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ASD の「ものの見方」を意識的に採用した立場を ASDism(アスディズム)と呼ぶことにしましょう。

定義

アスディズムは脱文脈主義、またはエゴセントリッキズムと呼ぶこともできます。

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背景

アスディズムを理解するために、いくつか前提知識を押さえていきましょう。

文脈とアロセントリック

私たちは通常、外界のあれこれを踏まえた上で物事を認識したり、思考や行動をしたりします。

のように、外界を第一に考えます。これは既存の文脈を第一にするとも言えます。

あるいは、外界の情報を基準とした「相対的な」ものの見方とも言えます。これをアロセントリック(略してアロ)と呼びます。

ASDの特性

発達障害の一種である ASD は社会性の障害とされます。身体的な障害はわかりやすいですが、その社会的なバージョンです。

症状としては以下二点が挙がりますが、

この根本原因と考えられているのが「ものの見方の違い」であり、アロセントリックに対してエゴセントリック(略してエゴ)と呼ばれます。

エゴセントリックと脱文脈

アロは外界を基準にして、相対的に認識しますが、エゴセントリックは違います。自分を基準にして、絶対的に認識します。

これは言い換えると、既存の文脈を無視または軽視するとも言えます。これを私は脱文脈と呼んでいます。

例: アロとエゴを比較する

例としてダンスを挙げましょう。

SNSで流行っているダンスミームを考えてください。YOASOBI「UNDEAD」のダンスは有名ではないでしょうか。

さて、ダンス動画で注目を集めたいとします。どのようにアプローチしますか?

アロセントリックの場合、外界を踏まえますので、すでに流行っている UNDEAD を選びます。振り付けについても、勝手にオリジナルにはせず、ミームどおりにするでしょう。

※以下は UNDEAD ダンスの例。

https://www.youtube.com/shorts/0Ig8FRYVH7A

これは「まず外界を踏まえる」というアロセントリックの考え方です。外界としては、ちょうど UNDEAD が流行っていますし、振り付けもこの動き方で周知されているので、これを踏まえることになります。

次に、エゴセントリックの場合を考えましょう。

アロとは違って外界は見ないので、おそらく UNDEAD は相手にしません。仮に見たことがあっても、使おうとは思わないでしょう。あるいは使うにしても、振り付けはオリジナルにするでしょう。

外界を第一にして、その相対で考えるという発想ではないのです。

エゴとアロのメリデメ

例の続きを考察しましょう。どちらが正しい・正しくないというものではありません。どちらも見方の一種にすぎないからです。

しかしながら、健常的なのはアロなので、アロの方が良い結果になるでしょう。

アクセス数も稼ぎやすいでしょうし、よーわからん気持ち悪いダンスだとか想定と違ってていまいちだとかいった不評を食らうリスクも小さいでしょう。逆に、エゴはそういったマイナスを食らいやすいです。外界に従っていない、気持ち悪い存在だからです。

ではエゴには良いことがないかというと、そうでもありません。

この UNDEAD の振り付け以外の、革新的な振り付けを生み出せる可能性があります。もちろん、UNDEAD 以外の新しい曲のダンスをはやらせられるかもしれません。

とはいえ、可能性は非常に低いです。そもそも現代の SNS や感性が共感寄りかつファンダムエコノミーですので、事実上可能なのは「すでに多くのファンを獲得した者」がエゴ的に振る舞った場合に、それが広まることがあるというくらいです。しかし実際は、供給側としても大多数のアロ相手に無茶はできませんし、エゴ的な作品を出したところで通じませんから、通常は新しい作品もアロ的です。

まとめると:

概要

アスディズムの中身に入っていきましょう。

アスディズムは、外界よりも内面を重視した立場です。あるいは既存の文脈よりも持論を重視した立場とも言えます。

ASD のものの見方に名前をつけたものでであり、ASD + ism でアスディズムです。

メリット

個人レベルでも、組織レベルでも、変革を行いやすいことです。

変革とは

まず変革とは Transformation であり、根本から生まれ変わること・根本からつくりかえることを意味します。

当サイトでも組織の目線で取り上げています。

IPAの「変革のススメ」に答えます

XX(XXXX Transformation)

変革を履き違えている

変革にはエゴが必要と考えています。そもそも現状の文脈を踏まえたアロ的なあり方で膠着しているのですから、ここを壊すにはエゴしかないのです。

しかし、現実的には、変革とはアロ的にあちこちを踏まえながら少しずつ変えていって塵を積んで山にしようとしています。それはただの改善であって、変革ではない。

そういうわけで、エゴに向いた「変態的な人材」を登用することの重要性を強調してきました。

VUCAに勝つための組織 「●●特区」

ダークネス・ダイバーシティ

組織に染まらない異分子「フリーリジョン」が多様性とイノベーションを生む

アスディズムはうってつけ

まさにアスディズムは、変革にうってつけです。最大の障壁であるアロ的発想から脱せるからです。

例: ITとアスディズム

ITの世界ではアスディズムがよく見られます。

皆さんは仕事で海外製のSaaSを使っていると思いますが、日本とは違って「自分達のためにオーダーメイドでつくってくれる」ものではありません。

むしろ、提供サービスに私たちが合わせています。これはアスディズム的と言えます。

要するに、

「おれたちのやり方・考え方の方が凄いんだから、いいからお前らは黙って従えよ」

**

というわけです。

もちろん実際はそう単純でもなく、関連サービスや界隈の文脈をある程度踏まえてはいます。ただ、日本文化のように丁寧に踏まえているわけではなく、さっさと本質だけ捉えてヒントにして、大胆に「こうすればいいだろ」をつくっているのです。

ITは「ソフトウェア」の形で「道具」をつくれるので、アスディズムでつくったソリューションをぶつけやすいのです。

たとえ既存の文脈を無視する「ろくでもないもの」であっても、役に立つかどうかは使えばすぐわかりますし、使ってもらえるよう配信するコストも低い。

そうして使えるとわかってもらえれば、一部の先進的な人々は乗ってくれます。アーリーアダプターですね。あとは、アーリー達が広めてくれて、上手く広まればそのうちアロになります。

IT はこのようなアスディズム的変革を起こしやすいからこそ、ここ数十年でここまで発展したのです。

例: 坊主のたとえ

長髪の人がいて、日々のメンテナンスや抜けた毛の掃除が大変だと悩んでいるとします。

アスディズム的にとらえると、たとえば次のような助言をします。

「坊主にすれば?」 「バリカンで自分で剃ればいい」 「運用や評判も慣れてしまえばいい」 「どうしても坊主だと困る場合はカツラやウィッグを使えばいい」

**

理屈上はそのとおりで、自分でバリカンで坊主にしてしまえば、メンテナンスや掃除の手間はほぼなくなります。坊主へのシフトも、慣れの問題であり、どうとでもできるでしょう。極めて単純なことです。アスディストから見ると、なんでこんなかんたんなこともわからないのか、と疑問さえ抱きます。

しかし、実際にバリカンで坊主にする、との行動を取れる人はほぼいません。大多数の人がアロであり、外界の文脈では「坊主でいることは望ましくない」ことだからです。

※一方で昔の野球部など、外界として抵抗がない場合は採用しやすくなります。外界次第です

実際、アロからは、このようなシンプルで本質的な回答は出ませんし、この回答を見ても「短絡的すぎるでしょ」「まずは相手の事情を聞いて共感から始めるのでは……」などといいます。まさにアロ的な考え方です。

アスディズムを取り入れるには

整備中です。。。

ここを整備できれば、アスディズムをデフォルトで備えたASDに頼る以外の選択肢が取れます。たとえば、ASD でない人が、アスディズムを取り入れることで、ASD のようなエゴ的な思考ができるようになるはずです。

アロとエゴの協調

最後に、アスディズム的な人材を活かして変革を促すための考え方を一つ紹介します。

4つの役割を定義して、その分担を考えます。

4つの役割

アロとエゴの間に、アゴとエロがあります。

4つに分ける。

分担

アスディズムを生かして変革を促進するには、以下の分担を心がけます。

つまりエロとエゴが牽引して、アゴとアロはサポートに徹します。エロは有能で、邪魔さえしなければ結果は出せます。

問題はエゴで、エゴはエロほど有能ではないため、文脈を教えてあげる必要があります。これは自身もエゴの気持ちがわかるアゴが担うのが良いでしょう

また、エゴは自分ひとりで成果を出し切るところまで至れません。革新的な概念や、せいぜいプロトタイプや軽い企画をつくるくらいです。その続きは大多数存在するアロが頑張らないといけません。エゴの成果は革新的だと信じて、投資するわけです。

よくある誤解が「エゴの出した概念を隅々まで汲み取れ」ですが、違います。あくまでヒントにすぎないので、アロ達は自分なりに行動すればいいのです。

このような取り入れ方に着眼したのは、『知的生産の技術』で知られる梅棹忠夫だと思います。

いわば本をダシにして、自分のかってなかんがえを開発し、そだててゆくというやりかたである。……このやりかたなら、読書はひとつの創造的行為となる。

『知的生産の技術』

本の内容をバカ真面目に踏襲する必要はないのです。勝手に部分的に切り取って使ったっていいわけです。アロはこのようなやり方を嫌いますが、それゆえ変革ができません。梅棹は、当時もアロが支配的だった中、このようなエゴ的な考え方を提示したという意味で、極めて革新的なのです。

話を戻しましょう。しかしながら、エゴのインプットや思考が未熟だと、出てくる概念も出来の悪いものとなります。そういうわけで、エゴが十分発揮できるようサポートも必要だと書いています。

変革が欲しいなら、

というわけですね。

アスディズムによりエゴを増やす

整備中と書きましたが、アスディズムを整備できれば、誰でも(ではないかもしれませんが)ASD のエゴ的なものの見方を使えるようになります。

つまりエゴを増やせます。変革の効率も上がるでしょう。