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知的生産とは、ここでは「実用的な」新しいやり方や考え方、あるいは作品を生み出すこととしましょう。
※実用的でないものは芸術や創作の範疇になります。
正解も指図も無い中、自分で答えを決めて形にせねばなりません。創造的な営みであり、再現性は無いように見えますが、実はサイクルはあります。
それがエリーサイクルです。
知的生産者は、しばしば以下のようなサイクルを回しています。これをエリーサイクルと呼ぶことにしました。頭文字を取って ELIE です。
エリーサイクル。
以降では要約のあと、各ステップの詳細に入ります。
サイクルの前段階を経ていた場合、すでにアイデアの肉付きまで進んでいて、あとは作業して完成させようとの段階になっているはずです。
ここで必要なのは、面倒で大変な作業をブーストさせるモチベーションであり、興奮に頼ります。作業興奮だとか、ドーパミンだとか、いろいろな言い方がありますが、ともかく「興奮」という一時的なブースト状態に頼ります。
ネットサーフィンは有害とされることもありますが、近年では一種の休養やリズムの役割を果たしており、必要であるとの見解が強いです(*1)。
また、疲労やモチベーションなどの問題がない場合は、頭が少しずつ切り替わってきてそのうち止みます。目安は2時間くらいだと思います。それでも止まず、ずっとだらけてしまう場合、その日はもう疲れ切っていてダメでしょう。あるいはメンタルがよろしくないので、まずはその回復からかもしれません。
*1 「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論, 2024, デヴォン・プライス (著), 佐々木寛子 (翻訳)
この段階は少し複雑です。
まず、思いつきはアクティブリフレッシュの最中でないと中々起こりません。アクティブリフレッシュは造語ですが、心地よい程度に身体性を伴った気分転換を指します。アイデアの3Bは有名ですが、入浴中(Bath)・就寝準備中(Bed)・移動中(Bus) は典型例です。
次に、思いつきが起きているときの頭は、状態としてはリラックスであり、言語化を含む深い思考や理性的な検討がしづらいです。無理にやろうとすると、この貴重な思いつきモード自体が壊れてしまいます(ストレイ)。
それでありながら、思いつきを後で思い出すのは困難です。。メモは大事との金言はよく見かけますが、そのとおりで、後で思い出せる程度にメモしておく必要があります。言い換えると、メモを取っていない思いつきはほぼ必ず失います(ロスト)。
ここでメモのジレンマが生じます。つまり:
この思いつく段階は、知的生産において最も難しい部分です。アクティブリフレッシュを行えるだけの余裕と、メモのジレンマに打ち勝つ微妙なバランスの両方が求められます。
というより、この二つを行えるだけのスキルや生活リズムを、日頃からメンテナンスしなくてはならず、知的生産者はアスリートである、とはよく言ったものです。来るかどうかもわからないし、来ても30分もないような短い時間なのに、こんなことのためにアスレチックであらねばならないわけです。
思いつく段階でも述べたとおり、思いつきをその場で深堀りすることはできません。ではどうするかというと、メモとして取っておいて、あとでメモを見て思い出しながら続きをやるのです。
ここで重要なのは、外に出したものを育てるという営みです。頭の中だけで曖昧にやるのではなく、言語化した形で外に出して、それを改変していきます。
別の言い方をすると、概念を自分ひとりでラフに仮説検証しているとも言えるでしょう。ひとり仮説検証です。
すると、そのうち「あとはもういけそうだな」と見えてきます(一向に見えてこないこともあります)。
ここまで来たら、あとは終わるまで作業する・しないの段階です。これをブーストするのに、1: で述べた興奮を使う――という形で、サイクルがぐるぐるまわっていきます。
ちなみに、思いつきと肉付けは小さいか、ないこともあります。つまり最も小さいサイクルは「興奮 → 怠ける」ですね。
十分に見えていたり、見えてなくても状況が許さないときはこうなる。
肉付けの段階ですが、実はかんたんではありません。
言語化能力はもちろん、ノートを書くスキルが要ります。ノート絡みの仕事術については、当サイトでも何回か取り上げたことがあります([1] [2])。
高度な営みであり、クリエイターやエンジニアでもなければ通常、縁がないでしょう。私たちの大半は、すでに決められた仕事や上からの指示として降ってきた「作業」をこなしているだけで、知的生産という創造的な営みはしていません。また、振る側にいる人達も、同様に上あるいは外界からの情報を愚直に処理しているだけだったりします。
そうではなく、知的生産では必ず思いつきを使います。自分の深くて醜い信念や内省、あるいは鋭かったり鮮やかだったりする直感や感性を伴った何かを、上手いこと(あるいは強引に)加えます。
それをメモとして捉えたわけですが、メモだけでは到底足りないので、頑張って再現・復元を試みるわけです。それは意思決定と仮説検証の連続であり、頭の中で曖昧にやっているだけでは成せません。かんたんなはずがありません。
現状では、ノートアプリのような「書くことに適して手段」を使って、言語化するのが筋の良いやり方に思います。
歴史はそれなりに深いはずですが、手法としてはまだまだ体系化されていない印象です。いずれ当サイトとしても取り組んでいきたいですね。