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ASDの強みは率直、自律、変則、迅速

📒まとめ

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🐰ASDの強みは「FIFA」

ASDの三困難は、裏を返せば強みにもなります。

このドキュメントでは、FIFA(フィファ)の四要素で整理しました。

率直(Frank)

本音や本質をズバッとストレートに出すことができます。

ASD は特性上、人、集団、場といった複雑な文脈をありのままにとらえることも苦手ですし、それらを踏まえて慎重に遠回しに伝えるのも苦手ですが、だからこそ、重要な情報――本音や本質といったものを正直に扱うことができます。

この率直さという資質は、定型発達にとっては非常に難しいことです。特に日本の文化はただでさえハイコンテクストであったり、階層主義(ヒエラルキー)ゆえに越権できなかったり、「何」よりも「誰」を重視したりして、そういった価値判断や行動基準が文化として根強く染み付いています。

たとえば、臭い同僚に対しては、

と、少しやりとりすればすぐに解消できますが、おそらく難しいでしょう。提案する立場としても、逆に提案を受ける立場としても、どちらでも難しいはずです。

やりとり自体はかんたんなもので、中学生でも理解できます。なのに、実社会では こんなかんたんなことすらできない のです。実際似たような場面で、はっきりと言えず我慢したまま不満を溜めている――なんて場面はあるあるだと思います。あるいは不満が爆発して率直に言ったはいいものの、受け手側が機嫌や体調を損ねて問題が大きくなるのではないでしょうか。

高度な文化と能力によって、がんじがらめになっているようなものです。一方で、ASD にはこのがんじがらめがありません。率直を投げることもできますし、受けることもできます。率直なコミュニケーションにより、すぐに情報交換や問題解決に向かえるのです。純粋な効率で言えば、数倍どころではなく、数十倍、下手すると数百倍の違いすら生じます。

もちろん、率直さだけで成立するほど仕事は甘くないですが、基本的に婉曲しか使えない世界において「率直が使える ASD」はれっきとした強みです。受け手も率直さに耐えねばなりませんが、それこそ訓練でどうとでもなります。ASD は婉曲的な社会に適応するため、自分なりに観察と模倣を訓練していますが、定型発達も同じように率直さに寄ればいいのです。そうすることで、ASD の率直さを活用できるようになります。

自律(Indie)

ASD は自律的――もっというと独立して活動できます。

たとえば現代において LINE をやらない、動画も見ない、スマホを持たないといった生活はほぼ不可能でしょう。別のたとえがほしいなら「パートナーも友達も、職場で雑談する仲もひとりもいない状態の一人暮らしには耐えられない」でも良いです。

これらが不可能なのは、定型発達の特性上難しいからです。社会的なつながりや外界のキャッチアップの軽視が難しいのです。人間もまた社会的な動物であって、社交にインセンティブを持たせなければ生物として成立しないため、そういうことを求めたがるつくりになっています。繁殖のための性欲があるのと同じですね。ただ、性欲ほど単純ではありません。たとえば孤独感が知られています(*1)。まだまだ全容は解明されていないと思います。

逆に ASD であれば、上記のような生活は可能です。無論、現実的に現代社会で生きていく上ではあまりに不利なので、上記の生活ができたとしても、よほど恵まれなければ継続はできないでしょう。それでも、できるできないで言えばできます。私も 2024/09 まではスマホを持っていませんでしたし、パートナーのくだりは 2025/08 現在も継続しています。スマホは本当は持ちたくなかったのですが、QR コードやアプリなど「スマホがないとできないこと」が増えてきたので、仕方なく折れました。

ASD には社会生活に必要な複雑な能力と、それを発揮し活動を続けるための報酬系がありません、というと言い過ぎですが、少なくとも定型発達よりははるかに鈍いです。ですので、社会生活に身を置かずに、自分ひとりで独立して活動を続けることができます。この感覚は、お伝えするのが非常に難しいのですが、上記のたとえのほかにもう一つ、わかりやすいたとえがあります――定型発達は社会的に神経質であり、神経質なりに細かい部分まであれこれ満たしてやらないと気が済みません。一方で、ASDは鈍感なので、満たされなくても平気でいられます。いかがでしょうか、わかりやすいでしょうか。

この「独立して生きていける」強みを、ここでは自律と呼んでいます。ASD には自律の力があります。

ですので、たとえばタスクを与えて放置することができます。レビューや報連相は必要ですが、テキストコミュニケーションで十分です。定型発達の目線だと、いちいち対面で会話したがるでしょうが、そんな社会活動は不要です。一週間、あるいは一ヶ月全くしなくたって平気ですし、むしろそんなことに費やす意味がわからないくらいです。30分だらだら会話するくらいなら、必要な情報をテキストで書いて読んでコメントしあってという「もくもく読み書き」を30分、いや10分行った方がはるかに有意義です。逆に定型発達では、耐えられなくて病むでしょう。そういえばパンデミックによりリモートワークが急に始まってから、精神に支障をきたした人は多かったようですね。

定型発達の目線では理解しにくいでしょうが、ASD は社交成分がなくても独立して生きていけます。これはつまり社交に費やす必要がないということです。費やさずとも動いてくれる優秀な戦力と言えるのです。

無論、ASD 部下を扱うマネージャーの皆さん側にその能力がないとついていけないので、この使い方をしたいのであれば要鍛錬です。私はミュートデイやミュートウィークをよく提案します。一日間、あるいは一週間、一度も打ち合わせや雑談をせずに過ごすのです。対面はもちろん、リモート会議もいけません。この取り組みをすると、喋らずにどうやって仕事を成立させようかを考える羽目になり、従来とは違った過ごし方を開発せざるをえなくなります。この途上で、マネージャー側も自律の要領を学んでいけます。

変則(Flaky)

定型発達には出せない考えを出せます。

ASDはエゴセントリック的だと書きました。定型発達はアロセントリック(環境中心)であり、環境という外界の中でしか認知できません。乱暴にたとえるなら宗教の信者のようなもので、聖典や神には抗えません。一方で、ASDはエゴセントリック(自己中心)的であり、自分を基準とした認知を行います。たとえば造語も当たり前につくりますし、つくれます。もちろん、定型発達から見れば、外界には存在しない「異物」ですから、理解もできません。というより、相手にするという発想自体がありません。

つまり ASD は、定型発達が想定しない「よくわからない」を生み出せます。この性質をここでは変則と呼んでいます。あるいはエイリアン知性(*2)と呼んでもいいかもしれません。エイリアン知性は、同書では以下のように書かれています。

エイリアンアート: GFMは人間のアイデアの出し方を模倣し、自動化できるが、それ以外に人間が見つけそうにない方向に思考を導く「エイリアン知性」を生成できるので、多様性をまたがるコラボレーションの新素材を生み出せる

GFMとは生成AIのことだと思ってください。要は生成AIは人間の頭から出ないような気持ち悪い発想を出せるということです。

私の理解は少し違います。生成AIはたしかに膨大な知識と可能性を持っていますが、それを引き出すのは「人間が与えた指示」です。あるいは「”人間が与えた指示” によってつくらせた指示」ですが、いずれにせよ人間が与えるところから始まります。また、生成AIは「統計的にもっとも確率の高い情報を出す」仕組みでもあります――と、これらを踏まえると、アロセントリック的な人が生成AIを使ったところで、その成果物もアロセントリックの域を出ない可能性が高い と言えるのではないでしょうか。

逆を言えば、エゴセントリックなASDだからこそ、エイリアン知性を引き出しやすいはずです。もっともエゴセントリックなASDによる表現では通じないのが課題なわけですが、その翻訳はまさに生成AIに任せれば済むことです。

ASDがエイリアン知性の元ネタとゼロイチを生み出し、それを生成AIで定型発達向けに翻訳する――

そうすることで、従来の枠にとらわれない新しい考えを出し、それを推進するスピードを早めることができます。むしろ分担としては上手いのではないでしょうか。ASD は既存のチームプレイに適さないが、代わりにゼロイチをつくる。その先は定型発達が従来どおりチームで何とかする。間の橋渡しは生成AIで翻訳する……。

と、別に生成AIに頼らなくてもいいですが、ともかく ASD は変則であり、その考えや意見にはポテンシャルがあると考えられます。どれだけ生かせるかは、マネージャーのあなたの腕の見せ所でしょう。

迅速(Ajile)

ASD はすぐに行動に移せます。

ここまで述べてきたとおり、定型発達は良くも悪くも枠にはまって動きます。繊細で秩序だったコミュニケーションや仕事が可能ですが、その分、遅いです。一方、ASD はそれらを行う器官がないか、壊れているようなものなので、そのとおりにはできない(模倣をすれば可能だが燃費を食う)のが致命的ですが、逆を言えば、早く動き出せるともいいます。

迅速な行動や仮説検証の重要性は、言うまでもないでしょう。机上の空論よりも、さっさと実際に行動してくることで多くのことが見えてきます。ASD はそのための尖兵として役に立ちます。

たとえるなら、定型発達はパンパンのリュックを背負ってきめ細かなニーズやトラブルにも対応できる荷物持ちで、ASD は身軽にソード一本で行動する戦士、あるいは杖一本で行動する魔法使いです。使い所は万能ではなく、相性が悪ければすぐにやられてしまいますが、素早く動けます。

たとえを続けると、マネージャーであるあなたは、いわば冒険パーティーの司令塔です。しかし定型発達のあり方しか知らないと、全員を荷物持ちととらえてしまいます。そうではなく、荷物は持てないが、身軽で素早く動ける人材もいるのです。万能ではないですが、使い方や使い所を工夫すれば役に立つ可能性は高い。生かすも殺すもあなた次第です。

特に「行動」として何ができるかに注目してください。

たとえば私の場合は、

となっているので、私にとって行動とは「テキストでアウトプットを出す」「自分から発信する」ことがメインとなります。逆に、人に直接声をかけたりイベントに参加したりを期待されても困りますし、(配慮してもらえねば)応えられないでしょう。私という ASD の行動の速さを使いたいなら、テキストアウトプットや発信を使って何ができそうか、を考えねばなりません。

無論、これは私の例にすぎず、得意な行動は ASD 部下次第です。私とは逆に直接喋るのが得意な人もいますし、何らかの作業を1時間やってみてペースの現実を示すのが得意(見積もりのインプットにできます)な人もいます。本当に人次第だと思うので、上司のあなたとしては、ASD 部下としっかり対話するなり、観察するなりして把握するといいでしょう。

よくある誤解

FIFA の解説は以上ですが、ASDの強み――特に得意分野や向いている仕事はこれである、といった形の誤解を補足しておきます。

ルーチンワークや単調作業が得意 → 消去法により「比較的できる」というだけ

「ルーチンワークや単純作業が得意」はよく言われますが、大して当てはまりません。マルチタスクや暗黙の読み取りに比べれば、ルーチンワークの方がまだこなしやすいかもという消去法の話にすぎないからです。

そもそも、ある仕事がルーチンワークや単調作業と言えるかどうかはその人次第です。たとえばマンガ家やイラストレーター、あるいは作家でもいいですが、プロのクリエイターにとって清書は作業です。脳内に存在する正解をただ出力するか、脳内で飼っている批評家の指摘にすべて応えるだけの、ただの作業でしかありません。退屈すぎてサボるため、いかにしてやる気を引き出すかの戦いとなります。締切が近いというプレッシャーはよく使われますし、誰かと喋ったら何かを観たり聴いたりしながら行う「ながら」も多いです。だからといって、プロではない者が、プロレベルのそれらを作業として出せるかというと、無理でしょう。プロの実力あってのことです。

つまり「ルーチンワークや単調作業」と呼ばれるものの幅は、かなり広いです。実力次第でどうとでもなります。それこそ、ホワイトワーカーであっても、人を相手にした本番でもない限り、仕事のほぼすべては「ルーチンワークや単調作業」に帰着できると思います。そう思えない人は、単に仕事の客観視や言語化・構造化が苦手か、縁がないだけでしょう。

もっと言えば、その「人を相手にした本番」を臨機応変に行う性能が ASD にはないので、消去法でそれ以外の仕事をやった方がいいという、ただそれだけの話です。

長時間集中できる → 人と内容による

ASD はこだわりが強く、仕事や鍛錬に長時間集中できるといわれますが、これも人と内容によるとしか言えません。

私の持論ですが、集中には「心地よい負荷の持続」と「割り込みや脱線が来ないことの持続」の二つが必要です。前者はフロー理論やストレッチ目標など、本書の読者であれば耳たこでしょうし、後者についてもスポーツや演劇や配信など「本番」や「試合」といった概念を見れば明らかでしょう。

要は、この二つを満たしさえすれば、誰でも集中できます。どれくらい集中できるかはその人の能力と調子次第ですが、ただのインプットや単調作業であれば四六時中が可能です。上述したように、プロであれば、素人では到底たどり着かないクオリティをこの営みからつくります。

ポイントは満たし方の違いです。

ASD は、すでに述べたとおり認知的な性能が浅いので、引き算だと満たしやすい と思います。つまり、日常には刺激が多すぎるので、できるだけ削ぐのです。たとえば私は、普段は無音レベルで静かであることや、決して誰からも声をかけられないこと、また取り組むタスクもシングルタスク的に一つに絞り込み、さらにスマホやSNSといったものにも一切手を付けない――というくらいに引き算しますし、仕事でもこれに至るための時間帯は要求します。

これに対する存在が、同じく発達障害の ADHD です。ASD が「低性能だが静か」だとすると、ADHD は「高性能だが賑やか」です。上記の、私の例は、退屈すぎてとても耐えられないでしょう。私生活でも当たり前のようにスマホやSNSに浸り、仕事で多忙になり、パートナーと過ごして、それだけでも足らずペットも飼ったりします。ですので、ADHD は逆に足し算だと満たしやすい はずです。高性能すぎて暴れまわっているのを上手く落ち着かせるために、一体どんな負荷を加えればいいのか、を考えて課してください。すでに述べたとおり「ながら」は使えますし、場所を自宅ではなくオフィスやカフェにするなど「環境」の力も使えますし、締切が近いとか具体的に誰かから頼まれているといった形のプレッシャーも使えます。

発達障害でない方も、どちらかに寄ると考えます。つまり、引き算が合う人と足し算が合う人がいます。引き算が合う人は ASD 気質で、足し算が合う人は ADHD 気質と言えるでしょう。

ASD 部下であれば、おそらく引き算が合うはずです。もっと言えば、ASD 部下に集中してもらうためには、引き算のアプローチが有効だろうということです。マネージャーのあなたはおそらく足し算タイプ(でないとそもそもマネージャーにはならないしなれない)でしょうから、引き算の気持ちはわかりづらいでしょうが、そういうものだと割り切って、引き算のアプローチを試してみてください。きっと上手くいきます。

p.s. 発達障害の言葉を使って「あなたは ASD 気質ですね」とは言えないので、私は ASD 気質をソリディ(Solidy)、ADHD 気質をガシー(Gasy)と呼んでいます。ソリッド(固体)のように落ち着いている、ガス(気体)のように落ち着きがないというニュアンスをこめています。

プログラマー、経理や法務、ライター、研究者などに向いている → 傾向はあるかも

以下は ASD に向いている仕事として、よく挙げられる仕事の例です:

共通するのは 人間を相手にした、曖昧で泥臭いコミュニケーションがメインではない ということです。もっと言えば 人間以外の何かを相手にする世界 とも言えます。たとえば、昼休憩は計算から外して、1日7時間働くとしましょう。7時間のあいだ、一度も誰とも顔を合わせず、喋らずに、パソコンと向き合ってプログラムや条項や数字やレポートと読み書きできるでしょうか。

別の言い方をすると 孤独に頭を使う仕事 とも言えます。ASD は、たしかに向いていそうです。定型発達が孤独を嫌ってコミュニケーションをしたがるのは、そうできているからですが、ASD はまさにその機能がバグっているようなものだからです。要は ASD はコミュニケーションの欲求が薄いので、定型発達がコミュニケーションに費やす分も別の時間に費やせます。たとえば孤独に頭を使う時間に費やせますし、下手に向いてない、興味もないコミュニケーションをやらされて疲弊や摩擦を生むよりははるかに良いのです。

しかし、ASD でないとできないかというとそうではなく、誰でも訓練や興味次第では可能でしょう。しかしながら、人を選ぶものであり、誰にでもできるものではありません。学生の頃に、あるいは仕事で、もしくは副業や趣味などで挑戦して、「いやこれは無理だなー」と挫折した方も少なくないのではないでしょうか。

ですので、ASD 部下に対して、孤独に頭を使う仕事――というより過ごし方を提案するのはアリです。孤独な仕事はその辺の人材ではこなせませんが、ASD なら難なくこなせる可能性があります。前々からできていなかった仕事に手を付けたり、孤独に働くという新しい働き方を開拓したりできるでしょう。

🐰余談: チームの時代とASD

とはいえ、中々難しいと思います。というのも、私は現代は チームの時代 だと考えており、このような職業であってもチームプレイ――人間を相手にした営みがかなりの比重を占めるからです。たとえば毎日顔を合わせて進捗を確認する朝会や夕会は珍しくありませんし、むしろやってない方が少数派でしょう。

こういう時代であり、価値観なので、「孤独に頭を使う」は中々理解されづらいです。あるいは、理解していても朝会や夕会、あるいは日中の必要に応じた割り込みは緩めないでしょう。逆に、ASD から免除してほしいなどと提案されても、おそらく相手にしないはずです。

そうではなく、そんな時代だからこそ、ASD 部下に対しては、孤独を尊重してほしいと思います。そうすることで、いまいち使いづらかった、あなたの ASD 部下も花開くかもしれません。片付けたかった仕事や、誰も手を付けなかった難しい仕事をやってもらえるかもしれません。少なくとも毎日のコミュニケーション機会のたびに皆が疲弊するのを軽減できるでしょう。

孤独に頭を使う仕事はたしかにあります。一日中誰とも一言も喋らない過ごし方もありえるのです。どうか、頭を柔らかくして、ご検討ください。もちろん、ASD だからといって必ず向いているわけではないため、無理に押し付けてはいけません。

参考