孤独の多様性
「孤独がどれだけ欲しいか」を特性と捉えて、尊重するという考え方
--- 背景 ---
背景
- VUCA な世の中に対抗するには:
- 個々の主体性(自分で意思決定する)と能動性(自分から他者に働きかける)が必要
- 主体性にせよ、能動性にせよ、それなりの準備が要る
- 準備するにはそれだけの余裕が要る
- では余裕とは?
- 少なくとも時間だけじゃない
- 時間があっても疲れてたら何もできないし、疲れてなくても時間がないと何もできない
- 時間と体力だけでもない
- 時間もあって疲れてなくても他者の情報を取捨選択するだけだと「自分がない」
- 自己を見失ってそのうち病むか、騙されて破滅する
- 運が良ければ洗脳されて歯車になれるが、バクチに等しい
- 少なくとも時間だけじゃない
- この余裕を表現するのに良い言葉がある――「孤独」だ
- もっと言えば、割り込みがないことと定義できる。誰にも邪魔されない。それは逆を言えば誰からも構われないということ
- 孤独(割り込みの無い状態)だからこそ:
- 自分の準備に充てることができる
- 他者から見られる事を気にせず、自分としての注意と判断に集中できる
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- 例: 人はなぜ場所を変えるか
- なぜわざわざカフェに行くのか、なぜリモートすればいいのに出社したがるのか
- 家だと孤独になれないからだ
- 部屋はあるかもしれないが、家族がアトランダムに入ってくるし、たぶんノックしてもすぐ開けてくる
- なぜ留学するのか
- 物理的に日頃の仕事と生活から距離を置けるからだ
- なぜわざわざカフェに行くのか、なぜリモートすればいいのに出社したがるのか
- 本質を捉えよう
- 必要なのは孤独という状態である
- そして、この状態をどれだけ摂取しなければならないかが、人によって違う
- 1日3時間欲しい人もいれば、週に1日でいい人もいる
- 両者は相容れないはずだ
- 前者が幅を利かせれば、後者は「毎日、半日は誰とも何もコミュニケーションできない時間があってつらい」
- 後者が幅を利かせれば、前者は準備を行えず、受動的に(特に現状維持を目的とするものを保守的という)過ごす日々になる
- もっと言えば、保守的な組織に足りないものは孤独である
- 準備が足りてないのだから、そりゃ保守的になることしかできないわけだ
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- だからこそ尊重しなければならない
- 幸いにも、このような対象を扱うジャンルがすでにある――多様性だ
- 多様性は、構成要素を列挙した上で各要素のあり方を尊重するものである
- 無論、n個の列挙ですべてのあり方をカバーできるものではないが、グラデーションの一言で逃げるのも違う
- 尊重を得るためには、カテゴリーが粗かろうが分類せねばならない
- ただ、分類されるだけではない。自ら表明をする点が違う
- 孤独も同じ扱いにする
- 仮に「1日3時間欲しい派」と「週に1日でいい派」の二つを据える(あくまで例である)
- これにより具体的な尊重の仕方にも踏み込めるようになる
- 前者にはミュート・アワー(午前または午後のどちらかを「誰とも一切コミュニケーションしない」時間にする)を採用できるだろう
- 後者は単に終日予定を会議で埋め尽くせるだろう
- ちなみに後者は現状、管理職と経営者によく見られる
- つまり彼らは孤独をあまり必要としないタイプであり、現状そういう者が支配する世界であるとも言える
- だからミュート・アワーという概念が通じることはない
- あるいは「休日にプライベートで充填しろよ」といわれて終わりだ
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- また注意を奪う現代の構造にも目を向ける必要がある
- SNS 中毒、ゲーム中毒、最近では AI 中毒が発生しており、食事や睡眠や休憩など健康も惜しんで費やす現代人は珍しくない
- これらはひとりで遊べるかもしれないが、割り込まれていることに変わりはない。ここの定義上は孤独とは言えない。むしろ絶えず脳を使っているから、下手な会議や同居よりも孤独から遠い
- 仕事の場面でも、パンデミックによるリモートからの揺り戻しで、マイクロマネジメントが強い
- 業務時間中に 1 時間散歩することすら許されない。対面でリアルタイムな応対が要求されるサービス業なら致し方ないが、デスクワーク程度であれば、現代の技術と方法論であれば散歩程度の融通は利かせられるはずだ
- 利かすことを許さない人達がいるのである
- SNS 中毒、ゲーム中毒、最近では AI 中毒が発生しており、食事や睡眠や休憩など健康も惜しんで費やす現代人は珍しくない
- これら孤独を許さない構造が現代にはある
- 意識的に軽減し、距離を置き、必要なら対処せねばならない
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- 主体性と能動性を取り戻すために、孤独を取り戻す
- そのために、孤独を多様性の理に据えて、各々に合った孤独のあり方を尊重する
- ただし、上記の例のようなカテゴリーでは粗すぎるし、他のカテゴリーをつくったところで同様に思える
- 多様性として載せられそうな粒度、もっと言えば「特性」とでも言えそうな粒度を定めたい
--- 定義と前提 ---
前提: 孤独(Solitude)とは
- 英語で言えば Solitude
- 日本語でちょうど良い単語がないが、便宜上次のように定める
- 孤独: ひとりでいること。主観的
- 孤立: 有害な孤独が慢性的に続いていること。救済または矯正の対象となる。客観的
- 孤高: 孤立のうち、救済または矯正の対象とならないこと。特に一目置かれていること
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- つまり孤立や孤高といった客観的な(周囲や場が決める)ものは扱わない
- むしろ、主観的にどう捉えているかを重視する
- しかしながら、主観的なだけだと扱いづらいので、定義も加える
定義: 孤独の多様性における「孤独」とは
- ひとりでいる状態のこと
- 「ひとりでいる状態」とは:
- 割り込みが起きないことが保障されている状態を指す
- つまり、割り込みが起きないことの保障の捉え方は主観的になる
- 例:
- カフェのような第三者しかいない喧騒的な場で孤独になれる人と、なれない人がいる
- 一人暮らしかつリモートだが、会議やチャット通知がある ← 孤独と捉える人もいるし、捉えない人もいる
- 状態なので変化する:
- 割り込みがない間は孤独状態だし、発生する or しうるなら孤独ではない
- 割り込みを減らすよう生活と仕事を調整すれば、孤独でいれる比率は上がる(逆に下げることもできる)
- 孤独の良し悪しは断定していないことに注意:
- 割り込みが起きないから常に良いとも限らない、逆に常に悪いとも限らない
孤独の多様性の原則
- 1 孤独は主観的なものであり、どの程度必要かは人次第である(特性である)
- 2 孤独は特性ゆえに、その人にあった配分を尊重するべき。少なくとも自身では意識するべき
- 3 孤独 = 割り込みの無さであり、現代は割り込み過多であるため、減らす意識を持つべき
- 上記 3 点を掲げる
- 2と3はべき論だが、絶対的な正しさを主張するものではなく、この概念が置きたい前提を設定している
- つまり割り込み過多を問題と定義しており、その減らし方として、孤独を特性と捉えて多様性に持ち込んでいる
--- 運用するためのヒント ---
孤独のあり方 3タイプ
- これらのタイプはモード(使い分け)ではなく特性に依存する
- 誰もが3タイプを使いこなすというよりも、特性に応じてどのタイプに頼るかが自ずと決まる
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- 1 デフォルト孤独(Default Solitude)
- 最も孤独に強いタイプで、まず孤独を最大化したい
- その上で、非孤独を必要に応じて取り入れる
- 2 オンデマンド孤独(On-demand Solitude)
- バランスタイプで、非孤独をデフォルトにしたい
- その上で、必要に応じて孤独を取り入れる
- 3 リアクティブ孤独(Reactive Solitude)
- 最も孤独に弱い、または孤独が苦手なタイプで、基本的に孤独は最小限にしたい
- 一時的に生じる孤独はやむを得ず受け入れるが、主体的に取り入れに行くムーブはしない
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- 実運用では:
- 各人に自分がどのタイプであるかを宣言してもらい、各々尊重する
- 端的な目安を設けるといい。孤独な時間:非孤独な時間 で言えば、たとえば:
- デフォルト孤独は 8:2
- オンデマンド孤独は 5:5
- リアクティブ孤独は 2:8
- タイプごとの非対称性をなくす努力をする
- たとえば管理職以上やハイパフォーマーがリアクティブ孤独タイプで 1:9 だとする
- 9:1 を許すのであれば、デフォルト孤独タイプも 9:1 であるべきだ
- もしデフォルト孤独が 6:4 しか認められないのであれば、これは非対称と言える
- リアクティブ孤独タイプも 4:6 であるべきだ
- 非対称性をなくすことは重要である
- なぜなら非対称性が存在すると、全体として配分の多い方に寄せられてしまうからだ
- 上記の場合、おそらく組織全体がリアクティブ孤独に寄り、デフォルト孤独は殺されてしまう
- 実運用(個人目線)では:
- おそらくチームや組織に孤独の多様性を持ち込むのは容易ではない
- なので少なくとも自分ひとりのタイプを見極め、自ら尊重すると考える
- 仮に自分がデフォルト孤独タイプであるなら、8:2 や 9:1 で過ごせるようにしていきたい
- オンデマンドやリアクティブの真似をしていては、かんたんに QoL が下がり、疲弊し、下手すると病む
主体的な孤独と偶発的な孤独
- この二点の区別は、リアクティブ孤独を捉える上で重要となる
- リアクティブ孤独は副次的な孤独は許容できるが、主体的な孤独を取りに行くメンタルモデルを持たない
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- 主体的な孤独:
- 自ら孤独になろうとしてなった孤独
- 設計を変えて孤独が発生しやすいよう調整することも含む
- 副次的な孤独:
- 状況に応じて一時的に発生する孤独
- 例:
- 1 出張や旅行時で所要全て終えた後(ホテルの自室でひとりで過ごす&連絡も取らない)
- 2 移動時間や待ち時間
- 3 登山、散歩、その他アクティビティを楽しんでいるとき
- 例3はわかりづらいが、孤独を狙って行っているのなら主体的、狙っておらず副次的に発生しているだけなら副次的
孤独駆動
- 孤独を増やしても仕事が成立しなくてはならず、そのためには仕事のやり方・考え方を変えねばならない
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- 仕事や生活の文脈で、孤独でもまわるように設計・運営すること
- たとえば
- 同期的な会話は非孤独であり、これを重視しすぎると孤独になれない
- しかし、逆に孤独を尊重した場合、その分は同期的な会話ができなくなる
- もしコミュニケーション手段が同期的な会話のみの場合、構造的に破綻する
- この場合、以下が必要だろう:
- 非同期的なコミュニケーションを取り入れる。1日4時間会議 → 1日2時間の会議と、2時間の非同期的な読み書き
- 権限委譲を推し進める。合意形成にかかる時間4時間 → 自分で決めて進める3時間 + レビュー1時間
- 会議と交流を割り切る。雑談混じりのだらだらした会議5時間 → ストイックな会議2時間 + 雑談に振り切った時間1時間
孤立認定
- 孤立とみなされた者はひとりではいられなくなる(望ましくない状態として周囲が許さない)
- 孤独を孤立を混同してしまうと、安易に干渉して孤独を殺してしまう
- したがって孤立とみなす営みを明示的に捉え、注意して使わねばならない
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- 孤独を望んでいる本人を孤立とみなして、無理やり孤独を剥ぎ取ろうとすること
- 本人からすると孤独を侵害されてしまう
- 例:
- ランチや飲み会に強引に誘う(友好的だが雰囲気として断りづらいケースも含む)
- ランチや飲み会にて重要な議論がされており、参加しなければ事実上格差が生じる状況
- 個人で整理する時間を欲しがるメンバーに対して、その時間を与えずマイクロマネジメントする
- 常にチームプレイや二人組を指示し、個人ワークの主張や議論はスルーしたり潰したりする
適用できない場面
- Case1: 有事のとき
- 有事の際は個人や組織の存亡がかかっているため、四の五の言ってられない
- もっとも孤独の多様性に限らず、人権的な生活そのものが一時的に遮断されがちである
- しかし筆者としては、有事だからこそ孤独な状態をつくった方が良い問題定義が出来ると考える
- ただし孤独でいれる時間は短いかもしれない
- それでも、30分でも5分でも、あるのとないのとでは違うはずだ
- 一つの目安がトイレだろう
- 個室のトイレを使えるのであれば、その程度ということである
- ならば孤独の多様性も適用すればいい
- ただし孤独でいれる時間は短いかもしれない
- Case2: 養育のとき
- 極端な話、赤子を養育している最中は、孤独だからといって放置するわけにはいかない
- 一方で園児以上の子供であれば「今から1時間は緊急時以外は一切話しかけてくるな」といった形で確保することもできる
- そもそもベビーシッターや保育園、また家族にお願いするなど代行してもらうことで一時的にも解放される
- 極端な話、赤子を養育している最中は、孤独だからといって放置するわけにはいかない
- Case3: ライブ
- 生配信や受験や本番試合が典型例だが、リアルタイムな立ち回りを要求され続ける場面は少なくない
- このような場合も、所定の時間中は基本的に孤独にはなれない
--- 接続 ---
孤独そのものの位置付け
- Donald Winnicott「The Capacity to Be Alone」(1958)
- 「ひとりでいられる能力」を発達課題として捉えた古典
- 孤独を病理ではなく能力として扱う系譜の出発点
- 本概念の「孤独は特性である」の前段にあたる
- ただし Winnicott は孤独を「全員が獲得すべき発達上の能力」として扱うが、本概念は「必要量に個人差がある特性」として扱い、能力論ではなく多様性論に置き換えている点が差分
- Anthony Storr『Solitude: A Return to the Self』(1988)
- 創造性・自己回復のために孤独が不可欠とする論考
- 「孤独 ≠ 病理」「孤独は主体性と能動性の前提」と接続する
- ただし Storr は孤独の価値を全人類共通の一般論として論じるが、本概念は「必要量は人による」として個人差に踏み込んでいる点が差分
- Thuy-vy Nguyen & Netta Weinstein らの Solitude 研究
- 自己決定理論(SDT)の枠で「自律的に選んだ孤独」と「強いられた孤独」を区別
- 本概念の主体的な孤独と偶発的な孤独の区別は、この系譜の延長線上に置ける
- ただし Nguyen らは「動機が自律的か外発的か」(意思の質)で区別するが、本概念は「孤独を取りに行く設計をしているか、偶発的に発生しただけか」(行動と設計の有無)で区別する点が差分
孤独と孤立の概念分離
- Hannah Arendt『全体主義の起原』の Solitude / Loneliness / Isolation 三分法
- 本概念の「孤独/孤立/孤高」の整理はこの系譜上にある
- 特に「ひとりでいることそのもの」と「有害な孤立」を分けた点を継承している
- ただし Arendt は全体主義論という政治哲学の文脈での概念整理であり、本概念は個人と組織運営に運用できる区別として再構成し、「救済対象とならない孤高」を独自カテゴリとして加えている点が差分
特性として尊重する枠組み
- Susan Cain『Quiet』(2012) と内向性研究
- 「外向性優位の社会への対抗」の構造を提示
- 本概念の「リアクティブ孤独タイプが支配する世界」の批判と同型の議論
- ただし Cain は性格特性(内向性)に寄せており、本概念は「孤独の必要量」という独立の特性として切り出している点が差分
割り込み・注意の側面
- Cal Newport『Deep Work』『Digital Minimalism』
- 「割り込みのなさ = 深い仕事の前提」を実務的に整備
- 本概念の「孤独 = 割り込みのなさ」の定義および孤独駆動の実装側パートナー
- Newport は仕事の生産性に力点があり、本概念は多様性・尊重に力点がある点が差分