合理的配慮 の項でも述べたとおり、ASD部下には特殊解――その人に合った個別の対応が必要です。
一方で、管理職の皆さんは既存の規範――たとえばルールや文化といったものに全員を従わせようとすると思います。通常は仕事であり、組織なのだから従うべきですし、従ってくれるはずですが、ASD部下には当てはまりません。すでに述べたとおり、以下の壁があります。
これらすべてをクリアするのは非現実的ですので、発想を変えて、個別の対応を許容します。
合理的配慮とは何でしょうか。個別の対応とは何でしょうか。
厚生労働省のガイドでは「建設的対話」とありますが、対話だけしても意味はありません。健常者であれば、対話を繰り返して信頼関係をつくることで妥協や許容が生まれる、つまり ASD 部下側もそうしてくれると考えるかもしれませんが、そうはなりません。個別の対応が実際になされるかどうか――見ているのは、それだけです。ASD 部下からの主張や周囲との摩擦は 対応されない限りはずっと続きます。
対話の先に、具体的な対応をつくらねばなりません。といっても、具体的な対応はその人その状況その組織次第なので何ともいえませんが、共通して言えることが一つだけあります。
それが 仲間外れにしなさい、です。もっと言えば、「みんなと同じ扱い方を適用する」という平等指向を当てはめない ということです。
体調や悪い人や育児や介護に勤しむ者については、すでに配慮を行うかと思います。ASD もその対象に加えるだけです。というより、恒久的に加えます。
こちらの項での述べますが、ASD は典型的な病気とは違って、現時点で治せません。治療ではなく支援を考えます――が、永遠に支援し続けるのはさすがに非現実的なので、その ASD 部下にあった扱い方を個別に開拓しなければならないのです。つまり、
「この ASD 部下はこう扱えばうまくいく」という扱い方を生み出し、ASD 部下をそれで扱って、なんとか定着させること――
ここがひとまずのゴールです。そして、そのためには、ASD 部下に既存の規範を当てはめるのをやめて(少なくとも軽減して)、遠慮なく特別扱いをして、個別の対応を考えるというマインドセットに切り替えねばならないのです。それを「仲間外れにしなさい」という比喩で表現しています。