社交神経
[運動神経]の社交版で、[多様性]の観点から多くの示唆を与えるたとえ。
概要
- 運動神経の向上は強要しないはずだ
- たとえば全社員に対して「この20階のビルの非常階段を一日一回は往復しろ」「体力は大事なのだから」などとはしないはず。このようなことをする会社は[ブラック企業]と呼ばれるだろう
- しかし、社交においては、これと似たことが行われている。打ち合わせはたいてい不可避だろうし、業務内外のイベントも(参加しないことによる不利益が強くて)事実上参加せざるをえないことは多い
- 私個人で言えば社交よりも運動が得意なので、階段のたとえには共感するところがあります。月一で非常階段往復テストを(未クリアの社員には)課して、クリアを目指させるくらいの取り組みは、私が社長ならやってもおかしくないと考えます。しかし、これは私が得意だからにすぎません。こんなことはすぐわかります。しかし、社交になると、そうもいかなくなるのです。これと同等の「押し付け」が平然とまかり通っています

- 本当に運動神経が必要であれば、仕事の一環としてテスト・鍛錬を組み込むべきである
- たとえば競技活動や一部の軍事活動では入団・入隊時にテストするし、入った後もやる。鍛錬も同様である
- 同様に、社交についても、必須な仕事であるならばやるべきである
- しかしオフィスワーク一般ではどうだろう。Noではないか。テストをしないか、するほどでないのであれば必須ではない。よって強要も短絡的なのである
- 省力化を考えるべきである
- 精神論的に運動すること自体に大した意味はない。やらずに済むならそれに越したことはないし、実際乗り物やエレベーターや椅子など運動神経をカバーするシステムは多数存在する
- 社交も同様であり、精神論的に社交すること自体に大した意味はない。やらずに済むならそれに越したことはないし、そのための努力や投資をするべきである
- 運動欲求は根源的な欲求だが、プライベートでカバーすれば済む
- 運動神経の発揮を軽視してはいけない。人間であり、根源的な欲求であるからだ。だがそれはプライベートで発散すればいい
- 同様に、社交神経の発揮も、プライベートで発散すればいい。必要だからと安易に仕事に持ち込むのは、運動神経でたとえるなら業務中に階段を昇降させたり筋トレさせたりするようなものである