なぜテキストで残すのか、なぜ Markdown で書くのか
テキストを残さない人、Markdown 使ってない人向けに啓蒙したい。
- 人を選ぶので必ず取り組む必要はない
- でも知らないよりは知っていた方がいい
- 少なくとも場当たり口頭ゲーよりは一歩進んだやり方の一つ
- エンジニアリングをはじめ、有効となるシチュエーションもある
テキストを残すことの意義(残さないことの弊害):
- 残さないと属人化する
- 残さないと後で再利用できない
- 残さないと「都度口頭で尋ねる&尋ねられる」になり割り込まれる
- 残さないと「テキストを残す」という習慣や能力が鍛えられない
- テキストで残す=端的にまとめる必要がある=本質を要約する機会・訓練になる
時代背景:
- 環境や仕事は日々変化・複雑化している
- テキトーに過ごすだけじゃダメ
- a) 少しでもショートカットするべき
- 本質を見据える
- 必要最小限の手間で必要最低限の成果を
- 多くの場合、情報にリッチテキスト(Word/Excel/PDF/PowerPoint)は要らない
- b) 人も流動する
- 出来るだけ楽して、かつ確実に安定的に必要情報を伝えたい → 書いて残すのがベター
なぜ Markdown なのか
- プレーンテキストで書けるのにブラウザで読める から
- プレーンテキストで書けるから
- リッチテキストよりも軽く速い
- ブラウザで読めるから
- ウェブサイトみたいなもん
- 仮にウェブサイトのページが全部リッチテキストだったら?ページごとに docx ダウンロードさせられるとしたら?ぞっとする
- Markdown を使うということは、ウェブサイトのページを見ているような手段を実現するということ
- プレーンテキストで書けるから
ブラウザで読むということ
- 最も気軽かつ効率的に読める手段だと思う
- 動作軽い
- タブブラウズ
- リンク開ける
- ブクマ
- ブラウザの拡張機能で表示・操作の細かい制御
啓蒙のハードル:
- 素早く言語化するタイピング能力がない
- 素早く言語化する国語力がない
- 暗黙知を言語化する国語力がない
- ただの言語化とは違う
- 上の人など、暗黙知で頑張ってる人達は、暗黙知を言語化する能力がないと書けない(単に手順などを言語化するのとはわけが違う)
- 自分の言葉を形に残すことに対する抵抗感
- 「残ると誤魔化しが効かない」から残したくない人がいる(特に会社にいる上の人達)
- Markdown
- 文法
- 使う手段(エディタとか)
- マークアップ言語という概念(書く用の文法と、それがパースされて表示用データに変化されるというところ)
- レンダリング方法(エディタでハイライトする、拡張機能でぷれびゅーする、ビルドしてブラウザで開く、デプロイしてブラウザで開く etc)
- 口頭の方が圧倒的に強力(曖昧のまま伝えられる)かつ素早いがゆえに書く必要がない、と思っていること
- 強力で素早いのは事実だが、それはその時だけのこと
- あとで確認する、誰かに教える場合は、これだと致命的
- 都度口頭説明が発生して時間食う
- 残しておけば「あとで」に対処できる
- つまり書いて残すことは「あとで」に対する備え
- 強力で素早いのは事実だが、それはその時だけのこと
チュートリアルのヒント:
- 備忘させる
- til(today i learned)
- 日報
- 分報
- ……
- 色々ありそうだがパッと浮かばん
- たぶん「各自遊んでね」より「教育の一環でこれこれこういうことをしてみましょう」的に制御した方が賢い
- 毎日10分何かのネタを書いてもらう
- ドキュメンテーションスキルに関する教育、講義、etc
- ……
逸れてきたのでこのへんで。
よだん これ書いた動機:
- 会社(何千人単位)でこれ系のネタの エバンジェリストになって食えていけたらなー という思い
- ひとまずブレストしてみたかった
- 感触
- いけそうだが
- あとは認めてもらうだけ(ここがむずい、てか無理ゲー)