情報の共有 感情の共有 情緒共有
似ているようで、どれも違います。これらを区別して使い分けられるようになると、もっと生産的かつ快適になります。
テキストで表現できるので、ITリテラシーやスキルが許せば、対面無しに進めていけます。ただし言語化の能力が問われますし、読み書きは負担の高い行為なので長続きしません。
そういうわけで聞く・話すが使われますが、こちらはこちらでやりとりした文脈を覚えないといけなくて大変です。通常、そこまで覚えられないので、聞く・話すだけだと浅いやり取りや議論しかできません。
非言語情報として表現します。非言語というのは声音、表情、仕草などですね。あるいはスタンプなど「絵」も非言語にあたります。テキストで非言語情報を表現する 「フランクな非言語」が、たかが知れています。
私たちは人間であって、機械ではないので、(搾取的な関係でもなければ)感情を踏まえねばなりません。しかし感情は言葉で伝えるのが困難であるため、身振り手振りで非言語的に伝えます。
これはつまり、身振り手振りで非言語を伝える機会がどうしてもある程度は必要になる、ということです。
気分、ムード、雰囲気と同義です。
私たちには意識にはあり、意識はそれなりに暴れん坊です。退屈を極端に嫌います。この暴れん坊を抑え込むのに情緒が必要になります。
意識を場の雰囲気に向けさせると言えます。場を理解し続けるのにはそれなりの手間がかかりますから、暴れん坊もおとなしくなるわけです。子どもにおもちゃを与えておとなしくさせるようなものですね。
情緒の共有には「場」が必要です。時間と場所をどちらも拘束することになります。会食がまさにそうですが、情緒の共有にはその時間その場所の演出と、当人達のコミットの両方が必要です。
演出が足りないと意識をおとなしくできずに葛藤が溜まりますし、コミット(費やしてもいいという合意)が取れてないと搾取になります。
感情労働は今回は割愛するとして、仕事で最も重要なのは情報です。そして情報とは言語情報であるため、言語情報さえやりとりできれば済むとも言えます。
一方で、私たちは人間なので感情共有と情緒共有も求めます。しかし感情共有には非言語情報が必要ですし、情緒に至っては場が必要です。実際、多くの時間と場所を使います。たとえばリモートワークできずに出社したり、リモートであってもオンライン会議が多かったりします。
生産的に働くためには、後者、感情共有と情緒共有を減らさねばなりません。感情や情緒の共有のついでに言語情報もやりとりするのではなく、言語情報をやり取りする方法に専念するべきなのです。なぜなら、感情共有は非言語を扱うものであり、情緒共有は場を扱うものであって、情報を扱うものではないからです。扱えないことはないですが、最適ではありません。そもそも高コストです。
極端な話、箇条書き5行で表現できる情報を伝えるのなら、テキストで5行を書いて、それを見せるだけで済みます。会って非言語を見せたり、ましてオフィスや会議室といった場に集まる必要などありません。
なのに、こんなこともわからず、いちいち会いたがったり集まりたがったりします。生産性の低さはよく指摘されますが、無理もないことです。
逆に、情報共有を、感情や情緒に頼らず賢く行えるようにすると、より生産的になりますし、高コストでもないので快適にもなります。フルリモートやフルフレックスくらい可能です。
とはいえ、私たちは人間であって機械ではないので、感情共有や情緒共有はゼロにはできません。
そこで必要に応じて注入すると考えます。
コミュニケーションの注入(CI, Communication Injection)
たとえば1日1時間くらい感情共有をしたり、1ヶ月に1回くらい情緒共有したりします。
仕事で日常的に出社や会議をしてごちゃまぜにやるのではなく、仕事では情報共有に徹して感情共有と情緒共有はなくします。それだと人間として苦しいので、後者の共有は定期的に注入することで対応するというわけです。
本記事で言いたいことは一つで、現状は「情報+感情+情緒」共有と全部が混ざりがちですが、そうではなく、
のように分けて考えよう、ということです。
このように従来混ざっていたものを意識的に分けることを、当サイトでは分離エンジニアリング(Separation Engineering)と呼んでいます。分けることで見えてくるものがありますし、個別に対処することで最適に近づけます。