主観的重要性
優先順位付けの文脈で登場する「重要性」は主観的で良い、という考え方。
例
- [時間管理マトリクス]
- ただし同書「7つの習慣」では娯楽は重要ではない、などの指定もある

背景
- 重要性の概念を理解・実践するのは思っているよりもずっと難しい
- 1 資本主義やビジネスの奴隷であり、顧客や市場の要請に応え続ける奴隷と化しているから
- 2 自分の軸という判断基準を持っていないから
- 3 自分の軸を持つには言語化が必要であるが、1により恒常的に余裕がないから
- 4 [アロセントリック]が多数派だから。アロセントリックは特性的に自分起点で考えるのが苦手だから
- etc
- なので「重要性とは主観的なのだ」との本質を、シンプルなネーミングによって与えることで理解しやすくした

判定装置として
- 主観的重要性に則れない者をスレーブと呼ぶことにする。逆に則れる者をマスターと呼ぶことにする
- 主観的重要性は、その人がスレーブなのかマスターなのかを判定できる
- すでに取り入れているか、知ってから取り入れられるのならば、マスター気質
- 知った上でも取り入れないのなら、スレーブ気質

- 前提として良し悪しは論じていない
- 適性にすぎない。人によって、スレーブが適していたり、マスターが適していたりする
- 状況次第でもある。状況によってはスレーブが求められることも、逆にマスターが求められることもある
- いずれにせよ、両者を切り替えるためには知っておかねばならぬ
- 仮にマスターが要らないとしても、何も知らないままでいるのと、知った上で要らないと捨てるのとでは違う
Q&A
- Q: 重要性=主観的重要性、は乱暴ではないか?
- Ans: はい。わかっていて、そうしています。
- たとえば客観的重要性なるものもあるでしょう。しかし、私に言わせれば、そんなものは重要性ではない。他者のものさしに從っているだけです。とはいえ、生物の本質はシグナルに反応する自動機械(オートマトン)であり、人間も複雑なだけで例外ではないので致し方ないとは思いますが、私はそんな摂理から抗うことこそが人間の特権であり、人を人たらしめるものと考えます――と、哲学の話になってしまいます。知的生産としてはくだらないのでどうでもいいです
- 要するに私の好みでそうしています
