朝会という原始的で高負荷で時間的安全性営みは、未だによく使われています。
この朝会をやめるために、朝会が発生する原因と、それを踏まえてどうすれば良さそうかを解説します。
※すべての朝会を批判するものではありません。有用となる場合もあります。本記事は「朝会は嫌だし、必要とも思わない」と感じる人向けに書いています。
マネージャー自身は全員と応対するので、全員集めてひとりずつ聞くのが一番楽です。
※ちなみに、これで楽しているのはマネージャーだけです。他メンバー全員が割りを食っています。マネージャーはひとりずつヒアリングしますが、その間、当人以外は手持ち無沙汰になるからです。何なら内容を追いかけますし、話を振られたときの備えもしますから疲れます。
わざわざ朝会の場で言おう、という心理があります。
もったいぶるとは控えめな表現ですが、率直に言えば怠けです。
いちいち朝会の場を待って披露する必要はありません。言いたいことはすぐ書いておけばいい、それを読んで反応すればいい、やりとり増えそうなら個別に打ち合わせすればいい、その結果も書いて残せばいい、重要なら通知飛ばして「見てね」すればいい――それだけです。
ですが、この自律的な働き方は大変なので、「まあ朝会で言えばいいか」「みんないるし、マネージャーも突っ込んでくれるし」と怠けるのです。そして、それを「朝会という場があるんだからそこでやればいい」などと正当化します。
テキストコミュニケーションだけでも議論はできますし、合意も取れますが、それだと不安だから顔を見たがります。
顔色をうかがってばかりの性格をこじらせています。それを「朝会は仕事だから」「必要なことだから」と正当化します。
ひとりで仕事するのは寂しいからと、毎日顔を見たがります。
そんなものはプライベートで勝手に解消するべきです。会社は学校ではないし、同僚も友達や恋人ではないからです。
腹減ったから皆で食べるのでしょうか。性欲が高まったから同僚とセックスするのでしょうか。違います。プライベートで勝手にやってください。各自がプライベートで頑張るべきです。満たされないとしても、知ったことではありません。
終わりを守るということは、日々の会議や議論を建設的に行う、そのための努力を実際にしていることを意味します。
これができていたら、とりあえず毎日朝会をする、それも終了タイミングがまちまちで時間的安全性……などということは起こりません。
逆を言えば、毎日朝会をして、時間的安全性も低いのだとしたら、それは努力不足です。努力不足だから「終わりを守る」ことすらできませんし、安易に会議を重ねます。
全員の文脈を知るのはマネージャーの仕事であって、メンバーの仕事ではありません。
※仮にマネージャーなしで全員が自律的に動く組織であっても、推奨ではありますが必須ではありません。必要に応じて共有すればいいからです。
なのに朝会に全員参加させて「みんな他のメンバーのことも知っておいてね」としているのが現状です。負荷を課しすぎです。
マネージャーが、ひとりだと寂しいからそうしていることもあります。これは正直言ってパワハラですらあります。
全員が参加して全員を知る、はメッシュ型です。
そうではなく、マネージャーだけが全員を知るという構造にします。
左のメッシュから、右のスターにする。
そうすれば少なくとも毎回全員を参加させる、などという愚行は不要だとわかります。マネージャーは、必要に応じて必要な人と話せばいいだけだからです。
やたら全員を参加させたがるのは、根底にメッシュ型の思想があるからです。全員が全員を知っておいた方が良いのはそのとおりですが、理想にすぎませんし、かんたんでもありません。
全員を知るのはマネージャーであるあなたの仕事ですし、もし本当に全員が全員が知ることを前提とするのなら、マネージャーは要りません。マネージャーというポジションを維持しながら、全員に全員を知ることを課すのは矛盾しています。
気にしぃにせよ、寂しがり屋にせよ、だからといって会議を無闇に増やして皆を巻き込んでいい理由にはなりません。
まず、会議にはそのような用途(交流)が混ざりがちなので、意図的に切り離してください。
次に、コミュニケーションが大事だというのなら、それ専用の時間を、業務時間中に別途確保してください(大事なら構いませんよね?)。
コミュニケーションの注入(CI, Communication Injection)
いずれにせよ、会議の場で公私混同しないでください。
朝会含め、安易に会議に頼ってしまうのは、それ以外のやり方を知らないからです。
会議なしでも仕事を進められる非同期コミュニケーションを覚えましょう。少しずつでも取り入れていきましょう。
原始的なやり方としては、すでに日報があります。
日報は本来「会議無しでも済ます」、あるいは少なくとも会議を減らすためのものです。日報を書けば朝会はなくせますし、仮に書いているのに朝会もあるとしたら、以下が原因です。
重要なのは日報で仕事がまわるようにすることです。そのためにちゃんと費やすことです。1日1時間以上かけて模索するくらいは当たり前です。
そうでなくては日報の意味がありません。
また、発展的なやり方として当サイトでは分報よりもリアルタイムな共有を重視する「秒報」も紹介しています。
朝会は報連相だけにします。
ここで、相談とは「答えを知っている or 意思決定できる人がいて、すぐに終わる」ものを指します。
逆に、すぐには終わらないものは議論であり、これは朝会で行うべきではありません。議論は別途必要な人だけを集めて行ってください。
報連相と議論を分けると、朝会に頼らなくても案外回せることに気付けます。
報告と連絡は情報共有であり、会議すら要らないですし、相談も非同期コミュニケーションでできます。議論は、すでに述べたとおり、別途必要な人だけでやればいいです――と、朝会という毎日定例イベントが要らなくなります。
朝会が発生する主因の一つが、マネージャーが無能だからです。さらに言えば、タスク管理ができないから、とりあえず皆を集めようとします。
タスク管理ができるのであれば、各種議論や話したいことのすべてを、現実的な時間内に行えるようコントロールできます。むしろマネージャーであるならば身に付けねばならないスキルです。
難しいことですが、そういうものです。マネージャーは難しいものですし、だからこそ高給です。それがわからず、安易に全員を集めて全員の時間を奪い、負荷を課すような真似をするのは職権乱用、搾取と同じです。
さて、タスク管理は領域が広いので、自分に合うやり方を探すのが肝心です。当サイトでも色々と紹介していますので参考にしてください。
朝会への参加に耐えられる人や向いている人もいれば、耐えられない人や向いてない人もいます。
後者にも強要することが間違っているのです。これは後者を何とかすればいいとも言えます。朝会を自由参加にするのが端的です。
朝会に参加している人は朝会で済ませ、参加していない人には別の方法でフォローします。ここまで挙げてきた他のコツも役に立ちます。
このような複数のやり方を採用する発想は、平等主義が根付いた日本の人は特に抵抗感が強いと思いますが、違います。多様性の一環であり、現代的なリテラシーの一つです。
現代はVUCA 改め VUCARD の時代な時代であり、このあり方は今後も続きます。できない人は時代遅れの置いてけぼりになります。少なくとも良い人材は集まらないし、逃げていきます。そうでなくとも静かな退職に見舞われてしまって恒常的に苦戦するようになるでしょう。
こういったことを減らすためにも、多様性を確保する――複数のやり方を許容することが大事なのです。
朝会という全員参加型会議の存在は、この件が試される好例だと思います。