# DF理論(Description Format)
# 人は何でも読めるわけではなくて、文化によって規定され適応した「特定のフォーマット」で書かれたものしか読めないし読まないという理論。

# 例
- 会社で使われている特定形式のパワポは読むが、ウィキのページは読まない
- 論文のPDFは読むが、1万文字のブログ記事は読まない

# 用語
- 「特定のフォーマット」を[* Description Format]と呼ぶ。略称は[* DF]
- ある人があるDFに適応することを[* インストール]という
    - なので、
    - >会社で使われている特定形式のパワポは読むが、ウィキのページは読まない
    - これは「会社で使われている特定形式のパワポ」がインストールされている、と表現できる
- ある人や組織のインストールの状況を[* インスタレーション]という
    - >会社で使われている特定形式のパワポは読むが、ウィキのページは読まない
        - たぶんMicrosoft製品の導入で止まっている程度の会社のインスタレーションなのでしょう<a href="sta.md"><img src="https://gyazo.com/a0a22d2fc5cf4fb2525db091fb66594b.png" alt="sta" width="16"/></a>
    - >論文のPDFは読むが、1万文字のブログ記事は読まない
        - たぶん大学や研究開発部門のインスタレーションなのでしょう<a href="sta.md"><img src="https://gyazo.com/a0a22d2fc5cf4fb2525db091fb66594b.png" alt="sta" width="16"/></a>

# 概要
- 人はインストールされたDFしか読まない、また読めない
- 何をインストールするか自分の意思ではなく、文化が決める
    - つまり文化によってインストールされる（させられる）

# 意義
- 「なぜか読んでもらえない」現象をキレイに説明できること
    - 単にインストールされていないからである。読みようがないのである
- 読めるフォーマットもまた文化である、と示したこと

# インスタレーションを変えるには？
- あるインスタレーションを司る文化を[* マザー]という
- インスタレーションを変えるには、以下の二つしかない:
    - 1 個人レベルでマザーに反抗する（[* 反抗者]）
        - 反抗者が別の個人を反抗者にすることも含みます。ただし反抗者になれる者は一握りであり、この形で反抗者を増やしても次には至れません。どころか反抗者をひとり増やすだけでも相当苦労するでしょう<a href="sta.md"><img src="https://gyazo.com/a0a22d2fc5cf4fb2525db091fb66594b.png" alt="sta" width="16"/></a>
    - 2 反抗者が新たな文化をつくり、組織内で浸透させる（マザーへの働きかけ）


# 開発秘話
- 私は長らく誰もが反抗者であるか、少なくとも容易に反抗者になれると信じていました。ナレッジワーカーには必須のリテラシーとさえ思っていましたし、何なら疑うことすらありませんでした。あまりに当たり前だと疑えません
    - しかし、そうではなかったのです
    - 私は知的生産者として年単位で漠然とした違和感と向き合っており、この度、これをクリアできる本質を導いたのです。それが「特定のフォーマットでないと読めない人がマジョリティではないか」との視座です
    - 言語化を進めて、DF理論としました
- DF理論の学術的検証は皆さんにお任せしますが、現段階でも説得力は十分と思います

# 関連
- [Whoism](Whoism.md)
    - 「誰」次第で見たり見なかったりすることは周知の事実ですが、それだけではなくDFの観点もあったのです
