自分の認知(認識)を、自ら客観的にとらえることをメタ認知と呼びます。
難しそうな字面ですが、理解するだけなら単純です。 ※実践は必ずしもかんたんではないですが……
かんたんな理解の仕方をいくつか挙げます。
自分の魂が幽体離脱して、上昇して、空から自分(の身体とその周囲)を眺めるイメージです。
鳥が地上を見下ろすようなイメージです。獲物(自分)だけでなく、その周辺や地理も含めて見ます。
この言葉はたしか書籍『心理的安全性のつくりかた 「心理的柔軟性」が困難を乗り越えるチームに変える』で使われていたものと思います。
もう一人の自分として、ただただ観察だけ行う「観察者」としての自分がいるというイメージです。あるいは、観察者役に徹する自分のクローンがそばで自分を凝視しているイメージでも良いでしょう。
このたとえ方の優れている点は、観察している側ではなく観察されている側にフォーカスを当てている点です。要は「見られている」わけですね。見られているなら、シャキっとしよう、ひとまず冷静になろうという気になります。人目があるとそうしますよね。わかりやすいのです。
観察者としての私は、いわゆるヴィパッサナー瞑想と同義だと思います。
https://jp.dhamma.org/ja/about-vipassana/
瞑想は二つあると思っています。「無心」を目指すサマタ瞑想と、その後で「何が自分の心をざわつかせてるのか」を探るヴィパッサナー瞑想があると思っています。
そういう意味では、真の意味でメタ認知を行いたければ、まず無心を目指すべきなのでしょう。
ビジネスの文脈では「多少慌ただしくても構わないから一呼吸置いて客観視しろ」的なニュアンスが強いと思いますが、むしろ、いったん慌ただしさ自体から離れて、サマタ的に無心になって、それからさらにヴィパッサナー的に、つまり観察者として己の認知をただただ見つめるのが良いのかもしれません。
慌ただしさから離れる部分については、以下が役に立つでしょう。