せないし、外から持ち込んだ木材ではここまでの調和性は保てない。どこを見ても木目のレベルで反復しているのは人工的の証。おそらくは魔法で木製っぽいものを作り出したのだろう。

 セレンでも気が遠くなるような作業だ。


 そんな地面には小さな石が無数に散らばっている。

 よく見ると、地上から数十メートルの空間にも石が浮かんでいる。

 どの石も不自然に綺麗な球で、その労力を考えると目眩すらおぼえる。


 エルフという種族にここまで芸術を突き詰める文化は無い。

 ということは、これは芸術目的ではない。


 ならば何のためか。


 もちろんエルフネットの構成要素であり、その対象――シニ・タイヨウを捉えるためのものであるが。

 セレンには全く思いつかなかった。


「これは《《巨大な報告書》》なのだ」

「報告、書……。たしかに、よく感じたら文字ですし、現エルフ語ですね」


 竜人による介入以降、人類が扱う言語はジャース語ただ一つだが、エルフはより高速に処理するための言語体系を開発している。ジャース語以前に使われていた古エルフ語をベースにしたもので、現エルフ語と呼ばれる。


 ジャース語は漢字のように文字が無数に増える体系だが、エルフ語はアルファベットのように基本セットの文字を使い回す体系だ。

 加えて文字の形にもメリハリがついており、スペースもあり、と視覚的に認識しやすくなっている。

 セレンには必要性がまるでわからなかったが、


「……え、もしかして? 嘘ですよね。笑ってしまいます」


 ある可能性に思い至る。


 それは、あまりに馬鹿げた発想だった。


「笑うな。答え合わせをしよう。説明してみろ」

「原理は単純、ですよね。石で現エルフ語を記しているだけです。それを視覚ではなく認識で読み取っている」


 ある程度優れた冒険者であれば、視覚よりも空間認識の方がはるかに高速で高精度であることは周知の事実だ。

 通常は地形や生物の構造と、その他物体も含めた位置関係を把握するために使うものだが、これを文字の認識にあてようと考えるのがどうやらエルフネットの根幹らしい。


「床や石が均質なのはなぜだ? このサイズなのは? この間隔なのは?」

「少しでも認識に集中するため、でしょうか」

「正解だ。この塩梅が最もノイズが少ない、ということが研究によって示されている」

「先生。もしかしてこれって、《《種族全員分》》の報告を反映しているのですか?」

「ジオグライト」

「え」

「ジオグライトという。エルフネットで集めた種族全員の報告をすべて反映する施設だ」


 エルフネットとは種族全員に単一の任務を課し、報告を上げさせる体制のことだ。

 全員となると生半可な規模ではない。何百万人どころではないのである。その報告全てを保存し理解する――。


 保存はまだしも、理解についてはセレンでも想像がつかない。

 いくらレベルが高かろうと、脳の限界は一般人と大差無い。処理の容量にも速度にも限界があるし、何より疲労がある。食事でも回復はできるが、睡眠をはさまなければ全快はできない。

 たとえジオグライトという形で保存しきったとしても、それを現実的に読み切ることなどできない――


 というのが思い込みだったのだ。


 できるのである。


「特に王女様の存在が大きい。苛烈な詰め込みに泣いておられたが、ジオグライトを読むスピードが格段に向上すると女王様も喜んでおられた」

「エルフって怖いんですね。あははは」

「貴様もエルフだ。戻ってこい」

第359話 追跡者たち2

「どうしよお姉ちゃん、多すぎて無理」

「近づきすぎなのよ。挑発しているようにしか見えなかったわ」

「近づかないとわかんないもん」


 同日十八時五十七分、ギルド領南部。

 険しい山岳地帯の空を高速で縫うのはミーシィマーシィペアだ。

 その背後には没個性的な黒スーツの集団――ガートンの職員が四人。魔法やスキルを放つ気配はなく、ただただ接近して捉えようとしてきている。


「正面から狙われてるわよ」

「わかってる」


 敵はガートンだけではない。

 ギルド領は前世日本でいう四国地方に相当する大陸で、人類よりもモンスターが跋扈する過酷な世界だ。ここらの山にはレベルの高いオークが生息しており、投擲される岩石は音よりもはるかに速く伸びる。

 殺意のオーラを隠さないのがせめてもの救いで、会話して伝える余裕があった。


 硬そうな岩石がゴゥッとそばをかすめる中、ミーシィは翼を一振りして衝撃波の影響を相殺しつつ、上方をチラリと見る。


「バカなこと考えるのはやめようね」


 上空には雷雲があるため立ち入れない。だからこそオークに撃ち落とされるリスクを受け入れるしかなくなっている。


「サンダーボルトじゃないんでしょ? 耐えられたりしないかな」

「情報が無いのよ。認められない」

「わたしの使い方はわたしが決めるんだよお姉ちゃん」

「あっそ。じゃあもうサポートはいいわね。頑張ってね」


 急下降を始めるマーシィだが、職員らは見向きもしない。


 対象はあくまでもミーシィである。

 ミーシィ達はジーサはガートンに匿われていると推測し、諸施設を片っ端からあたっている。ミーシィの優れたベーサイトであれば、ある程度近づいただけでジーサの存在がわかる。

 が、それは施設に物理的に近づくことを意味し、決して歓迎されるようなことではない。


 ましてギルド領内の施設にもなれば、立地ゆえ普通に訪れるのは難しく通常はゲートを経由する。

 普通に訪れてきた部外者は、その実力から考えても到底無視はされず、こうして追われている羽目になっている。

 マーシィは賢いもので、ミーシィが探してる間は隠密《ステルス》で潜んでいた。逃走の段階になってから合流したのであり、共犯とはみなされていない。


「待ってごめんなさい! 一人はやだっ」


 ミーシィは全力を出して姉に追いつき、逃がさないよう抱きつく。


「最初から言ってたよね。私は候補をリストアップするだけだって」

「ギルド領なんて来たことないもん」

「無いなら無いなりに工夫しなさい」

「できないよ……。わたし、お姉ちゃんみたいに器用じゃないもん」


 二人は大陸外から海を渡ってきたわけではない。

 マーシィがガートン職員を籠絡し、ギルド領へと通じるステーションを使って来たのである。帰りも通らねばならないため、まずは追っ手を巻かねばならない。


「器用じゃなくて気概よ。ミーシィ、あなたも可愛いんだし、こういう拙い女の子を好む男だって少なくないんだからできるわよ」

「やだっ。愛してる人以外とはしたくなあたっ!? なんで殴るの!」

「綺麗事」


 二人に会話する余裕があるのは、実力差ゆえのことだ。

 追っ手四人を殺すのは難しくない。が、そうすればガートンのブラックリストに入ってしまい生命の危険に晒される。追っ手も力量差を理解した上で、手を出してくるのを待っている。四人中三人は、ゲートで逃げる構えを既に見せている。

 純粋に巻くことでしか打開できない。


「わかってるわよ。私が認めない。ミーシィとバサバサしていいのは姉である私だけ」

「わたしの想い人もね。むしろお姉ちゃんはおまけだから――って、だからなんで殴るのさ!? やるのか、こらぁ」

「ああぁ、ミーシィが怒ってる! 可愛い愛しいやらしい!」


 緊迫した状況下での立ち回りは、冒険慣れしているマーシィの方が格上だ。ミーシィは追っ手にオークに雷雲にと警戒に忙しく、最適な立ち回りを見出せないでいる。ゆえに抵抗にも本調子を発揮できない。

 気付けば、抱きつき返されてしまっている。


 別の意味で危機を感じる間もなく。

 逃走下にありながら、性交《バサバサ》が始まった。


 この盤外戦に困惑した職員達は、しばらくして追跡から引き上げた。


「――これが狙いだったのよ」

「そうですか」


 放心して敬語になってしまうほど姉は激しかった。

 ガートンに狙われるリスクを犯してまで、あるいは忙しい合間を縫ってまで付き合ってくれる理由はこれだったのだ。


 今後は絶対に防衛しなければ、とミーシィは固く決意するのだった。




      ◆  ◆  ◆




 ミーシィが防衛を決意してから二日後、第八週九日目《ハチ・キュウ》の午前三時四十六分――


「見つけたぁ!」


 暗き空にミーシィの咆哮が拡散する。


 ギルド寮北部、海岸沿いに数十キロメートルも伸びた建造物がある。存在感を伏せるかのように明かりが全くないが、鳥人の夜目の前では小細工にもならない。

 マーシィも名前は聞いたことあったが、見るのは初めてだった。


 ガートン社員寮『ガミトリー』。

 |日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》で過ごすことを強要した訓練施設、あるいは懲罰施設である。新人は必ずここに送り込まれ、叩き込まれると聞く。

 当然ながら警備も厳重かつ大胆で、接近の防止は最初から放棄している。警告範囲に入らなければ問題は無い。反応的警備《リアクティブ》と呼ばれるやり方であり、獣人領と同様、広すぎる範囲を警備する際の常套手段だ。


「ミーシィのが届く範囲で良かったわね」


 念を入れて何度も水平飛行を続けるミーシィに並走しながら喋るが、何の応答も来ない。その横顔は最近よく見るもので、マーシィの嫉妬を引き起こす。

 場所がこんな要塞でなければ、ちょっかいを出してしまっていただろう。


 一昨日の体験が蘇る――。

 妹の肉体と反応は、長い間我慢してきたマーシィにとって絶品だった。

 当分飽きることはない。隙あらば何度でも、何度でも求めてしまう。


 とはいえ本業も本分も冒険者である。切り換えができないくらいなら死んだ方がいい。


「雑談できなくなるのは|危険の兆候《サイン》だって言ったよね」


 微弱な雷を流して我に返らせつつ、体術も駆使して妹をひっくり返す。鬼気迫った顔の、その両頬をかぎ爪で挟む。


 少し食い込ませた。

 そこそこの出血。

 レベルの高い身体から出た液体もまた硬い。離れた血滴《けってき》――血の水滴は重力に吸い寄せられ、ガミトリーの天井に直撃した。

 これを攻撃と解釈されたら非常に危険だが、もう賽は投げられた。マーシィにはどうしようもない。

 どうしようもないことには、いかに労力や意識を注がないかが重要である。冒険者の資質の一つだ。


 そんなマーシィがそこまでして行いたかったのは、妹に活を入れること。


 長く過ごしてきた姉妹だ。

 理解できない妹ではない。


「お姉ちゃん」

「ん」

「ありがと」

「回復しなさい」


 マーシィが胸元から何かを取り出す。

 飴のような塊は固形ポーション――飲む回復薬といわれるポーションを固形化した貴重品である。瓶一つ分で家一棟が建つほどだが、マーシィの経済力では大して痛くはない。


「あーん」

「あまり甘えない方がいいわよ」

「今の真面目なお姉ちゃんなら大丈夫」


 姉のバサバサに懲りた妹が自分から刺激することなどありえない。一方で、最近は厳しく応対してばかりで甘えたい思いはあるのだろう。叱られたばかりの、このタイミングであれば刺激させることなく甘えられると理解している。

 狡猾と呼んでもいいほど冷静だ。「上出来」マーシィは素直に甘えさせてやる。


 固形ポーションを舐めている間、ガミトリーからは距離を取る。

 今日は夜通しで探してきた。明日もミーシィは学校、マーシィも任務がある。いったん仮眠を取るべきだ。

 少し北上して、どこか手頃なジャースピラーを探すのが良いだろう。


「寝る前にちょっと話そうか」

「寝てからにしない?」

「そうやって先送りするのもやめなさい」


 忙しいマーシィはともかく、ミーシィは夜更かしするタイプではない。ふわぁと警戒心無きあくびが漏れている。


 そうこうしているうちに上空に到達。

 別にそのまま北上しても良かったのだが、空気抵抗の少ないこの空域ならギルド寮の小大陸などすぐに抜けられる。

 同時に、会話の音声振動を拾わせないためでもあった。二人とも魔法やスキルによる盗み聞き対策が得意ではない。


 マーシィは妹の背中に乗って、ぎゅっと抱きつく。

 耳元に顔を寄せる。何もかもが薄い上空で会話するためには、こうして近づかなければならない。


「ミーシィのベーサイトだけどさ、10段階でたとえることはできる? 1が最低で10が最高」

「うん。ジーサちんが10で、お姉ちゃんは2」

「2? 低くない?」

「高い方だよ。ほとんど1ばっかだもん」


 マーシィの質問はダメ元であったが、予想に反して、回答は自信にみなぎっている。

 妹はわからないことはわからないという子だ。絶対的な指標であることを欠片も疑っていない。なら使える。


「ジーサの周辺にいた人達のベーサイトはわかる?」

「4が二人いたかなぁ。たぶん一緒に暮らしてる……」

「何か言いたそうね」

「スキャーノちんだった」

「……優等生の?」


 王立学園の今年の首席であったが、正体はガートンの職員――つまりはスパイなわけで処分されたばかりだ。


「なんでわかるの? その場に二人もいるくらいには珍しくないんじゃないの?」

「んー、特徴があるんだよね。スキャーノちんとは撃墜タイムアタックで一緒に標的役をしたことがあるの」

「間近で感じてきたからよく覚えてる、か。妬けるわね。もう一人の4は?」

「わかんない。なんとなく、ジーサちんと親しい感じはした」


 マーシィは冷や汗の兆候を自覚した。

 薄々感じていたことだが、ミーシィはベーサイトを用いた索敵が出来ているようなものだ。

 ガミトリーは十分に頑丈で、マーシィでも内部の気配は一切わからなかった。第一級の魔法師《ウィザード》であってもできることではない。


 ベーサイトという特異な基準とはいえ、障害物を無視して検知できている――


「その三人で行動していると考えても良さそうね」

「確証は持てないよ」

「わかってる。いったん三人組だと想定しましょう。次が本題なんだけど、どうやって接触する?」

「お姉ちゃん助けて」

「少しは考えなさい」


 鳥人はただでさえ頭を使わない種族だと罵られることがある。実際にそのとおりで、他の種族よりも構造的に脳が弱いとされる。


 だからこそ使って鍛えていかねばならない。

 たとえ冒険者の才能に恵まれていたとしても、だ。


 ミーシィが顔を膨らませるのも無視して、マーシィは無言で圧力をかけ続けた。

 が、次第にミーシィは「むむむ」だの「ふむむ」だのオーバーリアクションが目立ち始め、マーシィの理性が危なくなっていく。


「わかった。わかったから、もういい」

「……お姉ちゃん?」

「のんびりする場面でもないし、私がお膳立てするよ」

「お姉ちゃん大好きぃ」


 ミーシィがべったりと抱きついてくる。

 どこか舌足らずだし、無自覚なのか無防備に胸も押しつけているし、そもそも上空での会話中につき声も吐息もダイレクトである。

 睡眠不足で警戒が緩んでいるのもあるのだろう。冒険者としては早く寝るべきだし、姉の威厳というものもあった。


「お姉ちゃん? 難しい顔してるね」

「堪えてるのよ」


 首を傾げる妹がまた可愛らしく、マーシィはああもうと叫びたくなる気持ちだった。が、さすがベテランである。

 何食わぬ顔を取り戻して押し殺して、


「やり方だけど、男経由で伝言を出すわよ。堂々とアポを取って、堂々と会う」


 ガミトリーにいるということは、ジーサも職員になっているということ。

 職員から職員への伝言は自由に行える。


 よって、籠絡した職員を使えばジーサに宛てられる。


「乗ってくれるかなぁ」

「無視できないことを匂わせればいいのよ。出す先はスキャーノ。用事があるのは彼ではなく、ベーサイトが高い連れの方です、と」

「ベーサイトって書いて通じる?」

「さあ。博識なら知ってるんじゃない? 知らなくても調べるでしょ。そろそろ着くよ」


 さすがのマーシィも疲労が溜まっているらしく、固形ポーションを飲み物のように流し込んでいる。

 通常の液体ポーションとは違って即効性は無く、唾液や胃液などで溶かさなければならない。ミーシィは唾液で口内で溶かすタイプだが、マーシィは胃に貯めるタイプのようだ。


「早ければ明後日にでも会えると思うけど、学校休まないとこっちが保たないわね。どうする?」

「休む。お姉ちゃんは?」

「可愛い妹に勝る用事なんて無いわ。んー」

「キスする意味はわかんない」

「お休み前のバサバサよ」

「勘弁して」


 ここはいったん行くとか起きたら考えると言うべきだった。直近の時間を担保できたということは、姉のバサバサをねじ込む余裕もできたということ。


「もー……」


 間もなく手頃なジャースピラーに到着し。

 姉妹の嬌声が上がり始める。

第360話 追跡者たち3

 第八週十日目《ハチ・ジュウ》――


 スキャーナのベッド上に開かれたゲートの中を覗くと、さらにゲートが二本見えている。

 いわゆる多段ゲートというやつだ。

 うち一本には牧場のようなのどかな風景――前は森だったのでいくつかストックがあるようだ――が見えており、デイゼブラが牧草を食べている。白黒のストライプを分かつ|赤くて細い線《ライン》の位置から、午前九時三十分くらい。


 もう一本は、内装から察するにガートンのどこかの本部か支部だろう。人の出入りもなければ出入口も無さそうだ。

 とか考えてたら、四角い穴が開いてスキャーナが戻ってきた。もう魔法で張り直している。自分で穴開けて自分で直す『ドアレス文化』ってやつだな。

 スキャーナはそのまますべてのゲートを閉じて、部屋に戻ってきた。土足で踏んだベッドが汚れているが掃除もしやがらない。俺だったらその場でやるし、そもそも土足では踏まねえが。


 それはともかく、浮かない顔をしている。

 弱々しく掴まれてる手紙のせいだろう。


「面倒なことになったよ……って何してるの?」

「お馬さんごっこ」


 俺は自分のベッドの上でうつ伏せになっており、その上にジンカが乗っている。


「馬? ってたしか動物《アニマル》だっけ? 馬車のモデルになってるって聞いたことはある」

「博識だな」


 そうだった、ジャースでは動物もそうだが、馬もレアな概念だった。

 レベルと魔法の世界ではそんな乗り物の出番などない。生存すらできない。そういえばナツナは乗ってた気がするけど、あれもモンスターだったのかな。

 しっかし、俺もすっかり役者だ。馬という知識の有無を問うている、という意図をノータイムで演出している。


「で、この手紙は何だ? 読めないんだが」


 俺の手元に置かれた手紙は、当然ながらジャース語だ。

 プリンターで印字したかのような綺麗な字である。そうなんだよな、現代の印刷程度のクオリティなら魔法の人力でも出せるんだよな。


「メッセージだよ。社員から社員には自由に送れるんだ。これはディミトリという人がぼくに宛てたもので、ベーサイトの高い同僚に用があるって書いてる」


 馬乗りを解除する俺。

 ずるりと落ちたジンカも、もうねだってこない。事の重要性を理解できないほど馬鹿ではない。

 きゅっと腕に抱きついてきたが、対外的には兄妹だ。ぽんぽんと頭を撫でておく。


「闘技場で会ってくれないか、だってさ」

「物騒だな。ベーサイトって?」

「鳥人の特性で、体つきのいい男性を見抜く能力とでも言えるかな。とうに廃れてて、まともに向き合ってる鳥人はほとんどいない」


 ジャースでは体つきや筋肉など何の意味もない。

 一方で、一般人《レベル1》の身体能力は、隠しステータス『基礎』と大それた名前がついているほどの盲点でもあった。


 直感は凄まじい。俺にはもう心当たりまで思い浮かんでいる。


「もしかして俺がずば抜けてるアレか?」

「だと思う。そうだとしたら全部辻褄が合うんだよね。ぼくにも心当たりはある」


 そう言いながら、片耳のショートヘアをかきわける仕草をするスキャーナ。高機密の話につき場所を変えるべき、との合図だ。


「今すぐ出かけるぞ。支度しろ」


 ジンカの肩をぽんと叩いた後、すぐさま着替える。あとはトイレの演技も。三分もあればできる。


 スキャーナの多段ゲートを通って、盗み聞き対策済のスポットに行く。

 そうして着いたのは。


「――これ、ストロングローブの中か?」

「うん。深森林だよ。獣人領」

「なるほど」


 サンダーボルトに貫かれたのかどうかは知らないが、細くて高い縦穴だ。人類には壊せない大木なら音も伝わらない。空が見えてる上方向にだけ気にかければいい。


 難点を言えば、少し狭いところか。

 三人が座って向き合えるスペースはない。というか座れるスペースもない。学校の用具入れロッカー四本分くらいだろうか。


 立ったまま壁にもたれる俺。

 その俺にもたれるジンカ。

 スキャーナはどさくさに紛れて俺の隣に来て、しなだれてくる。間もなく防音障壁を展開されて、


「ミーシィさんが絡んでると思う」

「俺もそう思う」


 俺が応えると、「……凄い」なぜか冷静にびっくりされた。


「俺は前々から『基礎』なるものの存在を自覚していた。で、ミーシィもそれに反応しているきらいがあった。ほら、妙に懐いてただろ」

「知ってる。ぼくがアンラーを見つけたのはさ、実はミーシィさんのおかげなんだよね。こっそり跡をつけたら、ミーシィさんがアンラーを見つけてたんだ。その時点でミーシィさんはベーサイトが特に強いんじゃないかって思ってた」


 びっくりしたいのは俺の方なんだがな。

 まず優秀すぎるし、その時からたぶんずっとアンラーを隠密《ステルス》でストーキングしてるよな。


「もしかして今回も同じやり方なのか? そのベーサイトとやらで、基礎が高い俺を見つけた――」


 冗談じゃない。

 いくらベーサイトがあろうと、このクソみたいに広大なジャース大陸を探し回るなど無謀だ。それこそパスワードを|片っ端から試して《ブルートフォースで》当てるようなもの。


「不可能じゃないね。仮にタイヨウがガートンに匿われているところまで仮説した場合、ガートンの施設を全部探せばいいだけになる。ミーシィさんの実力なら現実的な時間でこなせるし、ベーサイトはある程度近づけば体感できる類の能力だから。フェロモナブルっていうんだけど」


 障害物関係無しに一定範囲内の個体に影響を及ぼしたり、逆に自らに及ぼしたりするという性質があるらしく、フェロモナブルと呼ぶそうだ。

 魔子とは違った伝達手段が作用していると考えられている。フェロモンか? と問うたが、そんな言葉は無いという。たしかにダンゴも無いっつってたな。まだ名前がついてないのかもな。


 ナツナのチャームはフェロモナブルの筆頭だったそうだ。ああ、ルナとボングレーで交戦した時も普通に壁抜けてたもんな。要はガードが効かない。それゆえガートンですらも手を出せなかった。

 俺があっさり殺したわけだが、ともかくフェロモナブルは珍しいらしい。もしかしてミーシィってナツナレベルのヤバい人物なのだろうか。


 今は嘆いてる場合でもないし、フェロモナブル談議ももういい。


「施設がどこにあるかなんてわからんだろ」

「協力者がいるね。姉だと思う」

「俺達よりも格上だよな。ナナジュウの時に気配を感じたことならある」

「生きてるってことは、タイヨウのリリースを察知して逃げたってことだよね。冒険者としての才覚もありそう」


 姉の存在はさておき、たしかに辻褄が合うな……。


(レベルの世界を侮ってた)


 俺達、というか前世のITエンジニア達は、ブルートフォースは事実上当たらないものとして考える。

 通信を支える暗号技術だってそうだ。天文学的な確率では破られるかもしれない技術だが、そんなものは破られないことと同義なのだ。実際個人情報から企業秘密まで当たり前のようにやりとりされているし、些細なミスや脆弱性で盗まれることはあれど、暗号通信そのものが破られたことはなかった。


 難しい話ではない。

 砂浜から米粒一粒を探せるかという話だ。宝くじの一等が当たるかという話だ。確率ゼロではないが、ゼロとみなしていい。


(ジャースは違う)


 人が音速やマイクロ秒の次元を軽く超えてくるような世界だ。

 圧倒的な処理能力を持つ存在、というものがたしかにある。そいつらにかかれば、当たるはずのない馬鹿げた規模の試行さえも現実的に回せてしまう。

 それこそ量子コンピュータのように。


(アンラーもそれで特定された。同じ失敗を犯したわけだ)


「なあスキャーナ。断れると思うか?」

「断るのは自由だし、できるけど、問題は解決しないね。向こうはタイヨウのことを知っているし、索敵手段も持っている」


 身元がバレてるからといって交渉に乗るのは愚策だ。

 個人情報に敏感な現代人には特に効く脅しだが、ジャースでも変わらないらしい。本能的なものなのかもな。


「それでも俺達には手出しできないし、この件は他者に漏らしもしないだろう。無視してればいい」

「ぼくらには仕事がある」

「現地にはステーションで向かう。どこに向かったかはわからんだろ」

「仕事が管理されてるって言ったよね。ディミトリがぼく達の仕事を照会する」

「他人の情報が見れるのか?」

「社員は社員の情報を自由に照会できるんだよ」


 気前いいなガートン。セキュリティと効率の区別もつかない前世の大企業どもに聞かせてやりてえ。


「照会されて場所を特定されたところで、ミーシィ達はステーションを使えない。到達までに時間がかかるはずだ」

「場所によるよね。到達できる場所での仕事だった時点でおしまい。そもそも使えないって言ったけど、ディミトリが手続きを踏んで一時社員《テンポラリ》制度を使えば、使える可能性もある」


 一応粘ってみたが、スキャーナの即答には傷一つ入らない。


 だよなぁ。

 決め打ちで疑われた時点で、負けてるようなものだ。


「腹くくるしかないね。ミーシィさんが何望んでるかは知らないけど」

「……なんだその目は」


 なぜジト目を向ける。なぜそっぽを向く。頬を膨らませるのはさすがにあざとい。

 様になっているのだから優等生は恐ろしい。お前の演技は見破れる気がしない。

 言うて俺も童貞で偉そうなことは言えないけど……って童貞じゃなかったわ。こっちではもう捨ててた。つってもバグってる生身と寄生スライム製の性器じゃ捨てたことにならんだろうが。


 そもそも本番を体験したからといって何かが変わるわけでもない。男の醜い幻想から解放されるだけだ。

 そういう意味では一応、成果ではあるのだろう。性欲は無くならないが、バグってる俺には関係が無い。幻想だけを無くすことができたのだから。

 もっとも俺は孤独のこじらせも長いわけで、今さら遅いかもしれないが。


「遠慮が無くなったよねジーサ。見過ぎ」


 ですよね。もう遅い。

 というわけで俺は見ることをやめない。


「遠慮する仲ではなくなっただろ」

「なんで? 性交しただけだよ? 勝手に遠慮をなくすのは良くないよ」


 ド正論だけど、それ、俺を拘束して襲ったり姿消してストーキングしてた奴が言う?


「話を戻すぞ。結局この件はさっさと片付けるしかないってことだよな。明日以降、なるはやで会おうと思うが、それでいいか?」

「なるはや?」

「なるべく早めに会おうってことだ」

「ジーサの言葉、たまに意味わからないんだよね。もうちょっと歩み寄った方がいいよ」


 コミュ障の殺し文句なんだよなぁ。さっきからグッサグサ刺さる。


「自覚できねえんだよ。指摘してもらえると助かる」


 俺達は部屋に戻り、早速日程を確定させて返信をした。

 了承の返事もその日のうちに来て、無事明日に会うことが確定した。

第361話 追跡者たち4

 第九週一日目《キュウ・イチ》、午後八時七分。

 本来ならベッドでジンカとごろごろしているし、前世なら寝る準備を始める頃だが、今日の始まりは間違いなく今だろう。


 どこかもわからない離島に来ている。

 面積で言えば十万平方メートル――東京ドーム二個分も無いくらい。地面は皿のような形状の鉄で覆われており、末端が衝撃波を逃がすよう反っていること以外は平坦だ。


 天を見上げる。

 巨大なライトボールのせいで、せっかくの夜空が台無しだ。

 前世の球場の照明に負けない明るさを片手間で維持しているのは、鳥人姉妹の姉の方。隠しもしない殺意のオーラを、俺だけに浴びせている。


 俺達は向かい合っていた。

 片方のふちに立つのは俺ことハンティ、ジンカ、スキャーナ。

 反対側、三百メートルほど先には鳥人姉妹。


「……えっと、何か言いたいことはあるか」

「死ね。殺す。死ね殺す死ね殺す――」


 詠唱でもないのに詠唱レベルの早口を届けるのはマーシィ。

 おっかないと噂の、ミーシィの姉だ。遠目だけど、鳥人の中でもとんでもない美人だとわかる。なんていうか雰囲気が。男なら誰もが振り向いてしまうんじゃないだろうか。


「お姉ちゃん。あとにして」


 あとにしてじゃねえよミーシィ。マジで今すぐにも飛び出してきそうなのでしっかりと、永遠に手綱握っといてくれ。


「ぼくは特に無いよ。これでも忙しいから、早くしてほしいな」


 スキャーナが挑発を仕掛ける一方、ジンカはというと、はわわとあくびをしていらっしゃる。静観はありがたいが、もう少し空気を読んでだな……。


「……ずるい」


 翼を一振りするミーシィ。すると大気がぐにゃりと曲がり、台風のような刃風がこちらまで届いてきた。

 振動交流《バイブケーション》を遮断したか。


 ミーシィはもう一度、今度は足元に振る。目下十メートルくらいの位置にまで跳んできた。何をするかと思えば、


「ずるいずるいずるいずるいっ!」


 両腕も両足もフル活用して地団駄を踏む。羽音も足音も風圧もすべてがうるさい。ついでに豊かな双球の揺れもえらいことになっている。

 妹への不埒な視線に気付いたのだろう、マーシィがかぎ爪を構えている。俺の右目をミリ単位で捉えているのだとわかる。戦意は無いようだが、やることなすことがいちいち怖えのよ。いいから見守ろうぜ。


「ジーサちんはわたしのものだもんっ!」


 初耳なんだが。


「残念。ぼくはもう寝たよ」


 襲った、の間違いだろ。


「ずるい」

「ずるい? 何が? わざわざ尋ねてきて何がしたいの?」

「ジーサちんが欲しいだけ。バサバサしたいの」


 直球ですねミーシィさん。

 せめてバグってなければなぁ。あんな童顔で人懐っこいのに、ぶら下げてるモンが凶器なのよ。何度か抱きつかれたこともあるからわかるが、人間が勝てるおっぱいじゃない。羽のふさふさが良い味出すし。


「ジーサちんを渡してくれたら許してあげる」

「上から目線だね。まあ仕方ないか。ぼくの隠密尾行《ステルストーキング》にも気付けないほどの雑魚なら、実力を見誤るのも頷ける」


 スキャーナの横顔を見れば、この先の展開は一つしかない。

 普段の優等生ぶりからは考えられないほど冷めている。


 集中しているのだ。

 強敵と対峙する冒険者として。


「でもねー、気が変わっちゃった」


 キン、キンと鳴るのはミーシィのかぎ爪。

 それで何を引き裂き貫くつもりなのか。オーラの向く先を感じれば、いや感じなくても自明だ。マーシィのそれとも似ていて、姉妹なんだなぁと変なところで感心してしまう。


「気に入らないから、ぶちのめしちゃう」

「子供みたいだね」

「子供だよ。大人は譲らないといけないんだよ」


 冒険と戦闘は切っても切り離せない。冒険者とは戦う生き物でもあるのだろう。地球人であり現代人でもある俺にはまるでわからない価値観だ。


 傍観に徹するつもりでいたが、無用な争いなど無いに越したことはない。

 俺はこの価値観が間違っているとは思わない。ジャース? 冒険者? 知ったことじゃない。身体を、命を何だと思っている。


「ミーシィは俺と性交したいんだよな。だったらやろうぜ」


 これで全て丸く収まると思ったが、


「「そういう問題じゃない!」」


 息ぴったりだな。

 じゃあどういう問題よ、と問える空気では到底無いので、仕方なく黙る。


「じゃあせめて殺害は無しにしろよ。回復手段はあるのか? お前らは聖魔法使えねえだろ」


 言った瞬間、マーシィが胸元から何かを取り出す――小瓶、だろうか。空き瓶に感じるのは気のせいか。


「ガスポーション――吸うポーションだね。製造方法が難しすぎて、エリクサーほどじゃないけどレアアイテムだよ。正直びっくりしてる」

「回復効率悪そうだが。間に合うのか?」

「死んでなければ大体治るよ」


 だから殺し合いしてもオッケーです、とはならないんだよなぁ。マジでジャースの人達、特にレベル高い人達は戦国時代よりぶっ飛んでる。

 とカルチャーショックを受けてたら、マーシィも飛んできた。


 俺の目の前に。


 大人のお姉さん、の理想系はきっとこんな感じなんだろう。


「あまり舐めない方がいいわよ」


 小瓶は二本あるらしく、一本を手渡してきた。

 別に舐めてないが。スキャーナも盤外戦してるだけだろ――って、え、隣に来て座ってきたんだけど。

 この殺意の塊と一緒に観覧しろって?


「あらま、可愛らしい」


 で、ジンカさんはなんでわざわざマーシィの隣に行ってるんですかね。滅多に見ない鳥人を観察して学びたいだけだろうけども。


「でもごめんね。ガキに興味はない」


 などと一蹴されているにもかかわらず、膝の上に座っている。強者の余裕か、マーシィは淡々と抱えて、隣に下ろした。

 ジンカはしょんぼりと全身で表現した後、とことこと離れていく。頼むからおとなしくしてて。


「ブイエスでいいわよね」


 仕切り始めるマーシィ。

 さすが格上だけあって、睨み合う二人は無視できない。

 それはいいんだけど、俺への殺意はそろそろ取り下げてほしい。サリアもそうだけど、美人って性格悪いよな。しつこい。


「ミーシィが勝ったらコイツとバサバサする。負けたら何も無し。どちらにしても、これが終わったら私達は帰る」

「異議なし」

「ぼくもありません」


 もちろん俺に答える権利はない。


「開始の合図はサンダーで出してあげる」


 マーシィは自分が座っているふちにかぎ爪を接触させる――ああ、電気流せば一瞬で伝わる合図になるってことか。

 俺達にもなると音では力不足だからなぁ。仮にマイクロ秒の差で早く反応できたとして、すぐに攻撃を繰り出せば合図の音ごと消し飛んでしまい、届いたかどうかを観測できない。


 秒読みは無く。

 沈黙が訪れた。


 ライトボールは眩しいが、決して変わらず在り続けてくれる夜空。

 心地良い海風。

 ひんやりとした鉄の感触は、寂しい闇夜にアクセントを与えてくれるのだろう。こんなドロドロした争奪戦からは解放されたい。独りでこの離島を楽しみてえ。


 十秒、二十秒。

 百秒、二百秒……。

 マーシィが性格悪いか。それともそういうものなのか。沈黙は止まらない。誰も、微塵も動かない。ジンカは知らん。なんか海潜ってたけど。

 そういえば海のモンスター――シーモンは大丈夫なんだろうか。安全高度《セーフハイト》は千メートルらしいが、ここの海抜は十メートルもない。特殊な地域なんだろうか。


 などと考えていると。

 経過でいうと三百と六秒後くらいだが、マーシィの口元が高速に動く――なるほど、速いな。これは強そうだ。俺達よりもアウラやラウルの側に近い水準。


 高速詠唱によるサンダーが流れて。


 二人の冒険者が行動を始める。

第362話 追跡者たち5

 意外なことに、二人とも初手は後退だった。


 ミーシィは真上に。

 スキャーナは俺達とは反対側のふちに。


 すぐに詠唱が走る。この距離だと聞き取れないが、攻撃でも防御でもないことはわかった。

 何ならミリ秒くらいの隙がある。コイツらだと近接して何発も叩き込めるほどの、明らかな隙だ。なのに二人ともその場から動かない。


「ミーシィは青黄青、スキャーナは赤赤黄ね」


 ……なあ、俺ってそんなにわかりやすいんだろうか。

 解説は助かるけど、この見透かされてる感じは不快だ。


 それはともかく、そうか、ステータス強化魔法を掛けたのか。

 ミーシィはディフェンスアップ二回にアジリティアップが一回、スキャーナはディフェンスじゃなくてアタック。


「お互いに相手の実力はわかってるから、強化して差をつけようとしたみたいだけど――振り出しね」


 相殺されたって言いたいんだろうけど、そうだろうか。


「攻撃力と防御力が同じ倍率だけ増えたからといって相殺とは限らないだろ」


 ステータス強化魔法は一定時間だけ当該ステータスを1.5倍にする。二人とも二回重ねてるから2.25倍。だが相殺にはならなくね?

 ジャースにおけるダメージの計算式がどうなっているかは知らないが、一般的に両者にかかる係数は違う。攻撃の方が有利になるか、あるいは防御の方が有利になるか。どちらかに偏るはずだ。


「さすがシニ・タイヨウ。ちぐはぐで掴みきれない」

「探ってないでおとなしく観戦してろよ」


 戦闘中の二人は俺達の見解とは違うようで、相殺されたとみなしている。強化には深さという才能があるわけだが、二人とも3なのだろう。これ以上は掛けられない――だから戦闘に移るしかない。

 なぜか魔法度外視の、接近戦っぽいけど。


「最愛の妹を盗られた気持ち、わかる?」


 ドオン、ズドオンと殴り合いの音が激しい。

 まるでこのシスコンの感情を代弁しているかのようだ。


「気が狂いそうになるのを抑えられないの。あなたには付き合う義務がある」

「――無茶苦茶だ」


 恐ろしい姉の小言も、この光景を前にすれば些細である。俺のつぶやきは殴り合ってる二人に向けたものであったが、どうやらマーシィも乗ってくれるらしい。もう口を開かなかった。


 俺達は肩を並べて、空を見上げている。


 目映い光球の隙間には見目麗しい乙女が二人。

 魔力はひたすら飛行と吹き飛び防止に費やされており、口元だけ見ればラップバトルでもしているかのようだが、それさえも存在感は皆無に等しい。


 スキャーナの拳が、ミーシィの顎を撃つ。

 打つなんてレベルじゃない。ピストル、ライフル、いやそれ以上の速度を伴ったパンチは、もはやパンチと呼べるのだろうか。よく意識失わねえな。


 ミーシィの翼に隠された肘が、スキャーナの側頭部を捉える。

 鳥人だからなのか、ミーシィなのか知らないが衝撃波が鋭くて、地面の鉄に亀裂が入っている。二人ともずっと飛んでるし、これ闘技場意味なくね?


「芸が無い。華も無ければ技巧もない。一般人の喧嘩みたい」

「殺意はあるな。アンタもそろそろ取り下げてくれないか?」

「誰に影響されたんだろうね」


 俺の要望はスルーされて、しかし芸達者な横目を寄越してくる。

 体操座りで爆乳を押し潰してる綺麗なお姉さんが、微笑までつくって俺を凝視している。


 水着レベルの露出から覗く肌は、十代の少女にも負けないきめ細かさで。

 柔らかく温かそうな羽は、どんな男でも受け入れてくれそうな魅力を絡ませていて。


 しかし鼻の下を伸ばしている場合ではない。

 コイツもまた冒険者であり。

 実力で言えば、俺達以上なのだから。


(こんな状況なのに俺を探ってやがる)


 器用に隠されていて、純粋に好意を持たれていると勘違いしてしまいそうになるが、スキャーナと比べると粗い。わずかに漏れているものがある。


 執念だ。


 雑談一つ一つから骨の髄までしゃぶってやろう、と。

 マゾならこれだけで果ててしまいそうな圧がある。


「アンタはどういうタイプが好みだ? 俺は無垢で無邪気なのが好きだ。この中で言えば圧倒的にミーシィ。そのミーシィも俺のことが好きだろ? 両思いなんだよ。争うまでもない」


 こんな安い挑発に乗るとは思えないが、「ふっ、ふふ……あはははっ!」まさか盛大に笑われるとは。


「そうよね。魔女を打ち破るほどの化け物を、私が籠絡できるわけがない」

「籠絡されても構わないが」


 その豊満な胸元をいやらしく視姦してみせるが、そんなものなど露ほども気にせず、マーシィは。


「ねぇ」


 いやらしい笑みを浮かべて。



「生きてて楽しい?」



 出来る女というものは、どうしてこう演技が上手いのだろう。

 表情も、挙動も、雰囲気も。

 よくもまあ、そんな軽薄で憎たらしい面を浮かべられるものだ。同一人物とは思えない。バグってなければ確実に手のひらを転がされている。

 こんな短いやりとりなのに、見事に俺の本質を突いてやがるし。


「……俺は人生観を教えるほどお人好しじゃない」

「別にどうでもいいけどね」


 マーシィは両腕を広げて伸びをした後、後ろに両手を置いてくつろぐ姿勢に。

 伸ばした手が明らかに俺の顔を抉る角度だったので、一応避けといた。舌打ちされたけど無視する。

 ともあれ心理戦は終了だ。


 肝心の戦闘も佳境のようである。


 俺は見上げながらも、感動をおぼえずにはいられなかった。


 マンガやアニメのような手数の応酬が繰り広げられている。

 無重力の磁石のように、一定の距離を置きながらもぐるぐるぐるぐる立ち位置が変わる。ミーシィは硬いかぎ爪で目に突くようなデリケートな攻撃が目立つ。短期決戦を狙っているのだろう。逆にスキャーナは防御を優先しつつも、当てられる部分にとにかく当ててじわじわ削っている。


 にしてもミーシィ、羽根がだいぶ禿げてて露出してるけど、面白い腕してんな。引きこもりみたいに白いのに、凹凸《おうとつ》はボディビルダー寄りだ。人間の付き方じゃない。量はまだしも密度がおかしい。筋肉というよりも金属だろ。膂力面や飛行面で人間が勝てないわけだ。

 なのにスキャーナも負けていない。


 そう――結局はレベル次第だ。


 二人とも拮抗しているのだろう。

 どちらが勝ってもおかしくはない。


「彼女も悪くはなかった」


 マーシィが同情の色を込めた呟きを漏らす――


 直後、スキャーナが視界の外に吹き飛び、ミーシィも追従していく。

 轟音の音色が変わったと耳が捉えた頃には、二人は見えなくなっている。


 二人とも常に背後に|空気の壁《エアウォール》を張ることで堪えていたわけだが、スキャーナの方が先に切れたのだ。衝撃を受け止めていた壁がなくなれば、その波の質も変わる。


「タイマンで最も強い人種は鳥人よ。認めない無能は何千人と殺してきたけど、彼女はよくわかってる。その上で不器用な殴り合いを提案して、ミーシィをその気にさせた。空中戦を封じたのよ」

「そういうことだったのか」


 睨み合いや小手調べで慎重に戦うイメージなのに、なんで泥臭く殴り合ってるのかと疑問だったが。そんな駆け引きをしていたとは。


「で、見えなくなったけど、いいのか?」

「私は視えてる」


 マジで? 見た感じ、十キロメートルくらいは離れたと思うけど。俺の感覚では、かすかになんかでっかいエネルギー反応があるなぁ、くらい。方角くらいしかわからねえ。


「戦況は互角に見えたけどな。ミーシィってそんな強かったのか」

「殴り合いになった時点から賭けを募ったとしたら、1000人中999人がスキャーナに賭ける。ひいき目で見ても、妹は冒険者としては平凡だから」

「じゃあなんで破れたんだ?」

「鋭いのよ」


 マーシィは鋭利なかぎ爪の先端で、俺の左目をとんとんと突く。いや俺がバグってて壊れないだけで、正確に表現するならドスドスのグリグリなんだが。悪意しかない。


「ベーサイトもそうだけど、あの子は外界の感知に敏感なの。スキャーナが張った壁の、最も薄いところに吹き飛ぶような攻撃ばかりを仕掛けていた。吹き飛んで空中戦になったら勝ち目はないから厚く張るしかない。それで魔力を激しく消耗した」

「そんな焦りは見えなかったが。いや、見せなかったのか」

「……」


 マーシィは沈黙をもって肯定した。

 現時点では格下であるはずなのに、畏怖すらも感じる。やっぱスキャーナってそれほどの才能の持ち主なのか。そんな女にアプローチされてるのが俺なんだけどな。重い。


 それはそうと、ガチ恋距離のまま固まるのはやめてくれない? 爪にかかる力も少しずつ増えてんだけど。

 乱暴に叩《はた》くと、ようやく離れてくれた。


「平凡と言ったが、そうだろうか。ひいき目じゃねえけど、スキャーナに勝つって相当だぞ」

「だからこそ怖いのよ。平凡にしか見えないのに、その実、強い」

「姉としては喜ばしいな」

「実力の算定を誤るほど怖いことはない。シニ・タイヨウの脅威もそこにある。『爆散』に気を取られがちだけどね」


 せっかく話振ってやったのにスルーするな。心理戦を蒸し返すな。


「――決まりね」


 音速程度の速度で飛来する影が二つ。鳥人が人間を背負っている格好だ。


「お姉ちゃん。勝ったから」


 ふわりと俺達の目の前に着地した、裸体でぼろぼろであざだらけのミーシィと。

 どさっとその辺に落とされて血まみれになってるスキャーナ。猛獣に襲われた死体か何かか? 爪で抉られた跡とか生々しいんだけど大丈夫? 生きてる?

 生きてる、と言えばジンカもか。海からは帰ってきたようだが、退屈なのか、仰向けに突っ伏してから全く動いてない。


 とりあえず先輩にガスポーションを吸わせるのが先だ。

第363話 追跡者たち6

「はぁ、はぁ……生きてる、って……感じが、する」

「わかるわ。やみつきになるよね」


 小瓶から吸引する度に、肉体が修復されていく。その変化は視覚でも体感でも一目瞭然だ。

 マーシィが示唆するとおり、物理的な刺激で言えば性行為など比較にならない。


「ミーシィさんは、あなたが鍛えた、んです、か……?」

「その問いに答えるならイエスだけど、些細なことよ。あなたもよく知るように、才能があるだけ」

「……次は負けません」


 スキャーナは今現在、マーシィの膝枕で寝返りを打っている。

 肉体は回復しても、急激な変化に脳が追いつかない。マーシィもそれをわかっているから、こうして視線を介抱――勝者の様子を見えるようにしてやっている。

 あれだけ瀕死だったわけで、普通ならまだ視覚を使う余裕も無い。なのに平然と眺めているし、何なら闘志も再起しているし、呼吸と発話の感覚も戻っている。


 何より表情も穏やかそのもので。


「楽しそうね」

「ライバルができたようで」


 殺し合いをすれば、マーシィでももう少しはぎすぎすするというのに。


「……わかるわ」


 |殺し合える仲《ライバル》など早々巡り会えるものではない。まず実力が均衡する相手が稀少だし、出会えたとしても殺し合うモチベーションが無い。命を担保にし続けた冒険者だからこそ、命にはケチなのだから。


「良いお姉さんですね。ぼくは一人だから、ちょっと羨ましい」

「妹を犯すのに?」


 人間の女も守備範囲だぞ、と尻を揉むことで伝えるマーシィ。そうだとわかる不思議な揉み方で、疑う余地は無い。しかしスキャーナは「あはは」自然と笑みがこぼれた。


「それでもです。シニ・タイヨウを殺そうとしてますよね。妹思いだ」


 前者がバレるのはまだわかる。殺意のオーラはまだ出しているし、マーシィはオーラの制御が上手くないことを自覚している。自分ではわからないが、漏れや揺らぎはあるだろう。この有望な若者ならキャッチできてもおかしくはない。


「ただの妹狂いよ。妹が愛する男を、気に入らないから殺したいと考えているだけの変態。姉失格の色欲魔」

「シニ・タイヨウとつるめばリスクに晒されます。人生設計もねじ曲げられてしまう。冒険者としては刺激的でも、人としては賢い生き方じゃない。だから根元を絶とうとしているし、さっきも命がけで仕掛けてた」

「……」

「十年、二十年以上をかけてでもやってやろうという気概すら感じます。尊敬しま――って、え? どうしてですかっ」


 スキャーナはマーシィを突き飛ばし、口元を拭う。

 どうしてキスしたのかと聞いている。


「私がお姉ちゃんになってあげる」

「絶対に嫌です」

「知らないの? 妹のライバルも妹なのよ」


 まだ飛行して逃げるほどは適応できておらず、スキャーナは立ち上がるもふらついてしまう。

 頭から倒れた。ちょうど抉れた地面の、尖った部分に突き刺さる形だが、無論この程度ではダメージにもならない。むしろ地面の方が折れた。


 折れたと言えば、スキャーナの逃走心もだろう。

 間もなく大の字になって放心した。


「潔いね。気に入った」

「見届けなくていいんですか」


 仰向けのまま、気怠そうに指だけで示すスキャーナ。

 その先には、今日の勝者と戦利品――


 嬉しすぎて涙を流すマーシィと、もう下腹部を膨張させているタイヨウ。

 熱烈な口づけを交わしている。


 ミーシィは純潔だと聞いている。性格的にも受身だと思われるし、今も「めちゃくちゃにして」などと言っている。

 その程度で理性を失うタイヨウではないが、スキャーナと交わった後、勃たないのはまずいということで早速ジンカと話し合っていたのをリアルタイムで見た。男性器にも寄生スライムを搭載させて、自由に制御できるようにしてあるはずだ。

 いつもの優しさで自分が導いてやると決めたのだろう。同時に擬似性器のテストも兼ねているに違いない。


「現実逃避も時には必要よね」


 ドレスアップで着直していた制服が切り刻まれる。

 剥き出しになったへそを、爪の先端でつつかれる。


「ぼくは観察したいんですけど」

「頭も回復してるわね。強すぎない? もちろん却下ね」


 格上のマーシィから逃げる術などないため、受け入れるしかない。


「優しくしてくださいね」

「興奮するわぁ」


 二組の激しいバサバサが開幕するのだった。






 間もなく第九週二日目《キュウ・ニ》を迎えようとしている。

 主に妹の刃風によってガタガタになった闘技場の中央で、姉妹は寝そべっていた。


 ライトボールは既に切られている。

 見慣れた星空は、何度見上げても吸い込まれそうになる。

 あの煌めきに近づいてみたい、と無謀なことを考えて飛んでみた経験は鳥人あるあるだろう。絶対に行くなと念を押されていても、覗きたくなるのが冒険者の性というものだ。


 今では近づこうとも思わない。

 上空のさらに上層にはサンダーボルトが充満している。サンダーボルトは必殺だ。防ぐことも避けることも、近接を認識することさえできやしない。冒険者と言えど、人外の存在は受け入れるしかない。


 そんなものが一体この世にいくつあるだろうか。


 シニ・タイヨウは、そういう次元に寄った怪物ではないだろうか。


「今そういう気分じゃない」


 マーシィは妹に抱きついたが、返ってきたのは感無量とでも言わんばかりの雑な返事だけだ。


「わかってる。抱き締めてるだけ」


 もうしばらくは淫らな気持ちも起こらないだろう。

 感無量というなら、自分もそうなのだから。


「ミーシィ。これだけでは守ってね」


 マーシィは馬乗りになり、目の焦点を合わしてくれないミーシィに極めて真剣にぶつける。


「彼のことはいったん忘れる。誰にも言わない」


 タイヨウに繋がるヒントを悟られてしまえば、一体どんな戦力がやってくることか。ミーシィはおろか、マーシィでさえも対処しきれないだろう。


「忘れない。忘れるなんてできないよ。出さなきゃいいんでしょ」

「できるの?」


 機会が来るまでずっと堪え忍ぶか、圧倒的な力や戦略を手に入れて奪還するかでもしない限り、もう二度と会うことはないだろう。

 もちろん欲に負けて会いに行くなど愚の骨頂だ。死んでもいいから会いに行くという捨て身も可能だが、それはマーシィが許さない。


「できないならお姉ちゃん、強引な方法を取っちゃうかも」


 自分でもどうなるかわからないという含意で脅す。

 タイヨウにぶつけていたオーラの奔流もちらつかせるも――。


 眼前の妹は、もう少しも怯んでいない。


「できるよ。だってわたし、決めたもん――彼のお嫁さんになるって。それでいっぱいバサバサする」


 言葉こそ安直だが、その眼は快楽に溺れた依存者のそれではない。

 もっと遠くを見ているものだ。


 そして、その先に自分はいない。


「いやらし」

「いやらしくてもいいもんっ……お姉ちゃん」

「何?」

「ありがと」


 長らく姉妹をやっている。言わずともわかることは多い。


 ミーシィは冒険者としては悪くない水準だが、意志という名の前提が抜けていた。

 それが、非常にありきたりではあるものの、一人の男によって補完された。


 意志無き器を子供という。

 妹はようやく大人になったのだ。


 どさっと妹の上に倒れ込む。

 そのまま抱き締める。いやらしさは微塵もなく、ミーシィも拒まない。


「……え、泣いてるの? どして?」

「お姉ちゃん、嬉しくて」


 涙声の姉など何年ぶりだろう。


 最愛の妹と居続けると決めてから、強く在り続けてきたのに。

 涙なんてもう一生見せないつもりだったのに。


「でも悲しくて」


 過ごしてきた日々が次々と蘇る。

 忍耐なんていくらでもしてきたのに、涙を止められない。


「あのミーシィが……泣き虫で弱虫でバカでアホでマヌケで私が守ってなきゃいけなかったあのミーシィが」

「言いすぎだと思う」

「頑張ったね。うん、頑張った」


 ミーシィもつられて瞳がじわりと滲み。


「……うん。うんっ」


 姉を優しく抱き締め返した。






 そうはいってもマーシィはマーシィで。


 この後めちゃくちゃバサバサした。

第364話 追跡者たち7

 エルフ領の内陸部――豊かな深森林に囲まれた天然の要塞は、領内でも屈指の好立地であろう。

 その大半は、非常に限定的な用途のためだけに存在している。


 森人網《エルフネット》報告資料場『ジオグライト』。

 種族全員分の報告を石の粒で並べ、それをレベルに裏打ちされた空間認識の広さと速さで読む――強引にも程があるシステムである。


 領内には基本的に立入禁止の概念は無いが、ジオグライトだけは違った。

 誰がどの区画を担当し誰と連携するか厳密に決まっており、ジオグライト用の作業員だけでも何千人と存在する。彼女ら作業員が移動のために使う空域も定められており、さらにその上方には|読み手《リーダー》――ジオグライトを読む者達が移動する用の空域もある。


 リーダーは一切の加減や慈悲を捨てて読みに行くため、並の者や設備はもちろん、地形でさえも保たない。そのためジオグライトには風圧や衝撃波を逃がす魔法が常時メンテナンスされている。

 そんなジオグライト稼働中は、珍しい現象が起きる。

 何本もの竜巻が不規則に立ち上がり、うねり、消えていく――『ストーム』と呼ばれる現象で、何も知らない同族が見れば世界の終焉を疑ってしまう光景だ。


 第九週二日目《キュウ・ニ》、午前八時三十八分。


 サリアは遠目にストームを眺めながら、公務に励んでいた。

 周辺でも一際高く伸びるストロングローブの梢にいる。見晴らしも抜群で、深森林の上を飛び回る民がよく見えた。

 公務など女王が行う仕事ではないが、ジオグライトがまさにそうであるように、ハイレベルな者の方がパフォーマンスが高い。他国の王がそうであるように、サリアもまた民に紛れて働くことさえあった。


「次の書類群を持ってきてください」

「はっ」


 山のように積み上がった書類が魔法で運ばれていき、次の分がサリアのそばに配置される。

 それらから魔法で一枚ずつ取り出し、素早く目を通して承認または否認の印をつけていく。同時に、白紙には新しい政策案や指示も書き込んでいく。

 特に今年は混合区域《ミクション》やミックスガバメントのせいで忙しい。アルフレッドの手も本格的に借りたいほどだ。


「女王様。第二位《ハイエルフ》からの相談事項が十三件溜まっております」


 並行して大罪人シッコク・コクシビョウとシニ・タイヨウの討伐も動いている。第二位達とは密に連携している最中であり、この手のマルチタスクなどもはや日常だった。


「会議で一気に片付けましょう。ここに集めなさい」

「かしこまりま――」

「待ちなさい」


 サリアよりも若々しくて軽い女声。

 逸る気持ちが見え見えの、テレポートでの割り込みだったが、慣れてない超常現象には脳の処理が追いつかず身体が固まってしまう。サリアは雷魔法《サンダー》を撃って報告者を我に返らせた後、当の本人と向き合う。


 本件は現状最優先事項であり、共通人格《コモンペルソナ》にも反映されている。

 報告者は寸分も迷うことなく立ち去っていった。


「見つけたわよ」

「ご苦労様。詳細を」


 本来なら既に詳細説明を始めなければならないが、ヤンデはまだ共通人格をマスターしていない。以前叩き込んだのをもう忘れている。

 が、ジオグライトの読み方を急遽詰め込んだこともあるので、サリアは内心で見逃すことにした。


「セレンの報告が目についたわ。エルフの中でも特に美人と名高い彼女にもなびかない男。その男はガートン社員寮ガミトリーで暮らしている。ガミトリーは常時|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》を課された寮である。――ここまで読んで、私はジーサを思い浮かべた」

「エルフの美貌にとらわれない事例は数千件あります。デフォルト・パフォーマンスの制約が課された地域は、一般人《レベル1》の居住域を含めれば数万あります」


 ジオグライトの情報量は半端ではない。エルフになびかない、あるいはなびいたことに気付かないよう演じられる者などそうはいないが、それでも全土に拡大すれば珍しくはないのだ。

 当てはまる情報の一つや二つで判断していいものではない。


「でも両方満たせる男はそうはいないでしょ」

「ガートンは会社です。名を上げずとも強き者や才覚持ちし者はいくらでもいます」


 ヤンデはこの後学園に通うため一応制服を着ていたが、無詠唱のドレスアップでバトルスーツに着替える。それが数秒のことで、そのまま飛び去ろうとする――その細い腕をサリアは掴んだ。

 無魔子《マトムレス》のスキルもちらつかせて、勝手な行動は許さないと脅しを入れる。


「ブーガはジーサ以外にもガートン社員を一人保護していたわ。その伝手でガートン側に保護を依頼したとすれば筋が通る」

「皇帝が直々に保護すれば済む話です」

「できないわね。お母様程度なら誤魔化せるでしょうけど、私や近衛《ユズ》は誤魔化せない」

「……」


 サリアは手を放すと、自らもドレスアップを詠唱――バトルスーツ姿になる。

 事実上の容認だが、表情にはまだ乗せない。実力者のヤンデだからこそわかることがあるのだという点はサリアも理解しているが、まだ小娘にすぎない。判断には自分も交えた方が良い。


「この前留学生として来た子を覚えているかしら」

「スキャーノ――いえ、スキャーナですね。処分されたと聞いています」

「保護された社員が彼女だったとしたら?」

「アウラ殿が否定されたのではなくて?」



 ――スキャーノちゃんの変装なら見抜ける。あの男性社員は彼じゃなかった。



 アウラの言を報告したのはヤンデ自身だ。


「ピンク童顔や私の目をかいくぐれるほどの練度があるとしたら?」

「レベル88にできるとは思えません」

「隠密《ステルス》というスキルの奥深さは知っているつもりよ。でなくてもジーサやシッコクの例もある。まだまだ発展途上なのではないかしら」

「――強くなりましたね」


 以前のヤンデではこんな見解は出せなかった。己の実力を過信していたはずだ。


「……他に無いなら、もう行くわよ」

「待ちなさい」

「ついてくるの? お母様の実力では危ない可能性があるのだけれど」


 あとはセレンの居場所に行けばいいだけだ。ガミトリーの警備は厳しいが、ヤンデであれば取るに足らない。


「シニ・タイヨウにはもう枷がありません」


 アルフレッドからもエルフからも逃げて、おそらく皇帝と私的に手を組んだシニ・タイヨウ。

 守るものを持たない強者は、正真正銘の怪物だ。


「戦闘や魔法の手解《てほど》きも受けているはずです。今までの彼ではないですよ」

「問題無いわね。ナナジュウ事件の時も普通に見切ったわよ。ブーガがそばにいなければ先手は取れる」


 先手を取れる――。


 サリアにはそんなビジョンなどまるで見えない。

 シニ・タイヨウはレベルこそ当時89であるものの、これまで起こした騒動は人類の域を超えている。隠し玉をまだ持っていないとも限らない。


 それを、この娘は見えると言っている。

 たとえ未知に遭遇しても、その場で認識し対応しきるだけの自信があり、地力も伴っていると。


「なら問題ないですね。もう一つ教えておきましょう。男の友愛に束縛は持ち込まれません。二人は別々に生きていて、たまに密談をしていると考えるのが筋です」


 そうかと思えば、こんなことにも気付けず、表情からしてなるほどと漏らしている。エルフの、まして王女たる者には軽率だ。外面のつくりかたも、もっと鍛えねばならないだろう。


「人生経験豊富ね」

「ヤンデはまだまだですね。照れ隠しも下手」

「うるさい」


 サリアはバトルスーツを解き、いつものドレッシーな装いをする。

 仕事をサボるという魂胆は見抜かれているらしい。娘の視線は冷たかった。


「ヤンデ。頼んだのじゃ」

「お母様も今のうちに休んでおいた方がいいわね。頑張ってね」


 前半は間もなくタイヨウを連れてきて忙しくなるからという意味だが、後半の励ましの意図はわからない。サリアは寝そべりながらも首を傾げるが。


「なっ」


 非常に小さなゲート穴が空いていることに気付く。

 その先の気配は、娘よりも馴染んだものだ。


「リンダ。盗み聞きは良くないのじゃ」

「女王様のことです。ジオグライトの件の後、必ず仕掛けてくると思っておりました。王女様のご協力もあって、こうして証拠を掴めました」

「ヤンデも共犯だったとは……むごい仕打ちじゃのぅ」


 ゲート穴がぐわっと開き、お馴染みリンダが出てくる。「会議はこちらでしましょう。もう全員集まってます」しくしく泣く母親を見て、ヤンデは微笑んだ後。


「行くわよジーサ」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

第365話 追跡者たち8

 第九週二日目《キュウ・ニ》の、午前九時くらいだろうか。

 俺は我が家のように自室のベッドで寝転んでいる。いや、前世でもこんなにだらけた生活をおくったことなど無かったが。


 適度に仕事して、適度にプライベートがあって、可愛い妹とちょっと怖いけど優秀で真面目な彼女がいる――こういうのをワークライフバランスと呼ぶのだろう。

 だよなー、独身では成せないことだ。仲の良い奴と一緒に過ごす、という要素がどうしても必要になる。だって人間だもの。

 独りだと没頭し続ける以外に満たす方法は無いが、人間は機械じゃないから没頭し続けることなどできやしない。一般的に二十代後半くらいから飽き、意地、憂い、エゴ、老いのあいおえお五銃士が襲ってくる。俺は意地を捨てられなかった……要は独りはハードモードなのだ。


(バグってなかったら、どんなに幸せだったことか)


 俺が前世でやり残した、数少ない体験がそれだ。

 性欲や承認欲求がそうであるように、抱いてしまった渇望は自ら体験しない限りは消えてくれない。だから俺は未だに羨望を抱いてしまう。バグっているというのに。

 こうしてスキャーナとのペアに甘んじているのも、悪あがきなのかもしれないな。


 と、ごろごろしながら思索に耽るのにも飽きたので、寝起きでストレッチしてるスキャーナに声をかける。

 格好は不自然に薄着、というか肌着だし、でたぶん緩やかに誘ってるのでスルー。


「俺が言うのも何だが、平気なのか?」

「何が?」

「嫉妬とかこじらせて面倒くさい奴になるかと思ってた」


 ミーシィに負けて瀕死になった上、目の前で俺を寝取られたようなものである。身体的にも精神的にも計り知れない負荷がかかったはず。


「ぼくを見くびってるようで」


 が、それは俺の前世のものさしにすぎず、冒険者のスキャーナには当てはまらないらしい。強い。いや本当に。


「ハンティの手強さは知ってる。ジンカちゃん一筋だもんね」


 どうせ誰にもなびかないでしょ、と言っている。


「でも反応するようになって良かったね。ぼくも楽しめる」


 性器部分を寄生スライムでつくったから、これからは普通に性交できるねと言っている。


 不幸中の幸いは、スキャーナがそこまで淫乱ではないってことだろう。今の肌着もそうだが、さりげない誘惑はあれど露骨に攻めてくるほどではない。男としては攻められてみたいが、タイヨウの立場としては面倒なだけなので正直ありがたかった。


「仲直りはしたのか?」

「仲直り? 別に喧嘩はしてないよ」

「殺し合ってたよな」

「ミーシィは親友だよ」

「本人に言ってやれよ。泣いて喜ぶぞ」


 昨日はまさかミーシィとやる展開になるとは思わなかった。ロリ巨乳が泣き顔で求めてくるのは最高にエロかったな。エルフほどではないが、俺の中では前世含めてトップに躍り出ている。脳裏に焼き付いて離れない。

 で、これさえも置き去りにするエルフは、やっぱり反則なんだよなー。ヤンデの顔と裸がちらつく……。


「また会いたいな。ハンティを取り合いたい」

「俺を巻き込むな」


 まあ心配はしていない。

 アイツらもシニ・タイヨウというリスクに接触し続けるほど馬鹿じゃない。いやミーシィはわからんが、姉が許さないだろう。

 昨日の一件は、もう無視していいはずだ。


「そろそろ支度しよっか」

「今日は何の仕事だ?」


 ジンカの世話は俺の担当である。電池が切れたように眠ってやがるが、構わず殴って起こす。


「クエスト収集。村の困り事を集めに行くんだ」

「ギルドにでも掲示するのか?」

「うん――」


 災難はいつも突然やってくる。

 レベルが高ければ鋭敏だからそんなことはないと思いたいが、いつだって格上もいるもので。

 まして俺は渦中の人物なわけで。


 天井がぶち抜かれている。フィクションでよく見る図太いレーザーでも浴びせたんかってくらいにぽっかりと空いていて、溶けた跡がかすかに残っている――そう認識した頃には、俺の声帯は動かなくなっていて。


「障壁空気《バリエアー》」


 聞き慣れた冷酷な詠唱が、遅れて届いてきた。

 なるほど、空気の塊で圧迫して動かなくしているのか。ブーガは外側から押し潰してくるけど、内から封じることもできるのな。いや空気と呼べるかも怪しいけどな。硬すぎて反抗する気も起きない。


 監視の連中も二人ほど来ている。

 俺も初めて見たが手練れだな。ゲートで飛んできたわけだが、ユズを想起するスピードだった。覆面で顔もわからない。とりあえず手を出しかねているってのはわかる。


 当の本人――この場の誰よりも強く美しいエルフの王女ヤンデは何一つ怖じることなく、ジンカやスキャーナに意識を飛ばすこともなく、何かを待っているようだった。


 何事かとぞろぞろ集まってくる寮生たち。

 その中に、明らかに浮いた同族が一人。


「セレン。この男の名前とレベルは?」


 左手を腹の前でたたみ、右肘を突き出して頭を下げるセレン。それをさも当然のように受けるヤンデ。王女が板についてきたな。


「名前はハンティ。レベルは89」


 その割には喋り方がどこかぞんざいというか、機械的で。

 直感的に俺は悟った――


 エルフが種族総出で動いていることを。


 俺はその網にひっかかったのだと。


「スキャーナと同格ね」


 何食わぬ会話をしていると思ったら、次の瞬間――スキャーナの右腕と右手親指が自由落下し始めた。切断した部位をさらに切断しているわけだが、入れ子切断と呼ばれるもので回復がしづらい。優秀なクラスメイトへの嫌がらせといったところか。お前らしいな。


「自分で回復できるでしょ?」


 同じ攻撃を、俺の、同じ部位にぶつけてくる。

 体感的には糸っぽい。何の魔法か、あるいはスキルかもわからない。相変わらず認識が追いつかなくて、やっぱ別格なんだなぁと呑気に感心することしかできない。


 当然ながら俺の腕は切断されない。制服の生地だけ切れて、すとんと落ちた。

 右腕だけタンクトップ状態だ。


「この偽装と防御力はシニ・タイヨウだからこそよ。抗議は正式に行ってくれて構わないわ」


 同じ攻撃で、今度は俺をぐるぐる巻きにしてくるヤンデ。

 敵う者などいやしない。読み間違えて突っ込む無能もここにはいない。スキャーナでさえ、冷静に聖魔法をかけて回復を待っている。腕を千切られたというのに声一つあげないし、誰も見向きもしない。


「ジーサ。この子はどうするの?」


 声帯は解放されたが、威圧のオーラが張り付いている。

 声帯にオーラをぶつけるだなんて器用な真似をしてくれる。痙攣を引き起こされたかのようで不思議な感覚だ。わかってる。よーくわかってるさ。お前を出し抜けるとは思わん。


 ともあれ、さすがにヤンデには見抜かれてるようだな。そうだよ、俺のスキル『シェルター』は精神集中などではなく、同居人さんを避難させるためのものだ。

 その上で同伴しても良い、と慈悲をかけてくれているわけだ。

 いや寄生スライムを実験台にしたいのかもしれない。ヤンデにその気がなくとも、種族《エルフ》はわからない。


 もちろんくれてやるつもりはない。


「ここに残していく」


 喋り終えた後、俺は即座に、


(顔をつくってる部分とはお別れだな。すまん)


 たぶんヤンデは見逃してくれたが、口内発話で詫びておく。

 この後、間違いなく顔も剥がされるだろうが、クロとダンゴもみすみすエルフの手に渡ることは許すまい。自害するはずだ。

 何度目だろうな。俺が不甲斐ないばっかりに。本当にごめん。


「あなたはそれでいいの?」


 ジンカも頷いた。

 モンスターなのに反応したということだ。やっぱそうだよなー。ヤンデも婚約者であるため家族の範疇になる――ルナやスキャーナと同様、意思疎通が通じる。


 そう俺が考察した頃には、もう空に浮いていて。


 唐突で静かな別れだった。




      ◆  ◆  ◆




「いつもありがとうね」


 情報屋ガートンに慈悲は無い。この制服――没個性的な黒スーツは人々を萎縮させる。

 というのに、稀に物怖じしない者がいる。一般人であっても。

 特にこのおばあさんはやたら鋭くて、今回で会うのは四回目だが、容姿を変えているのに同一人物だと気付いている。嬉しさと感謝を隠しもせず、こそばゆい。

 スキャーナは何も返さず、素知らぬふりで飛び去った。


 シムリア地方。

 大陸東部の、何の変哲もない地域。山も川も海もあるが、それだけだ。魔法製の建造物さえ一つと見当たらない。

 分類としてはアルフレッド王国だが、三国は戦国時代集結のための便宜であり、全土を適切に統治できていることは意味しない。むしろこのような『放地』の方が割合的には多い。


 シムリアは僻地すぎるゆえに素行の悪い冒険者さえ寄りつかない。

 しかしモンスターは湧くし、一般人では対処できないし、自給自足にも限度がある。

 この限界を打ち破るためにガートンは困り事を収集し、ギルトに提出――クエストとして処理してもらうのだ。世の中は広い。物好きな冒険者もいる。ギルドであれば、全土の冒険者にリーチできる。

 もちろんガートンは慈善団体などではなく、単に情報流通の観点から全土を掌握するために投じているにすぎない。


「あと六|地方単位《ユニット》。昼までに終わらせたいな」


 鉄壁のガミトリーにて、あんなことがあったばかりだというのに。

 スキャーナは全くもっていつもどおりであった。


 タイヨウの心配など抱くだけ無駄だ。

 皇帝の慧眼に叶い、上司にも目をつけられた男――エルフに攫われた程度でどうこうなるとは思えない。

 なら、必ず機会はやってくる。


 元より彼の内心が自分にさほど向いてないことも嫌というほどわかっていた。

 そもそも彼とどうしたいのかというゴールすら描けていない。一方で、冒険者である前に一人の人間であり乙女でもあって、純粋に独占したいとも思っている。


「メルクリア地方から行こうっと」


 複雑で、そしておそらく重たくもある思いを抱えながらも。

 スキャーナはいつもどおり仕事に邁進する。

第366話 再認識

 第九週三日目《キュウ・サン》午前一時十五分。

 王都リンゴ王宮内に、一人のエルフが降り立った。


 深夜だろうと警備に隙は無い。侵入者を即座に取り囲むは、分厚き鎧をまとった王族親衛隊――


「緊急事態じゃ。シキを呼べ」


 種族を引き立てる高貴な装いは、闇夜で見えずとも美しい。

 女王サリアは楚々とした立ち姿で堂々と待ち始める。親衛隊らはしばし傍観戦――強者特有の様子見の応酬を行った後、攻撃の手を下ろしていく。


「わらわの訪問を読んでおったか。食えぬ男じゃ」


 本来なら戦闘が始まってもおかしくはないし、サリア程度であれば親衛隊でも防戦はできる。

 それでも取り下げたのは、事前に聞かされていたからだ。

 にしては傍観戦が長かったが、寄生スライムによる偽装を警戒していたのだろう。


 間もなくやってきたのは近衛だ。

 無詠唱でムーバブルゲート――動かせるゲートを展開し、それを振り下ろしてサリアの頭上で止める。


「器用な真似を」


 微かな魔子線の流れを感じれば、術者が目の前の幼女ではないことはわかる。なのに、この近衛はあたかも自分が無詠唱しているかのような素振りを見せている。

 どこまでも食えない国王らしい。「相変わらず気持ち悪いのう」親衛隊の印象を下げる意味はないが、呟かずにはいられなかった。


「構わぬ」


 ゲートで連れていきますとする近衛の意図には肯定する。

 直後、くぐらされた先は、王族としての権威をちらつかせた平凡な応接間――


 シキは絨毯の上であぐらをかき、栄養しか考えてなさそうなモンスターの生肉にかじりついていた。

 そばには筆頭執事ゴルゴキスタが控えており、もてなしの有無を目で問うてくる。「要らぬ」サリアはひとっ飛びでシキの目の前に移動し、正座で腰を下ろした。


「ご苦労。さすがはヤンデ殿じゃ」

「シキ殿。私の目を見てください」


 サリアはノータイムで女王モードに移っている。


「こちとら寝不足でのう。今のワシにおぬしはキツいんじゃ。もう少し距離を空けてくれると嬉しいんじゃが……」


 不衛生でマズい生肉を食べているのもそのためだろう。気を逸らすためだ。

 もっとも、この男がどこまで真実を述べているかは怪しい。

 あるいは、見惚《みと》れたのを誤魔化す速さを誤魔化したいのかもしれない。つまり自らがレベルアップしたことを隠すための心理戦を仕掛けている。

 要職者のレベルは重要な政治材料だ。同格以下相手では|実力検知《ビジュアライズ・オーラ》でも見えないからといって油断していいものではない。


「知ったことではありません。それで、どうするのですか」


 今はそんなことなどどうでも良い。


 サリアはシキの意図に気付いている。

 それは種族《エルフ》としても妥協できるものであるため、こうして乗ったのだ。


「まだ思いついておらぬわ」

「……私にも考えろ、と」

「ゴルと五号《ライム》もおる」


 エルフの目で見ても恥じない会釈を寄越す執事と、友人のように片手を上げることで挨拶してみせる裸の幼女。

 それはともかく、重職者の議論の中に他国の女王を放り込むなど、前代未聞もいいところだ。


 しかし既にシニ・タイヨウによって国や種族の垣根を超えた策がいくつも生み出されているし、今も多くの人員によって進行している。


「麻痺してしまいますね」

「変化は若者の特権でもある。おばあさんにはきついかのう」

「誰がおばあさんですか」


 サリア達はしばしアイデアを出し合うことになった――


「――公開処刑、というのはいかがでしょう」


 収束には一分もかからなかった。

 ふとゴルゴが呟いた、その案は、明らかに賛成多数であった。


 まだ理解が追いついていないライムが小首を傾げる。


「タイヨウ殿を、我らの一段上の存在に祭り上げるということじゃ」


 シニ・タイヨウは不死身と呼べる存在だろう。

 レベルが高いのか、はたまたレアスキルか――原理はわからないが、そうでなければ皇帝が殺さず生かしていることの説明がつかない。ギガホーンどころではあるまい。

 皇帝でも崩せぬ存在など、もはや人類にどうにかできるものではない。だから大々的に知らしめるのだ。



 シニ・タイヨウは人類には殺せない、と。



 そうとわかれば、種族《エルフ》の面目も立つ。


「タイヨウ殿改めシニ・タイヨウ様じゃの。がはは」


 祭り上げた後はどうするつもりなのか。竜人はどう絡んでくるのか、あるいは絡ませるのか。

 何かを企んでいるであろう|ガートンの犬《ファインディ》への注視も忘れてはならない。

 何より大罪人シッコク・コクシビョウは、タイヨウを深く知ると思われる人物の一人だ。皇帝を出し抜いてタイヨウの獲得に動く可能性もあるし、その実力もあろう。


 王の立場はそういうものだが、相変わらず課題は山積みであった。楽観的に笑い飛ばせる精神性は見習うべきだろう。


 ともあれ用件は済んだ。

 サリアは立ち上がり、スリットから素足を覗かせるいやがらせを仕掛けつつも、もう一つだけ議題を落とす。


「ブーガ殿とはまだ関係があると思いますか?」


 ナナジュウ事件を素直に見れば、将軍を一掃するためにシニ・タイヨウを使ったと考えるのが妥当だ。

 配下にもそう唱える者が多いし、サリア自身もそう考えている。


 一方で、混合区域《ミクション》を提案してきたときの彼らからは、ある種の懐かしさ――この立場とは無縁の、知己なる絆を感じた。


「あるどころか、誰よりも深いじゃろうな」


 シキの目も狂いは無い。むしろ匿ってきた密度で言えば、サリアより詳しいまであろう。


「この件にはどう絡むと思いますか?」

「強引な真似はすまい。タイヨウ殿が要職者になる前で良かったわい」


 もしタイヨウがダグリン共和国の要人であれば、誰も手出しできなくなる。要人に手を出したとして皇帝が直々に報復できるためだ。

 まだその段階には無く、現状ダグリンとの関係は明示されていない。であれば体裁上、あるいは竜人協定のもと、タイヨウの誘拐といった強引な行動は取れない。


「ヤンデ殿の功績じゃな。あと三週間、いや二週間遅ければ要人にされていた」


 ダグリン共和国では全将軍の喪失に伴い、体制の立て直しが提案されている。具体的には『皇帝補佐』の立場を正式に立ち上げることと、その席を複数増やすことだ。

 ブーガはここにタイヨウを据えるつもりだったはずだ。


 本来なら皇帝の一存で採用して終わりだが、重席の増減はブーガの竜人協定にも絡んでいる。皇帝の一存では変えられず、竜人の承認を待たねばならない。ここに救われた形だ。


「本件が上手くいけば、あほんだらもタイヨウ様の下に組み込める。アルフレッドとダグリンの結びつきを正式なものにできよう」


 ミックスガバメントに含まれるのはエルフだけだったが、ここにダグリン全体を含めることができる。二国の合併に等しい。


「そうなると黙ってないでしょうね。ギルドも。オーブルーも」

「廃戦協定があるぞい」


 竜人は絶対的な存在である――。

 ジャースの不文律の一つだが、


「協定も不変ではありません。下界の在り方次第では変わり得ます」


 サリアはあえて破ってみせる。


 もう事態は超常的な段階に入っているのだ。

 竜人という超常の代表をいかに活用するかを考えることは、王ほどの立場であれば何らおかしくはない。不文律であることを除けば。


 シキもわかっているはずだ。何なら既に干渉もしていよう。

 おそらくは廃戦協定も――。


「……」


 乗る気はないらしく、その無言が破られることもなく。


 サリアもこれ以上の言及は控えた。

第367話 再認識2

 俺の体内時計が正しければ、今は第九週五日目《キュウ・ゴ》の午前十時くらいか。


(暇だ)


 場所が屋外であれば、まだ深森林の絶景やエルフ達の日常を見て癒やされただろうが、そんなに甘くはない。

 おそらくはストロングローブの内部だろう。大気の流れから察するに、入り組んだ最奧にいる。これでは多少のリリースでは壊せないだろう。


(そもそも撃てないしなぁ)


 俺の声帯には無魔子支柱《マトムレス・プロップ》――オリハルコン製の棒がはめ込まれている。無慈悲にはめ込まれているため一ミリも動かせないし、俺のパワーでは破壊もできない。事実上、詠唱を封じられた形だ。

 もちろんサリアによる仕業だった。無慈悲に無表情をまとった女王に喉を弄られる体験は、後にも先にも一回だけだろう。


 顔面の寄生スライムも既に処分されている。ジンカは置いてきて正解だったな。

 本来なら全滅のはずだが、幸か不幸か免れている。ソイツらは俺の股間に集まっていて、今ちょう剥き出しで隆起しているところだ。


「人が夢中になるのも頷けるわね」


 とか言いつつ俺に跨がって腰を振るのはヤンデさん。

 俺を絶対に逃がさない監視役として、もう三日間つきっきりでいる。


 俺は喋れないし、読み書きもできなければ、そもそも発言を許された立場でもない。しかし即座に処刑や封印に走ってないあたり、何かの準備をしていると思われる。ヤンデから情報共有されることもないので何もわからない。

 サンドバッグにでもしてくれればチャージ的には美味しいが、その様子もない。本当に、ただの軟禁であった。


 さて、退屈は万人の敵だ。ヤンデとて例外ではない。

 そんな彼女が咄嗟に選んだのが、



 ――お母様。ジーサって勃たないのよ。



 寄生スライムを一部生かして性器として使うことだった。

 サリアもその場で許可を出している。経験がどうだのともっともらしい理由をこねていたが、嫌がらせに違いない。もちろんヤンデであれば寄生スライムの逃亡を阻止できるとの前提ありきだ。


(どうなるんだろうな俺)


 俺を殺せないことは理解しているはず。だからこそ封印ルートになると思っていたが、その様子も無い。

 封印できる手段など無いということだろうか。あるいは魔法やスキルとはいえ人力だから下準備、おそらくは人材の手配や体制の構築がいるということか。


 仮に封印ではないとしたら。

 竜人に差し出すのだろうか。でもなあ、魔王や綿人長老はその線を避けてたから、シキやサリアも同じ思考を辿る気はする。なんつーか人々を束ねる立場が自然とたどり着く結論、みたいなものがあるんじゃないか。俺にはさっぱりだが。


(封印、ねぇ)


 久しく恐れていた、飼い殺しの恐怖が蘇ってくる。


(実験動物《モルモット》としていじられ続ける人生――)


 バグってて何も感じないのが幸いだが、それでも退屈からは逃げられない。

 そして退屈こそ俺が最も嫌ってきたものの一つだ。自殺の主因と言ってもいい。もう二度と味わいたくはない。


 だというのに、びっくりするくらい何もする気が起きない。

 恐れも焦りも無い。知識や経験として知っているのを思い出しているだからな。想像によるしょぼい追体験でしかない。こんなのすぐ飽きる。同じマンガを何十回と読み返してるようなものだ。

 これでモチベーションを起こす方が無理というもの。


 ……結局、これで潰すしかないんだろうか。


 目と耳に意識を配分させる。


 エルフが騎乗の姿勢で揺れている。

 俺の他には誰もいないし、俺は夫だ。深く晒し合った仲でもある。ここはプライベートにも等しい空間なわけで、何も隠さなくてもいい。美しい嬌声と、それに見合った淫らな表情は実に生き生きとしていた。


 貧乳なんて好きじゃないのに。

 揺れの乏しい上下運動なんて見向きもしないのに。

 そんな些細な次元ではない。ミーシィとのあれこれももう彼方だ。


 ああ、ヤンデ……。


 とまあ溺れるふりを意識しても何も変わらないけどな。


 笑うふりをするだけでも愉快になるという。いやらしさも同様だし、だからこそセックスはムードが大事なのだが、俺には無縁の話だ。そもそも今の俺は喋ることもできないし、性器をつくるクロとも交わせない。

 でも身体は拘束されてなくて。


 どこまでも冷静で淡白な俺は。

 それでも彼女に襲いかかった。


 手が重なる。唇も触れ合う。

 体が交わって、肌と肌も、粘膜も交錯して――






 どれくらいそうしていただろう。

 ふと、また唇と唇が繋がって。


『同居人さん。私の体内に来れないかしら』


 瞬間、俺は悟った。

 純粋に性欲や好奇心もあったのだろうが、メインはこれか。


 早い話が色仕掛けだ。それも数日に渡る長期的な。


 そうだよな、何事も受け付けない俺であっても記憶は変わる。なら刷り込める余地はある。

 単純接触効果は感情抜きでも成立するらしい。思えば記憶からして直近使ったものを重視するものだからな。そのせいで俺は、無自覚のまま判断を鈍らせてしまうかもしれない。性交が来たらとりあえず受け入れようとか。ヤンデと離れたくないとか。


 コイツにならコーディアル・オーラをぶつけてもいいんじゃないか、とか。


『ジーサ。私もあなたを背負うわ。あなたの全てを知る必要がある』


 嘘つくなよ。お前はもう王女のメンタリティだよな。

 俺を愛するだの救うだのどうこうは最悪切ってもいい程度の、付随的なものでしかないはずだ。


『あなたと寄生スライムは切っても切り離せないわよね。でなくてもシッコクの件もある。深く知るべきだし、私にしかできないことよ』


『でもお母様は――ううん、種族は許してはくれない。もう討伐の対象になってしまっているもの。だからこっそりやるのよ。あとで有意義を示して黙らせればいい』


 許可を求めるな、謝罪せよってやつだな。良い心がけだが、それとこれとは別だ。


 寄生スライムは俺の屋台骨。

 たとえお前であって、誰であっても渡したくはない。単純に相棒との仲に入り込まれたくないし、細かい生態や性質を知られるのも嫌だし、何より。


(相棒を強くしたくない)


 体内というゼロ距離、いやマイナス距離で向き合い続けてきたからこそわかる。

 俺の最優先がダンゴやクロでないように、コイツらの最優先も俺ではない。必要なら俺を見限ったり封じたりもするだろう。

 レベルでいえばたかが40、たかが90だが、俺は決して見くびらない。むしろラスボス候補ですらある。それだけの知能を持ってんだよ。


 コイツらは現状、すでに俺とシッコクの二人について深く知ってしまっている。といってもシッコクには崇拝状態《ワーシップ》は適用されないから心配はしていないが、ヤンデは違う。

 婚約者認定されてるコイツは俺と同様、相棒と意思疎通を交わすことができる……。


 言わばコイツらは、エルフ最強の冒険者というパートナーを得てしまうのだ。


(利害も衝突するだろうしな)


 俺は死を望む。

 一方で、寄生スライムは生きることを選ぶだろう。ヤンデもそうだ。


 もし相棒達とヤンデが手を組んだとしたら。

 死んで全てを終わらせようとする俺を、本格的に封じ込めに来たとしたら?


(ふざけるな)


 ようやく良いところまで来たんだ。


 俺はブーガと歩むんだよ。

 滅亡バグを探して、潰して、それから殺してもらうんだ。あるいはリリースぶっ放して世界を丸ごと壊してもいい。ブーガもそんな俺をわかってて、全力で殺しにくる。


 いいか、これは俺とブーガの戦いなんだ。

 邪魔するんじゃねえ。


(そのブーガはどうしてる。助けに来いよ)


 来る気配がねえし、この様子だとたぶん止められてるな。

 人類最強とはいえ一国の主だ。制約も多ければ敵も手強い。実力行使ができずとも、止める方法などいくつかはあるだろ。


 と、頭を働かせることしかできない俺はどうすることもできず。


 性器をつくっていたクロが、ヤンデの身体を登っていく。


『お利口さんね』


 ヤンデの口も離れた。

 子供を諭すかのような言い方と柔らかい顔つきは彼女にしてはレアで、いわゆる脳内SSDに保存の心境だ。そんなみっともない俺にも気付いているはずなのに、スルーして黙り込む。

 喉がかすかに動いている。口内発話してるな。


 俺のフルチンが晒された。

 相棒達は全員、ヤンデの体内に行ってしまった。


(そうか、だからわざわざ口内発話で)


 自分なら扱える能力がある、とのデモンストレーションだったのだろう。

 結果は見ての通り、お眼鏡に叶った。残ってる奴は一ミリもいない。


 ヤンデが相棒を使いこなす日も近いだろう。下手すれば今日中に終わる。

 その後も迎えが来るまでは付きっきりで喋るだろうな。ルナもそうだけど、王女は意識が高い。


(そして俺はお預け、と)


 もうヤンデとのイチャイチャはあるまい。

 名残惜しいと考えてしまう自分が情けない。


 とりあえず頬を殴ってみることにした。

 ツッコミの一つでも期待したが、ヤンデは無反応で。

 残念だと思ってしまった自分に苦笑する。


 ああ、そうだな、負けたよ。


 恐ろしい存在が誰かっつーことはよーくわかった。

第368話 契約

 王都リンゴの西方面は交通の要所と言える。

 冒険者はダンジョンが集まる東方面の利用を推奨されており、王都を拠点とした冒険も東門から出入りすることになる。

 対して、西は貴族や商人など政治的経済的な往来が多くを占めた。建造やキャンプも許されておらず、大貴族や有力冒険者であっても土地を手に入れることは叶わない。


(ろくな思い出がねえけどな)


 ナツナに仕えるゴルゴキスタに石にされ、災害蛇《ディザスネーク》に目を舐められ、アウラウルに助けられて疑いを持たれて、ユズと戦争の現場に駆り出されて、ブーガと邂逅して。


(まさかこんなことになるとはなぁ)


 そんな土地に、巨大な会場がリアルタイムで建設されている。

 効率は前世の比ではない。何せレベルと魔法でゴリ押しできる世界だ。マイクラ建築のタイムラプス動画でも見ているかのようだ。


 主催はミックスガバメント――現状はアルフレッドとエルフの協業だが、無闇に権威や畏怖を誇示するつもりは無いらしく豪華絢爛など皆無。

 俺を捕らえ、逃がさず、様子を鑑賞するために。

 あるいは見に来る者や挑む者から金と情報を引き出すために。

 ひたすら実用的なデザインであった。


 さて、俺が放たれることになるフィールドは、半径三十キロメートルの円だ。

 その中心にはストロングローブ製の太く長い丸太が刺さっている。切り株のように露出した部分があり、俺はこの中央であぐらをかいてる。

 フィールド内には何も建造されていないし、領空も含めて既に閉鎖され立入禁止となっている。


 範囲外は打って変わって、王都すら軽く凌駕するほどの人工物が溢れている。報道のためだろう、情報屋ガートンの制服と、整然とした作業環境が目に入る。まるでオフィスのようだ。

 それだけでは済まない。

 緑髪長耳の麗人もいれば、牙と毛が人間離れした奴もいるし、歓楽街から出てきたような妖しい女もいれば、ダンジョン帰りの汚いパーティーもいる。王都冒険者エリアで見たことある顔もちらほらあった。

 皆一様に、己のビジネスや目論みを実現するための立案と構築に追われている。


 もちろん俺に三十キロ先の様子を見る力なんてあるはずもなく、中継を担当するガートン職員のゲート越しに見えているだけだ。


「行事は準備が最も楽しいといいます。こうして眺めているだけの私達は損をしているのでしょうね」


 丸眼鏡をクイッと上げる優男。ギルドの長には全然見えねえ。


「オイは戦闘の方が好みよ。ウルモス――久しぶりにやらないか?」


 相変わらず皮膚からして硬そうなギガホーンである。ウルモスの股間を見てるけど、そういう意図もあるのか。あるいは盤外戦か。


「立場を弁えてください。自国の皇帝にどうぞ」

「私は構わぬぞ。貴殿なら不足無し」


 こちらも相変わらずボロい服だし、錆びも刃こぼれもある年季ものロングソードのブーガである。切っ先をギガホーンの角に向ける。


「オイが構うわ。何が不足だ、ここにいる全員でも勝てまい」

「私を入れるのはやめなさい。あなたも黙ってないで何か言いなさいよ」


 そして好戦的なオーラを隠さない我が妻ヤンデさんに。

 死神装束のお面越しに黙ったまま俺を凝視する近衛。ヘアピンは見えないし、ついてもないので誰かはわからん。


 ギルド長ウルモス。

 獣傑ギガホーン。

 皇帝ブーガ。

 教皇ラーモ――は不参加で、代わりにエルフ王女ヤンデ。

 王族専用護衛《ガーディアン》近衛。


 五傑と呼ばれているらしく、要は人類最強ベストファイブだ。


 この五人が俺の監視およびフィールドの保護を担当する。

 開催後は交替で二十四時間を回すのだろうが、今は顔合わせの段階ゆえに全員集合している。つーか俺はたき火のように囲まれているわけで。


 と、ここで近衛がてくてくと近づいてきた。

 俺の足を少し動かして微調整した後、すとんと収まってくる。ああ、これユズだ。大胆ですね。

 最近刺激が強かった――いやバグってて刺激も何もねえんだけど、それでもなんつーか慌ただしかったからか、妙に落ち着く。抱き締めたい。図に乗られたくないのでやらないけど。


「竜人仲介契約《ドラコントラクト》の開始を所望」

「それもそうですね。ヤンデ様、オリハルコンを」


 ヤンデが膣からオリハルコンの塊を取り出す。

 グミくらいのサイズだ。体液は一切ついてない――女性が膣を収納手段にしてるのって本当だったんだな。誰もツッコまない。


 ウルモスは塊を受け取ると、ぺろりと舐めてみせた。

 気持ち悪さを演出したとわかる、露骨な演技だ。ヤンデはそれをスルーし、なぜかさっきから俺を睨んでいる。ユズに癒やされてるのが気に入らないんだろう。

 だってなぁ……エルフは魅力的だけど、なんつーか重いんだよ。


「盤外戦は通用しませんか。これは手強いですねぇ」


 ウルモスもすぐに諦める。

 あらぬ方向を向いて、何やら投擲の、溜めのモーション――


「【オリハルビーム】」


 一般人でも聞き取れそうな明瞭な詠唱だったが、直後の投擲は普通に見えなかった。動作も。軌道も。

 どうやら塊を射出したようだが。


「遅いわね」

「ふむ。ファインディの方が速かろう」

「怪物と比較しないでください――来ましたね」


 パッと瞬間移動で何かが後方にやって来たが……。


(これが竜人か)


 認識でわかるのは、身の丈二メートル超えという体躯。前世でも珍しいが、こっちでもこの身長はほぼ見たことがない。

 服は来ていないが、肌が露出しているかどうかはわからない。鱗とでも表現した方が近いのだろうか。

 とりあえずアホみたいに硬いのは間違いない。俺はさっき飛ばされたオリハルコンの塊、あるいは今も俺の声帯を封じているこれとの違いを見出せない。こんなことは一度として――ブーガ相手でさえ無かったことだ。


 振り返る。


 全身緑一色の、人型をした何かがいた。


 体型を信じるなら女性なのだろう。俺の記憶から引っ張り出すと胸はハナくらいだな。全く垂れてなくて健康そのもの。美乳と言っていい。

 デリケートな部分は全く見えないな。髪もないし、毛が産毛含めて全く無い。

 よく見ると爪サイズの鱗が綺麗に敷き詰められ、皮膚はその下に存在している。透明感もあって血管が微かに透けているのも見えるし、なんつーか人の生々しさを感じる。


 間違いない。俺達と同じ生き物である。

 それはわかる。わかるんだけど……。


(これは勝てねえな)


 勝機を見出すとかそういう次元じゃない。魔王ほどではないが、グレーターデーモンよりは上だ。俺は神など信じないが、頭を下げたくなってしまう。それくらいの開きを感じる。

 まして、冷酷な女声も悪くないよな責められてえなどといった願望など抱く余地もない。上手く言えないが、彫刻の裸体を見ても興奮しないのにも似ている。


「用件を述べよ」

「ドラコントラクトをお願いします」


 竜人仲介契約《ドラコントラクト》、か。


 竜人を仲介に立たせて行う契約であり、要は竜人が契約の遂行をフォローしてくれる。

 誰も逆らえない竜人様である。フィクションでよくある、呪いの盟約とか爆発する首輪みたいなものだろう。絶対に逃げられない。

 先のオリハルビームのように、竜人が住まう竜山に向けて強力な射撃を撃ち込むことで呼び出せるそうだ。


 契約は同時に一つしか有効にできず、開始には三国以上の元首または元首が定めた代理人の承認を必要とする。代理人は事前に定めておく必要があり、この事は竜人協定によって規定されている。

 今のメンツで言えばギルドはウルモス、アルフレッドは代理人ユズ、ダグリンはブーガ。これで三国分。


「――受理する。続いて契約の内容を述べよ」


 引き続きウルモスが説明する。


 端的に言えば、企みや裏切りはやめましょう、責務を全うしましょうというものだ。元首レベルが揃う機会なんてそうはないからなぁ。戦闘はもちろんのこと、私的な交渉や脅迫さえも許されない。

 脅迫がさりげなく入ってるところが怖いんだわ。大人の政治の世界。

 ともかく、そういう不正を許さないために、契約として盛り込むわけだ。もちろん俺の声帯を封じる件も盛り込んであるし、違反時の罰則も規定されている。ほぼ死罪だった。


 しっかしまあ、誰も竜人など見向きもしないな……。

 さすが強者だけあって、実力の算定にも優れている。あのヤンデでさえ一瞬たりとも戦意を見せてない。

 だよなぁ、そうなるよな。俺でもそうだもん。自然現象として受け入れるしかないレベル。


 さて、そんな存在まで持ち出されたわけだ。

 この件は、もう誰にも止められない。


「――最後に名前を決めよ。なければ『キュウニ契約』とする」


 第九週二日目《キュウ・ニ》だからか。安直すぎるが、被るものでもないし十分か。

 誰も口を動かす様子は無く、十秒ほどの静寂の後、


「契約を開始する」


 そう言い残した竜人はもう消えていた。


「では私達も仕事に戻りましょうか。サバチャの開催――待ち遠しいですねぇ」


 ウルモスが締めくくったことで散会となった。


 といっても、もうキュウニ契約は始まっている。サバチャが始まるまでは五人全員がこのフィールド内に居続ける決まりなので帰ることはできない。ウルモスは俺達と距離も置かずにゲートを開いて、もう打ち合わせを始めている。



 参加型公開処刑『サンドバッグ・チャレンジ』。

 通称サバチャ――



 それが俺を迎えるイベントの名前である。

 ちなみにユズのネーミングなのだが、その当の本人も何やらゲートを開いている。


 すっと跨いできた生足も。

 それを包むスカートも、その丈の長さや着崩しの無い真面目さも。

 全部見覚えのあるもので。


「久しぶりですね。タイヨウさん」


 学園の制服を着たルナが、俺を見下ろしてくる。

第369話 契約2

「ちびすけ。それはルール違反だ」


 ギガホーンは少し屈んで、構えてみせる。その誰よりも頑丈であろう四本の角をルナに向けている。

 キュウニ契約は早速有効だ。今の俺は五人全員の了承がなければ面会できない状態にあり、侵入者は排除することになっている。警備の一人が連れてきたとはいえ、ルナも例外ではないし、もちろん王女という肩書きなど何の意味もない。


 黙っているユズではない。割って入るが、それを主は自ら制した。


「私はシニ・タイヨウの妻です」

「ではなくジーサ・ツシタ・イーゼだろう」

「同一人物であることは周知の事実となりました」


 獣傑相手に物怖じしないルナは大したもので、


「ウヌも厄介な女と出会ったものだな」


 全くそのとおりだと思うが、同情してないでもうちょっと頑張れよギガホーン。


「ルナ・ジーク・アルフレッド。場所は変えられぬ。機会もこの一度限りである。時間は問わぬが、いたずらに粘ることは容認せぬ」


 ブーガがはっきりと口にしたことで場の総意が決まってしまった。まあヤンデでさえ反対する様子は無かったので覆ることは無かったのだろうが。


 そう、ルナは俺のたった二人の妻だ。言い換えると家族でもある。

 ならば最後に一度くらい面会しても良い、というのが人の義だろう。この強者達にもそういう心があるのは意外だったが、嫌な予感しかしないので正直反対してほしかったわ。

 ほら、ヤンデもさ、睨むくらいなら反対してくれて良かったんだぜ。

 俺はヤンデを一番愛してるぞ。ほらほら、まだ間に合「タイヨウさんこっちを向いて下さい」はいすいません。


 向いた途端、ルナは下着が見えるのも構わず俺の顎を蹴り上げた。

 吹き飛ぶ前に、両の頬をがっしりと固定してくる。俺の首から下が浮き上がるのも気にせず、ルナの顔が近づいてきて――


 案の定、キスだった。


 せめてもの抵抗として唇を閉じてみるが、ゼロ距離ルナの半眼が痛い。

 白夜の森の頃とは比較にならんなぁ。あの狼狽えまくったお前はまだまだ鮮明に思い出せるんだけど。


 仕方ないので受け入れる。


 ビッグファイブにガン見されながらの口づけとは中々シュールだ。

 もちろん、これがただの情愛でないことは明らかで、冷やかしの文句など出てこない。あ、ユズが防音障壁《サウンドバリア》を張りやがった。

 んで、この独特の舌遣いだ。俺はこれをよく知っている。


 口と口で隙間無く連結すれば、冒険者の身体で包みきる格好となり盗み聞きを完璧に封じることができる。

 もっとも人間には多数の穴があるし、ミクロレベルでは無数の穴さえあるが、なぜか体内の空間は極めて認識しづらいのである。たぶん世界《ゲーム》のバランスのためにクソ天使が設定しているのだと思うが、俺にはありがたい仕様だ。

 俺一人でも相棒達と喋るのに使ってきたし、ヤンデやジンカも使える。

 で、これなんだけど、舌の動かし方が独特になるんだよな。上手く言葉にできんが、食事とも前戯とも歯磨きとも違った、普段は全くやらない動かし方をする。ちなみに一般人だと普通に攣《つ》ると思う。


 俺が口内発話と呼ぶ技術である。


『ユズと練習しました』


 喋れない俺の内心を見抜いてくる。


 にしても無慈悲な瞳だ。

 目の前にいるのはサバイバル女子でも、冒険者でもなく――王女であった。


 ……まだだ。まだ俺の方が有利だぜ。というわけで、唇から隙間をつくろうとしてみせる。レベル89の、俺の速度を発揮して。

 要はこの内緒話はいつでも切れるんだぜという脅しだ。

 話している最中に口内発話を解除すれば、その音波も晒される。今いるメンツなら拾うなど造作もない。断片的ではあるが、聞かれるのは間違いない。


『ユズが止めます』


 まあそうだよな。俺はルナよりも格上だが、ユズは俺よりも格上である。フェイントすら通用しないほどの、どうしようもない性能差があった。


『そもそも漏らしていいんですか? この話はユズも知らないものです。誰かに知られるとタイヨウさんも、いえタイヨウさんだからこそマズいと思います』


 でまかせなのだろうか。思い当たりは全くねえな。

 乗る気はないので無反応を決め込もうとしたが、その前にルナがジト目を向けてくる。


『舌遣い、ずいぶんとお上手なんですね』


 やっぱわかるものなんだろうか。昨日までヤンデと淫らな生活してたからかな。

 それはいいけど、歯列舐めるのはやめてくんない? 激しすぎるんだが。何、ここでおっ始めんの?


 結局。俺は男で、単純なのだ。



『魔王――知ってますよね?』



 いちゃいちゃで俺の気を誘っておいてからの、この不意打ち。

 ルナでも認知できる程度には、舌を止めてしまった。ここまで密着してることもあって、知ってることに気付かれたってのが肌でわかった。


 ああ、よく知ってるよ。

 こっちに来て一番最初に会った奴だからな。


 んで、よくわかったよ。

 ルナが敬愛してた『お師匠様』って魔王のことだったんだな。


(直接会ってるんだよな。サバイバル暮らしの時も言ってたけど)


 魔王はおとぎ話寄りの存在だが、ブーガなど強者であれば実在すると勘づけるらしい。それでも直接接した経験は無いそうで。他の強者も同様だろう。

 なのにルナは会えている?


 俺を無条件に突っぱねるほどの男が、人間の女一人に干渉する理由なんてあんのか?


(……あるわ)


 ルナのレアスキルだ。

 そうだった、第一級冒険者でさえ危ないとされる白夜の森でサバイバルしてた女だったわ。


 魔王だってダンゴとクロを見て驚いていた。いくら強くとも人でしかない。知らないことだってあるし、知らなければ興味が湧く。

 ルナほどのレアスキルにもなると、その対象になったとしてもおかしくはない。


 ルナにくちゅくちゅと激しく攻められながら、俺は観念した。


(コイツの優先順位が爆上がりしたわ)


 俺の大望――二つのバグを潰してこの世界からさよならすることはさすがに知らないはずだが、何かしら抱いていることには確信を持ってるっぽい。加えて、それが魔王なる存在に頼ることも考えるほどの難問であることも悟っている。

 だからこそ切ってきたのだ。


 魔王について色々知ってそうな、ただ一人の人物という。

 ユズにすら言ってない切り札を。


 ぷはぁといやらしく離れるルナ。

 舌なめずりも、ショートボブをかき分ける仕草も――いや鍛えてるだろこれ。ガーナの顔が浮かんだわ。

 わかってるのに、目が離せない俺も情けない。


 俺に性欲は無いが、興味や好奇はあるわけで、こうして攻めてやれば俺の意識を誘える。さすがは妻だ。よくわかってる。

 いや俺が男として単純なだけだな。ああ、ヤンデの圧も重い。


「また来ますね」


 ゲートの先に消える背中はとても楽しそうで。

 完全に閉じるまで、俺は眺めることしかできなかった。

エピローグ

 第九週八日目《キュウ・ハチ》、午前八時――


 かつてない規模の人材を投入したガートンによって、ジャース全土に一気に号外が配られた。



 参加型公開処刑『サンドバッグ・チャレンジ』、通称サバチャ。


 《《災人》》シニ・タイヨウを十分な警備な下で《《公開》》し、参加者に自由な処刑方法を試してもらうものである。

 与えるダメージや状態によってポイントが付与され、景品と交換できる。

 景品は豪華どころではない。一生遊んでも遊びきれないほどの、あるいはその辺の貴族など軽く凌駕してしまうほどの、それこそ第一級冒険者が持つレベルの財が保証される。他、自身の立場も引き上げてもらえるため、富に困らない者にも価値がある。もちろん売名効果も計り知れない。


 敷居も徹底的に下げられている。

 まずタイヨウには単純な火力が効くとは限らず、トリッキーな攻め方が要求される。レベルの高い冒険者でなくとも、それこそ一般人でもチャンスはあるのだ。

 周辺施設も完備しており、純粋な催事としても歴代最大規模であろう。この一点だけを見ても、見に行かないのは損である――とのアピールが、巧みな文言と絵によって綴られている。

 アクセスも行き届いており、ガートンが|大陸横断多段ゲート場《ステーション》を提供している他、ギルドや鳥人との連携により多くの臨時便も運行している。それも無料かつ二十四時間利用できる。


 主催はアルフレッド王国とダグリン共和国の協同。

 ここに冒険者ギルドと娼館セクセンが協賛として参加する。


 開催時期は第十週一日目《ジュウ・イチ》開始。終了は未定。未定はジャースでは珍しくない文化だが、それなりに長いと見て良い。

 会場はアルフレッド王国の王都リンゴ西部。

 参加、観覧、送迎は一切無料であるが、会場周辺に展開される各種サービスは有料となる――



 シニ・タイヨウはこれまでも巷を賑わせてきたが、この報はそれまでとは比較にならない興起をもたらしていく。



 たとえば王都リンゴ貧民エリアシャーロット家第七領の領主代行であり、今はプレイグラウンドの運営にも忙しい男は「何を企んでんだか」乾いた笑顔をはりつけ。



 王都内の中心の一つ、アルフレッド王立学園の正門そばの掲示板では、「慈悲組《ジャンク》のゴミが……」二大貴族の家柄を持つ学者の卵がギリッと歯噛みし。



 学園から離れて北東部、小高き平民エリアの最高点に映える巨木――鳥人用集合住宅の一室では「恥辱を味わわせてやる」妹を盗られた姉が嗜虐的な笑みを浮かべた。

 王都で最も存在感を放つのは貴族邸でも王宮でもなく、ギルドの建造物である。


 中央に太く高くそびえる白き巨塔、ギルド本部。

 その職員用控え室の一室にて。


「……」


 一人の女性職員が手元の情報紙に目を落としていた。

 心配される言動を表に出す性格ではないが、それでも抑えることができず、お手本のような言葉の失い方をしている。


「どうしたのナナ」

「いえ……」


 慌てて口元を拭うし、何なら敬語も出てしまったが、見られていないのが不幸中の幸いだった。同期の視線は情報紙に落ちている。


「ああ、シニ・タイヨウ? カッコイイよね」

「え?」


 は? が出なかっただけマシだろう。災人を目の前にして、何を呑気なことを言っているのか。

 とはいえ、先ほどからうっかりが過ぎる。ナナは気を引き締めた。


「あまり見ない顔立ちだよねー。辺境の生まれなのかな」

「さ、さあ。どうだろ」


 ナナはシニ・タイヨウと応対した数少ない人物である。


 当時の彼は明らかに初心者だったし、何のオーラも無かった。ソロプレイヤーの危険性を伝えたときの返しは未だに覚えている。



 ――要するにぼっちはダメだと、そういうことですね。



 人間族の初心者なのに、職員の知らない言葉を使う者などいない。学者であればありえたが、そういう変わり者はギルドの門戸など叩かない。

 加えて彼の顔には微かに変装魔法を施された跡があった。監察官や検査官の経験も勤めたナナだからこそ読み取れたものだ。おそらく誰かが彼をここに案内するときにつけたものだろう。彼のポテンシャルを見抜くか、目撃していたに違いない。


 そんな不思議な初心者はある日突然、全土を賑やかす存在となる。


 元第二王女を殺した大犯罪者。

 史上初の|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》。

 そして今回の騒動、前代未聞の災人――


(資質の次元が違う。レアスキルでも説明がつかない)


 受付の職員は知識と知見で商売をする。ナナは欲望が薄く平凡に振る舞っているため目立たないが、この大きな本部の中でも五本の指に入るほど有能だ。

 それでもシニ・タイヨウは意味がわからない。


(それにあの空気――ソロであることに当たり前に慣れ親しんでた、あの感じが気持ち悪い)


 歴史に名を残すほどの英傑の、最大の資質と言えば、いつだって性格である。

 これほど紙面を賑やかせる存在が気高い孤高か、こじらせた孤独か、いずれにせよソロを信仰しているようなものなのである。それは裏を返せば、人や社会を全く重要視していないということで。


(このまま見過ごしてていいの……?)


 身の安全のため、ナツナ殺害の時点から素知らぬふりを決め情報提供してこなかったナナだが、ここに来て逡巡が生じている。

 初心者の彼と応対して、ここまで洞察できるのはナナだけだ。

 この見解は自分だからこそ出せるのだとナナは自負している。


 公開処刑のメンツはこれ以上にないほど豪華であった。この警備をかいくぐるなど、残る全人類が協力しても不可能かもしれない。

 なのに、シニ・タイヨウの異質さを考えると――。


 得体の知れなさがナナを襲う。


 最悪の展開も頭をよぎる。


「――ナナ。なーな? どうしたの? 具合悪い?」

「いいのこれで? 本当に?」

「ナナ?」

「あ……。何でもない、ちょっと疲れちゃって」

「まあ普通に忙しいしねぇ」


 この日、ナナは仕事に手がつかず早退した。




      ◆  ◆  ◆




 王都貴族エリア、フランクリン家本邸のロビーにて。

 資料を両手に持つランドウルスに、執事からの耳打ちが入る。


「……先を越されたか」


 シニ・タイヨウを匿ってきた証拠を見つけて失脚させようと目論んでいたが、もはやそんな段階ではなくなった。

 このタイミングで突きつけたところで、計略だったと言われればおしまいだ。


 なにせ公開処刑をしなければならないほどの強者――国どころか世界を揺るがしかねないほどの者を相手にしていたのである。国王としての体裁や振る舞いなど些細なことだ。娘を殺した指名手配犯を匿っていたことですら「計略だ」で片付けられる。

 むしろ弾劾しようとしたランドウルスこそ、自国しか見えていないのかと才覚を疑われよう。加えて王族に対する敵意も明確に示したこととなってしまう。


 割に合わないのは自明だった。


「全勢力に伝えてください。本プロジェクトは中止とします」




      ◆  ◆  ◆




 南ダグリン特区4001群1番のギルドセンター館内では、


「……まだ続けるの?」


 掲示された情報紙を指差しながら、カレンが白い目を向ける。当の本人は「当然です」薄い胸を張った。この次女は生き生きした表情も崩さず、どころか自分も指を構えると、タイヨウの顔写真に突きつけた。


「一年後か、二年後か、五年後かはわかりませんが、必ず強くなります。追いつきます」

「追いついてどうするの?」

「その時考えます。さあ、そろそろ続きをしましょう」

「えー……勘弁してよもう」


 火のついたフレアに現状最も巻き込まれているのは、今も腕を引かれているカレンであった。


「……」


 と、その様子を建物越しに空から眺めるは、ギルトマスターのリックと懲罰隊隊員ラクター。

 盗み聞きを防ぐべく古の言語を使うことも忘れない。


『どうする?』

『諦めよう』


 ラクターの問いに、リックは即答した。


 新米アンラーの正体はとんでもない怪物だった。

 既にラクターはカレンに、リックはフレアの姉ユレアに狙い定めており、アンラーの助言も参考にしつつ関係を深めようとしていたが、


『一切関わりたくない。精神が保たない』


 リックは身体を震わせた。

 ユレアは言ってしまえばアンラーの友人である。一般人として完璧に擬態してきたことを見るに、一般人との交際も容易い。今後も会いに来て恋仲になる可能性もあるし、ユレアに惚れているリックは彼女がそれほどの女だと考えている。

 が、リックに怪物の周辺に手を出す度胸など無い。


 一方、ラクターはアンラーと直に交渉した時に本性を垣間見ている。ユレア三姉妹やカレンごときを気にする人物ではない。よって、『続ける』何の恐れもなく告げる。


『ラクター・アドリゲス』


 この旧知の、カレンへの執着は知っている。

 あえてフルネームで呼ぶところに、リックの切実な本心が込められている。


『巻き添えだけはやめてくれよ。仮にアンラーが来たとしても私の名前は出すな。君が一人でやっていることだ。私は何も知らないし見ていない』


 リックは何度も、何度も念を押した。






 一方、同国でも大陸反対側に位置する北ダグリンエルフ領。学びの園『グリーンスクール』の食堂では、


「もーもーが可愛い」

「ちょっと黙っててください姉上。あと近いので離れてください。むしろ教員との馴れ合いもふさわしくありませんので出てってください」


 生徒会長モジャモジャと、肩がくっつく距離で隣に座る姉リンダの構図があった。

 リンダは正式な教員ではないが、自身の権力を生かして、たまに臨時教員になることがあった。職権乱用ともいう。


「……どうかしましたか」


 珍しく姉から真面目な心配の声音が出るので、妹は思わず顔を上げる。


「いえ――純粋に疑問を抱いているだけです」


 情報紙は手元にはない。

 エルフは生物を認識する解像度が高く、一度見た人相や容姿を二度と忘れない者も少なくない。


「あの御方は問題児二名と同様の、醜悪な気質を持っているように見えました」


 二人も例外ではなく、特にモジャモジャはいつまでも憎悪を煮えたぎらせている。

 生真面目なのでシニ・タイヨウの立場を尊重した物言いをしているが、内心はそうではなく、表情は複雑だ。


「私も辱めを受けています。あれほどの御方が、なぜ矮小な性質を持っているのか」

「実力と性癖は関係ありませんよ。性格もです。私がもーもーを愛しているように」

「そのような存在が、どうしてこれほどの実力者になれるのか。実績を出せるのか。性欲に溺れて停滞するか死ぬのが道理のはずです」


 エルフは己の魅力を疑わない。

 種の本能として自身の危うさを知っているからだ。また、たいていのエルフにはそのような経験もあるからだ。

 だからこそ、これほどの実力がありながら溺れない男が信じられない。大罪人《シッコク》の方がはるかにもっともらしい。


「頭がかたいもーもーも可愛い」

「撫でないでください」


 悩む妹に対して、姉は何とも呑気なものだった。


 リンダがこの件で悩むことはない。

 タイヨウ扮するジーサの入国時、自ら検査を行っている。あれはエルフでも性的に崩せる存在ではなかった。そもそも暴力的なチャームを有した魔女ナツナ・ジーク・アルフレッドを退けた怪物でもある。上に任せる以外のことができるだろうか。


 それでも妹を悟すことはない。

 悩める妹は反抗もおとなしいし、それ自体も可愛いしと二重にお得だからだ。


 災人を取り巻く状況は今後も慌ただしいであろう。ひょっとすると種族や人類が滅びる展開もありえる。今年起きてきたイベントは、それほどのものなのだ。

 なればこそ、妹との時間を大切にせねばならない。




      ◆  ◆  ◆




 オーブルー法国中央教区大聖堂。

 球場のように高く広い堂内は段々状に長椅子が配置されており、多数の教徒が祈りやすく捧げやすいデザインになっている。


 人口密度は求めるまでもなくまばらで、ローブの色は幹部を示す緑と、唯一教皇にのみ許された赤の二色が点在するのみ。


 ちょうど勢いよく飛び出していく影が二つあった。

 どちらも少女であり、王都襲来時も暴れ回ったアナバとアングリである。教皇の制止も聴かず、逸る気持ちも抑えられずサバチャに向かったのであろう。

 とはいえ一流の冒険者でもある。準備は念頭に行うはずだ。


「よろしいので?」


 幹部の一人、最年長のプロテスが杖で腰を叩きながら問う。

 視線の先には死体のように微動だにしない赤ローブと、その眼前で祈りを捧げているカーディナル達。無論問う先は前者である。

 後者は教皇の言葉にしか耳を貸さない。今も祈りを捧げているのは、教皇の指示に従わないアナバアングリペアと一触即発になりそうだったのを教皇自ら止めたからだ。子供はおもちゃを与えればおとなしくなるが、カーディナルは祈らせれば良い。


「構う必要はない。どうせ倒せぬ」

「カーディナルの鍛錬にも使えそうですぞ」


 それは普段の鍛錬相手であるラーモ自身では物足りないという皮肉でもあり、侮辱でもあって、案の定カーディナル達が殺気のオーラを迸《ほとばし》らせる。

 そこに制止のオーラが被せられたことで鎮圧された。


 まるで獣を飼い慣らしているかのような、このやりとりがプロテスには面白く、つい遊んでしまう。

 制止はプロテスにもぶつけられているため、このくらいにしておく。


 教皇は今も忙しそうだ。全く動かないのも、いつもの力を使っているからだろう。

 鳥人を取りこんでもなお衰えることのないその力は、さすがは竜人協定で自国に幽閉されるだけのことはある。


「あやつらはシニ・タイヨウを別格の存在に仕立て上げるつもりだ。ウルモスの同意は形式的なものだろうが、ブーガはわからぬ。アルフレッドとダグリンの連合国が生まれる日も近いだろう」

「世界平和にまた一歩近づくわけですな」


 赤のローブがこちらを振り向き、フードもばさっと剥がれる。

 滅多に見ることができない、ラーモの素であった。といっても中身は何の変哲もない老人だ。街中に溶け込んでも違和感はない。


 カーディナルは頭を垂れている。主であり神でもある教皇の御尊顔を仰ぐなど、あってはならない。


「プロテスよ。平和とは何だ」

「戦争が無いこと、ですよ。できれば睨み合いも生じさせない真なる統一が望ましい。その手段は、私は問いません」

「幹部とは思えぬ発言だな」

「世辞を申しても仕方ありますまい」


 オーブルー法国の幹部に忠誠心は無い。そのような融通の効かない駒だけでは盤石を保てないことをラーモは理解している。

 それでもラーモの、この圧倒的オーラを前にすればポーズくらいは演じたくなるものだし、実際アナバやアングリでさえもそうするが、プロテスは違った。


 立場こそ弁えているものの、この二人は死地をともにしてきた盟友であった。


「問わないのなら我らに従え。平和を実現できるのは独裁でも階級でもない。信仰なのだ」

「冒険はいかがですかな。ギルドと何やら押し進めるそうで」

「冒険は人類の欲求であろう。無視はできぬ」


 プロテスは満足げに頷き、杖を地面につける。


「カーディナルが怖いので、老いぼれは退散するとしましょう――【テレポート】」


 完全に気配が消えると、間髪入れずに「粛正しますか?」カーディナルの一人が提案を出す。


 誰も知らないはずの極秘事項を、プロテスが知っていたのである。

 盗み聞きは幹部でも越権行為であるため本来なら処罰を行うところだが、「良い」ラーモは即座に制止した。


 盟友に今や大したモチベーションが無いことは知っている。

 遠い昔の話だが、プロテスは隠居を望んでいると語った。おとなしい気質なのである。その癖、守りだけは固い。処罰を試みたところで殺せるものではないし、それを理由に脱走するだけだ。

 そろそろ解放してやるのが思いやりなのだろうが、有益な人材を手放す理由はない。死ぬまで使ってやるつもりだった。


 が、カーディナル達にこのような言い分は通用しない。


「鳥人のおかげで信者は増えておる。時勢もまだ読めぬが、戦力がものをいう段階であることも変わらぬ。幹部は好きにやらせておけばよい。我らは機をうかがうのみ」

「イエス、マイゴッド」


 ラーモはフードを被り直し、作業に戻っていく。