workhack2.0

若い女性が使う「チー牛」という言葉の意味は、尊重にあるのではないかと思いました。

チー牛は尊重リテラシーなるものが低い男性を指すのではないか。

この前提で、尊重リテラシーとはどういうことかを掘り下げます。

リテラシーとは

元は「読み書き能力」の意味ですが、今では「基本的な素養」としても使われます。

ITリテラシーやネットリテラシーといった使われ方をします。

また『仕事術2.0について』では非同期コミュニケーションの本質と必要性の素養にも注目しており、非同期リテラシーとして今後整理していきます。

尊重リテラシーとは

人、特に異性を尊重するためのリテラシーを尊重リテラシーと呼ぶことにします。

尊重リテラシーがないとこうなる:

いくつか例を挙げます。

尊重とは

言語化が難しく、また端的にしきれるものでもありませんが、いくつか挙げます。

尊重とは、以下のような原則を踏まえることです。

対等の原則

対等の原則について少し補足します。対等の意味をつかんでいただくための例を二点挙げます。

まずは会話面です。『仕事術2.0について』ではトーカブル(Talkable)と呼びますが、対話が行えること、そして対等な関係であることを要求します。

昭和以前は男尊女卑がひどく、現代でもその名残はあちこちに残っていますが、この水準は対等ではありません。男だから、女だからとステレオタイプに押し付けるのではなく、ちゃんと対話して対等な関係であることに努めることを要求します。

チー牛にはこれを行えるだけの素養がありません。そもそも発想がないこともあります。

次に容姿面です。

通常、女性は容姿にかなりの手間隙を費やしています。一方で、男性はそこまで費やしていません。

さて、一部のチー牛が女性に安易に告白する様が観測されますが、これは容姿への投資具合で捉えると、

「全く費やしていない弱者」が、 「費やしている強者」に、 申し込もうとしている。

となります。費やしている側からすると「舐めてんのか」となるわけです。客観視ができていないし、あわよくばワンチャン的な下心も見えますし、丁寧に説明するつもりもいかない(し言語化できるとも限りません)し、無難に断るのも面倒くさいし――と盛りだくさんで、このあたりを一言で総括すると「キモイ」となります。

これは条件、この場合は容姿面が対等ではないのです。

リテラシー不足はただの経験不足

では、なぜ尊重リテラシーが備わっていないのでしょうか。

尊重に限らずリテラシー全般でそうですが、単に経験不足なだけです

チー牛は良くないことなのか?

最後に問題提起とその回答をしておきましょう。

尊重リテラシーが無いことは良くないことなのか。 つまり、チー牛であることは良くないことなのか。

答えは「持っている(チー牛でない)に越したことはない」程度ではないでしょうか

これもリテラシー全般がそうです。読み書きも、英語も、ITも、ネットも、どれも持っていないよりは持っている方が当然良いです。

あとは各自の選択の問題です。十分に持つだけの時間を費やすかどうかは、もちろん自由です。なければ死ぬ、ということはありません。●●リテラシーで生きている人は無いと死ぬと思うかもしれませんが、それはあなただからです。人の生き方はそんなに単純ではないし、押し付けるものでもありません。

これは多様性の問題にも繋がります。

「典型的な多様性」だけが多様性じゃない

持ってないから悪だ、とするのではなく、持ってない者を一つの特性だと認めて、じゃあどうするかを尊重すればいいのです。チー牛ではない人達だからこそ、チー牛を尊重しましょう。尊重リテラシーを持つ人達ならばできるはずです(し、実際尊重しているからこそ表向きは無難に過ごしつつ、裏でSNSで発散しているのでしょう)。

もちろん、プライベートで付き合う分には好きにすればいい。無理して付き合う必要は当然ながらありません。

ただ、家族や仕事といった場面では、多様性の一つとして捉えるべきでしょう。チー牛を良くないと切り捨てることは、英語ができない人やITができない人を切り捨てるのと同じことです。