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ASDでもIQが高ければカバーできる

📒まとめ

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高 IQ ならば問題はない

ASD は 3 つの困難を持ちますが、IQ が高ければカバーできます。

同ページにて、ASD は運動神経ならぬ認知神経が悪いようなものだと書きました。ある種、頭の性能が悪いとも言えます。IQ もまさに性能です。十分な IQ があるなら、エミュレーション(模倣)によってカバーできます。

カバーの例

どのようにカバーするかは千差万別ですが、かんたんな例を見ていきましょう。

1: コミュニケーション困難(社会性の障害)

パターンを理解することでカバーできます。

たとえば感謝を述べるタイミングがわからなかったとしても、日頃の観察により、よく思われている人は「2回に1回以上は “ありがとうございます” を言っている」のようなパターンを見つけます。自分もそれを踏襲することで、迷うことなく演じれるようになります。

無論、現実はそんな単純ではなく、何十何百というパターンがあります。極端ですが、機械的に 2 回に 1 回「ありがとうございます」を差し込んだところで意味不明なだけです。感謝を差し込めそうな会話に限り、2 回に 1 回ありがとうを言うのがいいでしょう。では「感謝を差し込めそうな会話」とはどのような会話なのか、定義が必要で――と、まさに機械的に、あるいはプログラミングや手順書のように、つくりこんでいきます。

IQ が高ければ、これを完遂できます。特に早い段階でマスターできます。たとえば新卒社会人の段階でマスターできているので、社会人後も問題なく模倣していけます。

2: こだわり困難(こだわりが強い)

客観視によりカバーできます。

メタ認知とも呼ばれますが、自分自身で自分の状況を一歩引いて見ることで、自分の状況を客観的に理解します。ASD の基本戦略は「観察と模倣」 であり、健常者よりも観察力とパターン認識に優れていることが多いです。特に IQ が高いと、その頭の良さをフル活用した観察と模倣をするので、下手な健常者よりも健常者らしく演じることも難しくありません。

客観視ができた場合、自分のこだわりよりも、その場その組織のルールや文化の方が重要とわかります。むやみにこだわりを押し通したところでどうにもならないこともわかります。ですので、自分のこだわりは我慢して、その場その組織に合わせます。

これは特段めずらしいことではなく、社会人なら誰もがやっていることです。本音よりも建前、本能よりも理性ですね。このような演技と我慢の能力は、IQと相関することが知られています(識者によっては EQ で語ることもあります)。IQ が高い分、やりやすいというわけです。

3: コスパ困難(燃費が悪い)

頭の良さを活かして立場を得ることで、燃費が要求される営みを回避できます。

高 IQ ですと、学業でたとえるなら偏差値 60 以上も余裕であることが多いです。一方で、ASD としてコスパ困難は引き続き存在しており、人付き合いやスポーツ、その他典型的な仕事(様々な無駄や泥臭さをそれなりに含む)は苦手か興味がありません。ですので、後者からは離れて、前者――特に認知的な活動に没頭しがちです。

高 IQ で没頭するので、すぐに人並以上になれます。その結果、待遇が良くて、典型的な仕事も薄い「良い会社」や「良い仕事」にありつきやすくなります。仮にそうじゃない場所であっても、すぐに頭角を示して差別化を勝ち取れるでしょう。要はスペックが高くて尖りやすいわけで、代わりの場所もいくらでもあります(つまり転職も容易)。

別の言い方をすれば 一目置かれやすい存在 と言えるでしょう。

🐰低 IQ の見る世界

逆に低 IQ の場合、どうなるでしょうか。

筆者を例にします。

まずはかんたんなプロフィール

3 つの困難との向き合い方と現状

上記と同様、カバーの例を見ていきます。

1: コミュニケーション困難(社会性の障害)

パターン認識でカバーできることはわかっていますが、

この 2 つのハードルがあります。

私がまがいなりにも社会人として問題なく演じれるようになったのは、入社 4-5 年以上になってからだと思います。それまでは「史上最悪の新人」「爆弾」といった評価を総なめするほどに未熟でした。

たとえば日本の会社では、平社員が、上司のさらに上の人(幹部や社長)に直接声をかけてはいけません。私はこれを(注意されても)理解できず、何度も怒られていました。

結局、私がこの件を理解するには『異文化理解力』という本を待たねばなりませんでした。いわく、日本は階層主義であり、階層を厳格に踏襲します。このような世界で許されるのは「一つ上」と「一つ下」までであり、その外は越権です *1。あるいは『ティール組織』も参考になりました。いわく、組織パラダイムにはレッド(マフィア型)、アンバー(教会)、オレンジ(資本主義的な多国籍企業)などがあり *2、構造と文化からして階層的なのです。階層の概念を覆すにはパラダイムを進めねばなりません。

無論、このような高度な言語化を現場の上司やチームメンバーが行えるかというと、ノーです。なので、いつまでたっても理解できなかった わけです。というより、彼らの助言や叱責からパターンを理解し、納得し、常に踏襲できるだけの頭が無いわけです。

ないからこそ、自分なりに勉強して、咀嚼して、と時間をかけて定着させてきました。定着できたら、使いやすくもなります。実際、上記の書籍で本質を理解してからは、私は階層主義を守れるようになりました。

2: こだわり困難(こだわりが強い)

客観視やメタ認知はできますが、その上で 私は自分のこだわりを選びます。自分のこだわりを曲げるという選択肢はありません。

必要なら説明もしますし、口頭でお伝えしたり、テキストで長文を書いて詳しく説明したりもしてきました。しかし上司やチームメンバーはまともに取り入ってくれないので、基本的には平行線です。そんな戦いを私はずっと繰り返してきました。ですので、入社 10 年以上で、それなりの人脈もあるはずなのに、今の人脈はほぼゼロです。むしろ、私とは二度と仕事したくないと考える人が多いでしょうから、マイナスが増えているまであります。

それでも、私はこだわりを曲げることはできません。

こだわるのにも理由があるのです。私の場合、今は 5:00~21:00 の生活をおくっており、仕事は 6:00~15:00 で行うという超朝型で生きています。朝朝型だと人が少ないからです。また、情報量が多いのも苦手ですから、普段はミニマリストであり、たとえばプライベートの交友関係はゼロです。パートナーはおろか、友達もいません(ネット上でたまにやりとりする仲はいます)――と、ここまで絞らないと、ストレスと疲弊でまともに生活が、まして仕事なんてできやしません。

もし IQ が高ければ、ここまでシャープに最適化せずとも、適当に過ごせていたでしょう。残念ながら私はそうではありませんでした。元々新卒時点では、健常者よろしくやっていましたが、それでは通用しないとわかりましたし、円形脱毛症や狭心症など身体的な症状も出ています。私はこだわりにより自衛しなければならない側の人間でした。

無論、歩み寄りはできますし、対話もできます。それは、このようなドキュメントをつくる能力や姿勢から見ても明らかでしょう。ただ、それでも健常者レベルの模倣は追いつかないので、ある程度はそちらが折れてもらうことになります。

3: コスパ困難(燃費が悪い)

大きな困難として、今も苦しんでいます。

上述したとおり、健常者の生活スタイルや、会社が求める過ごし方では到底保たないので、自分なりのスタイルを確立して、それを維持することにストイックになることで何とか食らいついています。アスリートのようなもので、守らねばならないじぶんルールも多く、これがこだわりとして表出するという点もすでに述べたとおり。

私が特に困っているのが会議とマルチタスクです。まず会議は、常に相手と場に気を配り続けないといけないため、疲れます。30分の会議が1回あるだけでも、私はかなり憂鬱になりますし、前後30分くらい準備とまとめをするので、実質1.5時間かかります。それから意識の切り替えも下手なので、マルチタスクも苦手です。というより、タスクをこなすために、自分が書いたノートと何十分もにらめっこして深く潜るので、当然ながらこのレベルの切り替えをあちこちで行うことなどできません。

IQ が高ければ、これらに要する処理負担はカバーできるでしょう。その IQ も、私はよくて並です。並であっても、ASD という認知的な弱体化がかかっているので、実質的には人並未満の性能にしかなりません。実際、このとおり、毎日疲弊しています。一般的に昇進するほど複数のプロジェクトを抱えるようになっていくわけですが、私はそのような神業は一生できないと断言できます。性能が違うのです。努力や経験でどうにかできるものではない。

社会人であり、社員である以上、パフォーマンスは出さねばならないのですが、私はこの前提で出していかねばならないのです。コスパ困難だけでなく、こだわり困難とコミュニケーション困難もあります。いかに困難であるかがおわかりいただけるかと思います。

IQ の概要と是非

ここで IQ(知能指数)全般について整理します。

IQ ≒ WAIS-IV

IQ とは現在では主に WAIS-IV を指します。WAIS-IV を紹介します *3。以下引用します。

WAIS-IV知能検査は、ウェクスラー成人知能検査WAISの最新日本版です。

16歳0カ月〜90歳11カ月の青年および成人の知能を測定するための個別式の包括的な臨床検査であり、特定の認知領域の知的機能を表す4つの合成得点(VCI、PRI、WMI、PSI)と全般的な知能を表す合成得点(FSIQ)を算出します。

普段 IQ と呼ばれているものは、全般的な得点を示す FSIQ のことです。

この FSIQ は、以下 4 つのカテゴリーから構成されています。

ですので、一口に IQ が高いと言っても、高低にばらつきがあります。たとえば言語と動作性だけで見ても、

このとおり全く異なるタイプが生じえます。

検査方法

ASDの診断でも述べたとおり、自己診断やネット上での診断はあてになりません。病院で正式な検査を受けてください。

🐰IQ の是非

このページでは IQ を「頭の性能」をはかる指標として重要視していますが、一方で IQ だけがすべてではないとの意見もよく見かけます。私もよく言われます。

これについて、私の持論は次のとおりです。

少なくとも目安にはなると思います。

🐰「IQ が高い」とは 115 以上

「IQ が高い」と書いてきましたが、具体的な定義を書いてないので書きます。

FSIQ が 115 以上 と定義します。

深い根拠はありませんが、平均値 100 を超えており、かつ高すぎないラインにしています。偏差値でいうと 60 くらいです。

115 以上で、ASD となると、おそらく偏りがあって「130以上の強い指標」と「80 以下の弱い指標」の凹凸に分かれるでしょう。いずれにせよ、強い指標を生かした立ち回りや仕事で生きていけるはずです。私のように「オールラウンドで平均未満」なんてこともないと思います。確たる調査結果はありません(※)が、これまでの見聞きや経験からそう感じます。

※ちなみに調査は難しいと考えます。検査には時間もお金もかかりますし、ある種プライバシーなので公開するはずもないですし、またこれが一番クリティカルですが、お金と同じで「持っている側の人」が進んで開示するメリットがないからです。

無論、IQ だけで断定できるほど単純ではなく、IQやASD以外のハンディキャップがあって頑張ることすらできない場合もありますが、それでも仕事したり交友関係があったり貧しい暮らしに適応できていたりするのだから大したものです。

見かけどおりの IQ とは限らない

たとえば IQ=90 を公言する、チャンネル登録者数 2 万人以上の VTuber がいたとして、その人は本当に IQ=90 なのでしょうか。

そうとも言えません。というのも 筆記や面談による検査のため、検査にどれだけ集中できたかどうかで結果が変わってくる からです。パターンとしては以下二つですね。

私の感覚ですと、この VTuber の実際の IQ はもっと高いと思います。おそらく集中できなかったか、できない特性だったから検査上では低いだけです。2 万という数字はそんなに甘くなく、ある程度頭が良くて正しく努力を続けない限りは到達できないラインだからです。

たとえば私は、VTuber ではないが 300 本以上の動画を出す YouTuber でもあるのですが、100 人もいません。ショート動画で再生数の 1% 以上のいいねがついたこともありません。これでも数年以上の試行錯誤や鍛錬を経ています。

そんな私の IQ は 96 ですが、逆に私は本当はもっと低い気がします。このドキュメントを見てもわかるとおり、私はアスリートレベルにストイックな生活をおくることができますし、仕事術やライフハックや IT まわりの造詣もあって、当然フル活用してます。さらに、経営者顔負けの意思決定と行動もでき、たとえば認知資源を節約するために「髪の毛を捨てる=坊主で自分でバリカンにする」くらいは難なくできます。このレベルで怪物と言える私なので、当然検査にもベストパフォーマンスで臨み、最高の集中力を発揮できました。その結果が 96 です。

と、このように、IQ が検査である以上、見かけの数字どおりであるとは言えない可能性があります。とはいえ、私のように高くできるケースは珍しいでしょうから、本当はもっと高いかもくらいの理解で良いでしょう。

矛盾した主張になりますが、IQ を推し量りたいなら、検査の値よりも その人の成果やステータスを見る のがいいかもしれません。そういった結果を出せるだけの性能があると言えるからです。IQ が低い等「持たざる」側の人で、努力が得意な人ならわかると思いますが、「やればできる」「モチベーションの問題だ」というのは持つ側のバイアスにすぎません。持たざる者から見ると「やってもできない」「一生かけても無理だろうな」はざらにあります。それなりの結果を出せているということは、それを可能とする性能があることに他ならないのです。

参考